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No.126 - 捕食者なき世界(1) [科学]

No.119-120「不在という伝染病」で、アメリカのサイエンス・ライター、モイゼス・ベラスケス=マノフ氏の著書『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)を紹介しました。この本で取り上げられている数々の研究を一言で言うと、

  ヒトと共生してきた体内微生物の「不在」が、アレルギーや自己免疫疾患を発病する要因になっている。その「不在」は、人間の「衛生的な」生活で引き起こされた。

ということになるでしょう。いわゆる「衛生仮説」です。著者は、人間と共生微生物が作っている人体生態系を「超個体」とよび、20世紀になって超個体の崩壊が進んできたことを強調していました。

捕食者なき世界.jpg
表紙の写真は、絶滅した大型肉食獣、サーベルタイガーの頭部化石である。

その時にも書いたのですが、生態系の崩壊という意味では「自然生態系」の崩壊が近代になって急速に進んできたわけです。むしろその方が早くから注目され、警鐘が鳴らされてきました。今回はその「自然生態系」の話です。

人為的な自然生態系の破壊(主として農薬などの化学物質による破壊)に警鐘を鳴らした本としては、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)が大変に有名ですが、もう一つ、最近出版された重要な本があります。ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)です。今回はこの本の要点を紹介したいと思います。生物界には複雑な依存関係があり、それを理解することが生態系の保全にとって必須である・・・・・・。このことが如実に分かる本です。

なお、以降の引用で、下線・太字は原文にはありません。


エルトンのピラミッド


話の発端は「エルトンのピラミッド」です。これは教科書にも載っていたと思うので、多くの人が目にしたはずです。エルトンという人の名は知らなくても「食物連鎖」とか「食物連鎖のピラミッド」と言えばピンとくる人が多いのではないでしょうか。

英国のチャールズ・エルトン(1900-1991)はオックスフォード大学で動物学を学んでいたころ、生態観察のためにノルウェーと北極の中間付近にあるスピッツベルゲン諸島を訪れました。スピッツベルゲンは極めて寒冷で厳しい気候です。動物も鳥も植物も種類は多くはない。その動植物の少ない環境が、逆に自然観察にはうってつけの場所となりました。

彼がスピッツベルゲンで見たものは、絶壁に巣を作っているおびただしい数の海鳥(ウミガラス等)であり、その海鳥が海のオキアミや小魚を食べ、鳥の糞(=グアノ)が陸地に降り注ぎ、それが養分となって植物が生育するという姿でした。また陸上ではホッキョクギツネがいて、ライチョウなどを狩って生きていました。


こうして草花の肥料が海から絶え間なく運ばれるのを見るうちに、エルトンは、生命の連鎖はそれまで考えられていたような動物社会に限られたものではなく、はるかに広い範囲に及んでいることに気づいた。それはまず海の食物連鎖という土台からスタートする ─── 珪藻という植物性プランクトンの大集団が別のプランクトンの大群に食べられ、それらが小魚やオキアミに食べられ、その小魚やオキアミが海鳥のくちばしに捕らえられて陸へと運ばれる。そして陸では、肥料となってツンドラに花を咲かせ、昆虫やクモの腹を満たし、ホオジロのくちばしを経て、キツネの口へと入っていく。それは単純な食物連鎖ではなく、入り組んだ網になっており、最終的には陸地の様相さえも変える。海という牧場が、陸上の庭園を豊かにしているのだ。そして動物たちはその大仕事の大半を担っている。

スピッツベルゲンではどちらを向いても、そのような連鎖のあかしであるホッキョクギツネの姿が見えた。

ウィリアム・ソウルゼンバーグ
『捕食者なき世界』(第1章)
(野中香方子・訳。文春文庫)

Arctic Fox.jpg
ホッキョクギツネ
冬毛のホッキョクギツネ。ホッキョクグマと並んで、北極圏に住む代表的な肉食哺乳類である。
(site : free-images.gatag.net/tag/arctic-fox)

エルトンは、延べ3年にわたるスピッツベルゲン諸島での自然観察の結果を踏まえ、1927年に「動物の生態学」という本を書きました。そこで彼が明らかにしたのが「食物網」です(食物連鎖、とい言い方もよくされる)。つまり自然界における捕食者/被食者、食べる/食べられる、上位者/下位者という関係性で作られるネットワークです。エルトンはそのネットワークに個体数を書き込んでいきました。そうすると下位から上位に進むにつれて個体数が次第に少なくなる「ピラミッド」になることに気づきました。


エルトンのピラミッドは、生物群集が上位に進むにしたがって狭くなることを表している。最下層には植物や光合成をするプランクトン ─── 太陽のエネルギーを取り入れる、食料の一次生産者 ─── が、多数からなる広い土台をなしている。その上になそれぞれすぐ下の層を食べる草食動物の層が少しずつ狭くなりながら重なり、その上には草食動物を食べる肉食動物、さらに上にはそれを食べる肉食動物、とますます狭くなり、頂点に堂々と君臨するのは、最も大きく、最も数の少ない頂点捕食者である。それは下位のすべてを食べることができ、逆にそれを襲って食べようという動物はいない。最上位の肉食獣となるのは、セレンゲティの肥沃な平原ではアフリカライオンで、スピッツベルゲンの不毛なツンドラでは恐れ知らずの小さなキツネだ。「北極における陸上生態系のピラミッドの頂点」はホッキョクギツネなのだ。エルトンの幾何学的な生物の見方は、じきに生態学の教義のひとつとなり、今日では「エルトンのピラミッド」と呼ばれている。

『捕食者なき世界』(第1章)

下にエルトンが作成したスピッツベルゲンの食物網を引用します。ホッキョクギツネが頂点捕食者であることを表しています。

Elton - Arctic Fox.jpg
エルトンがスピッツベルベンで観察した食物連鎖。ホッキョクギツネ(Arctic Fox)に矢印が集まっていることが分かる。
(「捕食者なき世界」より。原文に色はありません。)

エルトンがスピッツベルゲンで見い出したことをまとめると、

自然生態系の捕食者/被食者の関係は、複雑なネットワークを構成している(=食物網)。

そのネットワークを個体数の観点で見ると、「頂点捕食者」を最上位とする「個体数のピラミッド」になる。

と要約できます。エルトンのピラミッドの詳しい説明は本書には無いのですが、そのキーポイントを理解するために、極めて単純化し模式的に書くと次のようになるでしょう。

エルトンのピラミッド.jpg
エルトンの「個体数ピラミッド」を単純化して描いた。個体数という視点で見るとこのようなピラミッドになるが、実際の食物網はスピッツベルゲンの例にみられるようなネットワークになる。

この図はいくら何でも単純化し過ぎと思えるのですが、この「単純な個体数ピラミッド」を見ただけでも、重要なことが何点か理解できます。まず、すぐに理解できることは

下位生物層が絶滅したとしたら、上位生物層も絶滅する

ということです。草食動物が絶滅すると肉食動物も絶滅します。肉食動物は草では生きられないのです。そんなこと当たり前だろう、今さら何を、と思えるかもしれませんが、その当たり前のことが理解できなかった例が、ごく最近の日本でもありました

たとえば、小川や田圃の小魚や水性小動物を餌にしている鳥がいたとして、その小魚や小動物を農薬で絶滅させたとしたら、鳥も絶滅します。ニッポニア・ニッポンという学名の鳥(=朱鷺)は、戦後もわずかに生息していたのですが、それが絶滅した原因の一つが餌の枯渇だと言われています。もちろん朱鷺は、乱獲されたり害鳥として駆除されてきた歴史があり、それが絶滅の最大の理由です。

「絶滅」という言葉を使わずに、反対の表現で言うと、エルトンのピラミッドが表していることは、

上位生物層は、下位生物層の存在に依存している

となります。個体数ピラミッドから理解できる2つ目の点は、

自然生態系の保全は、生態系全体を保全しなければならない

ということです。特定の生物だけを自然状態で保全する、というような器用なことはできませんNo.119-120「不在という伝染病」で紹介した『寄生虫なき病』(モイゼス・ベラスケス=マノフ)には、

  トラを絶滅から守るためには、トラが暮らすジャングルとそこで生きているものすべて ── 土壌細菌からアリや木々に至るまで ── を保全しなければならない

とありましたが、まさにそういうことです。個体数ピラミッドから理解できる3番目は、

頂点捕食者が生存していくためには、かなりのスペースが必要

ということです。「スペース」というのは曖昧な言い方ですが、要するに「頂点捕食者の下位の生物群すべてが生存していけるだけの土地と自然環境」です。日本でも猛禽類(イヌワシ、クマタカ、など)の保護の為に森を保全することが論議されます。種の保存のためには最低でも数十の個体が必要なわけですが、たとえば数十羽のイヌワシが生存してくのに必要な森林面積は、思いのほかに広い。正確な数字は忘れましたが、数100ヘクタールのオーダの広さだったと思います。猛禽類の保護のために森を保全するにしても、自然環境を細切れにして保全したのでは頂点捕食者を絶滅に追い込むわけです。



本書に戻ります。エルトンのピラミッドは、たちまち生態学の教義となりました。しかし、実は1960年になって、この「個体数ピラミッド」についての全く新しい解釈が出てきました。


「緑の世界」仮説


エルトンのピラミッドを単純に眺めると「被食者の数が捕食者の数を決める」「捕食者は被食者の存在に依存して生きている」という像しか浮かびません。しかし、果たしてそれだけなのか。

1960年、ミシガン大学の3人の科学者、
 ・ネルソン・ヘアストン
 ・フレデリック・スミス
 ・ローレンス・スロポトキン
は「群集構造、個体群制御および競争」という論文を「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表しました。そこにおいて彼らは、エルトンのピラミッドから導かれる論理的考察を展開しました。

  この世界の陸地が緑なのは ── つまり、大部分が食物に覆われているのは ──、草食動物がすべての植物を食べ尽くすことがないからだ。そして草食動物がこの世界を土だけの世界に変えてしまわないようにしているのは捕食者だ。
『捕食者なき世界』(第1章)

という考察です。これが「緑の世界」仮説と呼ばれるものです。論文著者の3人は、姓の頭文字をとってHSSと呼ばれるようになりました。

この仮説はそれまでの解釈とは違います。つまり上位層は下位層に依存しているという概念を転換して、生態系全体の維持における上位層の役割を非常に「重く」し、上位層が下位層をコントロールしていると考えたわけです。

この仮説に従うと、たとえば「肉食動物のオオカミやピューマ = 頂点補食者」「草食動物の鹿」「木や草」という生態系があったとき、人間が人為的にオオカミやピューマを絶滅させると、鹿の数が爆発的に増え、そのことで木の若枝が食べ尽くされ、「緑の世界」ではなくなる。そうすると今度は鹿の数が激減する、ということになります。つまり頂点補食者の絶滅が生態全体の崩壊を招くことになる。

上位者が下位者の個体数をコントロールしていて、そのことで生態系全体の安定が保たれている・・・・・・・・。この仮説は大きな論議を呼び、賞賛もされ、また反対する人もありました。しかしHSSも認めたように、根本的に欠けているものがありました。それは「証拠」です。


ヒトデの実験


そこで「緑の世界」仮説を実験で確かめようと発想した学者いました。ミシガン大学のロバート・ペインです。彼はHSSの最初の「S」であるフレデリック・スミスの教室の博士課程の学生でした。

ロバート・ペインが実験に選んだのは海岸の磯・岩場・潮だまりの生態系です。そこではヒトデが頂点捕食者です。ヒトデは2枚貝を捕食します。2枚貝を包み込んで抱きかかえたヒトデは、2枚の貝をこじあけようとし、休むことなくじわじわと力をかけていきます。そして隙間が開いたとき胃液を注入し、さらに貝を開かせます。次にヒトデは自分の胃袋を貝の中に入れ、それで貝を食べる。ヒトデは2枚貝だけでなく、岩場にいる殻をもつ生物すべてを捕食します。ヒトデを捕食する生物はありません。

アメリカのワシントン州、シアトルに近いオリンピック半島にマッカウ湾があります。ペインはマッカウ湾の岬の突端を調査区に選びました。ここは岩だらけの場所に波が寄せています。赤や茶色の海草が茂り、各種の藻が生育する中で、イソギンチャク、ムラサキウニ、ホヤ、海綿、ウミウシ、各種の貝(イガイ、フジツボ、エボシガイ、カサガイなど)などの生物が生息し、そして頂点捕食者のヒトデがいます。

ペインは毎月の干潮時を狙って調査区に出向き、ヒトデの数を記録し、そのヒトデを岩場から引き剥がし、遠くの海中の放り投げるという作業を繰り返しました。投げられたヒトデの中にはまたもとの岩場に戻ってくるものもあります。ペインは根気よくこの作業を続けました。

ヒトデを投げ続けるうちに、生態系は次第に変化していきました。ヒトデがいなくなった調査区では紆余曲折のあと、最終的にイガイ(カリフォルニア・イガイ)が大繁殖したのです。そして岩場を埋め尽くしたイガイに押されて、他の生物はどんどん減っていきました。調査を始めた時には15種いた生物のうち、7種がいなくなってしまったのです。ペインはこの過程を詳細に記録しました。

California Mussels.jpg
カリフォルニア・イガイ
(California Mussel)
イガイ(貽貝)は日本にも生息している。ヨーロッパのムール貝もイガイの仲間である。なお画像の右の方の白っぽいのはエボシガイ。
(site : oregontidepools.org)

Pisaster_Predate_Mussels.jpg
イガイを捕食するヒトデ
(site : www.wallawalla.edu)

ロバート・ペインが1966年の「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表した論文の結論は以下です。


その地域の種の多様性は、環境の主な要素がひとつの種に独占されるのを、捕食者がうまく防いでいるかどうかで決まる。

『捕食者なき世界』(第1章)

ロバート・ペインはさらに2番目の論文で「キーストーン種」という概念を提示しました。キーストーンとは日本語で言うと要石かなめいしで、石のアーチを造る時に最後に打ち込む楔形の石です。つまり「キーストーン種」とは「数は少ないが、生態系の安定にとっては非常に重要な役割の種」を言います。必ずしも頂点捕食者である必要はありません。頂点捕食者を拡大した概念だと言えるでしょう。

このキーストーン種という概念は、生態学にあらたな研究領域をもたらしたと同時に、ある種の不安を引き起こしました。


ペインとヒトデは、新しい研究テーマも大量にもたらした。どの捕食者が重要で、どれがそうでないか? 深海にもキーストーン種はいるのか? 陸上ではどうなのか? ヒトデのような影響力を持つ捕食者は、どこにでもいるものなのだろうか?

この一連の疑問を追っていくと、さらに気がかりな疑問が浮上してくる。テレビの『野生の王国』を見て育ち、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の不吉な展望を知っている ── 大量絶滅の恐怖や保全の目的に敏感な ── 新しい世代の生態学者は、ペインが出した結果を、より不安げな面持ちで読んだ。彼らの脳裏にはオオカミやシャチ、ネコ科の大型獣やホホジロザメといった捕食者の姿が浮かんだ。ヒトデは、ある種の捕食者はただ存在するだけで生物の多様性を強化できることを証明した。しかし同時に、いったんそれがいなくなると、その善なる手の代わりに見えない拳が振り下ろされ、いくつもの種が消え、かつては生命にあふれていた景色が単調なむきだしの状態になってしまうことも証明した。新世代の生態学者たちには、捕食者のいない岩場を覆いつくすイガイの姿が、壁にでかでかと記された落書きのように見えた。そこにはこう書かれていた。「ところで、大きくて恐ろしい頂点捕食者は今どうしてる?」

『捕食者なき世界』(第1章)

この「新世代の生態学者たちの不安」は的中することになります。そのいくつかの例を『捕食者なき世界』から紹介します。


ラッコが「海の熱帯雨林」を守る


世界各地の水族館の人気者になっているラッコは、北太平洋の沿岸に生息している哺乳類です。ラッコはイタチ科と呼ばれるイタチやアナグマ、ラーテル(No.105「鳥と人間の共生」)などが属する肉食動物のグループで、その中では体が最も大きく、かつ、最も海に適応しています。海にもぐってウニや貝や魚をとり、海面に仰向けに浮かんで、胸の上に獲物を載せて食べます。貝を割る時には石を鉄床かなとこのように使って叩き割ることは、良く知られている行動です。

Sea Otter Urchin Buffet.jpg
( site : www.vanaqua.org )
- バンクーバー水族館 -

ラッコはかつて、毛皮目当てに乱獲されました。ラッコには皮下脂肪がほとんどないのですが、ベーリング海の凍える環境でも生きていけます。その理由は、皮膚に1平方センチあたり10万本もの毛が生えていて、そこに含まれる空気が断熱効果を持つからです。ラッコの毛皮は最高級品です。これがラッコに不幸をもたらしました。

18世紀半ばから19世紀末までの150年間で、北太平洋のカリフォルニアからアリューシャン列島に至るまで、生息していたラッコは、ほとんどが捕り尽くされてしまいました。ようやく1911年になって「ラッコ・オットセイ保護条約」が締結され、ラッコの保護が始まりました。その後、わずかに残ったラッコ(10数個の小さな群れ)が再び繁殖をはじめ、1960年代になると場所によっては大群にまでなりました。



ワシントン州立大学の大学院修士課程を出たばかりのジェームズ・エステスは、1970年からラッコが海洋生態系に与える影響を調べ始めました。アリューシャン列島のアムチトカ島は、当時はラッコが復活し、たくさん生息していた島です。その周辺の海中には海藻(ケルプ)が生い茂っていました。ケルプは多くの海洋生物の「命の源」にもなっています。


ケルプとは、コンブやワカメ、ヒジキなどの褐藻かっそう類の総称で、寒流の海岸の岩の多い浅瀬に広く分布する。浜に打ち上げられているのをよく見かけるが、ラザニアを思わせる細長くてぐにゃぐにゃした半透明の茶色い海藻で、カニやカモメがつついている。ところが、生きたコロニーとして海底にくっついているときには、まるで違う生物になる。みずみずしく茂る海の森になるのだ。ケルプの森の巨木、ジャイアントケルプ(Macrocystis pyrifera)は、1日で60センチ前後も成長し、全長が60メートル近くになることもある。ケルプの森には、ホヤからアシカまで、さまざまな生物が集まってくる。光合成をする葉肉は泳ぐ草食動物の牧草となり、死んだ葉は沈んで堆積し、海底をさらう生き物の食料になる。そしてその存在自体 ── 根や幹、天蓋のような葉 ── が、ほかにつかむところのない海で生き物たちの足場となっている。その類まれな生産力と高々と生長する様子から、何人もの生態学者が、ケルプの群生を熱帯雨林に喩えている。

『捕食者なき世界』(第3章)

Kelp Forest-1.jpg
( site : oceanservice.noaa.gov )
- アメリカ海洋大気圏局 -

Kelp Forest-2.jpg
( site : msi.ucsb.edu )
- カリフォルニア大学サンタバーバラ校 -

ジェームズ・エステスの研究手法は、「ラッコがいない、という点を除いてはアムチトカ島と生態条件が全く同じ島」を選び、その島の生態系をアムチトカ島と比較することでした。エステスはアムチトカ島から320km西にあるシェミア島を選びます。シェミア島ではラッコが皆殺しにされたあと、別の島から移住してきた少数の群れがいるだけで、ラッコが多数生息しているアムチトカ島とは好対照です。1971年、エステスと仲間は調査を開始しました。


まずエステスの目に飛び込んできたのは、ウニだった。ウニの殻が岸に散らばっていた。それもアムチトカでは見たこともない大きなウニだ。ここには怪物がいた。直径が10センチから12センチもある巨大なウニが、高潮線にずらずら並んで緑のラインを描いていた。なにかが根本的に違っている。その夜、エステスは仲間に向かってこういった。「ぼくたちはここですごいものを見ることになりそうだ」

翌日彼らはボートで礁に向かった。エステスはウェットスーツを着て海に潜った。そのとき目にした光景は永く彼の心に刻まれた。「海底はどこかしこも、緑の絨毯を敷いたように、ウニで埋め尽くされていた。ケルプはなかった。ウニが急に増えたせいだ。瞬時に、ケルプの森のシステムにおいてラッコがどんな役割を担っているのかがわかった。そしてそれがいかに大切かということも」

シェミアにはとことん刈り取られた海の景色が広がっていた。アムチトカのケルプのジャングルとは正反対だった。唯一の明確な違いはラッコがいるかいないかだ。北太平洋沿岸の最も豊かな生態系は、ラッコがいなければ丸裸になってしまう。もしエステスが見たものが全体にあてはまるなら、海の食物連鎖のピラミッドは、最終的に上から支配されていることになる。かわいらしい、ウニを食べる肉食動物によって。

『捕食者なき世界』(第3章)

その後のエステスたちの詳細な調査で明らかになったことは、アリューシャン列島ではどこも同じパターンだということです。ラッコがいるところではケルプが茂り、豊かな生態系がある。一方、ラッコがいないところはウニが大量に生息していて、ケルプはなく、生態系は極めて貧弱である・・・・・・。

Sea Urchins and Kelp Forest.jpg
( site : ocean.nationalgeographic.com )
- ナショナルジオグラフィック誌 -

ラッコはウニを食べます。ウニはラッコの最大の好物です。これは以前から知られていました。またウニは海藻(ケルプ)を食べます。このことも以前から良く知られていた。しかし

  ラッコ → ウニ → 海藻(ケルプ)

という食物連鎖を明確に提示したのはエステスが初めてでした。要するにラッコは「キーストーン種」だったのです。それがいなくなると(アリューシャン列島では)生態系が崩壊に向かいます。これは食物連鎖上での上位者が下位者をコントロールしているという「緑の世界」仮説の、自然生態系での実証例となりました。ちなみに、ラッコは頂点捕食者ではありません。アリューシャン列島の海岸域における頂点捕食者は、オットセイやラッコを襲うシャチです。

続く


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