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No.367 - 南部鉄器のティーポット [文化]

これまでの記事で、NHK総合で定期的に放映されているフランスの警察ドラマ「アストリッドとラファエル」から連想した話題を2つ書きました。

No.346「アストリッドが推理した呪われた家の秘密」(シーズン1 第2話「呪われた家」より)

No.363「自閉スペクトラム症と生成AI」(シーズン2 第6話「ゴーレム」より)

の2つです。今回もその継続で、このドラマに出てくるティーポットの話を書きます。


ダマン・フレール


パリのマレ地区のヴォージュ広場を囲む回廊の一角に、紅茶専門店、ダマン・フレール(Dammann Frères)の本店があります。ダマン・フレールは、17世紀のルイ14世の時代にフランスにおける紅茶の独占販売権を得たという老舗しにせで、ホームページには次のようにあります。


フランス王室に認められた
随一のティーブランド

ダマンフレールの歴史は、1692年、フランス国王ルイ14世によりフランス国内での紅茶の独占販売権を許可されたことから始まりました。それはまた、フランスにおける紅茶の歴史の始まりとも言えます。1925年には紅茶を愛してやまないダマン兄弟により紅茶専門のダマン・フレール社が立ち上げられ、上流階級の嗜好品としての紅茶文化が開花しました。

ダマン・フレールの日本語公式サイトより

ちなみに、フレールとはフランス語で兄弟の意味で、屋号は「ダマン兄弟」です。緑茶や中国茶も扱っているので「お茶専門店」というのが正確でしょう。

パリには4回ほど個人旅行をしましたが、2000年代初頭にダマン・フレールの本店に行ったことがあります。私の配偶者が是非行きたいということで、紅茶のティーバッグをお土産(いわゆる "バラマキ")にするためだったと思います。

Dammann_Freres Paris.jpg
ダマン・フレール本店の店内
(ダマンの公式ホームページより)

店内に入ってみると、いかにも老舗という内装で、その "重厚感" が印象的でした。当時は日本人の店員さんがいたと思います。パリでも日本人観光客がメジャーな時代でした。

そして私が最も印象的だったのは、明らかに日本の南部鉄器と思われる "ティーポット"(日本で言う "急須")が売られていたことです。ただし、黒い鉄色ではなく、色がついていました。このような鉄器の "カラー急須" を見たのは初めてだったので、ちょっとびっくりしたわけです。

南部鉄器の急須.jpg
南部鉄器のカラーのティーポット
ダマンで売られていたものではありません。「ダイアモンド・オンライン」のページより。


アストリッドの愛用品


「アストリッドとラファエル」には、アストリッドの愛用品として鉄器のカラーのティーポットが出てきます。次の画像は、シーズン1の第2話「呪われた家」のもので、アストリッドが勤務する犯罪資料局の執務机の様子です。上の図では、彼女が青色の鉄器のティーポットを取り出して机に置いています。茶筒と湯呑み茶碗もあるので、緑茶(日本茶)を入れるためのものでしょう。その下の画像では、実際にお茶を入れています。

Astrid and Teapot-a.jpg
アストリッドの青のティーポット
シーズン1・第2話「呪われた家 前編」(2022.8.14)より

Astrid and Teapot-b.jpg
お茶を入れるアストリッド
シーズン1・第2話「呪われた家 後編」(2022.8.21)より

アストリッドの自宅の様子が次の画像です。このティーポットも青色ですが、犯罪資料局に持ち込んだものとはデザインが違うようです。

Astrid and Teapot-c.jpg
アストリッドの自宅のティーポット(1)
シーズン1・第6話「存在しない男」(2022.9.18)より

次の画像もアストリッドの自宅ですが、このティーポットは緑っぽい色です。

Astrid and Teapot-d.jpg
アストリッドの自宅のティーポット(2)
シーズン4・第3話「密猟者」(2024.1.28)より

そもそもこのドラマには、日本関連のものが数々登場します。アストリッドが常連客である日本食材店や、犯罪資料局にアストリッドが持ち込んだ半畳ほどの畳、箱根細工(と思われる)"からくり箱" などです。また、アストリッドの "恋人" はテツオ・タナカという日本からの留学生です。ドラマの制作サイドが日本市場を意識しているのでしょう。

しかし南部鉄器のティーポットに関して言うと、それがパリでいつでも買えるものだからこそ、ドラマに登場するのだと思います。20年ほど前にダマン・フレールで見た南部鉄器のカラーのティーポットは、現在でもフランスに愛好者がいることが分かります。

南部鉄器は鋳造なので、ガラスや磁器のティーポットに比べると熱容量が大きく、お茶が冷めにくい。おそらくそこが評価されているのだと思います。また、ヨーロッパにとっては、紅茶や緑茶はもともと東洋からの輸入品です。南部鉄器という "アジアン・テイスト" のアイテムが、お茶にマッチすると考える人もいそうです。


岩鋳


ところで、南部鉄器をヨーロッパに輸出した先駆者は、岩手県盛岡市の「岩鋳いわちゅう」という会社です。南部鉄器といえば江戸時代が発祥の由緒ある工芸品で、盛岡と水沢(奥州市)が生産の中心地です。水沢の会社では "及源おいげん" が有名です。

その岩鋳の鉄器が海外進出した経緯が「ダイアモンド・オンライン」(ダイアモンド社)に出ていました。興味深い話だったので、是非それを紹介したいと思います。「飛び立て、世界へ! 中小企業の海外進出奮闘記」と題する一連の記事の中の一つで、記事のタイトルは、

日本人が知らない南部鉄器の海外人気、フランスから世界へ急拡大(2018.2.8)
 ルポライター:吉村克己
 https://diamond.jp/articles/-/158955

です。まず、少々意外だったのは、岩鋳の製品の半分は海外に販売され、ヨーロッパでは「イワチュー」(IWACHU)が鉄器の代名詞になっていることです。


年間100万点生産し半数が海外へ
欧州で南部鉄器の代名詞となった会社

南部鉄器と言えば、約400年の歴史を持つ岩手県の伝統工芸だ。かつて、日本の家庭には鋳物の鉄瓶や急須が1つはあったものだが、いまでは姿を見かけなくなった。

と思ったら、日本伝統の鉄瓶や急須が欧米や中国・東南アジアで人気になっている。それが日本に逆輸入されて、いま若い女性や主婦などが伝統の良さを再発見しているのだ。

その古くて新しい南部鉄器を生み出したのが、盛岡市に本社を置く岩鋳だ。いまやヨーロッパで「イワチュー」と言えば鉄器の代名詞である。

4代目を継ぐ同社副社長(引用注:現、社長)の岩清水弥生(48歳)はこう語る。

「海外に出て行ってなかったら、今の岩鋳はなかったでしょうし、技術の向上もなかったと思います。海外で売れるようになったからこそ社員の士気も高まったし、若い職人志望者も増えた。当初はつくっても売れるのかなと思ったのですが、やはり自分たちだけでお客様が求めるものを決めつけてはいけませんね」

岩鋳では現在、伝統的な鉄瓶や急須だけではなく、鋳物製の鍋やフライパンなどのキッチンウェアなども手がけ、年間約100万点の鉄器を生産している。これは南部鉄器としては最大規模だ。なんと、その半数が海外で販売されている。世界20ヵ国程度に広がり、国・地域ごとに代理店を通して売っている。

欧米市場では急須が主な商品だ。昔ながらの黒い鉄器ではなく、赤やピンク、青、緑、オレンジなどカラフルで、いわゆる南部鉄器のイメージとは全く違う。その形も、楕円形で注ぎ口が細長いものなどデザインにも工夫を凝らしている。

海外では国内より価格が約2倍半ほど高くなる。国内で6000円ほどの売れ筋の急須でも、1万5000円ほどになるから、決して安いものではないが、紅茶などのティーポットとして使われている。

現代風とは言え、生産はすべて本社で、職人の技を大切にしている。色とりどりながらも鋳物らしい風合い、いわゆる「鋳肌(いはだ)」(鉄の素材感)が活きている

着色はウレタン樹脂を使っているので、無害かつ安全。顧客の要望さえあれば130色ほども再現できるという。内部はホーロー引きでメンテナンスしやすい。つまり、伝統の良さを活かしながらも、南部鉄器の使い方を知らない現代の外国人にも使いやすくしているのだ。

ルポライター:吉村克己
「日本人が知らない南部鉄器の海外人気
フランスから世界へ急拡大」
ダイアモンド・オンライン(2018.2.8)

南部鉄器の急須.jpg
岩鋳のカラーの急須
「ダイアモンド・オンライン」より。

ポイントを何点かにまとめると、次のようになるでしょう。

① 岩鋳は、伝統的な鉄瓶や急須だけではなく、鍋やフライパンなどのキッチンウエアなど、年間約100万点の鉄器を生産していて、南部鉄器としては最大規模である。かつ、その半数が海外20ヵ国で販売されている。

② 欧米市場では、赤やピンク、青、緑、オレンジなどのカラフルな急須が主力商品である。ヨーロッパでは「イワチュー」が鉄器の代名詞になっている。

ちなみに、岩鋳の海外ブランドは "IWACHU" であり、最初に人気に火がついたフランスでは、フランス語読みで「イワシュー」で通っているそうです。

③ 急須の着色はウレタン樹脂を使うが、鋳物らしい風合い = 鋳肌(いはだ、鉄の素材感)を活かしている。また内部はホーローをコーティングしている。

日本古来の急須とちがって、着色するのみならず、急須の内部にはホーロー加工がしてあります。鉄器の急須は、鉄分が溶けだして体にいいとか、お茶がまろやかになると言いますが、そういう効果は期待できないわけです。しかしこれは欧米のニーズに合わせた製品なのです。

もちろん、鋳肌いはだが活きていると書いてあるように、ダマン・フレールで見たときも、一目でアラレ模様の南部鉄器だと分かるものでした。着色も、日本の伝統色を思わせる中間色で、鉄器にマッチしています。

なお、中国や東南アジアでは、欧米とは違い、日本で伝統的な黒い急須や鉄瓶が売れるようです。

その岩鋳の海外進出は 1960年代から始まりました。そして本格的な販売がスタートしたのは、パリの紅茶専門店からの依頼が契機だったのです。


パリの紅茶専門店からの
依頼でつくった急須が大ヒット

岩鋳の創業は明治35年で、115年を迎える老舗だが、南部鉄器の工房としては若い方だ。岩清水の祖父である弥吉は進歩的な人物で、鉄瓶だけでは将来がないと新製品を積極的に開発した。1960年代から手作業以外の工程の機械化を進め、すき焼き鍋や企業向けなどの記念品として灰皿も開発した。

周囲はそうした弥吉の方針に対して、南部鉄器の伝統をないがしろにするものだと批判的だったが、「仕事がなくなったら伝統も何もないし、職人を守れない」と、鉄器を広く知ってもらうように努めた。

海外進出もこうした弥吉の先進性から始まった。1960年代後半には、当時専務だった弥吉の弟が製品を抱えて船に乗り、ヨーロッパに渡って1ヵ月間売り歩いた。微々たる量だったが、日本の文化や鉄器に興味を持つヨーロッパ人が鉄瓶や急須を買ってくれた。

「当時は国内も好景気で、観光客も多く、売り上げが伸びていたので、海外販売にはそれほど力を入れていませんでした」と岩清水。

本格的な海外展開のきっかけとなったのは、パリの紅茶専門店からの1つの依頼だった。カラフルな急須がほしいというのだ。1996年のことである

鉄器は黒いのが当たり前で、それが一番美しいと考えられていた。岩鋳の経営陣も職人も戸惑った。しかし、せっかく頼まれたものを断るのもしゃくだった。

「他の工房と違って、父(岩清水晃社長)も私も職人ではありません。そのため、いい意味でこだわりがないし柔軟で、新しいことにチャレンジするのに抵抗がないのです。それでもカラフルな急須とは驚きました。工場長や職人からも反発はありませんでしたが、せっかくつくっても本当に売れるのか不安だったようです」

鋳肌を活かしながら着色することは予想以上に難関だった。工場長と着色担当の職人に塗料メーカーの協力も得て、3年かけて着色法を開発した。ウレタン樹脂を吹き付けた後、カラフルな塗料を重ね塗りすることで、色合いを表現した

パリの紅茶店に製品を送ると、たちまち人気になり、ヨーロッパ中に口コミで広がっていった。展示会にも出展し、カラフルな急須の売れ行きが伸びた。さらにアメリカに伝播し、アジアにも拡大した。

(同上)

岩鋳にカラフルなティーポットの製作を依頼したパリの紅茶専門店は、マリアージュ・フレールだそうです。マリアージュもパリのマレ地区に本店があり、ダマンから近い距離です。南部鉄器のカラフルなティーポットは、マリアージュでまずヒットし、それがダマンを含む店に広まったということでしょう。

鉄にホーローをコーティングするのは従来からある技術です(各種のホーロー製品)。しかし、鋳造した鉄への着色は従来からの技術ではありません。「3年かけて着色法を開発した」とあるように、かなりの苦労の末に開発した製品だったようです。

そして、記事の最後にある、岩鋳の岩清水社長のコメントが印象的でした。


現地のニーズをよく調べる、
そして必ず足を運ぶのが基本

岩清水はパリの紅茶店オーナーに、なぜ鉄器に興味を持ったのかと聞いたことがある。

男性が使ってもさまになるティーポットがほしかったと、オーナーは言いました。ガラスや陶器は女性っぽいので、カラフルな鉄器なら重厚感があり男性にぴったりだというのです

つくり手側が思いもよらないニーズがあるものだ。それに対して愚直に応えたからこそ、現在の岩鋳がある。海外進出する際に何を心がけるべきか岩清水に聞くと、こう答えた。

「自分たちの商品をそのまま外国に持って行っても、通用しません。私たちは鉄器は黒が最高だと思っていたのに、たまたまお客様の要望で色をつけたら売れた。私たちの押しつけではなく、相手の要望を聞き、現地に足を運ぶことが重要です」

自社の製品や技術力にいかに自信があろうとも、海外でも日本と同じように売れるわけではない。市場の声に耳を澄まし、そこに自慢の技術を投入することが肝要だ。

(同上)

カラフルな鉄器の急須は、我々日本人からすると、女性客を狙ったのだろうと、暗黙に考えてしまいます。無骨な感じの黒の鉄器ではパリジェンヌにはウケないだろうと ・・・・・。依頼を受けた岩鋳の人たちも、おそらくそう考えたのではないでしょうか。

しかしそうではないのですね。岩鋳に依頼したパリの紅茶専門店のオーナーの考えでは「カラフルな鉄器なら重厚感があり男性にぴったり」なのです。少なくとも当初の発想はそうだった。

かなり意外ですが、まさに岩清水社長の言うように「市場の声に耳を澄まし、そこに自慢の技術を投入することが肝要」です。お茶を飲むのは日本(を含む東アジアの)文化であり、南部鉄器の急須もその文化の一部です。しかし、ダマン・フレールを見ても分かるように、フランスにおいても、お茶は数百年の伝統をもつ伝統文化なのです。文化の "押し売り" はうまく行かない。岩鋳はパリの紅茶専門店に導かれて、ニーズと技術のベストなマッチングを作り上げたことになります。



ドラマ「アストリッドとラファエル」に戻ると、アストリッドが愛用する青いティーポットは、実はフランスと日本の2つの文化の接点を示している象徴的なアイテムなのでした。




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