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No.239 - ヨークの首なしグラディエーター [歴史]

No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、古代ローマの剣闘士の話を書きました。ジャン = レオン・ジェローム(1824-1904)が剣闘士の闘技会の様子を描いた有名な絵画「差し下ろされた親指」も紹介しましたが、今回はその剣闘士の話の続きです。

2004年8月、英国のイングランドの北部の町、ヨーク(York)で古代ローマ時代の墓地が発掘されました。この発掘の様子と、埋葬されていた遺体の分析が最近のテレビ番組で放映されました。

地球大紀行 WILD NATURE

ヨークの首なしグラディエーター
2000年前に死んだ80人の謎を解く

(BS朝日 2018年7月6日 21:00~21:55)

です。これは英国の Blink Films プロダクションが制作したドキュメンタリー、"The Headless Gladiators in York(2017)" を日本語訳で放送したものですが、古代ローマの剣闘士に関する大変に興味深い内容だったので、その放送内容をここに掲載しておきたいと思います。なお、グラディエーター(=剣闘士)は英語であり、ラテン語ではグラディアトルです。

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ヨークの首なしグラディエーター
2000年前に死んだ80人の謎を解く
(BS朝日「地球大紀行」より。画像はヨーク市街)

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(site : annamap.com)


出演者


このドキュメンタリー番組は、ナレーションとともに8人の考古学者・人類学者が解説をする形をとっています。出演したのは次の人たちです。

◆カート・ハンターマン(Kurt Hunter-Mann)
考古学者で「ヨーク考古学トラスト(York Archaelogy Trust)」の遺跡発掘の専門家。今回の古代ローマ墓地の発掘チームでリーダーを勤めた。

◆マーリン・ホルスト(Malin Holst)
英国の骨考古学(Oestearchaelogy。人の骨の分析による考古学)の専門家。ヨーク大学講師。

◆シャーロット・ロバーツ博士(Charlotte Roberts)
英国・ダラム(Durham)大学の考古学者。生物考古学(Bioearchaelogy。人・動物・植物など生物の分析による考古学)が専門。なお番組ではダーハム大学とありましたが、Durhamの h は発音しないので、ダラム(ないしはダーラム)が正解。ダラムはヨークの北、イングランド北部の大学町。

◆ジャネット・モンゴメリー博士(Janet Montgomery)
ダラム大学の考古学者(生物考古学)。骨の同位体分析を担当。

◆ティム・トムソン教授(Tim Thompson)
英国・ティーズサイド大学の人類学者。ティーズサイド大学はイングランド北部の町、ミドルズブラ(Middlesbrough)にある。

◆ダリウス・アーヤ博士(Darius Arya)
米・ローマ文化協会のディレクター。

◆ケビン・ディカス博士(Kevin Dicus)
米・オレゴン大学の考古学者。

◆リチャード・ジョーンズ
歴史学者。



以下に、番組の全スクリプトを掲載します。注 : ・・・・・・ と書いたのは番組にはないコメントです。「プロローグ」などのタイトルも付け加えたものです。番組の中で日本語訳がおかしい(ないしは曖昧な)部分がありましたが、それもコメントしました。【ナレーション】の部分は日本語訳のナレーションで、学者の解説の部分は日本語字幕付きの英語で放送されました。


プロローグ


【ナレーション】
古代考古学史上、最も凄惨な出土品がイギリスの都市・ヨークで発見されました。それは80体以上の男性の首を切られた白骨死体。

【カート・ハンターマン】
発掘を始めると何か奇妙だと感じたんです。

【マーリン・ホルスト】
遺体の6割以上が一撃で首を切り落とされていました。

【ナレーション】
彼らは残酷な死に方をしましたが、そこは常識を覆す墓だったのです。凶暴で生涯を鎖で拘束されていましたが、何と、宝物と一緒に埋められていたのです。男たちに刻まれた残虐な傷跡。

【シャーロット・ロバーツ博士】
(注:骨を見ながら)この人物は度重なる攻撃を受けています。

【ナレーション】
この傷だらけの男たちはいったい何者なのでしょう。10年の調査を経て、専門家チームはその謎をついに解き明かしたのです。

【ダリウス・アーヤ博士】
彼らは生きる伝説でした。

【ナレーション】
遺跡に秘められた過去。金で、石で、そして血でしるされた歴史。古代の謎を解き明かし、歴史の偉大なる秘宝の数々をお見せしましょう。

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ヨークのギルドホールに安置された白骨遺体。合計80体以上の古代ローマ時代の遺体が発掘された。
(BS朝日「地球大紀行」より)


イギリス、ヨークでの大発見


【ナレーション】
歴史ある町、ヨーク。西暦1000年までの過去を知ることは考古学者の夢。この町はイギリス2000年の歴史を今に伝えています。2004年8月、旧市街からほど近くにある小さな区画(注:ドリフフィールド・テラス。Driffield Terras)で発掘調査が行われました。単なる発掘調査のはずでしたが、とんでもない発見があったのです。

【発掘調査員の声】
ここに骨、そして頭蓋骨、まるい形状をしているだろう。この角にも骨があるぞ。

【ナレーション】
さらに深く掘ると、たくさんの白骨死体が完全な姿で出てきたのです。衝撃の事実とともに ・・・・・・。何と、遺体の多くは意図的に首を切り落とされていたのです。これが調査団長のカート・ハンターマンと大きな謎の出会いでした。

【カート・ハンターマン】
発掘を始めてすぐに奇妙だと思いました。首を切り落とされた白骨の遺体があまりにもたくさんあったからです。

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発掘現場で作業を行う調査団のリーダー、カート・ハンターマン(右側)
(BS朝日「地球大紀行」より)

【ナレーション】
発掘調査が始まって数日後には、発見された遺体の数は2桁にのぼり、どんどん増え続けました。

【カート・ハンターマン】
発掘作業終了時には 80体以上もの遺体を堀り出しました。そのうち4分の1が首を切り落とされていたのです。

  注:プロローグのところで骨考古学者のマーリン・ホルストは、6割以上が首を切り落とされていたと発言しています。上記のハンターマンの "4分の1" と不一致ですが、これはおそらく、発掘現場では4分の1が首なし遺体だったが(頭蓋骨が首とは別のところにあったなど)、骨を詳しく分析すると6割が首を切り落とされてた、ということだと思います。ハンターマンがネットに公開している論文をみても「6割が斬首されていた」が正しいようです。

【ナレーション】
考古学者40年のカートのキャリアの中でも、類のない発見だったのです。

【カート・ハンターマン】
ローマ時代の首なし遺体の墓を初めて見ました。しかも狭い面積にたくさんの遺体が埋まっていたなんて。

【ナレーション】
首なしの遺体はいったい何者なのか。謎を解明する第1のヒントは遺跡に隠されていました。過去の発掘調査で、この周辺は昔、大きな墓地だったことがわかっていました。出土品から、ここがヨークに存在する最大規模の墓地で、都市が建設された2世紀終盤ごろにさかのぼることもわかりました。ローマ時代のことです。

【カート・ハンターマン】
周辺にも古代ローマ時代の墓があるので、我々も同様の墓を発見するかもと思っていました。

【ナレーション】
首なし遺体と一緒に発見された陶器により、古代ローマ人の墓地だと裏付けられました。しかし、他のローマ時代の墓とは様相が異なっていたのです。

【カート・ハンターマン】
とても奇妙でした。

【ナレーション】
遺体の多くは首を切り落とされていただけでなく、その頭は両足の間に丁寧に置かれていたのです。

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発掘遺体の1例。頭蓋骨が首から切断され、両足の間に置かれている。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【カート・ハンターマン】
首を切り落とされていた事だけでも奇妙なのに、この変わった遺体の安置方法を見て、古代ローマ人は一体何を考えていたのかと首をかしげました。

【ナレーション】
考古学者たちを困惑させたのは、ひとつの墓地に埋葬されていた首なし遺体の数です。処刑された犯罪者だという見方もできますが、通常、ローマ時代の犯罪者はうつ伏せで埋葬されます。しかしこの墓では仰向けで埋められていました。この奇妙な墓には、いったいどのような意味があるのでしょうか。

謎解きの次のヒントはローマ帝国時代のヨークの役割を知ることでした。かつてエボラクムと呼ばれたこの都市には、2人のローマ皇帝が滞在していたことがわかりました。皇帝が宮廷を構え、軍事的にも重要な拠点だったのです。

【ケビン・ディカス博士】
皇帝の行く先には帝国の行政機関も全て移動します。そしてヨークはローマ帝国 属州の中心地になりました。

【ナレーション】
ローマ帝国のイギリス侵略は紀元43年に始まり、その後30年間にわたり侵攻を続けたのです。しかし北方の部族の抵抗はすさまじいものでした。

【ケビン・ディカス博士】
部族の抵抗にローマ軍は驚愕しました。森や沼地の中にひそみ、奇襲をかけ、攻撃を終えると姿をくらますというゲリラ戦法が彼らの得意技だったのです。鍛え抜かれ統率された軍隊が未開地の部族に完敗してしまうこともあったのです。

【ナレーション】
当初、墓地がローマ軍の侵攻と同時代のものであったことから、首なしの死体はローマ軍と部族の戦死者だと考えられていました。なぜなら、ほぼすべての白骨死体は男性で、戦闘に適した年齢にあったからです。

【マーリン・ホルスト】
ローマ時代の墓では男性の遺体の数が女性よりやや多い程度ですが、ドリフフィールド・テラスに埋められていたのは全員が成人男性だったのです。しかも45歳以上はいないという特異な例でした。つまりこれらは比較的若く、健康で、特別な存在だったのかもしれません。

  注:マーリン・ホルストは "almost soley man adults" と発言しているので「ほぼ全てが成人男性」が正しい理解です。カート・ハンターマンがネットに公開している論文をみると、発掘された白骨遺体は 82体 で、そのうちの1体は女性だったようです。

【ナレーション】
彼らは健康な若い男たちで、人生の盛りに亡くなったようです。しかし無視できない疑問が一つありました。彼らがもし殺された兵士だとしたら、遺体は都市ではなく戦場に埋葬されるはずです。その一方で遺体には、まるで殺戮された兵士のように、すざましい戦闘を経験した痕跡がありました。首を切り落とされただけではなく、骨の多くに骨折が治った痕があったのです。そこで興味深い新説が浮上しました。戦いの中で鍛え抜かれ虐殺された男たちは古代ローマを象徴するだった。それはグラディエーターです。

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白骨遺体を調査するヨーク大学のマーリン・ホルスト(骨考古学)。
(BS朝日「地球大紀行」より)


剣闘士(グラディエーター)


【ナレーション】
ヨークに眠っていたおぞましい遺物。何10体もの男性の白骨。考古学者のカート・ハンターマンと調査団は、古代ローマの墓地で難解な謎に直面していました。男たちは戦闘経験者でしたが、兵士ではなかったのです。首を切り落とされた彼らは何者だったのでしょう。考古学者たちは驚くべき新説をたてました。それはこの墓がグラディエーター、つまり剣闘士のものではないかという説です。もしそれが本当なら、イギリスにおける古代ローマ人の歴史を塗り替えることになります。

【ケビン・ディカス博士】
イタリアのローマですら、グラディエーターの墓の発見はすごいことなんです。イギリスでグラディエーターの大規模な墓が発見されたら、とても驚くでしょう。

  注:番組の字幕は「とても驚くでしょう」となっていましたが、ディカス博士は "would be truely remarkable" と言っているので「(剣闘士の墓だとしたら)本当に驚くべきことです」ぐらいが妥当。

【ナレーション】
墓から遺体を掘り出した調査団は、グラディエター説を裏付ける証拠を探し始めました。すると彼らは、まぎれもなく壮絶な戦闘を経験した者たちであることが明らかになったのです。

【マーリン・ホルスト】
この人物は生存中にかなりの外傷を負ったことが骨折痕からわかります。肋骨にも外傷によると思われる骨折痕があり、そして右膝の裏には刀傷、すねには炎症性の損傷があって、ここも一撃されたようです。

【ナレーション】
この男は墓地で発見された中でもひどい傷跡がある一人です。骨折の多くは直っており、彼らが数年にわたって危険な戦闘に耐えてきたことがうかがわれます。そして白骨死体の多くに共通する致命傷があります。それは斬首です。

【マーリン・ホルスト】
6割以上が一撃で首を切り落とされていました。(注:骨を見せながら)これは首の脊椎と頸椎けいついと呼ばれる部分です。この骨に頭が載っていて、その一つ下にあるのが頭を左右に動かす部分です。これを見ると頸椎のこの部分が完全に削ぎ落とされています。そしてこれが脊椎の部分全体を切断した痕です。

【ナレーション】
まっすぐに切断された骨を見ると、男たちが刀剣や斧などの鋭利な武器によって斬首されたことがわかります。

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鋭利な刃物の一撃でスパッと切断された頸椎をマーリン・ホルストが示している。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【マーリン・ホルスト】
首を切り落とした最後の一撃は、かなり強烈だったと思います。切り口がここから(注:マーリン・ホルストが手で自分の首の後ろを示す)あごの横まで到達しているのです。衝撃によりあごは粉々になり、たくさんの破片となって飛び散っています。

【ナレーション】
中には、頭を切り落とされるまでに何度も切りつけられた者もいます。

【シャーロット・ロバーツ博士】
この人は、数回首を切りつけられたと思われます。一撃でスパッと頭が切り落とされずに何回も刀を振るわれたのでしょう。一度目がうまくいかなかったか、あるいは確実に首を切り落とすために念を入れたのかもしれません。

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白骨遺体を調査するダラム大学のシャーロット・ロバーツ博士(生体考古学)。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【ナレーション】
遺体は斬首されるまで、壮絶な戦闘を強いられていたことを物語っています。さらに遺体にはグラディエーターだったことを裏付ける、ある手がかりが隠されていたのです。それは骨ではなく、歯に残されていました。


歯の分析から判明した出身地


【ナレーション】
ジャネット・モンゴメリー博士は生物考古学者で、専門は遺体の分析です。この2000年前の歯を調べた結果、男たちの出身地を突き止めたのです。彼らの素性を解明するためには貴重な情報で、それは同位体分析という技術(注:最後の「補記1」参照)が鍵となりました。

【ジャネット・モンゴメリー博士】
同位体分析とは古代人の歯に残されている生存時の情報を引き出す技術です。彼らがどんなものを食べていたのか、住んでいた場所、環境、気候なども判別できます。さらに地元出身者であったか、それとも他所からやってきたのかを立証することもできるのです。

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同位体分析を行うダラム大学のジャネット・モンゴメリー博士(生体考古学)。遺体の歯から出身地を推定した。同位体分析の手法については最後の「補記1」を参照。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【ナレーション】
歯のエナメル質を同位体分析した結果、ここは国際的な墓地だったことがわかりました。発見された遺体の中でヨーク出身のものは少数で、多くはイギリス出身ですらなかったのです。

【ジャネット・モンゴメリー博士】
寒い地域から温暖な地域まで様々な土地の出身者がいました。当時のイギリスの食習慣にはない植物を食べていたことも分かっています。彼らは他の土地から来た集団だったのです。

【ナレーション】
分析によると男たちはヨークで死亡しましたが、もともとはローマ帝国の各地からやってきたことがわかりました。そしてある男は驚くほど遠方の出身者でした。

【ジャネット・モンゴメリー博士】
同位体のデータによると、この男は南方の温暖で乾燥した地域の出身であることがわかりました。その遺伝的祖先は中近東です。

【ナレーション】
何とこの男は母国のある中近東から4800キロも離れたヨークで死亡したのです。

多くの証拠が集まりました。この墓は帝国中から寄せ集められた、鍛え抜かれし戦闘経験者のものだったのです。彼らはまさにグラディエーターそのものでした。

【ダリウス・アーヤ博士】
グラディエーターとは何者だったのでしょう ? その多くは犯罪者や戦争捕虜でした。軍隊経験があり、健康状態が良好で訓練を重ねれば立派なグラディエーターになれる者たちです。

【ナレーション】
ハンターマンにはもう一つ、極め付きの証拠がありました。彼らの墓地はイギリスにある他のローマ時代のものとは様相が異なっていたかもしれません。しかし、3200キロ離れたトルコにある墓地にそっくりだったのです。


エフェソス


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エフェソスの円形闘技場。トルコ西部のエフェソスは、古代ギリシャ時代から古代ローマにかけて繁栄した都市。数々の遺跡が残っており、世界遺産に登録されている。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【ナレーション】
ここはエフェソス。古代ローマ帝国に属する州の中心地で、25,000人を収容する円形闘技場がありました。1993年、ここからわずか数メートルのところで墓地が発見されました。ヨーク同様、ここで発見された遺体は戦闘経験のある男たちで、残酷な方法で処刑されていました。しかしエフェソスの男たちが何者であるかはすぐに判明しました。墓石に彼らが剣闘士、グラディエーターであったことがしるされていたのです。そしてハンターマンはこの2つの墓地の類似点に驚愕しました。

【カート・ハンターマン】
ヨークの白骨遺体はエフェソスのものと良く似ています。私はグラディエーター説を支持しますが、それは生活様式や埋葬場所に説得力があるからです。私からみると全てが闘技場で闘っていたある特定の男達だけに当てはまるのです。

【ダリウス・アーヤ博士】
ヨークでの発見は、剣闘士にまつわる環境がもう1つ存在していた可能性を開いたのです。

  注:「剣闘士にまつわる環境がもう1つ存在していた可能性」とは、意味のとりにくい字幕です。アーヤ博士の発言は "open up the possibility we found an another similiar situation of gladiators" で、明らかにエフェソスの剣闘士の墓をふまえています。「剣闘士について(エフェソスとは)別の、類似の場所を発見した可能性」が正確な意味でしょう。

【ナレーション】
ヨークでのグラディエーターの墓と思われる遺跡の大発見は、考古学者たちに一世一代のチャンスをもたらしました。それは古代ローマ文明の闇を解き明かすこと。グラディエーターの試合、闘技会。娯楽のために人が殺される、残虐非道な競技です。

闘技会の多くは古代ローマを象徴する建物、コロセウムで開催されました。西暦80年に落成し5万人を収容するこの円形闘技場は、歴史上最も残酷な競技を興業するためのものだったのです。

【ダリウス・アーヤ博士】
グラディエーターは強靱な人間たちでした。闘技場で死と直面しつつ、一般の観衆のために闘ったのです。彼らは生きる伝説でした。

【ナレーション】
コロセウムでは70万人以上のグラディエーターが闘い、死んだと推定されています。

【ダリウス・アーヤ博士】
現代ではグラディエーターのような見世物はありません。少なくとも合法的には。観客は流血沙汰を期待して行くわけですからね。誰かが腹を切られ、腕を切り落とされ、もしくは頭を切り落とされる。信じられないほどおぞましいものだったのです。

【ナレーション】
2000年もの時を経て、考古学者たちは過去最大規模のグラディエーターの墓を発掘したのかもしれません。しかもローマではなく、1,600キロも離れたイギリス、歴史ある町、ヨークで ・・・・・・。発掘された80体以上の白骨遺体は、古代ローマ帝国の様々な地域からやってきた男たちでした。彼らは壮絶な人生を送り、最終的には首を落とされましたが、埋葬される際には敬意が払われていたようです。これらの証拠は、彼らが古代ローマのグラディエーターだったことを物語っています。

【ダリウス・アーヤ博士】
ヨークで発見した証拠を調べ、科学分析を進めるにつれて、パズルのピースがはまっていきます。男たちががっしりした体格だったこと、年齢、その他どんどん説得力が増していきます。


食生活


【ナレーション】
現代ではグラディエーターは古代ローマのスーパースター、エリートだと見なされているかもしれません。しかし遺体の歯を分析するにつれて、彼らの過酷な生活を明らかにする驚きの新事実が判明したのです。

【シャーロット・ロバーツ博士】
エナメル質に異常が見られる歯がたくさんありました。この犬歯がよい例です。歯に横線が入っています。横線は歯の成長期にこの人物がストレスを受けていたことを示しています。この人は幸せな幼少期を過ごせず、こうした異常なことが人生で起こっていたのでしょう。

【ナレーション】
墓で発見された多くの男たちの歯にはこうした線が見受けられましたが、それは乳児栄養失調のあかしです。しかし彼らは成人してから高タンパクの食事をとっていたことが歯に現れています。

【ジャネット・モンゴメリー博士】
彼らは野菜と肉の両方を食べていただけでなく、少量ですが魚も口にしていた可能性があります。

【ナレーション】
古代ローマ時代のヨークで肉と魚を食べていたということは、恵まれた食生活だったのでしょう。

【ダリウス・アーヤ博士】
彼らは食事を与えられ、良い栄養状態でした。そして強く、丈夫な体になっていきました。一体何があったのでしょう ?

【ナレーション】
歯の証拠から推測すると、ローマ帝国中から貧しい男たちが集められ、闘うための肉体づくりをさせられていたと考えられます。

【ケビン・ディカス博士】
彼らは最下層の身分でしたが、剣闘士の興行師 "ラニスタ" に素質を認められ、身請けされました。そして資金を回収するため訓練を施し、食事と住む場所を与えたのです。

【ナレーション】
男たちはグラディエーターの養成所で高タンパクの食事を与えられました。デビューまでに筋肉をつけて体を大きくするためです。

【ケビン・ディカス博士】
彼らの体格はかなり良かったはすです。帝国一、筋肉隆々で運動能力が高く、その肉体は世間から注目を浴びていたはずです。


副葬品と埋葬場所


【ナレーション】
彼らの墓の副葬品から、貧困層の身分であったグラディエーターたちが一目置かれていたことがわかります。

【カート・ハンターマン】
古代ローマ時代では、墓に副葬品を入れるのが一般的でした。故人が死後の世界で幸せになるための品物が入れられます。

【ナレーション】
ヨークの白骨遺体とともに発見したのは、数々の酒の器や大量に供えられた食べ物でした。さらに彼らの地位の高さを示す副葬品は、多くの銀貨でした。銀貨には様々なローマ皇帝の肖像が描かれていて、この埋葬方法はローマ帝国がイギリスを支配しているあいだ、ずっと行われていたことが明らかになったのです。つまり、グラディエーターたちは4世紀にわたりヨークで活躍していたことになります。

【カート・ハンターマン】
墓からは1世紀から4世紀までの銀貨数種類が出土しています。こちらはコンスタンティヌス2世のもので、紀元330年ごろになります。つまり古代ローマの終わりまで続いていたということです。

【ナレーション】
しかし、男たちが尊敬されていたことを示す一番の証拠は、墓の位置でした。帝国全体の習慣で墓の場所は社会的地位を表していたのです。墓地の発掘にあたっていた考古学者たちは、グラディエーターたち全ての墓が最も名誉ある場所にあったと確証を得たのです。

【カート・ハンターマン】
この墓地(注:Driffield Terras)は古代ローマ時代の大きな街道沿いにあります。当時、通行人に死者を思い出させるこの場所に埋葬されることは大変意味のあることでした。さらに小高い丘になっていることも、この場所の重要性を高めています。この場所は帝国有数の埋葬場所だったのです。

【ナレーション】
特別に鍛え抜かれた若い男たちの集団。死に際しては一般大衆からもその勇姿が称えられました。しかしその一方で、白骨からはある衝撃的な事実が判明しました。この優秀な戦士たちは、生前に奴隷よりは少しはましな扱いを受けていましたが、時には闘技場での生死を左右する恐ろしいハンデを背負わされていたのです。


足かせ


【ナレーション】
ローマ時代、グラディエーターは大きなビジネスでした。毎試合ごとの勝負で、巨額の金が動いていました。有望な新人を確保するために、奴隷売買が横行していたのです。闘技場デビューをさせるため、グラディエーターの育成にはたくさんの金がつぎ込まれました。男たちはただの奴隷よりりは少しはましな扱いを受けていたのです。

【ケビン・ディカス博士】
グラディエーターたちは訓練を受けながら、充実した食事や医療を施されていました。しかしその一方で彼らに自由はなく小部屋に閉じこめられていました。決められたスケジュール通りに過ごすことが強制され、まるで刑務所のようでした。

【リチャード・ジョーンズ】
奇妙な生活ですが、強い肉体をつくる上での待遇には恵まれていました。しかし、その待遇は一時的なものです。

【ナレーション】
(注:白骨遺体の画像が写し出される。次図)彼らが自分の運命ですら選択できなかったことを示す証拠があります。専門家は当初、足かせをはめられた状態で埋葬されていたと考えていました。

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足かせをはめられて発見された遺体。白骨遺体の中では最も大きな体格だった。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【カート・ハンターマン】
これが遺体の足にはまった状態で発見された足かせです。こんなものは初めて目にしました。まさに強運な考古学者が一生に一度だけ出会えるかもしれない稀有な物です。

【ナレーション】
これはただの足かせではありません。現代の足かせのように取り外しができるものではなかったのです。X線分析の結果、足かせはこのグラディエーターに死ぬまで装着されていたのです。

【カート・ハンターマン】
普通の足かせなら両足を鎖でつなぐための留め具があるはずですが、そのようなものは見当たりませんでした。

【ナレーション】
これらは特注の足の重りだったのです。この男に体の不自由と苦痛を与えるために作られました。分析の結果、この足かせは高温に熱した二つの鉄を足首に巻き付け、一つの輪に成形していたことがわかりました。

【カート・ハンターマン】
真っ赤に熱した鉄を人の足に巻きつけるなんて、野蛮としか言えません。

【ナレーション】
白骨の分析では、死ぬまではずせない足かせの残酷な実態が明らかになったのです。

【シャーロット・ロバーツ博士】
彼の足の骨には新しい骨形成の痕跡があり、これは炎症が起こった証です。つまり足首の部分に何らかの外傷が何度も加えられたということです。また当時はこのような炎症を治療できなかったので、彼らは赤く腫れ上がった炎症の痛みに死ぬまで耐えるしかなかったのです。

【ナレーション】
いったいなぜこの男は、これほど恐ろしい罰を受けていたのでしょう。彼は白骨遺体の中で最も大きな体格でした。重い足かせは、この巨体のグラディエーターの動きを鈍らせるものだったのでしょう。血を見て喜ぶローマの大衆に、より刺激的な試合を見せるために。

【ケビン・ディカス博士】
剣闘士に足かせなどを装着しハンデを負わせるということはたまにあったようです。例えば体の大きさが違いすぎて公平な試合にならない場合です。さらにそれがグラディエーターの個性となり、試合をより盛り上げるのです。


治療


【ナレーション】
この足かせの例は極めて珍しいですが、発見されたほとんどの遺体に、傷の治ったあとがありました。当時では贅沢なことですが、彼らには治療が施されていたようです(注:最後の「補記2」参照)。大金をかけて育てたグラディエーターを簡単には死なせないために。

【ダリウス・アーヤ博士】
グラディエーターの訓練も大変危険で、彼らは治療や傷の縫合を受けていました。白骨にその痕跡があるということは、彼らがグラディエーターであったと言えるでしょう。

【ナレーション】
骨は、彼らが重傷を負っても、また闘いに戻っていったことを証明しています。

【マーリン・ホルスト】
この頭蓋骨には鈍器による傷が16箇所あります。何らかの武器で殴られたようですが傷は深くなく致命傷ではありませんでした。しかし彼らには同様の傷が異常に多いのです。

【ナレーション】
この男は大けがを負ったうちの一人です。頭蓋骨が損傷していましたが、驚くべき事に彼は生き延びたのです。

【シャーロット・ロバーツ博士】
これほどの傷がつくということは、相当な力で殴られたはずです。この傷を受け、内出血したかもしれませんが、頭蓋骨の状態を調べるとかなり治癒しています。ということはこの人物は死んだわけはなく、その後、一定期間生存していたということになります。

【ナレーション】
治癒した傷跡は、グラディエーターが医者の治療を受けていたという見方と辻褄が合います。しかしある男はひどい致命傷を負っていました。彼はグラディエーターよりもはるかに恐ろしい相手と対戦したのです。それは野生の猛獣です。


闘獣士


【ナレーション】
古代ローマ時代のヨークで、最も名誉ある墓に埋葬された80体の白骨死体。骨には恐ろしい傷跡が残されていました。彼らは古代ローマの属州であったイギリスのグラディエーターで、流血を楽しむ大衆のために闘い、残酷な試合の中で惨殺されました。記録によると30以上の異なるタイプのグラディエーターがいて、それぞれ武器や戦法に特徴があったようです。

【リチャード・ジョーンズ】
グラディエーターにはそれぞれ得意技があり、皆それに見合った武器や道具を使っていました。試合は同じ武器を持つ者同士や、違う武器を持つ相手などを組み合わせて闘わせていました。

  注:No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、魚剣闘士(ムルミッロ)と投網とあみ剣闘士(レティアリウス)の話を書きましたが、剣闘士にはその他、いろいろの種類がありました。日本語版 Wikipedia にその解説があります。

【ナレーション】
そしてある白骨遺体には、残虐な試合を物語る恐ろしい傷痕きずあとが残っていました。この男は発見された遺体の中でも最も小柄でした。調査の結果、その骨から驚くことが判明したのです。何と彼の骨盤には猛獣によってあけられたような穴があいていたのです。

【シャーロット・ロバーツ博士】
この白骨遺体は非常に珍しいものです。私は初めて見ましたが、正直気分のいいものではありません。この右側の骨盤を見てください。2カ所の損傷、2つの穴がはっきりと確認できます。さらに左側にも穴や損傷が見受けられます。この咬み痕をつけたのはどんな動物でしょう ?

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動物に咬まれた痕が残る骨盤の一部
(site : www.yorkarchaeology.co.uk)

【ナレーション】
この男にはグラディエーターのなかでも特に残虐な試合をさせられた証拠があります。それは猛獣を相手に死ぬまで闘うことです。

【ケビン・ディカス博士】
ライオンや虎との闘いは極めて危険で、多くの者が命を落としました。

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闘獣士のモザイク画
(ローマ:ボルゲーゼ美術館)

【ナレーション】
対戦相手はライオンや虎だけではありませんでした。野生の犬や雄牛、時には熊がグラディエーターと闘いました。

ティム・トムソンは人類学の教授です。彼はこの体に致命傷を与えた動物を特定しようとしています。

【ティム・トムソン教授】
これは成人の人体骨格です。猛獣と闘った人物の傷は骨盤部分の左右両側にあります。具体的にはこの腸骨稜ちょうこつりょうと呼ばれる部分です。咬まれたあとがこことここ、そして こことここにもあります。この傷は間違いなく動物に咬まれた痕です。この人物には複数の傷痕があります。

【ナレーション】
トムソン教授は最新技術を用いて、この男を襲撃した動物を判別しようとしています。3Dスキャナーを使って骨盤の破片をつなぎ合わせ、バーチャルで骨盤を再現しました。

【ティム・トムソン教授】
スキャンを行い、粉々になっていた骨盤をデータ化します。粉々になった骨盤の破片をバーチャル空間で再構築できます。最終的には骨盤の咬まれた痕を様々な動物の歯形と照合します。実物の骨を使ってできることではありません。

【ナレーション】
復元されたバーチャルの骨盤から、この男を攻撃した猛獣を割り出すことができます。

【ティム・トムソン教授】
猫や犬のような小さな動物ではありません。かなり大型のネコ科動物のような大きさだと思います。

【ナレーション】
骨盤の歯形をヤマネコと比較するため、大人のライオンの頭蓋骨をスキャンしました。

  注:ここは日本語として変な訳になっています。"ヤマネコ" は英語で wild cat だと推定されますが、ここではヤマネコではなく「野生のネコ科動物」の意味でしょう。

【ティム・トムソン教授】
これは骨盤の一部で、骨には動物が咬んだ痕と穴があります。今からここにライオンの頭蓋骨のスキャン画像を取り込みます。ライオンの歯形と骨盤の咬まれた痕がぴったりはまりました。

Gladiator-14.jpg
発見された破片をコンピュータ上で骨盤に復元した画像を説明する、ティーズサイド大学のティム・トムソン教授(人類学)。

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骨盤に大人のライオンの頭蓋骨を重ねた画像。ライオンの歯形と骨盤の咬まれた痕がぴったりとはまった。
(BS朝日「地球大紀行」より)

【ナレーション】
獰猛なライオンに攻撃されたこの男の末路は一つしか考えられません。さらに骨を詳しく調べたところ、傷は治らなかったことが確認されました。彼はライオンとの闘いで命を落としたのです。

【ティム・トムソン教授】
この咬み傷が致命傷になりました。そして大型肉食動物のものと一致します。

【ナレーション】
この男は闘獣士という、人ではなく野生動物を相手に闘うことを運命づけられたグラディエーターです。

【ダリウス・アーヤ博士】
闘獣士は野生の猛獣と闘うために特殊な訓練を受けたグラディエーターです。観客への娯楽として猛獣と殺し合うのです。それはとてつもなく危険な行為でした。相手は猛獣です。勝てる見込みはどれほどあったのでしょう ?

  注:「特殊な訓練を受けたグラディエーター」とアーヤ博士は言っていますが、No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で書いたように、猛獣の方も幼いころに捕らえられ、闘獣士と闘うために特別の訓練を受けました。これはローマでの話ですが、ヨークでもそうだったのではと思います。要するに「観客を熱狂させて興業的価値をあげる」わけです。


エピローグ


【ナレーション】
80体の古代ローマ人の死体が見つかった謎の墓地がグラディエーターのものであるという仮説は、多くの証拠によって裏付けられました。しかしこの白骨死体は全てグラディエーターであるならば、なぜ最後に斬首されたのでしょうか。斬首はグラディエーターの試合を締めくくる、とどめの一撃だったと考えられています。

【カート・ハンターマン】
闘技場で首を切り落とされた人々は、闘いの最後に情けをかけられたのだと思います。敗北して瀕死になった者は首を斬られたのです。

【ナレーション】
闘技場では敗者の運命は皇帝や観衆にゆだねられました。

【リチャード・ジョーンズ】
もし皇帝が闘技場で観戦していれば、彼が敗北したグラディエーターの生死を決めました。よく知られる合図はこうです。親指を立てれば助けられ、親指を下に向ければ死を意味しました。

【ナレーション】
すべてのグラディエーターが対戦相手に殺されたわけではありません。敗北し、死を宣告されたグラディエーターは、闘技場の死刑執行人の手によって殺されました。

【ダリウス・アーヤ博士】
時には、死への一撃を与える人間が闘技場に登場することもありました。劇的なラストです。

【ナレーション】
これらの白骨死体は、ヨークのグラディエーターを今に伝える興味深い証拠です。帝国じゅうから選び抜かれた男たちの骨には、危険な訓練を受けていたあかしがあり、傷痕は歴史上最も残虐な試合をさせられていた事実を伝えています。

【カート・ハンターマン】
骨に残された人間による攻撃の痕や猛獣による咬み痕と他の証拠から判断して、白骨遺体は闘技場で闘い、この名誉な場所に葬られたグラディエーターたちであると考えます。そういった意味で古代ローマ帝国のヨークは特別な場所でした。

【ダリウス・アーヤ博士】
グラディエーターの興業は、ローマから帝国中に広がりました。そしてヨークでもグラディエーターたちが闘ったことを裏付ける証拠が見つかったわけです。

【ナレーション】
死に際し、この男たちは英雄の扱いをうけましたが、その人生は生き延びるための闘いでした。惨殺された白骨死体はローマ帝国の真の残虐性を露わにしたものであり、ローマ文明の心の闇の証だったのです。

■■■■■■ 番組終了 ■■■■■■


剣闘士の墓とする根拠


以降はこの番組のまとめです。首を切断された遺体は戦死者や犯罪人という事も考えられましたが、調査チームが出した結論は剣闘士(グラディエーター)です。その根拠は以下ようになるでしょう。

通常、ローマ時代の犯罪人はうつ伏せで埋葬された。しかしこの墓では仰向けで埋められていた。犯罪人とは考えにくい。

戦闘で死んだ兵士だとしたら、遺体は都市ではなく、戦場ないしは前線基地に埋葬されたはずである。

骨には数多くの骨折痕とそれが治癒したあとがあり、彼らが数年にわたって危険な戦闘に耐えてきたことがうかがわれる。

男たちの出身地はローマ帝国の全域(最も遠くは中東)に散らばっている。イギリス出身者は少数である。

まっすぐに切断された骨を見ると、男たちが刀剣や斧などの鋭利な武器によって斬首されたことがわかる。これは敗北した剣闘士が対戦相手によって、ないしは闘技場の死刑執行人によって斬首されたという歴史事実と合致する。

男たちの副葬品から、彼らが尊敬されていたことがわかる。特に銀貨の副葬品はそれを示している。

墓地は、古代ローマ時代のヨークの大きな街道沿いにあった。これは墓地としては最もステータスの高い場所である。剣闘士が敬意をもって埋葬されたという歴史と合致する。

トルコのエフェソスで発見された剣闘士の墓とヨークの墓が酷似している。遺体は首を斬られており、遺体には戦闘経験があり、かつ敬意をもって埋葬された。

分析によると、男たちの歯には乳児栄養失調の兆候が見られたが、成人してからは高タンパクの食事をとっていた。これは剣闘士が養成所で高タンパクの食事を与えられたという歴史的事実と合致する。

最も大きな体格の男は "足かせ" をはめられていた。これは取り外し不可能で、鎖をつなぐ穴もなく、単なる奴隷の足かせではない。巨体の剣闘士の動きを鈍らせる "重り" だったと推定できる。

発見されたほとんどの遺体の骨には傷が治ったあとがあり、治療が施されていた。治療は古代ローマにおいては贅沢なことである。剣闘士だとすると辻褄が合う。

一人の白骨遺体の骨盤には猛獣によってあけられた穴があり、これが致命傷となった。この骨盤の穴は大型肉食獣の牙と一致する。この状況が考えられるのは剣闘士(闘獣士)である。

ジグソーパズルのピースがはまるように、多くの証拠が剣闘士の墓であることを示唆しています。決定的とも言えるのは最後の「猛獣の牙によって骨盤に穴があくほどの致命傷を負った遺体」でしょう。

調査団長のカート・ハンターマンがネットに公表しているリポートを読むと、発見された白骨遺体は82体ですが、そのうちの1体は女性でした。そしてハンターマンは、この女性がグラディアトリクス(gladiatrix。女性剣闘士)ではないかと推測しています。

No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で紹介したように、ローマの剣闘士については数々の本が書かれ、映画が作られ、絵画も制作されてきました。しかしこの番組が示した「白骨遺体の分析レポート」は、本・映画・絵とは違った意味で、2000年前の状況を非常に生々しく感じることができ、大変に印象的でした。



 補記1:同位体分析 

ここからは補足です。No.221「なぜ痩せられないのか」で、同位体分析の手法を使ってヒトの消費エネルギーを精密測定する話を書きましたが、本番組にも同位体分析が出てきました。歯のエナメル質の同位体分析で、出身地や食性がわかるというのです。なぜ可能なのか、調べてみると次のようです。いずれも安定同位体(No.221参照)を利用するようです。

  ストロンチウム(Sr)は土壌中に含まれるが、安定同位体として 84Sr 86Sr 87Sr 88Sr の4種がある(88Sr が最も多い)。この安定同位体の存在比が地質によって微妙に違い、これがその土地の生物のストロンチウム量に影響する。このことから、生物がどの地域で育ったかを推定できる。

  生物においては、窒素(普通は 14N)の安定同位体である 15N の存在比が、食物連鎖によって少しずつ高まっていくことがわかっている。これを利用して人や動物の食物(肉、魚、植物)が判別できる。

  植物の光合成回路には3種の違ったタイプがあり、それぞれ炭素(普通は 12C)の安定同位体である 13C を取り込む率が違う。これを使って人や動物が食べていた植物が大まかに判別できる。これと 15N の分析を合わせて食性が推定できる。

そして、このような同位体分析は今や世界の常識であり、考古学だけでなく、たとえば食物の原産地証明や生物の食性分析などにも利用されているようです。

以上は一般論であって番組中のモンゴメリー博士の手法の詳細はわかりませんが、類似の方法だったと推察されます。博士は遺体の歯から出身地を推定し、さらに「彼らは野菜と肉の両方を食べていただけでなく、少量ですが魚も口にしていた可能性があります」と語っていました。そこまで分析できる測定技術の進歩に感心しました。



 補記2:ガレノス 

本文中のナレーションに、

発見されたほとんどの遺体には、傷の治ったあとがありました。当時では贅沢なことですが、彼らには治療が施されていたようです。

とありました。ここで思い出すのが古代ローマの医師、ガレノスです。このブログで何回か引用した東京大学名誉教授の本村凌二氏がガノレスに関するエッセイを書かれていました。それを紹介しますと、まずガレノスの簡単なプロフィールが次です。


ガレノス

古代ローマの医師。129年ごろ、現トルコのペルガモンに富裕な建築家の息子として生まれ、各地で医学を学び、剣闘士の担当医として経験を積む。30歳を過ぎたころローマに赴き、五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウスの侍医に。ヒポクラテス以来の古代医学を集大成し、ルネサンス期まで西洋医学に絶大な影響を及ぼした。200年ごろ死去。

世界史の遺風(102)
「ガレノス 医学でローマを制した国手」
東大名誉教授・本村凌二
産経ニュース 学術・アート
(2014.3.27 11:20)

題名に "国手" という言葉が使ってありますが、中国の故事の「国を治すほどの名手」という意味から転じて、名医の意味や、医者に対する敬称として使われます。

プロフィールの中に「ルネサンス期まで西洋医学に絶大な影響を及ぼした」とありますが、確か、レオナルド・ダ・ヴィンチは人体の研究のために解剖も行うかたわら、ガレノスの書物で勉強をしたはずです。

そのガレノスは、実は、剣闘士の医者だったことがあります。本村先生の文章はガレノスの生涯を詳しく記述していますが、剣闘士に関係するところの前後を引用します。


ローマ建築の粋を集めた壮麗なパンテオンを再建したハドリアヌス帝の治世下、小アジアのペルガモンでガレノスという男児が生まれた。富裕な建築家の父の支援で各地を遊学し、数年間をアレクサンドリアで勉学にはげんでいる。最初は哲学を学び、ほどなく医学を志した。そこは医学解剖が許される唯一の場所だったからだ。この地でガレノスは経験をかさね技術をみがく。

27歳のときペルガモンに帰郷し、ここで剣闘士の治療医になった。肉を切り裂く流血の競技のおかげで、ガレノスは外科医としてかけがえのない経験を積んだのである

故郷で4年間の務めをはたし、31歳のとき帝国の都ローマの土をふむ。ハドリアヌス帝の後継者であった誠実なる賢帝アントニヌスが没し、ストア派の哲人マルクス・アウレリウスが即位したところだった。

本村凌二「同上」

Galenus.jpg
ガレノス。18世紀に描かれた肖像
(Wikipedia)
「ヨーク首なしグラディエーター」では、大金をかけて育てたグラディエーターを簡単には死なせないために治療を施したとの説明がありました。ヨークで発見された遺体が剣闘士であることの根拠の一つは、傷の治療が施されていることです。まさに、剣闘士養成所の医師は重要な役割を持っていた、それが本村先生が書いているように、医師からすると外科医としての貴重な経験になったわけです。

ちなみにガレノスの故郷であり、剣闘士の医師として働いたペルガモンは、本文で出てきたエフェソスと同じ小アジア(現在のトルコ)にあります。エフェソスと違ってペルガモンには現在、円形闘技場や剣闘士の墓の跡は残っていませんが、2000年前は都市の発展とともに剣闘士の試合が盛んに行われたのでしょう。



 補記3:ライオンが人を襲う 

余談ですが、連想したので書きます。本文中でティム・トムソン教授は発掘された穴のあいた骨盤を分析し、ライオンがグラディエーター(具体的には闘獣士)に噛みついた痕跡と結論付けていました。

これで思い出すのが「ライオンは獲物を攻撃する時にお尻に噛みつく」との説です。必ずそうなのか、信憑性のほどは知りません。ただ、ライオンが人のお尻に噛みついている瞬間を描いた有名な彫刻があります。フランスのピエール・ピュジェ(1620-1694)作の「クロトンのミロン」(1671-1682頃)です。

クロトン(南イタリア、現在のクロトーネ)出身のミロンは、ギリシャでレスリング選手として活躍しました。伝説では、ミロンは腕力で木を倒そうとし平手で木を引き裂いた、木は引き裂けたものの手が木の裂け目に挟まって取れなくなってしまった、そのとき獣がミロンに襲いかかり、片腕しか使えなかったミロンは食い殺されてしまった、とされています。要するに「過信は禁物」という教訓話です。

ピュジェの彫刻は、獣をライオンとしています。ルーブル美術館のピュジェの広場(リシュリュー翼)にあります。

クロトンのミロン.jpg




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