No.35 - 中島みゆき「時代」 [音楽]
No.15「ニーベルングの指環 (2) 」において
と書きました。その「時代」についてです。
中島みゆきさんがデビューしたのは35年以上も前ですが、もちろん現役のシンガー・ソングライターであり、「夜会」の活動や小説やエッセイの執筆にみられるように、シンガー・ソングライターの枠を越えたアーティストとして活躍しています。「夜会」において中島さんは、プロデューサ + 演出家 + 脚本家 + 作詞家 + 作曲家 + 俳優 + 歌手、という一人七役ぶりです。
彼女が広く知られるようになったのは、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)で「時代」を歌ってグランプリを受賞してからでした。同年11月の第6回世界歌謡祭でも「時代」はグランプリを受賞しています。彼女はその年の9月に最初のシングル「アザミ嬢のララバイ」を出しているので、こちらがデビュー曲ということになりますが、実質的なデビューはポプコン・世界歌謡祭での「時代」と考えてよいと思います。
「時代」の詩(詞)
中島さんの歌は詩(詞)だけを取り上げられて語られることが多いですね。そういうニーズや傾向からか、またファンの強い要望からか、天下の朝日新聞社は過去に「中島みゆき歌集」を3冊も出しています。朝日新聞社出版部にはコアな「みゆきファン」がいたようです。
歌は最低限「詩・詞 + 曲」で成り立つので、詩だけを取り出して議論したり鑑賞するのは本来の姿ではないとは思うのですが、中島さんの曲を聞くと、どうしても詩(詞)を取り上げたくなります。朝日新聞社の(おそらく)コアな「みゆきファン」の人が、周囲の(おそらく)冷ややかな目をものともせずに歌集(詩集)を出した気持ちも分かります。
「時代」の歌い出しは次のようです。
極度の悲しみに陥った人、ここでは恋人と別れた人を想像させますが、そういう人であっても時代が変われば「そんなこともあったね」と語れる時がくる・・・・・・という内容です。この部分の詩では「時代が回る」という表現や、別れた恋人が「生まれ変わって」めぐり逢う、というような言葉の使い方が耳に残ります。
それと、何よりも題名でもある「時代」です。「時」ではなく「時間」でもなく「時の経過」でもない「時代」という言葉です。「時代」は、物事がはじまって発展して区切りを迎える、その期間というイメージです。短期間ではない、比較的長期の時間帯を言っている。明治時代、少年時代、学生時代というようにです。この時代という言葉を持ち出して「回る」という表現と結び付けているのが印象的です。
一般的に中島さんの詩の言葉、特にキーワードは考え抜かれて選ばれています。「時代」や「回る」「生まれ変わる」には、彼女なりの思いが込められていることは確実です。
「時代」は次のように続きます。
歌い出しにおける「恋人たち」は、ここでは「旅人」になります。力つきて倒れた旅人も、生まれ変わって、再び歩き出すのです。時代が回れば・・・・・・。
もちろん「旅人」は比喩であり、それは人生の旅人、つまりほとんど「人」とイコールでしょう。その意味では「恋人」よりずっと一般化した感じです。・・・・・・というように考えてしまうのは「中島みゆきの詩」の把握の仕方としては正しくない。「旅人」は「旅人」としてダイレクトに受け止めるべきでしょう。そういう言葉がわざわざ選ばれているのだから・・・・・・。
デビュー曲「時代」
「時代」は実質的に「中島みゆきのデビュー曲」です。しかしデビュー曲にしては、少々変わっている。
まず「時代」は、ラブソングではありません。別にデビュー曲がラブソングである必要性は全くないのですが、男女の関係や、その周辺の人間模様を歌ったものが多いのも事実です。もちろん失恋を含めてです。
「時代」はそういった人間関係論とは無縁な曲です。それは、悲しみにくれている人(ないしは自分)を元気付けようとする歌です。詩の内容は極めて普遍的だと言えるし、人に対する応援歌のように見えます。しかし単なる応援歌でもないようなのです。
普通、打ちひしがれた人を励まし、応援する場合には
というようなスタンスが多いわけです。「風と共に去りぬ」で、すべてを失ったスカーレット・オハラは、小説の一番最後でこう言います。
と。「明日は、別の日」。自分自身を励ます文句ですが、くじけないぞ、明日はまた別の日なんだから、新しい展開が待っているかもしれない・・・・・・、そういう感じです。中島さんも後に「ファイト!」という「応援そのもの」みたいな曲を書いていますよね(1983年のアルバム『予感』に収録)。「ファイト!」とは普通、スポーツなどにおける「応援の掛け声」です。
しかし「時代」はちょっと雰囲気が違う。ここでは
というのがキー・コンセプトになっています。時代が回ることで
というようになるわけです。
「時代」は、時の経過を「回ること」「循環」としてとらえる基本的な考えにもとづいています。そこが普通の「応援歌」とちょっと違います。季節と植物の関係で言うと、春に芽吹き、夏に茂り、秋に紅葉し、冬に枯れる。これが繰り返される。死と再生の繰り返しです。一定の期間(=時代)が繰り返すことによって時が流れていくという感覚。直線的ではない回帰的な時間の見方が「時代」にはあります。視覚的には「No.5 - 交響詩:モルダウ」で紹介した横山大観の「生々流転」のイメージです。また、No.15 で「ニーベルングの指環」が「時代」を連想させる、と書いたのも、その共通項は「循環的世界観」の雰囲気です。あくまで連想に過ぎないのですが・・・・・・。
24時着 0時発
中島さんは「時代」の発表から30年後に「循環」をテーマの一つにした作品を創作・発表しました。2004年の「夜会」で演じられた『24時着 0時発』です。この作品は鮭の永劫回帰がベーシックなモチーフ(の一つ)になっています。従って中で歌われた曲には「循環し、生まれ変わり、継承する」というイメージがいろいろとあります。
この『24時着 0時発』の中の詞と、「時代」の
の類似性は明らかだと思います。2つの作品は30年の隔たりがあるのですが・・・・・・。
『24時着 0時発』で歌われた曲から11曲を選んで、2005年にアルバムが発売されました。そのタイトルはズバリ「転生」です。
そもそも『24時着 0時発』というタイトルは「1日の終わりと、次の日の始まり」ということですよね。到達点は、また出発点でもある。時間は一周し、そこから次の時間が始まる。日は巡り、また巡る。地球の自転は永遠に続く・・・・・・。この夜会のタイトルは「時間が回る」というイメージの表現形そのものです。
デビュー作にはアーティストの本質が現れると言います。「循環」や「回る」は、中島さんがデビュー当時からずっと持ち続けている思想の中心的なコア部分(の一つ)ではないでしょうか。
ところで「時代」を聞くたびに連想する曲があります。ジョニ・ミッチェルが作詞・作曲した「サークル・ゲーム」です。
The Circle Game
ジョニ・ミッチェル( Joni Mitchell )はカナダのシンガー・ソングライターです(画家でもある)。彼女の初期の曲として "Both Sides Now"(日本題名:青春の光と影。1969)がよく知られていますが、それ以上に有名なのが「サークル・ゲーム」(The Circle Game 1967)です。その詩と詩の"大意"を掲げます。
20歳になった時点で、少年時代を回顧する詩です。純粋に夢を語っていた少年時代の思い出。夢は夢だったことからくる、ある種の「あせり」。そして大人の世界に入っていくことの期待と、漠然とした不安感。誰もが20歳前後に抱く、うまく言葉にできないような気持ちを汲み取っていると思います。
過去には戻れません。「我々は時の回転木馬につかまって」というところが印象的です。「つかまって」したところは詩では captive です。「とらわれて」という意味ですね。
こうしてみると、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」と中島さんの「時代」は、明らかに主題が違います。「時代」には傷ついた人や倒れた人に対する「励まし」という基本的態度があるのに比較して、「サークル・ゲーム」にあるのは過去の回顧と未来へのちょっぴりした期待であり、さらにはある種のペシミスティックな「諦め」さえ感じます。
しかし「サークル・ゲーム」が実際に歌われるのを聞いて最も印象的なのは、何度も繰り返される 'round / around や circle という言葉です。また wheel や carousel といった「回る」ことに関係した記号です。
「サークル・ゲーム」で特徴的なのは、季節が巡ることや、年が過ぎること、少年時代が終わることを「回る」「一周する」ととらえ、それが繰り返されるのが時の流れだという感覚です。この「時」と「回る」のコンビネーションが、中島さんの「時代」との類似性を感じさせるのです。
1975年の世界歌謡祭で「時代」(英語での題名:Time Goes Around)が歌われてから18年後の1993年、中島さんは「時代」をリメイクし、それを第1曲にした「リメイク集アルバム」を発表しました。このアルバムのタイトルは「時代 - Time goes around - 」です。ということは、
という英語表現が「時代」の題と言ってもいいと、中島さん自身が改めて認めたことになります。これと「サークル・ゲーム」の、
の二つは大変よく似ています。また、詩の題名("時代"と"circle game")が含まれる、
の二つの表現はほとんど同じことを言っているようにも聞こえます。英語の circle には「循環」という意味もあります。季節→循環→ circle game→ 時代、という連想はごく自然だと思います。
いちご白書 : The Strawberry Statement
ジョ二・ミッチェルの名曲「サークル・ゲーム」が世界的に有名になった契機は、映画「いちご白書」の公開(1970)でした。この映画の主題歌として「サークル・ゲーム」が使われたのです。歌ったのはバフィ・セント=マリーという、ジョ二・ミッチェルと同じカナダの歌手です。
映画「いちご白書」は1968年の米国・コロンビア大学が舞台です。当時のコロンビア大学では予備将校訓練隊のビル建設に抗議する学生と大学当局の紛争が盛り上がっていました。主人公の男子学生は政治には無関心な平凡な学生でしたが、学生運動のリーダ格の女子学生と知り合い、彼女にひかれていくうちに、運動に参加するようになります(青春映画のストーリーの「王道」の一つですね)。映画は、大学の講堂にたてこもった学生たちを、警官隊が突入して強制排除するシーンで終わります。
一言でいうと「青春の高揚と挫折」という感じです。この映画の主題歌が「サークル・ゲーム」で、最後の「警官隊の学生強制排除シーン」でこの歌が流れました。
そしてここからは全くの想像なのですが、ひょっとしたら中島さんは「いちご白書」を見て、そして「サークル・ゲーム」にインスピレーションを得て「時代」を書いた(ないしは完成させた)のではないでしょうか。映画が日本で公開されたのは1970年の秋です。当時、中島さんは大学の1年生。彼女が札幌でこの映画を見た可能性は十分にあると思うのです。学生たちが警官隊に強制排除される最終シーンで流れる「サークル・ゲーム」という曲、この曲の持つ何となくペシミスティックな雰囲気に対して、中島さんが「ポジティブな」回答をしたのが「時代」なのではないでしょうか。あるいは、学生運動の挫折で終わる『いちご白書』に対して、次の「時代」への希望を語ったのでは、とも思うのです。全くの想像ですが・・・・・・。もちろん、詩としてはそんなことを全く感じさせない普遍性を獲得していることは言うまでもありません。
『いちご白書』をもう一度
中島さんが「時代」でグランプリをとった年の1975年、正真正銘「いちご白書」の影響を受けて作られた曲が発表されました。作詞・作曲:荒井由実、歌:バンバンの「いちご白書をもう一度」です。松任谷由実さん自身も、2003年のセルフ・カバー・アルバム(Yuming Composition : FACES)でこの曲をカバーしています。
この曲は「いちご白書」に影響されて作られたことは題名から明らかだし、歌詞にある「学生集会」も「いちご白書」が描いた学生運動と重なります。
しかし実は、この曲は「いちご白書」の主題歌である「サークル・ゲーム」に影響を受けているのではないでしょうか。ないしは「サークル・ゲーム」を念頭に詞が書かれたのではないでしょうか。街角のポスターを見て過ぎ去った昔を思い出す、というシチュエーションの設定が、少年時代を回想している「サークル・ゲーム」を連想させます。輪を一周し、もう一度出発点に戻りたい、「どこかでもう一度」と願っている、ないしは、そのことで逆説的に「過去には戻れない」と感じているわけです。
アートとインスピレーション
「サークル・ゲーム」にインスピレーションを得て「時代」と「いちご白書をもう一度」の詞が作られたと書いたのですが、それは全くの想像であって正しいかどうかは分かりません。アーティストは創作の過程を明かさないことが多いし、特に中島さんは自作の「解説」をしたりはしないでしょう。アーティストが解説をしているような場合でも、本当のことを言っているのか疑わしいことがあります。特に、インスピレーションとなると内容は千差万別であって、完全にアーティスト本人の「心の問題」です。
しかし、正しいか正しくないかは本質的な問題ではないと思います。アーティストの仕事は作品を創造して世に出すまでであって、いったん作品が世に出ると、それをどう受け取るかは作品の「受け手」にゆだねられる。作品は「作り手」とは独立した存在になる・・・・・・。中島さんは、何度かそういう意味の発言をしていたと思います。受け手の解釈の自由裁量があるところに、音楽や絵画をはじめとする「アート」全般のおもしろさがあるのだと思います。
中島みゆきさんの『時代』は数々の歌手によって歌われていて、最近では一青窈さんがカバーしていますね。この曲を中島みゆき以外では聞きたくないという「みゆきファン」は多いと思いますが、曲の持つ「普遍的な力」が多くの歌手に「歌いたい」という気持ちを起させるのだと思います。
2012年5月2日のNHKの朝の情報番組のインタビューで、一青窈さんは「この曲を東日本大震災の被災地で歌った。会場には老若男女いろいろの人がいたが、涙を流している人が多かった」という主旨の発言をしていました。私は関東在住なので被災者の方々の気持ちを理解しているとはとても言えないのですが、涙の理由はなんとなく分かりそうな気がします。「そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくる・・・・・・」。この曲が持つ「言葉の力」は非常に強いと思います。
中島みゆきさんの「詩」について、以下の記事があります。
No. 64 - 中島みゆきの詩( 1)自立する言葉
No. 65 - 中島みゆきの詩( 2)愛を語る言葉
No. 66 - 中島みゆきの詩( 3)別れと出会い
No. 67 - 中島みゆきの詩( 4)社会と人間
No. 68 - 中島みゆきの詩( 5)人生・歌手・時代
No.130 - 中島みゆきの詩( 6)メディアと黙示録
No.153 - 中島みゆきの詩( 7)樋口一葉
No.168 - 中島みゆきの詩( 8)春なのに
No.179 - 中島みゆきの詩( 9)春の出会い
No.185 - 中島みゆきの詩(10)ホームにて
No.208 - 中島みゆきの詩(11)ひまわり
No.212 - 中島みゆきの詩(12)India Goose
No.213 - 中島みゆきの詩(13)鶺鴒(せきれい)と倒木
No.227 - 中島みゆきの詩(14)世情
No.228 - 中島みゆきの詩(15)ピアニシモ
No.298 - 中島みゆきの詩(16)ここではないどこか
No.300 - 中島みゆきの詩(17)EAST ASIA
No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE
No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ
No.340 - 中島みゆきの詩(20)キツネ狩りの歌
No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代 では、「時代」に呼応した "こだま" のような曲として「肩に降る雨」を取り上げています。
2013年4月6日のNHK総合で、SONGS「時代 ~中島みゆき~」が放映されました。この中の八神純子さんのインタビューが大変興味深かったので引用します。文章として読みやすくするために言葉を補った部分や、順序を入れ替えた部分があります。ちなみに、ナレーターの薬師丸ひろ子さんも、かつて『時代』をカバーしました。
八神さんが「時代」を歌うとき、彼女は思い出しているのですね。40年近く前の第6回世界歌謡祭で「時代」を最後にもう一回歌う中島みゆきを見て「嫉妬に狂った」ことを・・・・・・。ホテルに帰ってベッドに泣き崩れ、気がついたら明け方だったことを・・・・・・。そして、何も怖いものがない高校生シンガー・ソングライターだった自分が、初めて味わった強い挫折感のことを・・・・・・。
八神純子さんと『時代』とのかかわりは、『時代』の歌詞の内容そのものだということが良く理解できたインタビューでした。
番組の最後に、中島さんが自ら『時代』について語っていました。
この曲を東日本大震災の被災者の方々の前で歌う一青窈さんや八神純子さんは深い「祈り」の曲として歌っているし、もちろん聴衆の方々もそう聞いています。
しかし『時代』は「祈り」という意味(だけ)の曲ではない。この曲が各地のさまざまなコンサートで歌われるとき、聴衆はそれぞれの「思い」を込めて聞けばよいが、しかし「歌手」は「無」の境地で歌うべきであって、それがこの曲の本質。だけどそのことは、曲を作った本人でさえ(本人だからこそ)難しい。いつかそいういう境地で歌ってみたい・・・。中島さんはこう言っているのだと思います。
『時代』は、これだけ普遍性をもった強い詩なので、「無」の境地で歌うことなど中島さんぐらいの力量の歌手ならできそうです。自分は冷静、観客だけが感動するというような・・・・・・。しかし本人の弁だと「歌うと何かと思惑が入り込む」のですね。中島さんはこの曲を歌うとき、どうしても「ホットに」なってしまう。では、中島さんをそうさせる「思惑」とは何でしょうか。中島さんにはこの曲を作った経緯にまつわる特別な思いがあることが想像できます。その特別な思いとは何でしょうか。もちろん、それが今までに語られたことはありません。
「無」という言葉を持ち出すところなど、中島さんらしい発言だと思います。そしてこの発言は、『時代』を歌う八神純子さんの「感想もきてみたいような」という番組インタビューへの回答にもなっていると思いました。
この「補記4」は中島みゆきさんの『時代』とは直接の関係はありません。「補記3」に八神純子さんのインタビューを紹介したのですが、その八神さんに関係した話です。神奈川県平塚市に在住の背古菜々美さん(24)という方のことが新聞に出ていました。背古さんは東海大学 教養学部 芸術学科 音楽学課程の4年生です。その記事を引用します。
八神さんは東日本大震災の被災地だけでなく、熊本地震の被災地も訪問しています。また病院の慰問もしていて、その一つに背古さんが入院していた病院があったのでしょう。記事にある「ユーイング肉腫」とは骨の癌の一種で、若年層に発症する病気です。
背古さんが「八神さんの名前も曲も知らなかった」というのはその通りだろうと思います。八神さんは1958年生まれなので、背古さん(1996年頃の生まれ)より40歳近く年上です。八神さんの最も知られた曲は『みずいろの雨』(1979)だと思いますが、そういう曲を知らなったとしても当然です。しかし闘病中の彼女は、全く知らなかった八神さんの歌に激しく心を動かされ、再びバイオリンを手にとり、プロを目指すようになった。
病院で八神さんは数曲を歌ったと思いますが、何の曲かは分かりません。東日本大震災の被災地でのように『時代』は歌わなかったでしょう。被災地と病院では同じ励ますにしても状況が違うし、それに『時代』なら背古さんが知っていたと思われます。
しかし確実に言えることは、八神さんの「歌」が "病気で卑屈になっていた" 女性を "逃げない" という気持ちにさせ、音楽療養士を目指してチャレンジするきっかけになったということです。歌がもつ "ちから" を感じます。この背古さんの一例だけでも、八神さんは病院慰問をやってよかったと思うに違いありません。
「循環」をテーマにした音楽作品というと、すぐに中島みゆきさんの名曲「時代」を思い浮かべる |
と書きました。その「時代」についてです。
中島みゆきさんがデビューしたのは35年以上も前ですが、もちろん現役のシンガー・ソングライターであり、「夜会」の活動や小説やエッセイの執筆にみられるように、シンガー・ソングライターの枠を越えたアーティストとして活躍しています。「夜会」において中島さんは、プロデューサ + 演出家 + 脚本家 + 作詞家 + 作曲家 + 俳優 + 歌手、という一人七役ぶりです。
彼女が広く知られるようになったのは、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)で「時代」を歌ってグランプリを受賞してからでした。同年11月の第6回世界歌謡祭でも「時代」はグランプリを受賞しています。彼女はその年の9月に最初のシングル「アザミ嬢のララバイ」を出しているので、こちらがデビュー曲ということになりますが、実質的なデビューはポプコン・世界歌謡祭での「時代」と考えてよいと思います。
「時代」の詩(詞)
中島みゆき全歌集Ⅱ (朝日新聞社 1998) |
歌は最低限「詩・詞 + 曲」で成り立つので、詩だけを取り出して議論したり鑑賞するのは本来の姿ではないとは思うのですが、中島さんの曲を聞くと、どうしても詩(詞)を取り上げたくなります。朝日新聞社の(おそらく)コアな「みゆきファン」の人が、周囲の(おそらく)冷ややかな目をものともせずに歌集(詩集)を出した気持ちも分かります。
「時代」の歌い出しは次のようです。
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ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』(1976)。「時代」が最後に収められている。
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それと、何よりも題名でもある「時代」です。「時」ではなく「時間」でもなく「時の経過」でもない「時代」という言葉です。「時代」は、物事がはじまって発展して区切りを迎える、その期間というイメージです。短期間ではない、比較的長期の時間帯を言っている。明治時代、少年時代、学生時代というようにです。この時代という言葉を持ち出して「回る」という表現と結び付けているのが印象的です。
一般的に中島さんの詩の言葉、特にキーワードは考え抜かれて選ばれています。「時代」や「回る」「生まれ変わる」には、彼女なりの思いが込められていることは確実です。
「時代」は次のように続きます。
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歌い出しにおける「恋人たち」は、ここでは「旅人」になります。力つきて倒れた旅人も、生まれ変わって、再び歩き出すのです。時代が回れば・・・・・・。
もちろん「旅人」は比喩であり、それは人生の旅人、つまりほとんど「人」とイコールでしょう。その意味では「恋人」よりずっと一般化した感じです。・・・・・・というように考えてしまうのは「中島みゆきの詩」の把握の仕方としては正しくない。「旅人」は「旅人」としてダイレクトに受け止めるべきでしょう。そういう言葉がわざわざ選ばれているのだから・・・・・・。
デビュー曲「時代」
「時代」は1993年にリメイクされた。それを第1曲に収録したアルバム『時代』 |
まず「時代」は、ラブソングではありません。別にデビュー曲がラブソングである必要性は全くないのですが、男女の関係や、その周辺の人間模様を歌ったものが多いのも事実です。もちろん失恋を含めてです。
「時代」はそういった人間関係論とは無縁な曲です。それは、悲しみにくれている人(ないしは自分)を元気付けようとする歌です。詩の内容は極めて普遍的だと言えるし、人に対する応援歌のように見えます。しかし単なる応援歌でもないようなのです。
普通、打ちひしがれた人を励まし、応援する場合には
◆ | 夜は必ず明ける、明けない夜はない | |
◆ | 今は厳しいけど、常に希望もてば、道は開ける |
というようなスタンスが多いわけです。「風と共に去りぬ」で、すべてを失ったスカーレット・オハラは、小説の一番最後でこう言います。
After all, tomorrow is another day |
と。「明日は、別の日」。自分自身を励ます文句ですが、くじけないぞ、明日はまた別の日なんだから、新しい展開が待っているかもしれない・・・・・・、そういう感じです。中島さんも後に「ファイト!」という「応援そのもの」みたいな曲を書いていますよね(1983年のアルバム『予感』に収録)。「ファイト!」とは普通、スポーツなどにおける「応援の掛け声」です。
しかし「時代」はちょっと雰囲気が違う。ここでは
時代は回る |
というのがキー・コンセプトになっています。時代が回ることで
別れた恋人は「生まれ変わって」巡りあう 倒れた旅人は「生まれ変わって」歩き出す |
というようになるわけです。
「時代」は、時の経過を「回ること」「循環」としてとらえる基本的な考えにもとづいています。そこが普通の「応援歌」とちょっと違います。季節と植物の関係で言うと、春に芽吹き、夏に茂り、秋に紅葉し、冬に枯れる。これが繰り返される。死と再生の繰り返しです。一定の期間(=時代)が繰り返すことによって時が流れていくという感覚。直線的ではない回帰的な時間の見方が「時代」にはあります。視覚的には「No.5 - 交響詩:モルダウ」で紹介した横山大観の「生々流転」のイメージです。また、No.15 で「ニーベルングの指環」が「時代」を連想させる、と書いたのも、その共通項は「循環的世界観」の雰囲気です。あくまで連想に過ぎないのですが・・・・・・。
24時着 0時発
中島さんは「時代」の発表から30年後に「循環」をテーマの一つにした作品を創作・発表しました。2004年の「夜会」で演じられた『24時着 0時発』です。この作品は鮭の永劫回帰がベーシックなモチーフ(の一つ)になっています。従って中で歌われた曲には「循環し、生まれ変わり、継承する」というイメージがいろいろとあります。
生きて泳げ 涙は後ろへ流せ 向かい潮の彼方の国で 生まれ直せ (サーモン・ダンス)
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この一生だけでは辿り着けないとしても 命のバトン掴んで 願いを引き継いでいけ (命のリレー)
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この『24時着 0時発』の中の詞と、「時代」の
別れた恋人は「生まれ変わって」巡りあう 倒れた旅人は「生まれ変わって」歩き出す |
の類似性は明らかだと思います。2つの作品は30年の隔たりがあるのですが・・・・・・。
『転生』(2005)
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そもそも『24時着 0時発』というタイトルは「1日の終わりと、次の日の始まり」ということですよね。到達点は、また出発点でもある。時間は一周し、そこから次の時間が始まる。日は巡り、また巡る。地球の自転は永遠に続く・・・・・・。この夜会のタイトルは「時間が回る」というイメージの表現形そのものです。
デビュー作にはアーティストの本質が現れると言います。「循環」や「回る」は、中島さんがデビュー当時からずっと持ち続けている思想の中心的なコア部分(の一つ)ではないでしょうか。
ところで「時代」を聞くたびに連想する曲があります。ジョニ・ミッチェルが作詞・作曲した「サークル・ゲーム」です。
The Circle Game
Joni Mitchell [site:amazon.com] |
この"大意"は、私が詩の意味を解釈したものです。詩は人によっていろんな受け取り方が可能なので、これはあくまで一例です。 |
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「サークル・ゲーム」のセルフカバーが収録されているアルバム『Ladies of the Canyon』(1970) |
過去には戻れません。「我々は時の回転木馬につかまって」というところが印象的です。「つかまって」したところは詩では captive です。「とらわれて」という意味ですね。
こうしてみると、ジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」と中島さんの「時代」は、明らかに主題が違います。「時代」には傷ついた人や倒れた人に対する「励まし」という基本的態度があるのに比較して、「サークル・ゲーム」にあるのは過去の回顧と未来へのちょっぴりした期待であり、さらにはある種のペシミスティックな「諦め」さえ感じます。
しかし「サークル・ゲーム」が実際に歌われるのを聞いて最も印象的なのは、何度も繰り返される 'round / around や circle という言葉です。また wheel や carousel といった「回る」ことに関係した記号です。
「サークル・ゲーム」で特徴的なのは、季節が巡ることや、年が過ぎること、少年時代が終わることを「回る」「一周する」ととらえ、それが繰り返されるのが時の流れだという感覚です。この「時」と「回る」のコンビネーションが、中島さんの「時代」との類似性を感じさせるのです。
1975年の世界歌謡祭で「時代」(英語での題名:Time Goes Around)が歌われてから18年後の1993年、中島さんは「時代」をリメイクし、それを第1曲にした「リメイク集アルバム」を発表しました。このアルバムのタイトルは「時代 - Time goes around - 」です。ということは、
Time goes around |
という英語表現が「時代」の題と言ってもいいと、中島さん自身が改めて認めたことになります。これと「サークル・ゲーム」の、
The seasons they go 'round and 'round |
の二つは大変よく似ています。また、詩の題名("時代"と"circle game")が含まれる、
まわるまわるよ 時代は回る And go round and 'round and 'round in the circle game |
の二つの表現はほとんど同じことを言っているようにも聞こえます。英語の circle には「循環」という意味もあります。季節→循環→ circle game→ 時代、という連想はごく自然だと思います。
いちご白書 : The Strawberry Statement
ジョ二・ミッチェルの名曲「サークル・ゲーム」が世界的に有名になった契機は、映画「いちご白書」の公開(1970)でした。この映画の主題歌として「サークル・ゲーム」が使われたのです。歌ったのはバフィ・セント=マリーという、ジョ二・ミッチェルと同じカナダの歌手です。
The Strawberry Statement (ポスター。アメリカ) 主演:ブルース・デヴィソン キム・ダービー [site : MoviePosterDB.com] |
一言でいうと「青春の高揚と挫折」という感じです。この映画の主題歌が「サークル・ゲーム」で、最後の「警官隊の学生強制排除シーン」でこの歌が流れました。
そしてここからは全くの想像なのですが、ひょっとしたら中島さんは「いちご白書」を見て、そして「サークル・ゲーム」にインスピレーションを得て「時代」を書いた(ないしは完成させた)のではないでしょうか。映画が日本で公開されたのは1970年の秋です。当時、中島さんは大学の1年生。彼女が札幌でこの映画を見た可能性は十分にあると思うのです。学生たちが警官隊に強制排除される最終シーンで流れる「サークル・ゲーム」という曲、この曲の持つ何となくペシミスティックな雰囲気に対して、中島さんが「ポジティブな」回答をしたのが「時代」なのではないでしょうか。あるいは、学生運動の挫折で終わる『いちご白書』に対して、次の「時代」への希望を語ったのでは、とも思うのです。全くの想像ですが・・・・・・。もちろん、詩としてはそんなことを全く感じさせない普遍性を獲得していることは言うまでもありません。
『いちご白書』をもう一度
中島さんが「時代」でグランプリをとった年の1975年、正真正銘「いちご白書」の影響を受けて作られた曲が発表されました。作詞・作曲:荒井由実、歌:バンバンの「いちご白書をもう一度」です。松任谷由実さん自身も、2003年のセルフ・カバー・アルバム(Yuming Composition : FACES)でこの曲をカバーしています。
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「いちご白書をもう一度」が収録されているセルフカバー集『Yuming Composition : FACES』(2003) |
しかし実は、この曲は「いちご白書」の主題歌である「サークル・ゲーム」に影響を受けているのではないでしょうか。ないしは「サークル・ゲーム」を念頭に詞が書かれたのではないでしょうか。街角のポスターを見て過ぎ去った昔を思い出す、というシチュエーションの設定が、少年時代を回想している「サークル・ゲーム」を連想させます。輪を一周し、もう一度出発点に戻りたい、「どこかでもう一度」と願っている、ないしは、そのことで逆説的に「過去には戻れない」と感じているわけです。
アートとインスピレーション
「サークル・ゲーム」にインスピレーションを得て「時代」と「いちご白書をもう一度」の詞が作られたと書いたのですが、それは全くの想像であって正しいかどうかは分かりません。アーティストは創作の過程を明かさないことが多いし、特に中島さんは自作の「解説」をしたりはしないでしょう。アーティストが解説をしているような場合でも、本当のことを言っているのか疑わしいことがあります。特に、インスピレーションとなると内容は千差万別であって、完全にアーティスト本人の「心の問題」です。
しかし、正しいか正しくないかは本質的な問題ではないと思います。アーティストの仕事は作品を創造して世に出すまでであって、いったん作品が世に出ると、それをどう受け取るかは作品の「受け手」にゆだねられる。作品は「作り手」とは独立した存在になる・・・・・・。中島さんは、何度かそういう意味の発言をしていたと思います。受け手の解釈の自由裁量があるところに、音楽や絵画をはじめとする「アート」全般のおもしろさがあるのだと思います。
 補記1  |
中島みゆきさんの『時代』は数々の歌手によって歌われていて、最近では一青窈さんがカバーしていますね。この曲を中島みゆき以外では聞きたくないという「みゆきファン」は多いと思いますが、曲の持つ「普遍的な力」が多くの歌手に「歌いたい」という気持ちを起させるのだと思います。
2012年5月2日のNHKの朝の情報番組のインタビューで、一青窈さんは「この曲を東日本大震災の被災地で歌った。会場には老若男女いろいろの人がいたが、涙を流している人が多かった」という主旨の発言をしていました。私は関東在住なので被災者の方々の気持ちを理解しているとはとても言えないのですが、涙の理由はなんとなく分かりそうな気がします。「そんな時代もあったねと、いつか話せる日がくる・・・・・・」。この曲が持つ「言葉の力」は非常に強いと思います。
 補記2  |
中島みゆきさんの「詩」について、以下の記事があります。
No. 64 - 中島みゆきの詩( 1)自立する言葉
No. 65 - 中島みゆきの詩( 2)愛を語る言葉
No. 66 - 中島みゆきの詩( 3)別れと出会い
No. 67 - 中島みゆきの詩( 4)社会と人間
No. 68 - 中島みゆきの詩( 5)人生・歌手・時代
No.130 - 中島みゆきの詩( 6)メディアと黙示録
No.153 - 中島みゆきの詩( 7)樋口一葉
No.168 - 中島みゆきの詩( 8)春なのに
No.179 - 中島みゆきの詩( 9)春の出会い
No.185 - 中島みゆきの詩(10)ホームにて
No.208 - 中島みゆきの詩(11)ひまわり
No.212 - 中島みゆきの詩(12)India Goose
No.213 - 中島みゆきの詩(13)鶺鴒(せきれい)と倒木
No.227 - 中島みゆきの詩(14)世情
No.228 - 中島みゆきの詩(15)ピアニシモ
No.298 - 中島みゆきの詩(16)ここではないどこか
No.300 - 中島みゆきの詩(17)EAST ASIA
No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE
No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ
No.340 - 中島みゆきの詩(20)キツネ狩りの歌
No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代 では、「時代」に呼応した "こだま" のような曲として「肩に降る雨」を取り上げています。
 補記3  |
2013年4月6日のNHK総合で、SONGS「時代 ~中島みゆき~」が放映されました。この中の八神純子さんのインタビューが大変興味深かったので引用します。文章として読みやすくするために言葉を補った部分や、順序を入れ替えた部分があります。ちなみに、ナレーターの薬師丸ひろ子さんも、かつて『時代』をカバーしました。
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八神さんが「時代」を歌うとき、彼女は思い出しているのですね。40年近く前の第6回世界歌謡祭で「時代」を最後にもう一回歌う中島みゆきを見て「嫉妬に狂った」ことを・・・・・・。ホテルに帰ってベッドに泣き崩れ、気がついたら明け方だったことを・・・・・・。そして、何も怖いものがない高校生シンガー・ソングライターだった自分が、初めて味わった強い挫折感のことを・・・・・・。
そんな時代も あったねと いつか話せる 日が来るわ |
八神純子さんと『時代』とのかかわりは、『時代』の歌詞の内容そのものだということが良く理解できたインタビューでした。
番組の最後に、中島さんが自ら『時代』について語っていました。
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この曲を東日本大震災の被災者の方々の前で歌う一青窈さんや八神純子さんは深い「祈り」の曲として歌っているし、もちろん聴衆の方々もそう聞いています。
しかし『時代』は「祈り」という意味(だけ)の曲ではない。この曲が各地のさまざまなコンサートで歌われるとき、聴衆はそれぞれの「思い」を込めて聞けばよいが、しかし「歌手」は「無」の境地で歌うべきであって、それがこの曲の本質。だけどそのことは、曲を作った本人でさえ(本人だからこそ)難しい。いつかそいういう境地で歌ってみたい・・・。中島さんはこう言っているのだと思います。
『時代』は、これだけ普遍性をもった強い詩なので、「無」の境地で歌うことなど中島さんぐらいの力量の歌手ならできそうです。自分は冷静、観客だけが感動するというような・・・・・・。しかし本人の弁だと「歌うと何かと思惑が入り込む」のですね。中島さんはこの曲を歌うとき、どうしても「ホットに」なってしまう。では、中島さんをそうさせる「思惑」とは何でしょうか。中島さんにはこの曲を作った経緯にまつわる特別な思いがあることが想像できます。その特別な思いとは何でしょうか。もちろん、それが今までに語られたことはありません。
「無」という言葉を持ち出すところなど、中島さんらしい発言だと思います。そしてこの発言は、『時代』を歌う八神純子さんの「感想もきてみたいような」という番組インタビューへの回答にもなっていると思いました。
 補記4:バイオリニストへの挑戦  |
この「補記4」は中島みゆきさんの『時代』とは直接の関係はありません。「補記3」に八神純子さんのインタビューを紹介したのですが、その八神さんに関係した話です。神奈川県平塚市に在住の背古菜々美さん(24)という方のことが新聞に出ていました。背古さんは東海大学 教養学部 芸術学科 音楽学課程の4年生です。その記事を引用します。
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八神さんは東日本大震災の被災地だけでなく、熊本地震の被災地も訪問しています。また病院の慰問もしていて、その一つに背古さんが入院していた病院があったのでしょう。記事にある「ユーイング肉腫」とは骨の癌の一種で、若年層に発症する病気です。
背古さんが「八神さんの名前も曲も知らなかった」というのはその通りだろうと思います。八神さんは1958年生まれなので、背古さん(1996年頃の生まれ)より40歳近く年上です。八神さんの最も知られた曲は『みずいろの雨』(1979)だと思いますが、そういう曲を知らなったとしても当然です。しかし闘病中の彼女は、全く知らなかった八神さんの歌に激しく心を動かされ、再びバイオリンを手にとり、プロを目指すようになった。
病院で八神さんは数曲を歌ったと思いますが、何の曲かは分かりません。東日本大震災の被災地でのように『時代』は歌わなかったでしょう。被災地と病院では同じ励ますにしても状況が違うし、それに『時代』なら背古さんが知っていたと思われます。
しかし確実に言えることは、八神さんの「歌」が "病気で卑屈になっていた" 女性を "逃げない" という気持ちにさせ、音楽療養士を目指してチャレンジするきっかけになったということです。歌がもつ "ちから" を感じます。この背古さんの一例だけでも、八神さんは病院慰問をやってよかったと思うに違いありません。
(2018.1.30)
2011-08-25 13:05
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