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No.339 - 千葉市美術館のジャポニズム展 [アート]

No.224 に引き続いてジャポニズムの話題です。No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」は、2017年に国立西洋美術館で開催された展覧会(= "北斎とジャポニズム" 2017年10月21日~2018年1月28日)の話でしたが、先日、千葉市美術館で「ジャポニズム ── 世界を魅了した浮世絵」と題する企画展が開かれました(2022年1月12日~3月6日)。見学してきたので、それについて書きます。

ジャポニズム展 ちらし.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(ちらし)

以下、引用などで『図録』としてあるのは、この展覧会のカタログです。

ジャポニズム展 図録.jpg
ジャポニズム
世界を魅了した浮世絵
(図録)


ジャポニズムを通して浮世絵を見る


『図録』の最初に、この展覧会の主旨を書いた文章が載っていました。それを引用します(段落を増やしたところがあります。また下線や太字は原文にはありません)。


浮世絵の魅力とはなんであろうか。この展覧会は、視覚的に浮世絵を見慣れてきた我々、特に日本人が無意識に感受しているその表現の特性を明らかにすることを主眼としている

周知のように、19世紀後半に至り、日本の鎖国は解かれ、欧米へと大量の文物がもたらされるようになる。それは視覚的驚きを持って迎え入れられ、幻想と言っても良いレベルの日本への憧れをも伴いつつ、ジャポニズムという熱狂的な動向を導いた。

とりわけ浮世絵版画は、古典主義、ロマン主義の中で形骸化しつつあった西洋絵画の表現に、新たな可能性を示したと言える。ジャポニズムの画家たちの作品を通して、西洋が浮世絵に初めて出会ったときの印象や感動を追体験できないだろうか。もはや潜在意識の中に埋もれようとしている浮世絵の特徴や魅力を、改めて意識し再認識しようというのが、本展の主旨である。

「ジャポニズムを通して浮世絵を見る」
田辺 昌子
(千葉市美術館 副館長、学芸課長)
展覧会の『図録』より

「日本文化とはなにか」という問いに答えるためには、日本文化を熟知していたとしても不足です。「日本文化でないもの」を知らないといけない。同様に「浮世絵とは何か」という質問に答えるためには、文化的伝統の全く違う絵を熟知している必要がある。その例として、19世紀後半に浮世絵に初めて接した欧米の画家がある。彼らの目に浮世絵がどう映ったかを感じることで、浮世絵の特徴や魅力を再認識しよう、というわけです。

我々は浮世絵をあまりに見慣れてしまっているので、何が特徴なのか、価値はどこにあるのかが分からなくなっています。そう断言するのは言い過ぎかもしれないが、分からなくなっている危惧がある。その "慣れきった" 感覚や感性をリフレッシュさせたい。そういう企画だと理解しました。この展覧会の英語タイトルは、

Ukiyoe wiewed through Japonisme

で、直訳すると「ジャポニズムを通してみた浮世絵」です。これが企画の主旨を一言で表しているのでした。さらに上の引用の少しあとで、田辺氏は次のように書いています。


明治時代後期より古い浮世絵の販売に携わり、大正期には「新版画」の版元として名を残す渡邊庄三郎(1885-1962)は、日本に残された浮世絵版画は全体の百分の一ぐらいだろうと言っていたという。

田辺 昌子「同上」
展覧会の『図録』より

江戸時代の浮世絵は明治初期に大量に海外へ流出しました。二束三文で売られたものも多いようです。輸出品の緩衝材として使われたというような話もありました。上の引用にある渡邊庄三郎の推測によると、浮世絵の 99% は海外にあるわけです(散逸も含めて)。この流出が何を意味するかと言うと、

あまりに見慣れたものは、価値がどこにあるのかが分からない以前に、そもそも価値があることすら分からない

ということだと思います。この企画展はそういうことも感じさせるものでした。


展覧会の構成


本展覧会は次の8つの切り口で構成されていました(『図録』の解説に沿って記述)。

① 大浪のインパクト
② 水の都・江戸 ─ 橋と船
③ 空飛ぶ浮世絵師 ─ 俯瞰の構図
④ 形・色・主題の抽象化
⑤ 黒という色彩
⑥ 木と花越しの景色
⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪
⑧ 母と子の日常

の8つです。このうち ① は葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が西欧の画家に与えたインパクトです。このブログでも No.156「世界で2番目に有名な絵」で(絵画にとどまらない)影響の例をあげました。もちろん、北斎に続く日本の絵師に与えた影響も大きかったわけです。本展では大波を描いた北斎の別の作品もありました。

葛飾北斎「総州 銚子」.jpg
葛飾北斎
千絵の海 総州銚子
(千葉市美術館蔵)

「千絵の海」は、各地の漁をテーマとし、自然と人間の営みを描いた10図からなるシリーズです。この絵は大波に翻弄されながらも漁をする漁師を描いている点で「神奈川沖浪裏」との共通部分がありますが、空を全く描かない構図や泡立つような波頭の表現に、北斎の工夫というか、"革新を目指す姿勢" が現れています。



③ の「空飛ぶ浮世絵師」とは不思議な言い方ですが、要するに、

現実に見ることはできない "上空の視点" から、風景や事物を俯瞰した構図で描いた絵

です。「鳥の目」で描いた作品と言ってもよいでしょう。これが浮世絵の特徴だと言われると、なるほどと納得できます。その例を2作品、引用します。

歌川広重「両国花火」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 両国花火
(山口県立萩美術館・
浦上記念館)

歌川広重「大はしあたけの夕立」.jpg
歌川広重
名所江戸百景 大はしあたけの夕立
(ホノルル美術館)

「大はしあたけの夕立」はゴッホが模写したことで有名です。一見して分かるように「雨を画題にし、雨を線で描く」という浮世絵の特徴を表していて、これは本展の「⑦ 四季に寄り添う ─ 雨と雪」のテーマにもなっていました。それもあって、我々はこの絵の「雨の表現」に注目しがちです。

しかし作品のもう一つの特色は、上空から橋(= 新大橋)と川(= 隅田川)を描くという「俯瞰の構図」なのですね。これもなるほどという感じがしました。

考えてみると、日本美術には俯瞰構図の伝統があります。源氏物語絵巻のような「吹抜ふきぬき屋台」(= 天井を描かずに室内を上からの構図で描く技法)や、多数描かれた「洛中洛外図屏風」がそうだし、雪舟の国宝「天橋立図」などは、現代人でさえ(ヘリコプターにでも乗らない限り)見ることができない構図で描かれています。そのため、浮世絵の絵師の俯瞰構図も我々にとっては違和感がありません。北斎の富嶽三十六景の(いわゆる)「赤富士」も、特に "俯瞰構図だ" ということを気に止めることは皆無です。

一方、西欧の風景画を振り返ってみると「鳥の目」で描かれたような風景画は思い当たらないのです。つまり、浮世絵の構図はジャポニズムの画家にとっては目新しいものだった。

本展覧会では、アンリ・リヴィエールの習作(セーヌ河とエッフェル塔)がありました。しかし、浮世絵の絵師とは少々違います。『図録』の解説にも、ジャポニズムの画家の俯瞰構図は「画家自身が何か高い建物にいるとの想定を感じさせ、現実感のある描写の範囲に収めようとしているように見える点は、日本の絵師との違いを感じさせる」とありました。



そのほかの、

・ 
・ 並木ごしの風景
・ 
・ 母と子の日常

などのテーマは、国立西洋美術館で開催された「北斎とジャポニズム展」(No.224)と共通のものです。「母と子の日常」では、喜多川歌麿「行水」とメアリー・カサットの母と子のデッサンが対比されていましたが、No.187「メアリー・カサット展」に、歌麿とカサットの版画「湯浴み」を並べて引用しました。



以降は、浮世絵の展示における「従来あまりなかった切り口」という意味で、「⑤黒という色彩」を中心に紹介します。


黒という色彩


田辺副館長は『図録』の解説で次のように書いています。


油絵において黒というのは扱いの悪い色である。多く立体感を重んじてきた西洋画の伝統的描写では、黒を単色で用いればくっきりと悪目立ちし、他の色と混ぜれば沈みすぎることがあって冴えない。

一方で絵も文字も墨が基調であり、平面性を美徳とする日本では、黒は形を明確に表現する輪郭線であり、彩色される色であり、常に絵師が意識する色である。色数が限られ、平面的な色の構成によって成立する浮世絵版画においては一番の利き色であり、特に色面として使われる場合は、最もインパクトのある色となる

田辺 昌子『図録』
第5章「黒という色彩」より

その黒を "利き色" につかった鈴木春信の2作品と、それと対比されていたヴァロットンとロートレックの作品を引用します。

鈴木春信「夜の梅」.jpg
鈴木春信
夜の梅
メトロポリタン美術館

ヴァロットン「外出」.jpg
フェリックス・ヴァロットン
外出
プーシキン美術館

鈴木春信の作品は、夜の漆黒の闇を表現する黒が強烈で、梅・振り袖・欄干の赤系の色の対比が目を引く作品です。

ヴァロットンの作品は木版画です。夜に外出するという、何らかのストーリーがありそうな場面ですが、最小限のシンプルな線と "白黒画像の対比の美" を感じる作品になっています。

鈴木春信「雪中相合傘」.jpg
鈴木春信
雪中相合傘
メトロポリタン美術館

ディヴァン・ジャポネ.jpg
アンリ・ロートレック
ディヴァン・ジャポネ
ジマーリ美術館

春信の作品は、雪の中の恋仲の男女を描いた有名な作品です。雪の白を基調とした画面の中に、男女の着物の黒と白の対比が際だっています。

ロートレックの作品は、「ディヴァン・ジャポネ」(=日本の長椅子の意味)という店名のカフェ・コンセール(ショーを見せる飲食店、ないしは音楽酒場)の開店ポスター(リトグラフ)です。舞台と楽団をバックに、中央にドンと描かれた実在のダンサー、ジャンヌ・アヴリルの量感が黒で表現されています。



こうしてみると「色彩としての黒」が浮世絵の特色であることが理解できます。そして、この文化的伝統を引き継いだ後世の日本画家も当然ながら「黒」を効果的に使います。すぐに思い出すのは、長年のあいだ所在不明で近年発見された、鏑木かぶらき清方(1875-1949)の「築地明石町」(1927)です。本展とは関係ありませんが画像を引用しておきます。

築地明石町.jpg
鏑木清方
築地明石町
東京国立近代美術館


マネ「エミール・ゾラの肖像」


いったん本展覧会を離れます。「黒という色彩」と「ジャポニズム」の2つの接点で思い出す絵があります。エドゥアール・マネの「エミール・ゾラの肖像」です(No.295「タンギー爺さんの画中画」に画像を掲載)。

マネ「エミール・ゾラの肖像」.jpg
エドゥアール・マネ
エミール・ゾラの肖像」(1868)
オルセー美術館

画題になっているエミール・ゾラの衣装が黒です。そして、この絵の画中画の一つが歌川国明の「大鳴門灘右エ門」ですが、まさに鏑木清方の「築地明石町」のように「黒い羽織を着た人物(=力士)」が描かれているのですね。この黒の使い方は浮世絵の典型と言ってよいでしょう。

歌川国明「大鳴門灘右エ門」.jpg
初代 歌川国明
大鳴門灘右エ門」(1860)

この「エミール・ゾラの肖像」について、昭和音楽大学の宮崎教授が日本経済新聞に次のように書いていました。


19世紀 日本ブームの裾野 十選(4)
マネ「エミール・ゾラの肖像」
昭和音楽大学教授 宮崎克己

日本経済新聞 2022年5月3日

画家エドワール・マネ、そして友人の文学者ゾラはいずれも、19世紀パリ市民たちの生活を生々しく描いた。画中の屏風、浮世絵はマネの所蔵だったと確認されているが、ゾラも日本美術を愛好していた。明治元年にあたる1868年に描かれたこの絵は、日本の物がこの時すでに生活環境の一部だったことを示している。

ゾラは、この時代に登場し、躍進した百貨店を舞台にした長編小説「ボヌール・デ・ダム」において、世界中から集められた魅力的な品々の中で、日本物は当初小さな台で売られるにすぎなかったのが、4年後には大きなスペースを占め、多くの客を魅惑するようになる様子を点景として描いた。

マネはもともと黒を色として画面に導入し、それによって画中の他の色を際立たせようとしていたのだが、その黒が日本の浮世絵の影響で、陰影のない完全に平坦へいたんな面になる。それが意識的だったことは、この絵においてゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っていることから推測できる。色彩としての黒、そして平坦な色面は、絵画のジャポニスムの中で、以後重要な課題となっていった。


この引用にあるように、マネは「黒という色彩」の卓越した使い手です。「ベルト・モリゾの肖像」(オルセー美術館)とか「死せる闘牛士」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)といった、黒が大変印象的な作品があります。

その黒の使い方を誰かから学んだとしたら、一つはマネが尊敬するベラスケスでしょう(No.36「ベラスケスへのオマージュ」参照)。「エミール・ゾラの肖像」にもベラスケスの絵が画中画として描かれていました。

もうひとつは、オランダの画家、フランス・ハルスです。マネはオランダ旅行をしたあとに "ハルス風" の絵を描いてます(No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」参照)。確かゴッホは手紙の中で「ハルスは10種類の黒を使い分けている」という主旨のことを書いていたと思います("10種類"というのはウロ覚えです)。

そしてさらに「色彩としての黒」を学んだとしたら、それが浮世絵なのでしょう。「大鳴門灘右エ門」に描かれた黒い羽織は、我々にとってそういう色使いがあたりまえであるため、言われてみないと気付かないのです。

そして宮崎教授が上の引用で指摘している「ゾラの黒いジャケットが右後ろの相撲絵の黒い羽織と向き合っている」というのはまさに図星であって、そういう風に構図が意図されているのだと思いました。マネが親友・ゾラの後方に「大鳴門灘右エ門」を描き込んだのは、単なる浮世絵へのオマージュではなく、さらに深い意味があると理解できました。


喜多川歌麿の「両国橋納涼」


話を本展覧会に戻します。「② 水の都・江戸 ─ 橋と船」のテーマで展示されていた浮世絵の一つが、喜多川歌麿の「両国橋納涼」でした。一度、見たいと思っていた作品でしたが、初めて実物を目にすることができました。

喜多川歌麿「両国橋納涼」.jpg
喜多川歌麿
両国橋納涼
メトロポリタン美術館

「大判錦絵6枚続き」という、超豪華な大画面です。「大判錦絵3枚続き」はよく見ますが、それを上下に組み合わせた "滅多に見かけない" 構成の浮世絵です。

描かれているのは浮世絵の定番の画題である橋、船、女性ですが、それらがギッシリと詰め込まれていて、まさに "テンコ盛り" 状態です。遠方に小さく別の橋まで描かれていますが、これは両国橋より南側の新大橋でしょう(広重の「大はしあたけの夕立」の橋)。

ここで注目したいのは、上半分の「大判錦絵3枚続き」です。そもそも "続絵" は一枚にしても鑑賞できるものです。この絵もそうなるように、各枚には女性が3人づつ描かれています(その他、子どもや町人もいる)。そして ・・・・・・(これ以降の話は本展覧会とは関係ありません)



この「一枚に女性3人を描いた3枚続き」という構図が、ジャポニズムの観点から、ある作品を連想させます。アンリ・マティスの「三姉妹」(バーンズ・コレクション所蔵)です(No.95「バーンズ・コレクション」の Room 19 West Wall 参照)。このことは、No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」にも書きました。

Barnes Collection Room19 West Wall.jpg
アンリ・マティス
三姉妹(3連作)」(1917)
バーンズ・コレクション
(Room 19 West Wall)

「縦長のカンヴァスに3人の女性を描き、それが3連作になっている」作品です。単に「3人の女性を描いた絵」なら、ギリシャ神話を題材とする西洋絵画の定番モティーフ、"三美神" を意識したとも考えられるでしょう。実際にそういう絵が他の画家にあります。しかしこの作品は "三美神の3連作" です。こういった作例は、こと西洋絵画においては、後にも先にもこのマティス作品しかないと思います。

マティスが「両国橋納涼」を見たことがあるのかどうかは分かりません。ただ、喜多川歌麿は「1枚に女性3人を描いた3枚続き」という作品を他にも描いているし、ほかの絵師の浮世絵にもあります。マティスはそういった浮世絵のどれかが念頭ににあって、バーンズ・コレクション所蔵の作品を描いたのではないでしょうか。



ともかく、喜多川歌麿の「両国橋納涼」を鑑賞できたというのことは、私にとって思い出深いものになりました。




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