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No.331 - カーネーション、リリー、リリー、ローズ [アート]

No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、画家・サージェント(1856-1925)の『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館所蔵)のことを書きました。ベラスケスの『ラス・メニーナス』への "オマージュ" として描かれたこの作品は、2010年にプラド美術館に貸し出され、『ラス・メニーナス』と並べて展示されました。

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ジョン・シンガー・サージェント
(1856 - 1925)
「エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち」(1882)
(222.5m × 222.5m)
ボストン美術館

この絵の鑑賞のポイントの一つは、画面に2つ描かれた大きな有田焼の染め付けの花瓶です。これはボイト家に実際にあったもので、その後、ボストン美術館に寄贈されました。この有田焼は当時の欧米における日本趣味(広くは東洋趣味)を物語っています。

そして、同じサージェントの作品で直感的に思い出す "日本趣味" の絵が、画面に提灯と百合の花をちりばめた『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885-6。テート・ブリテン所蔵)です。No.35 では補足として画像だけを載せましたが、今回はこの絵のことを詳しく紹介します。というのも、最近この絵の評論を2つ読んだからで、その評論を中心に紹介します。


カーネーション、リリー、リリー、ローズ


Sargent - Carnation, Lily, Lily, Rose.jpg
ジョン・シンガー・サージェント
(1856 - 1925)
カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(1885-6)
(174cm × 154cm)
テート・ブリテン

まず、このブログで今まで多数とりあげた中野京子さんの評論から紹介します。この絵の第1のポイントは、夕暮れの時の一瞬を描いたというところです(以降の引用で下線は原文にはありません。また段落を増やしたところ、漢数字を算用数字に直したところがあります)。


「夕暮れ」を表現する言葉は多彩だ。英語とドイツ語では「二つの光」と言い、昼と夜の明暗が交差することを示す。フランス語では「犬と狼の間」と呼ぶことがある。薄闇の中を近づいてくる相手が安全か危険か見定めがたい、という不安の心情だ。日本語の「黄昏たそがれ」も語源は「そ、彼(= あれは誰か)」からきている。果たして見えているのは、味方か敵か。そういえば、「逢魔おうまが時」という呼び方もあり、となれば、人か魔か、近づくまではわからない。わかった時にはもう遅い。

── 異界と重なりあうこの入相いりあいの時は、しかし誰もが知るとおり、怖いが美しい。いや、怖いまでに美しい。多くの画家同様サージェントもまた、黄昏時のつかの間の幻想をキャンバスにとどめたいと意欲を燃やし、本作を完成させた。


夕暮れを表現する言葉は多彩です。薄暮、宵、という言い方もあります。いずれも日没前後の時間ですが、特に日没後の短い時間を指すことが多い。日没の後には西の空に夕焼けの赤みが残り、次にはその赤みが無くなって空は群青になり、次にはその青みも消えて黒くなる。サージェントのこの絵は、その空が黒くなる手前の時間、西の空が橙色か、それを過ぎた深い青の時間を描いていると感じさせます。


花々の乱れ咲く庭園で、白いドレスの少女二人が無心に提灯ちょうちんるす。自然光と人工光という異質な明かりが混じりあいながら顔を、金髪を、指先を、ドレスを、そして花や葉を照らし、この世ならぬ雰囲気を醸し出すとともに、どこか懐かしい甘い記憶に訴えかけてくる。

「同上」

この絵は「花々の乱れ咲く庭園の中に少女が2人」というのが基本的なテーマですが、本当にこれがリアルな光景なのか、実は幻影ではないかという感じが、ふとします。「この世ならぬ雰囲気を醸し出す」と中野さんが書いている通りです。その大きな理由は薄暮の時の「自然光と人工光の混じりあい」なのでしょう。さらにもう一つは、画面を埋め尽くす庭園の花々と草が、まるで壁紙に描かれたように見えることでしょう。これはリアルな光景なのか、と暗黙に思ってしまうわけです。

サージェントはアメリカ人ですが、この絵を仕上げた当時は英国に住んでいました。そしてカンヴァスを野外に持ち出し、薄暮の僅かな時間を狙って少しづつ仕上げていったと言います。そのため花々は枯れてしまい、そうすると制作を中断し、新しい花が育つまで待った。完成までに長い時間がかかったようです。


タイトルの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、当時のポピュラーソングの歌詞から取られたという。花の女神フローラの花冠はカーネーションと百合ゆり薔薇ばらで編まれている、とリフレインする印象的なフレーズだったらしい。

「同上」

この絵のもとになったのは当時の英国の "はやり唄" であり、花の女神フローラを唄ったものというのは象徴的です。ルネサンス期以降の西洋絵画に、ギリシャ神話の女神・フローラがいて、その周辺に花がちりばめられている絵がいろいろあります。ボッティチェリの『春』(ウフィツィ美術館)に描かれたフローラはその典型でしょう。サージェントのこの絵に現実感が希薄なのは、そいういうことと関係しているのかもしれません。

そして目に付くのが提灯です。なぜ英国の庭園に提灯があるのか。それは当時のヨーロッパの、ある種のブームに関係しています。


さて、画面には日本の提灯が、丸いもの、筒形のもの、いくつも登場している。サージェントは本作に取り組む少し前、テムズ川下りをしていた時に、岸辺の木々の枝に吊られた不思議な紙製の明かりを見て、魅了みりょうされたのだった。そこから愛らしいこの絵画が生まれたと思えば日本人として感慨深いし、19世紀にもう提灯がヨーロッパへ輸出されていたことにも驚く。

本作からさかのぼること、およそ20年、ロンドン万博が開催されており(1862年)、このとき日本は国家としての正式出展はしなかったのだが、初代駐日総領事だったイギリス人ラザフォード・オールコックが、個人コレクションを展示した。象牙ぞうげ、漆器、七宝、刀剣、甲冑かっちゅう、浮世絵、錦絵にしきえはむろんのこと、オールコック自身が珍奇と感じた日用品もそこに混じっていた。蓑笠みのがさ藁草履わらぞうり、提灯など。

同時期に派遣された江戸幕府の遣欧使節団(福沢諭吉も参加)は、庶民の使う雑具まで万博に並べられるのは国辱こくじょくと思ったようだが、ヨーロッパ人にとってはどれもエキゾティックと好意的に受け取られた。

「同上」

その提灯ですが、もともと中国由来で、室町時代に日本に伝わりました。中国の提灯は、今でもそうですが、構造材が縦に通っています。一方、日本の提灯は "蛇腹" になっていて、ぺたんと折り畳める。この構造は日本の発明です。サージェントの絵に描かれているのはこの日本方式の提灯です。


とりわけ提灯だ。

内部にロウソクをともして和紙や絹で風防し、手に提げて持つ懐中電灯の昔版である。中国伝来だが、中国の提灯は折りたたむことができない。和製提灯の折りたたみ機能の斬新ざんしんさは、日本人の創意工夫から生まれたもの。

その形態にロマンティックでやわらかな光の効果が相俟あいまって、欧米では一時大流行したのだった。サージェントが見たように岸辺を彩ったり、レストランの戸外テーブルの周りに灯された。その下で、女性たちはさぞかし妖艶ようえんさを増したであろう。彼女らが魔女に変わるかどうかは知らないが、黄昏時に提灯を持つ少女が妖精に変わったのは間違いない。

「同上」

文章の最後で中野さんは "妖精" という言葉を出しています。No.318「フェアリー・フェラーの神技」に書いたように、英国は "妖精大国" です。妖精の民話が大量にあるし、著名文学にも登場します(シェイクスピア、ピーターパン ・・・・・・)。そして "妖精画" が絵画の大ジャンルであり、妖精画を専門に描く "妖精画家" がいた。英国在住の画家・サージェントはそういった事情を良く知っていたはずです。

画家は、白いドレスを着て提灯を灯す2人の少女を妖精に見立てているのではないでしょうか。「この世ならぬ雰囲気」はそういうところからも来ていると感じます。



ところで、この絵には提灯以外に日本関連のアイテムが描かれています。それがヤマユリです。最近の日本経済新聞の日曜版(The STYLE。2022年1月30日)に、窪田直子記者(東京編集局文化部)がそのことを書いていました。それを次に紹介します。


花の東西交流


窪田記者の記事は、

19世紀 園芸の東西交流(1)
植物ハンター、世界をめぐる

と題するものです。19世紀当時、ヨーロッパの "植物ハンター(プラントハンター)" と呼ばれる人たちが、世界の植物を自国に持ち帰った。もちろん日本の植物もその中にあった。そういった交流のあかしとしてサージェントの絵を取り上げているのです。記事はまず『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』の解説から始まります。


「サージェントのあのユリの絵、どこにありますか」。来館者によくそう尋ねられると言ってテート・ブリテンの学芸員は笑った。10年ほど前に取材でロンドンを訪れたときのことだ。「カーネーション、ユリ、バラ」がとらえる日没まぎわの幻想的な光景は、それほど見る者を魅了してやまない。

まず、構図が変わっている。中央の白いサマードレスの少女は、画家の友人の娘のドリー、11歳。彼女が中心人物のようにも思われるが、視線はすぐにその横に立つ 7歳の妹、ポリーへと移る。きまざまな花や紙の提灯ちょうちんが壁紙の模様のように散らされて、どこに焦点をあててよいのか、分からない。

窪田直子
日本経済新聞・Nikkei The STYLE
(2022年1月30日)

この絵の発想のきっかけになったのは、画家がテムズ河畔でたまたま目にした提灯です。サージェントはロンドン近郊の友人宅に滞在しながら、この絵を描きました。


制作にあてたのは日没前のわずか10分ほどだ。友人らと芝生でテニスをしながらイメージ通りの光を待ち、辺りが薄紫に染まるやカンバスの前に立って、小鳥のように動き回りながらタッチを重ねたという。秋になって植物が枯れると、未完成の絵を残していったんロンドンに帰京。翌年までに50個ほどのユリの球根を友人宅に送り、植木鉢で育てるように依頼している。

「再現不能に思える花々やランプの色、草むらの輝く緑。絵の具ではとても彩度が足らない。しかも光の効果が続くのは10分間だ」この絵を仕上げる難しさを手紙につづっている。

絵の細部をあらためて見てみよう。2本の長いユリの茎に糸をわたし、つるした提灯に、少女たちが光をともす。息をつめた真剣な面持ちのポリーの指先がほんのり赤くらされている。姉妹の純白のドレスは、オレンジ色の提灯とトワイライトの光を映し出すカンバスだ。ユリの白、バラのピンク、カーネーションの赤と黄色も、実に丁寧に色調を描き分けている。画面の中央左のユリは提灯に照らされピンクがかっている。右下方のバラの群れには、陰りゆく日の光が感じられるだろう。ドリーのドレスの前後に咲くカーネーションは、光をあびているものは明るく、陰の花は赤黒い。そう、この絵は刻々と移りゆく光のパージェント、光と色彩の交響詩なのである

「同上」

そしてサージェントのこの絵には、親交が深かったモネと同様、ジェポニズムの時代の空気が色濃く出ています。その典型が提灯ですが、もう一つの重要なアイテムがヤマユリです。


カンバスを国外に持ちだしての制作、自然光による時間の表現といえば、印象派の画家モネを思い起こすかもしれない。サージェントはモネと親交が深く、印象派の動向にも詳しかった。モネは浮世絵を所有、着物や扇を絵のモチーフにするなどジャポニスムに影響を受けたことでも知られる。サージェントの絵にも、そんな時代が映り込む。東洋風の提灯だけではない。少女たちの背後で華麗に咲き匂う大きなヤマユリ。19世紀後半、日本からもたらされたこの花は、センセーションを巻き起こしていた

「同上」


プラントハンター


江戸時代後期、日本の植物をヨーロッパに持ち帰ったのがシーボルトでした。ドイツ出身のシーボルトは医者で、長崎の出島ではオランダ商館医のポジションにつきますが、同時に彼は植物学者でもあり、多数の日本の植物をヨーロッパに送りました。これをきっかけに日本のユリがヨーロッパで大人気を博します。


ユリは聖母のシンボルとしてキリスト教の宗教にたびたび登場する。中世までの古い絵に接かれるのは古来ヨーロッパにあるニワシロユリ。花びらの長さが5センチにも満たない小型の花だ。ユリは宗教的な意味を含む特別な花である。一方、葬儀にも用いられることから観賞用には好まれなかったという。

その状況を一変させるのが、シーボルトが欧州にもたらした日本の花。二ワシロユリの1.5倍ほどの大きさになるテッポウユリや、紅色の花弁が華麗に広がるカノコユリである。これらは "マドンナ・リリー" がかすむほどの人気を集め、その球根は同じ重さの銀と取引されるほどだった。

江戸時代後期に長崎の出島に滞在したドイツの医師・植物学者のシーボルトは2度にわたり600種類以上の植物を欧州に向けて送った。ところがそのリストにヤマユリの名がない。当時の技術でその球根を運ぶのは至産の業だったのだという。シーボルトが137種の植物を積み込んだハウトマン号は1829年、オランダのライデン植物園に到着。しかし、熱帯を2度通過する過酷な船旅で57種が枯れていた。同年、今度は485種の植物とともにジャワ号で日本を出帆。目的地までたどり着いたのは260種にすぎない。生きたままの植物を届けることがどれほど困難だったかがわかる。

「同上」

Madonna Lily.jpg
マドンナ・リリー
(庭白百合、ニワシロユリ)
この引用にあるように、当時のヨーロッパで一般的なユリは "マドンナ・リリー" で、古来から聖母マリアのシンボルでした。受胎告知の場面で大天使・ガブリエルが持っている花もこれです。マドンナ・リリーの別名が "Garden White Lily" で、和名のニワシロユリはこの直訳です(庭白百合)。日本のテッポウユリに似ていますが、テッポウユリよりも小型です。

しかし『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』で、少女の後ろの目立つ位置に描かれているのはヤマユリです。そしてヤマユリが本格的にヨーロッパに輸出されるのは明治以降です。それは引用にあるように、輸送が難しかったからです。

ヤマユリ.jpg
ヤマユリ

ヤマユリ(c).jpg
サージェントの「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」に描かれているヤマユリ。絵の中央上方の拡大図。


日本の植物、なかでも花の球根の買易が盛んになるのは明治の開国後、プラントハンターと呼ばれる人々の活躍によるところが大きい。ヤマユリにいち早く目をつけ、「日本から導入すべき最も注目に値する美しい植物」としたのも、英国の園芸者「ヴィーチ商会」の一族出身のジョン・グールド・ヴィーチだ。中国産植物の採集で知られるスコットランド出身のロバート・フォーチュンも、ヤマユリの球根をヴィーチ商会のライバル社に送っている。

お雇い外国人のルイス・ボーマーが横浜に設立した「ボーマー商会」もユリ根の輸出で大成功を収めた。ヤマユリは中部地方から関東地方に多く自生。神奈川県を中心に山採りされた球根が出荷された。「ユリ根の出荷作業」は、同商会の商品カタログに掲載された挿絵である(引用注:下に引用した図)。作業中の女性の前に並ぶ、おはぎのようなものは、細かく砕いて水で練った赤土の泥団子。ユリ根をこれで包んで船に乗せた。「腐敗を防いで運ぶカギは混度の管理。球根を水ゴケで巻くなど、さまざまな工夫を凝らしたようです。菌などの少ない土を使うことも極めて重要でした」。総合園芸企業「横浜植木」の伊藤智司社長が教えてくれた。

「同上」

ユリ根の出荷作業.jpg
ユリ根の出荷作業
横浜のボーマー商会の商品カタログの挿絵。女性のそばにユリ根と赤土の泥団子が描かれている。日本経済新聞(2022.1.30)より。

ちなみに、上の引用に「ヤマユリは神奈川県を中心に山採りされた球根が出荷された」との主旨があるが、現在の神奈川県の "県の花" はヤマユリである。


同社の前身、横浜植木商会はボーマー協会で主任番頭を務めた鈴木卯兵衛が90年に設立。JR横浜駅から車で15分はどの住宅街にある創業の地でいまも営業を続ける。大正時代の鳥瞰図を見せてもらって驚いた。一面の畑。敷地内には種子部、発送部、荷造場、検疫室、燻蒸室、20もの温室、球根室などが並んでいた。ユリを含む作物の輸出はすでに一つの産業だったのだ

「カーネーション、ユリ、ユリ、バラ」の舞台である英国にヤマユリが届いたのは62年のことらしい。王立園芸協会のフラワーショーに出品されて「非常な大きさ、花数の多さ、力強い香り、優雅で品位のある外観」が人々を魅了。やがて米国、インド、シベリアなどからもさまざまな品種が導入されてユリ栽培がブームになった(春山行夫著「花の文化史」)。世界を駆けめぐる植物愛好家の夢と情熱を、サージェントも感じ取っていたにちがいない。

「同上」

横浜植木.jpg
横浜植木商会
横浜植木商会の大正時代の鳥瞰図。ユリ根を含む作物の輸出が一つの産業だった。ユリ根は、当初は山採りされていたが、大規模栽培して輸出されるようになり、日本の外貨獲得に貢献した。日本経済新聞(2022.1.30)より。

我々は学校の日本史の教科書で、明治時代に日本の貿易をささえていた(= 外貨獲得のかなめだった)のが生糸だと習うわけです。それは全くその通りですが、実はユリ根も大切な輸出品だったのです。生糸と同じく、そのほとんどが横浜港から輸出されました。その結果(ヨーロッパにはない)日本の大型のユリが大人気を博し、サージェントの絵につながった。

補足しますと、現代では園芸用のユリ球根の8割はオランダからの輸入です。なぜかというと、オランダはチューリップなどで培った球根の品種改良技術が優れているからだそうです(日本経済新聞。2013.5.14 による)。

以上の背景を踏まえた上で、サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』を再度見てみます。

Sargent - Carnation, Lily, Lily, Rose.jpg
ジョン・シンガー・サージェント
カーネーション、リリー、リリー、ローズ
テート・ブリテン

この絵の主題は「夕暮れ時の一瞬に見られる光と色彩の交響詩」です。これをカンヴァスに定着させることに画家は心血を注いだ。モデルは白いドレスの妖精のような2人の姉妹で、背景はイングリッシュ・ガーデンです。

そしてこの絵を当時の英国人の目から見ると、英国ではあまり見かけないアイテムが2種類描かれています。一つは提灯で、もう一つはヤマユリです。それがエキゾチックな雰囲気をかもし出す。この2つを配置することで、昼と夜の境界領域である薄暮の時間の幻想的な雰囲気が倍加される。

これら全てが見る人を魅了してしまう傑作、それが『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』なのでした。




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No.330 - ウイルスでがんを治療する [科学]

No.314「人体に380兆のウイルス」の最後の方に、東京大学医科学研究所の藤堂とうどう具紀ともき教授が開発した "ウイルスによるがん治療薬" が承認される見通しになったとのメディア記事を紹介しました(2021年6月11日に承認)。今回はその治療薬の話を詳しく紹介します。

承認の対象となったがんは、脳腫瘍の一種である悪性神経膠腫こうしゅで、条件・期限付き承認です。期限は7年で、7年後にそれまでの治療結果をもとに再度、承認の申請の必要があります。またすべての悪性神経膠腫の患者さんに使えるのではなく制限がかかっています(後述)。とはいえ、これは画期的な治療薬です。つまり、

◆ ウイルス療法の治療薬が日本で初めて承認された。

◆ 脳腫瘍を対象にしたウイルス療法薬が世界で初めて承認された。

◆ 開発から製造までの全工程を日本で行った国産ウイルス療法薬である。

という3つの点で画期的です。この治療薬の開発名は G47Δデルタで、WHOが決めた一般名称は「テセルバツレブ」、製品名は「デリタクト注」です("注" は注射薬の意味。製造する製薬会社は第一三共株式会社)。

ウイルス療法薬とは「がん細胞にのみ感染するウイルスを投与し、そのウイルスが次々とがん細胞に感染し破壊することでがんを治療する」というものです。どうしてそんなこと出来るのか、また、この薬による治療の承認対象となった脳腫瘍とはどんなものかについて以下にまとめます。

藤堂教授は 2021年末に『がん治療革命 ウイルスでがんを治す』(文春新書 2021.12.20。以下「本書」)という本を出されました。この治療薬の開発の歴史からはじまって、がんを治療するメカニズム、臨床試験の結果、承認に至るプロセスなどがまとめられています。その一部を紹介します。


脳腫瘍


私事になりますが、私と同期入社の M さんは脳腫瘍により 30代で亡くなりました。入院されてから数ヶ月だったと思います。アッという間という感じでした。働き盛りというか、これから真の働き盛りを迎えるその前に、奥様と子供を残して "突如として" 命を奪われた。残酷なものだと思いました。私が G47Δ に強く興味をもったのは、この記憶があったからです。



私たちの頭蓋骨の内側には "髄膜" があり(硬膜・クモ膜・軟膜の3層構造)、その内側に脳組織があります。脳腫瘍とは頭蓋骨の内側にできる腫瘍(=がん)の総称です。

脳腫瘍は医学的に細分すると100種類以上ありますが、大きくは「原発性か転移性か」と「良性か悪性か」に分類できます。「原発性」は脳組織そのものから生じた腫瘍であり、「転移性」は体の他の部位の腫瘍が脳に転移したものです。本書でとりあげているのは原発性の脳腫瘍です。原発性脳腫瘍は年間で1万人あたり約1人が発症し、お年寄りから子供まで幅広い年齢層にわたります。

原発性脳腫瘍には「良性」と「悪性」があり 6割が良性、4割が悪性です。この区別は腫瘍ができる部位の違いです。良性脳腫瘍は脳組織の外側にできた腫瘍で、たとえば髄膜にできる髄膜腫です。良性脳腫瘍は脳組織を損傷することなく切除することが可能です。従って大半は外科手術で治ります。5年生存率は、腫瘍の種類によって違いますが、97%~99% といった高い数字です。

一方、悪性脳腫瘍は、がん細胞が脳組織の中に染み込むように散らばっている腫瘍で(専門的には "浸潤しんじゅん")、手術で完全に取り除くことは困難です。他の臓器の腫瘍のように「なるべく広く切除しておこう」なんてことは、脳ではできない。脳の深部の腫瘍になると後遺症を出さずに摘出するのは困難です。

悪性脳腫瘍で最も多いのは「グリオーマ(=神経膠腫こうしゅ)」で、「グリア細胞」にできる腫瘍です。グリア細胞は脳神経細胞を取り囲むように存在し、神経をささえています。"グリア" とはギリシャ語でにかわの意味で、日本語では「神経こう細胞」です。

悪性脳腫瘍はその "悪性度"(がん細胞の増殖の早さなど)によってグレード2~4に分類されますが(グレード1 は良性)、グリオーマと診断されてからの余命は、グレード2で7~8年、グレード3 で約3年、グレード4 で約1年です。グリオーマは、現代の医療ではほぼ 100% 治らないがんなのです。

このグリオーマの治療を対象として、2021年6月に承認されたウイルス治療薬が G47Δ です。これはヘルペスウイルスを改変して作られました。


ヘルペスウイルス


ヒトに感染して病気を引き起こすヘルペスウイルスは 8種類ありますが、主なものは次の3つです。

① 単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)
口唇ヘルペス、ヘルペス性歯肉口内炎、ヘルペス性角膜炎などを引き起こします。

② 単純ヘルペスウイルス 2型(HSV-2)
主に性器ヘルペスの原因となるウイルス。

③ 水痘・帯状疱疹ウイルス(HSV-3)
水ぼうそう(水痘)の原因となるウイルス。水ぼうそうが治ったあとも神経細胞に潜伏し、加齢や免疫力の低下で暴れ出して帯状疱疹を起こします。

G47Δ に使われるのは ① の「単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)」で、口唇ヘルペス(口唇に湿疹ができる)を起こします。このウイルスは人との直接的な接触によって感染しますが、初めて感染したときには大抵の人は症状が出ず、ウイルスは神経細胞の中にもぐり込んでしまいます。これを「潜伏感染」と言います。そして、何らかの原因で体の抵抗力が落ちているときに症状を引き起こす。症状は10日から2週間程度で治まります。症状を軽くする薬もあります。

潜伏感染している HSV-1 を退治することは、現代医学ではできません。感染したらずっとその人にひそみ続けます。そのため、日本の成人の約8割がこのウイルスに対する抗体を持っています。つまり感染しているわけです。20代から30代では約半数、60代以降ではほとんどの人が感染しているというデータもあります。つまり HSV-1 は「非常にありふれた身近なウイルス」なのです。



このウイルスはありふれた存在であるため、よく研究されていて、ウイルスの遺伝子(80以上ある)とその機能が解明されています。そのためウイルスの遺伝子を改変してがん治療に使うのに適しています。HSV-1 は人間がコントロールしやすい。これが重要な点です。

また万一、改変したウイルスを人に投与して病気を発症したとしても、ヘルペスウイルスに対する抗ウイルス薬があるので、投与を中断して治療が可能です。

さらに HSV-1 は、ほぼあらゆる種類のヒトの細胞に感染します。これもウイルスをがん治療に使うときに好都合です。


がん細胞を殺すメカニズム


G47Δ は単純ヘルペスウイルス 1型(HSV-1)の次の3つの遺伝子を改変し、遺伝子が働かないようにしたものです。

遺伝子1:γ34.5

この遺伝子の働きを止めると、口唇ヘルペスなどの病気を起こさなくなります。

またこの遺伝子は、感染した細胞の自滅を防ぐ機能を持っています。ヒトの正常な細胞は、ウイルスに感染すると細胞内のタンパク質合成を停止させ、ウイルスとともに自滅します。これによってウイルス感染の広がりを防いでいます。HSV-1 のこの遺伝子は、その自滅を阻止します。従ってこの遺伝子の働きを止めると、ヒトの細胞の自滅機能が有効なままであり、ウイルスの感染は拡大しません。

その一方で、がん細胞は自滅する機能に異常があり(だから増殖し続ける)、この遺伝子の働きを止めた HSV-1 であってもウイルスは増殖が可能です。つまり「正常細胞では細胞の自滅により増殖できないが、がん細胞では増殖できる」ことになります。その結果として HSV-1 はがん細胞を次々と破壊していきます。

遺伝子2:ICP6

HSV-1 は内部に DNA を持つ "DNAウイルス" で、細胞に入り込むとそのDNAを複製して増殖します。このとき、DNAを合成する酵素が必要になりますが、ICP6はその酵素を作り出す遺伝子です。

骨髄細胞や腸管の表面細胞などの増殖を繰り返している細胞を除いて、正常な細胞の中には DNA合成酵素が(ほとんど)ありません。そのため HSV-1 は ICP6遺伝子によって合成酵素を作り出して増殖するわけです。従って、ICP6の働きを止めた HSV-1 は正常細胞の中では増殖できなくなります

一方、分裂を繰り返してどんどん増えているがん細胞には DNA合成酵素がたくさんあります。従って ICP6の働きを止めた HSV-1 であっても、がん細胞の中では増殖できます。つまり「正常細胞では増殖できないが、がん細胞では増殖できる」ことになります。

遺伝子3:α47

免疫(獲得免疫)の基本的なしくみは、細胞内にあるタンパク質の断片(ペプチド)が細胞表面に提示されることから始まります。このとき、ウイルスに感染した細胞は自己由来のペプチドに加えて、ウイルスのタンパク質由来のペプチドが提示される。この "非自己の提示 = 抗原提示" を免疫細胞である T細胞が特異的に認識して免疫が発動します。ヘルパーT細胞が認識すると B細胞を活性化して抗体の生産が始まり、キラーT細胞が認識するとウイルスに感染した細胞を直接破壊します(No.69「自己と非自己の科学(1)」参照)。

HSV-1 の α47 という遺伝子は、細胞表面にウイルスのタンパク質が提示されないようにする作用があります。これにより HSV-1 はヒトの免疫系の監視を逃れて感染を拡大できるのです。

一方、がん細胞は、あの手この手を使ってヒトの免疫システムから逃れ、増え続けています。そのがん細胞に α47 の働きを止めた HSV-1 が感染すると、HSV-1 由来のタンパク質(の断片=ペプチド)が、がん細胞の表面に提示される。これがヒトの免疫細胞に認識され、がん細胞に対する抗体ができます。つまり、HSV-1の増殖によってがん細胞が破壊されることに加えて、ヒトの免疫システムによってがんを縮小でき、より一層の治療効果が期待できます。



以上の、3つの遺伝子が働かないように操作した HSV-1 は、がん細胞のみで増殖し、がん細胞を破壊します。増殖してできた HSV-1 がほかのがん細胞に次々と感染して破壊していきます。また、免疫細胞もがん細胞を認識できるようになり、抗体でがん細胞を死滅させる。これが G47Δ によるがん治療の原理です。

がんのウイルス療法.jpg
癌のウイルス治療のイメージ
(朝日新聞デジタル 2021.5.24 より)


第2相臨床試験


G47Δ の有効性を確認する第2相臨床試験は、2015年5月から2020年4月まで行われました。その結果が本書に書かれています。臨床試験の対象は膠芽腫こうがしゅの患者さんで、標準治療(手術・放射線・抗がん剤)治療を行ったあとに膠芽腫が再発した患者さんです。膠芽腫はグリオーマ(神経膠腫)の一種ですが、進行が早く、悪性度が最も高いものです(=グレード4)。30人を対象に治療を行う計画で臨床試験が始まりました。

この第2相臨床試験では、13人目の患者さんが治療を始めてから1年が経過した時点で、治療開始後1年以上生存した患者さんが 92.3%(13例中の12例)に達しました。標準治療の場合、再発した膠芽腫の患者さんが1年以上生存する率は 14% です。このため、G47Δ の第2相臨床試験は「有効中止」となりました。これは "有効性が明らかになったので中止してよい" というものです。極めてめずらしいことです。

有効中止になったため、第2相臨床試験に参加した患者さんは19人になりました。この19人の患者さんのうち治療後1年以上生存したのは16人、治療後に生存した期間の中央値は20.2ヶ月でした。そして19人のうち2021年11月時点で3人の方が生存しています。

第2相臨床試験が有効中止になり、かつ G47Δ が「希少疾病用再生医療等製品」に指定されたため、第3相臨床試験は省略されることになりました。そして2021年6月の承認となったわけです。


G47Δ の意義


G47Δ ががん細胞を殺すメカニズムで分かることは、この治療薬は悪性脳腫瘍のためだけのものではなく、白血病のような血液がん以外のがん(=固形がん)すべてに有効なことです。実際、前立腺がんや悪性胸膜中皮腫(一つの原因がアスベストの吸引)の臨床試験が始まっています。

デリタクト注.jpg
デリタクト注
(第一三共製薬)
現代医学では治療が困難とされるがんがあります。悪性脳腫瘍のほかに、悪性中皮腫、多発性肝細胞がん、膵がん、胆管がん、膀胱がんなどです。これらに対し G47Δ は特に有効な治療薬となるはずです。

また、G47Δ の発展形として HSV-1 の遺伝子の中に「がん治療に効果のある遺伝子」と組み込むことが考えられます。ヒトの免疫系を刺激する遺伝子などです。

たとえば、インターロイキン12(IL-12)を生成する遺伝子を HSV-1 に組み込むと、がん細胞に感染したときに IL-12 がどんどん出されるようになる。分泌された IL-12 はヒトの免疫細胞を刺激し、強い抗がん免疫作用が引き起こされます。これはマウスですでに実験済みで、成果があがっています。


ある少女の手紙


本書に藤堂教授の患者さんだった少女が教授に宛てた手紙のことが出てきます。このあたりは本書の中で最も "思いのこもった" 文章です。少々長くなりますが引用してみます。下線は原文にはありません。また、漢数字を算用数字に変更しました。原文の段落は空行にしてあります。


私の研究室の壁に、一枚の手紙が貼ってあります。

「藤堂先生へ。今までありがとうございました。入院したときは、ふあんもたくさんあったけど最近では、お散歩で三四郎池などに行けるようになりました。退院してからも通院なのでまた、よろしくお願いします」

大きくしっかりとした文字で書かれた短いメッセージの横には、池で楽しそうに泳ぎ回る水鳥が描き添えられています。東大医学部附属病院のある本郷キャンパスの名所、三四郎池で泳ぐ鴨の姿です。

手紙を書いてくれた D さんは、私の患者さんです。

けれど、もうこの世にはいません。悪性のグリオーマに命を奪われてしまったのです。亡くなったとき、D さんは小学校5年生でした。

目のクリッとした、かわいい女の子でした。けなげに病気と闘っていた彼女の面影を偲びながら、生前に写真をもらっておけばよかったと悔やんでいます。

亡くなったあとで、そういうお願いをするのは、親御さんをよけい心しませる気がして、なかなかできません。

D さんのグリオーマは最も悪性度の高いグレードⅣで脳幹にできていました。脳幹にできるグリオーマは大脳にできる一般のグリオーマよりもさらに余命が短いのです。

第2章でも述べましたが、脳幹には運動神経路や姿勢反射中枢など大事なものがたくさん詰まっているので、ここにダメージを受けると、さまざまな症状が出ます。D さんの場合は、体がふらふらしてまっすぐに立っていられないというのが、最初の症状でした。

手術を行ないましたが、脳幹を取ることはできないため、手術のあとに放射線と抗がん剤を強めに用いて治療を続けました。しかし、通常よりは延命できたものの、手術から9ヵ月後、ついに力尽きたのでした。

脳腫瘍の手術の最中には、腫瘍の組織を少し取り、良性か悪性かを迅速に病理診断するのが普通です。簡便な方法なので精緻な診断はできませんが、手術前の診断と手術中の病理診断の結果がともに悪性なら、ほぼ間違いなく悪性脳腫瘍です。

そういう場合、私は、手術のあとの患者さんがまだ麻酔から覚めずに眠っているときを選んで、家族に病状を説明します。端的にいえば、「手術はうまくいきました。でも、患者さんは助かりません」という説明です。これは医者としてつらいものです。D さんのように子供の患者さんの場合は、なおさらです。

家族なら誰でも、「手術は成功したのに必ず死ぬとは、いったいどういうことなんでしょうか ・・・・・・」と、戸惑います。そして、悪性脳腫瘍の平均余命は約1年であることなどを詳しく話すと絶句し、がっくりと肩を落として病室から出ていくのです。

それからあとの家族は、大変な思いをします。

脳腫瘍の末期になると意識レベルが低下し、最後は何もわからなくなってしまうので、患者さん自身は、それほどつらくありません。「がんの末期は痛くてつらい」という一般的なイメージとは異なるのが、悪性脳腫瘍の特殊なところです。

しかし家族は、患者さんの意識状態が悪くなるにつれて、食事やトイレの介助などに追われるようになります。それでも家族が頑張り通せるのは、皮肉なことに、患者さんの余命が短くて、介護生活がいつまでも続かないからです。

日本では 2006年から、グリオーマの治療薬として「テモゾロミド(商品名テモダール)」が使われていますが、「画期的治療薬」と謳われるこの楽でさえ、それによって延びる命は、統計的にはわずか2~3ヵ月にすぎないのです。

こういうことを何度も何度も家族に説明するのですが、悪性脳腫瘍患者のほとんどは、再発するまでまるで何事もなかったかのように元気でいることが多いため、家族は、「本人はこんなにピンピンしている。手術直後に先生は死ぬと言っていたけれど、あれは何かの間違いだったのではないか」と、思うようになります。

そのたびに私は、「今はいいけれど、この先、必ず悪くなります。とにかく、今の時点でできるベストのことをやっていきましょう」と、落胆させるようなことばかり言い続けなければなりません。

けれど、こうしたコミュニケーションのなかで家族は絶望感を乗り越えていき、「できるだけの手を尽くした」という、悟りにも似た境地に至るようになるのです。

その意味で、悪性脳腫瘍の専門医というのは、医者でありながら半分は牧師のような存在だという気がしています。

D さんのご両親も、「ベストを尽くした」という思いだったのでしょう。亡くなったあと、病理解剖することを承諾してくださいました。

これはなかなかできないことです。病理解剖は医療の進歩に役立つことだと理屈ではわかっていても、「病気でさんざん苦しんだわが子の体に、これ以上メスを入れられるのは、親としてしのびない」と思うのが人情です。

それなのに D さんのご両親は、「きっと娘も望んでいたに違いありません」とまで言ってくださったのでした。

D さんとご両親の尊い気持ちをずっと忘れないようにと、私は彼女の手紙を研究室に掲げました。できることなら完治して、「先生、ありがとう。こんなに元気になりました」と、研究室を訪ねてきてほしかった。

けれど、悪性脳腫瘍の患者さんから、生きて「ありがとう」と言われることはありません。そういう状態が、脳外科の歴史が始まって以来、ずっと続いているのです。

藤堂とうどう 具紀ともき 
『がん治療革命』
p.172 - p.176 
(文春新書 2021)

藤堂教授の "何とかしたい" という思いが伝わってくる文章です。しかしその思いとは裏腹に、仮に D さんが現時点で脳腫瘍を発症したとしても G47Δ による治療はできないのです。それが次です。


少女のウイルス治療はできない


藤堂教授がその手紙を研究室に掲げている D さんは、グリオーマでも最も悪性度の高いグレードⅣで、脳幹にできていました。この「脳幹にできたグリオーマ」の治療は、現状では G47Δ による治療ができません。G47Δ の承認条件からはずれるからです。そのあたりの事情が次です。


ウイルス療法を希望する悪性神経膠腫の患者さんすべてが、「デリタクト注」を使えるようにしたい。言うまでもなく、私たちはそう考えていました。

しかし、承認の当否を決める最後の審査で、脳幹の悪性神経膠腫は適応対象外となってしまいました。「脳幹に針を刺すなんてとんでもない。手技が確立していない」という意見が、医薬品医療機器総合機構の専門協議で「専門委員」から出されたからです。

62ページでも述べたように、脳幹には触ってもいけないとされていたのは昔の医学です。私は患者さんの病理診断をするとき、定位脳手術で脳幹に針を刺して生検組織を取っています。脳外科医でそれをやったことのある人にとっては、脳幹に「デリタクト注」を投与するのは、それほど大変なことではありません。

年間約2100例にのぼる小児がんのうち、脳腫瘍は白血病(38%)に次ぐ第2位の罹患率(16%)です。なかでも、脳幹の悪性神経膠腫は子供に多く、この章の冒頭で紹介した D さんも、そのために小学校5年生のとき命を奪われました。

G47Δ は、D さんのような患者さんからのニーズが高いので、なんとしてでも脳幹の悪性神経膠腫に使えるようにしようと、厚生労働省と意見交換をかなりしましたが、最終的に脳幹は除外されてしまいました。

そのため、子供の患者さんの多くが、この薬を使えなくなってしまったのです。ニーズがそこにあり、標準治療では9ヵ月ほどで亡くなってしまうのに ───。

厚生労働省とのやりとりで、私は「脳幹の悪性神経膠腫を除外するようなことをしたら、あとで混乱を招きますよ」と何度も説得を試みました。実際に今、脳腫瘍の子供を持つ多くの親が、対象にならないことにショックを受け、混乱しています。

脳幹への「デリタクト注」の投与は、脳幹の悪性神経膠腫をそのまま放置するリスクに比べれば、投与する手技的なリスクの方が圧倒的に低いことになります。現場を知る者としては、もし仮に脳幹に針を刺すことにリスクがあったとしても、「うちの子にウイルス療法を受けさせて」と、親御さんは言うと思うのです。そうしなければ、我が子の病気はどんどん悪くなっていき、9ヵ月ほどで亡くなってしまうのですから。

けれど、現段階ではそれは許されず、今後の新たなデータを待つしかありません。

藤堂 具紀 
『がん治療革命』
p.219 - p.220 

この「脳幹の脳腫瘍の治療」の承認の件を含め、G47Δ にはまだまだ乗り越えなければならない課題があります。"ウイルス治療を希望する悪性脳腫瘍の患者さん全てに G47Δ を届ける" という藤堂教授の目標の実現には、まだ長い道のりが必要です。



本書には「第6章 日本への提言」と題する章があって、日本の治療薬の開発に関する数々の提言が書かれています。G47Δ は日本で初めてのウイルス治療薬という画期的な薬だからこそ、その製品化(承認)までのプロセスを一度経験すると日本の新薬開発体制の数々の問題点(ないしは日本で画期的な新薬の開発が困難な理由)がクリアに見えてくる。そういうことだと思いました。



 補記 

2022年5月31日の日本経済新聞に、ウイルス使ったがん治療の現状をリポートした記事が掲載されました。藤堂教授の研究のほか、ウイルス療法の研究の現状がコンパクトにまとめられています。ここに記事を引用しておきます。


ウイルス使ったがん治療
 脳腫瘍など、患部に注入で効果

日本経済新聞
2022年5月31日

ウイルスを使ってがん細胞を退治する「ウイルス療法」という新たな治療技術が日本でも登場した。第1弾として第一三共が、悪性度の高い脳腫瘍向けに2021年11月から治療薬の販売を始めた。骨腫瘍向けに鹿児島大学が臨床試験(治験)を開始したほか、鳥取大学や東京大学などでもウイルス療法薬の開発が進む。既存の手法では治療が難しいがんの患者にとって、待望の薬となりそうだ。

「こんな治療法がもっと早く登場していたら……」。7年前に夫を脳腫瘍で亡くした大阪府の70代の女性は、国内で登場したがん治療ウイルス技術について、感想をもらす。夫は放射線治療後に脳腫瘍を再発したが、手術もできず、当時は有効な治療薬もなかったという。「脳腫瘍の患者とその家族にとって希望の光がみえた」と話す。

がん治療向けウイルス療法は、一般的に治療用に遺伝子を改変したウイルスを注射でがん細胞に直接投与する。ウイルスはがん細胞の中だけで増殖し、がん細胞を破壊する。ウイルスはがん細胞を破壊後に周辺に広がり、広範囲のがん細胞を除去できる。正常な細胞の中でウイルスは増殖しないように設計しており、安全性は高い。

欧米では15年に悪性度の高い皮膚がん向けに承認されているが、日本では承認されていなかった。

今回、国内承認の第1号となった第一三共の「デリタクト(テセルパツレブ)」は、東京大学医科学研究所の藤堂具紀教授が研究してきた成果を医薬品に応用した製品。脳腫瘍のひとつ、神経膠腫(グリオーマ)のなかでも悪性度が高い患者に対する治療薬だ。

悪性度の高いグリオーマ(グレード4)は、大脳にできて周囲の脳にしみこむように広がる。手術では完全に取り去ることが難しく、手術後も時間の経過とともにがん細胞が増えて再発する可能性が高い。放射線治療と化学療法で増殖を抑えることもできるが、予後は12~15カ月とされる。再発後は治療の選択肢がほとんどないのが現状だ。

デリタクトの治験に参加した13人に対して治療後1年たった時点で有効性を調べたところ、1年後も生存している患者の割合は92.3%だった。治験途中でも有効性が証明されたため、治験を中止する「有効中止」となった。藤堂教授は「治療法がなかった悪性脳腫瘍の患者にとって新たな選択肢」と話す。

がんのウイルス療法の特徴は、最も手ごわいがんに対して効果がある点だ。手術で取り切れず、抗がん剤や放射線も効きにくく、免疫も働きにくい部位にできる脳腫瘍や骨腫瘍など向けに開発されている。

しかもその効果が長期間持続するのも利点だ。ウイルスによって、体内の免疫が刺激されると考えられている。近年の研究では抗がん剤や他の免疫療法との併用で治療効果が高まるという報告もあり、米国や中国をはじめ世界で140以上の治験が進んでいる。

ただ世界的にみてまだ治療薬となっているものは少ない。欧米で15年に悪性皮膚がんの治療薬「イムリジック」が承認されて以降、今回のデリタクトで2つ目だ。新規の治療用ウイルスの開発を進めている鹿児島大学の小戝(こさい)健一郎教授は「ウイルスを設計するには高度な技術と複雑な工程が必要だ」と話す。

例えば攻撃性が高い一方、体内であまり増えず、副作用が強いウイルスであれば治療には使いにくい。また複数の候補から有効性が見込まれるウイルス候補を見つけることができても、大量生産するのが難しければ、医薬品として普及させるのは難しい。

小戝教授らの研究チームは日本医療研究開発機構(AMED)の助成を受け、ウイルスを効率よく改変し、迅速に生産できる基盤技術の開発に世界に先駆けて成功している。16年から始めた初期段階の治験では、悪性度の高い骨軟部腫瘍の患者で安全性と有効性を示す結果を確認。中には2年以上効果が維持されていた患者がいたという。

研究チームは、21年から鹿児島大学病院、久留米大学病院、国立がん研究センター中央病院の全国3施設による多施設治験を始めた。今後2年間で全国から20人程度の悪性骨腫瘍の患者に参加してもらい、安全性と有効性を確かめる。希少がんに対する新たな治療薬として薬事申請を目指す。

もっとも、現時点ではがん治療ウイルスも万能ではない。難治性のがんや再発したがんの増殖を抑えこみ、生存期間を延ばす効果がある一方、一定の割合で効果がみられない患者もいる。そのため安全性が高く、より有効性が高い次世代の治療ウイルスの開発が世界中で急ピッチで進む。

国内ではアステラス製薬と鳥取大学が初期治験を進めるほか、東京大学や信州大学などが臨床開発を進めており、アカデミア発の創薬に期待が高まる。ただ藤堂教授は「日本は基礎研究力や技術があるが、臨床開発の環境が欧米に劣っている。薬価を含めた創薬環境の改善が急務だ」と訴える。画期的な新薬をがん患者に届けるための政策的な後押しも必要だ。
(先端医療エディター 高田倫志)


(2022.5.31)



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