No.351 - 運動しても痩せないのはなぜか [科学]
No.221「なぜ痩せられないのか」で、「日経サイエンス」に掲載されたデューク大学のハーマン・ポンツァー准教授の論文を紹介しました。進化人類学者のポンツァーは、身体活動量が全く違うアフリカの狩猟採集民・ハッザ族とアメリカの都市生活者のエネルギー消費を比較し、それがほぼ同じであることを立証していました。運動によるエネルギー消費で減量を目指しても、その効果は無いか、限定的です。
もちろん、運動は健康維持に役立ちます。というより、健康維持のためには運動が必須です。そのことは、
で紹介しました。以上の話の発端となったポンツァー准教授が著した単行本が出版されました。
です。No.221 と重複する内容もありますが、単行本なのでさすがに詳しく記述してあります。今回はこの本(以下、本書)の内容をかいつまんで紹介します。なお、原題は、
BURN
です。直訳すると、
"燃焼"
となるでしょう(試訳)。
代謝
本書のメインテーマは、原書の題名や副題にあるように "カロリーの燃焼"、つまり「代謝」です。我々が健康を維持するには、体の仕組みを理解することが必須で、その重要なものが代謝です。
代謝とは、体内の細胞(人間では約37兆)のすべての "活動" ないしは "働き" を言います。細胞が種々の仕事をするにはエネルギーが必要で、我々はそのエネルギーを食物から得ています。エネルギー源となる食物成分の基本は、炭水化物(糖類)、脂質、タンパク質で、それらは体内で分解され、呼吸で得た酸素で "燃焼させて" エネルギーを得ている。燃焼の産物である二酸化炭素は呼吸で排出します。
もちろんエネルギーは、グリコーゲンや脂肪として蓄積でき、必要に応じてエネルギーに転換されます。タンパク質はアミノ酸に分解されて主に筋肉やその他の組織になりますが、必要ならブドウ糖に転換されてエネルギー源になります(=糖再生)。
体内のネルギー源は、最終的にはすべて ATP(アデノシン3リン酸)という分子になります。ATP は極小の充電式バッテリーのようなもので、ATP が ADP(アデノシン2リン酸)に変化するときにエネルギーが放出され、ADP にエネルギーを "チャージ" すると ATP に変化します。ATP は体内の「エネルギー通貨」です。
エネルギーとは、一言でいうと "仕事をする能力" で、多様な形をとります。高いところにある物質がもつ「位置エネルギー」、食物に含まれる分子の「化学エネルギー」、燃焼や太陽光の「熱エネルギー」、電気・電波などの「電磁波エネルギー」などです。
エネルギーを計る単位は、カロリー(cal。食品)とジュール(記号は J。食品以外)があります。1カロリーは1ミリリットルの水の温度を1度上げるのに必要なエネルギーで、カロリーの1000倍がキロカロリーです。栄養学ではキロカロリー(kcal)を使うのが伝統的です。
ジュールは、1ニュートン(N)の力で物体を力の方向に1メートル(m)動かすのに必要なエネルギーです。1キログラムの物体に働く重力が 9.8 N なので、1N は 102g の物体に働く重力です。ジュールはエネルギー(またはその等価物。仕事、熱量、電気量、など)を表す国際単位系です。ジュールの値を4で割ると、およそのカロリーになります(1 cal = 4.128 J)。欧州諸国では食品にジュールを使う国が多くあります。
ヒトにとって、エネルギーは通貨に似ています。我々は通貨を外部から得て、それをさまざまな目的のために消費します。一度消費した通貨は別の目的に消費することはできません。通貨は貯蔵することが可能です。また、モノを買うために消費した通貨は、そのモノを売るという形で再び通貨に変えることも可能です。
以上、ざっくり表現すると「代謝」とは「エネルギー消費」のことだといえます。
我々は何もしないときでも一定のエネルギーを消費し続けています。これが基礎代謝(BMR。Basic Metabolic Rate)で、安静時のエネルギー消費量です。厳密には、
におけるエネルギー消費量です。空腹を条件とするのは、消化のためにエネルギーを消費するからです。また快適な気温という条件は、寒いと体を暖かく保つためにエネルギーを消費するからです。
基礎代謝は体重に依存します(その他のエネルギー消費も体重に依存する)。人間の1日あたりの基礎代謝は、おおよそ次の式で計算できます(本書に記載の推定式)。
基礎代謝量(1日あたり。キロカロリー)
この式の体重はポンド表示です。kg表示の体重をポンドにするには2.2倍(1/0.45 倍)する必要があります。この式で具体的に計算してみると、
となって、よく言われる「男性:1500kcal 程度、女性:1200 kcal 程度」とほぼ同じ数字です。ただし、基礎代謝は人によって(体脂肪率や筋肉量が影響)、または年齢によって(加齢で低下)± 200 程度の差異があります。
我々が何らかの活動をすると、基礎代謝以外のエネルギーを消費します。これは「代謝当量 = METs(メッツ)」という単位で表されます(MET=Metabolic Equivalent of Task)。1 METs とは「1時間に体重1キログラムあたり1キロカロリーを消費」することを言います。1 METs は BMR にほぼ等しい値です
各種活動のエネルギー・コストを調べると分かることがあります。それは、運動で消費するエネルギーが意外に(がっかりするほど)少ないことです。150ポンド(68kg)の成人で考えると、1万歩(8キロ程度)歩いたときの消費エネルギーはおよそ250 kcalです。これは炭酸飲料1本分(240 kcal)、ビッグマック半分(270 kcal)に過ぎません(もちろん炭酸飲料には低カロリーのものもある)。
本書に興味深いグラフがあります。それは「ランニング・歩行・水泳・自転車のエネルギーコスト」が速度によってどう変わるかを示したものです。
注目すべきは、ランニングと歩行のエネルギー消費の違いです。上記の表は、横軸 x が速度で、縦軸 y は1マイルを移動するときのエネルギー消費量(="燃費")です。歩行は、一定距離を歩くのに最もエネルギー消費が少ない速度があり、y は x の2乗に比例しています。しかしランニングの燃費は速度にほとんど無関係で、y は x に単純比例し、その比例定数はわずかです。
歩行では体の重心が上下します。しかしランニングは、足のバネによって上下動が少なく、足の骨の作りもスムーズに前進できる構造をしている。ヒトは2足走行に適した体の作りなのです。なお、水泳、自転車は、流体(水・空気)の抵抗で歩行やランニングとは違った様相を呈します。
ここまでが「代謝」を巡る序論です。では、代謝という視点でヒトをみたらどうなるか。まずヒトを含む霊長類の話からです。
霊長類のエネルギー消費
霊長類は哺乳類の一種ですが、他の哺乳類と比較してエネルギー消費が少ない種です。たとえば、ヒト(成人)の1日のエネルギー消費量は普通、2500~3000 kcal 程度ですが、ヒトと同程度の大きさの哺乳類は 5000 kcal を越えます。ヒトを含む霊長類(ゴリラ、オランウータン、チンパンジーとボノボ、ヒト)は、哺乳類の中ではエネルギーの消費量が少ない、つまり代謝の速度が低いのです。
代謝は成長と密接な関係があります。霊長類は進化のある時点で代謝が低下し、成長・繁殖・老化に時間がかかるようになった。つまり、ゆっくりとしたライフサイクルをおくるようになったわけです。イヌの1年は人間の7年に相当するなどと言いますが、そのことを指しています。
ヒトを除く霊長類のライフスタイルをみると、類人猿はベジタリアンです。シロアリなども食べますが、基本的に植物食です。植物を食べる種は移動距離が少なくて済みます。類人猿のBMR(体重あたり)は、他の哺乳類のBMRとあまり変わらないのですが、植物食が中心で移動距離は少なく、エネルギー消費が少なく、代謝の速度が遅く、ゆっくりと成長して繁殖するように進化したのです。
しかし、霊長類の中でヒトは少々違います。ヒトは霊長類で比べるとエネルギー消費が多いのです。1日のエネルギー消費量は、110kg のオランウータン(オス)で2050 kcal、55kg のオランウータン(メス)で1600 kcal 程度です。これは、同体重のヒトに比べて約30%少ない値です。霊長類4科(チンパンジー・ボノボ、オランウータン、ゴリラ、ヒト)の中でヒトは他の3科と比較して、体重差を補正すると、20%~50%エネルギー消費が多い種なのです。
それはなぜそうなったのでしょうか。
社会的狩猟採集者としてのヒト
ヒトは200万年ほど前に、他の霊長類にはない行動を始めました、それが狩猟による肉食です。小動物だけではなく、シマウマなどの大型哺乳類も標的にする狩猟です。植物食とは違って、狩猟はかなりの身体活動を伴います。
さらにヒトは、根にデンプンを含む野生植物の塊茎を、道具を使い土を掘って採集して食物としました。これも身体活動が伴います。
現代の東アフリカには、農業や牧畜を一切行わず、狩猟採集だけで生活をしている部族がいます。ハッザ族はその一つですが、彼らも大型哺乳類を狩り(男性)、塊茎を採集する(女性)狩猟採集民です。
シマウマやキリンなどの大型哺乳類を狩って肉食をするということは、仲間で狩りをし、その肉を仲間で分配することが前提です。一人での狩りの成功は難しいし、一人が独占して食べる獲物としては大き過ぎるからです。
この「分配」が「代謝の向上」とセットになってヒトは進化しました。分配を伴う狩猟採集は「社会的狩猟採集」と呼べます。この社会的狩猟採集というライフスタイルにより、類人猿よりも多くのエネルギーを摂取し、かつ消費することが可能になりました。
これで可能になった大きなポイントが脳の発達です。「社会的狩猟採集」を始めたホモ属は、それ以前のアウストラロピテクスより20%以上も脳の体積が増加したことが確かめられています。
ヒトが社会的狩猟採集に適した進化を遂げたことの別の現れが、持久力の向上です。持久力の指標である「最大酸素摂取量」は、ヒトはチンパンジーの4倍あります。ざっくり言って、ヒトの持久力は霊長類(類人猿)の4倍です。持久力があると遠距離の狩猟が可能です。哺乳類をどこまでも追いかけ、獲物が弱ったところで(=人間で言う "熱中症" になったところで)仕留める「持久狩猟」も可能になりました。
さらに火の使用がエネルギー摂取量を大きくしました。加熱調理をすると食物の構造や化学的性質が変わり、栄養を摂取しやすくなります。たとえば、加熱調理したジャガイモは、生で食べるより2倍のエネルギーをとれます。
また火の使用は社会的狩猟採集というライフスタイルの質を向上させました。火で槍の先を硬くする、火でタールを溶かして石斧を作る、暖をとってエネルギー消費を押さえる、などの効果です。
一方、ヒトの代謝量が向上したことにはマイナス面もあります。それは代謝性疾患にかかるリスクで、肥満、2型糖尿病、心臓疾患などが代表的なものです。ただし狩猟採集民であるハッザ族ではこういった代謝性疾患はありません。活発な身体活動というライフスタイルがなくなったとき、リスクが表面化するのです。
こういった進化をとげてきたヒトのエネルギーを消費は身体活動量によってどう変わるのでしょうか。それが次です。
制限的日時消費カロリーモデル
人間が一定期間(たとえば1日)でどれだけエネルギーを消費するかは、従来は「要因加算法」で計算されてきました。これは、
という仮定にもとづくものです。いかにも妥当な仮定にみえますが、これは根拠がない全くの空論であることが分かってきました。
それは、技術革新により消費エネルギーの厳密測定が可能になったからです。この技術が「2重標識水法」です。これは水素の同位元素である「重水素」と、酸素の同位元素である「酸素18」でできた水(=2重標識水)を使うものです。
アフリカの狩猟採集民であるハッザ族と、現代アメリカ人のエネルギー消費量を調査したグラフがあります。それをみると、ハッザ族と現代アメリカ人は身体活動量が大きく違うにもかかわらず、エネルギー消費量は同じです。
ハッザ族だけではありません。世界各地のさまざまなライフスタイルの民族を比較しても、エネルギー消費量は同じだという証拠が積み上がってきました。
では、同じ人が身体活動を変えると、エネルギー消費量はどう変化するのでしょうか。このわかりやすい例がオランダで行われた「ハーフマラソン研究」です。これは、
というものです。
以下、「ハーフマラソン研究」で判明したことを本書から引用します(なお、以降の引用では段落を増やしたところがあります)。
ハーフマラソンに向けての練習で消費したエネルギーの分だけ、身体のどこかのエネルギー消費が減り、トータルとしてのエネルギー消費がほぼ一定に保たれる。ヒトの体はそういうふうにできている(=そのように進化してきた)のです。これがエネルギー消費に関する「制限的日時消費カロリーモデル」です。
この種の研究は多数行われています。プログラムの期間や運動の強度によっていくらか結果は異なりますが、ほとんどの場合、制限的日次カロリー消費モデルに沿ったものとなっています。
運動が体によい理由
「制限的日時消費カロリーモデル」によって、運動が体によい理由の一つが見えてきます。このモデルをわかりやすく図示したのが次の図です。
運動でエネルギーを消費すると、必須ではない体の活動 = カロリーが余っているときにすればよい活動が制限され、体の維持に必須の活動はできるだけ守られます。つまり、運動はエネルギーの配分バランスを変えることになります。配分バランスの変化の結果、「体に悪影響を及ぼすエネルギー消費」が少なくなる。それは主として3つあります。
炎症
一つは「炎症」です。体に細菌やウイルス、あるいはダニのような寄生生物が進入すると、免疫細胞がその部位に集結し、異物を排除します。外見的にはその部位が腫れる。これが体の炎症反応です。これは侵入者に対処するための必須の仕組みです。
しかし炎症反応が真の標的を見誤り、花粉のように無害のものや、あるいは自己の細胞を攻撃するようになると、アレルギー、関節炎、動脈疾患などの広範囲の症状を引き起こします。それが脳の視床下部に影響すると、過食や、その他の体の調節異常を起こします。
定期的な運動が慢性炎症の抑制に効果的であることは、ずいぶん前から指摘されてきました。運動でカロリーを消費すると、体は残ったカロリーを倹約して使うようになります。運動は、炎症反応が本来の標的に対して働くように仕向け、免疫系が不要な活動にエネルギーを使うことを抑制します。
ストレス反応
何らかの緊急事態に遭遇したときや、普通ではない状況に陥ったときには、アドレナリンやコルチゾールが分泌されてストレス反応が起こります。これは緊急事態に対応するための正常な反応です。
しかし炎症と同じで、ストレス反応が間違って引き起こされたり、いつまでも続いたりすると、健康に重大な影響を及ぼします。
運動は気分を改善し、ストレスを軽減します。運動することによってストレス反応の大きさが押さえられるからです。中程度の鬱病患者の治療として運動が使われることもあります。
生殖ホルモン
運動を続けると生殖ホルモン(男性ホルモン、女性ホルモン)の分泌量が減ります。
生殖ホルモンの分泌量の低下は、子供の数という面ではマイナスです。ハッザ族では避妊は行われず、大家族が望まれますが、女性が子供を生む間隔は3~4年です。一方、アメリカでは、授乳中であれ、もし希望すれば1~2年おきに出産が可能です。これはアメリカの母親の方が身体活動レベルが低く、高カロリー食品を容易に摂取できるので、ハッザ族の女性よりも出産にエネルギーを回すことができ、出産後の回復も早いからです。
しかし、生殖ホルモンのレベルが高いと生殖系のがん(乳がんや前立腺がん)のリスク要因になります。運動はそのリスクを低下させます。むしろ、身体活動が高く、生殖ホルモンの分泌量が低下している状態の方が、ヒトの体の本来の姿と言えます。運動は本来の姿に戻します。
もちろん過度の運動による生殖ホルモンの低下は問題を引き起こします。女性であれば生理が止まったりすることがあります。
運動が健康に良いのは、以上に述べたような代謝からの要因(=エネルギー使用バランスの変化による要因)だけでありません。本書から、健康によい理由の部分(数々の研究から引用したもの)を引用します。
まとめ
本書の重要ポイントをまとめると、次のようになるでしょう。
痩せることを目標にして運動をはじめてはみたものの、思ったように痩せないので運動をやめた、というようなことがあるとしたら、これほど本末転倒なことはないわけです。
ヒトは、身体活動レベルが高いのが通常状態であり、それは「社会的狩猟採集」というライフスタイルに適合するように進化した結果です。つまり、ヒトの体の基本的なしくみは、東アフリカのサバンナで作られ、それは今も変わっていない(=体はまだサバンナにいる)と言えるでしょう。
サバンナでの映画上映
本書に、著者たちがアフリカのサバンナに住むハッザ族のキャンプに泊まりこんでフィールド調査をしたときのエピソードが出てきます。印象的な文章だったので、それを紹介します。
著者たちはパソコンを使って、ある自然ドキュメンタリー映画をハッザ族に見せました。映画の一場面は、動物たちが集まるサバンナの水飲み場です。その夜の映像です。
我々は「人間によって管理された自然」を体験しますが、そうではない自然、「さまざまな種が集まっていて、自分もその寄せ集めの一部にすぎない自然」に身を置いたことはないのですね(普通の人は)。そのことが思い起こされる文章でした。
もちろん、運動は健康維持に役立ちます。というより、健康維持のためには運動が必須です。そのことは、
で紹介しました。以上の話の発端となったポンツァー准教授が著した単行本が出版されました。
運動しても痩せないのはなぜか
代謝の最新科学が示す「それでも運動すべき理由」
ハーマン・ポンツァー(Herman Pontzer)著
(小巻靖子・訳 草思社 2022)
代謝の最新科学が示す「それでも運動すべき理由」
ハーマン・ポンツァー(Herman Pontzer)著
(小巻靖子・訳 草思社 2022)
です。No.221 と重複する内容もありますが、単行本なのでさすがに詳しく記述してあります。今回はこの本(以下、本書)の内容をかいつまんで紹介します。なお、原題は、
BURN
New Research Blows the Lid Off
How We Really Burn Calories, Lose Weight, and Stay Healthy
How We Really Burn Calories, Lose Weight, and Stay Healthy
です。直訳すると、
"燃焼"
目から鱗の最新研究
カロリーの消費、減量、健康維持の真実
カロリーの消費、減量、健康維持の真実
となるでしょう(試訳)。
代謝
本書のメインテーマは、原書の題名や副題にあるように "カロリーの燃焼"、つまり「代謝」です。我々が健康を維持するには、体の仕組みを理解することが必須で、その重要なものが代謝です。
代謝とは |
|
もちろんエネルギーは、グリコーゲンや脂肪として蓄積でき、必要に応じてエネルギーに転換されます。タンパク質はアミノ酸に分解されて主に筋肉やその他の組織になりますが、必要ならブドウ糖に転換されてエネルギー源になります(=糖再生)。
体内のネルギー源は、最終的にはすべて ATP(アデノシン3リン酸)という分子になります。ATP は極小の充電式バッテリーのようなもので、ATP が ADP(アデノシン2リン酸)に変化するときにエネルギーが放出され、ADP にエネルギーを "チャージ" すると ATP に変化します。ATP は体内の「エネルギー通貨」です。
エネルギー |
エネルギーとは、一言でいうと "仕事をする能力" で、多様な形をとります。高いところにある物質がもつ「位置エネルギー」、食物に含まれる分子の「化学エネルギー」、燃焼や太陽光の「熱エネルギー」、電気・電波などの「電磁波エネルギー」などです。
エネルギーを計る単位は、カロリー(cal。食品)とジュール(記号は J。食品以外)があります。1カロリーは1ミリリットルの水の温度を1度上げるのに必要なエネルギーで、カロリーの1000倍がキロカロリーです。栄養学ではキロカロリー(kcal)を使うのが伝統的です。
ジュールは、1ニュートン(N)の力で物体を力の方向に1メートル(m)動かすのに必要なエネルギーです。1キログラムの物体に働く重力が 9.8 N なので、1N は 102g の物体に働く重力です。ジュールはエネルギー(またはその等価物。仕事、熱量、電気量、など)を表す国際単位系です。ジュールの値を4で割ると、およそのカロリーになります(1 cal = 4.128 J)。欧州諸国では食品にジュールを使う国が多くあります。
ヒトにとって、エネルギーは通貨に似ています。我々は通貨を外部から得て、それをさまざまな目的のために消費します。一度消費した通貨は別の目的に消費することはできません。通貨は貯蔵することが可能です。また、モノを買うために消費した通貨は、そのモノを売るという形で再び通貨に変えることも可能です。
以上、ざっくり表現すると「代謝」とは「エネルギー消費」のことだといえます。
基礎代謝 BMR |
我々は何もしないときでも一定のエネルギーを消費し続けています。これが基礎代謝(BMR。Basic Metabolic Rate)で、安静時のエネルギー消費量です。厳密には、
早朝、空腹で(過去6時間に食事をしていない) | |
快適な気温で | |
横たわって、覚めてはいるが安静状態 |
におけるエネルギー消費量です。空腹を条件とするのは、消化のためにエネルギーを消費するからです。また快適な気温という条件は、寒いと体を暖かく保つためにエネルギーを消費するからです。
基礎代謝は体重に依存します(その他のエネルギー消費も体重に依存する)。人間の1日あたりの基礎代謝は、おおよそ次の式で計算できます(本書に記載の推定式)。
基礎代謝量(1日あたり。キロカロリー)
成人男性 : 7×体重 + 551 | |
成人女性 : 5×体重 + 607 |
この式の体重はポンド表示です。kg表示の体重をポンドにするには2.2倍(1/0.45 倍)する必要があります。この式で具体的に計算してみると、
成人男性(体重 65kg)→ 1550 kcal/日
成人女性(体重 55kg)→ 1200 kcal/日
成人女性(体重 55kg)→ 1200 kcal/日
となって、よく言われる「男性:1500kcal 程度、女性:1200 kcal 程度」とほぼ同じ数字です。ただし、基礎代謝は人によって(体脂肪率や筋肉量が影響)、または年齢によって(加齢で低下)± 200 程度の差異があります。
代謝当量 メッツ - METs |
我々が何らかの活動をすると、基礎代謝以外のエネルギーを消費します。これは「代謝当量 = METs(メッツ)」という単位で表されます(MET=Metabolic Equivalent of Task)。1 METs とは「1時間に体重1キログラムあたり1キロカロリーを消費」することを言います。1 METs は BMR にほぼ等しい値です
各種活動のエネルギー・コスト
活動 | メッツ | 備考 |
安静 | 1.0 | 睡眠はもう少し低く、0.95 メッツ |
座る | 1.3 | 読む、テレビを見る、コンピュータ作業も同じ |
立つ | 1.8 | 両足 |
ヨガ | 2.5 | ハタ・ヨガ |
歩く | 3.0 | 2.5マイル(4 km)/時。硬い、平らな地面 |
スポーツ | サッカー、バスケットボール、テニスなどの有酸素運動 | |
家事 | 掃除、洗濯、モップがけなど | |
アメリカ海軍特殊部隊の訓練、ボクシング、舟を懸命に漕ぐなど |
(本書の表を引用)
各種活動のエネルギー・コストを調べると分かることがあります。それは、運動で消費するエネルギーが意外に(がっかりするほど)少ないことです。150ポンド(68kg)の成人で考えると、1万歩(8キロ程度)歩いたときの消費エネルギーはおよそ250 kcalです。これは炭酸飲料1本分(240 kcal)、ビッグマック半分(270 kcal)に過ぎません(もちろん炭酸飲料には低カロリーのものもある)。
本書に興味深いグラフがあります。それは「ランニング・歩行・水泳・自転車のエネルギーコスト」が速度によってどう変わるかを示したものです。
![]() |
ランニング・歩行・水泳・自転車のエネルギーコスト |
横軸 x は速度。縦軸 y は1マイルを移動するときのエネルギー消費量 |
注目すべきは、ランニングと歩行のエネルギー消費の違いです。上記の表は、横軸 x が速度で、縦軸 y は1マイルを移動するときのエネルギー消費量(="燃費")です。歩行は、一定距離を歩くのに最もエネルギー消費が少ない速度があり、y は x の2乗に比例しています。しかしランニングの燃費は速度にほとんど無関係で、y は x に単純比例し、その比例定数はわずかです。
歩行では体の重心が上下します。しかしランニングは、足のバネによって上下動が少なく、足の骨の作りもスムーズに前進できる構造をしている。ヒトは2足走行に適した体の作りなのです。なお、水泳、自転車は、流体(水・空気)の抵抗で歩行やランニングとは違った様相を呈します。
ここまでが「代謝」を巡る序論です。では、代謝という視点でヒトをみたらどうなるか。まずヒトを含む霊長類の話からです。
霊長類のエネルギー消費
霊長類は哺乳類の一種ですが、他の哺乳類と比較してエネルギー消費が少ない種です。たとえば、ヒト(成人)の1日のエネルギー消費量は普通、2500~3000 kcal 程度ですが、ヒトと同程度の大きさの哺乳類は 5000 kcal を越えます。ヒトを含む霊長類(ゴリラ、オランウータン、チンパンジーとボノボ、ヒト)は、哺乳類の中ではエネルギーの消費量が少ない、つまり代謝の速度が低いのです。
代謝は成長と密接な関係があります。霊長類は進化のある時点で代謝が低下し、成長・繁殖・老化に時間がかかるようになった。つまり、ゆっくりとしたライフサイクルをおくるようになったわけです。イヌの1年は人間の7年に相当するなどと言いますが、そのことを指しています。
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動物によるエネルギー消費の違い |
哺乳類(非霊長類)と鳥類は、霊長類より1日のエネルギー消費量がはるかに多い。 |
ヒトを除く霊長類のライフスタイルをみると、類人猿はベジタリアンです。シロアリなども食べますが、基本的に植物食です。植物を食べる種は移動距離が少なくて済みます。類人猿のBMR(体重あたり)は、他の哺乳類のBMRとあまり変わらないのですが、植物食が中心で移動距離は少なく、エネルギー消費が少なく、代謝の速度が遅く、ゆっくりと成長して繁殖するように進化したのです。
しかし、霊長類の中でヒトは少々違います。ヒトは霊長類で比べるとエネルギー消費が多いのです。1日のエネルギー消費量は、110kg のオランウータン(オス)で2050 kcal、55kg のオランウータン(メス)で1600 kcal 程度です。これは、同体重のヒトに比べて約30%少ない値です。霊長類4科(チンパンジー・ボノボ、オランウータン、ゴリラ、ヒト)の中でヒトは他の3科と比較して、体重差を補正すると、20%~50%エネルギー消費が多い種なのです。
それはなぜそうなったのでしょうか。
社会的狩猟採集者としてのヒト
ヒトは200万年ほど前に、他の霊長類にはない行動を始めました、それが狩猟による肉食です。小動物だけではなく、シマウマなどの大型哺乳類も標的にする狩猟です。植物食とは違って、狩猟はかなりの身体活動を伴います。
さらにヒトは、根にデンプンを含む野生植物の塊茎を、道具を使い土を掘って採集して食物としました。これも身体活動が伴います。
現代の東アフリカには、農業や牧畜を一切行わず、狩猟採集だけで生活をしている部族がいます。ハッザ族はその一つですが、彼らも大型哺乳類を狩り(男性)、塊茎を採集する(女性)狩猟採集民です。
シマウマやキリンなどの大型哺乳類を狩って肉食をするということは、仲間で狩りをし、その肉を仲間で分配することが前提です。一人での狩りの成功は難しいし、一人が独占して食べる獲物としては大き過ぎるからです。
この「分配」が「代謝の向上」とセットになってヒトは進化しました。分配を伴う狩猟採集は「社会的狩猟採集」と呼べます。この社会的狩猟採集というライフスタイルにより、類人猿よりも多くのエネルギーを摂取し、かつ消費することが可能になりました。
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代謝革命 |
ヒトは社会性と採食行動を一体化させ、余分の食料を仲間で分配する。これにより消費できるカロリー量が増え、長い寿命、多くの子孫、大きな脳、活発な活動などにつながった。 |
これで可能になった大きなポイントが脳の発達です。「社会的狩猟採集」を始めたホモ属は、それ以前のアウストラロピテクスより20%以上も脳の体積が増加したことが確かめられています。
ヒトが社会的狩猟採集に適した進化を遂げたことの別の現れが、持久力の向上です。持久力の指標である「最大酸素摂取量」は、ヒトはチンパンジーの4倍あります。ざっくり言って、ヒトの持久力は霊長類(類人猿)の4倍です。持久力があると遠距離の狩猟が可能です。哺乳類をどこまでも追いかけ、獲物が弱ったところで(=人間で言う "熱中症" になったところで)仕留める「持久狩猟」も可能になりました。
さらに火の使用がエネルギー摂取量を大きくしました。加熱調理をすると食物の構造や化学的性質が変わり、栄養を摂取しやすくなります。たとえば、加熱調理したジャガイモは、生で食べるより2倍のエネルギーをとれます。
また火の使用は社会的狩猟採集というライフスタイルの質を向上させました。火で槍の先を硬くする、火でタールを溶かして石斧を作る、暖をとってエネルギー消費を押さえる、などの効果です。
一方、ヒトの代謝量が向上したことにはマイナス面もあります。それは代謝性疾患にかかるリスクで、肥満、2型糖尿病、心臓疾患などが代表的なものです。ただし狩猟採集民であるハッザ族ではこういった代謝性疾患はありません。活発な身体活動というライフスタイルがなくなったとき、リスクが表面化するのです。
こういった進化をとげてきたヒトのエネルギーを消費は身体活動量によってどう変わるのでしょうか。それが次です。
制限的日時消費カロリーモデル
人間が一定期間(たとえば1日)でどれだけエネルギーを消費するかは、従来は「要因加算法」で計算されてきました。これは、
基礎代謝量(BMR)に、消化に必要なエネルギーと、身体活動に必要なエネルギーを加えたものが総エネルギー消費量である
という仮定にもとづくものです。いかにも妥当な仮定にみえますが、これは根拠がない全くの空論であることが分かってきました。
それは、技術革新により消費エネルギーの厳密測定が可能になったからです。この技術が「2重標識水法」です。これは水素の同位元素である「重水素」と、酸素の同位元素である「酸素18」でできた水(=2重標識水)を使うものです。
なお、2重標識水法の解説を No.221「なぜ痩せられないのか」に書きました。また、霊長類などのエネルギー消費の厳密測定も2重標識水法で初めて可能になりました。
アフリカの狩猟採集民であるハッザ族と、現代アメリカ人のエネルギー消費量を調査したグラフがあります。それをみると、ハッザ族と現代アメリカ人は身体活動量が大きく違うにもかかわらず、エネルギー消費量は同じです。
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カロリー消費量の比較(ハッザ族と先進国) |
丸は男性、四角は女性を表す。灰色の丸・四角の一つ一つは、先進国の男性集団・女性集団のカロリー消費量を調査した結果を示していて、それが多数プロットされている。黒い曲線が男性・女性の近似曲線である。 一方、ハッザ族の成人のカロリー消費量は黒い丸と四角である。これは黒い曲線の近辺にあり、先進国の数々の集団と同じであることを示している。 |
ハッザ族だけではありません。世界各地のさまざまなライフスタイルの民族を比較しても、エネルギー消費量は同じだという証拠が積み上がってきました。
では、同じ人が身体活動を変えると、エネルギー消費量はどう変化するのでしょうか。このわかりやすい例がオランダで行われた「ハーフマラソン研究」です。これは、
運動を全くしていなかった男女をプログラムに参加させ、1年間かけてハーフマラソンを走れるようにする
というものです。
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要因加算法とハーフマラソン研究 |
上の図は要因加算法の仮定で、「その他」となっているのは基礎代謝や消化のエネルギー消費などである。これに身体活動のエネルギーを加算したものが総エネルギー消費だとする。しかしこれには根拠が全くない。 下の図はオランダで行われたハーフマラソン研究の結果である。ランニングの時間が延びても、エネルギー消費量はほぼ変わらない。 |
以下、「ハーフマラソン研究」で判明したことを本書から引用します(なお、以降の引用では段落を増やしたところがあります)。
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ハーフマラソンに向けての練習で消費したエネルギーの分だけ、身体のどこかのエネルギー消費が減り、トータルとしてのエネルギー消費がほぼ一定に保たれる。ヒトの体はそういうふうにできている(=そのように進化してきた)のです。これがエネルギー消費に関する「制限的日時消費カロリーモデル」です。
この種の研究は多数行われています。プログラムの期間や運動の強度によっていくらか結果は異なりますが、ほとんどの場合、制限的日次カロリー消費モデルに沿ったものとなっています。
運動が体によい理由
「制限的日時消費カロリーモデル」によって、運動が体によい理由の一つが見えてきます。このモデルをわかりやすく図示したのが次の図です。
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身体活動量とカロリー消費 |
運動でエネルギーを消費すると、必須ではない体の活動 = カロリーが余っているときにすればよい活動が制限され、体の維持に必須の活動はできるだけ守られます。つまり、運動はエネルギーの配分バランスを変えることになります。配分バランスの変化の結果、「体に悪影響を及ぼすエネルギー消費」が少なくなる。それは主として3つあります。
炎症
一つは「炎症」です。体に細菌やウイルス、あるいはダニのような寄生生物が進入すると、免疫細胞がその部位に集結し、異物を排除します。外見的にはその部位が腫れる。これが体の炎症反応です。これは侵入者に対処するための必須の仕組みです。
しかし炎症反応が真の標的を見誤り、花粉のように無害のものや、あるいは自己の細胞を攻撃するようになると、アレルギー、関節炎、動脈疾患などの広範囲の症状を引き起こします。それが脳の視床下部に影響すると、過食や、その他の体の調節異常を起こします。
定期的な運動が慢性炎症の抑制に効果的であることは、ずいぶん前から指摘されてきました。運動でカロリーを消費すると、体は残ったカロリーを倹約して使うようになります。運動は、炎症反応が本来の標的に対して働くように仕向け、免疫系が不要な活動にエネルギーを使うことを抑制します。
ストレス反応
何らかの緊急事態に遭遇したときや、普通ではない状況に陥ったときには、アドレナリンやコルチゾールが分泌されてストレス反応が起こります。これは緊急事態に対応するための正常な反応です。
しかし炎症と同じで、ストレス反応が間違って引き起こされたり、いつまでも続いたりすると、健康に重大な影響を及ぼします。
運動は気分を改善し、ストレスを軽減します。運動することによってストレス反応の大きさが押さえられるからです。中程度の鬱病患者の治療として運動が使われることもあります。
生殖ホルモン
運動を続けると生殖ホルモン(男性ホルモン、女性ホルモン)の分泌量が減ります。
生殖ホルモンの分泌量の低下は、子供の数という面ではマイナスです。ハッザ族では避妊は行われず、大家族が望まれますが、女性が子供を生む間隔は3~4年です。一方、アメリカでは、授乳中であれ、もし希望すれば1~2年おきに出産が可能です。これはアメリカの母親の方が身体活動レベルが低く、高カロリー食品を容易に摂取できるので、ハッザ族の女性よりも出産にエネルギーを回すことができ、出産後の回復も早いからです。
しかし、生殖ホルモンのレベルが高いと生殖系のがん(乳がんや前立腺がん)のリスク要因になります。運動はそのリスクを低下させます。むしろ、身体活動が高く、生殖ホルモンの分泌量が低下している状態の方が、ヒトの体の本来の姿と言えます。運動は本来の姿に戻します。
もちろん過度の運動による生殖ホルモンの低下は問題を引き起こします。女性であれば生理が止まったりすることがあります。
運動が健康に良いのは、以上に述べたような代謝からの要因(=エネルギー使用バランスの変化による要因)だけでありません。本書から、健康によい理由の部分(数々の研究から引用したもの)を引用します。
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まとめ
本書の重要ポイントをまとめると、次のようになるでしょう。
運動しても痩せないからこそ、運動する意義(の一つ)がある。それは運動によって体内のエネルギー消費=代謝のバランスが変化し、その変化が健康維持に役立つからである。 | |
もちろん、代謝の視点以外からも、運動(活発な身体活動)は、数々の理由で健康維持のために必須である。 |
痩せることを目標にして運動をはじめてはみたものの、思ったように痩せないので運動をやめた、というようなことがあるとしたら、これほど本末転倒なことはないわけです。
ヒトは、身体活動レベルが高いのが通常状態であり、それは「社会的狩猟採集」というライフスタイルに適合するように進化した結果です。つまり、ヒトの体の基本的なしくみは、東アフリカのサバンナで作られ、それは今も変わっていない(=体はまだサバンナにいる)と言えるでしょう。
サバンナでの映画上映
本書に、著者たちがアフリカのサバンナに住むハッザ族のキャンプに泊まりこんでフィールド調査をしたときのエピソードが出てきます。印象的な文章だったので、それを紹介します。
著者たちはパソコンを使って、ある自然ドキュメンタリー映画をハッザ族に見せました。映画の一場面は、動物たちが集まるサバンナの水飲み場です。その夜の映像です。
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我々は「人間によって管理された自然」を体験しますが、そうではない自然、「さまざまな種が集まっていて、自分もその寄せ集めの一部にすぎない自然」に身を置いたことはないのですね(普通の人は)。そのことが思い起こされる文章でした。
2023-01-07 12:12
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