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No.289 - 夜のカフェ [アート]

前回の No.288「ナイトホークス」の続きです。前回はエドワード・ホッパー(1882-1967)の代表作『ナイトホークス』(1942。シカゴ美術館所蔵)が、リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』(1982公開)に影響を与えたという話でした。

この『ナイトホークス』ですが、2016年3月26日のTV東京の「美の巨人たち」でとりあげられました。その中で、美術史家でニューヨーク市立大学教授のゲイル・レヴィン(Gail Levin。1948- )の説が紹介されていました。ゲイル・レヴィンは、ホッパー作品を多数所蔵しているニューヨークのホイットニー美術館のキュレーター(ホッパー担当。1976-1984)の経験があり、ホッパーの没後初めての回顧展のキュレーターもつとめた人です。1995年にはホッパーの作品総目録も編纂しました。いわば「ホッパー研究の第1人者」です。その彼女が「Edward Hopper : An Intimate Biography」(1995。「エドワード・ホッパー:親密な伝記」)というホッパーの伝記に、

『ナイトホークス』はゴッホの『夜のカフェ』から着想を得ている。『夜のカフェ』は『ナイトホークス』が描かれた年(1942年)の1月にニューヨークで展示されていた

との主旨を書いているのです。今回はその話です。


夜のカフェ


ゴッホはアルルの時代に夜のカフェの様子を2枚の絵画に描いています。一つは、オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵する『夜のカフェテラス』です。この絵は大変に有名で、ゴッホの代表作の1つでしょう。画像を No.158「クレラー・ミュラー美術館」No.284「絵を見る技術」で引用しました。

夜のカフェテラス.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
(1853-1890)
夜のカフェテラス」(1888)
クレラー・ミュラー美術館所蔵

もう一枚は、少々紛らわしいのですが『夜のカフェ』と呼ばれている絵で、アメリカのイェール大学アートギャラリーが所蔵しています。同じアルルですが『夜のカフェテラス』とは別のカフェで、しかも室内を描いたものです。この絵がホッパーの『ナイトホークス』に影響を与えたというのがゲイル・レヴィンの指摘なのです。

夜のカフェ.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
夜のカフェ」(1888)
イェール大学アートギャラリー所蔵

この絵を所蔵しているイェール大学アートギャラリー(米・コネティカット州)のウェブサイトの解説を引用します(段落を追加しました)。


In a letter to his brother written from Arles in the south of France, van Gogh described the Cafe de l'Alcazar, where he took his meals, as "blood red and dull yellow with a green billiard table in the center, four lemon yellow lamps with an orange and green glow. Everywhere there is a clash and contrast of the most disparate reds and greens." The clashing colors were also meant to express the "terrible passions of humanity" found in this all-night haunt, populated by vagrants and prostitutes.

Van Gogh also felt that colors took on an intriguing quality at night, especially by gaslight: in this painting, he wanted to show how “the white clothing of the cafe owner, keeping watch in a corner of this furnace, becomes lemon yellow, pale and luminous green.”

Yale University Art Gallery
https://artgallery.yale.edu/

試訳

ファン・ゴッホは、南フランスのアルルから出した弟への手紙の中で、食事をするカフェ・ド・アルカザールの様子を書いている。「血のような赤色と、くすんだ黄色、真ん中には緑のビリヤード台、橙と緑の炎が輝くレモンイエローの4つのランプ。そこには至るところに、最もかけ離れた色である赤と緑の衝突と対比がある」。衝突する色と色は、浮浪者や売春婦がたむろする深夜のたまり場に感じる「人間の恐ろしい情熱」を表現しているようだ、と。

またファン・ゴッホは、夜、特にガス灯の下では、色が面白い効果を生むとも感じていた。この絵で彼は「この坩堝るつぼの角で見つめているカフェのオーナーの白い服が、レモンイエローになったり薄くて明るい緑になったりする」のを示そうとした。


このイェール大学の解説にはゴッホの弟(テオ)への手紙が出てきますが、その日本語訳は次の通りです。いずれも手紙の中のこの絵に関係する部分です(日付はゴッホ美術館のサイトに公開されている手紙全文による)。


ゴッホのテオ宛の手紙

1888年8月6日

今日は多分、いつも食事をするガス燈の灯ったカフェの室内を描き始めるはずだ。ここは土地の人々が「夜のカフェ」といっているところで(人々は足繁く出入りするが)夜るっぴで開いている。「夜の放浪者たち」が宿賃がなかったり、呑み過ぎてしきいが高いときには、そこで夜明かしをするわけだ。



1888年9月8日

ぼくは人間の恐ろしい情熱を赤と緑で表現しようと勤めた。広間は血紅色と鈍い黄、中央に緑の玉突台があり、オレンジと緑の光線を放つレモン黄のランプが四つある。眠りこけている与太者とか菫と青のがらんとした侘しい広間とか、あらゆるところで緑と赤との衝突があり対立があるのだ。たとえば、玉突台の血紅色と黄みどりはバラの花束のあるカウンターの、ルイ十五世風の柔らかな小緑と対照をつくっているのだ。この料理場の片隅で番をしている主人の白い服は、レモン黄と薄い光った緑になってゆく。

ぼくは水彩の色調トーンでそのデッサンをこれから描いて、明日きみに送り、およその感じをわかって貰おうを思う。

( 引用注:上の訳における「料理場」は、次の手紙の訳にある「坩堝 - るつぼ」の方が適当だと思われる。英訳は両方とも "furnace = かまど・炉" で、イェール大学の解説にも出てくるが、このカフェの室内の形容と考えられる。絵に「料理場」が描かれているわけではない)



1888年9月9日

ぼくは「夜のカフェ」で、カフェとは人が身を持ち崩し、気狂いになり、罪を犯すところだということを表現しようと努めた。ともあれ、柔らかいピンクや鮮紅色の葡萄の絞り糟ようの赤、堅い黄緑色と青緑色にうつりあったルイ十五世風、ヴェロネーズ風の柔らかな緑、地獄の坩堝、青白い硫黄色の雰囲気の雰囲気のなかにあるこれらすべてのもの、それを対照させて、何か居酒屋のやみの力のようなものを表現しようとした。

ファン・ゴッホ書簡全集 第5巻
宇佐見英治訳
みすず書房 1970, 1984改版

この手紙を読んで思うのは、ゴッホらしい "色彩への強いこだわり" です。ゴッホは絵のテーマを色で表現しようとしたことが良くわかります。


『夜のカフェ』と『夜のカフェテラス』


『夜のカフェ』は『夜のカフェテラス』と比べて鑑賞すべきでしょう。『夜のカフェテラス』は「夜の "カフェのテラス"」という意味です。ここには客とウェイター、通りを行く人々が描かれ、客は強い光に照らされたテラス席で楽しく談笑をしている感じです。全体として「人々が健全なナイトライフを楽しんでいる絵」です。青で塗られた空もその感じを演出しています。

一方『夜のカフェ』は、アルルの地元の人が "夜のカフェ" と呼んでいた深夜営業をするカフェで、『夜のカフェテラス』とは真逆の雰囲気です。光が充満していますが、何となく "陰気" な感じがする。天井とビリヤード台の緑、壁の赤という補色関係の色の対比で、不調和ないしは不安定な雰囲気が漂っています。

描かれている人物を見ると、白っぽい服のカフェのオーナーと、客が3組、2人連れが2組と、1人客です。客は帽子を被るか腕を組むかして "黙りこくっている" ようです。左手前に片づけていない飲みさしのグラスが乗ったテーブルがありますが、ついさっきまで別の客がいたはずです。イェール大学の解説にあるように、客の中にはこのカフェをたまり場とする浮浪者や売春婦もいるのでしょう。描かれている時計からすると、時刻は深夜0時過ぎのようです。

室内には4つのガス灯の強い光が充満していますが、不思議なのは影がビリヤード台にしかないことです。この構図だとテーブルや人物にも影ができるはずですが、それは全く省略されている。緑と赤の強烈な対比とあいまって、この「ビリヤード台だけの影」が何となく現実感を希薄にしています。

全体的に『夜のカフェ』は、『夜のカフェテラス』の "健全なナイトライフ" とは真逆の、健康的だとはとても言えない深夜のカフェの状況です。


ナイトホークス


Nighthawks - Edward_Hopper.jpg
エドワード・ホッパー(1882-1967)
ナイトホークス - Nighthawks」(1942)
シカゴ美術館

そこで改めてホッパーの『ナイトホークス』を見ると、『夜のカフェ』との類似性に気づきます。まず「アルルのカフェ」と「ニューヨークのダイナー」という場面設定です。カフェもダイナーも(そして南欧だとバルやバールも)、昼間の時間とか夜のディナータイムでは、気の置けない者同士が談笑しながらコーヒーやお酒、軽食を楽しむ場所です。それはまさにゴッホが『夜のカフェテラス』で描いた光景です。

しかし描かれたアルルの "夜のカフェ" とニューヨークのダイナーは深夜営業をしていて、ディナータイムが終わって深夜になると様子が一変する。その様子が一変したあとのカフェとダイナーを舞台としているのが、まず2枚の絵の共通点です。

また、店には客がいるが会話をしているようには見えず、みな孤独で、それぞれの時間を過ごしている。店のオーナーないしはウェイターとおぼしき人物が1人だけいて、その人物は白っぽい服を着ています。さっきまで別の客がいたかのように、片づけられていないコップが置かれたままになっている。そういったことも似ています。

さらに「強烈な光」です。時代が半世紀以上離れているので、光の強烈さは違います。特にホッパーの絵(1942年作)は、当時実用化が始まった蛍光灯の光がダイナーに充満しています。しかし2枚の絵とも黄白色の強い光が絵の全体を支配しています。ゴッホの場合はビリヤードの影で、ホッパーの場合は影とダイナーの外に漏れる光で、その強い光が表現されています。

加えて色使いです。ゴッホは赤・緑・黄、ホッパーは赤系・青緑系・黄白色という色の組み合わせで画面を構成している。特に、補色関係にある赤と緑の "色の衝突" で不安感を作り出しているところが似ています。

ここまでは絵の外見でわかることですが、さらに外見を越えたところにも注目すべきでしょう。つまりゴッホの方は、手紙に書かれた「恐ろしい情熱」「身を持ち崩す」「気が狂う」「罪を犯す」という表現にあるように「人間の精神の暗い部分、ダークサイド」を絵で表そうとしています。一方、ホッパーの方ですが、「ナイトホークス」から感じる人間の心情を簡潔に言うと「都会の孤独」でしょう。それは衆目が一致するところだと思います。つまりこの2作品は、単なる深夜の店の情景を越えて、"人間の精神のありよう" を表現しようとしたところに類似性を感じます。



画家が、過去の画家の絵からインスパイアされて、ないしは過去の絵を "踏まえて" 作品を作ることはよくあります。このブログに書いた記事だけでも、

◆ ベラスケス『ラス・メニーナス』⇒⇒⇒ サージェント『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(No.36「ベラスケスへのオマージュ」

◆ ベラスケス『道化師パブロ・デ・パリャドリード』⇒⇒⇒ マネ『笛を吹く少年』(No.36

◆ アングル『モワテシエ婦人の肖像』⇒⇒⇒ ピカソ『マリー・テレーズの肖像』(No.157「ノートン・サイモン美術館」

◆ 円山応挙『保津川図屏風』⇒⇒⇒ 鈴木其一『夏秋渓流図屏風』(No.275「円山応挙:保津川図屏風」

の例がありました。こういった動きが一つの潮流となったのが、19世紀ヨーロッパのジャポニズムです(No.224「残念な北斎とジャポニズム展」)。

ホッパーの『ナイトホークス』も、そういった数ある例の一つなのでしょう。ホッパーはニューヨークの美術学校を卒業した後、3度もヨーロッパに絵の勉強に行っています(No.288「ナイトホークス」)。ゴッホの絵から着想を得るのは、ホッパーにとってごく自然なことだったに違いありません。



しかし改めて『ナイトホークス』を見て感じるのは、確かにこの絵はゴッホからインスピレーションを得たのかもしれないけれど、完全にホッパーの独自世界の絵として描いていることです。

『ナイトホークス』は、何だか "ドキッと" する絵です。何かを予見しているようでもある。この絵に感じ入って、リドリー・スコット監督は『ブレードランナー』の "暗い未来" の「様子とムード」(look and mood)を作りました(No.288)。それほど感染力が強い絵を創作したホッパーの画才は素晴らしいと、改めて思いました。


ヘミングウェイ


ここからは『ナイトホークス』についての補足です。冒頭にあげたゲイル・レヴィンの「Edward Hopper : An Intimate Biography」に、ホッパーはゴッホの『夜のカフェ』から着想を得たと同時に、ヘミングウェイ(1899-1961)の短篇小説『殺し屋』(The Killers)に影響を受けたと書いてあります。『殺し屋』は1927年にアメリカの雑誌、スクリブナーズ・マガジンに発表されました。ホッパーはその雑誌を購読していて『殺し屋』に感激し、わざわざ雑誌の編集長に手紙を書いたそうです。「甘ったるい感傷的な小説が大量に溢れるなかで、アメリカの雑誌でこのような実直な(honest)作品に出会うのは爽快です(refreshing)・・・・・・(試訳。以下略)」。

ちなみに『殺し屋』はニューヨークではなくシカゴの話だと思わせるのですが、舞台は夕暮れどきの "lunchroom" です。簡易食堂と訳せばいいのでしょうか。『ナイトホークス』のダイナー(diner)は食堂車をまねた、主として通り沿いの店ですが、大まかにいって "lunchroom" も "diner" も似たようなものでしょう。

短篇小説『殺し屋』の文章は、ほとんどが会話で一部が状況説明です。心理描写はなく、無駄をそぎ落とした簡潔な文章が続きます。ホッパーはこれを "honest" と表現しているのですが、"honest" は「正直な、実直な、率直な、誠実な、偽りの無い」というような意味です。上の試訳では "実直な" としましたが、"虚飾を排した" ぐらいがいいのかもしれない。

こういったヘミングウェイの文章がハードボイルド小説のお手本になったことは有名です。そのヘミングウェイに感激したホッパーが『ナイトホークス』を描いた。『ナイトホークス』は "ハードボイルド絵画" であるとは中野京子さんの言ですが(No.288「ナイトホークス」)、まさに図星だと思いました。




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