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No.339 - 千葉市美術館のジャポニズム展 [アート]

No.224 に引き続いてジャポニズムの話題です。No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」は、2017年に国立西洋美術館で開催された展覧会(= "北斎とジャポニズム" 2017年10月21日~2018年1月28日)の話でしたが、先日、千葉市美術館で「ジャポニズム ── 世界を魅了した浮世絵」と題する企画展が開かれました(2022年1月12日~3月6日)。見学してきたので、それについて書きます。

ジャポニズム展 ちらし.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(ちらし)

以下、引用などで『図録』としてあるのは、この展覧会のカタログです。

ジャポニズム展 図録.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(図録)


ジャポニズムを通して浮世絵を見る


『図録』の最初に、この展覧会の主旨を書いた文章が載っていました。それを引用します(段落を増やしたところがあります。また下線や太字は原文にはありません)。


浮世絵の魅力とはなんであろうか。この展覧会は、視覚的に浮世絵を見慣れてきた我々、特に日本人が無意識に感受しているその表現の特性を明らかにすることを主眼としている

周知のように、19世紀後半に至り、日本の鎖国は解かれ、欧米へと大量の文物がもたらされるようになる。それは視覚的驚きを持って迎え入れられ、幻想と言っても良いレベルの日本への憧れをも伴いつつ、ジャポニズムという熱狂的な動向を導いた。

とりわけ浮世絵版画は、古典主義、ロマン主義の中で形骸化しつつあった西洋絵画の表現に、新たな可能性を示したと言える。ジャポニズムの画家たちの作品を通して、西洋が浮世絵に初めて出会ったときの印象や感動を追体験できないだろうか。もはや潜在意識の中に埋もれようとしている浮世絵の特徴や魅力を、改めて意識し再認識しようというのが、本展の主旨である。

「ジャポニズムを通して浮世絵を見る」
田辺 昌子
(千葉市美術館 副館長、学芸課長)
展覧会の『図録』より

「日本文化とはなにか」という問いに答えるためには、日本文化を熟知していたとしても不足です。「日本文化でないもの」を知らないといけない。同様に「浮世絵とは何か」という質問に答えるためには、文化的伝統の全く違う絵を熟知している必要がある。その例として、19世紀後半に浮世絵に初めて接した欧米の画家がある。彼らの目に浮世絵がどう映ったかを感じることで、浮世絵の特徴や魅力を再認識しよう、というわけです。

我々は浮世絵をあまりに見慣れてしまっているので、何が特徴なのか、価値はどこにあるのかが分からなくなっています。そう断言するのは言い過ぎかもしれないが、分からなくなっている危惧がある。その "慣れきった" 感覚や感性をリフレッシュさせたい。そういう企画だと理解しました。この展覧会の英語タイトルは、

Ukiyoe wiewed through Japonisme

で、直訳すると「ジャポニズムを通してみた浮世絵」です。これが企画の主旨を一言で表しているのでした。さらに上の引用の少しあとで、田辺氏は次のように書いています。


明治時代後期より古い浮世絵の販売に携わり、大正期には「新版画」の版元として名を残す渡邊庄三郎(1885-1962)は、日本に残された浮世絵版画は全体の百分の一ぐらいだろうと言っていたという。

田辺 昌子「同上」
展覧会の『図録』より

江戸時代の浮世絵は明治初期に大量に海外へ流出しました。二束三文で売られたものも多いようです。輸出品の緩衝材として使われたというような話もありました。上の引用にある渡邊庄三郎の推測によると、浮世絵の 99% は海外にあるわけです(散逸も含めて)。この流出が何を意味するかと言うと、

あまりに見慣れたものは、価値がどこにあるのかが分からない以前に、そもそも価値があることすら分からない

ということだと思います。この企画展はそういうことも感じさせるものでした。


展覧会の構成


本展覧会は次の8つの切り口で構成されていました(『図録』の解説に沿って記述)。

① 大浪のインパクト
② 水の都・江戸 ─ 橋と船
③ 空飛ぶ浮世絵師 ─ 俯瞰の構図
④ 形・色・主題の抽象化
⑤ 黒という色彩
⑥ 木と花越しの景色
⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪
⑧ 母と子の日常

の8つです。このうち ① は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が西欧の画家に与えたインパクトです。このブログでも No.156「世界で2番目に有名な絵」で(絵画にとどまらない)影響の例をあげました。もちろん、北斎に続く日本の絵師に与えた影響も大きかったわけです。本展では大波を描いた北斎の別の作品もありました。

葛飾北斎「総州 銚子」.jpg
葛飾北斎
千絵の海 総州銚子
(千葉市美術館蔵)

「千絵の海」は、各地の漁をテーマとし、自然と人間の営みを描いた10図からなるシリーズです。この絵は大波に翻弄されながらも漁をする漁師を描いている点で「神奈川沖浪裏」との共通部分がありますが、空を全く描かない構図や泡立つような波頭の表現に、北斎の工夫というか、"革新を目指す姿勢" が現れています。



③ の「空飛ぶ浮世絵師」とは不思議な言い方ですが、要するに、

現実に見ることはできない "上空の視点" から、風景や事物を俯瞰した構図で描いた絵

です。「鳥の目」で描いた作品と言ってもよいでしょう。これが浮世絵の特徴だと言われると、なるほどと納得できます。その例を2作品、引用します。

歌川広重「両国花火」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 両国花火
(山口県立萩美術館・
浦上記念館)

歌川広重「大はしあたけの夕立」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 大はしあたけの夕立
(ホノルル美術館)

「大はしあたけの夕立」はゴッホが模写したことで有名です。一見して分かるように「雨を画題にし、雨を線で描く」という浮世絵の特徴を表していて、これは本展の「⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪」のテーマにもなっていました。それもあって、我々はこの絵の「雨の表現」に注目しがちです。

しかし作品のもう一つの特色は、上空から橋(= 新大橋)と川(= 隅田川)を描くという「俯瞰の構図」なのですね。これもなるほどという感じがしました。

考えてみると、日本美術には俯瞰構図の伝統があります。源氏物語絵巻のような「吹抜ふきぬき屋台」(= 天井を描かずに室内を上からの構図で描く技法)や、多数描かれた「洛中洛外図屏風」がそうだし、雪舟の国宝「天橋立図」などは、現代人でさえ(ヘリコプターにでも乗らない限り)見ることができない構図で描かれています。そのため、浮世絵の絵師の俯瞰構図も我々にとっては違和感がありません。北斎の富嶽三十六景の(いわゆる)「赤富士」も、特に "俯瞰構図だ" ということを気に止めることは皆無です。

一方、西欧の風景画を振り返ってみると「鳥の目」で描かれたような風景画は思い当たらないのです。つまり、浮世絵の構図はジャポニズムの画家にとっては目新しいものだった。

本展覧会では、アンリ・リヴィエールの習作(セーヌ河とエッフェル塔)がありました。しかし、浮世絵の絵師とは少々違います。『図録』の解説にも、ジャポニズムの画家の俯瞰構図は「画家自身が何か高い建物にいるとの想定を感じさせ、現実感のある描写の範囲に収めようとしているように見える点は、日本の絵師との違いを感じさせる」とありました。



そのほかの、

・ 
・ 並木ごしの風景
・ 
・ 母と子の日常

などのテーマは、国立西洋美術館で開催された「北斎とジャポニズム展」(No.224)と共通のものです。「母と子の日常」では、喜多川歌麿「行水」とメアリー・カサットの母と子のデッサンが対比されていましたが、No.187「メアリー・カサット展」に、歌麿とカサットの版画「湯浴み」を並べて引用しました。



以降は、浮世絵の展示における「従来あまりなかった切り口」という意味で、「⑤黒という色彩」を中心に紹介します。


黒という色彩


田辺副館長は『図録』の解説で次のように書いています。


油絵において黒というのは扱いの悪い色である。多く立体感を重んじてきた西洋画の伝統的描写では、黒を単色で用いればくっきりと悪目立ちし、他の色と混ぜれば沈みすぎることがあって冴えない。

一方で絵も文字も墨が基調であり、平面性を美徳とする日本では、黒は形を明確に表現する輪郭線であり、彩色される色であり、常に絵師が意識する色である。色数が限られ、平面的な色の構成によって成立する浮世絵版画においては一番の利き色であり、特に色面として使われる場合は、最もインパクトのある色となる

田辺 昌子『図録』
第5章「黒という色彩」より

その黒を "利き色" につかった鈴木春信の2作品と、それと対比されていたヴァロットンとロートレックの作品を引用します。

鈴木春信「夜の梅」.jpg
鈴木春信
夜の梅
メトロポリタン美術館

ヴァロットン「外出」.jpg
フェリックス・ヴァロットン
外出
プーシキン美術館

鈴木春信の作品は、夜の漆黒の闇を表現する黒が強烈で、梅・振り袖・欄干の赤系の色の対比が目を引く作品です。

ヴァロットンの作品は木版画です。夜に外出するという、何らかのストーリーがありそうな場面ですが、最小限のシンプルな線と "白黒画像の対比の美" を感じる作品になっています。

鈴木春信「雪中相合傘」.jpg
鈴木春信
雪中相合傘
メトロポリタン美術館

ディヴァン・ジャポネ.jpg
アンリ・ロートレック
ディヴァン・ジャポネ
ジマーリ美術館

春信の作品は、雪の中の恋仲の男女を描いた有名な作品です。雪の白を基調とした画面の中に、男女の着物の黒と白の対比が際だっています。

ロートレックの作品は、「ディヴァン・ジャポネ」(=日本の長椅子の意味)という店名のカフェ・コンセール(ショーを見せる飲食店、ないしは音楽酒場)の開店ポスター(リトグラフ)です。舞台と楽団をバックに、中央にドンと描かれた実在のダンサー、ジャンヌ・アヴリルの量感が黒で表現されています。



こうしてみると「色彩としての黒」が浮世絵の特色であることが理解できます。そして、この文化的伝統を引き継いだ後世の日本画家も当然ながら「黒」を効果的に使います。すぐに思い出すのは、長年のあいだ所在不明で近年発見された、鏑木かぶらき清方(1875-1949)の「築地明石町」(1927)です。本展とは関係ありませんが画像を引用しておきます。

築地明石町.jpg
鏑木清方
築地明石町
東京国立近代美術館


マネ「エミール・ゾラの肖像」


いったん本展覧会を離れます。「黒という色彩」と「ジャポニズム」の2つの接点で思い出す絵があります。エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」です(No.295「タンギー爺さんの画中画」に画像を掲載)。

マネ「エミール・ゾラの肖像」.jpg
エドゥアール・マネ
エミール・ゾラの肖像」(1868)
オルセー美術館

画題になっているエミール・ゾラの衣装が黒です。そして、この絵の画中画の一つが歌川国明の「大鳴門灘右エ門」ですが、まさに鏑木清方の「築地明石町」のように「黒い羽織を着た人物(=力士)」が描かれているのですね。この黒の使い方は浮世絵の典型と言ってよいでしょう。

歌川国明「大鳴門灘右エ門」.jpg
初代 歌川国明
大鳴門灘右エ門」(1860)

この「エミール・ゾラの肖像」について、昭和音楽大学の宮崎教授が日本経済新聞に次のように書いていました。


19世紀 日本ブームの裾野 十選(4)
マネ「エミール・ゾラの肖像」
昭和音楽大学教授 宮崎克己

日本経済新聞 2022年5月3日

画家エドワール・マネ、そして友人の文学者ゾラはいずれも、19世紀パリ市民たちの生活を生々しく描いた。画中の屏風、浮世絵はマネの所蔵だったと確認されているが、ゾラも日本美術を愛好していた。明治元年にあたる1868年に描かれたこの絵は、日本の物がこの時すでに生活環境の一部だったことを示している。

ゾラは、この時代に登場し、躍進した百貨店を舞台にした長編小説「ボヌール・デ・ダム」において、世界中から集められた魅力的な品々の中で、日本物は当初小さな台で売られるにすぎなかったのが、4年後には大きなスペースを占め、多くの客を魅惑するようになる様子を点景として描いた。

マネはもともと黒を色として画面に導入し、それによって画中の他の色を際立たせようとしていたのだが、その黒が日本の浮世絵の影響で、陰影のない完全に平坦へいたんな面になる。それが意識的だったことは、この絵においてゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っていることから推測できる。色彩としての黒、そして平坦な色面は、絵画のジャポニスムの中で、以後重要な課題となっていった。


この引用にあるように、マネは「黒という色彩」の卓越した使い手です。「ベルト・モリゾの肖像」(オルセー美術館)とか「死せる闘牛士」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)といった、黒が大変印象的な作品があります。

その黒の使い方を誰かから学んだとしたら、一つはマネが尊敬するベラスケスでしょう(No.36「ベラスケスへのオマージュ」参照)。「エミール・ゾラの肖像」にもベラスケスの絵が画中画として描かれていました。

もうひとつは、オランダの画家、フランス・ハルスです。マネはオランダ旅行をしたあとに "ハルス風" の絵を描いてます(No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」参照)。確かゴッホは手紙の中で「ハルスは10種類の黒を使い分けている」という主旨のことを書いていたと思います("10種類"というのはウロ覚えです)。

そしてさらに「色彩としての黒」を学んだとしたら、それが浮世絵なのでしょう。「大鳴門灘右エ門」に描かれた黒い羽織は、我々にとってそういう色使いがあたりまえであるため、言われてみないと気付かないのです。

そして宮崎教授が上の引用で指摘している「ゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っている」というのはまさに図星であって、そういう風に構図が意図されているのだと思いました。マネが親友・ゾラの後方に「大鳴門灘右エ門」を描き込んだのは、単なる浮世絵へのオマージュではなく、さらに深い意味があると理解できました。


喜多川歌麿の「両国橋納涼」


話を本展覧会に戻します。「② 水の都・江戸 ─ 橋と船」のテーマで展示されていた浮世絵の一つが、喜多川歌麿の「両国橋納涼」でした。一度、見たいと思っていた作品でしたが、初めて実物を目にすることができました。

喜多川歌麿「両国橋納涼」.jpg
喜多川歌麿
両国橋納涼
メトロポリタン美術館

「大判錦絵6枚続き」という、超豪華な大画面です。「大判錦絵3枚続き」はよく見ますが、それを上下に組み合わせた "滅多に見かけない" 構成の浮世絵です。

描かれているのは浮世絵の定番の画題である橋、船、女性ですが、それらがギッシリと詰め込まれていて、まさに "テンコ盛り" 状態です。遠方に小さく別の橋まで描かれていますが、これは両国橋より南側の新大橋でしょう(広重の「大はしあたけの夕立」の橋)。

ここで注目したいのは、上半分の「大判錦絵3枚続き」です。そもそも "続絵" は一枚にしても鑑賞できるものです。この絵もそうなるように、各枚には女性が3人づつ描かれています(その他、子どもや町人もいる)。そして ・・・・・・(これ以降の話は本展覧会とは関係ありません)



この「一枚に女性3人を描いた3枚続き」という構図が、ジャポニズムの観点から、ある作品を連想させます。アンリ・マティスの「三姉妹」(バーンズ・コレクション所蔵)です(No.95「バーンズ・コレクション」の Room 19 West Wall 参照)。このことは、No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」にも書きました。

Barnes Collection Room19 West Wall.jpg
アンリ・マティス
三姉妹(3連作)」(1917)
バーンズ・コレクション
(Room 19 West Wall)

「縦長のカンヴァスに3人の女性を描き、それが3連作になっている」作品です。単に「3人の女性を描いた絵」なら、ギリシャ神話を題材とする西洋絵画の定番モティーフ、"三美神" を意識したとも考えられるでしょう。実際にそういう絵が他の画家にあります。しかしこの作品は "三美神の3連作" です。こういった作例は、こと西洋絵画においては、後にも先にもこのマティス作品しかないと思います。

マティスが「両国橋納涼」を見たことがあるのかどうかは分かりません。ただ、喜多川歌麿は「1枚に女性3人を描いた3枚続き」という作品を他にも描いているし、ほかの絵師の浮世絵にもあります。マティスはそういった浮世絵のどれかが念頭ににあって、バーンズ・コレクション所蔵の作品を描いたのではないでしょうか。



ともかく、喜多川歌麿の「両国橋納涼」を鑑賞できたというのことは、私にとって思い出深いものになりました。




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No.338 - がん進化論にもとづく治療戦略 [科学]

No.336 と No.337 の続きです。No.336「ヒトはなぜ "がん" になるのか」No.337「がんは裏切る細胞である」は、

がんは体内で起きる細胞の進化である

という知見にもとづき、新たな治療方法の必要性を述べた2つの本を紹介したものでした。この2書に共通していたのは新たな方法である「適応療法」で、この療法を始めたアメリカの医師、ゲイトンビー(Robert Gatenby)の研究が紹介されていました。そのゲイトンビー本人による論文が2年前の日経サイエンスに掲載されました。

「がん進化論にもとづく治療戦略」
  J.デグレゴリ(コロラド大学)
  R.ゲートンビー(モフィットがんセンター)
日経サイエンス 2020年5月号

日経サイエンス 2020-5.jpg
日経サイエンス
2020年5月号
です。今回はこの内容を紹介します。No.336、No.337 と重複する部分が多々あるのですが、「進化論にもとづくがん治療」をそもそも言い出した研究者の発言は大いに意味があると思います。

注意点は、この論文がもともと「Scientific American 2019年8月号」に掲載されたものだということです(原題は "Darwin's Cancer Fix")。がん治療の研究は日進月歩であり、約3年前の論文ということに留意する必要があります。

とはいえ、進化論にもとづくがん治療のキモのところが端的に解説されていて、「がんとは何か」の理解が進むと思います。以下の引用では段落を増やしたところがあります。また、下線や太線は原文にはありません。


治癒困難ながん


まず論文は、前立腺がんを例に「治癒困難ながん」の説明がされています。


米国では年間に3万1000人を超える男性が、骨やリンパ節などへの転移がある前立腺がんと診断される。患者の多くは経験豊富な熟練の腫瘍医の治療を受けるだろう。前立腺がんの治療には52種類の薬が承認されており、使用できる。それでも最終的にはその 3/4 を超える患者がこの病で命を落とすことになる。

身体に広がってしまった転移がんが治癒することはまれだ。有効な治療薬があるのに患者が助からない理由はいろいろあるが、そのすべては1859年にダーウィン(Charles Darwin)が鳥やカメの種の盛衰の説明として発表したある考えに帰する。「進化」だ。

「がん進化論にもとづく治療戦略」
J.デグレゴリ(コロラド大学)
R.ゲートンビー(モフィットがんセンター)
日経サイエンス 2020年5月号

補足しますと、一般に前立腺がんは進行が遅く、かつ、PSAマーカー検査という有力な発見方法があります。ざっと言うと、転移を伴うステージ4になる前に治療をすれば、5年生存率は90%程度で、"治りやすいがん" と言えるでしょう。しかし、転移を伴うステージ4になると完全治癒は難しくなる。5年生存率は 50% を切り、上の引用にあるように 3/4 の人が命を失うことになります。

つまり著者が論文の筆頭にあげているのは「現代医学で比較的対処がしやすいがんでも、治癒が難しい、あるいは治癒できないケースがある」ということです。後の方にも何回か出てきますが、著者の問題意識は、こういったケースにどう対応するかです。あるいは、治癒不能に至らないようにどうするかです。


がんと進化


上の引用の最後でダーウィンの「進化」が出てきますが、有名なガラパゴス諸島に生息するフィンチ(小鳥の一種)を例に説明されています。


がん細胞をダーウィンのガラパゴスフィンチに例えよう。フィンチのくちばしは島々で微妙に異なっている。フィンチは種子を食べるが、種子の形やその他の特徴は島によって違う。ある島の種子に最も適したくちばしを持つ鳥は最も多くの食物を手に入れ、最も多くの子孫をもうけた。そしてその子孫もまた、同じ形のくちばしを受け継いだ。くちばしがそれほど適応していない鳥はそうはいかなかった。

この自然選択によって、くちばしの異なる様々なフィンチの種が各島で進化した。ここで重要なのは、2つの生物集団が同じ狭い空間で競争するとき、環境に適合した方が勝ち残るという点だ。

「同上」

ガラパゴス島のフィンチで起こったことと同じ力学が、体内の細胞の間で起こっているというの著者の考えです。


がん細胞も同じように進化する。正常組織ではがんでない普通の細胞がよく育つ。それは普通の細胞の方が周囲の健康な組織から受け取る生化学的な増殖因子や栄養素、物理的シグナルにうまく適合しているからだ。変異によってがん細胞が生じても、そのような環境にうまく適応していない細胞は初めは生き残れる見込みがあまりない。正常な細胞が資源競争に勝利するからだ。

しかし、周囲で炎症(がんの増殖自体が炎症を引き起こすこともある)や加齢によるダメージが増えると形勢が逆転し、がん細胞はそれまで自分たちを追いやっていた正常細胞を打ち負かすようになる。周囲の変化が最終的にがん細胞の命運を決定するのだ。

私たちはこれを「適応発がん」と呼んでおり、この説を裏付ける証拠も見いだしている。動物実験で細胞環境を変化させると、がん細胞は内部の機能に変化がなくても増殖を加速し始める。人間でも、炎症性腸疾患のような組織を傷める病気でこのようながんの加速が観察されている。

つまり、細胞の内部の変異だけに注目するよりも、その周囲の環境に目を向けた方ががんをよく理解できると思われる。炎症などによる組織の変化を抑えると、環境をより正常な状態に戻すことができ、私たちが動物実験で示したように、がんが競争力を獲得するのを防げる。

「同上」

がん細胞と正常細胞は体内で競争をしていて、がんの発生はその競争のあり方に依存しています。進化論によると個体の変異はランダムに起こりますが、その個体が生き残って子孫を残すかどうかは環境によって決まる(= 自然選択)。がんも同様です。上の引用に「細胞の内部の変異だけに注目するよりも、その周囲の環境に目を向けた方ががんをよく理解できる」とあるところがポイントです。

さらに体内では正常細胞とがん細胞が競争しているだけでなく、腫瘍の中において、抗がん剤が効く細胞(= 感受性がある細胞)と抗がん剤が効かない細胞が競争をしています。


化学療法は脅威を一掃するために大量の抗がん剤を使う。初めのうちはたいてい効いているように見える。腫瘍は縮小し、消えたりもする。しかしその後、再発し、かつてがん細胞を殺していた薬剤に抵抗力を持つようになる。作物を食い荒らす虫が殺虫剤への抵抗性を進化させるように。

著者の1人(ゲートンビー)は前立腺がん患者を対象とした臨床試験でこの焦土作戦に代わる手段を試みた。抗がん剤の投与量を腫瘍の縮小に必要十分な量にとどめ、がん細胞を完全には殺さないようにした。抗がん剤が効く(感受性のある)がん細胞をある程度維持しておくのが狙いだ。感受性細胞は望ましくない新しい特性(抗がん剤耐性)を持つがん細胞が腫瘍を乗っ取るのを防いでくれた。通常であれば13カ月で腫瘍が制御不能な増殖を始める患者グループに対し、この処方は標準用量の半分以下で平均34カ月間がんを抑えている。

「同上」

この引用に書かれているのが「適応療法」です。ここまでで著者の論文の全体が要約されています。以降は、さらに詳細な説明です。


がんの環境要因と予防


著者は、環境要因でがんが発生するプロセスを述べ、その環境要因を研究することが予防につながるという見通しを述べています。


医師やがん研究者に「加齢や喫煙、放射線被曝がどうしてがんにつながるのか」と尋ねれば、素っ気ない答えが返ってくるだろう。「変異を引き起こすから」。この考えは部分的には正しい。タバコの煙や放射線は確かにDNAに変異を引き起こすし、年齢が進めば変異は細胞に蓄積する。変異は細胞に新たな特性を付与し、細胞分裂を促す増殖信号を過剰に生じ、細胞死を抑えたり、周囲の組織に浸潤する能力を高めたりもする。

しかし、細胞の内部の変化だけに注目したこの単純な説明は、ある事実を見落としている。1つの細胞にせよ人間のような細胞の集まりにせよ、進化を促す主要因はその外、つまり細胞の周辺環境にあるという点だ。

「同上」

ダーウィンは「限られた資源をめぐる競争は、環境に最も適した形質を持つ個体の選択につながる」と唱えました。著者はがんの研究をするうちに、ダーウィンが唱えた「進化を加速する力」と「がんの発生や抗がん剤に対する患者の反応」の間に類似性があることに気づきました。


例えばがん研究では一般に、発がん性の変異は常にそれを獲得したがん細胞に有利に働くと考えられてきた。しかし私たちが仕事をしていて気づいたのは古典的な進化の原則だった。変異それ自体は生物にプラスにもマイナスにもならない。変異の影響はむしろ置かれた環境によって変わる。ダーウィンフィンチでは、くちばしの形自体に "優れた" ものが存在するのではなく、特定の条件で特定のくちばしが生存に有利になる。

同様に、遺伝子に生じた発がん性変異はがん細胞に先天的な優位性を付与するわけではなく、変異によって周囲の資源を利用しにくくなるような場合には不利にもなりえると私たちは考えた。

また、古生物学者のエルドリッジ(Niles Eldredge)とグールド(Stephen Jay Gould)の「断続平衡説」からもヒントを得た。化石記録において多くの生物種は何百万年にもわたって安定した特性を維持しているが、劇的な環境変化があったときにだけ突然、急速に進化するとエルドリッジらは指摘している。

「同上」

化石研究から分かったことは、生物は「劇的な環境変化があったときに急速に進化する」ということです。環境が安定しているときに急激に進化することはない。では、正常細胞やそれが変異したがん細胞にとっての「劇的な環境変化」は何かというと、その最たるものが「抗がん剤による治療」なのです。このことは後に出てきます。


私たちはそこからある考えを思いついた。ある組織が最初は変異した細胞に適していなくても、その組織に喫煙者の肺に見られる損傷や炎症のような変化が生じると、それが進化的変化を促し、ときに発がんにつながるのではないか。

このダイナミクスが働いている実例として私たちが最初に観察したのは、加齢に伴う骨髄の変化が白血病を引き起こすことだった。デグレゴリのコロラド大学の研究室での老齢および若齢マウスを使った研究で、現在はエモリー大学に所属するヘンリー(Curtis Henry)と現在モフィットがんセンターに所属するマルシク(Andriy Marusyk)は、マウスのいくつかの造血幹細胞に同じ発がん変異を導入した。その結果、同じ発がん変異が動物の年齢によって細胞の運命にまったく異なる影響を与えうることがわかった。この変異は老齢マウスでは導入した細胞の増殖を促進したが、若齢マウスでは促進しなかった。

そして、それを決定する要因は変異した細胞の内部ではなく周囲の正常な細胞の代謝と遺伝子の活性にあるようだった。例えば老齢マウスの骨髄の正常な幹細胞では細胞の分裂と増殖に重要な遺伝子群の活性が低下しているのだが、発がん変異を導入した細胞ではこれが回復した。しかし、これらの幹細胞を助けた変異は、マウスに悪影響をもたらした。造血幹細胞は通常、免疫系の重要な細胞を作り出すが、発がん変異を持つ細胞集団の爆発的増加は白血病につながった。

一方、若齢マウスの組織中の若い健康な幹細胞はもともと増殖能力とエネルギー消費が環境からの供給とちょうどつり合っていた。そのため発がん変異を導入した幹細胞が変異のない幹細胞よりも優位になることはなかった。変異した細胞集団は増殖しなかった。若い組織はそのままの状態ですでに腫瘍を生じにくい環境にあるのだ。

「同上」

以上のような知見をもとに、著者はがんの予防における環境要因の研究が重要なことを力説しています。


それがなぜ重要なのか。喫煙や変異を誘発する物事を避けるなどしてある程度の変異は回避できるが、生涯を通じて私たちの身体の細胞に蓄積する変異の多くは避けることができない。しかし、このように改めて組織環境に焦点を当てれば、がんを抑制する道が開ける。加齢や喫煙などで生じた組織変化を元に戻せば、変異した細胞が優位になるのを防げるだろう。それでも変異は起こるだろうが、変異した細胞が有利になる可能性はだいぶ低くなり、数が増えることはなくなる。

もちろん、老化を止めたり逆行させる若さの泉のようなものは存在しない。運動やバランスのとれた食事、禁煙などすべきことをすれば、身体の組織をよりよい状態に維持できる。それがさしあたり私たちにできる最良の戦略かもしれない。しかし、がんの増殖のカギを握る組織環境要因がわかれば、それらを変えて腫瘍を抑えることができるはずだ。

実際、私たちはマウスの実験で、老齢マウスで炎症を起こしたり組織を傷つけるタンパク質の活性を抑えると、発がん変異を持つ細胞は増殖せず、正常な細胞が優勢を維持することを示した。

「同上」

ここまでの研究は、すべてマウスで行ったものです。しかし、マウスで成功したからと言ってヒトでうまくいくとは限りません。しかも、引用にある「炎症」は人体に備わった免疫応答の一部です。炎症を押さえることでがんの予防につながるかもしれないが、たとえば感染予防の機能が低下することが当然考えられます。「私たちは慎重に進まなければならない」と著者は書いています。


がんの治療戦略:病害虫対策から学ぶ


がんは細胞の進化のプロセスであるという考え方にもとづくと、がん治療につきまとう "薬剤耐性" というやっかいな問題を回避できる可能性がでてきます。それは、農業における病害虫との戦いの歴史から学ぶことでわかります。


1世紀以上にわたって、殺虫剤メーカーは新製品を次々と発売してきたが、病害虫はいつも耐性を進化させてきた。そしてようやくメーカーは、大量の殺虫剤を畑に散布して病害虫の根絶を図ることが問題を悪化させているのに気づいた。原因は「競合解放」と呼ばれる進化的プロセスだ。

畑にいる虫の大集団では、どの個体も食物と空間をめぐって絶えず競争を続けている。そして個々の虫は、がん細胞がそうであるように、みな同じではない。実際、殺虫剤への感受性を含めほぼすべての形質は集団内で必ず個体差が見られる。大量の殺虫剤を散布(あるいは抗がん剤を大量投与)すれば、農家(あるいは腫瘍医)は大部分の虫(あるいはがん細胞)を殺せるだろう。

しかし少数の虫(あるいはがん細胞)は、そうした薬剤にやられにくい形質を持っている。そして抵抗力の非常に弱い個体(細胞)が排除されると抵抗力を持つものが増え始める。

この状況を何とかするため考えられたのが殺虫剤の使用を抑える「総合的病害虫管理」という農業戦略だ。病害虫の根絶を目指すのではなく、病害虫を抑制して作物の被害を低減できる程度に農薬の散布量を減らすことで、競合解放が起こらないようにする。こうすることで、害虫の殺虫剤への感受性は維持される。

「同上」

実は、医学界はすでに同様の教訓を抗生物質で学んできました。抗生物質の使用と耐性菌の発生という悪循環の繰り返しを止めるには、抗生物質の過剰な使用をやめなければならない。これが教訓です。しかし同じ医学界でも、がん治療の分野ではこういった教訓が生かされていないのです。


かつて大量の殺虫剤を畑に散布していた農家のように、医師は現在もがんが進行するまで「最大耐用量(MTD)」の抗がん剤を患者に投与し続けるのが一般的だ。ほぼすべての抗がん剤は身体の正常組織にダメージを与える。そしてこうした副作用は患者にとってまったく望ましくないものであり、命にかかわることさえある。MTDは、患者を殺すか耐え難い副作用を引き起こす一歩手前の用量で薬を投与することを意味する。

同じ治療を“進行するまで”続けるのは、従来の治療の奏功の判定基準が腫瘍サイズの変化にもとづいているからだ。腫瘍が縮小すれば薬剤が効いているとみなし、腫瘍が大きくなれば治療を中止する。

ほとんどの患者や医師にとって、できるだけ多くのがん細胞を殺せるよう致死的な薬剤を最大耐用量で容赦なく投与する治療は、最良の戦略のように思える。しかし害虫や感染症の対策と同様、治癒不能ながんにおいては、この戦略は進化論的には賢明とはいえない。耐性がん細胞の増殖を実際に加速する一連の事象を引き起こすからだ

「同上」

この引用の最後に「治癒不能ながんにおいては、この戦略(= 最大耐用量を投与)は進化論的には賢明とはいえない」とあるように、著者の眼は治癒不能ながんに向けられています。そこでは現在の標準的な方法は賢明ではないのです。

ではどうするか。それは農家がやっている「総合的病害虫管理」と同様の方法であり、望ましくない集団(= 病害虫・がん)を一定レベル以下に押さえる治療戦略(= 適応療法)です。その考え方、実験、臨床試験結果が述べられています。


適応療法



進化にもとづいた戦略では、1カ月間の抗がん剤治療後に腫瘍の大きさが 50% 縮小した患者に対して抗がん剤を中止する。この方法は、過去の経験から今ある治療法(化学療法、ホルモン療法、手術、免疫療法)ではがんを治せないことがわかっている患者に対してだけ用いる。治癒が望めない以上、できるだけ長い間、腫瘍の増殖と転移を食い止めることが目標となる。

投薬を中止することで、抗がん剤に感受性のあるがん細胞を多く残す。すると腫瘍は再び増殖し、最終的に元のサイズに戻る。しかしこの再増殖期間中は抗がん剤を使わないため、腫瘍細胞の大部分は依然として耐性を持たず抗がん剤が有効となる。つまり、制御可能な感受性細胞を使って、制御不能な耐性細胞の増殖を抑制するわけだ。

この方法なら結果的に、最大耐用量で抗がん剤を連続投与する従来法よりもはるかに長い期間、腫瘍を抑制しておけるだろう。そのうえ用量をかなり減らすので、毒性がはるかに少なく、生活の質も上がる。
「同上」

ここでも著者は「過去の経験から今ある治療法ではがんを治せないことがわかっている患者に対してだけ用いる」との前提条件をつけています。適応療法と従来療法を比較した分かりやすい絵が論文に載っていました。

従来法と適応療法.jpg

この図で茶色は抗がん剤に感受性をもつ(=抗がん剤が効く)がん細胞、緑色は抗がん剤に耐性をもつがん細胞を示す。

上段の従来法では、進行がんの治療に「焦土作戦」がとられ、患者が耐えられる最大耐用量の抗がん剤で腫瘍を攻撃する。しかし、生き残ったがん細胞は抗がん剤に耐性を持っており、焦土になった中で増殖して手が付けられなくなる。

それに対して下段が適応療法で、抗がん剤の用量を減らし、資源獲得競争において感受性細胞が耐性細胞を負かすように仕向ける。これによって腫瘍が完全な耐性を進化させるのを防ぐ。


ゲートンビーの研究室は数理モデルとコンピューターシミュレーションを使ってこのアプローチの研究を2006年に始めた。数理モデルががんの治療計画で使われることはほとんどなかったが、考えられる治療方法が何通りもあったため、成功する可能性が高い方法を数理的に絞り込むという、物理学でよく用いられている手法が必要となった

このモデルから、試験する薬剤の用量が決まった。その用量をマウスの実験で試した結果、進化にもとづいた戦略で腫瘍抑制が大きく改善されうることが確認された。

結果は非常によく、私たちは臨床へ、人間のがん患者を対象とした試験へ進んだ。モフィットがんセンターの腫瘍医で前立腺がん患者を診ているチャン(Jingsong Zhang)がこの取り組みに加わった。チャンほか複数の数学者と進化生物学者の協力を得て、私たちは前立腺がん細胞の治療中の進化動態のモデルを開発した。

私たちはこのモデルを使用して抗がん剤の各投与量に対する前立腺がんの反応をシミュレートした。そしてこのシミュレーションを何度も繰り返した末、耐性細胞の数を増やすことなく最も長くがんを抑えられる一連の投与量を特定した。

次に、ほかの部位にすでに転移が起きている(身体から完全に排除できない)進行前立腺がん患者たちに臨床試験の被験者になってもらった。これまでのところ、素晴らしい結果が得られている。

参加した18人のうち11人はまだ治療が続いている。標準治療で進行前立腺がんを抑制していられる期間は平均約13カ月なのに対し、私たちの臨床試験では平均で少なくとも34カ月だ。患者の半数以上がまだ実際に治療を続けているので、もっと延びる可能性もある。さらに、この腫瘍抑制効果は標準治療に使われる用量のわずか40%で得られている。

「同上」

この引用あるように、著者は、

・ 前立腺がん細胞の治療中の進化モデルを開発し
・ モデルを使用して抗がん剤の投与量に対する前立腺がんの反応をシミュレートし
・ そのシミュレーションを繰り返して最も長くがんを抑えられる一連の投与量を特定して

適応療法を行ったわけです。きわめて綿密な作戦のもとに治療を行ったことがうかがえます。この結果、引用のように良好な結果が得られました。しかし著者は、

・ 進化にもとづく治療戦略はまだ揺籃期
・ 前立腺がんでうまくいっていったからといって、胃がんなどでも有効かどうかはわからない

と、慎重にコメントしています。また、「最良の策がなるだけ多くのがん細胞を殺すことではなく、必要最小限を殺すことだ」と患者に納得してもらうのは、たとえ治癒不能ながん患者であったとしても難しいこともあるでしょう。こういった患者の心理的な障壁の解決も課題になります。


がん抑制に向けて


がんは、どうしようもなく複雑で異様な力を持つ存在に映ります。原因がはっきりしないことが多いうえに、非常に強力で毒性の強い抗がん剤治療にも打ち勝って再発する能力を備えているからです。

実際、1世紀以上にわたり「すべての正常細胞はそのままにすべてのがん細胞を排除できる特効薬」が研究・開発されてきましたが、がんは進化を利用してこうした薬剤をかわしてきました。

しかし逆に、がんが他のすべての生命システムと同様に進化のルールに従うという理解にたてば、がんを抑制する手段がありうるのです。そして、たとえ完全治癒はしなくても、がんの進化について学んだことを活かして戦略的な治療を行えば、最良の結果を得られるでしょう。さらに、がん細胞よりも正常細胞が有利になるように体内の組織環境を整える "予防戦略" も開発できそうです。がん細胞だけでなく、私たちも進化を利用できるのです。



以上が論文の内容です。冒頭の「治癒不能な前立腺がん」の話にもあったように、著者の問題意識は「標準治療では治癒できない(= 生存率が低い)ケースにどう対応するか」に向けられています。決して標準治療を否定するとか、抗がん剤を否定するとか、そういったものではありません。

治癒不能とされるケースでも、治療のやり方を見直すことで、完全治癒はできないかもしれないが、がんを人間のコントロール配下におき、患者にとっての最良の道を見つけたい。そういう主旨だと理解できます。そのベースになっているのが「"進化" の視点で生命現象を観察する」ことなのです。

紹介した論文の原題は "Darwin's Cancer Fix" です。名詞形での表現ですが、動詞形にして直訳すると「ダーウィンががんを治療する」でしょう。「およそすべての生命現象を研究するときには進化の視点が欠かせない」という意味のことを、20世紀の著名な生命科学者が言ったと記憶しますが、この原題はそのことを示唆しているのでした。




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No.337 - がんは裏切る細胞である [科学]

前回の No.336「ヒトはなぜ "がん" になるのか」は、英国のサイエンスライター、キャット・アーニー著の同名の本を紹介したものでした。内容は、がんを「体内で起きる細胞の進化」ととらえ、その視点で新たな治療戦略の必要性を説いたものでした。

今回は引き続き同じテーマの本を紹介します。アシーナ・アクティピス著「がんは裏切る細胞である ─ 進化生物学から治療戦略へ ─」(梶山あゆみ・訳。みすず書房 2021。以下 "本書")です(原題は "The Cheating Cell")。

前回の本と本書は、2021年の出版です。つまり「進化生物学の視点でがんの生態を研究し治療戦略をつくる」という同じテーマの本が、同じ年に2冊刊行されたことになります。ただし、今回の著者は現役のがん研究者で、そこが違います。

著者のアシーナ・アクティピス(Athena Aktipis)は米国のアリゾナ州立大学助教で、同大学の "進化・医学センター" に所属しています。またカリフォルニア大学サンフランシスコ校の進化・がん研究センターの設立者の一人です。進化生物学の観点からがんを研究する中心の一人といってよいでしょう。従って、自身や仲間の研究も盛り込まれ、また、がんの生態に関する詳細な記述もあります。専門的な内容も含みますが、あくまで一般読者を対象にした本です。専門性と一般性がうまくミックスされた好著だと思いました。

以下、本書の内容の "さわり" を紹介します。以降の本書からの引用は、原則として漢数字を算用数字に直し、段落を追加したところがあります。また、下線や太字は引用をする上でつけたもので原文にはありません。


がんと進化:2つの視点


本書の最初の4つの章は、

・ 第1章 はじめに
・ 第2章 がんはなぜ進化するのか
・ 第3章 細胞同士の協力を裏切る
・ 第4章 がんは胎内から墓場まで

と題されています。この4つの章の内容をごく短く要約すると、

・ がんは、多細胞生物の体内で起こる細胞レベルの進化である。
・ 一方、生物のレベルでは、がんを抑制するしくみが進化してきた。
・ "がんの進化" とそれを "抑制するしくみ" の2つは、胎内から墓場までのあいだ、体の中で攻めぎ合っている。

となるでしょう。まず、ここまでの内容を本書からの引用を含めて紹介します。



がんを「進化のプロセス」としてとらえるとき、その "進化" には2つの視点があります。一つは「体細胞の進化 = がん」です。2つ目は、体細胞が「生物」を構成している、その「生物の進化」です。がんを考えるとき、この2つの視点で見ることが重要です。


がんという存在は、進化に関してふたつの異なる切り口から捉えることができる。まずひとつは、私たちの体の細胞のあいだでは進化が起きており(これは「体細胞進化」と呼ばれることが多い)、それががんにつながるということである。生存と繁殖に関する有利不利は細胞によって度合いが異なり、たとえば増殖するスピードや、生きる長さなどに違いがある。結局、より速く増殖してより長く生きる細胞が次世代で数を増やしていき、最終的に集団内で大多数を占める。これが自然選択であり、自然界で生物進化の原動力となってきたプロセスと何ら変わるところはない。

進化論の視点からは、なぜがんが今なお地球上に生き残っているのかも理解できる。生物は長く生きて多くの子を残すために、気の遠くなるような時間をかけてがんを抑制する(つまり体細胞進化を抑える)方法を発達させてきた。そういう仕組みがあるからこそ、そもそも多細胞生物として生存することができている。ただし、このがん抑制メカニズムは完璧ではない。進化の見地からいって、がん化のおそれのある細胞を100パーセント制御するのは不可能だからである。

なぜ生物はがんを完全に抑え込む進化をしてこなかったのか。その理由は多岐にわたり、いずれもそれ自体として興味深いものばかりである。ひとつは、子孫を残すうえで有利になる別の形質とトレードオフ(何かの利益を得ると別の何かが犠牲になるような相容れない関係)になっていること。たとえば繁殖力などがそうした形質のひとつだ。

「がんは裏切る細胞である」
p.11

がんという "体細胞進化" は、ヒトを含む生物の一生のうちに起こるものですが、がんを押さえ込むしくみは生命の長い歴史の中で "進化" してきたものです。2つの時間軸は全く違います。この違いを理解しておく必要があります。


がんの進化を理解しにくい理由のひとつは、自然選択がふたつのレベルで進行していて、それぞれの起きる空間と時間軸が異なるためである。

ひとつは体内の細胞のレベルであり、生物の一生という比較的短い時間で自然選択が生じる。もうひとつは自然界の生物のレベルであり、非常に長い時間をかけて自然選択が進む。がん細胞は体内で進化する。その一方で、がんを抑制する能力の高い体(つまり細胞の裏切りをうまく見つけて排除できるメカニズムをもつ体)のほうが、生存率が高いうえに子孫を多く残すという事実もある。

同じ生物でも、細胞と体という複数の(マルチの)レベルで自然選択が働いているわけだ。これを「マルチレベル選択」という(古典的な「群選択説」を現代的に改良した考え方)。がんの不可解な側面を理解するには、マルチレベル選択の視点に立つことが欠かせない。

「がんは裏切る細胞である」
p.51

がんを「体細胞の進化」ととらえるとき、その進化は生物を死に至らせる(ことがある)わけです。このような状況を「進化」と呼んでよいのでしょうか。著者は、それも進化のうちだと、「進化的自殺」という言葉を使って次のように述べています。


とはいえ、私たちが死んだらがんの進化はどうなるのだろう。がんが最終的に自らの宿主の命を奪うのなら、それを本当に「進化」と呼んでいいのだろうか。行く先に身の破滅が待っているのなら、その生物は進化したといえるのか。もちろん答えはイエスである。恐竜が結局は絶滅したからといって、「進化しなかった」などといい張る者はいない。何かの生物が進化の袋小路にはまり込んだとしても、それまでの進化がなかったことになるわけではない。

進化の果てに滅びる生物がいるように、がん細胞の集団も体内で進化したあげくに進化の袋小路に入り込む。こうした現象全般を進化生物学では「進化的自殺」と呼ぶ。進化的自殺が起きるのは、生物の集団が進化によって獲得した何らかの形質が、最終的に種全体を絶滅へと向かわせるときだ。たとえば、資源を消費する能力が高くなりすぎて、未来の世代に何も残さないケース。あるいは、求愛のための性的装飾が凝ったものになりすぎて、集団全体が悲惨なほど捕食されやすくなる、などがそれにあたる。

「がんは裏切る細胞である」
p.21

"進化" は "変化" であって、"良くなる" ことではありません。進化の袋小路に入り込んで、結果として環境変化についていけずに絶滅するようなことも起きる。これも進化です。


多細胞ルールブック


がんとは何かを知るためには、多細胞生物の "細胞レベルでの基本的な振る舞い" を理解する必要があります。多細胞生物は、膨大な数の細胞同士が、ルールにのっとって協力することで成り立っています。このルールを著者は「多細胞ルールブック」と表現しています。そのルールブックに記されている重要点は、次の5つです。


1.無秩序に分裂してはならない

1個のまとまりある多細胞の体として発達し、適切に機能するためには、細胞は勝手な増殖や分裂を抑えなければならない。このルールがなければ、多細胞生物としての構造や機能は損なわれ、際限なく大きくなり続けてしまう。

2.集団への脅威となったら自らを破壊せよ

細胞は、多細胞の体の生存能力を脅かす場合がある。細胞が遺伝子変異を起こして無秩序に分裂するというのが、そうした例のひとつである。あるいは、たとえば胎児の手指・足指のあいだにある水かきの細胞も、そのまま残っていたら正常な発達の妨げになる。アポトーシスというかたちで自死するメカニズムがあるからこそ、邪魔者の細胞がひそかに自らを消し去ることができる。

3.資源を共有し、輸送せよ

多細胞生物の体が二、三ミリより大きくなると、拡散(濃度の高いほうから低いほうへ物質が移動すること)だけでは酸素や栄養素が内側の細胞にまで行き渡らない。資源を能動的に輸送するための何らかの仕組みが必要になる。たとえば、私たちの消化器系と循環器系は複雑な資源輸送システムである。これがあるおかげで体内の細胞は栄養を手に入れ、生き続けるのに必要なすべての仕事をこなすことができる。

4.与えられた仕事をせよ

多細胞間の協力体制を支える柱のひとつが分業である。体内の細胞は数百種類に及び、それぞれが異なる仕事をしている。肝細胞は血液を解毒し、心臓の細胞は血液を送り出し、神経細胞は電気信号を伝達する。細胞が仕事をやめたり、仕事を正しくこなせなくなったりすると、多細胞の体にとっての脅威となり得る。間違ったときに間違った遺伝子を発現させ、広範な調節システムを大混乱に陥れかねず、そうなると多細胞の体はうまく機能することができない。

5.環境の世話をせよ

私たちの体はそれ自体が一個の世界だ。細胞は組織構造をつくってその中で暮らし、老廃物を蓄積させないように集めて除去するシステムをもっている。細胞は発達の過程で、そうした内なる世界を築いていき、私たちが生きているあいだじゅうそれを維持しながら、構造を保持して老廃物を取り除き続けている。組織構造があるおかげで、細胞は(周囲の組織に侵入することなく)本来の場所にとどまりやすくなっている。また、それによって個々の細胞は遺伝子発現の状態をあるべき姿に保ち、正しいタンパク質を製造して適切に自らの仕事を実行することができている。

「がんは裏切る細胞である」
p.47 - p.48

この "多細胞ルール" のどれか、あるいは全部を破る細胞が、がん細胞です。その発端は遺伝子の変異です。一般的に遺伝子が変異した細胞は死滅することが多く、また生存・死滅にかかわらない中立的な変異も多い。しかし(たまたま)多細胞ルールを破る細胞が現れ、それがその時の体内環境によって「選択」されることが起こります。


多細胞ルールブックの根底にある遺伝子のメカニズムは、ときに壊れることがある。原因は、DNAの塩基配列が変異したり、エピジェネティクスの変化(遺伝子発現の異常など)が生じたりするためであり、それによって細胞が異常をきたし、多細胞としての約束事に従わなくなる。すると、協力のルールをきちんと守っている細胞をいいように利用し、生存と繁殖において自分だけが得をする場合がある。

ひとつ指摘しておくが、普通であればそういうことはめったに起こらない。異常のせいで細胞の生存能力は低下するうえ、仮に何らかの利益が生まれる(増殖速度が上がるなど)にしても、その異常性が標的にされて破壊されるケースが多い。体には、がん化のおそれのある細胞を見つけ出して取り除くメカニズムが備わっている。このメカニズムのおかげで、変異した細胞が利益を得るおそれがあっても排除されるのが普通だ。にもかかわらず、変異した細胞のほうが正常な細胞よりも生き残るうえで有利になることがある。

「がんは裏切る細胞である」
p.48 - p.49

ここで述べられているように、多細胞ルールブックに反する遺伝子変異が、その細胞の生き残りと増殖にとって有利になる場合があります。たとえば、増殖の抑制が利かない、アポトーシス(=細胞の自死)が起きない、代謝異常のため資源を浪費する、といった変異です。またがんを抑制する遺伝子の変異もルール破りにつながる。

生物の集団全体でみると、多細胞ルールブックどおりに行動する《協力者細胞》の多い生物の方が、より長く生きて多くの子孫を残します。しかし局所的に見ると、自然選択が《裏切り者細胞》に有利に働くことがあるのです。


がん抑制のメカニズム


「進化」を「体細胞進化」と「生物進化」の2つのマルチレベルでとらえると、「生物進化」のレベルにおいて、生物は「がん抑制のメカニズム」を発達させてきました。著者はそれを「細胞の良心」「ご近所の目」「体内の警察隊」の3つのカテゴリーで説明しています。

 細胞の良心 

まず細胞内には、自身のがん化の兆候を認識し、しかるべき対応をとるように伝達する遺伝子の情報ネットワークが存在します。その代表が、TP53 という遺伝子(=がん抑制遺伝子)を中心とするネットワークです。


TP53などのがん抑制遺伝子と、そこに情報を送り込む情報ネットワークは、DNAの損傷や異常なタンパク質を発見するためにつくられている。また、細胞が何らかのかたちで正常な状態を逸脱し、もはや多細胞の体全体の適応度を高める役に立っていない場合も、そのことを示すシグナルを検出する。細胞内の情報が織り成す広大なネットワークにおいて、TP53は中心的な中継点ともいうべき存在であり、細胞版の中央情報局よろしく細胞の動向に目を光らせている(下図参照)。

さらには、細胞内と周辺から来るありとあらゆるシグナルをまとめ上げ、個々の細胞の運命がどうあるべきかを「決定」する。このことから、がん研究者はTP53を「ゲノムの守護者」と呼んできた。でも私は「ゲノムの《裏切り者》発見器」として捉えたい。TP53遺伝子は活性化されると、細胞の複製を止め、ただちにDNAの修復を開始させる。そして、細胞の損傷が大きすぎる場合は、アポトーシス(プログラム細胞死)のプロセスを始動させる。

「がんは裏切る細胞である」
p.56

TP53を中心とした情報ネットワーク.jpg
TP53 の遺伝子ネットワーク

がん抑制遺伝子TP53は遺伝子ネットワークの中心的な中継点であり、特定の細胞が生物の生存能力を脅かすかどうかを「判断」している。p53タンパク質を製造することにより、細胞機能の様々な側面から情報を集め、細胞の裏切り(代謝の異常,ゲノムの不安定化、不適切な移動など)の徴候が確認されたら細胞周期を停止したり、DNAを修復したり、必要であればアポトーシス(細胞の自死)を誘導したりもする。本書 p.57 の図3-3 より引用。

 ご近所の目 

次は近接した細胞同士が互いに監視しあい、周囲の細胞とは違う異常行動をする細胞を排除する仕組みです。


住民が近隣の様子に目を光らせるように、細胞も隣接する細胞のふるまいを監視している。この監視があるおかげで、細胞は自分たちの「地区」の只中で脅威が発生するのを防ぎ、周囲の細胞が多細胞の体の中で適切にふるまえるようにしている。具体的には、隣接細胞の遺伝子の発現状況を感知して、異常の起きた形跡がないかを確認しているのであり、そうした異常のひとつが細胞の裏切りである。

通常、細胞は周囲から発せられるシグナルに対してきわめて敏感だ。ニューヨークのスローン・ケタリング記念がんセンターのセンター長クレイグ・トンプソンは、この極端なまでの敏感さを次のようにたとえた ── あなたの体内の細胞という細胞が毎朝目覚めるたびに自殺を考えるが、周囲にうるさく説得されて思いとどまっているようなものだ、と。

実際、隣接する細胞間ではまさしくこれに似たようなことが起きていて、細胞同士は「生存せよ」というシグナルを絶えず交わし合っている。しかし、近くのいずれかの細胞から「気に食わない」とされたら、自死のプロセスを開始することができる。どこかの細胞が隣の細胞の急速な増殖に「気づいた」ら、その細胞は隣に向けて「生存せよ」の信号を送るのをやめたり、自死を促すシグナルを発したりする場合もある。こうした周辺監視システムも、がん細胞予備軍から全身を守る一助となっている。

「がんは裏切る細胞である」
p.58 - p.59

 体内の警察隊 

そして最後は免疫システムです。免疫はがん特有の抗原を感知し、その抗原を発現しているがん細胞を排除することができます。


細胞内部や近隣の監視メカニズムでは細胞の裏切りを抑え込めない場合、体には頼るべきもうひとつの防衛線がある。免疫系だ。免疫細胞は体内を巡回しながら全身のあらゆる領域に絶えず目を配り、異常な遺伝子発現がないかどうかを探している。それにより、細胞が正しくふるまっていないことを示す徴候(過剰増殖、過剰消費、不適切な細胞生存など)を間接的に監視している。

免疫細胞が具体的に標的にするのは「腫瘍抗原」である。腫瘍抗原とは、がん細胞が遺伝子を発現したときに生じるタンパク質のことだ。これが存在すると、細胞が不適切なふるまいをしている可能性があることに免疫細胞が「気づく」。腫瘍抗原タンパク質は、正常な細胞周期(細胞増殖においてDNA複製と細胞分裂が繰り返される周期)が乱されたり、隣接する細胞との結合が断たれたり、細胞のストレス応答が起きたりしているときにも分泌される。

免疫系は、あらゆる組織系、あらゆる器官系での細胞のふるまいに関する情報を集め、何らかの不具合を示すしるし(この腫瘍抗原の存在など)を見つけたら、その場所に免疫細胞を動員する。多細胞の体に害をなすものは何であれ、免疫細胞の捜索・破壊ミッションの対象となる。がん細胞も例外ではない。がん細胞を発見したらそれを排除する能力が免疫系にはあり、そうすることで体をがんの脅威から守っている。

「がんは裏切る細胞である」
p.59 - p.60


トレードオフ


以上のような「がん抑制メカニズム」があるにもかかわらず、なぜ、がんが発生するのでしょうか。生物レベルの進化の過程で「がんは完全に抑制できる」ようにならなかったのでしょうか。

その理由は、ヒトの(生物の)胎内から墓場まで、数々の場面で細胞が "がんのように振る舞う" 必要があるからです。つまり「がん抑制メカニズムを強くしすぎると、正常に生きていくことに支障をきたす」という "トレードオフ" の関係があるのです。


TP53遺伝子のようながん抑制メカニズムを通して、細胞の自由を抑え込む力を今より強めたらどうなるだろうか。《裏切り者》を有利にする進化のプロセスを遅らせたり、場合によっては完全に停止させたりすることも不可能ではない。

しかし、コントロールが強すぎると、私たちの健康や生存能力が損なわれるおそれがある。なぜかといえば、健康に生きることを助けてくれる重要な仕組みの多くは、細胞が「がんのように」ふるまうことを求めるからだ。急速に数を増やし、体内を動き回り、組織の中に入り込むといったふるまいがそれにあたる。

たとえばどこかに切り傷ができたとしよう。傷を治すには細胞が増殖し、移動して傷をふさがなくてはいけない。細胞のふるまいを制限しすぎたら、切り傷は治癒しなくなる。それだけではない。あとで見るように生殖能力が低下し、加齢とに組織を再生するのが不可能になるうえに、感染症にかかりやすくなるという結果にもつながる。

細胞をコントロールしすぎると不利益が生じることは、すでに胚の発達過程からはっきりと見てとれる。そもそも胚が無事に生育していけるかどうかは、細胞の増殖と移動にかかっている。そのため胎内では、細胞が無秩序に複製しないように抑制する必要がある一方で、適切な発達のためには細胞に相応の自由を与えて動き回れるようにしてやらないといけない。こうした綱渡りを考えると、たったひとりでも生きて子宮を出られることが奇跡に思えてくる。

「がんは裏切る細胞である」
p.72 - p.73

細胞が急激に増殖したり、細胞が移動したりするといった振る舞いは、胚の発達過程からはじまって生体の傷の修復まで、数々のシチュエーションで必要になります。しかしこのような振る舞いは、まさにがん細胞が得意とするものなのです。


皮膚の表面に切り傷ができた場合、傷をふさいで組織を再建するために、周囲の細胞は増殖して新しい細胞をつくることを求められる。この新しい細胞には移動する能力も必要だ。運動性細胞の最先端となり、接着し合って傷口を閉じるのである。傷を短時間で治すことができれば、正常な機能へ迅速に復することができるし、傷が細菌などに感染するリスクも下げられるので、生物にとっては利益が大きい。そのため、私たちは進化を通じて傷を速やかに治癒させられるようになった。

だが、これには代償が伴う。体が「傷を閉じろ」というシグナルを発したら、細胞はそれに呼応してすぐに増殖・移動しなくてはならないからである。増殖して移動するというのは、がん細胞が成長して体内の新しい場所にコロニーをつくるときに用いる能力と変わらない

しかもがん細胞は実際に傷が生じたわけでもないないのに、傷の治癒を促す「偽の」シグナル(炎症反応を亢進させる因子など)をつくり出す。こうなると、多細胞が正常にふるまうためのチェック機能やバランス機能の裏をかけるようになる。がんが「癒えない傷」と称されることもあるのはこのためだ。

このように、傷を治すために体がもともともっているメカニズムを、がん細胞は自分勝手な目的に悪用する場合がある。傷の治癒をもたらすシグナル伝達システムがある種のがんに利用されると、組織は絶えず炎症が持続した状態になる。

「がんは裏切る細胞である」
p.94 - p.95

がん抑制遺伝子であるTP53が過敏だと細胞の早期老化につながったり、炎症が過度に引き起こされることが分かっています。つまり、細胞を自由にさせ過ぎるとがんのリスクが高まるが、逆に細胞の自由度を抑制し過ぎれば、成長が止まったり生殖に失敗する恐れが出てくるのです。本書の第4章、「がんは胎内から墓場まで」では、こういった "トレードオフ" の例が詳細に語られています。



本書の第5章は「がんはあらゆる多細胞生物に」と題されていて、植物を含む多細胞生物全般に "がん類似の" 異常増殖が見られることが説明されています。

さらに第6章「がん細胞の知られざる生活」では、がんが体内でどのように進化し、生息し、転移するのかが、研究者の立場から詳細に述べられています。


がんをいかにコントロールするか


第7章(最終章)は「がんをいかにコントロールするか」と題されていて、今後のがん治療に必要な視点が述べられています。

「がん = 進化しつつある体内微小環境」であり、がん組織は治療(抗がん剤、放射線など)への抵抗性があるように進化します。治療により一時的に多くのがん細胞が死滅したとしても、そのあとに残った抵抗性のあるがん細胞が一挙に増大して、結果として手が着けられなくなることが多々あります。

がんは「本質的に体の一部」です。従ってそれを「攻撃する」とか「根絶やしにする」といった考え方はまずいのです。


がんに関しては、戦争で使うような言い回しがよく用いられる。たとえば患者はがんと「闘い」、「勝つ」か「負ける」かする。確かに戦争の比喩には大きな影響力と強い説得力があるので、がん研究に対する支援を取りつけるうえでも、人類を共通の目標に向けて団結させるうえでも効果はあるかもしれない。

その反面、誤解を招く表現だともいえる。本質的に自らの一部であるものを、完全に根絶やしにすることなどできない。そういう攻撃的なアプローチが名案に思えるのは、私たちが「滅ぼすべき敵」としてがんを捉えているからである。

だが実態はどうかといえば、多様な細胞からなる集団が、私たちから浴びせられるあらゆる治療法に呼応して進化している。それががんの本当の姿にほかならない。そういう見方をしない限り、私たちはひとつのリスクを冒すことになる。実際にはもっと攻撃性の低い治療法が存在するのに、それを軽視するか完全に無視してしまうかするおそれがあるのだ。

「がんは裏切る細胞である」
p.13

「実際にはもっと攻撃性の低い治療法が存在するのに、それを軽視するか完全に無視してしまうかするおそれがある」と著者が書いているのは、「攻撃性の低い治療法の方が、結果として患者を延命させる効果が高い、ないしは治癒させる確率が高い」ことが十分に考えられるからです。医学界には「攻撃性が弱い」という理由で使われなくなった抗がん剤がいろいろありそうです。

では「がん = 進化しつつある体内微小環境」という視点にたつと、どのような治療方法が考えられるのでしょうか。そのヒントは「総合的病害虫管理」にあります。病害虫が農薬に対する耐性をつけることは常識化していますが、そのことを前提にしたのが総合的病害虫管理です。


総合的病害虫管理(IPM)は、化学農薬への抵抗性を農業病害虫に獲得させないことを目的とし、長期的な視点で病害虫を管理する手段のひとつだ。病害虫管理を効果的に行ううえでは、鍵となる考え方がある。化学農薬への抵抗性を得るために生物はコストをかけている、ということである。このため、化学農薬が存在しなければ、じつはそうした抵抗性をもつ生物のほうが不利になる

したがってIPMの取る第一の戦略は、何もしないことである。つまり、病害虫による損害が危険な閾値に達したときにのみ手を打てばいい。次なる戦略は病害虫の数を減らすこと。化学的な処置を用いてその数を閾値以下に戻し、病害虫による被害がそれほどひどくない状態にする。

IPMでは、病害虫の集団内にすでに抵抗性が存在しているという前提に立つ。そういう状況で一度に多すぎる量の農薬を使ったり、農薬を頻繁に散布しすぎたりしたらどうなるか。その処置への感受性のある病害虫はすべて駆除できても、それに抵抗力をもつものだけが残り、結果的に病害虫を長期的にコントロールするのは不可能になる。IPMはいずれこうした状況が生じ得るのを予期し、比較的低用量の農薬を使用する。それは、処置への感受性をもつ病害虫を根絶やしにするのではなく、長期的な個体数管理ができるようにするためである。

「がんは裏切る細胞である」
p.215 - p.216

ポイントは引用の最後にある「病害虫を根絶やしにするのではなく、長期的な個体数管理ができるようにする」というところです。この考え方をがん治療に応用できないか。

それを始めたのが、米国の腫瘍学者、ロバート・ゲイトンビーです。彼の治療は「適応療法」と呼ばれています。


IPMの論理にヒントを得てがんの新療法を開発したのが、フロリダ州タンパにあるモフィットがんセンターの放射線腫瘍学者ロバート・ゲイトンビーである。抵抗性を進化させないために病害虫を放っておくというIPMの戦略を知ったとき、その種のやり方をがん治療にも応用できないかとゲイトンビーは考えた。そして2008年、このアイデアをさらに深めるための一歩を踏み出した。私費を投じて、初めての前臨床研究をアリゾナ大学(当時そこで放射線学科の学科長を務めていた)で実施したのである。以来、病害虫管理の考え方をがん治療に用いる研究を続けている(現在は米国国立がん研究所をはじめとする様々な組織から助成金を得ている)。

農薬の場合がそうだったように、がん治療における最大の問題はがんが抵抗性を獲得してしまうことである。治療の最中にがん細胞が進化して治療への感受性を失い、治療が効かなくなる。化学療法に対して抵抗性が生じる問題は、これまでに試されたすべての抗がん剤で確認されている。たとえば、上皮成長因子受容体(EGFR)阻害剤や、ヒト上皮細胞増殖因子受容体2(HER-2)を標的にした療法などもそうだ。

「がんは裏切る細胞である」
p.216 - p.217

本書ではゲイトンビーの「適応療法」のやり方が詳細に述べられています。


ゲイトンビーと同僚の開発した新たながん治療法は革命的なものであり、その狙いは腫瘍の一掃ではなく長期にわたる腫瘍のコントロールである。IPMの場合と同様にこの治療去が目旨すのは、腫瘍負荷(患者の体内にある腫瘍組織の総量)を限度以下に抑えつつも、治療に対するがん細胞の感受性を維持することにある。そうすれば同じ薬剤をいつまでも使い続けることができるうえに、環境(つまりこの場合は患者の体)へのダメージを拡大させることもない。

ゲイトンビーの手法は「適応療法」と呼ばれる。これは、腫瘍の状況に合わせて治療法自体を適応させる(変化させる)という意味から命名された。適応療法では、画像技術や血液検査によって腫瘍の状態を綿密にモニターする。腫瘍が成長しているのかいないのかがわかったら、その情報をもとに抗がん剤の用量を定める。どのように定めるかには何通りかのアルゴリズムがあるが、大原則は、腫瘍を安定した状態に保つとともに、患者へのダメージが大きくなりすぎないような腫瘍サイズを維持することである。管理する対象が腫瘍というだけで、本質的にはIPMと変わらない。

具体的な用量の決め方は研究によっていくらか異なるとはいえ、適応療法というプロセス自体の目指すところはひとつだ。つまり、腫瘍を安定させ、支配下に置くことである。まず最初に、腫瘍を小さくするために比較的高用量の抗がん剤を投与する(これによってがん性細胞集団の細胞数を減らすことで、その後の腫瘍内での進化のペースを遅らせる狙いがある)。

次に、腫瘍を定期的にモニターしながら、そのふるまいに応じた抗がん剤治療を行う。腫瘍のサイズに変化がなければ用量も変えない。腫瘍が成長したら用量を増やし(ただし最大耐量を超えないようにする)、大きくならなければ用量を減らす。腫瘍のサイズが所定の下限値を下回ったら、再びその一線を超えるまで投薬は停止する。あるいは、同じ用量を維持しながらも、腫瘍が当初の半分のサイズになったら投薬を中断するというやり方もある。

適応療法は、がんに対するこれまでの考え方を180度転換するものだ。破壊しようとするのではなく腫瘍が存在するのを許し、代わりにもっと手に負えるものに変える。これによりがんは急性の致死的な病から、扱いやすい慢性の病気へと変貌する。

投薬をしなかったり、低用量の投薬しか行わなかったりすれば、腫瘍内の細胞は薬剤への感受性を失わないので攻撃性が低下する。結果的に、同じ薬剤を使って治療を続けることができる。しかも、腫瘍が成長しつつあるときにしか治療の強度を上げないため、短期間で分裂する細胞が進化のうえで有利になることがない。むしろ、もっと時間をかけて増殖する細胞が選択されると考えられる。また、腫瘍内の細胞が進化する速度を遅くできる可能性も開ける。

もちろん、高用量の治療で完治させられることが明白なら(たとえば遺伝的に均一な細胞で構成されていて早期に発見された腫瘍などの場合)、適応療法が最善の選択肢とはいえないかもしれない。しかし、従来型の療法ではコントロールの難しい進行がんの場合には、適応療法が高用量療法に代わるものを与えてくれる。実際、のちに見ていくように、適応療法は後期のがんのコントロールに成果をあげてきた。

「がんは裏切る細胞である」
p.217 - p.218

引用の最後のパラグラフにあるように、「遺伝的に均一な細胞で構成されている早期に発見された腫瘍」の場合は、高用量の抗がん剤で完治できる可能性があるわけです。適用療法はあくまで腫瘍組織の精密な検査とセットで行うものです。

ゲイトンビーは数々の動物実験をしたあと、2016年に患者に対する臨床試験を始めました。


ゲイトンビーは2016年、同僚でがん専門医のジンソン・チャンと手を携え、適応療法をヒトに用いる初の臨床試験を実施した。試験に参加したのは転移性前立腺がんの患者11名であり、いずれももはやホルモン療法に反応しないことが予備試験で確認されていた。

通常、前立腺がん細胞は増殖のためにテストステロンを必要とするため、テストステロンの分泌を抑制するホルモン療法を行ってがん細胞が広がるのを防ぐ。ところが、前立腺がん細胞は往々にして自らテストステロンを産生することで、「去勢抵抗性」を獲得しやすい。アビラテロンという薬はテストステロンの合成を阻害するので、去勢抵抗性前立腺がんの治療によく処方される。

ただしそれも、がん細胞がアビラテロンへの抵抗性を進化させるまでのあいだにすぎない。治療を始めてからアビラテロンへの抵抗性が現れるまでの時間には個人差が大きい。通常の継続治療の場合、16.5か月経過した時点で患者の半数に腫瘍の進展が認められる(16.5か月というのは、去勢抵抗性前立腺がんが治療への抵抗性を得るまでの期間の中央値。このゲイトンビーの研究は対照群を含まない)。

ゲイトンビーによる適応療法の臨床試験では、腫瘍負荷を測定するのにPSA値を使用した。試験の手順は、試験開始時の50パーセント未満にまでPSA値が下がったら、アビラテロンの投与を中止するというものである。こうして、PSA値が低いときには腫瘍をそのまま放置しておき、PSA値が開始時の100パーセントを超えたときにのみ投薬を再開した。

ゲイトンビーはこのやり方により、標準治療よりはるかに長く腫瘍をコントロールし続けることができた。2017年10月(チャンとゲイトンビーの予備試験の論文掲載が受理された時期)の時点で、11人の患者のうちがんの進展が確認されたのはひとりのみ。これは驚異的な結果である。結局、応療法の臨床試験では、がんが進展するまでの期間の中央値は少なくとも27か月であり、典型的な16.5か月を大幅に上回った。それどころか、実際には27か月よりはるかに長かったと思われる(臨床試験中にがんが進展する患者の数があまりに少なかったため、本当の中央値を計算することができない)。しかも、適応療法の患者が投与されたアビラテロンの総用量は、推奨される標準治療の半分にも満たなかった。

「がんは裏切る細胞である」
p.220 - p.221

がんが「体細胞の進化」であるという視点にたつと、適応療法以外にも治療のアイデアが浮かびます。その一つが「おとり薬」です。


進化という視点に触発されたゲイトンビーのがんコントロール戦略には、がんを優位に立たせないための独創的で気の利いた発想がたくさんある。たとえば、抵抗性にはコストがかかる(薬剤に抵抗するために細胞は働いてエネルギーを消費しなくてはならない)という点を踏まえ、ゲイトンビーはひとつのアイデアを思いついた。抵抗性をもつ細胞にそのコストを費やさせながらも、それによってかならずしも利益を得られないような状況をつくってはどうか。多剤抵抗性を得ている細胞は薬剤排出ポンプをもっていることが多く、このポンプを運転するにはエネルギーを必要とする。

多剤抵抗性という特性はむしろ弱点であり、その弱みにつけ込むことができるとゲイトンビーは考えた。どうするのかというと、細胞に「おとりの薬」を与える。毒性がまったくないか、最小限の毒性しかないような物質だ。このおとりの薬ががん細胞に薬剤排出ポンプを稼働させてエネルギーを使わせるにもかかわらず、抵抗性のない細胞と比べて生存上の利点があるわけではない。ゲイトンビーはこの種の薬を「代用薬(ersatzdroges)」と呼んでいる。「おとりの薬」より響きがいいし、意味は変わらないからである。

ゲイトンビーと同僚は、培養した抵抗性細胞の増殖率を代用薬で下げられることと、代用薬を投与したモデルマウスの細胞のほうが(抵抗性をもたない類似の細胞株より)増殖率が低いことを見出した。この戦略によって抵抗性細胞は「只働き」をさせられ(分子モーターを動かして実際には薬剤ではない物質を汲み出し)、結果的に増殖に振り向けるエネルギーが減った。

「がんは裏切る細胞である」
p.230 - p.231

この「おとり薬」は、上の引用にあるように試験管レベルの研究ですが、こういう発想がでてくるのも「体細胞の進化」という視点でがんを見ているからです。次の「腫瘍に資源を与える」も、根本の見方は同じです。


腫瘍内部が低酸素状態だというのは、腫瘍微小環境の重要な要素である。酸素濃度が低い環境では、がん細胞は浸潤と転移を起こしやすい。資源が乏しいと、すぐに移動できるがん細胞が生存と繁殖のうえで有利になるからだ。これまでの研究からは、腫瘍への資源供給を正常化するとむしろ転移を減らすことができ、低用量の抗血管新生薬(腫瘍への血流の調節を助ける)を用いると治療への反応がよくなることが示唆されている。先にも触れたように、資源の流れが正常に近づくのは、適応療法でもたらされる結果のひとつでもある。適応療法が成果をあげている背景には、この資源の正常化があるのかもしれない。

腫瘍への資源の流れを正常にすれば、腫瘍内の細胞がどんな生活史戦略を進化させるかに影響を与えられる見込みが大きい。一般に、低レベルではあるが安定した資源を利用できるときには、遅い生活史戦略を採用する個体のほうが生存と繁殖において有利になる。腫瘍への資源供給を正常化した場合も、おそらく同じことが起きるだろう。つまり、より遅いペースで増殖し、分散しにくい細胞が選択されるということである。

安定した資源を腫瘍に供給するのは、直感に反する行為に思えるかもしれない。腫瘍というのは飢えさせるべきなのではないか、と。

だが、それをすれば、内部の細胞が遺伝子の発現状態を変えて移動性を得やすくなるうえ、すぐに移動できる細胞ほど選択されるという結果も招く。これが厄介な問題を引き起こすのはいうまでもない。むしろ腫瘍に(安定した低レベルの)資源を与えてやれば、腫瘍はその場にとどまったまま成長を続けてくれる可能性がある。全体として見れば、浸潤と転移を促すよりそちらのほうがはるかに好ましい。

「がんは裏切る細胞である」
p.232 - p.233

本書に「細胞版共有地の悲劇」という話が出てきます。「共有地の悲劇」とは、共有の牧草地で各人が銘々勝手に放牧すると草が食べ尽くされて共倒れに陥るという寓話です。

がん組織が組織周辺の資源を消費し尽くしたら「共有地の悲劇」が起こり、がん細胞は全滅します(資源不足、老廃物を解毒できない、など)。がんがこれをのがれるように進化するには、

・ もっと多くの資源を得るべくシグナルを送る
・ 新天地に移動する

ですが、このように進化するとまずい事態になります。そうなるよりも、がんに資源を与える方がよい。そういう考え方です。


体本来の機能によるコントロール


進化の視点からがんのコントロールを考えるとき、適応療法以外にもう一つ重要なポイントがあります。生物が進化の過程で得た「がんを抑制するメカニズム」を使う、つまり体本来の機能を使うことです。

がん細胞は、ヒトが本来もっている「がんを抑制するメカニズム」からのがれるための仕掛けを使います。この仕掛けを無効にするような治療です。一つの方法は、がん抑制遺伝子(TP53など)が変異しているとき、その機能を回復することです。これは研究段階にあります。さらに本書では「ご近所の目 = 地区レベルの監視システム」と「体内の警察隊 = 免疫」の活用があげられています。


体本来の《裏切り者》検出システムの能力を高めるもうひとつの方法は、「地区」レベルでの監視システムをあるべき姿に戻すことだ。つまり、近所の細胞同士で監視させることである。

がん細胞は創傷治癒因子を分泌して、周辺の正常な細胞を自分の目的のために利用することが多い。その種の因子のシグナルが何を意味しているかといえば、要は増殖や細胞の移動といったふるまいを黙認せよと周囲の細胞すべてに告げている(これには、周辺細胞に裏切り検出の閾値を上げさせることも含まれる)。

がん細胞は傷を治癒するというシグナルを発することで、近隣の細胞から見咎められずにたちの悪い活動にいそしむことができる。NSAIDs(引用注:非ステロイド系の抗炎症剤のこと)で炎症を減らすとがんのリスクが低下するのは、ここに理由の一端があるのかもしれない(炎症を軽減すると、DNAの変異と小規模欠失の直接原因となり得る活性酸素の減少にもつながる)。

炎症を抑えれば、シグナル伝達がなされる環境をきれいにする効果もある。そのおかげで、周辺でがんのような異常なふるまいが起きていることに正常な細胞が正しく気づけるようになるのかもしれない。また、炎症という「ノイズ(雑音)」が消えることで、免疫細胞が「本物のシグナル(信号)」(つまりがん細胞)に集中しやすくなるとも考えられる。

「がんは裏切る細胞である」
p.237

この引用部分から類推できることは、がん細胞が出す "傷を治癒するという偽のシグナル" をブロックできれば、周囲の細胞の監視によってがん細胞を排除できる可能性があるわけです(可能性の一例ですが)。こういったタイプのがん治療は、今後の研究に負うところが多いようです。



本書からは離れますが、2021年4月8日放送の NHK BSプレミアム「ヒューマニエンス "がん" それは宿命との戦い」に、京都大学の藤田恭之やすゆき教授が出演されました。藤田教授が示された映像は、腎臓の上皮細胞(表面の細胞)にできた"がん予備軍"(異常増殖)を、周囲の細胞が協力してはじき出し、それが尿といっしょに排出されるものでした。

番組では細胞のこういった機能を「細胞競合」と呼んでいましたが、藤田教授がなぜ細胞競合を研究されているかというと、もちろん、がんの治療に役立てたいからです。



2つ目は「体内の警察隊 = 免疫」の活用で、こちらの方は既に実用化されています。


がんをコントロールする方法はまだある。免疫系の働きを再度活発にして、がんを食い止めておけるようにすることだ。すでに見てきたように、がん性細胞は様々な戦略を編み出して免疫系に見つからないようにしている。しかし、免疫系ががんに反応し続けられるようにするだけでなく、がん細胞が免疫系から隠れられないようにすることは不可能ではない。それを目指すのががん免疫療法である。

がん細胞は自らの表面にあるタンパク質を変えることで、正常な細胞であるかのようなふりをすることがある。あるいは、免疫細胞をうまく利用して自らに有利なシグナルを出させ、何も異常がないから放っておいて大丈夫だと勘違いさせる場合もある。さらには、免疫系の武器である《裏切り者》検出システムをじかに妨害するケースもある。

正常な状態であれば、私たちの免疫系はチェックとバランスのシステムを通じて脅威(がん細胞や病原性微生物など)に対処している。その一方で、脅威が去れば警戒態勢を緩めることもできる。免疫系がどうやってそれを行っているかというと、「免疫チェックポイント」と呼ばれる機能を用いている。これは、脅威が存在しないという情報を受け取ったときに免疫応答を止める機能であり、環境中に《裏切り者》がいないことに気づいたら警戒態勢を解くよう免疫系に告げるシステムといっていい。

このようにして免疫系の警戒態勢を解除できることは、私たちの健康にとってきわめて重要な意味をもつ。そういう仕組みが備わっていなければ、私たちは自己免疫や過剰な炎症に苦しむ羽目になるからだ。ところが、これががんのつけ入る隙を生むことにもつながる。がん細胞がこの免疫チェックポイント機能をあざむく因子を分泌し、免疫応答を停止させる進化を遂げるからである。

現在、がん免疫療法で最も有望視されているのはまさにがんのこの能力を妨げるものであり、「免疫チェックポイント阻害療法」と呼ばれる。この療法ではがんのつくり出す分子の働きを妨げ、免疫系を不活性化できないようにする。結果的に免疫系は本来の働きを回復し、《裏切り者》細胞を発見できるようになる。おかげで、以前は治りにくかったがん(メラノーマや肺がんなど)についても、一部の患者では治療に成功している。

「がんは裏切る細胞である」
p.237 - p.238

「免疫チェックポイント阻害療法」は、本庶ほんじょたすく先生が開発の道を開かれたものです。先生が2018年のノーベル医学生理学賞を受賞されたのは、これが画期的だと認められたからでしょう。


未来へ向けて


がんは "やっかいなルームメイト" であり、我々はこのルームメイトと一緒に暮らしていくしかありません。目標とすべきは、

がんを対処可能な慢性疾患にする

ことです。著者は本書の最後の方で次のように述べています。


ヒトががんと共に進化してきたことを理解し、それを受け入れれば、人類の健康と幸福のためによりよい未来を形づくることができる。多細胞生物が誕生したときからがんは生命の一部であり、つねに私たちと一緒に進化の道のりを歩んできた。この世に人類が登場したときから、私たちはこの《ただ乗り》のルームメイトと暮らしてきたが、そうして招かざる道連れを伴いながらも、進化の見地からすれば成功を収めてきた。

進化はじつに強い力である。この惑星の生命に多様性を与えるとともに、体内のがん細胞の多様性と回復力を生む原動力ともなってきた。がんによる負荷を減らすうえで最も有望なのは、この進化の力を私たちの手中に収めること。つまり、私たちの命を奪う存在にさせないように、また、制御不能の存在にさせないように、腫瘍の進化の道筋を方向づけてやることである。私たちは自分で気づいている以上に、その進化の方向性を左右できるかもしれない。

「がんは裏切る細胞である」
p.245

最後に、著者が書いているギリシャ神話の神の話を紹介します。ギリシャ神話に登場する戦いの神、アレスとアテナの対照的な戦い方です。


アレス神は圧倒的な攻撃力で戦いに臨み、いかなる犠牲を払おうとも敵に最大限の損害を与えることを目指す。

「がんは裏切る細胞である」
p.15

戦いの神・アレス(アーレス)は男性神で、ローマ神話ではマルスです。一方、アテナは女性神で、古代ギリシャの中心都市、アテネ(アテナイ)の守護神です。


アテナは知恵と戦いの神だが、どんな戦い方でもいいわけではない。アテナは戦略の女神である。荒々しい力で勝利をもぎ取るのではなく、何のための戦いかを明確にしたうえで敵の弱みを把握する。そして相手の弱点を利用し、最小限の力で、しかも周辺に無用の被害が及ばないようにしながら勝利を手にする。

「がんは裏切る細胞である」
p.15

著者は子供の頃をアテネで暮らしたギリシャ系アメリカ人です。祖母はアテナという名前で、彼女の名前は祖母の名からとったものです。そのアテナの英語読みがアシーナ(Athena)です。著者は、未来に向けたがん治療のあり方を、自らの名前の由来になったギリシャ神話の神・アテナの戦い方になぞらえているのでした。




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No.336 - ヒトはなぜ「がん」になるのか [科学]

No.330「ウイルスでがんを治療する」に引き続いて、がんの話を書きます。今回は治療ではなく、そもそもがんがなぜできるのかという根本問題を詳説した本を紹介します。キャット・アーニー著 "ヒトはなぜ「がん」になるのか"(矢野真千子・訳。河出書房新社 2021。以下 "本書")です。

世の中にはがんに関する本が溢れていますが、なぜヒトはがんになるのか、がんはヒトにとってどういう意味を持つのかという根本のところを最新の医学の知識をベースにちゃんと書いた本は少ないと思います。本書はその数少ない例の一つであり、紹介する理由です。

著者のキャット・アーニー(Kat Arney)は英国のサイエンス・ライターで、ケンブリッジ大学で発生遺伝学の博士号を取得した人です。また、英国のがん研究基金「キャンサー・リサーチ・UK」の "科学コミュニケーション・チーム" で12年勤務した経験があります。最新の医学知識を分かりやすく一般向けに書くにはうってつけの人と言えるでしょう。

この本をとりあげる理由はもう一つあって、矢野真千子氏の日本語訳が素晴らしいことです。以前に、アランナ・コリン著「あなたの体は9割が細菌」を紹介したことがありましたが(No.307-308「人体の9割は細菌」)、この本も矢野氏の翻訳で、訳文が大変に優れていました。もちろん原書が論理的で明快な文章だからでしょうが、それにしても矢野氏の翻訳家としての力量(リズムがよい明晰な日本語を書く力)と科学知識(医学知識)の豊富さは明らかです。以下で本書の重要と思われる所を長めに引用しますが、それを読むと分かると思います。

なお引用は、原則として漢数字を算用数字に直し、段落を追加したところがあります。また下線や太字は引用をする上でつけたもので原文にはありません。


がんを進化の視点で見る


本書の内容をごく簡単に要約すると「がんは生物進化の縮図であり、その視点でがん医療のあり方を見直そう」というものです。このことは本書の「はじめに」で明確に書いてあります。


科学者たちはがんの進行を、自然界の生物進化の縮図として見るようになってきた。生物が突然変異で新しい形質を得たあと、その形質が自然選択で選ばれれば生き延び拡散するのと同じように、がん細胞も新しい変異を拾ったあと、自然選択で選ばれれば増殖して拡散する。ダーウィンが描いた進化系統樹のように、がん細胞も枝分かれしながら進化する。ここで私たちは、がんについてのもう一つの不都合な真実、治療自体ががんの悪性化に手を貸すという真実を知ることになる。

がんが育つとき私たちの体の中で働いているのは、地球上の生物進化を駆り立ててきたのと同じプロセスだ。がんの進化における自然選択の選択圧は、本来なら命を救うはずの治療薬という形でやってくることもある。薬は、その薬の効く(薬に反応する)細胞を死滅させ、薬の効かない(薬に耐性のある)細胞を栄えさせる。つまり、薬はがんを弱体化させるどころか増強させる。そうやって強力になったがんは再発という形で現れるが、そのときにはもう、何をどうしても止められなくなっている。進行したがんに現行の治療法が無力なのは不思議でも何でもない。

ともかく私たちは、がんの発生、予防、治療についての考え方を、進化の現実に即したものにアップデートする必要がある。がんは、変異のリストで語られるような静的な存在ではなく、刻一刻と進化し様相を変える動的な存在だ

キャット・アーニー
"ヒトはなぜ「がん」になるのか"
矢野真千子・訳 河出書房新社(2021)
p.12 - p.13

重要なキーワードは進化(evolution)と自然選択(natural selection)ですが、これは進化生物学の用語であり、普通の医学用語ではありません。これが、がんという病気やその治療とどう関係するのか、それを詳しく書いたのが本書だと言えるでしょう。以下、本書の "さわり" を順に紹介します。


がんは現代病ではない


がんという病気について「現代における環境汚染や現代人の食生活、生活習慣が引き起こしたもの」という説を唱える人がいます。「がんは現代病」というわけです、著者はまず、この言説に真っ向から反論しています。それは科学的なエビデンスとは違うというわけです。


がんのリスクを高める要素に現代のライフスタイルや習慣があるのは事実だ。と同時に、それは自然の中にもある。ウイルスや細菌、カビがそれにあたるし、植物から出る化学物質もそうだ(有機栽培の作物も毒を出す)。

放射性物質のラドンは世界各地で、とくに火山性の岩石が多いところで地面から漏れ出ている。アメリカ南西部で1000年前ごろ暮らしていた住民の遺骸に異常に多くのがんが見つかったが、それはおそらく放射性物質であるラドンのせいだ。

日光は、がんを誘発する紫外線を毎日私たちに浴びせている。料理や暖をとるために火をおこせば、そこから発がん物質を含んだ煙が出る。火おこしは人類が出現したころから日夜営んできた行為だ。

そして、小児がんのほとんどは、胎内での発生過程が乱れたときに起こる。どれも断じて「人為的で現代的な要素」なんかではない。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.20

昔の人もがんになりました。その証拠を収集している研究者がいて、古代人や先史時代の人骨やミイラのがんの兆候を集めた「古代遺骸がん研究データベース」が作られています。一般に、人骨やミイラからがんを発見するのは難しい作業です。異常なこぶや隆起が見つかったとしても、悪性の腫瘍だとは断定できないからです。しかし骨に明らかな痕跡を残すがんもある。本書には、絶滅人類の骨の化石から骨肉腫や脳腫瘍の痕跡が見つかった事例が出てきます。


すべての生き物はがんになる


さらにヒトでだけでなく、ほとんどすべての生き物ががんになります。ここで、がんの定義が問題になります。ヒトの場合、基底膜(臓器を包んでいる薄い保護膜)を突き破るような細胞増殖をがんと定義しますが、ほとんどの生物にはその基底膜がありません。

しかし「異常な細胞増殖」は、菌類、藻類、植物をはじめ、魚類、両生類からほ乳類にいたる広範囲な動物に見られます。恐竜の骨の化石から異常が見つかったこともありました。すべての生き物ががんになりうる。この認識が重要です。

ただし、がんになりにくい動物がいることが知られています。動物は体細胞の数が多いほど(= 体が大きいほど)がんになるリスクが増しますが、アフリカ象やシロナガス鯨はヒトと比較して遙かにがんになりにくいことが分かっています。これは「がん抑制遺伝子」を大量に持っているからです。


多細胞生物における反逆者


すべての生き物はがんになる(なりうる)。この "すべて" とは実は多細胞生物のことです。ここからが本書の最も重要な話になります。多細胞生物にはそれぞれの細胞が従うべきルールがあります。


多細胞生物のライフスタイルは、細胞の分裂と機能が厳格にコントロールされていなければ成り立たない。細菌のような単細胞生物なら進化目標はただ一つ、増殖して遺伝子を次世代に手渡すことだけだ。単細胞生物は死んだらそこで進化の行き止まりになるから、生き続けることと複製し続けることさえ頑張ればいい。

多細胞生物の細胞の場合、勝手な複製は許されない。複製していいのは、赤ん坊から成人になるまでの発生期と成長期、または身体を定期メンテナンスしたり応急処置したりするときだけだ。多細胞生物の細胞は、決められていない仕事をするのも許されない。脳にある神経細胞は、すい臓にある島細胞のようにインスリンを生産したいと思ってもできないし、外界とのバリアをつくる皮膚細胞が血液細胞のように全身を旅したいと思ってもできない。そのままにしておけば問題になる故障した細胞や損傷した細胞は、自死するか免疫系に駆逐されるようあらかじめ決められている。

多細胞生物になれば、個々の細胞は生物全体の利益になるようふるまう義務が生じる。ところががん細胞はルールを無視し、好き勝手に増殖し、周囲の組織に侵入し、あちこちに移り住み、最終的には宿主もろとも死ぬ。がんがどこから来たのかを理解するには、まず多細胞生物の生き方のルールを知り、そのルールが破られたとき何が起こるのかを知る必要がある。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.48 - p.49

多細胞生物の細胞群が遵守しいるルールを破る細胞が出てきます。いわば「反逆者」ですが、これががん細胞です。


細胞の従うべき金科玉条はつぎの5つだ。増殖しすぎない、決められた仕事を遂行する、必要以上に資源を浪費しない、汚したら自分で始末する、死ぬときが来たら死ぬ。

この5つのルールがあれば、人間社会だろうがどんな社会だろうが、円滑に維持される。逆に、個々のメンバーが自分勝手にふるまうと問題が生じる。

がん細胞はこれらのルールすべてに逆らう。最初は一度に一つのルールを破る程度だが、定着して全身に広がるころには一斉にすべてのルールを破っている。無制限に増殖し、本来の仕事をせず、酸素と栄養素をむさぼり食い、周囲を酸性に毒し、断固として死なない。

多細胞生物は、細胞社会の仕組みを10億年以上かけて進化させてきた。それぞれのメンバーが共通の利益に向けて特化した役割をこなし、個々の細胞のニーズより種としての繁栄をめざす。この厳格な階層型組織は、祖先の単細胞生物が楽しんでいたような自由で気楽な生き方を許さない。細胞分裂は厳しく制限される。複雑で相互に絡み合う分子経路や遺伝子経路を通じて、いつ、どこで分裂するか細かく指示される。ルール破りは厳禁だ。損傷した細胞や服従しない細胞のための余地はない。トラブルを起こしたら、全体の善のために自殺するよう促される。年老いた細胞には安らかに眠ってもらう。冷酷に見えるかもしれないが、この厳格さが私たちの健康と生命を守っている。

とはいえ、ヒトの社会でも動物の社会でも細胞の社会でも、ルールを破る個人や個体はかならず出てくる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.53 - p.54

多細胞生物は生命を維持して子孫を残すために、「反逆者」を抑制する仕組みをもっています。それでも「反逆者」は生じる。そして「反逆者」が優勢になるような状態が起きるとがんになり、これが進展すると生命体の全体が崩壊に導かれるのです。


多細胞生物が健全であるためには、メンバーに不正行為を許してはならない。細胞数が多いほど、また寿命が長いほど、統制はむずかしい。多細胞生物が進化する過程では、裏切者を出さないよう多大な投資がされてきた。身体サイズが大きければ細胞社会のメンバーは多くなり、裏切りが発生する確率も高まるため、より強力な抑制システムが必要となる

個々の細胞にとって、大きな多細胞共同体の一員になれば自律性を失って自分の行く末を自分で決めることはできなくなるが、そのかわり自分の遺伝子を継承するという究極の目的を大きな組織に委ねることができる。それでもルール破りの誘惑はいつもあり、隙を見つけては勝手に増殖を始める者が出てくる。

ただし、裏切り行為はそれまで保たれていた社会のバランスを崩す。十分長く生きて繁殖するという生物としての長期的な目標より、自分だけ得をしたいという裏切者たちの短期的な欲望が勝って悪性腫瘍がどんどん育つと、最悪の場合は宿主もろともの死が待っている。裏切者の出現は不可避だが、社会が許容できる裏切者の数には限りがある。みなが裏切りをするようになれば、多細胞生物の社会はあっというまに『マッドマックス』のようなディストピアの世界となる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.54 - p.55

本書には、がん細胞で活性化している遺伝子は生命体にとって最も古い遺伝子だという、興味深い話が出てきます。その一つの例は、オーストラリアのメルボルンにあるピーター・マッカラムがん研究所のアンナ・トリゴスという研究者の発見です。


トリゴスは、がん細胞の中で最も活性化している遺伝子が最も古い時代の遺伝子であることを見出した。最も古い時代の遺伝子とは、細胞増殖や DNA修復といった基本機能を担う遺伝子で、最初期の単細胞生物のころから存在している。

一方、がん細胞の中でまったく活性化していない遺伝子は最近になって出現した遺伝子だった。それは哺乳類にしか見られないか多細胞動物にのみ存在しているような「若い」遺伝子で、特殊な器官の作成や細胞間コミュニケーションなど、より複雑な仕事を担っている。

そして彼女は、これまでに調べたがん細胞がどれも等しく「単細胞時代からの遺伝子が活発になり、多細胞時代以降の遺伝子が休眠している」ことを見出した。がん細胞が細胞社会で定められていた仕事を放棄して、利己的に自由にふるまっているということだ。これはがん細胞がアメーバのような生物に先祖返りしたわけではない。新たに獲得した変異により、多細胞時代以降にできたシステムを休止させるよう進化したのである

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.61 - p.62

がんは「先祖返り」ではなく「進化」である ・・・・・・。「進化」という言葉に "よりよいものに変わる" という意味を感じている人にとっては大いに違和感がある表現でしょうが、本書全体を読めばその意味がよくわかります。

ちなみに、今までの引用(p.48 - p.64)は本書の第2章からですが、第2章は「がんは生きるための代償である」と題されています.。この題が本書の趣旨を明瞭に表しています。

その第2章には「裏切り者」「反逆者」「誘惑」「ディストピア」などの「がんを擬人化した比喩」があります。サイエンスの本でこういった比喩は一般の読者に分かりやすくするために使われますが、その一方で誤解を招きかねません。なぜなら、比喩の対象となったものがあたかも人間のように意思をもっているとイメージされ、合目的的に振る舞っているような間違った印象を与えるからです。しかし著者は言っていますが、がんの場合はこういった比喩が本質をピッタリと表しているのです。


遺伝子の変異ががんの要因


多細胞生物における「反逆者の細胞」が生まれる理由は、遺伝子に起こる変異です。これはさまざまな原因で起こります。

まず、細胞が増殖するときの遺伝子(DNA)の複製エラーです。これは必然的に一定の確率で起こります。

また「発がん物質」と総称されるものを吸収したり、それに接触したりすることも遺伝子変異の要因になります。発がん物質には自然界に存在するものもあれば(すす、煙など)、人工の化学物質もあります(ベンツピレンなど)。喫煙をすると煙に含まれる発がん物質が肺がんのリスクを高めることはよく知られています。

紫外線や放射線被爆も遺伝子変異の原因になります。皮膚がんがまさにそうだし、放射線被曝と白血病(= 血液のがん)の関係も知られています。

さらに、ある種のウイルスは遺伝子変異を起こします。有名なのは HPV(ヒトパピローマウイルス)で、子宮頸がんの要因になります(従って、がん予防ワクチンが成り立つ)。

また遺伝性のがんがあります。これはがんを引き起こす遺伝子変異を親から子・孫へと受け継ぐ場合です。つまり、がんを発症しやすい家系があります。

もちろん遺伝子変異が起きたからといって、すぐがんになるわけではありません。変異は基本的にランダムに起きるので、生命維持にとってプラスにもマイナスにも働かない変異(= 中立変異)も多い。さらに、細胞には変異した隣の細胞を体から排除する仕組みをもっています。

しかし細胞増殖を促す遺伝子が変異したとき、がんになるリスクを抱え込んだことになります。また、遺伝子に中には異常な細胞増殖を押さえる働きをするものがあり(=がん抑制遺伝子)、その遺伝子が変異によって機能を失うとがんのリスクが発生します。細胞増殖のアクセルが踏みっぱなしでブレーキが壊れた状態は、がんが発生する典型的なパターンです。


遺伝子の変異だけではがんにならない


遺伝子が変異しただけではがんになりません。実は、私たちは幼少期から遺伝子の変異を体内に蓄積しています。


私たちはどのくらい心配すればいいのだろう ? ある程度歳をとれば、だれでも原因不明のしこりやこぶの2や3はできているものだ。40代の女性の少なくとも3人に1人は胸に小さな腫瘍を抱えているが、その年代で乳がんと診断されるのは100人に1人しかおらず、残りの多くは正式にがんと診断されることなく一生を終える。

前立腺がんも状況は同じで、このがんで死ぬ人より、このがんを抱えたまま死ぬ人のほうがはるかに多い

50歳から70歳の人ならほぼ全員、甲状腺に小さながんができているが、甲状腺がんと診断されるのは1000人に1人だ。全体的にならすと、私たちの半分かそれよりやや少ないくらいの人が、生涯のどこかの時点でがんと診断される。

がんの発生率は、がんの種類別によってばらつきがある。たとえば、小腸と大腸はどちらも消化管で生理的な条件はほぼ同じだが、小腸がんの発生率は低く、大腸がんのそれは30倍も高い。

また、重要なドライバー遺伝子に変異が一定数たまるとがんになるとは言うものの、それに必要な蓄積回数もがんの種別で異なる。肝臓がんは約4回、子宮がんや大腸がんは10回だが、精巣がんや甲状腺がんはたった1回だ。

こういう話をすると、必要な変異回数の少ないがんほど若いころ出現しそうな気がするが、小児がん以外の大半のがんは、種類にかかわらず60歳以前に発生することはあまりない。私たちの正常な組織は中年期に達するころ、すでに変異のパッチワークになっているにもかかわらず、50代まではまあまあ抑えられているのである。

60歳以降に変異が生じるペースが上がるわけでもない。意外かもしれないが、変異の発生ピークは人生の初期だ。DNAの複製エラーは細胞が増殖するたびにちょこちょこ起きるものだが、幹細胞に起きるエラーはとりわけ危険だ。身体を生涯維持する役目を担っている幹細胞は増殖力がひじょうに高いからだ。増殖力の高さがとくに求められるのは発生期から成長期である。卵細胞が成体になるまでに必要な増殖回数は、その後の人生を維持するのに必要な日々の増殖回数とは比較にならないくらい多い。私たちの細胞は最初の9か月で一個から数兆個にまで増え、その後も少しずつ増えていき、「成人」という完成形になる。じつのところ、あなたが70歳の時点で保有する変異の半分は、18歳の誕生日までに得てしまっている

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.118 - p.119

引用に「ドライバー遺伝子」という言葉が出てきます。一般的には「がん遺伝子」と言われますが、これは誤解されやすい言い方です。がんを発生させる "専用の" がん遺伝子があるわけではありません。がん遺伝子の多くは生命の維持や子孫を残すプロセスに必須の遺伝子です。それが変異するとがんのリスクが生じる。

ドライバー遺伝子とは「その遺伝子が変異することでがんの直接の原因(の一つ)になる遺伝子」です。このドライバー遺伝子に生じる変異が「ドライバー変異」です。本書では「ドライバー遺伝子」「ドライバー変異」という言葉が多用されています。

さらに上の引用に「幹細胞に起きるエラーはとりわけ危険だ」とありあります。「幹細胞」とは、分裂する能力があると同時に、分裂してできた娘細胞が別種の細胞になる能力をもった細胞です。有名なのは受精後の胚の ES 細胞ですが、各臓器系についてそれを作り出す幹細胞があります。たとえば血球やリンパ球のすべては骨髄の造血幹細胞から作られます(No.69「自己と非自己の科学(1)」参照)。この幹細胞を人工的に作り出したのが、山中教授の iPS 細胞(induced Pluripotent Stem cells = 人工多能性幹細胞)です。

幹細胞に関していうと、受精後の胚に生じる乱れが原因で発生するがんが小児がんです。従って小児がんの発生メカニズムは他のがんとは根本的に違います。



遺伝子変異が蓄積しただけではがんになりません。しかし生物の進化と同じで、環境が変わったとき、それが原因で変異した遺伝子をもつ細胞が優勢になります。これががんです。この体内環境の変化の第一は加齢です。


日々の細胞のメンテナンス作業は年齢とともに、とくに生殖年齢のピークを過ぎたあとは、雑になっていく。たとえば、若いときの肌の細胞はしっかり結合している。がん化しそうな不良細胞が出てきても、広がる余地を与えず、最終的には追い出してしまう。だが、歳をとると細胞の結合がゆるむ。不良細胞はその隙に入りこみ、やがてがん化し、拡大する。また、タバコの煙や紫外線のような発がん物質は、DNAに損傷を与えるだけでなく、細胞の結合組織となるコラーゲン分子を傷つけるので、不良細胞がのさばる余地をさらに与えてしまう。

老化によるゆっくりとした衰えは、遺伝子の収納状態やスイッチの作動にも影響する。若い細胞はDNAを、ヒストンというボール状のタンパク質のまわりにコイルのように巻きつけて、きっちり収納している。ヒストンには、遺伝子の活性・不活性をコントロールするためのエピジェネティック修飾と呼ばれる各種の分子タグがついている。老いた細胞では、この整然とした仕組みがうまく働かなくなる。DNAのコイルがほどけ、修飾が乱されると、遺伝子は間違ったタイミングや場所でスイッチをオンまたはオフにするようになる。老化はゲノム全体で同時多発的に進む。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.124

もう一つの重要な環境変化は、加齢とも大いに関係しますが、持続的な炎症です。


慢性炎症の原因は、持続感染、有害物質への長期曝露、自己免疫疾患などだが、もう一つ避けがたい最大の原因が加齢だ。歳をとるにつれて、私たちの組織の慢性炎症のレベルはじわじわと上がる。これは、細胞内で働く生化学プロセスから受ける経年劣化、体内に少しずつたまる有害物質、人生でそれまでに経験した感染や苦痛、全般的な体の衰えなどによる必然的な結果だ。性ホルモンの減少も関係しているかもしれない。エストロゲンやテストステロンには炎症を抑える役目があるからだ。お察しのとおり、喫煙も、肺に炎症性傷害を与えたり体の抗炎症反応を弱めたりする。過剰な体脂肪もリスク因子だ。体脂肪は、何もせずただ体についているだけのぜい肉ではない。脂肪を貯蔵する細胞は、慢性炎症を悪化させるさまざまな活性物質をつくり出す。

もう一つ慢性炎症の要因として、研究はあまり進んでいないが有力視されているものに、ストレスがある。私たちはストレスでがんになると聞くと、さもありなんと考えがちだが、実際のところ、近親者の死別や離婚といった強いストレスのかかる人生節目の出来事ががんの発生率を高めるという関連性はほとんど見出されていない。

しかし、生活苦や不安定な居住環境といった長期のストレスとの関連性はありそうだ。社会経済的な弱者ほど、がんを含むあらゆる病気で早く死ぬ傾向があることは、健康格差の問題としてよく知られている。社会的弱者が早く死ぬのは肥満、喫煙、飲酒、偏った食生活といったお決まりの容疑者のせいにされがちだが、これらの要素だけですべてを語ることはできない。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.126


進化の「るつぼ」としてのがん


では実際にがんが発生したとき、がん組織に中の遺伝子変異はどうなっているのでしょうか。そこでは、それぞれ違った変異をもつ細胞集団があちこちに散在していることが分かってきました。

2012年の論文に載った、キャンサー・リサーチ・UKのチャールズ・スワントン教授の研究があります。彼は DNA配列決定の技術を駆使し、がん組織の中の遺伝子マップを作り始めました。

以下の引用に「標的療法」という言葉がありますが、これはがんの要因となっている特定のドライバー遺伝子の働きを無効にするような治療(化学療法など)という意味です。


配列決定技術の精度が上がってくるにつれて、ものごとは複雑さを増してきた。2006年、研究者らは標的療法後に耐性がついてしまった EGFR 変異をもつ細胞を探していた。すると、標的療法を受ける前の肺腫瘍の一部に、その変異細胞がすでに存在していたことに気がついた(EGFR はがんドライバー遺伝子の一つである)。数年後、血中を漂う白血病細胞はどれも同じに見えて、じつはDNA配列の異なる細胞の集まりだったという発見もあった。

2010年にはまた別の発見があった。すい臓にあった最初の腫瘍(原発腫瘍)から転移した腫瘍(2次性腫瘍)が、転移の過程で原発腫瘍にあった変異とは別の新たな変異を大量に拾っていることがわかったのだ。そして2011年、中国の研究チームが、ひとかたまりの大きな肝臓腫瘍を薄くスライスしてそれぞれの切片を分析したところ、隣り合う切片どうしでさえ、そこに含まれるドライバー遺伝子の変異が違うことを見出した。同年、ニューヨークの科学者らが、乳房腫瘍の小片を100個の細胞に分けてそれぞれにDNA配列決定をしたところ、その100個の細胞は大きく3つのグループに分かれ、それぞれが遺伝的強みと弱みを別々の組み合わせで有していることがわかった。

もやもやしていた絵の輪郭が、だんだんはっきりしてきた。腫瘍というのはどれも、同じがん細胞でできているのではなく、遺伝子的に少しずつ違うがん細胞集団(クローン)の寄せ集めであり、その一部が転移しやすい変異をもつクローンだったり、治療に抵抗しやすい変異をもつクローンだったりする、ということだ。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.154 - p.155

がん細胞集団(クローン)という表現がありますが、クローンとは「同じ1個の祖先細胞に由来し、同一の遺伝子変異をもつ細胞の集団」のことです。

この引用にあるように、腫瘍組織における遺伝子変異は「変異のパッチワーク状態」であり、しかも変異は "積み重なり"、かつ "枝分かれ" しつつ起きています。つまり「遺伝子変異の系統樹」が描けることが分かってきました。ここに至って、ダーウィンの「進化論」との類似性が明らかになってきました。


チャールズ・ダーウィンは新種の出現(種の起源)を、生物が選択圧に直面して適応と変化を迫られたことによる必然的な帰結だ、と論じた。チャールズ・スワントンの研究は、人体内のがんも同じであることを示した。がんは自然界の縮図であり、多種多様な変異をもつがん細胞クローンが多数集まってできた大家族だ。そこからは日々、枝分かれした小家族が生まれる。転移した腫瘍は、旅立った小家族がその後に独自の変異を重ねた「遠い親戚」だ。近縁のクローンも遠縁のクローンも、すべては一つの創始者細胞から始まり、途中で新しい変異を拾いながら枝分かれしてきた。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.158 - p.159

我々は「進化」を誤解しがちです。進化生物学でいう進化(evolution)とは、生物が別の種に分かれること(だけ)を意味します。その要因は、遺伝子の突然変異と環境変化の圧力による選択(自然選択)です。進化は「変化」であって「より良くなる」という意味は含みません。

さらに我々はどうしても「直線的な進化」を考えがちです。チンパンジーが猿人になり、ホモ族(ヒト族)になり、そのホモ族も原人からネアンデルタール人になって、ホモ・サピエンスに進歩してきた、というような ・・・・・・。しかし実態は、霊長類が分化してきたというのが正しい。

がんもそれと同じです。がんの本質は「枝分かれ進化」であり、適応と進化を繰り返す可変的なシステムなのです。実際、がん組織において「自然選択 = 環境による選択」が起こっているという証拠が集まってきました。


科学者らはもう一つ残念なことを発見した。標的療法への耐性を得られる変異は往々にして、ごく初期の段階ですでに存在しているのだ。骨髄腫(白血球のがん)の患者を詳細に調べた研究によると、骨髄の中で増殖したがん細胞は、最初期の段階から存在した小さな細胞集団に由来するものだったという。その細胞集団は、医者が投入したあらゆる治療をのらりくらりとかわしながら成長し、ついにはすべてを乗っ取ってしまったという。

2016年の別の論文からは、自然選択が作用している現実が容赦なく示された。研究者らは、30名を超える髄芽腫(小脳にできる脳腫瘍)の患者から治療前と治療後に採取したサンプルで、遺伝子組成を比較した。そして、治療後に再び増殖した耐性がん細胞は原発腫瘍にすでに存在していたこと、ただしそのときはひじょうに小さな集団だったことを見出した。

放射線療法で大量のがん細胞が殺されると、最初は小集団だった耐性細胞がそのあとを埋めるように急速に拡大した。治療前には危険だと思われていた(重要なドライバー変異をもつ)いくつかの細胞集団が、治療後には消えていたのである。これがギャング映画なら、大物連中が殺し合いをして全員いなくなったあと、こそこそしていたチンピラがのし上がってボスの座につくようなものだ。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.164

がん細胞からすると、最大の環境変化はがん治療がもたらす環境変化です。つまり、がんの進化において、特に放射線療法と化学療法は、自然選択を加速させます。それらの治療に耐性をもつ遺伝子変異をもつがん細胞だけが生き残り、それ以外は死滅する。そして耐性がん細胞がまたたく間に増殖してしまうのです。

著者はがん組織を "進化の「るつぼ」" と形容しています。そしてこれは、生物の歴史を考えると不思議でも何でもないと書いています。


反逆者のがん細胞が多細胞社会から排斥されて単細胞的な暮らしに戻った細胞だとすると、こんどはその反逆者たちがチームを組んで、新たな多細胞社会を立ち上げようとしているようにも見える。それは生命進化史において過去にやってきたことなのだから、「進化のるつぼ」となったがんの中で同じことが起きていたとしてもおかしくない。

がんの分子的詳細を掘り下げれば掘り下げるほど、つぎつぎに奇妙なことが見つかる。ただ私には、それほど驚くことではないようにも思える。「進化」なら当然のことばかりだからだ。生命の歴史をざっと眺めればわかるように、進化は途方もない多様性をつくり出してきた。単細胞生物が多細胞生物になる進化は何度も起きた。セックスの発明も数回、起きた。生物種は増殖し、移住し、適応し、多様化する。増殖するものは増殖し続ける。変異するものは変異し続ける。生き物はただひたすらに、生き続ける。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.221 - p.222


がんの適応療法


がんが「進化のるつぼ」との認識にたつと、がん治療の新しい考え方が見えてきます。その一つが「適応療法」です。米国フロリダ州のモフィットがんセンターのロバート・ゲイトンビーの研究が紹介されています。


ゲイトンビーは、100年以上前から農家を悩ませていた害虫、コナガがすべての農薬に耐性をつけてしまったという記事を読んだとき、これはがんをめぐる状況と同じだと気がついた。がんも治療薬に耐性がつくよう進化したら、もう拡大は止められない。

ゲイトンビーが現行のがん治療で何より疑問に思うのは、薬が「最大耐用量」で処方されることだ。これは患者にとって耐えられないほどの副作用が出る直前の用量を投与し、一度にできるだけ多くのがん細胞を殺そうという考え方だ。薬の臨床試験の初期では、志願した被験者に、投与する薬の用量を少しずつ上げていき、重篤な副作用が出た瞬間にやめる、ということを試す。このテストで薬の最大耐用量が決まる。だが、遅かれ早かれ耐性がつくことを思えば、最大耐用量を投与するという方法はわずかな余命延長に対して害が大きすぎる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.276 - p.277

農薬に耐性をもつ雑草や害虫が出現することは常識になっています。抗生物質に耐性をもつ病原菌(= 耐性菌)が出現するのも同じです。上の引用に出てくるコナガは、キャベツなどのアブラナ科の食物に寄生する小さな蛾です。コナガは農薬に耐性をつけてしまいますが、農家はこの問題に対して次のように取り組んできました。


コナガが農薬に耐性をつけてしまう問題に対し、農家は数十年前から「総合的害虫管理」という方法をとってきた。がんが遺伝子的に多様な細胞集団でできていて、その一部が治療薬に耐性をつけるのと同じように、害虫の群れにも遺伝子的に多様な集団が交ざり合っている。農薬に屈しやすい集団もあれば、農薬に耐性をもつ集団もある。ここで重要なのは、虫に農薬への耐性をつけさせるような遺伝子変異は、食料の奪い合いや繁殖競争においてたいてい不利になることだ。そのため、農薬に耐性をもつ集団は、ふつうの状況下では農薬に屈しやすい集団より優勢になることはなく、小さな集団のまま推移する

そうした群れに大量の農薬を浴びせると、農薬に屈しやすい集団は全滅し、農薬に耐性をもつ集団だけが生き残ってライバルのいなくなった生息地で好きなだけ繁殖する。一方、農薬の量を少なくすれば、農薬に屈しやすい集団がそれなりに残って、耐性をもつ集団が増えすぎないよう抑制してくれる

農家は、害虫を一匹残らず殺すのをやめ、手なずける道を考えた。畑の状況を定期的にモニターし、作物がある程度食い荒らされることは容認する。限度を超えて食い荒らされるようになったときだけ農薬を使うことにしたのだ。現在では、雑草その他、望ましくない生物種をコントロールするときも似たような方法が使われているが、考え方はみな同じだ。根絶ではなく抑制をめざし、薬剤を与える場合は少量にして巻き添え被害を少なくする。この方法はまわりまわって、将来的に懸念されている超耐性株が出現する機会を減らすことにもつながる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.277 - p.278

適応療法とは、上の引用における "総合的害虫管理" と同様に、いわば「がんを手なずける」治療です。


ゲイトンビーは、腫瘍内にはいつも耐性細胞がいる、という前提からスタートすることにした。その耐性細胞は、増殖スピードが遅いので増えすぎることはなく目立たない。しかし、薬に反応するがん細胞が全滅すればそのあとを埋めるように勢力を広げるだろう。この場合、薬を最大耐用量にするのではなく逆に低用量にして、薬に反応するがん細胞の量をある程度保ち、そのがん細胞に耐性細胞を抑制させたほうがいい。もし、薬に反応するがん細胞が増えすぎたら、薬を増やして以前と同じバランスに戻す。ゲイトンビーはこの方法を「適応療法」と呼ぶ。敵がゲームに使っている適応進化プロセスで、敵にみずから失点させるよう誘う方法だ。

適応療法の基本戦略はこうだ。がん細胞にとって、薬に耐性をつけることは治療中こそ役に立つが、治療していないときには何の得にもならない。得にならないどころか、薬に耐性をつけたことが生物学的に重荷になる。たとえば薬を追い出すのに使う分子ポンプにエネルギーの3分の1を投じることになれば、そのぶん増殖に使えるエネルギーは減る。

耐性細胞が、薬への対処に専念する薬依存症になってしまうことさえある。たとえば、特定の標的薬に耐えるためにわざわざ生化学経路を変えてまで適応した細胞は、その標的薬がなくなれば生命維持さえおぼつかなくなる。治療をしていない通常の状況下では、耐性細胞はこうしたコストが重くのしかかり、増殖が遅れる。ゲイトンビーは薬剤耐性を、大きく頑丈な雨傘のようなものだと言う。雨が降っているときは便利だが、そうでないときは邪魔になり、あなたの行動の足かせとなる。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.278 - p.279

適応療法とは、がんとの共存を目指すものと言えるでしょう。そして患者の生存期間をできるだけ延ばすことが目的です。もちろんこの戦略を実行するには、がん組織中のがん細胞の数の精密な測定と治療による変化予測が必須です。上記の引用にあるゲイントビーは数式モデルを使って予測をしたようです。



さらに「がんは進化のるつぼ」という認識にたつと、患者のがんを絶滅させる新たな戦略が見えてきます。これは地球上で過去に起こった "種の絶滅" に学んだものです。

種の絶滅というと、我々がすぐに思い浮かべるのは恐竜の絶滅です。6500万年~6600万年前、今のメキシコのユカタン半島付近に大隕石が衝突し、地球環境が激変し、恐竜が絶滅した(そして生き残った恐竜が鳥に進化した)という件です。

しかしこのような「一撃で起こる劇的な絶滅」はわずかです。ほとんどの種の絶滅は「数回の連続した打撃」によって起こる。この例として、絶滅の経緯が分かっているヒースヘンの絶滅が紹介されています。

ヒースヘンは、和名をニューイングランド・ソウゲンライチョウと言い、その名の通りライチョウに似た大型の鳥です。この鳥は北米大陸にヨーロッパ人が来たときには東海岸のあちこちにいました。ところが植民地の拡大と入植者による乱獲で、一つの島の50羽までに激減しました。その後の人々の努力で、島での生息数は2000羽までに回復しました。しかし、その繁殖地で火災が起こり、次には異常低温の冬が連続し、最終的には感染症の流行によって1932年に絶滅してしまいました。

ポイントは、ヒースヘンが数回の打撃で絶滅に至ったことと、一つの島に閉じこめられて50羽に激減するという「地理的ボトルネック」と「遺伝子のボトルネック」を経験したことです。こうなると遺伝子の多様性は失われ、感染症で全滅するようなことが起きる。かつ、一つの島で全滅してしまえばそれで種は終わりです。

この「種の絶滅モデル」を、がんの治療に応用できないでしょうか。実は、小児の急性リンパ性白血病の治療は、まさにこのような考え方だったのです。


ゲイトンビーとブラウン(引用注:ゲイントビーと共同研究をした進化生物学者)は論文で、同じような考え方がすでに小児の急性リンパ性白血病の治療法に使われていることを指摘した。その治療法は、死ぬのが確実だった病気を10人のうち9人を治せる病気に変えたが、いま話したような「種の絶滅」モデルから編み出されたものではない。医者らが試行錯誤しながら長年かけて見つけ出したものであり、それが偶然にも、ヒースヘンを絶滅に追いやったのと同じ方法だったのだ。

まず、集中的な化学療法による「第1の打撃」で大量にがん細胞を殺す。すると少数のがん細胞が生き残る。つぎに、別の作用機序の薬で「第2の打撃」を与え、最初の薬に耐性のある細胞を殺す。その後、第3、第4の打撃を与える。

ゲイトンビーらは、このモデルを使えば長年の試行錯誤をすっとばして、がんの絶滅を誘導する計画を立てることができるのではないかと説いている。自然界の種の絶滅と同じように、腫瘍内にあるがん細胞集団の個体数と遺伝子多様性をまず減らし、そこで生き残った小さい集団をつぎつぎと追いつめる。

残念ながら、現行のがん治療はそうなっていない。たとえば進行前立腺がんの場合、アビラテロンのようなホルモン阻害剤を最大耐用量で長期にわたって投与する。どのくらい長期かというと、腫瘍が縮小するまではもちろんのこと、それが再び拡大するまで、つまりアビラテロン耐性のがん細胞が出現して数を増やすまでだ。この段階で医者はやっと別の化学療法に切り替え、そのループをもういちどくり返す。

しかし、絶滅させることをめざすなら、がん細胞が耐性をつけて再び増えるまで待つのは無意味だ。がん細胞の数と多様性が減っているときに叩いたほうがいい。2番目の薬を使うのに最適のタイミングは、アビラテロンによる「第1の打撃」を与えた直後だ。そのとき生き残っているがん細胞は、アビラテロンを追い出すのに多大なエネルギーを使って消耗しているため、「第2の打撃」で息の根を止められる可能性が高い。この方法は直感的に理解しにくいため、「最初の薬が効いているのに、なぜ薬を変えるのか ?」と思う医者や患者は少なくない。だが、がんを根絶させるには従来の方法よりずっと効果的だ。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.292 - p.293

こういった考え方は、がんを「進化のるつぼ」と認識することから生まれてきたものです。がん治療に新しい方法を持ち込むものと言えるしょう。


生きることと、がんになることは表裏一体


著者が最後に強調しているのは、生物に関するすべての研究は進化の視点なしには意味をなさないということです。がん研究も例外ではありません。


生物学のすべてが進化の視点なしに意味をなさないのと同じく、がんのすべても進化の視点なしには意味をなさない。このシンプルかつ厳然たる事実を認めないことが、進行転移がんの予後がほとんど改善しない理由だ。この病気の根底にある進化の性質に本気で向き合わないかぎり、今後も改善しないだろう。進化のプロセスなしに、地球の生命史は形づくられてこなかった。

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.309

本書の最後に「がん研究・がん治療の最終ゴール」として目指すべきことが書かれています。以下の引用にある「ルカ」とは LUCA(Last Universal Common Ancestor = 最後の共通祖先)です。つまり地球上のすべての生命体の先祖をさかのぼると、生命の発生の起源となった1つの共通祖先に行き着くはずで、その最初に行き着いた共通祖先を言っています。


私はこの本を書くにあたり、50人以上もの研究者の話を聞き、数えきれないほどの書籍と論文を読んだ。その過程で、私たちがめざすものを最もよく表している言葉はこれだ、というのを見つけた。それは、ウェルカム・サンガー研究所の遺伝学者でがん研究の第一人者であるピーター・キャンベルが私に語ってくれた言葉だ。

私たちの最終ゴールって、何なのでしょう ? 十分長く生きてから、がんより先に死ぬことだと思いませんか ?」

現実の生活は夢でもおとぎ話でもない。だれもみな、いつかは死ぬ。私たちが望むのは不死ではない。いつかお迎えが来るときまで心身を平穏に保ちたい、それより前にがんに殺されたくはない、それが私たちの望みだ。それにもし、がんの診断後に20年も30年も生きる人が増えてくれば、薬の影響を穏やかにすることや、心理面でのサポートをすることに、よりいっそう重点が移っていくだろう。

人類の死亡率は100パーセントだが、「生命」そのものは生き続ける。細胞は増殖を止めない。全生物の共通祖先「ルカ」から始まった進化系統樹は伸び続ける。生きることと、がんになることは表裏一体だ

ヒトはなぜ「がん」になるのか
p.313 - p.314


感想


言うまでもありませんが、以上に紹介したのは本書のごく一部です。著者が最後に「この本を書くにあたり、50人以上もの研究者の話を聞き、数えきれないほどの書籍と論文を読んだ」と書いているとおり、サイエンス・ライター、なしは医学ジャーナリストとしての丹念な取材と調査にもとづく記述が本書の価値です。

主題となっている「がんはヒトの体内で起こる進化のプロセスである」という認識は、"なるほど" と納得性が高いと思いました。がんの標準治療である化学療法と放射線療法を見直すべきだという著者の主張は、「進化」の視点でがんを見ると当然そうなるでしょう。「がんを撲滅する」のではなく「がんを人のコントロール配下に置く」ことを目標にするわけです。

と同時に、本書には書いてありませんが、がんの免疫療法やウイルス療法の重要性も分かったと思いました。免疫療法とは、例えば本庶 佑ほんじょたすく先生(2018年ノーベル医学生理学賞)が開発の道を開いた "免疫チェックポイント阻害薬" による治療であり、ヒトが本来もつ免疫機能でがん細胞を攻撃するものです。またウイルス療法は、藤堂 具紀とうどうともき先生の "デリタクト注"(= 薬剤名。2021年に日本で承認)が代表的です(No.330「ウイルスでがんを治療する」)。

免疫機能もウイルスも、生命の歴史の中で進化ないしは共存してきたものです。従って、がんの撲滅はできないかもしれないが、そのコントロールに役立つでしょう。少なくとも、化学療法によって耐性がん細胞を出現させ、結果として手がつけられなくなるようなことは無いと思います。



「進化」という言葉を用いずに本書の内容を1文で要約すると、次の3つのどれかになるでしょう。

・ がんは多細胞生物の宿命である。
・ がんは生きるための代償である。
・ 生きることと、がんになることは表裏一体である。

どれも正しいと思いますが、「宿命」や「代償」という言葉には価値判断が入っています。その意味では、著者が最後に書いている「表裏一体」が最も適切な言葉だと思いました。




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No.335 - もう一つの「レニングラード」 [音楽]

No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 レニングラード」で、この交響曲が作曲された経緯とレニングラード初演に至るまでのプロセスを書きました。ショスタコーヴィチはレニングラード(現、サンクトペテルブルク)の人です。この曲は、独ソ戦(1941~)のさなか、レニングラードがドイツ軍に完全包囲される中で書き始められました。その後、政府の指示でショスタコーヴィチは安全な地に移され、そこで曲は完成し、レニングラードでの初演は1942年8月に行われました。

ところで最近、「レニングラード」と題した別の曲があることを思い出しました。ビリー・ジョエルの「レニングラード」です。なぜ思い出したのかというと、2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略戦争です。この過程で種々の情報に接するうちに、思い出しました。そのことは最後に書きます。


ビリー・ジョエル「レニングラード」


ビリー・ジョエルは1987年にソ連(当時)で公演を行いました。その時に知り合ったロシア人のサーカスの道化、ヴィクトルとの交流を描いた楽曲が「レニングラード」です(1989年のアルバム「Storm Front」に収録)。ちなみにソ連の崩壊はその2年後の1991年でした。詩は次の通りです。試訳とともに掲げます。

なお人名の Victor は、英語圏ではヴィクターでビリー・ジョエルもそう歌っていますが、試訳ではロシア人名の一般的な日本語表記のヴィクトルとしました(ヴィクトールとすることもあります)。


Leningrad
Lyrics by Billy Joel

Victor was born in the spring of '44
And never saw his father anymore
A child of sacrifice, a child of war
Another son who never had a father
after Leningrad

Went off to school and learned to serve his state
Followed the rules and drank his vodka straight
The only way to live was drown the hate
A Russian life was very sad and such was life
in Leningrad

I was born in '49
A cold war kid in the McCarthy times
Stop 'em at the 38th parallel
Blast those yellow reds to hell
And cold war kids were hard to kill
Under their desks in an air raid drill
Haven't they heard we won the war
What do they keep on fighting for?

Victor was sent to some Red Army town
Served out his time, became a circus clown
The greatest happiness he'd ever found
Was making Russian children glad
And children lived in Leningrad.

But children lived in Levittown
hid in the shelters underground
'Til the Soviets turned their ships around
And tore the Cuban missiles down
And in that bright October sun
We knew our childhood days were done
I watched my friends go off to war
What do they keep on fighting for?

So my child and I came to this place
To meet him, eye to eye and face to face
He made my daughter laugh, then we embraced
We never knew what friends we had
Until we came to Leningrad



【試訳】

レニングラード
詩:ビリー・ジョエル

ヴィクトルは1944年の春に生まれ
父に会ったことがない
戦争中に生まれた、犠牲者の子
もう一人の息子も
レニングラード後は父親がいない

学校に行き、国に尽くすことを学んだ
規則に従い、ウォッカをストレートで飲んだ
唯一の生きる道は、嫌なことを紛らせること
ロシア人の一生はとても悲しい
レニングラードでの暮らしも

僕は1949年に生まれた
マッカーシー時代の冷戦の子
38度線でくい止めろ
黄色い共産主義者を打ちのめせ
だけど、冷戦時代の子供たちは殺しはしない
防空訓練で机の下に隠れるだけ
彼らは戦争に勝ったとは聞かなかったのか
何のため戦い続けるのだろう

ヴィクトルは赤軍の町に送られ
兵役を務め上げると、サーカスの道化になった
そこで見つけた最大の幸せは
ロシアの子供たちを喜ばせること
そしてレニングラードに住む子供たちも

レヴィットタウンに暮らす子どもたちは
地下のシェルターに身を隠した
ソヴィエトの船団が引き返して
キューバのミサイルが取り壊されるまで
そして晴れやかな10月の太陽の中
僕らは子供時代が終わったことを知った
僕は友人が戦争に出征するのを見届けた
彼らは何のため戦い続けるのだろう

そして僕と娘はこの地にやってきて
彼と会い、顔と顔、目と目を合わせた
彼は娘を笑わせ、僕らは抱擁を交わした
そこに友がいようとは思いもしなかった
レニングラードに来るまでは


STORM FRONT.jpg
ビリー・ジョエル
ストーム・フロント」(1989)
アルバムの7曲目に「レニングラード」が収録されている。画像は CD のジャケットより。


ヴィクトルとビリー


詩を読んで明らかにように、これはビリー・ジョエルの経験をもとに、米ソ冷戦時代のロシア人・ヴィクトルとビリーの半生を描いています。何点かポイントを書きます。

 1944年春 

ヴィクトルが生まれたのは1944年春とあります。

ヒットラーの率いるドイツ軍がポーランド侵略を始めたのは1939年9月でしたが、1941年6月にはソ連に侵攻しました。そして1941年9月にはレニングラードを包囲し、ここからレニングラード包囲戦が始まりました。ソ連軍が反撃に転じて最終的にレニングラードが解放されたのは 1944年1月です。

ということは、ヴィクトルの母が身ごもったのは包囲戦の最中で、レニングラード解放後すぐにヴィクトルが誕生したことになります。この間にヴィクトルの父親は亡くなった。だから父親を知らない。ヴィクトルは奇跡的に生まれた子といってよいでしょう。

また詩によると、ヴィクトルには兄弟がいます。この兄弟はおそらく兄で、その兄は父親を知っていると考えられます。レニングラード包囲戦より以前に生まれたのかもしれない。詩に「Another son who never had a father after Leningrad」とあります。"レニングラード後の" 父親を知らないというのは、そういう意味でしょう。

 冷戦 

アメリカとソ連の冷戦は、主としてビリーの眼を通して語られます。まず、ビリーは米国におけるマッカーシズム(いわゆる "赤狩り")の時代に生まれました。朝鮮戦争(1950-1953)があり、核戦争に最も近づいたといわれるキューバ危機(1962)があった。子供時代のあとは「友人が出征するのを見届けた」とあるので、これはベトナム戦争(1955-1975)でしょう。そういった中で、学校での防空訓練やシェルターに避難した経験が語られています。

ビリー・ジョエルはニューヨークのブロンクスの生まれですが、ニューヨークの東に位置するロングアイランドで育ちました。レヴィットタウンはそのロングアイランドの街の名前です。

  

ビリー・ジョエルにはアレクサという娘がいて、1987年のソ連公演には当時1歳だった彼女を連れていったそうです。それが詩の最後のパラグラフに反映されています。

1987年といえば、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカがすでに始まっています。とはいえ、アメリカとソ連の冷戦はまだ続いています。アメリカ人の歌手がソ連でコンサートをするのは異例だった。その中でビリーが家族を連れていったというのは、音楽を通して両国民の融和に寄与したいという思いからでしょう。

そして詩の最後にあるように、冷戦時代を生きてきたロシアの道化とアメリカのミュージシャンの人生は、レニングラードで交わった。ヴィクトルはアメリカからやって来た女の子を笑わせました。あたりまえと言えばあたりまえです。しかしその "あたりまえ" が障害なしにできる世界、ビリー・ジョエルの「レニングラード」はそれを願って作られた作品だと思います。


2022年 2月 24日


2022年2月24日、ロシアはウクライナ侵略を開始しました。この過程で我々は、従来あまり知らなかった情報にいろいろと接したわけですが、その中にこの侵略の張本人であるプーチン大統領のことがありました。この人は 1952年生まれといいますから、ビリ・ジョエルとほぼ同世代です。そしてレニングラード出身です。

彼は三男で、2人の兄はプーチンが生まれる前に亡くなっています。そして2人目の兄はレニングラード包囲戦の間に死亡しているのですね。両親はレニングラード包囲戦を生き延びたわけです。レニングラードでは100万人規模の市民の死者で出たと言われています(公式発表は70万人程度)。ほとんどが餓死だったそうです。

考えてみると、この世代の日本人は親から太平洋戦争中はどうだったかを繰り返し聞かされたはずです。それと同じで、レニングラード包囲戦を生き延びた夫婦は、戦後に生まれた息子に戦争はどうだったか、ドイツ軍にどうやって勝利したかを何度も聞かせたと想像します。

そのプーチン大統領は、レニングラード包囲戦(1941~1944)から80年後にウクライナ侵略戦争を開始しました。核兵器による脅しとともに ・・・・・・。これは世界の安全保障の枠組みを根本的に変えつつあり、1991年のソ連崩壊で終わったはずだった冷戦時代に再び世界を逆戻りさせそうな状況です。

それはビリー・ジョエルが「レニングラード」で願った世界とは真逆の方向でしょう。そしてビリーの友人となったレニングラード出身のサーカスの道化、ヴィクトルの思いとも正反対のはずです。

数々の情報に接すると、この現在進行形のウクライナ侵略は、プーチン大統領個人の資質もあるのだろうけれど、ロシア帝国以来、ソヴィエト連邦を経てずっと独裁国家であり続けているロシアの政治体制の病理を見た思いがします。




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No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ [音楽]

No.328「中島みゆきの詩(18)LADY JANE」で書いたように、《LADY JANE》(アルバム「組曲」2015) という曲は下北沢に実在するジャズ・バーがモデルでした。これで思い出すのが、No.328 にも書いたのですが、《店の名はライフ》(1977)です。2つの楽曲には 38年の時間差があるのですが「実在の店がモデル」で「屋号がタイトル」いう点でよく似ています。今回はその《店の名はライフ》の詩について書きます。

なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。


店の名はライフ


「店の名はライフ」は、3作目のオリジナル・アルバム「あ・り・が・と・う」(1977)に収められている作品で、次のような詩です。


店の名はライフ

店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
最終電車を 逃したと言っては
たむろする 一文無したち
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける

店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸
店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸
娘のおかげで 今日も新しいアルバイト
辛過ぎるカレー みようみまね
店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸

店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり
店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり
二階では徹夜でつづく恋愛論
抜け道は左 安梯子
店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり

店の名はライフ いまや純喫茶
頭のきれそな 二枚目マスター
店の名はライフ いまや純喫茶
頭のきれそな 二枚目マスター
壁の階段は ぬり込めてしまった
真直ぐな足のむすめ 銀のお盆を抱えて
「いらっしゃいませ」 ・・・・・・

店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける

A1977「あ・り・が・と・う」

ありがとう.jpg
中島みゆき
あ・り・が・と・う」(1977)
① 遍路 ② 店の名はライフ ③ まつりばやし ④ 女なんてものに ⑤ 朝焼け ⑥ ホームにて ⑦ 勝手にしやがれ ⑧ サーチライト ⑨ 時は流れて

この詩は、各種メディアで紹介されているように、また中島さん自身がコンサートなどで語っているように、実際にあった店がモデルになっています。当時、ふじ女子大学の学生だった中島さんが訪れていた、北海道大学の正門前の喫茶店「ライフ」です。

詩にあるように「ライフ」は自転車屋の隣にありました。また喫茶店は2階で営業していたようで「二階では徹夜でつづく恋愛論」とあるのはそのためです。また3階があって、終電を逃した客が宿泊できるようになっていた。「三階は屋根裏 あやしげな運命論の行きどまり」となっているのはその理由です。

北大正門前ということで、ほとんどの客は学生だったはずです。その彼等・彼女等が、けんけんがくがくで恋愛論や運命論を交わしている ・・・・・・。そういった店がモデルになっています。

その意味でこの詩は中島さん自身の体験・経験・実感がストレートに扱われています。こういったたぐいの詩は中島作品の中では比較的少数です。その意味では貴重な作品といえるでしょう。



その「体験・経験・実感」ということで一つ着目したいのは、詩の中の、

おかみさんと娘 母娘でよく似て 見事な胸

という表現です。実際に「ライフ」のママと娘がそうだったのでしょう。この言い方を聞いて直感的に思い当たるのが、《店の名はライフ》の14年後に書かれた《た・わ・わ》(アルバム「歌でしか言えない」1991)です。


た・わ・わ

モンローウォークにつられてつい振り返る
男心はみんな彼女のマリオネット
胸は熟したフルーツさ眩暈を誘う
みんな寝不足なのさ彼女の夢で
醒めてもうつつ幻づくめ
悩ましい膝組みかえながら

・・・・・・・・
A1991「歌でしか言えない」

男心をわしづかみにする "彼女" に "あいつ" をとられそうになっている女性の心情を語った詩ですが、その「男心をわしづかみ」の一番のポイントは、詩の題が示すように "たわわな胸" なのですね。

中島さんはどこかのインタビューかラジオで「豊かな胸ではないのが自分のコンプレックス」という意味の発言をしていたと思います。これを聞いて思ったのは ・・・・・・。

中島さんは、作詩、作曲、歌唱のどれをとっても超一流で、小説も書き、舞台作品の作・演出・主演・プロデュースまでやっています。アーティストとして、多方面の "天賦の才" を与えられた人だと思います。努力だけではとてもここまでできない。しかも、かなりの美形です。にもかかわらず、さらに "豊かな胸が欲しい" というのは厚かまし過ぎる ・・・・・・ と思ったわけです。

しかし、こういった自分のフィジカル面での不満やコンプレックスや欲望は、メンタルな面とは切り離した形で、多かれ少なかれ誰にでもありそうです。身長から始まって、顔かたちなどいろいろある。それは人間であればやむを得ないのでしょう。

"胸" は普通、"心情" とか "思い" とか "心" とか、そういうメンタルな意味合いで使われます。中島作品に現れる "胸" もほとんどがそうです。"胸" をフィジカルな意味に使ったのは《店の名はライフ》と《た・わ・わ》の2つだけだと思います。

《店の名はライフ》では、店のママと娘さんを形容するときに「働き者のおかみさん」とか「気立てのよいママ」とか「やさしい娘」とか、そういう意味合いの表現ではなく、「母娘でよく似て 見事な胸」が唯一の描写になっています。そういうところにも、この詩が中島さんの経験と実感が投影されていると思います。


時の流れ


もう一つ、《店の名はライフ》の詩で注目したいのは、店の変遷が描かれていることです。「おかみさん(母)」と「娘」が、"カレーも出す喫茶店" をやっていた。その後、店の経営が替わり、二枚目のマスターとウェイトレスの "カレーは出さない純喫茶" になった。直接そとに出られる梯子も無くなった。自転車屋の隣という場所は変わらないけれど ・・・・・・。そういった時の流れが描かれていることが特徴です。

ここで思いつくのは、《店の名はライフ》が収録されているアルバム「あ・り・が・と・う」には "時の流れ" に関係した詩が多いことです。つまり

・ 過去と現在の対比
・ 過去の思い出や記憶
・ 現在に進入してくる過去
・ 時間の経過による移り変わり

といった内容です。「あ・り・が・と・う」に収録されたのは9曲で、

① 遍路
② 店の名はライフ
③ まつりばやし
④ 女なんてものに
⑤ 朝焼け
⑥ ホームにて
⑦ 勝手にしやがれ
⑧ サーチライト
⑨ 時は流れて

ですが、このうち《店の名はライフ》を含む6曲は時の流れをテーマに(ないしは詩の背景と)しています。詩のごく一部を抜き出してみます。



遍路

はじめて私に スミレの花束くれた人は
サナトリウムに消えて
それきり戻っては来なかった
  ・
  ・
  ・
手にさげた鈴の音は
帰ろうと言う 急ごうと言う
うなずく私は 帰り道も
とうになくしたのを知っている

・・・・・・・・

まつりばやし

肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね

・・・・・・・・

朝焼け

・・・・・・・・

眠れない夜が明ける頃
心もすさんで
もうあの人など ふしあわせになれと思う
昔読んだ本の中に こんな日を見かけた
ああ あの人は いま頃は
例の ひとと 二人

・・・・・・・・

ホームにて

この詩は、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」で全文を引用しました。中島作品を代表する曲の一つで、名曲です。

時は流れて

・・・・・・・・

あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
そして あたしは 変わってしまった
  ・
  ・
  ・
時は流れて 時は流れて
そして あたしは 変わってしまった
時は流れて 時は流れて
そしてあたしは
あんたに 逢えない



最初と最後の曲がこのアルバムの性格を物語っています。《遍路》とは "霊場となっている寺院・仏閣を、時間をかけて順に巡る" ことで、その言葉が象徴的に使われている。最後の《時は流れて》は、まさにそのものズバリです。

そういった位置づけに《店の名はライフ》もあります。そして、中島さんがわざわざこの詩を書いたのは、まさしく店の名前が "ライフ" だからではないでしょうか。


それが "ライフ" だから


中島作品には "言葉" に敏感に反応し、言葉からインスピレーションを得たものが数々あります。《店の名はライフ》もそうだと思います。

"ライフ" に相当する日本語を3つに絞ってあげると、「命」「生活」「生涯」といったところでしょう。要するに "生きている" ということです。今を生きている(=命)、時間経過を考慮した生きる(=生活)、長期間の視点での生きる(=生涯)の3つです。

《店の名はライフ》で描かれるのは、恋愛論や運命論をぶつけ合う客たちの "今" であり、店をきりもりするおかみさんと娘の "生活" であり、店の "半生" といったら大袈裟ですが、二枚目マスターへと変わった店の変遷です。つまり店の "life" が描かれています。一つの "生命体" のようであり、店にも "ライフ" がある。

まさに、この店の屋号が "ライフ" だから、この詩が作られた。少なくとも詩作の動機の一つになった。そう思いました。




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No.333 - コンクリートが巨大帝国を生んだ [歴史]

今まで古代ローマについて何回かの記事を書いたなかで、ローマの重要インフラとなった各種の建造物(公衆浴場、水道、闘技場、神殿 ・・・・・・)を造ったコンクリート技術について書いたことがありました。


の2回です。実は、NHKの番組「世界遺産 時を刻む」で、古代ローマのコンクリート技術が特集されたことがありました(2012年)。この再放送が最近あり、録画することができました。番組タイトルは、


世界遺産 時を刻む
土木 ~ コンクリートが巨大帝国を生んだ ~
NHK BSP 2022年3月2日 18:00~19:00


です。番組では現代に残る古代ローマの遺跡をとりあげ、そこでのコンクリートの使い方を詳細に解説していました。やはり画像を見ると良く理解できます。

そこで番組を録画したのを機に、その主要画像とナレーションをここに掲載したいと思います。番組の全部ではありませんが、ローマン・コンクリートに関する部分が全部採録してあります。


古代ローマのコンクリート


【ナレーション】
(NHKアナウンサー:武内陶子)

永遠の都、ローマ。立ち並ぶ巨大な建築は、ローマ帝国の栄光と力を今に示しています。その街並みを作ったのが、高度な土木技術です。

古代の最も優れた土木技術と言われるローマの水道。地下水道をささえているのはコンクリートです。円形闘技場、コロッセオ。5万人の観客が入る巨大娯楽施設でした。コロッセオもまた、そのほとんどがコンクリートで造られています。実は、古代ローマの街を形成する建造物のほとんどがコンクリートで出来ているのです。


円形闘技場:コロッセオ


ローマン・コンクリート01.jpg
円形闘技場:コロッセオ

【ナレーション】

考古学者のジュリアーナ・ガッリさん。25年間、古代ローマ建築を研究するうちに、ローマ独特のコンクリートの重要性を知りました。

【ジュリアーナ・ガッリ】

(コロッセオを指して)この建物は、石積みの柱以外はコンクリートです。表面は大理石が覆っていました。(柱の部分を指して)この部分が石積みの柱です。あの穴には大理石の板を固定する金具が刺してありました。柱と柱の間に灰色の部分が見えます。アーチは全部コンクリート製なんです。あそこは壁の煉瓦が剥がれてコンクリートがむき出しになっていますね。柱以外はコンクリートで出来ていることがよく分かります。コンクリートは観客席まで続いています。

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コロッセオの説明をする考古学者のジュリアーナ・ガッリさん

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コロッセオの柱は石で出来ている。表面を覆っていた大理石の板を固定するための穴が見える。

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柱と柱の間にあるアーチはコンクリート製である。

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壁の煉瓦が剥がれて、柱の間のコンクリートがむき出しになっている。このコンクリートは観客席まで続いている。

【ナレーション】

ローマ帝国の栄華を支えたと言われるコンクリート。この万能の建材は古代ローマコンクリートと呼ばれ、身近な産物から生まれました。

【ジュリアーナ・ガッリ】

あるものが発見されたことで、古代ローマ人はコンクリートを使いこなせたのです。コンクリートを作り出したのはこの「魔法の砂」でした。

ローマン・コンクリート06.jpg
ジュリアーナ・ガッリさんが手に、持った「魔法の砂」を見せている。

【ナレーション】

ここはローマ近郊の採掘所。ジュリアーナさんが持っていた魔法の砂が掘り出されています。ポッツォラーナと呼ばれます。

【ジュリアーナ・ガッリ】

ポッツォラーナは、もともとナポリの近くにあるポッツォーリ地方の火山灰のことでした。ヴェスビオ火山の灰です。その後、イタリアの火山灰全体を指すようになりました。堆積して固まった火山灰を細かく砕いたのがこのポッツォラーナです。

【ナレーション】

魔法の砂、ポッツォラーナとは、火山の噴火で生まれる火山灰です。火山国のイタリア、特に中南部には、数多くの火山が連なっています。

火山灰を建造物に最初に利用したのはエトルリア人でした。紀元前9世紀頃からイタリア半島に住んでいたエトルリア人。彼らは火山灰に水や石灰を混ぜてコンクリートのもとになるセメントを作り出しました。紀元前4世紀頃から、古代ローマはエトルリア人を制圧。その技術を自分たちのものにします。

では、火山灰をどのように古代コンクリートに生まれ変わるのでしょうか。2つの容器に石灰が入れてあります。そこに水を加えるとゆっくりと固まっていきます。右の容器に火山灰、ポッツォラーナを加えてみましょう。

【ジュリアーナ・ガッリ】

5時間後、石灰と水を混ぜた方はまだどろどろです。しかしそこにポッツォラーナを加えた方は固まってきました。これがセメントです。セメントにいろいろな石材と混ぜるとコンクリートが出来ます。こうして古代ローマ人は万能の建材、コンクリートを手に入れたのです。

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石灰 + 水 + ポッツォラーナを混ぜた右の容器は、5時間後に固まってきている。左の石灰 + 水の容器は、まだドロドロの状態である。

【ナレーション】

火山灰の中では噴火で熱せられた酸化ケイ素が急速に冷やされガラス化し、化学反応しやすくなっています。石灰と水にこの酸化ケイ素を加えると、強い結合力を持つセメントになります。このセメントに砂や石を混ぜて強度を高めたのがコンクリートでした。火山の力が酸化ケイ素を化学反応しやすい形に変え、コンクリートの原料を大量にもたらしたのです。



紀元前3世紀頃、古代ローマ人はコンクリートを城壁の建設に使い始めました。セメントに砂や石を混ぜる割合などを工夫して強固なコンクリートを作り出し、エトルリア人から受け継いだ技術を発展させます。

その技術を生かしたのが歴代の皇帝でした。皇帝にとって、国民の支持を得て政権の安定を図ることが何より必要でした。そのために人口が集中するローマに市民のための公共施設をコンクリートで次々に造ったのです。


ヴィルゴ水道


【ナレーション】

観光客で賑わうトレビの泉。後ろ向きにコインを投げ入れると再びローマを訪れることができるという人気スポットです。

泉に水を運んでくるのは、古代ローマの地下水道です。建設したのは初代皇帝、アウグストゥスでした。紀元前27年に即位したアウグストゥスは、公共施設の整備に力を入れます。その一つが水道でした。

地下遺跡をめぐる同好会のメンバー、ダビデ(・コムネール)さんです。古代ローマの技術を調べてきたダビデさんに、地下水道を案内してもらいます。

水道を管理する建物から地下に入ります。水面が見えてきました。地下20メートルです。全長20キロ。地下部分が2キロあるこのヴィルゴ水道。今もきれいな水が流れています。

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ヴィルゴ水道の内部。現在もきれいな水が流れている。

【ダビデ・コムネール】

これは現役で使われている唯一の古代ローマの水道です。皇帝、アウウグストゥスが共同浴場のために作りました。水道の終点は泉にして市民の目を楽しませたのです。

天井も壁も床もすべてコンクリート製です。すでにローマ人が自在にコンクリートを使いこなしていたことが分かりますね。

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ダビデ・コムネールさんがヴィルゴ水道の説明をしている。水道の天井、壁、床面はすべてコンクリート製である。

【ナレーション】

厚さ30センチのコンクリートにしっかりを支えられた地下空間です。コンクリートは作業がしにくいこうした現場に適していました。石材ほど運搬に人手がかからず、短時間で固まるからです。コンクリートは防水性にも優れています。床面に使うことで水漏れを防ぐことができました。

【ダビデ・コムネール】

ほとんで分かりませんが、ヴィルゴ水道は1キロに対し34センチほどの傾斜がつけてあります。これによって水は20キロ離れた水源からローマ市内まで流れてくることが出来るのです。微妙な傾斜をつけるのにコンクリートはうってつけでした。ローマ皇帝は戦争に勝つだけでは権威を保てません。人心を掌握するために市民生活を豊かにするこうした施設を次々に作る必要があったのです

【ナレーション】

2世紀までにローマに11本の水道が作られ、150万人の生活をまかなっていたと言います。コンクリート技術が大都市に豊かな水の安定供給を実現しました。


再びコロッセオ


【ナレーション】

第9代皇帝、ウェスパシアヌスです。彼が紀元79年に建設を始めたのが円形闘技場、コロッセオでした。皇帝ネロが暗殺されたあとの内乱を制したウェスパシアヌス。暴君と言われたネロが作った人工池を埋め立て、巨大な娯楽施設を建設することで支持を得ようとします。ここで行われた剣闘士の戦いは市民を興奮させました。

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コロッセオ

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ローマン・コンクリート15.jpg
(上)剣闘士の闘技会のモザイク画。倒れている剣闘士の名前のそばに φ の文字があるが、これは死を意味する。(下)闘獣士の野獣狩りのショーの様子で、動物はヒョウである。闘技会の前座として行われた。No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」参照。

およそ8割がコンクリートというコロッセオ。舞台を支える地下構造はすべてコンクリートです。観客席もコンクリートを流し込んで作られています。

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コロッセオの地下構造。舞台を支える地下構造はすべてコンクリート製である。

【ジュリアーナ・ガッリ】

こんな巨大な建物が8年で完成しました。コンクリートは形が自由に作れて材料の運搬が簡単でした。また値段の安さが威力を発揮したのです。

【ナレーション】

コロッセオの建設をになったのは、戦争の捕虜や奴隷でした。訓練されていない労働者でもコンクリートは扱えました。石造りに求められるような熟練技術者の数はごく少数で済みました。これもコンクリートの大きなメリットです。


トラヤヌスの記念柱


【ナレーション】

第13代皇帝、トラヤヌスは、コンクリートを存分に活用して領土を拡大します。

ローマ市内に立つ石柱。トラヤヌスが、今のルーマニアに位置するダキアとの戦いに勝利した記念碑です。戦闘風景が描かれた柱には大土木工事の様子も見られます。兵士たちが運ぶ大量の煉瓦。コンクリートを流し込む枠に使われたと言われます。

ローマン・コンクリート17.jpg

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トラヤヌスの記念柱と、煉瓦を運ぶ兵士のフリーズ。

建設されたのはドナウ河にかかる巨大な橋でした。ルーマニアを望むドナウ河の岸辺に橋脚が残っています。コンクリート製です。材料の火山灰はイタリアから運んだと言います。橋は2年で完成。早く固まり、短時間で建造物を作り出すコンクリートは軍事目的に適していました。橋を渡ったローマ軍は一気にダキアを攻略します。

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ドナウ河畔に残る橋脚と、完成した橋の想像図。

トラヤヌスは領土を拡大する戦争を推進。彼が皇帝の座にあったときに、ローマ帝国の領土は最大となります。東西 5000キロ、南北 3500キロという広大な地域を支配することになったのです。



石で造られた、エジプトのピラミッド、ギリシャのパルテノン神殿の紹介。それぞれ高度な土木・建設技術であるが、コンクリートのような素材は使われていない。



【ナレーション】(俳優:向井理)

ふたたびローマです。コンクリート技術によって築かれた永遠の都。その象徴といえるのがパンテオン神殿です。ローマの神々を祭る巨大な空間。円形ドームは当時のコンクリート技術の極みと言われます。自ら設計に携わったといわれるのが、第14代皇帝、ハドリアヌスです。五賢帝の一人、ローマ帝国に最大の国土と安定をもたらした皇帝です。


ティボリのハドリアヌス帝別荘


【ナレーション】(武内)

技術者としての才能にも長けていた皇帝、ハドリアヌス。その手腕を十分に発揮した建造物がローマ近郊にあります。世界遺産、ティボリのハドリアヌス帝別荘です。皇帝自ら設計した別荘は15年かけて造られ、紀元133年に完成しました。東京ドーム26個分という広大さ。3000人近くが住み、一つの町と呼べるほどの規模でした。30あまりの建物から主なものを見てみると、皇帝の宴会場、池を巡る遊歩道、皇帝の執務室、皇帝の住まい、そして住民のための大浴場。

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ローマ近郊のティボリのハドリアヌス帝別荘

大浴場はすべてコンクリートで出来ていました。ここは風呂あがりにマッサージを受け、談笑を交わす大広間です。日の出とともに働き、午後からは公共浴場でゆったりと過ごす。それが古代ローマ人の生活習慣でした。

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ハドリアヌス帝別荘の大浴場と大広間

こちらは使用人のための集合住宅。煉瓦の内側はコンクリートです。大きな建物を速く簡単に造れるコンクリートは、集合住宅にうってつけでした。

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使用人のための集合住宅。外壁の煉瓦の内側はコンクリートである。

考古学者・ジュリアーナさんに皇帝が住んでいた区画を案内してもらいます。ハドリアヌスが最も気に入っていたという建物です。

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「海の劇場」と呼ばれるハドリアヌス帝の住居跡

皇帝の住まいです。水に囲まれた舞台のような形から「海の劇場」と名付けられています。ここもハドリアヌス自身が設計したといわれます。プライベートな空間を囲む水路。設計には水も巧みに取り入れられています

【ジュリアーナ・ガッリ】

すばらしいですね。ここが皇帝が生活していた場所です。中庭もありました。その横は最もプライベートな場所、寝室です。ベッドが置かれていました。皇帝のベッドです。ほら、煉瓦が崩れてコンクリートが見えてます。灰色の部分がセメント。その中に大ぶりの石が混ぜてありますね。

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皇帝の寝室の壁。煉瓦が崩れてコンクリートが見えている。

ハドリアヌスは孤独を愛したので、広い別荘で人と交わらずに過ごそうとしました。特に自分を外界から隔てるために水路は重要でした。

【ナレーション】

この建物、最大の特徴は完全な円形をしていることです。木枠にコンクリートを流し込んで基礎を造りました。外壁、水路、住まいの敷地は、3つの同心円でデザインされています。規模の大きさや豪華さを競い合った当時のローマ帝国の建物と違って、円形のデザインからは独創的で洒落たセンスが伝わってきます。

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「海の劇場」の上空からの画像と、復元想像図。

コンクリートを使えば、思い通りの造形が簡単にできます。皇帝がイメージした完全な円形の住居を石で造り出すのは大仕事ですね。でもコンクリートなら、設計者の発想を自由に表現することができるのです。

コンクリートだから可能になったさまざまな造りが、建物のここかしこに見られます。

【ジュリアーナ・ガッリ】

こちらは小さなスペースを利用したトイレ。煉瓦の壁の中はコンクリートです。ここには大理石の便座が渡されていて、水を流す管を置いたコンクリートのへこみが残っています。

【ナレーション】

住まいにふんだんに用いたコンクリート。ローマ帝国を支える土木技術への、皇帝の愛着が伝わってきます。



ハドリアヌスが広大はローマ帝国の各地を視察したことの解説。ローマ帝国は領土にした各地に土木技術を使った建造物を造った。



視察で知った帝国の現状を統治にどう生かしていくのか。ハドリアヌスは別荘で考え抜きました。政策決定で重要な意味を持ったのがこの場所です。それは皇帝の執務室。

【ジュリアーナ・ガッリ】

壁に7人の哲学者の像があったので「哲学者の間」と呼ばれています。像の前の玉座に座り、皇帝は仕事をしました。彼はローマよりこの別荘に居ることを好んだので、ここは政治にも大きな役割を果たした場所でした。

【ナレーション】

執務室で国政に集中するハドリアヌス。疲れを癒したのがこのドームと言われます。ドームには華麗なフレスコ画が描かれていました。壁の窪みには神々の彫像が並んでいました。装飾の素晴らしさだけでなく、このドームにはローマ帝国の土木技術の粋が詰まっています。コンクリートならではの特徴を生かした建築方法です。

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ドームとその復元想像図

【ジュリアーナ・ガッリ】

これはさまざまな分野で働く人々の技術の結晶です。木材を組み合わせて木枠を造る人、コンクリートを混ぜて木枠に流し込む人、コンクリートの原料を輸送する人、そうした専門家の能力と組織力が十分に発揮されたと言えます。

【ナレーション】

どんな技術が用いられているのか、見ていきましょう。まず、基礎の部分に煉瓦を積み上げ枠を作ります。そこに石を混ぜたセメントを流し込みます。これで全体の重みを支えるコンクリート基盤ができます。次は木で足場を作り、ドーム形の精密な木枠を組んでいきます。外側にも木枠を組み、内と外の間にコンクリートを入れます。上に行くに従って、混ぜる石の重さを軽くしていきます。頂上部分に混ぜるのは軽石です。コンクリートの厚さも上の方ほど薄くして、極力、重量を減らします。こうして、正確な曲線と一定の強度のあるドームを造ることができたのです。

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ドームの建築方法と、現代のドームの正面画像


パンテオン神殿


【ナレーション】

別荘で使われた技術を、ハドリアヌスがさらに極めた建造物があります。パンテオン神殿です。

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パンテオン神殿

世界の建築史上、傑作の一つとされるパンテオン。直径43メートルのドームは完成から1000年以上、世界最大の規模を誇っていました。

【ジュリアーナ・ガッリ】

このコンクリートドームは、古代ローマの土木技術の頂点と言えます。斬新な設計を追求した皇帝の強い意志と、それを実現した人々の高い技術力が感じられます。

【ナレーション】

ここには鉄筋は使われていません。鉄筋なしでこの大きさのドームと造ることは、現代の技術をもってしても至難の技です。

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パンテオン神殿のドーム。コンクリートだけでこの構造が造られている。

ドームの厚さは最大で6メートル。上にいくにつれて薄くなり、頂上では 1.5メートルになります。厚さを調整することで全体を軽くしているのです。4角に窪んだ装飾は建物を軽くするとともに、段をつけることで壁を補強したと言われます。コンクリートで正確な円が造り出されたドーム。そこには、広大な帝国を治めるハドリアムスの決意がこめられていました。

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ドームの4角に窪んだ装飾

天井から床までの高さは、横幅と同じ43メートルです。そのため、ドームの丸みに合わせた球体がすっぽりと入ります。歴代ローマ皇帝は、地中海を中心とした帝国の領土を球体と考えていました。これは、初代皇帝アウグストゥスがエジプトのクレオパトラを打ち破った時の記念銀貨。勝利の女神が世界を表す球体の上に立っています。ハドリアヌスは、パンテオンの中に世界全体を包み入れることでその権威を示したのだと言われます。

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初代皇帝アウグストゥスがエジプトのクレオパトラを打ち破った時の記念銀貨。。勝利の女神が世界を表す球体の上に立っている。



万里の長城、マチュピチュの紹介。また、ハドリアヌスが紀元130年にエジプトのテーベや王家の谷の近くにあるメムノンの巨像を訪れたことの説明。


再びティボリのハドリアヌス帝別荘


【ナレーション】

ハドリアヌスがエジプトの旅の思い出を別荘に再現した水路です。ナイル河の支流、カノープスを模していると言われます。水路の端にあるコンクリートドームからこの情景を楽しみました。岸辺にはナイルで目撃したワニの彫刻も置かれています。ここで皇帝はしばしば大宴会を主催しました。

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ティボリのハドリアヌス帝別荘の水路

【ジュリアーナ・ガッリ】

ここにはコンクリートで造られた寝台のようなものがあり、貴族たちは奴隷の給仕で宴会をしていました。宴会のとき、彼らはこのように横になり、ふんだんに提供される貴重な肉や果物を楽しみました。皇帝は安全の為に、あの上に居たんです。

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皇帝の玉座から見た水路(カノープス)。手前にコンクリートで造られた寝台のようなものがあり、貴族たちは奴隷の給仕で宴会をした。

【ナレーション】

皇帝の玉座から見たカノープスです。宴会では楽士が音楽を奏で、曲芸師が芸を披露しました。皇帝はどんな料理で人々をもてなしたのか。古代ローマ料理の研究家、ジュリア(・パッサレリ)さんにメニューを再現してもらいました。



古代ローマ料理の再現映像。食材は、東南アジアの胡椒、スペインのオリーブオイル、イスラエルのナツメヤシ、ウツボ、川エビ、クジャク(インド原産・ローマで養殖)、ウニとバジル(ソース用)など。



【ナレーション】

60歳に近づいたハドリアヌスは健康を害し、ほとんどの時間を別荘で過ごしたといわれます。41歳で皇帝の位について以来、広大な帝国を廻り続けた日々。別荘にいればその思い出が目の前によみがえります。

紀元138年、ハドリアヌスは生涯を閉じます。62歳でした。ローマ帝国に安定した反映をもたらした皇帝。彼の死とともに、帝国も次第に黄昏を迎えていきます。

帝政末期、財政難と社会の混乱が続き、土木技術も衰えていきました。そして帝国の滅亡とともに、ヨーロッパではコンクリート技術が姿を消します。

【ジュリアーナ・ガッリ】

コンクリートはローマ帝国の象徴でした。国の技術力、組織力、管理力が総合された土木技術だったのです。だから、火山灰がたくさんあっても、帝国が滅亡するとコンクリートも滅亡してしまったんです。

【ナレーション】

ローマだからこそ生まれ、ローマの滅亡とともに消えていった土木技術。しかし古代のコンクリートは、その成果である建造物に生き続け、ローマの栄光を今に伝えています。

【ナレーション】(向井)

コンクリート無くしてローマは無く、ローマ無くしてコンクリートは無かった。その事実を今に語り続けるのが、ハドリアヌスが最も愛した海の劇場です。晩年、皇帝は、一日の多くをここで一人で過ごしたといいます。彼がコンクリート技術の粋を集めた完全な円形。直径は43メートルあります。この数字、ハドリアヌスのもう一つの傑作と一致しています。パンテオン神殿の円形ドームの直径です。広大な領土がすっぽり入るような形に仕上げられたドーム。ハドリアヌスはローマの栄光が永遠に続くと思っていたのでしょうか。

そしてもし、ハドリアヌスが現代のメガロポリスの数々を目にしたら、こう言うのではないでしょうか。「ここにもローマがある」と。




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No.332 - クロテンの毛皮の女性 [アート]

このブログで過去にとりあげた絵の振り返りから始めます。No.19「ベラスケスの怖い絵」で紹介した『インノケンティウス十世の肖像』で、ベラスケスがイタリア滞在中に、当時75歳のローマ教皇を描いたものです。

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ベラスケス(1599-1660)
「インノケンティウス十世の肖像」(1650)
ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ)

この絵について中野京子さんは「怖い絵」の中で次のように書いていました。


ベラスケスの肖像画家としての腕前は、まさに比類がなかった。──(中略)── 彼の鋭い人間観察力が、ヴァチカンの最高権力者に対しても遺憾いかんなく発揮されたのはとうぜんで、インノケンティウス十世は神に仕える身というより、どっぷり俗世にまみれた野心家であることが暴露されている。

眼には力がある。垂れたまぶたを押し上げる右の三白眼。はっしと対象をとらえる左の黒眼。ふたつながら狡猾こうかつな光を放ち、「人間など、はなから信用などするものか」と語っている。常に計算し、値踏ねぶみし、疑い、裁く眼だ。そして決してゆるすことのない眼。

どの時代のどの国にも必ず存在する、ひとつの典型としての人物が、ベラスケスの天才によってくっきり輪郭づけられた。すなわち、ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間、いっさいの温かみの欠如した人間。

中野京子『怖い絵』
(朝日出版社。2007)

肖像画を評価するポイントの一つは、描かれた人物の性格や内に秘めた感情など、人物の内面を表現していることです。正確に言うと、本当のところは分からないまでも、少なくとも絵を鑑賞する人にとって人物の内面を表していると強く感じられることだと思います。それは人物の表情や、それを含む風貌からくるものです。また衣装や身につけているもの、人物のたたずまいや全体の構図も大いに関係してくるでしょう。

我々は、17世紀のローマ教皇・インノケンティウス十世がどういう性格の人物であったのかを知りません。しかし、上に引用した中野さんの文章のような鑑賞もできる。もちろんこれは一つの見方であって、別の感想を持ってもいいわけです。とにかく、人物の内面をえぐり出す画家の技量とそれを感じ取る鑑賞者の感性の "せめぎ合い" が、肖像画の鑑賞の大きなポイントだと思います。

その視点で、中野京子さんが書いた別の絵の評論を紹介したいと思います。画家の王と呼ばれたベラスケスとは知名度がずいぶん違いますが、16世紀イタリアの画家・パルミジャニーノが描いた『アンテア』という作品です。


パルミジャニーノ


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パルミジャニーノ
「凸面鏡の自画像」
(ウィーン美術史美術館)
パルミジャニーノ(本名 ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ、1503 - 1540)は、ローマ、パルマ、ボローニャなどで活躍し、37歳で亡くなりました。有名な作品は『凸面鏡の自画像』(1523/4。ウィーン美術史美術館)です。

自画像を描いた最初はドイツの画家・デューラー(1471-1528)とされています(No.190「画家が10代で描いた絵」の補記1)。このパルミジャニーノの作品も、西欧絵画における「自画像の歴史」の初期の作品として有名なものです。凸面鏡は周辺にいくにつれゆがんで写りますが、それが的確にとらえられています。

パルミジャニーノの他の作品としては、ウフィツィ美術館にある『長い首の聖母』(1534/5)でしょう。長く引き延ばされた身体の表現が独特で、いわゆるマニエリスムの様式です。さらに今回の主題である『アンテア』も有名な絵画です。

以下、『アンテア』の画像とともに中野京子さんの解説を紹介します。引用において下線は原文にはありません。また、段落を増やしたところ、漢数字を算用数字に変更したところがあります。


アンテア


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パルミジャニーノ
「アンテア」
カポディモンテ美術館(ナポリ)


アンテア(= アンティア)とはギリシャ神話の花と花冠の女神の名。ただしここではパルミジャニーノと同時代、16世紀前半のローマに実在した源氏名げんじなアンテアという高級娼婦とされる。

とはいえ本タイトルは画家の死後に付けられたので異説もある。着衣から見て娼婦ではなく、上流階級に属する女性の肖像ではないか、はたまたトローニー(特定の人物ではなく誰でもない誰か)、ないし何らかの抽象概念 ── 愛だの嫉妬しっとだの ── をあらわす擬人像ではないか、などなど。

私見だが、彼女がトローニーとは思えない。フェルメールの青いターバンの少女(= 真珠の耳飾りの少女)と同じで、画家がモデルから強烈な印象を受けながら描いているのが伝わるからだ。アンテアであれ、他の名を持つ高貴な女性であれ、彼女は五百年前にまぎれもなくこの世に、画家の目の前に、この姿で、実在していたに違いない。


フェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は特定の人物を描いたものではない(= トローニー)とされることが多いのですが、もちろんモデルがあるという意見もあります(映画作品が典型)。中野さんは後者の見解で、その理由は「画家がモデルから強烈な印象を受けながら描いているのが伝わる」からです。つまり絵から受ける印象によっているわけで、絵の見方としてはまっとうと言うべきでしょう。

では、パルミジャニーノの『アンテア』からはどういう印象を受けるのか。それが次です。


それにしても何と厄介やっかいそうな美女であろう。心持ち前のめりになって近づいてくる。何のために ?

とうてい男には解決できそうもない難題を突き付けるためにだ。彼女の言い分を聞いてやるだけで、すでにして面倒事に巻き込まれたと同じ。かといって無下に断るわけにもいかない。あまりに魅力的すぎて ・・・・・・。

大きな思いつめたやや上目づかいで強い光を放つ眼が、訴えかけてくる。何を言うのだろう、想像もできない。形の良い薄い唇が今にも語りはじめる。君子、危うきに近寄らず。頭の中でアラームが鳴る。背をむけて、さっさと逃げたほうがいい。しかし足が動かない ・・・・・・。

中野京子「同上」

このアンテアという女性は、何だか "思い詰めた" 表情で、見る人の方に迫ってくる感じがして、切迫感があります。それを倍加させているのが、彼女の身体の様子と身につけている品々です。


アンテアはわずかに身体をひねっている。右肩や右腕を前へせり出しているのも、見る側に迫ってくるイメージだ。右手にだけ手袋をめている。それも分厚く無骨な狩猟用手袋で、優美な衣装や宝飾品とはそぐわない。左手は白い美しい素手。小指にルビーをきらめかせ、神経質そうに大ぶりのネックレスをまさぐる。

中野京子「同上」

右手だけにめた手袋が "狩猟用" だということは知識がないと分からないのですが、それを知らないまでも、この手袋は我々が知っている "婦人用手袋" とは違った、"白く美しい手" には似つかわしくない手袋であるのは確かでしょう。そして極めつけは、彼女がその手袋で鎖を握りしめているクロテンの毛皮です。


驚くのは、右肩に掛けたクロテンの毛皮であろう。つややかな毛並みのテンは(シベリア産の最高級品ロシアンセーブルかもしれない)、彼女の肩から流れるように胸元を走り、右手に至る。テンの筋肉質の前脚、小さいながら獰猛どうもうな顔、きだした鋭い白い歯は、生きていた時そのままに剥製はくせい化してある。

テンの鼻づらには金鎖が付いていて、彼女はそれを手に巻きつけている(テンの歯は手袋に噛みついているように見える)。当時はこうした使い方が流行していた。つまり生きたペットと見間違えられるような毛皮を、ファッションの一部にあしらったのだ。しかしもちろんここにわざわざ肉食性の小動物を配しているのは、彼女の本性へのほのめかし以外の何ものでもない。

中野京子「同上」

彼女の両手のあたりの拡大図を以下に掲げます。「小指にルビーをきらめかせてネックレスをまさぐる白い美しい左手」と、「狩猟用手袋をはめて毛皮の鎖を握る右手」、そして「剥製になったクロテンの獰猛な頭部の様子」が見て取れます。

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パルミジャニーノ
「アンテア」(部分)

2つの "鎖" が印象的です。左手が示す "鎖"(=ネックレース)は「私」、右手にかけた "鎖"(= クロテンの手綱たづな)は「貴方あなた」(= 男)なのでしょう。「わざわざ肉食性の小動物を配しているのは、彼女の本性へのほのめかし以外の何ものでもない」と中野さんが書いているのは、まさにその通りだと思います。



引用した中野さんの文章は、あくまで個人的な感想であり、別の見方や感想があってもよいわけです。しかしこの肖像は、描かれたモデルの、

・ 表情
・ 態度
・ 身につけているもの

の3つの "総合" で「ただならぬ気配、異様なまでの緊迫感」(中野京子)を描き出しているのは確かでしょう。その点において、肖像画の一つの典型と言えると思います。




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No.331 - カーネーション、リリー、リリー、ローズ [アート]

No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、画家・サージェント(1856-1925)の『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館所蔵)のことを書きました。ベラスケスの『ラス・メニーナス』への "オマージュ" として描かれたこの作品は、2010年にプラド美術館に貸し出され、『ラス・メニーナス』と並べて展示されました。

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ジョン・シンガー・サージェント
(1856 - 1925)
「エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち」(1882)
(222.5m × 222.5m)
ボストン美術館

この絵の鑑賞のポイントの一つは、画面に2つ描かれた大きな有田焼の染め付けの花瓶です。これはボイト家に実際にあったもので、その後、ボストン美術館に寄贈されました。この有田焼は当時の欧米における日本趣味(広くは東洋趣味)を物語っています。

そして、同じサージェントの作品で直感的に思い出す "日本趣味" の絵が、画面に提灯と百合の花をちりばめた『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885-6。テート・ブリテン所蔵)です。No.35 では補足として画像だけを載せましたが、今回はこの絵のことを詳しく紹介します。というのも、最近この絵の評論を2つ読んだからで、その評論を中心に紹介します。


カーネーション、リリー、リリー、ローズ


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ジョン・シンガー・サージェント
(1856 - 1925)
カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(1885-6)
(174cm × 154cm)
テート・ブリテン

まず、このブログで今まで多数とりあげた中野京子さんの評論から紹介します。この絵の第1のポイントは、夕暮れの時の一瞬を描いたというところです(以降の引用で下線は原文にはありません。また段落を増やしたところ、漢数字を算用数字に直したところがあります)。


「夕暮れ」を表現する言葉は多彩だ。英語とドイツ語では「二つの光」と言い、昼と夜の明暗が交差することを示す。フランス語では「犬と狼の間」と呼ぶことがある。薄闇の中を近づいてくる相手が安全か危険か見定めがたい、という不安の心情だ。日本語の「黄昏たそがれ」も語源は「そ、彼(= あれは誰か)」からきている。果たして見えているのは、味方か敵か。そういえば、「逢魔おうまが時」という呼び方もあり、となれば、人か魔か、近づくまではわからない。わかった時にはもう遅い。

── 異界と重なりあうこの入相いりあいの時は、しかし誰もが知るとおり、怖いが美しい。いや、怖いまでに美しい。多くの画家同様サージェントもまた、黄昏時のつかの間の幻想をキャンバスにとどめたいと意欲を燃やし、本作を完成させた。


夕暮れを表現する言葉は多彩です。薄暮、宵、という言い方もあります。いずれも日没前後の時間ですが、特に日没後の短い時間を指すことが多い。日没の後には西の空に夕焼けの赤みが残り、次にはその赤みが無くなって空は群青になり、次にはその青みも消えて黒くなる。サージェントのこの絵は、その空が黒くなる手前の時間、西の空が橙色か、それを過ぎた深い青の時間を描いていると感じさせます。


花々の乱れ咲く庭園で、白いドレスの少女二人が無心に提灯ちょうちんるす。自然光と人工光という異質な明かりが混じりあいながら顔を、金髪を、指先を、ドレスを、そして花や葉を照らし、この世ならぬ雰囲気を醸し出すとともに、どこか懐かしい甘い記憶に訴えかけてくる。

「同上」

この絵は「花々の乱れ咲く庭園の中に少女が2人」というのが基本的なテーマですが、本当にこれがリアルな光景なのか、実は幻影ではないかという感じが、ふとします。「この世ならぬ雰囲気を醸し出す」と中野さんが書いている通りです。その大きな理由は薄暮の時の「自然光と人工光の混じりあい」なのでしょう。さらにもう一つは、画面を埋め尽くす庭園の花々と草が、まるで壁紙に描かれたように見えることでしょう。これはリアルな光景なのか、と暗黙に思ってしまうわけです。

サージェントはアメリカ人ですが、この絵を仕上げた当時は英国に住んでいました。そしてカンヴァスを野外に持ち出し、薄暮の僅かな時間を狙って少しづつ仕上げていったと言います。そのため花々は枯れてしまい、そうすると制作を中断し、新しい花が育つまで待った。完成までに長い時間がかかったようです。


タイトルの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、当時のポピュラーソングの歌詞から取られたという。花の女神フローラの花冠はカーネーションと百合ゆり薔薇ばらで編まれている、とリフレインする印象的なフレーズだったらしい。

「同上」

この絵のもとになったのは当時の英国の "はやり唄" であり、花の女神フローラを唄ったものというのは象徴的です。ルネサンス期以降の西洋絵画に、ギリシャ神話の女神・フローラがいて、その周辺に花がちりばめられている絵がいろいろあります。ボッティチェリの『春』(ウフィツィ美術館)に描かれたフローラはその典型でしょう。サージェントのこの絵に現実感が希薄なのは、そいういうことと関係しているのかもしれません。

そして目に付くのが提灯です。なぜ英国の庭園に提灯があるのか。それは当時のヨーロッパの、ある種のブームに関係しています。


さて、画面には日本の提灯が、丸いもの、筒形のもの、いくつも登場している。サージェントは本作に取り組む少し前、テムズ川下りをしていた時に、岸辺の木々の枝に吊られた不思議な紙製の明かりを見て、魅了みりょうされたのだった。そこから愛らしいこの絵画が生まれたと思えば日本人として感慨深いし、19世紀にもう提灯がヨーロッパへ輸出されていたことにも驚く。

本作からさかのぼること、およそ20年、ロンドン万博が開催されており(1862年)、このとき日本は国家としての正式出展はしなかったのだが、初代駐日総領事だったイギリス人ラザフォード・オールコックが、個人コレクションを展示した。象牙ぞうげ、漆器、七宝、刀剣、甲冑かっちゅう、浮世絵、錦絵にしきえはむろんのこと、オールコック自身が珍奇と感じた日用品もそこに混じっていた。蓑笠みのがさ藁草履わらぞうり、提灯など。

同時期に派遣された江戸幕府の遣欧使節団(福沢諭吉も参加)は、庶民の使う雑具まで万博に並べられるのは国辱こくじょくと思ったようだが、ヨーロッパ人にとってはどれもエキゾティックと好意的に受け取られた。

「同上」

その提灯ですが、もともと中国由来で、室町時代に日本に伝わりました。中国の提灯は、今でもそうですが、構造材が縦に通っています。一方、日本の提灯は "蛇腹" になっていて、ぺたんと折り畳める。この構造は日本の発明です。サージェントの絵に描かれているのはこの日本方式の提灯です。


とりわけ提灯だ。

内部にロウソクをともして和紙や絹で風防し、手に提げて持つ懐中電灯の昔版である。中国伝来だが、中国の提灯は折りたたむことができない。和製提灯の折りたたみ機能の斬新ざんしんさは、日本人の創意工夫から生まれたもの。

その形態にロマンティックでやわらかな光の効果が相俟あいまって、欧米では一時大流行したのだった。サージェントが見たように岸辺を彩ったり、レストランの戸外テーブルの周りに灯された。その下で、女性たちはさぞかし妖艶ようえんさを増したであろう。彼女らが魔女に変わるかどうかは知らないが、黄昏時に提灯を持つ少女が妖精に変わったのは間違いない。

「同上」

文章の最後で中野さんは "妖精" という言葉を出しています。No.318「フェアリー・フェラーの神技」に書いたように、英国は "妖精大国" です。妖精の民話が大量にあるし、著名文学にも登場します(シェイクスピア、ピーターパン ・・・・・・)。そして "妖精画" が絵画の大ジャンルであり、妖精画を専門に描く "妖精画家" がいた。英国在住の画家・サージェントはそういった事情を良く知っていたはずです。

画家は、白いドレスを着て提灯を灯す2人の少女を妖精に見立てているのではないでしょうか。「この世ならぬ雰囲気」はそういうところからも来ていると感じます。



ところで、この絵には提灯以外に日本関連のアイテムが描かれています。それがヤマユリです。最近の日本経済新聞の日曜版(The STYLE。2022年1月30日)に、窪田直子記者(東京編集局文化部)がそのことを書いていました。それを次に紹介します。


花の東西交流


窪田記者の記事は、

19世紀 園芸の東西交流(1)
植物ハンター、世界をめぐる

と題するものです。19世紀当時、ヨーロッパの "植物ハンター(プラントハンター)" と呼ばれる人たちが、世界の植物を自国に持ち帰った。もちろん日本の植物もその中にあった。そういった交流のあかしとしてサージェントの絵を取り上げているのです。記事はまず『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』の解説から始まります。


「サージェントのあのユリの絵、どこにありますか」。来館者によくそう尋ねられると言ってテート・ブリテンの学芸員は笑った。10年ほど前に取材でロンドンを訪れたときのことだ。「カーネーション、ユリ、バラ」がとらえる日没まぎわの幻想的な光景は、それほど見る者を魅了してやまない。

まず、構図が変わっている。中央の白いサマードレスの少女は、画家の友人の娘のドリー、11歳。彼女が中心人物のようにも思われるが、視線はすぐにその横に立つ 7歳の妹、ポリーへと移る。きまざまな花や紙の提灯ちょうちんが壁紙の模様のように散らされて、どこに焦点をあててよいのか、分からない。

窪田直子
日本経済新聞・Nikkei The STYLE
(2022年1月30日)

この絵の発想のきっかけになったのは、画家がテムズ河畔でたまたま目にした提灯です。サージェントはロンドン近郊の友人宅に滞在しながら、この絵を描きました。


制作にあてたのは日没前のわずか10分ほどだ。友人らと芝生でテニスをしながらイメージ通りの光を待ち、辺りが薄紫に染まるやカンバスの前に立って、小鳥のように動き回りながらタッチを重ねたという。秋になって植物が枯れると、未完成の絵を残していったんロンドンに帰京。翌年までに50個ほどのユリの球根を友人宅に送り、植木鉢で育てるように依頼している。

「再現不能に思える花々やランプの色、草むらの輝く緑。絵の具ではとても彩度が足らない。しかも光の効果が続くのは10分間だ」この絵を仕上げる難しさを手紙につづっている。

絵の細部をあらためて見てみよう。2本の長いユリの茎に糸をわたし、つるした提灯に、少女たちが光をともす。息をつめた真剣な面持ちのポリーの指先がほんのり赤くらされている。姉妹の純白のドレスは、オレンジ色の提灯とトワイライトの光を映し出すカンバスだ。ユリの白、バラのピンク、カーネーションの赤と黄色も、実に丁寧に色調を描き分けている。画面の中央左のユリは提灯に照らされピンクがかっている。右下方のバラの群れには、陰りゆく日の光が感じられるだろう。ドリーのドレスの前後に咲くカーネーションは、光をあびているものは明るく、陰の花は赤黒い。そう、この絵は刻々と移りゆく光のパージェント、光と色彩の交響詩なのである

「同上」

そしてサージェントのこの絵には、親交が深かったモネと同様、ジェポニズムの時代の空気が色濃く出ています。その典型が提灯ですが、もう一つの重要なアイテムがヤマユリです。


カンバスを国外に持ちだしての制作、自然光による時間の表現といえば、印象派の画家モネを思い起こすかもしれない。サージェントはモネと親交が深く、印象派の動向にも詳しかった。モネは浮世絵を所有、着物や扇を絵のモチーフにするなどジャポニスムに影響を受けたことでも知られる。サージェントの絵にも、そんな時代が映り込む。東洋風の提灯だけではない。少女たちの背後で華麗に咲き匂う大きなヤマユリ。19世紀後半、日本からもたらされたこの花は、センセーションを巻き起こしていた

「同上」


プラントハンター


江戸時代後期、日本の植物をヨーロッパに持ち帰ったのがシーボルトでした。ドイツ出身のシーボルトは医者で、長崎の出島ではオランダ商館医のポジションにつきますが、同時に彼は植物学者でもあり、多数の日本の植物をヨーロッパに送りました。これをきっかけに日本のユリがヨーロッパで大人気を博します。


ユリは聖母のシンボルとしてキリスト教の宗教にたびたび登場する。中世までの古い絵に接かれるのは古来ヨーロッパにあるニワシロユリ。花びらの長さが5センチにも満たない小型の花だ。ユリは宗教的な意味を含む特別な花である。一方、葬儀にも用いられることから観賞用には好まれなかったという。

その状況を一変させるのが、シーボルトが欧州にもたらした日本の花。二ワシロユリの1.5倍ほどの大きさになるテッポウユリや、紅色の花弁が華麗に広がるカノコユリである。これらは "マドンナ・リリー" がかすむほどの人気を集め、その球根は同じ重さの銀と取引されるほどだった。

江戸時代後期に長崎の出島に滞在したドイツの医師・植物学者のシーボルトは2度にわたり600種類以上の植物を欧州に向けて送った。ところがそのリストにヤマユリの名がない。当時の技術でその球根を運ぶのは至産の業だったのだという。シーボルトが137種の植物を積み込んだハウトマン号は1829年、オランダのライデン植物園に到着。しかし、熱帯を2度通過する過酷な船旅で57種が枯れていた。同年、今度は485種の植物とともにジャワ号で日本を出帆。目的地までたどり着いたのは260種にすぎない。生きたままの植物を届けることがどれほど困難だったかがわかる。

「同上」

Madonna Lily.jpg
マドンナ・リリー
(庭白百合、ニワシロユリ)
この引用にあるように、当時のヨーロッパで一般的なユリは "マドンナ・リリー" で、古来から聖母マリアのシンボルでした。受胎告知の場面で大天使・ガブリエルが持っている花もこれです。マドンナ・リリーの別名が "Garden White Lily" で、和名のニワシロユリはこの直訳です(庭白百合)。日本のテッポウユリに似ていますが、テッポウユリよりも小型です。

しかし『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』で、少女の後ろの目立つ位置に描かれているのはヤマユリです。そしてヤマユリが本格的にヨーロッパに輸出されるのは明治以降です。それは引用にあるように、輸送が難しかったからです。

ヤマユリ.jpg
ヤマユリ

ヤマユリ(c).jpg
サージェントの「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」に描かれているヤマユリ。絵の中央上方の拡大図。


日本の植物、なかでも花の球根の買易が盛んになるのは明治の開国後、プラントハンターと呼ばれる人々の活躍によるところが大きい。ヤマユリにいち早く目をつけ、「日本から導入すべき最も注目に値する美しい植物」としたのも、英国の園芸者「ヴィーチ商会」の一族出身のジョン・グールド・ヴィーチだ。中国産植物の採集で知られるスコットランド出身のロバート・フォーチュンも、ヤマユリの球根をヴィーチ商会のライバル社に送っている。

お雇い外国人のルイス・ボーマーが横浜に設立した「ボーマー商会」もユリ根の輸出で大成功を収めた。ヤマユリは中部地方から関東地方に多く自生。神奈川県を中心に山採りされた球根が出荷された。「ユリ根の出荷作業」は、同商会の商品カタログに掲載された挿絵である(引用注:下に引用した図)。作業中の女性の前に並ぶ、おはぎのようなものは、細かく砕いて水で練った赤土の泥団子。ユリ根をこれで包んで船に乗せた。「腐敗を防いで運ぶカギは混度の管理。球根を水ゴケで巻くなど、さまざまな工夫を凝らしたようです。菌などの少ない土を使うことも極めて重要でした」。総合園芸企業「横浜植木」の伊藤智司社長が教えてくれた。

「同上」

ユリ根の出荷作業.jpg
ユリ根の出荷作業
横浜のボーマー商会の商品カタログの挿絵。女性のそばにユリ根と赤土の泥団子が描かれている。日本経済新聞(2022.1.30)より。

ちなみに、上の引用に「ヤマユリは神奈川県を中心に山採りされた球根が出荷された」との主旨があるが、現在の神奈川県の "県の花" はヤマユリである。


同社の前身、横浜植木商会はボーマー協会で主任番頭を務めた鈴木卯兵衛が90年に設立。JR横浜駅から車で15分はどの住宅街にある創業の地でいまも営業を続ける。大正時代の鳥瞰図を見せてもらって驚いた。一面の畑。敷地内には種子部、発送部、荷造場、検疫室、燻蒸室、20もの温室、球根室などが並んでいた。ユリを含む作物の輸出はすでに一つの産業だったのだ

「カーネーション、ユリ、ユリ、バラ」の舞台である英国にヤマユリが届いたのは62年のことらしい。王立園芸協会のフラワーショーに出品されて「非常な大きさ、花数の多さ、力強い香り、優雅で品位のある外観」が人々を魅了。やがて米国、インド、シベリアなどからもさまざまな品種が導入されてユリ栽培がブームになった(春山行夫著「花の文化史」)。世界を駆けめぐる植物愛好家の夢と情熱を、サージェントも感じ取っていたにちがいない。

「同上」

横浜植木.jpg
横浜植木商会
横浜植木商会の大正時代の鳥瞰図。ユリ根を含む作物の輸出が一つの産業だった。ユリ根は、当初は山採りされていたが、大規模栽培して輸出されるようになり、日本の外貨獲得に貢献した。日本経済新聞(2022.1.30)より。

我々は学校の日本史の教科書で、明治時代に日本の貿易をささえていた(= 外貨獲得のかなめだった)のが生糸だと習うわけです。それは全くその通りですが、実はユリ根も大切な輸出品だったのです。生糸と同じく、そのほとんどが横浜港から輸出されました。その結果(ヨーロッパにはない)日本の大型のユリが大人気を博し、サージェントの絵につながった。

補足しますと、現代では園芸用のユリ球根の8割はオランダからの輸入です。なぜかというと、オランダはチューリップなどで培った球根の品種改良技術が優れているからだそうです(日本経済新聞。2013.5.14 による)。

以上の背景を踏まえた上で、サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』を再度見てみます。

Sargent - Carnation, Lily, Lily, Rose.jpg
ジョン・シンガー・サージェント
カーネーション、リリー、リリー、ローズ
テート・ブリテン

この絵の主題は「夕暮れ時の一瞬に見られる光と色彩の交響詩」です。これをカンヴァスに定着させることに画家は心血を注いだ。モデルは白いドレスの妖精のような2人の姉妹で、背景はイングリッシュ・ガーデンです。

そしてこの絵を当時の英国人の目から見ると、英国ではあまり見かけないアイテムが2種類描かれています。一つは提灯で、もう一つはヤマユリです。それがエキゾチックな雰囲気をかもし出す。この2つを配置することで、昼と夜の境界領域である薄暮の時間の幻想的な雰囲気が倍加される。

これら全てが見る人を魅了してしまう傑作、それが『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』なのでした。




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No.330 - ウイルスでがんを治療する [科学]

No.314「人体に380兆のウイルス」の最後の方に、東京大学医科学研究所の藤堂とうどう具紀ともき教授が開発した "ウイルスによるがん治療薬" が承認される見通しになったとのメディア記事を紹介しました(2021年6月11日に承認)。今回はその治療薬の話を詳しく紹介します。

承認の対象となったがんは、脳腫瘍の一種である悪性神経膠腫こうしゅで、条件・期限付き承認です。期限は7年で、7年後にそれまでの治療結果をもとに再度、承認の申請の必要があります。またすべての悪性神経膠腫の患者さんに使えるのではなく制限がかかっています(後述)。とはいえ、これは画期的な治療薬です。つまり、

◆ ウイルス療法の治療薬が日本で初めて承認された。

◆ 脳腫瘍を対象にしたウイルス療法薬が世界で初めて承認された。

◆ 開発から製造までの全工程を日本で行った国産ウイルス療法薬である。

という3つの点で画期的です。この治療薬の開発名は G47Δデルタで、WHOが決めた一般名称は「テセルバツレブ」、製品名は「デリタクト注」です("注" は注射薬の意味。製造する製薬会社は第一三共株式会社)。

ウイルス療法薬とは「がん細胞にのみ感染するウイルスを投与し、そのウイルスが次々とがん細胞に感染し破壊することでがんを治療する」というものです。どうしてそんなこと出来るのか、また、この薬による治療の承認対象となった脳腫瘍とはどんなものかについて以下にまとめます。

藤堂教授は 2021年末に『がん治療革命 ウイルスでがんを治す』(文春新書 2021.12.20。以下「本書」)という本を出されました。この治療薬の開発の歴史からはじまって、がんを治療するメカニズム、臨床試験の結果、承認に至るプロセスなどがまとめられています。その一部を紹介します。


脳腫瘍


私事になりますが、私と同期入社の M さんは脳腫瘍により 30代で亡くなりました。入院されてから数ヶ月だったと思います。アッという間という感じでした。働き盛りというか、これから真の働き盛りを迎えるその前に、奥様と子供を残して "突如として" 命を奪われた。残酷なものだと思いました。私が G47Δ に強く興味をもったのは、この記憶があったからです。



私たちの頭蓋骨の内側には "髄膜" があり(硬膜・クモ膜・軟膜の3層構造)、その内側に脳組織があります。脳腫瘍とは頭蓋骨の内側にできる腫瘍(=がん)の総称です。

脳腫瘍は医学的に細分すると100種類以上ありますが、大きくは「原発性か転移性か」と「良性か悪性か」に分類できます。「原発性」は脳組織そのものから生じた腫瘍であり、「転移性」は体の他の部位の腫瘍が脳に転移したものです。本書でとりあげているのは原発性の脳腫瘍です。原発性脳腫瘍は年間で1万人あたり約1人が発症し、お年寄りから子供まで幅広い年齢層にわたります。

原発性脳腫瘍には「良性」と「悪性」があり 6割が良性、4割が悪性です。この区別は腫瘍ができる部位の違いです。良性脳腫瘍は脳組織の外側にできた腫瘍で、たとえば髄膜にできる髄膜腫です。良性脳腫瘍は脳組織を損傷することなく切除することが可能です。従って大半は外科手術で治ります。5年生存率は、腫瘍の種類によって違いますが、97%~99% といった高い数字です。

一方、悪性脳腫瘍は、がん細胞が脳組織の中に染み込むように散らばっている腫瘍で(専門的には "浸潤しんじゅん")、手術で完全に取り除くことは困難です。他の臓器の腫瘍のように「なるべく広く切除しておこう」なんてことは、脳ではできない。脳の深部の腫瘍になると後遺症を出さずに摘出するのは困難です。

悪性脳腫瘍で最も多いのは「グリオーマ(=神経膠腫こうしゅ)」で、「グリア細胞」にできる腫瘍です。グリア細胞は脳神経細胞を取り囲むように存在し、神経をささえています。"グリア" とはギリシャ語でにかわの意味で、日本語では「神経こう細胞」です。

悪性脳腫瘍はその "悪性度"(がん細胞の増殖の早さなど)によってグレード2~4に分類されますが(グレード1 は良性)、グリオーマと診断されてからの余命は、グレード2で7~8年、グレード3 で約3年、グレード4 で約1年です。グリオーマは、現代の医療ではほぼ 100% 治らないがんなのです。

このグリオーマの治療を対象として、2021年6月に承認されたウイルス治療薬が G47Δ です。これはヘルペスウイルスを改変して作られました。


ヘルペスウイルス


ヒトに感染して病気を引き起こすヘルペスウイルスは 8種類ありますが、主なものは次の3つです。

① 単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)
口唇ヘルペス、ヘルペス性歯肉口内炎、ヘルペス性角膜炎などを引き起こします。

② 単純ヘルペスウイルス 2型(HSV-2)
主に性器ヘルペスの原因となるウイルス。

③ 水痘・帯状疱疹ウイルス(HSV-3)
水ぼうそう(水痘)の原因となるウイルス。水ぼうそうが治ったあとも神経細胞に潜伏し、加齢や免疫力の低下で暴れ出して帯状疱疹を起こします。

G47Δ に使われるのは ① の「単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)」で、口唇ヘルペス(口唇に湿疹ができる)を起こします。このウイルスは人との直接的な接触によって感染しますが、初めて感染したときには大抵の人は症状が出ず、ウイルスは神経細胞の中にもぐり込んでしまいます。これを「潜伏感染」と言います。そして、何らかの原因で体の抵抗力が落ちているときに症状を引き起こす。症状は10日から2週間程度で治まります。症状を軽くする薬もあります。

潜伏感染している HSV-1 を退治することは、現代医学ではできません。感染したらずっとその人にひそみ続けます。そのため、日本の成人の約8割がこのウイルスに対する抗体を持っています。つまり感染しているわけです。20代から30代では約半数、60代以降ではほとんどの人が感染しているというデータもあります。つまり HSV-1 は「非常にありふれた身近なウイルス」なのです。



このウイルスはありふれた存在であるため、よく研究されていて、ウイルスの遺伝子(80以上ある)とその機能が解明されています。そのためウイルスの遺伝子を改変してがん治療に使うのに適しています。HSV-1 は人間がコントロールしやすい。これが重要な点です。

また万一、改変したウイルスを人に投与して病気を発症したとしても、ヘルペスウイルスに対する抗ウイルス薬があるので、投与を中断して治療が可能です。

さらに HSV-1 は、ほぼあらゆる種類のヒトの細胞に感染します。これもウイルスをがん治療に使うときに好都合です。


がん細胞を殺すメカニズム


G47Δ は単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)の次の3つの遺伝子を改変し、遺伝子が働かないようにしたものです。

遺伝子1:γ34.5

この遺伝子の働きを止めると、口唇ヘルペスなどの病気を起こさなくなります。

またこの遺伝子は、感染した細胞の自滅を防ぐ機能を持っています。ヒトの正常な細胞は、ウイルスに感染すると細胞内のタンパク質合成を停止させ、ウイルスとともに自滅します。これによってウイルス感染の広がりを防いでいます。HSV-1 のこの遺伝子は、その自滅を阻止します。従ってこの遺伝子の働きを止めると、ヒトの細胞の自滅機能が有効なままであり、ウイルスの感染は拡大しません。

その一方で、がん細胞は自滅する機能に異常があり(だから増殖し続ける)、この遺伝子の働きを止めた HSV-1 であってもウイルスは増殖が可能です。つまり「正常細胞では細胞の自滅により増殖できないが、がん細胞では増殖できる」ことになります。その結果として HSV-1 はがん細胞を次々と破壊していきます。

遺伝子2:ICP6

HSV-1 は内部に DNA を持つ "DNAウイルス" で、細胞に入り込むとそのDNAを複製して増殖します。このとき、DNAを合成する酵素が必要になりますが、ICP6はその酵素を作り出す遺伝子です。

骨髄細胞や腸管の表面細胞などの増殖を繰り返している細胞を除いて、正常な細胞の中には DNA合成酵素が(ほとんど)ありません。そのため HSV-1 は ICP6遺伝子によって合成酵素を作り出して増殖するわけです。従って、ICP6の働きを止めた HSV-1 は正常細胞の中では増殖できなくなります

一方、分裂を繰り返してどんどん増えているがん細胞には DNA合成酵素がたくさんあります。従って ICP6の働きを止めた HSV-1 であっても、がん細胞の中では増殖できます。つまり「正常細胞では増殖できないが、がん細胞では増殖できる」ことになります。

遺伝子3:α47

免疫(獲得免疫)の基本的なしくみは、細胞内にあるタンパク質の断片(ペプチド)が細胞表面に提示されることから始まります。このとき、ウイルスに感染した細胞は自己由来のペプチドに加えて、ウイルスのタンパク質由来のペプチドが提示される。この "非自己の提示 = 抗原提示" を免疫細胞である T細胞が特異的に認識して免疫が発動します。ヘルパーT細胞が認識すると B細胞を活性化して抗体の生産が始まり、キラーT細胞が認識するとウイルスに感染した細胞を直接破壊します(No.69「自己と非自己の科学(1)」参照)。

HSV-1 の α47 という遺伝子は、細胞表面にウイルスのタンパク質が提示されないようにする作用があります。これにより HSV-1 はヒトの免疫系の監視を逃れて感染を拡大できるのです。

一方、がん細胞は、あの手この手を使ってヒトの免疫システムから逃れ、増え続けています。そのがん細胞に α47 の働きを止めた HSV-1 が感染すると、HSV-1 由来のタンパク質(の断片=ペプチド)が、がん細胞の表面に提示される。これがヒトの免疫細胞に認識され、がん細胞に対する抗体ができます。つまり、HSV-1の増殖によってがん細胞が破壊されることに加えて、ヒトの免疫システムによってがんを縮小でき、より一層の治療効果が期待できます。



以上の、3つの遺伝子が働かないように操作した HSV-1 は、がん細胞のみで増殖し、がん細胞を破壊します。増殖してできた HSV-1 がほかのがん細胞に次々と感染して破壊していきます。また、免疫細胞もがん細胞を認識できるようになり、抗体でがん細胞を死滅させる。これが G47Δ によるがん治療の原理です。

がんのウイルス療法.jpg
癌のウイルス治療のイメージ
(朝日新聞デジタル 2021.5.24 より)


第2相臨床試験


G47Δ の有効性を確認する第2相臨床試験は、2015年5月から2020年4月まで行われました。その結果が本書に書かれています。臨床試験の対象は膠芽腫こうがしゅの患者さんで、標準治療(手術・放射線・抗がん剤)治療を行ったあとに膠芽腫が再発した患者さんです。膠芽腫はグリオーマ(神経膠腫)の一種ですが、進行が早く、悪性度が最も高いものです(=グレード4)。30人を対象に治療を行う計画で臨床試験が始まりました。

この第2相臨床試験では、13人目の患者さんが治療を始めてから1年が経過した時点で、治療開始後1年以上生存した患者さんが 92.3%(13例中の12例)に達しました。標準治療の場合、再発した膠芽腫の患者さんが1年以上生存する率は 14% です。このため、G47Δ の第2相臨床試験は「有効中止」となりました。これは "有効性が明らかになったので中止してよい" というものです。極めてめずらしいことです。

有効中止になったため、第2相臨床試験に参加した患者さんは19人になりました。この19人の患者さんのうち治療後1年以上生存したのは16人、治療後に生存した期間の中央値は20.2ヶ月でした。そして19人のうち2021年11月時点で3人の方が生存しています。

第2相臨床試験が有効中止になり、かつ G47Δ が「希少疾病用再生医療等製品」に指定されたため、第3相臨床試験は省略されることになりました。そして2021年6月の承認となったわけです。


G47Δ の意義


G47Δ ががん細胞を殺すメカニズムで分かることは、この治療薬は悪性脳腫瘍のためだけのものではなく、白血病のような血液がん以外のがん(=固形がん)すべてに有効なことです。実際、前立腺がんや悪性胸膜中皮腫(一つの原因がアスベストの吸引)の臨床試験が始まっています。

デリタクト注.jpg
デリタクト注
(第一三共製薬)
現代医学では治療が困難とされるがんがあります。悪性脳腫瘍のほかに、悪性中皮腫、多発性肝細胞がん、膵がん、胆管がん、膀胱がんなどです。これらに対し G47Δ は特に有効な治療薬となるはずです。

また、G47Δ の発展形として HSV-1 の遺伝子の中に「がん治療に効果のある遺伝子」と組み込むことが考えられます。ヒトの免疫系を刺激する遺伝子などです。

たとえば、インターロイキン12(IL-12)を生成する遺伝子を HSV-1 に組み込むと、がん細胞に感染したときに IL-12 がどんどん出されるようになる。分泌された IL-12 はヒトの免疫細胞を刺激し、強い抗がん免疫作用が引き起こされます。これはマウスですでに実験済みで、成果があがっています。


ある少女の手紙


本書に藤堂教授の患者さんだった少女が教授に宛てた手紙のことが出てきます。このあたりは本書の中で最も "思いのこもった" 文章です。少々長くなりますが引用してみます。下線は原文にはありません。また、漢数字を算用数字に変更しました。原文の段落は空行にしてあります。


私の研究室の壁に、一枚の手紙が貼ってあります。

「藤堂先生へ。今までありがとうございました。入院したときは、ふあんもたくさんあったけど最近では、お散歩で三四郎池などに行けるようになりました。退院してからも通院なのでまた、よろしくお願いします」

大きくしっかりとした文字で書かれた短いメッセージの横には、池で楽しそうに泳ぎ回る水鳥が描き添えられています。東大医学部附属病院のある本郷キャンパスの名所、三四郎池で泳ぐ鴨の姿です。

手紙を書いてくれた D さんは、私の患者さんです。

けれど、もうこの世にはいません。悪性のグリオーマに命を奪われてしまったのです。亡くなったとき、D さんは小学校5年生でした。

目のクリッとした、かわいい女の子でした。けなげに病気と闘っていた彼女の面影を偲びながら、生前に写真をもらっておけばよかったと悔やんでいます。

亡くなったあとで、そういうお願いをするのは、親御さんをよけい心しませる気がして、なかなかできません。

D さんのグリオーマは最も悪性度の高いグレードⅣで脳幹にできていました。脳幹にできるグリオーマは大脳にできる一般のグリオーマよりもさらに余命が短いのです。

第2章でも述べましたが、脳幹には運動神経路や姿勢反射中枢など大事なものがたくさん詰まっているので、ここにダメージを受けると、さまざまな症状が出ます。D さんの場合は、体がふらふらしてまっすぐに立っていられないというのが、最初の症状でした。

手術を行ないましたが、脳幹を取ることはできないため、手術のあとに放射線と抗がん剤を強めに用いて治療を続けました。しかし、通常よりは延命できたものの、手術から9ヵ月後、ついに力尽きたのでした。

脳腫瘍の手術の最中には、腫瘍の組織を少し取り、良性か悪性かを迅速に病理診断するのが普通です。簡便な方法なので精緻な診断はできませんが、手術前の診断と手術中の病理診断の結果がともに悪性なら、ほぼ間違いなく悪性脳腫瘍です。

そういう場合、私は、手術のあとの患者さんがまだ麻酔から覚めずに眠っているときを選んで、家族に病状を説明します。端的にいえば、「手術はうまくいきました。でも、患者さんは助かりません」という説明です。これは医者としてつらいものです。D さんのように子供の患者さんの場合は、なおさらです。

家族なら誰でも、「手術は成功したのに必ず死ぬとは、いったいどういうことなんでしょうか ・・・・・・」と、戸惑います。そして、悪性脳腫瘍の平均余命は約1年であることなどを詳しく話すと絶句し、がっくりと肩を落として病室から出ていくのです。

それからあとの家族は、大変な思いをします。

脳腫瘍の末期になると意識レベルが低下し、最後は何もわからなくなってしまうので、患者さん自身は、それほどつらくありません。「がんの末期は痛くてつらい」という一般的なイメージとは異なるのが、悪性脳腫瘍の特殊なところです。

しかし家族は、患者さんの意識状態が悪くなるにつれて、食事やトイレの介助などに追われるようになります。それでも家族が頑張り通せるのは、皮肉なことに、患者さんの余命が短くて、介護生活がいつまでも続かないからです。

日本では 2006年から、グリオーマの治療薬として「テモゾロミド(商品名テモダール)」が使われていますが、「画期的治療薬」と謳われるこの楽でさえ、それによって延びる命は、統計的にはわずか2~3ヵ月にすぎないのです。

こういうことを何度も何度も家族に説明するのですが、悪性脳腫瘍患者のほとんどは、再発するまでまるで何事もなかったかのように元気でいることが多いため、家族は、「本人はこんなにピンピンしている。手術直後に先生は死ぬと言っていたけれど、あれは何かの間違いだったのではないか」と、思うようになります。

そのたびに私は、「今はいいけれど、この先、必ず悪くなります。とにかく、今の時点でできるベストのことをやっていきましょう」と、落胆させるようなことばかり言い続けなければなりません。

けれど、こうしたコミュニケーションのなかで家族は絶望感を乗り越えていき、「できるだけの手を尽くした」という、悟りにも似た境地に至るようになるのです。

その意味で、悪性脳腫瘍の専門医というのは、医者でありながら半分は牧師のような存在だという気がしています。

D さんのご両親も、「ベストを尽くした」という思いだったのでしょう。亡くなったあと、病理解剖することを承諾してくださいました。

これはなかなかできないことです。病理解剖は医療の進歩に役立つことだと理屈ではわかっていても、「病気でさんざん苦しんだわが子の体に、これ以上メスを入れられるのは、親としてしのびない」と思うのが人情です。

それなのに D さんのご両親は、「きっと娘も望んでいたに違いありません」とまで言ってくださったのでした。

D さんとご両親の尊い気持ちをずっと忘れないようにと、私は彼女の手紙を研究室に掲げました。できることなら完治して、「先生、ありがとう。こんなに元気になりました」と、研究室を訪ねてきてほしかった。

けれど、悪性脳腫瘍の患者さんから、生きて「ありがとう」と言われることはありません。そういう状態が、脳外科の歴史が始まって以来、ずっと続いているのです。

藤堂とうどう 具紀ともき 
『がん治療革命』
p.172 - p.176 
(文春新書 2021)

藤堂教授の "何とかしたい" という思いが伝わってくる文章です。しかしその思いとは裏腹に、仮に D さんが現時点で脳腫瘍を発症したとしても G47Δ による治療はできないのです。それが次です。


少女のウイルス治療はできない


藤堂教授がその手紙を研究室に掲げている D さんは、グリオーマでも最も悪性度の高いグレードⅣで、脳幹にできていました。この「脳幹にできたグリオーマ」の治療は、現状では G47Δ による治療ができません。G47Δ の承認条件からはずれるからです。そのあたりの事情が次です。


ウイルス療法を希望する悪性神経膠腫の患者さんすべてが、「デリタクト注」を使えるようにしたい。言うまでもなく、私たちはそう考えていました。

しかし、承認の当否を決める最後の審査で、脳幹の悪性神経膠腫は適応対象外となってしまいました。「脳幹に針を刺すなんてとんでもない。手技が確立していない」という意見が、医薬品医療機器総合機構の専門協議で「専門委員」から出されたからです。

62ページでも述べたように、脳幹には触ってもいけないとされていたのは昔の医学です。私は患者さんの病理診断をするとき、定位脳手術で脳幹に針を刺して生検組織を取っています。脳外科医でそれをやったことのある人にとっては、脳幹に「デリタクト注」を投与するのは、それほど大変なことではありません。

年間約2100例にのぼる小児がんのうち、脳腫瘍は白血病(38%)に次ぐ第2位の罹患率(16%)です。なかでも、脳幹の悪性神経膠腫は子供に多く、この章の冒頭で紹介した D さんも、そのために小学校5年生のとき命を奪われました。

G47Δ は、D さんのような患者さんからのニーズが高いので、なんとしてでも脳幹の悪性神経膠腫に使えるようにしようと、厚生労働省と意見交換をかなりしましたが、最終的に脳幹は除外されてしまいました。

そのため、子供の患者さんの多くが、この薬を使えなくなってしまったのです。ニーズがそこにあり、標準治療では9ヵ月ほどで亡くなってしまうのに ───。

厚生労働省とのやりとりで、私は「脳幹の悪性神経膠腫を除外するようなことをしたら、あとで混乱を招きますよ」と何度も説得を試みました。実際に今、脳腫瘍の子供を持つ多くの親が、対象にならないことにショックを受け、混乱しています。

脳幹への「デリタクト注」の投与は、脳幹の悪性神経膠腫をそのまま放置するリスクに比べれば、投与する手技的なリスクの方が圧倒的に低いことになります。現場を知る者としては、もし仮に脳幹に針を刺すことにリスクがあったとしても、「うちの子にウイルス療法を受けさせて」と、親御さんは言うと思うのです。そうしなければ、我が子の病気はどんどん悪くなっていき、9ヵ月ほどで亡くなってしまうのですから。

けれど、現段階ではそれは許されず、今後の新たなデータを待つしかありません。

藤堂 具紀 
『がん治療革命』
p.219 - p.220 

この「脳幹の脳腫瘍の治療」の承認の件を含め、G47Δ にはまだまだ乗り越えなければならない課題があります。"ウイルス治療を希望する悪性脳腫瘍の患者さん全てに G47Δ を届ける" という藤堂教授の目標の実現には、まだ長い道のりが必要です。



本書には「第6章 日本への提言」と題する章があって、日本の治療薬の開発に関する数々の提言が書かれています。G47Δ は日本で初めてのウイルス治療薬という画期的な薬だからこそ、その製品化(承認)までのプロセスを一度経験すると日本の新薬開発体制の数々の問題点(ないしは日本で画期的な新薬の開発が困難な理由)がクリアに見えてくる。そういうことだと思いました。



 補記 

2022年5月31日の日本経済新聞に、ウイルス使ったがん治療の現状をリポートした記事が掲載されました。藤堂教授の研究のほか、ウイルス療法の研究の現状がコンパクトにまとめられています。ここに記事を引用しておきます。


ウイルス使ったがん治療
 脳腫瘍など、患部に注入で効果

日本経済新聞
2022年5月31日

ウイルスを使ってがん細胞を退治する「ウイルス療法」という新たな治療技術が日本でも登場した。第1弾として第一三共が、悪性度の高い脳腫瘍向けに2021年11月から治療薬の販売を始めた。骨腫瘍向けに鹿児島大学が臨床試験(治験)を開始したほか、鳥取大学や東京大学などでもウイルス療法薬の開発が進む。既存の手法では治療が難しいがんの患者にとって、待望の薬となりそうだ。

「こんな治療法がもっと早く登場していたら……」。7年前に夫を脳腫瘍で亡くした大阪府の70代の女性は、国内で登場したがん治療ウイルス技術について、感想をもらす。夫は放射線治療後に脳腫瘍を再発したが、手術もできず、当時は有効な治療薬もなかったという。「脳腫瘍の患者とその家族にとって希望の光がみえた」と話す。

がん治療向けウイルス療法は、一般的に治療用に遺伝子を改変したウイルスを注射でがん細胞に直接投与する。ウイルスはがん細胞の中だけで増殖し、がん細胞を破壊する。ウイルスはがん細胞を破壊後に周辺に広がり、広範囲のがん細胞を除去できる。正常な細胞の中でウイルスは増殖しないように設計しており、安全性は高い。

欧米では15年に悪性度の高い皮膚がん向けに承認されているが、日本では承認されていなかった。

今回、国内承認の第1号となった第一三共の「デリタクト(テセルパツレブ)」は、東京大学医科学研究所の藤堂具紀教授が研究してきた成果を医薬品に応用した製品。脳腫瘍のひとつ、神経膠腫(グリオーマ)のなかでも悪性度が高い患者に対する治療薬だ。

悪性度の高いグリオーマ(グレード4)は、大脳にできて周囲の脳にしみこむように広がる。手術では完全に取り去ることが難しく、手術後も時間の経過とともにがん細胞が増えて再発する可能性が高い。放射線治療と化学療法で増殖を抑えることもできるが、予後は12~15カ月とされる。再発後は治療の選択肢がほとんどないのが現状だ。

デリタクトの治験に参加した13人に対して治療後1年たった時点で有効性を調べたところ、1年後も生存している患者の割合は92.3%だった。治験途中でも有効性が証明されたため、治験を中止する「有効中止」となった。藤堂教授は「治療法がなかった悪性脳腫瘍の患者にとって新たな選択肢」と話す。

がんのウイルス療法の特徴は、最も手ごわいがんに対して効果がある点だ。手術で取り切れず、抗がん剤や放射線も効きにくく、免疫も働きにくい部位にできる脳腫瘍や骨腫瘍など向けに開発されている。

しかもその効果が長期間持続するのも利点だ。ウイルスによって、体内の免疫が刺激されると考えられている。近年の研究では抗がん剤や他の免疫療法との併用で治療効果が高まるという報告もあり、米国や中国をはじめ世界で140以上の治験が進んでいる。

ただ世界的にみてまだ治療薬となっているものは少ない。欧米で15年に悪性皮膚がんの治療薬「イムリジック」が承認されて以降、今回のデリタクトで2つ目だ。新規の治療用ウイルスの開発を進めている鹿児島大学の小戝(こさい)健一郎教授は「ウイルスを設計するには高度な技術と複雑な工程が必要だ」と話す。

例えば攻撃性が高い一方、体内であまり増えず、副作用が強いウイルスであれば治療には使いにくい。また複数の候補から有効性が見込まれるウイルス候補を見つけることができても、大量生産するのが難しければ、医薬品として普及させるのは難しい。

小戝教授らの研究チームは日本医療研究開発機構(AMED)の助成を受け、ウイルスを効率よく改変し、迅速に生産できる基盤技術の開発に世界に先駆けて成功している。16年から始めた初期段階の治験では、悪性度の高い骨軟部腫瘍の患者で安全性と有効性を示す結果を確認。中には2年以上効果が維持されていた患者がいたという。

研究チームは、21年から鹿児島大学病院、久留米大学病院、国立がん研究センター中央病院の全国3施設による多施設治験を始めた。今後2年間で全国から20人程度の悪性骨腫瘍の患者に参加してもらい、安全性と有効性を確かめる。希少がんに対する新たな治療薬として薬事申請を目指す。

もっとも、現時点ではがん治療ウイルスも万能ではない。難治性のがんや再発したがんの増殖を抑えこみ、生存期間を延ばす効果がある一方、一定の割合で効果がみられない患者もいる。そのため安全性が高く、より有効性が高い次世代の治療ウイルスの開発が世界中で急ピッチで進む。

国内ではアステラス製薬と鳥取大学が初期治験を進めるほか、東京大学や信州大学などが臨床開発を進めており、アカデミア発の創薬に期待が高まる。ただ藤堂教授は「日本は基礎研究力や技術があるが、臨床開発の環境が欧米に劣っている。薬価を含めた創薬環境の改善が急務だ」と訴える。画期的な新薬をがん患者に届けるための政策的な後押しも必要だ。
(先端医療エディター 高田倫志)


(2022.5.31)



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No.329 - 高校数学で理解するレジ行列の数理 [科学]

No.149「我々は直感に裏切られる」で、数字に関して我々の直感が事実に反する例や、正しい直感が働かない例を書きました。その中の "誕生日のパラドックス"(= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいる確率は 50% を超える)については、No.325「高校数学で理解する誕生日のパラドックス」でその数学的背景を書きました。今回もそういった直感が外れる例で、スーパーのレジや各種窓口の「待ち行列」を取り上げます。

No.325 以外にも「高校数学で理解する」とのタイトルの記事がいくつかあります。


です。これらの記事は、高等学校までの数学だけを予備知識として、現代の IT 社会の重要なインフラとなっている公開鍵暗号を解説したものでした。高校までに習わない公式や用語を使うときには、その公式の証明(ないしは用語の説明)を記しています。今回もその方針でやります。


レジ行列の観察


ある比較的小規模のスーパー・マーケットを例にとります(仮想の例です)。この店の店長は店舗運営の改善に熱心です。店長は「ある曜日のある時間帯」のレジを何回も観察して、次のような結果を得ました。


◆ この時間帯には2台のレジを稼働させていて、1台のレジに並ぶ客は1時間当たり平均して24人である(2台とも。2台の合計では48人)。

◆ 客の到着はランダムである。それぞれのレジの客の到着間隔の平均は2分30秒だが(=60分/24人)、たて続けに客が到着することもある一方で、10数分以上、到着間隔があくこともある。

◆ レジ係の会計(バーコードのスキャン、お金のやりとり)に要する時間は、平均して1分である。つまり、立て続けに会計をしたとしたら、レジ係は一人で1時間あたり60人の客をこなせる

◆ 会計時間もランダムである。ペットボトル1個だけの客もいれば、カゴ3つにいっぱいの買い物をする客もいる。

◆ レジ係が客を待っている時間(=アキ時間)があり、それは過半数の時間である。

◆ 会計待ちの行列ができることもあるが、並ぶのは最大で3~4人程度である。


レジ係一人当たり、1時間で平均24人の客がきます。一方、レジ係りは1時間で平均60人の客をこなせる。レジ係りには余裕があり、過半はアキ時間(客を待っている時間)です。そこで店長は次のように考えました。


◆ この時間帯のレジ係りは半分の1人にしよう。それで十分にこなせるはずだ。

◆ 顧客の待ち行列は長くなるかもしれないが、せいぜい2倍程度だろう。


はたしてこの店長の考えは正しいのでしょうか。これを数学で解析するのが今回の目的です。問題として明示されている観察量は、24 と 60 ぐらいしかなく、あとは "ランダム" という言葉ですが、数学を使ってこれだけの情報から店長の判断の妥当性を検証します。


ランダムな事象・連続量


1つのレジについて1時間当たり24人の客が "ランダムに" 到着します。またレジでの会計時間もランダムに決まる。ランダム、ないしは偶然に発生する事象(イベント)が主題であり、これは確率の問題です。まず、以降に出てくる「確率変数」と「確率(確率測度)」を、サイコロの例で説明します。確率変数 X とは、

起こりうる事象に値を割り当てるとき、その値をとる変数

で、値はふつう整数や実数です。確率変数は大文字で書きます。X がサイコロの目の数を表す確率変数の場合、

X = 1 2 3 4 5 6

の6つの整数値をとる変数です。また、X に特定の条件をつけた事象が起こる確率(数学的には "確率測度"、Probability Measure)を

P ( X の条件 )

で表します。一般的には P ( 事象 ) で、その事象が起こる確率を表します。確率なので 0 P 1 であり

P (必ず起こる事象) = 1 P (決して起こらない事象) = 0

です。Xがサイコロの目の確率変数の場合、

PX=16 = 1 PX=1 = 1 6 PX3 = 1 2 PX=7 = 0

です。サイコロの目の数は飛び飛びの値をとるので「離散型の確率」です。高校数学に出てくる確率は主に離散型の確率です。

一方、レジ行列の場合、到着時刻や到着間隔(= 1人の客が到着してから次の客が到着するまでの時間)、会計に要する時間は無限の可能性のある連続値です。つまり「連続型の確率」であり、これをどう扱うかが以下の主要なテーマです。


レジ行列のモデル


レジ行列を次のようにモデル化します。レジに数人の客が並んでいて、先頭の客は会計(バーコードののスキャン、代金の支払い・精算)の最中とします。会計を待って並んでいる客と会計中の客を含めて「行列」と呼びます。

この行列には2種類の「イベント」が発生します。新しい客が最後尾に並ぶ「到着」と、会計が終了して客が行列から離れる「退出」です。

行列には単位時間(たとえば1時間)当たり平均で λ(ラムダ)人が到着します。ただし、到着はランダムです。また、レジ係は単位時間あたり平均で μ(ミュー)人分の会計をこなします。つまり単位時間あたり μ人が列から退出します。ただし、会計にかかる時間もまたランダムです。まとめると、

到着:λ人(単位時間あたり)
退出:μ人(単位時間あたり)

です。ここで λμ より大きければ、レジ行列は長くなるばかりで、スーパーは機能しません。従って以降は、

λ < μ

とします。
レジ行列のモデル.jpg
レジ行列のモデル


客の到着確率


まず、微少時間 Δt の間に客が1人到着する確率を検討します。1時間に平均5人の客が到着する場合で考えます(λ=5 の場合)。また、1時間を9秒で区切った400の微少時間 Δt= 0.0025(h) を考えます。そうすると平均的に、

400のうちの5つの微少時間では客が到着
400のうちの395の微少時間では客が到着しない

と言えるでしょう。つまり、

微少時間に客が到着する確率は 5 400 = λ Δt  
微少時間に客が到着しない確率は 1 - λΔt

です。ただし、これでは考えに抜けがあります。9秒間に客が2人以上到着するかもしれないからで、それは大いにありうることです。しかしこれは微少時間 Δt を 9秒としたからです。そこで、微少時間をどんどん小さくし「高々、客が1人到着するか、1人退出するかであるような微少時間」を考えます。つまり Δt の定義を、

微少時間 Δt では、イベント(到着か退出)が1つだけ起こるか、ないしはイベントが起こらないのどちらかである

とします。そうすると、

微少時間に1人の客が到着する確率は λΔt
従って、微少時間に客が到着しない確率は 1 - λΔt
全ての微少時間は同等であり、同じ確率で到着が起こる(=ランダム)

となります。これが「単位時間に λ人の客がランダムに到着する」ということの数学的表現です。λμ に変えると、レジでの会計が終わって客がレジ列から退出する確率も全く同様になります。そこで、この表現を使って客の到着間隔の確率を求めます。


到着間隔の確率密度関数


1人の客が到着してから次の客が到着するまでの時間が「到着間隔」です。この到着間隔を表す確率変数 X とします。到着間隔は 0 以上なので、以下では X>0 とします(一般的には確率変数は - < X < です)。単位時間に λ人の客がランダムに行列に到着するとき、到着間隔の確率 P はどう表現できるでしょうか。

サイコロと違って X は連続変数です。従って、たとえば PX=0.2 、つまり到着間隔が(ぴったり)12分である確率は定義できません。到着間隔には無限の可能性があるからです。しいて言うなら PX=0.2=0 とするしかありません。連続型の確率の特徴です。

しかし、X が一定の範囲である確率は求まります。たとえば到着間隔が12分から15分の間である確率、 P 0.2 X 0.25 は計算することができる。一般に、 a < b とし、

Pa X b = a b f x dx

であるような関数 f x があるとき、その関数を「確率密度関数」と言います。Xが全ての値をとるときの確率は 1 なので、確率密度関数 f x は、

0 f x = 1

の条件を満たします( X 0 で考えています)。そこで、レジ行列の到着間隔の確率密度関数 f x がどうなるかです。到着間隔が t t+Δt である確率は、確率密度関数の定義により、

t t+Δt f x dx = f t Δt  (A式)

です。Δt は微少時間なので、右辺は積分を掛け算で置き換えました。一方、別の視点で考えると、到着間隔が tt+Δt である確率は、

0t の間に到着が起こらず、かつ t t+Δt の間に到着が起こる確率

です。"間隔" という言葉を使わずに "到着" だけで表現するとそうなります。0t の間に到着が起こる確率(= 到着間隔が 0t である確率)は、確率密度関数の定義により、

0 t f x dx

なので、0t の間に到着が起こらない確率は、

1 - 0 t f x dx

です。また、微少時間 Δt の間に到着が起こる確率は先ほどの考察から、

λ Δt

です。従って 0t の間に到着が起こらず、かつ t t+dt の間に到着が起こる確率は、

1 - 0 t f x dx λ Δt  (B式)

と書けます。(A式)(B式)は等しいはずなので次の等式が成立します。

f t Δt = 1 - 0 t f x dx λ Δt f t = 1 - 0 t f x dx λ

この両辺を t で微分すると、

f' t = -λf t

となります。この微分方程式の解は C を定数として、

f t = C e -λt

ですが、確率密度関数には、

0 f t dt = 1

の条件があったので、この条件で C を決めると C = λ となります。最終的に、

f t = λ e -λt

が「到着間隔の確率密度関数」です。会計が終わって列から離れる間隔(= 退出間隔)も、λμ に変えるだけで全く同じように求まります。以上をまとめると、

到着間隔の確率密度関数
  f t = λ e -λt  
退出間隔の確率密度関数
  f t = μ e -μt

となります。これは「指数分布」と呼ばれている確率分布です。

確率密度関数.jpg
到着間隔の確率密度関数
λ= 24(/h)。 横軸の単位は時間(h)。0.05 が3分。

この指数分布の平均値(確率の言葉では期待値)を実際に求めてみると、

0 tftdt = 0 λt e -λt dt = -te-λt 0 + 0 e -λt dt =0 + - 1 λ e-λt 0 = 1 λ

となって、1時間に λ人の客が到着するときの到着間隔の平均は、確かに 1 λ となっていることが分かります。 λ = 24 (1時間に平均24人の客が到着)の場合は、到着間隔の平均は 2分30秒 ということです。なお、上の計算では部分積分と、 xe-x 0 x を使いました。

到着間隔の確率密度関数は、ある時間について到着間隔がその時間付近である "確からしさ" を表しています。従って上のグラフから、

客が来るときには、たて続けに来る
しかし間隔が長くあくこともある
その平均として単位時間に λ 人の客が来る

などが読み取れます。これは直感的に我々が経験していることと合致します。レジの運営としては、客がなるべく均等な到着間隔で来てくれた方が効率的ですが、しかしそうはならない。それが "ランダム" ということです。


到着間隔の累積分布関数


確率変数を X、確率密度関数 f x とします。問題にしている到着間隔は 0 以上なので、 X 0 とします(一般的には - < X < です)。累積分布関数 F x とは

F x = P 0 X x = 0 x f t dt

で定義される「確率密度を累積した値」です。確率密度は正の値で、∞まで積分すると 1 になるので、累積分布関数は 0 F x 1 単調増加関数です。X を到着間隔を表す確率変数とすると確率密度関数は指数分布になりますが、この累積分布関数を求めると、

F t = P X t = 0 t λ e -λx dx = 1 - e -λt

となります。 λ = 24 の場合(平均到着間隔が 2分30秒の場合)に F t 0.5 となる時間 T 5 を計算してみると、

T 5 = 0.029

となります。0.029(h) は1分43秒です。これは、

到着間隔の平均は2分30秒だが、1分43秒以内に 0.5 の確率で次の客が到着する

ことを意味します。しかも指数分布の形に見るように到着間隔が短い方が確率が高い。これがランダムに到着する場合の姿です。

累積分布関数.jpg
到着間隔の累積分布関数
λ= 24(/h)。 横軸の単位は時間(h)。0.05 が3分。縦軸が F(t) の値である。到着間隔の平均(2分30秒)は 0.05 のすぐ左のところだが、そこでの F(t) の値は 0.63 程度になる。


シミュレーション


到着間隔と退出間隔の確率密度関数が求まったので、これを用いてパソコンでシミュレーションをしてみます。そのためには「確率密度関数に従う乱数」を発生させなければなりません。

パソコンのプログラミング言語には「一様分布の乱数」を発生させる関数があるので(random / rand などの名称)、これを「到着間隔や退出間隔の確率密度をもつ乱数」に変換することを考えます。

まず「一様分布」ですが、確率変数 U 0 U 1 )が一様分布とは、確率密度が一定値のものです。つまり、

確率密度関数
  f x = 1  
累積分布関数
  F x = P U x = x

となる分布です(下図)。

一様分布.jpg
一様分布
確率密度関数(左)と累積分布関数(右)

今、分析したい確率変数 X の確率密度関数を f x 、その累積分布関数を F x 0 F x 1 )とします。そして F x の逆関数、 F-1 x を作り、

Y = F-1 U

とおくと、この Y は「確率密度関数 f x をもつ確率変数」となります。その理由は以下の通りです。Y の累積分布関数、 P Y x は、

P Y x = P F-1 U x

と書けますが、Fは単調増加関数なので、右辺の F-1 U x の条件は、

F F-1 U F x

としても同じことです。すなわち、

U F x

と表せます。従って、

P Y x = P U F x

となりますが、Uは一様分布の確率変数なので

P U F x = F x

であり(上の一様分布の説明)、この結果、

P Y x = F x

が得られます。これは「確率変数 Y の累積分布関数は F x 」という意味であり、従って Y の確率密度関数が f x であることが分かりました。この方法で特定の確率密度をもつ乱数を発生させる手法を「逆関数法」と呼びます。



到着間隔の累積分布関数は、

F t = 1 - e -λx

でした。この式を t について解くと、

t = - 1 λ log 1 - F t

です。従って F t の逆関数、 F-1 t

F-1 t = - 1 λ log 1 - t

です。このことから u を一様分布の乱数として、

到着間隔の確率密度を持つ乱数 =
  - 1 λ log 1 - u

と計算できます。同様に、

退出間隔の確率密度を持つ乱数 =
  - 1 μ log 1 - u

です。この2式を使ってシミュレーションを実行できます。


シミュレーション:例1(1時間)


パソコンを使って、客がいない状態から1時間のシミュレーションしてみます。 λ = 24 μ = 60 とします。その結果の一例が次の表です。これは、

時刻(開始からの経過時間)
発生イベント(到着が退出か)
イベント後の行列人数
次のイベントまでの時間

を表にしたものです。このシミュレーションは開始から1時間が経過した直後のイベント(="到着"。時刻 61分02秒)で止めてあります。この間に22人の到着があり、21人が退出しました。22人目が到着する直前の行列の人数は 0 です。行列の最大人数は 4人(37′19″からの 45″間)になりました。

時刻イベント 列 時間
0′00″---05′40″
5′40″到着10′11″
5′51″退出02′11″
8′02″到着11′03″
9′05″退出07′29″
16′35″到着10′44″
17′18″退出00′33″
17′51″到着13′00″
20′51″退出01′54″
22′45″到着10′02″
22′48″到着20′13″
23′01″退出10′30″
23′31″退出05′32″
29′03″到着12′27″
31′30″退出00′13″
31′42″到着10′33″
32′16″退出03′18″
35′34″到着11′03″
36′37″到着20′19″
36′55″到着30′24″
37′19″到着40′45″
38′04″退出30′02″
38′06″退出20′38″
38′45″退出11′00″
39′45″到着20′46″
40′31″退出10′02″
40′34″退出00′10″
40′44″到着10′32″
41′15″退出00′39″
41′55″到着10′04″
41′58″退出04′28″
46′26″到着10′43″
47′10″到着20′08″
47′18″退出11′14″
48′31″到着20′29″
49′00″到着30′53″
49′53″退出21′32″
51′25″退出10′16″
51′41″退出02′57″
54′38″到着10′10″
54′48″到着20′53″
55′41″退出10′14″
55′54″退出05′08″
61′02″到着1---


この表の「イベント後の行列人数」と「次のイベントまでの時間」から「行列が n人( n 0 )の時間合計」を求められます。それを計算したのが次の表です。

 行列が0人の時間合計  40′11″ 
 行列が1人の時間合計  13′49″ 
 行列が2人の時間合計  4′58″ 
 行列が3人の時間合計  1′19″ 
 行列が4人の時間合計  0′45″ 
 合計  61′02″ 

さらに、

p n t t 時間のシミュレーションを行ったとき、行列人数が n人である時間の割合

と定義し、上の表のそれぞれの時間合計を全体のシミュレーション時間( 61′02″)で割ると、次の表が得られます。

  p 0 1 :行列が0人の時間割合  0.658 
  p 1 1 :行列が1人の時間割合  0.226 
  p 2 1 :行列が2人の時間割合  0.082 
  p 3 1 :行列が3人の時間割合  0.022 
  p 4 1 :行列が4人の時間割合  0.012 

このテーブルから「行列の平均人数 = L t t=1 を求めてみると、

L 1 = n=0 4 n p n 1 = 0.503

となりました。これはあくまで1時間分のシミュレーションに過ぎません。使用した乱数も、到着と退出のイベントでそれぞれ20数個程度であり、発生させた乱数は指数分布の極めて荒い近似だと推測されます。

しかし、 p n t t を増やしていき、それにもとづいて L t を計算していくと、近似はどんどん正確になっていくはずです。それが次のシミュレーションです。


シミュレーション:例2(長時間)


シミュレーションの時間を増やして200時間分の計算を実行し、行列の平均長がどうなるかを、途中経過とともに観察します。シミュレーション時間、t を増やしたときの行列の最大人数を m とすると、行列の平均長、 L t

L t = n=0 m n p n t

で計算できます。このシミュレーションを実行して L t をプロットしたのが次のグラフ( 0 t 200 )です。もちろん、あくまで一例です。

行列の平均長さ(200h).jpg
シミュレーション例(行列の平均長)
200時間分のシミュレーションを行い、行列の平均長の途中経過をプロットした例。このシミュレーションでは最初の5時間までに行列が伸びる要因が重なった。計算開始後のグラフの形はシミュレーションのたびに変化するが、どれも 0.66 付近の値に落ち着いて行く。

グラフから分かるように、行列の平均長は一定値(0.66程度)に近づいていきます。これはパソコンで発生させた乱数が一様分布乱数に近づき、従って逆関数法で作った関数が指数分布に近づくからです。また初期状態(シミュレーションでは行列の人数はゼロとした)の影響がなくなることもあるでしょう。

このように時間に依存しない状態が「定常状態」であり、これが行列の平均的な姿です。


レジ行列の微分方程式


今まではパソコンによるシミュレーションでしたが、これを数学的に厳密に解くことができます。

p n t を「時刻 t において行列が n人である確率」とします。そして、時刻 t+Δt p n t がどう変化するかを考えます。まず p 0 t+Δt ですが、起こり得るケースは、

p 0 t+Δt
p 0 t から到着が起こらず p 0 t+Δt になる
p 1 t から退出が起こって p 0 t+Δt になる

の2つのケースです。ここで、

Δt の時間で到着が起こる確率は λΔt  
Δt の時間で退出が起こる確率は μΔt

なので、次の式が成り立ちます。

p 0 t+Δt = p 0 t 1-λΔt + p 1 t μ Δt   p 0 t+Δt - p0 t Δt = μ p 1 t - λ p 0 t

Δt 0 の極限をとると、次の微分方程式が得られます。

d p0 t dt = μ p1 t - λ p0 t

次に p1 t+Δt ですが、これには3つのケースがあります。つまり、

p1 t+Δt
p0 t から到着が起こって p1 t+Δt になる
p2 t から退出が起こって p1 t+Δt になる
p1 t から到着も退出も起こらずに p1 t+Δt になる

の3つです。微少時間 Δt の間に起こるイベントは、起こったとしても一つだけであり、到着と退出が同時に起こることはないというのがそもそもの仮定でした。つまり Δt の時間内に起こる事象は、

到着が起こる
退出が起こる
イベントは起こらない

のどれかであり、この3つは排他的です。従って Δt の間に

到着または退出が起こる確率
 = λΔt + μΔt

となります。排他的だから単純加算でよいわけです。従って、

到着も退出も起こらない確率
 = 1 - λΔt - μΔt

です。以上の考察から p1 t+Δt は次のように表現できます。

p1 t+Δt = p0 tλΔt + p2 tμΔt + p1 t 1 - λΔt - μΔt

p1 t+Δt - p1 t Δt = λ p0 t + μ p2 t - λ+μ p1 t

d p1 t dt = λ p0 t + μ p2 t - λ+μ p1 t

従って、一般の pn t n 2 では、

d pn-1 t dt = λ pn-2 t + μ pn t - λ+μ pn-1 t

と表現できます。以上をまとめると、

{ d p0 t dt =μ p1 t - λ p0 t d pn-1 t dt =λ pn-2 t + μ pn t - λ+μ pn-1 t

の2つの微分方程式によって、レジ行列の挙動が決まることが分かりました。



ここで、シミュレーションで確認したような "定常状態" での確率を求めます。定常状態では確率は時間的に変化しないので、上の2つの微分方程式の左辺はゼロになります。t をなくして式を整理すると、

{ μ p1 = λ p0 μ pn = λ+μ pn-1 - λ pn-2

ですが、ここで、

ρ = λ μ

と定義します。 ρ は「稼働率」を呼ばれる数値です。レジ行列のモデルで仮定したように λ < μ なので、

ρ < 1

です。この ρ を使って式を書き直すと、

p1 = ρp0 (1式)
pn = 1 + ρ pn-1 - ρ pn-2 (2式)

となります。ここで(2式)を次のように変形します。

pn - pn-1 = ρpn-1 - pn-2

これは数列 pn - pn-1 が、初項 p1 - p0 、公比 ρ の等比数列であることを示しています。(1式)より p1 = ρp0 なので、初項 p1 - p0 p0 ρ - 1 と表現できます。従ってこの等比数列の一般項は、

pn - pn-1 = p0 ρ - 1 ρ n-1 (3式)

です。この式から pn の形を求めます。以降の計算では高校数学で習う「等比数列の和の公式」を使います。つまり、


初項 a、公比 r の等比数列の第 1項から第 n項までの和は  a 1-rn 1-r  


という公式です。(3式)の両辺の n=1 ⋯ n の和をとると、

pn - p0 = p0 ρ - 1 1-ρn 1-ρ = p0 ρn - p0

pn = p0 ρn  (4式)

が得られます。ここで pn は確率なので、その総和をとると 1 になるはずです。(4式)の両辺の n=1 ⋯ n の和をとると、

k=0 n pk = p0 k=0 n ρk = p0 1- ρ n+1 1-ρ

となります。ここで n とすると、 ρ < 1 なので、

1 = p0 1-ρ  
p0 = 1 - ρ  (5式)

となります。(5式)(4式)に代入すると、

pn = 1 - ρ ρn  (6式)

が得られました。これが定常状態で列に n人が並ぶ確率です。ちなみに(5式)において p0 は、定常状態で「列に 0人が並ぶ確率」であり、つまり、

レジ係りが客待ちの状態である確率 1 - ρ

ということに他なりません。 ρ が(レジ係の)稼働率であるゆえんです。


行列の平均長


(6式)で行列の人数ごとの確率が求まったので、行列の平均長を計算することができます。つまり、

n pn 0 n

の総合計が行列の平均長( = L )です。

L = n=0 npn = n=0 n1-ρρn

ここで Sn を、

Sn = k=0 n kpk = 1-ρ k=0 n kρk

と定義すると、

ρSn = 1-ρk=0 n kρk+1

です。従って、

Sn-ρSn = 1-ρ k=0 n k ρk - k=0 n k ρk+1 = 1-ρ k=1 n k ρk - k=1 n+1 k-1 ρk = 1-ρ k=1 n ρk - nρn+1 1-ρ Sn = 1-ρ ρ 1-ρn 1-ρ - n ρn+1 Sn = ρ 1-ρn 1-ρ - nρn+1

と計算できます。ゆえに、行列の平均長 L は、

L = lim n Sn = ρ 1-ρ

となります。


平均待ち時間


次に、客が行列に到着してから会計が始まるまでの時間、「平均待ち時間(=W)」を計算してみます。これは、

 平均待ち時間 =
列に到着したときに、既に列に並んでいる人全員の会計が終る平均時間

であり、ということは、

 平均待ち時間 =
レジ行列の平均長さ)×(1人の平均会計時間)

です。平均の会計時間は 1 μ なので、

W = 1 μ ρ 1-ρ

となります。以上でレジ行列の数学的な解析ができました。


スーパーのレジ行列の分析


今までの数学的分析をまとめると、

客の平均到着数
  λ (単位時間当たり)
レジ係の平均会計数
  μ (単位時間当たり)
稼働率
  ρ = λ μ

のとき、レジ行列の平均長 L と平均待ち時間 W は、

L = ρ 1-ρ W = 1 μ ρ 1-ρ

で求めることができます。



最初に提示したスーパーのレジ係りの人数に戻ります。レジ係り一人あたり1時間あたりの平均の会計処理数は、 μ = 60 です(1人の客につき1分で処理)。現状(変更前)はレジ係り2人でそれぞれ24人の客を1時間あたりこなしているが、レジ係を1人にしたらどうなるかが問題でした。それを計算すると次のようになります。

 変更前(レジ係2人) 

μ = 60 λ = 24 ρ = 0.4 L = 0.67 W = 40

 変更後(レジ係1人) 

μ = 60 λ = 48 ρ = 0.8 L = 4.0 W = 4

つまりレジ係を半分に変更すると、変更前と比べて平均の行列長さ(L)も平均待ち時間(W)も6倍になります。店長の "せいぜい2倍程度だろう" という直感は、全くの "外れ" であることが分かります。

LW も、稼働率 ρ が 1 に近づくと急激に上昇します。その様子をグラフにしたのが次です。

平均行列長.jpg
稼働率と行列の平均長の関係
稼働率 ρ (横軸)が 1 に近づくと、行列の平均長 L(縦軸)は急激に増える。

現象の本質が "ランダム" である場合、往々にして我々の直感がはずれます。上の例で変更後の稼働率が 0.8 ということは、レジ係りの時間の 20% は客待ち時間だというとです。それでも、客の視点からすると会計待ちの時間が大幅に延びる。このような問題では平均で考えると落とし穴にはまります。



以上のスーパーのレジの分析は「待ち行列理論」の初歩のそのまた第1歩です。世の中には「窓口」がいろいろあって、そこに並んで何らかの「サービス」を受けることが多々あります。「窓口」は、人が対応しない自販機でも ATM でも同じです。もっと一般化すると、サービス提供主体があり、サービスを受けようとする主体が複数あると "待ち行列" の問題が発生します。コールセンターに電話すると「ただいま込み合っております。そのまましばらくお待ちください」という自動応答が返ってくることがありますが、同じことです。

またコンピュータシステムにおいては、多数の処理要求に対して複数のサーバーが対応するケースが多々あります。Webによるチケットの予約システムなどはその典型でしょう。もっと広く考えると、現代のインターネットは世界中に何10億というサーバー資源(アプリケーション・サーバ、ファイル・サーバ、ルーター、・・・・・・)があり、そのサービスを受けようとする何億人かの "客" で構成されている巨大ネットワーク・システムだと言えるでしょう。その各所で、実は微少な「待ち行列」が発生しています。

そういった、世の中に多数ある "システム"(人間系・コンピュータ系)を設計する根幹のところに「待ち行列理論」があるのでした。




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No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE [音楽]

No.321「燻製とローリング・ストーンズ」で、「美の壷 File550:煙の魔法 燻製」(NHK BSプレミアム。2021年9月10日)で BGM として使われたローリング・ストーンズの楽曲のことを書き、その一つの "Lady Jane" の歌詞と日本語訳を掲げました。

この "Lady Jane" で連想するのが、下北沢にあるジャズ・バー「LADY JANE」です。このジャズ・バーは、今は亡き松田優作さんが通い詰めたことで知られ(優作さんがキープしたボトルがまだあるらしい)、現在も多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されている店です。俳優の桃井かおりさん、六角精児さん、写真家の荒木経惟のぶよし(アラーキー)さんもこの店の常連だそうです。

この店の「LADY JANE」という屋号はローリング・ストーンズと関係があるのでしょうか。

店のオーナーは音楽プロデューサーの大木雄高さんという方ですが、大木さんの「音曲祝祭行」というブログにそのことが書いてあります(http://bigtory.jp/shukusai/shukusai12.html)。以下に引用します。原文の漢数字を算用数字に改めました。


1975年の年明け、「レディ・ジェーン」というジャズバーを、僕はつくった。デューク、サイドワインダー、サムシンなど、最後まで残ったジャズにまつわる店名候補を退けて、レディ・ジェーンを選んだ。この名は、3月に来日予定の“世界遺産”のロックバンド「ローリング・ストーンズ」の、66年にヒットしたバラ-ド曲だった。

「ジャズの店なのに、なんでロックの曲名を店名にしたのか?」とよく聞かれた。その当時から、クロスボーダーを主張していた、なんて言わない。僕のただの邪鬼だった。

大木雄高「音曲祝祭行」VOL.12
淑女かあばずれか?「レディ・ジェーン」

引用中に「3月に来日予定の」とありますが、この文章が書かれたのは1998年2月で「1998年3月に来日予定の」という意味です。ちなみに、今までにローリング・ストーンズが来日公演をしたのは、1990年、1995年、1998年、2003年、2006年、2014年ですが、ほとんどが3月の公演でした。引用の最後に「僕のただの邪鬼だった」とありますが、これは天邪鬼あまのじゃくのことでしょう。さらに、引用した文章のあとには、次のような表現もあります。


「レディ・ジェーン」は、故ブライアン・ジョーンズのかき鳴らすダルシマの優雅さもあって、ロレンスの世界というか、精霊的でさえある

大木雄高「同上」

ロレンスとあるのは、イギリスの作家、D.H.ロレンスのことです。またダルシマーは珍しい楽器で、No.321 に書いたように、ブライアン・ジョーンズがダルシマーを演奏する貴重な映像が YouTube に公開されています。

また、大木さんの別のブログ「東京発 20:00」には次の記述もあります(http://bigtory.jp/tokyo/tokyo_zpn19.html)。2006年に書かれた文章です。


染井吉野が狂気乱舞していた4月上旬、NHKに入りたての2人の若者男女が訪ねてきた。圧倒的に若者に支持され、又現在再開発に激震する街下北沢は新入社員として格好の社会勉強の的だったのだろう。2人共黒いスーツをいかにも着せられて溌剌と質問してくる。「この店はいつからですか? 名前の由来は? 下北沢の昔はどうだったのですか?」等々。

1975年1月、50近く上げた店名候補を消去法して、デュークやサイドワインダー等ジャズに因んだ名も最後に蹴落として「レディ・ジェーン」という屋号のジャズ・バーを下北沢にオープンした。「『ローリング・ストーンズ』は知っているだろう?」と言うと、若者は真面目に「知っています。ついこの間来ました」と張りきった。この在りながらにして伝説化した世界最長バンドは、3月によく来日する。それにしてもS席1万8千円とはよく付けたものだ。

ジャズの店なのに何故ロックの曲名から取ったのかと昔よく聞かれた。そこが店主である俺のクロスボーダー作戦その一だったのだが、今ではそれも聞かれず ?顔 をされるのが落ちだ。「結成時のストーンズのリーダーでブライアン・ジョーンズがいたんだよ」と言えば「はぁ?」としか答えが無い。

大木雄高
「東京発 20:00」2006年5月号
「ブライアン・ジョーンズ ~ ストーンズから消えた男」

「LADY JANE」としたのは「クロスボーダー作戦」だとあって、さきほどの引用の「ただの天邪鬼あまのじゃく」とは違いますが、おそらく両方とも正しいのでしょう。

ともかく、これらの文章を読んで分かることは、「LADY JANE」のオーナーである大木雄高氏はローリング・ストーンズが好きであり、なかでも故ブライアン・ジョーンズに惹かれていて、また楽曲としての "Lady Jane" を高く評価している(精霊的!)ということです。だから、ジャズ・バーであるにもかかわらず「LADY JANE」にした。



ところで、「LADY JANE」は多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されていると書きましたが、中島みゆきさんも、かつてこの店を行きつけにしている一人でした。大木さんは別のブログに「1988年、開店以来の常連客の甲斐よしひろが中島みゆきを連れて来た。その数ヶ月後に彼女は1人で来た」との主旨を書いていました。なんでも、彼女は明け方まで飲んで帰ったそうで、かなりの酒豪のようです。

その中島みゆきさんが "ジャズ・バー LADY JANE" をそのままタイトルにした作品があります。2015年発売のアルバム『組曲』に収められた「LADY JANE」です。今回はこの作品の詩のことを書きます。

なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。


LADY LANE


「LADY JANE」は2015年のアルバム『組曲』に収められた曲で、その詩を引用すると次のとおりです。


LADY JANE

LADY JANE 店を出るなら まだ
LADY JANE 暗いうちがおすすめです
日常な町角
LADY JANE どしゃ降りの夜なら
LADY JANE 古い看板が合います
色もない文字です

愛を伝えようとする二人連れが
ただジャズを聴いている
愛が底をついた二人連れも
ただ聴いている

時流につれて客は変わる
それもいいじゃないの この町は
乗り継ぎびとの町

LADY JANE 大好きな男が
LADY JANE この近くにいるの
たぶんここは知らないけど
LADY JANE

LADY JANE すねに傷ありそうな
LADY JANE マスターはいつも怒ってる
何かを怒ってる
LADY JANE 昔の映画より
LADY JANE 明日あしたの芝居のポスターが
何故なぜか古びている

座り心地が良いとは言いかねる
席はまるで船の底
常に灯りはかすんでいる
煙草のるつぼ

時流につれて町は変わる
迷い子になる程変わっちまっても
この店はあるのかな

酔いつぶれて寝ていたような片隅の
客がふいとピアノに着く
静かに遠ざかるレコードから
引き継いで弾く

時流につれて国は変わる
言葉も通じない国になっても
この店は残ってね

LADY JANE 私は一人です
LADY JANE 歩いて帰れる程度の
お酒を作ってね
LADY JANE 店を出るなら まだ
LADY JANE 暗いうちがおすすめです
日常の町角
LADY JANE


中島みゆき「組曲」.jpg
中島みゆき
組曲」(2015)

① 36時間  ② 愛と云わないラヴレター ③ ライカM4 ④ 氷中花(ひょうちゅうか)⑤ 霙の音(みぞれのおと)⑥ 空がある限り ⑦ もういちど雨が ⑧ Why & No ⑨ 休石(やすみいし) ⑩ LADY JANE

中島みゆき「組曲」裏表紙.jpg


非日常


以降、詩の内容を振り返りますが、まず冒頭の、

店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角

という言葉の流れに少々違和感を覚えます。「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです」は明瞭ですが、それと「日常な町角」とはどういう関係にあるのでしょうか。

CD のブックレットに、歌詞とともにその英訳がしるされています。それを見ると上の部分の訳は、

If you are going to leave
I suggest you do so while it's still dark
Daily life would hit you otherwise

となっています。つまり「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです。でないと日常(の町角)に遭遇しますよ」という意味なのですね。つまり詩に言葉を補ったとしたら、

店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角(に出会う前に)

となるでしょう。繰り返される日常の毎日、それとは違う "非日常" を求めてジャズ・バーで過ごす。ジャズ・バーを出たとたんに「日常の町角」に出会うより、"非日常の余韻" に浸りながら帰宅したほうがよい。そう理解できると思います。





"町" という言葉が何回か出てきます。ジャズ・バーがあるこの町は「乗り継ぎびとの町」と表現されています。"乗り継ぎ" は、文字通りにとると「交通機関の乗り継ぎ」です。ちょうど、実店舗の「LADY JANE」がある下北沢が小田急線と井の頭線の乗り継ぎ駅であるようにです。

しかしここは拡大解釈して「人生の乗り継ぎ」という風にとらえることができると思います。つまり、町に住み続ける、永住するというより、数年レベルの居住者が多い町というイメージです。その理由は、職場、大学、仕事の関係などさまざまでしょう。詩に「時流につれて客は変わる」とあるのも、そのイメージとマッチしています。





その町にあるジャズ・バー「LADY JANE」は、

・ 色のあせた文字の看板

・ 座り心地が良いとは言いかねる
席はまるで船の底

・ 常に灯りはかすんでいる
煙草のるつぼ

と表現されています。いかにも老舗しにせのジャズ・バーという風情です。ここで出てくる「看板」「席」「灯り」は、おそらく店の創業以来そのままなのでしょう。


時の流れ


しかし、店の外観やしつらえは変わらなくても、変わるものがあります。それは、

時流につれて客は変わる
時流につれて町は変わる
時流につれて国は変わる

と表現されているように「客」「町」「国」で代表されるものです。「客・町・国」の何が変わるのかの具体的な言及はありません。ただ「乗り継ぎびとの町」にあるバーなので、客や町が変わるのは自然でしょう。

また「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。このジャズ・バーには映画や演劇のポスターがいろいろ貼ってあるようです。それも最新の(ないしは近日中に公開や初日の)ものだけでなく、昔の映画や演劇のポスターも(マスターのセレクションによって)貼ってある。当然そこには変遷があり、大袈裟に言うと、国の文化的状況の変化を反映している。

文化的状況というと、詩にある「言葉が通じない国」の "言葉" も変わります。この詩は「変わらないものと、変わるもの」が、基軸になっています。その中で、

この店はあるのかな
この店は残ってね

とあるように、店は変わらないで欲しいと願っている。そいういう詩です。


人間模様


その「変わらないものと変わるものの交差点」であるジャズ・バーのなかで、いくつかの人間模様が描かれます。まず、

愛を語り合うカップル

です。次に、それとは対照的な、

愛が冷えたカップル

です。ひょっとしたら同じカップルかもしれません。最初に見たときは「愛を語り合う」ようだったが、その次には「愛が冷えた」ようだったという、時間の経緯による変化なのかもしれません。さらに、

脛に傷ありそうなマスター

です。"脛に傷" なので、次のようなイメージが浮かびます。つまりこのマスターはジャズが好きだが、以前は全く別の仕事をしていた。そのときに人生における極めて辛い状況に陥った。それを契機にジャズ・バーのマスターに転身した。たとえばですが ・・・・・・。

このマスターは「いつも何かを怒ってる」とあるように、"気難し屋" のようです。何に怒っているのかは書いてありませんが、その直後の言葉に「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。これにひっかけて類推すると「最近の映画はつまらないし、演劇のクオリティーは低くなった」と怒っているのかもしません。そしてもう一つの人間模様としては、

ピアノを弾く客

です。「寝ていたかのよう客がふいとピアノ弾き始める、遠ざかるレコードを引き継いで」とあるので、フェイドアウトするレコードから引き継いだピアノ演奏です。アマチュアのジャズバンドをやっている人かも知れないし、ひょっとしたらプロのミュージシャンかも知れません。プロだとしたら、即興のピアノ演奏とも考えられるでしょう。





そして「私(=女性)」です。私は、

・ 大好きな男がこの近くにいる。ただし、その男はこのジャス・バーを知らない。

・ 一人でジャズを聴きながら、お酒を飲む。

・ お酒の量は「歩いて帰れる程度」で、かなり多め。

・ 深夜まで飲み、夜明け前のまだ暗いうちに(=町の日常が動き出す前に)店を出る(こともある)。

といった感じでしょうか。このジャズ・バーに通う大きな理由は「大好きな男がこの近くにいる」からなのでしょう。程度はさておき、女性の側からの "片思い" を匂わせる表現です。そうでないなら、2人でこの店に来ればよいはずです。詩に出てくるカップルのように ・・・・・・。

こういった "片思い" にまつわる詩は、70年代・80年代の中島さんの作品にいろいろあったと思います。しかしこの詩では、以前の作品のように "女性心理を突き詰める" というのではなく、「私」はあくまでこのジャズ・バーの人間模様の一つに過ぎません。そういった "軽さ" がこの詩の特徴でしょう。


実在の店を主題にするという手法


以上の内容は、「LADY JANE」という実在する店を舞台にし、その店の固有名詞を出した中で展開されます。こういった詩の作り方で真っ先に思い出すのが「店の名はライフ」です。この楽曲は1977年発表のアルバム「あ・り・が・と・う」に収められたもので、「LADY JANE」とは38年の時間差があることになります。

両曲とも実在する店をテーマにすることで人間模様(あるいは世相)を描いていますが、「LADY JANE」の詩は気負いがなく "肩の力が抜けている" 感じがします。曲調も中島さんの歌い方も軽快です。

特に「LADY JANE」は店の名前だけがタイトルであり、かつその名前が16回も繰り返されるところです。つまり主題は店であり、店が主人公の詩と言ってよいでしょう。その主人公である店が、人や町などの変化(や不変なもの)を語る。

"定点観測" という言葉があります。場所を固定して観測を続けていると、多様な人が行き交うことがわかると同時に、時間の流れと変化を感じることができる。「LADY JANE」は、変わらないものと変わるものの交差点である非日常空間を描いた詩、そう言えると思います。


サード・プレイス


「LADY JANE」の詩から、"サード・プレイス" という言葉に連想がいきました。サード・プレイス(第3の場所)とは、

自宅(ファースト・プレイス)や職場(セカンド・プレイス)とは隔離された、自分にとっての居心地の良い場所

の意味です。セカンド・プレイスは "自宅以外で1日の最も長い時間を過ごす場所" で、職場以外にも学校などが含まれます。ファースト・プレイスとセカンド・プレイスを「日常空間」とすると、サード・プレイスは「非日常空間」ということになるでしょう。

サード・プレイスでは、気ままに何かをしてもよいし、何もせずに無為の時間を過ごしてもよい。目的(たとえばジャズを聴く)があってそこに行ってもよいが、目的なしに行ってもよい。"そこに居る" こと自体が目的であっていいわけです。

また、そこに集まる人はすべてが平等です。常連客が雰囲気を支配しているような店はサード・プレイスにふさわしくない。

サード・プレイスがカフェ、バーなどの店だとしたら、その店は長期に存続し続けることが重要です。自分にとっての居心地のよさは、時間のフィルターで濾過されたものが自分に染み込むことで生まれるからです。ジャズ・バー「LADY JANE」がまさにそうで、1975年にオープンなので、中島さんが楽曲にするまでに40年間続いていることになります。

「LADY JANE」の詩から、日々の生活にとっての "サード・プレイス" の必要性や重要性を思いました。




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No.327 - 略奪された文化財 [歴史]

No.319「アルマ=タデマが描いた古代世界」で、英国がギリシャから略奪したパルテノン神殿のフリーズの話を書きました。今回はそれに関連した話題です。


エルギン・マーブル


まず始めに No.319 のパルテノン神殿のフリーズの話を復習すると次の通りです。

◆ 1800年、イギリスの外交官、エルギン伯爵がイスタンブールに赴任した。彼はギリシャのパルテノン神殿に魅了された。当時ギリシャはオスマン・トルコ帝国領だったので、エルギン伯はスルタンに譲渡許可を得てフリーズを神殿から削り取り、フリーズ以外の諸彫刻もいっしょに英国へ送った。

◆ 数年後、帰国したエルギン伯はそれらをお披露目する。芸術品は大評判となるが、エルギン伯の評判はさんざんだった。「略奪」と非難されたのだ。非難の急先鋒は "ギリシャ愛" に燃える詩人バイロンで、伯の行為を激しく糾弾した。

◆ 非難の嵐に嫌気のさしたエルギン伯は、1816年、フリーズを含む所蔵品をイギリス政府に売却した。展示場所となった大英博物館はそれらを「エルギン・マーブル(Elgin Marble)」、即ち「エルギン伯の大理石」という名称で公開し、博物館の目玉作品として今に至る。

The Parthenon Frieze(Wikimedia).jpg
パルテノン神殿のフリーズ
- 大英博物館 -
(Wikimedia Commons)

◆ 実は、古代ギリシャ・ローマの彫像や浮彫りは驚くほど極彩色で色づけされていたことが以前から知られていた。わずかながら色が残存していたからだ。大英博物館のフリーズにも彩色の痕跡が残っていた。

◆ オランダ出身でイギリスに帰化した画家・アルマ=タデマは、大英博物館に通い詰め、フリーズの彩色の痕跡を調査し、それをもとに一つの作品を仕上げた。それが「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」(1868)である。

アルマ=タデマ 8:フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ(1868).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」(1868)
(Pheidias and the Frieze of the Parthenon, Athens)
72.0.cm×110.5cm
(バーミンガム市立美術館)

◆ ところが1930年代、大英博物館の関係者が大理石の表面を洗浄し、彩色を落とし、白くしてしまった。彫刻は白くあるべきという、誤った美意識による。このため大理石の本来の着色は二度と再現できなくなった。「エルギン・マーブル事件」と呼ばれる大スキャンダルである。

◆ ギリシャはパルテノン神殿のフリーズを返還するようにイギリスに要求し続けているが、イギリスは拒否したままである。しかたなくギリシャはアテネのアクロポリス博物館にレプリカを展示している。

◆ アルマ=タデマの「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」は、今となってはパルテノン神殿の建設当時の姿を伝える貴重な作品になってしまった。

大英博物館が所蔵する略奪美術品・略奪文化財はエルギン・マーブルだけではありません。エジプト、メソポタミアの文化財の多くがそうです。このエジプト・メソポタミアのコレクションを築いた人物の話が、NHKのドキュメンタリー番組でありました。それを紹介します。


大英博物館 ── 世界最大の泥棒コレクション


NHK BSプレミアムで「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」と題するドキュメンタリーのシリーズが放映されています。その2021年11月25日の放送は、

大英博物館 ── 世界最大の泥棒コレクション

と題するものでした(2021年11月25日 21:00~21:45)。内容は、大英博物館(British Museum)のエジプト・コレクションに焦点を当て、その収集(略奪)の経緯を追ったものした。以降、番組の概要を紹介します。



大英博物館のエジプト・コレクションは総数が10万点以上で、世界最大級です。ミイラだけでも150点以上あります。このコレクションのうちの4万点を集めたのが、大英博物館の考古学者、ウォーリス・バッジ(Wallis Budge。1857-1934)でした。バッジは大英博物館の歴史上、最も多くの文化遺産を収集した人物と言われています。

彼の収集方法はもちろん違法で、嘘、賄賂、脅しなどで盗掘品を買いあさったものでした。収集品の中で最も貴重なのが "死者の書" の最高傑作といわれる「アニのパピルス」ですが、これもエジプト当局を出し抜き、無許可で英国に持ち出したものです。

1882年、英国はエジプトを占領し、保護国にします。1886年、バッジは29歳でエジプト乗り込みました。彼は 150ポンド(現在の日本円で約300万円の価値)の資金を大英博物館から託されていました。

当時のエジプトでは、1880年5月19日に公布された遺跡や遺物に関する法令で、「エジプト考古学に関わるすべての文化遺産の持ち出しを絶対に禁止する」と決められていました。文化遺産を持ち帰るヨーロッパ人が後を絶たなかったためです。バッジに面会した英国総領事のイブリン・ベアリング(Evelyn Baring)も、エジプトの文化遺産を英国に持って帰らないようバッジにクギをさし、「エジプトの占領が歴史的な遺産を盗む口実になってははらない」と告げました。

しかし、バッジは文化遺産の買い付けに走ります。持ち前の語学力を武器に情報収集を行い、また、古代エジプト文字も読めたバッジは審美眼にもたけていました。そして現地のエジプト人が盗掘した文化遺産を次々と買い漁っていきました。盗掘品と知りながら購入する行為はもちろん違法ですが、盗掘人にもメリットがありました。盗掘品をエジプト当局に見つかると、没収されるか二束三文で買い上げられます。バッジに売る方が儲かります。

バッジはエジプト当局の監視をかいくぐり、イギリス軍と交渉して文化遺産を軍用貨物として英国に送りました。軍用貨物となると誰も検査できません。バッジは英国総領事・ベアリングの指示を全く無視したわけです。この初めてのエジプト行きでバッジは1500点もの文化遺産を持ち帰りました。



1887年、バッジは再びエジプトに向かいます。後に「アニのパピルス」と呼ばれる "死者の書" を手に入れるためです。番組のナレーションを紹介します。


死者の書とは、あの世で必要とされる呪文や祈祷文が書かれた巻物。ミイラとともに埋葬される。古代エジプト人は、人は死んでもあの世で復活できると考えていた。そのための永遠の肉体がミイラである。そして復活に至るまでのさまざまな困難を乗り越える道しるべとなるのが死者の書である。死者の書はミイラとともに古代エジプト人の死生観を今に伝える貴重な学術資料なのだ。中でもバッジが収集した「アニのパピルス」は、美しいさし絵があしらわれ、美術品としての価値も高く、数ある死者の書でも最上級と言われる。

発端はロンドンのバッジに届いた、エジプトの盗掘集団の一味からの手紙だった。手紙には、立派な墓からパピルスでできた巻物がいくつも見つかったと記されていた。エジプト考古局が持ち出す前に早く取りに来てほしいとのことだった。

再びエジプトに降り立ったバッジ。前回の傍若無人な振る舞いから、すでに要注意人物としてマークされていた。

まずはあの因縁の相手、英国総領事のベアリングが使いをよこし、法律で禁じられている文化遺産の国外持ち出しをやめるよう告げてきた。さらには、エジプト考古局長のウジェーヌ・グレボーから呼び出され、違法行為に関しては逮捕・監禁もありうると、厳しい口調で警告された。


しかしバッジは警告を無視します。バッジは到着の数日後、盗掘集団の案内でパピルスの巻物が発見された墓を訪れました。そこにあったのが「アニのパピルス」です。アニという人物に捧げられた死者の書で、完全な状態で残っていました。バッジはそれを墓から持ち出しました。つまり、これまでは盗掘品を買い取っていただけでしたが、ついに盗掘に手を染めたのです。


バッジは自ら足を運び、盗みに加わりました。ついに一線を超えてしまったのです。第三者から購入していただけなら、盗品とは知らなかったと言い逃れもできます。バッジは完全にモラルが崩壊してしまったのです。

歴史家:エイデン・ドッドソン
(Aiden Dodson)

バッジはまたしてもイギリス軍に託しで持ち出すことに成功しました。

たった2度のエジプト行きで盗掘集団とのネットワークを築いたバッッジは、メソポタミアでも同様の手口で文化遺産を収集していきました。

バッジの行為は英国国内でも批判が噴出しました。「大英博物館のために働く無節操なコレクター」と新聞は書きました。バッジ批判の急先鋒はエジプト考古学の父といわれるフリンダーズ・ピートリーでした。彼はバッジを告発する手紙を考古学会に送ります。しかし、大英博物館の理事会メンバーの多くが政府の高官でした。政府はバッジの行為を把握し、承認していたのです。告発はスルーされました。

1894年、バッジは37歳で大英博物館のエジプト・アッシリア部長に昇進し、その後もコレクションを充実させます。そして67歳で退官するまでに、エジプト関連の文化遺産を4万点、メソポタミア関連を5万点収集しました。古代エジプトのミイラも、バッジが在職中に 63点が収集されています。

アニのパピルス.jpg
アニのパピルス
(Wikipedia)

略奪された文化財、美術品を元の国に返還するよう、機運が高まっています。2017年、フランスのマクロン大統領がアフリカのベナン共和国に文化財を返還する方針を発表しました。アメリカの聖書博物館も2021年、エジプトに5000点の文化遺産を返還しました。しかしこのような返還はまだ一握り、ごく一部に過ぎません。たとえば大英国博物館は1753年の創設以来、一切の返還要求に応じていません。



以上が「大英博物館 ─ 世界最大の泥棒コレクション」(NHK BSプレミアム 2021年11月25日)の概要です。大英博物館を訪れると、有名なロゼッタ・ストーンに目を引かれ、巨大なアッシリアの彫像、大量のエジプトのミイラに驚きます。そういった古代文明を知ることは大切な経験ですが、それと同時に英国の略奪の歴史も知っておくべきでしょう。歴史の勉強としては、それもまた重要です。


ルーブル美術館


イギリスだけでなく、フランスのルーブル美術館も略奪美術品で有名です。ここの特色は、19世紀初頭のナポレオン戦争でナポレオンが持ち帰った文化財・美術品があることです。つまり、エジプトのみならずヨーロッパ各国から略奪した美術品がある。特にイタリアです。2021年6月9日の New York Times に、

The masterpieces that Napoleon stole, and how some went back(ナポレオンが略奪した芸術作品と、その一部の返却経緯)

と題するコラム記事が掲載されました。この記事の一部を試訳とともに掲げます。


When Napoleon Bonaparte led his army across the Alps, he ordered the Italian states he had conquered to hand over works of art that were the pride of the peninsula. The Vatican was emptied of the “Laocoön”, a masterpiece of ancient Greek sculpture, and Venice was stripped of Veronese’s painting“The Wedding Feast at Cana”(1563).

【試訳】

ナポレオン・ボナパルトが軍隊を率いてアルプスを越えたとき、彼は征服したイタリアの国々に、半島の誇りである芸術作品を引き渡すように命じた。バチカン市国は古代ギリシャ彫刻の傑作である「ラオコーン」を持ち出され、ヴェネツィアはヴェロネーゼの絵画「カナの婚礼」(1563年)を剥奪された。

New York Times
2021年6月9日

ヴェロネーゼの『カナの婚礼』は、677cm × 994cm という巨大さで、ルーブル美術館の最大の絵画と言われています。この絵はもともとヴェネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の食堂に飾られていましたが、ナポレオン軍が剥奪しました。あまりに巨大なので、カンヴァスを水平にいくつかに切断し、それぞれをカーペットを丸めるようにしてフランスに持ち帰り、再び縫合しました。これだけでもカンヴァスの損傷があったと思われます。

ヴェロネーゼ「カナの婚礼」.jpg
ヴェロネーゼ(1528-1588)
「カナの婚礼」(1563)
ルーブル美術館


“Napoleon understood that the French kings used art and architecture to enlarge themselves and build the image of political power, and he did exactly the same”said Cynthia Saltzman, author of‘Plunder’,a history of Napoleon's Italian art theft done, said in an interview.

He stormed about 600 paintings and sculptures from Italy alone, she remarked, adding that he‘wanted to commit himself to these ingenious works’and justify their looting by calling on‘the aims of the Enlightenment’.

【試訳】

「ナポレオンは、フランス歴代の王が芸術と建築を使って自らを誇示し、政治力のイメージを作り上げたことを理解していました。彼はまったく同じことをしたのです」と、ナポレオンによるイタリアの美術品盗難の歴史である「略奪」の著者であるシンシア・サルツマンはインタビューで語った。

サルツマンは、ナポレオンはイタリアだけで約600点の絵画と彫刻を略奪したことを述べた上で、彼は「これらの独創的な作品に献身したい」と思い、「啓蒙の目的」だと広く知らしめることで略奪を正当化したと付け加えた。

New York Times

しかしナポレオンは結局のところ "敗北" し、戦後処理の中で略奪美術品も返却されます。「ラオコーン」もその一つです。しかし返却されたのは全部ではありませんでした。


About half of the Italian paintings Napoleon took were returned, Saltzman said. The other half stayed in France, including ‘The Wedding Feast at Cana’.

【試訳】

「ナポレオンが奪ったイタリアの絵画の約半分は返還されました」とサルツマンは言う。「残り半分は『カナの婚礼』を含めてフランスに留め置かれました」と。

New York Times


Why were the others not returned ? Many were scattered in museums across the country, and French officials resisted giving them back. Each former occupied state had to submit a separate request to return their artwork, which made the process even more complicated, Saltzman said.

【試訳】

なぜ他の作品は戻らなかったのか? 「その多くは全国の美術館に散らばっていて、フランス当局は返却に抵抗しました。かつて占領されていたイタリアの各国は、作品の返却のためには個別の要求を提出する必要があり、プロセスがかなり複雑になりました」とサルツマンは述べている。

New York Times

ナポレオンの強奪美術品がルーブル美術館でだけでなくフランス各地に分散されたのは、返還交渉を難しくするためと言われています。


Although many were returned, the Napoleonic looting left a bitter aftertaste that continues to this day. Italians still refer to “i furti napoleonici” (“the Napoleonic thefts”).

【試訳】

多くが返還されたものの、ナポレオンの略奪は今日まで続く苦い後味を残している。イタリア人は今でも「i furti napoleonici」(「ナポレオンの盗難」)と呼んでいる。

New York Times

話は変わりますが、以前、イタリア対フランスのサッカーのナショナルチームの試合があり、イタリアが勝った時の様子を特派員がレポートしたテレビ番組を見たことがあります。何の試合かは忘れました。ワールドカップのヨーロッパ予選だったか、ヨーロッパ国別選手権だったか、とにかく重要な試合です。これにイタリアが勝ったときの北イタリアの都市(ミラノだったと思います)の街の様子が放映されました。街頭に繰り出した人々が口々に叫んでいたのは、

「 フランスには勝った。次はモナ・リザを取り戻すぞ!」

というものです。良く知られているように、ダ・ヴィンチは最後の庇護者であるフランスのフランソワ1世のもとで亡くなったので、手元にあったモナ・リザがフランスに残されました。ダ・ヴィンチの遺品の "正式の" 相続権者が誰かという問題はあると思いますが、少なくともモナ・リザはフランスが強奪したものではありません。

しかし、フランスに勝ったことで熱狂し街頭に繰り出したイタリアの人々は「次はモナ・リザを取り戻すぞ!」なのですね。テレビを見たときにはその理由がわかりませんでした。しかしイタリアの美術品がフランスに強奪された歴史を知ると、あのような人々の叫びもわかるのです。



イタリアだけではありません。スペインやポルトガルに団体で旅行に行くと、現地のガイドさんが各種の文化遺産(教会、修道院、宮殿など)を案内してくれます。そこでは「ナポレオンにはひどい目にあった」という意味の解説がよくあります。

ポルトガルの世界遺産になっているある修道院に行ったとき、教会に安置されたポルトガル王族の棺があって、その大理石のレリーフがごっそりとはぎ取られているのを見たことがあります。ガイドさんによるとナポレオン軍が持っていったとのことでした。もちろん現在は行方不明です。ルーブル美術館の『カナの婚礼』とは違って、全く無名の職人の無名の作品です。こういった例がたくさんあるのだと想像できます。



略奪文化財・美術品ということで、イギリスとフランスの例を取り上げましたが、19世紀から20世紀にかけて植民地や保護領をもった国や、外国に出て行って戦争をして勝った国には、美術品強奪の歴史があります。ドイツもそうですが、日本も朝鮮半島を併合した歴史があります(1910-1945)。1965年の日韓基本条約には、韓国から日本に持ち込まれた美術品の返却が盛り込まれました。このあたりは、Wikipediaの「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」に詳しい解説があります。


仏の略奪美術品、ベナンに返却へ


はじめの方に紹介した「大英博物館 ── 世界最大の泥棒コレクション」(NHK BSプレミアム。2021年11月25日 21:00~21:45)で、

2017年、フランスのマクロン大統領がアフリカのベナン共和国に文化財を返還する方針を発表

とありました。この話が具体的に進み出しました。パリのケ・ブランリ美術館が所蔵するアフリカ美術・26点の返還です。2021年10月末の新聞報道を引用します。


朝日新聞
2021年10月29日

仏の略奪美術品、ベナンに返却へ
 植民地支配の「戦利品」
 像・玉座など26点

フランスのマクロン大統領は27日、植民地だった西アフリカのベナンから129年前に戦利品として略奪した26点の美術品を来月に返還すると明らかにした。フランスの美術館は9万点ものアフリカの作品を所蔵し、半数以上は植民地時代に奪ったものとされる。マクロン氏は今後も一部を返還していく考えを示したが、背景にアフリカとの関係を改善したい思惑がある。

今回返還されるのは、フランスが1892年、当時のダホメ王国を侵略した際に、戦利品として持ち去った王を象徴する像や王宮の扉、玉座などが対象だ。アフリカやアジアをはじめ世界各地の「原始美術」を展示するパリのケ・ブランリ美術館に所蔵され、月末まで特別展示されている。

マクロン氏は27日に同館で作品を鑑賞した後、「作品がかつて去った大地に戻り、アフリカの若者が自国の遺産に再び触れられるようになる」と演説した。

ベナンは以前から美術品の返却を求め、マクロン氏は2017年に西アフリカのブルキナファソを訪問した際、フランスにあるアフリカの文化財返却に踏み切る考えを表明。国の財産を譲渡できるようにするための法整備を進めてきた。

27日にケ・ブランリ美術館を訪れたバンサン・シブさん(70)は1970年代後半、綿花栽培のボランティアとしてベナンに滞在。「王宮跡を訪ねたことがあったが、がらんどうだった。返還すべき作品だ。アフリカの若者は、こうした優れた作品が自国にあったと知らないまま育ってしまっていたのだから」と語った。

アフリカと関係改善狙う

マクロン氏の狙いは、アフリカとの関係改善にある。文化財の返却を対等な関係の象徴と位置づけることで、反仏感情を取り除きたい考えだ。アフリカ系移民を多く抱える国内にとって大事な問題でもある。

マクロン氏は27日、「我々の視点を脱中心化し、フランス、アフリカ双方の互いの見方を変える」必要があると語り、アフリカの立場に立つ意義を訴えた。

ただ、国内の美術館にはこうした収奪品が推計4万6千点以上所蔵されている。マクロン氏は「すべての作品を手放すわけではない」とも語り、返すべきものの選び方や方法を近く法律で定める考えを示した。


Africa-Benin.jpg
ベナン

ダホメ王国1.jpg
ダホメ王国(現・ベナン)の王様などをかたどった木像

ダホメ王国2.jpg
玉座

ダホメ王国3.jpg
王宮からフランスに持ち帰られ、展示されている扉
いずれも2021年10月27日、パリのケ・ブランリ美術館、疋田多揚 撮影

こういった文化財は "民族の誇り" であり、民族の歴史を知り、民族のアイデンティティーの確立に重要でしょう。それは国家としての一体感を醸成するのに役立ちます。しかし記事にあるように現・ベナンの若者は、こういった文化遺産を全く知らずに育ってしまったわけです。文化財の略奪は単にモノの所在が移動しただけではありません。民族を破壊する行為である。そう感じます。さらに記事では、略奪美術品の一般状況についての解説がありました。


欧州の美術館や博物館は過去の他国支配と少なからず結びついており、ナポレオンは支配下のイタリアから絵画や彫刻を収奪。絵画の半数はルーブルなど仏の美術館に残るとされる。エジプトは、大英博物館が所蔵する象形文字の石碑ロゼッタストーンの返還を求めているが、応じていない。

ベルリン工科大学のベネディクト・サボワ教授(美術史)は「アフリカの国々は、(独立を遂げた)1960年代からずっと旧宗主国に返還を求めてきたが、ことごとく拒まれてきただけに、今回の返却は大きな意味がある」と評価する。

そのうえで「フランスの美術館の起源には、戦争の暴力や植民地支配といった権力の非対称性がつきまとっている。美術館は、数々の傑作のこうした背景についての説明を意図的に避けており、本当の情報を知らされていない来館者は(理解を妨げられた)被害者でもある」と指摘した。(パリ=疋田多揚、ローマ=大室一也)


最後の一文が痛烈ですね(ちなみにサボワ教授はフランス人です)。我々は "本当のことを知らされていない被害者" にならないようにしたいものです。


ピカソ


ところで記事にあったように、マクロン大統領はパリのケ・ブランリ美術館に所蔵されている美術品、26点をベナン(旧・ダホメ王国)に返却することを表明しました。このケ・ブランリ美術館とは、セーヌ河のほとりにある美術館で(2006年開館)、アフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの固有文化の文化遺産、美術品が展示されています。

ここの収蔵品の多くは1937年設立の人類博物館の所蔵品であり、その人類博物館の前身は1882年に設立されたトロカデロ民族誌博物館です。そして1907年頃、そのトロカデロ民族誌博物館を訪れたアーティストがいます。ピカソです。

ピカソの作品を年代順に分類すると、1907年~1909年は「アフリカ彫刻の時代」と呼ばれていて、アフリカ固有文化の彫刻の影響が顕著です。有名な例で『アヴィニョンの女たち』の右2人の女性の表現です。

Les Demoiselles d'Avignon.jpg
パブロ・ピカソ(1881-1973)
「アヴィニョンの女たち」(1907)
ニューヨーク近代美術館

ピカソだけでなく、マティスやモディリアーニにもアフリカ彫刻の影響が見られます。次の画像はバーンズ・コレクション(No.95 参照)の "Room 22 South Wall" ですが、ピカソとモディリアーニとアフリカ彫刻が展示されています。アルバート・バーンズ博士(1872-1951)はピカソやモディリアーニと同時代人です。20世紀初頭のパリのアーティストたちがアフリカ彫刻からインスピレーションを得たことを実感していたのでしょう。

Barnes Collection Room 22 South Wall.jpg
バーンズ・コレクション
Room 22 South Wall
アフリカの彫刻とモディリアーニとピカソが展示されている。モディリアーニは「白い服の婦人」と「横向きに座るジャンヌ・エビュテルヌ」、その内側にピカソがあって「女の頭部」と「男の頭部」である(下図)。アフリカの彫刻(仮面、立像)とこれらの類似性を示している。

Pablo Picasso - Barnes.jpg
ピカソの「女の頭部」(左)と「男の頭部」(右)
(バーンズ・コレクション)

Portrait Mask(Bearded Man).jpg
Female Figure1.jpg
展示されている彫刻のうちの2つの仮面と、2つの立像。
(バーンズ・コレクション)

ピカソ作品と旧・ダホメ王国の文化財が直接の関係を持っているというわけではありません。ただ当時は、アフリカの文化財が "略奪" や "正規の購入" も含めて大量にパリに運ばれ、美術館に展示されていた。この環境がピカソの一連の作品(を始めとする芸術作品)を生み出したわけです。我々はピカソの「アフリカ彫刻の時代」の作品を鑑賞するとき、なぜこのような作品が生まれたのかの歴史を思い出すべきなのだと思います。




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No.326 - 統計データの落とし穴 [科学]

個人や社会における意志決定においては「確かな数値データにもとづく判断」が重要なことは言うまでもありません。しかしデータの質が悪かったり判断に誤りが忍び込むことで、正しい議論や決定や行動ができないことが往々にしてあります。「誤ったデータ、誤った解釈」というわけです。このブログでは何回か記事を書きました。分類してまとめると次の通りです。

 社会調査における欺瞞 

No.81「2人に1人が買春」
No.83「社会調査のウソ(1)」
No.84「社会調査のウソ(2)」

アンケートやデータ収集による社会調査には、データの信頼度が無かったり、解釈が誤っている事例が多々あります。一例として、回収率が低いアンケート(たとえば30%以下)は全く信用できません。

 "食" に関する誤り 

No. 92「コーヒーは健康に悪い?」
No.290「科学が暴く "食べてはいけない" の嘘」

"食" に関する言説には、根拠となる確かなデータ(=エビデンス)がないものが多い。「・・・・・・ が健康に良い」と「・・・・・・ は健康に悪い」の2つのパターンがありますが、その「健康に悪い」に誤りが多いことを指摘したのが、No.92、No.290 でした。

 相関関係は因果関係ではない 

No.223「因果関係を見極める」

データの解釈に関する典型的な誤りは「相関関係」を「因果関係」と誤解するものです。これは No.83、No.84 でもありました。No.223 はその誤りの実例とともに、因果関係(= 原因と結果がリンクする関係)を正しくとらえるデータ収集と分析の手法の説明でした。

 評価指標とスコア 

No.240「破壊兵器としての数学」
No.247「幸福な都道府県の第1位は福井県」
No.250「データ階層社会の到来」

各種の数値データを数学モデルや AI技術によって分析し、人や組織の評価指標やスコアを作成し、それにもとづいてランキングをしたり分類したりする動きが世界で急速に広まっています。これには、一方的なモノの味方を強要する危うさや、人々の平等や自由を損なう側面があり、このことは十分に認識しておく必要があります。

 思考をまどわすデータ 

No.296「まどわされない思考」

No.296 は、我々の思考やモノの考え方を惑わす様々な要因を述べたものでしたが(その一例は "陰謀論")、要因の一つがデータの誤った解釈でした。



今回は以上のような「誤ったデータ、誤った解釈」の続きで、2021年に出版された本(の一部)を紹介したいと思います。

ピーター・シュライバー 著
土屋 隆裕 監訳 佐藤 聡 訳
「統計データの落とし穴」
── その数字は真実を語るのか? ──
(ニュートンプレス 2021.8.10)

です。原題は "Bad Data" で、その名の通り真実を語るにはふさわしくない「悪いデータ、バッド・データ」を様々な視点から述べたものです。

統計データの落とし穴.jpg


統計データの落とし穴


著者のピーター・シュライバーは、カナダのカルガリー市の都市計画官で、つまり都市計画の専門家です。訳書に記載された紹介によると「評価指標に起因する過りを見いだすことに力をそそぎ、さまざまな測定行為とそこから得られる教訓の間に、より有意義な関係性を築こうとしている」そうです。本書は10章からなっていて、その概要は次のとおりです。



第1章 特別試験対策
評価指標に対する過度な崇拝が有害な事象を生み出すことがある(学校の共通試験の例)。

第2章 努力と成果
インプット、アウトプット、アウトカム(成果)を間違って測定すると、努力しても身を結ばないことがある。

第3章 不確実な未来
評価指標が、短期的な活動と長期的な活動の優先順位を歪めることがある。

第4章 分母と分子
我々は往々にして、分母(~ あたり)を無視したり、誤用したりする傾向にある。

第5章 木を見て森を見ず
複雑な全体の一部だけを測定して判断することの危険性。

第6章 リンゴとオレンジ
異なる性格のものを単一の測定値でまとめるという欺瞞が横行している。

第7章 数えられるものすべてが大事なわけではない
多くの組織で測定が自己目的化し、組織本来の目的が数字ゲームの中で失われている。

第8章 大事なものがすべて数えられるわけではない
評価指標が人々を動機付け、変化を促すことはあるが、評価指標が不適切に使われると意欲をそいで逆の結果をもたらす。

第9章 評価と選択
単純性・客観性・確実性・信頼性への願望が評価指標を使う目的だが、その願望が評価指標の本来の目的を損なうことがある。

第10章 終わりではなく始まり
評価指標を見直すことで、効果的に方針転換ができた学習塾の実例。



以上のように、本書全体を貫くキーワードは「評価指標」であり、このブログの過去の記事では「評価指標とスコア」(No.240「破壊兵器としての数学」No.247「幸福な都道府県の第1位は福井県」No.250「データ階層社会の到来」)のジャンルに属するものと言えるでしょう。以上の中から、今回は第4章「分母と分子」と、第5章「木を見て森を見ず」の中から数個の話題を紹介したいと思います。


都市の交通渋滞


著者のシュライバーは都市計画の専門家ですが、都市の交通渋滞は都市計画と密接に関係する問題です。その "交通渋滞の評価指標" の部分を紹介します。車通勤が前提となっている北米の都市の例であり、日本にそのままマッチするわけではありませんが、評価指標の誤った使い方の例として見ればよいと思います。


バンククーバーは、カナダどころか、おそらく北米で最悪の交通渋滞をかかえている。2016年3月上旬、そうしたニュースがバンクーバーの各地元メディアの見出しを飾った。Huffington Post の見出しは「バンクーバー、国内最悪の交通渋滞」だった。翌年も状況は変わらなかった。2017年、CTVは、バンクーバーの交通事情が 100都市中いかにしてよいほうから71番目となったかを示す記事を掲載した。2018年も同様だった。「バンクーバー、世界渋滞ランキングで上位から脱出」というのは、2018年2月6日付けの CityNews の見出しだ。もう十分だろう。

毎年同じ話が繰り返された。2013年、通勤に30分をかけるバンクーバ都市部の平均的な市民は、渋滞のせいで1年に93時間を無駄にした。バンクーバーのラッシュ時の平均通勤所要時間は、流れのよいときに比べて36%延びるといわれていた。バンクーバーは明らかに北米で「最悪」の交通渋滞を抱えていたのである。

ピーター・シュライバー
「統計データの落とし穴」
(ニュートンプレス 2021)

「ラッシュ時の平均通勤所要時間は、流れのよいときに比べて36%延びる」とあります。これが交通渋滞を調査する専門会社のデータにもとづくものです。こういったデータはバンクーバーのみならず、北米の各都市に関してメディアで公表され、解決策の議論がさんざんに行われてきました。しかし著者はこれに異論を唱えています。


何が起きているかを本当に理解している者はほとんどいない。バンクーバーは、過去数十年で市民の平均通勤所用時間を減らすことに成功した少ない北米の主要都市である。バンクーバーでは、市中心部の成長を促し、職住近接を可能とし、便利で効率的な交通システムに投資することで、平均通勤所用時間の短縮に成功したのだ。それなのに報道は、バンクーバーが北米で最も渋滞のひどい都市だと主張し続ける。平均通勤所用時間を減らした都市が、どうして北米大陸で交通渋滞が最悪の都市だとみなされているのだろうか?

「同上」

調査会社が発表する交通渋滞の評価指標は「所要時間指標(TTI)」で、これはラッシュアワー(通勤ピーク時間帯)と、渋滞なしの時の所要時間の比率です。渋滞なしの時の所要時間が 20分で、ラッシュアワーのときの所要時間が 40分だとすると、TTI = 2.0 ということになります。調査会社はこれをカーナビ搭載車からのデータなどで計算します。しかし、この TTI という評価指標が問題なのです。オレゴン州のポートランドの例です。


オレゴン州のポートランドもバンクーバー同様、TTIの観点からは悪く見える。ポートランドのTTIは、1982年から2007年にかけて1.07から1.29に悪化した(通勤所要時間に占める渋滞時間の割合が7%から29%に増えたことになる)。しかし、この期間のポートランドの平均通勤所要時間は、優れた都市計画と交通政策のおけげで、1日あたり54分から43分に減少していた。平均通勤距離が32kmから26kmに減ったのが主な理由だ(職場近くに住む人が増え、平均通勤距離が短くなった)。

「同上」

なぜこうなるのか。著者はバンクーバーに住むモニカとリチャードという2人の(仮想の)人物で説明しています。まず前提として、

◆ モニカもリチャードも、都市の中心部にある同じ会社に勤務しており、車で通勤をしている。

◆ モニカの家は、会社から車で10分のところにある。

◆ リチャードの家は会社から40分の郊外にある。彼は通勤途中でモニカの家のそばを通り(そこまで30分かかる)、それ以降はモニカと同じルートで会社に行く(10分)。

渋滞が全くないとすると、通勤時間は モニカ=10分、リチャード=40分です。これがラッシュアワー時に次のようになったとします。

◆ ラッシュアワー時のモニカの通勤時間は20分になる。

◆ ラッシュアワー時のリチャードの通勤時間は60分になる。つまりモニカの家まで 40分、そこから会社まで20分である。

これから TTI を計算すると、

モニカ = 2.0
リチャード = 1.5

となります。TTI を評価指標とし、TTIが小さい方が良いとすると、モニカよりリチャードが良いという結果になります。しかしこれは変です。つまり、通勤時間が長いほどTTIが良いという結果になるからです。しかも、渋滞による遅延時間(損失時間)は、モニカが 10分に対して リチャードは 20分です。TTI が少ない方が損失時間が多いという結果になる。

都市の TTI は、モニカとリチャードのような個人の TTI の総合です。つまりラッシュアワー時の所要時間の総体と、渋滞なしの時の所要時間の総体の比率です。しかしこれでは、

◆ 都市計画が優れていて、職住近接が可能である都市ほど TTI が増える(悪い)。

◆ ほとんどの人が郊外に住んで車通勤をしている都市の TTI は小さい(良い)。

ことになります。TTI という評価指標は、まさに "バッド・データ" なのです。そうなる原因は "分母" にあります。TTI の計算式の分母は「渋滞がない場合の所要時間」です。つまり所要時間が長ければ長いほど TTI値は良くなるのです。

著者は「渋滞のよりよい評価方法は、単純に各都市の平均通勤時間を示すことだろう」と言っています。こうなると渋滞だけでなく通勤時間の大小にも影響されます。つまり渋滞が少なく、通勤時間の短い住民が多いほど有利になる。しかし都市計画の視点では、これが妥当なのでしょう。


ニューヨークは歩行者にとって危険か?


TTI でみられるように、評価指標をみるときには分母に注意する必要があります。著書は次に「ニューヨークは歩行者にとって危険か?」というテーマで書いています。


ニューヨーク市は、歩行者にとって危険な場所のように思われる。ビッグアップルという愛称で知られるこの町では、平均して3日に1人、歩行者が死亡する。アメリカ運輸省道路交通安全局によれば、2012年、ニューヨーク市はアメリカの人口50万人以上の都市で歩行者の志望者数が最も多かった。その年、127人の歩行者が死亡したニューヨークは、ロサンゼルス(99人)、シカゴ(47人)、サンフランシスコ(14人)や、車への依存度が高いヒューストン(46人)、フェニックス(39人)を上回った。

しかも、ニューヨークが各都市のなかで最悪だったのは、死亡した歩行者の総数だけではない。交通事故による死者全体のうち、歩行者の占める割合が最も高いのだ。交通事故死全体を見ると、ニューヨークの歩行者はほかの都市の歩行者より、衝突事故の犠牲になる可能性が遙かに高い。すべての交通事故死に歩行者が占める割合は、全米平均が 14% なのに対し、ニューヨークでは 47% だ。

「同上」

以上のデータをもって「ニューヨークは歩行者にとって最も危険」だとは言えないことは、すぐに分かります。つまり人口が違うからです。ニューヨークは人口が多い。従って歩行者の死亡事故数も多くなります。人口10万人あたりの歩行者の死亡者数を計算してみると、ニューヨークは全米平均とほぼ同じです。

しかし「人口10万人あたり」を分母にしても、真実は見えないのです。それは、歩行者の数が違うからです。


ニューヨークの人口10万人あたりの歩行者の死亡者数は全米平均とだいたい同じだが、この都市にはアメリカのほとんどの都市よりはるかに多くの歩行者(と自転車)が存在するのだ。実際、その数は信じられないほど多い。

約10% の人が徒歩で通勤するニューヨークは、徒歩通勤者の占める割合がアメリカで最も高い都市の一つである(ニューヨークより高いのは 14% のボストンと 11% のワシントン D.C. だけだ)。公共交通機関の利用者数(ほとんどの公共交通機関の移動は歩行で始まり歩行で終わる)を加えれば、ニューヨークの歩行者や公共交通機関の利用者の割合は 65% で首位に躍り出る(ボストンは 49%、ワシントン D.C. は 48%)。

「同上」

本書によると「徒歩通勤 100万回あたり車に引かれて死亡する歩行者数」は、

ニューヨーク 1.5人
ロサンゼルス 5.2人

です。著者は「ニューヨークは歩行者にとってアメリカで最も安全な場所の一つ」と書いています。


病気の広がりを示す指標


今までの2つは "分母" の問題でしたが、今度は "分子" の問題です。人口に対する疾病の影響度合いを示すのに3つの指標があります。有病率、罹患率、死亡率の3つです。いずれも一定の人口を "分母" とするもので、たとえば "人口 10万人あたり" です(以下の説明ではそうしました)。特定の病気A について、3つの指標の意味は次の通りです。

有病率

ある時点で、病気A にかかっている人の割合(人口10万人あたりの数)。治癒するまでに長期間かかる病気、ないしは治らない病気では有意義な指標です。

罹患率

ある一定期間で、病気A にかかった人の割合(人口10万人あたりの数)。たとえばインフルエンザは特効薬があるので、発病から1週間程度で治癒するのが普通です。従って「有病率」より、ある一定期間(1年とすることが多い)でインフルエンザにかかった人の数 = 罹患率が実態を正しく伝えます。

死亡率

ある一定期間で、病気A で死亡した人の割合(人口10万人あたりの数)。これは致死率とは違います。致死率は「病気A にかかった人が死亡する割合」です。たとえば「エボラ出血熱の致死率は 80%~90%」というように使います。「エボラ出血熱の死亡率は 80%~90%」という言い方は間違いです。

この3つの指標はいずれも「少ない方が良い」指標です。しかし著者は、ある指標の減少が別の指標の増大につながることがあることを指摘しています。


たとえば、マラリア患者を延命する治療法が発見されたとする。そうした改善は、罹患率が一定であれば有病率を高める可能性がある。マラリアにかかった患者がすぐに死亡しないということは、長生きするということだ。長生きすれば、どの年にもマラリア患者として計上される人が増える。したがって病気の有病率は増加する。有病率は、実際には病気の影響が減っているのに、気の滅入る話を伝えるのだ。

逆に、罹患するとすぐ死亡してしまう病気の場合、有病率は減少する。病気を抱えて何年も生き永らえる人はめったにいない。病気にかかっている人が減ったからではなく、人々が早く死亡するために有病率が減る場合もあるわけだ。ある病気にかかっている人の数が以前より減ったことを祝う記事は、実はよい知らせではない可能性がある。患者の多くが死にかけているかもしれないのだ。

「同上」


フード・マイルズ


ここからは、第5章「木を見て森を見ず」で取り上げられたテーマです。フード・マイルズ(Food Miles)は、日本ではフード・マイレージ(Food Mileage)と呼ばれているものです。これは食料の生産地と消費地の距離であり、フード・マイルズがなるべく小さいものを食べよう、簡単に言うと "地産地消" をしようという運動のことを言います。


地元の食材を食べるという近年のトレンドは、アンジェラ・パクストンの『フードマイルズ・レポート:食料の長距離輸送の危険性』という1994年の論文に端を発している。この論文は、食品が私たちの食卓に並ぶまでにどのように運ばれるかを初めて考察したものの一つだ。このレポートでは、現代の食料システムについて、当時から今日まで多くの人々を驚かせるような側面が浮き彫りにされている。

そこでは、食料システムに関する多くの懸念が議論されているが、その中心は、レポートの題からわかるように、食品が食卓にのぼるまでに移動する距離の影響である。2011年に再版された論文では、論文の主旨が的確に要約されている。「市民は、食料が意味もなく地球を横断し、貴重なエネルギーを消費し、汚染を引き起こし、不公平な貿易を導き、田舎から仕事を奪うことを望んでいない」

「同上」

食文化にとって移動距離以上に重要な問題があります。土壌浸食や公正な労働条件と賃金、化学肥料への依存度、農薬による環境汚染などです。フード・マイルズという概念は食料の輸送に焦点をあて、エネルギー消費や環境汚染を問題にします。地産地消の運動には何の問題もありませんが、そこに "距離" という数値を持ち込むことは正しいのでしょうか。それが持続可能性の指標になるのでしょうか。著者は花の例で説明しています。


一例として、バレンタインデーのためにイギリス人が恋人のために買う花の二つの原産国を比較してみよう。オランダとケニアだ。より環境に優しいのは明らかにオランダの方だと思われる。オランダからイギリスに花を運ぶには、イギリス海峡を船で渡るだけのごく短い移動しか必要ない。ケニヤからの移動は短くもなく、エネルギー効率もよくない。花は飛行機で空輸されるからだ。

ところが、1万2000本の花を育て、輸送することで排出される二酸化炭素の総量を詳細に計算すると(計算方法は後述する)、オランダの花が3万5000kg(花1本あたり3kg弱)の二酸化炭素を排出するのに対し、ケニアの花はたった 6000kg(花1本あたり0.5kg)の二酸化炭素しか排出しないことがわかる。予想と大きく異なるのはどうしてだろう?

「同上」

エネルギー効率のよい船便で短距離を運ぶ方が、エネルギー効率の悪い飛行機で長距離を運ぶより二酸化炭素の排出量が少ないはずです。にもかかわらす、環境負荷はケニヤの花の方が少ない。


ケニアの花はなぜ、必要なエネルギーがオランダの花より大幅に少ないのだろうか。なぜ、ナイロビからロンドンに空輸するために排出される大量の二酸化炭素を相殺できるのだろう? その理由は、花を育てるのに、オランダ人が温室に頼っているのに対して、ケニヤ人は日光に頼っているからである。

「同上」

食料システムのエネルギー消費の全体は、

・ 原材料の生産(肥料、種、水、農薬など)
・ 食料生産(ガソリン、灯油、電気など)
・ 輸送
・ 消費(調理、他の原材料)
・ 破棄(リサイクル、焼却、そのための輸送)

に必要なエネルギーの合算です。フード・マイルズがこの中の "輸送" に焦点を当てていますが、輸送は全体の一部なのです。


アメリカの場合、輸送で排出される二酸化炭素は食料関連全体の約4% だ。エネルギー消費と排出量の大部分は、全プロセスのうちの生産段階で発生しており、全体の 83% に達する。

「同上」

さらに、輸送を問題にするときには、エネルギー消費が輸送手段によって全く違うことに注意が必要です。輸送による二酸化炭素排出量(トン・キロメートルあたり)は、

外航コンテナ船 10~15g
鉄道 19~41g
トラック 51~91g
飛行機 673~867g

です。特に、外航コンテナ船 =船による長距離輸送は環境効率が非常に良い。たとえば、ヨーロッパからワインを日本に輸送するとき、船便(これが普通)と航空便("新酒" をウリにする一部のワイン)では二酸化炭素排出量が50倍以上違います。


ガラス瓶とペットボトル


コカコーラは従来、有名なガラス瓶のボトルかスチールの缶で販売されていましたが、1960年代末からプラスチック・ボトルの研究を始めました。この研究は当時「資源・環境プロファイル分析(REPA)」と呼ばれたもので、飲料容器を生産するためのインプット(エネルギー、原材料、水、輸送エネルギー)とアウトプット(大気排出物、輸送時の廃液、固形廃棄物、水性廃棄物)全般にわたって、包括的に必要な資源と環境への影響を検討するものでした。この研究はその後、米国の環境保護庁(EPA)に引き継がれ、EPAは次の結論に達しました。


EPAの研究の結論は、全体像を見た場合、プラスチック性飲料容器は多くの人が考えていたような悪者ではないというものだった。コカ・コーラも同じ結論に達した。研究完了直後、コカ・コーラは最初の飲料用ペットボトルを世界に向けて投入した。

最近の研究でも同様の結論が得られている。ペットボトルはガラス瓶のように再利用できないかもしれないが、ガラス瓶は生産に大量のエネルギーを必要とするので、再利用できるという長所が相殺されてしまうのだ。

このチームの研究で際だっていたのは、コカ・コーラの瓶1本のインパクトに関する包括的な全体像を解明しようとした点である。飲料容器がどのように破棄され、飲料容器の生産にどれだけのエネルギーが投入されたかに注目しただけではない。瓶を構成する原材料そのものをつくるのに、どれだけのエネルギーが投入されたかにも焦点を当てた。瓶がどのように処分されたかも調べた。瓶の原材料すべてについて、採取、輸送、生産に関わるエネルギーを解明したのである。取り残されたものは何一つなかった。

「同上」

コカコーラとEPAが行った研究は、現在 LCA(ライフサイクル・アセスメント)と呼ばれている分析手法です。LCAでは「瓶を作るガラスの単位重量を作るためにどれだけのエネルギーが必要か」というような "原単位" が調査にもとづいて設定されていて、比較的容易にライフサイクルのエネルギー使用量が計算できるようになっています。



飲料の容器については、カフェで使うコーヒーカップのことが本書にありました。つまり、

・使い捨ての紙カップ
・陶磁器のマグカップ

のどちらが環境に優しいかという比較です。本書によると、

50回以上洗浄して使うと、陶磁器のマグカップの方が環境に優しくなる。ただし洗浄には食洗機を使うのが条件である(使用水量が少ないから)。マグカップを手で洗うと、再利用できるという利点はなくなってしまう

そうです。この文脈における「環境に優しい」の定義が明確ではありませんが、二酸化炭素排出量のことだとすると、水道水には「浄水場で水道水を作る」「水道管のネットワークを維持する」「下水処理をする」の各段階でポンプをはじめとするエネルギーが必要です。これと紙カップ・マグカップを製作・破棄するエネルギーのバランスの問題を言っています。


数値データの落とし穴


我々は数値データを見せられると "わかった気" になります。また評価指標を提示されると、比較ができるため余計にわかった気になる。しかしそこに落とし穴があります。本書はその落とし穴、著者の言葉でいうと "バッド・データ" をさまざまな視点から指摘し、かつ、落とし穴にはまらないためのアドバイスを記しています。

AI が火付け役となって、"データ・サイエンス" が企業や大学で大きく取り上げられています。しかし、いくら精緻な手法でデータの分析をしても、バッド・データを分析したり、目的にはそぐわない指標だったりでは意味がありません。手法より以前の「データを扱うリテラシー」が重要です。そのことを本書は教えているのでした。




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No.325 - 高校数学で理解する誕生日のパラドックス [科学]

「高校数学で理解する・・・」というタイトルで、今まで5つの記事書きました。


ですが、いずれも現代のインターネット社会における情報通信の基礎となっている "公開鍵暗号" の数理を、高校レベルの数学だけを前提知識として述べたものでした。

今回はその「高校数学で理解する・・・」の続きですが、公開鍵暗号よりは断然軽い話題で、No.149「我々は直感に裏切られる」でとりあげた「誕生日のパラドックス」をもう一度、考察します。No.149 では「バースデー・パラドックス」と書いたもので、よく知られた話です。


誕生日のパラドックス


誕生日のパラドックスとは、


誕生日のパラドックス 
 
23人のクラスで誕生日が同じ人がいる確率は 0.5 を越える


というものです。一瞬、えっ! と思ってしまいますが、数学的には全く正しい。普通、パラドックスと言うと「絶対に不可能なことが可能なように思えてしまう」ないしは、「あり得ないことがあり得るように見えてしまう」ことを言いますが、この誕生日のパラドックスはそれとは違う「疑似パラドックス」です。つまり、

疑似パラドックス
= 直感に反するが、数学的には矛盾がなく正しい命題

です。以下、1年を365日に固定して考えることにし、

B 365 23
= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいる確率

B__ 365 23
= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいない確率

の記号を使うと、

B 365 23 = 1 - B__ 365 23

なので、 B__ 365 23 を計算すればよいことになります。「23人のクラスの、誕生日のすべての組み合わせ( = X )」は、365種類のものから重複を許して23個を並べる順列、いわゆる「重複順列」で、

X = 365 23

です。一方、「23人のクラスの、誕生日がすべて違う組み合わせ( = Y )」は、出席番号1番の人は 365通り、2番の人は 364通り、3番の人は363通りで、以下、出席番号23番の人は 343通り(= 365 - 23 + 1)です。これを全部掛け合わせたのが Y ですが、これは365通りのものから23個を選んで並べる順列であり、「順列・組み合わせ」の記号を用いると、

Y = P 23 365

です。XY の値を実際に計算してみると、両方とも59桁の数字になり、

X = 856516793,5315032123 6814267844,3951526893 5462236404,4189453125

Y = 422008193,0209235987 2395663074,9089572537 4976070077,6448000000

です。従って、 Y X を計算すると、

B__ 365 23 = P 23 365 365 23 = Y X = 0.49270277

となります。つまり、

B 365 23 = 1 - B__ 365 23 = 0.50729723

となって、誕生日が同じ人がいる確率は確かに 0.5 を超えます。ちなみに「誕生日が同じ人がいる確率が 0.9 を超えるクラスの人数」を探ってみると、

B 365 40 = 0.89123180 B 365 41 = 0.90315161

なので、その答は 41人ということになります。誕生日は365通りです。41人というと、その約9分の1です。9分の1の人数を集めるとほぼ確実に誕生日が同じ人がいるというのは、23人と並んでかなり意外ではないでしょうか。このあたりの状況をグラフにしたのが下図です。

バースデー・パラドックス.jpg
誕生日のパラドックス
横軸はクラスの人数で、縦軸は少なくとも1組の誕生日が同じ生徒がいる確率。23人クラスで確率は 0.5 を超える。30人クラスで 0.7 を超え、41人クラスで 0.9 を超える。


カジノ・ゲーム


誕生日のパラドックスを応用した、次のような "カジノ・ゲーム" を想定しても、"直感との乖離" が明らかになると思います。あなたはカジノで掛け金を積んでディーラーと対決します。


① ディーラーは、ジョーカーを含む53枚のトランプのカードをよくシャッフルし、裏にしてテーブルの上に広げます。

② あなた(客)はどれでもいいから1枚を選び、そのカードを表にします。

③ ディーラーは、表になった1枚のカードを覚えておくため、別のトランプの1組から同じカードを選び、テーブルの隅に表にして置きます。

④ あなたは選んだカードを、裏になっているカードの任意の場所に裏にして返します。

⑤ ①のシャッフルから④までの手順を、最初の1回を含めて合計10回繰り返します。

⑥ 10回カードを引いて同じカードを1枚も引かなかったら、あなたの勝ちになり、掛け金は2倍になって帰ってきます。1度でも同じカードを引いてしまったらその時点であなたの負けで、掛け金は没収されます。

⑦ このゲームは1回きりで終わるのではありません。あらかじめあなたが指定した回数だけ(たとえば10回)繰り返します。もちろん、ゲーム全体を通して不正は一切ありません。
 

カードゲーム.jpg

このゲームは、あなた(客)にとって有利でしょうか、それとも不利でしょうか。あなたが勝つ確率はどれぐらいでしょうか。

あなたは(おそらく)次のように考えると思います。2回目に「引いてはいけないカード」は1枚しかない。これは自分が圧倒的に有利である。また3回目も2枚だけを引かなければよい。つまり有利だ。最後の10回目を考えると「引いてはいけない」カードが9枚あるが「引いてもいいカード」は44枚もある。確かに9枚のどれかを引いてしまうこともあるだろうが、まだ随分自分が有利のはずである。もちろん、1回のチャレンジだったら負けることもあるだろうが、10回もやれば自分がかなり有利なはずだ ・・・・・・。

しかし、事実は違います。誕生日のパラドックスにより、この賭は客が不利です。客が引いた10枚の全部が違うカードである確率は、さきほどの記号を使うと、

B__ 53 10

です。この値を計算してみると、

B__ 53 10 = P 10 53 53 10 = 7075833,2701056000 17488747,0365513049 = 0.40459349

となり、客が勝つ確率は 40% しかありません。ディーラーは客の1.5倍の確率で勝つのです。この賭は引く枚数が少ないほど客が有利になるのは当然なので、枚数を変えて計算してみると、

B__ 53 9 = 0.48735125 B__ 53 8 = 0.57399147

となって、引く枚数が9枚でもまだ客が不利です。8枚になって初めて客が有利になることが分かります。誕生日のパラドックスの言葉を使うと「53枚のカードから1枚引いて戻す操作を9回繰り返すと、一致するカードを引く確率が 0.5を超える」となります。

ちなみに、「41人クラスでは同じ誕生日のペアがいる確率が 0.9 を超える」ことに相当する値、「53枚のカードから1枚引いて戻す操作を繰り返すとき、一致するカードを引く確率が 0.9 を超える回数」を計算すると、

B__ 53 15 = 0.11175468 B__ 53 16 = 0.08012600

なので、その答えは 16回となります。16という数字はカードの総数の3分の1以下ですが、それだけ引くとほぼ確実に同じカードを引いてしまうわけです。

8枚で客が有利、9枚で客が不利というこの結果は直感と合っているでしょうか。「23人のクラスには同じ誕生日の人が 0.5 以上の確率でいる」よりは意外性がありませんが、それでもまだ直感に合わない感じがします。


サイコロ・ゲーム


カードはジョーカーも含めて53枚あります。この 53 という数字をもっと減らしたらどうなるでしょうか。次のような「サイコロ・ゲーム」を考えてみます。


あらかじめ決められた回数だけサイコロを振って、同じ目が出なければあなたの勝ちとします。サイコロを振る回数が、
 ・2回
 ・3回
 ・4回
のとき、それぞれあなたは有利でしょうか。それとも不利でしょうか。

サイコロ.jpg

2回だと有利なことはすぐに分かります。4回だと、運よく3回まで同じ目が出なかったとして、4回目に出すべき目は3種であり、つまり半分の確率で3回目までとは違う目が出ます。ただし2回目、3回目で同じ目が出ることがあるので、それを勘案するとトータルとしては不利です。4回だと不利というのも直感と合っているでしょう。

では、3回ならどうか。直感では「微妙だが、有利」ではないでしょうか。実際に計算してみると

B__ 6 3 = 5 9

となり、確かに(わずかに)有利なことが分かります。



以上をまとめると、モノのパターンの数が

6 の場合(サイコロ) → 直感どおり
53 の場合(トランプ) → 直感からずれる
365 の場合(誕生日) → 直感と合わない、意外

となると思います。この理由を数学的に探っていきます。


誕生日関数を近似する


はじめの方で、

B 365 23
= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいる確率

B__ 365 23
= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいない確率

と定義しましたが、これを一般化して

B n k
= n 通りのパターンがあるものを k 個集めたとき、一致するペアがある確率

B__ n k
= n 通りのパターンがあるものを k 個集めたとき、一致するペアがない確率

とします。この B n k を「誕生日関数」と呼ぶことにします。変数が2個の関数です。そうすると、

B n k = 1 - B__ n k B__ n k = Pkn n k

となります。この B__ n k nk の簡便な多項式で近似することを考えます。 B__ n k を展開すると、

(展開式)
B__ n k = n n-1 n-2  ⋯ n-k+1 n k = 1- 1 n 1- 2 n  ⋯ 1- k-1 n

となります。ここで、x の絶対値が 1 よりかなり小さく 0 に近いとき、

e x 1 + x

と近似できることを利用します。 f x = e x とおくと

f 0 = 1 f' 0 = 1

なので、 1+x x=0 における e x の接線の方程式になっています。この近似の精度をいくつかの値で試算してみると、

e 0.2 1.2 = 1.01783 e 0.1 1.1 = 1.00407 e 0.05 1.05 = 1.00121 e 0.02 1.02 = 1.00019 e 0.01 1.01 = 1.00005

となり、x 0.2 程度でも誤差は 2 % 弱で、x が小さくなると誤差は急速に小さくなります。ちなみにこの近似は ex のマクローリン展開、

ex = 1 + x + x2 2! + x3 3! +  ⋯

の第2項までに相当します。マクローリン展開は高校数学では出てこないと思いますが、意味するところは明快です。この、

1 + x e x

とする近似で B__ n k を表現したものを "第1近似" と呼ぶことにし、それを B__ app1 n k で表すと、 B__ n k の展開式から、

B__ app1 n k = e - 1 n e - 2 n  ⋯ e - k-1 n = e - kk-1 2n

となります。従って、

B app1 n k = 1 - e - kk-1 2n

となって、誕生日関数の近似式ができました。


誕生日の定理


以上の計算結果を踏まえて、誕生日のパラドックスに関する命題を導きます。つまり、

n通りのパターンがあるものを何個以上集めたら、一致するペアがある確率が0.5を超えるか

という問いの答がどうなるかという命題です。この答の数を P5 とすると、誕生日の場合( n=365 P5 = 23 です。 B app1 n k を使って、

0.5 < 1 - e - P5P5-1 2n

の不等式を解くと P5 が求まりますが、 P5 を簡便な式で求めるため、 B__ n k の "第2近似" を、

B__ app2 n k = e - k2 2n

とします。つまり、 B__ app1 n k kk-1 k2 で置き換えたものです。 この "第2近似" の誤差は、

B__ 53 9 = 0.48735125 B__ app2 53 9 = 0.46572917 (誤差:4.4%)

B__ 365 23 = 0.49270277 B__ app2 365 23 = 0.48449048 (誤差:1.7%)

程度です。この第2近似を使うと、 P5 を求める不等式は、

0.5 < 1 - e - P5 2 2n

となります。これを解くと、

P5 > 2log2 n

となります。定数の計算をすると、おおよそですが、

P5 > 1.177n

となります。つまり次の「誕生日の定理」が成り立ちます。


誕生日の定理 
 
n 通りのパターンがあるものを 約 1.177n 個集めると、一致するペアが存在する確率が 50% を越える


近似計算をしているので、 1.177 のところは 1.18 でもよいでしょう。試しに、誕生日のパラドックスとカジノ・ゲームを例に誕生日の定理を使ってみると、

1.177365 = 22.49 1.17753 = 8.57

となり、それぞれ 23 と 9 で一致するペアが存在する確率が 50% を超えることがわかります。これは前にやった正確計算と合致しています。ちなみに

n通りのパターンがあるものを何個以上集めたら、一致するペアがある確率が0.9を超えるか

という問いの答えを P9 とすると

0.9 < 1 - e - P9 2 2n

となります。これを解くと、

P9 > 2 log 10 n

となり、定数の計算をすると、おおよそ、

P9 > 2.146 n

となります。 2.146 1.177 の約 1.8 倍です。従って、次の「誕生日の定理(補足)」が成り立ちます。


誕生日の定理(補足) 
 
n 通りのパターンがあるものを約 2.146n 個集めると、一致するペアが存在する確率が 90% を越える。

「一致するペアが存在する確率が 50% を越える個数」の約1.8倍の個数を集めると、確率は 90% を超えて、ほぼ確実に一致するペアが存在する。


誕生日のパラドックスとカジノ・ゲームで計算してみると、

2.146 365 = 40.99 2.146 53 = 15.62

となり、それぞれ 41 と 16 で一致するペアが存在する確率が 90% を超えることがわかります。これは前にやった正確計算と合致しています。



このように、n通りのパターンがあるものを何個集めたら一致するペアがある確率が一定数を超えるか、という質問の答えは、n に比例するのではなく nの平方根に比例します。n が大きくなっても nの平方根はさほど大きくならない。このあたりに誕生日のパラドックスの原因がありそうです。


5色のサイコロ


誕生日よりもっとパターンの多い例で考えてみます。


5つのサイコロがあり、それぞれ白、赤、青、緑、黒に色分けされています。

この5色のサイコロを同時に振ったとき、出る目のパターンは、 65 = 7776 通りです。

では、5色のサイコロを同時に振ることを何回繰り返したら、全く同じパターンが現れるでしょうか。


5色のサイコロ.jpg
白、赤、青、緑、黒の5つのサイコロを同時に振ると、出る目のパターンは 7776 通りになる。

答を誕生日の定理を使って計算してみると

1.177 7776 = 103.79 2.146 7776 = 189.24

となります。つまり、

・ 5色のサイコロを104回振ると、同じパターンが現れる確率が50%を超える。

・ 5色のサイコロを190回振ると、その確率は90%を超え、ほぼ確実に同じパターンが現れる。

というわけです。出る目のパターンは 7776通りもあります。それでも、100回そこそこで同じパターンが現れる確率が50%を越すことが分かります。なお厳密計算をすると、確率 50% と 90% を超えるのはそれぞれ 105回と 189回です。


誕生日のパラドックス


5色のサイコロのように、パターンの数が多いほど同一パターンが現れるに必要な個数は、パターンの数に比べて小さくなります。しかし "数が多いほど" と言っても、その多さが直感的に理解できないとパラドックスとは感じられないはずです。

その意味で、誕生日のパターンが 365 というのは、そこそこ多い数で、しかも誰もがその多さの程度を直感的に理解できる数です。そこに誕生日のパラドックスの意味があるのでした。




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No.324 - 役割語というバーチャル日本語 [文化]

このブログの第1回目は、


でした。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』には、ドイツの作家・プロイスラーの小説『クラバート』に影響を受けた部分があるという話から始まって、『クラバート』のあらすじを紹介し、『千と千尋の神隠し』との関係を探ったものです。

その発端の『千と千尋の神隠し』ですが、最近の新聞に登場人物の言葉使いについての興味深い話題が載っていました。今回は是非ともそれを紹介したいと思います。

なお、以下に掲げる引用において下線は原文にはありません。また段落を増やしたところがあります。


役割語


キーワードは、大阪大学教授で日本語学者の金水きんすいさとし氏が提唱した概念である "役割語" です。役割語とは何か、朝日新聞の記事から引用します。


「千と千尋」セリフが作る世界観
  キャラ印象づける「役割語」

「そうじゃ、わしが知っておるんじゃ」
「そうですわよ、わたくしが存じておりますわ」

こんな話し言葉を聴くと、私たちは自然に、おじいさんとお嬢様の姿を思い浮かべる。特定の人物像と結びついた特徴ある言葉遣いを、大阪大学大学院文学研究科の金水敏教授(65)は「役割語」と名付けた。役割語からアニメの世界を読み解くことで、見えてくるものとは。


金水さんは3年前から、「ジブリアニメのキャラクターと言語」と題した講義を始め、毎回200人以上の学生が受講している。講義では、「風の谷のナウシカ」や「魔女の宅急便」など、宮崎駿監督が手がけた6つのジブリアニメと使い、セリフを分析する。「ジブリでは、役割語が特にうまくストーリーを引き立てている」と金水さん。どういうことなのか、「千と千尋の神隠し」を例に、解説してもらった。

朝日新聞(2021.9.23)

小説、漫画、アニメ、戯曲(演劇)、童話、外国人の発言の翻訳などにおいては、

特定の人物像と結びついた特徴ある言葉遣い

が使われることが多いわけです。これが役割語で、金水教授が提唱して研究されてきた概念です。金水教授は『千と千尋の神隠し』を例に、次のように説明しています。


作品は、10歳の少女・千尋が不思議な神々の世界に迷い込み、湯屋で働きながら成長していくストーリーだ。湯屋の経営主の魔女・湯婆婆は、「~ かね」「~ おくれ」などの「おばあさん語」を多用する。千尋を助ける少年で、川の神様・ハクは、「そなた」といった「神様語」を話すことで、時間を超越した存在感を出しているという。

金水さんが注目するのが、湯屋で働く少女・リンの言葉だ。リンは千尋の先輩で、「いつか湯屋を出たい」という強い意志を持っているキャラクター。「メシだよ」「~ かよ」など、男性語を話す。金水さんは、「強い少女像を際だたせるために、あえてジェンダー観をずらした役割語が使われている」と指摘する。

一方、主人公の千尋の言葉は、「特徴がないことが特徴」だという。ヒーローやヒロインは、視聴者が自分自身と重ね合わせ、共感できるようにするために、標準語を話すことが多いという。金水さんは「特徴的なキャラクターが役割語によって印象づけられている。同時に私たちは無意識に千尋の目線に引き込まれ、作品の世界を旅している感覚になっている」と話す。

「同上」

金水教授は、湯婆婆が「おばあさん語」を使うと言っています。新聞記事にはありませんが、その一例をあげます。千尋が初めて湯婆婆の "執務室" で湯婆婆と対峙する場面です。

千と千尋の神隠し:湯婆婆.jpg


【千尋】
「ここで働かせてください!」

【湯婆婆】
「まだそれを言うのかい

【千尋】
「ここで働きたいんです!」

【湯婆婆】
「だまれ。なんであたしがおまえを雇わなきゃならないんだい。見るからにグズで、甘ったれで、泣き虫で、頭の悪い小娘に、仕事なんかあるもんかね。お断りだね。これ以上ごくつぶしを増やして、どうしろって言うんだい。それとも、一番つらい、きつい仕事を死ぬまでやらせてやろうか」


「男性語」を使うリンの言葉遣いの一例は次です。湯屋で働くことになった千尋を、先輩であるリンが部屋に案内する場面です。

千と千尋の神隠し:リン.jpg


【リン】
「こいよ。おまえうまくやったなあ」

【千尋】
「えっ」

【リン】
おまえとろいからさ、心配してたん。油断するな。分かんないことはおれに聞け、

【千尋】
「うん」

【リン】
「ふん? どうした?」

【千尋】
「足がふらふらする」

【リン】
「ここがおれたちの部屋だよ。食って寝りゃあ、元気になる


せりふだけを読むと千尋は男性と会話しているかようですが、リンは女性です。この言葉遣いについて金水教授は「強い少女像を際だたせるために、あえてジェンダー観をずらした役割語が使われている」と分析しているのでした。


お茶の水博士の「知っておる」


金水さんの役割語という概念の発端は、手塚治虫の「鉄腕アトム」に出てくるお茶の水博士の言葉遣いだったと言います。


金水さんが「役割語」の研究を本格的に始めたのは、20年ほど前。大阪大学で助教授として、「いる」「おる」「ある」などの「存在表現」の研究をしていた際、手塚治虫の「鉄腕アトム」のお茶の水博士が「わしはアトムの親がわりになっとるわい!」など、「おる」の表現を使っていることに気づいた。

「おる」は西日本の方言に多く見られるが、博士の言葉は方言ではない。実際に博士の立場にいる人が「知っておる」などと話すわけでもない。「今までにない概念で説明が必要だ」と研究を進めると、江戸時代までさかのぼった。

当時、京都で学問を学んだ医者や学者は言葉遣いに保守的で、上方風の話し方をしていた。それが誇張されて戯作げさくや歌舞伎に描かれ、現在にまで受け継がれていったのだと分析した。たとえば、明治初期の戯作者・仮名垣魯文ろぶんの「安愚楽鍋」のなかの「藪医生の不養生」には、「診察しておる処え親類共から ・・・・・・」という記述がある。

博士のほかにも「そうよ」「~だわ」などの女性語、「~なのさ」などの男性語など、必ずしも現実とは一致しないのに、特定のキャラクターと結びつく表現に気づいた。こうした言葉を、2000年の論文で「役割語」と名付けた。

朝日新聞(2021.9.23)

ここに至って、宮崎駿監督がアニメで「役割語」を多用する背景が分かります。「役割語」は漫画の "神様" である手塚治虫が使っている。だから当然使う。しかもそれは江戸時代にルーツをもつ長い文化的伝統があり、手塚治虫以前の漫画家も多々使ってきた。そういうことだと思います。


ステレオタイプとしての役割語


我々は日常生活の中で、人間を性別、職業、年齢、人種などで分類しがちですが、その分類(=カテゴリー)に属する人間が共通して持っていると信じられている特徴を "ステレオタイプ" と言います。役割語はこのステレオタイプの概念と密接に関係しています。


その人物「らしさ」に当てはめた表現であり、現実とも異なる場合が多い役割語は、言語上のステレオタイプだ。特に性差が強調されるたため、翻訳業界では最近、役割語の用い方が議論になっているという。映画、小説、演劇などのフィクションのほか、外国人のインタビューの翻訳でも多用される。

海外の人名になじみのないことから、小説などでは人物像をつかみやすくするために「~ だわ」「~ なのよ」といった女性語が強調されてきた。そういった慣習は、女性俳優のインタビューの翻訳でも続いてきたが、「英語では標準的な表現なのに、女性語に翻訳するのはおかしいのではないか」という意見が、読者や通訳者から上がっているという。金水さんは「時代に合わない役割語に違和感に気づいている人は多い。次第になくなる役割語がある一方、新しい役割語が生まれる可能性もある」と話す。

「同上」

上の引用に、

役割語は)外国人のインタビューの翻訳でも多用される

とあります。役割語の理解を深めるために「外国人のインタビューの翻訳」の想定例を一つ作ってみます。アメリカのある地方の伝統的なハロウィーン事情を取材した日本のTV番組があったとします。自宅の台所でクッキーを焼いている女性にカメラ・インタビューをし、その女性の発言を翻訳し、女性アナウンサーが "吹き替え"をするとします。その翻訳は次のようになるはずです。

こうやって毎年クッキーを自分で焼いて、ハロウィーンの日にやってくる子どもたちにあげるの。子どもたちの喜ぶ顔を見るのが楽しみなのよ。この地区の住人の親睦にも役だっていると思うわ

女性アナウンサーはこのような「女性語の語尾」で、思い入れたっぷりに(少々の "演技" を交えながら)アナウンスするでしょう。アメリカ人女性を日本の女性アナウンサーが吹き替えるのは自然です。しかし言葉遣いに関しては、インタビューされた人が英語で女性語を使っているはずがないのです。

お菓子を作るのが趣味の男性もいるので、クッキーを焼いているのが男性だとします。それを翻訳して日本の男性アナウンサーが吹き替えると、

こうやって毎年クッキーを自分で焼いて、ハロウィーンの日にやってくる子どもたちにあげるんだ。子どもたちの喜ぶ顔を見るのが楽しみなのさ。この地区の住人の親睦にも役だっていると思うよ

この程度の "事実や意見ををすらすら述べる英語"では形容詞や間投詞はなく、また外国TV局のインタビューなのでスラングもなく、従って女性だろうと男性だろうとほぼ同じ英語のはずです。しかし日本語では、男性なら上のような男性語の語尾で翻訳される。

こういった翻訳は日本のリアル社会で使われる言葉とは必ずしも一致しません。たとえば、上の女性の翻訳で使った「なのよ」「あげるの」という語尾ですが、リアル社会では男性も使います。特に東京中心の地方です。ちなみに私は男性ですが、明らかに使っています。しかし創作物では女性が使う。例外はいろいろあるでしょうが、この語尾は "役割語としての女性語" と言ってよいと思います。つまり、女性「らしさ」の強調ための言葉です。

以上のように、日本語の創作物においては、リアル会話とは必ずしも一致しない「女性語」「男性語」という役割語があります。役割語は、リアル社会で話される日常語とは別次元の「ヴァーチャル日本語」です。これが上の引用で「役割語は言語上のステレオタイプ」と言っている意味です。つまり

・ 女性語を使う人 → 女性
・ 女性 → 女性語を使う → 女性らしい

という概念が創作物の中で形作られ、それが暗黙に根付いています。それは手っ取り早くキャラクターを造形するのに役立つかもしれないが、時代の要請にマッチしないステレオタイプとなることもある。上の引用はそう言っているのでした。



ところで、金水教授は役割語について一冊の本を書いています。

金水敏「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」(岩波書店 2003)

です。以降はこの本(以下「本書」と記述)に沿って、朝日新聞の記事をもう一度振り返ってみます。


お茶の水博士の「博士語」


手塚治虫の「鉄腕アトム」に出てくるお茶の水博士は、つぎのようにしゃべります。

じゃと? わしはアトムの親がわりになっとるわい!」

アトムどうじゃ

人間のふりをして煙にとっつかれてみか」

このようなじゃべり方は、お茶の水博士だけでなく、作家も発表年も違う多くの漫画に認められます。これを仮に「博士語」としておきます。「博士語」を標準語と比較すると次の通りです。

  博士語標準語
断定親代わりじゃ親代わりだ
打ち消し知らん、知らぬ知らない
人間の存在おるいる
進行、状態知っておる
知っとる
知っている
知ってる

この博士語と標準語の対比は、日本の東西方言の対立とよく重なります。日本の方言をさまざまな特徴で分類していくと、多くの特徴が東西に分かれて分布します。分布の境界線は、北は富山県と新潟県の境あたりで、そこから日本アルプス(岐阜と富山の県境)を経由し、南は(言葉によって違うが)愛知県から静岡県東部に抜ける線です。この境界線で分かれる「西日本方言」と「東日本方言」の特徴を対比すると次の通りです。

  西日本方言東日本方言
断定雨じゃ、雨や雨だ
打ち消し知らん
知らへん
知らない
知らねえ
人間の存在おるいる
進行、状態降っておる
降っとる
降りよる
降っている
降ってる
形容詞連用形あこうなる くなる
一段動詞命令形起きい起きろ
サ変動詞命令形せえ、などしろ、など

この表と「博士語:標準語の対応表」をみると、博士語は西日本方言よく似ています。ただし違いもある。本書では博士語について、西日本方言との違いを次のように指摘しています。

◆ お茶の水博士は断定に「じゃ」を使うが、「だ」を使うこともかなり多い。つまりフレーバー的に時々「じゃ」を使う。

  形容詞連用形の「あこうなる」などの、いわゆるウ音便はあまり用いない。

◆ 西日本方言の中でも、断定の「雨や」、打ち消しの「知らへん」は用いない。

つまり博士語は、文法的に現代西日本方言の特徴を部分的にもっていると言えます。もちろん、お茶の水博士をはじめとする漫画に登場する博士が西日本出身のキャラクターと想定されているわけではありません。ではなぜ、漫画の博士は西日本方言を(部分的に)しゃべるのでしょうか。


老人語


役割語の謎.jpg
金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」
(岩波書店 2003)
実は、漫画の中の博士の言葉を調べていくと、博士語を使わない博士もいることに気づきます。この相違を調べると、博士語を使う博士は "老人的特徴" がはっきりした博士(頭が禿げている、白髪など)だと分かります。その反対に、髪が黒い比較的若い博士は博士語をしゃべらない。つまり、博士語は老人語の一種だったのです。

老人語には、上の博士語であげた例のほかに、「お前も働いとるしのう」というときの「のう」といった終助詞も含まれます。ちなみに「のう」も西日本方言です。こういった老人語(と、その一種としての博士語)のルーツをさかのぼると江戸時代の言語事情に行き着くというのが金水教授の研究で、それは朝日新聞の記事にあるとおりです。本書には次のように書かれています。


「老人語」の起源は18世紀後半から19世紀にかけての江戸における言語の状況にさかのぼるということがわかった。当時の江戸において、江戸の人たちの中でも、年輩の人の多くは上方風の言葉づかいをしていたのであろう。特に、医者や学者などの職業を持つ人物は、言葉使いに保守的であり、古めかしい話し方が目立ったと思われる。そのような現実の状況が誇張されて、歌舞伎や戯作などに描かれてたのである。

それ以降、現実の方は動いていって、江戸でも江戸語を話す人々が増加していった。そして明治に入ると、江戸語の文法を受けついで新しい「標準語」が形成されていく。ところが文芸作品、演劇作品の中では、伝統的に「老人」=上方風の話し方という構図がそのまま受け継がれていくのである。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」
(岩波書店 2003)

金水教授は「言葉づかいをしていたのであろう」や「目立ったと思われる」というように、断定を避けた言い方をしていますが、これは戯作や歌舞伎の文献の言葉遣いから話されていた言葉を推定しているからでしょう。

こうした経緯をもつ老人語の "文化的伝統" の現れが、『千と千尋の神隠し』の湯婆婆なのでした。



老人語について、金水教授はさらに深く分析しています。つまり創作物語の中において、


役割語としての老人語の話し手は、単に年齢が高いという属性を持っているのではなく、ストーリーの中で老人であるということに結びついた特別な役割を担っていることが普通

金水敏「同上」

です。その "特別な役割" とは何か。教授の分析によると、老人語の話し手はおおむね次の3つの類型に分けられます。

a. 主人公に知恵と教訓を授け、教え、導く助言者
b. 悪知恵と不思議な力によって主人公を陥れ、苦しめる悪の化身(例:白雪姫の女王や眠り姫の魔女)
c.  老耄ろうもうゆえの勘違いや失敗を繰り返し、主人公やその周辺の人物を混乱させ、時に和ませ、関係調整役として働く人物(例:「ちびまる子ちゃん」のともぞうじいさん)

この類型からすると、博士語はまさに a. の役割を表すものと言えるでしょう。老人語の話し手は物語の中で特定の役割を与えられた人物である ・・・・・・。これが老人語の(ひいては役割語の)根幹です。そして金水教授は神話学者、ジェセフ・キャンベルの「ヒーローの旅」との関連を指摘しています。

キャンベルは世界各国の神話を分析し、ヒーロー(男性・女性を含む)が出会う "一定の役割をもった人物" と、その "人物との出会いを含む出来事" の時間的配置に一定の類型があることを見い出しました。これが「ヒーローの旅」で、次のようなものです。〈〉が一定の役割をもった人物、「」が出来事です。

◆ 「普通の生活」をしていた〈ヒーロー〉が、ある日、異界の〈使者〉から「冒険への呼び出し」を受ける。

◆ 〈ヒーロー〉はいったんこの「呼び出しを拒絶」するが、老人の〈助言者〉に導かれ、励まされ、力を授かり、旅立つ。

◆ 〈ヒーロー〉は「最初の関門」にさしかかり、〈関門の番人〉に「試練」を与えられる。その過程で〈味方〉と〈敵〉が明らかになる。

◆ 〈敵〉は〈ヒーロー〉を呪い、苦しめようとする〈影〉の部下であったり、〈影〉そのものであったりする。

◆ 〈トリックスター〉は、いたずらや失敗で〈ヒーロー〉たちを混乱させ、笑わせ、変化の必要性に気づかせる。

◆ 〈変容する者〉は〈ヒーロー〉にとって異性の誘惑者で、〈ヒーロー〉は彼/彼女の心を読み取ることができず、疑惑に悩まされる。

◆ やがて〈ヒーロー〉は「深奥の洞窟への進入」を試み、「苦難」をくぐり抜け、宝の「剣(報酬)をつかみ取る」。

◆ 〈ヒーロー〉は「帰還への道」をたどるが、その途中で死に直面し、そして「再生」を果たす。その後「神秘の妙薬を携えて帰還」する。

この「ヒーローの旅」という物語の構造は、映画、演劇、小説などで、冒険活劇、SF、ミステリー、ラブロマンスなどのジャンルを問わずに活用されてきました。逆に言うと、人気を博した物語は「ヒーローの旅」の構造を全面的、ないしは部分的に持っています。端的な例は「スター・ウォーズ」です。

そして金水教授の指摘は、「ヒーローの旅」の "一定の役割をもった人物" と "日本の物語における老人語の話し手の類型" が、次のような対応関係にあることです。

a. → 〈助言者〉
b. → 〈影〉
c. → 〈トリックスター〉

『千と千尋の神隠し』に即していうと、「ヒーローの旅」における〈影〉=「b. 悪知恵と不思議な力によって主人公を陥れ、苦しめる悪の化身」= 湯婆婆、ということでしょう。湯婆婆を "悪の化身" とは言い過ぎでしょうが、物語の類型におけるポジションとしてはそういうことです。

言うまでもなく「ヒーローの旅」という物語の構造は(日本を含む)世界共通のものです。従って、外国の物語で「ヒーローの旅」の構造をもち、そこに年配の〈助言者〉か〈影〉か〈トリックスター〉が出てきたときは、日本語では老人語で翻訳されることになります。本書では「ハリーポッター」のダンブルドアが〈助言者〉の典型としてあげられています。次はダンブルドアのハリーに対する発言です。


「君の母上は、君を守るために死んだ。ヴォルデモートに理解できないことがあるとすれば、それは愛じゃ。君の母上の愛情が、その愛の印を君に残していくほど強いものだったことに、彼は気づかなかった。傷跡のことではない。目に見える印ではない ・・・・・・ それほどまでに深く愛を注いだということが、たとえ愛したその人がいなくなっても、永久に愛されたものを守る力になるのじゃ。それが君の肌に残っておる。クィレルのように憎しみ、欲望、野望に満ちた者、ヴォルデモートと魂を分け合うような者は、それがために君に触れることができじゃ。かくもすばらしいものによって刻印された君のような者に触れるのは、苦痛でしかなかったのじゃ

J.K.ローリング
松岡祐子・訳
「ハリー・ポッターと賢者の石」
第17章 "二つの顔を持つ男" 440ページ
(静山社 1999)

ハリー・ポッター:Dumbledore.jpg
映画版「ハリー・ポッターと賢者の石」(2001)に登場するアルバス・ダンブルドア。演じたのはリチャード・ハリスである。なお、リチャード・ハリスは次作の「ハリー・ポッターと秘密の部屋」(2002)でもダンブルドアを演じたが、それが遺作となった。

このように日本語訳のハリー・ポッターにおいて、魔法学校の校長・ダンブルドアは老人語で訳されています。



ちなみに、本書にはありませんが、上に引用したダンブルドアの発言は、原書では以下です。


‘Your mother died to save you. If there is one thing Voldemort cannot understand, it is love. He didn't realize that love as powerful as your mother's for you leaves its own mark. Not a scar, no visible sign ... to have been loved so deeply, even though the person who loved us is gone, will give us some protection for ever. It is in your very skin. Quirrell, full of hatred, greed and ambition, sharing his soul with Voldemort, could not touch you for this reason. It was agony to touch a person marked by something so good.’

J.K.Rowling
「HARRY POTTER and the philosopher's stone」
Chapter 17 'The Man with Two Faces'
(Bloomsbury Publishing 1997)

「ハリー・ポッター」は若年層も対象とするファンタジーであり、非常に分かりやすい "標準の" 英語です。念のために、ハリーの発話がどう訳されているかを見てみます。上のダンブルドアの発言の後の方で、出典にあるルビは省略しました。


「ううん、そうじゃないさ」

ハリーが考えをまとめながら答えた。

「ダンブルドアって、おかしな人なんだ。たぶん、僕にチャンスを与えたいって気持ちがあったんだと思う。あの人はここで何が起きているか、ほとんどすべて知っているんだと思う。僕たちがやろうとしていたことを、相当知っていたんじゃないのかな。僕たちを止めないで、むしろ僕たちの役に立つよう必要なことだけを教えてくれたんだ。鏡の仕組みがわかるように仕向けてくれたのも偶然じゃなかったんだ。僕にそのつもりがあるのなら、ヴォルデモートと対決する権利があるって、あの人はそう考えていたような気がする ・・・・・・」

J.K.ローリング
松岡祐子・訳
「ハリー・ポッターと賢者の石」
第17章 "二つの顔を持つ男" 445ページ

原書のこの部分の英語は次の通りです。


‘No, it isn't,’ said Harry thoughtfully. ‘He's a funny man, Dumbledore. I think he sort of wanted to give me a chance. I think he knows more or less everything that goes on here, you know. I reckon he had a pretty good idea we were going to try, and instead of stopping us, he just taught us enough to help. I don't think it was an accident he let me find out how the Mirror worked. It's almost like he thought I had the right to face Voldemort if I could ...’

J.K.Rowling
「HARRY POTTER and the philosopher's stone」
Chapter 17 'The Man with Two Faces'

この引用で分かるように、ハリーの英語とダンブルドアの英語は "同質" です。文法的にも同じだし、特徴ある単語を使うわけでもない。同質だけど、ダンブルドアと違ってハリーの日本語訳はストレートな標準語です。"僕" にみられるような男性語がありますが、それはリアルな会話でも男性が使うので役割語ではありません。

それと比較して、日本語訳されたダンブルドアは「じゃ」「のう」「おる」などの西日本方言の特徴を部分的に使うのです。しかも、現実に日本の老人が使う言葉ではありません。断定に「じゃ」を使う地域が日本にありまりすが、老人が「じゃ」を使う地域なら老若男女を問わず「じゃ」を使います。高齢者になったら「じゃ」を使い出すなんてことはあり得ない。

完全な蛇足ですが、私の配偶者(女性)は広島出身で、高校まで広島で育ち、関西の大学に入学しました。すると、周りの男子学生(ほとんどが関西出身)から「じゃろ の ◎◎ ちゃん」(◎◎ は彼女の名前)とのあだ名を付けられたそうです。関西の男子学生にとって、20歳前の若い女性が「じゃろ」を連発するのは印象的だったに違いありません(= "カワイーイ!")。もちろん彼女の両親も「じゃろ」を使っていました。ちなみに断定の「じゃ」には、地域によって「じゃろ」「じゃん」「じゃけん」などの変化形があります。

「ハリー・ポッター」のダンブルドアは、物語の中では〈助言者〉のポジションの高齢者です。だから日本語訳では西日本方言の特徴を部分的にもつ老人語が割り当てられる。役割語の典型といえるでしょう。

そして、我々はそのことに疑問をもつことはありません。読んでも、何の違和感も抱かない。その理由は、そういう風に "教育されてきた" からです。もちろん学校で習ったわけではありません。絵本、童話、マンガ、アニメなど、子どもが接するメディアにおいて、キャラクターを際だたせる言葉としての役割語が多用されていて、そのことによって「暗黙の教育」を受けてきたわけです。

子どもが接するメディアにおいて役割語が多用されるという事実は、ステレオタイプで人物を描くという役割語の性格を表しています。そのため、大人向けの小説やリアルなTVドラマ、映画などで役割語(たとえば老人語や博士語)が使われることはあまりありません。役割語を多用すると、人物描写が重要な文学や脚本としての価値が薄くなるからです。

我々は日本語を学ぶと同時に、リアルな会話では使わない「ヴァーチャル日本語」を学んできたと言えるでしょう。



本書に戻ります。「ハリー・ポッター」の日本語訳では、老人語を話すダンブルドアとは対照的に、ハリーは標準語で訳されていました。このことは、標準語が一般的な日本語だからという以上の意味があるようです。


では、読み手・聞き手が自分を同一化する〈ヒーロー〉は、どのような言葉を話すのか。それは、典型的には〈標準語〉である。むろん、例外はいくらでも見つかるが、その場合は十分な背景の説明と人物描写を重ねることでそれが可能になるのであり、そうでなければ、非〈標準語〉話者に我々は容易に自己同一化をすることができない。逆に、〈標準語〉話者ならば、我々は無条件に自己同一化する準備ができている。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

当然、ハリー・ポッターは日本語の標準語で翻訳されるし、千尋の言葉は「特徴がないことが特徴」となるわけです。

この "標準語" の対立概念は "非標準語" = 方言ですが、本書では「田舎ことば」という役割語が説明されています。それが次です。


田舎ことば


劇作家・木下順二(1914-2006)の代表作に『夕鶴』があります。昔話の「鶴の恩返し」に題材をとった物語で、登場人物は、

つう : 鶴の化身
ひょう  を助けた農民
うんず、そうど  ひょうの悪友

です。この劇において、与ひょう、運ず、惣どの3人は、次のような「田舎ことば」を話します。


[与ひょう]
もうあれでおしまいとつうがいうもん。

[運ず]
そげなおめえ。また儲けさしてやるに。

[与ひょう]
うふん ・・・・・・ おら つうがいとしゅうてなら

[惣ど]
いとしかろが? でどんどんと布を織らせて金を溜める

木下順二「夕鶴」より

この引用にある「だ」は東日本方言の特徴ですが、「いとしゅうて」と打ち消しの「ん」は西日本方言の特徴です。また「そげな」は九州でよく聞かれる言い方です。つまりこの3人の会話は、どこの方言ということもない、いかにも田舎くさい言葉に聞こえる表現をまぜて作った「ニセ方言」なのです。

一方、つうのせりふは次のように完璧な標準語(の女性語)というべき表現になっています。


[つう]
与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの? あんたはだんだん変わっていく。何だかわからないけれど、あたしとは別な世界の人になって行ってしまう、あの、あたしには言葉も分からない人たち、いつかあたしを矢で射たような、あの恐ろしい人たちとおんなじになって行ってしまう。どうしたの? あんたは。どうすればいいの? あたしは一体どうすればいいの?

木下順二「夕鶴」より

実は、劇作家の木下順二は、3人の男たちが使う「ニセ方言」を意図的に使っているのです。次のように発言しています。


つまり、結果からいえば、いろんな地方のことばの中からおもしろい効果的なことばを拾って来てそれらを組み合わせまぜ合わせたということになりますが、最初は自然にそうであったものがだんだん意識的になり、そしてこのせりふの書き方を少々立体的に使ってみたのが『夕鶴』(1949年)ということになりましょうか。

三人の男たちが使うこの種類のことばとつう●●という女性のことば(これを自分では "純粋日本語" と呼んでいるのですが)とによって、彼らと彼女の持つ世界の共通性と違いとを、そしてやがて二つの世界の断絶を表現してみようとしたわけです。

木下順二「戯曲の日本語」より

金水教授は次のように分析しています。


ここで、木下順二は、〈田舎ことば〉と〈標準語〉の効果を、作品の構造に重ね合わせて、非常に端的に語っている。この作品の受容者(戯曲の読み手、あるいは劇の観客)は、誰に感情移入するであろうか。それは、「つう」である。

つまり木下順二が〈標準語〉を "純粋日本語" と呼んだのは、受容者である日本人が一切の抵抗なく、その言葉に自分の心理を重ね合わせることができるからである。その結果として、「つう」はヒロインの資格を手に入れる。

これに対し、三人の男たちの言葉は、受容者の感情移入を妨げ、したがって彼らは周辺的、あるいは背景的役割しか担えないのだ。男たちの言葉が感情移入を阻害するのは、東西各地の方言がまぜこぜになっているせいばかりではない(それも効果のうちであろうが)。男たちの言葉が仮に純粋な東関東方言であったり、九州方言であったりしても、基本的な効果はさして変わらないだろう。しかもその効果は、受容者が日常的しゃべる方言とも一切関係がない。

受容者が日本で育った日本語話者であるなら、使用する方言にかかわらず、まず〈標準語〉話者に感情移入し、非〈標準語〉話者は周辺的ないし背景的に扱われる。逆に言えば、作者は登場人物に〈田舎ことば〉を使用させることによって、それを話す人物を周辺的・背景的人物と位置づけるのである。そのためには、東日本型か、西日本型かというような差異はさして問題にならない。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

この〈田舎ことば〉は、外国文学の翻訳にも使われます。その例は物語に白人と黒人が登場する場合で、金水教授は『風と共に去りぬ』をあげています。


物語に白人が登場する場合、白人には〈標準語〉が割り当てられるのが普通である。次に示すのは、大久保康雄訳の『風と共に去りぬ』から黒人の侍女ディルシーとスカーレット・オハラの対話である。

ありがとうディルシー。母さんが帰ったら、相談してみるわ」
ありがとうごぜえます、お嬢さま。では、お休みなせえまし」

マーガレット・ミッチェル
大久保泰男・訳
「風と共に去りぬ」

ここでも次のような図式が成り立っている。

白人    教養あるもの・支配するもの・読者の自己同一化の対象 =〈標準語

黒人    教養のないもの・支配されるもの・読者の自己同一化から除外されるもの =〈田舎ことば

むろん、描写を重ね、人物像を書き込めば、〈田舎ことば〉であっても自己同一化の対象となることはできる。しかし、読者が最初に読んだときの反応は決して変えることはできないであろう。このような言葉の投影は、日本人の〈田舎ことば〉に対するまなざしと、黒人に対するまなざしが重なり合うことによって成立しているのである。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

ちなみに「ハリー・ポッター」と違って「風と共に去りぬ」の場合、スカーレットは標準英語を話すのに対して、ディルシーは黒人英語というか、南北戦争当時の黒人奴隷が話す英語です。マーガレット・ミッチェルはそこを "ちゃんと" 書いているのです。たとえば、上に引用した会話の原文は次の通りです。


"Thank you, Dilcey, we'll see about it when Mother comes home."
"Thankee, Ma'm. I gives you a good night,"

Margaret Mitchell
「Gone with the Wind」
Part 1, Chapter 4

ディルシーの Thankee は Thank you だし、gives は 正しくは give です。従って日本語訳において、スカーレットとディルシーの発話を "違うことばで" 訳するのは合理性があると言えます。しかしその「黒人英語」を日本語の「田舎ことば」で訳する背景は、まさに金水教授の示した図式どおりでしょう。


役割語に偏見と差別が忍び込む


新聞記事の紹介のところで書いた "ステレオタイプ" をもう一度とりあげます。我々は日常生活の中で人間を性別、職業、年齢、人種などで分類しがちですが、その分類(=カテゴリー)に属する人間が共通して持っていると信じられている特徴を "ステレオタイプ" と言います。


人間に限らず、我々は日々新たな事物と出会って暮らしている。その事物をいちいちじっくり観察して対処していては、とても間に合わない。そこで、本能や文化によってあらかじめ用意されたカテゴリーに目の前の対象を当てはめ、そのカテゴリーとセットになった特徴、すなわちステレオタイプを目の前の対象も持っているはずだと仮定してかかって、行動するのである。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

カテゴリーによる認識は、我々が生活する上で必須だと言えるでしょう。役割語は "言語上のステレオタイプ" であり、"カテゴリー・ベース" の発話記述です。役割語が子ども向けの創作物にしばしば使われるのは、カテゴリー・ベースの記述で人物像を分かりやすく子どもに伝えられるからです。しかしその一方で、ステレオタイプには偏見や差別が忍び込みます。


しかし、人間が人間を分類、カテゴリー化する場合には、とたんにさまざまな問題が出てきてしまう。すなわち、人間の多様な個別性に注意を払わず、見た目や性別、国籍といった表面的な特徴で分類し、ステレオタイプに当てはめ、それに基づいて行動するときに、偏見や差別が生じる。たとえば、「女性は知的能力において男性に劣る上に感情的で、組織的行動になじまない」などというステレタイプに結びついた偏見によって、女性の就職が妨げられる、といったように。

整理しておくと、ステレオタイプとは、混沌とした外界を整理しながら把握していく人間の認知特性と結びついた現象であると言えよう。認知とはすなわち外界に関する知識の処理のことをいうのである。一方、ステレオタイプに関する知識が一定の感情(主として否定的感情)と結びつくとき、その知識と感情のセットこそが「偏見」であると言える。また、偏見が特定の行動と結びついて、偏見を持たれた人間にとって不当な結果を招くとき、その行動を「差別」と言う。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

本書には、役割語が偏見と差別に結びついた典型例として〈アルヨことば〉が分析されています。〈アルヨことば〉とは、

隊長たいへんあるよ 日本軍がきたある
   こんにちは わたちたち こんどひっこちてきたつん一家ある

のように文末述語に直接「ある」または「あるよ」がつく言い方です。本書では、この〈アルヨことば〉が、日清戦争から日中戦争に至る過程において中国人に対する偏見・差別とセットで発達し(前者の例)、それが戦後にも引き継がれた(後者の例 = Dr.スランプ)ことが明らかにされています。金水教授は本書の最後のページで次のように述べています。


役割語の知識は、日本で生活する日本人にとって必須の知識であるが、役割語の知識が本当の日本語の多様性や豊かさを覆い隠し、その可能性を貧しいものにしている一面、あるいは、役割語の使用の中に、偏見や差別が自然に忍び込んでくる一面に気づかなければならない。



ヴァーチャル日本語の仕組みを知り、時にはヴァーチャル日本語をうち破り、リアルな日本語をつかみ取ろう。それが、日本語を真に豊かで実り多いものにしていくための大事なステップとなるのである。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」


まとめ


以上が金水教授の著書「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」の "さわり" ですが、さらに要約すると次のようになるでしょう。

◆ 役割語とは、各種の創作物で使われる「特定の人物像と結びついた特徴ある言葉遣い」である。

◆ これには、老人語、男性語、女性語、上司語( "見積書を作ってくれたまえ" )、お嬢様ことば( "そうですわよ、わたくしが存じておりますわ" )、田舎ことば、異人ことば(アルヨことば、など)などがある。

◆ 役割語は必ずしも現実とは一致しない。それどころか、老人語のように現実には決して話されない言葉もある。方言をまぜこぜにした田舎ことばも、現実に話す人はいない。

◆ 役割語を使うと "手っ取り早く" 人物像を提示できる。つまり、人物像の詳細な書き込みや描写の必要がない。そのため、子ども向けの創作物に多用される。大人向けの創作物で多用されるとしたら、その創作物は "B級作品" である。

◆ 役割語は学校で習ったわけではなく、誰かに教えてもらったのでもない。しかし、日本で日本語で生活する皆が理解している。それは絵本から始まって、小さいときから役割語を刷り込まれてきたからである。

◆ 人間(および事物)をカテゴリーに分類し、カテゴリーに属する集団がある特徴を共通して持っていると信じられているとき、それをステレオタイプと言う。役割語は言語上のステレオタイプである。役割語による発話は、カテゴリー・ベースの記述である。

◆ カテゴリーによる人間や事物の認識は、我々が生活していく上で必須のものであるが、反面、そこに偏見や差別が忍び込む。我々は役割語による人物認識を見直し、暗黙に偏った見方に陥っているのではないかを反省し、豊かな言葉と認識を取り戻すべきである。


我々はヴァーチャルとリアルを区別できない


以下は役割語について、特に金水教授の著書「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」についての感想です。

最近、IT技術を使ったヴァーチャル・リアリティ(VR。Virtual Reality。仮想現実)が、ゲーム、エンターテインメント、ビジネスにおける 3D シミュレータなどで広まっています。金水教授は本書の "はしがき" のところで「現実」と「仮想現実」について次のように述べています。


重要なのは、我々にとって「ほんとの現実」(リアリティ)と「にせ物の現実(ヴァーチャル・リアリティ)は本質的に区別できない、という点です。

金水敏
「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」

我々は「現実」と「仮想現実」を本誌的に区別できない ・・・・・・。これは真実を突いています。

実生活で使う言葉や、アナウンサーが使う言葉を「リアル言語」だとすると、役割語は「ヴァーチャル言語」です。従って、役割語で作られるキャラクターの世界は「仮想現実」です。「仮想現実」だけれど、我々はそれを「現実」と区別できず、暗黙に(あくまで暗黙に)現実だと思ってしまう。

この "区別できない" ことは、どういう効果を生むでしょうか。役割語としての「男性語」と「女性語」の例で考えてみると、『千と千尋の神隠し』に登場する少女・リンは男性語を使うのでした。金水教授は「リンは "いつか湯屋を出たい" という強い意志を持っているキャラクター」であり「強い少女像を際だたせるために、あえてジェンダー観をずらした役割語が使われている」と指摘していました。

つまり我々は「男性語を使う = 強い意志をもつ存在」というキャラクター像を暗黙に受け入れていて、それに何の疑問も感じないのです。そのことを大前提として、リンのせりふが成り立っている。もちろん宮崎監督は、強い少女像を際だたせるためにリンに男性語を割り当てたのでしょう。それは、子どもを対象とするアニメのキャラクター設定としては自然だし、まっとうだと思います。

しかしアニメを含む創作物において、男性語を使う少女・リンのような存在はまれであり。男性語を使い手のほとんどは少年や男性です。つまり我々は「男性 = 強い意志をもった自立する存在」というようなイメージを、役割語が使われる仮想現実の世界で受け入れてしまっているのではないでしょうか。それと反対に、女性語を使うのは「保護すべき弱い存在」というキャラクターだと、無意識に感じているのではないか。それを役割語が補強している。

これが仮想現実の世界に閉じていればよいのですが、我々は「現実」と「仮想現実」を本誌的に区別できないのです。従って、役割語によるキャラクター像が現実においてもそうだと無意識に思ってしまう。本質的に区別できないのだから ・・・・・・。

そのような認識が現実の実態とは違うのは明白です。強い意志の女性もいれば、弱い男性もいる。しかし実態とは全く別に、役割語は「男性は男性らしく、女性は女性らしく」とか「男性は論理的で女性は感情的」とか「男性と女性は社会的役割が違う」といった考えや概念が暗黙に忍び込む素地を作っているのではないでしょうか。

そうなると、男性・女性という生物学的な差異を越えて偏見につながるだろうし、ひいては差別を生む誘因になりかねない。ここまで「男性語」と「女性語」の例で書きましたが、ほかの役割語も、その役割語で与えられたキャラクター像(仮想現実)によっては同じ効果を生むでしょう。

我々は言葉によって世界を切り取り、言葉によって世界の構造の認識しています。と同時に、我々は仮想現実と現実を本質的に区別できません。この2つが重なると、物語の中の言葉によるキャラクター像が偏見や差別を助長するという "不都合" を生むことがありうる。しかもその言葉(=役割語)は、日本人である限り幼少の頃から刷り込まれたものです。

そういった不都合を回避する第一歩は、刷り込まれていることの認識である。そう思いました。


特定の人物と結びついた言葉


ここからは全くの余談です。役割語とは「特定の人物像と結びついた特徴ある言葉遣い」ですが、「特定の人物と結びついた特徴ある言葉遣い」もあるのでは思います。

というのも、幕末から明治維新にかけての歴史ドラマで「おいどん」とか「ごわす」という言葉遣いをする人物が登場したたら、それは間違いなく西郷隆盛だと思うからです。「おいどん」は鹿児島弁の1人称(自称)ですね。だとすると、大久保利道も村田新八も、自分のことを「おいどん」と言っていいはずなのに、そうは言わない感じがします。「おいどん」という自称は、西郷隆盛という特定の人物を示す役割語となっているのではないでしょうか。

同様に、語尾に「ぜよ」を使う人物がいたとしたら、それも間違いなく坂本龍馬でしょう。これは土佐弁なので、土佐藩の中岡慎太郎や後藤象二郎も「ぜよ」を使うはずなのに、龍馬だけが「ぜよ」と言う気がします。

最近は歴史ドラマを見なくなったので、近年の役者・俳優のせりふがどうなっているのか、確定的なことはわかりません。ただ、役割語としては「特定の人物と結びついた特徴ある言葉遣い」もまたあるのではと思います。




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No.323 - 食物アレルギーの意外な予防法 [科学]

過去に何回か書いた免疫関連疾患の話の続きです。まず以前の記事の振り返りですが、No.119/120「不在という伝染病」No.225「手を洗いすぎてはいけない」をざっくりと一言で要約すると、

人間は微生物が豊富な環境でこそ健康的な生活を送れる

となるでしょう。健康の反対、不健康の代表的なものが免疫関連疾患(自己免疫病とアレルギー)でした。そして、現代社会においては「微生物が豊富な環境」が無くなってきたからこそ(ますます無くなりつつあるので)"不健康" が増えるというのが大まかな要約です。次に、微生物の中でも腸内細菌に注目したのが No.307/308「人体の9割は細菌」でした。一言で要約すると、

腸内細菌の変調が21世紀病を引き起こす要因になる

となります。21世紀病とは、19世紀末から20世紀にかけて増え始め、20世紀後半に激増し、21世紀にはすっかり定着してしまったやまいです。免疫関連疾患、(BMIが30超のような)肥満、自閉症がその代表的なものでした。

以上は最新の生理学・医学の知識をベースにした本を紹介したものでしたが、もちろん展開されていた論の中には仮説もあり、今後検証が必要な事項もあります。



ところで、これらの共通事項は「免疫関連疾患」です。つまり人間に備わっている免疫の機構が関連している疾患です。免疫とは、

自己と非自己を区別し、非自己を排除したり、特定の非自己と共存する(ないしは特定の非自己を自己に取り込む)ためのしくみ

です(No.69/70「自己と非自己の科学」No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」)。これが変調をきたすと、免疫系が自己を非自己と見なして攻撃したり(=自己免疫病)、排除しなくてもよいはずの非自己を排除しようとして炎症を起こしたり(=アレルギー)と、さまざまな症状が現れることになります。

日経サイエンス 2020年4月号.jpg
日経サイエンス
2020年4月号
今回はその中から、アレルギーに関する最近の知見を紹介します。アレルギーを引き起こす "非自己"(=アレルゲン、抗原)にもいろいろあって、特定の植物の花粉(=花粉症)だったり、特定の化学物質(=シックハウス症候群など)、その他、ホコリやダニ、さらには紫外線だったりしますが、以降はよくみられる「食物アレルギー」の話です。食物アレルギーも特定の食物が引き起こします。

まず、「日経サイエンス」の2020年4月号に掲載された「食物アレルギー 意外な予防法」と題する解説記事を紹介します。著者は C.ウォリスというアメリカのサイエンス・ライターで、オリジナルの記事は「If You Give a Baby a Peanut」(Scientific American 誌、2019.8)です。直訳すると「赤ちゃんにピーナッツを与えるとしたら」です。


米国小児科学会の方針転換


この解説ではまず、米国小児科学会が2019年4月発表した方針転換が、この12年間の経緯とともに述べられています。


食生活アドバイスほど気紛れでコロコロ変わるものはあまりない。権威ある医学機関による助言ですら、変わることがある。

12年前、我が子がピーナッツや鶏卵などの一般的な食物アレルギーを発症するのを心配している親に対する標準的な助言は、子供が2~3歳になるまでそれらの食物を徹底的に避けることだった。だが、この方法が役立たないことが示されたため、米国小児学会(AAP)は2008年に方針を取り下げた。

そして2019年4月の報告書で、少なくともピーナッツに関しては助言を完全に逆転させた。ピーナッツアレルギーのリスクが高い子供(ひどい湿疹や鶏卵アレルギーがある子)には、4~6ヶ月齢の段階から "幼児用" のピーナッツ食品を計画的に食べさせることを推奨した。中度以下の湿疹がある子供には6ヶ月齢くらいから与える。

日経サイエンス(2020年4月号)

米国小児学会は2000年に幼児の食事からピーナッツや鶏卵を除去することを推奨しました。しかしこれはアレルギーを増やすことになりました。小児アレルギーの有病率が1997年の0.6%から2008年には2.1%と、3倍以上に高まったのです。2008年の推奨撤回はこのような状況も踏まえています。

そして「ピーナッツアレルギーのリスクが高い子供には、4~6ヶ月齢の段階から "幼児用" のピーナッツ食品を計画的に食べさせることを推奨」というのが、2019年の米国小児科学会の(以前と比べると180°の)方針転換ですが、これは以下の引用のように、大規模な試験の結果を反映したものです。


これらは気紛れな変更ではない。国レベルの専門家委員会の助言と合致し、大規模なランダム化試験の結果を反映したものだ。

2015年に発表された LEAP という試験の結果は、4~11ヶ月齢の高リスク幼児にピーナッツを食べさせると、そうした早期曝露を経験しなかった幼児に比べ、5歳時点でピーナッツアレルギーとなる割合が81%少なくなることを見いだした。

また2016年に発表された EAT という別の調査研究では、母乳で育てられている健康な幼児にピーナッツタンパク質と鶏卵、4種類のアレルギー性食物を 3~6ヶ月齢から与え始める処置を注意深く続けると、5歳時点でも食物アレルギーの有病率が対照群に比べ67%低くなった。効果はピーナッツで最も顕著で、5歳時点でもピーナッツアレルギーの有病率がゼロになった(対照群では2.5%)。鶏卵アレルギーも低下したが、米国小児学会としては鶏卵に関するさらなるデータの蓄積を待っているところだと、マウントサイナイ医科大学の小児科学・アレルギー・免疫学の教授で昨年4月の報告書の執筆に加わったシチェラー(Scott Sicherer)はいう。「十分なエビデンスなしに何かを推奨することはしたくない。」

日経サイエンス(2020年4月号)

現時点おいて、米国小児学会はピーナツに関してだけ、アレルギーのリスクのある幼児に計画的に食べさせることを推奨していますが、他の食品についても(研究待ちですが)同様であることが推測できます。

人はどのようにして、またなぜ食物アレルギーになるのか、さらに近年なぜ患者が増えているのかは、大きな研究テーマです。これに関して、二重抗原曝露仮説が有力視されています。


アレルギーの発症とそれに湿疹が果たす役割に関し、「二重抗原曝露仮説」が有力視されている。LEAP と EAT の両方で研究論文の上席著者となったロンドン大学キングスカレッジ教授のラック(Gideon Lack)が提唱したもので、食物を経口摂取して腸の免疫系が抗原にさらされることで食物に対する免疫寛容が発達すると考える。幼児が湿疹で傷ついた皮膚から入ってきた食品分子にさらされた場合には、逆にアレルギー反応が煽られる。

マウスを使った研究はこの説を強く支持しているが、人間についてはまだ状況証拠しかない。ラックは、ピーナッツやピーナッツバターがよく食されている国々でピーナッツアレルギーが多く、マスタードアレルギーはマスタードが好きなフランスに、そばアレルギーは蕎麦好きな日本に多いと指摘する。「親がこれらの食物を食べた後に赤ちゃんに触れたりキスしたりして皮膚を通してアレルゲン分子が入り込むのだろう」とみる。

衛生を重視する現代の生活様式が関係している可能性もあるという。「乳児のお風呂や幼児のシャワーは毎日で、1日に複数回ということもある。これでは皮膚バリアーが破壊されかねない」。市販の皮膚保護クリームを塗ると食物アレルギーを防げるかどうかを調べる研究が進行中だ。

日経サイエンス(2020年4月号)

さらに記事では、食物アレルギーが特定の食品で起こる理由が推定されています。


食物アレルギーの90%は8つの食品による。牛乳、鶏卵、魚、貝、木の実、ピーナツ、小麦、大豆だ。これらの食品は消化や加熱、酸性度の変化に対して異様なほど安定したタンパク質を含んでおり、免疫応答を引き起こしやすいからだとする見方がある。

日経サイエンス(2020年4月号)


免疫寛容 ─── 「免疫の意味論」から


米国小児学会の2019年4月の方針転換のキーワードは「免疫寛容」です。つまり、経口摂取された食物に対しては免疫応答(=免疫系が抗原、この場合は「抗原となる食物」を排除しようとすること)が起こらずに "寛容" になる。このことは、マウスによる実験ではかなり以前から分かっていました。この「免疫寛容」を分かりやすく説明した記述を引用します。No.69/70「自己と非自己の科学」で紹介した、故・多田富雄先生の著書「免疫の意味論」からです。


あれだけの雑食をしていながら、食物中に含まれる抗原に対する抗体は、一般にはほとんど人間の血液中を流れていない。一部の人間は食品に対するアレルギーを起こすが、それはごく限られた食品に対してである。

それでは食品中のタンパク質などは完全に消化されてしまって、抗原の形では体の内部には入ってゆかないのだろうか。そんなことはない。たとえば牛乳を1リットル飲むと、抗体と反応できる程度の大きさのウシのアルブミン蛋白が、かなりの濃度で血液の中に入るのである。もし経口的でなく、注射でもしたら、間違いなくアナフィラキーショックを起こす量である。

それでは経口的に入ってきた抗原は何をしているのであろうか。いまマウスに、ニワトリの卵白からとったアルブミンを1000分の1ミリグラムくらい適当な条件で注射すると、アレルギーを起こす IgE 抗体が生産される。ところが、前もって卵白のアルブミンを経口的に飲ませておくと、抗体が作られなくなってしまうのである。たかだか数ミリグラムのアルブミンを前もって飲ませるだけで、同じアルブミンに対して体は免疫反応を起こさなくなる。マウスにとっては異物であったニワトリの卵白を、この卵白を経口的に摂取したマウスは異物と認めなくなるのである。こういうふうに、特定の物質に対して特異的に免疫反応を起こさなくなる現象を、免疫学的に「寛容トレランス」になったという。

消化管は、常に流れてくる外界の異物を排除するための拒絶反応を起こすのではなくて、それに「寛容トレランス」になるための積極的な働きかけをしているらしい。おびただしい種類の外界の異物が消化管という生命のチューブを流れ落ちるのを、拒否するのではなく内部に受け入れ、それと共存するための仕組み、それがこの「寛容」である。

「寛容」がどのようにして成立するかは、免疫学の最大の問題のひとつである。現在では、消化管を経由した抗原が、消化管付属のリンパ組織内で、免疫を制御する T細胞(サプレッサーT細胞)を刺激してこの細胞を増やすためであろうと考えられている。「寛容トレランス」になった動物の T細胞を、他の動物に注射してやると、注射されたこの動物も「寛容」になってしまう。こういう「寛容」の伝染は、T細胞のよる抑制によってのみ説明できる。経口的にアレルゲンやアレルゲンや自己抗体を食べさせて、アレルギーや自己免疫を治療しようという試みも、すでに始まっている。

多田富雄「免疫の意味論」
青土社(1993)

この引用で「サプレッサー T細胞」という言葉が出てきます。"免疫を制御する(=免疫応答を抑制する)T細胞" の意味ですが、この本が書かれた当時(1993年)では "そういうT細胞があるはずだ" と推定されているだけでした。なぜ「あるはず」なのかと言うと、まさに引用の最後で多田先生が断言されているように、T細胞による免疫寛容の伝染という現象は T細胞に免疫抑制効果があることによってのみ説明できるからです。

そして、この本が出版されてから2年後の1995年、大阪大学の坂口志文しもん教授が「制御性 T細胞」を発見し、"免疫反応を抑制する役割を持った T細胞" があることが実証されました。従って、引用にある「サプレッサー T細胞」を「制御性 T細胞」と読み替えれば、多田先生の文章は現代でもそのまま通用します。

つまり、免疫寛容の原理は1993年当時から免疫学の一般的な知識であったわけです。そもそも、マウスが経口摂取した食物に寛容になるという実験が最初に行われたのは1970年代前半だと言います。1993年当時はそれは定説だった。ただし当時は「寛容がどのようにして成立するかは、免疫学の最大の問題のひとつである」と引用にある通りでした。現代ではその仕組みは詳しく解明されています。

まとめると、免疫寛容の原理が定説化してから(おそらく1980年代)30年以上後の2019年に、米国小児学会は方針を転換をし、少なくともピーナッツに関しては高リスクの幼児に経口摂取を勧めることになったわけです。大変に長い時間がかかるものですが、これは動物実験(マウス)と人間は違うということでしょう。人間に対して免疫寛容を誘導することが副作用を生まないのか、誘導するとしたらどういう手順を踏むのがよいのか、その効果はどれほどか、それらを確かめるには慎重な検討が必要であり、時間がかかるということだと思います。日経サイエンスに大規模実験のことが書かれていましたが、ここに至るまでには数人規模の実験の繰り返しがあったのだろうと思います。


経皮感作仮説と皮膚のバリアー


日経サイエンスの記事にあったように、ロンドン大学のラック教授が提唱して有力視されている「二重抗原曝露仮説」とは、

◆ 食物を経口摂取して腸の免疫系が抗原にさらされることで、食物に対する免疫寛容が発達する

◆ 皮膚から入ってきた食品分子にさらされた場合には、逆にアレルギー反応が煽られる

でした。記事では「マウスを使った実験ではこの説を強く支持しているが、人間については状況証拠の段階」とありました。ただ、米国小児学会の方針転換は「二重抗原曝露仮説」の前半の部分 = 免疫寛容についの説が正しいと認めたということでしょう。

となると問題は「二重抗原曝露仮説」の後半の部分で、これは「経皮感作仮説」と呼ばれています。つまり、アレルゲンとなる食物のタンパク質分子が皮膚から直接体内に入り込むことでアレルギーが発症するという説です。これをマウスでなく人間について証明するのはハードルが高いでしょう。「アレルギーを発症させる」実験はできないからです。正しいとしても、アレルギーの原因はほかにもあります。たとえば腸内細菌の変調で制御性 T細胞による免疫抑制機能が低下するなどです(No.307)。また経皮感作と他の要因の複合的なものであることも十分考えられます。

とはいえ、アレルゲンとなる食物の経皮感作を無くす生活スタイルが重要なことは想像できます。ここで気になるのは、ラック教授が指摘している「衛生を重視する現代の生活様式が関係している可能性」です。ラック教授は、

乳児のお風呂や幼児のシャワーは毎日で、1日に複数回ということもある。これでは皮膚バリアーが破壊されかねない

と述べているのでした。ここでのキーワードは「皮膚バリアー」です。皮膚バリアーとは何か、この分かりやすい説明を、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で引用した故・藤田紘一郎博士の著作から引用します(藤田博士は2021年5月に逝去されました)。


人間の皮膚には、表皮ブドウ球菌をはじめとする約10種類以上の「皮膚常在菌ひふじょうざいきん」という細菌がいて、私たちの皮膚を守ってくれています。

彼らは私たちの健康において、非常に重要な役割を担っています。皮膚常在菌は皮膚から出る脂肪をエサにして、脂肪酸の皮脂膜ひしまくをつくり出してくれているのです。この皮脂膜は、弱酸性です。病原体のほとんどは、酸性の場所で生きることができません。つまり、常在菌がつくり出す弱酸性の脂肪酸は、病原体が付着するのを防ぐバリアとして働いているのです。

皮膚を覆う弱酸性のバリアは、感染症から体を守る第一のとりでです。これがしっかり築かれていれば、病原体が手指に付着することを、それだけで防げるのです。

では石けんで手洗いをするとどうなるのでしょうか。

石けんを使うと、一回の手洗いで、皮膚常在菌の約90パーセントが洗い流されると報告されています。ただし、1割ほどの常在菌が残っていれば、彼らが再び増殖し、12時間後にはもとの状態に戻ることもわかっています。したがって、1日1回、お風呂に入って体をふつうに洗う、という程度であれば、弱酸性のバリアを失わずにすみます。

しかし、昔ながらの固形石けんでさえ、常在菌の約9割を洗い流してしまう力があるのです。薬用石けんやハンドソープ、ボディソープなどに宣伝されているほどの殺菌効果が本当にあるのだとしたら、そうしたもので前述の手洗い法のように(引用注:感染症予防で推奨されている12ステップの手洗い。最後はアルコール消毒)細部まで2回も洗い、アルコール消毒などしてしまえば、さらに多くの常在菌が排除されることになります。

しかもそれを数時間ごとに行ってしまうと、どうなるかわかりますか。わずかながら残されている常在菌が復活する時間さえ奪ってしまうことになるのです。

皮膚常在菌の数がいちじるしく減ってしまうと、皮膚は中性になります。脂肪酸のバリアがつくれないからです。脂肪酸のバリアがない皮膚は、要塞ようさいを失ったお城のようなものです。外敵がわんさと襲ってきても、守るすべを失えば、城は炎上します。

脂肪酸を失って中性になった皮膚には、外からの病原体が手に付着しやすくなります。こうなると、手指から口に病原体が運ばれやすくなります。

洗いすぎると皮膚は感染症を引き起こしやすい、「キタナイ」状態になってしまう、というのはこういうことだったのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」
(光文社新書 2017)

藤田先生の著作は主として病原菌との関係についてなので「皮膚の皮脂膜が感染症を防ぐ」という主旨ですが、重要なことは脂肪酸の皮脂膜が皮膚のバリアの第1のものであることです。それは第2のバリアである「角質」と密に関係しています。


私たちの皮膚は、新旧の細胞がたえず入れ替わっていることで、正常な状態を保っています。新しい細胞は皮膚の最奥で生まれ、古い細胞はどんどん押し上げられ、最後はあかとなって自然とはがれ落ちるようにできています。その垢にある一歩手前の細胞が角質です。

角質は細胞としては死んでいますが、決して無用のものではありません。角質細胞は密に手を組んで幾重のも層をつくり、ほこりやダニなどのなどアレルギーを起こす原因物質(アレルゲン)や、病原体などが皮膚の深部へ入り込むのを防いでくれているのです。つまり、皮膚の丈夫さは、角質層がきちんと形成されていることも大事なポイントです。

その角質層は脂肪酸の皮脂膜で覆われていることで正常な状態を保つことができます。角質層がバラバラにならないよう、皮脂膜が細胞同士をつなぎとめているからです。

ところが皮膚を洗いすぎると皮脂膜がはがれ落ちます。すると、角質層にすき間が生じ、皮膚を組織している細胞がバラバラになっていきます。こうなると、皮膚に潤いを与えている水分の多くが蒸発して、カサカサしてきます。この状態が乾燥肌です。

そんな状態の皮膚を、さらに石けんなどを使って洗えば、乾燥肌が進行して炎症を起こすようになります。こうなると、肌がかゆくてしたなくなります。この状態を「乾燥性皮膚炎」と呼びます。また、ほこりやダニなどのアレルゲンが皮膚内に入り込み、強いかゆみや肌荒れを起こす「アトピー性皮膚炎」の原因にもなります

皮膚常在菌のつくっる皮脂膜は、天然の保湿成分です。皮膚にとって、皮脂膜ほど肌によい "保湿剤" はありません。こんなに大事なことも知らず、多くの人は、常在菌の築いてくれた皮脂膜を手洗いで落とし、人工的に作られた高価な保湿剤を使っているのです。

藤田紘一郎
「手を洗いすぎてはいけない」

皮膚のバリアが崩れると「ほこりやダニなどのアレルゲンが皮膚内に入り込みアトピー性皮膚炎の原因になる」との説明がありますが、同じ原理で

皮膚のバリアが崩れると、食物アレルギーを起こすタンパク質(=アレルゲン)が皮膚内に入り込み、それがアレルギーを引き起こす

というのが、食物アレルギーの経皮感作仮説なのです。


皮膚のバリアを守る


日経サイエンスの記事で、食物アレルギーを起こすタンパク質は特定のものであり、

食物アレルギーの90%は、牛乳、鶏卵、魚、貝、木の実、ピーナツ、小麦、大豆の8つの食品による

としていました。考えてみると、これは非常に不思議です。というのも、これらは太古の昔から人間になじみのある食料だからです。たとえば小麦は1万年以上前に農耕の起源となった作物です。またそれ以前より木の実(特に加熱調理せずに食べられるクルミ、カシューナッツ、アーモンド、ピスタチオなどのナッツ類)は人類の食料源だった。日本の縄文時代では魚が重要な食料源でした。牛乳は牧畜が始まって以降ですが、それでも8000年とか、そういった歴史があります。世界で地域差はあるでしょうが、どれも人類の重要な食料源となってきた食物です。つまり昔から人間の生活環境とともにあったものです。

なぜそれが原因物質となって、20世紀後半、特に近年に食物アレルギーが増えてきたのか。それはやはり生活スタイルの変化に問題があるのでしょう。その変化の一つが、ラック教授や藤田博士が懸念する(過度の)清潔志向です。それは、病原菌やアレルゲンから人体を守ってくれている「皮膚バリア」を破壊しかねない。

「二重抗原曝露仮説」は、進化の過程で得られたヒトの体の仕組みの巧妙さを表すと同時に、その進化の大前提となったきた生活環境を人為的に変化させると、体の仕組みとの齟齬をきたすことを示しているのでした。




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No.322 - 静物画の名手 [アート]

No.93「生物が主題の絵」では "生物画" と称して、動物・植物が生きている姿を描いた西洋絵画をみました。「生きている姿を描く」のは日本画では一大ジャンルを形成していますが、西洋絵画の著名画家の作品では少ないと思ったからです。もちろん、西洋絵画で大ジャンルとなっているのは「静物画」であり、今回はその話です。

静物画はフランス語で "nature morte"(=死んだ自然)、英語で "still life"(=動かない生命)であり、「花瓶の花束」とか「テーブルの上の果物や道具類」などが典型的なテーマです。瓶や壷などの無生物だけが主題になることもあります。

まず、18世紀より以前に描かれた絵で "これは素晴らしい" と思った静物画は(実物を見た範囲で)2つあります。No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した、カラヴァッジョとスルバランの作品です。

果物籠.jpg
ミケランジェロ・メリージ・ダ・
カラヴァッジョ
(1571-1610)
果物籠」(1595/96)
(46cm × 64cm)
アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)

Zurbaran.jpg
フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)
レモンとオレンジとバラの静物」(1633)
(62cm × 110cm)
ノートン・サイモン美術館
(米国・カリフォルニア州)

この2作品の感想は No.157 に書きました。古典絵画なので写実に徹した作品ですが、よく見かけそうな静物を描いているにもかかわらず、じっと見ていると、それらが何かの象徴のように感じられます。



静物画は現代に至るまで絵の主要テーマの一つですが、19世紀以降の絵で特に感銘を受けたのが、西洋絵画に革新をもたらした画家、エドゥアール・マネ(Edouard Manet,1832-1883)の作品です。そのことは以前、コートールド・コレクションにある『フォーリー・ベルジェールのバー』のところで書きました(No.155)。有名なこの作品はマネの最晩年の大作で、現実と幻想が "ないまぜ" になっている感じの絵ですが(No.255「フォリー・ベルジェールのバー」)、売り子嬢の前のカウンターに置かれた静物の表現が実に的確かつリアルで、少なくともそこは確かな現実と思える表現になっています。

『フォーリー・ベルジェールのバー』は静物画ではありませんが、この絵だけからしてもマネが静物を描く力量は相当のものだと思えます。そこで今回は、マネの代表的な静物画を "特集" し、代表作の画像を掲載したいと思います。


筆触で描く


特定の色の絵の具を含ませた筆をカンヴァスの上で走らせた "跡" を「筆触」(brushstroke)と呼ぶことにします。油彩画の場合、絵の具が濃厚で粘着力があるため,筆の跡を画面に残すことができます。もちろん水彩でも日本画でも筆の跡を残すことは可能ですが、油絵の方がより "多彩な残し方" ができる。筆の太さや形、速さ、強さ、方向、曲がり具合、リズムなどがカンヴァスに明瞭に残って、これによって対象の動きとか、絵を描いたときの気分まで表現できます。筆触に画家の個性が現れると言えるでしょう。

マネの静物画は、この筆触をそのまま残した絵が多いわけです。マネが画家として出発した時代、筆触や筆の跡が残っている絵は画壇で「未完成」と見なされるのが普通でした。マネも、サロンに出品した作品などは筆の跡をできるだけ残さないようにしています。一部には残っていることがありますが(たとえば『オランピア』の花束)、絵の大部分はそうではなく、筆の跡は押さえられています。

ところが静物画はサロン出品作が一つもありません。静物画において画家は「やりたいことをやった」と考えられます。つまり、意図的に塗りの "荒さ" を残した描き方をしている。マネのそういった描き方は他のジャンルの絵にも多々ありますが、静物画を見ると "筆触で作品を作る" という感じがよく分かります。

もちろん、そういう描き方をした絵は19世紀以降にはいっぱいあるので現代人である我々からすると、ことさら新しいとは思えないわけです。しかしマネの時代は19世紀の後半だということを思い出す必要があります。そして明らかに分かることは、マネが「筆触を使いこなす達人であり、名人である」ことです。

というようなことを踏まえつつ、マネの静物画の代表的なものを制作された年の順に画像を掲載します。

以下の画像の「英語題名」「制作年」「カンヴァスのサイズ」は、原則として所蔵美術館の公式サイトにあるものです。ただし「1870年頃」(例)とサイトに掲載されているものは「1870年」としました。また「1870-1871年」も「1870年」としました。公式サイトにない作品は WikiArt / WikiCommons の記載に従いました。日本語題名は一般的になっているものはそれに従い、そうでないのは英語題名の直訳をつけました。



Manet-StillLife-01-Oyster.jpg
エドゥアール・マネ
Oysters(1862)
牡蠣
(39.2cm × 46.8cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-02-Fruits.jpg
エドゥアール・マネ
Basket of Fruits(1864)
果物の籠
(37.8cm × 44.4cm)
ボストン美術館

ボストン美術館の解説によると、籠に盛られているのは桃(peach)とスモモ(plum)です。我々も知っているように、桃の表面はベルベットのような繊毛で覆われています。またスモモ(やブドウ)の表面にはブルーム(bloom。日本語では果粉)と呼ばれる "白い粉のようなもの" がついていることがよくあります(農薬と間違う人がいるが、果実由来で無害)。この桃とスモモの感じが、一筆の筆触の連続で表現されています。ナイフのきらめきの表現も的確です。



Manet-StillLife-03-Fruits.jpg
エドゥアール・マネ
Still Life: Fruits on a Table(1864)
静物:テーブルの果物
(45cm × 73.5cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-04-Pear.jpg
エドゥアール・マネ
Two Pears(1864)
2つの梨
(28.5cm × 32.4cm)
個人蔵



Manet-StillLife-05-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Branch of White Peonies and Secateurs(1864)
白いシャクヤクの枝と剪定ばさみ
(31cm × 46.5cm)
オルセー美術館

1864-5年、マネは芍薬しゃくやくをテーマにした作品を集中的に描きました。この花が好きだったようで、自ら育てていたと、メトロポリタン美術館の絵の解説(次の3つ目の作品)にありました。日本では女性の美しい立ち振る舞いや容姿を花にたとえて「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」との言い方がありますが、芍薬はすらりと伸びた茎の先端に純白の華麗な花をつける姿が印象的です。

上に引用した画像はその芍薬しゃくやくの花だけですが、実際の花の写真を次に引用しました。マネの絵は花びらを1枚1枚描くということとは全くしていませんが、"純白で華麗" な花の感じをよく表していると思います。

シャクヤク.jpg
芍薬(シャクヤク)



Manet-StillLife-06-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Peony stem and shears(1864)
シャクヤクの花軸と剪定バサミ
(57cm × 46cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-07-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Vase of Peonies on a Small Pedestal(1864)
台座に載せたシャクヤクの花瓶
(93cm × 70cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-08-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Peonies(1864)
シャクヤク
(59.4cm × 35.2cm)
メトロポリタン美術館



Manet-StillLife-09-FIsh.jpg
エドゥアール・マネ
Fish(Still Life)(1864)
魚(静物)
(73.5cm × 92.4cm)
シカゴ美術館

この絵の魚は鯉(carp)と言われることがありますが、絵を見る限りこれは鯉ではないでしょう。そもそも鯉(=川魚)を食べる習慣は、欧州大陸では内陸部のドイツ東方やポーランドのはずです。この魚はフランス料理の定番のズズキではないでしょうか。それはともかく、赤い魚は顔の形からいってホウボウです。それとウナギと牡蠣とレモン(とナイフと鍋)が描かれています。

この絵は、全体として対角線を利かした構図になっています。魚とホウボウは、描くには難しいアングルに配置されていて、海産物がテーマの静物画としては凝っています。

こういったテーマの静物画は、17世紀のオランダで多数描かれました。おそらく画家はそれを踏まえつつ、現代風の静物画として再生したのだと思われます。古典絵画のモチーフを踏襲して、それを現代風に描くのはマネの得意とするところでした。



Manet-StillLife-10-FIsh.jpg
エドゥアール・マネ
Still Life with Fish and Shrimp(1864)
魚とエビのある静物
(44.8cm × 73cm)
ノートン・サイモン美術館

No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。中央の魚は、おそらくシカゴ美術館の絵と同じで、もう1匹は、ノートンサイモン美術館の解説では "ニードルフィッシュ"(和名:ダツ)とのことです。



Manet-StillLife-11-Melon.jpg
エドゥアール・マネ
Still life with melon and peaches(1866)
メロンと桃のある静物
(68.3cm × 91cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-12-Salmon.jpg
エドゥアール・マネ
The Salmon(1868)

(72cm × 92cm)
シェルバーン美術館(米・ヴァーモント州)
Shelburne Museum



Manet-StillLife-13-Brioche.jpg
エドゥアール・マネ
A brioche(1870)
ブリオッシュ
(65.1cm × 81cm)
メトロポリタン美術館

パンは小麦粉に塩と水を加えて発酵させて作りますが、ブリオッシュは水の代わりに牛乳を使い、またバターや卵も加えます。菓子に近く、"菓子パン" と呼ばれることもあります。この絵を所蔵しているメトロポリタン美術館の公式サイトでは、次のように解説しています。


Manet reportedly called still life the "touchstone of the painter." From 1862 to 1870 he executed several large-scale tabletop scenes of fish and fruit, of which this is the last and most elaborate. It was inspired by the donation to the Louvre of a painting of a brioche by Jean Simeon Chardin, the eighteenth-century French master of still life. Like Chardin, Manet surrounded the buttery bread with things to stimulate the senses - a brilliant white napkin, soft peaches, glistening plums, a polished knife, a bright red box - and, in traditional fashion, topped the brioche with a fragrant flower.

Metropolitan Museum of Art
(Official Web Site)

【試訳】

マネは静物画を "画家の試金石" と呼んだと伝えられている。1862年から1870年にかけて、マネはテーブルに魚や果物がある大判の絵を数枚描いているが、この絵はその最後の、最も手の込んだものである。この作品はルーブル美術館に寄贈されたジャン・シメオン・シャルダンの絵からインスピレーションを得ている。シャルダンは18世紀フランスの静物画の大家である。

シャルダンと同じくマネは、バター入りのパンの回りに印象的なアイテムを配置している。輝やかしい白いナプキン、柔らかそうな桃、きらめくスモモ、研かれたナイフ、赤い箱である。そして習わし通りにブリオッシュの上に香り立つ花を添えた。

メトロポリタン美術館
(公式ウェブサイト)

この解説に使われている「touchstone(試金石)」とは、金の品質を計るために用いられる主に黒色の石英質の鉱石全般を言い、転じて、物事の価値や人の力量を見きわめる試験になるようなもの、という意味です。なるほど、「静物画でその画家の力量が分かる」というのは、いかにもマネらしいと思います。

その、マネがインスパイアされたシャルダンのブリオッシュの絵が次です。これを見ると、マネの作品は明らかに「シャルダンを踏まえた絵」と言えるでしょう。マネは先人の画家のスタイルやモチーフを吸収するのに貪欲な画家でした。このブログで紹介しただけでも、ベラスケスへのオマージュのような絵だとか(No.36)、17世紀のオランダの画家、フランス・ハルスのような絵があったりしましました(No.97)。そして静物画においては自国の偉大な先輩画家、シャルダンを尊敬していたということでしょう。

シャルダン「ブリオッシュ」.jpg
ジャン・シメオン・シャルダン
(1699-1779)
ブリオッシュ(1763)
47cm × 57cm
ルーブル美術館

なおシャルダンの「プラムを盛ったボウル」という作品を No.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。



Manet-StillLife-14-Violet.jpg
エドゥアール・マネ
Bouquet of violets(1872)
菫の花束
(27cm × 22cm)
個人蔵

+

Manet-StillLife-15-Asparagus.jpg
エドゥアール・マネ
Bundle of Asparagus(1880)
アスパラガスの束
(46cm × 55cm)
ヴァルラフ・リヒャルツ美術館(ケルン)
Wallraf-Richartz Museum

No.3「ドイツ料理万歳!」でこの絵を引用しました。ホワイトアスパラのしゅんは、ヨーロッパでは5月から6月で、一度だけ食べたことがあります。日本でも生産量が増えているそうですが、近くのスーパーでは売っていません。早く容易に入手できるようになって欲しいものです。

この絵は日本にきたことがあり、2011年に青森県立美術館で開催されたヴァルラフ・リヒャルツ美術館展で展示されました。



Manet-StillLife-16-Asparagus.jpg
エドゥアール・マネ
Asparagus(1880)
アスパラガス
(16cm × 21cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-17-Ham.jpg
エドゥアール・マネ
The Ham(1880)
ハム
(32.4cm × 41.2cm)
ケルヴィングローヴ美術館(英・グラスゴー)
Kelvingrove Art Gallery and Museum



Manet-StillLife-18-Lemon.jpg
エドゥアール・マネ
The Lemon(1880)
レモン
(14cm × 22cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-19-Plum.jpg
エドゥアール・マネ
Plums(1880)
スモモ
(19.2cm × 25cm)
ヒューストン美術館

No.111「肖像画切り裂き事件」で、マネとドガが互いに自作の絵を贈り合った、そのときマネがドガに贈った絵はスモモの絵、としました。そのスモモの絵は今は所在不明ですが、10年後にマネが再度描いたスモモがこの絵です。上の方に引用したボストン美術館の「果物の籠」にもスモモがありました。



Manet-StillLife-20-Melon.jpg
エドゥアール・マネ
The Melon(1880)
メロン
(46.7cm × 56.5cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-21-Pear.jpg
エドゥアール・マネ
Pears(1880)

(19.1cm × 24.1cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-22-Flower.jpg
エドゥアール・マネ
Flowers in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶の花
(32.7cm × 24.5cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-23-Moss Rose.jpg
エドゥアール・マネ
Moss Roses in a Vase(1882)
花瓶のモスローズ
(55.9cm × 34.6cm)
クラーク美術館
(米・マサチューセッツ州)

この絵は、2013年2月9日~5月26日に三菱一号館美術館で開催されたクラーク・コレクション展で展示されました。この展覧会は、全73点の出品のうち59点が初来日作品でした。展覧会がテレビで紹介されたときに、高橋明也館長(当時)がこの作品を「今回の展覧会で一推しの作品」を語っておられたのが記憶に残っています。

クラーク美術館によると、花瓶の花はモスローズ(苔バラ)です。蕾や花びらや茎に苔を思わせる繊毛がある品種です。



Manet-StillLife-24-Flower.jpg
エドゥアール・マネ
Bouquet of flowers(1882)
花束
(56.5cm × 44.5cm)
村内美術館(八王子)



Manet-StillLife-25-Clematis.jpg
エドゥアール・マネ
Pinks and Clematis in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶のカーネーションとクレマチス
(56cm × 35.5cm)
オルセー美術館

マネが最晩年に描いた「花瓶の花」のテーマの一連の絵の中では、この絵が最も有名でしょう。傑作だと思います。

私事ですが、我が家のトイレにはこの絵の複製が飾ってあります。トイレなので「なるべく明るく華やいだ雰囲気に」との思いで、"色みが残っているドライフラワー" と "花瓶の花の絵" を飾ることにしています。花の絵は何回か変更しましたが、結局、この絵に落ち着きました。1日に何回かこの絵を見ていることになりますが、全く飽きがきません。



Manet-StillLife-26-Rose.jpg
エドゥアール・マネ
Roses in a Champagne Glass(1882)
シャンパングラスの薔薇
(32.4cm × 24.8cm)
バレル・コレクション(英・グラスゴー)

この絵は日本に来たことがあり、2019年4月~6月に渋谷の Bunkamura で開催された「バレル・コレクション展」で展示されました。



Manet-StillLife-27-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
Lilac in a glass(1882)
ガラス瓶のライラック
(54cm × 42cm)
ベルリン国立美術館



Manet-StillLife-28-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
White Lilacs in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶の白いライラック
(56.2cm × 34.9cm)
ネルソン・アトキンズ美術館
(米国・ミズーリ州)
Nelson Atkins Museum



Manet-StillLife-29-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
Vase of White Lilacs and Roses(1883)
白いライラックとバラの花瓶
(55.88cm × 46.04cm)
ダラス美術館(米・テキサス州)


色と筆触で世界を再創造する


マネの一連の静物画を見ていると「色と筆触で世界(= 静物たち)を再創造した絵」という感じを受けます。モノから受ける印象や感じ、質感などを、リアルに描くということではなく、筆触の連続・組み合わせで再構成している。画家なりの、新たな創造という印象です。そこが絵画の革新者というのにふさわしい。

絵とは何なのか。その問いには様々な答え方があると思いますが、その一つの回答がマネの静物画にあると思います。




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No.321 - 燻製とローリング・ストーンズ [音楽]

テレビを見ていると、ドラマやドキュメンタリー、紀行番組などで BGM が使われます。トーク番組やバラエティでも、挿入される VTR には BGM付きがよくあります。そのような BGM は画面やシーンの "雰囲気づくり" のためで、視聴者としては何となく音楽を感じるだけで "聴き流して" います。しかし時々、良く知っている曲、しかも長いあいだ聴いていない曲が流れてきたりすると "なつかしい!" とか "久しぶり!" という感じになって、BGMの方に神経が行ってしまうことがあります。

一つの例を、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」に書きました。テレビ朝日の「怒り新党」という当時の番組のある回で(2016年8月3日)、中島みゆき「ホームにて」(1977)が BGM として流されたからです。この曲は JR東日本の CM にも使われたし、BGM にするのはありうるのですが、番組放送から40年近くも前の曲です。この曲が好きな人は "突如として" 懐かしさがこみ上げてくる感じになったと思います。そういった BGM の最近の例を書きます。NHKの番組「美の壷」のことです。


美の壷「煙の魔法 燻製」


NHK BSプレミアムで 2021年9月10日(19:30~20:00)に、

美の壷 File550「煙の魔法 燻製」

が放映されました。久しぶりにこの番組を見ましたが、出演は草刈正雄さん(案内人)と木村多江さん(ナレーション)で、番組の構成方法や進行は以前と同じでした。燻製を特集した今回の内容と出演者は次の通りです。

美の壺・燻製.jpg
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」で紹介された多彩な燻製。NHKの公式ホームページより。

 プロローグ 

◆ 今回の内容紹介。下記の「壷 一、二、三」の要点。

 壺一(煙):煙が引き出す新たな魅力 

◆ 燻製工房のオーナー・片桐晃【東京都世田谷】
鴨肉、牡蠣、プリン、チーズなどの燻製。

  アウトドアコーディネーター・小雀こすずめ陣二じゅんじ【千葉県君津市】
アウトドアで簡単に作れる "ライトスモーク"(豚の肩ロース肉、醤油に漬け込んだ牛肉)。

 壺二(多様):いぶしの技で千変万化 

  中国料理店オーナーシェフ・脇屋友詞ゆうじ
塩漬けにした豚バラ肉を、米、茶、砂糖を使っていぶす中華の技法。

  料理人・輿水こしみず治比古はるひこ【東京都赤坂】
塩、醤油、オリーブオイル、胡椒、ゴマなど、調味料の燻製。

 壺三(風土):土地の恵みを末永く 

◆ 俳優・柳葉敏郎【秋田県大仙市】
大根を燻製にする秋田の郷土食、いぶりがっこ。

◆ 燻製職人・安倍哲郎【北海道紋別市】
サクラマス、ホタテ、タコ、サバなど、魚介類の燻製。

すべてに BGM がありましたが、"えっ!" と思ったのは、ローリング・ストーンズの2曲です。プロローグで「She's a Rainbow」(1967)、最後の燻製職人・安倍哲郎氏のところで「Lady Jane」(1966)が BGM に使われました。

そもそも「美の壷」の BGM はジャズのはずです。その象徴は、テーマ曲である番組冒頭のアート・ブレーキーの曲です。ジャズが使われるのは、この番組の初代の案内人だった故・谷啓氏がジャズマンだったことによるのだと思います。

全く久しぶりに「美の壷」を見たのですが、最近の BGM は全部がジャズというわけではないのでしょう。しかし半世紀以上前のローリング・ストーンズの曲で、しかも編曲(たとえばジャズに編曲)ではなくオリジナルの音源だったのには少々驚きました。もちろん時間の都合での編集はありましたが、ミック・ジャガー(現役です)の若い頃の声がそのまま流れてきました。「She's a Rainbow」と「Lady Jane」は、編曲であれば TV やカフェの BGM で聴いた記憶はあるのですが、「美の壷」ではオリジナル音源を使ったのが最大のポイントです。

「燻製」というテーマにローリング・ストーンズの曲というのも、一見ミスマッチのようですが、この場合は内容にフィットしていて、番組制作スタッフの(うちの誰かの)センスに感心しました。そこで、よい機会なので、BGM として使われた2曲を振り返ってみたいと思います。


She's a Rainbow


美の壷「煙の魔法 燻製」のプロローグは、今回の番組内容の紹介です。木村多江さんのナレーションは次の通りでした。


【ナレーション(木村多江)】

食材を煙でいぶして作る燻製。煙の成分が食品に含まれる水分に溶け込むことで生まれる独特の色や香り。1万年以上前から世界中で行われてきました。

日本にもさまざまな燻製があります。秋田の "いぶりがっこ" もその一つ。秋田出身の俳優、柳葉敏郎さんも。【柳葉敏郎。いぶりがっこを食べながら】「これ!、これ!」。

中国では茶葉を使った香ばしい伝統の料理法も。【中国料理店オーナーシェフ、脇屋友詞】「箸を持って、もっていったときの、ウン? ていう香りで脳を刺激して ・・・・・・」。

さらに胡椒や醤油など、燻製調味料も登場。こちらは何と燻製のプリン。その可能性はとどまる所を知りません。火と煙が生み出す食の芸術、燻製。今日はその奥深い魅力に迫ります。


このナレーションのあいだ流れていたのが「She's a Rainbow」でした。この曲は、1967年のアルバム「Their Satanic Majesties Request」(サタニック・マジェスティーズ)に収録された曲です。歌詞だけをとりあげると次の通りです。

THEIR SATANIC MAJESTIES REQUEST.jpg
The Rolling Stones
「Their Satanic Majesties Request」
(1967)


She's a Rainbow

  Music & Lyrics by
  Mick Jagger / Keith Richards

(雑踏の中の客引きの声)
Alright there now listen very closely for how to play the game, I'll tell you how to do it. Now all you gotta do is when the whistle's blown, I want you to give one spin, one spin only on your ball. Any prize, take what you like. One winner, one prize, the pick of the stall. Are you all ready ?

(Instrumental)

She comes in colours everywhere
She combs her hair
She's like a rainbow
Coming colours in the air
Oh, everywhere
She comes in colours

(Instrumental)

She comes in colours everywhere
She combs her hair
She's like a rainbow
Coming colours in the air
Oh, everywhere
She comes in colours

(Instrumental)

Have you seen her dressed in blue
See the sky in front of you
And her face is like a sail
Speck of white so fair and pale
Have you seen a lady fairer

She comes in colours everywhere
She combs her hair
She's like a rainbow
Coming colours in the air
Oh, everywhere
She comes in colours

Have you seen her all in gold
Like a queen in days of old
She shoots colours all around
Like a sunset going down
Have you seen a lady fairer

She comes in colours everywhere
She combs her hair
She's like a rainbow
Coming colours in the air
Oh, everywhere
She comes in colours

(Instrumental)

She's like a rainbow
Coming colours in the air
Oh, everywhere
She comes in colours

【試訳】

彼女は虹のよう

さまざまな色をまとって現れて
彼女は髪をとかす
まるで虹のようだ
色彩が宙に舞い
あたり一面に漂う
彼女は色をまとって来る

さまざまな色をまとって現れて
彼女は髪をとかす
まるで虹のようだ
色彩が宙に舞い
あたり一面に漂う
彼女は色をまとって来る

青のドレスの彼女を見たことがあるかい
目の前の空を見てごらん
彼女の顔が帆のようで
一点の白が青みがかって綺麗だ
こんなに美しい女性を見たことがあるかい

さまざまな色をまとって現れて
彼女は髪をとかす
まるで虹のようだ
色彩が宙に舞い
あたり一面に漂う
彼女は色をまとって来る

金色をまとった彼女を見た事があるかい
古代の女王のようだ
沈む夕日のように
あたり一面に色を放つ
こんなに美しい女性を見たことがあるかい

さまざまな色をまとって現れて
彼女は髪をとかす
まるで虹のようだ
色彩が宙に舞い
あたり一面に漂う
彼女は色をまとって来る

彼女は虹のようだ
色彩が宙に舞い
あたり一面に漂う
彼女は色をまとって来る


原曲では最初の "客引き" の効果音のあと、ピアノのイントロが始まり、ミック・ジャガーのヴォーカルが続きます。もちろん「美の壷」の BGM として使われたのはピアノのイントロ以降です。

最初の客引きの声は、街でのお祭りか何かのフェアのようなものを想像させます。屋台が並び、ゲームもある。そのゲームに客を呼び込む声です。ゲームの内容は判然としませんが、ボールを使ったもので、客が成功すると棚の商品がもらえる。最後のインストルメンタルのところで雑音のような効果音(楽器で演奏したもの)がはさみ込まれるのも、"祭" の雑踏を想像させます。

そんな晴れやかな雑踏の中でも、彼女は虹のように輝いている。そういった詩だと思います。


Lady Jane


美の壷「煙の魔法 燻製」の最後は、北海道紋別市の燻製職人、安倍哲郎さんを取材したものでした。安倍さんはサクラマス、ホタテ、タコ、サバなどの魚介類の燻製を作っていますが、映像はサバの燻製作りでした。サバは身が柔らかく、出来上がりが美しいようにすべてを手作業で行います。サバの切り身の小骨を丁寧に取り、塩水につけたあと、一晩、しっかりと乾燥させます。

そして燻製小屋で、ミズナラのおがくずを使っていぶします。おがくずを燻製棚の下に置きますが、おがくずの盛り方にも煙が多く出るための工夫があります。火が入ったおがくずは夜通し燃え、サバを燻し続けます。15時間かけて燻製にし、翌朝9時に取り出します。

美の壺・燻製・安倍1.jpg

美の壺・燻製・安倍2.jpg
盛り方を工夫したミズナラのおがくずを燻製小屋で一晩中燃やしてサバを燻す。安倍氏が目指す「究極美しい」燻製。番組より。


【安倍哲郎】

うちのは煙の濃度が比較的薄いんですよね。フワーンと包んでいる感じ。言ってみれば、着物を小さな和室に入れて横でお香をたいて、着物にお香の香りを移しているような感覚の燻製なんですよ。自分の燻製作りは、あまり派手な動きとか目立ったことはないんだけど「究極美しい」そいういうものを作りたいな、という感じがするんです。


なるほどと思います。燻製職人の安倍さんが目指すのは、最もおいしい燻製というより「究極に美しい燻製」なのですね。今回の「美の壷」の最後に安倍さんのエピソードを配した番組構成の意図が分かりました。

ミズナラのおがくずに火を付けるシーンで「Lady Jane」のイントロが流れ出しました。ギター伴奏による、アパラチアン・ダルシマーの旋律です。この「Lady Jane」は1966年のアルバム「Aftermath」に収録された曲です。

なお、ローリング・ストーンズが1966年に "エド・サリヴァン ショー" に出演して「Lady Jane」を歌ったときの動画が YouTube で公開されています(2021.10.2 現在)。この中でキース・リチャーズのギターに続いて、ブライアン・ジョーンズがアパラチアン・ダルシマーを演奏する貴重な姿を見ることができます。

AFTERMATH.jpg
The Rolling Stones
「AFTERMATH」(1966)


Lady Jane

  Music & Lyrics by
  Mick Jagger / Keith Richards

My sweet Lady Jane
When I see you again
Your servant am I
And will humbly remain
Just heed this plea my love
On bended knees my love
I pledge myself to Lady Jane

My dear Lady Anne
I've done what I can
I must take my leave
For promised I am
This play is run my love
Your time has come my love
I've pledged my troth to Lady Jane

(Instrumantal)

Oh my sweet Marie
I wait at your ease
The sands have run out
For your lady and me
Wedlock is nigh my love
Her station's right my love
Life is secure with Lady Jane

【試訳】

愛するレディ・ジェーン。
またお会いする時は
私はあなたのしもべ。
それを謹んで続けます。
この願いを聞き入れてください、いとしい人よ、
跪いてのこの願いを。愛しい人よ。
私をあなたに捧げます、レディ・ジェーン。

親愛なるレディ・アン。
できるだけの事はしました。
もう行かねばなりません、
約束をしたので。
芝居は終わりました、愛しい人よ。
その時が来ました、愛しい人よ。
私はレディ・ジェーンに忠節を誓ったのです。

(間奏)

愛するマリー。
あなたが落ち着くのを待ちます。
あなたの主人と私の砂時計は、
尽きてしまいました。
結婚の日はもうすぐです、愛しい人よ。
その人の身分は相応です、愛しい人よ。
レディ・ジェーンと平穏に生きます。

(訳注)sand の複数形 sands には「砂時計の砂」の意味があるので、試訳では "砂時計" としました。


この歌詞の解釈はいろいろと可能だと思いますが、ジェーンとは16世紀英国のヘンリー8世の3番目の妃、ジェーン・シーモアのことだとするのが最も妥当だと思います。イントロから使われるダルシマーや、間奏以降のチェンバロが "古風な" 感じを与えます。音階で言うと "ソ" で始まって "ラ" で終わる旋律が教会音楽のようにも聞こえる。歌詞は手紙の文章のようで、古語が使ってあります(nigh = near)。ということで、試訳では Lady を貴族の女性に対する敬称と考えてそのまま "レディ" としました。

ジェーンがジェーン・シーモアのことだとすると、アンはヘンリー8世の2番目の妻のアン・ブーリンでしょう(エリザベス1世の母親。映画「1000日のアン」の主人公)。ジェーンはアンの侍女でした。侍女と言っても、ジェーンは貴族です。だとすると、マリーとはジェーンとは別の(Lady = 貴族、ではない)アンの侍女かもしれません。ヘンリー8世は生涯で6人の妻がいましたが、それ以外の愛人が多数いたことでも有名です。

とはいえ、「Lady Jane」が史実を歌っているわけではないでしょう。英国の歴史にヒントを得て、中世に思いを馳せる中で、自由に作られた詩という感じがします。



ちなみに、燻製職人の安倍さんは、いつくしむようにミズナラのおがくずを整えて火をつけ、サケに切り身を燻製小屋につるしていました。「Lady Jane」の出だしである "My sweet" にピッタリでした。


ローリング・ストーンズの理由


美の壷 File550「煙の魔法 燻製」(2021年9月10日)の BGM にローリング・ストーンズの楽曲がなぜ登場したのでしょうか。「美の壷」という番組内容、コンセプトにマッチしたストーンズの曲というと、5~6曲ぐらいしか思い浮かびませんが、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」はそのうちの2曲であることは確かです。しかし、なぜストーンズなのかということです。

これはひょっとしたら、2021年8月24日に逝去したローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツをしのんでのことではないでしょうか。ローリング・ストーンズの創設メンバーは5人ですが、ブライアン・ジョーンズは20歳台で亡くなり、ビル・ワイマンは脱退、チャーリー・ワッツが亡くなったことで、創設メンバーはミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人になってしまいました。

ということで「美の壷」が終わったあと、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」を聴き直し、続けて「Street Fighting Man」の切れ味の鋭いドラムス(特にゾクッとする感じのドラムの出だし)を聞き直したというわけです。

チャーリー・ワッツが亡くなったことと関係しているのかどうか、そこまで番組制作スタッフが意図したのかどうか、本当のところは分かりませんが、是非ともそう考えたいと思いました。



 補記:惜別 

毎年、年末に近づくと新聞に、その年に亡くなった方を偲ぶ文章が掲載されます。10月末に、朝日新聞 文化くらし報道部の河村能宏記者がチャーリー・ワッツさんを偲んだ文章を書いていました。よい "惜別の辞" だと思ったので、ここにそれを掲載します。


2021年10月30日
朝日新聞(夕刊)

ザ・ローリング・ストーンズのドラマー
チャーリー・ワッツさん

装飾そいだ「叩かない」美学

58年間、ザ・ローリング・ストーンズのドラマーとしてそのリズム隊を支えた。最近、その足跡を振り返る中で、代表曲「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をよく聴く。なんて語ると、「あの曲、レコード盤では大したドラムをたたいていないよ」と突っ込まれそうだ。

確かに、あの場で彼がやったのは、黙々と8ビートを刻む、ただそれだけ。曲の要所で入れる決め技、フィルインなんてほぼ皆無だ。でも、それが最高にクールだった。装飾を極限までそぐことで生まれる不気味なまでの抑揚のなさ。あの曲のダークな一面を際立たせ、演奏に緊張感を生んだ。名演だ。

何を叩くかではなく、何を叩かないか。引き算の美学が彼の本質だ。レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム、ザ・フーのキース・ムーン。超絶技巧でロック史を彩った名ドラマーらとは異なる次元にいた。「ドラムソロを嫌い、ロックの基本、8ビートの直線的なリズムを、タメなどをきかせ、どうダンサブルにするかにこだわった人だった」と音楽評論家の寺田正典さんは言う。そこに独特の間があるキース・リチャーズのギターと、ミック・ジャガーの野性味あふれる歌が絡んで、演奏にうねりが生まれた。

ジャズドラマーで活動していたが、メンバーに懇願されて加入した。「ストーンズは仕事なんだ」「(自分たちのレコードは)聴かないよ」。熱量高いロックの世界にあって、常にシニカルな視線があった。クールな演奏の源は、多分そこにある。

2013年夏。英ロンドン・ハイドパークであったストーンズの公演を生で見た。中盤のミックによる恒例のメンバー紹介で、彼はステージ前方に促され、マイクの前に立った。

「ハロー」。大観衆を前に語ったのはただそれだけ。

大歓声が上がった。(河村能宏)

Charlie Watts.jpg
ソロでは、ジャズバンドを率い、複数枚アルバムも発表。来日公演も行っている=2010年、AP。2021年8月24日死去(死因非公表) 80歳


本文中に書いた「Street Fighting Man」では、ギターのリフのあとにドラムが "かっこよく" 登場します。しかし河村記者としては「黙々と8ビートを刻む、ただそれだけ」の「Jumpin' Jack Flash」がチャーリー・ワッツらしいと言っているわけですね。なるほど ・・・・・・。足跡を振り返るにはその方がふさわしいかも知れません。

(2021.11.3)



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No.320 - 健康維持には運動が必須 [科学]

科学雑誌「日経サイエンス」の記事を紹介した、No.272「ヒトは運動をするように進化した」と、No.286「運動が記憶力を改善する」の続きで、"ヒトが健康を維持するためには運動が必須" というテーマです。

ふつう "運動" というと、ジムに通ってエクササイズをしたり、筋トレをしたり、またランニングやサイクリング、ウォーキングなどの「意識的に体や筋肉を動かすこと」を思い浮かべます。しかしここで言う運動とは、徒歩通勤も、都会の営業担当の人が電車と徒歩で顧客回りをするのも運動です。もちろん農業や建設労働など、かなりの "運動" が必要な職業もあります。運動というより「身体活動のすべて」と言った方がよいと思います。

まず No.272No.286 の復習をしますと、No.272「ヒトは運動をするように進化した」は進化人類学の視点からの解説で、狩猟・採集の生活を送ってきたヒトは「運動に適合した体に進化してきた」という話でした。これは大型類人猿と比較するとよく分かります。要約すると次の通りです。

◆ 大型類人猿は日中の8~10時間を休憩とグルーミング、食事にあて、一晩に9~10時間の睡眠をとる。チンパンジーとボノボは1日に約3km歩くが、ゴリラとオランウータンの1日あたりの移動距離はもっと少ない。

◆ つまり、大型類人猿は習慣的に身体活動度が低く、人間の基準からすると「怠け者」である。

◆ それにもかかわらず大型類人猿は、たとえ飼育下であっても驚くほど健康である。糖尿病になることはまれで、加齢によって血圧が上がることもない。動脈硬化もなく、結果として心臓病にはならず、冠動脈閉塞による心臓発作も起こさない。肥満とは無縁で、飼育下であってもゴリラとオランウータンの平均体脂肪率は14~23%、チンパンジーに至っては10%未満で、オリンピック選手並みである。

人間がゴリラやオランウータン、チンパンジーなみの生活を続けたとしたら、いわゆる生活習慣病になります。それは、健康に悪いとされている生活スタイルの典型です。人間の仲間である霊長類ヒト科(ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)の中では、ヒトだけが特別なのです。

ヒトは200万年にわたる "狩猟採集" というライフ・スタイルで生き残り、高い身体活動レベル(現代人の基準では、歩行換算で1日1万歩程度。もちろん個人差はある)に適合するように進化しました。逆に言うと、身体活動によって健康が維持できる体になったわけです。具体的には、運動は健康維持に次のような好影響があることが分かってきました。

◆ 運動は神経新生と脳の成長を促す神経栄養分子の放出を引き起こす。また、記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐ

◆ 持久力を要する運動は、心血管疾患の重大なリスク因子である慢性炎症を抑える。また、ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロゲン、プロゲステロンの安静時レベルを下げ、これが要因となって生殖器系のがんの発生率を下げる

◆ 運動は2型糖尿病の直接原因であるインスリン抵抗性を低下させることが知られており、ブドウ糖を脂肪に変換する代わりに筋グリコーゲンとして貯蔵するのを助ける。

◆ 定期的な運動は免疫系の機能を改善して感染を防ぐ効果があり、この効果は年齢とともに高まる。

最初の項目に「記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐ」とありますが、この運動の脳に対する好影響を解説したのが No.286「運動が記憶力を改善する」でした。我々は「筋肉に負荷をかけると筋肉が増強される」のは当然と考えます。この類推で言うと「脳に負荷をかけると脳が増強される」はずです。私たちは、歩いたり走ったりするのは体が自動的に動いているように考えがちです。しかしそれが誤解です。むしろ、運動は身体的活動であるのと同じくらい認知的活動なのです。マウスによる実験で、運動によって脳の海馬(=記憶の司令塔)の神経細胞が増大することが分かりました。では、人間ではどうなのか。No.286 で紹介したのは次の実験例でした。

◆ イリノイ大学での試験では、12ヶ月の有酸素運動が高齢者のBDNF(脳由来神経栄養因子)のレベルの上昇と海馬の拡大、記憶力の改善につながった。

◆ 英国の中高年7000人以上を対象とした研究では、適度あるいは激しい身体活動に従事する時間が長い人の海馬が大きいことがわかった。運動が海馬とその認知機能にとって有益であることは明らかである。

BDNF(Brain-Derived Neurotropic Factor。脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長を促すタンパク質で、学習・記憶・判断などの高度な脳機能を担当する部位に作用します。神経栄養因子は何種類かありますが、その中では最も強力なものです。BDNFはは脳以外にも、網膜、腎臓、唾液腺、前立腺、歯の関連細胞などでも作られ、それらの機能の回復や向上を促すことも知られています。



「日経サイエンス」2014年7月号.jpg
日経サイエンス
2014年7月号
以上、要約を紹介した No.272「ヒトは運動をするように進化した」と、No.286「運動が記憶力を改善する」は、科学雑誌「日経サイエンス」の 2019年4月号 と 2020年5月号に掲載された論文の紹介でした。

日経サイエンスにはこの他にも健康維持と運動の関係を示した論文があります。今回はそれを紹介します。2014年7月号に掲載された「運動で病気が防げるわけ」と題するものです(原題:Why Exercise Works Magic ─ Scientific American 誌)。著者は、チャーチ教授(ルイジアナ州立大学)とハーバード大学のマンソン教授とバサック研究員です。以下、主な内容を紹介します。


運動で病気が防げる


まずこの論文では冒頭に次のように書かれています。


運動すべきであることは誰もが知っている。だが、健康を維持・増進するためにできる最も重要な取り組みが肉体的運動であることを認識している人はほとんどいない

「運動で病気が防げるわけ」
T. チャーチ(ルイジアナ州立大学教授)
J. マンソン(ハーバード大学教授)
S. バサック(ハーバード大学研究員)
「日経サイエンス」2014年7月号

健康維持のために重要ことはいろいろあります。バランスがとれた食事がそうだし(特に野菜の摂取)、適度な睡眠をとる規則正しい生活もそうでしょう。精神面の健康ではストレスをため込まない工夫も重要です。しかし健康維持のために最重要なのが運動である ・・・・・・。本論文ではこの認識にたって、2010年代に新たに判明した運動の効能について書かれています。まず、運動の脳に対する影響ですが、本論文では次のように説明されています。


運動によって脳内に生じる化学的な変化が調べられてきた。集中力や思考力、判断力を高めるような変化だ。60代と70代の被験者120人を対象にした科学的に厳密な実験(ランダム化比較試験)の結果、海馬という脳領域のサイズが運動によって大きくなることが2011年に示された。

この研究チームは海馬のうち運動による影響を受けた部分が、人に見近な環境を記憶させる領域であることに注目した。また、その領域は新しい神経細胞が生まれる数少ない脳領域の1つでもある(少なくともラットでは)。これらの新生ニューロンは似た出来事や物体を区別するのを助けていると考えられている。

さらに動物実験よって、新生ニューロンの成長を引き起こす脳由来神経栄養因子(BDNF)という化学物質の濃度が運動によって高まることが示された。

日経サイエンス(2014年7月号)

運動が脳や記憶に与える影響の詳しい解説は、No.286「運動が記憶力を改善する」にある通りです。これは2011年頃から明らかになったようで、人間相手の研究には MRI の発展と普及が大いに貢献しているのでしょう。

以降は、運動が体に与える変化として「運動とコレステロール」「運動とインスリン」の部分を紹介します。


運動とコレステロール


コレステロールは細胞膜の構成物質であり、細胞内でのさまざまな化学反応にもかかわっていて、生命維持にとって必須の物質(脂質の一種)です。体内(主に肝臓)で作られたコレステロールは血液で輸送されますが、水に溶けにくいため、親水性であるリポタンパク質(Lipoprotein)との複合体を構成して血液中を運ばれます。リポタンパク質は、血液中ではコレステロールを供給する役割と、回収する役割の両方を担います。

リポタンパク質には、低密度の LDL(Low Density Lipoprotein)と、高密度の HDL(High Density Lipoprotein)があります。LDL は肝臓で生成されたコレステロールを体内に供給する役割を担い、HDL は逆にコレステロールを回収します。このうち、LDL は酸化されやすく、血管内に動脈硬化巣としてたまりやすい性質があります。このため「LDL・コレステロール複合体」を俗に「悪玉コレステロール」、「HDL・コレステロール複合体」を「善玉コレステロール」と呼んでいます。もちろん「悪玉」と言われる LDL も人体にとって必須の存在です。要は LDL と HDL が基準値内にバランス良く保たれていることが重要です。

日常的に運動をしていると、①血圧が下がる ②HDLコレステロールの血中濃度が上がる、③LDLコレステロールの血中濃度が下がる、という3つの作用によって心血管疾患のリスクが下がる、というのが従来からの理解でした。しかし近年になって重要なことが分かってきました。日経サイエンスから引用します。


最近、運動がLDLに及ぼす影響で重要なのは血中濃度の低下よりも、この分子の性質の変化であることが示された。

厳密には LDL はコレステロールと同義ではない。LDL はコレステロールという荷物を乗せて血流中を運行する宅配便トラックのようなものだ(脂肪でできたコレステロールは水を主成分とする血液には溶けないため、水に溶ける物質、この場合は LDL に包まれて運ばれる)。また宅配便がミニバンや大型トラックで配達されるように、LDL のサイズも様々だ。

過去数年で、小さなLDL分子が特に危険であることを示す研究結果が次々と発表されている。例えば小さなLDL分子は電子を失いやすく、そうなると血管内のあちこちを跳ね回って他の分子や細胞を傷つける(おんぼろのライトバンをイカれたドライバーが運転しているような状況だ)。これに対し大きなLDL分子はずっと安定しており、何物にもぶつかることなく血液中をスムーズに流れていく(整備された大型トラックを熟練ドライバーが運転している状況)。

現在までに、運動によって危険な小型 LDL 分子が減る一方、安全にな大型 LDL 分子が増えることがわかっている。リポタンパク質リパーゼという酵素の働きが脂肪組織と筋組織で活発になり、LDL 分子の比率を変えるようだ。だから、血中コレステロール値が同じ人でも運動量が違えば、心臓病のリスクは異なる

カウチポテト族の血液はおそらく小さなLDL分子が多く、大きな分子はあったとしてもわずかで、活動的な人の血液は大きな分子が大半だろう。よってコレステロール値が同じであっても。カウチポテト族は運動量の多い人に比べて心臓発作を起こすリスクが数倍高いのだと考えられる。

日経サイエンス(2014年7月号)

我々は健康診断の結果の数値が基準内にあるかを見て、安心したりドキッとしたりしますが、こと LDL コレステロールに関しては、単に数値で示された以上の健康ファクター(またはその逆の健康リスク)があることがわかります。


運動と血糖値


上に書いた、No.272「ヒトは運動をするように進化した」の要約の中に、

運動は2型糖尿病の直接原因であるインスリン抵抗性を低下させることが知られている。

との主旨がありました。「日経サイエンス」2014年7月号ではこの理由が詳しく説明されています。以下の通りです。


定期的な運動は、(コレステロール以外の)もう1つの重要な血液成分であるブドウ糖にも好影響を及ぼす。寝ている時も起きているときも、肝臓と膵臓、骨格筋(首や胴、手足を動かす筋肉)は一致協力して、体の各部が必要とするブドウ糖を確実に得られるように働いている。運動すると当然ながら骨格筋への負荷が増え、エネルギー源としてより多くのブドウ糖を必要とするようになる。長期的には、運動によって骨格筋の筋繊維がブドウ糖をより効率的に利用できるようになり、筋力が増す。

肝臓は燃料の追加要求に即応してブドウ糖分子を血液に送り込み、膵臓はインスリンを放出する。インスリンはホルモンの一種で、筋肉細胞に対して血液からどんどんブドウ糖を取り込むように指令する。

日経サイエンス(2014年7月号)

血糖値は 70~140(mg/100cc)程度に保たれています(数値は論文のもの)。脳の主要なエネルギーはブドウ糖であるため、血糖値が70以下になると意識障害が始まり、さらには昏睡から死に至りかねません。また血糖値が多すぎると糖毒性によって血管や神経が損傷し、糖尿病になります(このあたりの詳細は No.226「血糖と糖質制限」参照)。なお、140以下というのは食事後2時間の値であり、空腹時では126以下です。

この血糖値をコントロールする上で、運動の役割が重要なのです。そのところを引用します。


運動が日常的な習慣になるにつれ筋肉はインスリンに敏感に反応するようになる。この結果、膵臓が懸命に働かなくても血糖値を抑えられるようになる。かつて高濃度のインスリンで得ていたのと同じ効果を低濃度のインスリンで得られるようになるのだ。

これは特に2型糖尿病の患者にとっては大きな助けになる。2型糖尿病の場合、主に体がインスリンに反応しにくい(インスリン抵抗性を示す)ために、血糖値を正常範囲に保てなくなっているからだ。

またインスリンは新しい細胞の増殖を促す作用もある。このためインスリン値が高いと、特に乳がんと大腸がんのリスクが高まる。

日経サイエンス(2014年7月号)

「運動は、血液中のブドウ糖(血糖)を筋肉にすみやかに取り込む訓練をしているようなもの」なのですね。従って体はインスリンに対する反応が良くなり(=インスリン抵抗性が低下し)、糖尿病のリスクが少なくなる。



健康に過ごすためには運動が重要ということは、ずいぶん昔から言われてきました。しかし2000年代以降、なぜ運動が必要なのか、その生理学上のメカニズムが次々と明らかにされてきました。「運動が健康維持に必須の理由」を人体の成り立ちに沿って理解することは、運動を続けてそれを習慣とする上での大きなモチベーションになると思います。




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No.319 - アルマ=タデマが描いた古代世界 [アート]

前回の No.318「フェアリー・フェラーの神技」は、19世紀英国のリチャード・ダッドの絵画をもとに、ロックバンド、クィーンが同名の楽曲を作った話でした。今回は、絵画が他のジャンルの創作に影響した話の続きとして映画のことを書きます。リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(2000)に影響を与えた絵画のことです。

実は、No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差しろされた親指』(1904)が『グラディエーター』の誕生に一役買った話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。



20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。


制作サイドは監督にリドリー・スコットを望んだ。『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『白い嵐』など、芸術性とエンターテインメント性を合体させたヒット作を連打していたスコットなら、古代ローマものを再創造してくれるに違いない、と。

だがスコットは最初はあまり乗り気ではなかったらしい。そこで制作総指揮者は彼に『差し下された親指』を見せた。フランスのジェロームが百年以上も昔に発表した歴史画である。後にスコット曰く、「ローマ帝国の栄光と邪悪じゃあくを物語るこの絵を目にした途端、わたしはこの時代のとりこになった」(映画パンフレットより)。

こうして完成された『グラディエーター』(2000年公開)は、アカデミー賞作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、衣装デザイン賞などいくつも獲得し、全世界で大ヒットを記録した。剣闘士同士の息もつかせぬ戦闘シーンとリアルな迫力に、一枚の絵が運命的な役割を果たしたということになる。

中野京子『運命の絵』
(文藝春秋 2017)

Pollice Verso (Gerome).jpg
ジャン = レオン・ジェローム
(1824-1904)
差し下ろされた親指」(1904)
フェニックス美術館(米・アリゾナ州)

ちなみに cinemareview.com の記事によると『グラディエーター』の制作会社であるドリームワークスのプロデューサは、スコット監督に脚本を見せる前に監督のオフィスを訪問して『差し下された親指』の複製を見せたそうです。そもそもプロデューサが『グラディエーター』の着想を得たのもこの絵がきっかけ(の一つ)だそうです。

Gladiator.jpg

この経緯をみると、ジェロームの『差し下ろされた親指』にはハリウッドの映画人をホットにさせる魔力があるようです。リドリー・スコット監督もその魔力にハマった ・・・・・・。



ところで、映画『グラディエーター』の発端(の一つ)がジェロームの『差し下ろされた親指』だとすると、この映画の美術と衣装に大いに影響を与えた別の絵があります。19世紀英国のローレンス・アルマ=タデマが古代ローマを描いた一連の絵画です。今回はその話ですが、古代ローマだけでなくエジプトやギリシャも含む古代地中海世界をテーマとする絵画をとりあげます。


『グラディエーター』とアルマ=タデマ


ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836-1912)はオランダに生まれ、イギリスに帰化した画家です。もともと "Alma" はミドル・ネームですが、英国に渡ってからは "Alma-Tadema" と名乗るようになりました。画家として目立つようにという配慮のようです。彼は新婚旅行でポンペイの遺跡を訪れて衝撃をうけ、以降、古代地中海世界をモチーフに絵の制作をするようになりました。その特徴は、文献、考古学資料、博物館所蔵品、遺跡などを調査し、その知見をもとに古代世界を再現しようとしたことです。

2017年、オランダ(出身地)、ウィーン、ロンドンの3カ所で100年ぶりの「アルマ=タデマ大回顧展」が開催されました。ロンドンでは、レイトン・ハウス博物館で2017年7-10月に「Alma-Tadema : At Home in Antiquity」の展覧会タイトルでの開催でした。"at home" とは、"家で" とか "くつろいで" という意味ですが、少々意訳すると「アルマ=タデマ:古代世界の日常」ぐらいの意味でしょう。なお、レイトンとはアルマ=タデマと同時代の英国の画家で、その邸宅が博物館になっています。

この「アルマ=タデマ大回顧展」のことが、レイトン・ハウス博物館の公式ホームページに掲載されています(https://www.rbkc.gov.uk/subsites/museums/leightonhousemuseum/almatademaathome.aspx。2021年8月20日 現在)。そこには次のようにあります。


The director Cecil B. DeMille was a devotee of Alma-Tadema’s work, apparently showing prints of Alma-Tadema’s pictures to his team while they were preparing to film The Ten Commandments.

More recently, Ridley Scott’s Gladiator derives many details from Alma-Tadema’s works. Production designer Arthur Max studied Alma-Tadema’s paintings for their columns, floor mosaics and props. Costume designer Janty Yates also studied his paintings while working on the film. Alma-Tadema’s pastel colours and transparent, layered and sometimes lightly embroidered silks were a direct source of inspiration for Yates.

【試訳】
セシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者で、映画『十戒』の準備段階では、制作スタッフたちにアルマ=タデマの複製画を見せたようだ。

最近では、リドリー・スコット監督の『グラディエーター』が、細部の多くをアルマ=タデマの作品に負っている。美術担当のアーサー・マックス(Arthur Max)は、アルマ=タデマの絵画の柱や床のモザイク、道具類を研究した。衣装担当のジャンティ・イェーツ(Janty Yates)もまた、映画製作時にアルマ=タデマの絵を研究した。絵の中の絹の衣はパステル色で、透き通り、重ねられ、時に刺繍が施されていて、イェーツがインスピレーションを得る直接の源となった。


『グラディエーター』は、第73回アカデミー賞(2001年)の衣装デザイン賞を獲得しました(他に、作品賞、主演男優賞:ラッセル・クロウ、録音賞、視覚効果賞)。レイトン・ハウス博物館のアルマ=タデマ回顧展を紹介した YouTube 動画、"Alma-Tadema: At Home in Antiquity at Leighton House Museum" の中で、衣装を担当したイェーツ氏が次のように語っています。


There're probably at least half of dozen very prominent paintings that we worked from. Every painting is a feast because there's so much to learn and so much to be inspired by. So, Ridley Scott, when we started the preparation of Gladiator, pointed out how his vision has coincided with Alma-Tadema’s.

The main inspiration for me was everything to do with costume from the jewelry to the print to the incredible detail of embroidery to the headdresses. And the incredible use of flowers everywhere over all the colors beyond everything.

Janty Yates
Costume Designer - Oscar Winner

【試訳】
私たちが仕事に使った、非常に卓越した絵画が少なくとも5~6程度あります。これらすべては "ご馳走" でした。というのも、非常に多くのものをそこから学び、たくさんのインスピレーションを得たからです。それで、リドリー・スコット監督は『グラディエーター』の準備作業の中で、自分のヴィジョンがアルマ=タデマと一致していると指摘したのです。

私にとって最大のインスピレーションは衣装に関するすべてです。宝石や布地の模様、信じられないような細かい刺繍、髪飾りなどであり、さらには至る所に見られる花々の素晴らしい活用と、それらすべて背後にある色です。

ジャンティ・イェーツ
衣装デザイナー(オスカー受賞)

『グラディエーター』のみならず、最初の引用に『十戒』(1956)とあったように、『ベン・ハー』(1959)や『クォ・ヴァディス』(1951)を含め、アルマ=タデマに影響されたハリウッドの「古代地中海世界が舞台のスペクタクル映画」は数々あるようです。

もちろん、「アルマ=タデマこそ、ハリウッドにインスピレーションを与えた画家だ」というわけではありません。古代世界を描いた画家は、ほかならぬ『グラディエーター』の発端となったジェロームを始めとして多数あります。アルマ=タデマはそのような画家の一人、という解釈が正しい。

とは言え、アルマ=タデマの特質は、学究的とも言える調査・研究のもとに古代世界を描いたことです。彼はイギリス王立建築学会から表彰されました(Wikipediaによる)。それほど古代建造物の再現は正確だった。また上のレイトン・ハウス博物館関係の引用でも「柱、モザイク、道具、衣装、刺繍、装飾品」に言及しているように、細部も正確かつリアルでした。だからこそ、リドリー・スコット監督を始め、多くの映画人を強く引きつけたのでしょう。



以下、アルマ=タデマの作品を9点ほど引用します。画像は「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説、谷田博幸訳。リブロポート 1993)から引用しました。また絵の説明もこの本を参考にした箇所があります。以下で「本書」と書く場合はこの本を示します。


モーゼの発見


アルマ=タデマ 1:モーゼの発見(1904).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
モーゼの発見」(1904)
(The Finding of Moses)
137.5cm×213.4cm
(個人蔵)

旧約聖書の「出エジプト記」の一場面です。エジプトで奴隷の身であったイスラエルの民が増え過ぎることを恐れたファラオは、新生児の男児を殺すように命じた。それを逃れるため、モーゼはパピルスのかごに乗せられてナイル河に流された。たまたまナイル河で水浴をしていた王女が彼を拾い、王宮に連れ帰って育てた ・・・・・・ という、予言者・モーゼの出生譚の一場面です。このテーマの西欧絵画には珍しく、王女がモーゼを連れ帰るところが描かれています。

王女の周りの調度品は大英博物館の所蔵品を参考に描かれ、画面左端の彫像の台座にある象形文字・ヒエログリフもファラオを讃える正確な文字形だと言います(本書)。ナイルの向こう岸の遠景にはピラミッドが見えます。また、画面の下の方には青い花が描かれていますが、これはデルフィニウムです。

往年のセシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者だったと、レイトン・ハウス美術館の解説にありましたが、「出エジプト記」をテーマにした映画『十戒』(1956制作)には、このアルマ=タデマの絵とそっくりのシーンが出てきます。

The Ten Commandments(1956).jpg
「十戒」(1956)の1シーン。セシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者で、映画『十戒』の制作スタッフたちにアルマ=タデマの複製画を見せたと言われている(上に引用した、レイトン・ハウス博物館のWebサイトによる)。


大理石と花


アルマ=タデマ 2:期待(1885).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
期待」(1885)
(Expectations)
22.2cm×45.1cm
(個人蔵)

この絵で目をひくのは、画面の大半を占める大理石です。古代建築で、建物から突き出た半円形の構造を "エクセドラ" と言いますが、その大理石のエクセドラの "ベンチ" に女性が座っています。アルマ=タデマは「大理石の画家」と呼ばれたほどで、その描写力は際立っていました。それがよく現れています。

建物は崖の上にあるのでしょう。向こうに青い海と空が広がっています。この青色もアルマ=タデマの絵によく出てきます。さらには、花が描かれています。この絵の花は "ハナズオウ(花蘇芳)" だと言います(本書)。『モーゼの発見』にはデルフィニウムが描かれていましたが、このような花の使い方もアルマ=タデマの絵に頻繁に現れます。

女性は海を眺めています。恋人が乗った船が(帰って)来るのを待っているのでしょうか。「期待」というタイトルからすると、その船を待ち望んでいる姿でしょう。

上に引用した『モーゼの発見』は旧約聖書の一場面でした。しかしこのような "歴史的場面" をテーマにした絵画は、アルマ=タデマの作品では少ないわけです。多くは『期待』のような "日常のなにげない情景" です。その特徴をよく表している作品です。


ローマの公衆浴場


以降に、古代ローマの公衆浴場(テルマエ)を描いた4作品を引用します。

 カラカラ浴場 

アルマ=タデマ 3:カラカラ帝の浴場(1899).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
カラカラ帝の浴場」(1899)
(The Baths of Caracalla)
152.4cm×95.3cm
(個人蔵)

カラカラ帝はローマ帝国の22代皇帝(在位 209-217)です。カラカラ浴場は3つの大浴場をもち、1600人が収容できる大規模なものでした。現在のローマ市内に遺構が残っています。その、遺跡として残っているカラカラ浴場の写真と、元々の平面図を次に掲げます。No.113「ローマ人のコンクリート(2)光と影」で引用したものです。現在、残っているのは一部ですが、平面図から当時の威容が想像できます。浴場部分だけで200m×100mもあります。

Terme-Caracalla.jpg
カラカラ浴場遺跡
(site : www.archeorm.arti.beniculturali.it)

カラカラ浴場平面図.jpg
カラカラ浴場平面図
大浴場全体 : 337m×328m、浴場部分 : 220m×114m の規模がある。塩野七生「ローマ人の物語 第10巻 すべての道はローマに通ず」より

 フリギダリウム 

アルマ=タデマ 4:フリギダリウム(1890).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
フリギダリウム(冷浴室)」(1890)
(The Frigidarium)
45.1.cm×59.7cm
(個人蔵)

公衆浴場には基本となる3種の部屋があり、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)です。フリギダリウムには冷水のプールが設置されていて、火照ほてった体を冷やしました。この絵は脱衣室から冷水プールの方向を見た図です。手前の脱衣室の女性は、プールから上がって奴隷に服を着せてもらっているのでしょう。

アルマ=タデマ 5:お気に入りの習慣(1909).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
お気に入りの習慣」(1909)
(A Favourite Custom)
66.0.cm×45.1cm
(テート・ギャラリー)

フリギダリウムの冷水プールから脱衣室の方向を見た構図で、視点は「フリギダリウム(冷浴室)」とはちょうど反対です。この絵はポンペイで発見された遺構をもとに描かれました(本書)。

 テピダリウム 

アルマ=タデマ 6:テピダリウム(微温浴室)にて(1881).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
テピダリウム(微温浴室)にて」(1881)
(In the Tepidarium)
24.1.cm×33.0cm
(レディ・リーヴァー美術館 - Port Sunlight, UK)

テピダリウムは床下暖房の原理で暖める微温浴室です。描かれた女性は右手にストリジルを持っています。ストリジルは曲がった金属製の "肌かき器" で、香油を体に塗り、汚れとともにこすり落とすための器具です。また左手にはダチョウの羽を持っています。

もちろんこの絵の目的(ないしは発注者の注文)は、女性のヌードを描くことでしょう。しかし単なるヌードではありません。女性の表情は "恍惚とした" 感じで、それと合わせて見ると、ストリジルもダチョウの羽も男性器を暗示しているようです。客観的に見ると極めて挑発的な絵です。これと比べると、スキャンダルになったマネの『オランピア』などは随分 "おだやかな" 絵です。しかしアルマ=タデマのこの絵はあくまで「古代ローマの風俗」です。だから許されたのでしょう。

大理石、鳥の羽、毛皮の質感表現が見事です。左端にアルマ=タデマの絵によくある花が登場していますが、この花は夾竹桃きょうちくとうだそうです(本書)。


ヘリオガバルスの薔薇


アルマ=タデマ 7:ヘリオガバルスの薔薇(1888).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
ヘリオガバルスの薔薇」(1888)
(The Roses of Heliogabalus)
132.1.cm×213.7cm
(個人蔵)

ヘリオガバルスは、カラカラ帝のあとの第23代ローマ皇帝で、14歳で少年皇帝として即位し、18歳で暗殺された人物です(在位:218-222)。暴君という評判で、特にその異常な性についての逸話が数々残っています。

ヘリオガバルスの逸話の一つに「大量のバラの花を天蓋の上に置き、それを一挙に落として、下にいる客人を窒息させようとした」との話があります。もっとも「ローマ皇帝群像」という信憑性の乏しい後世の書物の記述であり、真偽のほどは全く不明です。その、大量のバラの花が落ちた瞬間を描いたのがこの絵です。画面の中央上の方で寝そべってこの光景を見ているのがヘリオガバルス帝です。画面の左右の中心に描かれ、かつ背景とのコントラストが最も際立っているので、この絵のフォーカルポイント(焦点)、すなわちヘリオガバルスだと分かります。

そういったテーマからすると、この絵は『モーゼの発見』と同じように「歴史上の瞬間」を描いたものであり、古代世界の風俗画ではないし、日常の風景でもありません。とは言え、画家の関心は、

大量のバラの花が画面の半分を覆い尽くす絵を描く

ことだったのが明白でしょう。アルマ=タデマは "花" をたびたび描いています。ヘリオガバルスの逸話を知ったとき、これは絶好の素材だと思ったのでしょう。大量のバラが画面を埋め尽くす絵を "古代ローマの歴史画" として描けるのだから ・・・・・・。

問題は大量のバラの花をどういった構図で描くかです。秋田麻早子著「絵をみる技術」(No.284 で紹介)によると、この絵は黄金分割を使っていると言います。No.284「絵を見る技術」で書いた「黄金分割・黄金長方形」のことを再掲すると次の通りです。



線分ABをG点で分割するとき、AG:GB = GB:AB となるGがABの黄金分割です。AG=1, GB=ϕ とおいて計算すると、ϕは無理数で、約1.618程度の数になります。「1:ϕ」が黄金比です。ϕの逆数は ϕ-1(約0.618)に等しくなります。

黄金比1.jpg

辺の比が「1:ϕ」の黄金比の長方形を「黄金長方形」と言います。また、1/ϕ = ϕ-1 なので、辺の比が「1:ϕ-1」の長方形も黄金長方形です。

黄金比2.jpg

黄金長方形には特別な性質があります(下図)。黄金長方形のラバットメントライン(黄色の線)は、黄金長方形を「正方形と小さい黄金長方形に黄金分割」します。またラバットメントラインの端点と黄金長方形の角を結ぶと直交パターンになります(青と赤の線)。大きな黄金長方形と小さな黄金長方形は相似なので、2つ線は直交するわけです。

黄金比3.jpg



『ヘリオガバルスの薔薇』のカンヴァスの縦横比は、計算してみると 1.618 であり、ピッタリと黄金比になっています。明らかに画家はそれを意識したカンヴァスを使っています。ということは、構図にも応用されているはずです。

黄金長方形は、ラバットメントライン(=長方形の中にピッタリ収まる正方形を作る線)で正方形と小さな黄金長方形に分割できます。ということは、その小さな黄金長方形の中に、さらに小さな黄金長方形を描けるわけで、これを繰り返すことができます。これが構図に生かされているというのが「絵をみる技術」における秋田氏の指摘で、それを次の図に掲げます。確かに人物とバラの花と建物の配置に黄金長方形の構図が生かされています。

アルマ=タデマ 7:ヘリオガバルスの薔薇・黄金長方形.jpg
2本のラバットメントラインを引き、両側にできる黄金長方形をさらに分割するように線を描いていった図。この線が構図に生かされている。カンヴァスの縦横比は、ほぼ正確な黄金比(= 1.618)であり、この図における斜線は直交している。秋田麻早子著「絵をみる技術」より。


パルテノン神殿のフリーズ


アルマ=タデマ 8:フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ(1868).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」(1868)
(Pheidias and the Frieze of the Parthenon, Athens)
72.0.cm×110.5cm
(バーミンガム市立美術館)

舞台は古代ギリシャのアテネです。アクロポリスの丘に建設中のパルテノン神殿に足場が組まれていて、その足場の高い所に複数の人物がいます。画面右下の明るい部分に、下へと降りる梯子が見えます。

題名のフェイディアスとは、パルテノン神殿建設の総責任者だった建築家・彫刻家です。またフリーズは、建物に帯状に水平にめぐらされた壁で、多くは彫刻が施されました。この絵では、中央に描かれているのがフェイディアスで、右手にパルテノン神殿の設計図を持ち、招待客に自作のフリーズを披露しています。右手前の男性は、アテネに最盛期をもたらした政治家・ペリクレスで、その右は彼の愛妾あいしょうだったヘタイラ(古代ギリシャの高級娼婦)のアスパシアです。また画面の左端はペリクレスの遠戚えんせきにあたる美貌の青年、アルキビアデスです。アルキビアデスはソクラテスの愛人とも言われていたので、その右の親密そうな人物はソクラテスかも知れません。この絵に描かれたフリーズには、2つの重要ポイントがあります。

① パルテノン神殿のフリーズは、現在はギリシャには無く、ロンドンの大英博物館にある(アテネのアクロポリス博物館にあるのはレプリカ)。

② フリーズが彩色されている。

の2つです。このあたりを、中野京子さんの解説でみましょう。

 エルギン・マーブル 

まず、パルテノン神殿のフリーズが、現在はロンドンの大英国博物館に展示されている経緯です。


それは1800年、イギリスの外交官エルギン伯爵がイスタンブールに赴任し、パルテノン神殿に魅了されたことに始まる。当時ギリシャはオスマン・トルコ帝国領だったので、エルギン伯はスルタンにフリーズの譲渡許可を得て、ただちに神殿から削り取って祖国へ送る。フリーズ以外の諸彫刻もいっしょにだ(皇帝でもないのにナポレオンの真似をしたというわけか)。

数年後、帰国したエルギン伯はそれらをお披露目ひろめする。芸術品は大評判となるが、エルギン伯の評判はさんざんだった。「略奪」と非難されたのだ。急先鋒はギリシャ愛に燃える詩人バイロンで、伯の行為を激しく糾弾きゅうだんした(後にバイロンがギリシャ独立戦争に加わり、戦場で病死したのは人も知るとおり)。

予想外の非難の嵐にすっかり嫌気のさしたエルギン伯は、1816年、フリーズを含む所蔵品を手放した。ただしギリシャへ返すのではなく、イギリス政府へ寄贈(正確には売却)したのだ。この時すでにエルギン伯は「略奪」品の数々を船舶輸送した際の莫大ばくだいな負債と原因不明の病に苦しんでいた(バイロンの言う「ミネルヴァの呪い」だったのか?)。

展示会場となった大英博物館がそれらを「エルギン・マーブル(Elgin Marble)」、即ち「エルギン伯の大理石」という名称で館の目玉作品として、今に至る(ルーブル美術館と並ぶ泥棒美術館と言われても仕方あるまい)。

中野京子
「運命の絵 なぜままならない」
(文藝春秋 2020)

 アルマ=タデマによるフリーズの再現 

アルマ=タデマは、大英博物館にあるフリーズを調査・研究して「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」を完成させました。


実は古代ギリシャ・ローマの彫像や浮彫りが彩色されていたこと、しかも驚くほど極彩色ごくさいしきであったことは、かなり前から知られていた。わずかながら石に色が残存していたからだ。

とはいえ次々に遺跡から掘り起こされる彫像のほとんどは、数世紀もの長きにわたって土中にあったため色を失っていたし、建造物にほどこされた浮彫りの彩色も風雨に耐え切れず剥落はくらくしてしまっていた。発掘者も研究者も芸術家も、そして一般の人々も、すっかり無彩色の彫像を見慣れてしまう。

アルマ=タデマが初めて大英博物館を訪れた1860年代、研究者たちの間では彩色についての議論が活発だった。今後は古代ギリシャ像にならって自分たちも色を付けるべきか、という話まで出ていたというが、えて彩色する彫刻家はいなかった(いたとしても有名作にはなっていない)。

アルマ=タデマは古代ギリシャ・ローマへの関心が深く、次第に古代歴史画家として名声を獲得してゆくのだが、強みはその徹底した研究姿勢にあった(ハリウッドのスペクタル映画の多くが彼の作品を参考にしたという)。本作を描くにあたっても大英博物館に通い詰め、フリーズの色の痕跡こんせきを調査して仕上げており、なるほど、フェイディアスの時代にはかような色が付いていたのかという驚きを与えてくれる。

中野京子「同上」

アルマ=タデマは大英博物館のフリーズに色の痕跡が残っていることを知って、是非ともオリジナルを再現した絵を描きたいと思ったのでしょう。では、どのようなシチュエーションにするか。フリーズだけを描くのでは "学術資料" になってしまうし、完成後のパルテノン神殿を外から見上げた構図にすると、フリーズは小さくしか見えない。そこで「建設途中のパルテノン神殿の足場の上でフリーズの "内覧会" が開かれる」というシーンにした。このアイデアは秀逸だったと思います。

 エルギン・マーブル事件 

アルマ=タデマはフリーズの彩色の痕跡を調べてこの絵を描いたのですが、現在、同じことをしようとしても不可能です。なぜなら、大英博物館のフリーズはその後洗浄されて白くされ、オリジナルの色の痕跡が無くなってしまったからです。


アルマ=タデマが19世紀人であったのは実に幸いだった。なぜなら1930年代に大英博物館関係者によって大理石表面が過剰洗浄され、必要以上に白くされたばかりか、二度と本来の着色が再現できなくなってしまったからだ。

「エルギン・マーブル事件」と呼ばれるこの大スキャンダルが発覚したとき、美術の専門家といえども、多くの入場者を集めるためなら ── 白くすればするほど大衆は喜ぶと踏んだ ── 文化財をじ曲げることすらしてのけることに、世界は震撼しんかんしたのだった。

これより以前から、ギリシャはイギリスにフリーズの返還を要求してきたが、拒否され続けだった。ギリシャがやむなくレプリカを飾っているのはそうした理由である。返還しないイギリス側の言い分としては、大英博物館に置いたほうが世界中の人々に入場料無料で鑑賞させられるし、芸術品保護も万全だ、というものだった。

ところがエルギン・マーブル事件で、芸術品保護は嘘だったとわかる。もうそろそろ返還の潮時ではないか。

中野京子「同上」

日本の仏像も、もともと金箔で光輝くか、極彩色に色付け(四天王など)されていました。その彩色が部分的に残っている像もあり、オリジナル像の復元プロジェクトがあったり、3次元スキャナーで立体像を作って色づけをする研究(=デジタル復元)もされています。

しかしパルテノン神殿のフリーズに関しては、そういった研究は今となっては不可能です。これはひどい文化財破壊です。「自分たちの考えと合わない文化財を破壊する」行為は、近年でも中東でありましたが(仏教遺跡の破壊)、大英博物館の行為も、それと同じとは言わないまでも文化財の損傷であり、考え方がつながっていると思います。しかも、他国から(暴力を使ったわけではないが)"強奪した" 文化財です。

その意味で、アルマ=タデマの「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」は貴重な作品です。彼が古代ギリシャ・ローマに強い関心があり、学究的な態度で古代世界を復元しようとした、その姿勢が貴重な絵画を残すことになりました。

The Parthenon Frieze(Wikimedia).jpg
パルテノン神殿のフリーズ
- 大英博物館 -
(Wikimedia Commons)


見晴らしのよい場所


アルマ=タデマ 9:見晴らしのよい場所(1890).jpg
ローレンス・アルマ=タデマ
見晴らしのよい場所」(1895)
(A Coign of Vantage)
64.0cm×44.5cm
(個人蔵)

アルマ=タデマ 9:見晴らしのよい場所・ガレー船1.jpg
アルマ=タデマ 9:見晴らしのよい場所・ガレー船2.jpg
左下に描かれたガレー船
古代ローマ風の衣装をまとい、花を飾った3人の女性が大理石のバルコニーに立っています。画面の奥の方を向いた動物のブロンズ像(おそらく猫科の動物で、ライオンだとすると若い雄か雌)にも花輪がかかっています。そして一番左の女性が見下ろす先は遙か下の海面で、2隻の船が見えます。船は人力でオールをこぐ(=奴隷がこぐ)「ガレー船」で、この絵の場面は古代の地中海のどこかであることが分かります。青い海は画面の上部で空と一体化しています。上の方で引用した『期待』と同じように、大理石、女性、花、青い海と空という、アルマ=タデマの得意のモチーフです。

この絵で目立つのは、その遠近法です。手前から動物像がある奥行き方向に向かう線遠近法と、ガレー船を小さく描いて表現した下方向の遠近法です。この "2重遠近法" による、高所恐怖症の人にとっては目眩めまいが起きそうな構図がこの絵の特徴です。まさに「見晴らしの良過ぎる場所」の光景です。



しかし「見晴らしのよい場所」という日本語訳の題名だけでは、この絵の意味は分かりません。画家がつけた題名は「A Coign of Vantage」で、これはシェイクスピアの『マクベス』からの引用なのです。"coign" とは「壁などが外側に突き出たところ(=外角、突角)」で、"vantage" とは「見晴らしの良い場所、有利な地点」という意味です。壁が突き出たところでは見晴らしが利き、すなわち有利な地点になります。

魔女の予言を受けてスコットランド王・ダンカンを暗殺する意志を固めたマクベスは、ダンカン王と友人のバンクォーを自分の城に招きます。そして2人が城の前に到着したときのバンクォーのせりふに「coign of vantage」が出てきます。


William Shakespeare
「Macbeth」
Act 1, Scene 6
(Before the Castle)

DUNCAN.
This castle hath a pleasant seat.
The air nimbly and sweetly recommends itself
Unto our gentle senses.

BANQUO.
This guest of summer,
The temple-haunting martlet, does approve,
By his loved mansionry, that the heaven’s breath
Smells wooingly here: no jutty, frieze,
Buttress, nor coign of vantage, but this bird
hath made his pendant bed and procreant cradle.
Where they most breed and haunt, I have observ’d
The air is delicate.



シェイクスピア『マクベス』
第1幕 第6場
(マクベスの城の前)

ダンカン.
心地よい佇まいの城だな。
清清しく甘やかな空気が
われわれの五感に好ましい

バンクォー.
あの夏の賓客
教会に巣を作る岩燕は
この城を気に入ってか、あちこちで巣を作っています。
天の息吹が漂い、誘うからでしょう。
張り出し壁でも飾り壁でも控え壁でも。
巣作りに役立つところはどこでも
吊り床や、子作り用の巣がないところはありません。
岩燕が卵をかえし、飛び交うところは
空気が心地よく感じられます。

石井美樹子・訳
「シェイクスピア四大悲劇」より
(河出書房新社 2021)

"coign of vantage" は、岩燕の巣作りに役立つ(=有利な)城の壁の突き出たところ、という意味で使ってあります。マクベスはこの時点でダンカン王の暗殺を決意していて、バンクォーはマクベスの野心を知っている。このことを踏まえると "coign of vantage" には「暗殺に有利な場所」という裏の意味が隠されていると考えられます。

改めて「A Coign of Vantage」が「マクベス」第1幕 第6場からの引用だという前提でアルマ=タデマの絵を見ると、

・ 大理石の建造物の外角(そこは死角なしに270度を見渡せる)に3人の女性がいて
・ この建造物のそばの海岸に2隻の船が到着する様子を眺めている

ととれる情景です。そして「マクベス」第1幕 第6場ということは、船にはダンカン王とバンクォーが乗っていると想定できます。だとすると、描かれた3人の女性は「マクベス」の第1幕の森のシーンでマクベスとバンクォーを待ち伏せ、マクベスがスコットランド王になると予言した(=そそのかした)3人の魔女ということになります。この絵の魔女たちは「さあ、これから王殺しが始まる、これは見物みものだ」と思っている ・・・・・・。「見晴らしのよい場所」に描かれた3人が魔女だという解釈は、中野京子さんの「名画の謎 対決篇」(文藝春秋 2015)で知りました。

この3人の美女の姿は、普通に演じられる(または、描かれる)「マクベス」の魔女とは対極の姿です。ただし、「マクベス」第1幕の冒頭で3人の魔女は逆説的なせりふを言います。"Fair is foul, and foul is fair." と ・・・・・・。上に引用した石井先生の訳では "晴れは曇り、曇りは晴れ" ですが、fair を "きれい"、foul を "きたない" ととると、"きれいは穢い、穢いはきれい" です。絵の3人の美女を魔女と解釈するのは全く問題がないことになります。

まとめると、アルマ=タデマの「見晴らしのよい場所」は、古代地中海世界の風景・風俗に、シェイクスピアの「マクベス」を重ね合わせた絵ということになります。その "重ね合わせ" は題名だけで暗示されている。そういった小洒落こじゃれた絵なのでした。




アルマ=タデマは、19世紀では大変に人気の画家だったそうです。その作品の中から9点を引用しましたが、そのうち6点は個人蔵です。参考にした画集「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説)には代表作の40作品が掲載されていますが、そのうち21点は個人蔵です。ということは、20世紀の美術界からはあまり評価されなかったということでしょう。

確かにアルマ=タデマの絵画は、革新性があるわけではないし、人間に対する洞察も感じられません。描き方も、ものすごくうまいことは確かですが、古典的です。20世紀の美術界の主流からすると「芸術家としての、画家独特の個性が感じられない」のでしょう。

しかし、古代世界の探求を重ね、想像では描かず研究成果をもとに描き、しかも日常のシーンをまるで "覗き見しているかのごとく" 描くというアルマ=タデマの手法は、それはそれで画家としての立派な独自性だと思います。その独自性に感じ入る個人コレクターは多かったし、またハリウッドの映画人を引き付けるものがあった ・・・・・・。

絵画は他の芸術と違って、テーマや描き方、手法のヴァリエーションが極めて多様であり、そこにこそ魅力の源泉があるのだと思います。




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No.318 - フェアリー・フェラーの神技 [アート]

このブログでは数々の絵画作品を取り上げましたが、その中に「絵画が他のジャンルの創作にインスピレーションを与えた」という例がありました。最もありそうなのが絵画から文学を作るケースで、ベラスケスの『ラス・メニーナス』から発想を得たオスカー・ワイルドの『王女の誕生日』がそうでした(No.63)。そもそも西洋絵画は宗教画、つまり "宗教物語の視覚化" から発達したので、絵画と物語の相性は良いわけです。

絵画に影響を受けた映画もありました。リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(No.203)や『ブレードランナー』(No.288)、アルフレッド・ヒチコック監督の『サイコ』(No.301)、黒澤明監督の『夢』(No.312)などです。映画は視覚芸術でもあり、絵画との相性は物語以上に良いはずです。スコット監督や黒澤監督は絵画の素養があるぐらいです。

こういった中に「絵画からインスピレーションを得た音楽」があります。過去に触れた例では、ドビュッシーの交響詩『海』です(No.156「世界で2番目に有名な絵」)。この曲は葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』に影響を受けたと言われています。スコアの初版本の表紙が『神奈川沖浪裏』だし、ドビュッシーの自宅書斎には『神奈川沖浪裏』が飾ってあったぐらいなので(No.156 参照)大いにありうるでしょう。もちろん根拠はないでしょうが、「北斎が波をあのように描いたのだから、自分は海を音楽で」と作曲家が考えたとしても不思議ではありません。

この「絵画からインスピレーションを得た音楽」の別の例を取り上げたいと思います。ロックバンド、クィーンの「フェアリー・フェラーの神技」(1974)です。この曲は、19世紀のイギリスの画家、リチャード・ダッドの『お伽のきこりの入神の一撃』をもとにした曲です。題名は英語ではどちらも、

Fairy Feller's Master-Stroke

ですが、日本語訳がつけられた時期と訳者が違うために、違う名で呼ばれることになりました。fairy は妖精、feller はきこり、master-stroke は神技という意味です。ダッドの絵は樵(=妖精)が斧の一撃(= stroke)で木の実を割ろうとしている姿を描いているので、直訳すると、

・ 樵の妖精の神技
・ 樵の妖精の熟練の一撃

ほどの意味でしょう。まず、クィーンの曲の元となったリチャード・ダッドの絵からです。


お伽の樵の入神の一撃


Fairy Feller's Master Stroke - TateRevised.jpg
リチャード・ダッド(1817-86)
お伽の樵の入神の一撃」(1855-64)
[Fairy Feller's Master-Stroke]
(54cm×39.4cm)
テート・ブリテン [ロンドン]

画面が多数の "人物" で埋め尽くされていますが、彼らはすべて妖精です。その中心は画面の真ん中の下方に描かれているきこりの妖精で、彼が斧を振り上げ、地面に置かれた木の実(ヘーゼルナッツ = ハシバミの実)を割ろうとしている、その瞬間を妖精たちが待ちかまえている情景です。画面に多数描かれているヘーゼルナッツやデイジーとの比較で、妖精たちが "小さい" ことがわかります。

ある作家の文章を引用して、絵の全体を紹介することにします。実は、この絵をもとに英国の作家、マーク・チャドボーンが『フェアリー・フェラーの神技』という小説(2003年の英国幻想文学賞を受賞)を書いたのですが、その本に英国の作家、ニール・ゲイマンが序文を寄せています。その序文を引用します。漢数字を算用数字にし、段落増やしたところと、ルビを追加したところがあります。


20代のはじめにある本の書評を頼まれた。それはダイアモンドというヴィクトリア朝の医者が撮った、ロンドンにあるベツレヘム精神病院(引用注:Bethlem Royal Hospital。英語発音はベスレム)の収容患者たちの写真集だった。救いようもなくすさんだ患者たちが、揉み手をし、胡散臭そうな目でカメラを見つめながら、写真の露光にかかる時間中ぎこちなくポーズをとっている。顔は硬直しているのだが、手はぼやけてまるで鳩の翼のように見えるものが多い。狂気と苦悩の肖像。その中に一枚だけ、他と同じく精神を病んでいるのだが、具体的に何かをしている男の写真があった。

写真の中の患者は顎ひげを生やしている。彼も前にはイーゼルが置かれ、楕円形の複雑怪奇な作品に取り組んでいるところだ。カメラを見つめる表情は狡猾そうで、薄っすらと不敵な微笑を浮かべている。目が輝いている。男はしゃがんでおり、高慢な感じで、一年後に初めて彼の傑作『フェアリー・フェエラーの神技』の実物を見た時最初に気づいたのは、絵の中央に陣取り、中からこちらを見つめている白ひげの悲しげな小人こそ、年老いたリチャード・ダッドだということだった。

ニール・ゲイマン
マーク・チャドボーン作
「フェアリー・フェラーの神技」序文

(木村京子訳)
バベルプレス 2004

リチャード・ダッドは、25歳のときに欧州・中東旅行に出かけ(1842)、その旅の途中で精神を病み、帰国してから妄想にかられて父親を刺殺、フランスに逃亡し、居合わせた観光客を殺害しようとして逮捕されました。正常な状態ではないと判断されてイギリスに戻されたダッドは、王立ベスレム病院の精神病棟に収容されました(27歳)。20年後にブロードムア刑務所の病院に転院しましたが、68歳で結核で亡くなるまで、病院で生涯を過ごした画家です。

Richard Dadd.jpg
リチャード・ダッド
「自画像」(1841)
欧州・中東旅行で精神を病む前の、エッチングによる自画像である。「夢人館 8 リチャード・ダッド」(岩崎美術社 1993)より。

上の引用で作家のニール・ゲイマンは、自身の「ベスレム病院患者写真集」の書評を書いたときの経験と、テート・ギャラリーで『お伽の樵の入神の一撃』を初めて見た印象を重ね合わせて、「絵に描かれている禿頭の白髭の小人がダッド自身だ」としています。ダッドがこの絵を描いたのは40歳代(転院の直前まで)なので、もしそうだとすると、将来の自分の姿を予測して絵に描き込んだことになります。このゲイマンの見立てについては、後でもう一度ふれます。


テート・ギャラリーのラファエル前派コーナーを訪れる人々には、それぞれ自分なりの理由があり、深遠でドラマチックな何かが彼らの琴線に触れる。ウォーターハウスやミレーやバーン・ジョーンズはそれぞれ独特な魔力を持つ。見物人はこれらの絵の間を歩き回るうちに、人生が豊かで価値あるものになっていく。

一方、ダッドは罠だ。彼の作品に魂を奪われる者をおとしいれる。その絵に夢中になり、そこに描かれた妖精や小鬼や男女に頭を悩ませ、その小ささ、その形、その奇怪さを理解しようとし、文字通り何時間も絵の前に立ち尽くしかねない。

(同上)

この絵の大きさは、わずか 54cm×39.4cm です。画像で見ると、びっしりと妖精の一群が描き込まれていて、とてもそんな大きさには見えないのですが、縦のサイズは 54cm しかないのです。


複製を見てからあえて実物を見るために訪れた者は、まずその小ささに驚くだろう。想像したより小さい ─── あり得ないほどの小ささだ。つまり、あまりにも多くのものが詰め込まれている。初めて実物を見た後に購入したテート・ギャラリー公認の複製『フェアリー・フェラーの神技』は実物の2倍近い大きさだった。

そして実物は複製とは違う。額装された実物には魔力がある。その色、その細部は、どんな写真も、ポスターも、絵葉書も、決して再現できないだろう。

(同上)

著者は、テート・ギャラリーを訪れたなら是非この絵をじっくりと見て欲しいと言います。そして、じっくりと見るとあることに気づくはずだと ・・・・・・。


すると、何時間も見つめた後でもう一つのことに気づく。あまりに重大かつ奇妙なことで、なぜすぐに気づかなかったのか、またなぜ他の誰も指摘しなかったのか理解できないほど明白な事実だ。

絵は未完成なのだ。

下の方の大部分は色の選択が不可解でしかも褪せているが、それは薄茶色に下塗りしたキャンバスに輪郭だけが描かれているせいだ。フェラーの足元のすぐ下から広がる黄褐色の芝生は、ダッドが ── 製作に何年もかけたあげく ── 時間切れとなったために黄褐色なのだ。

(同上)

そして著者は、リチャード・ダッドの画家としての生涯とこの絵の位置づけについて、次のように締めくくっています。


精神を病む以前、父親を殺害する以前、不幸なフランス旅行以前(皇帝殺害の目的でパリへ向かう列車の中で、乗り合わせた乗客を襲って逮捕された)、ダッドの絵は実に可憐で、完璧にまともだった。チョコレートの箱に描かれたイラストのように印象に残らない、シェークスピアの場面から寄せ集められた妖精たち。何の特徴も魔力もなかった。後世にまで残るようなものは何もない。真実に迫るようなものは何もない。

そして彼は病んだ。それもちょっとやそっとではなく、実に見事に。悪魔やエジプトの神々に憑かれて父親を殺してしまうという狂気だ。彼は余生を監禁下で過ごしたが ── 最初はベツレヘムで、その後はブロードムアの第1級囚人として ── 間もなく絵を描き始め、作品の見返りに恩恵を受けるようになった。もはやチョコレートの箱の妖精ではなかった。彼の描く妖精の一団や、聖書の場面や、囚人仲間(実在あるいは想像上の)には強烈な力が加わり、それゆえに作品は価値あるものになっている。それはまさに怖いほどの強烈さと一途さで描かれた。

彼は余生を鉄格子の向こうで危険な患者たちと共に監禁されて過ごし、自らも同様に危険な患者だったわけだが、あたかも異界からもたらされたかのようなメッセージを我々に残した。

(同上)

リチャード・ダッドは、20歳で王立芸術院(Royal Academy of Arts)に入学しますが、仲間を集めて「ザ・クリーク(The Clique)」という画家グループを結成しました。これは「王立芸術院の伝統が時代の要求に即していない、芸術は大衆によって判断されるべき」と主張するものでした(Wikipedia による)。その後、彼が欧州・中東旅行に出かけたのは、ある英国の著名弁護士の旅行の同伴画家として白羽の矢が立ったからでした。その意味でリチャード・ダッドは気鋭の若手画家だったわけです。

しかし、ダッドの代表作とされる作品のほとんどは王立ベスレム病院で描かれ、その中でも「お伽の樵の入神の一撃」は傑作とされるものです。もしダッドが精神を病まなければ忘れ去られた画家になったでしょう。そうするとテート・ギャラリーに作品が展示されることもなく、フレディ・マーキュリーが感銘をうけて楽曲を作ることもなく、従って我々がリチャード・ダッドという画家を知ることも無かったに違いありません。


クィーン『フェアリー・フェラーの神技』


クィーンの『フェアリー・フェラーの神技』は、2作目のアルバム "クィーン Ⅱ"(1974)に収められた曲です。ドラムスとハープシコードとピアノが規則正しく音を刻んで始まるこの曲は、3分に満たない長さですが、ダッドの絵の世界の全体がダイレクトに歌われてます。歌詞は次のようです。


The Fairy Feller's Master-Stroke(1974)

Lyrics by Freddie Mercury

He's a fairy feller

The fairy folk have gathered
Round the new moon shine
To see the feller crack a nut
At nights noon time
To swing his axe he swears,
As it climbs he dares
To deliver...
The master-stroke

Ploughman, "Waggoner Will", and types
Politician with senatorial pipe -
He's a dilly-dally-o

Pedagogue squinting, wears a frown
And a satyr peers under lady's gown, dirty fellow
What a dirty laddio

Tatterdemalion and a junketer
There's a thief and a dragonfly trumpeter -
He's my hero

Fairy dandy tickling the fancy
Of his lady friend
The nymph in yellow
"Can we see the Master-Stroke"
What a quaere fellow

Soldier, sailor, tinker, tailor, ploughboy
Waiting to hear the sound
And the arch-magician presides
He is the leader

Oberon and Titania
Watched by a harridan
Mab is the Queen
And there's a good apothecary-man
Come to say hello

Fairy dandy tickling the fancy
Of his lady friend
The nymph in yellow
What a quaere fellow

The ostler stares with hands on his knees
Come on Mr. Feller,
Crack it open if you please



【試訳】

フェアリー・フェラーの神技

詞:フレディ・マーキュリー

彼はきこりの妖精

新月が輝く真夜中
木の実を割る姿を見ようと
妖精たちが集まった
樵は斧を振り上げ
高く掲げて誓う
熟練の一撃を披露することを

農夫や、御者のウィルのような連中
政治家は貴族のパイプをくわえている
やつはぐずぐずしている

教師は横目でしかめっつら
サテュロスは女性のドレスの下から覗く
いやらしいやつ
何て下劣なんだ

ボロを着た者、この宴を楽しむ者
泥棒も、トンボのトランペット吹きもいる
あいつは俺のヒーロー

洒落男の妖精は恋人といちゃつき
その黄色の服のニンフは言う
"神技の一撃を見せて"
何て変なやつらだ

兵士、水夫、鋳かけ屋、仕立屋に農夫
みんな、あの音を待っている
大魔術師が陣取り
すべてを取り仕切る

オベロンとティターニアは
口うるさい老婆に見張られている
マブは女王
そして有能な薬剤師が
挨拶に来る

洒落男の妖精は恋人といちゃつき
ニンフは黄色の服
何て変なやつらだ

馬丁は膝に両手をつき、見つめる
さあ、樵さん
木の実を割って見せてよ


クイーンII.jpg
クィーン
「QUEEN II」(1974)
歌詞を見てすぐ分かることは、ダッドの絵がどういう情景で何が描かれているか、それを説明したような歌詞だということです。実は、リチャード・ダッドは自作の「Fairy Feller's Master-Stroke」を解説した長い詩を残していて、現在はネットで公開されています。フレディー・マーキュリーはその内容を知って曲を作ったのが明らかです。歌詞には、satyr、dandy、nymph、politician、soldier、sailor、tinker、tailor、ploughboy、apothecary、thief、ostler、tatterdemalion、junketer、harridan、arch magician、Oberon、Mab、といった絵の登場キャラクターが出てきますが、今あげたものはすべてダッドの "自作解説詩" に出てきます。この中には tatterdemalion(ボロを着た者)などの、普通はまず使わない単語(ないしは古語)が出てきますが、それはダッドの "自作解説詩" にあるからなのです。

従って、クィーンの歌詞の内容を把握するためには、ダッドの絵に何が描かれているかを知る必要があります。それを次節に書きます。



ちなみに、歌詞には意味不明の単語が2つあります。一つは「Politician with senatorial pipe」の "senatorial" です。これは「上院の」とか「上院議員の」とか「上院議員にふさわしい」という意味ですが、英国の上院は貴族院(House of Lords)なので、上の試訳ではとりあえず "貴族の" としておきました。しかし "貴族のパイプ" では意味不明です。"senatorial pipe" はダッドの自作解説詩に出てきますが、おそらく19世紀にはその意味するところが明瞭だったのでしょう。ダッドの絵にはその「パイプをくわえた政治家」が出てきます(後述)。

もう一つは、2回出てくる "What a quaere fellow" の "quaere" で、これはダッドの自作解説詩に出てくる語ではなく、フレディー独自の表現です。しかし "quaere" という語を辞書で引いてもラテン語とあって、意味がとれません。この語について、ユニバーサル・ミュージックの海外音楽情報サイト、udiscovermusic.jp には次のような解説があります。


歌詞中の“奇妙な奴(quaere fellow)”という言い回しは、一部の人々が想像するようなあからさまな意味というより、やはり文学的な引用で、ブレンダン・ビーアンの戯曲『奇妙な奴(原題:The Quare Fellow)』のタイトルを謎めいたスペルで表したものである。

クイーン『Queen II』制作秘話
by Max Bell
(udiscovermusic.jp)

「一部の人々が想像するような」というのは、quaere = queer と考え、queer は「不思議な、奇妙な」という意味に加えて性的マイノリティも指すので、「あからさまな意味 = ゲイ」ということでしょう。しかし、上の引用にあるように「奇妙なやつら」「ヘンなやつら」が妥当であり、歌詞全体を眺めればそれが正しい受け取り方です。フレディの歌詞には時として造語が出てくるので、これもそうでしょう。試訳では「何て変なやつらだ」としておきました。


何が描かれているか


クィーンの歌詞の意味を探るため、ダッドの絵に何が描かれているのかを見ていきます。

Fairy Feller's Master Stroke - TateRevised.jpg
リチャード・ダッド(1817-86)
お伽の樵の入神の一撃」(1855-64)
[Fairy Feller's Master-Stroke]
(54cm×39.4cm)
テート・ブリテン [ロンドン]

まず、この絵の発想の原点はシェイクスピアにあります。クィーンの歌詞に「マブは女王」とありますが、これはシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に出てきます。第1幕 第4場のロミオたちが仮面舞踏会に行く場面、ロミオの "昨晩、夢をみた" から始まる夢談義の中で、マキューシオがロミオに言う台詞せりふがそれです。以下にその部分を引用しますが、原文にはない段落を追加しました。


【マキューシオ】
ああ、じゃ、おまえ、マブの女王と一緒に寝たな。妖精たちが夢を生むのを助ける産婆役だ。町役人の人差し指に光る瑪瑙めのうのように小さな姿でやってきて、芥子粒けしつぶほどの小さな動物の群れに車を引かせ、眠っている人間どもの鼻先かすめて通って行く。

まわる車輪のスポークは、足長蜘蛛ぐもの足。広がるほろは、バッタの羽だ。馬をつなは、蜘蛛の細糸、首輪は、しっとり月の光、むちの棒は蟋蟀こおろぎの骨、鞭の縄は細い糸。御者ぎょしゃは灰色の服を着た小さなぶよだが、だらしない女の指先からくという丸いうじの半分の大きさもない。

車体はヘーゼルナッツの殻。作った大工は、昔から妖精の馬車造りを引き受けてきた栗鼠りす甲虫かぶとむしだ。

かくも豪華ないでたちで、夜毎に走るマブの女王。恋人の頭をかすめりゃ、愛の夢。・・・(以下略)

シェイクスピア
『ロミオとジュリエット』
第1幕 第4場
河合祥一郎 訳
(角川文庫 2005)

妖精の女王・マブは車に乗って夜毎現れ、夢を見させる。車の車体はヘーゼルナッツの殻で出来ている ・・・・・・。『ロミオとジュリエット』のこの部分から発想し、マブの女王のための "車体材料" を樵の妖精が作ろうとしていて、そのイベントに妖精たちが集まった光景を描いたのがダッドの絵です。

さらにクィーンの歌詞に「オベロンとティターニア」とあります。言うまでもなく、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精の王と妖精の女王です。これはダッドの絵にも描き込まれていて、そうすることで "シェイクスピアを踏まえた" ことを明確にしているのです。

しかし "シェイクスピアを踏まえた" のは、この絵のほんの発端に過ぎません。ほとんどの事物は画家独自のイマジネーションで描かれています。そのところを順に見ていきます。

以下の解説は、電子図書館 JSTOR(ジェイストア=Journal Storageの略。www.jstor.org)に掲載されている絵の説明に従いました。この説明もダッドの "自作解説詩" を踏まえたもので、以下に見出しとしてあげた「キャラクターを表す語」はすべて "自作解説詩" に現れるものです。

 樵の妖精(Fairy Feller) 

樵の妖精は帽子をかぶり、茶色の革製のコートとズボンを身につけ、両手で斧を振り上げて、地面に立てたヘーゼルナッツに一撃をくわえようとしています。向こう向きなので表情はうかがい知れません。下の2つ目の図に、彼が割ろうとしているヘーゼルナッツの拡大図と、実物の写真をあげました。

FFMS01a - Fairy Feler.jpg

FFMS01d - Hazelnuts.jpg


テート・ギャラリーは "TateShots" と題する美術館の解説動画を YouTube で多数公開しています。その中の "Richard Dadd, The Artist and the Asylum"(2012.2.9。"リチャード・ダッド、芸術家と収容所")でこの絵が取り上げられていて、美術史家のニコラス・トローマンス(Nicholas Tromans)が次のように解説していました。

The main figure is the Feller himself who looks a little bit perhaps like Richard Dadd, raising an axe with which he is about to split this hazelnut to make a new carriage for the queen of the fairies, Queen Mab

【試訳】 この絵の中心人物は樵その人です。彼は少々リチャード・ダッドに似ているようにも見えます。斧を振り上げ、妖精の女王、クィーン・マブの新しい車を作るため、今まさにヘーゼルナッツを割ろうとしています。

Nicolas Tromans (Art Historian)

"looks ... like Richard Dadd" というのは、樵の後ろ姿の様子がリチャード・ダッドに似ているということでしょう。

 馬丁(Ostler) 

樵の妖精の右側です。妖精宿の馬丁ばてい(馬の世話人)が膝に両手をつき、一心不乱に樵を見つめています。ヘーゼルナッツの殻が割れる瞬間を見逃すまいとしているようです。

FFMS02 - Ostler.jpg

 修道士(Monk) 

馬丁の後ろに、少々分かりにくいのですが修道士がいます。頭頂部を剃り、髪をリング状に残した "トンスラ" の髪型をしています。腕を組んでいる姿です。

FFMS03 - Monk.jpg

 農夫と御者のウィル(Ploughman, Waggoner Will) 

修道士の右と上に、農夫(右)と荷馬車の御者のウィル(上)がいます。ウィルは今夜のイベントには無関心なようです。

FFMS04 - Ploughman Waggoner Will.jpg

 遊び人(Men-about-Town) 

これは、画面の右端にいる2人の男の妖精を指します。羽がついた立派な帽子をかぶり、中世風の昔の服を着ています。一人は楽器を弾いています。

FFMS05 - Men-about-Town.jpg

 男女の小人(Female and Male Dwarf) 

樵の左に、緑のドレスを着た女と赤い帽子の男の小人がいます。男は祈祷師です。右手を差し出していますが、木の実が割れるかどうかの賭を仕切っています。

FFMS06 - Female and Male Dwarf.jpg

 田舎の恋人たち(Rustic Lovers) 

画面の左端の男女の妖精は恋人同士です。男は皮革業者(tanner)、女は乳搾り(dairymaid)で、男は女に寄りかかっています。

FFMS07 - Rustic Lovers.jpg

 2人のメイド(Two Ladies' Maids) 

左端の少し上に2人のメイドがいます。左側のメイドは左手に箒を持ち、右手にスズメガ(hawkmoth)をとまらせています。妖精は小さいので、蛾は肘まである大きさです。一方、右側のメイドは右手に鏡を持っていますが、その右下の地面を見ると、サテュルスがスカートの下から覗いています(拡大図)。サテュルスはギリシャ神話の半人半獣神で、好色とされています。

FFMS08a - Two Ladies' Maids.jpg

FFMS08b - Satyr Peeps.jpg

 教師(Pedagogue) 

メイドの右側に、禿頭で白髭の教師がいます。彼はかがむように座っていて、手を膝にあてています。

FFMS09 - Pedagogue.jpg

上に引用したように、ニール・ゲイマンはこの老人がダッドの(将来の)自画像に違いない、としています。数少ない正面を向いた妖精ですが(だだし横目で樵を見ている)、何となく不安げな感じで、教師という名ではあるが、人を導くキャラクターのようには見えません。しかし、この絵の中では最も現実感があるキャラクターに見えます。自画像説もありうるかも、と思います。

 洒落男とニンフ(Dandy and Nymph) 

教師の後ろに、洒落男の妖精とニンフがいます。洒落男はニンフに言い寄っています。

FFMS10 - Dandy and Nymph.jpg

 政治家(Politician) 

さらにその右側に、赤い服をきた政治家がいます。彼はパイプをくわえています。ダッドの自作解説詩ではこのパイプを "senatorial pipe" としています。直訳すると "上院議員のパイプ" です。拡大図を見ると、ちょっと変わった形のパイプのようです。

FFMS11a - Politician.jpg

FFMS11b - Politician.jpg

 いなか者(Clodhopper) 

政治家の右に、立派な靴を履いた "いなか者" がいます。彼はサテュルスのような頭部です。Clodhopper とは泥道でも大丈夫な丈夫な靴で(clod = 土の塊)、そういう靴を履いている人をも指します。

FFMS12 - Clodhopper.jpg

 2人のエルフ(Two Elves) 

洒落男とニンフの上に、聞き耳を立てている2人の妖精が小さく描かれています。エルフ(elf)はゲルマン神話・北欧神話に起源をもつ妖精です。

FFMS13 - Two Elves.jpg

 大魔術師(Arch Magician) 

政治家の上に大魔術師がいます。白い髭で、3層の金の王冠をかぶり、左手を横に伸ばしています。彼がこの場を仕切っていて、樵が一撃を加える合図を送ろうとしています。

FFMS14 - Arch Magician.jpg

 マブの女王と踊り子(Queen Mab and Dancers) 

大魔術師の3層の王冠の左と右にマブの女王の一行が描かれています。左はマブの女王の部分で、拡大図の車輪の上に女王の顔が見えます。全体の詳細は小さすぎて判別し難いのですが、このあたりは『ロミオとジュリエット』の記述を踏まえていると考えられます。大魔術師の王冠の右側には、スペイン風の衣装の踊り子たちが描かれています。

FFMS15a - Queen Mab and Dancers.jpg

FFMS15b - Queen Mab and Dancers.jpg

FFMS15c - Queen Mab and Dancers.jpg

 オベロンとティターニア(Oberon and Titania) 

大魔術師のすぐ上に「真夏の夜の夢」の妖精の王と王妃、オベロンとティターニアがいます。ともに王冠をかぶり、正装しています。三角帽をかぶった赤い服の老女が見張っています。

FFMS16 - Oberon and Titania.jpg

 トランペット吹き(Trumpeters) 

全体画面の左上にトランペット吹きがいます。2人(下図の中央付近)と、トンボ(下図の右上)のトランペット吹きです。トンボはバッタとも似た格好をしています。トンボの下には中国風の帽子の妖精が小さく描かれています。

FFMS17 - Trumpeters.jpg

なお、クィーンの歌詞に「Tatterdemalion and a junketer」とあります(試訳:ボロを着た者、この宴を楽しむ者)。ダッドの "自作解説詩" では、これはトランペットを吹いている2人(上図中央付近)のことだとしています。言葉の意味は、

tatterdemalion    person in tattered clothing。ボロボロの(裂けた)服を着た者

junketer    person who goes on junkets, feasts, and excursions for pleasure。物見遊山や宴会、遠出で楽しむ者

ですが、上の画像を見てもボロを着ているようには見えないし、トランペットに夢中でヘーゼルナッツを一撃で割るイベントを楽しんでいるようでもありません。これは画家・ダッドの反語なのかもしれません。

 兵士、水夫、鋳掛屋、仕立屋(Soldier, Sailor, Tinker, Tailor) 

画面の上端のトランペット吹きの右側に何人かの妖精がいますが、これはマザーグースを踏まえています。

Tinker, Tailor,
Soldier, Sailor,
Rich Man, Poor Man,
Beggar Man, Thief.

という、いわゆる "数え唄" です。ただし、ダッドの絵では登場キャラクターが少し違い、左から右へ順に、①兵士(soldier)②水夫(sailor)③鋳掛屋(tinker)④仕立屋(tailor)⑤農夫(ploughboy)⑥薬剤師(apothecary)⑦泥棒(thief)、の7人です。

FFMS18 - Soldier Sailor Tinker Tailor.jpg

ここで、クィーンの歌詞にもある "apothecary"(薬剤師、薬屋)が登場するのが少々唐突な感じがします。画面の右上(走っている泥棒の左上)で大きな乳鉢と乳棒で薬を調合しているのがそうです(下図)。ダッドの絵を所蔵しているテート・ブリテンの公式サイトの解説を見ると「リチャード・ダッドの父親は薬剤師で、絵の中の薬剤師は父親の肖像」だとしています。ということは、この7つのキャラクターの部分は画家の "子供時代の思い出" なのでしょう。

FFMS18b - Apothecary.jpg

ちなみにリチャード・ダッドの父親については、専門家の次のような記述があります。


リチャード・ダッドの一生は十分恵まれて始まった。彼は1817年8月1日、イギリス南東部のケント州チャタムで生まれた。父ロバート・ダッドは繁盛している薬局の薬剤師で、町の名士でもあり化学や地質学の講師としても有名だった。また親切な、進歩的意見をもつ有能の士で、親友の弁によると、全く陰険さがなく、他人に悪意のある猜疑心をもたれるような人ではなかった。この父の特別な「誇りと希望」は7人の子どもの中で3番目の男の子である第4子のリチャードだった。

パトリシア・オルダリッジ
(Patricia Allderidge)
「リチャード・ダッド 精神病棟の画家」
「夢人館 8 リチャード・ダッド」所載
(井上知行訳 岩崎美術社 1993)

パトリシア・オルダリッジは「ベスレム病院記録保管官、兼 博物館長」で、リチャード・ダッド研究の第一人者です。この文章を読むと、リチャード・ダッドの父親は "有能な(good)薬剤師" であるとともに "人柄のよい(good)名士" だったようです。クィーンの歌詞に "good apothecary-man" とあるのはその通りです。

 デイジーとヘーゼルナッツ(Daisies and Hazelnuts) 

妖精以外に目を向けてみると、特に目立つのはあちこちにちりばめられたデイジー(ひな菊)と、樵の足元に散らばるヘーゼルナッツです。樵はこのヘーゼルナッツを順に斧で割るつもりなのでしょう。牧草らしきものもあちこちに描かれています。

FFMS19a - Daisies.jpg

FFMS19b - Hazel nuts.jpg

 未完 

画面の左下に明るい茶色の部分がありますが、ここはカンバスに下塗りだけがされていて、未完です。主にヘーゼルナッツのデッサンがされています。

FFMS19c - Unfinised.jpg

さらに重要な未完部分があります。樵の斧です。完成作だと、この両刃の斧は金属色に塗られるはずですが、そうはなっていない。塗り残されています。おそらく画家は、最後の最後に斧を完成させるつもりだったのでしょう。

FFMS19d - Unfinised.jpg


Fairy Feller's Master-Stroke


「Fairy Feller's Master-Stroke」の細部を順に眺めてみて思うのは、実に様々なキャラクターが描き込まれていることです。妖精の一群とは言いながら人に近いものもあれば、異形の者もいます。極端にはトンボ(+バッタ ?)の妖精(?)までいる。ヘーゼルナッツやデイジーとの比較で妖精が全体的に "小さめ" なのは分かるが、そのサイズ感はさまざまです。極大がトンボで、マブの女王の一行は判別しづらい小ささです。

いかにも "妖精らしい" 羽をつけたものもいるが、そうでないものも多い。服装も中世風から近代風までまちまちで、身分は農民・馬丁から王・王妃までに渡っています。シェイクスピアが原点なのだろうけど、ギリシャ神話や民間伝承、童謡までが入り込んでいて、スペイン風もあれば中国風もあります。さらに画家の父親(薬剤師)の肖像と自画像(=仮説)まである。

さらに多様なのが、「樵がヘーゼルナッツの実を一撃で割る」という深夜のこのイベントに集まった妖精たちの "態度" です。その瞬間を見逃すまいとじっと見つめるものもいれば(馬丁)、単に見学しているものもいる。無関心であったり、別行動の妖精もいます(覗き見や楽器演奏)。

以上のような多彩さこそが、画家が意図したことなのでしょう。つまり "世界は見たそのままのモノだけで出来ているのではない" のであり、"想像力がなければ見逃してしまう様々なモノに満ちている" というメッセージです。

そして、あらためて全体を俯瞰して思うのは、その "種々雑多感" です。"ごった煮" というか "秩序のなさ"、"乱雑さ" が際だっています。多様性を通り越した、混沌とした世界が描かれている。それが "見たそのままではない世界" なのでしょう。

その混沌の中に一つだけ混沌とは真逆のことが描かれています。樵がヘーゼルナッツの殻を斧の一撃で割るという、この絵のタイトルになっている行為です。これは成功するか、失敗するか、二つに一つです。そして成功すれば(ないしは、神技の樵なら間違いなく成功して)ヘーゼルナッツは生まれ変わり、マブの女王の車の材料(と妖精たちの食料)になる。その瞬間は、この絵の数秒後に訪れるはずです。1かゼロかの答えが明らかになる、明快で明瞭な世界です。曖昧なことは何もありません。

画家は「Fairy Feller's Master-Stroke」という絵で、世界のありようを表現したのだろうと思います。想像力がなければ見逃してしまうモノに溢れている世界、その世界における「混沌」の中の「明快」、あるいは「明快」を包み込んでしまう「混沌」です。

そして、後ろ向きになっている唯一のキャラクターが "樵" です。この樵は、テート・ギャラリーの動画解説にあったように画家自身の肖像かもしれないが、後ろ向きであるため絵を見る人が自分自身を投影できます。しかも斧は未完です。混沌とした世界に、どういう一撃を下すのか。その一撃で何を得るのか。それはこの絵を鑑賞する人にかかっています。そのことを暗黙に感じて、人はこの絵に引き込まれる。それがこの絵に仕組まれた「罠」(=作家のニール・ゲイマンの表現)だと思います。


絵画から音楽を作