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No.304 - オークは樫ではない [文化]

No. 93「生物が主題の絵」の「補記4」で、「西洋でオークと呼ばれる木は日本の "ナラ" に相当し、"カシ" ではない」という話を書きました。日本では樫と訳されることが多く、このブログで過去に引用した数枚のオークの絵の日本語題名も「樫」となっています。

たとえば国立西洋美術館(上野)の常設展示室にある、ロヴィス・コリントの「樫の木」です。コリントはドイツ人で、この絵の原題は Der Eichbaum です。Eiche はドイツ語のオーク、Baum は木なので「オークの木」ということになります。しかし美術館が掲げる日本語タイトルは「樫の木」となっている。一見、些細なことのように思えますが、「樫の木」とするのはこの絵を鑑賞する上でマイナスになると思うのです。今回はそのことを順序だてて書いてみたいのですが、まず西欧における "オーク" がどいういう樹木か、そこから始めたいと思います。


オーク


ヨーロッパでオーク(英語で Oak、フランス語で Chêne、ドイツ語で Eiche)と呼ばれる木の和名は "ヨーロッパナラ" であり、日本語に訳す場合はナラとすべきだと書きました。オークも楢もコナラ属の落葉樹です。コナラ属の常緑樹を日本ではカシと言いますが、たとえばイタリアなどには常緑樹のオークがあり、英語では live oak、ないしは evergreen oak と言うそうです(Wikipedia による)。

つまり Oak はコナラ属の樹木全般を指すが、普通は落葉樹の楢(=ヨーロッパナラ)のことであり、特に常緑樹を示すときには live などの形容詞をつけるということなのです。

ヨーロッパナラの葉と実.jpg
オークの葉と実
(Wikipedia)

フレーザーの『金枝篇』によると、古代からヨーロッパではオークを薪や住居の材料、食料(果実=どんぐり)として利用してきました。と同時に、オークには神が宿るとして崇拝されてきました。最高神であるゼウス(古代ギリシャ)やユピテル(古代ローマ)は、天空神であり雷神であり、かつオークの神でもあった。古代ゲルマンでも、オーク神 = 雷神でした。また、ケルト民族もケルト人もオークを崇拝していました。『金枝篇』には次のようにあります。


ガリアのケルト人の場合、ドルイド教の祭司はヤドリギの生えているオークの樹をなによりも神聖だとみなした。彼らはオークの森を荘厳は礼拝の場とし、儀式には必ずオークの葉を用いた。「ケルト人はゼウスと崇め、ケルト人のゼウスを表す偶像はオークの高木である」と、あるギリシャ人が記している。


上に引用にある "ゼウス" はギリシャ人の表現で、つまり "最高神" という意味です。引用したフレーザーの『金枝篇』の "金枝"(Golden bough)とはヤドリギのことです。ヤドリギは他の樹木に寄生する常緑樹で、伐採すると幹が金色に見えるようになることから "Golden bough" と言うそうです。そしてオークの木に生えるヤドリギは神聖なものとされた。なぜなら、冬にオークが葉を全部落としても常緑樹のヤドリギは緑のままであり、オークの神がそこに宿ったように見えるからです。こういうところからもオークが落葉樹であることが分かります。

No.220「メト・ライブの "ノルマ"」で書いたベッリーニのオペラ『ノルマ』は、まさに古代ローマ時代におけるガリアのケルト人の話でした。そこではガリアの人々がオークの巨木の前につどい、巫女であるノルマが伝える神のお告げを聴くのでした。

Norma Act1 Scene1a.jpg

Norma Act1 Scene1b.jpg
メトロリタン・オペラによる「ノルマ」の舞台(2017)。オークの森の中に大木があり、巫女のノルマはそのオークの前で神のお告げを伝える。No.220で引用した画像を再掲。

『金枝篇』に「ケルト人は儀式には必ずオークの葉を用いた」とありますが、このオークの葉(オークリーフ)のデザインは、現代でも生活用品などのデザインに使われます。また、イギリス、フランス、イタリア、エストニアの国章(国を代表する紋章)にはオークの葉の絵が使われています。次の画像はイギリスの国章(イギリス王室の紋章)ですが、ライオン(=イングランド)と一角獣(=スコットランド)の間の上の方にオークの葉がデザインされています。この紋章では比較的目立ちにくいオークの葉が、あたかもイングランドとスコットランドの統合の象徴のように使われています。国を代表する紋章にオークの葉を使うということは、それだけオークという樹に象徴性があるということでしょう。

イギリスの国章.jpg
イギリスの国章
(Wikipedia)


日本のブナ科コナラ属の樹木


一方、日本ではコナラ属の落葉樹を総称して「楢」、常緑樹を総称して「樫」と呼んでいます。その代表的な樹種を葉の写真とともに掲げます。これ以外にも落葉樹ではアベマキやナラガシワ、常緑樹ではウバメガシ(備長炭の原料)などがあります。

落葉樹
(楢)
コナラ
(小楢)
楢1 - コナラ.jpg
クヌギ
(椚・橡)
楢2 - クヌギ.jpg
ミズナラ
(水楢)
楢3 - ミズナラ.jpg
カシワ
(柏)
楢4 - カシワ.jpg
常緑樹
(樫)
シラカシ
(白樫)
樫1 - シラカシ.jpg
アラカシ
(粗樫)
樫3 - アラカシ.jpg
アカガシ
(赤樫)
樫2 - アカガシ.jpg
ブナ科コナラ属の主な樹木

こうして見ると、ヨーロッパナラ(オーク)は、葉の形だけからするとカシワに近い形です。

日本で "ドングリ" と呼ばれるもののほとんどは、コナラ属の落葉樹・常緑樹の果実です。そしてドングリは森の生物の重要な食料です。「今年はドングリが不作で熊が人里に出没する」といった話があるのは、その重要性の象徴でしょう。ということは、昔は人間にとっても保存が利く大切な食料だったはずです(栗も同様)。その状況は、森林に覆われていた古代のヨーロッパでも同じはずであり、そういうこともオークが神聖視される一因になったのでしょう。


オークを樫とする誤訳


オークが楢であることの説明を、鳥飼玖美子氏の「歴史をかえた誤訳」から引用します。鳥飼氏は日本における同時通訳の草分け的存在でもあり、翻訳や通訳、異文化コミュニケーションに関する数々の著作があります。


日本語の中にすっかり定着している言葉で、じつはそもそもが誤訳だった、という例がある。「樫」という木の名称である。

英語に oak という単語がある。オークの家具といえば、がっしりした上質の家具である。この「オーク」は日本語では「樫」と訳されている。しかし、この「樫」という木は固すぎて、家具に加工するのはむずかしいのだそうだ。日本ではとうていできない、と長いこと思われていて、英国などオーク家具の本場から輸入されてきた。輸入ものだから値段は非常に高い。「これは本物のオークです」となれば高級家具である。

ところが、北海道にある「水楢みずなら」という木を見て、ヨーロッパ人が「これは良質のオークだ」といったとのこと。日本では雑木扱いの木である。そこで安い値段でヨーロッパに輸出され、かの地で立派な「オーク家具」に変身したという。

つまり、英語の「オーク」は日本の「楢」なのだった。最初に誰かが「樫」と誤訳し、それら長らく定着し、辞書でも踏襲されてきたという。岐阜県清見村で、20年以上も前から木と取り組んでいる集団「オーク・ヴィレッジ」代表者、稲本正氏の指摘である(1997年3月2日付朝日新聞「天声人語」)。

誤訳がもとで、本来なら日本で安くできるはずの家具の、高い値段で輸入してきたことになるわけだ。罪な話である。

いつ、誰が、なぜ「樫」という訳語をあてたのかは、不明である。


「樫」という木は固すぎて家具に加工するのは難しいとありますが、確かにその通りです。樫がよく使われるのは、たとえば道具類の柄で、金槌やスコップの柄を木で作る場合、その堅さを生かして樫が使われます。木偏にかたいという字の通りです。

鳥飼氏の文章に「オーク・ヴィレッジ」主宰者、稲本正氏のことが出てきました。稲本氏が家具製作を行う岐阜の工芸村に "オーク" という名前をつけた理由は、楢が家具の素材の本命だからです。稲本氏の本から引用します。


私が楢を家具の主力材に使おうとした理由は二つある。一つは、楢は魅力ある材なのに、日本では雑木として蔑まれてきたからだ。楢はヨーロッパではオークと呼ばれ、特にイギリスにおいては1500~1660年の間を「エイジ・オブ・オーク」と呼び、当時の材種の中でもっとも家具材に適した材として貴重がられていた。ところが、日本で明治の初期、オークを「かし」と訳したことも影響し、ほとんど評価されなかった。もちろん、ロンドンは日本の札幌より北に位置し、常緑樹である樫は育たず、イギリスで言うオークは日本のミズナラにもっとも近い。

稲本正
「森の形 森の仕事」
(世界文化社 1994)

森の形 森の仕事.jpg
稲本正
「森の形 森の仕事」
(世界文化社 1994)
稲本氏によると、ミズナラは水分を吸い上げる力が強く、結果として重くて堅く、かつ粘りけがある木質になります。また木目も変化に富んでいて、このような特徴が家具として最適な理由です。

家具以外で伝統的にオーク材が使われるのが、スコッチ・ウィスキーを熟成させるための樽です。サントリーでは樽に北米産のホワイト・オーク材を使っていますが、北海道産のミズナラ材も使っているそうです。それが原酒の多様性を生み出す一つの要因になっている(No.43「サントリー白州蒸留所」参照)。樽を何の木で作るかは、ウィスキー独特の味と香りを作り出す上で極めて重要なはずです。ウィスキー発祥の地であるスコットランドの伝統であるオーク材の樽の "代わりに" ミズナラ材を使うということは、「オーク = ナラ」を象徴していると思います。


蝶と蛾の混乱


以上のように一般的にオークは落葉性の木で、日本の楢に相当するのですが、ただヨーロッパではブナ科コナラ属の樹木全般もオークと呼ぶわけです。しかし日本では楢(落葉性)と樫(常緑性)という二つの名称に使い分けられます。

このように西欧で同一の名称で呼ばれるモノが、日本では2種類の名称で呼んで使い分けるという例が他にもあります。蝶と蛾です。そして蝶と蛾は、時として訳が混乱することがあります。

No.49 「蝶と蛾は別の昆虫か」で紹介したように、慶応大学名誉教授の鈴木孝夫氏は、ドイツ語では(そしてフランス語でも)蝶と蛾を区別しないことを述べていました。ドイツ語で蝶を意味する Schmetterling(シュメッタリンク)という語は蛾も表す言葉であり、つまり鱗翅類全体を示すのです。フランス語の papillon(パピヨン)も同様です。

そして、こういった言葉の問題をおろそかにしておくと、文学作品の理解に関して思わぬ「つまづき」に出会うと、鈴木氏は注意していました。その例としてあげられていたのが、ゲーテの詩の翻訳です。鈴木氏の本から引用します。


ドイツの大詩人ゲーテは、かつては日本の知識人にとって、忘れることのできない名作の数々を残した文学者であり、その作品はほとんど日本語に翻訳されている。彼の詩作の中に日本では『西東詩集』の名で知られる、イスラム神秘主義の思想に間接的な影響を受けて書かれたものがある。

その中でも特に stirb und werde!(死して成れ)の句を含む Selige Sehnsucht(至福への憧れ)と題した詩は、広く知られた名品である。そこでは暗闇の中に燃えさかる真実(在)の焔に魅せられ、引き寄せられた一匹の蛾(Schmettering)が、炎に焼きつくされるという、死と再生のイメージが描かれている。ここでの Schmettering を、もしうっかり蝶だと思ったら、この詩の理解は全く不可能となってしまう。しかし、これを蝶だと思った人も実際にいるのだ。次の訳をみていただきたい。

Keine Ferne macht dich schwierig,
 隔たりも汝は物ともせず
Kommst geflogen und gebannt,
 追われるごとく飛びきたる
Und zuletzt, des Lichts begierig,
 ついには光をこがれしたいて
Bist du Schmetterling verbrannt.
 蝶なる汝は焼けほろびぬ

闇夜に燃えるランプの光にさそわれて、飛んできた一匹の蛾が、焔に焼き尽くされて死ぬ情景を、このように間違って蝶とすれば、日本語としての意味、イメージは全くおかしなものになってしまう。この解釈では、原詩のもつプラトニズム的なイスラム神秘主義の《蛾→焔→死→再生》という、美しくも哀しい詩の意(こころ)が全く伝わらないと言わざるを得ない。正確なことばの知識がないと、文学の鑑賞もままならぬことを、蝶と蛾の区別は教えてくれるのである。

鈴木孝夫『日本語と外国語』
(岩波新書。1990)

鈴木氏が引用している訳は岩波文庫のものですが、『日本語と外国語』の注釈にあるように、他の訳では正確に「蛾」と訳されているようです。

確かに鈴木氏の言う通りで、蝶ではイメージが湧かないと言うか、なんだか変だという違和感が残ります。それは絵画に置き換えて考えてみると、より鮮明です。炎に蛾が誘われる夜の情景を描いた絵に、速水御舟の『炎舞』という有名な作品があります(1925/大正14年。山種美術館所蔵。重要文化財)。速水御舟はこの絵で蛾を精緻にデッサンして描いているのですが、ここに蛾ではなくアゲハチョウやモンシロチョウが舞っていたとしたら、完全なシュルレアリスムの作品になってしまいます。絵として成立しないとは言いませんが、全く別の解釈が必要な絵になるでしょう。岩波文庫のゲーテの訳は、それと同じことが文学で起こっているわけです。



以上は文学作品の翻訳における「蝶と蛾」の話ですが、これと瓜二つの状況が "絵画の題名の訳における「樫と楢」" でも起きます。それが次です。


コリントの「樫の木」(国立西洋美術館)


ここからが、No.93「生物が主題の絵」の補記で引用したロヴィス・コリントの『樫の木』(国立西洋美術館)の話ですが、その前に比較対照のために、同じNo.93 で引用したクールベの作品を観てみます。

Courbet - フラジェの樫の木.jpg
ギュスターヴ・クールベ
フラジェの樫の木」(1864)
(クールベ美術館)

この絵は以前は日本の美術館(八王子の村内美術館)が所蔵していましたが、現在はクールベの故郷であるフランスのオルナンにあるクールベ美術館(生家を改装した美術館)にあります。

この絵のフランス語の題は「Le Chêne de Flagey」で、Chêne は 英語の Oak に相当する語です。直訳すると「フラジェのオークの木」です。従って、日本語題名としてよく使われる「樫」は誤訳ということになります。但し、この絵の場合は "誤訳" が絵を鑑賞する上で、大きな妨げにはならないでしょう。

というのも、この絵は太い木の幹とそこからダイナミックに広がる枝に焦点が当たっているからです。この絵を観て強く感じるのは巨木の圧倒的な存在感です。おそらく樹齢は数百年でしょう。どっしりと単独で大地に屹立しています。人間の寿命より遙かに長い年月を自然の中で生き抜いてきた、その生命力に感じ入ります。画家の意図がどうであれ、少なくとも我々鑑賞者としてはそう感じる。



このクールベの絵と対比したいのが次の絵です。上野の国立西洋美術館は2019年にドイツの印象派を代表する画家、ロヴィス・コリント(1858-1925)の『樫の木』(1907)を購入しました。その絵は常設展示室に展示してあります。

Lovis Corinth - Der Eichbaum.jpg
ロヴィス・コリント(1858-1925)
樫の木」(1907)
- Der Eichbaum -
(国立西洋美術館)

クールベの作品と違って、この絵は地表に屹立する幹を描いていません。画面いっぱいに大量に広がる緑の葉が印象的な絵です。

国立西洋美術館はこの絵の展示でドイツ語の原題を "Der Eichbaum" と表記しています。最初に書いたように、英語で Oak、フランス語で Chêne、ドイツ語で Eiche と呼ばれる木の和名は "ヨーロッパナラ" であり、落葉樹です。一般にオークと呼ばれている木です。

冬に葉を落として幹と枝だけになっていた木(= オーク = 楢)が、新緑の季節に芽吹き、やがて大木が一面の葉に覆われて、真冬には想像できないような姿になる。その生命の息吹きを強く感じる絵です。そのイメージでこの絵を鑑賞すべきだと思います。

我々は楢を街なかで見かけることはないのですが、落葉性の高木でよくあるのは、街路樹に使われるケヤキ(欅)やイチョウ(銀杏)です。青葉の季節になると、ケヤキやイチョウの並木が、数ヶ月前の冬や春先とは全く違った様相を呈する。その光景を想像してみてもいいと思います。

クールベの絵もコリントの絵も、そこから感じるのは樹の生命力ですが、生命力の意味が違います。クールベの絵は悠久の年月を生きるという意味の生命力ですが、コリントの絵は毎年春から青葉の季節に樹木が再生する、その生命力です。そして再生のイメージは落葉樹だからこそ成り立つのです。常緑樹ではそうはいかない。

国立西洋美術館がロヴィス・コリントの『Der Eichbaum』を『樫の木』としたのは、辞書にそうあるからでしょうが、芸術作品を所蔵している美術館の責任として「楢の木」ないしは「オークの木」とすべきでしょう。




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