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No.100 - ローマのコカ・コーラ [社会]

No.7「ローマのレストランでの驚き」で、ローマのテルミニ駅の近くのレストランで見たテレビ番組の話を書きました。素人しろうと隠し芸勝ち抜き戦(敗者が水槽に落ちる!)に、オペラ『ノルマ』のソプラノのアリアを歌う男性が出てきて驚いたという話でした。

この時のローマ滞在で、もう一つ驚いたというか「印象に残った」ことがあったのでそれを書きます。

  No.7 は3年前に書いた記事ですが、なぜそれを思い出したかと言うと、最近、ウッディ・アレン監督の『ローマでアモーレ』を見たからです。この映画では、葬儀屋の男が実は美声の持ち主という設定があり、家でシャワーを浴びながらオペラのアリアを歌うシーンが出てきます。ただし、以下の話はオペラとは全く無関係です。


テルミニ駅の近くのホテル


ローマに着いた当日のことです。テルミニ駅の近くのホテル(日本人もよく泊まる、わりと有名なホテル)に到着したのは夜の9時ごろだったので、食事はそのホテルのレストランでとることにしました。そのホテルのレストランで目にした光景です。

私たち夫婦のテーブルの近くに、明らかにアメリカ人だと分かる夫婦がいました。その夫婦がコカ・コーラを飲みながら食事をしてたのです。誰でも知っている例の「コカ・コーラの瓶」がテーブルに置いてあったのですぐに分かりました。

この光景に少々「違和感」を抱きました。それはまず「観光でイタリアのホテルに来てまでコカ・コーラを注文しなくてもよいのに」という率直な感じです。


違和感の原因


CocaCola - contour bottle.jpg
1915年にデザインされたコカ・コーラの歴史的な瓶、コンツアー・ボトル(contour bottle)。日本で初めての「立体商標=形そのものが商標」となった。日本コカ・コーラ社のホームページより引用。

しかしこれは、違和感を持つ方がおかしいわけです。イタリアのホテルでのコカ・コーラが「イタリアに抱く暗黙のイメージ」に反したのは確かですが、グローバル化の現代、コーラはあたりまえでしょう。ローマの街角にマクドナルドがあるのと同じです。レストランでコーラを要望するアメリカ人旅行客がいるという事実がある限り、ホテルがそれに応えるのは当然だと言える。

さらに、食事の際に何を飲もうと自由です。お酒はもちろんのこと、牛乳であってもよいし、トマトジュースであってもかまわない。もちろんコーラでもよい。コーラの甘みが食事の味を減じるとは思うのですが、本人がそれで満足であればよいわけです。

とは言うものの、今から自己分析してみると、もっと根本的な違和感の理由があるように思えます。それは単なる「コーラ」ではなく「コカ・コーラ」であったことが大きいと思うのです。つまり、

  アメリカの企業・2社(コカ・コーラ社とペプシコ社)がほぼ独占的に供給するアメリカ発の食品(飲料)を、イタリアのホテルのレストランで、アメリカ人旅行客が、食事の時に飲む

ということが、グローバル企業の戦略と密接に結びついていると考えられ、そこに「引っかかるもの」を感じたのだと思います。

コーラは、ハンバーガーやディズニーランド、ハリウッド映画と同じく「アメリカ文化」の典型、ないしは象徴です。そのアメリカ文化・コーラの主役は、アメリカに本社を置く2社のグローバル企業です。そしてコカ・コーラがイタリアのホテルのレストランで飲まれるまでになったのは、2社のビジネス戦略における

独占(寡占)
人々の嗜好に対する教育

の結果だと考えられるのです。

  以降、
  コカ・コーラ :飲料(= Coke)
コカ・コーラ社:企業名
と区別します。またコカ・コーラをペプシコーラと置き換えたとしても、以下の話は同じです。


コカ・コーラ社の戦略 = 独占


現代の自由主義経済では、規制業種を除いて本当の独占はないので、独占的状態、ないしは寡占状態を含めて「独占」と言うことにします。要するに、少数の企業の寡占状態があり、その少数企業が市場をコントロールをしている状況です。

一般の工業商品の寡占は色々あります。それはまず「特許」があるからです。以前の記事では、No.88「IGZOのブレークスルー」で書いたシャープのIGZO液晶ディスプレイがそうです。医薬品のビジネスも特許が重要です。特許切れの薬と同じ成分で製造するのがジェネリック薬です。

マイクロソフトのWindowsやOffice、IEなどの製品は、特許で固められているわけではありませんが、「利用者が多いほど便利になり、多数派に従わないと不利になる」という理由で寡占状態になったものです(いわゆる、ネットワーク外部性)。さらに、他社の追従を許さない飛び抜けた技術を持っていて独占的地位にある企業もあります。どちらかというと中規模以下の企業に多い。

しかし、食品(飲料を含む)は独占しにくいはずだと、我々は暗黙に考えています。特に広く行き渡っている食品はそうです。飲料で言うと、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、ボトル・ウォーター、ジュース、牛乳、コーヒー、紅茶、などは、それぞれの品目で多数の企業が競っています。基本的食料である米、小麦、野菜、牛肉、鶏肉、卵、大豆などもそうです。どこかの企業体が独占しているとか、寡占状態にあるということはない。

しかし「コーラ」は、世界的にみてもかなり広まっている飲料であるにもかかわらず、寡占状態(コカ・コーラ社とペプシコ社)が続いています。

実は「コーラ」に明確な定義はありません。120年ほど前にコーラがアメリカで発売された当時はコーラの実(コーラナッツ)のエキスが使われていましたが、現在は使われていないと見られています。コーラは「甘みと酸味があって、独特の香料の味がする炭酸飲料」であり、要するに「コカ・コーラとペプシコーラのような味の炭酸飲料がコーラである」と定義するしかないのです。

「現在はコーラナッツのエキスが使われていないと見られている」と説明したのは、レシピが不明だからです。コーラのレシピは極秘にされています。


日本コカ・コーラによると、コーラ原液の配合は「極秘」。米コカ・コーラ社の幹部でも数人しか知らないそうです。その配合を記した書類は、アトランタにあるコカ・コーラ博物館の金庫に納められています。ペプシもまた、配合は極秘としています。

(朝日新聞 2013.9.21)

他の飲料メーカでも、コカ・コーラ(ないしはペプシコーラ)相当の飲料は作れると思います。現代は化学分析の技術が極めて発達しているので、コカ・コーラの成分は詳細に分かるでしょう。似た炭酸飲料を作り出すことはできると思います。

しかしたとえ技術的に作れたとしても、どういう原料からどいういうプロセスで原液を作るか(=レシピ)が問題です。コスト面でコカ・コーラに対抗できないとビジネスとしては成り立ちません。さらに「味」が問題です。コカ・コーラ(ないしはペプシコーラ)の味に慣れてしまった消費者にどう売り込むのか。それは大きな壁になると思います。

その意味で、キリンのメッツ・コーラ(2012年発売)の(日本での)ヒットは画期的でした。食物繊維を配合し、食事の際に脂肪の吸収を押さえる効果があるということで、特定保険用食品(トクホ)に認定されました。初めての「トクホのコーラ」です。なるほど、こういうアプローチがあったのかと感心します。

こういったキリンの「挑戦」はあるものの、コカ・コーラ社、ペプシコ社の寡占状態は(今のところ)変わらないようです。その独占・寡占の源泉に、製品のレシピ(原料と製法)が秘匿されていることがあるわけです。


コカ・コーラの戦略 = 教育


コーラはグローバル企業・2社の寡占状態です。しかし清涼飲料全体を見ると「競争相手」は多いわけです。統計によると、日本では清涼飲料の生産量の18%が「炭酸飲料」であり、炭酸飲料の40%がコーラです。清涼飲料に占めるコーラのシェアは約7%ということになります。コーラ発祥の国、アメリカではもっと多いでしょう。

清涼飲料水の生産量.jpg
日本における清涼飲料の生産量
(朝日新聞 2013.9.21)

この状況の中でコーラの市場を拡大するには「炭酸+独特の味」というコーラに、子供の時から慣れてもらうことが必要です。「やみつき」とは言わないまでも、ある種の習慣性になるのがベストです。いわば「教育」が大切なわけです。

このためにコカ・コーラ社がとっている戦略が、ファスト・フードのチェーンに対する徹底的な売り込み(提携)だと思います。アメリカ発のファストフード店ではコーラがメジャーな清涼飲料として売られています。マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、ミスター・ドーナッツ、サブウェイなどです。もちろんファストフードは子供だけのものではありませんが、特にアメリカ発のファストフード店は若年層が多い。日本発祥の牛丼とかの和食系ファストフードとはだいぶ違います。

さらに、これはアメリカでの話ですが「学校への売り込み」がされています。アメリカのジャーナリスト、エリック・シュローサーが書いた「ファストフードが世界を食いつくす」という本があります(楡井浩一訳。2001年。草思社。原題は、Fast Food Nation = ファストフードの国)。この本に、要約すると次のような記述があります。

1997年8月、コロラドスプリングス第11学区は、コカ・コーラ社を学区の独占的飲料供給者とする10年契約を結び、これが全米で最初の例となった。

この契約により学区は、契約期間中に、最高1100万ドルの収入を得る。

この契約では、年間の売り上げノルマが決められている。第11学区は少なくとも年7万箱のコカ・コーラ社製品を売る義務があり、それが達成できないと、コカ・コーラ社からの支払いが減額される。

学区は、初年度にはノルマが達成できず、21,000箱しか売れなかった。

学区とは、英語でスクール・ディストリクト(School District)です。アメリカでは「州」(State)の下に「郡」(County)があり、その下に「学区」があって教育行政を司っています。学区の運営費用(教育に関わる費用)はその地域からの固定資産税でまかなわれ、しかも独立採算です。教育設備や資材、教員の報酬などを充実させようとすると、収入をどう増やすか(=独自財源の確保)が問題になる。

Fast Food Nation.jpg
エリック・ シュローサー
「ファストフードが 世界を 食いつくす」
(草思社 2001年)
アメリカの都市を歩いても自動販売機は見かけたことがありません。ところが学校には各種の自動販売機が置かれています(学校では盗まれる心配がないからだと思います)。この自動販売機からの収益の一部は学区の収入になります。また、スクールバスに広告を表示するといった例もあるようです。

上に引用したコロラドスプリングス第11学区の事例は、こういった「アメリカ事情」の文脈で理解する必要があります。コカ・コーラ社が製造・販売しているのはコカ・コーラだけではないので、他の飲料も含めた「コカ・コーラ社製品」の学区へのマーケティングと解釈できますが、その中でもコカ・コーラが重要な位置を占めているのは確かでしょう。

「学校への売り込み」は日本では考えられないことですが、この事例で言えるのは「コカ・コーラ社は若年層へのマーケティングに熱心だ」ということでしょう。コカ・コーラ社はグローバル企業です。世界中の国でコカ・コーラが販売されています。国によって販売促進の方法が違ってくるのは当然ですが「マーケティングの基本的考え方」は変わらないと思います。コカ・コーラ社はファストフード店との提携を含め、若い人たちや子供たちへの「教育」に熱心だと感じます。要するに「国民飲料」になってしまえば、企業としては安泰なわけです。かつ、寡占状態が維持できれば。


食料・食品と企業活動


ローマのホテルのコカ・コーラを思い出して考えたのは、消費者の「選択の自由」です。消費者サイドの自由意志による選択が、実は供給サイドによって作り出されている、ということは当然あるわけです。その「供給サイド」が、一握り企業で占められているケースがある。

それはファッションとかデジタル機器なら良いが、食品ではどうなのでしょうか。食品は人間が直接摂取するもので、健康に直結します。医薬品はそれ以上に健康に直結しますが(副作用など)、政府の厳しい認可管理がされています。それでも問題が起こる。

現代のコーラが健康問題を引き起こすというわけでは全くありません。昔と違って、カロリーもゼロになっています。しかし一般的に言って、食品という人間の健康に直結するものが、利益の最大化が目的である企業、それも一握りの企業のコントロール配下におかれると、問題を起こすことがあるのでは、という点を十分考えておくべきでしょう。

コーラは、たとえなくなったとしても(少なくとも日本では)大きな問題にはならないと思います。前のグラフでも明らかなように、清涼飲料の選択肢はほかにいっぱいあるからです。また、企業による独占といっても、コーラだけの問題であればどうということはないと思います。しかし一般に食料・食品が独占されると問題が起きる可能性がある。特に、代替がしにくい基幹食料である米、小麦、大豆などです。この点に関して非常に気になるのは、近年世界で問題になっている遺伝子組換え作物(GM作物。大豆、とうもろこしなど)です。このあたりは、我々消費者としても意識を高めていかないといけないと思います。




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