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No.229 - 糖尿病の発症をウイルスが抑止する [科学]

今回は、No.225「手を洗いすぎてはいけない」と同じく、No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 をごく簡単に一言で要約すると、

  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫疾患)のリスクが増大する

ということでした。「衛生仮説」と呼ばれているものです。その No.119 の中に糖尿病のことがありました。今回はその糖尿病の話です。

糖尿病には「1型糖尿病」と「2型糖尿病」があります。我々がふつう糖尿病と呼ぶのは「2型糖尿病」のことで、肥満や過食といった生活習慣から発症するものです。もちろん、生活習慣から発症するといっても2型糖尿病になりやすい遺伝的体質があります。No.226「血糖と糖質制限」で書いた糖質制限は、もともと2型糖尿病を治療するためのものでした。

一方、「1型糖尿病」は遺伝で決まる自己免疫疾患です。幼少期から20歳以下の年齢で発症するので、小児糖尿病とか若年性糖尿病とも言われます。これは、膵臓すいぞうにある膵島すいとう(ランゲルハンス島)を攻撃する自己免疫細胞が体内で作られ、膵島のβ細胞で生成されるインスリンが作られにくくなり(あるいは作られなくなり)、血糖値が上昇したままになって糖尿病になるというタイプです。No.119 で、この「1型糖尿病」について次の意味のことを書きました。

「1型糖尿病」は20世紀後半に激増した。

「1型糖尿病」の発症をそのままにしておくと生殖年齢まで生きられない。

唯一の治療法はインスリンの投与だが、インスリンは1920年代になってから医薬品としての使用が始まった。

なぜ遺伝子変異による致死性の自己免疫疾患が人類に伝わってきたのか。これは、1型糖尿病の発症を押さえる要因が以前はあったが、現代になってその要因がなくなったことを示唆している

この「1型糖尿病の発症を押さえる要因」とは何か、最近になってそれが解明されつつあります。それは No.119-120「"不在" という伝染病」のテーマであった「微生物と免疫関連疾患」に関係しています。そのことを「日経サイエンス」の記事から紹介します。


衛生仮説と1型糖尿病


日経サイエンスの2018年4月号に「1型糖尿病ワクチン - 衛生仮説が示す可能性」という解説記事が掲載されました。著者はアメリカのクレイトン大学(ネブラスカ州)のドレッシャー教授と、ネブラスカ大学のトレイシー教授です。この記事はまず、副題にある「衛生仮説」からはじまります。


30年近く前、英国の疫学者ストラッチャン(David P. Strachan)は花粉症や湿疹、喘息が20世紀になってから増えた理由を説明するため、直感には反するが明快な仮説を提唱した。彼は英国におけるこれらのアレルギー疾患の上昇率と、産業革命以降の生活水準の向上、特に幼児期に感染症にかかる例が激減したこととを関連づけた。生後1年以内に細菌やウイルスに曝露して生き延びることが、後の人生でこうしたアレルギー症状が表れるのをなぜか防ぐのだと彼は推測した。

現在「衛生仮説」として知られるこの仮説は本来アレルギー疾患に関するものだが、研究者たちはその後、この仮説の基本的な考え方を他の様々な疾患の歴史的増加を説明するのに用いてきた。ポリオや多発性硬化症、1型糖尿病の増加だ。多くの疫学調査によって、工業化がヨーロッパから北米その他に広がるにつれてこれらの疾患が増えたことが明らかになっている。

ドレッシャー、トレイシー
「1型糖尿病ワクチン」
(日経サイエンス 2018年4月号)

引用に出てくるポリオ(いわゆる小児麻痺)はポリオウイルスによって引き起こされますが、19世紀後半以降に大流行しました。多発性硬化症は神経細胞の保護膜(=ミエリンしょうNo.169「10代の脳」参照)を免疫系が攻撃する自己免疫疾患で、20世紀後半に世界のいくつかの地域で倍増しました。ドレッシャー、トレイシー両教授の研究テーマである1型糖尿病(=自己免疫疾患)も同様で、20世紀前半に増え始め、1950年代に激増しました。


激増する1型糖尿病



私たちの研究はストラッチャンが抱いたのと同様の根本的な疑問から始まった。以前は非常にまれだった1型糖尿病が1950年代には流行病となったのか ?

古代のギリシャやアラブ、インド、中国の医師はみな、あるまれな病状を記録に残している。急速な体重減と異常は喉の渇き、甘い尿などを特徴とするもので、これが1型糖尿病を指しているのはほぼ確実だ。

個々の病院のデータから推定して、20世紀初めには15歳未満の子供10万人につき1~2人が1型糖尿病に罹患していたとみられる。これに対し現在の数字は米国の一部では10万人あたり約20人、フィンランドでは同60人を超え、気がかりなことになおも増え続けている。

ただし増加のペースは一定でなかった。いくつかの国では長年じわじわと増えた後、20世紀半ばになって急増しはじめた。その後の1型糖尿病の増加は世界平均で年率3~5%と計算されている。2010年の1型糖尿病の罹患率は1998年に比べて40%も高まっている。

(同上)

日経サイエンス 2018-4.jpg
2型糖尿病と違って1型糖尿病は肥満や過食などの生活習慣が原因ではありません。遺伝性の自己免疫疾患で、発症リスクを高める遺伝子がいくつかあることが分かっています。しかし20世紀後半の1型糖尿病の急増の原因が遺伝子の変化ではありえません。DNAはこのような短期間では変化しないからです。急増は何らかの環境要因によるものと考えられます。

興味深いことに「赤道から遠く離れるほど発症例が多くなる」という研究が複数あります。ということは、日光を浴びると体内で作られるビタミンDが欠乏すると発症例が多くなるのかと疑われますが、そうでもないのです。フィンランドなどのいくつかの北国で「日照時間の短い地域よりも長い地域で1型糖尿病の有病率が高い」ことが疫学調査で分かったからです。

さまざまな環境要因が検討されるなかで、ある種のウイルスが1型糖尿病の発症に深くかかわっている疑いが出てきました。


エンテロウイルスと1型糖尿病


エンテロウイルスと総称されるウイルス群があります。エンテロとは古代ギリシャ語で "腸" を意味し、その名のとおり腸で増殖するウイルスの総称です。小児麻痺を引き起こすポリオウイルスはエンテロウイルスの仲間です。また手足口病もエンテロウイルスで引き起こされます。このエンテロウイルスが1型糖尿病の発症と進行にかかわっているという報告が相次ぐようになりました。


これまでに約40本の論文が1型糖尿病の発症と様々なエンテロウイルスの存在を強く関係づけている。死亡患者の膵臓組織からウイルスもしくはその遺伝物質が単離されているのだ。また、ある種のエンテロウイルス感染が1型糖尿病の進行に長期的な役割を果たしている可能性を示した研究もある。

(同上)

エンテロウイルスは100種以上のウイルスの総称で、その中のいくつかが1型糖尿病と関わっているようです。「コクサッキーB群」と呼ばれる6種のエンテロウイルスも関係が疑われるものです。

一般的にあるウイルスが病気の原因であることを証明するためには、患部からウイルスを単離する必要があります。しかし人間の膵臓から組織を安全に採取するのは外科的に極めて困難です。そこで著者たちはマウスを使って実験をはじめました。

「NODマウス」という系統のマウスがあります。NOD とは Non-Obese Diabetic の略で、直訳すると "非肥満性糖尿病の" です。糖尿病だが肥満ではない、つまり "1型糖尿病の" という意味です。その名のとおり NODマウスは何もしなくても1型糖尿病を発症します。さらに NODマウスはコクサッキーB群ウイルスによく感染することが分かりました。そこで著者たちは、NODマウスとコクサッキーB群ウイルスを使って実験を始めました。


私たちは2002年、無菌環境下に保たれたごく若い NODマウスに人為的にコクサッキーB群ウイルスを感染させた。これらのマウスは感染させなかった対照群と比べ、後に1型糖尿病を発症する率が大幅に低くなった。早期に病原体に曝露することが1型糖尿病の発症を防ぐ効果があるとする仮説を支持する結果だ。

興味深いことに、この効果はどのコクサッキーB群ウイルスによっても生じた。ただし保護効果の程度はウイルスのタイプによって違うようだった。フィンランドのタンベレ大学のウイルス学者フィオテらの実験も同様の結果を示した。

(同上)

若いNODマウスにコクサッキーB型ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症リスクが大幅に減るという実験結果が得られました。では、コクサッキーB群ウイルスが1型糖尿病の発症を防ぐメカニズムはどうなっているのでしょうか。それを調べるため、著者たちはさまざまな年齢のNODマウスで実験をしました。


私たちは異なる年齢のマウスにコクサッキーB群ウイルスを感染させ、30週間以上にわたって観察した。何年も実験を重ねた結果、高齢の NODマウスに感染させた場合には、1型糖尿病の発症が減るのではなく、むしろ増えることがわかった。若い NODマウスで観察された先の結果とは対照的だ。

私たちはエンテロウイルスが高齢 NODマウスの膵島細胞に感染して増殖し1型糖尿病の発症をもたらすには、膵臓がすでに炎症を起こしている必要があると結論づけた。つまり、インスリンを作る膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されている状態だ。

(同上)

両教授の結論は、1型糖尿病はまだ発症していない段階だが、膵島細胞が自己免疫T細胞によってすでに攻撃されて炎症を起こしている段階でコクサッキーB群ウイルスに感染するとウイルスが1型糖尿病の発症を早める、ということです。コクサッキーB群ウイルスは、若い NODマウスに感染するときと、成熟した NODマウスに感染するときでは働きが違うわけです。

ウイルスの感染によって病気が発症したり症状が悪化するという話は比較的わかりやすいものです。ではなぜ、若いNODマウスにコクサッキーB群ウイルスが感染すると1型糖尿病の発症が抑えられるのでしょうか。その理由は別の研究者が解明しました。


ラホヤ・アレルギー免疫学研究所(カリフォルニア州)のフォン・ヘラート(Matthias von Herrath)らの研究から、生後早期(自己免疫攻撃が始まる前)にエンテロウイルスに感染すると制御性T細胞の生成が刺激され、その細胞が成人期まで存続することが示された。

制御性T細胞は自己免疫性T細胞の生成を抑えることで1型糖尿病を防ぐ。だが膵臓が自己免疫性T細胞ですでに炎症を起こしていると(高齢の NODマウスでは自然にそうなる)、ウイルスは膵島細胞で増殖することが可能になり、この細胞を傷つけて糖尿病を加速する。

言い換えると、エンテロウイルスは NODマウスの1型糖尿病を防ぐことも促進することも可能で、どちらになるかは感染時の年齢による。

(同上)

ここでまた出てきたのは、大阪大学の坂口教授が発見した「制御性T細胞 = 免疫の発動を抑制する免疫細胞」です。"また" というのは、このブログで制御性T細胞について過去に2回書いたからです。

腸内細菌であるフラジリス菌がもつPSAという物質が、未分化のT細胞を制御性T細胞に分化させる。── No.70「自己と非自己の科学(2)」

腸内細菌であるクロストリジウム属を抗生物質で徐々に減らすと、ある時点で制御性T細胞が急減し、クローン病(炎症性腸疾患)を発症する。── No.120「"不在" という伝染病(2)」

人間の体内に入り込んだ微生物は、人間の免疫系の攻撃を避けるために免疫を抑制する制御性T細胞の生成を促すことがあります。微生物が人間の自己免疫病の発現を抑制する一つの原理がこれです。


ウイルスが1型糖尿病の発症と進行を左右する


以上の「エンテロウイルスと1型糖尿病の関係」をまとめた分かりやすい図が解説記事に載っていました。その図を下に引用します。この図は A、B、C、D の4つのケースで示してあります。それぞれのケースは以下のようです。

 A:遺伝的に1型糖尿病のリスクがないマウス 

1型糖尿病のリスクがないマウスの膵臓にエンテロウイルスが感染しても免疫系がそれを撃退する。

 B:1型糖尿病のリスクがある高齢マウス 

1型糖尿病のリスクがある高齢マウスの膵島は、すでに自己免疫性T細胞によって損傷している。そこにエンテロウイルスが感染すると1型糖尿病が発症する(発症が早まる)。

 C:1型糖尿病のリスクがある若いマウス 

1型糖尿病のリスクがある若いマウスにエンテロウイルスが感染すると、制御性T細胞が生成され、エンテロウイルスは撃退される。制御性T細胞はその後長期間に渡って膵臓にとどまり、膵臓は自己免疫反応に対する抵抗性を獲得する。

 D:Cのマウスが高齢になったとき 

Cのマウスが高齢になったとしても、制御性T細胞の存在によって自己免疫性T細胞の生成が抑制され、膵島は損傷しない。またエンテロウイルスが感染しても撃退される。1型糖尿病は発症しない。

エンテロウイルスと糖尿病.jpg
エンテロウイルス感染と1型糖尿病
日経サイエンス(2018年4月号)より


1型糖尿病予防ワクチン


NODマウスでの観察と同様のことが1型糖尿病遺伝子をもつ人間でも起こるとしたら(起こっているとしたら)、病気の発症を防ぐ手段がありうることになります。つまり、幼少期に人為的にエンテロウイルスに感染させれば、1型糖尿病の発症を抑止できる可能性があるわけです。こういった「人為的感染」は医学における長い歴史があります。それはジェンナーの種痘以来、病気の予防に多大な貢献をしてきた「ワクチン」です。

ワクチンには何種類かのタイプがありますが、まず「弱毒化生ワクチン」です。これはウイルスの発病能力を弱めたもので、ウイルスが体内で増殖するため効果が持続します。ただし病原性のウイルスに変異するリスクがあります。これに対して「不活性化ワクチン」はウイルスを増殖しないように "殺した" もので、リスクはありませんが、いずれ体内から消えてしまうので一般には再接種が必要になります。

実は、エンテロウイルスに対するワクチンで病気の撲滅に至った歴史があります。ポリオ(小児麻痺)です。ポリオウイルスもエンテロウイルスの一種です。ポリオは19世紀後半から流行が始まり、20世紀には数万人が死亡し、数百万人が身体障害者になりました。しかしワクチンが開発され(不活性化ワクチンと弱毒化生ワクチンの両方)その接種が徹底されたため、現在、ポリオの流行は世界でわずか3カ国だけになりました。

ポリオワクチンを接種すると体の中にポリオウイルスを攻撃する抗体ができ、それが記憶されるので、ポリオに罹患しなくなります。いわゆる "免疫記憶" であり、このメカニズムは No.69-70「自己と非自己の科学」に詳述しました。ポリオワクチンの特徴は、安全で効果抜群であることです。それでポリオはほとんど根絶されるに至った。だとしたら、同じエンテロウイルスの仲間である「1型糖尿病の発症を抑止するウイルス」のワクチンを作ればよいはずです。ウイルスに罹患しないことと自己免疫疾患を発症しないことは原理が違いますが、同様のワクチンで可能なはずです。

上の引用に出てきたフィンランドのウイルス学者、フィオテは、フィンランドのバイオ医薬企業、ワクテク社の会長です。ワクテク社はコクサッキーB群ウイルスのある一種に対する「不活性化ワクチン」を開発し、マウスで実験を始めました。2018年のうちには人(成人)でも実験を開始する予定です。今までの数多くの観察結果から、1型糖尿病の発症にかかわっているエンテロウイルスは1種類ではないことが分かっています。著者は「このワクチンが発症を有意に低下することを祈るばかりだ」と書いています。

しかし発症を有意に低下させることが分かったとしても、やるべきことはたくさんあります。1型糖尿病の発症に関わっているエンテロウイルス数種類の「混合ワクチン」を作ることや、「不活化ワクチン」と「弱毒化生ワクチン」の使い分け方の確立、そして何よりも小児に対する安全性の確認が重要です。著者は「1型糖尿病の予防を小児で試験するには10年以上かかるだろう」としています。


微生物と人間


1型糖尿病とエンテロウイルスの関係でも分かることは、人はウイルスをはじめとする微生物と深く関わりながら生きてきたことです。もちろん微生物には病気を引き起こすものがあります。自己免疫疾患でいうと、多発性硬化症はウイルスによって引き起こされるという説が有力です。その一方で、エンテロウイルスのように自己免疫疾患の発症を抑止するものがある。また、No.225「手を洗いすぎてはいけない」で書いたように、多くの常在菌は人間と "共生" していて、人間の役に立っています。

人間の微生物環境は、この100年程度で大きく変わりました。清潔な都市環境での生活は昔からあったものではありません。著者も次のように書いています。


つい忘れがちだが、現代の先進国の人々が享受している生活利便性の多くはまだ100年ほどの歴史しかない。ヨーロッパと北米で都市水道が普及するまで、人々は井戸や池、公共の泉から水を汲み、それを飲用から入浴、衣服の選択などあらゆる用途に使っていた。そうした飲料水が人間や動物の糞で少なからず汚染されていたのは驚くにあたらない。流水と石鹸の不足によって、現代とは違ってトイレの後に手を清潔に保つこともできなかった。したがって、食事の用意や握手といった単純な行動を通じて病原体が広範囲に拡散した。

(同上)

最後の一文に「病原体が広範囲に拡散」とあるのは、この文章がポリオ・ウイルスについて書かれたものだからです。しかし上の引用はもちろんエンテロウイルス全体にいえるし、また広く微生物全体と人間の関わりでもあるでしょう。

100年というのはヒトの進化の歴史からみるとごく短いものです。すべての現世人類の祖先は約10万年前にアフリカを出たヒトに由来するというのが最新の研究ですが、100年は10万年の1000分の1にすぎません。もっと遡って初期人類が二足歩行を始めたのが500万年前とすると、100年はその5万分の1です。進化の歴史からいうと無いに等しい時間のあいだに、ヒトの生活環境は激変してしまった。

何かを得れば、何かを失います。我々が現代の生活利便性を得ると同時に失ったものも、また大きいわけです。もう昔には戻れない以上、我々のできることは「失ったことの認識」を持つことであり、人間とそれをとりまく生態系のありようを「知ること」でしょう。そこからすべてが始まると思います。




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