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No.7 - ローマのレストランでの驚き [文化]

No.6 に続いて、海外旅行での「全く意外だった発見」の話です。

ローマに旅行した時の、ある日です。その日はローマ市内のあちこちに行きました。写真はその一つで、カピトリーノ美術館の「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」です。マルクス・アウレリウス.jpgローマ皇帝の騎馬像で破壊をまぬがれて残った唯一のもので、このあたりの詳細は、塩野七生著「ローマ人の物語 第11巻 終わりの始まり」の冒頭に詳しく書かれています。

とにかくその日はこの美術館だけでなくあちこちに行ったため、ホテルに夜8時頃に帰ってきました。夜も遅いし疲れたので妻と相談して、できるだけ近場で食事をしようということになり、ガイドブックにあったテルミニ駅近くのレストラン、というか「食堂」のような感じの店に入りました。名前は覚えていません。Trattoria とあったと思います。

イタリアを旅行してありがたいのは、レストランの食事の「ハズレ」がほとんどないことです。「大衆食堂っぽい」とろへ行き当たりばったりに入っても、これはまずい、という経験がありません(少なくとも私には)。これがA国やB国やC国だとそうは行きません。慎重に食事の場所を選ぶ必要があります。これらの国では、可能なら、①イタリアン、②日本料理、③中華料理、の優先順位でレストランを選ぶのが賢明です。日本料理と中華料理のプライオリティが少し低いのは、あやしい日本料理や、あやしいチャイニーズの店があるからです(もちろんチャイナタウンの店などに行けば安心です)。つまりイタリア以外でもイタリアンの店は最も「信用できる」というのが私の実感です。

本題に戻って、私の入った「食堂」も味は大変まともでした。私は店にあったテレビをチラチラみながら「わりとおいしいね」とか、妻と言いながらパスタなどを食べていました。テレビが置いてあるということで、この店の「グレード」が想像できると思います。そして ・・・・・・ 私がこの食堂で強く引きつけられたのは味ではなく、たまたまその時テレビで放映していたイタリアの番組だったのです。

それは「素人隠し芸勝ち抜き戦」とでも言うべき番組です。2人(ないしは2組)の出場者が、それぞれ「持ち芸」を披露します。歌、マジック、エアロビクス、楽器演奏 ・・・・・・ とにかく「芸」なら何でもよいようです。マジックとエアロビクス・ダンシングの「対抗戦」にどういう意味があるのかは分からないのですが、とにかくそういう「意味」は問わない「アバウトさ」がこの番組の持ち味なのでしょう。

「芸」の披露が終わると、テレビスタジオに招かれている100人の視聴者がボタンを押して、どちらが勝ちかの判定をします。結果は電光掲示板にすぐ表示されて勝敗が決まるというしかけです。ここまではよくあるパターンで、これだけだと「少々風変わりだけど、ありそうな番組」に過ぎません。しかし問題はこの判定場面なのです。

勝敗判定場面において2人の出場者は、スタジオに設置されている、前面がガラスで上面にフタがしてある巨大な水槽の、そのフタの上に立ちます。立った位置はちょうど落とし穴のしかけになっていて、判定で負けた出場者は水槽の水の中にドボンと落ちるのです。前面がガラスなので水槽に落ちた出場者がもがく様子は丸見えです。もちろん危険を避けるために水槽の中にはアクアラングをつけた2人の救助隊が控えていて、落ちた出場者を救助し、水槽の端にある梯子で脱出させます。

つまりこの番組は「隠し芸の披露」ということがポイントではなく「水槽にドボンと落ちる出場者を見て楽しむ」番組です。隠し芸の対抗戦はそこに至る、というか、水槽に落ちる場面を作り出すためのプロセスに過ぎません。要するにこれは、日本的感覚からすると完全なB級テレビ番組なのです。私は妻といっしょにニヤニヤしながらこの番組を見つつ「イタリアだね!」とか「我々はイタリアに来たんだ!」などと会話していました。

B級テレビ番組を見てイタリアを感じるのは、イタリアに対する偏見、ないしは固定概念です(イタリア人の方、ごめんなさい)。B級テレビ番組からなぜイタリアを感じるのかはうまく説明できないのですが、こういうたぐいのステレオタイプ的な見方はイタリアに対してだけでなく、フランス、イギリス、中国、アメリカなど対してもそれぞれあって、それは私だけでなく一般的にあるようです。もちろん日本人も外国からステレオタイプ的に見られているケースも多々あるようなので、お互い様と言えばお互い様です。我々は多かれ少なかれ固定概念から逃れられません。

イタリアに来て自分自身が固定概念にとらわれていることを発見する ・・・・・・ これが本題の「海外旅行における意外な発見」と言いたいところなのですが、実はそうではありません。

番組を見ていると、一人の痩せた男性が出てきました。どうやら歌を歌うようです。対抗馬の人がどうだったのかは全く忘れてしまいました。とにかくその男性は、裏声というのでしょうか、カウンター・テノール風というのでしょうか、男性にしては非常に高い声でソプラノが歌うはずのオペラのアリアを歌い出したのです。有名なアリアなのですぐに分かりました。ベッリーニ作曲のオペラ「ノルマ」の中の「清き女神よ」です。

「ノルマ」といえば今でこそベッリーニの最高傑作という評価だと思いますが、初めから終わりまで「出ずっぱり」のソプラノに超絶技巧が要求され、一時は上演される機会もあまりなかったと言います。Callas.jpgそれを復活させたのが、かのマリア・カラスで、彼女のオハコの一つがノルマ役でした。このオペラは古代ローマ時代のガリア(今のフランス)が舞台なのですが「ソプラノとテノールが、あってはならない恋に落ち、その恋が破綻し、最後には二人とも死ぬ」という、オペラの王道中の王道とでも言うべきストーリー展開であり、ベッリーニ特有の美しいメロディーが次から次へと現れる、まさに「のめり込むような感じ」のオペラです。このオペラで中でも有名なアリアが「清き女神よ」なのです。私は「B級テレビ番組」と「ベッリーニ」という想定外のミスマッチ感に驚いてしまいました。

しかしそのあと考えてみたのです。これをミスマッチと思うのは、それこそものすごい固定概念ではないだろうか。ベッリーニ(1801-1835)は19世紀のイタリア人です。日本でいうと江戸時代後期、文化・文政期の人です。「清き女神よ」はイタリア人にとってみると、自国の180年前の人が作った(よく知られているに違いない)美しい曲の一つなのです。日本で「NHKのど自慢」に江戸時代から続く民謡を歌う人が出てきても、誰も違和感を感じないでしょう。それと同じです。

日本に住んでいてオペラというと、ウン万円出して公演に行くか、DVDを購入して観賞するか、最近ならメト・ライヴ・ビューイングを映画館で見るかでしょう。オペラのアリアにしても、CDで聞いたり、コンサートに行ったり、テレビのクラシック音楽番組で聞いたりだと思います。しかし、イタリアではB級テレビ番組でオペラなのです。オペラ発祥の地、イタリアでは ・・・・・・ 。

そう言えばイタリアとオペラの楽曲について、思い出すことがあります。イタリア人が最も好きな曲の一つは、プッチーニ(1858-1924)のオペラ「トゥーランドット」の中のテノールのアリア「誰も寝てはならぬ」だと、どこかで読みました。この曲は、2006年の冬季オリンピック・トリノ大会の開会式でパヴァロッティが歌いましたね。「翌朝、私は勝つ」という内容の歌詞なのでオリンピックの開会式としてはうってつけでした。荒川静香さんもこの曲で金メダルをとりましたが、「イタリアでの五輪」「歌詞の内容」の二つを考えて彼女が選曲したとしたら大したものだと思います。

またイタリアの「第2の国歌」と言われているのは、ヴェルディ(1813-1901)オペラ「ナブッコ」の第3幕の合唱、「行け、我が想いよ」です。この曲はトリノ五輪の閉会式でも使われていました。開会式にプッチーニ、閉会式にヴェルディというわけです。

日本人が多数集まったとき全員で歌えるような、誰もが知っている曲というと、何が考えられるでしょうか。しかも100年レンジで歌いつがれている由緒ある曲、という条件をつけるとしたら ・・・・・・ 。最近ではこういう曲を探すのが難しくなったと思いますが、有力な候補は明治・大正時代に作られた小学唱歌で、たとえば「蛍の光」(1881年小学唱歌。原曲はスコットランド民謡)や「ふるさと」(1914年小学唱歌)だと思います。最後に「蛍の光」を全員で合唱するNHKの年1度の歌番組がありました。

それらに相当するのがイタリアではオペラなかの有名曲だと考えればよいのでしょう。ベッリーニ、プッチーニ、ヴェルディのほかに、ロッシーニ(1792-1868)やドニゼッティ(1797-1848)といった大御所の名曲もあります。ローマのレストランでの経験は、イタリアにおける「オペラ文化」の歴史の長さ、蓄積の深さ、国民への浸透度をかいま見るような経験でした。





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