No.346 - アストリッドが推理した呪われた家の秘密 [アート]
このブログでは数々の絵画について書きましたが、その最初は、No.19「ベラスケスの "怖い絵"」で取り上げた「インノケンティウス10世の肖像」で、中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある解説を引用しました。この絵はローマで実際に見たことがあり、また中野さんの解説が秀逸で、印象的だったのです。
『怖い絵』には興味深々の解説が多く、読み返すこともあるのですが、最近、あるテレビドラマを見ていて『怖い絵』にあった別の絵を思い出しました。15~16世紀のドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』です。今回はそのことを書きます。
テレビドラマとは、NHK総合で放映中の「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」です。
アストリッドとラファエル
「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」は、NHK総合 日曜日 23:00~ の枠で放映されているフランスの警察ドラマです。
アストリッドはパリの犯罪資料局に勤務する文書係の女性(俳優はサラ・モーテンセン)、ラファエルはパリ警視庁の刑事(警視)です(俳優はローラ・ドヴェール)。アストリッドは自閉スペクトラム症ですが、過去の犯罪資料に精通していて、また抜群の洞察力があります。一方のラファエルは、思い立ったらすぐに(捜査規律違反もいとわず)行動に移すタイプです。しかし正義感は人一倍強く、人間としての包容力もある女性刑事です。この全く対照的な2人がペアになって難事件を解決していくドラマです(サラ・モーテンセンの演技が素晴らしいと思います。彼女の演技だけでも番組を見る価値があります)。
呪われた家
このドラマのシリーズで「呪われた家」というストーリーが2回に分けて放映されました(前編:2022年8月14日、後編:8月21日)。このストーリーでの重要な舞台は、パリにある "呪われた家" との噂がある屋敷です。この屋敷の歴史について、アストリッドが過去の資料を調べてラファエルに説明するシーンがあります。台詞を抜き出すと以下です。以下に出てくる "リボー" とは、突然、行方不明になった屋敷の主です。

呪われた家の秘密
実は、"呪われた家" には隠されていた地下室がありました。ラファエルが封印を破って地下室に最初に入ったとき、ラファエルは幻影を見ます。
その後、ラファエルとアストリッドが地下室を詳しく調ているときです。アストリッドは地下室の隅に放置されたままの袋を見つけました。
"呪われた家" を出たアストリッドは、あることが閃いたようで、「犯罪資料局に戻らなければ。今すぐに」と言います。ラファエルも同行しました。
キーワードは麦角菌です。その麦角菌と関係する有名な絵画がフランスにあります。
麦角菌
LSD(Lysergic acid diethylamid)は強い幻覚作用をもち、日本をはじめ各国で麻薬として禁止されている薬物です。ラファエルが「リゼルギン酸ジエチルアミド」とアストリッドから聞いてすぐ LSD だと分かったのは、それが刑事の必須知識である禁止薬物だからです。
LSDは人工的に合成されますが、もともと麦角菌に含まれる「麦角アルカロイド」の研究から生まれたものでした。麦角アルカロイドの中のリゼルギン酸から LSD が生成されることもあります。
アルカロイドとは、主に植物や菌が生成する有機化合物の総称ですが、麦角アルカロイドの人への影響は幻覚だけでありません。Wikipedia から引用すると、次のとおりです。
麦角アルカロイドが人にもたらすさまざまな症状を「麦角中毒」といいます。そして「麦角中毒」は、アストリッドが指摘した1951年のポン・サン・テスプリ(Pont-Saint-Esprit。南フランスの小さな町)での事件(実際にあった事件です)より遙か昔から、ヨーロッパでしばしば起こっていました。そして中世ヨーロッパでは、麦角中毒のことを人々は「聖アントニウス病」ないしは「聖アントニウスの火」と呼んでいました。
その「聖アントニウス病」と密接に関係した絵が、ドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』(1515年頃)です。イエスの磔刑を描いていますが、イエスを最も酷い姿で描いた絵として有名です。
イーゼンハイムの祭壇画
中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある『イーゼンハイムの祭壇画』の解説を紹介します。
上に引用にあるように、聖アントニウス病が麦角中毒だと分かるのは17世紀終わりです。ということは、それ以前の中世、たとえば『イーゼンハイムの祭壇画』が描かれた16世紀では、そんなことは誰も知らない。当時、聖アントニウス病を治すには、転地療養や旅(巡礼)が良いとされたようですが、それは食事が変わって、いつも食べている「麦角菌入りのライ麦パン」を食べなくなったからなのでしょう。
では、麦角中毒がなぜ「聖アントニウス病」と呼ばれたのか。そして、イーゼンハイム(現在のストラスブール近郊の町)の修道院にあった『イーゼンハイムの祭壇画』が、なぜ「聖アントニウス病」と関係するのか。中野さんの解説が続きます。
このあと中野さんは、当時、聖アントニウス病にかかった村人が、同じ症状の人をさそって、5人でイーゼンハイムへ巡礼に出かける旅路を、村人目線で、想像で書いています。同行の人は次々と行き倒れ、イーゼンハイムに近づいたときには、村人一人になっていました。
要するに『イーゼンハイムの祭壇画』は、たとえば、当時、聖アントニウス病に罹患し、イーゼンハイムの修道院にやっとの思いでたどり着いた巡礼者の気持ちを想像してみないと、その価値の一端すら分からないと言っているのですね。
このあとは、祭壇画の詳細な解説です。登場人物はイエス、聖母マリア、イエスの弟子の聖ヨハネ、マグダラのマリア、洗礼者聖ヨハネ、聖セバスティアヌス、聖アントニウスなどです。
コルマールのウンターリンデン美術館
「イーゼンハイムの祭壇画」は現在、解体された状態で、フランスのアルザス地方の都市、コルマールにあるウンターリンデン美術館にあります。
コルマールは一度だけ行ったことがありますが、その時はツアー旅行だったので、美術館のところまで来たときには閉館時間を過ぎていました。残念でしたが、ツアー旅行なので仕方ありません。なお、コルマールは、ジブリ映画『ハウルの動く城』のモデルになったとも言われる美しい街です。ウンターリンデン美術館とは関係なく、十分に訪問する価値がある街です。
『怖い絵』には興味深々の解説が多く、読み返すこともあるのですが、最近、あるテレビドラマを見ていて『怖い絵』にあった別の絵を思い出しました。15~16世紀のドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』です。今回はそのことを書きます。
テレビドラマとは、NHK総合で放映中の「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」です。
アストリッドとラファエル
「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」は、NHK総合 日曜日 23:00~ の枠で放映されているフランスの警察ドラマです。
アストリッドはパリの犯罪資料局に勤務する文書係の女性(俳優はサラ・モーテンセン)、ラファエルはパリ警視庁の刑事(警視)です(俳優はローラ・ドヴェール)。アストリッドは自閉スペクトラム症ですが、過去の犯罪資料に精通していて、また抜群の洞察力があります。一方のラファエルは、思い立ったらすぐに(捜査規律違反もいとわず)行動に移すタイプです。しかし正義感は人一倍強く、人間としての包容力もある女性刑事です。この全く対照的な2人がペアになって難事件を解決していくドラマです(サラ・モーテンセンの演技が素晴らしいと思います。彼女の演技だけでも番組を見る価値があります)。
呪われた家
このドラマのシリーズで「呪われた家」というストーリーが2回に分けて放映されました(前編:2022年8月14日、後編:8月21日)。このストーリーでの重要な舞台は、パリにある "呪われた家" との噂がある屋敷です。この屋敷の歴史について、アストリッドが過去の資料を調べてラファエルに説明するシーンがあります。台詞を抜き出すと以下です。以下に出てくる "リボー" とは、突然、行方不明になった屋敷の主です。
|

呪われた家の秘密
実は、"呪われた家" には隠されていた地下室がありました。ラファエルが封印を破って地下室に最初に入ったとき、ラファエルは幻影を見ます。
その後、ラファエルとアストリッドが地下室を詳しく調ているときです。アストリッドは地下室の隅に放置されたままの袋を見つけました。
|
"呪われた家" を出たアストリッドは、あることが閃いたようで、「犯罪資料局に戻らなければ。今すぐに」と言います。ラファエルも同行しました。
|
キーワードは麦角菌です。その麦角菌と関係する有名な絵画がフランスにあります。
麦角菌
LSD(Lysergic acid diethylamid)は強い幻覚作用をもち、日本をはじめ各国で麻薬として禁止されている薬物です。ラファエルが「リゼルギン酸ジエチルアミド」とアストリッドから聞いてすぐ LSD だと分かったのは、それが刑事の必須知識である禁止薬物だからです。
LSDは人工的に合成されますが、もともと麦角菌に含まれる「麦角アルカロイド」の研究から生まれたものでした。麦角アルカロイドの中のリゼルギン酸から LSD が生成されることもあります。
アルカロイドとは、主に植物や菌が生成する有機化合物の総称ですが、麦角アルカロイドの人への影響は幻覚だけでありません。Wikipedia から引用すると、次のとおりです。
|
麦角アルカロイドが人にもたらすさまざまな症状を「麦角中毒」といいます。そして「麦角中毒」は、アストリッドが指摘した1951年のポン・サン・テスプリ(Pont-Saint-Esprit。南フランスの小さな町)での事件(実際にあった事件です)より遙か昔から、ヨーロッパでしばしば起こっていました。そして中世ヨーロッパでは、麦角中毒のことを人々は「聖アントニウス病」ないしは「聖アントニウスの火」と呼んでいました。
その「聖アントニウス病」と密接に関係した絵が、ドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』(1515年頃)です。イエスの磔刑を描いていますが、イエスを最も酷い姿で描いた絵として有名です。
イーゼンハイムの祭壇画
中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある『イーゼンハイムの祭壇画』の解説を紹介します。
![]() |
マティアス・グリューネヴァルト(1470/75 - 1528) 「イーゼンハイムの祭壇画 第1面」(1515年頃) |
ウンターリンデン美術館(仏) |
|
|
では、麦角中毒がなぜ「聖アントニウス病」と呼ばれたのか。そして、イーゼンハイム(現在のストラスブール近郊の町)の修道院にあった『イーゼンハイムの祭壇画』が、なぜ「聖アントニウス病」と関係するのか。中野さんの解説が続きます。
|
このあと中野さんは、当時、聖アントニウス病にかかった村人が、同じ症状の人をさそって、5人でイーゼンハイムへ巡礼に出かける旅路を、村人目線で、想像で書いています。同行の人は次々と行き倒れ、イーゼンハイムに近づいたときには、村人一人になっていました。
|
要するに『イーゼンハイムの祭壇画』は、たとえば、当時、聖アントニウス病に罹患し、イーゼンハイムの修道院にやっとの思いでたどり着いた巡礼者の気持ちを想像してみないと、その価値の一端すら分からないと言っているのですね。
|
このあとは、祭壇画の詳細な解説です。登場人物はイエス、聖母マリア、イエスの弟子の聖ヨハネ、マグダラのマリア、洗礼者聖ヨハネ、聖セバスティアヌス、聖アントニウスなどです。
![]() |
マティアス・グリューネヴァルト 「イーゼンハイムの祭壇画 第1面」 |
|
![]() |
マティアス・グリューネヴァルト 「イーゼンハイムの祭壇画 第2面」 |
ウンターリンデン美術館(仏) |
|
コルマールのウンターリンデン美術館
「イーゼンハイムの祭壇画」は現在、解体された状態で、フランスのアルザス地方の都市、コルマールにあるウンターリンデン美術館にあります。
コルマールは一度だけ行ったことがありますが、その時はツアー旅行だったので、美術館のところまで来たときには閉館時間を過ぎていました。残念でしたが、ツアー旅行なので仕方ありません。なお、コルマールは、ジブリ映画『ハウルの動く城』のモデルになったとも言われる美しい街です。ウンターリンデン美術館とは関係なく、十分に訪問する価値がある街です。
2022-09-24 07:30
nice!(0)