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No.341 - ベラスケス:卵を料理する老婆 [アート]

今まで何回か書いたベラスケスについての記事の続きです。2022年4月22日 ~ 7月3日まで、東京都美術館で「スコットランド国立美術館展」が開催され、ベラスケスの「卵を料理する老婆」が展示されました。初来日です。今回はこの絵について書きます。



卵を料理する老婆


An Old Woman Cooking Eggs.jpg
ディエゴ・ベラスケス
卵を料理する老婆」(1618)
(100.5cm × 119.5cm)
スコットランド国立美術館

この絵は、No.230「消えたベラスケス(1)」で紹介しました。No.230 は、英国の美術評論家、ローラ・カミングの著書「消えたベラスケス」の内容を紹介したものです。この中で著者は、8歳のときに両親に連れられて行ったエディンバラのスコットランド国立美術館で見たのがこの絵だった、と書いていました。彼女の父親は画家です。画家はこの絵を8歳になった娘に見せた。8歳であればこの絵の素晴らしさが理解できると信じたのでしょう。案の定、これはローラ・カミングにとっての特別な体験だったようで、ここから彼女の "ベラスケス愛" が始まった。そして後年、「消えたベラスケス」のような本を書くに至った。そいういうことだと思います。

No.230 に続いて、「卵を料理する老婆」について書かれたローラ・カミングの文章再度引用します。


描かれた場面は、薄暗い居酒屋。その場にあふれる物のひとつひとつにスポットライトが当てられている。赤タマネギ、卵、白い鉢と、そこに危ういバランスで置かれた銀のナイフ、光を反射する真鍮しんちゅうの容器。どれもみな非凡で、まるで祭壇にでも並んでいるかのように、神聖かつ神秘的に見える。ベラスケスはありふれたものに最上級の敬意を払い、ひとつひとつが、まばゆいばかりに美しく描写されている。左側の少年が抱えるひもで縛ったメロンまでが、この世に与えられた新たな賜物たまもののように神々しい光を放つ。

卵を料理する老女と少年は、聖書に出てくる人物でもなければ、ただのモデルでもなく、まだ18歳だったベラスケスがこの傑作を描いた地、セビーリャの庶民だ。イングマール・ベルイマン(スウェーデンの映画監督)の映画に出てくる常連役者のように、二人は別の絵にも登場する。初期に描かれたこの絵では、人物どうしの交流や対話はなく、最低限の演出しかない。老女と少年がじっと物思いにふけっているポーズをとっているのは、描いている若き天才画家と同じ役割を二人が担っているからだ。目的は物を目立たせること ─── つまり、卵やメロン、反射するガラス瓶などを光にかざし、そこに人の注目を集めることなのだ。

この絵全体が人を魅了するために描かれたのは明らかで、目的は達成されている。真っ先に目を奪うのは、驚くべき精緻さだ。きらりと光る鍋の中で、透明な流体と不透明な白い流体が混じり合う卵。液体が一瞬にして個体に変わり、目に見える形を得る。それはちょうど、絵というものが見せる不思議な幻影に似ている。これぞまさに、ベラスケスの象徴と言える絵かもしれない。

ローラ・カミング
「消えたベラスケス」p.37-38

老婆が作っている卵料理は「ウエボ・フリート」(Huevo frito。スペイン風目玉焼き)です。「ウエボ」が "卵"、「フリート」は "揚げた" という意味で、現代のスペインでも作ります。ニンニクを入れたオリーブオイルを鍋にたっぷり入れ、卵を割って、上からスプーンでオリーブオイルをかけながら揚げるように焼きます。この絵の真鍮の容器と道具はニンニクを磨り潰すためのものでしょう。「目玉焼き」よりは「目玉揚げ」「揚げ卵」と言った方が実態に即しているでしょう。

An Old Woman Cooking Eggs(Part).jpg
驚くべき精緻さで描かれた物たちの中でも、ひときわ目立つのがこのウエボ・フリートの卵です。液体から半液体、半固体、固体へと変化する様子がとらえられています。絵には数々の "静物" が描かれていますが、鍋の中で固まりつつある卵は、その "静物" の一つです。しかしそれは、変化しつつある "動的実体" です。まるで時間の経過を画面に捉えたようです。一般に絵画では人物やモノ、自然の「動き」を描くことで時間経過を捉えるのはよくありますが、この絵は動かないものの動き =「物体が変質するという動き」が描かれている。そこがポイントです。

そのウエボ・フリートを作っている老婆は、3個目の卵を鍋に入れようとしています。少年はガラス瓶を持っていますが、おそらくオリーブオイルが入っているのでしょう。それをこれから老婆のスプーンの注ごうとしている(ないしは指示があれば注ごうと待ち構えている)ようです。この調理の動作が2つめの「動き」です。それに加えて、絵には数々のアイテムが描かれています。つまり、

・ ニンニク
・ タマネギ
・ 茶色の鍋
・ 陶器のコンロ(わずかに火が見える)
・ 白い鉢と壷
・ 銀のナイフ
・ 真鍮の容器と器具
・ 鉄の容器
・ メロン
・ ガラス容器
・ 

などで、それぞれの質感が完璧に描き分けられています。もちろん、質感表現と言うなら最初にあげた「固まりつつある卵」がその筆頭です。モノの質感表現に挑んだ絵画は過去から現在までヤマほどありますが、「熱によって変質しつあるタンパク質の表現」をやってのけた絵画は(そしてそれに成功した絵画は)、これが唯一ではないでしょうか。

一方、構図をみると、この絵の構造線は、

・ 老婆の体の中心を通る縦の線
・ 左上からスロープ状に曲線を描いて右下に至る放物線

の2つです。数々の事物と人物が描かれているものの、この2つの構造線によって安定感のある画面構成になっています。また、左からの光によるコントラストの強い明暗の使い方はカラヴァッジョを思わせます。


人間の尊厳を描く


「卵を料理する老婆」を特徴づけるのは、まずそれぞれの事物のリアルな描写であり、次に、構図と光の使い方ですが、されにこれらを越えて「人間を描く」という視点で見ても傑作です。この点について、朝日新聞に的確な紹介があったので引用します。

An Old Woman Cooking Eggs.jpg
ディエゴ・ベラスケス
卵を料理する老婆」(1618)


美の履歴書 750
朝日新聞(2022.6.14 夕刊)

神々しさ 感じるわけは

「卵を料理する老婆」
 ディエゴ・ベラスケス

24歳から3年以上にわたりスペイン王室の宮廷画家として活躍したベラスケスは、生涯で120点ほどの作品を残した。そのうち9点は宮廷画家になる以前に描いた、台所や酒場を舞台にした「ボデゴン」と呼ばれる厨房ちゅうぼう画だ。8歳か9歳で手がけた本作は、その中でも「頂点」と言えるほどに完成度の高い自然主義作品で、10代にして才能が開花していたことを示している。

質素な服を着た老女が、火鉢にかけた鍋で料理をしている。油で熱せられた卵の、今まさに固まりつつある瞬間の描写は、表現技法はもとより、その発想自体に、修業を終えて独立したばかりの、若き職業画家としての自信がにじむ。さらにタマネギや唐辛子などの食材、陶器や金属の器、ガラスの瓶といった日用品の数々も質感の違いを描き分けた。その筆致は「一目見て肌触りがわかるほど完璧」(東京都美術館・高城靖之学芸員)。

制作したのは、スペインが世界の覇権を失い、斜陽化する時代。交易国際都市として栄えたセビリアでも貧富の差は拡大していた。画家の家族か隣人をモデルにしたとされる画中の2人も明らかに身分は低い。だがベラスケスが描いたのは、そうした人々へのあざけりや非難といった卑俗的要素ではなく、威厳をも感じさせる姿。身近な生活にも神は宿るという当時の教えを写し込み、人間の存在や尊厳をありのままにとらえるこの技量こそ、ベラスケスが同時代の他の画家と一線を画すゆえんだろう。栄華去りゆく時代に、単なるリアリズムを超えて清貧な暮らしの神聖さをたたえるメッセージを残したと感じずにはいられない。(松沢奈々子)


松沢記者(文化くらし報道部)の文章を要約すると、この絵から感じられるのは、

・ 油で熱せられた卵が固まりつつある瞬間の描写や、数々の食材や日用品の質感の違いを描き分ける、完璧なリアリズム

・ 単なるリアリズムを超え、人間の存在や尊厳をありのままにとらえる技量

の2つということでしょう。人間の存在や尊厳をありのままにとらえた絵、というのは、まさにその通りだと思います。


画家が10代で描いた絵


この絵は画家が10代の時に描いた作品です。ローラ・カミングの本には18歳とありますが、19歳という説もあります。しかし10代であることには違いない。そして、ベラスケスの10代の絵にはもう1つの傑作があります。No.230 で画像を引用した、

セビーリャの水売り
ウェリントン・コレクション:英国)

です。この絵にはモデルとして「卵を料理する老婆」と同じ少年が登場します。

No.190「画家が10代で描いた絵」で、日本の美術館の絵を中心に10代の作品を取り上げましたが、「作品として完成している」「完璧なリアリズム」「人間の尊厳を描く」という3点で、このベラスケスの2作品に勝るものはないでしょう。ピカソもかなわない感じがします。

No.230 にあったように、これらの作品は画家が自分の技量を誇示するために描いたものと推定されます。じっさい「セビーリャの水売り」は、ベラスケスがマドリードを訪問する際に持参しています(No.230)。つまり「売り込み」です。しかし、たとえ目的がそうだったにせよ、鑑賞者の心をうつ作品になる。技量はもちろんだが、それだけではないと感じさせる一枚になる。アートとは不思議なものだと思います。




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