No.222 - ワシントン・ナショナル・ギャラリー [アート]
バーンズ・コレクションからはじまって、個人コレクションを発端とする美術館について書きました。
の9つの美術館です。今回はその方向を少し転換して、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーについて書きます(正式名称:National Gallery of Art。略称:NGA。以下 NGA とすることがあります)。
なぜワシントン・ナショナル・ギャラリーかと言うと、過去にこのブログでこの美術館の絵をかなり紹介したからです。意図的にそうしたのではなく、話の成り行き上、そうなりました。そこで、過去に取り上げた絵を振り返りつつ、取り上げなかった絵も含めてこの美術館の絵画作品を紹介しようというのが今回の主旨です。
それに、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは "個人コレクション美術館" が発端です。つまりこの美術館は、銀行家・実業家で財務長官まで勤めたアンドリュー・メロン(1855-1937)が建設・運営基金と個人コレクションを国家に寄贈し、それにもとに設立された美術館です(1941年開館)。アメリカ富裕層の財力のものすごさを感じます。ちなみにここは創立以来、入場料が無料です。「アメリカを文化国家に」という主旨で設立されたからですが、現在、国を代表するような美術館・博物館で入場無料というのは大英博物館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーとここぐらいのものではないでしょうか。
いうまでもなくアメリカ随一の「国立美術館」であり、その規模や作品数は膨大です。「国立」なのでアートの年代も13世紀から20世紀まで多岐に渡っている。その意味で、フィラデルフィア美術館と同じく "巨大美術館を紹介するのは難しい" わけですが、今回は、
に絞ります。また、さきほど書いたように過去にこのブログでとりあげた絵を再掲するとともに、必見と思われる絵を追加する形をとります。さらにアメリカ人画家をなるべく掲載することとします。以下は画家の生誕年順で、同一画家の作品は制作年順です。
ボッティチェリ(1446-1510)
No.160「モナ・リザと騎士の肖像」で引用した作品です。青年が右手を胸に置いて人指し指と中指を広げていますが、同じポーズの絵がプラド美術館にあります。それはエル・グレコの『胸に手を置く騎士』で、プラド美術館の代表作の一つとされている作品です。
このような手の形はルネサンス期のイタリア絵画で女性の姿によくあります。ブロンズィーノの『マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像』がその典型です。ボッティチェリ自身の『ビーナスの誕生』(ウフィツィ美術館)もそうで、これらは手を美しく見せるためと言われています。しかし男性の肖像画ではあまり見たことがなく、エル・グレコからこのNGAのボッティチェリを思い出したわけです。
この絵は現地で初めて知ったのですが、巨大美術館であるワシントン・ナショナル・ギャラリーの中でも印象的で、すぐに写真を撮ったのを覚えています。なぜ印象的だったかは分かりませんが、ひょっとしたらそれは「指を広げて胸に置いた右手」だったのかも知れません。
ダ・ヴィンチ(1452-1519)
ヨーロッパ以外にある唯一のダ・ヴィンチ作品がこの絵です。もちろんアメリカではここだけです。モデルはフィレンツェの銀行家の娘で、彼女が16歳の時の作品です。レオナルドはこの絵を22歳から描き始めました。NGAのサイトには「4分の3正面視の肖像の初期の作品の一つ」で「肖像画で風景を背景としたのはレオナルドの新しい試み」とあります。この2つともフランドル絵画では既に行われていたわけで、レオナルドは新しい画法を取り入れるのに積極的だったようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画は『モナ・リザ』『貴婦人の肖像』(ルーブル美術館)『白貂を抱く貴婦人』(ポーランドのクラコフのチャルトリスキ美術館)と本作の4点しかありません。「モナ・リザ」を別格として、他の3作品に共通するのはモデルを冷静に眺めて現実を描くというか、「モデルとは距離をおいた観察と描写」を感じる絵であることです。モデルが賢そうに見える点も共通しています。このジネヴラ・デ・ベンチの肖像もそうです。白い肌や金髪の巻き毛が精緻に描かれていて、知的で、芯が強そうで、何となく神経質で、しかし病弱そうなモデルの雰囲気がよく出ています。
エル・グレコ(1541-1614)
この作品はエル・グレコの絶筆とされている作品で、かつ画家が生涯で描いた唯一の神話画です。中野京子さんの文章を引用します。
直感的に連想するのは、バチカン美術館にある有名な『ラオコーンの大理石像』です。この有名な像は1506年にローマで発掘されましたが、ギリシャ出身のエル・グレコはスペインに来る前にイタリアに滞在し、ローマにも行っています(1570年)。つまりローマでラオコーンの大理石像を見た記憶で描かれたという可能性があるわけです。ちなみに次項のルーベンスはイタリア時代にローマでラオコーンの大理石像を見ていて、そのスケッチが残されています。ローマに滞在した画家なら、ラオコーンを見るというのは自然だと考えられます。
とは言うものの、バチカンの像と違って不思議な絵です。ラオコーンと2人の息子、海ヘビ、トロイアに擬したトレドの街、木馬(=トロイアにとっては破滅の木馬)までは分かりますが、右端の3人の人物はいったい何でしょうか。まるで空中を浮揚しているようです。この解釈には議論がいろいろとあるようで、NGAの公式サイトには「たぶん、海ヘビを放ったギリシャの神々」という解釈が書いてあります。
しかしこの3人はトロイア市民ということも考えられるでしょう。破滅の瀬戸際にある国家、国家を救おうとして死にゆく親子、それとは無関係に浮揚している市民、の3つを対比させることで時代の終焉を表したのかもと思います。
ルーベンス(1577-1640)
フランドル出身のルーベンスは 1600年~1608年の8年間(23歳~31歳)イタリアに滞在し、イタリア各地を回りながら古典やルネサンスの絵画に触れ、絵の研鑽と制作に励みました。次の絵はルーベンスがジェノヴァで描いたものです。
ジェノヴァの名門貴族、スピノラ家から、これも名門貴族のドーリア家に嫁いだブリジーダという女性の肖像画です。眼をひくのは銀色に輝くサテンのドレスと特大のラフ(襞襟)で、その中で堂々と正面を見据える女性の表情が印象的です。貿易や金融業で繁栄を誇ったジェノヴァの上流階級の財力と権威が想像できます。ルーベンスの筆致はドレスからラフから髪飾りまで、大変に精緻であり、画力のすごさが分かります。若きルーベンス、20代後半の傑作です。
少々わかりにくいのは背景です。室内ではなく建物の外側の感じで、ドレープがかかった赤い布が垂れている。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、実はこの絵のオリジナルはもっと大きく、ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた、それが19世紀のある時点で現在のサイズに切断されてしまったとあります。
なるほど ・・・・・・。ブリジーダは22歳で、結婚したばかりともありました。左の方に描かれていたのは "ジェノヴァ風景" のはずで、だとすると「ジェノヴァを支配する名門貴族の若き花嫁」という絵なのでしょう。
ヴァン・ダイク(1599-1641)
イギリス、チャールズ1世の宮廷画家だったヴァン・ダイクの作品で、No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵です。
フランドル出身のヴァン・ダイクは1620年に英国に渡りますが、師匠のルーベンスと同じように、1621年から1627年までの6年間(22歳~28歳)はイタリアに滞在し、ジェノヴァを拠点に絵の勉強と制作に励みました。この絵はジェノヴァのカッタネオ伯爵の夫人、エレナ・グリマルディを描いたものです。ずいぶん "いかつい" 感じで "勝ち気な" 雰囲気の女性ですが、それは本人をよく表しているのでしょう。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、ヴァン・ダイクはジェノヴァでルーベンスの「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」を見たことがあって、そこからインスピレーションを得たとあります。これで納得できます。上に書いたようにルーベンスのオリジナル作品において「ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた」のですが、それがヴァン・ダイクの「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」に引き継がれたのでしょう。
ルーベンスと違って、いちばん眼を引くのは "パラソル" です。17世紀のパラソルは木製の大がかりなもので、女性が自分で持てるような代物ではとてもなく、このように召使いがかざして歩くものでした。
もう一つのポイントはパラソルを持っている召使いで、これはアフリカから連れてこられた奴隷だと推定できます。当時のイタリアの海岸都市、ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィなどは地中海交易で繁栄し、その重要な交易品の一つが奴隷でした。またイタリアの貴族や裕福な家庭では奴隷を使っていました。No.23「クラバートと奴隷(2)ヴェネチア」で紹介しましたが、塩野七生著「海の都の物語」には「イタリアの都市ではエキゾチックな黒人奴隷がもてはやされ、回教国では白人奴隷が好まれた」という意味の記述がありました。この絵の伯爵夫人は、エキゾチックな黒人奴隷の従者にパラソルを持たせることで権力と富を誇示している感じがします。
ちなみにワシントン・ナショナル・ギャラリーにはパラソルがテーマになっているもう一枚の絵があります。それは "超有名絵画" であるモネの『パラソルの女』です(後で引用)。この二つを対比して見るとおもしろいでしょう。
No.161「プラド美術館の怖い絵」で引用した絵で、英国国王チャールズ1世の妃であるヘンリエッタを描いたものです。このブログでは17世紀のスペイン宮廷で「特異な身体的形状をもった人」を雇う(ないしは住まわせる)習慣があったことを書きました(No.19「ベラスケスの怖い絵」、No.45「ベラスケスの十字の謎」、No.161「プラド美術館の怖い絵」)。しかしその "習慣" は何もスペインだけではなく、ヨーロッパの宮廷に広くあった。その一例として引用したのがこの絵でした。
フェルメール(1632-1675)
寡作で有名なフェルメールの絵がそもそも何点現存しているかですが、フェルメールについての数々の著作がある朽木ゆり子氏の本によると(「フェルメール全点踏破の旅」集英社新書 2006)、次の通りです(以下の "ランク・・・" は今回便宜上つけたものです)。
◆ランクA : 32点
◆ランクB : 2点
◆ランクC : 2点
◆新発見作 : 1点
一般的には美術界の多数意見に従って(A + B + 新発見 = B)の合計35点をフェルメール作品としています。このうち美術館所蔵の作品は34点(盗難中を除くと33点)ですが、2点以上を所蔵している美術館をあげると次の通りです。
◆5点:(米)メトロポリタン美術館
◆4点:(蘭)アムステルダム国立美術館
◆3点:(蘭)マウリッツハイス美術館
◆3点:(米)フリック・コレクション
◆3点:(米)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(英)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(仏)ルーブル美術館
◆2点:(独)ベルリン絵画館
◆2点:(独)ドレスデン アルテ・マイスター絵画館
別にフェルメールをたくさん持っていることが美術館の価値を決めるわけではないのですが、アメリカの3つの美術館だけで11点、全作品の約3分の1を保有しています(盗まれた1点を加えると12点)。ダ・ヴィンチがアメリカに1点しかないのとは大違いで、フェルメールが19世紀後半以降に "再発見" されたことを如実に物語っています。これらのうち、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(NGA)にある3点は、
『手紙を書く女』 (A)
『天秤を持つ女』 (A)
『赤い帽子の女』 (B)
であり、さらに NGA にはもう一枚、
『フルートを持つ女』 (C)
があります。つまりNGAはランクA,B,Cが全部揃っているという珍しい美術館です。NGAは『フルートを持つ女』については「Attributed to Johanness Vermeer」として展示しています。「伝・フェルメール」という感じでしょうか。もちろん『赤い帽子の女』についてNGAは断固真作だと主張しています。以下はランクAの2点です。
この絵のような「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の女性をフェルメールは6点描いていますが、その中の1枚です。少し微笑んだ女性を、自然体で大変おだやかな雰囲気に描いています。机の上の小物の描き方も光っています。ちなみに「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の他の5枚は、メトロポリタン、フリック・コレクション、アムステルダム、ベルリン、ロンドンのケンウッド・ハウスにあります。
各種の解説にありますが、この絵の画中画は「最後の審判」です。このブログでは、フランスのボーヌにあるファン・デル・ウェイデンの『最後の審判』を引用しました(No.116「ブルゴーニュ訪問記」参照)。その絵でも分かるのですが一般的に「最後の審判」の描き方は、上の方に再臨したキリスト、その下に秤をもった大天使ミカエル、その横(ないしは下)にミカエルによって天国と地獄に振り分けられた人間という構図です。
この絵はその大天使が女性によって隠されていて、その代わりに女性が天秤を持っている。天秤の皿の上には何も乗っていない(=何も描かれていない)ことが判明していて、女性が天秤のバランスをとっている(?)姿になります。机の上の真珠や金貨も意味ありげです。数々の解釈がなされてきたようですが、決定版はないようです。素人目には「女性が何か重大な決断をしようとしている、ないしは決断をすべきか迷っている」と見えますが、そうとも限らない。結局、絵を見る人にゆだねられているといっていいでしょう。
フラゴナール(1732-1806)
この絵もワシントン・ナショナル・ギャラリーの有名絵画です。フラゴナールというと "ロココ" の画家であり、宮廷や貴族の恋愛模様を描いた、いわゆる "ロココ趣味" の絵で有名です。しかしこの絵はそれとは違って家庭内での "知的な" 情景であり、享楽的な恋愛模様とは対極にある画題です。
No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」でルネサンス期のイタリアの横顔肖像画を4点とりあげました。しかしこのフラゴナールの横顔作品は、特定の人物の肖像画ではないでしょう。「女性の横顔の美」と「読書という行為」がうまく融合した作品になっています。
注目すべきは描き方で、なんとなく "印象派っぽい筆致" です。印象派は絵画史における革新だったわけですが、一般的にいってアートにおける革新は、全く新しいものが突然変異のように生まれるのではなく、それ以前の時代に萌芽があるわけです。印象派に関していうと、イギリスのターナーの絵はそういう感じがします。この『読書する娘』もそういった一枚だと思います。
ゴヤ(1746-1828)
No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」で引用した絵です。この絵の感想は No.90 に詳しく書いたので、ここでは省略します。ひとつだけ繰り返すと、この絵は「ワシントンのモナ・リザ」でしょう。年齢はずいぶん違いそうですが、この絵のモデルも既婚者です。明らかにモナ・リザを意識したポーズだし、表情の "微妙な複雑さ" がモナ・リザ的です。
アングル(1780-1867)
No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。アングルは、この絵(立像)の他に『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を描いています(ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある)。そして No.157 で書いたように、ピカソは『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を下敷きにしてマリー = テレーズを描いたのでした。それが『本をもつ女』という絵です。『本をもつ女』はピカソが "アングルから影響を受けた" と自ら宣言しているような絵です。
そしてNGAの『モワテシエ夫人の肖像(立像)』ですが、この絵から伝わってくるのは夫人の大変に豊満な感じであり、また額から鼻筋がそのまま伸びている彫りの深い顔立ちです。この風貌から直感的に連想するのが、ピカソの "新古典主義の時代" に登場する人物像です。NGAが所有するピカソの作品(「Classical Head」1922)をあげておきます。このような顔立ちはギシリャ・ローマ彫刻によくあるし、ルネサンス期の彫像にもあります(たとえばミケランジェロのダビデ像)。しかしアングルのこの絵もピカソに影響を与えた一つだったのではないかと思います。
マネ(1832-1883)
No.36「ベラスケスへのオマージュ」で引用した絵です。その主旨は、マネがプラド美術館でベラスケスを見て感動し、そのベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』を踏まえて描いたのがこの作品ということでした。
『悲劇役者』は「黒」を強調した絵でしたが、この絵も強烈に印象づけられるのは黒服の「黒」です。NGAには別に『死せる闘牛士』というマネの絵がありますが、その絵も黒服が眼につきます。一連の「黒」はマネがスペインを旅行したときの影響だと考えられます。
NGAのサイトの解説によると、右から2番目でこちらを向いているブロンドの髪の紳士は画家自身だそうです。また、上の方に足が描かれていますが、これは『フォリー・ベルジェールのバー』(1881/82)を連想させます(No.155「コートールド・コレクション」参照)。
この絵はマネの有名作品です。サン = ラザール駅を描いたこの絵は、1898年にアメリカのハブマイヤー夫妻がパリの画商のデュラン = リュエルから購入したものです。夫人のルイジーン・ハブマイヤーはメアリー・カサットの友人です。No.86「ドガとメアリー・カサット」に書きましたが、ルイジーンがメアリーの勧めで購入したドガのパステル画が「アメリカ人が初めて購入した印象派絵画」でした。
フィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』という本があります。著者はサザビーズの印象派・近代絵画部門のシニア・ディレクターを勤めた人で、印象派の受容の歴史を "画商" や "オークション" の視点から描いた興味深い本です。この本に、ルイジーン・ハブマイヤーがこの絵を購入した当時のことを回想した発言がのっています。以下に引用してみます。
一見すると奇妙な絵です。"屋外" で "現代" を描くという意味では印象派の絵と似ています。しかし肝心の鉄道はほとんど描かれず、子どもは向こう向き、誰かに気づいて読書を中断したような女性は母親でしょうが、親子はバラバラです。都会における家族、と考えていろいろと画家の意図を推測できると思いますが、そういう "深読み" にあまり意味はないのですね。どういう絵の見方をすべきか、それを語ったのが印象派と同時代のコレクター、ハブマイヤー夫人です。この回想に尽きていると思います。
マネの代表作である『草上の昼食』や『オランピア』はオルセー美術館の至宝ですが、発表当時は大スキャンダルになりました。否定するにしろ肯定するにしろ、大きな話題となった。しかしこの『鉄道』にはスキャンダラスなところは何もありません。結局、この絵をつまらないと思って見過ごすのか、それとも(ルイジーン・ハブマイヤーのように)感動するのかが、時代の分かれ目だったのでしょう。
ちなみに『草上の昼食』(1863)『オランピア』(1863)『鉄道』(1873)の3作品はいずれもヴィクトリーヌ・ムーランがモデルですが、マネが彼女をモデルに描いた最後の作品が『鉄道』です。
なお、人物を描いたものではありませんが、No.93「生物が主題の絵」で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵しているマネの2枚の犬の絵、『タマ、日本犬』と『キング・チャールズ・スパニエル犬』を引用しました。ここで改めて「鉄道」を見てみると、座っている女性は子犬を抱いています。"屋外" で "現代" を描いたのがこの絵ですが、その "現代" とは、鉄道の他にもう一つ "ペット" なのですね。つまり19世紀後半にもなると一般市民がペットを飼うという習慣が出てきた。マネが犬の絵を描いたのも、そういう流れの中で考えるべきでしょう。
ホイッスラー(1834-1903)
ホイッスラーはアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、21歳のときにパリに居を構え、その後ロンドンに拠点を設けて活躍した画家です。この絵の「白のシンフォニー No.1」という副題ですが、「白のシンフォニー」は全部で3作あり、No.2 はテート・ブリテン、No.3 はバーミンガム大学付属美術館にあります。
この絵はその題名どおり画面の大部分を占める服の「白」が目立つ作品です。ドレス、手にしている百合の花、後ろのカーテン、敷物にさまざまな色調の白が使われています。まさに「白のシンフォニー」です。このように白に白を重ねる色の使い方はあまり見たことがなく、大変に斬新な手法です。この『白のシンフォニー No.1』は発表当時、大きなスキャンダルになったようです。2014年-15年に日本で開催された「ホイッスラー展」の図録には次のようにありました。
マネの『草上の昼食』がスキャンダラスというのは理解できますが、この『白のシンフォニー No.1』がスキャンダルだとは、現代人はちょっと想像できません。今から150年前のパリ・ロンドンの画壇では絵のテーマに対して数々の制約があり、それを打ち破ろうとする画家がいたということでしょう。それが上の評言に出てくるクールベであり、マネであり、そしてホイッスラーだった。この絵のモデルとなったジョー(ジョアンナ)・ヒファーナンはクールベの『世界の起源』(オルセー美術館)のモデルとも言われる人で、それも象徴的です。
比較のために同じモデルを描いた『白のシンフォニー No.2』を引用しておきます。この絵はホイッスラーによくあるジャポニズムの影響下にある作品で、磁器の壷、朱色の椀、団扇といった典型的な日本的アイテムが配置されています。描かれている花はアザリア(ツツジ)で、この花も東アジア原産です。ちなみにワシントン D.C.のフリーア美術館にはホイッスラーがデザインしたピーコック・ルーム(孔雀の間)があり、『磁器の国の姫君』というジャポニズム作品が展示されています。
ホーマー(1836-1910)
ホーマーはボストン生まれで、アメリカの身近な自然や生活を描くのを得意とした画家です。
頬を紅潮させた女性が紅葉した木の枝を持ち、ちょっと挑戦的な視線で画家の方を向いています。何となく、この人の "勝ち気" な性格を思わせます。つまり、この絵をパッと見ると特定の人物の肖像画だと感じる。しかし題名は「秋」です。
背景は何らかの傾斜地、ないしは山道でしょうか。スカートの裾を持ちペチコートをのぞかせている姿は、今しがた坂を降りてきたように見えます。そして一面に描かれた紅葉がこの絵の特色です。背景は明確ではなく、あえて特定の景色にしなかった感じがします。秋のイメージを具現化したのでしょう。だとすると女性も、紅葉した木の枝を携えて "秋" から抜け出してきた「秋の化身」のようにも感じられる。よく西欧絵画に季節を擬人化して描いた絵がありますが、この絵もその流れにある一枚かもしれません。
なお、今回は人物画に焦点を当てたのですが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーには、ホーマー最晩年の『右と左』(1909)という重要作品があります。ハンターに撃たれる瞬間の鴨を描いた絵ですが、ジャポニズムの影響も感じる傑作です。
セザンヌ(1839-1906)
マネの『鉄道』のところで引用したフィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』によると、この絵は NGA の設立者であるアンドリュー・メロンの息子、ポール・メロンが、1958年、ロンドンのサザビーズの競売で、当時の絵画の最高価格である22万ポンドで落札した作品とあります
『赤いチョッキの少年』は、セザンヌの絵によくある連作(4点)です。1点は前向きに座っている姿で、バーンズ・コレクションのメインルーム(Room1)の North Wall にあります(No.95「バーンズ・コレクション」参照。分かりにくいですが)。1点は座って肘をついている姿で、チューリッヒのビュールレ・コレクションにあります(赤いチョッキでは最も有名)。また横向きに座っている絵がニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。
このNGAの絵をみても分かるのですが、さまざまな色が使われ、形が組み合わされています。色の実験、形の実験をしているようで、まさにセザンヌがモダン・アートを先導した画家だと分かります。
No.114「道化とピエロ」で、ドランとピカソのアルルカン(ないしはピエロ)の絵を紹介したときに "セザンヌも描いている" と書きましたが、その絵がこれです。これは、箱根のポーラ美術館にある『アルルカン』とほぼ同じ構図です。実は『アルルカン』は計4点の連作で、1点は「ピエロとアルルカンの絵」(プーシキン美術館にある《マルディ・グラ》)、3点が「アルルカンだけの絵」で、そのうちの1枚がポーラ美術館、1枚がNGAというわけです(もう1枚は個人蔵)。
ポーラ美術館に敬意を表して、ポーラ美術館のサイトにある『アルルカン』の解説を引用します。もちろん「ポーラ版アルルカン」についての解説ですが「NGA版アルルカン」についても当てはまると思います。
『赤いチョッキの少年』と『アルルカン』のほかにNGAが所蔵するセザンヌの人物画に、画家の父を描いた有名な作品がありますが省略します。
モネ(1840-1926)
No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵で、モネの妻・カミーユと息子のジャンを戸外で描いた作品です。印象派の代表作の一つであり、まさに "印象派がギッシリと詰まった" 作品でしょう。逆光の感じの出し方、雲の描き方などは秀逸です。
この絵の一つのポイントは、NGAが所蔵するヴァン・ダイクの『伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ』の肖像画と同じく、"パラソル" です。この2つの絵には250年の時の経過があります。産業革命を経たフランスではパラソルが庶民でも手に入るようになり、パラソルを持って公園や戸外を散策するのが当時のパリの女性の最先端の風俗だった。そういう妻を(おそらく)幾分誇らしげに描いたのがこの絵でしょう。なお、パラソルがトレンドだったことは、この絵の10年後に描かれたスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を見ると理解できます(No.115「日曜日の午後に無いもの」参照)。
ルノワール(1841-1919)
この絵もルノワール作品では有名な絵です。一つ思うのは「ドガの踊り子」とのあまりの相違です。同じ踊り子をモチーフにしながら、そこから引き出されたものが全く違う。絵画のおもしろさでしょう。
カサット(1844-1926)
メアリー・カサットの作品については、今まで4回に渡って書きました(No.86、No.87、No.125、No.187)。従って紹介した作品も多いのですが、そのうち4点が NGA の作品です。まずそれを順に振り返りたいと思います。
この絵については No.87「メアリー・カサットの少女」、および No.125「カサットの少女再び」で詳細な感想を書いたので省略します。ドガの手が入っているとされる絵で、そのあたりの事情も No.125 に書きました。No.125ではこの絵の革新性についても書いたのですが、NGAの公式ガイドブックには、この絵を評して、
少女がいなければ、ほとんど抽象画
とあります。なるほど、その通りだと思います。
No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で引用した絵です。カサットが「ドガを見返してやろう」と発奮して描いた、という主旨でした。
No.86「ドガとメアリー・カサット」、No.87「メアリー・カサットの少女」で引用しました。舟の縁、帆、身体などの各種の線が渦巻きのようになって最後は子どもの顔に収斂していく構図です。ベタに塗ったような描き方は浮世絵の影響を感じます。カサットがいかに浮世絵に魅せられたかを No.187「メアリー・カサット展」に書きました。
No.187「メアリー・カサット展」で引用した絵です。『青い肘掛け椅子の少女』と同じで水平線を極端に上にとり、斜め上から俯瞰した構図はいかにもカサット的です。また子どもが見せる愛らしさの一瞬をとらえているのもカサットならではでしょう。
今までこのブログで取り上げた絵だけを再掲するだけでは能がないので、NGAにあるもう一枚の作品を引用しておきます。この絵も "子どもが見せるある表情" が的確にとらえられています。大きめの麦藁帽子をかぶせられた女の子が「お母さん、わたし、こんなのかぶるの? いやだな」と言っているような感じです。
ゴッホ(1853-1890)
ゴッホが描いた36枚の自画像のうち最後の自画像といわれる絵で、サン・レミの病院での作品です。この作品はやはり "色" です。フォービズムに始まる20世紀絵画を先導した感じです。
サージェント(1856-1925)
この絵のモデルは、アメリカの「エリー&ピッツバーグ鉄道」の社長の娘で、父親の退職後に一家は1892年ワシントンDCに移り、彼女はそこで社交界の花形になったそうです(1999年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の図録による)。描かれた1907年というとフォービズムやキュビズムの絵画が描かれているころです。その時代にこういった「社交界絵画」には批判もあったようで、サージェントはこの絵を最後に肖像画をやめて風景画に専念したとあります。つまりサージェント最後の肖像画です。
しかし絵の価値は「何を描くか」ではなく「どう描いたか」です。「社交界絵画」だから "悪い" とか "時代遅れ" という批判はあたりません。この絵はスピード感が溢れる筆遣いにもかかわらず、「美人で、華やかで、ゴージャスで、いかにも幸せそうな富豪の娘」という感じが大変よく出ています。
ピカソ(1881-1973)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはピカソの「青の時代」の油彩画が3点あります。以下にその3点を掲げますが、最初の2点はNo.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。フィリップス・コレクションが所蔵しているピカソの『青い部屋』(=「青の時代」の始まりの作品)との対比のためでした。
我々は普通、ピカソの「青の時代」というと、絵のテーマとして「社会的弱者、ないしは社会の底辺で生きる人たち」か「悲しみ、不安、苦しみ、哀愁、孤独などの感情表現」、あるはその両方だと考えるわけです。しかし最初の『グルメ』はそうではありません。これは「青の時代」の初期作品であり、"食いしん坊" の女の子を描いていて、ユーモアを感じます。
次の『悲劇』は、いかにも「青の時代」の絵です。何らかの悲劇におそわれた漁師の家族でしょうか。子供が父親を思いやって手を差し伸べているのが印象的です。エル・グレコの「ラオコーン」のところに「ピカソはエル・グレコに影響された」という話が出てきましたが、それも分かるような "引き伸ばされた" 人物表現です。
3番目の『扇子を持つ女性』は「青の時代」の最後期の作品です。ここまでくると『悲劇』のような表現・テーマとはまた違います。この女性の姿で連想するのは何かの宗教に関連した像、仏像とかインドや古代エジプトの神の像です。あるいは何かの儀式か舞踊だとも思える。女性は無表情で、動きを止めて静止していると感じます。その手は『悲劇』の少年の両手と大変よく似ている。そういった全体の造形を追求した絵なのでしょう。この3作品を見ると「青の時代」にも多様な表現があることがわかります。
さらにNGAには「青の時代」の次の「バラ色の時代」の代表作があります。それが「サルタンバンクの家族」という大作です。
サルタンバンクとは特定に一座の属さない旅芸人です。この絵は No.114「道化とピエロ」で引用した『曲芸師と若いアルルカン』(バーンズ・コレクション Room19 East Wall にある絵)によく似ています。両方とも家族を描いていて(バーンズ作品の方は兄と弟)、アクロバット(=曲芸師。赤い服)とアルルカン(菱形のパッチワークのような装束)が登場している。両方とも背景が戸外です(バーンズ作品の場合は街)。
この絵全体に静寂感が漂っています。少し曖昧に描かれた荒涼とした土地は、家族が世の中で孤独であることを暗示しているようです。6人は互いに眼を合わすことはなく、それぞれ独立しています。しかしアルルカン(ピカソ自身だと言われる)が妹の手を握っていて、家族の間の信頼や気遣いが暗示されている(バーンズ作品もそうです)。ピカソはこの時代以降、道化、ピエロ、サルタンバンクといったモチーフを折りに触れて描くわけですが、この作品は既にそれらの全てを包括しているかのようです。最初の時点で出された最終回答、そんな感じがします。
モディリアーニ(1884-1920)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはモディリアーニの作品が揃っています。『スーティンの肖像』、『キスリング夫人の肖像』、『赤ん坊を抱いたジプシーの女』などが有名ですが、ここでとりあげたのは『赤毛の女』です。この絵と非常に似た絵がフィラデルフィアのバーンズ・コレクションにあります。題名も同じ『赤毛の女』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 10 West Wall にある)。おそらく同じモデルを描いたのだと思われます。椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿がそっくりです。上の絵もそうですが、モデルになった赤毛の女性の可愛らしさと、ちょっぴりなまめかしい(ないしはコケティッシュな)感じがよく出ていると思います。
さらに「椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿」で思い出すのは、バーンズ・コレクションの『白い服の婦人』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 22 South Wall にある)。また、ノートン・サイモン美術館にある『画家の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』も似たポーズです(No.157「ノートン・サイモン美術館」参照)。いずれの絵も頭から胴にかけての逆S字形の曲線と腕の線のバランスがいい。デッサンで線を引く天才、モディリアーニの特質がよく現れていると思います。
その他、このブログで過去に引用した作品として、絵画ではありませんがドガの『14歳の小さな踊り子』のオリジナル塑像があります。この作品は No.86「ドガとメアリー・カサット」でとりあげました。また No.86 ではドガの「障害競馬 - 落馬した騎手」にも触れました(カサットが初めて見たドガの絵とされる)。
今回は人物がテーマになっている絵だけに絞ったのですが、今まで現れなかったアーティストの重要作品(人物がテーマではない絵)を2つあげておきます。一つはジョアン・ミロの『農場』(1921-22)で、画家としての初期、まだミロが無名のときの作品です。この絵は文豪のアーネスト・ヘミングウェイが友人に借金までして購入したことで有名です。ヘミングウェイは、スペイン内戦を舞台にした「誰がために鐘は鳴る」を書いたほどスペインに深く関わった作家です。
アメリカ人画家、アンドリュー・ワイエスについては No.150「クリスティーナの世界」、No.151「松ぼっくり男爵」、No.152「ワイエス・ブルー」の3回に渡って書きましたが、『海からの風』(1947)というワイエスの代表作の一つがNGAにあります。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーは西館(最初に建設された本館)と東館(新館)に分かれていて、東館にはモダンアートが収集されています(ピカソはここにある)。そういった作品も含め、美術好きなら是非訪れてみたい美術館です。特に近代絵画のコレクションです。たとえば、2011年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のキャッチ・コピーは「これを見ずに、印象派は語れない」でしたが、決して大げさではありません。
さらにワシントンにはフィリップス・コレクションがあり(No.216「フィリップス・コレクション」参照)、ホイッスラーのピーコック・ルームがある、東洋美術のフリーア美術館もあります(No.85「洛中洛外図と群鶴図」参照)。ほかにも美術館、博物館が多い。東京がそうであるように、アメリカの首都ワシントンも "アートの都市" と言っていいと思います。
No. 95 | バーンズ・コレクション | フィラデルフィア | ||||
No.155 | コートールド・コレクション | ロンドン | ||||
No.157 | ノートン・サイモン美術館 | カリフォルニア | ||||
No.158 | クレラー・ミュラー美術館 | オッテルロー(蘭) | ||||
No.167 | ティッセン・ボルネミッサ美術館 | マドリード | ||||
No.192 | グルベンキアン美術館 | リスボン | ||||
No.202 | ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館 | ロッテルダム(蘭) | ||||
No.216 | フィリップス・コレクション | ワシントンDC | ||||
No.217 | ポルディ・ペッツォーリ美術館 | ミラノ |
の9つの美術館です。今回はその方向を少し転換して、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーについて書きます(正式名称:National Gallery of Art。略称:NGA。以下 NGA とすることがあります)。
なお上記の "個人コレクション美術館" 以外にも、バーンズ・コレクションから歩いて行けるフィラデルフィア美術館(No.96、No.97)について書きました。またプラド美術館の数点の絵画についても書いています(No.133、No.160、No.161)。 |
なぜワシントン・ナショナル・ギャラリーかと言うと、過去にこのブログでこの美術館の絵をかなり紹介したからです。意図的にそうしたのではなく、話の成り行き上、そうなりました。そこで、過去に取り上げた絵を振り返りつつ、取り上げなかった絵も含めてこの美術館の絵画作品を紹介しようというのが今回の主旨です。
それに、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは "個人コレクション美術館" が発端です。つまりこの美術館は、銀行家・実業家で財務長官まで勤めたアンドリュー・メロン(1855-1937)が建設・運営基金と個人コレクションを国家に寄贈し、それにもとに設立された美術館です(1941年開館)。アメリカ富裕層の財力のものすごさを感じます。ちなみにここは創立以来、入場料が無料です。「アメリカを文化国家に」という主旨で設立されたからですが、現在、国を代表するような美術館・博物館で入場無料というのは大英博物館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーとここぐらいのものではないでしょうか。
いうまでもなくアメリカ随一の「国立美術館」であり、その規模や作品数は膨大です。「国立」なのでアートの年代も13世紀から20世紀まで多岐に渡っている。その意味で、フィラデルフィア美術館と同じく "巨大美術館を紹介するのは難しい" わけですが、今回は、
一人または複数の人物を描いた絵。人物がテーマの中心になっている絵画作品 |
に絞ります。また、さきほど書いたように過去にこのブログでとりあげた絵を再掲するとともに、必見と思われる絵を追加する形をとります。さらにアメリカ人画家をなるべく掲載することとします。以下は画家の生誕年順で、同一画家の作品は制作年順です。
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ワシントン・ナショナル・ギャラリー
(National Gallery of Art. NGA)
西館の南側正面(ワシントン D.C.)
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ボッティチェリ(1446-1510)
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サンドロ・ボッティチェリ
「青年の肖像」(1482/1485)
(44cm×46cm)
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No.160「モナ・リザと騎士の肖像」で引用した作品です。青年が右手を胸に置いて人指し指と中指を広げていますが、同じポーズの絵がプラド美術館にあります。それはエル・グレコの『胸に手を置く騎士』で、プラド美術館の代表作の一つとされている作品です。
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ブロンズィーノ
「マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像」(1551) (ウフィツィ美術館) |
この絵は現地で初めて知ったのですが、巨大美術館であるワシントン・ナショナル・ギャラリーの中でも印象的で、すぐに写真を撮ったのを覚えています。なぜ印象的だったかは分かりませんが、ひょっとしたらそれは「指を広げて胸に置いた右手」だったのかも知れません。
ダ・ヴィンチ(1452-1519)
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レオナルド・ダ・ヴィンチ
「ジネヴラ・デ・ベンチ」(1474頃)
(38cm×37cm)
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ヨーロッパ以外にある唯一のダ・ヴィンチ作品がこの絵です。もちろんアメリカではここだけです。モデルはフィレンツェの銀行家の娘で、彼女が16歳の時の作品です。レオナルドはこの絵を22歳から描き始めました。NGAのサイトには「4分の3正面視の肖像の初期の作品の一つ」で「肖像画で風景を背景としたのはレオナルドの新しい試み」とあります。この2つともフランドル絵画では既に行われていたわけで、レオナルドは新しい画法を取り入れるのに積極的だったようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画は『モナ・リザ』『貴婦人の肖像』(ルーブル美術館)『白貂を抱く貴婦人』(ポーランドのクラコフのチャルトリスキ美術館)と本作の4点しかありません。「モナ・リザ」を別格として、他の3作品に共通するのはモデルを冷静に眺めて現実を描くというか、「モデルとは距離をおいた観察と描写」を感じる絵であることです。モデルが賢そうに見える点も共通しています。このジネヴラ・デ・ベンチの肖像もそうです。白い肌や金髪の巻き毛が精緻に描かれていて、知的で、芯が強そうで、何となく神経質で、しかし病弱そうなモデルの雰囲気がよく出ています。
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エル・グレコ(1541-1614)
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エル・グレコ
「ラオコーン」(1610/14)
(138cm×173cm)
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この作品はエル・グレコの絶筆とされている作品で、かつ画家が生涯で描いた唯一の神話画です。中野京子さんの文章を引用します。
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「ラオコーン像」
(バチカン美術館) |
とは言うものの、バチカンの像と違って不思議な絵です。ラオコーンと2人の息子、海ヘビ、トロイアに擬したトレドの街、木馬(=トロイアにとっては破滅の木馬)までは分かりますが、右端の3人の人物はいったい何でしょうか。まるで空中を浮揚しているようです。この解釈には議論がいろいろとあるようで、NGAの公式サイトには「たぶん、海ヘビを放ったギリシャの神々」という解釈が書いてあります。
しかしこの3人はトロイア市民ということも考えられるでしょう。破滅の瀬戸際にある国家、国家を救おうとして死にゆく親子、それとは無関係に浮揚している市民、の3つを対比させることで時代の終焉を表したのかもと思います。
ルーベンス(1577-1640)
フランドル出身のルーベンスは 1600年~1608年の8年間(23歳~31歳)イタリアに滞在し、イタリア各地を回りながら古典やルネサンスの絵画に触れ、絵の研鑽と制作に励みました。次の絵はルーベンスがジェノヴァで描いたものです。
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ピーテル・パウル・ルーベンス
「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」(1606)
(153cm×99cm)
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ジェノヴァの名門貴族、スピノラ家から、これも名門貴族のドーリア家に嫁いだブリジーダという女性の肖像画です。眼をひくのは銀色に輝くサテンのドレスと特大のラフ(襞襟)で、その中で堂々と正面を見据える女性の表情が印象的です。貿易や金融業で繁栄を誇ったジェノヴァの上流階級の財力と権威が想像できます。ルーベンスの筆致はドレスからラフから髪飾りまで、大変に精緻であり、画力のすごさが分かります。若きルーベンス、20代後半の傑作です。
少々わかりにくいのは背景です。室内ではなく建物の外側の感じで、ドレープがかかった赤い布が垂れている。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、実はこの絵のオリジナルはもっと大きく、ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた、それが19世紀のある時点で現在のサイズに切断されてしまったとあります。
なるほど ・・・・・・。ブリジーダは22歳で、結婚したばかりともありました。左の方に描かれていたのは "ジェノヴァ風景" のはずで、だとすると「ジェノヴァを支配する名門貴族の若き花嫁」という絵なのでしょう。
ヴァン・ダイク(1599-1641)
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アンソニー・ヴァン・ダイク
「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」(1623)
(243cm×139cm)
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イギリス、チャールズ1世の宮廷画家だったヴァン・ダイクの作品で、No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵です。
フランドル出身のヴァン・ダイクは1620年に英国に渡りますが、師匠のルーベンスと同じように、1621年から1627年までの6年間(22歳~28歳)はイタリアに滞在し、ジェノヴァを拠点に絵の勉強と制作に励みました。この絵はジェノヴァのカッタネオ伯爵の夫人、エレナ・グリマルディを描いたものです。ずいぶん "いかつい" 感じで "勝ち気な" 雰囲気の女性ですが、それは本人をよく表しているのでしょう。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、ヴァン・ダイクはジェノヴァでルーベンスの「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」を見たことがあって、そこからインスピレーションを得たとあります。これで納得できます。上に書いたようにルーベンスのオリジナル作品において「ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた」のですが、それがヴァン・ダイクの「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」に引き継がれたのでしょう。
ルーベンスと違って、いちばん眼を引くのは "パラソル" です。17世紀のパラソルは木製の大がかりなもので、女性が自分で持てるような代物ではとてもなく、このように召使いがかざして歩くものでした。
もう一つのポイントはパラソルを持っている召使いで、これはアフリカから連れてこられた奴隷だと推定できます。当時のイタリアの海岸都市、ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィなどは地中海交易で繁栄し、その重要な交易品の一つが奴隷でした。またイタリアの貴族や裕福な家庭では奴隷を使っていました。No.23「クラバートと奴隷(2)ヴェネチア」で紹介しましたが、塩野七生著「海の都の物語」には「イタリアの都市ではエキゾチックな黒人奴隷がもてはやされ、回教国では白人奴隷が好まれた」という意味の記述がありました。この絵の伯爵夫人は、エキゾチックな黒人奴隷の従者にパラソルを持たせることで権力と富を誇示している感じがします。
ちなみにワシントン・ナショナル・ギャラリーにはパラソルがテーマになっているもう一枚の絵があります。それは "超有名絵画" であるモネの『パラソルの女』です(後で引用)。この二つを対比して見るとおもしろいでしょう。
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アンソニー・ヴァン・ダイク
「ヘンリエッタ・マリアと小人ジェフリー・ハドソン」(1633)
(219cm×135cm)
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No.161「プラド美術館の怖い絵」で引用した絵で、英国国王チャールズ1世の妃であるヘンリエッタを描いたものです。このブログでは17世紀のスペイン宮廷で「特異な身体的形状をもった人」を雇う(ないしは住まわせる)習慣があったことを書きました(No.19「ベラスケスの怖い絵」、No.45「ベラスケスの十字の謎」、No.161「プラド美術館の怖い絵」)。しかしその "習慣" は何もスペインだけではなく、ヨーロッパの宮廷に広くあった。その一例として引用したのがこの絵でした。
フェルメール(1632-1675)
寡作で有名なフェルメールの絵がそもそも何点現存しているかですが、フェルメールについての数々の著作がある朽木ゆり子氏の本によると(「フェルメール全点踏破の旅」集英社新書 2006)、次の通りです(以下の "ランク・・・" は今回便宜上つけたものです)。
◆ランクA : 32点
・ | 専門家にフェルメールの真作であると認めてられている作品。 | ||
・ | このうちの1点、『合奏』は、1990年にボストンのイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館から盗まれて、現在も行方不明。 |
◆ランクB : 2点
・ | 真作だとする専門家が多いが、そうではないとする専門家もいる作品。 | ||
・ | 『赤い帽子の女』(NGA)と『ダイアナとニンフたち』(デン・ハーグのマウリッツハイス美術館) |
◆ランクC : 2点
・ | 多くの専門家は真作ではないとするが、真作だと主張する専門家もいる作品。 | ||
・ | 『フルートを持つ女』(NGA)と『聖プラクセディス』(個人蔵。国立西洋美術館に寄託)。 |
◆新発見作 : 1点
・ | 新発見の『ヴァージナルの前に座る女』 | ||
・ | それまで贋作の疑いがあるとされていたが、10年がかりの鑑定の結果、2003年になって真作と鑑定され、サザビースのオークション(2004年)で32億円で落札された。落札者は不明。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある同名の作品とは別作品。25×22cmという小さな作品で、2008年に日本で開催されたフェルメール展で展示された。 | ||
・ | しかし専門家全員が真作と納得しているわけではない( = ランクB)。 |
一般的には美術界の多数意見に従って(A + B + 新発見 = B)の合計35点をフェルメール作品としています。このうち美術館所蔵の作品は34点(盗難中を除くと33点)ですが、2点以上を所蔵している美術館をあげると次の通りです。
◆5点:(米)メトロポリタン美術館
◆4点:(蘭)アムステルダム国立美術館
◆3点:(蘭)マウリッツハイス美術館
◆3点:(米)フリック・コレクション
◆3点:(米)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(英)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(仏)ルーブル美術館
◆2点:(独)ベルリン絵画館
◆2点:(独)ドレスデン アルテ・マイスター絵画館
別にフェルメールをたくさん持っていることが美術館の価値を決めるわけではないのですが、アメリカの3つの美術館だけで11点、全作品の約3分の1を保有しています(盗まれた1点を加えると12点)。ダ・ヴィンチがアメリカに1点しかないのとは大違いで、フェルメールが19世紀後半以降に "再発見" されたことを如実に物語っています。これらのうち、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(NGA)にある3点は、
『手紙を書く女』 (A)
『天秤を持つ女』 (A)
『赤い帽子の女』 (B)
であり、さらに NGA にはもう一枚、
『フルートを持つ女』 (C)
があります。つまりNGAはランクA,B,Cが全部揃っているという珍しい美術館です。NGAは『フルートを持つ女』については「Attributed to Johanness Vermeer」として展示しています。「伝・フェルメール」という感じでしょうか。もちろん『赤い帽子の女』についてNGAは断固真作だと主張しています。以下はランクAの2点です。
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ヨハネス・フェルメール
「手紙を書く女」(1665頃)
(45cm×40cm)
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この絵のような「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の女性をフェルメールは6点描いていますが、その中の1枚です。少し微笑んだ女性を、自然体で大変おだやかな雰囲気に描いています。机の上の小物の描き方も光っています。ちなみに「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の他の5枚は、メトロポリタン、フリック・コレクション、アムステルダム、ベルリン、ロンドンのケンウッド・ハウスにあります。
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ヨハネス・フェルメール
「天秤を持つ女」(1664頃)
(40cm×36cm)
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各種の解説にありますが、この絵の画中画は「最後の審判」です。このブログでは、フランスのボーヌにあるファン・デル・ウェイデンの『最後の審判』を引用しました(No.116「ブルゴーニュ訪問記」参照)。その絵でも分かるのですが一般的に「最後の審判」の描き方は、上の方に再臨したキリスト、その下に秤をもった大天使ミカエル、その横(ないしは下)にミカエルによって天国と地獄に振り分けられた人間という構図です。
この絵はその大天使が女性によって隠されていて、その代わりに女性が天秤を持っている。天秤の皿の上には何も乗っていない(=何も描かれていない)ことが判明していて、女性が天秤のバランスをとっている(?)姿になります。机の上の真珠や金貨も意味ありげです。数々の解釈がなされてきたようですが、決定版はないようです。素人目には「女性が何か重大な決断をしようとしている、ないしは決断をすべきか迷っている」と見えますが、そうとも限らない。結局、絵を見る人にゆだねられているといっていいでしょう。
フラゴナール(1732-1806)
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ジャン・オノレ・フラゴナール
「読書する娘」(1769頃)
(81cm×65cm)
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この絵もワシントン・ナショナル・ギャラリーの有名絵画です。フラゴナールというと "ロココ" の画家であり、宮廷や貴族の恋愛模様を描いた、いわゆる "ロココ趣味" の絵で有名です。しかしこの絵はそれとは違って家庭内での "知的な" 情景であり、享楽的な恋愛模様とは対極にある画題です。
No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」でルネサンス期のイタリアの横顔肖像画を4点とりあげました。しかしこのフラゴナールの横顔作品は、特定の人物の肖像画ではないでしょう。「女性の横顔の美」と「読書という行為」がうまく融合した作品になっています。
注目すべきは描き方で、なんとなく "印象派っぽい筆致" です。印象派は絵画史における革新だったわけですが、一般的にいってアートにおける革新は、全く新しいものが突然変異のように生まれるのではなく、それ以前の時代に萌芽があるわけです。印象派に関していうと、イギリスのターナーの絵はそういう感じがします。この『読書する娘』もそういった一枚だと思います。
ゴヤ(1746-1828)
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フランシスコ・デ・ゴヤ
「セニョーラ・サバサ・ガルシア」(1806/11)
(71cm×58cm)
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No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」で引用した絵です。この絵の感想は No.90 に詳しく書いたので、ここでは省略します。ひとつだけ繰り返すと、この絵は「ワシントンのモナ・リザ」でしょう。年齢はずいぶん違いそうですが、この絵のモデルも既婚者です。明らかにモナ・リザを意識したポーズだし、表情の "微妙な複雑さ" がモナ・リザ的です。
アングル(1780-1867)
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ドミニク・アングル
「モワテシエ夫人の肖像」(1851)
(147cm×100cm)
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No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。アングルは、この絵(立像)の他に『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を描いています(ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある)。そして No.157 で書いたように、ピカソは『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を下敷きにしてマリー = テレーズを描いたのでした。それが『本をもつ女』という絵です。『本をもつ女』はピカソが "アングルから影響を受けた" と自ら宣言しているような絵です。
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マネ(1832-1883)
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エドゥアール・マネ
「悲劇役者」(1866) (ハムレットに扮するルビエール)
(187cm×108cm)
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No.36「ベラスケスへのオマージュ」で引用した絵です。その主旨は、マネがプラド美術館でベラスケスを見て感動し、そのベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』を踏まえて描いたのがこの作品ということでした。
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エドゥアール・マネ
「オペラ座の仮面舞踏会」(1873)
(59cm×73cm)
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『悲劇役者』は「黒」を強調した絵でしたが、この絵も強烈に印象づけられるのは黒服の「黒」です。NGAには別に『死せる闘牛士』というマネの絵がありますが、その絵も黒服が眼につきます。一連の「黒」はマネがスペインを旅行したときの影響だと考えられます。
NGAのサイトの解説によると、右から2番目でこちらを向いているブロンドの髪の紳士は画家自身だそうです。また、上の方に足が描かれていますが、これは『フォリー・ベルジェールのバー』(1881/82)を連想させます(No.155「コートールド・コレクション」参照)。
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エドゥアール・マネ
「鉄道」(1873)
(93cm×112cm)
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この絵はマネの有名作品です。サン = ラザール駅を描いたこの絵は、1898年にアメリカのハブマイヤー夫妻がパリの画商のデュラン = リュエルから購入したものです。夫人のルイジーン・ハブマイヤーはメアリー・カサットの友人です。No.86「ドガとメアリー・カサット」に書きましたが、ルイジーンがメアリーの勧めで購入したドガのパステル画が「アメリカ人が初めて購入した印象派絵画」でした。
フィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』という本があります。著者はサザビーズの印象派・近代絵画部門のシニア・ディレクターを勤めた人で、印象派の受容の歴史を "画商" や "オークション" の視点から描いた興味深い本です。この本に、ルイジーン・ハブマイヤーがこの絵を購入した当時のことを回想した発言がのっています。以下に引用してみます。
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一見すると奇妙な絵です。"屋外" で "現代" を描くという意味では印象派の絵と似ています。しかし肝心の鉄道はほとんど描かれず、子どもは向こう向き、誰かに気づいて読書を中断したような女性は母親でしょうが、親子はバラバラです。都会における家族、と考えていろいろと画家の意図を推測できると思いますが、そういう "深読み" にあまり意味はないのですね。どういう絵の見方をすべきか、それを語ったのが印象派と同時代のコレクター、ハブマイヤー夫人です。この回想に尽きていると思います。
マネの代表作である『草上の昼食』や『オランピア』はオルセー美術館の至宝ですが、発表当時は大スキャンダルになりました。否定するにしろ肯定するにしろ、大きな話題となった。しかしこの『鉄道』にはスキャンダラスなところは何もありません。結局、この絵をつまらないと思って見過ごすのか、それとも(ルイジーン・ハブマイヤーのように)感動するのかが、時代の分かれ目だったのでしょう。
ちなみに『草上の昼食』(1863)『オランピア』(1863)『鉄道』(1873)の3作品はいずれもヴィクトリーヌ・ムーランがモデルですが、マネが彼女をモデルに描いた最後の作品が『鉄道』です。
なお、人物を描いたものではありませんが、No.93「生物が主題の絵」で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵しているマネの2枚の犬の絵、『タマ、日本犬』と『キング・チャールズ・スパニエル犬』を引用しました。ここで改めて「鉄道」を見てみると、座っている女性は子犬を抱いています。"屋外" で "現代" を描いたのがこの絵ですが、その "現代" とは、鉄道の他にもう一つ "ペット" なのですね。つまり19世紀後半にもなると一般市民がペットを飼うという習慣が出てきた。マネが犬の絵を描いたのも、そういう流れの中で考えるべきでしょう。
ホイッスラー(1834-1903)
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ジェームズ・ホイッスラー
「白衣の少女」(1862) (白のシンフォニー No.1)
(213cm×108cm)
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ホイッスラーはアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、21歳のときにパリに居を構え、その後ロンドンに拠点を設けて活躍した画家です。この絵の「白のシンフォニー No.1」という副題ですが、「白のシンフォニー」は全部で3作あり、No.2 はテート・ブリテン、No.3 はバーミンガム大学付属美術館にあります。
この絵はその題名どおり画面の大部分を占める服の「白」が目立つ作品です。ドレス、手にしている百合の花、後ろのカーテン、敷物にさまざまな色調の白が使われています。まさに「白のシンフォニー」です。このように白に白を重ねる色の使い方はあまり見たことがなく、大変に斬新な手法です。この『白のシンフォニー No.1』は発表当時、大きなスキャンダルになったようです。2014年-15年に日本で開催された「ホイッスラー展」の図録には次のようにありました。
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マネの『草上の昼食』がスキャンダラスというのは理解できますが、この『白のシンフォニー No.1』がスキャンダルだとは、現代人はちょっと想像できません。今から150年前のパリ・ロンドンの画壇では絵のテーマに対して数々の制約があり、それを打ち破ろうとする画家がいたということでしょう。それが上の評言に出てくるクールベであり、マネであり、そしてホイッスラーだった。この絵のモデルとなったジョー(ジョアンナ)・ヒファーナンはクールベの『世界の起源』(オルセー美術館)のモデルとも言われる人で、それも象徴的です。
比較のために同じモデルを描いた『白のシンフォニー No.2』を引用しておきます。この絵はホイッスラーによくあるジャポニズムの影響下にある作品で、磁器の壷、朱色の椀、団扇といった典型的な日本的アイテムが配置されています。描かれている花はアザリア(ツツジ)で、この花も東アジア原産です。ちなみにワシントン D.C.のフリーア美術館にはホイッスラーがデザインしたピーコック・ルーム(孔雀の間)があり、『磁器の国の姫君』というジャポニズム作品が展示されています。
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ホイッスラー
「白衣の少女」(1864) (白のシンフォニー No.2) テート・ブリテン |
ホーマー(1836-1910)
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ウィンスロー・ホーマー
「秋」(1877)
(97cm×59cm)
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ホーマーはボストン生まれで、アメリカの身近な自然や生活を描くのを得意とした画家です。
頬を紅潮させた女性が紅葉した木の枝を持ち、ちょっと挑戦的な視線で画家の方を向いています。何となく、この人の "勝ち気" な性格を思わせます。つまり、この絵をパッと見ると特定の人物の肖像画だと感じる。しかし題名は「秋」です。
背景は何らかの傾斜地、ないしは山道でしょうか。スカートの裾を持ちペチコートをのぞかせている姿は、今しがた坂を降りてきたように見えます。そして一面に描かれた紅葉がこの絵の特色です。背景は明確ではなく、あえて特定の景色にしなかった感じがします。秋のイメージを具現化したのでしょう。だとすると女性も、紅葉した木の枝を携えて "秋" から抜け出してきた「秋の化身」のようにも感じられる。よく西欧絵画に季節を擬人化して描いた絵がありますが、この絵もその流れにある一枚かもしれません。
なお、今回は人物画に焦点を当てたのですが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーには、ホーマー最晩年の『右と左』(1909)という重要作品があります。ハンターに撃たれる瞬間の鴨を描いた絵ですが、ジャポニズムの影響も感じる傑作です。
セザンヌ(1839-1906)
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ポール・セザンヌ
「赤いチョッキの少年」(1888/90)
(90cm×72cm)
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マネの『鉄道』のところで引用したフィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』によると、この絵は NGA の設立者であるアンドリュー・メロンの息子、ポール・メロンが、1958年、ロンドンのサザビーズの競売で、当時の絵画の最高価格である22万ポンドで落札した作品とあります
『赤いチョッキの少年』は、セザンヌの絵によくある連作(4点)です。1点は前向きに座っている姿で、バーンズ・コレクションのメインルーム(Room1)の North Wall にあります(No.95「バーンズ・コレクション」参照。分かりにくいですが)。1点は座って肘をついている姿で、チューリッヒのビュールレ・コレクションにあります(赤いチョッキでは最も有名)。また横向きに座っている絵がニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。
このNGAの絵をみても分かるのですが、さまざまな色が使われ、形が組み合わされています。色の実験、形の実験をしているようで、まさにセザンヌがモダン・アートを先導した画家だと分かります。
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ポール・セザンヌ
「アルルカン」(1888/90) (ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
(101cm×65cm)
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No.114「道化とピエロ」で、ドランとピカソのアルルカン(ないしはピエロ)の絵を紹介したときに "セザンヌも描いている" と書きましたが、その絵がこれです。これは、箱根のポーラ美術館にある『アルルカン』とほぼ同じ構図です。実は『アルルカン』は計4点の連作で、1点は「ピエロとアルルカンの絵」(プーシキン美術館にある《マルディ・グラ》)、3点が「アルルカンだけの絵」で、そのうちの1枚がポーラ美術館、1枚がNGAというわけです(もう1枚は個人蔵)。
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ポール・セザンヌ
「マルディ・グラ」(1888/90) (プーシキン美術館) |
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ポール・セザンヌ
「アルルカン」(1888/90) (ポーラ美術館)
(62cm×47cm)
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ポーラ美術館に敬意を表して、ポーラ美術館のサイトにある『アルルカン』の解説を引用します。もちろん「ポーラ版アルルカン」についての解説ですが「NGA版アルルカン」についても当てはまると思います。
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『赤いチョッキの少年』と『アルルカン』のほかにNGAが所蔵するセザンヌの人物画に、画家の父を描いた有名な作品がありますが省略します。
モネ(1840-1926)
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クロード・モネ
「パラソルの女」(1875)
(100cm×81cm)
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No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵で、モネの妻・カミーユと息子のジャンを戸外で描いた作品です。印象派の代表作の一つであり、まさに "印象派がギッシリと詰まった" 作品でしょう。逆光の感じの出し方、雲の描き方などは秀逸です。
この絵の一つのポイントは、NGAが所蔵するヴァン・ダイクの『伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ』の肖像画と同じく、"パラソル" です。この2つの絵には250年の時の経過があります。産業革命を経たフランスではパラソルが庶民でも手に入るようになり、パラソルを持って公園や戸外を散策するのが当時のパリの女性の最先端の風俗だった。そういう妻を(おそらく)幾分誇らしげに描いたのがこの絵でしょう。なお、パラソルがトレンドだったことは、この絵の10年後に描かれたスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を見ると理解できます(No.115「日曜日の午後に無いもの」参照)。
ルノワール(1841-1919)
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オーギュスト・ルノワール
「踊り子」(1874)
(143cm×95cm)
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この絵もルノワール作品では有名な絵です。一つ思うのは「ドガの踊り子」とのあまりの相違です。同じ踊り子をモチーフにしながら、そこから引き出されたものが全く違う。絵画のおもしろさでしょう。
カサット(1844-1926)
メアリー・カサットの作品については、今まで4回に渡って書きました(No.86、No.87、No.125、No.187)。従って紹介した作品も多いのですが、そのうち4点が NGA の作品です。まずそれを順に振り返りたいと思います。
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メアリー・カサット
「青い肘掛け椅子の少女」(1878)
(90cm×130cm)
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この絵については No.87「メアリー・カサットの少女」、および No.125「カサットの少女再び」で詳細な感想を書いたので省略します。ドガの手が入っているとされる絵で、そのあたりの事情も No.125 に書きました。No.125ではこの絵の革新性についても書いたのですが、NGAの公式ガイドブックには、この絵を評して、
少女がいなければ、ほとんど抽象画
とあります。なるほど、その通りだと思います。
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メアリー・カサット
「髪を整える女」(1886)
(75cm×63cm)
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No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で引用した絵です。カサットが「ドガを見返してやろう」と発奮して描いた、という主旨でした。
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メアリー・カサット
「舟遊び」(1893/94)
(90cm×117cm)
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No.86「ドガとメアリー・カサット」、No.87「メアリー・カサットの少女」で引用しました。舟の縁、帆、身体などの各種の線が渦巻きのようになって最後は子どもの顔に収斂していく構図です。ベタに塗ったような描き方は浮世絵の影響を感じます。カサットがいかに浮世絵に魅せられたかを No.187「メアリー・カサット展」に書きました。
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メアリー・カサット
「浜辺で遊ぶ子供たち」(1884)
(97cm×74cm)
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No.187「メアリー・カサット展」で引用した絵です。『青い肘掛け椅子の少女』と同じで水平線を極端に上にとり、斜め上から俯瞰した構図はいかにもカサット的です。また子どもが見せる愛らしさの一瞬をとらえているのもカサットならではでしょう。
今までこのブログで取り上げた絵だけを再掲するだけでは能がないので、NGAにあるもう一枚の作品を引用しておきます。この絵も "子どもが見せるある表情" が的確にとらえられています。大きめの麦藁帽子をかぶせられた女の子が「お母さん、わたし、こんなのかぶるの? いやだな」と言っているような感じです。
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メアリー・カサット
「麦藁帽子の子ども」(1886頃)
(65cm×49cm)
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ゴッホ(1853-1890)
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フィンセント・ファン・ゴッホ
「自画像」(1889)
(58cm×45cm)
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ゴッホが描いた36枚の自画像のうち最後の自画像といわれる絵で、サン・レミの病院での作品です。この作品はやはり "色" です。フォービズムに始まる20世紀絵画を先導した感じです。
サージェント(1856-1925)
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ジョン・シンガー・サージェント
「ミス・マチルド・タウンゼント」(1907)
(153cm×102cm)
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この絵のモデルは、アメリカの「エリー&ピッツバーグ鉄道」の社長の娘で、父親の退職後に一家は1892年ワシントンDCに移り、彼女はそこで社交界の花形になったそうです(1999年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の図録による)。描かれた1907年というとフォービズムやキュビズムの絵画が描かれているころです。その時代にこういった「社交界絵画」には批判もあったようで、サージェントはこの絵を最後に肖像画をやめて風景画に専念したとあります。つまりサージェント最後の肖像画です。
しかし絵の価値は「何を描くか」ではなく「どう描いたか」です。「社交界絵画」だから "悪い" とか "時代遅れ" という批判はあたりません。この絵はスピード感が溢れる筆遣いにもかかわらず、「美人で、華やかで、ゴージャスで、いかにも幸せそうな富豪の娘」という感じが大変よく出ています。
ピカソ(1881-1973)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはピカソの「青の時代」の油彩画が3点あります。以下にその3点を掲げますが、最初の2点はNo.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。フィリップス・コレクションが所蔵しているピカソの『青い部屋』(=「青の時代」の始まりの作品)との対比のためでした。
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パブロ・ピカソ
「グルメ」(1901)
(93cm×68cm)
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パブロ・ピカソ
「悲劇」(1903)
(105cm×69cm)
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パブロ・ピカソ
「扇子を持つ女性」(1905)
(100cm×81cm)
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我々は普通、ピカソの「青の時代」というと、絵のテーマとして「社会的弱者、ないしは社会の底辺で生きる人たち」か「悲しみ、不安、苦しみ、哀愁、孤独などの感情表現」、あるはその両方だと考えるわけです。しかし最初の『グルメ』はそうではありません。これは「青の時代」の初期作品であり、"食いしん坊" の女の子を描いていて、ユーモアを感じます。
次の『悲劇』は、いかにも「青の時代」の絵です。何らかの悲劇におそわれた漁師の家族でしょうか。子供が父親を思いやって手を差し伸べているのが印象的です。エル・グレコの「ラオコーン」のところに「ピカソはエル・グレコに影響された」という話が出てきましたが、それも分かるような "引き伸ばされた" 人物表現です。
3番目の『扇子を持つ女性』は「青の時代」の最後期の作品です。ここまでくると『悲劇』のような表現・テーマとはまた違います。この女性の姿で連想するのは何かの宗教に関連した像、仏像とかインドや古代エジプトの神の像です。あるいは何かの儀式か舞踊だとも思える。女性は無表情で、動きを止めて静止していると感じます。その手は『悲劇』の少年の両手と大変よく似ている。そういった全体の造形を追求した絵なのでしょう。この3作品を見ると「青の時代」にも多様な表現があることがわかります。
さらにNGAには「青の時代」の次の「バラ色の時代」の代表作があります。それが「サルタンバンクの家族」という大作です。
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パブロ・ピカソ
「サルタンバンクの家族」(1905)
(213cm×230cm)
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サルタンバンクとは特定に一座の属さない旅芸人です。この絵は No.114「道化とピエロ」で引用した『曲芸師と若いアルルカン』(バーンズ・コレクション Room19 East Wall にある絵)によく似ています。両方とも家族を描いていて(バーンズ作品の方は兄と弟)、アクロバット(=曲芸師。赤い服)とアルルカン(菱形のパッチワークのような装束)が登場している。両方とも背景が戸外です(バーンズ作品の場合は街)。
この絵全体に静寂感が漂っています。少し曖昧に描かれた荒涼とした土地は、家族が世の中で孤独であることを暗示しているようです。6人は互いに眼を合わすことはなく、それぞれ独立しています。しかしアルルカン(ピカソ自身だと言われる)が妹の手を握っていて、家族の間の信頼や気遣いが暗示されている(バーンズ作品もそうです)。ピカソはこの時代以降、道化、ピエロ、サルタンバンクといったモチーフを折りに触れて描くわけですが、この作品は既にそれらの全てを包括しているかのようです。最初の時点で出された最終回答、そんな感じがします。
モディリアーニ(1884-1920)
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アメディオ・モディリアーニ
「赤毛の女」(1917)
(92cm×61cm)
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モディリアーニ
「赤毛の女」 (バーンズ・コレクション)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの絵とよく似ているが、こちらの方はイブニング・ドレス姿である。
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さらに「椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿」で思い出すのは、バーンズ・コレクションの『白い服の婦人』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 22 South Wall にある)。また、ノートン・サイモン美術館にある『画家の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』も似たポーズです(No.157「ノートン・サイモン美術館」参照)。いずれの絵も頭から胴にかけての逆S字形の曲線と腕の線のバランスがいい。デッサンで線を引く天才、モディリアーニの特質がよく現れていると思います。
その他、このブログで過去に引用した作品として、絵画ではありませんがドガの『14歳の小さな踊り子』のオリジナル塑像があります。この作品は No.86「ドガとメアリー・カサット」でとりあげました。また No.86 ではドガの「障害競馬 - 落馬した騎手」にも触れました(カサットが初めて見たドガの絵とされる)。
今回は人物がテーマになっている絵だけに絞ったのですが、今まで現れなかったアーティストの重要作品(人物がテーマではない絵)を2つあげておきます。一つはジョアン・ミロの『農場』(1921-22)で、画家としての初期、まだミロが無名のときの作品です。この絵は文豪のアーネスト・ヘミングウェイが友人に借金までして購入したことで有名です。ヘミングウェイは、スペイン内戦を舞台にした「誰がために鐘は鳴る」を書いたほどスペインに深く関わった作家です。
アメリカ人画家、アンドリュー・ワイエスについては No.150「クリスティーナの世界」、No.151「松ぼっくり男爵」、No.152「ワイエス・ブルー」の3回に渡って書きましたが、『海からの風』(1947)というワイエスの代表作の一つがNGAにあります。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーは西館(最初に建設された本館)と東館(新館)に分かれていて、東館にはモダンアートが収集されています(ピカソはここにある)。そういった作品も含め、美術好きなら是非訪れてみたい美術館です。特に近代絵画のコレクションです。たとえば、2011年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のキャッチ・コピーは「これを見ずに、印象派は語れない」でしたが、決して大げさではありません。
さらにワシントンにはフィリップス・コレクションがあり(No.216「フィリップス・コレクション」参照)、ホイッスラーのピーコック・ルームがある、東洋美術のフリーア美術館もあります(No.85「洛中洛外図と群鶴図」参照)。ほかにも美術館、博物館が多い。東京がそうであるように、アメリカの首都ワシントンも "アートの都市" と言っていいと思います。
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2018-01-06 18:04
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