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No.99 - ドボルザーク:交響曲第3番 [音楽]


チェコ


No.1-2 の「千と千尋の神隠しとクラバート」で紹介した小説『クラバート』は、現在のチェコ領内(リベレツ)で生まれたドイツ人作家、オトフリート・プロイスラーが、ドイツ領内(シュヴァルツコルム)に住むスラヴ系民族・ソルブ人を描いた小説でした。

それが契機で、スラブ系民族の国・チェコにまつわる作曲家の話を2回書きました。

スメタナ(1824-1884)- ボヘミア地方・リトミシュル出身
 No.5「交響詩:モルダウ」
コルンゴルト(1897-1957)- モラヴィア地方・ブルノ出身
 No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」

の二つです。

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今回はその3回目として、チェコの「超大物作曲家」ドヴォルザーク(1841-1904)の作品を取り上げたいと思います。ドヴォルザークはプラハの北北西、約30kmにあるネラホゼヴェスという町で生まれまた人です。ドヴォルザークの時代、チェコはオーストリア帝国の一部だったわけで、町のドイツ語名はミュールハウゼン・アン・デア・モルダウでした。その名の通り、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の沿岸の町です。



ドヴォルザークの名曲はたくさんあり、取り上げたい作品も迷うところですが、交響曲第3番(作品10。33歳)ということにします。初期の作品ですが、それだけにドヴォルザーク「らしさ」がよく現れていると思うのです。


ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 作品10


ノイマン・チェコフィル.jpg
ドヴォルザーク
交響曲第3番 変ホ長調
Op.10(1873)
ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(録音:1985年)
交響曲第3番 変ホ長調 作品10は、スメタナの指揮によって1874年にプラハで初演されました。ドヴォルザークの交響曲で初めて実際に演奏された曲であり、かつ、唯一の3楽章構成の交響曲です。3つの楽章は次のように進みます。なお各章の演奏時間は、ノイマン指揮・チェコフィルのものです。

 第1楽章:Allegro moderato 
(約11分30秒) 

ごく短い序奏があって第1主題(譜例55の最初の5小節)が提示されます。この主題は非常に晴れやかな感じで、なんだか「うきうきした気分」になる旋律です。ベートーベンの田園交響曲の第1楽章には「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」という表題がついていますが、そんな感じもする。現代風に言うと「秋に高原のペンションに1泊した翌朝にすがすがしい朝を迎え、朝食前に少し散歩しよう」という気分でしょうか。

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譜例55は第1ヴァイオリンのパートですが、この主題は16分音符(A)が特徴的であり、次に音階を単純に上昇します(B)。そして7小節目以降でオーケストラは、スキップするようなリズム(第1ヴァイオリンではCの部分)を続けるという構成になっています。AやCのリズムは第1楽章全体でたびたび現れます。またCのリズムは第3楽章で重要な役割を果たすことになります。

第1主題が展開・変奏され、何回か繰り返されたあと、第2主題(譜例56)が出てきます。変ト長調の音階を4つの音で下るというシンプルな出だしですが、愛らしくて印象的な動機です。第1主題(譜例55)には、変ホ長調の音階を8つの音で単純に上るところがありましたが(Bの部分)、音階をシンプルに上ったり・下ったりが、なぜこうも魅力的に聞こえるのか。「ドヴォルザーク・マジック」と言ったところでしょうか。

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オーボエが短調で第1主題を演奏する付近からが、いわゆるこの楽章の「展開部」です。すぐに長調に戻り、第1主題と第2主題の数々の変奏や発展形が続きます。

そのうちに第1主題が冒頭の形で再現される部分が出てきます。以降は第1主題だけを軸とした展開が続き、その流れで楽章は終わりを迎えます。

第1楽章はいわゆる「ソナタ形式」ですね。その伝統的な形式を踏まえて作られています。

 第2楽章(約17分) 

第2楽章は、Adagio molto, tempo di marcia と題されていて、

 第1部
 第2部
 第3部(終結部)

の3部構成をとっています。Tempo di marcia とは「マーチのテンポで」という意味ですが、行進曲という感じはありません。あくまで静粛に演奏される「リズムが行進曲風」の楽章で、全体的にゆっくりしたテンポで演奏される緩徐楽章になっています。

第1部の主題は、この楽章の冒頭から演奏される譜例57です(譜例57はオーボエとイングリッシュホルンのパート)。この主題の中の16分音符(6連符)のパターン(D)は以降もたびたび現れ、第1部を支配します。

譜例57.jpg

この主題の変奏や発展で第1部は進行します。途中に譜例58のような新たな動機も出てきますが、ちょっとした寄り道という感じで、すぐに主題(譜例57)を軸とした展開に戻ります。

譜例58.jpg

第2部で曲想はガラッと変わります。主題は譜例59で、オーケストラにはハープも加わります。

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途中に譜例60譜例61の新たな旋律が出てきますが、これもちょっとした寄り道で、あくまで譜例59の発展型が主体で音楽が進行します。

譜例60.jpg
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第2部の途中(譜例60譜例61の間)に、金管が譜例59をファンファーレ風に演奏し、その裏で弦楽器群が分散和音を演奏するところがありますが、このあたりはワーグナーの音楽を連想させます。

そうこうしているうちに第1部の動機が混じり始めて、曲は終結部(第3部)へと向かいます。

終結部では第1部の主題(譜例57)が回帰します。第1部の回想が続いたあと、最後に弦楽器とハープの奏でる和音の音形に乗って、金管・木管が第2部の主題(譜例59)コラール風に演奏し、第2楽章は終わります。このあたりもワーグナー風の響きというか、ないしはブルックナーのような感じがするところです。

 第3楽章:Allegro vivace(約9分30秒) 

第3楽章には約30秒間の序奏がついています。その動機が譜例62です。

譜例62.jpg

この動機は第2楽章・第2部の主題(譜例59)と関係しています。曲のテンポは全然違いますが、リズムが似通っています。序奏の後に演奏される主題(譜例63)がこの楽章全体を支配する旋律です。

譜例63.jpg

これはいかにも「舞曲風」というか、飛び跳ね、スキップして踊っているような、明るく快活で、うきうきするような主題です。この「うきうき感」は第1楽章の第1主題(譜例55)と双璧でしょう。しかもこの主題は、第1楽章の第1主題の断片(譜例55のCの部分)の発展型です。いや話は逆で、譜例63の動機とリズムがまずあって、それを第1楽章の第1主題に埋め込んだとも考えられる。おそらくこの方が当たっていると思います。

ちなみに、この交響曲は楽章をまたいでリズムの類似した部分がいろいろ出てきます。
譜例55のC(第1楽章)
  ⇔ 譜例63(第3楽章)
譜例55のA(第1楽章)
  ⇔ 譜例57のD(第2楽章)
譜例59  (第2楽章)
  ⇔ 譜例62(第3楽章)
などです。このあたりは、作曲上の「計画性」を感じさせます

第3楽章にはこの主題(譜例63)の変形や、そのままの再現が繰り返し出てきて、その間に別の曲想の動機(譜例64)や譜例63の変奏形(譜例65)が挟み込まれるという構成で曲が進行していきます。

譜例64.jpg
譜例65.jpg

その意味で、いわゆる「ロンド形式」に近いのですが、ちょっと異質な面もある。主題(譜例63)は次々と変形されていき、その中で新たな旋律が出てくる。そうこうしているうちに主題がもとの形で再現したり、また新たな変奏が始まったり、ないしは意外な展開をしたりする。個々の旋律や動機は魅力的で、その過程が楽しい・・・・・・。そういう感じの作りになっています。

主題と変奏は約8分間続き、終結部に入ると飛び跳ねるような主題の符点音符の音型が繰り返され、熱狂のうちにシンフォニーは終了します。

この第3楽章は、ひょっとしたらベートーヴェンの交響曲 第7番の第4楽章を意識しているのではないでしょうか。つまり、ドヴォルザーク「交響曲 第3番」とベートーヴェン「交響曲 第7番」は、

最終楽章において、舞曲風のリズムが何度も執拗に繰り返され、Allegro の疾走感が持続する中で熱狂的なフィナーレを迎える

という点がよく似ています。


音楽の構造と魅力


ドヴォルザークの交響曲 第3番は、ドヴォルザークの作品の中でも大変に魅力的で、個人的には非常に好きな曲です。その魅力はどこにあるのでしょうか。

この交響曲は、ベートーベンやブラームスのシンフォニーのように構成や組立てがはっきりしている曲ではありません。ドヴォルザーク自身の交響曲と比較しても、後期の交響曲(7番、8番、9番)のような「ガッチリした」ものではない。

確かに第1楽章はソナタ形式ですが、第2・第3楽章となると構成が甘く、崩れかけています。全体が3楽章というのも、その「崩れ」を象徴的に表している感じがする。

第2楽章などは「不必要に長い楽章」です。推測すると、A-B-Aという「3部形式」にしようとしたが、A-Bだけで長くなり過ぎ、あわてて短いAをつけ加えて終わらせたという感じがします。

第3楽章の主題は特徴的で非常にはっきりしています(譜例63)。この「主題の繰り返し」の間に譜例64譜例65のような要素が挟み込まれるのですが、主題が完全な形で繰り返されるのは1回だけに過ぎず、あとの繰り返しは主題の「断片」や「変奏」です。

さっき書いたように、主題が何回か繰り返され、その間に別の要素が挟み込まれるのを「ロンド」と言います。主題が同一の形で4回とか5回とか出てくると「ロンドという形式感」を感じるのですが、第3楽章はそこからは離れています。自由な発想による変奏曲だと言った方が、より当たっているかもしれません。



交響曲 第3番の3つの楽章全体を聞いていて感じることは以下のようです。

一つの動機が出てくると、その動機は変容し、装いを新たにして現れる、その中に新たな旋律が出てきて、それがまた展開される。そうこうしているうちに主題が再現し、また新たな変奏が始まる。何となく「とりとめのなさ」を感じてしまうが、個々の旋律や動機は魅力的・・・・・・。

ちょっ脇道にそれた「たとえ」を書きますと、花が咲いている野原をあちこち歩き回る感じです。野原の中に道はあるが、美しい花を見つけると道からそれて見に行く。その向こうにも別の花があるからまた行く・・・・・・。そうこうしているうちに道を見失わないように元に戻る・・・・・・。

もっと脇道にそれた「たとえ」と言うと、ショッピング・モールを見て歩く感じです。目的の商品はあるが、それよりも「見て歩くこと」と「買うこと」が真にやりたいことであり、「目的の商品を買う」のはあくまで真にやりたいことの付随物である。従って結果として目的以外の買い物をしてもよい・・・・・・。

別の作曲家の音楽を引き合いに出すと、シューベルトの作品の中には「不必要に(?)長い曲」がありますよね。ピアノソナタのあるものとか、交響曲でいうと「第8番 ハ長調 グレート」です。「グレート」の演奏には50分以上かかります。同等の素晴らしい曲がもっとコンパクトに作れるはずという思いがつのっても、シューベルトは「やめてくれない」。途中で聴くのをやめようとも思うが、美しい旋律や魅惑的な動機が次々と出てきて、やめるにやめられず、結局、全部聴いてしまう・・・・・・。ドヴォルザークのこの曲も、何となくそれと似た雰囲気があります。

ドヴォルザークの交響曲 第3番は「何かを達成しようとする音楽」ではありません。今演奏されている「音楽の流れそのものや、過程と細部に意味がある曲」です。もともと何かを達成しようして書き始めたのかもしれないが、次々と沸いてくる曲想に作曲家自身が裏切られてしまい、楽章間のリズムの類似性に見られるような「計画性」が曖昧になってしまった。そんな感じをうける曲です。



構成が崩れかけていると言いましたが、それは別に悪いことではありません。それは非難の言葉ではなく、魅力の表現です。この曲は崩れかけているからこそ、ドヴォルザークの音楽精神と言うか、パッションが直接的に表現されていて、聴くと「生身の作曲家に向かい合っている」という感覚になる曲です。そして、作曲家の豊かな発想の流れ中に、譜例55譜例63のような、大変に印象的でインパクトのあるメロディーが宝石の様に輝いている・・・・・・。

「ドヴォルザーク大好き」という人は多いと思いますが、ドヴォルザークの音楽が好きだという要因、その要因となっている作曲家の特質が如実に現れている曲、それが交響曲第3番だと思います。




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