No.378 - クロテンの毛皮の女性:源氏物語 [文化]
|
ところで『アンテア』とは何の関係もないのですが、日本文学史上で著名な、"クロテンの毛皮を身につけた女性" がいます。源氏物語の登場人物の一人である "末摘花" です。以下、源氏物語でクロテンの毛皮がどのように扱われているかをみていきます。漢字で書くと、クロテン = 黒貂 です。
末摘花
源氏物語の第六帖は「末摘花」と題されています。末摘花は、赤色染料に利用する紅花の別名で、同時に、源氏がある姫君につけた "あだ名" です。名前の理由は物語の中で明かされます。
第六帖「末摘花」において源氏は18歳(数え年)す。この年齢では、物語の先々まで影響する重要な出来事が起こります。まず、父(桐壺帝)の妃である藤壺との密通があり、藤壺が懐妊します。また、不遇の身である紫の上(藤壺の姪)を見い出し、二条院(源氏の邸宅)に引き取ります。これらの出来事は第五帖の「若紫」で語られますが、同時並行で進むのが「末摘花」です。
大輔の命婦という女官がいました。彼女の母親は源氏の乳母です。つまり、大輔の命婦と源氏は一緒に育てられたわけで、兄妹も同然であり、二人は何でも言い合える間柄です。
あるとき、大輔の命婦がふと源氏にもらしたことがありました。故常陸宮の姫君が一人残されていて、常陸宮邸でひっそりと暮らしている。誰とも会わず、琴だけを友としているとのことです。源氏は俄然、この "深窓の姫君" に興味を持ちました。故常陸宮は琴の名手として知られていたので、姫君も上手ではとの思いもありました。
源氏は、今は荒れた常陸宮邸の庭に忍び込み、姫君が奏でる琴の音を聴きました。そのあと姫君に恋文を送ります。しかし姫君からは何の返事もありません。
らちがあかないので、源氏は大輔の命婦に手引きをさせ、八月のある日、ついに姫君と結ばれます。しかし、姫君のあまりに初心でぎこちない様子に源氏は失望しました。翌朝すぐに出すべき後朝の手紙も気が乗らず、夕方になってやっと書く始末で、それっきり姫君を訪ねる気にはなりませんでした。
手引きをした大輔の命婦は責任を感じ、姫君を訪ねようとしない源氏を責めます。それもあって源氏は秋になってから、上皇への行幸に関連した公務が一段落したあと、何度か姫君を訪ねます。しかし姫君の様子には不満が残りました。
やがて冬を迎え、源氏は久々に常陸宮邸で一夜を明かしました。翌朝は一面の雪景色です。雪の美しい景色を見るように誘った源氏の声に、姫君はやっと部屋の外に出てきました。その雪明かりの中で、源氏は初めて姫君の顔をよく見るのです。その描写が次です。瀬戸内寂聴の現代語訳で引用します。
|
瀬戸内寂聴・訳「源氏物語 巻二」 (講談社 1997) |
第六帖「末摘花」から、第十一帖「花散里」までが収められている。 |
何度か一夜を共にしたにもかかわらず、雪の朝に初めて姫君の顔をよく見たというのは、当時の夜の照明事情を反映しているのでしょう。その、源氏がびっくりしてしまった末摘花の様子をまとめると、
座高が高くて、胴長 | |
鼻が高くて長い。鼻先が少し垂れて赤く色づいている | |
雪も恥ずかしいほどの色白 | |
おでこで広く、面長の顔 | |
痩せていて骨ばっている | |
頭の格好はよい | |
床に届いてなお余る長い黒髪 |
となるでしょう。要するに、プラスポイントである頭の格好と長い黒髪は別にして、源氏が見なければ良かったと後悔するぐらい "不器量な" 女性であり、紫式部はそれを、これでもかと言わんばかりに描写しているわけです。源氏がのちに姫君を末摘花(= 紅花)と呼んだのは、"鼻先が赤い" ことによります(= ベニバナ)。源氏は後に二条院で、鼻に紅を塗って幼い紫の上とたわむれるという、人としてどうかと思える行為をしています。その末摘花の召し物は、
色褪せた薄紅の一襲(ひとかさね) | |
黒ずんだ紫色の袿(うちき) | |
黒貂の毛皮 |
です。この召し物の描写で、"荒廃した邸宅に住む、没落した宮家の姫君" が表現されています。黒貂の毛皮は、当時の渤海国(現在の極東ロシア南部から朝鮮半島の国。698-926)からの輸入品でした。渤海国と日本の関係は深く、30回以上も "渤海使" が日本に派遣されています。日本からも使者が送られました。
瀬戸内寂聴・訳「源氏物語」の注釈によると、黒貂の毛皮は高級品で、主として貴族の男性の召し物であり、村上天皇のころには流行したが、一条天皇(在位 986-1011)の頃には時代遅れであったらしい、とあります。紫式部が「源氏物語」を執筆したのは一条天皇の頃です。その頃、渤海国はすでに滅んでいて、渤海使も途絶えていました。要は、黒貂の毛皮が象徴するのは、
輸入された高級品 = 皇族や上位貴族 | |
少々時代遅れ | |
女性が着るには不適 |
ということです。黒貂の毛皮は故・常陸宮の遺品と想定されているはずです。このあたり、末摘花の容姿の記述と合わせて、"没落した宮家の不器量な姫君" を "意地悪く" "丹念に" 描く紫式部の筆力が冴えています。紫式部が「源氏物語」を書いた当時、"黒貂の毛皮を着た女性" がどういう意味をもつのか、同時代の読者にはすぐに分かったのでしょう。それを知った上で、わざわざ「黒貂の毛皮というレアなアイテム」を女性に着せた紫式部の技量を感じます。もちろん、源氏物語の女君で黒貂の毛皮を着ているのは末摘花だけです。
クロテンの毛皮は、現在でもミンクの毛皮より高級品です。絵画や小説の登場人物で「クロテン(黒貂)の毛皮を着た女性」というと、最高級の毛皮ということから「裕福」「富裕層」「上位階級」が連想されます。さらに女性のイメージとしては「美人」とか「意思の強さ」などでしょう。パルミジャニーノの『アンテア』はまさにそのような象徴性もった絵画でした。
それに対して、紫式部が「末摘花」に着せたクロテンの毛皮は、全く逆の象徴性で使われています。姫君の容貌と召し物をネガティブに描写するなかで、トドメを刺すように使われている。そこがおもしろいところです。「荒れた邸宅なので毛皮なしでは寒いのだろう」と源氏が思うのも、不適切な召し物を通り越して同情を誘うレベルだということでしょう。
姫君に同情した源氏は、その後姫君を援助し、手紙のやりとりをし、何度か姫君を訪れました。
常陸宮の姫君・末摘花のその後は、第十六帖「蓬生」で語られます。蓬生とは、蓬などの雑草が茂る荒れた場所の意味です。
須磨、明石と、流離の生活を送った源氏は、その後、都への復帰を果たしました。ある都の通りを源氏が過ぎると、藤の咲いている荒れ果てた邸宅が目にとまります。見覚えがある気がしたのですが、それは末摘花の常陸宮邸だと思い出しました。流離の身であった間、源氏からの援助は途絶えていて、荒れ放題だったのです。源氏は、生い茂った雑草をかきわけて邸に入っていき、久しぶりに末摘花と再開します。
実は末摘花は、ずっと源氏のこと一途に想い、源氏との再会を信じて常陸宮邸で暮らしていたのでした。困窮の生活でしたが、邸を人手に渡さず、調度品を売ることもなく、使用人が離反していく中で、宮家の誇りをもって邸を守ってきたのです。内気で不器用なのは以前の通りですが、その純情さ、身のこなしの優雅さ、気品、皇族としての矜持に、源氏はいたく感動します。源氏は薄情だった自分を深く恥じ、人をやって雑草を刈らせ、邸の修理もさせて、末摘花の生活の面倒をみました。
そして再会の2年後、源氏は末摘花を別邸である二条東院へ引き取り、末摘花はそこで安寧に暮らしたのでした。ここで第十六帖「蓬生」は終わります。
この末摘花について、別の解釈をされる方がいます。以降はその話を続けます。
ウェイリー版・源氏物語
NHK Eテレの「100分 de 名著」は、2024年9月2日から23日の4週にわたって「ウェイリー版・源氏物語」をとりあげました。イギリスの東洋学者・詩人のアーサー・ウェイリー(1889-1966)が英訳した「源氏物語」(1925~1933 出版)を再び現代日本語に "戻し訳" した「ウェイリー版・源氏物語」(2017)がテーマです。戻し訳をしたのは、毬矢まりえ(俳人、評論家)、森山 恵(詩人、翻訳家)の姉妹です。
ちなみにアーサー・ウェイリーの英訳は世界に「源氏物語」を知らしめ "世界文学の傑作" との評価を得るに至った意義あるものです。故・ドナルド・キーンさんも、ウェイリー訳のとりこになって日本文学研究を志したといいます。
与謝野晶子が現代日本語に訳した「源氏物語」が出版されたのは1912年~13年で、これによって多くの日本人が「源氏物語」に接することになりました。原文で読める日本人はごく少なかったからです。ウェイリー訳の出版は与謝野晶子のわずか13年後です。一般の日本人がじかに「源氏物語」に触れた時期と、イギリス人が「源氏物語」に読んだ時期がほとんど同じだった ・・・・・・。この事実もってしても、アーサー・ウェイリーの仕事の偉大さが分かります。
与謝野晶子が現代日本語に訳した「源氏物語」が出版されたのは1912年~13年で、これによって多くの日本人が「源氏物語」に接することになりました。原文で読める日本人はごく少なかったからです。ウェイリー訳の出版は与謝野晶子のわずか13年後です。一般の日本人がじかに「源氏物語」に触れた時期と、イギリス人が「源氏物語」に読んだ時期がほとんど同じだった ・・・・・・。この事実もってしても、アーサー・ウェイリーの仕事の偉大さが分かります。
|
そして、2024年9月23日に放送の第4回(最終回)には「ウェイリー版・源氏物語」を戻し訳した毬矢・森山姉妹が出演しました。この回に末摘花の話題が出てきました。ウェイリーの英訳で読むと、紫式部の原典に比べて最も印象が変化した人物が末摘花だと、姉妹は口を揃えて言います。そのあたりを文字で引用します。
以下の引用で、"ナレーション" は毬矢・森山訳「ウェイリー版・源氏物語」を要約している部分、"朗読" はそのまま朗読している部分です。朗読中の( ...... )はウェイリー版にある記号で、【 ...... 】は朗読では省略された部分です。また、〈 ...... 〉はこの引用をする上での補足です。
ナレーション
スエツムハナは皇族、常陸宮の姫。しかし父をなくし、今は荒れ果てた家にひっそりと暮らすロンリー・プリンセス。そのシチュエーションに深く惹かれたゲンジは、引っ込み思案で顔も見せない彼女と関係をもちます。しかしある朝、その姿をはっきり見て、ゲンジは仰天するのです。
朗読(松永玲子)
ああ、それにしても、なんという馬鹿げた間違いを犯したのだろう。この姫君がとにかく背丈がとても高いのは座高でわかります。これほどの胴長の女性がこの世にいるとは。やにわに、最大の欠点に目が引きつけられました。
鼻です。鼻から目が離せません。まさにサマンタバドラ〈漢字のルビで "普賢菩薩"〉さまの白象の鼻! 驚くほど長く目立つうえに、(なんとも不思議なことに)少し下向き加減に垂れたその鼻先はピンク色で、雪の白さも霞むほどの色白な肌と、奇妙なコントラストを成しています。【額が並外れて迫り上がっていて、顔全体は(俯いているので一部隠れていますが)とてつもなく長いようです。】たいそう痩せて骨ばり、とりわけ肩の骨が痛ましくドレスの下で突き出ています。こんな惨めな姿を晒させてしまったとは。申し訳ない気もしますが、あまりに奇っ怪な姿に、どうにも目が釘付けになってしまいます。 ナレーション
髪はどの姫よりも素晴らしく長いけれど、その時代の姫は誰も着ないような古めかしいクロテン、セーブルの毛皮マントを身にまとったスエツムハナ。その姿にゲンジは、驚きと同情を禁じ得ないのでした。
安部アナウンサー
ひどい書き方 !
伊集院 光
ひどいってことなんだ。ひどいってことを手数を尽くして書いている。
森山 恵
初めは原典を読んで、普通にこういう姫君だと思っていたのですけれども、英語で読んだときに、あらっ、これって、そんなに悪くないんじゃないって思ったんですよ。驚くような誇張表現をしているけれども、「鼻が長い」っていうのも英語で読むと「鼻筋が通っている」って聞こえるんですよ。いま、座高が高いってあったけれども、それって背が高いってことで、骨が浮き出てるって、細いっていうことですよね。そして色が白い。雪のように白い。だからこそ、ちょっと寒い雪の朝に鼻の先が赤くなってしまった。髪が長くて ・・・。素敵なんじゃないと、二人でなったんですね。
伊集院 光
ちょっと思うんですよ。この無国籍になった〈ウェイリー版「源氏物語」をさす〉あとでこの表現が入ってくると、この国でははやらないのかも知れないけれども、美とは何かとか、綺麗な人とは誰かみたいなことが〈頭の中で〉くるくる回り始める。
毬矢まりえ
彼女はもしかして外国にルーツがあるのではないかなと思ったんですね。クロテンのマントを着ているというのを、実は英語ではセーブルって訳してるんですね。セーブルの毛皮ってミンクよりも高級な ・・・
伊集院 光
いいモノなんだ
毬矢まりえ
今で言う朝鮮半島からロシアにかけて、渤海国っていう広大な国があって、そこから日本に入ってきてたそうなんです。紫式部は越前にいたことがあって、そこは当時の国際都市なので、港からいろんなモノが入ってくるから、彼女は外国人を見ていたかもしれないし、クロテン、セーブルも見てたのかな、と。
安田 登
この前の時代、「今昔物語」のシーンにですね、重明親王という方がいて、この方が渤海国の使者の前にクロテンのマントを何枚も着て出たという話があるんですよ。しかも、重明親王の息子〈かもしれない人〉が〈スエツムハナに〉そっくりなんですよ。描写が ・・・。顔が白くて、鼻が高くて ・・・。ひょっとしたら重明親王の奥さんが渤海国の人で、だからいっぱいセーブルのマントをもらえて ・・・・・・。で、宮の子供がその子だったとしたら、これがそのまま常陸宮とスエツムハナの関係になるのかもしれないなんて、いろんな妄想が膨らむんですよ。
100分 de 名著 「ウェイリー版・源氏物語」(4) (NHK E テレ。2024年9月23日) |
毬矢さんの「紫式部は外国人を見ていたかもしれない(= その記憶をもとに末摘花を造形したのではという含意)」とか、安田さんの重明親王の息子うんぬんの話は、"妄想" のレベルでしょう(安田さん自身、妄想が膨らむと言っています)。しかし歴史談義で妄想するのは別に悪いことではありません。この引用でのポイントは森山さんの発言で、
源氏物語の末摘花の描写を英語で読むと、末摘花は素敵な人と思えてくる
というところです。そして伊集院さんの発言が示唆しているように、
紫式部が誇張表現で描写した末摘花の容貌は、その時代の日本の貴族社会の基準では不器量の典型だったけれど、20世紀以降のイギリス人の基準では、そして現代日本の基準では素敵な人(かもしれない)
ということです。たとえば、鼻筋が通って鼻先が垂れている、という様子ですが、現代の日本の女優さんでもそういう人はいます。たとえば松雪泰子さんです。彼女を不器量だと思う日本人はいないでしょう。北川景子さんでもよい。もちろん現代では女性について鼻先が垂れていると表現はしません。そういうことは全く意識しなくなった、つまり "美" の規準が変わったのです。つまり規準は時代によって、また文化によって変化する。あたりまえのことですが改めてそう思います。
そして、もし英訳された「ウェイリー版・源氏物語」を読んだ英国人や英語を母語とする人が、スエツムハナは素敵な人だと思ったとしたら、それは紫式部の意図とは違うことになります。さらに、素敵な人であるにもかかわらず、"欠点" とか、"惨めな" と出てくるので、英語版の読者としては少々違和感を抱くかも知れません。
しかしこれは「世界文学としての源氏物語」にとって、当然そういうことはありうるのでしょう。それは逆もまたしかりで、我々が外国の作品で世界文学となっているもの、たとえばシェイクスピアや、19世紀のフランスやロシアの小説(バルザックやドストエフスキーなど)を日本語訳で読むときも同じことが言えるはずです。
そういう些細な "誤解" のいろいろを乗り越えて、また1000年の時を乗り越えて小説としての深みと魅力を感じさせるのが「世界文学としての源氏物語」である。そういうことだと思います。読んだ人の人生を変える力を持った小説は、そうないはずです。
The Tale of Genji - The Saffron Flower
アーサー・ウェイリー訳の「源氏物語」とはどういうものなのでしょうか。興味がわいたので、瀬戸内寂聴訳で引用した部分だけを読んでみました。
|
なお、毬矢・森山姉妹の著書「レディ・ムラサキのティーパーティー」(講談社 2024)では、ギリシアの古典『イリアス』に「バラ色の指をもつ曙の女神(オーロラ)がサフラン色の衣をまとっている」とあることから、ギリシャ神話に詳しいウェイリーがそのイメージを重ねたのではという推測がされています。
瀬戸内寂聴訳で引用した部分のウェイリーによる英訳を次に掲げます。この部分のウェイリー訳には本来段落がありませんが、瀬戸内寂聴訳となるべく合致するように段落をつけました。【・・・】の部分は「100分 de 名著」で(一部省略して)朗読された部分です。
THE TALE OF GENJI By LADY MURASAKI CHAPTER VI THE SAFFRON-FLOWER TRANSLATED FROM THE JAPANESE BY ARTHUR WALEY 1925 Genji pretended to be still looking out of the window, but presently he managed to glance back into the room. His first impression was that her manner, had it been a little less diffident, would have been extremely pleasing. 【What an absurd mistake he had made. She was certainly very tall as was shown by the length of her back when she took her seat; he could hardly believe that such a back could belong to a woman. A moment afterwards he suddenly became aware of her main defect. It was her nose. He could not help looking at it. It reminded him of the trunk of Samantabhadra's steed ! Not only was it amazingly prominent, but (strangest of all) the tip which drooped downwards a little was tinged with pink, contrasting in the oddest manner with the rest of her complexion which was of a whiteness that would have put snow to shame. Her forehead was unusually high, so that altogether (though this was partly concealed by the forward tilt of her head) her face must be hugely long. She was very thin, her bones showing in the most painful manner, particularly her shoulder-bones which jutted out pitiably above her dress. He was sorry now that he had exacted from her this distressing exhibition, but so extraordinary a spectacle did she provide that he could not help continuing to gaze upon her.】 In one point at least she yielded nothing to the greatest beauties of the Capital. Her hair was magnificent; she was wearing it loose and it hung a foot or more below the skirt of her gown. A complete description of people's costumes is apt to be tedious, but as in stories the first thing that is said about the characters is invariably what they wore, I shall once in a way attempt such a description. Over a terribly faded bodice of imperial purple she wore a gown of which the purple had turned definitely black with age. Her mantle was of sable-skins heavily perfumed with scent. Such a garment as this mantle was considered very smart several generations ago, but it struck him as the most extraordinary costume for a comparatively young girl. However as a matter of fact she looked as though without this monstrous wrapping she would perish with cold and he could not help feeling sorry for her. (Project Gutenberg のサイトより) |
全体的に原典に沿った、流れるような文章ですが、一つだけ "意訳" というか "超意訳" があります。それは上の引用の第1段落のところです。原典、現代日本語訳、ウェイリー訳を対比すると次の通りです。太字をつけたところが違います。
原文(岩波文庫版。2017)
見ぬやうにて外の方をながめ給へれど、しり目はたゞならず、いかにぞ、うちとけまさりのいさゝかもあらばうれしからむとおぼすも、あながちなる御心なりや。
瀬戸内寂聴・訳
源氏の君は、姫君を見ぬふりをしながら、外の方を眺めていらっしゃいますが、横目でしきりに御覧になります。さて、どうだろうか、こうして打ちとけた時に見て少しでもよく見えるようだったらどんなに嬉しいだろうとお考えになるのも、身勝手なお心というものです。
ウェイリー・訳
Genji pretended to be still looking out of the window, but presently he managed to glance back into the room. His first impression was that her manner, had it been a little less diffident, would have been extremely pleasing. What an absurd mistake he had made.
「あながちなる御心」は、岩波文庫版の注釈によると「身勝手なお心」ということであり、瀬戸内訳もその通りになっています。しかしウェイリー訳は、朗読の最初に出てきた、
What an absurd mistake he had made(毬矢・森山訳「ああ、それにしても、なんという馬鹿げた間違いを犯したのだろう」)。
で、かなり違っている。実はこのシーンには伏線があります。冬を迎えて源氏は久々に常陸宮邸で一夜を明かすのですが、そこに至る直前の文章は次のようです(瀬戸内寂聴・訳)。
姫君の異常なほどのはにかみぶりの正体を、みとどけてやろうというほどの好奇心も殊更にはなくて、月日が過ぎていくのでした。それでも気を変えて、よく見直したら、いいところもあるかもしれない。いつも暗闇の手探りのもどかしさのせいか、なんだか妙に納得しないところがあるのかもしれない。この目で一度はっきりたしかめてみたいものだ、とお思いになりますが、かといって、あまり明るい灯の下でまざまざ御覧になるのも、気恥ずかしいとお思いになります。
つまり源氏は、姫君の異常なほどのはにかみように「妙に納得できない、なぜだろう、暗闇の手探りのせいか」と思っていたところ、雪の朝に姫君をはっきりと見て「ああ、やっぱり、悪い予感が当たった。私は間違った行為をしてしまった !」と思うわけです。そのときの源氏の心境をダイレクトに表したのがウェイリー訳ということになります。"超意訳" ですが、ここで文脈の転換が起こるので、その方が次の段落にスムーズにつながり、読者に分かりやすいということでしょう。
原典にはない補足も同じです。源氏は姫君の顔全体を見ることは無かったのですが、その理由として「俯いているので一部隠れていますが(毬矢・森山訳)」とウェイリーは補足しています(岩波文庫版の注釈では、扇で顔の半分を隠しているから)。姫君はめったに男性に顔を見せたりはしないという当時の貴族の風習と、英語読者の(暗黙の)想定のギャップを埋めて分かりやすくする工夫でしょう。
そういった差異は除いて、全体的に原典を正確に、また言葉を重ねて丁寧に訳しています。かつ、流麗で読みやすい。問題はこの英文を読んで、森山さんが言うように「末摘花は素敵な女性」と思えるかどうかです。英語話者ではないので確かなことはわかりませんが、
main defect(一番の欠点)
distressing exhibition(惨めな姿)
distressing exhibition(惨めな姿)
などの "他人の(源氏の)評価" を無視して、客観的に容貌だけの記述をシンプルに読むと、確かにそうかもしれないでしょう。
ウェイリーは大英博物館の版画・素描部門に勤務しながら、独学で日本の古典語を勉強し、源氏物語の原典を日本から取り寄せて英訳したそうです。それも、満足な辞書がない100年以上前の話です。上の短い英文を読んだだけでも、すごいものだと思いました。
「レディ・ムラサキのティーパーティー」によると、ウェイリーは大英博物館に就職したのは1913年、24歳の時ですが、その時点ですでに、楽に読める言語はイタリア、オランダ、ポルトガル、フランス、ドイツ、スペイン語で、流暢に話せるのはフランス、ドイツ、スペイン語だったそうです。また就職後は、日本語、中国語の古典語を独学で習得しました。まさに語学の天才です。ウェイリーは大英博物館で、たまたま源氏物語の1シーンを描いた浮世絵版画を見て原典を読んでみたくなった、それが英訳に至る第一歩だったと言います。
「源氏物語」にとって(紫式部にとって)、900年後にこういう人に巡り会えたのはまことにラッキーだったと思いました。
2024-10-19 08:19
nice!(0)