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No.178 - 野菜は毒だから体によい [科学]

前回からの続きです。前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたことをまとめると、

苦味とは(本来は)危険のサインである。

舌で苦味を感じている「苦味受容体」は、実は体のあちこちに存在し、細菌を排除するためのセンサーとして働いている。

我々が往々にして「苦いが安全な飲物・食物」を摂取するのは「苦味受容体」を活性化させるためではないか。

ということでした。No.177は日経サイエンスの記事からの紹介なのですが、記事に書いてあったのは ① と ② であり、③ はあくまで個人的な感想です。しかしなぜ ③ を思ったのかというと「植物の毒素がヒトにプラスの効果をもたらす」ことを解説した別の記事を読んでいたからでした。今回はその話です。


野菜を食べる意味


世の中一般に「野菜を食べましょう」と推奨されています。野菜を食べることは体にいい、健康にいいと、多くの情報が各種メディアで発信されています。野菜不足を補うためのサプリメントや機能性食品も数多く発売されている。では、なぜ野菜が体にいいのでしょうか。

普通の答は、消化器系を活発にする食物繊維がとれるからであり、各種のビタミンや鉄分などの栄養素の摂取であり、また、活性酸素(フリーラジカル)を弱める抗酸化作用がある各種成分が含まれているからでしょう。そう考えるのが普通です。

しかし最近の研究で「野菜や果物を食べる」ことは、一般的に考えられている以上の効果があることが分かってきました。その効果こそ、野菜や果物を食べるべき一番の理由かもしれないのです。

以下に、日経サイエンス(2016.1)に掲載された「微量毒素の効用」という解説記事から引用します。著者はマーク・マトソン教授で、ジョンズ・ホプキンス大学医学部教授、かつ米国・国立老化研究所 神経科学研究室長の方です。


微量毒素の効用


この解説記事では「なぜ野菜や果物が体によいのだろうか」という問いに対する答えとして、次のように書かれています。


いま見えはじめてきた答えは、植物が害虫から身を守るために何百万年もかけて進化させた防御策に深く関係している。植物が作り出す苦味のある化合物は天然の殺虫剤の役目を果たしている。私たちが植物由来の食品を食べると、これら低濃度の毒性化合物も摂取され、それが人体の細胞に運動や断食と同じような軽いストレスをかける。それで細胞が死ぬことはない。それどころか、弱いストレスに対抗することで、より強いストレスに耐える能力がむしろ強化される。

細胞の回復力が高まるこの現象は「ホルミシス」と呼ばれ、最近の多くの研究は果物や野菜の摂取が体によいのもホルミシスのためであることを示している。

マーク・マトソン教授
「微量毒素の効用」
日経サイエンス(2016年1月号)

植物が昆虫との戦いの中で毒素を獲得してきた経緯、およびヒトと毒素の関係については、以下のように書かれています。


果物や野菜が健康によいのは、植物がそれを食べる昆虫などの動物との間で太古の昔から繰り広げてきた戦いの偶然の副産物だ。個体として、そして種として存続するため、植物は身を守る対抗策を発達させる必要があった。そして何億年もの進化の中で、天然の殺虫剤を合成できるようになった。

それらの化合物はふつう、昆虫を殺しはしない。植物にとって捕食者が死ぬかどうかはどうでもよく、ともかくいなくなってくれればよいのだ。植物がよく使う手は害虫の神経系に作用して追い払う化合物だ。人の舌の味蕾みらいと同様の感覚器が昆虫の口にもあり、これが化合物を感知すると脳に合図が伝わり、植物を食べるのをやめるべきかが判断される。

植物にとって最大の敵は昆虫だが、私たちの祖先である初期の霊長類も、すみかとしていた熱帯林で見つけた植物の根や葉、果実を利用した。植物は食べ物や薬として役立つ一方で、場合によっては悪心おしんや嘔吐を引き起こし、死につながることもあった。

「同上」

確かに植物の毒の中には、食べると死に至るような猛毒もあります(トリカブト、イヌサフランなど。スイセンも危ない)。しかし人間にとってはごく軽い毒も多い。ヒトは長い歴史の中で、そういうものをより分け、食物とし、それを文化として伝承してきたのだと考えられます。


ホルミシス


最初の引用に「ホルミシス」という用語が出てきました。ホルミシスとは「少量なら有益だが、量が増えると有毒になる」という現象です。それを示す分かりやすい図が解説記事にあるので引用します。この図でホルミシスを起こさない毒物とは、たとえば少量でも毒になる水銀です。

ホルミシス.jpg
ホルミシスを起こす毒(上の曲線)と、起こさない毒(下の曲線)を概念的に表した図。ホルミシスを起こす毒は、微量だと体に好影響をもたらす。
(日経サイエンス 2016年1月号より引用)

解説記事では、著者が研究した脳の神経系を例にとって、ホルミシスを起こす物質があげられています。

スルフォラファン(ブロッコリー)
クルクミン(ターメリック)
カフェイン(コーヒーや茶)
カテキン(茶)
カプサイシン(唐辛子)

などです。( )はその化合物が含まれる代表的な植物です。ターメリックはカレーによく使われる香辛料ですね。脳神経においては、これらの化合物が引き金となり、結果として神経伝達物質(アセチルコリン)の量が増えたり、傷ついたタンパク質が除去されたり、抗酸化物質が増えたりします。

著者は米国・国立老化研究所 神経科学研究室長ですが、なぜその著者が植物由来の微量毒素を研究するかというと、これらが、たとえばアルツハイマー病の治療や予防に使えないかと考えているからなのです。著者の行った実験によると、カレー香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミンをアルツハイマー病を発症させたマウスに投与すると、活性酸素による脳細胞の損傷が押えられ、アルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積が少なくなったそうです。これはクルクミンが活性酸素を除去するのではなく、クルクミンが脳細胞にストレスを与え、それがきっかけとなって脳細胞内で抗酸化酵素の生産が始まるからだと分かりました。ヒトの体はストレスに対抗する、ないしはストレスによるダメージから回復する機能を備えています。その機能を軽いストレスで活性化させる。そこがポイントなのです。

ホルミシスを起こす物質として、トウガラシの辛味成分であるカプサイシンがあげられています。これについては日経サイエンスの記事には解説がないので、別の本から引用します。


そもそも人間の舌には辛みを感じる感覚はない。トウガラシの辛み成分であるカプサイシンは舌を強く刺激し、舌の痛覚がそれを感じる。つまり、カプサイシンの辛さは、「痛い!」と感じる辛さなのである。そこで、トウガラシを食べると人間の体は、この痛みの元となる物質を早く消化し無毒化しようとして胃腸を活発化させるわけだ。トウガラシを食べると食欲が増進するのはそのためなのである。

・ ・ ・ ・ ・ ・

トウガラシの辛み成分であるカプサイシンには、食欲増進効果だけでなく、ストレスの解消や体内の脂肪の分解を促進する働きもある。カプサイシンは胃腸から吸収されると副腎に作用し、かなり長時間にわたって、アドレナリンを主成分とする人間を興奮状態にさせるホルモンの分泌を促進するという。ネズミによる実験では、カプサイシンを投与するとアドレナリンの分泌量が最大8倍まで増えたそうだ。アドレナリンは興奮したとき大量に分泌され、筋肉に血液を集め、体内に蓄えられた脂肪の分解を促進してエネルギーを供給し、外敵に備えるように体を準備するホルモンとして知られている。アドレナリンの分泌が8倍というのは、人間が激怒したときの量である。

山本紀夫「トウガラシの世界史」
(中公新書 2016)

まとめると、トウガラシのカプサイシンは舌の痛覚を刺激し、それが "危険" のサインとなって、体のあちこちがそれに備える行動に出る、ということでしょう。我々は安全な "危険物質" を摂取することで、体を活性化し、それが健康につながっているわけです。

上の図を見て思ったのですが、ホルミシスは「ストレスから回復する体の機能」があるからこそで、その機能は長い進化の中で獲得されてきたものです。ということは、この100年程度の間に人間が作り出した化学物質は、もしそれがヒトにとって毒だとすると、水銀と同じようにホルミシスを起さない毒なのでしょう。植物の微量毒素と人間が作り出した微量毒素(放射線なども含む)を同列に論じることはできないと思いました。


人間と植物のつきあい


これ以降は記事を読んだ感想です。人と植物の毒素のつきあいを振り返ってみると、次のようにまとめられると思います。

植物は昆虫に食べられることを避けるために毒を作り出す。その毒はヒトにとって苦味として感じられる。

その苦味は基本的には「食べてはいけない」というサインである。

しかし毒のなかにはホルミシスを引き起こす毒がある。そのような毒は、微量(適量)を摂取するなら、ヒトの体を健康にする効果をもつ。

そのことをヒトは経験の蓄積で知り、それを伝承してきた。だから我々は、往々にして苦い飲物・食物を摂取する。

この観点からすると、子どもがブロッコリーや渋茶を忌避するとしたら、それは本能的行為であり、子どもとしては正しい行為ということになります。しかし大人になってもなおかつ忌避するとしたら(=いわゆる "子供っぽい舌")、それは「人類の歴史や文化をわきまえない行為」ということになるでしょう。もちろん食物や飲料には誰しも嗜好があるので、好き嫌いがあってもかまいません。かまわないのですが、苦味(渋味)があるという理由でだけで忌避するとしたら、それは子ども並みだということです。


スポーツの効用


日経サイエンスの記事の引用で、食物の微量毒素が「運動や断食と同じような軽いストレス」を与え、それが体によいという記述が出てきました。断食をしたことはないので何とも言えませんが、運動は確かにそう思います。

個人的にはランニングが趣味なのですが、ランニングというのは「体に軽いダメージ」を与える行為だと思うのですね。体はそのダメージから回復する力を内在している。常に「軽いダメージからの回復過程」に体を置くことで、健康が維持され、風邪もほとんどひかない。そういう風に思います。

もちろん「軽い」ということが重要です。蓄積するような重いダメージ、ないしはケガにつながるようなダメージでは元も子もありません。筋力の鍛え具合い、年齢、ランニングの間隔やタイミング、その時の体調などを判断し、運動量を調整することが重要です。それはランニングだけでなく、趣味でやるスポーツ全般について言えると思います。食物の微量毒素がホルミシスによって体によい影響を与えることと、スポーツが体によいことは、全くパラレルに論じることができると思いました。


使わない機能は衰える


さらに以上の話は、人間の免疫機能についても同じように考えられると思いました。No.119-120「不在という伝染病」で書かれていたことは、人間の免疫機能を正しく維持するには「微生物に接する環境」が重要であり、それによって免疫関連疾患も少なくなるいうことでした。人間は、

ストレスやダメージからの回復機能
ダメージの原因となる物質や微生物の排除機能

を持っています。こういった機能も「使わないと衰える」わけです。それは、筋肉を使わないと衰えるのとまったく同じことです。回復機能や排除機能を衰えさせないためには、常にそれが働く環境を作ることが重要ということだと思います。

健康に過ごすために、人は往々にして「不健康になる原因を取り除く」ことばかりを考えていまいます。しかし不健康になる原因は生活環境中にいっぱいあります。それを完全に排除することはできません。だとしたら、人が本来もっている「少々の不健康からはすぐに回復できる力」を鍛えておいた方が得策というものです。鍛えないまでも、衰えないような生活習慣を身につけた方がよい。そいういうことだと思いました。


サプリメントと品種改良


この「微量毒素の効用」という記事は、「サプリメント」と「野菜の品種改良」についての問題提起にもなっていると感じました。記事を読んで分かることは、

  野菜をとることと、野菜不足を補うためにサプリメントを飲むことは意味が違う

ということです。なぜなら、サプリメント(ビタミンや各種の栄養素、食物繊維など)には微量毒素が入っていないからです。サプリメントに意味が無いわけではありませんが、野菜の摂取を代替できないことを知っておくべきでしょう。

このことに関してですが、記事の中に「運動と抗酸化サプリメントの摂取の両方をやると血糖値が低下しなかったが、運動だけをすると血糖値が低下した」という、別の研究チームの実験結果が出てきます。この理由ですが、抗酸化サプリメントの摂取が運動によるホルミシスを阻害するからではと疑われています。サプリメントは野菜を代替できないのみならず、有害なこともありうる(疑い)のです。

さらに、前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」でも書いたのですが、

  野菜や果物に含まれる苦味物質=微量毒素を少なくするような品種改良は、人間の健康にとってマイナスになる

と理解できます。なぜならその手の品種改良は、わざわざ一番大切なものを失っているからです。これは品種改良ではなく品種改悪と呼んだ方がよいでしょう。

植物を含む自然界の仕組みは奥深いし、人間の体のしくみも解明されていないことがいっぱいあります。うわべだけを見て判断する「浅知恵」にならないようにしたいものです。




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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体 [科学]

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。

  No.69自己と非自己の科学(1)
  No.70自己と非自己の科学(2)
  No.119「不在」という伝染病(1)
  No.120「不在」という伝染病(2)
  No.122自己と非自己の科学:自然免疫

の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。

獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。

一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。

ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。


鼻や気道の防御システム


ヒトが外界から何らかのモノを取り入れる器官というと、まず思い浮かぶのが口・食道・胃・十二指腸・小腸・大腸という消化器系です。消化器系には食物や水分とともに各種の細菌やウイルスが入ってくるので、ヒトの免疫系がそれらを排除する "最前線の戦場" となっています。

しかし外界からモノを取り込むという意味では、もう一つ重要な器官があります。鼻・気道・気管・肺という呼吸器系です。ここにも空気と一緒に細菌やウイルスなどの "非自己" が入ってきますが、最近の研究でこれらを排除するしくみがあることが分かってきました。以下に、日経サイエンス 2016年5月号の解説記事から引用します。著者はペンシルヴァニア大学のリー助教授とコーエン準教授です。引用中の下線は原文にはありません。


人は平均して1日に1万リットルを超える空気を主に鼻を通して吸い込んでおり、その空気には無数の細菌や真菌、ウイルスが含まれている。つまり鼻は呼吸器における防御の最前線に位置するわけだ。息をするたびに塵やウイルス、細菌、真菌の胞子などが鼻で捕らえられる。だが驚くことに、たいていの人は気道感染症を患うことなく自由に呼吸して歩き回っている。

その理由は、かつては思いも寄らなかったことに、舌にあるらしい。舌で苦味を感じているタンパク質、つまり「苦味受容体」が、別の役割を持っていて、細菌から体を守っていることが明らかになったのだ。私たちの研究で苦味受容体が鼻の細胞にも存在し、細菌に対して3種類の防御反応を誘発することが示された。

リー助教授・コーエン準教授
(日経サイエンス 2016年5月号)

ここで "味" について復習しておきますと、舌の味蕾みらいには、味のセンサーである「味覚受容体」があります。味覚受容体は5種類あり、甘味、苦味、うま味、酸味、塩味を検知します。これは私たちが口にした食物の情報を脳に伝えるものです。甘味は「糖」、うま味は「アミノ酸」、酸味は「酸 = 水素イオン」、塩味は「塩 = ナトリウムイオン」です。では苦味は何を検知しているのでしょうか。


苦味受容体はストリキニーネやニコチンなどアルカロイドと総称される植物由来の毒性化学物質を検知できる。そして、私たちが「苦い」と表現している味を、脳は不快なものと感じる。苦味受容体は、害を及ぼす可能性がある化学物質の存在を知らせるために進化してきたからだ。

有害物質の検知は生存に不可欠である。苦味受容体に実に多くの種類があるのはこのためだろう。甘味や塩味、酸味、うま味を感じる受容体はそれぞれ1種類しかないが、苦味受容体は少なくとも25種類ある。これらの苦味受容体はまとめて T2R と呼ばれ、おそらく多様な毒素を私たちが認識して飲み込まないようにするために進化したのだろう。

「同上」


3種の防御システム


苦味受容体は、最初の引用にあるように、細菌に対して3種類の防御反応を誘発します。それが初めて発見されたのは、肺でした。


体の別の場所にある苦味受容体が果たしている役割について手がかりが得られ始めたのは2009年のことだ。その年、アイオワ大学の研究者が肺の内面を覆う上皮細胞にT2Rを発見した。肺に吸い込まれた病原菌や刺激物質は、上皮細胞の上にあるねばねばした粘液に捕らえられる。すると、細胞表面の小さな線毛が同期して1秒間に8~15回むち打ち運動し、刺激物質を喉に向けて押し戻す。押し戻された刺激物質は、飲み込まれるか体外に吐き出される。

アイオワ大学の研究チームは、T2Rが苦味物質によって刺激されると、人間の肺上皮細胞の線毛運動が速くなることを見いだした。この発見は、害を及ぼす可能性のある吸引物質(口では苦いと感じられるもの)を気道から除去するのにT2Rが寄与していることを示唆している。

「同上」

苦味受容体が誘発する3種類の防御反応のうち、その1番目は「細胞にシグナルを送り、線毛を動かして進入物を押し出す」という防御反応です。それは肺だけでなく鼻にもあることが分かりました。



2番目の防御反応は「苦味受容体が細胞に指示して殺菌作用のある一酸化窒素を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。①~④の数字は下の図と対応しています。

グラム陰性菌は鼻に感染すると、アシル化 ホモセリン ラクトン(AHL)という化学物質を放出する。

このAHLは鼻の上皮細胞の線毛に存在するT2R38と呼ばれる苦味受容体(25種ある苦味受容体の一種)によって検知される。

これを受けて、細胞は一酸化窒素をガスを放出する。

このガスが細菌を殺す。

一酸化窒素プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

グラム陰性菌という言葉が出てきましたが、一般に細菌は「グラム陽性菌」「グラム陰性菌」「マイコプラズマ」の3種に大別できます。これについては、No.122「自己と非自己の科学:自然免疫」に説明を書きました。ヒトの病原性細菌の大多数はグラム陰性菌です。



3番目の防御反応は「苦味受容体が別の細胞にシグナルを送り、ディフェンシンという抗菌タンパク質を放出させる」というものです。この反応は次のように進みます。この反応には、ブドウ糖などを検知する甘味受容体(T1R)も関係しています。

感染性細菌が出す苦味物質が苦味受容体(T2R)に接触する。

細胞はカルシウムを放出する。

カルシウムが合図となって周辺の細胞がディフェンシンというタンパク質を作りだし、放出する。

ディフェンシンは細菌を傷つけて殺す。

その結果、ブドウ糖などの甘味物質が細菌に消費されなくなり、増加する。

甘味受容体(T1R)がブドウ糖を検知すると、苦味受容体(T2R)の活動が押さえられる。

ディフェンシン・プロセス.jpg
(日経サイエンス 2016年5月号より引用)

甘味受容体(T1R)が苦味受容体(T2R)の過剰反応を押さえる役割を担っていると考えられています。



さらに最近の研究によると、苦味受容体は鼻や肺などの呼吸器系だけでなく、体のあちこちに存在し、免疫機能を果たしていることが分かってきました。


鼻以外の器官でも、味覚受容体と免疫との関連性が見えてきた。2014年、尿路の化学感覚細胞が病原性大腸菌に出会うと、T2Rを使って膀胱を刺激して排尿を促すことが明らかになった。体が細菌を尿とともに洗い流して膀胱感染症を防ごうとしているのだろう。最近の別の研究では、好中球やリンパ球などの白血球(免疫系の主要メンバー)もT2R38を使ってグラム陰性菌が作るAHLを検知していることが示されている。

「同上」

ちなみに日経サイエンス 2013年12月号には、小腸に甘味受容体があることが書かれています。小腸が糖の甘味をキャッチすると、それがインスリンを分泌するシグナルになる。インスリンは血糖を細胞や肝臓に蓄えて血糖値を下げる働きをします。しかもこの小腸の甘味受容体は人工甘味料に "騙される" らしい・・・・・・。甘味受容体もまた、舌だけにあるわけではないのです。


自然免疫との比較


苦味受容体による細菌からの防御システムと、No.122 の自然免疫を対比すると、大きな違いはその反応時間です。自然免疫の反応は数時間かかりますが、苦味受容体は数秒から数分で反応すると言います。リー、コーエン両教授の解説記事にも、


苦味受容体は一種の "臨戦態勢" にあって、即座に反応を起こすことで、感染初期において最も重要な防御を担っているのかもしれない。他の免疫受容体(引用注:自然免疫、獲得免疫にかかわる受容体)は感染が長期化した場合に重要になるのだろう。最初の免疫反応では不十分だった場合に、免疫軍を召集するのだ。

「同上」

と書かれていました。まさに苦味受容体による防御反応は第2の自然免疫であり、最初に反応する最前線の免疫系なのです。


苦味受容体の多様性


苦味受容体の大きな特徴として解説記事で強調されているのは、その遺伝的な多様性です。


T2R苦味受容体に多くの遺伝的変異体が存在することは、免疫におけるこれらの受容体の役割をいっそう興味深いものにしている。25種類の苦味受容体のほとんどに検知能が異なる遺伝的変異体があるため、苦味物質に対する感受性は人によって異なる。

「同上」

そして、苦味物質に対する感受性の強い人は、グラム陰性菌による鼻の感染症にかかる率が低いことが書かれていました。

ここからは感想ですが、このくだりを読んで思い起こしたのが獲得免疫の多様性です(No.69-70)。免疫の働きは人によって強い・弱いがあります。"非自己" を徹底的に排除する(免疫力が強い)のが一見良いようですが、そうすると、間違って "自己" を攻撃することになりかねません。また "非自己" といっても、細菌の多くは人間と共生しているわけであり、病原性を示すものは少数です。さらに "非自己" のありようは、ヒトを取り巻く環境によって大きく変わります。つまり多様性が大切なのであって、ヒトは長い進化の中で多様性を獲得してきたわけです。

獲得免疫に関するこの多様性の話は、苦味受容体にも当てはまりそうです。しかも、苦味受容体の反応を押さえる役割(甘味受容体)もある。これも獲得免疫と似ていると思いました。


苦味の効用


苦味とは何か。それは五味(甘味、うま味、苦味、酸味、塩味)の中で、一つだけ他とは違っているようです。解説記事にあるように、

  苦味とは危険のサイン

だと理解できます。ヒトは舌で苦味を感じると、その苦味物質を吐き出す。鼻にある受容体が苦味をキャッチすると、その原因物質(細菌)を排除する。同じメカニズムが働いています。苦味のセンサーである苦味受容体は多種類あり、それはヒトが長い進化の歴史の中で獲得してきたものです。

しかし飲料・食物の中には、苦味を感じても危険でないものがあるわけです。そして我々は往々にして、そういった「安全な苦味」を口にしている。たとえばコーヒーです。コーヒーにもいろんな濃さがありますが、たとえばスターバックスのドリップ・コーヒーやエスプレッソをブラックで飲むと、それはかなり苦い。でも我々は(私は)ブラックのコーヒーやエスプレッソを飲みます。

他の飲料では、ビールが苦いわけです。ホップの苦味がないとビールではなくなります。お茶(緑茶、紅茶)も、種類や入れ方にもよりますが、苦味がある。

ここで言葉(日本語)に注意しなければならないと思います。No.108「UMAMIのちから」で書いたように、日本語では「苦い」と「渋い」を区別しますが、英語では両方とも bitter です。そして学術的に言うと「渋味」は「苦味」の中に含まれています。「渋味」というのは5つの基本味には入っていないのです。苦味受容体という場合の「苦味」は、日本語の「渋味」を含めて考えないといけない。そういう意味で、お茶は(特に緑茶は)"苦い" ものが多いわけです。さらに飲み物では、赤ワインにもブドウの皮に由来する "苦味"(=渋味)がある。基本味で言うと、酸味プラス苦味で成り立っている飲み物が赤ワインなのですね。

日常の食品でも苦いものがあります。生のニンジン、ブロッコリー、キュウリ、菜の花、芽キャベツ、ホウレン草、ピーマン、パセリ、セロリ、シュンギクなどは(本来は)苦味を感じるものだし、その他、いろいろあると思います。柑橘類にも苦いものがある。サンマや鮎の塩焼きや、丸干しなどのワタ(魚の内臓)もそうです。我々は子どもの頃は、そういった飲料・食品は好まないのですが、大人になるにつれてしばしば(ないしは日常的に)口にするようになる。それはどういうことなのか。

それは「安全な苦味」を口にすることで、消化器系や呼吸器系の苦味受容体を活性化させ、体から "非自己"(細菌など)を排除する働きを高めているということではないでしょうか。苦味受容体が「第2の自然免疫」のセンサーとして働いていることを知ると、そういう風に思えてきました。その意味で、苦み物質を消し去るように野菜を品種改良することは、果たしていいことなのかとも考えました。甘ければいいというのは、違うのではないか。子供に "おもねる" がごとき品種改良はやめた方がいいのではないか・・・・・・。

とにかく、この記事を読んで「ブラックのコーヒーを毎日飲む理由」と「赤ワインをしばしば飲む理由」が、個人的には納得できた次第です。さらに、長い日本の歴史において日常的に緑茶を飲む習慣ができあがり、それから発展して日本文化の大ジャンル(=茶道)が確立した理由が(あくまで個人的感想としてですが)理解できました。

続く


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No.170 - 赤ちゃんはRとLを聞き分ける [科学]

前回の No.169「10代の脳」では、日経サイエンス 2016年3月号の解説に従って、10代の脳が持つ特別な性質や働きを紹介しましたが、同じ号に "赤ちゃんの脳" の話が載っていました。『赤ちゃんの超言語力』と題した、ワシントン大学のパトリシア・クール教授の解説記事です。題名のように赤ちゃんが言葉を習得する能力についての話ですが、前回と同じく、脳の発達の話として大変興味深かったので紹介したいと思います。


赤ちゃんの言語習得


「あー、うー」としか言わなかった幼児が言葉を習得し、「まんま」とか言い出す。そして文らしきものをしゃべり出す・・・・・・。この過程は、よくよく考えてみると驚くべきことです。誰かが系統的に言葉を教え込んだのではないにもかかわらず、大人とのコミュニケーションが次第に可能になっていく。2歳とか3歳の幼児がいる親は、今まさにその現場に立ち会っているわけです。子育てに忙殺されて驚くどころではないと思いますが、第三者の目で客観的に眺めてみると、言葉の習得というのは驚くべき脳の発達です。

では、その赤ちゃんの言語能力はどういう風に発達するのか。日経サイエンスの記事『赤ちゃんの超言語力』には、まず次のように書いてあります。


誕生時の赤ちゃんは、世界の言語に800種類ほどある「音素」をすべて認識する能力がある。

パトリシア・クール教授
(ワシントン大学)
『赤ちゃんの超言語力』
(日経サイエンス 2016年3月号)

日経サイエンス 2016年3月号.jpg
日経サイエンス
2016年3月号
クール教授がここでまず言っているのは、赤ちゃんはどの言語でも習得できる潜在能力があるということです。記事によると世界には約7000の言語があるそうですが(数え方によるでしょうが)、赤ちゃんは生まれながらにしてどの言語でも習得できる。これは納得できます。

引用に出てくる「音素」という言葉ですが、これはおおざっぱには「子音」や「母音」のことです。ただし「音素」という場合、音声学的な(物理的な)音の分類ではありません。その言語の話者にとって「同じ音」だと認識されるものは同じ音素であり「違う音だ」と認識されるものは違う音素です。たとえば日本語の「シ」の発音の子音ですが、日本語話者からみて似たような英語の子音として、she, silk, think の最初の音があります。英語話者にとってこの3つの子音は違う音素です。これを日本語話者が日本語風に「シー」「シルク」「シンク」と発音したとしたら(また聞いたとしたら)、それは同じ音素と認識したことになります。音素は音声の問題ではなく、脳がどういう風に認識するかの問題です。その音素の違いが言葉の意味の違いにつながります。

この視点からみると、世界中の言語には、合計約800の音素がある。上の引用はそう言っています。


母国語を話せるようになるには、全部で800ある音素のうち母国語が用いる約40種類を識別する必要がある。そのためには微妙な発音の違いを聞き取らなくてはならない。

パトリシア・クール
『赤ちゃんの超言語力』

音素の数は言語によって違います。英語の音素は45程度で、日本語は25程度です。クール教授が「約40種類の音素」と書いているのは、英語を念頭に置いているか、もしくはどんな言語でも40程度の音素を識別できれば十分という意味かと思います。

音の微妙な違いの判別が必要、というのはまさにそうです。日本語の「あ・い・う・え・お」の母音は違う母音(=音素)です。しかし実際の会話では、これらは必ずしも明瞭に言い分けられているのではありません。「あ」「え」「お」などは、純粋な音としてはその区別がずいぶん曖昧に発音されることがある。それでも区別できるのは、大人からすると当然です。「えるく」「おるく」に近い音を発音しても、会話の中では「あるく・歩く」に聞こえる。日本語にはその単語しかないからです。また「あり・蟻」を「えり・襟」「おり・檻」に近く発音しても、全く違うものを指しているので文脈から判断できます。その他、アクセントとかイントネーションとか、区別の手段はいろいろあります。

しかし幼児はそもそも単語や文を知りません。どうやって音素を区別するのでしょうか。また単語はどうやって認識するのでしょうか。さらに、その能力はいつ頃から生まれてくるのでしょうか。


「敏感期」の脳は "統計的学習" をする



生後6ヶ月から1年の間に、子どもの脳で秘密のドアが開くことが私たちの研究から示されている。神経科学でいう「敏感期」に入ると子どもは言葉という魔法の最初の基礎レッスンを受けられるようになる。

子どもの脳が母国語の音を最も覚えやすくなる時期は、母音については生後6ヶ月、子音については9ヶ月ごろから始まる。敏感期は2~3ヶ月しか続かないが、第2言語の音に触れるとさらに長くなるようだ。

『赤ちゃんの超言語力』

「言葉という魔法の最初の基礎レッスン」は、幼児の月齢6ヶ月から1歳程度の間に行われるというのポイントです。その "レッスン" において、幼児はどうやって言葉(音素や単語)を学ぶのか。それはまず「脳における統計的学習」です。


私の研究と、当時ノースウェスタン大学にいたメイ(Jessica Maye)の研究で、幼児がどの音素が最も重要かを学ぶ際に、音の頻度という統計パターンが決定的役割を果たしていることが示された。8ヶ月齢から10ヶ月齢の子どもは話し言葉をまだ理解していない。しかし、音素がどれぐらいの頻度で聞こえるか(統計学でいう度数分布)については非常に敏感だ。

『赤ちゃんの超言語力』

特定の音が聞こえる頻度が幼児の脳に影響を及ぼすのです。このことが、英語の r と l の音と、それに相当する日本語の R (ローマ字表記で r と書かれる ラ・リ・ル・レ・ロ の子音。英語と区別するために大文字にした)を例に説明してあります。英語の r と l はもちろん違う音素であり、right と light のように、その違いで意味がガラリと変わります。一方、日本語の R は、英語を基準に考えると r と l の中間的な音です。ラーメンなどはむしろ l のように聞こえるといいます。このような音の認識は、8ヶ月齢から10ヶ月齢で確立されるようです。


赤ちゃんの脳ではいったい何が起きているのか。メイは、この月齢(引用注:8ヶ月~10ヶ月齢のこと)の脳は柔軟性が非常に高く、音の認識の仕方を変えられることを示した。日本人の赤ちゃんは英語の音を聞くと米国で使われている r と l の音を区別できるようになる。同様に英語のネイティブスピーカーに囲まれて育った赤ちゃんも、日本語特有の音を認識しうる。

生後半年から1年で学んだ音によって脳では母国語の神経系の接続が確立し、その時期に複数の言語に接していない限りは別の言語の接続は確立しないようだ。小児後期以降、特に大人になってからは、新しい言語を聞いても劇的な影響は生じない。

『赤ちゃんの超言語力』

この引用における「日本人の赤ちゃん」とは、もちろん「日本語環境で育った日本人の赤ちゃん」ということです。

クール教授は、成長してから第2言語を学ぶ難しさがここにあるといいます。第2言語が学べないということではありません。しかし「脳の音素の認識回路」に限っていうと、それは幼児期に決まると言っているのです。

米国人、日本人、台湾人の幼児を調査した結果が載っています。米国人にとって ra と la の違いを識別するのは容易ですが、日本人にとっては難しい。一方、台湾人にとって qi と xi の違いを識別するのは容易だが、米国人にとっては難しい。このことを赤ちゃんで検証した研究です。一番のポイントは、6ヶ月~8ヶ月齢の赤ちゃんは、その赤ちゃんがどういう言語環境で育っているかにかかわらず、ra と la、qi と xi を聞き分ける能力が同じだということです。それが数ヶ月で大きく変化します。


6ヶ月齢から8ヶ月齢の子どもは育った文化に関係なく ra と la の音を区別できる。しかし10ヶ月齢になるとこの能力は閉ざされ始め、特定の言語文化に染まり始めた最初の兆候が表れる。

東京とシアトルで行われた研究では、その時期に日本人の幼児は ra と la の違いを聞き取る能力が低下したが、米国の幼児は高くなった(赤線)。

台北とシアトルの研究では、qi と xi の音の違いを聞き取る能力が台湾人幼児は延びたのに対し、米国人幼児は下がった(紫線)。幼児は言葉を覚えるためにまさに必要なことを本能的に行っている。

『赤ちゃんの超言語力』

音素の認識率.jpg
米国人、日本人、台湾人の赤ちゃんの音素識別能力を計測した研究。生後6ヶ月齢の赤ちゃんは似たような能力だが、10ヶ月齢になると育てられている環境で差が出てくる。たとえば「ra と la の違いを識別する」能力は、米国人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんでは明白な差が現れる。
(日経サイエンス 2016年3月号 より)

脳の統計的学習で音素が認識できたとして、次には単語を認識する必要があります。書かれた言葉と違って、耳で聞く言葉は「単語の区切り」がありません。赤ちゃんはどうやって単語を認識するのでしょうか。

クール教授によると、これも「脳の統計的学習」だと言います。Aという "音節"(=言葉として発音される最小限の音素の集まり。音節の組み合わせで単語ができる)のあとにBという音節が聞こえる頻度が高ければ、A+Bを単語だと認識する。コンピュータによる音声合成で、ランダムに音節を組み合わせて作った無意味な単語を幼児に聞かせた実験が示されています。特定の組み合わせの頻度だけを高めて聞かせると(それも無意味な単語ですが)、その "単語" に幼児は反応するようになる。つまり "音節の組み合わせが聞こえる頻度" という統計的学習で単語の認識がされるのです。


幼児は「人との交流」で言葉を覚える


さらにクール教授が強調していることがあります。幼児の脳におけるは統計的学習は、人との交流で起動されるという事実です。

ある実験が示されています。シアトルに住む米国人の9ヶ月齢の赤ちゃんに、標準中国語を聞かせるという実験です。赤ちゃんは4つのグループに分けれられます。

第1グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかけます。

第2グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかけるビデオを見せます。

第3グループ
中国語のネイティヴ・スピーカーが話しかける録音テープを聞かせます。

第4グループ
米国人が英語で話しかけます。これは比較対照のためです。

このセッションは1ヶ月に12回に行われました。そして10ヶ月齢になったときに検査すると、中国語の音素が聞き取れたのは第1グループだけでした。これは赤ちゃんの言語の習得には人との交流が決定的に重要なことを示しています。


親語(ペアレンティーズ)の重要性


クール教授はさらに「親語 = ペアレンティーズ」の重要性を指摘しています。「親語」とは、親が子どもに話しかけるときにしか使わない特有の言葉や発声方法です。母親語(マザーリーズ)とか、幼児語というのも同じことです。

日本語でいうと、たとえば食事(ないしは "ごはん")のことを "まんま" というたぐいです。また特別な幼児語を使わないまでも、たとえば赤ちゃんが「彩」という名前だったとすると「あーやーちゃーん」と、かなりの抑揚をつけて呼びかけたりすることを言います。

実は親語は、それを聞く赤ちゃんが音素を認識しやすく、また単語を認識しやすい言葉使いなのです。高い音は幼児の注意を引きつけ、また音と音との違いが強調された言葉になっている。我々は暗黙に「赤ちゃんなのだから特有の言葉を使い、特有の発音方法をするのは当たり前」と思ってしまうのだけれど、親語には赤ちゃんの言語習得にとって重要な意味があるのです。クール教授の解説記事には、親語で話かけられた赤ちゃんは、親語で話しかけられなかった赤ちゃんの2倍の単語を覚えたという話がでてきます。

言葉の意味の習得には、親とのコミュニケーションがさらに重要です。たとえば、幼児は親の視線に敏感です。親が何気なくおもちゃに視線を向けて「おもちゃ」と発話する。すると幼児はそれを敏感に察知する・・・・・・。このような行為の繰り返しが、単語の意味の習得に役立っているのです。


赤ちゃんの "言語脳"


以上のクール教授の解説をまとめると

赤ちゃんは、親がそれとは全く気づかない時期から言葉の習得を始めている(生後6ヶ月~1年)。

赤ちゃんが言葉を習得するには "親の語りかけ" が決定的に重要であり、中でも "親語" は大切な役割をはたしている。

ということだと思います。ほとんどの親は ② を無意識にせよ、やっているでしょう。しかし、それがどういう効果をもつのか、自覚している親は少ないのではないでしょうか。しかし ① のようなことを知ると、育児における親の行為の重要性が理解できる、この記事を読んでそう思いました。

もう一つ思ったのは、AI(人工知能)との関係です。赤ちゃんが言葉の音(音素)を認識し、また単語を認識するのは、赤ちゃんの脳にインプットされた「音素」や「音の組み合わせ」を脳が自律的に "分類" し、頻度の高いものを認識していくのですね。これはAI技術でいう「教師なし機械学習」と同じです。一方、単語の意味については、親との交流における親の「意識的、ないしは無意識の教唆」で習得していく。これは「教師あり学習」と言えるでしょう。

現代におけるAIの飛躍的な発展は、人間の脳のメカニズムの研究成果を取り入れたことが大きいわけです。そのとき「人間がどうやって考えているのか」も大事だが、「人間はどうやって考えられるようになっていくのか」という研究はもっと大事でしょう。AI技術の発展にとって、赤ちゃんが言語を初めて習得するやりかたを含む「赤ちゃんの脳の研究」が重要だと感じました。




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No.169 - 10代の脳 [科学]


少年・少女の物語


前回の、中島みゆき作詞・作曲『春なのに』と『少年たちのように』は、10代の少女を主人公にした詩であり、10代の少女が歌った曲でした。そこからの連想ですが、今回は10代の少年・少女ついて思い出したことについて書きたいと思います。

今までの記事で、10代の少年・少女を主人公にした小説・アニメを5つ取りあげました。

クラバート(No.1, No.2
千と千尋の神隠し(No.2
小公女(No.40
ベラスケスの十字の謎(No.45
赤毛のアン(No.77, No.78

の5つです。また、No.79「クラバート再考:大人の条件」では、これらの共通点を探りました。このブログの第1回目に『クラバート』と『千と千尋の神隠し』を書いたために(またブログの題名にクラバートを使ったために)そういう流れになったわけです。

No.2に書いたのですが、たとえば『クラバート』とはどういう物語か、それは一言でいうと "少年が大人になる物語" です。主人公が "大人になるための条件" を "労働の場" での経験によって獲得する過程が描かれています。これは『クラバート』だけでなく他の小説・アニメでも同様でした。

しかし最近、科学雑誌を読んでいて、それだけではなさそうだと気づきました。それは近年の脳科学の急速な進歩によって人間の脳の発達過程が解明されつつあり、10代の少年・少女の脳は大人とは違い、また子供とも違った特別なものであることが分かってきたことです。日経サイエンス 2016年3月号の特集「脳の発達」に従ってそのことを紹介したいと思います。今まで取り上げた少年・少女を主人公にした物語についての "別の見方" ができると感じました。


10代の脳の謎


日経サイエンス 2016年3月号に、カリフォルニア大学・サンディエゴ校の小児青年精神医学科長、N.ギード教授の『10代の脳の謎』と題する記事が掲載されていました。その内容を要約したいと思います。まずこの記事で強調されていることは、

10代の脳は、
子供の脳(10代以前)とは違い、
大人の脳(20代以後)とも違う、特別な働きをする脳

だということです。もう少し平たく言うと、

少年少女は
成長した子供ではなく
未熟な大人でもない

ということです。もちろん「脳科学の視点から見ると」という限定がつくわけですが、脳は人間の行動や感情、知性のありようを決めている最重要臓器であり、人間そのものと言ってもよいでしょう。

日経サイエンス 2016年3月号.jpg
日経サイエンス
2016年3月号
上のような知見をもたらしたのは、近年の脳科学の急速な発達です。特に、脳の様子を外部から撮影・観察できる装置が開発され、普及したことが大きい。それがMRI(磁気共鳴 断層撮影装置)です。従来からのCT(X線 コンピュータ断層撮影装置)やPET(陽電子 断層撮影装置)は、放射線被曝という問題があります。病気の治療や早期発見の目的ならまだしも、健常者に脳の研究目的でCTやPETを使うのは難しい。しかしMRIは磁場を使った断層撮影なので被爆の問題がありません。つまり被検者にかかる負荷が少なく、研究に使用しやすい。ようやく、あらゆる年齢の脳の解剖学的・生理学的研究を安全かつ正確にできるようになったわけです。

では、少年・少女の脳はどう「特別」なのか。それを理解するためには、その前提として、脳の「発達」や「成熟」とはいったいどういうことかを押さえておく必要があります。


脳の発達・成熟とは


脳の「発達・成熟」とは、すなわち「脳の神経細胞間のネットワークの発達・成熟」のことです。

まず前提となる用語ですが、脳の細胞は "ニューロン" と呼ばれています。ニューロンは、"神経細胞(神経細胞体)"、そこから出る "樹状突起"、樹状突起から出る長い "軸索" からできていて、軸索の先は "シナプス" という接合部を介して別のニューロンに繋がっています。

脳は解剖して肉眼で見ると灰色っぽい "灰白質" と、白っぽい "白質" からできています。大脳では外側が灰白質で内側に白質があるため、灰白質は "大脳皮質" とも呼ばれます。灰白質は神経細胞や樹状突起が主体の部分です。この部分は10歳ごろ(思春期)に最大になり、10代以降はむしろ減少します。

一方、白質は神経細胞の間を結ぶ軸索が主体の部分です。軸索には "ミエリン" と呼ばれる脂質がさやを作るように付着し、軸索を覆って絶縁します。付着は年齢とともに進行し、これがミエリン化です。

ミエリン化すると、神経のシグナルが最高で100倍早く伝達するようになります。またシグナルを伝えた後に素早く回復できるようになり、ニューロンがシグナルを発生できる頻度が最高で30倍程度まで高まります。この伝達頻度と伝達速度の増加を掛け合わせると、最高で3000倍もの「情報処理能力の増加」になるわけです。

脳が発達すると、MRI画像では白質の増加となって現れます。つまりミエリン化による「接続の強化」です。その一方、使われない接続は強化されず、逆に刈り込まれ、喪失していきます(ニューロンの接合部であるシナプスの働きがが弱まる)。脳は、感覚や言語や感情ななどのさまざまな機能をもつ領域に細分されるのですが、接続の強化と喪失により、脳の各領域も専門化が進展することになります。


10代の脳の特徴(1)可塑性


10代の脳の特徴の第1は、脳のネットワークの大規模な変化が起こることです。ミエリン化は10代に急速に進みます。脳の各領域内だけでなく、異なる領域同士もより多く接続されます。この「ネットワークの発達=変化」が最も大きいのが10代です。この "変化できる性質" を「可塑性」と呼んでいます。

可塑性は成人になると低下します。しかし人間は他の動物と違って、ある程度の可塑性を維持し続けます。つまり動物よりも脳の適応能力が高いわけです。その適応能力は10代が最も高い。10代の脳は、環境に応じて最も柔軟に変化できる脳なのです。

これは一人の人間にとっては「飛躍のチャンス」だと言えます。10代の少年・少女は、自分の選択に従って脳を最適化していけるチャンス、自らのアイデンティティーを作り上げるチャンスを手にしています。一生の職業を決める契機となる出来事を経験するのも10代が多いのです。


10代の脳の特徴(2)発達のズレ


実は脳の発達は、すべての領域で同時に起こるのではありません。「大脳辺縁系」と「前頭前皮質」で発達の時期にズレがあります。

大脳辺縁系は感情をつかさどっている領域です。ここはホルモンの影響で思春期(10~12歳)に急激に発達し始めます。10代の少年・少女によく見られる性向として、危険を冒す、刺激を求める、親に背を向けて仲間に向かうなどがありますが、これらは大脳辺縁系の発達の自然な結果です。

一方、前頭前皮質(前頭葉の前部)は、計画、判断、意志決定、社会的認知、感情や衝動の抑制をになっていて、行動を実行する上で不可欠な部分です。ここが発達すると、ささやかな短期的報酬よりも、より大きく長期的な報酬を選択するようになります。この前頭前皮質は10代の半ば以降(青年期)に遅れて発達をはじめ、20歳代になってもまだ発達を続けます。つまり、大脳辺縁系がまず発達し、前頭前皮質の発達は遅れる。このズレがが10代の脳の2番目の特色です。


ホルモンの影響をうける大脳辺縁系は思春期(通常10~12歳に始まる)に激変する。大脳辺縁系は感情と報酬感を制御しており、また、青年期には前頭前皮質と相互作用して、新奇探検や冒険、仲間との交流への移行を促す。生物学的に深く根づいていて、すべての社会的哺乳類にみられるこうした行動は、快適で安全な家族から離れ、新しい環境を探検して外部の人々との関係を求めるよう10代の少年・少女に働きかける。

J.N.ギード(カリフォルニア大学・サンディエゴ)
『10代の脳の謎』
(日経サイエンス 2016年3月号)

要するに10代の脳は「冒険に乗り出す」というチャンスを開くわけです。それは、10代の少年・少女がしばしば危険な行動に走ることとも関係しています。

10代の脳における「発達のズレ」は、チャンスをもたらすとともに、脆弱性も含んでいます。つまり不安障害、鬱病、摂食障害、精神病などの症状を招くことがある。精神疾患の50%は14歳までに発病し、75%は24歳までに発病します。要するに「可動部は壊れやすい」のであり、脳も例外ではないのです。

大脳の発達.jpg
大脳辺縁系は10-12歳頃から発達を始めて15歳頃に成熟する。しかし、前頭前皮質はそれより10年遅れて成熟する。この発達のズレが、10代独特の行動をもたらす。
(日経サイエンス 2016年3月号 より)


可塑性の制限


10代の脳は可塑性をもち、脳の神経細胞の結合のネットワークは「強まって安定化するもの」と「弱まって刈り取られるもの」がダイナミックに変化します。この "可塑性" は20代以降に低下します。可塑性を阻害する物質が脳で分泌されるのです。

なぜ可塑性が低下するのかというと、可塑性は「危うさ」をも秘めているからです。その理由として、可塑性をもった脳の領域には活性酸素が多く発生し、それが脳の組織を傷つけるのではと疑われています。それは、アルツハイマー病の研究からも推測できます。特集「脳の発達」の別の記事には次のように書かれていました。


連合皮質などの複雑な認知機能を担っている高次の脳領域は、一生を通じて可塑性を維持するように進化した。これらの領域には臨界期を閉じるコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが比較的少ない。と同時にアルツハイマー病でニューロンが最初に死に始める場所でもある。

引用注
  「臨界期」とは脳の可塑性が最も高まる時期。脳の各領域ごとにその時期が決まっている。コンドロイチン硫酸プロテオグリカンは可塑性を阻害する脳内物質。

ヘンシュ・貴雄(ハーバード大学)
『臨界期のパワー』
(日経サイエンス 2016年3月号)

脳の可塑性は20代以降に低下しますが、身体運動やゲームを使った訓練などで、ある程度取り戻せます。また、病気の治療などの目的で、薬を用いて脳の可塑性を取り戻す研究も行われています。



以上が「10代の脳」についての日経サイエンスの要約です。以降はこの記事を読んだ感想です。


10代への憧れ


最初に掲げた少年・少女を主人公とする小説・アニメを振り返ってみると、これら5つの物語には共通点があります。それは、

  主人公の少年・少女が、物語が始まった時点とは全く異質な生活環境に "いやおうなしに" 放り込まれ、その新しい環境に主人公が適応しつつ、自己を確立していく物語

という共通点です。今まで紹介した最新の脳科学からみると、実はその "適応能力" は "10代の少年・少女であればこそ" なのです。さらに別の共通点もあります。それは、

  主人公の少年・少女が、冒険をする、ないしはリスクを冒してチャレンジする様子が描かれている

ことです。クラバート、千尋、ニコラス(『ベラスケスの十字の謎』の主人公)、アンはそういう行動をとります(『少公女』のセーラを除く)。

我々、大人が少年・少女を主人公にした物語を読むとき、それは「子供が、少年・少女期を経て大人になる過程を描いたもの」として読みます。外面的にはその通りですが、最新の脳科学を踏まえて改めて考えてみると、これらは、

  子供(10歳以下)も、大人(20歳以上)も持っていない、10代の少年・少女だからこそ持っている冒険心と、適応し変化する能力を描いた物語

と考えられるのです。もちろん、小説として成り立たせるためにハラハラ・ドキドキする冒険話を書いた、という面はあるでしょう。しかしそれと同時に、大人は暗黙に「10代へのあこがれ」を持っているのだと思います。つまり「新しい環境に行く冒険ができる」「新しい環境に適合するように自らを変えていける」という、10代の少年・少女が持っている能力へのあこがれです。大人になるとそれらは弱まり、あるいは失われてしまう。その失われてしまったものが描かれている。

もちろん、変化の少ない安定的な環境で生活したいと望むのは悪いことではありません。特に家庭生活の面では、子供に手がかからなくなった以降は、安定的なライフスタイルを望む人が多いのではないでしょうか。しかしそういったプライベートにおいても、たとえば新しい趣味にチャレンジをするとか、新しい仲間を求めてコミュニティーに参加するとかした方が、より人生が楽しくなることは間違いありません。問題はそうする意欲が湧くかです。

さらに、仕事やビジネスの世界を考えてみると「チャレンジ」や「変化」が極めて重要です。つまり組織にとっても、組織に属する個人にとっても、

リスクをとって新しいことにチャレンジする
新しい環境に適合するように自らを変えていく

ことを続けていかないと、競争には勝てないし、ジリ貧になるし、あるいは "その他大勢" の中に埋没していくのは必定です。個人の意欲だけで出来ることではありませんが、組織の「チャレンジ」も「変革」も、そのベースにあるのは人のマインドであることは確かでしょう。

脳科学の視点からすると、こういった冒険心や適応能力は大人になればなるほど弱まってしまう。大人が執筆した「10代の少年・少女の物語」は、大人が10代に対して抱いている暗黙の憧憬を投影したものと考えられます。

しかし、日経サイエンスの解説記事にも書いてあったように、人間は他の動物と違って大人になっても脳のネットワークの可塑性が完全に失われるわけではありません。また、訓練によって可塑性は増えます。「10代の少年・少女の物語」は、単なる "10代への憧れ" だけではなく「大人が書いた、大人に向けたメッセージ」とも考えられると、脳科学の成果を読んで改めて思いました。




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No.149 - 我々は直感に裏切られる [科学]

前回のNo.148「最適者の到来」の続きです。我々は、日常感覚とは全くかけ離れた「数」や「量」の世界を想像し難いし、そういう世界についての日常感覚的な直感は "的外れ" になるというようなことを、前回の最後に書きました。

「最適者の到来」のテーマであった「進化」は、遺伝子型の変異が生物の表現型として現れ、自然選択の結果として最適者が残るというものです。このストーリーの発端になっている「遺伝子」とか「変異」とかは、いずれも生物の体内の分子レベルの話ですが、分子はその "サイズ" も "数" も我々が想像し難いような「小ささ」と「多さ」です。まず、そこを何とか想像してみたいと思います。


量の多さ:分子の数


簡単のために水の分子で考えてみます。コップ1杯の水を180g = 180ミリリットル(mL)とします。この中に水の分子はいくつあるでしょうか。

これは高校生で化学を習っている生徒なら即答できます。水を分子式で書くと H2O であり、分子量は 18(酸素=16、水素=1×2) なので「水 18g にはアボガドロ数だけの水分子が含まれる」ことになります。

アボガドロ数 =6 × 1023 =
6000,0000000000,
0000000000(24桁の数)

なので、コップ1杯だとこれを10倍して、

コップ1杯(180g)の水分子の数 =
60000,0000000000,
0000000000(25桁)=

になります。数字のカンマは10桁ごとにつけました。この水分子の「数の多さ」を想像することは、我々にとって非常に困難です。どこだったかは忘れたのですが、海の水に例えての説明を以前に読んだことがあります。卓抜な比喩だと思うので、それで想像してみたいと思います。

これは思考実験です。コップ1杯の水分子に「赤い色」をつけるというのが出発点です。水に赤い染料を混ぜるのではなく、分子そのものに赤い色をつける。もちろん現実にそんなことは出来ないのですが、あくまで思考実験として考えます。

思考実験

コップ1杯の水分子に「赤い色」をつける。

それを海岸にもっていき、海に捨てる。

「赤い色」のついた水の分子が世界中の海にまんべんなく均等に行き渡るように、海をかき混ぜる。もちろん、太平洋、インド洋、大西洋、地中海、北極海、南氷洋などの世界中の海のすべてであり、海の表面から海の底まで、世界で一番深いとされるマリアナ海溝(太平洋。深さ10,900メートル)の底まで、均等に「赤い色の水分子」が混ざるようにする。

ふたたび(どこでもいいから)海岸に行き、コップ一杯の海水をすくう。そのとき「赤い色の水分子」は、いくつコップに入るだろうか ?

直観で答えるとすると、コップに入る「赤い色の水分子」は、あったとしても1個で、ほとんどの場合は無いと、多くの人は答えるのではないでしょうか。何しろ、世界中の海に均等に混ざってしまったのだから ・・・・・・。

この答は容易に計算できます。世界中にある海水の体積は約14億・立方キロメートルと推定されています。もう少し詳しくは、13.5億 とか 13.7億 とかの数字があります。ここでは13.5億・立方キロメートルとします。

海の体積(立方キロメートル)=
1350000000(10桁)

です。立方キロメートルとは、縦・横・高さが 1 キロメートルの立方体の体積ということです。1 キロメートルは 1000メートル = 100,000(105)センチメートルなので、海の体積を立方センチメートル(=mL。ミリリットル)で表すには、1015 を掛けて、

海の体積(mL)=
13500,0000000000,
0000000000(25桁)

となります。これがコップ何杯分に相当するかというと、180 mL で割り算をして、

海の体積はコップ何杯分か =
75,0000000000,
0000000000(22桁)=

となります。上の思考実験で「赤い水の分子」がふたたびコップに入る数(④)は、/ ですから、

コップの「赤い水分子」の数 = 800

となります。つまり、世界中のありとあらゆる海のすべてが、表面から深海の底まで、コップ1杯あたり800個の赤い水分子で完全に埋め尽くされている状況です。これはちょっと想像を越えているのではないでしょうか。

分子の数はそれほど「多い」わけです。もちろん生命の進化に関わるような、DNAとかアミノ酸とかタンパク質、その他の生命体を構成している分子は、分子量で言うと数十から数百、数万になるものも珍しくありません。水分子とは比較にならない巨大分子であることは確かです。しかし、それでも「多い」。こういう超巨大な数の世界では我々の直感は働かないか、働いたとしても誤ってしまうこともありうることに注意すべきだと思います。

No.69「自己と非自己の科学(1)」で、人間の免疫システムの主役であるリンパ球の話を書きました。


人間のリンパ球の総数は約2兆個であり、重量にして約1kgもあります。そのうちの70%がT細胞で、残りがB細胞その他です。リンパ球は約100億個が毎日死滅し、新たに作られます。100億個といっても全体の0.5%に過ぎません。しかし1秒間ではリンパ球の100万個が入れ替わる計算になるのです。


これは "リンパ球" という細胞の話であり、分子よりは遙かに巨大なスケールでの現象です。それでも毎秒、100万個が死滅して100万個が生まれている。ちょっと想像しがたいような「数」の世界だということに注意すべきでしょう。



想像しがたいような数という意味で、前回の No.148「最適者の到来」で話題になったのは、遺伝子の組み合わせが超天文学的数字になるということでした。その「組み合わせの数」が我々の直感に合わない例の一つが、有名な「巡回セールスマン問題」です。


32都市を巡回するセールスマン


巡回セールスマン問題(Travelling Salesman Problem. TSP)とは次のような問題です。N 個の都市があり、すべての都市と都市の間は直通道路で結ばれていて、各道路の距離は分かっています。ある都市を起点とし、すべての都市を1度だけ訪問して起点の都市に戻る最短の経路は何か、というのがTSPです。

ありうるすべての経路の数を TSP(N) とすると、これは基本的には N 個の都市を一列に並べる順列の数なので、N!( = 1×2×3×・・・×N = Nの階乗 )ということになります。ただし一つの経路をとってみたとき、起点の都市を1だけ順にずらした N 個の経路は同じと数え、また逆経路も同じと数えるので、全体の数を 2*N で割り算する必要があります。つまり、

  TSP(N) = (N-1)! / 2

となります。TSPを解くには、TSP(N)個の経路を順に調べ、その経路長を計算して最小のものを選ぶという「総当たり法」がすぐに頭に浮かびます。

  TSP(4) = 3
TSP(5) = 12

なので、4都市、5都市程度なら「総当たり法」で、電卓を用いて解を求めるのも十分可能です。

TSP.jpg
巡回セールスマン問題
4都市と5都市のすべての巡回経路

これが

  TSP(6) = 60

となると、手計算での「総当たり法」は苦しくなります。しかしパソコンを使えば問題ありません。パソコンのプログラムが作れる人ならすぐにできるでしょう。EXCEL を使ってもよい。

  ただし、すべての経路を漏れなく、かつ無駄は一切なしに調べるというプログラムは、ちょっと工夫が要ります。これは「プログラミング講座」の格好の演習問題になるでしょう。「再帰呼び出し」を使うとシンプルなプログラムになります。

10都市ぐらいならパソコンで十分に計算できます。ためしに実験してみました。国土地理院はホームページで「都道府県の県庁の相互直線距離」(精度は0.1km)を公開しています。このデータを使って、関東甲信越の1都・9県のTSPを解くことにします。パソコンで「総当たり法」のプログラムを作って実際にやってみると、約2秒(1.7秒)で解が求まりました。

◆総経路数=TSP(10) 181,440
◆最短で巡回する経路 東京 - 神奈川 - 千葉 - 茨城 - 栃木 - 新潟 - 長野 - 群馬 - 山梨 - 埼玉 - 東京
◆最短巡回経路の距離 836.8 km
◆パソコンでの探索時間 2 秒

関東甲信越TSP.jpg
関東甲信越の県庁TSP
関東甲信越の1都・9県の都庁・県庁を直線で結ぶ「巡回セールスマン問題」の解。可能な経路の総数は 181,440 あるが、この程度の数なら「総当たり法」でも、パソコンで2秒以内に答えを出せる。最短経路の距離は 836.8km である。各県庁間の直線距離は国土地理院が公開しているデータを用いた。

このプログラムは、県庁間の距離(10県庁の相互の距離なので45ある)をセットする部分を除いて、純粋な解の探索部分は25行程度のシンプルなものです。いろいろと高速にする工夫をすれば、解を求める時間はもっと縮まるでしょう。おそらく普通の家庭のパソコンで1秒以内に答えが出る感じがします。



しかし表題にあげた32都市となると、最高速のコンピュータを使っても(総当たり法では)全く手に負えなくなります。32都市の巡回ルートを計算してみると、

32都市の巡回ルート数 = TSP(32) =
4111,4193270889,
6140886278,1440000000(34桁)

となります。パソコンの発達で、こういった数字の計算だけならすぐにできるようになりました。

現在の日本で最も早いコンピュータは、理化学研究所と富士通が開発した「京」で、1秒間に1京回の演算ができる性能をもっています。ここでの演算とは実数の加減乗除のことです。"京" は "兆" の1万倍、 "兆" は "億"の1万倍、"億" は "万"の1万倍なので、1京 = 1016 です。

宇宙の年齢は135億年と考えられています。つまり1.35 × 1010年です。これを秒に直すと、× 365 × 24 × 60 × 60 の掛け算をして、

宇宙の年齢(秒)=
42573600,0000000000(18桁)

です。従って、スーパーコンピュータ「京」が宇宙の年齢時間でどれだけの演算ができるかと言うと、

「京」の宇宙年齢での演算回数 =
4257,3600000000,
0000000000,0000000000(34桁)

となります。これは「32都市の巡回ルート数」と同じオーダの数です。もちろん1回の演算で1つの巡回ルートの距離を計算できるわけではありません。数十~数百の演算が必要でしょう。つまり32都市の巡回セールスマン問題を「総当たり法」で解こうとすると、スーパーコンピュータ「京」を宇宙の年齢時間だけ動かしても絶対に不可能ということになります。

だだしこれは「巡回セールスマン問題」が解けないということではありません。「総当たり法」ではダメなわけで、現在の最新の研究では、数千都市までであれば何とか解がみつかる手法が発見されています。しかしこれが万のオーダーの都市になると解を求めるのは不可能になり、近似解(最短ルートの距離に極めて近いことが保証できる解)しか求まらないようです。

10都市ならパソコンで2秒で可能な「総当たり」が、32都市となると最新鋭のスーパー・コンピュータを135億年間ぶっ続けで使ったとしても不可能になる・・・・・・。これは常識的感覚からするとかなり意外な感じではないでしょうか。



組み合わせの数は、すぐに超天文学的数字になります。その「多さ」をベースに起こる事象を、我々は直感しにくい。有名な「バースデー・パラドックス」がその例です。


バースデー・パラドックス


いわゆる「バースデー・パラドックス」も、我々の直感が裏切られる有名な例です。「23人のクラスで、誕生日が同じ人がいる確率は ?」という問いの答えは「0.5を越える」というのが正解です。えっ!と思ってしまいますが、このウラには「組み合わせから発生する巨大な数どうしの比較」が潜んでいて、それが直感を裏切ることになるのです。

クラスの全員を区別して考えるとし、1年を365日に固定すると、23人クラスの誕生日の組み合わせ数は365の23乗になります。この数を B(23) と書くことにし、実際に計算してみると、

誕生日の組み合わせ数 = B(23) =
856516793,5315032123,
6814267844,3951526893,
5462236404,4189453125(59桁)

になります。これは天文学的に巨大な数ですが「全員が元旦生まれ」というような組み合わせも含まれていることを考えると、なんとなく納得できます。

一方、23人全員の誕生日が異なる組み合わせ数は、出席番号1番の人は365通り、2番の人は364通り、・・・・・・ となり、つまり 365 × 364 × ・・・・・・ × 343(23個の数字の掛け算)となります。この数を D(23)とし、実際に計算してみると、

全員の誕生日が異なる組み合わせ数 = D(23)=
422008193,0209235987,
2395663074,9089572537,
4976070077,6448000000(59桁)

となります。同じ誕生日の人がいる組み合わせ数は、B(23) から D(23) を引き算すればいいわけですから、この数を C(23) とすると、

同じ誕生日の人がいる組み合わせ数 = C(23) =
B(23) - D(23) =
434508600,5105796136,
4418604769,4861954356,
0486166326,7741453125(59桁)

です。従って同じ誕生日の人がいる確率は、23人のクラスの場合、

同じ誕生日の人がいる確率 = P(23) =
C(23) / B(23) =
0.50729723

と計算でき、確かに確率は半分を越えます。ちなみにクラスの人数を変えて計算してみると、

  P(20) = 0.41143838
P(25) = 0.56869970
P(30) = 0.70631624
P(35) = 0.81438323
P(40) = 0.89123180

となります。20人クラスだとしても確率は 41% もあります。これが40人クラスともなると 89% になり「ほぼ確実に誕生日が同じ人が、少なくとも1組はある」ことになります。

23人のクラスの場合、確率は本質的に59桁の数字どうしの割り算になります。全体の組み合わせの数は天文学的に大きいが、ある条件(=誕生日が同じ人がいる)を加えた組み合わせの数もまた天文学的に大きいのです。「バースデー・パラドックス」には「組み合わせから発生する巨大な数どうしの比較」が隠れていて、我々の "正しい直感" が働かないことになるのです。

バースデー・パラドックス.jpg
バースデー・パラドックス
横軸はクラスの人数。縦軸は、少なくとも1組の誕生日が同じ生徒がいる確率。23人クラスで確率は0.5を超える。30人クラスで0.7を超え、41人クラスで0.9を超える。



カジノ・ゲーム


「バースデー・パラドックス」を応用して次のようなカジノ・ゲームを想定すると、より "直感との乖離" が明確になると思います。あなたはカジノで掛け金を積んでディーラーと対決します。

ディーラーは、ジョーカーを含む53枚のトランプのカードをよくシャッフルし、裏にしてテーブルの上に広げます。

あなた(客)はどれでもいいから1枚を選び、そのカードを表にします。

ディーラーは、表になった1枚のカードを覚えておくため、別のトランプの1組から同じカードを選び、テーブルの隅に表にして置きます。

あなたは選んだカードを、裏になっているカードの任意の場所に裏にして返します。

 ①のシャッフルから④までの手順を、最初の1回を含めて合計10回繰り返します。

10回カードを引いて同じカードを1枚も引かなかったら、あなたの勝ちになり、掛け金は2倍になって帰ってきます。1度でも同じカードを引いてしまったら、その時点であなたの負けで、掛け金は没収されます。もちろん不正は一切ありません。

カードゲーム.jpg

このゲームは、あなた(客)にとって有利でしょうか、それとも不利でしょうか。あなたが勝つ確率はどれぐらいでしょうか。

あなたは(おそらく)次のように考えると思います。2回目に「引いてはいけないカード」は1枚しかない。これは自分が圧倒的に有利である。また3回目も2枚だけを引かなければよい。つまり有利だ。最後の10回目を考えると「引いてはいけない」カードが9枚あるが「引いてもいいカード」は44枚もある。確かに9枚のどれかを引いてしまうこともあるだろうが、まだ随分自分が有利のはずである。もちろん、1回のチャレンジでは負けることもあるだろうが、何回もやれば自分がかなり有利なはずだ・・・・・・。

しかし事実は違います。「バースデー・パラドックス」により、このゲームは客が不利です。全部が違うカードである確率を Q とし、365日ではなく53枚なので53という添え字をつけて区別することにします。計算してみると、

  B53(10) =
17488747,0365513049(18桁)

D53(10) =
7075833,2701056000(17桁)

Q53(10) =
D53(10) / B53(10) =
0.40459349

となり、客が勝つ確率は 40% しかありません。ディーラーは客の1.5倍の確率で勝つのです。このゲームは、引く枚数が少ないほど客が有利になるのは当然なので、引く枚数を変えて計算してみると、

  Q53(9) = 0.48735125
Q53(8) = 0.57399147

となって、引く枚数が9枚でもまだ客が不利です。8枚になって初めて客が有利になることが分かります。

このゲームに潜んでいる組み合わせの数は、オリジナルの「バースデー・パラドックス」よりは随分小さいものですが、それでも 17京とか 7京 という、日常では全く使わないオーダーの数です。しかしそんな巨大な数が潜んでいるとは、客は到底思えない。このゲームで客に明示されている「数」は、53(枚)と10(回)しかないのだから・・・・・・。そこに "正しい直感" が働かない理由があるのだと思います。


6次の隔たり


巡回セールスマン問題の "巡回ルート" は膨大な数になるわけですが、それが膨大になる原因は、都市と都市が直通道路で結ばれているという「完全な」ネットワークの存在です。つまり、ある都市からは別の任意の都市へ、ワンステップで(直通で)行けるという仮定です。

もちろん現実のネットワークは、道路にしろ航空路にしろ「完全」ではありません。また社会における人間関係(知人関係)や企業の取引関係のネットワークにおいて、1人、ないしは1社が持ちうる関係の数は、高々、数十から数百、多い企業でも数千から万のオーダーでしょう。しかしこういった現実のネットワークでも、ワンステップとはいかないが、数回の関係をたどれば「思いのほか遠いところ」まで行けることがあります。それは直感に反していることが多い。その典型が「6次の隔たり」仮説です。

以下、アルバート = ラズロ・バラバシ著『新ネットワーク思考』(NHK出版。2002)に従って、この仮説を概観してみます。バラバシ氏は米国・ノートルダム大学物理学科教授(当時)です。ここで言う「6次の隔たり」とは、

  世界中のどの2人をとっても、6人を介することで知人同士で繋がる

という仮説です。「あなたは世界中のすべての人と、たった6人を介することで、知り合いの関係でつながる」と言っている。この「世界のすべての人」の "数の多さ" と「6」という "小さな数" のミスマッチ感が、仮説の意外性を高めています。

この仮説を最初に述べたのは、ハンガリーの作家・カリンティが書いた小説『鎖』(1929)ですが、有名にしたのはハーバード大学教授のスタンレー・ミルグラムの実験で、それは1967年のことです。当時、ハーバードやMITでは社会ネットワークの研究が盛んで、ミルグラム教授もその一人でした。


ミルグラムの目標は、アメリカ国内に住む二人の人物の「距離」を求めることだった。実験の動機となった疑問は次のようなものである。「ランダムに選ばれた二人の人物をつなぐためには、何人の知り合いが必要だろうか?」

ミルグラムはまず二人の人物(引用注:=目標人物)を選んだ。一人はマサチューセッツ州シャロンに住む神学部大学院生の妻、もう一人はボストンに住む株式仲買人である。そして、カンザス州ウィチトーとネブラスカ州オマハが出発点に選ばれた。この二つの町が選ばれた理由は、「ケンブリッジに住む人間にとっては、大平原のかなたの町という漠然としたイメージしかないから」だった。

遠く離れた二つの町に住む人たちをつなぐのに必要なリンク数に関しては、共通の見解といえるようなものは何もなかった。ミルグラム自身、1969年に次のように述べている。「私は最近、ある教養ある男性に向かって何ステップぐらい必要だろうかと尋ねてみた。彼は、ネブラスカからシャロンにたどりつくためには百ステップぐらい必要だろうと答えた」

アルバート = ラズロ・バラバシ
青木薫・訳
『新ネットワーク思考』
(NHK出版。2002)

この引用に出てくるケンブリッジとはもちろん、ハーバード大学のある、ボストンの北隣りの町です。

ミルグラム教授はカンザス州ウィチトーとネブラスカ州オマハの二つの町からランダムに住人を160人選び、フォルダーを送付しました。そのフォルダーには、手紙と目標人物の情報(写真、住所、氏名、プロフィール)、ハーバード大学宛のハガキの束がセットされていました。手紙には、アメリカ社会の人間関係に関する研究に協力してもらいたいとの主旨が書かれ、この手紙を受け取った人の名前を順に記入する名簿が用意されています。手紙では、調査への参加方法が次のように書かれていました。

名簿に自分の名前を記入してください。それによってこの手紙を次に受け取る人は、手紙の差出人が分かります。

ハガキを1枚とり、必要事項を記入してハーバード大学に返送してください。切手は不要です。これによりハーバード大学は、手紙が目標人物に近づいていく過程を追跡できます。

もしもあなたが目標人物を個人的に知っているなら、この手紙を含むフォルダーを直接、目標人物に送付してください。これは、過去において目標人物に直接会ったことがあり、ファーストネームで呼び合う関係である場合にのみ実行してください。

目標人物を個人的に知らない場合は、直接、目標人物に連絡を取らないでください。その代わりに、このフォルダー(手紙、ハガキを含む一切)を、あなたよりも目標人物をよく知っていそうな人物に送付してください。フォルダーを送付してよい相手は、友人、親戚、知り合いですが、ファーストネームで呼び合う関係でなければなりません。

新ネットワーク思考.jpg
バラバシ著
「新ネットワーク思考」
ミルグラム教授は「手紙が1通も目標人物に届かず、実験が失敗に終わるのでは」と心配しました。というも、もし100もの "リンク"(出発点になる人と目標人物の間になる人)が必要だとしたら、その中には必ず「非協力的な人」がいるだろうと想定できるからです。

しかし結果は全く意外なものでした。数日後には最初の手紙が目標人物に届き、そのリンクはたったの2でした。そして最終的には160通のうちの42通が目標人物に届きました。中には10程度のリンクを必要としたものもありましたが、リンクの平均値は 5.5 だったのです。四捨五入すると 6 になります。

ただし、これを「6次の隔たり」の証明とするには難があります。まず、アメリカ国内に限られた実験であり、世界が相手ではないことです。また、届かなかった手紙が 118 あり、これをどう考えるかも問題です。たとえば 2 ステップ目で「非協力的な人」に当たってしまった場合もあるだろうし、20 ステップ目まで行って協力者が途絶えたということもあるでしょう。届いた手紙だけの平均値で議論するのは、理論というには弱い。実際、ミルグラム教授自身は「6次の隔たり」という言葉は使っていません。「6次の隔たり(6 degrees of Separation)」は、あくまで後の人がつけたものなのです。

とはいえ、ミルグラム教授の実験は「赤の他人が予想に反した短いリンクで知り合い同士」ということを明らかにしました。少なくとも、手紙が届いた42人の出発点の人と目標人物の間はそうなのです。ミルグラム教授の知人は「100人の人を介する必要があるだろう」と言ったわけですが、これが我々の直感的な感覚です。なにしろ、遠隔地に住む赤の他人同士なのだから・・・・・・。しかしそうではない。知人のネットワークというのはそういう性質をもっていて、世の中は「意外と狭い」のです。この「意外と狭い」ことを、ネットワーク理論では「スモールワールド」と呼んでいます。ミルグラム教授の実験も「スモールワールド実験」と呼ばれることがあります。



「6次の隔たり」は、現在の Facebook やミクシィなどの SNS(Social Networking Service)が成立する原理になっています。Web ニュースである「IT Media ニュース」の2011.11.23.付に次のような記事が載っています。


Facebook はイタリアのミラノ大学のWebアルゴリズム研究所と共同で、2011年5月にアクティブなFacebookユーザ7億2100万人(世界人口の10%以上に当たる)の690億の友達関係を対象に、このスモールワールド実験の現代版を実施した。研究所が開発したアルゴリズムをもちいてFacebook上のすべての個人のペアを仲介する人数の概算値を出したという。

その結果、ペアの99.6%は「5次の隔たり(相手が6人目)」で、92%は「4次の隔たり(相手が5人目)」で繋がっていたという。2008年の同様の調査の結果では相手が平均5.28人目だったのが、今回の調査では平均 4.74人目だった。

範囲を単一の国内に狭めると隔たりはさらに小さくなり、米国、スウェーデン、イタリアなどではほとんどのペアが「3次の隔たり(相手が4人目)」だったという。同調査で、すべてのつながりの84%が同一国内のユーザのものだったことが明らかになった。

IT Media ニュース
(2011.11.23.)

数字の記述がちょっと曖昧なのですが、Facebookのサイトに公開されている原文をみると「ペアの99.6%は5次の隔たり(相手が6人目)以下でつながり、92%は4次の隔たり(相手が5人目)以下でつなががっていた」が正確な説明です。

Facebookの平均値を四捨五入すると「4次の隔たり(相手が5人目)」ということになります。もちろんこれはFacebookのユーザという「ある種の特性」をもった集団での話であって、世界のすべての人に敷衍ふえんするわけにはいきません。しかし「任意の2人の友達関係のパスは意外と近い」ことは確かだと思います。


代謝のネットワーク


アルバート = ラズロ・バラバシ著『新ネットワーク思考』という本には、スモールワールドの性質をもつネットワークの数々の例が出ています。その中に第13章「生命の地図」と題された章があります。ここに、細胞内に存在する「代謝のネットワーク」の話が出てきます。

前回の No.148「最適者の到来」にも書いたように、代謝とは生命体で起きる化学反応です。たとえば

   A + B → C + D

という代謝があった場合、AおよびBという生体分子は、CおよびDの生体分子とネットワークで結ばれていると考えます。これを「1次の隔たり」または「距離が1」と呼ぶことにします(友人関係の1次とは少し意味が違うことに注意)。大腸菌などの細菌は、細胞内のすべての代謝が判明しています。従ってそこに登場する分子をすべて洗い出すと、分子間の「代謝ネットワーク」が描けることになります。著者は、代謝がすべて判明している43種の生物の「代謝ネットワーク」を作成し、そこで分子間の「距離」がどうなっているかを調べました。


我々が分子の距離を測定してみようと考えたのは、ただ単に「6次の隔たり」にこだわったからではない。ネットワークの「直径」(つまりノード間の隔たり)は、生物学的にも大きな意味をもつからだ。たとえば、二つの分子を結ぶ最短の化学反応経路が百の反応から成り立つとすれば、第一の分子の濃度が多少変化したとしても、第二の分子に到達するまでには百の反応を経由しなければならず、それだけ長い経路をたどるうちには多少の濃度変化はならされてしまうだろう。

驚いたことに、我々の測定結果からは、典型的な経路の長さは百よりもずっと短いことが示された。細胞は、なんと「3次の隔たり」をもつ「小さな世界」だったのだ。これはつまり、どの二つの分子も、たいていは三つの反応でリンクされているということだ。このような世界では、濃度に生じた変動が局在することはない。どれかの分子の濃度が多少とも変化すれば、その影響はまもなく他の分子のすべての分子に及ぶだろう。われわれの発見は、ニューメキシコ大学のアンドレアス・ワグナーと、オックスフォード・ブルックス大学のデーヴィッド・A・フェルの研究によっても裏付けられた。この二人は互いに独自に、大腸菌の代謝ネットワークはスケールフリーであり、「小さな世界」の特徴をもつと結論したのである。

アルバート = ラズロ・バラバシ
『新ネットワーク思考』

ここを引用した理由は、代謝のネットワークの「3次の隔たり」が直感に反するからではありません(そんな直感はできない)。そうではなく、前回の No.148「最適者の到来」で紹介したアンドレアス・ワグナー教授の名前が出てくるからです。彼は「代謝のネットワーク」を研究し、次に「代謝の遺伝子型ネットワーク」の研究へと進んだようです。


直感に反する「事実」


ここまで、前回の No.148「最適者の到来」の続きとして書いてきたのですが、進化論との直接の関係はありません。しかし、ここまでにあげた、

組み合わせの数は、考える以上に膨大な数になる。
全体の組み合わせの数は膨大になるが、特定の条件をつけた組み合わせの数も直感に反して膨大になる(ことがある)
ネットワークでつながったもの同士が、意外にも短い経路でつながっている(ことががある)

というような認識は、前回の「遺伝子型ネットワーク」の構造に通じるものがあると思うのです。我々は、日常的感覚とはまったくかけ離れた「数」や「量」が支配する世界を、直感的判断で考えてしまうことは避けなければならないと思います。そして、このような世界を解明する一つの武器が、前回のワグナー教授も駆使したコンピュータなのでした。




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No.148 - 最適者の到来 [科学]

No.56「強い者は生き残れない」で、吉村仁氏(静岡大学教授・当時)の著書である『強いものは生き残れない』(新潮選書 2009)を紹介しました。この本は "数理的アプローチ" による生物進化の研究成果を述べているのですが、最近それとも関連がある本が出版されたので内容を紹介したいと思います。アンドレアス・ワグナー著『進化の謎を数学で解く』(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)です。

著者はチューリッヒ大学の進化生物学・環境研究所の教授であり、本の内容は現代進化論の「不備」とも言える事項に解決の方向を提示した、非常に印象的なものです。本の原題は「Arrival of the Fittest」であり、「最適者の到来」という意味です。


現代の進化論への「疑問」


チャールズ・ダーウィン(1809-1882)から始まった近代の進化論は数々の発展を遂げ、現代では以下のプロセスで生物が進化してきたというのが定説になっています。

遺伝子(その中心となっているのはDNA)はランダムに突然変異を起こす。このことによって生物の形質が少し変化する。

その中から、生物の生息環境にとって最適なものが選択される(natural selection。自然選択=自然淘汰。)。

このような小さな変化が膨大に積み重なることによって、現在の生物の形ができあがった。

細かいことを言うとキリがありませんが、ごくアバウトに説明するとこのようになると思います。この中で素人しろうとにもわかりやすいのは「突然変異」と「自然選択 = 環境による選択」です。DNAが複製のときにエラーを起こすのはいかにもありそうだし、自然(環境)が最適者を温存するのも分かります。しかし分かりにくいのは「ランダムな変化の中から最適者が生まれ」「それが積み重なることによって高等生物へと進化した」というところです。本当にそんな「うまい話」があるのか、ちょっと深く考えてみると誰しも疑問が沸いてきます。

たとえば、哺乳類や鳥類の眼です。伸縮可能なレンズが網膜の上に像を結び、それが神経のパルスに変換されて「見える」というのは、現代のデジタル1眼レフカメラも顔負けの精密装置です。こんな装置が「ランダムな変化の中から生まれた "最適なもの" が少しづつ積み重なることによって出来上がった」と言えるのかどうか。

こういう疑問を誰しも抱くところに、創造説が "つけいるスキ" が出てきます。創造説とは「生命は神が創造した」との主張で、英米を中心とするキリスト教原理主義者が主張しています。現代では「神」という言葉を消して「インテリジェント・デザイン」と言っていますが、同じことです。

この疑問は、素人だけでなく専門の学者も抱くようです。ド・フリース(1848-1935)は著名な遺伝学者ですが(突然変異の発見で有名)、次のように言ったそうです。


自然淘汰は最適者の生存を説明できるかもしれないが、最適者の到来を説明することはできない。
(ユーゴー・ド・フリース)

アンドレアス・ワグナー
『進化の謎を数学で解く』
(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)
以下『本書』と記述

もちろん「到来」といっても、どこかからやってくるという意味ではありません。遺伝子の変異によって「出現する」という意味です。なぜわざわざ「到来(Arrival)」と言うのかというと、「生存(Survival)」と対比させているからですね。自然淘汰は「Survival of the Fittest(=適者生存)」を説明できても「Arrival of the Fittest」を説明できない・・・・・・・。それは確かにそうだと思います。

しかし本書によると、なぜ進化の過程で「最適者の到来」が起こり得たのかが説明できるのですね。それをコンピュータ・シミュレーションを駆使して研究した成果が本書です。


その偶然は起こりうるのか?


進化の謎を数学で解く.jpg

本書のプロローグで著者はまず、ハヤブサの眼を例にとって上に述べた「誰しも思う疑問」を提示しています。いわば本書が解答しようとする問題、その「問題設定」の部分です。大変に印象的な文章なので、少々長くなりますが引用してみます。


自然界におけるもっとも卓越した捕食者のひとつで、驚異的なほど完璧な体のつくりをもつハヤブサ(Falco peregrinus)について考えてみよう。その強力な筋肉は、極端に軽い骨格とあいまって、ハヤブサを地球上でずばぬけて速く飛ぶことのできる鳥にしており、その特徴的な急降下では、時速300キロメートルを超えることができる。ハヤブサが空中で剃刀かみそりのように鋭いかぎ爪で獲物に突進するとき、この速度のすべてが運動エネルギーに変換される。この衝撃だけで獲物に死をもたらすことができなくても、ハヤブサはうまい具合にのこぎりの刃のような切れ込みのある上嘴じょうしで獲物の脊柱を切断することができる。

ハヤブサは獲物を仕留めにかかる前に、まず見つける必要がある。目標設定のメカニズムは、ヒトの眼の五倍以上の解像度で色付きの立体視ができる一対の眼であり、それはつまり、1キロメートル以上の距離からハトが見えるということである。多くの捕食者と同じように、ハヤブサの眼は高速で追跡するあいだ、眼の水分を保ちながら泥をきれいにするワイパーに似たような働きをする瞬膜しゅんまくと呼ばれる第三のまぶたをもっている。ハヤブサの眼には、ヒトの眼と比べて、より多くの光受容体、すなわち少ない光の中で像を捉える桿体かんたいおよび色覚を与える錐体すいたいが含まれている。これらの光受容体によって短い波長の紫外光さえ見ることができる。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

引用したのは本書の冒頭、3ページ目に出てくる文章です。思うのですが、著者のワグナー教授は若い頃(ないしは小さい頃)、ハヤブサとは限らず生物の体の仕組みの精巧さに感動し、その進化の秘密をさぐりたいと思って学者になったのではないでしょうか。そういう想像を誘発するような、"思いが入った" 文章だと思います。さらにワグナー教授の話はハヤブサの体を構成する分子、タンパク質へと進みます。


まったく驚くべきものである。しかももっと驚くべきは、このようなみごとな適応の一つに一つが、自然淘汰によって保存された、一分子の変化でしかない無数の小さなステップの総和であるという事実である。ハヤブサのおそるべきくちばしやかぎ爪は、羽毛と同じ素材、ケラチンと呼ばれるタンパク質分子からできており、ヒトでは、毛髪や爪がケラチンでできている。色覚については、眼の桿体および錐体にあるオプシンというタンパク質分子がなければならない。眼の驚嘆すべき正確さにとって決定的なのは、クリスタリンと呼ばれる透明なタンパク質で構成されたレンズである。

レンズにクリスタリンを用いた最初の脊椎動物は、五億年以上も前にそれを採用しており、ハヤブサの色覚を可能にするオプシンが使われたのはおよそ七億年前だった。どちらも、生命が最初に地球上に出現してから30億年ほど後に出現したことになる。これだけの時間があれば、これらの分子的なイノベーション(新機軸)が考案されるのには十分であるように思える。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

地球上の生命は35億年ほど前に誕生したというのが定説です。そこから「一分子の変化でしかない無数の小さなステップ」が積み重なって進化してきた、その一つとしてたとえばオプシンやクリスタリンがある、という現代進化論が述べられています。しかし著者は「本当にそういう進化が可能な時間があったのだろうか」と問いかけます。


しかし、こうしたオプシンやクリスタリンというタンパク質のそれぞれは、何百ものアミノ酸が鎖状に連なった分子で、20種類のアミノ酸のアルファベットで書かれたきわめて特異的な文字配列をもつものである。もし、そうした配列のうちのたった一つの配列だけが光を感知でき、あるいは透明なカメラに似たレンズをつくることができるのだとしたら、そのたった一つを、どれほど多数の異なるアミノ酸鎖から選別しなければならなかったのだろう?

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

いよいよ核心の質問が出てきました。本当に進化が可能な時間があったのかどうか、それはシンプルな数字の計算で見積もれます。


100個のアミノ酸が連なった鎖の最初のアミノ酸は、20種類のアミノ酸のうちのどれでもよく、二番目についても同じことがいえる。20 × 20 は400だから、二つのアミノ酸の鎖の可能な組み合わせの数は400通りになる。三番目のアミノ酸を考えれば、20 × 20 × 20、すなわち8000通りの組み合わせが可能である。四つのアミノ酸であればすでに16万通りの可能性に達する。100個のアミノ酸をもつタンパク質(クリスタリンやオプシンはそれよりはるかに長い)になれば、その数字は1のあとにゼロが130個以上、すなわち 10130(10の130乗)以上になる。この数字を感覚として捉えるためには、宇宙にある原子のほとんどが水素原子であり、物理学者たちはその数が 1090 だと推計していることを考えてみて欲しい。これは10000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000,0000000000, 0000000000 のことだが、ゼロがわずか90「でしかない」。(引用注:10桁ごとにカンマをいれました。原文にはありません)

潜在的なタンパク質の数は単に天文学的などというものではなく、超天文学的であり、宇宙の水素原子の数よりはるかに大きなものなのである。これほどまでに特異的なアミノ酸配列を見つけだすのは、宝くじで大当たりを当てるようなものどころか、宇宙開闢ビッグバン以来毎年大当たりを続けるというのよりもずっと可能性が低い。実際には、それよりも数で表しきれないほどの倍数で可能性が低い。もしかりに1兆もの種が、生命が始まって以来毎秒、アミノ酸鎖を試してきたとしても、10130 という潜在的な組み合わせのほんのごくちっぽけな部分しか試すことができておらず、まだオプシンのアミノ酸鎖1本さえ見つけていないだろう。分子を配列する方法には、膨大に異なる数がある。それをすべて試す十分な時間はない。

『本書:プロローグ』
(その偶然は起こりうるのか?)

ハヤブサの眼にクリスタリンとオプシンが存在するの厳然たる事実です。それをランダムな組み合わせの中から見つけ出す時間がなかったとすると、我々はいったいどこで間違ったのでしょうか。それとも神による創造説や、インテリジェント・デザイン説、ないしは「奇跡」を持ち出さざるを得ないのでょうか・・・・・・。そんな必要はありません。

実は上の推論の中に1つだけ誤った仮定があります。「(アミノ酸の)配列のうちのたった一つの配列だけが光を感知でき、あるいは透明なカメラに似たレンズをつくることができるのだとしたら」という仮定です。ここが違っている。それが本書で解明されています。



本書はクリスタリンやオプシンという特定のタンパク質の進化を扱ったものはありません。そうではなく「代謝」「タンパク質」「調節回路」という、生命体にとって必須の機構をとり、超天文学的な組み合わせの中からどうして最適なものの出現が "ありえた" のか、そこをコンピュータ・シミュレーションで分析しています。その中から以下に「代謝」の概要を紹介します。


代謝


代謝とは、生命体の内部で起こっている化学反応のことです。生命体は代謝の働きによって外部から取り込んだ栄養源をアミノ酸、ビタミンなどの、生命維持に必須の物質に変換しています。また、アンモニアのような体にとっての有害物を無害な物質に変えています。

化学反応の一つの例はしょ糖(スクロース。砂糖の主成分)の加水分解で、生命体にとって基本的なものです。これは、

スクロ ース + 水
 →  グルコース(ブドウ糖)+ フルクトース(果糖)

という反応です。No.105「鳥と人間の共生」で書いたように、ミツバチが蜜を作るのはこの化学反応であり、人間はミツバチが花のショ糖を集めて加水分解してくれた結果としての「ブドウ糖と果糖の集まり = ハチミツ」を有り難くいただくというわけです。

化学反応を可能にしているのは触媒としての酵素です。スクロースの加水分解の場合はスクラーゼと呼ばれる酵素で、これはアミノ酸が1827個連なったタンパク質です。その分子量は約2万に達します。それと比較するとスクロースの分子量は45なので、非常にちっぽけなものです。

一般に酵素は化学反応を数億倍、時には1兆倍に加速することができます。酵素がない限り、代謝は実質的にはありえない。つまり生命体がどのような化学反応(代謝)をもっているかは、どのような酵素をもっているかによります。もちろん、その酵素は遺伝子によって規定されています。

大腸菌は最もよく研究されてきた細菌の一つですが、大腸菌には1300種の化学反応(代謝)があることが分かっています。その他、今までに各種の生物で研究されてきた代謝の種類を全部集めると、約5000種になります。各生命体はこの5000種のうちの何種かの(大腸菌の場合は1300種の)代謝能力をもっており、これは生命体ごとに違っています。それを規定しているのが酵素であり、つまりは酵素を作る指令になる遺伝子ということになります。


代謝の「遺伝子型」


ワグナー教授のシミュレーションにあたっての、まず第1のキーワードは遺伝子型(いだでんしがた。いでんしけい、とも言う)です。今、ある生命体が5000種の代謝のどれを持っているかを、次のような表で表すことにします。

遺伝子型.jpg
代謝の遺伝子型
(本書より)

この図は本書から引用したものですが、化学反応としてはスクロースの加水分解だけが書かれていて、あとは省略されています。この表の一番右の縦の列が、ある生命体の「代謝の遺伝子型」です。1 と書いてあれば該当する代謝がある、0 は該当する代謝がないことを示します。

この代謝の遺伝子型はどれぐらいの種類があるのでしょうか。全体の代謝の数は5000なので、その種類は 25000 ということになります。高校で習う常用対数の知識を用いて、2の常用対数を約0.3とすると、この数は 101500 になり、1500桁の数字ということになります。これは宇宙にある全水素原子の数(1090)とは全く比べものにならない超天文学的数字です。代謝の遺伝子型を一つ選ぶということは、この1500桁の数字のパターンから一つを選ぶということになります。


代謝の「表現型」


2番目のキーワードは代謝の「表現型」(ひょうげんがた。ひょうげんけい、とも言う)です。表現型とは、ある遺伝子型が、生物の構造・行動・生理学的性質などの「形態」として発現したものを言います。突然変異で出来た「遺伝子型」の違いは、それが「表現型」の違いとなって現れてこそ自然選択の影響を受けるし、生物は進化します。そして「代謝の表現型」とは、

  特定の栄養源(炭素源)で生命体が「生存可能」であること

です。栄養源(炭素源)とは、今までに出てきたスクロース(ショ糖)、グルコース(ブドウ糖)、フルクトース(果糖)をはじめ、エタノール、クエン酸塩、酢酸塩、など、代表的なものだけで約100種類あります。また「生存可能」とは

  生命体が代謝によって、生命の維持に必須である約60種類の "バイオマス構成要素" を作り出せること

と定義します。バイオマスとは生物の体を構成する有機物の総体を言う言葉ですが、ここで言う "約60種類のバイオマス構成要素" とは、核酸(DNAやRNAの構成要素。計5種)、アミノ酸(20種)、脂質、補酵素などの、生命にとっては "必須の必須" と言える物質です。



以上のように定義すると、

  ある特定の「代謝の遺伝子型」が、ある特定の「代謝の表現型」をもっているかどうかは、YESかNOかで答えられる

ことになります。たとえばある「代謝の遺伝子型」が「グルコース(ブドウ糖)だけを栄養源として生存可能か」どうかを調べたいのなら、代謝の遺伝子型で示される「化学反応のワンセット」を調べ、ブドウ糖だけを「入力」として「60種類のバイオマス構成要素」のすべてを「出力」できるような「化学反応の連鎖」があるかどうかを見ればよいわけです。

これは人間が手で調べようとすると、かなり骨の折れる仕事になりますが、こういう仕事こそコンピュータが最も得意とするところです。ここにコンピュータを使うというのがワグナー教授の着眼点です。


遺伝子型の「距離」と「近傍」


進化をコンピュータでシミュレーションするには、さらに2つの遺伝子型の「距離」と「近傍」が重要な概念となります。「代謝の遺伝子型」とは、5000個の 0 か 1 の数字の列でした。このうちのどれか1つの数字を変異させたとしたら、つまり 0 なら 1 に、1 なら 0 にしたものは別の遺伝子型となります。これを元の遺伝子型の「近傍」の遺伝子型と定義します。一つの遺伝子型には5000種の「近傍」があるわけです。言うまでもなく「近傍」とは一つの遺伝子が突然変異して別の遺伝子型になることを模擬しています。つまり、一つの遺伝子型の近傍とはその遺伝子型の5000種の「変異型」と言えます。

さらに2つの遺伝子型を比較したとき、数字が違っているところの数を、2つの遺伝子型の「距離」と定義します。近傍にある2つの遺伝子型の距離は1です。また、一つの遺伝子型の数字をすべて反転させた別の遺伝子型を考えると、その2つの距離は5000となり、元の遺伝子型とは最も「遠い」遺伝子型となります。


コンピュータ・シミュレーション


以上の「遺伝子型」「表現型」「近傍=変異型」「距離」という概念を導入することによって、コンピュータ・シミュレーションの準備が整いました。ワグナー教授が行ったシミュレーションは次のようなものです。

「代謝の表現型」として「ブドウ糖だけで生存可能」を取り上げる。

大腸菌は「ブドウ糖だけで生存可能」なことが分かっているので、大腸菌の「代謝の遺伝子型」を出発点とする。

遺伝子型の「近傍」を探索し、同じ表現型(=ブドウ糖だけで生存可能)をもつ遺伝子型があるかを調べる。そのような遺伝子型があった場合、そこを新たな起点としてその近傍を探索する。

この探索を次々と繰り返していって、「ブドウ糖だけで生存可能」な遺伝子型が変異を繰り返した結果、"どこまで遠くへ行けるか" を調べる。

このシミュレーションで判明したことは、かなり意外です。大腸菌の遺伝子型の近傍には「生存不可能」な遺伝子型もありますが、ブドウ糖で生存可能な遺伝子型が数百も見つかりました。さらに近傍から近傍へと変異を繰り返していっても、なかなか「探索」が途切れません。ついには、元の大腸菌の遺伝子型とは80%もの遺伝子が違うところまで探索は続きました。つまり大腸菌とは非常に「遠い」遺伝子型が同じ表現型(=ブドウ糖だけで生存可能)をもっていたのです。

さらに探索の範囲を広げると、同じ表現型を持つ遺伝子型が "あらゆる方向に" 散らばっていて、それぞれの遺伝子型は近傍同士の関係で繋がっていることが分かってきました。この様子をワグナー教授は「遺伝子型ネットワーク」と呼んでいます。それをイメージしやすいように図に表したのが下図です。

遺伝子型ネットワーク.jpg
遺伝子型ネットワークのイメージ図
(本書より)

この図で、全体の四角は代謝の遺伝子型の全てです。前に書いたように、その数は 101500 という超天文学的数字です。丸印はブドウ糖だけで生存可能な遺伝子型で、丸と丸の間の線は遺伝子型同士が近傍の関係にあることを示しています。

この丸の数(遺伝子型の数)はどれだけあるのでしょうか。もちろん全てをコンピュータで調べることは数が多すぎて不可能です。ワグナー教授はシミュレーション結果から、全体の数を 10750 と推定しています。つまり

代謝の遺伝子型の全体の数は超天文学的数字だが、同じ表現型をもつ遺伝子型の数もまた超天文学的数字になる

ことが分かってきました。これは平たく言うと、一つの機能を実現する "やり方" は膨大にあるということです。我々は何億年という進化の結果として出来上がった現在の生物を見ています。眼のレンズを構成するクリスタリンというタンパク質を見て、よくもこんなものが都合よく出来たものだと驚嘆します。透明で、伸縮可能で、しかも屈折率が高いタンパク質です。しかしそれは、超天文学的な種類の "やり方" の中から現有生物が採用した、たった一つの "やり方" に過ぎないと想定できるのです。実際、タンパク質の遺伝子型も代謝と同様だということが本書のあとで出てきます。



代謝の表現型は「ブドウ糖で生存可能」だけではありません。「エタノールで生存可能」もあるし「酢酸で生存可能」もある。また「ブドウ糖とエタノールがあれば生存可能」もある。栄養源(炭素源)が100種類あるとしたら、2100 = 1030 種類の表現型があることになります。ワグナー教授はこれらの中の主要な表現型をもつ遺伝子型を調べ、いずれも「遺伝子型ネットワーク」を構成していることを突き止めました。つまり

膨大な数の「代謝の表現型」のそれぞれ対応した「遺伝子型ネットワーク」が存在し、それぞれの「遺伝子型ネットワーク」は近傍で繋がった超天文学的数字の遺伝子型(=同じ表現型を示す)から構成されている

ことになります。さらに重要なのは次の2つの発見です。

一つの「遺伝子型ネットワーク」に属する遺伝子型の近傍には、別の「遺伝子型ネットワーク」に属する遺伝子型が存在する。つまり、ある遺伝子型は別の表現型をもつ遺伝子型へと変異できる。

一つの「遺伝子型ネットワーク」に属する、距離が離れた2つの遺伝子型の近傍には、それぞれ別の表現型の遺伝子型が存在する。つまり表現型が同じだとしても、遺伝子型の違いが大きいと、違った表現型へと変異しやすい。



タンパク質と調節回路


ワグナー教授は「代謝」だけでなく「タンパク質」と「調節回路」についても、同様のコンピュータ・シミュレーションを行いました。

タンパク質の「遺伝子型」とは、タンパク質を構成しているアミノ酸の並び方です。タンパク質は、ある特定の形に3次元的に折り畳まれることによって、機能を発揮します。タンパク質の「表現型」とは、その3次元形状です。タンパク質は特定の3次元形状をとることで、酵素になったり、眼のレンズになったり、筋肉になったりします。

ワグナー教授はタンパク質の「遺伝子型」から3次元形状を予測するプログラムを作成し、コンピュータ・シミュレーションを行いました。すると、タンパク質の遺伝子型にも、代謝と同じ構造をもった「遺伝子型ネットワーク」があることが分かりました。

たとえば、生物界に広くみられるグロビンというタンパク質のグループがあります。これは酸素と結合する性質があり、生物の体内で酸素を輸送する重要な役割をになっています(ヒトではヘモグロビン)。下に掲げたのは、植物と昆虫のグロビンですが、アミノ酸の並び方は90%以上が違っているにもかかわらず、よく似た形に折り畳まれ、同じ機能を果たしています。

グロビン.jpg
植物と昆虫のグロビン(模式図)
90%のDNAは違っているが、よく似た3次元構造をもっており、酸素を輸送するという同一の機能をはたす。
(本書より)



「調節回路」とは、生物の遺伝子(DNA)の発現を調節するしくみです。生物の体の全ての細胞は同じDNAをもっていますが、細胞が存在する場所によって、DNAの中のどの遺伝子が活性化するかが決まっています。これをコントロールしているのが「調節因子」と呼ばれるタンパク質の群です。この因子が細胞の役割を決めている。生命の発生のときにも、適切な時刻に適切な場所に適切なタンパク質が次々と生産され、それが生命の形を作っていくのですが、これも調節因子の働きです。

特定の遺伝子は、複数の調節因子の相乗作用によって活性化・不活性化が決まります。また調節因子もタンパク質であり、それはDNA上の遺伝子で決められているので、調節因子が別の調節因子の遺伝子を活性化したり、不活性にするということが起こります。つまり調節因子の群は、それ自体が複雑なネットワーク(=調節回路)を構成していて、この回路のパターンの数は膨大です。この調節回路の膨大なバリエーションが、遺伝子の適材適所での発現をコントロールしています。

こういった調節回路の遺伝子型も、代謝と同じような「遺伝子型ネットワーク」を構成していることが判明しました。



タンパク質と調節回路に関するコンピュータ・シミュレーションの方法やその結果は省略しますが、代謝の場合と同じ結果が得られたことが説明されています。その内容も興味深いのですが、詳細は本書を読んでもらうしかありません。

Arrival of the Fittest.jpg
Arrival of the Fittest


起こり得た偶然


以上で、最初に掲げた問題設定である「最適者が到来する理由」が明らかになってきました。

)()()()で述べたことを、遺伝子(=遺伝子型)、形質(=表現型)、変異、イノベーションという言葉に変えて、もう一度まとめると次のようなるでしょう。「変異」とは遺伝子に含まれるDNAのランダムな変化を言います。また「イノベーション」とは、生命体にとって「新たな形質を示す変異」を言います。イノベーションという言葉は著者のワグナー教授が使っています。

生命体は、その形質を変えることなく次々と変異していける。同じ形質を示す遺伝子の潜在的なパターンは超天文学的な数になる(=遺伝子型ネットワーク)。

一つの遺伝子の変異の中には、形質の変化をともなうイノベーションが存在する。

遺伝子型ネットワークに属する違った遺伝子(=同じ形質を示す)は、違ったイノベーションに変異する。

そしてイノベーションの中に最適者が含まれています。つまり、()+()+()の相乗効果で進化 = 最適者の到来が起こり得たのです。

最適者の「出現」はあくまでランダムな現象であり、「偶然」に支配されます。本書のプロローグで「その偶然は起こりうるのか?」という問題設定がされていますが、遺伝子型ネットワークの構造からすると「起こりうる偶然」であり、そして実際に起こった偶然である、というのがワグナー教授の見解です。遺伝子はそういう風に構造化されている、自然はそういう構造をもっているというのが結論です。


頑強性と中立変異


以上の結論で重要なのは()のところです。つまり「遺伝子型ネットワーク」の存在は、生物の「頑強さ(robustness)」を示しています。生物は、少しくらい遺伝子が変化したとしても以前どおりに生存していける。もちろん中には致死的影響を与える変異もあるが、そうでないものも膨大にある。本書によると、大腸菌には各種の変異体("株"と呼ばれる)があるが、DNA解析をすると、異なる株ではDNAの25%が違っていることがあるそうです。

この「頑強さ」は多様性を生み出します。そしてその多様性がイノベーションへの "踏み台" になるわけです。仮にある生物の遺伝子型が全部同じだとすると、その同じ遺伝子型の "周り"(近傍)に環境変化にマッチしたイノベーションが "都合よく" 見つからないのです。

これは別な見方をすると、生命の進化における「中立変異の重要性」ということになります。中立とは、自然選択にとってプラスでもマイナスでもないという意味です。ワグナー教授は次のように書いています。


中立主義者のもっとも率直な提唱者は日本人科学者の木村資生もとおで、彼は、そのような中立突然変異の進化的運命を説明する、洗練され、しかも成功した数学的理論を発展させた。木村は、自然に見られる遺伝的変異のほとんどが中立的だと断言した。ゲノムの時代は、この点で彼が間違っていたことを教えてくれた ─── 中立的な変異は有益変異より頻度は高くない。けれども、中立的変化が重要であるという彼の直感は完璧に正しかった。ただ、その理由が理解されるまで、さらに二、三十年を要した。

『本書:第8章』
(隠された根本原理とは)

木村資生もとお博士(1924-1994)の「中立説」は、発表当時は激しい反発を受けましたが、その価値が次第に認識され、すでに現代進化論の一部となっています。ワグナー教授も改めてその重要性を認識したようです。


コンピュータは21世紀の顕微鏡


以下は本書を読んだ感想です。本書の最初の方に次のような文章があります。


コンピューターは21世紀の生物学にとって、写真におけるデジタル・カメラと同じように不可欠なものになっている。コンピューターは、単に科学機器 ── 超低温フリーザーからエスプレッソ・マシーンまで ── を作動させる以上のことをなしとげ、意味やそれ自体の意義をもつ装置である。17世紀の顕微鏡と同じように、新しい世界への旅を可能にしてくれる。そこはあまりにも小さいので、電子顕微鏡も含めてもっとも強力な映像技術をもってしても解明することができない世界である。実際、コンピューターは21世紀の顕微鏡といえる。それは、ダーウィンが存在さえ知らなかった分子の網の目の理解を助けてくれる。

『本書:第1章』
(最適者の到来)

この文章は本書のはじめの方に出てくるのですが、本書を通読してみて、その意味がよく理解できました。17世紀のヨーロッパで初めて顕微鏡が発明されたときの話は、よく科学の歴史物語であります。水たまりから水滴を一滴とって顕微鏡で覗くと、なにやら微細なものがうごめいていた。これが微生物の発見である、みたいな・・・・・(この話はフェルメールと同時代にオランダのデルフトで活躍したレーウェンフックのことです)。顕微鏡は人間が自然をみる見方を変えてしまいました。

それと似通っています。「21世紀の顕微鏡」であるコンピューターの「意味やそれ自体の意義」は、人間が自然を認識する新しい手段を手に入れたということなのですね(少なくとも生物学にとっては)。そのことが本書を通読してよく理解できました。


イノベーションの原理


この文章の冒頭に、No.56「強い者は生き残れない」で紹介した、吉村仁氏(静岡大学教授)の同名の本について触れました。そこでは、生物の進化は以下のプロセスで進むことが、学界の最新研究も踏まえて説明されていました。

シーン0:環境安定期
  表現型の変化はほとんどないが、生物の内部では遺伝子の多様化が進む。
シーン1:環境激変期
  生物は大絶滅を起こし、生物全体の遺伝子の多様性も激減する。
シーン2:適応放散期
  大絶滅を生き延びたわずかな種は、他に生物があまりいないので大増殖する。
シーン3:最適化期
  シーン2で適応放散した生物は、それぞれの環境に精密に適応していく。
シーン4:環境安定期 = シーン0に戻る

この生物進化のプロセスと、ワグナー教授の「遺伝子型ネットワーク」はピタリと一致します。「シーン0:環境安定期」は、まさに遺伝子型ネットワークによって、同じ形質をもつ多様な遺伝子型が生まれていく時期です。また 「シーン1:環境激変期」から「シーン2:適応放散期」は、遺伝子型ネットワークのどこかの "近傍" から、新環境にマッチした最適なイノベーションが生まれることに相当するでしょう。本書は「生物進化のプロセス」の理論的裏付けたとも言えそうです。その「裏付け」を可能にしたのはコンピュータなのでした。



この生物進化のプロセスは、一般的なイノベーションの原理でもあるようです。ワグナー教授は本書で、人間社会における技術のイノベーションも同様のプロセスで起こることを、数々の事例を引いて語っています。No.56「強い者は生き残れない」で書いたのは、現代社会における企業の "生き残りと革新" も極めて似通ったプロセスだということでした。

日常的に起こる、外面には現れにくい小さなイノベーションの集積が重要なのです。それらのほとんどのものは、結果としてあまり "大きな役には立たない"。しかし環境が大きく変化するとき、それらのどこかから新環境に最適なイノベーションが出現する。均質なものは進化しません。ちょっとぐらいの変化では生き延びられる「頑強さ」あるということは「多様性」が生まれるということであり、それがイノベーションの源泉となると理解できました。


イヌ:生物に内在する変化の可能性


本書は生物に内在するイノベーションの可能性をシミュレーションで解き明かしたものですが、通読して改めて思い出すのは本書の最初にある、ダーウィンの『種の起源』の中の話です。著書は次のように書いています。


『起源』の第一章全体が、人間の育種家がつくりだしたイヌ、飼いバト、作物品種、鑑賞用の草花の多様性への驚嘆に満ちている。人間が単一の共通祖先であるオオカミに似た祖先から、それもわずか数世紀のうちに、グレートデーン、ジャーマンシェパード、グレイハウンド、ブルドッグ、チャウチャウのすべてをつくりだすことができたというのは、考えてみるとまったく驚くべきことである。

『本書:第1章』
(最適者の到来)

イヌは1万年ほど前に、人間が(今で言う)オオカミを家畜化したものです。そして、家畜としての品種改良が本格的に行われたのは、たかがこの数百年です。しかもその「改良」は、現代で言う "遺伝子操作技術" や "遺伝子組み替え技術" を使ったわけではありません。あくまで「交配」や「選別」で行われた。それでいて、出来上がったイヌの外見の多様性は驚くべきものです。

つまり現代のイヌの多様な姿・形は、1万年前のオオカミという種のDNAに、すでに内在していたと考えざるを得ません。その「内在するもの」を、人間が "好み" に従って顕在化させた・・・・・・。高等生物が持っている「変化の可能性」はものすごいものだと思います。我々が現代のオオカミの写真を見ても、その姿・形はみな同じように見えます(No.127「捕食者なき世界(2)」)。つまりどのオオカミも「表現型」は似通っている。しかし「表現型」は同じでも「遺伝子型」は極めて多様になりうると、本書では強調されていました。その実例と言えるでしょう。

グレート・デーン.jpg
グレート・デーン

ジャーマン・シェパード.jpg
ジャーマン・シェパード



本書に出てくる
5つの犬種
グレイハウンド.jpg
グレイハウンド

ブルドッグ.jpg
ブルドッグ

チャウチャウ.jpg
チャウチャウ


我々は直感に裏切られる


本書を読んで強く思ったのは「我々は直感に裏切られる」ということです。我々は「ハヤブサの眼が出来上がってきたのは奇跡だ」と「直感して」しまう。しかし、こういった直感はあくまで我々の日常生活での体験にもとづいています。

「進化」のような事象は、日常生活とは全くかけ離れた次元の話です。遺伝子やDNAやタンパク質は、いずれも分子レベルの話で、まさに21世紀の顕微鏡(=コンピュータ)で見るしかない極超ミクロの世界です。進化は数億年、数千万年といった時間スケールの話です。つまり、進化で対象になる「量」や「個数」や「数字」は、日常感覚とは全くかけ離れています。本書でたびたび登場する大腸菌は細菌の一種ですが、本書によると地球に生息する細菌の数は 5 × 1030 と見積もられている、とあります。我々はその数を想像すらできない。

日常生活からくる「直感」にまどわされてはいけない、というようなことを強く感じました。



 補記 

本書の日本語訳の題名は『進化の謎を数学で解く』ですが、通読して最後まで分からないのは、いったいどこに数学が使われているのか、ということです。著者の研究は、DNAや遺伝子、タンパク質、代謝などの最新データをもとに、コンピュータを使って遺伝子型の進化のシミュレーションをした、としか読み取れません。シミュレーションの速度向上のために、ある種の数学的手法を使ったのかも知れないし、またアミノ酸配列からタンパク質の3次元的な折り畳み構造を予測するために数学を使ったのかも知れない。しかしその説明はありません。たとえ数学に関係していたとしても、それが研究の本質だとは到底思えない。『進化の謎をコンピュータで解明する』なら、まだ分かりますが・・・・・・。誰が日本語の題をつけたのかは知りませんが、不適切だと思いました。

ただし、巻末に全部の注釈を訳出し、参考文献を全部のせたのは好感がもてました。ちなみに本書の原題は以下の通りです。


Arrival of the Fittest
- Solving Evolusion's Greatest Puzzel -

最適者の到来
- 進化の最大の謎を解く -


生物の進化のプロセスは "Arrival of the Fittest"(適者到来) と "Survival of the Fittest"(適者生存) で進行する・・・・・・。そういう意味を込めた題です。




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No.127 - 捕食者なき世界(2) [科学]

前回より続く)

前回に引き続き、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)の内容を紹介します。

Where the Wild Things Were.jpg
「捕食者なき世界」の原題は「Where the Wild Things Were」であり、訳すと「怪獣たちのいたところ」である。Wild Thingsは ”荒くれ者”、”手におえない者”というようなニュアンスであるが、それを"怪獣"としたくなるのは、この原題がセンダックの有名な絵本「かいじゅうたちのいるところ - Where the Wild Things Are」をもじってつけられているからである。現在(are)を過去(were)に変えただけの "こじゃれた" タイトルである。


鳥が消えた島


パナマにバロ・コロラドという、17平方キロメートルほどの島があります。ここはかつて山のいただきでしたが、1913年のパナマ運河の建設にともなって湖ができると周りが水没し、湖の中に取り残されたて島になりました。この島は生物保護区になり、スミソニアン研究所の管理のもと、継続的に自然生態観察が行われてきました。

熱帯の森を研究していたプリンストン大学のジョン・ターボー教授は、1970年に初めてこの島を訪れました。島ができてから50数年後ということになります。

バロ・コロラド島で分かったことは、島ができた直後には209種の鳥が確認できたのですが、1970年の段階では、そのうちの45種が見られなくなったということです。バロ・コロラド島の森林は、島ができた頃より回復しています。以前は森を焼き払って作った農地もあったのですが、生物保護区になってからは人間の手が入らないようになったからです。

森林の回復にともなって草地に棲む鳥がいなくなるのは分かります。しかし非常に奇妙なのは、いなくなった45種の鳥のうちの18種は森林に棲む鳥だということでした。しかもその18種は、湖の周りの本土では健在だったのです。完全な自然保護区での鳥の減少は、いったいどういうことなのか。

ターボー教授は、消滅した18種の鳥のほとんどが地上か、地上近くに巣を作る鳥だということに着目しました。そして島ができてから激増した動物にハナグマとペッカリー(北米におけるアライグマとイノシシに相当)が含まれ、どちらも鳥の雛と卵を好んで食べることにも注目しました。一つの実験があります。


イリノイ大学のふたりの大学院生が、パロ・コロラド島と、隣接するパナマ本土の両方で、地面と低木の茂みに小枝で編んだ巣を仕掛け、中に葉を敷いてウズラの卵を二個ずつ置いた。一日、二日たってから調べると、本土の地面においた巣の6パーセントから卵が消えていた。一方、パロ・コロラド島では88パーセントの巣が空っぽになっていた。

『捕食者なき世界』(第5章)

Coati.jpg
ハナグマ
アライグマ科。南北アメリカ大陸に分布。
( site : Wikipedia )

ターボー教授は比較対照のため、人間の手が加えられていない熱帯雨林を調べました。選らんだのは、手つかずの自然が残されているペルーのマヌー国立公園です。


ターボーにとってなにより重要だったのは、マヌー国立公園には人間の手に汚されていない自然が残っていることだ。それを基準にすれば、ほかの熱帯雨林の変貌の度合いを測ることができる。マヌーには十分な数のジャガーやピューマがいた。ジャガーはネコ科の動物で三番目に大きい。ピューマはそれよりやや小さいが、適応力があり、アラスカのユーコン川流域から南米の南端パタゴニアまでの広い範囲に生息しており、一口サイズの齧歯類から体重250キロのワピチ(アメリカアカシカ)まで食べる。樹上の生物界に君臨するのはオウギワシだ。地上でもっとも強く最も印象的な猛禽類で、体重は5キロを越え、戦士の羽と虎のかぎ爪を備え、サルを見つけるとミサイルのようなスピードで襲いかかる。そのような南北アメリカ大陸の熱帯雨林の頂点捕食者が、マヌーにはまだ生息していた。

『捕食者なき世界』(第5章)

Jaguar.jpg
ジャガー
上の引用に「ネコ科の動物で三番目に大きい」とあるが、トラ、ライオンについで三番目という意味である。中米から南アメリカ大陸に分布している。ヒョウと似ているが、腹から背中の紋が梅花状で、中に黒点があることで見分けられる。「捕食者なき世界」の原書の表紙にもなっている。
( site : Wikipedia )

Puma.jpg
ピューマ
南北アメリカ大陸に分布している。「捕食者なき世界」からの引用にもあるように、高山から森林地帯、砂漠までの幅広い環境に適応している。
( site : Wikipedia )

Harpy Eagle.jpg
オウギワシ
猛禽類では世界最大級の種で、南米に分布している。「捕食者なき世界」には、木にしがみついているナマケモノを引きはがして舞い上がることができる、とある。
( site : Wikipedia )
マヌー国立公園に比較し、パロ・コロラド島は違いました。パロ・コロラド島では、時折オウギワシが本土から飛来しましたが、大型ネコはいなかったのです。要するに、パロ・コロラド島の17平方キロメートルという広さは、大型ネコにとっては「狭すぎた」のです。

マヌー国立公園では、スミソニアン研究所の哺乳類学者、ルイーズ・エモンズが大型ネコのジャガー、ピューマの研究をしていました。彼女は大型ネコに捕食される動物も調べていました。アグーチ、パカ、カピパラ(いずれも齧歯類)、ペッカリー(イノシシの仲間)、ハナグマ(アライグマの仲間)などです。その結果わかったことは、大型ネコが動物を捕らえる確率は、その動物の個体密度に比例することです。捕食者が出会うアグーチが多ければ、それだけ多くのアグーチが食べられる・・・・・・。それを知ったターボー教授は、「大型ネコたちは、そうやって成り行きまかせのハンティングをしながら、実は知らず知らずのうちに、獲物となる動物の個体数を調整しているのではないか」と考えたのです。


実際、マヌー国立公園とパロ・コロラド島との違いは愕然とするほどのものだった。パロ・コロラド島には個体密度で言えばマヌーの20倍のアグーチ、25倍ものハナグマがいた。ターボーは、パロ・コロラド島から鳥を消した犯人はハナグマに違いないと目星をつけた。ハナグマだけがパロ・コロラド島の鳥類相を破壊しつくしたとは言わないが、鳥の巣を遅うのが得意で、卵とヒナが大好物のハナグマがそれほど高密度でいるのだから、島での鳥殺しに関与しているのは確かだ。

『捕食者なき世界』(第5章)

『捕食者なき世界』では、ターボー教授の別の研究が紹介されています。ベネズエラではカロニ川をせき止めてダムが出来たため、グリ湖ができました。その結果、湖には大小の島が点在することになりました。

これらの島で起こった典型的な出来事が、緑の消失です。その原因はハキリアリです。ハキリアリは良く知られているように、木の葉を小さく切って巣の中に運び、木の葉を養分として菌を育て、その菌を食べて生きています。「農業」をするアリとして有名です。

島ではハキリアリが大増殖しました。それはハキリアリの天敵であるアルマジロが(ほとんどの島で)絶滅したからです。ハキリアリの個体密度は本土の100倍にもなりました。その結果、島の緑という緑が消滅してしまい、木は次々と枯れ、残ったのは、ハキリアリが好まない棘のある植物や蔓植物だけとなり、鳥も島を見捨てて去っていったのです。

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ハキリアリ
中米から南米の熱帯雨林に分布する。葉を切り取って巣に運んで「農業」をする有名なアリであるが、下の写真のように木の葉を根こそぎ刈り取ってしまうこともある。
( site : events.nationalgeographic.com )
( site : Wikipedia )

ターボー教授は「サイエンス」雑誌(2001)で警告を発しています。


グリ湖で観察されたことは警告を発している。なぜなら、生態系を上からコントロールしてきた大型捕食者は、アメリカ本土の大半、それどころか地球上の陸地のほとんどで根絶されたからだ。



あなたの周囲をみてほしい。乾燥したアメリカ西部の草原は家畜に荒らされて、トゲの多い低木に覆われつつある。マレーシアの森は、野生のブタのせいで消えつつある。そしてアメリカ東部の森は、オジロジカに食い尽くされようとしている。

『捕食者なき世界』(第5章)


オオカミとイエローストーン公園


アメリカは300年に渡って「国を挙げて」オオカミの撲滅に取り組んできました。それは1630年にマサチューセッツの植民地で、オオカミを1頭殺せば1セントの報酬が与えられたことに始まります。1915年からは税金を投入しての本格的な駆除が始まりました。捕獲手段は、最初は罠かライフルでしたが、やがて毒餌が用いられるようになり、飛行機の時代になると毒を入れた脂肪の塊を空から撒くようなことも行われました。その結果、1930年代までにオオカミは多くの州で絶滅しました。カナダやアラスカにはまだオオカミが生息していましたが、アメリカ本土では人間が入りづらい辺境に細々と暮らすだけになり、群をなして狩りをしたり、生態系に影響を及ぼす存在としてのオオカミはいなくなったのです。

イエローストーン国立公園は、アイダホ州、モンタナ州、ワイオミング州にまたがる大公園で、世界最初の国立公園であり、世界自然遺産になっています。あたり一帯は公園を中心に49,000平方キロもの広大な国有地が広がっていて、全体は「グレイター・イエローストーン」と呼ばれています。

イエローストーン国立公園においてもオオカミは絶滅してしまいました。その時期ははっきりしています。1926年に捕らえられた2頭が最後で、これをもってイエローストーン国立公園におけるオオカミ撲滅作戦は終了しました。

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ハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)
普通オオカミというと、このハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)のことを指す。世界各地にさまざまな亜種が分布している。絶滅したニホンオオカミも亜種とされている。
( site : animals.nationalgeographic.com )

ところがオオカミがいなくなったあと、アメリカ国立公園局は別の「害獣」の存在に気づきました。鹿の仲間であるワチピ(アメリカアカシカ)が大量に増殖し、イエローストーンの北部域(ノーザンレンジ)を中心に、若木を食べだしたのです。特にヤナギとポプラです。ヤナギとポプラは、乾燥したアメリカ西部地域の植物相の基礎となるものです。ヤナギとポプラの枯死は、土壌の浸食にもつながります。

公園当局は以降、40年に渡ってワピチの間引き(捕らえて移動させる、撃ち殺す)をしましたが、状況の改善はあまりみられませんでした。それどころか、1960年代になると地元のハンターが間引きに反対するようになり、ワピチの数のコントロールはますます困難になったのです。

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ワピチ(Wapiti。アメリカアカシカ)
北アメリカから東北アジアに分布。北米ではエルクと呼ばれるが、世界的にはエルクと言うとヘラジカ(角がヘラ状の鹿)を言う。
( site : Wikipedia )

1973年にアメリカの連邦議会は絶滅危惧種法を成立させ、時のニクソン大統領が署名しました。これは絶滅の危機に瀕している種の保護と復活を提唱する法律で、オオカミはその筆頭にあげられました。生態学者たちはさっそくオオカミを復活させるのに適した土地を探しはじめましたが、その最有力地がイエローストーン国立公園を中心とする国有地、グレイター・イエローストーンでした。

イエローストーンにオオカミを復活させることには反対論も根強く、環境影響調査などを含む紆余曲折があったのですが、生態学者たちの努力の結果、1995年1月12日、ようやく、カナディアン・ロッキーで捕獲された8頭のオオカミがイエローストーンに到着しました。生態学者は自然繁殖するかどうかが心配でしたが、復活作戦は成功しました。オオカミはイエローストーン国立公園全体に広がり、10年後にはグレイター・イエローストーン全体で300頭を数えるに至ったのです。



オオカミが無線発信機をつけて放たれたころのイエローストーン国立公園はどうだったのか。オレゴン州立大学のロバート・ペシュタは、1996年の春にイエローストーンの北部域(ノーザンレンジ)を流れるラマー川を訪れ「あまりの惨状に愕然となって、声も出なかった」と言います。


ラマー川の土手に緑はなく、川岸はぎざぎざに削られ、垂直に落ち込んでいた。数千年かけて積み重ねられた川辺の土壌が、この数十年の間に春の雪解け水と夏の豪雨に削られて海の方へ流された。木は数えるほどしか生えておらず、下草はなく、樹冠も木陰もない。つまり鳥たちが暮らせる場所はなくなっていた。かつてそのあたりでダムを作っていたビーバーももはやいない。あるべき生命の輝きがことごとく失われていた。

『捕食者なき世界』(第8章)

「川のほとり」を生態学では「河畔域」と呼びます。アメリカ西部のような乾燥地域においては、河畔域は生物多様性の中心地です。アメリカ西部の河畔域の面積は1%に過ぎないのですが、生物の80%は河畔域に生息しているのです。

ロバート・ペシュタは、ラマー川の河畔域を崩壊させたのはワピチだと考えました。冬場には2万頭ものワピチがノーザンレンジに集まり、河畔域のポプラの林にも押し寄せ、若木や新芽を食べ尽くしていたのです。オレゴン州立大学に帰ったペシュタは同僚に報告しました。それに呼応して、同僚のウィリアム・リップルはラマー川の河畔域を詳細調査しました。

リップルはラマー川の河畔域のポプラの樹齢を詳細に調べて、1920年代以降はポプラの木が再生していないことを突き止めました。リップルに触発されたペシュタは、同じことをラマー渓谷のヤナギで調べましたが、同様の結果が得られました。森林火災、気象変動、洪水、河川の流れの変化など、あらゆる可能性を検討した結果、2人が出した結論は「1920年代にオオカミがいなくなった結果、ポプラやヤナギは再生しなくなった」というものです。やはりワピチが若木や新芽を食べ尽くしてしまったのです。



やがてオオカミが導入されてから数年後の2001年ごろには、ラマー川の河畔域ではポプラやヤナギの若木が再生している姿が見られるようになりました。これは

  オオカミ → ワピチ → ポプラ・ヤナギ

という食物連鎖の証明になりました。

さらにはオオカミの復活にともなって別の変化も現れてきました。オオカミがいなかった70年間、イエローストーンで「のさばって」いたのはコヨーテでしたが、コヨーテはオオカミに追われて数が半減しました。その結果、一時絶滅しそうになっていたプロングホーン(レイヨウの一種)の数が復活してきたのです。イエローストーンのコヨーテは、出産直後のプロングホーンの母子を襲うという習性をもっていたからです。さらにオオカミの「食べ残し」も他の動物に恩恵をもたらしました。ワピチは300kgもありますが、1頭のオオカミが腹に収められる肉はせいぜい10kg程度です。1頭のワピチ全部を平らげるオオカミの群れというのは滅多にありません。オオカミの「食べ残し」にあずかったのは、コヨーテ、アカギツネ、アメリカクロクマ、ハイイログマ、ハクトウワシ、イヌワシ、ヒメコンドル、アメリカガラス、ハイイロホシガラス、カナダカケス、カササギなどでした。

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プロングホーン(Pronghorn)
北米だけに分布している。メキシコではスペイン語でベレンド(berrendo)と呼ばれる。時速100km近くのスピードで走り、陸上動物ではチータに続いて2番目に速い。しかしこれは短距離走でのことであり、長距離走ではチータを抜いてプロングホーンが1番である。「捕食者なき世界」には、「なぜプロングホーンはこれほど速いのか、それはチータから逃れるために進化したのだ」という説が紹介されている。13,000年前までは、アメリカにもチータがいたことが分かっている。
( site : Wikipedia )

しかし、2001年当時のイエローストーンのオオカミの数は100頭程度です。広大な国立公園においてわずか100頭のオオカミが、ポプラ・ヤナギの再生といった影響力を持ち得るのでしょうか?

ペシュタとリップルは、ワピチの詳細な行動調査をしました。すると「恐怖によるコントロール」とでも言うべき姿が浮かび上がってきました。つまり、

  ワピチは、もしオオカミに襲われたとしたら逃げにくいところには近寄らなくなっていた、ないしは、たとえ近寄ったとしても長くは留まらなくなっていた

のです。それは小さな谷、台地、川につきだした岬、川の中の島、川の合流地点などです。つまり、ワピチの行動範囲がオオカミによって狭められたことになります。これがポプラ・ヤナギが再生し始めた大きな理由でした。

これは人間のハンターが猟銃でワピチを「間引く」のとは本質的に違います。「間引き」は、間引いた時だけの問題であり、ワピチの生息数を減らすことしか出来ません。ところがオオカミは、生息数を減らすだけでなく、常にワピチに「オオカミに襲われるのではないかという恐怖」を与え、その行動範囲を狭めていたのです。

実は、これは生物界に広く見られる現象でした。「動物は、捕食者が潜んでいることを恐れて、食料が豊かな所を避ける」「捕食者を恐れて、夕闇が迫ってから狩りをする」「夜行性の動物は、夜行性の捕食者を恐れて月の明るい夜に行動するのを避ける」などです。

頂点捕食者は、「捕食」という行為そのものもあるが、「恐怖」によっても被食者をコントロールしている、という知見と証明が得られたのです。

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以上に紹介した何点かは『捕食者なき世界』があげている事例の一部にすぎません。あとは本を読んでもらうしかないのですが、補足として別の例を簡潔にあげておきます。


コヨーテが駆除された地域ではアライグマやキツネ、さらにはペットのネコまでが鳥の巣を荒らしたため、森から鳥の鳴き声が消えた(第7章)。



捕食者が守っているのは森だけではない。ピューマが消えた森ではシカが激増、ヤナギが枯れて川岸が崩壊し魚、虫、花も消え去った(第9章)。



ノースカロライナ沖ではこの30年間でオオメジロザメ、イタチザメ、メジロザメ、シュモクザメが乱獲され、今残っているのはかつての1パーセントから3パーセントに過ぎない。大型のサメが姿を消した結果、その獲物となっていたものたちが桁違いに数を増した。小型のサメやエイの仲間である。貝を好むウシバナトビエイは約4000万匹まで増え、その大群が東部沿岸の海底をさらうせいでハマグリやカキの水揚げが激減している。大型のサメが消えてエイがのさばるようになり、100年の伝統を誇るノースカロライナ州のホタテ漁は廃れた(エピローグ)。



陸上の大型肉食獣の未来を美意識ゆえに案じる人はいても、海中の大型肉食魚の顕著な減少を、美意識ゆえに気にしたり心配する人はほとんどいない。海は急速にウニやクラゲ、藻やバクテリア ── 食物連鎖の最底辺にいる微生物 ── に占領されつつある。海洋生物学者ジェレミー・ジャクソンはそれを、「スライム」の台頭と呼んでいる。現在、網をあげればクラゲばかりということが増えており、いずれ海はクラゲでどろどろになってしまう、と彼は心配している(エピローグ)。

引用注 : スライム ─slime─ は、どろどろ、ぬるぬるしたもの、という意味の英語。ドラゴンクエストなどのロールプレイングゲームに登場する怪物、スライムも同じ言葉である。)


大型捕食動物は、ヒトが絶滅させた


今まであげた例は、いずれもこの300年ほどの間に人間が大型動物を絶滅させた、ないしはダム建設などの結果として絶滅させた例です。しかし忘れてはならないのは、ヒトは太古の昔から大型動物を絶滅させ続けてきたことです。地球上の最強の捕食者はヒトです。

約2万年前、北米大陸には体重50kg以上の肉食動物が、少なくとも10種類いたことが分かっています。オオカミ(2種)、クマ(3種)、スミロドン(サーベルタイガー)、アメリカライオン、ジャガー、ピューマ、チータです。ところが約13,000年前に、彼らの半数は「突如として」姿を消しました。と同時にマンモスやナマケモノ、また有蹄動物の3/4も絶滅しました。

約13,000年前というと、北米大陸にヒトがやってきたころです。この頃、氷河期が終わって気温が上昇したので、環境変化が絶滅の原因だという説もありましたが、数10万年というオーダでみると、寒冷期と温暖期が繰り返されています。それを生き延びてきた大型動物の多くが約13,000年前に突然絶滅したのです。現代の学説によると、これはヒトの狩猟が原因です。絶滅は、ヒトがベーリング海峡を渡り北米大陸に来てからわずか300-400年の間の出来事だといいます。

同じことは南米大陸でも起こりました。南米では大型動物の80%が姿を消しました。

時代が下って、ニュージーランドとマダガスカルに人間が住み始めたのは5~9世紀です。ニュージーランドにはモア、マダガスカルにはエピオルニスという大型で肉付きのよい鳥が生息していましたが、ヒトが狩ったために絶滅してしまいました。

時代をさかのぼると、約5万年前のオーストラリア大陸では、大型有袋類や飛べない巨大鳥、体長5メートルのトカゲが姿を消したことが分かっています。これもヒトがオーストラリアに住み始めたころと一致しています。

アフリカ大陸やユーラシア大陸には、はるかに古くからヒトが住んでいたので、大型動物の絶滅とヒトによる狩猟の因果関係は明確ではありませんが、アフリカに誕生したヒトは約200-300万年前から狩猟を始め、肉食を始めたことが分かっています。アフリカにいたサーベルタイガーも、今はいません。



ヒトが大型動物を殺すのは「食料の確保」であり、牧畜が始まってからは家畜を襲う「害獣の駆除」であり、ヒトが大型動物にいだく「恐怖、嫌悪感」であり、またはラッコのように「毛皮」のために乱獲されたことがもありました。金儲けというか、贅沢目的と言うのでしょうか。「象の牙」とか「サイの角」もそのたぐいでしょう。

しかしヒトが大型動物を殺してきたのは、さらに理由があります。それは「娯楽」です。


大型捕食動物を根絶しようとする強い動機がも、少なくとももう一つあった。猛獣を殺すのは、最高に楽しい娯楽だったのだ。都市化が進み、平凡な仕事が多くなると、人々は刺激のない生活に退屈するようになった。ローマ人は巨大な円形闘技場コロセッウムを建設し、はるばるメソポタミアやアフリカから何千頭ものゾウやカバやライオンを連れてきて、大がかりな見せ物として殺すようになった。ローマのコロッセウムでは、1日にクマ100頭、ヒョウ400頭、ライオン500頭が虐殺されることもあった。ライオン500頭というのが、現在アジアに生息するライオンを一掃する以上の数であることを思うと、その数の多さが実感できる。

『捕食者なき世界』(第2章)

娯楽としての野生動物殺戮は、その後も「ハンティング」という形で続くことになるわけです。現代のヨーロッパの闘牛はその変形でしょう。

「食料」から「娯楽」まで、ヒトはさまざまな理由で大型捕食動物を絶滅させ、あるいは絶滅危惧種に追い込んできたのですが、ひとつだけはっきりしていることがあります。それは

  現在の自然生態系は、大型捕食動物がいなくなった結果としての自然生態系である

ということです。我々は世界中のあちこちで、実は「生態系のバランスが崩れた、荒廃した自然」を目にしていて、しかも、それが当たり前だと思い込んでいるかもしれないのです。


人間は大型捕食動物と共存できるか


人類は、捕食動物が生態系に重要な役割をもっていることを理解しはじめました。特にそれが「キーストーン種」だと、その絶滅は生態系の崩壊、生態系のメルトダウンにつながりかかねない。

しかし一方で、人間は太古の昔から捕食動物を絶滅させてきた長い歴史があります。はたして人間は大型捕食動物と共存できるのか。

『捕食者なき世界』の著者、ウィリアム・ソウルゼンバーグは、決して楽観的ではありませんが悲観的でもなく、希望はある、という書き方をしています。本書の最終章は「人は再び自然を愛せるか」といタイトルですが、そこに次のようなエピソードが紹介されています。それを最後に紹介します。


アイダホ最大の牧羊場のひとつラヴァ・レイク・ランド&ライブストックでは、地球上で最も無力で美味しそうな被食動物が8000頭以上も草を食んでいるが、実を言えば、周囲には危険が捕食動物が群れているのだ。そのヒツジたちの姿はなにかを語っているように見える。かつてのある晩、ラヴァ・レイクの経営者マイク・スティーブンスは、その牧羊場をオオカミの群れに襲撃され、25頭のヒツジを失った。

それに懲りて、今では持ち運び可能な太陽光発電の電気フェンスを利用し、さらにグレート・ピレニーズという大型の牧羊犬で守りを固めて、ヒツジが安心して眠れるようにしている。オオカミは州政府によって発信機つき首輪をつけられており、ラヴァ・レイクのスタッフは、その受信機を携帯し、オオカミの動きを追っている。

「現場の主任には、オオカミを撃ったものは誰であろうとクビにすると伝えている」とスティーブンスは言う。スタッフはオオカミがうろついているのを見つけたら、大きな音の出るショットガンクラッカーとゴム弾で追い払っている。オオカミたちは不快な思いはするが、ヒツジがやっかいな獲物であることを血を流すことなく学ぶ。

「思うにわたしたちはアメリカが誇る大自然の共同所有者であり、運営者なのだ」とスティーブンスは語る。ラヴァ・レイクが取り組んでいるのは、ラム肉と羊毛の生産と、地域一帯の自然保護であり、今のところ ─── オオカミ、コヨーテ、ヒツジ、羊飼い、そのいずれにとっても ─── うまくいっているようだ。

『捕食者なき世界』(エピローグ)


『捕食者なき世界』の感想


以降は『捕食者なき世界』の感想です。

本書を読んで改めて良く分かるのは、自然生態系は複雑な依存関係のネットワークでできていて、自然の保存とはこのネットワークの保存に他ならないことです。

ヒトは200-300万年前のアフリカで狩猟を始めてから近代まで、数々の野生生物を絶滅させ、ないしは絶滅危惧種に追いこんできました。それは「食料」「害獣駆除」「娯楽」「金儲け」などの目的でした。しかし20世紀後半になって、自然生態系は全体として一体のものであり、「一部の不在」が「全体の危機」につながるという認識をもつようになった(少なくとも生態学者は)。特に頂点捕食者の絶滅は生態系全体を崩壊させかねないことも分かってきた。この生態学の成果は「人類の未来に残す財産」とも言うべき知見だと思います。

本書を読むと、生態系における「外来種」の問題点もよく理解できます。日本の特定の湖では外来種のブラックバスやブルーギルが生息していますが、誰かがフィッシングのために持ち込んだとされています。こういう行為は、とんでもない暴挙と言えるでしょう。ブラックバスやブルーギルという強力な捕食者が、もしその湖の「キーストーン種」を駆逐したとしたら、湖の生態系が根本から崩れかねない。

外来種に関しては本書(文庫版)の解説にも、高槻成紀氏(麻布大学教授・保全生態学)が次のように書いていました。


奄美大島で1979年に、ハブとネズミを退治するために外来種のマングースが導入した例がある。これは成功しなかったばかりか、繁殖力の強いマングースは、天敵のいない環境でまたたく間に繁殖して農業被害を出すようになったうえ、ヤンバルクイナやアマミノクロウサギなどを捕食するようになり、希少な固有種が絶滅の危機に瀕するという皮肉な結果となった


奄美大島のヤンバルクイナやアマミノクロウサギは、奄美大島の、と言うより日本の、いや世界の財産のはずです。人間の「浅知恵」とは、まさにこのことを言うのでしょう。



マクロ的に言うと、生態系のネットワークの理解は始まったばかりだと思います。たとえば、日本では山地におけるシカの急増による「食害」が問題になっていて、農業被害を越えて、自然植生に深刻な影響が出ています。高山植物が食い荒らされたところもある。

サントリーの「南アルプスの天然水」というミネラル・ウォーターがあります。これはサントリーの白州工場(山梨県北杜市。No.43「サントリー白州蒸留所」で紹介した白州蒸留所と同一敷地)で作られています。あるテレビ番組(TBSの「がっちりマンデー」2014年7月27日)の取材の中に出てきました。白州工場には、一帯の森林の保全担当者がいます。それは当然でしょう。地下水や湧き水は森林の保水力によって成り立っているからです。ところがTVカメラで映されたある沢では、木が枯れて無くなり、土砂が流出しようとしていました。シカの若木を食べたためとのことです。「シカの急増」→「植生の破壊」→「土砂の流出」→「森林の保水力の低下」→「地下水・伏流水の枯渇」といった「最悪の姿」を、ふと想像してしまいました。

もちろん白州工場のバックに広がる南アルプスの山々や森林は広大なので、すぐにはそんなことにはならないはずです。またサントリーは、自社のミネラル・ウォーター・ビジネスの生命線である白州工場一帯の森林を徹底的に保全しようとするでしょう。つまり、この例自体は些細なことだと考えられます。しかし、日本全国で類似のことがたくさん起こっているはずです

では、なぜシカが急増したのでしょうか。シカの急増はこの20年ほどのことです。シカの生態を研究している高槻成紀氏(前述)は本書の解説で「シカの急増の真の理由は分かっていない」という主旨のことを書いています。シカを捕食する動物の代表は、イエローストーン国立公園の例にもあるオオカミですが、ニホンオオカミが絶滅したのは1905年とされています。以降、ニホンオオカミの「目撃談」が日本各地でありますが、たとえまだ生息していたとしても、「ニホンオオカミが自然環境に影響を与える存在では無くなってから既に100年以上が経過した」ことは確実です。ニホンオオカミの絶滅がシカの急増の(直接の)原因ではないのです。

食物網はネットワークなので、複数の要因が重なったことが考えられます。もちろん、その背景として「頂点補食者がいなくなっていた」ということが誘因となった可能性はありうる。また、食物連鎖以外の要因(気候条件、病気の蔓延など)もありうるでしょう。しかし明確なことは専門の研究者にとってもまだ「分からない」のです。

我々は「自然生態系のありようを、まだほとんど知らない」ということを前提に、人間と自然の関わり方を判断していくべきだと思います。


「不在」というキーワード


No.119-120「不在という伝染病」で紹介した『寄生虫なき病』という本では、人体の内と外に存在する微生物の(ある種の)不在が生体系のバランスを壊し、免疫関連疾患の原因になる(一部、仮説)という話でした。

一方、No.126-127で紹介した『捕食者なき世界』で展開されていたのは、自然生態系においては一つの種の不在が生態系全体のバランスを破壊し、荒廃をもたらしうるという話でした。

この二つの話は驚くほどよく似ています。両方とも生命に関する知見なので、似ているのはあたりまえなのかもしれません。二つの本の題名に共通する日本語は "なき" です。つまり両方とも「不在」をテーマにしている。

我々は異質なものの「存在」がシステム(生命、自然)をおびやかすことを知っています。また、異質な存在と共存できれば、システムが一つ高いレベルへと進化することも知っている。しかし、それと同時に問題にすべきは「不在」です。一見したところ生命体や自然生態系の維持にそれほど必須でないと思える「ピース」の消滅が、システムを崩壊に導くことがある。このことを『捕食者なき世界』で改めて認識しました。



 補記:サメが減れば貝も減る 

本文中で、アメリカ東海岸ノースカロライナ沖でサメを乱獲したためハマグリやカキの水揚げが激減し、100年の伝統を誇るホタテ漁が廃れたことを書きました。このことについて日経サイエンスの2013年5月号に詳しい分析が載っていましたので、以下に引用します。


米国東海岸の沖合ではカキやホタテガイが乱獲されたわけではないのに壊滅状態になった。サメを大量に捕獲したのが原因だ。サメの減少によって、その餌だった小型の魚が生き延びられるようになり、その1つとしてウシバナトビエイが爆発的に増えた。ウシバナトビエイは海底に生息する貝類を食べるので、結果的にカキやホテテガイの激減を招いたのだった。

カール・ジンマー
(サイエンスライター)
「ナイーブな食物網」
日経サイエンス 2013年5月号

著者は「ひとたび食物網が変化すると、その状態が長く続く場合が多く、元に戻すのは至難の技」と書いています。食物網の "ナイーブさ" は、次の図を見ても直観できます。サメが減ったら貝も減るのです。

以下の図で、青は上位捕食者の大型サメ類、緑はエイなどの中間捕食者、黄色は被食者のうちで特に商品価値があるものを示します。各種目に描かれている同じ大きさの円は35年前の個体数を示し、青・緑・黄の色のついた円は35年前と比較した個体数を表します。線の太さは捕食関係の強い・中度・弱いを示しています。

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サメが減れば貝も減る

「食物網はボトムアップで構造化されていると長く考えられたきたが、実は最上位の捕食者が食物連鎖を直接・間接にコントロールしている場合が多いことがわかってきた。カナダのビクトリア大学のバウム(Julia Baum)らによると、米国東海岸における大型のサメ(青色)の乱獲によって、ウシバナトビエイに代表される中位の捕食者(緑色)が増えている。一方、エイの増加によって、ホタテガイなどの一部の貝類(黄色)が激減している。」(日経サイエンス 2013年5月号より、図と説明を引用)




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No.126 - 捕食者なき世界(1) [科学]

No.119-120「不在という伝染病」で、アメリカのサイエンス・ライター、モイゼス・ベラスケス=マノフ氏の著書『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)を紹介しました。この本で取り上げられている数々の研究を一言で言うと、

  ヒトと共生してきた体内微生物の「不在」が、アレルギーや自己免疫疾患を発病する要因になっている。その「不在」は、人間の「衛生的な」生活で引き起こされた。

ということになるでしょう。いわゆる「衛生仮説」です。著者は、人間と共生微生物が作っている人体生態系を「超個体」とよび、20世紀になって超個体の崩壊が進んできたことを強調していました。

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表紙の写真は、絶滅した大型肉食獣、サーベルタイガーの頭部化石である。

その時にも書いたのですが、生態系の崩壊という意味では「自然生態系」の崩壊が近代になって急速に進んできたわけです。むしろその方が早くから注目され、警鐘が鳴らされてきました。今回はその「自然生態系」の話です。

人為的な自然生態系の破壊(主として農薬などの化学物質による破壊)に警鐘を鳴らした本としては、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)が大変に有名ですが、もう一つ、最近出版された重要な本があります。ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)です。今回はこの本の要点を紹介したいと思います。生物界には複雑な依存関係があり、それを理解することが生態系の保全にとって必須である・・・・・・。このことが如実に分かる本です。

なお、以降の引用で、下線・太字は原文にはありません。


エルトンのピラミッド


話の発端は「エルトンのピラミッド」です。これは教科書にも載っていたと思うので、多くの人が目にしたはずです。エルトンという人の名は知らなくても「食物連鎖」とか「食物連鎖のピラミッド」と言えばピンとくる人が多いのではないでしょうか。

英国のチャールズ・エルトン(1900-1991)はオックスフォード大学で動物学を学んでいたころ、生態観察のためにノルウェーと北極の中間付近にあるスピッツベルゲン諸島を訪れました。スピッツベルゲンは極めて寒冷で厳しい気候です。動物も鳥も植物も種類は多くはない。その動植物の少ない環境が、逆に自然観察にはうってつけの場所となりました。

彼がスピッツベルゲンで見たものは、絶壁に巣を作っているおびただしい数の海鳥(ウミガラス等)であり、その海鳥が海のオキアミや小魚を食べ、鳥の糞(=グアノ)が陸地に降り注ぎ、それが養分となって植物が生育するという姿でした。また陸上ではホッキョクギツネがいて、ライチョウなどを狩って生きていました。


こうして草花の肥料が海から絶え間なく運ばれるのを見るうちに、エルトンは、生命の連鎖はそれまで考えられていたような動物社会に限られたものではなく、はるかに広い範囲に及んでいることに気づいた。それはまず海の食物連鎖という土台からスタートする ─── 珪藻という植物性プランクトンの大集団が別のプランクトンの大群に食べられ、それらが小魚やオキアミに食べられ、その小魚やオキアミが海鳥のくちばしに捕らえられて陸へと運ばれる。そして陸では、肥料となってツンドラに花を咲かせ、昆虫やクモの腹を満たし、ホオジロのくちばしを経て、キツネの口へと入っていく。それは単純な食物連鎖ではなく、入り組んだ網になっており、最終的には陸地の様相さえも変える。海という牧場が、陸上の庭園を豊かにしているのだ。そして動物たちはその大仕事の大半を担っている。

スピッツベルゲンではどちらを向いても、そのような連鎖のあかしであるホッキョクギツネの姿が見えた。

ウィリアム・ソウルゼンバーグ
『捕食者なき世界』(第1章)
(野中香方子・訳。文春文庫)

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ホッキョクギツネ
冬毛のホッキョクギツネ。ホッキョクグマと並んで、北極圏に住む代表的な肉食哺乳類である。
(site : free-images.gatag.net/tag/arctic-fox)

エルトンは、延べ3年にわたるスピッツベルゲン諸島での自然観察の結果を踏まえ、1927年に「動物の生態学」という本を書きました。そこで彼が明らかにしたのが「食物網」です(食物連鎖、とい言い方もよくされる)。つまり自然界における捕食者/被食者、食べる/食べられる、上位者/下位者という関係性で作られるネットワークです。エルトンはそのネットワークに個体数を書き込んでいきました。そうすると下位から上位に進むにつれて個体数が次第に少なくなる「ピラミッド」になることに気づきました。


エルトンのピラミッドは、生物群集が上位に進むにしたがって狭くなることを表している。最下層には植物や光合成をするプランクトン ─── 太陽のエネルギーを取り入れる、食料の一次生産者 ─── が、多数からなる広い土台をなしている。その上になそれぞれすぐ下の層を食べる草食動物の層が少しずつ狭くなりながら重なり、その上には草食動物を食べる肉食動物、さらに上にはそれを食べる肉食動物、とますます狭くなり、頂点に堂々と君臨するのは、最も大きく、最も数の少ない頂点捕食者である。それは下位のすべてを食べることができ、逆にそれを襲って食べようという動物はいない。最上位の肉食獣となるのは、セレンゲティの肥沃な平原ではアフリカライオンで、スピッツベルゲンの不毛なツンドラでは恐れ知らずの小さなキツネだ。「北極における陸上生態系のピラミッドの頂点」はホッキョクギツネなのだ。エルトンの幾何学的な生物の見方は、じきに生態学の教義のひとつとなり、今日では「エルトンのピラミッド」と呼ばれている。

『捕食者なき世界』(第1章)

下にエルトンが作成したスピッツベルゲンの食物網を引用します。ホッキョクギツネが頂点捕食者であることを表しています。

Elton - Arctic Fox.jpg
エルトンがスピッツベルベンで観察した食物連鎖。ホッキョクギツネ(Arctic Fox)に矢印が集まっていることが分かる。
(「捕食者なき世界」より。原文に色はありません。)

エルトンがスピッツベルゲンで見い出したことをまとめると、

自然生態系の捕食者/被食者の関係は、複雑なネットワークを構成している(=食物網)。

そのネットワークを個体数の観点で見ると、「頂点捕食者」を最上位とする「個体数のピラミッド」になる。

と要約できます。エルトンのピラミッドの詳しい説明は本書には無いのですが、そのキーポイントを理解するために、極めて単純化し模式的に書くと次のようになるでしょう。

エルトンのピラミッド.jpg
エルトンの「個体数ピラミッド」を単純化して描いた。個体数という視点で見るとこのようなピラミッドになるが、実際の食物網はスピッツベルゲンの例にみられるようなネットワークになる。

この図はいくら何でも単純化し過ぎと思えるのですが、この「単純な個体数ピラミッド」を見ただけでも、重要なことが何点か理解できます。まず、すぐに理解できることは

下位生物層が絶滅したとしたら、上位生物層も絶滅する

ということです。草食動物が絶滅すると肉食動物も絶滅します。肉食動物は草では生きられないのです。そんなこと当たり前だろう、今さら何を、と思えるかもしれませんが、その当たり前のことが理解できなかった例が、ごく最近の日本でもありました

たとえば、小川や田圃の小魚や水性小動物を餌にしている鳥がいたとして、その小魚や小動物を農薬で絶滅させたとしたら、鳥も絶滅します。ニッポニア・ニッポンという学名の鳥(=朱鷺)は、戦後もわずかに生息していたのですが、それが絶滅した原因の一つが餌の枯渇だと言われています。もちろん朱鷺は、乱獲されたり害鳥として駆除されてきた歴史があり、それが絶滅の最大の理由です。

「絶滅」という言葉を使わずに、反対の表現で言うと、エルトンのピラミッドが表していることは、

上位生物層は、下位生物層の存在に依存している

となります。個体数ピラミッドから理解できる2つ目の点は、

自然生態系の保全は、生態系全体を保全しなければならない

ということです。特定の生物だけを自然状態で保全する、というような器用なことはできませんNo.119-120「不在という伝染病」で紹介した『寄生虫なき病』(モイゼス・ベラスケス=マノフ)には、

  トラを絶滅から守るためには、トラが暮らすジャングルとそこで生きているものすべて ── 土壌細菌からアリや木々に至るまで ── を保全しなければならない

とありましたが、まさにそういうことです。個体数ピラミッドから理解できる3番目は、

頂点捕食者が生存していくためには、かなりのスペースが必要

ということです。「スペース」というのは曖昧な言い方ですが、要するに「頂点捕食者の下位の生物群すべてが生存していけるだけの土地と自然環境」です。日本でも猛禽類(イヌワシ、クマタカ、など)の保護の為に森を保全することが論議されます。種の保存のためには最低でも数十の個体が必要なわけですが、たとえば数十羽のイヌワシが生存してくのに必要な森林面積は、思いのほかに広い。正確な数字は忘れましたが、数100ヘクタールのオーダの広さだったと思います。猛禽類の保護のために森を保全するにしても、自然環境を細切れにして保全したのでは頂点捕食者を絶滅に追い込むわけです。



本書に戻ります。エルトンのピラミッドは、たちまち生態学の教義となりました。しかし、実は1960年になって、この「個体数ピラミッド」についての全く新しい解釈が出てきました。


「緑の世界」仮説


エルトンのピラミッドを単純に眺めると「被食者の数が捕食者の数を決める」「捕食者は被食者の存在に依存して生きている」という像しか浮かびません。しかし、果たしてそれだけなのか。

1960年、ミシガン大学の3人の科学者、
 ・ネルソン・ヘアストン
 ・フレデリック・スミス
 ・ローレンス・スロポトキン
は「群集構造、個体群制御および競争」という論文を「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表しました。そこにおいて彼らは、エルトンのピラミッドから導かれる論理的考察を展開しました。

  この世界の陸地が緑なのは ── つまり、大部分が食物に覆われているのは ──、草食動物がすべての植物を食べ尽くすことがないからだ。そして草食動物がこの世界を土だけの世界に変えてしまわないようにしているのは捕食者だ。
『捕食者なき世界』(第1章)

という考察です。これが「緑の世界」仮説と呼ばれるものです。論文著者の3人は、姓の頭文字をとってHSSと呼ばれるようになりました。

この仮説はそれまでの解釈とは違います。つまり上位層は下位層に依存しているという概念を転換して、生態系全体の維持における上位層の役割を非常に「重く」し、上位層が下位層をコントロールしていると考えたわけです。

この仮説に従うと、たとえば「肉食動物のオオカミやピューマ = 頂点補食者」「草食動物の鹿」「木や草」という生態系があったとき、人間が人為的にオオカミやピューマを絶滅させると、鹿の数が爆発的に増え、そのことで木の若枝が食べ尽くされ、「緑の世界」ではなくなる。そうすると今度は鹿の数が激減する、ということになります。つまり頂点補食者の絶滅が生態全体の崩壊を招くことになる。

上位者が下位者の個体数をコントロールしていて、そのことで生態系全体の安定が保たれている・・・・・・・・。この仮説は大きな論議を呼び、賞賛もされ、また反対する人もありました。しかしHSSも認めたように、根本的に欠けているものがありました。それは「証拠」です。


ヒトデの実験


そこで「緑の世界」仮説を実験で確かめようと発想した学者いました。ミシガン大学のロバート・ペインです。彼はHSSの最初の「S」であるフレデリック・スミスの教室の博士課程の学生でした。

ロバート・ペインが実験に選んだのは海岸の磯・岩場・潮だまりの生態系です。そこではヒトデが頂点捕食者です。ヒトデは2枚貝を捕食します。2枚貝を包み込んで抱きかかえたヒトデは、2枚の貝をこじあけようとし、休むことなくじわじわと力をかけていきます。そして隙間が開いたとき胃液を注入し、さらに貝を開かせます。次にヒトデは自分の胃袋を貝の中に入れ、それで貝を食べる。ヒトデは2枚貝だけでなく、岩場にいる殻をもつ生物すべてを捕食します。ヒトデを捕食する生物はありません。

アメリカのワシントン州、シアトルに近いオリンピック半島にマッカウ湾があります。ペインはマッカウ湾の岬の突端を調査区に選びました。ここは岩だらけの場所に波が寄せています。赤や茶色の海草が茂り、各種の藻が生育する中で、イソギンチャク、ムラサキウニ、ホヤ、海綿、ウミウシ、各種の貝(イガイ、フジツボ、エボシガイ、カサガイなど)などの生物が生息し、そして頂点捕食者のヒトデがいます。

ペインは毎月の干潮時を狙って調査区に出向き、ヒトデの数を記録し、そのヒトデを岩場から引き剥がし、遠くの海中の放り投げるという作業を繰り返しました。投げられたヒトデの中にはまたもとの岩場に戻ってくるものもあります。ペインは根気よくこの作業を続けました。

ヒトデを投げ続けるうちに、生態系は次第に変化していきました。ヒトデがいなくなった調査区では紆余曲折のあと、最終的にイガイ(カリフォルニア・イガイ)が大繁殖したのです。そして岩場を埋め尽くしたイガイに押されて、他の生物はどんどん減っていきました。調査を始めた時には15種いた生物のうち、7種がいなくなってしまったのです。ペインはこの過程を詳細に記録しました。

California Mussels.jpg
カリフォルニア・イガイ
(California Mussel)
イガイ(貽貝)は日本にも生息している。ヨーロッパのムール貝もイガイの仲間である。なお画像の右の方の白っぽいのはエボシガイ。
(site : oregontidepools.org)

Pisaster_Predate_Mussels.jpg
イガイを捕食するヒトデ
(site : www.wallawalla.edu)

ロバート・ペインが1966年の「アメリカン・ナチュラリスト」誌に発表した論文の結論は以下です。


その地域の種の多様性は、環境の主な要素がひとつの種に独占されるのを、捕食者がうまく防いでいるかどうかで決まる。

『捕食者なき世界』(第1章)

ロバート・ペインはさらに2番目の論文で「キーストーン種」という概念を提示しました。キーストーンとは日本語で言うと要石かなめいしで、石のアーチを造る時に最後に打ち込む楔形の石です。つまり「キーストーン種」とは「数は少ないが、生態系の安定にとっては非常に重要な役割の種」を言います。必ずしも頂点捕食者である必要はありません。頂点捕食者を拡大した概念だと言えるでしょう。

このキーストーン種という概念は、生態学にあらたな研究領域をもたらしたと同時に、ある種の不安を引き起こしました。


ペインとヒトデは、新しい研究テーマも大量にもたらした。どの捕食者が重要で、どれがそうでないか? 深海にもキーストーン種はいるのか? 陸上ではどうなのか? ヒトデのような影響力を持つ捕食者は、どこにでもいるものなのだろうか?

この一連の疑問を追っていくと、さらに気がかりな疑問が浮上してくる。テレビの『野生の王国』を見て育ち、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の不吉な展望を知っている ── 大量絶滅の恐怖や保全の目的に敏感な ── 新しい世代の生態学者は、ペインが出した結果を、より不安げな面持ちで読んだ。彼らの脳裏にはオオカミやシャチ、ネコ科の大型獣やホホジロザメといった捕食者の姿が浮かんだ。ヒトデは、ある種の捕食者はただ存在するだけで生物の多様性を強化できることを証明した。しかし同時に、いったんそれがいなくなると、その善なる手の代わりに見えない拳が振り下ろされ、いくつもの種が消え、かつては生命にあふれていた景色が単調なむきだしの状態になってしまうことも証明した。新世代の生態学者たちには、捕食者のいない岩場を覆いつくすイガイの姿が、壁にでかでかと記された落書きのように見えた。そこにはこう書かれていた。「ところで、大きくて恐ろしい頂点捕食者は今どうしてる?」

『捕食者なき世界』(第1章)

この「新世代の生態学者たちの不安」は的中することになります。そのいくつかの例を『捕食者なき世界』から紹介します。


ラッコが「海の熱帯雨林」を守る


世界各地の水族館の人気者になっているラッコは、北太平洋の沿岸に生息している哺乳類です。ラッコはイタチ科と呼ばれるイタチやアナグマ、ラーテル(No.105「鳥と人間の共生」)などが属する肉食動物のグループで、その中では体が最も大きく、かつ、最も海に適応しています。海にもぐってウニや貝や魚をとり、海面に仰向けに浮かんで、胸の上に獲物を載せて食べます。貝を割る時には石を鉄床かなとこのように使って叩き割ることは、良く知られている行動です。

Sea Otter Urchin Buffet.jpg
( site : www.vanaqua.org )
- バンクーバー水族館 -

ラッコはかつて、毛皮目当てに乱獲されました。ラッコには皮下脂肪がほとんどないのですが、ベーリング海の凍える環境でも生きていけます。その理由は、皮膚に1平方センチあたり10万本もの毛が生えていて、そこに含まれる空気が断熱効果を持つからです。ラッコの毛皮は最高級品です。これがラッコに不幸をもたらしました。

18世紀半ばから19世紀末までの150年間で、北太平洋のカリフォルニアからアリューシャン列島に至るまで、生息していたラッコは、ほとんどが捕り尽くされてしまいました。ようやく1911年になって「ラッコ・オットセイ保護条約」が締結され、ラッコの保護が始まりました。その後、わずかに残ったラッコ(10数個の小さな群れ)が再び繁殖をはじめ、1960年代になると場所によっては大群にまでなりました。



ワシントン州立大学の大学院修士課程を出たばかりのジェームズ・エステスは、1970年からラッコが海洋生態系に与える影響を調べ始めました。アリューシャン列島のアムチトカ島は、当時はラッコが復活し、たくさん生息していた島です。その周辺の海中には海藻(ケルプ)が生い茂っていました。ケルプは多くの海洋生物の「命の源」にもなっています。


ケルプとは、コンブやワカメ、ヒジキなどの褐藻かっそう類の総称で、寒流の海岸の岩の多い浅瀬に広く分布する。浜に打ち上げられているのをよく見かけるが、ラザニアを思わせる細長くてぐにゃぐにゃした半透明の茶色い海藻で、カニやカモメがつついている。ところが、生きたコロニーとして海底にくっついているときには、まるで違う生物になる。みずみずしく茂る海の森になるのだ。ケルプの森の巨木、ジャイアントケルプ(Macrocystis pyrifera)は、1日で60センチ前後も成長し、全長が60メートル近くになることもある。ケルプの森には、ホヤからアシカまで、さまざまな生物が集まってくる。光合成をする葉肉は泳ぐ草食動物の牧草となり、死んだ葉は沈んで堆積し、海底をさらう生き物の食料になる。そしてその存在自体 ── 根や幹、天蓋のような葉 ── が、ほかにつかむところのない海で生き物たちの足場となっている。その類まれな生産力と高々と生長する様子から、何人もの生態学者が、ケルプの群生を熱帯雨林に喩えている。

『捕食者なき世界』(第3章)

Kelp Forest-1.jpg
( site : oceanservice.noaa.gov )
- アメリカ海洋大気圏局 -

Kelp Forest-2.jpg
( site : msi.ucsb.edu )
- カリフォルニア大学サンタバーバラ校 -

ジェームズ・エステスの研究手法は、「ラッコがいない、という点を除いてはアムチトカ島と生態条件が全く同じ島」を選び、その島の生態系をアムチトカ島と比較することでした。エステスはアムチトカ島から320km西にあるシェミア島を選びます。シェミア島ではラッコが皆殺しにされたあと、別の島から移住してきた少数の群れがいるだけで、ラッコが多数生息しているアムチトカ島とは好対照です。1971年、エステスと仲間は調査を開始しました。


まずエステスの目に飛び込んできたのは、ウニだった。ウニの殻が岸に散らばっていた。それもアムチトカでは見たこともない大きなウニだ。ここには怪物がいた。直径が10センチから12センチもある巨大なウニが、高潮線にずらずら並んで緑のラインを描いていた。なにかが根本的に違っている。その夜、エステスは仲間に向かってこういった。「ぼくたちはここですごいものを見ることになりそうだ」

翌日彼らはボートで礁に向かった。エステスはウェットスーツを着て海に潜った。そのとき目にした光景は永く彼の心に刻まれた。「海底はどこかしこも、緑の絨毯を敷いたように、ウニで埋め尽くされていた。ケルプはなかった。ウニが急に増えたせいだ。瞬時に、ケルプの森のシステムにおいてラッコがどんな役割を担っているのかがわかった。そしてそれがいかに大切かということも」

シェミアにはとことん刈り取られた海の景色が広がっていた。アムチトカのケルプのジャングルとは正反対だった。唯一の明確な違いはラッコがいるかいないかだ。北太平洋沿岸の最も豊かな生態系は、ラッコがいなければ丸裸になってしまう。もしエステスが見たものが全体にあてはまるなら、海の食物連鎖のピラミッドは、最終的に上から支配されていることになる。かわいらしい、ウニを食べる肉食動物によって。

『捕食者なき世界』(第3章)

その後のエステスたちの詳細な調査で明らかになったことは、アリューシャン列島ではどこも同じパターンだということです。ラッコがいるところではケルプが茂り、豊かな生態系がある。一方、ラッコがいないところはウニが大量に生息していて、ケルプはなく、生態系は極めて貧弱である・・・・・・。

Sea Urchins and Kelp Forest.jpg
( site : ocean.nationalgeographic.com )
- ナショナルジオグラフィック誌 -

ラッコはウニを食べます。ウニはラッコの最大の好物です。これは以前から知られていました。またウニは海藻(ケルプ)を食べます。このことも以前から良く知られていた。しかし

  ラッコ → ウニ → 海藻(ケルプ)

という食物連鎖を明確に提示したのはエステスが初めてでした。要するにラッコは「キーストーン種」だったのです。それがいなくなると(アリューシャン列島では)生態系が崩壊に向かいます。これは食物連鎖上での上位者が下位者をコントロールしているという「緑の世界」仮説の、自然生態系での実証例となりました。ちなみに、ラッコは頂点捕食者ではありません。アリューシャン列島の海岸域における頂点捕食者は、オットセイやラッコを襲うシャチです。

続く


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No.122 - 自己と非自己の科学:自然免疫 [科学]

今まで4回にわたって、ヒトの「免疫」に関する話題を取り上げました。

No.69-70 自己と非自己の科学
No.119-120 「不在」という伝染病 (免疫関連疾患の話)

です。これらの記事の意図は、免疫についての科学的知見が、我々の生活態度や社会での行動様式に何らかの示唆を与えるに違いないというものでした。

今回もその継続で、「自然免疫」についてです。今までは「獲得免疫」しか書いてないので、それだけではヒトの免疫システムの全貌を知ることはできません。以下、「新・現代免疫物語:抗体医薬と自然免疫の驚異」(岸本 忠三・中島 彰 著。講談社ブルーバックス 2009)と、「新しい自然免疫学」(審良 静男 監修・坂野上 淳 著。技術評論社 2010)の2冊をもとに、ヒトの自然免疫のしくみをまとめてみます。

抗体医薬と自然免疫の驚異.jpg 新しい自然免疫学.jpg
「新・現代免疫物語」
岸本 忠三・中島 彰 著
講談社ブルーバックス 2009
「新しい自然免疫学」
審良 静男 監修・坂野上 淳 著
技術評論社 2010


自然免疫とは


我々がインフルエンザにかかったとき、39度を越えるような高熱になり、筋肉が痛み、関節が疼くという症状覚えます。この時点で体の中で起こっているの「自然免疫」による防御反応で、インフルエンザ・ウイルスという「非自己」を排除しようとします。獲得免疫が働き始めるのは感染後4~5日後からで、感染した特定種のインフルエンザを狙い撃ちする抗体やリンパ球が大量に増殖し、ウイルスを次々と無力化していきます。この結果、7~8日たって「だいぶよくなった」と感じるわけです。獲得免疫は「記憶」が成立するので、全く同種・同型のウイルスに2度目に感染したときには、速やかに大量の抗体が生産されて治癒します。

自然免疫は病原体に対するヒトの第1段階の防御反応であり、獲得免疫とは違って、時間をおかずに即座に反応するのが特徴です。もちろん自然免疫反応だけで治癒することもあります。この自然免疫の主役は「食細胞」であり、また同時起こる生体防御のための「炎症反応」です。

 食細胞 

自然免疫の主役は、マクロファージ、樹状細胞、好中球などの「食細胞」と呼ばれる細胞群です。これらは主に体内の血液中に存在し、病原体に遭遇すると、それを細胞の中に取り込み、分解して「食べて」しまいます。

 炎症反応 

食細胞による異物の排除と同時に起こるのが「炎症反応」です。マクロファージ、樹状細胞が病原体を認識すると、各種の情報伝達分子(サイトカイン)が放出されます。その働きにより、患部周辺の血管が拡張し、血流がゆるやかになり、血管の透過性が増します。つまり食細胞が患部に留まりやすくなり、かつ血管から患部に滲みだしやすくなる。さらにサイトカインは食細胞を呼び寄せ、好中球を活性化し、好中球を血管に付着しやすくもします。同時に、ウイルスの活動を抑制するインターフェロンも放出されます。またウイルス感染細胞を殺すナチュラル・キラー細胞(NK細胞)と呼ばれるリンパ球も活性化されます。

患部に集まったマクロファージ、樹状細胞は病原菌を「食べる」と同時にサイトカインを出すので、これらの反応が連鎖的に拡大して次々と起こる。そういった「戦争状態」が自然免疫の現場です。炎症反応は往々にして発熱やむくみを伴います。



そこで問題は、マクロファージ、樹状細胞はどのようにして病原体を認識するのかという点です。生体内部には自己の細胞や自己由来の各種分子が溢れています。その中からから、どうやって病原体を検知するのでしょうか。

その目的のためにあるのが、TLR(Toll-Like Recepteor)です。TLRは獲得免疫とは全く別種の「非自己の認識方法」をもっています。以下、ヒトのTLRの話です。

  TLRの「Toll」とは、もともとショウジョウバエの細胞表面にあるタンパク質分子でした。フランスのジュール・ホフマンは、Tollがカビの菌を認識し、それがトリガーとなって抗菌ペプチド(カビの繁殖を抑制するアミノ酸の連鎖分子)が作られることを発見しました(1996)。そして、このTollとよく似た分子が人間にもあることが分かったのです。これが「Toll-Like」の由来です。


TLR (Toll-Like Receptor:Toll様受容体)


TLRは、主にマクロファージと樹状細胞が持つタンパク質分子で、これが病原体のセンサー = 受容体(Receptor)として働きます。TLRが病原体を感知すると、シグナルが細胞内に伝達され、最終的には各種のサイトカイン(情報伝達物質)やウイルスを抑制するインターフェロンが放出され、炎症反応が起こり、他のマクロファージや樹状細胞が呼び寄せられ、自然免疫が働きます。

TLRの存在する場所は、マクロファージや樹状細胞の細胞表面と、細胞内にあるエンドソームの表面です。エンドソームは袋状の小器官(小胞の一種)で、細胞あたり約100個あります。エンドソームは細胞外の物質の取り込みと、細胞内での輸送、循環に関わっています。

TLRは、ヒトではTLR1~TLR10の10種類があり、それぞれ病原体センサーとしての働きが違っています。その形状は、細胞外に出ている「LRR領域」と細胞内の「TIR領域」に分かれます。LRR(Leucine Rich Repeat)は、ロイシン(アミノ酸の一種)が多数含まれる部分で、馬蹄形をしており、この領域が病原体のセンサーとして働きます。LRRで認識された病原体の情報はTIRに伝えられ、そこから細胞内の情報伝達物資に伝えられ、自然免疫が起動します。TIRは、免疫システムにおける情報伝達分子「インターロイキン1」の受容体(IL-1 Receptor)の相当部分と極めてよく似ているので、TIR = Toll IL-1 Receptorの名があります。

TLRのうち、TLR1/2/4/5/6 は細胞表面にあり、TLR3/7/8/9/10 はエンドソームにあって、それぞれの役割を担っています。TLRは2つのユニットが合体した「二量体」となって機能を発揮します。二量体には、同種TLRの「ホモ二量体」と、異種TLRの「ヘテロ二量体」があります。

TLRによって認識される特定分子(主に病原体由来)を「リガンド」と言いますが、各TLRがどういうリガンドを認識するかが以下です。

TLR.jpg

 TLR2 

細胞表面にホモ二量体として存在するTLR2は、グラム陽性菌のペプチドグリカンを認識します。

細菌は、その細胞膜の作られ方によって3種に分類することができます。

グラム陽性菌 細胞膜の外側に、ペプチドグリカンでできた厚い「細胞壁」をもつ細菌です。「グラム染色」という手法で染まる(=陽性)ため、この名があります。ペプチドグリカンは、多糖類にペプチド鎖(アミノ酸の連鎖分子)が結合したものです。

グラム陰性菌 ペプチドグリカンの細胞壁は薄く、その外側に「リポ多糖(LPS:Lipo Poly Saccharide)」の防御層を持っています。この種の細菌はグラム染色で染まりません。LPSは多糖類と脂質からできています。

マイコプラズマ 細胞壁がなく、細胞膜がむき出しになっています。従って細菌は不定形であり、通常の細菌が通らないような細かいフィルターもすり抜けます。往々にして肺炎を引き起こします。

の3種です。TLR2はこのうち「グラム陽性菌の細胞壁成分 = ペプチドグリカン」を認識します。

 TLR4 

TLR2と同じく細胞膜の表面にあって、グラム陰性菌のLPS(リポ多糖)を認識するのがTLR4です。

TLR4がLPSを認識することを世界で初めて発表したのは、アメリカのカリフォルニア州・スクリプス研究所のブルース・ボイトラー教授でした(1998)。これがヒトにおける自然免疫機構の最初の発見になりました。ボイトラー教授はこの功績により、2011年のノーベル生理学・医学賞を受けています。大阪大学の審良あきら静男教授もボイトラー教授とほぼ同じ時期にTLR4がLPSを認識することを発見したのですが、タッチの差でボイトラー教授に先行されたようです。なお、TLRのリガンドのほとんどは審良教授とそのグループが明らかにしました。

ちなみに2011年のノーベル生理学・医学賞の受賞者は以下の3人です。

  ブルース・ボイトラー(アメリカ)
  TLRがグラム陰性菌のLPSを認識することの発見(1998)
ジュール・ホフマン(フランス)
  ショウジョウバエの「Toll」がカビの菌を認識し、抗菌ペプチドを作り出すセンサーであることを発見(1996)
ラルフ・スタインマン(カナダ)
  樹状細胞を発見(1973)。樹状細胞は獲得免疫における抗原提示機能をもつ細胞だが、上述のように自然免疫でも重要。

樹状細胞と並ぶ自然免疫の主役、マクロファージを発見したのはロシアのメチニコフで、彼はその功績によって1908年のノーベル生理学・医学賞を受けました。そのためメチニコフは「自然免疫学の父」と呼ばれています。自然免疫の研究成果に対して与えられた2つのノーベル賞の100年という時間差(1908年と2011年)は、その間に自然免疫の研究が進展しなかったことを象徴しています。つまり、20世紀の免疫研究は「獲得免疫の研究」だったのです。

 TLR5 

べん毛をもつ微生物の、鞭毛の先端部分にあるタンパク質、フラジェリンを認識します。鞭毛はフラジェリンの「繊維」を螺旋状に束ねた構造をしていて、鞭毛微生物はこれを回転させて移動します。

人の腸に住む腸内細菌には鞭毛を持つものがあります。こういった細菌が腸管上皮細胞を突破して体内に入るとまずいことになります。また腸には食べ物と一緒に鞭毛を持つ病原菌(サルモネラ菌など)が入ってきます。そのためTLR5は、腸管上皮細胞すぐ下の樹状細胞に多く発現しています。ヒトの体はそこで鞭毛微生物の進入を監視していることになります。

 TLR1 + TLR2 

細胞表面にあるヘテロ二量体、TLR1 + TLR2は、グラム陽性菌・グラム陰性菌の細胞膜にある、トリアシル・リポタンパク質(3つのアシル基をもつリポタンパク質)を認識します。

 TLR6 + TLR2 

マイコプラズマの細胞膜にある、ジアシル・リポタンパク質(2つのアシル基をもつリポタンパク)を認識します。

 TLR3 

TLR-dsRNA_binding.jpg
TLR3の二量体が二本鎖RNAを認識している図。TLRのLRR領域は馬蹄形をしている。2つの「馬蹄」の間に水平に描かれているのが二本鎖RNAである。
http://www.invivogen.com/review-tlrより引用。
ここからは、細胞内部のエンドソームに発現するTLRです。これらのTLRは細菌やウイルスのDNAやRNAを認識します。マクロファージや樹状細胞は、細菌やウイルスを消化してエンドソームに運び、そこで核酸(DNAやRNA)にまでバラバラにします。そこでTLRの認識機構が働きます。

ウイルスはDNA/RNAをタンパク質で覆った構造をしていますが、核酸としてDNAを持つ「DNAウイルス」と、RNAを持つ「RNAウイルス」があります。RNAウイルスの多くは1本鎖RNAを持ちますが、中には「ロタウイルス」のように2本鎖RNAを持つタイプがあります。

TLR3はこのウイルスの2本鎖RNA(dsRNA。double stranded RNA)を認識します。

 TLR7、およびTLR8 

多くのRNAウイルスがもつ1本鎖RNA(ssRNA。single stranded RNA)を認識します。

 TLR9 

細菌やDNAウイルスのDNAを認識します。細菌やウイルスのDNAには、特徴的な6つの塩基の配列がしばしば現れます。これは「CpG配列」と呼ばれていて、

  GACGTT
GTCGTT
  C:シトシン、G:グアニン、A:アデニン、T:チミン

という、真ん中にシトシン(C)グアニン(G)をもつ配列です。CpG配列は、哺乳類のDNAにも少数ながら含まれています。しかし哺乳類のCpG配列はメチル化されている(メチル基、CH3が結合している)確率が非常に高い。そこでTLR9は「DNAの、メチル化されていないCpG配列」を認識します。このことで細菌やDNAウイルスのDNAが判別できるのです。



TLRが存在するのは、細胞の表面かエンドソームでした。これに対し、細胞質内にも「RNAセンサー」が存在することが判明しています。これはTLRファミリーとは別の、RLR(RIG-Like Receptors)と呼ばれるセンサー群です。具体的には、
 ・RIG-I
 ・MDA5
という受容体です。

1本鎖RNAウイルスは、細胞の中に進入すると増殖を始め、その過程でRNAが2本鎖になります。RLRはこの2本鎖を認識して自然免疫を発動します。エンドソーム内にあるTLR3/7/8は、マクロファージなどがウイルスを分解した結果としてのRNAを認識しますが、RLRはウイルスが細胞内に進入した初期段階で働くところに重要性があります。

RIG-IとMDA5は「担当する」ウイルスに相違があり、RIG-Iはインフルエンザ・ウイルスや日本脳炎ウイルスを、MDA5はピコルナウイスル科のRNAウイルス(脳脊髄炎、心筋炎などを起こす)を認識します。

なお細胞質内の病原体センサーには、RLR以外にも別のファミリー(NLR:NOD-Like Receptors、など)があることが知られています。


TLRが認識する「非自己」


TLRが認識する「非自己」を一覧表にまとめたものが以下です。

    TLR 細菌 ウイルス リガンド(認識される特定分子)
細胞
表面
TLR2   グラム陽性菌の細胞壁成分(ペプチドグリカン)
TLR4   グラム陰性菌の細胞壁成分(LPS:リポ多糖)
TLR5   べん毛微生物の鞭毛成分(フラジェリン)
TLR1 + TLR2   細菌の細胞膜成分(トリアシル・リポタンパク質)
TLR6 + TLR2   マイコプラズマの細胞膜成分(ジアシル・リポタンパク質)
エンド
ソーム
TLR3   2本鎖RNA(dsRNA。double stranded RNA)
TLR7、TLR8   1本鎖RNA(ssRNA。single stranded RNA)
TLR9 DNAのCpG配列(メチル化されていないもの)

なおTLR10のリガンドは、参考にした本が書かれた時点では不明です。また上記の表に記した以外にもリガンドはあり、1種のTLRが復数のリガンドを認識するケースもありますが、表からは省略しました。


自然免疫から獲得免疫へ


マクロファージと樹状細胞はTLRによって病原体を認識し自然免疫を発動するのですが、同時に抗原提示という機能があり、獲得免疫の発端にもなっています。抗原提示については、No.69-70「自己と非自己の科学」で詳しく書きました。

つまり、マクロファージや樹状細胞(= 抗原提示細胞)に取り込まれた病原体は、細胞内のエンドソームに運ばれ、そこで病原体のタンパク質が分解酵素でバラバラにされます。そのタンパク質の断片が再び細胞表面に運ばれ、MHCの「溝」にはさまる格好で抗原提示される。それをヘルパーT細胞が認識する。そういった筋道で獲得免疫が発動するのでした。

そのエンドソームには、実はTLR3/TLR7/TLR8/TLR9 が「待ちかまえて」いて、病原体の核酸(DNA/RNA)を認識し、認識できれば自然免疫が発動する。このことはマクロファージや樹状細胞が、免疫全体にとって極めて重要なポジションにあることを示唆しています。

事実、21世紀の免疫学で判明したのは、マクロファージと樹状細胞は抗原提示をするだけでなく、獲得免疫を開始するトリガーを引いていることです。つまり抗原提示と同時に補助分子やサイトカインを放出し、未成熟T細胞を活性化T細胞(ヘルパーT細胞)へと変化させます。T細胞は活性化されてはじめてB細胞に抗体生産の指示を出せるようになるのです。

自然免疫の主役は、実は「ヒトの免疫システム全体の指令塔」でもあるのです。


自己と非自己の認識


以上が「新・現代免疫物語」と「新しい自然免疫学」という2冊の本による自然免疫のメカニズムの要点です。以下は「感想」ないしは「まとめ」です。

自然免疫と獲得免疫(No.69-70「自己と非自己の科学」)という「ヒトの免疫のしくみ全体」を眺めてみると、非自己を自己から区別するやり方は、異物や異分子を排除する一般的な方法論に添っていることがわかります。それはブラック・リスト方式とホワイト・リスト方式の併用だと言えるでしょう。以下、ブラックとは非自己、ホワイトとは自己を指すことにします。

自然免疫は「ブラック・リスト方式による非自己の認識」です。何がブラックか、自然界に存在するブラックの典型的なパターンがリスト化されていて、そのリストに載っているものが排除されます。このリストは、ヒトではわずか10項目という小ささです(TLR1~TLR10)。こんな小さなリストで有効なのだろうかと思ってしまいますが、意外にも有効なのですね。我々は毎日、毎時、病原体の進入を受けています。食物といっしょに腸から、呼吸を通して肺から、また皮膚からも病原体は進入してきます。それらを水際で、速効性があるやり方で排除するのが自然免疫です。我々は普通意識することはないのですが、大多数の防御は自然免疫でこと足りていると考えられます。

自然免疫は、脊椎動物だけではなく自然界の幅広い生物が持っています。10項目のリストは、生命の長い進化の過程で「りすぐられてきたブラック・リスト」でしょう。ここにリストアップされているのは「病原体に共通的にみられる分子パターン」なので、非常に効率的です。

一方、獲得免疫の出発点は「ホワイト・リスト」です。No.69-70「自己と非自己の科学」を振り返ってみると分かるように、ヒトの細胞表面にはMHCという自己の標識があり、この標識に自己由来のタンパク質の断片が提示されているものが「ホワイト」ということになります。病原体由来のタンパク質がマクロファージ、樹状細胞、B細胞などの「抗原提示細胞」で分解され、その断片がMHCに提示されると、そのMHCは「ホワイトではない標識」ということになる。

獲得免疫が「ホワイトでない標識」を見つけるやり方は独特です。まず、ランダムな遺伝子組み替えでヘルパーT細胞群が作られます。ヘルパーT細胞の抗原認識分子(T細胞受容体 = TCR)は、細胞ごとに違っています(1兆種類ありうる)。そして、自己のMHCと反応するTCRをもつヘルパーT細胞は胸線で死滅し、取り除かれます。生き残ったヘルパーT細胞のどれかがMHCと反応するとしたら、そのMHCは「非自己由来の抗原の断片を提示しているMHC」であり、つまり「ホワイトでない標識」ということになる。

「ホワイトでない標識」がいったん認識されると、獲得免疫が発動し、B細胞が抗体を作り、病原体が駆除されます。と同時に、特定の非自己に反応したヘルパーT細胞や、特定の非自己を攻撃する抗体を作り出したB細胞は、同一のものが大量に複製されて記憶T細胞、記憶B細胞となって残る。この「免疫記憶」が第2のブラック・リストになります。「第2のブラック・リスト」は、自然免疫のような「病原体の分子の典型的パターン」といったものではなく、たとえば「麻疹ウイルス」「インフルエンザ・ウイルス XX型」といった、病原体を直接的に示す情報です。かつ、生まれてからどういう病原体と遭遇するかによって、人それぞれリストが違っています。決して先天的なものではなく、後天的であり、適応的であり、自己組織化で作り上げられていくものです。

比較すると、自然免疫は即応的で、かつ効率的です。しかし、10項目の短いブラック・リストでは排除すべき非自己の全部は尽くせない。また、10項目のブラック・リストは遺伝的に決まっていて、そこに新しい1項目を追加するには遺伝子の変化(=ヒトの進化)が必要です。それには極めて長い時間がかかります。

それに比較して、ランダムな遺伝子組み替えと免疫記憶を通して作られる「第2のブラック・リスト」は、進化を必要としません。環境の変化によってどんどん変わっていけるし、また「種」として重要な、個体ごとの多様性も獲得できます。しかしそれだけに、必然的に組み込まれている「曖昧性」があって、自己免疫疾患を引き起こすような「危うさ」を内包している。

自然免疫のしくみが分かると、獲得免疫の意味もよく理解できます。この2つは相い補って「自己」を維持していることがよく理解できるのです。



病原体で引き起こされる疾病の治療や、ガンの治療には、ヒトの免疫の理解が欠かせません。その典型は「新・現代免疫物語」に書かれている「抗体医薬」でしょう。またガンの治療は、今後は免疫療法が大きく発展すると言われています。難病(多くが自己免疫疾患)やアレルギーの治療に免疫の理解が必要なことは言うまでもありません。さらに No.119-120「不在という伝染病」に書いたように、免疫を理解するには人間と共生している体内の微生物(常在菌)の理解も必要になってきました。その、常在菌と免疫の関係の研究は始まったばかりです。

「免疫」は「脳」と並んで、21世紀の知のフロンティアだという感じを強く持ちます。



 補記 

自然免疫に関する最近の研究成果が新聞に載っていましたので、それを引用します。


ウイルス認識 仕組み解明
 免疫起こすたんぱく質
 東大など

東京大学の清水敏之教授らと首都大学東京の共同チームは、ウイルスの感染を察知して免疫反応を引き起こすたんぱく質の詳細な動きを解明した。ウイルスのRNA(リボ核酸)を構成する塩基とRNAの断片を同時に認識して、免疫反応のスイッチを入れていた。関節リウマチなどの自己免疫疾患の治療薬開発に役立つとみている。

ウイルスや細菌などの病原体が体内に進入すると、トル様受容体(TLR)と呼ぶたんぱく質が感知し免疫反応を引き起こして身を守る。研究チームはTLR8に着目した。TLR8はインフルエンザウイルスやエイズウイルスが持つ1本鎖RNAと呼ぶ構造を感知している。

TLR8を結晶化し、大型放射光施設 Spring-8(兵庫県佐用町)に強力なエックス線を使って、詳細な立体構造を解析した。

TLR8は1本鎖RNAが分解してできた「ウリジン」と呼ぶ塩基とRNAやRNA断片をそれぞれ別の場所でとらえ、2つを同時に認識することで免疫反応を引き起こしていた。

TLR8が死んだ細胞などのRNAを誤って検知するようになると、正常な組織まで攻撃する自己免疫疾患を引き起こす。認識に使う2つの部位を同時に制御すれば、自己免疫疾患の治療法につながるとみている。

日経産業新聞(2016.2.4)

引用の最初の方に「ウイルスのRNA(リボ核酸)を構成する塩基とRNAの断片を同時に認識」とあり、終わりの方には「1本鎖RNAが分解してできたウリジンと呼ぶ塩基とRNAやRNA断片をそれぞれ別の場所でとらえ」とあって記述不統一に見えますが、「ウリジン」とはRNAの構成塩基の一つである「ウラシル」が分解して糖と結合して出来たものなので、同じことを言っています。とにかく、RNA本体(断片でもよい)とRNAが分解してできた物質が同時にないとTLR8が引き起こす免疫反応は起こらないというのが記事の要点です。

ほとんどの難病は自己免疫疾患であり、その治療薬の開発には免疫の詳細なメカニズムの解明が欠かせません。自然免疫の研究の最先端で何が行われているのか、その一端を紹介した良い記事だと思いました。




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No.121 - 結核はなぜ大流行したのか [科学]


“国民病” としての結核


No.119-120「不在という伝染病」の補足です。No.119-120では『寄生虫なき病』という本の要点を紹介したのですが「微生物の不在と免疫関連疾患の関係」に絞りました。以下の補足は「微生物の不在と病気の発症の関係」で、結核の話です。

No.75「結核と初キス」に、作家の故・渡辺淳一氏が札幌南高校時代に初めてのキスをした話を書きました(日本経済新聞「私の履歴書」より)。相手の女性が結核だと分かっていたので「おびえながらキスをした」という話です。1950年頃のことです。

このエピソードからも推察できるように、明治時代から昭和20年代まで、結核(肺病)は「国民病」と言われたほど広まっていました。昭和30年代後半(1960年代前半)でも、年間の発病者は30万人を越えていたほどです。結核の治療に有効な抗生物質、ストレプトマイシンが発見されたのは1944年(昭和19年)です。それまでは結核の有効な治療法はなく「不治の病」として恐れられました。多くの有名人が結核で命を落としています。文学者だけをとってみても、

正岡子規 1867-1902(34歳)
国木田独歩 1871-1908(36歳)
樋口一葉 1872-1896(24歳)
石川啄木 1886-1912(26歳)
梶井基次郎 1901-1932(31歳)
堀辰雄 1904-1953(48歳)

などがすぐに思いつきます。

特に堀辰雄は「結核で療養中の女性」と「私」が主人公の自伝的小説『風立ちぬ』を書きました。JR中央線の富士見駅(長野県諏訪町。小淵沢と茅野の間)の近くに富士見高原病院がありますが、ここはかつて富士見高原療養所というサナトリウム(結核療養施設)で、『風立ちぬ』のモデルとなったところです。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』は堀辰雄を下敷き(の一つ)にしているので、富士見高原療養所が出てきます。喀血した里見菜穂子はサナトリウムで療養しているが、そこを抜け出し、名古屋まで堀越二郎に会いに行く。そして堀越の上司の家で祝言をあげ、初夜を迎える・・・・・・・。映画の中で最も印象的な場面(の一つ)です。

風たちぬ - 富士見高原療養所(劇場予告版より).jpg
映画「風立ちぬ」の1シーン。富士見高原療養所で、患者たちが毛布にくるまって外気浴をしている。この中の一人が里見菜穂子である(確か右から二人目)。画面には雪がちらついている。現代人の目から見ると悲しくなるような「治療」の光景だが、昭和10年ごろ、今から80年ほど前の話であり、抗生物質のストレプトマイシンが発見されるのはこの10年後である(映画の予告編より)。

梶井基次郎に『闇の繪巻』(1930)という短編があります。ある渓流沿いの旅館から別の旅館に歩いて行くという、たったそれだけの話ですが、傑作だ思います。この作品は、彼が結核の「転地療養」のために伊豆の湯ヶ島温泉に滞在した時の経験が元になっています。サナトリウムにしろ、転地療養にしろ、空気が澄んだ所で静養するのが当時の唯一の「治療」でした。

一方、ヨーロッパに目を向けると、堀越二郎が愛読したトマス・マン(1875-1955)は、世界文学史上の傑作『魔の山』(1924)を書きました。この小説はサナトリウムが舞台です。マンの夫人がスイスのリゾート地・ダボスのサナトリウムで療養したときの経験が元になっています。こういった「結核文学」の背景には、かつてのヨーロッパでの結核の流行があるわけです。

文学以外にも広げると、ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)は、5歳になったばかりの時(1868)に母親を結核で亡くし、14歳の直前(1877)に15歳の姉を結核で亡くしています。本人は長寿を全うしたものの、描かれた多くの傑作には「死の影」が色濃く漂っています。そもそもムンクは、13歳のときに見た病床の姉の姿を、20歳代の初めから長期に渡って繰り返し描いています(『病める子』)。

病める子.jpg
エドヴァルド・ムンク(1863-1944)
病める子」(1885/6)
(オスロ国立美術館)
ムンクは40年間に渡って、油絵だけでも6枚の「病める子」を描いているが、これはその最初の絵で、22歳頃の作である。

ムンクよりもっと「極端」なのが、スイスの国民的画家、フェルディナンド・ホドラー(1853-1918)です。英語版Wikipediaによると、ホドラーは6人兄弟の長男としてベルンに生まれたが、8歳までに父親と弟2人を結核で亡くし、母親は再婚したが、その母も14歳の時に結核で死亡。その後、彼以外の兄弟姉妹は全員が次々と結核で死んだ、とあります。両親・兄弟の計8人のうち、自分以外の7人全員が結核で死ぬという経験をしたわけです。そして、ホドラーの絵には「死」を感じさせるものが多々ある。

ムンクやホドラーの画業の大きな背景として、当時のヨーロッパにおける結核の蔓延と、それがもたらした「あまりにも身近な死」があるわけです。

もちろん結核は今もある病気です。日本でも毎年2万人以上が発病しています。決して「過去の病気」ではありません。


結核が激増した理由は ?


ところで、結核は極めて古い病気で、大昔から人類とともにあったことが分かっています。と同時に、結核は18世紀末から19世紀にかけてヨーロッパで大流行したことが知られています。この大流行の理由について『寄生虫なき病』に、ある学者の説が紹介されていました。キーワードは「超個体」です。

「超個体」とは、ヒト(個体)と共生微生物群を一つの人体生態系と見なし、その生態系を指す言葉です(No.120「不在という伝染病・2」参照)。No.119-120で問題にしたのは、近代以降、特に20世紀後半以降に「人体生態系=超個体」が崩れてきているのではないか、それが免疫関連疾患の急増につながっているのでないか、ということでした。しかしその崩壊はもっと以前から起こっていたのでは、というのが以下の引用です(下線は原文にはありません)。


現代から振り返ってみれば、超個体崩壊の最初の兆候はおそらく、アレルギーや自己免疫疾患とは無関係なある現象だった。18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した。なぜ結核が突然大流行したのか(そして、なぜ、19世紀末に減少し始めたのか)という問題は、常に歴史家の頭を悩ませてきた。遺伝子解析によって、人類がアフリカから旅立つ以前から結核菌は人類とともにあったことが分かっている。中近東で発掘された九千年前の人骨から、結核の痕跡が見つかっている。古代ギリシャでも結核はよく知られた病気だった。

モイゼス・ベラスケス=マノフ
『寄生虫なき病』
(文藝春秋 2014)

そもそも、結核菌に感染したとしても発病しないのが普通です。発病するのは感染者のせいぜい10%にすぎない。それも、感染から数ヶ月、数年、時には数10年たってから発病します。残りの人は結核菌を体内に留めたまま発病しない「不顕性感染者」となります。「不顕性感染者」は他人に結核菌を感染させることはありません。

結核の発病はどういう詳しいメカニズムで起きるのか、それは現在でも明確な定説はありません。そういう状況の中で、18-19世紀のヨーロッパで結核が大流行したのです。その理由に対する「新説」が紹介されています。


しかし18世紀末のヨーロッパにおける結核発病率の高さは、それが新種の感染症だったことを示唆している。最終的に結核菌を特定したロベルト・コッホは19世紀半ばのベルリンでは七人に一人が結核で死亡していたと推定している。研究者の中には、感染度の高い新種の結核菌が出現したと考える人もいるし、実際、近代になってからある結核菌株が蔓延したことが遺伝子解析によって分かっている。しかし、ロンドン大学のジョン・グレンジとその共同研究者たちは、もっと微妙な変化が近代における結核の大流行の原因だと考えている。

ヨーロッパが都市化していくにつれて、土や泥の中に生息している環境中のマイコバクテリアと接触する機会が失われた。こうしたマイコバクテリウム属の細菌は、結核に対する免疫を自然に高めていた。農村や小都市の住人は、結核菌の近縁であるウシ型結核菌に感染したウシの乳も飲んでいたかもしれない。BCGワクチンは、ウシ型結核菌を弱毒化したものである。ヒトもウシ型結核菌に感染して発病することがあるが、これに一度感染すると結核に関して免疫ができる。グレンジらは、「結核の大流行は、これら結核菌以外のマイコバクテリウム属細菌への曝露パターンが変化した結果である」と主張している。

『寄生虫なき病』

ロンドン大学の研究を要約すると、

ヨーロッパの都市化
微生物(マイコバクテリウム属細菌)への曝露パターンの変化
人の「免疫力」の変化
結核の発病率の増加

という、①→②→③→④の因果関係を主張するものでしょう。ちなみに、結核菌はマイコバクテリウム属の細菌の一種です。

さっき書いたように、結核菌に感染しても発病する人は高々10%で、ほとんどの人は発病しません。その発病を押さえているのは人間の「免疫力」だとよく言われます。「免疫力」が変調をきたすと、ないしは「免疫力」が衰えると発病するというのが(詳細なプロセスは別にして)医学書に載っている結核の一般的な説明です。

一方、ヒトは共生微生物群と「超個体」を作っています。そして共生微生物のあるものが免疫に重要な役割を果たしていることは、No.119-120「不在という伝染病」に書いた通りです。だとすると、共生微生物群の「変化」は「免疫力の変化」につながってもおかしくはない。「マイコバクテリウム属細菌への曝露パターンの変化が、結核の大流行を招いた」という説も検討に値すると考えられます。

ただし「微生物」に関しては別の理由もありうると『寄生虫なき病』で著者のモイゼス・ベラスケス=マノフ氏は書いています。それはピロリ菌です。No.120「不在という伝染病(2)」で書いたように、ピロリ菌感染者は結核菌に感染したとしても、ピロリ菌非感染者よりもさらに結核が発病しにくいという報告が何件かあるのです。ピロリ菌に感染する率が減ったために結核が蔓延したとも考えられる・・・・・・。

  そう言えば、結核菌とピロリ菌はよく似ています。
極めて古い昔から現世人類とともにあった細菌である。
感染したとしても、大多数の人は発病しない。細菌はヒトの体の中にあって「共存」している。
一部の人が発病し、重い病気をもたらす(結核菌は肺結核など。ピロリ菌は胃潰瘍から胃ガン)。
という3つの点です。

しかし、どちらにせよ「微生物への曝露パターンの変化が結核の大流行を招いた」という説には変わらないと思います。


パリの結核


ヨーロッパの都市化と結核、と聞いて直感的に思い出すオペラがあります。No.75「結核と初キス」にも書きましたが、ヴェルディの椿姫(1853年初演)です。このオペラはパリが舞台ですが、主人公の娼婦・ヴィオレッタは結核にかかっています。それが原因で最後には死んでしまう。彼女の「悲しい愛の物語」がストーリーの骨格です。原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説『椿姫』(1848)ですが、この小説も「結核文学」だと言えるでしょう。

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ヴェルディのオペラ「椿姫」より。第1幕の「乾杯の歌」のシーン(上)と、第3幕の最終場面(下)。いずれもヴィオレッタのパリの屋敷である。ヴィオレッタ役はアンジェラ・ゲオルギュー。コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラのライブ映像(1994)より。

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映画版「ラ・ボエーム」(2011)より。第1幕でロドルフォとミミはパリで出会い、第4幕でミミは、ロドルフォの元で死にたいと運ばれてくる。ミミ役はアンナ・ネトレプコ、ロドルフォ役はローランド・ビリャソン(映画のサイトより)。
ソプラノ歌手が演じるヒロインが結核患者、というオペラは他にもあります。プッチーニのオペララ・ボエームのヒロイン、ミミがそうです。パリに出てきた貧しい「お針子」のミミは、オペラの最後でヴィオレッタと同じように息を引き取ります。『ラ・ボエーム』は1896年の初演ですが、原作の小説は1849年の作であり『椿姫』と同時期ということになります。

もちろん、この2つのオペラはフィクションです。しかしこういった状況設定が聴衆に受け入れられてオペラ(ないしは小説)が大ヒットするいうことは、当時のパリの状況を反映しているはずです。『椿姫』は上流階級の話であり、『ラ・ボエーム』は貧しい“お針子”や芸術家たちの話ですが、当時(19世紀前半)のパリにおいて、結核が階層を問わず「よくある」病気だったことをうかがわせます。


「不在」を問題にすること


ドイツ人のロベルト・コッホ(1843-1910)は1882年に結核菌を発見し、その病原性を証明し、結核の原因は細菌であることを明らかにしました。これが細菌学の始まり(の一つ)であり、現代医学の「輝かしい」スタートとなったことは周知の事実です。そのコッホの研究の動機になったのは、ヨーロッパにおける結核の大流行だったのではないでしょうか。彼は、19世紀半ばのベルリンでは、七人に一人が結核で死亡(!)と推定しているわけですね。この死亡率の高さは相当なものです。発病する人の割合はもっと多かったはずです。医学に係わるドイツ人としては、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。。

そして、そういった結核の大流行の原因は、ひょっとしたら以前から進行していた、人体生態系=超個体の「崩壊」ないしは「変調」だった可能性がある・・・・・・。

「微生物への曝露パターンの変化が、ヨーロッパでの結核の大流行を招いた」というのは一つの説(仮説)であって、実証されたわけではありません。違うかもしれない。真実だとしても、200年も前の流行の原因を「実証」するの非常に難しいでしょう。

しかしこの話の教訓は、我々はやまいに関して病原菌やウイルスの「存在」を問題にするけれど、それと同時に共生微生物の「不在」も考慮すべきということでしょう。「18世紀末から19世紀の初めにかけて、ヨーロッパ中で結核が大流行した」ということを、発病率の高い変異型結核菌の「出現」というように推定するのか、ないしは結核の発病を押さえていた(ある主の)共生微生物の「消滅」ととらえるのか、見方はふた通りあるはずです。もちろん、その両方かもしれない。

No.119-120「不在という伝染病」の最後の方にも書きましたが、我々人間は2つの生態系のもとで生きています。一つは自然生態系で、もう一つは人体生態系(=超個体)です。このことは忘れてはならないと思います。



 補記 : 微生物の不在と病気の発症 

本文中で紹介したのは「マイコバクテリウム属の細菌に感染すると、結核の発症が抑止される」という仮説でした。これはあくまで仮説です。

しかし「微生物の不在と病気の発症」は関係があるようです。最近の研究で、ある種のウイルスに感染していると1型糖尿病(=若年性糖尿病とも言われる自己免疫疾患で、遺伝子によって伝わる遺伝病)の発症が抑止されることが、医学的に証明されてきました。No.229「 糖尿病の発症をウイルスが抑止する」にそのことを書きました。

(2018.4.13)



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No.120 -「不在」という伝染病(2) [科学]

前回より続く)

An Epidemic of Absence.jpg



21世紀の免疫学の発見


21世紀の免疫学の発見は、免疫の発動を制御し抑制する細胞群が発見されたことです。この代表が、大阪大学の坂口教授が発見した制御性T細胞です。免疫を抑制する細胞群があることは20世紀の免疫学でも仮説としてはありました。しかし実験的に立証されたのは21世紀(1990年代後半以降)です。

制御性T細胞は、生後、外界からの微生物や寄生虫に接触することで発現します。かつ、腸内細菌が制御性T細胞の発現に関わっていることも分かってきました。この制御性T細胞がアレルギーの発症を抑制しているのです。

東京大学のあたらし幸二博士、本田賢也博士の研究成果があります。両博士は、特定の腸内細菌をターゲットとする抗生物質を使って、特定種の腸内細菌を徐々に減らすという実験をマウスで行いました。この結果、

抗生物質のバンコマイシンで腸内細菌のクロストリジウム属を徐々に減らすと、
ある時点で制御性T細胞が急減し、
それがクローン病(炎症性腸疾患)の発症を招く

ことを発見しました。クロストリジウム属を増やすと制御性T細胞は回復し、炎症も治まります。これは特定の腸内細菌が制御性T細胞の誘導(未分化のT細胞を制御性T細胞に変化させる)に重要な役割をもっていることを実証しています。なお、クロストリジウム属の話は、No.119「不在」という伝染病(1)の冒頭近くで引用した日経サイエンス 2012年10月号の記事に出てきました。

  『寄生虫なき病』には載っていませんが、No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した「日経サイエンス 2012年10月号」の記事には、別の研究が紹介されていました。そこには、
腸内にすむフラジリス菌は表面に「ポリサッカライド A(PSA)」という多糖類の分子を持っている。
人間の樹状細胞はPSAを取り込み、未分化のT細胞に提示する。
未分化のT細胞はPSAに刺激されて制御性T細胞になる。制御性T細胞は炎症を起こす免疫細胞の活動を抑制して炎症を押さえる。
PSAを持たないフラジリス菌は免疫細胞から攻撃されて生き延びることはできないが、PSAをもっていると免疫系からは攻撃されない。
とありました。

20世紀の免疫学(No.69-70 参照)では、免疫系が自己を攻撃しない理由として、

全ての細胞には自己を示す標識(= MHC)がついている。
自己に反応する免疫細胞は、胸線(Thymus)で死滅する。

と説明されていました。しかしそれだけではなく、制御性T細胞という重要なプレーヤーがいたのです。



ではなぜ、腸内細菌が制御性T細胞を発現させるのでしょうか。それを理解するキーワードは「共生」です。共生の基本ルールは

  宿主から容認されている共生者は、宿主の免疫抑制機構を作動させる(= 免疫寛容を引き出す)ことによって排除を免れている

というものです。この「ルール」が、人体の免疫機構と微生物を結びつけます。前に「アレルゲンとなるタンパク質は寄生虫のタンパク質と似ている」と書きましたが(No.119)、その理由は、

  寄生虫は制御性T細胞を増やし、免疫寛容を引き出す。しかし花粉などのタンパク質にそのような機能はない。だから免疫の過剰反応が起きる。

と理解できます。

ヒトには免疫を抑制する機構があり、それはヒトが微生物と共生していることを前提に成り立っています。その免疫抑制機構の弱体化は免疫関連疾患を招きます。なぜ弱体化するかというと、本来の共生していた微生物が人体からいなくなってしまったため、ないしは微生物相が大きく変化してしまったためです。なぜ微生物が人体からいなくなった(変化した)のか。

それはもちろん生まれてから子供時代にかけて微生物が少ない環境で育つようになったからですが、別の理由もあります。

一つは抗生物質の多用です。さきほどあげた東京大学のあたらし博士・本田博士の研究でも分かるように、抗生物質は腸内の細菌相を変化させます。抗生物質の多用は人間にとって良くない結果を招く(可能性がある)のです。

化学物質の問題もあります。抗菌剤やハンド・ローション、洗剤などは、人間と共生している(有益な)常在菌を消失・減少させます。これらの多用でアレルギーの発生リスクが増えるという研究が多数あります。

その化学物質のひとつは医薬品です。広く使用されている鎮痛剤・アセトアミノフェンは、アレルギー疾患との関係を繰り返し指摘されています。原因と結果が逆(喘息を発症する子供は、幼い頃から病弱でアセトアミノフェンの服用機会が多かった)の可能性がないわけではないので、今後の実証が待たれます。

食生活の変化もあります。工場で作られ、殺菌された出来合いの食品(=工業製品)ばかりを食べていると、微生物に接する機会が減少します。ないしは腸内微生物の様相が変化してしまう。新鮮な食材を包丁とまな板で調理して料理を作る(その間に微生物が入る)のとは大違いです。

21世紀の免疫学の知識からすると、20世紀後半からの先進国は、免疫関連疾患を増やすように動いてきたことがわかります。ということは、20世紀後半、特に1990年代に確立した免疫学は、

  少なくともヒトの免疫に関しては、本来あるべき姿からかけ離れた姿を研究対象にしてきたのではないか

という疑問にもつながるのです。



最初に説明したように、免疫関連疾患は「現代病」です。その「現代病」は、免疫関連疾患だけではありません。本書には、心臓疾患や自閉症、うつ病、(ある種の)ガン、肥満なども、免疫系の異常が関係しているのではという「疑い」が書かれています。もちろん実証されたわけではなく、今後の研究を待つ必要があります。ただ、こういった「現代病」ないしは「文明病」は、免疫との関係を疑ってかかるべきなのです。


ピロリ菌は悪玉菌か善玉菌か


本書に書かれているピロリ菌の話も、人間と微生物の共生という観点から大変興味深いものです。人間の消化器官で共生している常在菌の多くは小腸にいますが、ピロリ菌は胃に住みつきます。胃は強い酸性なので、微生物にとっては悪い生息環境と言えます。

ピロリ菌は胃潰瘍と胃ガンの原因になることが発見され、大変「有名」になりました。ピロリ菌が原因の胃潰瘍と診断されれば、ピロリ菌除去の治療をうけるのが普通です。

しかし胃潰瘍はともかく、胃ガンは60歳台以降の高齢者に多い病気です。人間が60歳台以降まで生きるのがあたりまえになったのは近代以降のことであり、それまではピロリ菌が人間に決定的なダメージを与えることは少なかったと推測できます。

事実、ピロリ菌とヒトとの関係は極めて古いことが分かってきました。世界各地のピロリ菌を遺伝子解析で比較した結果、ピロリ菌の主要7種の菌株は全てアフリカ起源であることが分かりました。また遺伝子解析によると、7種が最初に枝分かれしたのは5万8000年前です。ということは、ピロリ菌は現世人類の出現とともにあった、ということになります。このことは、ピロリ菌がヒトに何らかのメリット与えてきたことを示唆しています。

調べてみると、ピロリ菌の感染者は「胃食道逆流症」(その一つの病態が逆流性食道炎)の有病率が低く、また食道ガンも少ないことが分かってきました。なぜそうなるのかと言うと、胃の酸性度が強くなると、ピロリ菌は胃壁からの胃液の分泌を妨害するからです。だから胃液が逆流しても食道に炎症が起きにくい。ピロリ菌はヒトの胃の酸性度を調節していることになります。さらに、

ピロリ菌に感染している人は、結核菌に感染しても発病しにくい。ピロリ菌は免疫系の抗細菌作用を増大させる。
 なお、常在菌と結核の発病の関係については、No.121 「結核はなぜ大流行したのか」を参照。
ピロリ菌感染者は制御性T細胞の数が多く、喘息のリスクも低下する

という研究も出てきました。また、

乳幼児の段階でピロリ菌に感染すると、胃潰瘍や胃ガンのリスクが低い

という観察結果もあります。「乳幼児の段階でピロリ菌に感染する」というのは、まさに現在の発展途上国の状況です。アフリカはピロリ菌に感染している人が多いところですが、アフリカで胃潰瘍や胃ガンが極度に少ない(いわゆる「アフリカの謎」)理由も納得できます。ピロリ菌は善玉菌か悪玉菌か・・・・・・。それは感染するタイミングにもよるということです。


人間という「超個体」


本書に次の言葉が引用されています。


人類は単独の種として進化したわけではなく、人類とその共生微生物群が「超個体」として共進化していたのだということは、現在では広く理解されている。種としての人類の進化と人類の共生微生物群の進化とは、常に絡み合っておこなわれてきた。

デューク大学
ウィリアム・パーカー

「共生微生物群」という言葉が出てきます。この記事の最初に書いた「常在菌」とほぼ同じ意味ですが、寄生虫などの細菌以外のものも含む共生生物全体を示すものと考えてよいと思います。以下、病原菌に対応する言葉として常在菌(病原性を示さない共生細菌)ということにし、微生物全体は「共生微生物群」と言うことにします。

ヒトは、自然界の微生物の中から「選択して」共生微生物群を作りあげてきました。たとえば、細菌は分類学上、50以上の「門」に分かれますが、ヒトに住みついている常在菌はそのうちの4門だけです。

一方、「ヒトと関係のある細菌」という観点からすると、常在菌は約1000種もありますが、病原菌は50~100種しかありません。ヒトと「友好関係にある」細菌の方が圧倒的に多いのです。その常在菌の中には、明らかにヒトに役だっているものがあります。

人体にとって重要な「葉酸」や「ビタミンK」を合成する。
オリゴ糖や多糖類を分解し、消化を助ける。
免疫を制御する。

などです。なぜヒトは常在菌と共生し、しかも合成・消化・免疫といった重要な機能を常在菌に「分担させる」のでしょうか。

それは微生物と共生するのが有利だからです。

微生物は繁殖のペースがヒトより格段に速いので、進化のペースも速いわけです。従ってヒトが微生物を攻撃しても、微生物は遺伝子変異を繰り返して攻撃から逃れる可能性が高い。どうせ排除できないのなら共存したらどうか。もし共存できたとしたら、微生物の進化が速いことがヒトのメリットになりうる。つまり、ヒトは自分の遺伝子の変化だけに頼るよりも遙かに柔軟に「変化」できることになります。生物にとって最も重要なのは、環境(気候や、食物や、病原菌など)の変化に柔軟に対応できることです。

さらに常在菌は種類が多く、その総体としての遺伝子の数が多い。この記事の最初の方に「消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトゲノムの遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する」と書きましたが(No.119 参照)、消化器官だけをとってみても、こういった「遺伝子の多さ」をヒトは利用できるわけです。

常在菌は進化のスピードが早く、また遺伝子の数がヒトに比べて桁違いに多いということは、一言でいうと多様性があるということです。ヒトは「ヒト + 共生微生物群」を「超個体」とすることで、個体だけに頼るより多様性を獲得できた。共生微生物群は人によって違います。たとえ一卵性双生児でも違います。この多様性こそ、ヒトが存続していくための重要事項なのです。多様性に関して言うと、そもそも生物の多くが有性生殖をするのも、遺伝子の多様性を確保する手段だというのが通説です。

そういった共生微生物群との相互作用で作られるのが人間の免疫機構です。免疫機構は極めて適応性に富んだシステムです。「非自己」を「自己」から区別するといっても、その「非自己」の種類は無限だし、また環境によって変わるからです。

人体はにいくつかの「原則」がありますが、その一つは

  適応性に富んだシステムは、その発達段階でインプットを必要とする

というものです。適応性に富んだシステムを設計図だけで決めることはできません。「設計図+インプット」で決まる。免疫に関して言うと、インプットが過小であったり偏っていると、それなりの免疫機構しかできないわけです。さらに、宇宙飛行士の筋力低下を引き合いに出すまでもなく、

  人体の機能は、使わなければ衰える

のが大原則です。免疫を制御し抑制する必要性が無い状態が続くと、その制御し抑制する能力が萎縮します。そして免疫制御能力が萎縮すると、アレルギーや自己免疫疾患が起きる。



現代の人間社会の重要課題は、崩れてしまった2つの生態系の回復です。2つとは、自然生態系と人体生態系です。人体生態系とは言うまでもなく、ヒトと共生微生物群の生態系(= 超個体)です。生態系の回復は容易ではありません。自然生態系の回復の原則は、

  トラを絶滅から守るためには、トラが暮らすジャングルとそこで生きているものすべて ── 土壌細菌からアリや木々に至るまで ── を保全しなければならない

からです。人体生態系でも同じことが言えるはずです。

いまさら昔には戻れないことも多いでしょう。人体生態系の回復のために、寄生虫を意図的に体内に入れるわけにはいかない(免疫関連疾患の治療は別にして)。しかし「現代人の生活」と「人体生態系の回復」の妥協点は、何とかあるのではないか。それを模索していくことが、人類にとっての緊急の課題です。



以上が本書『寄生虫なき病』の(重要だと思える)ポイントの要約です。本書にはもっと多方面の話題があります。寄生虫治療の実態、マラリアと自己免疫疾患の関係、完全な無菌状態で飼育されたマウスがどうなるか、ヒトに無害なはずのヘルペス・ウイルスがなぜ疾患を引き起こすのかなど、興味深い話題は多々あるのですが、省略しました。また、旧友仮説(衛生仮説)の証拠となる研究も大変念入りに紹介されています。それらは本書を読んでもらうしかありません。


『寄生虫なき病』の感想


以降は本書『寄生虫なき病』の感想です。

本書の解説で生物学者の福岡伸一氏が書いていることなのですが、この本は医学・生理学における考え方の転換、パラダイムの転換を迫るものです。

つまり従来は、病原菌やウイルス、寄生虫といった「存在」が病を引き起こすことに注目が集まり、その「存在」をいかに排除するかが医学・生理学のテーマだった。ところが21世紀になって、共生微生物の「不在」が病を引き起こすという認識に至った。これはパラダイムの転換だというわけです。確かに「栄養不足による病」はあるが「細菌不足による病」というのはあまり聞いたことがない。

「不在」が病を引き起こすという意味で、福岡氏は解説のタイトルに「不在という病」というタイトルをつけています。しかし、これはちょっと不十分です。本書の原題は、この記事の冒頭にも掲げたように、


An Epidemic of Absence
- A New Way of Understanding
Allergies and Autoimmune Disieses -

不在という伝染病
- アレルギーと自己免疫病を理解する新しい道 -


です。Epidemicとは単なる病気ではありません。「伝染病」のことです。「不在」が病を引き起こし、その病は伝染する・・・・・・。これが著者が言いたかったことでしょう。

なぜこの「不在」という病が伝染するのか。それは「不在」が文明によってもたらされたからです。文明は伝播します。「進んだ」文明は、より「遅れた」文明にとってかわる。そもそも文明は伝染病と非常に良く似ています。その感染力は非常に強い。この「文明の感染」を防ぐのは、鎖国でもしない限り(鎖国をしたとしても)非常に難しい。だから「不在」という病も伝染する。

微生物の「不在」は、文明によってもたらされた生活環境と広範囲に関係する可能性があります。それは「清潔指向」「消毒」「殺菌」「抗菌剤・抗菌加工」「抗生物質」「医薬品」「農薬」「殺虫剤」「除草剤」「食品保存剤」などからはじまって、「加工食品中心の食生活」「下水道の完備」「道路の舗装」「緑視率の減少」「小動物や昆虫の減少」などまでが関係する(可能性がある)わけです。人類はこの200年程度で自然生態系を大きく破壊してきたのですが、それと全く同じ行動様式・思考パターンで人体生態系を破壊してきたのではないか。自然生態系の破壊と同時期に、平行して・・・・・・。

「不在」によって引き起こされる病は、それが文明の進歩と表裏一体であるからこそ、非常に根が深いと思いました。



しかし、パラダイム転換と言うなら、もう一つ重要なパラダイム転換があると思います。それは免疫(獲得免疫)は何のために存在するのかということに関係したことです。20世紀の免疫学によると、

  免疫は「自己」と「非自己」を区別し、「非自己」を排除することによって「自己」の統一性を保つためのもの

です。免疫に対するこのような認識は、No.69-70「自己と非自己の科学」に詳しく書きました。しかし本書を読むと、

  免疫は、「非自己」を「自己」に取り込み、自己の一部として共生して「超個体」を作り出すためのものでもある。もちろん、自己と共生できない「非自己」は排除する

という考えになるのです。もしそうだとしたら、これこそが大きなパラダイム転換でしょう。

ヒトの免疫機構が微生物に対応するやりかたは、非寛容(攻撃)と寛容(攻撃の抑制)のセットです。自己を危うくするような微生物に対しては非寛容(免疫による攻撃)が続きます(攻撃の失敗もある)。しかし、共存できる微生物に対しては寛容(免疫の抑制)が優勢になる。微生物の方もヒトから寛容を引き出すように進化し(それがヒトの体内で生き残る道だから)、ヒトが受け入れてくれると、生息場所と栄養分をもらう代わりに、ヒトにメリットを与える(消化やビタミン合成など)。そして共生が成立する。

No.69-70「自己と非自己の科学」でも紹介したように、ヒトの免疫システムには、
 ・曖昧性
 ・偶然性
が含まれています(それでいてほとんどの場合、自己の統一性が保たれている)。生死にかかわるところに曖昧性があっていいのかと思ってしまいますが、実は曖昧なところがないとまずいのですね。自己と非自己の境目が設計図によって厳密に決まっているような生命体は、環境と外界の変化についていけません。もちろん、曖昧性が原因となって「個」の破綻を招くこともある。しかし、それを補って余りある「種」としてのメリットがあるということでしょう。

No.69-70「自己と非自己の科学」は、免疫学者の故・多田富雄が著した2冊の本によっているのですが、その多田氏は免疫系を「超システム」と呼び、


遺伝的に、前もって決定されていたシナリオ通りに動くわけではない。さまざま環境条件や偶然性などを取り入れながら、時間的な記憶をもった創発的なシステムとして、個性に富んだ行動様式を自ら作り出してゆく

多田富雄
「免疫・自己と非自己の科学」
(NHKブックス 2001)

免疫・「自己」と「非自己」の科学.jpg
と述べています。ここで言及されているのは「獲得免疫」のことですが、改めて「獲得」とは適切な用語だと思います。もちろん「獲得」という言葉は「麻疹はしかに一度かかったら、二度とはかからない。ヒトは麻疹にかからない、という性質を後天的に獲得する」という意味の「獲得」です。それが本来の意味です。しかしここに至って、新たな「獲得」の意味が出てきた。

まさに「ヒトは免疫システムそのものを獲得していく = 自ら作り出してゆく」のですね。その「超システム」としての免疫システムが作り出すのが、「ヒト + 共生微生物群」という「超個体」なのでしょう。それが「獲得されるもの」です。ヒトの「獲得免疫」のありようは遺伝的に決まっているわけではありません。たとえ一卵性双生児であっても違います。そこに共生微生物群が加わると、一人一人でさらに違ってくる。自己とは何か、そのの根幹のところは極めて個性的であり、多様性に富むものなのです。



生命現象と社会現象を単純なアナロジーで考えるのはまずいとは思うのですが、本書を読んでいて、社会における「複雑な組織」と生命体の類似を考えずにはいられませんでした。

たとえば企業という組織ですが、純粋さ(コアとなる事業や技術、組織風土、企業理念など)を保ちつつ、異質さ(外国の人材、M&A、新分野、異業種連携、など)をいかに取り入れて共存していくかが重要です。これは生命体と非常に良く似ています。思い返すと、生物の進化をテーマにした No.56「強い者は生き残れない」の結論は「環境変化に柔軟に対応できるものが生き残る」でした。それは生命体も企業組織も全く同じだと思います。


サイエンス・ライターという職業


本書の著者であるモイゼス・ベラスケス = マノフは、コロンビア大学の大学院のジャーナリズム科でサイエンス・ライティングを専攻した科学ジャーナリストです。本書は8500本もの論文をあたって書いたと言います。本文には約700の注釈があって、引用した文献・論文が巻末に明記されています。

著者の姿勢もフェアで、個別の研究結果について反対意見があればそれも公平に書かれています。因果関係が実証されていないことは、実証されていないと書いてある。著者自身も自己免疫疾患を抱えていて、そのため寄生虫を体内に入れるという「治療」にチャレンジするのですが、その結果も(効果あり・効果なしの両方あった)、ありのままに書かれています。

本書で思ったのは「サイエンス・ライター」という職業の重要性です。現代は科学技術に関わる事項が社会の大問題になったり、人間社会の行く末に大きく関わったりするわけです。原子力発電がそうだし、地球温暖化もそうです。以前の記事で言うと、遺伝子組み換え作物(No.102-103「遺伝子組み換え作物のインパクト」)もそうでしょう。ガン研究もその一例です。しかしこういった重要事項は、それ自体が大変にこみ入っていて、複雑なわけです。一般人が理解するのは並大抵ではない。そのことから、人を惑わすいいかげんな説や、科学的根拠の全くない宣伝文句、誤った風説がまかり通ったりする。

このような科学技術に関わる複雑な事項を、科学者・技術者の研究成果や論文に基づきつつも、分かりやすく解説することは大変に重要だと思います。分かりやすく、というのは文章の分かりやすさも重要です。モイゼス・ベラスケス = マノフ氏の文章は非常に論理的で読みやすい。そのことも本書の優れた点だと思いました。

また同時に、この本は日本語訳が優れています。訳したのは赤根洋子さんという翻訳家です。もちろん原文の英語も良いのでしょうが、日本語文章が非常に明晰で感心しました。巻末の注釈(約700)を省略せずに記載したのも好感が持てます。

とにかく、アメリカでは全米屈指の名門大学でサイエンス・ライティングを専攻できるようなのです。日本ではどうなのでしょうか。


マイクロバイオームの再生医療


ここからは完全な補足です。

アメリカの雑誌「Scientific American」の2013年12月号に「World Changing Ideas」という記事が掲載されました。「世界を変えるアイデア」です(日経サイエンスの日本語訳では「常識を変える先端技術」)。この記事は、世界を変える(かもしれない)10の技術を紹介したものですが、その一つが「腸内細菌の再生」に関するものでした。『寄生虫なき病』と大いに関係する内容なので、日経サイエンスの日本語訳で一部を紹介します。


マイクロバイオーム
腸内細菌を操って病気や感染症と戦う

私たちは口や皮膚、消化器にいる何兆もの細菌や真菌、ウイルスのおかげで毎日を健康に暮らしている。こうした微生物のほとんどは実験室での培養が難しいため、以前は研究手段がなかった。しかし、急速に改良が進む低コストの塩基配列解読技術によって、ようやくそれが可能になりつつある。常在細菌と戦うのではなく、彼らと協力して、頑固な疾患を治療したり健康全般を改善する興味深いアプローチが考案されようとしている。

数年前は微生物の大集団を研究することは夢物語でしかなかったが、現在はそうした実験をそれほどコストをかけずにできるようになっていると、スタンフォード大学医学部教授レルマン(David Relman)は言う。この「メタゲノミクス」という新分野は、健康な人と様々な症状や病気に苦しむ人の腸内のマイクロバイオーム(細菌叢)がどのようなものかを教えてくれる。そのようなデータを活用して、細菌叢のバランスを操作し、肥満や炎症性腸疾患など多くの病気を直す可能性が探られている

・・・(以下、略)・・・
日経サイエンス
(2014年5月号)

我々が発酵食品を食べたり乳酸菌やビフィズス菌入りの飲料を飲むのは、腸内細菌を「整えよう」とする努力です。この記事にある「メタゲノミクス」は、DNA解析技術を駆使して、大々的・組織的にマイクロバイオーム(細菌叢)を「整える」もののようです。

これはかなり難しい技術だというのが直感です。「普通の人に比べて、数種の腸内細菌が不足している」ことが分かったとしても、その数種を注入すればよいというわけではないはずです。ヒトは「数種の腸内細菌が不足している状態を前提に、それなりに最適化されている」はずです。人体生態系なのだから・・・・・・。

しかし「不在という伝染病」と戦うには、このような医療技術を突き詰めることしかないのだと感じました。

続く


 補記 

本文の中に本書を読んだ感想として、

本書を読むと、
  免疫は、「非自己」を「自己」に取り込み、自己の一部として共生して「超個体」を作り出すためのものである。もちろん、自己と共生できない「非自己」は排除する
という考えになるのです。

と書きました。しかしこれは「考えになる」どころか、本当のことだと分かってきたようです。免疫システムが「非自己」を「自己」に取り込む働きをしている。そのことが、2015年2月22日のNHKスペシャルで説明されていました。

つまり免疫システムのキーである「抗体」の一種、免疫グロブリンA(IgA)が、人体との共存を許す細菌だけに選択的に取り付き、腸の壁を覆っている粘液層に細菌が入りやすくしています。IgAが「取り付く」ことで粘液層に入るときの抵抗が少なくなるようです。これを研究している日本の理化学研究所のシドニア・ファガラサン氏がインタビューに答えていました。


IgA抗体は攻撃するためでなく、腸内細菌を助けるために働いています。IgA抗体は私たち人間に必要な菌だけを選んで腸に住み着かせているのです。

私たちは細菌とともに長い進化の歴史を過ごしてきました。その過程で互いに助け合う仕組みを発達させたのです。腸内細菌と共に生きていることの本当の意味を知るべきです。私たちは腸内細菌と一緒になって初めて一つの生命体なのです。

シドニア・ファガラサン(理化学研究所)
NHKスペシャル(2015.2.22)
「腸内フローラ ~ 解明!驚異の細菌パワー ~」より

人間の免疫システム(獲得免疫)が何をやっているかというと、それは、

自己と非自己の認識
特定の非自己の認識(特異性)

の二つです。①はもちろん生命体としての自己同一性を保つためですが、②は何のためにあるのか。それは「特定の非自己」を攻撃するためと同時に、「特定の非自己」と共存し「自己」の一部とするためでもあるようです。

(2015.3.1)



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No.119 -「不在」という伝染病(1) [科学]


マイクロバイオーム(細菌そう


No.69-70「自己と非自己の科学」で、ヒトの「獲得免疫」のしくみについて書きました。獲得免疫は「自然免疫」に対比されるもので、「病原体などの抗原に対して、個々の抗原ごとに特異的に反応して排除するしくみ」を言います。その No.70「自己と非自己の科学(2)」の最後の方に、ヒトの「マイクロバイオーム」が免疫に重要な役割を果たしていることを紹介しました。

マイクロバイオームとは人間の消化器官や皮膚に住みついている細菌群(=常在菌)の総体を言う用語で、日本語では「細菌そう」です。No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した内容を要約すると次の通りです。

人体に住みついている細菌は「常在菌」と言い、一時的に体内に進入して感染症を引き起こす「病原菌」とは区別される。常在菌は病原性を示さない。

常在菌の住みかは、口腔、鼻腔、胃、小腸・大腸、皮膚、膣など全身に及ぶ。人体にはおおよそ 1015 個(1000兆個)の常在菌が生息し、この数はヒトの細胞数(約60兆個)の10倍以上になる。常在菌の種類は1000種前後と見積もられている。

ヒトの消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトに存在する遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する。

有益な微生物の代表例は、バクテロイデス・テタイオタオミクロンだ。炭水化物を分解する能力が非常に優れていて、多くの植物性食品に含まれる大きな多糖類を、ブドウ糖などの小さくて単純で消化のしやすい糖類に分解する。そのおかげで人間はオレンジやリンゴ、ジャガイモや小麦胚芽といった食品から栄養素を効率的に吸収することができる。

2010年には、自己免疫疾患を抑制する制御性T細胞の誘導に関係するバクテロイデス・フラジリスが、2011年には同様にこの制御性T細胞を誘導するクロストリジウム属が発見された。

日経サイエンス
2012年10月号より(要約)

この最後の項が、常在菌が人体の免疫機構を制御している、少なくとも免疫機構に関与していることを言っています。最近、このこと関連した医学研究を詳細に分かりやすく解説した本が出版されました。非常に興味深い本だったので、その内容を紹介したいと思います。『寄生虫なき病』という本です。


『寄生虫なき病』


『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)は、アメリカのサイエンス・ライターであるモイゼス・ベラスケス=マノフ氏の本で、細菌や寄生虫と免疫関連疾患の関連が詳細に書かれています。彼は数千の研究論文を読破し、また研究者へのインタビューも行って本にまとめました。著者自身も自己免疫疾患を抱えていて、自分のやまいを知りたいという強い思いが伝わってきます。

この本(以下「本書」)は約500ページもあるので、とても全部の内容を要約できませんが、以下にポイントを紹介します。

寄生虫なき病.jpg

カバー写真:アメリカ鉤虫(こうちゅう。Necator americanus)。体長10mmほど。幼虫は人間の皮膚から体内に侵入し、血管を通って最終的に小腸に到達すると、腸壁に取りつき、血液を吸って繁殖し、人体に様々なダメージを与える。アメリカ合衆国では現在は根絶されている。著者はこのアメリカ鉤虫を自ら体内に取り込んだ。─── 本書カバーの説明を引用。


衛生仮説


一般に、

  環境が清潔過ぎると、アレルギー疾患が増える

という主張を「衛生仮説」と呼んでいます。これは1990年代半ばから提唱されたもので、日本では寄生虫の減少とアレルギー増加の相関関係を指摘した藤田紘一郎博士が有名です。本書は衛生仮説が正しいことを主張するものですが、もう少し厳密に、

  衛生仮説
  微生物(細菌や寄生虫)が少ない環境が、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクを増大させる

とし、各種の実証研究を網羅的にあたってこの仮説を説明した本です。

衛生仮説と言う時の「衛生」や「清潔」の意味に注意すべきで、ちょっと誤解を受けかねません。「不衛生」で「不潔」な環境がアレルギーを減少させると考えてしまうと「それじゃ、ニューヨークのスラム街に喘息患者が多いのはおかしいではないか」となります。スラム街に喘息患者が多いのは、喘息を誘発するアレルゲン(ゴミ、チリ、ダニ、など)が多いからです。本書には、スラム街で比較すると微生物が少ないほど喘息のリスクが増加することが書かれています。

「微生物」という言葉にも注意すべきです。これはもちろん、コレラ、赤痢、麻疹、インフルエンザなどの伝染病の原因となる病原菌やウイルスのことではありません。昔からヒトと共存してきた微生物のことです。そもそも伝染病は5000年ほど前から始まったとされています。なぜなら、伝染病の成立・維持に必要な人間の集団の数は約20万人(最新の学説)だからです。また伝染病には動物の細菌が人間に感染したものが多い。つまり伝染病は人間が動物を家畜化し、文明生活を集団で始めて以降のものです。病原菌は人類進化史の観点からすると「新参者」です。

こういった誤解を避けるためにも「衛生仮説」ではなく「旧友仮説」と呼ぶべきだという学者の意見が本書に紹介されています。旧友(Old Friends)とは、人類が旧石器時代からずっと共存してきた微生物です。従って、衛生仮説をさらに正確に言うと、

  旧友仮説 = 衛生仮説
  人類が旧石器時代から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少ない環境が、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクを増大させる

ということになります。

さらに注意点は、免疫の働きは人によって違うので、免疫関連疾患を増大させるといっても、具体的な現れは人によって違うということです。あくま平均的なリスクを増大させるのであって、そのリスクが顕在化するかどうかは人によって違います。

以上を踏まえつつ「旧友仮説」(衛生仮説)の背景と、その要因となっている人体の機構を本書から紹介します。


免疫関連疾患の特徴


免疫関連疾患とはアレルギー疾患と自己免疫疾患をさします。アレルギーは、花粉、ダニ、各種食物(そば、小麦、鶏卵、・・・)、煙、紫外線などの、いわゆるアレルゲンの刺激によって免疫系が過剰に反応し、それが原因で炎症や気管閉息(喘息)などの症状が出るものです。

自己免疫疾患は、免疫系が自己を攻撃する病気です。リウマチ(関節)、1型糖尿病(膵臓)、重症筋無力症(筋肉)など、ほとんどあらゆる臓器に自己免疫疾患があると言われています。また、多発性硬化症のように中枢神経全般に病変が起こるものや、赤血球が破壊される溶血性貧血、全身の臓器に炎症が発生する全身性ループス(エリテマトーデス)というような病もあります。難病と言われている病気の多くは自己免疫疾患です。

これらの「免疫関連疾患」の発病には、何点かの特徴があります。

 ① きわめて現代的なやまいである 

たとえば花粉症が初めて記録されたのは19世紀初めのイギリスです。当初はイギリス人だけに見られた症状で、他のヨーロッパ諸国にはありませんでした。20世紀になるとアメリカでも記録されるようになり、20世紀後半に先進国で激増しました。ちなみに花粉症は最初の免疫関連疾患と言われています。

一般にアレルギーや喘息は1960年代に「流行」が始まり、1980年代に発症が加速し、2000年代前半にピークに達して現在もその水準を維持しています。先進国ではこの40年間に、総じて2~3倍に増加しています。

セリアック病という病気があります。穀物のタンパク質・グルテンが引き起こす炎症性腸疾患ですが、この病気の有病率(人口あたりの発症率)は、20世紀半ばから現在までに4倍になりました。

自己免疫疾患に目を移すと、中枢神経全般に病変が起こる多発性硬化症は、20世紀後半から有病率が3倍になっています。

1型糖尿病(若年性糖尿病)という病気があります。我々がよく耳にする糖尿病は生活習慣に起因する「2型糖尿病」ですが、1型糖尿病は遺伝子変異による自己免疫疾患で、幼少期に発病します。この有病率も3倍になりました。

総じて、免疫関連疾患は

19世紀から兆候が現れ
20世紀に有病率が増加し
20世紀後半に激増した

という経緯をたどっています。

 ② 遺伝子変異による免疫疾患にも「現代病」がある 

さきほどのセリアック病ですが、この病気は遺伝子変異で引き起こされることが分かっています。セリアック病は、小麦や大麦などの穀類に含まれるグルテンを摂取すると炎症性の腸疾患が起こるもので、60年前にはほとんどありませんでした。

そもそも小麦は農耕の起源にもなったように、人類にとって大変に重要な食物です。そこに含まれているグルテンはパン生地や麺に粘性を与えている成分で、グルテンがないと小麦とは言えません。そのグルテンを摂取すると腸疾患が起こるという遺伝子変異が、なぜヒトに温存されてきたのかが不思議です。これは「セリアック病の発症を押さえる要因が以前は存在したが、現代ではそれがなくなった」ことを疑わせます。

1型糖尿病(若年性糖尿病)も遺伝子変異によって起こります。幼少期に発病し、ほおっておくと生殖年齢までは生きられません。治療はインシュリンを投与することですが、そのインシュリンは1920年代に医薬品としての生産が始まったものです。もちろん遺伝子変異が20世紀に起きたのではなく、昔から人類に変異が受け継がれてきた。ではなぜ遺伝子変異による致死的な病気が人類に伝わってきたのか。これも「1型糖尿病の発症を押さえる要因が以前は存在したが、現代ではそれがなくなった」ことを強く疑わせます。ちなみに1型糖尿病の有病率は20世紀後半で3倍になっています。

 ③ 免疫関連疾患は国による差が激しい 

免疫関連疾患は、国によって有病率に極端な差があることが特徴です。たとえばアレルギー疾患の有病率には、最も高い国と最も低い国で20倍もの差があります。オーストラリアの子供は4人に1人がアレルギー疾患を抱えていますが、アルバニアの子供にアレルギー疾患はほとんどありません。1型糖尿病はさらに顕著で、最も高いフィンランドの有病率は、最も低い中国の350倍です。

こうしてみると、いわゆる「先進国や豊かな国」ほど免疫関連疾患が多い傾向のようです。では先進国の何が原因なのかが問題です。

 ④ 人種的・民族的要因ではない 

国によって差があることは、人種的要因、ないしは民族的要因を想像させますが、そうではありません。免疫関連疾患の調査から分かってきたのは、有病率が低い国の人でも

  移住をすると、移住先で生まれた2世の有病率は地域住民と等しくなるか、地域住民を上回ることもある

ということです。これはその国・その地域の「環境要因」によることを強く疑わせます。

 ⑤ 富裕層から流行が始まった 

19世紀に花粉症がイギリスではじめて報告された当時ですが、同時のイギリスの上流階級や富裕層に特徴的にみられました。花粉症は「金持ちの病気」とみなされたようです。このように「富裕層から免疫関連疾患の流行が始まる」という現象が、20世紀にはいってからも多々あったことが分かっています。


寄生虫と免疫関連疾患


寄生虫の減少と免疫関連疾患の増加の相関関係を指摘した先駆者(の一人)は、アメリカの胃腸科の専門医であるジョエル・ワインストックでした。

炎症性腸疾患(IBD)という病気があります。潰瘍性大腸炎とクローン病を総称してIBDと呼びます。クローン病は小腸を中心に炎症が起こり、消化器官全体に及ぶこともあります(クローンは発見者の名前)。IBDは20~30代で発症する病気です。ワインストックはIBDを研究し、有病率が地域と時代によって大きく違うことに気づきました。

IBDが初めて報告されたのは19世紀後半のイギリスです。ロンドンとダブリンから多くの症例の報告があり、中でも「上流階級の、栄養のいい、健康で裕福な人」が発症しました。アメリカでのIBDの流行は、北部の白人から始りました。ジョン・F・ケネディ大統領も大腸炎に悩まされていたと言います。そして「北高南低」の傾向を保ちつつ、次第に全米に広がっていきました。

IBDの発症率は一卵性双生児でも大きく違います。従って遺伝的要因ではありません。ワインストックは「子供の時に衛生的な環境で育った人ほど発症率が高い」ことに着目しました。そして、

  アメリカにおけるIBDが広がりは、寄生虫撲滅の歴史的・地理的変遷とよく一致する

ことを見いだしたのです(1995年)。これが衛生仮説の誕生になりました。

人間の寄生虫は、ほとんどが無害です。しかし中には有害なものがある(回虫など)。そのため寄生虫を駆除する国をあげての衛生改革がアメリカでは20世紀前半から組織的に行われたのです。

本書にない余談ですが、潰瘍性大腸炎は安倍晋三首相(2014年7月現在)の持病です。中学校を終えるころ発病したそうです。第1次安倍内閣の2007年9月、安倍首相は病状悪化のため、突然、辞任を発表しました。



「寄生虫の減少と免疫関連疾患の増加には関係がある」という仮説を検証するにはどうしたらよいのか。いわゆる「先進国」では既に衛生改革が進んでしまっていて検証はできません。そこで「19世紀から20世紀にかけて先進国がたどってきた道を、今たどっている国・地域」を研究すればよい、ということになります。

エチオピアのジンマという町(人口9万人)で喘息の発症率を調べた研究があります。1990年代のジンマでは、入院患者の20人に一人が喘息の患者でした。これは当時のアフリカとしてはかなりの高率です。その10年前にはジンマの喘息患者はほとんど皆無だったのです。喘息の原因には大気汚染、チリ、ダニ、食生活などのさまざまな説があります。研究チームはジンマの都市部と農村部を調査し、喘息患者は都市部に多く農村部に少ないことを見い出しました。

詳しく調べると、大気汚染、チリ、ダニ、食生活などの要因は全て無関係となりました。これらは都市部と農村部で差がなかったのです。調査チームは他に考えられる要因を列挙し、一つ一つ調査のうえ、関係のないものをつぶしていきました。それらの中に唯一、喘息の有病率と反比例の関係にあるものがあったのです。それが寄生虫(鉤虫こうちゅう)の感染率でした。

この例に見られるように「寄生虫がいなくなるとアレルギーが出現する」という研究は他にも多くあります。



アレルギーを引き起こすのは、人体で作り出される「免疫グロブリンE = IgE」という抗体です。全ての哺乳類が IgE を作ることから分かるように、IgE は進化の歴史上、極めて古いものです。この IgE は何のためにあるのか。それは「寄生虫を排除するため」というのが、1990年代に発達した免疫学の結論です。

一方、タンパク質で引き起こされる(= タンパク質がアレルゲンとなる)アレルギーがあります。花粉や小麦などです。なぜ人体に無害なタンパク質に対して IgE が作られるのか。タンパク質は数万種もありますが、アレルゲンとなるタンパク質は数10種類の特定のものです。なぜ特定のタンパク質がアレルゲンになるのか。それは「アレルゲンとなるタンパク質は寄生虫のタンパク質と似ているからだ」ということも分かってきました。

こういった免疫学の知識も「寄生虫がいなくなるとアレルギーが出現する」という因果関係を疑わせます。


衛生状態と免疫関連疾患


旧ソ連の崩壊(1991)は、免疫関連疾患の研究にとって絶好の機会を提供することになりました。というのも、同じ生活習慣の同一民族が、国境線で東と西に分断されていたケースがあったからです。「鉄のカーテン」の消滅で、分断された同一民族の比較研究が可能になりました。一つは東西ドイツの比較であり、もう一つはフィンランド領カレリアとロシア領のカレリアの比較研究です。

ベルリンの壁の崩壊(1989)後、東西ドイツのアレルギーを比較したミュンヘン大学の研究があります。当時の東ドイツはまだ石炭が主力燃料であり、西ドイツより遙かに大気汚染がひどい状況でした。また市民がチリダニやカビに曝露する機会も西ドイツより多かった。要するに「数十年前の西ドイツ = 東ドイツ」だったのです。当時の学説に従って、アレルギー疾患は東ドイツの方が多いと予想されました。

ところが事実は意外なものでした。調べてみると、

確かに気管支炎は東ドイツが西ドイツの2倍多いが
喘息の有病率はほぼ同じであり
花粉症の有病率は東ドイツが西ドイツの3分の1から4分の1
アレルギー傾向の人は東ドイツの方がずっと少ない

ということなのです。その要因を各種の調査から分析すると、違いは「幼児期の感染症」でした。たとえば東ドイツの方が住宅環境が遙かに「混雑」しており、また保育所に通った経験が多かった(東:70%。西:8%)。その他、さまざまな要因の結果、感染症の経験が東ドイツの方が多かったのです。



フィンランドの東に「カレリア」と呼ばれる地域があり、フィン人と近縁のカレリア人が住んでいます。カレリアはフィンランド領とロシア領の2つに現在も分断されています。分断されていても同じ民族であり、夏は白夜が続くという北極圏の同じ緯度に住んでいます。

フィンランドの研究者がカレリア人の自己免疫疾患・アレルギーを調べました(フィンランドは自己免疫疾患の有病率が世界で最も高い国の一つです)。その結果、

1型糖尿病の有病率は、ロシア領カレリア人がフィンランド領カレリア人の6分の1。1型糖尿病の原因である遺伝子変異の率はほぼ同じ。

小麦が引き起こすセリアック病は、ロシア領カレリア人がフィンランド領カレリア人の5分の1。小麦の消費量はほぼ同じ。

花粉症の有病率は、フィンランド側がロシア側の4.5倍。

喘息の有病率は、フィンランド側がロシア側の2倍。

という結果になりました。なせこのような差異が出るのか。それを統計的に分析すると、

感染症(トキソプラズマ、ピロリ菌、A型肝炎など)
生活環境の細菌(感染症にはならない細菌)

の違いで説明できることがわかりました。いずれもロシア領カレリアの方が圧倒的に多かったのです。たとえば、ロシア領カレリアの水道水に含まれる微生物(主として腐生菌 = 生きていない有機物を栄養源とする細菌の総称)は、フィンランド側の9倍ありました。カレリアは、

  同一民族が、ヨーロッパの中でも最も豊かな先進地域(フィンランド側)と、ヨーロッパの最貧地域(ロシア側)に分かれている、という希有な状況にあった

ことが、自己免疫疾患とアレルギーの有病率の明確な差を生み出したと考えられるのです。



これらの調査の中で頻繁に見られたのは、アレルギー疾患における次のような現象です。

兄弟効果 兄弟姉妹を比較すると、後に生まれた子の方が先に生まれた子よりアレルギー疾患が少ない。

保育所効果 保育所に通った子供の方が、通っていない子供よりもアレルギー疾患が少ない。

農場効果 農家の子供の方が、非農家の子供よりアレルギー疾患が少ない。また、農場で家畜に接する機会が多いほどアレルギー疾患のリスクが低下する。

これらの研究が結論づけているのは、人間にとっての微生物環境の重要性です。つまり、生活環境で微生物に接する機会が多く、体内の腸内細菌が多様なほどアレルギー疾患のリスクが低下し、また免疫関連疾患の発症リスクも押さえるという関係性です。

現代は(特に先進国は)「アレルゲンは豊富なままだが、微生物が不足している」という状況なのです。


母体の微生物環境が子供の病を左右する


人間の微生物環境は、胎児の時から始まっていることも分かってきました。つまり、

母親の妊娠中の行動が子供に農場効果をもたらす。つまり、母親が妊娠中に農場などで動物に多く接すると子供のアレルギー・リスクが低下する。

逆に、母親が妊娠中に微生物に出会わないと子供の喘息のリスクが高まる。

などの観察結果です。これは、子宮内の免疫環境が胎児の免疫系に刷り込まれるからと考えられます。

母親の体内環境が胎児に影響を与えるのはありうることです。先天性風疹症候群という症状があります。母親が妊娠初期に風疹にかかると、赤ちゃんに心臓の奇形や難聴、白内障などの各種症状が現れるリスクが高まります。風疹ウイルスが胎児にまで届くわけではありません。子宮内部は無菌状態です。先天性風疹症候群は、ウイルスによって母体に引き起こされた変化が胎児に影響するという一つの例です。母体の免疫環境が子宮内の免疫環境に影響し、それが胎児の免疫系に影響するというのも、ありうることです。

もちろん、生まれて後の微生物環境も大変に重要です。赤ちゃんは産道を通るときに母体の「微生物のスープ」に包まれます。これが赤ちゃんにとっての最初の微生物の洗礼となります。

お母さんの乳頭にはビフィズス菌のコロニーが発生することが知られています。赤ちゃんが母乳を吸うとビフィズス菌が体内に入ります。酸素を嫌う「嫌気性細菌」であるビフィズス菌はどこからくるのでしょうか。マウスによる実験では、白血球がビフィズス菌を腸から乳腺に運ぶことが分かってきました。母乳には約200種類のオリゴ糖が含まれますが、これを消化できるのはビフィズス菌だけです。母乳がそれを提供し、赤ちゃんの体内に友好的な共生菌が住みつきます。ちなみにオリゴ糖とは単糖類が結合した糖類の総称で、多糖類(結合数10以上程度)よりは結合数が少ないものを言います。

母乳以外の微生物環境(家庭、保育所、・・・)も、もちろん重要です。早い時期に微生物に曝露すると人間の「免疫抑制機構」が発達します。逆に、幼少期に微生物に出会わないと免疫抑制機構は発達しません。大人になってからでは遅いのです。

続く


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No.105 - 鳥と人間の共生 [科学]

No.56「強い者は生き残れない」で、進化生物学の研究者である吉村仁氏の同名の著書に従って「共生と協調が生物界における生き残りの原理」であることを紹介しました。この本ではそこから論を広げて、人間社会においても「共生と協調」が重要なことが強調されていました。今回はその「共生」についてです。


共生


生物の世界の「共生」は広く見られる現象です。たとえば「昆虫と花」の関係です。昆虫は花から栄養を得て、花は昆虫に受粉してもらうというように相互に依存しています。昆虫がいなくなったら絶滅する花はたくさんあります。

その昆虫の世界では、たとえば蟻とアブラムシ(ないしはカイガラムシ、ツノゼミなど)の共生が有名です。アブラムシは蟻に糖分を分泌し、蟻はアブラムシを外敵(たとえばテントウムシ)から守るという共生関係です。

では、人間は他の生物と共生関係にあるのでしょうか。すぐに思いつくのは、No.70「自己と非自己の科学(2)」で書いた「常在菌」です。常在菌は病原菌と違って、人間の体内に住みついています。


常在菌のすみかは、口腔、鼻腔、胃、小腸・大腸、皮膚、膣など全身に及ぶ。人体にはおおよそ 1015 個(1000兆個)の常在菌が生息し、この数はヒトの細胞数(約60兆個)の10倍以上になる。常在菌の種類は1000種前後と見積もられている。

東京大学・服部教授
日経サイエンス(2012.10)
No.70 - 自己と非自己の科学(2)参照

常在菌には「ヒトの免疫システムの一部として機能している」(No.70)など、人間にメリットを与えている菌が多数あります。常在菌は養分を人間が摂取する食物から得ているので、共生だと言えます。

常在菌との共生は分かるのですが、それは目には見えないし、共生しているという実感が湧きません。蟻とアブラムシのように「目に見えるかたち」で人間と共生している動物はないのでしょうか。犬、猫、馬、牛、小鳥のように人間が家畜として「利用している」のではなく、生物学的な「共生関係にある」動物です。

最近、その「目に見えるかたちでの、人間と動物の共生」に関して興味深い話を読んだので、それを紹介したいと思います。そのためにはまず、アフリカなどに生息する哺乳類・ラーテルから説明する必要があります。


ラーテル


ラーテル-1.jpg
ラーテル
(小学館の図鑑 NEO 2002 より)

ラーテルはイタチ科に属する体長1メートルほどの小動物です。アフリカから西アジア、インドに分布し、サバンナや乾燥した草原、岩石砂漠、また森林にも住みます。

ラーテルは頭部から背中、尻にかけてが白い毛で覆われているのが特徴です。雑食性で、草原などを這い回り、小型の動物(虫や爬虫類、小型哺乳類)や果実などを食べます。

ラーテルの武器は、頭部から背中にかけての分厚い皮です。堅いと同時に伸縮性にも富んでいて、ライオンの牙やヤマアラシの針なども通しません。いわば天然の装甲車です。そういう「装甲」があるからでしょうか、ラーテルの性質は荒く、あらゆる動物に立ち向かいます。ライオンさえ恐れないと言います。ギネスブックには「世界一怖い物知らずの哺乳類」として記載されているようです。

さらにラーテルは毒蛇のコブラをも補食します。ラーテルはコブラの神経毒に対する耐性をもっていて、噛まれても死ぬことはありません。ちょっと驚きです。



ところで、ラーテルの英語名は

 honey badger

ラーテル-2.jpg
木に登って蜂の巣を探すラーテル(小学館の図鑑 NEO 2002 より)
です。honey はハチミツ、badger はアナグマですね。アナグマもイタチ科の動物であり、確かに姿はアナグマに似ています。和名は「ミツアナグマ」で、これは英語名をそのまま訳したものでしょう。

ラーテルは、その英語名・和名が示す通り、蜂の巣を襲い、蜂蜜や蜂の子を食べるのが大好きです。ラーテルが木に登って蜂の巣を探している様子の写真を掲げました。

そしてここからが本論なのですが、アフリカに生息する「ノドグロミツオシエ」という鳥は、このラーテルを蜂の巣に誘導する習性を持っているのです。「習性を持っている」というのは言い過ぎかもしれないので、習性を持っているとされているとしておきます。


ノドグロミツオシエの誘導行動


ノドグロミツオシエ-1.jpg
ノドグロミツオシエ(オス)
(小学館の図鑑 NEO 2002 より)

ノドグロミツオシエは、ミツオシエ科の鳥で、主としてアフリカに分布します。全長は10-20cmで、名前の通り、オスは喉のところが黒い色をしています。この鳥もラーテルと同じように蜂の巣が大好きで、蜂の巣そのものを食べます。ノドグロミツオシエの腸には、蜂の巣の素材である「蜜蝋」を消化する細菌が住みついているので、こういうことが可能なのです(共生!)。

ミツオシエという鳥の英語名は

 honeyguide

で、ノドグロミツオシエは

 greater honeyguide

です。honeyguide = ミツオシエ = ハチミツ案内、という名前が示すように、この鳥は動物を蜂の巣に誘導する習性を持っています。ミツオシエ科の鳥すべてがこの習性を持ってはいませんが、ノドグロミツオシエを含む数種は「ハチミツ案内」の行動をします。

たとえば人間です。アフリカでは現在でも狩猟採集民が生活していますが、ノドグロミツオシエは人間を見つけるとまわりを飛び回り、次に蜂の巣へと先導します。狩猟採集民はノドグロミツオシエの習性を知っていて、その誘導に従って蜂の巣を見つけ、斧で蜂の巣を壊し、蜂蜜を採取します。ノドグロミツオシエは人間が蜂蜜を採取したあとの「おこぼれ」(蜜蝋など)を食べるというわけです。

ノドグロミツオシエ-2.jpg
蜂の巣を食べるノドグロミツオシエ(小学館の図鑑 NEO 2002 より)。ミツオシエ科の鳥は、腸に共生する細菌が蜜蝋を消化する。

こういう話を聞くと、我々は次のように考えます。

人類発祥の地・アフリカにおいて、極めて長い時間をかけて、ノドグロミツオシエとラーテルの共生関係ができあがった。

人間はかしこいので、ノドグロミツオシエがラーテルを蜂の巣に誘導することを経験的に知り、その誘導行動を利用するようになった。それが繰り返されるうちに、ノドグロミツオシエも直接人間を誘導するようになった。

これがごく普通の考え方でしょう。

しかし、そうではない。ノドグロミツオシエの誘導行動はヒトとの共生関係でできあがった、と主張する人類学者がいます。ハーバード大学のリチャード・ランガム教授です。なぜランガム教授がそう主張するのかというと、それには彼が提唱する「料理仮説」が関係しています。


料理仮説


人間は霊長類の仲間ですが、他の霊長類とは際だって違った体の特徴をもっています。それは

脳が大きい
歯が小さい
腸が短い

という3つです。なぜ人類だけがこのように進化したのでしょうか。ハーバード大学の人類学者、リチャード・ランガム教授は、それは

  人間が食物を加熱調理して摂取するようになったからだ

という説を唱えています。いわゆる「料理仮説」です。

火の賜物.jpg

料理仮説が解説されている。加熱調理はヒトの生物的進化を促しただけなく、余裕時間を生み(食物咀嚼時間の減少)、結婚制度の発達にも影響したと主張されている。

加熱調理すると食物の摂取が容易になり、かつ生で食べるのに比べて栄養の吸収が格段に良くなります。これが脳を発達させ、また歯は小さくてよく、腸も短くて済むようになった。

脳は大きなエネルギーを必要とします。とりわけヒトの脳は大きい。基礎代謝率(安静時のエネルギー消費)の何パーセントを脳の消費が占めるかを比較すると、

◆ヒト   20%
◆平均的な霊長類   13%
◆大半の哺乳類   8-10%

です(『火の賜物』による)。この必要エネルギーの摂取を成立させたのが「加熱調理」だった。

生物にしばしば見られるのは、摂取する食物に体が適応していることです。ウシは草に、蚊は動物の血に、蜜蜂は花のミツに適応したというわけです。その観点からすると、ヒトは加熱調理された食物に適応した生物である・・・・・・。料理仮説をざっと説明すると以上のようになります。

ふつう、脳や歯、腸の進化の原因は人類が肉食を始めたからだとされています。ヒトは約250万年前までには肉食を始めたと考えられています。約250万年前の遺跡から、石器によって切断された大型動物の骨が見つかっているからです。ランガム教授も肉食の重要性を否定してはいません。ただ「進化にとって決定的だったのは加熱調理だ」と考えているのです。



料理仮説はあくまで仮説であり、まだ定説とはなっていません。この仮説に有利な証拠もあるが、不利な点もあるからです。有利な証拠は、動物は加熱調理した食物を摂取すると、生で食べるよりも(ないしは、細かく砕いて食べるよりも)栄養の吸収が良いことが、マウスを使った実験などで確かめられつつあることです。しかし不利な点もあります。それは

  化石記録を検証すると、ヒトの脳の容積の増加は約200万年前から始まっているが、ヒトが火を使った証拠で最も古いものは約100万年前である

ことです。約100万年、ズレています。

 
  ちなみに、100万年前にヒトが火を使った証拠は、イスラエルのヨルダン川沿いのゲシャー・ベノット・ヤーコヴ遺跡で、焼けた種(オリーヴ、大麦、ブドウ)と集められた火打ち石が発見されています。

それ以前の年代では、アフリカで焼けた土や石が発見されていますが、自然現象との見分けがつきません。ヒトが火を使った証拠が残り、かつそれが発見される確率は非常に低いと考えられています(ランガム『火の賜物』による)。

もちろん、証拠が発見されていないからといって「約200万年前にヒトが火を使っていなかった」とは断言できません。今後、何らかの確かな痕跡が発見されるかもしれない。

ランガム教授は、化石人類の解剖学的特徴から「少なくとも約180万年前には、ヒトは火を使っていた」と考えています。火を使って食物を摂取したとしたら、解剖学的に大きな変化が速やかに現れるはずであり、そういった大きな変化は、化石記録から約180万年前(ホモ・エレクトスへの進化)か、約20万年前(ホモ・サピエンスへの進化)のどちらかしかないというのがランガム教授の見解です。しかしこれは火を使ったという間接的な推測です。火を使ったという他の傍証がないのか。



ここで、ノドグロミツオシエが登場します。ランガム教授は、

  ノドグロミツオシエが蜂の巣へ動物を誘導する行動はヒトとの共生関係ででき上がり、その起源は極めて古く、それはヒトが火を使い始めたあとにできた

と考えているのです。この下線をつけた部分を、仮に「ミツオシエ仮説」と呼ぶことにします(一般的な名称ではなく、この記事で仮につけたものです)。


ミツオシエ仮説


ランガム教授の「ミツオシエ仮説」を雑誌から引用します。


チンパンジーは蜂蜜を好むが、ハチに追い立てられるので、ほんの少ししか食べられない。これに対しアフリカの狩猟採集民は、その100倍から1000倍の蜂蜜を手に入れる。火を使っているからだ。煙がハチの嗅覚を邪魔し、攻撃してこなくなる。

リチャード・ランガム教授
「日経サイエンス」(2013.12)以下同じ

燻煙器.jpg
出発点はちょっと意外な着眼です。「ヒトが火を使う」ことと「ヒトが煙を使って多量の蜂蜜を手に入れる」ことが結びつけられています。人類学者であるランガム教授はチンパンジーの生態を長年研究しています。また、人類学者という立場からアフリカの狩猟採集民の生活にも詳しい。ランガム教授は「狩猟採集民はチンパンジーの100倍から1000倍の蜂蜜を手に入れる」と、具体的な数値をあげて断言しています。

  なお、煙で蜜蜂をおとなしくさせる方法は現代の養蜂でも使われます。図の燻煙器(くんえんき。Amazonのサイトより)は、藁・麻布などの火種を入れ、ふいごで空気を送って煙を出す器具です。


問題は、蜂蜜を得るために人間がいつから煙を使ってきたかだ。

そこでミツオシエという鳥の出番となる。アフリカにいるノドグロミツオシエという種は、人間を蜂蜜に誘導するように進化している。この鳥は、人間が木を切る音や口笛、叫び声、そして現在では自動車の音などを聞いて近づいてくる。人間を見つけると目の前で羽ばたき、特別な鳴き声を上げて、人がついてくるのを待つ。こうして1km以上離れたハチの巣まで人間を誘導できるのだ。その人はそこで火をたいて煙でハチを武装解除し、巣を斧で切り開いて蜂蜜を取る。ミツオシエはそのおこぼれとして、蜜蝋にありつける。

(ランガム教授)

ここで述べられているのは、以前から知られていたノドグロミツオシエの誘導行動です。「特別な鳴き声を上げ」とあります。誘導行動に特有の鳴き声があるということは、ノドグロミツオシエが長い進化の過程でこの行動を獲得してきたことをうかがわせます。この次からが「ミツオシエ仮説」の核心です。


この誘導行動(生来のもので、学習の結果ではない)はミツアナグマ(引用注:= ラーテル)との共生関係に端を発し、人間は後からそこに加わったのだと考えられていた。しかし過去30年の研究で、ミツアナグマが蜂蜜の場所へミツオシエによって導かれる例は、あっても非常にまれであることがはっきりした

(ランガム教授)

第1のポイントは「誘導行動は生来のもの」というところです。引用にはありませんが、その最大の根拠は、ノドグロミツオシエは「托卵」をする鳥だという事実です。つまり、カッコウと同じように、他種の鳥の巣に卵を産みつけ、雛は他種の鳥に育ててもらって巣立ちます。親鳥から誘導行動を学ぶ生育環境はないのです。

第2のポイントは「ラーテル(ミツアナグマ)を誘導するのは、あったとしても非常にまれ」というところですが、これを立証する研究は大変だと思いますね。ノドグロミツオシエが人間を誘導することは分かっているので、フィールドワークをする研究者は「ノドグロミツオシエに見つからないようにラーテルを観察する」必要があります。その結果が「あったとしても非常にまれ」ということなのでしょう。この観察・研究結果からのランガム教授の推論です。


この鳥と共生的な関係を結んでいる現生生物がヒト以外にいないとすると、ミツオシエがこの行動を進化させるのを助けた絶滅種が過去にいたのではないだろうか? そう、もっとも妥当な候補は絶滅人類だ。私たちの祖先が昔から火を使っていたので、十分に長い期間にわたって自然選択が働き、ミツオシエとの関係が発達したことを強く指し示している。

(ランガム教授)

現生人類は約10万年前にアフリカで誕生し、ユーラシア大陸へ、また南北アメリカへと渡っていったというのが定説です。それ以前にアフリカで生まれたヒト、およびユーラシア大陸へ渡ったヒト(ジャワ原人、ネアンデルタール人など)は全て絶滅したと考えられています。上の文章の「絶滅人類」とは、そのことを言っています。では、ノドグロミツオシエという鳥の種は、どの程度の昔からアフリカにいるのでしょうか。


英ケンブリッジ大学のスポッティスウッド(Claire Spottiswood)はノドグロミツオシエのメスには地面の巣に産卵するものと、樹上の巣に産卵するものの2タイプがあり、異なるミトコンドリアDNAを伴っていることを発見した(ミトコンドリアDNAは細胞のエネルギー生産器官であるミトコンドリアにみられるDNAで、母親から受け継がれる)。スポッティスウッドらは変異の発生率をかなり控えめに想定したうえで、この2つの系統が約300万年前に分岐したことを突き止めた。つまりノドグロミツオシエは少なくとも300万年前から存在している。

だからといって人間の火の使用に基づくミツオシエの誘導行動が300万年前にさかのぼることにはならないが(もっと後になってからのことだと考えられる)、ミツオシエが大きな進化的変化を遂げられるだけの古い種であることは確かだと言える。

(ランガム教授)

  補足しますと、上の引用での「産卵」は、前にも書いたように他種の鳥の巣に卵を産みつける「托卵」です。引用から推測すると、ノドグロミツオシエには遺伝的に異なった2つのタイプがあり、托卵をする相手の鳥が違っている(地上に巣を作る鳥と、樹上に巣を作る鳥)ようです。

ノドグロミツオシエの誘導行動は火を使うヒトとの共生関係で発生した、というのが「ミツオシエ仮説」です。ではヒトはいつから火を使うようになったのか、その時期はこの仮説からは(少なくとも引用したランガム教授の雑誌での解説からは)出てきません。

問題は誘導行動という「大きな進化的変化」に要する時間の長さです。「ミツオシエ仮説」に従ってノドグロミツオシエの誘導行動が成立する過程を考えてみると、

ノドグロミツオシエという種が成立する(300万年前より以前)。

ヒトが火を使い始める(100万年前より以前)。

ヒトが「煙を使って極めて効率的に蜂蜜をとる」方法を会得する。

ノドグロミツオシエが誘導行動をとるように進化する。

という経過になるはずです。

問題は の時間です。これには「動物行動の進化」に関する知見が必要です。「日経サイエンス」の記事には書かれていませんが、ランガム教授は の時間を100万年というオーダーで考えているのではないでしょうか。だとすると、ヒトが火を使い始めた時期()は、現在から100万年前ということはあり得ず、それより遙かに昔ということになります。それはヒトの脳の容積が増大し始めた時期と重なるのではないか・・・・・・。ランガム教授はこう考えているようです。

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引用した日経サイエンス(2013.12)の記事。写真はランガム教授


2つの共生系


ミツオシエ仮説を認めるとすると、100万年というオーダーの昔からアフリカのサバンナで2種類の共生が成立していたことになります。

一つは蜂と花の共生です。蜂(ミツバチ)は花の蜜を集め、それを幼虫の栄養にする。花は蜂に受粉をしてもらうという、太古の昔からの共生系です。

ノドグロミツオシエ-3.jpg
ノドグロミツオシエ
ランガム教授のカリフォルニア大学サンディエゴ校(U.C. San Diego)での講演(2012)より
もうひとつはヒトとノドグロミツオシエです。ノドグロミツオシエは蜂の巣の場所をヒトに教え、ヒトは煙を使って容易にハチミツを採取し、ノドグロミツオシエは残された蜜蝋を食べる、という共生系です。ランガム教授はカリフォルニア大学・サンディエゴ校の講演(2012年。ネットで公開されている)で「ケニアの狩猟採集民の研究では、蜜蜂の巣を採取するのに普通は平均8時間かかるが、ノドグロミツオシエの誘導行動を利用すると平均3時間でできる」と述べています。狩猟採集の効率という意味では大きいのです。

この花と蜂、ヒトとノドグロミツオシエという2つの共生系をつなぐキーワードは「蜜」です。この共生系において蜜は、

  花 → ミツバチ → ヒト → ノドグロミツオシエ(おこぼれ)

と連鎖します。それがアフリカのサバンナでヒトの誕生の初期に起こった。ヒトの誕生の初期に起こったというのはあくまで「仮説」です。しかし、

  少なくともアフリカのサバンナの狩猟採集民とノドグロミツオシエは「蜜」を介して(現代も)共生している

ことは確かです。ヒトを含む生物界においては「共生」が重要だということを改めて思わせる話です。

ランガム教授の講演-1.jpg ランガム教授の講演-2.jpg

ランガム教授の講演-3.jpg ランガム教授の講演-4.jpg
ノドグロミツオシエの誘導行動を利用し、火を使って蜂蜜を採取するアフリカの狩猟採集民。ランガム教授の U.C. San Diego での講演(2012)より。

ここでちょっと考えてしまうのですが、共生が重要ということは、逆にノドグロミツオシエの将来が気になります。アフリカの近代化の進展で、狩猟採集民もいずれ「文明化」し、狩猟採集はやめてしまうと考えられます。農業や牧畜に移行し、蜂蜜をとるにしても養蜂になるはずです。ノドグロミツオシエの誘導行動は、いずれ人間にとって不要になる

そのときノドグロミツオシエはどうするのでしょうか。ラーテルと新たな共生関係を結ぶのか、共生なしに単独で蜂の巣を攻撃するのか、それとも絶滅してしまうのか・・・・・・。人類史の研究という観点からも気になるところです。


ハチミツ仮説


これ以降は「ミツオシエ仮説」の先で、ランガム教授の見解というわけではありません。ミツオシエ仮説の主張を認めるとすると、別の「仮説」が頭に浮かびます。こういう質問はどうでしょうか。


  自然界にある「人間が食べられる」もので、

加熱調理する必要がない
人間の体内で消化活動の必要もない
速やかに体に吸収されて栄養になる

という条件をすべて満たすものは何でしょう?


答えは「ハチミツ」です。他にあるかもしれませんが、我々の身近にあり、すぐに思い浮かぶのはそれしかない。

  余談になりますが、「速やかに体に吸収されて栄養になる」「ハチミツ」の二つで思い出すのが、No.87 で紹介したメアリー・カサットの絵、「闘牛士にパナルを差し出す女」(1873。クラーク美術館)です。パナルとはスペイン語で蜂の巣の意味です。

ハチミツは自然界にある最も甘いものと言われていますが、同時に非常に効率的に栄養を摂取できる食物です。ハチミツの 80% はブドウ糖と果糖であり(ほぼ半々)、これらは速やかに人間の体内に吸収されて栄養になります(いわゆる単糖類)。特に、ブドウ糖は脳の栄養としては必須です。ハチミツは花から集めた「蜜」(ショ糖が主成分)を蜂が体内で分解したもので、蜂があらかじめ「消化してくれた」ものと言ってよい。このハチミツこそ、「ミツオシエ仮説」の鍵となっているものです。

その「ミツオシエ仮説」は、そもそも「料理仮説」の傍証でした。「料理仮説」は加熱調理により容易にエネルギーを摂取できることが、ヒトの進化を促したと主張するものです。

だとすると、ごく自然に次のような考えが浮かびます。つまり、ヒトはノドグロミツオシエとの共生で多量のハチミツを入手して摂取できるようになったからこそ、脳の巨大化などの進化が可能になったのでは、という考えです。これを仮に「ハチミツ仮説」と呼ぶことにします。


(ハチミツ仮説)

ヒトは火を使うようになって、蜂の巣(ミツバチの巣)さえみつければ容易にハチミツを入手できるようになった(煙で蜂を麻痺させるから)。

さらにヒトはノドグロミツオシエとの共生により、どこに蜂の巣があるかが容易に分かるようになり、多量のハチミツを入手できるようになった。

食物の加熱調理に加えて、ハチミツの摂取がヒトの脳の巨大化を促した。これがアフリカのサバンナにおけるヒトへの進化の要因になった。


つまり、ヒトが「ホモ・サピエンス」へと進化する引き金を引いたものの一つは鳥だったのかもしれない・・・・・・という考えです。これが「仮説」と言うに値するかどうかは分かりません。100万年前のサバンナの自然環境(そんなにミツバチがいたのか? また花が多かったのか?)や、当時のヒトの食料に占めるハチミツの重要度についての知見や想定が必要だからです。ランガム教授はカリフォルニア大学サンディエゴ校での講演(2012年)で、現在のアフリカの狩猟採集民はカロリーの 10% - 15% をハチミツから得ている、という研究事例を述べています(その一方で人間以外の霊長類はゼロに近い)。10% - 15%というのは少ないようにも見えますが、他の食料のように咀嚼・消化の必要がないので「エネルギー収支」からみると多いようにも考えられる。また、これは現在の話です。100万年前はどうだったのか。そもそもヒトが「火を恐れず、火を使う」ということは、どういうメリットをもたらしたのでしょうか。

加熱調理によって栄養が効率的に摂取できる(脳の発達や余裕時間の発生)。

煙を使うことで多量のハチミツを入手できる(効率的な栄養摂取)。

アフリカの夜のサバンナで肉食性の猛獣から身を守れる。

その他、「暖をとる」「明かりになる」「腐りやすい食物をいぶして保存する」「夜の火や昼の煙が通信手段になる」などがすぐに浮かびます。どれも正しいと思いますが、 だけで考えたとすると、どれがヒトにとって重要だったのでしょうか。

「重要」というなら だと考えられます。生死に関わることだからです。 は、どちらも栄養の摂取に関係しています。では、 のどちらが重要だったのでしょうか。ひょっとしたら かも知れません。

「ハチミツ仮説」が正しいかどうかはともかく、アフリカの狩猟採集民にとって、極めて長期の昔からハチミツが重要な栄養源であったことは確かです。そして人類学の確固とした定説は、ヒトのルーツをたどるとアフリカで狩猟採集をしていた霊長類に行きつくということなのです。

「蜂蜜の歴史は人類の歴史」という言葉があるようですが、その場合の「人類の歴史」というのは、たとえば「紀元前5000年の古代エジプトからの歴史」というような意味ではなく「人類学的なヒトの歴史」という意味にとらえた方が良いようです。「蜂蜜の歴史はヒトの進化の歴史」が、より正確でしょう。

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ハチミツの80%はブドウ糖と果糖であり、ミツバチが精製・凝縮してくれた花の蜜のエッセンスである。写真は千葉県のサイトより。



「ミツオシエ仮説」、そして発端となった「料理仮説」で感じることは、サイエンスにおける仮説の重要性です。それはもちろん学者の領域ですが、我々としても「素人しろうと仮説」を想像してみてもいいのではと思います。仮説は科学者だけのものではないからです。

仮説を立て、それが正しいとしたら何が言えるかを考え、それを検証するための行動を起こし、結果を判断して仮説を修正する、という「モノの考え方」や「行動のプロセス」は、ビジネスの世界や実社会でも大変に重要なのです。



 補記 

タンザニアの北部に住む狩猟採集民、ハッザ族の人たちが、ノドグロミツオシエの誘導で木の幹に作られた蜂の巣を採る動画がYouTubeに公開されています。火を起こす場面もあり、狩りの様子がよく分かります。ランガム教授も登場します。

(2017.12.22)



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