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No.375 - 定住生活の起源 [科学]

No.232「定住生活という革命」の続きです。最近の新聞に日本列島における定住の起源に関する記事があったので、No.232 に関係した話として以下に書きます。


変わりゆく考古学の常識


2024年8月7日の朝日新聞(夕刊)に、

 定住の兆し 旧石器時代に
 変わりゆく考古学の常識

との見出しの記事が掲載されました。これは、東京大学大学院の森先もりさき一貴かずき准教授が2024年度の浜田青陵賞(考古学の顕著な業績に贈られる賞。第36回)を受賞されたのを機に、記者が森先准教授に取材した記事です。見出しの通り、新しい発見によって考古学の従来の常識がどんどん書き換えられている、との主旨の記事です。

ちなみに見出しの「旧石器時代」ですが、日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)がやってきたのが約4万年前で、そこから縄文時代が始まる約1万6千年前までを世界の先史時代の区分に合わせて「旧石器時代」と呼んでいます。「旧石器」は打製石器、「新石器」は磨製石器の意味ですが、日本では縄文時代以前にも磨製石器があったので、石器の種類での時代区分はできません。


新たな発見や研究の深まりで通説が塗りかわるのもこの世界の常だ。たとえば縄文時代の到来を象徴する土器はかつて、1万年ほど前に最終氷期が幕を閉じて環境の変化とともに出現したとされてきた。ところが近年、土器の誕生は1万6千年ぼど前にさかのぼり、氷期に食い込む。かつての常識はもはや通用しない。

同様に「定住」の始まりも揺れる。列島内で人間が同じ場所に住み始めたの竪穴式住居が出現する縄文時代とするのが一般的で、それまで人々は遊動生活をおくっていたとされる。ところが森先さんは、一時的な定住の兆しは旧石器時代からあったというのだ。

朝日新聞
2024年8月7日(夕刊)

縄文時代を象徴するのは土器と竪穴式住居です。土器はクリなどを煮たり、食料を貯蔵したりする道具ですが、重くて壊れやすく、移動生活で携行するには不向きです。土器の出現は定住を示唆します。もちろん竪穴式住居は定住のしるしです。

しかし森先氏は、土器も住居跡も見つかっていない旧石器時代から、すでに「一時的な定住」があったと推定しています。その根拠が陥し穴猟です。


それを物語るよい例が「おとし穴」だ。1980年代、静岡県で3万年前にさかのぼる、世界でも例のない深さの穴が100基以上も見つかった。諸説あるが、どうやら動物を捕獲する陥し穴らしい。同様の遺構は神奈川県など主に太平洋沿岸で確認されているという。

スコップやシャベルなどない時代、膨大な労力をかけたのだから1回きりで放棄するはずがない。つまり、動物の季節的な移動に合わせてハンターたちも定期的に1カ所に居住した可能性があるわけだ。

(同上)

陥し穴とはどのようなものでしょうか。以下、森先氏の著書「日本列島4万年のディープヒストリー」(朝日選書 朝日新聞出版 2021)より紹介します。


陥し穴


日常の日本語では "落とし穴" ですが、狩猟用の穴(=罠)という意味で以下 "陥し穴" とします。


約4万年前に大陸から日本列島に到来し移動生活を営んだ現生人類は、季節ごとに、あるいはもっと頻繁に、集落を移しながら生活していたと考えられる。それも気まぐれに移動するのではなく、食料資源を効率的に得るため、気候や季節により変貌を遂げる自然をうまく利用して、戦略的で計画的な生活を送っていた。

そうした計画的生活術の最たるもの、それは「陥し穴」猟だ。陥し穴猟は、かつては縄文時代以降に始まると考えられていた。1970年代から開発が進んだ神奈川県の港北ニュータウンの造成に伴う発掘調査で注目され、東京都の多摩ニュータウンに伴う発掘調査などでは、縄文時代の陥し穴が1万基以上も見つかっている

森先一貴  
「日本列島4万年のディープヒストリー」
朝日選書(朝日新聞出版 2021)

「陥し穴」は、地面に掘った土坑どこうです。土坑とは、発掘調査で確認される遺構のうち人間が掘ったと考えられる穴で、その性格がすぐには見極めにくいものをいいます。竪穴式住居跡とか、人骨が発掘される墓は目的が明確ですが、それ以外の、必ずしも目的が明確ではない穴が土坑です。その土坑のなかで、研究によって狩猟用の罠だと推定されたのが陥し穴です。縄文時代の陥し穴は、上の引用にある港北ニュータウンや多摩ニュータウンの造成地だけではなく、日本列島の各地から発見されています。

ところが狩猟用の陥し穴は、縄文時代より遙か以前、旧石器時代の日本列島に存在したことが分かってきました。それが次の引用です。引用に出てくる姶良あいら火山とは、現在の鹿児島湾にあった火山で、約3万年前に大噴火を起こしました。噴火の跡はカルデラ(=姶良カルデラ)になり、そこに海水が引き込まれてできたのが鹿児島湾です。現在の桜島はその姶良カルデラの外輪山の一部が火山になっているものです。外輪山の一部が桜島ということをとってみても、姶良火山の噴火がいかに巨大だったかがわかります。


1986年、静岡県三島市初音ヶ原はつねがはらA遺跡で驚くべき発見があった。伊豆半島の付け根あたり、箱根山麓の丘陵上で100基以上にのぼるとみられる大きな土坑群が発見されたのである。直径1~2メートル、深さは1.4~2メートルにもなる土坑が、100メートル以上、いく重にも列をなしていたのだ。

発掘された地層は約3万年前に九州南部で起こった姶良あいら火山の大噴火ではるばる飛んできた火山灰を含む層よりもたしかに下層にある。3万年前をさかのぼることは確実な、旧石器時代の土坑群だ。これほど古い大型土坑群は世界的にみても例はない。陥し穴だとすると大きな発見になる。

(同上)

陥し穴1・初音ヶ原遺跡.jpg
初音ヶ原遺跡(静岡県三島市)

連なっている丸い穴が、3万年前の陥し穴とみられる土坑群である。直径1~2メートル、深さ1.4~2メートルで、かなり大きくて深い。陥し穴はこのように列状に作られており、穴と穴の間に柵を配置して、移動してくる動物(シカやイノシシなど)を誘導したと考えられている。
(AERAdot. 2019.7.25 より)


その後、神奈川県打木原うつぎばら遺跡や船久保ふなくぼ遺跡をはじめ、本州から九州にかけての太平洋沿岸でその後も同じ時期の同様の遺構の発見が相次いだおかげで、こうした土坑が設けられる場所の傾向がわかってきた。貯蔵穴ならば石器製作跡や焚き火跡など生活場所に近いところにつくるだろう。しかし、これらの土坑は丘陵や谷をまたぐように列状に、あるいは谷の源頭部にまとめて掘られるという特徴がある

(同上)

列島各地で発見された陥し穴の形は、細長い溝状のものや、平面が円形、楕円形、四角形などです。このような形は旧石器時代も縄文時代も共通です。

船久保遺跡1a.jpg
船久保遺跡(神奈川県横須賀市)

船久保遺跡の上空からの写真に、丸形と四角形の土坑の位置を白で示した図。それぞれの形の土坑が列状に連なっていて、陥し穴と推定されている。画面の下の方に丸穴が波形に連なっている。また左下から右上にかけて四角い穴が直線上に並んでいる。
(NHK BS「ヒューマニエンス」2024.3.19 より)

陥し穴2・船久保遺跡の四角の穴.jpg
船久保遺跡で発掘された四角形の陥し穴。旧石器時代の陥し穴で四角形のものはめずらしい。
(NHK サイカルジャーナル 2018.6.15 より)

陥し穴6・船久保遺跡・鹿の捕獲.jpg
船久保遺跡の四角形の陥し穴でシカを捕獲する想像図。穴は底に向かって狭くなっている。シカの後足の力は強いが、前足は弱く、前足だけが穴に落ちると脱出は難しくなる。狩猟対象の動物によって穴の形状を変えた(たとえば、丸形はイノシシ、四角形はシカ)と推測する学者もいる。
(NHK BS「ヒューマニエンス」2024.3.19 より)

陥し穴3・大津保畑遺跡.jpg
大津保畑遺跡(鹿児島県 中種子町:種子島の中央部)で発掘された旧石器時代の円形の陥し穴。底部が膨らんでいて、穴に落ちた動物が逃げにくい形をしている。
(AERAdot. 2019.7.25 より)


はじめは、陥し穴として受け入れない研究者はいた。墓や、ドングリなどの食料を蓄える貯蔵穴の可能性も当然考えられるからだ。しかし、墓や貯蔵穴ならば上記のような場所にあるのは不自然だ。また、埋め土の化学分析で遺体に由来する成分が認められなかったことなどから、墓の可能性は低いとされた。穴の内部に何らかのものを収めたような痕跡もなく、時間をかけて自然に埋まっていることも、陥し穴説を支持していた。こうしたことから、これらの土坑群の多くは陥し穴とみなすのが大方の研究者の考えとなっている。

(同上)

陥し穴を使った狩猟のやり方は、動物が障害物を嫌う性質を利用し、列状に掘った穴と穴の間に柵を作って、動物を穴に誘導したと考えられています。陥し穴は、弓矢や槍を使った罠などと違って、狩猟対象動物を傷つけません。そのため、血の匂いで他の肉食動物をおびき寄せるようなことはなく、数日間隔で見回ることで狩猟ができます。その間は別の食料(魚、木の実など)の獲得を行える。いったん掘ってしまえば、効率的に狩りができる方法です。

陥し穴4・国立科学博物館.jpg
国立科学博物館に展示されている、旧石器時代の陥し穴猟の想像模型。人との対比で穴の大きさがわかる。
(AERAdot. 2019.7.25 より)


旧石器時代の狩猟採集民は数家族、平均25人程度の小規模な集団で移動生活を営んでいたと考えられる。しかしながら、たとえば初音ヶ原A遺跡をとりあげてみても、発見されているだけで100基もの土坑群を人力で掘削する労力は尋常ではない。しかも今のように鋼鉄製のシャベルなどない。先をとがらせた堀り棒で繰り返し土を掘り崩しながら掘削したと考えれば、途方もない作業に思える。旧石器時代にも、こうした人々が力を合わせて土木工事を行っていたのだ。

これだけの土坑を、膨大な労力を使って設けているのだから、この場所を利用するのは一回きりではなかっただろう。第一、いちど掘った陥し穴を一回きりで放棄する理由はどこにもない。むしろ、少々の形崩れは補修しながら繰り返し使用したはずだ。ということは、敷設した人々はある程度の期間、この付近に居住した可能性を考える必要がある。なぜなら、陥し穴で獲物をとらえても、ほかの土地に居住地を移していては、ほかの集団に横取りされるかもしれないではないか。

そう考えると、規模の小さい集団が移動生活を送りながらこれだけの労力を陥し穴づくりに費やすとは考えにくい。おそらくは、狩猟対象となる動物が季節的な移動をする時期に(たとえばシカなどは暖かい時期と寒い時期で標高の高いところと低いところを行き来する)、小規模な生活集団が複数集合してこの地である程度の期間にわたって共に居住していた可能性さえ考えなければならないだろう。

(同上)

旧石器時代の陥し穴が見つかっている地域は、縄文時代とは違って、関東から九州(宮崎、種子島)にかけての太平洋沿岸に限られます。3万年前は氷期ですが、関東以南の太平洋沿岸は黒潮の影響で比較的温暖であり、広葉樹林が広がっていました。広葉樹林があれば、コナラ類の樹木の実(ドングリやクリ、クルミなど)やトチの実を食料にできます。もちろん、川で魚をとることもできる。これらの食料資源を合わせて「定住的な」生活をしていた可能性が高いのです。


陥し穴猟を多用した太平洋沿岸の狩猟採集民は、旧石器時代には珍しく定着的な生活をしていた可能性が高まっている。温帯域での定着的な生活では、狩猟だけでなくほかの資源も多角的に利用することがめざされる。氷期とはいえ、サケやマスなどの回帰性の魚類がこの太平洋沿岸地域へどれほどやってきていたかは定かではないが、秋の実りのドングリなど堅果類を積極的に利用することが重要とされていたかもしれない。だとすれば、その時期の狩猟活動として陥し穴を使った罠猟をおこなっておけば、冬場をしのぐために重要な食料をいずれも効率的に獲得することにつながったはずである。

(同上)

森先氏の陥し穴に関する解説は、次のように締めくくられています。


私たちは、このような計画的な生活手段が早くも3万年以上も前からおこなわれていたことを、大きな驚きをもって受けとめてしまいがちである。しかし、よく考えれば彼らは私たちとまったく同じ現生人類だ。大昔のことだから知能や能力が劣っているはずだとみなす時代遅れの進歩史観など、さっさと捨て去らねばならない

(同上)

森先氏は「大昔のことだから知能や能力が劣っているはずだとみなす時代遅れの進歩史観」と書いていますが、まさにその通りだと思います。人間は言葉をもつので、それによって技術や文化を伝承し積み重ねることでより高度にできます。そのため我々は暗黙に "進歩史観バイアス" を持ってしまうのですね。しかし知能や能力に関していうと、そのベースのところは「ホモ・サピエンスであれば同じ」はずです。少なくとも3万年とかそいういった "短期間" では変わらないでしょう。旧石器時代とか縄文時代、弥生時代といった先史時代を想像するときには "進歩史観バイアス" を排除する必要があります。



陥し穴猟で思うのは、現生人類は "計画と実行"によって生きることができるということです。先史時代の人類の狩猟というと、槍を獲物に投げつけて倒すとか、多人数で協力して獲物の群れを追い込んで崖から落として一網打尽にするとか、そういった話を歴史書で読みます。しかし陥し穴による猟はそれとは全く違うレベルにあります。

つまり陥し穴は、狩猟採集の一般形である「獲物を探して目の前に現れたところを槍で捕獲する」「食用植物を探し出して採集する」ということを完全に超越した行為です。"超越" としたのは、陥し穴を掘ったとしても今日の食料、明日の糧を得るためには何の役にも立たないからです。それでも多大な労力と時間をかけて陥し穴を掘るのは、それでシカやイノシシを捕獲できるという「まだ見ぬ未来」を想像し、予見できるからです。もちろん捕獲できないリスクはあるが、そのリスク込みで予見にもとづいた計画を立て、それにもとづいて実行する能力があるのです。

農耕も同じです。イネ科植物(コムギやコメ)を植えたとしても、食料になるのは数ヶ月先であり、それまでのあいだは数々の世話をする必要があります。もちろん、植える前に土地を耕すのも骨の折れる作業です。作物と気候環境によりますが、水路を作る必要も出てくるでしょう。収穫ゼロというリスクも当然あるが、数ヶ月後にどっさりと食料を得られるはずだという計画があり、それにもとづいて実行できるから農耕が成立します。

我々はこういった "予見にもとづく計画と実行" を当たり前だと思っていますが、これは大変な能力だと思います。ささやかな短期的報酬よりも(あるいは短期的には不利益になったとしても)、より大きい長期的な報酬を選択できる能力、これが "ホモ・サピエンス=賢いヒト" たるゆえんでしょう。

ちなみに、No.169「十代の脳」に書いたのですが、"計画と実行" は脳の前頭前皮質の発達に依存した能力です。そして、前頭前皮質はヒトの思春期以降に本格的に発達する部分で、脳の中では最も遅く発達します。これから推察できるのは、人類が最も遅く獲得した能力が "計画と実行" だということです。


人類史のなかの定住革命


人類史の中の定住革命.jpg
西田正規
「人類史のなかの定住革命」
(講談社学術文庫)
ここで、冒頭に書いた No.232「定住生活という革命」を振り返ります。No.232 は西田正規まさき氏(筑波大学名誉教授)の『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫。単行本は 1986年出版)の内容を紹介したものでした。この本の内容は森先氏の著書「日本列島4万年のディープヒストリー」でも引用されています。人類は約1万年前に定住生活を始めましたが、それ以前は遊動生活でした。「定住」と反対の言葉が「遊動」です。

西田氏は定住生活を促進した一つの要因として定置漁具による漁撈をあげていました。もちろん遊動生活を送っていた旧石器時代でもヤスやモリで魚を採っていましたが、このような漁具は大量の魚が川に遡上するような環境と季節でしか効率的ではありません。

これに対し、定住とともに出現したのはヤナ(梁)、ウケ(筌)、魚網などの定置漁具、ないしは定置性の強い漁具です。ヤナは、木や竹での子状に編んだ台を川や川の誘導路に設置し、上流ないしは下流から泳いできた魚が簀の子にかかるのを待つ漁具です。ウケは、木や竹で編んだカゴを作り、魚の性質を利用して入り口から入った魚を出られなくして漁をするもので、川や池、湖、浅瀬の海に沈めて使われました。ヤスやモリで魚を突くのは大型の魚にしか向きませんが、定置漁具は小さな魚に対しても有効です。こういった定置漁具の発明が定住化を促進する要因になったというのが、西田氏の論でした。

この「定置漁具」に相当する、陸上での「定置狩猟のための罠」が「陥し穴」と言えるでしょう。陥し穴は、それが有効であればあるだけ、定住を促進する要因になります。この "定置狩猟罠" は3万年前の旧石器時代に場所を限って現れ、縄文時代には列島全体に広がった。森先氏が言うように、縄文時代に本格化する定住生活の "兆し" がまさに旧石器時代にあったことになります。



西田氏の『人類史のなかの定住革命』の主張の根幹にあるのは、

定住生活は何も優れた生活様式ではなく、むしろ、それまで遊動生活をしてきた人類の生活や社会のあり方に大きな変革を要請するもので、極めて困難なものであった

という認識です。我々はえてして、遊動=遅れている、定住=進んでいる、というような "進歩史観バイアス" に捕らわれています。現代では定住が当たり前で、住所不定は犯罪者と同義に使われることがあるほどなので、そうなるのは当然かも知れません。しかし西田氏はこのようなバイアスを一切取り去った見方をしています。そして、定住という極めて困難な生活様式に挑戦する中で人類の文化に革命が起こったと主張しているわけです。そもそも、なぜ遊動生活をするのかという理由(=遊動の要因)は、

(経済面)食料や水、エネルギー源(薪など)を得るため
(社会面)集団内の不和や、ほかの集団との不和や緊張を避けるため
(環境面)ゴミや排泄物の蓄積を避け、また風水害を避けるため
(精神面)死・死体などの不快なもの、災いや危険(病気・怪我・事故など)から逃れるため

などです。経済面の補足をすると、食料資源となる動植物は季節によって分布を変えることが多く(特に中緯度の温帯地域では)、遊動生活の要因になります。

定住生活をするとなると、遊動の要因となる事項を、すべて定住地で解決しなければなりません。これは大変なことです。まず、最も重要な食料資源を定住地近辺での狩猟採集で獲得し、さらに資源の季節変動を平準化するために保存方法を工夫しなければなりません。

また、ゴミや排泄物の処理ルールを決めて定住地を常に清潔に保つ必要があります。でないと寄生虫や病原菌が蔓延して、最悪の場合は定住民が全滅しかねません。集団内の不和はリーダーが(ないしは何らかの "権威" が)解決し、水害が発生したとしたらそれを避ける工夫をし、さらに墓地などを作って死者と共存しなければなりません。

定住地の中のある場所で "わざわい" が起こったとしたら、それは精霊の怒りと考えられるので、(たとえば)その場所にほこらを建てて祈祷をし、精霊の怒りをしずめる ・・・・・・ というような行為を通じて、"災いの場所" とも共存する必要があります。

定住をした以上、定住地から逃げるわけにはいかない。そのための課題解決をする中で新しい人類の文化が生まれたというのが西田氏の見解でした。

であれば、3万年前に陥し穴を作った人々は、たとえ定住が季節的であったとしても、定住で発生する諸問題を解決する最初の一歩、革命を起こす一歩を踏み出したのでしょう。それが縄文時代の文化の発展につながっていった。3万年前に日本列島にいた人たちと現代の我々は無関係ではなく、連続していると感じました。




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No.374 - マイノリティは過小評価される [科学]

No.347「少なくともひとりは火曜日生まれの女の子」は、偶然の出来事が起こる "確率" を考えることは人間にとって難しい、というテーマでした。イギリスの著名な数学者、イアン・スチュアートは次のように書いています。

確率に対する人間の直感は絶望的だ。偶然の出来事が起こる確率をすばやく推定するように促されると、たいていはまったく間違った答えを出す。プロの賭博師や数学者のように鍛錬を積めば改善はできるが、時間も労力も必要だ。何かが起こる確率を即断しなければならないとき、私たちの答えは誤っていることが多い。

イアン・スチュアート  
「不確実性を飼いならす」
(徳田 功・訳。白揚社 2021)

スチュアートの本には次のような設問が載っていました。前提として、女の子と男の子は等しい確率で生まれてくるとします。また、赤ちゃんが生まれる曜日は、日・月・火・水・木・金・土、で同じ確率とします。


① スミス夫妻には2人の子どもがいます。2人とも女の子である確率はどれだけですか。

② スミス夫妻には2人の子どもがいて、少なくとも一人は女の子です。2人とも女の子である確率はどれだけですか。

③ スミス夫妻には2人の子どもがいて、少なくとも一人は火曜日生まれの女の子です。2人とも女の子である確率はどれだけですか。


① の正解は \(\tfrac{1}{4}=0.25\) ですが、\(\tfrac{1}{3}\) と間違う人がいそうです(2人の子どもには、女女、女男、男男、の3パターンがあって、女女はそのうちの一つと考えてしまう)。

② のように「少なくとも一人は」などという条件が付くと難しくなります。正解は \(\tfrac{1}{3}\fallingdotseq 0.33\) です。

さらに ③ の ような複雑な条件になると、正解は不可能と言ってよいでしょう。③ の正解は \(\tfrac{13}{27}\fallingdotseq 0.48\) です。我々の直感では、「③の確率」は「②の確率」とイコール(ないしは同程度)ですが、正しい答えは "②とは全然違う" のです。

かなり難しい設問ですが(特に ③)、要するにスチュアートの言いたいことは「偶然の出来事が起こる確率を(素早く)推定するのは難しい」ということであり、平たく言うと「確率は難しい」ということです。それを言いたいがために、上の "ややこしい" 設問を作ったわけです。



ところで最近の新聞に確率は難しいことを如実に示す記事が掲載されました。それは「2人とも女の子問題」よりずっと簡単な確率ですが、それでも難しい。その記事は以下です。


性的少数者は過小視される


2024年7月23日の朝日新聞(夕刊)に、新潟大学の新美亮輔准教授の研究を取材した記事が掲載されました。見出しは、

 「マイノリティー」少なく見積もる傾向

で、次のように始まります。


性的少数者(LGBTQ+)や色覚が通常と異なる人など、いわゆる「マイノリティー」の人が身近にいる確率を、ほとんどの人は実際よりも著しく小さくとらえる傾向があることが、新潟大の新美亮輔准教授(認知心理学)の研究でわかった。「周囲にそうした人はいない」という思い込みが、理解や配慮の不足を招いている可能性も示された。

朝日新聞(夕刊)
(2024年7月23日)

人には「マイノリティーの人が周囲にはいない」と思い込む傾向があり、それを確率の観点から実験を行って考察しようというのが主題です。具体的な設問と回答の例が以下です。

 第1問:同性愛者・両性愛者がクラスにいる確率 


仕事紹介サイトに登録している人を対象にオンラインでアンケートをし、18~76歳の計429人の回答を分析した。同性や、同性と異性の両方を好きになる同性愛者と両性愛者について、日本のある大学での調査結果をもとに「大学生の7%が該当すると言われています」としたうえで、クラスなどの集団を想定し、「30人の大学生の中に同性愛者・両性愛者が1人でもいる確率は何%だと思いますか」と聞いた。

この確率は、30人全員が同性愛者・両性愛者ではない確率の数値を1から引くことで導ける。正解は89%と、かなり高い値だ。だが、回答で最も多かった率は「2%」。ほかにも10%を下回るとする答えが目立ち、約9割は実際の確率より小さくとらえていた。

(同上)

設問を簡潔に言うと、

大学生の7%が同性愛者・両性愛者です。30人クラスの大学生の中に同性愛者・両性愛者が1人でもいる確率は何%だと思いますか

となります。正解の計算方法は記事にありますが、それを求めると、

正解 \(=1-(1-0.07)^{30}\)
\(=0.88663\)

であり、上の引用のように「正解は89%」となります。しかし新美准教授の設問は電卓を使わずに答えて下さいということでしょう。暗算でできそうな範囲で、ざっと見積もるとどうなるか。

30人クラスの7% は約2人です。30人クラスが多数あった場合、① 同性愛者・両性愛者が2人いるクラスが最も多く、② 1人/3人のクラスがそれより少なく、③ 0人/4人のクラスがさらに少ない。仮に、①:②:③のクラス数の相対比率を 3:2:1 とすると、1人以上のクラスは9クラス(3+2+2+1+1)のうちの8クラスであり、9割程度のクラスで同性愛者・両性愛者が少なくとも一人いることになります。もちろん 3:2:1 は恣意的に決めただけなので、4:3:2 でもよいわけです(その場合は14クラスのうちの12クラス)。とにかく、かなりの高い確率で(ないしは、ほぼ間違いなく)30人クラスには同性愛者・両性愛者がいると見積もれます。

ただしこの設問は「暗算での見積もり」をするかどうかはともかく、直感で答えるのが主眼でしょう。直感で答えるとどうなるかがポイントです。



以上を踏まえて、新美准教授の調査を検討すると、最も多かった回答は 2% とあります。おそらくですが、2% と回答した人は設問の「1人でもいる確率」の意味が分からなかったのだろうと思います。もしくは「確率」の意味が分からなかった。意味が分からないので、設問にある数字である30(人)と 0.07(7%)をかけ算して 2 と答えた。もちろんこのかけ算の答えは 2人であり、30人クラスにいる同性愛者・両性愛者の平均的な数(期待値)です。

設問の意味が分からないときに、設問にある数字を適当に使って答えを "導く" のはよくあることです。従って、この調査は確率という言葉を用いないでやった方がよいと思います。たとえば一例ですが、

大学生の7%が同性愛者・両性愛者です。大学生30人のクラスが100あったとします(合計3000人です)。この100クラスの中で同性愛者・両性愛者が1人でもいるクラスは何クラス程度ですか

というような質問です。この質問でも、なおかつ2クラス(=2%)が最多の回答となるでしょうか。おそらくならないのではと思います。



問題はその次で、「10%を下回るとする答えが目立ち、約9割は実際の確率より小さくとらえていた」とあるところです。「10%を下回る答え」の場合、確率の意味を理解して答えているのかどうかは大いに疑問です。それはさておき、「約9割は実際の確率より小さくとらえていた」がポイントです。7% のマイノリティは、直感ではそれよりもずっと少なく感じられるようです。

 第2問:色覚異常者がクラスにいる確率 

記事には別の設問の結果が載っていました。


同じように、赤っぽい色と緑っぽい色の区別がつきにくい、いわゆる色覚異常とされる人が人口の3%いるとして質問すると、実際の確率は60%なのに、最も多くの人が回答した確率は1%で、やはり9割近くの人が過小にみていた。

色覚異常とされる人が集団に1人でもいる実際の確率を示したうえで、「企業経営者は、そうした人も働きやすい職場づくりに責をもつべきだ」などの意見への賛否を尋ねると、賛成の度合いを示す数値(100点が満点)の平均値が、確率を示す前の73.95から79.18に上昇した。

(同上)

設問を簡潔に言うと、

色覚異常とされる人は人口の3%です。30人クラスの中に色覚異常者が1人でもいる確率は何%だと思いますか

となります。7% が 3% になっただけで、本質的には第1問と同じです。これも正解を計算で求めると、

正解 \(=1-(1-0.03)^{30}\)
\(=0.59899\)

であり、記事にあるように確率は60%です。「最も多くの人が回答した確率は1%」というのは第1問と同じで、30×0.03=1 の計算で 1% としたのでしょう。この設問でも「9割近くの人が過小にみていた」というのは、第1問と全く同じです。

記事にある「企業経営者は色覚異常者も働きやすい職場づくりに責をもつべきだ」という意見は "政治的に正しい" ので、たとえ建前であったとしても、賛否を問われると "Yes" と答える人が多いと予想できます。しかし「30人クラスで色覚異常者が一人でもいる確率は 60%」という正しい結果を知ると、"Yes" の率が 5ポイント以上増加したのが興味深いところです。


人間は確率が苦手


記事は次のように締めくくられています。


新美さんは「人間は確率を考えるのが苦手。集団に含まれる確率を『過小視』してしまう原因は、マイノリティーに対する偏見ではなく、こうした確率について考える経験自体がほとんどないからでは」とみる。研究結果は、認知心理学の専門誌で発表した。(田村建二 記者)

(同上)

人間は確率が苦手です。それは、確率が単なる計算上の数字に見えてしまって実感が伴わないからでしょう。クラスの中にマイノリティの人は「いる」か「いない」かのどちらかです。0.6 人いるなんてことはない。10クラスあったら およそ 6クラスにはマイノリティの人がいると計算上言われても、10クラスに同時に所属できない以上、自分のクラスには「いる」か「いない」かです。つまり「クラスにマイノリティの人がいる確率は 60%」という計算上の数字を "実感" はできず、なんとなく違和感を抱いてしまう。これが "苦手" の根本要因だと思います。

そういった中で確率を問われると「約9割の人は、マイノリティが一人でもいる確率を過小にみていた」わけです。いわば「過小視バイアス」がかかってしまう。しかし逆に言うと「約1割の人は確率を正しく認識していた」ということです。こういう方もいたことに注意すべきでしょう。



この「過小視バイアス」の原因は何となく理解できます。設問は、7% ないしは 3% のマイノリティに関するものです。ということは、平均して回答者の 93%、97% はマジョリティ側の人です。マジョリティ側の人は、学校や職場などの社会集団において、おそらく設問にあるマイノリティの存在を経験したことがないと思います。なぜなら、同性愛者・両性愛者の人は、自分からそのことをカミングアウトしないのが今の社会では普通だからです。また、色覚異常は確かに不便で、場合によっては重大トラブルに至る可能性もありますが、当人は色覚異常を前提に安全に生活する知恵を身につけているはずです。自分から色覚異常だと集団のメンバーに告知する必然性は薄いはずです。

つまり回答者の大多数は過去に自分の経験した社会集団において、設問にあるようなマイノリティに接したことがないと感じたはずです(実はそれと知らずに接しているのだけれど)。自分の経験上は確率ゼロである。この "経験" が、過小視バイアスの一番の原因でしょう。記事にある「周囲にそうした人はいないという思い込み」です。

人口の 10% 前後は左利きです。今の社会で左利きは「隠すべきこと」ではないし、必然的に左利きは周囲に分かってしまうはずです。不便な面もあるでしょうが、左利き用の商品も多数あるし、逆にスポーツではサウスポーが有利なケースがいろいろあります(右利きだけどスポーツだけサウスポーの人さえいます)。左利きの子が学校のクラスにいたという記憶は、多くの人の脳裏にあるのではないでしょうか。マイノリティを「左利き」として設問すれば違った結果になったかもしれません。



このような「過小視バイアス」があるとして、設問は具体的な確率を答えるものです。計算で答えを出すわけではないので、計算以外の何らかの代替手段が必要です。「正しく認識していた約1割の人」は、上の方に書いた「暗算できそうな範囲で、ざっと見積もった」のかも知れません。

では、過小に答えた人は実際どうしたのでしょうか。記事を読むと、全くのあてずっぽうやランダムでもないようです。過小は過小なりの傾向がある。ということは、確率を認識するときに「人はどのような代替手段に頼っているのか」が問題です。

確率の認識に対する人のバイアスは、事故や災害の確率認識では重大問題になりかねません。また、マイノリティの人たちを支援する政策立案の際などでは、バイアスが暗黙に人の思考を束縛しかねないでしょう。「確率に対する人間の直感は絶望的だ」と諦めるのではなく、「確率を認識するときに、人はどのような代替手段に頼り、それがどういうバイアスを生むのか」という認知心理学の研究は、確かに意義があるものだと思いました。




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