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No.101 - インドのボトル・ウォーター [社会]

前回の No.100「ローマのコカ・コーラ」の続きです。コカ・コーラ社については強く覚えているテレビ番組があります。それは、2001年10月7日の「NHKスペシャル」で放映された「ウォーター・ビジネス」です。この中でNHKは、コカ・コーラ社がボトル・ウォーターのビジネスでインドに進出する過程を取材し、放映しました。以下その内容を紹介しますが、あくまで2001年時点でのインドの状況です。


インドの水道事情


このドキュメンタリー番組では、まずインドの水道事情が紹介されます。そもそもインドの水道普及率は少なく、正確には覚えていませんが、確か30%とかそういう数字だったと思います。

水道が施設されている大都市でも、朝夕の30分しか水が出ないことがあったり、また1週間全く水が出ないこともある。水質も劣っていて、水道水から大腸菌が検出されたりする。特に統一的な水質基準はないようです。

水道がない地域では、週1回来るか来ないかの水道局の給水車に頼るしかない。それもなければ、井戸の水か、川の水を飲むしかない。大変に不衛生なわけです。


インドのボトル・ウォーター事情


このような水道事情により、インドでは必然的にボトル・ウォーターのビジネスが盛んです。インドのボトル・ウォーター業者は数千社あります。値段は決して安くないのですが、ボトル・ウォーターは衛生的に見えるので、どんどん売れます。

しかし、ボトルの洗浄が不十分だったり、蜘蛛の巣が張っているような不衛生な工場もある。中には「悪徳業者」がいて、水道の水を堂々とボトルに詰めて売っている。「堂々と」というのは、水道の水を詰めるところを番組で取材していたからです。別に隠している感じではありませんでした。

このボトル・ウォーターにも、国としての水質基準はありません。

  私も仕事で初めてインドに出張して帰国したあとは、1週間ほど下痢が続きました。飲み物や朝の手洗いなど、かなり注意していたつもりだったのですが・・・・・・。日本のように水道水が飲め、生魚や生野菜のサラダが食べられる環境のありがたさが分かりました(日本だけというわけではないですが)。


グローバル・スタンダードの水質基準


コカ・コーラ社がインドのボトル・ウォーターのビジネスに進出する戦略は、「グローバル・スタンダード」の水質基準を制定することでした。コンサルタントを雇い、政府や業者にその必要性を説得します。ボトル・ウォーターも品質が重要であり、品質こそが消費者の信頼を勝ち取るものだと言うわけです。これは、全くもって「正しい」主張です。

そのかいもあって、2001年にボトル・ウォーターの水質基準が制定されました。それを守らなければ行政処分があるという、先進国ではあたりまえの話です。インド政府の関係者は、これで欧米並みの基準ができたと鼻高々です。

しかし地元の大半の業者にとっては、水の浄化装置、検査装置を導入する設備投資ができません。業者の倒産が相次ぎます。コカ・コーラは、急速にインドでのボトルウォーターのシェアを伸ばしたのです。


地元業者の3つの選択肢


この番組の白眉は、コカ・コーラ社が雇ったコンサルタントがインドの地元のボトル・ウォーター業者と会談する場面です。コンサルタントは地元業者に「あなた方には3つの選択肢がある」と言います。

資金を投入して、水質検査装置を導入する。
ボトル・ウォーターのビジネスから手を引く。
大手資本に買収される。

Kinley Water.jpg
コカ・コーラ社のボトル・ウォーターのブランド、KINLEY。インドでもこのブランドで販売されている。Coca Cola Indiaのホームページより引用。本文とは関係ありません。
の3つです。自前でビジネスを続けるためには①が必須です。なぜなら、水質基準を守っていることを常時証明する必要があるからです。その①が出来ない以上、選択肢は②か③ですが、どちらかを選ばざるを得ないのなら③でしょう。大手資本とは、もちろんコカ・コーラ社のことです。

この番組が取材した以降、インドでコカ・コーラ社のボトル・ウォーターのビジネスが成功したのかどうかは知りません。日本でボトル・ウォーター、ミネラル・ウォーターというと「南アルプスの天然水」(サントリー)や「森の水だより」(日本コカ・コーラ)などのブランドに象徴されるように、清流がこんこんと湧き出す所に工場を作り、自然の恵みの一部を人間がいただくというイメージですが、インド亜大陸ではそうはいかないでしょう。地下水を汲み上げる方式が主流になるはずです。地下水を汲み上げてフィルターを装着した浄水器に高圧で注入しボトル・ウォーターを作る手法です。番組では、アメリカの工場と周辺住民のトラブルを取材していました。地下水を汲み上げると地下の水位が低下し、沼や池が枯れたり、井戸が枯れて農園の運営に支障が出たり、地盤が沈下したりという問題が発生する(ことが往々にしてある)のです。

それはさておき、このコカ・コーラ社がインドのボトル・ウォーター市場に参入する経緯を見ていると、次の2つのことを考えさせられます。

グローバル・スタンダードとは何か
企業の政治に対する影響力

の二つです。番組は2001年時点の話ですが、一般的に言える教訓があると思うのです。ここからはその一般的に言える話です。


グローバル・スタンダード


「グローバル・スタンダード」と言われるものをよく考えてみると、

アメリカ標準(最強国標準)
アングロサクソン(米英)標準
欧米標準
先進国標準

であることが多いわけです。「先進国標準」は「トップランナー標準」と言い換えてもよい。つまり「その分野で最も進んでいる(と自負している)国の標準」であるわけです。2001年時点でのインドのボトル・ウォーターの水質基準・検査基準は、水道水の基準がないのにボトル・ウォーターの基準ができるという大変に奇妙な話なのですが、それはさておき「方向として極めては正しい」のでしょう。

しかし、近代化の浸透には早い国・遅い国があります。そもそも近代文明のスタート時期が違っています。遅くスタートした国にとってみると「トップランナー標準」の採用によって地元業者が倒産し、外国資本の支配が拡大するわけです。自由競争の社会においては、新たな競争ルールは特定の企業に有利に働くようになる。

近代化の進展状況以外に、地理的な条件もありそうです。インドのように雨期と乾期が交代する気候では、水道施設のための水源の確保が日本のようにはいかないでしょう。ダムを作るのも、場所がなかったり、莫大な投資が必要ではないでしょうか。地下水を汲み上げると、さっき書いたように環境問題を引き起こしかねない。

NHKスペシャルは、使い回したボトルに水道水を詰めて売る「悪徳業者」を取材していましたが、そもそも水道普及率が悪く、川の水を飲まざるを得ないような地域がたくさんある限り、悪徳業者には社会的意味があるわけですね。その業者からボトルを買うと少なくとも水道品質の水を飲めるのだから。

以上のような歴史的条件、地理的条件とは全く無関係に「トップランナー標準」が制定されると、「悪徳業者」は根絶やしになるか、闇業者とならざるを得ない。その「社会的意味」など消し飛んでしまうわけです。また、まともな業者も大資本配下になってしまう。「グローバル・スタンダード」は、こういう風に作用することを承知しておかないといけないと思います。


企業行動のグローバル・スタンダード


さらに、この場合の「グローバル・スタンダード」とは、単に「水質基準のグローバル・スタンダード」というだけにとどまらず、「企業の行動パターン・行動原理のグローバル・スタンダード」と考えることが重要だと思います。

コカ・コーラ社から見ると(そして、先進国のボトル・ウォーター企業から見ると)、

  インドのボトル・ウォーター業者は、インド固有の水事情(=低い水道普及率、水道水の品質の悪さ、水質の規制がない状況)に完全に依存しきって生き延びている、企業とは言えないような業態

なのですね。「グローバル」の視点からすると、明らかにそう見えると思います。「企業」と「企業でないもの」が同じ土俵とルールで経済的に戦うと、「企業でないもの」はひとたまりもありません。この企業行動の差の認識が重要でしょう。

この点をよく見ておかないと、問題の本質を見失しなうと思います。


企業の政治に対する影響力


コカ・コーラ社がボトル・ウォーターのビジネスでインドに進出した経緯をみると、企業活動の行き着くところが暗示されているように思います。

コカ・コーラ社が不当な行為をしているとか、そういうことではありません。TV番組で見る限り、コカ・コーラ社はまっとうなビジネスをしています。ボトル・ウォーターの水質基準を制定するように働きかけ、それをテコにインドのシェアを拡大するというのも、企業としては当然の行為でしょう。利潤を追求する企業なら、あたりまえと言ってもいい。しかもその水質基準は「正しい」のです。

しかし番組から予見されるのは、企業が政治に強い影響力をもち、さらにが政治(のある部分を)をコントロールするという姿です。それには大きな社会的リスクがあります。企業の行動原理は、極めて短期の利益を価値判断の基準として行われるため、それが特に


食料(穀物なのどの基幹食料)
エネルギー

などの人間の生存に欠かせないものに関係すると、社会としての利益と反することが出てくる(こともある)と思うのです。

企業(=株式会社)の存在目的をたった1つだけ挙げよ、と言われたらなら、それは「利益」です。企業は利益をあげることで、従業員の雇用を維持し、給料を支払い、国家や地方公共団体に税金を払い(=国や地域に貢献し)、社会的貢献の原資としています。その「利益」は3ヶ月から1年の範囲で測定され、公表され、企業の評価がなされる。もちろん数年先を見越して投資をしないと長期的に存続できません。赤字を覚悟で投資することもある。しかしの数年先というのはせいぜい3年とか5年です。研究活動はもっと長くて10年ぐらいのスコープでなされるでしょうから、企業の行動原理は数ヶ月から10年程度の視野だと考えられます。

一方、民主主義の社会において、選挙における人々の投票行動や世論形成は、この1~2年(例:暮らしを良くする)から数10年(例:老後の福祉を充実する)の視野です。逆に、それ以上のことを考えにくいのが民主主義の弱点でしょう。「自分に関係ない」と思えることを基準にしにくいわけで、たとえば、次の世代の負担を残さないために国の借金は増やさないとか、100年後のために原子力発電は縮小しよう、とかは考えにくい。国民にとっては現在の快適さの方が重要なわけです。必然的に「今だけ、自分だけ」となり、それは政府の意志決定にも影響を与える。

こういった民主主義の「弱点」を補うのが、学者や研究者(および国の将来を考えるべき官僚)でしょう。地球温暖化は50年とか100年レンジの現象ですが、それを予測して、今から手を打つという提言をしたのは学者です(各国の利害不一致により、なかなか進まないですが)。

以上のことを考えると、企業の行動原理は最も短期視野であるといえます。もちろん資本主義経済においては企業の行動が富を生みだし、それが(たとえば)福祉の充実につながっていることは言うまでもないのですが、短期視野の行動が市民の利益と相反するリスクもある。特に、穀物などの代替し難い基幹食料では問題です。2011年、エジプトでの「アラブの春」はムバラク政権を崩壊させました。この引き金を引いたのは世界的な小麦価格の高騰です。メキシコでトウモロコシ価格の高騰に抗議するデモが全国に広がったこともありました(2007年)。基幹食料価格の短期の変動のもたらす影響は大きいのです。


日本の問題として考える


コカ・コーラ社がインドのボトル・ウォーターに進出した過程を追ったNHKスペシャルは、日本から遠い、経済的新興国の話だと思ってしまいますが、そうではないと思います。一般化すると、現代の日本の問題としても十分考えられるはずです。例えば次のようなことが日本でも課題になっています。

グローバルでの(あるいは、国をまたいだ広域経済圏での)経済活動に関する共通のルールを、政府間で決めようとしている。そのための交渉している。

そのルールづくりには、企業が間接的に、ないしは直接的に強い影響力を発揮している。

という状況です。たとえばてTPP(環太平洋経済協力協定)の一環で、日本と米国が交渉する場合です。

自動車分野において、直接に交渉するのは政府ですが、その背後にいるのは米国と日本の自動車産業です。そしてこの「戦い」は「対等」だと考えられます。米国と日本の自動車産業は双方とも、技術、市場規模、競争力をもっているからです。日本政府が一方的に弱腰にならない限り、損だけをすることは無いはずだからです。

一方、農産物ではどうでしょうか。たとえば国際貿易が盛んな穀物です。交渉する政府のバックにいるのは、農家はもちろんですが、米国では「穀物メジャー」と呼ばれる企業群です。一方、それに「対抗する」日本の組織体は農協(JA)です。JAは共同組合であって利潤を追求する企業(株式会社)ではありません。企業と非企業が自由競争で経済的に戦うと(一般的に言って)非企業に勝ち目はないと思います。

企業は利益の確保(最大化)が生存原理であって、そのための行動が研ぎ澄まされています。効率化、コスト削減、品質の維持、市場の拡大、そのための宣伝活動などが徹底的に追求されています。穀物メジャーの支配する米国の農業生産では、その企業の論理が穀物生産農家や農機具メーカーや流通業者を巻き込んで、産業としての競争力が徹底的に高められているはずです。アメリカ政府の農業に対する補助金を差っ引いたとしても、それは言えると思います。

もちろん、自然環境や歴史的経緯が全く違う米国と日本の穀物生産を同等に比較するわけにはいきません。そもそも耕地面積(耕作可能面積)当たりの人口密度も農業人口も全く違うので、米国の方が穀物生産のコストは圧倒的に少ないはずです。日本もその点は十分に主張する必要がある。「自由貿易」というのは「世界最適生産」ということであり、それはテレビや衣料品や自動車ではアリかもしれないが、農業ではありえない。「世界最適生産」は「地産地消」の否定です。

しかしもうひとつ、米国と日本の穀物生産で大きいのは市場を支配・指導しているのが、一方では企業であり、一方では非企業だということだと思います。交渉して本当に大丈夫なのか、農業とは全く別の業種にしわ寄せがくることはないのか・・・・・・。

NHKスペシャルが2001年に放映したインドのボトル・ウォーターのストーリーは、決して人ごとではなく、現代の日本の問題でもあると思います。





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