No.371 - 自閉スぺクトラムと伊藤若冲 [アート]
No.363「自閉スペクトラム症と生成 AI」は、自閉スペクトラム症の女性を主人公にしたフランスの警察ドラマ、「アストリッドとラファエル」に触発されて書いた記事でした。今回は自閉スペクトラムと絵画との関係について書きます。
皇居三の丸尚蔵館
皇室が国に寄贈した美術工芸品を収蔵する三の丸尚蔵館は、新施設の建設工事(第1期)が完成し、これを記念して2023年11月から2024年6月まで、所蔵作品を展示する開館記念展が開催されました。これは第1期から4期に分かれており、その第4期の展示(2024年5月21日~6月23日)に行ってきました。
第4期には 14点の美術工芸品が展示されていて、どれもすばらしいものでしたが、何と言っても目玉は、狩野永徳の『唐獅子屏風』(国宝)と伊藤若冲の『動植綵絵』(全30幅のうちの4幅。国宝)でしょう。私は『唐獅子屏風』は別の展覧会で見たことがあったのですが、『動植綵絵』は初めてでした。
伊藤若冲の『動植綵絵』
そもそも4期に渡るこの展示会は、『動植綵絵』の "全30幅のうちの12幅" が大きな "目玉作品" でした。そのうちの8幅は第1期の前期と後期にそれぞれ4幅が展示され、今回が最後の4幅です。展示されていたのは、
・老松孔雀図
・諸魚図
・蓮池遊魚図
・芙蓉双鶏図
でした。なお、No.215「伊藤若冲のプルシアン・ブルー」に書いた『群魚図《鯛》」は『諸魚図』とは別です。今回の作品は蛸が目立つので『群魚図《蛸》』と呼ばれることもありますが、皇居三の丸尚蔵館は『群魚図《鯛》』を単に『群魚図』、『群魚図《蛸》』を『諸魚図』と呼んで区別しています。
この中でやはり印象的だったのは『老松孔雀図』です。孔雀の羽を白(胡粉)で描き、裏から黄色(黄土色)を塗ることで、透けて見える部分が金色に輝くような効果を生み出しています(No.215 参照)。いわゆる裏彩色の技法ですが、白と合わさることで "気高い" とか "高貴" といった印象を醸し出していました。
『芙蓉双鶏図』の2羽の鶏の鮮やかな色彩と構図も印象に残りました。2羽の鶏は、普通あまり描かれないようなアングルです。実際に鶏はこういう格好をするに違いなく、画家の徹底した観察を思わせるものでした。
そして、・・・・・。『動植綵絵』で最も強く思ったのは、実は、その横に展示してあった酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』との対比で感じた若冲の絵の "密度" だったのです。
酒井抱一『花鳥十二ヶ月図』
酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』は、一月から十二月までの各月にちなんだ画題の花鳥画から成っています。4期の展示会では、その中から『二月 菜花に雲雀図』『三月 桜に雉子図』『十月 柿に小禽図』『十一月 芦に白鷺図』の4幅が展示されていました。
各幅には、花鳥画というジャンルそのままに、小鳥(十月の小禽は目白)と植物(花・草・果実)が描かれています。そして、主題とそれを支える事物が詳細度を変えて描かれています。鳥はリアルですが、たとえば桜や柿の幹は "たらし込み" を使って「幹のイメージ的表現」になっている。また背景は空や田畑や川を暗示する抽象的な描き方です。
さらに構図は、木の幹で画面をぶった切る "クローズアップ" 表現によって、画面外にも絵画世界が広がっている印象を与えています。余白のとりかたも画面外の世界を暗示している。まさに江戸期の日本画の一つの典型のような作品です。
酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』は、伊藤若冲の『動植綵絵』の左に展示されていました。そして見比べると、同じ日本画、しかも同じ花鳥画である2作品のあまりの違いが強く印象づけられました。一言で言うと『花鳥十二ヶ月図』との比較で感じる『動植綵絵』の "密度" です。
密度といっても、画面を隙間なく埋め尽くすという意味での密度ではありません。『動植綵絵』は、主題となった動物・植物の各部位が同じような詳細度合いで描かれています。また主題と、それを支える "補助的な" はずの事物も同じ詳細度合いです。筆を省略して暗示しようとする積極的な意図はなく、描くところは徹底的に描き込まれている。そういう意味での、"描き込みの密度" です。
おそらく皇居三の丸尚蔵館の学芸員の方は、『花鳥十二ヶ月図』と『動植綵絵』という2つの花鳥画・4幅を対比させることによって、それぞれの特長を際だたせようとしたのでしょう。その狙いはピッタリとはまっていました。これでこそ学芸員です。
辻惟雄
皇居三の丸尚蔵館を見学してから数日後、NHK Eテレの日曜美術館を見ていると、美術史家・辻惟雄氏の特集をやっていました(2024年6月2日)。辻先生は「奇想の系譜」(初版 1970年)を出版し、それまで忘れられていた江戸期の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、長沢芦雪、曽我蕭白、歌川国芳などを "奇想の画家" というキーワードで紹介し、江戸絵画の見方に革命を起こしたことで有名です。日本美術史を書き換え、さらに、いわゆる "若冲ブーム" に火を付けた方と言ってよいでしょう。
番組では若冲について、アメリカ人のジョー・プライスという人が若冲をコレクションしているという話を辻先生が聞きつけ、辻先生はそれで若冲作品の本物に初めて触れ、そこから研究に入った経緯が語られていました。
そして近年、辻先生が若冲についてのある論文を執筆者から受け取り、返事を出されたことが紹介されていました。その返事には「自閉スペクトラムという科学の鍵を用いて、若冲の秘密の部屋を次ぎ次ぎと開けていく手腕に、目から鱗の落ちる思いだった」とあります。その論文を書かれたのは、京都市で精神科医をされている華園 力氏です。
若冲のオーソリティである辻先生に「目から鱗」と評価された論文を知らずにおくわけにはいきません。そこで以下は、ネットに公開されている「自閉スペクトラムの認知特性と視覚芸術」(日本視覚学会誌 VISION Vol.30, N0.4, 2018)にもとづき、華園先生の論を紹介します。自閉スペクトラムという認知特性がアートにもたらす影響を論じたもので、華園先生の臨床医としての経験と研究から生まれたものです。
自閉スペクトラムと視覚芸術
まず議論の前提として、花園先生の論文の主題になっている自閉スペクトラム(AS。Autism Spectrum)は、自閉スペクトラム症(ASD。Autism Spectrum Disorder)と同じではないことを明確にしておく必要があります。自閉スペクトラム症(ASD)とは、
の3条件に当てはまる状態を言います。これは、医学的診断名であり、医療(治療)の対象になります。
一方、自閉スペクトラム(AS)とは、3条件が当てはまるケースに加えて、C の条件がないケースも含みます。従って、適応不全ではなく支障なしに社会生活を送れている場合も含む。つまり「AS は ASD を含む広い概念」です。
AS は医学的診断名ではありません。また、医療の対象とはならない人を含みます。従って「人の、ある種の "認知特性" を表した言葉」と言ってもよい。論文では A や B のような認知特性を「AS特性」、また AS特性をもつ人を「AS者」という言葉で表現しています。
日曜美術館で華園先生が強調されていましたが、AS特性をもった人がアートやテクノロジーの最前線でイノベーティブな活躍をするケースがいろいろあるわけです。AS特性は、マイナス・弱点というより、個性ととらえるべきです。冒頭にあげた「アストリッドとラファエル」は、まさにそういう視点で作られたドラマでした。
論文には、AS者のアート表現についての数々の事例があげられています。これらをいろいろ読むと、AS特性は人の認知特性、発達特性の一つであり、人の個性であると強く感じます。もちろん AS特性といっても、人によって強弱があるのは言うまでもありません。そもそもスペクトラムとは、光の「スペクトル」を同じ意味で、連続体を意味します。光の波長が連続して変化して虹を作るように、AS特性も、健常者から重度の自閉スペクトラム症まで連続しています。AS特性は「多かれ少なかれ全ての人が持っている特性」とも言えるでしょう。
以上を踏まえて、華園先生が論じている「AS特性が視覚芸術に与える影響」みていきます。
AS特性が視覚芸術に与える影響
AS者が作るアートの表現様式の特徴から、華園先生が若冲作品を引き合いに出して説明されている、
・細部への焦点化
・多重視点
・表情認知の難しさ
・反復繰り返し表現
の4点を以下に紹介します。なお、以下の論文からの引用は段落を追加したところがあります。
『動植綵絵』の『南天雄鶏図』は、皇居三の丸尚蔵館・開館記念展の第1期(の前期)に展示されました。
華園先生は伊藤若冲を AS者であると考えていますが、絵だけから AS者と判断しているわけではありません。文献などにみられる若冲についての 状況証拠" も踏まえての判断です。逆に言うと、AS者でなくても「AS者のアートの表現様式の特徴をもった作品」を作ることはあり得るということでしょう。ここは重要な点だと思います。
『動植綵絵』の『蓮池遊魚図』は、皇居三の丸尚蔵館・開館記念展の第4期に展示されたので既に画像を掲載しましたが、改めて拡大した画像を掲げます。
惜しいことに、展示会でこの絵を見たあとに華園先生の論文を読んだので、こういった見方での鑑賞はしませんでした。「言われてみれば・・・」という感じです。
考えてみると、日本画では複数の視点を一つの作品に詰め込んだ作品は屏風絵などにはよくあります。絵巻物だと複数の時間まで同居している。浮世絵の風景画にも、近景・中景・遠景で視点が違う作品があります。そういう意味で『蓮池遊魚図』を(セザンヌの絵とは違って)多重視点という意識では見ないのでしょう。しかも横に展示してある『諸魚図』は、まるで魚類図鑑の1ページのような描き方です。『蓮池遊魚図』も、魚と蓮を並べた図鑑のような絵だと思ってしまのですね。
しかしこの絵は華園先生の指摘のように、蓮池の狭い空間の中に、横・斜め上・上から見た蓮の葉と花、9匹の鮎と1匹のオイカワの姿を混在させています。確かにこれは、この絵の明らかな特徴です。
AS特性の強い多くの人は、表情認知が弱いことが知られています。つまり「顔や表情は、それ以外のものが発信する情報よりも優れて目立つ」という "顕著性" があるのが普通です。しかしAS者は、顔や表情について顕著性の感じかたが弱いのです。
江戸絵画には子犬を描いた絵が多々ありますが、有名なのは円山応挙です。応挙が描いたさまざまな子犬が次です。
若冲と応挙を比較してみると共通点があります。それは「子犬のさまざまな姿態、ポーズを描こうとしている」ことです。それによって子犬の愛らしさ、可愛らしさを表現しています。
しかし大きな違いがあります。応挙は子犬の "表情" によって愛らしさを際だたせようとしています。一方、若冲は "表情" を描こうとはしていません。若冲の関心は明らかに子犬の毛色、特に地色にまだら模様の入る "ぶち犬" のパターンを描き分けることにあります。だから59匹もの子犬を画面に詰め込んだ。若冲が表情描写に関心が行っていないという華園先生の指摘は図星だと思います。
思い出してみると『動植綵絵』の中に 13羽もの鶏を1画面に描いた『群鶏図』があります。この『群鶏図』と『百犬図』とは「動物の姿態と外見のバリエーションを描ききろうとした絵」という点で非常によく似ています。
そう言えば、若冲が多数描いた鶏には「表情がない」のですね。また魚や昆虫にも表情がない。一方、哺乳類(子犬、猿が江戸絵画の主な画題)については、普通の人は「表情がある」とイメージします。それが本当に動物の "表情" なのかは別です。人は子犬や猿を見ると、無意識に人間の顔を動物に投影してしまい、擬人化する。それにより "表情" と感じる、と言う方が正確でしょう。
応挙は子犬に表情をもたせた。だから "カワイイ"。しかし若冲は違います。画家は「鶏を描くように子犬を描いた」と言えそうです。
動植綵絵の『南天雄鶏図』における多数の南天の実と鶏冠の白い点々、鶏の羽の1枚1枚は、まさに「反復繰り返し表現」です。No.215 で紹介しましたが、「無数に描かれた南天の実1つ1つ、折り重なった紅葉の1枚1枚に、微妙に異なる裏彩色がなされている」そうです(三の丸尚蔵館 太田主任研究官による。日経サイエンス 2017年10月号)。華園先生も『南天雄鶏図』について同じことを指摘されていました。若冲は絵の表で反復繰り返すだけでなく、裏からも繰り返していることになります。そもそも鶏の背景に南天を選んだのは、反復繰り返しをしたかったのかも知れません。
華園先生はその「反復繰り返し表現」の極端な例として、いわゆる "桝目描き" の『白象群獣図』を例に出しています。
伊藤若冲の "桝目描き" の作品は『白象群獣図』を含めて3つあり、残りは『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館 蔵)と『鳥獣花木図屏風』(出光美術館 蔵:旧プライス・コレクション)です。このうち『白象群獣図』は、華園先生も書かれているように初期作品であり、すべてが若冲の真筆だと考えられています。
いずれにせよ、日本美術史においては "空前絶後" の作品であることには間違いありません。
全ての事物は平等
以上をまとめると、華園先生は、
・『南天雄鶏図』(動植綵絵)
・『蓮池遊魚図』(動植綵絵)
・『百犬図』『蒲庵浄英像』
・『白象群獣図』
などの作品に見られる特徴を、
・細部への焦点化
・多重視点
・表情認知の難しさ
・反復繰り返し表現
として抽出し、これらの特徴の共通項が「自閉スペクトラムの特性がある人のアート表現」だと指摘されたのでした。もちろん、論文は若冲の分析を目的にしたものではなく、他にも数々の画家の例が登場します。たとえば次のような指摘です。
なるほど。伊藤若冲と田中一村の花鳥図は、細部への焦点化による濃密な表現という点で極めてよく似ている。これは非常に納得します。一村を称して「奄美大島のゴーギャン」などと言う人がいますが、それは「離島に移り住んで描いた」という外面だけの共通性による皮相的な見方であり、「昭和の若冲」と言う方が本質を突いているのでしょう。
そう言えばNHK Eテレの日曜美術館によると、華園先生は、アンリ・ルソーの絵も AS特性をもつ人のアート表現の特徴があると指摘されているそうです。ここで思い当たるのは、アンリ・ルソーの(空想の)熱帯風景を描いた一連の絵と、田中一村の奄美で描いた絵は良く似ていることです。
その「田中一村 展」が、東京都美術館で開催される予定です(2024年9月19日~12月1日)。「自閉スペクトラム」「伊藤若冲」「アンリ・ルソー」という視点で展覧会を見るのも面白そうです。
以上の華園先生の論文を読んで思うのですが、もし「自閉スペクトラム」という言葉を全く持ち出さないで(あるいは精神医学の知見から全く離れて)若冲作品を貫く共通項を言うなら、
と言えるのではないでしょうか。画家は、鶏頭と鶏冠と羽と南天の実と葉を同じ詳細度合いで描きます。上・横・斜めから見た蓮の花も平等に描く。子犬も、そこに人間を投影したりせずに、鶏と同じスタイルで描く。
極めつけは「桝目描き」です。全体としては象などの動物を描いているのだけれど、6000ある個々の桝目、今風に言うとピクセルは、あくまで平等です。どのピクセルが重要だとは言えません。ピクセルなのだから・・・。
伊藤若冲という人は、独特の個性的な "眼" をもった人であり(華園先生によるとそれは AS特性に由来する)、その個性が現代の我々を魅惑するのだと思いました。
伊藤若冲(1716-1800)は、京都の錦小路の青物問屋(通称 "桝源")の長男として生まれ、23歳のときに父を亡くして家業を継ぎました。桝源は、錦小路という京都随一の食料品街に店を構え、店付近の土地も所有していたようで、その当主はただの町人ではなく町衆(旦那衆)と呼ばれた裕福な商人です。若冲は40歳のときに家督を弟に譲って隠居し、以降は画業に専念しました。
伊藤若冲の日記や手紙は残っていませんが、相国寺(『動植綵絵』を寄贈した禅宗の寺院)の住職であった大典顕常が若冲と親しく、この僧が残した文が残っていて、そこから若冲の人物像をうかがい知ることができます。
その人物像を述べた2人の文章を紹介します。まず、若冲の研究で著名な美術史家の小林 忠氏は、葛飾北斎の自称である "画狂人" と対比するかたちで、若冲を "画遊人" であるとし、次のように述べています
小林氏の紹介による若冲の人物像を簡潔にまとめると、
となるでしょう。
また、美術史家の狩野博幸氏は、次のように書いています。
旦那衆であれば夕方からの寄り合いが仕事のようなもので、彼らが祇園や先斗町に落とすお金が京の繁栄につながりました。小唄や三味線は、旦那衆が普通にたしなむ遊びです。しかし若冲は、そういうことは一切受け付けなかったようです。
ちなみに、鹿苑寺は俗称・金閣寺で、臨済宗相国寺派の寺院です。鹿苑寺が大書院の障壁画を若冲にまかせたのは、狩野派や土佐派といった "ブランド" はなくても、絵師としての技量を認めたからでしょう。
狩野氏の紹介による若冲の人物像を簡潔にまとめると、
といったところでしょう。その若冲の価値を理解できる人たちが、大典顕常をはじめ当時からいた。そこが重要なところだと思います。
本文中に『動植綵絵』の「蓮池遊魚図」を "多重視点" という観点から引用しましたが、「補記1」で引用した狩野博幸氏は、別の観点から次のように書いています。
病葉で思い出しましたが、若冲は『動植綵絵』の雪のシーンを描いた作品で、溶けかけた雪を描いていますね(「雪中錦鶏図」と「芦雁図」)。こういう表現は日本美術で他に見たことがないし、世界美術史でも例がないのではと思います。
本文で触れたのですが、2024年9月19日から東京都美術館で「田中一村展」が開催され、さっそく行ってきました。その数日後の9月28日、1984年に放映された「日曜美術館」の再放送がNHK Eテレでありました。田中一村の評価の先駆けになったといわれる番組です。タイトルは、
日曜美術館(1984年)
美と風土 黒潮の画譜
~ 異端の画家・田中一村 ~
です。この番組の中で、若冲研究で著名な小林忠氏(当時、学習院大学教授。現在、岡田美術館館長。補記1参照)へのインタビューがありました。小林氏は1971年に「若冲展」(東京国立博物館)を企画・開催されていて、辻先生とともに現在の若冲ブームを作った中心人物です。その小林先生が、田中一村(1908-1977)の奄美大島時代の絵について次のように語っておられました。
この "田中一村の花鳥画評" は、そのまま伊藤若冲に当てはまるではないでしょうか。小林先生の発言は、番組のタイトルが暗示する "風土と芸術の関係" ではなく、純粋な "画家論"、ないしは "芸術論" になっているのが印象的でした。
田中一村が知られるようになったのは、三回忌(1979年)に奄美で開催された「田中一村遺作展」でした。この開催に尽力したのが、南日本新聞の記者・中野淳夫氏です。その5年後、遺作展のことを知ったNHKディレクターの松元邦暉氏が日曜美術館でとりあげ(1984年)全国的な反響を呼んだのです(ちなみに、中野氏も松元氏も美術と無縁だったようです。それほど一村の吸引力が強かったということでしょう)。
今回の「田中一村展」を監修された千葉市美術館の副館長・松尾和子氏は次のように書かれています。
これを読むと、本文中に書いた「昭和の若冲」という形容は当初からあったと理解できました。田中一村をゴーギャン(離島に移り住んで描き、生涯を終えた)、アンリ・ルソー(亜熱帯・熱帯の動植物を描いた)、ゴッホ(画壇から認められることは無かった)と並べるのは皮相的なのでしょう。やはり並べるとしたら伊藤若冲です。
今回の「田中一村展」は、7歳ごろから亡くなるまでの作品、300点以上が展示されるという大規模なものでしたが、その中から奄美大島で描かれた1点だけを引用します。
幾重にも折り重なったビロウの葉が、深々とした森の中に空間を作っています。ビロウは墨の濃淡だけで表現され、空間の中に3つの植物と蝶が配置されています。「田中一村展」の図録によると、左上はアカミズキ(赤水木)にとまるアサギマダラ(浅葱斑)、中央下はアオノクマタケラン(青野熊竹蘭=ショウガ科)、右下はコンロンカ(崑崙花)です。植物の葉も墨で描かれ、墨以外の色はわずかです。向こうの方に少し明るい場所が見えますが、これは森の外でしょうか。
描かれているものはすべてリアルで、植物の名前、蝶の名も特定できます。しかし全体としては "見たことのない空間" という印象で、小林先生の言葉を借りると "写実を超えた幻想の世界" を描いたように感じます。
その大きな理由は、一種の "コラージュ的な手法" によるのだと思います。一つ一つのモノを徹底的に観察し、それらすべてを写実的に描き、画面全体に貼り合わせて構図を作る。一番手前(右下のコンロンカ)から向こうの方(明るい所)に空間が広がっているはずなのに、すべてが同程度のリアルさです。もし人がこれと同じ実空間にいたとしても、眼には決してこのようには見えないはずです。一種の "多視点的な描き方" であり、これが "見たこともない空間" を作り出しているのでしょう。
この絵は一つの例に過ぎませんが、田中一村が奄美大島で描いた絵はこのような特徴のものが多い。そのことが、展覧会を見てよく分かりました。
皇居三の丸尚蔵館
皇室が国に寄贈した美術工芸品を収蔵する三の丸尚蔵館は、新施設の建設工事(第1期)が完成し、これを記念して2023年11月から2024年6月まで、所蔵作品を展示する開館記念展が開催されました。これは第1期から4期に分かれており、その第4期の展示(2024年5月21日~6月23日)に行ってきました。
第4期には 14点の美術工芸品が展示されていて、どれもすばらしいものでしたが、何と言っても目玉は、狩野永徳の『唐獅子屏風』(国宝)と伊藤若冲の『動植綵絵』(全30幅のうちの4幅。国宝)でしょう。私は『唐獅子屏風』は別の展覧会で見たことがあったのですが、『動植綵絵』は初めてでした。
伊藤若冲の『動植綵絵』
そもそも4期に渡るこの展示会は、『動植綵絵』の "全30幅のうちの12幅" が大きな "目玉作品" でした。そのうちの8幅は第1期の前期と後期にそれぞれ4幅が展示され、今回が最後の4幅です。展示されていたのは、
・老松孔雀図
・諸魚図
・蓮池遊魚図
・芙蓉双鶏図
でした。なお、No.215「伊藤若冲のプルシアン・ブルー」に書いた『群魚図《鯛》」は『諸魚図』とは別です。今回の作品は蛸が目立つので『群魚図《蛸》』と呼ばれることもありますが、皇居三の丸尚蔵館は『群魚図《鯛》』を単に『群魚図』、『群魚図《蛸》』を『諸魚図』と呼んで区別しています。
伊藤若冲「動植綵絵」 |
皇居三の丸尚蔵館・開館記念展(第4期)で展示された4幅。老松孔雀図(左上)、諸魚図(右上)、蓮池遊魚図(左下)、芙蓉双鶏図(右下) |
この中でやはり印象的だったのは『老松孔雀図』です。孔雀の羽を白(胡粉)で描き、裏から黄色(黄土色)を塗ることで、透けて見える部分が金色に輝くような効果を生み出しています(No.215 参照)。いわゆる裏彩色の技法ですが、白と合わさることで "気高い" とか "高貴" といった印象を醸し出していました。
『芙蓉双鶏図』の2羽の鶏の鮮やかな色彩と構図も印象に残りました。2羽の鶏は、普通あまり描かれないようなアングルです。実際に鶏はこういう格好をするに違いなく、画家の徹底した観察を思わせるものでした。
そして、・・・・・。『動植綵絵』で最も強く思ったのは、実は、その横に展示してあった酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』との対比で感じた若冲の絵の "密度" だったのです。
酒井抱一『花鳥十二ヶ月図』
酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』は、一月から十二月までの各月にちなんだ画題の花鳥画から成っています。4期の展示会では、その中から『二月 菜花に雲雀図』『三月 桜に雉子図』『十月 柿に小禽図』『十一月 芦に白鷺図』の4幅が展示されていました。
酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」 |
皇居三の丸尚蔵館・開館記念展(第4期)で展示された4幅。「二月 菜花に雲雀図」(左上)、「三月 桜に雉子図」(右上)、「十月 柿に小禽図」(左下)、「十一月 芦に白鷺図」(右下) |
各幅には、花鳥画というジャンルそのままに、小鳥(十月の小禽は目白)と植物(花・草・果実)が描かれています。そして、主題とそれを支える事物が詳細度を変えて描かれています。鳥はリアルですが、たとえば桜や柿の幹は "たらし込み" を使って「幹のイメージ的表現」になっている。また背景は空や田畑や川を暗示する抽象的な描き方です。
さらに構図は、木の幹で画面をぶった切る "クローズアップ" 表現によって、画面外にも絵画世界が広がっている印象を与えています。余白のとりかたも画面外の世界を暗示している。まさに江戸期の日本画の一つの典型のような作品です。
酒井抱一の『花鳥十二ヶ月図』は、伊藤若冲の『動植綵絵』の左に展示されていました。そして見比べると、同じ日本画、しかも同じ花鳥画である2作品のあまりの違いが強く印象づけられました。一言で言うと『花鳥十二ヶ月図』との比較で感じる『動植綵絵』の "密度" です。
密度といっても、画面を隙間なく埋め尽くすという意味での密度ではありません。『動植綵絵』は、主題となった動物・植物の各部位が同じような詳細度合いで描かれています。また主題と、それを支える "補助的な" はずの事物も同じ詳細度合いです。筆を省略して暗示しようとする積極的な意図はなく、描くところは徹底的に描き込まれている。そういう意味での、"描き込みの密度" です。
おそらく皇居三の丸尚蔵館の学芸員の方は、『花鳥十二ヶ月図』と『動植綵絵』という2つの花鳥画・4幅を対比させることによって、それぞれの特長を際だたせようとしたのでしょう。その狙いはピッタリとはまっていました。これでこそ学芸員です。
辻惟雄
皇居三の丸尚蔵館を見学してから数日後、NHK Eテレの日曜美術館を見ていると、美術史家・辻惟雄氏の特集をやっていました(2024年6月2日)。辻先生は「奇想の系譜」(初版 1970年)を出版し、それまで忘れられていた江戸期の画家、岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、長沢芦雪、曽我蕭白、歌川国芳などを "奇想の画家" というキーワードで紹介し、江戸絵画の見方に革命を起こしたことで有名です。日本美術史を書き換え、さらに、いわゆる "若冲ブーム" に火を付けた方と言ってよいでしょう。
番組では若冲について、アメリカ人のジョー・プライスという人が若冲をコレクションしているという話を辻先生が聞きつけ、辻先生はそれで若冲作品の本物に初めて触れ、そこから研究に入った経緯が語られていました。
そして近年、辻先生が若冲についてのある論文を執筆者から受け取り、返事を出されたことが紹介されていました。その返事には「自閉スペクトラムという科学の鍵を用いて、若冲の秘密の部屋を次ぎ次ぎと開けていく手腕に、目から鱗の落ちる思いだった」とあります。その論文を書かれたのは、京都市で精神科医をされている華園 力氏です。
若冲のオーソリティである辻先生に「目から鱗」と評価された論文を知らずにおくわけにはいきません。そこで以下は、ネットに公開されている「自閉スペクトラムの認知特性と視覚芸術」(日本視覚学会誌 VISION Vol.30, N0.4, 2018)にもとづき、華園先生の論を紹介します。自閉スペクトラムという認知特性がアートにもたらす影響を論じたもので、華園先生の臨床医としての経験と研究から生まれたものです。
自閉スペクトラムと視覚芸術
まず議論の前提として、花園先生の論文の主題になっている自閉スペクトラム(AS。Autism Spectrum)は、自閉スペクトラム症(ASD。Autism Spectrum Disorder)と同じではないことを明確にしておく必要があります。自閉スペクトラム症(ASD)とは、
対人、あるいは社会的コミュニケーションや相互交流が難しい。自動的で即座的な対人情報処理が弱い。 | |
興味関心・行動が限定されていて、反復性がある。細部・規則性・同一性にこだわる。 | |
適応不全である。すなわち社会生活上の支障をきたしている。 |
の3条件に当てはまる状態を言います。これは、医学的診断名であり、医療(治療)の対象になります。
一方、自閉スペクトラム(AS)とは、3条件が当てはまるケースに加えて、C の条件がないケースも含みます。従って、適応不全ではなく支障なしに社会生活を送れている場合も含む。つまり「AS は ASD を含む広い概念」です。
AS は医学的診断名ではありません。また、医療の対象とはならない人を含みます。従って「人の、ある種の "認知特性" を表した言葉」と言ってもよい。論文では A や B のような認知特性を「AS特性」、また AS特性をもつ人を「AS者」という言葉で表現しています。
日曜美術館で華園先生が強調されていましたが、AS特性をもった人がアートやテクノロジーの最前線でイノベーティブな活躍をするケースがいろいろあるわけです。AS特性は、マイナス・弱点というより、個性ととらえるべきです。冒頭にあげた「アストリッドとラファエル」は、まさにそういう視点で作られたドラマでした。
論文には、AS者のアート表現についての数々の事例があげられています。これらをいろいろ読むと、AS特性は人の認知特性、発達特性の一つであり、人の個性であると強く感じます。もちろん AS特性といっても、人によって強弱があるのは言うまでもありません。そもそもスペクトラムとは、光の「スペクトル」を同じ意味で、連続体を意味します。光の波長が連続して変化して虹を作るように、AS特性も、健常者から重度の自閉スペクトラム症まで連続しています。AS特性は「多かれ少なかれ全ての人が持っている特性」とも言えるでしょう。
以上を踏まえて、華園先生が論じている「AS特性が視覚芸術に与える影響」みていきます。
AS特性が視覚芸術に与える影響
AS者が作るアートの表現様式の特徴から、華園先生が若冲作品を引き合いに出して説明されている、
・細部への焦点化
・多重視点
・表情認知の難しさ
・反復繰り返し表現
の4点を以下に紹介します。なお、以下の論文からの引用は段落を追加したところがあります。
細部への焦点化 |
若冲の絵には執拗なまでの細部へのこだわりが見て取れる。「南天雄鶏図」は、若冲が相国寺に寄進した「動植綵絵」という30幅の花鳥画の一つである。若冲の絵は形態と色彩の繰り返しと呼応に細心の注意が払われていることが多いが、この絵もそれをよく表している。 羽毛にしても鶏冠の白いドットにしても、また赤い南天の実一粒一粒も、全く手を抜くことなく驚くべき集中力を持続させて描きあげている。いたるところ細部まで同じ密度で描かれ、部分と全体、主題と背景の間に優劣が見られない。南天の実は絵絹の裏側から顔料を塗り表面は染料で色付けする「裏彩色」という技法によって微妙に陰影が付けられ奥行が表現されている。南天の実は一粒ごとに明度に差があり、裏彩色の有無や顔料や染料の濃度差で表現されている。 表面からは辰砂だけで彩色されたものと赤色染料を加えたものがある。緻密な表現、細密な描写がどの部分を取っても手を抜くことなく貫かれていて、色彩・発色への執着、細部への焦点化が顕著に認められる。このような細部への過剰な焦点化は、AS者の認知特性を強く反映している。 華園 力 「自閉スペクトラムの認知特性と視覚芸術」 (日本視覚学会誌 VISION Vol.30-4, 2018) |
『動植綵絵』の『南天雄鶏図』は、皇居三の丸尚蔵館・開館記念展の第1期(の前期)に展示されました。
伊藤若冲 動植綵絵「南天雄鶏図」 |
華園先生は伊藤若冲を AS者であると考えていますが、絵だけから AS者と判断しているわけではありません。文献などにみられる若冲についての 状況証拠" も踏まえての判断です。逆に言うと、AS者でなくても「AS者のアートの表現様式の特徴をもった作品」を作ることはあり得るということでしょう。ここは重要な点だと思います。
多重視点 |
同じく若冲の動植綵絵の中の「蓮池遊魚図」という絵では、顕著な多重視点が見て取れる。この絵は一つの固定した視点から眺望した風景ではなく、各部分がそれぞれ独立した視点から描写された多重視点で構成されている。 前景に見られるヒシやハスの葉あるいはハスの花は池辺から斜めに、または真横から眺めているように描かれている。上方に見られる一輪のハスの花は、あたかも上空から見下ろしたように描かれている。また、同方向に泳ぐアユやオイカワは、真横から水中撮影したかのように表現されている。複数の異なるパースペクティブが何のためらいもなく同一画面を構成しているのである。 (同上) |
『動植綵絵』の『蓮池遊魚図』は、皇居三の丸尚蔵館・開館記念展の第4期に展示されたので既に画像を掲載しましたが、改めて拡大した画像を掲げます。
伊藤若冲 動植綵絵「蓮池遊魚図」 |
惜しいことに、展示会でこの絵を見たあとに華園先生の論文を読んだので、こういった見方での鑑賞はしませんでした。「言われてみれば・・・」という感じです。
考えてみると、日本画では複数の視点を一つの作品に詰め込んだ作品は屏風絵などにはよくあります。絵巻物だと複数の時間まで同居している。浮世絵の風景画にも、近景・中景・遠景で視点が違う作品があります。そういう意味で『蓮池遊魚図』を(セザンヌの絵とは違って)多重視点という意識では見ないのでしょう。しかも横に展示してある『諸魚図』は、まるで魚類図鑑の1ページのような描き方です。『蓮池遊魚図』も、魚と蓮を並べた図鑑のような絵だと思ってしまのですね。
しかしこの絵は華園先生の指摘のように、蓮池の狭い空間の中に、横・斜め上・上から見た蓮の葉と花、9匹の鮎と1匹のオイカワの姿を混在させています。確かにこれは、この絵の明らかな特徴です。
表情認知の難しさ |
AS特性の強い多くの人は、表情認知が弱いことが知られています。つまり「顔や表情は、それ以外のものが発信する情報よりも優れて目立つ」という "顕著性" があるのが普通です。しかしAS者は、顔や表情について顕著性の感じかたが弱いのです。
若冲の絵には僧侶の肖像画(頂相)を含め人物画が極めて少ない。あったとしても人の表情の描写は極めて拙く、動植物画に比べ表現力に極端な乖離がある。これはAS者に多い表情認知の弱さと関連していると思われる。 例えば、「蒲庵和尚像」は黄檗山第23代蒲庵和尚の肖像画(頂相)であるが、巧みな動植物の絵に比べてその拙さは不思議な印象すら与える。若冲の絵にはこのような頂相を含め人物画が極めて少なく、人の表情の描写は極めて拙い。さもなければ、「布袋唐子図」のように、まるで漫画やゆるキャラのような表現になる。 表情描写の乏しさは、動物の表情や目の描写にも表れている。無邪気に戯れ合っているように見える若冲の「百犬図」に登場する仔犬たちの表情は、よく見ると平板で特に目はどこを見ているのか視線は定まらず、対象を突き抜けているようで、その奥に志向性や感情の存在が読み取れない。遊び心をうかがわせる凝った犬の紋様以上の顕著性が表現されていない。 (同上) |
伊藤若冲「蒲庵浄英像」 |
(京都・萬幅寺 蔵) |
伊藤若冲「百犬図」
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「百犬図」という題ではあるが、子犬は 100匹ではなく 59匹である。百は多数の意味。 |
(京都国立博物館 蔵) |
伊藤若冲「百犬図」(部分) |
子犬の目はすべて同じように描かれていて、表情が没個性的だとの印象を受ける。それとは裏腹に、毛色とぶちのパターンは極めて多様である。 |
江戸絵画には子犬を描いた絵が多々ありますが、有名なのは円山応挙です。応挙が描いたさまざまな子犬が次です。
円山応挙が描いた、さまざまな子犬 |
金子信久「子犬の絵画史」(講談社 2022)より |
若冲と応挙を比較してみると共通点があります。それは「子犬のさまざまな姿態、ポーズを描こうとしている」ことです。それによって子犬の愛らしさ、可愛らしさを表現しています。
しかし大きな違いがあります。応挙は子犬の "表情" によって愛らしさを際だたせようとしています。一方、若冲は "表情" を描こうとはしていません。若冲の関心は明らかに子犬の毛色、特に地色にまだら模様の入る "ぶち犬" のパターンを描き分けることにあります。だから59匹もの子犬を画面に詰め込んだ。若冲が表情描写に関心が行っていないという華園先生の指摘は図星だと思います。
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そう言えば、若冲が多数描いた鶏には「表情がない」のですね。また魚や昆虫にも表情がない。一方、哺乳類(子犬、猿が江戸絵画の主な画題)については、普通の人は「表情がある」とイメージします。それが本当に動物の "表情" なのかは別です。人は子犬や猿を見ると、無意識に人間の顔を動物に投影してしまい、擬人化する。それにより "表情" と感じる、と言う方が正確でしょう。
応挙は子犬に表情をもたせた。だから "カワイイ"。しかし若冲は違います。画家は「鶏を描くように子犬を描いた」と言えそうです。
反復繰り返し表現 |
AS者は同一性を保持しようとしたり、反復繰り返し行動(restricted and repetitive behaviors:RRBs)を取ることが多い。そのような行動は、不安を軽減したり気分の安定に寄与する自己治癒的な側面を持っている。それが視覚芸術においても繰り返し表現を選択する動因となっていると考えられる。 (同上) |
動植綵絵の『南天雄鶏図』における多数の南天の実と鶏冠の白い点々、鶏の羽の1枚1枚は、まさに「反復繰り返し表現」です。No.215 で紹介しましたが、「無数に描かれた南天の実1つ1つ、折り重なった紅葉の1枚1枚に、微妙に異なる裏彩色がなされている」そうです(三の丸尚蔵館 太田主任研究官による。日経サイエンス 2017年10月号)。華園先生も『南天雄鶏図』について同じことを指摘されていました。若冲は絵の表で反復繰り返すだけでなく、裏からも繰り返していることになります。そもそも鶏の背景に南天を選んだのは、反復繰り返しをしたかったのかも知れません。
華園先生はその「反復繰り返し表現」の極端な例として、いわゆる "桝目描き" の『白象群獣図』を例に出しています。
伊藤若冲の桝目描きの初期作品「白象群獣図」は、正絵という西陣織物の下絵にヒントを得て創作されたものと言われている。 画面をおよそ10mm四方の正方形に分割し、その内部を一つ一つ塗り分けていて、この絵では約6,000個の桝目があるという。これらを一つ一つ丁寧に塗っていく、同一のパターンを飽きることなく繰り返すのは、驚くべき集中力と根気を必要とする気の遠くなるような作業である。 RRBsの強さ、特に同一性への固執は不安の強さと相関している。こういう同型の繰り返し作業、同一性を保つ行動はAS者にとっては不安を軽減する一種の自己治癒効果を持っていると考えられる。 (中略)
AS特性の強い者では、注意を持続させながら機械的繰り返し作業をしている時の方が、何もしていない時よりリラックスできていることがあることを示唆している。驚くべき持続的集中と忍耐で桝目を塗りあげている過程は、そのままリラクゼーションや癒しの行為にもなっているのではないだろうか。 ASの作家たちの作品には顕著な反復繰り返しの表現が数多く見られる。 (同上) |
伊藤若冲「白象群獣図」 |
(個人蔵) |
伊藤若冲の "桝目描き" の作品は『白象群獣図』を含めて3つあり、残りは『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館 蔵)と『鳥獣花木図屏風』(出光美術館 蔵:旧プライス・コレクション)です。このうち『白象群獣図』は、華園先生も書かれているように初期作品であり、すべてが若冲の真筆だと考えられています。
いずれにせよ、日本美術史においては "空前絶後" の作品であることには間違いありません。
全ての事物は平等
以上をまとめると、華園先生は、
・『南天雄鶏図』(動植綵絵)
・『蓮池遊魚図』(動植綵絵)
・『百犬図』『蒲庵浄英像』
・『白象群獣図』
などの作品に見られる特徴を、
・細部への焦点化
・多重視点
・表情認知の難しさ
・反復繰り返し表現
として抽出し、これらの特徴の共通項が「自閉スペクトラムの特性がある人のアート表現」だと指摘されたのでした。もちろん、論文は若冲の分析を目的にしたものではなく、他にも数々の画家の例が登場します。たとえば次のような指摘です。
田中一村(1908 - 1977)は幼少期から南画の神童と呼ばれたが、中央画壇に認められぬまま奄美大島で絵を描き続けた。一村もその行動上の特徴からAS者と考えられるが、彼の風景・花鳥図にも細部への焦点化による濃密な表現が見られる。田中一村の描いた数少ない肖像画も、見事な風景・花鳥図に比べるといかにも稚拙で見劣りがすると言わざるを得ない。 (同上) |
なるほど。伊藤若冲と田中一村の花鳥図は、細部への焦点化による濃密な表現という点で極めてよく似ている。これは非常に納得します。一村を称して「奄美大島のゴーギャン」などと言う人がいますが、それは「離島に移り住んで描いた」という外面だけの共通性による皮相的な見方であり、「昭和の若冲」と言う方が本質を突いているのでしょう。
そう言えばNHK Eテレの日曜美術館によると、華園先生は、アンリ・ルソーの絵も AS特性をもつ人のアート表現の特徴があると指摘されているそうです。ここで思い当たるのは、アンリ・ルソーの(空想の)熱帯風景を描いた一連の絵と、田中一村の奄美で描いた絵は良く似ていることです。
その「田中一村 展」が、東京都美術館で開催される予定です(2024年9月19日~12月1日)。「自閉スペクトラム」「伊藤若冲」「アンリ・ルソー」という視点で展覧会を見るのも面白そうです。
以上の華園先生の論文を読んで思うのですが、もし「自閉スペクトラム」という言葉を全く持ち出さないで(あるいは精神医学の知見から全く離れて)若冲作品を貫く共通項を言うなら、
リアリズム絵画の範疇に留まりつつ、全ての事物は平等というコンセプトで描かれた作品
と言えるのではないでしょうか。画家は、鶏頭と鶏冠と羽と南天の実と葉を同じ詳細度合いで描きます。上・横・斜めから見た蓮の花も平等に描く。子犬も、そこに人間を投影したりせずに、鶏と同じスタイルで描く。
極めつけは「桝目描き」です。全体としては象などの動物を描いているのだけれど、6000ある個々の桝目、今風に言うとピクセルは、あくまで平等です。どのピクセルが重要だとは言えません。ピクセルなのだから・・・。
伊藤若冲という人は、独特の個性的な "眼" をもった人であり(華園先生によるとそれは AS特性に由来する)、その個性が現代の我々を魅惑するのだと思いました。
(続く)
補記1:伊藤若冲の人物像 |
伊藤若冲(1716-1800)は、京都の錦小路の青物問屋(通称 "桝源")の長男として生まれ、23歳のときに父を亡くして家業を継ぎました。桝源は、錦小路という京都随一の食料品街に店を構え、店付近の土地も所有していたようで、その当主はただの町人ではなく町衆(旦那衆)と呼ばれた裕福な商人です。若冲は40歳のときに家督を弟に譲って隠居し、以降は画業に専念しました。
伊藤若冲の日記や手紙は残っていませんが、相国寺(『動植綵絵』を寄贈した禅宗の寺院)の住職であった大典顕常が若冲と親しく、この僧が残した文が残っていて、そこから若冲の人物像をうかがい知ることができます。
その人物像を述べた2人の文章を紹介します。まず、若冲の研究で著名な美術史家の小林 忠氏は、葛飾北斎の自称である "画狂人" と対比するかたちで、若冲を "画遊人" であるとし、次のように述べています
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小林氏の紹介による若冲の人物像を簡潔にまとめると、
絵のほかには何の楽しみごともなく、日々その趣味にふけり遊んで飽きることがなかった | |
非情・有情にかかわらず成仏できるという、仏教徒としての純粋で真摯な世界観をもっていて、「動植綵絵」はその現れである |
となるでしょう。
また、美術史家の狩野博幸氏は、次のように書いています。
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旦那衆であれば夕方からの寄り合いが仕事のようなもので、彼らが祇園や先斗町に落とすお金が京の繁栄につながりました。小唄や三味線は、旦那衆が普通にたしなむ遊びです。しかし若冲は、そういうことは一切受け付けなかったようです。
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ちなみに、鹿苑寺は俗称・金閣寺で、臨済宗相国寺派の寺院です。鹿苑寺が大書院の障壁画を若冲にまかせたのは、狩野派や土佐派といった "ブランド" はなくても、絵師としての技量を認めたからでしょう。
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狩野氏の紹介による若冲の人物像を簡潔にまとめると、
旦那衆としての素養はなく(ないしはそこから距離を置き)人づきあいは苦手 | |
ただし、興味のあることには異常に熱中する |
といったところでしょう。その若冲の価値を理解できる人たちが、大典顕常をはじめ当時からいた。そこが重要なところだと思います。
補記2:「蓮池遊魚図」の "あり得ない" 描写 |
本文中に『動植綵絵』の「蓮池遊魚図」を "多重視点" という観点から引用しましたが、「補記1」で引用した狩野博幸氏は、別の観点から次のように書いています。
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伊藤若冲 動植綵絵「老松白鳳図」 |
鳳凰は空想上の霊鳥で、右下に描かれた "虫食いの桐の葉" は現実そのものである。フィションとリアルを極端に対比させた独自の世界が広がる。忘れがちであるが、『動植綵絵』の30幅は『釈迦三尊図』3幅とともに相国寺に寄進された仏画である。 |
病葉で思い出しましたが、若冲は『動植綵絵』の雪のシーンを描いた作品で、溶けかけた雪を描いていますね(「雪中錦鶏図」と「芦雁図」)。こういう表現は日本美術で他に見たことがないし、世界美術史でも例がないのではと思います。
伊藤若冲 動植綵絵「雪中錦鶏図」 |
錦鶏(きんけい)はキジ科の美しい鳥だが、背景になっている雪景色は独特である。水分を多量に含んだ "みぞれ" のような雪が木の枝に降り、降ったその場で溶け出すように描かれている。 |
補記3:田中一村 |
本文で触れたのですが、2024年9月19日から東京都美術館で「田中一村展」が開催され、さっそく行ってきました。その数日後の9月28日、1984年に放映された「日曜美術館」の再放送がNHK Eテレでありました。田中一村の評価の先駆けになったといわれる番組です。タイトルは、
日曜美術館(1984年)
美と風土 黒潮の画譜
~ 異端の画家・田中一村 ~
です。この番組の中で、若冲研究で著名な小林忠氏(当時、学習院大学教授。現在、岡田美術館館長。補記1参照)へのインタビューがありました。小林氏は1971年に「若冲展」(東京国立博物館)を企画・開催されていて、辻先生とともに現在の若冲ブームを作った中心人物です。その小林先生が、田中一村(1908-1977)の奄美大島時代の絵について次のように語っておられました。
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この "田中一村の花鳥画評" は、そのまま伊藤若冲に当てはまるではないでしょうか。小林先生の発言は、番組のタイトルが暗示する "風土と芸術の関係" ではなく、純粋な "画家論"、ないしは "芸術論" になっているのが印象的でした。
田中一村が知られるようになったのは、三回忌(1979年)に奄美で開催された「田中一村遺作展」でした。この開催に尽力したのが、南日本新聞の記者・中野淳夫氏です。その5年後、遺作展のことを知ったNHKディレクターの松元邦暉氏が日曜美術館でとりあげ(1984年)全国的な反響を呼んだのです(ちなみに、中野氏も松元氏も美術と無縁だったようです。それほど一村の吸引力が強かったということでしょう)。
今回の「田中一村展」を監修された千葉市美術館の副館長・松尾和子氏は次のように書かれています。
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これを読むと、本文中に書いた「昭和の若冲」という形容は当初からあったと理解できました。田中一村をゴーギャン(離島に移り住んで描き、生涯を終えた)、アンリ・ルソー(亜熱帯・熱帯の動植物を描いた)、ゴッホ(画壇から認められることは無かった)と並べるのは皮相的なのでしょう。やはり並べるとしたら伊藤若冲です。
今回の「田中一村展」は、7歳ごろから亡くなるまでの作品、300点以上が展示されるという大規模なものでしたが、その中から奄美大島で描かれた1点だけを引用します。
田中一村「枇榔樹の森」 |
(田中一村記念美術館蔵) |
幾重にも折り重なったビロウの葉が、深々とした森の中に空間を作っています。ビロウは墨の濃淡だけで表現され、空間の中に3つの植物と蝶が配置されています。「田中一村展」の図録によると、左上はアカミズキ(赤水木)にとまるアサギマダラ(浅葱斑)、中央下はアオノクマタケラン(青野熊竹蘭=ショウガ科)、右下はコンロンカ(崑崙花)です。植物の葉も墨で描かれ、墨以外の色はわずかです。向こうの方に少し明るい場所が見えますが、これは森の外でしょうか。
描かれているものはすべてリアルで、植物の名前、蝶の名も特定できます。しかし全体としては "見たことのない空間" という印象で、小林先生の言葉を借りると "写実を超えた幻想の世界" を描いたように感じます。
その大きな理由は、一種の "コラージュ的な手法" によるのだと思います。一つ一つのモノを徹底的に観察し、それらすべてを写実的に描き、画面全体に貼り合わせて構図を作る。一番手前(右下のコンロンカ)から向こうの方(明るい所)に空間が広がっているはずなのに、すべてが同程度のリアルさです。もし人がこれと同じ実空間にいたとしても、眼には決してこのようには見えないはずです。一種の "多視点的な描き方" であり、これが "見たこともない空間" を作り出しているのでしょう。
この絵は一つの例に過ぎませんが、田中一村が奄美大島で描いた絵はこのような特徴のものが多い。そのことが、展覧会を見てよく分かりました。
(2024.10.5)
2024-06-16 18:38
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