No.97 - ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館) [アート]
前回の No.96「フィラデルフィア美術館」の続きです。この美術館について、もう一回書くことにします。
フィラデルフィア美術館のような「巨大美術館」を紹介するのは難しいものです。有名アーティストの作品がたくさんあるので、いちいちあげていったらキリがありません。そこで前回はあえて「あまり有名ではない画家の作品」を取りあげ、最後に1枚だけ(超有名画家である)アンリ・ルソーの作品を紹介しました。
しかし、ちょっと考え直しました。有名アーティストの作品をあげていったらキリがないけれど、
なら何点かあげられると思ったのです。今回はその「印象に残る絵」という視点での紹介です。もちろん個人の印象です。
カサット(1844-1926)
まずフィラデルフィア出身のメアリー・カサットが「馬車で行く婦人と少女」を描いた作品です。
この絵の特徴は構図です。カメラに望遠レンズを付け、クローズアップで寄っていって撮ったような感じです。馬、馬車の下部、後部、後方の木々など、四方のすべてが「切り取られて」いる。全体の広がり感を見る人に想像させるという手法です。これは、No.87「メアリー・カサットの少女」で感想を書いた『舟遊び』に大変よく似ています。馬車に乗った人物をこういう風に描いた絵は珍しいという意味で印象に残る作品です。
この絵が印象的なのは、もう一つ理由があります。一見するとメアリー・カサットの得意な「母と子」のモチーフに見えますが、そうではありません。見ると、女性2人の表情は「こわばった」感じで、母と子の絵に一般的な「穏やかな」表情ではない。フィラデルフィア美術館の解説にもあるのですが、描かれている2人の女性は、メアリー・カサットの姉のリディアとエドガー・ドガの姪(オディル・フェーヴル)です。メアリーとドガが家族ぐるみの交際をしていたことの証拠となる絵です。
ドガの名前が出たところで、完全な余談ですが、この絵から連想するドガの絵があります。ボストン美術館にある「郊外での競馬」という絵です。肝心の競馬は遠くに小さく描かれているだけで、近景の「切り取られた」馬車が広々とした草原を的確に表現している。「馬車を使った構図の妙」という連想です。
マネ(1832-1883)
題名を意訳すると「ビールがうまい!」というのがピッタリの絵だと思います。Bockはビールの一種です。モデルはマネの友人の版画家です。
このマネの絵を見て思うのは、フランス・ハルス(1580頃-1666)の絵に似ているということです。描き方に加えて「酒を飲む、赤ら顔の男」というモチーフそのものがハルスを連想させます。フィラデルフィア美術館の解説によると、マネは1872年にオランダを訪問し、オランダの画家の絵を研究しました。その成果がこの絵というわけです。マネは、いろいろと「物議をかもす」絵も描きましたが、この絵はそういうところはありません。極めてオーソドックスな絵であり、細部の描き方や筆遣いに画家の個性が出る絵です。
No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、マネがマドリードを訪問してベラスケスに学んだことを書きましたが、彼はハルスの弟子でもあったことが分かります。
コロー(1796-1875)
このコローの絵(アンリ氏の家と工場)は、奥の方に見える一軒の家と、その家主が所有している織物工場を描いたものです。コローというと、人物画や独特の色合いの風景画が有名ですが、工場という「近代の産物」も描いているわけです。こういったモチーフはコローの絵としては珍しいと思います。
この絵は「建物」を主題にして描かれています。建物が描かれた絵はたくさんありますが、普通、街の風景としての建物とか、田園風景の中に農家があったり教会があったり古城があったり、といった絵が多いわけです。しかしこの絵は違います。基本的に「建物だけ」を描いていて、しかも描写の中心は工場です。また、小さく描かれた人物や遠景の邸宅とあわせて、まるで「遠近法の練習」のような感じもする絵です(そんなはずはないですが)。
パリの街並みとは違って、昼下がりの工場の、無機質で冷たい感じがよく出ていると思います。「遠近法の練習」的な構図もそれにマッチしている。街でもなく田園でもない、新しい風景。画家は、こういう題材を描こうとチャレンジした、そいういう感じを受ける作品です。
ゴッホ(1853-1890)
ゴッホの『The Rain - 雨』と題された絵です。ゴッホの生涯はよく知られています。彼は南フランスのアルルにいったあと、結局、サン・レミの病院に入院することになるのですが、その時に描いた絵です。小麦畑に雨が降っています。
この絵を見て、日本人なら誰しも雨の情景を描いた歌川広重(1797-1858)の版画を思い出すに違いありません。名所江戸百景の「大はしあたけの夕立」、東海道五十三次の「庄野」「土山」などです。「大はしあたけの夕立」は、ゴッホが模写した絵が残されていることで有名です。
雨を描いた絵はターナー、クールベ、カイユボットなどの絵が思い浮かびますが、雨足を線で表現した絵は少ないはずです。この絵以外にはドガの絵(下図)があるぐらいではないでしょうか。土砂降りでもない限り、普通の雨では、雨の日の屋外を眺めても「線」は見えません。広重のような感じで雨足を線で表現するのはリアリズムではないのです。このゴッホの絵は明らかに広重の影響下にある作品と言えるでしょう。
しかしこの絵の雨の表現は、広重そのものではありません。広重の線の描き方には独特の様式性がありますが、ゴッホの線はそれとは違って、かなり「乱れて」います。たとえ強風の中の雨だったとしても、雨足がこのようにはならないはずです。これは画家のその時点における「心」の表現なのでしょう。広重流表現を取り込んで独自表現にした。そう言っていいと思います。
この作品は傑作とは言えないでしょう。しかし印象に残る作品です。特に日本人にとっては。
ミレー(1814-1875)
この記事のタイトルにもあげたように、実は次のミレーの絵が「フィラデルフィア美術館で一番印象に残る絵」です。そしてこの絵は、初めてパッと見ると何が描かれているのか分からない絵です。いったい画家は何を描いたのか。
これは「野鳩狩り」の様子です。農民たちが、夜、野鳩の群れが休んでいるところに近づき、松明を照らします。光に目が眩んだ野鳩は逃げまどい、それを二人の農民が棍棒で叩き落とす。羽を折られて地上に落ちた鳥を別の二人の農民(妻でしょう)が捕まえる。ほとんど即死の鳥もあるでしょう。それを拾う。そういった光景です。
絵の中で行われている行為は、現代の基準からすれば残酷なものです。しかし18-19世紀のフランスの農民にとって、野鳩は貴重なタンパク源だったのでしょう。想像をたくましくすると、農作物の不作で農民は飢えていて、食料を手に入れようと必死に野鳩に棍棒を振るっている・・・・・・そういう感じも受けます。農民は、ご馳走を目の前にして狂喜しているようにも見える(現代でも鳩料理は高級料理です)。
何が描かれているかが理解できたとして、この絵から受ける強い印象は、画面を覆い尽くす鳥の大群です。まるで人間が鳥の大群に襲われて、必死に逃れようと棍棒で鳥を振り払っているようにも錯覚してしまう。半世紀前の映画ですが、アルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』という作品(1963。鳥が人間を襲うというストーリー)がありました。
この絵は見る人にある種の「怖さ」を感じさせる絵です。また、こういった光景を体験したこともないし映像で見たこともない現代人にとっては、これは現実の光景なのかどうかという不可思議な感じも受けます。そもそも絵のタイトルが不思議です。
Bird's-Nesters
とはいったい何でしょうか。nesterとはあまり使わない単語です。これは nest(巣)に er がついていると解釈すべきでしょう。では、なぜハイフンが付いているのか・・・・・・。これは bird's nest(鳥の巣)が原型だと思います。つまり、
ということでしょう。この「採る」のところは「狩る」でもよいと思います。描かれているのがいかにも「狩り」なので、日本語に訳すとしたら「鳥の巣狩り」が適当でしょう。
鳥の巣採り・鳥の巣狩りという行為をするとしたら、その目的は巣ではなく、巣の中の卵や雛・若鳥を採ることです。しかしこの絵は飛び交う鳥(野バト)そのものを狩っている絵であり、Bird Hunters(鳥狩り人)の絵、「深夜の野鳩狩り」の絵です。推測すると、Bird's-Nesters に相当するフランス語が原題だったのではないでしょうか。フィラデルフィア美術館が「Bird Hunters」とか「Hunting Birds at Night」とかの分かりやすい題にしなかったのは、美術館としての見識だと想像します。フィラデルフィア美術館のウェブサイトには、この絵が次のように解説されています。
解説にあるように、この絵はミレー最後の作品(絶筆)です。ミレーは労働にいそしむ農民の姿を共感をもって描いた「農民画家」と見なされています。農民の絵だけを描いたわけではないが、それがミレーの代表的イメージです。それはそれで間違ってはいない。
しかしミレーは人生最後の作品で「深夜の野鳩狩り」を描いたわけです。農民の労働を描いていることには変わりないが、何となく、画家自身の心の奥底に潜む「闇」のようなものを感じます。ある種の「怖さ」と言ったらいいのでしょうか。子どもの頃の話が強烈な印象として残り、その暗いイメージがずっと潜在していて、時折りそれが脳裏をよぎる、または夢に出てくる。死期を悟った画家は、どうしてもそのイメージをカンヴァスに表現したかった・・・・・・というような。
と同時にこの絵は、動物を殺さずには生きていけない人間の悲しみを描いているようにも見えます(日本的な考えでしょうが)。また、農民に対して、その「生」の最も深いところに万感の共感を抱いて描いた絵とも考えられます。
ちょっと脇道にそれますが、この絵の「怖さ」からの連想で、中野京子さんが著書の『怖い絵』に書いていたミレーの絵の解説を思い出しました。これは、かなり手が込んだ解説です。
まず中野さんは、誰もが知っているミレーの『晩鐘』(オルセー美術館。1857-9)持ち出します。そして『晩鐘』についてのサルバトーレ・ダリの評論を紹介します。ダリいわく、
えっ、まさか、と思ってしまいますが、20世紀アートの巨匠であるダリの発言です。棺を描いた形跡があるかどうか、X線調査まで行われたようです。しかし棺は見つからなかった。それでもダリの「妄想」は変わらなかった・・・・・・という話です。
中野さんも、ダリの言うことを信じているのではありません。『晩鐘』は、ダリが怖いと言っているだけで、怖い絵ではない。しかし最低限言えることは『晩鐘』にはダリの「妄想」をかき立てる何かがあったということです。
ここまでは解説の「前振り」に過ぎません。このあと中野さんはミレーが描いた「本当に怖い絵」を持ち出します。『死と樵』という絵です。
確かにこれは怖い絵です。「行きがけの駄賃の怖さ」です。しかもこの絵が描かれた時期(1859年のサロンに出品・落選)は、『晩鐘』が描かれた時期(オルセー美術館のサイトによると1857年から59年の間)とほぼ同じなのです。ということは、ダリの「妄想」も、ひょっとしたら、と思ったりもします。
それはともかく、この絵は農民の視点からすると、単なる「怖い絵」ではなく、別の見方ができると思うのです。
「人が死ぬということは、死神が鎌を振るうことだ」と固く信じている人々がいたとします。たとえば19世紀のフランスの農民です。「人が何の前触れもなく、突然、極めて短時間のうちに死ぬ」ということがありますよね。心筋梗塞とか、くも膜下出血とか、これだけ医療が発達した現代でもあります。農作業から帰る農夫が、突然の心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となる・・・・・・。「死神信仰」を持つ人々がそういう現実に遭遇したとき、まさにこのミレーの絵と同じイメージを想像してしまうのではないでしょうか。「死神の、行きがけの駄賃で死んだ」と・・・・・・。
この絵は、勤勉に働き、しかし報われることは何もなく、あっけなく突然死をしてしまった農民(ないしは樵)を、農民のイマジネーションの視点から描いたと考えられます。
フィラデルフィア美術館のミレーの絵の話に戻ります。「死神の絵」はファンタジーですが、「深夜の野鳩狩り」はミレーの子どものころの体験であり、ファンタジーではありません。しかし両方とも、農民に対する極めて深い思い入れと共感で描かれた絵だという感じがします。
「深夜の野鳩狩り」の絵はミレーの代表作ではないし、傑作とは言えないでしょう。しかし、ミレーを語る上で欠かせない絵だと思います。古今東西、ミレーの作品に惹かれた人は多いわけです。アルルの病院で『雨』を描いたゴッホはミレーを師と仰ぎ、『種蒔く人』を模写し『種蒔く人』をモチーフに絵を数点描いたのは有名です。ダリもまさにその一人です(その「惹かれかた」が独特だけれど)。明治以降の日本の文化人もミレーが好きな人は多い。日本を代表する出版社のロゴマークにもなっています。山梨の県立美術館が多額の予算(税金)をつぎこんで『種蒔く人』を購入する   ミレーだから納得されるのだと思います。
しかし「農民が労働にいそしんでます」みたいな感じだけでミレーの絵をとらえるのは違うのではないか・・・・・。「深夜の野鳩狩り」はそういう思いを抱かせる絵です。ミレーのコレクションを誇り「ミレー美術館」との別名がある山梨県立美術館も、そのあたりを是非掘り下げ、情報発信してほしいと思います。
ここからは『Bird's-Nesters』の題名についての補足です。インターネットで "Bird's-Nesters" を検索すると、ヴィクトル・ユーゴーの小説(の英訳)がヒットします。そこで、ちょっと調べてみました。
ヴィクトル・ユーゴー(1802-1885)の小説『海に働く人びと』(=『海の労働者』。原題:Les Travailleurs de la Mer。1866)の「第1部・第5編・第5章」の題名は「鳥の巣をあさる者たち」です(潮文庫。1978。山口三夫・篠原義近 訳)。この章題の英訳が「Bird's-Nesters」なのですね。原文のフランス語では「Les deniquoiseaux」(デニクワゾー)です。
ヴィクトル・ユーゴーは文学者ですが、政治家でもあり、ナポレオン3世が政権をとると、弾圧から逃れるためベルギーに渡り、イギリス海峡のジャージー島、ガーンジー島へと亡命しました。これらの島はフランスのノルマンディーの沖合いにありますが、イギリス領です。ユーゴーはガーンジー島で15年間を過ごし(1855-1870)、『レ・ミゼラブル』はそこで完成させています。このガーンジー島で書いた小説の一つが『海に働く人びと』です。
「鳥の巣をあさる者たち」という章は、ガーンジー島の3人の子供の冒険譚ですが、その子供たちが次のように説明されています。
英語訳の bird's-nesters は deniche-oiseaux の直訳ですね。もちろん海岸の断崖などで採る鳥の巣はカモメ(などの海鳥)です。これは島の子供たちの「仕事」だったと考えられます。「あさる」という訳は、子供たちの行動をよく表現していると思います。鳥の巣から卵や鳥(雛)を採るのに特別な用具はいらず、子供でもできます。断崖や岩場の危険はあるけれども。
ところで、ジャン・フランソワ・ミレーは、ヴィクトル・ユーゴーの同時代人です。そしてミレーが生まれたのは、フランス・ノルマンディー地方のイギリス海峡に面した海岸の村・グリュシー(シェルブールの西方)であり、19歳までそこで過ごしています。グリュシー村とヴィクトル・ユーゴーが亡命生活を送ったガーンジー島は、近い距離にあるのです。
ミレーが画家として名をなしたのは、もちろんバルビゾン村であり、海とは無縁の農村地帯です。しかしミレーは何度も故郷を訪問し、晩年の1871年にも訪れて海岸の絵を描いています。『グレヴィルの断崖』(大原美術館)というパステル画です。『Bird's-Nesters』を描く3年前のことです。グレヴィルはミレーの故郷・グリュシー村がある地域名です。
まとめると、Bird's-Nestersという語は「鳥の巣をあさる者」という意味(元々の意味)のようです。しかし、ミレーの絵に描かれている情景は「鳥狩り」だということに注意すべきでしょう。描かれている鳥も、フィラデルフィア美術館の解説によると鳩であり、カモメや海鳥ではありません。海岸の情景ではないのです。海岸地方であったとしても、海辺ではなく(海辺に鳩はいない)、内陸部の情景です。
ここからは全くの想像です。題名を調べて、ひょっとしたらと思ったことが2点あります。
の2点です。ガーンジー島でやることは近くのノルマンディーの海岸の村でもやるだろう、ということと、ミレーが晩年に故郷を訪問して絵を描いていることの2つからの推測です。『グレヴィルの断崖』の絵を見ていると、いかにも岩場にカモメの巣がありそうな気がします。もしこの推測が正しければ、『Bird's-Nesters』という絵は、子供時代と、この絵を描いた晩年、故郷の村とバルビゾン、生(農民)と死(鳥)を重ね合わせた、人生の総括のようなものかも知れません。
2つの推測は実証などできないでしょうが、否定もできないはずです。絵は多様な解釈が可能であり、絵を見るそれぞれの人にとって一番納得がいく解釈というのも大切だと思います。
フィラデルフィア美術館の「印象に残る絵」
以上、カサット、マネ、コロー、ゴッホ、ミレーと、5つの作品を取り上げましたが、フィラデルフィア美術館には他にも、ピカソの花瓶の花束の絵とか、クールべの美しい海岸風景とか、ロートレックのムーラン・ルージュの絵とか、印象に残る作品がいろいろあります。これらの画像はウェブサイトに公開されています。
このブログ記事をアップしてから2年後、中野京子さんは『絶筆で人間を読む』(NHK出版新書 2015)を出版し、その中でミレーの『鳥の巣狩り』を解説しました。その文章を、絵とともに引用したいと思います。
ここで、ミレー(1814-1875)の生涯を復習しておきますと、ミレーはノルマンディー地方の生まれで、生地の近くのシェルブールで絵を学びました。そしてパリに出てサロンに挑戦しますが落選を重ね、赤貧の中、生活のためにポルノまがいのヌード画を描いたこともありました。
転機となったのはバルビゾン派の画家、テオドール・ルソーと親友になったことです。そして農民画への傾倒をはじめ、バルビゾンに移住します。当初、ミレーの農民画は社会への抗議と受け取られ、保守層からの激しい反発を受けます。しかし次第に上流階級の支持も集め、絵は売れるようになり、『羊飼いの少女』はサロンで1等にもなりました。ミレーの名声は高まり、ついにはレジオン・ドヌール勲章まで授与されます。そして生涯の最後に描いたのが『鳥の巣狩り』だったのです。
そして中野さんは、本に掲載した『鳥の巣狩り』の画像に次のような注釈をつけていました。
私はこの絵をフィラデルフィア美術館で初めて知ったのですが、予備知識なしに見ても衝撃を受ける絵です。それを実際に見ることができて、本当によかったと思います。そしてこの中野さんの文章を読んで是非もう一度見たいと思いました。山梨県立美術館は、この絵をフィラデルフィアから借り受けて「大ミレー展」を開催してくれないでしょうか。一番最後にこの絵が展示してあるという展覧会を・・・・・・。
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Philadelphia Museum of Art
East Entrance 側より
( site : press.visitphilly.com ) |
フィラデルフィア美術館のような「巨大美術館」を紹介するのは難しいものです。有名アーティストの作品がたくさんあるので、いちいちあげていったらキリがありません。そこで前回はあえて「あまり有名ではない画家の作品」を取りあげ、最後に1枚だけ(超有名画家である)アンリ・ルソーの作品を紹介しました。
しかし、ちょっと考え直しました。有名アーティストの作品をあげていったらキリがないけれど、
有名画家の、代表作とは言えないし傑作でもないけれど、印象に残る絵 |
なら何点かあげられると思ったのです。今回はその「印象に残る絵」という視点での紹介です。もちろん個人の印象です。
なお以下に取り上げる絵画は、フィラデルフィア美術館が所蔵している作品であって、常に展示されているとは限りません。美術館は展示状況をウェブサイトで公開しています。 |
カサット(1844-1926)
まずフィラデルフィア出身のメアリー・カサットが「馬車で行く婦人と少女」を描いた作品です。
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Mary Stevenson Cassatt 『A Woman and a Girl Driving』(1881) (89.7 x 130.5 cm) |
この絵の特徴は構図です。カメラに望遠レンズを付け、クローズアップで寄っていって撮ったような感じです。馬、馬車の下部、後部、後方の木々など、四方のすべてが「切り取られて」いる。全体の広がり感を見る人に想像させるという手法です。これは、No.87「メアリー・カサットの少女」で感想を書いた『舟遊び』に大変よく似ています。馬車に乗った人物をこういう風に描いた絵は珍しいという意味で印象に残る作品です。
この絵が印象的なのは、もう一つ理由があります。一見するとメアリー・カサットの得意な「母と子」のモチーフに見えますが、そうではありません。見ると、女性2人の表情は「こわばった」感じで、母と子の絵に一般的な「穏やかな」表情ではない。フィラデルフィア美術館の解説にもあるのですが、描かれている2人の女性は、メアリー・カサットの姉のリディアとエドガー・ドガの姪(オディル・フェーヴル)です。メアリーとドガが家族ぐるみの交際をしていたことの証拠となる絵です。
ドガの名前が出たところで、完全な余談ですが、この絵から連想するドガの絵があります。ボストン美術館にある「郊外での競馬」という絵です。肝心の競馬は遠くに小さく描かれているだけで、近景の「切り取られた」馬車が広々とした草原を的確に表現している。「馬車を使った構図の妙」という連想です。
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Edgar Degas 『At the Races in the Countryside』(1869) (Museum of Fine Arts Boston) (36.5 x 55.9 cm) |
マネ(1832-1883)
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Edouard Manet 『Le Bon Bock』(1873) (94.6 x 83.3 cm) |
題名を意訳すると「ビールがうまい!」というのがピッタリの絵だと思います。Bockはビールの一種です。モデルはマネの友人の版画家です。
このマネの絵を見て思うのは、フランス・ハルス(1580頃-1666)の絵に似ているということです。描き方に加えて「酒を飲む、赤ら顔の男」というモチーフそのものがハルスを連想させます。フィラデルフィア美術館の解説によると、マネは1872年にオランダを訪問し、オランダの画家の絵を研究しました。その成果がこの絵というわけです。マネは、いろいろと「物議をかもす」絵も描きましたが、この絵はそういうところはありません。極めてオーソドックスな絵であり、細部の描き方や筆遣いに画家の個性が出る絵です。
No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、マネがマドリードを訪問してベラスケスに学んだことを書きましたが、彼はハルスの弟子でもあったことが分かります。
コロー(1796-1875)
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Jean-Baptiste-Camille Corot 『House and Factory of Monsieur Henry』(1833) (81.4 x 100.3 cm) |
このコローの絵(アンリ氏の家と工場)は、奥の方に見える一軒の家と、その家主が所有している織物工場を描いたものです。コローというと、人物画や独特の色合いの風景画が有名ですが、工場という「近代の産物」も描いているわけです。こういったモチーフはコローの絵としては珍しいと思います。
この絵は「建物」を主題にして描かれています。建物が描かれた絵はたくさんありますが、普通、街の風景としての建物とか、田園風景の中に農家があったり教会があったり古城があったり、といった絵が多いわけです。しかしこの絵は違います。基本的に「建物だけ」を描いていて、しかも描写の中心は工場です。また、小さく描かれた人物や遠景の邸宅とあわせて、まるで「遠近法の練習」のような感じもする絵です(そんなはずはないですが)。
パリの街並みとは違って、昼下がりの工場の、無機質で冷たい感じがよく出ていると思います。「遠近法の練習」的な構図もそれにマッチしている。街でもなく田園でもない、新しい風景。画家は、こういう題材を描こうとチャレンジした、そいういう感じを受ける作品です。
ゴッホ
ゴッホの『The Rain - 雨』と題された絵です。ゴッホの生涯はよく知られています。彼は南フランスのアルルにいったあと、結局、サン・レミの病院に入院することになるのですが、その時に描いた絵です。小麦畑に雨が降っています。
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Vincent van Gogh(1853-1890) 『Rain』(1889) (73.3 x 92.4 cm) |
この絵を見て、日本人なら誰しも雨の情景を描いた歌川広重(1797-1858)の版画を思い出すに違いありません。名所江戸百景の「大はしあたけの夕立」、東海道五十三次の「庄野」「土山」などです。「大はしあたけの夕立」は、ゴッホが模写した絵が残されていることで有名です。
![]() 『大はしあたけの (名所江戸百景) |
![]() 『庄野宿』 (東海道五十三次) | |
![]() 『土山宿』 (東海道五十三次) |
雨を描いた絵はターナー、クールベ、カイユボットなどの絵が思い浮かびますが、雨足を線で表現した絵は少ないはずです。この絵以外にはドガの絵(下図)があるぐらいではないでしょうか。土砂降りでもない限り、普通の雨では、雨の日の屋外を眺めても「線」は見えません。広重のような感じで雨足を線で表現するのはリアリズムではないのです。このゴッホの絵は明らかに広重の影響下にある作品と言えるでしょう。
しかしこの絵の雨の表現は、広重そのものではありません。広重の線の描き方には独特の様式性がありますが、ゴッホの線はそれとは違って、かなり「乱れて」います。たとえ強風の中の雨だったとしても、雨足がこのようにはならないはずです。これは画家のその時点における「心」の表現なのでしょう。広重流表現を取り込んで独自表現にした。そう言っていいと思います。
この作品は傑作とは言えないでしょう。しかし印象に残る作品です。特に日本人にとっては。
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エドガー・ドガ 「雨の中の騎手」(1880/81)
「Jockeys in the Rain」
Kelvingrove Art Gallery and Museum(Glasgow) ( site : www.wga.hu )
このドガのパステル画も雨を線で表現している。そういえば、ドガもまたゴッホと同様に浮世絵のファンであった。No.86「ドガとメアリー・カサット」参照。
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ミレー(1814-1875)
この記事のタイトルにもあげたように、実は次のミレーの絵が「フィラデルフィア美術館で一番印象に残る絵」です。そしてこの絵は、初めてパッと見ると何が描かれているのか分からない絵です。いったい画家は何を描いたのか。
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Jean-Francois Millet 『Bird's-Nesters』(1874) (73.7 x 92.7 cm) |
これは「野鳩狩り」の様子です。農民たちが、夜、野鳩の群れが休んでいるところに近づき、松明を照らします。光に目が眩んだ野鳩は逃げまどい、それを二人の農民が棍棒で叩き落とす。羽を折られて地上に落ちた鳥を別の二人の農民(妻でしょう)が捕まえる。ほとんど即死の鳥もあるでしょう。それを拾う。そういった光景です。
絵の中で行われている行為は、現代の基準からすれば残酷なものです。しかし18-19世紀のフランスの農民にとって、野鳩は貴重なタンパク源だったのでしょう。想像をたくましくすると、農作物の不作で農民は飢えていて、食料を手に入れようと必死に野鳩に棍棒を振るっている・・・・・・そういう感じも受けます。農民は、ご馳走を目の前にして狂喜しているようにも見える(現代でも鳩料理は高級料理です)。
何が描かれているかが理解できたとして、この絵から受ける強い印象は、画面を覆い尽くす鳥の大群です。まるで人間が鳥の大群に襲われて、必死に逃れようと棍棒で鳥を振り払っているようにも錯覚してしまう。半世紀前の映画ですが、アルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥』という作品(1963。鳥が人間を襲うというストーリー)がありました。
この絵は見る人にある種の「怖さ」を感じさせる絵です。また、こういった光景を体験したこともないし映像で見たこともない現代人にとっては、これは現実の光景なのかどうかという不可思議な感じも受けます。そもそも絵のタイトルが不思議です。
Bird's-Nesters
とはいったい何でしょうか。nesterとはあまり使わない単語です。これは nest(巣)に er がついていると解釈すべきでしょう。では、なぜハイフンが付いているのか・・・・・・。これは bird's nest(鳥の巣)が原型だと思います。つまり、
bird's nest | 鳥の巣 | |
bird's-nest | 鳥の巣(一語) | |
bird's-nest | 鳥の巣を採る(動詞) | |
bird's-nester | 鳥の巣を採る人 | |
bird's-nesters     | 鳥の巣を採る人(複数形) |
ということでしょう。この「採る」のところは「狩る」でもよいと思います。描かれているのがいかにも「狩り」なので、日本語に訳すとしたら「鳥の巣狩り」が適当でしょう。
鳥の巣採り・鳥の巣狩りという行為をするとしたら、その目的は巣ではなく、巣の中の卵や雛・若鳥を採ることです。しかしこの絵は飛び交う鳥(野バト)そのものを狩っている絵であり、Bird Hunters(鳥狩り人)の絵、「深夜の野鳩狩り」の絵です。推測すると、Bird's-Nesters に相当するフランス語が原題だったのではないでしょうか。フィラデルフィア美術館が「Bird Hunters」とか「Hunting Birds at Night」とかの分かりやすい題にしなかったのは、美術館としての見識だと想像します。フィラデルフィア美術館のウェブサイトには、この絵が次のように解説されています。
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解説にあるように、この絵はミレー最後の作品(絶筆)です。ミレーは労働にいそしむ農民の姿を共感をもって描いた「農民画家」と見なされています。農民の絵だけを描いたわけではないが、それがミレーの代表的イメージです。それはそれで間違ってはいない。
しかしミレーは人生最後の作品で「深夜の野鳩狩り」を描いたわけです。農民の労働を描いていることには変わりないが、何となく、画家自身の心の奥底に潜む「闇」のようなものを感じます。ある種の「怖さ」と言ったらいいのでしょうか。子どもの頃の話が強烈な印象として残り、その暗いイメージがずっと潜在していて、時折りそれが脳裏をよぎる、または夢に出てくる。死期を悟った画家は、どうしてもそのイメージをカンヴァスに表現したかった・・・・・・というような。
と同時にこの絵は、動物を殺さずには生きていけない人間の悲しみを描いているようにも見えます(日本的な考えでしょうが)。また、農民に対して、その「生」の最も深いところに万感の共感を抱いて描いた絵とも考えられます。
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ミレー『晩鐘』(1857/9) (オルセー美術館) |
まず中野さんは、誰もが知っているミレーの『晩鐘』(オルセー美術館。1857-9)持ち出します。そして『晩鐘』についてのサルバトーレ・ダリの評論を紹介します。ダリいわく、
「 | 女の足元におかれた手籠は不自然である。最初は彼らの子どもを入れた小さな棺を描いたのではないか。つまりこれは一日の終わりの感謝の祈りではなく、亡き子を土に埋めた後、母は祈り、父は泣いている情景だった。ところがミレーは気が変わったか、誰かに忠告されたかで、最終的にこういう絵になった・・・・・・。」 |
えっ、まさか、と思ってしまいますが、20世紀アートの巨匠であるダリの発言です。棺を描いた形跡があるかどうか、X線調査まで行われたようです。しかし棺は見つからなかった。それでもダリの「妄想」は変わらなかった・・・・・・という話です。
中野さんも、ダリの言うことを信じているのではありません。『晩鐘』は、ダリが怖いと言っているだけで、怖い絵ではない。しかし最低限言えることは『晩鐘』にはダリの「妄想」をかき立てる何かがあったということです。
ここまでは解説の「前振り」に過ぎません。このあと中野さんはミレーが描いた「本当に怖い絵」を持ち出します。『死と樵』という絵です。
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ミレー『死と樵』(1859) ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館 (コペンハーゲン:Ny Carlsberg Glyptotek) (77 x 100 cm) |
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確かにこれは怖い絵です。「行きがけの駄賃の怖さ」です。しかもこの絵が描かれた時期(1859年のサロンに出品・落選)は、『晩鐘』が描かれた時期(オルセー美術館のサイトによると1857年から59年の間)とほぼ同じなのです。ということは、ダリの「妄想」も、ひょっとしたら、と思ったりもします。
それはともかく、この絵は農民の視点からすると、単なる「怖い絵」ではなく、別の見方ができると思うのです。
「人が死ぬということは、死神が鎌を振るうことだ」と固く信じている人々がいたとします。たとえば19世紀のフランスの農民です。「人が何の前触れもなく、突然、極めて短時間のうちに死ぬ」ということがありますよね。心筋梗塞とか、くも膜下出血とか、これだけ医療が発達した現代でもあります。農作業から帰る農夫が、突然の心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となる・・・・・・。「死神信仰」を持つ人々がそういう現実に遭遇したとき、まさにこのミレーの絵と同じイメージを想像してしまうのではないでしょうか。「死神の、行きがけの駄賃で死んだ」と・・・・・・。
この絵は、勤勉に働き、しかし報われることは何もなく、あっけなく突然死をしてしまった農民(ないしは樵)を、農民のイマジネーションの視点から描いたと考えられます。
フィラデルフィア美術館のミレーの絵の話に戻ります。「死神の絵」はファンタジーですが、「深夜の野鳩狩り」はミレーの子どものころの体験であり、ファンタジーではありません。しかし両方とも、農民に対する極めて深い思い入れと共感で描かれた絵だという感じがします。
「深夜の野鳩狩り」の絵はミレーの代表作ではないし、傑作とは言えないでしょう。しかし、ミレーを語る上で欠かせない絵だと思います。古今東西、ミレーの作品に惹かれた人は多いわけです。アルルの病院で『雨』を描いたゴッホはミレーを師と仰ぎ、『種蒔く人』を模写し『種蒔く人』をモチーフに絵を数点描いたのは有名です。ダリもまさにその一人です(その「惹かれかた」が独特だけれど)。明治以降の日本の文化人もミレーが好きな人は多い。日本を代表する出版社のロゴマークにもなっています。山梨の県立美術館が多額の予算(税金)をつぎこんで『種蒔く人』を購入する 
しかし「農民が労働にいそしんでます」みたいな感じだけでミレーの絵をとらえるのは違うのではないか・・・・・。「深夜の野鳩狩り」はそういう思いを抱かせる絵です。ミレーのコレクションを誇り「ミレー美術館」との別名がある山梨県立美術館も、そのあたりを是非掘り下げ、情報発信してほしいと思います。
 Bird's-Nesters とは  |
ここからは『Bird's-Nesters』の題名についての補足です。インターネットで "Bird's-Nesters" を検索すると、ヴィクトル・ユーゴーの小説(の英訳)がヒットします。そこで、ちょっと調べてみました。
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ヴィクトル・ユーゴー 『海に働く人びと』 (潮出版社) |
ヴィクトル・ユーゴーは文学者ですが、政治家でもあり、ナポレオン3世が政権をとると、弾圧から逃れるためベルギーに渡り、イギリス海峡のジャージー島、ガーンジー島へと亡命しました。これらの島はフランスのノルマンディーの沖合いにありますが、イギリス領です。ユーゴーはガーンジー島で15年間を過ごし(1855-1870)、『レ・ミゼラブル』はそこで完成させています。このガーンジー島で書いた小説の一つが『海に働く人びと』です。
「鳥の巣をあさる者たち」という章は、ガーンジー島の3人の子供の冒険譚ですが、その子供たちが次のように説明されています。
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英語訳の bird's-nesters は deniche-oiseaux の直訳ですね。もちろん海岸の断崖などで採る鳥の巣はカモメ(などの海鳥)です。これは島の子供たちの「仕事」だったと考えられます。「あさる」という訳は、子供たちの行動をよく表現していると思います。鳥の巣から卵や鳥(雛)を採るのに特別な用具はいらず、子供でもできます。断崖や岩場の危険はあるけれども。
ところで、ジャン・フランソワ・ミレーは、ヴィクトル・ユーゴーの同時代人です。そしてミレーが生まれたのは、フランス・ノルマンディー地方のイギリス海峡に面した海岸の村・グリュシー(シェルブールの西方)であり、19歳までそこで過ごしています。グリュシー村とヴィクトル・ユーゴーが亡命生活を送ったガーンジー島は、近い距離にあるのです。
ミレーが画家として名をなしたのは、もちろんバルビゾン村であり、海とは無縁の農村地帯です。しかしミレーは何度も故郷を訪問し、晩年の1871年にも訪れて海岸の絵を描いています。『グレヴィルの断崖』(大原美術館)というパステル画です。『Bird's-Nesters』を描く3年前のことです。グレヴィルはミレーの故郷・グリュシー村がある地域名です。
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ミレー『グレヴィルの断崖』 (1871。大原美術館) |
まとめると、Bird's-Nestersという語は「鳥の巣をあさる者」という意味(元々の意味)のようです。しかし、ミレーの絵に描かれている情景は「鳥狩り」だということに注意すべきでしょう。描かれている鳥も、フィラデルフィア美術館の解説によると鳩であり、カモメや海鳥ではありません。海岸の情景ではないのです。海岸地方であったとしても、海辺ではなく(海辺に鳩はいない)、内陸部の情景です。
ここからは全くの想像です。題名を調べて、ひょっとしたらと思ったことが2点あります。
◆ | ミレーは子供ころ、故郷のノルマンディーの海岸で「鳥の巣あさり」をしたことがある。つまり、彼自身がデニクワゾーだった。 | |
◆ | 『Bird's-Nesters』の絵の中の bird's-nesters(=農民の姿) は、自分自身の投影である。 |
の2点です。ガーンジー島でやることは近くのノルマンディーの海岸の村でもやるだろう、ということと、ミレーが晩年に故郷を訪問して絵を描いていることの2つからの推測です。『グレヴィルの断崖』の絵を見ていると、いかにも岩場にカモメの巣がありそうな気がします。もしこの推測が正しければ、『Bird's-Nesters』という絵は、子供時代と、この絵を描いた晩年、故郷の村とバルビゾン、生(農民)と死(鳥)を重ね合わせた、人生の総括のようなものかも知れません。
2つの推測は実証などできないでしょうが、否定もできないはずです。絵は多様な解釈が可能であり、絵を見るそれぞれの人にとって一番納得がいく解釈というのも大切だと思います。
フィラデルフィア美術館の「印象に残る絵」
以上、カサット、マネ、コロー、ゴッホ、ミレーと、5つの作品を取り上げましたが、フィラデルフィア美術館には他にも、ピカソの花瓶の花束の絵とか、クールべの美しい海岸風景とか、ロートレックのムーラン・ルージュの絵とか、印象に残る作品がいろいろあります。これらの画像はウェブサイトに公開されています。
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Philadelphia Museum of Art
West Entrance 側より
( site : press.visitphilly.com ) |
 補記  |
このブログ記事をアップしてから2年後、中野京子さんは『絶筆で人間を読む』(NHK出版新書 2015)を出版し、その中でミレーの『鳥の巣狩り』を解説しました。その文章を、絵とともに引用したいと思います。
ここで、ミレー(1814-1875)の生涯を復習しておきますと、ミレーはノルマンディー地方の生まれで、生地の近くのシェルブールで絵を学びました。そしてパリに出てサロンに挑戦しますが落選を重ね、赤貧の中、生活のためにポルノまがいのヌード画を描いたこともありました。
転機となったのはバルビゾン派の画家、テオドール・ルソーと親友になったことです。そして農民画への傾倒をはじめ、バルビゾンに移住します。当初、ミレーの農民画は社会への抗議と受け取られ、保守層からの激しい反発を受けます。しかし次第に上流階級の支持も集め、絵は売れるようになり、『羊飼いの少女』はサロンで1等にもなりました。ミレーの名声は高まり、ついにはレジオン・ドヌール勲章まで授与されます。そして生涯の最後に描いたのが『鳥の巣狩り』だったのです。
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ジャン=フランソワ・ミレー 『鳥の巣狩り』(1874) (73.7 x 92.7 cm) |
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そして中野さんは、本に掲載した『鳥の巣狩り』の画像に次のような注釈をつけていました。
◆ | 松明がぎらつく。鳩の動きにつれて、明かりまでが乱舞するようだ。 | ||
◆ | 棍棒を振り回す男たちは、ちょうど正面と背面、合わせ鏡になっている。 | ||
◆ | 鳩を集める男女の、地べたを這うごとき動きも、棍棒の男たちと同じ興奮が感じられる。 | ||
◆ | 凄まじい羽ばたきの音、啼き声、血しぶき、死の臭いが伝わってくる異様な作品。これまでのミレーをくつがえす驚きに満ちる。 |
私はこの絵をフィラデルフィア美術館で初めて知ったのですが、予備知識なしに見ても衝撃を受ける絵です。それを実際に見ることができて、本当によかったと思います。そしてこの中野さんの文章を読んで是非もう一度見たいと思いました。山梨県立美術館は、この絵をフィラデルフィアから借り受けて「大ミレー展」を開催してくれないでしょうか。一番最後にこの絵が展示してあるという展覧会を・・・・・・。
2013-10-11 20:13
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