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No.125 - カサットの「少女」再び [アート]


青い肘掛け椅子の少女


No.86「ドガとメアリー・カサット」では、エドガー・ドガ(1834-1917)とメアリー・カサット(1844-1926)の交友関係を紹介しました。また No.87「メアリー・カサットの少女」では、カサットの絵画・版画作品、特に『青い肘掛け椅子の少女』の感想を書きました。その続きというか、補足です。

2014年5月11日から10月5日まで、ワシントン・ナショナル・ギャラリーで「ドガ カサット」という特別展が開催されています。2人の画家の芸術上の相互の影響と、ドガをアメリカに紹介するにあたってのカサットの役割を回顧する特別展です。私はもちろん行かなかった(行けなかった)のですが、展示会の内容を記した小冊子のデジタル・データがナショナル・ギャラリーのホームページに公開されたので、さっそく読んでみました。ナショナル・ギャラリーのフランス絵画部門のキュレーター、Kimberly Jones氏が執筆したものです。

その小冊子の中に、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する『青い肘掛け椅子の少女』(1878)の制作過程に関する最近の発見が書いてあったので、それを紹介します。

Mary Cassatt - Little Girl in a Blue Armchair (Renewal).jpg
メアリー・カサット(1844-1926)
青い肘掛け椅子の少女』(1878)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
(site:www.nga.gov)


ドガの関与


No.87「メアリー・カサットの少女」にも書いたように、この作品には「ドガの手が入っている」とされています。他ならぬカサット自身が、画商に宛てた手紙にそう書いているのです。では、どこにどういう風にドガの手が入っているのか。ナショナル・ギャラリーの特別展小冊子では、次のように解説していました。この絵の修復と赤外線調査の結果、明らかになったものです。

もともとカサットは、後ろの壁を一つに描き、床と壁の間は水平線だった。

ドガは壁に「隅」を描くことを提案した。つまり2つの壁が隅で交わる構図である。そして自ら筆をとって「隅」を描き込んだ。

カサットはこの変更に従って、中央の椅子(肘掛けのない、英語で言うコーチ)の配置を変更し、斜めになった壁の線に添うようにした。

さらにカサットは、犬をコーチの前に配置しようと描き直してみたが、それは取りやめて、元の位置、つまり手前左の肘掛け椅子に戻した。

Mary Cassatt - Little Girl in a Blue Armchair (Infrared).jpg
「青い肘掛け椅子の少女」の赤外線写真。床と壁の境界が線で示してある。実線がカサットの元々の境界で、破線がドガによる変更を示す。
(site:www.nga.gov)

No.87「メアリー・カサットの少女」で書いたように、この絵の特徴は、

少女のポーズ
独特の室内空間表現

の2つです。そして「独特の室内空間表現」を詳しく言うと、

すこし上から見下ろすような視点
4つの椅子を不均等に配置した構図
すべての椅子をカンヴァスからはみ出して描く「クローズアップ」表現

の3点です。上から見下ろすような視点なので、床のへりは画面の上部にあります。風景画であれば地平線が画面の上の方にある感じです。そういう風景画は(西洋では)あまりないし、室内画も少ないと思います。そしてこの絵を見る我々は全く気づかないのですが、この絵の空間表現は、ドガの「隅を描き込む」「水平線ではなく、広角の斜線の構図にする」という提案によって完成された、というわけです。


アーティストのコラボレーション


ということは、この絵は部分的とは言え、2人のアーティストのコラボレーションで成り立ったということになります。これは近代以降の画家の作品としてはかなり珍しいのではないでしょうか。

15世紀とか17世紀ごろまでの作品にならしばしばあります。フィレンツェで工房を構えていたヴェロッキオは、作品の一部を弟子のレオナルド・ダ・ヴィンチに描かせた、みたいな・・・・・・(ウフィツィ美術館にある「キリストの洗礼」という絵)。

しかしこれは画家が「職人」であった時代の話です。近代以降の画家は「芸術家」であって、何よりも独自性を大切にし、自分の絵だと誰しも認識してくれるようなテーマや描画方法を創造するこそ「画家の命」だったはずです。それが芸術家の絶対に譲れないプライドです。

ドガはカサットの10歳年上で、画家としては先輩です。カサットはドガを「先生」のように見ていたのかも知れませんが、この絵を描いた時点(1878。34歳)ではサロン(パリの官展)に何回か入選の経験もある、れっきとした画家です。その観点からすると、この絵の成り立ちは、かなりめずらしいと言えるでしょう。

また、No.87「メアリー・カサットの少女」でも紹介したように、ドガやカサットと同時代の画商であるヴォラールの回想録(『親友ドガ』)には、

ドガはこの絵に特別な愛情を持っていた
ドガは自分の絵との交換を申し入れた

ということが書かれています。そういうエピソードも含めて、通常の「親しい2人の画家」という以上の関係があったようです。


似たもの同士


その理由を推測すると、要するにドガとカサットは「似たもの同士」ということではないでしょうか。

生い立ち
  二人とも父親は銀行マンで、どちらかというと社会におけるエスタブリッシュメント側の人間です。

また、ドガの母親はニューオリンズ出身の「フランス系アメリカ人」であり、ドガ自身もニューオリンズを訪れています(『ニューオリンズの綿花取引所 1873』という絵を描いている)。カサットは、その名が示すようにフランス系の家系で、母親はフランス語が完璧にしゃべれたといいます。

銀行家の家庭に育ち、程度の差はあれ、フランス文化とアメリカ文化の接点のような家庭に育ったわけです。また、2人とも生涯独身でした。

画風
  2人とも、リアリズムの手法で、人物をテーマに描き、描いた場所はほとんどが室内、ということで似ています(ドガには競馬の絵や、少ないが風景画もある)。同時代の19世紀の印象派の画家たちが風景画や静物画を多く描き、また「カンヴァスを戸外に持ち出した。それが印象派だ」みたいな紹介をされるのですが、大違いです。2人以外ではロートレックでしょうか。

古典
  ドガは20歳前半に、絵の勉強に何度かイタリアを訪れました。ドガの姪のジャンヌ・フェブルが書いた『叔父ドガ』(「ドガの想い出」美術出版社 1984 所載)によると、滞在したのはのナポリ、ローマ、アッシジ、シエナ、パドヴァ、フィレンツェなどであり、ルネサンス期の絵画を模写しました。

カサットは20歳台の時にイタリアのパルマに滞在し、コレッジョの聖母子の絵を模写しています。またスペインにも滞在し、プラド美術館ではベラスケス、ルーベンス、ゴヤなどを模写しています(No.86「ドガとメアリー・カサット」No.87「メアリー・カサットの少女」参照)。

生い立ちと画風に加えて、二人とも、西洋絵画の源流の素養を、プロの画家に成り立ての若い時にしっかりと身につけている。これが画家としての共通点として大きいのではと思います。


『青い肘掛け椅子の少女』の独創性


『青い肘掛け椅子の少女』は、2人の画家の特別なコラボレーションで生まれた絵のようです。しかし、改めて絵を見て思うのですが、ドガのアドバイスによる「構図の修正」を抜きにしたとしても、カサットがこの絵で作り上げたオリジナリティというか、独創性は際だっていると思います。世界の絵画史上「これしかない」と思わせるものがある。確かに「印象派っぽい」筆使いだけれど、「室内の」「人物を」「リアリズムの原則で」描くという西洋絵画の本流に忠実に沿っています。それでいて「何か」を完全にブチ壊してしまっている。マネの絵のように・・・・・・。画家の意図がどうであれ、そう感じます。

夢見るテレーズ.jpg
バルテュス
「夢見るテレーズ」(1938)
(メトロポリタン美術館)
この絵は2014年に日本で開催されたバルテュス展で展示された。
美術界にはバルテュスの一連の少女の絵と、カサットの『青い肘掛け椅子の少女』の関連性を指摘する人がいるようです。これは、たとえばバルテュスの『夢みるテレーズ』を指して言っているのでしょう。バルテュスがカサットに影響されたという意味だとすると、それは違うと思います。しかしバルテュスとの関連性を指摘したくなるほどカサットのこの絵に「革新性」を感じるという意味であれば、それは全く同感です。

メアリー・カサットという人は絵画の伝統をよく知っているし、勉強もしています。その点はドガや、マネとも似ている。伝統を革新する者の必要条件の一つは、伝統を熟知していることである・・・・・・。そういうことかと思います。


ワシントン・ナショナル・ギャラリーの分析


ワシントン・ナショナル・ギャラリーがウェブサイトに公開しているこの絵の分析(日本語試訳)を以下に掲げます。念のために原文も載せておきます。

(試訳)

カサットの『青い肘掛け椅子の少女』を解き明かす

1903年頃に書かれた手紙で、カサットは『青い肘掛け椅子の少女』の制作過程を語っている。ドガは彼女が描いているときにアドバイスをしただけでなく、自ら背景に手を入れた、と。

ドガが筆をとってカサットのカンヴァスに手を入れるという情景は、長年に渡って研究者たちの強い関心を引いてきたが、ドガが手を入れた内容は想像の域を出なかった。しかし最近、この絵の洗浄と修復、科学調査によって、ドガの役割が明らかになってきた。

拡大鏡調査によって、銀褐色に近い灰色の筆遣いが、椅子の向こうの部屋の隅から見つかった。これは他の部分にはないものである。また、隅の部分には意図的に表面をこすった跡があり、これは別の画家の手が入っていることを示している。つまり、このような技法は、この時期以降のドガの作品に多く見られるが、カサットの作品には皆無である。

赤外線調査で明らかになったことは、カサットは最初、床のへりと、画面に平行な背後の壁1枚の間を水平線で区切っていた。そこにドガは隅を加え、二つの壁の結合部を作り出すことで空間をダイナミックにし、対角線の構図で部屋に広がりを持たせた。このように、建物の室内を描く時に広角の対角線を使うのは、ドガの作品にはよくあるが、カサットのそれまでの作品にはない。

ドガが部屋の隅を描き込む提案をしたので、カサットはいくつかの修正をしなければならなくなった。まず、画面の中央にある肘掛けのない椅子を、壁の傾斜に添うような配置に大きく修正した。また犬の最適な配置も検討し直した。赤外線調査によると、カサットは描き直した椅子の前に犬を置こうと試みたが、結局、元の位置である「布張りの留まり木」に戻した。その位置で犬はいま、気持ち良さそうに寝ている。

Kimberly Jones
Associate Curator of French paintings
National Gallery of Art



(原文)

UNRAVELING CASSATT'S “LITTLE GIRL IN A BLUE ARMCHAIR”

In a letter written in about 1903, Cassatt recounted the history of her Little Girl in a Blue Armchair ── Degas not only advised her as she painted it, but also“worked on the background”himself. The idea that he picked up a brush and painted on Cassatt's canvas has intrigued scholars for years, but the exact nature of his intervention has been largely speculative. Recent cleaning, restoration, and technical analysis have been instrumental in identifying Degas's role.

Under magnification, strokes of grayish, almost silvery-brown paint not found elsewhere in the picture are apparent in the corner of the room beyond the furniture. Evidence of intentional abrasion of the surface in this area also suggests the presence of a different artist's hand. Similar paint handling can be found in a number of Degas's works from this time, but is completely absent in Cassatt's work. Infrared imaging reveals that Cassatt had initially used a horizontal line to mark the edge of the floor and a single back wall that was parallel to the picture plane. Degas made the space more dynamic by adding a corner, creating a junction of two walls and thus introducing a diagonal that expanded the room spatially. The use of such wide angle diagonals to define interior architecture was common in Degas's work, but unprecedented for Cassatt.

When Degas proposed adding a corner, Cassatt had to make adjustments. She repositioned the armless couch in the center of the picture, heavily reworking it to align with the now sloping wall. She also explored the best position for the dog. The infrared image indicates that she had tried placing it on the floor, seated in front of the reworked couch. But she opted for her original arrangement and returned the dog to its upholstered perch, where it now slumbers comfortably.

Kimberly Jones
Associate Curator of French paintings
National Gallery of Art



 補記1 

本文で『青い肘掛け椅子の少女』という絵には革新性を感じる、としたのですが、それから連想して思い出したことがあるので書きます。箱根のポーラ美術館はセザンヌの作品を数点所蔵していますが、その中の1枚に『ラム酒の瓶がある静物』という絵があります。

ラム酒の瓶のある静物.jpg
ポール・セザンヌ(1839-1906)
ラム酒の瓶がある静物」(1890頃)
(ポーラ美術館)

ポーラ美術館に行くと、この絵は「かつて、メアリー・カサットが所有していた」との説明が書いてありました。彼女の自宅はパリ北方のル・メニル・テリビュにあったのですが(シャトー・ド・ボーフレーヌという館)、その自宅にモネ、ピサロ、クールベ、ドガ、セザンヌの絵や浮世絵・約100点を飾っていたと伝記に書かれていました(No.86で引用した伝記)。その中の1枚が、このセザンヌの『ラム酒の瓶がある静物』というわけでしょう。

一見して分かるように、絵には複数の視点(多視点)が混在しています。その意味で、セザンヌの静物画の一つの典型です。かつ、描かれている静物が比較的少ないため、その"多視点ぶり" がよく分かる。明らかにテーブルは上からの視点で描かれていますが、ラム酒の瓶は真横から見た姿です。テーブルの右端はテーブルの右からの視点ですが、左端はテーブルの真ん中あたりからの見た感じで、そのためテーブルが奥に広がっているように感じる。

現代の我々は、こういうセザンヌの描き方がその後のキュビズムや20世紀のモダンアートの先駆けとなったことを知っています。まさに近代絵画史における革新だったわけです。

一方、この絵を所有していたメアリー・カサットはどうかというと、No.87「メアリー・カサットの少女」に数点引用した絵のように、描くテーマはほとんどが人物です。それも、女性、家庭の人々(家族、家政婦)、母と子、少女が多い。それは当時の「女性画家」に暗黙に許されたテーマだったのでしょう(ベルト・モリゾもそうです)。描き方は "印象派" という当時の「前衛」に従っていて、筆触分割も使い、明るい色彩を多用し、構図も大胆です。しかし彼女の画家としての基本的なスタンスは、しっかりとしたデッサンに裏付けられたリアリズムの絵画です。

しかし「前衛」は「新たな前衛」によってとって代わられる。特に、20世紀になってからはマティスやピカソのような描き方が出てくるわです。メアリー・カサットはマティスには随分批判的だったようです。彼女の画風からするとそれも当然でしょう。

しかし気になるのは『ラム酒の瓶がある静物』です。メアリー・カサットはなぜこの絵を購入したのでしょうか。絵画の革新と言える絵であり、自分の画風からすると「異質」なことが一目瞭然です。彼女はサロンに何回も入選し、その後は印象派展に出品し、さらに個展を何回も開いたプロの画家です。『ラム酒の瓶がある静物』が "絵画の秩序の破壊" であることは一目で理解できたはずです。

彼女が『ラム酒の瓶がある静物』を所有していた理由は分かりません。たまたま人に頼まれて購入したのかも知れない。しかし思うのですが、彼女はこの絵が好きだったのではないかと・・・・・・。その理由は、この記事のテーマである『青い肘掛け椅子の少女』という絵です。『青い肘掛け椅子の少女』は『ラム酒の瓶がある静物』と似たところがあると思うのですね。もちろん多視点描画というわけではありません。しかし、一人の少女と4つの青い肘掛け椅子をじっくりと観察し、それをカンヴァスの最適な位置に、一番印象が強くなるように、あまり他にない感じで配置するという画面構成は、『ラム酒の瓶がある静物』に一脈通じるものを感じます。多視点かどうか以前に、絵を描く基本的なところで共通するコンセプトがあるのではないか。

『青い肘掛け椅子の少女』に革新性を感じるのは理由があると思います。



 補記2 

補記1に、かつてメアリー・カサットが所有していたセザンヌの『ラム酒の瓶のある静物』(1890頃。ポーラ美術館蔵)のことを書きましたが、それに関連する話です。No.187「メアリー・カサット展」に、2016年に開催された展覧会を書きましたが、この出展作品のひとつに『家族』(1893。クライスラー美術館蔵)という作品がありました。

The Family.jpg
メアリー・カサット
「家族」(1893。49歳)
クライスラー美術館
(米:ヴァージニア州)

この絵を見て直感するのは、西洋絵画の伝統的な宗教画の画題である「聖母子と聖ヨハネ」を踏まえていることです。No.187 にはラファエロの作品を引用しましたが、ダ・ヴィンチの作品なども有名です。『家族』では女の子が "聖ヨハネ" に見立てられています。もちろん全体の描き方は印象派的です。つまり伝統(古典絵画)を踏まえつつ、前衛(印象派)の技法を用い、カサットの得意とする「母と子」のテーマを描いたと言えるでしょう。

しかし気になる点があります。この絵には2つの視点が混在していることです。母と男の子と背景の庭は少し上から見下ろした角度で描かれています。一方、女の子は真横から見た姿です。母、男の子、女の子の頭の位置関係はこの順に低くなっているはずで、もし視点が一つだとすると、男の子の頭の上の方が見えるのだから、女の子も同じようでないといけない。しかしそうはなっていません。

ここで『ラム酒瓶のある静物』の多視点描法を連想してしまいました。カサットがセザンヌに影響されたとか、そういうことではありません。そもそもカサットが傾倒した日本美術には、複数の視点から描いた絵はいくらでもあるわけです。セザンヌが革新的だと言われるのはあくまで "西洋絵画基準" です。この絵でカサットは横顔の女の子と少々斜め上からの母子を混在させたのですが、それは画家にとっては自然なことだったのでしょう。

カサットが『ラム酒の瓶のある静物』を所有していたこと、およびこの『家族』という「聖母子と聖ヨハネ・印象派・多視点」的な作品を考えると、カサットという画家の柔軟で自由な感性を感じました。伝統(古典絵画)を踏まえつつ、当時の "前衛"(印象派や平面的な描き方)にコミットし、かつ独自のテーマを追求する(母と子)という画家の姿勢がよいと思います。

(2016.10)



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