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No.32 - 芸能人格付けチェック [社会]

前回から続く)
前回の No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」では、

赤ワイン → 特徴が際立った味 → 高級食材 → 芸能人格付けチェック

という連想で書いたのですが、今回はその「芸能人格付けチェック」というTV番組(テレビ朝日。現在は正月番組)そのものを考えてみたいと思います。


「芸能人格付けチェック」はどういう番組か


前回に書いた「隠岐牛とスーパーの牛肉」もそうなのですが、この番組を何回か見て思うのは、番組が表向きの装い(表層)と、隠された裏の意味(深層)を持っていることです。もちろん「芸能人の高級品判別能力をテストする番組」というのは全くのタテマエであって、出演者も司会者も視聴者も、そんな単純なことだとは思っていない。

出演者・司会者・視聴者の全員が思っている、この番組の「表層」は次のようなものです。

セレブな芸能人、つまり数々の高級品を知っているはずの芸能人が、当然分かってしかるべき高級品と普通品の区別がつかないことを暴露してしまい、それを見た視聴者が「なんだ、大したことがないね、あの芸能人は」と感じて、爽快感を得るバラエティ番組。

このような番組であるかのように装っている。その「装い」を確かなものにするための仕掛けが、番組ではいっぱい用意されています。もちろん中には、ことごとく正解を出すような「真の」セレブもいます。そういう人は惜しみなく賞賛される。しかしことごとく正解を出す芸能人が多数だと番組が成り立たなくなります。あくまで多数の人は数問のうちの2、3問はハズし、あるいは全部をハズし、そのハズレ具合を見て視聴者は楽しむ、という構造にこの番組はなっているのです。回答者の芸能人も、そういう番組であることを承知の上で、ある人は挑戦意欲に燃え、ある人はリベンジを誓って出演する。

しかしここまでは「表層」に過ぎないのです。この番組の「深層」は次のようなものだと思います。

番組の問題出題者は、人が高級品に対して暗黙に抱いている「思いこみ」「固定概念」「先入観」を最大限に利用して回答者を「引っかけ」、不正解へと誘導しようとする。少なくとも、AとBのどっちが正解か分からないように回答者を混乱させようとする。

回答者は、自分自身が捕らわれているだろう「思いこみ」を自省し、出題者の「引っかけ」にはまらないように注意を払い、本来の高級品の姿を先入観なしに考えることによって、正解を出そうとする。そういった番組。

このような「出題者」と「回答者」の攻めぎ合いがこの番組の深層だと思います。すべての問題がそうだとは言いませんが、私の見た限りではこの深層構造をもつ問題がいろいろありました。

多くの芸能人回答者は、この深層に気づいていないようです。表層だけに捕らわれ、自分なら高級品をすぐ判別できるはずだと思い込む。番組司会者も「こんな問題はすぐに分かって当然ですよね」「これが分からないようじゃ一流ではありませんよ」という態度で囃し立てる。そして回答者は深くは考えずに問題に臨み、直感だけで高級品を判別しようとする。回答者のこういう態度は、実は出題者の思うツボなのです。そして回答者は「意外にも」どちらが高級品か、すぐには分からないことに気づいて、内心愕然とする。

前回の No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」 で書いた「100g 15,000円の隠岐牛」と「100g 1,000円のスーパーの牛肉」問題は、まさにこのような「深層構造」を持っています。そこにどういう「落とし穴」が仕組まれていたのかは、前回に書いた通りです。そして、この深層構造をもつ問題がいろいろありました。代表的な2つをあげてみたいと思います。


ヴァイオリンの名器


楽器の問題はいろいろあったと思いますが、次のような問題が典型的です。ほぼこの通りの問題があったと記憶していますが、ビデオ録画を持っているわけではないので詳細部分は違うかもしれません。しかし本質は変わらないと思うので書いてみます。

2つのヴァイオリンが演奏されます。つまり、

ストラディヴァリウスと同時代にクレモナで作られたヴァイオリン名器、時価数億円

現代の日本製の練習用ヴァイオリン、20万円

の2つです。どちらが名器でしょうか、というのが問題です。

これはかなり難しい問題だと思います。そんなの簡単だ、と思ったら、落とし穴にはまる。

この問題の「引っかけ」は、まず高級でないヴァイオリンを「日本製」「練習用」と紹介していることです。これと「クレモナの名器」が対比されて、なんとなく「一方のヴァイオリンの音が悪い」といった印象を与える。しかし事実は全く違います。

たとえば日本で最大のヴァイオリン製造会社は「鈴木バイオリン製造」で、数万円から150万円程度の楽器を製造しています。鈴木のバイオリンは100年以上の歴史をもち、中国でヴァイオリン製造が盛んになる前は世界市場でもトップのシェアでした。職人が個人技で作る「個人工房」のバイオリンはイタリアをはじめとするヨーロッパで盛んですが、大量生産するヴァイオリン(といっても熟練した職人さん達の、手仕事の分業ですが)では、日本の実力が相当のものなのです。「日本製」を否定的にとらえてはいけません。

さらに、わざわざ「練習用の」という言葉が付け加えられているのがあやしい。ヴァイオリンに「練習用」と「演奏会用」の区別があるわけではないのです。ヴァイオリンはヴァイオリンです。確かに、日本製の20万円のヴァイオリンをプロのヴァイオリニストやプロのオーケストラの団員は使わないし、音大の学生も使いません。一般の大学のオーケストラや市民オーケストラだって、コンサートマスターともなれば数百万円の楽器を持っている人はよくあるし、その団員だって日本製・20万円のヴァイオリンはあまりないでしょう。日本製の20万円のヴァイオリンは、実質的に「演奏会では使われない」というのは全くの事実です。

しかしその「演奏会には使わない」のがあたりまえの楽器を、わざわざ「練習用」と言って問題に出す。この意図は明白で「練習用」と断ることで「音がよくない」というイメージを回答者に与えることです。しかし実態は違うはずです。日本製の20万円のヴァイオリンは、上級のアマチュア・ヴァイオリニスト以上の人が弾けば、そんなに苦労なく、そこそこ美しく、そこそこ豊かで音量もある音が、いつでも出せると思います。それこそが「練習用」ヴァイオリンが果たすべき使命だからです。第1弦の高音が鳴らないとか、ハーモニクスが出ないとか、そんなことはないはずです。それでは練習にならない。

20万円という値段も微妙です。これが150万円となると「日本製でも良い音がするはず」という印象を回答者に持たれかねない。日本製の方の音が悪いという印象に誘導するためには、値段は安ければ安いほどよい。しかしさすがに5万円のヴァイオリンでは良い音はしないかもしれず、問題として元も子もなくなる(可能性がある)。20万円という値段のヴァイオリンは、そのぎりぎりの所を狙って出題されたのだと思います。テレビ朝日はかなり綿密に検討しているはずです。



一方、時価数億円の、300年前に作られたヴァイオリンの名器はどうでしょうか。こういった名器は「誰がどんな場所で弾いても」本来の音が出るのでしょうか。ヴァイオリニストの千住真理子さんは、ストラディヴァリウスについて次のように書いています。太字(下線)は原文にはありません。

聞いて、ヴァイオリンの詩.jpg もちろん見た目も美しいが、なんといっても魅惑的なのは音色だ。300年前には考えられなかったはずの現代の2000人の大コンサートホールに持って出て、きわめて小さな音を出しても客席の一番後ろまでピーンと美しく聞こえる、という現象には驚かされる。ほかの楽器は「そば鳴り」といって、近くでは大きくきれいな音が聞こえるが、大ホールに持って出るととたんに音が貧弱に鳴り、後ろの席まで音が通らない。ストラディヴァリは大ホールに持って出て、初めてその実力が確かめられると言える。両者の違いに大いに気づくことになるのだ。

千住真理子「聞いて、ヴァイオリンの詩」(時事通信社 2000)

TVスタジオでストラディヴァリウスを聞くとどういう音がするのか、大変に興味があります。さらにその次に続く文章です。

もう一つ特徴的なこととして、ストラディヴァリほどの名器は、ある程度長い年月をかけて弾き込まななければ音が出ない、という点がある。本当に、実際に「音が出ない」

ギーといったり、かすれたり、思うように音が鳴らずに大変苦労する時期が、最低1、2年、場合によっては10年近くある。その間、「もしかするとこの楽器はニセモノななのではないか」という不信が生まれ、「他人には言えないがこれはきっとニセモノだ」という確信を持ってしまったりする人も多い。しかしあきらめずに、しかしある意味ではあきらめてその楽器を弾きつづけると、あるときを境にカーンと鳴りはじめるのである。

ある科学者によるとこれは、「一人の人によって一定の振動の与えつづけることによって木の細胞がみな一定方向に向きを変え、ある種の振動に対してきわめて敏感な反応をするようになるため」ということらしい。

(同上書)

恐ろしいことが書いてありますね。ストラディヴァリウスを購入した人は、ニセモノをつかまされた、いまさら人には言えない、と「あきらめて」弾き続けることが肝要らしいのです。練習に練習を重ねないと、ストラディヴァリウス本来の素晴らしい音は出ないと千住さんは言っているのです。

Stradivarius-Duranti-1.jpg
Stradivarius-Duranti-2.jpg
千住真理子さん所有のストラディヴァリウス「デュランティ」
NHK「美の壺」File 131 より [ site : NHK ]

ストラディヴァリウスほどではないにしろ、名器といわれるヴァイオリンはこういった傾向を持つようなのです。「芸能人格付けチェック」の問題のように、いくらプロといえども(たぶん)練習もあまりなしに300年前のイタリアの名器を弾いて、果たして本来の音が出せるのでしょうか。しかも、それ聞くのは演奏会場ではなくてTVスタジオなのです。そこをまず疑ってかからないといけない。パッと聴いたときに豊かで美しい音色と思えるのは「そば鳴り」がする「日本製・練習用・20万円」の方である可能性は十分にあると思うのです。

この問題を「フェアな問題」にするためには、たとえば千住真理子さんに依頼し、彼女の愛用のストラディヴァリウス「デュランティ」と日本製・20万円のヴァイオリンを、演奏会場で弾き比べてもらわないといけないわけです。しかしそんなことは番組ではしない。そんなことをすると、バラエティ番組ではなくなってしまうからです。


現代アートの大家の作品


絵画の鑑賞も「芸能人格付けチェック」の定番問題の一つです。典型的な問題は次のようなものです。2つの絵が出題されます。

現代美術の巨匠が描いた抽象画。市場取引価格、数百万円。

巨匠の作品に似せてテレビ朝日の大道具担当が描いた「作品」。市場価値ゼロ。

の2つです。さてどちらが巨匠の作品でしょう、というのが問題です。細部までこの通りの問題だったかどうかは記憶が鮮明ではありませんが、こういったタイプの問題が番組の一つの定番であることは確かでしょう。

これは非常に難しい問題だと思います。最低限、問題作成者がどういう罠を仕掛けているのか、想像を巡らしておく必要があります。でないと、落とし穴にはまる。

そもそも「テレビ朝日の大道具担当」とは、どういう経歴の人でしょうか。その人はひょっとしたら「美大のデザイン科を出て、高い競争率を勝ち抜いて、テレビ朝日ないしは関連の専門会社に就職した」ような人ではないでしょうか。だとするとその人は、小学校から高校まで「絵が好き、美術好き」で通っていたはずです。当然、美大の入試には絵を描いただろうし、デッサンもしたはずです。入試に備えて美大入試専門の学校にも通ったでしょう。入学してからも、デザイン科だとはいえ油絵も描いただろうし、何よりも数々の美術制作の現場を見てきたはずです。そうだとすると、その人は「美術の素養が完全にあるプロ」ということになるのです。ある絵に似せて絵を描くなんて「軽い」ことかもしれない。問題作成者は「大道具担当」という言葉を持ち出すことによって「美術に疎い」という印象を作り出そうとしています。だけど、事実は全くの逆かもしれないのです。「武蔵野美大を出たテレビ朝日のアートディレクター」とでも紹介すれば回答者が受ける印象は全く違うはずですが、そんな紹介は絶対にされない。

さらにもう一つの落とし穴は、巨匠が描いた「現代アートの抽象画」を、あまり見慣れない人がすんなりと受け入れられるかどうか、ということです。絵画に限りませんが「現代アート」の作品の中には「現代以前のアートの約束ごとや、決まり、方法論を否定したところに妙味がある」ものがあります。そして、そういう作品を鑑賞するには「現代以前のアートの歴史を知っていないと、おもしろさが全く分からない」ことがある。色の組み合わせが変だなと思っても、それはトラディショナルな配色の決まり事の逆をやっているわけであって、そこにこそ絵の妙味があったりする。良いか悪いかは別にして、鑑賞のための予備知識がいるアートや、素人が素直には楽しめないアートが存在するのです。

比喩的にいうと、漢字には楷書・行書・草書がありますが、草書体で書かれた書の美しさを味わいたいとき、楷書体・行書体を全く知らないで味わうことはできません。楷書の書き順や筆の運びを熟知した上で、それをどう行書で「崩すか」も知っていて、さらにそれ以上の「崩れ具合」を味わうのが草書の妙味です。あたりまえですが、元のものを知らないで、元のものを崩した妙味は分からないのです。このことは何も芸術としての書道に限りません。年配の、字が大変上手な方から手紙や葉書を受け取ったとき、よく「達筆すぎて読めない」なんて言いますよね。字がへただから読めないのではないのです。字がうますぎて読めないのです。

「芸能人格付けチェック」の現代アートの問題に戻ると、我々の思いこみを排除して冷静に考えると、テレビ局の大道具担当の人が現代アート風に描いた「作品」の方が、普通の人にはすんなりと受け入れられる可能性が強いわけです。出来るだけ多くの人に、直感的に受け入れられる・・・・・・。それこそが、テレビ局の人たちが日夜、必死に追及していることなのです。

すんなりと受け入れやすい方はあやしい・・・・・・。回答者はまずそう思って「身構えて」問題に臨まないと、全く逆の答えを出す可能性が強いと思います。


高い正解率を得るには


「芸能人格付けチェック」において、大変に正解率の高い人がいます。たとえばGACKTさんで、確か No.31 で書いた2010年の隠岐牛の問題も、彼は正解したと思います。2011年のこの番組は見なかったので最新状況は分かりませんが、確か彼は連続正解の記録を作ったことがあると記憶しています。

しかしちょっと考えてみると、いくらGACKTさんが「ホンモノが分かる、真のセレブ芸能人」であったとしても「この番組で出されるような高級品の全てを味わったり鑑賞した経験があって、かつその記憶が残っている」わけではないと思うのです。いくつかは初めての経験のはずです。たとえば高級牛肉はいろいろ食べたが、隠岐牛は初めて、というような・・・・・・。

おそらく彼はこの番組の「深層」を理解しているのだと思います。つまり番組の本質が「だまそうと思う出題者と、だまされまいとする回答者のバトル」だと分かっている。だから正解にたどり着きやすくなる。そういうことではないでしょうか。

その意味では、2010年の隠岐牛の問題(No.31参照)で、断定的に隠岐牛を否定して不正解になった回答者の方(仮にAさんとしておきます)は、味覚の鋭い人だと思います。だから2つの肉の違いが明確に分かった。一般の回答者は「どちらかと言えばB」とか「Bの方が・・・・・・の気がする」というように「迷いつつ回答する」のが普通です。はっきりと「Bです」という回答者も「心の中では迷ってるのが、ありありと分かる」ことが多い。しかしAさんは即座に断定しました。味が分かるのですね。しかし、残念ながらAさんはGACKTさんと違って、この番組の「深層」を理解していなかった。だから、味覚が鋭いにもかかわらず正反対の答えを出した

GACKTさんのような人は少数です。普通の回答者は、Aさんも含めて表層だけでこの番組をとらえ、まんまとだまされて番組の「バラエティ化」に貢献しています。そして「だまされた」ことにさえ気づかず、自分の「高級品鑑賞力」が低いのだと思い込む。もちろんこの番組はバラエティ番組なので、そういう芸能人がいないと困るわけです。番組を成立させるためには、あなたは三流だと司会者が宣告できる芸能人が絶対に必要なのです。


ブルネッロと芸能人格付けチェック


前回の「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」から「極端な味」へ、そして「高級品」から「芸能人格付けチェック」へと話が飛びましたが、これを「高級品」を中心にまとめると、以下のようになると思います。

高級品の中には、特質を凝縮し、突出させ、際立たせたものがある。そういった高級品をストレートに味わうと(鑑賞すると)、それに慣れている人は別にして、一般には違和感を覚えることが多い。

そのような高級品は、プロフェッショナルが行う「アレンジメント」のうまさによって違和感が解消され、本来の特質が誰にとっても心地よいものになる。それを行うのが一流の料理人であり、シェフであり、ソムリエであり、ブレンダーであり、一流のアーティストである。

高級品を味わう(鑑賞する)には、味わう側にもバックグラウンドの知識や経験がそれなりに必要なケースがある。

さらに「芸能人格付けチェック」が示唆しているもう一つのことは、高級品と普及品(の上位クラス)の差は、それほど大きくはないということです。

前回書いたブルネッロ・ディ・モンタルチーノと赤ワインの話に戻ると、800円の赤ワインと5,000円の赤ワインを目隠しでテイスティングしてみて、どちらがどっちかを判別することは容易です。しかし5,000円と3万円の赤ワインでは普通の人には判別が難しいのではないか。少なくとも私には、全く自信がありません。5種類のブルネッロ・ディ・モンタルチーノのグラスがあり、その中の1つだけは3万円、あとは5,000円、テイスティングで分かりますか、と言われても、多分、分からない(ことが多い)と思います。訓練をうけた人やソムリエなら容易だろうけど・・・・・・。

高級品と普及品(の上位クラス)の差は、意外にも少ない(ことがある)。特に値段の差ほどの差はない。

「芸能人格付けチェック」の最大の教訓はここです。高級品と普及品の判別を装っているこの番組は、実は高級品と普及品最上位クラス、ないしは超高級品と高級品の判別問題なのですね。その差はごく僅かです。だがら難しい。

高級品を味わってみて(鑑賞してみて)素晴らしいと思うのは、それが高級品ということになっているから、つまり高級品だという情報がくっついているからである。

ということだと思うのです。高級品と普及品の上位クラスとの僅かな差を大きな差だと感じさせるのは、人間社会に蓄積されてきた文化なのですね。「僅かの差しかない」高級品の価値を否定しているのではありません。僅かの差を拡大させて感じさせる「文化」は大切なものだと思うのです。世の中にはピンからキリまで、いろんなバリエーションがある(と感じられる)からおもしろいのです。




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