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No.19 - ベラスケスの「怖い絵」 [本]

マルクス・アウレリウス.jpgNo.7「ローマのレストランでの驚き」の冒頭に、ローマで訪れたカピトリーノ美術館の「皇帝マルクス・アウレリウスの騎馬像」を掲げましたが「その日はローマのいろいろの場所を訪れた」とも書きました。その訪れた場所の一つが、ドーリア・パンフィーリ宮殿です。

ドーリア・パンフィーリ宮殿はローマの中心部、ヴェネツィア広場の北に位置し、パンテオンからも近い位置にあります。ここはパンフィーリ家所有の宮殿であり、現在も住居とし使われていて、その一部が美術館として公開されています。ここにはカラヴァッジョの初期の絵画「マグダラのマリア」と「エジプトへの逃避途中の休息」があります。

しかし何といってもこの美術館の「目玉」は、絵画史上における肖像画の傑作、最高傑作と言ってもいい絵画作品です。ベラスケス(1599-1660) が描いた「インノケンティウス十世の肖像」(1650) です。スペイン王室の宮廷画家だったベラスケスがイタリアに招かれ、当時75歳のローマ教皇を描いたものです。


インノケンティウス十世の肖像 [1650]


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ベラスケス:インノケンティウス十世の肖像
(ローマ:ドーリア・パンフィーリ美術館)

「インノケンティウス十世の肖像」については、中野京子さんがその著書「怖い絵」(2007。朝日出版社)で「完璧」と思える解説を書いています。この絵について触れようとすると、中野さんの文章の引用は避けて通れないでしょう。


ベラスケスの肖像画家としての腕前は、まさに比類がなかった。フェリペ4世の醜い顔を格段美化することなく、その高貴と威厳をありありと目に見えるようにできたし、マルガリータ王女の初々しさ愛らしさを忘れがたく後世に残し、また宮廷道化師たちの自尊と悲哀、その人生までも描ききった。彼の鋭い人間観察力が、ヴァチカンの最高権力者に対しても遺憾なく発揮されたのはとうぜんで、インノケンティウス十世は神に仕える身というより、どっぷり俗世にまみれた野心家であることが暴露されている。


「フェリペ4世」「マルガリータ王女」などの代表的な肖像モチーフでベラスケスを紹介した上で、その人間観察力は「インノケンティウス十世の肖像」でも遺憾なく発揮されていると、中野さんは言います。「インノケンティウス十世は神に仕える身というより、どっぷり俗世にまみれた野心家であることが暴露されている」と・・・・・・。このあとに続く文章で、この肖像画が的確に描写されています。


豪華な金縁の椅子に深く腰かけた教皇は、高位聖職者であることを示す赤い帽子と赤い上着を身につけ、斜めに油断なくこちらを見据える。人好きしないその顔。険しい眉。老齢を感じさせない肌の艶(つや)。男性的で重い鼻。かたく結んだ唇。まだ白くなっていない髭。何ひとつ聞き漏らすまいとするかのような大きな耳。肉体労働とは無縁な、やわらかで繊細な指。身体全体に精力がみなぎり、座ってはいても少しもリラックスしていない。眼には力がある。垂れた瞼を押し上げる右の三白眼。はっしと対象をとらえる左の黒眼。ふたつながら狡猾な光を放ち、「人間など、はなから信用などするものか」と語っている。常に計算し、値踏みし、疑い、裁く眼だ。そして決して赦(ゆる)すことのない眼。

どの時代のどの国にも必ず存在する、ひとつの典型としての人物が、ベラスケスの天才によって、くっきり輪郭づけられた。すなわち、ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間、いっさいの温かみの欠如した人間。


実際に美術館でこの絵を見ると「衝撃」を受けるのですが、なぜ衝撃なのかが余すことなく書かれています。引用した中野さんの文章だけを読むと信じられないのですが、この絵はまぎれもない「ローマ教皇」を描いたものなのです。私もしばしこの絵の前で立ち止まっていました。美術館においてこの絵は、この絵だけが飾られている小さな部屋にあったと記憶しています。明らかに「特別扱い」です。それだけ美術館としても随一の「傑作」という評価なのでしょう。

伝えられている逸話によると、肖像画を注文した本人であるインノケンティウス十世は、完成品をみて「真を穿(うが)ちすぎている」と漏らしたといいますが、中野さんは「真偽はわからない」と書いています。


これを見てもしほんとうに教皇が「真を穿ちすぎている」と言ったのだとしたら、それは誉め言葉ではなく不快感の表明ではなかったろうか。あまりに人間性があからさまにされたことへの、遠回しの異議申し立てではなかったか。あるいはもし、真を穿ちすぎているという言葉が後世における創作なら、それを言い出した者が強くそう感じたからだし、このように描かれたモデルが嬉しいはずあるまいとの確信もあったに相違ない。


この絵の強烈な印象は一言で言うと、その「迫真性」、つまり「真に迫っている感じ」です。


迫真性の理由


なぜ私たちはこの絵を見るとき「迫真性」を感じるのか、考えてみると不思議です。私たちはインノケンティウス十世がどういう人間であったのか、どういう性格であったのかを何も知らないのです。もちろん歴史家であればある程度調べられるでしょう。中野さんも調べて書いているのかも知れません。しかしほかでもないローマ教皇が、中野さんが描写した通りの人間であるという「公式記録」なり「公式文書」はありえないはずだし、私的文書でそういうものがあったとしても、極く少ないのではないでしょうか。教皇に対する評言としては「書くのがはばかられる」ことだからです。各種資料から推定はできるかもしれませんが・・・・・・。とにかく我々にとっては、教皇が「ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間、いっさいの温かみの欠如した人間」かどうかは「分からない」というのが実態です。

にもかかわらず、この絵が真実に迫っている、真実をえぐりだしている、と見る人が感じて衝撃をうけるのは、次の2つの心の働きによると思います。

A: この絵を見る人は、描かれた人物が「ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間」だと、強くほとんど確信的に推測してしまう。

B: その「ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間」を、余すところなくキャンバスに暴き出し、定着させたベラスケスの力量に驚く。

という、A + B の2つの心の動きです。Aで推測した人物と、実際に目の前にした人物Bの一致に驚く。だから迫真性に衝撃を受ける。

しかし、言うまでもなくAもBも画家が作り出したものです。私たちはベラスケスに誘導され、それに従い、そして驚いているわけです。

人は、ある人物を一瞥して「どういう人物かの推定をする」という心の働きに慣れきっています。人間が社会を構成し生きていくための「本能」のようなものでしょう。人は「人を一瞥して、その人が既知の誰かを特定する」ことと共に、「既知の人でない場合は、どういうタイプの人間かを一瞥で推定する」ことを無意識にやっています。

人は見かけによらぬもの、という諺があります。「一瞥での人物推定」と「本当の人物」が違っていることを言っているのですが、こういう諺があるということは裏を返すと「多くの場合、人は見かけによる」ということだと思います。もっと正確に言うと「実際は分からないけど、人は見かけによると思って行動して、多くの場合間違いはない」ということです。

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フランシス・ベーコン
ベラスケス《インノケンティウス十世像》による習作

(米・アイオワ州のデモイン・アートセンター所蔵)
インノケンティウス十世の肖像を見て中野さんのような文章が書ける「人間の能力」はすごいし「そこまで推定してしまう」人間の脳の働きは、ある意味では恐ろしいことだという感じがします。それは「一方的な思い込み」かも知れないからです。しかしそれ以上に、300年以上の後世の人間にこのような文章を書かせてしまうベラスケスの天才というか、画力に圧倒される思いです。

中野京子さんの「怖い絵」3冊のシリーズでは、合計60点の絵が紹介されています。その中でも「インノケンティウス十世の肖像」に関する文章は凝っています。それは、この絵に刺激されて制作された20世紀の画家、フランシス・ベーコンの「ベラスケス《インノケンティウス十世像》による習作」の紹介を通してベラスケスのこの絵を紹介するという、ちょっと複雑な構造になっていることです。ベーコンの絵は、ベラスケスの絵を知っている人にとっては一目で「ベラスケスからインスピレーションを受けた」と分かるようになっている絵で、これはこれでかなり「怖い」絵です。

しかし、なのです。ベーコンの絵の「怖さ」をさんざん解説したあと、最後に中野さんはどんでん返しのように書いています。「真に怖いのはベラスケスの絵の方だ」と。


怖い絵


中野京子さんの「怖い絵」は、続編の「怖い絵2」(2008)「怖い絵3」(2009)と併せて3冊のシリーズになっていて、絵画を見る新しい視点を提供した本として大変話題になりました。

No.19-3 怖い絵1.jpg No.19-4 怖い絵2.jpg No.19-5 怖い絵3.jpg
怖い絵(2007) 怖い絵2(2008) 怖い絵3(2009)

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(パリ:オルセー美術館)
典型的なのは「怖い絵」の最初に紹介されている、ドガの傑作「エトワール、または舞台の踊り子」です。誰もが知っている有名な絵で「ドガの踊り子」と言えばこの絵を指します。中野さんが着目するのは、この絵の左上に下半身が描かれている黒服の男です。この男は踊り子のパトロンです。中野さんは「オペラ座は上流階級の男たちのための娼館」という当時の批評家の言葉を紹介しつつ、踊り子が当時置かれていた立場と、パリの世相を活写します。この本が出て以降、「踊り子」を解説するときにパトロンの存在に触れないで済ませることはできないようになりました。

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(ダルムシュタット:  
  ヘッセン州立美術館)
また16世紀のフランドルの画家・ブリューゲルの有名な絵「絞首台の上のかささぎ」の解説では、かささぎという鳥が当時のヨーロッパで「偽善」「盗み」「告げ口」というイメージで見られていたこと、また当時のフランドル地方はスペインの圧制の下にあり、異端審問や魔女狩りが横行し、民衆は死と隣り合わせの生活を強いられていたことが明らかにされます。なぜ絞首台のそばで農民が踊っているのか、またそのような絵をブリューゲルが描いたのか、その理由が推測されています。最近あるTV番組でのこの絵の解説で「農民が楽しく踊っています・・・・・・」というようなことを言っていましたが、かささぎに注目するかどうかはともかく、絞首台のそばなのに単に「楽しく」はないだろうと思ったものです。

  余談になりますが、このブリューゲルの絵で連想するのが、ロッシーニのオペラ「泥棒かささぎ」ですね。このオペラのヒロインは銀食器を盗んだ罪(=冤罪)で死刑にされそうになりますが、その銀食器はかささぎが盗んで鐘楼に隠していたことが分かり、ハッピーエンドで終わります。

絵画を見る新たな視点を提出して秀逸なのは、インノケンティウス十世の肖像を描いたベラスケスの「最大傑作」である「ラス・メニーナス」のページです。


ラス・メニーナス(宮廷の召使いたち) [1656]


ラス・メニーナスは、スペインのフェリペ4世の宮廷おけるベラスケスのアトリエを描いた絵で、マリガリータ王女を中心に、画家本人を含む9人の人物が登場します。鏡に写った国王夫妻を入れると11人です。歴史調査によって、召使いを含む登場人物の名前はすべて判明しています。

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ベラスケス:ラス・メニーナス
(プラド美術館)

プラド美術館の「至宝」であるこの絵に関しては、ありとあらゆる評論が書かれてきました。しかし中野さんが「怖い絵」で着目するのは、右下にまどろんでいる犬のそばに描かれた2人の小人症の道化です。犬に足を乗せている少年はニコラス・ペルトゥサトという名前で、画面が途切れているために分かりにくいのですが、彼の背骨は曲がっています。その隣の正面を向いた女性はマリア・バルボラと言い、頭部と身長のアンバランスによって矮(わい)人症の女性だとすぐに分かります。


小説でも映画でも主人公を引き立たせるには、強力な敵役(かたきやく)が必要である。ここではマルガリータ王女の愛らしさに、矮人マリア・バルボラの一見ふてぶてしい面構え(つらがまえ)が対比させられている。

だが時に敵役が主役を食うように、バルボラの存在感は王女を圧倒してはいないだろうか。軟骨無形性症の彼女は別に大きな顔でのさばっているわけでは全然なくて、病気の症状として頭部が目立ち、手足が極端に小さく、顔も前額部(ぜんがくぶ)が飛び出し、鼻の根が凹むという特徴を有しているだけのことなのだが、こうした姿に生まれたがゆえに、こうして道化として生きてゆかねばならない一人の女性の半生が、ベラスケスの冷静で写実的な描写によって、ありありと立ち上ってくる。


そして、こういう紹介をするときの中野さんの文章の常として「道化」の歴史的背景が明らかにされます。ここが核心です。


フェリペ4世が戴冠したころ、宮廷には数百人を数える奴隷がいた。当時、奴隷制は悪とは考えられておらず、それどころか奴隷労働の基盤あってこそ理想の国家体制が築かれると主張されていた。もっぱら重労働を担う一般の奴隷の他に、バルボラのような「慰み者」(この命名も凄い!)と呼ばれる道化たちもいて・・・・・・矮人、超肥満体、巨人、異形の者、阿呆、おどけ、黒人、混血児など・・・・・・、その数はベラスケスが宮廷にいた40年間の間だけでも50人を超えた。


ラス・メニーナスに描かれたバルボラは贅沢な衣装を着ています。つまり衣食住には恵まれていたようです。それは王侯貴族の「装飾」ないしは「ステイタス・シンボル」、「富の誇示」として「飼われて」いたからなのです。


なぜなら、奴隷マーケットにおける不具者の値段は、現代のペット市場における珍種と同じく、非常に高価だったからだ!


ベラスケスが描いた「矮人」の絵「セバスティアン・デ・モーラ」は、2002年に国立西洋美術館で開催された「プラド美術館展」で展示されました。この絵を中野さんは「ラス・メニーナス」の解説に関連して、以下のように紹介しています。


こぶしを握りしめ、短い足を人形のようにポンと投げ出して座るこの慰み者は、明らかに「何者か」であって、道化という言葉から連想するユーモラスなところは微塵もない。彼は、自分が他の人々に優越感を与えるために飼われていることを知っており、知的な眼に抑制した怒りのエネルギーをたたえ、あたかも目に見えない何かに挑むかのように、真っ直ぐこちらを睨みつけてくる。彼の精神と肉体の、魂と現実の、大きすぎ残酷すぎる乖離が、見る者にひりひりした痛みさえ感じさせる。

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セバスティアン・デ・モーラ
(プラド美術館)

そして再びラス・メニーナスに戻って、この絵の「怖さ」がまとめられています。ここが結論です。


『ラス・メニーナス』をもう一度見直してほしい。ここには、生きた人間を何の疑問も持たず愛玩物とした「時代の空気」が漂っている。それが何とも言えず怖い。



慰み者


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バルタサール・カルロス王子
(ボストン美術館)
ベラスケスはスペイン王室の宮廷画家であり、国王とその家族を筆頭にたくさんの王侯貴族の絵を描きました。しかし「慰み者」「道化」の絵も描いたのです。その視点であらためて考えてみると、いろいろと思い出すことがあります。ボストン美術館にベラスケスが描いた「バルタサール・カルロス王子」という絵があります。なんだか奇妙な絵だなと思っていたのですが、この絵に王子とともに描かれている「贅沢な衣装を着た人」は実は「慰み者」だったのですね。

またプラド美術館の以下の3枚の絵も「矮人」の絵です。ディエゴ・ディ・アセドの絵は、いっしょに描かれている本の大きさで、体の大きさが推測できます。ちなみに、フランシスコ・レスカーノはバルタサール・カルロス王子に仕えた人物で、ボストン美術館の絵の人物です(プラド美術館の公式カタログによる)。

No.19-9 Dwarf Don Diego de Acedo.jpg No.19-10 Dwarf Don Juan Calabazas.jpg No.19-11 Dwarf Francisco Lezcano.jpg
ディエゴ・デ・アセド ファン・カラバーサス フランシスコ・レスカーノ
(これら3枚の絵は、いずれもプラド美術館)

慰み者の存在意義は、私にだって推測できます。最大の存在意義は、中野さんも書いているように「人に優越感を与える」ことですね。主人は自分の奴隷に言うでしょう。「お前は奴隷だ。しかし、あの慰み者よりはまともな人間だ。そうだろう」と・・・・・・。「人に優越感を与える」ための存在を意図的に作り出し、それを支配の道具にする。こういったことは歴史上いっぱいあります。日本史にもあります。

我々がベラスケスの描く「慰み者」を見て直感的に思うのは「画家は慰み者に共感を抱いている」ということです。「慰み者」を描くということは、宮廷に飼われている高価な犬や猫(=愛玩用動物)を描くに等しいという言い方もできると思います。しかし犬を描く理由は、画題としての動物がもつ美しさや愛らしさでしょう。しかし慰み者は「通常とは外見が違う」人間です。そのような人間をわざわざ描く理由は「共感」ではないだろうか・・・・・・。これは中野さんも同意見のようです。

さらに思い出すことがあります。ラス・メニーナス以下、ボストン美術館の絵以外の5点はプラド美術館にあるのですが、この5点の絵は同じ部屋に「かためて」展示してあるのです。ラス・メニーナスを中心にし、左にディエゴ・ディ・アセド、ファン・カラバーサスの2枚、右にフランシスコ・レスカーノ、セバスティアン・デ・モーラの2枚というように・・・・・・。もちろん展示方法はいつでも変更できるので、現在もそうかは分かりません。しかしこういう展示方法を見るにつけ、ラス・メニーナスはマリア・バルボラが画題の中心のように思えてきます。

「ベラスケスがラス・メニーナスで真に描きたかったのはマリア・バルボラ。彼女がこの絵の真の主役」と、中野さんは言いたかったのかもしれません。しかしそこまでは書かなかった。というより、そこまで書くと「推測のしすぎ」になるので、まっとうな「絵の評論」としては書けなかった。だから「バルボラの存在感は王女を圧倒してはいないだろうか」という表現になった。

しかしたとえ「主役」ではないにせよ、きわめて重要な位置であることは間違いないと思います。ラス・メニーナスをもう一度よく見ると、正面をしっかりと見据えているのは明らかに3人です。画家自身、マルガリータ王女、マリア・バルボラの3人で、この3人は「同じ種類の」表情と態度をしているように見えます。身分・地位が全く違うので、その表現形態は違いますが・・・・・・。ラス・メニーナスこの3人が主役なのだと思います。この3人を主役にすることで、宮廷画家であったベラスケスが、自らが生きたあかしを後世に伝えようとしたのがこの絵だ、と直感します。


奴隷


ラス・メニーナスの歴史的背景で忘れてはならないのは、スペインの王宮には数百人の奴隷がいたと明記されていることです。この時代の「奴隷」はどうだったのでしょうか。近代における「奴隷」と聞いて、まず誰もが思い出すのはアメリカ大陸の奴隷の歴史だと思います。ちょうど、No.18 「ブルーの世界」で、18世紀のサウス・カロライナ植民地における藍の栽培と染料製造プランテーションの話を書いたところです。ちょっとアメリカの奴隷制度を振り返ってみたいと思います。

ベラスケスが亡くなったのは17世紀中頃の1660年です。この同じ年にボストンで絞首刑になった女性がメアリー・ダイアーでした( No.6「メアリー・ダイアー」参照)。この頃、北アメリカ大陸東海岸のヴァージニア植民地では、すでにタバコを栽培する大規模農場(プランテーション)が作られていました。当初、ここでの労働は旧大陸からきた白人の「年季奉公人」か、ないしは奴隷化されたネイティブ・アメリカンの人たちでしたが、ちょうど17世紀の後半からアフリカから連れて来られた黒人奴隷に徐々に置き換えられていったのです。

ヴァージニア植民地はアメリカ独立と深い因縁があります。1619年、ここでイギリス領植民地の代表が集まった最初の植民地議会が開催されました。アメリカの議会制の始まりだと言われています。そしてヴァージニアに最初の奴隷船が到着したのがその1619年です。アメリカのイギリス領植民地においては、共和制議会政治と奴隷制は同時に始まったわけです。後の18世紀におけるアメリカ独立のキーパーソンであるジョージ・ワシントンとトマス・ジェファーソンは、いずれもヴァージニア最大級のタバコ・プランテーションのオーナーです。付け加えると、No.18 「ブルーの世界」で書いたように、18世紀に発展したサウス・カロライナ植民地の藍の栽培とインディゴ染料の生産プランテーションも、イライザ・ルーカスとピンクニー家を通してアメリカ独立と深く結びついています。

アメリカの奴隷制にはその前史があります。17世紀の当時、すでにポルトガルやスペイン、さらにはオランダ、イギリス、フランスなどのヨーロッパ各国は競って「奴隷貿易」に精を出していました。だからこそ、イギリスの植民地であったアメリカ東海岸にまで奴隷制が広がってきたのです。奴隷貿易の先鞭をつけたのはポルトガルで、すでに15世紀末、1486年にポルトガル王室は「リスボン奴隷局」を設立しています。奴隷商人たちはアフリカなどに出向き、強制連行や金銭で「人間という商品」を手に入れ、ヨーロッパ・中東・西インド諸島、そして南北アメリカで「販売」していたのです。そして新大陸のプランテーションでは綿花やサトウキビ、タバコ、藍、カカオ、コーヒーが栽培され、それがヨーロッパに輸入されるという「三角貿易」が発達しました。

しかし奴隷制度や奴隷の売買・貿易は何も近代に始まったわけではありません。それは地中海世界では古代エジプト以来、綿々と続いてきたものです。古代ギリシャ・ローマが奴隷制度に基づいていたのはもちろんです。またイタリアの都市国家、ジェノヴァやヴェネツィアの繁栄は、奴隷貿易と切り離しては考えられません。この場合の商品(奴隷)は非キリスト教徒のヨーロッパ人で、得意先はイスラム世界でしたが・・・・・・。そして15世紀から国力が強大になったスペイン帝国においても、当然のことながら「奴隷」はあったわけです。そのごく一部として「慰み者」があり、17世紀に遠い異国のドイツから「買われて」きてスペイン宮廷で「飼われて」いたバルボアが、ベラスケスとマルガリータ王女とともにラス・メニーナスに登場することとなった。

世界の歴史をマクロ的に見ると「生きた人間を何の疑問も持たず、牛馬と同等の労働力や愛玩物とし、売買の対象やそれと同等の扱いとした時代」がほとんどだったわけです。そのことを忘れてはならないと思います。


再び「怖い絵」


「怖い絵」を読んで印象的なのは、中野さんの絵を見る目の確かさやバックにある歴史・文化の膨大な知識はもちろんなのですが、それ以上に文章力です。これだけ達意の文章を書ける人はそうはいないと思います。ここまで書けるのなら「烏を鷺といいくるめる」こともできるかもしれない、我々は著者の文章のうまさによって「本当はたいして怖くない絵を怖いと思いこまされているのかもしれない」という「疑い」さえ抱いてしまいます。もちろん「恐怖」は個人的なもので、人によって感じ方に大きな差異があるのは当然なのですが・・・・・・。

2010年の2月から3月にかけて、NHKで「怖い絵で人間を読む」というシリーズ番組が放映され、中野さん本人が出演して絵の「解説」をされました。彼女はアナウンサーでも女優でもキャスターでもないので「じゃべる」のは文章を書くように「達意」というわけにはいきません。どちらかというと「とつとつ」と、しかし「真剣に人に伝えようという熱意」が、番組を見ている立場にも十分伝わってきました。このTV番組を見て「疑い」はなくなりましたね。あたりまえだけど・・・・・・。

「怖い絵」は、絵を見る3つの視点、つまり、
  ① 見る人の印象や直感
  ② 画家の思いや人生(の推測や知識)
  ③ 歴史ないしは文化背景
の3つのバランスのあり方を提示した名著だと思います。そして何よりも最後に書いたように、その文章が持つ力によって読書の楽しみを満喫させてくれた本でした。



 補記 

ラス・メニーナスに関連した絵画・小説・オペラなどの話題や、ベラスケスの作品を以下で取り上げています。

No.36 - ベラスケスへのオマージュ
No.45 - ベラスケスの十字の謎
No.63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」
No.133 - ベラスケスの鹿と庭園
No.230 - 消えたベラスケス(1)
No.231 - 消えたベラスケス(2)
No.264 - ベラスケス:アラクネの寓話
No.284 - 絵を見る技術



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