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No.346 - アストリッドが推理した呪われた家の秘密 [アート]

このブログでは数々の絵画について書きましたが、その最初は、No.19「ベラスケスの "怖い絵"」で取り上げた「インノケンティウス10世の肖像」で、中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある解説を引用しました。この絵はローマで実際に見たことがあり、また中野さんの解説が秀逸で、印象的だったのです。

『怖い絵』には興味深々の解説が多く、読み返すこともあるのですが、最近、あるテレビドラマを見ていて『怖い絵』にあった別の絵を思い出しました。15~16世紀のドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』です。今回はそのことを書きます。

テレビドラマとは、NHK総合で放映中の「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」です。


アストリッドとラファエル


「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」は、NHK総合 日曜日 23:00~ の枠で放映されているフランスの警察ドラマです。

アストリッドはパリの犯罪資料局に勤務する文書係の女性(俳優はサラ・モーテンセン)、ラファエルはパリ警視庁の刑事(警視)です(俳優はローラ・ドヴェール)。アストリッドは自閉スペクトラム症ですが、過去の犯罪資料に精通していて、また抜群の洞察力があります。一方のラファエルは、思い立ったらすぐに(捜査規律違反もいとわず)行動に移すタイプです。しかし正義感は人一倍強く、人間としての包容力もある女性刑事です。この全く対照的な2人がペアになって難事件を解決していくドラマです(サラ・モーテンセンの演技が素晴らしいと思います。彼女の演技だけでも番組を見る価値があります)。


呪われた家


このドラマのシリーズで「呪われた家」というストーリーが2回に分けて放映されました(前編:2022年8月14日、後編:8月21日)。このストーリーでの重要な舞台は、パリにある "呪われた家" との噂がある屋敷です。この屋敷の歴史について、アストリッドが過去の資料を調べてラファエルに説明するシーンがあります。台詞を抜き出すと以下です。以下に出てくる "リボー" とは、突然、行方不明になった屋敷の主です。


アストリッド
家の件です。あなたが置いていったファイルに、リボーの住所がありました。同じ住所で数件の資料があります。アーカイブも調べました。

ラファエル
アーカイブ ?。50年以上昔の資料がある場所 ?

アストリッド
その通りです。1905年にパン職人、エミリアン・ポポンが建てた家です。その6年後、最初の殺人事件が起きました。パン職人の使用人が火掻き棒で刺されて死亡。

ラファエル
素敵。

アストリッド
素敵じゃないです。じわじわ苦しんで死んだはず。

ラファエル
そりゃそうだ。

アストリッド
この事件は未解決です。さらに7年後の1918年9月、パン職人は原因不明の死をとげました。次の所有者は1942年、46歳の若さで就寝中に死亡し、不審死として捜査されましたが、検視報告書には急死とだけ。説明はありません。

ラファエル
まさか。呪われた家だって言いたいの ?

アストリッド
いいえ。ただ、これらの事件の共通点がフロッシュ通り32番地の家だというだけです。

1995年、家庭内殺人が起きました。当時18歳のロール・ガナが、就寝中の両親と8歳の弟を刺し殺しました。しかし彼女は刑事責任能力がないと判断され、無罪になりました。あっ!さわらないで下さい。さわると ・・・。

以来、空き家でしたが、1998年7月にマックス・リボーが購入。

ラファエル
ロール・ガナは? どうなったの?

アストリッド
訴訟のあとは精神科病院に収容され、今もそちらで療養中です。施設名はエスペリト・サント。

"アストリッドとラファエル"
「呪われた家 前編」
(NHK 総合 2022年8月14日)


アストリッドとラファエル.jpg


呪われた家の秘密


実は、"呪われた家" には隠されていた地下室がありました。ラファエルが封印を破って地下室に最初に入ったとき、ラファエルは幻影を見ます。

その後、ラファエルとアストリッドが地下室を詳しく調ているときです。アストリッドは地下室の隅に放置されたままの袋を見つけました。


アストリッド
小麦粉の袋です。

ラファエル
ああ、そうかもね。最初の所有者はパン職人だった。100年以上前の袋。

アストリッド
離れます。強烈な臭いで。

ラファエル
感じないけど。湿気とか地下室の臭いじゃない ?

アストリッド
いいえ。私は外の刺激に敏感なんです。強い光とか、うるさい場所とか、刺激臭とか。これは地下室の臭いではありません。とてもきつくて、強烈な臭いです。長くは居られません。ここを出なければ。

"アストリッドとラファエル"
「呪われた家 後編」
(NHK 総合 2022年8月21日)

"呪われた家" を出たアストリッドは、あることがひらめいたようで、「犯罪資料局に戻らなければ。今すぐに」と言います。ラファエルも同行しました。


アストリッド
ポン・サン・テスプリの事件をご存じですか。

ラファエル
知ってる、って言いたいけど、知らない。聞いたことない。

アストリッド
1951年、7人が死亡、50人が精神科病院へ、250人に症状が起きました。たった一つの村で。あっ、これです(事件のファイルを見つけて取り出す)。

被害者は同じパン屋でパンを購入していました。中毒と結論づけられました。

ラファエル
寝る前に子どもにお話してあげたくなる話。事件と関係ある ?

アストリッド
その村で精神疾患が蔓延した原因は菌によるものでした。その菌がライ麦粉に付着すると強烈な刺激臭を発します。

ラファエル
地下室の袋も?

アストリッド
その通り。(ラファエルにファイルを渡す)。丁寧に扱って。

麦角ばっかく菌と呼ばれるものですが、そこからリゼルギン酸ジエチルアミドが生成されました。

ラファエル
LSD !

アストリッド
その通り。

ラファエル
だからあの屋敷は様子が変だった。地下室で見たのも ・・・・・・。

アストリッド
警視は強い向精神薬の影響を受けていたのだと、説明がつきます。

ラファエル
ロール・ガナは? ずっとあそこをたまり場にしてた。大量に吸ってたはずだ。

アストリッド
麦角菌を。

ラファエル
それ。

アストリッド
彼女の犯行も、これまでの謎の行動も説明がつきます。もしも幻覚剤によるフラッシュバックだったすれば。

ラファエル
今も影響を受けてる。幽霊でもなく、呪いでもなく、バッド・トリップね。

アストリッド
バッド ・・・。バッド・トリップですか。それがもし中枢神経系の不具合と関係する感覚の変化のことを言ってるのだとしたら、正しいです。そうでしょ。

ラファエル
ええ。そうだよ。

アストリッド
バッド・トリップ。警視はバッド・トリップ状態だった。

"アストリッドとラファエル"
「呪われた家 後編」

キーワードは麦角菌です。その麦角菌と関係する有名な絵画がフランスにあります。


麦角菌


LSD(Lysergic acid diethylamid)は強い幻覚作用をもち、日本をはじめ各国で麻薬として禁止されている薬物です。ラファエルが「リゼルギン酸ジエチルアミド」とアストリッドから聞いてすぐ LSD だと分かったのは、それが刑事の必須知識である禁止薬物だからです。

LSDは人工的に合成されますが、もともと麦角菌に含まれる「麦角アルカロイド」の研究から生まれたものでした。麦角アルカロイドの中のリゼルギン酸から LSD が生成されることもあります。

アルカロイドとは、主に植物や菌が生成する有機化合物の総称ですが、麦角アルカロイドの人への影響は幻覚だけでありません。Wikipedia から引用すると、次のとおりです。


(麦角アルカロイドは)循環器系や神経系に対してさまざまな毒性を示す。神経系に対しては、手足が燃えるような感覚を与える。循環器系に対しては、血管収縮を引き起こし、手足の壊死に至ることもある。脳の血流が不足して精神異常、痙攣、意識不明、さらに死に至ることもある。さらに子宮収縮による流産なども起こる。

Wikipedia(2022.9.6 現在)

麦角アルカロイドが人にもたらすさまざまな症状を「麦角中毒」といいます。そして「麦角中毒」は、アストリッドが指摘した1951年のポン・サン・テスプリ(Pont-Saint-Esprit。南フランスの小さな町)での事件(実際にあった事件です)より遙か昔から、ヨーロッパでしばしば起こっていました。そして中世ヨーロッパでは、麦角中毒のことを人々は「聖アントニウス病」ないしは「聖アントニウスの火」と呼んでいました。

その「聖アントニウス病」と密接に関係した絵が、ドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』(1515年頃)です。イエスの磔刑を描いていますが、イエスを最もむごい姿で描いた絵として有名です。


イーゼンハイムの祭壇画


中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある『イーゼンハイムの祭壇画』の解説を紹介します。

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マティアス・グリューネヴァルト(1470/75 - 1528)
イーゼンハイムの祭壇画 第1面」(1515年頃)
ウンターリンデン美術館(仏)


中世三大疫病といえば、ペスト、ハンセン病、聖アントニウス病だが、最後にあげた聖アントニウス病については、発症地がアルプス以北にほぼ限定されているた め、あまり知られていないのではないか。

これは麦角ばつかくアルカロイドによる中毒が原因で起こり、細菌感染したライ麦でパンを作って食べると発症した(ただしそうとわかるのは、ようやく17世紀も終わり近くなってからだ)。神経をやられるので痙攣性けいれんせいの発作に襲われたり、四肢ししの末端がけつくように痛んでふくれあがり、進行すると壊疽えそになって崩れ落ち、果ては死に至る難病である。手足が変形するのは、ハンセン病の重篤な場合と似ているので、どちらに罹患しているのかわからない場合もあったようだ。

中野京子『怖い絵』
(朝日出版社 2007)

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中野京子「怖い絵」
(朝日出版社 2007)
上に引用にあるように、聖アントニウス病が麦角中毒だと分かるのは17世紀終わりです。ということは、それ以前の中世、たとえば『イーゼンハイムの祭壇画』が描かれた16世紀では、そんなことは誰も知らない。当時、聖アントニウス病を治すには、転地療養や旅(巡礼)が良いとされたようですが、それは食事が変わって、いつも食べている「麦角菌入りのライ麦パン」を食べなくなったからなのでしょう。

では、麦角中毒がなぜ「聖アントニウス病」と呼ばれたのか。そして、イーゼンハイム(現在のストラスブール近郊の町)の修道院にあった『イーゼンハイムの祭壇画』が、なぜ「聖アントニウス病」と関係するのか。中野さんの解説が続きます。


当時は教養のあるなしに関わらず誰もが悪魔の存在を信じていたから、原因不明の激しい苦痛と肉体の崩壊を伴うこれらの病気を、犯した罪への神罰しんばつと見なして差別したり、地域によっては悪魔のしるとして魔女裁判にかけて火炙ひあぶりにすることさえあった。いずれにせよ患者は住む家を追われ、死に場所を求めて放浪するしかない。その際でも、ハンセン病にかかっていることを周りに知らせるため、切り裂いた衣服を着たり、あるいはガラガラを持って鳴らし続けながら歩かねばならなかった。

どこにも救いはなかったのだろうか ?

いや、ささやかだがあった。かつてひとりの病人が、聖アントニウスの聖遺骨せいいこつに祈りを捧げて健康を取りもどしたのだという。おそらく軽症だったため、長い巡礼の行程でライ麦パンを口にしなくなっただけで治ってしまったのであろうが、この言い伝えを信じた人々は、聖アントニウスゆかりの各地へ巡礼するようになる。とりわけストラスブール近郊イーゼンハイムの聖アントニウス修道会へは、人々が殺到した。というのもここには治療院も併設され、修道士たちが薬草をせんじてくれたり、重病人には優れた技術で四肢しし切断を施し、末期まつごの場合でも信仰による慰めを与えてくれたからだ。

中野京子『怖い絵』

このあと中野さんは、当時、聖アントニウス病にかかった村人が、同じ症状の人をさそって、5人でイーゼンハイムへ巡礼に出かける旅路を、村人目線で、想像で書いています。同行の人は次々と行き倒れ、イーゼンハイムに近づいたときには、村人一人になっていました。


ある日、道づれが増えはじめたのに気づく。みんな同じような姿の巡礼者たちで、同じ方向を目指して歩いている。あなたは興奮し、聖アントニウス修道会が近いのですか、とかたわらの人に声をかけると、あそこに屋根の十字架が見えるでしょう、と言われた。

あなたには見えないが、それも道理で、両足はすでに腐り、しばらく前から使える左腕だけを頼りに、あぶら汗を流すほどの痛みに耐えながら、膝でいざりつつ進んでいたのだ。子どもの背丈でしか周りが見えず、高いはずの教会も木々にさえぎられていた。でもそれが何だろう。もうイーゼンハイムに着いたのだ。

あなたは勇気づけられ、ミミズのように角を曲がる。教会だ。戸口にいた修道士があなたのひどい様子に気づき、駆け寄ってくる。その人に抱きかかえられ、薄暗く、ひんやりした堂の中へ入れてもらった。祭壇の前へ連れてゆかれると、ロウソクの炎のゆらめく中に浮かび上がったのが ─── この絵だ。

長い辛い旅路の果てに、あなたは今この絵を目にしている。

十字架上のイエスのねじれ、よじれ、伸びきった身体、肉体と精神の苦痛に激しくゆがむ顔、干からびた昆虫のような指、醜い皮膚の斑点はんてんとげの刺さった痛々しい傷跡、流れる血。

何と怖ろしい! 何と凄惨な! 何と痛い! 痛すぎる!

これでは仲間の死に際と同じではないか。いや、自分の今の姿そのものではないか!

あなたは衝撃に震え、やがて声にならない声をあげて泣くだろう ・・・・・・。

中野京子『怖い絵』

要するに『イーゼンハイムの祭壇画』は、たとえば、当時、聖アントニウス病に罹患し、イーゼンハイムの修道院にやっとの思いでたどり着いた巡礼者の気持ちを想像してみないと、その価値の一端すら分からないと言っているのですね。


ふつうの人が絵を見る機会などほとんどなかった時代、優れた絵画が心に及ぼす影響がいかに大きかったか、眼の刺激に慣れすぎた現代人にはとうてい想像もつかない

小説ではあるが、『フランダースの犬』の中で主人公の少年ネロが、ルーベンスの『キリスト昇架しょうか』を見たくてたまらず、ついに無断で教会へもぐり込んでこの傑作を目の当たりにしたとき、「ああ、神さま、もうぼくは死んでもいい」とまで思う。それほどの深い満足を与える力が、かつて絵画にはあったのだ。

イーゼンハイムの祭壇画さいだんがも同じだ。ましてこの作品は特権階級の眼を悦ばせるためではなく、業病ごうびょうに苦しむ一般庶民の癒しになるよう救いを与えるようにと、聖アントニウス修道会がグリューネヴァルトに依頼したものである。彼は約四年かけ、これまでのどんな磔刑図たつけいずよりむごい、見る者に直接肉体の苦痛を感じさせるような、心底恐ろしい作品に仕上げた。ほの暗い聖所でこの絵は物凄まじい吸引力を発揮し、病人たちは思わず絵の前にひざまずき、手を合わせて祈らずにいられなかったという。

中野京子『怖い絵』

このあとは、祭壇画の詳細な解説です。登場人物はイエス、聖母マリア、イエスの弟子の聖ヨハネ、マグダラのマリア、洗礼者聖ヨハネ、聖セバスティアヌス、聖アントニウスなどです。

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マティアス・グリューネヴァルト
「イーゼンハイムの祭壇画 第1面」


─── 中央パネルの背景は闇である(磔刑のこの日この時間、日蝕があったからだ)。十字架の横木がイエスの身体の重みでしなり、いばらの冠はまさしく拷問の具であることを示して、頭部を血みどろにしている。磔刑図を描く際の決まりどおり、イエスは頭を右にかしげ、右脇腹のえぐられた箇所からは血を流す。

左には、気を失いかける聖母マリアと、それを支える福音書書記聖ヨハネがいる。彼の右腕と指が現実性を欠いた長さなのが目を惹く。いったいに人体各部の比率が正しくないのと、線描になめらかさを欠いていることが、この絵の異様な迫力の一因といえよう。またイエスの足もとで歎くマグダラのマリアのサイズがおかしいが、これは重要度が低い人物は小さく描くというゴシック絵画の約束ごとである。

右側で書を持って立つのは洗礼者聖ヨハネで、彼はイエスの死よりずっと前にヘロデ王に首をられたから、本来ここにいるべきではない。しかし彼が指さすそばには、「あの方(= イエス)は栄え、わたしは衰えなければなりません」と文字が記されており、このヨハネがわば幻像だとわかる。足元の仔羊こひつじはいうまでもなく「犠牲の仔羊」だ。

左の細長いパネルに描かれているのは、ペストの守護神、聖セバスティアヌス。右パネルは聖アントニウス。中央パネル下にあるパネルをプレデッラというが、ここにはイエスの埋葬シーンが描かれている。

この五枚一組は、実は祭壇画の扉である。平日は扉が閉まった状態にあるので、病人や信者たちはこの磔刑図を見る。だが日曜日になると、中央パネルが真ん中、十字架のあたりから観音開きに分かれ、下のパネルがあらわれる。そこには左から順に、『受胎告知』『奏楽そうがくの天使』『聖母子像』『復活』の図が並んでいる。さらにこれも観音開きできるようになっており、特別な日だけ開帳するのだが、内部中央は絵画ではなく聖アントニウスの彫刻座像が収められ、両翼りょうよくには『聖アントニウスの誘惑』と『訪問』図が描かれている。

つまり絵だけで11枚もある、8メートルの高さの、実に複雑な多翼たよく祭壇画なのだ。当時の病人や信者たちは、平日は無惨な生の苦しみを受けるイエスに涙し、日曜になって扉がギーッという音とともに開くと、復活したイエスのすこやかで輝かしい姿を見る。どれほど救われた気持ちになったことか。

中野京子『怖い絵』

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マティアス・グリューネヴァルト
イーゼンハイムの祭壇画 第2面
ウンターリンデン美術館(仏)


修道士が大きな扉絵をおごそかに開けるとき、磔刑図の暗い陰惨な絵の陰から、明るい色彩の復活したイエスや天使が少しずつ見えてきて、それはまるで天国のまばゆい光がこぼれ出るようなものだったに違いない。その瞬間、病人たちは痛みも苦しみも忘れたであろう。堂のそこかしこから、溜め息や声が洩れたであろう。

それと同じ感動を、我々はもはや共有することはできない。

しかし一方で、感じる人には感じられようが、この磔刑図には、数百年前のそうした人々の強い念が取り込まれており、それがこれを、絵画を超えた、一種、生きものの如きものに見せている。

中野京子『怖い絵』


コルマールのウンターリンデン美術館


「イーゼンハイムの祭壇画」は現在、解体された状態で、フランスのアルザス地方の都市、コルマールにあるウンターリンデン美術館にあります。

コルマールは一度だけ行ったことがありますが、その時はツアー旅行だったので、美術館のところまで来たときには閉館時間を過ぎていました。残念でしたが、ツアー旅行なので仕方ありません。なお、コルマールは、ジブリ映画『ハウルの動く城』のモデルになったとも言われる美しい街です。ウンターリンデン美術館とは関係なく、十分に訪問する価値がある街です。




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No.345 - "恐怖" による生態系の復活 [科学]

No.126-127「捕食者なき世界」の続きです。No.126-127は、生態系における捕食者の重要性を、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著「捕食者なき世界」(文春文庫 2014)に沿って紹介したものでした。

生態系において捕食者(例えば肉食獣)が、乱獲などの何らかの原因で不在になると、被捕食者(例えば草食動物)が増え過ぎ、そのことによって植物相が減少する。最悪の場合は草食動物もかえって数が減って生態系の荒廃が起こり得る。このようなことが、豊富な実例とともに示されていました。

生態系における「捕食・被捕食」の関係は、動植物の種が複雑に絡み合うネットワークを形成していて、そのネットワークには「不在になると他の種に連鎖的な影響を及ぼす種」(= キーストーン種。キーストーンは "要石かなめいし" の意味)があります。食物連鎖の頂点に位置する肉食獣は代表的なキーストーン種なのでした。

ところで、最近の NHK BS1 のドキュメンタリーで、人的要因によって激変してしまった生態系を、捕食者の再導入によって元に戻そうとするプロジェクトが放映されました。その番組は、

NHK BS1 BS世界のドキュメンタリー
2022年8月9日 15:00~15:45)

"恐怖" でよみがえる野生の王国」
Nature's Fear Factor)
 制作:Tangled Bank Studios(米国 2020)

です。今回はこの番組の概要を紹介します。日本語題名に「"恐怖" でよみがえる」とあり、また原題の意味は「自然の要素としての "恐怖"」です。つまり "恐怖" が重要なテーマになっています。これは、

捕食者は、単に被捕食者を殺して食べるだけでなく、被捕食者に常に "恐怖" を与えており、そのことによって被捕食者の行動は制限され、これが生態系維持の重要な要素になっている」

という意味です。このことは以降の概要で詳しく出てきます。プロジェクトの主役 = 捕食者は、アフリカに住むイヌに似た肉食獣の "リカオン" です。


ゴロンゴーザ国立公園とその荒廃


東アフリカのモザンビークにあるゴロンゴーザ国立公園は、アフリカの国立公園の中でも特に豊かな自然に恵まれている公園です。

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ゴロンゴーザ国立公園
サバンナ、林、氾濫原、湖、川、熱帯雨林などが複雑に入り組んだ自然生態系を成している。番組より。

モザンビークでは独立後、1970年代から15年以上ものあいだ、政府軍と反政府勢力の激しい内戦が続きました。この内戦による犠牲者は 100万人にのぼるとされています。

この内戦のあいだ、ゴロンゴーザ国立公園は反政府勢力の格好の隠れ家になり、戦場にもなったので、荒廃してしまいました。戦乱と密猟によって大型の哺乳類の数が激減してしまったのです。20年前の調査では、大型の哺乳類の数が内戦前に比べて 1/10 以下に減少していました。たとえば、

象 :  2500 → 250
カバ :  3500 → 100未満
ライオン :   200 → 10
シマウマ :  3500 → 0
ヌー :  6500 → 0
アフリカ水牛 : 14000 → 0

といった悲惨な状況です。ゴロンゴーザ国立公園の復活は不可能だと思われました。

しかし希望がありました。それは豊かな自然環境です。ゴロンゴーザ国立公園は、サバンナ、林、氾濫原、湖、川、熱帯雨林などがモザイク状に入り組んでいます。この自然環境がそのまま残っていたのです。


ゴロンゴーザ再生プロジェクト


世界各地からも専門家が集まって官民共同の「ゴロンゴーザ再生プロジェクト」が結成されました。このプロジェクトによって、大きく数を減らした動物の一部は他の地域から持ち込まれました。こうした努力の結果、動物の生息数は回復しつつあります。特に、草食動物の生息数は内戦前に近づきつつあります。

素晴らしいことのよう思えますが、専門家の判断によると健全な生態系の回復ではありません。動物によって増え方に偏りがあり、以前のような多様性が失われたのです。たとえば、一部の動物だけが急速に数を増やしています。中でも、ウォーターバックの数が爆発的に増えました。生息総数は6万頭に迫る勢いで、これは内戦前の10倍以上です。

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ウォーターバック(雌)
(Wikipedia)

「多種多様な生き物がそれぞれに適した場所で生息し、全体として安定した生態系を作っている」という、本来あるべき姿ではないのです。なぜ動物の数が偏るのでしょうか。この問題の解決策を探るべく、ゴロンゴーザ再生プロジェクトでは生態系の地道な調査をはじめました。


ブッシュバックの奇妙な行動


生態系の調査で判明したことの一つに、アンテロープ(=レイヨウ)の一種で、本来警戒心が強いブッシュバックの奇妙な行動があります。ブッシュバックはその名のとおり、本来なら茂みに隠れて暮らします。しかし林を離れて、開けた氾濫原に行動範囲を広げていました。より栄養がある食べ物を求めて氾濫原に踏み出したと考えられました。

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ブッシュバック(雌)
(Wikipedia)

草食動物がどの種類の草を食べているのか、糞を採取して調べること可能です。3年間で3000以上ものブッシュバックの糞が集められ、アメリカのプリンストン大学に送られました。含まれる植物のDNA分析の結果、氾濫原のブッシュバックは林の中の個体より栄養価の高い草を食べていることが分かりました。その結果、氾濫原に踏み出したブッシュバックは体が大きくなり、子どももたくさん作れるのです。


草食動物の食性変化


プロジェクトではさらに、ゴロンゴーザ国立の主な草食動物が何を食べているかを分析し、ケニアの似たような国立公園と比較しました。ケニアの草食動物は、種によって食べるものがはっきり分かれていました。一方、ゴロンゴーザでは複数の種が同じ物を食べていました。

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草食動物の食性の比較
[ケニア(左)とゴロンゴーザ(右)]
色の違いは草食動物の種を表し、ブッシュバック、ウォーターバック、リードバック、インパラ、オリビの5種である。点は個体で、個体が食べた草の種類によって3次元グラフにプロットし、それをある方向から2次元的に見たのが上の図である。ケニアの5種の草食動物は食性が分離しているが、ゴロンゴーザでは食性が重なっている。番組より。

動物たちがあらゆる場所に進出し好きなものを食べるようになった結果、食性における "種の境界線" が崩壊していたのです。こうなると過度の争いが起き、生態系が崩れてきます。


捕食者の不足


根本原因は2つの不足でした。「捕食者」と「恐怖」です。ゴロンゴーザにおける捕食者は、ライオン、ハイエナ、ヒョウ、チータ、リカオンでしたが、内戦が続いた結果、わずかなライオンを除いて姿を消しました。この結果、草食動物が "恐怖心"、つまり「他の動物の餌食になることを恐れる気持ち」を忘れたのです。


捕食者の役割は獲物をとって食べること、それ以外の側面は最近まで検証されてきませんでした。でもそれでは捕食者の存在意義の過小評価することになります。自然を俯瞰して見れば、捕食者たちが遙かに大きな役割を担っていることが分かります。

天敵の攻撃を避けるには、常に周囲を警戒していなければなりません。そうすることで生き延びるチャンスを増えますが、好きなだけ草を食べることはなかなかできなくなります。天敵のいない環境と比べると、警戒を強いられる環境では栄養状態が劣り、子どもの数も少なくなります。

リアナ・ザネット
ウェスタン大学 生態学者

本来、動物は捕食者の存在を意識し、襲われたときに不利になるような環境や地形を避けて行動範囲を決めています

このことを昆虫で明らかにした実験があります。森の中の草地に2種のネットを設置し、1種のネットにはバッタだけ、もう1種のネットにはバッタとその天敵の蜘蛛をいれます。そうすると、蜘蛛がいるネットのバッタは天敵から身を隠すのに適した植物を食べるので、体が小さくなりました。一方、蜘蛛がいないネットのバッタは、栄養が豊富な植物を食べるので体が大きくなり、繁殖数を増やしました。つまり「捕食されにくい行動」と「子孫を多く残す行動」のトレードオフ関係がみられたのです。



プロジェクトでは、ゴロンゴーザの生態系の荒廃を回復させるため、捕食者の再導入が計画されました。実は25年前、米国のイエローストーン国立公園ににオオカミが再導入され、成果をあげていました(No.126-127「捕食者なき世界」参照)。

しかしゴロンゴーザの動物は、もう何世代も捕食者のいない環境が続いています。果たして、今でも捕食者を恐れる行動をとるのでしょうか。

ゴロンゴーザ 3.jpg
氾濫原に進出したブッシュバック。番組より。

そこでまず、氾濫原のブッシュバックがヒョウの声に反応するかどうかの実験が行われました。ヒョウの声を録音し、氾濫原にスピーカーを設置して、何日かはただの雑音を流し、別の日にヒョウの声を流しました。すると、ヒョウの声でブッシュバックの行動が一変し、生息域を変えてヒョウの声を避けるようになったのです。

声だけで変化を起こせるのなら、本物の捕食者はもっと大きな変化を起こせるはずです。これで捕食者の再導入が決まりました。捕食者として選ばれたのはリカオンです。


リカオンの再導入


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リカオン
(Wikipedia)

リカオンは体にまだら模様があり、格好はイヌに似ています。しかし約150万年前にオオカミから枝分かれしてアフリカ大陸で独自の進化をとげた動物で、イヌやオオカミとは全く別の動物です。その生息数はアフリカ全土で7000頭以下に減少していて、絶滅の危機にあります。リカオンがゴロンゴーザ国立公園で最後に確認されたのは30年以上も前でした。

ゴロンゴーザ国立公園から800キロ離れた南アフリカの動物保護区から、14頭のリカオンが運ばれました。遺伝的な多様性を重視して、これらのリカオンは異なる群から選ばれた14頭です。

14頭のリカオンは、まず、ゴロンゴーザ国立公園に作られた囲いの中で共に過ごしました。この過程で群としての一体感が醸成され、リーダーのリカオンも決まっていきました。そして8週間後、囲いの扉が開けられ、公園に放たれました。

リカオンには発信器がつけられ、行動をつぶさに追跡できます。またブッシュバックにも多くの発信器がつけらています。リカオンとブッシュバックの糞の分析すると何を食べたかが分かる。つまり、リカオンの再導入による生態系の変化が詳細に分析できるのです。その意味で、この再導入は生態学における歴史的な実験です。また、順調にいけば、絶滅危惧種であるリカオンの繁殖につながる可能性もあります。


ゴロンゴーザ国立公園でのリカオン


プロジェクトの努力で、ライオンの生息数は150頭にまで回復していました。ゴロンゴーザにおけるライオンの狩りの基本は「待ち伏せ」です。ライオンは林と氾濫原の間の背の高い草が茂るところに単独で潜み、そこを通る動物を狙うのです。

一方、リカオンの狩りは集団による狩りです。氾濫原のような開けた場所で草食動物を狙います。かつ、リカオンはライオンを避けます。ライオンに殺されることもあるからです。生態系の回復のためには、異なったテリトリーで獲物をねらう複数の捕食者が必要です。

リカオンの群は、平均で1日2頭以上のアンテロープ(ブッシュバックなど)をしとめます。ゴロンゴーザの今の状況では、食べ物に全く困らないはずです。



ゴロンゴーザの14頭のリカオンを追跡する過程で、繁殖が確認できました。まず、11頭の子どもが生まれました。その次には8頭の子どもが生まれました。さらに群の一部が独立して別の群ができ、その別の群でも8頭の子どもが生まれました。ゴロンゴーザのリカオンは、総計40頭以上の2つの群になり、存在感を増しました。

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ゴロンゴーザ国立公園で数を増やしたリカオン。親にまじって子どもが写っている。番組より。

さらに、ライオンがあまり狙わない動物をしとめていることも分かってきました。そのため、動物の警戒心が強くなり、動物の行動が変わりました。

リカオンの糞を分析すると、狩りの獲物の半分以上はブッシュバックだとわかりました。ブッシュバックはいずれ氾濫原から撤退し、今よりも栄養状態が劣るようになると想定できます。プロジェクトの成果は数年経たないと確定できませんが、希望がもてるスタートです。

さらに、プロジェクトのメンバーにとって嬉しい知らせがありました。ゴロンゴーザ国立公園では10年以上目撃されていなかったヒョウが目撃されたのです。それだけ、ゴロンゴーザには自然が残っていたということです。ヒョウは自力で復活を果たすかもしれません。



14頭のリカオンが放たれてから1年後、さらに15頭が到着しました。これはリカオンの遺伝的な偏りを防ぎ、ゴロンゴーザにさらなる "恐怖" をもたらすためです。将来的には他の捕食者の導入も検討されています。


感想


ゴロンゴーザ再生プロジェクトに関わる生態学者、動物学者の地道な努力の積み重ねが印象的でした。たとえば、本文に引用した「ゴロンゴーザとケニアにおける草食動物(5種)の食性の違い」ですが、各種の草食動物の糞を多数に集め、植物のサンプルも大量に集め、それらをDNA分析して、食性の違いを明らかにしています。大変な作業です。こういうことを地道に、かつ定期的にやることが、ゴロンゴーザ再生プロジェクト(リカオンの再導入はその一つ)の成果を、エビデンスとともに示せるということでしょう。

いったん崩れた生態系を元に戻すのは、おいそれとできるものではなく、時間とコストがかかります。しかしそれにチャレンジする学者がいる。そのことが実感できたドキュメンタリーでした。




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