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No.301 - 線路脇の家 [アート]

No.288「ナイトホークス」に続いて、アメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵画とその影響についての話です。No.288 は、ホッパーの『ナイトホークス』(1942)が、リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』(1982公開)のアート・デザインやビジュアルに影響を与えたという話でした。『ナイトホークス』の複製画を映画の美術スタッフに見せ続けたと、スコット監督自身が述懐しているのです。

パトリシア・ハイスミス「キャロル」.jpg
映画「キャロル」の原作となったパトリシア・ハイスミスの小説(河出文庫。2015.12)。表紙はホッパーの「オートマット」(1927)。オートマットとは自動販売機による軽食の施設。
その『ブレードランナー』を始め、ホッパーの絵画は多数の映画に影響を与えました。最近のアメリカ映画でいうと、2015年に制作された『キャロル』(日本公開:2016年2月)はホッパーの多数の作品から場面作りの影響を受けています(アートのブログサイト:https://www.sartle.com/blog/post/todd-haynes-channels-edward-hopper-in-the-film-carol)。トッド・へインズ監督がホッパーの大のファンのようです。そのためか、映画の日本公開に先立って出版されたパトリシア・ハイスミスの原作の表紙には、ホッパーの「オートマット」が使われています(河出文庫。2015.12)。

そういった映画への影響で昔から最も有名なのは、アルフレッド・ヒチコック監督の『サイコ』(1960年公開)でしょう。これは "サイコ・サスペンス" とでも言うべきジャンルを切り開いた映画史に残る傑作です。この映画で、モーテルを経営している主人公の男性が母親と2人で住んでいる家のモデルとなったのがホッパーの『線路脇の家』でした。この『線路脇の家』はホッパー作品の中でも最も有名なものの一つです。

「線路脇の家」と「サイコ」.jpg
ホッパーの「線路脇の家」(1925。左)と、ヒチコック監督の「サイコ」(1960)に登場する家(右)。

ホッパーの絵は映画だけでなく文学にも影響を与えました。No.288の『ナイトホークス』もそうですが、ホッパーの絵は "背後に物語があると感じてしまう絵" が多いのです。

このホッパーの絵の "特質" を利用してまれた短編小説集があります。ローレンス・ブロック編『短編画廊』(ハーパーコリンズ・ジャパン 2019。原題は「In Sunlight or In Shadow : stories inspired by the paintings of Edward Hopper」)です。

短編画廊.jpg
ローレンス・ブロック編
『短編画廊』

(ハーパーコリンズ・ジャパン 2019)
表紙の絵はホッパーの「ホテルのロビー」(1943)
この本は、小説家のブロックがアメリカの16人の小説家に呼びかけて「ホッパーの絵画にインスパイアされた短編小説」を書いてもらい、それをまとめたものです。17人(ブロック自身を含む)が選んだ絵画は全部違っていて(もちろん調整もあったのでしょう)、本のページをめくるとまずホッパーの絵の画像があり、その後に小説が続き、それが17回繰り返されるという洒落た短編集になっています。

その17枚の絵を見ると、『ナイトホークス』はありますが『線路脇の家』はありません。2枚ともアメリカのメジャーな美術館が所蔵している(それぞれシカゴ美術館とニューヨーク近代美術館)大変有名な絵です。ホッパーの代表作を10枚選べと言われたら必ず入る2枚だと思います。なぜ『線路脇の家』がないのでしょうか。

それには理由があるのかも知れません。つまり、ブロックの呼びかけに応じた小説家からすると『線路脇の家』からはどうしても『サイコ』を連想してしまう。しかし『サイコ』を凌駕するストーリーを語るのは難しそうだ、やめておこう、となるのではないでしょうか。アメリカ人の小説家ならそう思うに違いないと思います。

しかし日本人の小説家である恩田陸さんは、ホッパーの『線路脇の家』から(楽々と)一つの短編小説を書き上げました。短編小説集『歩道橋シネマ』(新潮社。2019)に収録された『線路脇の家』(雑誌の初出は2015年)です。

以降は、このホッパーの絵と恩田さんの短編を "同時に紹介" したいと思います。この恩田さんの短編は「私」の一人称であり、最初のところに「私」が初めて『線路脇の家』を見たときの感想が書かれているのですが、その文章が絵の評論にもなっていて、"同時に紹介" が可能なのです。

恩田さんの文章は、No.209「リスト:ピアノソナタ ロ短調」で『蜜蜂と遠雷』の中のリストの部分だけを引用しました。それは音楽についての文章でしたが、今度は絵画です。


エドワード・ホッパー「線路脇の家」


エドワード・ホッパーの『線路脇の家』はニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。MoMAは1929年に設立者のプライベート・コレクションを基盤に開館しますが、1930年に最初の作品群を購入しました。その中の一つが『線路脇の家』でした。

Edward Hopper - House by the Railroad 1925.jpg
エドワード・ホッパー(1882-1967)
線路脇の家」(1925)
(ニューヨーク近代美術館:MoMA)
MoMAのサイトより画像を引用

以降は、この絵をふまえて恩田陸さんが書いた短編小説「線路脇の家」を紹介します。この小説の冒頭にはホッパーの絵から受ける印象が語られています。


恩田 陸「線路脇の家」(1)


恩田 陸さんの「線路脇の家」の冒頭部分から引用します。以下の引用では漢数字を算用数字にしたところがあります。また、段落の切れ目を空行で表し、段落の最初の字下げは省略しました。


その絵には「線路脇の家」というタイトルが付いていた。

ほぼ正方形に近い油絵である。

絵の画面の手前には線路のものとおぼしき枕木が並んでいる。

その手前の線路を見上げるようにして、線路の向こう側にある家を見ているという構図である。そのため、線路の下の枕木と砂利を真横から見ている形になり、上に載っているレールは片方しか見えない。

家の全景も見えない。一階の窓が切れている状態である。

何様式というのだろう。いささかクラシックな造りの建築だ。木造だろうが、壁は白く塗りつぶされていて羽目板が見えない。

19世紀の終わり、あるいは20世紀初頭に流行ったスタイルと思われる。左側は二階建てだが屋根裏部屋があるようだ。右側は三階建て。左側よりも一階分高く、塔のような屋根裏部屋があることがうかがえる。

実際、この絵は1925年に描かれたことが分かっている。

家の向こうには何もない。がらんとした空が見えるだけ。画面上部にはわずかな青空。あとは灰色の雲。

絵を見た限りでは、描かれた季節も、一日のうちの何時頃なのかもよく分からない。

家には左から光が当たっていて、左側の側面は窓や壁もくっきり見えているが、陰になった正面部分はよく見えないのである。

モノトーンの家であるが、赤い煙突がアクセントのように屋根の上に載っている。

一見、のどかな絵だと言えないこともない。

明るい陽射し。開けた空間。手前の鉄路。

しかし、極力単純化された描写の中には、いいようのない不穏さと虚無感が漂っている。どことなく突き放したような、乾いた空気に満ちているのだ。

恩田 陸「線路脇の家」
短編小説集『歩道橋シネマ』より
(新潮社 2019)

恩田さんの「線路脇の家」は「私」の一人称の小説です。従ってこの冒頭部分は「私」が初めてホッパーの『線路脇の家』を見たときに感じた印象であり、その前提で読む必要があります。

上の引用の中に「何様式というのだろう。・・・・・ 19世紀の終わり、あるいは20世紀初頭に流行ったスタイルと思われる。」とありますが、この建物はイギリスのヴィクトリア朝時代の様式です。横浜の山手に洋館が立ち並ぶエリアがありますが、その中にもヴィクトリア様式の建物があります。

小説「線路脇の家」では次に、ヒチコックの『サイコ』との関係が語られます。


もし、映画好きの人ならば、この絵に既視感を覚える人も少なくないだろう。

この作品、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画、『サイコ』に出てくる家のモデルになったことでも有名なのである。

『サイコ』はエンターテインメントのジャンルで、いわゆる「サイコサスペンス」と呼ばれるものの草分けである。トリッキーな構成や、辺鄙へんぴな田舎町のモーテルに泊まった若い女性がシャワーを浴びているあいだに進入してきた何者かに刺し殺されるというショッキングな場面、斬新な音楽などで、あっというまにこのジャンルでの古典的名作になった。

その映画に登場するノーマン・ベイツという男が、モーテル経営の傍ら母親と二人で住んでいるという家のモデルが、この「線路脇の家」なのである。

『サイコ』のみならず、この家を模した家を登場させた映画が複数あるというが、何がそんなにも彼らを惹き付けたのだろう。

確かに、エドワード・ホッパーの絵には、妙に書き割りめいた「作り物」感がある。人間が存在していない世界のような、裏に回ったらはりぼてで出来ているのではないかという雰囲気がある。だが、その一方で、妙な生々しさ ── 壁紙をべろりとめくったら、何かとんでもないおぞましいものが隠れているような予感が漂っている。

この「線路脇の家」も、窓は固く閉ざされ、家の中は暗く、人の気配が全くない。

明るく開放的な風景ではあるが、正面の影になった部分 ── そこには玄関があるはずなのだ ── は真っ暗で何も見えない。いや、はっきりいえば、この家には出入り口がない。

限りなく閉じた家。入れない家。出られない家。なのである。

『サイコ』のノーマン・ベイツは、身体が不自由な母親の面倒をみるため、家を出られないと説明する。

実際、彼はこの家を出て行くことはない。車で町を通過していく旅行客の相手をしつつも、彼には旅行の経験もない。モーテルを経営しながら、この家に閉じこめられている。

私は、この家がなんとなく鳥籠を連想させるような気がする。

『サイコ』の中にも、動物や鳥の剥製が多数飾られている部屋が出てくるが、それもどことなくおりの中を連想させるのだ。

「線路脇の家」。それは目の前を鉄路が走っているのに、どこにも行くことなく、そこにじっととどまり、檻のような家の中に閉じこもっている誰か。社会と接点がなく、ここではないどこかへ行くことのない、無数の疎外された人々を象徴しているように思えるのである。

恩田 陸「線路脇の家」

ここで引用した部分は、ホッパーの絵、および『線路脇の家』についての的確な評論になっていると思います。「作り物感があると同時に生々しさがある」としたところなど、全くその通りという感じがします。

補足しますと、上の引用の多くは『線路脇の絵』と『サイコ』に出てくる家との関係を語っているのですが、その中に、

『サイコ』のみならず、この家を模した家を登場させた映画が複数あるという

とあります。ホッパー研究の第一人者であるゲイル・レヴィン(ニューヨーク市立大学教授・美術評論家)によると、往年の名画『ジャイアンツ』(Giant。1956年公開)に出てくる家は『線路脇の家』を模しているそうです(ゲイル・レヴィン「エドワード・ホッパーと映画」による)。『ジャイアンツ』は、テキサスに広大な牧場をもつ牧場主(ロック・ハドゾン)のもとに東部から名門の娘(エリザベス・テイラー)が嫁いでくる。その彼女に若い牧童(ジェームス・ディーン。この映画が遺作)が密かに好意を寄せる ・・・・・・、というシチュエーションです。この映画で、広大な牧場(レアータ牧場)の中にポツンと建つ屋敷が『線路脇の家』とそっくりです。

Giant - George Stevens and James Dean.jpg
映画「ジャイアンツ」のロケ地におけるジョージ・スティーブンス監督とジェームス・ディーン。後ろにレアータ屋敷(Reata mansion)のセットが見える。


恩田 陸「線路脇の家」(2)


ここまでの引用は「私」が『線路脇の家』を初めて見たときの印象でした。このあと、物語が動き出します。そのキーワードは "既視感" です。


さて、私がこの絵の存在を知ったのは比較的最近のことだった。

むろん『サイコ』は観ていたから、当然既視感を覚えた。妙に記憶に残る、気になる家だと思い、何度も繰り返しながめていたのだが、だんだん、この既視感が決して『サイコ』だけのものではないことに気がついたのだ。

私はどこかでこの家を見たことがある。

いったいどこでだろう?

恩田 陸「線路脇の家」

『線路脇の家』を見たときの既視感は、決して『サイコ』だけのものではない。「私」はそう気づいたのですが、それが何なのかをある時、ひょっと思い出します。「私」は友人と東京の東の方で落ち合って飲む約束をしたのですが、そこへ向かうために駅のホームにいた時です。


普段はめったに乗ることのない鉄道路線で、いったいいつ以来だろう、とホームできょろきょろしている時に、突然、「線路脇の家」の姿がよみがえり、思わず「あっ」と叫んでしまったのだ。

そうだ、私は昔、この路線に乗っていてあの家を見たのだ。

以前勤めていた会社で、この沿線に住むお客さんのところにしばしば通っていた。その時にいつも電車の中から見かける家だったのである。

そうだ ── あの家は、確かに「線路脇の家」に似ていた。

なにしろ、ここは狭い日本であるから、同じ「線路脇」でも周りにどっさり家が建っていたのだけれど、あの家はちょとした高台のはしっこに建っていて、洋館だったこともあり、車窓の外を見ていると必ず目についたのだ。

ホッパーの絵と同じく、その家には一階分高い、塔にあたる部分があり、その二階部分が、高架線の電車の中から見ると、ちょうど真正面に見えるのである。

ホッパーの絵と異なるのは、きちんと住人がいたことだった。

恩田 陸「線路脇の家」

電車からは家の中がよく見えました。もちろん家の中の人は電車から見えているとは思っていないのでしょう。そういうことはよくあります。そしてその家が「私の」記憶に残ったのは、単に人がいたからではあません。家の中の人は3人で、電車で通るたびにいつも同じ3人だったからです。


そこには三人の人間がいた。

一人は、いつも縫い物らしきものをしているおばあさん。いや、おばあさんというにはまだ若かったかもしれない。白髪が多く、背中を丸めていたのでそう感じたのかもしれないが、彼女は窓辺でいつもせっっせと手を動かし、縫い物だかなんだか、針仕事のようなものをしていた。

そして、奥にはいつも新聞を読んでいる男がいた。こちらは五十代くらいか。がっちりとした男で、日焼けしていた。

違和感を覚えたのは、明らかに肉体労働者という風情だったので、なんとなく典雅な洋館の住人に似つかわしくないように思ったからだろう。かなり年季が入った家だったから、祖父母の代の家だったのかもしれない。

もう一人、女がいた。

こちらは若い ── と感じたが、今にして思えば落ち着いていたし、四十代くらいだったのではないか。この女は、いつもぼんやりしているように見えた。窓辺にもたれて、外を見ていた。

窓辺に鳥籠があった。

あの家は、鳥を飼っていた。黄色っぽい鳥がいたので、インコか何かだろう。

私はあの三人の姿をはっきりと思い出していた。

家の中は薄暗かったものの、電車の中からはっきり見えた。レースのカーテンが半分だけ閉められていて、ひっそりと過ごしていた三人。

女の色白の、表情に乏しい顔まで思い出した。

そうなのだ、印象に残っていたのは、いつあの家を見ても、窓辺にあの三人がいたせいなのである。

そのお客さんのところに行くのは、月に一度か二度。必ずその路線に乗り、いつも車窓からその家を見る。

すると、どんな時も必ず、その三人が二階のその部屋にいるのだ。

恩田 陸「線路脇の家」

ちょっと不思議な光景です。「私」が電車でお客さんのところへ向かうのは平日の昼間です。高齢の女性はともかく、比較的若そうな男女は働いていないのでしょうか。また、大きな家なのに3人が必ず2階の同じ部屋にいるのはなぜか。

こういう不思議さが記憶に残った原因のようです。ホッパーの『線路脇の家』を見たときの既視感はヒチコックの『サイコ』だけではないと「私」は感じていたのですが、その原因がはっきりしました。しかし話はまだ続きます。


ともあれ、「線路脇の家」を思い出したところで私はすっきりした。そのまま友人と呑みに行き、再びこの件についてはすっかり忘れていたのである。

しかしこの話にはまだ続きがあるのだ。

つい先日、私はその「線路脇の家」を偶然発見してしまったのである。

まさか、本物のある場所に出くわすとは到底想像していなかった。

恩田 陸「線路脇の家」

「私」は知り合いの法事に呼ばれ、東京の東の方にある初めての駅で降り、住宅街の奥にある寺までいって法事を終えました。その帰り道、知り合いといっしょに住宅街を歩いていると、いつのまにか小高い丘の麓に出ました。そしてふと見ると、そこに廃墟と化した「線路脇の家」があったのです。「私」は、しばし立ち止まって感慨にふけりました。そしてその洋館を振り返りつつ、知り合いに追いつきます。知り合いはこのあたりの住人なので洋館のことを教えてくれました ・・・・・・。

ここから結末までのストーリーを明かすのはまずいと思うので、以降は割愛します。『サイコ』とは全く違った、『サイコ』の対極にあるような話の展開になっています。この短編小説の最後は次のような記述で終わります。


あのあと、彼らはどこに行ったのだろう。

「ここではないどこか」に行けたのだろうか。

私はもう一度振り返ってみた。

だが、曲がりくねった道の奥にあった高台のあの家は、今はどこにも見ることができなかった。

恩田 陸「線路脇の家」

恩田陸さんの小説の紹介・引用はここまでで、以降はこの小説を読んだ感想です。


鳥籠


ホッパーの『線路脇の家』を見た印象というか、イメージを言葉で表すと、

・ 空虚
・ 放棄された
・ 取り残された
・ 近寄りがたい
・ ミステリアス

といった感じが普通かと思います。しかし恩田さんの小説では「鳥籠を連想させる」としたところがポイントでしょう。つまり、中に人が住んでいると考えたとき、その住人からするとどうだろうか。この家は、出るに出られない "鳥籠" である ・・・・・・。このイメージが『線路脇の家』という絵の印象の中心になっていて、またこのイメージで物語が結末へと進んでいきます。「鳥籠」がこの小説のキーワードになっていると思いました。

恩田さんは『サイコ』の主人公を "鳥籠に閉じこめられた鳥" になぞらえた文章を書いていました。その連想から言うと、エリザベス・テイラー演じる『ジャイアンツ』の女主人公も、東部の都会からテキサスの広大な牧場の中にポツンとある「線路脇の家」風の屋敷に嫁いできたわけです。そこはまさに彼女からすると「鳥籠」だったのではないでしょうか。

ということからすると、「線路脇の家」=「鳥籠」というイメージは恩田さんの感覚という以上に、ある種の普遍性のあるものだと思いました。


ここではないどこか


さらにこの小説で「鳥籠」と並んで重要なキーワードは「ここではないどこか」です。これは2箇所に出てきます。最初はホッパーの『線路脇の家』を見た印象を語った最初の部分、2回目は一番最後の部分です。その2つのセンテンスは次の通りです。

社会と接点がなく、ここではないどこかへ行くことのない、無数の疎外された人々を象徴しているように思えるのである。

あのあと、彼らはどこに行ったのだろう。「ここではないどこか」に行けたのだろうか。

No.298「中島みゆきの詩(16)ここではないどこか」で書いたように「ここではないどこか」はボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の中の詩に端を発する概念です(No.298 に詩を引用)。そのボードレールの詩では、この世で生きることを病院に入院して治療をうけている病人になぞらえていました。恩田さんがボードレールを意識したのかどうかは分かりませんが、出るに出られないという意味で「鳥籠」と「病院」のイメージはかぶっています。この小説に「ここではないどこか」という言い方が用いられているのは、そういう暗示かと思いました。

「線路脇の家」=「鳥籠」(= 病院)であり、具体的に言うと「社会と接点がなく、ここではないどこかへ行くことのない、無数の疎外された人々を象徴」しているというのが、ホッパーの絵を恩田さんなりに解釈したものです。またそれが同時に小説の構成のキモになっていると感じました。

この小説は18の短編小説からなる『歩道橋シネマ』の冒頭に置かれています(最後の小説は「歩道橋シネマ」)。つまり、作者としても自信作なのでしょう。『サイコ』とは全く違った "軽い" ストーリーだけれど、ホッパーの『線路脇の絵』から受ける印象の記述と絵の解釈が非常に的確です。そこに感心しました。




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