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No.31 - ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ [文化]

No.3「ドイツ料理万歳!」で紹介しましたが、この本の中で著者の川口さんは、
やはりワインは、太陽を一杯に浴びた葡萄から作られた華やかなものがいいな、と思う。夜、家中が寝静まったあと、一人でそんなワインを空ける。イタリア、スペイン、フランスといった、濃厚な大地の香りのするワイン(お値段は日本の半値以下!)を飲みながら、本を読んだり、音楽を聞いたり、原稿を書いたりする。「ドイツに住んでいてよかった!」と思う至福のひとときである。
と書いています。

これを受けて「彼女の意見には120%賛成です」としました。120%というちょっと大袈裟な表現になったのは、川口さんの文章、特に「太陽を一杯浴びた」とか「濃厚な大地の香り」という表現を読んで、私が初めて赤ワインを好きになった時のことを強く思い出したからです。今回はその話です。なお以下の文章で単にワインというと「赤ワイン」のことを指します。


S家のワイン・パーティー


もう随分前ですが、近くのS氏のワイン・パーティーに夫婦で招待されたことがありました。それまでS氏とは面識がなかったのですが、妻がS氏の奥さんを知っていたのと、たまたまS氏と私が同じ会社に勤めていた時期があったので、その縁で招待してくれたのだと思います。3組の夫婦が招待されていました。料理は基本的にはS氏の奥さんが作るのですが、招待された側もそれぞれオードブルを作って持ち込みました。

もちろんワインはS氏がふるまいます。彼は仕事の関係でヨーロッパへの出張が多く、空き時間をみつけてはワイナリーを巡ってワインを買い込んでいます。もちろんワインの蘊蓄も豊富です。私はその時点では「ワイン好き」ではありませんでした。もちろん昔から赤・白のワインを飲んでいたのですが、ウィスキー、日本酒、ビールなど、いろいろ飲むうちの一つのジャンルがワイン、という感じです。しかし、このワイン・パーティーの以降「私はワインが好きだ」と言えるようになったのです。

FRANKEN.jpg
フランクルトの東に位置するヴュルツブルクとその付近で作られるフランケン。辛口の白ワインである。
出されたワインは4種類です。最初のワインはよく覚えています。ドイツの白ワインである「フランケン」です。フランケンはボトルが特徴的な形をしているので記憶に残ったのだと思います。甘くはなく、非常にさわやかな味だったように思います。

2番目は赤ワインです。今から思えばボルドーだったと思いますが、名前は全く覚えていません。S氏が自信をもって勧めるのだからそこそこの品だとは思いますが、味の記憶もない。当時は「ワイン好き」ではないので、忘れてしまうのもやむを得ないと思います。

3番目も赤ワインです。この産地は記憶しています。ブルゴーニュです。S氏が「ロマネ・コンティの隣の畑(もしくは隣の隣の畑)」と紹介していたことを覚えているのです。ロマネ・コンティは「ワイン好き」でなくても有名で、日本で買うとすると一本、ウン10万円もする。開高健の小説「ロマネ・コンティ 1935年」も読んでいました。肝心のS氏が出したワインの名前の確かな記憶はないのですが、ロマネ・コンティの近隣の畑ということは、バベットの晩餐会に出てきた「クロ・ヴージョ」かもしれません(No.13 - バベットの晩餐会 (2) 参照)。そんな名前だったような気がします。おいしいワインでした。

そして最後、4番目に出されたのが、この文章の題にしたイタリアの赤ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」だったのです。このワインを飲んだとき「ワインとはこんなにおいしいものだったのか」と驚いてしまいました。「目を覚まされた」という印象です。非常に濃厚な味で、何かが強く凝縮されてそこにある感じです。No.3「ドイツ料理万歳!」で著者の川口さんは好みのワインとして「太陽を一杯に浴びた葡萄から作られた華やかなもの。濃厚な大地の香りのするワイン」と書いていますが、まさにそんな感じでした。

それ以降、世界のワインを飲むようになりました。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノはブルネッロ種(サンジョヴェーゼ・グロッソ種)というイタリア特有の葡萄から作られるのですが、作り手もいろいろあるということを後から知りました。S家で飲んだブルネッロ・ディ・モンタルチーノの作り手は、今となっては分かりません。残念なことをしたものです。

モンタルチーノ.jpg
南トスカーナ、モンタルチーノ地方の葡萄栽培地域
[Hough Johnson "The World Atlas of Wine 4th Edition" より]

フランス、イタリア、チリ、スペイン・・・・・・ワインも多様です。S家のワインパーティの当時、アメリカ西海岸への出張が多かったので、ロサンジェルスやサンノゼ付近のワインセラーへはよく通ったものです。日本の赤ワインも知りました。マスカット・ベリーAという日本固有種の葡萄がありますが、これを使った甲府市・酒折ワイナリーのワインなどは大変においしいと思います。

ところで「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」になぜ目を覚まされたのか、その理由は自分でもよく分からないのです。しかし分からないなりに考えて、以下の2つだと推測しています。


「目を覚まされた」理由1 : 極端な味


     Biondi Santi.jpg
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは19世紀末に Biondi Santi によって作り出された。Santi 家は今でもワインを醸造している。
一般的に言って「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は、フル・ボディというか、非常に濃縮感のある「強い」ワインです。特に、赤ワインの赤ワインたる特長である「渋み」や「スパイシーさ」が際立っている。数あるイタリアワインの中でも特徴的な存在だと思います。この雰囲気は、フランスであればシラー種を使ったコート・デュ・ローヌに似ています。

一言で言うと「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」は「個性が強く、しいて言うと極端」なのです。ボルドー・ワインのように数種の葡萄の個性をうまく生かし、ブレンド技術によってバランスの良い、うっとりするようなワインを作るというのではない。赤ワインが本来持っている「他のお酒にはない個性」が突出している感じなのです。その極端とも言える「個性」にダイレクトに触れて「目を覚まされた」のだと思います。「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」にもいろいろな作り手があって一概には言えないことは分かるのですが、少なくとも私の「赤ワイン原体験」はそういう感じでした。

しかし「極端な味」の良さをひとたび理解してしまうと、「極端でない味」の良さも分かってくる。フル・ボディの重いワインだけでなく、軽いさわやかなワインのよさも分かるようになる。これがおもしろいところだと、今は思っています。


「目を覚まされた」理由2 : ワインを出す順序


しかし一般的に言って「個性が強い」食材やお酒には拒絶反応が出るはずです。なぜ「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」にすんなりと感動することができたのか。

それはS氏が出したワインの順序によるのだと思っています。まずフランケンが「前座」です。そしてボルドー → ブルゴーニュ → ブルネッロと続くシーケンスが絶妙だったのではないかと思うのです。ワインもバランスがとれたものからより個性的なものへと配置されていたのではないか。(素人の)人間の舌は慣れやすいものです。こういう風に順に味わうと、以前に飲んだワインを前提として次のワインを味わってしまう。だから拒絶反応はなく、そのワインの本来の味や香りが味わえた。

S氏は料理をしたわけではありません。料理にワインを合わせたわけでもない。ワインをセレクトし、供する順序を決めただけです。しかしそれはそれで重要な行為だと思います。こういうことを考えると、料理に合わせてワインをセレクトする、あるいはその逆のワインに合わせて料理を奨めるソムリエの重要さが何となく理解できます。


「極端な味・香り」と高級食材


話は「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」から離れるのですが、一般に酒類や食材において「極端な味や香り」に存在価値があるものがありますね。「極端」というと言葉が激しすぎるのなら「個性が突出した」というか「特長が際だった」というか、そういうお酒や食材です。

たとえばスコッチ・ウィスキーのシングル・モルトがそうです。ブレンドをしないので、モルトやピートの香り、樽で熟成したテイスト、醸造所の個性などが際だってくる。ハイランド・パークなどを飲むと「これこそウィスキーの原点」という気がします。これがアイラ島で作られる「アイラ・モルト」になると、もっと極端になる。ピートの独特の強烈な香りが広がり、ここまでくるとバランスを逸しているとさえ思います。特にラフロイグ、ラガヴリンはそうです。何だか「ゆがんだ」感じがする。しかしおいしい。

もちろんブレンド・ウィスキーを否定するつもりは毛頭ありません。優秀なブレンダーがブレンド技術の粋を尽くして芳醇な味を作り出す。それは立派な芸術です。しかしそれとは別に「個性が突出した」もの、ある意味では「ゆがんだ」ものにもおいしさがあると言いたいだけです。

なお「ブレンド・ウィスキー」と「シングルモルト・ウィスキー」についての、もっと正確な話を No.43「サントリー白州蒸溜所」に書きました。

日本酒の大吟醸もそうです。あの「吟醸香」は日本酒には多かれ少なかれ含まれていると思うのですが、大吟醸ではその香りを精米方法によって突出させる。非常によい香りですが、強烈で、味わい続けると感覚がマヒしそうな感じさえします。大吟醸によく醸造用アルコールをブレンドしたりしますよね。それは強烈さをうまく中和し、より吟醸香を楽しめるようにするためだと思います。

ワインや酒類だけでなく「高級食材」とされているものの中にも「極端な味や香り」にその存在価値があるものがあります。何かが「突出した」味や香りの高級食材です。思いつくままにあげると、

 ◆高級霜降り肉
 ◆マグロの大トロ
 ◆フォアグラ
 ◆トリュフ
 ◆青カビタイプの高級ブルーチーズ

などです。霜降り肉と大トロを例にとりますと、肉のおいしさの重要なポイントの一つが、それぞれの肉のもつ「脂身のおいしさ」であることは間違いないと思います。しかし高級霜降り肉や大トロはちょっと「極端」です。いくら「脂身のおいしさ」といっても、あれだけ突出させれば「ゆがんだ」感じになりかねない。

そこで料理人の出番になります。目の前の鉄板で焼いてくれる高級ステーキ店にいくと、シェフはものすごく気を使っています。まず肉をほどよく熟成させるのが肝心です。肉を切る厚さ、焼き方、焼き具合、客に出すときの大きさ、タイミング、付け合わせ、タレ・・・・・・。すべてに工夫がある。その工夫によって「ゆがみ」は解消し、本来のおいしさだけが残るというしかけになっています。これに人は感動する。これは大トロの「寿司」や「炙り」も同じだと思います。

フォアグラも、レバーが持っている典型的なおいしさが詰まっていることは確かですが、それ自身は「極端」です。それはあたりまえで、フォアグラは自然界には存在しません。「人工的に脂肪肝の状態にした鵞鳥の肝臓」です。ものすごく「凝縮された」感じの味ですが、しかし食材においては「凝縮」が必ずしもおいしいとは限らない。従ってフレンチのシェフは、どういう料理とどう合わせるか、ソテーならどういうソースと合わせるかが腕の見せ所になります。No.13「バベットの晩餐会 (2) 」で書いたバベットのメニューのメイン・ディッシュにフォアグラが出てきます。それはウズラ肉とパイ皮とのコンビネーションでフォアグラの最良の味を引き出すように工夫されていたのだと思います。

霜降り肉・大トロ・フォアグラなどは、単独の食材としてみると「バランスを欠いている」感じです。しかし調理の技で最高の味になる。こういった凝縮されていたり突出していたりする味は応用範囲が広く、プロの腕次第で料理のバリエーションが無限に作り出せるはずです。プロの料理人が重宝するのも、そういう所ではないかと想像します。


芸能人格付けチェック


話はますます「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」から離れるのですが、ここまで書いて、高級食材に関して思い出すTV番組があります。(現在は)正月番組であるテレビ朝日の「芸能人格付けチェック」です。

2010年の正月に放映された「芸能人格付けチェック」で高級牛肉の問題が出されました。AとBの二つの牛肉があります。

 ◆ 一つは100g 15,000円の隠岐牛
 ◆ 一つは100g 1,000円のスーパーの牛肉

です。この2つを軽く焼いて、タレにつけて、目隠しで食べて、どちらが100g 15,000円かを当てるというクイズです。AとBのどちらが隠岐牛か、視聴者にも司会者にも明かされていませんでした。

興味津々で芸能人回答者の答えを見守っていたのですが、ある回答者が「Bは救いようのない脂っぽさ。Aがおいしい、Aが正解」というような、Bを強く否定する回答をしたのです。これを聞いて私はBが正解に違いない推測しました。そして案の定、Bが隠岐牛だったのです。なぜTVを見ているだけで正解はBだと推測したのか、その理由は以下です。

この問題の出題者は、回答者をミスリードする「引っかけ」をいろいろと仕組んでいます。まず、わざわざ「スーパーの」という冠をつけて高級でない方の牛肉を紹介していることです。「スーパーの」ということで「安物」という感じが出てくる。「安い」と「安物」は違うのですが、なんとなくイメージとして、そういう雰囲気がかもし出される

2つ目の「引っかけ」は、回答者になる「セレブ芸能人」は自らスーパーで牛肉を買ったことがないだろうし、ましてや100g 1,000円の牛肉は買ったことがないだろう、という予測のもとにこの問題が作られていることです。その予測は案の定、当たっていたようです。ミスリードされた「セレブ芸能人」は「スーパーの100g 1,000円の牛肉」を、なんとなくおいしくないものと思い込んだ。ところが事実は全く違います。それは大変においしいものなのです。

私の家の近くにおいて、最も近接した場所にあるスーパーには「100g 1,000円の牛肉」は置いてありません。そこで一番高いのは「100g 780円程度のA4級の牛肉(ヒレ肉)」です。このスーパーの売り文句は「当店の牛肉はA4級でもA5級並においしい」ということなのです。昔からこういう方針でやっています。ちゃんとしたスーパー(特に大手)のバイヤーは、安くておいしい牛肉をどうやって仕入れるか、徹底的に研究しています。それこそが、売上増に直結するスーパーの生命線だからです。バイヤーの豊富な経験にもとづいた「購買力」を甘く見てはいけません。

両親の家で「スーパーに入っている精肉店の100g 1,000円程度の牛肉(地元産プランド牛のロース肉)」を買って、すき焼きをした経験があります。それは、肉の柔らかさや脂の乗り具合、赤身とのバランスが大変よく「うっとりするぐらい、おいしくて、幸福感が得られる」ものでした。もちろん牛肉にもいろいろの部位があり、個人の好みもあります。しかし100g 1,000円は最上位の部類に入ることは間違いないと思います。「芸能人格付けチェック」の回答者は「スーパーの100g 1,000円の牛肉」と聞いてまず「うっとりするぐらい、おいしいはずだ」と思わないことには、出題者の仕組んだ落とし穴にまんまとはまるわけです。

3つ目の「引っかけ」は「100g 15,000円の隠岐牛は誰が食べても最高においしいだろう」と思い込んでしまうことです。私は「100g 15,000円の隠岐牛」を食べたことがありません。従ってここからは全く推測になりますが、100g 15,000円の隠岐牛は「万人受けする味ではない」のではと、番組を見ていて想像したのです。牛肉に限らず、えてして高級な肉は、その種の肉が持っている本来の特色、その特色の部分を突出させたものが多いように思います。松阪牛などはその典型です。そういう肉をストレートに、しかも「目隠しで」味わうと、バランスを欠いた感じがして違和感さえ覚えるかもしれない。また、ややこしいことに、一般論として食材の本来の姿を際立たせたものを一番おいしいと感じるわけでもないのです。人工的なバイアスがかかった味に慣れてしまった我々は、食材の本来の味が分からなくなっていることが多々ある

考えてみると、100g 15,000円の隠岐牛はどういう人たちが食べるのでしょうか。会社における接待・社用族や、とにかく高い牛肉を食べたいという金満家は別として、自分のお金で100g 15,000円の隠岐牛を食べる「お金持ちで、真の食通の人」というのは、いろんな牛肉を食べ尽くしていて、何か特別な味、際だった特長を100g 15,000円に求めるのだと思います。それが万人受けするとは限らない。それに対して「スーパーの100g 1,000円の牛肉」は「誰が食べてもおいしいと思う肉」であることは絶対に確かです。そういう肉でないとバイヤーは仕入れないはずです。スーパーなんだから・・・・・・。

4つ目の「引っかけ」は牛肉の調理方法です。「100g 15,000円の黒毛和牛の隠岐牛」は、プロの料理人が肉の熟成度を管理し、目の前で(客の好みも聞いて)焼き、最適にカットし、その肉に合うタレとともに焼きたてを供し、そしてそれを客が即座に食べてこそ真価を発揮するものではないでしょうか。そういった条件がない状況において「隠岐牛」は相対的に不利になると想像できるのです。我々一般人はプロの料理人と違って、料理を味わうことには慣れているけれども、食材を味わうことには全く慣れていません。普通は、料理 = 食材 + 調理技術 を味わっているのであり、特に高級食材は高度調理技術とペアで味わうことしかやったことがありません。そこがプロの料理人との違いです。高級食材を高度調理技術なしにダイレクトに味わえと言われても、そんな未経験のことは簡単ではないと思うのです。

以上のさまざまな「引っかけ」があることを想像すると「芸能人格付けチェック」の回答者が「バランスがとれた」とか「ストレートにおいしい」と感じる肉は「スーパーの100g 1,000円の牛肉」の方だと推測するのは自然です。これが(この問題では)図星だったわけです。
(以降、続く


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