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No.169 - 10代の脳 [科学]


少年・少女の物語


前回の、中島みゆき作詞・作曲『春なのに』と『少年たちのように』は、10代の少女を主人公にした詩であり、10代の少女が歌った曲でした。そこからの連想ですが、今回は10代の少年・少女ついて思い出したことについて書きたいと思います。

今までの記事で、10代の少年・少女を主人公にした小説・アニメを5つ取りあげました。

クラバート(No.1, No.2
千と千尋の神隠し(No.2
小公女(No.40
ベラスケスの十字の謎(No.45
赤毛のアン(No.77, No.78

の5つです。また、No.79「クラバート再考:大人の条件」では、これらの共通点を探りました。このブログの第1回目に『クラバート』と『千と千尋の神隠し』を書いたために(またブログの題名にクラバートを使ったために)そういう流れになったわけです。

No.2に書いたのですが、たとえば『クラバート』とはどういう物語か、それは一言でいうと "少年が大人になる物語" です。主人公が "大人になるための条件" を "労働の場" での経験によって獲得する過程が描かれています。これは『クラバート』だけでなく他の小説・アニメでも同様でした。

しかし最近、科学雑誌を読んでいて、それだけではなさそうだと気づきました。それは近年の脳科学の急速な進歩によって人間の脳の発達過程が解明されつつあり、10代の少年・少女の脳は大人とは違い、また子供とも違った特別なものであることが分かってきたことです。日経サイエンス 2016年3月号の特集「脳の発達」に従ってそのことを紹介したいと思います。今まで取り上げた少年・少女を主人公にした物語についての "別の見方" ができると感じました。


10代の脳の謎


日経サイエンス 2016年3月号に、カリフォルニア大学・サンディエゴ校の小児青年精神医学科長、N.ギード教授の『10代の脳の謎』と題する記事が掲載されていました。その内容を要約したいと思います。まずこの記事で強調されていることは、

10代の脳は、
子供の脳(10代以前)とは違い、
大人の脳(20代以後)とも違う、特別な働きをする脳

だということです。もう少し平たく言うと、

少年少女は
成長した子供ではなく
未熟な大人でもない

ということです。もちろん「脳科学の視点から見ると」という限定がつくわけですが、脳は人間の行動や感情、知性のありようを決めている最重要臓器であり、人間そのものと言ってもよいでしょう。

日経サイエンス 2016年3月号.jpg
日経サイエンス
2016年3月号
上のような知見をもたらしたのは、近年の脳科学の急速な発達です。特に、脳の様子を外部から撮影・観察できる装置が開発され、普及したことが大きい。それがMRI(磁気共鳴 断層撮影装置)です。従来からのCT(X線 コンピュータ断層撮影装置)やPET(陽電子 断層撮影装置)は、放射線被曝という問題があります。病気の治療や早期発見の目的ならまだしも、健常者に脳の研究目的でCTやPETを使うのは難しい。しかしMRIは磁場を使った断層撮影なので被爆の問題がありません。つまり被検者にかかる負荷が少なく、研究に使用しやすい。ようやく、あらゆる年齢の脳の解剖学的・生理学的研究を安全かつ正確にできるようになったわけです。

では、少年・少女の脳はどう「特別」なのか。それを理解するためには、その前提として、脳の「発達」や「成熟」とはいったいどういうことかを押さえておく必要があります。


脳の発達・成熟とは


脳の「発達・成熟」とは、すなわち「脳の神経細胞間のネットワークの発達・成熟」のことです。

まず前提となる用語ですが、脳の細胞は "ニューロン" と呼ばれています。ニューロンは、"神経細胞(神経細胞体)"、そこから出る "樹状突起"、樹状突起から出る長い "軸索" からできていて、軸索の先は "シナプス" という接合部を介して別のニューロンに繋がっています。

脳は解剖して肉眼で見ると灰色っぽい "灰白質" と、白っぽい "白質" からできています。大脳では外側が灰白質で内側に白質があるため、灰白質は "大脳皮質" とも呼ばれます。灰白質は神経細胞や樹状突起が主体の部分です。この部分は10歳ごろ(思春期)に最大になり、10代以降はむしろ減少します。

一方、白質は神経細胞の間を結ぶ軸索が主体の部分です。軸索には "ミエリン" と呼ばれる脂質がさやを作るように付着し、軸索を覆って絶縁します。付着は年齢とともに進行し、これがミエリン化です。

ミエリン化すると、神経のシグナルが最高で100倍早く伝達するようになります。またシグナルを伝えた後に素早く回復できるようになり、ニューロンがシグナルを発生できる頻度が最高で30倍程度まで高まります。この伝達頻度と伝達速度の増加を掛け合わせると、最高で3000倍もの「情報処理能力の増加」になるわけです。

脳が発達すると、MRI画像では白質の増加となって現れます。つまりミエリン化による「接続の強化」です。その一方、使われない接続は強化されず、逆に刈り込まれ、喪失していきます(ニューロンの接合部であるシナプスの働きがが弱まる)。脳は、感覚や言語や感情ななどのさまざまな機能をもつ領域に細分されるのですが、接続の強化と喪失により、脳の各領域も専門化が進展することになります。


10代の脳の特徴(1)可塑性


10代の脳の特徴の第1は、脳のネットワークの大規模な変化が起こることです。ミエリン化は10代に急速に進みます。脳の各領域内だけでなく、異なる領域同士もより多く接続されます。この「ネットワークの発達=変化」が最も大きいのが10代です。この "変化できる性質" を「可塑性」と呼んでいます。

可塑性は成人になると低下します。しかし人間は他の動物と違って、ある程度の可塑性を維持し続けます。つまり動物よりも脳の適応能力が高いわけです。その適応能力は10代が最も高い。10代の脳は、環境に応じて最も柔軟に変化できる脳なのです。

これは一人の人間にとっては「飛躍のチャンス」だと言えます。10代の少年・少女は、自分の選択に従って脳を最適化していけるチャンス、自らのアイデンティティーを作り上げるチャンスを手にしています。一生の職業を決める契機となる出来事を経験するのも10代が多いのです。


10代の脳の特徴(2)発達のズレ


実は脳の発達は、すべての領域で同時に起こるのではありません。「大脳辺縁系」と「前頭前皮質」で発達の時期にズレがあります。

大脳辺縁系は感情をつかさどっている領域です。ここはホルモンの影響で思春期(10~12歳)に急激に発達し始めます。10代の少年・少女によく見られる性向として、危険を冒す、刺激を求める、親に背を向けて仲間に向かうなどがありますが、これらは大脳辺縁系の発達の自然な結果です。

一方、前頭前皮質(前頭葉の前部)は、計画、判断、意志決定、社会的認知、感情や衝動の抑制をになっていて、行動を実行する上で不可欠な部分です。ここが発達すると、ささやかな短期的報酬よりも、より大きく長期的な報酬を選択するようになります。この前頭前皮質は10代の半ば以降(青年期)に遅れて発達をはじめ、20歳代になってもまだ発達を続けます。つまり、大脳辺縁系がまず発達し、前頭前皮質の発達は遅れる。このズレがが10代の脳の2番目の特色です。


ホルモンの影響をうける大脳辺縁系は思春期(通常10~12歳に始まる)に激変する。大脳辺縁系は感情と報酬感を制御しており、また、青年期には前頭前皮質と相互作用して、新奇探検や冒険、仲間との交流への移行を促す。生物学的に深く根づいていて、すべての社会的哺乳類にみられるこうした行動は、快適で安全な家族から離れ、新しい環境を探検して外部の人々との関係を求めるよう10代の少年・少女に働きかける。

J.N.ギード(カリフォルニア大学・サンディエゴ)
『10代の脳の謎』
(日経サイエンス 2016年3月号)

要するに10代の脳は「冒険に乗り出す」というチャンスを開くわけです。それは、10代の少年・少女がしばしば危険な行動に走ることとも関係しています。

10代の脳における「発達のズレ」は、チャンスをもたらすとともに、脆弱性も含んでいます。つまり不安障害、鬱病、摂食障害、精神病などの症状を招くことがある。精神疾患の50%は14歳までに発病し、75%は24歳までに発病します。要するに「可動部は壊れやすい」のであり、脳も例外ではないのです。

大脳の発達.jpg
大脳辺縁系は10-12歳頃から発達を始めて15歳頃に成熟する。しかし、前頭前皮質はそれより10年遅れて成熟する。この発達のズレが、10代独特の行動をもたらす。
(日経サイエンス 2016年3月号 より)


可塑性の制限


10代の脳は可塑性をもち、脳の神経細胞の結合のネットワークは「強まって安定化するもの」と「弱まって刈り取られるもの」がダイナミックに変化します。この "可塑性" は20代以降に低下します。可塑性を阻害する物質が脳で分泌されるのです。

なぜ可塑性が低下するのかというと、可塑性は「危うさ」をも秘めているからです。その理由として、可塑性をもった脳の領域には活性酸素が多く発生し、それが脳の組織を傷つけるのではと疑われています。それは、アルツハイマー病の研究からも推測できます。特集「脳の発達」の別の記事には次のように書かれていました。


連合皮質などの複雑な認知機能を担っている高次の脳領域は、一生を通じて可塑性を維持するように進化した。これらの領域には臨界期を閉じるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが比較的少ない。と同時にアルツハイマー病でニューロンが最初に死に始める場所でもある。

引用注
  「臨界期」とは脳の可塑性が最も高まる時期。脳の各領域ごとにその時期が決まっている。コンドロイチン硫酸プロテオグリカンは可塑性を阻害する脳内物質。
ヘンシュ・貴雄(ハーバード大学)
『臨界期のパワー』
(日経サイエンス 2016年3月号)

脳の可塑性は20代以降に低下しますが、身体運動やゲームを使った訓練などで、ある程度取り戻せます。また、病気の治療などの目的で、薬を用いて脳の可塑性を取り戻す研究も行われています。



以上が「10代の脳」についての日経サイエンスの要約です。以降はこの記事を読んだ感想です。


10代への憧れ


最初に掲げた少年・少女を主人公とする小説・アニメを振り返ってみると、これら5つの物語には共通点があります。それは、

  主人公の少年・少女が、物語が始まった時点とは全く異質な生活環境に "いやおうなしに" 放り込まれ、その新しい環境に主人公が適応しつつ、自己を確立していく物語

という共通点です。今まで紹介した最新の脳科学からみると、実はその "適応能力" は "10代の少年・少女であればこそ" なのです。さらに別の共通点もあります。それは、

  主人公の少年・少女が、冒険をする、ないしはリスクを冒してチャレンジする様子が描かれている

ことです。クラバート、千尋、ニコラス(『ベラスケスの十字の謎』の主人公)、アンはそういう行動をとります(『少公女』のセーラを除く)。

我々、大人が少年・少女を主人公にした物語を読むとき、それは「子供が、少年・少女期を経て大人になる過程を描いたもの」として読みます。外面的にはその通りですが、最新の脳科学を踏まえて改めて考えてみると、これらは、

  子供(10歳以下)も、大人(20歳以上)も持っていない、10代の少年・少女だからこそ持っている冒険心と、適応し変化する能力を描いた物語

と考えられるのです。もちろん、小説として成り立たせるためにハラハラ・ドキドキする冒険話を書いた、という面はあるでしょう。しかしそれと同時に、大人は暗黙に「10代へのあこがれ」を持っているのだと思います。つまり「新しい環境に行く冒険ができる」「新しい環境に適合するように自らを変えていける」という、10代の少年・少女が持っている能力へのあこがれです。大人になるとそれらは弱まり、あるいは失われてしまう。その失われてしまったものが描かれている。

もちろん、変化の少ない安定的な環境で生活したいと望むのは悪いことではありません。特に家庭生活の面では、子供に手がかからなくなった以降は、安定的なライフスタイルを望む人が多いのではないでしょうか。しかしそういったプライベートにおいても、たとえば新しい趣味にチャレンジをするとか、新しい仲間を求めてコミュニティーに参加するとかした方が、より人生が楽しくなることは間違いありません。問題はそうする意欲が湧くかです。

さらに、仕事やビジネスの世界を考えてみると「チャレンジ」や「変化」が極めて重要です。つまり組織にとっても、組織に属する個人にとっても、

リスクをとって新しいことにチャレンジする
新しい環境に適合するように自らを変えていく

ことを続けていかないと、競争には勝てないし、ジリ貧になるし、あるいは "その他大勢" の中に埋没していくのは必定です。個人の意欲だけで出来ることではありませんが、組織の「チャレンジ」も「変革」も、そのベースにあるのは人のマインドであることは確かでしょう。

脳科学の視点からすると、こういった冒険心や適応能力は大人になればなるほど弱まってしまう。大人が執筆した「10代の少年・少女の物語」は、大人が10代に対して抱いている暗黙の憧憬を投影したものと考えられます。

しかし、日経サイエンスの解説記事にも書いてあったように、人間は他の動物と違って大人になっても脳のネットワークの可塑性が完全に失われるわけではありません。また、訓練によって可塑性は増えます。「10代の少年・少女の物語」は、単なる "10代への憧れ" だけではなく「大人が書いた、大人に向けたメッセージ」とも考えられると、脳科学の成果を読んで改めて思いました。




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