No.98 - 大統領の料理人 [映画]
No.12-13 で書いた「バベットの晩餐会」は、フランス人女性シェフを主人公とする「食」がテーマのデンマーク映画でした。最近、同じように女性シェフを主人公とするフランス映画が日本で公開されたので、さっそく見てきました。『大統領の料理人』
です。今回はこの映画の感想を書きます。まず映画のストーリーの概要です。
大統領の料理人
主人公は、オルタンス・ラボリという名の女性料理人(俳優:カトリーヌ・フロ)です。映画は、オーストラリアのTV局のスタッフが南極にあるフランスの観測基地を取材するシーンから始まります。この基地には女性の料理人がいて、もうすぐフランスに帰国するようです。彼女は何と、数年前まではフランス大統領の専属料理人だったというのです。
映画は南極観測基地の料理人であるオルタンスを「現在」とし、彼女が「フランス大統領の専属料理人」であった過去を回想するという、いわゆるカットバックの手法で構成されています。多くを占めるのはもちろん「大統領の専属シェフ時代のオルタンス」ですが、南極観測基地のシーンも何回か出てきます。
フランスのペリゴール地方の農場のオルタンス・ラボリのもとへ、大統領府からの使者がやってきます。大統領の専属料理人になってほしいとの要請です。彼女を専属料理人に推薦したのは、フランスの高名なシェフであるジョエル・ロブションだと言うのです。
エリゼ宮にやってきたオルタンスは、主厨房のシェフ以下の男性料理人たちから敵意と嫉妬をもって迎えられます。そしてオルタンス専用の厨房で一人の助手と共に働きはじめます。
オルタンスの悩みは大統領の好みが分からないことでしたが、ある日、大統領との面会がかないます。大統領の望みは、素材を生かした、素朴な、いわば祖母の味でした。それこそ彼女が専属料理人に推薦された理由だったのです。
オルタンスは従来からのエリゼ宮の取引業者を無視し、独自にフランス各地から食材を取り寄せて大統領の望みにこたえていきます。
そのうち、主厨房や大統領府との軋轢が生じてきます。大統領が友人を招いた昼食会では、オルタンスがメイン、主厨房がビュッフェとデザートという分担でしたが、オルタンスのメニューにあったチーズを見て主厨房のシェフが怒鳴り込んできます。チーズはデザートであり越権行為だと言うのです。
大統領府のスタッフからは、オルタンスがフランス各地から食材を取り寄せ、費用がかさんでいることを責められます。さらに大統領の健康を管理するスタッフからは、オルタンスのメニューが動物性脂肪過多・カロリー過多ではないかと事前に細かくチェックされ、オルタンスは思ったように腕をふるえなくなります。
そんなある日、大統領が執務室を抜け出してオルタンスの厨房へとやってきました。オルタンスはトリュフをパンにを乗せて差しだし、大統領は赤ワインとともに、それを感激しながら食べます。そして「逆境が人を強くする」とオルタンスを励まします。
しかしオルタンスは疲労骨折の診断をうけたのを契機に、専属料理人を辞職します。主厨房のコックたちは、専属料理人を主厨房に取り戻したと歓声をあげたのでした。
場面は現在、フランスの南極観測基地です。オルタンスは帰国を控えた夜、隊員たちにとっておきの料理をふるまいます。隊員たちはお別れのセレモニーを開催し、オルタンスに感謝の意を表します。
帰国する船に向かうとき、オルタンスは取材のTVクルーに、南極基地の料理人の給料で稼いだお金も使ってニュージーランドにトリュフ園を作る構想を話します。オルタンスの挑戦は続くようです。
この映画のポイントは実話にもとづいていることです。主人公のモデルは、ダニエル・デルプシュという女性です。彼女はペリゴール地方の農場でフォアグラやトリュフを生産し、また宿泊客をとって料理に腕をふるいました。ミッテラン大統領の専属料理人を1988年から2年間勤め、また南極基地の料理人を1年間経験しました。
映画のストーリーについての感想なのですが、実話にもとづいているということなので、主人公のオルタンスとフランスを代表するシェフ、ロブションの関係を、もうちょっと入れるべきだと思いました。ロブションがオルタンスを大統領の専属料理人に推薦するまでの経緯を回想で取り入れると、もっとストーリーの納得感が得られたと思います。
それはさておき、何点かの印象に残った点(軽い驚きを含めて)を順不同で書きます。
神戸ビーフに匹敵
この映画で印象的だったのは、オルタンスが大統領に「リムーザン地方のクタンシー産の牛肉は日本の神戸ビーフに匹敵します」と説明するところです。
霜降りの高級和牛の肉が世界的な名声を博しているのは承知していました。アメリカでは和牛を出すステーキ店があります。ヨーロッパでもそうなのでしょう。フランスでも高級和牛のおいしさが認知されていることが、このせりふから分かります。もちろん「神戸ビーフ」は、兵庫県で肥育された但馬牛だけでなく、高級和牛の代名詞としての「神戸ビーフ」でしょう。松阪牛も近江牛も米沢牛も含んでのことだと思います。
今、フランスでも和牛が認知されているようだと書きました。しかし、
ことと、
こととは、かなりレベルが違うと思うのですね。
この映画は「食通のフランス人監督・脚本家が、食通の国・食文化大国であるフランスの威信をかけて作った映画」です。いや、それはちょっと言い過ぎで、監督・脚本家が威信をかけたつもりは毛頭ないと思うのですが、暗黙に威信をかけた映画になっている。
そもそも「大統領の料理人」のようなストーリーが現実味をもって成立するのは、フランス以外にはありえないと思います。アメリカ・イギリス・ドイツ・ロシア・日本・現代中国が舞台だとすると、「全くの絵空事」になってしまう。「こんな映画はフランス以外では作れないでしょう。しかも実話にもとづいているのですよ」という暗黙のメッセージを(ひがみっぽい日本人としては)感じてしまいます。監督としては全くそんな気はないと思いますが・・・・・・。この映画は「自然と、食文化大国としてのフランスを誇示する映画になった」と言った方がよいでしょう。ちなみにこの映画はエリゼ宮でロケをしています。フランス政府が全面協力したということです。
その「フランスを誇る映画」に「神戸ビーフに匹敵」というせりふが出てくるわけです。神戸ビーフがおいしい肉の代名詞になっている。しかも発言するのは、ジョエル・ロブションというフランス料理界の大御所が推薦した「一流シェフ」です。
聞くところによると、フランスのシェフで日本料理に強い関心をもっている人は多いそうです。逆に和食の料理人でパリに修行に行く人もいる。日本とフランスで料理人同士の交流もやっています。日本人が明治以来、フランス料理に強い関心があるように(皇居の正餐はフレンチ)、フランスのシェフも、最近は日本料理に関心を持つ人が多い。となると、当然「神戸ビーフ」に関心をもつ人も出てくる。
映画のパンフレットに、モデルとなったダニエル・デルプシュのインタビューが掲載されています。
フランス料理のシェフが日本料理の素材や手法を取り入れるとしたら「常軌を逸した」ことかもしれないが、それは何よりもシェフの「想像力」の発揮なのでしょう。「神戸ビーフに匹敵」というせりふは、そういった大きな流れの一貫だと理解しました。伝統にこだわるだけではないフランス料理の「強さ」を暗に感じます。
と同時に、こういうことも考えられます。これは全くの想像なのですが、オルタンスが言いたかったのは「クタンシー産牛肉は、神戸ビーフよりは安いし、現地ではどこの肉屋にも売っているけれど、それでも神戸ビーフに匹敵する」ということかも知れません。実は彼女は「フランス食文化の優越性」を言いたかったのかも、と思うのです。神戸ビーフに匹敵というせりふを聞いて、日本人として満足感を覚えるのは甘いのかもしれない・・・・・・。
いや、そこまで考える必要はないのかもと思います。オルタンスは「神戸ビーフ」のおいしさを認めていた。彼女は普通のシェフとは違う経歴であり、おいしいものはおいしいと率直に言うタイプだった。そこで、男性の一流シェフなら心で思っていても口に出さないことを素直に発言した・・・・・・。こう考えるのが素直でしょう。
だとすると、この発言は映画を作る課程で脚本家がモデルとなったダニエル・デルプシュにインタビューする中で出てきたのではないでしょうか。脚本家が「独自に発想しにくいせりふ」だと思うからです。
本当のところがどうなのかは分かりません。しかし、いろいろ考えさせられる「神戸ビーフ」でした。
疲労骨折
映画を見て軽い驚きを覚えるのは、オルタンスが大統領の専属シェフをやめる最終的なトリガーとなるのが足の脛の骨の「疲労骨折」だということです。一瞬、間違いではないかと思いました。骨粗鬆症性の骨折というのではない「疲労骨折」なのです。
疲労骨折というのは、普通(素人の知識では)スポーツ選手がなるものです。一回では骨折には至らない軽い衝撃が繰り返し骨にかかることにより起こります。2004年アテネオリンピック女子マラソンの金メダリスト、野口みずきさんの疲労骨折は記憶に新しいところです。同じ女子マラソン選手では、高橋尚子さんも肋骨を疲労骨折をしました。高地トレーニングを含む練習で激しい呼吸を繰り返すと、肋骨さえも疲労骨折するようです。すごいものだな、と思った記憶があります。
これは、映画のモデルとなったダニエル・デルプシュが疲労骨折したということだと想像しました。脚本家の発想ではないはずです。料理人を辞職する理由としては、通常思いつかない理由だからです。
料理人は立ちっぱなしで、調理場を動きまわり、足に負担がかかるので疲労骨折することもあると想像しました。料理人は「舌」と「頭」の勝負ですが、同時に「体力」の勝負でもあるようです。
フランス家庭料理とトリュフ
大統領が専属料理人に求めたのは、食材を生かした、素朴な味、祖母が作ってくれたような料理ということでした。一言で言うと「フランス家庭料理」です。
我々がフレンチというと、比較的値段が高いフレンチ・レストランを思い浮かべるのですが、もちろんそれはレストランのフランス料理です。「懐石料理」と「おふくろの味」があるように、当然のことながらフランス家庭料理がある。映画ではオルタンスの作る料理のリアルな映像がいろいろ出てきます。
素材を生かしたシンプルな料理・・・・・・ それには全く賛成ですが、「それにしてもカロリー多そう」というのが、映画を見た率直な感想でした。日本人だからでしょう。
映画の中で、執務室を抜けだしてオルタンスの厨房にやってきた大統領に、オルタンスが「トリュフのタルティーヌ」をふるまう場面があります。タルティーヌとは、パンを切ってバターやジャムを塗ったものです。映画ではパンにトリュフ入りのバターをたっぷりと塗り、その上にトリュフのスライスを敷き詰めていました。それを赤ワインを飲みながら食べる。大統領の幸福そうな顔が印象的でした。確かに「トリュフのタルティーヌ」と「赤ワイン」があればあとは何もいらない、というのはよく分かります。
ところで映画のパンフレットによると、実在の大統領(ミッテラン大統領。大統領在任:1981-1995)は、1992年に前立腺癌であることを公表したが、1980年代後半からエリゼ宮のスタッフの間では周知の事実だった、とあります。映画のモデルであるダニエル・デルプシュが専属料理人だったのは1988年からの2年間です。映画でオルタンスがエリゼ宮から脂肪やカロリーの制限をやかましく言われるのは、実はこういうウラがあったわけです。もちろんオルタンスはそのことを知らない。
ということは「トリュフのタルティーヌ」の場面は、医者から食事制限を厳しく言い渡されていた大統領が、どうしても我慢できず、執務室を抜け出してオルタンスの厨房に来て、こっそり食べたと理解できます。トリュフのタルティーヌも、たっぷりと塗ったトリュフ・バターが高カロリーですね。赤ワインにこれほど合うものはないと思いますが・・・・・・。
南極基地の料理人
この映画はもちろん「大統領の専属料理人として働くオルタンス」がメインなのですが、所々に挟み込まれる「南極基地の料理人としてのオルタンス」の姿も印象的です。隊員たちと彼女の触れ合いとか、彼女が料理を説明するときの喜びに満ちた顔とか、そういう場面がいい。その意味では、エリゼ宮と南極が交錯する映画の構成手法が「決まっている」作品です。
この「南極基地の料理人」のシーンでは『バベットの晩餐会』を思い出してしまいました。
です。一方、
と考えることができるでしょう。南極基地を中心に見るとそうなります。
「大統領の専属料理人」と「南極基地の料理人」の違いは何か。使える食材が全然違うとか、メニューのバリエーションの多い・少ないとか、「客」が一人か多数かとか、そういう違いは当然だけれど、これらはプロの料理人にとっては大きな問題ではないと思います。
最大の違いは「大統領の専属料理人」は完全な裏方だけど、「南極基地の料理人」は裏方ではなく隊員の一部だということです。
大統領がオルタンスの厨房を訪れ、オルタンスが「トリュフのタルティーヌ」をふるまう場面ですが、これは大統領にとっては完全に非公式な(むしろ、やってはいけない)行為です。そして振り返ってみるとこのシーンは、「料理人」と「主人」が、料理を前にして直に向かい合う唯一の場面なのです。オルタンスは大統領の専属料理人なって初めて「主人」の反応を見ながら料理を出した。しかも皮肉なことに、そこで出したタルティーヌ(パン + バター + トリュフ)は、料理というよりは「食材」に近いものだった。
一方「南極基地の専属料理人」としてのオルタンスは全く違います。常に「料理人」と「客=隊員たち」との交流があり、触れ合いがある。これはオルタンスにとって、大統領一人が「客」だった時とはまた別の、大きな喜びではないでしょうか。それに、大統領がオルタンスに求めたのは「家庭料理」でした。だからこそ農場で客に料理を出していた彼女を抜擢した。南極基地で隊員は、限られたエリアの中で長期間生活をします。食事が最大の娯楽だと想像します。このような環境の中では「家庭料理的なメニューや味」が最も好まれたのではないでしょうか。
ダニエル・デルプシュのインタビューを再掲すると、彼女は、
と語っているのでした。
全くその通りで、食は人を幸せにする最強の武器です。そして「幸せにする人」が大統領一人であっても、南極基地の数十人の隊員たちであっても、「最強の武器」が使える料理人としての喜びは変わらない。この映画はそう言っているのだと思います。
フランスの南極基地でのオルタンスの送別会の場面ですが、ここで隊員たちが歌うのが「蛍の光」と同じメロディーの(もちろんフランス語の)曲です。
「蛍の光」は、スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne 《Old Long Since》:遥かな昔)に日本語の独自の歌詞をつけたものです。この曲はイギリスや、歴史的にその影響の強い国(アメリカを含む、かつてのイギリス植民地だった国など)や日本や韓国で、さまざまな意味での「別れ」の場面に歌われるのですが、フランスでもそうだということが、この映画で確認できました。
No.62「音楽の不思議」で書いたように、このスコットランド民謡は5音音階(日本のヨナ抜き音階に相当)でできています。「アメージング・グレース」「赤とんぼ」などもそうです。5音音階のもつ独特の雰囲気が「別れの場面」にマッチするのだと思います。
2020年1月29日、欧州議会は英国のEU離脱協定案を可決しました。この直後、議員たちは議場で "蛍の光"(オールド・ラング・サイン)を大合唱しました。
欧州議会の様子は各種メディアで流されましたが、ANN News チャネルの動画を改めて見ると、各国の議員たちは「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」を英語で歌っていました。欧州における別れの歌の定番のようです。大勢の人が "蛍の光" を合唱するのは紅白歌合戦のエンディングだけかと思っていましたが、そうではありませんでした。
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大統領の料理人
主人公は、オルタンス・ラボリという名の女性料理人(俳優:カトリーヌ・フロ)です。映画は、オーストラリアのTV局のスタッフが南極にあるフランスの観測基地を取材するシーンから始まります。この基地には女性の料理人がいて、もうすぐフランスに帰国するようです。彼女は何と、数年前まではフランス大統領の専属料理人だったというのです。
映画は南極観測基地の料理人であるオルタンスを「現在」とし、彼女が「フランス大統領の専属料理人」であった過去を回想するという、いわゆるカットバックの手法で構成されています。多くを占めるのはもちろん「大統領の専属シェフ時代のオルタンス」ですが、南極観測基地のシーンも何回か出てきます。
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フランスのペリゴール地方の農場のオルタンス・ラボリのもとへ、大統領府からの使者がやってきます。大統領の専属料理人になってほしいとの要請です。彼女を専属料理人に推薦したのは、フランスの高名なシェフであるジョエル・ロブションだと言うのです。
エリゼ宮にやってきたオルタンスは、主厨房のシェフ以下の男性料理人たちから敵意と嫉妬をもって迎えられます。そしてオルタンス専用の厨房で一人の助手と共に働きはじめます。
オルタンスの悩みは大統領の好みが分からないことでしたが、ある日、大統領との面会がかないます。大統領の望みは、素材を生かした、素朴な、いわば祖母の味でした。それこそ彼女が専属料理人に推薦された理由だったのです。
オルタンスは従来からのエリゼ宮の取引業者を無視し、独自にフランス各地から食材を取り寄せて大統領の望みにこたえていきます。
そのうち、主厨房や大統領府との軋轢が生じてきます。大統領が友人を招いた昼食会では、オルタンスがメイン、主厨房がビュッフェとデザートという分担でしたが、オルタンスのメニューにあったチーズを見て主厨房のシェフが怒鳴り込んできます。チーズはデザートであり越権行為だと言うのです。
大統領府のスタッフからは、オルタンスがフランス各地から食材を取り寄せ、費用がかさんでいることを責められます。さらに大統領の健康を管理するスタッフからは、オルタンスのメニューが動物性脂肪過多・カロリー過多ではないかと事前に細かくチェックされ、オルタンスは思ったように腕をふるえなくなります。
そんなある日、大統領が執務室を抜け出してオルタンスの厨房へとやってきました。オルタンスはトリュフをパンにを乗せて差しだし、大統領は赤ワインとともに、それを感激しながら食べます。そして「逆境が人を強くする」とオルタンスを励まします。
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オルタンス(カトリーヌ・フロ)と 大統領(ジャン・ドルメッソン) |
しかしオルタンスは疲労骨折の診断をうけたのを契機に、専属料理人を辞職します。主厨房のコックたちは、専属料理人を主厨房に取り戻したと歓声をあげたのでした。
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場面は現在、フランスの南極観測基地です。オルタンスは帰国を控えた夜、隊員たちにとっておきの料理をふるまいます。隊員たちはお別れのセレモニーを開催し、オルタンスに感謝の意を表します。
帰国する船に向かうとき、オルタンスは取材のTVクルーに、南極基地の料理人の給料で稼いだお金も使ってニュージーランドにトリュフ園を作る構想を話します。オルタンスの挑戦は続くようです。
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ダニエル・デルプシュ |
映画のストーリーについての感想なのですが、実話にもとづいているということなので、主人公のオルタンスとフランスを代表するシェフ、ロブションの関係を、もうちょっと入れるべきだと思いました。ロブションがオルタンスを大統領の専属料理人に推薦するまでの経緯を回想で取り入れると、もっとストーリーの納得感が得られたと思います。
それはさておき、何点かの印象に残った点(軽い驚きを含めて)を順不同で書きます。
神戸ビーフに匹敵
この映画で印象的だったのは、オルタンスが大統領に「リムーザン地方のクタンシー産の牛肉は日本の神戸ビーフに匹敵します」と説明するところです。
霜降りの高級和牛の肉が世界的な名声を博しているのは承知していました。アメリカでは和牛を出すステーキ店があります。ヨーロッパでもそうなのでしょう。フランスでも高級和牛のおいしさが認知されていることが、このせりふから分かります。もちろん「神戸ビーフ」は、兵庫県で肥育された但馬牛だけでなく、高級和牛の代名詞としての「神戸ビーフ」でしょう。松阪牛も近江牛も米沢牛も含んでのことだと思います。
今、フランスでも和牛が認知されているようだと書きました。しかし、
霜降り和牛のおいしさがフランス(のシェフの間)で認知されている |
ことと、
『大統領の料理人』のようなフランス映画に、神戸ビーフに匹敵、というせりふが出てくる |
こととは、かなりレベルが違うと思うのですね。
この映画は「食通のフランス人監督・脚本家が、食通の国・食文化大国であるフランスの威信をかけて作った映画」です。いや、それはちょっと言い過ぎで、監督・脚本家が威信をかけたつもりは毛頭ないと思うのですが、暗黙に威信をかけた映画になっている。
そもそも「大統領の料理人」のようなストーリーが現実味をもって成立するのは、フランス以外にはありえないと思います。アメリカ・イギリス・ドイツ・ロシア・日本・現代中国が舞台だとすると、「全くの絵空事」になってしまう。「こんな映画はフランス以外では作れないでしょう。しかも実話にもとづいているのですよ」という暗黙のメッセージを(ひがみっぽい日本人としては)感じてしまいます。監督としては全くそんな気はないと思いますが・・・・・・。この映画は「自然と、食文化大国としてのフランスを誇示する映画になった」と言った方がよいでしょう。ちなみにこの映画はエリゼ宮でロケをしています。フランス政府が全面協力したということです。
その「フランスを誇る映画」に「神戸ビーフに匹敵」というせりふが出てくるわけです。神戸ビーフがおいしい肉の代名詞になっている。しかも発言するのは、ジョエル・ロブションというフランス料理界の大御所が推薦した「一流シェフ」です。
聞くところによると、フランスのシェフで日本料理に強い関心をもっている人は多いそうです。逆に和食の料理人でパリに修行に行く人もいる。日本とフランスで料理人同士の交流もやっています。日本人が明治以来、フランス料理に強い関心があるように(皇居の正餐はフレンチ)、フランスのシェフも、最近は日本料理に関心を持つ人が多い。となると、当然「神戸ビーフ」に関心をもつ人も出てくる。
映画のパンフレットに、モデルとなったダニエル・デルプシュのインタビューが掲載されています。
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フランス料理のシェフが日本料理の素材や手法を取り入れるとしたら「常軌を逸した」ことかもしれないが、それは何よりもシェフの「想像力」の発揮なのでしょう。「神戸ビーフに匹敵」というせりふは、そういった大きな流れの一貫だと理解しました。伝統にこだわるだけではないフランス料理の「強さ」を暗に感じます。
と同時に、こういうことも考えられます。これは全くの想像なのですが、オルタンスが言いたかったのは「クタンシー産牛肉は、神戸ビーフよりは安いし、現地ではどこの肉屋にも売っているけれど、それでも神戸ビーフに匹敵する」ということかも知れません。実は彼女は「フランス食文化の優越性」を言いたかったのかも、と思うのです。神戸ビーフに匹敵というせりふを聞いて、日本人として満足感を覚えるのは甘いのかもしれない・・・・・・。
いや、そこまで考える必要はないのかもと思います。オルタンスは「神戸ビーフ」のおいしさを認めていた。彼女は普通のシェフとは違う経歴であり、おいしいものはおいしいと率直に言うタイプだった。そこで、男性の一流シェフなら心で思っていても口に出さないことを素直に発言した・・・・・・。こう考えるのが素直でしょう。
だとすると、この発言は映画を作る課程で脚本家がモデルとなったダニエル・デルプシュにインタビューする中で出てきたのではないでしょうか。脚本家が「独自に発想しにくいせりふ」だと思うからです。
本当のところがどうなのかは分かりません。しかし、いろいろ考えさせられる「神戸ビーフ」でした。
疲労骨折
映画を見て軽い驚きを覚えるのは、オルタンスが大統領の専属シェフをやめる最終的なトリガーとなるのが足の脛の骨の「疲労骨折」だということです。一瞬、間違いではないかと思いました。骨粗鬆症性の骨折というのではない「疲労骨折」なのです。
疲労骨折というのは、普通(素人の知識では)スポーツ選手がなるものです。一回では骨折には至らない軽い衝撃が繰り返し骨にかかることにより起こります。2004年アテネオリンピック女子マラソンの金メダリスト、野口みずきさんの疲労骨折は記憶に新しいところです。同じ女子マラソン選手では、高橋尚子さんも肋骨を疲労骨折をしました。高地トレーニングを含む練習で激しい呼吸を繰り返すと、肋骨さえも疲労骨折するようです。すごいものだな、と思った記憶があります。
これは、映画のモデルとなったダニエル・デルプシュが疲労骨折したということだと想像しました。脚本家の発想ではないはずです。料理人を辞職する理由としては、通常思いつかない理由だからです。
料理人は立ちっぱなしで、調理場を動きまわり、足に負担がかかるので疲労骨折することもあると想像しました。料理人は「舌」と「頭」の勝負ですが、同時に「体力」の勝負でもあるようです。
フランス家庭料理とトリュフ
大統領が専属料理人に求めたのは、食材を生かした、素朴な味、祖母が作ってくれたような料理ということでした。一言で言うと「フランス家庭料理」です。
我々がフレンチというと、比較的値段が高いフレンチ・レストランを思い浮かべるのですが、もちろんそれはレストランのフランス料理です。「懐石料理」と「おふくろの味」があるように、当然のことながらフランス家庭料理がある。映画ではオルタンスの作る料理のリアルな映像がいろいろ出てきます。
素材を生かしたシンプルな料理・・・・・・ それには全く賛成ですが、「それにしてもカロリー多そう」というのが、映画を見た率直な感想でした。日本人だからでしょう。
映画の中で、執務室を抜けだしてオルタンスの厨房にやってきた大統領に、オルタンスが「トリュフのタルティーヌ」をふるまう場面があります。タルティーヌとは、パンを切ってバターやジャムを塗ったものです。映画ではパンにトリュフ入りのバターをたっぷりと塗り、その上にトリュフのスライスを敷き詰めていました。それを赤ワインを飲みながら食べる。大統領の幸福そうな顔が印象的でした。確かに「トリュフのタルティーヌ」と「赤ワイン」があればあとは何もいらない、というのはよく分かります。
ところで映画のパンフレットによると、実在の大統領(ミッテラン大統領。大統領在任:1981-1995)は、1992年に前立腺癌であることを公表したが、1980年代後半からエリゼ宮のスタッフの間では周知の事実だった、とあります。映画のモデルであるダニエル・デルプシュが専属料理人だったのは1988年からの2年間です。映画でオルタンスがエリゼ宮から脂肪やカロリーの制限をやかましく言われるのは、実はこういうウラがあったわけです。もちろんオルタンスはそのことを知らない。
ということは「トリュフのタルティーヌ」の場面は、医者から食事制限を厳しく言い渡されていた大統領が、どうしても我慢できず、執務室を抜け出してオルタンスの厨房に来て、こっそり食べたと理解できます。トリュフのタルティーヌも、たっぷりと塗ったトリュフ・バターが高カロリーですね。赤ワインにこれほど合うものはないと思いますが・・・・・・。
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トリュフのタルティーヌ |
南極基地の料理人
この映画はもちろん「大統領の専属料理人として働くオルタンス」がメインなのですが、所々に挟み込まれる「南極基地の料理人としてのオルタンス」の姿も印象的です。隊員たちと彼女の触れ合いとか、彼女が料理を説明するときの喜びに満ちた顔とか、そういう場面がいい。その意味では、エリゼ宮と南極が交錯する映画の構成手法が「決まっている」作品です。
この「南極基地の料理人」のシーンでは『バベットの晩餐会』を思い出してしまいました。
『バベットの晩餐会』は、パリの高級レストランのシェフだったバベットが、料理らしい料理もないデンマークの寒村に住み付き、本物のフランス料理の晩餐会を開催することで村民を幸せにした物語 |
です。一方、
『大統領の料理人』は、フランス大統領の専属料理人だったオルタンスが、南極の観測基地の料理人になり、限られた食材の中で料理を作り、隊員たちを幸せにした物語 |
と考えることができるでしょう。南極基地を中心に見るとそうなります。
「大統領の専属料理人」と「南極基地の料理人」の違いは何か。使える食材が全然違うとか、メニューのバリエーションの多い・少ないとか、「客」が一人か多数かとか、そういう違いは当然だけれど、これらはプロの料理人にとっては大きな問題ではないと思います。
最大の違いは「大統領の専属料理人」は完全な裏方だけど、「南極基地の料理人」は裏方ではなく隊員の一部だということです。
大統領がオルタンスの厨房を訪れ、オルタンスが「トリュフのタルティーヌ」をふるまう場面ですが、これは大統領にとっては完全に非公式な(むしろ、やってはいけない)行為です。そして振り返ってみるとこのシーンは、「料理人」と「主人」が、料理を前にして直に向かい合う唯一の場面なのです。オルタンスは大統領の専属料理人なって初めて「主人」の反応を見ながら料理を出した。しかも皮肉なことに、そこで出したタルティーヌ(パン + バター + トリュフ)は、料理というよりは「食材」に近いものだった。
一方「南極基地の専属料理人」としてのオルタンスは全く違います。常に「料理人」と「客=隊員たち」との交流があり、触れ合いがある。これはオルタンスにとって、大統領一人が「客」だった時とはまた別の、大きな喜びではないでしょうか。それに、大統領がオルタンスに求めたのは「家庭料理」でした。だからこそ農場で客に料理を出していた彼女を抜擢した。南極基地で隊員は、限られたエリアの中で長期間生活をします。食事が最大の娯楽だと想像します。このような環境の中では「家庭料理的なメニューや味」が最も好まれたのではないでしょうか。
ダニエル・デルプシュのインタビューを再掲すると、彼女は、
料理は想像力が必要です。過去をひもとき、ときに常軌を逸したことも敢えて行う。食は人を幸せにする最強の武器です。 |
と語っているのでした。
全くその通りで、食は人を幸せにする最強の武器です。そして「幸せにする人」が大統領一人であっても、南極基地の数十人の隊員たちであっても、「最強の武器」が使える料理人としての喜びは変わらない。この映画はそう言っているのだと思います。
 補記1:送別会での「蛍の光」  |
フランスの南極基地でのオルタンスの送別会の場面ですが、ここで隊員たちが歌うのが「蛍の光」と同じメロディーの(もちろんフランス語の)曲です。
「蛍の光」は、スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne 《Old Long Since》:遥かな昔)に日本語の独自の歌詞をつけたものです。この曲はイギリスや、歴史的にその影響の強い国(アメリカを含む、かつてのイギリス植民地だった国など)や日本や韓国で、さまざまな意味での「別れ」の場面に歌われるのですが、フランスでもそうだということが、この映画で確認できました。
No.62「音楽の不思議」で書いたように、このスコットランド民謡は5音音階(日本のヨナ抜き音階に相当)でできています。「アメージング・グレース」「赤とんぼ」などもそうです。5音音階のもつ独特の雰囲気が「別れの場面」にマッチするのだと思います。
 補記2:欧州議会での「蛍の光」  |
2020年1月29日、欧州議会は英国のEU離脱協定案を可決しました。この直後、議員たちは議場で "蛍の光"(オールド・ラング・サイン)を大合唱しました。
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欧州議会の様子は各種メディアで流されましたが、ANN News チャネルの動画を改めて見ると、各国の議員たちは「オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)」を英語で歌っていました。欧州における別れの歌の定番のようです。大勢の人が "蛍の光" を合唱するのは紅白歌合戦のエンディングだけかと思っていましたが、そうではありませんでした。
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イギリスの欧州連合(EU)離脱協定案を可決したあと、"蛍の光" を合唱する議員たち。腕を組んで合唱する議員も多くいた。ANN News チャネルより。 |
(2020.2.1)
2013-10-25 19:41
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