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No.349 - 蜂殺し遺伝子 [科学]

前回の No.348「蚊の嗅覚は超高性能」で、

ある種のウイルスは、宿主(= ウイルスが感染している生物)を "蚊の嗅覚に感知されやすいように" 変化させ、蚊の媒介によるウイルスの拡散が起こりやすくしている

との主旨を書きました。ウイルスの生き残り(ないしはコピーの拡散)戦略は誠に巧妙です。

これは、2022年9月17日の日本経済新聞の記事から紹介したものですが、その1年ほど前の日経新聞にも「ウイルスの巧妙な戦略」の記事があったことを思い出しました。今回はその内容を紹介します。

ウイルスの脅威、競合相手にも
「感染者」横取り阻む
日本経済新聞(2021年8日22日)

と題した記事です。以下の引用は、日経デジタル(2021年8月21日 2:00)からです。


補食寄生


まず、この記事の前提は「補食寄生」です。ほとんどの寄生者は宿主(= 寄生する相手)と共存しますが、補食寄生とは最終的に宿主を殺してしまう寄生です。

エメラルドゴキブリバチ.jpg
エメラルドゴキブリバチの成虫(Wikipedia)
蜂の仲間には補食寄生を行う種が多々ありますが、最も "高度な" 寄生者として「エメラルドゴキブリバチ」が知られています。多くの補食寄生者は特定の1種の昆虫を宿主とします。エメラルドゴキブリバチの宿主は、ゴキブリの1種のワモンゴキブリ(輪紋ゴキブリ)です。日経サイエンス 2021年7月号の記事「エメラルドゴキブリバチは3度毒針を刺す」(K.C.カタニア:バンダービルト大学・米 テネシー州)によると、エメラルドゴキブリバチは次のように行動します。

① エメラルドゴキブリバチのメスは、ワモンゴキブリを見つけると、ゴキブリの腹にある「第1胸神経節」に針を刺し、毒素を注入する。これによってゴキブリの前足が一時的に麻痺する。

② エメラルドゴキブリバチは前足が麻痺したゴキブリの喉から2度目の針を刺し、脳に毒素を注入する。これによってゴキブリは動けなくなる(ゾンビ化する)。

③ ハチはゴキブリを閉じ込めるための適当な穴を探しに出かける。見つけたあと、ゴキブリを引っ張って穴の中に入れる。

④ ハチはゴキブリの「第2胸神経節」に3度目の針を刺し、毒素を注入する。これによってゴキブリの運動神経が活性化し、中足が開く。

⑤ ハチは、開いた中足の関節のつけ根にある薄い膜の上に卵を産みつける。その後、穴から出て石などで蓋をする。

⑥ 孵化した幼虫は、進入可能な唯一の部分である薄い膜を破ってゴキブリの体内に潜り込む。そしてゴキブリの体を食べて成長し、繭を作る。40~60日後に成虫がゴキブリの体から出てくる。

誠に驚くべき "高度な" 補食寄生者です。動きが活発なゴキブリの成虫に寄生する(卵を産みつける)ため、神経毒を3回注入し、しかもそれぞれ目的が違うというのは、ちょっと信じ難いような進化の結果です。

これほどまでの蜂はエメラルドゴキブリバチしか知られていないようです。つまり、ほとんどの補食寄生者はもっと "簡単な" やりかたをします。つまり、寄生する相手は昆虫の、

・ 
・ さなぎ
・ 幼虫(芋虫)

が普通で、動かないものか、動きがにぶいものです。そして日経新聞にあったのは幼虫(芋虫)のケースで、そこに、蜂だけなくウイルスが絡んできます。


蜂殺し遺伝子の発見


以上の「補食寄生」を踏まえて、日本経済新聞 2021年8日22日 の「蜂殺し遺伝子」の話を紹介します。蜂と芋虫の「寄生・被寄生」関係に割って入るウイルスがあるのです。


ガやチョウになる芋虫にとって寄生バチは厄介な存在だ。寄生バチが産みつけた卵からかえった幼虫は芋虫を食べて育ち、やがて巣立っていく。

芋虫とハチの対立だけならよくみる光景だ。東京農工大学の仲井まどか教授らがスペインやカナダの大学などと突き止めたのは、昆虫同士の争いに介入するウイルスの姿だった。

このウイルスは昆虫のみに感染する。芋虫がいなくなれば増殖できない。最大の関心事は「自分が感染する芋虫をいかに生き永らえさせるか」。ハチは目の上のたんこぶだ。

日本経済新聞 
(2021年8日22日)

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アワヨトウの幼虫に卵を産みつける寄生バチ「カリヤコマユバチ」。東京農工大学提供。
日本経済新聞(2021年8日22日)より

ウイルスと芋虫とハチの種が書いてないのですが、当然、昆虫のみに感染する、ある特定のウイルスです。そのウイルスは多種の芋虫に感染するのでしょう。芋虫・ハチの補食寄生の関係は特定の種同士かもしれないが、補食寄生は多くのハチにみられる現象なので、ウイルスが感染した芋虫もハチが卵を産みつける可能性が高い。そう理解できます。


アポトーシス


補食寄生に続く第2のキーワードは「アポトーシス」です。アポトーシスとは、いわば細胞の "自殺" ですが、ウイルスがもたらした遺伝子が、ハチの卵のアポトーシスを引き起こしているようなのです。


ウイルスがいる芋虫では寄生バチの卵や幼虫がなぜか育たない。3者の不思議な力関係は今でこそウイルスの策略だとわかったが、一線の研究者ですらこれまで頭を悩ましてきた。

感染した芋虫の体液から見つかった毒となるたんぱく質は、「アポトーシス」と呼ぶ作用で寄生バチの卵や幼虫を死滅させていた。この毒をつくるのが蜂殺し遺伝子だ。遺伝子が無いと寄生の成功率は上がる。

仲井教授は「蜂殺し遺伝子は進化の過程で芋虫とウイルスを行き来した可能性がある」とみる。

日本経済新聞 
(2021年8日22日)

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芋虫をめぐる2つの寄生者の競争イメージ
日本経済新聞(2021年8日22日)より

よく知られているように、ウイルスは自分の遺伝子を宿主の細胞に送り込み、その遺伝子は細胞が本来持っていなかった "モノ" 作り出します。それは普通、ウイルスの複製ですが、この場合は「寄生バチの卵や幼虫のアポトーシスを引き起こすタンパク質」も作り出す。そう理解できます。

芋虫にとっては「命を奪う寄生バチよりも体調不良で済むウイルスの方がマシ」なのでしょう。またウイルスからすると「助け舟を出しながら、芋虫を増殖に利用するのが狙い」です。仲井教授は仮説としてそう考えています。


進化的軍拡競争


さらに第3のキーワードは「進化的軍拡競争」です。つまり、生物が競争関係や敵対関係になると、互いに相手の形質を上回るような "進化の競争" が始まります。

図4.jpg
「進化的軍拡競争」の例
日本経済新聞(2021年8日22日)より


寄生のように生物同士が敵対関係になると、相手を上回る形質の獲得をめざす「進化的軍拡競争」が起きる。ウイルスは構造が単純で生物と認めない研究者もいるが「寄生バチとウイルスは全く階層が違うモノ同士だが、芋虫という同じ資源を巡って競争関係が生まれた」と仲井教授は話す。

自然界の進化的軍拡競争は一対一の敵対関係で説明されてきた。ウイルスを含む三つどもえの関係が明らかになり、「今後はより複雑な競争関係を論じる必要がある」(国際チーム)。

新たな競争関係の誕生はウイルスの怖さとしたたかさを改めて印象づけた。

感染の脅威なら新型コロナウイルスが明白に物語る。ヒトの細胞に取り付き、機能不全に陥れて健康を脅かす。だが今回、誰かが一線を越えて自らの利益を横取りしようとすれば、「第三者」であっても対抗手段を取り得ることが明らかになった。相手は「感染者」ではない。

日本経済新聞 
(2021年8日22日)

ウイルスと芋虫は、互いにメリットを与え合う「共存関係」にある、と理解できます。


ウイルスと生物


記事の最後には、ウイルスと生物の関係についてのマクロ的な解説があり、安定状態では共存が保たれるが、不安定な競合関係ではウイルスは脅威になるということが説明されていました。


今回の研究には参加していないが、ウイルスに詳しい東京農工大学の水谷哲也教授は「歴史が古いウイルスは理想の感染相手を見つけ、長い付き合いができている」と話す。

ヒトが間に分け入って感染や増殖のための安住の地を侵すと、ヒトとも不安定な関係が生まれる。

マダニが媒介する「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」はヒトでは致死率が1~3割程度だがシカやイノシシは平気だ。SFTSウイルスはマダニにひそむ。マダニがかんだ動物で増え、再びマダニに入る。ウイルスにヒトをあやめる利点はないが、山野を開発して野生生物を危機にさらすヒトとは競合する。

エボラウイルスもコウモリとは良好な関係だが、ヒトでは致死率が最大90%に達する。安定が揺らぐとき、ウイルスは脅威となる。

水谷教授はこうもいう。「新型コロナはまだ理想の相手に会えていないように思う。コウモリかもしれないが、少なくともヒトはいい相手ではない。だから暴れてしまうのではないか」

私たちはウイルスとの一対一の対決に力を注ぎがちだが、ウイルスの策略を知るには多くの生物が織りなす生態系への理解が不可欠だと芋虫の研究は物語っている。(下野谷涼子)

日本経済新聞 
(2021年8日22日)



以下は記事の感想です。この「蜂殺し遺伝子」の話は、前回の No.348「蚊の嗅覚は超高性能」に書いた、東京慈恵会医科大学の近藤教授の発言を思い起こさせます。再掲すると以下です。


昔からウイルス学者の言い伝えになっている言葉は「最も頭の悪いウイルスでも、最も頭のいいウイルス学者より賢い。」

ウイルスは自分の力で増えることができない。必ず寄生しないといけないので、ヒトに寄生しているウイルスは、生存戦略としてヒトの体のことをものすごくよく知っている。我々がいくらヒトの体を研究してても、ウイルスの命がけの戦略にはまだまだ勝てない。

東京慈恵会医科大学 ウイルス学講座 近藤一博教授
「ヒューマニエンス 49億年のたくらみ」より
(NHK BSP 2022年10月4日 22:00~23:00)

「ウイルスの策略を知るには多くの生物が織りなす生態系への理解が不可欠」と、日経新聞の記事の最後にありました。人間のウイルスについての理解は、マクロ的にみると "始まったばかり" か、それが言い過ぎなら "初期段階にある" と言えるのでしょう。




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