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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体 [科学]

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。

  No.69自己と非自己の科学(1)
  No.70自己と非自己の科学(2)
  No.119「不在」という伝染病(1)
  No.120「不在」という伝染病(2)
  No.122自己と非自己の科学:自然免疫

の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。

獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。

一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。

ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。


鼻や気道の防御システム


ヒトが外界から何らかのモノを取り入れる器官というと、まず思い浮かぶのが口・食道・胃・十二指腸・小腸・大腸という消化器系です。消化器系には食物や水分とともに各種の細菌やウイルスが入ってくるので、ヒトの免疫系がそれらを排除する "最前線の戦場" となっています。

しかし外界からモノを取り込むという意味では、もう一つ重要な器官があります。鼻・気道・気管・肺という呼吸器系です。ここにも空気と一緒に細菌やウイルスなどの "非自己" が入ってきますが、最近の研究でこれらを排除するしくみがあることが分かってきました。以下に、日経サイエンス 2016年5月号の解説記事から引用します。著者はペンシルヴァニア大学のリー助教授とコーエン準教授です。引用中の下線は原文にはありません。


人は平均して1日に1万リットルを超える空気を主に鼻を通して吸い込んでおり、その空気には無数の細菌や真菌、ウイルスが含まれている。つまり鼻は呼吸器における防御の最前線に位置するわけだ。息をするたびに塵やウイルス、細菌、真菌の胞子などが鼻で捕らえられる。だが驚くことに、たいていの人は気道感染症を患うことなく自由に呼吸して歩き回っている。

その理由は、かつては思いも寄らなかったことに、舌にあるらしい。舌で苦味を感じているタンパク質、つまり「苦味受容体」が、別の役割を持っていて、細菌から体を守っていることが明らかになったのだ。私たちの研究で苦味受容体が鼻の細胞にも存在し、細菌に対して3種類の防御反応を誘発することが示された。

リー助教授・コーエン準教授
(日経サイエンス 2016年5月号)

ここで "味" について復習しておきますと、舌の味蕾みらいには、味のセンサーである「味覚受容体」があります。味覚受容体は5種類あり、甘味、苦味、うま味、酸味、塩味を検知します。これは私たちが口にした食物の情報を脳に伝えるものです。甘味は「糖」、うま味は「アミノ酸」、酸味は「酸 = 水素イオン」、塩味は「塩 = ナトリウムイオン」です。では苦味は何を検知しているのでしょうか。


苦味受容体はストリキニーネやニコチンなどアルカロイドと総称される植物由来の毒性化学物質を検知できる。そして、私たちが「苦い」と表現している味を、脳は不快なものと感じる。苦味受容体は、害を及ぼす可能性がある化学物質の存在を知らせるために進化してきたからだ。

有害物質の検知は生存に不可欠である。苦味受容体に実に多くの種類があるのはこのためだろう。甘味や塩味、酸味、うま味を感じる受容体はそれぞれ1種類しかないが、苦味受容体は少なくとも25種類ある。これらの苦味受容体はまとめて T2R と呼ばれ、おそらく多様な毒素を私たちが認識して飲み込まないようにするために進化したのだろう。

「同上」


3種の防御システム


苦味受容体は、最初の引用にあるように、細菌に対して3種類の防御反応を誘発します。それが初めて発見されたのは、肺でした。


体の別の場所にある苦味受容体が果たしている役割について手がかりが得られ始めたのは2009年のことだ。その年、アイオワ大学の研究者が肺の内面を覆う上皮細胞にT2Rを発見した。肺に吸い込まれた病原菌や刺激物質は、上皮細胞の上にあるねばねばした粘液に捕らえられる。すると、細胞表面の小さな線毛が同期して1秒間に8~15回むち打ち運動し、刺激物質を喉に向けて押し戻す。押し戻された刺激物質は、飲み込まれるか体外に吐き出される。

アイオワ大学の研究チームは、T2Rが苦味物質によって刺激されると、人間の肺上皮細胞の線毛運動が速くなることを見いだした。この発見は、害を及ぼす可能性のある吸引物質(口では苦いと感じられるもの)を気道から除去するのにT2Rが寄与していることを示唆している。

「同上」

苦味受容体が誘発する3種類の防御反応のうち、その1番目は「細胞にシグナルを送り、線毛を動かして進入物を押し出す」という防御反応です。それは肺だけでなく鼻にもあることが分かりました。



2番目の防御反応は「苦味受容体が細胞に指示して殺菌作用のある一酸化窒素を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。①~④の数字は下の図と対応しています。

グラム陰性菌は鼻に感染すると、アシル化 ホモセリン ラクトン(AHL)という化学物質を放出する。

このAHLは鼻の上皮細胞の線毛に存在するT2R38と呼ばれる苦味受容体(25種ある苦味受容体の一種)によって検知される。

これを受けて、細胞は一酸化窒素をガスを放出する。

このガスが細菌を殺す。

一酸化窒素プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

グラム陰性菌という言葉が出てきましたが、一般に細菌は「グラム陽性菌」「グラム陰性菌」「マイコプラズマ」の3種に大別できます。これについては、No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」に説明を書きました。ヒトの病原性細菌の大多数はグラム陰性菌です。



3番目の防御反応は「苦味受容体が別の細胞にシグナルを送り、ディフェンシンという抗菌タンパク質を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。この反応には、ブドウ糖などを検知する甘味受容体(T1R)も関係しています。

感染性細菌が出す苦味物質が苦味受容体(T2R)に接触する。

細胞はカルシウムを放出する。

カルシウムが合図となって周辺の細胞がディフェンシンというタンパク質を作りだし、放出する。

ディフェンシンは細菌を傷つけて殺す。

その結果、ブドウ糖などの甘味物質が細菌に消費されなくなり、増加する。

甘味受容体(T1R)がブドウ糖を検知すると、苦味受容体(T2R)の活動が押さえられる。

ディフェンシン・プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

甘味受容体(T1R)が苦味受容体(T2R)の過剰反応を押さえる役割を担っていると考えられています。



さらに最近の研究によると、苦味受容体は鼻や肺などの呼吸器系だけでなく、体のあちこちに存在し、免疫機能を果たしていることが分かってきました。


鼻以外の器官でも、味覚受容体と免疫との関連性が見えてきた。2014年、尿路の化学感覚細胞が病原性大腸菌に出会うと、T2Rを使って膀胱を刺激して排尿を促すことが明らかになった。体が細菌を尿とともに洗い流して膀胱感染症を防ごうとしているのだろう。最近の別の研究では、好中球やリンパ球などの白血球(免疫系の主要メンバー)もT2R38を使ってグラム陰性菌が作るAHLを検知していることが示されている。

「同上」

ちなみに日経サイエンス 2013年12月号には、小腸に甘味受容体があることが書かれています。小腸が糖の甘味をキャッチすると、それがインスリンを分泌するシグナルになる。インスリンは血糖を細胞や肝臓に蓄えて血糖値を下げる働きをします。しかもこの小腸の甘味受容体は人工甘味料に "騙される" らしい・・・・・・。甘味受容体もまた、舌だけにあるわけではないのです。


自然免疫との比較


苦味受容体による細菌からの防御システムと、No.122 の自然免疫を対比すると、大きな違いはその反応時間です。自然免疫の反応は数時間かかりますが、苦味受容体は数秒から数分で反応すると言います。リー、コーエン両教授の解説記事にも、


苦味受容体は一種の "臨戦態勢" にあって、即座に反応を起こすことで、感染初期において最も重要な防御を担っているのかもしれない。他の免疫受容体(引用注:自然免疫、獲得免疫にかかわる受容体)は感染が長期化した場合に重要になるのだろう。最初の免疫反応では不十分だった場合に、免疫軍を召集するのだ。

「同上」

と書かれていました。まさに苦味受容体による防御反応は第2の自然免疫であり、最初に反応する最前線の免疫系なのです。


苦味受容体の多様性


苦味受容体の大きな特徴として解説記事で強調されているのは、その遺伝的な多様性です。


T2R苦味受容体に多くの遺伝的変異体が存在することは、免疫におけるこれらの受容体の役割をいっそう興味深いものにしている。25種類の苦味受容体のほとんどに検知能が異なる遺伝的変異体があるため、苦味物質に対する感受性は人によって異なる。

「同上」

そして、苦味物質に対する感受性の強い人は、グラム陰性菌による鼻の感染症にかかる率が低いことが書かれていました。

ここからは感想ですが、このくだりを読んで思い起こしたのが獲得免疫の多様性です(No.69-70)。免疫の働きは人によって強い・弱いがあります。"非自己" を徹底的に排除する(免疫力が強い)のが一見良いようですが、そうすると、間違って "自己" を攻撃することになりかねません。また "非自己" といっても、細菌の多くは人間と共生しているわけであり、病原性を示すものは少数です。さらに "非自己" のありようは、ヒトを取り巻く環境によって大きく変わります。つまり多様性が大切なのであって、ヒトは長い進化の中で多様性を獲得してきたわけです。

獲得免疫に関するこの多様性の話は、苦味受容体にも当てはまりそうです。しかも、苦味受容体の反応を押さえる役割(甘味受容体)もある。これも獲得免疫と似ていると思いました。


苦味の効用


苦味とは何か。それは五味(甘味、うま味、苦味、酸味、塩味)の中で、一つだけ他とは違っているようです。解説記事にあるように、

  苦味とは危険のサイン

だと理解できます。ヒトは舌で苦味を感じると、その苦味物質を吐き出す。鼻にある受容体が苦味をキャッチすると、その原因物質(細菌)を排除する。同じメカニズムが働いています。苦味のセンサーである苦味受容体は多種類あり、それはヒトが長い進化の歴史の中で獲得してきたものです。

しかし飲料・食物の中には、苦味を感じても危険でないものがあるわけです。そして我々は往々にして、そういった「安全な苦味」を口にしている。たとえばコーヒーです。コーヒーにもいろんな濃さがありますが、たとえばスターバックスのドリップ・コーヒーやエスプレッソをブラックで飲むと、それはかなり苦い。でも我々は(私は)ブラックのコーヒーやエスプレッソを飲みます。

他の飲料では、ビールが苦いわけです。ホップの苦味がないとビールではなくなります。お茶(緑茶、紅茶)も、種類や入れ方にもよりますが、苦味がある。

ここで言葉(日本語)に注意しなければならないと思います。No.108「UMAMIのちから」で書いたように、日本語では「苦い」と「渋い」を区別しますが、英語では両方とも bitter です。そして学術的に言うと「渋味」は「苦味」の中に含まれています。「渋味」というのは5つの基本味には入っていないのです。苦味受容体という場合の「苦味」は、日本語の「渋味」を含めて考えないといけない。そういう意味で、お茶は(特に緑茶は)"苦い" ものが多いわけです。さらに飲み物では、赤ワインにもブドウの皮に由来する "苦味"(=渋味)がある。基本味で言うと、酸味プラス苦味で成り立っている飲み物が赤ワインなのですね。

日常の食品でも苦いものがあります。生のニンジン、ブロッコリー、キュウリ、菜の花、芽キャベツ、ホウレン草、ピーマン、パセリ、セロリ、シュンギクなどは(本来は)苦味を感じるものだし、その他、いろいろあると思います。柑橘類にも苦いものがある。サンマや鮎の塩焼きや、丸干しなどのワタ(魚の内臓)もそうです。我々は子どもの頃は、そういった飲料・食品は好まないのですが、大人になるにつれてしばしば(ないしは日常的に)口にするようになる。それはどういうことなのか。

それは「安全な苦味」を口にすることで、消化器系や呼吸器系の苦味受容体を活性化させ、体から "非自己"(細菌など)を排除する働きを高めているということではないでしょうか。苦味受容体が「第2の自然免疫」のセンサーとして働いていることを知ると、そういう風に思えてきました。その意味で、苦み物質を消し去るように野菜を品種改良することは、果たしていいことなのかとも考えました。甘ければいいというのは、違うのではないか。子供に "おもねる" がごとき品種改良はやめた方がいいのではないか・・・・・・。

とにかく、この記事を読んで「ブラックのコーヒーを毎日飲む理由」と「赤ワインをしばしば飲む理由」が、個人的には納得できた次第です。さらに、長い日本の歴史において日常的に緑茶を飲む習慣ができあがり、それから発展して日本文化の大ジャンル(=茶道)が確立した理由が(あくまで個人的感想としてですが)理解できました。

続く


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