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No.268 - 青森は日本一の「短命県」 [社会]

No.247「幸福な都道府県の第1位は福井県」で、都道府県の "幸福度" を数値化する指標の一つである平均寿命を取り上げました。この「都道府県別の平均寿命」は青森県が最下位です。そのことを指して、

青森県民が塩気の利いた食品(漬け物など)を好むからだという説を聞いたことがありますが、青森県当局としてはその原因を追求し対策をとるべきでしょう。

と書きました。私は知らなかったのですが、実は「青森は日本一の短命県」という "汚名" を返上すべく、2005年から大がかりなプロジェクトが進んでいます。そのことは最近の新聞で初めて知りました。その認識不足の反省も込めて、今回は進行中のプロジェクトの話を書きます。まず、No.247 で取り上げた「都道府県別の平均寿命」の復習です。


都道府県別の平均寿命


厚生労働省は5年に1回、「生命表」を公表しています。最新は2015年のデータで、ここでは男女別の平均余命が全国および都道府県別に集計されています。ゼロ歳の平均余命が、いわゆる「平均寿命」です。

No.247「幸福な都道府県の第1位は福井県」は、「2018年版 都道府県幸福度ランキング」(日本総合研究所編)の内容を紹介したものでしたが、ここで指標の一つとして使われた平均寿命は、厚生労働省の「道府県別平均寿命データ(2015年)」の男女の平均値でした。つまり男と女の平均寿命を単純平均したもの(小数点以下1桁)です。

今回は、厚生労働省の原データ(小数点以下2桁)から再計算した結果を掲げます。No.247 の表とは微妙に違っていますが、有効数字の違いであり、大筋では同じです。もちろん都道府県の順位は変わりません。表の用語の意味は以下の通りです。

◆ 平均寿命
男性の平均寿命と女性の平均寿命を単純平均したもの。
◆ 偏差
平均値からのズレ。正か負の値。
◆ 標準偏差
偏差の2乗を平均したものが分散で、分散の平方根が標準偏差(正の値)
◆ 標準化変量
偏差を標準偏差で割ったもの(正または負)。つまり標準化変量は、平均がゼロ、標準偏差が1になるようにデータを正規化したもの。
◆ 偏差値
標準化変量を10倍し、50を足したもの。偏差値は平均が50、標準偏差が10になるようにデータを正規化したもの。大学入試などに使われる学力偏差値と同じ。

平均寿命のランキング

原データ都道府県別生命表(厚生労働省)。調査年は2015年
平均寿命男性平均寿命と女性平均寿命の平均

順位 都府県 平均 寿命 偏差 標準化 変量 偏差値
1長野 84.7125 0.8753 1.9129 69
2滋賀 84.6750 0.8378 1.8309 68
3福井 84.4050 0.5678 1.2409 62
4京都 84.3750 0.5378 1.1753 62
5熊本 84.3550 0.5178 1.1316 61
6岡山 84.3515 0.5143 1.1239 61
7奈良 84.3050 0.4678 1.0223 60
8神奈川84.2800 0.4428 0.9677 60
9島根 84.2150 0.3778 0.8256 58
10広島 84.2050 0.3678 0.8038 58
11大分 84.1950 0.3578 0.7819 58
12東京 84.1650 0.3278 0.7164 57
13石川 84.1600 0.3228 0.7054 57
14宮城 84.0750 0.2378 0.5197 55
15山梨 84.0350 0.1978 0.4323 54
16香川 84.0300 0.1928 0.4213 54
17静岡 84.0250 0.1878 0.4104 54
18富山 84.0150 0.1778 0.3886 54
19新潟 84.0050 0.1678 0.3667 54
20兵庫 83.9950 0.1578 0.3449 53
21愛知 83.9800 0.1428 0.3121 53
22千葉 83.9350 0.0978 0.2137 52
23三重 83.9250 0.0878 0.1919 52
24岐阜 83.9100 0.0728 0.1591 52
25福岡 83.9000 0.0628 0.1372 51
26佐賀 83.8850 0.0478 0.1045 51
27沖縄 83.8550 0.0178 0.0389 50
28山形 83.7400-0.0972-0.2124 48
28埼玉 83.7400-0.0972-0.2124 48
30宮崎 83.7300-0.1072-0.2343 48
31群馬 83.7250-0.1122-0.2452 48
32鳥取 83.7200-0.1172-0.2561 47
33山口 83.6950-0.1422-0.3108 47
34長崎 83.6750-0.1622-0.3545 46
35高知 83.6350-0.2022-0.4419 46
36北海道83.5250-0.3122-0.6823 43
37徳島 83.4900-0.3472-0.7588 42
37愛媛 83.4900-0.3472-0.7588 42
39大阪 83.4800-0.3572-0.7806 42
40鹿児島83.4000-0.4372-0.9554 40
41茨城 83.3050-0.5322-1.1631 38
42福島 83.2600-0.5772-1.2614 37
43和歌山83.2050-0.6322-1.3816 36
44栃木 83.1700-0.6672-1.4581 35
45岩手 83.1500-0.6872-1.5018 35
46秋田 82.9450-0.8922-1.9498 31
47青森 82.3000-1.5372-3.3594 16

◆平均83.8372(歳)
◆標準偏差0.4576(歳)

最後に掲げた「平均」は、もちろん「都道府県別平均寿命の平均」です。厚生労働省の原データにおける全国の平均寿命(2015年)は、男:80.77歳、女:87.01歳で、日本人の平均寿命という場合の値がこれです。男女の平均寿命の単純平均は83.89歳になります。


都道府県別の平均寿命を眺めてみると ・・・・・・


表には分かりやすいように「偏差値」を併記しました。大学入試における偏差値の感覚からいうと、

◆ 長野県(69)と滋賀県(68)は素晴らしい成績。3位を6ポイント以上、引き離している。
◆ 偏差値50以下では、岩手県(35)ぐらいまでが、何とか大学に入れるレベル(ボーダー・フリーの大学は別として)。
◆ 岩手県より4ポイント低い秋田県(31)は入学不適格。
◆ 青森県(16)は論外。

ということになります。「青森は日本一の短命県」とタイトルに書きましたが、その認識は甘いのです。「ダントツの、飛び抜けた短命県」というのが正しい。1位の長野県と47位の青森県の平均寿命の差は約2.4歳なので、大したことないと思えるかもしれません。しかし数値の中身を調べると青森県だけが異常値であることがわかります。

ちなみに、上表は男女の平均値ですが、厚生労働省の原データをみると男女とも青森県が最下位です。男性の1位の滋賀県(81.78歳)と青森県(78.67歳)の寿命の差は3.11歳、女性の1位の長野県(87.67歳)と青森県(85.93)の寿命の差は1.74歳です。



1位の長野県と最下位の青森県が日本におけるリンゴの2大産地なのも気になります。生産量では青森が全国の約60%、長野が約20%で、この2県で日本のリンゴ生産の大半を占めています。英語の有名な諺(ことわざ)に

An apple a day keeps the doctor away.(1日1個のリンゴは医者を遠ざける)

というのがあります。長野県の平均寿命をみると正しい諺に思えますが、青森県をみると "本当か?" という気になる。もっとも、リンゴに多くの栄養成分が含まれていることは確かな事実ですが ・・・・・・。


岩木健康増進プロジェクト


2019年7月27日の朝日新聞(土曜版)に「岩木健康増進プロジェクト」が紹介されていました。このプロジェクトは弘前大学の特任教授・中路なかじ重之しげゆき氏をリーダとする弘前大学のチームが中心となり、「日本一の短命県」という "汚名" を返上すべく、県や自治体、市民団体とも連携して推進しているプロジェクトです。


田植えの進む青森・津軽平野。6月の日曜日、雪の残る岩木山にほど近い弘前市岩木文化センターには午前5時半ごろから人が続々とやってきた。弘前大学COI(センター・オブ・イノベーション)などが年に1度実施する大規模健康診断「岩木健康増進プロジェクト」に参加するためだ。

1日に住民約100人ずつ、10日間で計約千人が受ける。アンケートや検便・採血、体力測定などを駆使し、労働環境や経済力といった社会科学分野からゲノムなどの遺伝学分野まで、2千項目に及ぶ大量のデータを集める。

1人5時間ほどもかかる大事業を(引用注:中路教授は)2005年から引っ張る。

青森県は日本一の短命県である。

朝日新聞(2019年7月27日・土曜版)

健診測定の結果は当日のうちに、生活上の改善点とともに受検者に伝えられ伝えられます。詳細結果は後日、受検者に郵送されます。これは一般的な健康診断と同じで、要するに健康増進を通じて「短命県」を返上しようとする試みです。

ただし「毎年、10日間で、1000人に対し、2000項目のデータをとる」という大規模診断であることが特色で、この規模の調査は世界でも例がないとのことです。実施するのは大変なはずですが、自治体の検診とも連動しており、1日に約300人が検診の対応にあたります。弘前大学の教職員・学生、弘前市の保健職員、企業からの応援、市民の健康リーダーなどです。


短命県である理由


中路教授がこの「岩木健康増進プロジェクト」を立ち上げるまでには数々の苦労があったようです。


「最下位でいいんですか!」と言って県内を回ると、「2、3歳長生きして何になる」「若い人に迷惑をかけるだけじゃないか」と反発を買った。

それではと、長寿の長野県と年代別に比べて見せるようにした。ほとんどの年齢層で死亡率が大きく上回り、男の30~60代では2~6割も高い

高齢になって急に死亡が増えるのではない。働き盛りを含めた死亡率の高さが平均寿命の差を生じさせている

子どもを残して若い親が亡くなる、そんな不幸を減らすことでもあると「目からウロコ」の話を繰り返し、ようやく「短命県返上」の機運が生まれた。

朝日新聞(2019年7月27日・土曜版)

「長寿の長野県と比べると、ほとんどの年齢層で青森県の死亡率が大きく上回っている」という主旨が書かれています。この原因は何でしょうか。中路教授は記者のインタビューに次のように答えています。


「1日1個のリンゴで医者いらず」という英語のことわざがありますが、同じように冬の寒さが厳しく、リンゴの産地でもある長野県は長寿です。リンゴは関係なく、ほかの点で負けているのだろう、ということになります。

「塩分の取りすぎ」という人もいます。確かに塩分摂取量は多く、血圧を高くして良くないのですが、これも長野県の方がむしろ多いぐらいです。

青森県でも、がん、脳卒中、心臓病という3大生活習慣病による死亡が多いのですが、長寿県に比べ若死にが多い。死に至る前の20~30年の生活習慣に大きな問題があるわけです。

調べてみると、喫煙や多量飲酒、野菜や塩分の摂取量、運動量、肥満などの生活習慣にかかわる数値が軒並み悪い。子どものころからです。それだけなく、健康診断の受診率が低いし、病院に行くのも遅い。

長野県は逆に塩分以外はだいたい良い。つまり、平均寿命の差は経済や健康教育も含めた社会の総合力の差なんです。

中路 重之(弘前大学・特任教授)
朝日新聞(2019年7月27日・土曜版)

No.247 に「塩分の取りすぎだと聞いたことがある」と書きましたが、そんな単純な話ではないのですね。「社会の総合力の差」です。それを変えていくには、市民全体の健康意識を増進するしかない。これが「岩木健康増進プロジェクト」の主旨です。


健康ビッグデータの意義


記事には詳しく書いてなかったのですが、15年にわたり1000人の2000項目の健康データが蓄積されているということは、そのビッグデータを解析することで、健康(ないしは疾病)と各種項目の因果関係がデジタル数値で分かることになります。こういったビッグデータの分析が一般に使われる例が「予測」や「予兆の発見」です。つまり疾病の予兆が発見ができ、疾病を回避するための詳細なアドバイスにつながる可能性がある。これは単に岩木地区の弘前市民や青森県民のためだけでもなく、一般的な健康増進に役立つ新たな知見を得ようとするプロジェクトということになります。

このようなプロジェクトの性格上、健康関連の企業が強い関心をもち、プロジェクトに参加しています。


2013年に文部科学省のCOI拠点に選ばれると有力企業から共同研究の打診が相次いだ。企業が自らのテーマを加えれば、即座に2千項目との関連を千人規模で調べられるからだ。サントリーは水分摂取、ライオンは歯科・口腔衛生、花王は内蔵脂肪、カゴメは野菜関連といった具合に、参加企業は40を超えた。

朝日新聞(2019年7月27日・土曜版)

このプロジェクトは、内閣府の「第1回 日本オープンイノベーション大賞(2018年度)」で最高賞(内閣総理大臣賞)を受けました。高齢化社会を迎え、医療費の適正な社会配分を行う為にも健康寿命を伸ばすことが必要です。「岩木健康増進プロジェクト」の "健康ビッグデータ" は、そのための重要データになる可能性が大なのです。弘前大学COIのホームページには、プロジェクトの意義と蓄積しているデータ(の一部)が紹介されています。以下に引用します

健康ビッグデータ.jpg
(弘前大学COIのホームページより)

「岩木健康増進プロジェクト」は、青森県が「ダントツで最下位の短命県」であるからこそ組織できたものでしょう。他県ではここまでの大プロジェクトを起こすモチベーションを得にくいと思います。しかも青森県がダントツで最下位ということは、もし平均寿命の改善ができたとしたら、その理由と過程が "見える化" しやすいわけです。

中路教授と弘前大学は青森県が日本一の短命県であるということを逆手にとって、世界に類のない「健康ビッグデータ・プロジェクト」を組織化し、地域の健康増進・活性化のみならず、少子高齢化が進む日本全体への貢献をも目指している。その姿勢と努力に感心しました。


健康ビッグデータと倫理規定


上に「岩木健康増進プロジェクト」を推進している弘前大学COIのホームページから図を引用しましたが、このホームページを見て気になることがありました。それは、

健康ビッグデータをどのように扱うべきか、その際の倫理規定やルールが書かれていない、特に、健康ビッグデータから得られた知見をもとにして「やっていいこと」と「やってはいけないこと」が書かれていない

という点です。No.240「破壊兵器としての数学」No.250「データ階層社会の到来」に書いたように、一般的に言って個人に関するビッグデータの解析と分析は、使いようによっては "社会として不都合な状態" を作り出すことになりかねません。つまり、差別を助長したり、プライバシーを侵害したり、人々を階層化したり、一方的な経済的不利益をもたらしたりといった、社会的正義に反する状態です。

たとえば弘前大学COIのホームページによると「岩木健康増進プロジェクト」参加している企業の一つが明治安田生命で、その目的は「未病予測モデルの開発」だとあります。「未病予測モデルの開発」は良いことだと思うし、そのモデルが「疾病の予測」→「疾病の未然防止」→「保険会社の収益向上」→「保険料の引き下げ」→「保険加入者の利益」というような良い循環になれば、社会全体の利益につながります。保険加入者と保険会社の双方が Win-Win になる。

しかしこの「未病予測モデル」が、「疾病の予測」→「疾病のリスクの判明」→「特定個人の保険料のアップ(ないしは保険加入の拒否)」というように保険会社によって使われたとしたら、"皆で助け合う" という保険の本来の主旨を逸脱することになります。もちろん明治安田生命はこういうことをしないでしょうが、No.240 で紹介したキャシー・オニールが力説している通り、数学モデルはこのように使われるリスクが常にあり、その数学モデルへのインプットがビッグデータだということは忘れてはならないと思います。"健康階層社会" や "健康スコア化社会" の到来はまっぴらです。

さらに "コスト" の問題があります。例えば「疾病の予測」が可能になったとして、その為の検査データの取得に高額な費用がかかるとしたら、貧困層はその検査ができないということになりかねません。あるいは健康保険でカバーできるのは「ラフな予測」だが、高額な個人負担をすると「精密な予測」ができるということもありうる。

「疾病の予測」ができたとして、その後の問題もあります。つまり疾病を回避するためにどうするかです。その回避手段が "生活習慣の改善" であれば問題ありません。しかし、ある高額な "治療" をすると疾病が回避できるとなったとき、その "治療" は医療ではないので保険がきかず、個人負担になるはずです。とすると、富裕層しか "治療" が受けられないということも考えられます。

以上はあくまで例ですが、弘前大学としては最低限、健康ビッグデータの利用に関する次のような「原則」を確立する必要かあると思います。つまり、

健康ビッグデータを利用して得られた成果が個人に恩恵をもたらすとき、その恩恵はすべての人が平等に受けられる機会が与えられ、またすべての人が平等な個人負担で受けられる

という原則です。これ以外にも「健康ビッグデータ倫理規定」は、いろいろ必要でしょう。

当然のことならがら弘前大学は、個人データのセキュリティの確保(必須の必須)とともに、倫理規定の検討を十分に行っていると思います。しかし、それがホームページを見る限り分かりません(2019-9-20 現在)。「岩木健康増進プロジェクト」が世界に例を見ない先進的なプロジェクトと言うなら、「健康ビッグデータの倫理規定、データ処理のルール、公的な規制のあり方」についても情報を発信し、世界をリードして欲しいと思いました。




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No.267 - ウナギの商用・完全養殖 [技術]

No.107「天然・鮮魚・国産への信仰」の続きです。No.107 で魚介類の「天然」と「養殖」の話の中で、ウナギの養殖に使うシラスウナギ(=天然のウナギの稚魚)の漁獲量が激減している(従って価格が高騰している)ことを書きました。

そのウナギですが、最近の日経サイエンス(2019年8月号)に完全養殖の商用化についての現状がレポートされていました。そこで、これを機会に魚介類の「天然・養殖」についてもう一度振り返り、日経サイエンスの記事からウナギの商用・完全養殖の状況を紹介したいと思います。


「天然信仰」からの脱却


No.107で書いたように、世間一般には「素朴な天然信仰」があり、まずそこから脱却する必要があるでしょう。そもそも魚介類について「天然もの」の方が「養殖もの」よりおいしいとか、品質が良いと決めつけるのがおかしいわけです。一つの例として No.107 でミシュランの3つ星店「すきやばし次郎」の小野二郎氏(現代の名工)の発言を紹介しました。次のような要旨でした。


【要旨】

鮨ネタに関しては、一般的に天然のほうが旨い。しかし、シマアジに関しては養殖ものの方が旨いという客もいる(好みによる)。またクルマエビは、養殖の方が香りと濃厚さで勝っている。

小野二郎
(文藝春秋 2013.8)

「すきやばし次郎」は、一部の例外や入手困難なネタを除いて、天然ものを使うのが基本で、それは立派な見識です。しかし上の要旨にあるように、シマアジに関しては天然と養殖で客の好みが分かれるのですね。「すきやばし次郎」に通う客は相当な食通のはずですが、その人たちの意見が分かれているということです。またクルマエビについては小野氏自身が養殖が勝っていると認めています。「ミシュランの3つ星店基準」で判断しても「天然ものにひけをとらない養殖の鮨ネタ」があることを、まず覚えておくべきでしょう。

さらに「普通のレストラン基準」ないしは「家庭料理基準」では、天然ものと養殖ものはほとんど変わらないというのが大多数だと思います。それに一般的に言って、料理は素材だけでは決まりません。「素材 + 調理技術」が料理です。さらに長い目で見ると、品種改良と養殖技術の発展で、そのうちに養殖ものの方がおいしくなるのは目に見えています。ちょうど野生の動物や穀類・果物より、飼育された牛・豚、農業で作った米やフルーツの方が美味しいようにです。

天然の魚介類は「すきやばし次郎」のような店にこそ回すべきであり、我々としては「素朴な天然信仰」から脱却して、天然と養殖があれば養殖を選ぶぐらいの見識を持つべきでしょう。その大きな理由は、天然ものの魚介類は「自然の収奪」であることに違いはなく、資源量によほど注意して漁獲を行わないと、ウナギのように絶滅の危機に瀕するからです。


人類最後の狩猟採集:漁業


現生人類であるホモ・サピエンスが誕生してからでも20万年程度、2足歩行する初期人類(猿人)の誕生から数えると500万年程度たっています。この間、人類は狩猟・採集で生きてきました。現代でもアフリカや南米には狩猟・採集民がいます(No.221「なぜ痩せられないのか」で書いたハッザ族など)。

しかし1万年ほど前に農業が始まり、定住化が進み、これが文明の始まりになったとは、我々が世界史の最初で習うところです。またその後に牧畜や遊牧も始まった。つまり「狩猟・採集から脱却」によって今の人類の文明が存在するわけです。ところが、現代に残った最後の狩猟・採集が(養殖ではない)漁業です。

もちろん、漁業以外の狩猟・採集がないわけではありません。人工栽培ができない高価格野菜、日本の松茸や欧州のトリュフなどは、その採集を生業としている人がいます。しかしこれは野菜のごく一部です。山菜を採集する人もたくさんいますが、これは趣味か、せいぜい副業の部類でしょう。

野生動物で言うと、イノシシや鹿を狩った一部が食肉として出回っていますが、これも副業です。ハンターが少なくなったから鹿の食害が増えて困っているという話も聞きます。ヨーロッパでは、パリのマルシェなどに行くと野生動物がそのまま売られています。いわゆるジビエですが、これは「ご馳走」のたぐいであり、その狩猟で生活している人は少ないでしょう。以上のように考えると、現代のスーパーマーケットに並んでいる商品で狩猟採集で得られたものは、天然ものの魚介類だけということになります。

なぜ人類最後の狩猟・採集としての漁業が残っているのかというと、現代においても産業として成立するほど、漁業の生産性が高いからです(No.232「定住生活という革命」参照)。しかし生産性が高いということは裏を返すと、狩猟・採集の対象となる動植物の絶滅を招きかねないという地球環境上のリスクがあるわけです。

人類史をひもとくと、ユーラシア大陸や南北アメリカに生息していた数々の大型哺乳類(マンモス、サーベルタイガー、・・・・・・)が絶滅したのは人類の狩猟によるものという学説が有力です(No.127「捕食者なき世界(2)」の「大型捕食動物はヒトが絶滅させた」の項)。また歴史上の出来事をみても、地中海や大西洋にいた鯨は絶滅しました(No.20「鯨と人間(1)」)。幕末にペリー提督が日本にやってきて開国を迫った理由の一つがアメリカの捕鯨船の補給だったというのは有名な話ですが、なぜ大西洋沿岸のボストン付近の捕鯨船が日本近海にまでやってきたかというと、大西洋に(鯨油生産が産業として成立する程度の)鯨がいなくなったからです。

そして、このような大型哺乳類だけでなく、魚介類にも人間の乱獲で絶滅危惧種になってしまったものがあるのです。その中で、我々日本人に最も広くなじみがあるのがウナギです。


養殖の発展


現代人にとっての本来の漁業の姿は養殖であり、魚介類の絶滅を回避するためにも養殖が重要です。そして現代では数々の魚介類の養殖が進んでいて、プリ類(ハマチなど)、タイ、マス、フグ、ヒラメ、シマアジ、牡蠣、ホタテ、クルマエビなどがすぐに思いつきます。クロマグロ(本マグロ)も養殖されるようになりました。

先日、NHKの情報番組を見ていたら、サバの養殖の研究のレポートをやっていました。サバの養殖のネックは、稚魚の攻撃性が強く、共食いをすることだそうです。稚魚の生存率は10%程度と言います。そこでゲノム編集技術を使って攻撃性を押さえるように遺伝子を改変すると、稚魚の生存率が40%に向上したそうです。こういった最新のバイオ・テクノロジーも養殖技術に使われ始めています。

もちろん養殖は、そのコストに見合う "高級魚" でないと成り立たないわけです。サンマやイワシを養殖しようとする人はいません。

もっとも近年はサンマの水揚げ量が激減し、日本政府は国際的な漁獲量の上限設定に動いています。そのうちサンマも値段が高騰し、養殖が見合うようになるのかもしれません。

そして本題のウナギですが、ウナギは "高級魚" であり、養殖にうってつけのはずです。しかしウナギの "養殖" といわれるものは、ウナギの稚魚である天然シラスウナギを捕獲し、それを養殖池で成魚に育てる「蓄養」です。これは本来の意味での養殖ではありません。そのシラスウナギの漁獲量が最近激減しています。


国産ウナギの99%は養殖ものだが、元となるシラスウナギは海や川で天然ものを捕る必要がある。水産庁によると、今漁期(2018年11月~2019年4月)の国内推計量は過去最低の 3.7トンで、20トン台が珍しくなかった2000年代から激減した。輸入した11.5トンで補ったが、養殖業者がシラスウナギを購入する価格は今シーズン、1キロあたり219万円。25万円だった2004年の9倍近い。

朝日新聞(2019.7.27 夕刊)

シラスウナギの漁獲量の激減は、この10~15年の現象です。ちなみに「シラスウナギの価格は、1キロあたり219万円」とありますが、シラスウナギの1匹の重さは0.2グラム程度なので、シラスウナギ1匹の価格は概算440円ということになります。

シラスウナギ.jpg
シラスウナギ
日経BP社「未来コトハジメ」のサイトより

2014年6月、国際自然保護連合(IUCN)はニホンウナギを絶滅危惧種に指定しました(ヨーロッパウナギは2008年に絶滅危惧種に指定)。一刻も早く、蓄養ではない本来の意味での養殖(=完全養殖)の商用化をする必要があるのですが、まだ成功していません。その大きな理由は、自然界におけるウナギの生活史が極めて特異だからです。


ウナギの生活史


ニホンウナギの産卵地がどこかは長いあいだ分からなかったのですが、1991年に日本の水産関係者によってその場所が特定されました。グアム島の北西、西マリアナ海嶺(=海中の山脈)の南部で、孵化したニホンウナギの幼生であるレプトセファルスが採取されたからです。

レプトセファルス.jpg
レプトセファルス
日経BP社「未来コトハジメ」のサイトより

レプトとはラテン語で「薄っぺらい、小さな」という意味で、セファルスは「~の頭をした」ということなので、「薄い頭」「小さな頭」という意味になります。「葉形幼生」という日本語もあります。

さらに2009年には同一海域でニホンウナギの親魚しんぎょと卵が採取され、産卵地が確定しました。その付近の海底地形図が以下の図です。

フィリピン海プレートの海底地形.jpg
フィリピン海プレートの中央部から東部の海底地形図。
「旅するウナギ」(東海大学出版会。2011)より

フィリピン海プレートの東南にはグアム島があり、プレートの北は日本列島の手前まで続く。この図の左上に日本列島が書いてあるが、東南海地震を引き起こしたり、伊豆半島を本州に押しつけるているのはフィリピン海プレートである。

グアム島の南には世界最深のマリアナ海溝(約11,000m)があり、北西部には西マリアナ海嶺(=海底の山脈)が連なる。西マリアナ海領に「パスファインダー」「アラカネ」「スルガ」の3つの白丸が付けてあるが、これらはいずれも海山(=海中の山)である。ニホンウナギの産卵地は、この3つの海山から西マリアナ海嶺の南端にかけてのエリアにある。産卵地は10km四方程度の極めて狭いエリアのようだが、年によって変動する。このあたりは、東京から直線距離で約2500km離れている。

西マリアナ海嶺の南端で生まれたレプトセファルスは西向きの北赤道海流にただよってフィリピン沖へ向かいます。柳の葉のような独特の形は漂うのに都合のよい形です。そしてフィリピン沖で黒潮に乗りかえます(黒潮に乗れなかったものは死滅)。約6cmに成長したレプトセファルスは、2~3週間でシラスウナギに変態します。

レプトセファルスからシラスウナギへの変態.jpg
シラスウナギへの変態
虫明敬一他「うなぎ・謎の生物」
(築地書館 2012)より

人工飼育されたレプトセファルスがシラスウナギに変態していく様子。この図の矢印は背ビレの始まりの位置、三角は肛門の位置である。数字は孵化後の日数を表す。孵化後1年以上でシラスウナギになっているが、日経サイエンス(2019.8)によると、現在(2019年)の人工飼育では300日程度でシラスウナギになる。しかし自然界では130日~150日程度であり、人工飼育の技術開発はまだ発展途上にある。

その黒潮に乗ったシラスウナギは日本列島(を含む東アジア)の河口に到着します。西マリアナ海嶺南部で孵化してから日本の河口に到達するまでは約半年です。関東地方の河川だと、産卵場から5000km程度の旅になります。シラスウナギは河川を遡上し(海や汽水域に残る個体もある)定着生活を始め、そこで成魚になります。

オスは数年間、メス約10年間の淡水生活をした後、ウナギは川を下り(=下りウナギ)、海に出て、西マリアナ海嶺の産卵場に向かいます。そして雌雄のウナギが産卵場で落ち合って産卵・受精します。

ニホンウナギの生活史.jpg
ウナギの生活史
日経サイエンス(2019.8)

上図には日本から産卵場のルートが単純な直線で描かれていますが、これはどいういう経路で産卵場にたどりつくのかが不明だからです。日本付近から西マリアナ海嶺の南端までに黒潮のような海流があるわけではありません。しかし川から海に出て産卵の旅についたウナギは、2500km離れた極めて狭いエリアに集結し、オスとメスが出会って産卵・受精します。いったいどうやってこんなことができるのかは不明です。ウナギはまだ「謎の魚」なのです。

なお、ニホンウナギという学名が付いているために日本固有種と思いがちですが、そうではありません。東アジアのウナギはすべてニホンウナギであり、その産卵地は西マリアナ海嶺南端の海中です。遺伝的には同一の種です。


ウナギの完全養殖


実は、2010年にウナギの完全養殖が達成されました(現在の、国立・水産研究教育機構 増養殖研究所)。完全養殖とは下の図のように、卵 → 人工シラスウナギ → 人工成魚 → 卵 というサイクルを回すことです。

完全養殖のサイクル.jpg
ウナギの完全養殖
水産庁「ウナギをめぐる状況と対策について」(2016.7)より

シラスウナギを成魚にする蓄養は明治時代以来の歴史があり、技術が確立されています。問題は受精卵から孵化したレプトセフェルスをシラスウナギに育てる部分で、完全養殖ができたということはこれに成功したわけです。

しかし2010年に成功した完全養殖は水産試験場での成功であり、それがすぐに商用になるわけではありません。つまり製造業における「試作」と「量産」の違いのようなものです。新型車を開発するときに2年の歳月をかけて数10台の試作車を1台あたり数千万円の費用をかけて作る「試作」と、数百万円の販売価格に見合うコストで毎日数百~数千台のクルマを作る「量産」は違います。量産のためには、量産するための技術開発が必要です。

同じように、シラスウナギの量産が可能な技術開発できて始めて、ウナギの商用・完全養殖が実現するのです。その商用・完全養殖の研究現場のルポを次に紹介します。


ウナギの絶滅は回避できるか


日経サイエンス 201908.jpg
日経サイエンスの2019年8月号に、伊豆半島の石廊崎にある「国立・水産研究教育機構 増養殖研究所」の「ウナギ種苗量産研究センター」(山野センター長:以下敬称略)を、日経サイエンス編集部が訪問したルポが掲載されていました。このセンターは2002年に世界で初めて、卵からシラスウナギを育てることに成功しました。その時のシラスウナギの個体数は、わずか24匹だったそうです。また、2010年にはウナギの完全養殖に成功しています。

その後、2013年からシラスウナギの量産の研究を進めています。あまたの試行錯誤を繰り返した結果、ようやく年間数千匹のシラスウナギが育つようになったとのことです。その難しさはどこにあるのでしょうか。


変態前のレプトセファルスは育てるのが非常に難しい。自分でエサを探そうとしないため、給餌に工夫がいる。そのうえ、水が濁ると死んでしまう。生後すぐの個体は数ミリしかなく、表面張力で水面に張り付いて、体が空気に曝されるため死ぬこともある。「自然界では数十万個の卵からたった2匹の成魚が育つ程度」(山野)。その生存率の低さからも養殖の難しさが見て取れる。

出村政彬(編集部)
「ウナギ絶滅回避なるか」
日経サイエンス(2019年8月号)

レプトセファルスの飼育1.jpg
ウナギ種苗量産研究センターで人工飼育されているレプトセファルス。体長は1cm~6cm程度である。
サイエンス(2019年8月号)

レプトセファルスは、
① 自分ではエサを探そうとしない
② 水が濁ると死んでしまう
③ 自然界では数十万分の1の生存率
というあたりに、人工飼育の難しさがうかがわれます。日経サイエンスには具体的な飼育の研究の様子がありました。


飼育室は一日中暗くしてある。特別に電気を点けてもらうと、そこには様々な形の水槽がずらりと並んでいた。金魚鉢のような「ボウル型」は第1世代。2002年の人工飼育実験には、この形の水槽が使われた。その後、様々な形が考案され、2つの水槽がパイプでつながったニ槽式の水槽や、ピーナッツ型の水槽、大型の100リットル水槽などが開発された。それぞれ水の交換法や与えるエサの種類が異なり、効率的な飼育法を調べている。水温は25℃で年中一定だ。



水槽を見学していると、エサやりを担当する職員らが室内に入ってきた。それぞれ、どろっとした液状のエサが入った容器と、長さ数十センチの大きなスポイトを持っている。

職員らはスポイトでエサを吸い、水槽の底の方へ静かに流し込む。通常はこのエサやりの時だけ電気を点けている。レプトセファルスは光を嫌うので底へ向かって泳ぎ、自然とエサにありつく仕組みだ。



エサは1日5回、8時から16時にかけて2時間ごとに与えている。15分間のエサの時間が終わると、水槽は真っ白の濁った。水槽にはポンプが取り付けられており、濁った水を捨てながらきれいな水を継ぎ足していく。2時間かけて水槽が透明に戻ったところで、また次の食事タイムだ。清潔な環境を保つため、一日の終わりには別のきれいな水槽へレプトセファルスを水ごと移し替える。二槽式の水槽や、2つの窪みを持つピーナッツ型水槽が作られたのはこのためだ。

「同上」

レプトセファルスの飼育2.jpg
人工飼育しているレプトセファルスに給餌している様子。ピーナッツ型水槽は交互に使用する。
サイエンス(2019年8月号)

エサは液体状をしていて、水を清潔に保つために数々の工夫や試行錯誤がされているようです。スポイトを使った人手による給餌ではコストがかかることが目に見えていますが、最適なやりかたを探るための過程なのでしょう。


エサの中身はここ数年で変わりつつある。以前は、アブラツノザメと呼ぶサメの卵の粉末に複数の栄養素を加えたものを使っていた。ところが、実はこのサメ自体も希少種。いつまでも頼っていては持続可能な養殖法にならない。

そこで、センターではサメ卵の代替飼料作りに取り組んできた。レプトセファルスの生育地の前半については、既に「同等かそれ以上の飼料ができている」(山野)という。ただ後半では、サメ卵を与えないと成長の遅れや変態がうまくいかないなどの問題が生じる。「約300日かけて育つレプトセファルスは、その間に要求する栄養の種類も変わるのだろう」と山野はみる。後半に適した代替飼料は現在も研究中だ。

「同上」

この引用中に、従来の餌の主体が「アブラツノザメと呼ぶサメの卵の粉末」という箇所があります。なぜこのような "特殊な" 餌なのかと言うと、2010年に完全養殖に成功するまでの過程で数々の試行錯誤の結果、この餌が最適となったからです。しかし量産のためには別の餌を探す必要がある。それはまだ完全には見つかっていないようです。

ただし、ウナギの完全養殖に使う餌の種類と配合方法は "国家レベルの機密事項" だと、どこかで読んだ記憶があります。オープンにできない話も多いのだと想像します。


山野は「今のままですぐに商用化、というわけにはいかない」と話す。避けて通れないのが、コストの問題だ。現在天然のシラスウナギは1匹あたり数百円程度で取引されている。人工飼育のシラスウナギは色々な条件を仮定しても、1匹あたり5000円から6000円になるとみられる。

また、日本全体で養殖のために必要なシラスウナギの量は年間で1億匹ともいわれる。もとっと安く、大量に生産する必要があるのだ。

「同上」

初めの方で引用した朝日新聞(2019.7.27 夕刊)の記事から計算すると、天然シラスウナギ1匹の最新の価格は概算で440円程度でした。それと比べて、人工シラスウナギは現状で10倍以上の価格ということになります。

また「日本全体で養殖のために必要なシラスウナギの量は年間で1億匹ともいわれる」とありますが、日経BP社「未来コトハジメ」のサイトによると、2006年から2018年のシラスウナギの池入量(養殖池に投入した重量)の平均は21.2トンだそうです。これを20トンとしてシラスウナギ1匹を0.2gとすると、1億匹という計算になります。「ウナギ種苗量産研究センター」で "量産" できるのは年間数千匹と書かれているので、必要量からすると1万分の1以下ということになります。

根幹は「コスト」でしょう。天然シラスウナギの価格に対抗できるコストで人工シラスウナギの量産が可能になったとすると、全国の企業が「商用・完全養殖」に向けた投資をするはずであり、生産量はグッと増えると考えられます。しかし、コストダウンのために大量生産を狙って、例えば水槽を大型化しようとしてもそう簡単ではないようです。


レプトセファルスの水槽を大量生産のために大型化すると、水質をきれいに保つために入れ替える水の量が大幅に増えてしまう。また、生存率にも影響が出る。小さなボウル型水槽では最大10%程度の生存率が、大型水槽に移し替えると、1%程度にまで落ち込んでしまう。水槽が深く、底のエサにたどり着けない個体が出てくるようだ。

「同上」

製造業と違って生き物が相手の量産は、その試行錯誤のプロセスも長い時間がかかることが分かります。


高次捕食者としてのウナギ


仮にウナギの商用・完全養殖が可能になったとします。そうするとシラスウナギの漁獲量が減少し、天然ウナギの絶滅が回避できそうに見えます。しかしさらに問題があって、それは天然ウナギが生涯の大半を過ごす河川の環境です。つまりこの数十年で国内の河川にはせきやダムなどの構造物が増え、ウナギがこのような構造物を超えられず、生育環境が減少していると考えられるのです。この減少がシラスウナギの漁獲量の激減の一因になっていると推測されています。

つまり、ウナギを守るためには天然シラスウナギの漁獲量を減らすと同時に、ウナギの生育環境を守る必要があります。この生育環境について日経サイエンスのルポの最後に気になる話が書いてありました。ウナギは河川の生態系における「高次捕食者」という話です。


ウナギは広い地域に分布し、生態系ピラミッドの上位にいる高次捕食者だ。ウナギの育つ環境を維持してウナギを絶やさないことで、ピラミッドの土台を支える多くの生物の育つ環境が守られる。もちろん、食文化を受け継ぐという点にも大きな意義がある。

「同上」

No.126-127「捕食者なき世界」で書いたように、生態系ピラミッドの頂点や上位にいる捕食者が絶滅すると、生態系のバランスがくずれ、それはピラミッドの土台を支える多くの生物の絶滅を引き起こしかねません。ウナギの絶滅を回避するということは、単にウナギだけの問題ではなく、河川の生態系全体の問題でもあるようです。



 補記:農薬がウナギの生育環境を狭める 

本文の最後の方で天然シラスウナギの漁獲量の激減の理由について、

◆ シラスウナギの乱獲

  ウナギの生育環境の減少(河川のせきやダムなどの構造物の増加)

の2つの理由を挙げました。この「ウナギの生育環境」についてですが、日本経済新聞に農薬の影響によるウナギの減少の記事が掲載されました。島根県の宍道湖の天然ウナギの話ですが、それを紹介したいと思います。


ウナギ激減 農薬原因か
 産総研など 宍道湖、餌の昆虫減

産業技術研究所と東京大学などのグループは、島根県の宍道湖に生息するウナギやワカサギが1990年代から激減している原因は、周辺の水田で使われている農薬の可能性が高いことを突き止めた。農薬の成分がウナギなどがエサとする小さな昆虫類を死滅させ、湖沼の漁業に影響を与えていると推測している。

宍道湖のウナギの漁獲量は80年代のピーク時には最大60トンほどあった。93年を境に激減し2000年代は10トン前後で推移している。ワカサギも90年代後半以降は漁獲量がほぼゼロで推移している。激減した理由は分かっていなかった。

産総研の山室真澄特定フェローらは82年~16年の宍道湖の昆虫類の個体数などを調査した。93年以降、それまで大量に出現していたオオユスリカが突然姿を消し、ミジンコも激減していたことが判明した。

周辺の水田で93年ごろから、農薬として使われ昆虫の神経系に作用するネオニコチノイド系の殺虫剤が使われ始めたこともわかった。殺虫剤によって昆虫類が減少し、次いでウナギやワカサギの個体数の減少につながったとみている。

宍道湖は西側から川が流れ込んでおり、水田で使われた農薬が経由して流入したと考えられるという。

ネオニコチノイド系の殺虫剤はミツバチの死滅を招いたと指摘されており、欧米で規制を強化する動きがある。漁業への影響は世界でもあまり検討されていなかった。山室特定フェローは「散布する回数を減らすなどの対策を検討する余地がある」と話している。

日本経済新聞(2019.11.17)

記事にある「ネオニコチノイド系の農薬」の特長は

① 昆虫に対して選択的に強い毒性を発揮する。

② 植物体への浸透移行性をもち、葉や茎、実だけでなく、花粉や蜜にまで移行する。それが長期間(数ヶ月)残存する。

③ 人を含む哺乳類や鳥類、爬虫類には影響がない(とされている)。

数年前から世界各地で起こっているミツバチの大量死は「ネオニコチノイド系の農薬」が原因だとの疑いをもたれているのですが、②の性質があるからなのですね。養蜂や、蜂に受粉を依存している農業にとっては死活問題です。EUはとっくに規制をしているし、禁止も始まっているようです。この記事のポイントは、ミツバチだけでなくウナギやワカサギも、というところです。

これは宍道湖だけでなく、日本の河川のどこでも起こり得る話だと思います。このブログ記事の本文の最後に「ウナギは高次捕食者」と書きました。高次捕食者のウナギは、昆虫類(ミジンコのような節足動物を含む)だけでなく、小魚やミミズもエサとします。だから、かろうじて絶滅を免れているということでしょう。この話で思い出すのは日本の朱鷺の絶滅です。その原因の一つは、農薬の影響で朱鷺の生息域でエサになる魚類や昆虫がいなくなったから、と言われています。それと同じパターンです。

農薬は、守るべき植物(上の記事では稲)に対する害虫を選択的に死滅させるというのならまだしも、「ネオニコチノイド系の農薬」のように「すべての昆虫の神経系に作用する」のでは環境への影響が深刻になります。環境全体へのアセスメントなしに農薬を開発して認可するのでは何が起きるかわからないという、見本のような話だと思いました。

(2019.11.18)



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