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No.59 - 電子書籍と再販制度の精神 [技術]

No.1 の『クラバート』から始まって何回か本を取り上げました。『ドイツ料理万歳』『怖い絵』『ローマ人の物語』『雑兵たちの戦場』『小公女』『ふしぎなキリスト教』『ベラスケスの十字の謎』『華氏451度』『強い者は生き残れない』などです。それ以外に、部分的に引用した本もいろいろあります。今回は「本そのもの」について書いてみたいと思います。

No.51, 52 で紹介したレイ・ブラッドベリの『華氏451度』は「本を主題にした本」でした。この紹介の最後のところで、

本に関する状況が今、大きく変化しようとしている。それは電子書籍の本格的な普及のきざしである。
『華氏451度』は、電子出版が立ち上がりはじめている現代にこそ、我々に熟考すべき課題をつきつけている。

という主旨のことを書きました。以降はその「電子書籍」についてです。『華氏451度』は、本のない世界を描くことによって人間にとっての本の意味を問いかけた小説でしたが、電子書籍について考察することも人間にとって本とは何かを鮮明にすると思っています。

後世から振り返ると、2012年(ないしは2013年)は(日本における)電子書籍普及の大きな転換点と見なされるかもしれません。ちょうど1995年がパソコンとインターネットが爆発的に普及する(世界的な)ターニングポイントになったようにです。それはWindows95とNetscapeという新製品や技術革新が後押ししました。

本・書籍はコンピュータやインターネットとは比較にならないほど長い歴史があるものです。電子書籍・電子出版の普及は、人間社会に与えるインパクトが非常に大きいと想定できます。


電子書籍の本格的な普及


電子書籍は何も今始まったことではなく、フリーの青空文庫やケータイ小説をはじめ、すでに10数年の歴史があり、配信企業も多いわけです。その市場規模(2011年)を書籍や雑誌と比較すると、ざっと言って

 ・電子書籍 約 800億円
 ・書籍   約 9000億円
 ・雑誌   約 1兆円

で、電子書籍は既にそれなりの市場規模があります。

しかし電子書籍の売上げの8割は漫画です。2012年5月19日の日本経済新聞によると、2010年度の電子書籍の売上げは約650億円であり、そのうち約520億円は電子漫画だとあります。つまり「ジャンルが偏っている」わけです。電子書籍の本格的な普及のきざしとは、今後、漫画だけでなく文芸物やノンフィクションなどの書籍の広いジャンルに電子書籍が広がっていきそうだということを言っています。その兆候が、出版社や印刷会社の業界をあげて電子書籍の普及をめざす動きです。


電子書籍化に向けた業界連合


2012年4月2日、電子書籍の普及促進をめざす「出版デジタル機構」が発足しました。以下、日本経済新聞の2012年5月5日の記事に沿って、この機構の要点をまとめると以下のようになります。

出版デジタル機構の目的は、資金面と技術面で電子書籍化を援助することである。特に中小出版社が期待を寄せている。
講談社、小学館、集英社、角川書店、新潮社などの大手出版社や中小の出版社、大日本印刷、凸版印刷などの印刷会社がこぞって出資している。官民ファンドである産業革新機構も150億円を出資した。
5年後をめどに電子書籍の流通量を100万点に引き上げるのが目標である。

現状の電子書籍の問題点について、この日経の記事では出版デジタル機構の社長の発言が載っていました。
「タイトル数が少なすぎた。10階建ての大型書店の約80万点に対し、現状の電子書店の全在庫を足しあわせても3階分しか品ぞろえがない状況」(出版デジタル機構の植村社長)
電子書籍の流通量は20万点と言われています。10階建ての大型書店の80万点に比べれば、20万点は3階程度という論理でしょう。

しかしこの発言は電子書籍の「ジャンルの偏り」を考慮していませんね。上に書いように電子書籍の8割は漫画です。現在の20万点が10階建大型書店の3階までに相当するといっても、1階から3階の半分までは漫画であり、3階の残り半分に文芸書やノンフィクションが並んでいるという状況なのです。そんな3階建ての書店は現実にはありません。
国内の電子書籍市場に参入済みの出版社は約4000社のうち約400社と10分の1にとどまる。
という解説もありました。約400社もあるのかと思ってしまいますが、しかしこの数は「とにかく電子書籍を出したことのある出版社すべて」をカウントしているはずです。普通の人の感覚としてはその10分の1ぐらいが近いのではと思います。

出版社からの発言もありました。
電子書籍化はコストがかかり、ようやく全書籍の7分の1が作業を終えた段階。資金面と技術面で(出版デジタル機構から)支援をうけられるのはありがたい(筑摩書房:菊池会長)
筑摩書房では全書籍の7分の1の電子書籍化を終えたとのことですが、この「全書籍」に絶版になっているものは含まれているのでしょうか。また7分の1のうち、実際に電子書籍として購入可能なものはどの程度あるのでしょうか。そこを知りたいと思いました。


遅すぎる出版界の動き


出版デジタル機構もそうなのですが、電子書籍に対する出版界のこの10年程度の動きは、いかにも遅すぎるという気がします。出版デジタル機構も、アマゾンが2012年中に日本で電子書籍の販売を開始すると宣言したので、それに「背中を押されて」結成されたのではないでしょうか。「黒船」がやってくることが明白になったので対応したという感じがする。

Kindle Touch 3G.jpg
Amazon Kindle Touch 3G
日本で電子書籍が進まない理由として、よく著作権の問題がとりざたされます。「アメリカでは著者が著作権を出版社に譲渡し、出版社は独自の判断で電子書籍化を進められる。一方、日本ではそうではなく、出版社は紙の書籍を出版する権利を持つに過ぎない。電子書籍化のためには著者一人一人の許可が必要」というような・・・・・・。

確かに著作権に対する慣習が違うことは確かですが、それは言い訳に聞こえる。たとえば、日本では年に約8万冊の新刊書が発行されています。新刊書からは電子書籍に関する一定の権利を出版社が持つ(交渉をする)ということができる。この10年ぐらいの新刊書はそういう契約がされてるはずです。書籍販売開始後の3年目から電子書籍としての販売が可能とか、そういう契約だって可能なはずです。電子書籍化を拒否する著者もいるでしょうが、その電子書籍は販売しなければいいわけです。現に漫画はどんどん電子書籍化されています。

旧刊書でも、文庫化はどんどんされているわけですね。著作権というなら文庫化するときに著作権者と交渉しているはずで、電子書籍化の交渉も同時にできる。現代の本の編集は100%デジタル化されています。デジタルデータがない紙書籍をデジタル化するにはそれなりのコストが必要ですが、デジタルデータがあるものを電子書籍として出版するのは容易です。

出版社も取次ぎも書店も電子書籍と紙書籍が併存する世界に向けて大きく推進すべきなのに、なぜできるものからやらないのでしょうか。

それは、紙という特定のハードウェアに存したビジネスモデルの変革を迫られるからだと見えます。出版社・印刷会社・取次点・書店・古書店というのは「紙」に大きく依存しています。電子書籍で事業を続けるには変革が必要であり、古書という概念もなくなる。さらに紙書籍の販売は、独占禁止法からすると例外的な処置である再販制度(小売り価格の統制制度)に守られています。この制度に守られた一連のビジネスモデルを変えたくないということなのだと思います。

しかし「ビジネスモデルが崩れるから、すぐにでもできることをやらない」「最後の最後まで抵抗し続ける」というのは衰退の典型的パターンです。イノベータ=挑戦者が現れて業界構造を根こそぎ崩そうとします。そのイノベータに「内通」する業界関係者が現れる。古い業界体質に嫌気がさしている隠れた異分子です。ある時点までいって業界全体が雪崩をうって新ビジネスモデルに移行しようとしたときには、多くの利益がイノベータに吸い上げられる構造になっている・・・・・・。別業種で過去から何回も繰り返されてきたことです。

優秀な企業は、自ら作り上げたビジネス、収益の源泉になっているビジネスを否定するような、新たなビジネスに挑戦します。痛みを伴い、ジレンマと軋轢に悩みながらですが・・・・・・。車載カーナビ機器のメーカは、スマートフォンや車載機器などの多様なハードウェアを活用した「ナビゲーション・サービス企業」に変身しなれければなりません。「車載カーナビ機器を売る」ということだけに固執していたのでは衰退は明らかです。事実、車載カーナビメーカは変身に向けて動いてます。



現状の出版業界は数々の問題点・課題を抱えていますが、その最大の問題点は、欲しい本が絶版・品切れなどで入手できないこと(ないしは入手困難)だと思っています。新刊書や出版されてから10年前程度の本はインターネット通販の普及も手伝って、品切れになっていない限り非常に容易に入手できるようになりました。しかし絶版・品切れだと困るわけです。その例を次に述べます。


大学1年生に薦めたい本


日経サイエンス2012-05.jpg
この10数年、学生の「理科系離れ」ということが言われていて問題視されています。日本は自動車などの輸出産業にGDPを大きく依存していますが、それは製造業が中心であり、その「ものづくり」の根幹部分を担っているのが理科系出身の技術者だからでしょう。

日本における「理科系雑誌」の代表的なものの一つに「日経サイエンス」があります。この2012年5月号のブックレビューは「大学1年生に薦めたい本」という特集でした。7人の有識者が3冊づつ、合計21冊の本を推薦しています。推薦者は主に理系の学者なのですが、作家が一人、経済学者が一人含まれています。

この21冊の中の3冊が「品切れ」なのです。雑誌にちゃんと品切れと書いてあります。そのリスト(題名、出版社、出版年)を掲げました。品切れでない本の題名は割愛しました。

大学1年生に薦めたい本(日経サイエンス 2012年5月号)
推薦者1 本01学研メディカル秀潤社2011
本02東洋経済新聞社2007
本03日経BP社2009
推薦者2 本04河出書房新社2007
本05みすず書房2009
本06福音館書店2002
推薦者3 本07緑風出版2003
本08新潮社2010
本09日経BP社2004
推薦者4 本10講談社2008
本11朝日新聞社1983
かたちの科学朝倉書店1987品切れ
推薦者5 本12東海大学出版会2002
本13ハヤカワ文庫2003
本14産業図書1987
推薦者6 日本のこころ講談社文庫1971品切れ
本15Cambrige University2009
本16紀伊国屋書店2011
推薦者7 星の王子さま 宇宙を行く同文書院1990品切れ
本17大蔵出版2006
本18世界思想社2011

日経サイエンスの編集部から「大学1年生に薦めたい本」の原稿を依頼された推薦者の態度は、次の2つに分かれるでしょう。

品切れ・入手困難な本を紹介するのはまずいと考え、比較的最近に出版された本(たとえば2000年以降)を選ぶ。
そういうことには関係なく、自分が本当に薦めたい本を選ぶ。図書館にあるかもしれないし、品切れといっても増刷されることもある。むしろブックレビューが世に出ることでそれを期待したい。

どちらもありうる態度だと思います。品切れの本を推薦した「推薦の弁」を見ると、『かたちの科学』(朝倉書店)を推薦したのは千葉大学融合科学研究所の西川恵子氏です。
かたちの科学』(1987)

フラクタルや準結晶といった科学の最前線へ誘ってくれる。化学、物理学、生物学、数学と、さまざまな分野での形の議論を楽しむ。
(西川恵子・千葉大学融合科学研究所)
西川氏の専門である「融合科学」がキーですね。その学問的立場から、この本を是非読んで欲しいとの思いなのでしょう。

『日本のこころ』(講談社文庫)は理科系とは無縁に見えますが、世界的な数学者・岡潔氏が書いた本です。
日本のこころ』(1971)

僕はこの岡潔に憧れて数学をはじめたような面がある。
(森田真生・数学研究者)
『星の王子さま 宇宙を行く』(同文書院)は、宇宙物理学者で日本におけるX線天文学の育ての親である小田稔氏の半生を描いた本です。
星の王子さま 宇宙を行く』(1990)

科学者とは、こうして育っていくものか、というのがよくわかり、筆者は学生のころ、何度もこの本を読み返したもだ。
(横山広美・東京大学大学院理学系研究科)
後の2つの本は、推薦者の森田氏、横山氏が若い頃に学問を志すきっかけとなった本、ないしは学問の道に進むことに重大な影響を与えた本です。推薦者の「思い」が込められていることが歴然です。以上をみると3冊とも推薦するにはそれなりの理由があることが分かります。しかし「品切れ」なのです。

直感的に思うのは、21冊中3冊という品切れの数は「少ない」ということです。理科系雑誌の読者である大学1年生に薦めたい本です。この手の本がそんなに「はやりすたり」があるとは思えない。推薦者が薦めたい本は最近に出版された本とは限らないはずです。森田氏、横山氏のように、若い時に読んで自分に決定的な影響を与えた本を推薦したい人も多いのではないでしょうか。

多くの推薦者は入手の容易性を考えて「あえて最近の本を推薦している」と考えられます。入手が容易か困難かを全く度外視して「大学1年生が読むべき本」を推薦してくれと依頼したのなら、もっと品切れ本が多くリストされたのではないでしょうか。



「大学1年生に薦めたい本」は、有意義な本が入手しにくい(図書館をあたるしかない)という一つの例です。最初に方に書いたように、本は法律で定価販売が義務づけられています。そして「有意義な本が入手しにくい」というのは、その法律の制定主旨に反する状況だと思うのです。


再販制度の主旨と精神


書籍は、独占禁止法からすると例外的な規定である再販制度(再販売価格維持制度)の適用商品です。再販制度とは「出版社が個々の出版物の小売価格を決めて、販売業者での定価販売を指定できる制度」です。

社団法人・日本書籍出版協会のホームページに、なぜ再販制度が必要か、その必要性が説明がされていました。まず本という商品の特殊性がうたわれています。本は

個々の出版物が他にとってかわることのできない内容をもっている。
種類がきわめて多い(現在流通している書籍は約60万点)
新刊発行点数も膨大(新刊書籍だけで、年間約65000点)

という特性を持っていることが説明され、それを前提として次のように再販制度の必要性が述べられています。
このような特性をもつ出版物を読者の皆さんにお届けする最良の方法は、書店での陳列販売です。
書店での立ち読み風景に見られるように、出版物は読者が手に取って見てから購入されることが多いのはご存知のとおりです。
再販制度によって価格が安定しているからこそこう したことが可能になるのです。
再販制度がなくなると、
 ① 本の種類が少なくなり、
 ② 本の内容が偏り、
 ③ 価格が高くなり、
 ④ 遠隔地は都市部より本の価格が上昇し、
 ⑤ 町の本屋さんが減る、
という事態になると説明されています。そして結論として以下のように訴えています。
出版物は、明日の日本の教育、文化、情報の基礎をなす重要なメディアであり、多くの出版社が多様な出版物を安く提供し続けるために再販制度が必要です。これにより、専門書や個性的な出版物が刊行され、皆さんとの出会いの機会を広げることにつながっています。

私なりに日本書籍出版協会の主張を要約すると

出版物は教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラである。しかも非常に多様性に富む商品である。これをリーズナブルな価格で、全国津々浦々に提供し続けるためには定価販売が必要である。もし定価販売がくずれると、ベストセラーや量が出る本に書店の品ぞろえが偏り、専門的な本や読者の少ない本は市場から消え、ないしは価格が高騰し、「教育や文化の基礎」「国をささえる情報インフラ」としての出版物の役割を果たせなくなる。

ということでしょう。この社団法人・日本書籍出版協会の主張は妥当でしょうか。

なお、年間65000点の新刊書籍という記述は日本書籍出版協会のページが更新されていないからです。総務省統計局のホームページには、2009年で78501点とあります。数え方にもよるでしょうが、各種の調査を総合すると2011年では「約8万点」というのが妥当でしょう。


「再販制度必要論」は妥当か


日本書籍出版協会の主張の問題点は「本とは何か。出版物とは何か」という議論を欠いている(そこを避けている)ことです。本・出版物を次の大きく2つのタイプに分けて考えてみます。

◆A 文学・学術・歴史などの「文化」のジャンルの範疇にあり、人々の知識の増大させ、社会や人間の理解を深めるために読まれる本。
◆B そうではなくエンターテインメントとして、また暇つぶしとして一時の楽しみのために読まれる本。読んだらすぐにリサイクルに持っていってもよい、消耗品としての本。

の2つのタイプです。

もちろん、すべての本がAとBの2タイプに分かれるということではありません。これ以外の目的もあるだろうし、AとBの両方の側面を持つ本も多いわけです。

しかし典型としてAとBの二つの目的を考えると、日本書籍出版協会の「再販制度必要論」は、本のBの性格を(意図的に)無視している感じですね。Bのタイプの本には再販制度は必要ないし、むしろ有害だと思います。一律に全ての出版物を再販制度の対象とすべき理由は見あたらないのです。

しかし、そうだとしても日本書籍出版協会の主張の半分は正しいと思います。Aのタイプの本が歴然としてあるからです。「教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラとしての本」のためには、紙の書籍についての再販制度が必要である・・・・・・。これは理にかなっていると考えられます。

そして思うのですが「電子書籍を推進すべき理由」も、まさに「教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラとしての本が重要だから」なのですね。電子書籍は単に買うのが手軽とか、軽いというのではない。日本書籍出版協会が再販制度の維持を主張するなら、それと全く同じ理由で電子書籍化を主張・推進すべきなのです。


電子書籍の意義


本が「教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラ」であることの大前提は、入手できること、ないしは(図書館などで)閲覧できることです。品切れや絶版ではまずいのです。

電子書籍では品切れがなくなり、かつ絶版もなくなります。電子書籍としての提供中止はあるかもしれないが、それは第三者の著作権を侵害しているとか、そういう場合に限られます。あまり売れないからといって絶版にすべき理由はありません。音楽の話ですが、アップルのiTunes Storeで「一度もダウンロードされなかった曲はない」という話を聞いたことがあります。これと同じです。少しでも売れるなら販売し続けた方がよい。電子書籍の在庫コストは圧倒的に低いのです。

品切れや絶版がなくなるということは「大学1年生に薦めたい本」のような「旧刊書ブックレビュー」の有効性が増すということです。これは「教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラとしての本」の有用性が増すというこに他なりません。

さらに電子書籍の効用を付け加えると「立ち読み」が可能になることがあります。日本書籍出版協会は次のように主張していました。

出版物を読者の皆さんにお届けする最良の方法は、書店での陳列販売です。書店での立ち読み風景に見られるように、出版物は読者が手に取って見てから購入されることが多いのはご存知のとおりです。

その通りです。本という商品は極めて多種多様なので「立ち読み」してから買いたい。しかし立ち読みができるのは、あたりまえだけど本屋さんにある本だけです。

八重洲ブックセンターなどの大型書店に気楽に立ち寄れる人は日本全国からすると極少数です。町の比較的小さな書店で、その書店が用意した本の範囲で「立ち読み」するしかない。多くの人は「立ち読みの機会を実質的に制限されている」と言えるでしょう。ないしは「立ち読み」の地域格差は非常に大きい。

立ち読みに最適なのが電子書籍です。「電子立ち読み」の仕組みを作るのは、IT技術としては容易です。表紙と目次と著者紹介のページを自由に閲覧できるようにし、本文は一定のページ数まで「電子立ち読み」できるようにする。立ち読み1回あたり30分までとか、合計2回までとかの制約をつけるのも簡単です。こうすると各種のオンライン書店を訪れて「本をまるごと立ち読みする」ような人も出てくるでしょう(紙の書籍でもそういう人がいるようです)。これは本人認証をちゃんとやり、業界が横連携すれば済みます。クレジット業界では多重債務者を排除するため、随分昔から業界内で情報交換しています。

「品切れがなくなる」「立ち読みができる」という2つの理由を書きましたが、まとめると

紙の書籍の再販制度を守らなければならない理由と全く同じ理由で、電子書籍化を推進しないといけない

と言えます。特に「教育や文化の基礎であり、日本をささえる情報インフラとしての本」はそう言えるのです。

さらに「エンターテインメントとしての本」も電子書籍化の効果は大きいと思います。1日は24時間しかありません。その中で30分の空き時間ができたとします。スマートフォンでゲームをするか、友人にメールするか、テレビをみるか、インターネット上の情報を見るか、それとも30分で読める本を読むか。その、人の時間の争奪戦に電子書籍も参加することができます。スマートフォンですぐに読めるという利便性は大きいし、また30分で読み切るという本を考えると、そういうページ数の本は紙書籍では出版しにくいでしょう。

紙の書籍と電子書籍が併存し、読者が選択できる世界に向けて、業界あげて取り組んで欲しいものです。



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