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No.342 - ヒトは自己家畜化で進化した [科学]

No.299「優しさが生き残りの条件だった」は、雑誌・日経サイエンス2020年11月号に掲載された、米・デューク大学のブライアン・ヘア(Brian Hare)とヴァネッサ・ウッズ(Vanessa Woods)による「優しくなければ生き残れない」と題した論文の紹介でした。これは、人類(=ホモ族)の中でホモ・サピエンス(=現生人類)だけが生き残って地球上で繁栄した理由を説明する "自己家畜化仮説" を紹介したものです。

"自己家畜化仮説" の有力な証拠となったのは、旧ソ連の遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985)が始め、現在も続いている「キツネの家畜化実験」です。この実験のことは No.211「狐は犬になれる」に書きました。この実験がなければ "自己家畜化仮説" は生まれなかったと思われます。"自己家畜化" というと、なんだか "おどろおどろしい" 語感がありますが、進化人類学で定義された言葉です。

ところで、ブライアン・ヘアとヴァネッサ・ウッズ(以下「著者」と記述)の論文の原題は「Survival of the Friendliest」(Scientific American誌)です。直訳すると「最も友好的なものが生き残る」という意味です。これはもちろん、進化論で言われる "Survival of the Fittest"(適者生存)の "もじり" です。適者生存とは、自然環境・生存環境に最も適した生物が生き残ることで生物が変化(=進化)し、多様化してきたという、進化論の原理を表現しています。それをもじって "the friendliest=最も友好的な者" としたわけです。

その著者は論文と同じ題名の本を2020年に出版し、2022年に日本語訳が出版されました。

Brian Hare & Vanessa Woods
"Survival of the Friendliest"
・ Understanding Our Origins and Rediscovering Our Common Humanity(我々の起源を理解し、我々に共通な人間性を再発見する)

ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ
ヒトは <家畜化> して進化した
・ 私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか
藤原多伽夫 訳(白揚社 2022.6)

です(以下「本書」と記述)。今回はこの本の内容の一部を紹介します。もちろん、論文と基本のところの主旨は同じなのですが、単行本ならではの詳細な記述もあります。

以下の引用では原則として漢数字を算用数字に直しました。また段落を増やしたところがあります。


問題提起:ホモ・サピエンスの大変化


現生人類(=ホモ・サピエンス。以下ヒト、または人間)がアフリカで誕生したのは、およそ20万年~30万年前です。その時、すでに少なくとも4種の人類が生存していて世界に拡散していました。その中で最も古いのはホモ・エレクトスで、180万年前にはアフリカを出てユーラシア大陸に散らばっていました。ホモ・サピエンスが誕生したときに使った道具にハンドアックス(握斧あくふ)がありますが、それは150万年前にホモ・エレクトスが考案したものとほぼ同様の石器でした。

75,000年前(氷河期)の時点で考えると、当時最も繁栄していた人類はネアンデルタール人です。ネアンデルタール人の脳はヒトと同じかそれより大きく、身長はヒトと同じくらいでしたが、体重はヒトより重かった。彼らは長い槍で獲物を狩る優秀なハンターでした。


ネアンデルタール人は決して、うなり声しか上げられない原始人などではなかった。ヒトとネアンデルタール人はどちらも、発話に必要な運動筋肉の細かな動きをつかさどるFOXP2遺伝子のバリアントをもっている。ネアンデルタール人は死者を埋葬し、病人やけが人の世話をするし、自分の体に色素を塗り、貝殻や羽根、骨でできた装身具でみずからを飾る。

ネアンデルタール人のある男性は動物の皮でできた衣服を身にまとって埋葬されていた。その衣服は巧みに伸ばした皮を縫い合わせてできており、3000個近くの真珠で飾られていネアンデルタール人が洞窟に残した壁画には、架空の生き物が描かれている。

ブライアン・ヘア、ヴァネッサ・ウッズ
「ヒトは <家畜化> して進化した」
藤原多伽夫訳(白揚社2022.6)p.19

著者は「75,000年前に、どの人類がその後の不確かな気候のもとで生き残れるかについて賭けをしたなら、ネアンデルタール人が本命だっただろう」と書いています。しかし、5万年前になると状況は明らかにヒトに有利になってきました。著者はその例として、ヒトが作り出した道具を紹介しています。


ネアンデルタール人は木製の槍を手で持って突き刺すだけだったが、ヒトはそれを改良して、投射する武器を開発したのだ。それは長さ60センチほどの木製の投槍器で、長さおよそ1.8メートルの矢のような槍を投げる。槍は鋭くとがらせた石か骨を穂先に取り付けることが多く、反対側の末端にはくぼみを作り、木製の投槍器の突起にはめる。これは、愛犬家がボールを投げるときに使う「チャキット」という製品と同じ原理だ。

強肩の持ち主であっても、標準的な槍を手で投げると短い距離しか飛ばせない。しかし、投槍器を使うと、柄に蓄えられたエネルギーによって、槍を時速160キロ以上の速さで90メートル以上も飛ばすことができる。

投槍器は狩猟に革命をもたらした。人間と同じくらいの大きさの草食動物だけでなく、飛んだり、泳いだり、木に登ったりする獲物も狩ることができるようになったのだ。マンモスを捕らえるときも、足で踏みつけられたり、牙で突き刺されたりする心配がなくなった。投槍器の登場で身の守り方も一変した。襲ってくるサーベルタイガーや敵の人間に向けて安全な場所から槍を投げて、重傷を負わせることもできるようになった。

武器に使う鋭い穂先、石器を作る道具、切断用の刃、穴を開ける錐も作り出した。骨で作った銛、漁に使う網や罠、そして、鳥や小型の哺乳類を捕らえるための罠も生み出した。ネアンデルタール人は狩猟の能力は優れていたが、捕食者としては並の域を出ることはなかった。一方、新たな技術をつくり出したホモ・サピエンスは究極の捕食者となり、ほかの生き物に捕食されることは少なくなった。

「同上」p.20

ヒトはアフリカを出て、またたく間にユーラシア大陸に拡散し、さらに東南アジアの島からオーストラリア大陸に到達しました。


ヒトはアフリカを出てから、あっという間にユーラシア大陸全域に拡散した。数千年のうちに、オーストラリア大陸まで到達したとの説もある。

大海原を渡る困難な冒険に挑むためには、いつ終わるとも知れない旅に向けての計画と食料の荷造りが必要だ。さらには、想定外の損傷を修復する道具や見たこともない獲物でも捕獲できる道具を準備しなければならないし、海上で飲み水を補給するなど、旅の途中で起こりうる問題を解決する必要もある。こうした旅に挑んだ当時の船乗りは、仲間と細かくコミュニケーションをとらなければならない。このことから、ヒトはその頃にはすでに成熟した言語を使っていたと考える人類学者もいる。

ここで特に注目したいのは、船乗りたちは水平線の向こうに何かがあると推測しなければならないという点だ。ひょっとして渡り鳥の行動パターンを調べたのか、それとも、はるか遠くで自然に起きた森林火災の煙が見えたのか。仮にそうだったとしても、向かうべき土地があると想像しなければならない。

「同上」p.20-21

25,000年前までに、ヒトは数百人規模で野営地に定住し、調理用の道具やかまどを作り、骨製の細い針を使って毛皮で防寒用の衣服を作りました。また、海から何百キロも離れたところで貝殻の装飾品が見つかりますが、これは社会的ネットワークの存在を示しています。定住地の岩には生き生きとした動物の絵を描きました。

これらをまとめて著者は「行動が現代化した」と書いています。つまり当時のヒトは現代人と同じようなみかけであり、似たような行動をとっていたわけです。

5万年前以降のヒトの大変化はどのようにして起きたのでしょうか。なぜヒト(現世人類)だけに起きたのでしょうか。これが本書の問題提起です。その一番の理由を、著者はヒトが獲得した「協力的コミュニケーション」の能力だとしています。


ほかの人類が絶滅する一方で、ヒトが繁栄できたのは、ある種の並外れた認知能力があったからだ。それは「協力的コミュニケーション」と呼ばれる、特殊なタイプの友好性である。ヒトは見知らぬ人との共同作業であっても巧みにこなすことができる。これまで一度も会ったことがない人と共通の目標についてコミュニケーションをとり、力を合わせてそれを達成できるのだ。

チンパンジーもまた、多くの面でヒトのように高度な認知能力をもっている。ただ、ヒトと数多くの類似点があると言っても、チンパンジーは共通の目標の達成を助けるコミュニケーションを理解するのが得意でない。チンパンジーほど賢くても、他者の動きに合わせて行動したり、さまざまな役割を連携させたり、自分が考え出した新しい技術を他者に伝えたり、いくつかの初歩的な要求以上のコミュニケーションをとったりする能力はほとんどないのだ。

ヒトはこれらすべての能力を、歩行や会話ができる年齢になる前に発達させる。それは洗練された社会や文化を築くための入り口だ。この能力があるからこそ、ヒトは他者の気持ちを理解でき、前世代からの知識を受け継ぐことができる。その能力は、高度な言語をはじめとする、あらゆる形の文化や学習の礎だ。そうした文化をもった人がたくさんいる集団が、優れた技術を考え出した。ホモ・サピエンスは独特な共同作業に長けているおかげで、ほかの賢い人類が繁栄できなかった場所でも繁栄できたのだ。

「同上」p.23-24

著者の言う「協力的コミュニケーション」とは、他者に対する(特殊なタイプの)友好性です。この友好性が進化した要因が「自己家畜化」です。


こうした友好性は自己家畜化によって進化した。家畜化は、人間が動物を選抜して交配する人為淘汰だけで生じたわけではない。自然淘汰の結果でもある。ここで淘汰圧となったのは、異なる種や同じ種に対する友好性という性質だった。

私たちは自然淘汰で生じた家畜化を「自己家畜化」と呼んでいる。ヒトは自己家畜化によって友好的な性質という強みを獲得したからこそ、ほかの人類が絶滅するなかで繁栄することができた。

これまでのところ、私たちがこの性質の存在を確認できたのは、ヒトと、イヌ、そしてヒトに最も近縁な種であるボノボだ。本書ではこれら3つの種を結びつける発見、そして、ヒトがどのように現在のヒトになったのかを理解する助けになる発見について述べていく。

「同上」p.24-25

しかしながら、友好性を獲得すると同時にヒトは "非人間化した他者" に対する残虐性も発揮するようになりました。日本語訳の副題に「私たちはなぜ寛容で残酷な生き物になったのか」とあるのはそのことです。


しかし、人間の友好性には負の側面もある。自分の愛する集団がほかの社会集団に脅かされていると感じると、人間はその集団を自分の心のネットワークから除外し、人間扱いしない(非人間化する)ようにできるのだ。共感や思いやりは消え去ってしまう。脅威をもたらすよそ者に共感できなくなると、私たちは彼らを同じ人間だと見なせなくなり、極悪非道な行為ができるようになる。人間は地球上で最も寛容であると同時に、最も残酷な種でもある。

「同上」p.25

以上が全体の主旨ですが、以降は自己家畜化仮説を裏付けるエビデンスです。その一つは、ヒトが生来持っている「協力的コミュニケーション」で、それは "他者の考えについて考える" 能力です。


"他者の考えについて考える" 能力


ヒトの「協力的コミュニケーション」の最初の発揮として、著者は赤ちゃんの頃から始まる "指さし" 行動を取り上げています。


ヒトは生後9ヶ月頃になると、歩いたり話したりできるようになる前に、指さしを始める。もちろん、生まれてすぐであっても指さしはできるのだが、9ヶ月ぐらいになると、それが何らかの意味をもち始める。興味深いジェスチャーだ。ほかの動物は手があっても、このジェスチャーをしない。

指さしの意味を理解するには、心を読み取る高度な能力が必要だ。たいていの場合、指さしは「あそこを見れば、私の言いたいことがわかる」ということを意味する。しかし、あなたがあなたの頭を指でさすのを私が見た場合、さまざまな意味が考えられる。あなた自身のことを言っているのか? 私の頭がおかしいという意味なのか? 私が帽子を忘れたのか? 指さしは未来の何かを示すことも、過去にあって今はない何かを示すこともある。

生後9ヶ月までは、母親が指さしをすると、赤ちゃんはたいていその指を見てしまう。しかし9ヶ月を過ぎると、指から伸びる架空の線をたどるようになる。1歳4ヶ月になる頃には、指さしをする前に母親が自分を見ているか確認するようになる。母親が自分に注意を向けていないと指さしをしても通じないことがわかっているのだ。2歳までには、他者が見ているものや考えていることがわかってくる。他者の行動が偶然なのか意図したものなのかが区別できるようになる。4歳になると他者の考えを巧みに推測することが可能になり、人生で初めて嘘をつけるようになる。誰かがだまされたときに助けることもできるようになる。

「同上」p.33-34

心理学では「心の理論(Theory of Mind)」という用語が使われます。これは他者の心や意図を推察する能力のことです。指さしは「心の理論」の入り口です。


指さしは他者の心を読むこと、つまり、心理学者が言う「心の理論」への入り口だ。指さしを始めると、それ以降の人生は他者が考えていることに思いをめぐらしながら過ごすことになる。暗闇で誰かの手が自分の手に軽く触れたとき、それは何を意味するのか。部屋に入ったとき、そこにいた人が眉をひそめたのはどうしてなのか。他者の本当の考えを知ることはできないから、それは必ず推測になる。他者も同じ能力をもっているので、見せかけたり、偽装したり、嘘をついたりできる。

「心の理論」という能力があるおかげで、人間は地球上で最も高度な協力行動やコミュニケーションができる。この能力は人生で直面するほぼすべての問題を解決するうえで欠かせない。過去にさかのぼって、何百年も何千年も前に生きた人々から学ぶことができるのも、この能力のおかげだ。

「同上」p.34


イヌは "指さし" の意図を読める


「他者が行う指さしを見て、その意図を推察できる能力」は、他の動物ではどうなのでしょうか。たとえば、人間に最も近いとされるチンパンジーです。著者がマイケル(マイク)・トマセロ博士のもとで行った研究が書かれています。


チンパンジーには、他者の心を読み取る能力がいくつかある。私たちの実験で、チンパンジーは他者が見たものや知っていることがわかるだけでなく、他者が覚えていそうなことを推測できるうえ、他者の目的や意図を理解していることが明らかになった。チンパンジーはさらに、他者がいつ嘘をついたかすらわかっていた。

チンパンジーがこれらすべてのことをできるという事実から、チンパンジーにできないことがくっきりと浮かび上がってくる。チンパンジーは他者と協力し、コミュニケーションをとることはできる。しかし、その両方を同時にこなすのは苦手だ

私はマイクの指示で、2個のカップの一方に食べ物のかけらを隠した。チンパンジーは私が食べ物を隠したことを知っているが、どちらに隠したかは知らない。その後、私は食べ物を隠したカップを指さして、チンパンジーに教えようとした。だが、意外なことに、チンパンジーは何度やっても私の有益なジェスチャーを無視し、当てずっぽうの推測しかできなかった。何十回も失敗してようやく、食べ物を見つけることができた。だが、ジェスチャーを少しでも変えると、また失敗してしまう。

「同上」p.37

チンパンジーが食べ物を得るためには「人間との協調」と「人間とのコミュニケーション」が同時にできなければなりません。チンパンジーにとってはこれが難しい。

しかしイヌはできるのです。著者は自分の愛犬(名はオレオ)で実験したときのことが書かれています。


オレオを相手にした実験では、2個のカップを1メートルほど離れた地面に逆さまに置くだけだ。
「お座り」
私はカップの1つに餌のかけらを隠した。そして、餌を隠したカップを指さす。オレオは一発で餌を見つけた。その後の17回の実験でも見つけた。「オレオ」と私は言って、彼の耳をかくと、オレオは私の両脚にしがみついて全体重をかけてきた。「おまえは天才だよ」

私がチンパンジーにジェスチャーする実験で何も成果を得られなかった何ヶ月ものあいだ、オレオは裏庭にずっと座って、私がチャンスをくれるのを待っていたのだ。

「同上」p.43-44

著者はイヌが「指さしの意図を理解している」のではない可能性(たとえば餌の臭いを感知している)を調べるため、さまざまな実験を繰り返しました。もちろん自分の愛犬以外にも、イヌの一時預かり所に出向いて実験を繰り返しましたが、いずれの場合もイヌはパスしました。イヌはチンパンジーと違って、試行錯誤で指の方向に餌があることを学ぶのではないのです。


人間の赤ちゃんが特別なのは、指さしのジェスチャーで伝えようとしていることを本当に理解していることだ。これはつまり、役に立つジェスチャーであればどんなものでも理解することを意味する。

これを人間の母親と赤ちゃんで実証するために、マイクは正解のカップにブロックを入れるよう、母親に頼んだ。赤ちゃんは母親がこのジェスチャーをするのを一度も見たことがなかったが、母親が助けようとしてくれていると推測して、ブロックの入ったカップを選んだ。

私がこの同じゲームをイヌに対して行なうと、イヌたちは同じように振る舞った。人間の赤ちゃんと同じように、イヌは私が助けようとしていることを理解し、初めて見るジェスチャーであっても、助ける意図があると思ったらすべて利用したのだ。

「同上」p.47

人間の赤ちゃんとイヌに共通するこの「協力的コミュニケーション」の能力は、どのようにして発達したのでしょうか。イヌは氷河期にオオカミの先祖をヒトが家畜化したものと考えられています。この家畜化の過程で能力を獲得した(能力が進化した)と考えることができます。

実は、このことを検証するのに格好の素材があります。それは旧ソ連の遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフが始めた "キツネを家畜化する実験" です。この実験は No.211「狐は犬になれる」で紹介しましたが、もちろん本書にも詳しく書かれています。


友好的であることの力:キツネの家畜化実験


著書はドミトリ・ベリャーエフの実験の記述の前に、兄のニコライのことから始めています。兄のことは初めて知りました。


スターリンの大粛清のただなかにあった1937年に、ニコライ・ベリャーエフは遺伝学者だからという理由で秘密警察に逮捕され、裁判にもかけられずに射殺された。

スターリンはだいたいにおいて誰に対しても疑り深かったが、とりわけ遺伝学者が嫌いだった。遺伝学者は「適者生存」という考え方を世間に広めるので、共産党の方針に逆らっているように思われたからだ。スターリンは、適者生存とはそもそもアメリカの資本主義者の考えであり、力や知能に優れた者が富を蓄える一方で、労働者が貧しい暮らしをするという状況を正当化するものだと見なしていた。そんなスターリンが出した解決策は、遺伝学そのものをすべて禁止することだった。遺伝学は学校や大学のカリキュラムから除外され、教科書からはそのページが破り捨てられた。遺伝学者は国家の敵であると宣言され、強制収容所に送られるか、ニコライのように殺された。

ニコライが処刑された1年後、その弟であるドミトリ・ベリャーエフも遺伝学者になった。1948年、ドミトリはモスクワにある中央研究所の毛皮動物繁殖部の職を解かれたが、身を潜めておとなしく過ごし、1959年になると政治の中心であるモスクワから遠く離れたノボシビルスクに移った。こうして安全な距離をとれたおかげで、彼は20世紀の行動遺伝学の金字塔となる実験ができたのだ。

「同上」p.53-54

著者はベリャーエフの実験を「20世紀の行動遺伝学の金字塔」と書いていますが、まさにその通りでしょう。


ベリャーエフは野心的な目標を掲げた。動物がどのように家畜化されてきたかを推測するのではなく、動物をゼロから家畜化し、自分自身の目でその結果を確かめたいと考えたのだ。実験対象として選んだのは、イヌに近縁で家畜化されてない動物、キツネだった。キツネは手で触れられるともがいて噛んでくることがあるので、キツネを扱う人は厚さ5センチもある手袋をはめなければならなかった。とはいえ、キツネは秘密の実験をするのにうってつけだった。毛皮目的でキツネを繁殖させることはロシアの経済にとって重要だったので、疑り深い政府の役人をかわすことができたからだ。

それはエレガントな実験だった。ベリャーエフの教え子であるリュドミラ・トルートは、キツネの集団を2つのグループに分けた。両者はまったく同じ条件下に置かれていたが、彼女はある一つの基準を使って両者を分けていった。

第1グループは、人間に対する反応にもとづいて交配された。このグループでは、キツネが生後7ヶ月になると、リュドミラがキツネの前に立ってやさしく触ろうとする。そのとき近づいてくるか、怖がらなかったキツネを選び出して、同様の反応を示したほかのキツネと交配する。それぞれの世代で最も人なつこい友好的な個体を選んで交配したので、第1グループのキツネは友好的になった。

一方、第2グループは人間への反応とは関係なく交配した。つまり、2つのグループに差違が生じたならば、それは「人間に対して友好的である」という選択基準だけからもたらされたということになる。

「同上」p.54-55

ベリャーエフ(1917-1985)は人生のあいだこの実験を続け、彼の死後はリュドミラ・トルート(1933 -)が実験を引き継ぎました。



動物は家畜化すると、さまざまな形質が共通して現れることが知られています。これらは、人間の都合によってそれぞれの形質が選別されてきたと考えられてきました。

家畜化症候群.jpg
家畜化による変化と特徴
動物を家畜化することで、さざまな形質、特徴が共通して現れる。これらを「家畜化症候群」と呼ぶことがある。図は本書の p.58-59 から引用。


家畜化はしばしば、外見によって定義されてきた。身体の大きさは変わりやすい形質であり、イヌではチワワのような超小型犬から、グレート・デーンのような超大型犬までさまざまだ。

イヌは野生の近縁種より頭部が小さく、鼻づら(口吻部)が短く、犬歯が小さい傾向にある。毛の色は家畜化によって変化し、野生種がもっていた天然のカムフラージュ効果は失われる。イヌの被毛には不規則なぶち模様が現れることもあり、なかには、突然変異で額に星形のぶちが現れるイヌもいる。尻尾は上向きにカールし、ハスキーのように丸く円を描く尻尾もあれば、家畜のブタの尻尾のように数回巻いた尻尾もある。イヌの耳は垂れていることが多い。繁殖期は年に一度ではなく、年間を通して繁殖できる。

これらの形質群はイヌに固有というわけではない。どの家畜種にも、こうした形質がまとまって現れる

一見ランダムなこうした形質を結びつけているのは何なのか、あるいは、そもそもこれらの形質どうしにつながりがあるのかどうかは、わかっていなかった。人間がこのような変化を求めて意図的に交配したのだという見方もあった。

「同上」p.55-56

家畜化にともなって、一見ランダムに見えるさまざまな形質がまとまって現れます。これらを「家畜化症候群」と呼ぶことがあります。ベリャーエフは、たった一つの条件でこのような家畜化が起こると考えたのです。それは、ダーウィン以来、誰一人として思いつかなかった天才的な考えであり、それが正しいことが実験で明らかになったのです。



著者は、ベリャーエフの弟子であるリュドミラ・トルートが現在も行っているシベリアの実験場を訪問しました。その時のことが書かれています。


人なつこいキツネは美しく、かつ奇妙だった。ネコのように優美なのに、吠える声はイヌみたいだ。ボーダーコリーのように黒と白のぶち模様で、青い目をしているものもいれば、ダルメシアンのように小さな斑点をもつものもいる。なかには、ビーグルのように、赤と白と黒の模様をもつキツネもいる。

リュドミラに施設を案内してもらっていると、どのキツネも立ち上がり、尻尾を振って、くんくん鳴いたり、興奮した声を上げたりしながら、私に走り寄ってきた。リュドミラが飼育舎の一つに通じるドアを開けると、赤茶色の雌が私の腕に飛び込んできて、顔をなめ、嬉しそうに放尿した。脚は黒で、額に白い星模様がある。

友好的なキツネの個体群に最初に現れた変化の一つは、被毛の色だった。もともと黒と白のぶち模様だった被毛には、赤茶色がだんだん頻繁に現れるようになった。20世代を経ると、友好的なキツネのほとんどが簡単に見分けられるようになった。額に白い星模様がある個体も当初は数匹だけだったが、あるとき一気に増えた。

次に現れたのが、垂れ耳と巻き尾だ。友好的なキツネは歯が小さく、鼻づらが短くなる一方で、雄と雌の頭骨の形は互いに似通ってきた。これらと同じ変化は、イヌの家畜化の初期にも現れた。

変わったのは、キツネの外見だけではなかった。普通のキツネは年に1回しか繁殖しないが、多くの友好的なキツネは繁殖期が長くなったのだ。友好的なキツネのなかには、繁殖周期が年に2回、つまり1年のうち8ヶ月繁殖できるものも現れ始めた。友好的なキツネは性的に成熟するのが普通のキツネより1ヶ月早く、1度に産む子の数が増えた。

普通のキツネはオオカミと同様に、人間に馴れることのできる社会化期は非常に短く、その期間は生後16日から6週までだ。一方、友好的なキツネはイヌのように社会化期が長く、生後14日から始まって10週まで続く。

普通のキツネでは、ストレスホルモンと呼ばれるコルチコステロイドの分泌が生後2~4ヶ月のあいだに増え、生後8ヶ月でおとなの濃度に達する。だが、キツネが友好的になるほど、このコルチコステロイドの濃度が急上昇する時期が遅くなった。12世代を経ると、友好的なキツネのコルチコステロイドの濃度は半減していた。30世代を経ると、さらに半減した

そして50世代を経ると、友好的なキツネは普通のキツネに比べて、脳内のセロトニン(捕食や防御にかかわる攻撃行動の低下に関連する神経伝達物質)の濃度が5倍に増えていた

「同上」p.60-62

友好的というキツネの行動が遺伝的なものであることを示すために、ベリャーエフとリュドミラは次のような実験をしました。

・ 友好的なキツネの子を、誕生時に普通のキツネの子と取り替え、普通のキツネの子が友好的な母親の行動に影響されるかどうかを見る。
・ 友好的なキツネの受精卵を普通のキツネの子宮に移植する。
・ 普通のキツネの受精卵を、友好的なキツネの子宮に移植する。

しかし、産んだ母親も育てた母親も結果には影響しませんでした。友好的なキツネは受精したときから、普通のキツネよりも友好的だったのです。"友好的という行動が遺伝する" わけです。


キツネの指さし実験


実は、著者がキツネの飼育施設を訪問したのは見学だけが目的ではありませんでした。イヌでやったような「指さし実験」をするためだったのです。

その実験をするために「友好的な子キツネのグループ」と「普通の子キツネのグループ」を用意します。まず、生後数週間の普通の子キツネを10匹程度選び、著者の助手(ナタリー)に慣れさせます。この時期の子キツネは人間を恐れる機構が発達していないので、慣れさせることができます。そしてボウル状の容器の下に餌を隠し、その餌を見つけられるように訓練します。これが「普通の子キツネのグループ」とします。

また「友好的な子キツネのグループ」としては、生後3~4ヶ月の、友好的として選別されたばかりのキツネを選びました。


ナタリーが9週間にわたってハグと訓練をしたおかげで、普通の子ギッネのグループは、ボウル状の容器の下に隠した餌を見つけられるようになった。そろそろテストしてもいい頃だ。

ナタリーは2つある容器のうちの一つに餌を隠し、餌のあるほうの容器を指さした。普通のキツネの場合、チンパンジーやオオカミと同様に、結果は偶然をわずかに上回るものでしかなかった。たいていは当てずっぽうに選んでいた。

「同上」p.67

9週間に渡ってヒトに慣れさせる(=社会化)訓練をしたにもかかわらず、普通のキツネは指さしジェスチャーの意図を理解できなかったのです。一方、友好的なキツネはどうだったか。


次に、ナタリーが一度も会ったことがない友好的な子ギツネをテストした。ナタリーは囲いにやって来ると、子ギツネたちを外に出し、2つの容器のうちの1つに餌を隠した。

人間が協力的コミュニケーションの能力だけにもとづいてイヌを選抜してきたのなら、この友好的なキツネは、友好性という形質だけにもとづいて選抜されてきたのだから、私のジェスチャーに従えるだけの協力的コミュニケーションの能力はもっていないだろう。しかし、彼らはこの能力をもっていた。友好的なキツネはこのテストで子イヌと同じどころか、わずかに上回る成績を上げたのだ。

「同上」p.68

友好的なキツネは、"指さしに反応して餌を見つける" というゲームを一度もやったことがなかったにもかかわらず、イヌ並みの成績をあげたのです。このことは、

ヒトに対して友好的という、たった一つの基準で選別してきたキツネは、数々の家畜化症候群を発現させるとともに、協力的コミュニケーションの能力を獲得した

ということを意味します。


オオカミがやってきてイヌになった


以上を踏まえて、オオカミが家畜化されてイヌになったプロセスはどのように推測できるでしょうか。

一般に想定されているシナリオでは、農耕民がオオカミの子を何匹か捕まえて住居に持ち帰り、従順な子を繁殖させてイヌにした、というものです。しかしこのシナリオは非現実的です。というのも、遺伝子の研究からオオカミの家畜化は農耕の開始より前、遅くとも1万年前には始まっていたからです。つまりオオカミの家畜化が始まったのは氷河時代と考えられるのです。

著者が考える「オオカミがイヌになったシナリオ」は次の通りで、これが "自己家畜化" です。


氷河時代にオオカミを意図的に家畜化したと考えると、想定されるシナリオは非現実的だ。人間は最も友好的で、かつ最も攻撃的でないオオカミだけを何十世代にもわたって交配しなければならなかっただろう。だとすれば、狩猟採集生活を送る人々は、最長でも数百年にわたり、いきなり攻撃してくるかもしれない大きなオオカミといっしょに暮らし、手に入れにくい肉を毎日おとなのオオカミに分け与えていたことになる。それよりも、人間が手なづける前に家畜化の一段階、つまり自己家畜化の期間があったと考えるほうが、可能性が高いのではないか。

人間が何かしら関与したとすれば、それは大量のごみを出したことだ。現代でも、狩猟採集民は野営地の外に残った食べ物を捨てるし、排泄もする。人間の集団が定住生活に移行するにつれ、腹をすかせたオオカミが夜な夜な食べたくなるような食物が増えていった。捨てられた骨もよかったが、人間は食材を調理するし、消化が速いため、その大便は骨と同じぐらい栄養に富んでいた。人間の排泄物は、野営地に近づけるほど勇敢で落ち着いたオオカミには、たまらない食料だっただろう。

そして、そうしたオオカミは繁殖するうえで優位に立ったことだろう。いっしょに食物をあさっただろうし、子づくりしやすくもなったのではないか。友好的なオオカミと人を怖がるオオカミのあいだで遺伝子がやり取りされる機会は少なくなり、人間が意図的に選ばなくても、より友好的な新しい種が進化した可能性がある。

友好的な性質が数世代にわたって選ばれただけで、この特殊なオオカミの集団では外見に違いが出始めただろう。被毛の色、耳、尾。これらすべてが、おそらく変化し始めた。人間は食べ物をあさる奇妙な見かけのオオカミをだんだん許容するようになり、この原始的なイヌに人間のジェスチャーを読み取る独特な能力があることを、まもなく発見したのではないか。

オオカミはほかのオオカミの社会的なジェスチャーを理解し、それに応答できていただろうが、人間のジェスチャーに対しては、人間から逃げることにばかり気をとられ、注意を払う余裕はなかっただろう。だが、いったん人間への恐怖心が興味に変わると、オオカミは社会的な能力を新たな形で利用して、人間とコミュニケーションをとれるようになった。人間のジェスチャーや声に反応できる動物は、狩猟の相棒や見張り役として大いに役立っただろう。そうした動物はまた、心温まる親しい仲間としても貴重な存在になり、野営地の外から炉端へ近づくのを徐々に許されることになった。人間がイヌを家畜化したのではない。最も友好的なオオカミがみずから家畜化したのだ。

こうした友好的なオオカミは、地球上で最も繁栄した種の一つとなった。その子孫は今や何千万匹にもなり、あらゆる大陸で人間とともに暮らしている。その一方で、生き残った数少ないオオカミの集団は、残念ながら常に絶滅の危機にさらされている。

「同上」p.72-73

そして、このような家畜化がヒトにも起こった。つまり、

・ 友好的な個体が選別されていくと(=家畜化すると)、社会的能力(協力的コミュニケーションなど)が発達する。

・ 社会的能力をもつ個体がより有利で生き残りやすくなる条件があると、自然選択による家畜化、つまり自己家畜化が起きる。

・ ホモ・サピエンスは自己家畜化の過程を経て生き残り、繁栄した。

とするのが「自己家畜化仮説」です。


自己家畜化仮説の証拠はあるか


では、ホモ・サピエンスに自己家畜化のプロセスがあったという証拠はあるのでしょうか。

家畜化された動物は、ヒトに友好的になると同時に身体に特徴的な変化が現れます。ロシアの友好的なキツネでは、選抜によってホルモンに変化が生じました。こうしたホルモンがキツネの成長の仕方(身体と行動)を変えたのです。

ヒトにも外見や行動の発達を調整するホルモンがあります。その一つのテストステロンは、濃度が高いと他のホルモンとの相互作用で攻撃性が高まります。同時に、成長期にテストステロンの濃度が高いと眉弓びきゅう(眉のところの弓形の骨。眉弓骨)の突起が高くなります。

ホモ・サピエンスの頭蓋骨の化石、1421点を調査したところ、更新世後期(38000年前~1万年前)の眉弓の突起は、更新世中期(20万年前~9万年前)のものより 平均で 40% 低くなっていました。



アンドロゲンというホルモンがあります。妊娠中にこのホルモンの濃度が高いと、人差し指の長さに対する薬指の長さ(= 2D:4D 比)が長くなる傾向にあります。2D:4D 比が小さいと「男性化した」と見なせて、危険を冒す度合いや攻撃性が高まります。

研究によると、更新世中期のホモ・サピエンスの2D:4D 比は現代人より小さく、より「男性的」であったことが分かりました。またそれよりさらに男性的なのがネアンデルタール人でした。つまりホモ・サピエンスは現代人になる過程において、2D:4D 比が高まり、より女性的になったと言えます。



家畜化が身体に与える影響の一つが「脳の小型化」です。脳が小型化すれば頭蓋骨も小さくなります。ヒトの知能が最も発達したのは過去2万年です。農耕が始まる前の1万年と始まって以降の1万年を比較すると、平均で頭蓋骨容量が 5% 小さくなっていました。

家畜化された動物の脳を小さくする最大の要因は、セロトニンというホルモンです。キツネの家畜化実験でもわかるように、家畜化された動物の攻撃性が低下するにつて、体内のセロトニン濃度が増加します。このホルモンが高まると友好的な感情が高まることが知られています。



以上が、化石資料がら類推できる家畜化=友好性の発達の例ですが、著者はこれとは別に、ヒトの「協力的コミュニケーション」を発達させた要因として「白い強膜きょうまく」をあげています。強膜とは眼球の外側の白い皮膜のことで、眼球の前方で角膜とつながっています。いわゆる「しろ目」のことです。

強膜が白いのはヒトの特徴です。霊長類の中で白い強膜をもっている(=強膜を黒くする色素を失った)のは、ヒトだけです。白い強膜だと視線を感じることができ、アイコンタクトが可能で、他者の視線を追うこともでき、「協力的コミュニケーション」にピッタリなのです。


友好性が新たな攻撃性を生んだ


ヒトは自己家畜化の過程において、自分の属する集団を想定し、その集団を家族のように感じる能力を発達させました。一度も合ったことがない他者でも、その他者が仲間かどうかを見分け、同じ集団に属していると認識するこができます。著者は、こういった集団アイデンティティーの発達を促したのが、オキシトシンというホルモンだと推定しています。


オキシトシンはセロトニンおよびテストステロンの可用性と密接に関連している。これら2つは、ヒトの自己家畜化の結果として変化したと私たちが推定したホルモンだ。

セロトニンの分泌が増えると、オキシトシンが影響を受ける。セロトニン神経とその受容体の活動が、オキシトシンの効果に影響を及ぼすからだ。簡単に言ってしまうなら、セロトニンはオキシトシンの効果を高めるということである。

また、テストステロンの分泌が減少しても、オキシトシンがニューロンと結合しやすくなり、行動が変わる。ヒトが自己家畜化する過程でセロトニンの分泌が増え、テストステロンが減少すると、オキシトシンの効果が高まると予測される。このようにして、ヒトの行動に与えるオキシトシンの効果が増大したと考えれば、自分が属する集団を家族のように感じるヒトの能力がどのように進化したのかを説明できそうだ。

「同上」p.147

しかし、このことは「集団に属さないと認識した他者」への、新たな攻撃性を生むことになりました。


オキシトシンは親の行動に欠かせないように見えるので、「ハグ・ホルモン」と呼ばれることもある。だが、私は「お母さんグマのホルモン」と呼ぶのを好んでいる。赤ちゃんが生まれたときに母親の体内に放出されるホルモンが、誰かが赤ちゃんに危害を加えようとしたときに母親が感じる怒りも引き起こすからだ。

たとえば、ハムスターの母親にオキシトシンを余分に投与すると、脅威をもたらす雄を攻撃して噛みつく傾向が強まる。オキシトシンはまた、雄の攻撃性にも関与している。ラットの雄は交尾相手の雌と仲良くなると、オキシトシンの分泌が増える。そうすると、雌を大切にする行動が強まる一方で、雌を脅かすよそ者を攻撃する傾向も強まる。

社会的な絆とオキシトシンと攻撃性とのこうした関係は、哺乳類全体で見られる。ということは、ホッキョクグマの母親が最も愛情に満ちているとき、つまり自分の子といっしょにいるときは、母親が最も危険なときでもあるということだ。たとえ故意でなくても、子が誰かに脅かされれば、母親は恐ろしい生き物に豹変する。わが子を愛するあまり、子を守るためなら死んでもいいと思うようになるのだ。

ヒトが自己家畜化によって形成されていくなかで、友好性の高まりが新たな形の攻撃性をもたらした。脳の成長中に利用できるセロトニンが増えたために、行動に対するオキシトシンの影響が強まった。集団のメンバーは互いに親しくつながるようになり、その絆はあまりにも強いので、互いに家族のように感じる。発達の初期に脳の「心の理論」ネットワークの接続がわずかに変化することによって、世話行動の対象が近親者から、さまざまな社会的パートナーまで広がった。

このように他者に対して新たな関心をもつようになると、血縁関係のない集団のメンバーや、さらには自分の集団内の見知らぬ人を守るために暴力をふるうこともいとわない気持ちが芽生えた。進化によってより強く愛するようになった人が脅かされたときに、人間はより激しく暴力をふるうようになった。

「同上」p.163-164

人間は、自分の集団ではないと認識した他者を「非人間化」できます。そして非人間化した他者に対してはどんな暴力をふるうこともできる。これは今までもそうだったし、現在、その傾向がますます高まっています。

しかし、集団のアイデンティティー認識は、生物学的根拠のあるものではありません。その認識は人間が変えられる。著者は、同じ集団であると認識する一番の鍵は "接触" だと主張しています。人と人の接触がまず必要で、それが第1歩です。


本書全体を通して


本書は次の2つの論を並行して進めるという体裁をとっています。

① ヒトは自己家畜化(=友好性をもつ個体が自然選択される)の過程を経て生き残り、社会を作り、繁栄した。と同時に、他者に対する新たな攻撃性を持ってしまった。

② 現在、世界で起こっている(特にアメリカで起こっている)暴力、差別、分断を憂い、それを解決する提言を行う。

の2点です。今まで紹介したのは ① の部分です。しかし著者が本を書いた意図は ② の部分も大いにあるのです。

進化人類学の立場から ② に踏み込むことは、論を広げすぎのように感じます。しかし「友好性をもつ人間が集まったとき、最大のパフォーマンスを発揮できる」というのは全くの事実です。それが、進化人類学の視点からも裏付けられて、友好性をもつからこそヒトはヒトになったと言える。そうであれば、現在の世界の状況に対して是非とも発言したいと思ったのは理解できます。

本書の原題は、最初に書いたように、

Survival of the Friendliest

ですが、これはヒトが生き残って繁栄した理由であると同時に、現在の人類が今後地球上で "サバイバル" できる鍵である。そう著者は言いたいのだと思いました。




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