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No.329 - 高校数学で理解するレジ行列の数理 [科学]

No.149「我々は直感に裏切られる」で、数字に関して我々の直感が事実に反する例や、正しい直感が働かない例を書きました。その中の "誕生日のパラドックス"(= 23人のクラスで誕生日が同じ人がいる確率は 50% を超える)については、No.325「高校数学で理解する誕生日のパラドックス」でその数学的背景を書きました。今回もそういった直感が外れる例で、スーパーのレジや各種窓口の「待ち行列」を取り上げます。

No.325 以外にも「高校数学で理解する」とのタイトルの記事がいくつかあります。


です。これらの記事は、高等学校までの数学だけを予備知識として、現代の IT 社会の重要なインフラとなっている公開鍵暗号を解説したものでした。高校までに習わない公式や用語を使うときには、その公式の証明(ないしは用語の説明)を記しています。今回もその方針でやります。


レジ行列の観察


ある比較的小規模のスーパー・マーケットを例にとります(仮想の例です)。この店の店長は店舗運営の改善に熱心です。店長は「ある曜日のある時間帯」のレジを何回も観察して、次のような結果を得ました。


◆ この時間帯には2台のレジを稼働させていて、1台のレジに並ぶ客は1時間当たり平均して24人である(2台とも。2台の合計では48人)。

◆ 客の到着はランダムである。それぞれのレジの客の到着間隔の平均は2分30秒だが(=60分/24人)、たて続けに客が到着することもある一方で、10数分以上、到着間隔があくこともある。

◆ レジ係の会計(バーコードのスキャン、お金のやりとり)に要する時間は、平均して1分である。つまり、立て続けに会計をしたとしたら、レジ係は一人で1時間あたり60人の客をこなせる

◆ 会計時間もランダムである。ペットボトル1個だけの客もいれば、カゴ3つにいっぱいの買い物をする客もいる。

◆ レジ係が客を待っている時間(=アキ時間)があり、それは過半数の時間である。

◆ 会計待ちの行列ができることもあるが、並ぶのは最大で3~4人程度である。


レジ係一人当たり、1時間で平均24人の客がきます。一方、レジ係りは1時間で平均60人の客をこなせる。レジ係りには余裕があり、過半はアキ時間(客を待っている時間)です。そこで店長は次のように考えました。


◆ この時間帯のレジ係りは半分の1人にしよう。それで十分にこなせるはずだ。

◆ 顧客の待ち行列は長くなるかもしれないが、せいぜい2倍程度だろう。


はたしてこの店長の考えは正しいのでしょうか。これを数学で解析するのが今回の目的です。問題として明示されている観察量は、24 と 60 ぐらいしかなく、あとは "ランダム" という言葉ですが、数学を使ってこれだけの情報から店長の判断の妥当性を検証します。


ランダムな事象・連続量


1つのレジについて1時間当たり24人の客が "ランダムに" 到着します。またレジでの会計時間もランダムに決まる。ランダム、ないしは偶然に発生する事象(イベント)が主題であり、これは確率の問題です。まず、以降に出てくる「確率変数」と「確率(確率測度)」を、サイコロの例で説明します。確率変数 X とは、

起こりうる事象に値を割り当てるとき、その値をとる変数

で、値はふつう整数や実数です。確率変数は大文字で書きます。X がサイコロの目の数を表す確率変数の場合、

X = 1 2 3 4 5 6

の6つの整数値をとる変数です。また、X に特定の条件をつけた事象が起こる確率(数学的には "確率測度"、Probability Measure)を

P ( X の条件 )

で表します。一般的には P ( 事象 ) で、その事象が起こる確率を表します。確率なので 0 P 1 であり

P (必ず起こる事象) = 1 P (決して起こらない事象) = 0

です。Xがサイコロの目の確率変数の場合、

PX=16 = 1 PX=1 = 1 6 PX3 = 1 2 PX=7 = 0

です。サイコロの目の数は飛び飛びの値をとるので「離散型の確率」です。高校数学に出てくる確率は主に離散型の確率です。

一方、レジ行列の場合、到着時刻や到着間隔(= 1人の客が到着してから次の客が到着するまでの時間)、会計に要する時間は無限の可能性のある連続値です。つまり「連続型の確率」であり、これをどう扱うかが以下の主要なテーマです。


レジ行列のモデル


レジ行列を次のようにモデル化します。レジに数人の客が並んでいて、先頭の客は会計(バーコードののスキャン、代金の支払い・精算)の最中とします。会計を待って並んでいる客と会計中の客を含めて「行列」と呼びます。

この行列には2種類の「イベント」が発生します。新しい客が最後尾に並ぶ「到着」と、会計が終了して客が行列から離れる「退出」です。

行列には単位時間(たとえば1時間)当たり平均で λ(ラムダ)人が到着します。ただし、到着はランダムです。また、レジ係は単位時間あたり平均で μ(ミュー)人分の会計をこなします。つまり単位時間あたり μ人が列から退出します。ただし、会計にかかる時間もまたランダムです。まとめると、

到着:λ人(単位時間あたり)
退出:μ人(単位時間あたり)

です。ここで λμ より大きければ、レジ行列は長くなるばかりで、スーパーは機能しません。従って以降は、

λ < μ

とします。
レジ行列のモデル.jpg
レジ行列のモデル


客の到着確率


まず、微少時間 Δt の間に客が1人到着する確率を検討します。1時間に平均5人の客が到着する場合で考えます(λ=5 の場合)。また、1時間を9秒で区切った400の微少時間 Δt= 0.0025(h) を考えます。そうすると平均的に、

400のうちの5つの微少時間では客が到着
400のうちの395の微少時間では客が到着しない

と言えるでしょう。つまり、

微少時間に客が到着する確率は 5 400 = λ Δt  
微少時間に客が到着しない確率は 1 - λΔt

です。ただし、これでは考えに抜けがあります。9秒間に客が2人以上到着するかもしれないからで、それは大いにありうることです。しかしこれは微少時間 Δt を 9秒としたからです。そこで、微少時間をどんどん小さくし「高々、客が1人到着するか、1人退出するかであるような微少時間」を考えます。つまり Δt の定義を、

微少時間 Δt では、イベント(到着か退出)が1つだけ起こるか、ないしはイベントが起こらないのどちらかである

とします。そうすると、

微少時間に1人の客が到着する確率は λΔt
従って、微少時間に客が到着しない確率は 1 - λΔt
全ての微少時間は同等であり、同じ確率で到着が起こる(=ランダム)

となります。これが「単位時間に λ人の客がランダムに到着する」ということの数学的表現です。λμ に変えると、レジでの会計が終わって客がレジ列から退出する確率も全く同様になります。そこで、この表現を使って客の到着間隔の確率を求めます。


到着間隔の確率密度関数


1人の客が到着してから次の客が到着するまでの時間が「到着間隔」です。この到着間隔を表す確率変数 X とします。到着間隔は 0 以上なので、以下では X>0 とします(一般的には確率変数は - < X < です)。単位時間に λ人の客がランダムに行列に到着するとき、到着間隔の確率 P はどう表現できるでしょうか。

サイコロと違って X は連続変数です。従って、たとえば PX=0.2 、つまり到着間隔が(ぴったり)12分である確率は定義できません。到着間隔には無限の可能性があるからです。しいて言うなら PX=0.2=0 とするしかありません。連続型の確率の特徴です。

しかし、X が一定の範囲である確率は求まります。たとえば到着間隔が12分から15分の間である確率、 P 0.2 X 0.25 は計算することができる。一般に、 a < b とし、

Pa X b = a b f x dx

であるような関数 f x があるとき、その関数を「確率密度関数」と言います。Xが全ての値をとるときの確率は 1 なので、確率密度関数 f x は、

0 f x = 1

の条件を満たします( X 0 で考えています)。そこで、レジ行列の到着間隔の確率密度関数 f x がどうなるかです。到着間隔が t t+Δt である確率は、確率密度関数の定義により、

t t+Δt f x dx = f t Δt  (A式)

です。Δt は微少時間なので、右辺は積分を掛け算で置き換えました。一方、別の視点で考えると、到着間隔が tt+Δt である確率は、

0t の間に到着が起こらず、かつ t t+Δt の間に到着が起こる確率

です。"間隔" という言葉を使わずに "到着" だけで表現するとそうなります。0t の間に到着が起こる確率(= 到着間隔が 0t である確率)は、確率密度関数の定義により、

0 t f x dx

なので、0t の間に到着が起こらない確率は、

1 - 0 t f x dx

です。また、微少時間 Δt の間に到着が起こる確率は先ほどの考察から、

λ Δt

です。従って 0t の間に到着が起こらず、かつ t t+dt の間に到着が起こる確率は、

1 - 0 t f x dx λ Δt  (B式)

と書けます。(A式)(B式)は等しいはずなので次の等式が成立します。

f t Δt = 1 - 0 t f x dx λ Δt f t = 1 - 0 t f x dx λ

この両辺を t で微分すると、

f' t = -λf t

となります。この微分方程式の解は C を定数として、

f t = C e -λt

ですが、確率密度関数には、

0 f t dt = 1

の条件があったので、この条件で C を決めると C = λ となります。最終的に、

f t = λ e -λt

が「到着間隔の確率密度関数」です。会計が終わって列から離れる間隔(= 退出間隔)も、λμ に変えるだけで全く同じように求まります。以上をまとめると、

到着間隔の確率密度関数
  f t = λ e -λt  
退出間隔の確率密度関数
  f t = μ e -μt

となります。これは「指数分布」と呼ばれている確率分布です。

確率密度関数.jpg
到着間隔の確率密度関数
λ= 24(/h)。 横軸の単位は時間(h)。0.05 が3分。

この指数分布の平均値(確率の言葉では期待値)を実際に求めてみると、

0 tftdt = 0 λt e -λt dt = -te-λt 0 + 0 e -λt dt =0 + - 1 λ e-λt 0 = 1 λ

となって、1時間に λ人の客が到着するときの到着間隔の平均は、確かに 1 λ となっていることが分かります。 λ = 24 (1時間に平均24人の客が到着)の場合は、到着間隔の平均は 2分30秒 ということです。なお、上の計算では部分積分と、 xe-x 0 x を使いました。

到着間隔の確率密度関数は、ある時間について到着間隔がその時間付近である "確からしさ" を表しています。従って上のグラフから、

客が来るときには、たて続けに来る
しかし間隔が長くあくこともある
その平均として単位時間に λ 人の客が来る

などが読み取れます。これは直感的に我々が経験していることと合致します。レジの運営としては、客がなるべく均等な到着間隔で来てくれた方が効率的ですが、しかしそうはならない。それが "ランダム" ということです。


到着間隔の累積分布関数


確率変数を X、確率密度関数 f x とします。問題にしている到着間隔は 0 以上なので、 X 0 とします(一般的には - < X < です)。累積分布関数 F x とは

F x = P 0 X x = 0 x f t dt

で定義される「確率密度を累積した値」です。確率密度は正の値で、∞まで積分すると 1 になるので、累積分布関数は 0 F x 1 単調増加関数です。X を到着間隔を表す確率変数とすると確率密度関数は指数分布になりますが、この累積分布関数を求めると、

F t = P X t = 0 t λ e -λx dx = 1 - e -λt

となります。 λ = 24 の場合(平均到着間隔が 2分30秒の場合)に F t 0.5 となる時間 T 5 を計算してみると、

T 5 = 0.029

となります。0.029(h) は1分43秒です。これは、

到着間隔の平均は2分30秒だが、1分43秒以内に 0.5 の確率で次の客が到着する

ことを意味します。しかも指数分布の形に見るように到着間隔が短い方が確率が高い。これがランダムに到着する場合の姿です。

累積分布関数.jpg
到着間隔の累積分布関数
λ= 24(/h)。 横軸の単位は時間(h)。0.05 が3分。縦軸が F(t) の値である。到着間隔の平均(2分30秒)は 0.05 のすぐ左のところだが、そこでの F(t) の値は 0.63 程度になる。


シミュレーション


到着間隔と退出間隔の確率密度関数が求まったので、これを用いてパソコンでシミュレーションをしてみます。そのためには「確率密度関数に従う乱数」を発生させなければなりません。

パソコンのプログラミング言語には「一様分布の乱数」を発生させる関数があるので(random / rand などの名称)、これを「到着間隔や退出間隔の確率密度をもつ乱数」に変換することを考えます。

まず「一様分布」ですが、確率変数 U 0 U 1 )が一様分布とは、確率密度が一定値のものです。つまり、

確率密度関数
  f x = 1  
累積分布関数
  F x = P U x = x

となる分布です(下図)。

一様分布.jpg
一様分布
確率密度関数(左)と累積分布関数(右)

今、分析したい確率変数 X の確率密度関数を f x 、その累積分布関数を F x 0 F x 1 )とします。そして F x の逆関数、 F-1 x を作り、

Y = F-1 U

とおくと、この Y は「確率密度関数 f x をもつ確率変数」となります。その理由は以下の通りです。Y の累積分布関数、 P Y x は、

P Y x = P F-1 U x

と書けますが、Fは単調増加関数なので、右辺の F-1 U x の条件は、

F F-1 U F x

としても同じことです。すなわち、

U F x

と表せます。従って、

P Y x = P U F x

となりますが、Uは一様分布の確率変数なので

P U F x = F x

であり(上の一様分布の説明)、この結果、

P Y x = F x

が得られます。これは「確率変数 Y の累積分布関数は F x 」という意味であり、従って Y の確率密度関数が f x であることが分かりました。この方法で特定の確率密度をもつ乱数を発生させる手法を「逆関数法」と呼びます。



到着間隔の累積分布関数は、

F t = 1 - e -λx

でした。この式を t について解くと、

t = - 1 λ log 1 - F t

です。従って F t の逆関数、 F-1 t

F-1 t = - 1 λ log 1 - t

です。このことから u を一様分布の乱数として、

到着間隔の確率密度を持つ乱数 =
  - 1 λ log 1 - u

と計算できます。同様に、

退出間隔の確率密度を持つ乱数 =
  - 1 μ log 1 - u

です。この2式を使ってシミュレーションを実行できます。


シミュレーション:例1(1時間)


パソコンを使って、客がいない状態から1時間のシミュレーションしてみます。 λ = 24 μ = 60 とします。その結果の一例が次の表です。これは、

時刻(開始からの経過時間)
発生イベント(到着が退出か)
イベント後の行列人数
次のイベントまでの時間

を表にしたものです。このシミュレーションは開始から1時間が経過した直後のイベント(="到着"。時刻 61分02秒)で止めてあります。この間に22人の到着があり、21人が退出しました。22人目が到着する直前の行列の人数は 0 です。行列の最大人数は 4人(37′19″からの 45″間)になりました。

時刻イベント 列 時間
0′00″---05′40″
5′40″到着10′11″
5′51″退出02′11″
8′02″到着11′03″
9′05″退出07′29″
16′35″到着10′44″
17′18″退出00′33″
17′51″到着13′00″
20′51″退出01′54″
22′45″到着10′02″
22′48″到着20′13″
23′01″退出10′30″
23′31″退出05′32″
29′03″到着12′27″
31′30″退出00′13″
31′42″到着10′33″
32′16″退出03′18″
35′34″到着11′03″
36′37″到着20′19″
36′55″到着30′24″
37′19″到着40′45″
38′04″退出30′02″
38′06″退出20′38″
38′45″退出11′00″
39′45″到着20′46″
40′31″退出10′02″
40′34″退出00′10″
40′44″到着10′32″
41′15″退出00′39″
41′55″到着10′04″
41′58″退出04′28″
46′26″到着10′43″
47′10″到着20′08″
47′18″退出11′14″
48′31″到着20′29″
49′00″到着30′53″
49′53″退出21′32″
51′25″退出10′16″
51′41″退出02′57″
54′38″到着10′10″
54′48″到着20′53″
55′41″退出10′14″
55′54″退出05′08″
61′02″到着1---


この表の「イベント後の行列人数」と「次のイベントまでの時間」から「行列が n人( n 0 )の時間合計」を求められます。それを計算したのが次の表です。

 行列が0人の時間合計  40′11″ 
 行列が1人の時間合計  13′49″ 
 行列が2人の時間合計  4′58″ 
 行列が3人の時間合計  1′19″ 
 行列が4人の時間合計  0′45″ 
 合計  61′02″ 

さらに、

p n t t 時間のシミュレーションを行ったとき、行列人数が n人である時間の割合

と定義し、上の表のそれぞれの時間合計を全体のシミュレーション時間( 61′02″)で割ると、次の表が得られます。

  p 0 1 :行列が0人の時間割合  0.658 
  p 1 1 :行列が1人の時間割合  0.226 
  p 2 1 :行列が2人の時間割合  0.082 
  p 3 1 :行列が3人の時間割合  0.022 
  p 4 1 :行列が4人の時間割合  0.012 

このテーブルから「行列の平均人数 = L t t=1 を求めてみると、

L 1 = n=0 4 n p n 1 = 0.503

となりました。これはあくまで1時間分のシミュレーションに過ぎません。使用した乱数も、到着と退出のイベントでそれぞれ20数個程度であり、発生させた乱数は指数分布の極めて荒い近似だと推測されます。

しかし、 p n t t を増やしていき、それにもとづいて L t を計算していくと、近似はどんどん正確になっていくはずです。それが次のシミュレーションです。


シミュレーション:例2(長時間)


シミュレーションの時間を増やして200時間分の計算を実行し、行列の平均長がどうなるかを、途中経過とともに観察します。シミュレーション時間、t を増やしたときの行列の最大人数を m とすると、行列の平均長、 L t

L t = n=0 m n p n t

で計算できます。このシミュレーションを実行して L t をプロットしたのが次のグラフ( 0 t 200 )です。もちろん、あくまで一例です。

行列の平均長さ(200h).jpg
シミュレーション例(行列の平均長)
200時間分のシミュレーションを行い、行列の平均長の途中経過をプロットした例。このシミュレーションでは最初の5時間までに行列が伸びる要因が重なった。計算開始後のグラフの形はシミュレーションのたびに変化するが、どれも 0.66 付近の値に落ち着いて行く。

グラフから分かるように、行列の平均長は一定値(0.66程度)に近づいていきます。これはパソコンで発生させた乱数が一様分布乱数に近づき、従って逆関数法で作った関数が指数分布に近づくからです。また初期状態(シミュレーションでは行列の人数はゼロとした)の影響がなくなることもあるでしょう。

このように時間に依存しない状態が「定常状態」であり、これが行列の平均的な姿です。


レジ行列の微分方程式


今まではパソコンによるシミュレーションでしたが、これを数学的に厳密に解くことができます。

p n t を「時刻 t において行列が n人である確率」とします。そして、時刻 t+Δt p n t がどう変化するかを考えます。まず p 0 t+Δt ですが、起こり得るケースは、

p 0 t+Δt
p 0 t から到着が起こらず p 0 t+Δt になる
p 1 t から退出が起こって p 0 t+Δt になる

の2つのケースです。ここで、

Δt の時間で到着が起こる確率は λΔt  
Δt の時間で退出が起こる確率は μΔt

なので、次の式が成り立ちます。

p 0 t+Δt = p 0 t 1-λΔt + p 1 t μ Δt   p 0 t+Δt - p0 t Δt = μ p 1 t - λ p 0 t

Δt 0 の極限をとると、次の微分方程式が得られます。

d p0 t dt = μ p1 t - λ p0 t

次に p1 t+Δt ですが、これには3つのケースがあります。つまり、

p1 t+Δt
p0 t から到着が起こって p1 t+Δt になる
p2 t から退出が起こって p1 t+Δt になる
p1 t から到着も退出も起こらずに p1 t+Δt になる

の3つです。微少時間 Δt の間に起こるイベントは、起こったとしても一つだけであり、到着と退出が同時に起こることはないというのがそもそもの仮定でした。つまり Δt の時間内に起こる事象は、

到着が起こる
退出が起こる
イベントは起こらない

のどれかであり、この3つは排他的です。従って Δt の間に

到着または退出が起こる確率
 = λΔt + μΔt

となります。排他的だから単純加算でよいわけです。従って、

到着も退出も起こらない確率
 = 1 - λΔt - μΔt

です。以上の考察から p1 t+Δt は次のように表現できます。

p1 t+Δt = p0 tλΔt + p2 tμΔt + p1 t 1 - λΔt - μΔt

p1 t+Δt - p1 t Δt = λ p0 t + μ p2 t - λ+μ p1 t

d p1 t dt = λ p0 t + μ p2 t - λ+μ p1 t

従って、一般の pn t n 2 では、

d pn-1 t dt = λ pn-2 t + μ pn t - λ+μ pn-1 t

と表現できます。以上をまとめると、

{ d p0 t dt =μ p1 t - λ p0 t d pn-1 t dt =λ pn-2 t + μ pn t - λ+μ pn-1 t

の2つの微分方程式によって、レジ行列の挙動が決まることが分かりました。



ここで、シミュレーションで確認したような "定常状態" での確率を求めます。定常状態では確率は時間的に変化しないので、上の2つの微分方程式の左辺はゼロになります。t をなくして式を整理すると、

{ μ p1 = λ p0 μ pn = λ+μ pn-1 - λ pn-2

ですが、ここで、

ρ = λ μ

と定義します。 ρ は「稼働率」を呼ばれる数値です。レジ行列のモデルで仮定したように λ < μ なので、

ρ < 1

です。この ρ を使って式を書き直すと、

p1 = ρp0 (1式)
pn = 1 + ρ pn-1 - ρ pn-2 (2式)

となります。ここで(2式)を次のように変形します。

pn - pn-1 = ρpn-1 - pn-2

これは数列 pn - pn-1 が、初項 p1 - p0 、公比 ρ の等比数列であることを示しています。(1式)より p1 = ρp0 なので、初項 p1 - p0 p0 ρ - 1 と表現できます。従ってこの等比数列の一般項は、

pn - pn-1 = p0 ρ - 1 ρ n-1 (3式)

です。この式から pn の形を求めます。以降の計算では高校数学で習う「等比数列の和の公式」を使います。つまり、


初項 a、公比 r の等比数列の第 1項から第 n項までの和は  a 1-rn 1-r  


という公式です。(3式)の両辺の n=1 ⋯ n の和をとると、

pn - p0 = p0 ρ - 1 1-ρn 1-ρ = p0 ρn - p0

pn = p0 ρn  (4式)

が得られます。ここで pn は確率なので、その総和をとると 1 になるはずです。(4式)の両辺の n=1 ⋯ n の和をとると、

k=0 n pk = p0 k=0 n ρk = p0 1- ρ n+1 1-ρ

となります。ここで n とすると、 ρ < 1 なので、

1 = p0 1-ρ  
p0 = 1 - ρ  (5式)

となります。(5式)(4式)に代入すると、

pn = 1 - ρ ρn  (6式)

が得られました。これが定常状態で列に n人が並ぶ確率です。ちなみに(5式)において p0 は、定常状態で「列に 0人が並ぶ確率」であり、つまり、

レジ係りが客待ちの状態である確率 1 - ρ

ということに他なりません。 ρ が(レジ係の)稼働率であるゆえんです。


行列の平均長


(6式)で行列の人数ごとの確率が求まったので、行列の平均長を計算することができます。つまり、

n pn 0 n

の総合計が行列の平均長( = L )です。

L = n=0 npn = n=0 n1-ρρn

ここで Sn を、

Sn = k=0 n kpk = 1-ρ k=0 n kρk

と定義すると、

ρSn = 1-ρk=0 n kρk+1

です。従って、

Sn-ρSn = 1-ρ k=0 n k ρk - k=0 n k ρk+1 = 1-ρ k=1 n k ρk - k=1 n+1 k-1 ρk = 1-ρ k=1 n ρk - nρn+1 1-ρ Sn = 1-ρ ρ 1-ρn 1-ρ - n ρn+1 Sn = ρ 1-ρn 1-ρ - nρn+1

と計算できます。ゆえに、行列の平均長 L は、

L = lim n Sn = ρ 1-ρ

となります。


平均待ち時間


次に、客が行列に到着してから会計が始まるまでの時間、「平均待ち時間(=W)」を計算してみます。これは、

 平均待ち時間 =
列に到着したときに、既に列に並んでいる人全員の会計が終る平均時間

であり、ということは、

 平均待ち時間 =
レジ行列の平均長さ)×(1人の平均会計時間)

です。平均の会計時間は 1 μ なので、

W = 1 μ ρ 1-ρ

となります。以上でレジ行列の数学的な解析ができました。


スーパーのレジ行列の分析


今までの数学的分析をまとめると、

客の平均到着数
  λ (単位時間当たり)
レジ係の平均会計数
  μ (単位時間当たり)
稼働率
  ρ = λ μ

のとき、レジ行列の平均長 L と平均待ち時間 W は、

L = ρ 1-ρ W = 1 μ ρ 1-ρ

で求めることができます。



最初に提示したスーパーのレジ係りの人数に戻ります。レジ係り一人あたり1時間あたりの平均の会計処理数は、 μ = 60 です(1人の客につき1分で処理)。現状(変更前)はレジ係り2人でそれぞれ24人の客を1時間あたりこなしているが、レジ係を1人にしたらどうなるかが問題でした。それを計算すると次のようになります。

 変更前(レジ係2人) 

μ = 60 λ = 24 ρ = 0.4 L = 0.67 W = 40

 変更後(レジ係1人) 

μ = 60 λ = 48 ρ = 0.8 L = 4.0 W = 4

つまりレジ係を半分に変更すると、変更前と比べて平均の行列長さ(L)も平均待ち時間(W)も6倍になります。店長の "せいぜい2倍程度だろう" という直感は、全くの "外れ" であることが分かります。

LW も、稼働率 ρ が 1 に近づくと急激に上昇します。その様子をグラフにしたのが次です。

平均行列長.jpg
稼働率と行列の平均長の関係
稼働率 ρ (横軸)が 1 に近づくと、行列の平均長 L(縦軸)は急激に増える。

現象の本質が "ランダム" である場合、往々にして我々の直感がはずれます。上の例で変更後の稼働率が 0.8 ということは、レジ係りの時間の 20% は客待ち時間だというとです。それでも、客の視点からすると会計待ちの時間が大幅に延びる。このような問題では平均で考えると落とし穴にはまります。



以上のスーパーのレジの分析は「待ち行列理論」の初歩のそのまた第1歩です。世の中には「窓口」がいろいろあって、そこに並んで何らかの「サービス」を受けることが多々あります。「窓口」は、人が対応しない自販機でも ATM でも同じです。もっと一般化すると、サービス提供主体があり、サービスを受けようとする主体が複数あると "待ち行列" の問題が発生します。コールセンターに電話すると「ただいま込み合っております。そのまましばらくお待ちください」という自動応答が返ってくることがありますが、同じことです。

またコンピュータシステムにおいては、多数の処理要求に対して複数のサーバーが対応するケースが多々あります。Webによるチケットの予約システムなどはその典型でしょう。もっと広く考えると、現代のインターネットは世界中に何10億というサーバー資源(アプリケーション・サーバ、ファイル・サーバ、ルーター、・・・・・・)があり、そのサービスを受けようとする何億人かの "客" で構成されている巨大ネットワーク・システムだと言えるでしょう。その各所で、実は微少な「待ち行列」が発生しています。

そういった、世の中に多数ある "システム"(人間系・コンピュータ系)を設計する根幹のところに「待ち行列理論」があるのでした。




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No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE [音楽]

No.321「燻製とローリング・ストーンズ」で、「美の壷 File550:煙の魔法 燻製」(NHK BSプレミアム。2021年9月10日)で BGM として使われたローリング・ストーンズの楽曲のことを書き、その一つの "Lady Jane" の歌詞と日本語訳を掲げました。

この "Lady Jane" で連想するのが、下北沢にあるジャズ・バー「LADY JANE」です。このジャズ・バーは、今は亡き松田優作さんが通い詰めたことで知られ(優作さんがキープしたボトルがまだあるらしい)、現在も多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されている店です。俳優の桃井かおりさん、六角精児さん、写真家の荒木経惟のぶよし(アラーキー)さんもこの店の常連だそうです。

この店の「LADY JANE」という屋号はローリング・ストーンズと関係があるのでしょうか。

店のオーナーは音楽プロデューサーの大木雄高さんという方ですが、大木さんの「音曲祝祭行」というブログにそのことが書いてあります(http://bigtory.jp/shukusai/shukusai12.html)。以下に引用します。原文の漢数字を算用数字に改めました。


1975年の年明け、「レディ・ジェーン」というジャズバーを、僕はつくった。デューク、サイドワインダー、サムシンなど、最後まで残ったジャズにまつわる店名候補を退けて、レディ・ジェーンを選んだ。この名は、3月に来日予定の“世界遺産”のロックバンド「ローリング・ストーンズ」の、66年にヒットしたバラ-ド曲だった。

「ジャズの店なのに、なんでロックの曲名を店名にしたのか?」とよく聞かれた。その当時から、クロスボーダーを主張していた、なんて言わない。僕のただの邪鬼だった。

大木雄高「音曲祝祭行」VOL.12
淑女かあばずれか?「レディ・ジェーン」

引用中に「3月に来日予定の」とありますが、この文章が書かれたのは1998年2月で「1998年3月に来日予定の」という意味です。ちなみに、今までにローリング・ストーンズが来日公演をしたのは、1990年、1995年、1998年、2003年、2006年、2014年ですが、ほとんどが3月の公演でした。引用の最後に「僕のただの邪鬼だった」とありますが、これは天邪鬼あまのじゃくのことでしょう。さらに、引用した文章のあとには、次のような表現もあります。


「レディ・ジェーン」は、故ブライアン・ジョーンズのかき鳴らすダルシマの優雅さもあって、ロレンスの世界というか、精霊的でさえある

大木雄高「同上」

ロレンスとあるのは、イギリスの作家、D.H.ロレンスのことです。またダルシマーは珍しい楽器で、No.321 に書いたように、ブライアン・ジョーンズがダルシマーを演奏する貴重な映像が YouTube に公開されています。

また、大木さんの別のブログ「東京発 20:00」には次の記述もあります(http://bigtory.jp/tokyo/tokyo_zpn19.html)。2006年に書かれた文章です。


染井吉野が狂気乱舞していた4月上旬、NHKに入りたての2人の若者男女が訪ねてきた。圧倒的に若者に支持され、又現在再開発に激震する街下北沢は新入社員として格好の社会勉強の的だったのだろう。2人共黒いスーツをいかにも着せられて溌剌と質問してくる。「この店はいつからですか? 名前の由来は? 下北沢の昔はどうだったのですか?」等々。

1975年1月、50近く上げた店名候補を消去法して、デュークやサイドワインダー等ジャズに因んだ名も最後に蹴落として「レディ・ジェーン」という屋号のジャズ・バーを下北沢にオープンした。「『ローリング・ストーンズ』は知っているだろう?」と言うと、若者は真面目に「知っています。ついこの間来ました」と張りきった。この在りながらにして伝説化した世界最長バンドは、3月によく来日する。それにしてもS席1万8千円とはよく付けたものだ。

ジャズの店なのに何故ロックの曲名から取ったのかと昔よく聞かれた。そこが店主である俺のクロスボーダー作戦その一だったのだが、今ではそれも聞かれず ?顔 をされるのが落ちだ。「結成時のストーンズのリーダーでブライアン・ジョーンズがいたんだよ」と言えば「はぁ?」としか答えが無い。

大木雄高
「東京発 20:00」2006年5月号
「ブライアン・ジョーンズ ~ ストーンズから消えた男」

「LADY JANE」としたのは「クロスボーダー作戦」だとあって、さきほどの引用の「ただの天邪鬼あまのじゃく」とは違いますが、おそらく両方とも正しいのでしょう。

ともかく、これらの文章を読んで分かることは、「LADY JANE」のオーナーである大木雄高氏はローリング・ストーンズが好きであり、なかでも故ブライアン・ジョーンズに惹かれていて、また楽曲としての "Lady Jane" を高く評価している(精霊的!)ということです。だから、ジャズ・バーであるにもかかわらず「LADY JANE」にした。



ところで、「LADY JANE」は多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されていると書きましたが、中島みゆきさんも、かつてこの店を行きつけにしている一人でした。大木さんは別のブログに「1988年、開店以来の常連客の甲斐よしひろが中島みゆきを連れて来た。その数ヶ月後に彼女は1人で来た」との主旨を書いていました。なんでも、彼女は明け方まで飲んで帰ったそうで、かなりの酒豪のようです。

その中島みゆきさんが "ジャズ・バー LADY JANE" をそのままタイトルにした作品があります。2015年発売のアルバム『組曲』に収められた「LADY JANE」です。今回はこの作品の詩のことを書きます。

なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。


LADY LANE


「LADY JANE」は2015年のアルバム『組曲』に収められた曲で、その詩を引用すると次のとおりです。


LADY JANE

LADY JANE 店を出るなら まだ
LADY JANE 暗いうちがおすすめです
日常な町角
LADY JANE どしゃ降りの夜なら
LADY JANE 古い看板が合います
色もない文字です

愛を伝えようとする二人連れが
ただジャズを聴いている
愛が底をついた二人連れも
ただ聴いている

時流につれて客は変わる
それもいいじゃないの この町は
乗り継ぎびとの町

LADY JANE 大好きな男が
LADY JANE この近くにいるの
たぶんここは知らないけど
LADY JANE

LADY JANE すねに傷ありそうな
LADY JANE マスターはいつも怒ってる
何かを怒ってる
LADY JANE 昔の映画より
LADY JANE 明日あしたの芝居のポスターが
何故なぜか古びている

座り心地が良いとは言いかねる
席はまるで船の底
常に灯りはかすんでいる
煙草のるつぼ

時流につれて町は変わる
迷い子になる程変わっちまっても
この店はあるのかな

酔いつぶれて寝ていたような片隅の
客がふいとピアノに着く
静かに遠ざかるレコードから
引き継いで弾く

時流につれて国は変わる
言葉も通じない国になっても
この店は残ってね

LADY JANE 私は一人です
LADY JANE 歩いて帰れる程度の
お酒を作ってね
LADY JANE 店を出るなら まだ
LADY JANE 暗いうちがおすすめです
日常の町角
LADY JANE


中島みゆき「組曲」.jpg
中島みゆき
組曲」(2015)

① 36時間  ② 愛と云わないラヴレター ③ ライカM4 ④ 氷中花(ひょうちゅうか)⑤ 霙の音(みぞれのおと)⑥ 空がある限り ⑦ もういちど雨が ⑧ Why & No ⑨ 休石(やすみいし) ⑩ LADY JANE

中島みゆき「組曲」裏表紙.jpg


非日常


以降、詩の内容を振り返りますが、まず冒頭の、

店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角

という言葉の流れに少々違和感を覚えます。「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです」は明瞭ですが、それと「日常な町角」とはどういう関係にあるのでしょうか。

CD のブックレットに、歌詞とともにその英訳がしるされています。それを見ると上の部分の訳は、

If you are going to leave
I suggest you do so while it's still dark
Daily life would hit you otherwise

となっています。つまり「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです。でないと日常(の町角)に遭遇しますよ」という意味なのですね。つまり詩に言葉を補ったとしたら、

店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角(に出会う前に)

となるでしょう。繰り返される日常の毎日、それとは違う "非日常" を求めてジャズ・バーで過ごす。ジャズ・バーを出たとたんに「日常の町角」に出会うより、"非日常の余韻" に浸りながら帰宅したほうがよい。そう理解できると思います。





"町" という言葉が何回か出てきます。ジャズ・バーがあるこの町は「乗り継ぎびとの町」と表現されています。"乗り継ぎ" は、文字通りにとると「交通機関の乗り継ぎ」です。ちょうど、実店舗の「LADY JANE」がある下北沢が小田急線と井の頭線の乗り継ぎ駅であるようにです。

しかしここは拡大解釈して「人生の乗り継ぎ」という風にとらえることができると思います。つまり、町に住み続ける、永住するというより、数年レベルの居住者が多い町というイメージです。その理由は、職場、大学、仕事の関係などさまざまでしょう。詩に「時流につれて客は変わる」とあるのも、そのイメージとマッチしています。





その町にあるジャズ・バー「LADY JANE」は、

・ 色のあせた文字の看板

・ 座り心地が良いとは言いかねる
席はまるで船の底

・ 常に灯りはかすんでいる
煙草のるつぼ

と表現されています。いかにも老舗しにせのジャズ・バーという風情です。ここで出てくる「看板」「席」「灯り」は、おそらく店の創業以来そのままなのでしょう。


時の流れ


しかし、店の外観やしつらえは変わらなくても、変わるものがあります。それは、

時流につれて客は変わる
時流につれて町は変わる
時流につれて国は変わる

と表現されているように「客」「町」「国」で代表されるものです。「客・町・国」の何が変わるのかの具体的な言及はありません。ただ「乗り継ぎびとの町」にあるバーなので、客や町が変わるのは自然でしょう。

また「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。このジャズ・バーには映画や演劇のポスターがいろいろ貼ってあるようです。それも最新の(ないしは近日中に公開や初日の)ものだけでなく、昔の映画や演劇のポスターも(マスターのセレクションによって)貼ってある。当然そこには変遷があり、大袈裟に言うと、国の文化的状況の変化を反映している。

文化的状況というと、詩にある「言葉が通じない国」の "言葉" も変わります。この詩は「変わらないものと、変わるもの」が、基軸になっています。その中で、

この店はあるのかな
この店は残ってね

とあるように、店は変わらないで欲しいと願っている。そいういう詩です。


人間模様


その「変わらないものと変わるものの交差点」であるジャズ・バーのなかで、いくつかの人間模様が描かれます。まず、

愛を語り合うカップル

です。次に、それとは対照的な、

愛が冷えたカップル

です。ひょっとしたら同じカップルかもしれません。最初に見たときは「愛を語り合う」ようだったが、その次には「愛が冷えた」ようだったという、時間の経緯による変化なのかもしれません。さらに、

脛に傷ありそうなマスター

です。"脛に傷" なので、次のようなイメージが浮かびます。つまりこのマスターはジャズが好きだが、以前は全く別の仕事をしていた。そのときに人生における極めて辛い状況に陥った。それを契機にジャズ・バーのマスターに転身した。たとえばですが ・・・・・・。

このマスターは「いつも何かを怒ってる」とあるように、"気難し屋" のようです。何に怒っているのかは書いてありませんが、その直後の言葉に「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。これにひっかけて類推すると「最近の映画はつまらないし、演劇のクオリティーは低くなった」と怒っているのかもしません。そしてもう一つの人間模様としては、

ピアノを弾く客

です。「寝ていたかのよう客がふいとピアノ弾き始める、遠ざかるレコードを引き継いで」とあるので、フェイドアウトするレコードから引き継いだピアノ演奏です。アマチュアのジャズバンドをやっている人かも知れないし、ひょっとしたらプロのミュージシャンかも知れません。プロだとしたら、即興のピアノ演奏とも考えられるでしょう。





そして「私(=女性)」です。私は、

・ 大好きな男がこの近くにいる。ただし、その男はこのジャス・バーを知らない。

・ 一人でジャズを聴きながら、お酒を飲む。

・ お酒の量は「歩いて帰れる程度」で、かなり多め。

・ 深夜まで飲み、夜明け前のまだ暗いうちに(=町の日常が動き出す前に)店を出る(こともある)。

といった感じでしょうか。このジャズ・バーに通う大きな理由は「大好きな男がこの近くにいる」からなのでしょう。程度はさておき、女性の側からの "片思い" を匂わせる表現です。そうでないなら、2人でこの店に来ればよいはずです。詩に出てくるカップルのように ・・・・・・。

こういった "片思い" にまつわる詩は、70年代・80年代の中島さんの作品にいろいろあったと思います。しかしこの詩では、以前の作品のように "女性心理を突き詰める" というのではなく、「私」はあくまでこのジャズ・バーの人間模様の一つに過ぎません。そういった "軽さ" がこの詩の特徴でしょう。


実在の店を主題にするという手法


以上の内容は、「LADY JANE」という実在する店を舞台にし、その店の固有名詞を出した中で展開されます。こういった詩の作り方で真っ先に思い出すのが「店の名はライフ」です。この楽曲は1977年発表のアルバム「あ・り・が・と・う」に収められたもので、「LADY JANE」とは38年の時間差があることになります。

両曲とも実在する店をテーマにすることで人間模様(あるいは世相)を描いていますが、「LADY JANE」の詩は気負いがなく "肩の力が抜けている" 感じがします。曲調も中島さんの歌い方も軽快です。

特に「LADY JANE」は店の名前だけがタイトルであり、かつその名前が16回も繰り返されるところです。つまり主題は店であり、店が主人公の詩と言ってよいでしょう。その主人公である店が、人や町などの変化(や不変なもの)を語る。

"定点観測" という言葉があります。場所を固定して観測を続けていると、多様な人が行き交うことがわかると同時に、時間の流れと変化を感じることができる。「LADY JANE」は、変わらないものと変わるものの交差点である非日常空間を描いた詩、そう言えると思います。


サード・プレイス


「LADY JANE」の詩から、"サード・プレイス" という言葉に連想がいきました。サード・プレイス(第3の場所)とは、

自宅(ファースト・プレイス)や職場(セカンド・プレイス)とは隔離された、自分にとっての居心地の良い場所

の意味です。セカンド・プレイスは "自宅以外で1日の最も長い時間を過ごす場所" で、職場以外にも学校などが含まれます。ファースト・プレイスとセカンド・プレイスを「日常空間」とすると、サード・プレイスは「非日常空間」ということになるでしょう。

サード・プレイスでは、気ままに何かをしてもよいし、何もせずに無為の時間を過ごしてもよい。目的(たとえばジャズを聴く)があってそこに行ってもよいが、目的なしに行ってもよい。"そこに居る" こと自体が目的であっていいわけです。

また、そこに集まる人はすべてが平等です。常連客が雰囲気を支配しているような店はサード・プレイスにふさわしくない。

サード・プレイスがカフェ、バーなどの店だとしたら、その店は長期に存続し続けることが重要です。自分にとっての居心地のよさは、時間のフィルターで濾過されたものが自分に染み込むことで生まれるからです。ジャズ・バー「LADY JANE」がまさにそうで、1975年にオープンなので、中島さんが楽曲にするまでに40年間続いていることになります。

「LADY JANE」の詩から、日々の生活にとっての "サード・プレイス" の必要性や重要性を思いました。




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