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No.271 - 「天気の子」が描いた異常気象 [映画]

この「クラバートの樹」というブログは、少年が主人公の小説『クラバート』から始めました。それもあって、今までに少年・少女を主人公にした物語を何回かとりあげました。

 『クラバート』(No.1, 2)
 『千と千尋の神隠し』(No.2)
 『小公女』(No.40)
 『ベラスケスの十字の謎』(No.45)
 『赤毛のアン』(No.77, 78)

の5つです。今回はその継続で、新海誠監督の『天気の子』(2019年7月19日公開)をとりあげます。

『天気の子』は、主人公の少年と少女(森嶋帆高ほだかと天野陽菜ひな)が「運命に翻弄されながらも、自分たちの生き方を選択する物語」(=映画のキャッチコピー)ですが、今回は映画に描かれた "気象"(特に異常気象)を中心に考えてみたいと思います。


気象監修


この映画で描かれた気象や自然現象については、気象庁気象研究所の研究官、荒木健太郎博士がアドバイザーとなって助言をしています。映画のエンドロールでも「気象監修:荒木健太郎」となっていました。

この荒木博士が監修した気象について、最近の「日経サイエンス」(2019年10月号)が特集記事を組んでいました。この記事の内容を中心に「天気の子が描いた異常気象」を紹介したいと思います。ちなみ荒木博士は映画の最初の方で「気象研究所の荒木研究員」として登場します。帆高が都市伝説(=100%晴れ女)の取材で出会う人物です。荒木博士は声の出演もされていました。

新海監督と荒木博士.jpg
新海誠監督と荒木健太郎博士(気象庁 気象研究所 研究官)
(日経サイエンス 2019年10月号)

気象研究所・荒木研究員.jpg
「天気の子」の最初の方に出てくる、気象研究所 気象・雲研究室の荒木研究員。
(日経サイエンス 2019年10月号)


積乱雲


まず、この映画で大変重要な役割をもっているのが積乱雲です。もちろん積乱雲は異常気象ではありません。積乱雲は、映画の冒頭のところで出てきます。離島から東京に向かうフェリーの船内で、家出した高校1年生の森嶋帆高は船内放送を耳にします。『小説 天気の子』から以下に引用します。帆高の1人称で書かれています。なお以降の引用では段落を増やした(ないしは減らした)ところが一部あります。また下線は原文にはありません。


『まもなく、海上にて非常に激しい雨が予想されます。甲板にいらっしゃる方は、安全のために船内にお戻りください。繰り返します、まもなく海上にて ・・・・・・ 』

やった、と僕は小さく声に出した。今なら甲板を独り占めできるかも。しりの痛い二等船室にもいいかげん飽きてきたところだし、他の乗客が戻ってくる前に甲板に出て雨の降る瞬間を眺めよう。スマホをジーンズのポケットにしまい、僕は駆け足で階段に向かった。

新海 誠『小説 天気の子』
角川文庫(2019)

帆高が駆け上がったときの甲板の様子は「日経サイエンス」の解説記事から引用しましょう。


人々が船室に戻り、がらんとした甲板は日に照らされて輝き、強い風が吹いている。空を見上げると、灰色の雲がみるみる青空を埋め尽くし、轟音とともに大粒の雨が降り注ぐ ───。

フェリーは灰色の雲の下に入っていくため、甲板上に帆高には、その雲の全貌を見ることはできない。しかし、遠くの海上からフェリーを眺めたら、フェリーの上空には巨大なカリフラワーのような白い雲が立ち上がっていることだろう。「積乱雲」だ。

中島 林彦(日本経済新聞)
協力:荒木 健太郎(気象庁 気象研究所)
「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)

帆高の乗ったフェリーが遭遇したのは積乱雲でした。「日経サイエンス」では、積乱雲が発生してから衰退するまでの一生が絵で説明してありました。この図は気象監修をした荒木博士によるものです。

積乱雲の一生.jpg
積乱雲の一生
(日経サイエンス 2019年10月号)

 発達期 

夏の強い日差しで地面が熱せられたり、暖かく湿った空気が流入するなど大気が不安定になった状態で、暖かい空気が上空に持ち上げられます。高度500m~1kmになると水蒸気が凝結して水滴(=雲粒)ができ、その雲粒が集まると「積雲」ができます。

積雲が発達していくと「雄大積雲」になります。雄大積雲は雲の頂点が坊主頭のように盛り上がるので「入道雲」とも呼ばれます。

 成熟期 

積雲が発達すると、雲の上部が羽毛状になり、雷を伴って「積乱雲」になります。積乱雲がさらに発達すると高度10km~15kmにある「対流圏界面」に到達します。地上から対流圏界面までの「対流圏」では温度が上に行くほど下がるので暖かい雲は浮力を得ていますが、対流圏界面より上の「成層圏」では逆に温度が上に行くほど上がるので、積乱雲は浮力を失い、見えない壁に当たったように横へと広がります。これが「かなとこ雲」です。

積乱雲の内部では、雲粒がもとになって雨粒、氷晶、霰(あられ)、雹(ひょう)などの降水粒子ができます。それらが形成される過程で周囲の熱を奪って空気が冷やされ、下降気流が生まれて雨が降り始めます。

 衰弱期 

積乱雲内部では下降気流が支配的になり、雲は次第に衰弱してゆきます。雨を含む下降気流は、時に「ダウンバースト」や「マイクロバースト」と呼ばれる強い流れになり、地表にぶつかって突風をもたらします。


マイクロバースト


日経サイエンス 2019-10.jpg
「日経サイエンス」2019.10
積乱雲の衰退期に発生する下降気流は、地面に衝突して四方に広がったときに災害をもたらすほど強くなることがあります。これがダウンバーストです。この突風は、風速 50m を越えることがあると言います。ダウンバーストは、特に航空機にとって深刻な問題です。着陸直前の航空機は失速速度に近い速さで飛んでいて、このときにダウンバーストに遭遇すると墜落事故に直結するからです。このため、気象用のレーダーでダウンバーストを検知する技術が発達してきました。

ダウンバーストが局所的に発生するのがマイクロバーストです。『天気の子』の冒頭では、フェリーの甲板に出た帆高がマイクロバーストに遭遇する場面が描かれています(以下の「日経サイエンス」からの引用は敬称略)。


ダウンバーストのうち、水平方向のスケールが 4km 以下のものも方が一般的に勢いが強い。これがマイクロバーストで、雨粒を含む冷たい空気の塊が高速で地面に激突するイメージだ。「帆高が乗ったフェリーはマイクロバーストの直撃を受けたようだ」(荒木)。

「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)


目を疑った。巨大なプールを逆さにしたようなものすごい量の水が、空から落ちてくる。それはとぐろを巻く ── まるでりゅうだ。そう思った直後、ドンッという激しい衝撃で僕は甲板に叩きつけられた。滝壺たきつぼの下にいるかのように、背中が重い水に叩かれ続ける。フェリーがきしんだ音を立てながら大きく揺れる。

やばい! そう思った時には、僕の体は甲板を滑り落ちていた。フェリーの傾きが増していく。滑りながら僕は手を伸ばす。どこかをつかもうとする。でもそんな場所はどこにもない。だめだ、落ちる ── その瞬間、誰かに手首を掴まれた。がくん、と体が止まる。フェリーの傾きが、ゆっくりと元に戻っていく。

新海 誠『小説 天気の子』

『小説 天気の子』から引用したのは帆高と須賀圭介の出会いの場面です。この場面はマイクロバーストの直撃に逢った帆高を須賀さんが救うというシーンなのでした。『天気の子』は冒頭から気象現象と人との関わりが現れます。


かなとこ雲


成熟期の積乱雲は、雲の上が対流圏界面に到達すると横へと広がっていきます。これが「かなとこ雲」です。金属加工を行うときに使う金床かなとこに形が似た雲という意味です。

かなとこ雲(実写).jpg
積乱雲が発達してできた "かなとこ雲"(荒木健太郎博士撮影)。積乱雲は対流圏界面に達すると横に広がる。
(日経サイエンス 2019年10月号)

かなとこ.jpg
かなとこ(金床)
このかなとこ雲が『天気の子』に出てきます。次の画像は夏美が帆高に「積乱雲一つに湖くらいの水が含まれていて、未知の生態系があってもおかしくない」と話す場面に映し出されたものです。上の写真のかなとこ雲をみると、下層の方は雲がもくもくしていますが、上層は刷毛で掃いたようになめらかです。こういった特徴がアニメーションでもよくとらえられています。

かなとこ雲(映画).jpg
「天気の子」の "かなとこ雲"
(日経サイエンス 2019年10月号)

さらに「かなとこ雲」は『天気の子』において大変に重要な役割をもっています。以下の『小説 天気の子』の引用は、陽菜に聞いた話として帆高が語る、小説の冒頭部分です。陽菜はもう何ヶ月も目を覚まさない母親の病室で、再び家族一緒に青空の下を歩けますようにと祈っていました。ある雨の日、陽菜は何かに導かれるように病院を抜けだし、そこだけ陽が差している廃ビルの屋上に行き、その場にあった鳥居を目を閉じて祈りながらくぐります。すると、ふいに空気が変わりました。


目を開くと ── そこは青空の真ん中だった。

彼女は強い風に吹かれながら、そらのずっと高いところに浮かんでいた。いや、風を切り裂いて落ちていた。聞いたこともないような低くて深い風の音が周囲に渦巻いていた。息は吐くたびに白く凍り、濃紺の中でキラキラと瞬いた。それなのに、恐怖はなかった。目覚めたまま夢を見ているような奇妙な感覚だった。

足元を見下ろすと、巨大なカリフラワーのような積乱雲がいくつも浮かんでいた。一つひとつがきっと何キロメートルの大きさの、それは壮麗な雲の森のようだった。

ふと、雲の色が変化していることに彼女は気づいた。雲の頂上、大気の境目で平らになっている平野のような場所に、ぽつりぽつりと緑が生まれ始めている。彼女は目をみはる。

それは、まるで草原だった。地上からは決して見えない雲の頭頂に、さざめく緑が生まれては消えているのだ。そしてその周囲に、気づけば生き物のような微細ななにかが群がっていた。

新海 誠『小説 天気の子』

その「微細ななにか」は、映画では "魚" と表現されていました。そして「まるで草原のようなところ」が "彼岸" に比定されています。この引用部分のシーンは映画のポスターに採用されました。

「天気の子」ポスター画像.jpg
「天気の子」ポスターの "かなとこ雲"

かなとこ雲の頂上に緑の草原のようなところが見える。魚らしきものが群れ、龍のようなものが周りを泳いでいる。
(日経サイエンス 2019年10月号)


8月の豪雨と降雪


ここからが異常気象の話です。『天気の子』に描かれた異常気象は何ヶ月も降り続く雨です。須賀さんの事務所での気象情報のシーンがあります。


バーカウンターには時代遅れのブラウン管テレビが置いてあり、ぼやけた画質のお天気キャスターがさっきからしやべっている。

『既に連続降水日数は二ヶ月以上を記録し、今後の一ヶ月予報でも、降水量が多く雨が続くとみられています。気象庁は「極めて異例の事態」との見解を発表し、土砂災害などに最大級の警戒をするようにと ─── 』

新海 誠『小説 天気の子』

さらに映画の後半では異常な大雨になり、都心の交通機関が麻痺し、8月だというのに気温が急激に下がって雪が舞い始める場面が登場します。次の引用は夏美の一人称の部分です。


圭ちゃんの事務所に着く頃には、信じられないことに雨は雪に変わっていた。

事務所裏にカブを停め、油断してショートパンツで来てしまったことを後悔しながら、私は事務所の階段を駆け下りた。ドアを開けて中に入る。

「寒ーっ! ちょっと圭ちゃん、八月に雪だよ!」
肩にのった雪を払いながら言う。

「あれ?」
返事がない。見ると、バーカウンターに圭ちゃんはつっぷしていた。カウンターの上のテレビが、小さなボリュームでしゃべっている。

『都心にまさかの雪が降っております。本日夕方からの激しい豪雨は各地に浸水被害をもたらしましたが、午後九時現在、雨は広い地域で雪に変わっています。予報では、深夜過ぎからはふたたび雨に変わる見込みで ─── 』

新海 誠『小説 天気の子』

8月の降雪.jpg
「天気の子」で8月の都心に雪が舞うシーン。渋谷のスクランブル交差点の北西方向(センター街の方向)の光景である。電光掲示板にその時の天気図が映し出されている。
(日経サイエンス 2019年10月号)

実際に、夏に東京で雨が雪に変わったことはありません。しかし冬なら関東地方が豪雨と豪雪に同時に見舞われたことがありました。


荒木が参考にしたのは、関東で大雪警報と大雨警報が同時に出るという異様な事態となった2014年2月15日の天気図だ(下図)。その前日から関東甲信地方の内陸部は豪雪になった。最深積雪は山梨県甲府市で114cm、群馬県前橋市で73cm、埼玉県熊谷市でも62cmと「信じがたい値が観測された」(荒木)。東京でも15日未明に27cmの積雪となり交通機関が大きく乱れた。

一方、関東東部は大雨で、日降水量は茨城県つくば市で110cm、千葉県成田市で124cmと2月としては記録的な豪雨になった。

天気図を見ると、本州の南海上を発達しながら進んできた、前線を伴う温帯低気圧が2月15日朝、関東平野を通過して、北東の海上に抜けたいったことがわかる。日本の南岸を東ないし北東の方向に進むこうした温帯低気圧を「南岸低気圧」という。

南岸低気圧には南から湿った暖気が入り、寒冷前線と温暖前線に乗り上げ、雨や雪を降らす積乱雲や乱層雲が発生する。積乱雲は局地的に大雨を降らす雲なのに対し、乱層雲は広範囲にしとしと雨や雪を降らせる雨雲・雪雲だ。

「当時、関東の南海上に南岸低気圧があったので、基本的に低気圧北側にある乱層雲など層状性の雲の降水になっていたが、関東平野に沿岸前線(局地的な前線)が形成され、その東の暖気側で大雨、西の寒気側で大雪となった」(荒木)。

「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)

南岸低気圧(事例).jpg
2014年2月15日9時の天気図。緑の折れ線は南岸低気圧が進んだ経路を表す。
(日経サイエンス 2019年10月号)


この2014年2月15日の天気図を参考に荒木は、陽菜や帆高が雪の夜をさまよった日の天気図を作った(下図)。

関東の南にある低気圧は2月15日のものより発達、中心気圧はさらに下がっているが、これは普通の温帯低気圧とは異なる。作中、その日の晩のテレビの気象情報では、「この異常な天候が今後も数週間続く」との見通しを伝えているので停滞性の低気圧ということになるが、「普通、南岸低気圧は移動性で、関東の南に停滞することはない」(荒木)からだ。

そこで荒木は、こうした状況にマッチするような日本上空の気流や気圧配置を考えた。「ロシア・カムチャッカ半島東方のアリューシャン列島付近などに進んだ温帯低気圧が閉塞し、上空の渦と相互作用するような状況では、停滞性の低気圧ができることがある」と荒木は話す。

「閉塞」とは温帯低気圧の温暖前線と寒冷前線が重なり、暖かい気団が冷たい気団に閉め出されて上方に押し上げられた状態のこと)

南岸低気圧の場合、雨から雪に変わるのは、低気圧の移動にともなう変化と考えることもできるが、停滞性の低気圧の場合、雨から雪の変化は、新たな寒気が流入することを意味する。作中、テレビの気象情報では、キャスターが次のように話している。

『八月としては異例の寒気です。現在、都内の気温は十度を下回っており ─── 』

『低気圧の北側から、都心部に強い寒気が流入しています。この一時間で気温は十五度以上も低下し、この先もさらに下がっていく可能性が ─── 』

荒木によると、創作した天気図のように関東の南に低気圧、その北方に高気圧がある場合、寒気の流入が通常より強まる場合がある。北関東から東北にかけて山脈が南北に走っているが、こうした気圧配置だと、東風が山脈にぶつかり、南向きに流れを変えて関東に吹き込む。これによって、関東に流れ込む北よりの冷たい風が強まる。

「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)

南岸低気圧(映画).jpg
2014年2月15日の天気図を参考に荒木博士が映画用に創作した天気図。アリューシャン列島付近にできることがある「閉塞性の温帯低気圧」が関東の南部にできて居座り、オホーツク海にある高気圧から寒気が流れ込むという想定。「天気の子」で雪が舞うシーン(上に引用)で電光掲示板に表示されたのがこの天気図である。
(日経サイエンス 2019年10月号)


地球温暖化による異常気象


『天気の子』では、1時間に80mmを越すような豪雨が描かれていますが、アメダスのデータを調べると、そうした豪雨の発生頻度は過去40年間で有意に増えているそうです(荒木博士による)。

そしてIPCC(国連の気象変動に関する政府間パネル)は、地球温暖化による気象変動はもう起きていて、異常気象はその現れだと警告しています。しかし、温暖化が気象にどれほどの影響を及ぼし、どのように異常気象をもららすのかは、よく分かっていなかったのが実状でした。現在、その状況が変わりつつあり、温暖化が気象変動に及ぼす影響度合いが解明されつつあります。


研究は着実に進展している。昨年7月上旬、瀬戸内地方を中心に大きな被害が出た広域豪雨は、発達した積乱雲の群によってもたらされたが、その総降水量は温暖化の影響で6%前後増えていた可能性があることが判明。同じく昨年7月、各地で起きた記録的猛暑は、温暖化していなければ生じ得なかったこともわかってきた。いずれも気象研究所のシミュレーション研究の成果だ。温暖化による異常気象は海外の遠い話ではなく、身近で起きている。

「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)

日経サイエンスには新海監督と荒木博士の対談も掲載されていますが、その中にも次のようなくだりがあります。


新海】 気象変動が起きているとうのは随分昔から言われていましたし、温暖化によって異常気象になるというのは、子どものころから科学誌などで読んでいました。なので二酸化炭素の排出量規制をしなくちゃいけないとか、対策のための国際会議もいくつかありましたから、人間は何とかしていくのかな、と10代、20代のころは思っていました。

でも数年前から、気づいたら気象変動を実感、体感するようになっていて、それは僕にとっては結構ショックなことだったんです。昔から言われていたことなのに、結局警鐘がそのまま現実になってしまった。人間ってやっぱり、そんなに賢くいろんなことを回避したりできないんだな、人間って結構どうしようもないなと思ったりもしたんです。

それが今回の映画の発想につながっているんですが、それは科学のコミュニティーではどういう受け止め方をされているんですか。やっっぱりこう、ずっとそうなると言われてきたことが起きてしまった、という受け止め方なんでしょうか。

荒木】 確かに以前から気象変動とか異常気象に関する研究は行われてきたんですけれども、おそらく新海さんが当時聞かれていたことは、かなり荒い計算に基づいていたと思います。本当にここ最近なんですよ。スーパーコンピュータの性能が格段に上がって、うまくシミュレーションできるようになったのは。実際に起こっている異常気象に対して、温暖化がどれくらい影響を及ぼしているかを突き止める研究が、まさ今進められているところなんです。この先どうなっていくのかについては、さらに長期的な視点で研究が進められていくと思います。

「『天気の子』の空はこうして生まれた」
(日経サイエンス 2019年10月号)

荒木博士は「新海さんが今まさに感じられている "気象が極端になっている" というのは、まさにその通り」と述べ、その例として西日本の豪雨や猛暑をあげています。『天気の子』に地球温暖化という言葉は全く出てきませんが、この映画の隠れた背景が地球温暖化なのです。温暖化が極端な気象(熱波、豪雨、台風の巨大化・・・)を招き、映画ではその「極端」を数ヶ月も降り続く雨や夏の東京での降雪で表現した。そういうことだと思います。


『天気の子』のテーマ


「天気の子」パンフレット.jpg

以下は「日経サイエンス」の記事から少々離れて『天気の子』の感想をいくつかの視点で書きます。

 天気 

帆高が映画の中で「ただの空模様に、こんなにも気持ちは動く。人の心は空とつながっている」と語っているように、天気は人々の感情と深い関わりをもっています。また、単に感情だけでなく、我々は毎日気象情報をみて行動を決めています。もちろん個人の行動だけでなく、天気は農業やビジネスの多くを左右します。災害レベルの天候となると人の命にかかわる。この社会と深い関わりを持っているのが天気です。

映画の題名になった『天気の子』とは、第1義的には、祈ることで空を晴れにできる能力をもった少女 = 陽菜を意味するのでしょう。それと同時に「天気の子=人類」をも示しています。この映画は "天気" をテーマの中心に据えた、まれな映画だと言えるでしょう。

 異常気象 

さらに、この映画で描かれるのは、延々と降り続く雨、豪雨、真夏の東京での降雪といった異常気象です。もう少し一般化して言うと「極端になった世界」「何かが狂ってしまった世界」「調和が戻せそうにない世界」が描かれています。

この映画に「地球温暖化」という言葉はいっさい出てきませんが、「日経サイエンス」の記事にあるように、現在の世界で起こっている異常気象の原因が地球温暖化であることを新海監督は認識しているし、気象監修の荒木博士もそう解説しています。この映画は、

地球温暖化が招く異常気象の一つの帰結をリアルに描き出した

と言えるでしょう。その一方で、この映画には異常気象と対比するかたちで、青空、雲、雲間から差す太陽の光などの美しい描写がふんだんに出てきます。実写ではできない、アニメーション(絵)だからこその表現です。

映画体験が人に与えるインパクトは大きいものがあります。異常気象と美しい自然の両方を対比的に体験することで、この映画は見た人に強い印象を残すものになりました。

 主人公 

「小説 天気の子」のほとんどが帆高の1人称で書かれているように、物語の主人公は森嶋帆高です。そしてこの映画は「帆高と社会の対立」がストーリの軸となっています。そもそも発端からして帆高の家出から始まっています。警官から職務質問をうけ、追跡され、逃走するのも、帆高と社会との対立の象徴です。

その社会の良識や常識を代表しているのが、帆高を雇う須賀さんです。須賀さんは一見 "悪ぶって" 見えますが、実の子と再び一緒に暮らせる日を熱望している常識人です。映画の後半では帆高が須賀さんに銃を向ける場面もあります。

その2人の中に登場するのが天野陽菜です。病気の母親の回復を強く祈った陽菜は、天とつながり、晴れ間を作り出せる能力をもった。「一時的・部分的にせよ、異常気象を解消する力」を彼女は得たわけです。陽菜は多数の人々の幸福を実現する少女であり、それは陽菜個人の犠牲の上に成り立っています。

帆高はそういう陽菜を、最終的に普通の少女に連れ戻します。その時の帆高の「天気なんて ── 狂ったままでいいんんだ!」という "開き直り" のような叫びは、多数の人々の幸福(=社会)と対立します。いいか悪いかは別にして、それが帆高の選択でした。

監督の新海さんは、「君の名は。」が大ヒットしたあと、さまざまな意見や批判をもらった、それらもふまえて『天気の子』を企画する時に決心したことがあると語っています。


自分なりに心に決めたことがある。それは、「映画は学校の教科書ではない」ということだ。映画は(あるいは広くエンターテインメントは)正しかったり模範的だったりする必要はなく、むしろ教科書では語られないことを ── 例えば人に知られたらまゆをひそめられてしまうようなひそかな願いを ── 語るべきだと、僕は今さらにあらめて思ったのだ。

新海 誠
『小説 天気の子』あとがき

「映画は教科書ではない」。それを象徴するような帆高の行動ですが、それをどう受け止めるかは観客にゆだねられていると言えるでしょう。

 暗示 

この映画には、余韻というか、これからの主人公を暗示するような表現が盛り込まれています。まず帆高についてですが、エピローグの帆高について「日経サイエンス」は次のように書いています。


新海は「調和が戻らない世界で、むしろその中で新しい何かを生み出す物語を描きたいというのが、企画の最初の思いでした」と映画パンフレットのインタビューで語っている。

家出当初の帆高の愛読書はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だったが、エピローグでは帆高が「アントロポセン(人新世)」に関心を示していることがさりげなく示されている。人類の営みが地球に恒久的な痕跡を残し始めたことを示す新しい地質時代の呼称として、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンが2000年に提唱した言葉だ。

「映画に描かれた東京の異常気象」
(日経サイエンス 2019年10月号)

アントロポセン.jpg
高校を卒業した帆高は東京の大学に進学する。スマホでバイト先を探しながら大学の紹介資料を開いているが、選んだ学部は農学部のようであり、開いているページは「アントロポセンについての教育」を紹介したページ。

また陽菜について言うと、エピローグで帆高と再会するとき彼女は両手を組んで何かを祈っています。そのあたりを『小説 天気の子』から引用してみます。


突然に、水鳥が飛び立った。僕は思わず目で行方を追う。
すると、心臓が大きく跳ねた。

彼女が、そこにいた。
坂の上で、傘も差さず、両手を組んでいた。
目をつむったまま、祈っていた。

降りしきる雨の中で、陽菜さんは沈んだ街に向かい、なにかを祈っていた。なにかを願っていた。

─── 違ったんだ、と、目が覚めるように僕は思う。

違った、そうじゃなかった。世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ●●●●●●●●●。あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを。大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を。そして僕たちは願ったんだ。世界がどんなかたちだろうとそんなことは関係なく、ただ、ともに生きていくことを。

新海 誠『小説 天気の子』

映画を見ると、エピローグで陽菜が祈っている姿は「晴れ間を作るときに祈った姿」とそっくりでした。彼女が何を祈っていたかについての説明はなく、解釈は映画を見る人にまかされています。しかし自然な解釈は、陽菜が水没した東京の街を前にして "再び世界が調和をとりもどしますように" と祈っていた、というものでしょう。もちろん陽菜にかつてのような天候を変える力はありません。しかし一人の少女として祈る。そういうことだと思います。



さらに暗示的なのは、この映画の英語題名「Weathering With You」です。weather は普通「天気・天候」という名詞ですが、ここでは動詞として使ってあります。動詞の weather は「風雨にさらす」という意味ですが、「(困難なことを)乗り越える」という意味もあって、英語題名はまさにその意味です。

「Weathering With You」の you を陽菜(あるいは帆高)のことだとしたら「2人で困難を乗り越えよう」という意味になるし、you が人々一般を示すのなら(=総称の you )「皆で困難を乗り越えよう」と解釈できます。

この映画は、日本語と英語の題名を合わせて「我々はすべて天気の子であり、皆で困難を乗り越えていこう」と言っているように思えます。これが映画の最大の暗示でしょう。



スウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリさんがスウェーデン議会の前で「気候のための学校ストライキ」を始めたのは15歳の時です(2018年8月)。つまり彼女は帆高や陽菜と同世代であり、偶然ですが "学校ストライキ" は『天気の子』の制作時期と重なりました。グレタさんの行動を肯定するにせよ否定するにせよ、彼女が強調しているように、地球温暖化の影響を最も強く受けるのは現在の少年・少女の世代です。

『天気の子』は、地球温暖化による異常気象のもとで生きる少年・少女を描いています。この映画によって天気や気候、さらには地球環境により関心をもつ人が増えれば、新海監督の意図(の一つ)が達成されたことになると思いました。


ホンダのカブと本田翼


ここからは映画のテーマや異常気象とは全く関係がない蛇足で、『天気の子』のキャスティングのことです。

『天気の子』のキャスティングで興味深かったのは、本田翼さんが夏美の声を担当したことでした。この映画の声の担当は、オーディションで選ばれた主人公の2人(帆高:醍醐虎汰朗、陽菜:森七菜)は別として、小栗旬(須賀圭介)、倍賞千恵子(冨美)、平泉成(安井刑事)など、重要人物にベテラン(ないしは演技派)俳優が配されています。

しかし夏美を担当した本田翼さんは(失礼ながら)演技力のある女優とは見なされていないと思います。どちらかと言うと "アイドル" に近い(と思っていました)。その彼女が演じた夏美は、映画のテーマとプロットの展開に直結している大変に重要な役です。本田翼さんで大丈夫なのか。

と思って実際に映画を見ると、そんな "心配" はまったく不要なことがよく分かりました。本田翼さんは全く違和感なく夏美役を演じていた。俳優を(ないしは人を)見かけとか、イメージとか、思いこみで判断するのは良くないことが改めて分かりました。その前提で、さらによくよく考えてみると、「本田翼」と「夏美」は次のようにつながっているのですね。

① 本田翼が夏美を演じた
② 夏美の愛車はピンク色のホンダのカブ
③ カブを含むホンダの2輪車の統一マークは、ウィング・マーク
④ 本田翼は本名で、ウィング・マークにちなんで父親が命名した。

④は、かつて本田翼さん自身がそう語っていました。父がつけてくれたこの名前が大好きだと ・・・・・・。確か、名前の縁でホンダのCMに出ることが決まったときの会見映像だったと記憶しています。

① ② ③ ④ の4つが揃っているのは偶然ではないでしょう。本田翼 → 夏美 → ホンダのカブ → ウィング・マーク → 本田翼 ときれいにつながっている。そいういう風に仕組まれているようです。本田翼さんを夏美役にキャスティングしたのは単なる話題づくりではないと思いました。




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