No.302 - ワクチン接種の推奨中止で4000人が死亡 [科学]
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『まどわされない思考』(="本書")では、世界で広まる "反ワクチン運動" について書かれていました。WHOは2019年に初めて、全世界の健康に対する脅威のトップ10の中にワクチン接種への抵抗を入れたともあります。確かに "ワクチン接種に反対する運動" は、感染症の蔓延防止や病気の撲滅にとって大きな脅威です。
実は、No.296では省略したのですが『まどわされない思考』には日本のワクチン接種に関する状況が出てきます。それは「ヒトパピローマウイルス(HPV)」のワクチンで、今回はその話です。
ヒトパピローマウイルス(HPV)
まず著者はヒトパピローマウイルス(HPV, Human papilloma virus。papilloma = 乳頭腫)と、それに対するワクチンについて次のように説明しています。以下の引用で下線は原文にありません。また段落を増やしたところがあります。
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癌はさまざまな原因で起こりますが、その一つがウイルスです。そして癌を引き起こすウイルスの代表的なものが HPV です。上の引用にあるオーストラリアの例でわかるように、HPVワクチンの接種が進めば人類は初めて一種の癌の撲滅に成功し、子宮頸癌で死亡する毎年27万人の人たちの命を救える道が見えてきたのです。
ところが事態はそう簡単には進みませんでした。まず、アメリカでワクチンに対する反対運動が起こったのです。
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成人のほとんどが性行為をするということを考えると「ワクチン接種が奔放なセックスへの扉を開く」というのは言いがかりもいいところです。このような言説はすぐに否定されるのですが、次には、HPVワクチンには副反応(治療薬の副作用に相当。『まどわされない思考』では副作用と書かれている)があると言い出す人が出てきました。
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この反ワクチン運動の被害を最も大きく受けたのが、実は日本でした。
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「ワクチンの承認を一時停止」と書かれているのは誤り、ないしは不正確です(原文か訳か、どちらかの誤り)。正確には「ワクチン接種の積極的推奨の一時停止(2013年6月)」です。この "一時停止" は今も続いています(2020年末現在)。一方、ワクチンは承認されたままであり、公的助成による接種を受けることができます(=定期接種の対象)。
『まどわされない思考』では次にデンマークとアイルランドの状況が書かれています。2014年、デンマークでも反ワクチン運動が起こり、被害を受けたとする証言がメディアで流されました。この結果、接種率は79%から17%に低下しました(デンマーク政府は一貫して安全性を主張)。
2015年、パニックは著者の母国であるアイルランドへ波及しました。しかしアイルランド政府の保険局も一貫して安全性を主張し、反ワクチン運動と戦いました。著者も科学ジャーナリストとしてワクチンの安全性を訴えた一人です。
このアイルランドでの戦いに最も功績があったのは、ローラ・ブレナンという女性でした。彼女は24歳のとき転移性子宮頸癌(ステージ2B)の診断をうけましたが、その彼女が保険局のキャンペーンに参加し、接種を訴えたのです(ローラは癌の転移により、2019年3月20日に26歳で他界)。アイルランドでは反ワクチン運動により、2014年で87%だった接種率が2016年には50%程度に落ち込みました。しかしローラがキャンペーンに参加した18ヶ月で接種率は20%も上昇したのです。
以上が『まどわされない思考』に書かれていた HPVワクチンに関する状況です。以降は、本書で触れらていた日本の状況を整理します。
反HPVワクチン運動の発生源となった日本
HPVワクチンには2種類あり、日本ではグラクソ・スミスクラインが2009年12月から「サーバリックス」を、またMSD(米国の製薬大手、メルクの日本法人)が2011年8月から「ガーダシル」を販売しています。このワクチンは、日本では2013年4月に "定期接種化" されました。
本書に「日本でパニックが起こった」という意味の説明がありました。日本では「70パーセントだった接種率が2017年までに1パーセント以下までに下がった」のですが、このような国は日本しかありません。まさに "パニック" という表現が当てはまるでしょう。このパニックはどのように起こったのでしょうか。HPVワクチンの日本における経緯を詳述した、村中璃子・著『10万個の子宮』(平凡社 2018)より引用します。村中氏は医師で京都大学大学院講師、科学ジャーナリストです。
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その間、2016年に日本で、国と製薬会社2社を相手に、ワクチン接種によって被害を受けたとして賠償を求める世界初の集団訴訟が起こされました。また続いて2017年、世界で2番目にコロンビアで集団訴訟が起きています。
子宮頸がんワクチンの副反応の件ですが、そもそもワクチンには副反応がつきものです。現在(2020年末)、世界で大きな話題となっているのはファイザー社などが開発した新型コロナウイルスのワクチン(メッセンジャーRNAワクチン)ですが、ファイザー社は倦怠感、頭痛、発熱などの副反応が起こり得ると公表しています。
子宮頸がんワクチンの副反応とされた「身体表現性障害」ですが、これは子宮頸がんワクチンが初めて世に出た2006年より以前から知られていた症状でした。上に引用した村中氏の本によると、世界の精神医療のスタンダードとなっているDSM-IV(米国精神医学会発行の「精神障害の診断・統計マニュアル Diagostic and Statistical Manual of Mental Disorder-IV」。最新版は2013年発行の DSM-5)では、身体表現性障害の症状として、
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と、多彩な症状があげられています。DSM-IVが発行されたのは1994年であり、子宮頸がんワクチンの接種が始まる10年以上前ということになります。
身体表現性障害は、痛みや恐怖、不安、プレッシャーなどをきっかけに生じるので、「子宮頸がんワクチンを接種した」ことによる不安が引き金になったことは考えられます。
しかしそれよりも可能性が高いのは、子宮頸がんワクチンは思春期の女性(日本では小学6年~高校1年相当の女性)に接種するワクチンであり、もともと若い女性に多い身体表現性障害と接種が重なったということでしょう。
ここで思い出すのが No.296「まどわされない思考」で紹介したイギリスのワクチン騒動です。1998年、ある医師が「三種混合ワクチン(通称 MMR。麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)が自閉症を引き起こすデータを見つけた」と発表し大騒動になりました。後にこれはデータが捏造されたものと判明し、医師は医師免許を剥奪されました。しかし多くの人がこの説を信じました。その理由は、MMRを接種する時期と自閉症を発症する時期(ともに2~3歳の幼児期)が近かったことです。
『まどわされない思考』の著者のグライムスは、これを「前後即因果の誤謬」と言っています。「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」です。
以上の状況をみると、日本は「反 HPV ワクチン」の中心的な国になってしまったようです。では、最新の日本の状況はどうでしょうか。その最新状況を概説した記事が2020年11月の日本経済新聞に掲載されたので、以降はそれを紹介します。
日本の最新状況
2020年11月16日の日本経済新聞にHPVワクチンに関する記事が掲載されました。見出しは、
子宮頸がん 予防効果高く
ワクチンの有効性 複数の研究が証明
低い接種率の向上に課題
です。以下、この記事の概要を紹介します。まず子宮頸がんの状況です。
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子宮頸がんの発症は20代から増え始め、30代後半から40代でピークに達します。その代表的な治療は子宮の摘出です。上の記事にわざわざ「30代までに治療で子宮を失う人も毎年約1200人にのぼる」とあるのは、今後の妊娠・出産の可能性が高い30代かそれ以前の女性が子宮を失っていることを示したかったからです。40代以降も含めると、毎年1万人ほどの子宮摘出手術が行われています(上に引用した村中氏の本による)。
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日経新聞には子宮頸がんの進行の過程が図示されていました(下図)。この過程において、HPVワクチンが「HPVへの感染を防ぐこと」と「前がん病変への移行を防ぐこと」は証明されていました。つまり「子宮頸がんを防ぐ効果がある」ことが "間接的に" 証明されていた。しかし、ワクチンが子宮頸がんを予防する直接的な効果データはありませんでした。そのようなデータを得るには、ワクチンを承認するときの治験(数万人)だけでは無理であり、実際にワクチンを国民に接種して何百万、何千万の実績をつくり、その経過を観察する必要があるからです。
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日本経済新聞・デジタル版 (2020.11.16) |
ところが最近、HPVワクチンの効果を証明するデータがそろってきました。
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「10~16歳に(接種した人に)限ると発症リスクは88%減っていた」とあります。日本の定期接種は小学6年~高校1年の女性で、ほぼこの記事の年齢にあたります。これは定期接種の接種率をあげると子宮頸がんの発症を9割減らせることを意味します。しかし前にも引用したように、日本の接種率はほぼゼロという異常事態になっています。
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日本経済新聞・デジタル版 (2020.11.16) |
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このまま接種率が実質ゼロという状況をほおっておくと、子宮頸がんで子宮を失ったり、死亡したりする女性が増えるだけです。
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この大阪大学の研究チームの報告は、10月22日の日本経済新聞・デジタル版に詳しく掲載されていました。
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避けられたはずの死者が4000人発生するだろう、という予測は相当なものですが、その死者の倍以上の数の女性が子宮を失うことも大問題です。この状況を改善するため、積極的勧奨を再開すべきだという意見が医療界に根強くあります。しかし再開には至っていません。
ワクチン接種後に障害とみられる反応があったとき、積極的勧奨を中止し、いったん立ち止まるという判断はあり得るでしょう。しかし立ち止まったあとに因果関係が見いだせなかったとき、再び積極的勧奨を行うべきであり、それが国民の命を守る政府の責任です。
厚生労働省は2020年10月からHPVワクチンのリーフレットを改訂し、各自治体を通して接種対象者に配布することを決めました。このような施策を先行して行っている自治体もあります。
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ワクチンへの理解
現在(2021年・年初時点)、新型コロナウイルスによる感染者・重症者・死亡者の減少の切り札として、ファイザー社などのワクチンが期待されています。こういう時だからこそ、ワクチンに対する国民の理解と正しい国の政策が必須です。HPVワクチンで起こった日本の "パニック" は、大いに参考にすべき事例だと考えられます。
まず、ワクチンには副反応がつきものです。上にも書きましたが、ファイザー社は新型コロナウイルスのワクチン(メッセンジャーRNAワクチン)の接種で、倦怠感、頭痛、発熱などの副反応が起こり得ると公表しています。もちろん後遺症が残る残るような重篤な副反応が起きてはならないのですが、もしその疑いがある症例が出た時には、それがワクチン接種と因果関係があるのか、科学的に見極めるべきでしょう。
さらに、HPVワクチンで起こったような疑似的な副反応=身体表現性障害が観察されることも予想されます。こういった疑似的な副反応は、それがワクチンのせいだという思い込みがあると、症状が長く続いたり改善しないことがある。逆にワクチンが原因ではないと医者に断定的に言われると、症状が解消したという例が報告されています。
政府の一貫性のある対応も重要です。HPVワクチンの "副反応パニック" が起こったアイルランド、デンマークでは、政府が一貫して安全性を主張しました。ところが日本政府は、報告された症状が身体表現性障害だと結論づけたにもかかわらず(2013年)、ワクチン接種の積極的勧奨をいまだに再開していません(2020年現在)。この結果、救えるはずの数千人の命が失われると推測されているのです。政府の責任は大きいと思います。
人間の免疫機能は人によって多様だという認識も必要でしょう。ワクチンは人間の獲得免疫を利用して感染しても発病しないようにするものですが、その獲得免疫の機能の強さや個別の病原体に対する有効性は人によって違います(No.69, No.70「自己と非自己の科学」参照)。個人的な経験ですが、私はインフルエンザワクチンを接種しても全く変化はありません。しかし私の配偶者は接種した付近が大きく赤く腫れます。炎症反応が目に見える形で起こっているのですが、このように免疫反応は人によって違います。
新型コロナウイルスのメッセンジャーRNAワクチンも、最初に接種が始まった英国では、数千人に接種した段階でアナフィラキシー・ショックを起こした医療従事者が2名出たと報道されました(2020年12月。治療で回復。2人は過去にアナフィラキシー・ショックの経験あり)。メッセンジャーRNAワクチンの第3段階の治験は万の単位の人に対して行っているはずですが、それでも副反応が起きるわけです。
ワクチンに限りませんが、現代社会はノー・リスクを求めてはいけないのです。またノー・リスクを政府に要求していけない。ノー・リスクを求める限り、別の大きなリスクを招き入れることを理解しなければなりません。
ワクチン問題に関しては「前後即因果の誤謬」も注意すべきことでしょう。本文に書いたように「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」です。ワクチンは病気の治療薬と違って何百万人、何千万人に接種するものです。従ってワクチン接種後に、ワクチン接種と因果関係が全くない症状が発現することが確率的に出てくるわけです。
ためしに、新型コロナウイルス・ワクチン接種直後に心臓突然死が日本でどれだけ起こるかを計算してみましょう。このワクチンをどれだけの人が接種するか(対象者の範囲とその接種率)は、現在のところ不明です。どれぐらいの期間で接種が完了するかも不明です。そこで仮の値として、2年間かかって4000万人が接種したとしましょう。1年間に2000万人です。
日本における突然死のほとんどは心臓突然死(心室細動や心筋梗塞などによる)です。この死者の数は年間7.9万人です。実際にはゼロ歳児と65歳以上が多いのですが、簡単のために年齢は均等にバラついているとします。7.9万人を日本の人口(1.26億人)で割ると、ある人が1年の間に心臓突然死する確率(α)が求まり、
α = 0.000627
となります。そうすると、ある人がワクチン接種を受けた72時間以内(3日間)に心臓突然死する確率(β)は、
β = ( α / 365 ) * 3
となります。1年の間に2000万人がワクチン接種を受けるのですから、日本人全体では、
20,000,000 × β = 103(人)
という計算が成り立ち、ワクチン接種を受けてから72時間以内(3日間)に心臓突然死する日本人は、1年間に103人発生することになります。年間200万人に接種としても10人です。あくまで概算の概算ですが、数のオーダーは理解できると思います。広範囲にワクチンを接種するということは、確率的にこういうことが起きることを認識しておかなければなりません。
心臓突然死は極端な例ですが、「死には至らないが、前兆が全くなく突如起こる体の不調」はたくさんあります。「生まれて初めて新型コロナウイルスワクチンの接種を受けた」という記憶は深く脳裏に刻み込まれるでしょう。従ってそのあとに近接して起こる "前兆なしの体の不調" をワクチン接種と関連づける人が出てくる可能性が高い。それにワクチン反対運動を展開している人が飛びつく。このあたりはよくよく注意すべきだと思います。
さらに、ワクチン接種の恩恵はワクチンを接種しない人にも及ぶことが重要です。新型コロナウイルス感染症の蔓延で、我々は今まで知らなかった感染症の専門用語を理解しました。一つは「実効再生産数」です。一人の感染者が何人に感染症をうつすかという平均値で、これが1を切ると感染症の流行は下火に向かう。
もう一つは「集団免疫」です。集団の60%とか70%の人が感染症に対する免疫を持つと、実効再生産数が下がり、感染症の流行が押さえられる。もちろん、国民に広くワクチンを接種するは集団免疫を得るためです。
ある程度のリスクを覚悟の上でワクチンの接種を受けたとすると、それは自分が感染症にかからないため(ないしはかかったとしても重症化しないため)であると同時に、社会で新型コロナウイルスが蔓延しないようにするためでもあるのです。ウイルスが蔓延しなくなると、ワクチンを接種していない人の感染リスクも低下する。従ってワクチン接種の恩恵はワクチンを接種しない人にも及びます。ワクチン接種をすることは、集団の中で皆が助け合って生きていこうという(暗黙の)意志表明でもあるわけです。ここはよく考えておくべきだと思います。
2021-01-09 08:25
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No.299 - 優しさが生き残りの条件だった [科学]
No.211「狐は犬になれる」の続きです。今回の記事の目的は、現生人類(=ホモ・サピエンス)が地球上で生き残り、かつ繁栄できた理由を説明する「自己家畜化仮説」のことを書くのが目的ですが、この仮説は No.211 で紹介した「キツネの家畜化実験」と密接に関係しています。そこでまず、No.211 の振り返りから始めたいと思います。
キツネの家畜化実験
No.211「狐は犬になれる」で、ロシアの遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985)が始め、現在も続いている「キツネの家畜化実験」の経過を書きました。ベリャーエフは人がオオカミを飼い慣らしてイヌにした経緯、もっと広くは野生動物を飼い慣らして家畜にした経緯を知りたいと考え、それを "早回しに" 再現する実験を1958年に開始しました。
ベリャーエフが着目したのは「家畜は従順である」という事実です。人間が家畜に期待するものは、ミルク、肉、乗り物、護衛、牧畜や狩猟の補助、仲間付き合い、癒し(ペット)などさまざまですが、すべての家畜に共通しているのは人間に対して従順、ないしは友好的ということです。
ベリャーエフはこの事実を逆転させ、人間が従順で友好的な野生動物を選別して育種してきたから家畜ができたとの仮説をたてました。そして実験を始めます。
彼は、ロシア各地の毛皮生産工場からキツネを数百頭購入し、その中から人間に友好的な個体を選別して交配をしました。もちろん、野生のキツネの中に初めから人間に慣れ慣れしい個体がいるわけではありません。彼がやったのはキツネの点数付けです。つまり、
とし、個々のキツネごとにこの程度を観察して点数を付けます。そして点数が高いキツネを選別し、交配を繰り返しました。
すると第6世代の子ギツネに、イヌがするように人を舐めるなど人間との接触を積極的に求める個体が現れ始めました。No.211 の記事の時点でキツネは第58世代目ですが、70% のキツネは「イヌのようなキツネ」になりました。このキツネたちの特徴は以下のようです。
外見
行動
頭蓋骨
ホルモン
脳細胞
重要なことは、「人間に対して友好的という、たった一つの基準」で選択・交配を繰り返すと、当初は思ってもみなかったような多様な変化が現れてイヌのようなキツネになったことです。ここまでが No.211 の振り返りです。
オオカミがイヌになったプロセス
では、オオカミの家畜化は過去にどのように進んだと推定できるでしょうか。
ここからは、日経サイエンス 2020年11月号に掲載された論文を紹介します。米・デューク大学のブライアン・ヘア(Brian Hare)とヴァネッサ・ウッズ(Vanessa Woods)による「優しくなければ生き残れない」と題した論文の紹介です。以下、この論文の執筆者を「著者」と書きます。
現在のオオカミとイヌには、氷河期に生きていた共通の祖先があります。この祖先を「氷河期オオカミ」と呼ぶとすると、氷河期オオカミが分かれて進化して、現在のオオカミとイヌになったわけです。
では、どうやって氷河期オオカミがイヌになったのか。従来の説明は「人間がオオカミの子どもを野営地に連れ帰って家畜化した」とか、「人間がオオカミを飼い慣らして家畜化し、最終的には選抜育種を行ってイヌができた」というものでした。
しかしこの説明は筋が通っていません。氷河期オオカミを飼い慣らしたとしても、それは1代きりです。一方、キツネの家畜化実験でも分かるように、家畜化は何世代もの選択の過程を経て起こる現象です。また、家畜化されたキツネは遺伝子(DNA)レベルで野生のキツネと違うことが判明していますが、単なる飼い慣らしで遺伝子の変化は起きません。
現在のオオカミは肉食で、1回の食事で食べる肉の量は約9kgもあります。そして氷河期オオカミは現在のオオカミより体がさらに大きかった。氷河期オオカミを "飼い慣らした" とされる当時の人間は、狩猟採集の生活です。体の大きな肉食獣と、たとえば人間の子どもを野営地に残して狩りや採集に出かけるという生活は考えにくい。
以上のような考察を踏まえて著者は、氷河期オオカミがイヌになったプロセスを次のように推定しています。
この引用の最後のところ、「最も友好的なオオカミが自らを家畜化した」のが "自己家畜化" です。普通、家畜化というと、人間が野生動物(の子ども)を捕らえて育て、飼い慣らして家畜にすることを言います。そうではなくて「自然選択を通して起こる家畜化」が "自己家畜化" です。
この自己家畜化がヒトの進化の過程でも起こったという仮説が以下の話です。
なぜホモ・サピエンスが生き残ったのか
まず出発点は、なぜ現生人類(=ホモ・サピエンス)だけが生き残り、繁栄できたかという疑問に答えようとすることです。「優秀だから生き残った」というような単純な話ではないようなのです。
「少なくとも4種の人類と地球を共有」とありますが、その4種を具体的に書くと、
となるでしょう。最後のフロレシエンシスは2000年代になってジャワ島で骨格が発見され、研究が進められている人類です。ホモ・サピエンスは少なくともこの4種と同時に生きていた時代がある。特にネアンデルタール人は、アフリカを出たホモ・サピエンスがヨーロッパで遭遇した人類です。
著者は、10万年前に戻ってどの人類種が今後生き延びるかを考えたら、ホモ・サピエンスよりもネアンデルタール人の方が有望に思えただろうと書いています。
ホモ・サピエンスは、ヒトに最も近縁の霊長類であるチンパンジーやボノボに比べて、遺伝的変異が少ないという事実があります。これは、ホモ・サピエンスの個体数がある時期に深刻なレベルにまで細ったことをうかがわせます。著者は「絶滅寸前に陥った」と書いています。
ではなぜ、最も屈強でもなく、最も賢くもなく、絶滅寸前にまで陥った(と推測される)ホモ・サピエンスが(=ホモ・サピエンスだけが)生き残れたのでしょうか。
ヒトに生じた自己家畜化
なぜホモ・サピエンスだけが生き残れたのか、それは一言で言うとホモ・サピエンスが「協力の達人」だったことによります。
その「協力の達人」に向けてホモ・サピエンスを進化させたのが「自己家畜化」でした。
家畜化は友好性に対する強い選択を伴う過程であり、互いにまるで無関係に思える多くの変化が起こる ・・・・・・。ここが自己家畜化仮説の核心です。それは冒頭にあげた「キツネの家畜化実験」で実証されている通りです。
ちなみにこの自己家畜化仮説は著者の2人と、ハーバード大学の人類学者・ランガム(Richard Wrangham)、デューク大学の心理学者・トマセロ(Michael Tomasello)の20年にわたる共同研究で作られたものです。ランガム博士は、いわゆる「料理仮説」を提唱した学者です(No.105 参照)。またトマセロ博士はヒトとチンパンジーの認知能力の違いの研究を先導してきた学者で、ヒトが "意図の共有" という能力を生まれながらに持っていること(=協力上手)を証明しました。
自己家畜化を検証する
ホモ・サピエンスは自己家畜化のプロセスで友好的な性質を獲得したという仮説は、何らかの方法で検証できるのでしょうか。ここで思い出すのが、冒頭で振り返った「キツネの家畜化実験」です。あの実験ではキツネの2つのタイプの変化、つまり、
が同時に起こりました。人類の進化史を研究する上で、行動は化石に残りません。しかし頭蓋骨は化石に残ります。著者が注目したのは、行動を制御する神経ホルモンがヒトの骨格に影響を及ぼすという事実です。
要するに、現在までに発見されているホモ・サピエンスの頭蓋骨の形状を調べることで、神経ホルモンの変化(従って行動の変化)を推定しようというわけです。
さらに、テストステロンとは別の神経ホルモン、セロトニンが頭蓋骨に与える影響もあります。
テストステロンとセロトニンといった神経ホルモンは、頭蓋骨の形状に変化を与えるだけでなく、行動に変化を及ぼします。
このような、仲間を識別して友好性を示す性質を獲得したホモ・サピエンスは、集団による高度な協力が可能になりました。これが文化や社会の発展につながり、進化の時間スケールからすると "瞬く間に" 世界を席巻しました。
攻撃性という逆説
しかし人類は、他者に対して友好性を示すと同時に、攻撃性を示して残酷にもなります。これはどうしてでしょうか。
協力する集団は変えられる
以上のような攻撃性は、仲間ではないと認識した他者に示されるものです。しかし人間は交流を通して、どの範囲が仲間なのかという認識を柔軟に変えることができます。
この最後のあたりの、集団間の人的交流の重要性が、著者が論文で最も言いたかったことです。
以上をまとめると、次のようになるでしょう。
著者の考える「人間とは何かという問いに対する答え」がここに示されているのでした。付け加えると、この論文は日経サイエンスと提携関係にある Scientific American誌の2020年8月号に掲載されたものです。日経サイエンスの編集部も指摘していますが、この論文の掲載は、分断と差別と対立が続く社会に対するメッセージという意図があった。そういうことだと思います。
「キツネの家畜化実験」再考
実は、著者はロシアで行われているキツネの家畜化実験の現場を訪れて調査をしています。
「キツネの家畜化実験」では、「人に友好的」「知能が高い」「丸っこい顔(その他多数の形状変化)」の3つの変化がワンセットで起こりました。これが、ホモ・サピエンスの「自己家畜化仮説」の大きな傍証となったようです。
ロシアの遺伝学者、ベリャーエフの「キツネの家畜化実験」は「人が野生動物を飼い慣らして家畜にした経緯を知りたい」ということから始まりました。ベリャーエフは、人に従順な個体を選別・育種するという、たった一つの規準で家畜化はできるだろうと考えた。この洞察が非凡だったと思います。
彼が「キツネの家畜化実験」の意義について、どこまで見通していたのかは分かりません。しかし少々意外なことに、この実験はホモ・サピエンスが地球上で生き残って繁栄した理由(=仮説)につながり、もっと大きく言うと「人間とは何か」という問いに答えるための材料にもなった。
家畜化実験のキツネの遺伝子は DNA レベルで詳しく分析されているようです。ということは、たとえばの例ですが、人間の自閉症の研究にも役立つかもしれない。「キツネの遺伝子を DNA レベルで詳しく分析する」などは、ベリャーエフが実験を始めた1958年には考えもできなかったことです。それが現在では可能になっている。
「キツネの家畜化実験」は、いわゆる基礎研究の一つです。何かに役に立つことを目的としたものではありません。しかし基礎を押さえることで、そこから発展や応用の道が開ける(ことがある)。基礎研究の意義を改めて思いました。
優しくなければ生き残れない
ここからは日経サイエンスの論文の題名に関した余談です。米・デューク大学の2人の論文の原題は、
Survival of the Friendliest
で、「最も友好的な(friedlyな)ものが生き残る」という意味です。この題はもちろん、ダーウィンの進化論に関して言われる、
Survival of the Fittest
つまり「最適者が生き残る(=適者生存)」の "もじり" ないしは "パロディ" です。一方、日経サイエンス編集部が訳した日本語題名は、
優しくなければ生き残れない
で、これはアメリカの小説に登場する有名な台詞の "もじり" になっています。それは、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』の中の、私立探偵のフィリップ・マーロウの台詞で、マーロウの尾行対象の女性、ベティー・メイフィールドとの会話に出てきます。最も新しい村上春樹訳では、次のようになっています。
ちなみに、マーロウの台詞の原文は、
です。この台詞には2つの文がありますが、最初の文の「生きのびてはいけない」の部分と、2番目の文の「優しくなれないようなら」の部分を切り取って合わせてしまったのが、論文の日本語題名ということになります。原題の "もじり" には "もじり" で訳すということでしょう。
村上春樹さんが『プレイバック』の「訳者あとがき」で書いていました。チャンドラーに関する英米の書籍を読んでいても、この台詞に関する記述は全く出てこないし、知り合いのアメリカ人に聞いてみても、誰もそんな台詞があるとは知らなかったと ・・・・・・。これは日本でだけ有名な台詞のようです。
論文の原題はホモ・サピエンスの生き残りの要因を "friendly(友好的)" というキーワードで表現していますが、"優しい(gentle)" となると少々意味が違います。従って「優しくなければ生き残れない」というタイトルは原題を正確には伝えていません。とはいうものの、このタイトルは「日本でしか有名でない、アメリカの小説の台詞のパロディ」になっていて、これはこれでピッタリという感じがしました。
キツネの家畜化実験
No.211「狐は犬になれる」で、ロシアの遺伝学者、ドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985)が始め、現在も続いている「キツネの家畜化実験」の経過を書きました。ベリャーエフは人がオオカミを飼い慣らしてイヌにした経緯、もっと広くは野生動物を飼い慣らして家畜にした経緯を知りたいと考え、それを "早回しに" 再現する実験を1958年に開始しました。
ベリャーエフが着目したのは「家畜は従順である」という事実です。人間が家畜に期待するものは、ミルク、肉、乗り物、護衛、牧畜や狩猟の補助、仲間付き合い、癒し(ペット)などさまざまですが、すべての家畜に共通しているのは人間に対して従順、ないしは友好的ということです。
ベリャーエフはこの事実を逆転させ、人間が従順で友好的な野生動物を選別して育種してきたから家畜ができたとの仮説をたてました。そして実験を始めます。
彼は、ロシア各地の毛皮生産工場からキツネを数百頭購入し、その中から人間に友好的な個体を選別して交配をしました。もちろん、野生のキツネの中に初めから人間に慣れ慣れしい個体がいるわけではありません。彼がやったのはキツネの点数付けです。つまり、
人間に対しておだやかで、おとなしいキツネは点数が高い。 | |
人間に対して攻撃的なキツネ、あるいは人間を恐れるキツネは点数が低い |
とし、個々のキツネごとにこの程度を観察して点数を付けます。そして点数が高いキツネを選別し、交配を繰り返しました。
すると第6世代の子ギツネに、イヌがするように人を舐めるなど人間との接触を積極的に求める個体が現れ始めました。No.211 の記事の時点でキツネは第58世代目ですが、70% のキツネは「イヌのようなキツネ」になりました。このキツネたちの特徴は以下のようです。
外見
成長しても顔つきが幼い。 | |
本来は尖っている鼻が丸く変化している。 | |
尻尾がフサフサで巻き上がっている。 | |
垂れ耳になった個体もある。 | |
毛皮に "ぶち" がはいる。 |
行動
生まれつき人間の視線と身振りを眼で追う。 | |
人間を慕って交流を望んでいるように見える。 | |
人間と親密な関係になる。また人間に対して忠誠心を示す。 | |
人間の指示を理解し、イヌのような行動をとる。 |
頭蓋骨
頭蓋骨の長さが短く、幅は長くなる。全体的に丸っこくなる。 |
ホルモン
ストレスホルモンの値が低い |
脳細胞
記憶や学習をつかさどる海馬で、新生する細胞が通常のキツネの倍である。 |
重要なことは、「人間に対して友好的という、たった一つの基準」で選択・交配を繰り返すと、当初は思ってもみなかったような多様な変化が現れてイヌのようなキツネになったことです。ここまでが No.211 の振り返りです。
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ロシアの家畜化実験でイヌ化したキツネ。鼻は丸くなり、毛皮にはぶちが入っている。2017年現在、実験施設で飼われているキツネの70%はこのようなキツネである。No.211 の画像を再掲。 |
(日経サイエンス 2017年8月号 より) |
オオカミがイヌになったプロセス
では、オオカミの家畜化は過去にどのように進んだと推定できるでしょうか。
ここからは、日経サイエンス 2020年11月号に掲載された論文を紹介します。米・デューク大学のブライアン・ヘア(Brian Hare)とヴァネッサ・ウッズ(Vanessa Woods)による「優しくなければ生き残れない」と題した論文の紹介です。以下、この論文の執筆者を「著者」と書きます。
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では、どうやって氷河期オオカミがイヌになったのか。従来の説明は「人間がオオカミの子どもを野営地に連れ帰って家畜化した」とか、「人間がオオカミを飼い慣らして家畜化し、最終的には選抜育種を行ってイヌができた」というものでした。
しかしこの説明は筋が通っていません。氷河期オオカミを飼い慣らしたとしても、それは1代きりです。一方、キツネの家畜化実験でも分かるように、家畜化は何世代もの選択の過程を経て起こる現象です。また、家畜化されたキツネは遺伝子(DNA)レベルで野生のキツネと違うことが判明していますが、単なる飼い慣らしで遺伝子の変化は起きません。
現在のオオカミは肉食で、1回の食事で食べる肉の量は約9kgもあります。そして氷河期オオカミは現在のオオカミより体がさらに大きかった。氷河期オオカミを "飼い慣らした" とされる当時の人間は、狩猟採集の生活です。体の大きな肉食獣と、たとえば人間の子どもを野営地に残して狩りや採集に出かけるという生活は考えにくい。
以上のような考察を踏まえて著者は、氷河期オオカミがイヌになったプロセスを次のように推定しています。
なお、以下の引用では段落を変更したところがあります。また下線は原文にはありません。
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この引用の最後のところ、「最も友好的なオオカミが自らを家畜化した」のが "自己家畜化" です。普通、家畜化というと、人間が野生動物(の子ども)を捕らえて育て、飼い慣らして家畜にすることを言います。そうではなくて「自然選択を通して起こる家畜化」が "自己家畜化" です。
この自己家畜化がヒトの進化の過程でも起こったという仮説が以下の話です。
なぜホモ・サピエンスが生き残ったのか
まず出発点は、なぜ現生人類(=ホモ・サピエンス)だけが生き残り、繁栄できたかという疑問に答えようとすることです。「優秀だから生き残った」というような単純な話ではないようなのです。
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「少なくとも4種の人類と地球を共有」とありますが、その4種を具体的に書くと、
ホモ・エレクトス | |
ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルク人) | |
ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人) | |
ホモ・フロレシエンシス |
となるでしょう。最後のフロレシエンシスは2000年代になってジャワ島で骨格が発見され、研究が進められている人類です。ホモ・サピエンスは少なくともこの4種と同時に生きていた時代がある。特にネアンデルタール人は、アフリカを出たホモ・サピエンスがヨーロッパで遭遇した人類です。
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著者は、10万年前に戻ってどの人類種が今後生き延びるかを考えたら、ホモ・サピエンスよりもネアンデルタール人の方が有望に思えただろうと書いています。
ホモ・サピエンスは、ヒトに最も近縁の霊長類であるチンパンジーやボノボに比べて、遺伝的変異が少ないという事実があります。これは、ホモ・サピエンスの個体数がある時期に深刻なレベルにまで細ったことをうかがわせます。著者は「絶滅寸前に陥った」と書いています。
ではなぜ、最も屈強でもなく、最も賢くもなく、絶滅寸前にまで陥った(と推測される)ホモ・サピエンスが(=ホモ・サピエンスだけが)生き残れたのでしょうか。
ヒトに生じた自己家畜化
なぜホモ・サピエンスだけが生き残れたのか、それは一言で言うとホモ・サピエンスが「協力の達人」だったことによります。
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その「協力の達人」に向けてホモ・サピエンスを進化させたのが「自己家畜化」でした。
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家畜化は友好性に対する強い選択を伴う過程であり、互いにまるで無関係に思える多くの変化が起こる ・・・・・・。ここが自己家畜化仮説の核心です。それは冒頭にあげた「キツネの家畜化実験」で実証されている通りです。
ちなみにこの自己家畜化仮説は著者の2人と、ハーバード大学の人類学者・ランガム(Richard Wrangham)、デューク大学の心理学者・トマセロ(Michael Tomasello)の20年にわたる共同研究で作られたものです。ランガム博士は、いわゆる「料理仮説」を提唱した学者です(No.105 参照)。またトマセロ博士はヒトとチンパンジーの認知能力の違いの研究を先導してきた学者で、ヒトが "意図の共有" という能力を生まれながらに持っていること(=協力上手)を証明しました。
自己家畜化を検証する
ホモ・サピエンスは自己家畜化のプロセスで友好的な性質を獲得したという仮説は、何らかの方法で検証できるのでしょうか。ここで思い出すのが、冒頭で振り返った「キツネの家畜化実験」です。あの実験ではキツネの2つのタイプの変化、つまり、
行動の変化(=人なつっこくなる、人と意志疎通ができるようになる) | |
形態の変化(=顔が丸くなる、頭蓋骨が短く幅広になる) |
が同時に起こりました。人類の進化史を研究する上で、行動は化石に残りません。しかし頭蓋骨は化石に残ります。著者が注目したのは、行動を制御する神経ホルモンがヒトの骨格に影響を及ぼすという事実です。
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要するに、現在までに発見されているホモ・サピエンスの頭蓋骨の形状を調べることで、神経ホルモンの変化(従って行動の変化)を推定しようというわけです。
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さらに、テストステロンとは別の神経ホルモン、セロトニンが頭蓋骨に与える影響もあります。
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ホモ・サピエンス(左)とネアンデルタール人(右)の頭蓋骨を比較した図。"球形" と "ラグビーボール" の違いがよく分かる(Wikipediaより)。 |
テストステロンとセロトニンといった神経ホルモンは、頭蓋骨の形状に変化を与えるだけでなく、行動に変化を及ぼします。
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このような、仲間を識別して友好性を示す性質を獲得したホモ・サピエンスは、集団による高度な協力が可能になりました。これが文化や社会の発展につながり、進化の時間スケールからすると "瞬く間に" 世界を席巻しました。
攻撃性という逆説
しかし人類は、他者に対して友好性を示すと同時に、攻撃性を示して残酷にもなります。これはどうしてでしょうか。
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協力する集団は変えられる
以上のような攻撃性は、仲間ではないと認識した他者に示されるものです。しかし人間は交流を通して、どの範囲が仲間なのかという認識を柔軟に変えることができます。
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この最後のあたりの、集団間の人的交流の重要性が、著者が論文で最も言いたかったことです。
以上をまとめると、次のようになるでしょう。
ホモ・サピエンスは、友好性をもつ個体ほど生き残りやすいという自然選択の過程を経験した。 | |
友好性により集団での協力が可能になり、これがホモ・サピエンスに大きなパワーを与え、地球上で生き残り、繁栄できた要因となった。 | |
個体の友好性は神経ホルモンの変化に起因するが、それは同時に頭蓋骨形状の変化をもたらす。化石資料を調べると、確かに想定される変化が起きている。 | |
このプロセスは野生動物の家畜化と本質的に同じである。ただし人間が家畜化したのではなく、自然選択による家畜化であり、それは「自己家畜化」と呼べる。 | |
集団内の他者に対する友好性を発揮する神経ホルモンは、同時に集団外の人間に対する攻撃性をもたらした。 | |
しかし人間は集団の定義を柔軟に変えることができる。集団間の対立を解消し、集団の定義を変えるのに最も有効なのは、人的接触をするという行動変化だ。 |
著者の考える「人間とは何かという問いに対する答え」がここに示されているのでした。付け加えると、この論文は日経サイエンスと提携関係にある Scientific American誌の2020年8月号に掲載されたものです。日経サイエンスの編集部も指摘していますが、この論文の掲載は、分断と差別と対立が続く社会に対するメッセージという意図があった。そういうことだと思います。
「キツネの家畜化実験」再考
実は、著者はロシアで行われているキツネの家畜化実験の現場を訪れて調査をしています。
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「キツネの家畜化実験」では、「人に友好的」「知能が高い」「丸っこい顔(その他多数の形状変化)」の3つの変化がワンセットで起こりました。これが、ホモ・サピエンスの「自己家畜化仮説」の大きな傍証となったようです。
ロシアの遺伝学者、ベリャーエフの「キツネの家畜化実験」は「人が野生動物を飼い慣らして家畜にした経緯を知りたい」ということから始まりました。ベリャーエフは、人に従順な個体を選別・育種するという、たった一つの規準で家畜化はできるだろうと考えた。この洞察が非凡だったと思います。
彼が「キツネの家畜化実験」の意義について、どこまで見通していたのかは分かりません。しかし少々意外なことに、この実験はホモ・サピエンスが地球上で生き残って繁栄した理由(=仮説)につながり、もっと大きく言うと「人間とは何か」という問いに答えるための材料にもなった。
家畜化実験のキツネの遺伝子は DNA レベルで詳しく分析されているようです。ということは、たとえばの例ですが、人間の自閉症の研究にも役立つかもしれない。「キツネの遺伝子を DNA レベルで詳しく分析する」などは、ベリャーエフが実験を始めた1958年には考えもできなかったことです。それが現在では可能になっている。
「キツネの家畜化実験」は、いわゆる基礎研究の一つです。何かに役に立つことを目的としたものではありません。しかし基礎を押さえることで、そこから発展や応用の道が開ける(ことがある)。基礎研究の意義を改めて思いました。
優しくなければ生き残れない
ここからは日経サイエンスの論文の題名に関した余談です。米・デューク大学の2人の論文の原題は、
Survival of the Friendliest
で、「最も友好的な(friedlyな)ものが生き残る」という意味です。この題はもちろん、ダーウィンの進化論に関して言われる、
Survival of the Fittest
つまり「最適者が生き残る(=適者生存)」の "もじり" ないしは "パロディ" です。一方、日経サイエンス編集部が訳した日本語題名は、
優しくなければ生き残れない
で、これはアメリカの小説に登場する有名な台詞の "もじり" になっています。それは、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』の中の、私立探偵のフィリップ・マーロウの台詞で、マーロウの尾行対象の女性、ベティー・メイフィールドとの会話に出てきます。最も新しい村上春樹訳では、次のようになっています。
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ちなみに、マーロウの台詞の原文は、
If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
村上春樹さんが『プレイバック』の「訳者あとがき」で書いていました。チャンドラーに関する英米の書籍を読んでいても、この台詞に関する記述は全く出てこないし、知り合いのアメリカ人に聞いてみても、誰もそんな台詞があるとは知らなかったと ・・・・・・。これは日本でだけ有名な台詞のようです。
論文の原題はホモ・サピエンスの生き残りの要因を "friendly(友好的)" というキーワードで表現していますが、"優しい(gentle)" となると少々意味が違います。従って「優しくなければ生き残れない」というタイトルは原題を正確には伝えていません。とはいうものの、このタイトルは「日本でしか有名でない、アメリカの小説の台詞のパロディ」になっていて、これはこれでピッタリという感じがしました。
2020-11-28 13:13
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No.296 - まどわされない思考 [科学]
このブログでは、我々の思考を誤らせる要因について何回か書きました。まず No.148「最適者の到来」と No.149「我々は直感に裏切られる」では、日常生活とは全くかけ離れた巨大な数は想像できないので、直感があてにならず、誤った判断をしてしまう例を書きました。組み合わせの数とか、分子の数とか、カジノにおけるゲーム(賭け)の勝率などです。No.293「"自由で機会均等" が格差を生む」も、膨大な回数の繰り返しが我々の直感に全く反する結果を招く例でしょう。
また、No.83-84「社会調査のウソ」では、現代において数限りなく実施されている社会調査は、その調査方法が杜撰だったり推定方法が誤っていると実態とはかけ離れた結論になることを見ました。この「社会調査のウソ」の一つが "偽りの因果関係" です。つまり、物事の間に相関関係があると即、それが因果関係だと判断してしまう誤りです。No.223「因果関係を見極める」ではその分析と、正しく因果関係を見極める方法を専門家の本から紹介しました。
さらに、No.290「科学が暴く "食べてはいけない" の嘘」は、食の安全性についての科学的根拠がない言説にまどわされてはいけないという話でした。
以上の「直感」「社会調査」「因果関係」「食べてはいけない」以外にも、我々を誤った思考に導きやすいものがいろいろとあります。特に今の社会はインターネットの発達もあって、人々をまどわす誤った主張や非論理的な説明に満ちているのが実態です。それらに惑わされないようにして現代社会を生きて行くには、どうすればよいのか ────。最近、このテーマに絞った本が出版されました。
『まどわされない思考』
デヴィッド・ロバート・グライムス 著
長谷川 圭 訳
角川書店 2020
です(以下「本書」)。著者はアイルランド出身の物理学者、科学ジャーナリストで、英国とアイルランドで現代社会の各種の問題を科学的見地から解説しています。本書の副題は、
で、批判的思考(=クリティカル・シンキング)がテーマになっています。また本書の原題は、
The Irrational Ape
(= 非理性的なサル)
です。「人間は理性的なサル」という言い方がありますが、実態は感情に支配される非理性的なサルだという、自戒を込めた題名です。これを乗り越えるのが批判的思考(=クリティカル・シンキング)というわけです。
本書は現代社会のさまざまな問題・課題を考える上で大いに参考になると思ったので、以下に内容の "さわり" を紹介します。
序章:批判的思考
本書の序章に、1950年代の中国の「大躍進政策」の一環として行われたスズメの駆除運動のことが書かれていました。当時の中国では、農業の近代化と国の躍進のために害虫・害獣の駆除が必須だと見なされていました。たとえば、蚊やネズミは疫病を広めていたからです。ちょっと長くなりますが、引用します。
これは「浅はかな考えで行動すると恐ろしい結果になる」ことの(極端な)例です。特に、中国を代表する鳥類学者の警告に耳をかさなかったのが、「批判的思考がないと起こる最悪の事例」になっています。
この「打麻雀運動」のくだりを読んで思ったのですが、これは「カリスマ独裁者が支配する共産党独裁政権で起こった特殊な出来事」なのでしょうか。そうとも言えないと思います。
現在日本で最も深刻な生態系被害をもたらしている外来動物はマングースです。マングースは毒ヘビのハブを退治するために、動物学の権威であった東大教授の提唱で1910年(明治43年)に沖縄本島に持ち込まれました。そして1979年には奄美大島にも導入されました。
しかし1980年代になって研究者がマングースの胃の内容物や糞を分析した結果、ハブを食べている個体はほとんどいないことが分かりました(この経緯は中国のスズメとそっくりです)。代わりに沖縄本島ではヤンバルクイナ、奄美大島ではアマミノクロウサギなどの沖縄の固有種(この2種は天然記念物で、かつ絶滅危惧種)が犠牲になっていることが分かったのです。マングースもバカではありません。命がけで毒ヘビを襲うより、飛べない鳥を食べた方がラクというものです。加えて、マングースは昼間に活動し、ハブは夜行性です。そもそもマングースとハブが自然界で出会うチャンスは少ないのです。
環境省は2000年からマングースの駆除をはじめました。これにかかる費用は年間数億円の規模です。マングースの個体数は減ってきたようですが、現在までに完全駆除できたわけはありません。これからも多額の予算が投下され続けるわけです。
この経緯は、スズメの駆除が一因となって飢饉に陥り、あわててスズメを外国から輸入した中国とは逆のパターンです。しかし「浅はかな考えで行動すると、とんでもないことになる」ことは共通しています。しかも、マングースの導入を提唱したのが最高学府のれっきとした動物学者というところが、中国よりも "浅はか" かもしれない。「本当に自然界でマングースがハブを補食するのか」という批判的思考をする学者や官僚が少しでもいたら、こうはならなかったでしょう。
本書に戻って、著者が「打麻雀運動」を例に出したのは、批判的に考えることの重要性を指摘したかったからでした。
この引用部分が本書のテーマになっています。「誤った考え方が生じやすい場面を知り、批判的に考える能力をつける」というところです。さらに著者は、そのときに重要な点をあげています。
これで明らかなように、批判的思考は自分の考えに対して批判的に考えることも含みます。
現代は特に「批判的に考える」ことが重要です。その理由は、新聞・テレビ・ラジオといった従来メディアを凌駕するインターネットの発達、特にソーシャル・メディアの浸透です。ここでは玉石混淆、真実から嘘までのあらゆる情報が飛び交っていて、しかも情報を拡散させるのが極めて容易です。著者は「ソーシャル・メディアで共有されている記事の 59% が記事を読んでもいない人によって拡散されていると言われる」と書いていますが、いかにもありそうな話です。要するに、何らかの知的作業を行うことは一切なしに(もちろん批判的思考など全くなしに)情報が飛び交っている。
著者は「オンラインでいちばん共有されやすいのは強い感情」だとも言っています。これは米国科学アカデミーが2017年に行った調査でも裏付けられたそうです。怒り、恐怖、嫌悪、感情的表現に溢れた情報ほど共有されやすい。このことが、デマ、虚言、フェイク、偽ニュースの拡散に一役買っています。
偽りの物語は、いちど広まると簡単には訂正できません。長く人々に意識に残ります。これをインターネットの "利点" と見なして、プロパガンダ目的で偽ニュースを大量に流したのが、2016年の米国大統領選挙でした。そこには外国勢力もからんでいたことが明らかになりました。
偽りの物語が長く人々の意識に残るのは、心理学者が「真理の錯誤効果」と呼んでいるものが一因です。
著者は、「いかに知能が優れていようとも、人間は感情的な動物に過ぎない。私たちは理性のないサル。疑わしい結論を信じ込み、軽率な行動を起こすことが多い」と書いています。だからこそ、本書のテーマである「批判的思考」が重要なのです。
本書は序章のあとに第1部から第6部までの構成になっています。以降、それぞれのセクションのさわりを紹介します。
第1部:形式的誤謬
本書の第1部は「理性の欠如」というタイトルがついていますが「形式的誤謬」を扱っています。主張の論理構造が誤っていたり矛盾している例です。これを意図的に行うのが「詭弁」です。何点か紹介します。
「後件肯定」とは論理学の用語で、日常生活では使いませんが、別に難しいことではありません。後件肯定の誤謬とは、
とする形式的誤謬です。「P は Q である」の P が「前件」、Q が「後件」です。紛らわしいのは「後件肯定」における結論が、結論だけをとると正しいことがあることです。
の結論は正しい。しかし人間のところを犬に置き換えると誤った結論になります。
著者は、世の中で広まっている「陰謀論」の根幹にはこの「後件肯定」があり「よこしまな論証があたかも正当であるかのような幻想を作り出す」と指摘しています。陰謀論とは「世の中で起こった大きな事件や事故、出来事が、実は隠れた勢力が裏で引き起こした陰謀である」という論ですが、その例として著者は「9.11事件」を取り上げています。
2001年9月11日、アメリカでイスラム過激派によって4機の旅客機が同時にハイジャックされました。まずアメリカン航空11便が、ニューヨークのツイン・タワーの北棟、93階と99階のあいだに時速790kmのスピードで突入しました。その数分後、ユナイテッド航空175便が南棟の77階と85階のあいだに時速960kmで突っ込んだ。この攻撃によりツインタワーは激しい炎に包まれ、タワーそのものが崩壊し、世界中の人々を愕然とさせました。
別の場所では、アメリカン航空77便のハイジャック犯が旅客機もろとも国防総省に突入しました。またユナイテッド航空93便では勇敢な乗客たちがハイジャック犯に反撃し、自らの命を投げうって目的地に到達する前に飛行機を墜落に導きました。この飛行機の攻撃の目的地はワシントンの政治中枢だと言われています。
このアメリカ史上最悪のテロによって2996人の命が失われました。世界で最も強大な国家の中枢に攻撃を仕掛けるという大胆さに世界は動揺し、ツインタワーが崩れ落ちるイメージが人々の意識に刻み込まれた。しかしツインタワー崩壊の煙が収まらない時から「陰謀論」が広まり始めたのです。
この事件後、インターネット上では陰謀論が大流行します。ビデオも大量にアップされました。「9.11テロの真実を求める運動」は "トゥルーサー" 運動と呼ばれ、次第に一般の人々に浸透していきます。これらの陰謀論には共通点がありました。それは「公式の説明は信用できない」という態度です。
この "陰謀論の火" に油を注いだのが、2003年のブッシュ政権のイラク侵攻でした。9.11テロを起こしたアルカイダとイラクのフセイン政権を結びつける証拠が何もない状況の中で、ブッシュ政権はイラクが大量破壊兵器を保有しているという "話" をもとにイラクに侵攻したのです。この「大量破壊兵器の保有」は、後に全くの捏造であることが分かりました。こういったブッシュ政権の不誠実な態度が「9.11テロ陰謀論」に拍車をかけたのです。
しかし、この種の陰謀論は簡単に論破できると著者は書いています。その例として「ジェット燃料が燃えたぐらいで鋼鉄の梁が溶けることはない」「人為的な爆発がタワーを崩壊させた」という主張を考えてみましょう。
しかし 9.11トゥルーサー運動はその後も続き、本書の執筆時点でアメリカ人のおよそ 15% が 9.11 は「内部の者による工作」だったと考え、国民の半数は事件後の歴代政権が事件の真相を隠蔽していると信じているそうです。事件後10数年が経過してもそのような考えが消えないのはどうしてでしょうか。
著者はその大きな理由が「後件肯定」にあると指摘しています。「後件肯定」は陰謀論者がナンセンスを物語に仕立てる常套手段です。つまり陰謀論者は、
という主張をします。これは「ソクラテスは犬だった」式の論理で、こじつけであることが明白です。しかしこのこじつけにより、陰謀論には証拠が欠けているという明白な事実でさえ、彼らの主張を裏付けるような印象を作り出すわけです。このこじつけに騙される人がいるのが、陰謀論が未だに消えない根幹の理由です。
媒概念不周延とは論理学の難しい用語ですが、この用語が重要なわけではありません。用語の説明は後に回します。この誤謬を使った詭弁はよくあり、著書はそれを「(携帯電話などに使われる)無線電波がある種の癌を誘発する」という論で説明しています。
携帯電話の使用と脳腫瘍(膠芽腫や髄膜種など)のリスクについては各国で疫学調査が行われましたが、今まで関係が見つかったことがありません。また他の腫瘍との関係が示されたこともありません。そもそも、1990年頃の携帯電話の普及率はほぼゼロでしたが、現在ではほぼ100%になっています。そして1990年代以降に脳腫瘍(ないしは他の腫瘍)が激増したことはないのです。しかしインターネット上には携帯電話の電波が癌を引き起こすという主張をするサイトが多数あります。
携帯電話に使われる無線電波は電磁波(Electromagnetic Wave)の一種ですが、電磁波を波長の短い方から(従ってエネルギーの強いものから)順に並べると以下のようになります。nm はナノ・メートル(10-9メートル)です。
電磁波の一部(放射線)は分子の化学結合を破り、原子から電子を弾き飛ばすほどのエネルギーを持っています。従って生体のDNAを傷つけ、結果として癌を引き起こすほどの力を秘めている。逆に、このことを利用して癌細胞を死滅させる医療に使われています(癌の放射線治療)。
しかし携帯電話に使われる無線はマイクロ波であり、波長は1mm~1m程度です。電磁波のエネルギーでみると、最もエネルギーの小さい可視光(700nm程度の赤色光)でさえ、最もエネルギーの大きい携帯電話用マイクロ波(波長 1mm程度)の1430倍ものエネルギーがあります。マイクロ波が癌を誘発するなら赤色光も癌を誘発するはずですが、そんなことはないのです。
「無線電波=癌のリスク」論者がわざわざ持ち出すのは、放射(Radiation)という単語が入った「電磁放射 Electromagnetic Radiation」という言葉です。ここでの Radiation は "媒体や空間を介したエネルギーの伝播" という意味ですが、単に Radiation と言うとアルファ線やX線などの放射線をも意味する。放射線は癌を誘発するリスクがあるので、そこがややこしいというか、言葉が曖昧なところです。この電磁放射という言葉を使って次のような論法が行われます。
これは典型的な「媒概念不周延の誤謬」です。媒概念とは前提にはあるが結論にはない概念のことで、上の論法では "電磁放射" がそれにあたります。また「周延」とは、概念 XXX について
すべての XXX は ・・・・・・ である
すべての XXX は ・・・・・・ でない
というように、XXX に属するものすべてについての命題が規定されていることです。それがされていない場合が「不周延」です。上の論法では「電磁放射」という媒概念が不周延なので「媒概念不周延の誤謬」となります。
上にように書いてみると論理的な誤りが明白ですが、演説などでは言葉をあやつって悪用されます。これは政治の世界でもよくあり、たとえば「共産主義者は増税を支持している。私の政敵は増税を支持している。従って、私の政敵は共産主義者だ」といった論法です。
生き残ったもの(残存しているもの)には、生き残っているということに起因する "偏り" があります。これが「生存者バイアス」です。
この半世紀ほどにおける癌の発生率の増加も「生存者バイアス」と言えるでしょう。癌の増加を大気中の化学物質の増加や食品添加物に関連づける言説がありますが、それは違います。癌の発生リスクは加齢とともに増加します。従って高齢になるまで "生き残った" 人たちには癌の発生リスクが高いという "バイアス" が存在する。医療が進歩し、感染症で死ぬ人が少なくなり、世の中が高齢化すると癌の発生率は高くなるのが当然です。
エビデンスの中から自分に都合のよいものだけを選び、その他のものは排除ないしは無視することを "チェリーピッキング" と呼びます。チェリーとは "さくらんぼ" のことですが、熟れたさくらんぼを選別して選ぶところからこの名前があります。
よく健康食品の販売コマーシャルに「お客様の声」があります。「これを食べ出してから(飲み出してから)元気になりました」という "声" ですが、それ自体はユーザの意見として嘘ではないのでしょう。しかし「健康状態は変わらない」「悪くなった」という声は採用されません。良かったという声だけをチェリーピッキングしてコマーシャルを打っているわけです。
代替医療というのがあります。現代の医学では治療法として認められていない民間療法や、あやしげな療法を言いますが、人間の体は複雑なので、そのような代替医療で治癒したように見えることはあるわけです。たまたまなのかも知れないし、プラセボ効果かもしれないし、人間の免疫機構が病気に勝ったのかも知れない。代替医療の推進者は、こういう例だけをチェリーピッキングして宣伝をします。
著者は、チェリーピッキングの典型例が霊能者だと言っています。たとえば、犯罪に使われた物品をもとに犯罪詳細を言い当てるといった例です。これは確率的に "当たる" ことがある。その当たった例だけをチェリーピッキングすると "霊能" があるように見せかけられます。
気候変動は起こっていないとする否定論もチェリーピッキングです。科学者の出した膨大なデータは気候変動を示していますが、中には(地域や測定項目によっては)起こっていないとするデータもある。そういったデータにしがみついているのが否定論者です。
ビジネスに成功した人をとりあげて、成功の要因をあげるのもチェリーピッキングに近いでしょう。同じようにやって成功しなかった多数の人がいると想定できるからです。
第2部:非形式的誤謬
「純粋で単純な真実?」と題された第2部は非形式的誤謬を扱っています。
著者は、世の中で非常に権威のある人が言っているから正しいと考えてしまう傾向、ないしは権威者がその権威を背景に論じることを「権威に訴える論証」と呼んでいます。これは典型的な非形式的誤謬です。
「ビタミンCをとれば風邪の予防になる」という噂を聞いた人は多いはずですが、この噂のもとをたどると米国のライナス・ポーリングに行き当たります。ポーリングは量子化学の権威で、1954年のノーベル化学賞に輝きました。また、核兵器に対する反対運動を主導したことで1962年にノーベル平和賞が授けられています。ノーベル賞を個人で2回受賞したのは数人いて、有名なのはキュリー夫人です(物理学賞と化学賞)。しかし化学賞と平和賞という異分野で受賞したのはポーリングだけです。
ポーリングは1960年代の講演で「科学の進歩を見届けるためにあと25年は生きたい」と発言ましたが、その聴衆の中のアーウィン・ストーンというい人物がいました。この人物はポーリングに手紙を書き、1日3000ミリグラムのビタミンCを活力の源として推奨しました。ここから話は変な方向に進み出します。
ポーリングはその後、ビタミンCの大量摂取は癌や蛇の毒、エイズまでに利く万能薬と主張し出したようです。
ビタミンCは体に必須なので(しかも体内で合成できない)、不足するとまずいことがいろいろ起こることは想定できます(ビタミンC欠乏症の代表は壊血病)。免疫力が低下して風邪をひきやすくなるかもしれない。しかし、1日の必要量(成人男性で100mg程度。厚生労働省の推奨量)を遙かに超える量を摂取しても排泄されるだけです。大量摂取による重篤な副作用はないようですが、重度の膨満感や下痢が起きやすくなることはあるようです。
ポーリングの例は、ある分野に精通しているからといって他の分野でも精通していたり知識があるわけではないことを示しています。ノーベル賞を2度もとった "権威" で判断してはいけないのです。
人間は、原因と結果がはっきりしている単純な物語を好みます。このことが起因して "問題を単純化する誤り" を犯しやすい。その一つが「単一原因の誤謬」です。これは物事の原因を一つに決めてしまう誤りです。
多くの事象は複数の原因や要因によって成立しています。物事をあまりに単純化することは何の役にもたちません。しかし政治やメディアの議論では、うんざりするほど「単一原因の誤謬」があるのが現状です。
「誤った二分法」も "問題を単純化する誤り" の一つです。他にもたくさんの選択肢があるにもかかわらず、2つの極端な項目しか選択の対象にしない。これは扇動政治家が好んで用いる論法です。「我々の提案に完全に同意しないのなら、君は敵だ」という論法です。
上の方の引用で9.11事件の後に巻き起こった陰謀論のことを書きましたが、その9.11のあとの米国議会の合同会議で、ジョージ・ブッシュ大統領は世界の国家に警告を発しました。「我々とともにあるか、それともテロリストとともにあるか」。これは典型的な「誤った二分法」です。
「誤った二分法」を使うと2極化が避けられません。また過激主義を助長します。建設的な議論を封じ、実用的な解決策を台無しにします。これはソーシャルメディアでも顕著です。著者は「数多くのニュアンスを含む複雑な話題が、正反対の解釈だけを許す2つの対立項にまで単純化されている」と書いています。
「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」を言います。著者はこれを幼児の予防接種と自閉症の関係で説明しています。
これをきっかけに報道機関は大々的にこの話題を取り上げ、イギリス中が騒動になりました。これは大きな犠牲を生みました。イギリスのみならず西ヨーロッパにおける予防接種の接種率が大幅に低下し、麻疹などへの感染率が上昇したのです。
しかしこの論文にはデータの改竄があることが判明し、『ランセット』は論文を撤回し、ウェイクフィールドは医師免許を剥奪されました。「自閉症的腸炎」は、ウェイクフィールドが捏造したエビデンスだけに裏付けられた作り話だったのです
しかしこの騒動の後遺症は大きく、いまだに多くの人はMMRが自閉症の原因だと信じていると言います。著者はその原因が「前後即因果の誤謬」にあると指摘しています。
MMRにかかわらず、ワクチン反対運動やワクチン接種率の低下はゆゆしき問題です。WHOは2019年に初めて、全世界の健康に対する脅威のトップ10の中にワクチン接種への抵抗を入れたそうです。
白人至上主義という思想をもつ人たちがいます。彼らは「白人に共通する本質的な性格があると仮定する誤り」を犯しています。このように「本質的な何かがある」との仮定のもとに主張することを著書は「本質に訴える論証」と呼んでいます。白人については、著者は次のように書いています。
白い肌はヨーロッパ大陸の最北部で始まり、ヨーロッパ大陸全体に爆発的に増えたのは5800年前に過ぎません。「白色人種」はフィクションです。白色人種に本質的な何かがあるとの仮定にたった論証は単純に誤っています。
この「本質に訴える論証」も、さまざまなところで聞かれます。「真の日本人にそのようなことをする人はいない」というような言い方も、その一つでしょう。
証拠もあげずに「・・・・・・ が自然だ」「・・・・・・ は不自然だ」と決めつけ、そこから論を展開するのが「自然に訴える論証」です。著者はこれを同性愛の例で説明しています。つまり「同姓愛は不自然、異性愛が自然」との前提から出発する論です。実際にカトリック教会では同性愛が極めて不自然な状態と見なされ「自然に反する罪」とされています。この考えは正しいのでしょうか。
「藁人形論法」とは、相手の主張の代わりになる何か(=藁人形。ストローマン)を設定し、それを攻撃して主張そのものを論破したかのような印象を与える言説です。
ダーウィンが進化論を発表したとき、イギリスで進化論を攻撃するのに使われたのが「藁人形論法」です。攻撃論者は「進化論は変化した猿を人間の起源とする説」だと言いふらし、ダーウィンの主張を歪めた「藁人形」を作って攻撃しました。もちろんダーウィンはそんなことは言っていません。現代風に言うと、人間と霊長類の共通の祖先から、突然変異と自然選択の繰り返しで段々と進化して人間ができたわけです。
第3部:思考の罠
第3部「思考の罠」では、我々が陥りやすい思考の落とし穴について述べられています。そのうち「確証バイアス」と「認知的不協和」について紹介します。
「自分がもとからもっている信念や世界観に一致する情報ばかりを集めたり組み立てたりして、反する情報は軽視する傾向」を「確証バイアス」と言います。
日本でもよく災害時の避難で「確証バイアス」が話題になります。自分は災害にあわないという "根拠のない思い込み" をしている人は、まだ避難しなくても大丈夫ということにつながる情報だけを採用し、危険が間近に迫っていることを裏付ける情報を軽視して、結果として災害死してしまう。そういったときに使います。
この「確証バイアス」は、次の「認知的不協和」と密接な関係があります。
心理学でいう「認知的不協和とその解消」については、No.129「音楽を愛でるサル(2)」で、イソップ寓話 "キツネとブドウ" をあげて説明しました。飢えたキツネが実ったブドウをみつけ、取ろうと飛び上がるがどうしても取れない。とうとうキツネは「あのブドウは酸っぱくて食えない」と言って立ち去ったという寓話です。「食べたい」のに「取れない」という "不協和" を、「あのブドウは酸っぱい」との "負け惜しみ" で現実を否定して "解消" したわけです。
本書ではこの認知的不協和とその解消を、次のように説明しています。
この認知的不協和の例として、本書は「気候変動の否定論」をあげています。保守的な考えをもち、自由主義市場を強く信じる政治家や有権者ほど気候変動を否定する傾向が強いのです。なぜでしょうか。
第4部:確率・統計の誤謬
第4部は「嘘、大嘘、そして統計」と題されています。この題はアメリカの文豪、マーク・トウェインの著述で広まったもので、「嘘には三種類ある。嘘、まっかな嘘、そして統計」という警句です。
相関関係は因果関係ではないことは、このブログでもNo.83-84「社会調査のウソ」、No.223「因果関係を見極める」で取り上げました。本書でもこの話題がありますが、端的に示すために、
と書いてあります。なるほど、これは分かりやすい例です。アイスクリームが売れると、そのことが原因で溺死事故が増える(=因果関係がある)とは誰も考えません。もちろんこれは「高温の晴れた日」が隠れた変数(=潜伏変数。交絡変数という言い方もある)になっていて、この変数が「アイスクリームの売り上げ」および「溺死件数」の2つと因果関係にあり、そのことで2つの間に相関関係が発生するわけです。
ある集団の統計と、その集団を部分に分割したときの統計は、矛盾する関係になることがあります。これを「シンプソンのパラドックス」と呼んでいます。
本書には数字の例が書いていないので、仮想的に作ってみます。いま、ある大学があって工学部と英語学部の2学部しかないとします。各学部の定員と男女別受験者数・合格者数を仮定して作ったのが次の表です。
工学部と英語学部とも女子の方が合格率が高いのに、全学では圧倒的に男子の合格率が高いことになります。一瞬、間違っているのではと疑ってしまいますが、計算は正確です。人数が少ない女子受験生が合格率の低い英語学部に集中すると、こういう結果になってもおかしくないのです。
本書には(偶然にもタイムリーな話題として)感染症の検査にかかわる統計・確率の話が出てきます。
ある感染症にかかっている人が検査で陽性と判断される確率を、その検査の「感度」と呼びます。また、感染症にかかっていない人が検査で「陰性」と判断される確率を、その検査の「特異度」と呼びます。
もちろん感度も特異度も100%が望ましいのですが、そうはなりません。つまり、検査で「陽性」と判断された人が実は感染していないということが起きる(=疑陽性)。その反対に、検査で陰性と判断された人が実は感染している(=疑陰性)ということも起こります。
検査で「陽性」と判断された人が、真に感染症にかかっている確率を「真陽性率」と呼びます。
エイズの検査(HIVウイルスのキャリアかどうかの検査)は感度も特異度も高いことで知られています。今、感度も特異度も 99.99% とします。実際はもう少し低いようですが、真陽性率の意味を明確にするためにこの値とします。つまりエイズ検査では 99.99% の高い精度で、その人がHIVウイルスに感染しているかどうかが(感染していても、していなくても)判定できるとします。
この仮定のもとで、真陽性率が 50%、つまりHIV陽性と判定された人が真にHIVに感染している確率が 50%ということが起こり得えます。それは検査した集団の感染率が非常に低い場合です。10,000人に1人が感染している例で表を作ってみると次のようになります。
1万人のうち1人が感染している場合
真陽性率 = 1/2 = 50% です。一方、感染率の高い集団の検査は様子が違ってきます。
1万人のうち150人が感染している場合
真陽性率は 150/151 = 99.34% になります。
ここで本書にはありませんが、新型コロナウイルスのPCR検査ではどうなるかを見てみます。新型コロナウイルスのPCR検査の感度と特異度は正確にはわからないの現状です。正確に知るためにはPCR検査以外の方法で感染者・非感染者を正確に判別し、その人たち多数のPCR検査をして調べる必要があります。しかし「新型」なのでPCR検査以上に正確に判定する手段がありません。また感染してからの時間経緯とともに感度が変わってくるということもあります。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、
・感度 70%
・特異度 99.9%
と推定しています(日本経済新聞 2020年9月4日による)。これをとりあえずの値として「集団の感染率によって真陽性率がどう変化するか」を計算してみたのが次のグラフです。
このグラフから明らかなように、感染率0.14%の集団(1万人に14人の感染者)のPCR検査を実施すると真陽性率は50%です。つまり陽性と出ても感染しているかしていないかは全く不明です。感染率が1.27%の集団(1万人に127人の感染者)になって初めて真陽性率が90%になります。
新型コロナウイルスのPCR検査について専門家の多くの意見は「増やすべき。ただし増やすやりかたは慎重に」というものだと思います。その裏には上記のような感度・特異度の問題があるわけです。
第5部:メディアが人々を惑わす
「世界のニュース」と題されている第5部は、メディアが人々を惑わしている例です。この中kら「偽りのバランス」を紹介します。
「対立する見解を、それぞれの見解を裏付ける証拠に大きな違いがあるにもかかわらず、同等に扱う」ことを、本書では「偽りのバランス」と呼んでいます。これは報道機関が犯す典型的なあやまちです。著者によると、2016年の米国の大統領選挙(ドナルド・トランプ 対 ヒラリー・クリントン)では、トランプ陣営からの嘘やフェイク、根拠のない決めつけが圧倒的に多かったにもかかわらず、同等に扱ったのがその例です。
「偽りのバランス」の科学版も考えられます。喫煙が肺癌を引き起こすというデータは膨大にありますが、喫煙が肺癌を引き起こさないというデータはわずかしかありあません。この両者を対等に扱う報道やTV番組はおかしいのです。
気候変動もそうです。気候変動が起こっていることを示すデータは膨大にありますが、起こっていないことを示すデータはわずかです。この両者を対等に扱うべきではない。本書には、MITの科学ジャーナリズム・ナイト・センターの所長を務めるボイス・レンズバーガー(Boyce Rensberger)の意見として「バランスのとれた科学報道とは、議論の両見解を等しく重いものとして扱うことを意味していない。証拠のバランスに応じて、重みを配分することを意味している」と書かれています。全くその通りでしょう。
第6部:疑似科学
「暗闇に立つろうそく」と題された第6章は「疑似科学」を扱っています。たとえば次のような例です。
ホメオパシーはドイツ人医師ザムエル・ハーネマンが1807年に提唱したもので、"治療薬" を極端に薄めます。100倍の希釈を10数回から30回繰り返して "治療" に使います。100倍の希釈を30回も繰り返すと、もともとの "治療薬" の分子は1つも残らないことは明白なのですが、「水が記憶している」とするわけです。「ただの水」なので副作用はありませんが、プラセボ(偽薬)以上の効果はありません。
このような200年近く前の亡霊が、抗体の免疫反応という新たな装いで登場したわけです。このような論文をなぜ『ネイチャー』ともあろう雑誌が掲載したのか、その経緯と撤回の顛末が本書に書かれていますが、それは省略します。
この「溶液をしっかりと振ると免疫反応をみせた」というとことで、2014年に起こった「STAP細胞事件」を連想しました。分化が終わった細胞に熱や酸などの刺激を加えると再び分化する能力が獲得されたと、理化学研究所の研究者などが発表したものです。これは発表者でも再現実験ができず、第3者の調査委員会は実験室におけるES細胞の混入によるものと結論づけました。
これは科学者が意図的に、あるいは誤って作り出した疑似科学と呼べると思いますが、もっと一般的には、健康にかかわる商品である「マイナスイオンを発生させる家電商品」や「ゲルマニウムを使った健康器具」も、科学を装った疑似科学でしょう。
著者は、インターネット時代になり、一時廃れていた疑似科学が復活してきていると警告しています。たとえば、日本では行われていませんが、水道水にフッ素を混ぜるのは安全で虫歯予防に効果があることが確立してきましたが、インターネット時代になって反フッ素運動が復活し、癌や鬱病などの副作用があるとの主張がなされるようになりました。これらは一見、科学の装いをまっとっているので注意が必要です。
終わりに
本書のまとめである「終わりに」のセクションから2つの点を紹介します。一つはディベート(討論)の問題点です。
著者も指摘していますが、ディベートの問題点には「偽りのバランス」もあります。本来まったく重さの違う2つの見解が、討論の場では同じ価値をもつものとして扱われるという弊害です。
上の引用で思い出すのは高等教育などで行われるディベートの実習訓練で、本人の意志とは無関係にグループを賛成派と反対派に分け、それぞれの立場からディベートをするというやり方です。こういった訓練を何回も受けた人は、二分法でディベートを行うことに違和感がなくなり、たとえそれが「偽りの二分法」であっても知らず知らずのあいだに許容してしまうのでしょう。
最後に引用するのは、本書の序章に書かれていたことと同様の主旨が「人格を決めるのは考える能力」という言い方で再度強調されているところです。
「人格を決めるのは信念ではなく、考える能力」というのは良い言葉だと思います。信念も重要だが、それ以上に考える能力、という言い方もありだと思います。このあたりが本書の結論でしょう。
本書は、まどわされやすいパターンを分類・列記し、それに名前をつけています。「確証バイアス」や「誤った二分法」などです。世の中で公式に使われる用語もあれば、著者が名付けた言葉もあります。この「名前をつける」ということが重要だと思いました。
人間は事物や概念に「名前をつけて」自己に取り込みます。名前をつけることで、それを引き出し、応用できます。「いま自分は、自分の信念にマッチした都合のよい情報だけを拾い上げているのではないだろうか」と考えるより「確証バイアスでないか」と考える方が、思考方法としては効率的で有効性が高い。「確証バイアス」という言葉とその意味を知ってしまえば、その言葉を使って考えることができます。テレビの討論番組をみるときにも「あれは "誤った二分法" じゃないか」と批判的に考えることができます。
本書のテーマである「批判的思考」ができるようになるためには、このあたりが大切であり、そこが本書の価値だと思いました。
また、No.83-84「社会調査のウソ」では、現代において数限りなく実施されている社会調査は、その調査方法が杜撰だったり推定方法が誤っていると実態とはかけ離れた結論になることを見ました。この「社会調査のウソ」の一つが "偽りの因果関係" です。つまり、物事の間に相関関係があると即、それが因果関係だと判断してしまう誤りです。No.223「因果関係を見極める」ではその分析と、正しく因果関係を見極める方法を専門家の本から紹介しました。
さらに、No.290「科学が暴く "食べてはいけない" の嘘」は、食の安全性についての科学的根拠がない言説にまどわされてはいけないという話でした。
以上の「直感」「社会調査」「因果関係」「食べてはいけない」以外にも、我々を誤った思考に導きやすいものがいろいろとあります。特に今の社会はインターネットの発達もあって、人々をまどわす誤った主張や非論理的な説明に満ちているのが実態です。それらに惑わされないようにして現代社会を生きて行くには、どうすればよいのか ────。最近、このテーマに絞った本が出版されました。
『まどわされない思考』
デヴィッド・ロバート・グライムス 著
長谷川 圭 訳
角川書店 2020
非論理的な社会を批判的思考で生き抜くために
で、批判的思考(=クリティカル・シンキング)がテーマになっています。また本書の原題は、
The Irrational Ape
(= 非理性的なサル)
です。「人間は理性的なサル」という言い方がありますが、実態は感情に支配される非理性的なサルだという、自戒を込めた題名です。これを乗り越えるのが批判的思考(=クリティカル・シンキング)というわけです。
本書は現代社会のさまざまな問題・課題を考える上で大いに参考になると思ったので、以下に内容の "さわり" を紹介します。
序章:批判的思考
本書の序章に、1950年代の中国の「大躍進政策」の一環として行われたスズメの駆除運動のことが書かれていました。当時の中国では、農業の近代化と国の躍進のために害虫・害獣の駆除が必須だと見なされていました。たとえば、蚊やネズミは疫病を広めていたからです。ちょっと長くなりますが、引用します。
以降の本書からの引用では段落を増やしたところがあります。また、漢数字を算用数字に改めたところや、ルビを追加したところもあります。下線は原文にはありません。
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これは「浅はかな考えで行動すると恐ろしい結果になる」ことの(極端な)例です。特に、中国を代表する鳥類学者の警告に耳をかさなかったのが、「批判的思考がないと起こる最悪の事例」になっています。
この「打麻雀運動」のくだりを読んで思ったのですが、これは「カリスマ独裁者が支配する共産党独裁政権で起こった特殊な出来事」なのでしょうか。そうとも言えないと思います。
現在日本で最も深刻な生態系被害をもたらしている外来動物はマングースです。マングースは毒ヘビのハブを退治するために、動物学の権威であった東大教授の提唱で1910年(明治43年)に沖縄本島に持ち込まれました。そして1979年には奄美大島にも導入されました。
しかし1980年代になって研究者がマングースの胃の内容物や糞を分析した結果、ハブを食べている個体はほとんどいないことが分かりました(この経緯は中国のスズメとそっくりです)。代わりに沖縄本島ではヤンバルクイナ、奄美大島ではアマミノクロウサギなどの沖縄の固有種(この2種は天然記念物で、かつ絶滅危惧種)が犠牲になっていることが分かったのです。マングースもバカではありません。命がけで毒ヘビを襲うより、飛べない鳥を食べた方がラクというものです。加えて、マングースは昼間に活動し、ハブは夜行性です。そもそもマングースとハブが自然界で出会うチャンスは少ないのです。
環境省は2000年からマングースの駆除をはじめました。これにかかる費用は年間数億円の規模です。マングースの個体数は減ってきたようですが、現在までに完全駆除できたわけはありません。これからも多額の予算が投下され続けるわけです。
この経緯は、スズメの駆除が一因となって飢饉に陥り、あわててスズメを外国から輸入した中国とは逆のパターンです。しかし「浅はかな考えで行動すると、とんでもないことになる」ことは共通しています。しかも、マングースの導入を提唱したのが最高学府のれっきとした動物学者というところが、中国よりも "浅はか" かもしれない。「本当に自然界でマングースがハブを補食するのか」という批判的思考をする学者や官僚が少しでもいたら、こうはならなかったでしょう。
本書に戻って、著者が「打麻雀運動」を例に出したのは、批判的に考えることの重要性を指摘したかったからでした。
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この引用部分が本書のテーマになっています。「誤った考え方が生じやすい場面を知り、批判的に考える能力をつける」というところです。さらに著者は、そのときに重要な点をあげています。
思考の道筋を、いつも、最後まで、論理的にたどること。 | |
エビデンス、つまり明らかな事実を頼りにすること。 | |
自分の信念に対して、他人の信念と同じぐらいに厳しい疑いの目を向けること。 | |
間違った考えや信念を、それがどれだけ心地よいものであっても、捨てる覚悟を持つこと。 | |
導き出した結論が気に入るかどうか、自分の世界観に合っているかより、その結論がエビデンスと論理によって導き出されたものかどうかを重視すること。 |
これで明らかなように、批判的思考は自分の考えに対して批判的に考えることも含みます。
現代は特に「批判的に考える」ことが重要です。その理由は、新聞・テレビ・ラジオといった従来メディアを凌駕するインターネットの発達、特にソーシャル・メディアの浸透です。ここでは玉石混淆、真実から嘘までのあらゆる情報が飛び交っていて、しかも情報を拡散させるのが極めて容易です。著者は「ソーシャル・メディアで共有されている記事の 59% が記事を読んでもいない人によって拡散されていると言われる」と書いていますが、いかにもありそうな話です。要するに、何らかの知的作業を行うことは一切なしに(もちろん批判的思考など全くなしに)情報が飛び交っている。
著者は「オンラインでいちばん共有されやすいのは強い感情」だとも言っています。これは米国科学アカデミーが2017年に行った調査でも裏付けられたそうです。怒り、恐怖、嫌悪、感情的表現に溢れた情報ほど共有されやすい。このことが、デマ、虚言、フェイク、偽ニュースの拡散に一役買っています。
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偽りの物語は、いちど広まると簡単には訂正できません。長く人々に意識に残ります。これをインターネットの "利点" と見なして、プロパガンダ目的で偽ニュースを大量に流したのが、2016年の米国大統領選挙でした。そこには外国勢力もからんでいたことが明らかになりました。
偽りの物語が長く人々の意識に残るのは、心理学者が「真理の錯誤効果」と呼んでいるものが一因です。
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著者は、「いかに知能が優れていようとも、人間は感情的な動物に過ぎない。私たちは理性のないサル。疑わしい結論を信じ込み、軽率な行動を起こすことが多い」と書いています。だからこそ、本書のテーマである「批判的思考」が重要なのです。
本書は序章のあとに第1部から第6部までの構成になっています。以降、それぞれのセクションのさわりを紹介します。
第1部:形式的誤謬
本書の第1部は「理性の欠如」というタイトルがついていますが「形式的誤謬」を扱っています。主張の論理構造が誤っていたり矛盾している例です。これを意図的に行うのが「詭弁」です。何点か紹介します。
 後件肯定の誤謬と陰謀論  |
「後件肯定」とは論理学の用語で、日常生活では使いませんが、別に難しいことではありません。後件肯定の誤謬とは、
: | P は Q である。 | |
: | Q である。 | |
: | 従って、P である。 |
とする形式的誤謬です。「P は Q である」の P が「前件」、Q が「後件」です。紛らわしいのは「後件肯定」における結論が、結論だけをとると正しいことがあることです。
: | すべての人間は死ぬ。 | |
: | ソクラテスは死んだ。 | |
: | 従って、ソクラテスは人間だった。 |
の結論は正しい。しかし人間のところを犬に置き換えると誤った結論になります。
: | すべての犬は死ぬ。 | |
: | ソクラテスは死んだ。 | |
: | 従って、ソクラテスは犬だった。 |
著者は、世の中で広まっている「陰謀論」の根幹にはこの「後件肯定」があり「よこしまな論証があたかも正当であるかのような幻想を作り出す」と指摘しています。陰謀論とは「世の中で起こった大きな事件や事故、出来事が、実は隠れた勢力が裏で引き起こした陰謀である」という論ですが、その例として著者は「9.11事件」を取り上げています。
2001年9月11日、アメリカでイスラム過激派によって4機の旅客機が同時にハイジャックされました。まずアメリカン航空11便が、ニューヨークのツイン・タワーの北棟、93階と99階のあいだに時速790kmのスピードで突入しました。その数分後、ユナイテッド航空175便が南棟の77階と85階のあいだに時速960kmで突っ込んだ。この攻撃によりツインタワーは激しい炎に包まれ、タワーそのものが崩壊し、世界中の人々を愕然とさせました。
別の場所では、アメリカン航空77便のハイジャック犯が旅客機もろとも国防総省に突入しました。またユナイテッド航空93便では勇敢な乗客たちがハイジャック犯に反撃し、自らの命を投げうって目的地に到達する前に飛行機を墜落に導きました。この飛行機の攻撃の目的地はワシントンの政治中枢だと言われています。
このアメリカ史上最悪のテロによって2996人の命が失われました。世界で最も強大な国家の中枢に攻撃を仕掛けるという大胆さに世界は動揺し、ツインタワーが崩れ落ちるイメージが人々の意識に刻み込まれた。しかしツインタワー崩壊の煙が収まらない時から「陰謀論」が広まり始めたのです。
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この事件後、インターネット上では陰謀論が大流行します。ビデオも大量にアップされました。「9.11テロの真実を求める運動」は "トゥルーサー" 運動と呼ばれ、次第に一般の人々に浸透していきます。これらの陰謀論には共通点がありました。それは「公式の説明は信用できない」という態度です。
この "陰謀論の火" に油を注いだのが、2003年のブッシュ政権のイラク侵攻でした。9.11テロを起こしたアルカイダとイラクのフセイン政権を結びつける証拠が何もない状況の中で、ブッシュ政権はイラクが大量破壊兵器を保有しているという "話" をもとにイラクに侵攻したのです。この「大量破壊兵器の保有」は、後に全くの捏造であることが分かりました。こういったブッシュ政権の不誠実な態度が「9.11テロ陰謀論」に拍車をかけたのです。
しかし、この種の陰謀論は簡単に論破できると著者は書いています。その例として「ジェット燃料が燃えたぐらいで鋼鉄の梁が溶けることはない」「人為的な爆発がタワーを崩壊させた」という主張を考えてみましょう。
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しかし 9.11トゥルーサー運動はその後も続き、本書の執筆時点でアメリカ人のおよそ 15% が 9.11 は「内部の者による工作」だったと考え、国民の半数は事件後の歴代政権が事件の真相を隠蔽していると信じているそうです。事件後10数年が経過してもそのような考えが消えないのはどうしてでしょうか。
著者はその大きな理由が「後件肯定」にあると指摘しています。「後件肯定」は陰謀論者がナンセンスを物語に仕立てる常套手段です。つまり陰謀論者は、
: | 隠蔽工作がある場合、公式声明は我々の見解を否定するだろう。 | |
: | 公式声明は我々の主張を誤りだと証明した。 | |
: | 従って、隠蔽工作があった。 |
という主張をします。これは「ソクラテスは犬だった」式の論理で、こじつけであることが明白です。しかしこのこじつけにより、陰謀論には証拠が欠けているという明白な事実でさえ、彼らの主張を裏付けるような印象を作り出すわけです。このこじつけに騙される人がいるのが、陰謀論が未だに消えない根幹の理由です。
 媒概念不周延の誤謬  |
媒概念不周延とは論理学の難しい用語ですが、この用語が重要なわけではありません。用語の説明は後に回します。この誤謬を使った詭弁はよくあり、著書はそれを「(携帯電話などに使われる)無線電波がある種の癌を誘発する」という論で説明しています。
携帯電話の使用と脳腫瘍(膠芽腫や髄膜種など)のリスクについては各国で疫学調査が行われましたが、今まで関係が見つかったことがありません。また他の腫瘍との関係が示されたこともありません。そもそも、1990年頃の携帯電話の普及率はほぼゼロでしたが、現在ではほぼ100%になっています。そして1990年代以降に脳腫瘍(ないしは他の腫瘍)が激増したことはないのです。しかしインターネット上には携帯電話の電波が癌を引き起こすという主張をするサイトが多数あります。
携帯電話に使われる無線電波は電磁波(Electromagnetic Wave)の一種ですが、電磁波を波長の短い方から(従ってエネルギーの強いものから)順に並べると以下のようになります。nm はナノ・メートル(10-9メートル)です。
放射線(アルファ線やガンマ線やX線など):~ 10nm | |
紫外線:10nm ~ 380nm | |
可視光:380nm ~ 760nm | |
赤外線:760nm ~ 1mm | |
電波(マイクロ波):1mm ~ 1m | |
電波(短波、中波、長波など):1m ~ |
電磁波の一部(放射線)は分子の化学結合を破り、原子から電子を弾き飛ばすほどのエネルギーを持っています。従って生体のDNAを傷つけ、結果として癌を引き起こすほどの力を秘めている。逆に、このことを利用して癌細胞を死滅させる医療に使われています(癌の放射線治療)。
しかし携帯電話に使われる無線はマイクロ波であり、波長は1mm~1m程度です。電磁波のエネルギーでみると、最もエネルギーの小さい可視光(700nm程度の赤色光)でさえ、最もエネルギーの大きい携帯電話用マイクロ波(波長 1mm程度)の1430倍ものエネルギーがあります。マイクロ波が癌を誘発するなら赤色光も癌を誘発するはずですが、そんなことはないのです。
「無線電波=癌のリスク」論者がわざわざ持ち出すのは、放射(Radiation)という単語が入った「電磁放射 Electromagnetic Radiation」という言葉です。ここでの Radiation は "媒体や空間を介したエネルギーの伝播" という意味ですが、単に Radiation と言うとアルファ線やX線などの放射線をも意味する。放射線は癌を誘発するリスクがあるので、そこがややこしいというか、言葉が曖昧なところです。この電磁放射という言葉を使って次のような論法が行われます。
: | すべての無線波は電磁放射である。 | |
: | 一部の電磁放射は癌を誘発する。 | |
: | 従って、無線波は癌を誘発する。 |
これは典型的な「媒概念不周延の誤謬」です。媒概念とは前提にはあるが結論にはない概念のことで、上の論法では "電磁放射" がそれにあたります。また「周延」とは、概念 XXX について
すべての XXX は ・・・・・・ である
すべての XXX は ・・・・・・ でない
というように、XXX に属するものすべてについての命題が規定されていることです。それがされていない場合が「不周延」です。上の論法では「電磁放射」という媒概念が不周延なので「媒概念不周延の誤謬」となります。
上にように書いてみると論理的な誤りが明白ですが、演説などでは言葉をあやつって悪用されます。これは政治の世界でもよくあり、たとえば「共産主義者は増税を支持している。私の政敵は増税を支持している。従って、私の政敵は共産主義者だ」といった論法です。
 生存者バイアス  |
生き残ったもの(残存しているもの)には、生き残っているということに起因する "偏り" があります。これが「生存者バイアス」です。
|
この半世紀ほどにおける癌の発生率の増加も「生存者バイアス」と言えるでしょう。癌の増加を大気中の化学物質の増加や食品添加物に関連づける言説がありますが、それは違います。癌の発生リスクは加齢とともに増加します。従って高齢になるまで "生き残った" 人たちには癌の発生リスクが高いという "バイアス" が存在する。医療が進歩し、感染症で死ぬ人が少なくなり、世の中が高齢化すると癌の発生率は高くなるのが当然です。
 チェリーピッキングの誤謬  |
エビデンスの中から自分に都合のよいものだけを選び、その他のものは排除ないしは無視することを "チェリーピッキング" と呼びます。チェリーとは "さくらんぼ" のことですが、熟れたさくらんぼを選別して選ぶところからこの名前があります。
よく健康食品の販売コマーシャルに「お客様の声」があります。「これを食べ出してから(飲み出してから)元気になりました」という "声" ですが、それ自体はユーザの意見として嘘ではないのでしょう。しかし「健康状態は変わらない」「悪くなった」という声は採用されません。良かったという声だけをチェリーピッキングしてコマーシャルを打っているわけです。
代替医療というのがあります。現代の医学では治療法として認められていない民間療法や、あやしげな療法を言いますが、人間の体は複雑なので、そのような代替医療で治癒したように見えることはあるわけです。たまたまなのかも知れないし、プラセボ効果かもしれないし、人間の免疫機構が病気に勝ったのかも知れない。代替医療の推進者は、こういう例だけをチェリーピッキングして宣伝をします。
著者は、チェリーピッキングの典型例が霊能者だと言っています。たとえば、犯罪に使われた物品をもとに犯罪詳細を言い当てるといった例です。これは確率的に "当たる" ことがある。その当たった例だけをチェリーピッキングすると "霊能" があるように見せかけられます。
気候変動は起こっていないとする否定論もチェリーピッキングです。科学者の出した膨大なデータは気候変動を示していますが、中には(地域や測定項目によっては)起こっていないとするデータもある。そういったデータにしがみついているのが否定論者です。
ビジネスに成功した人をとりあげて、成功の要因をあげるのもチェリーピッキングに近いでしょう。同じようにやって成功しなかった多数の人がいると想定できるからです。
第2部:非形式的誤謬
「純粋で単純な真実?」と題された第2部は非形式的誤謬を扱っています。
 権威に訴える論証  |
著者は、世の中で非常に権威のある人が言っているから正しいと考えてしまう傾向、ないしは権威者がその権威を背景に論じることを「権威に訴える論証」と呼んでいます。これは典型的な非形式的誤謬です。
「ビタミンCをとれば風邪の予防になる」という噂を聞いた人は多いはずですが、この噂のもとをたどると米国のライナス・ポーリングに行き当たります。ポーリングは量子化学の権威で、1954年のノーベル化学賞に輝きました。また、核兵器に対する反対運動を主導したことで1962年にノーベル平和賞が授けられています。ノーベル賞を個人で2回受賞したのは数人いて、有名なのはキュリー夫人です(物理学賞と化学賞)。しかし化学賞と平和賞という異分野で受賞したのはポーリングだけです。
ポーリングは1960年代の講演で「科学の進歩を見届けるためにあと25年は生きたい」と発言ましたが、その聴衆の中のアーウィン・ストーンというい人物がいました。この人物はポーリングに手紙を書き、1日3000ミリグラムのビタミンCを活力の源として推奨しました。ここから話は変な方向に進み出します。
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ポーリングはその後、ビタミンCの大量摂取は癌や蛇の毒、エイズまでに利く万能薬と主張し出したようです。
ビタミンCは体に必須なので(しかも体内で合成できない)、不足するとまずいことがいろいろ起こることは想定できます(ビタミンC欠乏症の代表は壊血病)。免疫力が低下して風邪をひきやすくなるかもしれない。しかし、1日の必要量(成人男性で100mg程度。厚生労働省の推奨量)を遙かに超える量を摂取しても排泄されるだけです。大量摂取による重篤な副作用はないようですが、重度の膨満感や下痢が起きやすくなることはあるようです。
ポーリングの例は、ある分野に精通しているからといって他の分野でも精通していたり知識があるわけではないことを示しています。ノーベル賞を2度もとった "権威" で判断してはいけないのです。
 単一原因の誤謬  |
人間は、原因と結果がはっきりしている単純な物語を好みます。このことが起因して "問題を単純化する誤り" を犯しやすい。その一つが「単一原因の誤謬」です。これは物事の原因を一つに決めてしまう誤りです。
多くの事象は複数の原因や要因によって成立しています。物事をあまりに単純化することは何の役にもたちません。しかし政治やメディアの議論では、うんざりするほど「単一原因の誤謬」があるのが現状です。
 誤った二分法  |
「誤った二分法」も "問題を単純化する誤り" の一つです。他にもたくさんの選択肢があるにもかかわらず、2つの極端な項目しか選択の対象にしない。これは扇動政治家が好んで用いる論法です。「我々の提案に完全に同意しないのなら、君は敵だ」という論法です。
上の方の引用で9.11事件の後に巻き起こった陰謀論のことを書きましたが、その9.11のあとの米国議会の合同会議で、ジョージ・ブッシュ大統領は世界の国家に警告を発しました。「我々とともにあるか、それともテロリストとともにあるか」。これは典型的な「誤った二分法」です。
「誤った二分法」を使うと2極化が避けられません。また過激主義を助長します。建設的な議論を封じ、実用的な解決策を台無しにします。これはソーシャルメディアでも顕著です。著者は「数多くのニュアンスを含む複雑な話題が、正反対の解釈だけを許す2つの対立項にまで単純化されている」と書いています。
 前後即因果の誤謬  |
「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」を言います。著者はこれを幼児の予防接種と自閉症の関係で説明しています。
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これをきっかけに報道機関は大々的にこの話題を取り上げ、イギリス中が騒動になりました。これは大きな犠牲を生みました。イギリスのみならず西ヨーロッパにおける予防接種の接種率が大幅に低下し、麻疹などへの感染率が上昇したのです。
しかしこの論文にはデータの改竄があることが判明し、『ランセット』は論文を撤回し、ウェイクフィールドは医師免許を剥奪されました。「自閉症的腸炎」は、ウェイクフィールドが捏造したエビデンスだけに裏付けられた作り話だったのです
ちなみに日本における3種混合ワクチンとは「ジフテリア・百日咳・破傷風ワクチン」であり、MMR(麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)は「新・3種混合」と呼ばれたことがありました。ただしMMRは副作用の問題から(もちろん自閉症ではない軽度の副作用)、日本では接種が中断されています。
しかしこの騒動の後遺症は大きく、いまだに多くの人はMMRが自閉症の原因だと信じていると言います。著者はその原因が「前後即因果の誤謬」にあると指摘しています。
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MMRにかかわらず、ワクチン反対運動やワクチン接種率の低下はゆゆしき問題です。WHOは2019年に初めて、全世界の健康に対する脅威のトップ10の中にワクチン接種への抵抗を入れたそうです。
 本質に訴える論証  |
白人至上主義という思想をもつ人たちがいます。彼らは「白人に共通する本質的な性格があると仮定する誤り」を犯しています。このように「本質的な何かがある」との仮定のもとに主張することを著書は「本質に訴える論証」と呼んでいます。白人については、著者は次のように書いています。
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白い肌はヨーロッパ大陸の最北部で始まり、ヨーロッパ大陸全体に爆発的に増えたのは5800年前に過ぎません。「白色人種」はフィクションです。白色人種に本質的な何かがあるとの仮定にたった論証は単純に誤っています。
余談になりますが、フランスでは赤ちゃんや子どもにビタミンD入りのシロップを定期的に飲ませることが常識だと人から聞きました。我々日本人ではあまり考えられませんが、ビタミンDを獲得することは彼らにとっては切実な問題なのです。
この「本質に訴える論証」も、さまざまなところで聞かれます。「真の日本人にそのようなことをする人はいない」というような言い方も、その一つでしょう。
 自然に訴える論証  |
証拠もあげずに「・・・・・・ が自然だ」「・・・・・・ は不自然だ」と決めつけ、そこから論を展開するのが「自然に訴える論証」です。著者はこれを同性愛の例で説明しています。つまり「同姓愛は不自然、異性愛が自然」との前提から出発する論です。実際にカトリック教会では同性愛が極めて不自然な状態と見なされ「自然に反する罪」とされています。この考えは正しいのでしょうか。
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 藁人形論法  |
「藁人形論法」とは、相手の主張の代わりになる何か(=藁人形。ストローマン)を設定し、それを攻撃して主張そのものを論破したかのような印象を与える言説です。
ダーウィンが進化論を発表したとき、イギリスで進化論を攻撃するのに使われたのが「藁人形論法」です。攻撃論者は「進化論は変化した猿を人間の起源とする説」だと言いふらし、ダーウィンの主張を歪めた「藁人形」を作って攻撃しました。もちろんダーウィンはそんなことは言っていません。現代風に言うと、人間と霊長類の共通の祖先から、突然変異と自然選択の繰り返しで段々と進化して人間ができたわけです。
第3部:思考の罠
第3部「思考の罠」では、我々が陥りやすい思考の落とし穴について述べられています。そのうち「確証バイアス」と「認知的不協和」について紹介します。
 確証バイアス  |
「自分がもとからもっている信念や世界観に一致する情報ばかりを集めたり組み立てたりして、反する情報は軽視する傾向」を「確証バイアス」と言います。
日本でもよく災害時の避難で「確証バイアス」が話題になります。自分は災害にあわないという "根拠のない思い込み" をしている人は、まだ避難しなくても大丈夫ということにつながる情報だけを採用し、危険が間近に迫っていることを裏付ける情報を軽視して、結果として災害死してしまう。そういったときに使います。
この「確証バイアス」は、次の「認知的不協和」と密接な関係があります。
 認知的不協和  |
心理学でいう「認知的不協和とその解消」については、No.129「音楽を愛でるサル(2)」で、イソップ寓話 "キツネとブドウ" をあげて説明しました。飢えたキツネが実ったブドウをみつけ、取ろうと飛び上がるがどうしても取れない。とうとうキツネは「あのブドウは酸っぱくて食えない」と言って立ち去ったという寓話です。「食べたい」のに「取れない」という "不協和" を、「あのブドウは酸っぱい」との "負け惜しみ" で現実を否定して "解消" したわけです。
本書ではこの認知的不協和とその解消を、次のように説明しています。
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この認知的不協和の例として、本書は「気候変動の否定論」をあげています。保守的な考えをもち、自由主義市場を強く信じる政治家や有権者ほど気候変動を否定する傾向が強いのです。なぜでしょうか。
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第4部:確率・統計の誤謬
第4部は「嘘、大嘘、そして統計」と題されています。この題はアメリカの文豪、マーク・トウェインの著述で広まったもので、「嘘には三種類ある。嘘、まっかな嘘、そして統計」という警句です。
 相関関係は因果関係ではない  |
相関関係は因果関係ではないことは、このブログでもNo.83-84「社会調査のウソ」、No.223「因果関係を見極める」で取り上げました。本書でもこの話題がありますが、端的に示すために、
アイスクリームの売り上げと溺死件数には明白な相関関係がある
と書いてあります。なるほど、これは分かりやすい例です。アイスクリームが売れると、そのことが原因で溺死事故が増える(=因果関係がある)とは誰も考えません。もちろんこれは「高温の晴れた日」が隠れた変数(=潜伏変数。交絡変数という言い方もある)になっていて、この変数が「アイスクリームの売り上げ」および「溺死件数」の2つと因果関係にあり、そのことで2つの間に相関関係が発生するわけです。
 シンプソンのパラドックス  |
ある集団の統計と、その集団を部分に分割したときの統計は、矛盾する関係になることがあります。これを「シンプソンのパラドックス」と呼んでいます。
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本書には数字の例が書いていないので、仮想的に作ってみます。いま、ある大学があって工学部と英語学部の2学部しかないとします。各学部の定員と男女別受験者数・合格者数を仮定して作ったのが次の表です。
シンプソンのパラドックス
工学部 | 英語学部 | 全学 | ||
定員 | 1000 | 100 | 1100 | |
男子 | 受験生 | 3000 | 625 | 3625 |
合格者 | 930 | 50 | 980 | |
合格率 | 31% | 8% | 27% | |
女子 | 受験生 | 200 | 500 | 700 |
合格者 | 70 | 50 | 120 | |
合格率 | 35% | 10% | 17% | |
計 | 受験生 | 3200 | 1125 | 4325 |
合格者 | 1000 | 100 | 1100 | |
合格率 | 31% | 9% | 25% |
工学部と英語学部とも女子の方が合格率が高いのに、全学では圧倒的に男子の合格率が高いことになります。一瞬、間違っているのではと疑ってしまいますが、計算は正確です。人数が少ない女子受験生が合格率の低い英語学部に集中すると、こういう結果になってもおかしくないのです。
 感度と特異度  |
本書には(偶然にもタイムリーな話題として)感染症の検査にかかわる統計・確率の話が出てきます。
ある感染症にかかっている人が検査で陽性と判断される確率を、その検査の「感度」と呼びます。また、感染症にかかっていない人が検査で「陰性」と判断される確率を、その検査の「特異度」と呼びます。
もちろん感度も特異度も100%が望ましいのですが、そうはなりません。つまり、検査で「陽性」と判断された人が実は感染していないということが起きる(=疑陽性)。その反対に、検査で陰性と判断された人が実は感染している(=疑陰性)ということも起こります。
検査で「陽性」と判断された人が、真に感染症にかかっている確率を「真陽性率」と呼びます。
エイズの検査(HIVウイルスのキャリアかどうかの検査)は感度も特異度も高いことで知られています。今、感度も特異度も 99.99% とします。実際はもう少し低いようですが、真陽性率の意味を明確にするためにこの値とします。つまりエイズ検査では 99.99% の高い精度で、その人がHIVウイルスに感染しているかどうかが(感染していても、していなくても)判定できるとします。
この仮定のもとで、真陽性率が 50%、つまりHIV陽性と判定された人が真にHIVに感染している確率が 50%ということが起こり得えます。それは検査した集団の感染率が非常に低い場合です。10,000人に1人が感染している例で表を作ってみると次のようになります。
1万人のうち1人が感染している場合
検査人数 | 陽性判定 | 陰性判定 | |
感染者 | 1 | 1 | 0 |
非感染者 | 9999 | 1 | 9998 |
合計 | 10000 | 2 | 9998 |
真陽性率 = 1/2 = 50% です。一方、感染率の高い集団の検査は様子が違ってきます。
1万人のうち150人が感染している場合
検査人数 | 陽性判定 | 陰性判定 | |
感染者 | 150 | 150 | 0 |
非感染者 | 9850 | 1 | 9849 |
合計 | 10000 | 151 | 9849 |
真陽性率は 150/151 = 99.34% になります。
ここで本書にはありませんが、新型コロナウイルスのPCR検査ではどうなるかを見てみます。新型コロナウイルスのPCR検査の感度と特異度は正確にはわからないの現状です。正確に知るためにはPCR検査以外の方法で感染者・非感染者を正確に判別し、その人たち多数のPCR検査をして調べる必要があります。しかし「新型」なのでPCR検査以上に正確に判定する手段がありません。また感染してからの時間経緯とともに感度が変わってくるということもあります。政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、
・感度 70%
・特異度 99.9%
と推定しています(日本経済新聞 2020年9月4日による)。これをとりあえずの値として「集団の感染率によって真陽性率がどう変化するか」を計算してみたのが次のグラフです。
![]() |
新型コロナウイルスのPCR検査の真陽性率 |
横軸は検査した集団の感染率。縦軸は陽性と判定された人が真に感染している確率(真陽性率)。感染率 0.14% の集団のPCR検査を実施すると真陽性率は50%である。感染率が 1.27% の集団になって真陽性率が 90% になる。PCR検査の感度は 70%、特異度は 99.9% とした。 |
このグラフから明らかなように、感染率0.14%の集団(1万人に14人の感染者)のPCR検査を実施すると真陽性率は50%です。つまり陽性と出ても感染しているかしていないかは全く不明です。感染率が1.27%の集団(1万人に127人の感染者)になって初めて真陽性率が90%になります。
新型コロナウイルスのPCR検査について専門家の多くの意見は「増やすべき。ただし増やすやりかたは慎重に」というものだと思います。その裏には上記のような感度・特異度の問題があるわけです。
第5部:メディアが人々を惑わす
「世界のニュース」と題されている第5部は、メディアが人々を惑わしている例です。この中kら「偽りのバランス」を紹介します。
 偽りのバランス  |
「対立する見解を、それぞれの見解を裏付ける証拠に大きな違いがあるにもかかわらず、同等に扱う」ことを、本書では「偽りのバランス」と呼んでいます。これは報道機関が犯す典型的なあやまちです。著者によると、2016年の米国の大統領選挙(ドナルド・トランプ 対 ヒラリー・クリントン)では、トランプ陣営からの嘘やフェイク、根拠のない決めつけが圧倒的に多かったにもかかわらず、同等に扱ったのがその例です。
「偽りのバランス」の科学版も考えられます。喫煙が肺癌を引き起こすというデータは膨大にありますが、喫煙が肺癌を引き起こさないというデータはわずかしかありあません。この両者を対等に扱う報道やTV番組はおかしいのです。
気候変動もそうです。気候変動が起こっていることを示すデータは膨大にありますが、起こっていないことを示すデータはわずかです。この両者を対等に扱うべきではない。本書には、MITの科学ジャーナリズム・ナイト・センターの所長を務めるボイス・レンズバーガー(Boyce Rensberger)の意見として「バランスのとれた科学報道とは、議論の両見解を等しく重いものとして扱うことを意味していない。証拠のバランスに応じて、重みを配分することを意味している」と書かれています。全くその通りでしょう。
第6部:疑似科学
「暗闇に立つろうそく」と題された第6章は「疑似科学」を扱っています。たとえば次のような例です。
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ホメオパシーはドイツ人医師ザムエル・ハーネマンが1807年に提唱したもので、"治療薬" を極端に薄めます。100倍の希釈を10数回から30回繰り返して "治療" に使います。100倍の希釈を30回も繰り返すと、もともとの "治療薬" の分子は1つも残らないことは明白なのですが、「水が記憶している」とするわけです。「ただの水」なので副作用はありませんが、プラセボ(偽薬)以上の効果はありません。
このような200年近く前の亡霊が、抗体の免疫反応という新たな装いで登場したわけです。このような論文をなぜ『ネイチャー』ともあろう雑誌が掲載したのか、その経緯と撤回の顛末が本書に書かれていますが、それは省略します。
この「溶液をしっかりと振ると免疫反応をみせた」というとことで、2014年に起こった「STAP細胞事件」を連想しました。分化が終わった細胞に熱や酸などの刺激を加えると再び分化する能力が獲得されたと、理化学研究所の研究者などが発表したものです。これは発表者でも再現実験ができず、第3者の調査委員会は実験室におけるES細胞の混入によるものと結論づけました。
これは科学者が意図的に、あるいは誤って作り出した疑似科学と呼べると思いますが、もっと一般的には、健康にかかわる商品である「マイナスイオンを発生させる家電商品」や「ゲルマニウムを使った健康器具」も、科学を装った疑似科学でしょう。
著者は、インターネット時代になり、一時廃れていた疑似科学が復活してきていると警告しています。たとえば、日本では行われていませんが、水道水にフッ素を混ぜるのは安全で虫歯予防に効果があることが確立してきましたが、インターネット時代になって反フッ素運動が復活し、癌や鬱病などの副作用があるとの主張がなされるようになりました。これらは一見、科学の装いをまっとっているので注意が必要です。
終わりに
本書のまとめである「終わりに」のセクションから2つの点を紹介します。一つはディベート(討論)の問題点です。
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著者も指摘していますが、ディベートの問題点には「偽りのバランス」もあります。本来まったく重さの違う2つの見解が、討論の場では同じ価値をもつものとして扱われるという弊害です。
上の引用で思い出すのは高等教育などで行われるディベートの実習訓練で、本人の意志とは無関係にグループを賛成派と反対派に分け、それぞれの立場からディベートをするというやり方です。こういった訓練を何回も受けた人は、二分法でディベートを行うことに違和感がなくなり、たとえそれが「偽りの二分法」であっても知らず知らずのあいだに許容してしまうのでしょう。
最後に引用するのは、本書の序章に書かれていたことと同様の主旨が「人格を決めるのは考える能力」という言い方で再度強調されているところです。
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「人格を決めるのは信念ではなく、考える能力」というのは良い言葉だと思います。信念も重要だが、それ以上に考える能力、という言い方もありだと思います。このあたりが本書の結論でしょう。
本書は、まどわされやすいパターンを分類・列記し、それに名前をつけています。「確証バイアス」や「誤った二分法」などです。世の中で公式に使われる用語もあれば、著者が名付けた言葉もあります。この「名前をつける」ということが重要だと思いました。
人間は事物や概念に「名前をつけて」自己に取り込みます。名前をつけることで、それを引き出し、応用できます。「いま自分は、自分の信念にマッチした都合のよい情報だけを拾い上げているのではないだろうか」と考えるより「確証バイアスでないか」と考える方が、思考方法としては効率的で有効性が高い。「確証バイアス」という言葉とその意味を知ってしまえば、その言葉を使って考えることができます。テレビの討論番組をみるときにも「あれは "誤った二分法" じゃないか」と批判的に考えることができます。
本書のテーマである「批判的思考」ができるようになるためには、このあたりが大切であり、そこが本書の価値だと思いました。
2020-10-17 07:55
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No.294 - 鳥が恐竜の子孫という直感 [科学]
No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」で、鳥が恐竜の子孫であることが定説となった経緯を日経サイエンスの論文から紹介しました。特に、1990年代以降に発見された「羽毛恐竜」の化石が決定打になったという話でした。
その「鳥は恐竜の子孫」に関係した話を、歌人で情報科学者(東京大学教授)の坂井修一氏が日本経済新聞に連載中のコラム、"うたごころは科学する" に書かれていました。坂井氏の奥様のことなのですが、興味深い内容だったのでそのコラムを引用して感想を書きたいと思います。
見ればわかる
40年前に「鳥は恐竜の子孫」と直感した坂井氏の奥様は、歌人の米川千嘉子さんです。コラムには名前が書いていないので、以下「彼女」と記述します。
40年前というと1980年です。坂井氏は1958年生まれで、彼女は1歳年下ということなので、二人とも20~22歳頃の話です。ということは、2人は東京の大学の大学生です。2人の学生が東京で知り合い、井の頭公園にデートに行く。いかにもありそうな情景です。井の頭公園は現在でも定番のデート・スポットなので、おそらく40年前もそうだったのでしょう。
よくありそうな情景には違いないが、そのデートの場で彼女が「池で泳いでいる鴨を見て、鳥は恐竜の直系の子孫であると強く主張」したのは、確かにちょっと変わっています。デートの場でどんな会話をしようと全くかまわないのですが、「鳥は恐竜の直系の子孫」という話題は、井の頭公園での男女の語らいとしては大変に斬新です。デート相手の女性にそんな主張を強くされたとしたら、男性としては一瞬、たじろぐでしょう。
しかも、その理由は「見ればわかる」ということのようなのです。これは一般的な意味での "理由" になっていません。男性としては一層不安になる。まして坂井氏は科学者(をめざす学生)です。帰納と演繹を繰り返して確認してからでないと不安、とコラムにある通りです。「見ればわかる」というのでは "帰納" の部分がゼロです。
そこで、今となっては科学的に全く正しい「鳥は恐竜の直系の子孫」という説を、1980年の時点でなぜ彼女が強く主張できたのか、その理由を何点か推測してみたいと思います。
鳥が恐竜の子孫という直感の理由
推測の1番目は歴史的経緯です。No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」に書いたように、"鳥は恐竜の子孫ではないか" という考えは、実は19世紀半ばからありました。その契機になったのは1860年代にドイツで発見された、いわゆる「始祖鳥」の化石です。イギリスの高名な生物学者ハクスリーはこの化石が小型肉食恐竜に似ていることに気づき、鳥は恐竜の子孫という説を発表しました。当時、この説を支持する学者もいたようですが、多くの学者は反対しました。その後、議論は行ったり来たりの状態でした。
この説に決着がついたのは、1960年代以降に鳥類と酷似した恐竜化石が発見されたことであり、特に決定的だったのが1990年代以降の "羽毛付き恐竜化石" の発見でした。羽毛の化石は普通は残らないのですが、奇跡的な条件で化石になったものが中国で発見されたのです。
この経緯からすると「始祖鳥」の化石発見から100数十年の間、「鳥は恐竜の子孫説」が潜在していたことになります。つまり、これは大変に由緒ある説なのです。従って本などに書かれていた可能性が高い。ひょっとして「始祖鳥」の復元図とともに「鳥は恐竜の子孫説」を紹介した文章があったかもしれません。
井の頭公園で「鳥は恐竜の子孫」と主張した彼女も、そういった記述にどこかで触れ、それに惹かれ、そのことが潜在意識として残り、その潜在意識がデートの場で鴨を見てひょっと浮かび上がった。そういう可能性があると思うのです。これが第1の推測です。
第2の推測は鳥の骨格です。坂井氏は「駝鳥や海鵜を見ると、まあそれもありかなと思うが、彼女は公園の鴨や鳩を見てもそう感じるのだそうだ」と書いています。「鴨や鳩を見ても恐竜の子孫だと感じる」のがポイントですが、その理由は骨格ではないでしょうか。
まず、恐竜の骨格標本は子供の時代に多くの人が見たことがあると思います。恐竜の実物の(ないしは実物大レプリカの)骨格標本は、全国の博物館の超人気アイテムです。小学校高学年以上の子供であれば、その恐竜の姿に心を踊らせるのは当然でしょう。たとえ実物やレプリカを見たことがなくても、恐竜の骨格の写真は雑誌を始めとする各種メディアにあるので、それを見たことが無いという人はまずいないと思います。
一方、鴨や鳩の骨格標本を見る機会はあまりないと思いますが、博物館にはあります。彼女は、鴨か鳩の骨格標本をどこかで見たのではないでしょうか。実物を見たことがないにしても、写真とかイラストで見たのではと思います。ごく一般的な鳩の写真と、鳥の解剖学的イラストを掲げます。イラストは No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」の図を再掲したものです。
解剖学的イラストを見て気づくのは、鳥の首の骨が異様に長いことです。羽とか胸のあたりとか足とか、そういう骨は想像どおりだが、首の骨は鳩の外見からは想像しにくい。鳥の頸椎(首の骨)は、11~25個もあります(種類によって違う)。人間を含む哺乳類は、普通は7個です。キリンでも7個です。それに対して鳥は多い。
フクロウは首を270度回転することができますが(1回転できるというのは誤解)、こんなことは哺乳類では絶対に無理です。なぜフクロウが可能かというと、頸椎が多いからです(14個)。従って少しづつ回転させると270度になる。フクロウは外見上は首長に見えないのですが、骨格からみるとそうなのです。上の画像の鳩もそうです。外形からは首が長いように見えないが、頸椎は13個あって、首の骨格はひょろっと長い。
もちろん、外見上、明らかに首長だと見える鶴とか鵜、鷺、ダチョウの頸椎は長いのですが、一見そうは見えない鳩とか鴨も意外に長いのです。そしてこの鳥の骨格(頸椎)の姿は暗黙に、恐竜の中で首の長い種類(草食の4つ足の恐竜。専門的には竜脚類)の骨格を連想させないでしょうか。
どこかで見た鳥の骨格標本(ないしは骨格のイラスト図)が、子供のころに親しんだ竜脚類の骨格と無意識下で結びつき、それが井の頭公園でのデートで鴨を見たときにフッと浮かび上がった。これが第2の推測です。
第3の推測は人間の潜在意識です。往年の名監督、アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)の映画に『鳥』(1963)がありました。あらゆる種類の鳥が人間を襲い出すというパニック映画(かつホラー映画)です。大挙して部屋に進入してきた鳥に襲われて人が血まみれになるなど、衝撃的なシーンがいろいろありました。
これはイギリスの作家、ダフネ・デュ・モーリア(1907-1989。原音に近く "ダフニ・デュ・モーリエ" とも書かれる)の短編小説、"The Birds"(1952)が原作です。ダフネ・デュ・モーリアは畑で農夫がカモメに襲われるのを見て小説のインスピレーションを得たそうですが(Wikipedia による)、なぜそのことが小説を書く契機になったのでしょうか。また、ヒッチコックはなぜ映画化しようと考えたのでしょうか。なぜ、鳥が人間を襲うという小説や映画が "ホラー" として成立するのでしょうか。
ある説を読んだことがあります。いつだったか、誰の説だったか全く忘れましたが、哺乳類と恐竜の関係です。哺乳類の起源は恐竜と同程度に古いことが知られています。そして地球上で恐竜が全盛期のとき、哺乳類は体も小さく、恐竜から隠れるように "ひっそりと" 暮らしていた。肉食恐竜などはまさに哺乳類の恐れの対象だった。そして6500万年前に非鳥型恐竜が滅びた後も鳥型恐竜(=鳥)は生き残り、その飛行能力で世界中に広がった。そして哺乳類に刷り込まれていた "恐竜への恐れ" は、その恐れの対象が鳥へと引き継がれた。哺乳類の一種であるヒトも、無意識下でその遙か昔の感情がある。だから映画『鳥』がホラーとして成り立つ ───。
この説がまじめなものなのか、ジョークなのか、あるいは鳥が恐竜の子孫という最新の知識をひけらかしただけのものなのか、それは分かりません。科学的には大いにクエスチョンがつく説でしょう。しかし鳩やカラスが "本能的に" 猛禽類(鷹など)を恐れるということもあるので、これはこれで興味深い。そして人間の隠された潜在意識として鳥への恐れがあるのなら、鳥と恐竜を同一視する潜在意識もまたあると思うのです。それが、ある時、あるタイミングで、ある人の意識上にフッと浮上する。これが井の頭公園で池を泳ぐ鴨を見たときの彼女だった ───。これが第3の推測です。
何らかの類似性を直感できる能力
以上の歴史的経緯、骨格、潜在意識の3つは、科学的知識なしに「鳥が恐竜の子孫」と直感できた理由を推測したものです。もちろん当たっているかどうかは分かりません。ただ思うのですが、このような説明より、彼女は「歴史的経緯・骨格・潜在意識」などとは全く関係なく、
と考えた方が、より本質に迫っているのかもしれません。坂井氏は彼女が、
と強調することで彼女の意外な直感力に感心していますが、文系人間どうのこうのは全く関係ないと思います。それは理系人間的な偏見です。つまり、
だと思うのです。いわゆる "ひらめき" や "フッと浮かぶアイデア" です。あるいは、"突然思い付いた着想" や "発想の不連続的な飛躍" です。
文学の世界(小説、戯曲、詩、短歌など)で多用される "比喩" もその一つでしょう。一見、何の関係もなさそうなモノを本体を表す比喩表現として使う。それは作者が論理的に考えたものでないはずです。論理的に考えたものがあるかもしれないが、そういう比喩はおもしろくない。やはり直感で出てきたものにこそ意外性があって、価値がある。読者としても読んだときにはエッと思うが、よくよく考えてみると "当たっている" と思えるし、あるいは最後までその比喩表現の理由は不明だとしても(変な喩えだな!)そこに作者の感性を感じる。論理的な説明はできないけれど、文章に作者独特のムードが漂い、読者としてはそれに浸る。そういうことって、文学作品にはあると思うのです。
サイエンスに目を向けると「ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した」という有名な話があります。後世の作り話だと思いますが、作り話だとしてもよくできています。ニュートンの時代、重力はすでに知られていました。しかし「リンゴが地表に落ちる」ことと「惑星が太陽に引かれる」(ないしは月が地球に引かれる)ことという、全く関係がなさそうな事象が相似形だと気づいたとき、重力を越えた「万有引力」に発想が至るわけです。科学におけるインスピレーションの典型例を一つの寓話に仕立てたものだと思います。
要するに、何らかの抽象化をすれば2つのモノや概念が「同一の構造をしている」とか「そのモノや概念を成り立たせている基本のところが同型である、同一のフォルムである」というのは、文系・理系を問わず発想や創造の源泉の一つだと思います。
こういった発想や "ひらめき" は、根を詰めて解決策を探っている真っ最中には浮かびません。文章表現を絞り出しながらモノを書いているときにも出てこない。出てきたとしても斬新さがなく、面白味のないものになってしまうでしょう。なぜなら考えているフレームが決まっていて、フレームを越えた飛躍ができないからです。こうだからこうなるという論理的な文章や推論ならそれでよいが、それは "ひらめき" ではない。
発想や "ひらめき" は、解決策を探っている中でいったん頭を休め、ボーッとしている時に現れるとよく言われます。中国の古典に「三上」という言葉があります。文章を練るのに適した場所が、馬に乗っているとき(馬上)、寝床に入っているとき(枕上)、厠(便所)にいるとき(厠上)とするものですが、これは文章だけのことではないでしょう。散歩やそぞろ歩きの時に科学的発見のアイデアが浮かんだという話もよく聞きます。
最新の脳科学によると、人間はボーッとしているときにも脳が活発に活動していて、さまざまな記憶の断片をつなぎ合わせています。例えば、解決策を模索している問題に、あるとき(意外な時に)フッとアイデアがひらめくのは、脳が同一構造の過去の問題とその解決策をもとに、無意識下にアイデアを提示したのではと思います。ボーッとしているときに脳は「異質なモノ」や「かけ離れた記憶」の間にリンクをつけ、そのリンクがアイデアや直感やひらめきになるのでしょう。
本題に戻ります。ボーッとしているときに脳は「異質なモノ」の間にリンクをつけるのだとすると、井の頭公園の池で泳ぐ鴨を見て「鳥は恐竜の直系の子孫である」と直感した彼女は、その直感を別の機会に得たはずです。デートの時に "ボーッとしている" とは考えにくいからです。坂井氏のコラムから推測すると、彼女が1人で公園で鴨か鳩を "ボーッと" 眺めているときに突然ひらめいた。以降、公園で鴨や鳩を見るたびにそれを思い出す。井の頭公園でのデートで鴨を見たときもそうだった、ということでしょう。
理由は分からないが「鳥が恐竜の子孫」と直感し、確信できるのは人間の素晴らしいところだと思います。彼女の場合は "たまたま" 科学的に正しいことだったが、"科学的には間違っている" ことでもかまいません。その人にとっての直感はそうなのだし、小説家であればダフネ・デュ・モーリアのように、鳥が人間を襲い始めるというホラー小説を書けるかもしれません。
井の頭公園でのデートの最中に「鳥が恐竜の子孫だと、見ればわかった」坂井氏の奥様は、現在の人工知能(AI)の枠組みでは及ばない人間の価値を具現化していた、そのように思えました。
その「鳥は恐竜の子孫」に関係した話を、歌人で情報科学者(東京大学教授)の坂井修一氏が日本経済新聞に連載中のコラム、"うたごころは科学する" に書かれていました。坂井氏の奥様のことなのですが、興味深い内容だったのでそのコラムを引用して感想を書きたいと思います。
見ればわかる
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40年前に「鳥は恐竜の子孫」と直感した坂井氏の奥様は、歌人の米川千嘉子さんです。コラムには名前が書いていないので、以下「彼女」と記述します。
40年前というと1980年です。坂井氏は1958年生まれで、彼女は1歳年下ということなので、二人とも20~22歳頃の話です。ということは、2人は東京の大学の大学生です。2人の学生が東京で知り合い、井の頭公園にデートに行く。いかにもありそうな情景です。井の頭公園は現在でも定番のデート・スポットなので、おそらく40年前もそうだったのでしょう。
よくありそうな情景には違いないが、そのデートの場で彼女が「池で泳いでいる鴨を見て、鳥は恐竜の直系の子孫であると強く主張」したのは、確かにちょっと変わっています。デートの場でどんな会話をしようと全くかまわないのですが、「鳥は恐竜の直系の子孫」という話題は、井の頭公園での男女の語らいとしては大変に斬新です。デート相手の女性にそんな主張を強くされたとしたら、男性としては一瞬、たじろぐでしょう。
しかも、その理由は「見ればわかる」ということのようなのです。これは一般的な意味での "理由" になっていません。男性としては一層不安になる。まして坂井氏は科学者(をめざす学生)です。帰納と演繹を繰り返して確認してからでないと不安、とコラムにある通りです。「見ればわかる」というのでは "帰納" の部分がゼロです。
そこで、今となっては科学的に全く正しい「鳥は恐竜の直系の子孫」という説を、1980年の時点でなぜ彼女が強く主張できたのか、その理由を何点か推測してみたいと思います。
鳥が恐竜の子孫という直感の理由
推測の1番目は歴史的経緯です。No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」に書いたように、"鳥は恐竜の子孫ではないか" という考えは、実は19世紀半ばからありました。その契機になったのは1860年代にドイツで発見された、いわゆる「始祖鳥」の化石です。イギリスの高名な生物学者ハクスリーはこの化石が小型肉食恐竜に似ていることに気づき、鳥は恐竜の子孫という説を発表しました。当時、この説を支持する学者もいたようですが、多くの学者は反対しました。その後、議論は行ったり来たりの状態でした。
この説に決着がついたのは、1960年代以降に鳥類と酷似した恐竜化石が発見されたことであり、特に決定的だったのが1990年代以降の "羽毛付き恐竜化石" の発見でした。羽毛の化石は普通は残らないのですが、奇跡的な条件で化石になったものが中国で発見されたのです。
この経緯からすると「始祖鳥」の化石発見から100数十年の間、「鳥は恐竜の子孫説」が潜在していたことになります。つまり、これは大変に由緒ある説なのです。従って本などに書かれていた可能性が高い。ひょっとして「始祖鳥」の復元図とともに「鳥は恐竜の子孫説」を紹介した文章があったかもしれません。
井の頭公園で「鳥は恐竜の子孫」と主張した彼女も、そういった記述にどこかで触れ、それに惹かれ、そのことが潜在意識として残り、その潜在意識がデートの場で鴨を見てひょっと浮かび上がった。そういう可能性があると思うのです。これが第1の推測です。
第2の推測は鳥の骨格です。坂井氏は「駝鳥や海鵜を見ると、まあそれもありかなと思うが、彼女は公園の鴨や鳩を見てもそう感じるのだそうだ」と書いています。「鴨や鳩を見ても恐竜の子孫だと感じる」のがポイントですが、その理由は骨格ではないでしょうか。
まず、恐竜の骨格標本は子供の時代に多くの人が見たことがあると思います。恐竜の実物の(ないしは実物大レプリカの)骨格標本は、全国の博物館の超人気アイテムです。小学校高学年以上の子供であれば、その恐竜の姿に心を踊らせるのは当然でしょう。たとえ実物やレプリカを見たことがなくても、恐竜の骨格の写真は雑誌を始めとする各種メディアにあるので、それを見たことが無いという人はまずいないと思います。
一方、鴨や鳩の骨格標本を見る機会はあまりないと思いますが、博物館にはあります。彼女は、鴨か鳩の骨格標本をどこかで見たのではないでしょうか。実物を見たことがないにしても、写真とかイラストで見たのではと思います。ごく一般的な鳩の写真と、鳥の解剖学的イラストを掲げます。イラストは No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」の図を再掲したものです。
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飛行中の鳩 |
(Wikimedia Commoms) |
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鳥類の解剖学的特徴
翼、長い前肢、短い尾骨、竜骨、貫流式の肺、叉骨(さこつ)、大きな脳など、鳥類は他の現世動物にはない特徴がある。これら特徴のおかげで鳥類は飛行できる。
(日経サイエンス 2017年6月号より)
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解剖学的イラストを見て気づくのは、鳥の首の骨が異様に長いことです。羽とか胸のあたりとか足とか、そういう骨は想像どおりだが、首の骨は鳩の外見からは想像しにくい。鳥の頸椎(首の骨)は、11~25個もあります(種類によって違う)。人間を含む哺乳類は、普通は7個です。キリンでも7個です。それに対して鳥は多い。
フクロウは首を270度回転することができますが(1回転できるというのは誤解)、こんなことは哺乳類では絶対に無理です。なぜフクロウが可能かというと、頸椎が多いからです(14個)。従って少しづつ回転させると270度になる。フクロウは外見上は首長に見えないのですが、骨格からみるとそうなのです。上の画像の鳩もそうです。外形からは首が長いように見えないが、頸椎は13個あって、首の骨格はひょろっと長い。
もちろん、外見上、明らかに首長だと見える鶴とか鵜、鷺、ダチョウの頸椎は長いのですが、一見そうは見えない鳩とか鴨も意外に長いのです。そしてこの鳥の骨格(頸椎)の姿は暗黙に、恐竜の中で首の長い種類(草食の4つ足の恐竜。専門的には竜脚類)の骨格を連想させないでしょうか。
どこかで見た鳥の骨格標本(ないしは骨格のイラスト図)が、子供のころに親しんだ竜脚類の骨格と無意識下で結びつき、それが井の頭公園でのデートで鴨を見たときにフッと浮かび上がった。これが第2の推測です。
第3の推測は人間の潜在意識です。往年の名監督、アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)の映画に『鳥』(1963)がありました。あらゆる種類の鳥が人間を襲い出すというパニック映画(かつホラー映画)です。大挙して部屋に進入してきた鳥に襲われて人が血まみれになるなど、衝撃的なシーンがいろいろありました。
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ヒッチコック「鳥」(1963) |
主人公(ティッピ・ヘドレン)は大量の鳥が小学校の周りに集まっているのを見て子供たちを避難させるが、その途中で鳥の大群に襲われる。 |
これはイギリスの作家、ダフネ・デュ・モーリア(1907-1989。原音に近く "ダフニ・デュ・モーリエ" とも書かれる)の短編小説、"The Birds"(1952)が原作です。ダフネ・デュ・モーリアは畑で農夫がカモメに襲われるのを見て小説のインスピレーションを得たそうですが(Wikipedia による)、なぜそのことが小説を書く契機になったのでしょうか。また、ヒッチコックはなぜ映画化しようと考えたのでしょうか。なぜ、鳥が人間を襲うという小説や映画が "ホラー" として成立するのでしょうか。
ある説を読んだことがあります。いつだったか、誰の説だったか全く忘れましたが、哺乳類と恐竜の関係です。哺乳類の起源は恐竜と同程度に古いことが知られています。そして地球上で恐竜が全盛期のとき、哺乳類は体も小さく、恐竜から隠れるように "ひっそりと" 暮らしていた。肉食恐竜などはまさに哺乳類の恐れの対象だった。そして6500万年前に非鳥型恐竜が滅びた後も鳥型恐竜(=鳥)は生き残り、その飛行能力で世界中に広がった。そして哺乳類に刷り込まれていた "恐竜への恐れ" は、その恐れの対象が鳥へと引き継がれた。哺乳類の一種であるヒトも、無意識下でその遙か昔の感情がある。だから映画『鳥』がホラーとして成り立つ ───。
この説がまじめなものなのか、ジョークなのか、あるいは鳥が恐竜の子孫という最新の知識をひけらかしただけのものなのか、それは分かりません。科学的には大いにクエスチョンがつく説でしょう。しかし鳩やカラスが "本能的に" 猛禽類(鷹など)を恐れるということもあるので、これはこれで興味深い。そして人間の隠された潜在意識として鳥への恐れがあるのなら、鳥と恐竜を同一視する潜在意識もまたあると思うのです。それが、ある時、あるタイミングで、ある人の意識上にフッと浮上する。これが井の頭公園で池を泳ぐ鴨を見たときの彼女だった ───。これが第3の推測です。
何らかの類似性を直感できる能力
以上の歴史的経緯、骨格、潜在意識の3つは、科学的知識なしに「鳥が恐竜の子孫」と直感できた理由を推測したものです。もちろん当たっているかどうかは分かりません。ただ思うのですが、このような説明より、彼女は「歴史的経緯・骨格・潜在意識」などとは全く関係なく、
恐竜と井の頭公園の鴨との間に何らかの意味での類似性を感じ取り、鳥が恐竜の子孫と直感して、確信した
と考えた方が、より本質に迫っているのかもしれません。坂井氏は彼女が、
いわゆる文系人間であり | |
リモコンが使いこなせず | |
パソコンやスマホでのSNSも得意ではない |
と強調することで彼女の意外な直感力に感心していますが、文系人間どうのこうのは全く関係ないと思います。それは理系人間的な偏見です。つまり、
まったく違うと思える2つのモノや概念の間に何らかの意味での類似性を直感したり、相互に連想を働かせることは、文学や芸術における創造、サイエンスや工学分野での発見・発明、ビジネスにおける問題解決プロセスの導出などにおいて、とても重要なこと
だと思うのです。いわゆる "ひらめき" や "フッと浮かぶアイデア" です。あるいは、"突然思い付いた着想" や "発想の不連続的な飛躍" です。
文学の世界(小説、戯曲、詩、短歌など)で多用される "比喩" もその一つでしょう。一見、何の関係もなさそうなモノを本体を表す比喩表現として使う。それは作者が論理的に考えたものでないはずです。論理的に考えたものがあるかもしれないが、そういう比喩はおもしろくない。やはり直感で出てきたものにこそ意外性があって、価値がある。読者としても読んだときにはエッと思うが、よくよく考えてみると "当たっている" と思えるし、あるいは最後までその比喩表現の理由は不明だとしても(変な喩えだな!)そこに作者の感性を感じる。論理的な説明はできないけれど、文章に作者独特のムードが漂い、読者としてはそれに浸る。そういうことって、文学作品にはあると思うのです。
サイエンスに目を向けると「ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て万有引力を発見した」という有名な話があります。後世の作り話だと思いますが、作り話だとしてもよくできています。ニュートンの時代、重力はすでに知られていました。しかし「リンゴが地表に落ちる」ことと「惑星が太陽に引かれる」(ないしは月が地球に引かれる)ことという、全く関係がなさそうな事象が相似形だと気づいたとき、重力を越えた「万有引力」に発想が至るわけです。科学におけるインスピレーションの典型例を一つの寓話に仕立てたものだと思います。
要するに、何らかの抽象化をすれば2つのモノや概念が「同一の構造をしている」とか「そのモノや概念を成り立たせている基本のところが同型である、同一のフォルムである」というのは、文系・理系を問わず発想や創造の源泉の一つだと思います。
こういった発想や "ひらめき" は、根を詰めて解決策を探っている真っ最中には浮かびません。文章表現を絞り出しながらモノを書いているときにも出てこない。出てきたとしても斬新さがなく、面白味のないものになってしまうでしょう。なぜなら考えているフレームが決まっていて、フレームを越えた飛躍ができないからです。こうだからこうなるという論理的な文章や推論ならそれでよいが、それは "ひらめき" ではない。
発想や "ひらめき" は、解決策を探っている中でいったん頭を休め、ボーッとしている時に現れるとよく言われます。中国の古典に「三上」という言葉があります。文章を練るのに適した場所が、馬に乗っているとき(馬上)、寝床に入っているとき(枕上)、厠(便所)にいるとき(厠上)とするものですが、これは文章だけのことではないでしょう。散歩やそぞろ歩きの時に科学的発見のアイデアが浮かんだという話もよく聞きます。
最新の脳科学によると、人間はボーッとしているときにも脳が活発に活動していて、さまざまな記憶の断片をつなぎ合わせています。例えば、解決策を模索している問題に、あるとき(意外な時に)フッとアイデアがひらめくのは、脳が同一構造の過去の問題とその解決策をもとに、無意識下にアイデアを提示したのではと思います。ボーッとしているときに脳は「異質なモノ」や「かけ離れた記憶」の間にリンクをつけ、そのリンクがアイデアや直感やひらめきになるのでしょう。
ちょっと脱線しますが、こういった脳の働きに関連して「デジャヴュ」(=デジャヴ、既視感)を思いだしました。デジャヴュは「一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じる現象」のことです。視覚だけでなく聴覚、触覚などについても言うので「既知感」と言うことあります。
個人的には視覚のデジャヴュ経験は記憶にないのですが、聴覚(=音楽)なら時々あります。その一つの例ですが、No.262「ヴュイユマンのカンティレーヌ」で、ヴュイユマン作曲の「カンティレーヌ」というピアノ曲を初めて聴いたとき、これはシューマンの曲に違いないと思ったが、しかしそれはシューマン作曲「謝肉祭」への連想だったという自己分析を書きました。「カンティレーヌ」と「謝肉祭」はかなり違った雰囲気の曲(そもそも拍子が違う)ですが、無意識に2つの曲の間に何らかのリンクがついたのだと思います。
個人的には視覚のデジャヴュ経験は記憶にないのですが、聴覚(=音楽)なら時々あります。その一つの例ですが、No.262「ヴュイユマンのカンティレーヌ」で、ヴュイユマン作曲の「カンティレーヌ」というピアノ曲を初めて聴いたとき、これはシューマンの曲に違いないと思ったが、しかしそれはシューマン作曲「謝肉祭」への連想だったという自己分析を書きました。「カンティレーヌ」と「謝肉祭」はかなり違った雰囲気の曲(そもそも拍子が違う)ですが、無意識に2つの曲の間に何らかのリンクがついたのだと思います。
本題に戻ります。ボーッとしているときに脳は「異質なモノ」の間にリンクをつけるのだとすると、井の頭公園の池で泳ぐ鴨を見て「鳥は恐竜の直系の子孫である」と直感した彼女は、その直感を別の機会に得たはずです。デートの時に "ボーッとしている" とは考えにくいからです。坂井氏のコラムから推測すると、彼女が1人で公園で鴨か鳩を "ボーッと" 眺めているときに突然ひらめいた。以降、公園で鴨や鳩を見るたびにそれを思い出す。井の頭公園でのデートで鴨を見たときもそうだった、ということでしょう。
理由は分からないが「鳥が恐竜の子孫」と直感し、確信できるのは人間の素晴らしいところだと思います。彼女の場合は "たまたま" 科学的に正しいことだったが、"科学的には間違っている" ことでもかまいません。その人にとっての直感はそうなのだし、小説家であればダフネ・デュ・モーリアのように、鳥が人間を襲い始めるというホラー小説を書けるかもしれません。
井の頭公園でのデートの最中に「鳥が恐竜の子孫だと、見ればわかった」坂井氏の奥様は、現在の人工知能(AI)の枠組みでは及ばない人間の価値を具現化していた、そのように思えました。
2020-09-19 11:52
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No.293 - "自由で機会均等" が格差を生む [科学]
今回は、日経サイエンス 2020年9月号に掲載された論文「数理が語る格差拡大のメカニズム」の内容を紹介するのが目的です。この論文は、自由主義経済においては公平でフェアな取引きを繰り返すと必然的に格差が拡大することを数理モデルで論証したものです。
なぜこの論文を取り上げるかというと、No.165「データの見えざる手(1)」で紹介した "玉の移動シミュレーション" と本質的に同じことを言っているからです。そこでまず、No.165のシミュレーションを復習してから本題に入りたいと思います。
コインの移動シミュレーション
No.165は、矢野和男・著「データのみえざる手」(草思社 2014)の内容の一部を紹介したものでした。この中に出てきたシミュレーションをここで再掲します。ただし本質をより明確にするため、シミュレーションの初期設定を変え、またシミュレーションの実行は繰り返し回数を変えて3種類にします。No.165では「玉」と書きましたが、本題につなげるために「コイン」とします(同じことです)。
まず 30 × 30 = 900 のセルを用意し、これらのセルに初期状態としてコインをそれぞれ 80 割り当てます。従って割り当てるコインの総数は、
80 × 900 = 72,000
です。900 とか 80 という数字は、No.165「データの見えざる手(1)」に合わせるためにそうしただけで、他意はありません。今回は別の数でもかまわないのですが、シミュレーション・プログラムをそのまま再利用するために、この値とします(ただし「データの見えざる手」ではこの値が実世界上の意味を持っていました。No.165 参照)。
以下、シミュレーションの各段階のセルの状態を図示するため、セルが保有するコインの数に応じてセルを色分け表示します。色分けのルールは、コインが初期値の80のセルを赤(ピュアな赤)とし、コインが少なくなるにつれて白っぽい赤になり、コインの数が50未満だと真っ白とします。逆にコインの数が80より増えるとセルの色は黒っぽくなり、コインの数が110以上になる真っ黒とします。色分けの凡例を示したのが左の「セルの色分け」図です。
シミュレーションの進展によってセルのコインの数は変化しますが、この色の塗り方では、平均値 = 80 の ±30 の範囲が赤のグラディエーションで、それ以下では白、それ以上は黒になります。この色塗りの閾値はNo.165での説明の都合上で決めた値で、他の値でもかまいません。
初期状態では各セルに均等に 80 のコインを割り当てるので、それを図示すると全部のセルが同じ色(ピュアな赤)で表示されます。
シミュレーションは以下のように進めます。
以上の ① ② ③ を多数繰り返します。今回の繰り返し回数は10万回、100万回、1000万回の3種とします。コインは単に移動するだけなので、セルがもつコインの平均値は初期値である80のままで変わりません。
この「移動の繰り返しシミュレーション」で各セルのコインの数はどのように変化するでしょうか。おそらくほとんどの人は次のようの推論するのではないでしょうか。
これはいかにも理性的というか、真っ当な推論であり、妥当な予想だと思います。しかし実際に移動シミュレーションを行ってみるとこの予想は大きくはずれ、全く違った様相になります。それが次です。
移動シミュレーションを10万回行う試行をして、その結果を凡例に従って色分け表示したのが次の図です。この結果では、全体のおよそ95%のセル(859のセル)のコイン数が50~109の範囲に収まっています。従ってほとんどが赤のグラディエーションで塗られています。一方、白のセル(コイン数が50未満)は17個、黒のセル(コイン数が110以上)は24個です。最も少ないセルのコイン数は40で、最も多いセルのコイン数は130です。
この10万回の移動シミュレーションの結果は、ほぼ予想どおりと言っていいでしょう。
もちろん乱数を使ってシミュレーションをしているので、毎回まったく同じ結果になるわけではありません。しかし10万回のシミュレーションを何度繰り返しても、ほぼ類似の結果になります。
シミュレーションを 100万回繰り返すと様相がかなり違ってきます(次図)。
このシミュレーションでは
です。10万回のシミュレーションではコイン数:50~109のセルがほどんどでしたが、100万回になるとそれは全体(900)の約半分になります。それ以上とそれ以下がほぼ同数あり、「格差」が広がっていることがわかります。また最多のコインを持っているセルのコインの数は平均(=80)の約3倍です。さらに、コインが無くなるセルが出現しました(4つのセル)。
移動の繰り返しが1000万回になると「格差」はもっと激しくなります(次図)。
このシミュレーションでは
でした。コイン数が110以上のセル(裕福なセル)の数(247)は 100万回のシミュレーションの場合(231)より増えますが、大して変わりません。しかし最大コイン数が 382であるように、コインは裕福なセルに集中してきます。これと相対応して、コイン数49以下のセル(貧しいセル)が増えていきます。結果の色分け表示を見ても全体が白っぽく表示されるようになります。
900のセルが「裕福」「中間」「貧困」に分かれましたが、どのセルがどの層にいくかはシミュレーションをするたびに異なります。あくまで偶然にそうなった、ないしは、たまたまそうなったということなのです。
ローレンツ曲線とジニ係数
以下、移動回数が1000万回の場合で考えます。各セルを「人」、コインを「その人が保有している資産」と考えると、
と見なせるわけです。ここで、この集団の格差の状況を1つの数値で表すことを考えます。このために昔から使われるのがローレンツ曲線とジニ係数です。ローレンツ曲線は、
の2次元 x-y平面に描かれます。まず900のセル(人)を、保有するコイン(資産)の数で小さい人から大きい人まで昇順に並べます。
ローレンツ曲線の x 軸は「累積人数比率(総人数を母数とする割合)」です。つまり x = 0.5 とは、資産の少ない方から数えて全体(900)の半分(450)までの人々を表します。
ローレンツ曲線の y 軸とは「累積資産比率」で、累積人数比率の人々が持つ資産総計の、全体(72,000)を母数とする割合です。
初期状態は各人は平等(資産は全員80)なので、この時のローレンツ曲線は (0, 0) と (1, 1) を結ぶ45°の直線になります。しかし格差が広がるにつれて、ローレンツ曲線は (0, 0) から始まってわずかずつ上昇し、最後は尻上がりに (1, 1) に至る曲線となります。上の 1000万回の移動シミュレーションの結果のローレンツ曲線を描いたのが次の図です。この図には初期状態の斜め45°の直線(点線)も描いてあります。
この図で「斜め45°の直線」と「ローレンツ曲線」で囲まれた半月状の形の面積を考えてみると、格差がない状態では面積=0、資産を一人が独占している状態では面積=0.5 となります。この面積の2倍が「ジニ係数」で、格差が全くない場合は 0、一人が資産を独占している場合は 1 です。上の例の1000万回の移動シミュレーションの場合、
ジニ係数=0.49
となりました。シミュレーションは乱数(正確に言うとパソコンで作り出す疑似乱数)をもとに計算しているので、1000万回の試行を何回かやるとジニ係数も変化します。しかし必ず 0.5付近の値になります。ちなみに10万回と100万回も含めてジニ係数をリストすると、
となりました。シミュレーションの回数が増えるに従って格差が拡大します。
以上のシミュレーションは何らかの意味があるのでしょうか。それとも単なるコンピュータを使った "遊び" でしょうか。
「データの見えざる手」において著者の矢野和男氏は次のように書いています。
セルを人、コインを資産とすると、このシミュレーションは2人の間で経済取引をするときの最も素朴なモデルになっています。経済取引とはモノやサービスの売買です。商品の販売や購入がそうだし、労働サービスを提供してその対価としての給料を得るのも経済取引です。株券の売買や、先物取引のような「売買する権利の売買」も経済取引です。
今の自由主義経済では、経済取引は自由に行ってよいわけです。もちろん独占禁止法とか最低賃金法があって「不当な利益」はあげられないようになっている。その各種の規制やルールの範囲内で、どんなモノやサービスをどんな価格で売買するかは自由です。
しかしモノやサービスの売買では、損をする人と得をする人が発生します。つまりモノやサービスがその時にもっている "真の価値" 以上の値段で買うと損になり、真の価値以下の価格で買うと得になります。損か得かは売買をする2人で逆転します。この「損得の発生」は「資産が2人の間で移動した」と考えられるわけです。ここでの「資産」は「保有しているモノとお金の価値合計」ぐらいに考えておきます。Aさんが100円の価値のものを110円でBさんに打ったとすると、10円の資産がBさんからAさんに移動したと考えるわけです。
大切なところは、AさんとBさんのどちらが損をするか得をするかは分からないいことです。特に取引の前に損得は分からない。なぜなら、モノやサービスの "真の価値" を知り得ないからです。従って損得はランダムに(確率的に)決まる。これは上のシミュレーションにおいてコインの移動方向をランダムに(確率的に)決めたことに相当します。
以上が、このシミュレーションが「自由な経済取引の素朴なモデル」になっている理由です。このモデルでは取引を重ねるほど格差が増大します。矢野氏の著書の名前である「データの見えざる手」は、もちろんアダム・スミスの「神の見えざる手」の "もじり" ですが、これは言い得て妙という感じがします。「見えざる手」論は、自由な市場が価格変動を調節して資源の最適配分に導くという主張ですが、実はこの「神の手」は取引の繰り返しによって格差を生み出すことに役だっているようなのです。
公正で機会均等な取引が格差を生む ────。このことを経済学の論文として明らかにした雑誌記事を次に紹介します。前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
数理が語る格差拡大のメカニズム
これ以降、日経サイエンス 2020年9月号に掲載された論文「数理が語る格差拡大のメカニズム」の内容を紹介します。この論文は、タフツ大学(米国・マサチューセッツ州)のブルース・ボゴシアン教授が執筆したものです。ボゴシアン教授は数学者で、論文の内容を一言で要約すると、
ことを数理モデルで論証したものです。論文ではまず、世界の様々な国で富の不平等が拡大していることが語られます。
このような富(資産)の集中がどうして起こるのか、それを数理モデルで解析しようするのがボゴシアン教授の目的です。
資産の分布とエージェントモデル
まず前提として資産とは何かですが、論文ではその定義が書いてありません(自明のこととしてあります)。従って一般的な理解で言いますと、これは個人が保有している資産(家計資産)のことです(法人や企業の資産ではない)。またその資産の内容は、金融資産(現金や株券・債権など)に非金融資産(不動産や貴金属などで換金可能なもの)を加え、そこから負債(借金)を引いたものです。従って資産はマイナスになり得ることに注意しましょう。ボゴシアン教授の数理モデルにもそれが出てきます。
資産の分布をモデル化する出発点は「エージェントベースの資産分布モデル」です。エージェントとは商取引を行う「主体」のことで、2人のエージェントが行う商取引がモデルのベースです。つまり2人のエージェントが自由意志で、互いに納得した価格で財貨を交換する。たとえば「商品を買う」「労働の対価として賃金を得る」などです。このエージェント同士が行う商取引を膨大に積み重ねた結果として社会全体の資産分布が決まるというのが、今回の数理モデルです。
この「自由意志で、互いに納得した価格で財貨を交換」するモデルは、現代社会において公正でフェアだと考えられています。また上に引用した「神の見えざる手」論のように、需要と供給をバランスを調整して安定した経済体系を作るとされていて、いかにも "自然な" モデルです。しかし、実はそこに格差を生み出すメカニズムが潜んでいるというのが、以下の論です。
ヤードセールモデル
2002年、インドのサハ核物理学研究所のチャクラボルティ(Aanirban Chakraborti)は、上記のエージェントモデルの一種である「ヤードセールモデル」を導入しました。ボゴシアン教授はこのモデルを出発点にしています。
「ヤードセール」とは、家の庭(yard)で行う不要品販売セールのことです。このモデルは「不要品販売セールにみられる1対1取引きの特徴」があるのでこの名前がつきました。次のようなモデルです。
このモデルはいかにも妥当に思えます。つまり「売り手・買い手のどちらに資産が移動するかはランダムにきまる。かつ資産の移動量(Δw)は貧しい方の人の資産の一部」というところは、実際の経済生活を通じてほとんどの人が経験してきたことであり、また自分に課している制限だと考えられるからです。
このヤードセールモデルによる取引を、例えば1000人の集団で行います。各人が最初に持っている資産は完全に同額です。ここからランダムに選ばれた2人が取引をします。これを何100万回、何億回と繰り返すシミュレーションをしたらどうなるか。
ここで、Δwを「貧しい方の人が保有している資産の20%」とする必然性はありません(明らかに20%は過大です)。数字は問題ではなく、2%でも何%でもよい。数字が少なくなるとシミュレーションの収束に時間がかかるだけで結果は同じだからです。それどころか、次のような「ヤードセールモデルの変種」でもよい。つまり、
とするわけです。つまり貧しい人が相対的に少し有利になる設定です。しかしこの設定でも結果は変わりません。論文から引用します。
論文にはありませんが、このシミュレーションを実際にやってみました。基礎数値は「データの見えざる手」のものを採用します。
このシミュレーションのローレンツ曲線とジニ係数が次の図です。きわめて極端な格差が生まれていることが分かります。
このシミュレーションを1000万回ではなくもっと多数繰り返していくと、資産が一人に集中する「寡頭支配」になります。論文に「他の999人にはほとんと何も残らない」と書いてあるのは、このシミュレーションではどの人も資産がゼロになることはないからです。しかし999人はゼロに極めて近い値になる。つまり「ほとんと何も残らない」のです。
ちなみに上のシミュレーションを1000万回で止めたのは、あまりやると極端な独占が進み、ローレンツ曲線が曲線らしくなくなるからでした。
論文に戻って、ボゴシアン教授の論を続けます。
"この種の現象を物理学者は「対称性の破れ」と呼んでいる" とありますが、日経サイエンスでは「対称性の破れ」を "相転移" の例で解説しています。たとえば磁石ですが、なぜ磁力が発生するかというと磁石の中の分子が極小の磁石となっていて、その磁力の向き(N極とS極)が揃っているからです。
ところが温度を上げて特定の温度(=キュリー温度)に達すると、突然、磁力がなくなります。キュリー温度以上では極小磁石の向きがバラバラになるからです。このバラバラになった状態では、どの方向から観察しても性質が同じなので「対称性がある」と表現されます。
逆に、キュリー温度以上から徐々に温度を下げると、キュリー温度のところで突如「対称性の破れ」が発生し、極小磁石は同じ向きに整列し、方向によって違う物理性質を示します。つまり磁石になります。
ボゴシアン教授の説明は続きます。
引用の最後のところにあるヤードセールモデルは、オリジナルのものです。つまり商取引で移動する資産は移動方向に関わらす同じ(例えば、貧しい主体の20%)というモデルです。一方、上のシミュレーション例は貧者が少しだけ有利な「ヤードセールモデルの変種」でした。もちろん「ヤードセールモデルの変種」よりも「ヤードセールモデル」の方が富の集中は急速に進みます。以下の議論は、オリジナルのヤードセールモデルに基づきます。
再分配パラメータの導入
ヤードセールモデルが社会の資産の偏在を表現しているというのではありません。このモデルではシミュレーションが進むにつれて資産が1人に独占されますが、現実社会はそうなっていないからです。
そこで「再分配パラメータ」を導入します。これは、各主体が取引を行うごとに、各主体の資産を社会全体の資産の平均値に少しだけ近づけるものです。これをコントールするパラメータを χ(カイ。ギリシャ文字)とし、
再分配 =
(資産の平均値 ー 取引主体の資産)× χ
だけの資産を各主体にプラスします。従って、平均値以下の主体の資産は増額され、平均値以上の主体の資産は減額されることになります。これは裕福な人に富裕税を課し、それを貧しい人に配分するということに相当します。
資産バイアス・パラメータの導入
ここまでの議論では、取引において資産が移動する方向は全くランダム(確率でいうと 0.5 / 0.5)としていました。しかし現実の社会では、富裕層が低金利融資や専門家による財産形成のアドバイスといった経済的恩恵を受けているのに対し、貧しい人々は高金利の借金をしたり最適価格の品を探す時間的余裕がないなど、経済的には不利な状況にあります。
そこでこの状況を模擬するために「資産バイアスパラメータ」の ζ(ゼータ。ギリシャ文字)を導入します。そして
資産バイアス =
(取引主体の資産差額 / 資産の平均額)× ζ
とし、資産バイアスの確率だけ裕福な者が有利になるようにします(取引主体の資産差額は絶対値)。論文には詳細が書いてありませんが、たとえば
裕福な者が得をする確率 =
0.5 + 資産バイアス / 2
貧しい者が得をする確率 =
0.5 - 資産バイアス / 2
とすれば、ちょうど資産バイアスだけの確率差がつくことになります。この定義の資産バイアスは1以上になる可能性があります。たとえば ζ を0.05 とすると、取引主体の資産差額が集団の資産の平均額の20倍あるとちょうど1になります。こうなると必ず裕福なものが得をすることになる。従って実際のシミュレーションでは資産バイアスが 1 以下になるような、何らかの調整が必要なはずです。
ともかく、再分配パラメータに加えて資産バイアスパラメータを考慮したモデルの解析結果が次です。
著者によると、ζ が χ を下回った場合は寡頭集中のない安定的な状態に落ち着くそうです。
ちなみに「米国と欧州諸国の資産分布の経験的データと誤差 x% で一致」という表現についてですが、χ や ζ といったパラメータを国ごとにどのように設定すれば資産分布の経験的データを最もよく表現できるかをサーベイし、その結果の最適値のときの誤差が x% という意味です。
マイナス資産の導入
さらにモデルの改良は続きます。これまでのモデルではシミュレーションをいくら繰り返しても資産がマイナスになることはありません。もちろん寡頭集中が起こったりすると多数の人の資産がゼロに近づくのですが、原理上マイナスにはなりません。
しかし実社会では資産がマイナスということが起こります。保有している現金や不動産などの額より負債額が多ければ資産はマイナスだからです。しかし資産がマイナスであっても商取引は可能であり、社会では実際に行われています。
この状況をモデル化するために、新たなパラメータ κ(カッパ。ギリシャ文字)を導入し、最大マイナス資産(=S)を次の式で計算します。
最大マイナス資産(S)=
資産の平均額 × κ
そして、拡張ヤードセールモデル(χ と ζ を入れたモデル)による取引をする前に、2つの取引主体の資産に S を加え、取引が終わったあとに2つの取引主体の資産から S を引くという操作をします。この操作によって、集団の中で最も資産が少ない人の資産額が -S となります。
いままで出てきた3つのパラメータ、χ と ζ と κ を導入したモデルが最終のもので、著者はこれを数学者らしく「アフィン型資産モデル(AWM)」と呼んでいます。
上に向かって流れる富
ボゴシアン教授の数理モデルは、欧米各国の資産分布モデルを極めて正確に再現できることがわかりました。これは今まで作られてきた各種モデルの中で現実に最もよく合致するものです。次が論文の結論部分です。
この論文の原題は「The Inescapable Casino」です。直訳すると「逃げ出せないカジノ」で、これは現代の自由主義経済の社会そのものを言っています。論文に出てきたヤードセールモデルは、カジノにおける客とディーラーの賭とそっくりです。客の資金は限られているがディーラー(=カジノの代表)の資金は客に比べると膨大です。賭を長く続ければ続けるほど客の資金は底をつく。カジノで損をしないためには一刻も早くカジノから出るしかありません。しかし現代の自由主義経済社会というカジノから逃げ出すことはできないのです。
この論文で展開されているのは「数理モデル」であって、現実の人間社会の経済活動ではありません。しかしこれだけ正確に各国の経済格差をモデル化できるということは、そこに何かしらの真実が含まれていると考えるべきでしょう。
公正でフェアで機会(チャンス)が均等な取引の積み重ねが富の格差を生み出す。しかも、社会に参加する時点で人が保有している富に差がついていると有利・不利が初めから決まってしまう。このことを警鐘として受け止めるべきだと思いました。
またこの論文は、我々にある種の思い込みがあることを明らかにしていると思います。それは "すべての結果には原因がある" という思い込みです。結果をもたらすに至った原因を追求することは社会活動の大原則です。なぜそうなったか、その根本原因を追求して対策を打つ。それで社会が成り立っています。
しかし、すべての結果に原因があるわけではないのです。裕福な者と貧しい者、その差は本人の能力や努力の結果であり、さらにはどういう家庭に生まれたかの差である。そう考えることは正しいが、そればかりではない。偶然に差がついたという要素もあるのです。
知らず知らずのあいだに我々の思考を束縛する "思い込み" は排除しなければならない。そう感じました。
さらに思ったことがあります。「公平で機会均等な取引の積み重ねが富の格差を生み出す」という結果はコンピュータがないとしたら絶対に発見できなかっただろう、ということです。手作業や紙と鉛筆だけでの思考では無理です。コンピュータがあるからこそ(私のように)家庭用パソコンでも簡単に検証できてしまう。その結果は、全く意外なものです。
ボゴシアン教授は論文で「ヤードセールモデルが富を貧者から富める者へと移動させることの数学的な証明を与えた」と説明していました。数学的な発見があって、結果がどうなるかを見い出したのではありません。コンピュータ・シミュレーションによる結果がまずあり、なぜそうなるのかという数学的証明を後から行ったわけです。この論文は、今さらながらですが、コンピュータの威力と可能性を示しているのでした。
なぜこの論文を取り上げるかというと、No.165「データの見えざる手(1)」で紹介した "玉の移動シミュレーション" と本質的に同じことを言っているからです。そこでまず、No.165のシミュレーションを復習してから本題に入りたいと思います。
コインの移動シミュレーション
No.165は、矢野和男・著「データのみえざる手」(草思社 2014)の内容の一部を紹介したものでした。この中に出てきたシミュレーションをここで再掲します。ただし本質をより明確にするため、シミュレーションの初期設定を変え、またシミュレーションの実行は繰り返し回数を変えて3種類にします。No.165では「玉」と書きましたが、本題につなげるために「コイン」とします(同じことです)。
まず 30 × 30 = 900 のセルを用意し、これらのセルに初期状態としてコインをそれぞれ 80 割り当てます。従って割り当てるコインの総数は、
80 × 900 = 72,000
|
以下、シミュレーションの各段階のセルの状態を図示するため、セルが保有するコインの数に応じてセルを色分け表示します。色分けのルールは、コインが初期値の80のセルを赤(ピュアな赤)とし、コインが少なくなるにつれて白っぽい赤になり、コインの数が50未満だと真っ白とします。逆にコインの数が80より増えるとセルの色は黒っぽくなり、コインの数が110以上になる真っ黒とします。色分けの凡例を示したのが左の「セルの色分け」図です。
シミュレーションの進展によってセルのコインの数は変化しますが、この色の塗り方では、平均値 = 80 の ±30 の範囲が赤のグラディエーションで、それ以下では白、それ以上は黒になります。この色塗りの閾値はNo.165での説明の都合上で決めた値で、他の値でもかまいません。
初期状態では各セルに均等に 80 のコインを割り当てるので、それを図示すると全部のセルが同じ色(ピュアな赤)で表示されます。
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初期状態 |
初期状態では30×30のセルにそれぞれ80のコインを割り当てる。 |
 シミュレーションの進め方  |
シミュレーションは以下のように進めます。
2つの異なるセルをランダムに選ぶ。 | |
選ばれた2つのセルについて、一方のセルからもう一方のセルにコインを1枚移す。つまり一方のセルのコインを1だけ増やし、他方を1だけ減らす。このとき、どちらからどちらへコインを移すかはランダムに決める。2つのセルのその時のコインの数は全く考慮しない。 | |
ただし、移動元となったセルのコインの数がゼロだった場合は何もしない。 |
以上の ① ② ③ を多数繰り返します。今回の繰り返し回数は10万回、100万回、1000万回の3種とします。コインは単に移動するだけなので、セルがもつコインの平均値は初期値である80のままで変わりません。
この「移動の繰り返しシミュレーション」で各セルのコインの数はどのように変化するでしょうか。おそらくほとんどの人は次のようの推論するのではないでしょうか。
1回の移動で選ばれるセルの数は2で、全体の 1/450 である。従って、たとえば10万回繰り返すとすると、一つのセルに注目した場合、100,000 / 450 = 約220回、移動の対象なるに違いない。もちろんランダムに選択するので220回ということはなく、180回からもしれないし、250回かもしれない。しかし極端なこと(数回しか選ばれないとか、1万回選ばれるとか)は起こらないはずだ。 | |
選ばれた各回において、セルが移動元となるか(コインが - 1)、移動先となるか(コインが + 1)は全くランダムに決まる。その時のセルのコイン数は全く考慮されない。従ってこれを220回程度繰り返すと、初期値の80に近い値になるだろう。各セルのコイン数は、80を中心として、せいぜい 50 ~ 110 程度(例えば)に収まるのではないか。 | |
この状況は、移動回数が100万回になっても、1000万回になっても変わらないはずだ。すべてはランダムに決まっているのだから。 |
これはいかにも理性的というか、真っ当な推論であり、妥当な予想だと思います。しかし実際に移動シミュレーションを行ってみるとこの予想は大きくはずれ、全く違った様相になります。それが次です。
 移動回数:10万回  |
移動シミュレーションを10万回行う試行をして、その結果を凡例に従って色分け表示したのが次の図です。この結果では、全体のおよそ95%のセル(859のセル)のコイン数が50~109の範囲に収まっています。従ってほとんどが赤のグラディエーションで塗られています。一方、白のセル(コイン数が50未満)は17個、黒のセル(コイン数が110以上)は24個です。最も少ないセルのコイン数は40で、最も多いセルのコイン数は130です。
この10万回の移動シミュレーションの結果は、ほぼ予想どおりと言っていいでしょう。
![]() |
移動回数:10万回 |
およそ95%のセルのコイン数が50~109の範囲(赤のグラディエーションの範囲)に収まっている。それ以下のセル(白)は17、それ以上のセル(黒)は24である。 |
もちろん乱数を使ってシミュレーションをしているので、毎回まったく同じ結果になるわけではありません。しかし10万回のシミュレーションを何度繰り返しても、ほぼ類似の結果になります。
 移動回数:100万回  |
シミュレーションを 100万回繰り返すと様相がかなり違ってきます(次図)。
![]() |
移動回数:100万回 |
コイン数が50~109のセルが全体の半分以下になった。それ以上とそれ以下がほぼ同数あり「格差」が広がることがわかる。最大のコイン数は平均の3倍以上で、コイン数ゼロのセルも現れた。 |
このシミュレーションでは
231 | |
423 | |
246 | |
| |
249 | |
0(4セル) |
です。10万回のシミュレーションではコイン数:50~109のセルがほどんどでしたが、100万回になるとそれは全体(900)の約半分になります。それ以上とそれ以下がほぼ同数あり、「格差」が広がっていることがわかります。また最多のコインを持っているセルのコインの数は平均(=80)の約3倍です。さらに、コインが無くなるセルが出現しました(4つのセル)。
 移動回数:1000万回  |
移動の繰り返しが1000万回になると「格差」はもっと激しくなります(次図)。
![]() |
移動回数:1000万回 |
格差がさらに広がる。白(コイン数49以下)のセルは400を越し、コインは「裕福な」セルに集中していく。 |
このシミュレーションでは
247 | |
247 | |
406 | |
| |
382 | |
0(12セル) |
でした。コイン数が110以上のセル(裕福なセル)の数(247)は 100万回のシミュレーションの場合(231)より増えますが、大して変わりません。しかし最大コイン数が 382であるように、コインは裕福なセルに集中してきます。これと相対応して、コイン数49以下のセル(貧しいセル)が増えていきます。結果の色分け表示を見ても全体が白っぽく表示されるようになります。
900のセルが「裕福」「中間」「貧困」に分かれましたが、どのセルがどの層にいくかはシミュレーションをするたびに異なります。あくまで偶然にそうなった、ないしは、たまたまそうなったということなのです。
ローレンツ曲線とジニ係数
以下、移動回数が1000万回の場合で考えます。各セルを「人」、コインを「その人が保有している資産」と考えると、
初期状態では各人は平等だったが(資産は全員80) | |
資産の移動を1000万回繰り返すと、資産格差が生まれた(最も少ない人は 0、最も多い人は382) |
と見なせるわけです。ここで、この集団の格差の状況を1つの数値で表すことを考えます。このために昔から使われるのがローレンツ曲線とジニ係数です。ローレンツ曲線は、
0 ≦ x ≦ 1
0 ≦ y ≦ 1
0 ≦ y ≦ 1
の2次元 x-y平面に描かれます。まず900のセル(人)を、保有するコイン(資産)の数で小さい人から大きい人まで昇順に並べます。
ローレンツ曲線の x 軸は「累積人数比率(総人数を母数とする割合)」です。つまり x = 0.5 とは、資産の少ない方から数えて全体(900)の半分(450)までの人々を表します。
ローレンツ曲線の y 軸とは「累積資産比率」で、累積人数比率の人々が持つ資産総計の、全体(72,000)を母数とする割合です。
初期状態は各人は平等(資産は全員80)なので、この時のローレンツ曲線は (0, 0) と (1, 1) を結ぶ45°の直線になります。しかし格差が広がるにつれて、ローレンツ曲線は (0, 0) から始まってわずかずつ上昇し、最後は尻上がりに (1, 1) に至る曲線となります。上の 1000万回の移動シミュレーションの結果のローレンツ曲線を描いたのが次の図です。この図には初期状態の斜め45°の直線(点線)も描いてあります。
![]() |
ローレンツ曲線 シミュレーション回数:10,000,000 ジニ係数=0.49 |
この図で「斜め45°の直線」と「ローレンツ曲線」で囲まれた半月状の形の面積を考えてみると、格差がない状態では面積=0、資産を一人が独占している状態では面積=0.5 となります。この面積の2倍が「ジニ係数」で、格差が全くない場合は 0、一人が資産を独占している場合は 1 です。上の例の1000万回の移動シミュレーションの場合、
ジニ係数=0.49
となりました。シミュレーションは乱数(正確に言うとパソコンで作り出す疑似乱数)をもとに計算しているので、1000万回の試行を何回かやるとジニ係数も変化します。しかし必ず 0.5付近の値になります。ちなみに10万回と100万回も含めてジニ係数をリストすると、
0.11 | |
0.31 | |
0.49 |
となりました。シミュレーションの回数が増えるに従って格差が拡大します。
以上のシミュレーションは何らかの意味があるのでしょうか。それとも単なるコンピュータを使った "遊び" でしょうか。
「データの見えざる手」において著者の矢野和男氏は次のように書いています。
|
セルを人、コインを資産とすると、このシミュレーションは2人の間で経済取引をするときの最も素朴なモデルになっています。経済取引とはモノやサービスの売買です。商品の販売や購入がそうだし、労働サービスを提供してその対価としての給料を得るのも経済取引です。株券の売買や、先物取引のような「売買する権利の売買」も経済取引です。
今の自由主義経済では、経済取引は自由に行ってよいわけです。もちろん独占禁止法とか最低賃金法があって「不当な利益」はあげられないようになっている。その各種の規制やルールの範囲内で、どんなモノやサービスをどんな価格で売買するかは自由です。
しかしモノやサービスの売買では、損をする人と得をする人が発生します。つまりモノやサービスがその時にもっている "真の価値" 以上の値段で買うと損になり、真の価値以下の価格で買うと得になります。損か得かは売買をする2人で逆転します。この「損得の発生」は「資産が2人の間で移動した」と考えられるわけです。ここでの「資産」は「保有しているモノとお金の価値合計」ぐらいに考えておきます。Aさんが100円の価値のものを110円でBさんに打ったとすると、10円の資産がBさんからAさんに移動したと考えるわけです。
大切なところは、AさんとBさんのどちらが損をするか得をするかは分からないいことです。特に取引の前に損得は分からない。なぜなら、モノやサービスの "真の価値" を知り得ないからです。従って損得はランダムに(確率的に)決まる。これは上のシミュレーションにおいてコインの移動方向をランダムに(確率的に)決めたことに相当します。
以上が、このシミュレーションが「自由な経済取引の素朴なモデル」になっている理由です。このモデルでは取引を重ねるほど格差が増大します。矢野氏の著書の名前である「データの見えざる手」は、もちろんアダム・スミスの「神の見えざる手」の "もじり" ですが、これは言い得て妙という感じがします。「見えざる手」論は、自由な市場が価格変動を調節して資源の最適配分に導くという主張ですが、実はこの「神の手」は取引の繰り返しによって格差を生み出すことに役だっているようなのです。
公正で機会均等な取引が格差を生む ────。このことを経済学の論文として明らかにした雑誌記事を次に紹介します。前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
数理が語る格差拡大のメカニズム
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自由主義経済においては、公平でフェアな取引きを繰り返すと必然的に格差が拡大する
ことを数理モデルで論証したものです。論文ではまず、世界の様々な国で富の不平等が拡大していることが語られます。
以下の引用では段落を増やした(減らした)ところがあります。また下線は原文にはありません。
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このような富(資産)の集中がどうして起こるのか、それを数理モデルで解析しようするのがボゴシアン教授の目的です。
資産の分布とエージェントモデル
まず前提として資産とは何かですが、論文ではその定義が書いてありません(自明のこととしてあります)。従って一般的な理解で言いますと、これは個人が保有している資産(家計資産)のことです(法人や企業の資産ではない)。またその資産の内容は、金融資産(現金や株券・債権など)に非金融資産(不動産や貴金属などで換金可能なもの)を加え、そこから負債(借金)を引いたものです。従って資産はマイナスになり得ることに注意しましょう。ボゴシアン教授の数理モデルにもそれが出てきます。
資産の分布をモデル化する出発点は「エージェントベースの資産分布モデル」です。エージェントとは商取引を行う「主体」のことで、2人のエージェントが行う商取引がモデルのベースです。つまり2人のエージェントが自由意志で、互いに納得した価格で財貨を交換する。たとえば「商品を買う」「労働の対価として賃金を得る」などです。このエージェント同士が行う商取引を膨大に積み重ねた結果として社会全体の資産分布が決まるというのが、今回の数理モデルです。
この「自由意志で、互いに納得した価格で財貨を交換」するモデルは、現代社会において公正でフェアだと考えられています。また上に引用した「神の見えざる手」論のように、需要と供給をバランスを調整して安定した経済体系を作るとされていて、いかにも "自然な" モデルです。しかし、実はそこに格差を生み出すメカニズムが潜んでいるというのが、以下の論です。
ヤードセールモデル
2002年、インドのサハ核物理学研究所のチャクラボルティ(Aanirban Chakraborti)は、上記のエージェントモデルの一種である「ヤードセールモデル」を導入しました。ボゴシアン教授はこのモデルを出発点にしています。
「ヤードセール」とは、家の庭(yard)で行う不要品販売セールのことです。このモデルは「不要品販売セールにみられる1対1取引きの特徴」があるのでこの名前がつきました。次のようなモデルです。
1対1取引を行う片方が "間違う" ことによって、資産が移動すると考える。 | |
取引した品物の価格が、その品物の価値と一致しているなら資産の移動は起こらない。 | |
しかし買い手が払いすぎたり(=買い手が間違う)、売り手の受領額が品物の価値より少ない(=売り手が間違う)場合は、売り手と買い手の間で資産(Δw)の移動が起こる。 | |
資産の移動(Δw)がどの方向に発生するか(買い手が間違うか、売り手が間違うか)は、ランダムに(=コイン投げで表が出るか裏が出るか)決まる。 | |
破産したいと望む人はいない。従って、資産の移動(Δw)は貧しい方の人が保有している資産の一部にとどまるとする。たとえば、貧しい方の人が保有している資産の20%がΔwと仮定する。 |
![]() |
ヤードセールモデル |
売り手が庭で不要品を販売している。タイプライターに $11 の値がついているが、買い手は $10 でどうかと交渉した。両者の自由意志での合意の上で、$10 で取引が成立した。買い手は $1 得をしたと思い、売り手は $1 損をしたと思っているが、果たして本当にそうなのかは分からない。日経サイエンス 2020年9月号より。 |
このモデルはいかにも妥当に思えます。つまり「売り手・買い手のどちらに資産が移動するかはランダムにきまる。かつ資産の移動量(Δw)は貧しい方の人の資産の一部」というところは、実際の経済生活を通じてほとんどの人が経験してきたことであり、また自分に課している制限だと考えられるからです。
このヤードセールモデルによる取引を、例えば1000人の集団で行います。各人が最初に持っている資産は完全に同額です。ここからランダムに選ばれた2人が取引をします。これを何100万回、何億回と繰り返すシミュレーションをしたらどうなるか。
ここで、Δwを「貧しい方の人が保有している資産の20%」とする必然性はありません(明らかに20%は過大です)。数字は問題ではなく、2%でも何%でもよい。数字が少なくなるとシミュレーションの収束に時間がかかるだけで結果は同じだからです。それどころか、次のような「ヤードセールモデルの変種」でもよい。つまり、
貧しい人が損をする場合は自己資産の17%の損 | |
貧しい人が得をする場合は自己資産の20%の得 |
とするわけです。つまり貧しい人が相対的に少し有利になる設定です。しかしこの設定でも結果は変わりません。論文から引用します。
|
論文にはありませんが、このシミュレーションを実際にやってみました。基礎数値は「データの見えざる手」のものを採用します。
集団は900人とする。初期状態では各人が80の資産を持つ。 | |
ランダムに選ばれた2人が商取引を行う。この結果として2人の間で資産が移動する。移動の方向はランダムに(確率0.5で)決まる。 | |
「貧しい人」から「金持ちの人」へと資産が移動する場合は「貧しい人の資産の17%」が移動する。逆に「金持ちの人」から「貧しい人」へと資産が移動する場合は「貧しい人の資産の20%」が移動する(=ヤードセールモデルの変種)。 | |
この商取引を1000万回繰り返す。 |
このシミュレーションのローレンツ曲線とジニ係数が次の図です。きわめて極端な格差が生まれていることが分かります。
![]() |
「ヤードセールモデルの変種」 シミュレーション回数:10,000,000 ジニ係数=0.984 |
このシミュレーションでは、人口の1%が全資産の74%を占め、人口の2%が全資産の89%を独占した。シミュレーション回数をさらに増やすと独占者が出現し、ジニ係数は 1 に近づく。オリジナルの「ヤードセールモデル」ではもっと急速に 1 に近づく。 |
このシミュレーションを1000万回ではなくもっと多数繰り返していくと、資産が一人に集中する「寡頭支配」になります。論文に「他の999人にはほとんと何も残らない」と書いてあるのは、このシミュレーションではどの人も資産がゼロになることはないからです。しかし999人はゼロに極めて近い値になる。つまり「ほとんと何も残らない」のです。
ちなみに上のシミュレーションを1000万回で止めたのは、あまりやると極端な独占が進み、ローレンツ曲線が曲線らしくなくなるからでした。
論文に戻って、ボゴシアン教授の論を続けます。
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"この種の現象を物理学者は「対称性の破れ」と呼んでいる" とありますが、日経サイエンスでは「対称性の破れ」を "相転移" の例で解説しています。たとえば磁石ですが、なぜ磁力が発生するかというと磁石の中の分子が極小の磁石となっていて、その磁力の向き(N極とS極)が揃っているからです。
ところが温度を上げて特定の温度(=キュリー温度)に達すると、突然、磁力がなくなります。キュリー温度以上では極小磁石の向きがバラバラになるからです。このバラバラになった状態では、どの方向から観察しても性質が同じなので「対称性がある」と表現されます。
逆に、キュリー温度以上から徐々に温度を下げると、キュリー温度のところで突如「対称性の破れ」が発生し、極小磁石は同じ向きに整列し、方向によって違う物理性質を示します。つまり磁石になります。
ボゴシアン教授の説明は続きます。
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引用の最後のところにあるヤードセールモデルは、オリジナルのものです。つまり商取引で移動する資産は移動方向に関わらす同じ(例えば、貧しい主体の20%)というモデルです。一方、上のシミュレーション例は貧者が少しだけ有利な「ヤードセールモデルの変種」でした。もちろん「ヤードセールモデルの変種」よりも「ヤードセールモデル」の方が富の集中は急速に進みます。以下の議論は、オリジナルのヤードセールモデルに基づきます。
再分配パラメータの導入
ヤードセールモデルが社会の資産の偏在を表現しているというのではありません。このモデルではシミュレーションが進むにつれて資産が1人に独占されますが、現実社会はそうなっていないからです。
そこで「再分配パラメータ」を導入します。これは、各主体が取引を行うごとに、各主体の資産を社会全体の資産の平均値に少しだけ近づけるものです。これをコントールするパラメータを χ(カイ。ギリシャ文字)とし、
再分配 =
(資産の平均値 ー 取引主体の資産)× χ
だけの資産を各主体にプラスします。従って、平均値以下の主体の資産は増額され、平均値以上の主体の資産は減額されることになります。これは裕福な人に富裕税を課し、それを貧しい人に配分するということに相当します。
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資産バイアス・パラメータの導入
ここまでの議論では、取引において資産が移動する方向は全くランダム(確率でいうと 0.5 / 0.5)としていました。しかし現実の社会では、富裕層が低金利融資や専門家による財産形成のアドバイスといった経済的恩恵を受けているのに対し、貧しい人々は高金利の借金をしたり最適価格の品を探す時間的余裕がないなど、経済的には不利な状況にあります。
そこでこの状況を模擬するために「資産バイアスパラメータ」の ζ(ゼータ。ギリシャ文字)を導入します。そして
資産バイアス =
(取引主体の資産差額 / 資産の平均額)× ζ
とし、資産バイアスの確率だけ裕福な者が有利になるようにします(取引主体の資産差額は絶対値)。論文には詳細が書いてありませんが、たとえば
裕福な者が得をする確率 =
0.5 + 資産バイアス / 2
貧しい者が得をする確率 =
0.5 - 資産バイアス / 2
とすれば、ちょうど資産バイアスだけの確率差がつくことになります。この定義の資産バイアスは1以上になる可能性があります。たとえば ζ を0.05 とすると、取引主体の資産差額が集団の資産の平均額の20倍あるとちょうど1になります。こうなると必ず裕福なものが得をすることになる。従って実際のシミュレーションでは資産バイアスが 1 以下になるような、何らかの調整が必要なはずです。
ともかく、再分配パラメータに加えて資産バイアスパラメータを考慮したモデルの解析結果が次です。
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著者によると、ζ が χ を下回った場合は寡頭集中のない安定的な状態に落ち着くそうです。
ちなみに「米国と欧州諸国の資産分布の経験的データと誤差 x% で一致」という表現についてですが、χ や ζ といったパラメータを国ごとにどのように設定すれば資産分布の経験的データを最もよく表現できるかをサーベイし、その結果の最適値のときの誤差が x% という意味です。
マイナス資産の導入
さらにモデルの改良は続きます。これまでのモデルではシミュレーションをいくら繰り返しても資産がマイナスになることはありません。もちろん寡頭集中が起こったりすると多数の人の資産がゼロに近づくのですが、原理上マイナスにはなりません。
しかし実社会では資産がマイナスということが起こります。保有している現金や不動産などの額より負債額が多ければ資産はマイナスだからです。しかし資産がマイナスであっても商取引は可能であり、社会では実際に行われています。
この状況をモデル化するために、新たなパラメータ κ(カッパ。ギリシャ文字)を導入し、最大マイナス資産(=S)を次の式で計算します。
最大マイナス資産(S)=
資産の平均額 × κ
そして、拡張ヤードセールモデル(χ と ζ を入れたモデル)による取引をする前に、2つの取引主体の資産に S を加え、取引が終わったあとに2つの取引主体の資産から S を引くという操作をします。この操作によって、集団の中で最も資産が少ない人の資産額が -S となります。
いままで出てきた3つのパラメータ、χ と ζ と κ を導入したモデルが最終のもので、著者はこれを数学者らしく「アフィン型資産モデル(AWM)」と呼んでいます。
この "アフィン" という用語ですが、「アフィン変換」が大学の数学で出てきます。これは、乗法(幾何イメージは拡大・縮小)と加法(幾何イメージは平行移動)の両方を含んだ変換を言います。著者のモデルは取引主体の保有資産から決まる量に(乗法的に)依存したやりとりと、集団の平均資産から決まる量に(加法的に)依存したやりとりの両方があります。それを "アフィン" という用語で表しています。
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米国(2016年)の保有資産のローレンツ曲線 ジニ係数=0.86 (日経サイエンス 2020年9月号より) |
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経験的データとアフィン型資産モデル(AWM)の比較 (日経サイエンス 2020年9月号より) |
上に向かって流れる富
ボゴシアン教授の数理モデルは、欧米各国の資産分布モデルを極めて正確に再現できることがわかりました。これは今まで作られてきた各種モデルの中で現実に最もよく合致するものです。次が論文の結論部分です。
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この論文の原題は「The Inescapable Casino」です。直訳すると「逃げ出せないカジノ」で、これは現代の自由主義経済の社会そのものを言っています。論文に出てきたヤードセールモデルは、カジノにおける客とディーラーの賭とそっくりです。客の資金は限られているがディーラー(=カジノの代表)の資金は客に比べると膨大です。賭を長く続ければ続けるほど客の資金は底をつく。カジノで損をしないためには一刻も早くカジノから出るしかありません。しかし現代の自由主義経済社会というカジノから逃げ出すことはできないのです。
この論文で展開されているのは「数理モデル」であって、現実の人間社会の経済活動ではありません。しかしこれだけ正確に各国の経済格差をモデル化できるということは、そこに何かしらの真実が含まれていると考えるべきでしょう。
公正でフェアで機会(チャンス)が均等な取引の積み重ねが富の格差を生み出す。しかも、社会に参加する時点で人が保有している富に差がついていると有利・不利が初めから決まってしまう。このことを警鐘として受け止めるべきだと思いました。
またこの論文は、我々にある種の思い込みがあることを明らかにしていると思います。それは "すべての結果には原因がある" という思い込みです。結果をもたらすに至った原因を追求することは社会活動の大原則です。なぜそうなったか、その根本原因を追求して対策を打つ。それで社会が成り立っています。
しかし、すべての結果に原因があるわけではないのです。裕福な者と貧しい者、その差は本人の能力や努力の結果であり、さらにはどういう家庭に生まれたかの差である。そう考えることは正しいが、そればかりではない。偶然に差がついたという要素もあるのです。
知らず知らずのあいだに我々の思考を束縛する "思い込み" は排除しなければならない。そう感じました。
さらに思ったことがあります。「公平で機会均等な取引の積み重ねが富の格差を生み出す」という結果はコンピュータがないとしたら絶対に発見できなかっただろう、ということです。手作業や紙と鉛筆だけでの思考では無理です。コンピュータがあるからこそ(私のように)家庭用パソコンでも簡単に検証できてしまう。その結果は、全く意外なものです。
ボゴシアン教授は論文で「ヤードセールモデルが富を貧者から富める者へと移動させることの数学的な証明を与えた」と説明していました。数学的な発見があって、結果がどうなるかを見い出したのではありません。コンピュータ・シミュレーションによる結果がまずあり、なぜそうなるのかという数学的証明を後から行ったわけです。この論文は、今さらながらですが、コンピュータの威力と可能性を示しているのでした。
2020-09-05 11:43
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No.290 - 科学が暴く「食べてはいけない」の嘘 [科学]
今回は No.92 の継続で、食と健康、ないしは食の安全性の話です。食とは "食べる" "飲む" に加えて、食品添加物など体内に摂取するものすべてを指します。
このブログの No.92「コーヒーは健康に悪い?」で、次のような話を書きました。
以上の No.92「コーヒーは健康に悪い?」で書いたことを簡潔にまとめると、次のようになるでしょう。
このコーヒーの話に見られるように、食については「健康に良い・悪い」「食べてもよい・食べてはいけない」という大量の情報が世の中に溢れています。困ったことにそれらの中には全く相反する見解があり、また科学的に根拠が薄い(根拠が無い)ものもある。とにかく "玉石混交" の状態なのです。
この状況の中で、2020年3月にある本が出版されました。アーロン・キャロル著・寺岡朋子訳『科学が暴く「食べてはいけない」の嘘 ─── エビデンスで示す食の新常識』(白楊社。2020.3.26)です。以下「本書」と記述します。今回はその内容を、感想をまじえて紹介したいと思います。コーヒーの話も出てきます。
The Bad Food Bible
本書の原題は『The Bad Food Bible』(2017)で、直訳すると「悪い食品バイブル」です。その内容は、世の中で(アメリカで)"健康に悪い" とされている食品について、その科学的根拠を精査すると "実は悪くない" ことを示したものです。市民を不安にさせている食の情報は大抵は科学的に間違っている、というわけです。
著者のアーロン・キャロルはインディアナ大学医学部小児科の教授ですが、栄養学に興味を持ち、過去の研究を調査・分析し、その成果をもとに食と健康についての啓蒙活動を行っています。ニューヨーク・タイムズをはじめとする各種のメディアにもコラムを書いています。
本書のキーワードは日本語題名の副題にある「エビデンス=科学的根拠」です。科学的根拠とは何か、何をもって科学的根拠があると言えるのか、それが本書では明確にされています。そこが大きなポイントです。
冒頭に書いたように、コーヒーの安全性についてはサウスカロライナ大学、世界保健機構、アメリカ国立保健研究所、厚生労働省が錯綜した見解を出していました。どれも立派な機関であり、これらすべては「それなりの科学的根拠」に基づいた発表だと考えられます。しかし本書が強調しているのは、
ということです。著者は各種の論文を地道に精査し、質の高い研究をセレクトして本書を書きました。では、質の高い研究とは何で、逆に質の低い研究は何かです。つまり本書のポイントである "科学的根拠" とは何でしょうか。
科学的根拠とは何か
実験室での研究
本書でまず強調してあるのは、試験管で培養した細胞や実験動物を使って食の安全性を検証するのは、それだけではダメだということです。
グルタミン酸ナトリウム(Monosodium Gultamate。MSG)は「味の素」以来、日本人にはなじみの "うま味調味料" ですが、アメリカでは安全性が問題視されたことがあり、今でも偏見が続いています。その MSG について、本書に次のような実験が出てきます。
本書には巻末に参考文献や出典が詳細にリストされているので、上の実験を調べてみると、弘前大学の大黒教授のグループの研究でした。「ラットの目に障害が起こる」とあるのは、網膜の神経細胞に MSG が蓄積し、網膜ニューロン層が薄くなることをラットで確認したとのことです。
しかしこの結果をもって「MSG の摂取が人間の目の健康を害する」などとは言えないわけです。そもそも実験の摂取量ですが、ラットの体重はオスで0.5kg程度です。人間の体重からすると、ざっと 1/100 です。つまり「1日に20グラムの MSG をラットに6ヶ月間食べさせる」ということは、人間で言うと「1日に20グラム×100 = 2キログラムの MSG を食べ続ける」という、絶対にありえない状況です。もちろん体重比で単純換算することの意味については科学的な検証が必要です。
さらに重要なのは、ラットで起こったことが人間にも起こるとは限らないことです。キャロル教授は「人間の健康について主張するためには、人間を対象とした研究・検証が必要だ」と主張しているわけです。
その「人間を対象とした研究」は大きく二つにわけられます。
の二つです。その「観察研究」を信頼性の低いものから高いものへと並べると次のようになります。
観察研究
症例報告は最も信頼性の低いものです。本書ではわかりやすく「私の曾祖母は大さじ一杯のタバスコを毎朝食べていました。それで100歳近くまで長生きしたんですよ」という例を書いています。これは確かな事実を述べているのでしょうが、一例にすぎません。
よくテレビの健康食品やサプリメントのコマーシャルで、その製品を愛用している人が出演して「これを飲み出してからとても元気になりました」という意味のことをしゃべります。そのとき、画面の隅には「個人の感想です」という文字が小さく表示されます。これがつまり症例報告です。症例報告は「ほぼ例外なく科学的価値はひとかけらもない」とキャロル教授は書いています。
症例シリーズは、いくつかの症例報告を並べて何かを言うものです。たとえば「タバスコを毎日食べていた10人が全員健康だった」と書かれているような論文です。あくまで少数の例にすぎず、要因同士に関係があるかどうかや、要因の相関の強さについての統計的検定はありません。症例シリーズも症例報告と同様に無視してよいものです。
横断研究は、結果をまじめに受け止めてよい最初のものです。これは、ある集団を対象とし、ある一時点で、一つの要因(例えば食習慣)が他の要因(例えば健康状態)とどう関係しているかを調べるものです。例えばある集団において「大さじ一杯のタバスコを毎朝食べる人」が何人いるかを調べ、その集団の健康状況を調査して関係を分析するのは横断研究になります。しかしこれは、あることをしている人・ある状態にいる人の数を明らかにする意義はありますが、それ以上のものではありません。
症例対照研究は、横断研究の上に位置づけられるものです。これは、ある症例(たとえば病気)を示す人(症例群)と、その症例を示さない人(対照群)を、諸条件が一致する前提で(たとえば年齢、性別、居住地域など)たくさん集めます。そして統計学を使って、症例を示す人と示さない人の違いを調べます。たとえば、胃がん患者の一群と胃がんではない人を集め、大さじ一杯のタバスコを食べるかどうか、食べるとしたらその頻度を尋ねて分析するというような例です。
キャロル教授は、食品における症例対照研究の落とし穴は「思い出しバイアス」だと言っています。例えば、希な病気にかかっている人は特定のものを食べたと報告することが健康な人に比べて多い。特にその食品が「体に悪い」と聞いたことがあれば、その食品を食べたことをよく覚えている傾向にあります。健康状態によって思いだし方に偏りが生じる。これが「思い出しバイアス」です。
コホート研究は症例対照研究よりも優れています。これは対象集団(コホート)を一定期間追跡し、特定の要因がどんな影響を及ぼすかをみる研究です。例えば、集団の中で大さじ一杯のタバスコを毎日食べる人々と、そうでない人々の経過を追い、健康状態にどういう影響が現れるかを調査する研究です。経過を追うところがポイントで、コホート研究は思い出しバイアスの影響を受けにくいのです。
以上の観察研究で、科学的根拠として意味があるのは症例対照研究とコホート研究です。これによって「異なる要因の間に相関関係がある」ことが示せます。しかし、「相関関係があるからといって、因果関係があるかどうかは不明」です。このことについて、このブログでは No.223「因果関係を見極める」に詳しく説明しました。因果関係を示すためには実験研究が必要です。
実験研究
実験研究では、人々を集めていくつかのグループにわけ、あるグループには特定の介入をし(特定の食事をしてもらうなど)、別のグループには別の介入を行い、その経過を観察します。つまり計画・設計された実験を行うわけです。このタイプの研究でもっとも信頼度が高いのが「ランダム化比較試験」です。
ランダム化比較試験(RCT。Randomized Controlled Trial)では、特定の介入を受けるグループと(介入群)と、介入を受けないグループ(対照群)をランダムに振り分けます。そしてグループ間の違いを追跡する。これによってグループ間に相違が見られると、その相違は介入によるものと推定できます。ランダムに振り分けるのがポイントで、こうすることで特定の介入以外の "結果に影響を与えるかもしれない条件(年齢、性別、食習慣 ・・・・・・)" が平均化されて相殺されるわけです。
さらに RCT 中でも最も信頼度が高いのは、対照群にプラセボ(=偽薬。疑似介入)を与えるものです。こうすることで研究者も被験者も誰が介入を受けているのかが分からず、より信頼度が高まります。
RCT の問題は多大な労力と費用がかかることです。追跡調査が必要なことに加えて、ランダムにグループを振り分けるので被験者の数が多いことが前提だからです。そのため実施例は少なく、このことも含めて一般に食の研究には優れたものが少ないのが現状です。なお RCT については、食の研究ではありませんが No.223「因果関係を見極める」に実例を紹介しました。
以上のように、研究には信頼度が高いものから信頼度ゼロまでがあります。これらを判別して質の高い研究を選ぶ必要がありますが、さらに「質の高い複数の研究を選択して総合する」ことで、より信頼度が高まります。
その一つのシステマティックレビューは、質の高い研究だけを集めて、そこに含まれる知見を要約するものです。またメタ分析は、複数の研究データを総合し、それらがあたかも一つの大規模な研究のデータであるかのようにまとめたものです。キャロル教授は本書で結論を導くために質の高い研究を選択していることはもちろんですが、できるだけシステマティックレビューやメタ分析を採用するようにしています。
さらにキャロル教授は介入の結果(=アウトカム)に関して、"プロセス指標"(血圧、コレステロール値、血糖値など)よりも、"真のアウトカム"(心臓発作の発生率や死亡率など)を分析した研究を重視しています。言うまでもなく一番大切なのは "真のアウトカム" であり、"プロセス指標" は "真のアウトカム" につながるかもしれないが、どうつながるかの知見が不十分なことがあるからです。
今までの話を簡潔にまとめると、キャロル教授が食に関する研究を調査するときの原則は次の通りです。
これが、キャロル教授が過去の研究を総合して食の安全性を評価するときの方法論です。この方法論に基づいて各種の "健康に悪い" とされている食品が本当にそうなのかを調べたのが本書です。食の安全性についての本は多数ありますが、本書はまず方法論が明示してあって、過去の研究の調査と分析があり、結論が導かれる。そこが違うところです。
以下、本書に書かれている10種の食品の安全性について、そのうちの6種を簡単にみていきます。
バター
1970年代から、動物性脂肪の成分である飽和脂肪酸は、心臓の健康に悪い(=心臓発作などの冠動脈性心疾患のリスクが高まる)という説が広まり、そのためバターよりも植物性脂肪を原料とするマーガリンが推奨されたことがありました。植物性脂肪の成分は不飽和脂肪酸です。
しかしキャロル教授は各種の研究を総合して「飽和脂肪酸は悪」は根拠十分であり、バターやクリームを食べても問題なしとしています。このことは現在の日本では常識だと思いますが、アメリカではまだ「飽和脂肪酸は悪」と思い込んでいる人が多いようです。
さらにキャロル教授はバターよりマーガリンに多く含まれるトランス脂肪酸が健康に悪いのは明白で、そのためアメリカでは成分量に規制が行われていることを述べています。ちなみに、日本で売られているバターとマーガリンの原材料を比較してみると次の通りです。
正確に言うと "ネオソフト" はマーガリン(油脂含有率 80%以上)ではなく、ファットスプレッド(油脂含有率 80%以下)に分類される商品です。
余談ですが、私の配偶者はバターは買いますが、マーガリンは買いません。それはマーガリンの原材料には各種の添加物があり、類似の機能の食品がある場合は添加物を少ない方を選ぶというのが彼女の原則だからです。これはマーガリンが安全でないとか、添加物はいけないと言っているのでは全くありません。売られているのは食品安全基準に則った立派な食品のはずだし、ネオソフトは発売開始以来60年を越えた由緒ある商品です。ただ個人としての「行動様式」がそうだということです。
卵
「卵に含まれるコレステロールは健康に悪い、卵は1日1個まで」とする風潮があります。しかしキャロル教授は、それは「ウソ」と明言しています。
コレステロールに関する知識は進んできました。体内のコレステロールは2種類あり、一つは HDL(高比重リポタンパク質)で "善玉コレステロール" です。もう一つは LDL(低比重リポタンパク質)で、これが高いと動脈硬化(=アテローム性動脈硬化)のリスクが高まります。いわゆる "悪玉コレステロール" です。
コレステロールは人体に必須の物質であり、特定のビタミンやホルモンを作ったり、細胞の部品を作ったり、脂肪を消化したりします。1日に約1000mg が肝臓で作られ、血液で全身に運ばれる。健康診断で測定するコレステロール値は、この「血中コレステロール」の値です。
では、卵に含まれるコレステロールのような「食事性コレステロール」は「血中コレステロール」にどの程度影響するのでしょうか。キャロル教授は2002年に行われたランダム化比較試験(RCT)の結果を紹介していますが、被験者の70%が食事性コレステロールへの "低応答" でした。低応答とは、食事性コレステロールは血中コレステロールにほとんど影響しないということです。また残りの被験者も、食事性コレステロールと血中コレステロールの関係は弱いものでした。
以上の研究からキャロル教授は「卵は我慢しなくてよい」と書いています。
コーヒー
本書には、この記事の冒頭に書いたコーヒーの安全性の話もあります。冒頭に示したように、WHO(世界保健機構)は1991年にコーヒーを発がん性がある物質にリストしました。その後の研究ではどうなのでしょうか。
確かに、いくつかの研究ではコーヒーが発がんリスクを高めましたが、逆にリスクを低めたり(肝臓がん)、発がんとは無関係(乳がん、前立腺がん)とする研究もあります。またコーヒーが肺がんのリスクを高めたとした研究もありますが、それは喫煙者に限定した話だったりします。逆に、コーヒーが心疾患や肝疾患のリスクを低下させるという研究が増えてきました。
これらを総合してキャロル教授は「コーヒーが健康に悪影響があるというのは根拠薄弱」と結論づけています。
ちなみに、WHOは2015年に「コーヒーの摂取による膵臓や女性の乳房、男性の前立腺に対する発がん作用はなく、肝臓や子宮内膜の発がんリスクの低下がみられた」として、コーヒーを発がん物質からはずしました。WHOがこのように見解を180度転換するのは珍しいようです。
人工甘味料
1980年代にアメリカではサッカリンを含む食品に「サッカリンは実験動物で発がん性が確認されています」との警告文が義務づけられました。これはラットに大量のサッカリンを食べさせると膀胱がんになったという実験によります。
しかしラットは膀胱がんになりやすい動物です。ラットに大量のビタミンCを食べさせても膀胱がんになりますが、だからといって「ビタミンCは実験動物で発がん性が認められた」という警告をオレンジジュースに貼るべきだという話にはなりません。
しかも、ラットが膀胱がんになったからと言って、人間もそうなるとは限らない。その後のイギリス、デンマーク、カナダ、アメリカで人間を対象に行われた研究で、サッカリンと膀胱がんの関係性は認められませんでした。2000年になってアメリカ政府はサッカリンを発がん性物質のリストからはずしました。
しかし「時すでに遅し」で、サッカリンの件は人工甘味料に対する不信感を人々に植え付けてしまいました。この結果、サッカリンにかわる人工甘味料のアスパルテームについても病気のリスクを高めるという論文が出されることになりました。キャロル教授によるとこれらはすべて根拠薄弱であり、質の高いランダム化比較試験(RCT)ではアスパルテームと病気のリスクには関係性が見られません。
また人工甘味料についての補足ですが、2008年、ダイエット飲料(低カロリー甘味料・人工甘味料)を多く飲む人の方が肥満が多いという研究結果が出されました。本書の草稿を書いた段階でも類似の研究が発表されています。しかしこれを、メディアで報道されたように「低カロリー甘味料を摂取すると肥満になる」と考えたとしたら、それは因果関係を逆にとっているのであって、「肥満の人ほど(ダイエットのために)低カロリー甘味料を多く摂取する傾向にある」のが正しい見方です。
キャロル教授は人工甘味料をとっても問題はなく、逆に、食品に添加される糖類(砂糖や転化糖など)こそ、過剰に摂取すると健康が害することが科学的に明白だと強調しています。
うま味調味料
アメリカではうま味調味料のグルタミン酸ナトリウム(MSG)が健康に悪いという不信感が根強いようです。それはラットに大量の MSG を食べさせる研究から始まったものでした。さらに MSG は「中華料理店症候群」(中華料理を食べたあとに感じるしびれや動悸)の "犯人" にされるという「風評被害」にあい、排除の動きが加速しました。
しかし MSG が悪とする研究には一貫性がありません。ランダム化比較試験(RCT)による質の高い研究では、健康に悪いという結果は出てこないのです。一部の学者は MSG過敏症の人がいて、その人たちには悪いとの説を唱えました。これに決着をつけるために、2000年に MSG過敏症だと訴える130人を集めた実験が行われましたが、MSG を与えた人とプラセボを与えた人に一貫性のある結果は見られませんでした。
キャロル教授は、グルタミン酸は人体に必須のアミノ酸であり、数々の食品に含まれていて母乳にも大量に含まれていることを力説しています。このあたりは、グルタミン酸ナトリウム(=味の素)を調味料として開発したのが池田菊苗博士であることもあって日本人にはなじみの話ですが、キャロル教授が長々と力説しているところをみると一般のアメリカ人には知識が行き渡っていないようです。
非有機食品
No.245「スーパー雑草とスーパー除草剤」で、アメリカの消費者はオーガニック(有機)食品になびいていて、そのトレンドを見越したアマゾン・ドット・コムは、オーガニックにこだわってきたスーパー・マーケット、ホールフーズを買収したことを書きました。
アメリカでは農務省(USDA)が決めたオーガニックについての基準があり、これに合致した食品は「USDA Organic」のラベルをつけて販売できます。本書ではその「USDA Organic」の基準が簡単に書いてあります(段落を追加しました)。
一つのポイントは「除草剤や殺虫剤は、自然のものか、許可された合成物質リストに掲載されているものに限定される」ことでしょう。つまり、農薬(除草剤や殺虫剤)を完全に禁止しているわけではありません。この点は日本の有機JAS認証と同様です。
その有機食品ですが、本書には各種の研究を総合して「有機食品が非有機食品より優れているという科学的根拠はほとんどない」としてあります。各種の分析をみても、栄養的には同じであるし、汚染物質について言うと、確かに残留殺虫剤は「有機」の方が少ないが「非有機」の濃度も安全性上認められている限度以下です。
「有機」か「非有機」かは栄養学の問題ではなく、むしろ環境や社会の問題です。キャロル教授はそこは専門の範囲ではないとして、判断は読者にゆだねるとしています。「非有機」のメリットはコストが安いこと、非有機農業のほうが土壌の浸食・流出が少ないことなどです。一方「有機」の方は、農薬が限定され使用量が少ないので環境によく、より肥沃な土壌が作られ、二酸化炭素をより多く土壌に閉じこめる傾向にあるとされています。
ただ、キャロル教授が文句なしに「有機」がよいとするのは、有機認証を受けた家畜は飼料に抗生物質が含まれないことです。FDA(アメリカ食品医薬品局)は、アメリカの抗生物質の販売量は人間用より家畜用の方が多いと推定していて、これはとりもなおさず薬剤耐性菌の出現を助長していることになるからです。キャロル教授が抗生物質不使用を「有機」の利点にあげるているのは医者らしい発言だと思いました。
それ以外にも ・・・・・・
以上、「バター」「卵」「コーヒー」「人工甘味料」「うま味調味料」「非有機食品」の6つの分析のごく概要を書きましたが、本書にはそれ以外にも次のような話が載っています。
本書の紹介はここまでで終わります。以下は本書を読んだ感想です。
本書の感想
最初の方に書いたように本書の特徴は、食の安全を議論するときの「科学的とは何か」を明確にしていることです。そこが本書の一番の意義です。
全10章に渡って分析されている「食べてはいけない」食品ですが、やはり食習慣は国によって違うと思いました。本書は「アメリカ人が書いた、アメリカの状況を念頭においた本」という感じがします。というのも、分析されている「食べてはいけない」の中には日本人があまり意識しないものもあるし、「食べてはいけないは嘘」の中には日本人にとっては既に常識的なものがあるからです。全般に、本書に書かれている10個の食品についての結論(=食べても大丈夫)は常識的です。逆に言うと、著名大学教授がこういう本を書かないといけないほどアメリカでは「食べてはいけない神話」が蔓延しているのかと想像しました。
とはいえ、この本からいくつかの教訓が得られると感じました。つまり我々が「信じやすい嘘 = 科学的根拠がないもの」や、「陥りやすい思考の落とし穴」があぶり出されていると思うからです。
その第1は「化学合成物は悪」とする考えです。我々は何となく化学的に合成した物質に対する不安を抱いてしまいます。グルタミン酸(MSG)に対する(アメリカでの)偏見も、人体に必須だと理解できても、それが工業的に合成されたものだと不安になる。グルタミン酸を作るプロセスは、ある特殊な細菌にブドウ糖などを "食料" として与え、細菌の老廃物として出てくるグルタミン酸を集めて精製するというものです。つまり工業的に合成といっても、根幹のところは生命活動で作られるものです。これは、糖から酵母の作用でアルコールを作る酒の醸造とそっくりです。市販されているグルタミン酸を「工業的に合成」というなら、あらゆる酒は工業的に合成したものになってしまいます。しかし、それでも偏見は消えない。
化学合成物に対する不安感は理由がないわけではありません。化学合成物によって環境が汚染され、人が死に、慢性疾患になり、また多数の生物が死に絶えた歴史があるからです。農薬による環境汚染は今でも続いています。
しかし、すべての化学合成物が悪ではありません。自然界に存在しない物質には確かに人体にとっての健康リスクがありますが、現代社会では安全性の厳格な評価がされています。不必要に恐れる必要はないのです。
第2は「植物性は動物性より良い」という、ボヤッとした、根拠のない思い込みです。「動物性タンパク質・脂肪」より「植物性タンパク質・脂肪」の方が体に良いと、何となく思っている人は多いのではないでしょうか。菜食主義者は聞くが肉食主義者は聞かないし、野菜を食べなさいというアドバイスはよくあるが、肉をもっと食べなさいとは言われない。「植物 = グリーン = エコ」といったイメージもあります。
しかし植物性と動物性はどちらが良いかという話ではなく、別種の食品の話です。本書に「赤身肉は健康に悪い」という風潮があることが紹介されていました(もちろんキャロル教授は否定しています)。しかし人類は "約250万年前に狩猟による肉食に手を出した霊長類" なのですね。人類は肉食と植物食で進化してきたわけです。「赤身肉は健康に悪い」のなら、人類は250万年間やってきたことは何だったのかということになります。
もちろん、植物食と肉食を環境問題としてとらえるなら話は分かります。牧畜は本来、人間が食べられないもの(草、雑穀など)から食べられるもの(肉や乳など)を得る手段でした。農場で育てたトウモロコシや大豆や大麦といった人間の食料になるものをわざわざ家畜に食べさせるのは、本末転倒と言えます。しかもこのプロセスはエネルギーや水などのコストが大で環境負荷が高いことが明らかです。
環境問題を考慮して菜食主義を貫くというのは立派な態度です。しかし環境問題と栄養学は違います。議論するなら、この2つを切り離して議論することが重要です。
第3に「食事による摂取と体内生産を同様に考えてしまう」のも陥りやすい誤りです。これは必ずしも正しくない。本書の「卵」のところで、コレステロールの多い食品(例えば卵)を食べても、血中コレステロール値はほとんど変わらないことが書かれていました。
これで思い出すのがコラーゲンです。コラーゲンが豊富な食品を食べたとしても、コラーゲンのタンパク質はアミノ酸に分解され、そのアミノ酸が人体維持にいろいろと使われる。皮膚や靱帯、腱、骨の重要な構成要素がコラーゲンであることは紛れもない事実ですが、「食事性コラーゲン」がそのまま皮膚などになるわけでは全くないのですね。
我々は、薬やビタミン剤などのサプリメントで特定の成分を摂取すると、それが直接、体に取り込まれて良い影響を与えることがあたりまえと思っています。しかし、摂取するすべての成分がそうだと考えたら大きな間違いです。食事による摂取と体内生産は分けて考えることが重要でしょう。騙されやすいところです。
我々は、科学的根拠の全くない「食べてはいけない神話」や、その反対の「食べると良い神話」を迂闊に信じないようにすべきである ─── これが本書から得られる教訓です。
野菜は毒だから体によい
この記事の冒頭で No.92「コーヒーは健康に悪い?」を振り返り、またキャロル教授の本書にもコーヒーの話が出てきました。コーヒーと健康の問題で常に議論になるのがカフェインです。本書のコーヒーについての議論も、結局のところ "カフェイン問題" なのです。
このカフェインについて、No.178「野菜は毒だから体によい」で書いたことを思い出しました。No.178 を要約すると、
となります。カフェインが "ホルミシス" を引き起こす物質としてあげられていました。カフェインが「良いか悪いか」という問題設定は単純過ぎます。摂取量が議論のポイントのはずです。
そういうことを考えると、欧米で一般的な「デカフェ」(カフェインを抜いたコーヒー)はどうなのでしょうか。もちろんカフェインには中枢神経を興奮させる作用があるので、普通のコーヒーを一杯飲めばその夜は眠られない、という人もいるでしょう。そういう人にはデカフェが有用です。しかし、そうではない人にはどうなのか。ひょっとしたらデカフェは、コーヒーの一番有用な部分を抜いてしまっている可能性もあるでしょう。
人間の体には「ストレスに抵抗する機能」や「損傷を修復する機能」や「異物を排除する機能」が備わっていて、これらは健康に過ごすために必須です。一言で言うと自らを守る「防衛機能」です。しかし当然ですが、使わない機能は衰える。衰えないためには、軽いストレスや軽い異物(微生物など)に常に接する環境で体の機能を "鍛える" 必要があります。もちろん「軽い」ことが大前提です。人間の体は極めて複雑であり、高度なのです。
食の話に戻ると、体に良いものだけを食べましょうといった単純な話ではありません。食で守るべきは、
が鉄則であり、その前提の上で、
ことでしょう。
このブログの No.92「コーヒーは健康に悪い?」で、次のような話を書きました。
2013年8月26日の朝日新聞によると、アメリカのサウスカロライナ大学のチームが米国人44,000人のコーヒーを飲む習慣を調査し、その後17年にわたって死亡記録を調べた。その結果、55歳未満に限ると、週に28杯以上コーヒーを飲む人の死亡率が男性で1.5倍、女性で2.1倍になった。55歳以上では変化がなかった。 | |
同じ記事によると、WHO(世界保健機構)は1991年にコーヒーを「膀胱がんの発がん性がある物質」に分類した。その一方で、アメリカ国立保健研究所(NIH)は2012年、50~71歳の男女40万人の疫学調査で、コーヒーを1日3杯以上飲む人の死亡率が1割ほど低いと発表している。 | |
2013年8月27日の朝日新聞の「天声人語」は前日の記事をうけて、「6年前に日本の厚生労働省はコーヒーが肝臓がんのリスクを下げると発表した。いったいコーヒーは健康にいいのか悪いのか」と書いた。 | |
コーヒーの健康調査について、大阪商業大学の学長の谷岡一郎氏は著書の「社会調査のウソ」(文春新書 2000)で次のように書いている。つまり、以前に関東地方の大学教授が「1日3倍以上コーヒーを飲む人は飲まない人にくらべて心臓病で死ぬ確率が3倍以上になる」と発表した。しかしこの調査は「コーヒーに砂糖を入れて飲む人」と「ブラックで飲む人」に分けないと意味がない。つまり調査から砂糖の影響を排除する必要がある。 | |
谷岡氏はまた、コーヒーを飲む人の方が飲まない人より喫煙率が高い傾向にあることを指摘している。 |
以上の No.92「コーヒーは健康に悪い?」で書いたことを簡潔にまとめると、次のようになるでしょう。
サウスカロライナ大学、世界保健機構(WHO)、アメリカ国立保健研究所(NIH)、日本の厚生労働省で、コーヒーが健康に良いか悪いかの見解が錯綜している。 | |
そもそも、調査・分析の方法が正しいのかどうか。特に、結果に影響を与えそうなコーヒー以外の因子(= "交絡因子")である「砂糖の摂取」と「喫煙」の影響を排除したのかが疑問である。 |
このコーヒーの話に見られるように、食については「健康に良い・悪い」「食べてもよい・食べてはいけない」という大量の情報が世の中に溢れています。困ったことにそれらの中には全く相反する見解があり、また科学的に根拠が薄い(根拠が無い)ものもある。とにかく "玉石混交" の状態なのです。
この状況の中で、2020年3月にある本が出版されました。アーロン・キャロル著・寺岡朋子訳『科学が暴く「食べてはいけない」の嘘 ─── エビデンスで示す食の新常識』(白楊社。2020.3.26)です。以下「本書」と記述します。今回はその内容を、感想をまじえて紹介したいと思います。コーヒーの話も出てきます。
The Bad Food Bible
本書の原題は『The Bad Food Bible』(2017)で、直訳すると「悪い食品バイブル」です。その内容は、世の中で(アメリカで)"健康に悪い" とされている食品について、その科学的根拠を精査すると "実は悪くない" ことを示したものです。市民を不安にさせている食の情報は大抵は科学的に間違っている、というわけです。
本書のキーワードは日本語題名の副題にある「エビデンス=科学的根拠」です。科学的根拠とは何か、何をもって科学的根拠があると言えるのか、それが本書では明確にされています。そこが大きなポイントです。
冒頭に書いたように、コーヒーの安全性についてはサウスカロライナ大学、世界保健機構、アメリカ国立保健研究所、厚生労働省が錯綜した見解を出していました。どれも立派な機関であり、これらすべては「それなりの科学的根拠」に基づいた発表だと考えられます。しかし本書が強調しているのは、
食の安全性についての研究は、質の高いものも低いものもある。つまりピンキリである。
ということです。著者は各種の論文を地道に精査し、質の高い研究をセレクトして本書を書きました。では、質の高い研究とは何で、逆に質の低い研究は何かです。つまり本書のポイントである "科学的根拠" とは何でしょうか。
科学的根拠とは何か
実験室での研究
本書でまず強調してあるのは、試験管で培養した細胞や実験動物を使って食の安全性を検証するのは、それだけではダメだということです。
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グルタミン酸ナトリウム(Monosodium Gultamate。MSG)は「味の素」以来、日本人にはなじみの "うま味調味料" ですが、アメリカでは安全性が問題視されたことがあり、今でも偏見が続いています。その MSG について、本書に次のような実験が出てきます。
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本書には巻末に参考文献や出典が詳細にリストされているので、上の実験を調べてみると、弘前大学の大黒教授のグループの研究でした。「ラットの目に障害が起こる」とあるのは、網膜の神経細胞に MSG が蓄積し、網膜ニューロン層が薄くなることをラットで確認したとのことです。
しかしこの結果をもって「MSG の摂取が人間の目の健康を害する」などとは言えないわけです。そもそも実験の摂取量ですが、ラットの体重はオスで0.5kg程度です。人間の体重からすると、ざっと 1/100 です。つまり「1日に20グラムの MSG をラットに6ヶ月間食べさせる」ということは、人間で言うと「1日に20グラム×100 = 2キログラムの MSG を食べ続ける」という、絶対にありえない状況です。もちろん体重比で単純換算することの意味については科学的な検証が必要です。
さらに重要なのは、ラットで起こったことが人間にも起こるとは限らないことです。キャロル教授は「人間の健康について主張するためには、人間を対象とした研究・検証が必要だ」と主張しているわけです。
その「人間を対象とした研究」は大きく二つにわけられます。
観察研究 | |
実験研究 |
の二つです。その「観察研究」を信頼性の低いものから高いものへと並べると次のようになります。
観察研究
症例報告は最も信頼性の低いものです。本書ではわかりやすく「私の曾祖母は大さじ一杯のタバスコを毎朝食べていました。それで100歳近くまで長生きしたんですよ」という例を書いています。これは確かな事実を述べているのでしょうが、一例にすぎません。
よくテレビの健康食品やサプリメントのコマーシャルで、その製品を愛用している人が出演して「これを飲み出してからとても元気になりました」という意味のことをしゃべります。そのとき、画面の隅には「個人の感想です」という文字が小さく表示されます。これがつまり症例報告です。症例報告は「ほぼ例外なく科学的価値はひとかけらもない」とキャロル教授は書いています。
症例シリーズは、いくつかの症例報告を並べて何かを言うものです。たとえば「タバスコを毎日食べていた10人が全員健康だった」と書かれているような論文です。あくまで少数の例にすぎず、要因同士に関係があるかどうかや、要因の相関の強さについての統計的検定はありません。症例シリーズも症例報告と同様に無視してよいものです。
横断研究は、結果をまじめに受け止めてよい最初のものです。これは、ある集団を対象とし、ある一時点で、一つの要因(例えば食習慣)が他の要因(例えば健康状態)とどう関係しているかを調べるものです。例えばある集団において「大さじ一杯のタバスコを毎朝食べる人」が何人いるかを調べ、その集団の健康状況を調査して関係を分析するのは横断研究になります。しかしこれは、あることをしている人・ある状態にいる人の数を明らかにする意義はありますが、それ以上のものではありません。
症例対照研究は、横断研究の上に位置づけられるものです。これは、ある症例(たとえば病気)を示す人(症例群)と、その症例を示さない人(対照群)を、諸条件が一致する前提で(たとえば年齢、性別、居住地域など)たくさん集めます。そして統計学を使って、症例を示す人と示さない人の違いを調べます。たとえば、胃がん患者の一群と胃がんではない人を集め、大さじ一杯のタバスコを食べるかどうか、食べるとしたらその頻度を尋ねて分析するというような例です。
キャロル教授は、食品における症例対照研究の落とし穴は「思い出しバイアス」だと言っています。例えば、希な病気にかかっている人は特定のものを食べたと報告することが健康な人に比べて多い。特にその食品が「体に悪い」と聞いたことがあれば、その食品を食べたことをよく覚えている傾向にあります。健康状態によって思いだし方に偏りが生じる。これが「思い出しバイアス」です。
コホート研究は症例対照研究よりも優れています。これは対象集団(コホート)を一定期間追跡し、特定の要因がどんな影響を及ぼすかをみる研究です。例えば、集団の中で大さじ一杯のタバスコを毎日食べる人々と、そうでない人々の経過を追い、健康状態にどういう影響が現れるかを調査する研究です。経過を追うところがポイントで、コホート研究は思い出しバイアスの影響を受けにくいのです。
以上の観察研究で、科学的根拠として意味があるのは症例対照研究とコホート研究です。これによって「異なる要因の間に相関関係がある」ことが示せます。しかし、「相関関係があるからといって、因果関係があるかどうかは不明」です。このことについて、このブログでは No.223「因果関係を見極める」に詳しく説明しました。因果関係を示すためには実験研究が必要です。
実験研究
実験研究では、人々を集めていくつかのグループにわけ、あるグループには特定の介入をし(特定の食事をしてもらうなど)、別のグループには別の介入を行い、その経過を観察します。つまり計画・設計された実験を行うわけです。このタイプの研究でもっとも信頼度が高いのが「ランダム化比較試験」です。
ランダム化比較試験(RCT。Randomized Controlled Trial)では、特定の介入を受けるグループと(介入群)と、介入を受けないグループ(対照群)をランダムに振り分けます。そしてグループ間の違いを追跡する。これによってグループ間に相違が見られると、その相違は介入によるものと推定できます。ランダムに振り分けるのがポイントで、こうすることで特定の介入以外の "結果に影響を与えるかもしれない条件(年齢、性別、食習慣 ・・・・・・)" が平均化されて相殺されるわけです。
さらに RCT 中でも最も信頼度が高いのは、対照群にプラセボ(=偽薬。疑似介入)を与えるものです。こうすることで研究者も被験者も誰が介入を受けているのかが分からず、より信頼度が高まります。
RCT の問題は多大な労力と費用がかかることです。追跡調査が必要なことに加えて、ランダムにグループを振り分けるので被験者の数が多いことが前提だからです。そのため実施例は少なく、このことも含めて一般に食の研究には優れたものが少ないのが現状です。なお RCT については、食の研究ではありませんが No.223「因果関係を見極める」に実例を紹介しました。
以上のように、研究には信頼度が高いものから信頼度ゼロまでがあります。これらを判別して質の高い研究を選ぶ必要がありますが、さらに「質の高い複数の研究を選択して総合する」ことで、より信頼度が高まります。
その一つのシステマティックレビューは、質の高い研究だけを集めて、そこに含まれる知見を要約するものです。またメタ分析は、複数の研究データを総合し、それらがあたかも一つの大規模な研究のデータであるかのようにまとめたものです。キャロル教授は本書で結論を導くために質の高い研究を選択していることはもちろんですが、できるだけシステマティックレビューやメタ分析を採用するようにしています。
さらにキャロル教授は介入の結果(=アウトカム)に関して、"プロセス指標"(血圧、コレステロール値、血糖値など)よりも、"真のアウトカム"(心臓発作の発生率や死亡率など)を分析した研究を重視しています。言うまでもなく一番大切なのは "真のアウトカム" であり、"プロセス指標" は "真のアウトカム" につながるかもしれないが、どうつながるかの知見が不十分なことがあるからです。
今までの話を簡潔にまとめると、キャロル教授が食に関する研究を調査するときの原則は次の通りです。
研究事例を、最も信頼性の高い RCT(ランダム化比較試験)から科学的根拠にはなり得ないものまでに分別し、信頼度の高いものを優先して採用する。 | |
システマティックレビューやメタ分析の事例があれば、さらに優先的に考慮する。 | |
プロセス指標ではなく真のアウトカムを分析結果とする研究を優先する。 |
これが、キャロル教授が過去の研究を総合して食の安全性を評価するときの方法論です。この方法論に基づいて各種の "健康に悪い" とされている食品が本当にそうなのかを調べたのが本書です。食の安全性についての本は多数ありますが、本書はまず方法論が明示してあって、過去の研究の調査と分析があり、結論が導かれる。そこが違うところです。
以下、本書に書かれている10種の食品の安全性について、そのうちの6種を簡単にみていきます。
バター
1970年代から、動物性脂肪の成分である飽和脂肪酸は、心臓の健康に悪い(=心臓発作などの冠動脈性心疾患のリスクが高まる)という説が広まり、そのためバターよりも植物性脂肪を原料とするマーガリンが推奨されたことがありました。植物性脂肪の成分は不飽和脂肪酸です。
しかしキャロル教授は各種の研究を総合して「飽和脂肪酸は悪」は根拠十分であり、バターやクリームを食べても問題なしとしています。このことは現在の日本では常識だと思いますが、アメリカではまだ「飽和脂肪酸は悪」と思い込んでいる人が多いようです。
さらにキャロル教授はバターよりマーガリンに多く含まれるトランス脂肪酸が健康に悪いのは明白で、そのためアメリカでは成分量に規制が行われていることを述べています。ちなみに、日本で売られているバターとマーガリンの原材料を比較してみると次の通りです。
バターの原材料
マーガリンの原材料(雪印メグミルクの "ネオソフト" の例)
生乳、食塩
マーガリンの原材料(雪印メグミルクの "ネオソフト" の例)
食用植物油脂(国内製造)、食用精製加工油脂、食塩、粉乳(乳化剤)、香料、着色料(カロテン)
正確に言うと "ネオソフト" はマーガリン(油脂含有率 80%以上)ではなく、ファットスプレッド(油脂含有率 80%以下)に分類される商品です。
余談ですが、私の配偶者はバターは買いますが、マーガリンは買いません。それはマーガリンの原材料には各種の添加物があり、類似の機能の食品がある場合は添加物を少ない方を選ぶというのが彼女の原則だからです。これはマーガリンが安全でないとか、添加物はいけないと言っているのでは全くありません。売られているのは食品安全基準に則った立派な食品のはずだし、ネオソフトは発売開始以来60年を越えた由緒ある商品です。ただ個人としての「行動様式」がそうだということです。
卵
「卵に含まれるコレステロールは健康に悪い、卵は1日1個まで」とする風潮があります。しかしキャロル教授は、それは「ウソ」と明言しています。
コレステロールに関する知識は進んできました。体内のコレステロールは2種類あり、一つは HDL(高比重リポタンパク質)で "善玉コレステロール" です。もう一つは LDL(低比重リポタンパク質)で、これが高いと動脈硬化(=アテローム性動脈硬化)のリスクが高まります。いわゆる "悪玉コレステロール" です。
コレステロールは人体に必須の物質であり、特定のビタミンやホルモンを作ったり、細胞の部品を作ったり、脂肪を消化したりします。1日に約1000mg が肝臓で作られ、血液で全身に運ばれる。健康診断で測定するコレステロール値は、この「血中コレステロール」の値です。
では、卵に含まれるコレステロールのような「食事性コレステロール」は「血中コレステロール」にどの程度影響するのでしょうか。キャロル教授は2002年に行われたランダム化比較試験(RCT)の結果を紹介していますが、被験者の70%が食事性コレステロールへの "低応答" でした。低応答とは、食事性コレステロールは血中コレステロールにほとんど影響しないということです。また残りの被験者も、食事性コレステロールと血中コレステロールの関係は弱いものでした。
以上の研究からキャロル教授は「卵は我慢しなくてよい」と書いています。
コーヒー
本書には、この記事の冒頭に書いたコーヒーの安全性の話もあります。冒頭に示したように、WHO(世界保健機構)は1991年にコーヒーを発がん性がある物質にリストしました。その後の研究ではどうなのでしょうか。
確かに、いくつかの研究ではコーヒーが発がんリスクを高めましたが、逆にリスクを低めたり(肝臓がん)、発がんとは無関係(乳がん、前立腺がん)とする研究もあります。またコーヒーが肺がんのリスクを高めたとした研究もありますが、それは喫煙者に限定した話だったりします。逆に、コーヒーが心疾患や肝疾患のリスクを低下させるという研究が増えてきました。
これらを総合してキャロル教授は「コーヒーが健康に悪影響があるというのは根拠薄弱」と結論づけています。
ちなみに、WHOは2015年に「コーヒーの摂取による膵臓や女性の乳房、男性の前立腺に対する発がん作用はなく、肝臓や子宮内膜の発がんリスクの低下がみられた」として、コーヒーを発がん物質からはずしました。WHOがこのように見解を180度転換するのは珍しいようです。
人工甘味料
1980年代にアメリカではサッカリンを含む食品に「サッカリンは実験動物で発がん性が確認されています」との警告文が義務づけられました。これはラットに大量のサッカリンを食べさせると膀胱がんになったという実験によります。
しかしラットは膀胱がんになりやすい動物です。ラットに大量のビタミンCを食べさせても膀胱がんになりますが、だからといって「ビタミンCは実験動物で発がん性が認められた」という警告をオレンジジュースに貼るべきだという話にはなりません。
しかも、ラットが膀胱がんになったからと言って、人間もそうなるとは限らない。その後のイギリス、デンマーク、カナダ、アメリカで人間を対象に行われた研究で、サッカリンと膀胱がんの関係性は認められませんでした。2000年になってアメリカ政府はサッカリンを発がん性物質のリストからはずしました。
しかし「時すでに遅し」で、サッカリンの件は人工甘味料に対する不信感を人々に植え付けてしまいました。この結果、サッカリンにかわる人工甘味料のアスパルテームについても病気のリスクを高めるという論文が出されることになりました。キャロル教授によるとこれらはすべて根拠薄弱であり、質の高いランダム化比較試験(RCT)ではアスパルテームと病気のリスクには関係性が見られません。
また人工甘味料についての補足ですが、2008年、ダイエット飲料(低カロリー甘味料・人工甘味料)を多く飲む人の方が肥満が多いという研究結果が出されました。本書の草稿を書いた段階でも類似の研究が発表されています。しかしこれを、メディアで報道されたように「低カロリー甘味料を摂取すると肥満になる」と考えたとしたら、それは因果関係を逆にとっているのであって、「肥満の人ほど(ダイエットのために)低カロリー甘味料を多く摂取する傾向にある」のが正しい見方です。
ちなみに、No.84「社会調査のウソ(2)」で紹介した、「カロリーオフ炭酸飲料を飲む人の方が、飲まない人より糖尿病の発症リスクが高い」とした金沢医科大学の研究(2013)も全く同じことでしょう。
つまり、被験者を「自分には糖尿病のリスクがあると自覚している人」と「自覚していない人」に分けたとします。リスクがあると自覚しているとは、毎年の健康診断で血糖値が基準をオーバーする人や、医者から "このままでは糖尿病になって一生透析をすることになりますよ" と脅された人、また親が糖尿病で苦しんでいる人などです。ここで、被験者がカロリーオフ炭酸飲料を飲む頻度を調査すると、糖尿病のリスクがあると自覚している人の方が頻度が高いはずです。
さらに10年後に被験者が糖尿病を発症したかどうかを調査すると、糖尿病のリスクがあると自覚している人の方が発症している可能性が高いはずです。つまり「カロリーオフ炭酸飲料を多く飲む人の方が糖尿病発症リスクが高い」となるわけで、これは当然です。
つまり、被験者を「自分には糖尿病のリスクがあると自覚している人」と「自覚していない人」に分けたとします。リスクがあると自覚しているとは、毎年の健康診断で血糖値が基準をオーバーする人や、医者から "このままでは糖尿病になって一生透析をすることになりますよ" と脅された人、また親が糖尿病で苦しんでいる人などです。ここで、被験者がカロリーオフ炭酸飲料を飲む頻度を調査すると、糖尿病のリスクがあると自覚している人の方が頻度が高いはずです。
さらに10年後に被験者が糖尿病を発症したかどうかを調査すると、糖尿病のリスクがあると自覚している人の方が発症している可能性が高いはずです。つまり「カロリーオフ炭酸飲料を多く飲む人の方が糖尿病発症リスクが高い」となるわけで、これは当然です。
キャロル教授は人工甘味料をとっても問題はなく、逆に、食品に添加される糖類(砂糖や転化糖など)こそ、過剰に摂取すると健康が害することが科学的に明白だと強調しています。
うま味調味料
アメリカではうま味調味料のグルタミン酸ナトリウム(MSG)が健康に悪いという不信感が根強いようです。それはラットに大量の MSG を食べさせる研究から始まったものでした。さらに MSG は「中華料理店症候群」(中華料理を食べたあとに感じるしびれや動悸)の "犯人" にされるという「風評被害」にあい、排除の動きが加速しました。
しかし MSG が悪とする研究には一貫性がありません。ランダム化比較試験(RCT)による質の高い研究では、健康に悪いという結果は出てこないのです。一部の学者は MSG過敏症の人がいて、その人たちには悪いとの説を唱えました。これに決着をつけるために、2000年に MSG過敏症だと訴える130人を集めた実験が行われましたが、MSG を与えた人とプラセボを与えた人に一貫性のある結果は見られませんでした。
キャロル教授は、グルタミン酸は人体に必須のアミノ酸であり、数々の食品に含まれていて母乳にも大量に含まれていることを力説しています。このあたりは、グルタミン酸ナトリウム(=味の素)を調味料として開発したのが池田菊苗博士であることもあって日本人にはなじみの話ですが、キャロル教授が長々と力説しているところをみると一般のアメリカ人には知識が行き渡っていないようです。
非有機食品
No.245「スーパー雑草とスーパー除草剤」で、アメリカの消費者はオーガニック(有機)食品になびいていて、そのトレンドを見越したアマゾン・ドット・コムは、オーガニックにこだわってきたスーパー・マーケット、ホールフーズを買収したことを書きました。
アメリカでは農務省(USDA)が決めたオーガニックについての基準があり、これに合致した食品は「USDA Organic」のラベルをつけて販売できます。本書ではその「USDA Organic」の基準が簡単に書いてあります(段落を追加しました)。
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一つのポイントは「除草剤や殺虫剤は、自然のものか、許可された合成物質リストに掲載されているものに限定される」ことでしょう。つまり、農薬(除草剤や殺虫剤)を完全に禁止しているわけではありません。この点は日本の有機JAS認証と同様です。
その有機食品ですが、本書には各種の研究を総合して「有機食品が非有機食品より優れているという科学的根拠はほとんどない」としてあります。各種の分析をみても、栄養的には同じであるし、汚染物質について言うと、確かに残留殺虫剤は「有機」の方が少ないが「非有機」の濃度も安全性上認められている限度以下です。
「有機」か「非有機」かは栄養学の問題ではなく、むしろ環境や社会の問題です。キャロル教授はそこは専門の範囲ではないとして、判断は読者にゆだねるとしています。「非有機」のメリットはコストが安いこと、非有機農業のほうが土壌の浸食・流出が少ないことなどです。一方「有機」の方は、農薬が限定され使用量が少ないので環境によく、より肥沃な土壌が作られ、二酸化炭素をより多く土壌に閉じこめる傾向にあるとされています。
ただ、キャロル教授が文句なしに「有機」がよいとするのは、有機認証を受けた家畜は飼料に抗生物質が含まれないことです。FDA(アメリカ食品医薬品局)は、アメリカの抗生物質の販売量は人間用より家畜用の方が多いと推定していて、これはとりもなおさず薬剤耐性菌の出現を助長していることになるからです。キャロル教授が抗生物質不使用を「有機」の利点にあげるているのは医者らしい発言だと思いました。
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自宅近くのスーパーで購入した乾燥イチジク。米国の Safe Food Corporation 社製で、イチジクはトルコ産。「USDA ORGANIC」と「NON GMO Project VERIFIED」のマークがついている。「USDA ORGANIC」は米国農務省の「有機認証」を受けたことを示す。「NON GMO Project」は米国のNPO団体で、GMO(=遺伝子組み換え作物。Genetically Modified Organism)不使用の認証を行っている。No.245 の画像を再掲。 |
それ以外にも ・・・・・・
以上、「バター」「卵」「コーヒー」「人工甘味料」「うま味調味料」「非有機食品」の6つの分析のごく概要を書きましたが、本書にはそれ以外にも次のような話が載っています。
赤身肉(牛肉、羊肉)を食べる人は寿命が縮まるという説は、調査結果の恣意的解釈に過ぎない。 | |
「牛乳は骨に良い」は根拠がない。もちろん、カルシウム不足の人が牛乳を飲むのは意味があるが、普通の人が牛乳を飲んだからといって骨折のリスクが減るわけではない。
そもそも人間を含む哺乳類は、乳児のときにはミルクで育ちますが、それ以降はミルクは飲みません(読んで字のごとくです)。授乳期が過ぎると乳糖(ラクトース)を分解する酵素・ラクターゼの活性が低下するからです。しかし人間はどういうわけかヨーロッパ人を中心に大人になってもラクターゼの活性が持続する人がいて、そういう人は牛乳を飲んでも消化不良や下痢を起こさない。だから大人になっても牛乳を飲む人がいるわけです。
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塩(塩化ナトリウム)について、高血圧の人は塩分摂取を控えるべきだが、逆に、どういう血圧であれ塩分摂取が少なすぎると、それは多すぎるより健康に悪い。 | |
酒については、もちろん飲み過ぎはよくないが、適度(1日に2杯程度)を飲むのは健康に良いという研究結果が積み上がってきた(常識的な結論でしょう)。 | |
「グルテンフリー」の食品が必要なのはセリアック病(グルテンの摂取が引き金となって小腸が損傷する、遺伝性の自己免疫疾患)や小麦アレルギーの人だけであり、普通の人は「グルテンフリー」など不要である。
グルテンは小麦や大麦に含まれているタンパク質で、弾力性があり、パンやピザやパスタやうどんの触感を作り出している成分です。欧米ではグルテンが健康に悪いという風潮が広まり、「グルテンフリー(グルテンを含まない)」と銘打った食品が多数売られています。
考えてみると、人類が最初に農業を始めたのは小麦であり、人は1万年に渡って小麦と(従ってグルテンと)付き合ってきたわけです。それが「体に悪い」というのは、科学的証拠を調べなくても嘘だと推測できます。もちろん、一部の人(セリアック病、小麦アレルギー)にとってはグルテンフリー食が必須です。 ちなみにセリアック病は、遺伝性の自己免疫疾患であるにもかかわらず20世紀後半から急増した病気です(No.119「不在という伝染病(1)」参照)。 |
本書の紹介はここまでで終わります。以下は本書を読んだ感想です。
本書の感想
最初の方に書いたように本書の特徴は、食の安全を議論するときの「科学的とは何か」を明確にしていることです。そこが本書の一番の意義です。
全10章に渡って分析されている「食べてはいけない」食品ですが、やはり食習慣は国によって違うと思いました。本書は「アメリカ人が書いた、アメリカの状況を念頭においた本」という感じがします。というのも、分析されている「食べてはいけない」の中には日本人があまり意識しないものもあるし、「食べてはいけないは嘘」の中には日本人にとっては既に常識的なものがあるからです。全般に、本書に書かれている10個の食品についての結論(=食べても大丈夫)は常識的です。逆に言うと、著名大学教授がこういう本を書かないといけないほどアメリカでは「食べてはいけない神話」が蔓延しているのかと想像しました。
とはいえ、この本からいくつかの教訓が得られると感じました。つまり我々が「信じやすい嘘 = 科学的根拠がないもの」や、「陥りやすい思考の落とし穴」があぶり出されていると思うからです。
その第1は「化学合成物は悪」とする考えです。我々は何となく化学的に合成した物質に対する不安を抱いてしまいます。グルタミン酸(MSG)に対する(アメリカでの)偏見も、人体に必須だと理解できても、それが工業的に合成されたものだと不安になる。グルタミン酸を作るプロセスは、ある特殊な細菌にブドウ糖などを "食料" として与え、細菌の老廃物として出てくるグルタミン酸を集めて精製するというものです。つまり工業的に合成といっても、根幹のところは生命活動で作られるものです。これは、糖から酵母の作用でアルコールを作る酒の醸造とそっくりです。市販されているグルタミン酸を「工業的に合成」というなら、あらゆる酒は工業的に合成したものになってしまいます。しかし、それでも偏見は消えない。
化学合成物に対する不安感は理由がないわけではありません。化学合成物によって環境が汚染され、人が死に、慢性疾患になり、また多数の生物が死に絶えた歴史があるからです。農薬による環境汚染は今でも続いています。
しかし、すべての化学合成物が悪ではありません。自然界に存在しない物質には確かに人体にとっての健康リスクがありますが、現代社会では安全性の厳格な評価がされています。不必要に恐れる必要はないのです。
第2は「植物性は動物性より良い」という、ボヤッとした、根拠のない思い込みです。「動物性タンパク質・脂肪」より「植物性タンパク質・脂肪」の方が体に良いと、何となく思っている人は多いのではないでしょうか。菜食主義者は聞くが肉食主義者は聞かないし、野菜を食べなさいというアドバイスはよくあるが、肉をもっと食べなさいとは言われない。「植物 = グリーン = エコ」といったイメージもあります。
しかし植物性と動物性はどちらが良いかという話ではなく、別種の食品の話です。本書に「赤身肉は健康に悪い」という風潮があることが紹介されていました(もちろんキャロル教授は否定しています)。しかし人類は "約250万年前に狩猟による肉食に手を出した霊長類" なのですね。人類は肉食と植物食で進化してきたわけです。「赤身肉は健康に悪い」のなら、人類は250万年間やってきたことは何だったのかということになります。
もちろん、植物食と肉食を環境問題としてとらえるなら話は分かります。牧畜は本来、人間が食べられないもの(草、雑穀など)から食べられるもの(肉や乳など)を得る手段でした。農場で育てたトウモロコシや大豆や大麦といった人間の食料になるものをわざわざ家畜に食べさせるのは、本末転倒と言えます。しかもこのプロセスはエネルギーや水などのコストが大で環境負荷が高いことが明らかです。
環境問題を考慮して菜食主義を貫くというのは立派な態度です。しかし環境問題と栄養学は違います。議論するなら、この2つを切り離して議論することが重要です。
第3に「食事による摂取と体内生産を同様に考えてしまう」のも陥りやすい誤りです。これは必ずしも正しくない。本書の「卵」のところで、コレステロールの多い食品(例えば卵)を食べても、血中コレステロール値はほとんど変わらないことが書かれていました。
これで思い出すのがコラーゲンです。コラーゲンが豊富な食品を食べたとしても、コラーゲンのタンパク質はアミノ酸に分解され、そのアミノ酸が人体維持にいろいろと使われる。皮膚や靱帯、腱、骨の重要な構成要素がコラーゲンであることは紛れもない事実ですが、「食事性コラーゲン」がそのまま皮膚などになるわけでは全くないのですね。
我々は、薬やビタミン剤などのサプリメントで特定の成分を摂取すると、それが直接、体に取り込まれて良い影響を与えることがあたりまえと思っています。しかし、摂取するすべての成分がそうだと考えたら大きな間違いです。食事による摂取と体内生産は分けて考えることが重要でしょう。騙されやすいところです。
我々は、科学的根拠の全くない「食べてはいけない神話」や、その反対の「食べると良い神話」を迂闊に信じないようにすべきである ─── これが本書から得られる教訓です。
野菜は毒だから体によい
この記事の冒頭で No.92「コーヒーは健康に悪い?」を振り返り、またキャロル教授の本書にもコーヒーの話が出てきました。コーヒーと健康の問題で常に議論になるのがカフェインです。本書のコーヒーについての議論も、結局のところ "カフェイン問題" なのです。
このカフェインについて、No.178「野菜は毒だから体によい」で書いたことを思い出しました。No.178 を要約すると、
植物は害虫から身を守るために微量の毒素を発達させてきた。 | |
この毒素には、人間が大量に食べると体に悪いが、逆に少量だと健康を増進するものがある。 | |
健康を増進する理由は、微量毒素が人間の体にストレスを与え、そのストレスに対抗するために、抗酸化酵素や解毒酵素(発がん物質の排除など)の生産が始まるといった体の機能が働くからである。微量毒素が抗酸化作用や解毒作用を持つわけではない。 | |
このように「少量なら有益だが、量が増えると有毒になる」現象を "ホルミシス" と呼ぶ。 | |
ホルミシスを引き起こす物質には、スルフォラファン(ブロッコリーに含まれる)、クルクミン(香辛料のターメリック)、カフェイン(コーヒー、茶)、カテキン(茶)、カプサイシン(唐辛子)などがある。 |
となります。カフェインが "ホルミシス" を引き起こす物質としてあげられていました。カフェインが「良いか悪いか」という問題設定は単純過ぎます。摂取量が議論のポイントのはずです。
そういうことを考えると、欧米で一般的な「デカフェ」(カフェインを抜いたコーヒー)はどうなのでしょうか。もちろんカフェインには中枢神経を興奮させる作用があるので、普通のコーヒーを一杯飲めばその夜は眠られない、という人もいるでしょう。そういう人にはデカフェが有用です。しかし、そうではない人にはどうなのか。ひょっとしたらデカフェは、コーヒーの一番有用な部分を抜いてしまっている可能性もあるでしょう。
人間の体には「ストレスに抵抗する機能」や「損傷を修復する機能」や「異物を排除する機能」が備わっていて、これらは健康に過ごすために必須です。一言で言うと自らを守る「防衛機能」です。しかし当然ですが、使わない機能は衰える。衰えないためには、軽いストレスや軽い異物(微生物など)に常に接する環境で体の機能を "鍛える" 必要があります。もちろん「軽い」ことが大前提です。人間の体は極めて複雑であり、高度なのです。
食の話に戻ると、体に良いものだけを食べましょうといった単純な話ではありません。食で守るべきは、
種類は「まんべんなく、バランスよく」 | |
量は「ほどほどに」 |
が鉄則であり、その前提の上で、
好きな食を存分に楽しむ |
ことでしょう。
2020-07-25 08:47
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No.286 - 運動が記憶力を改善する [科学]
No.272「ヒトは運動をするように進化した」の続きです。No.272 は、アメリカ・デューク大学のポンツァー准教授の「運動しなければならない進化上の理由」(日経サイエンス 2019年4月号)を紹介したものでした。この論文の結論を一言で言うと、
ということです。人は、より健康に過ごすために運動(=身体活動)をするのではなく、普通の健康状態で過ごすためには運動が必要なのです。論文の中では、運動が人の生理機能に良い影響を与えることがいろいろと書かれていましたが、その中に次の文章がありました。
我々は、運動が身体に及ぼす良い影響というと暗黙に、呼吸器系・循環器系(心肺機能)、体脂肪や筋肉、関節や骨密度、免疫機能つまり病気に対する抵抗力などを考えます。ざっくりと言うと、我々が「体力」という言葉で考える範疇についての運動の好影響です。
それは全くその通りなのですが、忘れてならないのは「脳に対する運動の影響」です。それは既に常識のはずで、たとえば介護施設などでは認知症予防のために(軽い)身体活動をやっています。しかし、話は介護施設や高齢者にとどまりません。もっと一般的に年齢や健康状態にかかわらず、身体活動は脳に良い影響を与えます。つまり運動は体力だけでなく「知力」にも関係している。我々は往々にして忘れがちなのだけれど、そこがポイントです。
最近の「日経サイエンス」に、「運動しなければならない進化上の理由」を継続するかたちで、ポンツァー准教授の共同研究者でもあるライクレン教授(David Raichlen。南カリフォルニア大学)の解説が掲載されました。「運動が記憶力を改善する理由」という論文です。今回は是非、それを紹介したいと思います。
成体脳もニューロンを生み出せる
我々は、脳の神経細胞は成人になると増えない、減っていくばかりだと思っています。皆ではないかもしれないが、何となくそう思っている人が多いのではないでしょうか。そういうことを読んだ記憶があるし、年齢を重ねて「昔と違ってモノ忘れをするようになったな」と感じたとき「やっぱり」と思う人もいるはずです。
しかし最新の科学的知見によると、それは違います。ライクレン教授の論文では、まずそのことが強調されています。
では、なぜ運動が脳に良い影響を与えるのでしょうか。
負荷に対する応答で機能が改善する
我々は「体に適度の負荷をかけると体が丈夫になる」ということを直感的に理解しています。つまり「負荷に対する応答」として体の機能が改善されたり、より良くなるわけです。
ウォーキングやランニング、各種のエクササイズで肺や心臓に負荷をかけると、肺活量が増え、酸素取り込み機能が向上し、脈拍数は低下し、心臓機能が向上し、疲れにくくなり、風邪をひきにくくなって病気からの回復力も増す。これは非常に分かりやすい話です。
このことから類推すると、運動が脳に良い影響を与えるとしたら、「運動は脳への負荷でもあり、その負荷に対する脳の応答として機能が向上する」と考えるのが自然です。しかし我々は「脳への負荷」というと、勉強をしたり、問題を解いたり、読書をしたり、パズルを考えたり、ゲームをしたり、いわゆる「脳トレ」をやったり ・・・・・・ といった、"頭を使う" ことを考えてしまいます。単なる運動が脳に負荷をかけるとは直感的には思えない。
そこが「違う」というのが著者の指摘です。脳の応答を引き出す負荷とは何かという疑問に答えるためには、運動に対する我々の考え方を変えるべきだと言います。
「思える」とか「ようだ」という表現になっているのは、運動の脳への影響の研究は比較的最近(この10年程度)のものであり、影響のメカニズムが生理学的、脳神経学的に完全には解明されていないからです。しかしこれが詳しくわかると、たとえば年齢を重ねても認知能力を低下させない運動とはどういうものか、といったことも明らかになるでしょう。以下、現在までにわかっていることを論文から引用します。
運動と脳の可塑性:動物実験
主として人間の脳を念頭に補足しますと、まずタイトルの「脳の可塑性」とは、特に発達期の脳においてニューロンの新生が起こったり、ニューロン間の接続が増えたり、逆に減ったり(使わない場合)が起こることを言います。ざっくり言うと「脳が変化すること」です。
「BDNF」(Brain-derived neurotropic factor。脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長を促すタンパク質で、学習・記憶・判断などの高度な脳機能を担当する部位に作用します。何種類かある神経栄養因子の中では最も強力なものです。引用にあるように、BDNFは網膜、腎臓、唾液腺、前立腺、歯の関連細胞などでも作られ、それらの機能の回復や向上を促すことも知られています。
さらに「海馬」(Hippocampus)です。Hippocampus はタツノオトシゴをも意味する言葉で、その名の通り、脳の海馬の形はタツノオトシゴと似ています。海馬は近時記憶を担い、また大脳皮質に蓄えられる長期記憶を形成します。いわば記憶の司令塔です。海馬は加齢とともに萎縮する傾向にあり、特にアルツハイマー病の患者は顕著です。また強いストレスで起こる「心的外傷後ストレス障害。PTSD。Post Traumatic Stress Disorder)」の患者も、海馬の萎縮が見られることが分かっています。
海馬は記憶だけでなく多様な機能を果たします。このブログで海馬に触れたことが3回ありました。一つは英国のディープマインド社(グーグルの子会社。AIの専門家集団)のCEOであるデミス・ハサビスの経歴で、彼は海馬の研究者です。No.174「ディープマインド」から再掲します。
2つ目のの海馬についての記事は、No.184「脳の中のGPS」です。人間(を含む哺乳類)の脳は "ナビゲーション機能" を持っています。つまり「自己の位置を把握する能力」で、この機能をになっているのが海馬です。これを発見した英国・ロンドン大学のオキーフ教授とノルウェー科学技術大学のモーザー夫妻は、2014年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
3番目は、No.211「狐は犬になれる」の「補記」に書いた話です。ロシアでは60年に渡ってキツネをイヌ化する(=家畜化する)交配実験が続けられてきました。イヌ化したキツネ、つまり人間になついて友好関係を持とうとするキツネの特徴はいろいろありますが、その一つは「海馬の神経細胞の新生スピードが普通のキツネの2倍」だということです。これは子どものキツネの特徴がそのまま残ったことを示します。
人間の脳は酸素が十分に供給されないと機能不全を起こし、場合によっては回復不可能になります。その酸素不足でまずダメージを受けるのは海馬だと言われています。つまりそれだけ重要な役割を果たしていることが想像できます。
運動と脳の可塑性:人での調査
動物実験によって、運動が海馬のニューロンの発生を促進することが分かってきたのですが、では人間ではどうなのか。それが次の引用です。
「適度あるいは激しい身体活動に従事する時間が長い人の海馬が大きい」としつつも、「このような効果がニューロンの新生や既存のニューロン間の接続の増加など脳の可塑性に関連しているかどうかはまだわからない」と、慎重に書かれています。マウスと違って人間の脳を解剖して調べるのは出来ないので、「人間でも、運動をするとニューロンの新生や既存のニューロン間の接続の増加が起こる」と断言はできないということでしょう。断言するためには高度な機器を使った実験が必要なはずです。
しかし、海馬の物理的な萎縮が記憶障害やPTSDと関係していることは明らかなので、逆に物理的な海馬の増大が認知機能の向上と結びつくことは容易に推定できます。さらに、運動が脳に与える良い影響は海馬だけではないようです。
「前頭前皮質」とは「前頭葉」の前の部分(額の方向)で、「前頭前野」とも呼ばれます。ここは「実行機能」をつかさどる部分です。つまり、対立する考えや葛藤を識別したり、現在の行動によってどのような結果が生じるかを予測したり、行動を切り替えたり、ルールを維持しつつ課題を遂行したり、新しい行動パターンの習得したりといったことを行います。一言でいうと「思考」と「行動」の制御であり、ヒトをヒトたらしめている部分とも言えるでしょう。その「前頭前皮質」を運動(有酸素運動)が強化するというのは、大変に重要なことです。
運動が脳に良い理由:進化人類学の見解
次に著者は、運動が脳に良い影響を与える理由を進化人類学の観点から説明しています。理由には2つあって「2足歩行」と「狩猟採集」です。
「歩行が脳に負荷を与える」とは、我々は普通考えません。何も考えることなく歩けるからです。しかし歩行が脳の複雑な制御の結果であることは、2足歩行ロボットを考えれば類推できます。1996年に本田技研が2足歩行ロボット、ASIMO を発表したとき、その完成度の高さに我々はびっくりしたわけですが(我々だけでなく世界のロボット研究者が仰天したわけですが)、なぜかと言うと2足歩行ロボットの制御が非常に難しく、それまで誰も ASIMO レベルの自然な歩行が実現できなかったからです。
進化人類学からみた、運動が脳に良い影響を与える理由の2つ目は「狩猟採集」です。以下の引用に出てくる "ホミニン" とは、絶滅種を含む人類(ホモ属)の総称です(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。
狩猟採集に必要な「2足歩行による長距離移動」のためには長時間の有酸素運動が必要です。狙った動物をどこまでも追いつめていって、動物が弱ったところを仕留める "持久狩猟" などはその典型です(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。「ヒトは有酸素運動に適応した種」であり、「ヒトの体は多くの有酸素運動を行うことを前提にしている」とも言えるでしょう。さらに狩猟採集のときの有酸素運動は、次の説明にあるように「認知活動を行いながらの有酸素運動」です。
認知機能を担う脳の発達は、長時間の有酸素運動を行えるという身体能力の発達と並行して起こった。このことが「運動が認知能力の向上の役立つ」ことの進化人類学的な見方です。
著者は「加齢に伴って進む脳の萎縮とそれに付随する認知機能の低下は、運動不足になりがちな生活習慣に関連している可能性がある」とまで言っています。我々は生活習慣病と言うと、動脈硬化、高血圧、糖尿病などを思い浮かべますが、「認知症(のある部分)も生活習慣病(の可能性がある)」ということでしょう。
「頭を使いながらの運動」仮説
上の引用にあるように、人類が200万年間続けてきた狩猟採集は「認知機能を働かせながらの有酸素運動」が必要でした。このことから類推すると、現代人が行う健康維持のための運動について、
との考えが浮かびます。これを「頭を使いながらの運動仮説」と呼ぶとします(著者の言葉ではなく、いま仮につけた名前です)。著者はこの仮説を立証しようとしています。まだ研究の端緒ですが、次のような例が報告されています。
「認知的刺激の多い環境へのアクセスを運動と組み合わせたマウス」の具体的な説明がないので、どいういう実験かは不明です。迷路を抜けることと、回し車を交互にやるのでしょうか。それはできそうもないので、もっと複雑な実験でしょう。実験内容は分かりませんが、マウスで認知的刺激と運動が関係する結果が得られたということです。さらに人間でも研究もされています。
Nintendo Swich のソフトには「体を動かしながらゲームをする」タイプがいろいろあります(たとえば新垣結衣さんがCMをやった、"リングフィット アドベンチャー")。この手のゲームソフトは、認知症予防に最適なのかもしれません。「頭を使いながらの運動仮説」が立証されたとすると、面白いことになってくるでしょう。
ランニングをするなら
以降はこの論文の感想です。運動が脳に良いとは比較的言われることなので、運動が記憶力などの認知機能を高めるという主旨は理解しやすく、納得できました。
議論は最後に書かれている「頭を使いながらの運動仮説」です。これが正しいとすると、今後、たとえばフィットネスクラブでのエアロバイク(自転車こぎ)はゲームと組み合わせることになるでしょう。つまりバイクの前にビデオ画面があり、バイクのハンドルがゲームの操作機能を持つというイメージです。
そこまで考えなくても、ランニングやジョギングではどうでしょうか。最も頭を使いそうにないのは、ジムや自宅でランニングマシン(=トレッドミル)を使ってやるランです。何も考えなくてもできます。
逆に最も認知機能を働かせならのランニングは「クロスカントリー・ラン」です。舗装されていない野原や丘の小道を駆けめぐり、かつ怪我をせずに安全にやるには、無意識にせよ、かなり頭を使いそうです。
しかしクロスカントリー・ランを日常的にするわけにはいきません。日頃の運動となると、自宅の近辺で、公園の中や歩道、遊歩道、自転車・歩行者専用道をランすることになります。こういったランでも、人とぶつからないように注意が必要だし、タイムを計測しながらスピードやフォームを調整するとなると、それなりに頭を使っていそうです。コースを頻繁に変えると、もっと良いかも知れない。
ただ「頭を使いながらの運動仮説」が正しいと立証されたとしても、それが単純運動と比較してどの程度効果があるかが問題でしょう。解説の最初に書かれていたように「運動はそれだけで認知活動」なのです。ここが一番大切な気もします。
我々人間は高度な文明社会を築き上げ、世界を支配していると思っているけれど、その一方で DNA に継承されている「生理的な枠組み」に支配されています。その生理的な枠組みは進化の結果であり、人間の進化の最終段階であるこの200万年間は「狩猟採集」のライフスタイルでした。
農業が始まったのは約1万年前ですが(日本では3000年程度前)、その農業もかなりの身体活動が必要です。運動不足でも生活していける都市生活は高々100年程度の歴史しかなく、そんな短時間で人間の生理的枠組みは変わりようがありません。我々は、チンパンジーやゴリラのように(人間基準からすると)運動不足の生活を送っても生活習慣病とは無縁で健康に生きられる、というわけにはいかないのです(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。
そのことは、実は昔から理解されていたはずです。文武両道という言葉はそれに近いし、現代では学校における「勉学とスポーツの両立」でしょう。勉学=知的活動・認知的活動、スポーツ=身体活動、と置き換えれば、それは労働年齢のすべての人に言えることだし、高齢になっても当てはまります。そのことを改めて認識すべきだと思いました。
運動は自由選択ではなく、必須
ということです。人は、より健康に過ごすために運動(=身体活動)をするのではなく、普通の健康状態で過ごすためには運動が必要なのです。論文の中では、運動が人の生理機能に良い影響を与えることがいろいろと書かれていましたが、その中に次の文章がありました。
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我々は、運動が身体に及ぼす良い影響というと暗黙に、呼吸器系・循環器系(心肺機能)、体脂肪や筋肉、関節や骨密度、免疫機能つまり病気に対する抵抗力などを考えます。ざっくりと言うと、我々が「体力」という言葉で考える範疇についての運動の好影響です。
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最近の「日経サイエンス」に、「運動しなければならない進化上の理由」を継続するかたちで、ポンツァー准教授の共同研究者でもあるライクレン教授(David Raichlen。南カリフォルニア大学)の解説が掲載されました。「運動が記憶力を改善する理由」という論文です。今回は是非、それを紹介したいと思います。
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成体脳もニューロンを生み出せる
我々は、脳の神経細胞は成人になると増えない、減っていくばかりだと思っています。皆ではないかもしれないが、何となくそう思っている人が多いのではないでしょうか。そういうことを読んだ記憶があるし、年齢を重ねて「昔と違ってモノ忘れをするようになったな」と感じたとき「やっぱり」と思う人もいるはずです。
しかし最新の科学的知見によると、それは違います。ライクレン教授の論文では、まずそのことが強調されています。
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では、なぜ運動が脳に良い影響を与えるのでしょうか。
負荷に対する応答で機能が改善する
我々は「体に適度の負荷をかけると体が丈夫になる」ということを直感的に理解しています。つまり「負荷に対する応答」として体の機能が改善されたり、より良くなるわけです。
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ウォーキングやランニング、各種のエクササイズで肺や心臓に負荷をかけると、肺活量が増え、酸素取り込み機能が向上し、脈拍数は低下し、心臓機能が向上し、疲れにくくなり、風邪をひきにくくなって病気からの回復力も増す。これは非常に分かりやすい話です。
このことから類推すると、運動が脳に良い影響を与えるとしたら、「運動は脳への負荷でもあり、その負荷に対する脳の応答として機能が向上する」と考えるのが自然です。しかし我々は「脳への負荷」というと、勉強をしたり、問題を解いたり、読書をしたり、パズルを考えたり、ゲームをしたり、いわゆる「脳トレ」をやったり ・・・・・・ といった、"頭を使う" ことを考えてしまいます。単なる運動が脳に負荷をかけるとは直感的には思えない。
そこが「違う」というのが著者の指摘です。脳の応答を引き出す負荷とは何かという疑問に答えるためには、運動に対する我々の考え方を変えるべきだと言います。
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「思える」とか「ようだ」という表現になっているのは、運動の脳への影響の研究は比較的最近(この10年程度)のものであり、影響のメカニズムが生理学的、脳神経学的に完全には解明されていないからです。しかしこれが詳しくわかると、たとえば年齢を重ねても認知能力を低下させない運動とはどういうものか、といったことも明らかになるでしょう。以下、現在までにわかっていることを論文から引用します。
運動と脳の可塑性:動物実験
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主として人間の脳を念頭に補足しますと、まずタイトルの「脳の可塑性」とは、特に発達期の脳においてニューロンの新生が起こったり、ニューロン間の接続が増えたり、逆に減ったり(使わない場合)が起こることを言います。ざっくり言うと「脳が変化すること」です。
「BDNF」(Brain-derived neurotropic factor。脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長を促すタンパク質で、学習・記憶・判断などの高度な脳機能を担当する部位に作用します。何種類かある神経栄養因子の中では最も強力なものです。引用にあるように、BDNFは網膜、腎臓、唾液腺、前立腺、歯の関連細胞などでも作られ、それらの機能の回復や向上を促すことも知られています。
さらに「海馬」(Hippocampus)です。Hippocampus はタツノオトシゴをも意味する言葉で、その名の通り、脳の海馬の形はタツノオトシゴと似ています。海馬は近時記憶を担い、また大脳皮質に蓄えられる長期記憶を形成します。いわば記憶の司令塔です。海馬は加齢とともに萎縮する傾向にあり、特にアルツハイマー病の患者は顕著です。また強いストレスで起こる「心的外傷後ストレス障害。PTSD。Post Traumatic Stress Disorder)」の患者も、海馬の萎縮が見られることが分かっています。
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ヒトの海馬の位置。右脳と左脳に一つずつあり、小指ほどの大きさである。左の図は側面図(左が前)、右の図は正面図である。Wikipediaより。 |
海馬は記憶だけでなく多様な機能を果たします。このブログで海馬に触れたことが3回ありました。一つは英国のディープマインド社(グーグルの子会社。AIの専門家集団)のCEOであるデミス・ハサビスの経歴で、彼は海馬の研究者です。No.174「ディープマインド」から再掲します。
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2つ目のの海馬についての記事は、No.184「脳の中のGPS」です。人間(を含む哺乳類)の脳は "ナビゲーション機能" を持っています。つまり「自己の位置を把握する能力」で、この機能をになっているのが海馬です。これを発見した英国・ロンドン大学のオキーフ教授とノルウェー科学技術大学のモーザー夫妻は、2014年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
3番目は、No.211「狐は犬になれる」の「補記」に書いた話です。ロシアでは60年に渡ってキツネをイヌ化する(=家畜化する)交配実験が続けられてきました。イヌ化したキツネ、つまり人間になついて友好関係を持とうとするキツネの特徴はいろいろありますが、その一つは「海馬の神経細胞の新生スピードが普通のキツネの2倍」だということです。これは子どものキツネの特徴がそのまま残ったことを示します。
人間の脳は酸素が十分に供給されないと機能不全を起こし、場合によっては回復不可能になります。その酸素不足でまずダメージを受けるのは海馬だと言われています。つまりそれだけ重要な役割を果たしていることが想像できます。
運動と脳の可塑性:人での調査
動物実験によって、運動が海馬のニューロンの発生を促進することが分かってきたのですが、では人間ではどうなのか。それが次の引用です。
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「適度あるいは激しい身体活動に従事する時間が長い人の海馬が大きい」としつつも、「このような効果がニューロンの新生や既存のニューロン間の接続の増加など脳の可塑性に関連しているかどうかはまだわからない」と、慎重に書かれています。マウスと違って人間の脳を解剖して調べるのは出来ないので、「人間でも、運動をするとニューロンの新生や既存のニューロン間の接続の増加が起こる」と断言はできないということでしょう。断言するためには高度な機器を使った実験が必要なはずです。
しかし、海馬の物理的な萎縮が記憶障害やPTSDと関係していることは明らかなので、逆に物理的な海馬の増大が認知機能の向上と結びつくことは容易に推定できます。さらに、運動が脳に与える良い影響は海馬だけではないようです。
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「前頭前皮質」とは「前頭葉」の前の部分(額の方向)で、「前頭前野」とも呼ばれます。ここは「実行機能」をつかさどる部分です。つまり、対立する考えや葛藤を識別したり、現在の行動によってどのような結果が生じるかを予測したり、行動を切り替えたり、ルールを維持しつつ課題を遂行したり、新しい行動パターンの習得したりといったことを行います。一言でいうと「思考」と「行動」の制御であり、ヒトをヒトたらしめている部分とも言えるでしょう。その「前頭前皮質」を運動(有酸素運動)が強化するというのは、大変に重要なことです。
運動が脳に良い理由:進化人類学の見解
次に著者は、運動が脳に良い影響を与える理由を進化人類学の観点から説明しています。理由には2つあって「2足歩行」と「狩猟採集」です。
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「歩行が脳に負荷を与える」とは、我々は普通考えません。何も考えることなく歩けるからです。しかし歩行が脳の複雑な制御の結果であることは、2足歩行ロボットを考えれば類推できます。1996年に本田技研が2足歩行ロボット、ASIMO を発表したとき、その完成度の高さに我々はびっくりしたわけですが(我々だけでなく世界のロボット研究者が仰天したわけですが)、なぜかと言うと2足歩行ロボットの制御が非常に難しく、それまで誰も ASIMO レベルの自然な歩行が実現できなかったからです。
進化人類学からみた、運動が脳に良い影響を与える理由の2つ目は「狩猟採集」です。以下の引用に出てくる "ホミニン" とは、絶滅種を含む人類(ホモ属)の総称です(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。
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狩猟採集に必要な「2足歩行による長距離移動」のためには長時間の有酸素運動が必要です。狙った動物をどこまでも追いつめていって、動物が弱ったところを仕留める "持久狩猟" などはその典型です(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。「ヒトは有酸素運動に適応した種」であり、「ヒトの体は多くの有酸素運動を行うことを前提にしている」とも言えるでしょう。さらに狩猟採集のときの有酸素運動は、次の説明にあるように「認知活動を行いながらの有酸素運動」です。
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認知機能を担う脳の発達は、長時間の有酸素運動を行えるという身体能力の発達と並行して起こった。このことが「運動が認知能力の向上の役立つ」ことの進化人類学的な見方です。
著者は「加齢に伴って進む脳の萎縮とそれに付随する認知機能の低下は、運動不足になりがちな生活習慣に関連している可能性がある」とまで言っています。我々は生活習慣病と言うと、動脈硬化、高血圧、糖尿病などを思い浮かべますが、「認知症(のある部分)も生活習慣病(の可能性がある)」ということでしょう。
「頭を使いながらの運動」仮説
上の引用にあるように、人類が200万年間続けてきた狩猟採集は「認知機能を働かせながらの有酸素運動」が必要でした。このことから類推すると、現代人が行う健康維持のための運動について、
認知機能を働かせながらの運動の方が、そうでない単純な運動よりも、より脳への良い影響(脳神経の新生、ニューロン間の結合強化)がある
との考えが浮かびます。これを「頭を使いながらの運動仮説」と呼ぶとします(著者の言葉ではなく、いま仮につけた名前です)。著者はこの仮説を立証しようとしています。まだ研究の端緒ですが、次のような例が報告されています。
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「認知的刺激の多い環境へのアクセスを運動と組み合わせたマウス」の具体的な説明がないので、どいういう実験かは不明です。迷路を抜けることと、回し車を交互にやるのでしょうか。それはできそうもないので、もっと複雑な実験でしょう。実験内容は分かりませんが、マウスで認知的刺激と運動が関係する結果が得られたということです。さらに人間でも研究もされています。
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Nintendo Swich のソフトには「体を動かしながらゲームをする」タイプがいろいろあります(たとえば新垣結衣さんがCMをやった、"リングフィット アドベンチャー")。この手のゲームソフトは、認知症予防に最適なのかもしれません。「頭を使いながらの運動仮説」が立証されたとすると、面白いことになってくるでしょう。
ランニングをするなら
以降はこの論文の感想です。運動が脳に良いとは比較的言われることなので、運動が記憶力などの認知機能を高めるという主旨は理解しやすく、納得できました。
議論は最後に書かれている「頭を使いながらの運動仮説」です。これが正しいとすると、今後、たとえばフィットネスクラブでのエアロバイク(自転車こぎ)はゲームと組み合わせることになるでしょう。つまりバイクの前にビデオ画面があり、バイクのハンドルがゲームの操作機能を持つというイメージです。
そこまで考えなくても、ランニングやジョギングではどうでしょうか。最も頭を使いそうにないのは、ジムや自宅でランニングマシン(=トレッドミル)を使ってやるランです。何も考えなくてもできます。
逆に最も認知機能を働かせならのランニングは「クロスカントリー・ラン」です。舗装されていない野原や丘の小道を駆けめぐり、かつ怪我をせずに安全にやるには、無意識にせよ、かなり頭を使いそうです。
しかしクロスカントリー・ランを日常的にするわけにはいきません。日頃の運動となると、自宅の近辺で、公園の中や歩道、遊歩道、自転車・歩行者専用道をランすることになります。こういったランでも、人とぶつからないように注意が必要だし、タイムを計測しながらスピードやフォームを調整するとなると、それなりに頭を使っていそうです。コースを頻繁に変えると、もっと良いかも知れない。
ただ「頭を使いながらの運動仮説」が正しいと立証されたとしても、それが単純運動と比較してどの程度効果があるかが問題でしょう。解説の最初に書かれていたように「運動はそれだけで認知活動」なのです。ここが一番大切な気もします。
我々人間は高度な文明社会を築き上げ、世界を支配していると思っているけれど、その一方で DNA に継承されている「生理的な枠組み」に支配されています。その生理的な枠組みは進化の結果であり、人間の進化の最終段階であるこの200万年間は「狩猟採集」のライフスタイルでした。
農業が始まったのは約1万年前ですが(日本では3000年程度前)、その農業もかなりの身体活動が必要です。運動不足でも生活していける都市生活は高々100年程度の歴史しかなく、そんな短時間で人間の生理的枠組みは変わりようがありません。我々は、チンパンジーやゴリラのように(人間基準からすると)運動不足の生活を送っても生活習慣病とは無縁で健康に生きられる、というわけにはいかないのです(No.272「ヒトは運動をするように進化した」参照)。
そのことは、実は昔から理解されていたはずです。文武両道という言葉はそれに近いし、現代では学校における「勉学とスポーツの両立」でしょう。勉学=知的活動・認知的活動、スポーツ=身体活動、と置き換えれば、それは労働年齢のすべての人に言えることだし、高齢になっても当てはまります。そのことを改めて認識すべきだと思いました。
2020-05-30 08:09
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No.276 - AIの "知能" は人間とは違う [科学]
いままで合計16回書いたAI(人工知能)についての記事の続きです。まず、No.196「東ロボにみるAIの可能性と限界」を振り返るところから始めます。No.196 で紹介した「ロボットは東大に入れるか」プロジェクト(略称:東ロボ)の結論は、
というものでした(MARCH = 明治、青山学院、立教、中央、法政。関関同立 = 関西、関西学院、同志社、立命館)。つまりこのプロジェクトは「AIの可能性と限界を実証的に示したもの」と言えるでしょう。あくまで大学入試という限られた範囲です。しかし大学入試は10代後半の人間の知的活動の成果を試す重要な場であり、その結果で人生が左右されることもあるわけです。"人工知能" の実力を試すにはうってつけのテーマだったと思います。
では、なぜ東大合格は無理なのか。それは東ロボくんには得意科目もあるが、不得意科目があるからです。たとえば数学では、東大理科3類を受験する子なみの偏差値を出しました。しかし不得意もあって、その典型が英語のリスニング、「バースデーケーキの問題」でした(No.196 の「補記」参照)。この問題において東ロボくんは、英語を聞くことは完璧にできました(=音声認識技術)。しかし質問が「できあがったケーキはどれか、4つのイラストから選びなさい」だったため、そこが全くできなかった。国立情報学研究所の方の「絶対に無理」とのコメントがありました。「今のAIの方法論では今後とも絶対に無理」の意味です。要するに No.196 の「バースデーケーキ問題は」、
の複合問題であり、東ロボくんは ① が完璧、② が手も足も出ないという状況だったわけです。AIの可能性と限界を示す象徴的な例です。
そこで次の段階として、疑問が出てきます。
という疑問です。AIを "人工知能" と言うなら、その "知能" は "人間の知能" と似たようなものか、あるいは異質なものなのか ・・・・・・。
No.196 で東ロボ・プロジェクトのリーダの新井教授は「AIは意味を理解しない」と言っていました。人間が無意識にやっている「意味を理解する」とは非常に広範囲なことですが、たとえば、ある内容の記述を読んだり、発言を聞いたりしたときに、
などでしょう。もっとあると思います。もちろんその全部ではないでしょうが、人は多かれ少なかれ、そういうことを暗黙に想定しつつ記述を読み、発言を聞き、コミュニケーションをしています。意味を理解することこそ人間の価値であり、逆に言うと「意味を理解しないで過ごしているばかりだと、いずれ AI に取って代わられる」という警告でした。
では、「AIは意味を理解しない」こと以外に、AIの "知能" が人間と違うところはあるのでしょうか。そのことについて、理化学研究所・上級研究員の瀧 雅人氏が最近の雑誌に大変わかりやすい解説を書かれていましたので、是非、それを紹介したいと思います。「騙されるAI」(日経サイエンス 2020年1月号)という記事で、「騙す・騙される」という切り口から人間とAIの相違、人間にとってのAIの意味を明らかにしたものです。
以降の話は、AIに使われる各種の手法(ないしは数学モデル、アルゴリズム)のうち、ディープラーニングに話を絞ります。ディープラーニングは、2010年代の「AIブーム」の火付け役となったものです。まず、瀧 雅人氏の解説を紹介する前に、ディープラーニングの概要を振り返ってみたいと思います。各種メディアで大量に流されている情報ですが、あとの瀧氏の解説に関係する部分を要約します。
深層学習(ディープラーニング)の発展
AIに使われる手法は各種ありますが、現在のAIのブレークのきっかけになったのは深層学習(ディープラーニング)の実用化に成功したことでした。この技術革新をもたらしたのが、業界では "カナディアン・マフィア" と呼ばれるモントリオール大学教授のヨシュア・ベンジオ、トロント大学名誉教授のジェフリー・ヒントン、現フェイスブックのチーフAIサイエンティストのヤン・ルカンでした。彼らは "AIの冬の時代" にも地道に研究を重ね、ディープラーニングに関する数々の技術的困難を克服してきました。
【画像認識】 業界が衝撃を受けたのは2012年のILSVRC(Image-net Large-scale Visual Recognition Challenge)です。これは与えられた画像に何が写っているかを1000種の中から答えるというものです(= 一般物体認識)。このコンテストに参加したトロント大学のヒントン教授のチームは、ディープラーニングを使い、それまでの誤認識率を一挙に10ポイントも改善する 16% という値を達成しました。それまでは数年で1~2%の改善だったことを思うと、これは革新的です。その後も精度は急激に向上し、2015年あたりでは 5% 程度にまで低下しました。これは人間の画像認識能力の平均値を越えています。
【音声認識】 画像認識とともにディープラーニングの成果が最初に現れたのは音声認識です。これについては瀧 雅人氏の解説を引用します。
【自動翻訳】 ディープラーニングが発展したもう一つが自然言語処理(Natural Language Processing。NLP)の分野で、その典型的な例は自動翻訳です。自動翻訳にディープラーニングを取り入れたのはグーグル翻訳が最初ですが、その精度は年々向上し、多くの自動翻訳システムがディープラーニングを取り入れるようになりました。
【読解力】 その自動翻訳のための基礎技術の一つが読解力です。No.234「教科書が読めない子どもたち」で、国立情報学研究所の新井教授が主導した RST(Reading Skill Test)を紹介しましたが、RSTは読解力(基礎的読解力)判定するものです。RSTは基礎的読解力を「係り受け」「照応解決」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」にわけて測定するものですが、「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の3つはまだまだAIにとって困難な問題です。しかし「係り受け」「照応解決」についてはAIが好成績をあげています。
読解力をテストするベンチマーク問題に SQuAD(Stanford Question and Answer Dataset)があります。これはスタンフォード大学が整備しているデータベースで、Wikipediaの例文をもとに、例文に関する質問と答(すべて英文のテキスト)が集積されています。RSTの基礎的読解力で言うと「係り受け」と「照応解決」に相当しますが、ある程度の「推論」が必要な問題もあるようです。
2018年1月、マイクロソフト・リサーチのディープラーニング・システムが、SQuADのベンチマークで(その当時の)人間の平均値(82.3点)を初めて上回りました。その後、2019年に至って90点に迫るディープラーニング・システムも出現しています。あくまで基礎的読解力の一部の範囲ですが、AIはそういう実力だということです。
以上の画像認識、音声認識、自動翻訳だけでなく、ディープラーニングは多くの分野で突出した成果をあげています。それは商用だけでなく、医療、創薬、新素材開発、天文学などの研究開発分野にも広がっています。
ディープラーニングは説明可能ではない
ディープラーニングで重要なことは、問題から正解を導く方法や筋道、アルゴリズムを人間が教えたのではないことです。あくまで「問題と正解のデータ」を大量に集め、それをディープラーニングを実装したコンピュータ・システムに学習させたものです。
ここから言えることは、ディープラーニングが答えを出したとしても、なぜそうなるのかの理由が説明できないということです。その例として、No.180「アルファ碁の着手決定ロジック」で取り上げた英国・ディープマインド社のアルファ碁(=2015年末当時のアルファ碁)で言いますと、policy newtwork によって碁のエキスパートが次に打つだろう点の確率を計算し、A点が 0.6、その1路横のB点が 0.2 になったとき、なぜA点の方が有力かの説明をアルファ碁はしないわけです。人間ならたとえば「B点は相手の厚みに近寄り過ぎているので、ここは1路控えたA点が正解」というように理由を説明するわけです。さらには「敗勢なら一歩踏み込んだB点で勝負をかけるのもありだが、今は状勢が拮抗しているのでA点に打つべき」と付け加えるかも知れません。そういった「説明」がAIはできない。
これは、ディープラーニングはブラックボックスだから、というのではありません。アルファ碁のアーキテクチャは明確であり、そこでどういうパラメータが使われているのか、(アルファ碁の開発者なら)調べようと思えばいくらでも調べられるからです。しかしアルファ碁のパラメータは No.180 で試算したように約388万個もあります。それがどのように影響し合って答えを導くのか、膨大すぎて人間には理解しがたいのです。
要するにディープラーニングは「なぜだか明確には説明できないが、答は結構正確」なのです。もちろんそれで有益な場合があることは確かです。人間が思いつかないような(ないしは見落としているような)答を出し、それを人間が検証して有効活用できればよい。しかしこのままでは真に重要な決定をディープラーニングに任せてしまうことはできません。この点を克服するため、現在「説明可能なAI」が世界の研究者の間でのホットな研究テーマになっています。
ディープラーニングを騙す
以上のことを踏まえて、瀧 雅人氏の「騙されるAI」(日経サイエンス 2020年1月号)を見ていきたいと思います。ディープラーニングがブレイクするきっかけとなった画像認識(一般物体認識)の話です。
瀧氏の解説ではまず、一般物体認識を行うディープラーニングを "騙せる" ことが述べられています。意図的に作ったデータでディープラーニングを騙すことを「敵対的攻撃」と言い、騙されたデータを「敵対的事例」と言います。瀧氏はそれを、自ら中国で撮影したパンダの画像とオックスフォード大学が開発したディープラーニングでやってみました。
まず、元の画像をディープラーニングに入力すると「パンダである確率が99.997%」が出力されました。これは妥当な結果です。
次に、元の画像にディープラーニングを騙す目的で作った「敵対的ノイズ」を薄くかぶせると「81.576%の確率で雄羊」と判断されました(敵対的事例 ①)。
さらに、画像の一部に別の画像を張り付けても「89.445%の確率で雄羊」と判断しました(敵対的事例 ②)。
画像全体の色調を変化させるという敵対的攻撃もあります。この例では「51.0706%の確率でテディベア」と判断するようになりました(敵対的事例 ③)。
もし人間が「敵対的事例 ① ② ③」の画像を見たとしたら、たとえ保育園児であっても全員が口をそろえて「パンダ!!」と答えるに違いありません。ここから類推できることは、
ということです。保育園児でも簡単に答えられることに間違ってしまうのだから ・・・・・・。
ディープラーニングは、いかにも人間がモノを認識しているように認識するように見えます。しかも人間より優れている面も多いわけです。たとえば自動車の運転を考えると、人間が 0.1 秒で障害物を認識できたとして、ディープラーニングが 0.01 秒だと、この差は事故回避行動の観点からクリティカルになるでしょう。さらにディープラーニングは疲れないし、意識レベルが下がることもないし、意識が一瞬飛ぶこともない。この技術を今後の社会に有効に活用しない手はないのです。
しかし、ディープラーニングはどうも人間が認識しているように認識しているのではなさそうです。このことが悪影響を及ぼさないのか、何らかの副作用につながらないのか。ディープラーニングは結構正確だが突如誤った答えを出さないのか。この点をよく研究しておく必要があるわけです。
騙す方法
どうすれば敵対的攻撃でディープラーニングを騙せるのでしょうか。瀧氏の解説では一般物体認識を例に「騙す方法」の簡単な例が書かれています。
今、画像のサイズを 100 × 100 ピクセル、合計 10,000 ピクセルの白黒画像だとします。各ピクセルは、たとえば 0(白)~255(黒)の256階調の値が指定されているわけです。ここにパンダの顔の画像があり、この画像はディープラーニングで 99.9% の確率で「パンダ」と判定されるとします。
この画像にノイズを加えます。このノイズは 100 × 100 ピクセルで、各ピクセルは +3 か -3 のどちらかです。このノイズを元の画像に足し合わせるわけです(もちろん 0~255 の範囲に収めるような補正が必要)。この程度のノイズを加えても人間の眼にとっては元の画像と全く区別がつきません。このノイズの中で「ディープラーニングがパンダとかけ離れた判定をするノイズ」を探索するというのが眼目です。
ノイズは10,000 の各ピクセルが +3 か -3 のどちらかの値をとります。従ってノイズのパターンは 210000 種類あり、これは3,000桁を越える超天文学的に巨大な数です。全部のパターンを調べるのは到底不可能です。しかし敵対的攻撃をするためには、全部のパターンを調べる必要は全くありません。瀧氏は次のように解説しています。
つまり、数学的に言うと大変にシンプルなやり方で敵対的攻撃ができることになります。
しかし、FGSMは「出力が一番おかしな方向にずれていくようなノイズを、微分法を利用して近似的に計算」するものであり、このためにはディープラーニングの内部構造とパラメータを知らなければなりません。内部を知った上の攻撃という意味で、このような攻撃を「ホワイトボックス攻撃」と呼んでいます。
「ホワイトボックス攻撃」を防ぐためには、ディープラーニングの内部構造を隠してしまい、入力・出力のインターフェース仕様(API。Application Program Interface)だけを公開すればよいわけです。グーグルや日本のプリファード・ネットワークスが一般公開しているディープラーニングは APIの公開方式になっています。しかしこれでも騙せるのです。
もちろん、攻撃をかわすための防御アルゴリズムも研究されています。たとえば敵対的事例も含めて予測できるように学習するという「敵対的学習」です。こうすることによって、あらかじめ学習させた敵対的事例については間違いが起こらなくなります。
しかし敵対的学習を行ったあとのディープラーニングに対して、新たな敵対的攻撃アルゴリズムを使ってノイズを生成することは可能であり、新たな敵対的事例ができることになります。新手の敵対的事例では再び間違いが起こる。
その他、数々の防御アルゴリズムが開発されていますが、それぞれに対する攻撃手法もまた開発されています。要するに「いたちごっこ」であり、現時点では完璧な防御策はありません。現在、世界の研究者がより幅広い攻撃を効果的に防ぐことができるアルゴリズムを探求しているところです。
騙される理由が分からない
なぜディープラーニングは騙されてしまうのでしょうか。これについて瀧氏は次のように書いています。
ディープラーニングついて「動作メカニズムがわかっていないにもかかわらず敵対的事例が作れてしまう」ことは、実は「動作メカニズムがわかっていないにもかかわらず結構正しい答を出す」ことの裏返しの関係にあるのですね。
上の引用にあるように、騙される理由はわかっていないのが現状です。ただし、確定的なことは言えないけれども「次元の呪い」が関係しているというのが多くの研究者の共通認識です。
次元の呪い
「次元の呪い」とは、高次元空間で我々の幾何学的な直感が破綻する現象を指します。これを瀧氏は以下のように説明しています。
まず2次元の場合で、1辺の長さが6の正方形を考えます。座標上に描いたのが右図です。正方形の中心から頂点までの距離はピタゴラスの定理より
(2次元) 3√2 = 4.24
となります。次に3次元の立方体(1辺の長さが6)を考えると、立方体の中心から頂点までの距離は、直角を挟む2辺の長さが 3√2 と 3 の直角三角形の斜辺の長さなので、
(3次元) 3√3 = 5.20
となります。つまり、2次元の場合より距離が少し長くなります。座標で計算すると、3次元の場合、8つの頂点の座標は(±3, ±3, ±3)なので、原点である (0, 0, 0) との距離は 32 * 3 の平方根であり、3√3 となるわけです。
これを拡張し、高次元空間(N 次元)の1辺6の超立方体ではどうなるでしょうか。図形的には計算できないので座標で考えると、3次元の場合を拡張し、中心と頂点の距離は 32 * N の平方根となります。つまり、
(N次元) 3√N
です。もし N = 10000 だとすると、距離は
(10000次元) 3√10000 = 300
となります。低次元では中心からそう遠くない距離にあった頂点が、高次元では格段に遠くなってしまう。これが典型的な「次元の呪い」です。この「次元の呪い」によって敵対的ノイズが結果に大きく影響すると考えられているのです。
ディープラーニングは人間の思考とは違う
ディープラーニングが騙される本質的な理由は現状では解明されていません。しかし、理由はともかくここから分かることは、どうもディープラーニングは人間とは違うようだ、ということです。
ディープラーニングは人間とは別の方法で認識し、理解していて、その認識方法・理解方法が解明されていない。このことはディープラーニングの社会応用に深刻な障害となります。これを瀧氏は、
という "寓話" で説明しています。卓抜な比喩だと思ったので、次に紹介します。
ディープラーニングで惑星の運動を予測する
天動説と地動説に関する歴史の振り返りです。コぺルニクス以前の天動説では、地球が中心にあり、その周りを太陽と惑星が回っているという宇宙像でした。もちろん、惑星の位置を詳しく観測すると単純に回っているのではない結果が得られます。つまり惑星は天球上を立ち止まったり、バックしたり、再び方向を変えて進むというような不規則な運動をするのです(惑星の "惑" とはそういう意味です)。
天動説では、この惑星の不規則な運動を「周転円」で説明していました。つまり惑星はそれ自身がある中心の周りを回っており、その中心が地球の周りを回っているという説明です(これ以外にも人為的な仮説がいろいろある)。
これに対してコペルニクスは、地球を含む惑星が太陽の周りを回っているという地動説を唱えました。これによって惑星の不規則な動きを説明したのです。ただしコペルニクスは惑星の軌道を円と考えていたため、その説明には限界がありました。
それを解決したのがケプラーです。ケプラーは精密な観測データをもとに、惑星の軌道が円ではなく楕円であることを証明しました(ケプラーの第1法則)。これによって惑星の動きは完全に説明できたのです。
さらにニュートンは万有引力の法則を発見し、2つの物体には質量に比例し距離の2乗に反比例する引力が働くことを示しました。この法則と運動方程式を組み合わせることで、惑星は太陽の周りを楕円軌道で回り、太陽は楕円の焦点にあることが数学的に証明できます。以上の、コペルニクス → ケプラー → ニュートンの発見は、科学史の偉大な成果であることは言うまでもありません。
そこでもし、現代においても地動説が確立していず、惑星の運動の予測にディープラーニングを使ったらどうなるかです。もちろん、過去の惑星の「時刻・位置データ」が膨大に蓄積されているという前提です。これをディープラーニングに学習させ、そして直近の惑星の運動を入力して今後の運動を予測する。
これは画像認識のためのディープラーニングとは種類が違います。時系列の数値データを入力し、そこから予測をしたり、傾向を把握したりするタイプのディープラーニングです。現代では音声認識、株価の予測、機械の動作状況からの異常検知などに使われています。このディープラーニングで惑星の運動を予測したらどうなるか。
惑星の軌道を精緻に予測するディープラーニングの中身をいくら調べてみても「惑星は太陽の周りを楕円軌道で公転する」という知見は得られないでしょう。コペルニクス以前の学者のように「周転円」のような人為的な仮説を満載した天動説で強引に計算しているだけかもしれないのです。
AIと人間の共存
以上のようなディープラーニングの現状を踏まえて、瀧氏は次のように総括しています。
上の引用に出てくる「オッカムの剃刀」とは、「あることを説明するためには、必要以上に多くの仮定をすべきでない」という指針ですね。オッカムは中世ヨーロッパの哲学者の名前、剃刀とは説明に不要なものを切り落とすことの比喩です。
シンプルな原理によって全てを説明するというのが科学の立場(ないしは野望)ですが、ディープラーニングはそれとは違う立場の科学の発展の可能性がある、というが瀧氏の予感です。あくまで、そういう可能性も考えられるということなのですが、これがディープラーニングがもつ重要な意味でしょう。
AIは人間の知能を上回る?
以下は瀧氏の解説を読んだ感想です。
よく「20XX年にはAIの知能が人間を上回る」というようなことを言う人がいます。しかし、この手の発言がどのような実証的研究に基づいてなされているのか、はなはだ不明です。人を驚かせようとする無責任な発言に思える。
こういうこと言うためには、最低限、① 人間の知能とはなにか、それはどういう原理やプロセスで生み出されるのか、② AIの知能とは何か、それが生み出されるプロセスは人間と同じなのか、それとも違っているのか、という2点の説明がなければなりません。
しかし現時点において、① の人間の知能が解明されているわけでは全くありません。また ② の(現在における)AIの知能は瀧氏が解説しているように、人間の知能とは別種のものである可能性が極めて高いわけです。「人間とは別種のものが人間を追い越す」というは奇妙な言説です。
もちろん特定のエリアでは、AIの方が人間より遙かに速く、正確に答えを出すことがあるでしょう。しかしそれは、たとえて言うと「走るスピードではクルマが人間を追い越す」というのに近い。クルマが走る原理は人間と全く違います。人間はそのスピードを最大限に利用して現代生活が成り立っている。もちろんクルマに頼り過ぎると運動不足に陥り、生活習慣病を発症したりしてまずいことになるわけで、その配慮が必要なことは言うまでもありません。同様のことはAIについても言えるでしょう。
瀧氏の文章は、ディープラーニングという範囲でAIと人間の違いを明らかにしたよい解説だと思いました。ディープラーニングの本質を見極める基礎研究や、ディープラーニングの答の理由を「説明可能にする」研究によって、人間のAIとのつきあい方が決まっていくし、人間とAIの共存方法が見えてくるのだと思いました。
この記事の本文で、米国のスタンフォード大学が AIのベンチマークのために作成している SQuAD(The Stanford Question Answering Dataset)のことを書きました。これは「例文・質問・回答データベース」です。まず例文があり、それについての質問と回答が複数あります。すべて英文のテキストデータです。回答の中には "No Answer"、つまり答えがない(=例文の情報だけでは答えられない)ものもあります。
この SQuAD がどういうものか、その問題例を以下に掲載します。最新の「SQuAD 2.0」の問題の一つで、ライン河に関するものです(2020.1. 現在。https://rajpurkar.github.io/SQuAD-explorer/)。単位系の記述を分かりやすいように修正しました。
自然言語処理を行うAIシステムとしては、質問1では北海(the North Sea)とオランダ(the Netherlands)の関係を把握しなければなりません。また質問2では「after the Danube」という記述をもとに、ライン河より長いのがドナウ河と判断する必要があります。
なお、この例文には12の質問が設定されていますが、そのうちの5つは「No Answer」が正解です。
この記事の本文で、AIが不得意な大学入試問題の典型が「英語のリスニングの結果をイラストの選択で答える」ものだとしました。その実際の問題を掲げます。2019年度 センター本試験、英語リスニング問題の「第1問 問1」です。
羽の生えた野菜を選べばよいので、正解は言うまでもなく ② です。受験生としては、ICレコーダから流れる英語音声を聞き取ることさえできれば(特に vegetable と wings)間違えようのない問題です。
一方、AIはどうかと言うと、英語音声をリスニング台本と質問文に変換するのは容易です。全く雑音がない環境での明瞭な英語なので、この程度の音声認識は現代のAI技術では完璧にできるのです(でないとAIスピーカなど実用化できません)。
しかしそのあとが無理です。これをディープラーニングで回答しようとすると「羽の生えた野菜」含むイラストデータを大量に用意し、それを学習しなければなりません。しかし、そんなイラストの学習データを大量に用意できるはずがないのです。
もちろんセンター試験の受験生にとっても「羽の生えた野菜」のイラストを見るのは生まれて初めてでしょう。全く初めてではないかもしれませんが、過去に(絵本などで)似たイラストを見たことなど忘れているはずで、「生まれて初めて」と同じことです。生まれて初めてではあるが、リスニングができた受験生は間違えることなく答えられるのです。
AIにとって「羽の生えた野菜」を識別するのが困難なら、では「野菜」と「羽」を識別してそれが含まれるイラストを答えたらどうか。しかし、これも難しいでしょう。「野菜」にはたくさんの種類があります。「野菜」か「野菜でない(たとえば果物)」を識別するのが簡単とは思えない。しかも、実物の画像ではなくイラストです。イラストはイラストレーターがモノの特徴をとらえて(ある場合はデフォルメをして)恣意的に描くものです。たとえイラストを大量に集めたとしても有効なディープラーニングの学習はできないでしょう。しかもセンター試験の問題にあるように、ニンジンに目・鼻・口・手・足があってもそれはなおかつニンジンなのであり、そんな "高度な" 認識がAIで簡単に行くとは思えません。
100歩譲って「野菜」と「羽」のイラストを認識できるディープラーニングができたとしましょう。しかし苦労してそんなものを作ったとしても使い道がありません。なぜなら、センター試験に「羽の生えた野菜」が出るのは2019年度の1回きりだからです。次年度は「足の生えた飛行機」かもしれないし、そもそもマンガのキャラクターに関する会話がリスニングに出るのはこれっきりかもしれません(いや、センター試験なので "これっきり" のはずです)。
世の中に絶対に存在しないもののイラストは無限に考えられます。しかし受験生は常識推論でそれを理解します。常識推論で簡単に答えられるからこそ出題されるのであって、常識で簡単に答えられないようだとリスニング能力をテストするという主旨から逸脱してしまうのです。
センター試験の受験生が100%できることが、現代のAI技術では全く歯が立たない。そういう例なのでした。
本文中にディープラーニングを使った画像認識を騙せることを書きましたが、同様の原理で音声認識も騙せるようです。アマゾンの「エコー」やグーグルの「グーグル・ホーム」は、ネットに繋がった音声認識技術によって人間の指示を理解し、サービスを提供します。筑波大学の佐久間淳教授(=理化学研究所・人工知能セキュリティ・プライバシーチーム リーダー)は社会に警鐘を鳴らすため、スマートスピーカーを騙す実験を行いました。
この記事を読んでまず思ったのは、佐久間教授はクラシック音楽好きだということです。あるいは、人間の耳はチェロの音が最もノイズを判別しにくいということを試行から決めたのかもしれません。
それはともかく、この実験から直ちに「エコー」や「グーグル・ホーム」を騙せるということにはなりません。商用化されているスマートスピーカーは、ディープラーニングの内部構造が公開されていないからです。しかし最近のAI研究では、内部構造を知らなくても敵対的攻撃が可能な手法(=ブラックボックス攻撃)が開発されています。「警鐘を鳴らす」ための実験としては、大いに意味があると思いました。
そしてこの件もまた画像認識と同様、音声を認識するAIの "知能" が人間の知能とは違うことを示しているのでした。
東ロボくんは、"MARCH"、"関関同立" の特定学部に合格できるレベル | |
ただし、東大合格は無理 |
というものでした(MARCH = 明治、青山学院、立教、中央、法政。関関同立 = 関西、関西学院、同志社、立命館)。つまりこのプロジェクトは「AIの可能性と限界を実証的に示したもの」と言えるでしょう。あくまで大学入試という限られた範囲です。しかし大学入試は10代後半の人間の知的活動の成果を試す重要な場であり、その結果で人生が左右されることもあるわけです。"人工知能" の実力を試すにはうってつけのテーマだったと思います。
では、なぜ東大合格は無理なのか。それは東ロボくんには得意科目もあるが、不得意科目があるからです。たとえば数学では、東大理科3類を受験する子なみの偏差値を出しました。しかし不得意もあって、その典型が英語のリスニング、「バースデーケーキの問題」でした(No.196 の「補記」参照)。この問題において東ロボくんは、英語を聞くことは完璧にできました(=音声認識技術)。しかし質問が「できあがったケーキはどれか、4つのイラストから選びなさい」だったため、そこが全くできなかった。国立情報学研究所の方の「絶対に無理」とのコメントがありました。「今のAIの方法論では今後とも絶対に無理」の意味です。要するに No.196 の「バースデーケーキ問題は」、
英語のリスニング | |
イラストを見て答える常識推論 |
の複合問題であり、東ロボくんは ① が完璧、② が手も足も出ないという状況だったわけです。AIの可能性と限界を示す象徴的な例です。
そこで次の段階として、疑問が出てきます。
AIが人間と同等にできる、あるいは人間以上にできることについて、AIと人間の違いがあるのか、あるとしたらそれは何か
という疑問です。AIを "人工知能" と言うなら、その "知能" は "人間の知能" と似たようなものか、あるいは異質なものなのか ・・・・・・。
No.196 で東ロボ・プロジェクトのリーダの新井教授は「AIは意味を理解しない」と言っていました。人間が無意識にやっている「意味を理解する」とは非常に広範囲なことですが、たとえば、ある内容の記述を読んだり、発言を聞いたりしたときに、
何を言っているのかが理解できることを前提として | |
その記述や発言に至った理由や背景、意図、目的が理解できる。 | |
内容の価値判断ができる。重要か、自分に関係あるか、一般的なことか、意義があるのか、本当のことか、正しいことか、応用できるか ・・・・・ 等々。 |
などでしょう。もっとあると思います。もちろんその全部ではないでしょうが、人は多かれ少なかれ、そういうことを暗黙に想定しつつ記述を読み、発言を聞き、コミュニケーションをしています。意味を理解することこそ人間の価値であり、逆に言うと「意味を理解しないで過ごしているばかりだと、いずれ AI に取って代わられる」という警告でした。
では、「AIは意味を理解しない」こと以外に、AIの "知能" が人間と違うところはあるのでしょうか。そのことについて、理化学研究所・上級研究員の瀧 雅人氏が最近の雑誌に大変わかりやすい解説を書かれていましたので、是非、それを紹介したいと思います。「騙されるAI」(日経サイエンス 2020年1月号)という記事で、「騙す・騙される」という切り口から人間とAIの相違、人間にとってのAIの意味を明らかにしたものです。
以降の話は、AIに使われる各種の手法(ないしは数学モデル、アルゴリズム)のうち、ディープラーニングに話を絞ります。ディープラーニングは、2010年代の「AIブーム」の火付け役となったものです。まず、瀧 雅人氏の解説を紹介する前に、ディープラーニングの概要を振り返ってみたいと思います。各種メディアで大量に流されている情報ですが、あとの瀧氏の解説に関係する部分を要約します。
なお、No.180「アルファ碁の着手決定ロジック(1)」で、英国・ディープマインド社の「アルファ碁」(2015年末当時)で使われているディープラーニングの内部構造(アーキテクチャ)を解説しました。これは、画像認識によく使われる「畳み込みニューラルネットワーク(Convolutional Neural Network。CNN)」と呼ばれるタイプのものです。ただし碁のゲーム用に特化したCNNです。
深層学習(ディープラーニング)の発展
AIに使われる手法は各種ありますが、現在のAIのブレークのきっかけになったのは深層学習(ディープラーニング)の実用化に成功したことでした。この技術革新をもたらしたのが、業界では "カナディアン・マフィア" と呼ばれるモントリオール大学教授のヨシュア・ベンジオ、トロント大学名誉教授のジェフリー・ヒントン、現フェイスブックのチーフAIサイエンティストのヤン・ルカンでした。彼らは "AIの冬の時代" にも地道に研究を重ね、ディープラーニングに関する数々の技術的困難を克服してきました。
【画像認識】 業界が衝撃を受けたのは2012年のILSVRC(Image-net Large-scale Visual Recognition Challenge)です。これは与えられた画像に何が写っているかを1000種の中から答えるというものです(= 一般物体認識)。このコンテストに参加したトロント大学のヒントン教授のチームは、ディープラーニングを使い、それまでの誤認識率を一挙に10ポイントも改善する 16% という値を達成しました。それまでは数年で1~2%の改善だったことを思うと、これは革新的です。その後も精度は急激に向上し、2015年あたりでは 5% 程度にまで低下しました。これは人間の画像認識能力の平均値を越えています。
【音声認識】 画像認識とともにディープラーニングの成果が最初に現れたのは音声認識です。これについては瀧 雅人氏の解説を引用します。
|
【自動翻訳】 ディープラーニングが発展したもう一つが自然言語処理(Natural Language Processing。NLP)の分野で、その典型的な例は自動翻訳です。自動翻訳にディープラーニングを取り入れたのはグーグル翻訳が最初ですが、その精度は年々向上し、多くの自動翻訳システムがディープラーニングを取り入れるようになりました。
【読解力】 その自動翻訳のための基礎技術の一つが読解力です。No.234「教科書が読めない子どもたち」で、国立情報学研究所の新井教授が主導した RST(Reading Skill Test)を紹介しましたが、RSTは読解力(基礎的読解力)判定するものです。RSTは基礎的読解力を「係り受け」「照応解決」「同義文判定」「推論」「イメージ同定」「具体例同定」にわけて測定するものですが、「推論」「イメージ同定」「具体例同定」の3つはまだまだAIにとって困難な問題です。しかし「係り受け」「照応解決」についてはAIが好成績をあげています。
読解力をテストするベンチマーク問題に SQuAD(Stanford Question and Answer Dataset)があります。これはスタンフォード大学が整備しているデータベースで、Wikipediaの例文をもとに、例文に関する質問と答(すべて英文のテキスト)が集積されています。RSTの基礎的読解力で言うと「係り受け」と「照応解決」に相当しますが、ある程度の「推論」が必要な問題もあるようです。
2018年1月、マイクロソフト・リサーチのディープラーニング・システムが、SQuADのベンチマークで(その当時の)人間の平均値(82.3点)を初めて上回りました。その後、2019年に至って90点に迫るディープラーニング・システムも出現しています。あくまで基礎的読解力の一部の範囲ですが、AIはそういう実力だということです。
以上の画像認識、音声認識、自動翻訳だけでなく、ディープラーニングは多くの分野で突出した成果をあげています。それは商用だけでなく、医療、創薬、新素材開発、天文学などの研究開発分野にも広がっています。
ディープラーニングは説明可能ではない
ディープラーニングで重要なことは、問題から正解を導く方法や筋道、アルゴリズムを人間が教えたのではないことです。あくまで「問題と正解のデータ」を大量に集め、それをディープラーニングを実装したコンピュータ・システムに学習させたものです。
ここから言えることは、ディープラーニングが答えを出したとしても、なぜそうなるのかの理由が説明できないということです。その例として、No.180「アルファ碁の着手決定ロジック」で取り上げた英国・ディープマインド社のアルファ碁(=2015年末当時のアルファ碁)で言いますと、policy newtwork によって碁のエキスパートが次に打つだろう点の確率を計算し、A点が 0.6、その1路横のB点が 0.2 になったとき、なぜA点の方が有力かの説明をアルファ碁はしないわけです。人間ならたとえば「B点は相手の厚みに近寄り過ぎているので、ここは1路控えたA点が正解」というように理由を説明するわけです。さらには「敗勢なら一歩踏み込んだB点で勝負をかけるのもありだが、今は状勢が拮抗しているのでA点に打つべき」と付け加えるかも知れません。そういった「説明」がAIはできない。
これは、ディープラーニングはブラックボックスだから、というのではありません。アルファ碁のアーキテクチャは明確であり、そこでどういうパラメータが使われているのか、(アルファ碁の開発者なら)調べようと思えばいくらでも調べられるからです。しかしアルファ碁のパラメータは No.180 で試算したように約388万個もあります。それがどのように影響し合って答えを導くのか、膨大すぎて人間には理解しがたいのです。
要するにディープラーニングは「なぜだか明確には説明できないが、答は結構正確」なのです。もちろんそれで有益な場合があることは確かです。人間が思いつかないような(ないしは見落としているような)答を出し、それを人間が検証して有効活用できればよい。しかしこのままでは真に重要な決定をディープラーニングに任せてしまうことはできません。この点を克服するため、現在「説明可能なAI」が世界の研究者の間でのホットな研究テーマになっています。
ディープラーニングを騙す
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瀧氏の解説ではまず、一般物体認識を行うディープラーニングを "騙せる" ことが述べられています。意図的に作ったデータでディープラーニングを騙すことを「敵対的攻撃」と言い、騙されたデータを「敵対的事例」と言います。瀧氏はそれを、自ら中国で撮影したパンダの画像とオックスフォード大学が開発したディープラーニングでやってみました。
まず、元の画像をディープラーニングに入力すると「パンダである確率が99.997%」が出力されました。これは妥当な結果です。
次に、元の画像にディープラーニングを騙す目的で作った「敵対的ノイズ」を薄くかぶせると「81.576%の確率で雄羊」と判断されました(敵対的事例 ①)。
さらに、画像の一部に別の画像を張り付けても「89.445%の確率で雄羊」と判断しました(敵対的事例 ②)。
画像全体の色調を変化させるという敵対的攻撃もあります。この例では「51.0706%の確率でテディベア」と判断するようになりました(敵対的事例 ③)。
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元の画像 AIの判定 = パンダ(99.997%) |
(日経サイエンス 2020.1 より。以下同様) |
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敵対的ノイズ |
敵対的事例 ① を作り出すためのノイズ。このノイズを薄く元の画像にかぶせる。 |
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敵対的事例 ① AIの判定 = 雄羊(81.576%) |
元の画像に上の敵対的ノイズを薄くかぶせた画像。人間の目では元の画像との違いが全くわからないが、AIは高い確率で雄羊と判定した。 |
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敵対的事例 ② AIの判定 = 雄羊(89.445%) |
画像の一部に、AIを騙す目的で作った別の画像を張り付けたもの。他の部分は元の画像と変わらないが、AIはこれも高い確率で雄羊と判定した。 |
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敵対的事例 ③ AIの判定 = テディベア(51.0706%) |
画像全体の色調を変化させたもの。人間の目にはパンダであることに変わりがないが、AIが最も確率的に高いとしたのはテディベアであった。 |
もし人間が「敵対的事例 ① ② ③」の画像を見たとしたら、たとえ保育園児であっても全員が口をそろえて「パンダ!!」と答えるに違いありません。ここから類推できることは、
ディープラーニングは人間のように "考えて" いるのではない
ということです。保育園児でも簡単に答えられることに間違ってしまうのだから ・・・・・・。
ディープラーニングは、いかにも人間がモノを認識しているように認識するように見えます。しかも人間より優れている面も多いわけです。たとえば自動車の運転を考えると、人間が 0.1 秒で障害物を認識できたとして、ディープラーニングが 0.01 秒だと、この差は事故回避行動の観点からクリティカルになるでしょう。さらにディープラーニングは疲れないし、意識レベルが下がることもないし、意識が一瞬飛ぶこともない。この技術を今後の社会に有効に活用しない手はないのです。
しかし、ディープラーニングはどうも人間が認識しているように認識しているのではなさそうです。このことが悪影響を及ぼさないのか、何らかの副作用につながらないのか。ディープラーニングは結構正確だが突如誤った答えを出さないのか。この点をよく研究しておく必要があるわけです。
騙す方法
どうすれば敵対的攻撃でディープラーニングを騙せるのでしょうか。瀧氏の解説では一般物体認識を例に「騙す方法」の簡単な例が書かれています。
今、画像のサイズを 100 × 100 ピクセル、合計 10,000 ピクセルの白黒画像だとします。各ピクセルは、たとえば 0(白)~255(黒)の256階調の値が指定されているわけです。ここにパンダの顔の画像があり、この画像はディープラーニングで 99.9% の確率で「パンダ」と判定されるとします。
この画像にノイズを加えます。このノイズは 100 × 100 ピクセルで、各ピクセルは +3 か -3 のどちらかです。このノイズを元の画像に足し合わせるわけです(もちろん 0~255 の範囲に収めるような補正が必要)。この程度のノイズを加えても人間の眼にとっては元の画像と全く区別がつきません。このノイズの中で「ディープラーニングがパンダとかけ離れた判定をするノイズ」を探索するというのが眼目です。
ノイズは10,000 の各ピクセルが +3 か -3 のどちらかの値をとります。従ってノイズのパターンは 210000 種類あり、これは3,000桁を越える超天文学的に巨大な数です。全部のパターンを調べるのは到底不可能です。しかし敵対的攻撃をするためには、全部のパターンを調べる必要は全くありません。瀧氏は次のように解説しています。
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つまり、数学的に言うと大変にシンプルなやり方で敵対的攻撃ができることになります。
しかし、FGSMは「出力が一番おかしな方向にずれていくようなノイズを、微分法を利用して近似的に計算」するものであり、このためにはディープラーニングの内部構造とパラメータを知らなければなりません。内部を知った上の攻撃という意味で、このような攻撃を「ホワイトボックス攻撃」と呼んでいます。
「ホワイトボックス攻撃」を防ぐためには、ディープラーニングの内部構造を隠してしまい、入力・出力のインターフェース仕様(API。Application Program Interface)だけを公開すればよいわけです。グーグルや日本のプリファード・ネットワークスが一般公開しているディープラーニングは APIの公開方式になっています。しかしこれでも騙せるのです。
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もちろん、攻撃をかわすための防御アルゴリズムも研究されています。たとえば敵対的事例も含めて予測できるように学習するという「敵対的学習」です。こうすることによって、あらかじめ学習させた敵対的事例については間違いが起こらなくなります。
しかし敵対的学習を行ったあとのディープラーニングに対して、新たな敵対的攻撃アルゴリズムを使ってノイズを生成することは可能であり、新たな敵対的事例ができることになります。新手の敵対的事例では再び間違いが起こる。
その他、数々の防御アルゴリズムが開発されていますが、それぞれに対する攻撃手法もまた開発されています。要するに「いたちごっこ」であり、現時点では完璧な防御策はありません。現在、世界の研究者がより幅広い攻撃を効果的に防ぐことができるアルゴリズムを探求しているところです。
騙される理由が分からない
なぜディープラーニングは騙されてしまうのでしょうか。これについて瀧氏は次のように書いています。
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ディープラーニングついて「動作メカニズムがわかっていないにもかかわらず敵対的事例が作れてしまう」ことは、実は「動作メカニズムがわかっていないにもかかわらず結構正しい答を出す」ことの裏返しの関係にあるのですね。
上の引用にあるように、騙される理由はわかっていないのが現状です。ただし、確定的なことは言えないけれども「次元の呪い」が関係しているというのが多くの研究者の共通認識です。
次元の呪い
「次元の呪い」とは、高次元空間で我々の幾何学的な直感が破綻する現象を指します。これを瀧氏は以下のように説明しています。
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(2次元) 3√2 = 4.24
となります。次に3次元の立方体(1辺の長さが6)を考えると、立方体の中心から頂点までの距離は、直角を挟む2辺の長さが 3√2 と 3 の直角三角形の斜辺の長さなので、
(3次元) 3√3 = 5.20
となります。つまり、2次元の場合より距離が少し長くなります。座標で計算すると、3次元の場合、8つの頂点の座標は(±3, ±3, ±3)なので、原点である (0, 0, 0) との距離は 32 * 3 の平方根であり、3√3 となるわけです。
これを拡張し、高次元空間(N 次元)の1辺6の超立方体ではどうなるでしょうか。図形的には計算できないので座標で考えると、3次元の場合を拡張し、中心と頂点の距離は 32 * N の平方根となります。つまり、
(N次元) 3√N
です。もし N = 10000 だとすると、距離は
(10000次元) 3√10000 = 300
となります。低次元では中心からそう遠くない距離にあった頂点が、高次元では格段に遠くなってしまう。これが典型的な「次元の呪い」です。この「次元の呪い」によって敵対的ノイズが結果に大きく影響すると考えられているのです。
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次元の呪い |
「次元の呪い」を概念的に表した図。10,000次元というような高次元空間の超立方体では、原点(=元の画像)と頂点(=元の画像に敵対的ノイズを薄くかぶせた画像)の距離は極端に大きくなってしまう。 |
(日経サイエンス 2020.1 より) |
ディープラーニングは人間の思考とは違う
ディープラーニングが騙される本質的な理由は現状では解明されていません。しかし、理由はともかくここから分かることは、どうもディープラーニングは人間とは違うようだ、ということです。
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ディープラーニングは人間とは別の方法で認識し、理解していて、その認識方法・理解方法が解明されていない。このことはディープラーニングの社会応用に深刻な障害となります。これを瀧氏は、
もし現在でも地動説が確立していなかったら
という "寓話" で説明しています。卓抜な比喩だと思ったので、次に紹介します。
ディープラーニングで惑星の運動を予測する
天動説と地動説に関する歴史の振り返りです。コぺルニクス以前の天動説では、地球が中心にあり、その周りを太陽と惑星が回っているという宇宙像でした。もちろん、惑星の位置を詳しく観測すると単純に回っているのではない結果が得られます。つまり惑星は天球上を立ち止まったり、バックしたり、再び方向を変えて進むというような不規則な運動をするのです(惑星の "惑" とはそういう意味です)。
天動説では、この惑星の不規則な運動を「周転円」で説明していました。つまり惑星はそれ自身がある中心の周りを回っており、その中心が地球の周りを回っているという説明です(これ以外にも人為的な仮説がいろいろある)。
これに対してコペルニクスは、地球を含む惑星が太陽の周りを回っているという地動説を唱えました。これによって惑星の不規則な動きを説明したのです。ただしコペルニクスは惑星の軌道を円と考えていたため、その説明には限界がありました。
それを解決したのがケプラーです。ケプラーは精密な観測データをもとに、惑星の軌道が円ではなく楕円であることを証明しました(ケプラーの第1法則)。これによって惑星の動きは完全に説明できたのです。
さらにニュートンは万有引力の法則を発見し、2つの物体には質量に比例し距離の2乗に反比例する引力が働くことを示しました。この法則と運動方程式を組み合わせることで、惑星は太陽の周りを楕円軌道で回り、太陽は楕円の焦点にあることが数学的に証明できます。以上の、コペルニクス → ケプラー → ニュートンの発見は、科学史の偉大な成果であることは言うまでもありません。
そこでもし、現代においても地動説が確立していず、惑星の運動の予測にディープラーニングを使ったらどうなるかです。もちろん、過去の惑星の「時刻・位置データ」が膨大に蓄積されているという前提です。これをディープラーニングに学習させ、そして直近の惑星の運動を入力して今後の運動を予測する。
これは画像認識のためのディープラーニングとは種類が違います。時系列の数値データを入力し、そこから予測をしたり、傾向を把握したりするタイプのディープラーニングです。現代では音声認識、株価の予測、機械の動作状況からの異常検知などに使われています。このディープラーニングで惑星の運動を予測したらどうなるか。
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惑星の軌道を精緻に予測するディープラーニングの中身をいくら調べてみても「惑星は太陽の周りを楕円軌道で公転する」という知見は得られないでしょう。コペルニクス以前の学者のように「周転円」のような人為的な仮説を満載した天動説で強引に計算しているだけかもしれないのです。
AIと人間の共存
以上のようなディープラーニングの現状を踏まえて、瀧氏は次のように総括しています。
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上の引用に出てくる「オッカムの剃刀」とは、「あることを説明するためには、必要以上に多くの仮定をすべきでない」という指針ですね。オッカムは中世ヨーロッパの哲学者の名前、剃刀とは説明に不要なものを切り落とすことの比喩です。
シンプルな原理によって全てを説明するというのが科学の立場(ないしは野望)ですが、ディープラーニングはそれとは違う立場の科学の発展の可能性がある、というが瀧氏の予感です。あくまで、そういう可能性も考えられるということなのですが、これがディープラーニングがもつ重要な意味でしょう。
AIは人間の知能を上回る?
以下は瀧氏の解説を読んだ感想です。
よく「20XX年にはAIの知能が人間を上回る」というようなことを言う人がいます。しかし、この手の発言がどのような実証的研究に基づいてなされているのか、はなはだ不明です。人を驚かせようとする無責任な発言に思える。
こういうこと言うためには、最低限、① 人間の知能とはなにか、それはどういう原理やプロセスで生み出されるのか、② AIの知能とは何か、それが生み出されるプロセスは人間と同じなのか、それとも違っているのか、という2点の説明がなければなりません。
しかし現時点において、① の人間の知能が解明されているわけでは全くありません。また ② の(現在における)AIの知能は瀧氏が解説しているように、人間の知能とは別種のものである可能性が極めて高いわけです。「人間とは別種のものが人間を追い越す」というは奇妙な言説です。
もちろん特定のエリアでは、AIの方が人間より遙かに速く、正確に答えを出すことがあるでしょう。しかしそれは、たとえて言うと「走るスピードではクルマが人間を追い越す」というのに近い。クルマが走る原理は人間と全く違います。人間はそのスピードを最大限に利用して現代生活が成り立っている。もちろんクルマに頼り過ぎると運動不足に陥り、生活習慣病を発症したりしてまずいことになるわけで、その配慮が必要なことは言うまでもありません。同様のことはAIについても言えるでしょう。
瀧氏の文章は、ディープラーニングという範囲でAIと人間の違いを明らかにしたよい解説だと思いました。ディープラーニングの本質を見極める基礎研究や、ディープラーニングの答の理由を「説明可能にする」研究によって、人間のAIとのつきあい方が決まっていくし、人間とAIの共存方法が見えてくるのだと思いました。
 補記1:SQuAD  |
この記事の本文で、米国のスタンフォード大学が AIのベンチマークのために作成している SQuAD(The Stanford Question Answering Dataset)のことを書きました。これは「例文・質問・回答データベース」です。まず例文があり、それについての質問と回答が複数あります。すべて英文のテキストデータです。回答の中には "No Answer"、つまり答えがない(=例文の情報だけでは答えられない)ものもあります。
この SQuAD がどういうものか、その問題例を以下に掲載します。最新の「SQuAD 2.0」の問題の一つで、ライン河に関するものです(2020.1. 現在。https://rajpurkar.github.io/SQuAD-explorer/)。単位系の記述を分かりやすいように修正しました。
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自然言語処理を行うAIシステムとしては、質問1では北海(the North Sea)とオランダ(the Netherlands)の関係を把握しなければなりません。また質問2では「after the Danube」という記述をもとに、ライン河より長いのがドナウ河と判断する必要があります。
なお、この例文には12の質問が設定されていますが、そのうちの5つは「No Answer」が正解です。
 補記2:イラストで答えるリスニング問題  |
この記事の本文で、AIが不得意な大学入試問題の典型が「英語のリスニングの結果をイラストの選択で答える」ものだとしました。その実際の問題を掲げます。2019年度 センター本試験、英語リスニング問題の「第1問 問1」です。
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羽の生えた野菜を選べばよいので、正解は言うまでもなく ② です。受験生としては、ICレコーダから流れる英語音声を聞き取ることさえできれば(特に vegetable と wings)間違えようのない問題です。
一方、AIはどうかと言うと、英語音声をリスニング台本と質問文に変換するのは容易です。全く雑音がない環境での明瞭な英語なので、この程度の音声認識は現代のAI技術では完璧にできるのです(でないとAIスピーカなど実用化できません)。
しかしそのあとが無理です。これをディープラーニングで回答しようとすると「羽の生えた野菜」含むイラストデータを大量に用意し、それを学習しなければなりません。しかし、そんなイラストの学習データを大量に用意できるはずがないのです。
もちろんセンター試験の受験生にとっても「羽の生えた野菜」のイラストを見るのは生まれて初めてでしょう。全く初めてではないかもしれませんが、過去に(絵本などで)似たイラストを見たことなど忘れているはずで、「生まれて初めて」と同じことです。生まれて初めてではあるが、リスニングができた受験生は間違えることなく答えられるのです。
AIにとって「羽の生えた野菜」を識別するのが困難なら、では「野菜」と「羽」を識別してそれが含まれるイラストを答えたらどうか。しかし、これも難しいでしょう。「野菜」にはたくさんの種類があります。「野菜」か「野菜でない(たとえば果物)」を識別するのが簡単とは思えない。しかも、実物の画像ではなくイラストです。イラストはイラストレーターがモノの特徴をとらえて(ある場合はデフォルメをして)恣意的に描くものです。たとえイラストを大量に集めたとしても有効なディープラーニングの学習はできないでしょう。しかもセンター試験の問題にあるように、ニンジンに目・鼻・口・手・足があってもそれはなおかつニンジンなのであり、そんな "高度な" 認識がAIで簡単に行くとは思えません。
100歩譲って「野菜」と「羽」のイラストを認識できるディープラーニングができたとしましょう。しかし苦労してそんなものを作ったとしても使い道がありません。なぜなら、センター試験に「羽の生えた野菜」が出るのは2019年度の1回きりだからです。次年度は「足の生えた飛行機」かもしれないし、そもそもマンガのキャラクターに関する会話がリスニングに出るのはこれっきりかもしれません(いや、センター試験なので "これっきり" のはずです)。
世の中に絶対に存在しないもののイラストは無限に考えられます。しかし受験生は常識推論でそれを理解します。常識推論で簡単に答えられるからこそ出題されるのであって、常識で簡単に答えられないようだとリスニング能力をテストするという主旨から逸脱してしまうのです。
センター試験の受験生が100%できることが、現代のAI技術では全く歯が立たない。そういう例なのでした。
 補記3:スマートスピーカーへの敵対的攻撃  |
本文中にディープラーニングを使った画像認識を騙せることを書きましたが、同様の原理で音声認識も騙せるようです。アマゾンの「エコー」やグーグルの「グーグル・ホーム」は、ネットに繋がった音声認識技術によって人間の指示を理解し、サービスを提供します。筑波大学の佐久間淳教授(=理化学研究所・人工知能セキュリティ・プライバシーチーム リーダー)は社会に警鐘を鳴らすため、スマートスピーカーを騙す実験を行いました。
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スマートスピーカーを騙す |
元の音にうまく設計したノイズを載せると、スマートスピーカーの音声認識は「Hellow World」と言ったと誤認する。人間には元の音がひずんだようにしか聞こえない。 |
日経サイエンス(2020年6月号)より |
この記事を読んでまず思ったのは、佐久間教授はクラシック音楽好きだということです。あるいは、人間の耳はチェロの音が最もノイズを判別しにくいということを試行から決めたのかもしれません。
それはともかく、この実験から直ちに「エコー」や「グーグル・ホーム」を騙せるということにはなりません。商用化されているスマートスピーカーは、ディープラーニングの内部構造が公開されていないからです。しかし最近のAI研究では、内部構造を知らなくても敵対的攻撃が可能な手法(=ブラックボックス攻撃)が開発されています。「警鐘を鳴らす」ための実験としては、大いに意味があると思いました。
そしてこの件もまた画像認識と同様、音声を認識するAIの "知能" が人間の知能とは違うことを示しているのでした。
(2020.6.4)
2020-01-11 15:59
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No.272 - ヒトは運動をするように進化した [科学]
No.221「なぜ痩せられないのか」の続きです。No.221では「日経サイエンス」2017年4月号に掲載された進化人類学者、ハーマン・ポンツァー(ニューヨーク市立大学・当時)の論文を紹介したのですが、そこに書かれていた彼のフィールドワークの結果は、
というものでした。言うまでもなく狩猟採集生活をしているハッザ族の人たちの身体活動レベルは、欧米の都市生活者よりも遥かに高いわけです(No.221)。それなのにエネルギー消費量は(ほとんど)変わらない。我々は「体をよく動かしている人の方がエネルギー消費量が多い」と、何の疑いもなく考えるのですが、それは「運動に関する誤解」なのです。ここから得られる「なぜ痩せられないのか」という問いに対する答は、
ということでした。もちろん、運動は健康のために非常に重要です。No.221 にも「運動が、循環器系から免疫系、脳機能までに良い影響を及ぼすことはよく知られている通り。足の筋肉を鍛えることは膝の機能を正常に保つことになるし、健康に年を重ねるにも運動が大切」と運動の効用(の例)を書いたのですが、これは我々共通の認識だと思います。しかしそこに「運動に関する第2の誤解」が潜んでいそうです。つまり、
と考えてしまいそうです。しかしこれも大きな誤解なのです。正しい認識は、
というものです。このことをハーマン・ポンツァーは「日経サイエンス」2019年4月号で、進化人類学の視点から説明していました。以下にそれを紹介したいと思います。
なお、一般に「運動」というとジムに通ったり、テニスをしたり、ウォーキングやジョギングをしたりといった「スポーツやエクササイズで意識的に体を動かすこと」を思い浮かべますが、以下では「身体活動のすべて」を指します。従って、例えば「歩く」という行為は散歩・ウォーキングであれ、徒歩通勤であれ、営業マンの客先回りであれ、すべて「運動」です。「身体活動」の方がより正確な表現であり、そのように書くこともあります。
以下の引用における下線は原文にはありません。また段落を増やしたところがあります。
類人猿の生活
進化人類学の研究方法は、ハッザ族のように現代でも狩猟採集生活をやっている人々の調査と同時に、類人猿の研究です。ヒトは700万年とかそういった昔にチンパンジーとの共通の祖先から枝別れしたと推定されていて、類人猿の研究はヒトがヒトになった経緯を明かしてくれるだろうと考えられるからです。
「類人猿を調べるのが最上の方法」という進化人類学のセオリーどおり、著者のポンツァーも20年前の博士課程のときにウガンダのキバレ国立公園でチンパンジーの野外調査を行いました。そのとき著者が強く印象づけられたことがあります。
「チンパンジーは怠け者である」という結論に至った観察結果とはどういうものだったのでしょうか。著者の次のように書いています。
チンパンジーだけではありません。ゴリラ、オランウータン、ボノボといった大型類人猿は、人間から見ると "怠惰な" 生活を送っています。著者は「子供に聞かせる寓話や、高校の麻薬撲滅プログラムで良くないとされる類の生活」と書いています。「高校の麻薬撲滅プログラム」というのはアメリカならではですが、寓話ならすぐに思いつきます。「アリとキリギリス」です。キリギリスのような生活を類人猿はしているというわけです(あくまで寓話としてのキリギリスです)。
実際に大型類人猿がどの程度の身体活動をしているのか、その具体的な数値が書かれています。
歩行だけに着目して人間とチンパンジーの身体活動を比較したらどうなるしょうか。「チンパンジーは1日に約3km歩き、1.5kmのウォーキングに相当するカロリーを消費」とあります。人間は(普通は)木登りをしないので、人間に置き換えて「1日に3km+1.5km = 4.5km 歩く」と考えます。人間の歩幅を仮に75cmとすると、これは6000歩に相当します。あくまで比較のための仮の概算値です。
1日に6000歩の歩行というと、現代人によくある(運動不足の人の)身体活動レベルです。"チンパンジーは怠惰だ" と言っても、「チンンパンジーが生きるために雄々しく戦い、日々の糧を得るために懸命に頑張っている姿」を想像するからそう見えるのであって「1日に6000歩」程度の運動はしていることになります。
人間がチンパンジー的生活をしたら ・・・・・・
人間がチンパンジーと同じ程度の身体活動レベルの生活をしたとしたら、それはまずいことになります。
著者は「世界的に身体活動度の低さは健康上のリスク要因として喫煙と同程度と考えられており、毎年500万人以上の命を奪ってる。」と書いています。
以上のことから考えると、類人猿は病気になってもおかしくはありません。先ほどの概算だと、最も身体活動度の高そうなチンパンジーでさえ1日に6000歩の歩行相当です。類人猿の身体活動レベルについて、著者は研究成果として、
と書いています。しかしチンパンジーなどの大型類人猿は "運動不足" にもかかわらず、いわゆる生活習慣病とは無縁であり、健康的な毎日を送っています。動物園にいる類人猿でさえそうなのです。
類人猿も人間も生物学的には霊長類ですが、霊長類の中で人間だけが特殊なのです。類人猿と比べると遙かに高い身体活動レベルを維持しないと健康を保てない。逆にいうと、人間は身体活動レベルの高い生活スタイルに適合するように進化してきたのです。そのことを著者は最新の化石研究から以降のように解説しています。
ヒトの進化史
絶滅種を含む人類の総称を "ホミニン" と言います。著者はホミニンの進化史を記述しているのですが、それを要約すると次のようです。
この「狩猟を行うホモ属」の出現が人類の生き方を変えたと、著者は次のように書いています。
狩猟採集がヒトをつくった
石器による狩猟(と肉食)がヒトの進化に果たした役割はどのようなものだったのでしょうか。著者は何点かに分けて解説しています。
現代の狩猟採集民が肉食と植物食を併用していることについては、著者のポンツァーがアフリカのハッザ族を調査した結果を、No.221「なぜ痩せられないのか」で紹介しました。
ここで書かれているのはいわゆる「持久狩猟」で、現代でもアフリカの狩猟採集民がやっています。狩猟には必ず動物を追いかけるという行動が必要ですが、動物は人が追いかけるにはあまりに速い。そこで持久戦に持ち込みます。足跡を参考にしながら、狙った獲物をどこまでも追いかけていく。そうすると動物はいずれ弱ってしまい、そこを仕留める。
そのためには長距離を走れることが必要で、そのため能力の筆頭は汗をかくことです。ヒトは汗腺を発達させ、体毛を少なくし、気流で直接に体を冷やせるようになった。ヒトを含む哺乳類は深部体温が一定以上になると生命が危険にさらされます。"効率的なラジエーター" を備えたヒトは長距離走に有利です。
狩猟の対象となる動物は(一般には)汗をかく能力がありません。体毛もあります。つまり、追われる動物はいずれ木陰などに立ち止まって体温を下げる必要が出てきます。そこに人間が追ってくる。動物はまた逃げて、あるところまで行くと立ち止まる。するとまた人間が追いついてくる。これを繰り返すと動物はいずれ動けなくなります。人間はそこで動物を仕留める。持久狩猟に弓矢や槍といった "高度" な道具は不要です。毒矢のような技術革新も不要で、棍棒があればよいわけです。
著者が紹介しているブランブルとリーバーマンの "画期的な論文"(2004年)ですが、「日経サイエンス」の同じ号(2019年4月号)にその概要が紹介してありました。ヒトが走るために進化した証拠は20ほどあるそうですが、その一つが項靱帯です。
項靱帯とは、首筋にそって頭骨と脊椎をつないでいる靱帯で、これがないと走ったときに頭がグラグラ揺れてしまいます。馬や犬やウサギなど、速く走る動物には項靱帯があり、現世人類も持っています。しかしチンパンジーにはありません。「日経サイエンス」には次のように書かれています。
一般には2足歩行こそが人類を進化させたものであり、「走り」は2足歩行の後に獲得した "おまけ" のようなものだと考えられていました。しかしリーバーマンらは「走り」を人類進化の重要な要素と位置付けたわけです。著者のポンツァーが「画期的」と書いているのはその意味でしょう。
ヒトは運動に適応した
ここからがやっと運動と生理機能の関係です。
人間の生理機能が、狩猟採集に必要な活発な身体活動にどう適応したかについて、著者は何点かに分けて説明しています。
運動は自由選択ではない
著者のポンツァー准教授は、ヒトと運動の関係について端的に、
と書いています。より健康に過ごすために運動するのではなく、普通の健康状態で過ごすためには運動が必要なのです。
ハッザ族と同等レベルの身体活動をしている現代人の研究をした結果が書かれています。
郵便局員にも多様な仕事があると思いますが、その中でも1日の歩数が1万5000歩の人(郵便配達担当)や、1日あたり7時間を立って過ごす人(郵便物の仕訳け担当でしょう)は健康だったわけです。注意すべきは「1日中動き続けている」という人の中に「1日あたり7時間を立って過ごす人」が入っていることです。「立って過ごす」というのも軽い運動=身体活動なのです。
ただし、我々はハッザ族やグラスゴーの郵便局員と同等の身体活動をする必要はないようです。「1日に1万歩以上歩かないと心血管疾患や代謝疾患のリスクが高まる」と前の方にあったように、その程度でよい。著者は次のように書いています。
アメリカ人には想像できないと思いますが、「通勤電車に1時間立つ(往復で2時間立つ)」というのも、運動量を確保するために役立つのでしょう。
進化人類学の視点からの "運動"
以下はポンツァー准教授の解説を読んだ感想です。
これは、進化人類学の観点から運動の必要性を説くという「壮大な解説」でした。もちろん「運動が必要」ということを我々は知識として理解しています。健康診断の結果数値で生活習慣病のリスクがあると判断されると、医者は必ず「運動しなさい」と言います。しかし重々分かってはいるが、忙しいとか時間がないという理由で「身体活動レベル」が低い人も多いのではないでしょうか。
ポンツァー准教授の「進化人類学の視点からの解説」は説得力があると思いました。要するに、運動をするのがヒトであって、運動をしないとヒトでなくなる。シンプルに言うとそういうことでしょう。ヒトとは、ヒト属(ホモ属)であり、ホモ・サピエンスであり、つまり現生人類である我々人間です。
ここで No.221「なぜ痩せられないのか」を再度振り返ってみます。No.221 で書いた「運動による減量効果は限定的」ということについて、なぜそうなのかを進化人類学の視点から言うと、
からでしょう。つまり人類の進化の過程から考えると、
と理解できると思いました。人類が狩猟採集を始めてから少なくとも200万年が経っています。農業は高々1万年程度の歴史しかありません。また、現代の農業を知っている人なら分かると思いますが、農業はそれなりの身体活動を伴います。機械化以前の農業ならなおさらです。身体活動量の少ない都市生活はこの100年程度のごく最近の話であり、200万年からすると無いに等しい短い期間です。
人間は200万年かけて運動に適応し、進化した。それが今の我々である。従って運動をしないと、いろいろとまずいことが起こる。そう理解できると思います。
人類学者は絶滅人類や類人猿の研究をします。それは「人とは何か」を探求するためだと言われます。では具体的に、探求の結果の答とはどういうものか。大学の研究者がアフリカに行き、絶滅人類の化石を発掘して、そこからどういう答が得られるのか。
ポンツァー准教授の解説には、絶滅人類や類人猿の研究から得られた「人とは何か」という問いに対する答の1つが書かれていて、その答は我々の日々の生活やライフスタイルと密接に関係しています。そのことが印象的でした。
アフリカで狩猟採集生活をしているハッザ族のエネルギー消費量は欧米の都市生活者と同じ
というものでした。言うまでもなく狩猟採集生活をしているハッザ族の人たちの身体活動レベルは、欧米の都市生活者よりも遥かに高いわけです(No.221)。それなのにエネルギー消費量は(ほとんど)変わらない。我々は「体をよく動かしている人の方がエネルギー消費量が多い」と、何の疑いもなく考えるのですが、それは「運動に関する誤解」なのです。ここから得られる「なぜ痩せられないのか」という問いに対する答は、
肥満の原因は運動不足より過食であり、運動のダイエット効果は限定的
ということでした。もちろん、運動は健康のために非常に重要です。No.221 にも「運動が、循環器系から免疫系、脳機能までに良い影響を及ぼすことはよく知られている通り。足の筋肉を鍛えることは膝の機能を正常に保つことになるし、健康に年を重ねるにも運動が大切」と運動の効用(の例)を書いたのですが、これは我々共通の認識だと思います。しかしそこに「運動に関する第2の誤解」が潜んでいそうです。つまり、
ヒトは適切な食事(= 過食にならない、栄養バランスのとれた食事)をとれば普通の健康状態で過ごせるが、運動をすることによってより健康に過ごせる
と考えてしまいそうです。しかしこれも大きな誤解なのです。正しい認識は、
ヒトが正常な健康状態を保つためには運動が必須である。体を活発に動かさないと健康を維持できない
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なお、一般に「運動」というとジムに通ったり、テニスをしたり、ウォーキングやジョギングをしたりといった「スポーツやエクササイズで意識的に体を動かすこと」を思い浮かべますが、以下では「身体活動のすべて」を指します。従って、例えば「歩く」という行為は散歩・ウォーキングであれ、徒歩通勤であれ、営業マンの客先回りであれ、すべて「運動」です。「身体活動」の方がより正確な表現であり、そのように書くこともあります。
以下の引用における下線は原文にはありません。また段落を増やしたところがあります。
類人猿の生活
進化人類学の研究方法は、ハッザ族のように現代でも狩猟採集生活をやっている人々の調査と同時に、類人猿の研究です。ヒトは700万年とかそういった昔にチンパンジーとの共通の祖先から枝別れしたと推定されていて、類人猿の研究はヒトがヒトになった経緯を明かしてくれるだろうと考えられるからです。
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「類人猿を調べるのが最上の方法」という進化人類学のセオリーどおり、著者のポンツァーも20年前の博士課程のときにウガンダのキバレ国立公園でチンパンジーの野外調査を行いました。そのとき著者が強く印象づけられたことがあります。
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「チンパンジーは怠け者である」という結論に至った観察結果とはどういうものだったのでしょうか。著者の次のように書いています。
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チンパンジーだけではありません。ゴリラ、オランウータン、ボノボといった大型類人猿は、人間から見ると "怠惰な" 生活を送っています。著者は「子供に聞かせる寓話や、高校の麻薬撲滅プログラムで良くないとされる類の生活」と書いています。「高校の麻薬撲滅プログラム」というのはアメリカならではですが、寓話ならすぐに思いつきます。「アリとキリギリス」です。キリギリスのような生活を類人猿はしているというわけです(あくまで寓話としてのキリギリスです)。
実際に大型類人猿がどの程度の身体活動をしているのか、その具体的な数値が書かれています。
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歩行だけに着目して人間とチンパンジーの身体活動を比較したらどうなるしょうか。「チンパンジーは1日に約3km歩き、1.5kmのウォーキングに相当するカロリーを消費」とあります。人間は(普通は)木登りをしないので、人間に置き換えて「1日に3km+1.5km = 4.5km 歩く」と考えます。人間の歩幅を仮に75cmとすると、これは6000歩に相当します。あくまで比較のための仮の概算値です。
1日に6000歩の歩行というと、現代人によくある(運動不足の人の)身体活動レベルです。"チンパンジーは怠惰だ" と言っても、「チンンパンジーが生きるために雄々しく戦い、日々の糧を得るために懸命に頑張っている姿」を想像するからそう見えるのであって「1日に6000歩」程度の運動はしていることになります。
人間がチンパンジー的生活をしたら ・・・・・・
人間がチンパンジーと同じ程度の身体活動レベルの生活をしたとしたら、それはまずいことになります。
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著者は「世界的に身体活動度の低さは健康上のリスク要因として喫煙と同程度と考えられており、毎年500万人以上の命を奪ってる。」と書いています。
以上のことから考えると、類人猿は病気になってもおかしくはありません。先ほどの概算だと、最も身体活動度の高そうなチンパンジーでさえ1日に6000歩の歩行相当です。類人猿の身体活動レベルについて、著者は研究成果として、
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と書いています。しかしチンパンジーなどの大型類人猿は "運動不足" にもかかわらず、いわゆる生活習慣病とは無縁であり、健康的な毎日を送っています。動物園にいる類人猿でさえそうなのです。
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類人猿も人間も生物学的には霊長類ですが、霊長類の中で人間だけが特殊なのです。類人猿と比べると遙かに高い身体活動レベルを維持しないと健康を保てない。逆にいうと、人間は身体活動レベルの高い生活スタイルに適合するように進化してきたのです。そのことを著者は最新の化石研究から以降のように解説しています。
ヒトの進化史
絶滅種を含む人類の総称を "ホミニン" と言います。著者はホミニンの進化史を記述しているのですが、それを要約すると次のようです。
進化の系統樹において、約700~600万年前のころ、チンパンジーとボノボの枝からホミニンの枝が分かれた。 | |
初期ホミニンの化石は3種が発見されている。その研究によると、初期ホミニンは直立2足歩行ができた。ただし長い腕と手指、モノを握れる足をもっており、地上と樹上の両方の生活に適応していた。歯の特徴から果物などの植物性食物を食べ、現在の類人猿に近い暮らし方をしていたと推測できる。 | |
約400~200万年前のホミニンの化石はアウストラロピテクス属で占められている(5つの種が発見されている)。アウストラロピテクスも樹上生活に適した長い腕と手指をもっていた。ただし、足指はモノを握れない。また脚が長くなり、大股での二足歩行で効率的に地上を移動できた。歯の磨耗パターンから、初期ホミニンと同じく植物性食物を食べていたと推測できる。 | |
約200万年前になると、新しいホミニン(=ホモ属、ないしはヒト属)が登場した。260万年前のエチオピアとケニアの遺跡からは石器と、石器でつけられた窪みや傷がある動物の骨の化石が発見された。180万年前の遺跡になるとカットマーク(石器による切断痕)がついた動物の骨の化石が普通に見つかる。 またホモ属は180万年前までにアフリカを出てユーラシア大陸に広がり、カフカス山脈の山麓からインドネシアの熱帯雨林にまで達した。つまり、ほぼどこでも繁栄できる能力を持っていた。 |
この「狩猟を行うホモ属」の出現が人類の生き方を変えたと、著者は次のように書いています。
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![]() |
動くことに適応してきた人類 |
「ホミニンは直立歩行を容易にする解剖学的構造を進化させたことで、より少ないカロリーでより広い範囲を移動できるようになり、新たな土地へ広がっていくことができた。その後、狩猟を行うようになると、獲物を見つけるためにさらに遠くまで移動する必要が生じ、ホミニンの活動レベルはさらに上昇した。私たちの生理機能はこのような肉体的に活発な生き方に適応しており、健康を維持するためには運動しなければならない」(日経サイエンスより引用)。 ホミニンはチンパンジーを除く現生人類と絶滅人類を指す言葉。図の左端のアルディピテクス属は初期ホミニンの代表的な属である。 |
(日経サイエンス 2019年4月号) |
狩猟採集がヒトをつくった
石器による狩猟(と肉食)がヒトの進化に果たした役割はどのようなものだったのでしょうか。著者は何点かに分けて解説しています。
 長距離移動の能力  |
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 協力  |
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現代の狩猟採集民が肉食と植物食を併用していることについては、著者のポンツァーがアフリカのハッザ族を調査した結果を、No.221「なぜ痩せられないのか」で紹介しました。
 知能の向上  |
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 身体活動量の増加  |
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 長距離走の能力  |
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ここで書かれているのはいわゆる「持久狩猟」で、現代でもアフリカの狩猟採集民がやっています。狩猟には必ず動物を追いかけるという行動が必要ですが、動物は人が追いかけるにはあまりに速い。そこで持久戦に持ち込みます。足跡を参考にしながら、狙った獲物をどこまでも追いかけていく。そうすると動物はいずれ弱ってしまい、そこを仕留める。
そのためには長距離を走れることが必要で、そのため能力の筆頭は汗をかくことです。ヒトは汗腺を発達させ、体毛を少なくし、気流で直接に体を冷やせるようになった。ヒトを含む哺乳類は深部体温が一定以上になると生命が危険にさらされます。"効率的なラジエーター" を備えたヒトは長距離走に有利です。
狩猟の対象となる動物は(一般には)汗をかく能力がありません。体毛もあります。つまり、追われる動物はいずれ木陰などに立ち止まって体温を下げる必要が出てきます。そこに人間が追ってくる。動物はまた逃げて、あるところまで行くと立ち止まる。するとまた人間が追いついてくる。これを繰り返すと動物はいずれ動けなくなります。人間はそこで動物を仕留める。持久狩猟に弓矢や槍といった "高度" な道具は不要です。毒矢のような技術革新も不要で、棍棒があればよいわけです。
著者が紹介しているブランブルとリーバーマンの "画期的な論文"(2004年)ですが、「日経サイエンス」の同じ号(2019年4月号)にその概要が紹介してありました。ヒトが走るために進化した証拠は20ほどあるそうですが、その一つが項靱帯です。
項靱帯とは、首筋にそって頭骨と脊椎をつないでいる靱帯で、これがないと走ったときに頭がグラグラ揺れてしまいます。馬や犬やウサギなど、速く走る動物には項靱帯があり、現世人類も持っています。しかしチンパンジーにはありません。「日経サイエンス」には次のように書かれています。
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一般には2足歩行こそが人類を進化させたものであり、「走り」は2足歩行の後に獲得した "おまけ" のようなものだと考えられていました。しかしリーバーマンらは「走り」を人類進化の重要な要素と位置付けたわけです。著者のポンツァーが「画期的」と書いているのはその意味でしょう。
ヒトは運動に適応した
ここからがやっと運動と生理機能の関係です。
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人間の生理機能が、狩猟採集に必要な活発な身体活動にどう適応したかについて、著者は何点かに分けて説明しています。
 脳  |
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 代謝  |
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 運動が全身に影響  |
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運動は自由選択ではない
著者のポンツァー准教授は、ヒトと運動の関係について端的に、
運動は自由選択ではなく、必須
と書いています。より健康に過ごすために運動するのではなく、普通の健康状態で過ごすためには運動が必要なのです。
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ハッザ族と同等レベルの身体活動をしている現代人の研究をした結果が書かれています。
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郵便局員にも多様な仕事があると思いますが、その中でも1日の歩数が1万5000歩の人(郵便配達担当)や、1日あたり7時間を立って過ごす人(郵便物の仕訳け担当でしょう)は健康だったわけです。注意すべきは「1日中動き続けている」という人の中に「1日あたり7時間を立って過ごす人」が入っていることです。「立って過ごす」というのも軽い運動=身体活動なのです。
ただし、我々はハッザ族やグラスゴーの郵便局員と同等の身体活動をする必要はないようです。「1日に1万歩以上歩かないと心血管疾患や代謝疾患のリスクが高まる」と前の方にあったように、その程度でよい。著者は次のように書いています。
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アメリカ人には想像できないと思いますが、「通勤電車に1時間立つ(往復で2時間立つ)」というのも、運動量を確保するために役立つのでしょう。
進化人類学の視点からの "運動"
以下はポンツァー准教授の解説を読んだ感想です。
これは、進化人類学の観点から運動の必要性を説くという「壮大な解説」でした。もちろん「運動が必要」ということを我々は知識として理解しています。健康診断の結果数値で生活習慣病のリスクがあると判断されると、医者は必ず「運動しなさい」と言います。しかし重々分かってはいるが、忙しいとか時間がないという理由で「身体活動レベル」が低い人も多いのではないでしょうか。
ポンツァー准教授の「進化人類学の視点からの解説」は説得力があると思いました。要するに、運動をするのがヒトであって、運動をしないとヒトでなくなる。シンプルに言うとそういうことでしょう。ヒトとは、ヒト属(ホモ属)であり、ホモ・サピエンスであり、つまり現生人類である我々人間です。
ここで No.221「なぜ痩せられないのか」を再度振り返ってみます。No.221 で書いた「運動による減量効果は限定的」ということについて、なぜそうなのかを進化人類学の視点から言うと、
運動したからといって痩せては困る |
からでしょう。つまり人類の進化の過程から考えると、
高い身体活動でどんどん痩せていくようだと、狩猟採集生活は成り立たない。 | |
運動しても大して痩せないからこそ、人類は狩猟採集で生き延びた。 |
と理解できると思いました。人類が狩猟採集を始めてから少なくとも200万年が経っています。農業は高々1万年程度の歴史しかありません。また、現代の農業を知っている人なら分かると思いますが、農業はそれなりの身体活動を伴います。機械化以前の農業ならなおさらです。身体活動量の少ない都市生活はこの100年程度のごく最近の話であり、200万年からすると無いに等しい短い期間です。
人間は200万年かけて運動に適応し、進化した。それが今の我々である。従って運動をしないと、いろいろとまずいことが起こる。そう理解できると思います。
人類学者は絶滅人類や類人猿の研究をします。それは「人とは何か」を探求するためだと言われます。では具体的に、探求の結果の答とはどういうものか。大学の研究者がアフリカに行き、絶滅人類の化石を発掘して、そこからどういう答が得られるのか。
ポンツァー准教授の解説には、絶滅人類や類人猿の研究から得られた「人とは何か」という問いに対する答の1つが書かれていて、その答は我々の日々の生活やライフスタイルと密接に関係しています。そのことが印象的でした。
2019-11-15 17:24
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No.241 - ウリ科野菜による中毒の危険性 [科学]
No.178「野菜は毒だから体によい」の関連記事です。No.178で書いたことを要約すると次のようになります。
ターメリックに関して思い出しましたが、よく「インド人には認知症が少ない」と言いますよね。これは疫学的にも確かなようです。これもホルミシスの効果かも、と思ったりします。
しかしホルミシスの原因物質は「微量だと益になる」わけで、毒素であることには変わりありません。薬か毒かは一つの物質の表と裏です。そしてそれは植物が敵(昆虫や動物)を撃退するために発達せた "毒" が本来の姿なのです。
この「植物に含まれる毒」に関して、意外にも身近な野菜で中毒を起こす場合があるという記事を最近読みました。今回はそれを紹介したいと思います。2018年8月9日の Yahoo Newsに、
と題したコラムが掲載されていました。書いたのはライター・編集者の石田雅彦氏です。石田氏は Yahoo News のプロフィールでは「横浜市立大学・共同研究員」「自然科学から社会科学まで多様な著述活動を行う」「日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会員」とあるので、今回のコラム記事に関して言うと "科学ジャーナリスト" が適切な肩書きだと思います。このコラムには13の引用文献が明示されていて、いかにも科学ジャーナリストという感じがしました。以下、石田氏の記事の内容を紹介します。
ウリ科野菜
ウリ科の植物は人類の歴史上、極めて古い作物や野菜を含んでいます。つまり、
などです。このウリ科植物を食べて、希に嘔吐や下痢などの中毒症状を起こすことが報告されています。原因物質はウリ科植物に含まれる苦味成分の "ククルビタシン"(Cucurbitacin。AからTまでの18種ある)です。ククルビタシンはウリ科植物以外にも、アブラナ科の植物や香木の沈香、ある種のキノコ(ベニタケやワカフサタケの仲間)、あるいは海の軟体動物にも含まれます。
ウリ科植物に含まれるククルビタシンによる中毒の事例は数々報告されています。石田氏の記事から紹介すると以下です(記事には引用元が明示されていますが省略しました)。
苦い野菜の代表格はゴーヤーですが、ゴーヤーの苦味はククルビタシンもありますが、そのほとんどは中毒を引き起こさないモモルジシン(momordicin)によるものです。沖縄ではゴーヤーの苦みに慣れっこになっています。石田氏の記事には「沖縄県では、ゴーヤーより苦いヘチマやユウガオは中毒の危険性があるので注意するように喚起しているが、ゴーヤーに慣れているせいか多少苦くても食べてしまうケースが多い」とありました。上の引用にあるヘチマ中毒が報告されたゆえんです。
普通、キュウリやスイカ、メロン、ズッキーニなど食用のウリ科植物には、ククルビタシンは含まれていないとされています。これらの野菜は長い品種改良の結果、苦味成分を除外し、ククルビタシンを含まないように栽培されてきたからです。
たとえばキュウリ(Cucumber)の原産地は中東と考えられていて、その後、東西へ伝えられて、日本でも古くから食用の野菜になってきました。キュウリの遺伝子を調べた研究によれば、野生種の苦いキュウリがこれまで4段階を経て品種改良され、食用になったことがわかったそうです。この研究では、キュウリの苦味が葉と実の遺伝子に分けられた結果、実のほうに苦味が少なくなったといいます。
このように食用野菜は安全なのですが、しかし連作や水やりの不足、温度変化、野生種や観賞用植物などからの花粉飛来や昆虫の受粉による交雑などの要因で、ククルビタシンを多く含むウリ科野菜ができてしまうことが希にあるようなのです。
石田氏は「キュウリやズッキーニ、ヘチマなどを食べる際には、切り口を少しなめてみて、もしも強烈な苦みがあり違和感があったらすぐ食べるのは避け、保健所などに相談したほうがいいだろう」と書いています。キュウリのヘタの部分が苦いことはありますが、切り口が苦いというのは普通ありません。普通は苦くない部分が苦いのは要注意、ということだと思います。
有毒な野生種を食用と見間違う
石田氏はさらにウリ科植物から離れて、有毒な野生種を食用の植物と見間違う場合があることに注意を喚起しています。
子供のころにヒガンバナ(彼岸花、曼珠沙華)は毒だと教えられたことがあります。日本で水田のあぜ道にヒガンバナが植えられたり、また墓地(昔は土葬)に植えられたりしたのは、ネズミ、モグラ、虫などがその毒性を嫌って忌避するようにという工夫だったようです。
ヒガンバナ科の植物に含まれるアルカロイドを「ヒガンバナ・アルカロイド」と総称しますが、その中のリコリンは有毒です。そしてスイセンもヒガンバナ科の植物であり、全草が有毒です。スイセンの葉は形だけを見るとニラとそっくりなので、誤食による中毒も起こるのでしょう。
自然毒のリスク・プロファイル
石田氏のコラム記事からは離れますが、厚生労働省はホームぺージの中に「自然毒のリスクプロファイル」というページを設けています。これは動物性自然毒(=魚介類の毒)と植物性自然毒(キノコ毒、および高等植物毒)に分けて、その毒性や中毒事例をまとめたものです。石田氏のコラムで紹介されている植物は「高等植物毒」のカテゴリーにあって、ウリ科植物ではユウガオの毒性が紹介されています。
「自然毒のリスクプロファイル」にある高等植物毒の中で少々意外なのはアジサイです。アジサイの葉は刺身のツマのように時々料理に添えられることがあり、それを食べた人が中毒症状を起こした事例があるようです。アジサイがなぜ中毒を起こすのか、まだ本質的な解明はされていないようです。
高等植物毒で最も有名で、かつ身近な野菜はジャガイモです。よく知られているようにジャガイモの芽と、光が当たって緑になった皮の部分にはソラニンという毒素が含まれています。中毒症状を起こす事例も毎年出ているようです。
No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で紹介しましたが、ジャガイモは南米のアンデス山脈の高地が原産です。山本紀夫氏「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会。2004)によると、アンデス高地には現在でもジャガイモの野生種が自生しています。しかし野生種は小指ほどの大きさしかなく、イモ全体にソラニンが含まれるため食用には向きません。この野生種から栽培種を作り出したのがアンデスの人々です。栽培種は、芽の部分にはソラニンがありますが、基本的に煮るだけで食べられます。この栽培種が全世界に広まり、19世紀ごろまでは「貧者の食べ物」として多くの人々の命をつないできたわです。
人類は農耕を始めてから、野生の植物を何とか食べられるように改良してきて、ジャガイモはその一例です。しかし本来、植物の毒は植物の防衛のためにできたものです。ウリ科植物に希に食中毒を起こす個体ができるというのは本来の姿が戻ったわけで、驚くに当たらないのでしょう。
ウリ科植物で中毒を起こすククルビタシンは、苦いと感じる物質です。この例のように「苦味」は基本的に「危険」のサインです。では「苦味」を忌避したらいいのかと言うと、そうではありません。No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」に書いたように、人体は苦味を感じるとその原因物質を排除しようと活性化します。それは安全な苦味(たとえばコーヒー)でも起こる。このメカニズムは最初に書いたホルミシスと同じです。ククルビタシンを含む植物が漢方薬でも使われるように、有害と有益は表裏一体なのです。我々は「ダメージにはならない程度の、ごく小さな危険」と常時接することにより、防御反応を活性化させ、それが体にとって有益になる ・・・・・・。それは、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いた、「微生物と常に接する環境でこそ人間は健康に過ごせる」ことと相似形だと思います。
2019年4月17日に群馬県でイヌサフランの誤食事故が発生しました。ギョウジャニンニクと誤認したそうです。ギョウジャニンニクはニンニク臭のある山菜で、"ギョウジャ" は山にこもる修験道の行者の意味です。厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」のページには、イヌサフランに似た草としてギョウジャニンニクがわざわざ掲げてあります。
山であれ、宅地の敷地内であれ、とにかく自生しているモノを食べるのは絶対に要注意、ということでしょう。
2019年6月に秋田県鹿角市で、イヌサフランの誤食による死亡事件が発生しました。今度はギョウジャニンニクではなく、"ウルイ" と誤認したようです。
ちなみにウルイとは、オオバギボウシ(大葉擬宝珠)の若葉で、春の山菜として賞味されます。Wikipediaには「サクッとした歯ごたえでクセがなく、育ちすぎた葉は苦いが、軽いぬめりも魅力である。乾燥させて保存食にも利用され、山かんぴょうの名もある」とあります。山形県ではハウス栽培もされ、また光を遮断して栽培したものを「雪うるい」というブランドで出荷しています(次の画像)。
別の報道では、死亡した女性の自宅敷地にはウルイも自生していたとありました。厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」にはイヌサフランと間違えやすい植物として、ギョウジャニンニクに加えて「ギボウシ」が写真とともに掲載されています。ウルイ(オオバギボウシ)はそのギボウシの一種です。とにかく、自生しているものを食する時には採取したものを1本1本、慎重に確認するのが必須ということでしょう。
2019年7月9日に、兵庫県宝塚市でジャガイモによる食中毒が発生しました。それを報じたNHK News(Web版)を以下に引用します。
このニュースで少々驚くのは、児童30人を指導した教員の方が「ジャガイモには毒が含まれる(ことがある)」という知識をもっていなかったことです。ジャガイモの芽の部分や緑に変色した皮が毒だというのは一般常識だと思っていましたが、どうもそうではないようです。プロの農家が栽培したジャガイモだから(芽が出ない限りは)安全なのです。アマチュア(しかも小学生)が栽培したジャガイモなどは注意すべきで、大阪市立大学の教授が言っているように「芽や緑色の皮をしっかり取り除くことが重要」なわけです。この程度の知識がない教員の方が小学生を指導し、ジャガイモを自家栽培し、それを調理実習に使うというのがびっくりです。しかも、ニュースによると全国の小学校で相次いでいるらしい。
No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で書いたように、ジャガイモは南米アンデス山脈の高地が原産地で、ソラニンの毒素のためにそのままでは食べられなかった野生種を、アンデスの民が品種改良をして食べられるようにしたものです。しかし完全に無毒というわけではない。
大事には至りませんでしがた、この "中毒事件" 起こした教員の方には是非、野菜(ジャガイモ)とその成り立ちにもっと興味を持って欲しいものです。
ニラと間違えてスイセンを食べるという中毒事件が、2019年11月21日に千葉県市川市で発生しました。何とこの "ニラ" は青果店で買ったものというのです。
普通、青果店で販売する野菜や果物は、青果市場から仕入れたものか、近隣の農家と契約して直接仕入れたもの(この場合はニラ農家から)だと信じていました。しかしどうも違うようです。
この青果店の店主は、山菜採りよろしく近くの雑木林に行って "ニラ" を刈り、原価ゼロの商品を通常価格で販売して利益を出そうとしたようです。しかも野菜についての知識が乏しい。
この「農家が栽培したもの以外の野菜が青果店で販売される」というのは、極めて特殊な例なのでしょうか。それとも氷山の一角なのでしょうか。気になりました。
2020年7月9日、長野県内でウリ科の野菜であるユウガオによる食中毒事件が発生しました。
ニュース記事の最後に「県内では昨年度も2件7人の食中毒が発生しています」とありますが、調べてみると1件は2019年7月(大町市:自家栽培のユウガオ)、もう1件は2019年9月(茅野市と松本市:同一の地場野菜販売所で購入したユウガオ)に発生していました。
補記1~5の "野菜" による食中毒事例をみると、野菜の入手先には、
・自生
・自家栽培
・農産物直売所
というパターンがあるようです。
◆ | 植物は昆虫や動物から守るため、毒素をもつように進化してきた。 | ||
◆ | これらの毒素のなかには人間にとって "ホルミシス" を起こすものがある。ホルミシスとは、少量を摂取すると有益だが、多量に摂取ると有毒になる現象を言う。 | ||
◆ | ホルミシスを起こす毒素を少量摂取すると、人間の体はそれを排除しようとして活性化する。これが人体にとって有益となる。 | ||
◆ | ホルミシスの一つの例だが、カレーの香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミン(黄色の物質)は、脳において活性酸素を除去する抗酸化酵素の生産を促進するように働く。これがアルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積を減少させる。 |
ターメリックに関して思い出しましたが、よく「インド人には認知症が少ない」と言いますよね。これは疫学的にも確かなようです。これもホルミシスの効果かも、と思ったりします。
しかしホルミシスの原因物質は「微量だと益になる」わけで、毒素であることには変わりありません。薬か毒かは一つの物質の表と裏です。そしてそれは植物が敵(昆虫や動物)を撃退するために発達せた "毒" が本来の姿なのです。
この「植物に含まれる毒」に関して、意外にも身近な野菜で中毒を起こす場合があるという記事を最近読みました。今回はそれを紹介したいと思います。2018年8月9日の Yahoo Newsに、
ズッキーニやヘチマなど「ウリ科野菜」中毒の危険性 |
と題したコラムが掲載されていました。書いたのはライター・編集者の石田雅彦氏です。石田氏は Yahoo News のプロフィールでは「横浜市立大学・共同研究員」「自然科学から社会科学まで多様な著述活動を行う」「日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会員」とあるので、今回のコラム記事に関して言うと "科学ジャーナリスト" が適切な肩書きだと思います。このコラムには13の引用文献が明示されていて、いかにも科学ジャーナリストという感じがしました。以下、石田氏の記事の内容を紹介します。
ウリ科野菜
ウリ科の植物は人類の歴史上、極めて古い作物や野菜を含んでいます。つまり、
・ | キュウリ | ||
・ | ズッキーニ | ||
・ | トウガン | ||
・ | ゴーヤー(ニガウリ、ツルレイシ) | ||
・ | ヒョウタン | ||
・ | ヘチマ | ||
・ | ユウガオ(カンピョウの原料になる) | ||
・ | カボチャ | ||
・ | メロン | ||
・ | スイカ | ||
・ | マクワウリ |
などです。このウリ科植物を食べて、希に嘔吐や下痢などの中毒症状を起こすことが報告されています。原因物質はウリ科植物に含まれる苦味成分の "ククルビタシン"(Cucurbitacin。AからTまでの18種ある)です。ククルビタシンはウリ科植物以外にも、アブラナ科の植物や香木の沈香、ある種のキノコ(ベニタケやワカフサタケの仲間)、あるいは海の軟体動物にも含まれます。
ウリ科植物に含まれるククルビタシンによる中毒の事例は数々報告されています。石田氏の記事から紹介すると以下です(記事には引用元が明示されていますが省略しました)。
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苦い野菜の代表格はゴーヤーですが、ゴーヤーの苦味はククルビタシンもありますが、そのほとんどは中毒を引き起こさないモモルジシン(momordicin)によるものです。沖縄ではゴーヤーの苦みに慣れっこになっています。石田氏の記事には「沖縄県では、ゴーヤーより苦いヘチマやユウガオは中毒の危険性があるので注意するように喚起しているが、ゴーヤーに慣れているせいか多少苦くても食べてしまうケースが多い」とありました。上の引用にあるヘチマ中毒が報告されたゆえんです。
普通、キュウリやスイカ、メロン、ズッキーニなど食用のウリ科植物には、ククルビタシンは含まれていないとされています。これらの野菜は長い品種改良の結果、苦味成分を除外し、ククルビタシンを含まないように栽培されてきたからです。
たとえばキュウリ(Cucumber)の原産地は中東と考えられていて、その後、東西へ伝えられて、日本でも古くから食用の野菜になってきました。キュウリの遺伝子を調べた研究によれば、野生種の苦いキュウリがこれまで4段階を経て品種改良され、食用になったことがわかったそうです。この研究では、キュウリの苦味が葉と実の遺伝子に分けられた結果、実のほうに苦味が少なくなったといいます。
このように食用野菜は安全なのですが、しかし連作や水やりの不足、温度変化、野生種や観賞用植物などからの花粉飛来や昆虫の受粉による交雑などの要因で、ククルビタシンを多く含むウリ科野菜ができてしまうことが希にあるようなのです。
石田氏は「キュウリやズッキーニ、ヘチマなどを食べる際には、切り口を少しなめてみて、もしも強烈な苦みがあり違和感があったらすぐ食べるのは避け、保健所などに相談したほうがいいだろう」と書いています。キュウリのヘタの部分が苦いことはありますが、切り口が苦いというのは普通ありません。普通は苦くない部分が苦いのは要注意、ということだと思います。
有毒な野生種を食用と見間違う
石田氏はさらにウリ科植物から離れて、有毒な野生種を食用の植物と見間違う場合があることに注意を喚起しています。
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子供のころにヒガンバナ(彼岸花、曼珠沙華)は毒だと教えられたことがあります。日本で水田のあぜ道にヒガンバナが植えられたり、また墓地(昔は土葬)に植えられたりしたのは、ネズミ、モグラ、虫などがその毒性を嫌って忌避するようにという工夫だったようです。
ヒガンバナ科の植物に含まれるアルカロイドを「ヒガンバナ・アルカロイド」と総称しますが、その中のリコリンは有毒です。そしてスイセンもヒガンバナ科の植物であり、全草が有毒です。スイセンの葉は形だけを見るとニラとそっくりなので、誤食による中毒も起こるのでしょう。
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イヌサフランの花と葉。いずれも有毒。
厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル」より
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ハシリドコロの若い芽生え(左。有毒)と、フキの花(フキノトウ)の芽生え(食用)
厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル」より
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自然毒のリスク・プロファイル
石田氏のコラム記事からは離れますが、厚生労働省はホームぺージの中に「自然毒のリスクプロファイル」というページを設けています。これは動物性自然毒(=魚介類の毒)と植物性自然毒(キノコ毒、および高等植物毒)に分けて、その毒性や中毒事例をまとめたものです。石田氏のコラムで紹介されている植物は「高等植物毒」のカテゴリーにあって、ウリ科植物ではユウガオの毒性が紹介されています。
「自然毒のリスクプロファイル」にある高等植物毒の中で少々意外なのはアジサイです。アジサイの葉は刺身のツマのように時々料理に添えられることがあり、それを食べた人が中毒症状を起こした事例があるようです。アジサイがなぜ中毒を起こすのか、まだ本質的な解明はされていないようです。
高等植物毒で最も有名で、かつ身近な野菜はジャガイモです。よく知られているようにジャガイモの芽と、光が当たって緑になった皮の部分にはソラニンという毒素が含まれています。中毒症状を起こす事例も毎年出ているようです。
No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で紹介しましたが、ジャガイモは南米のアンデス山脈の高地が原産です。山本紀夫氏「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会。2004)によると、アンデス高地には現在でもジャガイモの野生種が自生しています。しかし野生種は小指ほどの大きさしかなく、イモ全体にソラニンが含まれるため食用には向きません。この野生種から栽培種を作り出したのがアンデスの人々です。栽培種は、芽の部分にはソラニンがありますが、基本的に煮るだけで食べられます。この栽培種が全世界に広まり、19世紀ごろまでは「貧者の食べ物」として多くの人々の命をつないできたわです。
人類は農耕を始めてから、野生の植物を何とか食べられるように改良してきて、ジャガイモはその一例です。しかし本来、植物の毒は植物の防衛のためにできたものです。ウリ科植物に希に食中毒を起こす個体ができるというのは本来の姿が戻ったわけで、驚くに当たらないのでしょう。
ウリ科植物で中毒を起こすククルビタシンは、苦いと感じる物質です。この例のように「苦味」は基本的に「危険」のサインです。では「苦味」を忌避したらいいのかと言うと、そうではありません。No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」に書いたように、人体は苦味を感じるとその原因物質を排除しようと活性化します。それは安全な苦味(たとえばコーヒー)でも起こる。このメカニズムは最初に書いたホルミシスと同じです。ククルビタシンを含む植物が漢方薬でも使われるように、有害と有益は表裏一体なのです。我々は「ダメージにはならない程度の、ごく小さな危険」と常時接することにより、防御反応を活性化させ、それが体にとって有益になる ・・・・・・。それは、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いた、「微生物と常に接する環境でこそ人間は健康に過ごせる」ことと相似形だと思います。
 補記1  |
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ギョウジャニンニクの葉
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(2019.4.21)
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山であれ、宅地の敷地内であれ、とにかく自生しているモノを食べるのは絶対に要注意、ということでしょう。
(2019.4.23)
 補記2  |
2019年6月に秋田県鹿角市で、イヌサフランの誤食による死亡事件が発生しました。今度はギョウジャニンニクではなく、"ウルイ" と誤認したようです。
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ちなみにウルイとは、オオバギボウシ(大葉擬宝珠)の若葉で、春の山菜として賞味されます。Wikipediaには「サクッとした歯ごたえでクセがなく、育ちすぎた葉は苦いが、軽いぬめりも魅力である。乾燥させて保存食にも利用され、山かんぴょうの名もある」とあります。山形県ではハウス栽培もされ、また光を遮断して栽培したものを「雪うるい」というブランドで出荷しています(次の画像)。
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ウルイ(左画像)と、山形のブランドである「雪うるい」(右画像。光を遮断して栽培したもの)。「おいしい山形」ホームページより。 |
別の報道では、死亡した女性の自宅敷地にはウルイも自生していたとありました。厚生労働省の「自然毒のリスクプロファイル」にはイヌサフランと間違えやすい植物として、ギョウジャニンニクに加えて「ギボウシ」が写真とともに掲載されています。ウルイ(オオバギボウシ)はそのギボウシの一種です。とにかく、自生しているものを食する時には採取したものを1本1本、慎重に確認するのが必須ということでしょう。
(2019.6.6)
 補記3  |
2019年7月9日に、兵庫県宝塚市でジャガイモによる食中毒が発生しました。それを報じたNHK News(Web版)を以下に引用します。
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このニュースで少々驚くのは、児童30人を指導した教員の方が「ジャガイモには毒が含まれる(ことがある)」という知識をもっていなかったことです。ジャガイモの芽の部分や緑に変色した皮が毒だというのは一般常識だと思っていましたが、どうもそうではないようです。プロの農家が栽培したジャガイモだから(芽が出ない限りは)安全なのです。アマチュア(しかも小学生)が栽培したジャガイモなどは注意すべきで、大阪市立大学の教授が言っているように「芽や緑色の皮をしっかり取り除くことが重要」なわけです。この程度の知識がない教員の方が小学生を指導し、ジャガイモを自家栽培し、それを調理実習に使うというのがびっくりです。しかも、ニュースによると全国の小学校で相次いでいるらしい。
No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で書いたように、ジャガイモは南米アンデス山脈の高地が原産地で、ソラニンの毒素のためにそのままでは食べられなかった野生種を、アンデスの民が品種改良をして食べられるようにしたものです。しかし完全に無毒というわけではない。
大事には至りませんでしがた、この "中毒事件" 起こした教員の方には是非、野菜(ジャガイモ)とその成り立ちにもっと興味を持って欲しいものです。
(2019.7.17)
 補記4  |
ニラと間違えてスイセンを食べるという中毒事件が、2019年11月21日に千葉県市川市で発生しました。何とこの "ニラ" は青果店で買ったものというのです。
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(NHK New Web より) |
普通、青果店で販売する野菜や果物は、青果市場から仕入れたものか、近隣の農家と契約して直接仕入れたもの(この場合はニラ農家から)だと信じていました。しかしどうも違うようです。
この青果店の店主は、山菜採りよろしく近くの雑木林に行って "ニラ" を刈り、原価ゼロの商品を通常価格で販売して利益を出そうとしたようです。しかも野菜についての知識が乏しい。
この「農家が栽培したもの以外の野菜が青果店で販売される」というのは、極めて特殊な例なのでしょうか。それとも氷山の一角なのでしょうか。気になりました。
(2019.12.1)
 補記5  |
2020年7月9日、長野県内でウリ科の野菜であるユウガオによる食中毒事件が発生しました。
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ユウガオ |
ニュース記事の最後に「県内では昨年度も2件7人の食中毒が発生しています」とありますが、調べてみると1件は2019年7月(大町市:自家栽培のユウガオ)、もう1件は2019年9月(茅野市と松本市:同一の地場野菜販売所で購入したユウガオ)に発生していました。
補記1~5の "野菜" による食中毒事例をみると、野菜の入手先には、
・自生
・自家栽培
・農産物直売所
というパターンがあるようです。
(2020.7.13)
2018-09-17 22:17
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No.238 - 我々は脳に裏切られる [科学]
No.149「我々は直感に裏切られる」で、極めて大きな数を私たちは想像できず、そのために直感が働かないという話を書きました。23人のクラスで同じ誕生日の人がいる確率は 50% 以上もあるとか(= バースデー・パラドックス)、10都市を巡回する全ての経路を総当たりで調べるのは家庭用パソコンで2秒で可能だが、32都市となるとスーパーコンピュータ "京" を宇宙の年齢(135億年)だけ動かしても絶対に不可能、といった話でした(総当たりでは不可能という意味)。これらの裏に潜んでいるのは日常生活とは全くかけ離れた大きさの数であり、それが直感に反する結果を招くのです。
今回は、それとは別の直感が裏切られる例をとりあげます。視覚が騙される例、いわゆる "錯視" です。もちろん錯視は昔から心理学の重要な研究テーマであり、数々の錯視図形が作られてきました。その多くは平面図形ですが、今回とりあげるのは立体の錯視です。
明治大学の杉原厚吉教授は数理工学が専門ですが、数々の立体錯視の例を作ってきた(= 発見してきた)方です。その杉原教授が日経サイエンスの2018年8月号に「立体錯視と脳の働きの関係」についての解説を書かれていました。大変興味深い内容だったので、それを紹介したいと思います。それは「我々が視覚によってまわりの立体物をどうやって認識しているのか」というテーマと深く関わっています。そしてこのテーマは人工知能の研究の重要な領域です。
エッシャーの不可能立体
杉原教授が立体の錯視に取り組まれたのはエッシャーの作品の影響が大きいようです。エッシャーの作品を一言でいうと「不可思議な絵(版画)」です。画面を鳥やトカゲが隙間なく埋め尽していたり、蜂が次第に魚に変身していくさまだったりと、いろいろありますが、「不可能立体」による "だまし絵" もエッシャー作品の大きなジャンルになっています。
杉原教授があげているエッシャーの《上昇と下降》、《ベルヴェデーレ(物見の塔)》、《滝》の3作品は非常に有名なので、多くの人が知っていると思います。そのうちの《ベルヴェデーレ(物見の塔)》が下図です。
この作品の1階と2階の関係の中に不可能立体が含まれています。また左下で腰かけている男性が持っている立体も、直方体のフレームとしてはありえない構造をしています。
不可能立体とは「絵には描けるけれど物理的な実体としては不可能な立体」ですが、実は工夫をすれば物理的実体として作ることができます。ただし、従来のやりかたは「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使うものでした。「不連続のトリック」とは、物理的実体として不連続だが、ある視点からみるとあたかもつながっているように見えるというトリックです。また「曲面のトリック」とは、実際はぐにゃっとした立体だが、ある視点から見たときだけ平面からできた立体に見えるというトリックです。ペンローズの3角形と呼ばれる有名な不可能立体を、この2つのトリックで作成した例が次の図です。
ここからが重要な話になります。実は、エッシャーの物見の塔の不可能立体は「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使わなくても物理的実体として作成できることを杉原教授は発見しました。
杉原教授もあげているエッシャーの有名な作品に《上昇と下降》があります。建物の屋上を周回する階段が描かれていますが、上り続ける人はいつまでも上り続け、下る人はいつまでも下る「無限巡回階段」になっています。
杉原教授はこの「無限巡回階段」も物理的に作成できることを示しました。それが次の図です。
「杉原版・物見の塔」と「杉原版・上昇と下降」における重要なポイントは、
の3点です。また、上の引用のところで杉原教授は「線図形からそこに描かれている立体図形を自動抽出できるロボットの目を開発しようという研究の中で私はこのトリックを見つけた」と書いていますが、ここも重要なポイントです。
人間の網膜に写る外界の像は平面です。人間の脳はそこから外界の立体とそれらの位置関係を推定します。それを無意識にリアルタイムに直感的に行っています。どうしてそれができるのか。目が2つあるからというのは当たりません。確かに両目の視差で奥行きが推定できますが、たとえ片目でも、かつ、全く初めての光景に出会ったとしても、立体とその位置関係が推定できます(ためしにやってみると分かる)。
ロボットやそれに相当する機械(自動運転のクルマや建機など)の "眼" も平面の画像センサーでできていて、基本的に人間の目と同じです。周りの状況に応じて動きが変化する精密なロボットを作ろうとすると(たとえば乱雑に置かれたモノを掴むロボット)、平面の画像がら立体を推定する必要がでてきます。クルマで言うとスバルのアイサイトのようなステレオカメラを使うこともできますが、コストアップになるし調整も大変です。あくまで1個のレンズとセンサーで実現したい。
このとき、人間がどうやって立体の認識をしているのかが解明されると、それをロボットに応用できる可能性が大です。杉原教授の研究と産業応用の関係はそうなります。
非直角のトリックによる立体錯視
人間は網膜に映る2次元画像から3次元をどうやって推定しているのでしょうか。下図のように、同一の網膜画像に帰着する3次元形状は無限にあります。これらの中から人間は特定のものを直感的に選択しています。「ものを見る」ということはそういうことです。
人間はその選択をどうやっているのか。そのことを推測できる立体錯視を杉原教授は作成しています。
「脳は、画像に映っている立体の無限の可能性の中から直角のなるべく多いものを選らんで即座に思い浮かべてしまう」というのが、杉原教授の仮説です。この脳の作用と関係する錯視が、つぎの変身立体です。
変身立体
杉原教授は、ある特定の2方向から見ると全く違った形に見えてしまう立体を作成しました。鏡を使うとこの錯視が非常に効果的になります。下の写真の左は、そのまま見ると円柱に見え、鏡を通してみると4角柱に見えます。杉原教授はこのような立体を「変身立体」と名付けました。
一つの視点からみると円弧に見え、別の視点から見ると2直線に見える空間曲線の作り方を示したのが次の図です。
杉原教授は「変身立体」は2016年の「Best Illusion of the Year Contest」で準優勝しました。その時の動画がYouTubeに公開されています。3Dプリンタの出現によって初めて製作可能になった立体と言えるでしょう。
立体錯視が提示する課題
立体錯視を起こす人間の脳の振る舞いは、心理学・認知科学・脳科学へ新たな研究課題を提供しているようです。杉原教授はそれを2つに分けて説明しています。
動物実験という手はあります。つまり、動物を直角の無い環境で育てることは可能です。ただし、動物が立体錯視を起こしているかをどうやって調べるのか、その方法論が問題です。また、杉原教授もことわっているように「脳は直角を好む」というのは、現時点では仮説です。
脳の高度な情報処理
立体錯視は脳の働きによって起こります。つまり脳が現実を裏切ることになるわけです。それはもちろん "脳を騙す" ような立体を人間が意図的に構成したからです。このことを裏返すとどうなるかと言うと、
ということです。もちろん意図的に脳の "裏をかく" ことはできます。しかしほとんどの場合、脳の瞬時の情報処理は正しいし、我々はそれで問題なく生活しています。脳は2次元画像から物体の形を推定するだけでなく、複数の物体の位置関係を把握します。それは "あたりまえ" であり、我々が疑問をもつことがありません。しかし考えてみると、これはすごいことです。もしコンピュータに(AI技術も駆使して)やらせようとすると非常に難しい。
画像から物体を認識することだけなら実用化されています。たとえば前方衝突防止ブレーキがついたクルマでは、この機能を単眼カメラの画像だけでやっています。これは前方にあるクルマ、歩行者、バイク、自転車など、道路の上によく現れる物体の知識をもとにして画像から物体を判定しているわけです。そして道路と物体の接地部分を画像で判定し、単眼カメラの地上高と仰角から三角測量の原理で距離を計算している。つまり「事前知識をもとに画像から物体を検出し、物体までの距離を推定する」ことなら実用になっています。しかし、人間の脳がやっているような「事前知識なしに、画像だけから物体の3次元的な形状を推定する」のは、それとはレベルがかなり違います。
以上のことを考えると、人間の脳の働きは大変に高度であり、3次元形状を推定することだけをとってみても解明できていないことが分かります。No.233「AI vs.教科書が読めない子どもたち(1)」で紹介したように、国立情報学研究所の新井紀子教授は、
との主旨を書いていましたが、それが思い出されます。もちろん「実用上十分な範囲で、画像から3次元物体形状を推定する」のは、今までも研究されてきたし、今後も研究されるでしょう。立体錯視も「ロボットの目を開発しようという研究」から始まったのでした。杉原教授も、人が立体を認識するメカニズムについて「心理学・認知科学・脳科学などの成果で近い将来、答えが見つかることを期待したい」と書いています。ともかく、
の3つは「3次元世界と、それを覗く2次元の窓(眼)の関係」という意味で、密接に関係していることがよく理解できました。
杉原教授の公開動画
立体錯視や変身立体は動画で見るのが最適です。杉原教授が作られた「不可能モーション(立体錯視)」と「多義柱体(変身立体)」の動画が YouTube で多数公開されています。そのリンクを掲げておきます。
◆不可能モーション2(2009)
◆不可能モーション3(2010)
◆不可能モーション4(2012)
◆不可能モーション5(2013)
◆不可能モーション6(2014)
◆多義柱体1(2014)
◆多義柱体2(2015)
◆多義柱体3(2015)
◆多義柱体4(2016)
今回は、それとは別の直感が裏切られる例をとりあげます。視覚が騙される例、いわゆる "錯視" です。もちろん錯視は昔から心理学の重要な研究テーマであり、数々の錯視図形が作られてきました。その多くは平面図形ですが、今回とりあげるのは立体の錯視です。
明治大学の杉原厚吉教授は数理工学が専門ですが、数々の立体錯視の例を作ってきた(= 発見してきた)方です。その杉原教授が日経サイエンスの2018年8月号に「立体錯視と脳の働きの関係」についての解説を書かれていました。大変興味深い内容だったので、それを紹介したいと思います。それは「我々が視覚によってまわりの立体物をどうやって認識しているのか」というテーマと深く関わっています。そしてこのテーマは人工知能の研究の重要な領域です。
エッシャーの不可能立体
杉原教授が立体の錯視に取り組まれたのはエッシャーの作品の影響が大きいようです。エッシャーの作品を一言でいうと「不可思議な絵(版画)」です。画面を鳥やトカゲが隙間なく埋め尽していたり、蜂が次第に魚に変身していくさまだったりと、いろいろありますが、「不可能立体」による "だまし絵" もエッシャー作品の大きなジャンルになっています。
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杉原教授があげているエッシャーの《上昇と下降》、《ベルヴェデーレ(物見の塔)》、《滝》の3作品は非常に有名なので、多くの人が知っていると思います。そのうちの《ベルヴェデーレ(物見の塔)》が下図です。
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エッシャー
「ベルヴェデーレ(物見の塔)」1958年
(site : www.mcescher.com)
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この作品の1階と2階の関係の中に不可能立体が含まれています。また左下で腰かけている男性が持っている立体も、直方体のフレームとしてはありえない構造をしています。
不可能立体とは「絵には描けるけれど物理的な実体としては不可能な立体」ですが、実は工夫をすれば物理的実体として作ることができます。ただし、従来のやりかたは「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使うものでした。「不連続のトリック」とは、物理的実体として不連続だが、ある視点からみるとあたかもつながっているように見えるというトリックです。また「曲面のトリック」とは、実際はぐにゃっとした立体だが、ある視点から見たときだけ平面からできた立体に見えるというトリックです。ペンローズの3角形と呼ばれる有名な不可能立体を、この2つのトリックで作成した例が次の図です。
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ペンローズの3角形の立体化
ペンローズの3角形(a, c)を、不連続のトリック(b)と曲面のトリック(d)で立体化したもの
(日経サイエンス 2018.8)
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ここからが重要な話になります。実は、エッシャーの物見の塔の不可能立体は「不連続のトリック」や「曲面のトリック」を使わなくても物理的実体として作成できることを杉原教授は発見しました。
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杉原版・物見の塔
(日経サイエンス 2018.8) |
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杉原教授もあげているエッシャーの有名な作品に《上昇と下降》があります。建物の屋上を周回する階段が描かれていますが、上り続ける人はいつまでも上り続け、下る人はいつまでも下る「無限巡回階段」になっています。
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エッシャー
「上昇と下降」(1960年)
(site : www.mcescher.com)
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杉原教授はこの「無限巡回階段」も物理的に作成できることを示しました。それが次の図です。
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杉原版・上昇と下降
上の写真の位置から見ると「無限巡回階段」のように見えるが、実は下の写真のように "無限上昇(下降)" はしていない。
「不可能立体と不可能モーション」 国立情報学研究所セミナー (2011.6.2)より |
「杉原版・物見の塔」と「杉原版・上昇と下降」における重要なポイントは、
◆ | つながって見えるところは、物理的実体としてもつながっている。 | ||
◆ | 平面に見えるところは、物理的実体としても平面である。 | ||
◆ | しかし直角に見えるところに非直角を使っている。 |
の3点です。また、上の引用のところで杉原教授は「線図形からそこに描かれている立体図形を自動抽出できるロボットの目を開発しようという研究の中で私はこのトリックを見つけた」と書いていますが、ここも重要なポイントです。
人間の網膜に写る外界の像は平面です。人間の脳はそこから外界の立体とそれらの位置関係を推定します。それを無意識にリアルタイムに直感的に行っています。どうしてそれができるのか。目が2つあるからというのは当たりません。確かに両目の視差で奥行きが推定できますが、たとえ片目でも、かつ、全く初めての光景に出会ったとしても、立体とその位置関係が推定できます(ためしにやってみると分かる)。
ロボットやそれに相当する機械(自動運転のクルマや建機など)の "眼" も平面の画像センサーでできていて、基本的に人間の目と同じです。周りの状況に応じて動きが変化する精密なロボットを作ろうとすると(たとえば乱雑に置かれたモノを掴むロボット)、平面の画像がら立体を推定する必要がでてきます。クルマで言うとスバルのアイサイトのようなステレオカメラを使うこともできますが、コストアップになるし調整も大変です。あくまで1個のレンズとセンサーで実現したい。
このとき、人間がどうやって立体の認識をしているのかが解明されると、それをロボットに応用できる可能性が大です。杉原教授の研究と産業応用の関係はそうなります。
非直角のトリックによる立体錯視
人間は網膜に映る2次元画像から3次元をどうやって推定しているのでしょうか。下図のように、同一の網膜画像に帰着する3次元形状は無限にあります。これらの中から人間は特定のものを直感的に選択しています。「ものを見る」ということはそういうことです。
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実世界を認識する目
網膜に映る2次元画像を作れる立体は1つではなく、無限の可能性がある。脳はその中から特定のものを直感的に選択している。
(日経サイエンス 2018.8)
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人間はその選択をどうやっているのか。そのことを推測できる立体錯視を杉原教授は作成しています。
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縦横に配置された4角柱(上)に、硬い赤の輪をかけられる(中)。実は柱の配置はみかけとは全く異なる(下)。
(日経サイエンス 2018.8)
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「脳は、画像に映っている立体の無限の可能性の中から直角のなるべく多いものを選らんで即座に思い浮かべてしまう」というのが、杉原教授の仮説です。この脳の作用と関係する錯視が、つぎの変身立体です。
変身立体
杉原教授は、ある特定の2方向から見ると全く違った形に見えてしまう立体を作成しました。鏡を使うとこの錯視が非常に効果的になります。下の写真の左は、そのまま見ると円柱に見え、鏡を通してみると4角柱に見えます。杉原教授はこのような立体を「変身立体」と名付けました。
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変身立体
直接見ると円柱に見えるが、鏡を通して見ると4角柱に見える(左)。実際の物体はそのどちらでもない形をしている(右)。
(日経サイエンス 2018.8)
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一つの視点からみると円弧に見え、別の視点から見ると2直線に見える空間曲線の作り方を示したのが次の図です。
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変身立体の作り方
水平面 H の上に円弧 A と 2直線 B がある。円弧上を動く点 P をとり、視点 E と視点 F と点 P を含む平面 S を考える。2直線 B と平面 S の交点を Q とし、直線 EP と直線FQ が交わる点を R とする。P が A の上を動くときに Q も B の上を動くが、P と Q の1対1対応がとれるように A と B を決めれば、点 R の軌跡が求める空間曲線 C となる。C を平面 H と垂直な方向に一定距離だけスイープさせれば変身立体の側面ができあがる。この図から、鏡を使って "変身" を演出するためには、鏡の上を手前に少し傾ける必要があることがわかる。
(日経サイエンス 2018.8)
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杉原教授は「変身立体」は2016年の「Best Illusion of the Year Contest」で準優勝しました。その時の動画がYouTubeに公開されています。3Dプリンタの出現によって初めて製作可能になった立体と言えるでしょう。
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(YouTubeより)
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立体錯視が提示する課題
立体錯視を起こす人間の脳の振る舞いは、心理学・認知科学・脳科学へ新たな研究課題を提供しているようです。杉原教授はそれを2つに分けて説明しています。
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動物実験という手はあります。つまり、動物を直角の無い環境で育てることは可能です。ただし、動物が立体錯視を起こしているかをどうやって調べるのか、その方法論が問題です。また、杉原教授もことわっているように「脳は直角を好む」というのは、現時点では仮説です。
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脳の高度な情報処理
立体錯視は脳の働きによって起こります。つまり脳が現実を裏切ることになるわけです。それはもちろん "脳を騙す" ような立体を人間が意図的に構成したからです。このことを裏返すとどうなるかと言うと、
脳は少ない情報(2次元画像)から立体を推定するという高度な情報処理を瞬時にやっている |
ということです。もちろん意図的に脳の "裏をかく" ことはできます。しかしほとんどの場合、脳の瞬時の情報処理は正しいし、我々はそれで問題なく生活しています。脳は2次元画像から物体の形を推定するだけでなく、複数の物体の位置関係を把握します。それは "あたりまえ" であり、我々が疑問をもつことがありません。しかし考えてみると、これはすごいことです。もしコンピュータに(AI技術も駆使して)やらせようとすると非常に難しい。
画像から物体を認識することだけなら実用化されています。たとえば前方衝突防止ブレーキがついたクルマでは、この機能を単眼カメラの画像だけでやっています。これは前方にあるクルマ、歩行者、バイク、自転車など、道路の上によく現れる物体の知識をもとにして画像から物体を判定しているわけです。そして道路と物体の接地部分を画像で判定し、単眼カメラの地上高と仰角から三角測量の原理で距離を計算している。つまり「事前知識をもとに画像から物体を検出し、物体までの距離を推定する」ことなら実用になっています。しかし、人間の脳がやっているような「事前知識なしに、画像だけから物体の3次元的な形状を推定する」のは、それとはレベルがかなり違います。
以上のことを考えると、人間の脳の働きは大変に高度であり、3次元形状を推定することだけをとってみても解明できていないことが分かります。No.233「AI vs.教科書が読めない子どもたち(1)」で紹介したように、国立情報学研究所の新井紀子教授は、
人間の知性と同等ベルのAI(=真の意味でのAI)はまず無理である。なぜかというと、人間の知能の原理が解明されていないからであり、解明するにも人間の知能を科学的に観測する方法がそもそもないからだ。自分の脳がどう動いているか、何を感じていて、何を考えているかは、自分自身もモニターできない。 |
との主旨を書いていましたが、それが思い出されます。もちろん「実用上十分な範囲で、画像から3次元物体形状を推定する」のは、今までも研究されてきたし、今後も研究されるでしょう。立体錯視も「ロボットの目を開発しようという研究」から始まったのでした。杉原教授も、人が立体を認識するメカニズムについて「心理学・認知科学・脳科学などの成果で近い将来、答えが見つかることを期待したい」と書いています。ともかく、
◆ | エッシャーの不可能立体 | ||
◆ | 立体錯視 | ||
◆ | 立体形状を推定できるロボットの眼 |
の3つは「3次元世界と、それを覗く2次元の窓(眼)の関係」という意味で、密接に関係していることがよく理解できました。
杉原教授の公開動画
立体錯視や変身立体は動画で見るのが最適です。杉原教授が作られた「不可能モーション(立体錯視)」と「多義柱体(変身立体)」の動画が YouTube で多数公開されています。そのリンクを掲げておきます。
◆不可能モーション2(2009)
◆不可能モーション3(2010)
◆不可能モーション4(2012)
◆不可能モーション5(2013)
◆不可能モーション6(2014)
◆多義柱体1(2014)
◆多義柱体2(2015)
◆多義柱体3(2015)
◆多義柱体4(2016)
2018-08-03 19:37
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No.229 - 糖尿病の発症をウイルスが抑止する [科学]
今回は、No.225「手を洗いすぎてはいけない」と同じく、No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 をごく簡単に一言で要約すると、
ということでした。「衛生仮説」と呼ばれているものです。その No.119 の中に糖尿病のことがありました。今回はその糖尿病の話です。
糖尿病には「1型糖尿病」と「2型糖尿病」があります。我々がふつう糖尿病と呼ぶのは「2型糖尿病」のことで、肥満や過食といった生活習慣から発症するものです。もちろん、生活習慣から発症するといっても2型糖尿病になりやすい遺伝的体質があります。No.226「血糖と糖質制限」で書いた糖質制限は、もともと2型糖尿病を治療するためのものでした。
一方、「1型糖尿病」は遺伝で決まる自己免疫疾患です。幼少期から20歳以下の年齢で発症するので、小児糖尿病とか若年性糖尿病とも言われます。これは、膵臓にある膵島(ランゲルハンス島)を攻撃する自己免疫細胞が体内で作られ、膵島のβ細胞で生成されるインスリンが作られにくくなり(あるいは作られなくなり)、血糖値が上昇したままになって糖尿病になるというタイプです。No.119 で、この「1型糖尿病」について次の意味のことを書きました。
この「1型糖尿病の発症を押さえる要因」とは何か、最近になってそれが解明されつつあります。それは No.119-120「"不在" という伝染病」のテーマであった「微生物と免疫関連疾患」に関係しています。そのことを「日経サイエンス」の記事から紹介します。
衛生仮説と1型糖尿病
日経サイエンスの2018年4月号に「1型糖尿病ワクチン - 衛生仮説が示す可能性」という解説記事が掲載されました。著者はアメリカのクレイトン大学(ネブラスカ州)のドレッシャー教授と、ネブラスカ大学のトレイシー教授です。この記事はまず、副題にある「衛生仮説」からはじまります。
引用に出てくるポリオ(いわゆる小児麻痺)はポリオウイルスによって引き起こされますが、19世紀後半以降に大流行しました。多発性硬化症は神経細胞の保護膜(=ミエリン鞘。No.169「10代の脳」参照)を免疫系が攻撃する自己免疫疾患で、20世紀後半に世界のいくつかの地域で倍増しました。ドレッシャー、トレイシー両教授の研究テーマである1型糖尿病(=自己免疫疾患)も同様で、20世紀前半に増え始め、1950年代に激増しました。
激増する1型糖尿病
2型糖尿病と違って1型糖尿病は肥満や過食などの生活習慣が原因ではありません。遺伝性の自己免疫疾患で、発症リスクを高める遺伝子がいくつかあることが分かっています。しかし20世紀後半の1型糖尿病の急増の原因が遺伝子の変化ではありえません。DNAはこのような短期間では変化しないからです。急増は何らかの環境要因によるものと考えられます。
興味深いことに「赤道から遠く離れるほど発症例が多くなる」という研究が複数あります。ということは、日光を浴びると体内で作られるビタミンDが欠乏すると発症例が多くなるのかと疑われますが、そうでもないのです。フィンランドなどのいくつかの北国で「日照時間の短い地域よりも長い地域で1型糖尿病の有病率が高い」ことが疫学調査で分かったからです。
さまざまな環境要因が検討されるなかで、ある種のウイルスが1型糖尿病の発症に深くかかわっている疑いが出てきました。
エンテロウイルスと1型糖尿病
エンテロウイルスと総称されるウイルス群があります。エンテロとは古代ギリシャ語で "腸" を意味し、その名のとおり腸で増殖するウイルスの総称です。小児麻痺を引き起こすポリオウイルスはエンテロウイルスの仲間です。また手足口病もエンテロウイルスで引き起こされます。このエンテロウイルスが1型糖尿病の発症と進行にかかわっているという報告が相次ぐようになりました。
エンテロウイルスは100種以上のウイルスの総称で、その中のいくつかが1型糖尿病と関わっているようです。「コクサッキーB群」と呼ばれる6種のエンテロウイルスも関係が疑われるものです。
一般的にあるウイルスが病気の原因であることを証明するためには、患部からウイルスを単離する必要があります。しかし人間の膵臓から組織を安全に採取するのは外科的に極めて困難です。そこで著者たちはマウスを使って実験をはじめました。
「NODマウス」という系統のマウスがあります。NOD とは Non-Obese Diabetic の略で、直訳すると "非肥満性糖尿病の" です。糖尿病だが肥満ではない、つまり "1型糖尿病の" という意味です。その名のとおり NODマウスは何もしなくても1型糖尿病を発症します。さらに NODマウスはコクサッキーB群ウイルスによく感染することが分かりました。そこで著者たちは、NODマウスとコクサッキーB群ウイルスを使って実験を始めました。
若いNODマウスにコクサッキーB型ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症リスクが大幅に減るという実験結果が得られました。では、コクサッキーB群ウイルスが1型糖尿病の発症を防ぐメカニズムはどうなっているのでしょうか。それを調べるため、著者たちはさまざまな年齢のNODマウスで実験をしました。
両教授の結論は、1型糖尿病はまだ発症していない段階だが、膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されて炎症を起こしている段階でコクサッキーB群ウイルスに感染するとウイルスが1型糖尿病の発症を早める、ということです。コクサッキーB群ウイルスは、若い NODマウスに感染するときと、成熟した NODマウスに感染するときでは働きが違うわけです。
ウイルスの感染によって病気が発症したり症状が悪化するという話は比較的わかりやすいものです。ではなぜ、若いNODマウスにコクサッキーB群ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症が抑えられるのでしょうか。その理由は別の研究者が解明しました。
ここでまた出てきたのは、大阪大学の坂口教授が発見した「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」です。"また" というのは、このブログで制御性T細胞について過去に2回書いたからです。
人間の体内に入り込んだ微生物は、人間の免疫系の攻撃を避けるために免疫を抑制する制御性T細胞の生成を促すことがあります。微生物が人間の自己免疫病の発現を抑制する一つの原理がこれです。
ウイルスが1型糖尿病の発症と進行を左右する
以上の「エンテロウイルスと1型糖尿病の関係」をまとめた分かりやすい図が解説記事に載っていました。その図を下に引用します。この図は A、B、C、D の4つのケースで示してあります。それぞれのケースは以下のようです。
1型糖尿病のリスクがないマウスの膵臓にエンテロウイルスが感染しても免疫系がそれを撃退する。
1型糖尿病のリスクがある高齢マウスの膵島は、すでに自己免疫性T細胞によって損傷している。そこにエンテロウイルスが感染すると1型糖尿病が発症する(発症が早まる)。
1型糖尿病のリスクがある若いマウスにエンテロウイルスが感染すると、制御性T細胞が生成され、エンテロウイルスは撃退される。制御性T細胞はその後長期間に渡って膵臓にとどまり、膵臓は自己免疫反応に対する抵抗性を獲得する。
Cのマウスが高齢になったとしても、制御性T細胞の存在によって自己免疫性T細胞の生成が抑制され、膵島は損傷しない。またエンテロウイルスが感染しても撃退される。1型糖尿病は発症しない。
1型糖尿病予防ワクチン
NODマウスでの観察と同様のことが1型糖尿病遺伝子をもつ人間でも起こるとしたら(起こっているとしたら)、病気の発症を防ぐ手段がありうることになります。つまり、幼少期に人為的にエンテロウイルスに感染させれば、1型糖尿病の発症を抑止できる可能性があるわけです。こういった「人為的感染」は医学における長い歴史があります。それはジェンナーの種痘以来、病気の予防に多大な貢献をしてきた「ワクチン」です。
ワクチンには何種類かのタイプがありますが、まず「弱毒化生ワクチン」です。これはウイルスの発病能力を弱めたもので、ウイルスが体内で増殖するため効果が持続します。ただし病原性のウイルスに変異するリスクがあります。これに対して「不活性化ワクチン」はウイルスを増殖しないように "殺した" もので、リスクはありませんが、いずれ体内から消えてしまうので一般には再接種が必要になります。
実は、エンテロウイルスに対するワクチンで病気の撲滅に至った歴史があります。ポリオ(小児麻痺)です。ポリオウイルスもエンテロウイルスの一種です。ポリオは19世紀後半から流行が始まり、20世紀には数万人が死亡し、数百万人が身体障害者になりました。しかしワクチンが開発され(不活性化ワクチンと弱毒化生ワクチンの両方)その接種が徹底されたため、現在、ポリオの流行は世界でわずか3カ国だけになりました。
ポリオワクチンを接種すると体の中にポリオウイルスを攻撃する抗体ができ、それが記憶されるので、ポリオに罹患しなくなります。いわゆる "免疫記憶" であり、このメカニズムは No.69-70「自己と非自己の科学」に詳述しました。ポリオワクチンの特徴は、安全で効果抜群であることです。それでポリオはほとんど根絶されるに至った。だとしたら、同じエンテロウイルスの仲間である「1型糖尿病の発症を抑止するウイルス」のワクチンを作ればよいはずです。ウイルスに罹患しないことと自己免疫疾患を発症しないことは原理が違いますが、同様のワクチンで可能なはずです。
上の引用に出てきたフィンランドのウイルス学者、フィオテは、フィンランドのバイオ医薬企業、ワクテク社の会長です。ワクテク社はコクサッキーB群ウイルスのある一種に対する「不活性化ワクチン」を開発し、マウスで実験を始めました。2018年のうちには人(成人)でも実験を開始する予定です。今までの数多くの観察結果から、1型糖尿病の発症にかかわっているエンテロウイルスは1種類ではないことが分かっています。著者は「このワクチンが発症を有意に低下することを祈るばかりだ」と書いています。
しかし発症を有意に低下させることが分かったとしても、やるべきことはたくさんあります。1型糖尿病の発症に関わっているエンテロウイルス数種類の「混合ワクチン」を作ることや、「不活化ワクチン」と「弱毒化生ワクチン」の使い分け方の確立、そして何よりも小児に対する安全性の確認が重要です。著者は「1型糖尿病の予防を小児で試験するには10年以上かかるだろう」としています。
微生物と人間
1型糖尿病とエンテロウイルスの関係でも分かることは、人はウイルスをはじめとする微生物と深く関わりながら生きてきたことです。もちろん微生物には病気を引き起こすものがあります。自己免疫疾患でいうと、多発性硬化症はウイルスによって引き起こされるという説が有力です。その一方で、エンテロウイルスのように自己免疫疾患の発症を抑止するものがある。また、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いたように、多くの常在菌は人間と "共生" していて、人間の役に立っています。
人間の微生物環境は、この100年程度で大きく変わりました。清潔な都市環境での生活は昔からあったものではありません。著者も次のように書いています。
最後の一文に「病原体が広範囲に拡散」とあるのは、この文章がポリオ・ウイルスについて書かれたものだからです。しかし上の引用はもちろんエンテロウイルス全体にいえるし、また広く微生物全体と人間の関わりでもあるでしょう。
100年というのはヒトの進化の歴史からみるとごく短いものです。すべての現世人類の祖先は約10万年前にアフリカを出たヒトに由来するというのが最新の研究ですが、100年は10万年の1000分の1にすぎません。もっと遡って初期人類が二足歩行を始めたのが500万年前とすると、100年はその5万分の1です。進化の歴史からいうと無いに等しい時間のあいだに、ヒトの生活環境は激変してしまった。
何かを得れば、何かを失います。我々が現代の生活利便性を得ると同時に失ったものも、また大きいわけです。もう昔には戻れない以上、我々のできることは「失ったことの認識」を持つことであり、人間とそれをとりまく生態系のありようを「知ること」でしょう。そこからすべてが始まると思います。
人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫疾患)のリスクが増大する |
ということでした。「衛生仮説」と呼ばれているものです。その No.119 の中に糖尿病のことがありました。今回はその糖尿病の話です。
糖尿病には「1型糖尿病」と「2型糖尿病」があります。我々がふつう糖尿病と呼ぶのは「2型糖尿病」のことで、肥満や過食といった生活習慣から発症するものです。もちろん、生活習慣から発症するといっても2型糖尿病になりやすい遺伝的体質があります。No.226「血糖と糖質制限」で書いた糖質制限は、もともと2型糖尿病を治療するためのものでした。
一方、「1型糖尿病」は遺伝で決まる自己免疫疾患です。幼少期から20歳以下の年齢で発症するので、小児糖尿病とか若年性糖尿病とも言われます。これは、膵臓にある膵島(ランゲルハンス島)を攻撃する自己免疫細胞が体内で作られ、膵島のβ細胞で生成されるインスリンが作られにくくなり(あるいは作られなくなり)、血糖値が上昇したままになって糖尿病になるというタイプです。No.119 で、この「1型糖尿病」について次の意味のことを書きました。
◆ | 「1型糖尿病」は20世紀後半に激増した。 | ||
◆ | 「1型糖尿病」の発症をそのままにしておくと生殖年齢まで生きられない。 | ||
◆ | 唯一の治療法はインスリンの投与だが、インスリンは1920年代になってから医薬品としての使用が始まった。 | ||
◆ | なぜ遺伝子変異による致死性の自己免疫疾患が人類に伝わってきたのか。これは、1型糖尿病の発症を押さえる要因が以前はあったが、現代になってその要因がなくなったことを示唆している。 |
この「1型糖尿病の発症を押さえる要因」とは何か、最近になってそれが解明されつつあります。それは No.119-120「"不在" という伝染病」のテーマであった「微生物と免疫関連疾患」に関係しています。そのことを「日経サイエンス」の記事から紹介します。
衛生仮説と1型糖尿病
日経サイエンスの2018年4月号に「1型糖尿病ワクチン - 衛生仮説が示す可能性」という解説記事が掲載されました。著者はアメリカのクレイトン大学(ネブラスカ州)のドレッシャー教授と、ネブラスカ大学のトレイシー教授です。この記事はまず、副題にある「衛生仮説」からはじまります。
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引用に出てくるポリオ(いわゆる小児麻痺)はポリオウイルスによって引き起こされますが、19世紀後半以降に大流行しました。多発性硬化症は神経細胞の保護膜(=ミエリン鞘。No.169「10代の脳」参照)を免疫系が攻撃する自己免疫疾患で、20世紀後半に世界のいくつかの地域で倍増しました。ドレッシャー、トレイシー両教授の研究テーマである1型糖尿病(=自己免疫疾患)も同様で、20世紀前半に増え始め、1950年代に激増しました。
激増する1型糖尿病
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興味深いことに「赤道から遠く離れるほど発症例が多くなる」という研究が複数あります。ということは、日光を浴びると体内で作られるビタミンDが欠乏すると発症例が多くなるのかと疑われますが、そうでもないのです。フィンランドなどのいくつかの北国で「日照時間の短い地域よりも長い地域で1型糖尿病の有病率が高い」ことが疫学調査で分かったからです。
さまざまな環境要因が検討されるなかで、ある種のウイルスが1型糖尿病の発症に深くかかわっている疑いが出てきました。
エンテロウイルスと1型糖尿病
エンテロウイルスと総称されるウイルス群があります。エンテロとは古代ギリシャ語で "腸" を意味し、その名のとおり腸で増殖するウイルスの総称です。小児麻痺を引き起こすポリオウイルスはエンテロウイルスの仲間です。また手足口病もエンテロウイルスで引き起こされます。このエンテロウイルスが1型糖尿病の発症と進行にかかわっているという報告が相次ぐようになりました。
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エンテロウイルスは100種以上のウイルスの総称で、その中のいくつかが1型糖尿病と関わっているようです。「コクサッキーB群」と呼ばれる6種のエンテロウイルスも関係が疑われるものです。
一般的にあるウイルスが病気の原因であることを証明するためには、患部からウイルスを単離する必要があります。しかし人間の膵臓から組織を安全に採取するのは外科的に極めて困難です。そこで著者たちはマウスを使って実験をはじめました。
「NODマウス」という系統のマウスがあります。NOD とは Non-Obese Diabetic の略で、直訳すると "非肥満性糖尿病の" です。糖尿病だが肥満ではない、つまり "1型糖尿病の" という意味です。その名のとおり NODマウスは何もしなくても1型糖尿病を発症します。さらに NODマウスはコクサッキーB群ウイルスによく感染することが分かりました。そこで著者たちは、NODマウスとコクサッキーB群ウイルスを使って実験を始めました。
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若いNODマウスにコクサッキーB型ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症リスクが大幅に減るという実験結果が得られました。では、コクサッキーB群ウイルスが1型糖尿病の発症を防ぐメカニズムはどうなっているのでしょうか。それを調べるため、著者たちはさまざまな年齢のNODマウスで実験をしました。
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両教授の結論は、1型糖尿病はまだ発症していない段階だが、膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されて炎症を起こしている段階でコクサッキーB群ウイルスに感染するとウイルスが1型糖尿病の発症を早める、ということです。コクサッキーB群ウイルスは、若い NODマウスに感染するときと、成熟した NODマウスに感染するときでは働きが違うわけです。
ウイルスの感染によって病気が発症したり症状が悪化するという話は比較的わかりやすいものです。ではなぜ、若いNODマウスにコクサッキーB群ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症が抑えられるのでしょうか。その理由は別の研究者が解明しました。
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ここでまた出てきたのは、大阪大学の坂口教授が発見した「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」です。"また" というのは、このブログで制御性T細胞について過去に2回書いたからです。
◆ | 腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」 | ||
◆ | 腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」 |
人間の体内に入り込んだ微生物は、人間の免疫系の攻撃を避けるために免疫を抑制する制御性T細胞の生成を促すことがあります。微生物が人間の自己免疫病の発現を抑制する一つの原理がこれです。
ウイルスが1型糖尿病の発症と進行を左右する
以上の「エンテロウイルスと1型糖尿病の関係」をまとめた分かりやすい図が解説記事に載っていました。その図を下に引用します。この図は A、B、C、D の4つのケースで示してあります。それぞれのケースは以下のようです。
 A:遺伝的に1型糖尿病のリスクがないマウス  |
1型糖尿病のリスクがないマウスの膵臓にエンテロウイルスが感染しても免疫系がそれを撃退する。
 B:1型糖尿病のリスクがある高齢マウス  |
1型糖尿病のリスクがある高齢マウスの膵島は、すでに自己免疫性T細胞によって損傷している。そこにエンテロウイルスが感染すると1型糖尿病が発症する(発症が早まる)。
 C:1型糖尿病のリスクがある若いマウス  |
1型糖尿病のリスクがある若いマウスにエンテロウイルスが感染すると、制御性T細胞が生成され、エンテロウイルスは撃退される。制御性T細胞はその後長期間に渡って膵臓にとどまり、膵臓は自己免疫反応に対する抵抗性を獲得する。
 D:Cのマウスが高齢になったとき  |
Cのマウスが高齢になったとしても、制御性T細胞の存在によって自己免疫性T細胞の生成が抑制され、膵島は損傷しない。またエンテロウイルスが感染しても撃退される。1型糖尿病は発症しない。
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エンテロウイルス感染と1型糖尿病
日経サイエンス(2018年4月号)より
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1型糖尿病予防ワクチン
NODマウスでの観察と同様のことが1型糖尿病遺伝子をもつ人間でも起こるとしたら(起こっているとしたら)、病気の発症を防ぐ手段がありうることになります。つまり、幼少期に人為的にエンテロウイルスに感染させれば、1型糖尿病の発症を抑止できる可能性があるわけです。こういった「人為的感染」は医学における長い歴史があります。それはジェンナーの種痘以来、病気の予防に多大な貢献をしてきた「ワクチン」です。
ワクチンには何種類かのタイプがありますが、まず「弱毒化生ワクチン」です。これはウイルスの発病能力を弱めたもので、ウイルスが体内で増殖するため効果が持続します。ただし病原性のウイルスに変異するリスクがあります。これに対して「不活性化ワクチン」はウイルスを増殖しないように "殺した" もので、リスクはありませんが、いずれ体内から消えてしまうので一般には再接種が必要になります。
実は、エンテロウイルスに対するワクチンで病気の撲滅に至った歴史があります。ポリオ(小児麻痺)です。ポリオウイルスもエンテロウイルスの一種です。ポリオは19世紀後半から流行が始まり、20世紀には数万人が死亡し、数百万人が身体障害者になりました。しかしワクチンが開発され(不活性化ワクチンと弱毒化生ワクチンの両方)その接種が徹底されたため、現在、ポリオの流行は世界でわずか3カ国だけになりました。
ポリオワクチンを接種すると体の中にポリオウイルスを攻撃する抗体ができ、それが記憶されるので、ポリオに罹患しなくなります。いわゆる "免疫記憶" であり、このメカニズムは No.69-70「自己と非自己の科学」に詳述しました。ポリオワクチンの特徴は、安全で効果抜群であることです。それでポリオはほとんど根絶されるに至った。だとしたら、同じエンテロウイルスの仲間である「1型糖尿病の発症を抑止するウイルス」のワクチンを作ればよいはずです。ウイルスに罹患しないことと自己免疫疾患を発症しないことは原理が違いますが、同様のワクチンで可能なはずです。
上の引用に出てきたフィンランドのウイルス学者、フィオテは、フィンランドのバイオ医薬企業、ワクテク社の会長です。ワクテク社はコクサッキーB群ウイルスのある一種に対する「不活性化ワクチン」を開発し、マウスで実験を始めました。2018年のうちには人(成人)でも実験を開始する予定です。今までの数多くの観察結果から、1型糖尿病の発症にかかわっているエンテロウイルスは1種類ではないことが分かっています。著者は「このワクチンが発症を有意に低下することを祈るばかりだ」と書いています。
しかし発症を有意に低下させることが分かったとしても、やるべきことはたくさんあります。1型糖尿病の発症に関わっているエンテロウイルス数種類の「混合ワクチン」を作ることや、「不活化ワクチン」と「弱毒化生ワクチン」の使い分け方の確立、そして何よりも小児に対する安全性の確認が重要です。著者は「1型糖尿病の予防を小児で試験するには10年以上かかるだろう」としています。
微生物と人間
1型糖尿病とエンテロウイルスの関係でも分かることは、人はウイルスをはじめとする微生物と深く関わりながら生きてきたことです。もちろん微生物には病気を引き起こすものがあります。自己免疫疾患でいうと、多発性硬化症はウイルスによって引き起こされるという説が有力です。その一方で、エンテロウイルスのように自己免疫疾患の発症を抑止するものがある。また、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いたように、多くの常在菌は人間と "共生" していて、人間の役に立っています。
人間の微生物環境は、この100年程度で大きく変わりました。清潔な都市環境での生活は昔からあったものではありません。著者も次のように書いています。
|
最後の一文に「病原体が広範囲に拡散」とあるのは、この文章がポリオ・ウイルスについて書かれたものだからです。しかし上の引用はもちろんエンテロウイルス全体にいえるし、また広く微生物全体と人間の関わりでもあるでしょう。
100年というのはヒトの進化の歴史からみるとごく短いものです。すべての現世人類の祖先は約10万年前にアフリカを出たヒトに由来するというのが最新の研究ですが、100年は10万年の1000分の1にすぎません。もっと遡って初期人類が二足歩行を始めたのが500万年前とすると、100年はその5万分の1です。進化の歴史からいうと無いに等しい時間のあいだに、ヒトの生活環境は激変してしまった。
何かを得れば、何かを失います。我々が現代の生活利便性を得ると同時に失ったものも、また大きいわけです。もう昔には戻れない以上、我々のできることは「失ったことの認識」を持つことであり、人間とそれをとりまく生態系のありようを「知ること」でしょう。そこからすべてが始まると思います。
2018-04-13 18:21
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No.226 - 血糖と糖質制限 [科学]
No.221「なぜ痩せられないのか」の続きです。No.221 で米国・タフツ大学の研究を紹介しました。食物のグリセミック指数(Glycemic Index。GI値)と肥満の関係です。GI値とは、その食物を摂取したときにどの程度血糖値(血液中のブドウ糖の濃度)が上昇するかという値で、直接ブドウ糖を摂取したときを 100 として指数化したものです。タフツ大学の研究結果は、
というものでした。この研究は、肥満(ないしはダイエット)と脳の働きの関係に注目しているのがポイントです。空腹感は人を生き延びさせる大切な脳の働きであり、ダイエットをするために空腹感と戦ってはダメです。そもそも空腹感が起きにくい(かつ健康的な)食事をすべきだということでした。
No.221 にも書いたのですが、「低GI値の食物 = 血糖値の上昇が少ない食物を食べてダイエットをする」というのは、いわゆる糖質制限と基本的には同じです。そこで今回は、血糖値と肥満の関係、糖質制限がなぜダイエットになるのかという基本的なところを振り返ってみたいと思います。こういった人間の体の微妙なメカニズムを理解することが、健康に生きるために大切なことだと思うからです。
理解のためのキーワードは「糖」であり、「糖質」と「血糖」です。人体のメカニズムに入るまえにまず、糖質とはなにか、血糖とは何かを整理しておきます。
糖質と血糖
"糖" はアミノ酸や脂肪酸と並んで人体の構成要素やエネルギー源になっている最も基本的な物質です。「単糖類」が基本であり、「二糖類」「オリゴ糖」「多糖類」があります。
単糖類は、消化酵素でそれ以上は分解できない糖で、
が代表的なものです。いずれも甘味があります。単糖類がそれだけで食品になっているのがハチミツで、成分はブドウ糖と果糖です。果糖は果物に多く含まれていて、天然に存在する物質としては最も甘いものです(砂糖より甘い)。ガラクトースは乳汁に含まれています。
二糖類は単糖類2つからなる糖で
が代表的です。いずれも人の消化酵素によって単糖類に分解され、またそれ自身が甘味を持っています。最も甘いのは蔗糖(=砂糖の成分)です。麦芽糖は発芽した麦類に多く含まれ、乳糖は乳汁に多く含まれます。
オリゴ糖は 3~10個の単糖類が結合した糖類です。人間にはオリゴ糖を消化できる酵素がなく、腸内細菌であるビフィズス菌や乳酸菌で分解されます。ちなみに母乳には乳糖のほかにオリゴ糖が含まれていて、人は生まれた時から腸内細菌の存在を前提としていることが分かります。オリゴ糖を少糖類と言うことがあり、また二糖類まで含めて少糖類とすることもあります。
多糖類は10を越える単糖類が結合したもので、デンプンとグリコーゲンが代表的なものです。デンプンはブドウ糖が多数結合したもので、穀物や根菜類(イモなど)に多く含まれます。アミラーゼという酵素で麦芽糖に分解され、さらにブドウ糖へと分解されます。もちろん穀物や根菜類だけでなく、多くの豆類もデンプンを含んでいます。
グリコーゲンも多数のブドウ糖の結合体です。人体ではブドウ糖からグリコーゲンが合成され、再びブドウ糖に分解されることでエネルギー源になります。つまり、ブドウ糖の貯蔵物質としての役割をもっています。
多糖類は人間が消化できないものが多いのですが、その代表がセルロースです。セルロースは植物の細胞壁を構成する物質で、地球上にある糖類は量からするとセルロースが最も多くなります。人の腸内細菌はこれを脂肪酸などに変換し、これがエネルギー源となります。草食動物(たとえば牛)は胃にセルロースを分解できる細菌がいて、そこで栄養素が生み出されます。
栄養素としてよく話題になる食物繊維は、難消化性の多糖類の総称で、セルロースがその代表的なものです。食物繊維が多い代表的な食品は、前回の No.225「手を洗いすぎてはいけない」にあげました。
炭水化物は糖類とほぼ同義です。分子式で書くと C(炭素)と H と O(水分子の構成原子)になるので "[炭][水]化物" ですが、化学的な見方だといえます。難消化性の炭水化物が食物繊維で、それ以外の消化性のものが糖質です。つまり、
炭水化物 = 糖質 + 食物繊維
が普通の言葉の使い方です。
血糖とは血液中のブドウ糖のことで、脳の主要なエネルギー源になります。厳密にはケトン体も脳のエネルギー源ですが、話をシンプルにするために、以降は「脳のエネルギー源 = ブドウ糖」とします。血糖値とは血液中に含まれるブドウ糖の濃度で、人間では 100mg/dl 程度が平均的な値です。dl(デシリットル)とは小学校で習う単位ですが、デシは 1/10 の意味で、1dl = 0.1リットルです。100mg/dl は 1g/L ということになります。
血糖値は食事によって変化します。健康診断の結果表を見ると、血糖値の基準値が「食後1時間の値」「食後2時間の値」「空腹時の値」にわけて書いてあります。全体では70~160程度の値(あるいは80~140程度)になっていて、これをざっくり平均すると 100mg/dl 程度になるということです。
血糖値を上げる唯一の物質は糖質で、消化酵素によってブドウ糖が生成されることにより血糖値が上昇します。なかでも特にデンプンと砂糖です。食物繊維は腸内細菌によって分解されますが、生成されるのは主に脂肪酸であり、血糖値が上昇することはありません。もちろん脂質やタンパク質そのものは血糖値を上げません。
食物には「純粋な糖質」とか「純粋な食物繊維」はなく、タンパク質が豊富な大豆にもデンプン(糖質)や食物繊維が含まれています。No.221「なぜ痩せられないのか」に、食品のグリセミック指数(GI値)書きました。GI値の低い食物は血糖値の上昇が少なく、GI値の高い食物(70以上)は血糖値を上げやすい。再掲すると以下です。
GI値の高い食物の共通項は、穀物か根菜か砂糖であり、穀物と根菜の共通項はデンプンです。
糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由
以上をふまえて、糖質が多い食物を摂取し過ぎるとなぜ太るのか、また糖質制限でなぜ痩せるのかをまとめます。実は、私が一番納得のいった(そして分かりやすい)説明は、夏井 睦氏の著書である『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書 2013)にあった説明でした。それを以下に引用します。夏井氏は医者(形成外科医)です。題名の「人類を滅ぼす」とは随分 "過激な" タイトルですが、本の全体の内容は後で書くことにします。
「大きめの角砂糖1個分」との記述がありますが、これは「4.2グラムは、大きめの角砂糖1個分の重さ」ということです。角砂糖の成分はほぼ100%の蔗糖(砂糖)で、二糖類の説明に書いたように蔗糖はブドウ糖と果糖の結合体です。ということは、あくまで概算ですが「体重60キロの男性の血液中のブドウ糖は、大きめの角砂糖2個に含まれるブドウ糖と同程度」ということになります。たとえば紅茶に角砂糖を1個入れて2杯飲むと、そのブドウ糖は全身の血糖量に "相当する"、ということは覚えておいた方がいいと思います。
血液によってブドウ糖が供給されないと脳は正常に働きません。血糖値が 50mg/dl 以下になると精神症状が出始め、もっと低くなると意識障害を引き起こします。もちろん普通の人はそうなる前に血糖値を正常に戻す機能が働きます。実は、ブドウ糖を主なエネルギー源として使っている脳のような組織は、人体では例外的です。
少々本筋からはずれますが、夏井氏の本にはエネルギーを取り出す効率は脂肪酸の方がブドウ糖より断然高いと書かれています。では、脳はなぜ脂肪酸を使わないのか。夏井氏は2つの仮説を紹介しています。
話を本筋に戻します。脳へのブドウ糖供給はどうやって維持されるのかという点です。
この引用の最後に「糖質をいっさい食べない肉食動物」のことが出てきますが、「糖質をいっさい食べない草食動物」でも同じことです。たとえば反芻動物の牛です。現代の家畜としての牛は糖質たっぷりの飼料を "食べさせられて" いますが、牧場で放し飼いの牛の食料は草です。草の炭水化物はほとんどが食物繊維で、セルロースが大量に含まれています。牛は胃に共生しているセルロース分解菌の助けで、セルロースを栄養にしてい生きています。しかしセルロース分解菌がつくり出すのはアミノ酸と脂肪酸であり、糖質ではありません。肉食動物だけでなく、牛の血糖も食物由来でないことが明白です。
話を人間に戻しますと、人間の血糖値の維持はどうやって行われるのか、それが "糖新生" という人体の機能です。これは動物にも共通しています。
この説明で糖新生はタンパク質からと単純化されていますが、夏井氏の本の別のところには、現在判明している糖新生の5つのルートが書かれています。
糖源性アミノ酸とは「糖新生の原料になるアミノ酸」のことで、タンパク質からの糖新生とはこのルートを言っています。タンパク質を分解してアミノ酸にし、そこからブドウ糖を作る。この糖新生において血糖値の低下を感知して糖新生のトリガーを引くホルモンは、グルカゴン、アドレナリン、コチゾール、成長ホルモンなど、複数種類あることが書かれています。
ちなみに ATP とは、高校の生物に出てきたと思いますが、アデノシン三リン酸(Adenosine TriPhosphate)の略です。ATP は細菌から人間まで、エネルギーの貯蔵・放出の役割を担っている物質で、生体のエネルギー通貨と呼ばれています。
上の引用の下線のところが、糖質制限で痩せる理由になっています。つまり糖質を制限すると、血糖値の低下を補うためタンパク質と脂肪が分解されるというわけです。
上の文章に何点か補足しますと、血糖値が高い状態が続くと血管や神経が損傷します。我々は糖尿病がひどくなるとどうなるを知っています。網膜の血管がやられて失明に至り、足が壊疽して切断に至り、あるいは糖尿病性の腎不全になったりする。腎不全になると脳にダメージがくるので生命にかかわります。
また、余ったブドウ糖は中性脂肪に変えられるだけでなく、グリコーゲンに変えられて肝臓などにストックされます。こういった余剰なブドウ糖をストックするトリガーを引いているのが、膵臓で作られるホルモン、インスリンです。血糖値を低下させるホルモンはインスリンしかなく、血糖値を上昇させるホルモンが数種類あるのとは対照的です。夏井氏は「血糖値低下にはセーフティーネットがない」と書いていますが、その通りです。もしインスリンの分泌が悪いとか、インスリンが分泌されても体がそれに反応しにくいとかだと、まずいことになるわけです。なぜ血糖値低下のためのセーフティーネットがないのか、人体の不思議なところです。
さらに糖質と肥満の関係ですが、単糖類の果糖(フルクトース)は中性脂肪に変えられて脂肪細胞にストックされます。果糖は果物に多く含まれているので、肥満を避けるためには要注意でしょう。もちろん程度問題です。
以上の説明を「糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由」という観点でまとめると次のようになります。
糖質制限
糖質制限で痩せる理由を振り返ると、ブドウ糖以外のものからブドウ糖を作り出す "糖新生" という体のメカニズムが鍵となっています。夏井氏の本には「必須アミノ酸と必須脂肪酸はあるが、必須炭水化物はない」と書かれていました。なるほど ・・・・・・。生存に必須だが人体が作り出せず、食べ物から摂取するしかないアミノ酸(トリプトファン、ロイシンなど)と脂肪酸(リノール酸、EPA、DHAなど)があります。しかし必須炭水化物や必須糖質はないのですね。
糖質制限は特に近年広まってきました。糖質ゼロや低糖質をうたった食品や飲料が売られているし、外食産業でも低糖質のメニューを用意するようになっています。RIZAPなどのビジネスとしての成功も影響しているでしょう。
しかし考えてみると、糖質制限はかなり昔からありました。「糖質制限によるダイエットを最初に提唱したのは、19世紀イギリスのウィリアム・バンティング(1796-1878)だと言いますから、150年ほどの歴史がある由緒あるダイエットであるわけです。また、以前からよく言われる「太らないために甘いものを食べ過ぎないようにしましょう」と基本的に同じです。砂糖は消化されてブドウ糖になる典型的な糖質です。そのため、甘さ控えめのケーキや菓子が作られてきたし、コーヒーや紅茶に砂糖を入れない人も多い。甘いものに拒否反応を示す人も大勢います。また商品としての飲料に甘みをつけるときには人工甘味料を使うわけです。
その砂糖とおなじく糖質のカテゴリーなのが、穀類やイモ類に多く含まれるデンプンです。しかしデンプンは甘くないのが落とし穴なのですね。食品のグリセミック指数(GI値)を並べたリストを書きましたが(前出)、詳しく言うと精白米のGI値は80程度、食パンのGI値は90程度です。この値はブドウ糖を直接摂取するのと比較したものなので、血糖値をあげるという観点からみると、精白米も食パンも砂糖(蔗糖)と同じようなものということになります。人体においてはグリコーゲンが "ブドウ糖備蓄物質" でしたが、植物においてはデンプンが "ブドウ糖備蓄物質" であり、我々はそれを食べているという認識が必要です。
もちろん糖質制限には注意も必要です。糖質制限で痩せる原理から分かるように、糖質制限をするなら栄養を補給するために脂質やタンパク質を十分にとる必要があるでしょう。しかし、だからと言って脂質・タンパク質の過食に陥ると、糖質だけを制限していても肥満になるのは当然です。また、糖質がたっぷりある食品で食物繊維も多いものがあります(玄米など)。糖質制限の結果として食物繊維も制限してしまうと話がおかしくなります。
要はバランスと程度問題です。我々としては体のメカニズムを知り、肥満に陥らずに(もちろん糖尿病にならずに)健康に過ごすべきだというこです。
「炭水化物が人類を滅ぼす」
夏井 睦氏の『炭水化物が人類を滅ぼす - 糖質制限からみた生命の科学 - 』(光文社新書 2013)という本のことを書きます。この題名は誰がつけたのか知りませんが、随分と "過激な" 題名です。前回の No.225 で紹介した藤田紘一郎氏の『手を洗いすぎてはいけない』(光文社新書 2017)の副題は「超清潔志向が人類を滅ぼす」でしたが、"人類を滅ぼすシリーズ" としては夏井氏の本が先輩です。どうも光文社の編集部はこの題名が好きなようで、次はどんなものが人類を滅ぼすのか楽しみにしていましょう。
それはともかく、題名を一見すると "キワモノ本" か "トンデモ本" かと思ってしまいますが、内容はそうでもありません。つまり「炭水化物が」というのが言い過ぎであって「穀物食が」か「デンプン食が」が適切です。また「人類を滅ぼす」というのも大げさで「行き過ぎたデンプン食が人類を不幸にする」ぐらいが正しい。ただし、こんなインパクトのない題名では本は売れないのでしょう。
夏井氏は外科医(形成外科医)ですが、自身の肥満と高血圧と高脂質症(医者の不養生!)を改善するために糖質制限を始めました。きっかけは2011年に、糖質制限の提唱者である江部康二先生(京都・高雄病院)のネット記事を読んだからです。その結果、半年で11kg痩せたそうです。高血圧症や高脂質症(中性脂肪過多とLDLコレステロール=悪玉コレステロール過多)もすっかり改善しました。
夏井氏の "師" にあたる江部先生の糖質制限は、もともと糖尿病患者の治療のためのものです。その糖質制限でまず思うのは、
という疑問です。実は数年前に印象的な出来事がありました。私の間接的な知人である Aさんのことです。Aさんは糖尿病になったのですが、病院で治療せず、医者とも相談せず、自分で本と文献を読みあさり、食事制限だけで糖尿病を完治させました。何でも、主食は "おから" にしたそうです。その Aさんの言は「今の糖尿病治療は医者と製薬会社の陰謀だ」というものでした。この Aさんの言と全く同じ主旨が夏井氏の本に書かれています。Aさんのことがあったので、夏井氏の本も(その過激なタイトルにもかかわらず)意義があると思ったのです。
江部先生は糖質制限を次の3つに分けています。
夏井氏によると、プチ糖質制限はこれから糖質制限を始めようという初心者向け、スタンダード糖質制限が標準、スーパー糖質制限は医者にかからずに糖尿病を直したい人、ないしはスタンダード糖質制限では物足りないストイックな人向けだそうです。おそらく先ほどの Aさんは「スーパー糖質制限」だったのでしょう。ごはんの代わりに "おから"(=極めて低糖質)は良い選択だと思います。ちなみに私は随分前から夕食にごはんは食べませんが、妻の手作りピザを食べることもあるので「プチ糖質制限-」ぐらいでしょう。夏井氏は「スタンダード以上、スーパー未満」だそうです。
人類史と糖質
夏井氏の本は「糖質制限からみた生命の科学」という副題がつけられているように、糖質制限のことだけを書いているのではありません。生物の仕組みや生命の誕生と進化、人類の歴史などを糖質と結びつけて論じているところに特色があります。「動物の血糖値」「生命の起源とブドウ糖」「哺乳類の起源と糖質」「定住の起源」「農耕の起源と小麦栽培」「食事を楽しみにしたのは糖質=穀物と砂糖」「1日が3食になった理由」などのテーマです。ちなみに「定住の起源」については、西田正規氏(筑波大学名誉教授)の「定住が先で農業がその後。定住こそが革命的な出来事」という論を紹介したものです
「動物の血糖値」のところですが、さまざまな動物の血糖値は 50 ~ 150mg/dl 程度で、人間の 100mg/dl 前後と良く似ています(ほとんど動かないナマケモノは 20 程度)。しかし鳥類だけは200台後半~300台後半と極めて高いのですね。300mg/dl というのは人間の3倍です。これだけ高血糖でも鳥類の血管は哺乳類と構造が違うので損傷しないようです。飛翔という運動は脳の高度な働きが必要なことを想像させます。また鳥は恐竜から進化したものですが(No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」参照)、夏井氏は恐竜の血糖値も高かったのではと想像しています。恐竜の中には運動能力に優れたものがあって、それは高血糖に支えられていたのではという推測です。
人類の最初の農業になった小麦栽培の話が念入りに書かれているのですが、米作の起源についての記述もありました。
以上のほとんどが夏井氏の、ないしは夏井氏が本で勉強した先人の仮説ですが、仮説を展開することは別に悪いことではありません。それらの中でも、本の題名に関係する「人類史と糖質の関係」を俯瞰した部分が最も重要です。夏井氏の主旨をまとめると以下のようになります。
少々マイルドに(というか、かなりマイルドに)まとめると以上のようになるでしょう。
しかし、穀物に頼らないのは簡単ではありません。穀物には、当然のことながら飼料用穀物があります。日本の上質の和牛はたっぷりと脂身(サシ)が入っていますが、それは主としてアメリカの穀物生産(トウモロコシと飼料用の麦)に依存しています。肉食も穀物があるからこそなのです。このあたり、夏井氏も明確な解決策を書いているわけではないのですが、一つの警鐘として受け止めればいいと思います。
糖質とのつきあい方
本書を読んで思ったのですが、そもそも人間は糖質を好むようにできていると考えられます。それは「甘みを好ましいと思う感覚」が人間に備わっていて、かつ、甘いと感じる天然由来のものは、ほとんどが糖質だからです。アミノ酸にも甘いと感じるものがありますが(グリシン、アラニンなど)、甘いものの大多数は糖質です。
No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたように、苦みは(本来は)危険のサインです。舌や鼻にある苦味受容体は苦み物質を排除するように働きます。苦みは「食べてはいけないサイン」であり、その反対に、甘みは「食べるべきだというサイン」だと思います。それは人類の誕生(数100万年前)から人類を生き延びさせてきた大切なセンサーでしょう。
甘みに関して、夏井氏自身がおもしろいことを書いています。小麦栽培の始まりについての仮説です。農耕=小麦栽培がはじまった中東の「肥沃な三日月地帯」において野生の小麦の原種が自生している姿を初めてみた人類は、小麦が食用になると認識したはずがないというのが夏井氏の考えです。木の実であれば数十~数百粒集めれば食べられます。しかし小麦はそうはいかない。小麦は粒が小さいうえ、そのままでは食べられません。硬い外皮(今でいう小麦ブラン)と実を分離する必要があります。
作物の栽培は、半年後の収穫のために水やりとか雑草取りの努力することであり、栽培している時点では何の利益もありません。狩猟採集とは大違いです。半年後の利益が保証されているわけでもない。夏井氏は、小麦には食用になるということ以外の、栽培をはじめる強力なインセンティブがあったはずだと書いています。
補足しますと、アミラーゼ(ジアスターゼとも云う)と総称される一連の酵素群は、デンプンを二糖類の麦芽糖に分解したり、さらにそれからブドウ糖を生成したりします。これは小麦、大麦、米などで共通です。唾液にはアミラーゼが含まれているので、ごはんをよく噛んでいると甘く感じます。
人間は発芽した小麦の「甘さ」驚き、それをもっと味わいたくて栽培を始めた、という夏井氏の推測、ないしは仮説が正しいかどうかは分かりません。実証することは(ないしは反証することは)出来ないでしょう。ただし興味深い推測です。
しかし、このストーリーで大切なことは、人間は甘さに対する(強い)欲求があり、それは穀物栽培を始める以前から人体にビルト・インされていたものだということです。そして自然界において甘いものが、すなわち糖質です。人間は糖質を好むように進化してきた。
No.221「なぜ痩せられないのか」に、タンザニアの北部で今でも完全な狩猟採集生活を送っている(=農業をしない)ハッザ族の話を書きました。彼らの主食は、女たちが地中から掘り出したイモです。男たちはヒヒやキリンなどの野生動物を毒矢で狩ります(ただし狩りの成果は不安定)。またノドグロミツオシエという鳥の誘導で蜂の巣をとり、蜂蜜を食べたりもする。ここで出てきたイモ(デンプンたっぷり)と蜂蜜(ほぼ純粋なブドウ糖と果糖)は、現代の糖尿病患者が最も食べてはいけないものです。しかし狩猟採集で生きてきた人類にとって、こういった糖質への欲求と志向こそが生存の鍵だったのではと思います。
先日、NHKスペシャル「人体」で脳の話がありましたが、糖質や脂肪を体内に蓄えて血糖値を下げる働きをするインスリンは、脳の血管脳関門を突破できる数少ない物質の一つであり、記憶をつかさどる脳の海馬に働きかけてその細胞の新生を促すそうです。これを進化人類学的にみると、狩猟採集生活をしていたヒトは食料にありつけた場所を記憶しやすいということでしょう。生き延びるためには糖質の摂取による血糖値の上昇は大切なことだったのです。そのヒトの末裔である我々にとっても、糖質食は記憶の増進と結びついた大切な行為のはずです。
我々は糖質とうまくつき合えばいいのだと思います。無理に糖質食を否定することは何もなく、体重過多の時には糖質制限をし、普段から甘いものやデンプン食を食べすぎないようにする。食事や間食は「バランス」と「適度」が大切である。そういうことだと思いました。
◆ | 高GI値の食物を摂取すると、その後に脳が空腹感を感じやすく、このことが原因となって過食になりやすい。 | ||
◆ | 被験者を集めて実験した結果、低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減り、脳が低GI値の食物により強く反応する(= 脳が欲する)ようになった |
というものでした。この研究は、肥満(ないしはダイエット)と脳の働きの関係に注目しているのがポイントです。空腹感は人を生き延びさせる大切な脳の働きであり、ダイエットをするために空腹感と戦ってはダメです。そもそも空腹感が起きにくい(かつ健康的な)食事をすべきだということでした。
No.221 にも書いたのですが、「低GI値の食物 = 血糖値の上昇が少ない食物を食べてダイエットをする」というのは、いわゆる糖質制限と基本的には同じです。そこで今回は、血糖値と肥満の関係、糖質制限がなぜダイエットになるのかという基本的なところを振り返ってみたいと思います。こういった人間の体の微妙なメカニズムを理解することが、健康に生きるために大切なことだと思うからです。
理解のためのキーワードは「糖」であり、「糖質」と「血糖」です。人体のメカニズムに入るまえにまず、糖質とはなにか、血糖とは何かを整理しておきます。
糖質と血糖
 糖・糖類  |
"糖" はアミノ酸や脂肪酸と並んで人体の構成要素やエネルギー源になっている最も基本的な物質です。「単糖類」が基本であり、「二糖類」「オリゴ糖」「多糖類」があります。
単糖類は、消化酵素でそれ以上は分解できない糖で、
・ | ブドウ糖(グルコース) | ||
・ | 果糖(フルコース) | ||
・ | ガラクトース |
が代表的なものです。いずれも甘味があります。単糖類がそれだけで食品になっているのがハチミツで、成分はブドウ糖と果糖です。果糖は果物に多く含まれていて、天然に存在する物質としては最も甘いものです(砂糖より甘い)。ガラクトースは乳汁に含まれています。
二糖類は単糖類2つからなる糖で
・ | 蔗糖(スクロース) ブドウ糖+果糖 | ||
・ | 麦芽糖(マルトース) ブドウ糖+ブドウ糖 | ||
・ | 乳糖(ラクトース) ブドウ糖+ガラクトース |
が代表的です。いずれも人の消化酵素によって単糖類に分解され、またそれ自身が甘味を持っています。最も甘いのは蔗糖(=砂糖の成分)です。麦芽糖は発芽した麦類に多く含まれ、乳糖は乳汁に多く含まれます。
オリゴ糖は 3~10個の単糖類が結合した糖類です。人間にはオリゴ糖を消化できる酵素がなく、腸内細菌であるビフィズス菌や乳酸菌で分解されます。ちなみに母乳には乳糖のほかにオリゴ糖が含まれていて、人は生まれた時から腸内細菌の存在を前提としていることが分かります。オリゴ糖を少糖類と言うことがあり、また二糖類まで含めて少糖類とすることもあります。
多糖類は10を越える単糖類が結合したもので、デンプンとグリコーゲンが代表的なものです。デンプンはブドウ糖が多数結合したもので、穀物や根菜類(イモなど)に多く含まれます。アミラーゼという酵素で麦芽糖に分解され、さらにブドウ糖へと分解されます。もちろん穀物や根菜類だけでなく、多くの豆類もデンプンを含んでいます。
グリコーゲンも多数のブドウ糖の結合体です。人体ではブドウ糖からグリコーゲンが合成され、再びブドウ糖に分解されることでエネルギー源になります。つまり、ブドウ糖の貯蔵物質としての役割をもっています。
多糖類は人間が消化できないものが多いのですが、その代表がセルロースです。セルロースは植物の細胞壁を構成する物質で、地球上にある糖類は量からするとセルロースが最も多くなります。人の腸内細菌はこれを脂肪酸などに変換し、これがエネルギー源となります。草食動物(たとえば牛)は胃にセルロースを分解できる細菌がいて、そこで栄養素が生み出されます。
栄養素としてよく話題になる食物繊維は、難消化性の多糖類の総称で、セルロースがその代表的なものです。食物繊維が多い代表的な食品は、前回の No.225「手を洗いすぎてはいけない」にあげました。
 炭水化物・糖質  |
炭水化物は糖類とほぼ同義です。分子式で書くと C(炭素)と H と O(水分子の構成原子)になるので "[炭][水]化物" ですが、化学的な見方だといえます。難消化性の炭水化物が食物繊維で、それ以外の消化性のものが糖質です。つまり、
炭水化物 = 糖質 + 食物繊維
が普通の言葉の使い方です。
 血糖・血糖値  |
血糖とは血液中のブドウ糖のことで、脳の主要なエネルギー源になります。厳密にはケトン体も脳のエネルギー源ですが、話をシンプルにするために、以降は「脳のエネルギー源 = ブドウ糖」とします。血糖値とは血液中に含まれるブドウ糖の濃度で、人間では 100mg/dl 程度が平均的な値です。dl(デシリットル)とは小学校で習う単位ですが、デシは 1/10 の意味で、1dl = 0.1リットルです。100mg/dl は 1g/L ということになります。
血糖値は食事によって変化します。健康診断の結果表を見ると、血糖値の基準値が「食後1時間の値」「食後2時間の値」「空腹時の値」にわけて書いてあります。全体では70~160程度の値(あるいは80~140程度)になっていて、これをざっくり平均すると 100mg/dl 程度になるということです。
血糖値を上げる唯一の物質は糖質で、消化酵素によってブドウ糖が生成されることにより血糖値が上昇します。なかでも特にデンプンと砂糖です。食物繊維は腸内細菌によって分解されますが、生成されるのは主に脂肪酸であり、血糖値が上昇することはありません。もちろん脂質やタンパク質そのものは血糖値を上げません。
食物には「純粋な糖質」とか「純粋な食物繊維」はなく、タンパク質が豊富な大豆にもデンプン(糖質)や食物繊維が含まれています。No.221「なぜ痩せられないのか」に、食品のグリセミック指数(GI値)書きました。GI値の低い食物は血糖値の上昇が少なく、GI値の高い食物(70以上)は血糖値を上げやすい。再掲すると以下です。
◆ | GI値の低い食物(55以下)
| |||||
◆ | GI値が中程度の食物(55-70)
| |||||
◆ | GI値の高い食物(70以上)
|
GI値の高い食物の共通項は、穀物か根菜か砂糖であり、穀物と根菜の共通項はデンプンです。
糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由
以上をふまえて、糖質が多い食物を摂取し過ぎるとなぜ太るのか、また糖質制限でなぜ痩せるのかをまとめます。実は、私が一番納得のいった(そして分かりやすい)説明は、夏井 睦氏の著書である『炭水化物が人類を滅ぼす』(光文社新書 2013)にあった説明でした。それを以下に引用します。夏井氏は医者(形成外科医)です。題名の「人類を滅ぼす」とは随分 "過激な" タイトルですが、本の全体の内容は後で書くことにします。
|
「大きめの角砂糖1個分」との記述がありますが、これは「4.2グラムは、大きめの角砂糖1個分の重さ」ということです。角砂糖の成分はほぼ100%の蔗糖(砂糖)で、二糖類の説明に書いたように蔗糖はブドウ糖と果糖の結合体です。ということは、あくまで概算ですが「体重60キロの男性の血液中のブドウ糖は、大きめの角砂糖2個に含まれるブドウ糖と同程度」ということになります。たとえば紅茶に角砂糖を1個入れて2杯飲むと、そのブドウ糖は全身の血糖量に "相当する"、ということは覚えておいた方がいいと思います。
|
血液によってブドウ糖が供給されないと脳は正常に働きません。血糖値が 50mg/dl 以下になると精神症状が出始め、もっと低くなると意識障害を引き起こします。もちろん普通の人はそうなる前に血糖値を正常に戻す機能が働きます。実は、ブドウ糖を主なエネルギー源として使っている脳のような組織は、人体では例外的です。
|
少々本筋からはずれますが、夏井氏の本にはエネルギーを取り出す効率は脂肪酸の方がブドウ糖より断然高いと書かれています。では、脳はなぜ脂肪酸を使わないのか。夏井氏は2つの仮説を紹介しています。
① | 神経細胞網による情報伝達が目的の脳にとって、脂溶性である脂肪酸は細胞膜を通過してしまい、都合が悪い。ブドウ糖は水溶性であり、細胞膜を自由には通過できないので制御しやすい。 | ||
② | 生命の発生と進化の歴史においては、ブドウ糖からのエネルギー生成が古く、中枢神経系(脳など)が進化したときにすでにあった。一方、脂肪酸からのエネルギー生成は新しく、比較的新しく進化した筋肉組織はブドウ糖と脂肪酸の両方を利用するハイブリッド型になった。 |
話を本筋に戻します。脳へのブドウ糖供給はどうやって維持されるのかという点です。
|
この引用の最後に「糖質をいっさい食べない肉食動物」のことが出てきますが、「糖質をいっさい食べない草食動物」でも同じことです。たとえば反芻動物の牛です。現代の家畜としての牛は糖質たっぷりの飼料を "食べさせられて" いますが、牧場で放し飼いの牛の食料は草です。草の炭水化物はほとんどが食物繊維で、セルロースが大量に含まれています。牛は胃に共生しているセルロース分解菌の助けで、セルロースを栄養にしてい生きています。しかしセルロース分解菌がつくり出すのはアミノ酸と脂肪酸であり、糖質ではありません。肉食動物だけでなく、牛の血糖も食物由来でないことが明白です。
話を人間に戻しますと、人間の血糖値の維持はどうやって行われるのか、それが "糖新生" という人体の機能です。これは動物にも共通しています。
|
この説明で糖新生はタンパク質からと単純化されていますが、夏井氏の本の別のところには、現在判明している糖新生の5つのルートが書かれています。
糖源性アミノ酸 | → | ブドウ糖 | ||||
ピルビン酸 | → | ブドウ糖 | ||||
プロピオン酸 | → | ブドウ糖 | ||||
グリセロール酸 | → | ブドウ糖 | ||||
乳酸 | → | ブドウ糖 |
糖源性アミノ酸とは「糖新生の原料になるアミノ酸」のことで、タンパク質からの糖新生とはこのルートを言っています。タンパク質を分解してアミノ酸にし、そこからブドウ糖を作る。この糖新生において血糖値の低下を感知して糖新生のトリガーを引くホルモンは、グルカゴン、アドレナリン、コチゾール、成長ホルモンなど、複数種類あることが書かれています。
|
ちなみに ATP とは、高校の生物に出てきたと思いますが、アデノシン三リン酸(Adenosine TriPhosphate)の略です。ATP は細菌から人間まで、エネルギーの貯蔵・放出の役割を担っている物質で、生体のエネルギー通貨と呼ばれています。
上の引用の下線のところが、糖質制限で痩せる理由になっています。つまり糖質を制限すると、血糖値の低下を補うためタンパク質と脂肪が分解されるというわけです。
|
上の文章に何点か補足しますと、血糖値が高い状態が続くと血管や神経が損傷します。我々は糖尿病がひどくなるとどうなるを知っています。網膜の血管がやられて失明に至り、足が壊疽して切断に至り、あるいは糖尿病性の腎不全になったりする。腎不全になると脳にダメージがくるので生命にかかわります。
また、余ったブドウ糖は中性脂肪に変えられるだけでなく、グリコーゲンに変えられて肝臓などにストックされます。こういった余剰なブドウ糖をストックするトリガーを引いているのが、膵臓で作られるホルモン、インスリンです。血糖値を低下させるホルモンはインスリンしかなく、血糖値を上昇させるホルモンが数種類あるのとは対照的です。夏井氏は「血糖値低下にはセーフティーネットがない」と書いていますが、その通りです。もしインスリンの分泌が悪いとか、インスリンが分泌されても体がそれに反応しにくいとかだと、まずいことになるわけです。なぜ血糖値低下のためのセーフティーネットがないのか、人体の不思議なところです。
さらに糖質と肥満の関係ですが、単糖類の果糖(フルクトース)は中性脂肪に変えられて脂肪細胞にストックされます。果糖は果物に多く含まれているので、肥満を避けるためには要注意でしょう。もちろん程度問題です。
以上の説明を「糖質食で太る理由、糖質制限で痩せる理由」という観点でまとめると次のようになります。
◆ | 脳は24時間働いていて、ブドウ糖を主要なエネルギー源としている。 | ||
◆ | 脳にブドウ糖を補給するために、血液中のブドウ糖(血糖)は一定の濃度(血糖値)を保つ必要がある。血糖値は 100mg/dl 前後である。血糖値は高すぎても低すぎても体に危害を及ぼす。 | ||
◆ | 血糖には、食事(=糖質が含まれる食事。糖質食)由来の血糖と、体のタンパク質などから作り出された血糖の2種類がある。血糖を作り出す体の仕組みが "糖新生" で、これが基本の血糖値維持システムである。 | ||
◆ | 糖質食によって血糖値が高くなりすぎると、血糖は中性脂肪に変換されて脂肪細胞にストックされる。糖質食の過食で太る原因がこれである。 | ||
◆ | 糖質制限で血糖値が低くなりすぎると、糖新生の機能が働いて血糖値を正常に戻す。このとき、体のタンパク質と脂肪が消費される。糖質制限で痩せる理由がこれである。 |
糖質制限
糖質制限で痩せる理由を振り返ると、ブドウ糖以外のものからブドウ糖を作り出す "糖新生" という体のメカニズムが鍵となっています。夏井氏の本には「必須アミノ酸と必須脂肪酸はあるが、必須炭水化物はない」と書かれていました。なるほど ・・・・・・。生存に必須だが人体が作り出せず、食べ物から摂取するしかないアミノ酸(トリプトファン、ロイシンなど)と脂肪酸(リノール酸、EPA、DHAなど)があります。しかし必須炭水化物や必須糖質はないのですね。
糖質制限は特に近年広まってきました。糖質ゼロや低糖質をうたった食品や飲料が売られているし、外食産業でも低糖質のメニューを用意するようになっています。RIZAPなどのビジネスとしての成功も影響しているでしょう。
しかし考えてみると、糖質制限はかなり昔からありました。「糖質制限によるダイエットを最初に提唱したのは、19世紀イギリスのウィリアム・バンティング(1796-1878)だと言いますから、150年ほどの歴史がある由緒あるダイエットであるわけです。また、以前からよく言われる「太らないために甘いものを食べ過ぎないようにしましょう」と基本的に同じです。砂糖は消化されてブドウ糖になる典型的な糖質です。そのため、甘さ控えめのケーキや菓子が作られてきたし、コーヒーや紅茶に砂糖を入れない人も多い。甘いものに拒否反応を示す人も大勢います。また商品としての飲料に甘みをつけるときには人工甘味料を使うわけです。
その砂糖とおなじく糖質のカテゴリーなのが、穀類やイモ類に多く含まれるデンプンです。しかしデンプンは甘くないのが落とし穴なのですね。食品のグリセミック指数(GI値)を並べたリストを書きましたが(前出)、詳しく言うと精白米のGI値は80程度、食パンのGI値は90程度です。この値はブドウ糖を直接摂取するのと比較したものなので、血糖値をあげるという観点からみると、精白米も食パンも砂糖(蔗糖)と同じようなものということになります。人体においてはグリコーゲンが "ブドウ糖備蓄物質" でしたが、植物においてはデンプンが "ブドウ糖備蓄物質" であり、我々はそれを食べているという認識が必要です。
もちろん糖質制限には注意も必要です。糖質制限で痩せる原理から分かるように、糖質制限をするなら栄養を補給するために脂質やタンパク質を十分にとる必要があるでしょう。しかし、だからと言って脂質・タンパク質の過食に陥ると、糖質だけを制限していても肥満になるのは当然です。また、糖質がたっぷりある食品で食物繊維も多いものがあります(玄米など)。糖質制限の結果として食物繊維も制限してしまうと話がおかしくなります。
要はバランスと程度問題です。我々としては体のメカニズムを知り、肥満に陥らずに(もちろん糖尿病にならずに)健康に過ごすべきだというこです。
「炭水化物が人類を滅ぼす」
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それはともかく、題名を一見すると "キワモノ本" か "トンデモ本" かと思ってしまいますが、内容はそうでもありません。つまり「炭水化物が」というのが言い過ぎであって「穀物食が」か「デンプン食が」が適切です。また「人類を滅ぼす」というのも大げさで「行き過ぎたデンプン食が人類を不幸にする」ぐらいが正しい。ただし、こんなインパクトのない題名では本は売れないのでしょう。
夏井氏は外科医(形成外科医)ですが、自身の肥満と高血圧と高脂質症(医者の不養生!)を改善するために糖質制限を始めました。きっかけは2011年に、糖質制限の提唱者である江部康二先生(京都・高雄病院)のネット記事を読んだからです。その結果、半年で11kg痩せたそうです。高血圧症や高脂質症(中性脂肪過多とLDLコレステロール=悪玉コレステロール過多)もすっかり改善しました。
夏井氏の "師" にあたる江部先生の糖質制限は、もともと糖尿病患者の治療のためのものです。その糖質制限でまず思うのは、
血糖値をあげる唯一の食物は糖質であり、糖尿病患者が糖質制限をするのはあたりまえのはずなのに、その糖質制限を京都の病院の医師である江部先生がわざわざ提唱しないといけないのはなぜだろう |
という疑問です。実は数年前に印象的な出来事がありました。私の間接的な知人である Aさんのことです。Aさんは糖尿病になったのですが、病院で治療せず、医者とも相談せず、自分で本と文献を読みあさり、食事制限だけで糖尿病を完治させました。何でも、主食は "おから" にしたそうです。その Aさんの言は「今の糖尿病治療は医者と製薬会社の陰謀だ」というものでした。この Aさんの言と全く同じ主旨が夏井氏の本に書かれています。Aさんのことがあったので、夏井氏の本も(その過激なタイトルにもかかわらず)意義があると思ったのです。
江部先生は糖質制限を次の3つに分けています。
◆ | プチ糖質制限 夕食のみ主食抜き | ||
◆ | スタンダード糖質制限 朝食と夕食のみ主食抜き | ||
◆ | スーパー糖質制限 三食とも主食抜き |
夏井氏によると、プチ糖質制限はこれから糖質制限を始めようという初心者向け、スタンダード糖質制限が標準、スーパー糖質制限は医者にかからずに糖尿病を直したい人、ないしはスタンダード糖質制限では物足りないストイックな人向けだそうです。おそらく先ほどの Aさんは「スーパー糖質制限」だったのでしょう。ごはんの代わりに "おから"(=極めて低糖質)は良い選択だと思います。ちなみに私は随分前から夕食にごはんは食べませんが、妻の手作りピザを食べることもあるので「プチ糖質制限-」ぐらいでしょう。夏井氏は「スタンダード以上、スーパー未満」だそうです。
人類史と糖質
夏井氏の本は「糖質制限からみた生命の科学」という副題がつけられているように、糖質制限のことだけを書いているのではありません。生物の仕組みや生命の誕生と進化、人類の歴史などを糖質と結びつけて論じているところに特色があります。「動物の血糖値」「生命の起源とブドウ糖」「哺乳類の起源と糖質」「定住の起源」「農耕の起源と小麦栽培」「食事を楽しみにしたのは糖質=穀物と砂糖」「1日が3食になった理由」などのテーマです。ちなみに「定住の起源」については、西田正規氏(筑波大学名誉教授)の「定住が先で農業がその後。定住こそが革命的な出来事」という論を紹介したものです
「動物の血糖値」のところですが、さまざまな動物の血糖値は 50 ~ 150mg/dl 程度で、人間の 100mg/dl 前後と良く似ています(ほとんど動かないナマケモノは 20 程度)。しかし鳥類だけは200台後半~300台後半と極めて高いのですね。300mg/dl というのは人間の3倍です。これだけ高血糖でも鳥類の血管は哺乳類と構造が違うので損傷しないようです。飛翔という運動は脳の高度な働きが必要なことを想像させます。また鳥は恐竜から進化したものですが(No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」参照)、夏井氏は恐竜の血糖値も高かったのではと想像しています。恐竜の中には運動能力に優れたものがあって、それは高血糖に支えられていたのではという推測です。
人類の最初の農業になった小麦栽培の話が念入りに書かれているのですが、米作の起源についての記述もありました。
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以上のほとんどが夏井氏の、ないしは夏井氏が本で勉強した先人の仮説ですが、仮説を展開することは別に悪いことではありません。それらの中でも、本の題名に関係する「人類史と糖質の関係」を俯瞰した部分が最も重要です。夏井氏の主旨をまとめると以下のようになります。
◆ | 人類の歴史は数100万年であり、食性としては雑食(ないしは肉食+雑食)であった。 | ||
◆ | この期間、人類は血糖値過多・糖質過多にはなり得ない状況だった。その証拠に、血糖値を上げるホルモンは数種類あるのに、血糖値を下げるホルモンは1種(インスリン)しかない。人体は高血糖の状況を想定していない。 | ||
◆ | この状況の中で(わずか)1万2千年前の中東で小麦の栽培が始まった。そして河の周辺の乾燥地帯で小麦を栽培する灌漑農業へと発展した。小麦の栽培(とその類似技術。たとえば米の栽培)は短期間で世界の各地に広まった。 | ||
◆ | 小麦の灌漑農業は驚異的に生産性が高く、蒔いた種の200~300倍を収穫できる。また小麦は貯蔵可能である。これが社会を生み、文明を生んだ。小麦と類似の性質をもつイネ科穀物(米やトウモロコシ)も同様の役割を果たした。 | ||
◆ | しかしデンプンが主体である穀物食は、肥満や高血圧症、高脂質症、糖尿病のリスクを人類にもたらした。穀物は「神」であると同時に「偽りの神」でもあった。 | ||
◆ | 農業が始まって以来、農業生産量の拡大は基本的に農地面積の拡大で行われた。しかし1960年代からの「緑の革命」は状況を一変させた。化学肥料(窒素肥料)と農薬の大量使用、品種改良、灌漑技術の進歩により、耕地面積が増えないにもかかわらず、穀物生産を飛躍的に増大させた。 | ||
◆ | しかしその反面、地下水の枯渇(淡水の枯渇)、土地への塩分集積などの環境破壊が起こった。それは大穀倉地帯であるアメリカ中西部で顕著である。 | ||
◆ | 環境破壊型の穀物増産には限界がある。穀物の過食による病気のリスクを考えると、我々は今こそ穀物に頼らない食料システムを真剣に考えるべきである。 |
少々マイルドに(というか、かなりマイルドに)まとめると以上のようになるでしょう。
しかし、穀物に頼らないのは簡単ではありません。穀物には、当然のことながら飼料用穀物があります。日本の上質の和牛はたっぷりと脂身(サシ)が入っていますが、それは主としてアメリカの穀物生産(トウモロコシと飼料用の麦)に依存しています。肉食も穀物があるからこそなのです。このあたり、夏井氏も明確な解決策を書いているわけではないのですが、一つの警鐘として受け止めればいいと思います。
糖質とのつきあい方
本書を読んで思ったのですが、そもそも人間は糖質を好むようにできていると考えられます。それは「甘みを好ましいと思う感覚」が人間に備わっていて、かつ、甘いと感じる天然由来のものは、ほとんどが糖質だからです。アミノ酸にも甘いと感じるものがありますが(グリシン、アラニンなど)、甘いものの大多数は糖質です。
No.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたように、苦みは(本来は)危険のサインです。舌や鼻にある苦味受容体は苦み物質を排除するように働きます。苦みは「食べてはいけないサイン」であり、その反対に、甘みは「食べるべきだというサイン」だと思います。それは人類の誕生(数100万年前)から人類を生き延びさせてきた大切なセンサーでしょう。
甘みに関して、夏井氏自身がおもしろいことを書いています。小麦栽培の始まりについての仮説です。農耕=小麦栽培がはじまった中東の「肥沃な三日月地帯」において野生の小麦の原種が自生している姿を初めてみた人類は、小麦が食用になると認識したはずがないというのが夏井氏の考えです。木の実であれば数十~数百粒集めれば食べられます。しかし小麦はそうはいかない。小麦は粒が小さいうえ、そのままでは食べられません。硬い外皮(今でいう小麦ブラン)と実を分離する必要があります。
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作物の栽培は、半年後の収穫のために水やりとか雑草取りの努力することであり、栽培している時点では何の利益もありません。狩猟採集とは大違いです。半年後の利益が保証されているわけでもない。夏井氏は、小麦には食用になるということ以外の、栽培をはじめる強力なインセンティブがあったはずだと書いています。
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補足しますと、アミラーゼ(ジアスターゼとも云う)と総称される一連の酵素群は、デンプンを二糖類の麦芽糖に分解したり、さらにそれからブドウ糖を生成したりします。これは小麦、大麦、米などで共通です。唾液にはアミラーゼが含まれているので、ごはんをよく噛んでいると甘く感じます。
人間は発芽した小麦の「甘さ」驚き、それをもっと味わいたくて栽培を始めた、という夏井氏の推測、ないしは仮説が正しいかどうかは分かりません。実証することは(ないしは反証することは)出来ないでしょう。ただし興味深い推測です。
しかし、このストーリーで大切なことは、人間は甘さに対する(強い)欲求があり、それは穀物栽培を始める以前から人体にビルト・インされていたものだということです。そして自然界において甘いものが、すなわち糖質です。人間は糖質を好むように進化してきた。
No.221「なぜ痩せられないのか」に、タンザニアの北部で今でも完全な狩猟採集生活を送っている(=農業をしない)ハッザ族の話を書きました。彼らの主食は、女たちが地中から掘り出したイモです。男たちはヒヒやキリンなどの野生動物を毒矢で狩ります(ただし狩りの成果は不安定)。またノドグロミツオシエという鳥の誘導で蜂の巣をとり、蜂蜜を食べたりもする。ここで出てきたイモ(デンプンたっぷり)と蜂蜜(ほぼ純粋なブドウ糖と果糖)は、現代の糖尿病患者が最も食べてはいけないものです。しかし狩猟採集で生きてきた人類にとって、こういった糖質への欲求と志向こそが生存の鍵だったのではと思います。
先日、NHKスペシャル「人体」で脳の話がありましたが、糖質や脂肪を体内に蓄えて血糖値を下げる働きをするインスリンは、脳の血管脳関門を突破できる数少ない物質の一つであり、記憶をつかさどる脳の海馬に働きかけてその細胞の新生を促すそうです。これを進化人類学的にみると、狩猟採集生活をしていたヒトは食料にありつけた場所を記憶しやすいということでしょう。生き延びるためには糖質の摂取による血糖値の上昇は大切なことだったのです。そのヒトの末裔である我々にとっても、糖質食は記憶の増進と結びついた大切な行為のはずです。
我々は糖質とうまくつき合えばいいのだと思います。無理に糖質食を否定することは何もなく、体重過多の時には糖質制限をし、普段から甘いものやデンプン食を食べすぎないようにする。食事や間食は「バランス」と「適度」が大切である。そういうことだと思いました。
2018-03-02 19:23
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No.225 - 手を洗いすぎてはいけない [科学]
No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 ではモイゼス・ベラスケス = マノフ著「寄生虫なき病」(原題を直訳すると「不在という伝染病」)の内容を紹介しました。ごく簡単に一言で要約すると、
ということでした。No.119 にも書いたのですが、実は上の主張を早くから公表し、警鐘を鳴らしていたのが藤田紘一郎博士(東京医科歯科大学名誉教授)です。今回は、その藤田博士に敬意を表して、博士が最近出版された本を紹介したいと思います。「手を洗いすぎてはいけない - 超清潔志向が人類を滅ぼす - 」(光文社新書 2017。以下「本書」)です。以降、本書の内容の "さわり" を、感想とともに書きます。本書を一言で要約すると、
となるでしょう。
人は常在菌と共生している
人体(腸や皮膚など)に住みつき、病原性を示さない細菌を「常在菌」と総称します。常在菌は食物の消化を助けたり、ビタミンを合成したり、免疫を活性化したり、病原菌の排除したり、皮膚を守ったりといった重要な働きをしています。つまり常在菌は人体と共生しています。本書では「人の90%は細菌」という試算が書かれています。どういうことかと言うと、
ということであり、遺伝子をもつ細胞の数を比較すると、常在菌は人体の細胞の10倍というわけです。ちなみに赤血球はその発生の過程で DNA を失い、ヘモグロビンによって酸素を運搬する機能に特化した細胞になります。
数の比較を「遺伝子の数」で行うと、人の遺伝子の数は約2万です。一方、腸内細菌(腸に住みついている常在菌)がもつ遺伝子の総数は全部で60万~100万もあり、人体の30倍以上ということになります。
本書には書かれていませんが、この「遺伝子の数」だけをとってみても常在菌と共生するのが人にとって有利ということが分かります。常在菌の世代交代は2~3年で1万世代に達します(本書による)。これは人間に比べて約10万倍のスピードであり、しかも遺伝情報は人の数10倍もある。ということは、環境変化(たとえ食環境の変化)に追従して変化できる速さが人とは比べものにならないわけです。
常在菌の数(数としてはほとんどが腸内細菌)についてはさまざまな推定があります。本書には約100兆とありますが、No.70「自己と非自己の科学(2)」では "1000兆" という数字をあげました(東大の服部教授の雑誌記事 2012年)。数百兆と書かれている本もあります。各種の情報からすると100兆~1000兆ほどの幅がありますが、これは個人差や、年齢、性別、居住地域などでの差があるからでしょう。また、正確な推定が難しいという理由もあると思います。技術の進歩によってより正確な推定ができることもあるでしょう。
本書に戻って、常在菌のうちの大腸菌の働きが書かれています。
人体はデンプンやグリコーゲンなどを除き、ほとんどの多糖類を消化できません。消化酵素がないからです。代表的なのが食物繊維で、セルロースが大半を占めています。健康のためには食物繊維の摂取が大切とやかましく言われるのですが、食物繊維は大腸菌を含む腸内細菌のエサであり、人は腸内細菌の "おこぼれ" にあずかっているわけです。
常在菌の重要な機能として「人体の免疫機構が過度に働かないようにする」ことがあります。本書では腸内寄生虫を例にしてそのことが書かれています。共生微生物(細菌・寄生虫)は人体で生息するために、人体の免疫機構が共生微生物を排除しないように働きかけます。これが免疫機構の過剰な働きを抑制することになります。この抑制が無くなるとアレルギー(= 人体には無害なはずのアレルゲンに対して炎症反応が起こる)のリスクが高まります。
このブログで過去に書いたことを振り返ってみますと、20世紀末から21世紀にかけての免疫学上の大発見は、大阪大学の坂口志文教授の「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」の発見でした。坂口教授は毎年ノーベル生理・医学賞の候補にとりざたされるほどです。ブログではその制御性T細胞と腸内細菌との関係を2回書きました。
「人 = 人体 + 常在菌」であって、人体は常在菌の存在を前提として機能するようになっています。常在菌は生息環境を維持するために、人体が健康になるように働くわけです。宿主=人体が不健康になったり、極端には死んでしまうと常在菌も存在できなくなるからです。そのかわりに "エサ" にありつく。まさに人体と共生関係を結んでいるのです。
常在菌は人が外界から取り込こむ
このように重要な常在菌は、そのすべてが外界から取り込まれたものです。その取り込みは赤ちゃんが生まれる際、産道を通るときから始まります。
スキンシップの最たるものは授乳でしょう。本書には書かれていませんが、No.119「"不在" という伝染病(1)」に、赤ちゃんはお母さんの乳頭からビフィズス菌を取り込むという話を書きました。ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖(結合数3~10の糖類)を消化するのに必須です。母乳に細菌でしか消化できない糖が含まれるというのも、人体は細菌との共生を前提としていることを如実に示しています。
本書に戻り、赤ちゃんは人の指だけでなく、おもちゃとかスリッパとか、あらゆるものをなめようとしますが、これが常在菌を取り込む手段になっています。また大きくなってからは、子供に泥んこ遊びをさせるのも常在菌を豊かにします。落ちたものをすぐに拾って食べるのも有益です。
腸にびっしりと腸内細菌が生息していると、病原菌が進入する余地がありません。その反対が、本書が言う「空き家」がある状態です。
床に落ちたものを拾って食べることに関して「直ぐに拾って食べれば大丈夫」ということを、本書では「3秒ルール」と言っています。アメリカでは「ファイブ・セカンド・ルール」と言うそうで、このような認識は世界共通だそうです。研究した人によると、3秒以内に拾ろうと有害な病原菌は付着しないとのことです。しかし一番大事なのは秒数ではなく、落ちた場所です。つまり有害な菌がいる可能性がある台所や風呂場の床は避けるべきです。
乳酸菌などの細菌が含まれる食物をとることも、常在菌を増やすために大切です。代表的なのが各種の発酵食品ですが、本書では腸内環境を整える「最強の」細菌として、土壌菌(土の中にいる細菌)に着目しています。
ヨーグルトにいる乳酸菌やビフィズス菌は9割が胃酸で死滅してしまいますが、枯草菌は腸まで届くところがポイントです。
腸内細菌の数や種類は変動します。腸内細菌のバランスが崩れると、特定の菌が異常繁殖し病原性を示すようになります(悪玉菌に変化する)。腸内細菌のバランスを維持する根本は食事であり、特に腸内細菌のエサになる食物繊維をとることが重要です。
"チョイ悪菌" との戦いが免疫力をつける
以上のように、人体は常在菌を外界から取り込んで「人 = 人体 + 常在菌」になるわけですが、当然のことながら外界には有害な病原菌もいます。しかし人体には有害な菌を選別するしくみが備わっています。
No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」に「IgA抗体が人体と共存させる細菌を選別している」という、理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏の研究を紹介しました(「NHKスペシャル」での放映内容)。ここに再掲しておきます。
No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」
免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。
人間の免疫システムは、取り込む菌と排除する菌を区別するようにできています。No.69-70「自己と非自己の科学」で書いたように、この免疫システムは複数種類の免疫細胞の協調作業で行われます。この協調作業を行う免疫細胞群を本書では "チーム免疫" と呼んでいます。微生物の多い環境にいると "チーム免疫" が鍛えられる。これが大切です。
本当に怖い病原菌が侵入してきたとき、それと真っ先に戦うのは医療でも薬でもなく、"チーム免疫" です。その力を高めるには「チョイ悪菌」と仲良くし、練習試合をたくさんやって鍛えるしかありません。
要するに「人体の機能は、使わなければ衰える」のが根本原理です。これはたとえば筋肉と同じと考えていいでしょう。手や足を骨折して筋肉を動かせない状態を続けると筋肉が固まってきます。その回復のためにリハビリの期間がかなり必要だったりする。それと同じです。我々には "チーム免疫" を使う機会が常時あることが必要なのです。
超清潔指向が人間を滅ぼす
以上ような人の成り立ちを考えると、
ことになります。現在の日本では「殺菌」「滅菌」「抗菌」「除菌」などのキーワードがついた衣類用洗剤、掃除用洗剤、スプレー、ハンドローション、うがい薬、家電製品、日用品があふれています。また「泥んこ遊びをさせない」などの、子どもを微生物環境から遮断するような育児を行う人もいます。さらに日本の水道水への塩素注入量は世界でみても極端に高いと本書にあります。水道水中の微生物の基準がWHO(世界保健機構)の基準に比べても厳しすぎるからです。
このような「行きすぎた清潔指向」「超清潔指向」が人間を滅ぼすことになる、というのが本書の警告です。超清潔指向は「常在菌の減少や不在」を招き、「免疫関連疾患のリスク」を高め、また「免疫力の低下」をもたらします。
常在菌は数から言うと腸内細菌がほとんどで、上に書いたように人の健康維持に密接に関係しているのでした。腸内細菌の「空き家」は病原菌の進入を許すことになります。
しかし常在菌は皮膚にも生息していて、我々の皮膚を守っています。従って、過度に手を洗うと "皮膚常在菌" の不在を招き、感染症にかかりやすくなります。手洗いは流水で10秒間流すことで十分というのが本書の強い推奨です。このあたりの事情は本書の題名、「手を洗いすぎてはいけない」にもなっているので、少々長めに引用してみましょう。
手を洗いすぎると皮膚の角質層を壊すことにもなります。皮膚は常に新陳代謝をおこなっていて、古い皮膚はいずれ垢となって剥がれ落ちるのですが、垢になる一歩手前が角質です。角質層はアレルゲンや病原体が皮膚に入り込むのを防ぎます。
本書は、肌の乾燥の原因は「季節」や「加齢」ではないと断言しています。常在菌が作ってくれた皮脂膜 = 天然の保湿剤を洗い流し、高価な保湿クリームを塗るなどは愚の骨頂というわけです。
洗いすぎてはいけないのは手だけではありません。温水洗浄トイレ(商品名:ウォシュレットなど)は確かに快適で便利だし、多くの痔の患者さんを救ってきたのは事実ですが、使い過ぎるのもよくありません。
人の皮膚は洗いすぎると汚くなるのです。洗いすぎて中性からアルカリ性に傾いた皮膚は、病原菌の格好の住処になります。本書には男性だけでなく女性の話も出てきます。
微生物の少ない環境は、免疫関連疾患であるアレルギーの発症リスクを高めます。そもそも藤田博士は「寄生虫の不在とアレルギーの発症の因果関係」で、このことを早くから主張されていたのでした。アレルギーに関しては、No.119「 "不在" という伝染病(1)」に「兄弟効果」「保育園効果」「農場効果」を書きました。つまり、
というものです。本書にはこのうち「兄弟効果」と「保育園効果」が説明されています。下の図は第1子(一人っ子を除く)に着目し、第1子と第2子以降のアレルギーの発症率を調査したものです。明らかに差が見てとれます。
知人女性の第1子の「アレルギー性鼻炎と育て方の因果関係」を立証することはできないと思いますが(何らかの遺伝的要因かもしれない)、いかにもありそうな話です。結果としてですが、その知人女性は第1子に対しては "最悪の育て方" をしたわけです。
また本書にも「保育園に早くからあずけられた子どもの方がアトピーになりにくい、というデータがある」と、"保育園効果" のことが書かれています。大勢の子どもがいて皆で遊ぶ環境が微生物と接する機会を増やすからです。
超清潔指向は私たちの外部環境からも細菌を追い出すことになります。これは人の免疫力を低下させ、感染症にかかりやすくなることにつながります。ノロウイルスの流行やエルトール型コレラの集団発生もその現れだと、本書では危惧しています。( )内は引用注です。
1995年のことになります。インドネシアのバリ島帰りの日本人が次々とコレラを発症し、患者数が300人近くにもなった事件がありました。コレラは江戸時代からの恐ろしい伝染病です。伝染力が強く、致死率も高い。明治から昭和の初めまで、日本の国家的な衛生システムはコレラの防疫で生まれたと言われるほどです。ここで言うコレラは「アジア型」と言われるタイプのものです。一方、1995年に発生したコレラは違いました。
バリ島は有名な観光地です。現地のバリ島の人たちがエルトール型コレラを発症しないのはともかく、世界からバリ島にやってきた観光客のなかで日本人だけが発症したという事態は、確かに日本人の免疫力の低下を疑わせます。最近よくあるインフルエンザの季節はずれの流行も、日本人の免疫力の低下ではないかと、本書で危惧されています。
超清潔指向が総合的に作用して社会問題となったのが(なっているのが)病原性大腸菌、O157です。1990年、O157の感染で日本で初めて死者が出ました。埼玉県浦和市(現、さいたま市)の幼稚園で、井戸水の引用によって2人が亡くなったのです。また、日本中を震撼させたのが1996年の堺市の事件です。同じ給食を食べた児童・職員の9492人が罹患し、3人の児童が亡くなりました。
O157は人の腸の中に入ると、血管壁を壊して出血を起こすベロ毒素(志賀毒素)を出すことがあります。この毒素が血液中に入るとさまざまな症状を起こします。毒素が腎臓に入り込むと急性腎不全となり尿毒症が起こる。こうなると脳に影響を与えて意識障害や痙攣を引き起こし、ときに死亡することもあります。
O157は大腸菌の変異菌です。大腸菌は本書にも書かれているように、人の腸のなかに生息し、O157を含む病原菌を排除したり、食物繊維を分解したりといった働きをしています。O157はその変異菌であり、157番目に見つかった変異なのでO157と命名されました。1982年のアメリカでのことです。そしてO157の流行は先進国にかたよっていて、いわゆる発展途上国では起こっていません。
このような変異菌がなぜ生まれてきたのか。それは殺菌剤や抗菌剤の多用だというのが本書の見立てです。抗生物質の多用が変異菌を生みだし、その中から抗生物質が利かない耐性菌が生まれるのと同じ原理というわけです。
実は、O157は生命力の弱い菌です。毒素の生成に多くのエネルギーを使ってしまうからです。O157は不潔な場所では生きられません。雑菌が多いところでは淘汰されてしまいます。反対に、雑菌の少ない清潔な場所に入り込むと一気に増殖を始めます。従って衛生に細心の注意を払う場所ほどO157の格好の住処となります。学校の給食室、スーパーの総菜売場、水耕栽培をする野菜工場などです。人が殺菌剤をふりまいて雑菌を殺しておいてくれるからです。さらに、そのO157に感染して重症化する人には特徴があると言います。
何回か発生したO157の集団感染は、マスメディアによって大々的に報道され、これがまた日本人の清潔指向を倍加させました。以上の O157 に関するストーリーを「清潔」をキーワードにまとめると、
ということになります。これはいわゆる悪循環というヤツです。この悪循環をどこかで断ち切る必要があります。それはひとえに「清潔」という意味をよく理解し、正しい知識をつけることでしょう。
ヒトと微生物の共生
本書の内容をまとめると、次のようになると思います。
以上のことは、どちらかというと常識的であり、本書に何か新しい知見が書かれているわけではありません。ただ、専門用語を極力排し、多くの事例を引用してわかりやすく解説し、警鐘を鳴らした本として価値があると思いました。
人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクが増大する |
ということでした。No.119 にも書いたのですが、実は上の主張を早くから公表し、警鐘を鳴らしていたのが藤田紘一郎博士(東京医科歯科大学名誉教授)です。今回は、その藤田博士に敬意を表して、博士が最近出版された本を紹介したいと思います。「手を洗いすぎてはいけない - 超清潔志向が人類を滅ぼす - 」(光文社新書 2017。以下「本書」)です。以降、本書の内容の "さわり" を、感想とともに書きます。本書を一言で要約すると、
人は微生物が豊富な環境(体内と体外の環境)でこそ健康に生きられる |
となるでしょう。
人は常在菌と共生している
人体(腸や皮膚など)に住みつき、病原性を示さない細菌を「常在菌」と総称します。常在菌は食物の消化を助けたり、ビタミンを合成したり、免疫を活性化したり、病原菌の排除したり、皮膚を守ったりといった重要な働きをしています。つまり常在菌は人体と共生しています。本書では「人の90%は細菌」という試算が書かれています。どういうことかと言うと、
◆ | 常在菌の数は、腸だけでも100兆以上になる(1平方センチあたり数千万個。種類は200種)。そのすべてが遺伝子を持っている。 | ||
◆ | 人体の細胞の数は約37兆ある(以前は60兆と言われていたが、最新の研究では37兆)。このうち26兆は遺伝子をもたない赤血球であり、遺伝子をもつ細胞は約11兆である。 |
ということであり、遺伝子をもつ細胞の数を比較すると、常在菌は人体の細胞の10倍というわけです。ちなみに赤血球はその発生の過程で DNA を失い、ヘモグロビンによって酸素を運搬する機能に特化した細胞になります。
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本書には書かれていませんが、この「遺伝子の数」だけをとってみても常在菌と共生するのが人にとって有利ということが分かります。常在菌の世代交代は2~3年で1万世代に達します(本書による)。これは人間に比べて約10万倍のスピードであり、しかも遺伝情報は人の数10倍もある。ということは、環境変化(たとえ食環境の変化)に追従して変化できる速さが人とは比べものにならないわけです。
常在菌の数(数としてはほとんどが腸内細菌)についてはさまざまな推定があります。本書には約100兆とありますが、No.70「自己と非自己の科学(2)」では "1000兆" という数字をあげました(東大の服部教授の雑誌記事 2012年)。数百兆と書かれている本もあります。各種の情報からすると100兆~1000兆ほどの幅がありますが、これは個人差や、年齢、性別、居住地域などでの差があるからでしょう。また、正確な推定が難しいという理由もあると思います。技術の進歩によってより正確な推定ができることもあるでしょう。
本書に戻って、常在菌のうちの大腸菌の働きが書かれています。
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人体はデンプンやグリコーゲンなどを除き、ほとんどの多糖類を消化できません。消化酵素がないからです。代表的なのが食物繊維で、セルロースが大半を占めています。健康のためには食物繊維の摂取が大切とやかましく言われるのですが、食物繊維は大腸菌を含む腸内細菌のエサであり、人は腸内細菌の "おこぼれ" にあずかっているわけです。
常在菌の重要な機能として「人体の免疫機構が過度に働かないようにする」ことがあります。本書では腸内寄生虫を例にしてそのことが書かれています。共生微生物(細菌・寄生虫)は人体で生息するために、人体の免疫機構が共生微生物を排除しないように働きかけます。これが免疫機構の過剰な働きを抑制することになります。この抑制が無くなるとアレルギー(= 人体には無害なはずのアレルゲンに対して炎症反応が起こる)のリスクが高まります。
このブログで過去に書いたことを振り返ってみますと、20世紀末から21世紀にかけての免疫学上の大発見は、大阪大学の坂口志文教授の「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」の発見でした。坂口教授は毎年ノーベル生理・医学賞の候補にとりざたされるほどです。ブログではその制御性T細胞と腸内細菌との関係を2回書きました。
◆ | 腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」 | ||
◆ | 腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」 |
「人 = 人体 + 常在菌」であって、人体は常在菌の存在を前提として機能するようになっています。常在菌は生息環境を維持するために、人体が健康になるように働くわけです。宿主=人体が不健康になったり、極端には死んでしまうと常在菌も存在できなくなるからです。そのかわりに "エサ" にありつく。まさに人体と共生関係を結んでいるのです。
常在菌は人が外界から取り込こむ
このように重要な常在菌は、そのすべてが外界から取り込まれたものです。その取り込みは赤ちゃんが生まれる際、産道を通るときから始まります。
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スキンシップの最たるものは授乳でしょう。本書には書かれていませんが、No.119「"不在" という伝染病(1)」に、赤ちゃんはお母さんの乳頭からビフィズス菌を取り込むという話を書きました。ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖(結合数3~10の糖類)を消化するのに必須です。母乳に細菌でしか消化できない糖が含まれるというのも、人体は細菌との共生を前提としていることを如実に示しています。
本書に戻り、赤ちゃんは人の指だけでなく、おもちゃとかスリッパとか、あらゆるものをなめようとしますが、これが常在菌を取り込む手段になっています。また大きくなってからは、子供に泥んこ遊びをさせるのも常在菌を豊かにします。落ちたものをすぐに拾って食べるのも有益です。
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腸にびっしりと腸内細菌が生息していると、病原菌が進入する余地がありません。その反対が、本書が言う「空き家」がある状態です。
床に落ちたものを拾って食べることに関して「直ぐに拾って食べれば大丈夫」ということを、本書では「3秒ルール」と言っています。アメリカでは「ファイブ・セカンド・ルール」と言うそうで、このような認識は世界共通だそうです。研究した人によると、3秒以内に拾ろうと有害な病原菌は付着しないとのことです。しかし一番大事なのは秒数ではなく、落ちた場所です。つまり有害な菌がいる可能性がある台所や風呂場の床は避けるべきです。
乳酸菌などの細菌が含まれる食物をとることも、常在菌を増やすために大切です。代表的なのが各種の発酵食品ですが、本書では腸内環境を整える「最強の」細菌として、土壌菌(土の中にいる細菌)に着目しています。
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ヨーグルトにいる乳酸菌やビフィズス菌は9割が胃酸で死滅してしまいますが、枯草菌は腸まで届くところがポイントです。
腸内細菌の数や種類は変動します。腸内細菌のバランスが崩れると、特定の菌が異常繁殖し病原性を示すようになります(悪玉菌に変化する)。腸内細菌のバランスを維持する根本は食事であり、特に腸内細菌のエサになる食物繊維をとることが重要です。
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"チョイ悪菌" との戦いが免疫力をつける
以上のように、人体は常在菌を外界から取り込んで「人 = 人体 + 常在菌」になるわけですが、当然のことながら外界には有害な病原菌もいます。しかし人体には有害な菌を選別するしくみが備わっています。
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No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」に「IgA抗体が人体と共存させる細菌を選別している」という、理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏の研究を紹介しました(「NHKスペシャル」での放映内容)。ここに再掲しておきます。
No.120「"不在" という伝染病(2)」の「補記」
免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。
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人間の免疫システムは、取り込む菌と排除する菌を区別するようにできています。No.69-70「自己と非自己の科学」で書いたように、この免疫システムは複数種類の免疫細胞の協調作業で行われます。この協調作業を行う免疫細胞群を本書では "チーム免疫" と呼んでいます。微生物の多い環境にいると "チーム免疫" が鍛えられる。これが大切です。
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本当に怖い病原菌が侵入してきたとき、それと真っ先に戦うのは医療でも薬でもなく、"チーム免疫" です。その力を高めるには「チョイ悪菌」と仲良くし、練習試合をたくさんやって鍛えるしかありません。
要するに「人体の機能は、使わなければ衰える」のが根本原理です。これはたとえば筋肉と同じと考えていいでしょう。手や足を骨折して筋肉を動かせない状態を続けると筋肉が固まってきます。その回復のためにリハビリの期間がかなり必要だったりする。それと同じです。我々には "チーム免疫" を使う機会が常時あることが必要なのです。
超清潔指向が人間を滅ぼす
以上ような人の成り立ちを考えると、
微生物の少ない環境(体内・体外環境)は人の健康を阻害する |
ことになります。現在の日本では「殺菌」「滅菌」「抗菌」「除菌」などのキーワードがついた衣類用洗剤、掃除用洗剤、スプレー、ハンドローション、うがい薬、家電製品、日用品があふれています。また「泥んこ遊びをさせない」などの、子どもを微生物環境から遮断するような育児を行う人もいます。さらに日本の水道水への塩素注入量は世界でみても極端に高いと本書にあります。水道水中の微生物の基準がWHO(世界保健機構)の基準に比べても厳しすぎるからです。
このような「行きすぎた清潔指向」「超清潔指向」が人間を滅ぼすことになる、というのが本書の警告です。超清潔指向は「常在菌の減少や不在」を招き、「免疫関連疾患のリスク」を高め、また「免疫力の低下」をもたらします。
 常在菌の減少や不在を招く  |
常在菌は数から言うと腸内細菌がほとんどで、上に書いたように人の健康維持に密接に関係しているのでした。腸内細菌の「空き家」は病原菌の進入を許すことになります。
しかし常在菌は皮膚にも生息していて、我々の皮膚を守っています。従って、過度に手を洗うと "皮膚常在菌" の不在を招き、感染症にかかりやすくなります。手洗いは流水で10秒間流すことで十分というのが本書の強い推奨です。このあたりの事情は本書の題名、「手を洗いすぎてはいけない」にもなっているので、少々長めに引用してみましょう。
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手を洗いすぎると皮膚の角質層を壊すことにもなります。皮膚は常に新陳代謝をおこなっていて、古い皮膚はいずれ垢となって剥がれ落ちるのですが、垢になる一歩手前が角質です。角質層はアレルゲンや病原体が皮膚に入り込むのを防ぎます。
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本書は、肌の乾燥の原因は「季節」や「加齢」ではないと断言しています。常在菌が作ってくれた皮脂膜 = 天然の保湿剤を洗い流し、高価な保湿クリームを塗るなどは愚の骨頂というわけです。
洗いすぎてはいけないのは手だけではありません。温水洗浄トイレ(商品名:ウォシュレットなど)は確かに快適で便利だし、多くの痔の患者さんを救ってきたのは事実ですが、使い過ぎるのもよくありません。
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人の皮膚は洗いすぎると汚くなるのです。洗いすぎて中性からアルカリ性に傾いた皮膚は、病原菌の格好の住処になります。本書には男性だけでなく女性の話も出てきます。
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 免疫関連疾患のリスクを高める  |
微生物の少ない環境は、免疫関連疾患であるアレルギーの発症リスクを高めます。そもそも藤田博士は「寄生虫の不在とアレルギーの発症の因果関係」で、このことを早くから主張されていたのでした。アレルギーに関しては、No.119「 "不在" という伝染病(1)」に「兄弟効果」「保育園効果」「農場効果」を書きました。つまり、
◆ | 兄弟効果 兄弟で比較すると、後に生まれた子の方がアレルギーが少ない | ||
◆ | 保育園効果 保育園に通った子どもの方が、そうでない子どもよりアレルギーが少ない | ||
◆ | 農場効果 農場で育った子どもにはアレルギーが少ない |
というものです。本書にはこのうち「兄弟効果」と「保育園効果」が説明されています。下の図は第1子(一人っ子を除く)に着目し、第1子と第2子以降のアレルギーの発症率を調査したものです。明らかに差が見てとれます。
![]() | ||
本書にある、第1子(一人っ子を除く)と第2子以降のアレルギーの発症率を対比したグラフ。この調査は、子を持つ親:10118人に対し、第1子の数:3639人、第2子以降の数:6479人であり、調査した子の数=親の数となっている。つまり同じ親からは子が一人だけ選択されている。これは親の育て方以外で兄弟が似る要因(遺伝や居住地など)の影響を排除するためと考えられる。どの子を選ぶかはランダムに決めたはずである。No.223「因果関係を見極める」のRCT(ランダム化比較試験)の項参照。
このグラフを見て思うのは、そもそも「子どもの約30~40%がアレルギー体質」というのが多すぎるということである。
「手を洗いすぎてはいけない」より。
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知人女性の第1子の「アレルギー性鼻炎と育て方の因果関係」を立証することはできないと思いますが(何らかの遺伝的要因かもしれない)、いかにもありそうな話です。結果としてですが、その知人女性は第1子に対しては "最悪の育て方" をしたわけです。
また本書にも「保育園に早くからあずけられた子どもの方がアトピーになりにくい、というデータがある」と、"保育園効果" のことが書かれています。大勢の子どもがいて皆で遊ぶ環境が微生物と接する機会を増やすからです。
 免疫力が低下する  |
超清潔指向は私たちの外部環境からも細菌を追い出すことになります。これは人の免疫力を低下させ、感染症にかかりやすくなることにつながります。ノロウイルスの流行やエルトール型コレラの集団発生もその現れだと、本書では危惧しています。( )内は引用注です。
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1995年のことになります。インドネシアのバリ島帰りの日本人が次々とコレラを発症し、患者数が300人近くにもなった事件がありました。コレラは江戸時代からの恐ろしい伝染病です。伝染力が強く、致死率も高い。明治から昭和の初めまで、日本の国家的な衛生システムはコレラの防疫で生まれたと言われるほどです。ここで言うコレラは「アジア型」と言われるタイプのものです。一方、1995年に発生したコレラは違いました。
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バリ島は有名な観光地です。現地のバリ島の人たちがエルトール型コレラを発症しないのはともかく、世界からバリ島にやってきた観光客のなかで日本人だけが発症したという事態は、確かに日本人の免疫力の低下を疑わせます。最近よくあるインフルエンザの季節はずれの流行も、日本人の免疫力の低下ではないかと、本書で危惧されています。
超清潔指向が総合的に作用して社会問題となったのが(なっているのが)病原性大腸菌、O157です。1990年、O157の感染で日本で初めて死者が出ました。埼玉県浦和市(現、さいたま市)の幼稚園で、井戸水の引用によって2人が亡くなったのです。また、日本中を震撼させたのが1996年の堺市の事件です。同じ給食を食べた児童・職員の9492人が罹患し、3人の児童が亡くなりました。
O157は人の腸の中に入ると、血管壁を壊して出血を起こすベロ毒素(志賀毒素)を出すことがあります。この毒素が血液中に入るとさまざまな症状を起こします。毒素が腎臓に入り込むと急性腎不全となり尿毒症が起こる。こうなると脳に影響を与えて意識障害や痙攣を引き起こし、ときに死亡することもあります。
O157は大腸菌の変異菌です。大腸菌は本書にも書かれているように、人の腸のなかに生息し、O157を含む病原菌を排除したり、食物繊維を分解したりといった働きをしています。O157はその変異菌であり、157番目に見つかった変異なのでO157と命名されました。1982年のアメリカでのことです。そしてO157の流行は先進国にかたよっていて、いわゆる発展途上国では起こっていません。
このような変異菌がなぜ生まれてきたのか。それは殺菌剤や抗菌剤の多用だというのが本書の見立てです。抗生物質の多用が変異菌を生みだし、その中から抗生物質が利かない耐性菌が生まれるのと同じ原理というわけです。
ちなみにO157が出すベロ毒素(=志賀毒素)の "志賀" とは、赤痢菌を発見した志賀潔博士のことです。O157は、赤痢菌と同じ毒素を出すように変異した大腸菌です。 |
実は、O157は生命力の弱い菌です。毒素の生成に多くのエネルギーを使ってしまうからです。O157は不潔な場所では生きられません。雑菌が多いところでは淘汰されてしまいます。反対に、雑菌の少ない清潔な場所に入り込むと一気に増殖を始めます。従って衛生に細心の注意を払う場所ほどO157の格好の住処となります。学校の給食室、スーパーの総菜売場、水耕栽培をする野菜工場などです。人が殺菌剤をふりまいて雑菌を殺しておいてくれるからです。さらに、そのO157に感染して重症化する人には特徴があると言います。
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何回か発生したO157の集団感染は、マスメディアによって大々的に報道され、これがまた日本人の清潔指向を倍加させました。以上の O157 に関するストーリーを「清潔」をキーワードにまとめると、
◆ | 抗菌剤や殺菌剤の多用が大腸菌の変異菌(O157)の出現を招いた(のだろう)。 | ||
◆ | そのO157は清潔な場所でないと増殖できない。 | ||
◆ | 超清潔志向の家庭で育った子どもがO157感染症を発症し、重症化した。 | ||
◆ | O157による重症患者の発生は、日本人の清潔志向を倍加させた。 |
ということになります。これはいわゆる悪循環というヤツです。この悪循環をどこかで断ち切る必要があります。それはひとえに「清潔」という意味をよく理解し、正しい知識をつけることでしょう。
ヒトと微生物の共生
本書の内容をまとめると、次のようになると思います。
◆ | 人は微生物である常在菌と共生している。人=人体+常在菌であり、人体は常在菌との共生を前提に正しく機能するようになっている。 | ||
◆ | 人の機能は、その機能を常時働かせることにより強化され、維持される。免疫力も外界の微生物と常時接することで高まり、維持される。 | ||
◆ | 超清潔志向は常在菌の減少や不在を招き、また外界の微生物との接触を少なくする。その結果として人は "病" に陥る(機能不全、感染症、アレルギーなど)。 |
以上のことは、どちらかというと常識的であり、本書に何か新しい知見が書かれているわけではありません。ただ、専門用語を極力排し、多くの事例を引用してわかりやすく解説し、警鐘を鳴らした本として価値があると思いました。
2018-02-18 17:05
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No.223 - 因果関係を見極める [科学]
No.83-84「社会調査のウソ」の続きです。No.83-84では主に谷岡一郎氏の著書『社会調査のウソ』(文春新書 2000)に従って、世の中で行われている "社会調査" に含まれる「嘘」を紹介しました。たとえばアンケートに関して言うと、回答率の低いアンケート(例:10%の回答率)は全く信用できないとか、アンケート実施者が誘導質問で特定の回答を引き出すこともあるといった具合です。そして、数ある「嘘」に惑わされないための大変重要なポイントとして、
ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。
『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(No.84参照)、まず「広い家ほど子供の数が多い」という 1994年4月に公開された厚生白書がありました。この白書によると「公共住宅などの円滑な提供が必要」とのことです。しかしこれは「③隠れた変数」の例であり、
◆地方の文化的・社会的環境
├─⇒ 子たくさんの家庭
└─⇒ 広い家
と解釈するのが妥当です。また「②逆因果関係」に従って、
◆子供の数が増えた
└─⇒ 広い家に引っ越した
とも解釈できます。次に「ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファストフード)を食べる頻度が多い子供は非行の率が高い」という調査がありました。子供の栄養バランスの崩壊を憂う気持ちは分かりますが、まともに考えると、
◆親の子育ての手抜き
├─⇒ ジャンクフード
└─⇒ 非行
でしょう。非行については「TVで暴力シーンをみることが多い子供ほど非行に走りやすい」という調査もありました。TVの暴力シーンを規制すべきという意見ですが、これも、
◆子供の暴力的な性格
├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
└─⇒ 非行
というのが真っ当な解釈です。その他、No.84にいろいろな例をあげました。戦後の子供の「体格の向上」と「非行の増加」の "相関" は、全くの偶然=④疑似相関の例です。
では、正しく因果関係を見極めるにはどうすればよいのか。それを最新の手法を踏まえて事例とともに紹介した本が2017年に出版されました。伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(光文社新書 2017)です。伊藤氏はシカゴ大学助教授で、環境エネルギー経済学、応用計量経済学が専門です。この本(以下、本書)の "さわり" だけを以下に紹介します。
世の中は怪しいデータ分析で溢れている
伊藤公一朗氏の本ではまず、因果関係を推定する難しさが指摘されています。ある新聞記事の例です。
この大学の調査結果から「留学経験→就職率の向上」という「①因果関係」は推定できるのでしょうか。この場合「②逆因果関係」はありえないので、問題は「③隠れた変数」です。伊藤氏は次のような「隠れた変数」の可能性を指摘しています。
このような隠れた変数が就職率の向上に役だったかもしれないのです。もちろん「留学経験→就職率の向上」という可能性もあります。伊藤氏の本には書いていないのですが、留学を経験した学生は「外国人とのコミュニケーション能力」に優れていると考えられます。新卒学生を採用するときに「外国人とのコミュニケーション能力」を特に重視する企業はかなり明確に特定できるでしょう。ということは、留学経験者と企業との "就職マッチング" の成功率は一般の学生より高いと考えられるのです。
要は、多角的に分析しないと一概なことは言えないということです。特に難しいのは「隠れた変数」がいくらでも想定できることです。またその中には観測しにくいものも多い。留学の例でいうと、成績のデータは集められても、意志や好奇心のデータは集めにくいのです。
実はこういった分析なしに、あるいは誤った分析をもとに因果関係を喧伝する情報がメディアに溢れています。伊藤氏は次のように書いています。
この「あたかも因果関係のようにメディアで主張された」例を伊藤氏はあげています。夜に電気をつけて寝る子供に近視が多いという相関関係です。
どういう背景の調査なのかが書かれていないのですが、2歳以下の子供の近視というと親が見つけにくいものです。おそらく幼児近視の研究者が子供の近視を医学的に調査し、その生活環境も合わせて調査して相関関係を見つけたのだと想像します。この例に見られるように、相関関係に過ぎないものを誤って(あるいは確信犯的に)因果関係だと報道する事例がメディアには溢れているのです。
伊藤氏の本からちょっと離れて、このブログで取り上げた例を振り返りますと、No.84「社会調査のウソ(2)」で書いた「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病の発症」がありました。つまり、
という研究者の調査をとりあげた新聞報道です。見出しだけ読むと「カロリーオフ炭酸飲料が糖尿病のリスクを増やす(=因果関係)」と誤解する人が出てきそうですが、よく考えるとそんなことはありえないわけです。記事では「カロリーオフ炭酸飲料を飲む → 慢心して食べ過ぎる → 糖尿病のリスク増大」という "因果関係の推定" が書かれていましたが、本当にそうなのか。最も妥当な考え方は、シンプルに、
◆糖尿病のリスクを自覚している人
├─⇒ カロリーオフ炭酸飲料をよく飲む
└─⇒ 糖尿病を発症する率が高い
でしょう。糖尿病のリスクを自覚している人とは、医者からそう言われた人や、毎年の健康診断で血糖値が正常範囲に収まらない人、あるいは親が糖尿病の人などです。
新聞は企業が作る "商品" です。そこには「大切な新情報」が載るのですが「商品価値の高い情報」だともっとよい。"News" つまり新情報を選択するときにも、それがセンセーショナルで、ちょっと驚くような内容なら一段と商品価値が高まるわけです。
伊藤氏の本に戻ります。因果関係を正しく見極めるのが重要なのは、個人であれ企業や自治体であれ、ものごとを決めるときに重要なのは、ほどんどの場合は因果関係だからです。データの分析が間違っているために出てきた間違った推定を「バイアス」と呼ぶそうですが、では、バイアスを排して因果関係を正しく見極めるにはどうすればよいか。伊藤氏がその手法を紹介しています。このうちから何個かを紹介します。
電力料金の値上げは節電に結びつくか
まず、電力料金の値上げは節電に結びつくかどうか、結びつくとしたらどの程度の節電かという問題です。これは電気の価格政策を検討する際の重要な情報です。これを伊藤氏らは実験で確かめました。ここで用いられた手法は RCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)呼ばれるものです。これは試験の対象となる人々をグループ分けするときに必ずランダムに行う方法で、因果関係を証明するのには最適な方法です。
伊藤氏ら研究者は経済産業省、企業、自治体の協力を得て、北九州市で「電力価格フィールド実験」を行いました。「フィールド実験」というのは企業活動や消費活動などの実際の現場(=フィールド)で行う実験を言い、実験室で行う「ラボ実験」と対比させた言葉です。
2012年夏の北九州市の実験では、実験に参加した世帯に30分ごとの電力消費量を記録できるスマート・メータが配られました。このメータにはディスプレイ画面がついていて、家庭の電気の使用経緯がわかります。そして参加世帯をランダムに「介入グループ」と「比較グループ」に分けました。「介入グループ」は時間帯によって電気料金の値上げをするグループ、「比較グループ」は値上げをしないグループです。
まず実験開始前の6月に、参加世帯の電力使用量や電化製品の使用状況(たとえばエアコンの所有数)、年収などを調べました。その結果「介入グループ」と「比較グループ」で平均値やバラツキ度合いがほぼ同じだと確認できました。これがランダムにグループ分けした効果であり、「隠れた変数」の影響を排除できます
実験時の北九州市の電気料金は 1kWhあたり23円(従量料金の部分)でした。全国的に電力が逼迫するのは夏の平日の午後です。そこで実験では、電力が逼迫すると予想されると「介入グループ」に対してだけ、
というメッセージをスマート・メータに表示しました。値上げの幅は電力の逼迫度合いに応じて100円、150円ともしました。このフィールド実験の結果が以下です。
この結果を統計解析した結果、「比較グループ」に対して「介入グループ」の電気使用量(価格変化を行った時間帯)は
50円の場合、 9%の電力消費量減
150円の場合、15%の電力消費量減
になることが分かったとのことです。100円の場合は伊藤氏の本に書いてないのですが、12-13%といったところでしょう。これれら電気の価格政策を決める場合の極めて重要な情報であり、また国レベルのエネルギー政策にも影響するでしょう。
但し、伊藤氏の本に書かれていないことがあります。この「電力価格フィールド実験」に参加したのは「実験に参加したいと申し出た人」です。従って実験に参加しなかった人の電力消費が同じ結果になるとは限らないわけで、このあたりの分析が本に書かれていません。
実験に参加した人は「電気に関心のある人」だと想定できます。たとえば夏場の電気代を節約したいと考えている人とか、電力の逼迫という社会問題に関心のある人です。そうではなくて「電気の使用量に関心などない、使いたい時に電気を使うだけだ、少々電気代が嵩んでもどうってことない」と(暗黙に)思っている人は、実験への参加など申し出ないでしょう。つまり、もし仮に北九州市民全員にスマート・メータをつけたとしたら電力消費量の削減率はもっと小さくなると考えられるのです。著者の伊藤氏も本の最終章で、
と述べていますが、これ以上の言及はありません。北九州市の「電力価格フィールド実験」は "自由参加型のRCT" です。"強制参加型のRCT" が現代の日本では困難なことは分かります。しかし、実測データにもとづく分析は難しいまでも「実験に参加した住民の価格反応度が他の住民の価格反応度と異なる可能性」について(あるいは他の住民と同じだと推定できる理由について)、研究者としての見解を本で示すべきだったと思いました。
電力価格フィールド実験でも分かるように、RCTですべての因果関係を推定することはできません。最初に引用した「留学経験と就職率」でいうと、留学を経験した学生という「介入グループ」と、留学を経験しなかった学生という「比較グループ」を "ランダムに振り分ける" ことはできません。
さらに、フィールド実験はお金がかかることも分かります。おいそれとできるものではない。しかし国や自治体の重要な政策、意志決定にかかわるような因果関係は、RCTによるフィールド実験が(可能なら)検討に値する・・・・・・、そいういうことだと思いました。
オバマ大統領の選挙資金獲得策
2つ目のRCT(ランダム化比較試験)の例です。さきほどフィールド実験はお金がかかると書きましたが、低コストでRCTフィールド実験が可能なケースがあります。その一つが「Webサイトの作り方と、サイトを訪問する人のアクセス・パターンの関係」です。これはサイトのサーバ・プログラムを一時的に書き換えることだけで実験できます。まず伊藤氏の本に載っているのはオバマ大統領の選挙資金獲得策です。
アメリカの大統領選挙の選挙資金集めでは支持者の支援金が重要です。候補者は自分のホームページを開設し、そこで訪問者のメールアドレスを登録してもらおうとします。登録されたアドレスに支援金の依頼メールを送るわけです。できるだけ多くのメールアドレスを登録してもらうことが多くの支援金の獲得につながります。問題は、ホームページの画面やそのレイアウトをどうするかです。どのようにすればメールアドレスの登録率が高くなるのか。
2008年の大統領選挙でオバマ陣営は Google のダン・シローカー氏を引き抜き、支援金集めの戦略を任せました。シローカー氏は Google でRCTを用いたデータ分析の経験を積んだ人物です。オバマ陣営はウェブサイトのトップページに表示する画面を6通り考えていました。そのうちの4種が伊藤氏の著書に掲載されています。
の4通りで、これ以外に2通りの動画が用意されました。さらにオバマ陣営はトップページに表示するボタン(=それをクリックするとメールアドレス登録ページに移るボタン)に表示する文字を4種類考えました。
つまり6通りのトップ・ページ案と4通りのボタン案があり、この組み合わせは24通りあることになります。この24通りの中でベストは何か。オバマ陣営の検討チームは議論の末、A(オバマ候補が支援者に囲まれている写真)+ Sign Up(登録しよう)がベストだと結論しました。しかし、Google でWebサイトのデザインのプロフェッショナルであったシローサー氏は「RCTで検証してみよう」と提案したのです。
この提案によって、検証期間中にトップページを訪れた31万人に24種類の画面のどれかがランダムに表示されました。この "ランダムに" がポイントです。つまり31万人をランダムに24のグループ(各グループは約1万3000人)に分けたことになります。そしてグループごとのメールアドレス登録率を計算したところ、登録率の1位は B(オバマ候補の家族写真)+ Learn More(もっと知ってみよう)だったのです(登録率は 11.6%)。従って検証期間以降の画面にはこれが使われました。検討チームが当初ベストと判断した画面は登録率が8.26%でした。この結果、当初の画面に比較して実際の画面は支援金が約6000万ドル(72億円)増加したと見積もられています。
青の色をどの青にするか
メリッサ・マイヤー氏は Google の副社長 からヤフーの CEO に転じた人です。彼女が Google 時代に行った Google 検索サイトのデザインで行ったRCTが伊藤氏の本に紹介されています。
Google に代表される "Webサイトが命" である企業は、上の引用のようなRCTを繰り返しているのだと思います。画面のレイアウト、配色、フォント、文字の大きさと色など、Google の検索画面のデザインのすべてに意味があると考えるべきでしょう。
医療費の自己負担率と外来患者数の関係
いままで紹介したRCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)は、企業活動や消費活動の実際の現場で実験を行う「フィールド実験」でした。しかし、このような実験で因果関係を検証できるケースは限られるし、また可能であっても実験のコストがかかるので実質的に無理ということもあるでしょう。
そこで「まるで実験が起こったような状況をうまく利用する」手法が研究・開発されてきました。これを「自然実験」と呼びます。自然実験にもいろいろな手法がありますが、ここで述べるのは RDデザイン(Regression Discontinuity Design。回帰不連続設計法)と呼ばれるものです。RDデザインのキー概念は「不連続」ないしは「境界線」です。社会における不連続点や境界線に着目する手法で、その例として本書であげられている「医療費の自己負担率と外来患者数の関係」を紹介します。
高齢化社会を迎え、医療費の抑制が国としての大きなテーマになっています。もちろん第一に大切なことは健康に過ごせる習慣を身につけることであり、地方自治体はこのための各種の取り組みをやっています。一方、国民皆保険制度が進んでいる日本では、健康保険制度の健全運営のために医療費の自己負担率をどうするかもテーマになります。医療費の自己負担率と外来患者数の関係がどうなるかは、公的健康保険の制度設計において大変に重要な情報です。
人は病気の自覚症状を覚えたり怪我をしたとき、病院に行くか行かないかを自己判断します。常識的に誰でも病院に行く症状もあれば、行かずに市販薬で対応したり自然治癒を待つこともある。しかし「行く・行かない」の間にはグレーゾーンがあり、その時々によって人の判断は分かれます。この病院に行く・行かない判断に医療サービスの価格(=医療費の自己負担率)も関わっていると考えられます。では、自己負担率を変えると外来患者数はどう変わるのか。そこにどんな因果関係はあるのか。これはRCTで検証するのが無理な問題です。
そこで着目されたのが日本の健康保険制度です。つまり医療費の自己負担率は年齢によって不連続に変化し、69歳までが30%、70~75歳が20%、76歳以上が10%です。2014年3月以前は70歳以上が一律10%でした。カナダのサイモンフレイザー大学の重岡仁助教授は、この日本の健康保険制度に着目し、1984年から2008年まで(=70歳以上の自己負担率が一律10%の時代)の外来患者数を年齢(=月年齢)別に調査しました。その結果が次のグラフで、横軸が外来患者の月年齢、縦軸が外来患者数です。
このグラフを見ると明らかなのですが、69歳12ヶ月と70歳0ヶ月の間に「境界線」があり、この境界線を境に外来患者数が不連続にジャンプしています。このデータを解析した重岡仁助教授は、
と結論づけています。これが「RDデザイン」という分析手法の例なのですが、この結論には重要な仮定があります。つまり、
という仮定です。本書に掲げられている図を引用します。
この仮定が崩れると「RDデザイン」は成立しません。しかしこの仮定を実証することは不可能です。なぜなら境界線で自己負担率が変化しない場合のデータがないからです。従って分析者は「この仮定は正しいはずだ」という議論を展開することになります。つまり仮定が崩れる場合はどういう場合か、それを想定し、それが起こらないという議論です。本書では仮定が崩れる2つのケースが言及されています。
一つは、70歳を境に自己負担率以外の何らかの要素が不連続的にジャンプし、それによって外来患者数がジャンプする可能性です。外来患者数に影響が考えられるのは就業率、収入、労働時間、年金支給額などですが、これらは年齢に伴って連続的に低下していくので、ジャンプするということはありません。重岡仁助教授は月齢ごとの就業率が連続的に低下していくことをデータで示しています。また70歳の誕生日を境に不連続的に変わる日本の政策は医療費の自己負担率しかないことも論文で示しています。
仮定が崩れる2つ目のケースは、データの対象となっている主体(この場合は医療サービスを受ける人)がグラフの横軸(=年齢)を操作できる場合です。つまり60歳台にもかかわらず70歳だと偽って医療サービスを受けることが可能な場合です。これも、日本の健康保険制度では年齢を偽ることは難しいため(健康保険証を偽造する ??!!)、仮定が崩れることはありません。
RDデザインで注意すべき点は、そこで出た結果は境界線の前後でしか当てはまらないと考えるべきことです。つまり「医療費の自己負担率が30%から10%に減少すると、外来患者数は約10%上昇する」のは70歳前後の人たちに言えることであって、40歳台、50歳台でそうなるかどうかは分かりません。本書には伊藤氏のコメントとして、最近の経済学研究では医療価格に対する反応度は年齢によって違うことが書いてあります。
自己負担率と外来患者数の分析への疑問
以降は本書の「自己負担率」のくだりを読んだ感想です。この項を読みならずっと疑問がつきまとっていました。「RDデザインの仮定」のグラフについての疑問です。つまり、もし仮に70歳を契機に自己負担率が下がらないとしたら、外来患者数は伊藤氏のグラフ(上図の点線)ではなく、下図の点線ように変化すると思うのです。70歳を境にジャンプすることがないのは上図と同じです。しかし自己負担率が下がらないのなら、70歳に近い60歳台の外来患者が増えると思うのですね。
どうしてかと言うと、
だからです。つまり緊急を要しない治療は、不便を我慢しても70歳まで待つと思われるのです。「駆け込み需要」という言葉は消費税が上がる前に高額商品を買うような行為を言いますが、これとちょうど正反対の、言わば「先送り需要」が現実に医療サービスで起こっているのではないでしょうか。70歳を境に医療費の自己負担率が下がるのが公知の事実なのだから・・・・・・。
すぐに思いつくのが白内障の手術です。白内障は水晶体が徐々に濁ってきて視力が低下する "病気" で、加齢によって誰にでも起こりうるものです。白内障の手術は水晶体を人工レンズに入れ替えますが、現在の日帰り手術費用は、3割負担の場合で片眼で約6万円程度です(手術のみの費用で前後の診察を含まない)。両眼だと約12万円です。これが1割負担だと約4万円になるわけで、この差の8万円は大きいと思います(2割負担だと差は4万円)。たとえば68歳で医者から白内障と診断されて手術を勧められた人の何割かは、不便を我慢して70歳まで手術を先送りするのではないでしょうか。今まで我慢してきたのだから ・・・・・・。
ほかにも医療サービスにおける「先送り需要」はいろいろと考えられます。関節の変形による膝の痛み(変形性膝関節症)は加齢により進行しますが、運動や薬の投与で治癒しない場合は手術ということになります。人工関節を入れる手術は医療費が200万円程度かかります。高額医療費制度を利用したとしても、3割負担と1割負担の差は白内障手術どころではないでしょう。70歳まで待って手術ということにならないでしょうか。
最も一般的な加齢現象は高血圧(加齢性)です。血圧が高いと良いことがないので、医者は運動を勧め塩分を控えるように指導しますが、病院・医院を定期的に訪れて血圧降下剤の処方箋をもらう人も多いはずです。これも「70歳を契機に」とはならないか。保険の対象となる入れ歯(義歯)もそうです。"大がかりな" 義歯は1割負担になってからという心理が働かないでしょうか。
ここで想定した先送り需要は、もし70歳を境に医療費の自己負担率が下がることがないとすると60歳台後半に前倒しされると思います。全部とは言わないまでも、眼が見えにくい、膝が痛む、モノが食べにくいといった "生活に支障を感じる症状" はそうだと思うのです。だとすると「医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した」という結論の、10%のところが怪しくなります。
本書はこのことの検討が欠落しています。少なくとも先送り需要について言及し、その影響は外来患者全体からみると無視できる程度に小さいという説明が必要だと思いました。「無視できる程度に少ない」ことをデータで実証するのは難しいでしょうが、70歳で病院を訪れた患者にインタビュー、ないしはアンケートをすれば大体の様子は推測できると思います。「医療費の自己負担率と外来患者の因果関係」を発表した重岡助教授も、その論文を本書で紹介した伊藤助教授もアメリカ在住の経済学者です。公的データの分析を越えた現場調査には限界があったのかもしれません。
因果関係を見極める重要性
本書には以上に紹介した手法以外に、自然実験の手法である「集積分析」や「パネルデータ分析」が紹介されていますが、割愛したいと思います。また本書には各手法の長所・短所が明記されていて、データ分析の限界もちゃんと書かれています。このあたりはバランスがとれた良い本だと思いました。
因果関係を見極めることは、特に国や自治体の政策決定や企業の方針決定にとっては重要です。思い返すとその昔、地域振興券というがありました(1999年)。バブル崩壊後の消費を活性化するために公明党の主張によって(自民党がそれに乗って)導入されたものですが、その後の内閣府の調査では消費を押し上げる効果はほとんど無かったとされています。地域振興券による消費分が貯蓄に回ったわけで、国民はバカではないのです。結局のところこれは公明党の人気取り政策であり、天下の愚策(=当時の内閣官房長官の野中広務氏)だった。その結果として国の財政負担を増やし、その分だけ国債の発行額=財政赤字を増やしました。
こういった「バラマキ政策」と「消費拡大」の因果関係は、経済学者が研究してちゃんと発言すべきものでしょう。本書に紹介されている例に2008年のアメリカの景気刺激策があります。つまり「燃費の悪いクルマから良いクルマに買い換えたら40万円の補助金を出す」という政策です。「燃費」というのは "飾り" であって、要するにクルマを買い換えたら40万円出すということです。アメリカのプリンストン大学のチームは、この政策は駆け込み需要を増やしたけれども、その後の需要が落ち込み、全体として景気刺激効果はなかったと分析しています。
要するに、国や政府レベルでも「怪しい因果関係論」があるわけです。我々としては「因果関係」の主張に対してまず、本当なのか、実証されているのかと疑ってみるべきでしょう。
相関関係があるからといって、因果関係があるとは限らない |
ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。
① | Xが増えたからYが増えた(因果関係) | ||
② | Yが増えたからXが増えた(逆の因果関係) | ||
③ | X,YではないVが原因となってXもYも増えた(隠れた変数) | ||
④ | Xが増えるとYが増えたのは単なる偶然(疑似相関) |
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相関関係がある場合の可能性
XとYのデータの動きに関連性がある場合の可能性。①XがYに影響する、②YがXに影響する、③VがXとYの両方に影響する。これ以外に、④単なる偶然、がある。図は伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
|
『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(No.84参照)、まず「広い家ほど子供の数が多い」という 1994年4月に公開された厚生白書がありました。この白書によると「公共住宅などの円滑な提供が必要」とのことです。しかしこれは「③隠れた変数」の例であり、
◆地方の文化的・社会的環境
├─⇒ 子たくさんの家庭
└─⇒ 広い家
と解釈するのが妥当です。また「②逆因果関係」に従って、
◆子供の数が増えた
└─⇒ 広い家に引っ越した
とも解釈できます。次に「ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファストフード)を食べる頻度が多い子供は非行の率が高い」という調査がありました。子供の栄養バランスの崩壊を憂う気持ちは分かりますが、まともに考えると、
◆親の子育ての手抜き
├─⇒ ジャンクフード
└─⇒ 非行
でしょう。非行については「TVで暴力シーンをみることが多い子供ほど非行に走りやすい」という調査もありました。TVの暴力シーンを規制すべきという意見ですが、これも、
◆子供の暴力的な性格
├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
└─⇒ 非行
というのが真っ当な解釈です。その他、No.84にいろいろな例をあげました。戦後の子供の「体格の向上」と「非行の増加」の "相関" は、全くの偶然=④疑似相関の例です。
では、正しく因果関係を見極めるにはどうすればよいのか。それを最新の手法を踏まえて事例とともに紹介した本が2017年に出版されました。伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(光文社新書 2017)です。伊藤氏はシカゴ大学助教授で、環境エネルギー経済学、応用計量経済学が専門です。この本(以下、本書)の "さわり" だけを以下に紹介します。
世の中は怪しいデータ分析で溢れている
伊藤公一朗氏の本ではまず、因果関係を推定する難しさが指摘されています。ある新聞記事の例です。
海外留学に力を入れているある大学の調査では、留学を経験した学生が、留学を経験しなかった学生よりも就職率が高いことがわかった。このデータ分析の結果から、留学経験経験は就職率を向上させるものであると大学は報告している。 |
この大学の調査結果から「留学経験→就職率の向上」という「①因果関係」は推定できるのでしょうか。この場合「②逆因果関係」はありえないので、問題は「③隠れた変数」です。伊藤氏は次のような「隠れた変数」の可能性を指摘しています。
◆ | 留学の奨学金を受けられるほど、もともと成績が良かった。 | ||
◆ | 留学したいという強い意志や好奇心があった。 |
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要は、多角的に分析しないと一概なことは言えないということです。特に難しいのは「隠れた変数」がいくらでも想定できることです。またその中には観測しにくいものも多い。留学の例でいうと、成績のデータは集められても、意志や好奇心のデータは集めにくいのです。
実はこういった分析なしに、あるいは誤った分析をもとに因果関係を喧伝する情報がメディアに溢れています。伊藤氏は次のように書いています。
|
この「あたかも因果関係のようにメディアで主張された」例を伊藤氏はあげています。夜に電気をつけて寝る子供に近視が多いという相関関係です。
|
どういう背景の調査なのかが書かれていないのですが、2歳以下の子供の近視というと親が見つけにくいものです。おそらく幼児近視の研究者が子供の近視を医学的に調査し、その生活環境も合わせて調査して相関関係を見つけたのだと想像します。この例に見られるように、相関関係に過ぎないものを誤って(あるいは確信犯的に)因果関係だと報道する事例がメディアには溢れているのです。
伊藤氏の本からちょっと離れて、このブログで取り上げた例を振り返りますと、No.84「社会調査のウソ(2)」で書いた「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病の発症」がありました。つまり、
カロリーオフ炭酸飲料を飲む人は、めったに飲まない人にくらべて糖尿病の発症率が1.7倍高い |
という研究者の調査をとりあげた新聞報道です。見出しだけ読むと「カロリーオフ炭酸飲料が糖尿病のリスクを増やす(=因果関係)」と誤解する人が出てきそうですが、よく考えるとそんなことはありえないわけです。記事では「カロリーオフ炭酸飲料を飲む → 慢心して食べ過ぎる → 糖尿病のリスク増大」という "因果関係の推定" が書かれていましたが、本当にそうなのか。最も妥当な考え方は、シンプルに、
◆糖尿病のリスクを自覚している人
├─⇒ カロリーオフ炭酸飲料をよく飲む
└─⇒ 糖尿病を発症する率が高い
でしょう。糖尿病のリスクを自覚している人とは、医者からそう言われた人や、毎年の健康診断で血糖値が正常範囲に収まらない人、あるいは親が糖尿病の人などです。
新聞は企業が作る "商品" です。そこには「大切な新情報」が載るのですが「商品価値の高い情報」だともっとよい。"News" つまり新情報を選択するときにも、それがセンセーショナルで、ちょっと驚くような内容なら一段と商品価値が高まるわけです。
伊藤氏の本に戻ります。因果関係を正しく見極めるのが重要なのは、個人であれ企業や自治体であれ、ものごとを決めるときに重要なのは、ほどんどの場合は因果関係だからです。データの分析が間違っているために出てきた間違った推定を「バイアス」と呼ぶそうですが、では、バイアスを排して因果関係を正しく見極めるにはどうすればよいか。伊藤氏がその手法を紹介しています。このうちから何個かを紹介します。
電力料金の値上げは節電に結びつくか
まず、電力料金の値上げは節電に結びつくかどうか、結びつくとしたらどの程度の節電かという問題です。これは電気の価格政策を検討する際の重要な情報です。これを伊藤氏らは実験で確かめました。ここで用いられた手法は RCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)呼ばれるものです。これは試験の対象となる人々をグループ分けするときに必ずランダムに行う方法で、因果関係を証明するのには最適な方法です。
伊藤氏ら研究者は経済産業省、企業、自治体の協力を得て、北九州市で「電力価格フィールド実験」を行いました。「フィールド実験」というのは企業活動や消費活動などの実際の現場(=フィールド)で行う実験を言い、実験室で行う「ラボ実験」と対比させた言葉です。
2012年夏の北九州市の実験では、実験に参加した世帯に30分ごとの電力消費量を記録できるスマート・メータが配られました。このメータにはディスプレイ画面がついていて、家庭の電気の使用経緯がわかります。そして参加世帯をランダムに「介入グループ」と「比較グループ」に分けました。「介入グループ」は時間帯によって電気料金の値上げをするグループ、「比較グループ」は値上げをしないグループです。
まず実験開始前の6月に、参加世帯の電力使用量や電化製品の使用状況(たとえばエアコンの所有数)、年収などを調べました。その結果「介入グループ」と「比較グループ」で平均値やバラツキ度合いがほぼ同じだと確認できました。これがランダムにグループ分けした効果であり、「隠れた変数」の影響を排除できます
実験時の北九州市の電気料金は 1kWhあたり23円(従量料金の部分)でした。全国的に電力が逼迫するのは夏の平日の午後です。そこで実験では、電力が逼迫すると予想されると「介入グループ」に対してだけ、
「 | 今日の13時から17時の電力料金は50円に上昇します」 |
というメッセージをスマート・メータに表示しました。値上げの幅は電力の逼迫度合いに応じて100円、150円ともしました。このフィールド実験の結果が以下です。
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北九州市での電力価格RCT実験
介入グループ(△)と比較グループ(●)の30分ごとの平均電力使用量(縦軸)。縦軸は対数値で、0.1の相違がおよそ10%の違いに相当する。グラフは上から順に、値上げをしない場合(23円/1kWh)、50円/1kWh、100円/1kWh、150円/1kWhの場合。値上げをしたのは介入グループ(△)だけである。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
|
この結果を統計解析した結果、「比較グループ」に対して「介入グループ」の電気使用量(価格変化を行った時間帯)は
50円の場合、 9%の電力消費量減
150円の場合、15%の電力消費量減
になることが分かったとのことです。100円の場合は伊藤氏の本に書いてないのですが、12-13%といったところでしょう。これれら電気の価格政策を決める場合の極めて重要な情報であり、また国レベルのエネルギー政策にも影響するでしょう。
但し、伊藤氏の本に書かれていないことがあります。この「電力価格フィールド実験」に参加したのは「実験に参加したいと申し出た人」です。従って実験に参加しなかった人の電力消費が同じ結果になるとは限らないわけで、このあたりの分析が本に書かれていません。
実験に参加した人は「電気に関心のある人」だと想定できます。たとえば夏場の電気代を節約したいと考えている人とか、電力の逼迫という社会問題に関心のある人です。そうではなくて「電気の使用量に関心などない、使いたい時に電気を使うだけだ、少々電気代が嵩んでもどうってことない」と(暗黙に)思っている人は、実験への参加など申し出ないでしょう。つまり、もし仮に北九州市民全員にスマート・メータをつけたとしたら電力消費量の削減率はもっと小さくなると考えられるのです。著者の伊藤氏も本の最終章で、
|
と述べていますが、これ以上の言及はありません。北九州市の「電力価格フィールド実験」は "自由参加型のRCT" です。"強制参加型のRCT" が現代の日本では困難なことは分かります。しかし、実測データにもとづく分析は難しいまでも「実験に参加した住民の価格反応度が他の住民の価格反応度と異なる可能性」について(あるいは他の住民と同じだと推定できる理由について)、研究者としての見解を本で示すべきだったと思いました。
電力価格フィールド実験でも分かるように、RCTですべての因果関係を推定することはできません。最初に引用した「留学経験と就職率」でいうと、留学を経験した学生という「介入グループ」と、留学を経験しなかった学生という「比較グループ」を "ランダムに振り分ける" ことはできません。
さらに、フィールド実験はお金がかかることも分かります。おいそれとできるものではない。しかし国や自治体の重要な政策、意志決定にかかわるような因果関係は、RCTによるフィールド実験が(可能なら)検討に値する・・・・・・、そいういうことだと思いました。
オバマ大統領の選挙資金獲得策
2つ目のRCT(ランダム化比較試験)の例です。さきほどフィールド実験はお金がかかると書きましたが、低コストでRCTフィールド実験が可能なケースがあります。その一つが「Webサイトの作り方と、サイトを訪問する人のアクセス・パターンの関係」です。これはサイトのサーバ・プログラムを一時的に書き換えることだけで実験できます。まず伊藤氏の本に載っているのはオバマ大統領の選挙資金獲得策です。
アメリカの大統領選挙の選挙資金集めでは支持者の支援金が重要です。候補者は自分のホームページを開設し、そこで訪問者のメールアドレスを登録してもらおうとします。登録されたアドレスに支援金の依頼メールを送るわけです。できるだけ多くのメールアドレスを登録してもらうことが多くの支援金の獲得につながります。問題は、ホームページの画面やそのレイアウトをどうするかです。どのようにすればメールアドレスの登録率が高くなるのか。
2008年の大統領選挙でオバマ陣営は Google のダン・シローカー氏を引き抜き、支援金集めの戦略を任せました。シローカー氏は Google でRCTを用いたデータ分析の経験を積んだ人物です。オバマ陣営はウェブサイトのトップページに表示する画面を6通り考えていました。そのうちの4種が伊藤氏の著書に掲載されています。
◆ | オバマ候補が支援者に囲まれている写真(A) | ||
◆ | オバマ候補の家族写真(B) | ||
◆ | 真剣なまざなしのオバマ候補の顔写真(C) | ||
◆ | オバマ候補が行った有名な演説の動画(D) |
の4通りで、これ以外に2通りの動画が用意されました。さらにオバマ陣営はトップページに表示するボタン(=それをクリックするとメールアドレス登録ページに移るボタン)に表示する文字を4種類考えました。
◆ | Sign Up(登録しよう) | ||
◆ | Sign Up Now(今すぐ登録しよう) | ||
◆ | Learn More(もっと知ってみよう) | ||
◆ | Join Us Now(今すぐ参加しよう) |
つまり6通りのトップ・ページ案と4通りのボタン案があり、この組み合わせは24通りあることになります。この24通りの中でベストは何か。オバマ陣営の検討チームは議論の末、A(オバマ候補が支援者に囲まれている写真)+ Sign Up(登録しよう)がベストだと結論しました。しかし、Google でWebサイトのデザインのプロフェッショナルであったシローサー氏は「RCTで検証してみよう」と提案したのです。
この提案によって、検証期間中にトップページを訪れた31万人に24種類の画面のどれかがランダムに表示されました。この "ランダムに" がポイントです。つまり31万人をランダムに24のグループ(各グループは約1万3000人)に分けたことになります。そしてグループごとのメールアドレス登録率を計算したところ、登録率の1位は B(オバマ候補の家族写真)+ Learn More(もっと知ってみよう)だったのです(登録率は 11.6%)。従って検証期間以降の画面にはこれが使われました。検討チームが当初ベストと判断した画面は登録率が8.26%でした。この結果、当初の画面に比較して実際の画面は支援金が約6000万ドル(72億円)増加したと見積もられています。
青の色をどの青にするか
メリッサ・マイヤー氏は Google の副社長 からヤフーの CEO に転じた人です。彼女が Google 時代に行った Google 検索サイトのデザインで行ったRCTが伊藤氏の本に紹介されています。
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Google に代表される "Webサイトが命" である企業は、上の引用のようなRCTを繰り返しているのだと思います。画面のレイアウト、配色、フォント、文字の大きさと色など、Google の検索画面のデザインのすべてに意味があると考えるべきでしょう。
医療費の自己負担率と外来患者数の関係
いままで紹介したRCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)は、企業活動や消費活動の実際の現場で実験を行う「フィールド実験」でした。しかし、このような実験で因果関係を検証できるケースは限られるし、また可能であっても実験のコストがかかるので実質的に無理ということもあるでしょう。
そこで「まるで実験が起こったような状況をうまく利用する」手法が研究・開発されてきました。これを「自然実験」と呼びます。自然実験にもいろいろな手法がありますが、ここで述べるのは RDデザイン(Regression Discontinuity Design。回帰不連続設計法)と呼ばれるものです。RDデザインのキー概念は「不連続」ないしは「境界線」です。社会における不連続点や境界線に着目する手法で、その例として本書であげられている「医療費の自己負担率と外来患者数の関係」を紹介します。
高齢化社会を迎え、医療費の抑制が国としての大きなテーマになっています。もちろん第一に大切なことは健康に過ごせる習慣を身につけることであり、地方自治体はこのための各種の取り組みをやっています。一方、国民皆保険制度が進んでいる日本では、健康保険制度の健全運営のために医療費の自己負担率をどうするかもテーマになります。医療費の自己負担率と外来患者数の関係がどうなるかは、公的健康保険の制度設計において大変に重要な情報です。
人は病気の自覚症状を覚えたり怪我をしたとき、病院に行くか行かないかを自己判断します。常識的に誰でも病院に行く症状もあれば、行かずに市販薬で対応したり自然治癒を待つこともある。しかし「行く・行かない」の間にはグレーゾーンがあり、その時々によって人の判断は分かれます。この病院に行く・行かない判断に医療サービスの価格(=医療費の自己負担率)も関わっていると考えられます。では、自己負担率を変えると外来患者数はどう変わるのか。そこにどんな因果関係はあるのか。これはRCTで検証するのが無理な問題です。
そこで着目されたのが日本の健康保険制度です。つまり医療費の自己負担率は年齢によって不連続に変化し、69歳までが30%、70~75歳が20%、76歳以上が10%です。2014年3月以前は70歳以上が一律10%でした。カナダのサイモンフレイザー大学の重岡仁助教授は、この日本の健康保険制度に着目し、1984年から2008年まで(=70歳以上の自己負担率が一律10%の時代)の外来患者数を年齢(=月年齢)別に調査しました。その結果が次のグラフで、横軸が外来患者の月年齢、縦軸が外来患者数です。
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月年齢別の外来患者数
縦軸は対数値(0.1の違いがおおよそ10%の違いに相当)。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
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このグラフを見ると明らかなのですが、69歳12ヶ月と70歳0ヶ月の間に「境界線」があり、この境界線を境に外来患者数が不連続にジャンプしています。このデータを解析した重岡仁助教授は、
医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した |
と結論づけています。これが「RDデザイン」という分析手法の例なのですが、この結論には重要な仮定があります。つまり、
もしも境界線で自己負担率が変化しない場合、医療サービスの利用者数(外来患者数)の平均値が境界線でジャンプすることはない |
という仮定です。本書に掲げられている図を引用します。
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RDデザインの仮定
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定(=実際には起こらなかった潜在的結果についての仮定)である。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
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この仮定が崩れると「RDデザイン」は成立しません。しかしこの仮定を実証することは不可能です。なぜなら境界線で自己負担率が変化しない場合のデータがないからです。従って分析者は「この仮定は正しいはずだ」という議論を展開することになります。つまり仮定が崩れる場合はどういう場合か、それを想定し、それが起こらないという議論です。本書では仮定が崩れる2つのケースが言及されています。
一つは、70歳を境に自己負担率以外の何らかの要素が不連続的にジャンプし、それによって外来患者数がジャンプする可能性です。外来患者数に影響が考えられるのは就業率、収入、労働時間、年金支給額などですが、これらは年齢に伴って連続的に低下していくので、ジャンプするということはありません。重岡仁助教授は月齢ごとの就業率が連続的に低下していくことをデータで示しています。また70歳の誕生日を境に不連続的に変わる日本の政策は医療費の自己負担率しかないことも論文で示しています。
仮定が崩れる2つ目のケースは、データの対象となっている主体(この場合は医療サービスを受ける人)がグラフの横軸(=年齢)を操作できる場合です。つまり60歳台にもかかわらず70歳だと偽って医療サービスを受けることが可能な場合です。これも、日本の健康保険制度では年齢を偽ることは難しいため(健康保険証を偽造する ??!!)、仮定が崩れることはありません。
RDデザインで注意すべき点は、そこで出た結果は境界線の前後でしか当てはまらないと考えるべきことです。つまり「医療費の自己負担率が30%から10%に減少すると、外来患者数は約10%上昇する」のは70歳前後の人たちに言えることであって、40歳台、50歳台でそうなるかどうかは分かりません。本書には伊藤氏のコメントとして、最近の経済学研究では医療価格に対する反応度は年齢によって違うことが書いてあります。
自己負担率と外来患者数の分析への疑問
以降は本書の「自己負担率」のくだりを読んだ感想です。この項を読みならずっと疑問がつきまとっていました。「RDデザインの仮定」のグラフについての疑問です。つまり、もし仮に70歳を契機に自己負担率が下がらないとしたら、外来患者数は伊藤氏のグラフ(上図の点線)ではなく、下図の点線ように変化すると思うのです。70歳を境にジャンプすることがないのは上図と同じです。しかし自己負担率が下がらないのなら、70歳に近い60歳台の外来患者が増えると思うのですね。
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RDデザインの仮定(修正案)
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定の修正案。70歳以降に先送りされた治療が、60歳台後半に前倒しされると考えられる。
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どうしてかと言うと、
70歳を境に医療費の自己負担率が下がる場合、年齢とともに徐々に顕在化する体の機能低下や不具合の治療が70歳以降に集中するはず |
だからです。つまり緊急を要しない治療は、不便を我慢しても70歳まで待つと思われるのです。「駆け込み需要」という言葉は消費税が上がる前に高額商品を買うような行為を言いますが、これとちょうど正反対の、言わば「先送り需要」が現実に医療サービスで起こっているのではないでしょうか。70歳を境に医療費の自己負担率が下がるのが公知の事実なのだから・・・・・・。
すぐに思いつくのが白内障の手術です。白内障は水晶体が徐々に濁ってきて視力が低下する "病気" で、加齢によって誰にでも起こりうるものです。白内障の手術は水晶体を人工レンズに入れ替えますが、現在の日帰り手術費用は、3割負担の場合で片眼で約6万円程度です(手術のみの費用で前後の診察を含まない)。両眼だと約12万円です。これが1割負担だと約4万円になるわけで、この差の8万円は大きいと思います(2割負担だと差は4万円)。たとえば68歳で医者から白内障と診断されて手術を勧められた人の何割かは、不便を我慢して70歳まで手術を先送りするのではないでしょうか。今まで我慢してきたのだから ・・・・・・。
ほかにも医療サービスにおける「先送り需要」はいろいろと考えられます。関節の変形による膝の痛み(変形性膝関節症)は加齢により進行しますが、運動や薬の投与で治癒しない場合は手術ということになります。人工関節を入れる手術は医療費が200万円程度かかります。高額医療費制度を利用したとしても、3割負担と1割負担の差は白内障手術どころではないでしょう。70歳まで待って手術ということにならないでしょうか。
最も一般的な加齢現象は高血圧(加齢性)です。血圧が高いと良いことがないので、医者は運動を勧め塩分を控えるように指導しますが、病院・医院を定期的に訪れて血圧降下剤の処方箋をもらう人も多いはずです。これも「70歳を契機に」とはならないか。保険の対象となる入れ歯(義歯)もそうです。"大がかりな" 義歯は1割負担になってからという心理が働かないでしょうか。
ここで想定した先送り需要は、もし70歳を境に医療費の自己負担率が下がることがないとすると60歳台後半に前倒しされると思います。全部とは言わないまでも、眼が見えにくい、膝が痛む、モノが食べにくいといった "生活に支障を感じる症状" はそうだと思うのです。だとすると「医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した」という結論の、10%のところが怪しくなります。
本書はこのことの検討が欠落しています。少なくとも先送り需要について言及し、その影響は外来患者全体からみると無視できる程度に小さいという説明が必要だと思いました。「無視できる程度に少ない」ことをデータで実証するのは難しいでしょうが、70歳で病院を訪れた患者にインタビュー、ないしはアンケートをすれば大体の様子は推測できると思います。「医療費の自己負担率と外来患者の因果関係」を発表した重岡助教授も、その論文を本書で紹介した伊藤助教授もアメリカ在住の経済学者です。公的データの分析を越えた現場調査には限界があったのかもしれません。
因果関係を見極める重要性
本書には以上に紹介した手法以外に、自然実験の手法である「集積分析」や「パネルデータ分析」が紹介されていますが、割愛したいと思います。また本書には各手法の長所・短所が明記されていて、データ分析の限界もちゃんと書かれています。このあたりはバランスがとれた良い本だと思いました。
因果関係を見極めることは、特に国や自治体の政策決定や企業の方針決定にとっては重要です。思い返すとその昔、地域振興券というがありました(1999年)。バブル崩壊後の消費を活性化するために公明党の主張によって(自民党がそれに乗って)導入されたものですが、その後の内閣府の調査では消費を押し上げる効果はほとんど無かったとされています。地域振興券による消費分が貯蓄に回ったわけで、国民はバカではないのです。結局のところこれは公明党の人気取り政策であり、天下の愚策(=当時の内閣官房長官の野中広務氏)だった。その結果として国の財政負担を増やし、その分だけ国債の発行額=財政赤字を増やしました。
こういった「バラマキ政策」と「消費拡大」の因果関係は、経済学者が研究してちゃんと発言すべきものでしょう。本書に紹介されている例に2008年のアメリカの景気刺激策があります。つまり「燃費の悪いクルマから良いクルマに買い換えたら40万円の補助金を出す」という政策です。「燃費」というのは "飾り" であって、要するにクルマを買い換えたら40万円出すということです。アメリカのプリンストン大学のチームは、この政策は駆け込み需要を増やしたけれども、その後の需要が落ち込み、全体として景気刺激効果はなかったと分析しています。
要するに、国や政府レベルでも「怪しい因果関係論」があるわけです。我々としては「因果関係」の主張に対してまず、本当なのか、実証されているのかと疑ってみるべきでしょう。
2018-01-20 20:32
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No.221 - なぜ痩せられないのか [科学]
No.178「野菜は毒だから体によい」で、なぜ野菜を食べると体に良いのかを書きました。野菜が体に良いのは各種のビタミンや繊維質、活性酸素を除去する抗酸化物質などが摂取できるからだと、我々は教えられます。それは全くその通りなのですが、No.178に書いたのは野菜には実は微量の毒素があり、それが人間の体の防衛反応を活性化させて健康につながるという話でした。微量毒素は "苦い" と感じるものが多く、ここから言えることは、苦みを消すような品種改良は "改良" ではなくて "改悪" だということです。
この話でも分かることは、人間の体の仕組みにはさまざまな側面があり、それを理解することが健康な生活に役立つということです。No.119-120「不在という伝染病」で書いたことですが「微生物に常に接する環境が人間の免疫機能の正常な働きを維持する」というのもその一例でしょう。
今回はそういった別の例を紹介します。肥満の原因、ないしは "なぜ痩せられないのか" というテーマについての研究成果です。日本ではBMIが25以上で肥満とされていますが、肥満は糖尿病、高血圧、心臓病などの、いわゆる生活習慣病を誘発します。従ってダイエット方法やダイエット食に関する情報が世の中に溢れているし、ダイエット・ビジネスが一つの産業になっています。
なぜ肥満になるのか。その第1の原因は消費エネルギーが摂取エネルギーより小さいからです。その差がグリコーゲンとして肝臓に蓄えられ、また体の各所の細胞や脂肪細胞に蓄えられる。簡潔に書くと、
◆肥満の原因
出力(Output) < 入力(Input)
(消費エネルギー < 摂取エネルギー)
で、これは物理学で言う熱力学の第1法則(エネルギー保存の法則)と同じです。つまり肥満は出力(消費エネルギー)が少ないか、入力(摂取エネルギー)が多いか、あるいはその両方が原因です。肥満を解消するためには、このエネルギーバランスの崩れを解消すればよいのですが、そのためには人間の体の仕組みについての理解が必要です。以下に、まず人間の消費エネルギーはどうやって決まるのかについての科学的知見を紹介します。消費エネルギーを増やすには身体活動量を増やせばよく、そのためには運動をすればよいと考えるのが普通ですが、そうとも言えないようなのです。
人間の消費エネルギー
人間は安静にしているときにもエネルギーを消費していて、これを「基礎代謝」と呼んでいます。基礎代謝量は成人男性で 1500 kcal 程度、成人女性で 1200 kcal 程度ですが、体重や年齢によって変化します。またトレーニングによって筋肉が増えると基礎代謝もその分増えるということもあります。
一方、人間の活動による代謝を「活動代謝」とよび、これは活動の種類によって千差万別です。その他に食物摂取による代謝の増加(食事誘導性熱産生)があります。これら全てを含めて人間はどの程度のエネルギーを消費しているのでしょうか。現代ではそれが精密に測定できるようになってきており、その結果はちょっと意外なものです。
以下は「日経サイエンス」に掲載された、アフリカの狩猟採集民族・ハッザ族の消費エネルギーの測定結果を紹介することが目的ですが、その前提として消費エネルギーをどうやって測定するのかをまず説明します。
消費エネルギーの測定方法
消費エネルギーを測定するには "燃料" を燃やす酸素に注目し、酸素摂取量を測定して消費エネルギーを計算します。そのためには被験者を密閉された実験室に入れ、呼吸に含まれるガスを精密に測定すればよいわけです。
しかしこの方法だと被験者を日常生活から切り離して実験室に拘束しなければなりません。狩猟採集生活のエネルギー消費の測定などとてもできない。そうではなくて、日常生活状態でのエネルギー消費量を測定できないのか。その目的のために「二重標識水法」が開発されてきました。これが現代における標準的な手法です。
二重標識水法では二酸化炭素の排出量を測定します。そこから酸素摂取量が分かるからです。そして酸素摂取量が分かればエネルギー消費量がわかる。この方法で使われるのが「同位体」です。
たとえば酸素(O)は陽子数8、中性子数8の、原子量16が普通です。しかし中性子数が違う酸素原子も存在し、それが同位体です。同位体には放射線を出して崩壊するもの(放射性同位体)があります。有名なのが炭素14(14C)で、その半減期は約6000年です。この性質を利用し、普通の炭素(炭素12)との比を計測して考古学上の年代測定に使われます。
一方、安定した同位体(=安定同位体)もあり、安定同位体は自然界に一定の比率で存在しています。酸素(O)だと、原子量16の 16O 以外に、17O(酸素17)、18O(酸素18)が安定同位体です。自然界における存在比率は、16O:17O:18O = 99.759% :0.037%:0.204% です。
同様に、原子量1の水素には原子量2の安定同位体(=重水素)があり、自然界の存在比率は、1H:2H = 99.9844%:0.0156% です。
二重標識水法では、2H(重水素) と 18O(酸素18)でできた水、2H218O を用います。これを二重標識水と呼びます。つまり水素と酸素の2つに同位体の標識がついた水という意味です。
一般的に行われている測定では、まず被験者に二重標識水を飲ませます。これは飲料水に混ぜてもよく、とにかく飲んだ二重標識水の量が厳密に分かることが重要です。二重標識水は体内に入り、あるものはそのまま水として体内に残り、またあるものは代謝(化学反応)によって水素と酸素が分離されて他の物質の一部となっていきます。4時間後に二重標識水は体内に行き渡り、それまでの体内物質と平衡状態になります。この間は被験者に飲食を禁止します。
この4時間後に被験者の尿サンプル(唾液でもよい)を採取し、さらに1日後(測定開始)、8日後(測定終了)の尿サンプルを採取します。8日後と書いたのは1週間の平均消費エネルギーを測定する場合であり、測定目的に応じてサンプルの採取頻度を設定します。たとえば毎日の消費エネルギーをみたいのであれば、サンプルを毎日採取します。最長、2週間後までの測定が可能です。
これらのサンプルをIRMS(Isotope Ratio Mass Spectrometer。同位体比質量分析計)という装置を使って、含まれる原子の質量の比率を測定します。これは同位体の比率を分析できる質量分析装置です。被験者が飲んだ二重標識水に含まれる水素は100%が 2H でしたが、4時間後のサンプルではもともと体内にあった1H と混ざって薄められています。その "薄まり具合" から逆に、体内にどれだけの水があったかという「総体水分量」が分かります。平均的には体重の60%が水だと言われますが、それが被験者ごとに正確に測定できるわけです。
次に1日後と8日後のサンプルの 2H(重水素)と 18O(酸素18)をIRMSで測定します。8日後の方が圧倒的に量が少なくなります。その1週間の間の被験者の活動で、尿や汗や呼吸の中に重水素や酸素18が混じって排出されてしまうからです。しかしその "少なくなり具合" は酸素18の方が大きい。なぜなら、酸素18は尿・汗・呼吸時の水蒸気で水 H218O として排出され、かつ二酸化炭素 C18O2 として呼吸でも排出されます。しかし重水素は尿・汗・呼吸時の水蒸気から水 2H2O として排出されるだけだからです。
この "少なくなり具合" の差から 18O が関係する二酸化炭素の排出量が計算でき、それと総体水分量から全体の二酸化炭素排出量が分かります。そこから初めに述べたように酸素消費量を計算し、そしてエネルギー消費量が計算できます。
これは大変巧妙な方法です。この方法だと被験者の負担は二重標識水を飲むことと、数回の尿(ないしは唾液)のサンプル採取です。それ以外は普段通りの生活や活動をしてよい。スポーツをやっても狩猟採集をやってもOKです。まさに日常生活における消費エネルギーを計測する理想的な方法です。実は二重標識水の価格が下がり、二重標識水法が広まってきて初めて、人間の消費エネルギーについての新たな(意外な)知見が得られてきました。
ハッザ族の消費エネルギー量
ここからが本題です。日経サイエンス 2017年4月号に、アフリカのタンザニア北部のサバンナ地帯に暮らす狩猟採集民・ハッザ族の日常生活状態での消費エネルギーを二重標識水法で測定した結果が掲載されました。なぜハッザ族なのかと言うと、著者のハーマン・ポンツァー(ニューヨーク市立大学)が人類学者だからです。ヒトが誕生してから200万年だとすると、農業は高々1万年前からだし、近代的な都市生活はわずか数世代の歴史しかありません。ヒトはそのほとんどの進化の過程で狩猟採集の生活であり、そのライフ・スタイルに最も近いアフリカの狩猟採集民を調査して都市生活者と比較しようというのが主旨です。
ハッザ族の生活は肉体的に厳しいものです。著者の記述を引用してみましょう。
著者のポンツァーはハッザ族と生活をともにしながら彼らの消費カロリーを測定するためのサンプルをとります。日経サイエンスの記事には、前日に毒矢で射て逃げたキリンを、朝から夕方までハッザ族の男たちと一緒にサバンナを探しまわる様子が記述されています。
このようなハッザ族の生活を考えると、狩猟採集民は都市生活者より多くのエネルギーを費やしているのは自明だと思われます。人類学者も公衆衛生学者もそう考えてきました。著者もそうでした。そもそも著者がハッザ族の消費エネルギーを測定しようとした動機の一つは、ハッザ族に比べて都市生活者がいかに不十分なエネルギー消費をしているかを証明しようとしたからです。ところが測定の結果は意外なものでした。
もちろん「ハッザ族と欧米の成人の消費エネルギーは同じ」という結果は正しかったのです。実は二重標識水法の普及にともなって「身体をよく動かしている人が、より多くのカロリーを燃やしている」という、何の疑いもなく自明に思えることとは矛盾する実測データが報告されるようになったのです。著者は次のような例をあげています。
ハッザ族の測定結果は「晴天の霹靂」ではなかった、それは「長年に渡って雲行きが悪化してきたときに空から落ちてきた雨粒」だと、著者は表現しています。
身体活動の程度とエネルギー消費はどういう関係にあるのか。ハッザ族の結果のフォローアップのため、著者はアメリカの300人の被験者に加速度計をつけてもらって身体活動量を計測するとともに、二重標識水法で毎日のエネルギー消費を測定しました。
なぜ身体運動とエネルギー消費の関係は弱いのか
ここで疑問が生じます。運動そのものに必要なエネルギーは、体格が同じであれば同じです。たとえばハッザ族の成人が1km歩くのに燃やすカロリーは欧米人と同じです。それにもかかわらずハッザ族はあまり運動をしない欧米人とトータルのエネルギー消費量が同じです。なぜ運動に多くのカロリーを振り向けられるのでしょうか。その理由はまだ明確ではありません。しかし著者は2つの可能性をあげています。第1の可能性は次です。
著者も書いているように、これですべては説明できないようです。もう一つの可能性は大変興味深いものです。
人間の意志とは無関係に体内で起こるエネルギー消費を基礎代謝と呼ぶとすると、運動による活動代謝が増えると、基礎代謝が減る。そのことで全体のエネルギー消費がほぼ一定に保たれる。人間の体はそういう風にできている、ということです。
肥満の原因は運動不足より過食
以上の研究結果から、肥満の原因は運動不足より過食だということがわかります。よく言われるように、不健康な食事の悪影響は運動では消せないし、減量を期待して少々スポーツジムに通っても(効果がないことはないが)あまり効果がないのです。
もちろん、運動は健康のためには非常に重要です。運動が循環器系から免疫系、脳機能までに良い影響を及ぼすことはよく知られている通りです。足の筋肉を鍛えることは膝の機能を正常に保つことになるし、健康に年を重ねるにも運動が大切です。さらに、引用してきた論文の著者のポンツァーは興味深い指摘をしています。
炎症とは、外傷、打撲、化学物質、病原体の進入などで体が何らかの組織異常を起こしたとき、その異常状態から回復するための仕組みです。しかし組織異常から回復したにもかかわらず炎症が続くことがある。そうすると心血管疾患や自己免疫疾患などのまずい事態につながる可能性があるわけです。
炎症反応を起こすにもエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは基礎代謝の範疇のものです(ここでの基礎代謝は "人間の意志とは無関係に起こるエネルギー消費" の意味)。しかし運動で活動代謝が増えると基礎代謝に振り向ける量が減り、そのことで過剰な炎症反応が抑えられる。上の文章はそのことを言っています。あくまで著者の考え(推測)のようですが、いかにもありそうな話だと思います。
ちょっと余談ですが、「自己免疫疾患」という言葉で直感することがあります。このブログでヒトの免疫系の仕組みを書きました(No.69-70「自己と非自己の科学」。No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」)。免疫は「非自己 = 病原菌・異物など」から「自己」を守る仕組みです。その免疫系が「自己」を攻撃してしまうのが自己免疫疾患です。No.119-120「不在という伝染病」で書いたのは、微生物が不在の清潔すぎる環境が自己免疫疾患のリスクを高める(仮説)ということでした。
常に微生物に接している環境においては、免疫系は微生物との戦いにエネルギーを使っています。ところが微生物が不在だとエネルギーが「自己」に向かってしまう。しかし常に運動をしているとエネルギーは活動代謝で消費され、免疫系は正常に機能する・・・・・・。著者が書いている炎症反応はヒトの免疫系の重要な機能であり、運動が過剰な炎症反応を抑えるなら過剰な免疫反応も抑えるのでは、と想像しました。
ヒトは200万年のあいだハッザ族のような運動・活動環境で進化してきたわけです。ヒトにとって運動は、趣味やストレス解消を越えたもっと本質的なものではないか。そんなことを思いました。
本題に戻って、以上の人間の消費エネルギーを研究してきた著者の結論は次です。
RIZAPに、たとえば30万円払って減量に成功したとしたら、効果から考えた費用の大半は食事指導料であって、完全個室のジムでのトレーニング料はわずか、ということになります。食事指導料の30万円が高いか安いかは人の判断によると思いますが・・・・・・。
カロリー神話
では、食物によるエネルギー摂取を適正に保つにはどうすればよいのか。これはもちろん1日分の必要エネルギーに相当するカロリーを摂取すればよいわけです。ファミレスなどの全国チェーンのレストランのメニューではメニューごとにカロリーが明記してあることがあります。企業や大学の食堂メニューにもそういうのがある。これは必要カロリーを意識しながら食事をする人のためです。
アトウォーター係数というのがあります。炭水化物、タンパク質、脂肪のそれどれからどれだけのカロリーが取り出せるかという値で、
というものです。確か学校で習うと思うので、アトウォーターという名前は知らなくても係数を知っている人は多いでしょう。普通カロリー計算というと、食物に含まれる炭水化物、タンパク質、脂肪の重量からアトウォーター係数を使って総カロリーを求めます。この数値にもとづき、ダイエットにいそしむ人は1日の必要カロリーだけの食事をとるように心がけます。ただし、食物から実際に摂取できるカロリーは単純な係数の掛け算だけでは決まりません。食物の消化の容易性、食物の加工度合い、調理方法などで変わりますが、その話はここではさておきます。
では "肥満は摂取カロリーだけで決まる" のでしょうか。そうではないと主張するのが、肥満の原因は炭水化物の過剰摂取だとする「炭水化物説」です。つまり、炭水化物を摂取すると血液中のブドウ糖(グルコース)の値(=血糖値)が上昇し、膵臓からインスリンが分泌される。インスリンは肝臓や筋肉、臓器、脂肪細胞にグルコースを蓄えるように働き、血糖値が下がる。このインスリンの作用で脂肪細胞に過剰に蓄積されたエネルギーが肥満の原因だとするのが「炭水化物説(ホルモン説)」です。いわゆる「低炭水化物ダイエット」「低糖質ダイエット」はこの理論にもとづいています。
肥満の原因はカロリーなのか炭水化物なのか。その両方だとしたら、どちらが主因なのか。炭水化物説が有力だと思いますが、科学的な最終決着はまだついていないようです。この炭水化物と肥満に関連して、日経サイエンス 2017年12月号に「カロリー神話の落とし穴」という研究報告があったので、以下にそれを紹介します。炭水化物説を補強する内容です。この記事の著者は米国・タフツ大学の教授(スーザン・ロバーツ)と教官(サイ・クルパ・ダス)で、いずれもエネルギー代謝研究の専門家です。記事のタイトルのカロリー神話とは「摂取カロリーが同じなら体重の増減は同じ」という "神話" を言っています。
脳が生む食欲
タフツ大学の研究のポイントは人間の食欲を生む脳の働きです。体重管理のためには、食欲に関係した脳の働きを知る必要があります。
以下にブドウ糖(グルコース)の話が出てくるので復習しますと、食物は小腸で消化され、主に炭水化物からブドウ糖が生成されます。ブドウ糖は血液の中を循環して(=血糖)体内の細胞に取り込まれ、人間の主要なエネルギー源となります。特に脳はブドウ糖だけがエネルギー源です。肝臓はブドウ糖をグリコーゲンに変換して蓄え、再びブドウ糖を生成して血液に放出する働きをします。
膵臓で作られるインスリンは血糖を肝臓や脂肪細胞に取り込む作用をし、その結果、血糖値が下がります。インスリンの量が少ないと(ないしはインスリンが分泌されてもその効果が低い体質=インスリン抵抗性だと)血糖値が高い状態が続き、体にさまざまな悪影響を及ぼします。これが糖尿病です。以下の説明では、この血糖値が脳が感じる空腹感と密接に関係していることが書かれています。
日経サイエンスには、低GI値、中GI値、高GI値の3種類の朝食を用意し(カロリーはすべて同じ394kcal)、肥満の少年10人で実験した結果が載っています。朝食以降、その日のうちに何カロリーを摂取したかを調べると、明らかに高GI値の朝食をとるとその後のカロリー摂取が増えるという結果になっています。
グリセミック指数(Glycemic Index。GI値)
ここで出てきた「グリセミック指数」とは食物を摂取したときに、それがどれだけ血糖値を上げるのに寄与するかという値です。これは食物ごとに違い、同じ量の炭水化物(たとえば50g)が含まれるだけの食物を摂取して測定します。食事後、血糖値は上昇して下降し、2時間程度でもとの値に戻ります。この上昇と下降の過程を調べます。下図は横軸が時間、縦軸が血糖値(血液中のグルコース濃度)で、曲線と横軸で囲まれた面積からグリセミック指数を計算します。純粋なグルコースを摂取したときの面積を100とし、それとの比較で指数化します。
食物によってグリセミック指数は違います。高GI値の食物は血糖値が急上昇し、ピークが高く、早めに下降します。低GI値の食物は、血糖値が徐々に上昇し、ピークは低く、下降も緩やかです。
食物に純粋な炭水化物・脂肪・タンパク質というものはありません。一般にはそれらの複合体であり、また物理的な組成が違います。同じ炭水化物といっても、デンプンと食物繊維のように物理的な形態はさまざまであり、それによって消化・吸収の度合いや速度が違います。また同じ食材でも調理方法や加工方法、加工の度合い、加熱するかどうかによってもGI値が違ってきます。食物のGI値を各種のサイトからまとめると次のようです。
主食である穀物(米、小麦)で言うと、全粒穀物ほどGI値は低くなります。白米は高いが、玄米は低い。食パンは高いが、ブラン(小麦ふすま。小麦の外皮)は低い。そういう傾向にあります。また糖分は代表的な炭水化物ですが、果物の糖分の多くは果糖(フルクトース)であり、GI値は低めに出ます。野菜はほとんどが低GI値ですが、根菜類は高めです。
GI値はもともと糖尿病患者の食事制限のために考えられたようですが、一般にも広まってきました。その例が、低GI値の食物を摂取する「低インスリン・ダイエット」です。高GI値の食物を食べて血糖値が急に増大するとインスリンも大量に分泌されます。この結果、血糖が体脂肪として蓄積されやすくなります。低GI値の食物はインスリンの分泌も低く、脂肪が蓄積されにくい。この点に注目したのが低インスリン・ダイエットです。
上に引用したタフツ大学の結果は「GI値の低い食物を摂取すると血糖値が比較的長い時間一定の上昇レベルに保たれ、そのことで空腹感が抑えられ、カロリーの過大摂取になりにくい」ということです。いわゆる「腹持ちのよい食事」ということでしょう。さらにタフツ大学では133人の被験者を使って、摂取食物と空腹感の関係を調べる実験を行いました。
実験の詳細が書いてないのですが、まとめると「低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減ったとともに、脳が低GI値食物により強く反応するようになった」となります。
このタフツ大学の結果は「低インスリン・ダイエット」と基本的に同じです。また糖質制限や低炭水化物ダイエットと大筋では同じと言えるでしょう。ただし次の点に意義があると思います。
適正体重を保つ
適正体重を保つ(ないしは肥満を解消する)という観点から今までの "まとめ" をすると、まず
ということです。運動は、適正な体重を保つ以外の健康面でのメリットのために行うと考えるべきです。さらに食事の観点からは、
の2点でしょう。世の中にはダイエットに関する情報が溢れていて、ダイエット食などのダイエット産業も盛んです。その中には根拠が曖昧なものや、単なる個人の経験談も多いわけです。今回紹介した日経サイエンスの記事は、結論だけをとると常識的かも知れませんが、いずれも科学的な実験・実証を行って結論に至るエビデンスを集めています。そこに意義があるでしょう。
我々は科学的根拠にもとづいた情報を選別し、健康に生きるすべを自らの意志で選択すべだと思います。
アフリカの狩猟採集民とグリセミック指数
ここからは日経サイエンスの記事を読んで思ったことです。今回引用したのは「アフリカの狩猟採集民の消費エネルギーの研究」と「食物のグリセミック指数が脳に与える影響の研究」でした。この2つを結びつけるとどうなるか、つまりアフリカの狩猟採集民の食物のグリセミック指数(GI値)はどうだろうかと思ったのです。
直感できることは「アフリカの狩猟採集民は高GI値の食物をとるだろう」ということです。ヘタをすると餓死しかねない厳しい環境です。そのような状況では、炭水化物・糖類に関する限りグルコースを摂取しやすい「高GI値の食物」を求めるはずです。引用したハッザ族に関する記述で、
とありました。イモの種類は分かりませんが、根菜類は高GI値の食物です。そして記事に書いてはいないのですが、間違いなく彼らは加熱調理してイモを食べているはずです。
アフリカの狩猟採集民と食物の関係については No.105「鳥と人間の共生」で紹介したハーバード大学の人類学者・ランガム教授の話が思い出されます。教授はヒトの "火" の使用に関して次のように説明しているのでした。
ヒトを類人猿から区別している大きな特徴は巨大な脳です。脳は基礎代謝量の1/3を消費しているほどの大量のエネルギーを使っていて、そのエネルギーをブドウ糖(グルコース)だけから得ている。グルコースを摂取するという観点からすると、ハッザ族のようにイモを加熱調理して食べるのは最善の方法でしょう。
蜂蜜については日経サイエンスの記事に、ハッザ族は「地上10mを超す木の枝に簡単な手斧をふるって蜂蜜を獲る」(最初の引用参照)とありました。別の雑誌ですが、National Geograghic誌 にはハッザ族を現地取材した次のような記事があります。日没後にヒヒ狩りに向かうくだりで、オンワスとはハッザ族の長老格の男性です。
ミツオシエという鳥が人間を蜂の巣に誘導する習性についてはNo.105「鳥と人間の共生」に書きました。ミツオシエ(ノドグロミツオシエ。Greater Honeyguide)の誘導で、ハッザ族の人たちが煙を使って木の幹の中の蜂の巣をとる様子がYouTubeに公開されています。ランガム教授も登場します。
蜂蜜は蜂が花の蜜(蔗糖=スクロースが主成分)を集め、ブドウ糖と果糖に分解して巣に蓄えたものです、その80%がブドウ糖と果糖であり、半分がブドウ糖です。自然界でブドウ糖を直接摂取できる食物は蜂蜜しかありません。もちろん蜂蜜は高いGI値の食物です。
ハッザ族も暮らすタンザニアの大地溝帯付近は、太古の昔からヒトが暮らしていた場所です。そこで狩猟採集をしていたヒトは、高GI値の食物を摂取するすべを拾得し(火が重要)、それがヒトの進化をうながした(特に脳の発達)、そう考えられると思います。
肥満に悩む現代人は「低GI値の食物を食べましょう、血糖値を上げすぎないように」と指導されるわけですが、肥満が社会問題になるのはこの数世代のことに過ぎません。人類の200万年の歴史からすると無いに等しい時間です。逆にヒトの歴史は「高GI値の食物を獲得する歴史」であり、そもそもヒトは高GI値の食物を好むように進化してきたのではと思います。そこに肥満の問題を解決する難しさがありそうです。「なぜ痩せられないのか」には、ヒトの成り立ちに起因する根源的な理由もあるのではと思いました。
この話でも分かることは、人間の体の仕組みにはさまざまな側面があり、それを理解することが健康な生活に役立つということです。No.119-120「不在という伝染病」で書いたことですが「微生物に常に接する環境が人間の免疫機能の正常な働きを維持する」というのもその一例でしょう。
今回はそういった別の例を紹介します。肥満の原因、ないしは "なぜ痩せられないのか" というテーマについての研究成果です。日本ではBMIが25以上で肥満とされていますが、肥満は糖尿病、高血圧、心臓病などの、いわゆる生活習慣病を誘発します。従ってダイエット方法やダイエット食に関する情報が世の中に溢れているし、ダイエット・ビジネスが一つの産業になっています。
なぜ肥満になるのか。その第1の原因は消費エネルギーが摂取エネルギーより小さいからです。その差がグリコーゲンとして肝臓に蓄えられ、また体の各所の細胞や脂肪細胞に蓄えられる。簡潔に書くと、
◆肥満の原因
出力(Output) < 入力(Input)
(消費エネルギー < 摂取エネルギー)
で、これは物理学で言う熱力学の第1法則(エネルギー保存の法則)と同じです。つまり肥満は出力(消費エネルギー)が少ないか、入力(摂取エネルギー)が多いか、あるいはその両方が原因です。肥満を解消するためには、このエネルギーバランスの崩れを解消すればよいのですが、そのためには人間の体の仕組みについての理解が必要です。以下に、まず人間の消費エネルギーはどうやって決まるのかについての科学的知見を紹介します。消費エネルギーを増やすには身体活動量を増やせばよく、そのためには運動をすればよいと考えるのが普通ですが、そうとも言えないようなのです。
人間の消費エネルギー
人間は安静にしているときにもエネルギーを消費していて、これを「基礎代謝」と呼んでいます。基礎代謝量は成人男性で 1500 kcal 程度、成人女性で 1200 kcal 程度ですが、体重や年齢によって変化します。またトレーニングによって筋肉が増えると基礎代謝もその分増えるということもあります。
一方、人間の活動による代謝を「活動代謝」とよび、これは活動の種類によって千差万別です。その他に食物摂取による代謝の増加(食事誘導性熱産生)があります。これら全てを含めて人間はどの程度のエネルギーを消費しているのでしょうか。現代ではそれが精密に測定できるようになってきており、その結果はちょっと意外なものです。
以下は「日経サイエンス」に掲載された、アフリカの狩猟採集民族・ハッザ族の消費エネルギーの測定結果を紹介することが目的ですが、その前提として消費エネルギーをどうやって測定するのかをまず説明します。
消費エネルギーの測定方法
消費エネルギーを測定するには "燃料" を燃やす酸素に注目し、酸素摂取量を測定して消費エネルギーを計算します。そのためには被験者を密閉された実験室に入れ、呼吸に含まれるガスを精密に測定すればよいわけです。
しかしこの方法だと被験者を日常生活から切り離して実験室に拘束しなければなりません。狩猟採集生活のエネルギー消費の測定などとてもできない。そうではなくて、日常生活状態でのエネルギー消費量を測定できないのか。その目的のために「二重標識水法」が開発されてきました。これが現代における標準的な手法です。
二重標識水法では二酸化炭素の排出量を測定します。そこから酸素摂取量が分かるからです。そして酸素摂取量が分かればエネルギー消費量がわかる。この方法で使われるのが「同位体」です。
たとえば酸素(O)は陽子数8、中性子数8の、原子量16が普通です。しかし中性子数が違う酸素原子も存在し、それが同位体です。同位体には放射線を出して崩壊するもの(放射性同位体)があります。有名なのが炭素14(14C)で、その半減期は約6000年です。この性質を利用し、普通の炭素(炭素12)との比を計測して考古学上の年代測定に使われます。
一方、安定した同位体(=安定同位体)もあり、安定同位体は自然界に一定の比率で存在しています。酸素(O)だと、原子量16の 16O 以外に、17O(酸素17)、18O(酸素18)が安定同位体です。自然界における存在比率は、16O:17O:18O = 99.759% :0.037%:0.204% です。
同様に、原子量1の水素には原子量2の安定同位体(=重水素)があり、自然界の存在比率は、1H:2H = 99.9844%:0.0156% です。
二重標識水法では、2H(重水素) と 18O(酸素18)でできた水、2H218O を用います。これを二重標識水と呼びます。つまり水素と酸素の2つに同位体の標識がついた水という意味です。
一般的に行われている測定では、まず被験者に二重標識水を飲ませます。これは飲料水に混ぜてもよく、とにかく飲んだ二重標識水の量が厳密に分かることが重要です。二重標識水は体内に入り、あるものはそのまま水として体内に残り、またあるものは代謝(化学反応)によって水素と酸素が分離されて他の物質の一部となっていきます。4時間後に二重標識水は体内に行き渡り、それまでの体内物質と平衡状態になります。この間は被験者に飲食を禁止します。
この4時間後に被験者の尿サンプル(唾液でもよい)を採取し、さらに1日後(測定開始)、8日後(測定終了)の尿サンプルを採取します。8日後と書いたのは1週間の平均消費エネルギーを測定する場合であり、測定目的に応じてサンプルの採取頻度を設定します。たとえば毎日の消費エネルギーをみたいのであれば、サンプルを毎日採取します。最長、2週間後までの測定が可能です。
これらのサンプルをIRMS(Isotope Ratio Mass Spectrometer。同位体比質量分析計)という装置を使って、含まれる原子の質量の比率を測定します。これは同位体の比率を分析できる質量分析装置です。被験者が飲んだ二重標識水に含まれる水素は100%が 2H でしたが、4時間後のサンプルではもともと体内にあった1H と混ざって薄められています。その "薄まり具合" から逆に、体内にどれだけの水があったかという「総体水分量」が分かります。平均的には体重の60%が水だと言われますが、それが被験者ごとに正確に測定できるわけです。
次に1日後と8日後のサンプルの 2H(重水素)と 18O(酸素18)をIRMSで測定します。8日後の方が圧倒的に量が少なくなります。その1週間の間の被験者の活動で、尿や汗や呼吸の中に重水素や酸素18が混じって排出されてしまうからです。しかしその "少なくなり具合" は酸素18の方が大きい。なぜなら、酸素18は尿・汗・呼吸時の水蒸気で水 H218O として排出され、かつ二酸化炭素 C18O2 として呼吸でも排出されます。しかし重水素は尿・汗・呼吸時の水蒸気から水 2H2O として排出されるだけだからです。
この "少なくなり具合" の差から 18O が関係する二酸化炭素の排出量が計算でき、それと総体水分量から全体の二酸化炭素排出量が分かります。そこから初めに述べたように酸素消費量を計算し、そしてエネルギー消費量が計算できます。
これは大変巧妙な方法です。この方法だと被験者の負担は二重標識水を飲むことと、数回の尿(ないしは唾液)のサンプル採取です。それ以外は普段通りの生活や活動をしてよい。スポーツをやっても狩猟採集をやってもOKです。まさに日常生活における消費エネルギーを計測する理想的な方法です。実は二重標識水の価格が下がり、二重標識水法が広まってきて初めて、人間の消費エネルギーについての新たな(意外な)知見が得られてきました。
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同位体比質量分析計(IRMS)
Thermo Fisher Scientific社製。地質年代の特定などにも使われる。安定同位体の存在比率は地球上の場所によって微妙に違うので、これを利用して農作物の原産地の推定も可能である。
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ハッザ族の消費エネルギー量
ここからが本題です。日経サイエンス 2017年4月号に、アフリカのタンザニア北部のサバンナ地帯に暮らす狩猟採集民・ハッザ族の日常生活状態での消費エネルギーを二重標識水法で測定した結果が掲載されました。なぜハッザ族なのかと言うと、著者のハーマン・ポンツァー(ニューヨーク市立大学)が人類学者だからです。ヒトが誕生してから200万年だとすると、農業は高々1万年前からだし、近代的な都市生活はわずか数世代の歴史しかありません。ヒトはそのほとんどの進化の過程で狩猟採集の生活であり、そのライフ・スタイルに最も近いアフリカの狩猟採集民を調査して都市生活者と比較しようというのが主旨です。
ハッザ族の生活は肉体的に厳しいものです。著者の記述を引用してみましょう。
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ヒヒ狩りから帰るハッザ族の男たち。女たちは野生のイモを掘り、それが主食となる。
(日経サイエンス 2017年4月号)
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このようなハッザ族の生活を考えると、狩猟採集民は都市生活者より多くのエネルギーを費やしているのは自明だと思われます。人類学者も公衆衛生学者もそう考えてきました。著者もそうでした。そもそも著者がハッザ族の消費エネルギーを測定しようとした動機の一つは、ハッザ族に比べて都市生活者がいかに不十分なエネルギー消費をしているかを証明しようとしたからです。ところが測定の結果は意外なものでした。
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もちろん「ハッザ族と欧米の成人の消費エネルギーは同じ」という結果は正しかったのです。実は二重標識水法の普及にともなって「身体をよく動かしている人が、より多くのカロリーを燃やしている」という、何の疑いもなく自明に思えることとは矛盾する実測データが報告されるようになったのです。著者は次のような例をあげています。
◆ | グアテマラとガンビア、ボリビアで昔ながらの農耕生活をしている人々を調べた結果、これらの人々のエネルギー消費が都市生活者とほぼ同じであることが示された。 | ||
◆ | ナイジェリアの地方部に住む女性とシカゴ在住のアフリカ系アメリカ人は、身体活動レベルが大きく違うにもかかわらず、毎日のエネルギー消費は同じだった。 |
ハッザ族の測定結果は「晴天の霹靂」ではなかった、それは「長年に渡って雲行きが悪化してきたときに空から落ちてきた雨粒」だと、著者は表現しています。
身体活動の程度とエネルギー消費はどういう関係にあるのか。ハッザ族の結果のフォローアップのため、著者はアメリカの300人の被験者に加速度計をつけてもらって身体活動量を計測するとともに、二重標識水法で毎日のエネルギー消費を測定しました。
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なぜ身体運動とエネルギー消費の関係は弱いのか
ここで疑問が生じます。運動そのものに必要なエネルギーは、体格が同じであれば同じです。たとえばハッザ族の成人が1km歩くのに燃やすカロリーは欧米人と同じです。それにもかかわらずハッザ族はあまり運動をしない欧米人とトータルのエネルギー消費量が同じです。なぜ運動に多くのカロリーを振り向けられるのでしょうか。その理由はまだ明確ではありません。しかし著者は2つの可能性をあげています。第1の可能性は次です。
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著者も書いているように、これですべては説明できないようです。もう一つの可能性は大変興味深いものです。
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人間の意志とは無関係に体内で起こるエネルギー消費を基礎代謝と呼ぶとすると、運動による活動代謝が増えると、基礎代謝が減る。そのことで全体のエネルギー消費がほぼ一定に保たれる。人間の体はそういう風にできている、ということです。
肥満の原因は運動不足より過食
以上の研究結果から、肥満の原因は運動不足より過食だということがわかります。よく言われるように、不健康な食事の悪影響は運動では消せないし、減量を期待して少々スポーツジムに通っても(効果がないことはないが)あまり効果がないのです。
もちろん、運動は健康のためには非常に重要です。運動が循環器系から免疫系、脳機能までに良い影響を及ぼすことはよく知られている通りです。足の筋肉を鍛えることは膝の機能を正常に保つことになるし、健康に年を重ねるにも運動が大切です。さらに、引用してきた論文の著者のポンツァーは興味深い指摘をしています。
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炎症とは、外傷、打撲、化学物質、病原体の進入などで体が何らかの組織異常を起こしたとき、その異常状態から回復するための仕組みです。しかし組織異常から回復したにもかかわらず炎症が続くことがある。そうすると心血管疾患や自己免疫疾患などのまずい事態につながる可能性があるわけです。
炎症反応を起こすにもエネルギーが必要ですが、そのエネルギーは基礎代謝の範疇のものです(ここでの基礎代謝は "人間の意志とは無関係に起こるエネルギー消費" の意味)。しかし運動で活動代謝が増えると基礎代謝に振り向ける量が減り、そのことで過剰な炎症反応が抑えられる。上の文章はそのことを言っています。あくまで著者の考え(推測)のようですが、いかにもありそうな話だと思います。
ちょっと余談ですが、「自己免疫疾患」という言葉で直感することがあります。このブログでヒトの免疫系の仕組みを書きました(No.69-70「自己と非自己の科学」。No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」)。免疫は「非自己 = 病原菌・異物など」から「自己」を守る仕組みです。その免疫系が「自己」を攻撃してしまうのが自己免疫疾患です。No.119-120「不在という伝染病」で書いたのは、微生物が不在の清潔すぎる環境が自己免疫疾患のリスクを高める(仮説)ということでした。
常に微生物に接している環境においては、免疫系は微生物との戦いにエネルギーを使っています。ところが微生物が不在だとエネルギーが「自己」に向かってしまう。しかし常に運動をしているとエネルギーは活動代謝で消費され、免疫系は正常に機能する・・・・・・。著者が書いている炎症反応はヒトの免疫系の重要な機能であり、運動が過剰な炎症反応を抑えるなら過剰な免疫反応も抑えるのでは、と想像しました。
ヒトは200万年のあいだハッザ族のような運動・活動環境で進化してきたわけです。ヒトにとって運動は、趣味やストレス解消を越えたもっと本質的なものではないか。そんなことを思いました。
本題に戻って、以上の人間の消費エネルギーを研究してきた著者の結論は次です。
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RIZAPに、たとえば30万円払って減量に成功したとしたら、効果から考えた費用の大半は食事指導料であって、完全個室のジムでのトレーニング料はわずか、ということになります。食事指導料の30万円が高いか安いかは人の判断によると思いますが・・・・・・。
カロリー神話
では、食物によるエネルギー摂取を適正に保つにはどうすればよいのか。これはもちろん1日分の必要エネルギーに相当するカロリーを摂取すればよいわけです。ファミレスなどの全国チェーンのレストランのメニューではメニューごとにカロリーが明記してあることがあります。企業や大学の食堂メニューにもそういうのがある。これは必要カロリーを意識しながら食事をする人のためです。
アトウォーター係数というのがあります。炭水化物、タンパク質、脂肪のそれどれからどれだけのカロリーが取り出せるかという値で、
炭水化物 1g | = | 4 kcal | ||||
タンパク質 1g | = | 4 kcal | ||||
脂肪 1g | = | 9 kcal |
というものです。確か学校で習うと思うので、アトウォーターという名前は知らなくても係数を知っている人は多いでしょう。普通カロリー計算というと、食物に含まれる炭水化物、タンパク質、脂肪の重量からアトウォーター係数を使って総カロリーを求めます。この数値にもとづき、ダイエットにいそしむ人は1日の必要カロリーだけの食事をとるように心がけます。ただし、食物から実際に摂取できるカロリーは単純な係数の掛け算だけでは決まりません。食物の消化の容易性、食物の加工度合い、調理方法などで変わりますが、その話はここではさておきます。
では "肥満は摂取カロリーだけで決まる" のでしょうか。そうではないと主張するのが、肥満の原因は炭水化物の過剰摂取だとする「炭水化物説」です。つまり、炭水化物を摂取すると血液中のブドウ糖(グルコース)の値(=血糖値)が上昇し、膵臓からインスリンが分泌される。インスリンは肝臓や筋肉、臓器、脂肪細胞にグルコースを蓄えるように働き、血糖値が下がる。このインスリンの作用で脂肪細胞に過剰に蓄積されたエネルギーが肥満の原因だとするのが「炭水化物説(ホルモン説)」です。いわゆる「低炭水化物ダイエット」「低糖質ダイエット」はこの理論にもとづいています。
肥満の原因はカロリーなのか炭水化物なのか。その両方だとしたら、どちらが主因なのか。炭水化物説が有力だと思いますが、科学的な最終決着はまだついていないようです。この炭水化物と肥満に関連して、日経サイエンス 2017年12月号に「カロリー神話の落とし穴」という研究報告があったので、以下にそれを紹介します。炭水化物説を補強する内容です。この記事の著者は米国・タフツ大学の教授(スーザン・ロバーツ)と教官(サイ・クルパ・ダス)で、いずれもエネルギー代謝研究の専門家です。記事のタイトルのカロリー神話とは「摂取カロリーが同じなら体重の増減は同じ」という "神話" を言っています。
脳が生む食欲
タフツ大学の研究のポイントは人間の食欲を生む脳の働きです。体重管理のためには、食欲に関係した脳の働きを知る必要があります。
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膵臓で作られるインスリンは血糖を肝臓や脂肪細胞に取り込む作用をし、その結果、血糖値が下がります。インスリンの量が少ないと(ないしはインスリンが分泌されてもその効果が低い体質=インスリン抵抗性だと)血糖値が高い状態が続き、体にさまざまな悪影響を及ぼします。これが糖尿病です。以下の説明では、この血糖値が脳が感じる空腹感と密接に関係していることが書かれています。
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日経サイエンスには、低GI値、中GI値、高GI値の3種類の朝食を用意し(カロリーはすべて同じ394kcal)、肥満の少年10人で実験した結果が載っています。朝食以降、その日のうちに何カロリーを摂取したかを調べると、明らかに高GI値の朝食をとるとその後のカロリー摂取が増えるという結果になっています。
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同じ394kcalであるが、低GI値、中GI値、高GI値の3種類の朝食を用意する。肥満の少年10人で調べてみると、高いGI値の朝食をとるほどその日のカロリー総摂取量が増える。赤はタンパク質、黄色は脂肪、青は炭水化物のカロリーを示す。中GI食と高GI食で炭水化物が占めるカロリー(青)はほぼ同じであるが、高GI食のインスタントのオートミールの方がグリセミック指数が高い。
(日経サイエンス 2017年12月号より)
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グリセミック指数(Glycemic Index。GI値)
ここで出てきた「グリセミック指数」とは食物を摂取したときに、それがどれだけ血糖値を上げるのに寄与するかという値です。これは食物ごとに違い、同じ量の炭水化物(たとえば50g)が含まれるだけの食物を摂取して測定します。食事後、血糖値は上昇して下降し、2時間程度でもとの値に戻ります。この上昇と下降の過程を調べます。下図は横軸が時間、縦軸が血糖値(血液中のグルコース濃度)で、曲線と横軸で囲まれた面積からグリセミック指数を計算します。純粋なグルコースを摂取したときの面積を100とし、それとの比較で指数化します。
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食物を摂取してから2時間の血糖値を模式的に書いたもの。赤が高GI値の食物、オレンジが中GI値、緑が低GI値。
(site : www.fuelingforhealth.com)
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食物によってグリセミック指数は違います。高GI値の食物は血糖値が急上昇し、ピークが高く、早めに下降します。低GI値の食物は、血糖値が徐々に上昇し、ピークは低く、下降も緩やかです。
食物に純粋な炭水化物・脂肪・タンパク質というものはありません。一般にはそれらの複合体であり、また物理的な組成が違います。同じ炭水化物といっても、デンプンと食物繊維のように物理的な形態はさまざまであり、それによって消化・吸収の度合いや速度が違います。また同じ食材でも調理方法や加工方法、加工の度合い、加熱するかどうかによってもGI値が違ってきます。食物のGI値を各種のサイトからまとめると次のようです。
◆ | GI値の低い食物(55以下)
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◆ | GI値が中程度の食物(55-70)
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◆ | GI値の高い食物(70以上)
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主食である穀物(米、小麦)で言うと、全粒穀物ほどGI値は低くなります。白米は高いが、玄米は低い。食パンは高いが、ブラン(小麦ふすま。小麦の外皮)は低い。そういう傾向にあります。また糖分は代表的な炭水化物ですが、果物の糖分の多くは果糖(フルクトース)であり、GI値は低めに出ます。野菜はほとんどが低GI値ですが、根菜類は高めです。
GI値はもともと糖尿病患者の食事制限のために考えられたようですが、一般にも広まってきました。その例が、低GI値の食物を摂取する「低インスリン・ダイエット」です。高GI値の食物を食べて血糖値が急に増大するとインスリンも大量に分泌されます。この結果、血糖が体脂肪として蓄積されやすくなります。低GI値の食物はインスリンの分泌も低く、脂肪が蓄積されにくい。この点に注目したのが低インスリン・ダイエットです。
上に引用したタフツ大学の結果は「GI値の低い食物を摂取すると血糖値が比較的長い時間一定の上昇レベルに保たれ、そのことで空腹感が抑えられ、カロリーの過大摂取になりにくい」ということです。いわゆる「腹持ちのよい食事」ということでしょう。さらにタフツ大学では133人の被験者を使って、摂取食物と空腹感の関係を調べる実験を行いました。
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実験の詳細が書いてないのですが、まとめると「低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減ったとともに、脳が低GI値食物により強く反応するようになった」となります。
このタフツ大学の結果は「低インスリン・ダイエット」と基本的に同じです。また糖質制限や低炭水化物ダイエットと大筋では同じと言えるでしょう。ただし次の点に意義があると思います。
◆ | 単に炭水化物を制限するのではなく、血糖値を急激に上げる炭水化物の制限を勧めている。肥満解消のためには血糖値を上げない炭水化物が重要としている。 | ||
◆ | 人間の脳の反応(空腹感の発生、嗜好の変化)と肥満を関連づけ、科学的な実験で実証している。 |
適正体重を保つ
適正体重を保つ(ないしは肥満を解消する)という観点から今までの "まとめ" をすると、まず
◆ | 運動は、体重減の効果が限定的 |
ということです。運動は、適正な体重を保つ以外の健康面でのメリットのために行うと考えるべきです。さらに食事の観点からは、
◆ | 栄養のバランスを考えて、適正なカロリー量を摂取すべき | ||
◆ | そのときに食物の種類を考慮すべき(高タンパク質・高食物繊維・低GI値の食事) |
の2点でしょう。世の中にはダイエットに関する情報が溢れていて、ダイエット食などのダイエット産業も盛んです。その中には根拠が曖昧なものや、単なる個人の経験談も多いわけです。今回紹介した日経サイエンスの記事は、結論だけをとると常識的かも知れませんが、いずれも科学的な実験・実証を行って結論に至るエビデンスを集めています。そこに意義があるでしょう。
我々は科学的根拠にもとづいた情報を選別し、健康に生きるすべを自らの意志で選択すべだと思います。
アフリカの狩猟採集民とグリセミック指数
ここからは日経サイエンスの記事を読んで思ったことです。今回引用したのは「アフリカの狩猟採集民の消費エネルギーの研究」と「食物のグリセミック指数が脳に与える影響の研究」でした。この2つを結びつけるとどうなるか、つまりアフリカの狩猟採集民の食物のグリセミック指数(GI値)はどうだろうかと思ったのです。
直感できることは「アフリカの狩猟採集民は高GI値の食物をとるだろう」ということです。ヘタをすると餓死しかねない厳しい環境です。そのような状況では、炭水化物・糖類に関する限りグルコースを摂取しやすい「高GI値の食物」を求めるはずです。引用したハッザ族に関する記述で、
ハッザ族の主食は野生のイモで、女たちは石だらけの土から何時間もかけて棒でそれらを掘り出す。 |
とありました。イモの種類は分かりませんが、根菜類は高GI値の食物です。そして記事に書いてはいないのですが、間違いなく彼らは加熱調理してイモを食べているはずです。
アフリカの狩猟採集民と食物の関係については No.105「鳥と人間の共生」で紹介したハーバード大学の人類学者・ランガム教授の話が思い出されます。教授はヒトの "火" の使用に関して次のように説明しているのでした。
◆ | ヒトは火を使って食物を加熱調理することで効率的な栄養摂取ができるようになり、それがヒトの特徴(巨大な脳、小さい歯、短い腸)を発達させた(=いわゆる「料理仮説」) | ||
◆ | アフリカの狩猟採集民は、火をおこして煙で蜂を麻痺させ、蜂蜜を採取する。チンパンジーと比較すると100~1000倍の蜂蜜を手に入れる。 |
ヒトを類人猿から区別している大きな特徴は巨大な脳です。脳は基礎代謝量の1/3を消費しているほどの大量のエネルギーを使っていて、そのエネルギーをブドウ糖(グルコース)だけから得ている。グルコースを摂取するという観点からすると、ハッザ族のようにイモを加熱調理して食べるのは最善の方法でしょう。
蜂蜜については日経サイエンスの記事に、ハッザ族は「地上10mを超す木の枝に簡単な手斧をふるって蜂蜜を獲る」(最初の引用参照)とありました。別の雑誌ですが、National Geograghic誌 にはハッザ族を現地取材した次のような記事があります。日没後にヒヒ狩りに向かうくだりで、オンワスとはハッザ族の長老格の男性です。
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ミツオシエという鳥が人間を蜂の巣に誘導する習性についてはNo.105「鳥と人間の共生」に書きました。ミツオシエ(ノドグロミツオシエ。Greater Honeyguide)の誘導で、ハッザ族の人たちが煙を使って木の幹の中の蜂の巣をとる様子がYouTubeに公開されています。ランガム教授も登場します。
蜂蜜は蜂が花の蜜(蔗糖=スクロースが主成分)を集め、ブドウ糖と果糖に分解して巣に蓄えたものです、その80%がブドウ糖と果糖であり、半分がブドウ糖です。自然界でブドウ糖を直接摂取できる食物は蜂蜜しかありません。もちろん蜂蜜は高いGI値の食物です。
ハッザ族も暮らすタンザニアの大地溝帯付近は、太古の昔からヒトが暮らしていた場所です。そこで狩猟採集をしていたヒトは、高GI値の食物を摂取するすべを拾得し(火が重要)、それがヒトの進化をうながした(特に脳の発達)、そう考えられると思います。
肥満に悩む現代人は「低GI値の食物を食べましょう、血糖値を上げすぎないように」と指導されるわけですが、肥満が社会問題になるのはこの数世代のことに過ぎません。人類の200万年の歴史からすると無いに等しい時間です。逆にヒトの歴史は「高GI値の食物を獲得する歴史」であり、そもそもヒトは高GI値の食物を好むように進化してきたのではと思います。そこに肥満の問題を解決する難しさがありそうです。「なぜ痩せられないのか」には、ヒトの成り立ちに起因する根源的な理由もあるのではと思いました。
2017-12-22 19:49
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No.211 - 狐は犬になれる [科学]
前回の No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」と同じく、進化に関連したテーマです。今までに生物の進化について No.210 を含めて3つの記事を書きました。
の3つです。この中の No.148「最適者の到来」でイヌを例にとって、高等生物はその内部に(具体的には遺伝子に)ものすごい変化の可能性を秘めている、としました。No.148「最適者の到来」は、アンドレアス・ワグナー・著『進化の謎を数学で解く』(文藝春秋。2015)を紹介したものですが、この中で著者はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に関連して次のように書いています。
イヌは、1万年ほど前に(あるいはもっと以前に)人間が(今で言う)オオカミを家畜化したものです。そして家畜としての品種改良が本格的に行われたのは、たかだかこの数百年です。しかもその「改良」は現代で言う "遺伝子操作技術" などのバイオテクノロジーを使ったわけではありません。あくまで「選別」や「交配」で行われた。それでいて、出来上がったイヌの外見の多様性は驚くべきものです。
ということはつまり、現代のイヌの多様な姿・形は、すでに1万年前のオオカミの遺伝子に内在していたと考えざるを得ません。その「内在するもの」を、人間が "有用性" や "好み" に従って顕在化させた・・・・・・。高等生物が持っている変化の可能性はすごいわけです。上の引用にもあるように、ダーウィンの『種の起源』の発想の原点は「人間の育種家がつくりだした種の多様性への驚嘆」でした。それを "自然" がやったのがすなわち進化(=自然選択。Natural Selection)ではないのかと・・・・・・。進化論の出発点です。
人間が作り出してきた種の多様性は、生物の進化を考察する上で重要なポイントになると考えられます。たとえば上の写真に掲げたイヌの多様性を人間はどうやって生み出してきたのか。その前提として、そもそも人間はどうやってオオカミをイヌに変えたのか。その家畜化の過程は今となっては歴史の中に埋もれてしまって、うかがい知ることができません。
ここからが本題です。その家畜化の過程を実験で再現しようとする試みがこの60年間、続けられてきました。選ばれたのはキツネです。キツネを家畜化して人間のパートナーにする、つまり "キツネをイヌに変える実験" です。
キツネの家畜化実験の発端
「日経サイエンス」2017年8月号に「キツネがイヌに化けるまで」と題した興味深い解説が掲載されました。著者はリュドミラ・トルート(ロシア)とリー・アラン・リュガトキン(アメリカ)です。トルートはロシアの「細胞学・遺伝学研究所」の教授で、進化遺伝学が専門です。リュガトキンはアメリカ、ケンターキー州のルイビル大学の行動生態学者です。本解説はトルート教授が行った実験の成果をリュガトキンがまとめるという形で執筆されました。
トルート教授は現在83歳で、1958年から現在まで約60年に渡ってキツネの家畜化実験を続けています。彼女がこの実験に参加することになった契機が記事に書かれています。その発端は、家畜化実験の中心人物であるドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985。ロシアの遺伝学者)に出会ったことでした。以下、下線は原文にありません。
実は「日経サイエンス」の「キツネがイヌに化けるまで」でまず印象的なのは、ここに引用した冒頭のところです。リュドミラ・トルートは学生結婚をして子供をもうけたが、それでも「キツネをイヌにする」研究に加わることを即決し、大都会の首都・モスクワを離れ、一家で "最果ての地" に向かう・・・・・・。すごいものだと思いますが、それは当時の国の状況も影響しているかも知れません。
つまり、トルートがシベリアに向かったのは1958年です。旧ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が世界初の人工衛星・スプートニクを打ち上げてアメリカを出し抜いたのは1957年です(スプートニク・ショック)。当時のソ連には「科学技術で切り開く社会主義の明るい未来」みたいな雰囲気が横溢していたことでしょう。シベリアに新たに建設された科学研究都市に様々な科学者が結集したのも、そういう雰囲気の中でのことだと想像されます。
ベリャーエフの仮説
キツネの家畜化実験は、リュドミラ・トルートの恩師であるドミトリ・ベリャーエフの次のような仮説にもとづいていました。
ここで書かれている「ベリャーエフの仮説」は、我々の思考のちょっとした盲点をつくものです。我々はイヌ・ネコを含む家畜にあまりに慣れすぎていて、家畜が人間に従順なのはあたりまえで、それが家畜の特質だとは意識しません。また野生動物が人間に従順でないのも、あたりまえだと考えます。野生のクマ、キツネ、サル(あくまで野生のサル)、タヌキ、イタチなど、みなそうです。たまに人間を恐れない野生のタヌキがいて、餌をもらいに家の庭先に毎日現れたりすると、それが地域ニュースに取り上げられたりします。なぜかと言うと、それが珍しいからです。
野生のイノシシと家畜のブタを考えてみると、ブタは(今でいう)イノシシを飼い慣らして家畜化したものです。野生のイノシシは獰猛で、イノシシに遭遇して大怪我をしたというような話もよくある。人間を見ると牙をむき出して突進してきたりします。猪突猛進、という4字熟語もあるくらいです。一方の家畜のブタは、獰猛という雰囲気は全くありません。餌を食べるか寝そべっています。よくよく考えてみると、動物として同じ仲間であるイノシシとブタの「性格・気性」の違いは大きいわけです。しかし我々はそういうことに慣れてしまっていて、明らかな違いに気を留めることはありません。
野生動物は従順でなく、家畜は従順である。そんなあたりまえすぎることに着目したベリャーエフは優れた学者だったのでしょう。ベリャーエフは、家畜は従順であるという事実を180度逆転させ、人間を恐れず従順な個体を選別していった結果として家畜が誕生したと考えたのです。さらにベリャーエフの仮説は続きます。
ここまで読むとなぜキツネが選ばれたのかが分かります。キツネなら各地にある毛皮動物飼育場から大量に購入できるのですね(解説には数百匹とあります)。オオカミで実験できればいいのですが、オオカミを大量に集めるのは至難の技です。キツネはオオカミと同じイヌ科の動物なので、次善の策としては最適でしょう。
毛皮動物飼育場から大量に集められる他の動物としては、"ロシア産" が有名な "黒テン"や "ミンク" もあるでしょう。しかしテン、ミンクはイタチ科だし、値段が高い(と思います。毛皮が高価だから)。それに、テンやミンクを家畜化してもあまり感激はしない。やはりキツネです。キツネは "化ける" と言われている動物なので、その点でもピッタリです(ロシアでも "化ける" かどうかは知りませんが)。
実験の開始
トルートがシベリアで始めた実験の最初の様子が書いてあります。
この引用のように、最初はスコアの低い(=攻撃的か、怯える)キツネがほとんどでしたが、高いスコアの(=おとなしい)キツネを選んで交配していくと、次第に変化がみられるようになりました。
エリートの出現
6世代目において「エリート」は全体の2%でしたが、現在は70%に達しているそうです。ちなみに現在は58世代目です。エリートたちにしばしば見られる特徴をまとめると、まず生態学的には、
などの特徴があります。また、体つきや姿・格好については次のような特徴があります。
要するにトルートが言うように、全体の姿は気味が悪いほどイヌに似ているのです。わずか数世代の交配でこのようなキツネが現れ始めたのは驚くべきことです。
トルートは「鳴き声の強弱変化を音響分析すると、人の笑い声の変化に近い」とも言っています。この「笑い声」くだりを読んで思ったのですが、この家畜化実験は「人間に対してフレンドリーなキツネ」に人間が高いスコアをつけ、高いスコア同士のキツネを交配していくというものです。スコアの項目と点数づけの基準は厳密に決めるのでしょうが(これがふらつくと実験にならない)、ひょっとしたら「鳴き声が人間にとって心地よいキツネに、人間が無意識に高いスコアをつけた」のかもと思いました。違うかも知れませんが。
人間との交流
家畜は人間に従順だという共通点がありますが、イヌは従順だけでなく、特定の人間と親密な関係になったり、人間との間に種を越えた感情的絆を形成したりします。イヌ化したキツネではどうなのでしょうか。
トルートは1974年3月28日、その実験を始めます。15世代目のキツネ、プシンカと一緒に、飼育施設の中にあった1軒の家に移り住んだのです。プシンカは1歳になったばかりの雌で、妊娠していました。出産を通してキツネの家族と人間がどういう関係を持てるかも調べようとしたのです。
最初はプシンカは動揺し、慣れない家の中を駆けめぐり、食べ物を口にしようとしません。しかし次第にそれも落ち着いてきました。4月6日、プシンカは6匹の子ギツネを生みました。するとプシンカはその中の1匹をくわえてきて、トルートの足元に置いたのです。トルートがその子ギツネを何回も巣に戻しても、プシンカはその都度、子ギツネをトルートのところに運んできます。まるで人間に子ギツネを差し出すような行動です。6匹生まれたから一匹あげるよ、というような・・・・・・。トルートも巣に戻すことを諦めました。
トルートとプシンカの一家は家の中で遊びまわったり、一緒に外出したりして絆を深めていきました。
こうしてトルートとプシンカの間には親密な関係が生まれたのですが、その年の7月に決定的な出来事が起こります。
トルートがプシンカと小さな家で過ごしたのは3ヶ月半でしたが、この1974年7月15日の夜の出来事は、家畜化されたキツネ(第15世代目。実験開始から約15年後)が、イヌのように人間に対して忠誠心を示すことの証拠になりました。
家畜化されたキツネが遺伝子レベルでどういう変化が起こったのか、DNA解析の結果も報告されています。それによると、多くの変化は12番染色体の「量的形質遺伝子座(QTL)」で起こっており、これはイヌの家畜化に関与した遺伝子と同様だそうです。トルートは「野生のイヌ科動物がペットに変わる過程を遺伝子レベルでおおよそ再現した」と結論づけています。
キツネはイヌになれる
以下はこの報告の感想です。この研究成果で分かるのは、キツネの性格(=行動様式)は遺伝するということと、性格と外見上の形質には深い関係があるということです。つまりキツネの「性格」を、
という軸でスコアリングすると、それが遺伝することが実証された。そして性格(=行動様式)を選別・交配していくと、外見上の形質まで変化してきたというのがこの実験です。ここで考えてしまったのは人間のことです。人間ではどうなのか。
No.191「パーソナリティを決めるもの」で書いたように、現代の行動遺伝学の結論は、人のパーソナリティは50%が遺伝子で説明できるということです。
ここで非共有環境とは主に家庭外の環境、共有環境とは家庭環境でした。人は複雑な社会生活を営む動物なので50%は(家庭外の)環境で性格が決まる。それでも50%は遺伝子で決まります。これがキツネだと遺伝の割合がもっともっと大きいのでしょう。そして「性格が外見に影響する」というのは人にも言えるのではないか。よく「人相学」とか「人相占い」とかがあります。人相からその人の性格や運命が分かると主張するものです。運命が分かるというのは違うと思いますが、性格が分かるというのは科学的根拠があるのではないか。そんなことを思いました。
さらに思ったのは、科学における仮説の大切です。もちろん仮説なら何でもよいわけではありません。この実験では "運のよいことに" 6世代目で仮説が正しそうだという雰囲気が出てきました。もしこれが50世代目=約50年目にならないと正しさが分からないのであれば、そこまで実験は続けられなかったでしょう。トルート教授としても、50年もの研究者人生を成果の見えない実験に費やすことは出来なかったと思います。
ベリャーエフは、比較的早い世代で目に見えるキツネの変化が現れることを予期したのだと思います。つまりこの仮説はベリャーエフの優れた洞察力にもとづく仮説だった。そこがポイントだと思いました。
この60年をかけたキツネの家畜化研究は、いわゆる基礎研究です。ベリャーエフは「人間はなぜイヌを作り出せたのか」と疑問に思い、それについての仮説をたて、その仮説が正しいことをトルートとともに実証した。しかしその成果が何の役にたつのですかと問われると、それは分からないと答えるしかないのでしょう。もっともらしい答えは言えるかもしれませんが。
「何の役にたつのですか」と問うてはダメなのですね。ベリャーエフはあくまで興味から、好奇心から家畜化研究を始めたのだと思います。そこで解明されたことが、将来何かの役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。基礎研究というのはそういうものだと思います。
全くの想像ですが、トルート教授は遺伝学の大先輩であるメンデルを尊敬しているのではないでしょうか。牧師が教会の裏庭でエンドウマメの交配実験を繰り返し、克明な記録をつける。誰に評価されたわけでもない。しかし死後にそれが "発見" され、遺伝学という学問が成立する鍵となる ・・・・・・。有名な話です。
60年前のキツネの家畜化実験の開始から現在まで、58世代に渡るキツネの血統が明らかになっていて、個々のキツネの性格や外見についての克明な記録が資料として残されているはずです。このトルート教授の「家畜化実験詳細データ」は、今後役に立つかもしれない。たとえば、人に対して親和的か攻撃的か(ないしは怯えるのか)の違いは、人間社会で言うと社会的と反社会的の違いだと言えるでしょう。キツネの性格の詳細データを遺伝子解析の結果と付き合わせることによって、社会性とは何かについての知見が遺伝子レベルで判明するかもしれないのです。基礎科学なので断言はできないけれども。
83歳のトルート教授は人生の4分の3をこの家畜化実験に捧げました。「キツネがイヌに化けるまで」という日経サイエンスの記事で最も強く印象に残ったのは、実はこの点でした。
先日、NHK Eテレの「サイエンス ZERO」で「ヒトとイヌ 進化の歴史が生んだ奇跡の関係」と題した放送がありました(2019.6.9. 23:30~24:00。再放送 2019.6.15 11:30~12:00)。セラピー犬にみられるヒトとイヌとの特別な関係を特集したものですが、その中でロシアの「キツネの家畜化実験」の話が紹介されました。その内容が大変興味深かったので、該当部分のナレーションを以下に掲載します。
キツネがイヌに変化するための大事な要素は「子どもの特徴を持ったままオトナになる」ことなのですね。このことを専門用語で "ネオテニー(幼形成熟)"と言います。ネオテニー(幼形成熟)とは動物において「性的に完全に成熟した個体でありながら、非生殖器官に未成熟な状態、つまり "幼形" が残る現象」を言います。イヌ化したキツネでは、頭蓋骨、コルチゾール(日経サイエンスの記事にあったストレスホルモン)の分泌量、脳の中の海馬の神経細胞の生成状況に、オトナになっても幼児期のような状態が残ったわけです。
つまりベリャーエフ博士やトルート教授は、長年かけて(トルート教授は一生涯をかけて)「ネオテニーを人為的に引き起こす実験」をしてきたことになります。
これはちょっと見逃せない話です。なぜなら、ヒトは霊長類がネオテニー(幼形成熟)を起こしてヒトになったと考えられているからです。ということは、キツネの家畜化実験は、単に野生動物の家畜化の過程を再現するということだけでなく、ヒトがヒトになった経緯に関する知見を与えてくれるかも知れない。60年・58世代に渡るキツネが詳しく記録され、頭蓋骨標本も残っているわけだし、ネオテニーを起こしている現世代のキツネの体を詳しく調べることは(かつ、野生のキツネと比較研究することは)、現代技術でいくらでもできるからです。
「サイセンス ZERO」では、ヒトがヒトたるゆえんである "協力行動" の進化が幼形成熟と関連づけて説明されていました。ロシアのベリャーエフ博士が始めたキツネの家畜化実験は、本来の目的を越え、おそらく博士も予想していなかったような地点まで進んてきたようです。科学の探求とはそういうものだと思いました。
本文で書いたロシアにおけるキツネの家畜化実験と密接に関連した「自己家畜化=人間による家畜化ではない、自然選択による家畜化」の話を、No.299「 優しさが生き残りの条件だった」に書きました。
No. 56 - 強い者は生き残れない No.148 - 最適者の到来 No.210 - 鳥は "奇妙な恐竜" |
の3つです。この中の No.148「最適者の到来」でイヌを例にとって、高等生物はその内部に(具体的には遺伝子に)ものすごい変化の可能性を秘めている、としました。No.148「最適者の到来」は、アンドレアス・ワグナー・著『進化の謎を数学で解く』(文藝春秋。2015)を紹介したものですが、この中で著者はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』に関連して次のように書いています。
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イヌは、1万年ほど前に(あるいはもっと以前に)人間が(今で言う)オオカミを家畜化したものです。そして家畜としての品種改良が本格的に行われたのは、たかだかこの数百年です。しかもその「改良」は現代で言う "遺伝子操作技術" などのバイオテクノロジーを使ったわけではありません。あくまで「選別」や「交配」で行われた。それでいて、出来上がったイヌの外見の多様性は驚くべきものです。
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ハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)
普通オオカミというと、このハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)のことを指す。世界各地にさまざまな亜種が分布している。絶滅したニホンオオカミも亜種とされている。No.127「捕食者なき世界(2)」に掲載した写真を再掲。
( site : animals.nationalgeographic.com )
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![]() グレート・デーン
![]() ジャーマン・シェパード
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![]() グレイハウンド
![]() ブルドッグ
![]() チャウチャウ
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ということはつまり、現代のイヌの多様な姿・形は、すでに1万年前のオオカミの遺伝子に内在していたと考えざるを得ません。その「内在するもの」を、人間が "有用性" や "好み" に従って顕在化させた・・・・・・。高等生物が持っている変化の可能性はすごいわけです。上の引用にもあるように、ダーウィンの『種の起源』の発想の原点は「人間の育種家がつくりだした種の多様性への驚嘆」でした。それを "自然" がやったのがすなわち進化(=自然選択。Natural Selection)ではないのかと・・・・・・。進化論の出発点です。
人間が作り出してきた種の多様性は、生物の進化を考察する上で重要なポイントになると考えられます。たとえば上の写真に掲げたイヌの多様性を人間はどうやって生み出してきたのか。その前提として、そもそも人間はどうやってオオカミをイヌに変えたのか。その家畜化の過程は今となっては歴史の中に埋もれてしまって、うかがい知ることができません。
ここからが本題です。その家畜化の過程を実験で再現しようとする試みがこの60年間、続けられてきました。選ばれたのはキツネです。キツネを家畜化して人間のパートナーにする、つまり "キツネをイヌに変える実験" です。
キツネの家畜化実験の発端
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「日経サイエンス」
2017年8月号 |
トルート教授は現在83歳で、1958年から現在まで約60年に渡ってキツネの家畜化実験を続けています。彼女がこの実験に参加することになった契機が記事に書かれています。その発端は、家畜化実験の中心人物であるドミトリ・ベリャーエフ(1917-1985。ロシアの遺伝学者)に出会ったことでした。以下、下線は原文にありません。
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Lyudmila Trut
(Science News 2017.5 https://www.sciencenews.org/)
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つまり、トルートがシベリアに向かったのは1958年です。旧ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が世界初の人工衛星・スプートニクを打ち上げてアメリカを出し抜いたのは1957年です(スプートニク・ショック)。当時のソ連には「科学技術で切り開く社会主義の明るい未来」みたいな雰囲気が横溢していたことでしょう。シベリアに新たに建設された科学研究都市に様々な科学者が結集したのも、そういう雰囲気の中でのことだと想像されます。
ベリャーエフの仮説
キツネの家畜化実験は、リュドミラ・トルートの恩師であるドミトリ・ベリャーエフの次のような仮説にもとづいていました。
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ここで書かれている「ベリャーエフの仮説」は、我々の思考のちょっとした盲点をつくものです。我々はイヌ・ネコを含む家畜にあまりに慣れすぎていて、家畜が人間に従順なのはあたりまえで、それが家畜の特質だとは意識しません。また野生動物が人間に従順でないのも、あたりまえだと考えます。野生のクマ、キツネ、サル(あくまで野生のサル)、タヌキ、イタチなど、みなそうです。たまに人間を恐れない野生のタヌキがいて、餌をもらいに家の庭先に毎日現れたりすると、それが地域ニュースに取り上げられたりします。なぜかと言うと、それが珍しいからです。
野生のイノシシと家畜のブタを考えてみると、ブタは(今でいう)イノシシを飼い慣らして家畜化したものです。野生のイノシシは獰猛で、イノシシに遭遇して大怪我をしたというような話もよくある。人間を見ると牙をむき出して突進してきたりします。猪突猛進、という4字熟語もあるくらいです。一方の家畜のブタは、獰猛という雰囲気は全くありません。餌を食べるか寝そべっています。よくよく考えてみると、動物として同じ仲間であるイノシシとブタの「性格・気性」の違いは大きいわけです。しかし我々はそういうことに慣れてしまっていて、明らかな違いに気を留めることはありません。
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イノシシはブタと顔つきが違うが、ブタの「先祖」であることは分かる。顔つき以外の違いは何だろうか。豚肉は美味しいという意見もあるだろうが、冬季の猪肉もそれなりに美味しいことで有名である(牡丹鍋)。もちろんブタは食肉用に品種改良されているので、肉の量が多いことは確かである。ベリャーエフによると決定的な違いは「人間に対する従順さ」である。さらにベリャーエフ仮説によると、ブタの顔つきが丸みを帯びているのは従順な個体を人間が選別していった結果である。
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野生動物は従順でなく、家畜は従順である。そんなあたりまえすぎることに着目したベリャーエフは優れた学者だったのでしょう。ベリャーエフは、家畜は従順であるという事実を180度逆転させ、人間を恐れず従順な個体を選別していった結果として家畜が誕生したと考えたのです。さらにベリャーエフの仮説は続きます。
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ここまで読むとなぜキツネが選ばれたのかが分かります。キツネなら各地にある毛皮動物飼育場から大量に購入できるのですね(解説には数百匹とあります)。オオカミで実験できればいいのですが、オオカミを大量に集めるのは至難の技です。キツネはオオカミと同じイヌ科の動物なので、次善の策としては最適でしょう。
毛皮動物飼育場から大量に集められる他の動物としては、"ロシア産" が有名な "黒テン"や "ミンク" もあるでしょう。しかしテン、ミンクはイタチ科だし、値段が高い(と思います。毛皮が高価だから)。それに、テンやミンクを家畜化してもあまり感激はしない。やはりキツネです。キツネは "化ける" と言われている動物なので、その点でもピッタリです(ロシアでも "化ける" かどうかは知りませんが)。
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家畜化実験施設におけるキツネ
(日経サイエンス 2017年8月号) |
実験の開始
トルートがシベリアで始めた実験の最初の様子が書いてあります。
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この引用のように、最初はスコアの低い(=攻撃的か、怯える)キツネがほとんどでしたが、高いスコアの(=おとなしい)キツネを選んで交配していくと、次第に変化がみられるようになりました。
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エリートの出現
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6世代目において「エリート」は全体の2%でしたが、現在は70%に達しているそうです。ちなみに現在は58世代目です。エリートたちにしばしば見られる特徴をまとめると、まず生態学的には、
◆ | 生まれてはじめて音に反応するのが、通常の子ギツネより2日早い。 | ||
◆ | 眼を開く時期が、通常の子ギツネより1日早い。 | ||
◆ | 生まれつき人間の視線と身振りを眼で追う。 | ||
◆ | 人間を慕って交流を望んでいるように見える。 | ||
◆ | ストレスホルモンの値が低い。 | ||
◆ | 繁殖サイクルが長い。 |
などの特徴があります。また、体つきや姿・格好については次のような特徴があります。
◆ | 成長しても幼い顔つきである。 | ||
◆ | 本来尖っている鼻ヅラが、丸く変化している。 | ||
◆ | 尻尾がフサフサで巻き上がっている。 | ||
◆ | 垂れ耳になった個体もある。 | ||
◆ | 四肢はずんぐりと短い。 | ||
◆ | 毛皮にぶちが入る。 |
要するにトルートが言うように、全体の姿は気味が悪いほどイヌに似ているのです。わずか数世代の交配でこのようなキツネが現れ始めたのは驚くべきことです。
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イヌ化したキツネ。鼻は丸くなり、毛皮にはぶちが入っている。現在、家畜化実験施設で飼われているキツネの70%はこのような "エリート" である。
(日経サイエンス 2017年8月号)
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トルートは「鳴き声の強弱変化を音響分析すると、人の笑い声の変化に近い」とも言っています。この「笑い声」くだりを読んで思ったのですが、この家畜化実験は「人間に対してフレンドリーなキツネ」に人間が高いスコアをつけ、高いスコア同士のキツネを交配していくというものです。スコアの項目と点数づけの基準は厳密に決めるのでしょうが(これがふらつくと実験にならない)、ひょっとしたら「鳴き声が人間にとって心地よいキツネに、人間が無意識に高いスコアをつけた」のかもと思いました。違うかも知れませんが。
人間との交流
家畜は人間に従順だという共通点がありますが、イヌは従順だけでなく、特定の人間と親密な関係になったり、人間との間に種を越えた感情的絆を形成したりします。イヌ化したキツネではどうなのでしょうか。
トルートは1974年3月28日、その実験を始めます。15世代目のキツネ、プシンカと一緒に、飼育施設の中にあった1軒の家に移り住んだのです。プシンカは1歳になったばかりの雌で、妊娠していました。出産を通してキツネの家族と人間がどういう関係を持てるかも調べようとしたのです。
最初はプシンカは動揺し、慣れない家の中を駆けめぐり、食べ物を口にしようとしません。しかし次第にそれも落ち着いてきました。4月6日、プシンカは6匹の子ギツネを生みました。するとプシンカはその中の1匹をくわえてきて、トルートの足元に置いたのです。トルートがその子ギツネを何回も巣に戻しても、プシンカはその都度、子ギツネをトルートのところに運んできます。まるで人間に子ギツネを差し出すような行動です。6匹生まれたから一匹あげるよ、というような・・・・・・。トルートも巣に戻すことを諦めました。
トルートとプシンカの一家は家の中で遊びまわったり、一緒に外出したりして絆を深めていきました。
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こうしてトルートとプシンカの間には親密な関係が生まれたのですが、その年の7月に決定的な出来事が起こります。
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トルートがプシンカと小さな家で過ごしたのは3ヶ月半でしたが、この1974年7月15日の夜の出来事は、家畜化されたキツネ(第15世代目。実験開始から約15年後)が、イヌのように人間に対して忠誠心を示すことの証拠になりました。
家畜化されたキツネが遺伝子レベルでどういう変化が起こったのか、DNA解析の結果も報告されています。それによると、多くの変化は12番染色体の「量的形質遺伝子座(QTL)」で起こっており、これはイヌの家畜化に関与した遺伝子と同様だそうです。トルートは「野生のイヌ科動物がペットに変わる過程を遺伝子レベルでおおよそ再現した」と結論づけています。
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トルートとリュガトキンの著書「How to Tame a Fox」(=キツネの飼い慣らし方)。イヌ化したキツネが表紙になっている。
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キツネはイヌになれる
以下はこの報告の感想です。この研究成果で分かるのは、キツネの性格(=行動様式)は遺伝するということと、性格と外見上の形質には深い関係があるということです。つまりキツネの「性格」を、
・ | 人間に対して攻撃的 | ||
・ | 人間に対しておとなしい | ||
・ | 人間に怯える |
という軸でスコアリングすると、それが遺伝することが実証された。そして性格(=行動様式)を選別・交配していくと、外見上の形質まで変化してきたというのがこの実験です。ここで考えてしまったのは人間のことです。人間ではどうなのか。
No.191「パーソナリティを決めるもの」で書いたように、現代の行動遺伝学の結論は、人のパーソナリティは50%が遺伝子で説明できるということです。
|
ここで非共有環境とは主に家庭外の環境、共有環境とは家庭環境でした。人は複雑な社会生活を営む動物なので50%は(家庭外の)環境で性格が決まる。それでも50%は遺伝子で決まります。これがキツネだと遺伝の割合がもっともっと大きいのでしょう。そして「性格が外見に影響する」というのは人にも言えるのではないか。よく「人相学」とか「人相占い」とかがあります。人相からその人の性格や運命が分かると主張するものです。運命が分かるというのは違うと思いますが、性格が分かるというのは科学的根拠があるのではないか。そんなことを思いました。
さらに思ったのは、科学における仮説の大切です。もちろん仮説なら何でもよいわけではありません。この実験では "運のよいことに" 6世代目で仮説が正しそうだという雰囲気が出てきました。もしこれが50世代目=約50年目にならないと正しさが分からないのであれば、そこまで実験は続けられなかったでしょう。トルート教授としても、50年もの研究者人生を成果の見えない実験に費やすことは出来なかったと思います。
ベリャーエフは、比較的早い世代で目に見えるキツネの変化が現れることを予期したのだと思います。つまりこの仮説はベリャーエフの優れた洞察力にもとづく仮説だった。そこがポイントだと思いました。
この60年をかけたキツネの家畜化研究は、いわゆる基礎研究です。ベリャーエフは「人間はなぜイヌを作り出せたのか」と疑問に思い、それについての仮説をたて、その仮説が正しいことをトルートとともに実証した。しかしその成果が何の役にたつのですかと問われると、それは分からないと答えるしかないのでしょう。もっともらしい答えは言えるかもしれませんが。
「何の役にたつのですか」と問うてはダメなのですね。ベリャーエフはあくまで興味から、好奇心から家畜化研究を始めたのだと思います。そこで解明されたことが、将来何かの役に立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。基礎研究というのはそういうものだと思います。
全くの想像ですが、トルート教授は遺伝学の大先輩であるメンデルを尊敬しているのではないでしょうか。牧師が教会の裏庭でエンドウマメの交配実験を繰り返し、克明な記録をつける。誰に評価されたわけでもない。しかし死後にそれが "発見" され、遺伝学という学問が成立する鍵となる ・・・・・・。有名な話です。
60年前のキツネの家畜化実験の開始から現在まで、58世代に渡るキツネの血統が明らかになっていて、個々のキツネの性格や外見についての克明な記録が資料として残されているはずです。このトルート教授の「家畜化実験詳細データ」は、今後役に立つかもしれない。たとえば、人に対して親和的か攻撃的か(ないしは怯えるのか)の違いは、人間社会で言うと社会的と反社会的の違いだと言えるでしょう。キツネの性格の詳細データを遺伝子解析の結果と付き合わせることによって、社会性とは何かについての知見が遺伝子レベルで判明するかもしれないのです。基礎科学なので断言はできないけれども。
83歳のトルート教授は人生の4分の3をこの家畜化実験に捧げました。「キツネがイヌに化けるまで」という日経サイエンスの記事で最も強く印象に残ったのは、実はこの点でした。
 補記1:サイエンス ZERO  |
先日、NHK Eテレの「サイエンス ZERO」で「ヒトとイヌ 進化の歴史が生んだ奇跡の関係」と題した放送がありました(2019.6.9. 23:30~24:00。再放送 2019.6.15 11:30~12:00)。セラピー犬にみられるヒトとイヌとの特別な関係を特集したものですが、その中でロシアの「キツネの家畜化実験」の話が紹介されました。その内容が大変興味深かったので、該当部分のナレーションを以下に掲載します。
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キツネがイヌに変化するための大事な要素は「子どもの特徴を持ったままオトナになる」ことなのですね。このことを専門用語で "ネオテニー(幼形成熟)"と言います。ネオテニー(幼形成熟)とは動物において「性的に完全に成熟した個体でありながら、非生殖器官に未成熟な状態、つまり "幼形" が残る現象」を言います。イヌ化したキツネでは、頭蓋骨、コルチゾール(日経サイエンスの記事にあったストレスホルモン)の分泌量、脳の中の海馬の神経細胞の生成状況に、オトナになっても幼児期のような状態が残ったわけです。
つまりベリャーエフ博士やトルート教授は、長年かけて(トルート教授は一生涯をかけて)「ネオテニーを人為的に引き起こす実験」をしてきたことになります。
これはちょっと見逃せない話です。なぜなら、ヒトは霊長類がネオテニー(幼形成熟)を起こしてヒトになったと考えられているからです。ということは、キツネの家畜化実験は、単に野生動物の家畜化の過程を再現するということだけでなく、ヒトがヒトになった経緯に関する知見を与えてくれるかも知れない。60年・58世代に渡るキツネが詳しく記録され、頭蓋骨標本も残っているわけだし、ネオテニーを起こしている現世代のキツネの体を詳しく調べることは(かつ、野生のキツネと比較研究することは)、現代技術でいくらでもできるからです。
「サイセンス ZERO」では、ヒトがヒトたるゆえんである "協力行動" の進化が幼形成熟と関連づけて説明されていました。ロシアのベリャーエフ博士が始めたキツネの家畜化実験は、本来の目的を越え、おそらく博士も予想していなかったような地点まで進んてきたようです。科学の探求とはそういうものだと思いました。
(2019.6.17)
 補記2:自己家畜化  |
本文で書いたロシアにおけるキツネの家畜化実験と密接に関連した「自己家畜化=人間による家畜化ではない、自然選択による家畜化」の話を、No.299「 優しさが生き残りの条件だった」に書きました。
(2020.11.28)
2017-08-05 08:17
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No.210 - 鳥は "奇妙な恐竜" [科学]
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日経サイエンス
(2017年6月号) |
No. 56 - 強い者は生き残れない No.148 - 最適者の到来 |
の2つですが、今回はその続きです。2017年6月号の「日経サイエンス」に恐竜から鳥への進化に関する解説記事が掲載されました。英国エディンバラ大学の古生物学者、ステファン・ブルサット(Stephen Brusatte。アメリカ国籍)が書いた「羽根と翼の進化」です。最新の研究成果をふまえた、大変興味深い内容だったので、その要旨を紹介したいと思います。
始祖鳥
そもそも鳥の祖先は恐竜ではないかと言われ出したのは、今から150年も前、19世紀の半ばです。きっかけは、鳥の "先祖" である "始祖鳥" の発見でした。
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鳥類は恐竜の子孫かどうか、ハックスリーの提唱から約100年後、議論に決着をつけるような化石が発見されました。鳥の骨格に極めてよく似た恐竜の化石が発見されたのです。
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もし羽毛をもつ恐竜の化石が発見されたなら、恐竜から鳥類が進化したことの完全な確証になります。しかし、羽毛がついた化石を発見するのは極めて困難です。羽毛のような柔らかい組織はほとんどの場合、動物が死んで腐敗し、地中に埋まって化石化する段階で失われてしまうからです。
羽毛恐竜の化石発見
ところがオストロムの発見から約30年後の1996年になって、中国の遼寧省州で羽毛がついた恐竜の化石が発見されたのです。この化石はポンペイのように火山灰によって素早く埋められたため、完全な状態で保存されていました。その後、今までの20年間で多数の羽毛恐竜の化石が発見され、恐竜から鳥への進化の過程が解明されました。
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その羽毛恐竜の化石の画像の一つが次です。これは解説記事を書いたブルサットが発見した新種の恐竜です。
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中国の遼寧省・錦州で発見された羽毛恐竜、チェンユアンロング(Zhenyuanlong)の化石。解説記事を書いたブルサットが発見した新種の恐竜である。
(日経サイエンス 2017年6月号)
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この "パラパラ漫画" のような羽毛恐竜の化石群により、議論は完全に決着しました。
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下の図は爬虫類が哺乳類と分化してから鳥類に進化するまでの図(部分)です。このうち、6500万年前の大絶滅を生き延びたのは、哺乳類、トカゲ類、ワニ類、鳥類(新鳥類)です。なお、6500万年前より以前に絶滅した生物は点線で表されています。
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(日経サイエンス 2017年6月号)
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恐竜類から鳥類の移行は非常に穏やかに、徐々に進行しました。著者は骨格の統計学的解析から、系統樹上で「鳥類」と「非鳥類」の明確な区別は不可能であることを実証しています。つまり恐竜類から鳥類の移行は「継ぎ目の無い移行」なのです。
鳥の特徴
鳥類が恐竜から進化したとして、それでは鳥の特徴である "羽毛が生えた翼" は何のために発達したのでしょうか。それは恐竜が飛べない時代にできあがったと考えるしかありません。翼だけではありません。鳥類は他の動物にはない数々の特徴をもっています。
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鳥類の解剖学的特徴
翼、長い前肢、短い尾骨、竜骨、貫流式の肺、叉骨(さこつ)、大きな脳など、鳥類は他の現世動物にはない特徴がある。これら特徴のおかげで鳥類は飛行できる。
(日経サイエンス 2017年6月号)
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特徴を3つとりあげると、まず貫流式の肺です。鳥類の肺は哺乳類の袋状の肺とは根本的に違っています。鳥類の肺は管状で、後と前に数個の気嚢があり、空気は後ろから前へと1方向に流れるようになっています。つまり空気を吸い込むときも吐き出すときも酸素を摂取できる。飛行は極めてたくさんの酸素を消費しますが、それに都合のよい、酸素吸収効率が高い肺を持っているのです。ヒマラヤ山脈を越える渡り鳥があることはよく知られています。エベレスト(チョモランマ)に登頂する人間は酸素ボンベをしょっていきますが、鳥はボンベ無しでその上を越えられる。酸素吸収効率が高い肺があればこそです。
まったくの余談ですが、ヒマラヤを越える渡り鳥の一種、インド雁をモチーフにした中島みゆきさんの楽曲がありました。『India Goose』です。インド雁はモンゴル高原が繁殖地で、冬季になるとヒマラヤを越えて暖かいインドで越冬します。 |
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鳥類の貫流式の肺
肺は管状になっていて数本あり、その後ろと前に数個の気嚢がある(上図)。鳥は気嚢を膨らませて空気を取り込み(中図)、収縮させて空気を吐き出す(下図)。この両方の過程で肺に新鮮な空気が一方向に流れる。気嚢がポンプの役割を果たすので、肺は一定の形状を保ったまま酸素を吸収できる。平沢達矢「鳥類に至る系統における呼吸器の進化」(理化学研究所)より引用。
(site : www.cdb.riken.jp/emo/)
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また、鳥の骨は中空です(飛ばない鳥をのぞく)。まったくの空洞ではないですが、細い骨が蜘蛛の巣のように交錯していて、空気がつまっています。飛ぶためには体は軽い方が有利であり、軽くて強度のある骨を鳥は持っています。
人間には鎖骨があります。鎖骨は一方が胸骨(胸の前面にある骨で肋骨と接続)につながり、もう一方が肩胛骨につながっています。つまり鎖骨は2本あります。しかし人間の鎖骨に相当する鳥の骨は、2本が融合して1本になっています。これを、呼び方は同じですが叉骨と言います。この叉骨は鳥が羽ばたくときにちょうど力を蓄えるバネの働きをし、飛行を助けています。
とにかく、他の動物にはない鳥類の体の特徴を知ると「飛行に必須の(ないしは都合のよい)仕組みのワンセットが揃っている」ように見えるのです。これらは何のために、いつごろ発達したものでしょうか。
羽はなぜ進化したか
鳥類の体の器官の最大の特徴は羽毛が生えた翼であることは言うまでもありません。これは、そもそも何のためだったのか。日経サイエンスの解説記事を書いたステファン・ブルサットがまず指摘するのは、羽毛が多目的に使えるということです。
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遼寧省で発見された化石により、羽毛は最初の鳥類にいきなり生じたのではなく、それよりずっと早い時期の恐竜に生じていたことが分かってきました。それは現世鳥類の羽毛とは違ったものでした。
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恐竜に生じた糸状の羽毛は、やがて長くなって束になり、分岐し、中央に羽軸ができて羽を構成するようになり、そして翼へと進化していきました。
では、翼を持った恐竜は飛べたのでしょうか。中には滑空できる恐竜もいたようです。しかし遼寧省から発見された恐竜の多くは、詳しく解析すると「飛べなかった」というのが結論です。たとえば著者のブルサットが発見したチェンユアンロングですが、飛ぶには前肢が短すぎ、羽ばたきに必要なだけの胸筋もなかったと、風洞実験や数値シミュレーションで結論づけられています。それでは「恐竜の翼」はいったい何のために進化したのでしょうか。
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日経サイエンス 2017年6月号には「見えた! 恐竜の色」(J.ヴィンサー)という論文が掲載されていて、恐竜の羽の色が詳しく解説されています。「翼はそもそも自己顕示の道具として進化した」というはあくまで仮説ですが、現世鳥類でもカラフルな羽を自己顕示に使って、異性を引きつけたりライバルを威嚇したりする鳥が多数あることを思い出します。
鳥の特徴は恐竜のときに作られた
羽毛のある翼だけでなく、現世鳥類の特徴の多くは、恐竜の時代に発達したようです。
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ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館(AMNH)とモンゴル科学アカデミーの合同チームは過去4半世紀にわたって、ゴビ砂漠で恐竜の化石を集めてきました。
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以上のような最新の研究を総合して、ステファン・ブルサットは次のように結論づけています。
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しかし、いったん飛行可能な恐竜ができあがると、その進化の速度はそれ以前よりも格段に速くなったことも分かってきました。
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6500年前に非鳥類恐竜が絶滅したときにも、鳥類恐竜は生き延びます。そして現世鳥類は1万種を越える大グループとして繁栄していて、その姿もハチドリからダチョウまで極めて多様です。
以上のような徐々で穏やかな進化は、恐竜から鳥への進化だけではないと著者は言います。つまり
◆ | 魚が脚と指を持って四肢動物になる | ||
◆ | 陸生哺乳類がクジラになる | ||
◆ | 木にぶらさがってた霊長類が直立歩行するヒトになる |
などの変化は、たえず変化する環境圧力によって徐々に起こってきました。進化は将来を見込んで起こるわけではないのです。
鳥は目的があって進化したのではない
以下はこの日経サイエンスの解説記事の感想です。この記事は我々にある種の教訓を与えてくれると思いました。つまり、鳥の体の数々の特徴をみると、そのすべてが飛行という目的に沿って作られているように思えてきます。まるで「飛行」という目的に向かってすべてが進化したように見えてしまう。しかし決してそんなことはないのですね。飛行に必要な数々の特徴は、飛行とは無関係に発達した。それが寄木細工のようにうまく組み合わさったとき、飛行恐竜=鳥類が誕生した。
我々は「成功した結果」だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまうことがよくあります。鳥類はあまりにポピュラーであり繁栄しているので、特にそう見えます。しかしそれは「全体の中でたまたま成功した一部」だったりする。上の方に引用した進化の図でも、"失敗" して絶滅した鳥類恐竜(=鳥類)の種があることが分かります。大量絶滅の時(6500万年前)に絶滅したのは2種ありますが、それ以前に6種が絶滅しています。現世鳥類だけが "運良く" 成功した。
「成功した結果だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまう」のは、我々が陥りやすい「思考の落とし穴」だと思います。特に進化のように何百万年、何千万年という時間で起こるプロセスは、我々はまったく想像ができないし直感も働かないので、落とし穴に陥りやすい。どうしても人は物事に意味や意図を見いだそうとします。暗黙にでも「意味」を考えないと落ち着いていられない。
この「思考の落とし穴」は千年程度の時間スケールでも同様です。たとえば2000年程度前に作られた石造建築物が、今でも崩れることなく無傷で残っているとします。我々はそれを見て「古代人の建築技術はすごい」などと感嘆したりします。しかしそれが残っているのは「たまたま」なのかも知れません。「たまたま」上手に石組みが出来た一部の建造物が残り、大多数は2000年の時を経て跡形もなく崩壊してしまったのかも知れない。我々は崩れていった建造物を見ることはできないから「すごい」と思うのかも知れないのです。すべての古代建築がそうだと言っているのではなく、そういう可能性を考慮しておいた方が良いと思うだけです。
さらに数年~十数年単位の社会での現象でも言えそうです。たとえば企業が新事業に乗り出して成功するという例です。その企業行動には「成功要因がすべて揃っていて、それを推進したリーダーシップの優秀さを褒め称える」ような言説がよくあります。しかしそれは「結果論」ではないのか。"偶然" とか "たまたま" という要因はないのか。しかも成功要因はリーダが登場する遙か以前から企業内で醸成されていたりします。新事業に乗り出して失敗した(小さな)例を企業はいっぱい内部に抱えているはずですが、そういう情報は外部にあまり出てきません。外部から見ても華々しい成功例だけをもとに、結果論をうんぬんしても空しいと思います。
ベンチャービジネスもそうです。ビジネスとして成功し、大きく成長したベンチャービジネスの裏には、その数百~数千倍の "成功しなかったベンチャー" がある。一般に知られることもなく、報道されることもなく消えていったビジネスがほとんどであるわけです。
建築物の建設や企業の活動は人間の行動であり、意志の入ったプロセスです。動物の進化のような自然による環境選択とは違うのですが、「成功した結果だけをみて、その要因のすべてがあたかも計画されたように考えてしまうという思考の落とし穴」という視点からすると、教訓を得ることができるのではないかと思いました。
 補記:羽毛恐竜  |
2019年7月7日のNHKスペシャル、"恐竜超世界 第1集「見えてきた!ホントの恐竜」" で、羽毛恐竜が超精密CGで再現されていました。全体の構成はディズニーばりの「恐竜の擬人化」がされていて、いかがなものかと思いましたが、さすがに CG は見応えがありました。そのなかの「デイノケイルス」の画像が次です。恐竜研究の最新の成果を反映しているようです。
![]() |
デイノケイルスの再現CG |
NHKスペシャル "恐竜超世界 第1集「見えてきた!ホントの恐竜」"(2019年7月7日)より |
この番組では、恐竜の羽毛の意味について次のような説明をしていました。
保温
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ディスプレイ(求愛行動など) |
① 体温維持については、羽毛によって体温が一定に維持できるようになり(=恒温動物)、北極圏にまで生息域が広まった。また、より活発に活動できるようになって、大量の食料を得ることができた。このため脳が大きくなり、知性を生み出した。さらに ② 抱卵の結果、寒くても繁殖できるようになり、これも生息域の拡大に寄与した、という説明でした。
考えてみると、これらの点はすべて現代の鳥が持っている特徴なのですね。我々は鳥の羽や羽毛というと「飛ぶ」ことがまず頭に浮かぶのですが、それは羽の機能の一部です。このブログ記事の本文中に「羽毛は万能ツール」とありましたが、その通りです。と同時に、鳥は恐竜の一種であるということを、この番組で実感できました。
No.204 - プロキシマ b の発見とスターショット計画 [科学]
今まで科学雑誌「日経サイエンス」の記事に関する話題を何件か書きました。振り返ってリストすると以下の通りです
なぜ科学に興味があるかというと、科学的な知見が人間社会の理解に大いに役立つことがあると思うからです。その観点でリストをみると、ほとんどが生命科学の記事であることに気づきます(No.50、No.105以外の全部)。また No.50(絶対方位言語)は心理学の話(人間の認知のしくみと言葉の関係)、No.105は人類学の話なので、これらのすべては「生命・人間科学」と一括できます。「生命・人間科学」の知見が人間社会の理解に役立つのは、ある意味では当然でしょう。
しかし「生命・人間科学」とは全く違う分野のサイエンスが社会や人間の理解につながることもあると思うのです。その意味で、今回は全く違った分野である天文学・宇宙物理学の話を書きたいと思います。最近の「日経サイエンス 2017年5月号」に掲載された記事にもとづきます。
アルファ・ケンタウリ
アルファ・ケンタウリという星の名前を知ったのはいつだったか、思い出せません。おそらく小学生の頃だったと思います。理科の図鑑に「宇宙」の説明がありました。地球と月、太陽とその周りの惑星や小惑星、彗星からなる太陽系。その太陽は銀河系に属していて、銀河系は無数の太陽のような恒星からできている。同じような銀河が宇宙にいっぱいある、というような絵と説明でした。
そして太陽から一番近い恒星がアルファ・ケンタウリで、4光年の距離にある。1秒間に地球を7周半する光でも到達するのに4年かかる・・・・・・。興味津々で図鑑に見入っていたような記憶があります。
中学生になってから SF小説を読み始めて以降、アルファ・ケンタウリはたびたび出てきたと思います。宇宙船で行く話もあったはずですが、行かないまでも太陽に最も近い恒星としてよく話に登場したので、アルファ・ケンタウリの名前はなじみのあるものになりました。
アルファ・ケンタウリ恒星系
アルファ・ケンタウリは、ケンタウルス座で最も明るい星(=アルファ星、α星)です。ケンタウルス座は南十字星のすぐそばにあり、本州からは見ませんが沖縄や小笠原からは見えます。α星のアルファ・ケンタウリは非常に明るく、全天でも大犬座のシリウス、りゅうこつ座のカノープスに次いで3番目の明るさです。地球からは約4.3光年の距離にあります。
アルファ・ケンタウリは肉眼では一つに見えますが、連星です。アルファ・ケンタウリAは、質量が太陽の1.1倍、光度は太陽の1.5倍です。アルファ・ケンタウリBは、質量が太陽の0.9倍、光度は0.5倍です。この二つの星は互いの周りを約80年の周期で回っていて、2つの星の距離は10天文単位(太陽と土星の距離の相当)から40天文単位(太陽と冥王星の距離の相当)の間で変動します。1天文単位(= au)とは太陽と地球の間の平均距離で、約1億5000万kmです。
実はアルファ・ケンタウリは、さらにもう一つ、重力的に結びついた恒星を伴っています。それがプロキシマ・ケンタウリです(アルファ・ケンタウリCとも言う)。つまりアルファ・ケンタウリ恒星系は "3重連星" なのです。
プロキシマ・ケンタウリの質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍で、肉眼では全く見ることができません。アルファ・ケンタウリA・Bの連星とプロキシマ・ケンタウリの距離は1万5000 au(約 0.2光年)もあり、かなり離れています。プロキシマ・ケンタウリはアルファ・ケンタウリA・B連星の周りを回っていますが、その周期は50万年以上と見積られています。
実は、このプロキシマ・ケンタウリは、アルファ・ケンタウリより 0.1光年ほど地球に近い距離にあります。つまり地球に最も近い恒星はプロキシマ・ケンタウリということになります。
アルファ・ケンタウリ恒星系(3重連星)
┣━アルファ・ケンタウリ(連星)
┃ ┣━アルファ・ケンタウリA
┃ ┗━アルファ・ケンタウリB
┗━プロキシマ・ケンタウリ
(=アルファ・ケンタウリC)
プロキシマb の発見
2016年8月14日、ドイツのミュンヘン近郊にあるESO(ヨーロッパ南天天文台。European Southern Observatory)の本部で重大発表がありました。ESOが運営するラ・シヤ天文台(チリのアタカマ砂漠)での観測で、プロキシマ・ケンタウリに惑星があることが発見されたのです。この惑星は「プロキシマb(プロキシマ・ケンタウリ b)」と命名されました。
いったいどうやって惑星の存在を確認したのでしょうか。惑星がプロキシマ・ケンタウリの周りを公転すると、その公転によってプロキシマ・ケンタウリが僅かながら "揺さぶられ" ます。これは地球と月の関係と同じです。月が地球の周りを回ることによって地球が揺さぶられ、それが潮汐の(一つの)原因になっています。
一般に恒星が惑星の公転の影響で揺さぶられると、その恒星は地球からみて遠ざかったり、近づいたりします。つまり地球からみた速度が周期的に変化する。それによって恒星の放つ光が周期的に短波長(青色)側にずれたり(地球の近づく場合)、長波長(赤色)側にずれたりします。いわゆる「ドップラー偏移」です。この偏移を観測するのです(=ドップラー分光法、またはドップラー法)。
ドップラー分光法による観測が始まった1970年代では、判別できる恒星の揺れのスピードは秒速100メートル程度が限界でした。しかし現代では観測精度が格段に向上し、ESOのラ・シヤ天文台の望遠鏡は秒速 1 メートルの速度変化を検出できます。光の速度は秒速30万キロメートル=3億メートルなので、3億分の1の速度変化を検出できるという、ものすごい精度です。プロキシマ・ケンタウリの 1.4m/秒 という速度が検出できたのも、この高精度観測によります。
観測されたプロキシマb の公転周期は約11日、公転軌道半径は 0.05 au(au:天文単位 = 太陽・地球の距離)でした。
プロキシマb はハビタブル・ゾーンにある
さらにこの発表には重要なことがありました。
のです。ハビタブル・ゾーンとは、惑星表面に水が液体として存在できる暖かさになる公転軌道の範囲です。ハビタブルとは居住(habit)可能という意味ですが、天文学では生命が存在可能という意味で使われます。惑星(表面)に生命が存在するとすると、まず最初の条件としてその惑星がハビタブル・ゾーンに入っていなければならない。太陽系のハビタブル・ゾーンは太陽からの距離が 0.9 ~ 1.4 au の範囲です。金星はハビタブル・ゾーンの内側(0.7 au)であり、火星は外側(1.5 au)です。太陽系では地球だけがハビタブル・ゾーンにあります。
プロキシマ・ケンタウリは太陽よりかなり小さい星で(質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍)、温度も低い。太陽の表面温度は6000K(絶対温度6000度)ですが、プロキシマ・ケンタウリの表面温度は半分の3000Kです。そのためハビタブル・ゾーンも恒星に近接していて、恒星からの距離が 0.05 auというプロキシマb の軌道でもハビタブル・ゾーンに入るのです。太陽系でいうと水星(0.4 au)よりもかなり内側の軌道です。
しかしハビタブル・ゾーンにあるからといって、本当にハビタブルかどうはわかりません。たとえば大気の存在ですが、プロキシマb がプロキシマ・ケンタウリから受ける磁場の影響は地球より遙かに強いため、大気が逃げてしまっている可能性があります。一方、プロキシマb も強い磁場を持っているとすると、そうならないこともありうる。
また主星の非常に近くを周回する惑星・衛星では、ちょうど地球を回る月のように、常に同じ面を主星に向けるという現象がよく起きます。これを「潮汐ロック」と言いますが、惑星で潮汐ロックが起きると、主星に向いている昼側は高熱になり、向いていない夜側は極寒になり(=水が存在しても凍結状態になり)、ハビタブルでは無くなります。しかし潮汐ロックが起きていたとしても、昼側と夜側の境目では大気の循環などで温和な環境があるかもしれない。
つまり、プロキシマb が本当にハビタブルかどうかを調べるためには、ドップラー偏移を調べること以上の観測が必要になります。今、試みられているのは「トランジット観測」です。
もしプロキシマbの公転軌道面が、地球からプロキシマ・ケンタウリを見た方向と平行か平行に近い場合、プロキシマb はプロキシマ・ケンタウリの手前を横切ることになります。これをトランジットと言います。トランジットが起こるとプロキシマ・ケンタウリが少し暗くなる(=減光)。この光を観測することで、プロキシマb の
が計算でき、そこから物質組成を推定できます。もしプロキシマb に大気があれば、プロキシマ・ケンタウリの光はそこを通過してくるので、大気の組成の情報が得られます。
プロキシマb のトランジット観測は、現在までには成功していません。これは減光の量が観測精度を越えて小さいのかもしれないし、そもそも公転軌道面が地球から見て平行ではない(=トランジットは起こらない)のかもしれない。
しかしトランジットが起こらないとしても、まだ観測の道はあります。それは観測装置を超高精度化して、プロキシマb を直接撮像するという可能性です。本当にできるかどうかは分かりませんが、挑戦が始まっているところです。プロキシマbは地球に最も近い惑星なので、可能性はあるのです。
とにかく、地球に最も近い恒星に惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにあるというのは大発見です。この惑星のことを詳しく調べたいと思う科学者は多いことでしょう。
そしてまさに現在、アルファ・ケンタウリ恒星系に直接観測装置を送り込む計画が持ち上がっているのです。それが「スターショット計画」です。しかし、地球に最も近いといっても約4光年離れています。光でも4年かかる距離であり、従来の宇宙探査機を送るとすると1万年のオーダーの時間がかかります。いったいどうやって観測機器を送るというのでしょうか。
スターショット計画
スターショット計画の推進者は、ユーリ・ミルナーという人です。ロシア出身で、1961年にモスクワで生まれました。1961年というとガガーリンが人類で初めて宇宙に出た年です。両親はそのガガーリンと同じ名前を息子につけました。「誰も到達したことのない所に行く」という期待を込めたといいます。
ミルナーはアメリカに渡り、シリコンバレーで起業家・投資家として成功し、巨万の富を築きました。その資産は30億ドルと言います。そして彼は「遠くへ行く」という子供の頃からの夢を実現すべく動き出し、初期開発費として1億ドルを拠出し、プロジェクト・チームと顧問委員会を編成しました。
プロジェクト・チームは目標を「アルファ・ケンタウリに無人飛行で観測装置を送り込む」ことに絞り込みました。そして発案したのが「スターショット計画」です。
この計画は2016年4月12日に、ホーキング博士も同席して発表されました。そして全くもって運のよいことに、4ヶ月後の8月14日に「アルファ・ケンタウリ恒星系のプロキシマ・ケンタウリには惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにある」ことが発表されたわけです。この発表によってスターショット計画は、誰も到達したことのない所に行くという「億万長者の道楽」から「太陽系外にある惑星を探査する現状で唯一の計画」に大昇格し、俄然、注目を集めるようになりました。
アルファ・ケンタウリに送り込む観測装置は「ナノクラフト」と呼ばれ、「ライトセイル」と「スターチップ」から構成されます。ライトセイルは4メートル四方の極薄の "帆" で、光の反射率が 99.999% の物質で出来ています。ライトセイルに搭載するスターチップは1cm程度の多機能コンピュータ・チップで、ここに電源、観測用の各種センサー、地球との通信機能、制御回路のすべてが埋め込まれます。
ナノクラフトは通常のロケットに搭載し、上空6万キロメートルで宇宙空間に放たれます。そのライトセイルに地上の「ライトビーマー」から100ギガワットという超強力なレーザ光を数分間照射し、光速の20%まで加速します。加速したあとはレーザ光を切り、慣性飛行でアルファ・ケンタウリに向かいます。
ナノクラフトは同じものを多数制作し(1000個以上)、それを搭載したロケットは1日1個の割合で3年間以上にわたってナノクラフトを宇宙空間に放出し続けます。約20年経つと "運のよかった" ナノクラフトはアルファ・ケンタウリの近傍を通り過ぎるはずで(=フライ・バイ)、通り過ぎる数分の間にスターチップのセンサーで観測した結果を4年かけて地球に送り返します。
荒唐無稽 ?
スターショット計画は "気宇壮大" と言うか、壮大すぎて荒唐無稽に見えます。しかしこの計画は現代知られている物理学の法則に合致しています。ここがまず重要なポイントです。
SF小説によくある「恒星間飛行」は、その物理学的根拠が不明だったり、あるいは物理法則を真っ向から否定しているものがほとんどです。しかしこのスターショット計画は一流の科学者が考えた(ないしは顧問としてアドバイスした)計画です。物理学に合致という最低限の条件が守られている。このことが、サイエンス・フィクションではなくて "計画" と言えるゆえんです。
次に重要なのは、スターショット計画に必要な各種の技術は、その基本原理が確立していて実証済みであることです。開発すべき技術は、ライトビーマー、ライトセイル、スターチップの3つです。たとえばこのうちのライトセイルですが、「光を反射することによって進む帆」は、一般的に「宇宙ヨット」と呼ばれています。そして宇宙ヨットはすでに日本のJAXAが開発し、打ち上げて、実運用までしているのです。レーザー光を受けて進むのはなく、太陽光で進む宇宙ヨット(=ソーラー・セイル)です。
JAXAのイカロス
光は波であると同時に粒子としての性質があり、その粒子は「光子」と呼ばれています。光子に質量はありませんが運動量をもつので、光子が当った面、特に光を反射する面は圧力を受けます(=光圧)。帆を宇宙空間に置くと、完全に片面だけに光が当たる状況を作り出せます。つまり光圧による推進力が生まれます。これが宇宙ヨットの原理です。光が当たり続けると、原理的には光速に近い速度まで加速することができます。
宇宙ヨットを提唱したのはロケットの父と呼ばれるロシアのツィオルコフスキーで、1910年代のことでした。しかし20世紀後半、宇宙ロケットが盛んに打ち上げられるようになっても、宇宙ヨットは実現できなかった。それは帆の材料が見つからなかったからです。帆はアルミを蒸着させたフィルムで作りますが、宇宙空間で太陽に向いたアルミの反射面は120度になり、反対側の面は -270度です。つまり極薄のフィルムに400度の温度差ができます。この温度差に耐えられる材料が見つからなかったのです。
ところが "ポリイミド" という高分子材料がロケットの断熱材として1960年代に実用化され、1990年代になると薄くで大面積のポリイミド・フィルムが製造可能になりました。そして2000年代になるとこのフィルムを使った宇宙ヨットが構想されるようになりました。
日本のJAXAは2010年5月21日に、宇宙ヨット「イカロス」を金星に向けて打ち上げました。宇宙ヨットを打ち上げたのは日本だけではありませんが、地球周回軌道を離れて他の惑星に向かったのはイカロスだけです。イカロスの帆は14メートル四方という大きなもので、反射面が太陽を向くように制御され、太陽の光を受けて進みます。イカロスの大きな帆でも太陽光の光圧は非常に小さく、地上で 0.1g の物体が受ける重力とほぼ同じです。
イカロスは打ち上げて半年後に金星付近を通過(=フライ・バイ)し、当初予定されていたミッションは全て成功裏に終わりました。現在は地球・金星の間の軌道を約10ヶ月の周期で公転しています。しかしこの間、当初は予想されなかった問題も発生しました。その一つを日経サイエンスから引用します。
宇宙ヨットがまず解決すべき課題は、折り畳んだ状態でロケットに搭載した帆を、宇宙空間でピンと張った状態に開き、それを維持することです。これが難しい。イカロスはそれに成功したのですが、それでも想定外のたわみが生じた。
このたわみの原因と解消策が日経サイエンスに書いてあるのですが、詳細になるので割愛します。要するに、こういった宇宙ヨットに関する細かいノウハウがJAXAには蓄積されているわけです。イカロスの当初のミッションは終わったのですが、JAXAはこれからも運用を続けるようです。帆の耐久性や劣化などについての貴重なデータが得られるかもしれないからです。宇宙ヨットに関しては日本が先進国です。
スターショット計画に実現可能性はあるか
しかし金星に行く宇宙ヨットができても、アルファ・ケンタウリに行く宇宙ヨットができるとは限りません。果たしてスターショット計画に実現の可能性はあるのでしょうか。ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップの、それぞれの実現の難易度はどうなのでしょうか。
まずライトビーマーですが、ナノクラフトを光速の20%まで加速するには100ギガワットという超高出力のレーザーが必要です。アメリカ国防総省はこれ以上に強力なレーザーを開発済みですが、その持続時間は1億分の1秒とか1兆分の1秒しかありません。ナノクラフトを光速の20%まで加速するには数分間、最大10分程度レーザー光を照射する必要があります。
解決策としては、10分間程度の連続出力が可能なキロワット級のレーザーを1億個用意し、それを地上に格子状に並べ、レーザー波を一つに集めて位相が揃った状態でナノクラフトに到達させるしかありません。その設置面積は1キロメートル四方になると見積もられています。
複数個の電波アンテナを格子状(=アレイ状)に配置し、集束して位相の揃った一方向の電波にする装置をフェーズド・アレイ・レーダーといい、すでに確立された技術があります。複数の電波の位相を微妙にズラして放射し、任意方向の強い電波を発生させる技術です。同じ原理でレーザー光を放射するのがフェーズド・アレイ・レーザーです。しかし同じ電磁波でも光は電波の数万倍の周波数があり、位相のコントロールが難しい。アメリカ国防総省はすでに完成させていますが、それはレーザーが数十個という規模のようです。ライトビーマーの1億個のレーザーというのは桁違いです。
しかもスターショット計画の場合、大気圏を通過して上空6万キロメートルにあるナノクラフトのライトセイル(4m×4m)にピンポイントで照射する要があり、これには奇跡的な技術革新が必要です。アメリカのサイエンス・ライター、アン・フィンクベイナーの取材記事を「日経サイエンス」から引用します。
次に "ライトセイル" と呼ばれる4m四方の帆ですが、まずこの帆は99.999%の反射率が必要です。反射率が高いということは、それだけレーザー光の反射でよく加速されるということであり、亜光速を目指すナノクラフトとしては当然の要求でしょう。
しかし加速以上に重要な点は「反射されなかった光は熱に変換されてしまう」ことです。超強力レーザーを照射することを考えると、この程度の反射率がないとナノクラフトは一瞬で "燃え尽きて" しまうのです。ちなみにJAXAのイカロスはポリイミド樹脂にアルミを蒸着していますが、反射率は75%~80%です。アルミを徹底的に研磨したとしても反射率は95%程度にしかなりません。
さらにナノクラフトを亜光速に加速するためには、ナノクラフトの重さを数グラムに押さえる必要があります。そのためにはライトセイルの膜の厚さをシャボン玉の膜以下にする必要があると推定されています。シャボン玉の膜厚は1マイクロ・メートル(=ミクロン。1/1000ミリ)以下であり、光の波長に近い極薄ために光の干渉が起こって虹色に見えるわけです。JAXAのイカロスの膜の厚さは7.5マイクロ・メートルです。ライトセイルはその10分の1で作る必要がある。
問題はまだあります。耐久性です。5分~10分で光速度の20%(6万キロメートル/秒)に加速するということは、10万~20万メートル/秒の速度を毎秒加速する(=平均)ということです。この加速度は地球上の重力加速度の1万~2万倍です(=10,000g~20,000g)。瞬間的にはもっと強い加速度がかかると考えられる。ライトセイルはこの加速度に耐える必要があります。
また宇宙空間には微細な塵があります。レーザー照射中に塵で帆に穴があいてはまずく、ライトセイルには強さと耐久性が必要です。
高反射率で耐熱性に優れ、軽く、強くて耐久性があり、とんでもない高価格ではない素材は、まだ存在しません。ここでも奇跡的発明が必要です。
スターチップはすべての機能を埋め込んだ "観測装置" ですが、1cm程度の大きさで、重さは 1g 程度に押さえる必要があります。従って、4個搭載予定のカメラ(光センサー)にレンズは使えません。レンズは重すぎるのです。解決策として「平面フーリエ・キャプチャー・アレイ」という小さな回析格子を光センサーの上に配置する方法が検討されています。入射光を波長別にとらえ、チップのコンピュータ処理で望みの焦点距離の像を再構成する技術です。
スターチップには分光計や磁気センサーなどの各種センサーが搭載される予定ですが、難問はアルファ・ケンタウリに到達するまでの電源をどうするかです。現在のところ、暗く冷たい環境で動作し、重さが 1g 未満で、スターチップのすべての機能を実現するだけの十分な電力を得られる電源は存在しません。解決策としては、医療用に使われている小さな原子力電池を改造する方法が考えられています。原子力電池は、半減期の長い放射性同位元素の放射エネルギーを利用する電池で、宇宙探査機や人工衛星、医療(人体に埋め込む小型電池)での利用実績があります。
さらに問題は観測データを地球に送る方法です。方法としては半導体レーザーを使うしかないのですが、4.3光年という距離が問題です。
スターチップを20年の航行中にガスや塵などの星間物質から守る方法も問題です。
スターチップは衝突を生き残るかもしれないし、ダメかもしれない。しかし運がよければ送り出された1000個以上のチップのうちのあるものはアルファ・ケンタウリに到達する・・・・・・。
いずれにせよスターショット計画は、ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップのすべてにおいて「奇跡的な技術革新」が必要であり、これらの全部の技術革新がでることを前提に2040年前後に打ち上げ、その20年後にアルファ・ケンタウリに到達する、そういう計画なのです。
問題は技術だけではない
解決すべき課題は技術だけではありません。打ち上げにかかる費用が問題です。ユーリ・ミルナーが拠出した1億ドルは、あくまで初期開発費用に過ぎません。完成までの費用は不明で、特に「キロワット級のレーザー・1億個」に莫大なお金がかかりそうです。
さらに問題はその科学的意義です。プロキシマb の調査は確かに意義がありますが、それが目的だとすると、アルファ・ケンタウリまで行かなくても調査の方法はあるのです。
宇宙空間の望遠鏡(=宇宙望遠鏡)は、すでに1990年から実績があります。つまり「ハッブル宇宙望遠鏡」で、主鏡の口径は2.4メートルです。一方、口径12メートルの地上望遠鏡は実用化されていて、30メートルの望遠鏡もハワイで建設が始まっています(日本も参加)。「口径12~15メートルの宇宙望遠鏡」は、確かに前例がない巨大なものですが、現代の技術で可能であり、費用もスターショット計画よりは少ないはずです。
スターショット計画を推進する理由
以上をまとめると、スターショット計画は、
わけです。要するにこの計画を一言でいうと「バカげている」となるでしょう。しかし推進する側としては、そんなことは百も承知のようです。日経サイエンスでは、このプロジェクトのオーナーであるユーリ・ミルナーの発言を次のように紹介しています。
そしてこのような発言は、シリコンバレーの億万長者で天文学には素人のユーリ・ミルナーだからの発言ではないのです。記事を書いたフィンクベイナーによると、プロジェクトを推進する側にいる立派な科学者が、同様の発言をしています。
スターショット計画の意義
以下は日経サイエンスのスターショット計画に関する記事を読んだ感想です。まず思ったのは、スターショット計画の「実現の可能性」や「科学的価値」は薄くても(ほとんど無くても)、その技術開発の過程で興味深い成果が生まれそうだという点です。
アルファ・ケンタウリまでは行けないが、太陽系の惑星には到達できる "簡易ナノクラフト" ができたとします。そうすると、太陽系の探査は格段に進むでしょう。宇宙物理学の新たな成果が続々と出てくるかもしれない。
2017年4月14日、NASAは土星探査機・カッシーニの観測結果から、土星の衛星エンケラドスが水蒸気を吹き出しており、そこには水素が含まれると発表しました。衛星の内部に生命を育む環境が存在する可能性あるとのことです。これを観測したカッシーニは1997年に打ち上げれた探査機で、2004年に土星をまわる軌道に入りました。土星まで7年かかっているわけです。
土星と地球の間を光が進む時間は70分~80分程度です。もし仮に、光の速度の1/1000(ナノクラフトの1/200の速度)に加速できる "簡易ナノクラフト" を土星に向かって発射すると、50日程度で到達できる計算になります。太陽系の探査が格段に進むのではないでしょうか。スターショット計画ならぬ、「サターン・ショット計画」や「ジュピター・ショット計画」です。
ライトビーマーについて言うと、顧問委員としてアメリカ空軍の指向性エネルギー兵器部門の出身者が加わっているように、これは軍事技術そのものです。しかし技術には2面性があります。こういった技術が地球の周りを周回している「宇宙ゴミ」の除去に役立つかもしれない。
スターチップを開発する過程では、超小型電源や各種のセンサー、省電力の半導体レーザー技術が開発されるはずですが、これらを簡易化・低コスト化したものは地上におけるセンサーとして役立つと考えられます。IoTと言われる時代、こういうったチップ型センサーの役割は大きいのでです。
億万長者が何にお金を使おうと本人の自由で、ミルナーはポンと1億ドル = 約100億円を拠出しました。これはあくまで初期開発費用であり、第1ステップの技術開発費用です。1億ドルが尽きたとき、次のステップに進めるかどうかは大いに疑わしい。しかし仮にこの計画が第1ステップだけで終わったとしても、他に応用可能な新技術が生まれる可能性が高いと思います。それは1億ドルに見合わないかも知れないが、もしそうなればミルナーの名前とスターショット計画は "伝説" として科学史に残るでしょう。
振り返ってみると、研究者の「興味」「好奇心」「探求心」「理由は言えないが大切だという思い」を原動力とし、それが社会にどういう恩恵をもたらすかは不明なままに始まったプロジェクトや研究で、結果として社会に大きなインパクトを与えた例は多いわけです。もちろん興味だけで終わってしまうも多数あるし、逆に明確な目的意識をもった研究も多い(青色半導体レーザーなどはそうでしょう)。しかしそれだけではない。
スターショット計画とはスケールが全く違いますが、このブログで書いたリチウムイオン電池の発明物語を思い出しました(No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」)。旭化成の吉野彰氏が世界で初めてリチウムイオン電池を作ったのですが、そのトリガーを引いたのは、白川英樹・筑波大名誉教授が1977年に発見した導電性ポリアセチレンでした。吉野氏はこれを負極に使ってリチウムイオン電池の原型を完成せた(1983)。その吉野氏も「導電性ポリアセチレンを使った新素材」の研究から入ったわけで、電池に使おうとは(当初は)思っていなかったのです。
なぜ白川先生が導電性ポリアセチレンの発見に至ったかというと「何に使えるか分からないけれど、電気を通す高分子に興味があったから」です。2000年にノーベル化学賞を受賞したあと、白川先生はそう語っています(No.39参照)。研究者の興味や好奇心が、結果として想定外の発明につながり、社会に大きなインパクトを与えたわけです。
スターショット計画はあまりにも壮大であり、どう考えたらよいか、評価に迷うところです。推進者のミルナーにとって科学観測はあくまで付帯的なものであり、アルファ・ケンタウリに到達したという何らかの証拠が得られればそれで満足なのでしょう。
しかしこの計画が、参画している科学者の探求心や好奇心、「理由は言えないが大切だという思い」に支えられていることは確かだと思います。そのマインドは科学の発展にとって極めて大切なことです。スターショット計画の記者発表会に出席したスティーブン・ホーキング博士は、そのことを言いたかったのでは、と思いました。
2018年3月14日、英国のスティーヴン・ホーキング博士が76歳で逝去されました。雑誌に掲載された追悼文から引用します。
No. 50 | 絶対方位言語と里山 | |||
No. 70 | 自己と非自己の科学(2) | |||
No.102 | 遺伝子組み換え作物のインパクト(1) | |||
No.105 | 鳥と人間の共生 | |||
No.169 | 10代の脳 | |||
No.170 | 赤ちゃんはRとLを聞き分ける | |||
No.177 | 自己と非自己の科学:苦味受容体 | |||
No.178 | 野菜は毒だから体によい | |||
No.184 | 脳の中のGPS |
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日経サイエンス 2017.5
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しかし「生命・人間科学」とは全く違う分野のサイエンスが社会や人間の理解につながることもあると思うのです。その意味で、今回は全く違った分野である天文学・宇宙物理学の話を書きたいと思います。最近の「日経サイエンス 2017年5月号」に掲載された記事にもとづきます。
アルファ・ケンタウリ
アルファ・ケンタウリという星の名前を知ったのはいつだったか、思い出せません。おそらく小学生の頃だったと思います。理科の図鑑に「宇宙」の説明がありました。地球と月、太陽とその周りの惑星や小惑星、彗星からなる太陽系。その太陽は銀河系に属していて、銀河系は無数の太陽のような恒星からできている。同じような銀河が宇宙にいっぱいある、というような絵と説明でした。
そして太陽から一番近い恒星がアルファ・ケンタウリで、4光年の距離にある。1秒間に地球を7周半する光でも到達するのに4年かかる・・・・・・。興味津々で図鑑に見入っていたような記憶があります。
中学生になってから SF小説を読み始めて以降、アルファ・ケンタウリはたびたび出てきたと思います。宇宙船で行く話もあったはずですが、行かないまでも太陽に最も近い恒星としてよく話に登場したので、アルファ・ケンタウリの名前はなじみのあるものになりました。
アルファ・ケンタウリ恒星系
アルファ・ケンタウリは、ケンタウルス座で最も明るい星(=アルファ星、α星)です。ケンタウルス座は南十字星のすぐそばにあり、本州からは見ませんが沖縄や小笠原からは見えます。α星のアルファ・ケンタウリは非常に明るく、全天でも大犬座のシリウス、りゅうこつ座のカノープスに次いで3番目の明るさです。地球からは約4.3光年の距離にあります。
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ヨーロッパ南天天文台(ESO)が運営するラ・シヤ天文台(チリのアタカマ砂漠)から見た南天の様子。ケンタウルス座(Centaurus)の上に南十字星(Crux)が見える。αがアルファ・ケンタウリで、その上にプロキシマ・ケンタウリの位置が示してある。ケンタウルス座の右はコンパス座(Circinus)。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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アルファ・ケンタウリは肉眼では一つに見えますが、連星です。アルファ・ケンタウリAは、質量が太陽の1.1倍、光度は太陽の1.5倍です。アルファ・ケンタウリBは、質量が太陽の0.9倍、光度は0.5倍です。この二つの星は互いの周りを約80年の周期で回っていて、2つの星の距離は10天文単位(太陽と土星の距離の相当)から40天文単位(太陽と冥王星の距離の相当)の間で変動します。1天文単位(= au)とは太陽と地球の間の平均距離で、約1億5000万kmです。
実はアルファ・ケンタウリは、さらにもう一つ、重力的に結びついた恒星を伴っています。それがプロキシマ・ケンタウリです(アルファ・ケンタウリCとも言う)。つまりアルファ・ケンタウリ恒星系は "3重連星" なのです。
プロキシマ・ケンタウリの質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍で、肉眼では全く見ることができません。アルファ・ケンタウリA・Bの連星とプロキシマ・ケンタウリの距離は1万5000 au(約 0.2光年)もあり、かなり離れています。プロキシマ・ケンタウリはアルファ・ケンタウリA・B連星の周りを回っていますが、その周期は50万年以上と見積られています。
実は、このプロキシマ・ケンタウリは、アルファ・ケンタウリより 0.1光年ほど地球に近い距離にあります。つまり地球に最も近い恒星はプロキシマ・ケンタウリということになります。
アルファ・ケンタウリ恒星系(3重連星)
┣━アルファ・ケンタウリ(連星)
┃ ┣━アルファ・ケンタウリA
┃ ┗━アルファ・ケンタウリB
┗━プロキシマ・ケンタウリ
(=アルファ・ケンタウリC)
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アルファ・ケンタウリ恒星系の撮像写真。左の連星がアルファ・ケンタウリで、右がプロキシマ・ケンタウリ。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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プロキシマb の発見
2016年8月14日、ドイツのミュンヘン近郊にあるESO(ヨーロッパ南天天文台。European Southern Observatory)の本部で重大発表がありました。ESOが運営するラ・シヤ天文台(チリのアタカマ砂漠)での観測で、プロキシマ・ケンタウリに惑星があることが発見されたのです。この惑星は「プロキシマb(プロキシマ・ケンタウリ b)」と命名されました。
いったいどうやって惑星の存在を確認したのでしょうか。惑星がプロキシマ・ケンタウリの周りを公転すると、その公転によってプロキシマ・ケンタウリが僅かながら "揺さぶられ" ます。これは地球と月の関係と同じです。月が地球の周りを回ることによって地球が揺さぶられ、それが潮汐の(一つの)原因になっています。
一般に恒星が惑星の公転の影響で揺さぶられると、その恒星は地球からみて遠ざかったり、近づいたりします。つまり地球からみた速度が周期的に変化する。それによって恒星の放つ光が周期的に短波長(青色)側にずれたり(地球の近づく場合)、長波長(赤色)側にずれたりします。いわゆる「ドップラー偏移」です。この偏移を観測するのです(=ドップラー分光法、またはドップラー法)。
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ラ・シヤ天文台で観測したドップラー偏移から計算されたプロキシマ・ケンタウリの速度変化(地球からの視方向の時速)。赤丸が測定値で、縦棒が測定誤差。波形が推測値である。速度は5km/時(1.4m/秒)の振幅があり、約11日の周期で変動する。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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ドップラー分光法による観測が始まった1970年代では、判別できる恒星の揺れのスピードは秒速100メートル程度が限界でした。しかし現代では観測精度が格段に向上し、ESOのラ・シヤ天文台の望遠鏡は秒速 1 メートルの速度変化を検出できます。光の速度は秒速30万キロメートル=3億メートルなので、3億分の1の速度変化を検出できるという、ものすごい精度です。プロキシマ・ケンタウリの 1.4m/秒 という速度が検出できたのも、この高精度観測によります。
観測されたプロキシマb の公転周期は約11日、公転軌道半径は 0.05 au(au:天文単位 = 太陽・地球の距離)でした。
プロキシマb はハビタブル・ゾーンにある
さらにこの発表には重要なことがありました。
発見された惑星・プロキシマb は、プロキシマ・ケンタウリのハビタブル・ゾーンに入っている |
のです。ハビタブル・ゾーンとは、惑星表面に水が液体として存在できる暖かさになる公転軌道の範囲です。ハビタブルとは居住(habit)可能という意味ですが、天文学では生命が存在可能という意味で使われます。惑星(表面)に生命が存在するとすると、まず最初の条件としてその惑星がハビタブル・ゾーンに入っていなければならない。太陽系のハビタブル・ゾーンは太陽からの距離が 0.9 ~ 1.4 au の範囲です。金星はハビタブル・ゾーンの内側(0.7 au)であり、火星は外側(1.5 au)です。太陽系では地球だけがハビタブル・ゾーンにあります。
プロキシマ・ケンタウリは太陽よりかなり小さい星で(質量は太陽の0.1倍、明るさは0.002倍)、温度も低い。太陽の表面温度は6000K(絶対温度6000度)ですが、プロキシマ・ケンタウリの表面温度は半分の3000Kです。そのためハビタブル・ゾーンも恒星に近接していて、恒星からの距離が 0.05 auというプロキシマb の軌道でもハビタブル・ゾーンに入るのです。太陽系でいうと水星(0.4 au)よりもかなり内側の軌道です。
しかしハビタブル・ゾーンにあるからといって、本当にハビタブルかどうはわかりません。たとえば大気の存在ですが、プロキシマb がプロキシマ・ケンタウリから受ける磁場の影響は地球より遙かに強いため、大気が逃げてしまっている可能性があります。一方、プロキシマb も強い磁場を持っているとすると、そうならないこともありうる。
また主星の非常に近くを周回する惑星・衛星では、ちょうど地球を回る月のように、常に同じ面を主星に向けるという現象がよく起きます。これを「潮汐ロック」と言いますが、惑星で潮汐ロックが起きると、主星に向いている昼側は高熱になり、向いていない夜側は極寒になり(=水が存在しても凍結状態になり)、ハビタブルでは無くなります。しかし潮汐ロックが起きていたとしても、昼側と夜側の境目では大気の循環などで温和な環境があるかもしれない。
つまり、プロキシマb が本当にハビタブルかどうかを調べるためには、ドップラー偏移を調べること以上の観測が必要になります。今、試みられているのは「トランジット観測」です。
もしプロキシマbの公転軌道面が、地球からプロキシマ・ケンタウリを見た方向と平行か平行に近い場合、プロキシマb はプロキシマ・ケンタウリの手前を横切ることになります。これをトランジットと言います。トランジットが起こるとプロキシマ・ケンタウリが少し暗くなる(=減光)。この光を観測することで、プロキシマb の
・ | 公転軌道の角度 | ||
・ | 大きさ | ||
・ | 質量 | ||
・ | 密度 |
が計算でき、そこから物質組成を推定できます。もしプロキシマb に大気があれば、プロキシマ・ケンタウリの光はそこを通過してくるので、大気の組成の情報が得られます。
プロキシマb のトランジット観測は、現在までには成功していません。これは減光の量が観測精度を越えて小さいのかもしれないし、そもそも公転軌道面が地球から見て平行ではない(=トランジットは起こらない)のかもしれない。
しかしトランジットが起こらないとしても、まだ観測の道はあります。それは観測装置を超高精度化して、プロキシマb を直接撮像するという可能性です。本当にできるかどうかは分かりませんが、挑戦が始まっているところです。プロキシマbは地球に最も近い惑星なので、可能性はあるのです。
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プロキシマb の想像図。明るい星がプロキシマ・ケンタウリ。その右上の連星がアルファ・ケンタウリA・B。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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とにかく、地球に最も近い恒星に惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにあるというのは大発見です。この惑星のことを詳しく調べたいと思う科学者は多いことでしょう。
そしてまさに現在、アルファ・ケンタウリ恒星系に直接観測装置を送り込む計画が持ち上がっているのです。それが「スターショット計画」です。しかし、地球に最も近いといっても約4光年離れています。光でも4年かかる距離であり、従来の宇宙探査機を送るとすると1万年のオーダーの時間がかかります。いったいどうやって観測機器を送るというのでしょうか。
スターショット計画
スターショット計画の推進者は、ユーリ・ミルナーという人です。ロシア出身で、1961年にモスクワで生まれました。1961年というとガガーリンが人類で初めて宇宙に出た年です。両親はそのガガーリンと同じ名前を息子につけました。「誰も到達したことのない所に行く」という期待を込めたといいます。
ミルナーはアメリカに渡り、シリコンバレーで起業家・投資家として成功し、巨万の富を築きました。その資産は30億ドルと言います。そして彼は「遠くへ行く」という子供の頃からの夢を実現すべく動き出し、初期開発費として1億ドルを拠出し、プロジェクト・チームと顧問委員会を編成しました。
プロジェクト・チームのエグゼクティヴ・ディレクターは、NASAエイムズ研究センターの元所長のピート・ワーデン(Pete Worden)、技術ディレクターはエイムズ研究センターでワーデンの部下だったピート・クルーパー(Pete Klupar)です。 また顧問委員会の委員長はハーバード大学の天文学科長のアヴィ・ローブ(Avi Loeb)で、委員にはそうそうたるメンバーが名前を連ねています。ホーキング博士やフェイズブックのザッカーバーグCEOも加わっています。 |
プロジェクト・チームは目標を「アルファ・ケンタウリに無人飛行で観測装置を送り込む」ことに絞り込みました。そして発案したのが「スターショット計画」です。
この計画は2016年4月12日に、ホーキング博士も同席して発表されました。そして全くもって運のよいことに、4ヶ月後の8月14日に「アルファ・ケンタウリ恒星系のプロキシマ・ケンタウリには惑星があり、その惑星はハビタブル・ゾーンにある」ことが発表されたわけです。この発表によってスターショット計画は、誰も到達したことのない所に行くという「億万長者の道楽」から「太陽系外にある惑星を探査する現状で唯一の計画」に大昇格し、俄然、注目を集めるようになりました。
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スターショット計画の発表会見より。後列左から3人目がユーリ・ミルナー。右から3人目がピート・ワーデン(エグゼクティヴ・ディレクター)、同じく2人目がアヴィ・ローブ(顧問委員会の委員長)。
(site : breakthroughinitiatives.org)
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スターショット計画の想像図
(site : breakthroughinitiatives.org) |
アルファ・ケンタウリに送り込む観測装置は「ナノクラフト」と呼ばれ、「ライトセイル」と「スターチップ」から構成されます。ライトセイルは4メートル四方の極薄の "帆" で、光の反射率が 99.999% の物質で出来ています。ライトセイルに搭載するスターチップは1cm程度の多機能コンピュータ・チップで、ここに電源、観測用の各種センサー、地球との通信機能、制御回路のすべてが埋め込まれます。
ナノクラフトは通常のロケットに搭載し、上空6万キロメートルで宇宙空間に放たれます。そのライトセイルに地上の「ライトビーマー」から100ギガワットという超強力なレーザ光を数分間照射し、光速の20%まで加速します。加速したあとはレーザ光を切り、慣性飛行でアルファ・ケンタウリに向かいます。
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スターチップのプロトタイプ。チップの中に各種センサー、地球との通信機能、電源などが埋め込まれる。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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ナノクラフトは同じものを多数制作し(1000個以上)、それを搭載したロケットは1日1個の割合で3年間以上にわたってナノクラフトを宇宙空間に放出し続けます。約20年経つと "運のよかった" ナノクラフトはアルファ・ケンタウリの近傍を通り過ぎるはずで(=フライ・バイ)、通り過ぎる数分の間にスターチップのセンサーで観測した結果を4年かけて地球に送り返します。
荒唐無稽 ?
スターショット計画は "気宇壮大" と言うか、壮大すぎて荒唐無稽に見えます。しかしこの計画は現代知られている物理学の法則に合致しています。ここがまず重要なポイントです。
SF小説によくある「恒星間飛行」は、その物理学的根拠が不明だったり、あるいは物理法則を真っ向から否定しているものがほとんどです。しかしこのスターショット計画は一流の科学者が考えた(ないしは顧問としてアドバイスした)計画です。物理学に合致という最低限の条件が守られている。このことが、サイエンス・フィクションではなくて "計画" と言えるゆえんです。
次に重要なのは、スターショット計画に必要な各種の技術は、その基本原理が確立していて実証済みであることです。開発すべき技術は、ライトビーマー、ライトセイル、スターチップの3つです。たとえばこのうちのライトセイルですが、「光を反射することによって進む帆」は、一般的に「宇宙ヨット」と呼ばれています。そして宇宙ヨットはすでに日本のJAXAが開発し、打ち上げて、実運用までしているのです。レーザー光を受けて進むのはなく、太陽光で進む宇宙ヨット(=ソーラー・セイル)です。
JAXAのイカロス
光は波であると同時に粒子としての性質があり、その粒子は「光子」と呼ばれています。光子に質量はありませんが運動量をもつので、光子が当った面、特に光を反射する面は圧力を受けます(=光圧)。帆を宇宙空間に置くと、完全に片面だけに光が当たる状況を作り出せます。つまり光圧による推進力が生まれます。これが宇宙ヨットの原理です。光が当たり続けると、原理的には光速に近い速度まで加速することができます。
宇宙ヨットを提唱したのはロケットの父と呼ばれるロシアのツィオルコフスキーで、1910年代のことでした。しかし20世紀後半、宇宙ロケットが盛んに打ち上げられるようになっても、宇宙ヨットは実現できなかった。それは帆の材料が見つからなかったからです。帆はアルミを蒸着させたフィルムで作りますが、宇宙空間で太陽に向いたアルミの反射面は120度になり、反対側の面は -270度です。つまり極薄のフィルムに400度の温度差ができます。この温度差に耐えられる材料が見つからなかったのです。
ところが "ポリイミド" という高分子材料がロケットの断熱材として1960年代に実用化され、1990年代になると薄くで大面積のポリイミド・フィルムが製造可能になりました。そして2000年代になるとこのフィルムを使った宇宙ヨットが構想されるようになりました。
日本のJAXAは2010年5月21日に、宇宙ヨット「イカロス」を金星に向けて打ち上げました。宇宙ヨットを打ち上げたのは日本だけではありませんが、地球周回軌道を離れて他の惑星に向かったのはイカロスだけです。イカロスの帆は14メートル四方という大きなもので、反射面が太陽を向くように制御され、太陽の光を受けて進みます。イカロスの大きな帆でも太陽光の光圧は非常に小さく、地上で 0.1g の物体が受ける重力とほぼ同じです。
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JAXAの宇宙ヨット、イカロス。太陽光の光圧で進む「ソーラー・セイル」を実証した。帆には極薄のアモルファス・シリコン製の太陽電池を装着していて(青色の部分)、これによる発電実験にも成功した。これは将来、太陽電池の電力によってイオン・エンジンを駆動するための基礎技術となる。さらに帆の周辺は薄膜液晶があり(黄色の部分)、電流をON/OFFすると液晶の透明・不透明が切り替わる。これによって太陽光の光圧が変わり、搭載している燃料噴射装置を使わなくても姿勢制御ができる。この実験にも成功した。
(JAXAのホームぺージより)
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イカロスは打ち上げて半年後に金星付近を通過(=フライ・バイ)し、当初予定されていたミッションは全て成功裏に終わりました。現在は地球・金星の間の軌道を約10ヶ月の周期で公転しています。しかしこの間、当初は予想されなかった問題も発生しました。その一つを日経サイエンスから引用します。
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宇宙ヨットがまず解決すべき課題は、折り畳んだ状態でロケットに搭載した帆を、宇宙空間でピンと張った状態に開き、それを維持することです。これが難しい。イカロスはそれに成功したのですが、それでも想定外のたわみが生じた。
このたわみの原因と解消策が日経サイエンスに書いてあるのですが、詳細になるので割愛します。要するに、こういった宇宙ヨットに関する細かいノウハウがJAXAには蓄積されているわけです。イカロスの当初のミッションは終わったのですが、JAXAはこれからも運用を続けるようです。帆の耐久性や劣化などについての貴重なデータが得られるかもしれないからです。宇宙ヨットに関しては日本が先進国です。
スターショット計画に実現可能性はあるか
しかし金星に行く宇宙ヨットができても、アルファ・ケンタウリに行く宇宙ヨットができるとは限りません。果たしてスターショット計画に実現の可能性はあるのでしょうか。ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップの、それぞれの実現の難易度はどうなのでしょうか。
 ライトビーマー(レーザー照射装置)  |
まずライトビーマーですが、ナノクラフトを光速の20%まで加速するには100ギガワットという超高出力のレーザーが必要です。アメリカ国防総省はこれ以上に強力なレーザーを開発済みですが、その持続時間は1億分の1秒とか1兆分の1秒しかありません。ナノクラフトを光速の20%まで加速するには数分間、最大10分程度レーザー光を照射する必要があります。
解決策としては、10分間程度の連続出力が可能なキロワット級のレーザーを1億個用意し、それを地上に格子状に並べ、レーザー波を一つに集めて位相が揃った状態でナノクラフトに到達させるしかありません。その設置面積は1キロメートル四方になると見積もられています。
複数個の電波アンテナを格子状(=アレイ状)に配置し、集束して位相の揃った一方向の電波にする装置をフェーズド・アレイ・レーダーといい、すでに確立された技術があります。複数の電波の位相を微妙にズラして放射し、任意方向の強い電波を発生させる技術です。同じ原理でレーザー光を放射するのがフェーズド・アレイ・レーザーです。しかし同じ電磁波でも光は電波の数万倍の周波数があり、位相のコントロールが難しい。アメリカ国防総省はすでに完成させていますが、それはレーザーが数十個という規模のようです。ライトビーマーの1億個のレーザーというのは桁違いです。
しかもスターショット計画の場合、大気圏を通過して上空6万キロメートルにあるナノクラフトのライトセイル(4m×4m)にピンポイントで照射する要があり、これには奇跡的な技術革新が必要です。アメリカのサイエンス・ライター、アン・フィンクベイナーの取材記事を「日経サイエンス」から引用します。
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地上のライトビーマー(フェーズド・アレイ・レーザー)からレーザー光を照射し、母船から放出されたナノクラフトを加速する。
(日経サイエンス 2017年5月号)
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 ライトセイル(帆)  |
次に "ライトセイル" と呼ばれる4m四方の帆ですが、まずこの帆は99.999%の反射率が必要です。反射率が高いということは、それだけレーザー光の反射でよく加速されるということであり、亜光速を目指すナノクラフトとしては当然の要求でしょう。
しかし加速以上に重要な点は「反射されなかった光は熱に変換されてしまう」ことです。超強力レーザーを照射することを考えると、この程度の反射率がないとナノクラフトは一瞬で "燃え尽きて" しまうのです。ちなみにJAXAのイカロスはポリイミド樹脂にアルミを蒸着していますが、反射率は75%~80%です。アルミを徹底的に研磨したとしても反射率は95%程度にしかなりません。
さらにナノクラフトを亜光速に加速するためには、ナノクラフトの重さを数グラムに押さえる必要があります。そのためにはライトセイルの膜の厚さをシャボン玉の膜以下にする必要があると推定されています。シャボン玉の膜厚は1マイクロ・メートル(=ミクロン。1/1000ミリ)以下であり、光の波長に近い極薄ために光の干渉が起こって虹色に見えるわけです。JAXAのイカロスの膜の厚さは7.5マイクロ・メートルです。ライトセイルはその10分の1で作る必要がある。
問題はまだあります。耐久性です。5分~10分で光速度の20%(6万キロメートル/秒)に加速するということは、10万~20万メートル/秒の速度を毎秒加速する(=平均)ということです。この加速度は地球上の重力加速度の1万~2万倍です(=10,000g~20,000g)。瞬間的にはもっと強い加速度がかかると考えられる。ライトセイルはこの加速度に耐える必要があります。
また宇宙空間には微細な塵があります。レーザー照射中に塵で帆に穴があいてはまずく、ライトセイルには強さと耐久性が必要です。
高反射率で耐熱性に優れ、軽く、強くて耐久性があり、とんでもない高価格ではない素材は、まだ存在しません。ここでも奇跡的発明が必要です。
 スターチップ  |
スターチップはすべての機能を埋め込んだ "観測装置" ですが、1cm程度の大きさで、重さは 1g 程度に押さえる必要があります。従って、4個搭載予定のカメラ(光センサー)にレンズは使えません。レンズは重すぎるのです。解決策として「平面フーリエ・キャプチャー・アレイ」という小さな回析格子を光センサーの上に配置する方法が検討されています。入射光を波長別にとらえ、チップのコンピュータ処理で望みの焦点距離の像を再構成する技術です。
スターチップには分光計や磁気センサーなどの各種センサーが搭載される予定ですが、難問はアルファ・ケンタウリに到達するまでの電源をどうするかです。現在のところ、暗く冷たい環境で動作し、重さが 1g 未満で、スターチップのすべての機能を実現するだけの十分な電力を得られる電源は存在しません。解決策としては、医療用に使われている小さな原子力電池を改造する方法が考えられています。原子力電池は、半減期の長い放射性同位元素の放射エネルギーを利用する電池で、宇宙探査機や人工衛星、医療(人体に埋め込む小型電池)での利用実績があります。
さらに問題は観測データを地球に送る方法です。方法としては半導体レーザーを使うしかないのですが、4.3光年という距離が問題です。
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スターチップを20年の航行中にガスや塵などの星間物質から守る方法も問題です。
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スターチップは衝突を生き残るかもしれないし、ダメかもしれない。しかし運がよければ送り出された1000個以上のチップのうちのあるものはアルファ・ケンタウリに到達する・・・・・・。
いずれにせよスターショット計画は、ライトビーマー、ライトセイル(帆)、スターチップのすべてにおいて「奇跡的な技術革新」が必要であり、これらの全部の技術革新がでることを前提に2040年前後に打ち上げ、その20年後にアルファ・ケンタウリに到達する、そういう計画なのです。
問題は技術だけではない
解決すべき課題は技術だけではありません。打ち上げにかかる費用が問題です。ユーリ・ミルナーが拠出した1億ドルは、あくまで初期開発費用に過ぎません。完成までの費用は不明で、特に「キロワット級のレーザー・1億個」に莫大なお金がかかりそうです。
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さらに問題はその科学的意義です。プロキシマb の調査は確かに意義がありますが、それが目的だとすると、アルファ・ケンタウリまで行かなくても調査の方法はあるのです。
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宇宙空間の望遠鏡(=宇宙望遠鏡)は、すでに1990年から実績があります。つまり「ハッブル宇宙望遠鏡」で、主鏡の口径は2.4メートルです。一方、口径12メートルの地上望遠鏡は実用化されていて、30メートルの望遠鏡もハワイで建設が始まっています(日本も参加)。「口径12~15メートルの宇宙望遠鏡」は、確かに前例がない巨大なものですが、現代の技術で可能であり、費用もスターショット計画よりは少ないはずです。
スターショット計画を推進する理由
以上をまとめると、スターショット計画は、
◆ | 技術的に実現できる見込みが薄く、 | ||
◆ | たとえ実現できたとしても、必要資金が膨大で | ||
◆ | そのうえ科学的価値は、皆無とは言わないが、あまりない |
わけです。要するにこの計画を一言でいうと「バカげている」となるでしょう。しかし推進する側としては、そんなことは百も承知のようです。日経サイエンスでは、このプロジェクトのオーナーであるユーリ・ミルナーの発言を次のように紹介しています。
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そしてこのような発言は、シリコンバレーの億万長者で天文学には素人のユーリ・ミルナーだからの発言ではないのです。記事を書いたフィンクベイナーによると、プロジェクトを推進する側にいる立派な科学者が、同様の発言をしています。
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スターショット計画の意義
以下は日経サイエンスのスターショット計画に関する記事を読んだ感想です。まず思ったのは、スターショット計画の「実現の可能性」や「科学的価値」は薄くても(ほとんど無くても)、その技術開発の過程で興味深い成果が生まれそうだという点です。
アルファ・ケンタウリまでは行けないが、太陽系の惑星には到達できる "簡易ナノクラフト" ができたとします。そうすると、太陽系の探査は格段に進むでしょう。宇宙物理学の新たな成果が続々と出てくるかもしれない。
2017年4月14日、NASAは土星探査機・カッシーニの観測結果から、土星の衛星エンケラドスが水蒸気を吹き出しており、そこには水素が含まれると発表しました。衛星の内部に生命を育む環境が存在する可能性あるとのことです。これを観測したカッシーニは1997年に打ち上げれた探査機で、2004年に土星をまわる軌道に入りました。土星まで7年かかっているわけです。
土星と地球の間を光が進む時間は70分~80分程度です。もし仮に、光の速度の1/1000(ナノクラフトの1/200の速度)に加速できる "簡易ナノクラフト" を土星に向かって発射すると、50日程度で到達できる計算になります。太陽系の探査が格段に進むのではないでしょうか。スターショット計画ならぬ、「サターン・ショット計画」や「ジュピター・ショット計画」です。
ライトビーマーについて言うと、顧問委員としてアメリカ空軍の指向性エネルギー兵器部門の出身者が加わっているように、これは軍事技術そのものです。しかし技術には2面性があります。こういった技術が地球の周りを周回している「宇宙ゴミ」の除去に役立つかもしれない。
スターチップを開発する過程では、超小型電源や各種のセンサー、省電力の半導体レーザー技術が開発されるはずですが、これらを簡易化・低コスト化したものは地上におけるセンサーとして役立つと考えられます。IoTと言われる時代、こういうったチップ型センサーの役割は大きいのでです。
億万長者が何にお金を使おうと本人の自由で、ミルナーはポンと1億ドル = 約100億円を拠出しました。これはあくまで初期開発費用であり、第1ステップの技術開発費用です。1億ドルが尽きたとき、次のステップに進めるかどうかは大いに疑わしい。しかし仮にこの計画が第1ステップだけで終わったとしても、他に応用可能な新技術が生まれる可能性が高いと思います。それは1億ドルに見合わないかも知れないが、もしそうなればミルナーの名前とスターショット計画は "伝説" として科学史に残るでしょう。
振り返ってみると、研究者の「興味」「好奇心」「探求心」「理由は言えないが大切だという思い」を原動力とし、それが社会にどういう恩恵をもたらすかは不明なままに始まったプロジェクトや研究で、結果として社会に大きなインパクトを与えた例は多いわけです。もちろん興味だけで終わってしまうも多数あるし、逆に明確な目的意識をもった研究も多い(青色半導体レーザーなどはそうでしょう)。しかしそれだけではない。
スターショット計画とはスケールが全く違いますが、このブログで書いたリチウムイオン電池の発明物語を思い出しました(No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」)。旭化成の吉野彰氏が世界で初めてリチウムイオン電池を作ったのですが、そのトリガーを引いたのは、白川英樹・筑波大名誉教授が1977年に発見した導電性ポリアセチレンでした。吉野氏はこれを負極に使ってリチウムイオン電池の原型を完成せた(1983)。その吉野氏も「導電性ポリアセチレンを使った新素材」の研究から入ったわけで、電池に使おうとは(当初は)思っていなかったのです。
なぜ白川先生が導電性ポリアセチレンの発見に至ったかというと「何に使えるか分からないけれど、電気を通す高分子に興味があったから」です。2000年にノーベル化学賞を受賞したあと、白川先生はそう語っています(No.39参照)。研究者の興味や好奇心が、結果として想定外の発明につながり、社会に大きなインパクトを与えたわけです。
スターショット計画はあまりにも壮大であり、どう考えたらよいか、評価に迷うところです。推進者のミルナーにとって科学観測はあくまで付帯的なものであり、アルファ・ケンタウリに到達したという何らかの証拠が得られればそれで満足なのでしょう。
しかしこの計画が、参画している科学者の探求心や好奇心、「理由は言えないが大切だという思い」に支えられていることは確かだと思います。そのマインドは科学の発展にとって極めて大切なことです。スターショット計画の記者発表会に出席したスティーブン・ホーキング博士は、そのことを言いたかったのでは、と思いました。
 補記1 : ホーキング博士  |
2018年3月14日、英国のスティーヴン・ホーキング博士が76歳で逝去されました。雑誌に掲載された追悼文から引用します。
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