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No.339 - 千葉市美術館のジャポニズム展 [アート]

No.224 に引き続いてジャポニズムの話題です。No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」は、2017年に国立西洋美術館で開催された展覧会(= "北斎とジャポニズム" 2017年10月21日~2018年1月28日)の話でしたが、先日、千葉市美術館で「ジャポニズム ── 世界を魅了した浮世絵」と題する企画展が開かれました(2022年1月12日~3月6日)。見学してきたので、それについて書きます。

ジャポニズム展 ちらし.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(ちらし)

以下、引用などで『図録』としてあるのは、この展覧会のカタログです。

ジャポニズム展 図録.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(図録)


ジャポニズムを通して浮世絵を見る


『図録』の最初に、この展覧会の主旨を書いた文章が載っていました。それを引用します(段落を増やしたところがあります。また下線や太字は原文にはありません)。


浮世絵の魅力とはなんであろうか。この展覧会は、視覚的に浮世絵を見慣れてきた我々、特に日本人が無意識に感受しているその表現の特性を明らかにすることを主眼としている

周知のように、19世紀後半に至り、日本の鎖国は解かれ、欧米へと大量の文物がもたらされるようになる。それは視覚的驚きを持って迎え入れられ、幻想と言っても良いレベルの日本への憧れをも伴いつつ、ジャポニズムという熱狂的な動向を導いた。

とりわけ浮世絵版画は、古典主義、ロマン主義の中で形骸化しつつあった西洋絵画の表現に、新たな可能性を示したと言える。ジャポニズムの画家たちの作品を通して、西洋が浮世絵に初めて出会ったときの印象や感動を追体験できないだろうか。もはや潜在意識の中に埋もれようとしている浮世絵の特徴や魅力を、改めて意識し再認識しようというのが、本展の主旨である。

「ジャポニズムを通して浮世絵を見る」
田辺 昌子
(千葉市美術館 副館長、学芸課長)
展覧会の『図録』より

「日本文化とはなにか」という問いに答えるためには、日本文化を熟知していたとしても不足です。「日本文化でないもの」を知らないといけない。同様に「浮世絵とは何か」という質問に答えるためには、文化的伝統の全く違う絵を熟知している必要がある。その例として、19世紀後半に浮世絵に初めて接した欧米の画家がある。彼らの目に浮世絵がどう映ったかを感じることで、浮世絵の特徴や魅力を再認識しよう、というわけです。

我々は浮世絵をあまりに見慣れてしまっているので、何が特徴なのか、価値はどこにあるのかが分からなくなっています。そう断言するのは言い過ぎかもしれないが、分からなくなっている危惧がある。その "慣れきった" 感覚や感性をリフレッシュさせたい。そういう企画だと理解しました。この展覧会の英語タイトルは、

Ukiyoe wiewed through Japonisme

で、直訳すると「ジャポニズムを通してみた浮世絵」です。これが企画の主旨を一言で表しているのでした。さらに上の引用の少しあとで、田辺氏は次のように書いています。


明治時代後期より古い浮世絵の販売に携わり、大正期には「新版画」の版元として名を残す渡邊庄三郎(1885-1962)は、日本に残された浮世絵版画は全体の百分の一ぐらいだろうと言っていたという。

田辺 昌子「同上」
展覧会の『図録』より

江戸時代の浮世絵は明治初期に大量に海外へ流出しました。二束三文で売られたものも多いようです。輸出品の緩衝材として使われたというような話もありました。上の引用にある渡邊庄三郎の推測によると、浮世絵の 99% は海外にあるわけです(散逸も含めて)。この流出が何を意味するかと言うと、

あまりに見慣れたものは、価値がどこにあるのかが分からない以前に、そもそも価値があることすら分からない

ということだと思います。この企画展はそういうことも感じさせるものでした。


展覧会の構成


本展覧会は次の8つの切り口で構成されていました(『図録』の解説に沿って記述)。

① 大浪のインパクト
② 水の都・江戸 ─ 橋と船
③ 空飛ぶ浮世絵師 ─ 俯瞰の構図
④ 形・色・主題の抽象化
⑤ 黒という色彩
⑥ 木と花越しの景色
⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪
⑧ 母と子の日常

の8つです。このうち ① は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が西欧の画家に与えたインパクトです。このブログでも No.156「世界で2番目に有名な絵」で(絵画にとどまらない)影響の例をあげました。もちろん、北斎に続く日本の絵師に与えた影響も大きかったわけです。本展では大波を描いた北斎の別の作品もありました。

葛飾北斎「総州 銚子」.jpg
葛飾北斎
千絵の海 総州銚子
(千葉市美術館蔵)

「千絵の海」は、各地の漁をテーマとし、自然と人間の営みを描いた10図からなるシリーズです。この絵は大波に翻弄されながらも漁をする漁師を描いている点で「神奈川沖浪裏」との共通部分がありますが、空を全く描かない構図や泡立つような波頭の表現に、北斎の工夫というか、"革新を目指す姿勢" が現れています。



③ の「空飛ぶ浮世絵師」とは不思議な言い方ですが、要するに、

現実に見ることはできない "上空の視点" から、風景や事物を俯瞰した構図で描いた絵

です。「鳥の目」で描いた作品と言ってもよいでしょう。これが浮世絵の特徴だと言われると、なるほどと納得できます。その例を2作品、引用します。

歌川広重「両国花火」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 両国花火
(山口県立萩美術館・
浦上記念館)

歌川広重「大はしあたけの夕立」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 大はしあたけの夕立
(ホノルル美術館)

「大はしあたけの夕立」はゴッホが模写したことで有名です。一見して分かるように「雨を画題にし、雨を線で描く」という浮世絵の特徴を表していて、これは本展の「⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪」のテーマにもなっていました。それもあって、我々はこの絵の「雨の表現」に注目しがちです。

しかし作品のもう一つの特色は、上空から橋(= 新大橋)と川(= 隅田川)を描くという「俯瞰の構図」なのですね。これもなるほどという感じがしました。

考えてみると、日本美術には俯瞰構図の伝統があります。源氏物語絵巻のような「吹抜ふきぬき屋台」(= 天井を描かずに室内を上からの構図で描く技法)や、多数描かれた「洛中洛外図屏風」がそうだし、雪舟の国宝「天橋立図」などは、現代人でさえ(ヘリコプターにでも乗らない限り)見ることができない構図で描かれています。そのため、浮世絵の絵師の俯瞰構図も我々にとっては違和感がありません。北斎の富嶽三十六景の(いわゆる)「赤富士」も、特に "俯瞰構図だ" ということを気に止めることは皆無です。

一方、西欧の風景画を振り返ってみると「鳥の目」で描かれたような風景画は思い当たらないのです。つまり、浮世絵の構図はジャポニズムの画家にとっては目新しいものだった。

本展覧会では、アンリ・リヴィエールの習作(セーヌ河とエッフェル塔)がありました。しかし、浮世絵の絵師とは少々違います。『図録』の解説にも、ジャポニズムの画家の俯瞰構図は「画家自身が何か高い建物にいるとの想定を感じさせ、現実感のある描写の範囲に収めようとしているように見える点は、日本の絵師との違いを感じさせる」とありました。



そのほかの、

・ 
・ 並木ごしの風景
・ 
・ 母と子の日常

などのテーマは、国立西洋美術館で開催された「北斎とジャポニズム展」(No.224)と共通のものです。「母と子の日常」では、喜多川歌麿「行水」とメアリー・カサットの母と子のデッサンが対比されていましたが、No.187「メアリー・カサット展」に、歌麿とカサットの版画「湯浴み」を並べて引用しました。



以降は、浮世絵の展示における「従来あまりなかった切り口」という意味で、「⑤黒という色彩」を中心に紹介します。


黒という色彩


田辺副館長は『図録』の解説で次のように書いています。


油絵において黒というのは扱いの悪い色である。多く立体感を重んじてきた西洋画の伝統的描写では、黒を単色で用いればくっきりと悪目立ちし、他の色と混ぜれば沈みすぎることがあって冴えない。

一方で絵も文字も墨が基調であり、平面性を美徳とする日本では、黒は形を明確に表現する輪郭線であり、彩色される色であり、常に絵師が意識する色である。色数が限られ、平面的な色の構成によって成立する浮世絵版画においては一番の利き色であり、特に色面として使われる場合は、最もインパクトのある色となる

田辺 昌子『図録』
第5章「黒という色彩」より

その黒を "利き色" につかった鈴木春信の2作品と、それと対比されていたヴァロットンとロートレックの作品を引用します。

鈴木春信「夜の梅」.jpg
鈴木春信
夜の梅
メトロポリタン美術館

ヴァロットン「外出」.jpg
フェリックス・ヴァロットン
外出
プーシキン美術館

鈴木春信の作品は、夜の漆黒の闇を表現する黒が強烈で、梅・振り袖・欄干の赤系の色の対比が目を引く作品です。

ヴァロットンの作品は木版画です。夜に外出するという、何らかのストーリーがありそうな場面ですが、最小限のシンプルな線と "白黒画像の対比の美" を感じる作品になっています。

鈴木春信「雪中相合傘」.jpg
鈴木春信
雪中相合傘
メトロポリタン美術館

ディヴァン・ジャポネ.jpg
アンリ・ロートレック
ディヴァン・ジャポネ
ジマーリ美術館

春信の作品は、雪の中の恋仲の男女を描いた有名な作品です。雪の白を基調とした画面の中に、男女の着物の黒と白の対比が際だっています。

ロートレックの作品は、「ディヴァン・ジャポネ」(=日本の長椅子の意味)という店名のカフェ・コンセール(ショーを見せる飲食店、ないしは音楽酒場)の開店ポスター(リトグラフ)です。舞台と楽団をバックに、中央にドンと描かれた実在のダンサー、ジャンヌ・アヴリルの量感が黒で表現されています。



こうしてみると「色彩としての黒」が浮世絵の特色であることが理解できます。そして、この文化的伝統を引き継いだ後世の日本画家も当然ながら「黒」を効果的に使います。すぐに思い出すのは、長年のあいだ所在不明で近年発見された、鏑木かぶらき清方(1875-1949)の「築地明石町」(1927)です。本展とは関係ありませんが画像を引用しておきます。

築地明石町.jpg
鏑木清方
築地明石町
東京国立近代美術館


マネ「エミール・ゾラの肖像」


いったん本展覧会を離れます。「黒という色彩」と「ジャポニズム」の2つの接点で思い出す絵があります。エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」です(No.295「タンギー爺さんの画中画」に画像を掲載)。

マネ「エミール・ゾラの肖像」.jpg
エドゥアール・マネ
エミール・ゾラの肖像」(1868)
オルセー美術館

画題になっているエミール・ゾラの衣装が黒です。そして、この絵の画中画の一つが歌川国明の「大鳴門灘右エ門」ですが、まさに鏑木清方の「築地明石町」のように「黒い羽織を着た人物(=力士)」が描かれているのですね。この黒の使い方は浮世絵の典型と言ってよいでしょう。

歌川国明「大鳴門灘右エ門」.jpg
初代 歌川国明
大鳴門灘右エ門」(1860)

この「エミール・ゾラの肖像」について、昭和音楽大学の宮崎教授が日本経済新聞に次のように書いていました。


19世紀 日本ブームの裾野 十選(4)
マネ「エミール・ゾラの肖像」
昭和音楽大学教授 宮崎克己

日本経済新聞 2022年5月3日

画家エドワール・マネ、そして友人の文学者ゾラはいずれも、19世紀パリ市民たちの生活を生々しく描いた。画中の屏風、浮世絵はマネの所蔵だったと確認されているが、ゾラも日本美術を愛好していた。明治元年にあたる1868年に描かれたこの絵は、日本の物がこの時すでに生活環境の一部だったことを示している。

ゾラは、この時代に登場し、躍進した百貨店を舞台にした長編小説「ボヌール・デ・ダム」において、世界中から集められた魅力的な品々の中で、日本物は当初小さな台で売られるにすぎなかったのが、4年後には大きなスペースを占め、多くの客を魅惑するようになる様子を点景として描いた。

マネはもともと黒を色として画面に導入し、それによって画中の他の色を際立たせようとしていたのだが、その黒が日本の浮世絵の影響で、陰影のない完全に平坦へいたんな面になる。それが意識的だったことは、この絵においてゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っていることから推測できる。色彩としての黒、そして平坦な色面は、絵画のジャポニスムの中で、以後重要な課題となっていった。


この引用にあるように、マネは「黒という色彩」の卓越した使い手です。「ベルト・モリゾの肖像」(オルセー美術館)とか「死せる闘牛士」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)といった、黒が大変印象的な作品があります。

その黒の使い方を誰かから学んだとしたら、一つはマネが尊敬するベラスケスでしょう(No.36「ベラスケスへのオマージュ」参照)。「エミール・ゾラの肖像」にもベラスケスの絵が画中画として描かれていました。

もうひとつは、オランダの画家、フランス・ハルスです。マネはオランダ旅行をしたあとに "ハルス風" の絵を描いてます(No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」参照)。確かゴッホは手紙の中で「ハルスは10種類の黒を使い分けている」という主旨のことを書いていたと思います("10種類"というのはウロ覚えです)。

そしてさらに「色彩としての黒」を学んだとしたら、それが浮世絵なのでしょう。「大鳴門灘右エ門」に描かれた黒い羽織は、我々にとってそういう色使いがあたりまえであるため、言われてみないと気付かないのです。

そして宮崎教授が上の引用で指摘している「ゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っている」というのはまさに図星であって、そういう風に構図が意図されているのだと思いました。マネが親友・ゾラの後方に「大鳴門灘右エ門」を描き込んだのは、単なる浮世絵へのオマージュではなく、さらに深い意味があると理解できました。


喜多川歌麿の「両国橋納涼」


話を本展覧会に戻します。「② 水の都・江戸 ─ 橋と船」のテーマで展示されていた浮世絵の一つが、喜多川歌麿の「両国橋納涼」でした。一度、見たいと思っていた作品でしたが、初めて実物を目にすることができました。

喜多川歌麿「両国橋納涼」.jpg
喜多川歌麿
両国橋納涼
メトロポリタン美術館

「大判錦絵6枚続き」という、超豪華な大画面です。「大判錦絵3枚続き」はよく見ますが、それを上下に組み合わせた "滅多に見かけない" 構成の浮世絵です。

描かれているのは浮世絵の定番の画題である橋、船、女性ですが、それらがギッシリと詰め込まれていて、まさに "テンコ盛り" 状態です。遠方に小さく別の橋まで描かれていますが、これは両国橋より南側の新大橋でしょう(広重の「大はしあたけの夕立」の橋)。

ここで注目したいのは、上半分の「大判錦絵3枚続き」です。そもそも "続絵" は一枚にしても鑑賞できるものです。この絵もそうなるように、各枚には女性が3人づつ描かれています(その他、子どもや町人もいる)。そして ・・・・・・(これ以降の話は本展覧会とは関係ありません)



この「一枚に女性3人を描いた3枚続き」という構図が、ジャポニズムの観点から、ある作品を連想させます。アンリ・マティスの「三姉妹」(バーンズ・コレクション所蔵)です(No.95「バーンズ・コレクション」の Room 19 West Wall 参照)。このことは、No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」にも書きました。

Barnes Collection Room19 West Wall.jpg
アンリ・マティス
三姉妹(3連作)」(1917)
バーンズ・コレクション
(Room 19 West Wall)

「縦長のカンヴァスに3人の女性を描き、それが3連作になっている」作品です。単に「3人の女性を描いた絵」なら、ギリシャ神話を題材とする西洋絵画の定番モティーフ、"三美神" を意識したとも考えられるでしょう。実際にそういう絵が他の画家にあります。しかしこの作品は "三美神の3連作" です。こういった作例は、こと西洋絵画においては、後にも先にもこのマティス作品しかないと思います。

マティスが「両国橋納涼」を見たことがあるのかどうかは分かりません。ただ、喜多川歌麿は「1枚に女性3人を描いた3枚続き」という作品を他にも描いているし、ほかの絵師の浮世絵にもあります。マティスはそういった浮世絵のどれかが念頭ににあって、バーンズ・コレクション所蔵の作品を描いたのではないでしょうか。



ともかく、喜多川歌麿の「両国橋納涼」を鑑賞できたというのことは、私にとって思い出深いものになりました。




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No.338 - がん進化論にもとづく治療戦略 [科学]

No.336 と No.337 の続きです。No.336「ヒトはなぜ "がん" になるのか」No.337「がんは裏切る細胞である」は、

がんは体内で起きる細胞の進化である

という知見にもとづき、新たな治療方法の必要性を述べた2つの本を紹介したものでした。この2書に共通していたのは新たな方法である「適応療法」で、この療法を始めたアメリカの医師、ゲイトンビー(Robert Gatenby)の研究が紹介されていました。そのゲイトンビー本人による論文が2年前の日経サイエンスに掲載されました。

「がん進化論にもとづく治療戦略」
  J.デグレゴリ(コロラド大学)
  R.ゲートンビー(モフィットがんセンター)
日経サイエンス 2020年5月号

日経サイエンス 2020-5.jpg
日経サイエンス
2020年5月号
です。今回はこの内容を紹介します。No.336、No.337 と重複する部分が多々あるのですが、「進化論にもとづくがん治療」をそもそも言い出した研究者の発言は大いに意味があると思います。

注意点は、この論文がもともと「Scientific American 2019年8月号」に掲載されたものだということです(原題は "Darwin's Cancer Fix")。がん治療の研究は日進月歩であり、約3年前の論文ということに留意する必要があります。

とはいえ、進化論にもとづくがん治療のキモのところが端的に解説されていて、「がんとは何か」の理解が進むと思います。以下の引用では段落を増やしたところがあります。また、下線や太線は原文にはありません。


治癒困難ながん


まず論文は、前立腺がんを例に「治癒困難ながん」の説明がされています。


米国では年間に3万1000人を超える男性が、骨やリンパ節などへの転移がある前立腺がんと診断される。患者の多くは経験豊富な熟練の腫瘍医の治療を受けるだろう。前立腺がんの治療には52種類の薬が承認されており、使用できる。それでも最終的にはその 3/4 を超える患者がこの病で命を落とすことになる。

身体に広がってしまった転移がんが治癒することはまれだ。有効な治療薬があるのに患者が助からない理由はいろいろあるが、そのすべては1859年にダーウィン(Charles Darwin)が鳥やカメの種の盛衰の説明として発表したある考えに帰する。「進化」だ。

「がん進化論にもとづく治療戦略」
J.デグレゴリ(コロラド大学)
R.ゲートンビー(モフィットがんセンター)
日経サイエンス 2020年5月号

補足しますと、一般に前立腺がんは進行が遅く、かつ、PSAマーカー検査という有力な発見方法があります。ざっと言うと、転移を伴うステージ4になる前に治療をすれば、5年生存率は90%程度で、"治りやすいがん" と言えるでしょう。しかし、転移を伴うステージ4になると完全治癒は難しくなる。5年生存率は 50% を切り、上の引用にあるように 3/4 の人が命を失うことになります。

つまり著者が論文の筆頭にあげているのは「現代医学で比較的対処がしやすいがんでも、治癒が難しい、あるいは治癒できないケースがある」ということです。後の方にも何回か出てきますが、著者の問題意識は、こういったケースにどう対応するかです。あるいは、治癒不能に至らないようにどうするかです。


がんと進化


上の引用の最後でダーウィンの「進化」が出てきますが、有名なガラパゴス諸島に生息するフィンチ(小鳥の一種)を例に説明されています。


がん細胞をダーウィンのガラパゴスフィンチに例えよう。フィンチのくちばしは島々で微妙に異なっている。フィンチは種子を食べるが、種子の形やその他の特徴は島によって違う。ある島の種子に最も適したくちばしを持つ鳥は最も多くの食物を手に入れ、最も多くの子孫をもうけた。そしてその子孫もまた、同じ形のくちばしを受け継いだ。くちばしがそれほど適応していない鳥はそうはいかなかった。

この自然選択によって、くちばしの異なる様々なフィンチの種が各島で進化した。ここで重要なのは、2つの生物集団が同じ狭い空間で競争するとき、環境に適合した方が勝ち残るという点だ。

「同上」

ガラパゴス島のフィンチで起こったことと同じ力学が、体内の細胞の間で起こっているというの著者の考えです。


がん細胞も同じように進化する。正常組織ではがんでない普通の細胞がよく育つ。それは普通の細胞の方が周囲の健康な組織から受け取る生化学的な増殖因子や栄養素、物理的シグナルにうまく適合しているからだ。変異によってがん細胞が生じても、そのような環境にうまく適応していない細胞は初めは生き残れる見込みがあまりない。正常な細胞が資源競争に勝利するからだ。

しかし、周囲で炎症(がんの増殖自体が炎症を引き起こすこともある)や加齢によるダメージが増えると形勢が逆転し、がん細胞はそれまで自分たちを追いやっていた正常細胞を打ち負かすようになる。周囲の変化が最終的にがん細胞の命運を決定するのだ。

私たちはこれを「適応発がん」と呼んでおり、この説を裏付ける証拠も見いだしている。動物実験で細胞環境を変化させると、がん細胞は内部の機能に変化がなくても増殖を加速し始める。人間でも、炎症性腸疾患のような組織を傷める病気でこのようながんの加速が観察されている。

つまり、細胞の内部の変異だけに注目するよりも、その周囲の環境に目を向けた方ががんをよく理解できると思われる。炎症などによる組織の変化を抑えると、環境をより正常な状態に戻すことができ、私たちが動物実験で示したように、がんが競争力を獲得するのを防げる。

「同上」

がん細胞と正常細胞は体内で競争をしていて、がんの発生はその競争のあり方に依存しています。進化論によると個体の変異はランダムに起こりますが、その個体が生き残って子孫を残すかどうかは環境によって決まる(= 自然選択)。がんも同様です。上の引用に「細胞の内部の変異だけに注目するよりも、その周囲の環境に目を向けた方ががんをよく理解できる」とあるところがポイントです。

さらに体内では正常細胞とがん細胞が競争しているだけでなく、腫瘍の中において、抗がん剤が効く細胞(= 感受性がある細胞)と抗がん剤が効かない細胞が競争をしています。


化学療法は脅威を一掃するために大量の抗がん剤を使う。初めのうちはたいてい効いているように見える。腫瘍は縮小し、消えたりもする。しかしその後、再発し、かつてがん細胞を殺していた薬剤に抵抗力を持つようになる。作物を食い荒らす虫が殺虫剤への抵抗性を進化させるように。

著者の1人(ゲートンビー)は前立腺がん患者を対象とした臨床試験でこの焦土作戦に代わる手段を試みた。抗がん剤の投与量を腫瘍の縮小に必要十分な量にとどめ、がん細胞を完全には殺さないようにした。抗がん剤が効く(感受性のある)がん細胞をある程度維持しておくのが狙いだ。感受性細胞は望ましくない新しい特性(抗がん剤耐性)を持つがん細胞が腫瘍を乗っ取るのを防いでくれた。通常であれば13カ月で腫瘍が制御不能な増殖を始める患者グループに対し、この処方は標準用量の半分以下で平均34カ月間がんを抑えている。

「同上」

この引用に書かれているのが「適応療法」です。ここまでで著者の論文の全体が要約されています。以降は、さらに詳細な説明です。


がんの環境要因と予防


著者は、環境要因でがんが発生するプロセスを述べ、その環境要因を研究することが予防につながるという見通しを述べています。


医師やがん研究者に「加齢や喫煙、放射線被曝がどうしてがんにつながるのか」と尋ねれば、素っ気ない答えが返ってくるだろう。「変異を引き起こすから」。この考えは部分的には正しい。タバコの煙や放射線は確かにDNAに変異を引き起こすし、年齢が進めば変異は細胞に蓄積する。変異は細胞に新たな特性を付与し、細胞分裂を促す増殖信号を過剰に生じ、細胞死を抑えたり、周囲の組織に浸潤する能力を高めたりもする。

しかし、細胞の内部の変化だけに注目したこの単純な説明は、ある事実を見落としている。1つの細胞にせよ人間のような細胞の集まりにせよ、進化を促す主要因はその外、つまり細胞の周辺環境にあるという点だ。

「同上」

ダーウィンは「限られた資源をめぐる競争は、環境に最も適した形質を持つ個体の選択につながる」と唱えました。著者はがんの研究をするうちに、ダーウィンが唱えた「進化を加速する力」と「がんの発生や抗がん剤に対する患者の反応」の間に類似性があることに気づきました。


例えばがん研究では一般に、発がん性の変異は常にそれを獲得したがん細胞に有利に働くと考えられてきた。しかし私たちが仕事をしていて気づいたのは古典的な進化の原則だった。変異それ自体は生物にプラスにもマイナスにもならない。変異の影響はむしろ置かれた環境によって変わる。ダーウィンフィンチでは、くちばしの形自体に "優れた" ものが存在するのではなく、特定の条件で特定のくちばしが生存に有利になる。

同様に、遺伝子に生じた発がん性変異はがん細胞に先天的な優位性を付与するわけではなく、変異によって周囲の資源を利用しにくくなるような場合には不利にもなりえると私たちは考えた。

また、古生物学者のエルドリッジ(Niles Eldredge)とグールド(Stephen Jay Gould)の「断続平衡説」からもヒントを得た。化石記録において多くの生物種は何百万年にもわたって安定した特性を維持しているが、劇的な環境変化があったときにだけ突然、急速に進化するとエルドリッジらは指摘している。

「同上」

化石研究から分かったことは、生物は「劇的な環境変化があったときに急速に進化する」ということです。環境が安定しているときに急激に進化することはない。では、正常細胞やそれが変異したがん細胞にとっての「劇的な環境変化」は何かというと、その最たるものが「抗がん剤による治療」なのです。このことは後に出てきます。


私たちはそこからある考えを思いついた。ある組織が最初は変異した細胞に適していなくても、その組織に喫煙者の肺に見られる損傷や炎症のような変化が生じると、それが進化的変化を促し、ときに発がんにつながるのではないか。

このダイナミクスが働いている実例として私たちが最初に観察したのは、加齢に伴う骨髄の変化が白血病を引き起こすことだった。デグレゴリのコロラド大学の研究室での老齢および若齢マウスを使った研究で、現在はエモリー大学に所属するヘンリー(Curtis Henry)と現在モフィットがんセンターに所属するマルシク(Andriy Marusyk)は、マウスのいくつかの造血幹細胞に同じ発がん変異を導入した。その結果、同じ発がん変異が動物の年齢によって細胞の運命にまったく異なる影響を与えうることがわかった。この変異は老齢マウスでは導入した細胞の増殖を促進したが、若齢マウスでは促進しなかった。

そして、それを決定する要因は変異した細胞の内部ではなく周囲の正常な細胞の代謝と遺伝子の活性にあるようだった。例えば老齢マウスの骨髄の正常な幹細胞では細胞の分裂と増殖に重要な遺伝子群の活性が低下しているのだが、発がん変異を導入した細胞ではこれが回復した。しかし、これらの幹細胞を助けた変異は、マウスに悪影響をもたらした。造血幹細胞は通常、免疫系の重要な細胞を作り出すが、発がん変異を持つ細胞集団の爆発的増加は白血病につながった。

一方、若齢マウスの組織中の若い健康な幹細胞はもともと増殖能力とエネルギー消費が環境からの供給とちょうどつり合っていた。そのため発がん変異を導入した幹細胞が変異のない幹細胞よりも優位になることはなかった。変異した細胞集団は増殖しなかった。若い組織はそのままの状態ですでに腫瘍を生じにくい環境にあるのだ。

「同上」

以上のような知見をもとに、著者はがんの予防における環境要因の研究が重要なことを力説しています。


それがなぜ重要なのか。喫煙や変異を誘発する物事を避けるなどしてある程度の変異は回避できるが、生涯を通じて私たちの身体の細胞に蓄積する変異の多くは避けることができない。しかし、このように改めて組織環境に焦点を当てれば、がんを抑制する道が開ける。加齢や喫煙などで生じた組織変化を元に戻せば、変異した細胞が優位になるのを防げるだろう。それでも変異は起こるだろうが、変異した細胞が有利になる可能性はだいぶ低くなり、数が増えることはなくなる。

もちろん、老化を止めたり逆行させる若さの泉のようなものは存在しない。運動やバランスのとれた食事、禁煙などすべきことをすれば、身体の組織をよりよい状態に維持できる。それがさしあたり私たちにできる最良の戦略かもしれない。しかし、がんの増殖のカギを握る組織環境要因がわかれば、それらを変えて腫瘍を抑えることができるはずだ。

実際、私たちはマウスの実験で、老齢マウスで炎症を起こしたり組織を傷つけるタンパク質の活性を抑えると、発がん変異を持つ細胞は増殖せず、正常な細胞が優勢を維持することを示した。

「同上」

ここまでの研究は、すべてマウスで行ったものです。しかし、マウスで成功したからと言ってヒトでうまくいくとは限りません。しかも、引用にある「炎症」は人体に備わった免疫応答の一部です。炎症を押さえることでがんの予防につながるかもしれないが、たとえば感染予防の機能が低下することが当然考えられます。「私たちは慎重に進まなければならない」と著者は書いています。


がんの治療戦略:病害虫対策から学ぶ


がんは細胞の進化のプロセスであるという考え方にもとづくと、がん治療につきまとう "薬剤耐性" というやっかいな問題を回避できる可能性がでてきます。それは、農業における病害虫との戦いの歴史から学ぶことでわかります。


1世紀以上にわたって、殺虫剤メーカーは新製品を次々と発売してきたが、病害虫はいつも耐性を進化させてきた。そしてようやくメーカーは、大量の殺虫剤を畑に散布して病害虫の根絶を図ることが問題を悪化させているのに気づいた。原因は「競合解放」と呼ばれる進化的プロセスだ。

畑にいる虫の大集団では、どの個体も食物と空間をめぐって絶えず競争を続けている。そして個々の虫は、がん細胞がそうであるように、みな同じではない。実際、殺虫剤への感受性を含めほぼすべての形質は集団内で必ず個体差が見られる。大量の殺虫剤を散布(あるいは抗がん剤を大量投与)すれば、農家(あるいは腫瘍医)は大部分の虫(あるいはがん細胞)を殺せるだろう。

しかし少数の虫(あるいはがん細胞)は、そうした薬剤にやられにくい形質を持っている。そして抵抗力の非常に弱い個体(細胞)が排除されると抵抗力を持つものが増え始める。

この状況を何とかするため考えられたのが殺虫剤の使用を抑える「総合的病害虫管理」という農業戦略だ。病害虫の根絶を目指すのではなく、病害虫を抑制して作物の被害を低減できる程度に農薬の散布量を減らすことで、競合解放が起こらないようにする。こうすることで、害虫の殺虫剤への感受性は維持される。

「同上」

実は、医学界はすでに同様の教訓を抗生物質で学んできました。抗生物質の使用と耐性菌の発生という悪循環の繰り返しを止めるには、抗生物質の過剰な使用をやめなければならない。これが教訓です。しかし同じ医学界でも、がん治療の分野ではこういった教訓が生かされていないのです。


かつて大量の殺虫剤を畑に散布していた農家のように、医師は現在もがんが進行するまで「最大耐用量(MTD)」の抗がん剤を患者に投与し続けるのが一般的だ。ほぼすべての抗がん剤は身体の正常組織にダメージを与える。そしてこうした副作用は患者にとってまったく望ましくないものであり、命にかかわることさえある。MTDは、患者を殺すか耐え難い副作用を引き起こす一歩手前の用量で薬を投与することを意味する。

同じ治療を“進行するまで”続けるのは、従来の治療の奏功の判定基準が腫瘍サイズの変化にもとづいているからだ。腫瘍が縮小すれば薬剤が効いているとみなし、腫瘍が大きくなれば治療を中止する。

ほとんどの患者や医師にとって、できるだけ多くのがん細胞を殺せるよう致死的な薬剤を最大耐用量で容赦なく投与する治療は、最良の戦略のように思える。しかし害虫や感染症の対策と同様、治癒不能ながんにおいては、この戦略は進化論的には賢明とはいえない。耐性がん細胞の増殖を実際に加速する一連の事象を引き起こすからだ

「同上」

この引用の最後に「治癒不能ながんにおいては、この戦略(= 最大耐用量を投与)は進化論的には賢明とはいえない」とあるように、著者の眼は治癒不能ながんに向けられています。そこでは現在の標準的な方法は賢明ではないのです。

ではどうするか。それは農家がやっている「総合的病害虫管理」と同様の方法であり、望ましくない集団(= 病害虫・がん)を一定レベル以下に押さえる治療戦略(= 適応療法)です。その考え方、実験、臨床試験結果が述べられています。


適応療法



進化にもとづいた戦略では、1カ月間の抗がん剤治療後に腫瘍の大きさが 50% 縮小した患者に対して抗がん剤を中止する。この方法は、過去の経験から今ある治療法(化学療法、ホルモン療法、手術、免疫療法)ではがんを治せないことがわかっている患者に対してだけ用いる。治癒が望めない以上、できるだけ長い間、腫瘍の増殖と転移を食い止めることが目標となる。

投薬を中止することで、抗がん剤に感受性のあるがん細胞を多く残す。すると腫瘍は再び増殖し、最終的に元のサイズに戻る。しかしこの再増殖期間中は抗がん剤を使わないため、腫瘍細胞の大部分は依然として耐性を持たず抗がん剤が有効となる。つまり、制御可能な感受性細胞を使って、制御不能な耐性細胞の増殖を抑制するわけだ。

この方法なら結果的に、最大耐用量で抗がん剤を連続投与する従来法よりもはるかに長い期間、腫瘍を抑制しておけるだろう。そのうえ用量をかなり減らすので、毒性がはるかに少なく、生活の質も上がる。
「同上」

ここでも著者は「過去の経験から今ある治療法ではがんを治せないことがわかっている患者に対してだけ用いる」との前提条件をつけています。適応療法と従来療法を比較した分かりやすい絵が論文に載っていました。

従来法と適応療法.jpg

この図で茶色は抗がん剤に感受性をもつ(=抗がん剤が効く)がん細胞、緑色は抗がん剤に耐性をもつがん細胞を示す。

上段の従来法では、進行がんの治療に「焦土作戦」がとられ、患者が耐えられる最大耐用量の抗がん剤で腫瘍を攻撃する。しかし、生き残ったがん細胞は抗がん剤に耐性を持っており、焦土になった中で増殖して手が付けられなくなる。

それに対して下段が適応療法で、抗がん剤の用量を減らし、資源獲得競争において感受性細胞が耐性細胞を負かすように仕向ける。これによって腫瘍が完全な耐性を進化させるのを防ぐ。


ゲートンビーの研究室は数理モデルとコンピューターシミュレーションを使ってこのアプローチの研究を2006年に始めた。数理モデルががんの治療計画で使われることはほとんどなかったが、考えられる治療方法が何通りもあったため、成功する可能性が高い方法を数理的に絞り込むという、物理学でよく用いられている手法が必要となった

このモデルから、試験する薬剤の用量が決まった。その用量をマウスの実験で試した結果、進化にもとづいた戦略で腫瘍抑制が大きく改善されうることが確認された。

結果は非常によく、私たちは臨床へ、人間のがん患者を対象とした試験へ進んだ。モフィットがんセンターの腫瘍医で前立腺がん患者を診ているチャン(Jingsong Zhang)がこの取り組みに加わった。チャンほか複数の数学者と進化生物学者の協力を得て、私たちは前立腺がん細胞の治療中の進化動態のモデルを開発した。

私たちはこのモデルを使用して抗がん剤の各投与量に対する前立腺がんの反応をシミュレートした。そしてこのシミュレーションを何度も繰り返した末、耐性細胞の数を増やすことなく最も長くがんを抑えられる一連の投与量を特定した。

次に、ほかの部位にすでに転移が起きている(身体から完全に排除できない)進行前立腺がん患者たちに臨床試験の被験者になってもらった。これまでのところ、素晴らしい結果が得られている。

参加した18人のうち11人はまだ治療が続いている。標準治療で進行前立腺がんを抑制していられる期間は平均約13カ月なのに対し、私たちの臨床試験では平均で少なくとも34カ月だ。患者の半数以上がまだ実際に治療を続けているので、もっと延びる可能性もある。さらに、この腫瘍抑制効果は標準治療に使われる用量のわずか40%で得られている。

「同上」

この引用あるように、著者は、

・ 前立腺がん細胞の治療中の進化モデルを開発し
・ モデルを使用して抗がん剤の投与量に対する前立腺がんの反応をシミュレートし
・ そのシミュレーションを繰り返して最も長くがんを抑えられる一連の投与量を特定して

適応療法を行ったわけです。きわめて綿密な作戦のもとに治療を行ったことがうかがえます。この結果、引用のように良好な結果が得られました。しかし著者は、

・ 進化にもとづく治療戦略はまだ揺籃期
・ 前立腺がんでうまくいっていったからといって、胃がんなどでも有効かどうかはわからない

と、慎重にコメントしています。また、「最良の策がなるだけ多くのがん細胞を殺すことではなく、必要最小限を殺すことだ」と患者に納得してもらうのは、たとえ治癒不能ながん患者であったとしても難しいこともあるでしょう。こういった患者の心理的な障壁の解決も課題になります。


がん抑制に向けて


がんは、どうしようもなく複雑で異様な力を持つ存在に映ります。原因がはっきりしないことが多いうえに、非常に強力で毒性の強い抗がん剤治療にも打ち勝って再発する能力を備えているからです。

実際、1世紀以上にわたり「すべての正常細胞はそのままにすべてのがん細胞を排除できる特効薬」が研究・開発されてきましたが、がんは進化を利用してこうした薬剤をかわしてきました。

しかし逆に、がんが他のすべての生命システムと同様に進化のルールに従うという理解にたてば、がんを抑制する手段がありうるのです。そして、たとえ完全治癒はしなくても、がんの進化について学んだことを活かして戦略的な治療を行えば、最良の結果を得られるでしょう。さらに、がん細胞よりも正常細胞が有利になるように体内の組織環境を整える "予防戦略" も開発できそうです。がん細胞だけでなく、私たちも進化を利用できるのです。



以上が論文の内容です。冒頭の「治癒不能な前立腺がん」の話にもあったように、著者の問題意識は「標準治療では治癒できない(= 生存率が低い)ケースにどう対応するか」に向けられています。決して標準治療を否定するとか、抗がん剤を否定するとか、そういったものではありません。

治癒不能とされるケースでも、治療のやり方を見直すことで、完全治癒はできないかもしれないが、がんを人間のコントロール配下におき、患者にとっての最良の道を見つけたい。そういう主旨だと理解できます。そのベースになっているのが「"進化" の視点で生命現象を観察する」ことなのです。

紹介した論文の原題は "Darwin's Cancer Fix" です。名詞形での表現ですが、動詞形にして直訳すると「ダーウィンががんを治療する」でしょう。「およそすべての生命現象を研究するときには進化の視点が欠かせない」という意味のことを、20世紀の著名な生命科学者が言ったと記憶しますが、この原題はそのことを示唆しているのでした。




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