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No.9 - コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 [音楽]


チェコ生まれの作曲家

No.09-6 Korngold.jpg
No.5 のスメタナに続いて、現在のチェコ共和国の域内で生まれた作曲家の作品を取り上げます。チェコの南東部・モラヴィア地方出身のコルンゴルト(エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト。 Erich Wolfgang Korngold。 1897-1957)が作曲した、ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35です。

チェコの作曲家といえば、ボヘミア出身のスメタナとドボルザーク、モラヴィア出身のヤナーチェクが有名です。彼らは程度の差はありますが、No.5 にも書いたように、チェコ文化、ボヘミアやモラヴィアの伝統音楽に親和性のある作品を残しました。
No.09-1 Czech.jpgそれとは別に「クラバート」の作者・プロイスラーのように、現在のチェコ域内でドイツ系の家系に生まれ、ウィーンやドイツで活躍した作曲家がいます。代表的なのがボヘミア生まれのグスタフ・マーラーですが、コルンゴルトもそうで、彼はモラヴィアの中心都市であるブルノの出身です。ブルノから南へ100kmがオーストリアのウィーンで、コルンゴルトのお父さんはウィーンで高名な音学評論家でした。また4歳の時から一家でウィーンに引っ越したといいますから、エーリヒは「ウィーン子」でしょう。ちなみに彼は次男ですが、長男はハンス・ロベルト・コルンゴルトといって、ミドルネームのロベルトは音楽評論家の父親が尊敬していたロベルト・シューマンにちなむそうです。もちろん、エーリヒのミドルネームはモーツァルトです。


最初の主題


「ヴァイオリン協奏曲」はコルンゴルトの最も有名な曲だと思いますが、この曲は冒頭に出てくる第1楽章の第1主題で聞く人を魅了します。ドボルザークの曲によくありますよね。曲の最初にポンと魅惑的な美しいメロディーが提示され、たちまち曲に引き込まれてしまうというタイプの曲が・・・。弦楽セレナーデや交響曲第3番、8番、チェロ協奏曲、弦楽4重奏曲(アメリカ)、ピアノ5重奏曲(第2番)・・・いろいろと思い浮かびます。ドボルザーク大好き、という人は多いと思いますが、このあたりの魅力が大きいのではないでしょうか。

コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲もそうです。譜例9にその第1楽章・第1主題を掲げました。Score09.jpgヴァイオリンのG線の「ラ」の音からE線の「ソ♯」や「シ」の音まで、2オクターヴを5つの音で一気に駆け上がってから下降する旋律は、いかにもヴァイオリンらしい。というか、ヴァイオリンでないと意味のないような旋律です。非常に優美で、印象的で、引き込まれる主題です。これを聞いた瞬間に曲の最後まで聞こうという気持ちになる・・・そういった感じがします。

第2楽章は「ロマンス」と題されたアダージョ楽章。譜例10の旋律で始まり、始めから終わりまでヴァオイリンが歌いっぱなしです。
Score10.jpgScore11.jpg
第3楽章のフィナーレは快活な主題(譜例11)とその変奏が繰り返し現われるロンドです。主題は最初には現れません。何種類かの変奏が先にあり、そのあと初めて主題が現れ、また変奏が続くという形のロンドになっています。

この曲全体が大変ロマンティックな雰囲気で、ウィーンの後期ロマン派の音楽の香りがぷんぷんします。


アンネ・ゾフィー・ムターの演奏


ジャケットの写真を掲げたのは、アンネ・ゾフィー・ムターのヴァイオリン独奏、アンドレ・プレヴィン指揮のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏(2003年録音)で、当時の夫婦競演CDです。チャイコフスキーのコンチェルトとのカップリングになっているものです。
No.09-3 Anne-Sophie Mutter.jpg
アンネ・ゾフィー・ムターさんの演奏は、テンポの意図的な緩急づけ(アゴーギクというのでしょうか)が多い演奏で、指を弦の上ですべらせるポルタメントも目立ちます。そもそも、第1楽章の曲の冒頭、譜例9の5小節目の「シ」の音に「早々と」ポルタメントがかかっています。こういった一つの旋律の最高音、音が昇り詰める所はよく目立ちます。

日本の演歌の歌い方で「こぶし」というのがありますね。音を延ばすときに音の高さを上下に揺らせて歌う、一種の装飾音符のようなものです。これは演歌だけでなくポップス系の歌手もやるし、また欧米でもよくやります。クラシック音楽の世界では、演奏家が譜面にない明白な装飾音を挿入することは(一般的には)やらないのですが、音の緩急や強弱を意図的に「揺らせる」ことや、特にヴァイオリンでは音と音との間に譜面にはない「移行音」を入れることはよくあるわけです。

アンネ・ゾフィー・ムターさんのこの曲の演奏はいわば「こぶしのきいた演奏」で、彼女の「独自解釈」もいっぱいある感じです。こういった雰囲気の演奏に反発を覚える人は多いと思いますが、後期ロマン派の香りが強烈なこのコンチェルトには合っているように思えます。チャイコフスキーを聞いて「やりすぎ」と思った人も、コルンゴルトでは納得する面があるのではないでしょうか。


アメリカで発表された作品


コルンゴルトは「ウィーン子」ですが、この曲は実はアメリカで作曲(1945)され、初演(1947)された曲です。コルンゴルトはウィーンにおいて名声も地位もある作曲家でした。そして友人の演出家にさそわれてハリウッドで映画音楽を作るようになりました。彼はいわゆるユダヤ系(ユダヤ教徒の家系)です。1938年、ナチス・ドイツはオーストリアを併合し、ウィーンではユダヤ人の強制移住が始まります。ユダヤ系文化人の作品の展示・演奏は禁止され、コルンゴルトの作品も演奏禁止になりました。この結果、彼はアメリカに亡命する形となり、このヴァイオリン協奏曲の作曲当時はロサンジェルス(LA)に住んでいたわけです。

ドイツやオーストリア出身で「ユダヤ系」だったためアメリカに亡命した文化人・学者は多数いて、もちろん音楽家もいます。作曲家ではコルンゴルト以外に、
ツェムリンスキー(1871-1942。ウィーン生)
シェーンベルク(1874-1951。ウィーン生)
ヴァイグル(1881-1949。ウィーン生)
指揮者では
ワルター(1876-1962。ベルリン生)
クレンペラー(1885-1973。ドイツ・ブレスラウ生)
などが代表的です。

彼らのうち、シェーンベルク、ワルター、クランペラーはLA在住でした。このヴァイオリン協奏曲は同じくLAに住んでいたアルマ=マーラー・ヴェルフェルに献呈されています。かつてのグスタフ・マーラー夫人ですね。またヴァイオリン協奏曲と同時期に作曲された弦楽4重奏曲第3番はブルーノ・ワルターに献呈されています。当時のLAでは亡命したユダヤ系の人たちの音楽コミュニティができていたわけです。


映画音楽との接点


アメリカで作曲されたこと以上に重要なのは、この曲の主要主題が、コルンゴルト自身が書いたハリウッドの映画音楽からとられていることです。「コルンゴルトとその時代」(早崎隆志 みずず書房 1998)によると、次のような映画からの引用です。

第1楽章 第1主題
「砂漠の朝」(1937)の「愛のテーマ」(譜例9)
第1楽章 第2主題
「革命児フアレス」(1939)の「カルロッタの主題」
第2楽章
「風雲児アドヴァーズ」(1936)の「アンソニーとアンジェラの愛のテーマ」(譜例10)
第3楽章
「放浪の王子」(1936)の「王子の主題」(譜例11)

もちろんずいぶん昔の映画なので私には分からないのですが、「放浪の王子」の音楽については「組曲」という形でプレヴィン指揮のロンドン交響楽団のCDで聴いたことがあります。No.09-5 SeaHawk.jpgなるほど、王子の主題をもとにして第3楽章のロンド主題(譜例11)が構成されていることが分かります。

この「映画音楽からの引用」という事実をもってして「この協奏曲は、映画音楽みたいな曲だ」と考えるのは早計です。そもそもハリウッドの映画音楽は、コルンゴルトがウィーンやドイツで発達した後期ロマン派の音楽手法を持ち込んで完成させたものなのです。その伝統は現代まで続いています。映画音楽の巨匠であるジョン・ウィリアムスの「スター・ウォーズ」の音楽がリヒャルト・シュトラウスを想起させるところがあるのはその一例です。そう言えばスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」ではリヒャルト・シュトラウスの曲そのものが使われていました。

コルンゴルトを通じてドイツ後期ロマン派はアメリカに流れ込みハリウッド・サウンドを作り出した、というわけです。ちなみに彼は1938年にアカデミー賞の作曲賞を受賞しています。「この協奏曲は映画音楽のようだ」ではなくて「ハリウッドの映画音楽は、この協奏曲が雰囲気を濃厚に伝えている19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパ音楽のようだ」なのです。

コルンゴルトは、あたためていた主題のスケッチから映画音楽をつくり、また一方ではヴァイオリン協奏曲を作ったと考えれば、作曲家としてはまったく普通の行為だと思います。


「50年前の」音楽


ということで、この曲は実際に作曲された1945年の、その50年前の1895年にウィーンで作曲されたとしても全くおかしくない曲です。No.09-4 コルンゴルトとその時代.jpg前述の「コルンゴルトとその時代」で早崎さんも次のように書いています。

「彼の音楽的個性が固まったのは、世紀転換期の古き良きウィーンの音楽環境の中でのことだった。だからその音楽にむせ返るようなウィーンの香りが満ちているのは当然のことだ。彼がいかに鋭い不協和音や複雑な対位法を使おうと、人なつっこいメロディ、甘いポルタメント、夢見る情緒、情熱的なアッチェレランドと気まぐれなテンポ・ルバート・・・といったそのウィーン的特質は明らかである。」

このような事情から、発表当時の音楽批評家は「時代錯誤だ」という批判を浴びせたようです。ヤッシャ・ハイフェッツが独奏した全米各地の演奏会での聴衆の反応は非常に良かったものの、ニューヨーク・タイムス紙からは「これはハリウッド協奏曲である」と切り捨てられました。一方、ヨーロッパの音楽批評家からはコルンゴルトは「ハリウッドに魂を売った男」と見なされ、評価されなかったと聞きます。しかし時代錯誤であろうとなかろうと、映画音楽であろうとなかろうと、音楽の良し悪しとは関係がないのです。コルンゴルトは自分の音楽的感性に忠実に曲を作ったわけです。

このバイオリン協奏曲の作曲経緯と世の中や音楽批評家の反応をみるにつれ「同時代音楽」というものの変遷を思わずにはいられません。


同時代音楽の変遷


「同時代音楽」とは「作曲家がつくり、その同じ時代に広く受け入れられて浸透した音楽」と定義したいと思います。コルンゴルトが育ったウィーンの音楽を中心に考えると、モーツァルトからマーラー付近までは、現代で言うクラシック音楽の交響曲や室内楽、ピアノ曲などの「純音楽」は同時代音楽でした。ここで言う「純音楽」とは、劇やバレエのための付帯音楽ではなく、また自分が演奏する(歌う)ための専用の音楽でもない、純粋に音楽(=譜面)だけに価値を求めた演奏会用の器楽または歌曲という意味です。もちろんバレエ組曲のように、バレエやオペラのための音楽を「純音楽化」することはあったわけです。

しかしその後、純音楽の作曲家(芸術家)は無調音楽などの「前衛手法」に走り、結果として市民の支持を失いました。同時代音楽は、純音楽を中心とするいわゆるクラシック音楽の世界から、ジャズ、映画音楽、ミュージカル、ポップス、ロックなどへと移行していったわけです。

小説や音楽の楽しみ方の一つに、好きになった作者の作品を全部読む(聴く)ということがあると思います。現代の同時代小説を例にとると、たとえば村上春樹さんの作品を全部読んだという人はかなりいるのではないでしょうか。「村上ファン」なら、いかにもありそうです。

では、現代の同時代音楽で「作曲家」という視点で考えたとき、その作曲家が作った音楽作品を全部聞いたことがあると言える、その人は誰でしょうか。私の場合だと、中島みゆきさんの曲は自信をもって「全部聞いた」と言えます。他の歌手に提供した曲を含めて、少なくともCDで聞ける曲は全部知っているはずです。YOSHIKI (X JAPAN) や桑田佳祐、松任谷由実も「全部」に近いかも知れない。

これらの同時代アーティストに共通しているのは「シンガー・ソングライター」つまり自分が歌う(演奏する)ことを前提にした音楽であることと、専門の音楽教育を受けた人はいないことです。「ヤマハ音楽教室」に通ったとか、子供のころからピアノを習っていたという人はいるかもしれませんが、少なくとも芸大の作曲科出身とか、それに近い音楽教育を受けた人はいないと思います。

芸大の作曲科を出て作曲家として活躍している人は、もちろんいます。坂本龍一、三枝成彰、千住明(以上、東京芸大)、久石譲(国立音大)、服部克久(パリ国立音楽院)などです。しかし彼らの作品でよく耳にするのは、映画音楽であり、TVドラマの主題歌(曲)であり、自らのバンドとしての演奏です。純音楽を作っている人もいますが、それを聞く機会は非常に少ないわけです。

日本にはプロのオーケストラが30以上あり、年間3000以上の公演が開催されていると言います。このオーケストラのコンサート会場で演奏される「純音楽」は大半が100年以上前のヨーロッパを中心に作られた曲で、まさに「クラシック=古典」です。コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲が今演奏されたとしても、それは既に作曲されてから65年たった曲なのです。時折、現代の作曲家に委嘱した純音楽作品が演奏されることがありますが、積極的に聞く意欲の沸く作品はあまりない。とにかく「わかりにくい」曲が多いのです。コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲ほどに聞く人を引きつける「わかりやすい」曲を作る能力のある人はいっぱいいると思うのですが、そういう曲は実際には作られない。

では、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲が発表当時にそうであったような「同時代音楽の純音楽」が、なぜ現代では不毛になってしまったのでしょうか。


芸術の落とし穴


それは素人考えかもしれませんが「芸術」の落とし穴のような気がします。もともと作曲家という独立した職業はなく「演奏家自身が作曲家を兼ねる」状態、つまり現代で言うシンガー・ソングライター的存在が当たり前でした。その後「作曲」を中心に活動する人が出てきたわけですが、その人は「職人」でした。でないと、ハイドンが交響曲を104曲も作ったりはしません。職人は「マーケット」のニーズに応じて求められる作品を生産しました。マーケットとは、まず王侯貴族であり、富裕層を経て、市民階級へ拡大しました。その職人としての作品の中に作者の才能がキラリと光っていれば、それが賞賛を浴びたわけです。もちろん音楽だけでなく画家も職人です。

しかし職人が「芸術家」となって話が違ってきました。芸術家は何よりも独自性・唯一性を求めます。この作品はあの人が作った、と誰もが分かるような独自性・唯一性です。独自性によって後世に名を残す、これが芸術家の本性です。ブラームスのスタイルのような曲を書けば、それがいくら美しくて心を動かす曲であろうとも「ブラームスの亜流」というレッテルを評論家から貼られて芸術家とは認められないし、悪くすると音楽界から葬り去られるわけです。

独自性・唯一性が、芸術家を職人から区別するポイントであり、あるいは芸術を工芸から区別する要諦です。職人や工芸家は、先人と同等のクオリティーのものを作れること、そういった高度な技術を持ち、それを継承できることこと命なのですから。

音楽家が独自性を示すもっとも分かりやすい方法は、音楽の構成手法における新規性です。これが異常に「発達」し「新しく」なっていく。ついには曲全体にわたって調性を全く無くすような手法までが20世紀に出てくるわけです。その結果、純音楽は人間の感性からかけ離れたところに行き、袋小路に入り込み、一般市民とのコミュニケーションを失ってしまいました。音楽の原点は人間の「歌」であり「心の中で口ずさめる」ことであり、それがもたらす共感のはずなのですが・・・。芸術を求めるあまり聴衆から離れていく、それが落とし穴だと思います。

コルンゴルトはそういう「落とし穴」とは無縁だったということだと思います。彼はまずウィーンでオペラや管弦楽などをつくり、ハリウッドで映画音楽をつくり、そのあと再びヴァイオリン協奏曲などの純音楽(その他に、弦楽4重奏曲、弦楽のための交響的セレナーデ、などの名曲がある)を作りました。ジャンルにとらわれず自分の感性を信じ、聴衆にリーチしようとした作曲家だと思います。それはアーティストとしては極めて正しい態度です。


アメリカ音楽としてのヴァイオリン協奏曲


コルンゴルトは1943年にアメリカ国籍を得ました。このヴァイオリン協奏曲の作曲・発表当時は、彼も移民の国・アメリカ合衆国の一市民であったわけです。ジャズ、ロック、映画音楽、ミュージカル、ブルース、カントリー・ウェスタン、黒人霊歌など、アメリカの音楽文化は、移住してきた人がもたらした数々の音楽文化をも取り込み、大衆社会の拡大とともに発展しました。これらを「アメリカ音楽」と言うなら、ハリウッドと密接な関係があるこのヴァイオリン協奏曲は、まさに典型的なアメリカ音楽だと思います。




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