No.302 - ワクチン接種の推奨中止で4000人が死亡 [科学]
『まどわされない思考』(="本書")では、世界で広まる "反ワクチン運動" について書かれていました。WHOは2019年に初めて、全世界の健康に対する脅威のトップ10の中にワクチン接種への抵抗を入れたともあります。確かに "ワクチン接種に反対する運動" は、感染症の蔓延防止や病気の撲滅にとって大きな脅威です。
実は、No.296では省略したのですが『まどわされない思考』には日本のワクチン接種に関する状況が出てきます。それは「ヒトパピローマウイルス(HPV)」のワクチンで、今回はその話です。
ヒトパピローマウイルス(HPV)
まず著者はヒトパピローマウイルス(HPV, Human papilloma virus。papilloma = 乳頭腫)と、それに対するワクチンについて次のように説明しています。以下の引用で下線は原文にありません。また段落を増やしたところがあります。
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癌はさまざまな原因で起こりますが、その一つがウイルスです。そして癌を引き起こすウイルスの代表的なものが HPV です。上の引用にあるオーストラリアの例でわかるように、HPVワクチンの接種が進めば人類は初めて一種の癌の撲滅に成功し、子宮頸癌で死亡する毎年27万人の人たちの命を救える道が見えてきたのです。
ところが事態はそう簡単には進みませんでした。まず、アメリカでワクチンに対する反対運動が起こったのです。
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成人のほとんどが性行為をするということを考えると「ワクチン接種が奔放なセックスへの扉を開く」というのは言いがかりもいいところです。このような言説はすぐに否定されるのですが、次には、HPVワクチンには副反応(治療薬の副作用に相当。『まどわされない思考』では副作用と書かれている)があると言い出す人が出てきました。
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この反ワクチン運動の被害を最も大きく受けたのが、実は日本でした。
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「ワクチンの承認を一時停止」と書かれているのは誤り、ないしは不正確です(原文か訳か、どちらかの誤り)。正確には「ワクチン接種の積極的推奨の一時停止(2013年6月)」です。この "一時停止" は今も続いています(2020年末現在)。一方、ワクチンは承認されたままであり、公的助成による接種を受けることができます(=定期接種の対象)。
『まどわされない思考』では次にデンマークとアイルランドの状況が書かれています。2014年、デンマークでも反ワクチン運動が起こり、被害を受けたとする証言がメディアで流されました。この結果、接種率は79%から17%に低下しました(デンマーク政府は一貫して安全性を主張)。
2015年、パニックは著者の母国であるアイルランドへ波及しました。しかしアイルランド政府の保険局も一貫して安全性を主張し、反ワクチン運動と戦いました。著者も科学ジャーナリストとしてワクチンの安全性を訴えた一人です。
このアイルランドでの戦いに最も功績があったのは、ローラ・ブレナンという女性でした。彼女は24歳のとき転移性子宮頸癌(ステージ2B)の診断をうけましたが、その彼女が保険局のキャンペーンに参加し、接種を訴えたのです(ローラは癌の転移により、2019年3月20日に26歳で他界)。アイルランドでは反ワクチン運動により、2014年で87%だった接種率が2016年には50%程度に落ち込みました。しかしローラがキャンペーンに参加した18ヶ月で接種率は20%も上昇したのです。
以上が『まどわされない思考』に書かれていた HPVワクチンに関する状況です。以降は、本書で触れらていた日本の状況を整理します。
反HPVワクチン運動の発生源となった日本
HPVワクチンには2種類あり、日本ではグラクソ・スミスクラインが2009年12月から「サーバリックス」を、またMSD(米国の製薬大手、メルクの日本法人)が2011年8月から「ガーダシル」を販売しています。このワクチンは、日本では2013年4月に "定期接種化" されました。
本書に「日本でパニックが起こった」という意味の説明がありました。日本では「70パーセントだった接種率が2017年までに1パーセント以下までに下がった」のですが、このような国は日本しかありません。まさに "パニック" という表現が当てはまるでしょう。このパニックはどのように起こったのでしょうか。HPVワクチンの日本における経緯を詳述した、村中璃子・著『10万個の子宮』(平凡社 2018)より引用します。村中氏は医師で京都大学大学院講師、科学ジャーナリストです。
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その間、2016年に日本で、国と製薬会社2社を相手に、ワクチン接種によって被害を受けたとして賠償を求める世界初の集団訴訟が起こされました。また続いて2017年、世界で2番目にコロンビアで集団訴訟が起きています。
子宮頸がんワクチンの副反応の件ですが、そもそもワクチンには副反応がつきものです。現在(2020年末)、世界で大きな話題となっているのはファイザー社などが開発した新型コロナウイルスのワクチン(メッセンジャーRNAワクチン)ですが、ファイザー社は倦怠感、頭痛、発熱などの副反応が起こり得ると公表しています。
子宮頸がんワクチンの副反応とされた「身体表現性障害」ですが、これは子宮頸がんワクチンが初めて世に出た2006年より以前から知られていた症状でした。上に引用した村中氏の本によると、世界の精神医療のスタンダードとなっているDSM-IV(米国精神医学会発行の「精神障害の診断・統計マニュアル Diagostic and Statistical Manual of Mental Disorder-IV」。最新版は2013年発行の DSM-5)では、身体表現性障害の症状として、
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と、多彩な症状があげられています。DSM-IVが発行されたのは1994年であり、子宮頸がんワクチンの接種が始まる10年以上前ということになります。
身体表現性障害は、痛みや恐怖、不安、プレッシャーなどをきっかけに生じるので、「子宮頸がんワクチンを接種した」ことによる不安が引き金になったことが考えられます。
そのことに加えて、子宮頸がんワクチンは思春期の女性(日本では小学6年~高校1年相当の女性)に接種するワクチンであり、もともと若い女性に多い身体表現性障害と接種が重なったということがあるのでしょう。
ここで思い出すのが No.296「まどわされない思考」で紹介したイギリスのワクチン騒動です。1998年、ある医師が「三種混合ワクチン(通称 MMR。麻疹・おたふく風邪・風疹ワクチン)が自閉症を引き起こすデータを見つけた」と発表し大騒動になりました。後にこれはデータが捏造されたものと判明し、医師は医師免許を剥奪されました。しかし多くの人がこの説を信じました。その理由は、MMRを接種する時期と自閉症を発症する時期(ともに2~3歳の幼児期)が近かったことです。
『まどわされない思考』の著者のグライムスは、これを「前後即因果の誤謬」と言っています。「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」です。
以上の状況をみると、日本は「反 HPV ワクチン」の中心的な国になってしまったようです。では、最新の日本の状況はどうでしょうか。その最新状況を概説した記事が2020年11月の日本経済新聞に掲載されたので、以降はそれを紹介します。
日本の最新状況
2020年11月16日の日本経済新聞にHPVワクチンに関する記事が掲載されました。見出しは、
子宮頸がん 予防効果高く
ワクチンの有効性 複数の研究が証明
低い接種率の向上に課題
です。以下、この記事の概要を紹介します。まず子宮頸がんの状況です。
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子宮頸がんの発症は20代から増え始め、30代後半から40代でピークに達します。その代表的な治療は子宮の摘出です。上の記事にわざわざ「30代までに治療で子宮を失う人も毎年約1200人にのぼる」とあるのは、今後の妊娠・出産の可能性が高い30代かそれ以前の女性が子宮を失っていることを示したかったからです。40代以降も含めると、毎年1万人ほどの子宮摘出手術が行われています(上に引用した村中氏の本による)。
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日経新聞には子宮頸がんの進行の過程が図示されていました(下図)。この過程において、HPVワクチンが「HPVへの感染を防ぐこと」と「前がん病変への移行を防ぐこと」は証明されていました。つまり「子宮頸がんを防ぐ効果がある」ことが "間接的に" 証明されていた。しかし、ワクチンが子宮頸がんを予防する直接的な効果データはありませんでした。そのようなデータを得るには、ワクチンを承認するときの治験(数万人)だけでは無理であり、実際にワクチンを国民に接種して何百万、何千万の実績をつくり、その経過を観察する必要があるからです。
日本経済新聞・デジタル版 (2020.11.16) |
ところが最近、HPVワクチンの効果を証明するデータがそろってきました。
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「10~16歳に(接種した人に)限ると発症リスクは88%減っていた」とあります。日本の定期接種は小学6年~高校1年の女性で、ほぼこの記事の年齢にあたります。これは定期接種の接種率をあげると子宮頸がんの発症を9割減らせることを意味します。しかし前にも引用したように、日本の接種率はほぼゼロという異常事態になっています。
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日本経済新聞・デジタル版 (2020.11.16) |
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このまま接種率が実質ゼロという状況をほおっておくと、子宮頸がんで子宮を失ったり、死亡したりする女性が増えるだけです。
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この大阪大学の研究チームの報告は、10月22日の日本経済新聞・デジタル版に詳しく掲載されていました。
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避けられたはずの死者が4000人発生するだろう、という予測は相当なものですが、その死者の倍以上の数の女性が子宮を失うことも大問題です。この状況を改善するため、積極的勧奨を再開すべきだという意見が医療界に根強くあります。しかし再開には至っていません。
ワクチン接種後に障害とみられる反応があったとき、積極的勧奨を中止し、いったん立ち止まるという判断はあり得るでしょう。しかし立ち止まったあとに因果関係が見いだせなかったとき、再び積極的勧奨を行うべきであり、それが国民の命を守る政府の責任です。
厚生労働省は2020年10月からHPVワクチンのリーフレットを改訂し、各自治体を通して接種対象者に配布することを決めました。このような施策を先行して行っている自治体もあります。
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ワクチンへの理解
現在(2021年・年初時点)、新型コロナウイルスによる感染者・重症者・死亡者の減少の切り札として、ファイザー社などのワクチンが期待されています。こういう時だからこそ、ワクチンに対する国民の理解と正しい国の政策が必須です。HPVワクチンで起こった日本の "パニック" は、大いに参考にすべき事例だと考えられます。
まず、ワクチンには副反応がつきものです。上にも書きましたが、ファイザー社は新型コロナウイルスのワクチン(メッセンジャーRNAワクチン)の接種で、倦怠感、頭痛、発熱などの副反応が起こり得ると公表しています。もちろん後遺症が残る残るような重篤な副反応が起きてはならないのですが、もしその疑いがある症例が出た時には、それがワクチン接種と因果関係があるのか、科学的に見極めるべきでしょう。
さらに、HPVワクチンで起こったような疑似的な副反応=身体表現性障害が観察されることも予想されます。こういった疑似的な副反応は、それがワクチンのせいだという思い込みがあると、症状が長く続いたり改善しないことがある。逆にワクチンが原因ではないと医者に断定的に言われると、症状が解消したという例が報告されています。
政府の一貫性のある対応も重要です。HPVワクチンの "副反応パニック" が起こったアイルランド、デンマークでは、政府が一貫して安全性を主張しました。ところが日本政府は、報告された症状が身体表現性障害だと結論づけたにもかかわらず(2013年)、ワクチン接種の積極的勧奨をいまだに再開していません(2020年現在)。この結果、救えるはずの数千人の命が失われると推測されているのです。政府の責任は大きいと思います。
人間の免疫機能は人によって多様だという認識も必要でしょう。ワクチンは人間の獲得免疫を利用して感染しても発病しないようにするものですが、その獲得免疫の機能の強さや個別の病原体に対する有効性は人によって違います(No.69, No.70「自己と非自己の科学」参照)。個人的な経験ですが、私はインフルエンザワクチンを接種しても全く変化はありません。しかし私の配偶者は接種した付近が大きく赤く腫れます。炎症反応が目に見える形で起こっているのですが、このように免疫反応は人によって違います。
新型コロナウイルスのメッセンジャーRNAワクチンも、最初に接種が始まった英国では、数千人に接種した段階でアナフィラキシー・ショックを起こした医療従事者が2名出たと報道されました(2020年12月。治療で回復。2人は過去にアナフィラキシー・ショックの経験あり)。メッセンジャーRNAワクチンの第3段階の治験は万の単位の人に対して行っているはずですが、それでも副反応が起きるわけです。
ワクチンに限りませんが、現代社会はノー・リスクを求めてはいけないのです。またノー・リスクを政府に要求していけない。ノー・リスクを求める限り、別の大きなリスクを招き入れることを理解しなければなりません。
ワクチン問題に関しては「前後即因果の誤謬」も注意すべきことでしょう。本文に書いたように「前後即因果の誤謬」とは「一つの事象のあとにもう一つの事象が続いたという事実だけにもとづいて両者間の因果関係を認めてしまう飛躍した考えた方」です。ワクチンは病気の治療薬と違って何百万人、何千万人に接種するものです。従ってワクチン接種後に、ワクチン接種と因果関係が全くない症状が発現することが確率的に出てくるわけです。
ためしに、新型コロナウイルス・ワクチン接種直後に心臓突然死が日本でどれだけ起こるかを計算してみましょう。このワクチンをどれだけの人が接種するか(対象者の範囲とその接種率)は、現在のところ不明です。どれぐらいの期間で接種が完了するかも不明です。そこで仮の値として、2年間かかって4000万人が接種したとしましょう。1年間に2000万人です。
日本における突然死のほとんどは心臓突然死(心室細動や心筋梗塞などによる)です。この死者の数は年間7.9万人です。実際にはゼロ歳児と65歳以上が多いのですが、簡単のために年齢は均等にバラついているとします。7.9万人を日本の人口(1.26億人)で割ると、ある人が1年の間に心臓突然死する確率(α)が求まり、
α = 0.000627
となります。そうすると、ある人がワクチン接種を受けた72時間以内(3日間)に心臓突然死する確率(β)は、
β = ( α / 365 ) * 3
となります。1年の間に2000万人がワクチン接種を受けるのですから、日本人全体では、
20,000,000 × β = 103(人)
という計算が成り立ち、ワクチン接種を受けてから72時間以内(3日間)に心臓突然死する日本人は、1年間に103人発生することになります。もし1年間に4000万人に接種したとしたら、24時間以内に心臓突然死する人は約70人です。あくまで概算の概算ですが、数のオーダーは理解できると思います。広範囲にワクチンを接種するということは、確率的にこういうことが起きることを認識しておかなければなりません。
心臓突然死は極端な例ですが、「死には至らないが、前兆が全くなく突如起こる体の不調」はたくさんあります。「生まれて初めて新型コロナウイルスワクチンの接種を受けた」という記憶は深く脳裏に刻み込まれるでしょう。従ってそのあとに近接して起こる "前兆なしの体の不調" をワクチン接種と関連づける人が出てくる可能性が高い。それにワクチン反対運動を展開している人が飛びつく。このあたりはよくよく注意すべきだと思います。
さらに、ワクチン接種の恩恵はワクチンを接種しない人にも及ぶことが重要です。新型コロナウイルス感染症の蔓延で、我々は今まで知らなかった感染症の専門用語を理解しました。一つは「実効再生産数」です。一人の感染者が何人に感染症をうつすかという平均値で、これが1を切ると感染症の流行は下火に向かう。
もう一つは「集団免疫」です。集団の60%とか70%の人が感染症に対する免疫を持つと、実効再生産数が下がり、感染症の流行が押さえられる。もちろん、国民に広くワクチンを接種するは集団免疫を得るためです。
ある程度のリスクを覚悟の上でワクチンの接種を受けたとすると、それは自分が感染症にかからないため(ないしはかかったとしても重症化しないため)であると同時に、社会で新型コロナウイルスが蔓延しないようにするためでもあるのです。ウイルスが蔓延しなくなると、ワクチンを接種していない人の感染リスクも低下する。従ってワクチン接種の恩恵はワクチンを接種しない人にも及びます。ワクチン接種をすることは、集団の中で皆が助け合って生きていこうという(暗黙の)意志表明でもあるわけです。ここはよく考えておくべきだと思います。
補記1:疼痛医学の専門家の意見 |
2021年6月16日の朝日新聞にHPVワクチンの副反応について、愛知医科大学教授・牛田享宏氏へのインタビュー記事が掲載されました。牛田氏は疼痛医学が専門で、総合的に痛みの診療と研究をする愛知医科大学の「学際的痛みセンター」のセンター長を務められています。以下、記事を引用します。
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HPVワクチンの接種後に、非常にまれですが、痛みを含めた「多様な症状」(厚生労働省の見解)が現れました。この「多様な症状」とワクチン接種の因果関係をめぐって訴訟まで起きましたが(現在係争中)、この問題をどう考え、どう対処すればいいのかは、この牛田先生の意見に尽きているのではと思いました。
(2021.6.18)
補記2:積極勧奨の再開検討 |
2021年8月31日の新聞に、厚生労働省が「HPVワクチン接種の積極勧奨の再開」の検討を始めた、との記事が掲載されました。日本経済新聞から引用します。
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毎年 2800人が死亡というのは相当な数ですが(交通事故の全死者数並み)、それ以外に数千人の女性が子宮を失っていることを忘れてはいけません。朝日新聞には、乳がんと比較した数値が載っていました。
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乳がんを予防できる薬はないので、早期発見のための啓蒙活動が多々行われています。一方、子宮頸がんは(ほぼ)予防できるワクチンがあるにもかかわらず、2013年から今まで8年間も "ほったらかし" になっています。田村厚生労働相は「これは自分の課題だ」と認識しているという報道もありました。是非、状況の改善に邁進して欲しいと思います。
(2021.9.1)
2021-01-09 08:25
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