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No.362 - ボロクソほめられた [文化]

先日の朝日新聞の「天声人語」で、以前に書いた記事、No.145「とても嬉しい」に関連した "言葉づかい" がテーマになっていました。今回は、No.145 の振り返りを含めて、その言葉づかいについて書きます。


「天声人語」:2023年 6月 11日


「天声人語」は例によって6段落の文章で、段落の区切りは▼で示されています。以下、段落の区切りを1行あけで引用します。


夕方のバス停でのこと。中学生らしき制服姿の女の子たちの会話が耳に入ってきた。「きのうさー、先生にさあ、ボロクソほめられちゃったんだ」。えっと驚いて振り向くと、楽しげな笑顔があった。若者が使う表現は何とも面白い。

「前髪の治安が悪い」「気分はアゲアゲ」。もっと奇妙な言い方も闊歩かっぽする昨今だ。多くの人が使えば、それが当たり前になっていく。「ボロクソ」は否定的な文脈で使うのだと、彼女らを諭すのはつまらない。言葉は生き物である。

大正の時代、芥川龍之介は『澄江堂ちょうこうどう雑記』に書いている。東京では「とても」という言葉は「とてもかなはない」などと否定形で使われてきた。だが、最近はどうしたことか。「とても安い」などと肯定文でも使われている、と。時が変われば、正しい日本語も変化する。

今どきの若者は、SNSの文章に句点を記さないとも聞いた。「。」を付けると冷たい感じがするらしい。元々、日本語に句読点がなかったのを思えば、こちらは先祖返りのような話か。

新しさ古さに関係なく、気をつけるべきは居心地の悪さを感じさせる表現なのだろう。先日の小欄で「腹に落ちない」と書いたら、間違いでは、との投書をいただいた。きちんと辞書にある言葉だが、腑に落ちない方もいるようだ。

新語は生まれても、多くが廃れ消えてゆく。さて「ボロクソ」はどうなることか。それにしても、あの女の子、うれしそうだったなあ。いったい何をそんなにほめられたのだろう。

朝日新聞「天声人語」
(2023年6月11日)


前例としての "とても"


注目したいのは、前半の3つの段落にある「ボロクソ」と「とても」です。女子中学生の「ボロクソほめられちゃった」という会話に驚いた天声人語子ですが(当然でしょう)、否定的な文脈で使う言葉を肯定的に使うのは過去に例があり、それが「とても」である。「とても」は、昔は否定的文脈で使われていて、そのエビデンスが芥川龍之介の文章にある。時が変われば正しい日本語も変化する、としているところです。

「天声人語」にあるように、「とても嬉しい」というような言い方が(東京地方で)広まった時期について、芥川龍之介が短文エッセイ集『澄江堂ちょうこうどう雑記』(1923 大正13)に書いています。「澄江堂」とは芥川龍之介自身の号です。


二十三 「とても」

「とても安い」とか「とても寒い」と云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつたわけではない。が従来の用法は「とてもかなはない」とか「とてもまとまらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。

肯定に伴ふ新流行の「とても」は三河みかはの国あたりの方言であらう。現に三河の国の人のこの「とても」を用ゐた例は元禄げんろく四年に上梓じやうしされた「猿蓑さるみの」の中に残つてゐる。

秋風あきかぜやとてもすすきはうごくはず  三河みかは、 子尹しゐん

すると「とても」は三河の国から江戸へ移住するあひだに二百年余りかかつた訳である。「とても手間取つた」と云ふ外はない。

芥川龍之介『澄江堂雑記』
「芥川龍之介全集第四巻」(筑摩書房 1971)
「青空文庫」より引用

江戸時代の古典の(少々マニアックな)知識をさりげなく披露しつつ、三河言葉(=芥川の想像)が東京で使われるまでに200年かかったから「とても手間取つた」とのオチで終わるあたり、文章の芸が冴えています。ちなみに『猿蓑』は芭蕉一門の句集で、引用にあるように子尹しゐんは三河地方出身の俳人です。

それはともかく、芥川龍之介は「肯定的とても」が数年以前から東京で言われ出したと書いています。ということは、大正時代か明治末期からとなります。芥川龍之介は1892年(明治25年)に東京に生まれた人です。当然、小さい時から慣れた親しんだのは「とても出来ない」のような "否定的とても" であり、それが正しい標準語としての言葉使いと思っていたと想像できます。それは「とても嬉しい」のような "肯定的とても" が「田舎ことば」だとする書き方に暗示されています。



「とても」は否定的文脈で使うものだという言葉の規範意識は、芥川以降も続いていたようです。評論家・劇作家の山崎正和氏(1934-2020 。昭和9年-令和2年)は、丸谷まるや才一氏との対談で次のように発言しています。


山崎正和

私の父方の祖母は、落合直文などと一緒に若い頃短歌をつくっていたという、いささか文学少女だった年寄りでした。私が子供のころ「とても」を肯定的に使ったら、それはいけないって非常に叱られた。なるほどと感心しました。しかし、もういま「とても」を肯定的に使う人を私は批判できませんよ。それほど圧倒的になっているでしょう。

山崎正和・丸谷才一 
『日本語の21世紀のために』
(文春新書 2002)

山崎正和氏が子供の頃というのは、昭和10年代から20年代半ばです。つまり、そのころ生きていた明治生まれの人(父方の祖母)には、「とても嬉しい」というような肯定的な使い方は誤用であるという規範意識が強くあった、ということなのです。少なくとも山崎家ではそうだった。今となっては想像できませんが ・・・・・・。



ところで、芥川龍之介のエッセイによって分かるのは「とても嬉しい」が明治末期、ないしは大正時代から東京で広まったことです。しかし、専門家の研究によると、遙か昔においては肯定的「とても」が一般的でした。

梅光学院大学・准教授の播磨桂子氏の論文に、『「とても」「全然」などにみられる副詞の用法変遷の一類型』(九州大学付属図書館)があり、そこに「とても」の歴史の研究があります。この論文によると「とても」の歴史は以下のように要約できます。

① 「とても」は「とてもかくても」から生じたと考えられている。「とても」は平安時代から使われていて「どうしてもこうしても、どうせ、結局」という意味をもち、肯定表現にも否定表現にも用いられた。『平家物語』『太平記』『御伽草子』『好色一代女』などでの使用例がある。

② しかし江戸時代になると否定語と呼応する使い方が増え、明治時代になると、もっぱら否定語と呼応するようになった

③ さらに大正時代になると、肯定表現で程度を強調する使い方が広まり、否定語と呼応する使い方と共存するようになった

④ 「否定」にも「肯定」にも使われる言葉が、ある時期から「否定」が優勢になり、その後「肯定」が復活する。このような「3段階」の歴史をもつ日本語の副詞は他にもあり、「全然」「断然」「なかなか」がそうである。

"肯定的とても" は、芥川龍之介が推測する三河方言ではなく、『平家物語』『太平記』『御伽草子』『好色一代女』にもある "由緒正しい" 言い方だったわけです。もちろん、由緒正しい言い方が方言だけに残るということもあり得ます。

ひょっとしたら、芥川はそれを知っていたのかもしれません。知っていながら「とても手間取つた」というオチに導くためにあえて『猿蓑』を持ち出した、つまり一種のジョークということも考えられると思います。


超・鬼・めちゃくちゃ


「とても」をいったん離れて、強調のための言葉について考えてみます。形容詞、動詞、名詞などを修飾して「程度が強いさま」を表す言葉を「強調詞」と呼ぶことにします。強調詞にはさまざまなもがあります。大変、非常に、全然、すごく、などがそのごく一部です。

漢字で書くと1字の「超」も、今ではあたりまえになりました。もちろんこれは超特急、超伝導など、名詞の接頭辞として由緒ある言葉で、「通常のレベルを遙かに超えた」という意味です。これが「超たのしい」「超カワイイ」などと使われるようになった(1960年代から広がったと言われています)。その「超」は、"本場" の中国に「逆輸出」され、「超好(超いい)」などと日常用語化しているといいます(日本経済新聞「NIKKEI プラス 1」2022年6月11日 による)。「超」はかなり "威力がある" 強調詞のようです。

漢字1字を訓読みで使う接頭辞もあって「鬼」がそうです。「鬼」はもともと名詞の接頭辞として「無慈悲」「冷酷」「恐ろしい」「巨大」「異形」「勇猛」「強い」などの意味を付加するものでした。「鬼将軍」「鬼軍曹」「鬼コーチ」「鬼検事」「鬼編集長」などです。栗の外皮を「鬼皮」と言いますが、強いという意味です。また「鬼」は動植物・生物の名前にも長らく使われてきました。同類と思われている生物同士の比較で、大きいものは「大・おお・オオ」を接頭辞として使いますが、それをさらに凌駕する大型種は「鬼・おに・オニ」を冠して呼びます。オニグモ(鬼蜘蛛)、オニユリ(鬼百合)、オニバス(鬼蓮)といった例です。

しかしこの数年、さらに進んで「鬼」を強調詞とする言い方が若者の間に出てきました。オニの部分をあえて漢字書くと、
 ・鬼かわいい
 ・鬼きれい
 ・鬼うまい(鬼おいしい)
 ・鬼むかつく
といった言い方です。もともとの「無慈悲」「冷酷」「恐ろしい」」「異形」などの否定的な意味はなくなり、「通常を凌駕するレベルである」ことだけが強調されています。これは「超」の使い方とそっくりです。この使い方が定着するのか、ないしは今後消えてしまうのかは分かりません。

さらに、もともと否定的文脈で使う「めちゃくちゃ」「めちゃめちゃ」「めっちゃ」「めちゃ」があります。「むちゃくちゃ」とも言います。これも江戸時代からある言葉で、漢字で書くと「滅茶苦茶」です。"混乱して、筋道がたたず、全く悪い状態" を指します言が、強調詞として使って「めちゃくちゃカワイイ」などと言います。

もともと否定的文脈で使う言葉という意味では、形容詞の「ものすごい(物凄い)」もそうです。これはもとは恐ろしいものに対してしか使わない言葉でした(西江雅之「ことばの課外授業」洋泉社 2003による)。確かに、青空文庫でこの言葉を検索すると、恐ろしいものの形容に使った文例しかありません。青空文庫は著作権が切れた(死後50年以上たった)作家の作品しかないので、「ものすごい美人」というような使い方は、少なくとも文章語としてはこの半世紀程度の間に広まった使い方であることは確実です(話し言葉としてはそれ以前から使われていたかもしれません)。



そこで「天声人語」の「ボロクソほめられた」です。これはもともと否定的文脈で使う言葉を、程度が大きいさまを表す強調詞とした典型的な例です。その意味で「とても」「めちゃくちゃ」「ものすごく」の系列につながっています。特に「めちゃくちゃ」に似ています。
・ 彼は A氏のことをメチャクチャに言っていた。
と使うけども、
・ メチャクチャうれしかった
とも言います。であれば、
・ 彼の A氏についての評価はボロクソだった。
と使う一方で、
・ ボロクソうれしかった
と言うのも、一般的ではないけれども、アリということでしょう。


強調詞の宿命


「とても」の変遷や、その他の言葉を見ていると、強調詞の "宿命" があるように思います。つまり、ある強調詞が広まってあたりまえに使われるようになると、それが "あまり強調しているようには感じられなくなる" という宿命です。

従って、新しい言葉が登場する。そのとき、否定的文脈で使われる言葉を肯定的に使ったり、名詞の接頭辞を形容詞を修飾する副詞に使ったりすると(超・鬼)、インパクトが強いわけです。特に、自分の思いや感情を吐露したい場合の話し言葉には、そういうインパクトが欲しい。そうして新語が使われだし、その結果一般的になってしまうと強調性が薄れ、また別の新語が使われ出す。

「天声人語」に引用された女子中学生の発言、「きのうさー、先生にさあ、ボロクソほめられちゃったんだ」も、よほど嬉しかったゆえの発言でしょう。天声人語子は「それにしても、あの女の子、うれしそうだったなあ」と書いていますが、今まで先生に誉められたことがなかったとか、あるいは、一生懸命努力して作ったモノとか努力して成し遂げたことを誉められたとか、内容は分からないけれど、そういうことが背景にあるのかも知れません。もちろん先生も言葉を重ねて誉めた。その子にとって「メッチャ、ほめられちゃった」や「チョー、ほめられちゃった」では、自分の感動を伝えるには不足なのです。

「ボロクソほめられた」は、一般的に広まることはないかもしれないけれど、個人的な言葉としては大いにアリだし、それは言葉の可能性の広さを表しているのだと思いました。




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