No.340 - 中島みゆきの詩(20)キツネ狩りの歌 [音楽]
今回は「中島みゆきの詩」シリーズの続きですが、No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」の中で一部を引用した《キツネ狩りの歌》を取り上げます。この詩は、数ある中島作品の中でも最も "不思議な" というか、解釈にとまどう詩の一つだと思うからです。
キツネ狩りの歌
《キツネ狩りの歌》は、7作目のオリジナルアルバム「生きていてもいいですか」(1980)第3曲として収録されている楽曲で、その詩は次のようです。
《キツネ狩りの歌》をめぐる3つの層
この詩の解釈ですが、「タイトル」「寓話」「象徴」の3つの層で考えてみたいと思います。
まず第1は「タイトル」です。"キツネ狩り" が何を意味するかですが、言葉をそのまま素直に受け取ると、これはイギリス伝統のキツネ狩り(Fox hunting)でしょう。イギリスの貴族が赤い派手な狩猟服を着込み、多数の猟犬を引きつれて、馬を駆って野生のキツネを追いたてる。銃は使わず、あくまで馬と猟犬でキツネを追い詰め、最後はキツネが猟犬に食い殺される ・・・・・・。いわゆる "スポーツ・ハンティング" の一種ですが、イギリスでは動物愛護の精神にもとる残酷な行為ということで2004年に禁止されました。
ということは、《キツネ狩りの歌》が発表された当時(1980年)では堂々と行われていたということになります。ちなみに《キツネ狩りの歌》の曲は、トランペットのファンファーレのような響きで始まります。これは実際のキツネ狩りで合図に使われるラッパ(Fox hunting horn)を模したように聞こえます。
第2の層は「寓話」で、それも日本の民話か昔話風のものです。日本では昔からキツネやタヌキが "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承があります。その一方で、キツネに関しては "神獣・霊的動物" として敬う伝統もある(全国にある稲荷神社が典型)。その "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承の中に、次のような骨子の民話がなかったでしょうか(タヌキを例にとります)。
このような骨子の話を読んだ記憶があります。どこだったか思い出せないのですが、ともかく、こういったたぐいの(= これに近いストーリーの)民話はいかにもありそうです。《キツネ狩りの歌》にある、
などの表現から感じるのは「民話・昔話仕立ての寓話」という雰囲気です。
第3の層は「象徴」です。「キツネ狩り」や、その他、この詩に現れるさまざまな言葉が "何かの象徴になっている" という雰囲気です。思い出すのが《あぶな坂》です。
《あぶな坂》は、中島さんの第1作のアルバムである「私の声が聞こえますか」(1976)の第1曲です。当時、中島さんは24歳ですが、詩の内容は新進気鋭のシンガーソングライターのファーストアルバムの第1曲とはとても思えないほど不思議で、異次元的で、一種異様な感じがしないでもない。
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」ではこの詩を「象徴詩」という文脈でとらえました。つまり「あぶな坂」「坂」「越える」「橋」「こわす」「なじる」「落ちる」などの言葉は、何らかの象徴になっているわけです。当然、作者がこの詩を書いたときの "思い" はあるのだろうけれど、象徴である以上、聴く人がどう受け取るかは自由である。そういった詩です。思い返すと、中島さんは「中島みゆき 全歌集」の序文に、次のように書いていました。
「私一人のものでしかない」のだけれど「すでに私のものではない」という二面性を綴った文章です。平たく言うと「詩を書いたときの思いやこだわりはあるのだけれど(それは作者一人の全く個人的なものだけれど)、詩をどう受け取るかは受け取る側の解釈に任されている」ということでしょう。これは「中島みゆき 全歌集」全体についての文章ですが、《あぶな坂》はまさにそういう感じの詩になっています。
《キツネ狩りの歌》も同じでしょう。キツネ狩りという「イギリス貴族の遊び」を背景に「寓話仕立ての詩」を作り上げていますが、そこに配置されている数々の言葉は、総体として "何かの" 象徴になっている。それが何かは、受け取る側の解釈に依存している ・・・・・・。そういうことだと思います。
では、"何かの" 象徴だとすると、それは何でしょうか。受け手としては解釈の自由があるわけで、それを考える上で参考にしたいのが、この詩を読む(ないしは楽曲として聴く)たびに連想する童話、宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。
宮沢賢治「注文の多い料理店」
「注文の多い料理店」は、宮沢賢治の生前に出版された唯一の童話集である『注文の多い料理店』(大正13年。1924)の9編の中の1つです。童話集のタイトルになっていることから、賢治にとっては "思いのこもった" 作品なのでしょう。
以下にあらすじを書きますが、この童話は "ミステリー仕立て" です。従って本来、あらすじや結末を明かすべきではないとも思いますが、非常に有名な作品なので、引用とともに書くことにします。まず、冒頭は次のように始まります。
主人公は2人の紳士です。上の引用では分かりませんが、2人は東京からやってきたことが最後に明かされます。その2人がイギリス風の格好をして山にやってきた。どの山とは書いていませんが、宮沢賢治の故郷、岩手(賢治の言い方だとイーハトヴ)の山を想定するのがよいでしょう。その山奥で地元の猟師をガイドとして雇ってスポーツ・ハンティングをする。そういった情景です。
ところが上の引用の最後にあるように、2人の紳士はガイドの猟師とはぐれてしまった。戻ろうとしますが、戻り道が分からなくなります。そしてふと見ると、立派な西洋風の家があったのです。その玄関に近づくと、表札がかかっていました。
2人はホッとして、ちょうどよかった、ここで食事をしようと玄関の扉に近づくと、そこには、
との掲示がありました。玄関をあけると扉の内側には、
とあります。中は廊下になっていて、進むとまた扉があり、
とあります。その扉の内側には、
とありました。さらに廊下は続き、次の扉には、
と書いてあります。廊下と扉はさらに続きます。それぞれの扉には、
と、順に書いてありました。さらに次の扉には、
とあり、その裏側には、
とあります。2人はこれらの注文について、それぞれに合理的な理由を考え、一応のところ納得した上で従ってきました。この次からは宮沢賢治の文章を引用します。
2人は逃げだそうと入ってきた扉を開けようとしますが、扉は堅く閉まっていて動きません。おまけに前方の扉のかぎ穴からは、2つの目玉が2人の方を覗いています。
その時です。後ろの扉を突き破って、あの白熊のような2匹の犬が飛び込んできました。かぎ穴の目玉はたちまちなくなり、2匹の犬は前の扉に飛びつきます。扉は開き、犬はその中に駆け込んでいきました。
2人はやっと安心し、猟師の持ってきた団子を食べました。そして東京へと帰っていきました。しかし、恐怖で紙屑のようにくしゃくしゃになった2人の顔は元の通りにはなりませんでした。
都市文明への反感
宮沢賢治は童話集『注文の多い料理店』の出版にあたって、宣伝のためのちらしを書いています。 "『注文の多い料理店』新刊案内" と題したものですが、その中で童話「注文の多い料理店」について次のようにあります。
その通りなのでしょう。都市文明とそこに暮らす富裕層を代表するのが、東京からイーハトーヴにやってきた2人の紳士です。イギリス風の(つまり日本ではあまり見かけない)狩猟服に身を包み、地元の猟師(= 生活の糧として猟をする人)を雇ってガイドにつけ、スポーツ・ハンティングをする。鹿の横腹に銃弾を命中させればクルクルまわってドタッと倒れる、それが痛快だなどと話しています。
しかしそんな富裕層の紳士も、ガイドを見失い、山猫軒の "親方"(経営者のことを宮沢賢治は "親方" と書いています)の策略で無防備な姿にされ、我が身の危機が迫っていると分かると、恐怖に顔をひきつらせて泣き叫ぶだけなのです。「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました」などの "戯画的" な表現は、文明の力、金の力で強そうにしている人間も、その内実は中身のない自立できない人間であり、それが真実の姿であるといったところでしょう。
それを徹底的に揶揄したような話の組み立てが、賢治の言う「都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感」だと思います。もっと大きな構えで言うと、都会と地方、文明と自然の対立であり、権力や資産に乏しい「地方・自然」サイドからの「都会・文明」への反撃が「注文の多い料理店」だと思います。
ただ、根底がそうだとしても、この童話には物語としての工夫があります。それは料理店サイドから客に注文を次々出すという、少々奇想天外なストーリーです。また、親方の策略は "やりすぎ" が高じてボロが出て、それを子分に批判されるのもちょっと予想外の展開です。"策に溺れる" と言ったらいいのでしょうか。さらに物語のクライマックスでは、すべてが霧散解消し、話の全体は2人の紳士が見た幻影のような書き方がされています。都市文明と富裕層への反感とは言いながら、これらの点が不思議な魅力を物語に与え、名作とされているのだと思います。
連想の理由
《キツネ狩りの歌》から「注文の多い料理店」を連想するのには理由があります。まず、
という作品の基本的なコンセプトが非常に似ていることです。これは一目瞭然でしょう。さらに共通するのは、ちょっと意外なキーワードとしての、
です。キツネ狩りはイギリスの伝統だし、「注文の多い料理店」の冒頭の最初の文章には "イギリス" が出てきます。そこには「イギリスの兵隊のかたちをして」とありますが、この「兵隊」はイギリスの近衛兵だと想定します。つまり、バッキンガム宮殿で見かける赤い軍服の兵隊です。これはキツネ狩りで貴族が着込む狩猟服にそっくりです。この共通する "イギリス" は偶然なのでしょうか。
付け加えるなら、「注文に多い料理店」は "言葉の多義性" あるいは "ダブル・ミーニング" を巧みに取り入れた童話です。タイトルの「注文」がそうだし、上の引用中にある「すぐたべられます」も、日本語では「可能」と「受け身」が同一表現(レル・ラレル)ということを利用したダブル・ミーニングになっています。このような多義性を利用することは、まさしく中島さんが詩を書く上で得意とするところです。宮沢賢治の「注文の多い料理店」は "中島みゆき好み" の作品という気がします。
中島さんが《キツネ狩りの歌》を書くときに「注文の多い料理店」が念頭にあったのか、ないしは意識したのか、それは分かりません。しかし、受け手には "解釈の自由" があります。その前提で、「注文の多い料理店」を念頭に置いて《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるかです。
「キツネ狩りの歌」の主題
「注文の多い料理店」を "補助線" として《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるでしょうか。それを簡潔に言うと、
という "警句" と考えたいと思います。ここで "享楽" としたのは「酒」「乾杯」などの言葉が詩にあるからです。
「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比は、それを具体化すると、大きなものから小さなものまで、社会のさまざまな側面にあるでしょう。「富める者」と「貧しい者」もそうだし、「男性社会」における「弱い立場としての女性」と考えてもよい。最も大きくとらえれば「文明化を押し進める人類」と、それによって「収奪される自然環境」です。
ここで《キツネ狩りの歌》が「生きていてもいいですか」というアルバムの収録曲だという点から考えてみます。"生きていてもいいですか" という表現は、アルバムの第7曲である《エレーン》の詩の中に出てきます。つまり《エレーン》がアルバム「生きていてもいいですか」のタイトル・チューンになっている。その《エレーン》は、中島みゆきさんの知り合いだった外国人娼婦をモデルにした曲です。この女性のことは、小説集「女歌」の中の「街の女」に書かれていて、最後は惨殺されるという衝撃的な話です。ちょうどキツネ狩りにおけるキツネのように ・・・・・・。
また、アルバムの最終曲は「異国」で、詩には "二度と来るなと唾を吐く町 / 私がそこで生きてたことさえ / 覚えもないねと町が云うなら / 臨終の際にもそこは異国だ" といったたぐいの表現に満ちています。この詩が《エレーン》と関係していることは明白でしょう。
といったことから考えると、《キツネ狩りの歌》の「犠牲になるもの」は「弱い立場としての女性」かつ「社会のアウトサイダー」と受け取るのが最もしっくりきます。アルバムの最初の曲が「うらみ・ます」で、そこには "ふられたての女くらい だましやすいものはないんだってね / あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの" という、一度聴いたら忘れられないフレーズがあって、それはアルバム全体におけるの "女性の視点" を強調しているようです。
とはいえ、中島さんの詩を "狭く受け取る" と誤解してしまうことがあります。《キツネ狩りの歌》はあくまで「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比という構図でとらえ、具体的に何を想定するかは多様な解釈ができるとしておくのがよいのでしょう。
ただ、一つ確実に言えることは《キツネ狩りの歌》で強く感じる、キツネを狩る人 = 力を過信して行動する人に対するシニカルな目です。浮かれていると自滅しますよ、墓穴を掘ることになりますよ、誰も助けてくれないけどいいんですか ・・・・・ というような「突き放した見方」を感じる。
中島さんの詩には「小さなもの」や「弱い存在」、「マイナーなもの」「疎外されたもの」の側に立って、世の中の真実を見据えた作品がいろいろあります。この詩もその一つでしょう。それをシニカルに言語化した作品、それが《キツネ狩りの歌》だと思います。
おそらく、宮沢賢治をリスペクトする文学者やアーティスト、クリエーターは大変多いと想像されます。中島さんがその一人であっても何の不思議もありません。しかし中島さんは、単にリスペクトするだけでなく、宮沢賢治にインスパイアされた作品を作っているのですね。夜会「24時着 0時発」(2004年初演)です。
この作品の基本テーマは、題名の「24時着 0時発」=「1日の終わりは始まり」=「地球の自転」で明確なように "永劫回帰" であり、それはすでに『時代』で示されているものです。そして、この作品のもう一つ発想の源泉が『銀河鉄道の夜』です。YAMAHA のサイトでの「24時着 0時発」(DVD作品)の紹介コピーは次のようになっています。
『銀河鉄道の夜』を愛するアーティストは多数いるでしょうが、それをもとに作品まで作った人はそう多くはないと思います。何となく、中島さんの "宮沢賢治愛" が伝わってくるような感じがする。
だとすると、《キツネ狩りの歌》が『注文の多い料理店』を踏まえているというのは、単なる憶測を超えていると思います。
中島みゆきさんが、夜会「24時着 0時発」と宮沢賢治との関係を語った発言があるので、それを紹介します。以下の内容はすべて、Webサイト「中島みゆき研究所」からのものです。この個人サイトを運営されている阿部忠義氏に感謝します。
2011年10月29日、NHK BSプレミアムで「宮沢賢治の音楽会 ~ 3.11との協奏曲 ~」が放映されました。内容は「中島みゆき研究所」の解説によると、
です。その "中島みゆきのコメント"(声の出演) が以下です。
"企画の途中で宮沢賢治と同じだと気づいた" との主旨を語っておられますが、これは本当なのでしょうか。ひょっとしたら、初めから『銀河鉄道の夜』へのオマージュを作りたかったのでは、とも思いました。とにかく、中島さんの "宮沢賢治愛" を感じざるを得ないコメントであることは確かだと思います。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
キツネ狩りの歌
《キツネ狩りの歌》は、7作目のオリジナルアルバム「生きていてもいいですか」(1980)第3曲として収録されている楽曲で、その詩は次のようです。
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中島みゆき 「生きていてもいいですか」(1980) |
(画像は表と裏のジャケット) |
① うらみ・ます ② 泣きたい夜に ③ キツネ狩りの歌 ④ 蕎麦屋 ⑤ 船を出すのなら九月 ⑥ ~インストゥルメンタル~ ⑦ エレーン ⑧ 異国 |
《キツネ狩りの歌》をめぐる3つの層
この詩の解釈ですが、「タイトル」「寓話」「象徴」の3つの層で考えてみたいと思います。
まず第1は「タイトル」です。"キツネ狩り" が何を意味するかですが、言葉をそのまま素直に受け取ると、これはイギリス伝統のキツネ狩り(Fox hunting)でしょう。イギリスの貴族が赤い派手な狩猟服を着込み、多数の猟犬を引きつれて、馬を駆って野生のキツネを追いたてる。銃は使わず、あくまで馬と猟犬でキツネを追い詰め、最後はキツネが猟犬に食い殺される ・・・・・・。いわゆる "スポーツ・ハンティング" の一種ですが、イギリスでは動物愛護の精神にもとる残酷な行為ということで2004年に禁止されました。
ということは、《キツネ狩りの歌》が発表された当時(1980年)では堂々と行われていたということになります。ちなみに《キツネ狩りの歌》の曲は、トランペットのファンファーレのような響きで始まります。これは実際のキツネ狩りで合図に使われるラッパ(Fox hunting horn)を模したように聞こえます。
第2の層は「寓話」で、それも日本の民話か昔話風のものです。日本では昔からキツネやタヌキが "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承があります。その一方で、キツネに関しては "神獣・霊的動物" として敬う伝統もある(全国にある稲荷神社が典型)。その "別のものに化ける" ないしは "人を化かす" という伝承の中に、次のような骨子の民話がなかったでしょうか(タヌキを例にとります)。
数人の仲間と一緒に、野山にタヌキ狩りに出かけた。運良くタヌキをしとめ、それをタヌキ汁にして食べようとした。仲間たちが鍋と火の準備をしているが、何だか様子がおかしい。ふと見ると、仲間の後ろ姿から尻尾がのぞいている。実は "仲間" はタヌキが化けたもので、自分を鍋で食べようとしていたのだ。恐怖に駆られて一目散に逃げ出した。里の近くで本当の仲間と合流したが、自分の慌てた姿を見て怪訝な顔をされた ・・・・・・。
このような骨子の話を読んだ記憶があります。どこだったか思い出せないのですが、ともかく、こういったたぐいの(= これに近いストーリーの)民話はいかにもありそうです。《キツネ狩りの歌》にある、
ただ生きて戻れたら、ね | |
妙にひげは長くないか | |
グラスあげているのがキツネだったりするから |
などの表現から感じるのは「民話・昔話仕立ての寓話」という雰囲気です。
第3の層は「象徴」です。「キツネ狩り」や、その他、この詩に現れるさまざまな言葉が "何かの象徴になっている" という雰囲気です。思い出すのが《あぶな坂》です。
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《あぶな坂》は、中島さんの第1作のアルバムである「私の声が聞こえますか」(1976)の第1曲です。当時、中島さんは24歳ですが、詩の内容は新進気鋭のシンガーソングライターのファーストアルバムの第1曲とはとても思えないほど不思議で、異次元的で、一種異様な感じがしないでもない。
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」ではこの詩を「象徴詩」という文脈でとらえました。つまり「あぶな坂」「坂」「越える」「橋」「こわす」「なじる」「落ちる」などの言葉は、何らかの象徴になっているわけです。当然、作者がこの詩を書いたときの "思い" はあるのだろうけれど、象徴である以上、聴く人がどう受け取るかは自由である。そういった詩です。思い返すと、中島さんは「中島みゆき 全歌集」の序文に、次のように書いていました。
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《キツネ狩りの歌》も同じでしょう。キツネ狩りという「イギリス貴族の遊び」を背景に「寓話仕立ての詩」を作り上げていますが、そこに配置されている数々の言葉は、総体として "何かの" 象徴になっている。それが何かは、受け取る側の解釈に依存している ・・・・・・。そういうことだと思います。
では、"何かの" 象徴だとすると、それは何でしょうか。受け手としては解釈の自由があるわけで、それを考える上で参考にしたいのが、この詩を読む(ないしは楽曲として聴く)たびに連想する童話、宮沢賢治の「注文の多い料理店」です。
宮沢賢治「注文の多い料理店」
「注文の多い料理店」は、宮沢賢治の生前に出版された唯一の童話集である『注文の多い料理店』(大正13年。1924)の9編の中の1つです。童話集のタイトルになっていることから、賢治にとっては "思いのこもった" 作品なのでしょう。
以下にあらすじを書きますが、この童話は "ミステリー仕立て" です。従って本来、あらすじや結末を明かすべきではないとも思いますが、非常に有名な作品なので、引用とともに書くことにします。まず、冒頭は次のように始まります。
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童話「注文の多い料理店」の中扉(初版本) (角川文庫 1996) |
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引用した角川文庫では、初版本の旧仮名使いを新仮名遣いに直してあります。なお上の引用で、ルビは「宮沢賢治全集 8」(筑摩文庫 1986)による初版本のルビに従いました。以下、同じです。
主人公は2人の紳士です。上の引用では分かりませんが、2人は東京からやってきたことが最後に明かされます。その2人がイギリス風の格好をして山にやってきた。どの山とは書いていませんが、宮沢賢治の故郷、岩手(賢治の言い方だとイーハトヴ)の山を想定するのがよいでしょう。その山奥で地元の猟師をガイドとして雇ってスポーツ・ハンティングをする。そういった情景です。
ところが上の引用の最後にあるように、2人の紳士はガイドの猟師とはぐれてしまった。戻ろうとしますが、戻り道が分からなくなります。そしてふと見ると、立派な西洋風の家があったのです。その玄関に近づくと、表札がかかっていました。
RESTAURANT
西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 |
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童話「注文の多い料理店」の挿画(初版本) (角川文庫 1996) |
2人はホッとして、ちょうどよかった、ここで食事をしようと玄関の扉に近づくと、そこには、
どなたでもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」 |
ことに太ったお方や若いお方は、大歓迎いたします。」 |
当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」 |
注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえてください」 |
お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。」 |
鉄砲と弾丸をここへ置いてください。」 | |
どうか帽子と外套と靴をおとり下さい。」 | |
ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください。」 |
壷の中のクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」 |
クリームをよく塗りましたか。耳にもよく塗りましたか。」 |
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2人は逃げだそうと入ってきた扉を開けようとしますが、扉は堅く閉まっていて動きません。おまけに前方の扉のかぎ穴からは、2つの目玉が2人の方を覗いています。
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その時です。後ろの扉を突き破って、あの白熊のような2匹の犬が飛び込んできました。かぎ穴の目玉はたちまちなくなり、2匹の犬は前の扉に飛びつきます。扉は開き、犬はその中に駆け込んでいきました。
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2人はやっと安心し、猟師の持ってきた団子を食べました。そして東京へと帰っていきました。しかし、恐怖で紙屑のようにくしゃくしゃになった2人の顔は元の通りにはなりませんでした。
都市文明への反感
宮沢賢治は童話集『注文の多い料理店』の出版にあたって、宣伝のためのちらしを書いています。 "『注文の多い料理店』新刊案内" と題したものですが、その中で童話「注文の多い料理店」について次のようにあります。
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その通りなのでしょう。都市文明とそこに暮らす富裕層を代表するのが、東京からイーハトーヴにやってきた2人の紳士です。イギリス風の(つまり日本ではあまり見かけない)狩猟服に身を包み、地元の猟師(= 生活の糧として猟をする人)を雇ってガイドにつけ、スポーツ・ハンティングをする。鹿の横腹に銃弾を命中させればクルクルまわってドタッと倒れる、それが痛快だなどと話しています。
しかしそんな富裕層の紳士も、ガイドを見失い、山猫軒の "親方"(経営者のことを宮沢賢治は "親方" と書いています)の策略で無防備な姿にされ、我が身の危機が迫っていると分かると、恐怖に顔をひきつらせて泣き叫ぶだけなのです。「二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました」などの "戯画的" な表現は、文明の力、金の力で強そうにしている人間も、その内実は中身のない自立できない人間であり、それが真実の姿であるといったところでしょう。
それを徹底的に揶揄したような話の組み立てが、賢治の言う「都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感」だと思います。もっと大きな構えで言うと、都会と地方、文明と自然の対立であり、権力や資産に乏しい「地方・自然」サイドからの「都会・文明」への反撃が「注文の多い料理店」だと思います。
ただ、根底がそうだとしても、この童話には物語としての工夫があります。それは料理店サイドから客に注文を次々出すという、少々奇想天外なストーリーです。また、親方の策略は "やりすぎ" が高じてボロが出て、それを子分に批判されるのもちょっと予想外の展開です。"策に溺れる" と言ったらいいのでしょうか。さらに物語のクライマックスでは、すべてが霧散解消し、話の全体は2人の紳士が見た幻影のような書き方がされています。都市文明と富裕層への反感とは言いながら、これらの点が不思議な魅力を物語に与え、名作とされているのだと思います。
連想の理由
《キツネ狩りの歌》から「注文の多い料理店」を連想するのには理由があります。まず、
動物を狩る人間が、狩られるはずの動物に騙されて命が危うくなる
という作品の基本的なコンセプトが非常に似ていることです。これは一目瞭然でしょう。さらに共通するのは、ちょっと意外なキーワードとしての、
イギリス
です。キツネ狩りはイギリスの伝統だし、「注文の多い料理店」の冒頭の最初の文章には "イギリス" が出てきます。そこには「イギリスの兵隊のかたちをして」とありますが、この「兵隊」はイギリスの近衛兵だと想定します。つまり、バッキンガム宮殿で見かける赤い軍服の兵隊です。これはキツネ狩りで貴族が着込む狩猟服にそっくりです。この共通する "イギリス" は偶然なのでしょうか。
付け加えるなら、「注文に多い料理店」は "言葉の多義性" あるいは "ダブル・ミーニング" を巧みに取り入れた童話です。タイトルの「注文」がそうだし、上の引用中にある「すぐたべられます」も、日本語では「可能」と「受け身」が同一表現(レル・ラレル)ということを利用したダブル・ミーニングになっています。このような多義性を利用することは、まさしく中島さんが詩を書く上で得意とするところです。宮沢賢治の「注文の多い料理店」は "中島みゆき好み" の作品という気がします。
中島さんが《キツネ狩りの歌》を書くときに「注文の多い料理店」が念頭にあったのか、ないしは意識したのか、それは分かりません。しかし、受け手には "解釈の自由" があります。その前提で、「注文の多い料理店」を念頭に置いて《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるかです。
「キツネ狩りの歌」の主題
「注文の多い料理店」を "補助線" として《キツネ狩りの歌》を解釈したらどうなるでしょうか。それを簡潔に言うと、
自分の力(権力、権威、地位、財力など)を過信して行動し、享楽にふけっていると、その力の犠牲になるものたちからの "しっぺ返し" を食らう
という "警句" と考えたいと思います。ここで "享楽" としたのは「酒」「乾杯」などの言葉が詩にあるからです。
「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比は、それを具体化すると、大きなものから小さなものまで、社会のさまざまな側面にあるでしょう。「富める者」と「貧しい者」もそうだし、「男性社会」における「弱い立場としての女性」と考えてもよい。最も大きくとらえれば「文明化を押し進める人類」と、それによって「収奪される自然環境」です。
ここで《キツネ狩りの歌》が「生きていてもいいですか」というアルバムの収録曲だという点から考えてみます。"生きていてもいいですか" という表現は、アルバムの第7曲である《エレーン》の詩の中に出てきます。つまり《エレーン》がアルバム「生きていてもいいですか」のタイトル・チューンになっている。その《エレーン》は、中島みゆきさんの知り合いだった外国人娼婦をモデルにした曲です。この女性のことは、小説集「女歌」の中の「街の女」に書かれていて、最後は惨殺されるという衝撃的な話です。ちょうどキツネ狩りにおけるキツネのように ・・・・・・。
また、アルバムの最終曲は「異国」で、詩には "二度と来るなと唾を吐く町 / 私がそこで生きてたことさえ / 覚えもないねと町が云うなら / 臨終の際にもそこは異国だ" といったたぐいの表現に満ちています。この詩が《エレーン》と関係していることは明白でしょう。
といったことから考えると、《キツネ狩りの歌》の「犠牲になるもの」は「弱い立場としての女性」かつ「社会のアウトサイダー」と受け取るのが最もしっくりきます。アルバムの最初の曲が「うらみ・ます」で、そこには "ふられたての女くらい だましやすいものはないんだってね / あんた誰と賭けていたの あたしの心はいくらだったの" という、一度聴いたら忘れられないフレーズがあって、それはアルバム全体におけるの "女性の視点" を強調しているようです。
とはいえ、中島さんの詩を "狭く受け取る" と誤解してしまうことがあります。《キツネ狩りの歌》はあくまで「力を過信して行動する人」と「その犠牲なるものたち」の対比という構図でとらえ、具体的に何を想定するかは多様な解釈ができるとしておくのがよいのでしょう。
ただ、一つ確実に言えることは《キツネ狩りの歌》で強く感じる、キツネを狩る人 = 力を過信して行動する人に対するシニカルな目です。浮かれていると自滅しますよ、墓穴を掘ることになりますよ、誰も助けてくれないけどいいんですか ・・・・・ というような「突き放した見方」を感じる。
中島さんの詩には「小さなもの」や「弱い存在」、「マイナーなもの」「疎外されたもの」の側に立って、世の中の真実を見据えた作品がいろいろあります。この詩もその一つでしょう。それをシニカルに言語化した作品、それが《キツネ狩りの歌》だと思います。
おそらく、宮沢賢治をリスペクトする文学者やアーティスト、クリエーターは大変多いと想像されます。中島さんがその一人であっても何の不思議もありません。しかし中島さんは、単にリスペクトするだけでなく、宮沢賢治にインスパイアされた作品を作っているのですね。夜会「24時着 0時発」(2004年初演)です。
この作品の基本テーマは、題名の「24時着 0時発」=「1日の終わりは始まり」=「地球の自転」で明確なように "永劫回帰" であり、それはすでに『時代』で示されているものです。そして、この作品のもう一つ発想の源泉が『銀河鉄道の夜』です。YAMAHA のサイトでの「24時着 0時発」(DVD作品)の紹介コピーは次のようになっています。
舞台は、主人公“あかり”が、過労のため生死をさまよう間に不思議な夢を見るところから物語が始まる。河を上る鮭の遡上を宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」になぞらえ、そこに主人公の人生を重ね合わせてゆく。
『銀河鉄道の夜』を愛するアーティストは多数いるでしょうが、それをもとに作品まで作った人はそう多くはないと思います。何となく、中島さんの "宮沢賢治愛" が伝わってくるような感じがする。
だとすると、《キツネ狩りの歌》が『注文の多い料理店』を踏まえているというのは、単なる憶測を超えていると思います。
補記:24時着 0時発 |
中島みゆきさんが、夜会「24時着 0時発」と宮沢賢治との関係を語った発言があるので、それを紹介します。以下の内容はすべて、Webサイト「中島みゆき研究所」からのものです。この個人サイトを運営されている阿部忠義氏に感謝します。
2011年10月29日、NHK BSプレミアムで「宮沢賢治の音楽会 ~ 3.11との協奏曲 ~」が放映されました。内容は「中島みゆき研究所」の解説によると、
2011年10月22日(土)~ 10月30日(日)まで、NHK BSプレミアムで放送される特集「きらり!東北の秋」の3週目に放送される特別番組。宮沢賢治が生涯に残した20曲あまりの歌の魅力を現代のミュージシャン、アーティストたちの歌と朗読で堪能する。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をモチーフにした「夜会VOL.14 ─ 24時着00時発」から、中島みゆきのコメント(B.G.M.『サヨナラ・コンニチハ』)と中島みゆきが少年 "ジョバンニ" に扮し『命のリレー』を唄った映像が流れた。
です。その "中島みゆきのコメント"(声の出演) が以下です。
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"企画の途中で宮沢賢治と同じだと気づいた" との主旨を語っておられますが、これは本当なのでしょうか。ひょっとしたら、初めから『銀河鉄道の夜』へのオマージュを作りたかったのでは、とも思いました。とにかく、中島さんの "宮沢賢治愛" を感じざるを得ないコメントであることは確かだと思います。
2022-07-02 09:49
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No.335 - もう一つの「レニングラード」 [音楽]
No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 レニングラード」で、この交響曲が作曲された経緯とレニングラード初演に至るまでのプロセスを書きました。ショスタコーヴィチはレニングラード(現、サンクトペテルブルク)の人です。この曲は、独ソ戦(1941~)のさなか、レニングラードがドイツ軍に完全包囲される中で書き始められました。その後、政府の指示でショスタコーヴィチは安全な地に移され、そこで曲は完成し、レニングラードでの初演は1942年8月に行われました。
ところで最近、「レニングラード」と題した別の曲があることを思い出しました。ビリー・ジョエルの「レニングラード」です。なぜ思い出したのかというと、2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略戦争です。この過程で種々の情報に接するうちに、思い出しました。そのことは最後に書きます。
ビリー・ジョエル「レニングラード」
ビリー・ジョエルは1987年にソ連(当時)で公演を行いました。その時に知り合ったロシア人のサーカスの道化、ヴィクトルとの交流を描いた楽曲が「レニングラード」です(1989年のアルバム「Storm Front」に収録)。ちなみにソ連の崩壊はその2年後の1991年でした。詩は次の通りです。試訳とともに掲げます。
ヴィクトルとビリー
詩を読んで明らかにように、これはビリー・ジョエルの経験をもとに、米ソ冷戦時代のロシア人・ヴィクトルとビリーの半生を描いています。何点かポイントを書きます。
ヴィクトルが生まれたのは1944年春とあります。
ヒットラーの率いるドイツ軍がポーランド侵略を始めたのは1939年9月でしたが、1941年6月にはソ連に侵攻しました。そして1941年9月にはレニングラードを包囲し、ここからレニングラード包囲戦が始まりました。ソ連軍が反撃に転じて最終的にレニングラードが解放されたのは 1944年1月です。
ということは、ヴィクトルの母が身ごもったのは包囲戦の最中で、レニングラード解放後すぐにヴィクトルが誕生したことになります。この間にヴィクトルの父親は亡くなった。だから父親を知らない。ヴィクトルは奇跡的に生まれた子といってよいでしょう。
また詩によると、ヴィクトルには兄弟がいます。この兄弟はおそらく兄で、その兄は父親を知っていると考えられます。レニングラード包囲戦より以前に生まれたのかもしれない。詩に「Another son who never had a father after Leningrad」とあります。"レニングラード後の" 父親を知らないというのは、そういう意味でしょう。
アメリカとソ連の冷戦は、主としてビリーの眼を通して語られます。まず、ビリーは米国におけるマッカーシズム(いわゆる "赤狩り")の時代に生まれました。朝鮮戦争(1950-1953)があり、核戦争に最も近づいたといわれるキューバ危機(1962)があった。子供時代のあとは「友人が出征するのを見届けた」とあるので、これはベトナム戦争(1955-1975)でしょう。そういった中で、学校での防空訓練やシェルターに避難した経験が語られています。
ビリー・ジョエルはニューヨークのブロンクスの生まれですが、ニューヨークの東に位置するロングアイランドで育ちました。レヴィットタウンはそのロングアイランドの街の名前です。
ビリー・ジョエルにはアレクサという娘がいて、1987年のソ連公演には当時1歳だった彼女を連れていったそうです。それが詩の最後のパラグラフに反映されています。
1987年といえば、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカがすでに始まっています。とはいえ、アメリカとソ連の冷戦はまだ続いています。アメリカ人の歌手がソ連でコンサートをするのは異例だった。その中でビリーが家族を連れていったというのは、音楽を通して両国民の融和に寄与したいという思いからでしょう。
そして詩の最後にあるように、冷戦時代を生きてきたロシアの道化とアメリカのミュージシャンの人生は、レニングラードで交わった。ヴィクトルはアメリカからやって来た女の子を笑わせました。あたりまえと言えばあたりまえです。しかしその "あたりまえ" が障害なしにできる世界、ビリー・ジョエルの「レニングラード」はそれを願って作られた作品だと思います。
2022年 2月 24日
2022年2月24日、ロシアはウクライナ侵略を開始しました。この過程で我々は、従来あまり知らなかった情報にいろいろと接したわけですが、その中にこの侵略の張本人であるプーチン大統領のことがありました。この人は 1952年生まれといいますから、ビリ・ジョエルとほぼ同世代です。そしてレニングラード出身です。
彼は三男で、2人の兄はプーチンが生まれる前に亡くなっています。そして2人目の兄はレニングラード包囲戦の間に死亡しているのですね。両親はレニングラード包囲戦を生き延びたわけです。レニングラードでは100万人規模の市民の死者で出たと言われています(公式発表は70万人程度)。ほとんどが餓死だったそうです。
考えてみると、この世代の日本人は親から太平洋戦争中はどうだったかを繰り返し聞かされたはずです。それと同じで、レニングラード包囲戦を生き延びた夫婦は、戦後に生まれた息子に戦争はどうだったか、ドイツ軍にどうやって勝利したかを何度も聞かせたと想像します。
そのプーチン大統領は、レニングラード包囲戦(1941~1944)から80年後にウクライナ侵略戦争を開始しました。核兵器による脅しとともに ・・・・・・。これは世界の安全保障の枠組みを根本的に変えつつあり、1991年のソ連崩壊で終わったはずだった冷戦時代に再び世界を逆戻りさせそうな状況です。
それはビリー・ジョエルが「レニングラード」で願った世界とは真逆の方向でしょう。そしてビリーの友人となったレニングラード出身のサーカスの道化、ヴィクトルの思いとも正反対のはずです。
数々の情報に接すると、この現在進行形のウクライナ侵略は、プーチン大統領個人の資質もあるのだろうけれど、ロシア帝国以来、ソヴィエト連邦を経てずっと独裁国家であり続けているロシアの政治体制の病理を見た思いがします。
ところで最近、「レニングラード」と題した別の曲があることを思い出しました。ビリー・ジョエルの「レニングラード」です。なぜ思い出したのかというと、2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵略戦争です。この過程で種々の情報に接するうちに、思い出しました。そのことは最後に書きます。
ビリー・ジョエル「レニングラード」
ビリー・ジョエルは1987年にソ連(当時)で公演を行いました。その時に知り合ったロシア人のサーカスの道化、ヴィクトルとの交流を描いた楽曲が「レニングラード」です(1989年のアルバム「Storm Front」に収録)。ちなみにソ連の崩壊はその2年後の1991年でした。詩は次の通りです。試訳とともに掲げます。
なお人名の Victor は、英語圏ではヴィクターでビリー・ジョエルもそう歌っていますが、試訳ではロシア人名の一般的な日本語表記のヴィクトルとしました(ヴィクトールとすることもあります)。
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![]() |
ビリー・ジョエル 「ストーム・フロント」(1989) |
アルバムの7曲目に「レニングラード」が収録されている。画像は CD のジャケットより。 |
ヴィクトルとビリー
詩を読んで明らかにように、これはビリー・ジョエルの経験をもとに、米ソ冷戦時代のロシア人・ヴィクトルとビリーの半生を描いています。何点かポイントを書きます。
1944年春 |
ヴィクトルが生まれたのは1944年春とあります。
ヒットラーの率いるドイツ軍がポーランド侵略を始めたのは1939年9月でしたが、1941年6月にはソ連に侵攻しました。そして1941年9月にはレニングラードを包囲し、ここからレニングラード包囲戦が始まりました。ソ連軍が反撃に転じて最終的にレニングラードが解放されたのは 1944年1月です。
ということは、ヴィクトルの母が身ごもったのは包囲戦の最中で、レニングラード解放後すぐにヴィクトルが誕生したことになります。この間にヴィクトルの父親は亡くなった。だから父親を知らない。ヴィクトルは奇跡的に生まれた子といってよいでしょう。
また詩によると、ヴィクトルには兄弟がいます。この兄弟はおそらく兄で、その兄は父親を知っていると考えられます。レニングラード包囲戦より以前に生まれたのかもしれない。詩に「Another son who never had a father after Leningrad」とあります。"レニングラード後の" 父親を知らないというのは、そういう意味でしょう。
冷戦 |
アメリカとソ連の冷戦は、主としてビリーの眼を通して語られます。まず、ビリーは米国におけるマッカーシズム(いわゆる "赤狩り")の時代に生まれました。朝鮮戦争(1950-1953)があり、核戦争に最も近づいたといわれるキューバ危機(1962)があった。子供時代のあとは「友人が出征するのを見届けた」とあるので、これはベトナム戦争(1955-1975)でしょう。そういった中で、学校での防空訓練やシェルターに避難した経験が語られています。
ビリー・ジョエルはニューヨークのブロンクスの生まれですが、ニューヨークの東に位置するロングアイランドで育ちました。レヴィットタウンはそのロングアイランドの街の名前です。
娘 |
ビリー・ジョエルにはアレクサという娘がいて、1987年のソ連公演には当時1歳だった彼女を連れていったそうです。それが詩の最後のパラグラフに反映されています。
1987年といえば、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカがすでに始まっています。とはいえ、アメリカとソ連の冷戦はまだ続いています。アメリカ人の歌手がソ連でコンサートをするのは異例だった。その中でビリーが家族を連れていったというのは、音楽を通して両国民の融和に寄与したいという思いからでしょう。
そして詩の最後にあるように、冷戦時代を生きてきたロシアの道化とアメリカのミュージシャンの人生は、レニングラードで交わった。ヴィクトルはアメリカからやって来た女の子を笑わせました。あたりまえと言えばあたりまえです。しかしその "あたりまえ" が障害なしにできる世界、ビリー・ジョエルの「レニングラード」はそれを願って作られた作品だと思います。
2022年 2月 24日
2022年2月24日、ロシアはウクライナ侵略を開始しました。この過程で我々は、従来あまり知らなかった情報にいろいろと接したわけですが、その中にこの侵略の張本人であるプーチン大統領のことがありました。この人は 1952年生まれといいますから、ビリ・ジョエルとほぼ同世代です。そしてレニングラード出身です。
彼は三男で、2人の兄はプーチンが生まれる前に亡くなっています。そして2人目の兄はレニングラード包囲戦の間に死亡しているのですね。両親はレニングラード包囲戦を生き延びたわけです。レニングラードでは100万人規模の市民の死者で出たと言われています(公式発表は70万人程度)。ほとんどが餓死だったそうです。
考えてみると、この世代の日本人は親から太平洋戦争中はどうだったかを繰り返し聞かされたはずです。それと同じで、レニングラード包囲戦を生き延びた夫婦は、戦後に生まれた息子に戦争はどうだったか、ドイツ軍にどうやって勝利したかを何度も聞かせたと想像します。
そのプーチン大統領は、レニングラード包囲戦(1941~1944)から80年後にウクライナ侵略戦争を開始しました。核兵器による脅しとともに ・・・・・・。これは世界の安全保障の枠組みを根本的に変えつつあり、1991年のソ連崩壊で終わったはずだった冷戦時代に再び世界を逆戻りさせそうな状況です。
それはビリー・ジョエルが「レニングラード」で願った世界とは真逆の方向でしょう。そしてビリーの友人となったレニングラード出身のサーカスの道化、ヴィクトルの思いとも正反対のはずです。
数々の情報に接すると、この現在進行形のウクライナ侵略は、プーチン大統領個人の資質もあるのだろうけれど、ロシア帝国以来、ソヴィエト連邦を経てずっと独裁国家であり続けているロシアの政治体制の病理を見た思いがします。
2022-04-24 07:51
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No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ [音楽]
No.328「中島みゆきの詩(18)LADY JANE」で書いたように、《LADY JANE》(アルバム「組曲」2015) という曲は下北沢に実在するジャズ・バーがモデルでした。これで思い出すのが、No.328 にも書いたのですが、《店の名はライフ》(1977)です。2つの楽曲には 38年の時間差があるのですが「実在の店がモデル」で「屋号がタイトル」いう点でよく似ています。今回はその《店の名はライフ》の詩について書きます。
店の名はライフ
「店の名はライフ」は、3作目のオリジナル・アルバム「あ・り・が・と・う」(1977)に収められている作品で、次のような詩です。
この詩は、各種メディアで紹介されているように、また中島さん自身がコンサートなどで語っているように、実際にあった店がモデルになっています。当時、藤女子大学の学生だった中島さんが訪れていた、北海道大学の正門前の喫茶店「ライフ」です。
詩にあるように「ライフ」は自転車屋の隣にありました。また喫茶店は2階で営業していたようで「二階では徹夜でつづく恋愛論」とあるのはそのためです。また3階があって、終電を逃した客が宿泊できるようになっていた。「三階は屋根裏 あやしげな運命論の行きどまり」となっているのはその理由です。
北大正門前ということで、ほとんどの客は学生だったはずです。その彼等・彼女等が、けんけんがくがくで恋愛論や運命論を交わしている ・・・・・・。そういった店がモデルになっています。
その意味でこの詩は中島さん自身の体験・経験・実感がストレートに扱われています。こういったたぐいの詩は中島作品の中では比較的少数です。その意味では貴重な作品といえるでしょう。
その「体験・経験・実感」ということで一つ着目したいのは、詩の中の、
という表現です。実際に「ライフ」のママと娘がそうだったのでしょう。この言い方を聞いて直感的に思い当たるのが、《店の名はライフ》の14年後に書かれた《た・わ・わ》(アルバム「歌でしか言えない」1991)です。
男心をわしづかみにする "彼女" に "あいつ" をとられそうになっている女性の心情を語った詩ですが、その「男心をわしづかみ」の一番のポイントは、詩の題が示すように "たわわな胸" なのですね。
中島さんはどこかのインタビューかラジオで「豊かな胸ではないのが自分のコンプレックス」という意味の発言をしていたと思います。これを聞いて思ったのは ・・・・・・。
中島さんは、作詩、作曲、歌唱のどれをとっても超一流で、小説も書き、舞台作品の作・演出・主演・プロデュースまでやっています。アーティストとして、多方面の "天賦の才" を与えられた人だと思います。努力だけではとてもここまでできない。しかも、かなりの美形です。にもかかわらず、さらに "豊かな胸が欲しい" というのは厚かまし過ぎる ・・・・・・ と思ったわけです。
しかし、こういった自分のフィジカル面での不満やコンプレックスや欲望は、メンタルな面とは切り離した形で、多かれ少なかれ誰にでもありそうです。身長から始まって、顔かたちなどいろいろある。それは人間であればやむを得ないのでしょう。
"胸" は普通、"心情" とか "思い" とか "心" とか、そういうメンタルな意味合いで使われます。中島作品に現れる "胸" もほとんどがそうです。"胸" をフィジカルな意味に使ったのは《店の名はライフ》と《た・わ・わ》の2つだけだと思います。
《店の名はライフ》では、店のママと娘さんを形容するときに「働き者のおかみさん」とか「気立てのよいママ」とか「やさしい娘」とか、そういう意味合いの表現ではなく、「母娘でよく似て 見事な胸」が唯一の描写になっています。そういうところにも、この詩が中島さんの経験と実感が投影されていると思います。
時の流れ
もう一つ、《店の名はライフ》の詩で注目したいのは、店の変遷が描かれていることです。「おかみさん(母)」と「娘」が、"カレーも出す喫茶店" をやっていた。その後、店の経営が替わり、二枚目のマスターとウェイトレスの "カレーは出さない純喫茶" になった。直接そとに出られる梯子も無くなった。自転車屋の隣という場所は変わらないけれど ・・・・・・。そういった時の流れが描かれていることが特徴です。
ここで思いつくのは、《店の名はライフ》が収録されているアルバム「あ・り・が・と・う」には "時の流れ" に関係した詩が多いことです。つまり
といった内容です。「あ・り・が・と・う」に収録されたのは9曲で、
ですが、このうち《店の名はライフ》を含む6曲は時の流れをテーマに(ないしは詩の背景と)しています。詩のごく一部を抜き出してみます。
《遍路》
《まつりばやし》
《朝焼け》
《ホームにて》
《時は流れて》
最初と最後の曲がこのアルバムの性格を物語っています。《遍路》とは "霊場となっている寺院・仏閣を、時間をかけて順に巡る" ことで、その言葉が象徴的に使われている。最後の《時は流れて》は、まさにそのものズバリです。
そういった位置づけに《店の名はライフ》もあります。そして、中島さんがわざわざこの詩を書いたのは、まさしく店の名前が "ライフ" だからではないでしょうか。
それが "ライフ" だから
中島作品には "言葉" に敏感に反応し、言葉からインスピレーションを得たものが数々あります。《店の名はライフ》もそうだと思います。
"ライフ" に相当する日本語を3つに絞ってあげると、「命」「生活」「生涯」といったところでしょう。要するに "生きている" ということです。今を生きている(=命)、時間経過を考慮した生きる(=生活)、長期間の視点での生きる(=生涯)の3つです。
《店の名はライフ》で描かれるのは、恋愛論や運命論をぶつけ合う客たちの "今" であり、店をきりもりするおかみさんと娘の "生活" であり、店の "半生" といったら大袈裟ですが、二枚目マスターへと変わった店の変遷です。つまり店の "life" が描かれています。一つの "生命体" のようであり、店にも "ライフ" がある。
まさに、この店の屋号が "ライフ" だから、この詩が作られた。少なくとも詩作の動機の一つになった。そう思いました。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
店の名はライフ
「店の名はライフ」は、3作目のオリジナル・アルバム「あ・り・が・と・う」(1977)に収められている作品で、次のような詩です。
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![]() |
中島みゆき 「あ・り・が・と・う」(1977) |
① 遍路 ② 店の名はライフ ③ まつりばやし ④ 女なんてものに ⑤ 朝焼け ⑥ ホームにて ⑦ 勝手にしやがれ ⑧ サーチライト ⑨ 時は流れて |
この詩は、各種メディアで紹介されているように、また中島さん自身がコンサートなどで語っているように、実際にあった店がモデルになっています。当時、藤女子大学の学生だった中島さんが訪れていた、北海道大学の正門前の喫茶店「ライフ」です。
詩にあるように「ライフ」は自転車屋の隣にありました。また喫茶店は2階で営業していたようで「二階では徹夜でつづく恋愛論」とあるのはそのためです。また3階があって、終電を逃した客が宿泊できるようになっていた。「三階は屋根裏 あやしげな運命論の行きどまり」となっているのはその理由です。
北大正門前ということで、ほとんどの客は学生だったはずです。その彼等・彼女等が、けんけんがくがくで恋愛論や運命論を交わしている ・・・・・・。そういった店がモデルになっています。
その意味でこの詩は中島さん自身の体験・経験・実感がストレートに扱われています。こういったたぐいの詩は中島作品の中では比較的少数です。その意味では貴重な作品といえるでしょう。
その「体験・経験・実感」ということで一つ着目したいのは、詩の中の、
おかみさんと娘 母娘でよく似て 見事な胸
という表現です。実際に「ライフ」のママと娘がそうだったのでしょう。この言い方を聞いて直感的に思い当たるのが、《店の名はライフ》の14年後に書かれた《た・わ・わ》(アルバム「歌でしか言えない」1991)です。
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男心をわしづかみにする "彼女" に "あいつ" をとられそうになっている女性の心情を語った詩ですが、その「男心をわしづかみ」の一番のポイントは、詩の題が示すように "たわわな胸" なのですね。
中島さんはどこかのインタビューかラジオで「豊かな胸ではないのが自分のコンプレックス」という意味の発言をしていたと思います。これを聞いて思ったのは ・・・・・・。
中島さんは、作詩、作曲、歌唱のどれをとっても超一流で、小説も書き、舞台作品の作・演出・主演・プロデュースまでやっています。アーティストとして、多方面の "天賦の才" を与えられた人だと思います。努力だけではとてもここまでできない。しかも、かなりの美形です。にもかかわらず、さらに "豊かな胸が欲しい" というのは厚かまし過ぎる ・・・・・・ と思ったわけです。
しかし、こういった自分のフィジカル面での不満やコンプレックスや欲望は、メンタルな面とは切り離した形で、多かれ少なかれ誰にでもありそうです。身長から始まって、顔かたちなどいろいろある。それは人間であればやむを得ないのでしょう。
"胸" は普通、"心情" とか "思い" とか "心" とか、そういうメンタルな意味合いで使われます。中島作品に現れる "胸" もほとんどがそうです。"胸" をフィジカルな意味に使ったのは《店の名はライフ》と《た・わ・わ》の2つだけだと思います。
《店の名はライフ》では、店のママと娘さんを形容するときに「働き者のおかみさん」とか「気立てのよいママ」とか「やさしい娘」とか、そういう意味合いの表現ではなく、「母娘でよく似て 見事な胸」が唯一の描写になっています。そういうところにも、この詩が中島さんの経験と実感が投影されていると思います。
時の流れ
もう一つ、《店の名はライフ》の詩で注目したいのは、店の変遷が描かれていることです。「おかみさん(母)」と「娘」が、"カレーも出す喫茶店" をやっていた。その後、店の経営が替わり、二枚目のマスターとウェイトレスの "カレーは出さない純喫茶" になった。直接そとに出られる梯子も無くなった。自転車屋の隣という場所は変わらないけれど ・・・・・・。そういった時の流れが描かれていることが特徴です。
ここで思いつくのは、《店の名はライフ》が収録されているアルバム「あ・り・が・と・う」には "時の流れ" に関係した詩が多いことです。つまり
過去と現在の対比 | |
過去の思い出や記憶 | |
現在に進入してくる過去 | |
時間の経過による移り変わり |
といった内容です。「あ・り・が・と・う」に収録されたのは9曲で、
遍路 | |
店の名はライフ | |
まつりばやし | |
女なんてものに | |
朝焼け | |
ホームにて | |
勝手にしやがれ | |
サーチライト | |
時は流れて |
ですが、このうち《店の名はライフ》を含む6曲は時の流れをテーマに(ないしは詩の背景と)しています。詩のごく一部を抜き出してみます。
《遍路》
はじめて私に スミレの花束くれた人は
サナトリウムに消えて
それきり戻っては来なかった
・
・
・
手にさげた鈴の音は
帰ろうと言う 急ごうと言う
うなずく私は 帰り道も
とうになくしたのを知っている
・・・・・・・・
サナトリウムに消えて
それきり戻っては来なかった
・
・
・
手にさげた鈴の音は
帰ろうと言う 急ごうと言う
うなずく私は 帰り道も
とうになくしたのを知っている
・・・・・・・・
《まつりばやし》
肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね
・・・・・・・・
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね
・・・・・・・・
《朝焼け》
・・・・・・・・
眠れない夜が明ける頃
心もすさんで
もうあの人など ふしあわせになれと思う
昔読んだ本の中に こんな日を見かけた
ああ あの人は いま頃は
例の ひとと 二人
・・・・・・・・
眠れない夜が明ける頃
心もすさんで
もうあの人など ふしあわせになれと思う
昔読んだ本の中に こんな日を見かけた
ああ あの人は いま頃は
例の ひとと 二人
・・・・・・・・
《ホームにて》
この詩は、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」で全文を引用しました。中島作品を代表する曲の一つで、名曲です。
《時は流れて》
・・・・・・・・
あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
そして あたしは 変わってしまった
・
・
・
時は流れて 時は流れて
そして あたしは 変わってしまった
時は流れて 時は流れて
そしてあたしは
あんたに 逢えない
あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
そして あたしは 変わってしまった
・
・
・
時は流れて 時は流れて
そして あたしは 変わってしまった
時は流れて 時は流れて
そしてあたしは
あんたに 逢えない
最初と最後の曲がこのアルバムの性格を物語っています。《遍路》とは "霊場となっている寺院・仏閣を、時間をかけて順に巡る" ことで、その言葉が象徴的に使われている。最後の《時は流れて》は、まさにそのものズバリです。
そういった位置づけに《店の名はライフ》もあります。そして、中島さんがわざわざこの詩を書いたのは、まさしく店の名前が "ライフ" だからではないでしょうか。
それが "ライフ" だから
中島作品には "言葉" に敏感に反応し、言葉からインスピレーションを得たものが数々あります。《店の名はライフ》もそうだと思います。
"ライフ" に相当する日本語を3つに絞ってあげると、「命」「生活」「生涯」といったところでしょう。要するに "生きている" ということです。今を生きている(=命)、時間経過を考慮した生きる(=生活)、長期間の視点での生きる(=生涯)の3つです。
《店の名はライフ》で描かれるのは、恋愛論や運命論をぶつけ合う客たちの "今" であり、店をきりもりするおかみさんと娘の "生活" であり、店の "半生" といったら大袈裟ですが、二枚目マスターへと変わった店の変遷です。つまり店の "life" が描かれています。一つの "生命体" のようであり、店にも "ライフ" がある。
まさに、この店の屋号が "ライフ" だから、この詩が作られた。少なくとも詩作の動機の一つになった。そう思いました。
2022-04-09 07:27
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No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE [音楽]
No.321「燻製とローリング・ストーンズ」で、「美の壷 File550:煙の魔法 燻製」(NHK BSプレミアム。2021年9月10日)で BGM として使われたローリング・ストーンズの楽曲のことを書き、その一つの "Lady Jane" の歌詞と日本語訳を掲げました。
この "Lady Jane" で連想するのが、下北沢にあるジャズ・バー「LADY JANE」です。このジャズ・バーは、今は亡き松田優作さんが通い詰めたことで知られ(優作さんがキープしたボトルがまだあるらしい)、現在も多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されている店です。俳優の桃井かおりさん、六角精児さん、写真家の荒木経惟(アラーキー)さんもこの店の常連だそうです。
この店の「LADY JANE」という屋号はローリング・ストーンズと関係があるのでしょうか。
店のオーナーは音楽プロデューサーの大木雄高さんという方ですが、大木さんの「音曲祝祭行」というブログにそのことが書いてあります(http://bigtory.jp/shukusai/shukusai12.html)。以下に引用します。原文の漢数字を算用数字に改めました。
引用中に「3月に来日予定の」とありますが、この文章が書かれたのは1998年2月で「1998年3月に来日予定の」という意味です。ちなみに、今までにローリング・ストーンズが来日公演をしたのは、1990年、1995年、1998年、2003年、2006年、2014年ですが、ほとんどが3月の公演でした。引用の最後に「僕のただの邪鬼だった」とありますが、これは天邪鬼のことでしょう。さらに、引用した文章のあとには、次のような表現もあります。
ロレンスとあるのは、イギリスの作家、D.H.ロレンスのことです。またダルシマーは珍しい楽器で、No.321 に書いたように、ブライアン・ジョーンズがダルシマーを演奏する貴重な映像が YouTube に公開されています。
また、大木さんの別のブログ「東京発 20:00」には次の記述もあります(http://bigtory.jp/tokyo/tokyo_zpn19.html)。2006年に書かれた文章です。
「LADY JANE」としたのは「クロスボーダー作戦」だとあって、さきほどの引用の「ただの天邪鬼」とは違いますが、おそらく両方とも正しいのでしょう。
ともかく、これらの文章を読んで分かることは、「LADY JANE」のオーナーである大木雄高氏はローリング・ストーンズが好きであり、なかでも故ブライアン・ジョーンズに惹かれていて、また楽曲としての "Lady Jane" を高く評価している(精霊的!)ということです。だから、ジャズ・バーであるにもかかわらず「LADY JANE」にした。
ところで、「LADY JANE」は多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されていると書きましたが、中島みゆきさんも、かつてこの店を行きつけにしている一人でした。大木さんは別のブログに「1988年、開店以来の常連客の甲斐よしひろが中島みゆきを連れて来た。その数ヶ月後に彼女は1人で来た」との主旨を書いていました。なんでも、彼女は明け方まで飲んで帰ったそうで、かなりの酒豪のようです。
その中島みゆきさんが "ジャズ・バー LADY JANE" をそのままタイトルにした作品があります。2015年発売のアルバム『組曲』に収められた「LADY JANE」です。今回はこの作品の詩のことを書きます。
LADY LANE
「LADY JANE」は2015年のアルバム『組曲』に収められた曲で、その詩を引用すると次のとおりです。

非日常
以降、詩の内容を振り返りますが、まず冒頭の、
という言葉の流れに少々違和感を覚えます。「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです」は明瞭ですが、それと「日常な町角」とはどういう関係にあるのでしょうか。
CD のブックレットに、歌詞とともにその英訳が記されています。それを見ると上の部分の訳は、
となっています。つまり「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです。でないと日常(の町角)に遭遇しますよ」という意味なのですね。つまり詩に言葉を補ったとしたら、
となるでしょう。繰り返される日常の毎日、それとは違う "非日常" を求めてジャズ・バーで過ごす。ジャズ・バーを出たとたんに「日常の町角」に出会うより、"非日常の余韻" に浸りながら帰宅したほうがよい。そう理解できると思います。
町
"町" という言葉が何回か出てきます。ジャズ・バーがあるこの町は「乗り継ぎ人の町」と表現されています。"乗り継ぎ" は、文字通りにとると「交通機関の乗り継ぎ」です。ちょうど、実店舗の「LADY JANE」がある下北沢が小田急線と井の頭線の乗り継ぎ駅であるようにです。
しかしここは拡大解釈して「人生の乗り継ぎ」という風にとらえることができると思います。つまり、町に住み続ける、永住するというより、数年レベルの居住者が多い町というイメージです。その理由は、職場、大学、仕事の関係などさまざまでしょう。詩に「時流につれて客は変わる」とあるのも、そのイメージとマッチしています。
店
その町にあるジャズ・バー「LADY JANE」は、
と表現されています。いかにも老舗のジャズ・バーという風情です。ここで出てくる「看板」「席」「灯り」は、おそらく店の創業以来そのままなのでしょう。
時の流れ
しかし、店の外観やしつらえは変わらなくても、変わるものがあります。それは、
と表現されているように「客」「町」「国」で代表されるものです。「客・町・国」の何が変わるのかの具体的な言及はありません。ただ「乗り継ぎ人の町」にあるバーなので、客や町が変わるのは自然でしょう。
また「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。このジャズ・バーには映画や演劇のポスターがいろいろ貼ってあるようです。それも最新の(ないしは近日中に公開や初日の)ものだけでなく、昔の映画や演劇のポスターも(マスターのセレクションによって)貼ってある。当然そこには変遷があり、大袈裟に言うと、国の文化的状況の変化を反映している。
文化的状況というと、詩にある「言葉が通じない国」の "言葉" も変わります。この詩は「変わらないものと、変わるもの」が、基軸になっています。その中で、
とあるように、店は変わらないで欲しいと願っている。そいういう詩です。
人間模様
その「変わらないものと変わるものの交差点」であるジャズ・バーのなかで、いくつかの人間模様が描かれます。まず、
です。次に、それとは対照的な、
です。ひょっとしたら同じカップルかもしれません。最初に見たときは「愛を語り合う」ようだったが、その次には「愛が冷えた」ようだったという、時間の経緯による変化なのかもしれません。さらに、
です。"脛に傷" なので、次のようなイメージが浮かびます。つまりこのマスターはジャズが好きだが、以前は全く別の仕事をしていた。そのときに人生における極めて辛い状況に陥った。それを契機にジャズ・バーのマスターに転身した。たとえばですが ・・・・・・。
このマスターは「いつも何かを怒ってる」とあるように、"気難し屋" のようです。何に怒っているのかは書いてありませんが、その直後の言葉に「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。これにひっかけて類推すると「最近の映画はつまらないし、演劇のクオリティーは低くなった」と怒っているのかもしません。そしてもう一つの人間模様としては、
です。「寝ていたかのよう客がふいとピアノ弾き始める、遠ざかるレコードを引き継いで」とあるので、フェイドアウトするレコードから引き継いだピアノ演奏です。アマチュアのジャズバンドをやっている人かも知れないし、ひょっとしたらプロのミュージシャンかも知れません。プロだとしたら、即興のピアノ演奏とも考えられるでしょう。
私
そして「私(=女性)」です。私は、
といった感じでしょうか。このジャズ・バーに通う大きな理由は「大好きな男がこの近くにいる」からなのでしょう。程度はさておき、女性の側からの "片思い" を匂わせる表現です。そうでないなら、2人でこの店に来ればよいはずです。詩に出てくるカップルのように ・・・・・・。
こういった "片思い" にまつわる詩は、70年代・80年代の中島さんの作品にいろいろあったと思います。しかしこの詩では、以前の作品のように "女性心理を突き詰める" というのではなく、「私」はあくまでこのジャズ・バーの人間模様の一つに過ぎません。そういった "軽さ" がこの詩の特徴でしょう。
実在の店を主題にするという手法
以上の内容は、「LADY JANE」という実在する店を舞台にし、その店の固有名詞を出した中で展開されます。こういった詩の作り方で真っ先に思い出すのが「店の名はライフ」です。この楽曲は1977年発表のアルバム「あ・り・が・と・う」に収められたもので、「LADY JANE」とは38年の時間差があることになります。
両曲とも実在する店をテーマにすることで人間模様(あるいは世相)を描いていますが、「LADY JANE」の詩は気負いがなく "肩の力が抜けている" 感じがします。曲調も中島さんの歌い方も軽快です。
特に「LADY JANE」は店の名前だけがタイトルであり、かつその名前が16回も繰り返されるところです。つまり主題は店であり、店が主人公の詩と言ってよいでしょう。その主人公である店が、人や町などの変化(や不変なもの)を語る。
"定点観測" という言葉があります。場所を固定して観測を続けていると、多様な人が行き交うことがわかると同時に、時間の流れと変化を感じることができる。「LADY JANE」は、変わらないものと変わるものの交差点である非日常空間を描いた詩、そう言えると思います。
サード・プレイス
「LADY JANE」の詩から、"サード・プレイス" という言葉に連想がいきました。サード・プレイス(第3の場所)とは、
の意味です。セカンド・プレイスは "自宅以外で1日の最も長い時間を過ごす場所" で、職場以外にも学校などが含まれます。ファースト・プレイスとセカンド・プレイスを「日常空間」とすると、サード・プレイスは「非日常空間」ということになるでしょう。
サード・プレイスでは、気ままに何かをしてもよいし、何もせずに無為の時間を過ごしてもよい。目的(たとえばジャズを聴く)があってそこに行ってもよいが、目的なしに行ってもよい。"そこに居る" こと自体が目的であっていいわけです。
また、そこに集まる人はすべてが平等です。常連客が雰囲気を支配しているような店はサード・プレイスにふさわしくない。
サード・プレイスがカフェ、バーなどの店だとしたら、その店は長期に存続し続けることが重要です。自分にとっての居心地のよさは、時間のフィルターで濾過されたものが自分に染み込むことで生まれるからです。ジャズ・バー「LADY JANE」がまさにそうで、1975年にオープンなので、中島さんが楽曲にするまでに40年間続いていることになります。
「LADY JANE」の詩から、日々の生活にとっての "サード・プレイス" の必要性や重要性を思いました。
この "Lady Jane" で連想するのが、下北沢にあるジャズ・バー「LADY JANE」です。このジャズ・バーは、今は亡き松田優作さんが通い詰めたことで知られ(優作さんがキープしたボトルがまだあるらしい)、現在も多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されている店です。俳優の桃井かおりさん、六角精児さん、写真家の荒木経惟(アラーキー)さんもこの店の常連だそうです。
この店の「LADY JANE」という屋号はローリング・ストーンズと関係があるのでしょうか。
店のオーナーは音楽プロデューサーの大木雄高さんという方ですが、大木さんの「音曲祝祭行」というブログにそのことが書いてあります(http://bigtory.jp/shukusai/shukusai12.html)。以下に引用します。原文の漢数字を算用数字に改めました。
|
引用中に「3月に来日予定の」とありますが、この文章が書かれたのは1998年2月で「1998年3月に来日予定の」という意味です。ちなみに、今までにローリング・ストーンズが来日公演をしたのは、1990年、1995年、1998年、2003年、2006年、2014年ですが、ほとんどが3月の公演でした。引用の最後に「僕のただの邪鬼だった」とありますが、これは天邪鬼のことでしょう。さらに、引用した文章のあとには、次のような表現もあります。
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ロレンスとあるのは、イギリスの作家、D.H.ロレンスのことです。またダルシマーは珍しい楽器で、No.321 に書いたように、ブライアン・ジョーンズがダルシマーを演奏する貴重な映像が YouTube に公開されています。
また、大木さんの別のブログ「東京発 20:00」には次の記述もあります(http://bigtory.jp/tokyo/tokyo_zpn19.html)。2006年に書かれた文章です。
|
「LADY JANE」としたのは「クロスボーダー作戦」だとあって、さきほどの引用の「ただの天邪鬼」とは違いますが、おそらく両方とも正しいのでしょう。
ともかく、これらの文章を読んで分かることは、「LADY JANE」のオーナーである大木雄高氏はローリング・ストーンズが好きであり、なかでも故ブライアン・ジョーンズに惹かれていて、また楽曲としての "Lady Jane" を高く評価している(精霊的!)ということです。だから、ジャズ・バーであるにもかかわらず「LADY JANE」にした。
ところで、「LADY JANE」は多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されていると書きましたが、中島みゆきさんも、かつてこの店を行きつけにしている一人でした。大木さんは別のブログに「1988年、開店以来の常連客の甲斐よしひろが中島みゆきを連れて来た。その数ヶ月後に彼女は1人で来た」との主旨を書いていました。なんでも、彼女は明け方まで飲んで帰ったそうで、かなりの酒豪のようです。
その中島みゆきさんが "ジャズ・バー LADY JANE" をそのままタイトルにした作品があります。2015年発売のアルバム『組曲』に収められた「LADY JANE」です。今回はこの作品の詩のことを書きます。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
LADY LANE
「LADY JANE」は2015年のアルバム『組曲』に収められた曲で、その詩を引用すると次のとおりです。
|
![]() |
中島みゆき 「組曲」(2015) |
① 36時間 ② 愛と云わないラヴレター ③ ライカM4 ④ 氷中花(ひょうちゅうか)⑤ 霙の音(みぞれのおと)⑥ 空がある限り ⑦ もういちど雨が ⑧ Why & No ⑨ 休石(やすみいし) ⑩ LADY JANE |

非日常
以降、詩の内容を振り返りますが、まず冒頭の、
店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角
という言葉の流れに少々違和感を覚えます。「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです」は明瞭ですが、それと「日常な町角」とはどういう関係にあるのでしょうか。
CD のブックレットに、歌詞とともにその英訳が記されています。それを見ると上の部分の訳は、
If you are going to leave
I suggest you do so while it's still dark
Daily life would hit you otherwise
I suggest you do so while it's still dark
Daily life would hit you otherwise
となっています。つまり「店を出るなら まだ暗いうちがおすすめです。でないと日常(の町角)に遭遇しますよ」という意味なのですね。つまり詩に言葉を補ったとしたら、
店を出るなら
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角(に出会う前に)
まだ暗いうちがおすすめです
日常な町角(に出会う前に)
となるでしょう。繰り返される日常の毎日、それとは違う "非日常" を求めてジャズ・バーで過ごす。ジャズ・バーを出たとたんに「日常の町角」に出会うより、"非日常の余韻" に浸りながら帰宅したほうがよい。そう理解できると思います。
町
"町" という言葉が何回か出てきます。ジャズ・バーがあるこの町は「乗り継ぎ人の町」と表現されています。"乗り継ぎ" は、文字通りにとると「交通機関の乗り継ぎ」です。ちょうど、実店舗の「LADY JANE」がある下北沢が小田急線と井の頭線の乗り継ぎ駅であるようにです。
しかしここは拡大解釈して「人生の乗り継ぎ」という風にとらえることができると思います。つまり、町に住み続ける、永住するというより、数年レベルの居住者が多い町というイメージです。その理由は、職場、大学、仕事の関係などさまざまでしょう。詩に「時流につれて客は変わる」とあるのも、そのイメージとマッチしています。
店
その町にあるジャズ・バー「LADY JANE」は、
色のあせた文字の看板 | |
座り心地が良いとは言いかねる 席はまるで船の底 | |
常に灯りは霞んでいる 煙草のるつぼ |
と表現されています。いかにも老舗のジャズ・バーという風情です。ここで出てくる「看板」「席」「灯り」は、おそらく店の創業以来そのままなのでしょう。
時の流れ
しかし、店の外観やしつらえは変わらなくても、変わるものがあります。それは、
時流につれて客は変わる
時流につれて町は変わる
時流につれて国は変わる
時流につれて町は変わる
時流につれて国は変わる
と表現されているように「客」「町」「国」で代表されるものです。「客・町・国」の何が変わるのかの具体的な言及はありません。ただ「乗り継ぎ人の町」にあるバーなので、客や町が変わるのは自然でしょう。
また「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。このジャズ・バーには映画や演劇のポスターがいろいろ貼ってあるようです。それも最新の(ないしは近日中に公開や初日の)ものだけでなく、昔の映画や演劇のポスターも(マスターのセレクションによって)貼ってある。当然そこには変遷があり、大袈裟に言うと、国の文化的状況の変化を反映している。
文化的状況というと、詩にある「言葉が通じない国」の "言葉" も変わります。この詩は「変わらないものと、変わるもの」が、基軸になっています。その中で、
この店はあるのかな
この店は残ってね
この店は残ってね
とあるように、店は変わらないで欲しいと願っている。そいういう詩です。
人間模様
その「変わらないものと変わるものの交差点」であるジャズ・バーのなかで、いくつかの人間模様が描かれます。まず、
愛を語り合うカップル
です。次に、それとは対照的な、
愛が冷えたカップル
です。ひょっとしたら同じカップルかもしれません。最初に見たときは「愛を語り合う」ようだったが、その次には「愛が冷えた」ようだったという、時間の経緯による変化なのかもしれません。さらに、
脛に傷ありそうなマスター
です。"脛に傷" なので、次のようなイメージが浮かびます。つまりこのマスターはジャズが好きだが、以前は全く別の仕事をしていた。そのときに人生における極めて辛い状況に陥った。それを契機にジャズ・バーのマスターに転身した。たとえばですが ・・・・・・。
このマスターは「いつも何かを怒ってる」とあるように、"気難し屋" のようです。何に怒っているのかは書いてありませんが、その直後の言葉に「昔の映画より 明日の芝居のポスターが古びている」とあります。これにひっかけて類推すると「最近の映画はつまらないし、演劇のクオリティーは低くなった」と怒っているのかもしません。そしてもう一つの人間模様としては、
ピアノを弾く客
です。「寝ていたかのよう客がふいとピアノ弾き始める、遠ざかるレコードを引き継いで」とあるので、フェイドアウトするレコードから引き継いだピアノ演奏です。アマチュアのジャズバンドをやっている人かも知れないし、ひょっとしたらプロのミュージシャンかも知れません。プロだとしたら、即興のピアノ演奏とも考えられるでしょう。
私
そして「私(=女性)」です。私は、
大好きな男がこの近くにいる。ただし、その男はこのジャス・バーを知らない。 | |
一人でジャズを聴きながら、お酒を飲む。 | |
お酒の量は「歩いて帰れる程度」で、かなり多め。 | |
深夜まで飲み、夜明け前のまだ暗いうちに(=町の日常が動き出す前に)店を出る(こともある)。 |
といった感じでしょうか。このジャズ・バーに通う大きな理由は「大好きな男がこの近くにいる」からなのでしょう。程度はさておき、女性の側からの "片思い" を匂わせる表現です。そうでないなら、2人でこの店に来ればよいはずです。詩に出てくるカップルのように ・・・・・・。
こういった "片思い" にまつわる詩は、70年代・80年代の中島さんの作品にいろいろあったと思います。しかしこの詩では、以前の作品のように "女性心理を突き詰める" というのではなく、「私」はあくまでこのジャズ・バーの人間模様の一つに過ぎません。そういった "軽さ" がこの詩の特徴でしょう。
実在の店を主題にするという手法
以上の内容は、「LADY JANE」という実在する店を舞台にし、その店の固有名詞を出した中で展開されます。こういった詩の作り方で真っ先に思い出すのが「店の名はライフ」です。この楽曲は1977年発表のアルバム「あ・り・が・と・う」に収められたもので、「LADY JANE」とは38年の時間差があることになります。
両曲とも実在する店をテーマにすることで人間模様(あるいは世相)を描いていますが、「LADY JANE」の詩は気負いがなく "肩の力が抜けている" 感じがします。曲調も中島さんの歌い方も軽快です。
特に「LADY JANE」は店の名前だけがタイトルであり、かつその名前が16回も繰り返されるところです。つまり主題は店であり、店が主人公の詩と言ってよいでしょう。その主人公である店が、人や町などの変化(や不変なもの)を語る。
"定点観測" という言葉があります。場所を固定して観測を続けていると、多様な人が行き交うことがわかると同時に、時間の流れと変化を感じることができる。「LADY JANE」は、変わらないものと変わるものの交差点である非日常空間を描いた詩、そう言えると思います。
サード・プレイス
「LADY JANE」の詩から、"サード・プレイス" という言葉に連想がいきました。サード・プレイス(第3の場所)とは、
自宅(ファースト・プレイス)や職場(セカンド・プレイス)とは隔離された、自分にとっての居心地の良い場所
の意味です。セカンド・プレイスは "自宅以外で1日の最も長い時間を過ごす場所" で、職場以外にも学校などが含まれます。ファースト・プレイスとセカンド・プレイスを「日常空間」とすると、サード・プレイスは「非日常空間」ということになるでしょう。
サード・プレイスでは、気ままに何かをしてもよいし、何もせずに無為の時間を過ごしてもよい。目的(たとえばジャズを聴く)があってそこに行ってもよいが、目的なしに行ってもよい。"そこに居る" こと自体が目的であっていいわけです。
また、そこに集まる人はすべてが平等です。常連客が雰囲気を支配しているような店はサード・プレイスにふさわしくない。
サード・プレイスがカフェ、バーなどの店だとしたら、その店は長期に存続し続けることが重要です。自分にとっての居心地のよさは、時間のフィルターで濾過されたものが自分に染み込むことで生まれるからです。ジャズ・バー「LADY JANE」がまさにそうで、1975年にオープンなので、中島さんが楽曲にするまでに40年間続いていることになります。
「LADY JANE」の詩から、日々の生活にとっての "サード・プレイス" の必要性や重要性を思いました。
2022-01-08 11:39
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No.321 - 燻製とローリング・ストーンズ [音楽]
テレビを見ていると、ドラマやドキュメンタリー、紀行番組などで BGM が使われます。トーク番組やバラエティでも、挿入される VTR には BGM付きがよくあります。そのような BGM は画面やシーンの "雰囲気づくり" のためで、視聴者としては何となく音楽を感じるだけで "聴き流して" います。しかし時々、良く知っている曲、しかも長いあいだ聴いていない曲が流れてきたりすると "懐かしい!" とか "久しぶり!" という感じになって、BGMの方に神経が行ってしまうことがあります。
一つの例を、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」に書きました。テレビ朝日の「怒り新党」という当時の番組のある回で(2016年8月3日)、中島みゆき「ホームにて」(1977)が BGM として流されたからです。この曲は JR東日本の CM にも使われたし、BGM にするのはありうるのですが、番組放送から40年近くも前の曲です。この曲が好きな人は "突如として" 懐かしさがこみ上げてくる感じになったと思います。そういった BGM の最近の例を書きます。NHKの番組「美の壷」のことです。
美の壷「煙の魔法 燻製」
NHK BSプレミアムで 2021年9月10日(19:30~20:00)に、
が放映されました。久しぶりにこの番組を見ましたが、出演は草刈正雄さん(案内人)と木村多江さん(ナレーション)で、番組の構成方法や進行は以前と同じでした。燻製を特集した今回の内容と出演者は次の通りです。
すべてに BGM がありましたが、"えっ!" と思ったのは、ローリング・ストーンズの2曲です。プロローグで「She's a Rainbow」(1967)、最後の燻製職人・安倍哲郎氏のところで「Lady Jane」(1966)が BGM に使われました。
そもそも「美の壷」の BGM はジャズのはずです。その象徴は、テーマ曲である番組冒頭のアート・ブレーキーの曲です。ジャズが使われるのは、この番組の初代の案内人だった故・谷啓氏がジャズマンだったことによるのだと思います。
全く久しぶりに「美の壷」を見たのですが、最近の BGM は全部がジャズというわけではないのでしょう。しかし半世紀以上前のローリング・ストーンズの曲で、しかも編曲(たとえばジャズに編曲)ではなくオリジナルの音源だったのには少々驚きました。もちろん時間の都合での編集はありましたが、ミック・ジャガー(現役です)の若い頃の声がそのまま流れてきました。「She's a Rainbow」と「Lady Jane」は、編曲であれば TV やカフェの BGM で聴いた記憶はあるのですが、「美の壷」ではオリジナル音源を使ったのが最大のポイントです。
「燻製」というテーマにローリング・ストーンズの曲というのも、一見ミスマッチのようですが、この場合は内容にフィットしていて、番組制作スタッフの(うちの誰かの)センスに感心しました。そこで、よい機会なので、BGM として使われた2曲を振り返ってみたいと思います。
She's a Rainbow
美の壷「煙の魔法 燻製」のプロローグは、今回の番組内容の紹介です。木村多江さんのナレーションは次の通りでした。
このナレーションのあいだ流れていたのが「She's a Rainbow」でした。この曲は、1967年のアルバム「Their Satanic Majesties Request」(サタニック・マジェスティーズ)に収録された曲です(YouTube に音源があります)。歌詞だけをとりあげると次の通りです。
原曲では最初の "客引き" の効果音のあと、ピアノのイントロが始まり、ミック・ジャガーのヴォーカルが続きます。もちろん「美の壷」の BGM として使われたのはピアノのイントロ以降です。
最初の客引きの声は、街でのお祭りか何かのフェアのようなものを想像させます。屋台が並び、ゲームもある。そのゲームに客を呼び込む声です。ゲームの内容は判然としませんが、ボールを使ったもので、客が成功すると棚の商品がもらえる。最後のインストルメンタルのところで雑音のような効果音(楽器で演奏したもの)がはさみ込まれるのも、"祭" の雑踏を想像させます。
そんな晴れやかな雑踏の中でも、彼女は虹のように輝いている。そういった詩だと思います。
Lady Jane
美の壷「煙の魔法 燻製」の最後は、北海道紋別市の燻製職人、安倍哲郎さんを取材したものでした。安倍さんはサクラマス、ホタテ、タコ、サバなどの魚介類の燻製を作っていますが、映像はサバの燻製作りでした。サバは身が柔らかく、出来上がりが美しいようにすべてを手作業で行います。サバの切り身の小骨を丁寧に取り、塩水につけたあと、一晩、しっかりと乾燥させます。
そして燻製小屋で、ミズナラのおがくずを使って燻します。おがくずを燻製棚の下に置きますが、おがくずの盛り方にも煙が多く出るための工夫があります。火が入ったおがくずは夜通し燃え、サバを燻し続けます。15時間かけて燻製にし、翌朝9時に取り出します。
なるほどと思います。燻製職人の安倍さんが目指すのは、最もおいしい燻製というより「究極に美しい燻製」なのですね。今回の「美の壷」の最後に安倍さんのエピソードを配した番組構成の意図が分かりました。
ミズナラのおがくずに火を付けるシーンで「Lady Jane」のイントロが流れ出しました。ギター伴奏による、アパラチアン・ダルシマーの旋律です。この「Lady Jane」は1966年のアルバム「Aftermath」に収録された曲です。
この歌詞の解釈はいろいろと可能だと思いますが、ジェーンとは16世紀英国のヘンリー8世の3番目の妃、ジェーン・シーモアのことだとするのが最も妥当だと思います。イントロから使われるダルシマーや、間奏以降のチェンバロが "古風な" 感じを与えます。音階で言うと "ソ" で始まって "ラ" で終わる旋律が教会音楽のようにも聞こえる。歌詞は手紙の文章のようで、古語が使ってあります(nigh = near)。ということで、試訳では Lady を貴族の女性に対する敬称と考えてそのまま "レディ" としました。
ジェーンがジェーン・シーモアのことだとすると、アンはヘンリー8世の2番目の妻のアン・ブーリンでしょう(エリザベス1世の母親。映画「1000日のアン」の主人公)。ジェーンはアンの侍女でした。侍女と言っても、ジェーンは貴族です。だとすると、マリーとはジェーンとは別の(Lady = 貴族、ではない)アンの侍女かもしれません。ヘンリー8世は生涯で6人の妻がいましたが、それ以外の愛人が多数いたことでも有名です。
とはいえ、「Lady Jane」が史実を歌っているわけではないでしょう。英国の歴史にヒントを得て、中世に思いを馳せる中で、自由に作られた詩という感じがします。
ちなみに、燻製職人の安倍さんは、慈しむようにミズナラのおがくずを整えて火をつけ、サケに切り身を燻製小屋につるしていました。「Lady Jane」の出だしである "My sweet" にピッタリでした。
ローリング・ストーンズの理由
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」(2021年9月10日)の BGM にローリング・ストーンズの楽曲がなぜ登場したのでしょうか。「美の壷」という番組内容、コンセプトにマッチしたストーンズの曲というと、5~6曲ぐらいしか思い浮かびませんが、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」はそのうちの2曲であることは確かです。しかし、なぜストーンズなのかということです。
これはひょっとしたら、2021年8月24日に逝去したローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツを偲んでのことではないでしょうか。ローリング・ストーンズの創設メンバーは5人ですが、ブライアン・ジョーンズは20歳台で亡くなり、ビル・ワイマンは脱退、チャーリー・ワッツが亡くなったことで、創設メンバーはミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人になってしまいました。
ということで「美の壷」が終わったあと、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」を聴き直し、続けて「Street Fighting Man」の切れ味の鋭いドラムス(特にゾクッとする感じのドラムの出だし)を聞き直したというわけです。
チャーリー・ワッツが亡くなったことと関係しているのかどうか、そこまで番組制作スタッフが意図したのかどうか、本当のところは分かりませんが、是非ともそう考えたいと思いました。
毎年、年末に近づくと新聞に、その年に亡くなった方を偲ぶ文章が掲載されます。10月末に、朝日新聞 文化くらし報道部の河村能宏記者がチャーリー・ワッツさんを偲んだ文章を書いていました。よい "惜別の辞" だと思ったので、ここにそれを掲載します。
本文中に書いた「Street Fighting Man」では、ギターのリフのあとにドラムが "かっこよく" 登場します。しかし河村記者としては「黙々と8ビートを刻む、ただそれだけ」の「Jumpin' Jack Flash」がチャーリー・ワッツらしいと言っているわけですね。なるほど ・・・・・・。足跡を振り返るにはその方がふさわしいかも知れません。
一つの例を、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」に書きました。テレビ朝日の「怒り新党」という当時の番組のある回で(2016年8月3日)、中島みゆき「ホームにて」(1977)が BGM として流されたからです。この曲は JR東日本の CM にも使われたし、BGM にするのはありうるのですが、番組放送から40年近くも前の曲です。この曲が好きな人は "突如として" 懐かしさがこみ上げてくる感じになったと思います。そういった BGM の最近の例を書きます。NHKの番組「美の壷」のことです。
美の壷「煙の魔法 燻製」
NHK BSプレミアムで 2021年9月10日(19:30~20:00)に、
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」
が放映されました。久しぶりにこの番組を見ましたが、出演は草刈正雄さん(案内人)と木村多江さん(ナレーション)で、番組の構成方法や進行は以前と同じでした。燻製を特集した今回の内容と出演者は次の通りです。
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美の壷 File550「煙の魔法 燻製」で紹介された多彩な燻製。NHKの公式ホームページより。 |
プロローグ |
今回の内容紹介。下記の「壷 一、二、三」の要点。 |
壺一(煙):煙が引き出す新たな魅力 |
燻製工房のオーナー・片桐晃【東京都世田谷】 鴨肉、牡蠣、プリン、チーズなどの燻製。 | |
アウトドアコーディネーター・小雀陣二【千葉県君津市】 アウトドアで簡単に作れる "ライトスモーク"(豚の肩ロース肉、醤油に漬け込んだ牛肉)。 |
壺二(多様):いぶしの技で千変万化 |
中国料理店オーナーシェフ・脇屋友詞 塩漬けにした豚バラ肉を、米、茶、砂糖を使って燻す中華の技法。 | |
料理人・輿水治比古【東京都赤坂】 塩、醤油、オリーブオイル、胡椒、ゴマなど、調味料の燻製。 |
壺三(風土):土地の恵みを末永く |
俳優・柳葉敏郎【秋田県大仙市】 大根を燻製にする秋田の郷土食、いぶりがっこ。 | |
燻製職人・安倍哲郎【北海道紋別市】 サクラマス、ホタテ、タコ、サバなど、魚介類の燻製。 |
すべてに BGM がありましたが、"えっ!" と思ったのは、ローリング・ストーンズの2曲です。プロローグで「She's a Rainbow」(1967)、最後の燻製職人・安倍哲郎氏のところで「Lady Jane」(1966)が BGM に使われました。
そもそも「美の壷」の BGM はジャズのはずです。その象徴は、テーマ曲である番組冒頭のアート・ブレーキーの曲です。ジャズが使われるのは、この番組の初代の案内人だった故・谷啓氏がジャズマンだったことによるのだと思います。
全く久しぶりに「美の壷」を見たのですが、最近の BGM は全部がジャズというわけではないのでしょう。しかし半世紀以上前のローリング・ストーンズの曲で、しかも編曲(たとえばジャズに編曲)ではなくオリジナルの音源だったのには少々驚きました。もちろん時間の都合での編集はありましたが、ミック・ジャガー(現役です)の若い頃の声がそのまま流れてきました。「She's a Rainbow」と「Lady Jane」は、編曲であれば TV やカフェの BGM で聴いた記憶はあるのですが、「美の壷」ではオリジナル音源を使ったのが最大のポイントです。
「燻製」というテーマにローリング・ストーンズの曲というのも、一見ミスマッチのようですが、この場合は内容にフィットしていて、番組制作スタッフの(うちの誰かの)センスに感心しました。そこで、よい機会なので、BGM として使われた2曲を振り返ってみたいと思います。
She's a Rainbow
美の壷「煙の魔法 燻製」のプロローグは、今回の番組内容の紹介です。木村多江さんのナレーションは次の通りでした。
|
このナレーションのあいだ流れていたのが「She's a Rainbow」でした。この曲は、1967年のアルバム「Their Satanic Majesties Request」(サタニック・マジェスティーズ)に収録された曲です(YouTube に音源があります)。歌詞だけをとりあげると次の通りです。
![]() |
The Rolling Stones 「Their Satanic Majesties Request」 (1967) |
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原曲では最初の "客引き" の効果音のあと、ピアノのイントロが始まり、ミック・ジャガーのヴォーカルが続きます。もちろん「美の壷」の BGM として使われたのはピアノのイントロ以降です。
最初の客引きの声は、街でのお祭りか何かのフェアのようなものを想像させます。屋台が並び、ゲームもある。そのゲームに客を呼び込む声です。ゲームの内容は判然としませんが、ボールを使ったもので、客が成功すると棚の商品がもらえる。最後のインストルメンタルのところで雑音のような効果音(楽器で演奏したもの)がはさみ込まれるのも、"祭" の雑踏を想像させます。
そんな晴れやかな雑踏の中でも、彼女は虹のように輝いている。そういった詩だと思います。
Lady Jane
美の壷「煙の魔法 燻製」の最後は、北海道紋別市の燻製職人、安倍哲郎さんを取材したものでした。安倍さんはサクラマス、ホタテ、タコ、サバなどの魚介類の燻製を作っていますが、映像はサバの燻製作りでした。サバは身が柔らかく、出来上がりが美しいようにすべてを手作業で行います。サバの切り身の小骨を丁寧に取り、塩水につけたあと、一晩、しっかりと乾燥させます。
そして燻製小屋で、ミズナラのおがくずを使って燻します。おがくずを燻製棚の下に置きますが、おがくずの盛り方にも煙が多く出るための工夫があります。火が入ったおがくずは夜通し燃え、サバを燻し続けます。15時間かけて燻製にし、翌朝9時に取り出します。
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盛り方を工夫したミズナラのおがくずを燻製小屋で一晩中燃やしてサバを燻す。安倍氏が目指す「究極美しい」燻製。番組より。 |
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なるほどと思います。燻製職人の安倍さんが目指すのは、最もおいしい燻製というより「究極に美しい燻製」なのですね。今回の「美の壷」の最後に安倍さんのエピソードを配した番組構成の意図が分かりました。
ミズナラのおがくずに火を付けるシーンで「Lady Jane」のイントロが流れ出しました。ギター伴奏による、アパラチアン・ダルシマーの旋律です。この「Lady Jane」は1966年のアルバム「Aftermath」に収録された曲です。
なお、ローリング・ストーンズが1966年に "エド・サリヴァン ショー" に出演して「Lady Jane」を歌ったときの動画が YouTube で公開されています(2021.10.2 現在)。この中でキース・リチャーズのギターに続いて、ブライアン・ジョーンズがアパラチアン・ダルシマーを演奏する貴重な姿を見ることができます。
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The Rolling Stones 「AFTERMATH」(1966) |
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この歌詞の解釈はいろいろと可能だと思いますが、ジェーンとは16世紀英国のヘンリー8世の3番目の妃、ジェーン・シーモアのことだとするのが最も妥当だと思います。イントロから使われるダルシマーや、間奏以降のチェンバロが "古風な" 感じを与えます。音階で言うと "ソ" で始まって "ラ" で終わる旋律が教会音楽のようにも聞こえる。歌詞は手紙の文章のようで、古語が使ってあります(nigh = near)。ということで、試訳では Lady を貴族の女性に対する敬称と考えてそのまま "レディ" としました。
ジェーンがジェーン・シーモアのことだとすると、アンはヘンリー8世の2番目の妻のアン・ブーリンでしょう(エリザベス1世の母親。映画「1000日のアン」の主人公)。ジェーンはアンの侍女でした。侍女と言っても、ジェーンは貴族です。だとすると、マリーとはジェーンとは別の(Lady = 貴族、ではない)アンの侍女かもしれません。ヘンリー8世は生涯で6人の妻がいましたが、それ以外の愛人が多数いたことでも有名です。
とはいえ、「Lady Jane」が史実を歌っているわけではないでしょう。英国の歴史にヒントを得て、中世に思いを馳せる中で、自由に作られた詩という感じがします。
ちなみに、燻製職人の安倍さんは、慈しむようにミズナラのおがくずを整えて火をつけ、サケに切り身を燻製小屋につるしていました。「Lady Jane」の出だしである "My sweet" にピッタリでした。
ローリング・ストーンズの理由
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」(2021年9月10日)の BGM にローリング・ストーンズの楽曲がなぜ登場したのでしょうか。「美の壷」という番組内容、コンセプトにマッチしたストーンズの曲というと、5~6曲ぐらいしか思い浮かびませんが、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」はそのうちの2曲であることは確かです。しかし、なぜストーンズなのかということです。
これはひょっとしたら、2021年8月24日に逝去したローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツを偲んでのことではないでしょうか。ローリング・ストーンズの創設メンバーは5人ですが、ブライアン・ジョーンズは20歳台で亡くなり、ビル・ワイマンは脱退、チャーリー・ワッツが亡くなったことで、創設メンバーはミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人になってしまいました。
ということで「美の壷」が終わったあと、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」を聴き直し、続けて「Street Fighting Man」の切れ味の鋭いドラムス(特にゾクッとする感じのドラムの出だし)を聞き直したというわけです。
チャーリー・ワッツが亡くなったことと関係しているのかどうか、そこまで番組制作スタッフが意図したのかどうか、本当のところは分かりませんが、是非ともそう考えたいと思いました。
補記:惜別 |
毎年、年末に近づくと新聞に、その年に亡くなった方を偲ぶ文章が掲載されます。10月末に、朝日新聞 文化くらし報道部の河村能宏記者がチャーリー・ワッツさんを偲んだ文章を書いていました。よい "惜別の辞" だと思ったので、ここにそれを掲載します。
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本文中に書いた「Street Fighting Man」では、ギターのリフのあとにドラムが "かっこよく" 登場します。しかし河村記者としては「黙々と8ビートを刻む、ただそれだけ」の「Jumpin' Jack Flash」がチャーリー・ワッツらしいと言っているわけですね。なるほど ・・・・・・。足跡を振り返るにはその方がふさわしいかも知れません。
(2021.11.3)
2021-10-02 08:42
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No.306 - プーランク:カルメル会修道女の対話 [音楽]
フランス革命
今回は No.42 「ふしぎなキリスト教(2)」 と No.138「フランスの "自由"」で触れた、フランシス・プーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」(1957)について書きます。このオペラは実話にもとづいています。つまり、
フランス革命のさなかの 1794年7月17日、カトリックの修道会の一つである "カルメル会" の修道女・16人が、反革命の罪によりパリで処刑された
という歴史事実を題材にしたオペラです。フランス革命の勃発(バスティーユ襲撃、1789年7月14日)から5年後、マリー・アントワネットの処刑(1793年10月16日)からは9ヶ月後、ということになります。
フランス革命は現在のフランス共和国の原点ですが、重要なのは、貴族とともに聖職者(カトリック)が打倒されて市民(=ブルジョアジー)が権力を握ったことです。この「フランスの "国のかたち" は宗教を打倒してできた」という歴史から理解できることがあります。No.138「フランスの "自由"」に書いたように、フランスの伝統的な自由の考え方は、
宗教といえども、イデオロギーや思想の一つである。他のさまざまな思想と横並びで同等である。 | |
従って「言論の自由」の中には「宗教を批判する自由」も含まれる。これはフランス国民の権利である。 |
というものです。従って、キリストやムハンマド(イスラム教)を戯画化して描いた風刺画を雑誌や新聞に載せるのはかまわない。いわば "フランス的自由" です。
2015年1月7日、フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリの本社に2人のテロリストが乱入して銃を乱射し、編集長、編集関係者、風刺画家、警官の12人が射殺されました。また2020年10月16日、ムハンマドの風刺画を授業で使った中学校教師がパリ郊外で首を切断して殺されました。
2つとも卑劣極まりない犯罪ですが、その誘因になったのが "フランス的自由" でしょう。しかしこの "自由" をフランスは絶対に守るはずです。でないと、神に祈りを捧げるだけの存在だった16人の修道女たちを何のためにギロチンにかけたのか分からなくなる ・・・・・・。大袈裟に言うと、そういうことではないでしょうか。
そしてプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」ですが、実は、カルメル会修道女の(カトリック教会からみた)"殉教" は、絵画になり、小説に取り上げられ、舞台劇になり、そしてプーランクがオペラ化しました(さらに映画化もされた)。その、殉教からオペラ作曲に至る経緯を中野京子さんが書いていました。まずそれを順に紹介したいと思います。
宣誓忌避派の聖職者を処刑
カルメル会修道女、16人は、フランス革命のさなかに死刑宣告をうけ、ギロチンで処刑されました。なぜこういうことになったのか。それは革命の経緯と関係しています。
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フランス革命の過程においては、国教であったカトリックの無力化、教会の機能不全化が進められました。No.42「ふしぎなキリスト教(2)」 に書きましたが、現在の世界遺産、モン・サン=ミシェルの修道院が監獄に転用されたのが象徴的です。
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宣誓忌避派の聖職者からすると、自分が帰依して忠誠を誓うのは神のみであり、革命政府ではないということでしょう。
コンピエーニュの女子カルメル修道会
コンピエーニュはパリの北東、約80kmにある町です。ここにあったカルメル会の女子修道会が舞台です。
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上の引用の最後のパラグラフで、修道院長が「聖アウグスチヌスのマザー・テレサ」とあるのはシスター名(修道名)です。プーランクのオペラでは "新修道院長" となっている修道女です。また修道女・コンスタンスもオペラに出てきます。
ドラローシュが描いた『ギロチン』
カルメル会修道女の殉教の場面は、19世紀のフランスの画家、ポール・ドラローシュ(1797-1856)によって描かれました。ドラローシュといえば、英国史を題材とした『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)がつとに有名ですが、もちろん自国の歴史を題材にした作品も描いています。『ギロチン』はその1枚です。
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ポール・ドラローシュ(1797-1856) 「ギロチン」 |
(Private Collection) |
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「縦長のカンヴァス」が怖いし、「凄惨な場面らしからぬ青空」も怖い絵です。しかし、その青空に描かれた白い雲は円を描くよう浮かんでいて、これは修道女たち全員のための大きな光輪のように見える。青空はこの雲を描くためのものであり、同時に天国の暗示なのでしょう。画家はそう意図したのだと思います。
小説『断頭台下の最後の女』
さらにこの修道女の殉教は、20世紀のドイツの作家、ル・フォールによって小説化されました。素材になったのは、唯一、殉教をまぬがれた修道女、マザー・マリーの手記です。
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ル・フォールが創作した架空のヒロイン、ブランシュは、プーランクのオペラにも引き継がれることになります。
プーランクによるオペラ化
ル・フォールの『断頭台下の最後の女』は映画化が計画され、フランスの文学者・思想家のジョルジュ・ベルナノス(1888-1948)によってシナリオが作成されました。しかし映画化より前に、このシナリオを戯曲として舞台劇が上演されます。プーランク(1899-1963)はこの戯曲を読み、また実際に舞台劇も観てオペラ化を決心します。
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「最近もニューヨークのメトロポリタンオペラで上演されて大評判になった」とありますが、日本では、2019年5月11日のメトでの公演がMETライブビューイングで上映されました(2019.6.7 ~ 6.13)。
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メトロポリタン・オペラ 「カルメル会修道女の対話」 |
METライブビューイングの公式ホームページにあるリハーサルの動画の画像。最後の殉教の場面である。「シュッ、ドン、という戦慄的な音」が舞台に響く。 |
プーランク:カルメル会修道女の対話
そのプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」の概要を、人物を中心に書いておきます。舞台は1789年のフランスです。登場人物の6人だけを書きますが、この6人のうちド・ラ・フォルス家の騎士とブランシュは架空の人物です。以下に出てくる訳語は、最後に掲げたオペラのリブレット(台本)と合わせました。
ド・ラ・フォルス騎士
このオペラはド・ラ・フォルス騎士と父親のド・ラ・フォルス伯爵が屋敷で会話するところから始まります。ド・ラ・フォルス騎士は、極端に臆病で恐怖を感じやすい妹、ブランシュの行く末を心配しています(第1幕 第1場)。
革命が進行するなかで、彼は外国へ逃れる決意を固め、ブランシュに別れを告げようと密かに修道院を訪れます。身の安全のために修道院を離れるようにブランシュに言いますが、それは拒否されました(第2幕 第3場)。
なお、ド・ラ・フォルス家ですが、後の進行で、伯爵は捕らえられて処刑されたことが語られます(第3幕 第2場)。屋敷は荒らされ、部外者に占拠されてしまいます。
ブランシュ・ド・ラ・フォルス
このオペラのヒロインです。小さいときから内気でおびえやすく、恐怖を感じやすい女性です。この性格では普通の生活ができないと感じた彼女は、コンピエーニュのカルメル修道会に入会します。シスター名は「キリストの聖なる臨終のブランシュ」を選びました(第1幕 第2場)。
修道院では若いシスターのコンスタンスとともに祈りの生活を送りますが(第2幕)、革命が進行し、修道院が解散を命じられ、修道女たちが殉教の誓いをかわす事態になって、恐怖を感じた彼女はパリの自宅屋敷に逃げ帰ってしまいます(第3幕 第1場)。
屋敷の占拠者たちの召使いとして働いているところへ、副修道院長のマザー・マリーが訪ねてきて、コンピエーニュへ戻るように説得しますが、それは拒否します(第3幕 第2場)。
しかしブランシュは、街で会った人からカルメル会の修道女たちが逮捕されたことを知りました。いったんは仲間を裏切ったものの、自分の魂にそぐわない生き方をするよりはと、彼女は処刑場と向かいます。そして人々が驚く中、心安らかに断頭台へと登っていきました(第3幕 第4場)。
修道院長(ド・クロワシー夫人)
貴族出身の修道院長で、ブランシュを修道院に受け入れます。そのときにはブランシュの動機を確かめ、世の中から逃れたい気持ちで修道院に入るのはよくない、カルメル会は祈りを目的とした修道会であると戒めました(第1幕 第2場)。
院長は病気にかかり、死の恐怖と闘いながらも、ブランシュのことを気にかけ、行く末を案じてマザー・マリーにブランシュを託しました。そして、苦しみと絶望のうちに亡くなります(第1幕 第4場)。
新修道院長(リドワーヌ夫人)
シスター名は「聖アウグスチヌスのマザー・テレサ」です。平民出身の新修道院長は、平易で率直な言葉で修道女たちに語ります。安全で平和な時代は終わり、これから修道女たちはいつ告発されるか分からない。しかし、どんな危険が身に迫ろうとも、自分たちの務めである祈り以外のことに気を取られてはならないと、彼女は修道女たちを戒めました(第2幕 第2場)。
修道女たちといっしょに逮捕され、パリの監獄に投獄されたときも修道女たちを励ま続け、自ら殉教の誓願を立てます(第3幕 第3場)。そして最初に断頭台へと登っていきました(第3幕 第4場)。
マザー・マリー
副修道院長で、シスター名は「托身のマザー・マリー」です(託身=受肉=Incarnation)。死のベッドにあるド・クロワシー夫人からブランシュを託されました(第1幕 第4場)。
革命が進行するなかで、マザー・マリーはカルメル会修道女たちに、殉教者になるよう呼びかけます。そして、革命政府の人民委員がやってきて修道院の没収と修道会の解散を言い渡したた時には、冷静に毅然とした態度で応対しました(第2幕 第4場)。
マザー・マリーはパリの自宅に戻ったブランシュを訪ね、コンピエーニュに戻るように説得しますが、恐怖心から逃れられないブランシュは、そっとしてくれるように頼みます。マザー・マリーはパリでの安全な連絡先をブランシュに教えて去ります(第3幕 第2場)。
マザー・マリーはパリに出て修道院付きの司祭と落ち合ったとき、修道女たちに逮捕され死刑が宣告されたことを聞かされます。マザー・マリーは自分だけが死を免れたことを非常に恥じますが、司祭はそれも神のご意志だと告げました(第3幕 第3場のあとの幕間)。
シスター・コンスタンス
若い修道女で、ブランシュと親しくなります。シスター名は「聖ドニのシスター・コンスタンス」です。
コンスタンスは、ブランシュと自分の命を神に捧げようと言い、2人が若くして同じ日に死ぬだろうと予言します(第1幕 第3場)。
また彼女は修道院長の苦しみながらの死について自分なりの考えを言います。つまり、神が死を与える相手を間違えたのであり、そのため、あまり徳が高くない別の誰かが修道院長に与えられるはずだった臨終を享受し、死がとても心安らかで快いものであることにびっくりするはずだと言うのです(第2幕 第1場のあとの幕間)。
マザー・マリーが殉教を提案し、修道女全員が秘密投票をしたときには、唯一、反対票を投じました。しかし彼女は名乗り出てて翻意を懇願し、認められます(第3幕 第1場)。ブランシュが修道院から去ったあとは気がかりで仕方ありませんが、監獄に入れられたときもブランシュが必ず自分たちのもとへ戻ってくると信じていました(第3幕 第3場)。
断頭台では、修道女たちは聖母マリアを讃える Salve Regina(めでたし女王)を歌いながら、一人ずつ修道院長を先頭に階段を登ります。しんがりを務めていたコンスタンスは、断頭台に登りかけ、群衆の中にブランシュを見つけて顔を輝かせました(第3幕 第4場)。
このオペラは「カルメル会修道女の対話」というタイトルのため、ソプラノやアルトの女声が延々と続くと誤解されそうですが、そうではありません。そもそもオペラの冒頭はド・ラ・フォルス家での伯爵(バリトン)と騎士(テノール)の対話です。騎士は修道院にもやってきます。さらに司祭や革命政府側の人物などの男声もあり、変化があります。
とはいえ、メインストリームは修道女たちの対話であることは間違いありません。では、彼女たちは運命を受け入れ、殉教に向かって粛々と進んでいくのかというと、そう単純ではないのです。
たとえばヒロインのブランシュは、殉教の誓願が行われるなか、怖くなって修道院から逃げ出してしまいます(第3幕 第1場)。自宅までやってきたマザー・マリーの説得にも応じません(第3幕 第2場)。最後の最後に思い直して断頭台へ向かいます。
修道院長は苦しみと死の恐怖のなかで亡くなります。死ぬ前に彼女は「神は私たちを守ってくださらない! 神は私たちを見捨てた!」と、"神への冒涜" ともとれる発言をします(第1幕 第4場)。修道院長というと何十年も祈りの生活を送ってきた高潔な人物のはずですが、この死は修道女たちにショックを与えます。
殉教の誓願についての秘密投票では一人、反対票を投じた修道女がいました。コンスタンスは自分だと名乗り出て、翻意(賛成にまわる)ことを懇願します(第3幕 第1場)。
以上のように、修道院の財産の没収、修道会は解散、そして死刑判決という過酷過ぎる状況のなかで、修道女たちの心も揺れ動くのです。そのドラマが見所の一つだと思います。
このオペラができた経緯を振り返ると、小説を書いたル・フォール、戯曲を書いたベルナノス、オペラ化したプーランクはカトリック教徒です。そしてオペラのテーマは、一言で言うと「殉教」です。特に、修道院から逃げ出したブランシュが最後に殉教の道を選び、殉教を主導していたマザー・マリーが結果として生き延びるという展開は、テーマと密接に関係しているのでしょう。カトリック教徒ならすんなりと理解し共感できるのだと思います。
しかし非クリスチャンの立場からみると、どうしても "不可解さ" が残ります。つまり、純粋に祈りの生活を送っていただけの女性たちが断頭台で死刑になるという、そのプロセスや理由が理解しにくいのです。
もちろんこれには革命政府側の要因と、修道女側の要因があります。フランス革命の歴史を知ると、革命によって教会、修道院、聖職者が "打倒された" ことがわかるし、またキリスト教の歴史をみると、キリストの弟子から始まってローマ帝国時代や中世ヨーロッパまで "殉教者" に満ちています。日本でも殉教者が出ました。
そういう "知識による理解" はできたとしても、このオペラの進行は心理的に納得ができない面があります。なぜそのようにコトが進むのか、その理由がわからない不条理劇のようにも思える。
しかしひるがえって考えてみると、宗教とは離れて一般的に(コトの大小は別にして)不条理な出来ごとに遭遇することは人生においてあります。まったく理由がないのに長く苦しまないといけないことがある。そういう不条理に遭遇したとき、人はどう生きるべきか。苦しみや悲痛、もがきや葛藤のなかから、どうやって人間の崇高さを示して心の平安を見いだせるのか、そういったドラマとしてこのオペラを観てもよいと思います。
何と言っても、このオペラの魅力はプーランクの音楽でしょう。実は「カルメル会修道女の会話」は、プーランク(1899年生まれ)の生誕100年を記念して、1998年9月のサイトウ・キネン・フェスティバルで上演されました(松本文化会館)。パリ・オペラ座との共同製作です。この公演について、作家の村上春樹さんが次のように書いていました。
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メスメライジング(mesmerizing)という難しい言葉が使ってありますが、メスメライズ(mesmerize)とは「魅惑する」「催眠術にかける」という意味です。ここから mesmerizing は「魅惑的な」という意味になりますが、こでは「催眠術にかけられたように魅了される」意味で使ってあります。村上さんは「テキストの晦渋とテクスチャーの滑らかさ」と書いていますが、
台本・言葉 | ||
肌触り = メロディーやオーケストレーション = 音楽 |
と考えると、「台本は難解だが、音楽から感じる "肌触り" は滑らかで美しい」ということでしょう。的確な表現だと思います。
以下、「メスメライジング(催眠術的)な美しさを湛えた音楽」をここにアップすることはできないので、テキスト(台本)を掲載しておきます。このオペラを "深堀り" したいと思う方に参考になると思います。
オペラ「カルメル会修道女の対話」のリブレット
今後「カルメル会修道女の対話」を鑑賞する人のための参考として、このオペラのリブレット(台本)の日本語訳を掲載します。これは、次の2枚組CDのブックレットのものです。
ケント・ナガノ指揮
リヨン・オペラ座管弦楽団
カトリーヌ・デュポス(ソプラノ、ブランシュ役)他
(録音:1990年。東芝EMI)
リヨン・オペラ座管弦楽団
カトリーヌ・デュポス(ソプラノ、ブランシュ役)他
(録音:1990年。東芝EMI)
以下にある「Disc1-Track1」などは、このCDの「ディスク番号ートラック番号」なので、台本を読む上では無視してください。
カルメル会修道女の対話 (Dialogues des Carmélites)
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Disc1-Track1
第1幕第1幕 第1場
ド・ラ・フォルス侯爵の書斎、1789年4月
《豪華でエレガントな調度品で飾られた部屋。侯爵は大きな寝椅子でうたた寝をしている。息子のド・ラ・フォルス騎士が部屋に突然入ってくる。入り口の大きな扉は、開けっ放しのままだ。》
騎士
ブランシュは?
侯爵
《不意を打たれて》
いや、知らないよ。侍女たちに聞いたらどうかね、トルコ人のごとく私の部屋に 闖入してくる代わりに。
騎士
申し訳ありません。
侯爵
あなたの歳では血気盛んなのも無理からぬこと、私の歳になると自分の習慣にこだわるのが当たり前のようにね。あなたのおじさんが来ていたので、いつもの午睡が出来なかった。それで、正直なところ、少しうとうとしていたのだ。だが、いったいブランシュに何の用があるのだね?
騎士
ロジェ・ド・ダマがここを出ようとしたところ、群衆を避けるために2度も道を引き返さなくてはならなかったそうです。噂では、奴らがグレーヴ広場でレヴェイヨンの絵を焼き払おうとしているとか。
侯爵
燃やしてしまえばいい! 酒が2スーで手に入るとあっては、春の陽気で人々が少しのぼせ上がるのも仕方あるまい。そのうち冷めるさ。
騎士
こんなことはあまり申し上げたくないのですが、妹の馬車に関する限り、父上の予言は外れる恐れがありますぞ。ダマが目撃したのですが、妹の馬車がビュシの四つ角で群衆に止められたそうです。
侯爵
馬車……群衆……失礼、このような光景にうなされたことが幾夜あったことか……最近になって、暴動だ、いや革命だと噂が飛び交っているが、パニック状態に陥った群衆を見たことがない者にはなにも分かるまい……唇をゆがめた幾多の顔。幾千、幾千もの目……あれは王太子の婚礼の晩のことだった。花火がはじまると、突然、打ち上げ花火の束に火が燃え移り、群衆がパニックに陥った。あなたのお母さんは馬車の扉にかんぬきをかけ、御者は馬をむち打って走らせようとした。だが馬車は群衆に取り囲まれ、窓ガラスが一枚、叩き割られた……
《侯爵は顔を手で覆った。》
Disc1-Track2
運良く兵士たちがやってきて、我々を救い出してくれた。数時間後、この家に戻ったあなたのお母さんは、ブランシュを産み落とすと亡くなった。
騎士
父上、申し訳ありません。もっと自重すべきでした……またしても、軽率な発言をしてしまいました。
侯爵
いやいいんだ。私の古い頭もすぐ血が上るたちでね……馬車は頑丈だし、老馬たちは決して驚かない。アントワーヌは20年前からこの家に仕えている。あなたの妹に悪いことなどなにも起こるはずがない。
騎士
妹に危害が加えられることを恐れているのではありません。心配しているのはあのおびえやすい性格のことです。
侯爵
ブランシュは確かに感受性が強すぎるようだ。ちゃんとした結婚をすれば落ち着くだろう。さあ、さあ! きれいな娘が少々臆病でも悪いことはあるまい。どうせ、腕白な甥っ子たちに手を焼くようになるまでの辛抱さ。
騎士
私は真剣に言っているのです。ブランシュの健康がおびやかされ、もしかしたら命さえ落とすことになるかもしれない原因は単に臆病なことではありません。魂という樹の芯が凍り付いてしまっているのです……
侯爵
まったく、あなたは迷信深い村人のようなしゃべり方をするね。ブランシュはごく普通の娘だと思うよ。はしゃいでいるときもあるではないか。
騎士
そうでしょうとも。私も妹の態度について惑わされ、妹か不幸な宿命から逃れられたのかと思いかける時もあるのですが、そのまなざしにやはり不吉なものを感じるのです。
侯爵
ブランシュはお付きの女性と一緒に、もう今にでも戻ってくるだろう。そうしたら、あなたの取り越し苦労だったことが分かるだろうし、ブランシュもほっとするさ。
騎士
ブランシュはいつものようにちょっと怖い思いをしただけで、それ以上のことはなにもないとおっしゃりたいのですか? それ以上のことはなにもない! ことブランシュに関しては、心配でなりません。あんなに気高くて誇り高いんですから! 果物に巣くう虫のようにじわじわと、悪は妹の中に入り込んでいるのです。
侯爵
たわごとにすぎん!
《開けてあった扉からブランシュが不意に姿を現す。あまりにも唐突だったので、二人の最後の言葉をブランシュが耳にしたかどうか、よく分からない。》
Disc1-Track3
ブランシュ、お兄さんはあなたのことを待ちかねていたよ。
ブランシュ
お兄さまは哀れな野ウサギである私に親切すぎますわ……
騎士
私たち二人だけの冗談をところ構わず言うのはやめなさい。
ブランシュ
《陽気に振る舞おうと務めながら》
野ウサギは巣の外で一日を過ごす習慣がありません。私は自分の巣と一緒に移動していましたけれど。ですが、臆病な私とあの群衆を隔てるものがたった一枚のガラスとあって、一時はほんとうに心細く思いましたわ。きっと、とてもばかげた振る舞いをしていたに違いありません。
騎士
ビュシの四つ角であなたを見かけたダマ氏から聞いたのだが、ガラス越しに見えたあなたは非常に落ち着いた態度だったそうだ……
ブランシュ
まあ! ダマ氏はきっと、ご自分がご覧になりたいものしかご覧になっていらっしゃらなかったのですわ……私が落ち着いた態度に見えたと本当におっしゃったんですか? 危ない目に遭うのは冷たい水に入るようなものかもしれませんわね。最初、息が止まる思いがしても、肩まで浸かると楽になりますもの。
《気が遠くなりかけ、椅子の背につかまる。》
聖母訪問修道女会の儀式はとても長くて、すっかりくたびれてしまいました。きっとだからこんなばかげた発言をしているのですわ。お父様のお許しをいただいて、夕食まで少し休むことにします。あら! 今日は日の暮れるのが早いこと。
侯爵
一雨来そうな空模様だ。
《ブランシュ、戸口へ向かう。》
騎士
部屋に戻るのなら、すぐに明かりを持ってこさせて、誰か一緒にいてもらいなさい。薄暗くなるともの悲しい気分になるのだろう。小さい頃よく私にこう言っていたじゃないか。「私は毎晩死んで、毎朝生き返るのよ」って。
ブランシュ
なぜなら、朝と呼べるものは復活祭の朝しかないからです。でも毎晩がキリストの聖なる臨終の晩なのですよ……
《戸を開け放ったまま、ブランシュは出ていく。侯爵と騎士は呆然と見送る。》
Disc1-Track4
侯爵
《気を取り直そうと努めて》
相変わらず極端だな。いったい、あの最後の言葉はどんな意味なのだ?
《侯爵、寝椅子に再び腰をおろす。》
騎士
分かりませんがそんなことは問題ではない! あの眼と声が胸に突き刺さるんです……
《重苦しい雰囲気を断ち切るように突然、口調を変えて》
もう馬を馬車から外し終わった頃でしょう。ひとつアントワーヌに、どんな様子だったのか訊ねてきますよ。
《騎士は出ていく。侯爵はうたた寝をしている。》
ブランシュ
《別な部屋で》
きゃあ!
騎士
《びっくりして》
ティエリー、お前か?
《戸へ走り寄って呼ぶ》
おい、なにが起こった?
《ティエリー登場。ちょっと頭の悪そうな従僕だ。》
ティエリー
《縮み上がっている》
ロウソクの火をつけていたところにブランシュ様が部屋に入ってこられて……壁に映った私の影にびっくりされたのだと思います。カーテンがもう閉めてありましたもので。
《真っ青な顔をしたブランシュが戸口に現れる。声や態度、顔の表情からは絶望とあきらめ、そしてなにやら決断した様子がうかがえる。》
Disc1-Track5
侯爵
《努めて陽気そうに》
何ごともなくてよかったじゃないか。
ブランシュ
お父様はとても寛大で優しい心をお持ちです……
侯爵
とるにたらないことはもう忘れよう。
ブランシュ
お父様、どんなにとるにたらないことでも、そこには神様のご意志が働いていらっしゃるのです。たった一滴の雨に広大な空が凝縮されているように。私はご許可を得て、カルメル会の修道女になりたいと思います。
侯爵
カルメル会だと!
ブランシュ
ほんとうはそれほど驚いていらっしゃらないでしょう。
侯爵
あなたのように貞淑な娘には、熱心な信仰の教えも心配の種だよ。そんなに誇り高くなかったら、悲鳴を上げたぐらいのことでくよくよしないだろう。世の中がいやになったからと修道院に入るのはいかがなものかね。
ブランシュ
世の中を軽蔑しているのではありません。ただ、私はここで生きられないと思うのです。お父様、うるさい音や騒ぎに、私は肉体的に耐えられません。神経の休まる場所へ行かせていただければ、自分になにが出来るのか、分かると思います。
Disc1-Track6
侯爵
日々の試練にあなたが耐えられないかどうか決めるのはあなた自身だ……
《ブランシュは、寝椅子に座っている父の足下に身を投げかける。》
ブランシュ
お父様、お願いですから言い逃れはもうやめてください。お願いですから、私の人生を台無しにしているこのひどい欠点を直す術があると信じさせてください! これが天のご意志だという希望を抱いていなかったら、今、あなたの足下で不名誉を恥じて死にましょう。お父様のおっしゃる通り、試練はまだ終わっていないのかもしれません。
ですが神は私を恨んだりしないでしょう。神が名誉を返してくださるよう、すべてを神に捧げ、すべてを捨て、すべてを諦めましょう。
《侯爵は物思いに耽りながら、自分の膝に突っ伏したブランシュの頭を静かになでる。》
Disc1-Track7
第1幕 第2場前奏曲
Disc1-Track8
コンピエーニュのカルメル修道会の面会所
《数週間後。修道院長とブランシュは、二重格子を隔てて話し合っている。修道院長のクロワッシー夫人は老いた女性で、明らかに体の具合が悪そうだ。》
修道院長
《格子に自分の椅子を近づけようと不器用に試みながら》
地位の特権として、ひじかけ椅子にすわっていると思わないでください。国王の面前で腰をかけることを許された貴族とは違うのです! 私の看病を熱心にしてくれる修道女たちのためにも、ここにゆったりと腰掛けていられたらと思います。ですがずっと昔に忘れてしまった古い習慣を取り戻すのは難しいものです。楽しみであるべきものが私にとっては、辛いけれど必要なこととしか、もう決して感じられません。
ブランシュ
院長様のように、もう元に戻ることがないほど深く解き放たれている自分を感じるのは、さぞかし素晴らしいことでしょう。
修道院長
習慣は一切のものから解き放してくれるものですよ。ですが、修道女にとってそれがなにになりましょう。自分自身から解き放たれる、つまり自己解脱ができないのなら?……
Disc1-Track9
ここの厳しい規則にも、あなたはひるむ様子がありませんね!
ブランシュ
厳しいことに惹かれます。
修道院長
あなたが高潔な魂の持ち主であることは分かります……なぜカルメル修道会を選んだのですか?
ブランシュ
すべてを正直におはなしせよとおっしゃるのですか?
修道院長
そうです。
ブランシュ
それでは申しますが、栄光にみちた生活に惹かれたのです。
修道院長
栄光にみちた生活に、でしょうか、それとも栄光をたやすく、いわば、すぐ手の届くものだという思いこみをあなたに抱かせるような、ある種の生活に惹かれたのでしょうか。
ブランシュ
院長様、そのような計算をしたことは決してありません。
修道院長
もっとも危険な計算には、幻想という名がついています。
ブランシュ
私も幻想を抱くことがあるかもしれません。それを取り除いていただくことこそ、私の切なる願いです。
修道院長
《言葉をかみしめるように》
あなたからそれが取り除かれますように……それはあなた一人でやるべきことです。ここにいる誰もが、自分自身の幻想で手一杯なのですから。
Disc1-Track10
あの修道女たちは何の役に立っているのか、と人々は私たちのことを不思議がります。それも結局、無理からぬことなのです。ここの修道会は苦行したり徳を守るための場所ではありません。ここは祈りの場であり、祈りだけが私たちの存在を正当化するのです。祈りを信じない人は、私たちを詐欺師か、人にたかる存在と見るでしょう。神の信仰が普遍的なものならば、祈りもそうあるべきではありませんか? ですから、どの祈りも、たとえ群を守る牧童の祈りであっても、それは人類の祈りなのです。牧童が気が向いたときに行うことを、ここの修道会では昼夜行わなくてはなりません。カルメル修道会の精神からすれば、同情は禁物なのですが、年老いて病気を患い、終わりをもうすぐ迎える私があなたに同情しても構いますまい。たいへんな試練があなたを待ち受けているのですよ。
ブランシュ
神が力をお与えくだされば構いません。
修道院長
神が試されるのはあなたの力ではなく弱さです……
Disc1-Track11
泣いているのですか?
ブランシュ
悲しいからというよりむしろ、嬉しいから泣いているのです。きついお言葉ですが、もっときつい言葉をかけられたとしても、私の決意を鈍らせることはできないでしょう。ここしか頼るところがないのです。
修道院長
修道会の戒律を頼るべきではありません。戒律が私たちを守ってくれるのではなく、私たちが戒律を守るのです。もう一つ聞きたいのですが、ひょっとして、修道会への入会を許された場合に備えて、カルメル会での修道女名を選んでいますか? きっとまだ全く考えていないと思いますが?
ブランシュ
そんなことはありません。キリストの聖なる臨終のブランシュの名を希望します。
《修道院長はほんのかすかにびくっとした。すぐに平静を取り戻すときっぱり言った。》
修道院長
心安らかにお帰りなさい。
《ブランシュはひざまずいて挨拶すると、出ていった。》
Disc1-Track12
第1幕 第3場前奏曲
修道院内の塔
《ブランシュはとても若い修道女、聖ドゥニのコンスタンスと共に渉外担当修道女から食料品や日用品を受け取りにやってきた。》
Disc1-Track13
コンスタンス
またこのいまいましいソラマメだわ!
ブランシュ
小麦を買い占める人がいて、もうじきパリではパンが手入らなくなるらしいわ……
コンスタンス
あら! 長いこと待たされたアイロンがやってきた。ほら、取っ手がきちんと付け替えられている……これでもう、聖なる御子のシスター・ジャンヌも指をやけどしながら叫ばなくなるでしょうよ。「こんなアイロンではとてもかけられないだ!!」って。あの「だ」を聞く度に、笑い出さないよう、舌をかんでいるの。でもバカにしているわけじゃなくってよ! あの「だ」は私の田舎の、ティリーの村人たちを思い出させてくれるんですもの。ねえ、シスター・ブランシュ、私がここに入る6週間前、その村で兄の結婚を祝ったの。農民たちがみんな集まり、20人の女の子がバイオリンの音に合わせて、兄に花束を一つ持ってきてくれた。盛大なミサとお城での宴会があり、みんなで一日中踊ったの。私はコントルダンスを5回、心から楽しんで踊ったわ。あそこの素朴な人たちに私はとても受けたのよ。陽気で、自分たちと同じぐらい上手に飛び跳ねるって。
Disc1-Track14
ブランシュ
そんな風にしゃべっても恥ずかしくないの、だって院長様が……
コンスタンス
あら、院長様の命を助けるためなら、私のちっぽけでどうでもいい命を喜んで差し上げるわ、そうよ、差し上げるわ……でも59歳となると、亡くなられてもおかしくない年齢じゃないこと?
ブランシュ
死をこわいと思ったことはないの?
コンスタンス
ないと思うわ……いえ、そうね……ずっと昔、それがどんなものか知らなかった頃は。
ブランシュ
その後は……
コンスタンス
ああ、人生はとても愉快なことにすぐ気づいたの! だから死もそうに違いないと思って……
ブランシュ
今は?
コンスタンス
今は死についてよく分からなくなってしまったけれど、人生は相変わらず愉快ね。言いつけられたことは、誠心誠意務めているわ。でも言いつけられること自体が愉快なんですもの……神に仕えることが愉快だからといって非難されるべきかしら?
ブランシュ
あまり楽しそうにしていると、神様がうんざりなさると心配にならない?
《シスター・コンスタンスは言葉を失ってブランシュを見つめた。子どもっぽい顔がゆがむと苦しそうな表情になった。》
コンスタンス
シスター・ブランシュ、もうしわけないけれど、あなたがわざと私に意地悪を言ったのだと思ってしまったわ。
ブランシュ
そうなのよ……あなたがうらやましくて……
コンスタンス
私がうらやましい! そんな。これまで聞いたなかで、もっとも奇妙な話だわ。院長様の死をあんなにも軽々しく喋った私はむち打たれても当然なのに!
Disc1-Track15
シスター・ブランシュ、先ほどあんなに軽はずみな発言をした償いをするお手伝いをしてくださらないかしら。ひざまずいて、院長様のために私たち二人の哀れな命を捧げましょうよ。
ブランシュ
子どもっぽいわ……
コンスタンス
そんなことないわよ。シスター・ブランシュ、素晴らしい思いつきだと思うんだけれど。
ブランシュ
冗談を言っているのね。
コンスタンス
突然ひらめいたの。全然悪いことではないと思うわ。昔から若死にしたかったし。
ブランシュ
この茶番劇の中で私はなにを演じればいいの?
コンスタンス
初めてお会いしたとき、私は願いが聞き届けられたことを悟ったの。
ブランシュ
願いって?
コンスタンス
それは……
ブランシュ
その滑稽なアイロンを置いて、答えてくださいな。
《コンスタンスは言われたとおり、アイロンをテーブルに置く。》
コンスタンス
それは……年を取りたくないという私の願いを神が聞き届けてくださり、私たち二人は一緒に同じ日に召されるということを感じたの。どこで、どんな風に、というようなことは分からなかったし、今でも分からないけれど……
ブランシュ
なんて下らないばかげた考えなんでしょう! あなたの命で、他のどんな命であろうと、贖えると考えるなんて恥ずかしくないの? あなたは悪魔のようにうぬぼれているわ……あなたは……あなたは……もうやめて……
コンスタンス
あなたを傷つけるつもりじゃなかった。
Disc1-Track16
第1幕 第4場前奏曲
医務室の独居房
《託身のマザー・マリーが修道院長のベッドの傍らに付き添っている。》
Disc1-Track17
修道院長
どうかこのクッションを起こしてください……ジャヴリノさんは、私がひじかけ椅子に座ることを許してくださるでしょうか? まるで水に溺れて救い出されたばかりの人のように横たわっている姿を、修道女たちに見せるのは非常に辛いことです。頭はとてもはっきりしているというのに。誰もごまかそうとは思っていませんよ。でも勇気が情けないぐらい欠けているとき、せめて平静を装わなくては。
マザー・マリー
今晩はご不安が収まったものと思っておりましたのに。
修道院長
ひとときの魂の安らぎにすぎなかったのです。ですが神に感謝しなくては! 死に逝く自分の姿を忘れさせてくれたのですから。「死に逝く自分の姿」ともったいぶったような言い方をしたのは……ほんとうに死に逝く自分の姿を見ているからなのです。それ以外、なにも目に入らない。私は孤独です。どうしようもなく孤独で、なんの慰めもありません。正直に話してください。ジャヴリノさんは、私があと、どのくらい生きられるとおっしゃっていますか?
《マザー・マリーはベッドの枕元にひざまずき、修道院長の唇にそっと自分の十字架を押し当てた。》
マザー・マリー
これまで診た患者の中で、もっとも頑丈な体質をお持ちだとおっしゃっています。あなたが長い間苦しまなくてはならないのではないかとおそれていらっしゃるのです。ですが神は……
修道院長
神は自ら影をお作りになった……ああ、30年間修道女として暮らしてきて、12年間修道院長を務めました。死について瞑想しない時はなかったのに、それが今、なんの役にも立たない! ……
Disc1-Track18
剛毅のブランシュはなかなかやってこないですね! 昨日の話し合いの後もまだ、自分で選んだ名前にこだわっているのでしょうか?
マザー・マリー
ええ。あなたのお気に触りさえしなければ、キリストの聖なる臨終のシスター・ブランシュの名をいつまでも希望しています。彼女の選択にひどく動揺されているようですね。
修道院長
かつての私の修道女名でしたから。当時、修道院長のアルヌー夫人は80歳でした。院長からこう言われたものです。「ご自分に力があるか、考えてみてください。ゲッセマネに入る者はもうそこから出られません。あなたは生涯、聖なる臨終の虜でいられる勇気を持っていると感じますか?」……
キリストの聖なる臨終のシスター・ブランシュをここに入れたのは私です。他のどの修道女よりも彼女のことが気がかりです。あの娘をあなたに委ねようかと思いましたが、考えなおしました。神がそうお望みになるなら、これが修道院長として、私の最後の務めとなるでしょう。マザー・マリー……
マザー・マリー
院長様?
修道院長
従順の名において、あなたに剛毅のブランシュを託します。神の御前で彼女のために私の代わりを務めてください。
マザー・マリー
分かりました。
修道院長
毅然とした判断と性格が必要となるでしょう。それはまさしく彼女に欠けていて、しかもあなたが持ち合わせているものです。
マザー・マリー
ほんとうにそうです。いつものように、お見通しでいらっしゃる。
《扉を叩く音。》
修道院長
やってきた。どうか中へ入れてください。
《マザー・マリーは戸を開けると、ブランシュを招き入れ、自分は出ていく。ブランシュはベッドの傍らにひざまずく。》
Disc1-Track19
お立ちなさい。いろいろなことをお話する心づもりだったのですが、いましがたの会話でとても疲れてしまいました。この修道会にもっとも新しく入った修道女として、あなたのことは一番心にかけています。ええ、どの修道女よりも心にかけているのですよ。まるで老いてから出来た子どものように。誰よりも危なっかしくてはらはらします。あなたを危険から守るためなら、私の哀れな命を喜んで捧げたでしょう。ええ、そうですとも、捧げたでしょう。いまではもう、私には死しか捧げるものがありません。とても哀れな死しか……
《ブランシュは再びひざまずくと、泣きじゃくる。修道院長は彼女の頭に手をやる。》
Disc1-Track20
神は聖者や英雄、殉教者を誇らしくお思いです。神はまた、貧者のことも誇らしく思ってくださいます。
ブランシュ
私は貧しさを恐れません。
修道院長
ああ、貧しさにもいろいろあるのですよ。もっとも惨めな貧しさに、あなたは浸ることになるでしょう。なにが起きようとも、素直さを忘れないでください。神の手の中でいつまでも、従順で優しい存在であり続けてください! 聖者たちは、誘惑とかたくなに闘うことも、自分自身に反発することもありませんでした。反発は常に悪魔のものです。そしてくれぐれも自分のことを卑下しないでください。神はあなたの名誉を引き受けられました。その方が、あなた自身で守るよりもずっと安全なのです。さあ、今度こそちゃんとお立ちなさい。神の前で、あなたを祝福します。愛しい子どもよ……
《ブランシュは部屋を出る。託身のマザー・マリーが医者と、十字架のシスター・アンヌを連れて戻ってくる。》
Disc1-Track21
ジャヴリノさん、あの薬をもう一度飲ませてください。
ジャヴリノ
お体がもう耐えられますまい。
修道院長
ジャヴリノさん、院長が修道院の人々にお別れの挨拶をしなくてはならないのが慣習であることはご存じでしょう。マザー・マリー、ジャヴリノさんを説得してください。あのお薬でも他の薬でもなんでもよいのです。ああ、ご覧なさい。修道女たちにこれからこんな顔を見せなくてはならないのでしょうか?
マザー・マリー
院長様、私たちのことはもう心配なさらないでください。神のことだけをお考えになってください。
修道院長
哀れな私をこんな時に神のことを考えてどうなるというのです? 神の方にこそ、私のことを考えて欲しいわ!
マザー・マリー
《ほとんどとがめるように》
院長様、うわごとをおっしゃっておいでですね。
《修道院長の頭ががくんと枕に落ち、すぐにぜいぜいあえぎ始めた。》
マザー・マリー
《十字架のシスター・アンヌに向かって》
その窓をぴったり閉めておしまいなさい。院長様はご自分の言葉に責任が持てる状態ではありません。でも、誰にも聞かれない方がいいでしょう……
《シスター・アンヌ、気を失いそうな素振りを見せる。》
ほらほら! 十字架のシスター・アンヌ、女々しく気絶なんかしないでください。ひざまずいて祈りなさい! 気付け薬よりも効果がありますよ!
《マザー・マリーが話している間、修道院長が上体を起こし、ベッドにほぼ座った状態になった。一点を凝視し、話し終える度に下顎ががくっと落ちる。》
Disc1-Track22
修道院長
託身のマザー・マリー! マザー・マリー……
マザー・マリー
院長様?
修道院長
私たちの礼拝堂が荒らされ、空っぽになった光景をいま見ました。祭壇はまっぷたつに割れ、床にはわらと血がまき散らされている……おお! 神は私たちを守ってくださらない! 神は私たちを見捨てた!
マザー・マリー
院長様はご自分の舌を押さえることがお出来にならないでしょうが、どうかなにもおっしゃらないでください、そのような……
修道院長
なにも言わない……なにも言わない……私がなにを言おうと、構わない! 舌も顔も、もう自分の思い通りにならない。
《ベッドの上で起きあがろうとする》
まるでロウの仮面のように、不安が顔に貼り付いている……ああ、この仮面を爪ではがすことができたなら!
《修道院長は再び枕に沈み込む。》
マザー・マリー
《十字架のシスター・アンヌに向かって》
院長様には今日お会いになれませんと他の修道女に知らせてください。10時には、いつものように休憩します。
《十字架のシスター・アンヌが出ていく。すると、なにもかも聞いていた修道院長が起きあがる。》
修道院長
託身のマザー・マリー、尊ぶべき服従の名のもとに、あなたに命じます……
《疲れ果てて修道院長は倒れ込み、またぜいぜい言い始める。扉かそっと開くとブランシュが夢遊病者のような足取りで入ってくる。修道院長はブランシュに気づき、そばへ来て欲しいそぶりをする。ブランシュは凍り付いたように立ちすくんでいる。》
Disc1-Track23
マザー・マリー
院長様は、あなたがベッドのそばに来ることを望んでおいでです。
《ブランシュはふらふらとベッドに近づくと、ひざまずいた。修道院長はブランシュの額に手をあてた。》
修道院長
ブランシュ……
《修道院長はブランシュになにか言いかけ、突然せき込む。》
マザー・マリー
とんでもないことです……こんなことが許されてはなりません……
修道院長
どうかお許しを……死……恐れ……死への恐れ。
《修道院長は倒れ、亡くなる。》
ブランシュ
院長様は望んでおられます……院長様は望んでおられました……きっとお望みになられたのでしょう……
《ブランシュは泣きじゃくりながら膝をがっくりつくとベッドに顔を突っ伏した。》
Disc1-Track24
第2幕第2幕 第1場
カルメル会の礼拝堂
《亡くなった修道院長の棺は蓋を開けたまま、礼拝堂中央に置かれている。今は夜。礼拝堂を照らすのは、棺の周りに置かれた6本の大きなロウソクのみ、ブランシュと聖ドゥニのコンスタンスは亡骸の番をしている。》
コンスタンス
そのお方は、ラザロの墓より復活を成されました。
ブランシュ
主よ、あなたはその者に安息と慈悲の御心をお与えください。
コンスタンス
そのお方は生ける人と死せる人とを、そして炎を持って永久の時をお裁きになるために来られたのです。
ブランシュ
主よ、あなたはその者に安息と、
コンスタンス
慈悲の御心をお与えください。
《時計が鳴った。コンスタンスは立ち上がると交代の修道女を呼びに行った。ブランシュは一人残り、祈ろうとしたが、遺体から目をそらすことが出来ない。ブランシュは立ち上がると戸口へ向かった。扉が開き、マザー・マリーが現れた。》
Disc1-Track25
マザー・マリー
なにをしているのです? 当番ではないのですか?
ブランシュ
その……あの……もう時間は過ぎました。
マザー・マリー
なにが言いたいのですか? 交代の人は来ているのですか?
ブランシュ
つまりその……シスター・コンスタンスが呼びに行っています……ですから……
マザー・マリー
ですからあなたは怖くなり、そして……
ブランシュ
戸口まで行っても構わないと思ったものですから。
《ブランシュは棺のそばへ戻るそぶりを見せる。》
マザー・マリー
おやめなさい! もとの場所に戻るのは……任務をまっとうできなかったことは事実なのですから、もう考えないことです。顔色が悪いですね! 夜は冷え込みますから、あなたが震えているのは怖いからではなく、寒さからなのでしょう。あなたの独居房まで一緒に行ってあげます。ちょっとしたことにいつまでもくよくよしないで……横になり、十字を切り、お休みなさい。それ以外の祈りはすべて免除します。明日になったら、自分の罪に恥じらい、苦しむでしょう。その時初めて、これ以上罪を重ねることなく神に許しを請うことが出来るのです。
《マザー・マリーはブランシュの肩に手を置くと、戸口へ誘った。》
Disc1-Track26
第2幕 第1幕間修道院の庭
《ブランシュとコンスタンスは、故クロワッシー修道院長の墓に飾る花の十字架を作り終えたところだ。》
コンスタンス
シスター・ブランシュ、この十字架は大きすぎる気がするわ。かわいそうな院長様のお墓はあんなに小さいんですもの!
ブランシュ
残ったお花はどうしましょう?
コンスタンス
新しい修道院長様に花束を作って差し上げましょうよ。
ブランシュ
託身のマザー・マリーはお花がお好きかしら?
コンスタンス
ああ! そうであって欲しいわ!
ブランシュ
お花がお好きかどうかということ?
コンスタンス
シスター・ブランシュ、そうじゃなくて、あの方が修道院長に選ばれて欲しいということよ。
ブランシュ
神があなたの願いを聞き届けてくださると今もお思いなの?
コンスタンス
そうなるかもしれないじゃない? 私たちが偶然と呼ぶものは神の必然なのかもしれなくてよ。
Disc1-Track27
院長様が亡くなった時のご様子を思い出してごらんなさい、シスター・ブランシュ! 院長様があれほど苦しんでお亡くなりになり、あれほど後味の悪い亡くなり方をされるとは、誰が予想したでしょう。! まるで神が死を与える相手をお間違えになったようだわ。ちょうど、別な人の洋服と取り違えてしまったみたいに。そうよ、あれは他の人の死だったに違いないわ。院長様には小さすぎる死だったのよ。だから袖を通すことさえできなかった……
ブランシュ
他の人の死とはどういう意味なの、シスター・コンスタンス?
コンスタンス
その人は死を迎えた時、とてもやすやすと迎えることが出来、死を心地よく感じて驚くでしょうよ。人はそれぞれが自分の死を迎えるのではなく、互いのために死を迎えるの。だから他の人の代わりに亡くなる場合だってあるんじゃないかしら?
Disc2-Track1
第2幕 第2場修道院修士会室
《新しい修道院長を迎え、服従の儀式のために修道女たちが集まっている。正面の壁には大きくて立派な十字架が飾られている。十字架の下に修道院長の椅子が置かれている。両壁沿いのベンチには修道女たちが座っている。服従の儀式が終わろうとしている。》
新修道院長
もう一つみなさんに申し上げたいのは、その存在が私たちにもっとも必要な時に、前の院長様がお亡くなりになったということです。平和で穏やかな日々は過ぎ去ったようです。今はもう、私たちとて決して悪に対して安全でいられません。常に神の手の中にいることを、のんきに忘れ去ることが出来た時代は終わりました。これからどんな時代を生きることになるのかは分かりません。ただ、天の神がささやかな徳をお与えくださいますように、金持ちや権力者が軽蔑しがちな徳である、熱意、忍耐、協調精神をお与えくださいますようにと願います。私たちのようなつましい女性にこそ、このような徳は似合うのです。なぜなら勇気にもいろいろあり、つましい身分の者が世の王侯貴族と同じ勇気を持っていても生き延びられないからです。主人の徳の幾つかは、召使いにとってなんの役にも立たないものです。私たちが食べるキャベツ添えのウサギ料理に、タイムやマヨラナの香辛料を効かせても合わないように、そうした徳は召使いに不釣り合いなものなのです。繰り返しますが、私たちは、神に祈りを捧げるため集まったつましい女性です。祈りから気がそれてしまう一切のことに用心しましょう。殉教も用心しなくてはなりません。祈りは義務であり、殉教は褒美です。偉大な王が宮廷の人々の目前で、自分と一緒に女王然と王座に座るよう下女を手招きしたら、下女はまず自分の耳や目を疑い、家具を磨き続けた方がいいのです。つい癖で、ざっくばらんにお話してしまいました。託身のマザー・マリー、どうか私の言葉をうまく締めくくってください……
Disc2-Track2
マザー・マリー
院長様がおっしゃったのは、私たちの第一の務めは祈りだということです。ですから口で言うだけでなく、心から院長様のご意志に沿うようにいたしましょう。
《マザー・マリーが合図すると、カルメル会修道女たちがひざまずく》
マザー・マリー
めでたし、マリアよ
カルメル会修道女たち
恵みに満ちたるもの
マザー・マリー、カルメル会修道女たち
神はあなたとともにあり、幸いは女のあなたと……。
カルメル会修道女たち
そして幸いは、あなたの御胎からお生まれになった
マザー・マリー、カルメル会修道女たち
イエスに。
新修道院長
聖なるマリアよ。
カルメル会修道女たち
神の御母。
新修道院長、カルメル会修道女たち
罪深き私たちのためにお祈りください。
カルメル会修道女たち
今もそして私たちの死の時にも
新修道院長、マザー・マリー、カルメル会修道女たち
アーメン。
《カルメル会修道女たちは立ち上がるとゆっくり部屋から出ていく。》
Disc2-Track3
第2幕 第2幕間修道院の一室
《呼び鈴が激しく鳴る。修道院長とマザー・マリーがあわただしく入ってくる。コンスタンスも別なところから姿を現す。》
新修道院長
何事です?
コンスタンス
馬に乗った男の方が小門にいらして、院長様に面会を申し込まれています。
新修道院長
どの門ですか?
コンスタンス
小道の門です。
新修道院長
こっそりと訪れてきているのですから、敵ではありえない。マザー、見てきてください。
《マザー・マリーとコンスタンスは出ていく。修道院長は平然としているようだが、唇がかすかに震えている。マザー・マリーが急ぎ足で戻ってくる。》
マザー・マリー
院長様、いらしたのはド・ラ・フォルス氏で、外国へ発つ前に妹への面会を希望されています。
新修道院長
ブランシュ・ド・ラ・フォルスを呼びにやりなさい。規則違反ですがやむをえないでしょう。
《出ていこうとするマザー・マリーを呼び止める。》
二人の会見に同席してもらえますか。
マザー・マリー
院長様がご許可くださいますならば……
新修道院長
あなた以外の人ではだめなのです。
《マザー・マリーは急ぎ足で出ていく。》
Disc2-Track4
第2幕 第3場前奏曲
面会室
《ブランシュは顔を露わにしている。託身のマザー・マリーは顔をヴェールで覆い、目につかない場所で面会に立ち会っている。》
Disc2-Track5
騎士
もう20分も、目を伏せたきり、ほとんど答えない。なぜだ? それが兄を迎える態度なのか?
ブランシュ
お兄さまに不愉快な思いをさせようなど、思っていないことは神がご存じです。
騎士
まわりくどいことはやめて単刀直入に言おう。父上は、ここがもう、あなたにとって安全な場所ではないと判断している。
ブランシュ
そうかもしれませんが、ここにいると安心するのです。それで十分です。
騎士
ずいぶん感じが変わってしまったな。今のあなたは、どことなく無理をしているようだ。
ブランシュ
私が無理をしているように見えるのは、不器用なためにまだ慣れないからです。解放された幸せな生活にとまどっているのです。
騎士
幸せかも知れないが、解放されてはいないな。本性を乗り越えることは、あなたの力の及ぶところではない。
ブランシュ
あら! カルメル会修道女の生活はそんなに本性に適っているように見えます?
Disc2-Track6
騎士
今のような時代では、かつて誰からもうらやましがられた女性の多くが、あなたと立場を交換したいと思っていることだろう。ブランシュ、私の言い方はきついかも知れない。それは、召使いに囲まれてひとりぼっちの父上の姿が思い浮かんでしまうからだ。
ブランシュ
私がここにとどまっているのは恐怖心からだと思っていらっしゃるのですか?
騎士
恐怖への恐怖心というべきだろう。恐怖心に優劣はない。どれも恐怖心であることには変わりない。死の危険に身をさらすように、恐怖の危険に身をさらすことを覚えなくては。それこそ本物の勇気だ。
ブランシュ
ここではもう、私は全能なる神のちっぽけで哀れな生贄に過ぎません。
騎士
ブランシュ、先ほど私が入ってきた時、あなたは今にも気絶しそうだった。粗末なオイルランプの灯りに照らされながら、私たちの子供時代がすべて、一瞬のうちに蘇った気がした。今、ひどい言葉を投げ合ってしまったのも、私たちのぎこちなさのせいだろう。それとも、私の小さなウサギは変わってしまったのだろうか?
ブランシュ
お兄さまはなぜ、私のなかに疑いという毒を植え付けようとされるのですか? この毒のせいで私は死にかけました。確かに私は別人に生まれ変わったのです。
騎士
もうなにも怖くないのか?
ブランシュ
ええ。なにからも、傷つけられることはありません。
騎士
かくなる上は、さらばだ、かわいい妹よ。
《騎士は部屋を出ていこうとする。それを見てブランシュは急に心細くなり、格子を両手でつかむ。》
Disc2-Track7
ブランシュ
お兄さま! 腹を立てたままで行ってしまわないでください! ああ! お兄さまはずっと私に同情し続けていらしたから、同情する代わりにほんの少しでも、私を認めてくださることがなかなかおできにならないのです。どんなお友達に対してもお出来になるでしょうに。
騎士
ブランシュ、今度はあなたがずいぶんきついことを言うんだな。
ブランシュ
お兄さまのことは心から愛しています。ですが私はもう小さなウサギではありません。あなたのために苦しみを背負う、カルメル会の修道女なのです。どうか私のことは戦友とみなしてください。私たちはこれから各々、それぞれのやり方で戦っていくでしょう。私の戦いもお兄さまのと同じように、危険や罠に満ちたものなのです。
《騎士は形容しがたいまなざしでブランシュをしばらくじっと見つめると、出ていく。ブランシュは倒れまいとして格子にしがみつく。託身のマザー・マリーが進み出る。》
Disc2-Track8
マザー・マリー
シスター・ブランシュ、しっかりなさい。
ブランシュ
ああマザー、嘘をついてしまいました。自分がどんな人間か承知しているはずなのに。でも、あの人たちから憐れみを受け続けて、精根尽き果ててしまったのです! 神よお許しください! もう優しくされるのはうんざりです。あの人たちにとって、私はいつまでもただの子どもなのでしょうか?
マザー・マリー
さあ、もう行きましょう。
ブランシュ
私の高慢は罰せられるでしょう。
マザー・マリー
高慢に勝つ方法はただ一つ、高慢よりも高いところに昇ることです。
《前かがみになっていたブランシュのウエストを支えると》
誇り高くありなさい。
《二人は部屋を出る。》
Disc2-Track9
第2幕 第4場前奏曲
カルメル会の聖具室
《修道女に取り囲まれた司祭が祭服を戸棚にしまいながら、いとまごいをしている。》
Disc2-Track10
司祭
みなさん、これから申し上げることは、みなさんの何人かがもうご存じのことです。私は解任され、追放されました。先ほどのミサが最後のミサです。教会は空っぽとなりました。初期キリスト教会の教父たちと同じ道を今日から私は歩むでしょう。今日はカルメル会にとって偉大な日です。さようなら。みなさんを祝福します。一緒に歌いましょう。
《修道女全員、ひざまずく。》
司祭
乙女マリアよりお生まれになった真の御体よ、めでたし。
カルメル会修道女たち
人のために、十字架につけられ犠牲となられました。
司祭
その脇腹を刺し抜かれ、水と血があふれたのです。
カルメル会修道女
死の審判に際し、私たちのために、先に味わわれました。
司祭
おお、慈悲深きお方!
カルメル会修道女
おお、敬虔なるお方!
司祭
おお、マリアの御子、イエスよ、アーメン。
《修道女たちは立ち上がる。ブランシュはいつの間にか司祭の隣にいる。》
Disc2-Track11
ブランシュ
これからどうなさるのですか?
司祭
今の瞬間もこれからも、追放者として生き続けるだけです。
ブランシュ
《恐怖におののきながら》
でも、噂が真実ならば、殺されますわ、身分が知れた途端。
司祭
そうならないかもしれないじゃありませんか。
ブランシュ
変装なさるのですか?
司祭
ええ。そのような命を受けています。シスター・ブランシュ、あなたの想像力はいつも先走りしすぎますよ。どうか、怖がらないでください。修道院の近くにとどまりますから。
《司祭は戸口でブランシュを祝福するしぐさをする。》
出来るだけ頻繁に立ち寄るようにしましょう。
《司祭は立ち去った。マザー・マリーは落ち着いて大扉の重いかんぬきをかける。》
コンスタンス
キリスト教国で司祭がこんな風に迫害されるなんて信じられる? フランス人は卑怯者になりさがってしまったのかしら?
シスター・マチルド
みんな怖いのよ。誰もが怖いわ。互いに恐怖をまき散らしている。ペストやコレラが流行ったときのようにね。
ブランシュ
《心ならずも喋っているように、抑揚のない声で》
恐怖は確かに病気の一つかも知れないわ。
コンスタンス
司祭様たちの味方をしてくれる、良きフランス人はいないの?
新修道院長
司祭が足りなくなると殉教者が溢れかえり、こうして神の恵みはバランスが取れるのです。
マザー・マリー
《情熱を抑えようとするあまり、強い口調で》
聖霊が院長様の口を借りてお話しになったような気がします。フランスの司祭たちのために、カルメル会修道女は命を捧げるまでです。
新修道院長
私の言葉を聞き違えたか、少なくとも誤解なさいましたね。私たちのつつましい名前が殉教者として唱えられるか。どうかは、私たちが決めることではありません。
《修道院長はマザー・ジャンヌと共に退出する。修道女たちは皆、言葉を失ってマザー・マリーを見つめる。塔の鐘が激しく鳴る。》
Disc2-Track12
コンスタンス
鐘が鳴っている!
シスター・マチルド
洗濯場の戸口をすぐ見に行かなくては。
《司祭が現れる。》
群衆
《通りで》
わあ!
司祭
巡回兵士と群衆の間に挟まれ、ここに逃げ戻るしか手だてがなかったのです。
コンスタンス
私たちと一緒にとどまってください。
司祭
それではあなた方を危険にさらすばかりです。ここにはいられません。人々が市役所広場に集結したら、通りは空くでしょう。
群衆
わあ!
コンスタンス
お聞きなさい!
シスター・マチルド
お聞きなさい!
カルメル会修道女全員
彼らがやってきた!
司祭
長居しすぎたようです。ここで私が捕まったら、あなた方はいったいどうなるでしょう?
《司祭は修道女たちを祝福すると姿を消す。》
群衆
扉を開けろ! 扉を開けろ!
《修道女たちはマザー・マリー以外、みんな隅で肩を寄せ合う。》
カルメル会修道女たち
開けないで! 開けないで!
《扉をどんどん叩く音。》
群衆
扉を開けろ! 扉を開けろ!
カルメル会修道女たち
開けないで! 開けないで!
マザー・マリー
《コンスタンスに》
開けてきなさい。
《しっかりした足取りで、コンスタンスはかんぬきを開けに行く。4人の人民委員が入ってくる。2人は扉付近にとどまる。群衆は、長い槍を持った番兵に押しとどめられている。》
Disc2-Track13
第1の人民委員
修道女たちはどこだ?
マザー・マリー
あそこにいます。
第1の人民委員
我々の任務は、修道女たちに強制立ち退き令を布告することだ。
マザー・マリー
どうぞお好きなように。
第2の人民委員
《読み上げる》
「かくして、立法議会は1792年8月17日に以下の通り、決定した。来る10月1日に、現在修道院として使用されている建物はすべて、修道女および修道士を立ち退かせ、行政当局の申し出により、売却されるものとする。」
第1の人民委員
異議申し立てはあるかな?
マザー・マリー
どうして申し立てることが出来ましょう。なにも持たない私たちに? ですが、私たちは服を手に入れなくてはなりません。この格好が禁じられるのでしたら。
第1の人民委員
いいだろう!
《不満げに》
あなた方は、いそいそとそのぼろを脱いで、みんなと同じ格好をするんだな?
マザー・マリー
制服を脱いでも兵士は兵士です。どんな格好をしていようと、私たちはいつまでも下婢なのです。
第1の人民委員
民衆はそんなものを必要としていない。
マザー・マリー
ですが殉教者は大いに必要でしょう。私たちならばその役目を引き受けられます。
第1の人民委員
こんな時勢では、死ぬなんて大したことじゃない。
マザー・マリー
生の価値がばかばかしいほどに下がり、あなた方革命政府の紙幣よりも安っぽいものになった今、生きるなんて大したことではありません。
第1の人民委員
私以外の人が聞いたら高くつく言葉だぞ。
《マザー・マリーだけに聞こえるように》
血に飢えた輩の同類だとお思いか? 私はシェルの小教区で聖具室係を務めていた男。司祭代理の領主とは乳兄弟の仲だった。でも今はオオカミどもと一緒に吠えていなければいかんのだ!
《平静さを失わないマザー・マリーを前に、人民委員は落ち着かない。》
マザー・マリー
あなたが善意である証拠をお願いすることをお許しください。
第1の人民委員
他の役人と巡回兵たちをここから連れ出そう。夜まで残るのは職人たちだけだ。鍛冶屋のブランカールには気をつけろ。密告者だからな。
《人民委員たちと群衆は立ち去る。マザー・マリーは大扉を閉める。修道女たちは戸惑い、おろおろするばかり。何人かは一心に祈っている。ブランシュは傷ついた哀れな小鳥のごとく、小さな腰掛けにうずくまっている。マザー・ジャンヌが塀の小さな戸から入ってくる。》
Disc2-Track14
マザー・ジャンヌ
みなさん、院長様はまもなくお別れの挨拶にやってきます。院長様はパリへ行かなくてはなりません。
《マザー・ジャンヌはシスター・ブランシュに憐れみのこもった一瞥をやると戸棚の一つから小さなキリスト像を出し、おもちゃを与えるかのようにブランシュに差し出した。》
シスター・ブランシュ、ご存じのようにクリスマスの夜、私たちはこの小さな栄光の王を持ってすべての独房を回ります。この像があなたに勇気を与えますように。
ブランシュ
《像を腕に抱きながら》
なんて小さくて、か弱いんでしょう!
マザー・マリー
いいえ! 小さいけれど、とても強いのです!
群衆
《表の通りで》
いいぞ! いいぞ! いいぞ!
ブランシュ
まあ!
《ブランシュが思わず手を離したので、像は石の床に落ち、頭が砕け散る。》
ブランシュ
《恐ろしい罪を犯した者のようにぞっとした表情で》
小さな王が死んでしまった! もう神の子羊しか私たちには残されていません。
群衆
いいぞ! いいぞ!
Disc2-Track15
第3幕第3幕 第1場
礼拝堂
《略奪されて空っぽになった礼拝堂に修道女たちは集まっている。辺りには藁や壁の一部が散乱し、聖歌隊席の格子が一部外れている。灯りは数本のロウソクのみ。一人の修道女が戸口で見張りをしている。司祭の粗末な平服も靴も泥だらけだ。片方の袖は破れ、だらんとぶら下がっている。毅然としたマザー・マリーは修道女たちに囲まれている。コンスタンスとブランシュは肩を並べている。シスター・マチルドが一人の修道女と少し離れたところにたたずんでいる。》
マザー・マリー
お話しください、司祭様。修道女たちはこれから自分たちが行おうとしている誓約に対して心構えがとうに出来ています。
司祭
これは私の務めというわけではありません。ですから、院長様が召還されていらっしゃらない以上、あなたが話されるのが適当だと思います。
マザー・マリー
みなさん、私が提案するのは、みなで殉教の誓願をし、カルメル会の存続と祖国の救済をお願いすることです。
《修道女たちは顔を見合わせる。》
神のおかげでこのことを思いついた私とおなじくらい、あなた方が平静に私の提案を受け止めてくださって嬉しく思います。私たちの哀れな生を差し出すからと言って、その価値について思い上がってはなりません。
マザー・ジャンヌ
正確には、なにを私たちは誓うのでしょう? こうした特別な誓願の欠点は、人々の心をばらばらにし、信仰心を対立させてしまうことです。
マザー・マリー
だからこそ、このような誓願の原理と妥当性を全員が納得する必要があると常々思ってきました。たった一人でも反対があれば私は即座に締めましょう。秘密投票を提案します。司祭様に一人一人の答えを聞いていただくのです。誰がなにを答えたかは司祭様の胸の内です。マザー、このようなやり方でしたらご満足いただけますか?
マザー・ジャンヌ
少なくとも、安心します。
司祭
一人ずつ順に、祭壇の後ろに来てくださればよろしい。
シスター・マチルド
《シスター・ブランシュを指しながら、別な修道女に》
一人反対する人がいることに賭けてもいいわ。
《修道女たちは次々と祭壇の後ろへ行き、すぐに戻ってくる。ブランシュの番になった。ブランシュは取り乱した様子で戻ってくる。ブランシュをじっと見つめるコンスタンス。司祭はマザー・マリーに近づくと、低い声で何言かしゃべった。》
Disc2-Track16
マザー・マリー
一人反対する者がいました。それで十分です。
シスター・マチルド
《隣の修道女に向かって》
誰だか分かるわよ……
コンスタンス
私よ!
《一同唖然とする。ブランシュは頭を手に抱え、泣き始める。》
私が真実を言ったことは司祭様がご存じです……でも……でも……今ここで、あなた方全員に賛同することにします、そして……私……私、お願いします……この誓願を私に言わせてください……神の名にかけて、お願いします。
司祭
私が許しましょう。みなさんのもとへお戻りなさい。二人ずつ、私のもとへいらっしゃい。
《司祭は祭服を着た。》
聖具係のシスター、福音書を開き、祈構台に載せてください。若い人順に行きましょう。シスター・ブランシュとシスター・コンスタンス、どうぞ。
《ブランシュとコンスタンスは肩を並べてひざまずき、神に命を捧げた。他の修道女たちは列を作ろうと、右往左往する。混乱に乗じてブランシュは逃げ出した。》
Disc2-Track17
第3幕 第1幕間修道院の前の通り
《カルメル会修道女たちは新修道院長を先頭に、市の役人と向き合っている。修道女たちは平服を着ており、身の回り品をまとめた小さな包みを手に持っている。》
第1の役人
市民諸君、みなさんが規律を守り、市民らしい振る舞いをしたことに敬意を表する。もっとも、国家が今後みなさんから目を離さないことをここに告げておく。集団生活をしないこと、共和国の敵と通じないこと、共和国への宣誓を拒否した司祭とも、法王や暴君どもの手先とも関係しないこと。10分後に一人ずつ、事務所に身分証明書を取りに来るように。これによって、法の監視のもとで、自由の恩恵を新たに受けることができるようになるであろう。
《役人たちは出ていく。新修道院長はカルメル会修道女たちを引き留める。》
Disc2-Track18
新修道院長
シスター・ジェラルド、司祭様になにがなんでもご連絡をしなくては。今日、ミサをあげてくださる予定でしたが、このような状況では司祭様にも私たちにも危険すぎます。そうではありませんか、マザー・マリー?
《シスター・ジェラルド、立ち去る。》
マザー・マリー
私が信ずべき、あるいは信じざるべきことに関しては、今後すべて院長様にお任せいたします。あのような振る舞いをしたことが誤りだったにせよ、やってしまったことはやってしまったことです。このような用心と、私たちの誓願の真髄は相容れないのではないですか?
《マザー・マリー、立ち去る。》
修道院長
《修道女たちに向かって》
あなた方一人一人は神に対して誓願を果たす責任を負っているかも知れませんが、あなた方全員の責任は私が負っているのです。どのように振る舞うべきなのか分かるぐらい、私は歳を取っています。
Disc2-Track19
第3幕 第2場前奏曲
ド・ラ・フォルス侯爵の書斎
《書斎はなにもかも略奪され、家具はすべて壊されている。大きな暖炉の炉床に背の低いストーブが置かれ、粗末な土鍋が載せてある。部屋の真ん中に折り畳み式のベッドが一台。粗末な身なりをしたブランシュが水の番をしている。平服を着たマザー・マリーが突然、中央の戸口から入ってくる。》
Disc2-Track20
ブランシュ
あなたですか……
マザー・マリー
そうです。迎えに来ました。時がやってきたのです。
ブランシュ
《おろおろしながら》
今はまだ、あなた方についていくことはできません……ですが、もう少ししたら……多分。
マザー・マリー
いいえ、もう少ししたらではなく、今すぐにです。数日後にはもう手遅れになってしまう。
ブランシュ
なにがですか?
マザー・マリー
あなたの救済が、です。
ブランシュ
私の救済……あそこで私の安全が守られるというのですか?
マザー・マリー
ここよりも危険は少ないでしょう。ブランシュ……
ブランシュ
あなたの言葉は信じられません。こんな時代に、自分で身を守る以外、なにができましょう? ここなら、誰も私を探そうなどと思わないでしょう。死はもっと高いところしか狙わないのですから……マザー・マリー、私はすっかりくたびれてしまいました! ……シチューが焦げてしまう! あなたのせいですわ。ああ! 神よ! これからいったいどうなるんでしょう?
《ブランシュは泣きながら火の前でひざまずき、鍋の蓋を取った。マザー・マリーもひざまずき、急いで別な鍋にシチューを移した。》
マザー・マリー
大丈夫ですよ、ブランシュ、もうちゃんとしましたから。なぜ泣いているのです?
ブランシュ
あなたが親切だからです。でも、泣いていること自体恥ずかしい。私のことは放っておいて、誰も構わないで……
《突然はげしく》
私がなにをしたというのです? 私のなにがいけないのです? 私は神に背いたりしていません。恐怖心があるからといって神に背いたことにはならない。私は恐怖の中に生まれ、育ち、今もその中にいます。誰もが恐怖心を軽蔑するから、私も軽蔑されながら生きていくのが正しいのでしょう。もうずっと前から考えていたことです。口にするのをはばかっていたのは、父がいたからです。でも死んでしまった。数日前、首をはねられて。
《ベッドに身を投げかけて》
自分の家にいながら、父にも父の名にも値しない私には、みじめな下女以外どんな役割があるというのです? 昨日、あの人たちは私をぶちました……ええ、ぶったんです。
マザー・マリー
不幸なのは軽蔑されることではなく、自分自身を軽蔑することだけなのですよ。
Disc2-Track21
キリストの聖なる臨終のシスター・ブランシュ!
《ブランシュは飛び起き、直立の姿勢をとった。涙は乾いている。》
ブランシュ
マザー?
マザー・マリー
ある連絡先を教えましょう。よく覚えておきなさい。マドモワゼル・ローズ・デュコール、サン・ドゥニ通り2番地です。彼女のところなら安全です。ローズ・デュコール、サン・ドゥニ通り2番地ですよ。明日の晩までそこであなたを待っています。
ブランシュ
行きません。行けないんです。
マザー・マリー
来ますよ。あなたは来ると分かっています。シスター。
女性の声
《部屋の外から》
ブランシュ、お使いにお行き!
《ブランシュは小さな扉から逃げ去る。一瞬びっくりしたマザー・マリーは、入ってきた扉から出ていく。》
Disc2-Track22
第3幕 第2幕間前奏曲
バスティーユ地区の通り
《老婆二人と老紳士一人がやってくる。》
Disc2-Track23
第1の老女
まだまだこれから大変さね。
老紳士
まったくもって、パリ暮らしはきつくなる一方だ!
《ブランシュがやってくる。手に持った買い物かごから菜類がはみ出ている。》
第2の老女
よそだって同じようなもんですよ。
第1の老女
さもなきゃもっとひどいか。ナンテールからやってきたんですがね……
第2の老女
あたしゃコンピエーニュさ。
ブランシュ
《詰まったような声で》
コンピエーニュからやってきたんですか?
第2の老女
そうさ、きのう野菜の荷車に乗ってやってきたさ。あそこじゃ、2ダースほどの悪党が互いに怖がっていてね、安心するためにやたらと騒ぎ立てているのさ。おとといはカルメル会のご婦人方を逮捕していたっけ。
《ブランシュの動転した顔を見て》
ご親戚がいるのかね?
ブランシュ
いえ、奥様、とんでもございません。それに、コンピエーニュには一度も行ったことがありません。パリにやってまだ1週間なんですよ。ロッシュ=シュール=ヨンからご主人様たちとやってきたんで。
第1の老女
ちょいと、この召使い、変わっているね。
《ブランシュは足早に立ち去る。》
Disc2-Track24
第3幕 第3場コンシエルジュリーの監獄の一室
《カルメル会修道女たちは一つの監獄に押し込められている。粗末なテーブルに白いハンカチを敷き、キリスト像を飾っているが、ハンカチが小さすぎてテーブルが見えている。欠けた水差しに枯れた花が数本さしてある。数台のベンチ、そして唯一の粗末な椅子には修道院長が座っている。格子のはまった窓越しに、薄暗い中庭が見える。重そうな扉。夜明けだ。》
新修道院長
みなさん、監獄で最初の晩が過ぎようとしています。最初の晩が一番辛いものです。ですがなんとか切り抜けました。次の晩には、新しい環境にすっかりなじんでいることでしょう。それに新しいと言えるでしょうか。つきつめれば背景が変わったに過ぎないのですから。私たちがずっと以前に捨て去った自由をまた奪うことなど、誰にも出来ません。みなさんが殉教の誓願を立てたとき、私はいませんでした。誓願が適切であったかどうかはさておき、これほど寛大な行為が今やあなた方の良心を苛むものでしかないなど、神はお許しにならないでしょう。ですから、この誓願の責任は私がとります。これからなにがおきようとも、誓願が成就したかどうかは私一人が責任もって判断します。そうですとも、私が責任を果たし、功績はあなた方に差し上げましょう。私自身は誓願をたてなかったのですからそれができるのです。これまでこの世であなた方の責任を私は負ってきました。今になって、責任を逃れる気はさらさらありません。ご安心なさい!
マザー・ジャンヌ
院長様となら、なにも怖くはありません。
新修道院長
オリブ山でキリストは自制心を失いました。死を恐れたのです。
コンスタンス
シスター・ブランシュはどうなったのでしょう?
新修道院長
あなた同様、私にも分からないのですよ。
コンスタンス
きっと戻ってきますわ。
シスター・マチルド
なぜそんなに自信があるのです、シスター・コンスタンス?
コンスタンス
なぜって……なぜって……そういう夢を見たからです。
《院長以外の修道女は全員、爆笑する。そのとき、扉が急に開くと看守が入ってきた。そして書類を広げた。》
Disc2-Track25
看守
《読み上げる》
「革命裁判所は申し渡す。オワーズ県コンピエーニュ在住の元カルメル会修道女こと、マドレーヌ・リドワヌ、アンヌ・ペルラ、マドレーヌ・トゥーレ、マリー=アンヌ・アニゼ、マリー=アンヌ・ピエクール、マリー=アンヌ・ブリド、マリー=シプリエンヌ・ブラル、ローズ・クレチアン、マリー・デュフール、アンジェリク・ルッセル、マリー=ガブリエル・トレゼル、マリー=ジュヌヴィエーヴ・ムニエ、カトリーヌ・ソワロン、テレーズ・ソワロン、エリザベス・ヴゾロは反革命的秘密集会を開き、狂信的な書簡を交わし、自由を侵害する内容の文書を保管した。上記の者たちは、邪悪な希望と欲望を胸に抱いた謀反者、扇動者であり、フランス国民を暴君の支配下に再び置き、神の名の下に、多くの血を流して自由を消し去るべく、卑劣な陰謀を企てた。よって革命裁判所は上記の者全員を死刑に処することを宣言する。」
《看守が判決文を畳むと、修道女たちは全員頭をたれた。看守は出ていく。》
Disc2-Track26
新修道院長
みなさんを助けたいと心から思っていたのですが……あなた方から苦難が遠ざかりますようにと願っていました。この修道院にやってきた最初の日から、母親のような自然な気持ちでみなさんを愛していたのです。たとえ神に対してであっても、自分の子どもをいそいそと犠牲に捧げる母親がどこにおりましょう? もし私が間違っていたのなら、神が正してくださるでしょう。今の私にとって、あなたがたは私の宝です。そして私は自分の宝を窓から投げ捨てるような人間ではありません。あなた方に母親の祝福を授け、最後に、あなた方から従順の誓いをここに受けましょう。
Disc2-Track27
第3幕 第3幕間バスティーユ地区の通り
《司祭が突然姿を現す。待っていたマザー・マリーが物陰から出てくる。》
司祭
死刑判決が下りました。
マザー・マリー
全員ですか?
司祭
全員です!
マザー・マリー
神よ! それに……
司祭
おそらく今日か、明日でしょう……
《マザー・マリーは身を引いた。》
どうなさったのです、マザー?
マザー・マリー
私なしで死なせるわけにはいきません!
司祭
あなたがどう思おうと、誰が選ばれ、誰が退けられるかは神のご意志なのです。
マザー・マリー
私は殉教の誓願をしたのに……
司祭
神に対して誓ったのですから、あなたが責任を負うのは神に対してであって、他の修道女たちに対してではないはずです。あなたの誓いを解くかどうかは神の自由であり、神は自分の所有にあるものしかお取りにならない。
マザー・マリー
なんて不名誉な! あの人たちは死ぬ間際に私の姿をむなしく探すでしょう。
司祭
神の目のことだけ気にすればいいのです。あなたは神だけを見つめていなくては。
《二人は退場する。》
Disc2-Track28
第3幕 第4場前奏曲
革命広場
《カルメル会修道女たちが死刑囚護送馬車から降りてきた。年老いたマザー・ジャンヌは手助けが必要だ。最後のコンスタンスはほとんど楽しげに飛び降りる。カルメル会修道女たちは、修道院長を先頭に、聖歌を歌いながら断頭台へと向かっていった。見物人は押し合いながらびっしり群がっている。第一列に、赤い縁なし帽をかぶった司祭がいる。修道女たちが断頭台にのぼり始めると、司祭は臨終の者に与える赦免の言葉をつぶやき、こっそり十字を切ると足早に立ち去る。》
群衆
おお! おお!
《最初に断頭台にのぼったのは修道院長だった。修道女は一人ずつ消えていき、歌声は徐々に小さくなる。》
Disc2-Track29
新修道院長、マザー・ジャンヌ、シスター・マチルド、コンスタンス、修道女たち
めでたし女王、慈悲深きみ母、私たちの命、喜び、希望よ、なんとめでたいことでしょう。めでたし女王、慈悲深きみ母、私たちの命、喜び、希望よ、なんとめでたいことでしょう。めでたし女王、慈悲深きみ母、私たちの命、喜び、希望よ、なんとめでたいことでしょう。あなたに向かって、私たちは声をあげるのです。追放されしエヴァの子らは。この涙の谷で、嘆き、泣きながら、私たちはあなたを仰ぎ見るのです。ゆえに今、私たちの弁護者、あなたの慈悲深き目を、私たちにお向けください。そして、あなたの胎内の祝福されし御子、イエスを。この追放の果てに、私たちにお示しください。おお、いつくしみ深き、敬虔なる、恵みの満てる乙女マリアよ!
《最後の修道女、コンスタンスが断頭台へのぼる。ブランシュが、群衆を通り抜けようとする姿が見えるが、また群衆の中に姿が隠れてしまう。ブランシュの顔に恐れの表情はまったく見あたらない。》
コンスタンス
慈しみ深き、
《コンスタンスはブランシュを見つけ、幸せに顔を輝かせる。思わず足を止めたコンスタンスは、また歩み始めながらやさしくブランシュに微笑む。》
敬虔なる、恵みに満ちた乙女マ……。
《信じられないほど平静に、ブランシュは、驚く群衆を後目に断頭台へとあがっていく。》
ブランシュ
栄光は、父なる主に
そして死からよみがえられた
慰め主キリストに、
永遠に、永遠に……。
《群衆はゆっくりと散っていく。》
カルメル会修道女の対話:完
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2021-03-06 10:56
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No.300 - 中島みゆきの詩(17)EAST ASIA [音楽]
No.298「中島みゆきの詩(16)ここではないどこか」は、1992年のアルバム『EAST ASIA』に収録された《此処じゃない何処かへ》のことでした。その No.298 最後に、このアルバムの冒頭の曲でアルバムのタイトルにもなっている《EAST ASIA》について、最重要の曲のはずだから別途書くとしました。今回はその話です。
EAST ASIA
中島みゆきさんの 《EAST ASIA》は次のような詩です。全文を引用します。
これは1992年のアルバムに収録されたものですが、それまでの中島作品からすると、あまりないタイプだと思います。それまでの詩はざっくりというと「人と人との関係の詩」や「人生に関わる詩」、ないしは「社会と人との関係性」が多かったわけです。
しかし、この詩はちょっと違って、East Asia = 東アジアという固有名詞がテーマ、ないしはキーワードになっています。以前の作品にも東京や札幌、南三条(札幌の地区名)、横浜などの地名が出てきましたが、今回は国を越えた地域名です。そこが違います。
もちろん東京や札幌が出てきたところで、詩の内容が日本に関わることというわけではなく、人の普遍的な感情とか人間関係がテーマでした。しかし「東アジア」となると国とか国境がテーマの重要部分を占めるはずであり、その前提で何か普遍的なものが表現されているはずです。以下、この詩の重要なキーワードや概念を順にみていきたいと思います。
東アジア
まずタイトルの意味を確認しておくと、East Asia = 東アジアとはユーラシア大陸の東端の周辺地域です。国名でいうと、日本、朝鮮半島(韓国、北朝鮮)、中国、香港、台湾(中華民国)、モンゴルでしょう。もちろん厳密な意味ではなく、はっきりと線引きできるものではありません。
その東アジアを表現する詩の内容は、雨が多く、地表は地平線まで霞んでいることがある。そこにはモンスーン(=季節風)がある。つまり気候風土まで含めると、ここでの東アジアは、ユーラシア大陸の内陸部(中国のモンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、モンゴルなど)の草原地帯や砂漠地帯を含まない、海洋に面している地域という雰囲気です。
また、植物としては「柳」で代表されています。自生する柳は水辺に多い植物です。「柳」はさらに「柳の枝で編んだゆりかご」と「柳絮 = 柳の種子」へとイメージが広がっていきます。
この詩の題名は英語です。英語の題名なのは、そもそものこの詩の発想からくるのでしょう。つまり詩の中に、
とあるように、たとえばヨーロッパの人が日常的に見ている世界地図では、東アジアは一番右の方、ユーラシア大陸の東端付近です。その付近が East Asia ということでしょう。
その東アジアに昔から住んできた人たちの人種的特徴は、「くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに」とあるように黒い瞳であり、詩にはありませんが、黒い瞳とペアになる直毛の黒い髪です。我々は日本人であって韓国人、中国人ではないと思っていますが、ヨーロッパを旅行していると Korean、Chinese と間違われることがあります。それもそのはずで、日本人からみても区別がつかない場合がある。実際、日本人が形成された考古学的考察からすると、我々は日本人という以前に東アジア人なのです。
壁を越える
この East Asia の中には、人と人とを隔てる「壁」があります。詩の中に、
とあるように、「壁」という言葉で象徴される "人々を分断するもの" です。もちろんその最大のものは国境です。同一民族が国境で分断されている例もあります。さらに国の中にも民族の違いなどの「壁」がある。《EAST ASIA》という詩では、その「境を越えて生きる」というイメージがいくつかのキーワードで表現されています。
一つは「旅人」です。「旅人一人歩いてゆく 星をたずねて」とあるように、ボーダーレスに旅をする人のイメージです。その旅人にとって重要なのは、どこにいても、誰もからも共通に見える「星」です。
壁を越えて生きることの二つ目は「鳩」です。No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」でまとめたように、中島作品における鳥は、自由とか、すべてを見渡すとか、そういったイメージで使われることが多いわけです。ただし「スズメ」とか「アホウ鳥」など、鳥に固有のイメージを重ねた詩もあって、この《EAST ASIA》の「鳩」も固有のイメージです。
とあります。鳩が「地を這いならが、どこにでも住み、生きていく」ことの象徴になっていますが、それは我々が経験的に、暗黙に思っていることです。鳩は都会の広場でも郊外の公園でも人々のそばで見かけます。日本だけでなく海外にいってもそうです。この詩の鳩のイメージにピッタリです。
3番目は「柳絮(りゅうじょ)」です。柳絮とは、ヤナギ、ポプラ、ドロノキなどのヤナギ科の植物の花が咲いたあとにできる "綿毛のついた種子" のことです。またその綿毛が風に乗って飛ぶことも柳絮と言います。ちなみに「絮」という漢字の意味は「綿・わた」です。
とあるように、風で浮遊する綿毛がついた種は、遠く離れたどこかに落ち、そこが適切な場所だと芽をふく。そのイメージが詩になっています。
日本で柳絮を見た記憶がないのですが、海外旅行では経験があります(イギリスのウィンザーと、ハンガリーのブダペスト)。ヨーロッパの5月や6月頃にはよく見られる現象のようです。綿毛が風で飛ぶというと、我々がよく思い浮かべるのはタンポポの綿毛がついた種子ですが、しかしこれは数個が野原に舞う光景が一般的でしょう。しかし私が経験したのは街のいたる所に綿毛が浮いている光景で、大変に印象的でした。タンポポと違って、たくさんある街路樹から綿毛が飛ぶと、街のあちこちに浮遊するのです。発生源の木は、どうもポプラのようでした。
柳絮は、柳(やポプラ)の品種によってその程度が違うようで、日本は見る機会は少ないのですが、東アジアでは北京の春の風物詩とてして有名です。街中に柳絮が飛び、地表に落ちて道路が白く覆われ、車がそれを巻き上げたりする。吸い込んでアレルギーを起こす人もいるほどだと言います。
その中国の古典からきた言葉に「柳絮の才」があります。文才がある女性を言う言葉ですが、むかしある方の妻が、降る雪を柳絮の綿毛にたとえたことに由来するそうです。これから分かることは、柳絮が粉雪のように降ってくる光景が中国では昔から一般的だったことです。
この柳絮が、《EAST ASIA》では "壁を越える" ことの最も重要な象徴物でしょう。「りゅうじょ」という言葉は、歌を聴いただけでは何のことだか分かりません。普通の人はそうだと思います。詩を読んで、調べて、「りゅうじょ」=「柳絮」=「柳の綿毛が付いた種子」だと分かる。そういう漢語をあえて《EAST ASIA》に使ったのは、中島さんとしてはどうしてもこの言葉を使いたかったのだと思います。何となく "こだわり" を感る。東アジアの歴史を意識したのかもしれません。
さらにこの詩では「くに」という表現が、壁を越えることのキーワードになっています。今まで「国」とか「国境」と書いてきましたが、詩で明らかなように「国」は一切使われていません。「くに」と表記されています。これも歌を聴いているだけでは分からず、文字として書かれた詩を読んで初めて理解できます。
「くに」は「国」の意味に使いますが、もっと広く「故郷」の意味でも使います。「くにはどこですか?」という質問は、時と場合によって出身地を質問していることもあれば、国籍を聞いている場合もある。
「国」なら日本しかないが、「くに」は、生まれ育った場所、出身地・故郷、日本などの柔軟性があります。従って「くに」は東アジアでもよい。それが「くにの名はEAST ASIA」という詩が成立するゆえんになっています。
以上の「旅人」「鳩」「柳絮」「くに」というキーワードで "壁を越える" ことが象徴されています。
壁を越える愛
壁を越えるものを具体的に言うと、それは「人と人のとの関係」であり、特に「愛」です。
「あの人」に抱く愛情は、壁を越えて「あの人」のもとに行く。その「あの人」とは、人生におけるパートナーか恋人か、それに相当する人でしょう。またこの詩では、
とあります。「心はあの人のもと帰りゆく」というときの「心」は、パートナーへの(男女の)愛情だけではないと感じられます。家族や友人や仲間といった親しい人に対する親愛の情も指していると考えられる。この引用のところの「柔らかな風」という表現は「柳絮」をダイレクトに想起させます。このことからも「柳絮」がこの詩の最も大切な象徴語という感じを受けます。結局、この詩は、
ということを言っているのだと思います。
暗示
さらに、この詩の印象的な言い回しである、
のところを "深読み" すると、次のような意味が込められているのではないでしょうか。つまり、
という意味合いです。「壁」の存在によって人間関係や人生の選択の面で "思い" が遂げられない人は多いはずだからです。そして、もっと踏み込んで考えると、
という暗示があるようにも思えます。「大きな力」という言葉がそう感じさせます。それは、個人では如何ともしがたい「大きな力」なのでしょう。
ふと思ったことがあります。この詩は1992年に発表されたものです。もし仮に2019年か2020年に発表されていたとしたら、「民主化運動により困難に陥っている香港の人たちへの連帯感を綴った詩」と考えても通用するのではないでしょうか。
そのように思わせるところに、中島作品の普遍性というか "大きさ" があるのだと、《EAST ASIA》を読み返してみて(聴き直してみて)改めて思いました。
『EAST ASIA』(1992年) |
1. EAST ASIA 2. やばい恋 3. 浅い眠り 4. 萩野原 5. 誕生 6. 此処じゃない何処かへ(No.298) 7. 妹じゃあるまいし 8. ニ隻の舟 9. 糸 |
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なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
EAST ASIA
中島みゆきさんの 《EAST ASIA》は次のような詩です。全文を引用します。
|
これは1992年のアルバムに収録されたものですが、それまでの中島作品からすると、あまりないタイプだと思います。それまでの詩はざっくりというと「人と人との関係の詩」や「人生に関わる詩」、ないしは「社会と人との関係性」が多かったわけです。
しかし、この詩はちょっと違って、East Asia = 東アジアという固有名詞がテーマ、ないしはキーワードになっています。以前の作品にも東京や札幌、南三条(札幌の地区名)、横浜などの地名が出てきましたが、今回は国を越えた地域名です。そこが違います。
もちろん東京や札幌が出てきたところで、詩の内容が日本に関わることというわけではなく、人の普遍的な感情とか人間関係がテーマでした。しかし「東アジア」となると国とか国境がテーマの重要部分を占めるはずであり、その前提で何か普遍的なものが表現されているはずです。以下、この詩の重要なキーワードや概念を順にみていきたいと思います。
東アジア
まずタイトルの意味を確認しておくと、East Asia = 東アジアとはユーラシア大陸の東端の周辺地域です。国名でいうと、日本、朝鮮半島(韓国、北朝鮮)、中国、香港、台湾(中華民国)、モンゴルでしょう。もちろん厳密な意味ではなく、はっきりと線引きできるものではありません。
その東アジアを表現する詩の内容は、雨が多く、地表は地平線まで霞んでいることがある。そこにはモンスーン(=季節風)がある。つまり気候風土まで含めると、ここでの東アジアは、ユーラシア大陸の内陸部(中国のモンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、モンゴルなど)の草原地帯や砂漠地帯を含まない、海洋に面している地域という雰囲気です。
また、植物としては「柳」で代表されています。自生する柳は水辺に多い植物です。「柳」はさらに「柳の枝で編んだゆりかご」と「柳絮 = 柳の種子」へとイメージが広がっていきます。
この詩の題名は英語です。英語の題名なのは、そもそものこの詩の発想からくるのでしょう。つまり詩の中に、
世界の場所を教える地図は
誰でも自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて
地球はくすくす笑いながら回ってゆく
誰でも自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて
地球はくすくす笑いながら回ってゆく
とあるように、たとえばヨーロッパの人が日常的に見ている世界地図では、東アジアは一番右の方、ユーラシア大陸の東端付近です。その付近が East Asia ということでしょう。
その東アジアに昔から住んできた人たちの人種的特徴は、「くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに」とあるように黒い瞳であり、詩にはありませんが、黒い瞳とペアになる直毛の黒い髪です。我々は日本人であって韓国人、中国人ではないと思っていますが、ヨーロッパを旅行していると Korean、Chinese と間違われることがあります。それもそのはずで、日本人からみても区別がつかない場合がある。実際、日本人が形成された考古学的考察からすると、我々は日本人という以前に東アジア人なのです。
壁を越える
この East Asia の中には、人と人とを隔てる「壁」があります。詩の中に、
山より高い壁が築きあげられても
とあるように、「壁」という言葉で象徴される "人々を分断するもの" です。もちろんその最大のものは国境です。同一民族が国境で分断されている例もあります。さらに国の中にも民族の違いなどの「壁」がある。《EAST ASIA》という詩では、その「境を越えて生きる」というイメージがいくつかのキーワードで表現されています。
一つは「旅人」です。「旅人一人歩いてゆく 星をたずねて」とあるように、ボーダーレスに旅をする人のイメージです。その旅人にとって重要なのは、どこにいても、誰もからも共通に見える「星」です。
壁を越えて生きることの二つ目は「鳩」です。No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」でまとめたように、中島作品における鳥は、自由とか、すべてを見渡すとか、そういったイメージで使われることが多いわけです。ただし「スズメ」とか「アホウ鳥」など、鳥に固有のイメージを重ねた詩もあって、この《EAST ASIA》の「鳩」も固有のイメージです。
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと合わせて 生きてゆくことができる
誰とでもきっと合わせて 生きてゆくことができる
とあります。鳩が「地を這いならが、どこにでも住み、生きていく」ことの象徴になっていますが、それは我々が経験的に、暗黙に思っていることです。鳩は都会の広場でも郊外の公園でも人々のそばで見かけます。日本だけでなく海外にいってもそうです。この詩の鳩のイメージにピッタリです。
3番目は「柳絮(りゅうじょ)」です。柳絮とは、ヤナギ、ポプラ、ドロノキなどのヤナギ科の植物の花が咲いたあとにできる "綿毛のついた種子" のことです。またその綿毛が風に乗って飛ぶことも柳絮と言います。ちなみに「絮」という漢字の意味は「綿・わた」です。
どこにでもゆく柳絮に 姿を変えて
どんな大地でもきっと 生きてゆくことができる
どんな大地でもきっと 生きてゆくことができる
とあるように、風で浮遊する綿毛がついた種は、遠く離れたどこかに落ち、そこが適切な場所だと芽をふく。そのイメージが詩になっています。
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5月の埼玉・北本自然観察公園の柳絮。湿地の柳の木の画像である。埼玉県自然学習センターのYouTubeより。 |
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上高地で、梅雨の合間の晴れた日に、柳の木から柳絮が一斉に飛ぶ様子。「一休コンシェルジュ」(一休.comのWebマガジン)のサイトより。 |
日本で柳絮を見た記憶がないのですが、海外旅行では経験があります(イギリスのウィンザーと、ハンガリーのブダペスト)。ヨーロッパの5月や6月頃にはよく見られる現象のようです。綿毛が風で飛ぶというと、我々がよく思い浮かべるのはタンポポの綿毛がついた種子ですが、しかしこれは数個が野原に舞う光景が一般的でしょう。しかし私が経験したのは街のいたる所に綿毛が浮いている光景で、大変に印象的でした。タンポポと違って、たくさんある街路樹から綿毛が飛ぶと、街のあちこちに浮遊するのです。発生源の木は、どうもポプラのようでした。
柳絮は、柳(やポプラ)の品種によってその程度が違うようで、日本は見る機会は少ないのですが、東アジアでは北京の春の風物詩とてして有名です。街中に柳絮が飛び、地表に落ちて道路が白く覆われ、車がそれを巻き上げたりする。吸い込んでアレルギーを起こす人もいるほどだと言います。
その中国の古典からきた言葉に「柳絮の才」があります。文才がある女性を言う言葉ですが、むかしある方の妻が、降る雪を柳絮の綿毛にたとえたことに由来するそうです。これから分かることは、柳絮が粉雪のように降ってくる光景が中国では昔から一般的だったことです。
この柳絮が、《EAST ASIA》では "壁を越える" ことの最も重要な象徴物でしょう。「りゅうじょ」という言葉は、歌を聴いただけでは何のことだか分かりません。普通の人はそうだと思います。詩を読んで、調べて、「りゅうじょ」=「柳絮」=「柳の綿毛が付いた種子」だと分かる。そういう漢語をあえて《EAST ASIA》に使ったのは、中島さんとしてはどうしてもこの言葉を使いたかったのだと思います。何となく "こだわり" を感る。東アジアの歴史を意識したのかもしれません。
さらにこの詩では「くに」という表現が、壁を越えることのキーワードになっています。今まで「国」とか「国境」と書いてきましたが、詩で明らかなように「国」は一切使われていません。「くに」と表記されています。これも歌を聴いているだけでは分からず、文字として書かれた詩を読んで初めて理解できます。
「くに」は「国」の意味に使いますが、もっと広く「故郷」の意味でも使います。「くにはどこですか?」という質問は、時と場合によって出身地を質問していることもあれば、国籍を聞いている場合もある。
「国」なら日本しかないが、「くに」は、生まれ育った場所、出身地・故郷、日本などの柔軟性があります。従って「くに」は東アジアでもよい。それが「くにの名はEAST ASIA」という詩が成立するゆえんになっています。
以上の「旅人」「鳩」「柳絮」「くに」というキーワードで "壁を越える" ことが象徴されています。
壁を越える愛
壁を越えるものを具体的に言うと、それは「人と人のとの関係」であり、特に「愛」です。
心はあの人のもの
心はあの人のもと帰りゆく
心はあの人のもと帰りゆく
「あの人」に抱く愛情は、壁を越えて「あの人」のもとに行く。その「あの人」とは、人生におけるパートナーか恋人か、それに相当する人でしょう。またこの詩では、
大きな力に従わされても
力だけで心まで縛れはしない
高い壁が築きあげられても
柔らかな風は越えてゆく
力だけで心まで縛れはしない
高い壁が築きあげられても
柔らかな風は越えてゆく
とあります。「心はあの人のもと帰りゆく」というときの「心」は、パートナーへの(男女の)愛情だけではないと感じられます。家族や友人や仲間といった親しい人に対する親愛の情も指していると考えられる。この引用のところの「柔らかな風」という表現は「柳絮」をダイレクトに想起させます。このことからも「柳絮」がこの詩の最も大切な象徴語という感じを受けます。結局、この詩は、
生きるということのベーシックな部分や、人間の本質的な感情や心のあり様においては「壁」は関係ない。特に愛情や親愛の情は、壁を越えて大きく広がっていくもの
ということを言っているのだと思います。
暗示
さらに、この詩の印象的な言い回しである、
大きな力に従わされても、心まで縛れはしない | |
高い壁が築きあげられても、柔らかな風は越えてゆく |
のところを "深読み" すると、次のような意味が込められているのではないでしょうか。つまり、
壁」の存在で困難に陥っている人たちに対する共感の表現 |
という意味合いです。「壁」の存在によって人間関係や人生の選択の面で "思い" が遂げられない人は多いはずだからです。そして、もっと踏み込んで考えると、
自分の意志とは違う "大きな力" に従わざるを得ない人に対する、国境を越えた連帯のメッセージ
という暗示があるようにも思えます。「大きな力」という言葉がそう感じさせます。それは、個人では如何ともしがたい「大きな力」なのでしょう。
ふと思ったことがあります。この詩は1992年に発表されたものです。もし仮に2019年か2020年に発表されていたとしたら、「民主化運動により困難に陥っている香港の人たちへの連帯感を綴った詩」と考えても通用するのではないでしょうか。
そのように思わせるところに、中島作品の普遍性というか "大きさ" があるのだと、《EAST ASIA》を読み返してみて(聴き直してみて)改めて思いました。
(続く)
2020-12-12 12:13
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No.298 - 中島みゆきの詩(16)ここではないどこか [音楽]
No.35「中島みゆき:時代」から始まって16回書いた "中島みゆきの詩" シリーズですが、今回は絵画の話から始めます。
モネとマティス ── もうひとつの楽園
箱根のポーラ美術館で2020年4月末から半年間、ある展覧会が開催されました。
と題した展覧会です。ポーラ美術館のサイトにはこの展覧会の概要が次のように説明してありました。
2020年9月6日のNHK「日曜美術館」では、この展覧会の企画の意図をさらに詳しく紹介していました。番組の内容を要約すると次の通りです。
以上が番組の要約(従って、ポーラ美術館の展覧会の主旨)ですが、これを簡潔に1文でまとめると次のようになるでしょう。
モネとマティスが「ここではないどこか」を自ら作り出したという視点は、なるほどそうかも知れません。番組MCの小野正嗣さんは、ゴーギャンにとっての「どこか」はタヒチだったと言っていました。ということになると、ゴッホにとってのアルルもそうかもと思いました。
モネとマティスの芸術論はここまでにして、以降はこの展覧会と番組のキーワードになっていたボードレールの「ここではないどこか」という概念について書きます。
ここではないどこか
"ここではないどこか"(英語では "Anywhere but here")という概念は、今まで数々の文芸作品やエンターテインメントに使われてきました。日本で言うと、GLAY が1999年にリリースした楽曲でミリオンセラーになった「ここではない、どこかへ」があります。漫画界の大御所である萩尾望都さんは「ここではない★どこか」と題した漫画のシリーズ(2006年~2012年)を発表しました。
海外では、アメリカの小説家、モナ・シンプソン(故スティーヴ・ジョブズの実妹)は「Anywhere but here」(1986)という小説を発表し、これは映画化されました。
その他、ヘヴィメタルのバンドのアルバム名になったり、アーティストの個展のタイトルになったりと、ネットで検索しても数々の例が出てきます。「ここではないどこか ── Anywhere but here」という言葉、ないしは概念は、クリエーターのイメージを喚起するものがあるのでしょう。
しかし、私にとっての「ここではないどこか」は、まず第一に中島みゆきさんの楽曲である《此処じゃない何処かへ》です。ここからが本題で、以降はその話です。
中島みゆき《此処じゃない何処かへ》
《此処じゃない何処かへ》は、1992年に発表されたアルバム『EAST ASIA』の第6曲として収められた曲です。その詩を次に掲げます。
語り手である「私」の自画像を描いた詩です。「私」は自分の無力感に苛まれています。何もできない自分、という自己嫌悪にも陥っている。
"何か" になりたいが、その "何か" が見つかりません。ここが自分の居場所という、その場所が分からない。心の中からは「此処じゃない何処かへ行ってみろ」と言う声が聞こえてきます。そうすれば "何か" が見つかるかもしれない。
「私」は内心の声に従って、あてもなく街を出ました。音楽好きなのでライブハウスの熱狂にホットになったけれど、それが自分の居場所がどうかはわからない。「此処じゃない何処かへ行ってみろ」という内心の声は今も続いている ・・・・・・。
人生の比較的若い段階、たとえば20代・30代で、人が誰しも一時は抱く感情をストレートに詩にしたものでしょう。もっと早く、10代での感情かもしれないし、30代より後かもしれない。「此処じゃない何処かへ行く」ことを具体的に実行するかどうかはともかく、ふと、そういうことが脳裏をよぎるのは誰にでもありそうです。
「此処じゃない何処かへ」という内心の声は、自分を追い立て、急かせるもので、それはしつこいくらいの繰り返されます。そのムードが、ロックの強いビートの曲とマッチしています。中島さんの "太い声でシャウトするような歌い方" も印象的です。
《此処じゃない何処かへ》は、人生のある時期、ないしは人生において折に触れて人が抱く感情をストレートに詩にし、歌ったものと考えられます。ただ、それ以上の意味があるのではとも思える。それがNHKの日曜美術館であったボードレールの詩との関係です。
《此処じゃない何処かへ》を "深読み" する
中島さんの《此処じゃない何処か》は、ボードレールの「ここではないどこかへ」を踏まえているのではないでしょうか。そんなことがあり得るのかと一瞬思ってしまいますが、十分にあることでしょう。
そもそも中島さんは詩人です。もちろんアーティストないしはクリエーターとしては数々の側面がありますが、第一級の詩人であることは確かでしょう。詩人が、過去の詩人の作品を大量に読む(読んできた)のはあたりまえです。ちょうど小説家が先人の小説を読むようにです。
中島さんは "詩のアンソロジー" の選者をしたことがあります。1985年に作品社から出版された「日本の恋歌 全3巻」の "第3巻" です。第1巻は"邂逅"がテーマで選者は谷川俊太郎氏、第2巻は "相聞" がテーマで選者は吉行和子氏、そして "別離" がテーマの第3巻の選者が中島さんです。ここでは、万葉集、古今・新古今の時代から、江戸期を経て、明治・大正・昭和の詩人、そして井上陽水や松任谷由実まで、100人の100作品がセレクトされています。これは彼女が多くの詩を読み込んでいることを示しています。でないと、できないでしょう。
この「日本の恋歌」は日本人の作品だけですが、当然、彼女は海外の作品にも親しんでいると想定できます。特にボードレールは現代詩の先駆者とされる詩人なので、中島さんは熟知しているのではないでしょうか。
ということで、「此処じゃない何処か」がボードレールの「ここではないどこかへ」を念頭に作られたとして、ではどのような解釈ができるかを考えたみたいと思います。まず、そのボードレールの詩です。
シャルル・ボードレール
少々意外なことに「ここではないどこかへ」と題したボードレールの詩はありません。その "概念" を表現した作品は、NHKの日曜美術館でも紹介していましたが、ボードレールの50篇からなる散文詩『パリの憂鬱』の第48篇です。
この詩は、題名だけが英語で「ANY WHERE OUT OF THE WORLD」とあり、そのあとに「いずこなりとこの世の外へ」の意味のフランス語が続きます。訳者の阿部良雄氏によると、この英語題名はイギリスの詩人の作品からとられたもので、本来 "Anywhere" と綴るべきところを(これが正しい英語表記)、誤記か誤植で "Any Where" となったとのことです。
固有名詞の補足ですが、バタヴィアはインドネシアの首都・ジャカルタのオランダ植民地時代の名です。またトルネオは現代の表記ではトルニオです。スウェーデンとフィンランドの間の大きな湾をボスニア湾と言いますが、その一番奥に面したフィンランドの町がトルニオです。ボスニア湾の南はバルト海(バルティック海)なので「バルティック海の最果て」という表現になります。
最初の方に「今いるのでない場所へ行けば、かならず具合がよくなるだろうという気がする」とあり、「引っ越しの問題」とあります。「ここではないどこかへ」をストレートに表現している部分です。全体の大意をまとめると、次のようになるでしょう。
最後の「私の魂」の "この世の外ならどこでも!" というのは、いわゆる "キレた" 言い方です。それを言葉通りに実行するとなると、この世から去ること(= "死")になり、そうなると「ここではないどこか」に今より良い居場所を見つけたいという「私」の意図に反してしまいます。結局、この詩の自問自答は反語的に解釈すべきでしょう。その解釈を簡潔に言うと、次のようになると思います。
これが、ボードレールの散文詩の "含意" でしょう。冒頭で書いた画家、モネとマティスの場合は、その "ここではないどこか" がジヴェルニーの庭であり、ニースのアトリエであった。それがポーラ美術館の(従って NHK「日曜美術館」の)解釈だったわけです。
ボードレールの「ANY WHERE OUT OF THE WORLD いずこなりとこの世の外へ」という散文詩にこのような含意があるとすると、中島みゆきさんの《此処じゃない何処かへ》も、
というのが隠された意味でしょう。ちょうど、モネやマティスの "理想のアトリエ" のように ・・・・・・。《此処じゃない何処かへ》がボードレールの「ここではないどこかへ」を踏まえているとの前提にたつと、それが自然な解釈だと思います。
さらにこの詩は「この世界の中に自分で作るしかない」という以上のことを言っているように思えます。それは、曲が収められた『EAST ASIA』というアルバムの構成から推測できるものです。
EAST ASIA
『EAST ASIA』は1992年に発表されたアルバムで、「夜会」はすでに始まっている時期です。このアルバムには以下の9曲が収められています。
このアルバムの詩の全体を眺めてみると、大きく4つの部分に分かれていると考えられます。詩の内容を簡潔に一言で要約することなど本来はできないのですが、あえてやってみると次のようになるでしょう。
第1部は《EAST ASIA》という曲です。東アジアに住む人たち(ないしは特定の人)と心を通わせたいという思いや連帯感を綴ったものです。東アジアとは、通常の言葉使いとしては日本、朝鮮半島、中国、モンゴル、台湾、香港でしょう。これは従来の中島さんの詩には見られなかった発想のものです。
第2部は《やばい恋》《浅い眠り》《萩野原》《誕生》の4曲で、一言でいうと "別れ" が扱われています。《やばい恋》では、女は男をますます好きになりそうだが、男は別れの機会を窺っているという "やばい" 状況が語られます。《浅い眠り》は、男と分かれたあとに失ったものの大きさを感じて思案にくれている詩です。
《萩野原》では、昔に別れた恋人を偲び、懐かしんでいます。《誕生》は人生における別れの意味を探った内容です。別れはつらいが、出会ったからこそ別れがある。知り合えたことを大切にしよう。そもそも生まれてきたことが Welcome であり素晴らしいことだという、非常にポジティブな表現になっています。
第3部が《此処じゃない何処かへ》で、ここでアルバムの流れの転換が起こります。
第4部は《妹じゃあるまいし》《ニ隻の舟》《糸》の3曲で、ここで扱われているテーマはまとめると "二人" だと言えるでしょう。《妹じゃあるまいし》は、今はもう別れた女性を思い出し、追憶を巡らしているという内容です。語り手が女性だとも考えられます(= "妹" は同性の友人)。
夜会でも歌われた《ニ隻の舟》は、
のあたりが、詩としてのコアです。「おまえとわたし」は必ずしも男女ととらなくてもよいはずです。人生におけるパートナーの大切さを言った詩と考えられるでしょう。なお、日本語では二隻ですが、"中島みゆき用語" ではこれを二隻と読ませています。
数々のアーティストがカバーしている《糸》は、結ばれた男女の幸福を表現しています。この曲は結婚式ソングの定番になっていますが、それもそのはずで、そもそも曲の発表前に最初に歌われたのがある人の結婚式でした。
アルバム『EAST ASIA』の各曲の大意をごく簡単に書きましたが、細かいニュアンスは全く無視しました。ただ、アルバムの構造を明らかにするという意図でした。
以上の考察からすると、この『EAST ASIA』というアルバムは、詩の内容とその配列が意図的に工夫されていると感じます。ということを前提として「此処じゃない何処かへ」を考えるとどうなるかです。
『EAST ASIA』の多くの詩は、出会い・別れ・人と人とのつながり・パートナーシップを内容としています。しかし第3部の《此処じゃない何処かへ》だけは違って、何かを成し遂げないといけない、何かにならないといけないという内心のさし迫った声や、それにまつわる葛藤が言葉になっています。これは、次の第4部の "二人" というテーマ、人生におけるパートナーの大切さにダイレクトにつなげるための詩ではないでしょうか。
《此処じゃない何処かへ》がボードレールを踏まえているという前提で考えると、この詩の含意は、
ということだとしました。そして「此処じゃない何処かへ」が人生におけるパートナーシップの大切さにつながっているということは、
という意味を含んでいるのではと思います。考えすぎでしょうか? そうとも言えないと思います。というのは「ここではないどこかへ」という概念・表現を聞いたとき、非常に似た言葉として「遠くへ行きたい」を連想するからです。
遠くへ行きたい
「ここではないどこかへ」と「遠くへ行きたい」は、言葉の概念として非常に似ています。「遠くへ行きたい」という曲は、1962年、NHKの番組「夢であいましょう」の為に作られたものです。作詞は故・永六輔氏でした。
この曲は、1970年から始まって現在も続いている日本テレビ系の長寿番組「遠くへ行きたい」の主題歌になりました。番組は、有名芸能人や文化人が日本各地の風土、歴史、食、宿を訪ねるという「紀行番組」あるいは「旅番組」です。故・永 六輔氏も出演されました。
ということから、「遠くへ行きたい」は「旅をしたい」と同じ意味だと受け取られがちです。しかし、故・永六輔氏が書いた詞はそうではありません。
まず、語り手は今住んでいる場所を離れて、できるだけ距離を置きたいと願っています。今の場所に違和感を抱くか、自分の居場所ではないと感じているようでもある。中村八大氏がこの詞につけた曲は短調です。短調が生み出すムードが、そういう想像を膨らませます。
ここではない場所、今の町ではない知らない町に行きたい、何処とは決まっていないが、何処か遠くへ行きたい、この詞はそう言っている。まさに「ここではないどこか」です。旅をして旅先の風土や文化を体験し癒されたい(=紀行番組である「遠くへ行きたい」)というのではないのです。さらに重要な点は、
の2つがセットになっていることです。これは「一人旅でどこか知らない土地へ行き、その土地で愛する人とめぐり逢いたい」という意味ではありません。もちろん世の中には旅先でたまたま出会った人とカップルになった(そして結婚した)という例があるでしょうが、そういうことを言っている詞ではない。
この詞は「旅」のもつイメージを2重にとらえています。一つは知らない土地へ行ってそこの風土に触れるという、文字通りの意味での「旅」です。もう一つは「人生における人と人の出会いの遍歴」という意味での「旅」です。この詞の語り手は、いま一人です。だから「一人旅に出たい」し、一人なので「巡り会いたい」のです。この2つが同時進行で語られるのが大きな特徴です。
以上の「遠くへ行きたい」の詞の構造と、中島さんの『EAST ASIA』で示された、
のセットは大変よく似ています。もちろん影響されたわけではないでしょうが、そこに「人生の断面に現れる普遍的なもの」があるように思います。「遠くへ行きたい」という曲は、中島さんの《此処じゃない何処かへ》とアルバム『EAST ASIA』を解釈する上での一つの補助線となるでしょう。
聴き手としての解釈
以上をまとめると、中島みゆきさんの《此処じゃない何処かへ》と、それを含むアルバム『EAST ASIA』に "隠された" メッセージは、
ということでしょう。これは詩そのものでは言ってないことであり、明らかに "深読み" だと思いますが、聴き手には解釈の自由があります。特に中島みゆきさんの詩は、解釈をいろいろと膨らませられるような言葉の使い方に満ちています。そこが中島作品の魅力であり、《此処じゃない何処かへ》とアルバム『EAST ASIA』もそれを体現していると思いました。
ところで、アルバム『EAST ASIA』について言うと、冒頭に置かれている《EAST ASIA》という曲がアルバムのタイトルになっています(いわゆるタイトル・チューン)。従ってこれが最重要の曲のはずであり、詩の内容をどう解釈するかが問題です。これについては別の機会に書くことにします。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
モネとマティス ── もうひとつの楽園
箱根のポーラ美術館で2020年4月末から半年間、ある展覧会が開催されました。
モネとマティス もうひとつの楽園 (2020年4月23日 ~ 11月3日) |
と題した展覧会です。ポーラ美術館のサイトにはこの展覧会の概要が次のように説明してありました。
|
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クロード・モネ「睡蓮の池」(1899)と、アンリ・マティス「リュート」(1943)。いずれもポーラ美術館所蔵。画像はポーラ美術館のサイトより引用。 |
2020年9月6日のNHK「日曜美術館」では、この展覧会の企画の意図をさらに詳しく紹介していました。番組の内容を要約すると次の通りです。
印象派の巨匠、クロード・モネと、色彩の魔術師と呼ばれたアンリ・マティスは、年齢は約30歳離れていて作風も対照的だが、この2人には共通点がある。それは、共に自らの好みを反映した理想の空間を作り上げ、そこに住み、そこをアトリエとして絵を描いたことである。 | |
モネは40代に、パリのおよそ70キロ北西に位置する農村、ジヴェルニーに邸宅を購入し、周囲の土地を買って花の庭を造成した。また、近くを流れるセーヌ川の支流から水を引き込み、池を作って太鼓橋をかけ、睡蓮を植えた。池の周囲には柳の木を植え、藤棚も作った。そしてここを「人工の野外アトリエ」として絵画の制作を行った。 | |
マティスもまた40代後半になってパリを離れ、南フランスのニースでホテルなどの一室を借り上げてアトリエを構え、そこを自分なりに飾り立てた。 好みだった中東やアフリカなどのエキゾティックなテキスタイルを買い求め、それで壁面を覆った。気に入ったモデルだけを使い、モデルの衣装にもこだわって、時には自ら縫った服を着せた。モデルにはくつろいだポーズをとらせ、安らぎを感じる空間を作り出そうとした。こういった演劇の舞台さながらのアトリエ = 理想の空間で、マティスは絵の制作をした。 | |
2人が生きた19世紀後半から20世紀初頭には、社会の大きな変化があった。産業が発展し、ブルジョワジーと呼ばれた資本家階級が台頭した。経済中心の社会になり、功利主義的な価値観が行き渡った。 また、人々は戦争と疫病に苦しんだ。1870年に勃発した普仏戦争にはモネの画家仲間たちが次々と従軍し、モネの親しい友人だったバジールは戦死した。マティスの友人だった詩人アポリネールは第1次世界大戦に従軍し、その後、スペイン・インフルエンザで死亡した。 | |
社会の価値観の変化と、戦争と疫病。こうした時代の中で芸術家たちの共感を呼んだのがシャルル・ボードレールの作品だった。詩人であり美術評論家でもあったボードレールは、近代化で変貌する時代を生きる苦悩を詩の中に吐露した。散文詩集「パリの憂鬱」に次のようにある。
生きるとは病院に入っているようなものだ
どこへでもいい、ここではないどこかへ | |
マネとマティスは「ここではないどこか」を、この世界の中に作った。マネはジヴェルニーに、マティスはニースのアトリエに。そこで2人が目指したのは人々に安らぎと慰安を与える芸術である。これが2人にとっては、この時代における芸術家のあるべき姿だった。 | |
2人が作った理想の空間(= 楽園)はプライベート空間だが、ありがたいことに、その空間は2人が創造した絵画作品を通して万人に開かれたものになっている。 |
以上が番組の要約(従って、ポーラ美術館の展覧会の主旨)ですが、これを簡潔に1文でまとめると次のようになるでしょう。
モネとマティスは、芸術家たちの共感を呼んだボードレールの「ここではないどこか」を、この世界の中に理想のプライベート空間として作り出し(ジヴェルニーとニース)、そこをアトリエとして人々に安らぎと慰安を与える芸術を創造した。
モネとマティスが「ここではないどこか」を自ら作り出したという視点は、なるほどそうかも知れません。番組MCの小野正嗣さんは、ゴーギャンにとっての「どこか」はタヒチだったと言っていました。ということになると、ゴッホにとってのアルルもそうかもと思いました。
モネとマティスの芸術論はここまでにして、以降はこの展覧会と番組のキーワードになっていたボードレールの「ここではないどこか」という概念について書きます。
ここではないどこか
"ここではないどこか"(英語では "Anywhere but here")という概念は、今まで数々の文芸作品やエンターテインメントに使われてきました。日本で言うと、GLAY が1999年にリリースした楽曲でミリオンセラーになった「ここではない、どこかへ」があります。漫画界の大御所である萩尾望都さんは「ここではない★どこか」と題した漫画のシリーズ(2006年~2012年)を発表しました。
海外では、アメリカの小説家、モナ・シンプソン(故スティーヴ・ジョブズの実妹)は「Anywhere but here」(1986)という小説を発表し、これは映画化されました。
その他、ヘヴィメタルのバンドのアルバム名になったり、アーティストの個展のタイトルになったりと、ネットで検索しても数々の例が出てきます。「ここではないどこか ── Anywhere but here」という言葉、ないしは概念は、クリエーターのイメージを喚起するものがあるのでしょう。
しかし、私にとっての「ここではないどこか」は、まず第一に中島みゆきさんの楽曲である《此処じゃない何処かへ》です。ここからが本題で、以降はその話です。
中島みゆき《此処じゃない何処かへ》
《此処じゃない何処かへ》は、1992年に発表されたアルバム『EAST ASIA』の第6曲として収められた曲です。その詩を次に掲げます。
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①EAST ASIA ②やばい恋 ③浅い眠り ④萩野原 ⑤誕生 ⑥此処じゃない何処かへ ⑦妹じゃあるまいし ⑧ニ隻(そう)の舟 ⑨糸 |
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語り手である「私」の自画像を描いた詩です。「私」は自分の無力感に苛まれています。何もできない自分、という自己嫌悪にも陥っている。
"何か" になりたいが、その "何か" が見つかりません。ここが自分の居場所という、その場所が分からない。心の中からは「此処じゃない何処かへ行ってみろ」と言う声が聞こえてきます。そうすれば "何か" が見つかるかもしれない。
「私」は内心の声に従って、あてもなく街を出ました。音楽好きなのでライブハウスの熱狂にホットになったけれど、それが自分の居場所がどうかはわからない。「此処じゃない何処かへ行ってみろ」という内心の声は今も続いている ・・・・・・。
人生の比較的若い段階、たとえば20代・30代で、人が誰しも一時は抱く感情をストレートに詩にしたものでしょう。もっと早く、10代での感情かもしれないし、30代より後かもしれない。「此処じゃない何処かへ行く」ことを具体的に実行するかどうかはともかく、ふと、そういうことが脳裏をよぎるのは誰にでもありそうです。
「此処じゃない何処かへ」という内心の声は、自分を追い立て、急かせるもので、それはしつこいくらいの繰り返されます。そのムードが、ロックの強いビートの曲とマッチしています。中島さんの "太い声でシャウトするような歌い方" も印象的です。
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《此処じゃない何処かへ》は、人生のある時期、ないしは人生において折に触れて人が抱く感情をストレートに詩にし、歌ったものと考えられます。ただ、それ以上の意味があるのではとも思える。それがNHKの日曜美術館であったボードレールの詩との関係です。
《此処じゃない何処かへ》を "深読み" する
中島さんの《此処じゃない何処か》は、ボードレールの「ここではないどこかへ」を踏まえているのではないでしょうか。そんなことがあり得るのかと一瞬思ってしまいますが、十分にあることでしょう。
そもそも中島さんは詩人です。もちろんアーティストないしはクリエーターとしては数々の側面がありますが、第一級の詩人であることは確かでしょう。詩人が、過去の詩人の作品を大量に読む(読んできた)のはあたりまえです。ちょうど小説家が先人の小説を読むようにです。
中島さんは "詩のアンソロジー" の選者をしたことがあります。1985年に作品社から出版された「日本の恋歌 全3巻」の "第3巻" です。第1巻は"邂逅"がテーマで選者は谷川俊太郎氏、第2巻は "相聞" がテーマで選者は吉行和子氏、そして "別離" がテーマの第3巻の選者が中島さんです。ここでは、万葉集、古今・新古今の時代から、江戸期を経て、明治・大正・昭和の詩人、そして井上陽水や松任谷由実まで、100人の100作品がセレクトされています。これは彼女が多くの詩を読み込んでいることを示しています。でないと、できないでしょう。
この「日本の恋歌」は日本人の作品だけですが、当然、彼女は海外の作品にも親しんでいると想定できます。特にボードレールは現代詩の先駆者とされる詩人なので、中島さんは熟知しているのではないでしょうか。
ということで、「此処じゃない何処か」がボードレールの「ここではないどこかへ」を念頭に作られたとして、ではどのような解釈ができるかを考えたみたいと思います。まず、そのボードレールの詩です。
シャルル・ボードレール
少々意外なことに「ここではないどこかへ」と題したボードレールの詩はありません。その "概念" を表現した作品は、NHKの日曜美術館でも紹介していましたが、ボードレールの50篇からなる散文詩『パリの憂鬱』の第48篇です。
この詩は、題名だけが英語で「ANY WHERE OUT OF THE WORLD」とあり、そのあとに「いずこなりとこの世の外へ」の意味のフランス語が続きます。訳者の阿部良雄氏によると、この英語題名はイギリスの詩人の作品からとられたもので、本来 "Anywhere" と綴るべきところを(これが正しい英語表記)、誤記か誤植で "Any Where" となったとのことです。
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最初の方に「今いるのでない場所へ行けば、かならず具合がよくなるだろうという気がする」とあり、「引っ越しの問題」とあります。「ここではないどこかへ」をストレートに表現している部分です。全体の大意をまとめると、次のようになるでしょう。
私は "ここではないどこか" へ行くと、今より良くなるという気がいつもしている。ちょうど、病院で病人がベッドの場所を変えると病状が良くなる、ないしは苦しみが和らぐと考えるように。 |
それではどこへ行くのか。私は、私の憧れの地をもとに、私の魂との自問自答を繰り返す。 | |
「ポルトガルのリスボンはどうだ?」 ・・・・・・ 私の魂は無言(=「違う!」)。 | |
「オランダのロッテルダムはどうだろう?」 ・・・・・・ 私の魂は無言。 | |
「インドネシアのジャカルタはどうか?」 ・・・・・・ 私の魂は無言。 | |
私はいらだって、私の魂を挑発しにかかる。「それならいっそ <生> の果て、白夜とオーロラの北極圏へ行こう!」 | |
ついに私の魂は堪忍袋の緒が切れて叫ぶ。「この世の外ならどこでもいい!」 |
最後の「私の魂」の "この世の外ならどこでも!" というのは、いわゆる "キレた" 言い方です。それを言葉通りに実行するとなると、この世から去ること(= "死")になり、そうなると「ここではないどこか」に今より良い居場所を見つけたいという「私」の意図に反してしまいます。結局、この詩の自問自答は反語的に解釈すべきでしょう。その解釈を簡潔に言うと、次のようになると思います。
私は "ここではないどこか" へ行くと、今より良くなるという気がいつもしている。 | |
それではどこへ行くのか。自問自答を繰り返してみても、適切な「どこか」は見つからないし、思いつかない。 | |
結局、我々は自分の居場所となる "ここではないどこか" を、今いる場所も含めて、この世界のどこかに自ら作り出すしかないのだ。 |
これが、ボードレールの散文詩の "含意" でしょう。冒頭で書いた画家、モネとマティスの場合は、その "ここではないどこか" がジヴェルニーの庭であり、ニースのアトリエであった。それがポーラ美術館の(従って NHK「日曜美術館」の)解釈だったわけです。
ボードレールの「ANY WHERE OUT OF THE WORLD いずこなりとこの世の外へ」という散文詩にこのような含意があるとすると、中島みゆきさんの《此処じゃない何処かへ》も、
その "何処か" は、この世界の中に自分で作るしかない
というのが隠された意味でしょう。ちょうど、モネやマティスの "理想のアトリエ" のように ・・・・・・。《此処じゃない何処かへ》がボードレールの「ここではないどこかへ」を踏まえているとの前提にたつと、それが自然な解釈だと思います。
さらにこの詩は「この世界の中に自分で作るしかない」という以上のことを言っているように思えます。それは、曲が収められた『EAST ASIA』というアルバムの構成から推測できるものです。
EAST ASIA
『EAST ASIA』は1992年に発表されたアルバムで、「夜会」はすでに始まっている時期です。このアルバムには以下の9曲が収められています。
1. EAST ASIA
2. やばい恋
3. 浅い眠り
4. 萩野原
5. 誕生
6. 此処じゃない何処かへ
7. 妹じゃあるまいし
8. ニ隻の舟
9. 糸
2. やばい恋
3. 浅い眠り
4. 萩野原
5. 誕生
6. 此処じゃない何処かへ
7. 妹じゃあるまいし
8. ニ隻の舟
9. 糸
このアルバムの詩の全体を眺めてみると、大きく4つの部分に分かれていると考えられます。詩の内容を簡潔に一言で要約することなど本来はできないのですが、あえてやってみると次のようになるでしょう。
第1部は《EAST ASIA》という曲です。東アジアに住む人たち(ないしは特定の人)と心を通わせたいという思いや連帯感を綴ったものです。東アジアとは、通常の言葉使いとしては日本、朝鮮半島、中国、モンゴル、台湾、香港でしょう。これは従来の中島さんの詩には見られなかった発想のものです。
第2部は《やばい恋》《浅い眠り》《萩野原》《誕生》の4曲で、一言でいうと "別れ" が扱われています。《やばい恋》では、女は男をますます好きになりそうだが、男は別れの機会を窺っているという "やばい" 状況が語られます。《浅い眠り》は、男と分かれたあとに失ったものの大きさを感じて思案にくれている詩です。
《萩野原》では、昔に別れた恋人を偲び、懐かしんでいます。《誕生》は人生における別れの意味を探った内容です。別れはつらいが、出会ったからこそ別れがある。知り合えたことを大切にしよう。そもそも生まれてきたことが Welcome であり素晴らしいことだという、非常にポジティブな表現になっています。
第3部が《此処じゃない何処かへ》で、ここでアルバムの流れの転換が起こります。
第4部は《妹じゃあるまいし》《ニ隻の舟》《糸》の3曲で、ここで扱われているテーマはまとめると "二人" だと言えるでしょう。《妹じゃあるまいし》は、今はもう別れた女性を思い出し、追憶を巡らしているという内容です。語り手が女性だとも考えられます(= "妹" は同性の友人)。
夜会でも歌われた《ニ隻の舟》は、
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のあたりが、詩としてのコアです。「おまえとわたし」は必ずしも男女ととらなくてもよいはずです。人生におけるパートナーの大切さを言った詩と考えられるでしょう。なお、日本語では二隻ですが、"中島みゆき用語" ではこれを二隻と読ませています。
数々のアーティストがカバーしている《糸》は、結ばれた男女の幸福を表現しています。この曲は結婚式ソングの定番になっていますが、それもそのはずで、そもそも曲の発表前に最初に歌われたのがある人の結婚式でした。
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アルバム『EAST ASIA』の各曲の大意をごく簡単に書きましたが、細かいニュアンスは全く無視しました。ただ、アルバムの構造を明らかにするという意図でした。
以上の考察からすると、この『EAST ASIA』というアルバムは、詩の内容とその配列が意図的に工夫されていると感じます。ということを前提として「此処じゃない何処かへ」を考えるとどうなるかです。
『EAST ASIA』の多くの詩は、出会い・別れ・人と人とのつながり・パートナーシップを内容としています。しかし第3部の《此処じゃない何処かへ》だけは違って、何かを成し遂げないといけない、何かにならないといけないという内心のさし迫った声や、それにまつわる葛藤が言葉になっています。これは、次の第4部の "二人" というテーマ、人生におけるパートナーの大切さにダイレクトにつなげるための詩ではないでしょうか。
《此処じゃない何処かへ》がボードレールを踏まえているという前提で考えると、この詩の含意は、
人は「ここではないどこか」を自分の居場所として求めるけれど、結局それはこの世界の中に自分で作り出すしかない
ということだとしました。そして「此処じゃない何処かへ」が人生におけるパートナーシップの大切さにつながっているということは、
自分の居場所(=ここではないどこか)をこの世界の中に作るとき、一番の助けになるのは、人生におけるパートナーだ
という意味を含んでいるのではと思います。考えすぎでしょうか? そうとも言えないと思います。というのは「ここではないどこかへ」という概念・表現を聞いたとき、非常に似た言葉として「遠くへ行きたい」を連想するからです。
遠くへ行きたい
「ここではないどこかへ」と「遠くへ行きたい」は、言葉の概念として非常に似ています。「遠くへ行きたい」という曲は、1962年、NHKの番組「夢であいましょう」の為に作られたものです。作詞は故・永六輔氏でした。
|
この曲は、1970年から始まって現在も続いている日本テレビ系の長寿番組「遠くへ行きたい」の主題歌になりました。番組は、有名芸能人や文化人が日本各地の風土、歴史、食、宿を訪ねるという「紀行番組」あるいは「旅番組」です。故・永 六輔氏も出演されました。
ということから、「遠くへ行きたい」は「旅をしたい」と同じ意味だと受け取られがちです。しかし、故・永六輔氏が書いた詞はそうではありません。
まず、語り手は今住んでいる場所を離れて、できるだけ距離を置きたいと願っています。今の場所に違和感を抱くか、自分の居場所ではないと感じているようでもある。中村八大氏がこの詞につけた曲は短調です。短調が生み出すムードが、そういう想像を膨らませます。
ここではない場所、今の町ではない知らない町に行きたい、何処とは決まっていないが、何処か遠くへ行きたい、この詞はそう言っている。まさに「ここではないどこか」です。旅をして旅先の風土や文化を体験し癒されたい(=紀行番組である「遠くへ行きたい」)というのではないのです。さらに重要な点は、
どこか遠くへ行きたい」 | |
愛する人とめぐり逢いたい」 |
の2つがセットになっていることです。これは「一人旅でどこか知らない土地へ行き、その土地で愛する人とめぐり逢いたい」という意味ではありません。もちろん世の中には旅先でたまたま出会った人とカップルになった(そして結婚した)という例があるでしょうが、そういうことを言っている詞ではない。
この詞は「旅」のもつイメージを2重にとらえています。一つは知らない土地へ行ってそこの風土に触れるという、文字通りの意味での「旅」です。もう一つは「人生における人と人の出会いの遍歴」という意味での「旅」です。この詞の語り手は、いま一人です。だから「一人旅に出たい」し、一人なので「巡り会いたい」のです。この2つが同時進行で語られるのが大きな特徴です。
以上の「遠くへ行きたい」の詞の構造と、中島さんの『EAST ASIA』で示された、
ここではないどこかへ」(第6曲) | |
人生におけるパートナーシップ」(第7~9曲) |
のセットは大変よく似ています。もちろん影響されたわけではないでしょうが、そこに「人生の断面に現れる普遍的なもの」があるように思います。「遠くへ行きたい」という曲は、中島さんの《此処じゃない何処かへ》とアルバム『EAST ASIA』を解釈する上での一つの補助線となるでしょう。
聴き手としての解釈
以上をまとめると、中島みゆきさんの《此処じゃない何処かへ》と、それを含むアルバム『EAST ASIA』に "隠された" メッセージは、
人は「ここではないどこか」を自分の居場所として求めるけれど、結局それはこの世界の中に自分で作り出すしかない。 | |
自分の居場所(ここではないどこか)をこの世界の中に作るとき、一番の助けになるのは、人生におけるパートナーだ。 |
ということでしょう。これは詩そのものでは言ってないことであり、明らかに "深読み" だと思いますが、聴き手には解釈の自由があります。特に中島みゆきさんの詩は、解釈をいろいろと膨らませられるような言葉の使い方に満ちています。そこが中島作品の魅力であり、《此処じゃない何処かへ》とアルバム『EAST ASIA』もそれを体現していると思いました。
ところで、アルバム『EAST ASIA』について言うと、冒頭に置かれている《EAST ASIA》という曲がアルバムのタイトルになっています(いわゆるタイトル・チューン)。従ってこれが最重要の曲のはずであり、詩の内容をどう解釈するかが問題です。これについては別の機会に書くことにします。
(続く)
2020-11-14 09:07
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No.285 - ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 [音楽]
No.281~No.283 の記事でショスタコーヴィチの3作品を取り上げました。
ですが、今回はその継続としてショスタコーヴィチの別の作品をとりあげます。ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77(1948)です。
実は No.9~No.11で、20世紀に書かれた3曲のヴァイオリン協奏曲について書きました。作曲された年の順に、シベリウス(1903/1905。No.11)、バーバー(1939。No.10)、コルンゴルト(1945。No.9)です。
しかし思うのですが、20世紀のヴァイオリン協奏曲ではショスタコーヴィチの1番が最高傑作でしょう。それどころか、これは個人的な感想ですが、この曲がヴァイオリン協奏曲のベストです。ベートーベン(1806)、メンデルスゾーン(1844)、ブラームス(1878)、チャイコフスキー(1878)の作品が「4大ヴァイオリン協奏曲」などと言われ、またチャイコフスキーを除いて「3大ヴァイオリン協奏曲」との呼び方もあります。しかしこれらは「19世紀のヴァイオリン協奏曲」であり、20世紀まで含めればショスタコーヴィチが一番だと(個人的には)思うのです。
というわけで以下、譜例とともにショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番を振り返ってみたいと思います。
2つの背景
まず曲の内容に入る前に、この曲を語る上で重要な「政治との確執」と「DSCH音型」について記しておきます。
No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」で書いたように、
という "事件"(1936)がありました。この結果『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は上演不可能になります。このオペラが再演されたのは改訂版の『カテリーナ・イズマイロヴァ』であり、四半世紀後の1963年のことです。
実はヴァイオリン協奏曲 第1番にも類似の経緯があります。この曲は1948年3月に完成しましたが、時を同じくして1948年2月から「ジダーノフ批判」が始まります。これはソヴィエト共産党の中央委員会書記だったアンドレイ・ジダーノフ(1896-1948)が主導したもので、前衛芸術に対する批判と統制を行ったものでした。音楽ではショスタコーヴィチも批判の標的の一人です。このため、ショスタコーヴィチはヴァイオリン協奏曲第1番の初演を保留しました。初演されたのは、ジダーノフ批判がほぼ収まった1955年10月です。曲の完成から7年半後の初演ということになります。オイストラフの独奏、ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団でした。
『マクベス夫人』と違って、ヴァイオリン協奏曲 第1番が政府から直接批判されたわけではありません。しかし、ショスタコーヴィチは初演をしない方がよいと判断したわけです。現代の我々がヴァイオリン協奏曲 第1番を聴いても、曲の作りとしてはノーマルだし、民族舞踊の要素もあるし、しかも作品として傑作です。初演したところで政府に批判されるいわれはないと思うのですが、当時のソ連の芸術家が置かれていた環境は我々の想像を越えているのですね。
ショスタコーヴィチが初演を取り下げた理由をあえて推測してみると、特に第1楽章にみられる "半音を多用した旋律の進行" だと思います(後述)。なかには、12音が全部現れるパッセージがあったりもする。もちろん、ヴァイオリン協奏曲 第1番は無調性音楽ではありません。れっきとした調性音楽ですが、その範囲で新しい音階(というか旋律の進行の "ありよう")や和声が試されている部分がある。それは芸術家として立派な態度だと思います。
ともかく、このヴァイオリン協奏曲 第1番も『マクベス夫人』のように、「芸術や音楽を一定の型に押し込めようとする独裁政治の圧力」と「新たな作品の創造にかける芸術家の情熱」の間の軋轢や確執に巻き込まれた曲だったわけです。
ヴァイオリン協奏曲 第1番には、ショスタコーヴィチの「音楽的署名」ともいうべき「DSCH音型」が出てきます。ショスタコーヴィチの名前を、ロシア語・英語・ドイツ語・日本語で記述すると、
です。名前のロシア語イニシャル「ДШ」のドイツ語表記は「DSch」であり、この4文字をドイツ語の音名として読んだのが「DSCH音型」です。ドイツ音名では "ミ♭" が "Es" ですが、これは "S" と同じ発音です。またドイツ音名で "H" は "シ" の音です(英語音名と違い、ドイツ音名で "B" は "シ♭")。ということで、"DSCH" の音型が "レ・ミ♭・ド・シ" を表すことになる。逆にいうと "レ・ミ♭・ド・シ" という音の並びがあるとすると、そこに隠された "音楽暗号"は、
となります。ドイツ音名を元に暗号を作る際には「ABCDEFGHS」の9文字が使えるわけで、英語音名の「ABCDEFG」よりは自由度があり、ここをうまく利用するわけです。
そのショスタコーヴィチの音楽的署名であるDSCH音型は、交響曲 第10番(1953)の第3・第4楽章や、弦楽4重奏曲 第8番(1960。冒頭から全曲に渡って現れる)など、作品に繰り返し何度も出てきますが、最も早いDSCH音型の使用例がヴァイオリン協奏曲 第1番(1948)なのです。それは第2楽章に出てきますが、楽章の最後になって現れ、それより前は "DSCH音型の変化形" で現れます。また第3楽章のカデンツァでもDSCH音型が回想されます。このあたりは後述します。
ヴァイオリン協奏曲 第1番は4つの楽章から成り、それぞれに "題名" がついています。演奏時間は合計40分程度です。
第1楽章 : ノクターン
第2楽章 : スケルツォ
第3楽章 : パッサカリア
第4楽章 : ブルレスケ
第3楽章のパッサカリアの後には長大なカデンツァがあり、休むことなくそのまま第4楽章に突入します。
第1楽章:ノクターン
第1楽章には「ノクターン:夜想曲」という名が付けられています。夜想曲(ノクターン、ノクチュルヌ、ノットゥルノ)という名前のついた曲は、普通は独立した楽曲です。ショパンのピアノ曲(21曲。1831頃~1845頃)が有名だし、フォーレもピアノで夜想曲を書いています(13曲。1870頃~1921)。ドビュッシーの「夜想曲」(1899)は管弦楽作品、ドヴォルサークの「ノットゥルノ」(1883)は弦楽合奏ですが(=弦楽4重奏曲 第4番 第2楽章の編曲)、独立曲であることには変わりません。
つまりショスタコーヴィチのように、楽曲の一部の楽章に「ノクターン」と名付けるのはめずらしいのですが、そのめずらしい中にも大変有名な曲があります。ボロディンの弦楽4重奏曲 第2番(1881)の第3楽章は有名な旋律で始まりますが、この楽章が「ノットゥルノ」と題されています。ショスタコーヴィチはロシアの作曲家としての先輩に習い、自分はヴァイオリン協奏曲でと考えたのかもしれません。さらに、マーラーの交響曲 第7番(1904)の第2・第4楽章も「夜曲(Nachtmusik)」との名前があり、関係があるのかもしれません。
そのノクターンですが、特に形式上の決まりはありません。静かで、夢想的で、甘美で、瞑想しているような気分の曲が多い。このショスタコーヴィチの第1楽章もまさにそういう気分に満ちています。
第1楽章は、第1部(提示)、第2部(展開)、第3部(再現)の3つの部分に分けると考えやすいでしょう。提示・展開・再現という「ソナタ形式」の用語を使いましたが、もちろん厳密な形式ではなく、自由に構成された楽章です。4分の4拍子でModeratoの指示があります。
曲はチェロとコントラバスが奏でる 譜例168 で始まります。この楽想を「主題1A」としておきます。第1主題 とも言えるでしょう。「主題1A」は連続する「符点4分音符+8分音符」の組み合わせが特徴で、このリズムが第1楽章全般に現れます。以下の「数字-数字」は譜例の小節番号です。

5小節目から、独奏ヴァイオリンが 譜例169 で入ってきます。「主題1A」の変奏ですが、音が引き延ばされ、変形したものになっています。

その次の 譜例170 になると、はっきりと「主題1A」になります。ここはヴァイオリンの G線で演奏され、冒頭のチェロ(譜例168)の1オクターブ上になります。

さらにその次の14小節では、独奏ヴァイオリンが4つの8分音符を含む旋律を奏でます(譜例171)。これを「主題1B」としておきますが、もちろん「主題1A」の変化形です。この「主題1B」の形も第1楽章の全域に現れます。

最初に p で始まった第1楽章が一気に強まり、この楽章の最初の ƒ になるのが 譜例172 です。この部分は「主題1A」と「主題1B」からできています。

ディミネンドがかかって静かになったあと、クレッシェンドが始まり、譜例173 で2度目の ƒ になります。

51小節の2拍目から新たな主題が出てきます(譜例174)。「主題1C」としましたが、第2主題 と呼んでもよいでしょう。この「主題1C」の後にも「主題1B」が続き、2つが融合して進んでいきます。

独奏ヴァイオリンが再び「主題1C」を静かに演奏するところになると、第1部が終わります。ここまで独奏ヴァイオリンは休むことなく弾き続けてきました。
79小節から第2部(展開部に相当)に入ります。その最初が 譜例175 で、独奏ヴァイオリンは弱音器を付けて演奏されます。ここは「主題1B」の変奏です。80小節の最初は「シ♭」で、84小節の3拍目の裏にも「シ♭」があります。この2つの「シ♭」の間には12音が全部揃っています。5小節の中に12音が揃うというのは、意図的にそうなっているのでしょう。12音技法ではありませんが、ショスタコーヴィチの新しい試みです。
93小節からは、独奏ヴァイオリンが1弦の「ド」の音を引き伸ばすなか、チェレスタとハープが 譜例176 を演奏します。これと似た部分が交響曲 第5番の第3楽章、Largo にありました。なお 譜例176 は、ここ以前に第1部の終わりの部分でバス・クラリネットの低音で演奏されました。

独奏ヴァイオリンが1弦の高い方の「ド」の音を保持したまま、リテヌートがかかり、ア・テンポで3連符を多用した新たな展開になります(譜例177)。ここは「主題1C」との関連性を感じるところです。99小節の最初の「ド」は前の小節から続く音ですが、ここから103小節の最後の「シ♭」までの5小節の間に12音が全部出てきます。譜例175 とそっくりですが、展開されている主題が違います。このあたりはショスタコーヴィチの工夫を感じるところです。なお 譜例177 の音の運びは、第1楽章 第3部のコーダの部分で再現されます。
再びリテヌートがかかり、ア・テンポとなるところで、ファゴットが4分の3拍子に変化させた「主題1A」を演奏します(譜例178)。

これを契機に、弱音器をはずした独奏ヴァイオリンが3連符と重音を多用して音楽を盛り上げていきます。その頂点で演奏されるのが「主題1C」です(譜例179)。譜例174 のときと同じように「主題1B」が続き、第2部のクライマックスになります。第2部はフォルテのまま、次の第3部に入ります。

チューバに導かれて独奏ヴァイオリンが「主題1A」(の変化形)を演奏し、第3部(再現部に相当)になります(譜例180)。ここは 譜例170 と同じように G線で演奏されます。このあとにはコントラバスとバス・クラリネットが、第1楽章の独奏ヴァイオリンの出だしの部分(譜例169)を模倣します。

独奏ヴァイオリンによる「主題1C」の再現が続きます(譜例181)。譜例174 や 譜例179 のときと同じように、「主題1B」が伴っています。

リテヌートがかかったあと、ア・テンポとなる164小節からが第1楽章の終結部です(譜例182)。この部分は「主題1C」の変奏で、第2部の 譜例177(12音が揃っているところ)の再現ともなっています。

第1楽章は、独奏ヴァイオリンが1弦の4倍音の「ミ」の音をハーモニクスで伸ばすなか、チェレスタとハープが第2部の 譜例176 を演奏して終わります。
第1楽章は Moderato のゆったりとした楽章ですが、その特徴は独奏ヴァイオリンの旋律が♭や♯、特に♭で揺れ動くことです。次の音は「ソ」かと(無意識に)思っていると「ソ♭」が演奏され、聴いていると、かすかな違和感というか独特のムードを感じ、その感じが持続するなかでまた次の半音下がった音が出てくる、それが連続していきます。これを仮に旋律の「半音進行」と呼ぶとすると、第1楽章は半音進行に満ちています。
そのため、第2部の 譜例175 や 譜例177 のように、12音全部が出てくる旋律の展開があっても違和感はありません。ごく自然に聞こえます。いや、自然などころか、このあたりがまさに聴く人を "のめり込ませる" というか、"しびれる" ところになっています。ショスタコーヴィチはここで新しい音楽のありようを追求したのだと思います。
さらに、半音進行と関係しますが「いつ止まるともしれない独奏ヴァイオリンの進行」も特徴でしょう。たとえば第1部は、第2部に移るまで独奏ヴァイオリンが71小節を弾きっぱなしです。聴いていると無限に続くのではないかとも感じてしまう。ハマるとやみつきになるような雰囲気です。
全体として「静かで、夢想的で、甘美で、瞑想しているような気分」の曲です。思索にふけっている人間の意識の流れを映した感じもあります。
第2楽章:スケルツォ
複合3部形式
第2楽章は「スケルツォ」と題されていて、終結部がついた3部形式になっています。つまり「A B A′ C」の形で、中間部のBは普通「トリオ」と呼ばれます。Cが終結部(コーダ)です。以下、次のように記述します。
さらに、第1部、第2部、終結部はそれぞれ2つに分かれています。つまり「終結部付きの複合3部形式」です。ここでは、2つに分かれているそれぞれを「前半」「後半」と呼びます。
DSCH音型
最初に書いたように、第2楽章にはDSCH音型が出てきます。但し、完全なDSCH音型は終結部で初めて出現し、それ以前には「変形されたDSCH音型」が出てきます。DSCH音型は、音程で言うと「短2度↑ ・ 短3度↓ ・ 短2度↓」ですが(↑↓は上昇下降の意味)、それが少々違った形で現れます。
まず第1部の後半に現れるのは「短2度↑ ・ 短3度↓ ・ 長2度↓」の形で、これはDSCH音型と違ってピアノの白鍵だけで弾けます(「ミ・ファ・レ・ド」ないしは「シ・ド・ラ・ソ」)。DSCH音型の開始音である「レ」(D)から始めると「レ・ミ♭・ド・シ♭」(ドイツ音名でD・Es・C・B = D・S・C・B)になるので、これを「DSCB音型」と書くことにします。
さらに第3部で現れるのは「長2度↑ ・ 短3度↓ ・ 長2度↓」の形で、これもピアノの白鍵だけで弾けますが(「ド・レ・シ・ラ」ないしは「ファ・ソ・ミ・レ」)、レ(D)から始めると「レ・ミ・ド♯・シ」(D・E・Cis・H)となり、これを「DECisH音型」と呼ぶことにします。
DSCB音型からDECisH音型になり、第2楽章の最後である終結部の後半で "正式のDSCH音型"(=ショスタコーヴィチの音楽的署名)になるというのが、この動機の展開です。実際に聴いていると、この3つの音型は大変に似通ってきこえます。
前半
冒頭からフルートとバス・クラリネットがスケルツォのメインの主題である「主題2A」(譜例183)を Allegro で演奏します。変ロ短調の8分の3拍子です。その裏で、独奏ヴァイオリンが「主題2B」(譜例183)を演奏します。これは第2部(トリオ)前半の主要主題となるものですが、この時点では独奏ヴァイオリンが木管の伴奏に回ります。


木管による「主題2A」の提示がひと通り終わると、独奏ヴァイオリンが序奏を経て、33小節から「主題2A」を演奏します(譜例185)。その後、この主題が展開されていきます。

99小節になると独奏ヴァイオリンが「主題2B」をはっきりとした形で演奏し(譜例186)、そのあと「主題2A」が続きます。このあたりにはフォルテシモの指示があり、前半のヤマ場です。

後半
135小節になると、それまでの変ロ短調(♭5つ)から、嬰ト短調(♯5つ)になり、第1部の後半に入ります。後半の最初は、木管で演奏される「DSCB音型」です(譜例187)。実際の音はDSCBより半音高い「Dis→E→Cis→H」です。DSCH音型とその変化形(DSCB, DECisH)をまとめて「主題2C」とします。

その後「主題2C」は独奏ヴァイオリンでも繰り返されます。162小節の 譜例188 と、177小節の 譜例189 です。曲は疾走感を保ったまま、第2部のトリオへと突入します。


前半
普通、スケルツォの中間部のトリオというと、速度を落とした穏やかな感じにして前後との対比を明確にしますが、ショスタコーヴィチは全く逆です。トリオには Poco piu mosso の指示があり、第1部よりさらに速くなります。また、それまでの8分の3拍子から突如、4分の2拍子に変わり、調性は第1部の前半と同じ変ロ短調(♭5つ)に戻ります。
最初は独奏ヴァイオリンの「主題2B」(譜例190)です。「主題2B」は第1部の前半にも出てきましたが(譜例184、譜例186)ここで完全な形で提示されます。このような進行でスケルツォ全体の統一性がはかられています。

後半
トリオの後半は同じ4分の2拍子ですが、ホ短調に変わります。ここでは新しい「主題2D」(譜例191)が木管と木琴で提示されます。これは民族舞踊を思わせる旋律です。この「主題2D」は第2楽章の終結部や、後の第3楽章のカデンツァでも回想され、曲全体の統一感を生みます。独奏ヴァイオリンがこの主題を展開して曲が進んでいきます。

独奏ヴァイオリンとファゴットの掛け合いのところになると、第2部(トリオ)も終わりです。
第1部の 変ロ短調、8分の3拍子、Allegro に戻り、独奏ヴァイオリンが「主題2A」を再現します(譜例192)。

ここからは独奏ヴァイオリンと木管の掛け合いが始まります。そこにヴィオラなどの弦楽器も加わり、独奏とオーケストラが "協奏" が続きます。「主題2B」が聞こえ、管楽器には「主題2C -DECisH音型」が現れます。369小節まできて独奏ヴァイオリンが 譜例193 を演奏しますが、これはトリオの後半の「主題2D」にもとづきます。

独奏ヴァイオリンと木管の掛け合いが続きますが、427小節に出てくるオーボエの「主題2C」を 譜例194 に示しました。第1部の後半の「主題2C」は「DSCB音型」でしたが、第3部では「DECisH音型」になっています。ここでの実際の音は「F→G→E→D」です。

「主題2C」(DECisH音型)は、449小節からの独奏ヴァイオリンにも現れます。実際の音は「Ces→Des→B→As」です。

独奏ヴァイオリンによる「主題2A」の展開とオーケストラとの協奏は続き、激しい動きやグリッサンドがあったあと、曲はさらに速度を早めて終結部へと進みます。
前半
終結部は4分の2拍子、ト短調で、トリオの後半の「主題2D」で始まります(譜例196)。

後半
さらに進むと8分の3拍子に変わり、独奏ヴァイオリンが「DSCH音型」を強烈に演奏します(譜例197)。実際の音は「As→A→Ges→F」です。ここに至って、ショスタコーヴィチの「音楽的署名」が完成したことになります。なお、「DSCH音型」は第3楽章のカデンツァで回想されます。譜例197 のあと、独奏ヴァイオリンが激しい動きを繰り返すなかで、第2楽章は終了します。

第2楽章は、第1楽章の気分とは全く違った "高速スケルツォ" です。スケルツォは日本語で「諧謔曲」と言うそうですが、諧謔とは "冗談" の意味です。その通り、独奏ヴァイオリンの動きには冗談のような、"おどけた" 感じや "ひょうきんな" 動きがいろいろとあります。こういった曲はショスタコーヴィチが最も得意とするものの一つです。
最後の最後で "DCSH = ドミトリ・ショスタコーヴィチ" が高らかに演奏されます。しかも変遷を重ねてたどり着いた "DCSH" です。この意味は「ショスタコーヴィチはここにあり」ということでしょう。まさにそれがピッタリの音楽だと思います。
第3楽章:パッサカリア
パッサカリアは古くからある3拍子のゆるやかな舞曲です。第3楽章ではまず「パッサカリアの主題」がチェロとコントラバスで提示され、その後に「9つの変奏」が続きます。9つの変奏は、基本的には低音部が主題を演奏し、独奏ヴァイオリンが対旋律を演奏する形ですが、一部、独奏ヴァイオリンが主題を演奏することもあります。
主題と各変奏は、それぞれ17小節から成ります。但し第8変奏は18小節、カデンツァへの橋渡しとなる第9変奏は11小節です。
まずチェロとコントラバス、ティンパニが 譜例198 の「主題3A」を提示します。これがパッサカリアの主題です。それと同時にホルンが 譜例199 の副主題(主題3B)で続き、この2つのパートの掛け合いで主題の提示が進みます。副主題にもティンパニが加わり、荘厳な雰囲気を作り出します。


このパッサカリアの主題(主題3A)は第4楽章にも出てきます(譜例221 と 譜例224)。
第1変奏において主題はファゴットとチューバが演奏します。それに乗っかってイングリッシュ・ホルンとクラリネット、ファゴットが、コラール風の 譜例200 を奏でます。

主題はチェロとコントラバスに移ります。35小節のアウフタクトから独奏ヴァイオリンが入ってきて対旋律を演奏します(譜例201)。この旋律は最初は「ド」と「レ♭」の半音の間を揺れ動きますが、次第に変イ長調の性格を帯び、変イ音のオクターブの跳躍でそれが明確になります。

第2変奏に続いて主題はチェロとコントラバスにあります。対旋律の独奏ヴァイオリンも第2変奏から連続しています。以降、第6変奏のクライマックスまで、独奏ヴァイオリンは途切れることなく続けて演奏されます。
譜例202 は、第3変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律ですが、同時にイングリッシュ・ホルンとファゴットが第2変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律を演奏します。この、チェロとコントラバスの主題の上に乗った2種の対旋律の動きは、パッサカリアの第1の聴きどころでしょう。

主題はホルンに移ります。譜例203 は独奏ヴァイオリンの対旋律ですが、同時にチェロとコントラバスが第3変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律を演奏します。つまり第3変奏と同じ手法です。そしてクレッシェンドがかかって第5変奏へと続きます。第3・第4変奏において、2つのパートの掛け合いで次第に音楽を盛り上げていく手法は見事です。

主題はホルン、チューバ、チェロ、コントラバスです。その上で独奏ヴァイオリンが演奏する対旋律が 譜例204 です。3小節目からの3連符が連続するところでは、非常に明晰な変イ長調の音階を上昇していきます。パッサカリアの第2の聴きどころでしょう。この高揚の行き着く先は、クライマックスの第6変奏です。

第5変奏までは低音部が主題、独奏ヴァイオリンが対旋律という組み立てでしたが、クライマックスの第6変奏に至ってそれが逆転します。第6変奏では、この楽章で初めて独奏ヴァイオリンが主題を演奏し(譜例205)、チェロとコントラバスが対旋律に回ります(譜例206)。


第7変奏は第2変奏の再現で、主題はファゴットとチューバです。メゾピアノ・モルト・エスプレシーボの指示がある独奏ヴァイオリンの対旋律(譜例207)は、第2変奏のオクターブ下で、すべて G線で演奏されます。第5変奏から第6変奏にかけての高揚は第7変奏で鎮まり、緊張が緩和されます。

曲は静かになり、チェロとコントラバスがピッツィカートで主題を演奏します。独奏ヴァイオリンが演奏する 譜例208 は副主題(譜例199)の再現です。

第9変奏は次のカデンツァへの橋渡しとなる部分です。独奏ヴァイオリンだけが主題の変奏を弾きます(譜例209)。ずっと聞こえるティンパニのトレモロは、曲が新しいステージへと進むことを予感させます。

パッサカリアのあとのカデンツァは119小節に及ぶ長大なもので、これだけで1つの楽章と呼んでもいほどです。パッサカリアの「主題3B」(副主題)で始まります(譜例210)。

この主題を出発点として曲は発展していき、重音やハーモニクスも使いながらシンフォニックに進行していきます。途中からアッチェルランドがかかってスピードを速め、「さらに速く」の 譜例211 になります。ここの曲想(このリズムを「主題3C」とします)は、後の第4楽章でも何回か出現します(譜例215 など)。

このすぐ後で 第2楽章の終結部に出てきたDSCH音型が回想されます(譜例212)。実際の音は、242小節の2拍目から「Cis→D→H→B」 です。最後の B の音が3連符の一部なので分かりにくいのですが、DSCH音型そのものです。合計2回出てきます。
さらに曲が進行し、第2楽章の第2部(トリオ)の後半の「主題2D」(譜例191)が出てくるころになると、カデンツァも終わりに近づきます(譜例213)。

この「主題2D」を合図に曲の速度は一段と速まり、重音のグリッサンドが4つ弾かれて、そのまま第4楽章に突入します。
第4楽章:ブルレスケ
ブルレスケとは「道化」を意味し、滑稽でおどけた性格の曲を言います。「道化曲」との日本語訳もあるようです。
楽曲の一部の楽章に "ブルレスケ" の名前があることで思い出すのがマーラーの交響曲 第9番(1909)で、第3楽章に「ロンド・ブルレスケ」の題がついています。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の第4楽章もロンド形式なので、マーラーを意識したのかもしれません。ちなみに最初の方に書いたように、第1楽章の「夜想曲」も、マーラーの交響曲 第7番(1904)の第2・第4楽章(夜曲)と関係があるのかもと思います。
それはともかく、ショスタコーヴィチの "ブルレスケ" で感じるのは「祭り」の雰囲気です。祭りで人々が激しい動きの踊りを楽しみ、そこに道化が乱入してくる。そういう感じがします。
カデンツァから続く第4楽章は、ティンパニの導入部で始まります。この協奏曲は、ティンパニが要所要所で効果的に使われているのが印象的です。すぐに木管と木琴がこの楽章の主要主題である「主題4A」を演奏します(譜例214)。これがロンド主題で、この主題(の変奏)は以降たびたび現れることになります。

オーケストラがロンド主題を展開したあと、独奏ヴァイオリンがおどけた感じで入ってきて、クラリネットと競演します。そのあとに独奏ヴァイオリンがロンド主題を演奏します(譜例215)。譜例215 の5小節目以降は、カデンツァの「主題3C」(譜例211)と同じ曲想です。つまり 譜例215 は「主題4A」+「主題3C」になっています。「主題3C」は以降の第4楽章に何回か現れます。

さらに独奏ヴァイオリンは G線でロンド主題を弾きます(譜例216)。これは第4楽章の最初の 譜例214 とほぼ同じです。

独奏ヴァイオリンの展開が続いたあと、今度は新しい「主題4B」が出てきます(譜例217)。シンコペーションがかかったリズムは、民族舞踊のテーマという感じを強く受けます。

この「主題4B」が展開されたあと、独奏ヴァイオリンにロンド主題が回帰しますが、今度は 譜例218 のように変奏された形です。このあとには独奏ヴァイオリンが「主題3C」を、4弦全部のピッツィカートで演奏するところがあります。

さらに独奏ヴァイオリンによる展開が続きますが、一段落したところで管楽器が新たな「主題4C」を演奏します(譜例219)。この主題も「主題4B」と同じく民族舞踊の感じがします。これは弦のパートに引き継がれ、しばらく管楽器と弦楽器の掛け合いが続きますが、遅れて独奏ヴァイオリンも「主題4C」を模倣して入ってきます(譜例220)。


そうこうしているうちに曲は4分の2拍子から4分の3拍子に変わってしまい、突然という感じでクラリネット・木琴とホルンが第3楽章「パッサカリア」の「主題3A」を演奏します。ホルン(譜例221)はクラリネット・木琴の1小節遅れで、ここはカノンになっています。

独奏ヴァイオリンの激しい動きが続いたあとにロンド主題が回帰しますが、今度は3拍子になっています(譜例222)。

3拍子による独奏ヴァイオリンの展開が続いたあと、再び4分の2拍子に戻ってコーダに突入します。Presto の指定があるコーダの最初が 譜例223 です。曲想がここでガラッと変わり、曲の最後が近いことが予感されます。

これ以降、オーケストラと独奏ヴァイオリンは最後までまっしぐらに進みますが、途中、独奏ヴァイオリンが「主題3C」を弾いた直後、譜例221 と同じようにホルンがパッサカリアの主題を鳴らします(譜例224)。

もちろん、それとは関係なくオーケストラと独奏ヴァイオリンは突き進み、「祭り」が最高潮に達して第4楽章が終わります。
曲全体を通して
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番の全曲を聴いて思うのは "対比の妙" です。まず第1楽章・第2楽章の「静かで瞑想的」と、第2楽章・第4楽章の「疾走するお祭り騒ぎ」の対比です。
その「静かで瞑想的」な第1楽章と第3楽章は性格が違い、これも対比されています。第1楽章の「夜想曲」は、半音進行を多用した20世紀の作品ならではのものです。一方の第3楽章の「パッサカリア」ですが、パッサカリアと聞いてまず思い浮かぶのはバッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582」です。ショスタコーヴィチのパッサカリアはバッハへのオマージュでしょう。調性は♭4つのへ短調、ないしは変イ長調をずっと維持し、目立った半音進行はありません。そこで繰り広げられる対位法音楽は、西洋音楽の伝統の再現を強く意識しているはずです。
さらにこの曲は、ヴァイオリンという楽器が持つ幅広い表現力を引き出しています。クラシック音楽では「ヴァイオリン」ですが、同じ楽器を(同等の楽器を)民族音楽に使うと「フィドル」です。第2楽章(スケルツォ=諧謔=冗談)と第4楽章(ブルレスケ=道化)は、祝祭の音楽に使うフィドルを想起させます。たとえばロシアにも影響が大きいロマ音楽のフィドルの使い方です。これはショスタコーヴィチが影響されたという意味ではなく、そこまでヴァイオリンの多彩な表現を駆使しているということです。
この記事の最初の方に「数あるヴァイオリン協奏曲の中ではこれがベスト」と書いた理由の一つは、"伝統的" と "斬新さ" が共存し、また "芸術" と "祝祭" が調和的に一体化しているからでした。
演奏
最後に、この曲の極め付きの演奏(LIVE録画映像)を紹介します。日・場所・演奏者は次の通りです。
◆日・場所:
2000年11月26日(日)
サントリー・ホール(東京)
(2000年 ベルリン・フィル 日本ツアー)
◆オーケストラ:
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
◆指揮:
マリス・ヤンソンス
◆ヴァイオリン独奏:
ヒラリー・ハーン
ですが、今回はその継続としてショスタコーヴィチの別の作品をとりあげます。ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77(1948)です。
実は No.9~No.11で、20世紀に書かれた3曲のヴァイオリン協奏曲について書きました。作曲された年の順に、シベリウス(1903/1905。No.11)、バーバー(1939。No.10)、コルンゴルト(1945。No.9)です。
しかし思うのですが、20世紀のヴァイオリン協奏曲ではショスタコーヴィチの1番が最高傑作でしょう。それどころか、これは個人的な感想ですが、この曲がヴァイオリン協奏曲のベストです。ベートーベン(1806)、メンデルスゾーン(1844)、ブラームス(1878)、チャイコフスキー(1878)の作品が「4大ヴァイオリン協奏曲」などと言われ、またチャイコフスキーを除いて「3大ヴァイオリン協奏曲」との呼び方もあります。しかしこれらは「19世紀のヴァイオリン協奏曲」であり、20世紀まで含めればショスタコーヴィチが一番だと(個人的には)思うのです。
というわけで以下、譜例とともにショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番を振り返ってみたいと思います。
![]() |
ショスタコーヴィチとヴァイオリニストのダヴィッド・オイストラフ、ショスタコーヴィチの息子のマキシム(指揮者)。1973年にリリースされたLPレコードのジャケットがオリジナルである。ショスタコーヴィチはヴァイオリン協奏曲 第1番をオイストラフに献呈した。初演をしたのもオイストラフである。 |
2つの背景
まず曲の内容に入る前に、この曲を語る上で重要な「政治との確執」と「DSCH音型」について記しておきます。
 政治との確執  |
No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」で書いたように、
スターリンはショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を気に入らず、すぐさま共産党の機関誌・プラウダは批判を展開した。
という "事件"(1936)がありました。この結果『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は上演不可能になります。このオペラが再演されたのは改訂版の『カテリーナ・イズマイロヴァ』であり、四半世紀後の1963年のことです。
実はヴァイオリン協奏曲 第1番にも類似の経緯があります。この曲は1948年3月に完成しましたが、時を同じくして1948年2月から「ジダーノフ批判」が始まります。これはソヴィエト共産党の中央委員会書記だったアンドレイ・ジダーノフ(1896-1948)が主導したもので、前衛芸術に対する批判と統制を行ったものでした。音楽ではショスタコーヴィチも批判の標的の一人です。このため、ショスタコーヴィチはヴァイオリン協奏曲第1番の初演を保留しました。初演されたのは、ジダーノフ批判がほぼ収まった1955年10月です。曲の完成から7年半後の初演ということになります。オイストラフの独奏、ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー交響楽団でした。
ちなみに、ジダーノフは第2次世界大戦中のレニングラード攻防戦で、ドイツ軍に包囲されたレニングラードの防衛の総指揮をとった人物です。ショスタコーヴィチの交響曲 第7番のレニングラード初演にも関係があります(No.281 参照)。
『マクベス夫人』と違って、ヴァイオリン協奏曲 第1番が政府から直接批判されたわけではありません。しかし、ショスタコーヴィチは初演をしない方がよいと判断したわけです。現代の我々がヴァイオリン協奏曲 第1番を聴いても、曲の作りとしてはノーマルだし、民族舞踊の要素もあるし、しかも作品として傑作です。初演したところで政府に批判されるいわれはないと思うのですが、当時のソ連の芸術家が置かれていた環境は我々の想像を越えているのですね。
ショスタコーヴィチが初演を取り下げた理由をあえて推測してみると、特に第1楽章にみられる "半音を多用した旋律の進行" だと思います(後述)。なかには、12音が全部現れるパッセージがあったりもする。もちろん、ヴァイオリン協奏曲 第1番は無調性音楽ではありません。れっきとした調性音楽ですが、その範囲で新しい音階(というか旋律の進行の "ありよう")や和声が試されている部分がある。それは芸術家として立派な態度だと思います。
ともかく、このヴァイオリン協奏曲 第1番も『マクベス夫人』のように、「芸術や音楽を一定の型に押し込めようとする独裁政治の圧力」と「新たな作品の創造にかける芸術家の情熱」の間の軋轢や確執に巻き込まれた曲だったわけです。
 DSCH音型  |
ヴァイオリン協奏曲 第1番には、ショスタコーヴィチの「音楽的署名」ともいうべき「DSCH音型」が出てきます。ショスタコーヴィチの名前を、ロシア語・英語・ドイツ語・日本語で記述すると、
Дмитрий Шостакович | |
Dmitri Shostakovich | |
Dmitri Schostakowitsch | |
ドミトリ・ショスタコーヴィチ |
|
"レ・ミ♭・ド・シ"
→ D・Es・C・H → DSCH → DSch
→ Dmitri Schostakowitsch
→ D・Es・C・H → DSCH → DSch
→ Dmitri Schostakowitsch
となります。ドイツ音名を元に暗号を作る際には「ABCDEFGHS」の9文字が使えるわけで、英語音名の「ABCDEFG」よりは自由度があり、ここをうまく利用するわけです。
ちなみに、こういった音楽暗号を最初に用いたのがバッハで、『フーガの技法』に "BACH音型" が出てくることで有名です。また、これを大々的にやったのがシューマンで、自分のイニシャルはもとより、元恋人や奥さん(クララ)、架空の女性名までの音楽暗号を楽曲に忍び込ませています。
そのショスタコーヴィチの音楽的署名であるDSCH音型は、交響曲 第10番(1953)の第3・第4楽章や、弦楽4重奏曲 第8番(1960。冒頭から全曲に渡って現れる)など、作品に繰り返し何度も出てきますが、最も早いDSCH音型の使用例がヴァイオリン協奏曲 第1番(1948)なのです。それは第2楽章に出てきますが、楽章の最後になって現れ、それより前は "DSCH音型の変化形" で現れます。また第3楽章のカデンツァでもDSCH音型が回想されます。このあたりは後述します。
ヴァイオリン協奏曲 第1番は4つの楽章から成り、それぞれに "題名" がついています。演奏時間は合計40分程度です。
第1楽章 : ノクターン
第2楽章 : スケルツォ
第3楽章 : パッサカリア
第4楽章 : ブルレスケ
第3楽章のパッサカリアの後には長大なカデンツァがあり、休むことなくそのまま第4楽章に突入します。
第1楽章:ノクターン
第1楽章には「ノクターン:夜想曲」という名が付けられています。夜想曲(ノクターン、ノクチュルヌ、ノットゥルノ)という名前のついた曲は、普通は独立した楽曲です。ショパンのピアノ曲(21曲。1831頃~1845頃)が有名だし、フォーレもピアノで夜想曲を書いています(13曲。1870頃~1921)。ドビュッシーの「夜想曲」(1899)は管弦楽作品、ドヴォルサークの「ノットゥルノ」(1883)は弦楽合奏ですが(=弦楽4重奏曲 第4番 第2楽章の編曲)、独立曲であることには変わりません。
つまりショスタコーヴィチのように、楽曲の一部の楽章に「ノクターン」と名付けるのはめずらしいのですが、そのめずらしい中にも大変有名な曲があります。ボロディンの弦楽4重奏曲 第2番(1881)の第3楽章は有名な旋律で始まりますが、この楽章が「ノットゥルノ」と題されています。ショスタコーヴィチはロシアの作曲家としての先輩に習い、自分はヴァイオリン協奏曲でと考えたのかもしれません。さらに、マーラーの交響曲 第7番(1904)の第2・第4楽章も「夜曲(Nachtmusik)」との名前があり、関係があるのかもしれません。
そのノクターンですが、特に形式上の決まりはありません。静かで、夢想的で、甘美で、瞑想しているような気分の曲が多い。このショスタコーヴィチの第1楽章もまさにそういう気分に満ちています。
第1楽章は、第1部(提示)、第2部(展開)、第3部(再現)の3つの部分に分けると考えやすいでしょう。提示・展開・再現という「ソナタ形式」の用語を使いましたが、もちろん厳密な形式ではなく、自由に構成された楽章です。4分の4拍子でModeratoの指示があります。
 第1部(提示)  |
曲はチェロとコントラバスが奏でる 譜例168 で始まります。この楽想を「主題1A」としておきます。第1主題 とも言えるでしょう。「主題1A」は連続する「符点4分音符+8分音符」の組み合わせが特徴で、このリズムが第1楽章全般に現れます。以下の「数字-数字」は譜例の小節番号です。
(1-5:主題1A) |

5小節目から、独奏ヴァイオリンが 譜例169 で入ってきます。「主題1A」の変奏ですが、音が引き延ばされ、変形したものになっています。
(5-9) |

その次の 譜例170 になると、はっきりと「主題1A」になります。ここはヴァイオリンの G線で演奏され、冒頭のチェロ(譜例168)の1オクターブ上になります。
(10-13:主題1A) |

さらにその次の14小節では、独奏ヴァイオリンが4つの8分音符を含む旋律を奏でます(譜例171)。これを「主題1B」としておきますが、もちろん「主題1A」の変化形です。この「主題1B」の形も第1楽章の全域に現れます。
(14-17:主題1B) |

最初に p で始まった第1楽章が一気に強まり、この楽章の最初の ƒ になるのが 譜例172 です。この部分は「主題1A」と「主題1B」からできています。
(22-25) |

ディミネンドがかかって静かになったあと、クレッシェンドが始まり、譜例173 で2度目の ƒ になります。
(38-43) |

51小節の2拍目から新たな主題が出てきます(譜例174)。「主題1C」としましたが、第2主題 と呼んでもよいでしょう。この「主題1C」の後にも「主題1B」が続き、2つが融合して進んでいきます。
(51-54:主題1C) |

独奏ヴァイオリンが再び「主題1C」を静かに演奏するところになると、第1部が終わります。ここまで独奏ヴァイオリンは休むことなく弾き続けてきました。
 第2部(展開)  |
79小節から第2部(展開部に相当)に入ります。その最初が 譜例175 で、独奏ヴァイオリンは弱音器を付けて演奏されます。ここは「主題1B」の変奏です。80小節の最初は「シ♭」で、84小節の3拍目の裏にも「シ♭」があります。この2つの「シ♭」の間には12音が全部揃っています。5小節の中に12音が揃うというのは、意図的にそうなっているのでしょう。12音技法ではありませんが、ショスタコーヴィチの新しい試みです。
(79-85) |
![]() |
84小節のシ♭までをドイツ音名(赤色)で書くと(重複は黒色)、"B-G-Ges-Es-D-H-G-Ges-Es-C-Ces-As-G-Es-C-Ces-As-F-E-D-C-H-A-H-C-D-Des-B" となり、"C-Des-D-Es-E-F-Ges-G-As-A-B-H(Ces)" の12音が揃っている。 |
93小節からは、独奏ヴァイオリンが1弦の「ド」の音を引き伸ばすなか、チェレスタとハープが 譜例176 を演奏します。これと似た部分が交響曲 第5番の第3楽章、Largo にありました。なお 譜例176 は、ここ以前に第1部の終わりの部分でバス・クラリネットの低音で演奏されました。
(93-97) |

独奏ヴァイオリンが1弦の高い方の「ド」の音を保持したまま、リテヌートがかかり、ア・テンポで3連符を多用した新たな展開になります(譜例177)。ここは「主題1C」との関連性を感じるところです。99小節の最初の「ド」は前の小節から続く音ですが、ここから103小節の最後の「シ♭」までの5小節の間に12音が全部出てきます。譜例175 とそっくりですが、展開されている主題が違います。このあたりはショスタコーヴィチの工夫を感じるところです。なお 譜例177 の音の運びは、第1楽章 第3部のコーダの部分で再現されます。
(99-103) |
![]() |
103小節のシ♭までをドイツ音名(赤色)で書くと(重複は黒色)、"C-H-C-A-H-G-A-H-Gis-A-Fis-Gis-F-G-E-Cis-C-A-As-F-E-Es-C-A-As-F-E-Es-C-A-As-F-E-Es-D-H-Es-D-H-Es-D-H-G-As-B" となり、"C-Cis-D-Es-E-F-Fis-G-Gis(As)-A-B-H" の12音が揃っている。 |
再びリテヌートがかかり、ア・テンポとなるところで、ファゴットが4分の3拍子に変化させた「主題1A」を演奏します(譜例178)。
(108-111:主題1A) |

これを契機に、弱音器をはずした独奏ヴァイオリンが3連符と重音を多用して音楽を盛り上げていきます。その頂点で演奏されるのが「主題1C」です(譜例179)。譜例174 のときと同じように「主題1B」が続き、第2部のクライマックスになります。第2部はフォルテのまま、次の第3部に入ります。
(120-123:主題1C) |

 第3部(再現)  |
チューバに導かれて独奏ヴァイオリンが「主題1A」(の変化形)を演奏し、第3部(再現部に相当)になります(譜例180)。ここは 譜例170 と同じように G線で演奏されます。このあとにはコントラバスとバス・クラリネットが、第1楽章の独奏ヴァイオリンの出だしの部分(譜例169)を模倣します。
(131-137) |

独奏ヴァイオリンによる「主題1C」の再現が続きます(譜例181)。譜例174 や 譜例179 のときと同じように、「主題1B」が伴っています。
(142-145) |

リテヌートがかかったあと、ア・テンポとなる164小節からが第1楽章の終結部です(譜例182)。この部分は「主題1C」の変奏で、第2部の 譜例177(12音が揃っているところ)の再現ともなっています。
(164-167) |

第1楽章は、独奏ヴァイオリンが1弦の4倍音の「ミ」の音をハーモニクスで伸ばすなか、チェレスタとハープが第2部の 譜例176 を演奏して終わります。
第1楽章は Moderato のゆったりとした楽章ですが、その特徴は独奏ヴァイオリンの旋律が♭や♯、特に♭で揺れ動くことです。次の音は「ソ」かと(無意識に)思っていると「ソ♭」が演奏され、聴いていると、かすかな違和感というか独特のムードを感じ、その感じが持続するなかでまた次の半音下がった音が出てくる、それが連続していきます。これを仮に旋律の「半音進行」と呼ぶとすると、第1楽章は半音進行に満ちています。
そのため、第2部の 譜例175 や 譜例177 のように、12音全部が出てくる旋律の展開があっても違和感はありません。ごく自然に聞こえます。いや、自然などころか、このあたりがまさに聴く人を "のめり込ませる" というか、"しびれる" ところになっています。ショスタコーヴィチはここで新しい音楽のありようを追求したのだと思います。
さらに、半音進行と関係しますが「いつ止まるともしれない独奏ヴァイオリンの進行」も特徴でしょう。たとえば第1部は、第2部に移るまで独奏ヴァイオリンが71小節を弾きっぱなしです。聴いていると無限に続くのではないかとも感じてしまう。ハマるとやみつきになるような雰囲気です。
全体として「静かで、夢想的で、甘美で、瞑想しているような気分」の曲です。思索にふけっている人間の意識の流れを映した感じもあります。
第2楽章:スケルツォ
複合3部形式
第2楽章は「スケルツォ」と題されていて、終結部がついた3部形式になっています。つまり「A B A′ C」の形で、中間部のBは普通「トリオ」と呼ばれます。Cが終結部(コーダ)です。以下、次のように記述します。
= A | |
= B | |
= A′ | |
= C |
さらに、第1部、第2部、終結部はそれぞれ2つに分かれています。つまり「終結部付きの複合3部形式」です。ここでは、2つに分かれているそれぞれを「前半」「後半」と呼びます。
DSCH音型
|
|
|
DSCB音型からDECisH音型になり、第2楽章の最後である終結部の後半で "正式のDSCH音型"(=ショスタコーヴィチの音楽的署名)になるというのが、この動機の展開です。実際に聴いていると、この3つの音型は大変に似通ってきこえます。
 第1部:A  |
前半
冒頭からフルートとバス・クラリネットがスケルツォのメインの主題である「主題2A」(譜例183)を Allegro で演奏します。変ロ短調の8分の3拍子です。その裏で、独奏ヴァイオリンが「主題2B」(譜例183)を演奏します。これは第2部(トリオ)前半の主要主題となるものですが、この時点では独奏ヴァイオリンが木管の伴奏に回ります。
(1-8:主題2A) |

(1-8:主題2B) |

木管による「主題2A」の提示がひと通り終わると、独奏ヴァイオリンが序奏を経て、33小節から「主題2A」を演奏します(譜例185)。その後、この主題が展開されていきます。
(33-40:主題2A) |

99小節になると独奏ヴァイオリンが「主題2B」をはっきりとした形で演奏し(譜例186)、そのあと「主題2A」が続きます。このあたりにはフォルテシモの指示があり、前半のヤマ場です。
(99-106:主題2B) |

後半
135小節になると、それまでの変ロ短調(♭5つ)から、嬰ト短調(♯5つ)になり、第1部の後半に入ります。後半の最初は、木管で演奏される「DSCB音型」です(譜例187)。実際の音はDSCBより半音高い「Dis→E→Cis→H」です。DSCH音型とその変化形(DSCB, DECisH)をまとめて「主題2C」とします。
(135-142:主題2C - DSCB音型) |

その後「主題2C」は独奏ヴァイオリンでも繰り返されます。162小節の 譜例188 と、177小節の 譜例189 です。曲は疾走感を保ったまま、第2部のトリオへと突入します。
(162-169:主題2C - DSCB音型) |

(177-183:主題2C - DSCB音型) |

 第2部:B(トリオ)  |
前半
普通、スケルツォの中間部のトリオというと、速度を落とした穏やかな感じにして前後との対比を明確にしますが、ショスタコーヴィチは全く逆です。トリオには Poco piu mosso の指示があり、第1部よりさらに速くなります。また、それまでの8分の3拍子から突如、4分の2拍子に変わり、調性は第1部の前半と同じ変ロ短調(♭5つ)に戻ります。
最初は独奏ヴァイオリンの「主題2B」(譜例190)です。「主題2B」は第1部の前半にも出てきましたが(譜例184、譜例186)ここで完全な形で提示されます。このような進行でスケルツォ全体の統一性がはかられています。
(198-205:主題2B) |

後半
トリオの後半は同じ4分の2拍子ですが、ホ短調に変わります。ここでは新しい「主題2D」(譜例191)が木管と木琴で提示されます。これは民族舞踊を思わせる旋律です。この「主題2D」は第2楽章の終結部や、後の第3楽章のカデンツァでも回想され、曲全体の統一感を生みます。独奏ヴァイオリンがこの主題を展開して曲が進んでいきます。
(255-262:主題2D) |

独奏ヴァイオリンとファゴットの掛け合いのところになると、第2部(トリオ)も終わりです。
 第3部:A′(第1部の再現)  |
第1部の 変ロ短調、8分の3拍子、Allegro に戻り、独奏ヴァイオリンが「主題2A」を再現します(譜例192)。
(328-335:主題2A) |

ここからは独奏ヴァイオリンと木管の掛け合いが始まります。そこにヴィオラなどの弦楽器も加わり、独奏とオーケストラが "協奏" が続きます。「主題2B」が聞こえ、管楽器には「主題2C -DECisH音型」が現れます。369小節まできて独奏ヴァイオリンが 譜例193 を演奏しますが、これはトリオの後半の「主題2D」にもとづきます。
(369-376:主題2D) |

独奏ヴァイオリンと木管の掛け合いが続きますが、427小節に出てくるオーボエの「主題2C」を 譜例194 に示しました。第1部の後半の「主題2C」は「DSCB音型」でしたが、第3部では「DECisH音型」になっています。ここでの実際の音は「F→G→E→D」です。
(427-434:主題2C - DECisH音型) |

「主題2C」(DECisH音型)は、449小節からの独奏ヴァイオリンにも現れます。実際の音は「Ces→Des→B→As」です。
(449-456:主題2C - DECisH音型) |

独奏ヴァイオリンによる「主題2A」の展開とオーケストラとの協奏は続き、激しい動きやグリッサンドがあったあと、曲はさらに速度を早めて終結部へと進みます。
 終結部:C  |
前半
終結部は4分の2拍子、ト短調で、トリオの後半の「主題2D」で始まります(譜例196)。
(546-549:主題2D) |

後半
さらに進むと8分の3拍子に変わり、独奏ヴァイオリンが「DSCH音型」を強烈に演奏します(譜例197)。実際の音は「As→A→Ges→F」です。ここに至って、ショスタコーヴィチの「音楽的署名」が完成したことになります。なお、「DSCH音型」は第3楽章のカデンツァで回想されます。譜例197 のあと、独奏ヴァイオリンが激しい動きを繰り返すなかで、第2楽章は終了します。
(567-574:主題2C - DSCH音型) |

第2楽章は、第1楽章の気分とは全く違った "高速スケルツォ" です。スケルツォは日本語で「諧謔曲」と言うそうですが、諧謔とは "冗談" の意味です。その通り、独奏ヴァイオリンの動きには冗談のような、"おどけた" 感じや "ひょうきんな" 動きがいろいろとあります。こういった曲はショスタコーヴィチが最も得意とするものの一つです。
最後の最後で "DCSH = ドミトリ・ショスタコーヴィチ" が高らかに演奏されます。しかも変遷を重ねてたどり着いた "DCSH" です。この意味は「ショスタコーヴィチはここにあり」ということでしょう。まさにそれがピッタリの音楽だと思います。
第3楽章:パッサカリア
パッサカリアは古くからある3拍子のゆるやかな舞曲です。第3楽章ではまず「パッサカリアの主題」がチェロとコントラバスで提示され、その後に「9つの変奏」が続きます。9つの変奏は、基本的には低音部が主題を演奏し、独奏ヴァイオリンが対旋律を演奏する形ですが、一部、独奏ヴァイオリンが主題を演奏することもあります。
主題と各変奏は、それぞれ17小節から成ります。但し第8変奏は18小節、カデンツァへの橋渡しとなる第9変奏は11小節です。
 主題:1-17  |
まずチェロとコントラバス、ティンパニが 譜例198 の「主題3A」を提示します。これがパッサカリアの主題です。それと同時にホルンが 譜例199 の副主題(主題3B)で続き、この2つのパートの掛け合いで主題の提示が進みます。副主題にもティンパニが加わり、荘厳な雰囲気を作り出します。
(1-8:主題3A - パッサカリアの主題) |

(1-8:主題3B - 副主題) |

このパッサカリアの主題(主題3A)は第4楽章にも出てきます(譜例221 と 譜例224)。
 第1変奏:18-34  |
第1変奏において主題はファゴットとチューバが演奏します。それに乗っかってイングリッシュ・ホルンとクラリネット、ファゴットが、コラール風の 譜例200 を奏でます。
(18-27) |

 第2変奏:35-51  |
主題はチェロとコントラバスに移ります。35小節のアウフタクトから独奏ヴァイオリンが入ってきて対旋律を演奏します(譜例201)。この旋律は最初は「ド」と「レ♭」の半音の間を揺れ動きますが、次第に変イ長調の性格を帯び、変イ音のオクターブの跳躍でそれが明確になります。
(34-43) |

 第3変奏:52-68  |
第2変奏に続いて主題はチェロとコントラバスにあります。対旋律の独奏ヴァイオリンも第2変奏から連続しています。以降、第6変奏のクライマックスまで、独奏ヴァイオリンは途切れることなく続けて演奏されます。
譜例202 は、第3変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律ですが、同時にイングリッシュ・ホルンとファゴットが第2変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律を演奏します。この、チェロとコントラバスの主題の上に乗った2種の対旋律の動きは、パッサカリアの第1の聴きどころでしょう。
(52-57) |

 第4変奏:69-85  |
主題はホルンに移ります。譜例203 は独奏ヴァイオリンの対旋律ですが、同時にチェロとコントラバスが第3変奏の独奏ヴァイオリンの対旋律を演奏します。つまり第3変奏と同じ手法です。そしてクレッシェンドがかかって第5変奏へと続きます。第3・第4変奏において、2つのパートの掛け合いで次第に音楽を盛り上げていく手法は見事です。
(69-74) |

 第5変奏:86-102  |
主題はホルン、チューバ、チェロ、コントラバスです。その上で独奏ヴァイオリンが演奏する対旋律が 譜例204 です。3小節目からの3連符が連続するところでは、非常に明晰な変イ長調の音階を上昇していきます。パッサカリアの第2の聴きどころでしょう。この高揚の行き着く先は、クライマックスの第6変奏です。
(86-95) |

 第6変奏:103-119  |
第5変奏までは低音部が主題、独奏ヴァイオリンが対旋律という組み立てでしたが、クライマックスの第6変奏に至ってそれが逆転します。第6変奏では、この楽章で初めて独奏ヴァイオリンが主題を演奏し(譜例205)、チェロとコントラバスが対旋律に回ります(譜例206)。
(103-110:主題3A) |

(103-110) |

 第7変奏:120-136  |
第7変奏は第2変奏の再現で、主題はファゴットとチューバです。メゾピアノ・モルト・エスプレシーボの指示がある独奏ヴァイオリンの対旋律(譜例207)は、第2変奏のオクターブ下で、すべて G線で演奏されます。第5変奏から第6変奏にかけての高揚は第7変奏で鎮まり、緊張が緩和されます。
(120-128) |

 第8変奏:137-154  |
曲は静かになり、チェロとコントラバスがピッツィカートで主題を演奏します。独奏ヴァイオリンが演奏する 譜例208 は副主題(譜例199)の再現です。
(137-142:主題3B - 副主題) |

 第9変奏:155-165  |
第9変奏は次のカデンツァへの橋渡しとなる部分です。独奏ヴァイオリンだけが主題の変奏を弾きます(譜例209)。ずっと聞こえるティンパニのトレモロは、曲が新しいステージへと進むことを予感させます。
(155-160:主題3A) |

 カデンツァ:166-284  |
パッサカリアのあとのカデンツァは119小節に及ぶ長大なもので、これだけで1つの楽章と呼んでもいほどです。パッサカリアの「主題3B」(副主題)で始まります(譜例210)。
(166-170:主題3B) |

この主題を出発点として曲は発展していき、重音やハーモニクスも使いながらシンフォニックに進行していきます。途中からアッチェルランドがかかってスピードを速め、「さらに速く」の 譜例211 になります。ここの曲想(このリズムを「主題3C」とします)は、後の第4楽章でも何回か出現します(譜例215 など)。
(237-240:主題3C) |

このすぐ後で 第2楽章の終結部に出てきたDSCH音型が回想されます(譜例212)。実際の音は、242小節の2拍目から「Cis→D→H→B」 です。最後の B の音が3連符の一部なので分かりにくいのですが、DSCH音型そのものです。合計2回出てきます。
(242-243:主題2C - DSCH音型) |

さらに曲が進行し、第2楽章の第2部(トリオ)の後半の「主題2D」(譜例191)が出てくるころになると、カデンツァも終わりに近づきます(譜例213)。
(263-265:主題2D) |

この「主題2D」を合図に曲の速度は一段と速まり、重音のグリッサンドが4つ弾かれて、そのまま第4楽章に突入します。
第4楽章:ブルレスケ
ブルレスケとは「道化」を意味し、滑稽でおどけた性格の曲を言います。「道化曲」との日本語訳もあるようです。
楽曲の一部の楽章に "ブルレスケ" の名前があることで思い出すのがマーラーの交響曲 第9番(1909)で、第3楽章に「ロンド・ブルレスケ」の題がついています。ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の第4楽章もロンド形式なので、マーラーを意識したのかもしれません。ちなみに最初の方に書いたように、第1楽章の「夜想曲」も、マーラーの交響曲 第7番(1904)の第2・第4楽章(夜曲)と関係があるのかもと思います。
それはともかく、ショスタコーヴィチの "ブルレスケ" で感じるのは「祭り」の雰囲気です。祭りで人々が激しい動きの踊りを楽しみ、そこに道化が乱入してくる。そういう感じがします。
カデンツァから続く第4楽章は、ティンパニの導入部で始まります。この協奏曲は、ティンパニが要所要所で効果的に使われているのが印象的です。すぐに木管と木琴がこの楽章の主要主題である「主題4A」を演奏します(譜例214)。これがロンド主題で、この主題(の変奏)は以降たびたび現れることになります。
(4-12:主題4A - ロンド主題) |

オーケストラがロンド主題を展開したあと、独奏ヴァイオリンがおどけた感じで入ってきて、クラリネットと競演します。そのあとに独奏ヴァイオリンがロンド主題を演奏します(譜例215)。譜例215 の5小節目以降は、カデンツァの「主題3C」(譜例211)と同じ曲想です。つまり 譜例215 は「主題4A」+「主題3C」になっています。「主題3C」は以降の第4楽章に何回か現れます。
(45-53:主題4A + 主題3C) |

さらに独奏ヴァイオリンは G線でロンド主題を弾きます(譜例216)。これは第4楽章の最初の 譜例214 とほぼ同じです。
(64-71:主題4A - ロンド主題) |

独奏ヴァイオリンの展開が続いたあと、今度は新しい「主題4B」が出てきます(譜例217)。シンコペーションがかかったリズムは、民族舞踊のテーマという感じを強く受けます。
(90-97:主題4B) |

この「主題4B」が展開されたあと、独奏ヴァイオリンにロンド主題が回帰しますが、今度は 譜例218 のように変奏された形です。このあとには独奏ヴァイオリンが「主題3C」を、4弦全部のピッツィカートで演奏するところがあります。
(134-141:主題4A - ロンド主題) |

さらに独奏ヴァイオリンによる展開が続きますが、一段落したところで管楽器が新たな「主題4C」を演奏します(譜例219)。この主題も「主題4B」と同じく民族舞踊の感じがします。これは弦のパートに引き継がれ、しばらく管楽器と弦楽器の掛け合いが続きますが、遅れて独奏ヴァイオリンも「主題4C」を模倣して入ってきます(譜例220)。
(176-182:主題4C) |

(215-221:主題4C) |

そうこうしているうちに曲は4分の2拍子から4分の3拍子に変わってしまい、突然という感じでクラリネット・木琴とホルンが第3楽章「パッサカリア」の「主題3A」を演奏します。ホルン(譜例221)はクラリネット・木琴の1小節遅れで、ここはカノンになっています。
(240-247:主題3A - パッサカリアの主題) |

独奏ヴァイオリンの激しい動きが続いたあとにロンド主題が回帰しますが、今度は3拍子になっています(譜例222)。
(257-262:主題4A - ロンド主題) |

3拍子による独奏ヴァイオリンの展開が続いたあと、再び4分の2拍子に戻ってコーダに突入します。Presto の指定があるコーダの最初が 譜例223 です。曲想がここでガラッと変わり、曲の最後が近いことが予感されます。
(299-306) |

これ以降、オーケストラと独奏ヴァイオリンは最後までまっしぐらに進みますが、途中、独奏ヴァイオリンが「主題3C」を弾いた直後、譜例221 と同じようにホルンがパッサカリアの主題を鳴らします(譜例224)。
(338-344:主題3A - パッサカリアの主題) |

もちろん、それとは関係なくオーケストラと独奏ヴァイオリンは突き進み、「祭り」が最高潮に達して第4楽章が終わります。
曲全体を通して
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番の全曲を聴いて思うのは "対比の妙" です。まず第1楽章・第2楽章の「静かで瞑想的」と、第2楽章・第4楽章の「疾走するお祭り騒ぎ」の対比です。
その「静かで瞑想的」な第1楽章と第3楽章は性格が違い、これも対比されています。第1楽章の「夜想曲」は、半音進行を多用した20世紀の作品ならではのものです。一方の第3楽章の「パッサカリア」ですが、パッサカリアと聞いてまず思い浮かぶのはバッハの「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582」です。ショスタコーヴィチのパッサカリアはバッハへのオマージュでしょう。調性は♭4つのへ短調、ないしは変イ長調をずっと維持し、目立った半音進行はありません。そこで繰り広げられる対位法音楽は、西洋音楽の伝統の再現を強く意識しているはずです。
さらにこの曲は、ヴァイオリンという楽器が持つ幅広い表現力を引き出しています。クラシック音楽では「ヴァイオリン」ですが、同じ楽器を(同等の楽器を)民族音楽に使うと「フィドル」です。第2楽章(スケルツォ=諧謔=冗談)と第4楽章(ブルレスケ=道化)は、祝祭の音楽に使うフィドルを想起させます。たとえばロシアにも影響が大きいロマ音楽のフィドルの使い方です。これはショスタコーヴィチが影響されたという意味ではなく、そこまでヴァイオリンの多彩な表現を駆使しているということです。
この記事の最初の方に「数あるヴァイオリン協奏曲の中ではこれがベスト」と書いた理由の一つは、"伝統的" と "斬新さ" が共存し、また "芸術" と "祝祭" が調和的に一体化しているからでした。
演奏
最後に、この曲の極め付きの演奏(LIVE録画映像)を紹介します。日・場所・演奏者は次の通りです。
◆日・場所:
2000年11月26日(日)
サントリー・ホール(東京)
(2000年 ベルリン・フィル 日本ツアー)
◆オーケストラ:
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
◆指揮:
マリス・ヤンソンス
◆ヴァイオリン独奏:
ヒラリー・ハーン
https://www.youtube.com/watch?v=8HZVQyD9rsY
(2020年5月16日現在のurl)
(2020年5月16日現在のurl)
![]() |
2000年11月26日のサントリー・ホールでの演奏会を紹介したベルリン・フィルのサイト、"Berliner Philharmoniker Digital Concert Hall" より画像を引用。ちなみに、ヒラリー・ハーンの誕生日は1979年11月27日なので、彼女の20歳最後の日の演奏である。 |
2020-05-16 07:49
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No.283 - ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 [音楽]
前回の No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」の続きです。以下の "番組" とは、音楽サスペンス紀行「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)のことです(No.281 参照)。
プラウダ批判
1936年1月26日、スターリンはモスクワのボリショイ劇場でオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を観ましたが、第3幕が終わったところで席を立ちました。翌々日の1月28日、共産党機関誌「プラウダ」は『マクベス夫人』を批判する記事を掲載しました。いわゆる「プラウダ批判」です。
私はロシア語を読めないので英訳にあたってみると、記事の見出しは "Muddle instead of Music" です。"Chaos insted of Music" との訳もあるようです。日本語に直訳すると「音楽ではなく混乱」ぐらいでしょう。番組にあったように "支離滅裂" というのもあると思います。
いったい『マクベス夫人』の何が批判されたのでしょうか。番組において、サンクトペテルブルク音楽院 学術研究課長のラリサ・ミレル氏は次のように語っていました(No.281 で引用)。
この引用の下線のところが批判の要約ですが、もう少し詳しく言うとどういうことなのか。「プラウダ批判」の英訳版から、その前半を試訳してみると次の通りです。
「プラウダ批判」試訳
『マクベス夫人』の何を批判したのか
試訳は、ロシア語 → 英語 → 日本語の重訳なので、原文からは意味にズレがあるかもしれません。また英訳自体に意味のとりにくい部分もあるので、訳として不自然なところがあります。しかし大筋では「プラウダ批判」が何を言っているのかが理解できます。
訳出したのは「プラウダ批判」の前半だけですが、この前半で「言いたいこと」は尽きています。読むとすごい文章です。『マクベス夫人』を徹底的にこき下ろしているし、それどころか「粛清するぞ」という脅しととれるような発言もある。
分かるのは、『マクベス夫人』を批判するといっても、それは『マクベス夫人』の音楽を批判していることです。実は、訳出しなかった後半には「カテリーナをブルジョア社会の犠牲者のように描いているが、レスコフの原作はそうではない」とか(これは正しい。No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」参照)、ダブルベットを舞台に置くような演出に対して「下品だ」というような批判があります。しかしこのような台本や演出に関することは全体からするとわずかであり、ほとんどがショスタコーヴィチの音楽に対する批判です。
その音楽について「プラウダ批判」が言いたいことを、私なりに少々の補足を加えてまとめると、ソ連におけるオペラ音楽のあるべき姿は、
ということでしょう。要するに「分かりやすく平明な音楽」ということです。しかし『マクベス夫人』の音楽は、あるべき姿とは正反対で、つまり、
ということだと思います。プラウダの記事の筆者は、ショスタコーヴィチに才能がないからそうなったと言っているのではありません。この音楽は才能のある作曲家が意図的に作ったものだと言っている。つまり『マクベス夫人』は1930年代の音楽としては前衛的であり、番組でのサンクトペテルブルク音楽院・学術研究課長の言葉を借りれば「かなり革新的な音楽」なのです。そこが批判のポイントです。
しかし「プラウダ批判」に反論(?)すると、まず "騒音" とか "金切り音" とかは、この音楽を否定するための罵声に近いものであって、ショスタコーヴィチの音楽を聴くとそんなことは全くありません。
それどころか、ショスタコーヴィチの音楽スタイルは『マクベス夫人』という "ドラマ" と良くマッチしています。このオペラは主人公のカテリーナがどこまでも転落していく物語であり、"救いのない物語" です。そこで描かれるのは、"愛の暗黒面" や "ゆがんだ愛" であり、暴力的な行為であり、連続犯罪とそれによる死です。この普通ではない、異常とも言えるドラマの進行とそこでの人間感情の表現には、ショスタコーヴィチの「かなり革新的な音楽」がピッタリなのです。
例をあげると、プラウダ批判は「最初の1分から、意図的な不協和音や、混迷した音の流れにショックを受ける」としています。最初の1分に現れるのはカテリーナの歌唱ですが、島田雅彦氏はこの部分を「冒頭のカテリーナのアリアは、ワーグナーの影響を強く受けたショスタコーヴィチによって『トリスタンとイゾルデ』風のやるせない和音で彩られる」と書いています(No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」参照)。さすがに作家は的確な日本語を繰り出すと思うのですが、「冒頭のトリスタン風の不協和音 = カテリーナやるせなさ」なのです。
「プラウダ批判」に "野蛮なリズム" とありますが、これは当たっています。だけど、このオペラにはレイプ・シーンを始めとして "野蛮な" シーンがいろいろあります。それは物理的な暴力だけでなく、たとえば第1幕で舅のボリスが「結婚して4年になるのにまだ子ができない」とカテリーナをネチネチと責めるような "精神的な野蛮さ" もある。そういった状況での音楽は "野蛮なリズム" がピッタリなのです。
絵画の比喩で言うと、このブログで引用した絵にピカソの『泣く女』と『ゲルニカ』がありました(いずれも No.46「ピカソは天才か」で画像を引用)。この両方の絵とも人間(や動物)の姿を要素に分解し、それをデフォルメし、再構成・再配置していて、具象とはかけ離れた絵画です。これは、激しく慟哭する人やそれを目の当たりにした人の感情、無差別爆撃にさらされた住民の恐怖やそれを知った人の怒りを表現するにはピッタリの手法です。この2作が傑作である大きな理由は、絵画のテーマと絵画手法がマッチしていることだと思います。
絵画とオペラは芸術のジャンルが違うので一概なことは言えませんが、『マクベス夫人』もこのピカソの絵の例と似ていると思います。ドラマの内容と使われた音楽手法が不可分に一体化しているのです。
しかし、そんなことはプラウダ紙(=ソ連の共産党独裁政権の機関誌)にとっては関係ないのですね。「プラウダ批判」は『マクベス夫人』の批判であると同時に、ショスタコーヴィチの初期作品にみられる "前衛的・実験的傾向" の批判であり、また、当時のソ連の芸術(音楽、演劇、文学)における革新派を攻撃したものだからです。それは一読すれば明瞭です。
ここで改めて「プラウダ批判」が主張する「音楽のあるべき姿」を考えてみたいと思います。前提として当時のソ連の政治状況は全く考慮しないものとします。つまり、共産党独裁政権、スターリン体制、音楽(芸術)は共産主義社会の建設に貢献すべきという指針などの、当時のソ連の芸術と政治の関係を一切抜きにし、純粋に音楽についての議論とします。とすると、プラウダが言っている「オペラの音楽のあるべき姿」つまり、
などは、それはそれで的ハズレではないと思うのです。少なくとも一理も二理もある。これはオペラの音楽のみならず、いわゆる "芸術音楽" 全般に言えます。音楽は人間の感覚に直接訴えるものであり、自然で人間的なものであるべきだ。要はそういうことです。
ショスタコーヴィチはこの「プラウダ批判」に答える形で交響曲第5番(1937)を作曲し、それはソ連政府のみならず聴衆からも支持され、また現在も世界中で演奏されていて、幾多の交響曲の中でも屈指の名曲となっています。それはとりもなおさず「プラウダ批判」が的ハズレではないことを意味しています。その交響曲第5番はどういう音楽なのでしょうか。
交響曲第5番
ショスタコーヴィチは「プラウダ批判」に答える形で交響曲第5番(1937)を発表したのですが、番組では次のように解説されていました。
確かに交響曲第5番は、分かりやすく平明な曲です。全体は4楽章で、ソナタ形式のオープニング(第1楽章)に始まり、スケルツォ(第2楽章)、緩徐楽章(第3楽章)、フィナーレ(第4楽章)と続く構成は、19世紀の交響曲の最盛期の構成そのものです。
記憶に残りやすい主題や旋律が全曲に散りばめられているのも特徴です。特に4つの楽章それぞれの冒頭の主題が印象的で、楽章の最初から聴衆を引き込むようにできている。全体に繰り返しが多く、聴衆としては音楽の構成をたどりやすい。
また印象的という以上に、音楽の歴史や先人を踏まえていると思われるところが多々あります。全体的にマーラーの交響曲との類似性を感じるし、ビゼーのオペラ『カルメン』からの引用らしきところもある。この第5番は「19世紀末に作曲されたといってもおかしくない曲」です。
さらに全曲の開始の部分、つまり第1楽章の冒頭のリズムは、ベートーベンの交響曲第9番の冒頭を踏まえているのではないでしょうか。ないしは、ブルックナーの交響曲第8番の冒頭のリズムです(譜例167)。そもそもブルックナーはベートーベンを意識したと考えられます。つまりショスタコーヴィチの交響曲第5番は、「第9」と似たリズムで交響曲を開始することで先人(ベートーベン)を踏まえたと同時に、ベートーベンの「第9」と似たリズムで交響曲を開始するということそれ自体が先人(ブルックナー)を踏まえているのだと思います。
しかし、そういった中にも "ショスタコーヴィチらしさ" が全開です。特にショスタコーヴィチ独特の個性を感じる天性のリズム感です。比喩で言うと「体操やアイススケートで妙技を連続して見る感じ」、または「警句やウィットに満ちた小説家の文章を読む感じ」です。
まとめると、交響曲第5番はまさに「持ち前の斬新さが目立たない、分かりやすく、大衆受けする作品」です。絵画の比喩で言うと、今までキュビズムの絵を描いていた画家が、急に印象派のような作品を制作した。もちろんこれは作品の良し悪しとは全く関係がありません。この交響曲第5番は音楽としては傑作です。そのポイントを一つだけあげるとすると、第3楽章の "壮絶な美しさ" です。この音楽は、交響曲という範疇で最も美しい楽章の一つでしょう。プラウダ批判が言う「音楽のあるべき姿 = 分かりやすく平明」という範囲で、これだけの傑作を書けるというショスタコーヴィチの才能はすごいと思います。
第5番は作曲家の本意ではない
しかし作曲の経緯をみると、交響曲第5番は「無理強いされて作った音楽、やむを得ずに作った音楽、極端に言うと粛清で投獄されたり銃殺されないために作った音楽」です。それまでにショスタコーヴィチが作ってきた音楽(たとえば『マクベス夫人』)とは明らかに異質です。これは「作曲家が本来やりたかった音楽ではない」と考えるのが妥当でしょう。
全く唐突に話が飛びますが、司馬遼太郎の本に織田信長に仕えた坪内という姓の料理の名人の話が出てきます(名前は伝わっていません)。坪内は信長の御賄頭、つまりコック長でした。以下、本から引用します。
まさに "面従腹背" を地でいく話です。表面的にはうやうやしく従うように見せかけながら、裏では "アッカンベー" をしている。しかしこの話がすごいのは単なる面従腹背ではないところです。つまり、
というところです。自分の "生殺与奪権" を握っている信長が激怒することを承知の上で、あえて京風の味付けの料理を出すというところに、天下一の料理人の凄みがある。
歴史書にはないようですが、御家人に取り立てられた坪内はその後どうしたのでしょうか。もし信長が満足する味の料理を作り続けたのだとしたら、技量は確かに日本一かもしれないが、プライドが勝ちすぎていて料理人としては修行が足りないと思います。
もし坪内が真に "料理という芸術" を理解した料理人なら、信長の怒りを買わない範囲で、徐々に信長を「京風の味」に慣らしていくと思います。当時の優秀な戦国武将をみても、天下一の武人が文化人でもある例はいろいろあります。「田舎味に慣れた武将をもとりこにする京料理の奥の深さ」を発揮してこそ、料理という芸術がわかった料理人のはずです。
ショスタコーヴィチとは全く関係がありませんが、思い出したので司馬遼太郎の本から引用しました。この話がショスタコーヴィチの創作過程と似ていると思ったからです。
ショスタコーヴィチは『マクベス夫人』に至るまで、革新的な(前衛的で実験的な)音楽を作っていました。それを評価する評論家や音楽家仲間も多かったようですが、反対する人たちもいた。そしてショスタコーヴィチは、政府の意向が革新的とは正反対の「分かりやすく平明な音楽」であることは十分に承知していたはずです。芸術は政治と合致するものでなければならないというのが共産党独裁政権の考えです。しかしショスタコーヴィチは "確信犯的に" 前衛的な音楽を作った。
その状況下での「プラウダ批判」という "脅迫文" です。これによってショスタコーヴィチは音楽家生命を絶たれかねないと同時に、命さえ危うくなった。
そこでショスタコーヴィチは交響曲第5番を作り、これには共産党指導部も大満足し、またソ連の聴衆も喝采を浴びせたというのが経緯です。
しかし、ショスタコーヴィチの本領はこれ以降にあります。交響曲第5番(1937)以降、ショスタコーヴィチは "政府に迎合する作品" もいろいろ発表しましたが、そればかりではありません。第2次世界大戦のさなかに交響曲 第7番(1941)を発表したショスタコーヴィチは、続いて交響曲 第8番(1943)を発表します。これはスターリングラード攻防戦の犠牲者への追悼の曲で、暗く、悲劇的なものです。当時はソ連軍が大反攻に転じていたころであり、もっと明るい作品はできないのかとの非難を浴びました。
さらに第2次世界大戦がソ連の勝利で終わり、戦勝を記念して発表した交響曲 第9番(1945)は、第7番、第8番とは全く違う軽妙洒脱な作品であり、ベートーベンの第9のような壮大な作品を望んでいた政府関係者の意向とはかけ離れたものでした。これによってショスタコーヴィチは政府から、いわゆる「ジダーノフ批判」を受け、苦境に立たされることになります。
スターリンの死(1953)とスターリン批判(1956)の後も、政府にとっての "問題作" を作ります。その典型が、交響曲第13番「バービ・ヤール」(1962)です。この交響曲は、ユダヤ人虐殺にからむ反体制的な内容の詩による合唱をもっています。
さらに「プラウダ批判」(1936)でやり玉にあがった『マクベス夫人』です。ショスタコーヴィチは『マクベス夫人』の台本とオーケストレーションの一部を変更し、間奏曲を追加した改訂版のオペラ『カテリーナ・イズマイロヴァ』を作ります。そして1963年に上演許可をとってモスクワで上演します。なぜショスタコーヴィチは四半世紀もたって『マクベス夫人』の実質的な再演にこだわったのでしょうか。考えられる理由としては、
などでしょう。しかし、より大きな理由はソヴィエトの体制批判ではないでしょうか。前回の No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」に書いたように、このオペラは19世紀後半の帝政ロシア時代の作家、レスコフの同名の小説を原作としています。
と考えるのが妥当でしょう。No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」で引用したように、ショスタコーヴィチの同時代人の回想録に、
という作曲家の発言がありました。純粋器楽でそうなのだから、台本があり、ストーリーがあり、ドラマが演じられるオペラに "体制批判" が隠されていることは十分に考えられると思います。時系列にみると『バービ・ヤール』(1962)の次が『カテリーナ・イズマイロヴァ』(1963)というのも暗示的です。
ショスタコーヴィチがアメリカ人なら
「歴史に if はない」という言葉がありますが、「歴史の if」を想定することは、現実に起こった出来事の意味を考えるときに有用です。それは音楽史でもそうです。
ショスタコーヴィチがもしアメリカに生まれていたら、という if を考えてみると、ショスタコーヴィチは自分の内心から湧き出てくる芸術的感性をもとに自由に作品を作れたはずです。また「他の何ものにも似ていない独自性」を追求するという、芸術家の本性を発揮したことでしょう。その結果、新しい音楽手法を次々と生み出し、音楽評論家からは賞賛され、20世紀の音楽史において、今以上に燦然と輝く存在になったと思います。
しかしそうであれば、交響曲第5番のような作品は生まれなかったのではないでしょうか。
ショスタコーヴィチは、彼にとっては不運な国の不運な時代に生まれたのですが、全く皮肉なことにソ連の共産党独裁政権からの圧力が、広く受け入れられるショスタコーヴィチの名曲を生み出したと思います。少なくとも交響曲第5番はそうです。
このことは交響曲第7番と似ています。第7番は「レニングラードを完全包囲するドイツ軍の圧力」の下で書かれた始めた音楽です。ないしは「ロシア民族の勝利の称える曲を作るようにとの政府の圧力」の下で完成した音楽です。この2つとも芸術家が普通に作品を作るという状況では全くありません。そこで要請されたのは「分かりやすく平明な音楽で、できるだけ多くの市民・大衆が理解できること」です。そうだからこそ、第7番ができた。ここが第5番と似通っています。
ショスタコーヴィチは、当時のソ連の政治体制という、芸術家にとっては最悪の社会環境で生きたロシア人だったからこそ名曲を生み出すことになった。そう思います。
前々回から今回までの3つの記事は、NHKのTV番組・音楽サスペンス紀行「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)の内容の紹介から始まったものでした。とりあげたショスタコーヴィチの作品は、
でした。この3作品の成立過程をみると、ショスタコーヴィチの苦悩や戦いがよく理解できます。それはとりも直さず、芸術家と社会の関係はどうあるべきかという問いであり、それが極端な形で現れたのだと思いました。
プラウダ批判
1936年1月26日、スターリンはモスクワのボリショイ劇場でオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を観ましたが、第3幕が終わったところで席を立ちました。翌々日の1月28日、共産党機関誌「プラウダ」は『マクベス夫人』を批判する記事を掲載しました。いわゆる「プラウダ批判」です。
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画面の左下の記事がいわゆる「プラウダ批判」。「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)より。 |
私はロシア語を読めないので英訳にあたってみると、記事の見出しは "Muddle instead of Music" です。"Chaos insted of Music" との訳もあるようです。日本語に直訳すると「音楽ではなく混乱」ぐらいでしょう。番組にあったように "支離滅裂" というのもあると思います。
いったい『マクベス夫人』の何が批判されたのでしょうか。番組において、サンクトペテルブルク音楽院 学術研究課長のラリサ・ミレル氏は次のように語っていました(No.281 で引用)。
|
この引用の下線のところが批判の要約ですが、もう少し詳しく言うとどういうことなのか。「プラウダ批判」の英訳版から、その前半を試訳してみると次の通りです。
「プラウダ批判」試訳
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『マクベス夫人』の何を批判したのか
試訳は、ロシア語 → 英語 → 日本語の重訳なので、原文からは意味にズレがあるかもしれません。また英訳自体に意味のとりにくい部分もあるので、訳として不自然なところがあります。しかし大筋では「プラウダ批判」が何を言っているのかが理解できます。
訳出したのは「プラウダ批判」の前半だけですが、この前半で「言いたいこと」は尽きています。読むとすごい文章です。『マクベス夫人』を徹底的にこき下ろしているし、それどころか「粛清するぞ」という脅しととれるような発言もある。
分かるのは、『マクベス夫人』を批判するといっても、それは『マクベス夫人』の音楽を批判していることです。実は、訳出しなかった後半には「カテリーナをブルジョア社会の犠牲者のように描いているが、レスコフの原作はそうではない」とか(これは正しい。No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」参照)、ダブルベットを舞台に置くような演出に対して「下品だ」というような批判があります。しかしこのような台本や演出に関することは全体からするとわずかであり、ほとんどがショスタコーヴィチの音楽に対する批判です。
その音楽について「プラウダ批判」が言いたいことを、私なりに少々の補足を加えてまとめると、ソ連におけるオペラ音楽のあるべき姿は、
明快で簡潔なメロディーがあり、聴衆は音楽をたどれるし、記憶できる。 | |
人間の感情が朗々とした歌唱で表現されている。 | |
シンフォニックな音楽や伝統的なオペラとの共通性もある。 | |
ポピュラー音楽の愛好者も理解可能である。 | |
全般的に言うと「自然で人間的な音楽」である。 |
ということでしょう。要するに「分かりやすく平明な音楽」ということです。しかし『マクベス夫人』の音楽は、あるべき姿とは正反対で、つまり、
不協和音や野蛮なリズムに満ちている。 | |
歌唱は金切り声で、軋んだオーケストラの唸りは騒音のようだ。 | |
メロディーは断片的で、混迷した音の流れの中に埋没する。 | |
音楽をたどるのは困難であり、記憶するのは到底不可能だ。 |
ということだと思います。プラウダの記事の筆者は、ショスタコーヴィチに才能がないからそうなったと言っているのではありません。この音楽は才能のある作曲家が意図的に作ったものだと言っている。つまり『マクベス夫人』は1930年代の音楽としては前衛的であり、番組でのサンクトペテルブルク音楽院・学術研究課長の言葉を借りれば「かなり革新的な音楽」なのです。そこが批判のポイントです。
しかし「プラウダ批判」に反論(?)すると、まず "騒音" とか "金切り音" とかは、この音楽を否定するための罵声に近いものであって、ショスタコーヴィチの音楽を聴くとそんなことは全くありません。
それどころか、ショスタコーヴィチの音楽スタイルは『マクベス夫人』という "ドラマ" と良くマッチしています。このオペラは主人公のカテリーナがどこまでも転落していく物語であり、"救いのない物語" です。そこで描かれるのは、"愛の暗黒面" や "ゆがんだ愛" であり、暴力的な行為であり、連続犯罪とそれによる死です。この普通ではない、異常とも言えるドラマの進行とそこでの人間感情の表現には、ショスタコーヴィチの「かなり革新的な音楽」がピッタリなのです。
例をあげると、プラウダ批判は「最初の1分から、意図的な不協和音や、混迷した音の流れにショックを受ける」としています。最初の1分に現れるのはカテリーナの歌唱ですが、島田雅彦氏はこの部分を「冒頭のカテリーナのアリアは、ワーグナーの影響を強く受けたショスタコーヴィチによって『トリスタンとイゾルデ』風のやるせない和音で彩られる」と書いています(No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」参照)。さすがに作家は的確な日本語を繰り出すと思うのですが、「冒頭のトリスタン風の不協和音 = カテリーナやるせなさ」なのです。
「プラウダ批判」に "野蛮なリズム" とありますが、これは当たっています。だけど、このオペラにはレイプ・シーンを始めとして "野蛮な" シーンがいろいろあります。それは物理的な暴力だけでなく、たとえば第1幕で舅のボリスが「結婚して4年になるのにまだ子ができない」とカテリーナをネチネチと責めるような "精神的な野蛮さ" もある。そういった状況での音楽は "野蛮なリズム" がピッタリなのです。
絵画の比喩で言うと、このブログで引用した絵にピカソの『泣く女』と『ゲルニカ』がありました(いずれも No.46「ピカソは天才か」で画像を引用)。この両方の絵とも人間(や動物)の姿を要素に分解し、それをデフォルメし、再構成・再配置していて、具象とはかけ離れた絵画です。これは、激しく慟哭する人やそれを目の当たりにした人の感情、無差別爆撃にさらされた住民の恐怖やそれを知った人の怒りを表現するにはピッタリの手法です。この2作が傑作である大きな理由は、絵画のテーマと絵画手法がマッチしていることだと思います。
絵画とオペラは芸術のジャンルが違うので一概なことは言えませんが、『マクベス夫人』もこのピカソの絵の例と似ていると思います。ドラマの内容と使われた音楽手法が不可分に一体化しているのです。
しかし、そんなことはプラウダ紙(=ソ連の共産党独裁政権の機関誌)にとっては関係ないのですね。「プラウダ批判」は『マクベス夫人』の批判であると同時に、ショスタコーヴィチの初期作品にみられる "前衛的・実験的傾向" の批判であり、また、当時のソ連の芸術(音楽、演劇、文学)における革新派を攻撃したものだからです。それは一読すれば明瞭です。
ここで改めて「プラウダ批判」が主張する「音楽のあるべき姿」を考えてみたいと思います。前提として当時のソ連の政治状況は全く考慮しないものとします。つまり、共産党独裁政権、スターリン体制、音楽(芸術)は共産主義社会の建設に貢献すべきという指針などの、当時のソ連の芸術と政治の関係を一切抜きにし、純粋に音楽についての議論とします。とすると、プラウダが言っている「オペラの音楽のあるべき姿」つまり、
明快で簡潔なメロディーがあり、聴衆は音楽をたどれるし、記憶できる。 | |
人間の感情が朗々とした歌唱で表現されている。 | |
シンフォニックな音楽や伝統的なオペラとの共通性もある。 | |
ポピュラー音楽の愛好者も理解可能である。 | |
全般的に言うと「自然で人間的な音楽」である。 |
などは、それはそれで的ハズレではないと思うのです。少なくとも一理も二理もある。これはオペラの音楽のみならず、いわゆる "芸術音楽" 全般に言えます。音楽は人間の感覚に直接訴えるものであり、自然で人間的なものであるべきだ。要はそういうことです。
ショスタコーヴィチはこの「プラウダ批判」に答える形で交響曲第5番(1937)を作曲し、それはソ連政府のみならず聴衆からも支持され、また現在も世界中で演奏されていて、幾多の交響曲の中でも屈指の名曲となっています。それはとりもなおさず「プラウダ批判」が的ハズレではないことを意味しています。その交響曲第5番はどういう音楽なのでしょうか。
交響曲第5番
ショスタコーヴィチは「プラウダ批判」に答える形で交響曲第5番(1937)を発表したのですが、番組では次のように解説されていました。
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確かに交響曲第5番は、分かりやすく平明な曲です。全体は4楽章で、ソナタ形式のオープニング(第1楽章)に始まり、スケルツォ(第2楽章)、緩徐楽章(第3楽章)、フィナーレ(第4楽章)と続く構成は、19世紀の交響曲の最盛期の構成そのものです。
記憶に残りやすい主題や旋律が全曲に散りばめられているのも特徴です。特に4つの楽章それぞれの冒頭の主題が印象的で、楽章の最初から聴衆を引き込むようにできている。全体に繰り返しが多く、聴衆としては音楽の構成をたどりやすい。
また印象的という以上に、音楽の歴史や先人を踏まえていると思われるところが多々あります。全体的にマーラーの交響曲との類似性を感じるし、ビゼーのオペラ『カルメン』からの引用らしきところもある。この第5番は「19世紀末に作曲されたといってもおかしくない曲」です。
さらに全曲の開始の部分、つまり第1楽章の冒頭のリズムは、ベートーベンの交響曲第9番の冒頭を踏まえているのではないでしょうか。ないしは、ブルックナーの交響曲第8番の冒頭のリズムです(譜例167)。そもそもブルックナーはベートーベンを意識したと考えられます。つまりショスタコーヴィチの交響曲第5番は、「第9」と似たリズムで交響曲を開始することで先人(ベートーベン)を踏まえたと同時に、ベートーベンの「第9」と似たリズムで交響曲を開始するということそれ自体が先人(ブルックナー)を踏まえているのだと思います。
ベートーベン/ブルックナー/ショスタコーヴィチ |
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ベートーベンの「交響曲第9番」、ブルックナーの「交響曲第8番」、ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」の冒頭数小節。2つのパートだけを抜き出した。ブルックナーとショスタコーヴィチはベートーベンを踏まえていると同時に、ショスタコーヴィチはブルックナーも踏まえていると考えられる。またショスタコーヴィチはカノンで始めているが、カノンはベートーベンの時代よりも古い音楽形式である。 |
しかし、そういった中にも "ショスタコーヴィチらしさ" が全開です。特にショスタコーヴィチ独特の個性を感じる天性のリズム感です。比喩で言うと「体操やアイススケートで妙技を連続して見る感じ」、または「警句やウィットに満ちた小説家の文章を読む感じ」です。
まとめると、交響曲第5番はまさに「持ち前の斬新さが目立たない、分かりやすく、大衆受けする作品」です。絵画の比喩で言うと、今までキュビズムの絵を描いていた画家が、急に印象派のような作品を制作した。もちろんこれは作品の良し悪しとは全く関係がありません。この交響曲第5番は音楽としては傑作です。そのポイントを一つだけあげるとすると、第3楽章の "壮絶な美しさ" です。この音楽は、交響曲という範疇で最も美しい楽章の一つでしょう。プラウダ批判が言う「音楽のあるべき姿 = 分かりやすく平明」という範囲で、これだけの傑作を書けるというショスタコーヴィチの才能はすごいと思います。
第5番は作曲家の本意ではない
しかし作曲の経緯をみると、交響曲第5番は「無理強いされて作った音楽、やむを得ずに作った音楽、極端に言うと粛清で投獄されたり銃殺されないために作った音楽」です。それまでにショスタコーヴィチが作ってきた音楽(たとえば『マクベス夫人』)とは明らかに異質です。これは「作曲家が本来やりたかった音楽ではない」と考えるのが妥当でしょう。
全く唐突に話が飛びますが、司馬遼太郎の本に織田信長に仕えた坪内という姓の料理の名人の話が出てきます(名前は伝わっていません)。坪内は信長の御賄頭、つまりコック長でした。以下、本から引用します。
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まさに "面従腹背" を地でいく話です。表面的にはうやうやしく従うように見せかけながら、裏では "アッカンベー" をしている。しかしこの話がすごいのは単なる面従腹背ではないところです。つまり、
料理人・坪内は、自らの命を賭けて夕食を京風味にし、朝食は田舎味にした。 | |
彼はこの賭に勝ち、御家人の地位を得ると同時に、歴史書に残る "恥" を信長にかかせた。 |
歴史書にはないようですが、御家人に取り立てられた坪内はその後どうしたのでしょうか。もし信長が満足する味の料理を作り続けたのだとしたら、技量は確かに日本一かもしれないが、プライドが勝ちすぎていて料理人としては修行が足りないと思います。
もし坪内が真に "料理という芸術" を理解した料理人なら、信長の怒りを買わない範囲で、徐々に信長を「京風の味」に慣らしていくと思います。当時の優秀な戦国武将をみても、天下一の武人が文化人でもある例はいろいろあります。「田舎味に慣れた武将をもとりこにする京料理の奥の深さ」を発揮してこそ、料理という芸術がわかった料理人のはずです。
ショスタコーヴィチとは全く関係がありませんが、思い出したので司馬遼太郎の本から引用しました。この話がショスタコーヴィチの創作過程と似ていると思ったからです。
ショスタコーヴィチは『マクベス夫人』に至るまで、革新的な(前衛的で実験的な)音楽を作っていました。それを評価する評論家や音楽家仲間も多かったようですが、反対する人たちもいた。そしてショスタコーヴィチは、政府の意向が革新的とは正反対の「分かりやすく平明な音楽」であることは十分に承知していたはずです。芸術は政治と合致するものでなければならないというのが共産党独裁政権の考えです。しかしショスタコーヴィチは "確信犯的に" 前衛的な音楽を作った。
その状況下での「プラウダ批判」という "脅迫文" です。これによってショスタコーヴィチは音楽家生命を絶たれかねないと同時に、命さえ危うくなった。
そこでショスタコーヴィチは交響曲第5番を作り、これには共産党指導部も大満足し、またソ連の聴衆も喝采を浴びせたというのが経緯です。
しかし、ショスタコーヴィチの本領はこれ以降にあります。交響曲第5番(1937)以降、ショスタコーヴィチは "政府に迎合する作品" もいろいろ発表しましたが、そればかりではありません。第2次世界大戦のさなかに交響曲 第7番(1941)を発表したショスタコーヴィチは、続いて交響曲 第8番(1943)を発表します。これはスターリングラード攻防戦の犠牲者への追悼の曲で、暗く、悲劇的なものです。当時はソ連軍が大反攻に転じていたころであり、もっと明るい作品はできないのかとの非難を浴びました。
さらに第2次世界大戦がソ連の勝利で終わり、戦勝を記念して発表した交響曲 第9番(1945)は、第7番、第8番とは全く違う軽妙洒脱な作品であり、ベートーベンの第9のような壮大な作品を望んでいた政府関係者の意向とはかけ離れたものでした。これによってショスタコーヴィチは政府から、いわゆる「ジダーノフ批判」を受け、苦境に立たされることになります。
スターリンの死(1953)とスターリン批判(1956)の後も、政府にとっての "問題作" を作ります。その典型が、交響曲第13番「バービ・ヤール」(1962)です。この交響曲は、ユダヤ人虐殺にからむ反体制的な内容の詩による合唱をもっています。
さらに「プラウダ批判」(1936)でやり玉にあがった『マクベス夫人』です。ショスタコーヴィチは『マクベス夫人』の台本とオーケストレーションの一部を変更し、間奏曲を追加した改訂版のオペラ『カテリーナ・イズマイロヴァ』を作ります。そして1963年に上演許可をとってモスクワで上演します。なぜショスタコーヴィチは四半世紀もたって『マクベス夫人』の実質的な再演にこだわったのでしょうか。考えられる理由としては、
ショスタコーヴィチとして思い入れのある作品であり、オペラとしての自信作だった。 | |
スターリン体制下で批判を受けて上演禁止になり、創作の方向を転換せざるを得なくなった "因縁の" 作品である。是非とも再演してけじめをつけたかった。 |
などでしょう。しかし、より大きな理由はソヴィエトの体制批判ではないでしょうか。前回の No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」に書いたように、このオペラは19世紀後半の帝政ロシア時代の作家、レスコフの同名の小説を原作としています。
原作は19世紀後半、帝政ロシアの現実の閉塞感と悲劇的な雰囲気を感じる小説であり、 | |
その閉塞感や悲劇的な雰囲気をソヴィエトの政治体制になぞらえた |
と考えるのが妥当でしょう。No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」で引用したように、ショスタコーヴィチの同時代人の回想録に、
第7番はファシズムはもちろん、私たち自身の社会システム、すなわち全体主義体制、すべてを描いている」 |
という作曲家の発言がありました。純粋器楽でそうなのだから、台本があり、ストーリーがあり、ドラマが演じられるオペラに "体制批判" が隠されていることは十分に考えられると思います。時系列にみると『バービ・ヤール』(1962)の次が『カテリーナ・イズマイロヴァ』(1963)というのも暗示的です。
ショスタコーヴィチがアメリカ人なら
「歴史に if はない」という言葉がありますが、「歴史の if」を想定することは、現実に起こった出来事の意味を考えるときに有用です。それは音楽史でもそうです。
ショスタコーヴィチがもしアメリカに生まれていたら、という if を考えてみると、ショスタコーヴィチは自分の内心から湧き出てくる芸術的感性をもとに自由に作品を作れたはずです。また「他の何ものにも似ていない独自性」を追求するという、芸術家の本性を発揮したことでしょう。その結果、新しい音楽手法を次々と生み出し、音楽評論家からは賞賛され、20世紀の音楽史において、今以上に燦然と輝く存在になったと思います。
しかしそうであれば、交響曲第5番のような作品は生まれなかったのではないでしょうか。
ショスタコーヴィチは、彼にとっては不運な国の不運な時代に生まれたのですが、全く皮肉なことにソ連の共産党独裁政権からの圧力が、広く受け入れられるショスタコーヴィチの名曲を生み出したと思います。少なくとも交響曲第5番はそうです。
このことは交響曲第7番と似ています。第7番は「レニングラードを完全包囲するドイツ軍の圧力」の下で書かれた始めた音楽です。ないしは「ロシア民族の勝利の称える曲を作るようにとの政府の圧力」の下で完成した音楽です。この2つとも芸術家が普通に作品を作るという状況では全くありません。そこで要請されたのは「分かりやすく平明な音楽で、できるだけ多くの市民・大衆が理解できること」です。そうだからこそ、第7番ができた。ここが第5番と似通っています。
ショスタコーヴィチは、当時のソ連の政治体制という、芸術家にとっては最悪の社会環境で生きたロシア人だったからこそ名曲を生み出すことになった。そう思います。
前々回から今回までの3つの記事は、NHKのTV番組・音楽サスペンス紀行「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)の内容の紹介から始まったものでした。とりあげたショスタコーヴィチの作品は、
No.281:交響曲第7番 | |
No.282:ムツェンスク郡のマクベス夫人 | |
No.283:交響曲第5番 |
でした。この3作品の成立過程をみると、ショスタコーヴィチの苦悩や戦いがよく理解できます。それはとりも直さず、芸術家と社会の関係はどうあるべきかという問いであり、それが極端な形で現れたのだと思いました。
2020-04-19 06:48
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No.282 - ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人 [音楽]
前回の No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」の続きです。前回は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番に関するドキュメンタリー番組、
の内容から、交響曲第7番に関するところを紹介し、所感を書きました。この番組の最初の方、第7番の作曲に至るまでのショスタコーヴィチの経歴の紹介で、
という主旨の説明がありました。この件は20世紀音楽史では有名な事件なのですが、ショスタコーヴィチと政治の関係に関わる重要な話だと思うので、以降はそれについて書きます。
『交響曲第5番』(初演:1937。30歳)はショスタコーヴィチ(1906-1975)の最も有名な曲でしょう。聴いた人は多数いるはずです。しかし『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(初演:1934。27歳)を劇場やDVD/BDで観た人は、交響曲第5番に比べれば少数だと思います。そこでまず、これがどういうオペラかを書きます。その内容と音楽がプラウダ紙の批判と密接にからんでいるからです。
ムツェンスク郡のマクベス夫人
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(以下『マクベス夫人』とも記述)がどういうオペラか、ここでは是非とも作家の島田雅彦氏の解説で見ていきましょう。島田氏はオペラを「命をかけるべき最高の遊戯」と言ってはばからない人で、オペラの台本まで書いています(『忠臣蔵』と『Jr. バタフライ』)。その島田氏の著書である「オペラ・シンドローム」(NHKブックス 2009)から引用します。この本はNHK教育で2008年6月~7月に放映された「知るを楽しむ この人この世界:オペラ偏愛主義」の番組テキストに大幅に加筆したものです。
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)が、その作家生活の初期(1864)に書いた同名の小説が原作です。帝政ロシア時代の小説をソ連時代のショスタコーヴィチがオペラ化したわけで、まずこのことに留意しておきましょう。1934年にレニングラード(現、サンクトペテルブルク)で初演されました。
以下、島田雅彦氏によるこのオペラの紹介です。この紹介の部分は「残酷で救いのない物語」とのタイトルがあります。島田氏は作家らしく、まずオペラの冒頭で歌われるアリアのキーワードを取り上げます。
物語の舞台であるムツェンスクは、モスクワの南西、約300kmにある町です。この田舎町の裕福な商家が舞台です。
ここまでが第1幕の第1場(イズマイロフ家の居間)と第2場(イズマイロフ家の庭先)です。次が、第1幕第3場のカテリーナの寝室の場面です。
1936年1月26日、モスクワのボリショイ劇場でこのオペラを観たスターリンは、オペラの終幕を待たずに席を立ちました。そして2日後の1月28日のプラウダ紙に、ショスタコーヴィチを批判する社説が掲載されました。いわゆる「プラウダ批判」です。その引き金になったのは、スターリンが第1幕第3場のレイプ・シーンに激怒したからだと(一般には)言われています。
オペラは第2幕へと進行します。同じイズマイロフ家の庭先とカテリーナの寝室です。
第3幕は、イズマイロフ家の納屋の前(結婚式の宴会場になる)と警察署です。
この作品には第4幕があります。第4幕はそれまでと違いシベリアに向かう街道で、橋の近くにある徒刑囚の宿営地です。
まさに「ディテールが残酷で、どうしようもなく救いのないオペラ」です。ちなみに最後のシーンの台本は、カテリーナがソニェートカを橋の欄干から川へ突き落とし、自分も川に飛び込む、そして徒刑囚たちは流刑地へと行進していく、というものです。島田氏が書いている「船に乗り流刑地へと向かっていく」というのは、そういう演出もあるということでしょう。
モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』
島田氏の『マクベス夫人』についての説明がユニークなのは、オペラの実質的な創始者であるモンテヴェルディ(1567-1643)の作品と関連づけているところです。それは『ポッペアの戴冠』(1642)というオペラです。ショスタコーヴィチの約300年前に作られたオペラのルーツとも言うべき作品と『マクベス夫人』がどう関係するのか。
以下、島田氏による『ポッペアの戴冠』のあらすじを引用しますが、登場人物だけを抜き出すと以下のようになります。時代は古代はローマ帝国です。
一言でいうと、全く不条理な物語です。不倫をしたオッペアとネロが結ばれ、2人にとってのハッピーエンドで終わる。しかし、セネカが自害させられるという歴史的事実を除いたとしても、"善人" であるはずの妃・オッターヴィア、侍女・ドルジッラ、軍人・オットーネは追放されてしまう。しかも不倫を成就させるのが "愛の神" である ・・・・・・。
島田氏は「オペラでは、すべてが許される」とし、観客としてオペラを観る意味を次のように書いています。
島田氏は
と述べています。「オペラで表現される激しい感情の起伏が、観客に精神のリハビリテーションを促す。オペラではすべてが許される」との主旨を島田氏は書いているのですが、これはまさに『マクベス夫人』でも言えることなのです。
ヴェルディの "救いのないオペラ"
島田氏が『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を紹介した文章の最後に、
とありました。実は、島田氏は「オペラ・シンドローム」のなかで、ヴェルディ(1813-1901)の "救いのないオペラ" として『イル・トロヴァトーレ』と『運命の力』を取り上げています。この2つのオペラは、その救いのなさにおいて『マクベス夫人』とそっくりです。ここであらすじの紹介は省略しますが、2つのオペラとも、
といった内容です。ヴェルディはなぜこのようなオペラを書いたのでしょうか。
実は『運命の力』の初演はイタリアではなく、何と、当時のロシアの首都であったペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)のマリインスキー劇場でした(1862年)。それはヴェルディのオペラがロシアで人気だったことに加え、当時のヴェルディをとりまくイタリアの状況を反映したものです。島田氏は次のように書いています。
『運命の力』の初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルグで行われたのは、検閲を筆頭とする当時のイタリアの社会情勢があったわけです。そして島田氏は『運命の力』および『イル・トロヴァトーレ』のあらすじを紹介したあとで、オペラを小説と対比させつつ、次のように書いています。
「ヴェルディの人生は検閲との戦い」というところは、ショスタコーヴィチを思い出させます。ショスタコーヴィチも「芸術家としての思い」と「ソ連共産党からの圧力」という2つの間で苦悩した作曲家だったからです。
そして『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に関していうと、これは支配者の望むであろうハッピーエンドとは真逆の物語です。スターリンがオペラの第3幕が終わった段階で席を立ったのは、ひょっとしたらこのオペラに "隠されたソ連体制批判" を感じ取ったからかもしれません。そいう疑いが出てくるのです。そこを考えるために、このオペラのリブレット(台本)の成立を振り返ってみます。
なぜ『マクベス夫人』をオペラ化したのか
『マクベス夫人』はショスタコーヴィチの2作目のオペラです。第1作目はロシアの文豪・ゴーゴリ(1809-1852)の短編小説『鼻』(1836)をミニ・オペラ化したもので、ストーリーは喜劇的・幻想的なものです。
そして第2作として選んだのが、これもロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1864)でした。ショスタコーヴィチは友人の協力を得つつ、台本も自ら書いています。なぜ彼はこの小説をオペラ化しようと思ったのでしょうか。
この物語は主人公のカテリーナがセルゲイに惚れたことを契機にどこまでも転落していく話です。次々と殺人を犯し、シベリア送りのときにはセルゲイにも見捨てられ、生きる意味を見失って自殺してしまう。希望とか明るさ、活気、楽しさ、喜びなどの感情を全く感じられない陰惨で暗澹たるストーリーです。これはレスコフが生きた帝政ロシアの時代の社会の雰囲気を反映していると考えられます。つまり、
です。ちなみに『ムツェンスク郡のマクベス夫人』において主要な登場人物であるボリス、セルゲイ、カテリーナ(=エカテリーナ)は、3人ともロシア人の最も一般的な名前であることも示唆的です。このような原作を考えると、ショスタコーヴィチは、
ということも十分考えられるでしょう。島田雅彦氏はヴェルディの "救いのないオペラ" について、
と書いていましたが(上に引用)、そのヴェルディと同じことをショスタコーヴィチはやったとも考えられる。
もっとダイレクトに『マクベス夫人』はスターリン批判だと言っている人がいます。ドイツ文学者の中野京子さんです。彼女は美術評論で有名ですが、大のオペラファンであり(大の映画ファンでもある)、次のように書いています。
引用中の「国家最高権力者」とは、言うまでもなくスターリンのことです。また「老囚の歌」というのは第4幕の冒頭、シベリアの流刑地に連行されていく囚人の中の老人の歌唱です。島田雅彦氏はこのあたりの音楽について「ここで流れるショスタコーヴィチの音楽は、その暗さにおいて、交響曲第十番かこれかというほどです」と書いていました(上に引用)。ちなみに「橋をめぐる物語」という題名の本に『マクベス夫人』が出てくるのは、オペラの最後のシーンでカテリーナがソニェートカを橋から川へ突き落とし、自分も川に飛び込むからです。
ショスタコーヴィチが帝政ロシアの現実の悲劇的な雰囲気を、作曲家として世に出た当時のソ連の政治体制になぞらえただけでなく、中野さんが言うように国家最高権力者への批判を込めたことも十分考えられるでしょう。もちろん、それを匂わすような台詞は一切ありません。これは70年前のロシアの作家・レスコフの小説のオペラ化なのだから ・・・・・・。
その、70年前のロシアの小説のオペラ化が、なぜソ連の政治体制批判になりうるのでしょうか。実は、このオペラはレスコフの小説とは大きな違いがあります。
オペラでは第2幕でカテリーナがセルゲイと2人で夫のジノーヴィを殺してその死体を隠し、次の第3幕ではカテリーナとセルゲイの結婚式の日の話になる。この展開には違和感を感じます。ジノーヴィは外面的には失踪したわけですが、法的な失踪宣告がされて死亡したと見なされ婚姻関係が解消するまでには(従って再婚できるまでには)、たとえば今の日本だと7年かかります。帝政期のロシアがどうだったかは知りませんが、それなりの時間の経過が必要ということは容易に想像できます。つまり第2幕と第3幕の間には比較的長い時間経過があるはずなのに、その説明がなく、ストーリーが破綻しているように感じます。もっとも、こういうことをいちいち気にしていたらオペラの鑑賞はできません。これは小説ではなくオペラです。「オペラではすべてが許される」(島田雅彦)のです。
しかし、レスコフの原作小説は違います。カテリーナの夫、ジノーヴィには、実はフョードルという従兄弟があり(父親のボリスの甥で少年)、ボリスの財産相続権を持っているのです。そのフョードルは親につれられてカテリーナの商家に現れ、一緒に生活を始めます。そして、ボリスの財産を独占できなくなったと悟ったカテリーナは、セルゲイを引き込んでフョードルも殺してしまいます。この少年殺しはすぐに発覚し、それがもとでジノーヴィ殺しもあからさまになり、カテリーナとセルゲイは逮捕されて鞭打ちの刑を受け、シベリア送りになる。これがレスコフの小説です。ストーリーの破綻はありません。オペラの第3幕は、原作にはないショスタコーヴィチの創作です。
さらにもう一つ、原作小説とオペラの違いがあります。オペラでは、カテリーナの舅のボリスが第1幕の最初からカテリーナを見張り、いびって暴言を吐き、抑圧します。カテリーナはこの段階からボリスに殺意を抱く。しかし、レスコフの小説ではこういったボリス像が全くありません。ボリスがカテリーナ(息子の嫁)とセルゲイ(使用人)の密会を発見してセルゲイを鞭打ち(それは当然です)、そのためにカテリーナに毒殺されるのはオペラも小説も同じですが、小説はボリスを陰険で抑圧的な人間として描いているわけではありません。
つまり、ショスタコーヴィチは原作のレスコフの小説に2つの変更を加えました。
の2つです。これは物語の根幹にかかわる変更です。この変更によりオペラは、カテリーナを "犯罪者に転落する女" というより "悲劇の主人公" として描くことになった。そして「カテリーナを閉じこめて抑圧するイズマイロフ家」というイメージを作り出した。そのことがソ連の政治体制に見立てることも可能にしたのだと思います。
そしてオペラを観て感じるのは、カテリーナにシンパシー感じるようなドラマの進行であることです。抑圧的なイズマイロフ家に "閉じこめられた" カテリーナは、外面的にはどれほど異常に見えても、周囲から嘲笑されても、身の破滅を省みずに自分の信じる愛に突き進んでいく ・・・・・・。ショスタコーヴィチは、カテリーナをソ連の政治体制の中での音楽家としての自分に重ねたのではと思います。いや、それは不正確で、自分に重ねられるようにレスコフの小説を改変してオペラ化したのだと思います。
オペラの本質を熟知した作品
今までの話の全体をまとめると、ショスタコーヴィチの『マクベス夫人』は "オペラの本質を熟知した作品" だと思います。ショスタコーヴィチがモンテヴェルディを意識したのかは分かりませんが、島田雅彦氏が指摘するように『マクベス夫人』という「おおよそ考えられる範囲で最も不道徳な内容をもつオペラ作品」が、オペラ草創期からの流れにあることは確かでしょう。つまり "道徳を完全に超越した愛の姿" です。
加えてヴェルディです。ヴェルディの作品はロシアで大いに人気があったと言います。それは『運命の力』の世界初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルク(=レニングラード。=サンクトペテルブルク)で行われたことに如実に現れています。ショスタコーヴィチがヴェルディの "救いのないオペラ" に影響されたことは十分に考えられると思います。またイタリア・オペラで言うと『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『道化師』などの、人間や社会の暗部を描いたオペラ(いわゆる "ヴェリズモ")の系譜と考えることもできるでしょう。
さらに、このオペラのストーリーでは、オペラの王道といえる「愛と死」が扱われています。主要登場人物は3人で、その3人を簡潔にまとめると、
となるでしょう。「愛」の表現の中心はカテリーナです。自分を強姦したセルゲイに惚れ、それをどこまでも突き通す。シベリア送りの最後の場面でセルゲイに完全に裏切られたと知っても、その怒りは愛人に向けられる。いかにも極端な愛の姿ですが、これこそオペラなのです。一方、男2人(セルゲイ、ボリス)については "好色"、"淫蕩"、"性欲" といった感じで、"愛のダークサイド" や、"むき出しの性" を表現しています。男2人の、少々グロテスクでどぎつい人物像がいかにもオペラ的です。
さらに「死」については、第2幕で2つの殺人が起こり、第4幕で生きる意味がないと悟ったエカテリーナは、第3の殺人を行うと同時に自殺してしまう。そこでオペラは終わりですが、仮にその後を作るとしたら、セルゲイが女をめぐるトラブルから別の囚人に撲殺されるといった展開が似つかわしいでしょう。
また、第2幕では殺されたボリスの亡霊が出てくるし、第4幕の冒頭のシベリア送りになる老囚は、まさに "真っ暗" という感じの "死出の旅" を歌います(上に引用した中野京子さんの文章にある)。とにかくオペラ全体に「死」のイメージが充満しています。
『マクベス夫人』の「愛や性、死」はいかにも極端で、そこで演じられるのは普通の生活ではまず経験しないし、接することもないような激しい人間感情です。しかし観客にとってはそれが「精神のリハビリテーション」(島田雅彦)になる。そういう意味でも『マクベス夫人』はオペラの王道を行った作品だと言えるでしょう。
以上のようにドラマとしては19世紀までのオペラの「王道」ですが、しかし音楽は違います。このオペラの音楽はまさに20世紀音楽であり、不協和音もあれば、アリアでも半音階的進行が多用されます。
『マクベス夫人』の音楽の最大の特長は、オーケストラと舞台が完全に一体化してドラマが進んでいくことでしょう。その端的な例ですが、このオペラには暴力的なシーンがいくつかあります。第1幕第2場でイズマイロフ家の使用人たちが女使用人のアクシーニャを輪姦しようとするシーンや、有名な第1幕第3場のレイプ・シーン、第2幕第1場でボリスがセルゲイを鞭打つシーンなどです。これらのシーンでオーケストラは、激しくグロテスクなリズムの、扇情的で野蛮な音楽をせき立てるように演奏します。音楽でシーンそのものを描こうとしているようであり、またある種の映画における音楽の使い方と似通ったものも感じます。このあたりはショスタコーヴィチの独壇場と言っていいでしょう。オーケストラを駆使する能力が際だっています。
もちろんこういった "激しい" 音楽だけでなく、第1幕第3場でカテリーナが自分の不運を嘆くアリアとか、第2幕第1場でボリスが毒殺されたあとの第2場へと続くパッサカリア風の荘厳な間奏曲(「悲劇の幕は開いた!」という感じの音楽)など、聴き所はいろいろあります。
音楽はいかにもショスタコーヴィチ的であり、ドラマはオペラの王道 ・・・・・・。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ショスタコーヴィチが最もやりたかった作品であり、会心作だと思います。
この『マクベス夫人』が共産党機関誌・プラウダに痛烈に批判されたのです。その「プラウダ批判」と、それを受けて作曲された交響曲第5番のことは次回にします。
音楽サスペンス紀行 |
の内容から、交響曲第7番に関するところを紹介し、所感を書きました。この番組の最初の方、第7番の作曲に至るまでのショスタコーヴィチの経歴の紹介で、
スターリンはショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を気に入らず、すぐさま共産党の機関誌・プラウダは批判を展開した。ショスタコーヴィチはそれに答える形で『交響曲第5番』を書いた
という主旨の説明がありました。この件は20世紀音楽史では有名な事件なのですが、ショスタコーヴィチと政治の関係に関わる重要な話だと思うので、以降はそれについて書きます。
『交響曲第5番』(初演:1937。30歳)はショスタコーヴィチ(1906-1975)の最も有名な曲でしょう。聴いた人は多数いるはずです。しかし『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(初演:1934。27歳)を劇場やDVD/BDで観た人は、交響曲第5番に比べれば少数だと思います。そこでまず、これがどういうオペラかを書きます。その内容と音楽がプラウダ紙の批判と密接にからんでいるからです。
ムツェンスク郡のマクベス夫人
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)が、その作家生活の初期(1864)に書いた同名の小説が原作です。帝政ロシア時代の小説をソ連時代のショスタコーヴィチがオペラ化したわけで、まずこのことに留意しておきましょう。1934年にレニングラード(現、サンクトペテルブルク)で初演されました。
以下、島田雅彦氏によるこのオペラの紹介です。この紹介の部分は「残酷で救いのない物語」とのタイトルがあります。島田氏は作家らしく、まずオペラの冒頭で歌われるアリアのキーワードを取り上げます。
以下の引用では漢数字を算用数字に改めたところがあります。段落を増やしたところもあります。下線は原文にはありません。
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物語の舞台であるムツェンスクは、モスクワの南西、約300kmにある町です。この田舎町の裕福な商家が舞台です。
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2006年、アムステルダムにおけるネーデルランド・オペラの公演をライヴ収録したDVD。エカテリーナ:エヴァ=マリア・ウェストブロック、セルゲイ:クリストファー・ヴェントリス、マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、マルティン・クシェイ演出。 このパッケージの画像は、第1幕第2場でセルゲイがカテリーナにレスリングをしようと持ちかけ、押し倒したところ。 |
ここまでが第1幕の第1場(イズマイロフ家の居間)と第2場(イズマイロフ家の庭先)です。次が、第1幕第3場のカテリーナの寝室の場面です。
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1936年1月26日、モスクワのボリショイ劇場でこのオペラを観たスターリンは、オペラの終幕を待たずに席を立ちました。そして2日後の1月28日のプラウダ紙に、ショスタコーヴィチを批判する社説が掲載されました。いわゆる「プラウダ批判」です。その引き金になったのは、スターリンが第1幕第3場のレイプ・シーンに激怒したからだと(一般には)言われています。
オペラは第2幕へと進行します。同じイズマイロフ家の庭先とカテリーナの寝室です。
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カテリーナはセルゲイとともに、夫のジノーヴィを殺害する。そしてセルゲイにキスしてと言い、彼を抱きしめ、これであなたは私の夫と言う。ネーデルランド・オペラより。 |
第3幕は、イズマイロフ家の納屋の前(結婚式の宴会場になる)と警察署です。
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カテリーナとセルゲイの結婚式の祝宴が中庭で開かれているが、そこに警官たちがなだれ込み、2人は逮捕される。ネーデルランド・オペラより。 |
この作品には第4幕があります。第4幕はそれまでと違いシベリアに向かう街道で、橋の近くにある徒刑囚の宿営地です。
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まさに「ディテールが残酷で、どうしようもなく救いのないオペラ」です。ちなみに最後のシーンの台本は、カテリーナがソニェートカを橋の欄干から川へ突き落とし、自分も川に飛び込む、そして徒刑囚たちは流刑地へと行進していく、というものです。島田氏が書いている「船に乗り流刑地へと向かっていく」というのは、そういう演出もあるということでしょう。
モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』
島田氏の『マクベス夫人』についての説明がユニークなのは、オペラの実質的な創始者であるモンテヴェルディ(1567-1643)の作品と関連づけているところです。それは『ポッペアの戴冠』(1642)というオペラです。ショスタコーヴィチの約300年前に作られたオペラのルーツとも言うべき作品と『マクベス夫人』がどう関係するのか。
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以下、島田氏による『ポッペアの戴冠』のあらすじを引用しますが、登場人物だけを抜き出すと以下のようになります。時代は古代はローマ帝国です。
皇帝ネロ | |
ネロの妃・オッターヴィア | |
ネロの侍女・ドルジッラ | |
ネロの家庭教師・セネカ | |
ネロに仕える軍人・オットーネ | |
オットーネの妻・ポッペア | |
愛の神 |
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一言でいうと、全く不条理な物語です。不倫をしたオッペアとネロが結ばれ、2人にとってのハッピーエンドで終わる。しかし、セネカが自害させられるという歴史的事実を除いたとしても、"善人" であるはずの妃・オッターヴィア、侍女・ドルジッラ、軍人・オットーネは追放されてしまう。しかも不倫を成就させるのが "愛の神" である ・・・・・・。
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島田氏は「オペラでは、すべてが許される」とし、観客としてオペラを観る意味を次のように書いています。
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島田氏は
オペラは現代人に精神のリハビリテーションを促す儀式 | |
私がオペラを観るのをやめられないのは、自分の感情や本能をつねにギラギラさせておきたいから |
と述べています。「オペラで表現される激しい感情の起伏が、観客に精神のリハビリテーションを促す。オペラではすべてが許される」との主旨を島田氏は書いているのですが、これはまさに『マクベス夫人』でも言えることなのです。
ヴェルディの "救いのないオペラ"
島田氏が『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を紹介した文章の最後に、
どうしようもない救いのなさは、ヴェルディの『運命の力』といい勝負
とありました。実は、島田氏は「オペラ・シンドローム」のなかで、ヴェルディ(1813-1901)の "救いのないオペラ" として『イル・トロヴァトーレ』と『運命の力』を取り上げています。この2つのオペラは、その救いのなさにおいて『マクベス夫人』とそっくりです。ここであらすじの紹介は省略しますが、2つのオペラとも、
不幸なものがより不幸になっていき、最後は死んでしまう | |
生き残ったものには何の救いもない | |
結末は残酷 |
といった内容です。ヴェルディはなぜこのようなオペラを書いたのでしょうか。
実は『運命の力』の初演はイタリアではなく、何と、当時のロシアの首都であったペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)のマリインスキー劇場でした(1862年)。それはヴェルディのオペラがロシアで人気だったことに加え、当時のヴェルディをとりまくイタリアの状況を反映したものです。島田氏は次のように書いています。
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『運命の力』の初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルグで行われたのは、検閲を筆頭とする当時のイタリアの社会情勢があったわけです。そして島田氏は『運命の力』および『イル・トロヴァトーレ』のあらすじを紹介したあとで、オペラを小説と対比させつつ、次のように書いています。
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「ヴェルディの人生は検閲との戦い」というところは、ショスタコーヴィチを思い出させます。ショスタコーヴィチも「芸術家としての思い」と「ソ連共産党からの圧力」という2つの間で苦悩した作曲家だったからです。
そして『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に関していうと、これは支配者の望むであろうハッピーエンドとは真逆の物語です。スターリンがオペラの第3幕が終わった段階で席を立ったのは、ひょっとしたらこのオペラに "隠されたソ連体制批判" を感じ取ったからかもしれません。そいう疑いが出てくるのです。そこを考えるために、このオペラのリブレット(台本)の成立を振り返ってみます。
なぜ『マクベス夫人』をオペラ化したのか
『マクベス夫人』はショスタコーヴィチの2作目のオペラです。第1作目はロシアの文豪・ゴーゴリ(1809-1852)の短編小説『鼻』(1836)をミニ・オペラ化したもので、ストーリーは喜劇的・幻想的なものです。
そして第2作として選んだのが、これもロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1864)でした。ショスタコーヴィチは友人の協力を得つつ、台本も自ら書いています。なぜ彼はこの小説をオペラ化しようと思ったのでしょうか。
この物語は主人公のカテリーナがセルゲイに惚れたことを契機にどこまでも転落していく話です。次々と殺人を犯し、シベリア送りのときにはセルゲイにも見捨てられ、生きる意味を見失って自殺してしまう。希望とか明るさ、活気、楽しさ、喜びなどの感情を全く感じられない陰惨で暗澹たるストーリーです。これはレスコフが生きた帝政ロシアの時代の社会の雰囲気を反映していると考えられます。つまり、
19世紀後半、帝政ロシアの現実の閉塞感と悲劇的な雰囲気を感じる小説
です。ちなみに『ムツェンスク郡のマクベス夫人』において主要な登場人物であるボリス、セルゲイ、カテリーナ(=エカテリーナ)は、3人ともロシア人の最も一般的な名前であることも示唆的です。このような原作を考えると、ショスタコーヴィチは、
帝政ロシアの現実の閉塞感と悲劇的な雰囲気を、ショスタコーヴィチが作曲家として世に出た当時のソ連の政治体制になぞらえた
ということも十分考えられるでしょう。島田雅彦氏はヴェルディの "救いのないオペラ" について、
悲劇的な結末を迎える物語によって「いかにナンセンスであろうと、これが現実なのだ」というメッセージを確信犯的に発信した
と書いていましたが(上に引用)、そのヴェルディと同じことをショスタコーヴィチはやったとも考えられる。
もっとダイレクトに『マクベス夫人』はスターリン批判だと言っている人がいます。ドイツ文学者の中野京子さんです。彼女は美術評論で有名ですが、大のオペラファンであり(大の映画ファンでもある)、次のように書いています。
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ショスタコーヴィチが帝政ロシアの現実の悲劇的な雰囲気を、作曲家として世に出た当時のソ連の政治体制になぞらえただけでなく、中野さんが言うように国家最高権力者への批判を込めたことも十分考えられるでしょう。もちろん、それを匂わすような台詞は一切ありません。これは70年前のロシアの作家・レスコフの小説のオペラ化なのだから ・・・・・・。
その、70年前のロシアの小説のオペラ化が、なぜソ連の政治体制批判になりうるのでしょうか。実は、このオペラはレスコフの小説とは大きな違いがあります。
オペラでは第2幕でカテリーナがセルゲイと2人で夫のジノーヴィを殺してその死体を隠し、次の第3幕ではカテリーナとセルゲイの結婚式の日の話になる。この展開には違和感を感じます。ジノーヴィは外面的には失踪したわけですが、法的な失踪宣告がされて死亡したと見なされ婚姻関係が解消するまでには(従って再婚できるまでには)、たとえば今の日本だと7年かかります。帝政期のロシアがどうだったかは知りませんが、それなりの時間の経過が必要ということは容易に想像できます。つまり第2幕と第3幕の間には比較的長い時間経過があるはずなのに、その説明がなく、ストーリーが破綻しているように感じます。もっとも、こういうことをいちいち気にしていたらオペラの鑑賞はできません。これは小説ではなくオペラです。「オペラではすべてが許される」(島田雅彦)のです。
しかし、レスコフの原作小説は違います。カテリーナの夫、ジノーヴィには、実はフョードルという従兄弟があり(父親のボリスの甥で少年)、ボリスの財産相続権を持っているのです。そのフョードルは親につれられてカテリーナの商家に現れ、一緒に生活を始めます。そして、ボリスの財産を独占できなくなったと悟ったカテリーナは、セルゲイを引き込んでフョードルも殺してしまいます。この少年殺しはすぐに発覚し、それがもとでジノーヴィ殺しもあからさまになり、カテリーナとセルゲイは逮捕されて鞭打ちの刑を受け、シベリア送りになる。これがレスコフの小説です。ストーリーの破綻はありません。オペラの第3幕は、原作にはないショスタコーヴィチの創作です。
さらにもう一つ、原作小説とオペラの違いがあります。オペラでは、カテリーナの舅のボリスが第1幕の最初からカテリーナを見張り、いびって暴言を吐き、抑圧します。カテリーナはこの段階からボリスに殺意を抱く。しかし、レスコフの小説ではこういったボリス像が全くありません。ボリスがカテリーナ(息子の嫁)とセルゲイ(使用人)の密会を発見してセルゲイを鞭打ち(それは当然です)、そのためにカテリーナに毒殺されるのはオペラも小説も同じですが、小説はボリスを陰険で抑圧的な人間として描いているわけではありません。
つまり、ショスタコーヴィチは原作のレスコフの小説に2つの変更を加えました。
カテリーナが私利私欲のためにやった少年殺しをカットする。 | |
舅のボリスを陰険で抑圧的な人間として描く。 |
の2つです。これは物語の根幹にかかわる変更です。この変更によりオペラは、カテリーナを "犯罪者に転落する女" というより "悲劇の主人公" として描くことになった。そして「カテリーナを閉じこめて抑圧するイズマイロフ家」というイメージを作り出した。そのことがソ連の政治体制に見立てることも可能にしたのだと思います。
そしてオペラを観て感じるのは、カテリーナにシンパシー感じるようなドラマの進行であることです。抑圧的なイズマイロフ家に "閉じこめられた" カテリーナは、外面的にはどれほど異常に見えても、周囲から嘲笑されても、身の破滅を省みずに自分の信じる愛に突き進んでいく ・・・・・・。ショスタコーヴィチは、カテリーナをソ連の政治体制の中での音楽家としての自分に重ねたのではと思います。いや、それは不正確で、自分に重ねられるようにレスコフの小説を改変してオペラ化したのだと思います。
オペラの本質を熟知した作品
今までの話の全体をまとめると、ショスタコーヴィチの『マクベス夫人』は "オペラの本質を熟知した作品" だと思います。ショスタコーヴィチがモンテヴェルディを意識したのかは分かりませんが、島田雅彦氏が指摘するように『マクベス夫人』という「おおよそ考えられる範囲で最も不道徳な内容をもつオペラ作品」が、オペラ草創期からの流れにあることは確かでしょう。つまり "道徳を完全に超越した愛の姿" です。
余談になりますが、No.220「メト・ライブのノルマ」でとりあげたベッリーニのオペラ『ノルマ』は、ガリアの被征服民族の巫女の長のノルマが、こともあろうに征服者であるローマの将軍と愛し合って子供までもうけているというストーリーでした。道徳や社会規範とは全く相容れない愛です。
加えてヴェルディです。ヴェルディの作品はロシアで大いに人気があったと言います。それは『運命の力』の世界初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルク(=レニングラード。=サンクトペテルブルク)で行われたことに如実に現れています。ショスタコーヴィチがヴェルディの "救いのないオペラ" に影響されたことは十分に考えられると思います。またイタリア・オペラで言うと『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『道化師』などの、人間や社会の暗部を描いたオペラ(いわゆる "ヴェリズモ")の系譜と考えることもできるでしょう。
さらに、このオペラのストーリーでは、オペラの王道といえる「愛と死」が扱われています。主要登場人物は3人で、その3人を簡潔にまとめると、
好色で陰険で強圧的なカテリーナの舅・ボリス、骨の随まで淫蕩で「女の敵、男のクズ」のセルゲイ、そして、その「女の敵」に一途になり破滅への道をまっしぐらに進むカテリーナ
となるでしょう。「愛」の表現の中心はカテリーナです。自分を強姦したセルゲイに惚れ、それをどこまでも突き通す。シベリア送りの最後の場面でセルゲイに完全に裏切られたと知っても、その怒りは愛人に向けられる。いかにも極端な愛の姿ですが、これこそオペラなのです。一方、男2人(セルゲイ、ボリス)については "好色"、"淫蕩"、"性欲" といった感じで、"愛のダークサイド" や、"むき出しの性" を表現しています。男2人の、少々グロテスクでどぎつい人物像がいかにもオペラ的です。
さらに「死」については、第2幕で2つの殺人が起こり、第4幕で生きる意味がないと悟ったエカテリーナは、第3の殺人を行うと同時に自殺してしまう。そこでオペラは終わりですが、仮にその後を作るとしたら、セルゲイが女をめぐるトラブルから別の囚人に撲殺されるといった展開が似つかわしいでしょう。
また、第2幕では殺されたボリスの亡霊が出てくるし、第4幕の冒頭のシベリア送りになる老囚は、まさに "真っ暗" という感じの "死出の旅" を歌います(上に引用した中野京子さんの文章にある)。とにかくオペラ全体に「死」のイメージが充満しています。
『マクベス夫人』の「愛や性、死」はいかにも極端で、そこで演じられるのは普通の生活ではまず経験しないし、接することもないような激しい人間感情です。しかし観客にとってはそれが「精神のリハビリテーション」(島田雅彦)になる。そういう意味でも『マクベス夫人』はオペラの王道を行った作品だと言えるでしょう。
以上のようにドラマとしては19世紀までのオペラの「王道」ですが、しかし音楽は違います。このオペラの音楽はまさに20世紀音楽であり、不協和音もあれば、アリアでも半音階的進行が多用されます。
『マクベス夫人』の音楽の最大の特長は、オーケストラと舞台が完全に一体化してドラマが進んでいくことでしょう。その端的な例ですが、このオペラには暴力的なシーンがいくつかあります。第1幕第2場でイズマイロフ家の使用人たちが女使用人のアクシーニャを輪姦しようとするシーンや、有名な第1幕第3場のレイプ・シーン、第2幕第1場でボリスがセルゲイを鞭打つシーンなどです。これらのシーンでオーケストラは、激しくグロテスクなリズムの、扇情的で野蛮な音楽をせき立てるように演奏します。音楽でシーンそのものを描こうとしているようであり、またある種の映画における音楽の使い方と似通ったものも感じます。このあたりはショスタコーヴィチの独壇場と言っていいでしょう。オーケストラを駆使する能力が際だっています。
もちろんこういった "激しい" 音楽だけでなく、第1幕第3場でカテリーナが自分の不運を嘆くアリアとか、第2幕第1場でボリスが毒殺されたあとの第2場へと続くパッサカリア風の荘厳な間奏曲(「悲劇の幕は開いた!」という感じの音楽)など、聴き所はいろいろあります。
音楽はいかにもショスタコーヴィチ的であり、ドラマはオペラの王道 ・・・・・・。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ショスタコーヴィチが最もやりたかった作品であり、会心作だと思います。
この『マクベス夫人』が共産党機関誌・プラウダに痛烈に批判されたのです。その「プラウダ批判」と、それを受けて作曲された交響曲第5番のことは次回にします。
(次回に続く)
2020-04-04 13:04
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No.281 - ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」 [音楽]
今回は「音楽家、ないしは芸術家と社会」というテーマです。No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたことを振り返ると、次のようなことでした。
アメリカの聴衆からは好評だったにもかかわらず、なぜ批評家から酷評されたかというと、「20世紀音楽でなく、旧態依然」と見なされたからです。
20世紀前半の音楽というと、オーストリア出身のシェーンベルクやベルク、ウェーベルンが無調性音楽や12音音楽を作り出しました。またヨーロッパの各国では、ヒンデミット(独)、バルトーク(ハンガリー)、ミヨー(仏)、ストラヴィンスキー(露→仏・米)などが独自の新しい音楽を作っていました。もちろんそこには無調性音楽の影響もあった。それらに比べるとコルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」は "芸術音楽" とは見なされなかったということでしょう。しかし、次の2つのこと、
は同じではありません。20世紀の作曲家は多かれ少なかれこの2つの折り合いをどうつけるか、その葛藤があったはずです。
旧ソ連の作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)においては、この「葛藤」が鮮明でした。というのも、普通、作曲家にとっての "社会" とは、音楽の聴衆である一般市民とメディア(批評家や音楽産業)ですが、旧ソ連の場合のメディアとは、すなわち共産党独裁政権だったからです。そこでは芸術が政治と不可分の関係にあった。ショスタコーヴィチにとっては、その状況下で自らが信じる芸術をどう実現するかという戦いがあったわけです。
2020年1月16日に、ショスタコーヴィチの交響曲第7番についてのドキュメンタリー番組がTV放映されました。この番組は、芸術と社会の関係について深く考えさせられるものでした。そこで番組内容を以下に紹介し、最後に所感を書きたいと思います。
レニングラード交響曲
ショスタコーヴィチの交響曲第7番に関するドキュメンタリー番組の名前は、
です。交響曲第7番は "レニングラード" という副題で呼ばれるので、この番組タイトルがあります。実はこの番組は、2019年1月2日に放映されたものの再放送だったのですが、2019年の時は全く知りませんでした。今回は録画をしたので、その内容を以下に紹介します。ショスタコーヴィチの交響曲第7番の作曲の経緯と、その世界への広がりを扱ったドキュメンタリーです。以下の(注)は番組にはなかった補足です。
早熟の天才、ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチは1906年、レニングラード(現、サンクトペテルブルク)に生まれました。1919年、13歳で地元の名門音楽校、ペテルブルク音楽院に進学します。音楽院の学長が「過去最高」と絶賛した早熟の天才でした。
ショスタコーヴィチはピアノを学ぶ一方、作曲にズバ抜けた能力を発揮します。彼が音楽院の卒業制作として18歳で作曲した交響曲第1番は高く評価されました。ベルリン・フィルも演奏したほどです。
そのあとも、交響曲第2、第3番、第4番と、西ヨーロッパの影響を受けたモダンで斬新な作風がソ連の音楽会に新風を吹き込みました。
サッカーを愛したショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチがレニングラードで最も愛した場所は、サッカースタジアムであるペトロフスキー・スタジアムでした。彼はここに通いつめます。
大粛清とショスタコーヴィチ
最高権力者として君臨してたスターリン(ソ連共産党書記長)が大粛清を進めたのは1930年代半ばでした。国家に刃向かったとして、政府関係者、軍人、芸術家、文化人のおよそ140万人が逮捕され、70万人近くが処刑されました。その刃はショスタコーヴィチにも向けられたのです。
レニングラードにドイツ軍が迫ったは、交響曲第5番を発表した数年後でした(注:第5番の初演は1937年。独ソ戦の開始はその4年後)。
レニングラード包囲戦
1941年6月22日、ソ連と不可侵条約を結んでいたドイツが奇襲攻撃をかけ、独ソ戦が始まりました。ドイツ軍はほどなくレニングラードに迫り、レニングラード包囲戦になります。開戦2ヶ月でレニングラード市内への砲撃も始まりました。
レニングラードピスカリョフ墓地の資料館には、ヒトラーの命令書の現物が展示されています。そこには「レニングラードの街を地球上から消滅させる」とあります。この宣言はドイツのラジオで全ヨーロッパに向けて放送されました。
レニングラードがドイツ軍に包囲されたのは、その特異な地形によります。北はナチスの影響下にあるフィンランド軍の支配地域です。西はバルト海、東はラトガ湖です。南から来たドイツ軍が街を包囲したのです。
疎開する市民が多いなか、ショスタコーヴィチは妻と子供2人とともにレニングラードにとどまりました。
そしてショスタコーヴィチはレニングラードのラジオ局(ドム・ラジオ)に行き、ラジオでスピーチをしました。その音源は今でも残っています。
交響曲第7番を書き上げて市民に届ける。その目的でショスタコーヴィチは街にとどまっていました。そのかたわらショスタコーヴィチは街の消防隊に参加しています。彼は自ら街を守ろうとするほどにふるさとを愛していました。
その、まだ書き上がってもいない交響曲第7番に目をつけたのがスターリンでした。ショスタコーヴィチがラジオでスピーチをした直後、ショスタコーヴィチは政府によってレニングラードから連れ出されてしまいます。安全な場所で第7番を完成させるようにとの指示です。場所は、モスクワの東方、レニングラードからは1300kmも離れたクイビシェフ(注:現在のサマーラ。独ソ戦当時はソ連の臨時首都の候補)という街でした。第7番をめぐって国家が動きだしたのです。
死の街、レニングラード
1941年9月8日、ドイツの爆撃機が初めてレニングラードに飛来し、食料備蓄倉庫を爆撃しました。ヒトラーはレニングラードを飢え死にさせようとしていました。
1941年10月、例年になく早い初雪が降りました。そして、その冬のレニングラードは地獄絵図となります。犬猫を食べるのはもちろん、壁紙をはがして小麦粉から作られている糊を食べる人もいました。道路には行き倒れの死体が放置され、人肉を食べて逮捕された件数は300を越えたと言います。
独ソ戦でドイツ軍は奇襲攻撃のあとに進撃を続け、1942年4月の時点では、一時、モスクワの10数キロに迫るという勢いでした、ソ連政府としてもレニングラードに援軍を送る余裕はありませんでした。
交響曲第7番の完成
1941年末、ショスタコーヴィチはクイビシェフで第7番を完成させます。彼はスコアの表紙に「レニングラードの街にささげる」と書き添えました。
1942年3月、クイビシェフで交響曲第7番の初演が行われます。プラウダは「ファシズムに対するロシア民族の戦いと勝利を描いている」と高く評価し、世界に向けて宣伝しました。ショスタコーヴィチは政府の宣伝映画に出演しましたが、そこで彼は、
と語り、第1楽章をピアノで演奏しました。第7番の利用価値を熟知していたスターリンには、たくらみがありました。スターリンはショスタコーヴィチに対し「スターリン賞 第1席」(国家最高賞)を与えましたが(注:1942年1月)、それは第7番の価値を高めるためでした。
アメリカ
そのころアメリカでは、ルーズベルト大統領が戦時下を理由に史上初の3選目に入っていました(1941年1月~)。またアメリカは真珠湾攻撃(1941年12月)を契機として第2次世界大戦に参戦しました。
交響曲第7番がソ連で初演された当時、ルーズベルトには悩みがありました。アメリカはソ連に対して無償の武器援助をしていましたが、「ソ連に利用されるだけだ、サンタクロースはやめよう、見返りを求めよう」という意見が政府内部にも高まり、また世論でも高まっていたのです。
ルーズベルトの決断以来、戦闘機、戦車、トラックなど、膨大な量の武器や軍需物資がソ連に送られました。費用はすべてアメリカの負担です。スターリンにとっては願ってもないプレゼントであり、それがドイツ軍と戦うための生命線でした。
しかしアメリカ国民にとって共産主義は脅威であり、以前からソ連を敵視していました。世論調査では、ソ連への援助に賛成は35%であり、反対は54%にもなったのです。
大局的見地からソ連への援助が必要と考えていたルーズベルトは、これまで以上に慎重にことを進める必要がありました。また次の選挙に向けて世論を味方につけたいとの思いもありました。
クイビシェフで初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番のことはアメリカにも伝わっていました。その第7番のアメリカ初演で世論を味方につける、それがルーズベルトの考えたことでした。スターリンのもくろみは「第7番でアメリカの世論を変え、ソ連への共感を広げる」ことです。水面下でアメリカとソ連は手を結んだのです。
ソ連政府は第7番のスコアをマイクロフィルムに収め、アメリカに送ることにします。アメリカとソ連の両政府は共同で、ドイツ軍を避けならが密かにフィルムの輸送する作戦を行います。
時を同じくして、モスクワでは交響曲第7番の2回目の演奏会が開催されました。
トスカニーニによる第7番のアメリカ初演
交響曲第7番の252ページのスコアはマイクロフィルムに収められ、ドイツ軍を避けつつ、アメリカに輸送されました。ソ連を出発したフィルムは、テヘラン → カイロ → アフリカ大陸横断 → 大西洋横断 → ブラジル → マイアミ、というルートでアメリカに輸送されました。そして1942年5月30日、アメリカ国務省に到着しました。
初演コンサートの開催を任されたのは、音楽プロモータのユージーン・ワイントロウブでした。彼はカーネギーホールのすぐそばのアム・ラス・ミュージック社でロシア音楽に関する著作権を一手に扱っていました。彼は、まるでスパイ映画のような輸送ルートを宣伝に使います。
そして第7番のアメリカ初演には3人の大指揮者が名乗りをあげ、これもメディアで格好の話題になりました。
・セルゲイ・クーセヴィツキー
・レオポルド・ストコフスキー
・アルトゥール・ロジンスキー
の3人です。しかし、ワイントロウブの考えは違いました。第7番で一儲けするための最高の指揮者として彼が選んだのは、アルトゥーロ・トスカニーニです。トスカニーニは、ナチスと手を組んだ祖国イタリアを嫌い、アメリカに亡命した指揮者です。反ファシズムの曲として第7番を売り出すには、これ以上ない人選でした。
ワイントロウブのもくろみ通り、第7番はアメリカで大ブームを巻き起こします。アメリカの「タイム」誌は、レニングラードの消防団の写真をもとにショスタコーヴィチの肖像画を描き、表紙に使いました。ナチスと戦う英雄としてショスタコーヴィチを紹介したのです。
1942年7月19日、マンハッタンのNBCスタジオで、ショスタコーヴィチの交響曲第7番のアメリカ初演が、トスカニーニ指揮・NBC交響楽団の演奏で行われました。これはラジオで全米生中継され、メディアの反応は爆発的でした。
などの見出しが紙面に踊ったのです。第7番は、その後数ヶ月の間にアメリカ全土で62回のコンサートが行われ、演奏を流したラジオ局は2000に上りました。熱狂のすざましさを、ある雑誌は、
とまで書いています。ショスタコーヴィチと第7番は社会現象になったのです。ショスタコーヴィチの伝記を書いたアメリカ人作家のM.T.アンダーソンは次のように分析します。
そして第7番は、何と、ヨーロッパの戦地に赴くアメリカ人兵の慰問コンサートでも演奏されました。その冒頭でスピーチに立ったのはソ連大使夫人です。「ともに戦いましょう」というロシア人の言葉にアメリカ兵たちは熱狂しました。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番のアメリカ初演は国家がしかけた物語でした。世論を味方につけたルーズベルトは、その後の4度目の大統領選挙(1944年11月)にも勝利します。そしてアメリカからソ連へのの武器・軍事物資の支援は続き、スターリンは独ソ戦に勝利します。これこそ、スターリンが利用した「音楽の力」でした。
レニングラード・ラジオ・シンフォニー
レニングラードには、地元のラジオ局である「ドム・ラジオ」所属のオーケストラ、レニングラード・ラジオ・シンフォニーがありました。このオーケストラは1931年に設立され、指揮者のカール・エリアスベルクに率いられて多くの演奏会を開いていました。レニングラード攻防戦の当時、街に残った(=疎開できずに取り残された)唯一のオーケストラでした。
しかし楽団員の多くは徴兵され、また徴兵されなかった者も軍需工場での労働や塹壕堀りに駆り出されました。さらに、レニングラードの共産党指導部は音楽を中止すると決定し、オーケストラは活動休止になってしまいます。ドム・ラジオも放送休止になり、ラジオからはメトロノームの音だけが流れていました。
そのメトロノームの音が小さな奇跡を生み出します。レニングラードの総司令部のトップ、アンドレイ・ジダーノフは、ドイツ軍に完全包囲されて追い込まれていました。そしてラジオのメトロノームの音を聴いていらだった彼は「音楽でも放送しろ」と命令したのです。
エリアスベルクたちは、共産党の芸術局に呼び出されました。そしてオーケストラの再開要請を受けました。楽団員不足で再開は無理というエリアスベルクに対し、芸術局は「すぐでなくてもよいから、再開を」とのことです。
エリアスベルクたちは、レニングラード在住の音楽家を新たに集め、残った楽団員とともに大変な苦労をしてオーケストラの練習を再開しました。食料不足とエネルギー不足の中での練習は大変でしたが、1942年4月5日、久しぶりのコンサートにこぎつけます。ラジオでの音楽放送も再開しました。
交響曲第7番のレニングラード初演
モスクワでショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏会があったことは、ラジオ・シンフォニーの楽団員にも届いていました。ラジオ・シンフォニーの音楽監督、バープシキンはエリアスベルクに「第7番をやりたい」と相談を持ちかけます。エリアスベルクは即答をためらいました。ショスタコーヴィチの曲はどれも複雑で高度な技術が必要だったからです。
バープシキンは「スコアは何とか手に入れる」と言い、「レニングラードに捧げるとショスタコーヴィチがラジオで言ったことを皆が覚えている」と、エリアスベルクを説得します。
交響曲第7番のスコアは、1942年7月2日にソ連空軍の飛行機で運ばれてラジオ局に届きました。エリアスベルクは届いたスコアを見て、演奏は無理だと思いました。100~120人の演奏家が必要なスコアだったからです。それでもエリアスベルクは80人でやろうとしました。しかし80人には、まだ20人以上足りません。
そこでエリアスベルクたちは、徴兵された元楽団員から届いた手紙を調べました。手紙には軍事郵便番号が書かれているので、元楽団員がどの部隊にいるのか特定できるのです。そして、レニングラードの軍指令部にかけあい、元楽団員の帰還を説得しました。初めは難色を示していた軍指令部も、トップのジダーノフも賛成するはずとエリアスベルクが言うと認めてくれました。
第7番のレニングラード初演は、1942年8月9日に決まりました。これはラジオで繰り返し宣伝されました。これがラジオを傍聴していたドイツ軍に伝わります。ドイツ軍はレニングラード軍司令部のジダーノフに、初演と合わせるかのように「8月9日にレニングラードの占領攻撃を開始する」と通告してきました。
1942年8月9日、エリアスベルクたちの演奏会の日です。会場は、レニングラードで最も格式のあるコンサートホール、レニングラード・フィルハーモニアです。1500人収容の客席は、市民たちで埋め尽くされました。夜7時に幕が上がりました。
第7番の演奏はラジオで生中継されただけでなく、街角のスピーカを通してレニングラード市内に流されました。またスピーカーは前線にも設置され、それは戦場のドイツ軍にも流れていきました。その音を聴いたあるドイツ兵は、戦後に次のように語ったといいます。「あの曲を聴いた時、私たちには絶対、レニングラードを倒せないと思いました」。
結局、ドイツ軍の砲弾が演奏会場に届くことはありませんでした。当日、レニングラードを防衛する兵士たちは、ありったけの砲弾を集めてドイツ軍に先制攻撃をしかけていたのです。
演奏会の終了後、エリアスベルクは一人の少女から花束を贈られました。家族で育てた花だと言います。添えられたカードには「レニングラードの音楽をお守りくださり、ありがとうございます」とあります。エリアスベルクは、食べ物も満足に得られないなかで花を育てる人がいることを知りました。少女の母親は少女に次のように言ったそうです。「たとえ何が起きても普通の生活を忘れないように」。
市民の証言
実際に演奏を聴いたタマラ・コーロレケーヴィチさん(98歳)は、番組のインタビューに次のように答えています。
レニングラード戦争博物館のオリガ・プロートゥ館長は、生前の楽団員から聴いた話を人々に伝えています。彼女は次のように語ります。
レニングラード解放
交響曲第7番のレニングラード初演から1年半後の1944年1月、ソ連軍はドイツ軍に攻勢をかけ、レニングラードを完全に解放しました。この間、320万人のレニングラードの人口のうち67万人が死ぬという膨大な被害が出ましたが、残った市民は900日の包囲戦を生き抜いたのです。
演奏会から20年の時を経て、レニングラード・ラジオ・シンフォニーの面々が再び集まった写真があります。そこにはショスタコーヴィチの姿もありました。
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番の意味
以下は番組を見た感想です。この番組は音楽についてのいろんな思いを想起させるものでした。それを何点かに分けて書きます。
ショスタコーヴィチが交響曲第7番を書いた第1義の目的は「レニングラード市民に、市民の為に新たに書いた音楽を届ける」ことでした。それは彼がラジオのメッセージで言っていた通りであり、その目的はエリアスベルクの演奏会とその市内実況中継で十分に達成されたようです。
番組のなかで、この演奏会を直接・間接に聴いた人たちの発言にあったように、演奏会の "効果" は一言で言うと「普通の生活」ということでしょう。ドイツ軍に完全包囲されて餓死者が続出する中での「普通の生活」は、まずできません。しかし演奏会は人々に "普通" を思い起こさせた。時には演奏会に行き、場合によっては自宅の花壇から花束を造って演奏者に届ける。それが普通です。また、飢えている人を見かけたらパンをあげる、それが普通ですが、全員が飢えている中で自分よりも "ひもじい" と見える人にパンをあげるのは容易ではない。よほど強い心がないとそれはできない。しかし、その強い心は平時では普通なのです。
その「普通の心」を音楽が呼び覚ました。音楽が人々の心に与える影響は時としてものすごく強いのです。しかもその音楽は、レニングラード市始まって以来の音楽の天才がレニングラード市民の為に書いたものだった。このことは聴衆に強烈なインパクトを与えたに違いありません。
交響曲第7番が「過酷な状況にあるレニングラード市民への贈り物」だったことは間違いないのですが、さらにこの曲は「ファシズムと戦って勝利するレニングラード」という意図で書かれたとされています。第7番が完成したときの政府の宣伝映画でショスタコーヴィチは「ファシズムと戦い、その勝利を信じて、この作品を捧げる」と言いました。もちろんそう言うしかない状況ですが、本当はどうなのか。「ファシズムと戦って勝利する」意図だと思って聴けば、それらしく聞こえることは確かですが、ショスタコーヴィチの意図は何でしょうか。
NHK交響楽団の首席指揮者で、世界的指揮者のパーヴォ・ヤルヴィは番組で次のように語っていました。
その「巨大な悪」に人々が勝利するイメージに向かって曲は進んで行くとヤルヴィは言います。
要約すると、
ということでしょう。ヤルヴィは「ファシズム」とは言わずに「巨大な悪」と言っています。ヤルヴィは旧ソ連のエストニア出身です。彼の言う「巨大な悪」にはスターリン体制を含んでいるのは間違いありません。。
このことに関連して、番組では次のような話が紹介されました。第7番が完成したとき、クイビシェフでショスタコーヴィチと同じマンションに住んでいた知人の女性、フローラ・リトヴィノヴァは回想録を書いたのですが、そこには第7番の完成を祝う席で、宴が終わったあとのショスタコーヴィチとフローラの会話が記されています。
こういう回想録には注意が必要です。どうしても著者の主観が入り込むし、記憶違いがあるかもしれない。ショスタコーヴィチの言葉そのものではなく、著者が(善意で)解釈した結果かもしれない。もし「第7番はファシズムやソ連を含むすべての全体主義を描いた」のなら「ファシズムとの戦うための第7番」であると同時に「スターリン体制(ないしは共産主義体制)と戦うための第7番」にもなってしまいます。こんなことが外に漏れたらソ連政府の面目は丸潰れであり、ショスタコーヴィチの命は危うくなるでしょう。いくらショスタコーヴィチがフローラを信用したとしても、こんなことを他人に言うものでしょうか。
詮索しても無駄なので、とりあえず第7番は「全体主義(狭義にはファシズム、広くはスターリン体制を含む)に立ち向かう姿を描いた」ものとしましょう。しかし、作曲者の意図がどうであれ、一つの音楽をこのように受け取ることは非常に "あやうい" と思います。
事実、第7番は番組で詳述していたように、スターリンとルーズベルトによって(=ソ連政府と米国政府によって)政治的に利用され、その経緯が番組の大きな軸でした。ここで、ナチス・ドイツという「巨大な悪」との戦いに勝利するためだからいいのでは、と思うのは甘いのです。番組の中でパーヴォ・ヤルヴィは次のような的確なコメントを述べていました
その、もう一人の "賢い政治家" だったヒトラーは誰の音楽をどういう風に利用したのか。それは、よく知られているようにワーグナーの音楽です。
ヒトラーがワーグナー好きということもあって、ナチスはワーグナーの音楽を政治集会や宣伝映画で徹底的に使いました。それはドイツ民族(ナチスの言うゲルマン民族)の優秀性とも関連づけられ、ユダヤ人排斥にも利用された。『ローエングリン』の第3幕にドイツ国王、ハインリヒの言葉として次があります。
『ローエングリン』はドイツの西のはずれ、ブラバント公爵領の話であり、ハンガリー軍を迎え撃つ軍団の組織化を訴えるために国王が公爵領に来るのが背景となっているオペラです。従って上に引用したような発言になるのですが、ナチスはそいういうところも巧みに利用しました。
確かにワーグナーは "ユダヤ人嫌い" だったようですが、反ユダヤの考えはキリスト教が西洋に定着した頃から根強くありました。ナチスによる "ユダヤ人狩り" も、ドイツおよびドイツ占領下の国々(オーストリア、フランス、オランダなど)の一般市民の自発的な協力のもとに行われました。ヨーロッパ人としてワーグナーが特別だったわけではありません。しかもワーグナーの作品の中に反ユダヤのメッセージがあるわけではないのです。
しかし、ナチスの政治利用によってワーグナーの音楽はイスラエルでは長年にわたってタブーとなりました。ワーグナーの音楽を「ドイツ民族の優秀性を示す音楽だから、そう聞きなさい」と命令されて聴けば、そう思えるわけです。音楽は人間の感情に直接的に働きかけるので、そうなってしまう。音楽の怖いところです。
結局のところ、スターリンとルーズベルトにとっての第7番と、ヒトラーにとってのワーグナーは、同じことの表と裏です。
番組で紹介されたように、第7番は第二次世界大戦中に、ヨーロッパ戦線に出征するアメリカ兵の慰問コンサートでも演奏されました。しかし戦後、冷戦の時代になると、第7番は「ソ連のプロパガンダである愚作」という評価にもなった。同じ曲が「ファシズムと戦う曲」から「プロパガンダの愚作」になってしまう。これが、音楽を政治利用すること、もっと広く一般化すると「音楽の力」を信じることの "あやうさ" だと思います。
もう一度、第7番を別の視点から振り返ってみます。確実に言えることは、これは異常な状況下で作られた音楽だと言うことです。自分のふるさとであり現に居住している街が敵の軍隊に完全包囲され、明日どうなるかもわからないとう状況は、人間が一生に一度あるかないか、ほとんどの人はそういう経験をしない状況です。その異常な状況下で "やむにやまれず(ないしは、いてもたってもいられず)作った音楽"、レニングラード市民に届けるという明確な目的のもとに作った音楽が第7番だった。
このことが第7番を、ショスタコーヴィチにしては異質な音楽にしていると思います。番組では、第7番の演奏はヤルヴィ指揮のNHK交響楽団で、ほんの "さわり" しかありませんでしたが、私自身はこの音楽を高校生の時から聞いています。第7番の音楽の特色を一言で言うと、
ということです。まず、明確で親しみやすく、耳に残りやすい主題がいろいろあります。第1楽章の冒頭の主題(レニングラードを表すものでしょう)や、第1楽章の途中から執拗に繰り返され、次第に轟音となっていく行進曲風の主題(敵の軍隊を表すものでしょう)がその典型です。他にもいろいろある。
和声は19世紀末音楽という感じであり、20世紀音楽という感じはしません。ショスタコーヴィチ特有の斬新さや革新性はあまりない。上に引用したように、パーヴォ・ヤルヴィは「ショスタコーヴィチ特有の洗練さとはかけ離れた音楽」と言っていますが、その通りです。
その理由は、この音楽が「レニングラード市民に届ける」という目的だからと推察します。レニングラード市民といってもいろいろのはずです。音楽の好みから言っても、ショスタコーヴィチが好きな人もいればべートーベンが好きな人もいるだろうし、そういったたぐいの音楽は聞かず、いわゆるポピュラー・ミュージックしか聞かない人もいるはずです。「市民に届ける」ためにはできるだけ分かりやすい音楽にする必要がある、そういうことだと思います。
加えてこの曲は、ショスタコーヴィチにしては "冗長" という感じがします。第1楽章と第4楽章だけを聞いていると、レニングラードの街とそこに迫り来る敵軍隊、市民の苦しみ・悲しみ・祈りと、それを突き抜けて勝利へという感じがしなくもないが、では第2楽章・第3楽章はどうなのか。演奏には1時間10分程度もかかりますが、果たしてそこまで必要なのか。
"冗長" が悪いと言っているのではありません。このブログで書いた例で言うと、村上春樹さんは、シューベルトのピアノソナタの中では「第17番二長調」が最も好きだと語っていました(No.236「村上春樹のシューベルト論」)。この曲はシューマンが「天国的に冗長」と評した曲です。また交響曲で言うと、マーラーには "冗長な" 交響曲がいろいろあります。しかし私が最も好きなマーラーの交響曲は、一般には冗長と言われている曲です。
しかし、普通のショスタコーヴィチの音楽は、もっときびきびしていて、筋肉質で、構造的にもコンパクトなものです。それと比べると冗長である、そういうことです。
全体をまとめると、第7番はショスタコーヴィチにしては異質な音楽です。作曲家の持っている個性が希薄です。もっと言うと第7番は、あえて作曲家本来の芸術性を殺して作った音楽でしょう。
第7番はショスタコーヴィチが(レニングラードが置かれた状況下で)是非ともやりたかった音楽だったけれど、ショスタコーヴィチがやりたかった芸術ではないと思います。だからこそスターリンが気に入ったし、プラウダは絶賛したし、ヨーロッパに出征するアメリカ兵まで熱狂した。
"音楽の力" という落とし穴
本来、音楽をどう受け取るか、聴いて何を思うかは聴く人に任されているはずです。もちろん音楽を聴いて多くの人が同様の感情を持つことがあります。つまり、
などの感情、ないしは音楽を聴いて受ける感じです。作曲家はそういう感情を喚起する意図で曲を作る場合も多いでしょう。しかし、こういった感情を超えたレベルの "物語" をどう描くかは、音楽を聴いた人それぞれの個別の問題のはずです。第7番を、
と考えるのは、まずいわけではありませんが、それはあくまで一つの物語です。これをもっと一般化して、
という風にとらえると、それは「病気を克服する物語」でもいいし「困難な仕事に立ち向かう物語」でもよいはずです。しかしそれもまた一つの物語に過ぎません。
私はショスタコーヴィチの第7番を高校生の頃から聴いていますが、その頃からどうしてもドイツ軍(またはファシズム)と戦う曲だとは思えなかった。それは今でも続いています。
上に引用した指揮者のヤルヴィの言葉に「巨大な悪」を描いたとありましたが、同時に「第7番は謎」ともありました。なぜ「謎」なのかを推察すると「ファシズムと戦う曲」という先入感があるから謎めいて感じるのだと思います。ヤルヴィは旧ソ連のエストニア出身なので、どうしてもバイアスがかかってしまうのでしょう。
思うのですが、第7番はショスタコーヴィチが、自分のふるさとであり愛する街であるレニングラードの全体像を描いたのではないでしょうか。もちろんその全体像の中では「ドイツ軍に完全包囲されたレニングラードと、敵との戦い」が大きな比重を占めています。しかしそれだけではない。レニングラードの町並みや自然、人々の普通の生活、そこでの市民同士の交歓など、ショスタコーヴィチが愛している多くのものが表現されていると感じます。
番組では「音楽の力」が何回か使われていました。「音楽の力で ・・・・・・ する」という表現です。しかし「音楽の力」によって一定の物語を作り出せると信じることはすべきでないと思います。第7番についての、
という2つの極端に違う評価は、「音楽の力」を信じることによる必然の帰結です。
ちょっと唐突ですが、ミュージシャンの坂本龍一さんは、東日本大震災の被災3県の子供たちで作る「東北ユースオーケストラ」を組織し(2014年)、その音楽監督を努めています。先日の新聞に、新聞記者が坂本さんにインタビューした記事があり、そこに「音楽の力」が出てきました。引用してみます。
坂本さんは「音楽は好きだからやる、それを聞いてくれる人や一緒にやってくれる人がいると楽しい、それに尽きる」という意味の発言もしていました。
坂本さんのこの考えは、極めてまっとうだと思います。ショスタコーヴィチの交響曲第7番を描いたNHK BSの番組は、よい意味でも(=レニングラード市民を鼓舞する)、また悪い意味でも(=ソ連とアメリカによる政治利用)「音楽の力」をテーマにしようとしたのでしょうが、そもそもそういうレベルの議論がおかしい。番組の中で交響曲第7番のレニングラード初演を実際に聞いた人が「普通の生活、普通の心を取り戻せた」という主旨の発言をしていましたが、まさにそれこそ交響曲第7番の演奏会の効果だったし、音楽が果たす役割だったと思いました。
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と『交響曲第5番』
ところで話は変わるのですが、「芸術と社会の関係」について第7番と同じように(いや、それ以上に)気になったショスタコーヴィチの作品があります。番組に出てきたオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と『交響曲第5番』です。
番組の最初の方のショスタコーヴィチの経歴の紹介の中で「スターリンはマクベス夫人を気に入らす、すぐさまプラウダ紙は批判を展開した。ショスタコーヴィチはそれに答える形で交響曲第5番を書いた」とありました。そのことですが、長くなるので次回に書きます。
本文中に書いたように、1941年3月、米国のルーズベルト大統領は「レンドリース法」を成立させました。アメリカの防衛にとって重要な国、あるいは大統領が重要だと判断した国に対し武器など軍需物資を援助できるという法律です。そしてドイツがソ連に侵攻すると、ルーズベルト大統領はその法律をソ連にも適用し、軍需物資の支援を行うと決断しました。ルーズベルト大統領の決断以来、戦闘機、戦車、トラックなど、膨大な量の武器や軍需物資がソ連に送られました。費用はすべてアメリカの負担です。ソ連にとっては願ってもないプレゼントであり、それがドイツ軍と戦うための生命線となりました。
その81年後の 2022年5月9日、米国のバイデン大統領は新たな「レンドリース法」に署名しました。それを報じた日本経済新聞を引用します。
記事で「武器貸与法」としてあるのは、正式名称は、
です。81年前にドイツと戦うためにソ連に武器供与を可能にしたのと同様の法律が、今度はロシアと戦うためにウクライナに武器供与をする法律として成立したわけです。両者の共通点は、独裁者かつ侵略者と戦うための武器供与という点です。
ウィーンで活躍した作曲家のコルンゴルト(チェコ出身。1897-1957)は、ユダヤ人迫害を逃れるためアメリカに亡命し、ロサンジェルスに住んだ。 | |
コルンゴルトはハリウッドの映画音楽を多数作曲し、アカデミー賞の作曲賞まで受けた(1938年)。 | |
彼はその映画音楽から主要な主題をとって「ヴァイオリン協奏曲」を書いた(1945年)。この曲はコルンゴルトの音楽のルーツであるウィーンの後期ロマン派の雰囲気を濃厚に伝えている。この曲は50年前の1895年に書かれたとしても全くおかしくない曲であった。 | |
「ヴァイオリン協奏曲」はハイフェッツの独奏で全米各地で演奏され、聴衆からの反応は非常に良かった。 | |
しかしアメリカの音楽批評家からは「時代錯誤」、「ハリウッド協奏曲である」と酷評された。またヨーロッパからは「ハリウッドに魂を売った男」と見なされ評価されなかった。 |
アメリカの聴衆からは好評だったにもかかわらず、なぜ批評家から酷評されたかというと、「20世紀音楽でなく、旧態依然」と見なされたからです。
20世紀前半の音楽というと、オーストリア出身のシェーンベルクやベルク、ウェーベルンが無調性音楽や12音音楽を作り出しました。またヨーロッパの各国では、ヒンデミット(独)、バルトーク(ハンガリー)、ミヨー(仏)、ストラヴィンスキー(露→仏・米)などが独自の新しい音楽を作っていました。もちろんそこには無調性音楽の影響もあった。それらに比べるとコルンゴルトの「ヴァイオリン協奏曲」は "芸術音楽" とは見なされなかったということでしょう。しかし、次の2つのこと、
芸術が「革新性」や「独自性」、「何者にも似ていない個性」をもつこと | |
芸術が社会に受け入れられること |
は同じではありません。20世紀の作曲家は多かれ少なかれこの2つの折り合いをどうつけるか、その葛藤があったはずです。
旧ソ連の作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)においては、この「葛藤」が鮮明でした。というのも、普通、作曲家にとっての "社会" とは、音楽の聴衆である一般市民とメディア(批評家や音楽産業)ですが、旧ソ連の場合のメディアとは、すなわち共産党独裁政権だったからです。そこでは芸術が政治と不可分の関係にあった。ショスタコーヴィチにとっては、その状況下で自らが信じる芸術をどう実現するかという戦いがあったわけです。
2020年1月16日に、ショスタコーヴィチの交響曲第7番についてのドキュメンタリー番組がTV放映されました。この番組は、芸術と社会の関係について深く考えさせられるものでした。そこで番組内容を以下に紹介し、最後に所感を書きたいと思います。
レニングラード交響曲
ショスタコーヴィチの交響曲第7番に関するドキュメンタリー番組の名前は、
音楽サスペンス紀行 |
です。交響曲第7番は "レニングラード" という副題で呼ばれるので、この番組タイトルがあります。実はこの番組は、2019年1月2日に放映されたものの再放送だったのですが、2019年の時は全く知りませんでした。今回は録画をしたので、その内容を以下に紹介します。ショスタコーヴィチの交響曲第7番の作曲の経緯と、その世界への広がりを扱ったドキュメンタリーです。以下の(注)は番組にはなかった補足です。
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画像は「音楽サスペンス紀行 ショスタコーヴィチ 死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム 2020年1月16日)から。以下同じ。 |
早熟の天才、ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチは1906年、レニングラード(現、サンクトペテルブルク)に生まれました。1919年、13歳で地元の名門音楽校、ペテルブルク音楽院に進学します。音楽院の学長が「過去最高」と絶賛した早熟の天才でした。
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ペテルブルク音楽院に入学した当時のショスタコーヴィチ |
ショスタコーヴィチはピアノを学ぶ一方、作曲にズバ抜けた能力を発揮します。彼が音楽院の卒業制作として18歳で作曲した交響曲第1番は高く評価されました。ベルリン・フィルも演奏したほどです。
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そのあとも、交響曲第2、第3番、第4番と、西ヨーロッパの影響を受けたモダンで斬新な作風がソ連の音楽会に新風を吹き込みました。
第4番の交響曲(1936)は、あとで出てくる "プラウダ批判" のためにショスタコーヴィチ自身が初演を取り下げました。初演は4半世紀後の1961年です。 |
サッカーを愛したショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチがレニングラードで最も愛した場所は、サッカースタジアムであるペトロフスキー・スタジアムでした。彼はここに通いつめます。
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大粛清とショスタコーヴィチ
最高権力者として君臨してたスターリン(ソ連共産党書記長)が大粛清を進めたのは1930年代半ばでした。国家に刃向かったとして、政府関係者、軍人、芸術家、文化人のおよそ140万人が逮捕され、70万人近くが処刑されました。その刃はショスタコーヴィチにも向けられたのです。
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レニングラードにドイツ軍が迫ったは、交響曲第5番を発表した数年後でした(注:第5番の初演は1937年。独ソ戦の開始はその4年後)。
レニングラード包囲戦
1941年6月22日、ソ連と不可侵条約を結んでいたドイツが奇襲攻撃をかけ、独ソ戦が始まりました。ドイツ軍はほどなくレニングラードに迫り、レニングラード包囲戦になります。開戦2ヶ月でレニングラード市内への砲撃も始まりました。
レニングラードピスカリョフ墓地の資料館には、ヒトラーの命令書の現物が展示されています。そこには「レニングラードの街を地球上から消滅させる」とあります。この宣言はドイツのラジオで全ヨーロッパに向けて放送されました。
レニングラードがドイツ軍に包囲されたのは、その特異な地形によります。北はナチスの影響下にあるフィンランド軍の支配地域です。西はバルト海、東はラトガ湖です。南から来たドイツ軍が街を包囲したのです。
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赤がレニングラード市を示す。北はナチスの影響下にあるフィンランド軍の支配地域、西はバルト海、東はラトガ湖で、南から来たドイツ軍が街を包囲した。なお真冬にはラトガ湖が氷結するので、湖の上に輸送路を作ることは可能である。この輸送路をめぐるソ連とドイツの攻防が番組に出てきた。 |
疎開する市民が多いなか、ショスタコーヴィチは妻と子供2人とともにレニングラードにとどまりました。
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ショスタコーヴィチ一家。妻(ニーナ)と2人の子供(長女:ガリーナ、長男:マキシム)。長男のマキシムは後に音楽家(指揮者・ピアニスト)になった。 |
そしてショスタコーヴィチはレニングラードのラジオ局(ドム・ラジオ)に行き、ラジオでスピーチをしました。その音源は今でも残っています。
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交響曲第7番を書き上げて市民に届ける。その目的でショスタコーヴィチは街にとどまっていました。そのかたわらショスタコーヴィチは街の消防隊に参加しています。彼は自ら街を守ろうとするほどにふるさとを愛していました。
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その、まだ書き上がってもいない交響曲第7番に目をつけたのがスターリンでした。ショスタコーヴィチがラジオでスピーチをした直後、ショスタコーヴィチは政府によってレニングラードから連れ出されてしまいます。安全な場所で第7番を完成させるようにとの指示です。場所は、モスクワの東方、レニングラードからは1300kmも離れたクイビシェフ(注:現在のサマーラ。独ソ戦当時はソ連の臨時首都の候補)という街でした。第7番をめぐって国家が動きだしたのです。
死の街、レニングラード
1941年9月8日、ドイツの爆撃機が初めてレニングラードに飛来し、食料備蓄倉庫を爆撃しました。ヒトラーはレニングラードを飢え死にさせようとしていました。
1941年10月、例年になく早い初雪が降りました。そして、その冬のレニングラードは地獄絵図となります。犬猫を食べるのはもちろん、壁紙をはがして小麦粉から作られている糊を食べる人もいました。道路には行き倒れの死体が放置され、人肉を食べて逮捕された件数は300を越えたと言います。
独ソ戦でドイツ軍は奇襲攻撃のあとに進撃を続け、1942年4月の時点では、一時、モスクワの10数キロに迫るという勢いでした、ソ連政府としてもレニングラードに援軍を送る余裕はありませんでした。
交響曲第7番の完成
1941年末、ショスタコーヴィチはクイビシェフで第7番を完成させます。彼はスコアの表紙に「レニングラードの街にささげる」と書き添えました。
1942年3月、クイビシェフで交響曲第7番の初演が行われます。プラウダは「ファシズムに対するロシア民族の戦いと勝利を描いている」と高く評価し、世界に向けて宣伝しました。ショスタコーヴィチは政府の宣伝映画に出演しましたが、そこで彼は、
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と語り、第1楽章をピアノで演奏しました。第7番の利用価値を熟知していたスターリンには、たくらみがありました。スターリンはショスタコーヴィチに対し「スターリン賞 第1席」(国家最高賞)を与えましたが(注:1942年1月)、それは第7番の価値を高めるためでした。
アメリカ
そのころアメリカでは、ルーズベルト大統領が戦時下を理由に史上初の3選目に入っていました(1941年1月~)。またアメリカは真珠湾攻撃(1941年12月)を契機として第2次世界大戦に参戦しました。
交響曲第7番がソ連で初演された当時、ルーズベルトには悩みがありました。アメリカはソ連に対して無償の武器援助をしていましたが、「ソ連に利用されるだけだ、サンタクロースはやめよう、見返りを求めよう」という意見が政府内部にも高まり、また世論でも高まっていたのです。
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ルーズベルトの決断以来、戦闘機、戦車、トラックなど、膨大な量の武器や軍需物資がソ連に送られました。費用はすべてアメリカの負担です。スターリンにとっては願ってもないプレゼントであり、それがドイツ軍と戦うための生命線でした。
しかしアメリカ国民にとって共産主義は脅威であり、以前からソ連を敵視していました。世論調査では、ソ連への援助に賛成は35%であり、反対は54%にもなったのです。
大局的見地からソ連への援助が必要と考えていたルーズベルトは、これまで以上に慎重にことを進める必要がありました。また次の選挙に向けて世論を味方につけたいとの思いもありました。
クイビシェフで初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番のことはアメリカにも伝わっていました。その第7番のアメリカ初演で世論を味方につける、それがルーズベルトの考えたことでした。スターリンのもくろみは「第7番でアメリカの世論を変え、ソ連への共感を広げる」ことです。水面下でアメリカとソ連は手を結んだのです。
ソ連政府は第7番のスコアをマイクロフィルムに収め、アメリカに送ることにします。アメリカとソ連の両政府は共同で、ドイツ軍を避けならが密かにフィルムの輸送する作戦を行います。
時を同じくして、モスクワでは交響曲第7番の2回目の演奏会が開催されました。
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トスカニーニによる第7番のアメリカ初演
交響曲第7番の252ページのスコアはマイクロフィルムに収められ、ドイツ軍を避けつつ、アメリカに輸送されました。ソ連を出発したフィルムは、テヘラン → カイロ → アフリカ大陸横断 → 大西洋横断 → ブラジル → マイアミ、というルートでアメリカに輸送されました。そして1942年5月30日、アメリカ国務省に到着しました。
初演コンサートの開催を任されたのは、音楽プロモータのユージーン・ワイントロウブでした。彼はカーネギーホールのすぐそばのアム・ラス・ミュージック社でロシア音楽に関する著作権を一手に扱っていました。彼は、まるでスパイ映画のような輸送ルートを宣伝に使います。
そして第7番のアメリカ初演には3人の大指揮者が名乗りをあげ、これもメディアで格好の話題になりました。
・セルゲイ・クーセヴィツキー
・レオポルド・ストコフスキー
・アルトゥール・ロジンスキー
の3人です。しかし、ワイントロウブの考えは違いました。第7番で一儲けするための最高の指揮者として彼が選んだのは、アルトゥーロ・トスカニーニです。トスカニーニは、ナチスと手を組んだ祖国イタリアを嫌い、アメリカに亡命した指揮者です。反ファシズムの曲として第7番を売り出すには、これ以上ない人選でした。
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アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)。20世紀の指揮法の大きな流れを作った偉大な指揮者である。 |
ワイントロウブのもくろみ通り、第7番はアメリカで大ブームを巻き起こします。アメリカの「タイム」誌は、レニングラードの消防団の写真をもとにショスタコーヴィチの肖像画を描き、表紙に使いました。ナチスと戦う英雄としてショスタコーヴィチを紹介したのです。
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1942年7月20日付の Time 誌の表紙。絵の下には「消防士ショスタコーヴィチ。レニングラードに砲弾が炸裂する中で、彼は勝利の響きを聴いた」と書かれている。 |
1942年7月19日、マンハッタンのNBCスタジオで、ショスタコーヴィチの交響曲第7番のアメリカ初演が、トスカニーニ指揮・NBC交響楽団の演奏で行われました。これはラジオで全米生中継され、メディアの反応は爆発的でした。
ロシア人の戦争交響曲に喝采の嵐」(NYタイムズ) | |
今世紀最高の交響曲の一つ」(NYデイリー・ニュース) | |
普遍的な戦争の音楽 人種や国境を越えた戦士の言葉」(LAタイムズ) |
などの見出しが紙面に踊ったのです。第7番は、その後数ヶ月の間にアメリカ全土で62回のコンサートが行われ、演奏を流したラジオ局は2000に上りました。熱狂のすざましさを、ある雑誌は、
今やショスタコーヴィチが嫌いだというものはアメリカ人にはあらず」 |
とまで書いています。ショスタコーヴィチと第7番は社会現象になったのです。ショスタコーヴィチの伝記を書いたアメリカ人作家のM.T.アンダーソンは次のように分析します。
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そして第7番は、何と、ヨーロッパの戦地に赴くアメリカ人兵の慰問コンサートでも演奏されました。その冒頭でスピーチに立ったのはソ連大使夫人です。「ともに戦いましょう」というロシア人の言葉にアメリカ兵たちは熱狂しました。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番のアメリカ初演は国家がしかけた物語でした。世論を味方につけたルーズベルトは、その後の4度目の大統領選挙(1944年11月)にも勝利します。そしてアメリカからソ連へのの武器・軍事物資の支援は続き、スターリンは独ソ戦に勝利します。これこそ、スターリンが利用した「音楽の力」でした。
レニングラード・ラジオ・シンフォニー
レニングラードには、地元のラジオ局である「ドム・ラジオ」所属のオーケストラ、レニングラード・ラジオ・シンフォニーがありました。このオーケストラは1931年に設立され、指揮者のカール・エリアスベルクに率いられて多くの演奏会を開いていました。レニングラード攻防戦の当時、街に残った(=疎開できずに取り残された)唯一のオーケストラでした。
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レニングラード・ラジオ・シンフォニーの指揮者、カール・エリアスベルクと、レニングラード戦争博物館に展示されている彼の愛用品。指揮棒が見える。 |
しかし楽団員の多くは徴兵され、また徴兵されなかった者も軍需工場での労働や塹壕堀りに駆り出されました。さらに、レニングラードの共産党指導部は音楽を中止すると決定し、オーケストラは活動休止になってしまいます。ドム・ラジオも放送休止になり、ラジオからはメトロノームの音だけが流れていました。
そのメトロノームの音が小さな奇跡を生み出します。レニングラードの総司令部のトップ、アンドレイ・ジダーノフは、ドイツ軍に完全包囲されて追い込まれていました。そしてラジオのメトロノームの音を聴いていらだった彼は「音楽でも放送しろ」と命令したのです。
アンドレイ・ジダーノフは戦後に共産党中央委員になり、ショスタコーヴィチを含む "前衛的な" 音楽を攻撃する「ジダーノフ批判」を展開した人物です。 |
エリアスベルクたちは、共産党の芸術局に呼び出されました。そしてオーケストラの再開要請を受けました。楽団員不足で再開は無理というエリアスベルクに対し、芸術局は「すぐでなくてもよいから、再開を」とのことです。
エリアスベルクたちは、レニングラード在住の音楽家を新たに集め、残った楽団員とともに大変な苦労をしてオーケストラの練習を再開しました。食料不足とエネルギー不足の中での練習は大変でしたが、1942年4月5日、久しぶりのコンサートにこぎつけます。ラジオでの音楽放送も再開しました。
交響曲第7番のレニングラード初演
モスクワでショスタコーヴィチの交響曲第7番の演奏会があったことは、ラジオ・シンフォニーの楽団員にも届いていました。ラジオ・シンフォニーの音楽監督、バープシキンはエリアスベルクに「第7番をやりたい」と相談を持ちかけます。エリアスベルクは即答をためらいました。ショスタコーヴィチの曲はどれも複雑で高度な技術が必要だったからです。
バープシキンは「スコアは何とか手に入れる」と言い、「レニングラードに捧げるとショスタコーヴィチがラジオで言ったことを皆が覚えている」と、エリアスベルクを説得します。
交響曲第7番のスコアは、1942年7月2日にソ連空軍の飛行機で運ばれてラジオ局に届きました。エリアスベルクは届いたスコアを見て、演奏は無理だと思いました。100~120人の演奏家が必要なスコアだったからです。それでもエリアスベルクは80人でやろうとしました。しかし80人には、まだ20人以上足りません。
そこでエリアスベルクたちは、徴兵された元楽団員から届いた手紙を調べました。手紙には軍事郵便番号が書かれているので、元楽団員がどの部隊にいるのか特定できるのです。そして、レニングラードの軍指令部にかけあい、元楽団員の帰還を説得しました。初めは難色を示していた軍指令部も、トップのジダーノフも賛成するはずとエリアスベルクが言うと認めてくれました。
第7番のレニングラード初演は、1942年8月9日に決まりました。これはラジオで繰り返し宣伝されました。これがラジオを傍聴していたドイツ軍に伝わります。ドイツ軍はレニングラード軍司令部のジダーノフに、初演と合わせるかのように「8月9日にレニングラードの占領攻撃を開始する」と通告してきました。
1942年8月9日、エリアスベルクたちの演奏会の日です。会場は、レニングラードで最も格式のあるコンサートホール、レニングラード・フィルハーモニアです。1500人収容の客席は、市民たちで埋め尽くされました。夜7時に幕が上がりました。
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交響曲第7番のレニングラード初演。唯一現存する写真。 |
第7番の演奏はラジオで生中継されただけでなく、街角のスピーカを通してレニングラード市内に流されました。またスピーカーは前線にも設置され、それは戦場のドイツ軍にも流れていきました。その音を聴いたあるドイツ兵は、戦後に次のように語ったといいます。「あの曲を聴いた時、私たちには絶対、レニングラードを倒せないと思いました」。
結局、ドイツ軍の砲弾が演奏会場に届くことはありませんでした。当日、レニングラードを防衛する兵士たちは、ありったけの砲弾を集めてドイツ軍に先制攻撃をしかけていたのです。
演奏会の終了後、エリアスベルクは一人の少女から花束を贈られました。家族で育てた花だと言います。添えられたカードには「レニングラードの音楽をお守りくださり、ありがとうございます」とあります。エリアスベルクは、食べ物も満足に得られないなかで花を育てる人がいることを知りました。少女の母親は少女に次のように言ったそうです。「たとえ何が起きても普通の生活を忘れないように」。
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レニングラード戦争博物館に展示されている少女の写真と、エリアスベルクが受け取ったカード(写真の右上)。カードの左下に 42年8月9日の文字が見える。 |
市民の証言
実際に演奏を聴いたタマラ・コーロレケーヴィチさん(98歳)は、番組のインタビューに次のように答えています。
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レニングラード戦争博物館のオリガ・プロートゥ館長は、生前の楽団員から聴いた話を人々に伝えています。彼女は次のように語ります。
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レニングラード解放
交響曲第7番のレニングラード初演から1年半後の1944年1月、ソ連軍はドイツ軍に攻勢をかけ、レニングラードを完全に解放しました。この間、320万人のレニングラードの人口のうち67万人が死ぬという膨大な被害が出ましたが、残った市民は900日の包囲戦を生き抜いたのです。
演奏会から20年の時を経て、レニングラード・ラジオ・シンフォニーの面々が再び集まった写真があります。そこにはショスタコーヴィチの姿もありました。
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ショスタコーヴィチの向かって左横がエリアスベルク。 |
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番の意味
以下は番組を見た感想です。この番組は音楽についてのいろんな思いを想起させるものでした。それを何点かに分けて書きます。
 レニングラード市民に音楽を届ける  |
ショスタコーヴィチが交響曲第7番を書いた第1義の目的は「レニングラード市民に、市民の為に新たに書いた音楽を届ける」ことでした。それは彼がラジオのメッセージで言っていた通りであり、その目的はエリアスベルクの演奏会とその市内実況中継で十分に達成されたようです。
番組のなかで、この演奏会を直接・間接に聴いた人たちの発言にあったように、演奏会の "効果" は一言で言うと「普通の生活」ということでしょう。ドイツ軍に完全包囲されて餓死者が続出する中での「普通の生活」は、まずできません。しかし演奏会は人々に "普通" を思い起こさせた。時には演奏会に行き、場合によっては自宅の花壇から花束を造って演奏者に届ける。それが普通です。また、飢えている人を見かけたらパンをあげる、それが普通ですが、全員が飢えている中で自分よりも "ひもじい" と見える人にパンをあげるのは容易ではない。よほど強い心がないとそれはできない。しかし、その強い心は平時では普通なのです。
その「普通の心」を音楽が呼び覚ました。音楽が人々の心に与える影響は時としてものすごく強いのです。しかもその音楽は、レニングラード市始まって以来の音楽の天才がレニングラード市民の為に書いたものだった。このことは聴衆に強烈なインパクトを与えたに違いありません。
 ファシズムとの戦い  |
交響曲第7番が「過酷な状況にあるレニングラード市民への贈り物」だったことは間違いないのですが、さらにこの曲は「ファシズムと戦って勝利するレニングラード」という意図で書かれたとされています。第7番が完成したときの政府の宣伝映画でショスタコーヴィチは「ファシズムと戦い、その勝利を信じて、この作品を捧げる」と言いました。もちろんそう言うしかない状況ですが、本当はどうなのか。「ファシズムと戦って勝利する」意図だと思って聴けば、それらしく聞こえることは確かですが、ショスタコーヴィチの意図は何でしょうか。
NHK交響楽団の首席指揮者で、世界的指揮者のパーヴォ・ヤルヴィは番組で次のように語っていました。
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その「巨大な悪」に人々が勝利するイメージに向かって曲は進んで行くとヤルヴィは言います。
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要約すると、
「 | 巨大な悪」が人々の人間性を破壊しようとしていく様と、その「巨大な悪」に向かって人々が勝利するイメージを描いた |
ということでしょう。ヤルヴィは「ファシズム」とは言わずに「巨大な悪」と言っています。ヤルヴィは旧ソ連のエストニア出身です。彼の言う「巨大な悪」にはスターリン体制を含んでいるのは間違いありません。。
このことに関連して、番組では次のような話が紹介されました。第7番が完成したとき、クイビシェフでショスタコーヴィチと同じマンションに住んでいた知人の女性、フローラ・リトヴィノヴァは回想録を書いたのですが、そこには第7番の完成を祝う席で、宴が終わったあとのショスタコーヴィチとフローラの会話が記されています。
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こういう回想録には注意が必要です。どうしても著者の主観が入り込むし、記憶違いがあるかもしれない。ショスタコーヴィチの言葉そのものではなく、著者が(善意で)解釈した結果かもしれない。もし「第7番はファシズムやソ連を含むすべての全体主義を描いた」のなら「ファシズムとの戦うための第7番」であると同時に「スターリン体制(ないしは共産主義体制)と戦うための第7番」にもなってしまいます。こんなことが外に漏れたらソ連政府の面目は丸潰れであり、ショスタコーヴィチの命は危うくなるでしょう。いくらショスタコーヴィチがフローラを信用したとしても、こんなことを他人に言うものでしょうか。
詮索しても無駄なので、とりあえず第7番は「全体主義(狭義にはファシズム、広くはスターリン体制を含む)に立ち向かう姿を描いた」ものとしましょう。しかし、作曲者の意図がどうであれ、一つの音楽をこのように受け取ることは非常に "あやうい" と思います。
事実、第7番は番組で詳述していたように、スターリンとルーズベルトによって(=ソ連政府と米国政府によって)政治的に利用され、その経緯が番組の大きな軸でした。ここで、ナチス・ドイツという「巨大な悪」との戦いに勝利するためだからいいのでは、と思うのは甘いのです。番組の中でパーヴォ・ヤルヴィは次のような的確なコメントを述べていました
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その、もう一人の "賢い政治家" だったヒトラーは誰の音楽をどういう風に利用したのか。それは、よく知られているようにワーグナーの音楽です。
ヒトラーがワーグナー好きということもあって、ナチスはワーグナーの音楽を政治集会や宣伝映画で徹底的に使いました。それはドイツ民族(ナチスの言うゲルマン民族)の優秀性とも関連づけられ、ユダヤ人排斥にも利用された。『ローエングリン』の第3幕にドイツ国王、ハインリヒの言葉として次があります。
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『ローエングリン』はドイツの西のはずれ、ブラバント公爵領の話であり、ハンガリー軍を迎え撃つ軍団の組織化を訴えるために国王が公爵領に来るのが背景となっているオペラです。従って上に引用したような発言になるのですが、ナチスはそいういうところも巧みに利用しました。
確かにワーグナーは "ユダヤ人嫌い" だったようですが、反ユダヤの考えはキリスト教が西洋に定着した頃から根強くありました。ナチスによる "ユダヤ人狩り" も、ドイツおよびドイツ占領下の国々(オーストリア、フランス、オランダなど)の一般市民の自発的な協力のもとに行われました。ヨーロッパ人としてワーグナーが特別だったわけではありません。しかもワーグナーの作品の中に反ユダヤのメッセージがあるわけではないのです。
しかし、ナチスの政治利用によってワーグナーの音楽はイスラエルでは長年にわたってタブーとなりました。ワーグナーの音楽を「ドイツ民族の優秀性を示す音楽だから、そう聞きなさい」と命令されて聴けば、そう思えるわけです。音楽は人間の感情に直接的に働きかけるので、そうなってしまう。音楽の怖いところです。
結局のところ、スターリンとルーズベルトにとっての第7番と、ヒトラーにとってのワーグナーは、同じことの表と裏です。
番組で紹介されたように、第7番は第二次世界大戦中に、ヨーロッパ戦線に出征するアメリカ兵の慰問コンサートでも演奏されました。しかし戦後、冷戦の時代になると、第7番は「ソ連のプロパガンダである愚作」という評価にもなった。同じ曲が「ファシズムと戦う曲」から「プロパガンダの愚作」になってしまう。これが、音楽を政治利用すること、もっと広く一般化すると「音楽の力」を信じることの "あやうさ" だと思います。
 ショスタコーヴィチとしては異質  |
もう一度、第7番を別の視点から振り返ってみます。確実に言えることは、これは異常な状況下で作られた音楽だと言うことです。自分のふるさとであり現に居住している街が敵の軍隊に完全包囲され、明日どうなるかもわからないとう状況は、人間が一生に一度あるかないか、ほとんどの人はそういう経験をしない状況です。その異常な状況下で "やむにやまれず(ないしは、いてもたってもいられず)作った音楽"、レニングラード市民に届けるという明確な目的のもとに作った音楽が第7番だった。
このことが第7番を、ショスタコーヴィチにしては異質な音楽にしていると思います。番組では、第7番の演奏はヤルヴィ指揮のNHK交響楽団で、ほんの "さわり" しかありませんでしたが、私自身はこの音楽を高校生の時から聞いています。第7番の音楽の特色を一言で言うと、
誰にでも分かりやすい音楽手法で書かれている
ということです。まず、明確で親しみやすく、耳に残りやすい主題がいろいろあります。第1楽章の冒頭の主題(レニングラードを表すものでしょう)や、第1楽章の途中から執拗に繰り返され、次第に轟音となっていく行進曲風の主題(敵の軍隊を表すものでしょう)がその典型です。他にもいろいろある。
和声は19世紀末音楽という感じであり、20世紀音楽という感じはしません。ショスタコーヴィチ特有の斬新さや革新性はあまりない。上に引用したように、パーヴォ・ヤルヴィは「ショスタコーヴィチ特有の洗練さとはかけ離れた音楽」と言っていますが、その通りです。
その理由は、この音楽が「レニングラード市民に届ける」という目的だからと推察します。レニングラード市民といってもいろいろのはずです。音楽の好みから言っても、ショスタコーヴィチが好きな人もいればべートーベンが好きな人もいるだろうし、そういったたぐいの音楽は聞かず、いわゆるポピュラー・ミュージックしか聞かない人もいるはずです。「市民に届ける」ためにはできるだけ分かりやすい音楽にする必要がある、そういうことだと思います。
加えてこの曲は、ショスタコーヴィチにしては "冗長" という感じがします。第1楽章と第4楽章だけを聞いていると、レニングラードの街とそこに迫り来る敵軍隊、市民の苦しみ・悲しみ・祈りと、それを突き抜けて勝利へという感じがしなくもないが、では第2楽章・第3楽章はどうなのか。演奏には1時間10分程度もかかりますが、果たしてそこまで必要なのか。
"冗長" が悪いと言っているのではありません。このブログで書いた例で言うと、村上春樹さんは、シューベルトのピアノソナタの中では「第17番二長調」が最も好きだと語っていました(No.236「村上春樹のシューベルト論」)。この曲はシューマンが「天国的に冗長」と評した曲です。また交響曲で言うと、マーラーには "冗長な" 交響曲がいろいろあります。しかし私が最も好きなマーラーの交響曲は、一般には冗長と言われている曲です。
しかし、普通のショスタコーヴィチの音楽は、もっときびきびしていて、筋肉質で、構造的にもコンパクトなものです。それと比べると冗長である、そういうことです。
全体をまとめると、第7番はショスタコーヴィチにしては異質な音楽です。作曲家の持っている個性が希薄です。もっと言うと第7番は、あえて作曲家本来の芸術性を殺して作った音楽でしょう。
第7番はショスタコーヴィチが(レニングラードが置かれた状況下で)是非ともやりたかった音楽だったけれど、ショスタコーヴィチがやりたかった芸術ではないと思います。だからこそスターリンが気に入ったし、プラウダは絶賛したし、ヨーロッパに出征するアメリカ兵まで熱狂した。
"音楽の力" という落とし穴
以下の「音楽」とは、言葉がない器楽だけの曲で、別の芸術の付随曲(映画、バレエ、劇などのための音楽)でないものとします。
本来、音楽をどう受け取るか、聴いて何を思うかは聴く人に任されているはずです。もちろん音楽を聴いて多くの人が同様の感情を持つことがあります。つまり、
癒される、悲しみ、楽しい、うきうき、快活、悲哀、静かだ、激しい、高揚感、美しい、洗練された
などの感情、ないしは音楽を聴いて受ける感じです。作曲家はそういう感情を喚起する意図で曲を作る場合も多いでしょう。しかし、こういった感情を超えたレベルの "物語" をどう描くかは、音楽を聴いた人それぞれの個別の問題のはずです。第7番を、
押し寄せるファシズム・全体主義の圧力に屈することなく、勝利へと向かう音楽
と考えるのは、まずいわけではありませんが、それはあくまで一つの物語です。これをもっと一般化して、
継続的で次第に高まっていく圧力があり | |
そのもとで味わう不安や悲しみ、苦しみがあり | |
それを突破して解決に至る、ないしは解決への希望を得る |
という風にとらえると、それは「病気を克服する物語」でもいいし「困難な仕事に立ち向かう物語」でもよいはずです。しかしそれもまた一つの物語に過ぎません。
私はショスタコーヴィチの第7番を高校生の頃から聴いていますが、その頃からどうしてもドイツ軍(またはファシズム)と戦う曲だとは思えなかった。それは今でも続いています。
上に引用した指揮者のヤルヴィの言葉に「巨大な悪」を描いたとありましたが、同時に「第7番は謎」ともありました。なぜ「謎」なのかを推察すると「ファシズムと戦う曲」という先入感があるから謎めいて感じるのだと思います。ヤルヴィは旧ソ連のエストニア出身なので、どうしてもバイアスがかかってしまうのでしょう。
思うのですが、第7番はショスタコーヴィチが、自分のふるさとであり愛する街であるレニングラードの全体像を描いたのではないでしょうか。もちろんその全体像の中では「ドイツ軍に完全包囲されたレニングラードと、敵との戦い」が大きな比重を占めています。しかしそれだけではない。レニングラードの町並みや自然、人々の普通の生活、そこでの市民同士の交歓など、ショスタコーヴィチが愛している多くのものが表現されていると感じます。
番組では「音楽の力」が何回か使われていました。「音楽の力で ・・・・・・ する」という表現です。しかし「音楽の力」によって一定の物語を作り出せると信じることはすべきでないと思います。第7番についての、
すべての全体主義を告発する傑作 | |
ソ連のプロパガンダであり、壮大な愚作 |
という2つの極端に違う評価は、「音楽の力」を信じることによる必然の帰結です。
ちょっと唐突ですが、ミュージシャンの坂本龍一さんは、東日本大震災の被災3県の子供たちで作る「東北ユースオーケストラ」を組織し(2014年)、その音楽監督を努めています。先日の新聞に、新聞記者が坂本さんにインタビューした記事があり、そこに「音楽の力」が出てきました。引用してみます。
|
坂本さんは「音楽は好きだからやる、それを聞いてくれる人や一緒にやってくれる人がいると楽しい、それに尽きる」という意味の発言もしていました。
坂本さんのこの考えは、極めてまっとうだと思います。ショスタコーヴィチの交響曲第7番を描いたNHK BSの番組は、よい意味でも(=レニングラード市民を鼓舞する)、また悪い意味でも(=ソ連とアメリカによる政治利用)「音楽の力」をテーマにしようとしたのでしょうが、そもそもそういうレベルの議論がおかしい。番組の中で交響曲第7番のレニングラード初演を実際に聞いた人が「普通の生活、普通の心を取り戻せた」という主旨の発言をしていましたが、まさにそれこそ交響曲第7番の演奏会の効果だったし、音楽が果たす役割だったと思いました。
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と『交響曲第5番』
ところで話は変わるのですが、「芸術と社会の関係」について第7番と同じように(いや、それ以上に)気になったショスタコーヴィチの作品があります。番組に出てきたオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と『交響曲第5番』です。
番組の最初の方のショスタコーヴィチの経歴の紹介の中で「スターリンはマクベス夫人を気に入らす、すぐさまプラウダ紙は批判を展開した。ショスタコーヴィチはそれに答える形で交響曲第5番を書いた」とありました。そのことですが、長くなるので次回に書きます。
(次回に続く)
補記:Lend-Lease Act |
本文中に書いたように、1941年3月、米国のルーズベルト大統領は「レンドリース法」を成立させました。アメリカの防衛にとって重要な国、あるいは大統領が重要だと判断した国に対し武器など軍需物資を援助できるという法律です。そしてドイツがソ連に侵攻すると、ルーズベルト大統領はその法律をソ連にも適用し、軍需物資の支援を行うと決断しました。ルーズベルト大統領の決断以来、戦闘機、戦車、トラックなど、膨大な量の武器や軍需物資がソ連に送られました。費用はすべてアメリカの負担です。ソ連にとっては願ってもないプレゼントであり、それがドイツ軍と戦うための生命線となりました。
その81年後の 2022年5月9日、米国のバイデン大統領は新たな「レンドリース法」に署名しました。それを報じた日本経済新聞を引用します。
|
記事で「武器貸与法」としてあるのは、正式名称は、
Ukraine Democracy Defense Lend-Lease Act of 2022
です。81年前にドイツと戦うためにソ連に武器供与を可能にしたのと同様の法律が、今度はロシアと戦うためにウクライナに武器供与をする法律として成立したわけです。両者の共通点は、独裁者かつ侵略者と戦うための武器供与という点です。
(2022.5.11)
2020-03-21 11:51
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No.262 - ヴュイユマンのカンティレーヌ [音楽]
今回は "音楽のデジャヴュ(既視感)" についての個人的な体験の話です。題名にあげた「ヴュイユマンのカンティレーヌ」はそのデジャヴュを引き起こした曲なのですが、その曲については後で説明します。デジャヴュとは何か。Wikipedia には次のような主旨の説明がしてあります。
日本語では普通「既視感」ですが、聴覚、触覚などの視覚以外による体験も含みます。「既知感」との言い方もあります。今回は音楽(=聴覚)の話なので、以降は "デジャヴュ" で通します。
サン・サーンスのクラリネット・ソナタ
"音楽のデジャヴュ" については以前に書いたことがあります。No.91「サン・サーンスの室内楽」で、サン・サーンス最晩年の作品、「クラリネット・ソナタ」について、次の主旨のことを書きました。
「クラリネット・ソナタ」第1楽章の冒頭のメロディーと、『ニュー・シネマ・パラダイス』の「愛のテーマ」のメロディーが似ているというわけではありせん。テンポも違います。しかし、クラリネット特有の "哀愁を帯びて" "何か訴えかけるような" 感じが "音楽のデジャヴュ" につながったのではないかと考えたのです。
カフェ・ベローチェのBGM
その "音楽のデジャヴュ" について、最近の別の経験を書きます。No.236「村上春樹のシューベルト論」の「補記2」(2018.11.28)に、カフェ・ベローチェのA店の BGM でシューベルトの「ピアノソナタ 第17番 二長調」の第2楽章が流れてきたという話を書きました。No.236 の主題は村上春樹さんの「二長調 ピアノソナタ論」であり、それもあってこの曲は何回も聴いていたので、すぐにわかりました。
しかし、他のカフェでもそうですが、カフェ・ベローチェの BGM で流れる曲は "知らない曲" のほうが多いわけです。中には "誰もが知っている曲" もありますが(サン・サーンスつながりで言うと、たとえば『白鳥』)、そういう曲は比較的少数です。BGMは "店の雰囲気づくり" が主眼なので、多くの人にとって "特に意識せずに聞き流せる" のが BGM の役割でしょう。もちろんその中に "誰もが知っている曲" を少し配置することで BGM の「存在感」が増すわけです。しかしそういった曲はあくまで少数であり、我々は大多数の知らない曲を聴き流しています。
カフェ・ベローチェの BGM は、詳しいことは知りませんが、数日とか十数日という単位で繰り返し放送されています。そして聴き流している知らないはずの曲の中に、ときどき妙に印象に残る曲があるのです。先日もA店の BGM で、あるピアノ曲が印象に残りました。数日たってまたその曲が出てくると印象が強まり、メロディーを覚えてしまいました。その時思ったのですが、この曲は必ずどこかで聴いたことがあり、それはシューマンのピアノ曲ではないか、と強く感じたのです。
シューマンのピアノ曲の多くは、個人所有の iPod Touch に入っています。そこで、順にそれらしいものを調べていったのですが、どうも該当する曲がありません。もちろん、シューマンの全部のピアノ曲が iPod Touch にあるわけではないので、結論は出ません。
No.236「補記2」にも書きましたが、カフェ・ベローチェは USEN と契約して BGM を流しています。USEN は幅広いジャンルの多数のチャネルを配給していて、USENのホームページではチャネルを指定すると今流れている曲が特定できるようになっています。問題の「印象に残るピアノ曲」が流れてきたときにホームページをいろいろ検索しましたが、どうも該当する曲がないようなのです。
そこでカフェ・ベローチェの運営会社に直接問い合わせてみることしました。
シャノアール
カフェ・ベローチェを運営しているのはシャノアールという会社です。そこでシャノアールの「お客様相談室」にメールで以下のような主旨の問い合わせをしてみました。
この問い合わせに対して比較的速くレスポンスが返ってきました。その内容を要約すると以下の2点です。
答えの ① については "なるほど" という感じです。カフェ・ベローチェのような大手カフェ・チェーンで重要なのは、提供する商品、店の内装、スタッフの教育、各種販促による顧客とのコネクション作りなどと思いますが、BGMも店づくりの重要な要素なのですね。それは店の雰囲気作りのポイントの一つです。おそらくシャノアールは USEN と綿密に打ち合わせて BGM の方針を決めているのでしょう。USEN が「専用BGMビジネス」をしていることを初めて知りましたが、これは私が知らなかっただけで "BGM業界" では常識なのだと思います。とにかく ① は納得できる回答でした。
少々意外だったのは ② です。「調査してみましょう」という申し出が、えらく親切だと思ったのです。そういった問い合わせをする人は滅多にいないからだとも考えられますが ・・・・・・。そこで早速、つぎのようなメールを送りました。
というメールです。すると数日後に「調査結果」が返ってきました。私が指定した時刻、およびその前後に流れた合計4曲のリストで、曲名と演奏者とBGMの開始時刻が書かれています。このリストをもとにネットで調べたところ、すぐに分かりました。私にとって "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたピアノ曲はシューマンではなく、次でした。
すぐにシャノアールにお礼のメールを出したのは言うまでもありません。これではっきりしたことが2つあります。
の2点です。
ビュイユマンのカンティレーヌ
調べてみると、ルイ・ビュイユマン(1879~1929)はフランスの作曲家・音楽評論家です。よく知られた作曲家でいうと、モーリス・ラヴェル(1875~1937)とほぼ同時代人ということになります。Wikipedia の情報によると、ブルターニュ地方の中核都市のナントで生まれ、フォーレに作曲を習い、オペレッタやバレエ音楽、室内楽、ピアノ曲、歌曲と、幅広いジャンルの作品を残したようです。特にブルターニュ地方のケルト系民族、ブルトン人の伝統を取り入れた音楽に特色があるということです。
ちなみに「3つの易しい小品」(Trio Bluttes Faciles)はピアノ連弾曲で、次のような構成です。
・第1曲 間奏曲(Intermezzo)
・第2曲 カンティレーヌ(Cantilene)
・第3曲 ワルツ(Valse)
この第2曲の「カンティレーヌ」が問題のBGMでした。題名の "カンティレーヌ" はもともイタリア語で、"カント=歌" という語が入っているように「歌のような旋律をもった器楽曲」の意味です。固有名詞ではなく、Intermezzo や Valse と同じような一般名称です。
実はこの「カンティレーヌ」の楽譜は、IMSLP(International Music Score Library Project)のサイトに掲載されています。そのピアノ譜から主旋律だけを抜き出したものが、次の譜例165です。カフェの BGM で "聞き流している" 曲が印象に残ったということは、その曲のメインの旋律が記憶されたわけなので、主旋律だけの譜にしました。その音声データも併せて掲載します。

再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
全体のピアノ譜を見ると、「3つの易しい小品」という題名が示すように演奏は容易なようです。ちょうど「子供ピアノ教室」の発表会で小中学生の生徒と先生が連弾をするのに良いような感じがします。その意味で、BGM 以外でそれと知らずに聴いた可能性が無いわけではありません。しかし「子供ピアノ教室の発表会」に行った経験は2~3回しかなく、その可能性は極めて薄いでしょう。あくまでカフェ・ベローチェの BGM で何回か聴き流しているうちに、それが無意識にうちに脳にこびりついてしまって "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたと考えられます。
2つの疑問
以上のようなことが分かってくると、2つの疑問が沸いてきました。
の2つの疑問です。① については、いまだもって謎です。ビュイユマンの「カンティレーヌ」は「クラシック音楽:ピアノ曲」のジャンルですが、USENのホームページでこのジャンルの曲を調べてみると、全く知らない作曲家の、全く知らない曲がいろいろと並んでいます(もちろんショパンやシューベルトなどの著名作曲家の作品もある)。いったいどうやってそういう曲を "発掘" するのだろうと不思議に思えるほどで、"BGMビジネスの奥深さ" を感じることにもなります。そういった多数の曲の中で、なぜ「カンティレーヌ」だけがデジャヴュを起こしたのかが大いに疑問です。
② のシューマンについては次のように考えました。つまり、シューマンのピアノ曲の中に、何らかの意味で「カンティレーヌ」と似ている曲があるのではないか。メロディーとか、雰囲気とか、曲のテンポ感とか、そういった点です。和声進行かもしれません。そういういった "何か" が似ている曲があるのではと思ったのです。
デジャヴュを引き起こした曲
その視点で、改めてシューマンのピアノ曲を調べていくと、どうもこの曲ではないかと思ったものがありました。それは有名な曲で、『謝肉祭 作品9』の第20曲(終曲)の「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」です。その出だしの8小節(繰り返して16小節)のピアノ譜が譜例166です。『謝肉祭』はじっくり何回も聴いた曲なので、完全なスコアを掲載します。

この「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」と「カンティレーヌ」はかなり違います。まず「カンティレーヌ」は8分の6拍子の2拍子系リズムですが、「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」は、行進という題名にもかかわらず4分の3拍子です。また「カンティレーヌ」は "可愛らしい" という雰囲気の曲であるのに対し、「ダヴィッド同盟」の方はいかにも『謝肉祭』の "締め" に相応しい "堂々として壮麗な" 曲です。
しかし"可愛らしい" と "堂々として壮麗な" という雰囲気の違いは、だからといって似ていないとは限りません。たとえば「カンティレーヌ」のメロディーを編曲し "堂々として壮麗な曲" に仕立てるのは十分可能だし、逆もまたしかりです。
次のように思っています。『謝肉祭』は何度も聴いた曲なので、それは頭の中に染み着いていた。「カンティレーヌ」をBGMで何回か聞き流しているうちに、何らか類似性を発見する脳の作用で『謝肉祭』へのリンクができ、それが「どこかで聴いたことがある」「それはシューマンだ」というデジャヴュを引き起こした ・・・・・・。そして、多数ある BGM の曲の中で「カンティレーヌ」が印象に残った理由(= 疑問点 ①)が、まさにこのことではないかと思うのです。
「ダヴィット同盟」と「カンティレーヌ」の何が似ているのか説明して下さいと言われると困るのですが、とにかくそういう風に脳が働いたのではと思っています。
音楽を離れて少々飛躍しますが、「全く関係のないはずの2つのものの間に何らかの意味での類似性を見いだすという、無意識下での脳の働き」が、"ひらめき" を起こす一つの要素ではないでしょうか。解決すべき課題や問題をずっと考えていて、あるときふっとアイデアが浮かぶということがあります。頭の中に蓄積されている過去の経験の中から、いま考えている課題と何らかの意味で "同型" の問題へのリンクができ、それがアイデアを生み出す ・・・・・・。もちろんアイデアが発現する理由はこれだけではないと思いますが、経験に照らしてみても、そういう感じがします。もっとも「カンティレーヌ」と「ダヴィット同盟」の関係(それが正しいとして)は、別にメリットもないわけですが。
音楽の謎
No.62「音楽の不思議」に書いたのですが、我々の身の回りには音楽があふれていて、小さいときから何らかの音楽に親しんで成長してきたのだけれど、音楽には今だに "謎めいた" ところが多々あります。No.62 で書いた「頭の中に染み込んで記憶している旋律は、長い時間がたっても忘れない」のもその一つです。
別の "謎" を書きますと、ある時ふと気がつくと頭の中でメロディーを無意識に思い浮かべている、ということがあるわけです。もちろん昨日見た映画の主題歌とか、先日のコンサートの曲とか、そいういう「時間的に近接した音楽体験」のメロディーが浮かぶということはよくあります。時には知らず知らずに "鼻歌" になっていることもある。
しかしそういう音楽体験とは関係なく、全くランダムに頭の中でメロディーを無意識に思い浮かべていることがあります。先日も、気がつくとあるメロディーを頭で反復していて、「えっ! これはビートルズの "P.S. I Love You" じゃないの」と気がついて、自分でもびっくりしたことがあります。曲が作られたのは1960年代初頭だし、初めてこの曲を聴いたのがいつで、最後に聴いたのがいつかも分かりません。すべては記憶の彼方にあります。しかしその記憶の底から、何らかの拍子にメロディーが引き出されてくる。
こういった体験は何度もあります。そういったメロディーは全くランダムに想起されるように見えます。子どものころにはやった歌もあるし、数年前の曲もある。ジャンルもいろいろです。夢の中で忘れていたはずの昔の記憶が再現されることがありますが、それと似ています。
とにかく、音楽には "謎めいたところ" があります。それは人間の脳の働きの奥深いところと密接に関係しているようであり、それが音楽に引きつけられる大きな要因ではないか。"音楽のデジャヴュ" のことも含めて、そう感じます。
実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じる現象。フランス語由来の言葉。デジャヴ、デジャブなどとも呼ばれる。
日本語では普通「既視感」ですが、聴覚、触覚などの視覚以外による体験も含みます。「既知感」との言い方もあります。今回は音楽(=聴覚)の話なので、以降は "デジャヴュ" で通します。
サン・サーンスのクラリネット・ソナタ
"音楽のデジャヴュ" については以前に書いたことがあります。No.91「サン・サーンスの室内楽」で、サン・サーンス最晩年の作品、「クラリネット・ソナタ」について、次の主旨のことを書きました。
サン・サーンスのクラリネット・ソナタを初めて聴いたとき、この曲の冒頭の旋律は以前にどこかで聴いたことがあると思った。 | |
それは、フランス映画かイタリア映画の映画音楽だろうと強く感じた。 | |
しかし調べてみても、サン・サーンスのクラリネット・ソナタが映画に使われたという事実は見つからなかった。どうも違うようだ。 | |
いろいろと考えてみて、この "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたのは『ニュー・シネマ・パラダイス』の「愛のテーマ」ではないかと考えた。「愛のテーマ」の最初はクラリネットで始まる。 |
「クラリネット・ソナタ」第1楽章の冒頭のメロディーと、『ニュー・シネマ・パラダイス』の「愛のテーマ」のメロディーが似ているというわけではありせん。テンポも違います。しかし、クラリネット特有の "哀愁を帯びて" "何か訴えかけるような" 感じが "音楽のデジャヴュ" につながったのではないかと考えたのです。
カフェ・ベローチェのBGM
その "音楽のデジャヴュ" について、最近の別の経験を書きます。No.236「村上春樹のシューベルト論」の「補記2」(2018.11.28)に、カフェ・ベローチェのA店の BGM でシューベルトの「ピアノソナタ 第17番 二長調」の第2楽章が流れてきたという話を書きました。No.236 の主題は村上春樹さんの「二長調 ピアノソナタ論」であり、それもあってこの曲は何回も聴いていたので、すぐにわかりました。
しかし、他のカフェでもそうですが、カフェ・ベローチェの BGM で流れる曲は "知らない曲" のほうが多いわけです。中には "誰もが知っている曲" もありますが(サン・サーンスつながりで言うと、たとえば『白鳥』)、そういう曲は比較的少数です。BGMは "店の雰囲気づくり" が主眼なので、多くの人にとって "特に意識せずに聞き流せる" のが BGM の役割でしょう。もちろんその中に "誰もが知っている曲" を少し配置することで BGM の「存在感」が増すわけです。しかしそういった曲はあくまで少数であり、我々は大多数の知らない曲を聴き流しています。
カフェ・ベローチェの BGM は、詳しいことは知りませんが、数日とか十数日という単位で繰り返し放送されています。そして聴き流している知らないはずの曲の中に、ときどき妙に印象に残る曲があるのです。先日もA店の BGM で、あるピアノ曲が印象に残りました。数日たってまたその曲が出てくると印象が強まり、メロディーを覚えてしまいました。その時思ったのですが、この曲は必ずどこかで聴いたことがあり、それはシューマンのピアノ曲ではないか、と強く感じたのです。
シューマンのピアノ曲の多くは、個人所有の iPod Touch に入っています。そこで、順にそれらしいものを調べていったのですが、どうも該当する曲がありません。もちろん、シューマンの全部のピアノ曲が iPod Touch にあるわけではないので、結論は出ません。
No.236「補記2」にも書きましたが、カフェ・ベローチェは USEN と契約して BGM を流しています。USEN は幅広いジャンルの多数のチャネルを配給していて、USENのホームページではチャネルを指定すると今流れている曲が特定できるようになっています。問題の「印象に残るピアノ曲」が流れてきたときにホームページをいろいろ検索しましたが、どうも該当する曲がないようなのです。
そこでカフェ・ベローチェの運営会社に直接問い合わせてみることしました。
シャノアール
カフェ・ベローチェを運営しているのはシャノアールという会社です。そこでシャノアールの「お客様相談室」にメールで以下のような主旨の問い合わせをしてみました。
カフェ・ベローチェの A 店で XX月 YY日の午前に流れたBGMの曲名を知りたい。USENと契約されているようだが、チャネル番号がわかれば教えてほしい。
この問い合わせに対して比較的速くレスポンスが返ってきました。その内容を要約すると以下の2点です。
カフェ・ベローチェのBGMは、専用にUSENに作成してもらっている。一般のチャネルではない。 | |
曲が流れた詳しい時刻を教えてもらえれば、調査しましょう。 |
答えの ① については "なるほど" という感じです。カフェ・ベローチェのような大手カフェ・チェーンで重要なのは、提供する商品、店の内装、スタッフの教育、各種販促による顧客とのコネクション作りなどと思いますが、BGMも店づくりの重要な要素なのですね。それは店の雰囲気作りのポイントの一つです。おそらくシャノアールは USEN と綿密に打ち合わせて BGM の方針を決めているのでしょう。USEN が「専用BGMビジネス」をしていることを初めて知りましたが、これは私が知らなかっただけで "BGM業界" では常識なのだと思います。とにかく ① は納得できる回答でした。
少々意外だったのは ② です。「調査してみましょう」という申し出が、えらく親切だと思ったのです。そういった問い合わせをする人は滅多にいないからだとも考えられますが ・・・・・・。そこで早速、つぎのようなメールを送りました。
題名を知りたい曲は、カフェ・ベローチェの A 店で XX月 YY日の hh時 mm分に流れたピアノ曲です。調査をよろしくお願いします。
というメールです。すると数日後に「調査結果」が返ってきました。私が指定した時刻、およびその前後に流れた合計4曲のリストで、曲名と演奏者とBGMの開始時刻が書かれています。このリストをもとにネットで調べたところ、すぐに分かりました。私にとって "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたピアノ曲はシューマンではなく、次でした。
ルイ・ビュイユマン | ||
「3つの易しい小品」より、第2曲「カンティレーヌ」 | ||
フィリップ・コレ、エドゥアルド・エセルジャン (4手のための連弾曲) |
すぐにシャノアールにお礼のメールを出したのは言うまでもありません。これではっきりしたことが2つあります。
これは知らなかった曲である。作曲家(ビュイユマン)も曲名(カンティレーヌ)も知らない。 | |
どこかでこの曲を聴いたとしたら、それは無意識に聴いたカフェ・ベローチェの BGM だと強く推測できる。 |
の2点です。
ビュイユマンのカンティレーヌ
調べてみると、ルイ・ビュイユマン(1879~1929)はフランスの作曲家・音楽評論家です。よく知られた作曲家でいうと、モーリス・ラヴェル(1875~1937)とほぼ同時代人ということになります。Wikipedia の情報によると、ブルターニュ地方の中核都市のナントで生まれ、フォーレに作曲を習い、オペレッタやバレエ音楽、室内楽、ピアノ曲、歌曲と、幅広いジャンルの作品を残したようです。特にブルターニュ地方のケルト系民族、ブルトン人の伝統を取り入れた音楽に特色があるということです。
ちなみに「3つの易しい小品」(Trio Bluttes Faciles)はピアノ連弾曲で、次のような構成です。
・第1曲 間奏曲(Intermezzo)
・第2曲 カンティレーヌ(Cantilene)
・第3曲 ワルツ(Valse)
この第2曲の「カンティレーヌ」が問題のBGMでした。題名の "カンティレーヌ" はもともイタリア語で、"カント=歌" という語が入っているように「歌のような旋律をもった器楽曲」の意味です。固有名詞ではなく、Intermezzo や Valse と同じような一般名称です。
実はこの「カンティレーヌ」の楽譜は、IMSLP(International Music Score Library Project)のサイトに掲載されています。そのピアノ譜から主旋律だけを抜き出したものが、次の譜例165です。カフェの BGM で "聞き流している" 曲が印象に残ったということは、その曲のメインの旋律が記憶されたわけなので、主旋律だけの譜にしました。その音声データも併せて掲載します。
ビュイユマンのカンティレーヌ(主旋律) |

再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
全体のピアノ譜を見ると、「3つの易しい小品」という題名が示すように演奏は容易なようです。ちょうど「子供ピアノ教室」の発表会で小中学生の生徒と先生が連弾をするのに良いような感じがします。その意味で、BGM 以外でそれと知らずに聴いた可能性が無いわけではありません。しかし「子供ピアノ教室の発表会」に行った経験は2~3回しかなく、その可能性は極めて薄いでしょう。あくまでカフェ・ベローチェの BGM で何回か聴き流しているうちに、それが無意識にうちに脳にこびりついてしまって "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたと考えられます。
2つの疑問
以上のようなことが分かってくると、2つの疑問が沸いてきました。
BGMに使われる "多数の知らない曲" の中で「カンティレーヌ」だけがデジャヴュを引き起こしたのは何故なのか。 | |
「カンティレーヌ」の旋律を聴いてシューマンの曲だと思ったのは何故なのか。 |
の2つの疑問です。① については、いまだもって謎です。ビュイユマンの「カンティレーヌ」は「クラシック音楽:ピアノ曲」のジャンルですが、USENのホームページでこのジャンルの曲を調べてみると、全く知らない作曲家の、全く知らない曲がいろいろと並んでいます(もちろんショパンやシューベルトなどの著名作曲家の作品もある)。いったいどうやってそういう曲を "発掘" するのだろうと不思議に思えるほどで、"BGMビジネスの奥深さ" を感じることにもなります。そういった多数の曲の中で、なぜ「カンティレーヌ」だけがデジャヴュを起こしたのかが大いに疑問です。
② のシューマンについては次のように考えました。つまり、シューマンのピアノ曲の中に、何らかの意味で「カンティレーヌ」と似ている曲があるのではないか。メロディーとか、雰囲気とか、曲のテンポ感とか、そういった点です。和声進行かもしれません。そういういった "何か" が似ている曲があるのではと思ったのです。
デジャヴュを引き起こした曲
その視点で、改めてシューマンのピアノ曲を調べていくと、どうもこの曲ではないかと思ったものがありました。それは有名な曲で、『謝肉祭 作品9』の第20曲(終曲)の「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」です。その出だしの8小節(繰り返して16小節)のピアノ譜が譜例166です。『謝肉祭』はじっくり何回も聴いた曲なので、完全なスコアを掲載します。
『謝肉祭』終曲 |

この「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」と「カンティレーヌ」はかなり違います。まず「カンティレーヌ」は8分の6拍子の2拍子系リズムですが、「フィリシテ人と闘うダヴィット同盟の行進」は、行進という題名にもかかわらず4分の3拍子です。また「カンティレーヌ」は "可愛らしい" という雰囲気の曲であるのに対し、「ダヴィッド同盟」の方はいかにも『謝肉祭』の "締め" に相応しい "堂々として壮麗な" 曲です。
しかし"可愛らしい" と "堂々として壮麗な" という雰囲気の違いは、だからといって似ていないとは限りません。たとえば「カンティレーヌ」のメロディーを編曲し "堂々として壮麗な曲" に仕立てるのは十分可能だし、逆もまたしかりです。
次のように思っています。『謝肉祭』は何度も聴いた曲なので、それは頭の中に染み着いていた。「カンティレーヌ」をBGMで何回か聞き流しているうちに、何らか類似性を発見する脳の作用で『謝肉祭』へのリンクができ、それが「どこかで聴いたことがある」「それはシューマンだ」というデジャヴュを引き起こした ・・・・・・。そして、多数ある BGM の曲の中で「カンティレーヌ」が印象に残った理由(= 疑問点 ①)が、まさにこのことではないかと思うのです。
「ダヴィット同盟」と「カンティレーヌ」の何が似ているのか説明して下さいと言われると困るのですが、とにかくそういう風に脳が働いたのではと思っています。
音楽を離れて少々飛躍しますが、「全く関係のないはずの2つのものの間に何らかの意味での類似性を見いだすという、無意識下での脳の働き」が、"ひらめき" を起こす一つの要素ではないでしょうか。解決すべき課題や問題をずっと考えていて、あるときふっとアイデアが浮かぶということがあります。頭の中に蓄積されている過去の経験の中から、いま考えている課題と何らかの意味で "同型" の問題へのリンクができ、それがアイデアを生み出す ・・・・・・。もちろんアイデアが発現する理由はこれだけではないと思いますが、経験に照らしてみても、そういう感じがします。もっとも「カンティレーヌ」と「ダヴィット同盟」の関係(それが正しいとして)は、別にメリットもないわけですが。
音楽の謎
No.62「音楽の不思議」に書いたのですが、我々の身の回りには音楽があふれていて、小さいときから何らかの音楽に親しんで成長してきたのだけれど、音楽には今だに "謎めいた" ところが多々あります。No.62 で書いた「頭の中に染み込んで記憶している旋律は、長い時間がたっても忘れない」のもその一つです。
別の "謎" を書きますと、ある時ふと気がつくと頭の中でメロディーを無意識に思い浮かべている、ということがあるわけです。もちろん昨日見た映画の主題歌とか、先日のコンサートの曲とか、そいういう「時間的に近接した音楽体験」のメロディーが浮かぶということはよくあります。時には知らず知らずに "鼻歌" になっていることもある。
しかしそういう音楽体験とは関係なく、全くランダムに頭の中でメロディーを無意識に思い浮かべていることがあります。先日も、気がつくとあるメロディーを頭で反復していて、「えっ! これはビートルズの "P.S. I Love You" じゃないの」と気がついて、自分でもびっくりしたことがあります。曲が作られたのは1960年代初頭だし、初めてこの曲を聴いたのがいつで、最後に聴いたのがいつかも分かりません。すべては記憶の彼方にあります。しかしその記憶の底から、何らかの拍子にメロディーが引き出されてくる。
こういった体験は何度もあります。そういったメロディーは全くランダムに想起されるように見えます。子どものころにはやった歌もあるし、数年前の曲もある。ジャンルもいろいろです。夢の中で忘れていたはずの昔の記憶が再現されることがありますが、それと似ています。
とにかく、音楽には "謎めいたところ" があります。それは人間の脳の働きの奥深いところと密接に関係しているようであり、それが音楽に引きつけられる大きな要因ではないか。"音楽のデジャヴュ" のことも含めて、そう感じます。
2019-07-05 19:40
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No.261 - "ニーベルングの指環" 入門(5)複合 [EX.162-193] [音楽]
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リヒャルト・ワーグナー
「神々の黄昏」
ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1964) |
CD2-Track12
There're one or two motives which lie outside the main families, representing simple characters rather than symbols. One of these is the motive attached to Hunding which we heard right at the start. Another is the brass motive associated with the Giants in Rheingold which is appropriately heavy and forceful.
主要なモティーフのファミリーとは別に、シンボルではなく単にキャラクターを表す1つないしは2つのモティーフがあります。一つは《フンディング》に付けられたもので、この解説の最初に聴いたものです(訳注:EX.1)。もう1つは『ラインの黄金』において《巨人族》を表す金管のモティーフです。巨人らしく、重々しく力強いものです(訳注:第2場)。
 EX.162: 《巨人族》  |

This motive of the Giants takes on a more sinister form of the timpani in Act 2 of Siegfried to represent Fafner, the Giant who has survived and turned himself into a Dragon.
《巨人族》のモティーフは『ジークフリート』の第2幕でティンパニによるもっと不吉な形になり、ファフナーを表します。ファフナーは生き残った巨人で、大蛇に姿を変えています。
EX.163 は『ジークフリート』第2幕のオーケストラ前奏の冒頭。このあとに EX.55 《大蛇としてのファフナー》が続く。 |
 EX.163: 《大蛇に変身した巨人、ファフナー》  |

It might be wondered, perhaps, why some characters seem to have no personal motive at all. There is a Siegfried motive, for example, and a Brunnhilde motive. But the commentators list no Alberich motive. Alberich is, of course, efficiently represented by the symbolic motives attached to him, those of the Ring, the Power of the Ring, Resentment, Murder and so on.
But in fact he does have a personal motive of his own. When Alberich enters in Scene 1 of Rheingold, we hear some uneasy music in the depths of the orchestra, portraying his awkward attempt to clamber up out of Nibelheim into the waters of the Rhine.
おそらく、個人を表すモティーフが全くないように見える登場人物があることが不思議に思えるかもしれません。たとえば《ジークフリート》のモティーフがあり、《ブリュンヒルデ》のモティーフもあります。しかしアルベリヒのモティーフを取り上げた解説者はありません。もちろんアルベリヒは、彼と結びつくシンボルのモティーフで十分に表現されています。《指環》、《指環の力》、《怨念》、《殺害》などなどです。
しかし実際は、アルベリヒは個人のモティーフをしっかりともっています。『ラインの黄金』の第1場で彼が登場するとき、我々はオーケストラの奥底に何か不安な音楽を聴きます。それは、ニーベルハイムからよじ登ってラインの水中に至るアルベリヒのぎこちない動きを描写しています。
しかし実際は、アルベリヒは個人のモティーフをしっかりともっています。『ラインの黄金』の第1場で彼が登場するとき、我々はオーケストラの奥底に何か不安な音楽を聴きます。それは、ニーベルハイムからよじ登ってラインの水中に至るアルベリヒのぎこちない動きを描写しています。
 EX.164: 《アルベリヒ》  |

Those furious little descending figures on the cellos are in fact Alberich's personal motive. We can hear more clearly from a special illustration played by the cellos alone, a little more slowly.
これらのチェロによる短い怒り狂うような下降音形が、実は《アルベリヒ》個人のモティーフです。特別の例示でそれをもっと明瞭に聴けます。チェロだけで少し遅く演奏してみましょう。
 EX.165: 《アルベリヒ》 チェロ  |

This personal motive of Alberich's forms part of the general transformation of the music of Scene 1 of Rheingold into that of Scene 3, which we noticed earlier. When Alberich enters in the Nibelheim scene, this furious descending motive of his accompanies the blows he inflicts on Mime. Once more, the music reveals that the thwarting of his desire for the Rhinemaidens has been transformed into a sadistic lust to get his own back on everybody.
このアルベリヒの個人モティーフは、以前に述べた『ラインの黄金』の第1場から第3場への全般的な音楽の転換の一部となります。アルベリヒがニーベルハイムのシーンに登場すると、この彼の怒り狂った下降するモティーフは、彼がミーメに一撃を与えるときの伴奏になります。アルベリヒのラインの乙女に対する願いが拒絶されたことが、あらゆる者に怒りをぶちまけるサディスティックな欲望に転換したことを、再び音楽で示しているのです。
『ラインの黄金』の第1場から第3場への音楽の転換については、EX.34《指環の力》や、EX.95《逃亡》からの数個のモティーフの解説を参照。EX.166 は『ラインの黄金』第3場の冒頭。 |
 EX.166: 《アルベリヒ》 ニーベルハイムのシーン  |

Mime too has his personal motive, even several of them. The most important is a whining one, the kind of insidious transformation of the furious descending one of Alberich. He introduces this vocally when he sings what Siegfried calls his 'Starling Song' about how he brought the boy up as a baby.
ミーメもまた個人のモティーフを持っていて、それも数個あります。最も重要なのは "泣き言" のモティーフで、これ怒り狂って下降する《アルベリヒ》のモティーフの、言わば潜在的な変形です。ミーメはこれを歌で導入します。ジークフリートが《養育の歌》と呼ぶもので、赤ん坊からどのように少年まで育て上げたかの歌です(訳注:『ジークフリート』第1幕 第1場)。
 EX.167: 《ミーメの養育の歌》  |

Incidentally, this whining motive of Mime and the furious motive of Alberich of which it is a transformation, are both distorted minor versions of the bold descending major motive of Siegfried's Mission which is, of course, directly opposed to the machinations of the two dwarfs.
ところで、このミーメの "泣き言" のモティーフとその元になったアルベリヒの怒り狂うモティーフは両方とも、力強く長調で下降する《ジークフリートの使命》のモティーフを短調の歪めた形にしたものです。もちろん《使命》は、2人の小人の陰謀とはちょうど正反対のものです(訳注:EX.141《ジークフリートの使命》参照)。
 EX.168: 《ジークフリートの使命》  |

CD2-Track13
These motives of Alberich and Mime are only two of the many subsidiary motives in The Ring. These are too numerous for every single one to be enumerated, but some of them claim our attention.
Sometimes, and especially in Gotterdammerung, subsidiary motives are introduced and then developed in such a subtle way that they have no simple primary meaning but gather meaning as they proceed. One example of many is the motive representing the Dawn in Act 2 of Gotterdammerung, when Hagen wakes up after his nocturnal communion with his father Alberich. As first introduced by the bass clarinette, this motive's arpeggio shape proclaims it an offshoot of the Nature family.
これらのアルベリヒとミーメのモティーフは、『指環』における数多くの副次的なモティーフの中の2つに過ぎません。副次的なモティーフはあまりに多いので一つ一つ数え上げることはできませんが、中には私たちの注意を引くものがあります。
特に『神々の黄昏』においてですが、副次的なモティーフが巧妙に導入され、初めはあまり意味がないが段々と意味を持つということが時々あります。この一つの例が『神々の黄昏』の第2幕で《日の出》を表現するモティーフです。ハーゲンが父のアルベリヒと夢の中で会話をしたあとに目覚めた時、そのモティーフは現れます。最初にバス・クラリネットで導入されるとき、このモティーフはアルペジオの形をしており、《自然》のファミリーから生まれたことを示しています。
特に『神々の黄昏』においてですが、副次的なモティーフが巧妙に導入され、初めはあまり意味がないが段々と意味を持つということが時々あります。この一つの例が『神々の黄昏』の第2幕で《日の出》を表現するモティーフです。ハーゲンが父のアルベリヒと夢の中で会話をしたあとに目覚めた時、そのモティーフは現れます。最初にバス・クラリネットで導入されるとき、このモティーフはアルペジオの形をしており、《自然》のファミリーから生まれたことを示しています。
以降の EX.169, EX.170, EX.171は『神々の黄昏』第2幕 第2場。 |
 EX.169: 《日の出》  |

Soon, however, this Dawn motive is developed forcibly by the horns, and its main figure eventually assumes a rather brutal character much more in keeping with the personality of Hagen than with the simple natural phenomenon of Dawn. The day that is dawning is going to be Hargen's day.
しかしすぐにこの《日の出》モティーフはホルンによって力強く展開され、その主要な形が次第に凶暴な性格を帯びてきます。つまり単なる日の出という自然現象ではなく、ハーゲンの性格を帯びてくるのです。日の出で明けるその日は、ハーゲンにとっての良き日です。
 EX.170: 《日の出》 ハーゲンの日  |

Later this motive forms the coral song of the vassels as they sing Hagen's praises and declare themselves ready to stand by him. By now, it clearly is Hargen's Day.
その後、このモティーフは家臣たちの合唱になります。彼らがハーゲンを称え、ハーゲンに忠誠を誓う歌です。ここでこのモティーフは明確に "ハーゲンの日" となります。
 EX.171: 《家臣たちの歌》  |

CD2-Track14
Quite a number of the subsidiary motives are not so much recurrent themes representing symbols as recurrent figurations portraying movement and activity. There's one group in particular which is a kind of family representing various aspects of Nature in Motion. The starting point is a swift rising and falling major key figuration on the violins in Scene 1 of Rheingold. It's repeated over and over to portray the waters of the Rhine, rippling around the swimming Rhinemaidens.
副次的なモティーフの多くは、シンボルを表現するために繰り返される旋律というよりは、動きや行動を描写して繰り返される音形です。その中でも特に "自然の活動" のさまざまな側面を表すファミリーと言える一つのグループがあります。その出発点は『ラインの黄金』の第1場でヴァイオリンが演奏する、上昇して下降する速いテンポの長調の音形です。これは何度も繰り返されることにより、ラインの乙女が泳ぐ周りで波立つライン河の水を描写します。
 EX.172: 《波の動き》 ライン版  |

We can identify the shape of this motive more clearly if we have it played by the violins alone and a little more slowly. It's a swift surge upwards followed by a longer and not quite so swift descent, like the flow and ebb of a wave.
このモティーフをヴァイオリンだけで少し遅めに演奏すると、その形がはっきりと分かるでしょう。それは素速く上昇して寄せ、その後で引き潮の波のように速さを押さえて下降します。
 EX.173: 《波の動き》 ライン版  |

In Scene 2 of Rheingold when Loge refers to the universal burgeoning of Nature, the orchestra transforms this flowing and ebbing wave motion shape into a much slower undulation, more appropriate to the earth.
『ラインの黄金』の第2場でローゲが世界における自然の生成を語るとき、オーケストラはこの寄せては返す波の形をもっとゆるやな "うねる形" にし、大地を表現するのに適した姿にします。
 EX.174: 《波の動き》 確定形  |

This is the definitive form of the motive of Nature in Motion, the form in which it will usually recur. We hear it when Siegfried is in the forest feeling Nature all around him, and when Wotan addresses Erda as the wise woman who knows all the secrets of Nature. And it transforms itself to generate other motives, portraying different aspects of Nature in Motion.
A notable case is its swift minor key transformation as the motive of the Storm which opens Walkure. The actual notes of the motive, as we heard earlier, are derived from the Spear motive. But the molodic and rhythmic pattern in which they're deployed is that of the Wave Motion motive, surging swiftly upwards on the cellos and basses and less swiftly down again.
これが《自然の活動》のモティーフの確定形で、この形でよく再現します。それはジークフリートが森で、まわりのすべてに自然を感じるときに聞こえてきます。またヴォータンがエルダに、自然の秘密を何でも知っている賢い女性だと話しかけるときにも聴かれます。そしてこの形自身が、自然の活動の違った側面を描写する別のモティーフを生み出します。
特筆すべき一つは、このモティーフのテンポの速い短調の変形が『ワルキューレ』の開始を告げる《嵐》のモティーフであることです。以前に聴いたように、《嵐》の実際の音符は《槍》のモティーフから派生したものでした(訳注:EX.70 参照)。しかしそこに込められた旋律とリズムのパターンは《波の動き》と同じです。つまりチェロとコントラバスが素速く上昇し、テンポを落として再び下降します。
特筆すべき一つは、このモティーフのテンポの速い短調の変形が『ワルキューレ』の開始を告げる《嵐》のモティーフであることです。以前に聴いたように、《嵐》の実際の音符は《槍》のモティーフから派生したものでした(訳注:EX.70 参照)。しかしそこに込められた旋律とリズムのパターンは《波の動き》と同じです。つまりチェロとコントラバスが素速く上昇し、テンポを落として再び下降します。
 EX.175: 《嵐》  |

The final transformation of the motive of Nature in Motion occurs in the last Act of Gotterdammerung. Here, it changes back into something like its original watery form on the violins to portray the Rhine rippling around Rhinemaidens again.
《自然の活動》の最後の変形は『神々の黄昏』の最終幕に出てきます(訳注:第3幕 第1場)。ここではヴァイオリンによる元々の水の表現に近い形に立ち帰り、再びラインの乙女の周りで波立つライン河を描写します。
 EX.176: 《波の動き》神々の黄昏  |

CD2-Track15
Besides this family of motives representing Nature in Motion, there are a considerable number portraying various physical activities. But it will be obvious by now that to account for every last subsidiary motive in The Ring and to indicate its position in the general scheme of things would be an almost endless task. And so, we may end by examining one or two instances of the way in which Wagner builds up his motives into larger wholes. And we may consider first three examples of what might be called 'Composite Motives'.
The first is a combination of elements from two motives which could hardly be in greater contrast with each other, those of Valhalla and Loge. It occurs in Scene 3 of Rheingold when Loge is pretending to be impressed by Alberich's ambitions to rule the world instead of Wotan. Let's remind ourselves first of the main segment of Valhalla motive and notice how it precedes by repeating a short phrase over and over.
以上の《自然の活動》を表現するモティーフのファミリーのほかにも、さまざまな自然の活動を描写する相当数の副次的モティーフがあります。しかし今までで明らかなように、『指環』の副次的モティーフを一つ残らず数えあげて全体の体系の中に位置づけようとしたら、ほとんど終わりのない仕事になるでしょう。そこで私たちは、ワーグナーが複数のモティーフから大きな統一体を構成する方法の1つか2つの例を調べるだけに止めておきます。まず最初に、"複合モティーフ" と呼べる3つの例を考察してみましょう。
最初の例は2つのモティーフからの要素を結合したもので、互いにこれ以上のコントラストはないに違いないものです。つまり《ヴァルハラ》と《ローゲ》のモティーフです。それは『ラインの黄金』の第3場に出てきます。ローゲが、ヴォータンの代わりに世界を支配しようとするアルベリヒの野望に感銘を受けたふりをする場面です。まず最初に《ヴァルハラ》のモティーフの主セグメントを思い出してみましょう。短いフレーズが何度も繰り返されて進行することに注意して下さい。
最初の例は2つのモティーフからの要素を結合したもので、互いにこれ以上のコントラストはないに違いないものです。つまり《ヴァルハラ》と《ローゲ》のモティーフです。それは『ラインの黄金』の第3場に出てきます。ローゲが、ヴォータンの代わりに世界を支配しようとするアルベリヒの野望に感銘を受けたふりをする場面です。まず最初に《ヴァルハラ》のモティーフの主セグメントを思い出してみましょう。短いフレーズが何度も繰り返されて進行することに注意して下さい。
 EX.177: 《ヴァルハラ》  |

And now, let's hear one of the many segments of Loge's motive, one at first enters when he's making fun of Alberich in Scene 3 of Rheingold.
今度は《ローゲ》のモティーフの多数のセグメントのうちの一つを聴いてみましょう。『ラインの黄金』の第3場でローゲがアルベリヒをからかう時に最初に出てくるものです。
 EX.178: 《アルベリヒをあざけるローゲ》  |

By combining, at top speed, the repeated figure of the Valhalla motive with this segment of Loge's motive, Wagner evolves the flippant composite motive which acompanies Loge's mockery of Alberich's ambitions.
《ヴァルハラ》のモティーフの繰り返しの音形と《ローゲ》のモティーフのこのセグメントを非常に速いテンポで結合することで、ワーグナーはアルベリヒの野望を嘲るローゲの伴奏になる、軽薄な感じの複合モティーフを作り出します。
 EX.179: 《ヴァルハラ - ローゲ》 複合モティーフ  |

Our second example of a composite motive is connected with Siegfried. It combines the motives of the Sword and Siegfried's Horn, at top speed, to represent Siegfried's indomitable vitality. Here first, the Sword motive again.
複合モティーフの第2の例はジークフリートに結びついたものです。それは《剣》と《ジークフリートの角笛》のモティーフを非常に速いテンポで結合したもので、ジークフリートの不屈の生命力を表します。ここでまず《剣》のモティーフを再度聴きましょう。
 『ジークフリート』における《剣》: EX.21  |

And here's the motive of Siegfried's Horn-Call.
そして次が《ジークフリートの角笛》のモティーフです。
 《ジークフリートの角笛》: EX.137  |

And now, here's the composite motive, combining the two, as Siegfried plays it on his horn and awakens the sleeping dragon, Fafner.
そして次が、2つを結合した複合モティーフです。ジークフリートが角笛で吹き、眠っている大蛇、ファフナーを起こすときのものです。
EX.180 は『ジークフリート』第2幕 第2場の EX.120 《ジークフリート》の直後。ここから、ジークフリートが剣でファフナーを倒すシーンになる。 |
 EX.180: 《剣 + 角笛》 複合モティーフ  |

CD2-Track16
Our final example of a composite motive is a longer and more subtle one connected with Wotan which first apperars in Act 2 of Walkure. It's generally known as the Need of the Gods and it represents Wotan's search for a way out of his frustration. Tormented both by Erda's warning about the end of the Gods and by the thwarting of his will by his wife Fricka, he wonders how he can find a free hero who will achieve what he is prevented from achieving by his responsibility to the law.
As he reflects on this problem, we hear a composite motive of the Need of the Gods which is a speeded up combination of the single motives of Erda, the Twilight of the Gods and Wotan's Frustration. Here first is the motive of Erda followed by the motive of the Twilight of the Gods, a juxtaposition which ocurs as we've heard during Wotan's first encounter with Erda in Scene 4 of Rheingold.
複合モティーフの最後のものはヴォータンに関連した長くて巧妙なもので、『ワルキューレ』の第2幕で現れます。一般には《神々の危機》として知られるものですが、ヴォータンが挫折から抜け出す道を探していることを表現します。ヴォータンは、神々の終末についてのエルダの警告と、妻のフリッカによって意図が挫かれたことの両方に苦しんでいます。そして、掟に従う責任から達成を妨げられたことを可能にしてくれる "自由な英雄" をいかに見つけようかと思案しています。
彼がこの問題を思案しているとき、《神々の危機》の複合モティーフが出てきます。それは《エルダ》《神々の黄昏》《ヴォータンの挫折感》という単独のモティーフをテンポを速めて結合したものです。まずここで《エルダ》のモティーフと、それに続く《神々の黄昏》のモティーフを聴きましょう。『ラインの黄金』の第4場でヴォータンが初めてエルダに会ったときに我々が聴いたように、並んで現れます。
彼がこの問題を思案しているとき、《神々の危機》の複合モティーフが出てきます。それは《エルダ》《神々の黄昏》《ヴォータンの挫折感》という単独のモティーフをテンポを速めて結合したものです。まずここで《エルダ》のモティーフと、それに続く《神々の黄昏》のモティーフを聴きましょう。『ラインの黄金』の第4場でヴォータンが初めてエルダに会ったときに我々が聴いたように、並んで現れます。
 《エルダ》 / 《神々の黄昏》: EX.10  |

And here's the motive of Wotan's Frustration again.
そして次に《ヴォータンの挫折感》のモティーフを再び聴いてみましょう。
 《ヴォータンの挫折感》: EX.73  |

And now, here's the combination of those two ideas, speeded up, the composite motive of the Need of the Gods, as it enters in the bass and is developed at length.
そして、以上の2つの楽想をテンポを速めて結合した《神々の危機》の複合モティーフが次です。それは低音部に現れ、十分に展開されます。
EX.181は『ワルキューレ』第2幕 第2場のヴォータンの歌唱、「神に逆らって私のために戦うという、友にして敵ともいうべき男を、どうやって私は見い出せるのであろうか」のところ。複合モティーフを強調するため歌唱はカットしてある。 |
 EX.181: 《神々の危機》 複合モティーフ  |

These are three of the several composite motives which continue as motives in their own right. But there're many cases where single motives are brought into conjunction once or twice for a special purpose. And we may consider the most mastery of these. First, here's a part of the motive of the Rhinemaidens' Joy in the Gold again, their cry of "Rhinegold !".
以上は幾つかある複合モティーフのうちの3つの例で、これらはモティーフとしての独自の意味を持ち続けます。しかし、一つのモティーフ群が特別の目的のために1度か2度だけ組み合されるケースも多くあります。その最も巧妙な例を見てみましょう。まず次は《ラインの乙女の黄金の喜び》のモティーフの一部で、"ラインの黄金!" という叫びの部分です。
 《ラインの黄金》: EX.35  |

And here's the second segment of the Valhalla motive again, or rather the part of it which consists of alternating chords.
そして次が《ヴァルハラ》のモティーフの第2セグメント、つまり交替する和音の部分です。
デリック・クックは "the second segment of the Valhalla motive" と言っているが、"the third segment" が正しい。次の譜例も "VALHALLA (THIRD SEGMENT)" となっている。EX.57 ~ EX.60 にあるように《ヴァルハラ》のモティーフは4つのセグメントに分かれていて、和音が交替する部分は第3セグメントである。 |
 《ヴァルハラ》 第3セグメント: EX.58  |

These two motives are brought into conjunction in Act 1 of Gotterdammerung. It happens when Waltraute comes to Brunnhilde to tell her of Wotan's wish that the Ring should be returned to the Rhinemaidens and that Valhalla shall be destroyed. When Waltraute sings the words "That would redeem the God and the World", the horns refer very slowly and quietly to the Rhinemaidens' cry of Rhinegold, and the brass follow this with the alternating chords of the Valhalla motive.
この2つのモティーフは『神々の黄昏』の第1幕で結びつけられます(訳注:第3場)。それはヴァルトラウテがブリュンヒルデのところに来て、ヴォータンの望みは指環をラインの乙女に返し、ヴァルハラを破壊することだと告げるときに現れます。ヴァルトラウテが「それが世界と神を救うだろう」と歌うとき、ホルンは非常にゆっくりと静かに《ラインの黄金》というラインの乙女の叫びを参照します。そして金管楽器が《ヴァルハラ》のモティーフの交替する和音で続きます。
 EX.182: 《ラインの黄金 + ヴァルハラ》 複合モティーフ  |

CD2-Track17
In the Final Scene of Gotterdammerung, when Brunnhilde decides to carry out Wotan's wish, this combination of motives is heard again, but now with further motives added. The first of these is the bass theme of the Need of the Gods which we heard a little earlier. Here it is again.
『神々の黄昏』の最終場面においてブリュンヒルデがヴォータンの望みを遂行しようと決めたとき、このモティーフの組み合わせが再び現れます。しかし今度はさらに複数のモティーフが付加されます。その最初は低音部の《神々の危機》の旋律です。少し前に聴きましたが、もう一度聴いてみましょう。
 《神々の危機》: EX.181  |

And here's the final cadence of the Valhalla motive again, the phrase that sets the seal of nobility on the motive.
そして次が《ヴァルハラ》のモティーフの最後の終止形です。このフレーズはモティーフに高貴さの印を与えます。
"the final cadence" は "the final segment" と同じ意味。《ヴァルハラ》のモティーフの最終セグメントは他のモティーフにくっついて終止形を作る性質があるので cadence( = 終止形)となっている。EX.61 参照。 |
 《ヴァルハラ》 最後の終止形: EX.60  |

Now we can turn to the Final Scene of Gotterdammerung where Brunnhilde apostrophizes Wotan assuring him that she will now carry out his wish and adding the solemn words "Rest, Rest, Thou God". Accompanying these words in the orchestra, we hear the same quiet reference to the Rhinemaidens' cry of Rhinegold, followed by the alternating chords of the Valhalla motive that we heard in Act 1 when Waltraute told Brunnhilde of Wotan's wish.
But now, these are followed by a slowed down reference to the motive of the Need of the Gods, itself as we know a combination of the motives of Erda, the Twilight of the Gods and Wotan's Frustration, and lastly, the final cadence of the Valhalla motive setting its seal of nobility on the whole. Here's the entire passage.
さて『神々の黄昏』の最終場面に戻りましょう。ブリュンヒルデは、そこには居ないヴォータンに呼びかけ、ヴォータンの望みを遂行することを確約します。そしておごそかに "憩え、憩え、神よ" と付け加えます。この台詞のオーケストラ伴奏で聴けるのは、前と同じラインの乙女の《ラインの黄金》という叫びへの参照であり、次に《ヴァルハラ》のモティーフの交替する和音です。それは第1幕でヴァルトラウテがブリュンヒルデにヴォータンの希望を告げたときに聴いたものでした。
しかし今度は、これらに《神々の危機》のモティーフへの参照がテンポを落として続きます。その《神々の危機》は、《エルダ》と《神々の黄昏》と《ヴォータンの挫折感》の複合体でした。そして最後に《ヴァルハラ》のモティーフの最後の終止形が続き、全体に高貴な印を加えます。全部のパッセージを聴いてみましょう。
しかし今度は、これらに《神々の危機》のモティーフへの参照がテンポを落として続きます。その《神々の危機》は、《エルダ》と《神々の黄昏》と《ヴォータンの挫折感》の複合体でした。そして最後に《ヴァルハラ》のモティーフの最後の終止形が続き、全体に高貴な印を加えます。全部のパッセージを聴いてみましょう。
 EX.183: 《憩え、憩え、神よ》  |

And so, Wagner compresses the essence of six different motives into a single brief passage to look back over the Wotan's whole stormy existence and to indicate that it is now, at last, being brought to a pieceful and noble conclusion.
このようにしてワーグナーは、6つの違ったモティーフのエッセンスを一つの短いパッセージに集約し、そのことでヴォータンという波乱に満ちた存在のすべてを振り返ります。と同時に、今ついに、平和で気高い結末に向かいつつあることを示しているのです。
CD2-Track18
Even more masterly is the way that Wagner weaves his motives together on a large symphonic scale, and we may consider two final examples of this type. The first is the Prelude to Act 3 of Siegfried which prepares the way for the great scene between Wotan and Erda. This is build up as symphonic development of nine different motives. The first of these is one that we have not yet heard, a subsidiary one portraying the activity of Riding, originally attached to the Valkyries, but by this time associated with Wotan in his role of the Wanderer. Here it is, as it first enters to introduce the Ride of the Valkyries.
ワーグナーのもっと熟練した技は、複数のモティーフを一緒にして大きな交響的スケールに仕立てる、そのやり方です。最後にこのタイプの例を2つ見てみましょう。最初は『ジークフリート』第3幕への前奏曲で、ヴォータンとエルダの素晴らしい場面に繋がっていくものです。これは9つのモティーフの交響的展開で築き上げられています。最初は、我々がまだ聴いていない副次的なモティーフで、《騎行》の動作を描写するものです。これは元々ワルキューレに結びついたものですが、ここでは "さすらい人" の役割になるヴォータンに関係づけられます。次に《ワルキューレの騎行》が最初に導入されるときの《騎行》を聴いてみましょう。
 EX.184: 《騎行》  |

This Riding motive, in more continuous form, is the whole texture and rhythmic basis of the Prelude to Act 3 of Siegfried. Now, let's recall the dark motive of Erda.
この《騎行》のモティーフは、もっと連続的な形になって『ジークフリート』の第3幕への前奏曲全体の風合いとリズムの基礎となります。その次に、《エルダ》の暗いモティーフを思い出してみましょう。
 《エルダ》: EX.8  |

The Prelude to Act 3 of Siegfried begins with two speeded up statements of Erda's motive in the bass against the pulsating rhythm of the Riding motive.
『ジークフリート』第3幕への前奏曲は、低音部に示されるテンポを速めた2つの《エルダ》のモティーフと、それに対比される《騎行》の鼓動するモティーフで始まります。
 EX.185: 《エルダ》 / 《騎行》のモティーフ  |

Earlier as we know, Erda's motive has been combined with the motives of the Twilight of the Gods and Wotan's Frustration to form a composite motive of the Need of the Gods. And so, in the Prelude to Act 3 of Siegfried which represents Wotan riding to meet Erda in need of counsel, the statements of Erda's motive with which it opens, naturally merge into a statement of the motive of the Need of the Gods.
既に我々が知っているように《エルダ》のモティーフは、《神々の黄昏》のモティーフと《ヴォータンの挫折感》のモティーフとに結びついて《神々の危機》の複合モティーフになったのでした。『ジークフリート』第3幕への前奏曲は、エルダに相談をしに会いに行くヴォータンの騎行を表現していますが、《エルダ》のモティーフで開始されたあとは、自然に《神々の危機》のモティーフの提示へと繋がっていきます。
 EX.186: 《エルダ》 / 《神々の危機》  |

At this point, the music goes on to remind us of Wotan's dominating will with fiece development of the Spear motive by the brass.
この時点で音楽は、ヴォータンの支配の意志を思い起こさせるように進行します。つまり《槍》のモティーフが金管楽器によって荒々しく展開されるのです。
 EX.187: 《エルダ》 / 《槍》  |

And now, Wagner begins a lengthy development of a particular combination of two motives which has not been heard since Wotan's first meeting with Erda in Scene 4 of Rheingold. This is the combination of Erda's own motive with that of the Twilight of the Gods, which we'll hear again now.
そして次にワーグナーは、特別に結合する2つのモティーフの長い展開を始めます。それはヴォータンがエルダに初めて会った『ラインの黄金』の第4場以降は現れなかったもので、《エルダ》自身のモティーフと《神々の黄昏》のモティーフの組み合わせです。もう一度、それを聴いてみましょう。
 《エルダ》 / 《神々の黄昏》: EX.10  |

This slow and quiet combination of motives is developed swiftly and loudly in the Prelude to Act 3 of Siegfried.
このゆるやかで静かなモティーフの組み合わせが、『ジークフリート』第3幕への前奏曲ではテンポを速め、高らかに展開されます。
 EX.188: 《エルダ》 / 《神々の黄昏》  |

What is fascinating here is that this fast development of the combination of the two motives is built on the slow moving harmonic basis of another motive, that of the Wanderer which is a role played by Wotan in Siegfried. Let's remind ourselves of the Wanderer motive.
ここで魅力的なのは、2つのモティーフの組み合わせの速い展開が、ゆっくりとした別のモティーフの和声進行の上に築かれていることです。その別のモティーフとは《さすらい人》で、これは『ジークフリート』でヴォータンが演じたものでした。《さすらい人》のモティーフを思い出してみましょう。
 《さすらい人》: EX.157  |

CD2-Track19
Now, if we return to the passage in the Prelude to Act 3 of Siegfried which we just heard, we find that behind the swift development of the combined motives of Erda and the Twilight of the Gods, the brass are playing, very broadly, the chord progressions which is the motive of the Wanderer.
ここでさっき聴いた『ジークフリート』第3幕への前奏曲のパッセージに戻ります。《エルダ》と《神々の黄昏》の組み合わせの速い展開の背後には、金管楽器が堂々とした和音の連なりを演奏していることに気づきます。それが《さすらい人》のモティーフの和音です。
 EX.189: 《エルダ》 / 《神々の黄昏》 / 《さすらい人》  |

For the climax of this far ranging development and the whole Prelude, Wagner uses a motive, which overshadows all the others in a sense, since the symbol it represents threatens everything else with destruction. This is the motive of the Power of the Ring which we recall now.
この遠大な展開と前奏曲全体のクライマックスのために、ワーグナーは1つのモティーフを持ち出します。それはある意味で、他のモティーフを見劣りさせるかのようです。なぜなら、そのモティーフが表現するものがすべてを破壊の危機にさらすからです。それは《指環の力》のモティーフです。それを思い出してみましょう。
 《指環の力》: EX.34  |

That's only the first half of the motive and that's all Wagner uses of it for the climax of the Prelude to Act 3 of Siegfried. It's quite sufficient.
これは《指環の力》のモティーフの前半に過ぎません。しかし『ジークフリート』第3幕への前奏曲のクライマックスでワーグナーが用いたのはこの前半だけです。それで全く十分なのです。
 EX.190: 《指環の力》 / 《エルダ》  |

Those descending chords are powerful version of the motive of the Magic Sleep, the sleep into which Brunnhilde has been plunged, the sleep from which Erda will soon be awakening. Here's the Magic Sleep motive again as a reminder.
ここでの下降する和音は《魔の眠り》のモティーフをパワフルにしたものです。《魔の眠り》は、ブリュンヒルデが閉じこめられた眠りであり、また、エルダがそこから目覚めようとしている眠りです。その《魔の眠り》のモティーフをリマインドのために再び聴いてみましょう。
 《魔の眠り》: EX.156  |

Now if we listen again to the climax of the Prelude to Act 3 of Siegfried, we hear the loud desending chords quieten down and become a simple restatement of the Magic Sleep motive.
そして『ジークフリート』第3幕への前奏曲のクライマックスをもう一度聴いてみると、大きな音で下降する和音が静かになったあとに《魔の眠り》をシンプルに再提示しているのがわかります。
 EX.191: 《魔の眠り》  |

CD2-Track20
This masterly way of weaving several motives together into a large scale symphonic development is a constant feature of The Ring and nowhere is it used with greater mastery than in the closing pages of the work. During the final orchestral culmination, the music is woven from a combination of four motives.
First, the woodwind introduces the flowing motive of the Rhinemaidens who are swimming on the surface of the Rhine, holding aloft the Ring in triumph. At the same time, the strings are playing the rippling motive of the Rhine itself. Next, the brass weave in the majestic main segments of the motive of Valhalla, as the great castle begins to glow in the distance, preparatory to going up in flames. Then, when the motive of the Rhinemaidens and the Rhine return, they're surmounted by the soaring motive of Redemption, high up on the flutes and violins.
いくつかのモティーフを組み合わせて大きなスケールの交響的展開に仕立てる巧妙な技は『指環』で始終みられる特徴です。しかしこの作品の最終ページほど、その技が高度に使われたところはありません。最後にオーケストラが最高潮に達する時、音楽は4つのモティーフの組み合わせで織りなされます。
まず木管楽器が、ラインの川面を泳ぐ《ラインの乙女》の流れるようなモティーフを導入します。乙女たちは誇らしげに指環を握りしめ、高く掲げています。同時に弦楽器は波だつ《ライン河》のモティーフそのものを演奏します。次に金管楽器は、遠くで巨大な城が炎に包まれる前に輝き始めるとき、《ヴァルハラ》のモティーフの壮麗な主セグメントを合奏します。そして《ラインの乙女》と《ライン河》のモティーフが戻ってきたとき、その上には高音のフルートとヴァイオリンによる《救済》のモティーフが舞い上がるように響きます。
まず木管楽器が、ラインの川面を泳ぐ《ラインの乙女》の流れるようなモティーフを導入します。乙女たちは誇らしげに指環を握りしめ、高く掲げています。同時に弦楽器は波だつ《ライン河》のモティーフそのものを演奏します。次に金管楽器は、遠くで巨大な城が炎に包まれる前に輝き始めるとき、《ヴァルハラ》のモティーフの壮麗な主セグメントを合奏します。そして《ラインの乙女》と《ライン河》のモティーフが戻ってきたとき、その上には高音のフルートとヴァイオリンによる《救済》のモティーフが舞い上がるように響きます。
 EX.192: 《ラインの乙女》/《ライン》/《ヴァルハラ》/《救済》  |

At the very end of the work, the music reaches its ultimate climax with a combination of the motives of Valhalla on the brass and the Power of the Gods in the bass, as both are consumed in the flames. Then, the motive of the dead Siegfried bursts in for the last time as a glorious memory, but it gives way to a last statement of the motive of the Twilight of the Gods which is now accomplished, and all the motives disappear except one. This is the motive of Redemption which remains alone at the end, to set upon the whole vast stormy world of the drama its final seal of benediction.
そして作品の最終段階において音楽は、金管の《ヴァルハラ》と低音部の《神々の力》の2つのモティーフの組み合わせによる究極のクライマックスに到達します。この2つが炎で焼き尽くされるからです。そして突如として、亡き《ジークフリート》のモティーフが最後の輝かしい追憶のように現れます。しかし《ジークフリート》は《神々の黄昏》の最後の提示に道を譲ります。"神々の黄昏" が今、完遂されたのです。そしてこれらすべてのモティーフが消え去ったあと、一つのモティーフが残ります。それが《救済》のモティーフです。これは一つだけで最後まで残り、このドラマの巨大で激動の世界全体に祝福の印をつけるのです。
 EX.193: 《ヴァルハラ》/《神々の力》/《ジークフリート》/《神々の黄昏》/《救済》  |

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対訳 完
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対訳 完
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終わりに
以上で、デリック・クックによる『指環』のライトモティーフの解説は終わりです。音楽学者らしい大変に精緻な解説で、『指環』を知っている人にとっても教えられたり、また新たな発見があったのではないでしょうか。
ここで、序論のところでデリック・クックが述べている解説の方針を振り返ってみましょう(= CD1-Track01。No.257「ニーベルングの指環" 入門(1)序論・自然」参照)。そのポイントは、
一つの基本モティーフから出発し、そこから作られるファミリーを『指環』全体を通して追跡する。 | |
真に重要なモティーフを識別し、それが直接的に示しているドラマのシンボルを指摘する。 |
という2点です。まず第1のポイントは、デリック・クックが基本的なモティーフの変形(transformation)の過程を追い、それが作り出すファミリーを明らかにしているところです。音楽的に全く独立したモティーフは、何らかのファミリーと意味的に関連があるときにだけ解説されます。逆に、変形の結果としてファミリーに属するモティーフは、1回しか現れないもの、つまり本来の意味でのライトモティーフでないものも解説されています。この「変形の追跡」が解説の主軸になっています。
もちろん中には違和感を覚える部分とか、納得できないこともあるでしょう。たとえば、No.14「ニーベルンクの指環(1)」に書いたことですが、
《呪い》のモティーフ(EX.50。短調。初出は『ラインの黄金』第4場)と、《ジークフリート》のモティーフ(EX.120。長調。初出は『ワルキューレ』第3幕 第1場)は大変良く似ている。《ジークフリート》を "縮小変形" して短調にしたのが《呪い》だと考えられる(またはその逆)。"呪い" の内容は「指環を持つものは死ぬ」ということなので、これはその後のドラマの展開を予告する重要な "変形" である
と思うのですが、しかしそういった指摘はありません。デリック・クックによると《呪い》は《指環》のモティーフの4音の下降音形を上昇音形に反転したものであり、《ジークフリート》は《エルダ》のモティーフの最後の3音から発展したものとなります(=ファミリーが違う)。音楽理論的にはそれが正しいのかも知れませんが、オペラを鑑賞するときの "耳で聴く感じ" とはちょっとズレています。
とはいえ、デリック・クックの多くの指摘は納得性が高く、また教えられることが多いわけです。たとえばこの解説の白眉(の一つ)とも言えるところですが、
愛を表す《フライア》のモティーフの後半(= 第2セグメント)は、従来から《逃亡》と名付けられているが、それは間違っている。これはあくまで愛を表す《フライア》のモティーフの第2セグメントであり、『指環』全体を見渡すとそれは "愛のモティーフ" として機能している。かつ、この第2セグメントの起源はフライア登場以前のアルベリヒの歌唱にある
と指摘している点です。アルベリヒまで持ち出しているのが意外なところです。もちろん別の解釈としては、モティーフの意味を多義的にとらえて「《フライア》の第2セグメントは愛のモティーフであるが、それが初めて登場した経緯から《逃亡》を意味することもある」との考え方もあるでしょう。ただ確実に言えることは、デリック・クックが『指環』を広範囲に眺め、本質を突いた指摘をしようとしていることです。
たとえば《フライア》に関していうと、《フライア》の第2セグメントの "長調で、速く、縮められた形"(EX.104)が『ワルキューレ』の第1幕 第3場の終了部に現れ、さらにそれが変形されて『ジークフリート』第3幕 第3場の《愛の決心》(EX.105)になる、としているところです。この2つの場は『指環』における男女2組のカップルの愛の表現が最高潮に達する場面です。《フライア》のモティーフの4部作をまたがる長い変遷は、たとえばそういう風に仕組まれているということなのです。
とにかく、デリック・クックが "4部作を広範囲に眺めた本質的な指摘" をしようとしたことは、他のモティーフやファミリーの解説も含めて明らかでしょう。
第2のポイントは「重要なモティーフを識別し、それが直接的に示しているドラマのシンボルを指摘」している点です。この "直接的" というところがポイントです。モティーフはその使われ方によって裏の意味があったり、その後の進行を予告したり、多義的であったりということがあります。たとえば『指環』の最後の最後にたった1つだけで残る《救済》のモティーフです。No.15「ニーベルンクの指環(2)」に書きましたが、
《救済》のモティーフは、それが初めて現れる状況から(=『ワルキューレ』第3幕 第1場)"次世代への継承" をも意味すると考えられる。つまり『指環』の最終場面は、それで終わりということではなく、そこから再び新たな時代が始まるという暗示である。
というような "解釈" ができるでしょう。こういったたぐいの解釈については、デリック・クックはあまり踏み込んで説明していません。少しはありますが、多くはない。あくまでモティーフを識別した上で、それが直接的に示しているドラマのシンボルや感情だけを指摘するという態度に徹しています。
従って、個々の場面でドラマの進行から考えてモティーフがどういう意味をもつのか、その解釈の多くは『指環』の鑑賞者に任されていると言えるでしょう。デリック・クックの解説のタイトルは "Introduction" です。当然ですが、イントロダクションの次には真の意味での作品の鑑賞が待っています。デリック・クックの解説はあくまで『指環』の迷宮を探索するための "とっかかり" です。
付け加えると、この解説のタイトルを「"ニーベルングの指環" のライトモティーフ」ではなく「"ニーベルングの指環" 入門」としたのは、この作品を鑑賞する糸口として最適なのが、ストーリーや登場人物を知ることよりもライトモティーフの種類と構造を知ることだという意味を込めたもの推察されます。その狙いは成功していると思いました。
ライトモティーフ譜例一覧(1)~(5)
|
"ニーベルングの指環" 入門(1)
 人物・モノ・出来事・感情  |
《 | フンディング》 | |||
《 | 金の林檎》 | |||
《 | アルベリヒの威嚇》 | |||
《 | ジークフリートの怒り》 |
 自然  |
《 | 自然》のモティーフ(原形) | |||
《 | 自然》のモティーフ(確定形) | |||
《 | ライン河》 | |||
《 | エルダ》 | |||
《 | エルダ》/《神々の黄昏》 | |||
《 | エルダ》/《神々の黄昏》 | |||
『 | 神々の黄昏』の《神々の黄昏》 | |||
《 | 世界のトネリコの樹》 | |||
『 | 神々の黄昏』の《世界のトネリコの樹》 | |||
《 | 森の囁き》萌芽形 | |||
《 | 森の囁き》中間形 | |||
《 | 森の囁き》確定形 | |||
《 | 黄金》 | |||
《 | ドンナー》 | |||
《 | 虹の橋》 | |||
『 | 神々の黄昏』における《自然》の原形 | |||
《 | 剣》 | |||
《 | ラインの乙女》 | |||
《 | 森の小鳥》 | |||
《 | 森の小鳥》のセグメント | |||
《 | 眠るブリュンヒルデ》 |
 黄金  |
《 | ラインの乙女の黄金の喜び》 | |||
《 | ラインの乙女の嘆き》 | |||
『 | ジークフリート』における《ラインの乙女の嘆き》 | |||
《 | ハイアヤ・ハイア》 | |||
《 | ハイアヤ・ハイア》ローゲ版 | |||
《 | ハイアヤ・ハイア》が《ニーベルング族》に変化 | |||
《 | ニーベルング族》 | |||
《 | ラインの乙女の黄金の喜び》ローゲ版 | |||
《 | 指環の力》 | |||
《 | ラインの黄金》 | |||
《 | 苦役》 | |||
《 | 苦役》ミーメ版 | |||
《 | ハイホー》 |
"ニーベルングの指環" 入門(2)
 指環  |
《 | 指環》萌芽形 | |||
《 | 指環》中間形 | |||
《 | 指環》確定形 | |||
《 | 指環》基本和声 | |||
《 | 指環》骨格 | |||
《 | 思案》 | |||
《 | 指環》減3和音 | |||
《 | 怨念》 | |||
《 | 指環の力》ハーゲン形 | |||
《 | 殺害》 | |||
《 | 指環》最初の4音符 | |||
《 | 呪い》 | |||
《 | フンディングの正義》 | |||
《 | 贖罪の誓い》 | |||
《 | 財宝》 | |||
《 | 大蛇》 | |||
《 | 大蛇としてのファフナー》 | |||
《 | 指環》ヴァルハラへ変化 | |||
《 | ヴァルハラ》第1セグメント | |||
《 | ヴァルハラ》第2・第3セグメント | |||
《 | ヴァルハラ》最終セグメント | |||
《 | ヴァルハラ》最終セグメント | |||
《 | 剣》と《ヴァルハラ》の最終セグメント |
 槍  |
《 | 槍》第1形 | |||
《 | 槍》確定形 | |||
《 | 取り消しできない掟》 | |||
《 | 契約》 | |||
《 | 神々の力》萌芽形 | |||
《 | 神々の力》中間形 | |||
《 | 神々の力》確定形 | |||
《 | 槍》第1セグメント | |||
《 | 嵐》 | |||
《 | ジークムント》 | |||
《 | ジークムントとジークリンデ》 | |||
《 | ヴォータンの挫折感》 | |||
《 | ヴォータンの挫折感》第2形 | |||
《 | ヴォータンの挫折感》ハーゲン形 | |||
《 | ヴォータンの反抗》 | |||
《 | ヴォータンの挫折感》/《ブリュンヒルデの非難》 | |||
《 | ブリュンヒルデの非難》 | |||
《 | ブリュンヒルデの哀れみの愛》 |
"ニーベルングの指環" 入門(3)
 愛  |
《 | 愛の断念》 | |||
《 | 愛の断念》ジークムント形 | |||
《 | 愛の断念》第2セグメント | |||
《 | 愛の断念》第2形への移行 | |||
《 | 愛の断念》第2形 | |||
《 | 愛の断念》ヴォータンによる第2形 | |||
《 | フライア》 | |||
《 | フライア》ヴァイオリン・パート | |||
《 | フライア》第1セグメント | |||
《 | フライア》第1セグメント - 確定形 | |||
《 | フライア》第1セグメント - ジークムントとジークリンデ | |||
《 | フライア》第2セグメント | |||
《 | 逃亡》 | |||
《 | 完全なフライア》確定形 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ジークムントとジークリンデ | |||
《 | 逃亡》ニーベルハイムへの下降 | |||
《 | フライア》第2セグメント - アルベリヒ | |||
《 | アルベリヒの嘆き》 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ニーベルハイムへの下降 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | 愛の挨拶》 | |||
《 | 愛の挨拶》と《フライア》の第2セグメント | |||
《 | フライア》第2セグメント - 速い長調 | |||
《 | 愛の決心》 | |||
《 | ヴェルズング族の共感の絆》 | |||
《 | ヴェルズング族の共感の絆》第2形 | |||
《 | 冬の嵐》 | |||
《 | ヴォータンのブリュンヒルデへの愛情》 | |||
《 | ジークフリートの愛への憧れ》 | |||
《 | 愛の陶酔》 | |||
《 | 不滅の愛されし人》 | |||
《 | 世界の宝》 | |||
《 | 英雄的な愛》 |
"ニーベルングの指環" 入門(4)
 英雄  |
《 | エルダ》 | |||
《 | ワルキューレ》 | |||
《 | ヴェルズング族》主セグメント | |||
《 | ヴェルズング族》第1セグメント | |||
《 | 死の布告》 | |||
《 | ジークフリート》 | |||
《 | グンター》 |
 英雄 ─ 剣  |
《 | 剣》 | |||
《 | 剣の目的》 | |||
《 | 剣の目的》ジークムント | |||
《 | ヴェルゼ》 | |||
《 | ノートゥング》 | |||
《 | ノートゥング》ジークフリートによる | |||
《 | 名誉》 | |||
《 | 剣の目的》後半 | |||
《 | 剣の目的》後半、ジークムント | |||
『 | ワルキューレ』の《フリッカ》 | |||
《 | 友情》 | |||
《 | ハーゲン》 | |||
《 | 誘惑》 | |||
《 | グートルーネ》 | |||
《 | ギビフングの角笛》 | |||
《 | ジークフリートの角笛》 | |||
《 | ジークフリートの角笛》第2形 | |||
《 | 誓約の宣誓》 | |||
《 | 世界の遺産》 | |||
《 | ジークフリートの使命》第1形 | |||
《 | ジークフリートの使命》確定形 | |||
《 | ジークフリートの使命》ヴォータン形 | |||
《 | ジークフリートの使命》アイロニー | |||
《 | 兄弟の血の誓い》 | |||
《 | 兄弟の血の誓い》アイロニー |
 英雄 ─ 女性が英雄を鼓舞する  |
《 | 家庭の喜び》 | |||
《 | 救済》 | |||
《 | 人間の女としてのブリュンヒルデ》 |
 魔法と神秘  |
《 | ローゲ》 | |||
《 | 魔の炎》 | |||
《 | 魔の炎》ワルキューレ最終場面 | |||
《 | 隠れ兜》 | |||
《 | 魔法の酒》 | |||
《 | ローゲ》半音階セグメント | |||
《 | 魔の眠り》 | |||
《 | さすらい人》 | |||
《 | 運命》 | |||
《 | 運命》ワルキューレ最終場面 | |||
《 | 運命》ブリュンヒルデ | |||
《 | ブリュンヒルデの目覚め》 |
"ニーベルングの指環" 入門(5)
 キャラクター  |
《 | 巨人族》 | |||
《 | 大蛇に変身した巨人、ファフナー》 | |||
《 | アルベリヒ》 | |||
《 | アルベリヒ》チェロ | |||
《 | アルベリヒ》ニーベルハイムのシーン | |||
《 | ミーメの養育の歌》 | |||
《 | ジークフリートの使命》 |
 副次的モティーフ  |
《 | 日の出》 | |||
《 | 日の出》ハーゲンの日 | |||
《 | 家臣たちの歌》 | |||
《 | 波の動き》ライン版 | |||
《 | 波の動き》ライン版 | |||
《 | 波の動き》確定形 | |||
《 | 嵐》 | |||
《 | 波の動き》神々の黄昏 |
 複合  |
《 | ヴァルハラ》 | |||
《 | アルベリヒをあざけるローゲ》 | |||
《 | ヴァルハラ - ローゲ》複合モティーフ | |||
《 | 剣 + 角笛》複合モティーフ | |||
《 | 神々の危機》複合モティーフ | |||
《 | ラインの黄金 + ヴァルハラ》複合モティーフ | |||
《 | 憩え、憩え、神よ》 | |||
《 | 騎行》 | |||
《 | エルダ》/《騎行》のモティーフ | |||
《 | エルダ》/《神々の危機》 | |||
《 | エルダ》/《槍》 | |||
《 | エルダ》/《神々の黄昏》 | |||
《 | エルダ》/《神々の黄昏》/《さすらい人》 | |||
《 | 指環の力》/《エルダ》 | |||
《 | 魔の眠り》 | |||
《 | ラインの乙女》/《ライン》/《ヴァルハラ》/《救済》 | |||
《 | ヴァルハラ》/《神々の力》/《ジークフリート》/《神々の黄昏》/《救済》 |
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2019-06-21 18:09
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No.260 - "ニーベルングの指環" 入門(4)英雄・神秘 [EX.115-161] [音楽]
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リヒャルト・ワーグナー
「ジークフリート」
ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1962) |
CD2-Track03
The characters, in whose lives love plays such an important part, Siegmund and Sieglinde, Siegfried and Brunnhilde, are heroic figures, fighting to establish the claims of love in the loveless world of the Ring and the Spear. And these figures, taken together, form another of the central symbols of the drama, the symbol of heroic humanity. They are all offspring of Erda by Wotan in one way or another. Brunnhilde is literally so, and the Volsungs, though born to Wotan by a mortal woman, are begotten by him out of the inspiration of his first encounter with Erda in Scene 4 the Rheingold.
And the basic motive, or basic phrase, which generates the family of motives associated with these heroic characters is the last three notes' segment of the motive of Erda herself. Erda's motive is in the minor key and so are the heroic motives derived from it. But they are all powerful brass motives and so the minor key here is an expression not so much of pure tragedy as of tragic heroism.
These motives all begin where Erda's climbing motive leaves off, as it were. They take the last three notes of it as a starting point. We'll hear first another special illustration, Erda's motive played by the cellos with a solo horn emphasizing the last three notes.
生涯において "愛" がとりわけ重要な意味をもつ登場人物、つまりジークムント、ジークリンデ、ジークフリート、ブリュンヒルデは英雄的な存在です。彼らは "指環" と "槍" という "愛なき世界" の中で、愛への主張を確立しようと戦っています。そしてこれらの登場人物はまとめて "英雄的な人間性" という、もう一つのドラマの中心的シンボルを作ります。彼らは皆、何らかの意味でヴォータンとエルダの子孫であり、ブリュンヒルデは文字通りそうです。ヴェルズング族はヴォータンと人間の女性の子孫ですが、それは『ラインの黄金』の第4場におけるエルダとの最初の出会いでヴォータンが得た霊感から生まれたのでした。
そして、これらの英雄的な人物に関連するモティーフのファミリーを作り出す基本モティーフ、ないしは基本フレーズは、《エルダ》のモティーフの最後の3つの音のセグメントです。《エルダ》のモティーフは短調で、そこから派生する英雄的なモティーフも短調です。しかしそれらは全て力強い金管楽器のモティーフであり、ここでの短調は単なる悲劇の表現ではなく、悲劇的なヒロイズムを表しています。
これらのモティーフはすべて《エルダ》のモティーフの上昇音形が終わるところから始まると言えるでしょう。つまり《エルダ》のモティーフの最後の3音が出発点になります。まず特別の例示で《エルダ》のモティーフを聴いてみましょう。チェロで演奏し、ソロのホルンが加わって最後の3音を強調します。
そして、これらの英雄的な人物に関連するモティーフのファミリーを作り出す基本モティーフ、ないしは基本フレーズは、《エルダ》のモティーフの最後の3つの音のセグメントです。《エルダ》のモティーフは短調で、そこから派生する英雄的なモティーフも短調です。しかしそれらは全て力強い金管楽器のモティーフであり、ここでの短調は単なる悲劇の表現ではなく、悲劇的なヒロイズムを表しています。
これらのモティーフはすべて《エルダ》のモティーフの上昇音形が終わるところから始まると言えるでしょう。つまり《エルダ》のモティーフの最後の3音が出発点になります。まず特別の例示で《エルダ》のモティーフを聴いてみましょう。チェロで演奏し、ソロのホルンが加わって最後の3音を強調します。
 EX.115: 《エルダ》  |

The leaping motive of the Valkyries, associated particularly with Brunnhilde springs boldly out of the last three notes Erda's motive.
《ワルキューレ》の跳躍するモティーフは特にブリュンヒルデに関連づけられますが、これはエルダのモティーフの最後の3音から力強く出てきたものです(訳注:『ワルキューレ』第3幕への前奏曲)。
 EX.116: 《ワルキューレ》  |

The second heroic motive, generated by the final segment of Erda's motive, is the one associated with the Volsung Race and more paticularlly with Siegmund. It enters in Act 1 of Walkure when Siegmund has finished describing his unhappy fate. Here's the special illustration of Erda's motive again.
《エルダ》のモティーフの最後のセグメントから作られる英雄的なモティーフの2番目は《ヴェルズング族》に結び付くもので、特にジークムントに関係します。これは『ワルキューレ』の第1幕でジークムントが自分の不幸な運命を語り終えたときに出てきます。もう一度《エルダ》のモティーフを特別の例示で聴いてみましょう。
 《エルダ》: EX.115  |

And here's the motive of the Volsung Race which rises slowly out of the last segment of Erda's motive.
そして次が《ヴェルズング族》のモティーフです。《エルダ》のモティーフの最後のセグメントからゆっくりと立ち上がります(訳注:『ワルキューレ』第1幕 第2場)。
 EX.117: 《ヴェルズング族》 主セグメント  |

Incidentally, it should be noted that this motive of the Volsung Race has another segment expressing a sense of infinite sorrow rather than dark tragedy. It's sung by Siegmund to introduce the main part of the motive which we've just heard.
ちなみに《ヴェルズング族》のモティーフには別のセグメントがあることに触れておくべきでしょう。それは暗い悲劇というより深い悲しみを表すもので、ジークムントが歌い、今聴いた《ヴェルズング族》の主要部分へと繋がっていきます。
 EX.118: 《ヴェルズング族》 第1セグメント  |

The final segment of Erda's motive generates another heroic motive associated with the Volsungs. This is the dark one introduced in Act 2 of Walkure, when Brunnhilde warns Siegmund of his impending death. It's later attached to Siegfried as doomed hero in Gotterdammerung. Here's the special illustration of Erda's motive again.
《エルダ》のモティーフの最後のセグメントから生成されるモティーフには、ヴェルズング族と結びつく別の英雄的なモティーフがあります。これは『ワルキューレ』の第2幕で導入される暗いモティーフで、ブリュンヒルデがジークフリートに死が差し迫っていることを警告するときに使われます。それは後の『神々の黄昏』において、破滅する英雄としてのジークフリートも表します。《エルダ》のモティーフの特別の例示を再度聴きましょう。
 《エルダ》: EX.115  |

And here's the motive of the Annunciation of Death, as it recurs on the orchestra near the end of Gotterdammerung when Brunnhilde calls for a funeral lamentation worthy of the dead Siegfried. It too rises slowly out of the final segment of Erda's motive.
そして次が《死の布告》のモティーフで、『神々の黄昏』の最終場面近くでオーケストラに再現するものです。そのときブリュンヒルデは、死んだジークフリートに相応しい葬儀の哀悼を呼びかけます。これもまた《エルダ》のモティーフの最後のセグメントからゆっくりと立ち上がります。
EX.119は『神々の黄昏』第3幕 第3場。解説にあるように《死の布告》が最初に出るのは『ワルキューレ』第2幕 第4場。 |
 EX.119: 《死の布告》  |

The culminating heroic motive generated by the last segment of Erda's motive is the indomitable one of Siegfried. Here's the special illustration of Erda's motive once more.
《エルダ》のモティーフの最後のセグメントから作られる英雄的なモティーフの頂点にあるのが、不屈のジークフリートを表すものです。《エルダ》のモティーフの特別の例示をもう一度聴きましょう。
 《エルダ》: EX.115  |

And here's Siegfried motive, like the Valkyries motive, it rises boldly out of the last segment of Erda's motive.
そして次が《ジークフリート》のモティーフで、《ワルキューレ》のモティーフと同じように《エルダ》のモティーフの最後のセグメントから力強く立ち上がります。
EX.120 は『ジークフリート』第2幕 第2場で、ジークフリートと森の小鳥の "交流" のあと、ホルンの長いソロの中に出てくるもの。このモティーフが最初に出るのは『ワルキューレ』第3幕 第1場でのブリュンヒルデの歌唱。 |
 EX.120: 《ジークフリート》  |

CD2-Track04
One further motive belongs to this heroic family, perhaps surprisingly, this is the motive of Gunther in Gotterdammerung. Gunther does not belong to the offspring of Wotan and Erda in any sense, yet he too is a hero who in his own way tries to establish the claims of love, an attempt which takes a warped form, only because of his weakness which makes him a pawn in the evil plot of his half brother, Hagen. His motive belongs unmistakably, if less than magnificently, to the same heroic family as those associated with the Valkyries and the Volsungs.
このような英雄的なモティーフのファミリーに属するもう一つのモティーフは、たぶん驚かれるでしょうが『神々の黄昏』における《グンター》のモティーフです。グンターは、いかなる意味においてもヴォータンとエルダの子孫ではありません。しかし彼もまた一人の英雄であり、彼なりの方法で愛への要求を確立しようと努めています。しかしこの試みは彼の弱さのためにゆがんだ形にしかなりません。この弱さのために、異父兄弟であるハーゲンの邪悪な計画にかかって手先になってしまうのです。彼のモティーフは堂々としたものではありませんが、間違いなくワルキューレやヴェルズング族に関係した英雄的なモティーフのファミリーに属しています。
EX.121 は『神々の黄昏』第1幕 第1場の冒頭、グンターの歌唱のところ。 |
 EX.121: 《グンター》  |

So much for the heroic characters of the drama.
The two central male ones are Siegmund and Siegfried, and the dynamic symbol of their heroism is the Sword created by Wotan which each of them makes his own. And just as the motive is associated with the heroes themselves stem from the motive of Erda which is a form of the Nature motive, so the motive representing the Sword springs from the Nature motive itself. Indeed, we heard earlier that it's a member of the Nature family, being almost identical with the original arpeggio form of the Nature motive.
ドラマの英雄的な登場人物についてはここまでです。
男性の中心的な登場人物はジークムントとジークフリートの2人であり、そのヒロイズムの動的なシンボルは、ヴォータンが作り2人が自分のものとした "剣" です。そして、彼ら英雄自身に結びついたモティーフが《自然》の変形である《エルダ》のモティーフから生成されたように、《剣》を表すモティーフの起源も《自然》のモティーフそのものにあります。実際、すでに聴いたように《剣》は《自然》のファミリーの一員であり、《自然》の原形であるアルペジオの形とほとんど同じでした。
男性の中心的な登場人物はジークムントとジークフリートの2人であり、そのヒロイズムの動的なシンボルは、ヴォータンが作り2人が自分のものとした "剣" です。そして、彼ら英雄自身に結びついたモティーフが《自然》の変形である《エルダ》のモティーフから生成されたように、《剣》を表すモティーフの起源も《自然》のモティーフそのものにあります。実際、すでに聴いたように《剣》は《自然》のファミリーの一員であり、《自然》の原形であるアルペジオの形とほとんど同じでした。
EX.20 《自然の原形》、および EX.21 《剣》参照。 |
CD2-Track05
The Sword motive recurs many times in the drama, but now we must consider it as another of the basic motives which generates a whole family of motives associated with heroism in action. It first enters on the trumpet in Scene 4 of Rheingold when Wotan conceives the idea of the Sword and of the hero who shall wield it. And we may notice that the musical interval on which it revolves is a downward leaping octave.
《剣》のモティーフはドラマでたびたび現れますが、ここにおいて《剣》は、行動的なヒロイズムに結びつく一連のモティーフのファミリーを作り出す基本モティーフだと考えるべきです。《剣》が最初に現れるのは『ラインの黄金』の第4場でヴォータンが剣のアイデアを思いつき、それを扱うべき英雄を考えるときで、トランペットで演奏されます。それは下向きに跳躍するオクターヴの音程に基づくことに気づくでしょう。
 EX.122: 《剣》  |

This is merely the first segment of the Sword motive. And the much fiercer is the second one, following immediately, and this too is based on the interval of a downward leaping octave. It's sung by Wotan as he explains the purpose of the Sword to secure Valhalla against any attack by enemies, and like the first segment, it recurs later in the drama. Siegmund sings it in Act 1 of Walkure when he remembers that his father Walse, who is of course Wotan, had promised him a Sword in his hour of need.
Here first is the second segment of the Sword motive with its downward leaping octave as sung by Wotan in Scene 4 of Rheingold to indicate the Purpose of the Sword.
これは《剣》のモティーフの第1セグメントだけです。そしてすぐに続く第2セグメントはもっと激しいもので、これも下向きに跳躍するオクターヴの音程に基づきます。それは、剣の目的がヴァルハラを敵の攻撃から守ることだとヴォータンが説明する時の歌唱で使われます。そして第1セグメントと同じくドラマの後の方で再現し、『ワルキューレ』の第1幕のジークムントの歌で使われます。父親のヴェルゼ、つまりヴォータンが、危急の時のための剣を贈ると約束した記憶を語るときです。
まず最初に、下向きに跳躍するオクターヴがある《剣》のモティーフの第2セグメントを聴いてみましょう。これは『ラインの黄金』の第4場でヴォータンが歌うもので、《剣の目的》を示しています。
まず最初に、下向きに跳躍するオクターヴがある《剣》のモティーフの第2セグメントを聴いてみましょう。これは『ラインの黄金』の第4場でヴォータンが歌うもので、《剣の目的》を示しています。
 EX.123: 《剣の目的》  |

And here's the same segment of the Sword motive as sung more quickly by Siegmund in Act 1 of Walkure.
そして次が《剣》のモティーフの同じセグメントで、『ワルキューレ』の第1幕でジークムントがより速いテンポで歌います。
以降の EX.124, EX.125, EX.126 は第1幕 第3場。 |
 EX.124: 《剣の目的》 ジークムント  |

When Siegmund goes on to apostrophize his father, asking him where the Sword is, his voice isolates the downward leaping octave, common to both segments of Sword motive, and it becomes a motive in its own right.
ジークムントが剣の場所を尋ねるため、そこには居ない父に呼びかけをするとき、彼の声は《剣》の2つのセグメントの共通項である下向きに跳躍するオクターヴだけを分離して歌い、それは別のモティーフになります。
 EX.125: 《ヴェルゼ》  |

Near the end of Act 1 of Walkure, when Siegmund draws the Sword from the Tree and names it Nothung, or Need, the new motive of the simple downward leaping octave attaches itself to the name.
『ワルキューレ』の第1幕の終わり近くでジークムントが樹から剣を引き抜き、それをノートゥング、つまり "危急の時" と名付けるとき、単純に下向きに跳躍するオクターヴがノートゥングという名前と結びつきます。
ノートゥングの説明にある "Need" は "必要" ではなく、もっと激しい "難局"、"困窮"、"危機" という意味と解釈できる。「英雄が難局に陥ったときに必要なものがノートゥング」という意味で、ここでは "Need" を "危急の時" とした。EX.123《剣の目的》の "hour of need" の訳も参照。なお、デリック・クックは《The Need of the Gods - 神々の危機》(EX.181)という複合モティーフを取り上げている(後述)。 |
 EX.126: 《ノートゥング》  |

This Nothung motive, associated with the heroes' need for the Sword, recurs in another form in Act 1 of Siegfried. Siegfried sings it when he reforges the Sword and renames it Nothung.
この《ノートゥング》のモティーフは英雄の剣への欲求に関連づけられ、違った形で『ジークフリート』の第1幕で再現します。ジークフリートが剣を鍛え直し、ノートゥングと再命名するときにき歌います(訳注:第1幕 第3場)。
 EX.127: 《ノートゥング》 ジークフリートによる  |

This downard leaping octave, stemming from the Sword motive, is used to generate another heroic motive in Act 1 of Gotterdammerung. This is the terse motive of Honor which enters on the orchestra when Siegfried draws the Sword to lay it between himself and Brunnhilde to keep faith with Gunther.
この《剣》から生成された下向きに跳躍するオクターヴは、『神々の黄昏』の第1幕で別の英雄的なモティーフを生み出すのに使われます。それは《名誉》という簡潔なモティーフで、ジークフリートが剣を抜き、彼とブリュンヒルデの間に置いてグンターとの信義を守ろうとするとき、オーケストラに入ってきます。
EX.128は第3場の最終場面。《名誉》が初めて出てくるのは第2場の EX.52 《贖罪の誓い》のところ。 |
 EX.128: 《名誉》  |

Another important phrase of the Sword motive is the latter half of its second segment referring to the preservation of Valhalla through the Sword. The important interval here is a downward leap of a fifth followed by two steps upward. Let Wotan remind us of this phrase.
《剣》のモティーフの他の重要なフレーズは第2セグメントの後半の部分で、これは剣でヴァルハラを守ることに関係します。ここでの重要な音程は下向きに跳躍する5度と、それに続く2ステップの上昇です。ヴォータンの歌唱でそのところを再確認しましょう。
デリック・クックの説明がややこしいが、《剣》には2つのセグメントがあり、その第2セグメントが《剣の目的》のモティーフと考えているため上のような説明になる。EX.123《剣の目的》参照。 |
 EX.129: 《剣の目的》 後半  |

This phrase is also taken up by Siegmund in Act 1 of Walkure. He sings it twice over as he grasps the Sword to draw it from the Tree, still remembering his father's promise.
このフレーズもまた『ワルキューレ』の第1幕においてジークムントによって取り上げられます。彼は父との約束を思い出し、剣を握って樹から引き抜こうとするときに2度、このモティーフを歌います。
EX.130は『ワルキューレ』第1幕 第3場の最終場面。なお、この第3場は EX.124《剣の目的》ジークムント版で始まる。 |
 EX.130: 《剣の目的》後半、ジークムント  |

CD2-Track06
Ironically, this phrase, with its downward leap of a fifth followed by two steps upwards, generates a number of motives associated with the various characters and events which stand in the way of Wotan's plans to ensure the safety of Valhalla. In the first place, it forms the basis of the orchestral motive attached to Fricka in Act 2 of Walkure when she argues Wotan into abandoning Siegmund and the Sword and also the purpose for which both were conceived.
皮肉なことに、下向きに跳躍する5度とそれに続く2ステップの上昇というこのフレーズは、ヴァルハラの安全を確保しようとするヴォータンの計画の前に立ちはだかる、さまざまな人物や事件に関連したモティーフのいくつかを生み出します。まず第1に、『ワルキューレ』の第2幕においてフリッカと結びつくオーケストラのモティーフの基礎を形づくります。フリッカがヴォータンを論駁し、ヴォータンがジークムントと剣、およびそれらに与えようとした目的を放棄する時です(訳注:第2幕 第1場)。
 EX.131: 『ワルキューレ』の 《フリッカ》  |

In Act 1 of Gotterdammerung, the same phrase with its downward leap of a fifth, generates further new motive associated with the Gibichungs, who stand in the way of the new possessor of the Sword, Siegfried. The first is the motive of Friendship, the illusory friendship between Siegfried and Gunther.
さらに『神々の黄昏』の第1幕において下向きの5度の跳躍をもつ同じフレーズが、剣の新しい持ち主であるジークフリートに立ちはだかるギビフング族に関連した新しいモティーフを作り出します。その最初は《友情》で、これはジークフリートとグンターの幻の友情を表します(訳注:第1幕 第2場)。
 EX.132: 《友情》  |

Behind the illusory friendship between Siegfried and Gunther stands Hagen and his own personal motive isolates the downward leap of a fifth in its sinister diminished form. It usually enters in the bass as here in Hagen's 'Watch Song'.
この幻の友情の背後には《ハーゲン》がいますが、彼個人を表すモティーフは下向きの5度の跳躍だけを取り出し、不吉な減5度にしたものです。それは普通、次のハーゲンの "見張りの歌" のように低音部に入ってきます。
EX.133 は『神々の黄昏』第1幕 第2場の最終場面。EX.47 の《指環の力》も同じシーン。 |
 EX.133: 《ハーゲン》  |

Hagen's plan is to use the friendship between Siegfried and Gunther to seduce Siegfried away from Brunnhilde into a marriage with Gutrune. And the motive associated with this Seduction is a freer transformation of the original phrase with the downward leap, altered from a fifth to a seventh, but with the two steps upwards restored. Hagen introduces it vocally when he refers to the "Magic Potion" which is to be the agent of seduction.
ハーゲンの計画は、ジークフリートとグンターの友情を利用し、ジークフリートを誘惑してブリュンヒルデから遠ざけ、グートルーネとの結婚に持ち込むことです。そして次の《誘惑》のモティーフは、元々の下向きの跳躍の自由な変形です。音程は5度から7度に変えられていますが、2ステップの上昇は残っています。これはハーゲンが誘惑の仕掛けとなる "魔法の酒" について語るときの歌に登場します(訳注:『神々の黄昏』第1幕 第1場)。
 EX.134: 《誘惑》  |

The half unwitting instrument of the seduction, Gutrune, has her own personal motive. And this practically returns to the original form of the phrase, for this downward leap of a fifth followed by two steps upward, but now with much sweeter harmonies.
誘惑について半ば無自覚のグートルーネは、彼女自身のモティーフをもっています。これは事実上、下向きの5度の跳躍と2ステップの上昇という元々の形に戻っていますが、和声はもっと甘美です。
EX.135 は再び『神々の黄昏』第1幕 第2場。ジークフリートに紹介されたグートルーネが広間から去っていくところ。 |
 EX.135: 《グートルーネ》  |

CD2-Track07
Closely associated with Gutrune's motive is the Horn-Call of the Gibichungs which punctuates Hagen's rallying calls to vassals in Act 2 of Gotterdammerung.
《グートルーネ》のモティーフと密接な関係にあるのが《ギビフング族の角笛》のモティーフです。『神々の黄昏』の第2幕においてハーゲンが家臣に集会で呼びかけるとき、その呼応として使われます(訳注:第2幕 第3場)。
 EX.136: 《ギビフングの角笛》  |

A further motive belonging to this family is that of Siegfried's Horn. This is a direct antithesis of the Gibichung's Horn-Call which we've just heard. It begins with an upward leap of a fifth instead of a downward one.
さらに、このモティーフのファミリーに属するのが《ジークフリートの角笛》です。これは、今聴いた《ギビフングの角笛》の直接的な対照物です。下向きの跳躍の代わりに上向きの5度の跳躍で始まります。
EX.137 は『ジークフリート』第2幕 第2場の EX.120 の直前で、ホルンの長いソロの出だしの部分。なお《ジークフリートの角笛》の初出は『ジークフリート』第1幕 第1場。 |
 EX.137: 《ジークフリートの角笛》  |

In the Prelude to Gotterdammerung, this original fast version of the Horn motive takes on the more majestic form, representing Siegfried's new stature as the active hero inspired by the love of Brunnhilde.
『神々の黄昏』の序幕では、このテンポの速い《角笛》のモティーフの原形がもっと壮大な形になり、ジークフリートの新しい姿を表現します。ブリュンヒルデの愛によって鼓舞された行動的な英雄としての姿です。
 EX.138: 《ジークフリートの角笛》 第2形  |

During the great scene in Act 2 of Gotterdammerung, in which Siegfried and Brunnhilde both swear on Hagen's spear, there's a tremendous conflict between the upward and downward leaping fifths. The result is the motive known as the Swearing of the Oath.
ジークフリートとブリュンヒルデがハーゲンの槍のもとで誓う『神々の黄昏』第2幕の荘厳なシーンでは、上昇と下降の5度が激しくぶつかります。その結果、《誓約の宣誓》として知られるモティーフになります。
"The Swearing of the Oath" となっているモティーフは《槍の誓約》とも呼ばれる。『神々の黄昏』第2幕 第4場でのジークフリートの歌唱のところに出てくる。 |
 EX.139: 《誓約の宣誓》  |

One other motive belonging to this family should be mentioned is that of the World's Inheritance, which enters in Act 3 of Siegfried. This motive, in which the salient interval is a downward leaping sixth followed by several steps of upwards, bursts in on the orchestra to round off Wotan's statement to Erda that he intends to Siegfried and Brunhilde inherit the world.
このファミリーに属するもう一つのモティーフに触れておくべきでしょう。それは『ジークフリート』の第3幕で出てくる《世界の遺産》のモティーフです。このモティーフの顕著な特徴は、下降する6度の跳躍とそれに続く数ステップの上昇です。ジークフリートとブリュンヒルデに世界を継がせるという意図をヴォータンがエルダに語るとき、オーケストラに急に入ってきます(訳注:第3幕 第1場)。
 EX.140: 《世界の遺産》  |

CD2-Track08
Here we come to the end of the family of heroic motives generated by the motive of the Sword with its downward leaping octave and fifth.
But the symbol of heroism, like the symbol of love, has other independent motives attached to it. One of the most important of these is that of Siegfried's Mission which consists of a descending phrase of four notes, repeated in falling sequence. It follows him on the orchestra as he dashes away into the forest in Act 1 of Siegfried, on discovering, to his delight, that he can be free of Mime who has no claim on him at all.
これで英雄的なモティーフのファミリーは終わります。これらは《剣》のモティーフから生成したもので、下向きのオクターヴや5度の跳躍をもっていました。
しかし愛のシンボルと同じように、ヒロイズムのシンボルもそれに結びつく独立したモティーフを持っています。その中で最も重要なのが《ジークフリートの使命》で、下降する4つの音から成り、それが順に下降する形で繰り返されます。それは『ジークフリート』の第1幕でジークフリートが森に突き進むときのオーケストラに出てきます。ジークフリートは、彼に対して何の権利もないミーメから解放される喜びを見出します(訳注:第1幕 第1場 終了近く)。
しかし愛のシンボルと同じように、ヒロイズムのシンボルもそれに結びつく独立したモティーフを持っています。その中で最も重要なのが《ジークフリートの使命》で、下降する4つの音から成り、それが順に下降する形で繰り返されます。それは『ジークフリート』の第1幕でジークフリートが森に突き進むときのオーケストラに出てきます。ジークフリートは、彼に対して何の権利もないミーメから解放される喜びを見出します(訳注:第1幕 第1場 終了近く)。
 EX.141: 《ジークフリートの使命》 第1形  |

This motive of Siegfried's Mission achieves its definitive broad form in the Prelude to Gotterdammerung. He himself sings it in his duet with Brunnhilde when he declares that he is no longer Siegfried but Brunnhilde's arm.
この《ジークフリートの使命》のモティーフは『神々の黄昏』の序幕で堂々とした確定形に到達します。ジークフリート自身がブリュンヒルデとの2重唱でそれを歌います。もはやジークフリートではなく、ブリュンヒルデの腕だと宣言する時です。
 EX.142: 《ジークフリートの使命》 確定形  |

Another form of this motive, with the falling phrases in rising sequence is introduced by Wotan in Act 2 of Siegfried. He sings it when he assures Alberich that Siegfried is an entirely free agent who must stand or fall by his own powers.
徐々に上昇していく下降フレーズを持った別の形のモティーフを『ジークフリート』の第2幕でヴォータンが導入します(訳注:第2幕 第1場)。ジークフリートは完全に自由の身であり、立つにしろ倒れるにしろ自らの力によるべきことを、ヴォータンがアルベリヒに確約するときに歌われます。
 EX.143: 《ジークフリートの使命》 ヴォータン形  |

In this form, the motive of Siegfried's Mission forms the basis of the Blood Brotherhood duet in Act 1 of Gotterdammerung. It enters when they sing of their freedom in swearing the oath, and the effect is one of the dramatic irony, since they're both acting as mere pawns in Hagen's plot.
この形の《ジークフリートの使命》のモティーフは『神々の黄昏』の第1幕における《兄弟の血の誓い》の2重唱の基礎となります。これは2人が誓約の自由を歌うときに出てきますが、その効果はドラマとしてのアイロニーです。なぜなら、2人ともハーゲンの陰謀のもとで単なる駒として動いているからです。
EX.144 とその次の EX.145 は、第1幕 第2場の「兄弟の血の誓い」の場面。EX.145 《兄弟の血の誓い》、EX.144 《ジークフリートの使命》、EX.52 《贖罪の誓い》、EX.128 《名誉》 がこの順で登場する。 |
 EX.144: 《ジークフリートの使命》 アイロニー  |

The relationship of this passage to the motive of Siegfried's Mission makes clear that the descending main theme of the Blood Brotherhood duet itself is generated by that motive.
このパッセージと《ジークフリートの使命》の関係から明らかなのは、《兄弟の血の誓い》の下降する主旋律が《ジークフリートの使命》から生成していることです。
 EX.145: 《兄弟の血の誓い》  |

This main theme of the Blood Brotherhood duet itself occurs with great dramatic irony in Act 2 of Gotterdammerung. It enters powerfully on the horns when Gunther, finding himself inextricably involved in Hagen's plot to kill Siegfried, remembers the oath of Blood Brotherhood he swore with him.
《兄弟の血の誓い》の2重唱の主旋律は、『神々の黄昏』の第2幕でドラマとしての大きなアイロニーとして出現します。グンターはジークフリートを殺害しようとするハーゲンの計画に逃れようなく巻き込まれていることを悟りますが、そのときジークフリートと交わした "兄弟の血の誓い" を思い出します。その場面でこのモティーフがホルンに強く現れます。
EX.146 は『神々の黄昏』第2幕 第5場。EX.75 《ヴォータンの挫折感(ハーゲン形)》と同じ場面。 |
 EX.146: 《兄弟の血の誓い》 アイロニー  |

This completes the large number of motives associated with the symbol of heroism in connection with Wotan, Siegmund and Siegfried.
これでヒロイズムというシンボルに関係した、ヴォータン、ジークムント、ジークフリートと結びつく多数のモティーフを終わります。
CD2-Track09
Complementary to this symbol is that of the inspiration given to heroes by women which is represented by the main female characters of the drama, Fricka, Sieglinde and Brunnhilde, each of whom has a motive of this kind. As with the symbol of love, the symbol of woman's inspiring power begins on the subdued level in the power ridden world of Rheingold. The basic motive is the one introduced by Fricka in Scene 2. She sings it when she holds out to Wotan the lure of a comfortable life of Domestic Bliss in Valhalla as a satisfying ideal in itself without any need of further striving. The basis of the motive is two falling intervals, a seventh and a fifth.
以上のシンボルを補足するものとして、女性が "英雄を鼓舞する力" を表すシンボルがあります。つまりドラマの主要な女性キャラクターであるフリッカ、ジークリンデ、そしてブリュンヒルデで表現されるもので、それぞれこの種のモティーフをもっています。愛のシンボルと同じように、"女性の鼓舞する力" のシンボルは『ラインの黄金』という力が支配する世界において控えめに入ってきます。その基本モティーフは、第2場でフリッカが導入します。彼女がヴァルハラ城での家庭的な喜びに満ちた快適な生活の魅力をヴォータンに力説するとき、それを歌います。その生活は、それ以上の努力がいらないという理想を満たすものです。モティーフの基本は5度と7度で下降する2つの音程です。
 EX.147:《家庭の喜び》  |

Little more is heard of this motive. But in Act 3 of Walkure, where the struggle between love and power reaches its height, it's suddenly transformed and lifted onto the heroic plane. Sieglinde, when she learns that she is to bear Siegfried, the hero of the future, sings the ecstatic motive of Redemption. This is also characterized by two falling intervals, both being falling sevenths.
このモティーフはしばらくは出てきません。しかし『ワルキューレ』の第3幕において愛と力の葛藤が最高潮に達するとき、このモティーフは突如変形して英雄的なレベルに引き上げられます(訳注:第1場)。ジークリンデが将来の英雄であるジークフリートを身ごもっていることを知るとき、彼女は《救済》という陶酔的なモティーフを歌います。このモティーフの特徴も2つの下降音程で、ここでは2つとも7度です。
 EX.148:《救済》  |

The third motive associated with the inspiring power of woman is Brunnhilde's personal motive in Gotterdammerung, when she has been transformed from a Valkyrie into a Mortal Woman and Siegfried's wife. Again, we notice the falling seventh.
女性の鼓舞する力の3番目は『神々の黄昏』においてブリュンヒルデ個人を表すもので、彼女がワルキューレから《人間の女》に変身しジークフリートの妻になったときのモティーフです。再び、下降する7度に気づきます。
EX.149 は、EX138《ジークフリートの角笛》第2形と同じく『神々の黄昏』の序幕の途中のオーケストラ間奏曲に出てくる。普通、単に《ブリュンヒルデ》のモティーフと言うと EX.149 を指すが、このモティーフは『神々の黄昏』にしか現れないので、デリック・クック流の "こだわった" 命名がある。 |
 EX.149:《人間の女としてのブリュンヒルデ》  |

This ends the family of motives associated with the inspiring power of woman. Although few, they are extremely powerful.
これで、女性の鼓舞する力に関連したモティーフのファミリーは終わりです。数は少ないものの、大変に強力なモティーフです。
CD2-Track10
One last central symbol remains to be considered, the sense of the mysterious and inscrutable that surrounds human life. The central character here is Loge, the central symbol is Magic Fire. And his flickering chromatic motive is the basic one which generates the rest of this family. It enters on orchestra in Scene 2 of Rheingold when he himself makes his long awaited entry, much to Wotan's relief.
中心的なシンボルで最後に考慮が必要なのは、人間の生活をとりまく神秘的で不可思議な感覚です。ここでの中心的なキャラクターはローゲで、中心的シンボルは "魔の炎" です。そして、ローゲの点滅するような半音階のモティーフが基本モティーフとなって、このファミリーの他のモティーフを作り出します。《ローゲ》のモティーフは『ラインの黄金』の第2場でオーケストラに出てきます。待ちに待ったローゲが登場し、ヴォータンが安堵する場面です。
 EX.150: 《ローゲ》  |

Loge's motive consists of several segments. The most important one is that associated with the Magic Fire which we can hear clearly from a special illustration, the segment played by the orchestra alone.
《ローゲ》のモティーフは数個のセグメントから成っています。最も重要なのは《魔の炎》に関連したセグメントで、それは特別の例示ではっきりと聴けます。このセグメントをオーケストラだけで演奏してみましょう。
 EX.151: 《魔の炎》  |

This is the segment of Loge's motive which dominates the Final Scene of Walkure where Wotan calls on Loge to surround the sleeping Brunnhilde with a wall of Magic Fire.
《ローゲ》のモティーフのこのセグメントが『ワルキューレ』の最終場面を支配します。そこではヴォータンがローゲを呼びつけ、眠るブリュンヒルデを魔の炎で囲むように命じます。
 EX.152: 《魔の炎》 ワルキューレ最終場面  |

In the meantime, this segment of Loge's motive has already generated a new motive of Magic that of the Tarnhelm introduced by muted horns in Scene 3 of Rheingold. This is based on the harmonic progression of the Magic Fire segment of Loge's motive, slowed down, in the minor, and without its flickering figuration.
その前に既に、この《ローゲ》のモティーフのセグメントは魔法に関係した新たなモティーフを生み出しています。それは『ラインの黄金』の第3場で弱音器付きのホルンで導入される《隠れ兜》のモティーフです。これは《ローゲ》の《魔の炎》のセグメントの和声進行が基礎になっていて、それをゆっくりとした短調にして点滅するような音符の形を取り除いたものです。
 EX.153: 《隠れ兜》  |

The Tarnhelm motive itself becomes the starting point of another new motive of Magic in Gotterdammerung. In Act 1, when Hagen explains the powers of the Magic Potion to Gutrune, we hear the Tarnhelm motive in the background with two statements of the sensuous segment of Freia's motive in the foreground. And after the second statement of Freia's motive, the Tarnhelm motive straight away transforms itself into the elusive new motive of the Potion.
その《隠れ兜》のモティーフ自体が『神々の黄昏』において魔法に関係した別の新しいモティーフの起点となります。第1幕でハーゲンがグートルーネに "魔法の酒" の威力を説明するとき、《フライア》のモティーフの官能的なセグメントが2度提示されますが、その背後に《隠れ兜》のモティーフを聴くことができます。そして《フライア》のモティーフの2度目の提示のあとで《隠れ兜》のモティーフはすぐに、つかみどころのない新しいモティーフ、《魔法の酒》に変形します。
EX.154は『神々の黄昏』第1幕 第1場。EX.134 《誘惑》の直後。 |
 EX.154: 《魔法の酒》  |

The other important segment of Loge's motive is a series of first inversion chords running up and down the chromatic scale. The version that generates other motive is the descending one.
《ローゲ》のモティーフの重要なセグメントのもう一つは、半音階を上昇して下降する一連の "第1転回和音" です。他のモティーフを生み出すのはその下降する部分です。
 EX.155: 《ローゲ》 半音階セグメント  |

This segment also slows down and loses its flickering figurations to produce the motive of the Magic Sleep which descends on Brunnhilde in the Final Scene of Walkure.
このセグメントもまたテンポを落とし点滅するような形を失って、《魔の眠り》のモティーフを生み出します。それは『ワルキューレ』の最終場面でブリュンヒルデに降臨します。
 EX.156: 《魔の眠り》  |

This same segment of Loge's motive is more freely transformed to generate the mysterious motive associated with Wotan in his role as the Wanderer in Siegfried. It first appears on the orchestra when he enters Mime's hut in Act 1.
《ローゲ》のモティーフのこの同じセグメントはもっと自由な変形を加えられ、『ジークフリート』でヴォータンが演じる《さすらい人》に結びつく神秘的なモティーフを生み出します。それは、第1幕においてヴォータンがミーメの小屋を訪れるとき、オーケストラに初めて現れます(訳注:第1場)。
 EX.157: 《さすらい人》  |

CD2-Track11
One further motive connected with Magic and Mystery is not directly derived from Loge's motive, but is related to its general chromatic character. It's one of the shortest, yet one of the most important in The Ring, a chromatic progression of two chords only, which is associated with the inscrutable workings of Fate. It first enters on tubas when Brunnhilde comes to Siegmund in Act 2 of Walkure to warn him that he is to die.
魔法と神秘に結びつくもう一つのモティーフは《ローゲ》のモティーフから直接的に導かれるものではありません。しかし、全体的な半音階の特徴が《ローゲ》に関係しています。それは『指環』の中では最も短いモティーフの一つですが、最も重要なものの一つで、《運命》の不気味な働きに関連した2つの和音だけの半音階的進行です。それは『ワルキューレ』の第2幕において、ブリュンヒルデがジークムントのところに来て死が迫っていることを警告するときに、チューバに初めて現れます。
EX.158は『ワルキューレ』第2幕 第4場。同じ場で EX.119《死の布告》も初めて現れる。 |
 EX.158: 《運命》  |

This motive of of two chords suggests the workings of Fate by moving mysteriously from one key to another with each repetition. But the very end of Walkure, Fate is suspended, as it were, while Brunnhilde sleeps, and so the Fate motive, in spite of the repetitons, is held fixed in the key in which the Opera ends.
この2つの和音のモティーフは繰り返しごとに2つの調性の間を神秘的に動き、それによって運命の働きを暗示します。しかし『ワルキューレ』の最終場面においてブリュンヒルデが眠りにつくと《運命》はいわば中断され、繰り返しは残っているものの、調性が楽劇の終わりまで固定されたままになります。
 EX.159: 《運命》 ワルキューレ最終場面  |

When Brunnhilde is awoken in Act 3 of Siegfried, almost her first words are "Long was my sleep", and she sings this suspended version of the Fate motive which we've just heard. Then, she sings "I am awake", the Fate motive returns to its original form, moving into a new key, to suggest that, from this point onwards, Fate is at work again.
『ジークフリート』の第3幕においてブリュンヒルデが目覚めたとき、最初の言葉は「眠りは長かった」です。そして彼女は、私たちが今聴いたばかりの《運命》のモティーフの固定された形を歌います。そして次に彼女が「目覚めました」と歌うとき、《運命》のモティーフは新しい調性に移って元々の形に戻ります。これ以降、再び運命が働き出すことを暗示しているのです。
 EX.160: 《運命》 ブリュンヒルデ  |

This passage makes clear that the bright motive of two chords to which Brunnhilde actually awakes is itself generated by the Fate motive suggesting the working of Fate towards a more happy end, at least for the time being.
このパッセージで明らかなことは、ブリュンヒルデが実際に目覚めたときの明るい2つの和音のモティーフ自体が《運命》のモティーフから生成されていることです。そして少なくともしばらくの間は、運命の働きがより幸せな結果に向かうことを暗示しています。
 EX.161: 《ブリュンヒルデの目覚め》  |

This brings to an end the family of motives associated with the symbol of Magic and Mystery.
これで、魔法と神秘に関係したモティーフのファミリーは終わりです。
ライトモティーフ譜例一覧(4)
|
 英雄  |
《 | エルダ》 | |||
《 | ワルキューレ》 | |||
《 | ヴェルズング族》主セグメント | |||
《 | ヴェルズング族》第1セグメント | |||
《 | 死の布告》 | |||
《 | ジークフリート》 | |||
《 | グンター》 |
 英雄 ─ 剣  |
《 | 剣》 | |||
《 | 剣の目的》 | |||
《 | 剣の目的》ジークムント | |||
《 | ヴェルゼ》 | |||
《 | ノートゥング》 | |||
《 | ノートゥング》ジークフリートによる | |||
《 | 名誉》 | |||
《 | 剣の目的》後半 | |||
《 | 剣の目的》後半、ジークムント | |||
『 | ワルキューレ』の《フリッカ》 | |||
《 | 友情》 | |||
《 | ハーゲン》 | |||
《 | 誘惑》 | |||
《 | グートルーネ》 | |||
《 | ギビフングの角笛》 | |||
《 | ジークフリートの角笛》 | |||
《 | ジークフリートの角笛》第2形 | |||
《 | 誓約の宣誓》 | |||
《 | 世界の遺産》 | |||
《 | ジークフリートの使命》第1形 | |||
《 | ジークフリートの使命》確定形 | |||
《 | ジークフリートの使命》ヴォータン形 | |||
《 | ジークフリートの使命》アイロニー | |||
《 | 兄弟の血の誓い》 | |||
《 | 兄弟の血の誓い》アイロニー |
 英雄 ─ 女性が英雄を鼓舞する  |
《 | 家庭の喜び》 | |||
《 | 救済》 | |||
《 | 人間の女としてのブリュンヒルデ》 |
 魔法と神秘  |
《 | ローゲ》 | |||
《 | 魔の炎》 | |||
《 | 魔の炎》ワルキューレ最終場面 | |||
《 | 隠れ兜》 | |||
《 | 魔法の酒》 | |||
《 | ローゲ》半音階セグメント | |||
《 | 魔の眠り》 | |||
《 | さすらい人》 | |||
《 | 運命》 | |||
《 | 運命》ワルキューレ最終場面 | |||
《 | 運命》ブリュンヒルデ | |||
《 | ブリュンヒルデの目覚め》 |
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2019-06-07 18:19
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No.259 - "ニーベルングの指環" 入門(3)愛 [EX.80-114] [音楽]
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リヒャルト・ワーグナー
「ワルキューレ」
ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1965) |
CD1-Track15
Love is another of the central symbols of the drama, standing in direct opposition to the two central symbols of power, the Ring and the Spear. In the first place, it stands naturally in opposition to the Ring because the crucial condition attached to the making of the Ring is the Renunciation of Love. And this condition has its own motive, a tragic one in the minor key. It enters in Scene 1 of Rheingold. It's sung by the Rhinemaiden, Woglinde, when she tells Alberich that only the man who is prepared to renounce love can make the Ring from the Gold.
"愛" はドラマのもう一つの中心的なシンボルであり、それは "力" の中心的シンボルの2つ、"指環" と "槍" のちょうど正反対の位置にあります。そもそも "愛" が "指環" の対極にあるのは当然でしょう。なぜなら、指環を作る際の絶対の条件が《愛の断念》だからです。この条件は、それ自身を表す悲劇的な短調のモティーフを持っています。これは『ラインの黄金』の第1場で導入され、ラインの乙女のヴォークリンデによって歌われます。彼女がアルベリヒに、愛を断念する用意がある者だけが黄金から指環を作れる、と告げる場面です。
 EX.80: 《愛の断念》  |

This motive of the Renunciation of Love recurs at various points in the drama, most surprisingly perhaps, in Act 1 of Walkure. Siegmund sings it as he draws the Sword from the Tree, the decisive action which proclaims his identity as the brother of Sieglinde and her true lover.
《愛の断念》のモティーフはドラマの数々の時点で再現します。驚くことに『ワルキューレ』の第1幕でもジークムントが剣を樹から抜く時に歌います。彼はこの決断の行動で、ジークリンデの兄であると同時に真の恋人である自覚を宣言するのです(訳注:第1幕 第3場の最終場面)。
 EX.81: 《愛の断念》 ジークムント形  |

Siegmund's words refer to the need for which he has drawn the Sword, the deepest need of holiest love. From the total symbolic point to view, the whole drama, The Ring has begun in the world without love, and this is symbolized by the Renunciation motive. The claims of love only begin to assert themselves in Act 1 of Walkure, and they're only established in Act 3 in the Compassionate Love of Brunnhilde represented by the motive we heard a little earlier.
Wotan himself, in his own way, has renounced love as decisively as Alberich by offering Freia, the Goddess of Love, as a wage to the Giants for building Valhalla. And so the Renunciation motive is also associated with him, though in a different form. This stems from the second of the two phrases in the original motive. And the agent of transformation is Fricka in Scene 2 of Rheingold, when she tells Wotan that his bartering away of Freia shows his contempt for love. Here's the second phrase of the Renunciation motive as sung originally by Woglinde.
ジークムントは剣を抜く理由になった崇高な愛への深い欲求を語ります。象徴性の視点からドラマ全体を見ると『指環』は "愛なき世界" で始まり、《断念》のモティーフがそれを象徴します。愛への要求は『ワルキューレ』の第1幕でようやく主張され、第3幕の《ブリュンヒルデの哀れみの愛》で確立されます。そのモティーフは少し前に聴きました(訳注:EX.79)。
ヴォータンもアルベリヒと同様、彼なりのやり方で完全に愛を断念しました。つまり、ヴァルハラを建てた労賃として愛の女神であるフライアを巨人たちに差し出したからです。従って《断念》のモティーフは、少し違った形ですがヴォータンとも結びつきます。これは元々のモティーフの2つあるセグメントの2番目から生じます。そのモティーフの変形を担当するのが『ラインの黄金』第2場でのフリッカです。そのときフリッカは、ヴォータンがフライアを交換で手放したのは愛への侮辱だとヴォータンに言います。次が、ヴォークリンデが歌う元々の《断念》のモティーフの第2セグメントです。
ヴォータンもアルベリヒと同様、彼なりのやり方で完全に愛を断念しました。つまり、ヴァルハラを建てた労賃として愛の女神であるフライアを巨人たちに差し出したからです。従って《断念》のモティーフは、少し違った形ですがヴォータンとも結びつきます。これは元々のモティーフの2つあるセグメントの2番目から生じます。そのモティーフの変形を担当するのが『ラインの黄金』第2場でのフリッカです。そのときフリッカは、ヴォータンがフライアを交換で手放したのは愛への侮辱だとヴォータンに言います。次が、ヴォークリンデが歌う元々の《断念》のモティーフの第2セグメントです。
 EX.82: 《愛の断念》 第2セグメント  |

When Fricka accuses Wotan of despising love, the orchestra plays the first phrase of the Renunciation motive, but her utterance ends by hinting harmonically at this second one.
フリッカがヴォータンの愛への侮辱を責めるとき、オーケストラは《断念》のモティーフの第1セグメントを演奏します。しかし彼女の歌唱はこの第2セグメントの和声を暗示して終わります。
 EX.83: 《愛の断念》 第2形への移行  |

CD1-Track16
Later in the same Scene, Loge acts as a final agent of transformation when he says that, in all the world, he's been unable to find anything valuable enough to serve as a substitute wage for the Giants instead of the Goddess of Love, Freia. Here, he adapts the phrase of Fricka, which we've just heard, into the second form of the Renunciation motive which is to be associated with Wotan, and later with other characters.
同じ『ラインの黄金』第2場の後の方で、ローゲが《断念》の最後の変形を担当します。世界中を探したが、巨人たちへの報酬として愛の女神フライアの代わりなる価値あるものは見つけられなかったと彼が言う場面です。ここでローゲは先ほど聴いたフリッカのフレーズを《断念》のモティーフの第2形へと改変します。これはヴォータンに関連づけられ、後には他の登場人物とも結びつきます。
 EX.84: 《愛の断念》 第2形  |

This second form of the Renunciation motive often recurs as a mournful cadence expressing futility. One of the many examples is to be found in Act 2 of Walkure when Wotan, having realized his own lovelessness, describes himself as the unhappiest of men. Here's the whole passage, leading up to the use of the Renunciation motive as a cadence.
この《断念》のモティーフの第2形は、しばしば無益な行為を表現する "嘆きの終止形" として再現します。その多数の例の中の一つは、『ワルキューレ』の第2幕でヴォータンが愛の欠如を自覚し、最も不幸な男だと自身を表現するときに認められます。ここで《断念》のモティーフを終止形として使うに至る全体のパッセージを聴いてみましょう(第2幕 第2場。EX.76 の直後)。
 EX.85: 《愛の断念》 ヴォータンによる第2形  |

But the Renunciation motive in both its forms only represents love in a negative light, it stands for the general lovelessness prevailing in the power ridden world of the drama.
The basic love motive, positive, dynamic motive of love in action, in opposition to absolute power, is the one associated with the central symbol of love in the drama, the Goddess of Love herself, Freia. Her motive first enters on the orchestra in Scene 2 of Rheingold when she runs on persued by the Giants. Fricka describes her approach and Freia enters her motive introduced by the violins.
しかし《断念》のモティーフの2つの形とも "愛" の否定的側面だけを表しており、"力" が支配する世界に蔓延する愛の欠如を表現しています。
その絶対的な "力" に対抗し、肯定的で、実際の愛のように動的な基本モティーフがあります。それは、このドラマの中心的な愛のシンボル、愛の女神・フライア自身に関連づけられたモティーフです。フライアのモティーフは最初に『ラインの黄金』の第2場でオーケストラに現れます。そのとき彼女は巨人たちの追跡から逃れてきます。フリッカが彼女の接近を告げ、フライアが登場するときに、彼女のモティーフがヴァイオリンに導入されます。
その絶対的な "力" に対抗し、肯定的で、実際の愛のように動的な基本モティーフがあります。それは、このドラマの中心的な愛のシンボル、愛の女神・フライア自身に関連づけられたモティーフです。フライアのモティーフは最初に『ラインの黄金』の第2場でオーケストラに現れます。そのとき彼女は巨人たちの追跡から逃れてきます。フリッカが彼女の接近を告げ、フライアが登場するときに、彼女のモティーフがヴァイオリンに導入されます。
 EX.86: 《フライア》  |

We can hear Freia's swift motive more clearly from another special illustration, the violin part played on its own, a little more slowly.
《フライア》のテンポの速いモティーフは、特別の例示でもっと明確に聴けます。ヴァイオリンのパートだけを少しゆっくりと演奏してみましょう。
 EX.87: 《フライア》 ヴァイオリン・パート  |

CD1-Track17
Freia's motive has two independent segments and we may begin by considering the first, the rising one.
《フライア》のモティーフは独立した2つのセグメントを持っています。まず、最初の上昇するセグメントから考察してみましょう。
 EX.88: 《フライア》 第1セグメント  |

This first segment of Freia's motive is swift here and in the minor to portray Freia's agitation as she flees from the Giants. But it soon establishes its definitive slow major form. This stands out clearly for the first time when it introduces Loge's 'Hymn to Love', a little further along in the same Scene.
この《フライア》のモティーフの第1セグメントは速いテンポの短調で、巨人たちから逃走するフライアの切迫感を描いています。しかしまもなく、ゆっくりとした長調の確定形になります。これは同じ場の少し後でローゲが "愛の賛歌" を歌うとき、初めてはっきりと目立つ形で現れます(訳注:第2場の EX.84 の直後)。
 EX.89: 《フライア》 第1セグメント - 確定形  |

This definitive sinuous form of the first segment of Freia's motive recurs on its own throughout The Ring in association with the sensuous aspect of love between man and woman. For example, in Act 1 of Walkure, after Siegmund's first fully impassioned utterance to Sieglinde, it ascends sweetly on the violins.
このしなやかな《フライア》の第1セグメントの確定形は『指環』全体で再現します。それは男女の愛の官能的な側面に関連づけられます。例えば『ワルキューレ』の第1幕でジークムントがジークリンデに最初の情熱的な言葉を口にするとき、このモティーフがヴァイオリンで甘美に上昇します(訳注:第1幕 第3場)。
 EX.90: 《フライア》 第1セグメント - ジークムントとジークリンデ  |

No new motives are generated from this first segment of Freia's motive. It remains itself throughout The Ring. The whole family of motives representing the various aspect of love is generated by the second segment of her motive which we'll recall now.
《フライア》のモティーフの第1セグメントから新しいモティーフは生成されません。これは『指環』全体を通してそのままの形で残ります。愛のさまざまな側面を表すモティーフのファミリー全体は、《フライア》のモティーフの第2セグメントから生成されます。第2セグメントを思い出してみましょう。
 EX.91: 《フライア》 第2セグメント  |

This second segment of Freia's motive was identified wrongly by the very first commentator on The Ring, Hans von Wolzogen. He labeled it Flight. And every commentator since has followed him unthinkingly.
The whole motive enters in conjunction with Freia, and as with many other motives, its segments apply equally to the symbol it's attached to. It was not Wagner's practice to detach segments of his motives from the symbols that are initially associated with, and give them quite different meanings.
この《フライア》のモティーフの第2セグメントは、『指環』の最初の解説者であるハンス・フォン・ヴォルツォーゲンによって間違った認識がされました。彼は《逃亡》と名づけたのです。そして後世の全ての解説者は、考えなしにそれに従いました。
しかしモティーフ全体がフライアと結びついて登場しており、他のモティーフと同様、全てのセグメントが表現しているシンボルに等しく適用されるはずです。あるモティーフが最初にシンボルに関連づけられたあとで、モティーフのセグメントを切り離して全く違った意味を与えるというのは、ワーグナーの流儀ではありません。
しかしモティーフ全体がフライアと結びついて登場しており、他のモティーフと同様、全てのセグメントが表現しているシンボルに等しく適用されるはずです。あるモティーフが最初にシンボルに関連づけられたあとで、モティーフのセグメントを切り離して全く違った意味を与えるというのは、ワーグナーの流儀ではありません。
CD1-Track18
The label Flight might at times seem to be justified, since the segment does recur in something like its original form when various characters are in flight. For example, it portrays Siegmund and Sieglinde fleeing from Hunding in the Prelude to Act 2 of Walkure.
《逃亡》という名前は、時に正当化できるように思えるかも知れません。というのもこの第2セグメントは原形に近い形で、さまざまな登場人物が逃げているときに出てくるからです。例えば『ワルキューレ』の第2幕への前奏曲では、フンディングから逃げるジークムントとジークリンデを描写します。
 EX.92: 《逃亡》  |

However, the characters in flight here, Siegmund and Sieglinde, are symbols of love, as Freia herself is, even when fleeing from the Giants. And if we examine the second segment of Freia's motive, we find that it functions exactly like the first segment as a love motive. In conjunction with the first segment, it soon establishes a definitive slow major form. Here's the original Freia's motive, again, complete.
しかし、ここで逃亡している登場人物のジークムントとジークリンデは愛のシンボルです。それは、たとえ巨人たちから逃げているときでもフライアが愛のシンボルであるのと同じです。そして《フライア》のモティーフの第2セグメントを調べてみると、第1セグメントと全く同じように愛のモティーフとして機能していることがわかります。それはすぐに第1セグメントと結合した形で、ゆっくりとした長調の確定形になります。《フライア》のモティーフの原形を、もう一度完全な形で聴いてみましょう。
 《フライア》 ヴァイオリン・パート: EX.87  |

CD1-Track19
When Fasolt, in Scene 2 of Rheingold, explains Wotan that he looks forward to having Freia as a wife in his home, the oboe accompanies his vocal line with the whole of Freia's motive, both first and second segments, in the definitive slow major form.
『ラインの黄金』の第2場においてファゾルトがヴォータンに、フライアを妻として家に迎えるのを楽しみにしていると説明するとき、彼の歌唱にオーボエが伴奏します。それは《フライア》のモティーフの第1、第2セグメントを含む全体の形で、ゆっくりとした長調の確定形です。
 EX.93: 《完全なフライア》 確定形  |

And the second segment of Freia's motive, in exactly the same way as the first, detaches itself in its definitive slow major form and recurs as a pure love motive in association with Siegmund and Sieglinde in Act 1 of Walkure. Here's the second segment again in its original swift minor form.
そして《フライア》のモティーフの第2セグメントは第1セグメントと全く同じように、ゆっくりとした長調の確定形で分離されます。その分離したセグメントは『ワルキューレ』の第1幕でジークムントとジークリンデに関連づけられた、純粋な愛のモティーフとして再現します。第2セグメントを、原形の速い短調の形で再度聴いてみましょう。
 《フライア》 第2セグメント: EX.91  |

When Siegmund drinks the mead which Sieglinde has brought him and they stare into one another's eyes and fall in love, this second segment of Freia's motive enters in its definitive slow major form as their basic love motive.
ジークリンデが用意した蜂蜜酒をジークムントが飲むとき、2人は眼を見つめ合い、恋に落ちます。そのとき、この《フライア》のモティーフの第2セグメントがゆっくりとした長調の確定形で入ってきて、それは2人の愛の基本モティーフになります(訳注:第1幕 第1場)。
 EX.94: 《フライア》 第2セグメント - ジークムントとジークリンデ  |

This basic love motive represents the compassionate aspect of love as opposed to its sensuous aspect which is expressed by the first segment of Freia's motive. It recurs in many different forms. Two main ones are slow and in the major, as here, and swift and in the minor, as at first, to represent love being driven out and pursued, hence the mistaken label of Flight.
There are certain passages where the swift minor form of the motive might seem to imply Flight, or at least pursuit, devoid of any associations with love. But these have been misunderstood. An example is the descent of Wotan and Loge to Nibelheim between Scenes 2 and 3 of Rheingold. Here, the second segment of Freia's motive is repeated over and over very swiftly in the minor. And a suggestion is that Wotan and Loge are in flight in some abstruse sense, or at least that they're in swift pursuit of Albrecht and the Ring.
この愛の基本モティーフは、《フライア》のモティーフの第1セグメントで表現される愛の官能的な側面とは対照的に、愛の哀れみの側面を表現しています。このモティーフは様々な形で再現します。その中心的なものは2つで、一つはここにみられるゆっくりとした長調です。もう一つは短調の速いテンポのもので、それはせき立てられ、追いかけられている愛を表現します。そのため《逃亡》という間違った名前がついたのです。
確かにこのモティーフの速い短調の形が、愛と関係がなく《逃亡》を含意するように見える、または少なくとも "追跡" と見えるパッセージもあります。しかしこれも誤解されてきました。その例は『ラインの黄金の』の第2場と第3場の間でヴォータンとローゲがニーベルハイムに下っていくシーンです。ここでは《フライア》のモティーフの第2セグメントが大変テンポの速い短調の形で何度も繰り返されます。ここでの意味は、ヴォータンとローゲが何らかの深い意味での逃亡状態にあることか、あるいは少なくとも2人がアルベリヒと指環を急いで追い求めているとも見えます。
確かにこのモティーフの速い短調の形が、愛と関係がなく《逃亡》を含意するように見える、または少なくとも "追跡" と見えるパッセージもあります。しかしこれも誤解されてきました。その例は『ラインの黄金の』の第2場と第3場の間でヴォータンとローゲがニーベルハイムに下っていくシーンです。ここでは《フライア》のモティーフの第2セグメントが大変テンポの速い短調の形で何度も繰り返されます。ここでの意味は、ヴォータンとローゲが何らかの深い意味での逃亡状態にあることか、あるいは少なくとも2人がアルベリヒと指環を急いで追い求めているとも見えます。
 EX.95: 《逃亡》ニーベルハイムへの下降  |

To understand the true significance of this passage, we have to realize that the origin of the second segment of Freia's motive, the basic love motive, goes back beyond Freia herself to Scene 1 of Rheingold. Here, a short embryonic form of it is introduced in association with the thwarting of Alberich passion by the Rhinemaidens. When Alberich is finally rejected by the third Rhinemaiden, Flosshilde, he introduces this embryonic form of the basic love motive rather slowly and in the minor to express his grief over the frustration of his wooing.
このパッセージの真の意味を理解するためには、愛の基本モティーフである《フライア》のモティーフの第2セグメントの起源が、『ラインの黄金』でのフライアの登場より前の第1場にあることを理解しなければなりません。つまりアルベリヒのラインの乙女に対する熱情が挫折することに関連して、愛のモティーフの短い萌芽形が出てくるのです。アルベリヒが最終的に第3のラインの乙女・フロスヒルデによって拒絶されたとき、彼は愛の基本モティーフの萌芽形を導入します。それは幾分ゆっくりとした短調で、求婚が挫折に終わった嘆きを表現しています。
 EX.96: 《フライア》 第2セグメント - アルベリヒ  |

It's this short embryonic version of the basic love motive which is developed in the descent to Nibelheim. To make this absolutely clear, let's hear Alberich's lament in Scene 1 again, picking up the music a little earlier beginning with his cries of "Woe is me" which lead to his embryonic version of the basic love motive.
ニーベルハイムへの下降のシーンで展開されるのは、この愛の基本モティーフの短い萌芽形です。このことを完全に明確にするために、第1場でのアルベリヒの嘆きを再度聴いてみましょう。少し前のアルベリヒの "ああ情けない" という叫びのところの音楽から取り上げますが、それが愛の基本モティーフの萌芽形へと導きます。
 EX.97: 《アルベリヒの嘆き》  |

The descent to Nibelheim takes this passage as its starting point. It restates Alberich's cries of "Woe is me" more quickly and then it develops his short embryonic version of the love motive furiously, in the way made possible by the definitive continuous form of it, now associated with Freia.
ニーベルハイムへの下降は、このパッセージが出発点になっています。まずアルベリヒの "ああ情けない" という叫びが素早く繰り返され、短い愛のモティーフの萌芽形へと激しく展開します。それが、フライアに関連づけられる確定形へと変わっていくことを可能にします。
 EX.98: 《フライア》 第2セグメント - ニーベルハイムへの下降  |

It's clear that when this passage begins, just after the music associated with Loge in Scene 2, Wagner employs a flashback technique which he often uses in orchestral interludes. He turns away from Wotan and Loge and their descent to Nibelheim, and picks up Alberich on his descent to Nibelheim from the Rhine after Scene 1. Alberich's thwarted desire a love has turned bitter, and is being transformed into a fierce lust of power,a familiar psychological phenomenon which is the true underlying meaning of the dependence of absolute power on the renunciation of love.
第2場のローゲが関係する音楽のすぐあとでこのパッセージが始まるとき、明らかにワーグナーはオーケストラ間奏曲でよく用いるフラッシュバックの技法を使っているです。ワーグナーは、ヴォータンとローゲと彼らのニーベルハイムへの下降はひとまず置いておき、第1場の最後でアルベリヒがライン河からニーベルハイムに下降するときの音楽を取り上げます。アルベリヒの愛への欲望の挫折は苦いものになり、それは力に対する激しい欲望へと変化しつつあります。愛を放棄するに当たって絶対的な力に頼るというのがその背景の意味であり、それはよくある心理現象だと言えるでしょう。
CD1-Track20
A little later in this interlude, the basic love motive enters in the new and more powerful form on the brass. It's still in the minor, but now it's slow and drawn out like the lament of love itself expelled from this world of naked power.
この間奏曲の中の少しあとで、新しい形の愛の基本モティーフがもっと力強く金管に入ってきます。それはまだ短調ですが、ゆっくりと引き伸ばされていて、むき出しの "力" の世界から追放されてしまった "愛" を嘆くようです。
 EX.99: 《フライア》 第2セグメント - ゆっくりとした短調  |

This powerful form of the basic love motive, slow and in the minor, attaches itself to Wotan in Act 2 of Walkure when he realizes his own lovelessness. He sings it at the beginning of the passage we heard earlier, the one illustrating the use of the second form of the Renunciation motive as a cadence expressing futility.
この力強く、ゆっくりとした短調の愛の基本モティーフは『ワルキューレ』の第2幕においてヴォータンに割り当てられます。彼が自分の愛の欠如を自覚するときです。彼は以前に聴いたパッセージの最初でそれを歌い、またこれは《愛の断念》のモティーフの第2形を、無益さを表す終止形として使う例になっています。
EX.100 は第2幕 第2場で、EX.85 《愛の断念・第2形》と同じ箇所。 |
 EX.100: 《フライア》 第2セグメント - ゆっくりとした短調  |

This lamenting form of the basic love motive also attaches itself to Siegmund and Sieglinde in a more lyrical way. In Act 1 of Walkure when Siegmund momentarily feels that his love of Sieglinde is a forlorn hope, the definitive slow major form of the basic love motive which has been associated with their falling in love, now turns sadly to its minor form.
この愛の基本モティーフの "嘆きの形" は、もっと叙情的な形で『ワルキューレ』第1幕のジークムントとジークリンデに結びつきます。ジークリンデへの恋が絶望的なのではとジークムントが一瞬感じるとき、恋に落ちることに関連した愛の基本モティーフのゆっくりとした長調の確定形が、悲しげな短調の形に変わります(訳注:第1幕 第1場。EX.94 と同じ場面)。
 EX.101: 《フライア》 第2セグメント - ゆっくりとした短調  |

The definitive slow major form of the basic love motive later transformed itself freely to generate two new motives associated with the love of Siegfried and Brunnhilde in Act 3 of Siegfried. First, it forms the basis of the exultant theme known as the motive of Love's Greeting. They introduce this vocally when they hail the memory of Sieglinde as the mother of Siegfried.
ゆっくりとした長調の愛のモティーフの確定形は(訳注:EX.94)のちに自由な変形を遂げ、『ジークフリート』の第3幕においてジークフリートとブリュンヒルデの愛に結びつく新たな2つのモティーフを生み出します(訳注:第3幕 第3場)。まず《愛の挨拶》のモティーフとして知られる、喜びに溢れた旋律の基本を形づくります。2人がジークフリートの母のジーリンデの思い出を讃えるとき、歌唱でこのモティーフが導入されます。
 EX.102: 《愛の挨拶》  |

The relationship between this new motive of Love's Greeting and the basic love motive becomes entirely clear in a later passage when Brunhilde tells Siegfried that she was destined for him before he was born. This new motive enters on the woodwind, but Brunhilde immediately continues it in the shape of the basic love motive.
この新しいモティーフ《愛の挨拶》と愛の基本モティーフの関係は、後の歌唱で明らかになります。ブリュンヒルデがジークフリートに、彼が生まれる前から自分の運命づけられた人だったと告げるときです。この新しいモティーフが木管に入ってきますが、ブリュンヒルデはすぐに愛の基本モティーフの形で続きます。
 EX.103: 《愛の挨拶》 と 《フライア》の第2セグメント  |

CD2-Track01
The other new motive generated by the basic love motive, is the bold one known as Love's Resolution. It strikes in nearly at the end of Siegfried to sum up the supremely confident character of the love of Siegfried and Brunnhilde. This motive is again a free transformation of the of the basic love motive. Its origin is the brilliant orchestral passage at the end of Act 1 of Walkure when Siegmund and Sieglinde fall into one another's arms. The basic love motive enters here in the major but quickly. That is developed to the swift telescoped form to express the joyful passion of the two lovers.
愛の基本モティーフから作り出される他の新しいモティーフは《愛の決心》として知られる堂々としたモティーフです。それは『ジークフリート』の終わり近くで登場し、ジークフリートとブリュンヒルデの愛が最大限に強いことを総括します。このモティーフもまた、愛の基本モティーフの自由な変形です。その原形は『ワルキューレ』の第1幕の終わりにおいて、ジークムントとジークリンデがお互いの両腕で抱き合うときにオーケストラに入ってくる輝かしいパッセージです。ここに出てくる愛の基本モティーフは長調ですが、テンポは速いものです。それは2人の恋人の喜びの情熱を表現するため、速く、縮められた形で展開されます。
EX.104 は『ワルキューレ』第1幕 第3場で EX.81 のジークムントの歌唱のあと、幕が降りる直前のオーケストラ演奏。 |
 EX.104: 《フライア》 第2セグメント - 速い長調  |

It's this swift telescoped form of the basic love motive that broadens out majestically on the horns at the end of Siegfried to become the motive of Love's Resolution.
この、速くて縮められた形の愛の基本モティーフが『ジークフリート』の最終場面でホルンによって壮麗に展開され、《愛の決心》のモティーフとなります。
 EX.105: 《愛の決心》  |

This ends the family of motives generated by the basic love motive. But there are several other motives associated with the symbol of love which are quite independent.
First, there's the moving motive which represents the Bond of Sympathy between the Volsungs, Siegmund, Sieglinde and later it attaches itself to their son, Siegfried. It's first heard in Act 1 of Walkure. It enters in the bass with Sieglinde's motive above it when Siegmund and Sieglinde find themselves partners in distress.
これで愛の基本モティーフから作り出されたモティーフのファミリーは終わりですが、愛のシンボルに関連した、全く独立した数個のモティーフがあります。
まず《ヴェルズング族の共感の絆》を表す感動的なモティーフで、これはジークムントとジークリンデを表し、後には彼らの息子のジークフリートに結びつきます。このモティーフは最初に『ワルキューレ』の第1幕で聴かれます。ジークムントとジークリンデが互いに悩みをもつ仲間だと悟るとき、このモティーフが低音部に入ってきます。その上には《ジークリンデ》のモティーフを伴っています。
まず《ヴェルズング族の共感の絆》を表す感動的なモティーフで、これはジークムントとジークリンデを表し、後には彼らの息子のジークフリートに結びつきます。このモティーフは最初に『ワルキューレ』の第1幕で聴かれます。ジークムントとジークリンデが互いに悩みをもつ仲間だと悟るとき、このモティーフが低音部に入ってきます。その上には《ジークリンデ》のモティーフを伴っています。
《ジークリンデ》のモティーフについては EX.72 《ジークムントとジークリンデ》参照。《ジークリンデ》だけの解説はない。EX.106 は『ワルキューレ』第1幕 第1場の最終場面。 |
 EX.106: 《ヴェルズング族の共感の絆》  |

This motive is developed in several different ways throughout the whole drama. But when it later attaches itself to Siegfried, it takes on a quick excited form to express his agitation during his love scene with Brunnhilde.
このモティーフはドラマ全体を通していくつかの違った形で展開されます。しかし後にこれがジークフリートに結びつくとき、テンポを速め、興奮した形をとります。それはブリュンヒルデとの愛の場におけるジークフリートの高揚感を表しています(訳注:『ジークフリート』第3幕 第3場)。
 EX.107: 《ヴェルズング族の共感の絆》 第2形  |

Another independent love motives associated with Siegmund and Sieglinde is the melody of Siegmund song of spring, Wintersturme.
ジークムントとジークリンデに関連づけられた別の独立したモティーフがあります。それはジークムントが歌う春の歌、《冬の嵐》の旋律です(訳注:『ワルキューレ』第1幕 第3場)。
 EX.108: 《冬の嵐》  |

One of the independent love motive is associated with Wotan's Affection for Brunnhilde. He sings it near the end of Walkure just before he plunges Brunnhilde into her magic sleep.
独立した愛のモティーフの一つは、ヴォータンのブリュンヒルデへの愛情に関係しています。『ワルキューレ』の終幕近く、ブリュンヒルデを "魔の眠り" につかせる直前にヴォータンが歌います。
このモティーフは《告別》ないしは《ヴォータンの告別》とも呼ばれる。 |
 EX.109: 《ヴォータンのブリュンヒルデへの愛情》  |

CD2-Track02
There are several independent love motives attached to Siegfried and the love between him and Brunnhilde. First, there's a yearning one associated with Siegfried's longing for human love and companionship. He is to replace Wotan in Brunnhilde's affections. And this motive begins with the same three rising chromatic notes as the one we've just heard associated with Wotan's affections for her. It enters in Act 1 of Siegfried, while Siegfried describes to Mime how he has watch the wooing and mating of the birds in the forest. It's worth noting that this motive goes straight over into the basic love motive.
さらに、ジークフリートおよび彼とブリュンヒルデの愛に結びつく数個の独立したモティーフがあります。第1に、人間愛と友情を切望するジークフリートに関連づけられる《憧れ》のモティーフです。ブリュンヒルデの愛情は、ヴォータンからジークフリート移ることになります。そしてこのモティーフは、さっき聴いた《ヴォータンのブリュンヒルデへの愛情》のモティーフと全く同じように、3つの上昇する半音階で始まります。このモティーフは『ジークフリート』の第1幕において、ジークフリートが森の小鳥たちの求愛と交尾を観察したことをミーメに語るときに入ってきます(訳注:第1幕 第1場)。このモティーフが愛の基本モティーフと直接的につながっていることに注目すべきでしょう。
 EX.110: 《ジークフリートの愛への憧れ》  |

There are four further independent love motives associated with Siegfried and Brunnhilde. The first is a jubilant leaping one which enters when Brunnhilde is fully awake and is generally known as the motive of Love's Ecstasy.
ジークフリートとブリュンヒルデに関連づけられる独立した愛のモティーフがさらに4つあります。その第1はブリュンヒルデが完全に目覚めたときに登場する、喜びに飛び跳ねるようなモティーフで、これは《愛の陶酔》のモティーフとして知られています。
以降の EX.111, EX.112, EX.113 は『ジークフリート』第3幕 第3場。 |
 EX.111: 《愛の陶酔》  |

Two of the other independent love motives attached to Siegfried and Brunnhilde are simply two of the themes that belong to the 'Siegfried Idyll'. The first, which is not a motive in the strict sense in that it never recurs, is the opening theme of that work which is introduced to represent Brunnhilde as the Immortal Beloved.
ジークフリートとブリュンヒルデに結びつく独立した愛のモティーフのうちの2つは、「ジークフリート牧歌」の2つの旋律と同じものです。一つは「ジークフリート牧歌」の冒頭の主題で、ブリュンヒルデを表現する《不滅の愛されし人》です。もっともこれは1回しか現れないので、厳密な意味でのモティーフだとは言えません。
 EX.112: 《不滅の愛されし人》  |

The other motive is the second theme of the 'Siegfried Idyll' which is sung by Brunnhilde to the words, 'Oh Siegfried, Treasure of the World', and has become known in consequence as the motive of the World's Treasure.
2つ目は「ジークフリート牧歌」の第2主題で、ブリュンヒルデが「おお、ジークフリート、世界の宝」と歌うときのものです。それにより《世界の宝》のモティーフとして知られています。
 EX.113: 《世界の宝》  |

This motive does recur and derived from it is the final independent love motive, the one associated with Siegfried and Brunnhilde in Gottterdammerung, and known as the motive of Heroic Love.
このモティーフは再現し、そこから独立した愛のモティーフの最後のものが派生します。《英雄的な愛》として知られるモティーフで、『神々の黄昏』においてジークフリートとブリュンヒルデに関連づけられます。
EX.114 は『神々の黄昏』の序幕のオーケストラ間奏のあとでブリュンヒルデが登場する場面。 |
 EX.114: 《英雄的な愛》  |

Here, we finish with the motives associated with the central symbol of love.
これで、"愛" という中心的シンボルに関連づけられたモティーフを終わります。
ライトモティーフ譜例一覧(3)
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 愛  |
《 | 愛の断念》 | |||
《 | 愛の断念》ジークムント形 | |||
《 | 愛の断念》第2セグメント | |||
《 | 愛の断念》第2形への移行 | |||
《 | 愛の断念》第2形 | |||
《 | 愛の断念》ヴォータンによる第2形 | |||
《 | フライア》 | |||
《 | フライア》ヴァイオリン・パート | |||
《 | フライア》第1セグメント | |||
《 | フライア》第1セグメント - 確定形 | |||
《 | フライア》第1セグメント - ジークムントとジークリンデ | |||
《 | フライア》第2セグメント | |||
《 | 逃亡》 | |||
《 | 完全なフライア》確定形 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ジークムントとジークリンデ | |||
《 | 逃亡》ニーベルハイムへの下降 | |||
《 | フライア》第2セグメント - アルベリヒ | |||
《 | アルベリヒの嘆き》 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ニーベルハイムへの下降 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | フライア》第2セグメント - ゆっくりとした短調 | |||
《 | 愛の挨拶》 | |||
《 | 愛の挨拶》と《フライア》の第2セグメント | |||
《 | フライア》第2セグメント - 速い長調 | |||
《 | 愛の決心》 | |||
《 | ヴェルズング族の共感の絆》 | |||
《 | ヴェルズング族の共感の絆》第2形 | |||
《 | 冬の嵐》 | |||
《 | ヴォータンのブリュンヒルデへの愛情》 | |||
《 | ジークフリートの愛への憧れ》 | |||
《 | 愛の陶酔》 | |||
《 | 不滅の愛されし人》 | |||
《 | 世界の宝》 | |||
《 | 英雄的な愛》 |
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2019-05-24 17:46
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No.258 - "ニーベルングの指環" 入門(2)指環・槍 [EX.39-79] [音楽]
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リヒャルト・ワーグナー
「ラインの黄金」
ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD:1997。録音:1958) |
CD1-Track07
The cause of the deterioration of the Gold from a life giving inspiration to an agent of misery and death is, of course, the Ring of absolute power which Alberich makes from the Gold and puts the such evil use. Alberich's Ring is a central symbol of the drama, one of the two central symbols of power.
And so it has its own basic motive which enters Scene 1 of Rheingold and later generates the whole family of motives. The first embryonic form of the Ring motive is the undulating vocal line of the Rhinemaiden Wellgunde in the major key when she tells Alberich that anyone who can make a Ring from the Gold will be able to dominate the world.
黄金が命を生む創造的存在から苦痛と死の使者へと堕落した原因は、もちろん絶対的な力を持つ "指環" にあります。それはアルベリヒが黄金から作って悪用したものでした。アルベリヒの指環はこのドラマの中心的シンボルであり、それは2つある "力" のシンボルの一つです。
従って指環はそれ自身の基本モティーフを持っています。それは『ラインの黄金』の第1場で導入され、後にモティーフのファミリー全体を作り出します。《指環》のモティーフの萌芽形は、ラインの乙女のヴェルグンデの波のようにうねる長調の歌です。その歌でヴェルグンデは「黄金から指環を作れるものは世界を支配できるだろう」とアルベリヒに告げます。
従って指環はそれ自身の基本モティーフを持っています。それは『ラインの黄金』の第1場で導入され、後にモティーフのファミリー全体を作り出します。《指環》のモティーフの萌芽形は、ラインの乙女のヴェルグンデの波のようにうねる長調の歌です。その歌でヴェルグンデは「黄金から指環を作れるものは世界を支配できるだろう」とアルベリヒに告げます。
 EX.39: 《指環》 萌芽形  |

When Alberich reflects on Wellgunde's words, the orchestra repeats her vocal line. And then he sings the tauter version of it in the minor key as he soliloquize on the possibility of absolute power.
アルベリヒがヴェルグンデの言葉を思案しているとき、オーケストラは彼女の歌を反復します。そしてアルベリヒが絶対的な力の可能性を独白するとき、彼はもっと緊張した形を短調で歌います。
 EX.40: 《指環》 中間形  |

This is almost the definitive form of the sinister Ring motive. And it soon emerges clearly on clarinets and horns near the end of the orchestral interlude leading to the next Scene.
これは不吉な《指環》のモティーフの確定形とほとんど同じです。その確定形は、次の場へと続くオーケストラの間奏曲の最後の付近で、クラリネットとホルンに明確な形で現れます。
 EX.41: 《指環》 確定形  |

The Ring motive is a melodic form of a chord, just as the original Nature motive is. But whereas the notes of the Nature motive make up a major chord, those of a the Ring motive make up a complex chromatic dissonance in the minor key composed of superimposed thirds. We can hear this sinister harmonic basis of the Ring motive by means of a special illustration, the motive played by woodwind with all its notes sustained and kept sounding as a chord.
《指環》のモティーフは、《自然》のモティーフがそうであるように和音の旋律形です。しかし《自然》のモティーフが長調の和音であるのに対し、《指環》は短調の複雑な半音階的不協和音で、3度の音程が重ねられています。特別の例示で《指環》のモティーフの不吉な和声を聴くことができます。木管楽器でモティーフの全ての音を和音として響くように引き伸ばしてみましょう。
 EX.42: 《指環》 基本和声  |

This special illustration helps us to follow the evolution of two important motives belonging to the Ring's family. First, the motive of Scheming which is mainly associated with the efforts of the Niebelungs to get possession of the Ring. This is a kind of groping outline of the Ring's harmony. This can be heard from another special illustration. Here's the Ring motive played by the cellos' pizzicato with two bassoons holding the upper third and then fall into the lower third.
この特別の例示は、《指環》のファミリーに属する2つの重要なモティーフへの変形をたどる助けになります。第1は《思案》のモティーフで、これは主に指環を保持しようとするニーベルング族の労働に関連づけられます。このモティーフは《指環》の和声の骨格のようなものです。これを別の特別の例示で聴いてみましょう。次は《指環》のモティーフをチェロのピチカートで演奏したもので、伴奏する2本のファゴットは上の3度を保持したあと、下の3度に下がります。
 EX.43: 《指環》 骨格  |

The bassoons' outline of the Ring motive's harmony in that special illustration is the motive of Scheming as it appears definitively at the beginning of Siegfried in association with the plotting of Mime.
この例示のファゴットで示された《指環》の和声の骨格は《思案》のモティーフの確定形になります。それは『ジークフリート』の冒頭でミーメの企みに関連づけられます(訳注:第1幕 第1場)。
 EX.44: 《思案》  |

CD1-Track08
The other transformation of the Ring motive's sinister homony is the motive of Resentment which is introduced in Scene 4 of Rheingold to accompany Alberich's first bitter remarks when he is set free after having been robbed of the Ring by Wotan. One further special instruction will make this clear. Here's the Ring motive played by the clarinets with the central 3 notes of its harmonic basis left sounding the end of the chord.
《指環》の不吉な和声のもう一つの変形は『ラインの黄金』の第4場で導入される《怨念》のモティーフです。それはアルベリヒがヴォータンに指環を奪われたあと、解放された時に最初に言う毒舌の伴奏に出てきます。もう一つの特別の例示で、このことを明確にしましょう。次はクラリネットで演奏した《指環》のモティーフで、和声の中心の3つの音を和音として終わりまで響かせます。
 EX.45: 《指環》 減3和音  |

This diminished triad which lies at the heart of the Ring motive's sinister harmonic basis, is the starting point of the syncopated motive of Resentment.
《指環》のモティーフの根幹にあるこの不吉な響きの減3和音は、シンコペーションのモティーフである《怨念》の出発点になります。
 EX.46: 《怨念》  |

There's one further important effect of the harmonic basis of the Ring motives which should be mentioned, this is a case not of generating a new motive but of generating a new form of an already existing one. The already existing one is that of the Power of the Ring associated with Alberich in Rheingold and later. We hear it again as a reminder.
ここで《指環》のモティーフの和声の重要な効果について指摘すべき点があります。それは新しいモティーフが作られるのではなく、既存のモティーフの新しい形が作られるケースです。その既存のモティーフとは『ラインの黄金』やそれ以降のアルベリヒに関連づけられた《指環の力》です。リマインドのために《指環の力》をもう一度聴いてみましょう。
 《指環の力》: EX.34  |

When this motive attaches itself to Hagen in Gotterdammerung, it takes on a slightly different harmonic form. It now begins with a pungent dissonance.
この《指環の力》のモティーフが『神々の黄昏』でハーゲンに割り当てられると、少し違った和声をとります。今度は鋭い不協和音で始まります。
EX.47 は『神々の黄昏』第1幕 第2場の最終場面、ハーゲンの歌唱のところ。 |
 EX.47: 《指環の力》 ハーゲン形  |

The dissonance which begins this form of the motive is quite simply the full harmonic basis of the Ring motive which our first special illustration will recall to us.
この形のモティーフの出だしの不協和音は、シンプルに《指環》のモティーフの和声の全部です。最初の例示で聴いたのを思い出してみましょう。
 《指環》 基本和声: EX.42  |

As can be heared, this is the exact dissonance which begins the motive of the Power of the Ring in the form associated with Hagen.
聴き取れるように、これはハーゲンと関連づけられた《指環の力》の始めの不協和音と同じです。
 《指環の力》 ハーゲン形: EX.47  |

The dissonance which begins this form of the motive permeates Gotterdammerung and generates a new motive in Act 2. It acts as starting point of savage theme known as the motive of Murder which is heared in the orchestra when Alberich incites Hagen to kill Siegfried and get back the Ring.
このモティーフの出だしの不協和音は『神々の黄昏』の各所で出現し、第2幕で新しいモティーフを生み出します(訳注:第2幕 第1場)。それは《殺害》として知られている残忍な旋律の開始部分で、オーケストラに聴き取れます。アルベリヒがハーゲンに、ジークフリートを殺して指環を取り戻せと促す場面です。
 EX.48: 《殺害》  |

So this dissonance permeates Gotterdammerung, creating an atmosphere of progressive dissolution. Wagner made the sinister harmony of the Ring motive eat its way more and more into the fabric of the score to reflect the fact that the sinister symbol of the Ring itself eats its way more and more into the fabric of the drama.
そしてこの不協和音は『神々の黄昏』に染み渡っていき、次第に崩壊していく雰囲気を作り出します。ワーグナーは《指環》の不吉なハーモニーがスコアという織物に徐々に浸透するようにしています。それは不吉のシンボルである指環がドラマという織物に浸透することを反映しているのです。
CD1-Track09
Several other motives representing various aspects of the symbol of the Ring are generated by the melody of the Ring motive. Three of these stem from its first segment of four descending notes. The most important is the motive associated with the Curse which Alberich puts on the Ring in Scene 4 of Rheingold after having been robbed of it by Wotan. Here are the first four descending notes of the Ring motive.
シンボルとしての指環のさまざまな側面を表現するモティーフのいくつかは、《指環》のモティーフの旋律から作り出されます。このうちの3つは《指環》の最初のセグメントである下降する4つの音から生じます。最も重要なのは『ラインの黄金』の第4場で、指環をヴォータンに奪われたあとにアルベリヒが指環にかける "呪い" に関連したモティーフです。次が《指環》のモティーフの最初の4つの下降音です。
 EX.49: 《指環》 最初の4音符  |

These four notes are turned upside down to form the menacing motive of the Curse. This is introduced vocally by Alberich but its definitive form is established by the trombones a little later in Scene 4 of Rheingold, immediately after the first effect of the Curse, the murder of Fasolt by Fafner.
この4つの音は上昇下降を逆転させ、威嚇するような《呪い》のモティーフを形づくります。これはアルベリヒの歌唱で導入されますが、少し後の『ラインの黄金』の第4場でトロンボーンがこのモティーフの確定形を提示します。ファゾルトがファフナーに殺されるという、"呪い" の最初の発現の直後です。
 EX.50: 《呪い》  |

The other two motives generated from the first four notes of the Ring motive are those of Hunding's Rights in Walkure and the Vow of Atonement in Gotterdammerung. Hunding, if he is ignorant of the existence of the actual Ring, is nevertheless a wielder of the kind of ruthless power it symbolizes.
And as for the Vow of Atonement which forms part of the oath of blood brotherhood sworn by Siegfried and Gunther, the significance of the Ring shaped motive here is one of tragic irony. Through the vow, Siegfried puts himself entirely in the power of Hagen who uses it as a pretext for murdering him to get possession of the Ring.
Both these motives are direct transformations of the first four notes of the Ring motive which we'll hear again now.
《指環》のモティーフの最初の4つの音から生成される他の2つのモティーフは『ワルキューレ』の《フンディングの正義》と、『神々の黄昏』の《贖罪の誓い》です。フンディングは指環の存在については無関係だとしても、指環が象徴するある種の冷酷な力を持っています。
また《贖罪の誓い》はジークフリートとグンターの "兄弟の血の誓い" の構成要素です。ここで重要なのは《指環》から作られるモティーフが "皮肉な悲劇" を示すことです。つまり "誓い" によってジークフリートは、指環を手に入れるために彼を殺そうとしているハーゲンの術中にはまってしまいます。ハーゲンは "誓い" を口実にするのです。
この2つのモティーフとも《指環》の最初の4つの音の直接的な変形です。4つの音をもう一度聴いてみましょう。
また《贖罪の誓い》はジークフリートとグンターの "兄弟の血の誓い" の構成要素です。ここで重要なのは《指環》から作られるモティーフが "皮肉な悲劇" を示すことです。つまり "誓い" によってジークフリートは、指環を手に入れるために彼を殺そうとしているハーゲンの術中にはまってしまいます。ハーゲンは "誓い" を口実にするのです。
この2つのモティーフとも《指環》の最初の4つの音の直接的な変形です。4つの音をもう一度聴いてみましょう。
 《指環》 最初の4音符: EX.49  |

Now here is the stern motive of the Hunding's Rights which is introduced vocally by Hunding himself to the words "Sacred is my hearth, sacred to you be my home".
さて次が厳粛な《フンディングの正義》のモティーフです。これはフンディング自身の歌唱で導入され、歌詞は「私の炉は神聖だ。私の家は君にとっても神聖だ」です(訳注:『ワルキューレ』第1幕 第2場)。
 EX.51: 《フンディングの正義》  |
