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No.342 - ヒトは自己家畜化で進化した [科学]

No.299「優しさが生き残りの条件だった」は、雑誌・日経サイエンス2020年11月号に掲載された、米・デューク大学のブライアン・ヘア(Brian Hare)とヴァネッサ・ウッズ(Vanessa Woods)による「優しくなければ生き残れない」と題した論文の紹介でした。これは、人類(=ホモ族)の中でホモ・サピエンス(=現生人類)だけが生き残って地球上で繁栄した理由を説明する "自己家畜化仮説" を紹介したものです。

"自己家畜化仮説" の有力な証拠となったのは、旧ソ連の遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985)が始め、現在も続いている「キツネの家畜化実験」です。この実験のことは No.211「狐は犬になれる」に書きました。この実験がなければ "自己家畜化仮説" は生まれなかったと思われます。"自己家畜化" というと、なんだか "おどろおどろしい" 語感がありますが、進化人類学で定義された言葉です。

ところで、ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズ(以下「著者」と記述)の論文の原題は「Survival of the Friendliest」(Scientific American誌)です。直訳すると「最も友好的なものが生き残る」という意味です。これはもちろん、進化論で言われる "Survival of the Fittest"(適者生存)の "もじり" です。適者生存とは、自然環境・生存環境に最も適した生物が生き残ることで生物が変化(=進化)し、多様化してきたという、進化論の原理を表現しています。それをもじって "the friendliest=最も友好的な者" としたわけです。

その著者は論文と同じ題名の本を2020年に出版し、2022年に日本語訳が出版されました。

Brian Hare & Vanessa Woods
"Survival of the Friendliest"
・ Understanding Our Origins and Rediscovering Our Common Humanity(我々の起源を理解し、我々に共通な人間性を再発見する)

ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ
ヒトは <家畜化> して進化した
・ 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
藤原多伽夫 訳(白揚社 2022.6)

です(以下「本書」と記述)。今回はこの本の内容の一部を紹介します。もちろん、論文と基本のところの主旨は同じなのですが、単行本ならではの詳細な記述もあります。

以下の引用では原則として漢数字を算用数字に直しました。また段落を増やしたところがあります。


問題提起:ホモ・サピエンスの大変化


現生人類(=ホモ・サピエンス。以下ヒト、または人間)がアフリカで誕生したのは、およそ20万年~30万年前です。その時、すでに少なくとも4種の人類が生存していて世界に拡散していました。その中で最も古いのはホモ・エレクトスで、180万年前にはアフリカを出てユーラシア大陸に散らばっていました。ホモ・サピエンスが誕生したときに使った道具にハンドアックス(握斧あくふ)がありますが、それは150万年前にホモ・エレクトスが考案したものとほぼ同様の石器でした。

75,000年前(氷河期)の時点で考えると、当時最も繁栄していた人類はネアンデルタール人です。ネアンデルタール人の脳はヒトと同じかそれより大きく、身長はヒトと同じくらいでしたが、体重はヒトより重かった。彼らは長い槍で獲物を狩る優秀なハンターでした。


ネアンデルタール人は決して、うなり声しか上げられない原始人などではなかった。ヒトとネアンデルタール人はどちらも、発話に必要な運動筋肉の細かな動きをつかさどるFOXP2遺伝子のバリアントをもっている。ネアンデルタール人は死者を埋葬し、病人やけが人の世話をするし、自分の体に色素を塗り、貝殻や羽根、骨でできた装身具でみずからを飾る。

ネアンデルタール人のある男性は動物の皮でできた衣服を身にまとって埋葬されていた。その衣服は巧みに伸ばした皮を縫い合わせてできており、3000個近くの真珠で飾られていネアンデルタール人が洞窟に残した壁画には、架空の生き物が描かれている。

ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ
「ヒトは <家畜化> して進化した」
藤原多伽夫訳(白揚社2022.6)p.19

著者は「75,000年前に、どの人類がその後の不確かな気候のもとで生き残れるかについて賭けをしたなら、ネアンデルタール人が本命だっただろう」と書いています。しかし、5万年前になると状況は明らかにヒトに有利になってきました。著者はその例として、ヒトが作り出した道具を紹介しています。


ネアンデルタール人は木製の槍を手で持って突き刺すだけだったが、ヒトはそれを改良して、投射する武器を開発したのだ。それは長さ60センチほどの木製の投槍器で、長さおよそ1.8メートルの矢のような槍を投げる。槍は鋭くとがらせた石か骨を穂先に取り付けることが多く、反対側の末端にはくぼみを作り、木製の投槍器の突起にはめる。これは、愛犬家がボールを投げるときに使う「チャキット」という製品と同じ原理だ。

強肩の持ち主であっても、標準的な槍を手で投げると短い距離しか飛ばせない。しかし、投槍器を使うと、柄に蓄えられたエネルギーによって、槍を時速160キロ以上の速さで90メートル以上も飛ばすことができる。

投槍器は狩猟に革命をもたらした。人間と同じくらいの大きさの草食動物だけでなく、飛んだり、泳いだり、木に登ったりする獲物も狩ることができるようになったのだ。マンモスを捕らえるときも、足で踏みつけられたり、牙で突き刺されたりする心配がなくなった。投槍器の登場で身の守り方も一変した。襲ってくるサーベルタイガーや敵の人間に向けて安全な場所から槍を投げて、重傷を負わせることもできるようになった。

武器に使う鋭い穂先、石器を作る道具、切断用の刃、穴を開ける錐も作り出した。骨で作った銛、漁に使う網や罠、そして、鳥や小型の哺乳類を捕らえるための罠も生み出した。ネアンデルタール人は狩猟の能力は優れていたが、捕食者としては並の域を出ることはなかった。一方、新たな技術をつくり出したホモ・サピエンスは究極の捕食者となり、ほかの生き物に捕食されることは少なくなった。

「同上」p.20

ヒトはアフリカを出て、またたく間にユーラシア大陸に拡散し、さらに東南アジアの島からオーストラリア大陸に到達しました。


ヒトはアフリカを出てから、あっという間にユーラシア大陸全域に拡散した。数千年のうちに、オーストラリア大陸まで到達したとの説もある。

大海原を渡る困難な冒険に挑むためには、いつ終わるとも知れない旅に向けての計画と食料の荷造りが必要だ。さらには、想定外の損傷を修復する道具や見たこともない獲物でも捕獲できる道具を準備しなければならないし、海上で飲み水を補給するなど、旅の途中で起こりうる問題を解決する必要もある。こうした旅に挑んだ当時の船乗りは、仲間と細かくコミュニケーションをとらなければならない。このことから、ヒトはその頃にはすでに成熟した言語を使っていたと考える人類学者もいる。

ここで特に注目したいのは、船乗りたちは水平線の向こうに何かがあると推測しなければならないという点だ。ひょっとして渡り鳥の行動パターンを調べたのか、それとも、はるか遠くで自然に起きた森林火災の煙が見えたのか。仮にそうだったとしても、向かうべき土地があると想像しなければならない。

「同上」p.20-21

25,000年前までに、ヒトは数百人規模で野営地に定住し、調理用の道具やかまどを作り、骨製の細い針を使って毛皮で防寒用の衣服を作りました。また、海から何百キロも離れたところで貝殻の装飾品が見つかりますが、これは社会的ネットワークの存在を示しています。定住地の岩には生き生きとした動物の絵を描きました。

これらをまとめて著者は「行動が現代化した」と書いています。つまり当時のヒトは現代人と同じようなみかけであり、似たような行動をとっていたわけです。

5万年前以降のヒトの大変化はどのようにして起きたのでしょうか。なぜヒト(現世人類)だけに起きたのでしょうか。これが本書の問題提起です。その一番の理由を、著者はヒトが獲得した「協力的コミュニケーション」の能力だとしています。


ほかの人類が絶滅する一方で、ヒトが繁栄できたのは、ある種の並外れた認知能力があったからだ。それは「協力的コミュニケーション」と呼ばれる、特殊なタイプの友好性である。ヒトは見知らぬ人との共同作業であっても巧みにこなすことができる。これまで一度も会ったことがない人と共通の目標についてコミュニケーションをとり、力を合わせてそれを達成できるのだ。

チンパンジーもまた、多くの面でヒトのように高度な認知能力をもっている。ただ、ヒトと数多くの類似点があると言っても、チンパンジーは共通の目標の達成を助けるコミュニケーションを理解するのが得意でない。チンパンジーほど賢くても、他者の動きに合わせて行動したり、さまざまな役割を連携させたり、自分が考え出した新しい技術を他者に伝えたり、いくつかの初歩的な要求以上のコミュニケーションをとったりする能力はほとんどないのだ。

ヒトはこれらすべての能力を、歩行や会話ができる年齢になる前に発達させる。それは洗練された社会や文化を築くための入り口だ。この能力があるからこそ、ヒトは他者の気持ちを理解でき、前世代からの知識を受け継ぐことができる。その能力は、高度な言語をはじめとする、あらゆる形の文化や学習の礎だ。そうした文化をもった人がたくさんいる集団が、優れた技術を考え出した。ホモ・サピエンスは独特な共同作業に長けているおかげで、ほかの賢い人類が繁栄できなかった場所でも繁栄できたのだ。

「同上」p.23-24

著者の言う「協力的コミュニケーション」とは、他者に対する(特殊なタイプの)友好性です。この友好性が進化した要因が「自己家畜化」です。


こうした友好性は自己家畜化によって進化した。家畜化は、人間が動物を選抜して交配する人為淘汰だけで生じたわけではない。自然淘汰の結果でもある。ここで淘汰圧となったのは、異なる種や同じ種に対する友好性という性質だった。

私たちは自然淘汰で生じた家畜化を「自己家畜化」と呼んでいる。ヒトは自己家畜化によって友好的な性質という強みを獲得したからこそ、ほかの人類が絶滅するなかで繁栄することができた。

これまでのところ、私たちがこの性質の存在を確認できたのは、ヒトと、イヌ、そしてヒトに最も近縁な種であるボノボだ。本書ではこれら3つの種を結びつける発見、そして、ヒトがどのように現在のヒトになったのかを理解する助けになる発見について述べていく。

「同上」p.24-25

しかしながら、友好性を獲得すると同時にヒトは "非人間化した他者" に対する残虐性も発揮するようになりました。日本語訳の副題に「私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか」とあるのはそのことです。


しかし、人間の友好性には負の側面もある。自分の愛する集団がほかの社会集団に脅かされていると感じると、人間はその集団を自分の心のネットワークから除外し、人間扱いしない(非人間化する)ようにできるのだ。共感や思いやりは消え去ってしまう。脅威をもたらすよそ者に共感できなくなると、私たちは彼らを同じ人間だと見なせなくなり、極悪非道な行為ができるようになる。人間は地球上で最も寛容であると同時に、最も残酷な種でもある。

「同上」p.25

以上が全体の主旨ですが、以降は自己家畜化仮説を裏付けるエビデンスです。その一つは、ヒトが生来持っている「協力的コミュニケーション」で、それは "他者の考えについて考える" 能力です。


"他者の考えについて考える" 能力


ヒトの「協力的コミュニケーション」の最初の発揮として、著者は赤ちゃんの頃から始まる "指さし" 行動を取り上げています。


ヒトは生後9ヶ月頃になると、歩いたり話したりできるようになる前に、指さしを始める。もちろん、生まれてすぐであっても指さしはできるのだが、9ヶ月ぐらいになると、それが何らかの意味をもち始める。興味深いジェスチャーだ。ほかの動物は手があっても、このジェスチャーをしない。

指さしの意味を理解するには、心を読み取る高度な能力が必要だ。たいていの場合、指さしは「あそこを見れば、私の言いたいことがわかる」ということを意味する。しかし、あなたがあなたの頭を指でさすのを私が見た場合、さまざまな意味が考えられる。あなた自身のことを言っているのか? 私の頭がおかしいという意味なのか? 私が帽子を忘れたのか? 指さしは未来の何かを示すことも、過去にあって今はない何かを示すこともある。

生後9ヶ月までは、母親が指さしをすると、赤ちゃんはたいていその指を見てしまう。しかし9ヶ月を過ぎると、指から伸びる架空の線をたどるようになる。1歳4ヶ月になる頃には、指さしをする前に母親が自分を見ているか確認するようになる。母親が自分に注意を向けていないと指さしをしても通じないことがわかっているのだ。2歳までには、他者が見ているものや考えていることがわかってくる。他者の行動が偶然なのか意図したものなのかが区別できるようになる。4歳になると他者の考えを巧みに推測することが可能になり、人生で初めて嘘をつけるようになる。誰かがだまされたときに助けることもできるようになる。

「同上」p.33-34

心理学では「心の理論(Theory of Mind)」という用語が使われます。これは他者の心や意図を推察する能力のことです。指さしは「心の理論」の入り口です。


指さしは他者の心を読むこと、つまり、心理学者が言う「心の理論」への入り口だ。指さしを始めると、それ以降の人生は他者が考えていることに思いをめぐらしながら過ごすことになる。暗闇で誰かの手が自分の手に軽く触れたとき、それは何を意味するのか。部屋に入ったとき、そこにいた人が眉をひそめたのはどうしてなのか。他者の本当の考えを知ることはできないから、それは必ず推測になる。他者も同じ能力をもっているので、見せかけたり、偽装したり、嘘をついたりできる。

「心の理論」という能力があるおかげで、人間は地球上で最も高度な協力行動やコミュニケーションができる。この能力は人生で直面するほぼすべての問題を解決するうえで欠かせない。過去にさかのぼって、何百年も何千年も前に生きた人々から学ぶことができるのも、この能力のおかげだ。

「同上」p.34


イヌは "指さし" の意図を読める


「他者が行う指さしを見て、その意図を推察できる能力」は、他の動物ではどうなのでしょうか。たとえば、人間に最も近いとされるチンパンジーです。著者がマイケル(マイク)・トマセロ博士のもとで行った研究が書かれています。


チンパンジーには、他者の心を読み取る能力がいくつかある。私たちの実験で、チンパンジーは他者が見たものや知っていることがわかるだけでなく、他者が覚えていそうなことを推測できるうえ、他者の目的や意図を理解していることが明らかになった。チンパンジーはさらに、他者がいつ嘘をついたかすらわかっていた。

チンパンジーがこれらすべてのことをできるという事実から、チンパンジーにできないことがくっきりと浮かび上がってくる。チンパンジーは他者と協力し、コミュニケーションをとることはできる。しかし、その両方を同時にこなすのは苦手だ

私はマイクの指示で、2個のカップの一方に食べ物のかけらを隠した。チンパンジーは私が食べ物を隠したことを知っているが、どちらに隠したかは知らない。その後、私は食べ物を隠したカップを指さして、チンパンジーに教えようとした。だが、意外なことに、チンパンジーは何度やっても私の有益なジェスチャーを無視し、当てずっぽうの推測しかできなかった。何十回も失敗してようやく、食べ物を見つけることができた。だが、ジェスチャーを少しでも変えると、また失敗してしまう。

「同上」p.37

チンパンジーが食べ物を得るためには「人間との協調」と「人間とのコミュニケーション」が同時にできなければなりません。チンパンジーにとってはこれが難しい。

しかしイヌはできるのです。著者は自分の愛犬(名はオレオ)で実験したときのことが書かれています。


オレオを相手にした実験では、2個のカップを1メートルほど離れた地面に逆さまに置くだけだ。
「お座り」
私はカップの1つに餌のかけらを隠した。そして、餌を隠したカップを指さす。オレオは一発で餌を見つけた。その後の17回の実験でも見つけた。「オレオ」と私は言って、彼の耳をかくと、オレオは私の両脚にしがみついて全体重をかけてきた。「おまえは天才だよ」

私がチンパンジーにジェスチャーする実験で何も成果を得られなかった何ヶ月ものあいだ、オレオは裏庭にずっと座って、私がチャンスをくれるのを待っていたのだ。

「同上」p.43-44

著者はイヌが「指さしの意図を理解している」のではない可能性(たとえば餌の臭いを感知している)を調べるため、さまざまな実験を繰り返しました。もちろん自分の愛犬以外にも、イヌの一時預かり所に出向いて実験を繰り返しましたが、いずれの場合もイヌはパスしました。イヌはチンパンジーと違って、試行錯誤で指の方向に餌があることを学ぶのではないのです。


人間の赤ちゃんが特別なのは、指さしのジェスチャーで伝えようとしていることを本当に理解していることだ。これはつまり、役に立つジェスチャーであればどんなものでも理解することを意味する。

これを人間の母親と赤ちゃんで実証するために、マイクは正解のカップにブロックを入れるよう、母親に頼んだ。赤ちゃんは母親がこのジェスチャーをするのを一度も見たことがなかったが、母親が助けようとしてくれていると推測して、ブロックの入ったカップを選んだ。

私がこの同じゲームをイヌに対して行なうと、イヌたちは同じように振る舞った。人間の赤ちゃんと同じように、イヌは私が助けようとしていることを理解し、初めて見るジェスチャーであっても、助ける意図があると思ったらすべて利用したのだ。

「同上」p.47

人間の赤ちゃんとイヌに共通するこの「協力的コミュニケーション」の能力は、どのようにして発達したのでしょうか。イヌは氷河期にオオカミの先祖をヒトが家畜化したものと考えられています。この家畜化の過程で能力を獲得した(能力が進化した)と考えることができます。

実は、このことを検証するのに格好の素材があります。それは旧ソ連の遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフが始めた "キツネを家畜化する実験" です。この実験は No.211「狐は犬になれる」で紹介しましたが、もちろん本書にも詳しく書かれています。


友好的であることの力:キツネの家畜化実験


著書はドミトリ・ベリャーエフの実験の記述の前に、兄のニコライのことから始めています。兄のことは初めて知りました。


スターリンの大粛清のただなかにあった1937年に、ニコライ・ベリャーエフは遺伝学者だからという理由で秘密警察に逮捕され、裁判にもかけられずに射殺された。

スターリンはだいたいにおいて誰に対しても疑り深かったが、とりわけ遺伝学者が嫌いだった。遺伝学者は「適者生存」という考え方を世間に広めるので、共産党の方針に逆らっているように思われたからだ。スターリンは、適者生存とはそもそもアメリカの資本主義者の考えであり、力や知能に優れた者が富を蓄える一方で、労働者が貧しい暮らしをするという状況を正当化するものだと見なしていた。そんなスターリンが出した解決策は、遺伝学そのものをすべて禁止することだった。遺伝学は学校や大学のカリキュラムから除外され、教科書からはそのページが破り捨てられた。遺伝学者は国家の敵であると宣言され、強制収容所に送られるか、ニコライのように殺された。

ニコライが処刑された1年後、その弟であるドミトリ・ベリャーエフも遺伝学者になった。1948年、ドミトリはモスクワにある中央研究所の毛皮動物繁殖部の職を解かれたが、身を潜めておとなしく過ごし、1959年になると政治の中心であるモスクワから遠く離れたノボシビルスクに移った。こうして安全な距離をとれたおかげで、彼は20世紀の行動遺伝学の金字塔となる実験ができたのだ。

「同上」p.53-54

著者はベリャーエフの実験を「20世紀の行動遺伝学の金字塔」と書いていますが、まさにその通りでしょう。


ベリャーエフは野心的な目標を掲げた。動物がどのように家畜化されてきたかを推測するのではなく、動物をゼロから家畜化し、自分自身の目でその結果を確かめたいと考えたのだ。実験対象として選んだのは、イヌに近縁で家畜化されてない動物、キツネだった。キツネは手で触れられるともがいて噛んでくることがあるので、キツネを扱う人は厚さ5センチもある手袋をはめなければならなかった。とはいえ、キツネは秘密の実験をするのにうってつけだった。毛皮目的でキツネを繁殖させることはロシアの経済にとって重要だったので、疑り深い政府の役人をかわすことができたからだ。

それはエレガントな実験だった。ベリャーエフの教え子であるリュドミラ・トルートは、キツネの集団を2つのグループに分けた。両者はまったく同じ条件下に置かれていたが、彼女はある一つの基準を使って両者を分けていった。

第1グループは、人間に対する反応にもとづいて交配された。このグループでは、キツネが生後7ヶ月になると、リュドミラがキツネの前に立ってやさしく触ろうとする。そのとき近づいてくるか、怖がらなかったキツネを選び出して、同様の反応を示したほかのキツネと交配する。それぞれの世代で最も人なつこい友好的な個体を選んで交配したので、第1グループのキツネは友好的になった。

一方、第2グループは人間への反応とは関係なく交配した。つまり、2つのグループに差違が生じたならば、それは「人間に対して友好的である」という選択基準だけからもたらされたということになる。

「同上」p.54-55

ベリャーエフ(1917-1985)は人生のあいだこの実験を続け、彼の死後はリュドミラ・トルート(1933 -)が実験を引き継ぎました。



動物は家畜化すると、さまざまな形質が共通して現れることが知られています。これらは、人間の都合によってそれぞれの形質が選別されてきたと考えられてきました。

家畜化症候群.jpg
家畜化による変化と特徴
動物を家畜化することで、さざまな形質、特徴が共通して現れる。これらを「家畜化症候群」と呼ぶことがある。図は本書の p.58-59 から引用。


家畜化はしばしば、外見によって定義されてきた。身体の大きさは変わりやすい形質であり、イヌではチワワのような超小型犬から、グレート・デーンのような超大型犬までさまざまだ。

イヌは野生の近縁種より頭部が小さく、鼻づら(口吻部)が短く、犬歯が小さい傾向にある。毛の色は家畜化によって変化し、野生種がもっていた天然のカムフラージュ効果は失われる。イヌの被毛には不規則なぶち模様が現れることもあり、なかには、突然変異で額に星形のぶちが現れるイヌもいる。尻尾は上向きにカールし、ハスキーのように丸く円を描く尻尾もあれば、家畜のブタの尻尾のように数回巻いた尻尾もある。イヌの耳は垂れていることが多い。繁殖期は年に一度ではなく、年間を通して繁殖できる。

これらの形質群はイヌに固有というわけではない。どの家畜種にも、こうした形質がまとまって現れる

一見ランダムなこうした形質を結びつけているのは何なのか、あるいは、そもそもこれらの形質どうしにつながりがあるのかどうかは、わかっていなかった。人間がこのような変化を求めて意図的に交配したのだという見方もあった。

「同上」p.55-56

家畜化にともなって、一見ランダムに見えるさまざまな形質がまとまって現れます。これらを「家畜化症候群」と呼ぶことがあります。ベリャーエフは、たった一つの条件でこのような家畜化が起こると考えたのです。それは、ダーウィン以来、誰一人として思いつかなかった天才的な考えであり、それが正しいことが実験で明らかになったのです。



著者は、ベリャーエフの弟子であるリュドミラ・トルートが現在も行っているシベリアの実験場を訪問しました。その時のことが書かれています。


人なつこいキツネは美しく、かつ奇妙だった。ネコのように優美なのに、吠える声はイヌみたいだ。ボーダーコリーのように黒と白のぶち模様で、青い目をしているものもいれば、ダルメシアンのように小さな斑点をもつものもいる。なかには、ビーグルのように、赤と白と黒の模様をもつキツネもいる。

リュドミラに施設を案内してもらっていると、どのキツネも立ち上がり、尻尾を振って、くんくん鳴いたり、興奮した声を上げたりしながら、私に走り寄ってきた。リュドミラが飼育舎の一つに通じるドアを開けると、赤茶色の雌が私の腕に飛び込んできて、顔をなめ、嬉しそうに放尿した。脚は黒で、額に白い星模様がある。

友好的なキツネの個体群に最初に現れた変化の一つは、被毛の色だった。もともと黒と白のぶち模様だった被毛には、赤茶色がだんだん頻繁に現れるようになった。20世代を経ると、友好的なキツネのほとんどが簡単に見分けられるようになった。額に白い星模様がある個体も当初は数匹だけだったが、あるとき一気に増えた。

次に現れたのが、垂れ耳と巻き尾だ。友好的なキツネは歯が小さく、鼻づらが短くなる一方で、雄と雌の頭骨の形は互いに似通ってきた。これらと同じ変化は、イヌの家畜化の初期にも現れた。

変わったのは、キツネの外見だけではなかった。普通のキツネは年に1回しか繁殖しないが、多くの友好的なキツネは繁殖期が長くなったのだ。友好的なキツネのなかには、繁殖周期が年に2回、つまり1年のうち8ヶ月繁殖できるものも現れ始めた。友好的なキツネは性的に成熟するのが普通のキツネより1ヶ月早く、1度に産む子の数が増えた。

普通のキツネはオオカミと同様に、人間に馴れることのできる社会化期は非常に短く、その期間は生後16日から6週までだ。一方、友好的なキツネはイヌのように社会化期が長く、生後14日から始まって10週まで続く。

普通のキツネでは、ストレスホルモンと呼ばれるコルチコステロイドの分泌が生後2~4ヶ月のあいだに増え、生後8ヶ月でおとなの濃度に達する。だが、キツネが友好的になるほど、このコルチコステロイドの濃度が急上昇する時期が遅くなった。12世代を経ると、友好的なキツネのコルチコステロイドの濃度は半減していた。30世代を経ると、さらに半減した

そして50世代を経ると、友好的なキツネは普通のキツネに比べて、脳内のセロトニン(捕食や防御にかかわる攻撃行動の低下に関連する神経伝達物質)の濃度が5倍に増えていた

「同上」p.60-62

友好的というキツネの行動が遺伝的なものであることを示すために、ベリャーエフとリュドミラは次のような実験をしました。

・ 友好的なキツネの子を、誕生時に普通のキツネの子と取り替え、普通のキツネの子が友好的な母親の行動に影響されるかどうかを見る。
・ 友好的なキツネの受精卵を普通のキツネの子宮に移植する。
・ 普通のキツネの受精卵を、友好的なキツネの子宮に移植する。

しかし、産んだ母親も育てた母親も結果には影響しませんでした。友好的なキツネは受精したときから、普通のキツネよりも友好的だったのです。"友好的という行動が遺伝する" わけです。


キツネの指さし実験


実は、著者がキツネの飼育施設を訪問したのは見学だけが目的ではありませんでした。イヌでやったような「指さし実験」をするためだったのです。

その実験をするために「友好的な子キツネのグループ」と「普通の子キツネのグループ」を用意します。まず、生後数週間の普通の子キツネを10匹程度選び、著者の助手(ナタリー)に慣れさせます。この時期の子キツネは人間を恐れる機構が発達していないので、慣れさせることができます。そしてボウル状の容器の下に餌を隠し、その餌を見つけられるように訓練します。これが「普通の子キツネのグループ」とします。

また「友好的な子キツネのグループ」としては、生後3~4ヶ月の、友好的として選別されたばかりのキツネを選びました。


ナタリーが9週間にわたってハグと訓練をしたおかげで、普通の子ギッネのグループは、ボウル状の容器の下に隠した餌を見つけられるようになった。そろそろテストしてもいい頃だ。

ナタリーは2つある容器のうちの一つに餌を隠し、餌のあるほうの容器を指さした。普通のキツネの場合、チンパンジーやオオカミと同様に、結果は偶然をわずかに上回るものでしかなかった。たいていは当てずっぽうに選んでいた。

「同上」p.67

9週間に渡ってヒトに慣れさせる(=社会化)訓練をしたにもかかわらず、普通のキツネは指さしジェスチャーの意図を理解できなかったのです。一方、友好的なキツネはどうだったか。


次に、ナタリーが一度も会ったことがない友好的な子ギツネをテストした。ナタリーは囲いにやって来ると、子ギツネたちを外に出し、2つの容器のうちの1つに餌を隠した。

人間が協力的コミュニケーションの能力だけにもとづいてイヌを選抜してきたのなら、この友好的なキツネは、友好性という形質だけにもとづいて選抜されてきたのだから、私のジェスチャーに従えるだけの協力的コミュニケーションの能力はもっていないだろう。しかし、彼らはこの能力をもっていた。友好的なキツネはこのテストで子イヌと同じどころか、わずかに上回る成績を上げたのだ。

「同上」p.68

友好的なキツネは、"指さしに反応して餌を見つける" というゲームを一度もやったことがなかったにもかかわらず、イヌ並みの成績をあげたのです。このことは、

ヒトに対して友好的という、たった一つの基準で選別してきたキツネは、数々の家畜化症候群を発現させるとともに、協力的コミュニケーションの能力を獲得した

ということを意味します。


オオカミがやってきてイヌになった


以上を踏まえて、オオカミが家畜化されてイヌになったプロセスはどのように推測できるでしょうか。

一般に想定されているシナリオでは、農耕民がオオカミの子を何匹か捕まえて住居に持ち帰り、従順な子を繁殖させてイヌにした、というものです。しかしこのシナリオは非現実的です。というのも、遺伝子の研究からオオカミの家畜化は農耕の開始より前、遅くとも1万年前には始まっていたからです。つまりオオカミの家畜化が始まったのは氷河時代と考えられるのです。

著者が考える「オオカミがイヌになったシナリオ」は次の通りで、これが "自己家畜化" です。


氷河時代にオオカミを意図的に家畜化したと考えると、想定されるシナリオは非現実的だ。人間は最も友好的で、かつ最も攻撃的でないオオカミだけを何十世代にもわたって交配しなければならなかっただろう。だとすれば、狩猟採集生活を送る人々は、最長でも数百年にわたり、いきなり攻撃してくるかもしれない大きなオオカミといっしょに暮らし、手に入れにくい肉を毎日おとなのオオカミに分け与えていたことになる。それよりも、人間が手なづける前に家畜化の一段階、つまり自己家畜化の期間があったと考えるほうが、可能性が高いのではないか。

人間が何かしら関与したとすれば、それは大量のごみを出したことだ。現代でも、狩猟採集民は野営地の外に残った食べ物を捨てるし、排泄もする。人間の集団が定住生活に移行するにつれ、腹をすかせたオオカミが夜な夜な食べたくなるような食物が増えていった。捨てられた骨もよかったが、人間は食材を調理するし、消化が速いため、その大便は骨と同じぐらい栄養に富んでいた。人間の排泄物は、野営地に近づけるほど勇敢で落ち着いたオオカミには、たまらない食料だっただろう。

そして、そうしたオオカミは繁殖するうえで優位に立ったことだろう。いっしょに食物をあさっただろうし、子づくりしやすくもなったのではないか。友好的なオオカミと人を怖がるオオカミのあいだで遺伝子がやり取りされる機会は少なくなり、人間が意図的に選ばなくても、より友好的な新しい種が進化した可能性がある。

友好的な性質が数世代にわたって選ばれただけで、この特殊なオオカミの集団では外見に違いが出始めただろう。被毛の色、耳、尾。これらすべてが、おそらく変化し始めた。人間は食べ物をあさる奇妙な見かけのオオカミをだんだん許容するようになり、この原始的なイヌに人間のジェスチャーを読み取る独特な能力があることを、まもなく発見したのではないか。

オオカミはほかのオオカミの社会的なジェスチャーを理解し、それに応答できていただろうが、人間のジェスチャーに対しては、人間から逃げることにばかり気をとられ、注意を払う余裕はなかっただろう。だが、いったん人間への恐怖心が興味に変わると、オオカミは社会的な能力を新たな形で利用して、人間とコミュニケーションをとれるようになった。人間のジェスチャーや声に反応できる動物は、狩猟の相棒や見張り役として大いに役立っただろう。そうした動物はまた、心温まる親しい仲間としても貴重な存在になり、野営地の外から炉端へ近づくのを徐々に許されることになった。人間がイヌを家畜化したのではない。最も友好的なオオカミがみずから家畜化したのだ。

こうした友好的なオオカミは、地球上で最も繁栄した種の一つとなった。その子孫は今や何千万匹にもなり、あらゆる大陸で人間とともに暮らしている。その一方で、生き残った数少ないオオカミの集団は、残念ながら常に絶滅の危機にさらされている。

「同上」p.72-73

そして、このような家畜化がヒトにも起こった。つまり、

・ 友好的な個体が選別されていくと(=家畜化すると)、社会的能力(協力的コミュニケーションなど)が発達する。

・ 社会的能力をもつ個体がより有利で生き残りやすくなる条件があると、自然選択による家畜化、つまり自己家畜化が起きる。

・ ホモ・サピエンスは自己家畜化の過程を経て生き残り、繁栄した。

とするのが「自己家畜化仮説」です。


自己家畜化仮説の証拠はあるか


では、ホモ・サピエンスに自己家畜化のプロセスがあったという証拠はあるのでしょうか。

家畜化された動物は、ヒトに友好的になると同時に身体に特徴的な変化が現れます。ロシアの友好的なキツネでは、選抜によってホルモンに変化が生じました。こうしたホルモンがキツネの成長の仕方(身体と行動)を変えたのです。

ヒトにも外見や行動の発達を調整するホルモンがあります。その一つのテストステロンは、濃度が高いと他のホルモンとの相互作用で攻撃性が高まります。同時に、成長期にテストステロンの濃度が高いと眉弓びきゅう(眉のところの弓形の骨。眉弓骨)の突起が高くなります。

ホモ・サピエンスの頭蓋骨の化石、1421点を調査したところ、更新世後期(38000年前~1万年前)の眉弓の突起は、更新世中期(20万年前~9万年前)のものより 平均で 40% 低くなっていました。



アンドロゲンというホルモンがあります。妊娠中にこのホルモンの濃度が高いと、人差し指の長さに対する薬指の長さ(= 2D:4D 比)が長くなる傾向にあります。2D:4D 比が小さいと「男性化した」と見なせて、危険を冒す度合いや攻撃性が高まります。

研究によると、更新世中期のホモ・サピエンスの2D:4D 比は現代人より小さく、より「男性的」であったことが分かりました。またそれよりさらに男性的なのがネアンデルタール人でした。つまりホモ・サピエンスは現代人になる過程において、2D:4D 比が高まり、より女性的になったと言えます。



家畜化が身体に与える影響の一つが「脳の小型化」です。脳が小型化すれば頭蓋骨も小さくなります。ヒトの知能が最も発達したのは過去2万年です。農耕が始まる前の1万年と始まって以降の1万年を比較すると、平均で頭蓋骨容量が 5% 小さくなっていました。

家畜化された動物の脳を小さくする最大の要因は、セロトニンというホルモンです。キツネの家畜化実験でもわかるように、家畜化された動物の攻撃性が低下するにつて、体内のセロトニン濃度が増加します。このホルモンが高まると友好的な感情が高まることが知られています。



以上が、化石資料がら類推できる家畜化=友好性の発達の例ですが、著者はこれとは別に、ヒトの「協力的コミュニケーション」を発達させた要因として「白い強膜きょうまく」をあげています。強膜とは眼球の外側の白い皮膜のことで、眼球の前方で角膜とつながっています。いわゆる「しろ目」のことです。

強膜が白いのはヒトの特徴です。霊長類の中で白い強膜をもっている(=強膜を黒くする色素を失った)のは、ヒトだけです。白い強膜だと視線を感じることができ、アイコンタクトが可能で、他者の視線を追うこともでき、「協力的コミュニケーション」にピッタリなのです。


友好性が新たな攻撃性を生んだ


ヒトは自己家畜化の過程において、自分の属する集団を想定し、その集団を家族のように感じる能力を発達させました。一度も合ったことがない他者でも、その他者が仲間かどうかを見分け、同じ集団に属していると認識するこができます。著者は、こういった集団アイデンティティーの発達を促したのが、オキシトシンというホルモンだと推定しています。


オキシトシンはセロトニンおよびテストステロンの可用性と密接に関連している。これら2つは、ヒトの自己家畜化の結果として変化したと私たちが推定したホルモンだ。

セロトニンの分泌が増えると、オキシトシンが影響を受ける。セロトニン神経とその受容体の活動が、オキシトシンの効果に影響を及ぼすからだ。簡単に言ってしまうなら、セロトニンはオキシトシンの効果を高めるということである。

また、テストステロンの分泌が減少しても、オキシトシンがニューロンと結合しやすくなり、行動が変わる。ヒトが自己家畜化する過程でセロトニンの分泌が増え、テストステロンが減少すると、オキシトシンの効果が高まると予測される。このようにして、ヒトの行動に与えるオキシトシンの効果が増大したと考えれば、自分が属する集団を家族のように感じるヒトの能力がどのように進化したのかを説明できそうだ。

「同上」p.147

しかし、このことは「集団に属さないと認識した他者」への、新たな攻撃性を生むことになりました。


オキシトシンは親の行動に欠かせないように見えるので、「ハグ・ホルモン」と呼ばれることもある。だが、私は「お母さんグマのホルモン」と呼ぶのを好んでいる。赤ちゃんが生まれたときに母親の体内に放出されるホルモンが、誰かが赤ちゃんに危害を加えようとしたときに母親が感じる怒りも引き起こすからだ。

たとえば、ハムスターの母親にオキシトシンを余分に投与すると、脅威をもたらす雄を攻撃して噛みつく傾向が強まる。オキシトシンはまた、雄の攻撃性にも関与している。ラットの雄は交尾相手の雌と仲良くなると、オキシトシンの分泌が増える。そうすると、雌を大切にする行動が強まる一方で、雌を脅かすよそ者を攻撃する傾向も強まる。

社会的な絆とオキシトシンと攻撃性とのこうした関係は、哺乳類全体で見られる。ということは、ホッキョクグマの母親が最も愛情に満ちているとき、つまり自分の子といっしょにいるときは、母親が最も危険なときでもあるということだ。たとえ故意でなくても、子が誰かに脅かされれば、母親は恐ろしい生き物に豹変する。わが子を愛するあまり、子を守るためなら死んでもいいと思うようになるのだ。

ヒトが自己家畜化によって形成されていくなかで、友好性の高まりが新たな形の攻撃性をもたらした。脳の成長中に利用できるセロトニンが増えたために、行動に対するオキシトシンの影響が強まった。集団のメンバーは互いに親しくつながるようになり、その絆はあまりにも強いので、互いに家族のように感じる。発達の初期に脳の「心の理論」ネットワークの接続がわずかに変化することによって、世話行動の対象が近親者から、さまざまな社会的パートナーまで広がった。

このように他者に対して新たな関心をもつようになると、血縁関係のない集団のメンバーや、さらには自分の集団内の見知らぬ人を守るために暴力をふるうこともいとわない気持ちが芽生えた。進化によってより強く愛するようになった人が脅かされたときに、人間はより激しく暴力をふるうようになった。

「同上」p.163-164

人間は、自分の集団ではないと認識した他者を「非人間化」できます。そして非人間化した他者に対してはどんな暴力をふるうこともできる。これは今までもそうだったし、現在、その傾向がますます高まっています。

しかし、集団のアイデンティティー認識は、生物学的根拠のあるものではありません。その認識は人間が変えられる。著者は、同じ集団であると認識する一番の鍵は "接触" だと主張しています。人と人の接触がまず必要で、それが第1歩です。


本書全体を通して


本書は次の2つの論を並行して進めるという体裁をとっています。

① ヒトは自己家畜化(=友好性をもつ個体が自然選択される)の過程を経て生き残り、社会を作り、繁栄した。と同時に、他者に対する新たな攻撃性を持ってしまった。

② 現在、世界で起こっている(特にアメリカで起こっている)暴力、差別、分断を憂い、それを解決する提言を行う。

の2点です。今まで紹介したのは ① の部分です。しかし著者が本を書いた意図は ② の部分も大いにあるのです。

進化人類学の立場から ② に踏み込むことは、論を広げすぎのように感じます。しかし「友好性をもつ人間が集まったとき、最大のパフォーマンスを発揮できる」というのは全くの事実です。それが、進化人類学の視点からも裏付けられて、友好性をもつからこそヒトはヒトになったと言える。そうであれば、現在の世界の状況に対して是非とも発言したいと思ったのは理解できます。

本書の原題は、最初に書いたように、

Survival of the Friendliest

ですが、これはヒトが生き残って繁栄した理由であると同時に、現在の人類が今後地球上で "サバイバル" できる鍵である。そう著者は言いたいのだと思いました。




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No.341 - ベラスケス:卵を料理する老婆 [アート]

今まで何回か書いたベラスケスについての記事の続きです。2022年4月22日 ~ 7月3日まで、東京都美術館で「スコットランド国立美術館展」が開催され、ベラスケスの「卵を料理する老婆」が展示されました。初来日です。今回はこの絵について書きます。



卵を料理する老婆


An Old Woman Cooking Eggs.jpg
ディエゴ・ベラスケス
卵を料理する老婆」(1618)
(100.5cm × 119.5cm)
スコットランド国立美術館

この絵は、No.230「消えたベラスケス(1)」で紹介しました。No.230 は、英国の美術評論家、ローラ・カミングの著書「消えたベラスケス」の内容を紹介したものです。この中で著者は、8歳のときに両親に連れられて行ったエディンバラのスコットランド国立美術館で見たのがこの絵だった、と書いていました。彼女の父親は画家です。画家はこの絵を8歳になった娘に見せた。8歳であればこの絵の素晴らしさが理解できると信じたのでしょう。案の定、これはローラ・カミングにとっての特別な体験だったようで、ここから彼女の "ベラスケス愛" が始まった。そして後年、「消えたベラスケス」のような本を書くに至った。そいういうことだと思います。

No.230 に続いて、「卵を料理する老婆」について書かれたローラ・カミングの文章再度引用します。


描かれた場面は、薄暗い居酒屋。その場にあふれる物のひとつひとつにスポットライトが当てられている。赤タマネギ、卵、白い鉢と、そこに危ういバランスで置かれた銀のナイフ、光を反射する真鍮しんちゅうの容器。どれもみな非凡で、まるで祭壇にでも並んでいるかのように、神聖かつ神秘的に見える。ベラスケスはありふれたものに最上級の敬意を払い、ひとつひとつが、まばゆいばかりに美しく描写されている。左側の少年が抱えるひもで縛ったメロンまでが、この世に与えられた新たな賜物たまもののように神々しい光を放つ。

卵を料理する老女と少年は、聖書に出てくる人物でもなければ、ただのモデルでもなく、まだ18歳だったベラスケスがこの傑作を描いた地、セビーリャの庶民だ。イングマール・ベルイマン(スウェーデンの映画監督)の映画に出てくる常連役者のように、二人は別の絵にも登場する。初期に描かれたこの絵では、人物どうしの交流や対話はなく、最低限の演出しかない。老女と少年がじっと物思いにふけっているポーズをとっているのは、描いている若き天才画家と同じ役割を二人が担っているからだ。目的は物を目立たせること ─── つまり、卵やメロン、反射するガラス瓶などを光にかざし、そこに人の注目を集めることなのだ。

この絵全体が人を魅了するために描かれたのは明らかで、目的は達成されている。真っ先に目を奪うのは、驚くべき精緻さだ。きらりと光る鍋の中で、透明な流体と不透明な白い流体が混じり合う卵。液体が一瞬にして個体に変わり、目に見える形を得る。それはちょうど、絵というものが見せる不思議な幻影に似ている。これぞまさに、ベラスケスの象徴と言える絵かもしれない。

ローラ・カミング
「消えたベラスケス」p.37-38

老婆が作っている卵料理は「ウエボ・フリート」(Huevo frito。スペイン風目玉焼き)です。「ウエボ」が "卵"、「フリート」は "揚げた" という意味で、現代のスペインでも作ります。ニンニクを入れたオリーブオイルを鍋にたっぷり入れ、卵を割って、上からスプーンでオリーブオイルをかけながら揚げるように焼きます。この絵の真鍮の容器と道具はニンニクを磨り潰すためのものでしょう。「目玉焼き」よりは「目玉揚げ」「揚げ卵」と言った方が実態に即しているでしょう。

An Old Woman Cooking Eggs(Part).jpg
驚くべき精緻さで描かれた物たちの中でも、ひときわ目立つのがこのウエボ・フリートの卵です。液体から半液体、半固体、固体へと変化する様子がとらえられています。絵には数々の "静物" が描かれていますが、鍋の中で固まりつつある卵は、その "静物" の一つです。しかしそれは、変化しつつある "動的実体" です。まるで時間の経過を画面に捉えたようです。一般に絵画では人物やモノ、自然の「動き」を描くことで時間経過を捉えるのはよくありますが、この絵は動かないものの動き =「物体が変質するという動き」が描かれている。そこがポイントです。

そのウエボ・フリートを作っている老婆は、3個目の卵を鍋に入れようとしています。少年はガラス瓶を持っていますが、おそらくオリーブオイルが入っているのでしょう。それをこれから老婆のスプーンの注ごうとしている(ないしは指示があれば注ごうと待ち構えている)ようです。この調理の動作が2つめの「動き」です。それに加えて、絵には数々のアイテムが描かれています。つまり、

・ ニンニク
・ タマネギ
・ 茶色の鍋
・ 陶器のコンロ(わずかに火が見える)
・ 白い鉢と壷
・ 銀のナイフ
・ 真鍮の容器と器具
・ 鉄の容器
・ メロン
・ ガラス容器
・ 

などで、それぞれの質感が完璧に描き分けられています。もちろん、質感表現と言うなら最初にあげた「固まりつつある卵」がその筆頭です。モノの質感表現に挑んだ絵画は過去から現在までヤマほどありますが、「熱によって変質しつあるタンパク質の表現」をやってのけた絵画は(そしてそれに成功した絵画は)、これが唯一ではないでしょうか。

一方、構図をみると、この絵の構造線は、

・ 老婆の体の中心を通る縦の線
・ 左上からスロープ状に曲線を描いて右下に至る放物線

の2つです。数々の事物と人物が描かれているものの、この2つの構造線によって安定感のある画面構成になっています。また、左からの光によるコントラストの強い明暗の使い方はカラヴァッジョを思わせます。


人間の尊厳を描く


「卵を料理する老婆」を特徴づけるのは、まずそれぞれの事物のリアルな描写であり、次に、構図と光の使い方ですが、されにこれらを越えて「人間を描く」という視点で見ても傑作です。この点について、朝日新聞に的確な紹介があったので引用します。

An Old Woman Cooking Eggs.jpg
ディエゴ・ベラスケス
卵を料理する老婆」(1618)


美の履歴書 750
朝日新聞(2022.6.14 夕刊)

神々しさ 感じるわけは

「卵を料理する老婆」
 ディエゴ・ベラスケス

24歳から3年以上にわたりスペイン王室の宮廷画家として活躍したベラスケスは、生涯で120点ほどの作品を残した。そのうち9点は宮廷画家になる以前に描いた、台所や酒場を舞台にした「ボデゴン」と呼ばれる厨房ちゅうぼう画だ。8歳か9歳で手がけた本作は、その中でも「頂点」と言えるほどに完成度の高い自然主義作品で、10代にして才能が開花していたことを示している。

質素な服を着た老女が、火鉢にかけた鍋で料理をしている。油で熱せられた卵の、今まさに固まりつつある瞬間の描写は、表現技法はもとより、その発想自体に、修業を終えて独立したばかりの、若き職業画家としての自信がにじむ。さらにタマネギや唐辛子などの食材、陶器や金属の器、ガラスの瓶といった日用品の数々も質感の違いを描き分けた。その筆致は「一目見て肌触りがわかるほど完璧」(東京都美術館・高城靖之学芸員)。

制作したのは、スペインが世界の覇権を失い、斜陽化する時代。交易国際都市として栄えたセビリアでも貧富の差は拡大していた。画家の家族か隣人をモデルにしたとされる画中の2人も明らかに身分は低い。だがベラスケスが描いたのは、そうした人々へのあざけりや非難といった卑俗的要素ではなく、威厳をも感じさせる姿。身近な生活にも神は宿るという当時の教えを写し込み、人間の存在や尊厳をありのままにとらえるこの技量こそ、ベラスケスが同時代の他の画家と一線を画すゆえんだろう。栄華去りゆく時代に、単なるリアリズムを超えて清貧な暮らしの神聖さをたたえるメッセージを残したと感じずにはいられない。(松沢奈々子)


松沢記者(文化くらし報道部)の文章を要約すると、この絵から感じられるのは、

・ 油で熱せられた卵が固まりつつある瞬間の描写や、数々の食材や日用品の質感の違いを描き分ける、完璧なリアリズム

・ 単なるリアリズムを超え、人間の存在や尊厳をありのままにとらえる技量

の2つということでしょう。人間の存在や尊厳をありのままにとらえた絵、というのは、まさにその通りだと思います。


画家が10代で描いた絵


この絵は画家が10代の時に描いた作品です。ローラ・カミングの本には18歳とありますが、19歳という説もあります。しかし10代であることには違いない。そして、ベラスケスの10代の絵にはもう1つの傑作があります。No.230 で画像を引用した、

セビーリャの水売り
ウェリントン・コレクション:英国)

です。この絵にはモデルとして「卵を料理する老婆」と同じ少年が登場します。

No.190「画家が10代で描いた絵」で、日本の美術館の絵を中心に10代の作品を取り上げましたが、「作品として完成している」「完璧なリアリズム」「人間の尊厳を描く」という3点で、このベラスケスの2作品に勝るものはないでしょう。ピカソもかなわない感じがします。

No.230 にあったように、これらの作品は画家が自分の技量を誇示するために描いたものと推定されます。じっさい「セビーリャの水売り」は、ベラスケスがマドリードを訪問する際に持参しています(No.230)。つまり「売り込み」です。しかし、たとえ目的がそうだったにせよ、鑑賞者の心をうつ作品になる。技量はもちろんだが、それだけではないと感じさせる一枚になる。アートとは不思議なものだと思います。




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No.340 - 中島みゆきの詩(20)キツネ狩りの歌 [音楽]

今回は「中島みゆきの詩」シリーズの続きですが、No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」の中で一部を引用した《キツネ狩りの歌》を取り上げます。この詩は、数ある中島作品の中でも最も "不思議な" というか、解釈にとまどう詩の一つだと思うからです。

なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。


キツネ狩りの歌


《キツネ狩りの歌》は、7作目のオリジナルアルバム「生きていてもいいですか」(1980)第3曲として収録されている楽曲で、その詩は次のようです。


キツネ狩りの歌

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
あとは君のその腕次第

もしも見事射とめたら
君は今夜の英雄
さあ走れ夢を走れ

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら、ね

キツネ狩りにゆくなら酒の仕度も忘れず
見事手柄たてたら乾杯もしたくなる
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
仲間たちとグラスあけたら

そいつの顔を見てみろ
妙に耳が長くないか
妙にひげは長くないか

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
グラスあげているのがキツネだったりするから
君と駆けた君の仲間は
君の弓で倒れてたりするから

キツネ狩りにゆくなら 気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら、ね

A1980「生きていてもいいですか」

生きていてもいいですか(表).jpg

生きていてもいいですか(裏).jpg
中島みゆき
生きていてもいいですか」(1980)
(画像は表と裏のジャケット)

① うらみ・ます ② 泣きたい夜に ③ キツネ狩りの歌 ④ 蕎麦屋 ⑤ 船を出すのなら九月 ⑥ ~インストゥルメンタル~ ⑦ エレーン ⑧ 異国


《キツネ狩りの歌》をめぐる3つの層


この詩の解釈ですが、「タイトル」「寓話」「象徴」の3つの層で考えてみたいと思います。

まず第1は「タイトル」です。"キツネ狩り" が何を意味するかですが、言葉をそのまま素直に受け取ると、これはイギリス伝統のキツネ狩り(Fox hunting)でしょう。イギリスの貴族が赤い派手な狩猟服を着込み、多数の猟犬を引きつれて、馬を駆って野生のキツネを追いたてる。銃は使わず、あくまで馬と猟犬でキツネを追い詰め、最後はキツネが猟犬に食い殺される ・・・・・・。いわゆる "スポーツ・ハンティング" の一種ですが、イギリスでは動物愛護の精神にもとる残酷な行為ということで2004年に禁止されました。

ということは、《キツネ狩りの歌》が発表された当時(1980年)では堂々と行われていたということになります。ちなみに《キツネ狩りの歌》の曲は、トランペットのファンファーレのような響きで始まります。これは実際のキツネ狩りで合図に使われるラッパ(Fox hunting horn)を模したように聞こえます。

第2の層は「寓話」で、それも日本の民話か昔話風のものです。日本では昔からキツネやタヌキが "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承があります。その一方で、キツネに関しては "神獣・霊的動物" としてうやまう伝統もある(全国にある稲荷神社が典型)。その "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承の中に、次のような骨子の民話がなかったでしょうか(タヌキを例にとります)。

数人の仲間と一緒に、野山にタヌキ狩りに出かけた。運良くタヌキをしとめ、それをタヌキ汁にして食べようとした。仲間たちが鍋と火の準備をしているが、何だか様子がおかしい。ふと見ると、仲間の後ろ姿から尻尾しっぽがのぞいている。実は "仲間" はタヌキが化けたもので、自分を鍋で食べようとしていたのだ。恐怖に駆られて一目散に逃げ出した。里の近くで本当の仲間と合流したが、自分の慌てた姿を見て怪訝けげんな顔をされた ・・・・・・。

このような骨子の話を読んだ記憶があります。どこだったか思い出せないのですが、ともかく、こういったたぐいの(= これに近いストーリーの)民話はいかにもありそうです。《キツネ狩りの歌》にある、

・ ただ生きて戻れたら、ね
・ 妙にひげは長くないか
・ グラスあげているのがキツネだったりするから

などの表現から感じるのは「民話・昔話仕立ての寓話」という雰囲気です。

第3の層は「象徴」です。「キツネ狩り」や、その他、この詩に現れるさまざまな言葉が "何かの象徴になっている" という雰囲気です。思い出すのが《あぶな坂》です。


あぶな坂

あぶな坂を越えたところに
あたしは住んでいる
坂を越えてくる人たちは
みんな けがをしてくる

橋をこわした おまえのせいと
口をそろえて なじるけど

遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
坂を落ちてくるのが ここからは見える

・・・・・・

A1976「私の声が聞こえますか」

《あぶな坂》は、中島さんの第1作のアルバムである「私の声が聞こえますか」(1976)の第1曲です。当時、中島さんは24歳ですが、詩の内容は新進気鋭のシンガーソングライターのファーストアルバムの第1曲とはとても思えないほど不思議で、異次元的で、一種異様な感じがしないでもない。

No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」ではこの詩を「象徴詩」という文脈でとらえました。つまり「あぶな坂」「坂」「越える」「橋」「こわす」「なじる」「落ちる」などの言葉は、何らかの象徴になっているわけです。当然、作者がこの詩を書いたときの "思い" はあるのだろうけれど、象徴である以上、聴く人がどう受け取るかは自由である。そういった詩です。思い返すと、中島さんは「中島みゆき 全歌集」の序文に、次のように書いていました。


これらの詞は、すでに私のものではない。

何故ならばその一語一語は、読まれた途端にそのもつ意味がすでに読み手の解釈する、解釈できる、解釈したい etc ・・・・・・ 意味へととって変わられるのだから。

「語」は、コミュニケーションの手段でありつつ、それ自体が人類の共通項でもなければ審判でもない。したがって、これらの詞はすでに私のものではない。

─── という言い方もできる。ところが同じ理由によって次のような言い方もできてしまう。

したがって、これらの詞は、ついに私一人のものでしかない ・・・・・・ と。

中島みゆき
「中島みゆき 全歌集」序文
"詞を書かせるもの" より
(朝日新聞社 1986)

「私一人のものでしかない」のだけれど「すでに私のものではない」という二面性を綴った文章です。平たく言うと「詩を書いたときの思いやこだわりはあるのだけれど(それは作者一人の全く個人的なものだけれど)、詩をどう受け取るかは受け取る側の解釈に任されている」ということでしょう。これは「中島みゆき 全歌集」全体についての文章ですが、《あぶな坂》はまさにそういう感じの詩になっています。

《キツネ狩りの歌》も同じでしょう。キツネ狩りという「イギリス貴族の遊び」を背景に「寓話仕立ての詩」を作り上げていますが、そこに配置されている数々の言葉は、総体として "何かの" 象徴になっている。それが何かは、受け取る側の解釈に依存している ・・・・・・。そういうことだと思います。



では、"何かの" 象徴だとすると、それは何でしょうか。受け手としては解釈の自由があるわけで、それを考える上で参考にしたいのが、この詩を読む(ないしは楽曲として聴く)たびに連想する童話、宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。


宮沢賢治「注文の多い料理店」


「注文の多い料理店」は、宮沢賢治の生前に出版された唯一の童話集である『注文の多い料理店』(大正13年。1924)の9編の中の1つです。童話集のタイトルになっていることから、賢治にとっては "思いのこもった" 作品なのでしょう。

以下にあらすじを書きますが、この童話は "ミステリー仕立て" です。従って本来、あらすじや結末を明かすべきではないとも思いますが、非常に有名な作品なので、引用とともに書くことにします。まず、冒頭は次のように始まります。

注文の多い料理店(中扉).jpg
童話「注文の多い料理店」の中扉(初版本)
(角川文庫 1996)


注文の多い料理店

 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊しろくまのような犬を二ひきつれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことをいながら、あるいておりました。
「ぜんたい、ここらの山はしからんね。鳥もけものも一疋も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいもんだなあ。」
鹿しかの黄いろな横っ腹なんぞに、二三発お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」
 それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。

宮沢 賢治「注文の多い料理店」
角川文庫 1996

引用した角川文庫では、初版本の旧仮名使いを新仮名遣いに直してあります。なお上の引用で、ルビは「宮沢賢治全集 8」(筑摩文庫 1986)による初版本のルビに従いました。以下、同じです。

主人公は2人の紳士です。上の引用では分かりませんが、2人は東京からやってきたことが最後に明かされます。その2人がイギリス風の格好をして山にやってきた。どの山とは書いていませんが、宮沢賢治の故郷、岩手(賢治の言い方だとイーハトヴ)の山を想定するのがよいでしょう。その山奥で地元の猟師をガイドとして雇ってスポーツ・ハンティングをする。そういった情景です。

ところが上の引用の最後にあるように、2人の紳士はガイドの猟師とはぐれてしまった。戻ろうとしますが、戻り道が分からなくなります。そしてふと見ると、立派な西洋風の家があったのです。その玄関に近づくと、表札がかかっていました。


RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒


注文の多い料理店(挿画).jpg
童話「注文の多い料理店」の挿画(初版本)
(角川文庫 1996)

2人はホッとして、ちょうどよかった、ここで食事をしようと玄関の扉に近づくと、そこには、

どなたでもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」

との掲示がありました。玄関をあけると扉の内側には、

ことに太ったお方や若いお方は、大歓迎いたします。」

とあります。中は廊下になっていて、進むとまた扉があり、

当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」

とあります。その扉の内側には、

注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえてください」

とありました。さらに廊下は続き、次の扉には、

お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。」

と書いてあります。廊下と扉はさらに続きます。それぞれの扉には、

 鉄砲と弾丸たまをここへ置いてください。」

 どうか帽子と外套がいとうと靴をおとり下さい。」

 ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡めがね、財布、その他金物類、ことにとがったものは、みんなここに置いてください。」

と、順に書いてありました。さらに次の扉には、

壷の中のクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」

とあり、その裏側には、

クリームをよく塗りましたか。耳にもよく塗りましたか。」

とあります。2人はこれらの注文について、それぞれに合理的な理由を考え、一応のところ納得した上で従ってきました。この次からは宮沢賢治の文章を引用します。


 するとすぐその前に次の戸がありました。
「料理はもうすぐできます。
 十五分とお待たせはいたしません。
 すぐたべられます。
 早くあなたの頭にびんの中の香水をよく振りかけてください。」
 そして戸の前には金ピカの香水の瓶が置いてありました。
 二人はその香水を、頭へぱちゃぱちゃ振りかけました。
 ところがその香水は、どうも酢のようなにおいがするのでした。
「この香水はへんに酢くさい。どうしたんだろう。」
「まちがえたんだ。下女が風邪かぜでも引いてまちがえて入れたんだ。」
 二人は扉をあけて中にはいりました。
 扉の裏側には、大きな字で斯う書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
 もうこれだけです。どうかからだ中に、つぼの中の塩をたくさん
 よくもみ込んでください。」
 なるほど立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、こんどというこんどは二人ともぎょっとしてお互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやるうちとこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが ……。」がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。

宮沢 賢治「注文の多い料理店」
角川文庫 1996

2人は逃げだそうと入ってきた扉を開けようとしますが、扉は堅く閉まっていて動きません。おまけに前方の扉のかぎ穴からは、2つの目玉が2人の方を覗いています。


「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
 ふたりは泣き出しました。
 すると戸の中では、こそこそこんなことを云っています。
「だめだよ。もう気がついたよ。塩をもみこまないようだよ。」
「あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜けたことを書いたもんだ。」
「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、骨も分けてくれやしないんだ。」
「それはそうだ。けれどももしここへあいつらがはいって来なかったら、それはぼくらの責任だぜ。」
「呼ぼうか、呼ぼう。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。おさらも洗ってありますし、菜っ葉ももうよく塩でもんで置きました。あとはあなたがたと、菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい。」
「へい、いらっしゃい、いらっしゃい。それともサラドはお嫌いですか。そんならこれから火を起してフライにしてあげましょうか。とにかくはやくいらっしゃい。」
 二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑かみくずのようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。
 中ではふっふっとわらってまた叫んでいます。
「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるじゃありませんか。へい、ただいま。じきもってまいります。さあ、早くいらっしゃい。」
「早くいらっしゃい。親方がもうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます。」
 二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。

宮沢 賢治「注文の多い料理店」
角川文庫 1996

その時です。後ろの扉を突き破って、あの白熊のような2匹の犬が飛び込んできました。かぎ穴の目玉はたちまちなくなり、2匹の犬は前の扉に飛びつきます。扉は開き、犬はその中に駆け込んでいきました。


 その扉の向うのまっくらやみのなかで、
「にゃあお、くゎあ、ごろごろ。」という声がして、それからがさがさ鳴りました。
 室はけむりのように消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。
 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとにちらばったりしています。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。
 犬がふうとうなって戻ってきました。
 そしてうしろからは、
旦那だんなあ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
 二人はにわかに元気がついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。
 簔帽子みのぼうしをかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやってきました。

宮沢 賢治「注文の多い料理店」
角川文庫 1996

2人はやっと安心し、猟師の持ってきた団子を食べました。そして東京へと帰っていきました。しかし、恐怖で紙屑のようにくしゃくしゃになった2人の顔は元の通りにはなりませんでした。


都市文明への反感


宮沢賢治は童話集『注文の多い料理店』の出版にあたって、宣伝のためのちらしを書いています。 "『注文の多い料理店』新刊案内" と題したものですが、その中で童話「注文の多い料理店」について次のようにあります。


『注文の多い料理店』新刊案内

4 注文の多い料理店

二人の青年紳士が猟に出て路を迷い、「注文の多い料理店」にはいり、その途方もない経営者からかえって注文されていたはなし。糧に乏しい村のこどもらが、都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感です。

宮沢 賢治「注文の多い料理店」
角川文庫 1996

その通りなのでしょう。都市文明とそこに暮らす富裕層を代表するのが、東京からイーハトーヴにやってきた2人の紳士です。イギリス風の(つまり日本ではあまり見かけない)狩猟服に身を包み、地元の猟師(= 生活のかてとして猟をする人)を雇ってガイドにつけ、スポーツ・ハンティングをする。鹿の横腹に銃弾を命中させればクルクルまわってドタッと倒れる、それが痛快だなどと話しています。

しかしそんな富裕層の紳士も、ガイドを見失い、山猫軒の "親方"(経営者のことを宮沢賢治は "親方" と書いています)の策略で無防備な姿にされ、我が身の危機が迫っていると分かると、恐怖に顔をひきつらせて泣き叫ぶだけなのです。「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました」などの "戯画的" な表現は、文明の力、金の力で強そうにしている人間も、その内実は中身のない自立できない人間であり、それが真実の姿であるといったところでしょう。

それを徹底的に揶揄したような話の組み立てが、賢治の言う「都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感」だと思います。もっと大きな構えで言うと、都会と地方、文明と自然の対立であり、権力や資産に乏しい「地方・自然」サイドからの「都会・文明」への反撃が「注文の多い料理店」だと思います。

ただ、根底がそうだとしても、この童話には物語としての工夫があります。それは料理店サイドから客に注文を次々出すという、少々奇想天外なストーリーです。また、親方の策略は "やりすぎ" が高じてボロが出て、それを子分に批判されるのもちょっと予想外の展開です。"策に溺れる" と言ったらいいのでしょうか。さらに物語のクライマックスでは、すべてが霧散解消し、話の全体は2人の紳士が見た幻影のような書き方がされています。都市文明と富裕層への反感とは言いながら、これらの点が不思議な魅力を物語に与え、名作とされているのだと思います。


連想の理由


《キツネ狩りの歌》から「注文の多い料理店」を連想するのには理由があります。まず、

動物を狩る人間が、狩られるはずの動物にだまされて命が危うくなる

という作品の基本的なコンセプトが非常に似ていることです。これは一目瞭然でしょう。さらに共通するのは、ちょっと意外なキーワードとしての、

イギリス

です。キツネ狩りはイギリスの伝統だし、「注文の多い料理店」の冒頭の最初の文章には "イギリス" が出てきます。そこには「イギリスの兵隊のかたちをして」とありますが、この「兵隊」はイギリスの近衛兵だと想定します。つまり、バッキンガム宮殿で見かける赤い軍服の兵隊です。これはキツネ狩りで貴族が着込む狩猟服にそっくりです。この共通する "イギリス" は偶然なのでしょうか。

付け加えるなら、「注文に多い料理店」は "言葉の多義性" あるいは "ダブル・ミーニング" を巧みに取り入れた童話です。タイトルの「注文」がそうだし、上の引用中にある「すぐたべられます」も、日本語では「可能」と「受け身」が同一表現(レル・ラレル)ということを利用したダブル・ミーニングになっています。このような多義性を利用することは、まさしく中島さんが詩を書く上で得意とするところです。宮沢賢治の「注文の多い料理店」は "中島みゆき好み" の作品という気がします。

中島さんが《キツネ狩りの歌》を書くときに「注文の多い料理店」が念頭にあったのか、ないしは意識したのか、それは分かりません。しかし、受け手には "解釈の自由" があります。その前提で、「注文の多い料理店」を念頭に置いて《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるかです。


「キツネ狩りの歌」の主題


「注文の多い料理店」を "補助線" として《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるでしょうか。それを簡潔に言うと、

自分の力(権力、権威、地位、財力など)を過信して行動し、享楽にふけっていると、その力の犠牲になるものたちからの "しっぺ返し" を食らう

という "警句" と考えたいと思います。ここで "享楽" としたのは「酒」「乾杯」などの言葉が詩にあるからです。

「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比は、それを具体化すると、大きなものから小さなものまで、社会のさまざまな側面にあるでしょう。「富める者」と「貧しい者」もそうだし、「男性社会」における「弱い立場としての女性」と考えてもよい。最も大きくとらえれば「文明化を押し進める人類」と、それによって「収奪される自然環境」です。



ここで《キツネ狩りの歌》が「生きていてもいいですか」というアルバムの収録曲だという点から考えてみます。"生きていてもいいですか" という表現は、アルバムの第7曲である《エレーン》の詩の中に出てきます。つまり《エレーン》がアルバム「生きていてもいいですか」のタイトル・チューンになっている。その《エレーン》は、中島みゆきさんの知り合いだった外国人娼婦をモデルにした曲です。この女性のことは、小説集「女歌おんなうた」の中の「街の女」に書かれていて、最後は惨殺されるという衝撃的な話です。ちょうどキツネ狩りにおけるキツネのように ・・・・・・。

また、アルバムの最終曲は「異国」で、詩には "二度と来るなと唾を吐く町 / 私がそこで生きてたことさえ / 覚えもないねと町が云うなら / 臨終の際にもそこは異国だ" といったたぐいの表現に満ちています。この詩が《エレーン》と関係していることは明白でしょう。

といったことから考えると、《キツネ狩りの歌》の「犠牲になるもの」は「弱い立場としての女性」かつ「社会のアウトサイダー」と受け取るのが最もしっくりきます。アルバムの最初の曲が「うらみ・ます」で、そこには "ふられたての女くらい だましやすいものはないんだってね / あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの" という、一度聴いたら忘れられないフレーズがあって、それはアルバム全体におけるの "女性の視点" を強調しているようです。

とはいえ、中島さんの詩を "狭く受け取る" と誤解してしまうことがあります。《キツネ狩りの歌》はあくまで「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比という構図でとらえ、具体的に何を想定するかは多様な解釈ができるとしておくのがよいのでしょう。



ただ、一つ確実に言えることは《キツネ狩りの歌》で強く感じる、キツネを狩る人 = 力を過信して行動する人に対するシニカルな目です。浮かれていると自滅しますよ、墓穴を掘ることになりますよ、誰も助けてくれないけどいいんですか ・・・・・ というような「突き放した見方」を感じる。

中島さんの詩には「小さなもの」や「弱い存在」、「マイナーなもの」「疎外されたもの」の側に立って、世の中の真実を見据えた作品がいろいろあります。この詩もその一つでしょう。それをシニカルに言語化した作品、それが《キツネ狩りの歌》だと思います。




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