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No.322 - 静物画の名手 [アート]

No.93「生物が主題の絵」では "生物画" と称して、動物・植物が生きている姿を描いた西洋絵画をみました。「生きている姿を描く」のは日本画では一大ジャンルを形成していますが、西洋絵画の著名画家の作品では少ないと思ったからです。もちろん、西洋絵画で大ジャンルとなっているのは「静物画」であり、今回はその話です。

静物画はフランス語で "nature morte"(=死んだ自然)、英語で "still life"(=動かない生命)であり、「花瓶の花束」とか「テーブルの上の果物や道具類」などが典型的なテーマです。瓶や壷などの無生物だけが主題になることもあります。

まず、18世紀より以前に描かれた絵で "これは素晴らしい" と思った静物画は(実物を見た範囲で)2つあります。No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した、カラヴァッジョとスルバランの作品です。

果物籠.jpg
ミケランジェロ・メリージ・ダ・
カラヴァッジョ
(1571-1610)
果物籠」(1595/96)
(46cm × 64cm)
アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)

Zurbaran.jpg
フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664)
レモンとオレンジとバラの静物」(1633)
(62cm × 110cm)
ノートン・サイモン美術館
(米国・カリフォルニア州)

この2作品の感想は No.157 に書きました。古典絵画なので写実に徹した作品ですが、よく見かけそうな静物を描いているにもかかわらず、じっと見ていると、それらが何かの象徴のように感じられます。



静物画は現代に至るまで絵の主要テーマの一つですが、19世紀以降の絵で特に感銘を受けたのが、西洋絵画に革新をもたらした画家、エドゥアール・マネ(Edouard Manet,1832-1883)の作品です。そのことは以前、コートールド・コレクションにある『フォーリー・ベルジェールのバー』のところで書きました(No.155)。有名なこの作品はマネの最晩年の大作で、現実と幻想が "ないまぜ" になっている感じの絵ですが(No.255「フォリー・ベルジェールのバー」)、売り子嬢の前のカウンターに置かれた静物の表現が実に的確かつリアルで、少なくともそこは確かな現実と思える表現になっています。

『フォーリー・ベルジェールのバー』は静物画ではありませんが、この絵だけからしてもマネが静物を描く力量は相当のものだと思えます。そこで今回は、マネの代表的な静物画を "特集" し、代表作の画像を掲載したいと思います。


筆触で描く


特定の色の絵の具を含ませた筆をカンヴァスの上で走らせた "跡" を「筆触」(brushstroke)と呼ぶことにします。油彩画の場合、絵の具が濃厚で粘着力があるため,筆の跡を画面に残すことができます。もちろん水彩でも日本画でも筆の跡を残すことは可能ですが、油絵の方がより "多彩な残し方" ができる。筆の太さや形、速さ、強さ、方向、曲がり具合、リズムなどがカンヴァスに明瞭に残って、これによって対象の動きとか、絵を描いたときの気分まで表現できます。筆触に画家の個性が現れると言えるでしょう。

マネの静物画は、この筆触をそのまま残した絵が多いわけです。マネが画家として出発した時代、筆触や筆の跡が残っている絵は画壇で「未完成」と見なされるのが普通でした。マネも、サロンに出品した作品などは筆の跡をできるだけ残さないようにしています。一部には残っていることがありますが(たとえば『オランピア』の花束)、絵の大部分はそうではなく、筆の跡は押さえられています。

ところが静物画はサロン出品作が一つもありません。静物画において画家は「やりたいことをやった」と考えられます。つまり、意図的に塗りの "荒さ" を残した描き方をしている。マネのそういった描き方は他のジャンルの絵にも多々ありますが、静物画を見ると "筆触で作品を作る" という感じがよく分かります。

もちろん、そういう描き方をした絵は19世紀以降にはいっぱいあるので現代人である我々からすると、ことさら新しいとは思えないわけです。しかしマネの時代は19世紀の後半だということを思い出す必要があります。そして明らかに分かることは、マネが「筆触を使いこなす達人であり、名人である」ことです。

というようなことを踏まえつつ、マネの静物画の代表的なものを制作された年の順に画像を掲載します。

以下の画像の「英語題名」「制作年」「カンヴァスのサイズ」は、原則として所蔵美術館の公式サイトにあるものです。ただし「1870年頃」(例)とサイトに掲載されているものは「1870年」としました。また「1870-1871年」も「1870年」としました。公式サイトにない作品は WikiArt / WikiCommons の記載に従いました。日本語題名は一般的になっているものはそれに従い、そうでないのは英語題名の直訳をつけました。



Manet-StillLife-01-Oyster.jpg
エドゥアール・マネ
Oysters(1862)
牡蠣
(39.2cm × 46.8cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-02-Fruits.jpg
エドゥアール・マネ
Basket of Fruits(1864)
果物の籠
(37.8cm × 44.4cm)
ボストン美術館

ボストン美術館の解説によると、籠に盛られているのは桃(peach)とスモモ(plum)です。我々も知っているように、桃の表面はベルベットのような繊毛で覆われています。またスモモ(やブドウ)の表面にはブルーム(bloom。日本語では果粉)と呼ばれる "白い粉のようなもの" がついていることがよくあります(農薬と間違う人がいるが、果実由来で無害)。この桃とスモモの感じが、一筆の筆触の連続で表現されています。ナイフのきらめきの表現も的確です。



Manet-StillLife-03-Fruits.jpg
エドゥアール・マネ
Still Life: Fruits on a Table(1864)
静物:テーブルの果物
(45cm × 73.5cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-04-Pear.jpg
エドゥアール・マネ
Two Pears(1864)
2つの梨
(28.5cm × 32.4cm)
個人蔵



Manet-StillLife-05-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Branch of White Peonies and Secateurs(1864)
白いシャクヤクの枝と剪定ばさみ
(31cm × 46.5cm)
オルセー美術館

1864-5年、マネは芍薬しゃくやくをテーマにした作品を集中的に描きました。この花が好きだったようで、自ら育てていたと、メトロポリタン美術館の絵の解説(次の3つ目の作品)にありました。日本では女性の美しい立ち振る舞いや容姿を花にたとえて「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」との言い方がありますが、芍薬はすらりと伸びた茎の先端に純白の華麗な花をつける姿が印象的です。

上に引用した画像はその芍薬しゃくやくの花だけですが、実際の花の写真を次に引用しました。マネの絵は花びらを1枚1枚描くということとは全くしていませんが、"純白で華麗" な花の感じをよく表していると思います。

シャクヤク.jpg
芍薬(シャクヤク)



Manet-StillLife-06-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Peony stem and shears(1864)
シャクヤクの花軸と剪定バサミ
(57cm × 46cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-07-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Vase of Peonies on a Small Pedestal(1864)
台座に載せたシャクヤクの花瓶
(93cm × 70cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-08-Peony.jpg
エドゥアール・マネ
Peonies(1864)
シャクヤク
(59.4cm × 35.2cm)
メトロポリタン美術館



Manet-StillLife-09-FIsh.jpg
エドゥアール・マネ
Fish(Still Life)(1864)
魚(静物)
(73.5cm × 92.4cm)
シカゴ美術館

この絵の魚は鯉(carp)と言われることがありますが、絵を見る限りこれは鯉ではないでしょう。そもそも鯉(=川魚)を食べる習慣は、欧州大陸では内陸部のドイツ東方やポーランドのはずです。この魚はフランス料理の定番のズズキではないでしょうか。それはともかく、赤い魚は顔の形からいってホウボウです。それとウナギと牡蠣とレモン(とナイフと鍋)が描かれています。

この絵は、全体として対角線を利かした構図になっています。魚とホウボウは、描くには難しいアングルに配置されていて、海産物がテーマの静物画としては凝っています。

こういったテーマの静物画は、17世紀のオランダで多数描かれました。おそらく画家はそれを踏まえつつ、現代風の静物画として再生したのだと思われます。古典絵画のモチーフを踏襲して、それを現代風に描くのはマネの得意とするところでした。



Manet-StillLife-10-FIsh.jpg
エドゥアール・マネ
Still Life with Fish and Shrimp(1864)
魚とエビのある静物
(44.8cm × 73cm)
ノートン・サイモン美術館

No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。中央の魚は、おそらくシカゴ美術館の絵と同じで、もう1匹は、ノートンサイモン美術館の解説では "ニードルフィッシュ"(和名:ダツ)とのことです。



Manet-StillLife-11-Melon.jpg
エドゥアール・マネ
Still life with melon and peaches(1866)
メロンと桃のある静物
(68.3cm × 91cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-12-Salmon.jpg
エドゥアール・マネ
The Salmon(1868)

(72cm × 92cm)
シェルバーン美術館(米・ヴァーモント州)
Shelburne Museum



Manet-StillLife-13-Brioche.jpg
エドゥアール・マネ
A brioche(1870)
ブリオッシュ
(65.1cm × 81cm)
メトロポリタン美術館

パンは小麦粉に塩と水を加えて発酵させて作りますが、ブリオッシュは水の代わりに牛乳を使い、またバターや卵も加えます。菓子に近く、"菓子パン" と呼ばれることもあります。この絵を所蔵しているメトロポリタン美術館の公式サイトでは、次のように解説しています。


Manet reportedly called still life the "touchstone of the painter." From 1862 to 1870 he executed several large-scale tabletop scenes of fish and fruit, of which this is the last and most elaborate. It was inspired by the donation to the Louvre of a painting of a brioche by Jean Simeon Chardin, the eighteenth-century French master of still life. Like Chardin, Manet surrounded the buttery bread with things to stimulate the senses - a brilliant white napkin, soft peaches, glistening plums, a polished knife, a bright red box - and, in traditional fashion, topped the brioche with a fragrant flower.

Metropolitan Museum of Art
(Official Web Site)

【試訳】

マネは静物画を "画家の試金石" と呼んだと伝えられている。1862年から1870年にかけて、マネはテーブルに魚や果物がある大判の絵を数枚描いているが、この絵はその最後の、最も手の込んだものである。この作品はルーブル美術館に寄贈されたジャン・シメオン・シャルダンの絵からインスピレーションを得ている。シャルダンは18世紀フランスの静物画の大家である。

シャルダンと同じくマネは、バター入りのパンの回りに印象的なアイテムを配置している。輝やかしい白いナプキン、柔らかそうな桃、きらめくスモモ、研かれたナイフ、赤い箱である。そして習わし通りにブリオッシュの上に香り立つ花を添えた。

メトロポリタン美術館
(公式ウェブサイト)

この解説に使われている「touchstone(試金石)」とは、金の品質を計るために用いられる主に黒色の石英質の鉱石全般を言い、転じて、物事の価値や人の力量を見きわめる試験になるようなもの、という意味です。なるほど、「静物画でその画家の力量が分かる」というのは、いかにもマネらしいと思います。

その、マネがインスパイアされたシャルダンのブリオッシュの絵が次です。これを見ると、マネの作品は明らかに「シャルダンを踏まえた絵」と言えるでしょう。マネは先人の画家のスタイルやモチーフを吸収するのに貪欲な画家でした。このブログで紹介しただけでも、ベラスケスへのオマージュのような絵だとか(No.36)、17世紀のオランダの画家、フランス・ハルスのような絵があったりしましました(No.97)。そして静物画においては自国の偉大な先輩画家、シャルダンを尊敬していたということでしょう。

シャルダン「ブリオッシュ」.jpg
ジャン・シメオン・シャルダン
(1699-1779)
ブリオッシュ(1763)
47cm × 57cm
ルーブル美術館

なおシャルダンの「プラムを盛ったボウル」という作品を No.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。



Manet-StillLife-14-Violet.jpg
エドゥアール・マネ
Bouquet of violets(1872)
菫の花束
(27cm × 22cm)
個人蔵

+

Manet-StillLife-15-Asparagus.jpg
エドゥアール・マネ
Bundle of Asparagus(1880)
アスパラガスの束
(46cm × 55cm)
ヴァルラフ・リヒャルツ美術館(ケルン)
Wallraf-Richartz Museum

No.3「ドイツ料理万歳!」でこの絵を引用しました。ホワイトアスパラのしゅんは、ヨーロッパでは5月から6月で、一度だけ食べたことがあります。日本でも生産量が増えているそうですが、近くのスーパーでは売っていません。早く容易に入手できるようになって欲しいものです。

この絵は日本にきたことがあり、2011年に青森県立美術館で開催されたヴァルラフ・リヒャルツ美術館展で展示されました。



Manet-StillLife-16-Asparagus.jpg
エドゥアール・マネ
Asparagus(1880)
アスパラガス
(16cm × 21cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-17-Ham.jpg
エドゥアール・マネ
The Ham(1880)
ハム
(32.4cm × 41.2cm)
ケルヴィングローヴ美術館(英・グラスゴー)
Kelvingrove Art Gallery and Museum



Manet-StillLife-18-Lemon.jpg
エドゥアール・マネ
The Lemon(1880)
レモン
(14cm × 22cm)
オルセー美術館



Manet-StillLife-19-Plum.jpg
エドゥアール・マネ
Plums(1880)
スモモ
(19.2cm × 25cm)
ヒューストン美術館

No.111「肖像画切り裂き事件」で、マネとドガが互いに自作の絵を贈り合った、そのときマネがドガに贈った絵はスモモの絵、としました。そのスモモの絵は今は所在不明ですが、10年後にマネが再度描いたスモモがこの絵です。上の方に引用したボストン美術館の「果物の籠」にもスモモがありました。



Manet-StillLife-20-Melon.jpg
エドゥアール・マネ
The Melon(1880)
メロン
(46.7cm × 56.5cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-21-Pear.jpg
エドゥアール・マネ
Pears(1880)

(19.1cm × 24.1cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-22-Flower.jpg
エドゥアール・マネ
Flowers in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶の花
(32.7cm × 24.5cm)
ワシントン・ナショナル・ギャラリー



Manet-StillLife-23-Moss Rose.jpg
エドゥアール・マネ
Moss Roses in a Vase(1882)
花瓶のモスローズ
(55.9cm × 34.6cm)
クラーク美術館
(米・マサチューセッツ州)

この絵は、2013年2月9日~5月26日に三菱一号館美術館で開催されたクラーク・コレクション展で展示されました。この展覧会は、全73点の出品のうち59点が初来日作品でした。展覧会がテレビで紹介されたときに、高橋明也館長(当時)がこの作品を「今回の展覧会で一推しの作品」を語っておられたのが記憶に残っています。

クラーク美術館によると、花瓶の花はモスローズ(苔バラ)です。蕾や花びらや茎に苔を思わせる繊毛がある品種です。



Manet-StillLife-24-Flower.jpg
エドゥアール・マネ
Bouquet of flowers(1882)
花束
(56.5cm × 44.5cm)
村内美術館(八王子)



Manet-StillLife-25-Clematis.jpg
エドゥアール・マネ
Pinks and Clematis in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶のカーネーションとクレマチス
(56cm × 35.5cm)
オルセー美術館

マネが最晩年に描いた「花瓶の花」のテーマの一連の絵の中では、この絵が最も有名でしょう。傑作だと思います。

私事ですが、我が家のトイレにはこの絵の複製が飾ってあります。トイレなので「なるべく明るく華やいだ雰囲気に」との思いで、"色みが残っているドライフラワー" と "花瓶の花の絵" を飾ることにしています。花の絵は何回か変更しましたが、結局、この絵に落ち着きました。1日に何回かこの絵を見ていることになりますが、全く飽きがきません。



Manet-StillLife-26-Rose.jpg
エドゥアール・マネ
Roses in a Champagne Glass(1882)
シャンパングラスの薔薇
(32.4cm × 24.8cm)
バレル・コレクション(英・グラスゴー)

この絵は日本に来たことがあり、2019年4月~6月に渋谷の Bunkamura で開催された「バレル・コレクション展」で展示されました。



Manet-StillLife-27-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
Lilac in a glass(1882)
ガラス瓶のライラック
(54cm × 42cm)
ベルリン国立美術館



Manet-StillLife-28-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
White Lilacs in a Crystal Vase(1882)
ガラスの花瓶の白いライラック
(56.2cm × 34.9cm)
ネルソン・アトキンズ美術館
(米国・ミズーリ州)
Nelson Atkins Museum



Manet-StillLife-29-Lilac.jpg
エドゥアール・マネ
Vase of White Lilacs and Roses(1883)
白いライラックとバラの花瓶
(55.88cm × 46.04cm)
ダラス美術館(米・テキサス州)


色と筆触で世界を再創造する


マネの一連の静物画を見ていると「色と筆触で世界(= 静物たち)を再創造した絵」という感じを受けます。モノから受ける印象や感じ、質感などを、リアルに描くということではなく、筆触の連続・組み合わせで再構成している。画家なりの、新たな創造という印象です。そこが絵画の革新者というのにふさわしい。

絵とは何なのか。その問いには様々な答え方があると思いますが、その一つの回答がマネの静物画にあると思います。




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