No.288 - ナイトホークス [アート]
No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差し下ろされた親指』(1904)がハリウッド映画『グラディエーター』(2000)の誕生に一役買ったという話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。
20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。
ちなみに cinemareview.com の記事によると、『グラディエーター』の制作会社であるドリームワークスのプロデューサはスコット監督に脚本を見せる前に監督のオフィスを訪問して『差し下された親指』の複製を見せたそうです。そもそも、プロデューサが『グラディエーター』の着想を得たのもこの絵がきっかけ(の一つ)だそうです。
この経緯をみると、ジェロームの『差し下ろされた親指』にはハリウッドの映画人をホットにさせる魔力があるようです。リドリー・スコット監督もその魔力にハマった ・・・・・・。
ところで、ここからが本題ですが、リドリー・スコット監督(1937 - )は『グラディエーター』(2000年公開)よりだいぶ前に(部分的にせよ)絵画からインスパイアされた映画を作っています。それが上の引用にも出てきた『ブレードランナー』(1982年公開)です。今回はその話です。
ブレードランナー
1982年公開の『ブレードランナー(Blade Runner)』は SF作家、フィリップ・K・ディック(1928-1982)の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を原作とする映画です。リドリー・スコットが監督し、ハリソン・フォードが主演しました。そのストーリーをかいつまんで箇条書きにすると以下のようです。
さて、この映画『ブレードランナー』と絵画の関係ですが、アメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵画『ナイトホークス(Nighthawks)』の解説(Wikipedia)に、次のような記述があります。
ここで引用されているリドリー・スコット監督の発言の原文とその出典は以下の通りです。
「Future Noir : the Making of Blade Runner」という本は、アメリカの映画プロデューサで映画評論家・作家のポール・M・サモンが『ブレードランナー』の制作過程を洗いざらい明かし、公開後の状況や各種のトリヴィアまでを網羅した「ブレードランナー全書」とも言うべき本です。そのキーワードは、本のタイトルにもなっている "Future Noir" = "暗い未来" です。
リドリー・スコット監督は、彼が『ブレードランナー』に求めた "様子と気分(look and mood)" を例示(illustrate)するために、ホッパーの『ナイトホークス』の複製画を制作スタッフ(アート・ディレクター、デザイナー、美術スタッフなどでしょう)に見せ続けたわけです。"私の狙っている雰囲気はこの絵のとおりだ" というように ・・・・・・。そのホッパーの『ナイトホークス』が次です。
ホッパー『ナイトホークス』
まず例によって、この絵を中野京子さんの解説でみていきます。中野さんは『名画の謎:対決編』(文藝春秋 2015)で、モンドリアンの『ブロードウェイ・ブギウギ』を解説したあとに『ナイトホークス』を説明しています。まずエドワード・ホッパーの経歴です。
ホッパーの油彩画は、なにげない日常を描く中で、いかにもアメリカという文明の一面を鋭利に切り取った感じの作品が多々あります。まさにアメリカ絵画の代表ですが、その名声が死後のものだったとは意外です。その代表作が『ナイトホークス』です。
ホッパーの絵の特徴の一つを端的に言うと "物語性" です。すべての絵がそうだとは言いませんが、何らかの "物語" を感じる絵が多い。つまり中野さんが上の引用に書いているように「中折れ帽をかぶったスーツ姿の男と、若くはないが赤毛のセクシーな女」から、映画「カサブランカ」のせりふを連想するというようにです。ホッパーの絵はよく「映画のワンシーンのようだ」と言われますが、この絵がまさにそうです。
さらに、後ろ向きの表情が分からない男性も、こういう配置で描かれると何だか "いわくありげ" です。顔を意識的に上げたように見えるウェイターは、なぜ顔をあげたのでしょうか。男女の "カップル" の方から何か声が聞こえたからなのか ・・・・・・。よく見るとカウンターの手前にはコップが一つ置かれています。ということは、さっきまで別の客が居たに違いない ・・・・・・。
『ナイトホークス』はホッパーの代表作と言われるだけあって、映画のワンシーンのような "物語性" を感じるのですが、中野さんはさらに限定して、物語の中でも「ハードボイルド」だと言っています。
ハードボイルド絵画
中野京子さんはこの絵を「ハードボイルド絵画」と呼んでいます。そのハードボイルド小説・映画では、主人公の直接的な心理描写はなく、行動や会話のみの記述ですべてを描こうとします。ホッパーの絵に登場する人物も無表情、またはそれに近く描かれることが多く、表情から心理を読みとることはできません。あくまで場面設定(場所、時刻、ライティングなど)と人物の外見・態度・配置だけからテーマを浮かび上がらせようとする。『ナイトホークス』もその雰囲気が横溢する絵画です。
ハードボイルド小説・映画に欠かせなかったのが "煙草" で、『ナイトホークス』にも描かれています。つまりカップルとおぼしき男女のうち、男は煙草を手にし、女はブックマッチ(二つ折りのカバーに紙マッチを挟み込んだもの)を持っている。ダイナーの上部には看板があり、そこには葉巻が描かれていて、その下に「only 5¢」(たった5セント)、横には「PHILLIES」(=フィリーズ)とメーカー名が記されています。文藝春秋の連載から引用します。
現実世界ではない
ここからが『ナイトホークス』の核心です。中野さんは、ホッパーが描いた絵は、一見ありふれた情景を描いているように見えるが現実そのものではないと指摘しています。
『ブレードランナー』とハードボイルド
ここから『ブレードランナー』と『ナイトホークス』の関係です。まず、この2作品に共通して影響を与えたのが "ハードボイルド" というエンターテインメントのジャンルです。『ナイトホークス』とハードボイルドの関係は中野京子さんが詳述していますが、では映画『ブレードランナー』もそうなのか。
映画評論家の町山智浩氏が書いた「ブレードランナーの未来世紀」(洋泉社 2006。新潮文庫 2017)という本があります。町山氏はこの本の中で、原作(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』)と『ブレードランナー』の脚本の大きな違いを述べています。
つまり『ブレードランナー』の脚本を最初に書いたハンプトン・ファンチャーは、原作にある2つの要素をカットしました。一つは "電気羊" です。核戦争で動物がほとんど死滅した世界では、人々はロボットの "電気羊" をペットとして飼うの一般的で、本物の動物は富裕層にしか飼えない。その、原作の題名にもなっている "電気羊" が脚本ではカットされています。2つ目はデッカートの妻です。原作ではデッカートには妻がいて、最後は妻に迎えられるというエンディングですが、映画脚本のデッカートは妻に逃げられた男になっている。
そして、ファンチャーは "電気羊" と "妻" を切り捨てたかわりに、ハードボイルドの要素を強調したと、町山氏は書いています。以下、町山氏の文章を引用します。
ちなみに、この映画は脚本家が途中で交代し、完成版の映画では「マーロウ調の自嘲的な独白でストーリーを進める」ようにはなっていません。ただ重要なのは、主人公のデッカートがフィリップ・マーロウに重ねられていることと、上の引用の最後に出てくる "フィルム・ノワール(film noir)" です。
フィリップ・マーロウはチャンドラーの重要な小説に出てくる私立探偵です。元々は検察の捜査官だったが上司に反抗したため免職になり私立探偵をしているという設定で、もとより権威・権力には媚びない姿勢です。安い料金(実費+25ドル/日)で仕事を引きうけ、ボロ自動車に乗り、トレンチコートにキャメルのタバコがトレードマークの「足で稼ぐ探偵」です。その一方で、弱いものには優しく、センチメンタルなところがあります。孤独を愛し、アンニュイ(物憂さ、気だるさ)の雰囲気を漂わせ、少々 "影" がある。
こういった人物造型は『ブレードランナー』のデッカートに重なります。デッカートが "未来のフィリップ・マーロウ" だと考えると納得がいく。さらに町山氏の解説です。
やはりデッカートは未来世界のフィリップ・マーロウであり、『ブレードランナー』はハードボイルド小説を映画化した「フィルム・ノアール」の後継なのです。さらに付け加えると、フィルム・ノワールが最初に作られたのは第二次世界大戦中であり、ホッパーの『ナイトホークス』(1942)もまさにその時期に描かれました。
Future Nior(暗い未来)
ここからが話の核心で、『ナイトホークス』が『ブレードランナー』に影響したという、その内容です。リドリー・スコット監督は、
と語ったのでした。キーワードは、ポール・サモンの本の題名にもなっていた「Future Nior(暗い未来)」です。Future Noir とは、フィルム・ノワール(film noir)をサイエンス・フィクション(SF)の手法で未来世界に移したものと言えるでしょう。Tech Noir や(tech は科学技術の意味)、SF(Science Fiction)Noirという言い方もあります。その代表格は『ブレードランナー』とともに、ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(1984)です。
『ターミネーター』を思い返してみると、スカイネットと呼ばれる人工知能が反乱を起こし、人間に核戦争を仕掛ける。その戦争後の荒廃した地球では、人間軍と機械軍の死闘が繰り広げられている。この状況を前提としたストーリー展開が『ターミネーター』でした。
『ブレードランナー』と『ターミネーター』に共通するのは、文明と科学技術の進歩が、世界を人間にとってのディストピアに向かわせるというコンセプトです。人間は自らが創り出したものに逆襲され、窮地に陥る。『ブレードランナー』にある地球環境破壊もその一つでしょう。さらには、人間が延々と築いてきた人間性が喪失、ないしは希薄になってゆく。文明の進歩が、人間らしさを謳歌できる "明るい未来" をもたらすのではなく、それとは真逆の荒涼とした "暗い未来" を招く。そのイメージが Future Noir = 暗い未来です。
前に引用した町山氏は「60年代終わりから、ヴェトナム戦争を背景に、ハリウッドでは再びアンハッピーエンドの映画が作られた」とし、その流れに『ブレードランナー』があると書いていました。しかし、背景はそれだけではないと思います。No.130「中島みゆきの詩(6)メディアと黙示録」で紹介したように、評論家の内田樹氏は、米ソの冷戦時代(1960年代~80年代)には核戦争が起きるのではという "黙示録的な不安" が、潜在的・暗黙に世界を覆っていたと指摘しています。誰も口には出さなかったけれど、人々は心の奥底でそれを感じとっていた。そもそもサイエンス・フィクションというジャンルが隆盛を極めた要因はそれだと ・・・・・・。Future Noir はまさにそういった潜在意識をも背景とするものでしょう。
この Future Noir とホッパーの『ナイトホークス』(1942)がどう関係しているのでしょうか。『ナイトホークス』が描かれた1942年は真珠湾攻撃(1941)の翌年であり、アメリカは既に第二次世界大戦に参戦しています。ヨーロッパ大陸と太平洋で戦争が行われていて、アメリカの兵士が出征して戦っている。
しかし、アメリカ本土で戦闘が行われているわけではありません。このブログの過去の記事を思い起こすと、1942年はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」のアメリカ初演がニューヨークで行われた年です。アメリカの大衆は熱狂し、"共にドイツと戦っているソ連" の作曲家(=ショスタコーヴィチ)の曲を熱狂的に支持しました(No.281 参照)。そのニューヨークには摩天楼が建ち並び、街にはブギウギのリズムが流れ、映画も演劇も盛んで、まさにモンドリアンが『ブロードウェイ・ブギウギ』で描こうとした世界がそこにあった。
その喧噪がニューヨークの "表の顔" だとすると『ナイトホークス』に描かれたのは "裏の顔" です。ここで描かれた深夜のダイナーの風景から受ける(個人的な)感じは、
といったものです。シュルレアリズム絵画と書きましたが、デ・キリコの『街の神秘と憂鬱』(No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」に画像を引用)に一脈通じるものを感じます。さらに『ナイトホークス』の登場人物である4人の心象を想像してみると、
などでしょう。「索漠」と「寄る辺なさ」は、中野京子さんの文章からもってきました。的確な日本語だと思います。
まさにこのような "look and mood"(様子と気分)が、リドリー・スコット監督が『ブレードランナー』のスタッフ、特に美術やビジュアル関係のスタッフに一貫して求め続けたものだと思います。『ナイトホークス』は見るからに "感染力の強い" 絵です。その絵に監督もスタッフも "感染" し、そして『ブレードランナー』の各種ビジュアルの "look and mood" に統一感を生む一助となった。さらに一歩進んで推測すると、
のではないでしょうか。つまり、この絵がある種の "予見性" を持っていると感じた。全くの想像ですが ・・・・・・。
リドリー・スコットはイギリスの名門の国立美術大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA。Royal College of Art)の出身です。卒業後にBBCで美術デザイナーとして働いたあと、1967年にCMプロダクションを設立し、当時は商品の宣伝に過ぎなかったテレビCMをアートの域にまで高め、数々の賞に輝きました。その後、念願の映画監督に転身した。
彼は自分で絵を描くし、映画の絵コンテも描きます。そういう経歴から考えると『ナイトホークス』からインスピレーションを得て『ブレードランナー』のビジュアルに生かすことはごく自然だったのでしょう。
アーティストとインスピレーション
『ナイトホークス』と『ブレードランナー』という、少々意外な取り合わせから思うことがあります。画家と映画監督を "アーティスト" と考えると、アーティストが作品(アート)を通して他のアーティストに影響し、その影響が別の作品を生み出すというプロセスは、誠に微妙だと思います。
『ナイトホークス』は『ブレードランナー』の40年も前の作品です。エドワード・ホッパーはサイエンス・フィクションとは全く無関係にニューヨークを描いた。しかしリドリー・スコットはその絵に "何か" を感じて、全く別のジャンルの作品に生かした。作品(アート)はいったん完成すれば、それをどう解釈するかは鑑賞者の自由です。『ナイトホークス』から『ブレードランナー』の "暗い未来" を思い描くのは "飛躍のしすぎ" とも思えるのですが、リドリー・スコット監督の感性はそうなのです。この意外性こそアートです。
鑑賞者の自由度は極めて大きく、見る人の感性に依存する。そこにこそアートの威力があるのだと思います。『ナイトホークス』はそのことを実証しているのでした。
20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。
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ジャン = レオン・ジェローム (1824-1904) 「差し下ろされた親指」(1904) |
フェニックス美術館(米・アリゾナ州) |
ちなみに cinemareview.com の記事によると、『グラディエーター』の制作会社であるドリームワークスのプロデューサはスコット監督に脚本を見せる前に監督のオフィスを訪問して『差し下された親指』の複製を見せたそうです。そもそも、プロデューサが『グラディエーター』の着想を得たのもこの絵がきっかけ(の一つ)だそうです。
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この経緯をみると、ジェロームの『差し下ろされた親指』にはハリウッドの映画人をホットにさせる魔力があるようです。リドリー・スコット監督もその魔力にハマった ・・・・・・。
ところで、ここからが本題ですが、リドリー・スコット監督(1937 - )は『グラディエーター』(2000年公開)よりだいぶ前に(部分的にせよ)絵画からインスパイアされた映画を作っています。それが上の引用にも出てきた『ブレードランナー』(1982年公開)です。今回はその話です。
ブレードランナー
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1982年公開の『ブレードランナー(Blade Runner)』は SF作家、フィリップ・K・ディック(1928-1982)の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を原作とする映画です。リドリー・スコットが監督し、ハリソン・フォードが主演しました。そのストーリーをかいつまんで箇条書きにすると以下のようです。
時代は21世紀。ロサンジェルスのタイレル社が "レプリカント"と呼ばれる人造人間(=原作で言う "アンドロイド")を発明し、独占的に供給していた。レプリカントは優れた体力と知能をもっている(レプリカントはこの映画の造語)。 | |
そのころの地球は環境破壊が進み、人類の多くは宇宙の植民地に住んでいた。レプリカントは宇宙開発の最前線での奴隷的労働に従事していた。 | |
レプリカントはバイオテクノロジーで作られており、人間とは区別できない。ただ、唯一区別可能な専門の分析装置がある。被験者は、人間なら感情を大きく揺さぶられるような質問を受け、それに対する体の反応を分析装置にかけることでレプリカントか人間かが判定できる。 | |
レプリカントは製造から数年たつと感情が芽生えて、人間に反旗を翻すものが出てきた。そのため最新の「ネクサス6型」レプリカントは寿命が4年に設定されていた。しかし脱走して人間社会に紛れ込むレプリカントが後を絶たなかった。人間社会から彼らを見つけだして「解任(retire)」(=射殺)する任務を担うのが、警察の専任捜査官・ブレードランナーであった(ブレードランナー:Blade Runner は過去の小説からの借用。もともと医薬品密売業者を指す)。 | |
物語の舞台はロサンジェルス。地球に残った人類は環境破壊による酸性雨が降りしきる中、高層ビルが立ち並ぶ人口過密の大都市での生活を強いられていた。そのころ、ネクサス6型のレプリカントが宇宙植民地で反乱を起こし、23人の人間を殺害して逃走、宇宙船を奪って密かに地球に帰還し、ロサンジェルスに4人が潜伏した。 | |
捜査にあたるロサンジェルス市警は4人の「解任」が容易でないことを悟り、退職していたブレードランナーのデッカート(=ハリソン・フォード)を呼び戻して捜査に当たらせる。デッカートは情報を得るため、レプリカントの開発者であるタイレル博士に面会した。そのとき彼は、博士の秘書のレイチェル(=ショーン・ヤング)がレプリカントであることを見抜く。レイチェルは博士が姪の記憶を移植して作ったレプリカントであった。レイチェルは激しく動揺するが、デッカートはそんなレイチェルに惹かれていく。 | |
デッカートは捜査の結果、踊り子に扮していたレプリカント(ゾーラ)を発見し、追跡の上「解任」する。その現場に急行したデッカートの上司は、レイチェルがタイレ博士のもとを脱走したことを告げ、レイチェルも「解任」するようにと命じた。 | |
その後、デッカートはゾーラの復讐に燃えるレプリカント(レオン)に襲われるが、駆けつけたレイチェルが射殺して命拾いする。デッカートはレイチェルを自宅に招く。彼女が、自分も「解任」するのか問うと、デッカートは「自分はやらないが、誰かがやる」と答えた。2人は熱く抱擁するのだった。 | |
一方、潜伏レプリカントのリーダのバッティは、タイレル社の技師に近づき、彼を仲介にしてタイレル社の本社ビルの最上階に住むタイレル博士と対面した。バッティは、残り少ない自分たちの寿命を伸ばすように博士に要求する。これが彼らの地球潜入の目的であった。しかし博士は技術的に不可能であると告げ、絶望したバッティは博士と技師を殺す。 | |
タイレル博士と技師の殺害の報を聞いたデッカートは、技師の高層アパートに踏み込み、そこに潜んでいた3人目のレプリカント(プリス)を「解任」する。そこにリーダのバッティが戻ってきてデッカートと最後の対決となる。デッカートは優れた戦闘能力を持つバッティに追い立てられ、高層アパートの屋上に逃れるが、転落寸前となる。しかしバッティは自らの寿命の到来を悟り、デッカートを助けて、こと切れた。 | |
デッカートはレイチェルにも同じ運命が待っているのではと慌てて自宅に戻るが、レイチェルは生きていた。2人は互いの愛を確認すると、デッカートはレイチェルを連れだし、逃避行へと旅立った。 |
さて、この映画『ブレードランナー』と絵画の関係ですが、アメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵画『ナイトホークス(Nighthawks)』の解説(Wikipedia)に、次のような記述があります。
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ここで引用されているリドリー・スコット監督の発言の原文とその出典は以下の通りです。
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リドリー・スコット監督は、彼が『ブレードランナー』に求めた "様子と気分(look and mood)" を例示(illustrate)するために、ホッパーの『ナイトホークス』の複製画を制作スタッフ(アート・ディレクター、デザイナー、美術スタッフなどでしょう)に見せ続けたわけです。"私の狙っている雰囲気はこの絵のとおりだ" というように ・・・・・・。そのホッパーの『ナイトホークス』が次です。
ホッパー『ナイトホークス』
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エドワード・ホッパー(1882-1967) 「ナイトホークス - Nighthawks」(1942) |
シカゴ美術館 |
まず例によって、この絵を中野京子さんの解説でみていきます。中野さんは『名画の謎:対決編』(文藝春秋 2015)で、モンドリアンの『ブロードウェイ・ブギウギ』を解説したあとに『ナイトホークス』を説明しています。まずエドワード・ホッパーの経歴です。
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ホッパーの油彩画は、なにげない日常を描く中で、いかにもアメリカという文明の一面を鋭利に切り取った感じの作品が多々あります。まさにアメリカ絵画の代表ですが、その名声が死後のものだったとは意外です。その代表作が『ナイトホークス』です。
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さらに、後ろ向きの表情が分からない男性も、こういう配置で描かれると何だか "いわくありげ" です。顔を意識的に上げたように見えるウェイターは、なぜ顔をあげたのでしょうか。男女の "カップル" の方から何か声が聞こえたからなのか ・・・・・・。よく見るとカウンターの手前にはコップが一つ置かれています。ということは、さっきまで別の客が居たに違いない ・・・・・・。
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背中だけのこの男性客は画面の中央付近に描かれている。ということは、この絵のフォーカルポイント(焦点)はこの男性なのか。ホッパーの自画像(?)という説もある。 |
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ふと顔をあげたように見えるウェイター。一見、客から声がかかったように思えるが、この絵の4人の登場人物は視線を合わせてはいない。店の外から物音がしたのだろうか。背後にあるのは当時のコーヒー・マシン。 |
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通りの向かいの店は閉店しているが、あえて白いレジスターだけが目立つように描かれている。レジスターが表すものは「お金」で、当時のニューヨークを象徴しているのかもしれない。 |
『ナイトホークス』はホッパーの代表作と言われるだけあって、映画のワンシーンのような "物語性" を感じるのですが、中野さんはさらに限定して、物語の中でも「ハードボイルド」だと言っています。
ハードボイルド絵画
中野京子さんはこの絵を「ハードボイルド絵画」と呼んでいます。そのハードボイルド小説・映画では、主人公の直接的な心理描写はなく、行動や会話のみの記述ですべてを描こうとします。ホッパーの絵に登場する人物も無表情、またはそれに近く描かれることが多く、表情から心理を読みとることはできません。あくまで場面設定(場所、時刻、ライティングなど)と人物の外見・態度・配置だけからテーマを浮かび上がらせようとする。『ナイトホークス』もその雰囲気が横溢する絵画です。
ハードボイルド小説・映画に欠かせなかったのが "煙草" で、『ナイトホークス』にも描かれています。つまりカップルとおぼしき男女のうち、男は煙草を手にし、女はブックマッチ(二つ折りのカバーに紙マッチを挟み込んだもの)を持っている。ダイナーの上部には看板があり、そこには葉巻が描かれていて、その下に「only 5¢」(たった5セント)、横には「PHILLIES」(=フィリーズ)とメーカー名が記されています。文藝春秋の連載から引用します。
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「ナイトホークス」に描かれた男女の "カップル"。男は煙草を手にし、女はブックマッチを見つめている。女の左手がさりげなく男の手に触れている。 |
現実世界ではない
ここからが『ナイトホークス』の核心です。中野さんは、ホッパーが描いた絵は、一見ありふれた情景を描いているように見えるが現実そのものではないと指摘しています。
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『ブレードランナー』とハードボイルド
ここから『ブレードランナー』と『ナイトホークス』の関係です。まず、この2作品に共通して影響を与えたのが "ハードボイルド" というエンターテインメントのジャンルです。『ナイトホークス』とハードボイルドの関係は中野京子さんが詳述していますが、では映画『ブレードランナー』もそうなのか。
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つまり『ブレードランナー』の脚本を最初に書いたハンプトン・ファンチャーは、原作にある2つの要素をカットしました。一つは "電気羊" です。核戦争で動物がほとんど死滅した世界では、人々はロボットの "電気羊" をペットとして飼うの一般的で、本物の動物は富裕層にしか飼えない。その、原作の題名にもなっている "電気羊" が脚本ではカットされています。2つ目はデッカートの妻です。原作ではデッカートには妻がいて、最後は妻に迎えられるというエンディングですが、映画脚本のデッカートは妻に逃げられた男になっている。
そして、ファンチャーは "電気羊" と "妻" を切り捨てたかわりに、ハードボイルドの要素を強調したと、町山氏は書いています。以下、町山氏の文章を引用します。
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ちなみに、この映画は脚本家が途中で交代し、完成版の映画では「マーロウ調の自嘲的な独白でストーリーを進める」ようにはなっていません。ただ重要なのは、主人公のデッカートがフィリップ・マーロウに重ねられていることと、上の引用の最後に出てくる "フィルム・ノワール(film noir)" です。
フィリップ・マーロウはチャンドラーの重要な小説に出てくる私立探偵です。元々は検察の捜査官だったが上司に反抗したため免職になり私立探偵をしているという設定で、もとより権威・権力には媚びない姿勢です。安い料金(実費+25ドル/日)で仕事を引きうけ、ボロ自動車に乗り、トレンチコートにキャメルのタバコがトレードマークの「足で稼ぐ探偵」です。その一方で、弱いものには優しく、センチメンタルなところがあります。孤独を愛し、アンニュイ(物憂さ、気だるさ)の雰囲気を漂わせ、少々 "影" がある。
こういった人物造型は『ブレードランナー』のデッカートに重なります。デッカートが "未来のフィリップ・マーロウ" だと考えると納得がいく。さらに町山氏の解説です。
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やはりデッカートは未来世界のフィリップ・マーロウであり、『ブレードランナー』はハードボイルド小説を映画化した「フィルム・ノアール」の後継なのです。さらに付け加えると、フィルム・ノワールが最初に作られたのは第二次世界大戦中であり、ホッパーの『ナイトホークス』(1942)もまさにその時期に描かれました。
Future Nior(暗い未来)
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エドワード・ホッパー 「ナイトホークス - Nighthawks」(1942) |
ここからが話の核心で、『ナイトホークス』が『ブレードランナー』に影響したという、その内容です。リドリー・スコット監督は、
わたしが追い求めている様子と気分を例証するためにプロダクション・チームの鼻先にこの絵(=ナイトホークス)の複製をいつも振り動かしていた」 |
と語ったのでした。キーワードは、ポール・サモンの本の題名にもなっていた「Future Nior(暗い未来)」です。Future Noir とは、フィルム・ノワール(film noir)をサイエンス・フィクション(SF)の手法で未来世界に移したものと言えるでしょう。Tech Noir や(tech は科学技術の意味)、SF(Science Fiction)Noirという言い方もあります。その代表格は『ブレードランナー』とともに、ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(1984)です。
『ターミネーター』を思い返してみると、スカイネットと呼ばれる人工知能が反乱を起こし、人間に核戦争を仕掛ける。その戦争後の荒廃した地球では、人間軍と機械軍の死闘が繰り広げられている。この状況を前提としたストーリー展開が『ターミネーター』でした。
『ブレードランナー』と『ターミネーター』に共通するのは、文明と科学技術の進歩が、世界を人間にとってのディストピアに向かわせるというコンセプトです。人間は自らが創り出したものに逆襲され、窮地に陥る。『ブレードランナー』にある地球環境破壊もその一つでしょう。さらには、人間が延々と築いてきた人間性が喪失、ないしは希薄になってゆく。文明の進歩が、人間らしさを謳歌できる "明るい未来" をもたらすのではなく、それとは真逆の荒涼とした "暗い未来" を招く。そのイメージが Future Noir = 暗い未来です。
前に引用した町山氏は「60年代終わりから、ヴェトナム戦争を背景に、ハリウッドでは再びアンハッピーエンドの映画が作られた」とし、その流れに『ブレードランナー』があると書いていました。しかし、背景はそれだけではないと思います。No.130「中島みゆきの詩(6)メディアと黙示録」で紹介したように、評論家の内田樹氏は、米ソの冷戦時代(1960年代~80年代)には核戦争が起きるのではという "黙示録的な不安" が、潜在的・暗黙に世界を覆っていたと指摘しています。誰も口には出さなかったけれど、人々は心の奥底でそれを感じとっていた。そもそもサイエンス・フィクションというジャンルが隆盛を極めた要因はそれだと ・・・・・・。Future Noir はまさにそういった潜在意識をも背景とするものでしょう。
この Future Noir とホッパーの『ナイトホークス』(1942)がどう関係しているのでしょうか。『ナイトホークス』が描かれた1942年は真珠湾攻撃(1941)の翌年であり、アメリカは既に第二次世界大戦に参戦しています。ヨーロッパ大陸と太平洋で戦争が行われていて、アメリカの兵士が出征して戦っている。
しかし、アメリカ本土で戦闘が行われているわけではありません。このブログの過去の記事を思い起こすと、1942年はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」のアメリカ初演がニューヨークで行われた年です。アメリカの大衆は熱狂し、"共にドイツと戦っているソ連" の作曲家(=ショスタコーヴィチ)の曲を熱狂的に支持しました(No.281 参照)。そのニューヨークには摩天楼が建ち並び、街にはブギウギのリズムが流れ、映画も演劇も盛んで、まさにモンドリアンが『ブロードウェイ・ブギウギ』で描こうとした世界がそこにあった。
その喧噪がニューヨークの "表の顔" だとすると『ナイトホークス』に描かれたのは "裏の顔" です。ここで描かれた深夜のダイナーの風景から受ける(個人的な)感じは、
現実の風景なのだろうけれど、リアルな感じがしない。現実感が希薄で、道路の描き方に典型的にみられるように非常に "無機質な感じ" がする。 | |
シュルレアリズム絵画のような雰囲気があり、"どこにも無い街" を描いているようでもある。 |
といったものです。シュルレアリズム絵画と書きましたが、デ・キリコの『街の神秘と憂鬱』(No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」に画像を引用)に一脈通じるものを感じます。さらに『ナイトホークス』の登場人物である4人の心象を想像してみると、
索漠としていて、心が満たされない。 | |
人間関係が希薄で、荒涼としている。 | |
大都会の孤独と寄る辺なさが身に染みている。 |
などでしょう。「索漠」と「寄る辺なさ」は、中野京子さんの文章からもってきました。的確な日本語だと思います。
まさにこのような "look and mood"(様子と気分)が、リドリー・スコット監督が『ブレードランナー』のスタッフ、特に美術やビジュアル関係のスタッフに一貫して求め続けたものだと思います。『ナイトホークス』は見るからに "感染力の強い" 絵です。その絵に監督もスタッフも "感染" し、そして『ブレードランナー』の各種ビジュアルの "look and mood" に統一感を生む一助となった。さらに一歩進んで推測すると、
リドリー・スコットはホッパーの『ナイトホークス』を見たとき、近代化と大都市化が進んでいくその末にある "Future Noir的なもの"、極端に言うと "ディストピアへの入り口" を垣間見たような気がした
のではないでしょうか。つまり、この絵がある種の "予見性" を持っていると感じた。全くの想像ですが ・・・・・・。
リドリー・スコットはイギリスの名門の国立美術大学、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA。Royal College of Art)の出身です。卒業後にBBCで美術デザイナーとして働いたあと、1967年にCMプロダクションを設立し、当時は商品の宣伝に過ぎなかったテレビCMをアートの域にまで高め、数々の賞に輝きました。その後、念願の映画監督に転身した。
彼は自分で絵を描くし、映画の絵コンテも描きます。そういう経歴から考えると『ナイトホークス』からインスピレーションを得て『ブレードランナー』のビジュアルに生かすことはごく自然だったのでしょう。
アーティストとインスピレーション
『ナイトホークス』と『ブレードランナー』という、少々意外な取り合わせから思うことがあります。画家と映画監督を "アーティスト" と考えると、アーティストが作品(アート)を通して他のアーティストに影響し、その影響が別の作品を生み出すというプロセスは、誠に微妙だと思います。
『ナイトホークス』は『ブレードランナー』の40年も前の作品です。エドワード・ホッパーはサイエンス・フィクションとは全く無関係にニューヨークを描いた。しかしリドリー・スコットはその絵に "何か" を感じて、全く別のジャンルの作品に生かした。作品(アート)はいったん完成すれば、それをどう解釈するかは鑑賞者の自由です。『ナイトホークス』から『ブレードランナー』の "暗い未来" を思い描くのは "飛躍のしすぎ" とも思えるのですが、リドリー・スコット監督の感性はそうなのです。この意外性こそアートです。
鑑賞者の自由度は極めて大きく、見る人の感性に依存する。そこにこそアートの威力があるのだと思います。『ナイトホークス』はそのことを実証しているのでした。
(次回に続く)
2020-06-27 08:04
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No.287 - モディリアーニのミューズ [アート]
このブログでは中野京子さんの絵画評論から数々の引用をしてきましたが、今回は『画家とモデル』(新潮社 2020。以降「本書」と書くことがあります)からモディリアーニを紹介したいと思います。本書の「あとがき」で中野さんは次のように書いています。
この「あとがき」どおり、本書には "これまであまり触れられることがなかった" クラーナハとマルティン・ルター、同性愛を公言できなかったサージェントと男性モデル、女性画家・フォンターナと多毛症の少女、ピエロ・デラ・フランチェスカと傭兵隊長(ウルビーノ公)など、全部で18のエピソードトが取り上げられています。全く知らなかった話もいろいろあって、大いに参考になりました。
その18のエピソードの中から敢えてモディリアーニなのですが、"男性画家と彼に愛された女性モデル" の典型であり、よく知られているモディリアーニをわざわざ取り上げる理由は、
の3つです。『画家とモデル』のモディリアーニに関する章は、
で、いかにも "それらしい" タイトルになっています。以降、この章の要点を、本書には引用されていない絵画も含めて紹介します。
イタリアのリヴォルノに生まれる
モディリアーニ(1884-1920)の生い立ちや生涯は各種の本にさんざん書かれていますが、改めて中野さんの解説で振り返りたいと思います。引用では漢数字を算用数字に改めたところがあります。下線は原文にはありません。
リヴォルノはトスカーナ州の港町で、ピサの南南西 20km程度の場所です。フィレンツェからちょうど西の方角で、ティレニア海に面しています。
モディリアーニが病弱だったことは有名ですが、16歳のときに結核に罹患したとあります。No.121「結核はなぜ大流行したのか」で、19世紀以降に結核が大流行したことを書きました。画家で言うと、ムンク(1863-1944)とホドラー(1853-1918)は家族を次々と結核で亡くし、それが画風に影響を与えています。幸い2人は結核を発症しなかったのですが、モディリアーニの場合は本人が結核患者だったわけです。
現在のような特効薬があるわけではありません。モディリアーニは結核性脳膜炎で37歳の短い生涯を終えます。元々の虚弱体質に加えてこのような病歴があると当然 "死" を意識するだろうし、そのことがモディリアーニの芸術に影響を与えたと考えるのが妥当でしょう。
モディリアーニの芸術で重要なことは、もともと彫刻家志望だったことで、フィレンツェやヴェネツィアの美術学校のときからそうだったようです。パリに出てからも彫刻の制作をしていて、これがのちの絵画作品に影響を与えています。
ベアトリス・ヘイスティングス
この引用の後半、ベアトリスとモディリアーニの "なれそめ" を紹介した中野さんの文章には、最後に "エロティシズム"と "手管" という言葉が使われていて、これは女性にしか書けない感じがします。─── 男に再び会うと、最初の印象とのギャップに驚く。それが "手練手管" だとしても、美貌の男の "色気" には抗しがたく、恥じらいながらアトリエに誘われたりすると、ついて行くしかない ─── といった感じでしょうか。
画家としてのモディリアーニの最初の "ミューズ" になったのがベアトリス・ヘイスティングスだったというのは、まさにその通りだと思います。それは、モディリアーニがベアトリスを描いた絵を見れば良くわかります。ベアトリスの肖像画は油彩だけでも10数点ありますが、『画家とモデル』にはありません。そこで、いったん『画家とモデル』を離れ、ベアトリスの肖像の何点かを引用します。以下の(A)(B)などは、作品の識別のために便宜上つけた符号です。
ベアトリス・ヘイスティングスの肖像
ベアトリスの肖像画としては最も初期の作品です。変わった絵の具の塗り方ですが、この頃(1914)には点描風に描いた別人の肖像画があるので、それと関係しているのかもしれません。
長い鼻、アーモンド形の目、引き伸ばされた首など、後年の「モディリアーニ・スタイル」の肖像の特徴が現れています。1914年の時点でこのようなスタイルの絵は他に見あたりません。モディリアーニはベアトリスの肖像を描く過程で、自らのスタイルを確立していったという気がします。
ベアトリスの肖像としてはめずらしく帽子を被っていません。この絵になると(A)よりもはっきりとモディリアーニのスタイルになります。全くの無表情ですが、そもそもこの絵でモデルの表情や内面を描くことに興味はないようです。あくまで造形をどうするかが追求されています。
少々奇妙なのは、椅子の背が右側にしか描かれていないことで、この配置だと左にも見えるはずです。もし椅子の背が全くなかったとしたら、シンプルな線による形態の追求だけの絵になってしまうので、バランスをとるために半分だけ描き込んだのでしょうか。
ベアトリスの絵では最も "肖像画らしい" ものでしょう。(B)と顔の形が似ていて、ベアトリスの特徴をとらえているのだと思います。めずらしく右目にだけに瞳が描かれています。
多くの美術史家の意見によると、この絵のモデルはベアトリス・ヘイスティングスです。マダム・ポンパドールとは、ルイ15世の寵姫(=公妾。国王の "正式の" 愛人)だったポンパドール夫人のことです。モディリアーニ自身が絵にマダム・ポンパドールと書き込んでいますが、その理由は明らかではないようです。モディリアーニがベアトリスのことを(ふざけて)マダム・ポンパドールと呼んでいたのか、それともこの肖像を描いたあとに、豪華な帽子と衣装の彼女を少々の皮肉を込めてマダム・ポンパドールとしたのかもしれません。"マダム" が英語綴りになっているのは(最後に e がない)、ベアトリスの国籍から "イギリスのポンパドール夫人" という意味を込めたのかもしれません。
バーンズ・コレクションの Room 19 South Wall にある絵です(No.95「バーンズ・コレクション」)。ちなみにアルバート・バーンズはモディリアーニに最も早く "目を付けた" コレクターの一人で、バーンズ・コレクションにはモディリアーニの名品が揃っています。
この肖像は、顔から首にかけてが円錐のような形になっています。一つ前の「マダム・ポンパドール」では頭がラグビーのボールのような形でモデリングされていました。このように形態を極度に単純化・抽象化してとらえるのはキュビズムに少し近づいている感じがします。
この絵のベアトリスも無表情です。1915~1919年に描かれたモディリアーニの他の肖像画は、いかにもモデルの性格や内面を的確に捕らえたと思える絵が多いわけです。たとえ瞳が描かれていなくても、そう感じる絵が多い。しかしこの絵は(というより A~E は)違って、モデルの内面を表した感じがしません。ベアトリスを素材に描き方の探求をしている感じがします。
なお、上に引用した画像(E)ではわかりにくいのですが、この絵の右上の "BEATRICE" の字の下あたりに新聞紙がコラージュされています。
(A)~(E)の5つの肖像を見て思うのは、モディリアーニの彫刻作品との類似性です。その彫刻の2つの例を下に掲げます。左がバーンズ・コレクションの作品、右がグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)の所蔵作品です。
ベアトリスの肖像とこれらの彫刻作品の共通点を書き出すと、
などでしょう。モディリアーニは彫刻で実現したかった "美" のイメージを絵画に投影したという感じがします。中野さんも、
と書いていました。このあたりから、モディリアーニが独特のスタイルを確立していくのだと思います。それはあくまで出発点なのだろうけど、重要な出発点だと感じます。
さらに別の絵画を引用します。ロンドンのコートールド・ギャラリー(No.155 参照)が所蔵する『座る裸婦』という作品です。日本ではこの名前で呼ばれることが多いのですが、コートールド・ギャラリーは単に「Female Nude = 裸婦」として展示しています。
スコットランド国立近代美術館のキュレーターをつとめたダクラス・ホール(1926-2019)は、この絵のモデルがベアトリスではないかと推測しています。
「全裸に近いベアトリスを描いた素描」とは、下の "BEATRICE" と書き込まれた素描で、ダグラス・ホールの本にも引用されています。下着を脱ぎ終わる寸前のベアトリスを描いているようですが、確かにコートールドの裸婦像と顔立ちが良く似ています。
モディリアーニは数多くの裸婦像を描いていますが、(F)はその最も初期の作品です。その後に描かれる裸婦と違って、輪郭線の様式化はあまりなく、リアルに、かつ繊細で優雅な線で描かれている。これはモディリアーニの描いた裸婦像では最も美しい作品だと思います。さらに感じるのは、これ以降のモディリアーニの裸婦は「プロのモデル」を使ったと思える絵がほとんどなのに比較して、この絵のモデルは "アマチュア" のモデルだと思えることです。
そして、ダグラス・ホールの推測のようにこの絵のモデルがベアトリス・ヘイスティングスだとしたら、「ベアトリスを描く」という行為が、モディリアーニの芸術の重要なジャンルである "裸婦" の先鞭をつけたことになります。その意味でもベアトリスは "ミューズ" なのでした。
ジャンヌ・エビュテルヌ
『画家とモデル』に戻ります。モディリアーニの2人目の "ミューズ" であるジャンヌ・エビュテルヌのことは多数の本に書かれ、映画まで作られたので、『画家とモデル』のその部分の紹介は割愛したいと思います。要するに画学生だったジャンヌがモディリアーニと出会い、同棲し、モデルになり、女の子を生み(同じジャンヌという名)、モディリアーニの死後2日目に身重の身で投身自殺をする、というストーリです。
ここでは『画家とモデル』に引用されているジャンヌの肖像、2作品を掲げます。
この絵のポイントはジャンヌの目、ないしは目力です。モディリアーニの肖像画の "目" は、瞳を描いたものと、描かずに塗りつぶしたものがありますが(次の画像)、この絵では瞳を描いています。ところが、実際のジャンヌの瞳は青であり、他の「瞳を描いたジャンヌの肖像」には青く描いたものもあるのですが、この作品は実際とは違う "黒い瞳" です。
おそらくモディリアーニは "ひたとこちらを見つめる彫像的なジャヌ" の表現のためには黒い瞳が適当だと思ったのでしょう。
モディリアーニが亡くなったのは1920年1月24日です。この作品は死の前に描かれたもので、1919年だとしたら12月、1920年1月の作という可能性もあります。モディリアーニの唯一の『自画像』とともに、遺作と言ってもいいでしょう。
ドアを後にしたジャンヌを描いていますが、ドアとその両側の壁の描き方がちょっと複雑です。中野さんは「背景はキュビズムの手法で描かれている」と書いていますが、複数の視点から描いているというか、まるで部屋の隅にドアがあるような(それはあり得ない)描き方です。
その "複雑な" 背景の前のジャンヌの衣装は、少々くすんだ色合いのトリコロールです。この赤いショールと紺青のスカートの組み合わせは、ラファエロの描く聖母マリア(ルーブルの「美しき女庭師」など)を意識したのかもしれません。
しかし、ジャンヌの顔は彫像のように無表情で(H)とは全く違って空虚な感じです。ただ、妊娠7ヶ月の身体だけがモデルとしての彼女の存在を主張している。そういう感じがします。
我々は「報われない芸術家」を求める
中野京子さんの『画家とモデル』のモディリアーニの章には、その最後に、映画『モンパルナスの灯』のことが書かれています。モディリアーニを主人公にした映画なので、それを紹介するのかと思って読むと、目的は全然別のところにありました。
絵を見る我々は、実は心の中のある部分で「報われない芸術家」を求めていて、芸術を鑑賞する行為の一部としてその伝説を "消費" している ・・・・・・。まさにその通りだと思います。代表的な画家がゴッホでしょう。生前は絵が(ほとんど)売れず、37歳でピストル自殺をしてしまう。「周囲の無理解にもかかわらず独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という強いイメージが定着し、それを補強する伝説や物語が流布しています。
モディリアーニはゴッホと違い生前に絵が売れましたが、爆発的に売れ出して高値で取引されるのは死後です。生来の虚弱体質で結核に罹患しているにもかかわらず "破滅型の" 生活(過度の飲酒、麻薬 ・・・)を送り、誰とも似ていない独自の芸術を創り出したが、若くして死に、その直後に身重のパートナーが後追い自殺する ・・・・・・。「報われない芸術家」に "求められる要素" が揃っています。
夭折した芸術家も「報われない芸術家」の範疇でしょう。日本の画家の例を没年齢とともに書くと、関根正二(20歳)、村山槐多(22歳)、青木繁(28歳)、佐伯祐三(30歳)などです。ちなみに関根正二、青木繁、佐伯祐三は結核患者であり、関根正二、青木繁の直接の死因は結核でした。ヨーロッパの画家でいうと、スペイン・インフルエンザで亡くなったエゴン・シーレ(28歳)がいます。おそらく我々が知らないだけで、各国には「知る人ぞ知る夭折の画家」がいるのだと思います。
芸術家としての本格的なキャリアがこれからという時に死んでしまうのだから "報われない" というイメージです。今あげた4人の日本の画家も、それにまつわる "伝説" が広まっています。そして、展覧会などで決まって言われるのが「夭折の天才」ですが、本来 "夭折" と "天才" は別の概念です。つまり、芸術の消費者である我々が「夭折 = 天才」という図式を求め、「報われない芸術家」を欲しているのだと思います。
しかし、我々が暗黙に(ないしは無意識に)求める「報われない芸術家像」は、その芸術家の作品の価値とは別です。中野さんのモディリアーニについての文章で、そのことにあらためて気づかされました。
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その18のエピソードの中から敢えてモディリアーニなのですが、"男性画家と彼に愛された女性モデル" の典型であり、よく知られているモディリアーニをわざわざ取り上げる理由は、
女性モデルとして、有名なジャンヌだけでなくベアトリスのことも書かれている。 |
モディリアーニを題材にしたフランス映画『モンパルナスの灯』の話があり、これが秀逸だった。 |
個人的に「この画家が好き」と初めて思えたのがモディリアーニ(随分前ですが)。 |
の3つです。『画家とモデル』のモディリアーニに関する章は、
破滅型の芸術家に全てを捧げて
モディリアーニと《ジャンヌ・エビュテルヌ》
で、いかにも "それらしい" タイトルになっています。以降、この章の要点を、本書には引用されていない絵画も含めて紹介します。
イタリアのリヴォルノに生まれる
モディリアーニ(1884-1920)の生い立ちや生涯は各種の本にさんざん書かれていますが、改めて中野さんの解説で振り返りたいと思います。引用では漢数字を算用数字に改めたところがあります。下線は原文にはありません。
|
リヴォルノはトスカーナ州の港町で、ピサの南南西 20km程度の場所です。フィレンツェからちょうど西の方角で、ティレニア海に面しています。
モディリアーニが病弱だったことは有名ですが、16歳のときに結核に罹患したとあります。No.121「結核はなぜ大流行したのか」で、19世紀以降に結核が大流行したことを書きました。画家で言うと、ムンク(1863-1944)とホドラー(1853-1918)は家族を次々と結核で亡くし、それが画風に影響を与えています。幸い2人は結核を発症しなかったのですが、モディリアーニの場合は本人が結核患者だったわけです。
現在のような特効薬があるわけではありません。モディリアーニは結核性脳膜炎で37歳の短い生涯を終えます。元々の虚弱体質に加えてこのような病歴があると当然 "死" を意識するだろうし、そのことがモディリアーニの芸術に影響を与えたと考えるのが妥当でしょう。
|
モディリアーニの芸術で重要なことは、もともと彫刻家志望だったことで、フィレンツェやヴェネツィアの美術学校のときからそうだったようです。パリに出てからも彫刻の制作をしていて、これがのちの絵画作品に影響を与えています。
ベアトリス・ヘイスティングス
|
この引用の後半、ベアトリスとモディリアーニの "なれそめ" を紹介した中野さんの文章には、最後に "エロティシズム"と "手管" という言葉が使われていて、これは女性にしか書けない感じがします。─── 男に再び会うと、最初の印象とのギャップに驚く。それが "手練手管" だとしても、美貌の男の "色気" には抗しがたく、恥じらいながらアトリエに誘われたりすると、ついて行くしかない ─── といった感じでしょうか。
|
画家としてのモディリアーニの最初の "ミューズ" になったのがベアトリス・ヘイスティングスだったというのは、まさにその通りだと思います。それは、モディリアーニがベアトリスを描いた絵を見れば良くわかります。ベアトリスの肖像画は油彩だけでも10数点ありますが、『画家とモデル』にはありません。そこで、いったん『画家とモデル』を離れ、ベアトリスの肖像の何点かを引用します。以下の(A)(B)などは、作品の識別のために便宜上つけた符号です。
ベアトリス・ヘイスティングスの肖像
![]() |
(A)「ベアトリス・ヘイスティングス」(1914) |
ハイ美術館(米・アトランタ) |
ベアトリスの肖像画としては最も初期の作品です。変わった絵の具の塗り方ですが、この頃(1914)には点描風に描いた別人の肖像画があるので、それと関係しているのかもしれません。
長い鼻、アーモンド形の目、引き伸ばされた首など、後年の「モディリアーニ・スタイル」の肖像の特徴が現れています。1914年の時点でこのようなスタイルの絵は他に見あたりません。モディリアーニはベアトリスの肖像を描く過程で、自らのスタイルを確立していったという気がします。
![]() |
(B)「ベアトリス・ヘイスティングス」(1915) |
オンタリオ美術館(カナダ) |
ベアトリスの肖像としてはめずらしく帽子を被っていません。この絵になると(A)よりもはっきりとモディリアーニのスタイルになります。全くの無表情ですが、そもそもこの絵でモデルの表情や内面を描くことに興味はないようです。あくまで造形をどうするかが追求されています。
少々奇妙なのは、椅子の背が右側にしか描かれていないことで、この配置だと左にも見えるはずです。もし椅子の背が全くなかったとしたら、シンプルな線による形態の追求だけの絵になってしまうので、バランスをとるために半分だけ描き込んだのでしょうか。
![]() |
(C)「ベアトリス・ヘイスティングス」(1915) |
個人蔵 |
ベアトリスの絵では最も "肖像画らしい" ものでしょう。(B)と顔の形が似ていて、ベアトリスの特徴をとらえているのだと思います。めずらしく右目にだけに瞳が描かれています。
![]() |
(D)「マダム・ポンパドール」(1915) |
シカゴ美術館 |
多くの美術史家の意見によると、この絵のモデルはベアトリス・ヘイスティングスです。マダム・ポンパドールとは、ルイ15世の寵姫(=公妾。国王の "正式の" 愛人)だったポンパドール夫人のことです。モディリアーニ自身が絵にマダム・ポンパドールと書き込んでいますが、その理由は明らかではないようです。モディリアーニがベアトリスのことを(ふざけて)マダム・ポンパドールと呼んでいたのか、それともこの肖像を描いたあとに、豪華な帽子と衣装の彼女を少々の皮肉を込めてマダム・ポンパドールとしたのかもしれません。"マダム" が英語綴りになっているのは(最後に e がない)、ベアトリスの国籍から "イギリスのポンパドール夫人" という意味を込めたのかもしれません。
![]() |
(E)「ベアトリス・ヘイスティングス」(1915) |
バーンズ・コレクション |
バーンズ・コレクションの Room 19 South Wall にある絵です(No.95「バーンズ・コレクション」)。ちなみにアルバート・バーンズはモディリアーニに最も早く "目を付けた" コレクターの一人で、バーンズ・コレクションにはモディリアーニの名品が揃っています。
この肖像は、顔から首にかけてが円錐のような形になっています。一つ前の「マダム・ポンパドール」では頭がラグビーのボールのような形でモデリングされていました。このように形態を極度に単純化・抽象化してとらえるのはキュビズムに少し近づいている感じがします。
この絵のベアトリスも無表情です。1915~1919年に描かれたモディリアーニの他の肖像画は、いかにもモデルの性格や内面を的確に捕らえたと思える絵が多いわけです。たとえ瞳が描かれていなくても、そう感じる絵が多い。しかしこの絵は(というより A~E は)違って、モデルの内面を表した感じがしません。ベアトリスを素材に描き方の探求をしている感じがします。
なお、上に引用した画像(E)ではわかりにくいのですが、この絵の右上の "BEATRICE" の字の下あたりに新聞紙がコラージュされています。
(A)~(E)の5つの肖像を見て思うのは、モディリアーニの彫刻作品との類似性です。その彫刻の2つの例を下に掲げます。左がバーンズ・コレクションの作品、右がグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)の所蔵作品です。
![]() |
左がバーンズ・コレクション(フィラデルフィア)、右がグッゲンハイム美術館(ニューヨーク)の所蔵作品。モディリアーニの彫刻は大理石ではなく、石灰岩を彫って作られている。 |
ベアトリスの肖像とこれらの彫刻作品の共通点を書き出すと、
長い鼻筋 | |
アーモンドの形の目 | |
瞳がない | |
頭部は単純化された立体形状 | |
長く引き伸ばされた首 |
などでしょう。モディリアーニは彫刻で実現したかった "美" のイメージを絵画に投影したという感じがします。中野さんも、
|
と書いていました。このあたりから、モディリアーニが独特のスタイルを確立していくのだと思います。それはあくまで出発点なのだろうけど、重要な出発点だと感じます。
さらに別の絵画を引用します。ロンドンのコートールド・ギャラリー(No.155 参照)が所蔵する『座る裸婦』という作品です。日本ではこの名前で呼ばれることが多いのですが、コートールド・ギャラリーは単に「Female Nude = 裸婦」として展示しています。
![]() |
(F)「座る裸婦」(1916) |
コートールド・ギャラリー |
スコットランド国立近代美術館のキュレーターをつとめたダクラス・ホール(1926-2019)は、この絵のモデルがベアトリスではないかと推測しています。
|
「全裸に近いベアトリスを描いた素描」とは、下の "BEATRICE" と書き込まれた素描で、ダグラス・ホールの本にも引用されています。下着を脱ぎ終わる寸前のベアトリスを描いているようですが、確かにコートールドの裸婦像と顔立ちが良く似ています。
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(G)「ベアトリス」(1916) |
個人蔵 |
モディリアーニは数多くの裸婦像を描いていますが、(F)はその最も初期の作品です。その後に描かれる裸婦と違って、輪郭線の様式化はあまりなく、リアルに、かつ繊細で優雅な線で描かれている。これはモディリアーニの描いた裸婦像では最も美しい作品だと思います。さらに感じるのは、これ以降のモディリアーニの裸婦は「プロのモデル」を使ったと思える絵がほとんどなのに比較して、この絵のモデルは "アマチュア" のモデルだと思えることです。
そして、ダグラス・ホールの推測のようにこの絵のモデルがベアトリス・ヘイスティングスだとしたら、「ベアトリスを描く」という行為が、モディリアーニの芸術の重要なジャンルである "裸婦" の先鞭をつけたことになります。その意味でもベアトリスは "ミューズ" なのでした。
ジャンヌ・エビュテルヌ
『画家とモデル』に戻ります。モディリアーニの2人目の "ミューズ" であるジャンヌ・エビュテルヌのことは多数の本に書かれ、映画まで作られたので、『画家とモデル』のその部分の紹介は割愛したいと思います。要するに画学生だったジャンヌがモディリアーニと出会い、同棲し、モデルになり、女の子を生み(同じジャンヌという名)、モディリアーニの死後2日目に身重の身で投身自殺をする、というストーリです。
ここでは『画家とモデル』に引用されているジャンヌの肖像、2作品を掲げます。
![]() |
(H)「ジャンヌ・エビュテルヌ」(1918) |
個人蔵 |
|
この絵のポイントはジャンヌの目、ないしは目力です。モディリアーニの肖像画の "目" は、瞳を描いたものと、描かずに塗りつぶしたものがありますが(次の画像)、この絵では瞳を描いています。ところが、実際のジャンヌの瞳は青であり、他の「瞳を描いたジャンヌの肖像」には青く描いたものもあるのですが、この作品は実際とは違う "黒い瞳" です。
おそらくモディリアーニは "ひたとこちらを見つめる彫像的なジャヌ" の表現のためには黒い瞳が適当だと思ったのでしょう。
![]() |
(I)「ジャンヌ・エビュテルヌ」(1919) |
個人蔵 |
|
モディリアーニが亡くなったのは1920年1月24日です。この作品は死の前に描かれたもので、1919年だとしたら12月、1920年1月の作という可能性もあります。モディリアーニの唯一の『自画像』とともに、遺作と言ってもいいでしょう。
ドアを後にしたジャンヌを描いていますが、ドアとその両側の壁の描き方がちょっと複雑です。中野さんは「背景はキュビズムの手法で描かれている」と書いていますが、複数の視点から描いているというか、まるで部屋の隅にドアがあるような(それはあり得ない)描き方です。
その "複雑な" 背景の前のジャンヌの衣装は、少々くすんだ色合いのトリコロールです。この赤いショールと紺青のスカートの組み合わせは、ラファエロの描く聖母マリア(ルーブルの「美しき女庭師」など)を意識したのかもしれません。
しかし、ジャンヌの顔は彫像のように無表情で(H)とは全く違って空虚な感じです。ただ、妊娠7ヶ月の身体だけがモデルとしての彼女の存在を主張している。そういう感じがします。
我々は「報われない芸術家」を求める
中野京子さんの『画家とモデル』のモディリアーニの章には、その最後に、映画『モンパルナスの灯』のことが書かれています。モディリアーニを主人公にした映画なので、それを紹介するのかと思って読むと、目的は全然別のところにありました。
|
絵を見る我々は、実は心の中のある部分で「報われない芸術家」を求めていて、芸術を鑑賞する行為の一部としてその伝説を "消費" している ・・・・・・。まさにその通りだと思います。代表的な画家がゴッホでしょう。生前は絵が(ほとんど)売れず、37歳でピストル自殺をしてしまう。「周囲の無理解にもかかわらず独自の芸術を追求した狂気の天才画家」という強いイメージが定着し、それを補強する伝説や物語が流布しています。
モディリアーニはゴッホと違い生前に絵が売れましたが、爆発的に売れ出して高値で取引されるのは死後です。生来の虚弱体質で結核に罹患しているにもかかわらず "破滅型の" 生活(過度の飲酒、麻薬 ・・・)を送り、誰とも似ていない独自の芸術を創り出したが、若くして死に、その直後に身重のパートナーが後追い自殺する ・・・・・・。「報われない芸術家」に "求められる要素" が揃っています。
夭折した芸術家も「報われない芸術家」の範疇でしょう。日本の画家の例を没年齢とともに書くと、関根正二(20歳)、村山槐多(22歳)、青木繁(28歳)、佐伯祐三(30歳)などです。ちなみに関根正二、青木繁、佐伯祐三は結核患者であり、関根正二、青木繁の直接の死因は結核でした。ヨーロッパの画家でいうと、スペイン・インフルエンザで亡くなったエゴン・シーレ(28歳)がいます。おそらく我々が知らないだけで、各国には「知る人ぞ知る夭折の画家」がいるのだと思います。
芸術家としての本格的なキャリアがこれからという時に死んでしまうのだから "報われない" というイメージです。今あげた4人の日本の画家も、それにまつわる "伝説" が広まっています。そして、展覧会などで決まって言われるのが「夭折の天才」ですが、本来 "夭折" と "天才" は別の概念です。つまり、芸術の消費者である我々が「夭折 = 天才」という図式を求め、「報われない芸術家」を欲しているのだと思います。
しかし、我々が暗黙に(ないしは無意識に)求める「報われない芸術家像」は、その芸術家の作品の価値とは別です。中野さんのモディリアーニについての文章で、そのことにあらためて気づかされました。
2020-06-13 07:38
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