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No.121 - 結核はなぜ大流行したのか [科学]


“国民病” としての結核


No.119-120「不在という伝染病」の補足です。No.119-120では『寄生虫なき病』という本の要点を紹介したのですが「微生物の不在と免疫関連疾患の関係」に絞りました。以下の補足は「微生物の不在と病気の発症の関係」で、結核の話です。

No.75「結核と初キス」に、作家の故・渡辺淳一氏が札幌南高校時代に初めてのキスをした話を書きました(日本経済新聞「私の履歴書」より)。相手の女性が結核だと分かっていたので「おびえながらキスをした」という話です。1950年頃のことです。

このエピソードからも推察できるように、明治時代から昭和20年代まで、結核(肺病)は「国民病」と言われたほど広まっていました。昭和30年代後半(1960年代前半)でも、年間の発病者は30万人を越えていたほどです。結核の治療に有効な抗生物質、ストレプトマイシンが発見されたのは1944年(昭和19年)です。それまでは結核の有効な治療法はなく「不治の病」として恐れられました。多くの有名人が結核で命を落としています。文学者だけをとってみても、

正岡子規 1867-1902(34歳)
国木田独歩 1871-1908(36歳)
樋口一葉 1872-1896(24歳)
石川啄木 1886-1912(26歳)
梶井基次郎 1901-1932(31歳)
堀辰雄 1904-1953(48歳)

などがすぐに思いつきます。

特に堀辰雄は「結核で療養中の女性」と「私」が主人公の自伝的小説『風立ちぬ』を書きました。JR中央線の富士見駅(長野県諏訪町。小淵沢と茅野の間)の近くに富士見高原病院がありますが、ここはかつて富士見高原療養所というサナトリウム(結核療養施設)で、『風立ちぬ』のモデルとなったところです。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』は堀辰雄を下敷き(の一つ)にしているので、富士見高原療養所が出てきます。喀血した里見菜穂子はサナトリウムで療養しているが、そこを抜け出し、名古屋まで堀越二郎に会いに行く。そして堀越の上司の家で祝言をあげ、初夜を迎える・・・・・・・。映画の中で最も印象的な場面(の一つ)です。

風たちぬ - 富士見高原療養所(劇場予告版より).jpg
映画「風立ちぬ」の1シーン。富士見高原療養所で、患者たちが毛布にくるまって外気浴をしている。この中の一人が里見菜穂子である(確か右から二人目)。画面には雪がちらついている。現代人の目から見ると悲しくなるような「治療」の光景だが、昭和10年ごろ、今から80年ほど前の話であり、抗生物質のストレプトマイシンが発見されるのはこの10年後である(映画の予告編より)。

梶井基次郎に『闇の繪巻』(1930)という短編があります。ある渓流沿いの旅館から別の旅館に歩いて行くという、たったそれだけの話ですが、傑作だ思います。この作品は、彼が結核の「転地療養」のために伊豆の湯ヶ島温泉に滞在した時の経験が元になっています。サナトリウムにしろ、転地療養にしろ、空気が澄んだ所で静養するのが当時の唯一の「治療」でした。

一方、ヨーロッパに目を向けると、堀越二郎が愛読したトマス・マン(1875-1955)は、世界文学史上の傑作『魔の山』(1924)を書きました。この小説はサナトリウムが舞台です。マンの夫人がスイスのリゾート地・ダボスのサナトリウムで療養したときの経験が元になっています。こういった「結核文学」の背景には、かつてのヨーロッパでの結核の流行があるわけです。

文学以外にも広げると、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は、5歳になったばかりの時(1868)に母親を結核で亡くし、14歳の直前(1877)に15歳の姉を結核で亡くしています。本人は長寿を全うしたものの、描かれた多くの傑作には「死の影」が色濃く漂っています。そもそもムンクは、13歳のときに見た病床の姉の姿を、20歳代の初めから長期に渡って繰り返し描いています(『病める子』)。

病める子.jpg
エドヴァルド・ムンク(1863-1944)
病める子」(1885/6)
(オスロ国立美術館)
ムンクは40年間に渡って、油絵だけでも6枚の「病める子」を描いているが、これはその最初の絵で、22歳頃の作である。

ムンクよりもっと「極端」なのが、スイスの国民的画家、フェルディナンド・ホドラー(1853-1918)です。英語版Wikipediaによると、ホドラーは6人兄弟の長男としてベルンに生まれたが、8歳までに父親と弟2人を結核で亡くし、母親は再婚したが、その母も14歳の時に結核で死亡。その後、彼以外の兄弟姉妹は全員が次々と結核で死んだ、とあります。両親・兄弟の計8人のうち、自分以外の7人全員が結核で死ぬという経験をしたわけです。そして、ホドラーの絵には「死」を感じさせるものが多々ある。

ムンクやホドラーの画業の大きな背景として、当時のヨーロッパにおける結核の蔓延と、それがもたらした「あまりにも身近な死」があるわけです。

もちろん結核は今もある病気です。日本でも毎年2万人以上が発病しています。決して「過去の病気」ではありません。


結核が激増した理由は ?


ところで、結核は極めて古い病気で、大昔から人類とともにあったことが分かっています。と同時に、結核は18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで大流行したことが知られています。この大流行の理由について『寄生虫なき病』に、ある学者の説が紹介されていました。キーワードは「超個体」です。

「超個体」とは、ヒト(個体)と共生微生物群を一つの人体生態系と見なし、その生態系を指す言葉です(No.120「不在という伝染病・2」参照)。No.119-120で問題にしたのは、近代以降、特に20世紀後半以降に「人体生態系=超個体」が崩れてきているのではないか、それが免疫関連疾患の急増につながっているのでないか、ということでした。しかしその崩壊はもっと以前から起こっていたのでは、というのが以下の引用です(下線は原文にはありません)。


現代から振り返ってみれば、超個体崩壊の最初の兆候はおそらく、アレルギーや自己免疫疾患とは無関係なある現象だった。18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した。なぜ結核が突然大流行したのか(そして、なぜ、19世紀末に減少し始めたのか)という問題は、常に歴史家の頭を悩ませてきた。遺伝子解析によって、人類がアフリカから旅立つ以前から結核菌は人類とともにあったことが分かっている。中近東で発掘された九千年前の人骨から、結核の痕跡が見つかっている。古代ギリシャでも結核はよく知られた病気だった。

モイゼス・ベラスケス=マノフ
『寄生虫なき病』
(文藝春秋 2014)

そもそも、結核菌に感染したとしても発病しないのが普通です。発病するのは感染者のせいぜい10%にすぎない。それも、感染から数ヶ月、数年、時には数10年たってから発病します。残りの人は結核菌を体内に留めたまま発病しない「不顕性感染者」となります。「不顕性感染者」は他人に結核菌を感染させることはありません。

結核の発病はどういう詳しいメカニズムで起きるのか、それは現在でも明確な定説はありません。そういう状況の中で、18-19世紀のヨーロッパで結核が大流行したのです。その理由に対する「新説」が紹介されています。


しかし18世紀末のヨーロッパにおける結核発病率の高さは、それが新種の感染症だったことを示唆している。最終的に結核菌を特定したロベルト・コッホは19世紀半ばのベルリンでは七人に一人が結核で死亡していたと推定している。研究者の中には、感染度の高い新種の結核菌が出現したと考える人もいるし、実際、近代になってからある結核菌株が蔓延したことが遺伝子解析によって分かっている。しかし、ロンドン大学のジョン・グレンジとその共同研究者たちは、もっと微妙な変化が近代における結核の大流行の原因だと考えている。

ヨーロッパが都市化していくにつれて、土や泥の中に生息している環境中のマイコバクテリアと接触する機会が失われた。こうしたマイコバクテリウム属の細菌は、結核に対する免疫を自然に高めていた。農村や小都市の住人は、結核菌の近縁であるウシ型結核菌に感染したウシの乳も飲んでいたかもしれない。BCGワクチンは、ウシ型結核菌を弱毒化したものである。ヒトもウシ型結核菌に感染して発病することがあるが、これに一度感染すると結核に関して免疫ができる。グレンジらは、「結核の大流行は、これら結核菌以外のマイコバクテリウム属細菌への曝露パターンが変化した結果である」と主張している。

『寄生虫なき病』

ロンドン大学の研究を要約すると、

ヨーロッパの都市化
微生物(マイコバクテリウム属細菌)への曝露パターンの変化
人の「免疫力」の変化
結核の発病率の増加

という、①→②→③→④の因果関係を主張するものでしょう。ちなみに、結核菌はマイコバクテリウム属の細菌の一種です。

さっき書いたように、結核菌に感染しても発病する人は高々10%で、ほとんどの人は発病しません。その発病を押さえているのは人間の「免疫力」だとよく言われます。「免疫力」が変調をきたすと、ないしは「免疫力」が衰えると発病するというのが(詳細なプロセスは別にして)医学書に載っている結核の一般的な説明です。

一方、ヒトは共生微生物群と「超個体」を作っています。そして共生微生物のあるものが免疫に重要な役割を果たしていることは、No.119-120「不在という伝染病」に書いた通りです。だとすると、共生微生物群の「変化」は「免疫力の変化」につながってもおかしくはない。「マイコバクテリウム属細菌への曝露パターンの変化が、結核の大流行を招いた」という説も検討に値すると考えられます。

ただし「微生物」に関しては別の理由もありうると『寄生虫なき病』で著者のモイゼス・ベラスケス=マノフ氏は書いています。それはピロリ菌です。No.120「不在という伝染病(2)」で書いたように、ピロリ菌感染者は結核菌に感染したとしても、ピロリ菌非感染者よりもさらに結核が発病しにくいという報告が何件かあるのです。ピロリ菌に感染する率が減ったために結核が蔓延したとも考えられる・・・・・・。

  そう言えば、結核菌とピロリ菌はよく似ています。
極めて古い昔から現世人類とともにあった細菌である。
感染したとしても、大多数の人は発病しない。細菌はヒトの体の中にあって「共存」している。
一部の人が発病し、重い病気をもたらす(結核菌は肺結核など。ピロリ菌は胃潰瘍から胃ガン)。
という3つの点です。

しかし、どちらにせよ「微生物への曝露パターンの変化が結核の大流行を招いた」という説には変わらないと思います。


パリの結核


ヨーロッパの都市化と結核、と聞いて直感的に思い出すオペラがあります。No.75「結核と初キス」にも書きましたが、ヴェルディの椿姫(1853年初演)です。このオペラはパリが舞台ですが、主人公の娼婦・ヴィオレッタは結核にかかっています。それが原因で最後には死んでしまう。彼女の「悲しい愛の物語」がストーリーの骨格です。原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説『椿姫』(1848)ですが、この小説も「結核文学」だと言えるでしょう。

椿姫.jpg
椿姫(ラスト).jpg
ヴェルディのオペラ「椿姫」より。第1幕の「乾杯の歌」のシーン(上)と、第3幕の最終場面(下)。いずれもヴィオレッタのパリの屋敷である。ヴィオレッタ役はアンジェラ・ゲオルギュー。コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラのライブ映像(1994)より。

ソプラノ歌手が演じるヒロインが結核患者、というオペラは他にもあります。プッチーニのオペララ・ボエームのヒロイン、ミミがそうです。パリに出てきた貧しい「お針子」のミミは、オペラの最後でヴィオレッタと同じように息を引き取ります。『ラ・ボエーム』は1896年の初演ですが、原作の小説は1849年の作であり『椿姫』と同時期ということになります。

ラ・ボエーム(映画)-1.jpg ラ・ボエーム(映画)-2.jpg
映画版「ラ・ボエーム」(2011)より。第1幕でロドルフォとミミはパリで出会い、第4幕でミミは、ロドルフォの元で死にたいと運ばれてくる。ミミ役はアンナ・ネトレプコ、ロドルフォ役はローランド・ビリャソン(映画のサイトより)。

もちろん、この2つのオペラはフィクションです。しかしこういった状況設定が聴衆に受け入れられてオペラ(ないしは小説)が大ヒットするいうことは、当時のパリの状況を反映しているはずです。『椿姫』は上流階級の話であり、『ラ・ボエーム』は貧しい“お針子”や芸術家たちの話ですが、当時(19世紀前半)のパリにおいて、結核が階層を問わず「よくある」病気だったことをうかがわせます。


「不在」を問題にすること


ドイツ人のロベルト・コッホ(1843-1910)は1882年に結核菌を発見し、その病原性を証明し、結核の原因は細菌であることを明らかにしました。これが細菌学の始まり(の一つ)であり、現代医学の「輝かしい」スタートとなったことは周知の事実です。そのコッホの研究の動機になったのは、ヨーロッパにおける結核の大流行だったのではないでしょうか。彼は、19世紀半ばのベルリンでは、七人に一人が結核で死亡(!)と推定しているわけですね。この死亡率の高さは相当なものです。発病する人の割合はもっと多かったはずです。医学に係わるドイツ人としては、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。。

そして、そういった結核の大流行の原因は、ひょっとしたら以前から進行していた、人体生態系=超個体の「崩壊」ないしは「変調」だった可能性がある・・・・・・。

「微生物への曝露パターンの変化が、ヨーロッパでの結核の大流行を招いた」というのは一つの説(仮説)であって、実証されたわけではありません。違うかもしれない。真実だとしても、200年も前の流行の原因を「実証」するの非常に難しいでしょう。

しかしこの話の教訓は、我々はやまいに関して病原菌やウイルスの「存在」を問題にするけれど、それと同時に共生微生物の「不在」も考慮すべきということでしょう。「18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した」ということを、発病率の高い変異型結核菌の「出現」というように推定するのか、ないしは結核の発病を押さえていた(ある主の)共生微生物の「消滅」ととらえるのか、見方はふた通りあるはずです。もちろん、その両方かもしれない。

No.119-120「不在という伝染病」の最後の方にも書きましたが、我々人間は2つの生態系のもとで生きています。一つは自然生態系で、もう一つは人体生態系(=超個体)です。このことは忘れてはならないと思います。



 補記 : 微生物の不在と病気の発症 

本文中で紹介したのは「マイコバクテリウム属の細菌に感染すると、結核の発症が抑止される」という仮説でした。これはあくまで仮説です。

しかし「微生物の不在と病気の発症」は関係があるようです。最近の研究で、ある種のウイルスに感染していると1型糖尿病(=若年性糖尿病とも言われる自己免疫疾患で、遺伝子によって伝わる遺伝病)の発症が抑止されることが、医学的に証明されてきました。No.229「 糖尿病の発症をウイルスが抑止する」にそのことを書きました。

(2018.4.13)



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