No.320 - 健康維持には運動が必須 [科学]
科学雑誌「日経サイエンス」の記事を紹介した、No.272「ヒトは運動をするように進化した」と、No.286「運動が記憶力を改善する」の続きで、"ヒトが健康を維持するためには運動が必須" というテーマです。
ふつう "運動" というと、ジムに通ってエクササイズをしたり、筋トレをしたり、またランニングやサイクリング、ウォーキングなどの「意識的に体や筋肉を動かすこと」を思い浮かべます。しかしここで言う運動とは、徒歩通勤も、都会の営業担当の人が電車と徒歩で顧客回りをするのも運動です。もちろん農業や建設労働など、かなりの "運動" が必要な職業もあります。運動というより「身体活動のすべて」と言った方がよいと思います。
まず No.272 と No.286 の復習をしますと、No.272「ヒトは運動をするように進化した」は進化人類学の視点からの解説で、狩猟・採集の生活を送ってきたヒトは「運動に適合した体に進化してきた」という話でした。これは大型類人猿と比較するとよく分かります。要約すると次の通りです。
人間がゴリラやオランウータン、チンパンジーなみの生活を続けたとしたら、いわゆる生活習慣病になります。それは、健康に悪いとされている生活スタイルの典型です。人間の仲間である霊長類ヒト科(ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)の中では、ヒトだけが特別なのです。
ヒトは200万年にわたる "狩猟採集" というライフ・スタイルで生き残り、高い身体活動レベル(現代人の基準では、歩行換算で1日1万歩程度。もちろん個人差はある)に適合するように進化しました。逆に言うと、身体活動によって健康が維持できる体になったわけです。具体的には、運動は健康維持に次のような好影響があることが分かってきました。
最初の項目に「記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐ」とありますが、この運動の脳に対する好影響を解説したのが No.286「運動が記憶力を改善する」でした。我々は「筋肉に負荷をかけると筋肉が増強される」のは当然と考えます。この類推で言うと「脳に負荷をかけると脳が増強される」はずです。私たちは、歩いたり走ったりするのは体が自動的に動いているように考えがちです。しかしそれが誤解です。むしろ、運動は身体的活動であるのと同じくらい認知的活動なのです。マウスによる実験で、運動によって脳の海馬(=記憶の司令塔)の神経細胞が増大することが分かりました。では、人間ではどうなのか。No.286 で紹介したのは次の実験例でした。
BDNF(Brain-Derived Neurotropic Factor。脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長を促すタンパク質で、学習・記憶・判断などの高度な脳機能を担当する部位に作用します。神経栄養因子は何種類かありますが、その中では最も強力なものです。BDNFはは脳以外にも、網膜、腎臓、唾液腺、前立腺、歯の関連細胞などでも作られ、それらの機能の回復や向上を促すことも知られています。
以上、要約を紹介した No.272「ヒトは運動をするように進化した」と、No.286「運動が記憶力を改善する」は、科学雑誌「日経サイエンス」の 2019年4月号 と 2020年5月号に掲載された論文の紹介でした。
日経サイエンスにはこの他にも健康維持と運動の関係を示した論文があります。今回はそれを紹介します。2014年7月号に掲載された「運動で病気が防げるわけ」と題するものです(原題:Why Exercise Works Magic ─ Scientific American 誌)。著者は、チャーチ教授(ルイジアナ州立大学)とハーバード大学のマンソン教授とバサック研究員です。以下、主な内容を紹介します。
運動で病気が防げる
まずこの論文では冒頭に次のように書かれています。
健康維持のために重要ことはいろいろあります。バランスがとれた食事がそうだし(特に野菜の摂取)、適度な睡眠をとる規則正しい生活もそうでしょう。精神面の健康ではストレスをため込まない工夫も重要です。しかし健康維持のために最重要なのが運動である ・・・・・・。本論文ではこの認識にたって、2010年代に新たに判明した運動の効能について書かれています。まず、運動の脳に対する影響ですが、本論文では次のように説明されています。
運動が脳や記憶に与える影響の詳しい解説は、No.286「運動が記憶力を改善する」にある通りです。これは2011年頃から明らかになったようで、人間相手の研究には MRI の発展と普及が大いに貢献しているのでしょう。
以降は、運動が体に与える変化として「運動とコレステロール」「運動とインスリン」の部分を紹介します。
運動とコレステロール
コレステロールは細胞膜の構成物質であり、細胞内でのさまざまな化学反応にもかかわっていて、生命維持にとって必須の物質(脂質の一種)です。体内(主に肝臓)で作られたコレステロールは血液で輸送されますが、水に溶けにくいため、親水性であるリポタンパク質(Lipoprotein)との複合体を構成して血液中を運ばれます。リポタンパク質は、血液中ではコレステロールを供給する役割と、回収する役割の両方を担います。
リポタンパク質には、低密度の LDL(Low Density Lipoprotein)と、高密度の HDL(High Density Lipoprotein)があります。LDL は肝臓で生成されたコレステロールを体内に供給する役割を担い、HDL は逆にコレステロールを回収します。このうち、LDL は酸化されやすく、血管内に動脈硬化巣としてたまりやすい性質があります。このため「LDL・コレステロール複合体」を俗に「悪玉コレステロール」、「HDL・コレステロール複合体」を「善玉コレステロール」と呼んでいます。もちろん「悪玉」と言われる LDL も人体にとって必須の存在です。要は LDL と HDL が基準値内にバランス良く保たれていることが重要です。
日常的に運動をしていると、①血圧が下がる ②HDLコレステロールの血中濃度が上がる、③LDLコレステロールの血中濃度が下がる、という3つの作用によって心血管疾患のリスクが下がる、というのが従来からの理解でした。しかし近年になって重要なことが分かってきました。日経サイエンスから引用します。
我々は健康診断の結果の数値が基準内にあるかを見て、安心したりドキッとしたりしますが、こと LDL コレステロールに関しては、単に数値で示された以上の健康ファクター(またはその逆の健康リスク)があることがわかります。
運動と血糖値
上に書いた、No.272「ヒトは運動をするように進化した」の要約の中に、
との主旨がありました。「日経サイエンス」2014年7月号ではこの理由が詳しく説明されています。以下の通りです。
血糖値は 70~140(mg/100cc)程度に保たれています(数値は論文のもの)。脳の主要なエネルギーはブドウ糖であるため、血糖値が70以下になると意識障害が始まり、さらには昏睡から死に至りかねません。また血糖値が多すぎると糖毒性によって血管や神経が損傷し、糖尿病になります(このあたりの詳細は No.226「血糖と糖質制限」参照)。なお、140以下というのは食事後2時間の値であり、空腹時では126以下です。
この血糖値をコントロールする上で、運動の役割が重要なのです。そのところを引用します。
「運動は、血液中のブドウ糖(血糖)を筋肉にすみやかに取り込む訓練をしているようなもの」なのですね。従って体はインスリンに対する反応が良くなり(=インスリン抵抗性が低下し)、糖尿病のリスクが少なくなる。
健康に過ごすためには運動が重要ということは、ずいぶん昔から言われてきました。しかし2000年代以降、なぜ運動が必要なのか、その生理学上のメカニズムが次々と明らかにされてきました。「運動が健康維持に必須の理由」を人体の成り立ちに沿って理解することは、運動を続けてそれを習慣とする上での大きなモチベーションになると思います。
ふつう "運動" というと、ジムに通ってエクササイズをしたり、筋トレをしたり、またランニングやサイクリング、ウォーキングなどの「意識的に体や筋肉を動かすこと」を思い浮かべます。しかしここで言う運動とは、徒歩通勤も、都会の営業担当の人が電車と徒歩で顧客回りをするのも運動です。もちろん農業や建設労働など、かなりの "運動" が必要な職業もあります。運動というより「身体活動のすべて」と言った方がよいと思います。
まず No.272 と No.286 の復習をしますと、No.272「ヒトは運動をするように進化した」は進化人類学の視点からの解説で、狩猟・採集の生活を送ってきたヒトは「運動に適合した体に進化してきた」という話でした。これは大型類人猿と比較するとよく分かります。要約すると次の通りです。
大型類人猿は日中の8~10時間を休憩とグルーミング、食事にあて、一晩に9~10時間の睡眠をとる。チンパンジーとボノボは1日に約3km歩くが、ゴリラとオランウータンの1日あたりの移動距離はもっと少ない。 | |
つまり、大型類人猿は習慣的に身体活動度が低く、人間の基準からすると「怠け者」である。 | |
それにもかかわらず大型類人猿は、たとえ飼育下であっても驚くほど健康である。糖尿病になることはまれで、加齢によって血圧が上がることもない。動脈硬化もなく、結果として心臓病にはならず、冠動脈閉塞による心臓発作も起こさない。肥満とは無縁で、飼育下であってもゴリラとオランウータンの平均体脂肪率は14~23%、チンパンジーに至っては10%未満で、オリンピック選手並みである。 |
人間がゴリラやオランウータン、チンパンジーなみの生活を続けたとしたら、いわゆる生活習慣病になります。それは、健康に悪いとされている生活スタイルの典型です。人間の仲間である霊長類ヒト科(ヒト、チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータン)の中では、ヒトだけが特別なのです。
ヒトは200万年にわたる "狩猟採集" というライフ・スタイルで生き残り、高い身体活動レベル(現代人の基準では、歩行換算で1日1万歩程度。もちろん個人差はある)に適合するように進化しました。逆に言うと、身体活動によって健康が維持できる体になったわけです。具体的には、運動は健康維持に次のような好影響があることが分かってきました。
運動は神経新生と脳の成長を促す神経栄養分子の放出を引き起こす。また、記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐ。 | |
持久力を要する運動は、心血管疾患の重大なリスク因子である慢性炎症を抑える。また、ステロイドホルモンであるテストステロンとエストロゲン、プロゲステロンの安静時レベルを下げ、これが要因となって生殖器系のがんの発生率を下げる。 | |
運動は2型糖尿病の直接原因であるインスリン抵抗性を低下させることが知られており、ブドウ糖を脂肪に変換する代わりに筋グリコーゲンとして貯蔵するのを助ける。 | |
定期的な運動は免疫系の機能を改善して感染を防ぐ効果があり、この効果は年齢とともに高まる。 |
最初の項目に「記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐ」とありますが、この運動の脳に対する好影響を解説したのが No.286「運動が記憶力を改善する」でした。我々は「筋肉に負荷をかけると筋肉が増強される」のは当然と考えます。この類推で言うと「脳に負荷をかけると脳が増強される」はずです。私たちは、歩いたり走ったりするのは体が自動的に動いているように考えがちです。しかしそれが誤解です。むしろ、運動は身体的活動であるのと同じくらい認知的活動なのです。マウスによる実験で、運動によって脳の海馬(=記憶の司令塔)の神経細胞が増大することが分かりました。では、人間ではどうなのか。No.286 で紹介したのは次の実験例でした。
イリノイ大学での試験では、12ヶ月の有酸素運動が高齢者のBDNF(脳由来神経栄養因子)のレベルの上昇と海馬の拡大、記憶力の改善につながった。 | |
英国の中高年7000人以上を対象とした研究では、適度あるいは激しい身体活動に従事する時間が長い人の海馬が大きいことがわかった。運動が海馬とその認知機能にとって有益であることは明らかである。 |
BDNF(Brain-Derived Neurotropic Factor。脳由来神経栄養因子)は神経細胞の成長を促すタンパク質で、学習・記憶・判断などの高度な脳機能を担当する部位に作用します。神経栄養因子は何種類かありますが、その中では最も強力なものです。BDNFはは脳以外にも、網膜、腎臓、唾液腺、前立腺、歯の関連細胞などでも作られ、それらの機能の回復や向上を促すことも知られています。
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日経サイエンスにはこの他にも健康維持と運動の関係を示した論文があります。今回はそれを紹介します。2014年7月号に掲載された「運動で病気が防げるわけ」と題するものです(原題:Why Exercise Works Magic ─ Scientific American 誌)。著者は、チャーチ教授(ルイジアナ州立大学)とハーバード大学のマンソン教授とバサック研究員です。以下、主な内容を紹介します。
運動で病気が防げる
まずこの論文では冒頭に次のように書かれています。
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健康維持のために重要ことはいろいろあります。バランスがとれた食事がそうだし(特に野菜の摂取)、適度な睡眠をとる規則正しい生活もそうでしょう。精神面の健康ではストレスをため込まない工夫も重要です。しかし健康維持のために最重要なのが運動である ・・・・・・。本論文ではこの認識にたって、2010年代に新たに判明した運動の効能について書かれています。まず、運動の脳に対する影響ですが、本論文では次のように説明されています。
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運動が脳や記憶に与える影響の詳しい解説は、No.286「運動が記憶力を改善する」にある通りです。これは2011年頃から明らかになったようで、人間相手の研究には MRI の発展と普及が大いに貢献しているのでしょう。
以降は、運動が体に与える変化として「運動とコレステロール」「運動とインスリン」の部分を紹介します。
運動とコレステロール
コレステロールは細胞膜の構成物質であり、細胞内でのさまざまな化学反応にもかかわっていて、生命維持にとって必須の物質(脂質の一種)です。体内(主に肝臓)で作られたコレステロールは血液で輸送されますが、水に溶けにくいため、親水性であるリポタンパク質(Lipoprotein)との複合体を構成して血液中を運ばれます。リポタンパク質は、血液中ではコレステロールを供給する役割と、回収する役割の両方を担います。
リポタンパク質には、低密度の LDL(Low Density Lipoprotein)と、高密度の HDL(High Density Lipoprotein)があります。LDL は肝臓で生成されたコレステロールを体内に供給する役割を担い、HDL は逆にコレステロールを回収します。このうち、LDL は酸化されやすく、血管内に動脈硬化巣としてたまりやすい性質があります。このため「LDL・コレステロール複合体」を俗に「悪玉コレステロール」、「HDL・コレステロール複合体」を「善玉コレステロール」と呼んでいます。もちろん「悪玉」と言われる LDL も人体にとって必須の存在です。要は LDL と HDL が基準値内にバランス良く保たれていることが重要です。
日常的に運動をしていると、①血圧が下がる ②HDLコレステロールの血中濃度が上がる、③LDLコレステロールの血中濃度が下がる、という3つの作用によって心血管疾患のリスクが下がる、というのが従来からの理解でした。しかし近年になって重要なことが分かってきました。日経サイエンスから引用します。
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我々は健康診断の結果の数値が基準内にあるかを見て、安心したりドキッとしたりしますが、こと LDL コレステロールに関しては、単に数値で示された以上の健康ファクター(またはその逆の健康リスク)があることがわかります。
運動と血糖値
上に書いた、No.272「ヒトは運動をするように進化した」の要約の中に、
運動は2型糖尿病の直接原因であるインスリン抵抗性を低下させることが知られている。
との主旨がありました。「日経サイエンス」2014年7月号ではこの理由が詳しく説明されています。以下の通りです。
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血糖値は 70~140(mg/100cc)程度に保たれています(数値は論文のもの)。脳の主要なエネルギーはブドウ糖であるため、血糖値が70以下になると意識障害が始まり、さらには昏睡から死に至りかねません。また血糖値が多すぎると糖毒性によって血管や神経が損傷し、糖尿病になります(このあたりの詳細は No.226「血糖と糖質制限」参照)。なお、140以下というのは食事後2時間の値であり、空腹時では126以下です。
この血糖値をコントロールする上で、運動の役割が重要なのです。そのところを引用します。
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「運動は、血液中のブドウ糖(血糖)を筋肉にすみやかに取り込む訓練をしているようなもの」なのですね。従って体はインスリンに対する反応が良くなり(=インスリン抵抗性が低下し)、糖尿病のリスクが少なくなる。
健康に過ごすためには運動が重要ということは、ずいぶん昔から言われてきました。しかし2000年代以降、なぜ運動が必要なのか、その生理学上のメカニズムが次々と明らかにされてきました。「運動が健康維持に必須の理由」を人体の成り立ちに沿って理解することは、運動を続けてそれを習慣とする上での大きなモチベーションになると思います。
2021-09-18 08:19
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No.319 - アルマ=タデマが描いた古代世界 [アート]
前回の No.318「フェアリー・フェラーの神技」は、19世紀英国のリチャード・ダッドの絵画をもとに、ロックバンド、クィーンが同名の楽曲を作った話でした。今回は、絵画が他のジャンルの創作に影響した話の続きとして映画のことを書きます。リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(2000)に影響を与えた絵画のことです。
実は、No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差し下ろされた親指』(1904)が『グラディエーター』の誕生に一役買った話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。
20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。
ちなみに cinemareview.com の記事によると『グラディエーター』の制作会社であるドリームワークスのプロデューサは、スコット監督に脚本を見せる前に監督のオフィスを訪問して『差し下された親指』の複製を見せたそうです。そもそもプロデューサが『グラディエーター』の着想を得たのもこの絵がきっかけ(の一つ)だそうです。
この経緯をみると、ジェロームの『差し下ろされた親指』にはハリウッドの映画人をホットにさせる魔力があるようです。リドリー・スコット監督もその魔力にハマった ・・・・・・。
ところで、映画『グラディエーター』の発端(の一つ)がジェロームの『差し下ろされた親指』だとすると、この映画の美術と衣装に大いに影響を与えた別の絵があります。19世紀英国のローレンス・アルマ=タデマが古代ローマを描いた一連の絵画です。今回はその話ですが、古代ローマだけでなくエジプトやギリシャも含む古代地中海世界をテーマとする絵画をとりあげます。
『グラディエーター』とアルマ=タデマ
ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836-1912)はオランダに生まれ、イギリスに帰化した画家です。もともと "Alma" はミドル・ネームですが、英国に渡ってからは "Alma-Tadema" と名乗るようになりました。画家として目立つようにという配慮のようです。彼は新婚旅行でポンペイの遺跡を訪れて衝撃をうけ、以降、古代地中海世界をモチーフに絵の制作をするようになりました。その特徴は、文献、考古学資料、博物館所蔵品、遺跡などを調査し、その知見をもとに古代世界を再現しようとしたことです。
2017年、オランダ(出身地)、ウィーン、ロンドンの3カ所で100年ぶりの「アルマ=タデマ大回顧展」が開催されました。ロンドンでは、レイトン・ハウス博物館で2017年7-10月に「Alma-Tadema : At Home in Antiquity」の展覧会タイトルでの開催でした。"at home" とは、"家で" とか "くつろいで" という意味ですが、少々意訳すると「アルマ=タデマ:古代世界の日常」ぐらいの意味でしょう。なお、レイトンとはアルマ=タデマと同時代の英国の画家で、その邸宅が博物館になっています。
この「アルマ=タデマ大回顧展」のことが、レイトン・ハウス博物館の公式ホームページに掲載されています(https://www.rbkc.gov.uk/subsites/museums/leightonhousemuseum/almatademaathome.aspx。2021年8月20日 現在)。そこには次のようにあります。
『グラディエーター』は、第73回アカデミー賞(2001年)の衣装デザイン賞を獲得しました(他に、作品賞、主演男優賞:ラッセル・クロウ、録音賞、視覚効果賞)。レイトン・ハウス博物館のアルマ=タデマ回顧展を紹介した YouTube 動画、"Alma-Tadema: At Home in Antiquity at Leighton House Museum" の中で、衣装を担当したイェーツ氏が次のように語っています。
『グラディエーター』のみならず、最初の引用に『十戒』(1956)とあったように、『ベン・ハー』(1959)や『クォ・ヴァディス』(1951)を含め、アルマ=タデマに影響されたハリウッドの「古代地中海世界が舞台のスペクタクル映画」は数々あるようです。
もちろん、「アルマ=タデマこそ、ハリウッドにインスピレーションを与えた画家だ」というわけではありません。古代世界を描いた画家は、ほかならぬ『グラディエーター』の発端となったジェロームを始めとして多数あります。アルマ=タデマはそのような画家の一人、という解釈が正しい。
とは言え、アルマ=タデマの特質は、学究的とも言える調査・研究のもとに古代世界を描いたことです。彼はイギリス王立建築学会から表彰されました(Wikipediaによる)。それほど古代建造物の再現は正確だった。また上のレイトン・ハウス博物館関係の引用でも「柱、モザイク、道具、衣装、刺繍、装飾品」に言及しているように、細部も正確かつリアルでした。だからこそ、リドリー・スコット監督を始め、多くの映画人を強く引きつけたのでしょう。
以下、アルマ=タデマの作品を9点ほど引用します。画像は「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説、谷田博幸訳。リブロポート 1993)から引用しました。また絵の説明もこの本を参考にした箇所があります。以下で「本書」と書く場合はこの本を示します。
モーゼの発見
旧約聖書の「出エジプト記」の一場面です。エジプトで奴隷の身であったイスラエルの民が増え過ぎることを恐れたファラオは、新生児の男児を殺すように命じた。それを逃れるため、モーゼはパピルスのかごに乗せられてナイル河に流された。たまたまナイル河で水浴をしていた王女が彼を拾い、王宮に連れ帰って育てた ・・・・・・ という、予言者・モーゼの出生譚の一場面です。このテーマの西欧絵画には珍しく、王女がモーゼを連れ帰るところが描かれています。
王女の周りの調度品は大英博物館の所蔵品を参考に描かれ、画面左端の彫像の台座にある象形文字・ヒエログリフもファラオを讃える正確な文字形だと言います(本書)。ナイルの向こう岸の遠景にはピラミッドが見えます。また、画面の下の方には青い花が描かれていますが、これはデルフィニウムです。
往年のセシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者だったと、レイトン・ハウス美術館の解説にありましたが、「出エジプト記」をテーマにした映画『十戒』(1956制作)には、このアルマ=タデマの絵とそっくりのシーンが出てきます。
大理石と花
この絵で目をひくのは、画面の大半を占める大理石です。古代建築で、建物から突き出た半円形の構造を "エクセドラ" と言いますが、その大理石のエクセドラの "ベンチ" に女性が座っています。アルマ=タデマは「大理石の画家」と呼ばれたほどで、その描写力は際立っていました。それがよく現れています。
建物は崖の上にあるのでしょう。向こうに青い海と空が広がっています。この青色もアルマ=タデマの絵によく出てきます。さらには、花が描かれています。この絵の花は "ハナズオウ(花蘇芳)" だと言います(本書)。『モーゼの発見』にはデルフィニウムが描かれていましたが、このような花の使い方もアルマ=タデマの絵に頻繁に現れます。
女性は海を眺めています。恋人が乗った船が(帰って)来るのを待っているのでしょうか。「期待」というタイトルからすると、その船を待ち望んでいる姿でしょう。
上に引用した『モーゼの発見』は旧約聖書の一場面でした。しかしこのような "歴史的場面" をテーマにした絵画は、アルマ=タデマの作品では少ないわけです。多くは『期待』のような "日常のなにげない情景" です。その特徴をよく表している作品です。
ローマの公衆浴場
以降に、古代ローマの公衆浴場(テルマエ)を描いた4作品を引用します。
カラカラ帝はローマ帝国の22代皇帝(在位 209-217)です。カラカラ浴場は3つの大浴場をもち、1600人が収容できる大規模なものでした。現在のローマ市内に遺構が残っています。その、遺跡として残っているカラカラ浴場の写真と、元々の平面図を次に掲げます。No.113「ローマ人のコンクリート(2)光と影」で引用したものです。現在、残っているのは一部ですが、平面図から当時の威容が想像できます。浴場部分だけで200m×100mもあります。
公衆浴場には基本となる3種の部屋があり、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)です。フリギダリウムには冷水のプールが設置されていて、火照った体を冷やしました。この絵は脱衣室から冷水プールの方向を見た図です。手前の脱衣室の女性は、プールから上がって奴隷に服を着せてもらっているのでしょう。
フリギダリウムの冷水プールから脱衣室の方向を見た構図で、視点は「フリギダリウム(冷浴室)」とはちょうど反対です。この絵はポンペイで発見された遺構をもとに描かれました(本書)。
テピダリウムは床下暖房の原理で暖める微温浴室です。描かれた女性は右手にストリジルを持っています。ストリジルは曲がった金属製の "肌かき器" で、香油を体に塗り、汚れとともにこすり落とすための器具です。また左手にはダチョウの羽を持っています。
もちろんこの絵の目的(ないしは発注者の注文)は、女性のヌードを描くことでしょう。しかし単なるヌードではありません。女性の表情は "恍惚とした" 感じで、それと合わせて見ると、ストリジルもダチョウの羽も男性器を暗示しているようです。客観的に見ると極めて挑発的な絵です。これと比べると、スキャンダルになったマネの『オランピア』などは随分 "おだやかな" 絵です。しかしアルマ=タデマのこの絵はあくまで「古代ローマの風俗」です。だから許されたのでしょう。
大理石、鳥の羽、毛皮の質感表現が見事です。左端にアルマ=タデマの絵によくある花が登場していますが、この花は夾竹桃だそうです(本書)。
ヘリオガバルスの薔薇
ヘリオガバルスは、カラカラ帝のあとの第23代ローマ皇帝で、14歳で少年皇帝として即位し、18歳で暗殺された人物です(在位:218-222)。暴君という評判で、特にその異常な性についての逸話が数々残っています。
ヘリオガバルスの逸話の一つに「大量のバラの花を天蓋の上に置き、それを一挙に落として、下にいる客人を窒息させようとした」との話があります。もっとも「ローマ皇帝群像」という信憑性の乏しい後世の書物の記述であり、真偽のほどは全く不明です。その、大量のバラの花が落ちた瞬間を描いたのがこの絵です。画面の中央上の方で寝そべってこの光景を見ているのがヘリオガバルス帝です。画面の左右の中心に描かれ、かつ背景とのコントラストが最も際立っているので、この絵のフォーカルポイント(焦点)、すなわちヘリオガバルスだと分かります。
そういったテーマからすると、この絵は『モーゼの発見』と同じように「歴史上の瞬間」を描いたものであり、古代世界の風俗画ではないし、日常の風景でもありません。とは言え、画家の関心は、
ことだったのが明白でしょう。アルマ=タデマは "花" をたびたび描いています。ヘリオガバルスの逸話を知ったとき、これは絶好の素材だと思ったのでしょう。大量のバラが画面を埋め尽くす絵を "古代ローマの歴史画" として描けるのだから ・・・・・・。
問題は大量のバラの花をどういった構図で描くかです。秋田麻早子著「絵をみる技術」(No.284 で紹介)によると、この絵は黄金分割を使っていると言います。No.284「絵を見る技術」で書いた「黄金分割・黄金長方形」のことを再掲すると次の通りです。
線分ABをG点で分割するとき、AG:GB = GB:AB となるGがABの黄金分割です。AG=1, GB=ϕ とおいて計算すると、ϕは無理数で、約1.618程度の数になります。「1:ϕ」が黄金比です。ϕの逆数は ϕ-1(約0.618)に等しくなります。
辺の比が「1:ϕ」の黄金比の長方形を「黄金長方形」と言います。また、1/ϕ = ϕ-1 なので、辺の比が「1:ϕ-1」の長方形も黄金長方形です。
黄金長方形には特別な性質があります(下図)。黄金長方形のラバットメントライン(黄色の線)は、黄金長方形を「正方形と小さい黄金長方形に黄金分割」します。またラバットメントラインの端点と黄金長方形の角を結ぶと直交パターンになります(青と赤の線)。大きな黄金長方形と小さな黄金長方形は相似なので、2つ線は直交するわけです。
『ヘリオガバルスの薔薇』のカンヴァスの縦横比は、計算してみると 1.618 であり、ピッタリと黄金比になっています。明らかに画家はそれを意識したカンヴァスを使っています。ということは、構図にも応用されているはずです。
黄金長方形は、ラバットメントライン(=長方形の中にピッタリ収まる正方形を作る線)で正方形と小さな黄金長方形に分割できます。ということは、その小さな黄金長方形の中に、さらに小さな黄金長方形を描けるわけで、これを繰り返すことができます。これが構図に生かされているというのが「絵をみる技術」における秋田氏の指摘で、それを次の図に掲げます。確かに人物とバラの花と建物の配置に黄金長方形の構図が生かされています。
パルテノン神殿のフリーズ
舞台は古代ギリシャのアテネです。アクロポリスの丘に建設中のパルテノン神殿に足場が組まれていて、その足場の高い所に複数の人物がいます。画面右下の明るい部分に、下へと降りる梯子が見えます。
題名のフェイディアスとは、パルテノン神殿建設の総責任者だった建築家・彫刻家です。またフリーズは、建物に帯状に水平にめぐらされた壁で、多くは彫刻が施されました。この絵では、中央に描かれているのがフェイディアスで、右手にパルテノン神殿の設計図を持ち、招待客に自作のフリーズを披露しています。右手前の男性は、アテネに最盛期をもたらした政治家・ペリクレスで、その右は彼の愛妾だったヘタイラ(古代ギリシャの高級娼婦)のアスパシアです。また画面の左端はペリクレスの遠戚にあたる美貌の青年、アルキビアデスです。アルキビアデスはソクラテスの愛人とも言われていたので、その右の親密そうな人物はソクラテスかも知れません。この絵に描かれたフリーズには、2つの重要ポイントがあります。
の2つです。このあたりを、中野京子さんの解説でみましょう。
まず、パルテノン神殿のフリーズが、現在はロンドンの大英国博物館に展示されている経緯です。
アルマ=タデマは、大英博物館にあるフリーズを調査・研究して「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」を完成させました。
アルマ=タデマは大英博物館のフリーズに色の痕跡が残っていることを知って、是非ともオリジナルを再現した絵を描きたいと思ったのでしょう。では、どのようなシチュエーションにするか。フリーズだけを描くのでは "学術資料" になってしまうし、完成後のパルテノン神殿を外から見上げた構図にすると、フリーズは小さくしか見えない。そこで「建設途中のパルテノン神殿の足場の上でフリーズの "内覧会" が開かれる」というシーンにした。このアイデアは秀逸だったと思います。
アルマ=タデマはフリーズの彩色の痕跡を調べてこの絵を描いたのですが、現在、同じことをしようとしても不可能です。なぜなら、大英博物館のフリーズはその後洗浄されて白くされ、オリジナルの色の痕跡が無くなってしまったからです。
日本の仏像も、もともと金箔で光輝くか、極彩色に色付け(四天王など)されていました。その彩色が部分的に残っている像もあり、オリジナル像の復元プロジェクトがあったり、3次元スキャナーで立体像を作って色づけをする研究(=デジタル復元)もされています。
しかしパルテノン神殿のフリーズに関しては、そういった研究は今となっては不可能です。これはひどい文化財破壊です。「自分たちの考えと合わない文化財を破壊する」行為は、近年でも中東でありましたが(仏教遺跡の破壊)、大英博物館の行為も、それと同じとは言わないまでも文化財の損傷であり、考え方がつながっていると思います。しかも、他国から(暴力を使ったわけではないが)"強奪した" 文化財です。
その意味で、アルマ=タデマの「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」は貴重な作品です。彼が古代ギリシャ・ローマに強い関心があり、学究的な態度で古代世界を復元しようとした、その姿勢が貴重な絵画を残すことになりました。
見晴らしのよい場所
古代ローマ風の衣装をまとい、花を飾った3人の女性が大理石のバルコニーに立っています。画面の奥の方を向いた動物のブロンズ像(おそらく猫科の動物で、ライオンだとすると若い雄か雌)にも花輪がかかっています。そして一番左の女性が見下ろす先は遙か下の海面で、2隻の船が見えます。船は人力でオールをこぐ(=奴隷がこぐ)「ガレー船」で、この絵の場面は古代の地中海のどこかであることが分かります。青い海は画面の上部で空と一体化しています。上の方で引用した『期待』と同じように、大理石、女性、花、青い海と空という、アルマ=タデマの得意のモチーフです。
この絵で目立つのは、その遠近法です。手前から動物像がある奥行き方向に向かう線遠近法と、ガレー船を小さく描いて表現した下方向の遠近法です。この "2重遠近法" による、高所恐怖症の人にとっては目眩が起きそうな構図がこの絵の特徴です。まさに「見晴らしの良過ぎる場所」の光景です。
しかし「見晴らしのよい場所」という日本語訳の題名だけでは、この絵の意味は分かりません。画家がつけた題名は「A Coign of Vantage」で、これはシェイクスピアの『マクベス』からの引用なのです。"coign" とは「壁などが外側に突き出たところ(=外角、突角)」で、"vantage" とは「見晴らしの良い場所、有利な地点」という意味です。壁が突き出たところでは見晴らしが利き、すなわち有利な地点になります。
魔女の予言を受けてスコットランド王・ダンカンを暗殺する意志を固めたマクベスは、ダンカン王と友人のバンクォーを自分の城に招きます。そして2人が城の前に到着したときのバンクォーのせりふに「coign of vantage」が出てきます。
"coign of vantage" は、岩燕の巣作りに役立つ(=有利な)城の壁の突き出たところ、という意味で使ってあります。マクベスはこの時点でダンカン王の暗殺を決意していて、バンクォーはマクベスの野心を知っている。このことを踏まえると "coign of vantage" には「暗殺に有利な場所」という裏の意味が隠されていると考えられます。
改めて「A Coign of Vantage」が「マクベス」第1幕 第6場からの引用だという前提でアルマ=タデマの絵を見ると、
ととれる情景です。そして「マクベス」第1幕 第6場ということは、船にはダンカン王とバンクォーが乗っていると想定できます。だとすると、描かれた3人の女性は「マクベス」の第1幕の森のシーンでマクベスとバンクォーを待ち伏せ、マクベスがスコットランド王になると予言した(=そそのかした)3人の魔女ということになります。この絵の魔女たちは「さあ、これから王殺しが始まる、これは見物だ」と思っている ・・・・・・。「見晴らしのよい場所」に描かれた3人が魔女だという解釈は、中野京子さんの「名画の謎 対決篇」(文藝春秋 2015)で知りました。
この3人の美女の姿は、普通に演じられる(または、描かれる)「マクベス」の魔女とは対極の姿です。ただし、「マクベス」第1幕の冒頭で3人の魔女は逆説的なせりふを言います。"Fair is foul, and foul is fair." と ・・・・・・。上に引用した石井先生の訳では "晴れは曇り、曇りは晴れ" ですが、fair を "きれい"、foul を "穢い" ととると、"きれいは穢い、穢いはきれい" です。絵の3人の美女を魔女と解釈するのは全く問題がないことになります。
まとめると、アルマ=タデマの「見晴らしのよい場所」は、古代地中海世界の風景・風俗に、シェイクスピアの「マクベス」を重ね合わせた絵ということになります。その "重ね合わせ" は題名だけで暗示されている。そういった小洒落た絵なのでした。
アルマ=タデマは、19世紀では大変に人気の画家だったそうです。その作品の中から9点を引用しましたが、そのうち6点は個人蔵です。参考にした画集「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説)には代表作の40作品が掲載されていますが、そのうち21点は個人蔵です。ということは、20世紀の美術界からはあまり評価されなかったということでしょう。
確かにアルマ=タデマの絵画は、革新性があるわけではないし、人間に対する洞察も感じられません。描き方も、ものすごくうまいことは確かですが、古典的です。20世紀の美術界の主流からすると「芸術家としての、画家独特の個性が感じられない」のでしょう。
しかし、古代世界の探求を重ね、想像では描かず研究成果をもとに描き、しかも日常のシーンをまるで "覗き見しているかのごとく" 描くというアルマ=タデマの手法は、それはそれで画家としての立派な独自性だと思います。その独自性に感じ入る個人コレクターは多かったし、またハリウッドの映画人を引き付けるものがあった ・・・・・・。
絵画は他の芸術と違って、テーマや描き方、手法のヴァリエーションが極めて多様であり、そこにこそ魅力の源泉があるのだと思います。
実は、No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差し下ろされた親指』(1904)が『グラディエーター』の誕生に一役買った話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。
20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。
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ジャン = レオン・ジェローム (1824-1904) 「差し下ろされた親指」(1904) |
フェニックス美術館(米・アリゾナ州) |
ちなみに cinemareview.com の記事によると『グラディエーター』の制作会社であるドリームワークスのプロデューサは、スコット監督に脚本を見せる前に監督のオフィスを訪問して『差し下された親指』の複製を見せたそうです。そもそもプロデューサが『グラディエーター』の着想を得たのもこの絵がきっかけ(の一つ)だそうです。
この経緯をみると、ジェロームの『差し下ろされた親指』にはハリウッドの映画人をホットにさせる魔力があるようです。リドリー・スコット監督もその魔力にハマった ・・・・・・。
ところで、映画『グラディエーター』の発端(の一つ)がジェロームの『差し下ろされた親指』だとすると、この映画の美術と衣装に大いに影響を与えた別の絵があります。19世紀英国のローレンス・アルマ=タデマが古代ローマを描いた一連の絵画です。今回はその話ですが、古代ローマだけでなくエジプトやギリシャも含む古代地中海世界をテーマとする絵画をとりあげます。
『グラディエーター』とアルマ=タデマ
ローレンス・アルマ=タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836-1912)はオランダに生まれ、イギリスに帰化した画家です。もともと "Alma" はミドル・ネームですが、英国に渡ってからは "Alma-Tadema" と名乗るようになりました。画家として目立つようにという配慮のようです。彼は新婚旅行でポンペイの遺跡を訪れて衝撃をうけ、以降、古代地中海世界をモチーフに絵の制作をするようになりました。その特徴は、文献、考古学資料、博物館所蔵品、遺跡などを調査し、その知見をもとに古代世界を再現しようとしたことです。
2017年、オランダ(出身地)、ウィーン、ロンドンの3カ所で100年ぶりの「アルマ=タデマ大回顧展」が開催されました。ロンドンでは、レイトン・ハウス博物館で2017年7-10月に「Alma-Tadema : At Home in Antiquity」の展覧会タイトルでの開催でした。"at home" とは、"家で" とか "くつろいで" という意味ですが、少々意訳すると「アルマ=タデマ:古代世界の日常」ぐらいの意味でしょう。なお、レイトンとはアルマ=タデマと同時代の英国の画家で、その邸宅が博物館になっています。
この「アルマ=タデマ大回顧展」のことが、レイトン・ハウス博物館の公式ホームページに掲載されています(https://www.rbkc.gov.uk/subsites/museums/leightonhousemuseum/almatademaathome.aspx。2021年8月20日 現在)。そこには次のようにあります。
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『グラディエーター』は、第73回アカデミー賞(2001年)の衣装デザイン賞を獲得しました(他に、作品賞、主演男優賞:ラッセル・クロウ、録音賞、視覚効果賞)。レイトン・ハウス博物館のアルマ=タデマ回顧展を紹介した YouTube 動画、"Alma-Tadema: At Home in Antiquity at Leighton House Museum" の中で、衣装を担当したイェーツ氏が次のように語っています。
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『グラディエーター』のみならず、最初の引用に『十戒』(1956)とあったように、『ベン・ハー』(1959)や『クォ・ヴァディス』(1951)を含め、アルマ=タデマに影響されたハリウッドの「古代地中海世界が舞台のスペクタクル映画」は数々あるようです。
もちろん、「アルマ=タデマこそ、ハリウッドにインスピレーションを与えた画家だ」というわけではありません。古代世界を描いた画家は、ほかならぬ『グラディエーター』の発端となったジェロームを始めとして多数あります。アルマ=タデマはそのような画家の一人、という解釈が正しい。
とは言え、アルマ=タデマの特質は、学究的とも言える調査・研究のもとに古代世界を描いたことです。彼はイギリス王立建築学会から表彰されました(Wikipediaによる)。それほど古代建造物の再現は正確だった。また上のレイトン・ハウス博物館関係の引用でも「柱、モザイク、道具、衣装、刺繍、装飾品」に言及しているように、細部も正確かつリアルでした。だからこそ、リドリー・スコット監督を始め、多くの映画人を強く引きつけたのでしょう。
以下、アルマ=タデマの作品を9点ほど引用します。画像は「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説、谷田博幸訳。リブロポート 1993)から引用しました。また絵の説明もこの本を参考にした箇所があります。以下で「本書」と書く場合はこの本を示します。
モーゼの発見
ローレンス・アルマ=タデマ 「モーゼの発見」(1904) |
(The Finding of Moses) 137.5cm×213.4cm (個人蔵) |
旧約聖書の「出エジプト記」の一場面です。エジプトで奴隷の身であったイスラエルの民が増え過ぎることを恐れたファラオは、新生児の男児を殺すように命じた。それを逃れるため、モーゼはパピルスのかごに乗せられてナイル河に流された。たまたまナイル河で水浴をしていた王女が彼を拾い、王宮に連れ帰って育てた ・・・・・・ という、予言者・モーゼの出生譚の一場面です。このテーマの西欧絵画には珍しく、王女がモーゼを連れ帰るところが描かれています。
王女の周りの調度品は大英博物館の所蔵品を参考に描かれ、画面左端の彫像の台座にある象形文字・ヒエログリフもファラオを讃える正確な文字形だと言います(本書)。ナイルの向こう岸の遠景にはピラミッドが見えます。また、画面の下の方には青い花が描かれていますが、これはデルフィニウムです。
往年のセシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者だったと、レイトン・ハウス美術館の解説にありましたが、「出エジプト記」をテーマにした映画『十戒』(1956制作)には、このアルマ=タデマの絵とそっくりのシーンが出てきます。
「十戒」(1956)の1シーン。セシル・B・デミル監督はアルマ=タデマの愛好者で、映画『十戒』の制作スタッフたちにアルマ=タデマの複製画を見せたと言われている(上に引用した、レイトン・ハウス博物館のWebサイトによる)。 |
大理石と花
ローレンス・アルマ=タデマ 「期待」(1885) |
(Expectations) 22.2cm×45.1cm (個人蔵) |
この絵で目をひくのは、画面の大半を占める大理石です。古代建築で、建物から突き出た半円形の構造を "エクセドラ" と言いますが、その大理石のエクセドラの "ベンチ" に女性が座っています。アルマ=タデマは「大理石の画家」と呼ばれたほどで、その描写力は際立っていました。それがよく現れています。
建物は崖の上にあるのでしょう。向こうに青い海と空が広がっています。この青色もアルマ=タデマの絵によく出てきます。さらには、花が描かれています。この絵の花は "ハナズオウ(花蘇芳)" だと言います(本書)。『モーゼの発見』にはデルフィニウムが描かれていましたが、このような花の使い方もアルマ=タデマの絵に頻繁に現れます。
女性は海を眺めています。恋人が乗った船が(帰って)来るのを待っているのでしょうか。「期待」というタイトルからすると、その船を待ち望んでいる姿でしょう。
上に引用した『モーゼの発見』は旧約聖書の一場面でした。しかしこのような "歴史的場面" をテーマにした絵画は、アルマ=タデマの作品では少ないわけです。多くは『期待』のような "日常のなにげない情景" です。その特徴をよく表している作品です。
ローマの公衆浴場
以降に、古代ローマの公衆浴場(テルマエ)を描いた4作品を引用します。
カラカラ浴場 |
ローレンス・アルマ=タデマ 「カラカラ帝の浴場」(1899) |
(The Baths of Caracalla) 152.4cm×95.3cm (個人蔵) |
カラカラ帝はローマ帝国の22代皇帝(在位 209-217)です。カラカラ浴場は3つの大浴場をもち、1600人が収容できる大規模なものでした。現在のローマ市内に遺構が残っています。その、遺跡として残っているカラカラ浴場の写真と、元々の平面図を次に掲げます。No.113「ローマ人のコンクリート(2)光と影」で引用したものです。現在、残っているのは一部ですが、平面図から当時の威容が想像できます。浴場部分だけで200m×100mもあります。
カラカラ浴場遺跡
(site : www.archeorm.arti.beniculturali.it)
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カラカラ浴場平面図
大浴場全体 : 337m×328m、浴場部分 : 220m×114m の規模がある。塩野七生「ローマ人の物語 第10巻 すべての道はローマに通ず」より
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フリギダリウム |
ローレンス・アルマ=タデマ 「フリギダリウム(冷浴室)」(1890) |
(The Frigidarium) 45.1.cm×59.7cm (個人蔵) |
公衆浴場には基本となる3種の部屋があり、カルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)です。フリギダリウムには冷水のプールが設置されていて、火照った体を冷やしました。この絵は脱衣室から冷水プールの方向を見た図です。手前の脱衣室の女性は、プールから上がって奴隷に服を着せてもらっているのでしょう。
ローレンス・アルマ=タデマ 「お気に入りの習慣」(1909) |
(A Favourite Custom) 66.0.cm×45.1cm (テート・ギャラリー) |
フリギダリウムの冷水プールから脱衣室の方向を見た構図で、視点は「フリギダリウム(冷浴室)」とはちょうど反対です。この絵はポンペイで発見された遺構をもとに描かれました(本書)。
テピダリウム |
ローレンス・アルマ=タデマ 「テピダリウム(微温浴室)にて」(1881) |
(In the Tepidarium) 24.1.cm×33.0cm (レディ・リーヴァー美術館 - Port Sunlight, UK) |
テピダリウムは床下暖房の原理で暖める微温浴室です。描かれた女性は右手にストリジルを持っています。ストリジルは曲がった金属製の "肌かき器" で、香油を体に塗り、汚れとともにこすり落とすための器具です。また左手にはダチョウの羽を持っています。
もちろんこの絵の目的(ないしは発注者の注文)は、女性のヌードを描くことでしょう。しかし単なるヌードではありません。女性の表情は "恍惚とした" 感じで、それと合わせて見ると、ストリジルもダチョウの羽も男性器を暗示しているようです。客観的に見ると極めて挑発的な絵です。これと比べると、スキャンダルになったマネの『オランピア』などは随分 "おだやかな" 絵です。しかしアルマ=タデマのこの絵はあくまで「古代ローマの風俗」です。だから許されたのでしょう。
大理石、鳥の羽、毛皮の質感表現が見事です。左端にアルマ=タデマの絵によくある花が登場していますが、この花は夾竹桃だそうです(本書)。
ヘリオガバルスの薔薇
ローレンス・アルマ=タデマ 「ヘリオガバルスの薔薇」(1888) |
(The Roses of Heliogabalus) 132.1.cm×213.7cm (個人蔵) |
ヘリオガバルスは、カラカラ帝のあとの第23代ローマ皇帝で、14歳で少年皇帝として即位し、18歳で暗殺された人物です(在位:218-222)。暴君という評判で、特にその異常な性についての逸話が数々残っています。
ヘリオガバルスの逸話の一つに「大量のバラの花を天蓋の上に置き、それを一挙に落として、下にいる客人を窒息させようとした」との話があります。もっとも「ローマ皇帝群像」という信憑性の乏しい後世の書物の記述であり、真偽のほどは全く不明です。その、大量のバラの花が落ちた瞬間を描いたのがこの絵です。画面の中央上の方で寝そべってこの光景を見ているのがヘリオガバルス帝です。画面の左右の中心に描かれ、かつ背景とのコントラストが最も際立っているので、この絵のフォーカルポイント(焦点)、すなわちヘリオガバルスだと分かります。
そういったテーマからすると、この絵は『モーゼの発見』と同じように「歴史上の瞬間」を描いたものであり、古代世界の風俗画ではないし、日常の風景でもありません。とは言え、画家の関心は、
大量のバラの花が画面の半分を覆い尽くす絵を描く
ことだったのが明白でしょう。アルマ=タデマは "花" をたびたび描いています。ヘリオガバルスの逸話を知ったとき、これは絶好の素材だと思ったのでしょう。大量のバラが画面を埋め尽くす絵を "古代ローマの歴史画" として描けるのだから ・・・・・・。
問題は大量のバラの花をどういった構図で描くかです。秋田麻早子著「絵をみる技術」(No.284 で紹介)によると、この絵は黄金分割を使っていると言います。No.284「絵を見る技術」で書いた「黄金分割・黄金長方形」のことを再掲すると次の通りです。
線分ABをG点で分割するとき、AG:GB = GB:AB となるGがABの黄金分割です。AG=1, GB=ϕ とおいて計算すると、ϕは無理数で、約1.618程度の数になります。「1:ϕ」が黄金比です。ϕの逆数は ϕ-1(約0.618)に等しくなります。
辺の比が「1:ϕ」の黄金比の長方形を「黄金長方形」と言います。また、1/ϕ = ϕ-1 なので、辺の比が「1:ϕ-1」の長方形も黄金長方形です。
黄金長方形には特別な性質があります(下図)。黄金長方形のラバットメントライン(黄色の線)は、黄金長方形を「正方形と小さい黄金長方形に黄金分割」します。またラバットメントラインの端点と黄金長方形の角を結ぶと直交パターンになります(青と赤の線)。大きな黄金長方形と小さな黄金長方形は相似なので、2つ線は直交するわけです。
『ヘリオガバルスの薔薇』のカンヴァスの縦横比は、計算してみると 1.618 であり、ピッタリと黄金比になっています。明らかに画家はそれを意識したカンヴァスを使っています。ということは、構図にも応用されているはずです。
黄金長方形は、ラバットメントライン(=長方形の中にピッタリ収まる正方形を作る線)で正方形と小さな黄金長方形に分割できます。ということは、その小さな黄金長方形の中に、さらに小さな黄金長方形を描けるわけで、これを繰り返すことができます。これが構図に生かされているというのが「絵をみる技術」における秋田氏の指摘で、それを次の図に掲げます。確かに人物とバラの花と建物の配置に黄金長方形の構図が生かされています。
2本のラバットメントラインを引き、両側にできる黄金長方形をさらに分割するように線を描いていった図。この線が構図に生かされている。カンヴァスの縦横比は、ほぼ正確な黄金比(= 1.618)であり、この図における斜線は直交している。秋田麻早子著「絵をみる技術」より。 |
パルテノン神殿のフリーズ
ローレンス・アルマ=タデマ 「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」(1868) |
(Pheidias and the Frieze of the Parthenon, Athens) 72.0.cm×110.5cm (バーミンガム市立美術館) |
舞台は古代ギリシャのアテネです。アクロポリスの丘に建設中のパルテノン神殿に足場が組まれていて、その足場の高い所に複数の人物がいます。画面右下の明るい部分に、下へと降りる梯子が見えます。
題名のフェイディアスとは、パルテノン神殿建設の総責任者だった建築家・彫刻家です。またフリーズは、建物に帯状に水平にめぐらされた壁で、多くは彫刻が施されました。この絵では、中央に描かれているのがフェイディアスで、右手にパルテノン神殿の設計図を持ち、招待客に自作のフリーズを披露しています。右手前の男性は、アテネに最盛期をもたらした政治家・ペリクレスで、その右は彼の愛妾だったヘタイラ(古代ギリシャの高級娼婦)のアスパシアです。また画面の左端はペリクレスの遠戚にあたる美貌の青年、アルキビアデスです。アルキビアデスはソクラテスの愛人とも言われていたので、その右の親密そうな人物はソクラテスかも知れません。この絵に描かれたフリーズには、2つの重要ポイントがあります。
パルテノン神殿のフリーズは、現在はギリシャには無く、ロンドンの大英博物館にある(アテネのアクロポリス博物館にあるのはレプリカ)。 | |
フリーズが彩色されている。 |
の2つです。このあたりを、中野京子さんの解説でみましょう。
エルギン・マーブル |
まず、パルテノン神殿のフリーズが、現在はロンドンの大英国博物館に展示されている経緯です。
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アルマ=タデマによるフリーズの再現 |
アルマ=タデマは、大英博物館にあるフリーズを調査・研究して「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」を完成させました。
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アルマ=タデマは大英博物館のフリーズに色の痕跡が残っていることを知って、是非ともオリジナルを再現した絵を描きたいと思ったのでしょう。では、どのようなシチュエーションにするか。フリーズだけを描くのでは "学術資料" になってしまうし、完成後のパルテノン神殿を外から見上げた構図にすると、フリーズは小さくしか見えない。そこで「建設途中のパルテノン神殿の足場の上でフリーズの "内覧会" が開かれる」というシーンにした。このアイデアは秀逸だったと思います。
エルギン・マーブル事件 |
アルマ=タデマはフリーズの彩色の痕跡を調べてこの絵を描いたのですが、現在、同じことをしようとしても不可能です。なぜなら、大英博物館のフリーズはその後洗浄されて白くされ、オリジナルの色の痕跡が無くなってしまったからです。
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日本の仏像も、もともと金箔で光輝くか、極彩色に色付け(四天王など)されていました。その彩色が部分的に残っている像もあり、オリジナル像の復元プロジェクトがあったり、3次元スキャナーで立体像を作って色づけをする研究(=デジタル復元)もされています。
しかしパルテノン神殿のフリーズに関しては、そういった研究は今となっては不可能です。これはひどい文化財破壊です。「自分たちの考えと合わない文化財を破壊する」行為は、近年でも中東でありましたが(仏教遺跡の破壊)、大英博物館の行為も、それと同じとは言わないまでも文化財の損傷であり、考え方がつながっていると思います。しかも、他国から(暴力を使ったわけではないが)"強奪した" 文化財です。
その意味で、アルマ=タデマの「フェイディアスとパルテノン神殿のフリーズ」は貴重な作品です。彼が古代ギリシャ・ローマに強い関心があり、学究的な態度で古代世界を復元しようとした、その姿勢が貴重な絵画を残すことになりました。
パルテノン神殿のフリーズ - 大英博物館 - |
(Wikimedia Commons) |
見晴らしのよい場所
ローレンス・アルマ=タデマ 「見晴らしのよい場所」(1895) |
(A Coign of Vantage) 64.0cm×44.5cm (個人蔵) |
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この絵で目立つのは、その遠近法です。手前から動物像がある奥行き方向に向かう線遠近法と、ガレー船を小さく描いて表現した下方向の遠近法です。この "2重遠近法" による、高所恐怖症の人にとっては目眩が起きそうな構図がこの絵の特徴です。まさに「見晴らしの良過ぎる場所」の光景です。
しかし「見晴らしのよい場所」という日本語訳の題名だけでは、この絵の意味は分かりません。画家がつけた題名は「A Coign of Vantage」で、これはシェイクスピアの『マクベス』からの引用なのです。"coign" とは「壁などが外側に突き出たところ(=外角、突角)」で、"vantage" とは「見晴らしの良い場所、有利な地点」という意味です。壁が突き出たところでは見晴らしが利き、すなわち有利な地点になります。
魔女の予言を受けてスコットランド王・ダンカンを暗殺する意志を固めたマクベスは、ダンカン王と友人のバンクォーを自分の城に招きます。そして2人が城の前に到着したときのバンクォーのせりふに「coign of vantage」が出てきます。
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"coign of vantage" は、岩燕の巣作りに役立つ(=有利な)城の壁の突き出たところ、という意味で使ってあります。マクベスはこの時点でダンカン王の暗殺を決意していて、バンクォーはマクベスの野心を知っている。このことを踏まえると "coign of vantage" には「暗殺に有利な場所」という裏の意味が隠されていると考えられます。
改めて「A Coign of Vantage」が「マクベス」第1幕 第6場からの引用だという前提でアルマ=タデマの絵を見ると、
大理石の建造物の外角(そこは死角なしに270度を見渡せる)に3人の女性がいて | |
この建造物のそばの海岸に2隻の船が到着する様子を眺めている |
ととれる情景です。そして「マクベス」第1幕 第6場ということは、船にはダンカン王とバンクォーが乗っていると想定できます。だとすると、描かれた3人の女性は「マクベス」の第1幕の森のシーンでマクベスとバンクォーを待ち伏せ、マクベスがスコットランド王になると予言した(=そそのかした)3人の魔女ということになります。この絵の魔女たちは「さあ、これから王殺しが始まる、これは見物だ」と思っている ・・・・・・。「見晴らしのよい場所」に描かれた3人が魔女だという解釈は、中野京子さんの「名画の謎 対決篇」(文藝春秋 2015)で知りました。
この3人の美女の姿は、普通に演じられる(または、描かれる)「マクベス」の魔女とは対極の姿です。ただし、「マクベス」第1幕の冒頭で3人の魔女は逆説的なせりふを言います。"Fair is foul, and foul is fair." と ・・・・・・。上に引用した石井先生の訳では "晴れは曇り、曇りは晴れ" ですが、fair を "きれい"、foul を "穢い" ととると、"きれいは穢い、穢いはきれい" です。絵の3人の美女を魔女と解釈するのは全く問題がないことになります。
まとめると、アルマ=タデマの「見晴らしのよい場所」は、古代地中海世界の風景・風俗に、シェイクスピアの「マクベス」を重ね合わせた絵ということになります。その "重ね合わせ" は題名だけで暗示されている。そういった小洒落た絵なのでした。
アルマ=タデマは、19世紀では大変に人気の画家だったそうです。その作品の中から9点を引用しましたが、そのうち6点は個人蔵です。参考にした画集「サー・ローレンス・アルマ=タデマ」(ラッセル・アッシュ解説)には代表作の40作品が掲載されていますが、そのうち21点は個人蔵です。ということは、20世紀の美術界からはあまり評価されなかったということでしょう。
確かにアルマ=タデマの絵画は、革新性があるわけではないし、人間に対する洞察も感じられません。描き方も、ものすごくうまいことは確かですが、古典的です。20世紀の美術界の主流からすると「芸術家としての、画家独特の個性が感じられない」のでしょう。
しかし、古代世界の探求を重ね、想像では描かず研究成果をもとに描き、しかも日常のシーンをまるで "覗き見しているかのごとく" 描くというアルマ=タデマの手法は、それはそれで画家としての立派な独自性だと思います。その独自性に感じ入る個人コレクターは多かったし、またハリウッドの映画人を引き付けるものがあった ・・・・・・。
絵画は他の芸術と違って、テーマや描き方、手法のヴァリエーションが極めて多様であり、そこにこそ魅力の源泉があるのだと思います。
2021-09-04 14:18
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