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No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ [音楽]

No.328「中島みゆきの詩(18)LADY JANE」で書いたように、《LADY JANE》(アルバム「組曲」2015) という曲は下北沢に実在するジャズ・バーがモデルでした。これで思い出すのが、No.328 にも書いたのですが、《店の名はライフ》(1977)です。2つの楽曲には 38年の時間差があるのですが「実在の店がモデル」で「屋号がタイトル」いう点でよく似ています。今回はその《店の名はライフ》の詩について書きます。

なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。


店の名はライフ


「店の名はライフ」は、3作目のオリジナル・アルバム「あ・り・が・と・う」(1977)に収められている作品で、次のような詩です。


店の名はライフ

店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
最終電車を 逃したと言っては
たむろする 一文無したち
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける

店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸
店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸
娘のおかげで 今日も新しいアルバイト
辛過ぎるカレー みようみまね
店の名はライフ おかみさんと娘
母娘で よく似て 見事な胸

店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり
店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり
二階では徹夜でつづく恋愛論
抜け道は左 安梯子
店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の 行きどまり

店の名はライフ いまや純喫茶
頭のきれそな 二枚目マスター
店の名はライフ いまや純喫茶
頭のきれそな 二枚目マスター
壁の階段は ぬり込めてしまった
真直ぐな足のむすめ 銀のお盆を抱えて
「いらっしゃいませ」 ・・・・・・

店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける
店の名はライフ 自転車屋のとなり
どんなに酔っても たどりつける

A1977「あ・り・が・と・う」

ありがとう.jpg
中島みゆき
あ・り・が・と・う」(1977)
① 遍路 ② 店の名はライフ ③ まつりばやし ④ 女なんてものに ⑤ 朝焼け ⑥ ホームにて ⑦ 勝手にしやがれ ⑧ サーチライト ⑨ 時は流れて

この詩は、各種メディアで紹介されているように、また中島さん自身がコンサートなどで語っているように、実際にあった店がモデルになっています。当時、ふじ女子大学の学生だった中島さんが訪れていた、北海道大学の正門前の喫茶店「ライフ」です。

詩にあるように「ライフ」は自転車屋の隣にありました。また喫茶店は2階で営業していたようで「二階では徹夜でつづく恋愛論」とあるのはそのためです。また3階があって、終電を逃した客が宿泊できるようになっていた。「三階は屋根裏 あやしげな運命論の行きどまり」となっているのはその理由です。

北大正門前ということで、ほとんどの客は学生だったはずです。その彼等・彼女等が、けんけんがくがくで恋愛論や運命論を交わしている ・・・・・・。そういった店がモデルになっています。

その意味でこの詩は中島さん自身の体験・経験・実感がストレートに扱われています。こういったたぐいの詩は中島作品の中では比較的少数です。その意味では貴重な作品といえるでしょう。



その「体験・経験・実感」ということで一つ着目したいのは、詩の中の、

おかみさんと娘 母娘でよく似て 見事な胸

という表現です。実際に「ライフ」のママと娘がそうだったのでしょう。この言い方を聞いて直感的に思い当たるのが、《店の名はライフ》の14年後に書かれた《た・わ・わ》(アルバム「歌でしか言えない」1991)です。


た・わ・わ

モンローウォークにつられてつい振り返る
男心はみんな彼女のマリオネット
胸は熟したフルーツさ眩暈を誘う
みんな寝不足なのさ彼女の夢で
醒めてもうつつ幻づくめ
悩ましい膝組みかえながら

・・・・・・・・
A1991「歌でしか言えない」

男心をわしづかみにする "彼女" に "あいつ" をとられそうになっている女性の心情を語った詩ですが、その「男心をわしづかみ」の一番のポイントは、詩の題が示すように "たわわな胸" なのですね。

中島さんはどこかのインタビューかラジオで「豊かな胸ではないのが自分のコンプレックス」という意味の発言をしていたと思います。これを聞いて思ったのは ・・・・・・。

中島さんは、作詩、作曲、歌唱のどれをとっても超一流で、小説も書き、舞台作品の作・演出・主演・プロデュースまでやっています。アーティストとして、多方面の "天賦の才" を与えられた人だと思います。努力だけではとてもここまでできない。しかも、かなりの美形です。にもかかわらず、さらに "豊かな胸が欲しい" というのは厚かまし過ぎる ・・・・・・ と思ったわけです。

しかし、こういった自分のフィジカル面での不満やコンプレックスや欲望は、メンタルな面とは切り離した形で、多かれ少なかれ誰にでもありそうです。身長から始まって、顔かたちなどいろいろある。それは人間であればやむを得ないのでしょう。

"胸" は普通、"心情" とか "思い" とか "心" とか、そういうメンタルな意味合いで使われます。中島作品に現れる "胸" もほとんどがそうです。"胸" をフィジカルな意味に使ったのは《店の名はライフ》と《た・わ・わ》の2つだけだと思います。

《店の名はライフ》では、店のママと娘さんを形容するときに「働き者のおかみさん」とか「気立てのよいママ」とか「やさしい娘」とか、そういう意味合いの表現ではなく、「母娘でよく似て 見事な胸」が唯一の描写になっています。そういうところにも、この詩が中島さんの経験と実感が投影されていると思います。


時の流れ


もう一つ、《店の名はライフ》の詩で注目したいのは、店の変遷が描かれていることです。「おかみさん(母)」と「娘」が、"カレーも出す喫茶店" をやっていた。その後、店の経営が替わり、二枚目のマスターとウェイトレスの "カレーは出さない純喫茶" になった。直接そとに出られる梯子も無くなった。自転車屋の隣という場所は変わらないけれど ・・・・・・。そういった時の流れが描かれていることが特徴です。

ここで思いつくのは、《店の名はライフ》が収録されているアルバム「あ・り・が・と・う」には "時の流れ" に関係した詩が多いことです。つまり

・ 過去と現在の対比
・ 過去の思い出や記憶
・ 現在に進入してくる過去
・ 時間の経過による移り変わり

といった内容です。「あ・り・が・と・う」に収録されたのは9曲で、

① 遍路
② 店の名はライフ
③ まつりばやし
④ 女なんてものに
⑤ 朝焼け
⑥ ホームにて
⑦ 勝手にしやがれ
⑧ サーチライト
⑨ 時は流れて

ですが、このうち《店の名はライフ》を含む6曲は時の流れをテーマに(ないしは詩の背景と)しています。詩のごく一部を抜き出してみます。



遍路

はじめて私に スミレの花束くれた人は
サナトリウムに消えて
それきり戻っては来なかった
  ・
  ・
  ・
手にさげた鈴の音は
帰ろうと言う 急ごうと言う
うなずく私は 帰り道も
とうになくしたのを知っている

・・・・・・・・

まつりばやし

肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね

・・・・・・・・

朝焼け

・・・・・・・・

眠れない夜が明ける頃
心もすさんで
もうあの人など ふしあわせになれと思う
昔読んだ本の中に こんな日を見かけた
ああ あの人は いま頃は
例の ひとと 二人

・・・・・・・・

ホームにて

この詩は、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」で全文を引用しました。中島作品を代表する曲の一つで、名曲です。

時は流れて

・・・・・・・・

あんたには もう 逢えないと思ったから
あたしはすっかり やけを起こして
いくつもの恋を 渡り歩いた
その度に 心は 惨めになったけれど
そして あたしは 変わってしまった
  ・
  ・
  ・
時は流れて 時は流れて
そして あたしは 変わってしまった
時は流れて 時は流れて
そしてあたしは
あんたに 逢えない



最初と最後の曲がこのアルバムの性格を物語っています。《遍路》とは "霊場となっている寺院・仏閣を、時間をかけて順に巡る" ことで、その言葉が象徴的に使われている。最後の《時は流れて》は、まさにそのものズバリです。

そういった位置づけに《店の名はライフ》もあります。そして、中島さんがわざわざこの詩を書いたのは、まさしく店の名前が "ライフ" だからではないでしょうか。


それが "ライフ" だから


中島作品には "言葉" に敏感に反応し、言葉からインスピレーションを得たものが数々あります。《店の名はライフ》もそうだと思います。

"ライフ" に相当する日本語を3つに絞ってあげると、「命」「生活」「生涯」といったところでしょう。要するに "生きている" ということです。今を生きている(=命)、時間経過を考慮した生きる(=生活)、長期間の視点での生きる(=生涯)の3つです。

《店の名はライフ》で描かれるのは、恋愛論や運命論をぶつけ合う客たちの "今" であり、店をきりもりするおかみさんと娘の "生活" であり、店の "半生" といったら大袈裟ですが、二枚目マスターへと変わった店の変遷です。つまり店の "life" が描かれています。一つの "生命体" のようであり、店にも "ライフ" がある。

まさに、この店の屋号が "ライフ" だから、この詩が作られた。少なくとも詩作の動機の一つになった。そう思いました。




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